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branching15-ura
分枝
わたしの朝ごはん
branching
http://branching.jp
branching 15 publish : 09,December.2015
Ami IMAI 1990~
今井あみ
ポエム
あるときしょうねんは
ことばのことをポエムとよんだ
たとえとしてではなく
てをふり
さけんで
よんだのだった
ことばはけっしてふりむいてはくれなかった
カランガランと
歯をみがく音
顔をあらう音
目覚ましが止められず なりつづいている
トイレの水をながす音
Ken MIZUHASHI 1980~
水橋謙
ようやく 止まる
「行ってくるよ」って声
カギをかける音
はなれていく足音
ぜんぶぜんぶ耳を澄ませて味わう
わたしの朝ごはん
Yu OYA 1989~
大谷祐
しょうねんはかなしみともちがうふしぎなかおをして
いえへとかえっていった
そのひしょうねんはよなかまでなやんだ
ぼくがおおきなこえをだしたから
おどろいてしまったのではないか
もうぼくのまえにきてくれないのではないかと
ときおりなみだをうかべなやんだ
でもしょうねんはなみだをながすことはしなかった
めのなかになみだをためるだけにとどめたのだ
そしてあくるひ
歯を想わせて少し生々しく生きて姿を感じられるようだった。
いつもよりねぶそくなまま
ただ、紙に空いた 2 つの穴の凸凹とした断面は、ナメクジの小さく並んだ
http://oya-u.com
びに思ってしまう。
大谷祐 Yu Oya
年群馬県生まれ
1989
詩人
突拍子も無く現れては粘液の線を残して死んでいく干からびた姿を見るた
しょうねんはさんぽにでかけた
ナメクジはどこから来て どこにいくのだろう。
てをふり
た跡のようで 2 つの穴は食べた跡らしい。
さけんで
ねくねと穴と穴を繋いでいるようだ。どうやらナメクジが粘液を残して這っ
よぶのではなく
けると断面は凸凹といくつかの層を作って削れていた。また線は紙の上をく
ことばがぼくのまえに
走っているのが見えた。線を辿っていくと穴に繋がっている。穴に目を近づ
そっとあらわれるときをたしかめるために
何ともなく穴 2 つ空いた紙を見ていると、微かに光るくねくねとした線が
いつもよりおおきなほちょうであるいた
疋田義明
ためこんだなみだを
Yoshiaki HIKITA 1994~
あさひにむかってながすためにあるいた
だけどことばは
日記(2015 年 11 月 20 日)
胸に耳をあてて 心臓の音を聴く
動いている
鼻の穴に指を突っ込んで 着ている T シャツにこすりつける
ほっぺたをさわる くちびるをさわる ぺちゃんこになった髪の毛も
足のゆびと土踏まずがすき
̶̶̶̶̶
小汚いアパートに住んで
ドロドロに腐った排水口に三角コーナー
住んでいる人まで腐ってしまいそうなのに
小綺麗な人がでてくる
あぁ 人間も汚いものを浄化しているんだなって
2015 11/21 12/19「紙と鉛筆」@FFS_lounge gallery
「星夜」という絵の中の鬼子母神の部分 油彩/キャンバス 2015
星夜
Naoko MIYAZAWA 1981~
宮澤尚子
布に就いて
Biwa TAKAHASHI 1972 ~
たかはしびわ
それはとても静かだった。
何かが終わる時、本当にプツンという音がすることを知った。
そう。
すべて終わらす
すべて枯れる
水面下で越す
ドロドロで汚い池
Tomoro KAWAI 1976 ~
川合朋郎
れない。
古体のゑ、おほきなる色をゑのつらに置かむと布を用ゐること、繁し。
終わりはあっけなかった。
されば古体好みなる我にては、布の用ゐやうこそ大事なれ。
世界がまるで 180 度変わってしまったよう。
されどうまく描かむと努め侍れども、描けず。
今までの自分は夢を見ていて、ようやく目が覚めて、現実の世界に丸裸
我に才無きを甚く知る。
嗚咽の轍につまずいた わだつが変なおじさんです
去らんとした裏路地に在らんとしない俺犬が
その反動を爆発的に笑い出す こしゃくな癇癪持ちどもめ
女の匂いを嗅ぐのか 跨ぐのか ぶち殺してやると ひとりごちたら さぁたいへん
はたまたこれは君の左翼に似たぼかしか?
