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国土地理院技術資料 D1-No.723 1:25,000 都市圏活断層図 警固断層帯とその周辺 「福岡(改訂版)」「甘木」 「脊振山」 解説書 千田 昇・堤 浩之・後藤秀昭 平成 26 年 11 月 (改訂版) 編集 国土地理院 目 次 1.はじめに・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・2 2.口絵・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・3 3.警固断層帯の概要(千田 昇)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・5 4. 「福岡(改訂版) 」図幅の特徴(千田 昇) ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・5 5. 「甘木」図幅の特徴(堤 浩之) ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・8 6. 「脊振山」図幅の特徴(後藤秀昭) ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・10 7.警固断層帯とその周辺の活断層のトレンチ調査(千田 昇) ・・・・・・・・・・・・・・・・12 8.博多湾における警固断層(千田 昇)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・22 9.警固断層帯とその周辺の活断層の活動(千田 昇) ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・22 10.引用文献・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・24 11.使用空中写真および作成委員会・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・25 福岡(改訂版) 脊振山 甘木 都市圏活断層図作成地域図 1 調査図郭 これに より 活断 層周 辺の 地盤 状況 や, 活断 層の 活動に よっ て地 すべ りが 再活 動す る可 能性 のあ る地域 など 防災 に役 立つ 情報 を読 みと るこ とが できる .本 図1 枚に 図示 され てい る範 囲は ,国 土地理 院刊 行の 縮 尺 2 万 5 千 分 1 地形 図 4 面分 相当で ある . 本調 査 は, 各 機関 の 活断 層 研究 者 で構 成 する 全国活 断層 帯情 報整 備検 討委 員会 にお いて ,主 に空中 写真(縮 尺 約 1 万 分の 1~ 4 万 分の 1)を 用いた 地形 判読 によ り活 断層 を抽 出し ,併 せて 既存の 各種 調査 結果 も参 考に して ,詳 細な 位置 を 1:25,000 地 形図 (平 成 26 年以 降は 電子 地形 図 25000) 上に まと めた もの であ る. 現在ま での 整備 状況 は,平 成 16 年度 まで に三 大都市 圏, 政令 指定 都市 ,県 庁所 在都 市及 びそ の周辺 を中 心と し て 124 面が 作成 され ,平 成 17 年度以 降は ,地 方主 要都 市域 周辺 部( 山間 地域 を含む )の 主要 な活 断層 につ いて ,新 たに 図示 項目を 追加 し作 成さ れて きた .平 成 26 年 11 月 現在,計 189 面(う ち 20 面は 第 2 版ま たは 改訂 版)が 整備 され 169 面を 公表 して いる . (下 図参 照) なお ,図 の記 載内 容 ,詳 しい 整備 範囲 など は, 国土地 理院 のホ ーム ペー ジに 掲載 され てい る. 1 .は じ めに 平成 7 年(1995 年)1 月 17 日に 発生 した 兵庫 県南部 地震 (阪 神・ 淡路 大震 災) を契 機に ,活 断層に 関す る詳 細な 位置 情報 の整 備及 び公 開の 必要性 が高 まっ てき た. 国土 地理 院で は, これ に応え るた め, 地震 が発 生し た場 合に 甚大 な被 害が予想される都市域及びその周辺を対象に 「1:25,000 都 市圏 活 断 層 図 」 を 作 成 し て い る . 本図 で は「 活 断層 」 を最 近 数十 万 年間 に 約千 年から 数万 年の 間隔 で繰 り返 し活 動し てき た跡 が地形 に表 れて いる もの で, 今後 も活 動を 繰り 返すと 考え られ る断 層と して いる .こ のう ち, 地形的 な証 拠か ら明 確な 活断 層と 考え られ るも のを赤 線, 活断 層の 存在 が推 定さ れる が現 時点 では明 確に 特定 でき ない もの を黒 線で 図示 して いる. そし て, 風雨 によ る侵 食, 堆積 や人 工的 な要因 など によ り改 変さ れて いる ため ,活 断層 の位置 を明 確に 図示 でき ない 区間 は破 線と し, 活動の 跡が 土砂 の下 に埋 もれ てし まっ てい る区 間は点 線で 図示 して いる .ま た, 活断 層の 位置 のほか ,活 断層 に関 連す る段 丘地 形・沖積 低地・ 地すべ り地 形な どの 第四 紀後 期( 数十 万年 前か ら現在 )に 形成 され た主 な地 形も 図示 して いる. 都市圏 活断層 図整 備範 囲図(平成 26 年 11 月 現 在) 赤枠が 図郭.ピンク で塗 った枠 が警 固断 層帯の 図 葉. 2 2 .口 絵 福岡市 春日市 太宰府市 筑紫野市 基山町 筑前町 図1 福岡南方広域の鳥瞰図(南から北を見る) 数 値 地 図 50m メ ッ シ ュ を 用 い て 作 成 . 岡 田 篤 正 ( 京 都 大 学 名 誉 教 授 ) に よ る . 3 図2 福岡平野及び筑後平野の活断層図 基 盤 地 図 情 報 「 数 値 標 高 モ デ ル 5m メ ッ シ ュ ( 標 高 )」 お よ び 「 同 10m メ ッ シ ュ ( 標 高 )」 を 使 用 し て 作 成 し た 地 形 ア ナ グ リ フ 画 像 に ,活 断 層 の 分 布 を 重 ね て 表 示( 活 断 層 は 都 市 圏 活 断 層 図 の 調 査 で 明 ら か に な っ た も の の み を 図 示 ). [赤 青 メ ガ ネ を 使 用 し て 見 る と 立 体 的 に 見 え ま す ] 地形アナグリフ画像作成 後藤秀昭(広島大学) 4 がみら れる が, 低位 の段 丘面 に変 位地 形は みら れない . 3 .警 固 断層 帯 の概要 都市圏 活断 層図 の「 福岡 」図 幅は,1996( 平 成 8) 年 に 作 成 さ れ た ( 千 田 ほ か , 1996). こ の時点 では ,警 固断 層は ,北 部の 福岡 市街 地で はボー リン グ資 料に もと づく 地下 の推 定活 断層 として ,ま た中 南部 では 活断 層と して 認め られ ていた .2005(平 成 17)年 3 月 20 日 に福 岡県 西 方沖 の 地 震(M=7.0) が発 生 し , 博多 湾 北方 の玄界 灘に おい て活 断層 の存 在が 明ら かに なっ た.そ れ以 後, 多く の研 究に より ,福 岡市 街地 を中心 とし て活 断層 の存 在が 新た に明 らか にさ れた. 「 福 岡 ( 改 訂 版 )」 図 幅 に は , 福 岡 平 野 形 成 に関わ る活 断層 がい くつ か分 布す る. 東部 には 宇美断 層, 西部 には 警固 断層 帯, それ らの 中間 に は 石 堂 - 海 の 中 道 断 層 ( 唐 木 田 ほ か , 1994) があり ,最 西端 には 日向 峠- 小笠 木峠 断層 (日 向峠断 層, 脊振 山東 断層 )が みら れる .こ のう ち警固 断層 帯に つい ては ,北 西部 に 2005 年の 福岡県 西方 沖の 地震 を発 生さ せた 断層 があ り, その南 東部 は志 賀島 南方 沖の 博多 湾か ら筑 紫野 市に いた る警 固断 層か らな る. 警固 断層 帯 は,2005 年福 岡県 西方 沖の 地震 の余 震域 と 南東 部の 警固 断層 をま とめ て名 付け られ た ( 地 震 調 査 委 員 会 , 2007). 断 層 帯 の 長 さ は 55km,左 横ず れ主 体で ,南 東部 は南 西 側隆起 の縦 ずれ を伴 う. 今回 ,警 固断 層帯 の南 東延 長に 位置 する 「甘木 」図 幅と 南西 方に 位置 する「背 振山 」 図幅の 活断 層を 新た に判 読し , 「 福岡(改 訂 版)」図幅 と合 わせ て,都市 圏活 断層 図「 警 固断 層帯 とそ の周 辺」 とし て公 表す る. 