どじょうが出てきて さぁ大変 ぼっちゃん一緒に
まやかしか とある誰かの祈りか欲望か
乱反射への無意味な了解を 散開と残骸を かいかいかいーの界王様に 手放せ 今この瞬間を
きいてくださいよ ぼかぁしりませんよ」
飛び散るような 鉛のわたしの荷馬車から ドロドロドロドロとこぼれる手前の
うす汚ねぇ狂った時代に酔いどれて安心してらぁ
君のどろどろはそんなものなのか がっかりさせるな
ゴミどもが安住している悲しみが
売国奴
とある地下街が
俺のどろどろどろどろとおぞましいまでの
漆黒忘れた 桜が
怒りに満ちたこの情けなさと退廃に満ち淀んで
満開に 焼き焦げた静かな腐った王様の手厚い介護を受けた自己肯定を
青空はくだけ散る
誰のせいでもない 君のせいなんだ 君の下衆さが
言い忘れたの その落第に 足りないからだ 俺をこんなに傷めつけやがって
その時代 君の手のひらに口元にほくろの中に塗りたくり染み込ませたい
またはお前の白紙
孕ませたい
死人すら味方につけるこのハクチ
逆光にマチルダがルンペンどもに内臓もろとも食われちまった
OR 博打
淫乱どもめ 見ろ もっと奥底に沈んでいる
あるいはこのわたし
そのどろどろどろどろした粘り気のある濁った
一寸迷った
飛び交う意識を伝った無意識を 千両役者の通り道
天皇陛下の雨だれが元も子もない宮殿と自慰をやめない女が
カランガランと
グッと見詰めた眼光の先に その千光年先に
誰もいない
灯りもまばらな地下街を
帰り道
電灯なんか点ければ近くがとてもハッキリと観えてくるけれど
でも灯りを点けないでそのままジッとしていると
̶̶̶̶̶
自分でも気づかないうちにだんだん遥か彼方まで観えている
こころはどこにあるんだろ
全身にはりめぐらされているんだろうか
のまま放り出されたような奇妙な感覚。
俺の兄弟たちよ 自閉の群れが声を殺して
つぶれた残像がダランと軋む 午前二時
真っ暗闇では一歩も動けない
花がとても綺麗
蓮のはなし
あがいてあがいて、絶対に終わらせてはなるまいと必死だったのかもし
カランガランと
象のフンでも消せない隠せない なぞっても拭き取れない ここには何もなくて
風景はスッキリと広がっている
不安になる
また 元の風景に戻るのかって
芽
灰色に踊るブーゲンビリアをこじ開ける 兄弟よ 「ぼかぁ しりませんよ せんせいに
疲れたときに帰る場所
疋田義明 Yoshiaki Hikita
1994 年長野市生まれ
画家(パート)
2015 年武蔵野美術大学油絵学科卒業
[email protected]
ある地下街
暗いからとすぐに灯りを点けてしまうと見えた気になるけれど
水橋謙 Ken Mizuhashi
1980 年中野市生れ
職業 作曲家、音楽屋、酒屋、詩人
[email protected]
https://soundcloud.com/ken-mizuhashi
遠くのものはもっとずっとずっと闇の彼方へ遠ざかってしまう
うずくまる人の居る空間に
ただ ひっそりとわたしが居る
地に足がつかない。
どうやって一歩踏み出すんだっけ?