本 解説 書は ,各 図幅 の特 徴や 主に 警固 断層 帯 で行 われ た既 存の 調査 結果 をま とめ たも の である . 4-2.宇美断層 宇美断 層は ,池 田ほ か( 2004)の 都市 圏活 断 層図「 太宰 府」 に示 され た北 西- 南東 走向 の活 断層で ,西 上が りの 逆断 層成 分を 持っ てい る. 宇美断 層の 北西 方は ,唐 木田 ほか( 1994)の香 椎断層 に連 続す るよ うで ,三 郡変 成岩 類・ 白亜 紀花崗 岩と 古第 三系 の境 界を なす 西落 ち正 断層 が応力 場の 逆転 によ り西 上が りの 活断 層( 逆断 層)と して 活動し てい る.福岡県(2007)と下 山ほか(2008)は,太宰 府市 山浦 地点 と粕 屋町 江辻地 点で トレ ンチ 調査 を行 い, 宇美 断層 が西 上がり の逆 断層 であ るこ とを 示し た. 江辻地点付近は多々良川水系による沖積面 であり ,そ れを 変位 させ る低 断層 崖の 地形 はみ られな いが ,下山 ほか(2008)は,北 西方 は唐 木田ほ か( 1994)の 香椎 断層 へと 続く こと から, 連続す る活 断層 と考 え, 福岡 市東 区青 葉付 近を 北西端 とし た( 図 3).地震 調査 委員 会( 2013a) は糟屋 郡須 恵町 付近 から 筑紫 野市 吉木 付近 まで 4 .「福 岡 ( 改 訂版)」 図幅 の特徴 4-1.立花断層 この断 層は ,活断 層研 究会( 1980,1991), 九州活 構造 研究 会(1989)に大 谷- 伏谷 断 層 と 記 載 さ れ て い る . 唐 木 田 ほ か ( 1994) は, 粕屋 炭田 東部 地区 の西 縁を 画す る地 質 断層 とし て, 立花 断層 と名 づけ てお り, こ の断 層名 を使 用し た. 久山 町大 谷付 近か ら 南へ 2.1km 連 続し ,東 落ち を示 す.落ち た 側の 丘陵 地に は, 登り 尾工 業団 地が 作ら れ てい る. 山地 から 流下 する 谷に 右ず れ変 位 図 3 宇 美 断 層 の 概 念 図 ( 下 山 ほ か , 2008) 1:古第三紀堆積岩 2:白亜紀花崗岩 3:三郡変成岩 4:ト レ ン チ サ イ ト 5:活 断 層 線( 千 田 ほ か ,1996;池 田 ほ か , 2004 ) 6 : 本 調 査 で 明 ら か に な っ た 活 断 層 線 7:推定活断層線 8:海上音波探査の範囲 5 の 13km の 長さ の断 層と した が,地下 を含 めた 断層面 の長 さ は 23km 程度 の可 能性 を示 した. 今回の 判読 によ り, 香椎 駅東 方で 谷の 左横 ずれ がみら れ, また 香椎 宮北 方の 不老 水付 近を 通過 するこ とな ども 認め られ たた め, 宇美 断層 は香 椎断層 とし て, 博多 湾に いた る直 前の 福岡 市東 区香住ヶ丘まで連続すると思われる.長さは 23km 程度 にな る. がみら れた . 今回は 米軍 撮影 の縮 尺 1 万 6 千分 の 1 の空 中 写真を 判読 した が, 御笠 川の 河道 によ る侵 食崖 の可能 性が あり ,石 堂- 海の 中道 断層 の陸 域ト レース の判 断が でき なか った .岡 村ほ か( 2009) は海の 中道 まで の博 多湾 で海 底活 断層 の分 布を 示して おり ,活 断層 とし ての 石堂 -海 の中 道断 層の存 在の 可能 性は ある よう に見 える . 4-3.石堂-海の中道断層(唐木田ほか,1994, 千田,2006) 山崎ほ か( 1958)は,博 多か ら二 日市 にい た る断層 を想 定し ,博 多- 二日 市構 造線 と呼 んだ. この断 層は ,北 西方 の海 の中 道に 達す ると 考え ら れ て お り ( 細 野 ほ か , 1975), ま た , 御 笠 川 の下流 部は 石堂 川と よば れて いた こと から ,唐 木田ほ か(1994)は 石堂 -海 の中 道断 層と 仮称 し た. 千 田 ・中 田 (1996), 千 田( 2006) は, 太宰府 市の 水城 跡を はさ んで ,北 の下 大利 小学 校付近 から 南の 水城 小学 校付 近ま でで ,左 横ず れを示 す活 断層 の存 在を 示し た( 図 4).