当たり前にしていたことのやり方がわからなくなってしまう。
おそきひのたはぶれ アクリル・F60 キャンバス、2015 年制作
自分はどうなってしまうのだろうという恐怖。
たかはしびわ Biwa Takahashi 画家 1972 年東京都生まれ 長野県在住
長野二紀会会員 日本ペンギン党党員
1997 武蔵野美術大学油絵学科卒業
2006.7 ∼『週刊さくだいら』にて『さくだいら美術探訪』隔週連載
(2008 年 7 月から 4 週に一度の掲載)
2007 信濃毎日新聞短歌欄イラスト担当
たかはしびわのページ http://takahashibiwa.web.fc2.com
ようやく少し状態を把握でき、これでいいのかもしれないと受け入れか
けた時、少し成長したように思った。
澤尚子 Naoko Miyazawa
イラストレーター・デザイナー
1981 年生まれ 長野市在住
http://www.bona-plus.com
[email protected]
川合朋郎 Tomoro Kawai
1976 年大阪出身 画家
東京藝術大学大学院修了
http://tomorokawai.com
今井あみ Ami IMAI 1990 年長野市生まれ
表現する人 / 社会人
[email protected]
2015 11/21 12/19「紙と鉛筆」@FFS_lounge gallery
2016 年 3 月 12 日(土)∼ 3 月 30 日(水) VOCA 展 2016 上野の森美術館
2015 11/21 12/19「紙と鉛筆」@FFS_lounge gallery
2015 11/21 12/19「紙と鉛筆」 @FFS_Lounge Gallery
分枝
2015 11/21 12/19「紙と鉛筆」@FFS_lounge gallery
Kanako ARAI 1987 ~
納和也
山本正人
「だいぶ、すっきりしたな。」
アライカナコ
Kazuya OSAME 1971 ~
Masato YAMAMOTO 1976 ~
「うん。」
言葉を運ぶもの
Mayumi TERASAWA 1984 ~
寺澤真佑美
無理やり 言葉をつむぎだそうとしなくていい
その時がくるのを待って、過ごそう
いつかの水の感触や 風の強さ、木々の揺れが 運んでくれる
山本正人 Masato Yamamoto 1976
群馬大学教育学部卒 長野市在住
IT
寺澤真佑美 Mayumi Terasawa
1984 年生まれ
アーティスト
日々の生活のなかでマイペースに制作している。
彼女と初めて会ったのは私が大学2年生の春、ちょうど今日のような新芽の
季節だった。いや、同じ科で一つ上の学年にいたから正確にはもっと前にす
れ違っていたのかもしれないけど、ずっと女子寮生活だった彼女はそちらの
付き合いで忙しく、科の集まりに全く顔を出していなかったんだ。
2015 11/21 12/19「紙と鉛筆」@FFS_lounge gallery
あの日、単位のためと仕方なく受けていた気怠い講義が終わり何時ものごと
く溜まり場の研究室に入るとそこに、ラベンダーを思わせるような淡い紫色
の髪をした彼女が座っていた。
2015 11/21 12/19「紙と鉛筆」 @FFS_Lounge Gallery
町田哲也
納和也 Kazuya Osame クリエイター
1971 年埼玉県熊谷市(旧妻沼町)生まれ
http://osamekazuya.com
http://machidatetsuya.com
隣に座っていた溜まり場常連の4年女子がまるで自分の宝物をひけらかすか
のように発した言葉に、彼女は少しはにかんだ顔を見せる。その控え目にゆ
かしい表情を目にした私は、恥ずかしさも忘れて真顔で返事をしていた。
年長野市生まれ
Tetsuya Machida 1958
ブランチング企画責任・クマサ計画
「山本くん、この子可愛いでしょ∼」
アライカナコ Kanako Arai
1987 生まれ
長野市在住 社会人
聴いて見て。考え、試して。創り出す。
﹁景色の引金﹂
トポス高地
アリコ・ルージュ飯綱町
11/29 12/28
2015-09
蕎麦料理処﹁萱﹂展示スペース
12/11 12/31
千曲市戸倉町
by Blanc
﹁紙と鉛筆﹂ @FFS_lounge gallery
2015 11/21 12/19