こ こで は谷の 左ズ レ 6~ 17m, 西落ち 1m の 低断 層崖 4-4.警固断層帯 図5 図4 警 固 断 層 帯 南 部 の 概 観 図 ( 千 田 ・ 中 田 , 1996) 警固断 層は ,松 下( 1949)に より 古第 三系 を 切る断 層と して 想定 され た. 福岡 地盤 図作 成グ ループ( 1981)は断 層推 定位 置付 近で 第四 系が 異常に 厚く なり ,古 第三 系の 破砕 が著 しい こと を明ら かに した .唐 木田 ほか( 1994)は大 野城 市上大 利の 警固 断層 南東 延長 部で 早良 花崗 岩が 阿蘇4 火砕 流堆 積物 に N50°W, 40°S で 衝上 してい るこ とを 示し てお り, 警固 断層 は福 岡平 野で注目すべき断層と考えた.活断層研究会 (1980,1991),九 州活 構造 研究 会(1989)はこ の地域 の活 断層 の位 置を 図示 し, 変位 量, 平均 変位速 度な どを 明ら かに した.鬼木(1996)は, ボーリ ング 資料 によ り荒 津か ら高 宮ま での 警固 断 層 の 位 置 を 示 し た . 千 田 ・ 中 田 ( 1996) は , 警固断 層帯 南東 部で は春 日断 層, 大利 断層 ,武 蔵断層が左ステップで雁行することを示した ( 図 5). ま た 千 田 ( 2008) は , 浜 の 町 公 園 か ら南東 方の 西鉄 平尾 駅ま での 警固 断層 の精 確な 太宰府市水城跡付近の活断層変位地形 ( 千 田 , 2006) 6 陸域ト レー スを 大縮 尺空 中写 真判 読で 明ら かに した. 従来 のボ ーリ ング 資料 によ るト レー スと は少し 異な るト レー スが 得ら れた .き わめ て小 さい東 落ち の低 断層 崖を 連続 した もの で, 断層 変位地 形に 基づ くト レー スで ある ( 図 6). 警固断 層の 活動 履歴 に関 する 調査 は,福岡 県 (1996,1997),下 山 ほ か( 1999), 福岡 市 断層 調査研 究会( 2001),宮 下ほ か( 2007),下 山ほ か( 2010) など によ り実 施さ れて いる . 博多湾の海底活断層については,岡村ほか (2005),高知 大学 理学 部ほ か( 2006),岡 村ほ か(2009)な どに より,志賀 島南 方沖 まで 警固 図6 断層の 北方 延長 が続 いて いる こと が示 され た. 警固断 層帯 は ,玄 界灘か ら志 賀島 付近 の北 西 部と, 志賀 島南 東方 の博 多湾 の海 底活 断層 部, 中央区 荒津 から 筑紫 野市 まで の南 東部 に区 分さ れる活 断層 であ る. 博多 湾か ら筑 紫野 市ま での 警固断 層帯 南東 部の 長さ は 27km とさ れて いる (地震 調査 委員 会 ,2007). 警固 断層 帯で は南 東部の 太宰 府市 大佐 野, 大野 城市 上大 利, 北西 部の福 岡市 中央 区薬 院, 福岡 市中 央区 浜の 町の 4 カ 所で トレ ンチ 調査 が行 われ た. 警 固 断 層 帯 北 部 の 断 層 変 位 地 形 ( 千 田 , 2008) 7 4-5.日向峠-小笠木峠断層 「 福 岡 ( 改 訂 版 )」 図 幅 の 西 部 に は 2 本 の 活 断層が 存在 する .そ れら は活 断層 研究 会( 1980), 九州活 構造 研究 会( 1989)の日 向峠 断層,王丸 -石釜 断層 であ る. 日向峠 断層 は九 州活 構造 研究 会( 1989)で は 北西走 向,長さ 5.5km の 確実 度Ⅲ の断 層と され ている .南 の「 脊振 山」図 幅で は小 笠木 峠断 層, 芋生- 城ノ 内断 層が あり ,こ れら は連 続す る断 層の可 能性 があ る. 文部 科学 省研 究開 発局 ・九 州大学( 2012)では これ らを 一括 して 日向 峠- 小笠木 峠断 層と して いる .ま た地 震調 査委 員会 (2013)は ,脊 振山 地の 東部 に分 布す る断 層を 日向峠 -小 笠木 峠断 層帯 とし て一 括し た. 長さ は 28km, 北西 -南 東走 向で 一部 に南 西側 隆起 成分を 伴う 左横 ずれ 断層 であ る. 日向峠 断層 の北 西端 は糸 島市 高祖 付近 で,文 科省研 究開 発局・九 州大 学( 2012)の 中位 段丘 崖下を 走る .