こんな子居たっけ?と入学から今までの記憶を隈無く辿ったが見当たらな
かった。というより、もし一度でも接していれば忘れるはずがないと咄嗟に
思った。
私は瞬く間に魅了されていた。
私の論は以上である。
何かの折に、他の人の「何故勉強をするの?」という問いに対する答えな
ども聞くことが出来たら、とも思うが。そんな弁論大会の前に、一緒に海
を眺めたり一緒に食事をしたり、そういうことも他人の考えを知り、自分
の学びを広げる良い機会なのだろう、とも確信的に私は思うのだ。
に住まって下の者らとの交わりを避けるようにして近
しい血で結ばれる時を綿々と重ねたから類稀な﹁卑し
いもの﹂が生まれそれを隠すように人目を憚って別の
山に牢を拵えて匿うというより隠した。戦中の傀儡時
には里にある病院に収容されていた。今時になって外
から血が入ってもそうなったらこうしろという長い暗
黙の歴史の気質は残されたらしい。俺はふたつほど山
の中の朽ちた牢をみたことがある。最初は獣罠か獣小
屋と思ったが便器があってな。魂消たよ。拉致監禁だ。
外から大工を呼んで口封じを懐に差した堅牢なものも
あったらしい。家人が世話をしたが情愛のほどはわか
らない。姨捨のようなものだ。さとるは座敷牢から逃
げ出して山を越えあの岩穴に隠れたようだが舌が千切
れているだけで﹁卑しいもの﹂の徴がない。もしかす
ると生まれる筈のない不埒の子が隠されたのかもしれ
ぬ。座敷牢にしろ岩穴にしろさとるにしてみればどち
らも同じようなものだがな。おそらく世話の人手が絶
えたかして自力で過ごしたのは二年ほどだろう。冬場
は閉鎖された牧場の畜舎などに身を寄せたかもしれな
い。よく生きながらえたわ。三人の山人が三年前にさ
とるに気づいて交代で世話をするようになったがそれ
ぞれ家人には内緒にした。かかあらはやれ警察だやれ
役場だとさとるを施設か病院へ、そうでなくても人間
社会に戻そうとするから去年の冬の間は独り者の俺の
ところに住まわした。とはいっても納屋で寝かせて昼
はどこぞへ消えるような手薄だったが腹を空かせば戻
ってきた。山奥の辛うじて小さく平たい代々が倹しく
引き受け続けた田のそれでも脱穀すれば山積みになる
籾殻に突き出た燻炭器から立ち上る煙りの脇で、顰め
た瞼の奥に何かを探るかに瞳を透き通らせて自分の髭
を撫でた指を嗅ぐような素振りを加え坂本は奴を振り
返って事の詳細を話したという。俺たちはさとるを匿
うことにしたわけさ。可哀相じゃねえか。木崎は独り
もんだしいずれさとるに出会うだろうと坂本は木崎に
成行きを吐露することで擁護を願いでた。こいつは馬
鹿じゃねえけど喋らんので読み書きを教えたらどうか
とまで話をすすめ、測量士の私のところへ連れていく
ことにしたという。保護者になるわけではない。好き
にさせてやってくれていいから。と木崎は私の器に酒
を注いだ。
「あれ?・・こんちわ・・」
ここまで長々と展開してきたことをここで強引にまとめると、「人が身体
と心を守るためには情報共有が不可欠である。しかし人によりその共有方
法には差がある。だからその伝え方の差を縮め、かつ、伝え方の種類を増
やすために学びが必要だ」という返事が私の「何故勉強するのか」の答え
だ。
だがもちろんこの一言の答えを伝えるだけでは「伝わらない」のだろうと
も思う。この一言を導くためにここまで読み進めていただいたあなたにも
ご高察いただけるように、この一言だけではどうしても意思が伝わりにく
いのだ。かといってここまでの過程全てを答えとして話すには TPO が合
わなければ相手も飽きてしまい、結局「伝え損ねて」しまうだろう。
峰から重い霧が流れ降りて一気に葉の色が変わりは
じめた日の夕刻に炭焼きの木崎が、脇に枝束のような
ものを抱えた痩せた男の腰から伸びた紐を掴んで歩い
て来たので、外の焚火で夕飯を摂ることにした。私は
終日枝を払い薪を割り土を掘り返した作務の後だった
ので、彼らの様子に気をとめなかった。火の回りに座
り魚を炙り酒を注ごうとすると神沢の淵で釣りをしよ
うと渓谷を辿り昇った岩の間にこの奇妙な格好の男が
倒れていた。木崎は滔々と話しはじめた。それがこれ
だと隣の男を顎で指す。下腹が横に裂けており血の流
れた痕があったがそれは乾いていた。腹の傷よりもど
うやら滑落し頭を打ったようなたんこぶがあって死ん
ではいない。背負って小屋まで担ぐことができたのは
女子供のような軽さだったからだ。一日過ぎて目を覚
ました男に汁を喰わせると鍋半分を腹に入れた。暴れ
ることもなく大人しく言うこと聞いていたがやがて喋
らないので口を開けさせよくみれば舌の半分が切り取
られたかに短く縮んでいる。お前は﹁さとる﹂かと尋
ねたが男は応えずに汁を喰い終わるとまた囲炉裏の脇
の藁に潜り込むようにして眠り込んだ。その名は山人
が付けたものだった。炭焼きの親父は初めて出会った
のだったが、これまで時折﹁さとる﹂の話は聞いてい
た。女の通わぬ渓谷上流の岩穴に住まう﹁さとる﹂は
座敷牢から逃げた者だと数人の山人は囁き合って時折
差し入れをすることもあった。木樵は仕事を手伝わせ
たこともあると話したという。迷い込んだ里の人間が
さとるに出会えば異形に驚き、遠くから獲物を追った
狩人は動き呻く樹木に発砲したという。三日目の鹿を
鱈腹喰った夜に﹁さとる﹂の姿は消えていたが、座る
便器を使わず屈んで背を曲げ尻を地穴に差し込む格好
で糞を垂らすせいで縫い合わせた腹の傷から血がにじ
みだしていたので、気になり聞いた話をたよりに岩穴
を探しに出かけたと炭焼きの親父は隣に座らせた男に
時折目をやりながら酒を煽った。男は差し出した焼魚
を貫いた枝ごと受取り、まず頭から尾まで唇でぴちゃ
ぴちゃと嘗めるようにしゃぶりながら幾度か嗅いでか
ら両手の指で器用に取り分けて口に放り込み長い間顎
を動かしているので一匹が腹に収まるまで随分時間が
かかった。酒を水のように喉に流して一度咳き込んだ。
だがどうにも場所がわからない。木崎は話を続ける。
三里ほど西の小さな谷の合間の土地で米をつくってい
る坂本の爺に﹁さとる﹂の話を俺は最初に聞いていた
から行ったのさ。すると野郎の処にいるじゃねえか。
こいつがさあ。
掃除機の音が消えて辺りが静かになったせいか、コーヒーメーカーのコポコ
ポと湯が落ちる音とカーテンが微かに揺らめく情景が妙にありありと飛び込
んでくる。窓から頬を撫でる柔らかい風は先日まで冷たかったはずなのに、
今日はやけにポカポカとして心地が良かった。
わたしはもう、宿題を目のまえにつき出された 小学生じゃない
ここからはとても極端な例をとって話を続ける。
目の前に海が広がっているとする。砂浜には波が打ち寄せる、よくある海辺
の景色だ。その浜に打ち寄せる波の様子を表し、違う場所の誰かに伝えるこ
とが必要になったとしよう。ただし、あなたが一番伝えやすいと思った方法
を自由にとってよいものとする。
あなたはどのような手段をとるだろうか。
そうした時に、先の「数学分野が誰よりも得意な人」は、もしかしたら言葉(国
語)よりも、図案(美術)よりも、数式(数学)で表すことが自分の中で一
番納得がいく、かつ正しい波の様子の伝え方なのかもしれない。
そしてその人がもしこの波打ち際の波の形を誰かに伝えたくなった時には、
自分の得意な数学的方法で他人に伝えようとするだろう。だけど、そこで自
分の得意な伝え方、についてもし持ち帰った先の誰にもその方法では伝わら
なかったらどうだろうか。数式を尽くしても、相手にはその数式からは同じ
ものは伝わらなかったとしたら。
他の手段も同じだ。
自分はあの場所で見た波を絵に描いた(例えばそれはその波がきらきらと光
る美しさのみを取り出した絵だった)のに、伝わらないとしたら。
自分はあの場所で見た波を言葉にした(例えばそれは周りの人には聞き取る
ことすら困難な異国の言葉の表現だった)のに伝わらなかったとしたら。
得意な表し方や受け取り方は人によって様々だ。それは個性である。だが個
性だけがそれぞれ存在していては「同じものを共有する」ときには素晴らし
い個性こそが大きな壁になってしまう。その壁を乗り越えようとしたり薄く
しようとしたり切り崩してみよう、というところが、まず学びのスタートラ
インだと思うのだ。そして学びの土台は感じ方や捉え方の個々の差を認める
ところ個性ありきという考えだ。
数学を学ぶことで、あの数式の伝えたい内容は何かの動きだったのか。と気
付くこともある。美術を学ぶことで、この図案はこんな思いがあるのかもし
れない、と察することも出来る。ひとつの事象に対して、多くの見方、考え
方が出来ることを知る。そして知ったことを共有する時には、人に個性があ