文 科省 研究開 発局・九 州大 学(2012) は花崗 岩分 布地 域で 断層 露頭 を見 いだ した こと からそ の露 頭を 通る よう に山 麓を 通過 させ てい るが, 活断 層変 位地 形は みら れな い. 宇土 付近 と日向 峠付 近で は尾 根と 谷の 左ズ レが みら れる . 室見川 上流 部の 内野 では 段丘 面を 変位 させ る低 断層崖 がみ られ る. この 活断 層は 早良 区小 笠木 峠まで 連続 する ので 文科 省研 究開 発局 ・九 州大 学( 2012)のよ うに 日向 峠- 小笠 木峠 断層 とし た方が いい よう であ る. しか しな がら 文科 省研 究 開 発 局 ・ 九 州 大 学 ( 2012), 地 震 調 査 委 員 会 ( 2013b) の 日 向 峠 - 小 笠 木 峠 断 層 帯 の 通 過 ル ートは 谷の 横ず れ部 分を つな いだ よう で, その 一部に は疑 問が 残る . 4-6.王丸-石釜断層 王丸- 石釜 断層( 活断 層研 究会 ,1980,1991; 九州活 構造 研究 会,1989)は,糸 島市 王丸 より 福岡市 早良 区石 釜ま でみ られ る断 層で ある が, 変位地 形は 不明 瞭で ある .こ の断 層も 地震 調査 委 員 会 ( 2013b) に よ り 日 向 峠 - 小 笠 木 峠 断 層 帯に属 する 断層 とさ れて いる . 5 .「甘 木 」 図 幅の 特徴 本図幅 には ,西側 の背振 山地 と北 東側 の筑 前 山地お よび その 間に 広が る筑 後川 水系 の諸 河川 が作る 低地 ・段 丘が 広が る. 図幅の 北西 隅か ら南 東に 延び る活 断層 が,福 岡図幅 の警 固断 層帯 の南 方延 長で ある .福 岡図 幅から 延び てく るト レー スは 筑紫 野市 塔原 西一 8 丁目付 近ま で分 布し ,南 端で 下位 段丘 面を 切る 東落ち の低 断層 崖を 形成 する .そ のト レー スの 約 100m 東に,千田・中田( 1996)が 示し たよ うに, 丘陵 を縁 取る よう に延 びる 別な トレ ース が存在 する .こ のト レー スは ,杉 塚二 丁目 から 筑紫付 近ま で, 長さ 約 6km にわ たっ て延 びる. 北端の 杉塚 二丁 目付 近で は, 丘陵 と阿 蘇4 火砕 流堆積 物と の地 質境 界を なす .ま た塔 原西 二丁 目から 塔原 南二 丁目 付近 では ,下 位段 丘面 を変 位させ る東 落ち の撓 曲崖 や低 断層 崖を 形成 する . 断層ト レー スが 九州 自動 車道 と交 差す る地 点か ら山口 川ま での 区間 では ,確 実な 変位 地形 は認 められ ない が,武蔵 付近 で線 状凹 地を 形成 する. このト レー スは ,む さし ヶ丘 団地 の載 る丘 陵の 北縁を 限る 部分 では 走向 がほ ぼ東 西に なり ,立 明寺付 近で は下 位段 丘面 を切 って 北落 ちの 低断 層崖を 形成 する .こ の崖 は, 山口 川の 流路 にほ ぼ直交 して いる .諸 田付 近で は, 下位 段丘 面を 北東落 ちに 変位 させ る低 断層 崖が 認め られ る. これら の崖 は, 宝満 川に 向か って 東流 する 河川 の流路 にほ ぼ直 交し てお り, 警固 断層 帯の 比較 的最近 の活 動に よっ て形 成さ れた 可能 性が 高い . 従来の 研究 では ,警固断 層帯 の南 端を 山口 川 付近と する もの が多 かっ たが (例 えば ,文 部科 学省研 究開 発局・国 立大 学法 人九 州大 学,2013), 今回の 判読 では ,さ らに 南方 の西 鉄大 牟田 線筑 紫駅周 辺ま で,さら に約 2.5km 延 びる 可能 性が 高いと 考え られ る. それ 以南 では ,背 振山 地東 縁の丘 陵の 縁に 沿っ ては ,断 層変 位地 形は 認め られな い. 今回の判読で,警固断層帯の南東延長部に, 中位段 丘面 を切 る北 東〜 北落 ちの 活断 層を 新た に認定 した .こ の断 層ト レー スは ,筑 前町 東小 田下か ら下 高場 まで 断続 的に 延び る. この 断層 トレー スは ,警 固断 層帯 の南 東延 長部 に位 置し, 走向や 上下 変位 の向 きも 同様 であ る. しか し, 宝満川 の沖 積面 には 変位 地形 が認 めら れず ,長 さ約 2.5km の 断 層 ト レ ー ス の 不 連 続 部 が ある ために ,今 回見 つか った 断層 が警 固断 層帯 の延 長部で ある かど うか は現 時点 では 不明 であ る. 