る故に全く同じ伝え方が出来ないからこそ、伝え方を学ぶ。文字で伝えるのか。
音に乗せて伝えるのか。ジェスチャーで?図案で?伝えたい内容が「何」で
あるか、「誰」であるか…様々な要因で最適な伝え方は変わる。
伝え方の最適解を探す例としては「色」の話がある。同じ色を伝える時には
同じ色を見せれば良いが、それ以外で伝えるには、国語の情報を尽くすよりも、
色を示す数値で伝える方が確実だ、というものだ。
学びは、国語数学社会理科…と学ぶだけではあまり意味が無いかもしれない、
しかし、敢えてそれぞれをパッケージングすることで、自分の得意不得意を
見つけやすくしてくれている、と捉えることも出来る、と私は思う。自分は
国語と数学が得意だ、となれば、誰にもわからなかった数式が伝えたかった
事象を、他の国語が得意な人に国語を駆使して伝えることが出来るだろう。
その伝えた先の人々の中に国語と美術が得意な人が居れば、美術を駆使して
その数式を伝えることも出来る。そうやって、個性を活かし人々は理解しあ
うことが出来る。
南北両脇の流れに彫り込まれて遺った山塊に住んだ
あの山の民は時に荒くれる濁流から逃れるように高地
粗方の整理を終えて一息つこうとコーヒーを落としながら、かなり殺風景に
なった部屋の真ん中に座り込んだ。
さて本論に戻る。ここまでで、学びは「伝える伝わる、すなわち共有する
この問いに答えを返すにあたり、まず「学ぶ」とはどういうことか。いわゆる、 ために広く有効な方法を獲得していく」行為であることは説明出来ていた
国語算数体育美術…理科社会英語家庭…?まあそんなところだと思う。その
かと思うのだが。ここで突然登場した「共有」はそんなに必要だろうか。
中でも算数という教科を取り出してみれば、日常で使う(だろう)簡単な四
実は必要だ。人は「共有」によって生きていけるのだ。
則や平均や値の取り方や諸々の単位…の他に出てくる日常には役立たなそう
「共有」は危ないこと、愚かしいこと、はもちろん、嬉しいこと、感動し
な計算法則やグラフ、パッと見読めない異国文字、証明…こんなの将来使わ
たこと、なども共有すべき点として必要である。必要どころか不可欠なの
ない、と捨てたくなるような学びが浮かんでくる。
かもしれない。
だが、例えばそういう「意味の分からない文字の羅列」という見方をする私
危ないことや愚かしいことを共有して、危険を避けたり繰り返さないよう
とは別の見方が出来るであろう「数学分野が誰よりも得意」な人にとっては、 に自分や大事なものを守る。嬉しいことや感動を共有して人同士の繫がり
その数式どころか世界のありとあらゆるものがもっと別の見え方をしている
を維持したり強くしたりする。共有は身体と心を守るものなのだ。
のではないだろうか。
町田哲也
タイトル:はこぶ / サイズ :123 ㎜ ×175 ㎜ / 紙にアクリル絵の具
…これは横道に一瞬逸れるが、こうやって、伝える→伝わる、が円滑に一
度に多く素早く出来る人は、伝える技術や知識量も多い。つまり頭が良い
=勉強ができる、と一般的に評価されるのだろうと思う。
Tetsuya MACHIDA 1958~
まだ親の仕送りに甘える大学生の分際では当然自由に好きな物件を選べる訳
「なんか腹減ったな・・コンビニか。」
もなく、予算のごく限られた中で、それでも少し遠くても洒落た雑誌で見掛
けるようなセンスある雰囲気の間取りをなんて2人でこまっしゃくれながら、 友達を誘うのも億劫だし1人で外食も面倒だから、タバコを買うついでに
一見デザイナーズマンション気取りのこの部屋に辿り着いた。
近所のコンビニで済まそうと腰を上げると、示し合わせたように携帯が
日頃は 占いなんて気持ちの弱いヤツに付け込んだ詐欺商売だ などと意地
鳴った。
を張っておきながら、「日当りが良い南窓」とか「水回りはどこそこ」なんて
大学1年の時、成り行きで何度か深い関係を持った同級生のA子からだっ
中途半端にかじった風水を頼りに彼女と探した記憶が、めったやたらに甦っ
た。
てきた。まだ洟垂らしの僕らが背伸びした初めての同棲だったから、尚更か
もしれない。
「どうして私たちは勉強するの?」
今からここに広がるのは、私がこう聞かれたならばこう答えるのではないだ
ろうか、という持論を展開する文章だ。冗長で面倒な文章かもしれないが、
誰かの目や心のひっかかりに留まることがあれば幸いに思う。
ったが男への関心がみつめる度に膨れるので意識が前
のめりに軀から離脱している。男には舌がないので喋
らないが彼の住処である岩穴寝床にはラジオがあって
どこから調達するのか乾電池もあり炭焼き小屋の風呂
の中では電波を聴いて憶えた風な鼻歌のようなものを
唸りつつ口遊んでいたらしい。それを聴くとなぜか心
地よいのだと木崎は付け加えていた。脇に置かれた樹
皮を重ね樹液で固めた甲冑のような男の奇妙な道具を
手にとり鼻に近寄せて嗅ぐと男は炎から眼差しを外し
こちらの仕草を目で追ってから歯茎を剥くのだったが
それは笑いではなく諭しととれた。お前はこれを身に
つけているのかこれは何か。尋ねるジェスチャーを腕
を使って繰り返すと、いきなり道具を細長い腕を伸ば
し掴んで軀に取り付け始める。肩から腕へ腰から頚へ
腰から膝へ太腿から足首へ樹皮と削り磨いた枝がどう
いう理屈かわからぬ組み合わせの奇妙な繋ぎ方で軀の
関節に連結されていく。枝の曲がりに沿った形の樹皮
なのか使ううちにそのように熟れたか、それらを蔦で
軀に縛り付けながら四肢を幾度か大袈裟に上下左右に
振って背も曲げて伸ばし部位の状態を確かめてから立
ち上がると巨鳥か天狗の身の丈になるのは、腰と膝か
ら踵を括りつけた枝と樹皮が竹馬のように軀を支える
からだったが、不自由無く立っているばかりでなく、
その異様な身丈のまま大股で茂みに走り込んでこれも
手長猿のように伸びた義手にもみえる腕先で高さのあ
る樹木の枝にぶらさがり、渡り移る速度を目で追うと
先程隣で歯茎をみせた人間とは思えない。わかったか
ら戻ってこいと声をかけるとこちらへ向きを変えるの
だった。折れた樹木が風で吹き飛んでいるようにもみ
える。火の傍に戻り難なく足首の蔦をするする解いて
ストンと地に素足で降り立ちそのまま先程の膝を抱え
る姿勢になると樹皮が背後から広がって人の輪郭を更
に隠すのだった。時折こちらの肩越しや背後の森へ頤
を捩り曲げ双眼鏡のような目玉が遠い何ものかを凝視
し尻から背骨が立ち上がり鹿のように静止する。指先
も足も動かない。こちらはそんな男の挙動から次の瞬
間には高く飛び立つのではないかと怪しむ気持ちが生
まれるのだった。おそらく逃げ隠れるばかりでなく人
であれ獣であれ出合頭威圧すべきでもあると学んだ形
なのだろうか。男の甲冑の異様の意味を勝手に浮かべ
たが、樹木と化した姿態には動きをみれば沢を渡り谷
を下る為の機能性も加えてある。樹皮と部位の詳細を
みれば崩れを防ぐ工夫が緻密にこしらえてある。自力
で幾度も改良を重ねているに違いなかった。私は互い
の胸を指しこちらの名を繰り返し言葉にしてからお前
の名前はと尋ねると、うぇと妙に明るく唸るだけだっ
た。
南向きの窓ガラスをいっぱいに開けてうらうらとした春の日差しを取り込み
・・・・
ながら、さも未練がましい心を切り捨てるように歪な8畳ワンフロアのアパー
トに残ったここ数年の記憶を整理していた。箸やらマグカップやら CD やら、 「コフォッコフォーーーッ」
片付け始めると思っていたよりも彼女の匂いや面影があちこちに残っていた。
いろいろ考えるのも女々しいと、目に付くそれらを片っ端からゴミ袋に放り
コーヒーメーカーの最後の蒸気が勢いよく吹き出す音に呼ばれてふと我に
込んだ。
帰る。
急かされるようにコーヒーを注ぎながら、兎に角じっとしていると情けな
それでも、ついこの間まで一緒に住んでいたこの安アパートは彼女と2人で
くなるから何かやる事はないかと思考を巡らしてみるが、ちっとも思いつ
選んだ部屋だったから、自分だけになった空虚感がどうしても消えなかった。 かない。勢い余ってなみなみとしたマグカップを片手にまた床に座り、タ
バコに火を付けようと近くに転がっていたマイルドセブンを手繰り寄せる
「やっぱり畳よりフローリングが良いよね」
と空っぽだった。
「なんか隠れ家っぽくて好き」
小さく舌打ちしながら、空箱を捻り潰す。
ザ・バンドは当たり前だが洋楽である。ザ・バンドはカナダ人のバンド
である。アメリカ音楽をラジオによって知りバンドを始めたわけだ。英語
圏に産まれたのが幸運でストレートなロックンロールを演奏できる条件に
合った分けである。では日本人がこれを出来るかといえば難しい。なぜな
ら日本人は日本国内に向けて音楽を作らなくてはならない宿命がある。そ
のためストレートなロックンロールを演奏するのにそこからハードルがあ
る訳である。所謂洋楽を日本人は理解など出来る訳でもなくただただ音と
して流れてそれを洋楽好きな日本人はそれをカッコいいという訳である。
日本人がカバーしてもその英語と音のグルーブは絶対に理解など出来るは
ずもないのである。それぞれの楽器のミックスもそのグルーブ感がなけれ
ば理解も出来ないのである。日本人で洋楽の凄さを理解しているのは山下
達郎と細野晴臣である。浴びるように洋楽を聴きまくってる人達。我々日
本人が出来る事はとにかく聴きまくることである。音を歪曲して自分の悩
みと結びつけるなどとても愚劣である。アメリカ人の我々が思う音楽は
ビーチボーイズ、イーグルスなどなど。音は詩の為の道具ではないのであ
る。アメリカンミュージックの有名なエンジニアにフィルスペクターとい
う人物がいる。こういう人がいるのを知れば歪曲など決して出来ないので
ある。何故なら音それ自体は完成されているのだから。日本人はただただ
レコードを聴きまくって分析するべきである。でないと十年立てばもはや
通用しない普遍性の欠けた音を生み出すだけで、時代がずれればただただ
悲しい懐メロになるのが関の山である。このザ・バンドの音楽は日本人に
共鳴する部分は一切ない。だから洋楽なのである。これからの自分も英語
を勉強して音そのもののバタ臭さを会得するしかないようである。悲しい
けれど日本人には洋楽を理解をする事は絶対出来ない。
異傾悟
「どうして私たちは勉強するの?」
ザ・バンド
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branching 15
publish : 09,December.2015
膝に頭蓋のかたちが透けた顎を乗せ細長い臑を抱い
ている骨腕の外側も内側にも幾筋かの傷跡が南方の民
の泥を擦り込んだ彫物のように膨れて走っているので
思わず腕を伸ばし指先で触れると、姿勢を崩さず嫌が
る素振りもなく童顔とも大人とも云えない表情の変化
のない面相の窪んだ穴の中の目玉だけをこちらの指先
へすっと動かしてから腹に巻き付けたモノを捲りとり
自分の脇腹を晒し変形した肋の、岩が削ったかの歪ん
だ炎の筆痕のようにもみえる大きな傷痕を、手のひら
で広げ男は口元を曲げて頑強な歯茎をみせたので笑っ
ているのだと呆れつつ理解した。こちらの貌の広がり
をみつけたのか男はやおら四つん這いになり腰巻きも
落とし獣の格好をして太腿から尻にかけて閉塞した臍
のようなみっつの傷をこれまた皮膚を引っ張るように
して示す。散弾の痕だと思われる。その傷にも触れて
痛かったろう玉はどうしたと小さく声をかけると、指
をひとつ前に突き出し唇をとがらせ︵ぱん︶と音の無
い口の形をつくった。尻の穴も陰茎も金玉もこちらに
晒したくせに無邪気さはそこにはなく、男の動作の早
いようでいて静止が不思議な間隔で挟まる沈黙の仕草
の速度だろうか動きだろうか、どこか哀しみが漂う風
情は消え失せることはない。誰が縫ったか人の所有を
離れた シ
T ャツや下着やスカートの縁の荒れた模様断
片をちぐはぐに縫い合わした滑稽さがむしろ凄惨に感
じられる継ぎ接ぎの帯布を腰と腹に巻き付けて膝を抱
え、やはり顎を膝に乗せて半身を緩く前後に揺するよ
うに焚火へ掌を広げる。男の瞳の瞳孔は絞られて炎を
捉えこちらが薪枝を焚火に放って火の粉が立ち上がる
と広げた指が握られる。足元の皿には焼いた魚が残さ
れている。膨れた髪に隠れる昏い表情からして食欲は
失せたようだった。炭焼きの木崎の親父が布状の衣を
洗濯したせいで男からは彷徨者特有の臭みが漂うこと
はなかったが、熱で温められた腕肉からやがて骨まで
染み込んだ動物が香るようだった。ところどころ泥か
樹液で固めたのだろう森の中の苔の匂いがする不揃い
に断ち切った髪も無理矢理洗ったと親父から聞いてい
たけれどもその剛毛は未だに解けず小さな枝が幾つも
新たに巻き付けてあり、一つの枝にはまだ青い葉が残
っている。骨が皮膚からつきでる危うさで脂が抜け落
ち痩せているのだが皮膚を張り骨を動かす肉は堅牢で
無駄がないように見受けられた。朝早くから野良の仕
事を重ねていたので私には積もった疲労があった筈だ
若げ
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