筑前町 の断 層ト レー スは ,東 小田 下か ら向 福 島 に か け て 分 布 す る 長 さ約 1.8km の ト レ ース (以後 ,西 側の トレ ース と呼 ぶ) と下 高場 に分 布する 長さ 約 1.5km の トレ ース(以 後,東 側の トレー スと 呼ぶ )か らな る. 西側 のト レー スに 沿って は, 東小 田下 では 圃場 整備 前に は比 高数 m 以 下の北 落ち の低 断層 崖と 断層 トレ ース の南 側に背 斜上 の膨 らみ が存 在し た. 石橋 では ,同 一の中 位段 丘面 を断 層ト レー スが 横切 って おり , その線 を境 に中 位段 丘面 と沖 積面 との 間の 段丘 崖の比 高が 下流 ほど 大き くな り, 断層 トレ ース の南側 の地 形面 が逆 傾斜 して いる よう に見 える . 向福島 では ,中 位段 丘面 と沖 積面 との 境界 の崖 に沿っ て断 層ト レー スを 認定 した が( 写真 1), ここで も断 層ト レー スの 南側 の中 位段 丘面 が北 へ逆傾 斜す る. これ らの 中位 段丘 面は ,北 東側 の山地 から 流下 した 河川 によ る河 成段 丘面 であ るので ,本 来は 南( 西) 方へ 傾斜 して いる はず である .西 側の トレ ース と東 側の トレ ース との 間の安 野付 近は ,旧 陸軍 大刀 洗飛 行場 跡地 のた め人工 改変 が著 しく ,詳 細な 地形 解析 がで きな い.東 側の トレ ース も西 側の トレ ース と同 様に, 中 位 段 丘面 を 切 る 北 落 ち の比 高数 m 以 下 の低 崖が断 続的 に分 布し(写 真 2),南 側の 地形 面が 北へ逆 傾斜 する .こ れら の崖 は, 段丘 面を 刻む 開析谷 に直 交し てお り,侵食 崖で はな い.ま た, 断層ト レー スの 南側 で, 段丘 面と 沖積 面と の比 高が急 激に 増す こと から ,下 流側 が全 体的 に隆 起傾向 にあ るこ とが 分か る. これ らの 地形 学的 な証拠 から ,筑 前町 に分 布す る北 落ち の低 崖を 活断層 であ ると 認定 した .今 後, 物理 探査 デー タや地 下地 質デ ータ を収 集し て, この 活断 層の 実態を 明ら かに し, また 警固 断層 帯と の関 係を 解明す る必 要が ある . 図幅西 端の 筑紫 野市 天拝 湖付 近に は,西隣 の 背振山 図幅 から 延び てく る西 北西 -東 南東 走向 の推定 断層 の東 端が 分布 する .し かし ,第 四紀 後期の 活動 を示 唆す る確 実な 変位 地形 は認 めら れない . 写真 1 筑前町向福島付近の中位段丘面を切る北落ち低断層崖 写真 2 筑前町下高場付近の中位段丘面を切る北落ち低断層崖 9 達する 低位 段丘 面に 明瞭 な低 断層 崖が 分布 する ことが 報告 され ,第 四期 後期 にも 活動 した 確実 な活断 層と して 認識 され るよ うに なっ た. その 後 , 柴 田 ( 2009MS) は 詳 細 な 断 層 地 形 の 記 載 を行っ た. それ によ れば ,相 良区 脇山 付近 の低 位面 は 2 面に 細分 でき ,低 位段丘 上位 面で は 2-3 mの断 層変 位が 確認 でき る( 写真 3・4,図 7) として いる .ま た, 低位 段丘 下位 面の 変位 は不 明 瞭 と し て い る . 産 業 技 術 総 合 研 究 所 ( 2012) でもほ ぼ同 様の 記載 がな され てお り, 低位 面の 変位量 を 4m とし てい る. 6 .「脊 振 山 」 図幅 の特徴 本図幅 では ,北 西- 南東 走向 のリ ニア メン ト が多数 認め られ る. その ほと んど が活 断層 研究 会( 1991) では 確実 度 III( また は II)の 活断 層とし て記 載さ れて きた が, 背振 山地 の北 に位 置する 日向 峠- 小笠 木峠 断層 と, 楮原 断層 ・松 瀬断層 ,背 振山 の東 の断 層は 変位 地形 が明 瞭で あり, 本図 幅で は確 実な 断層 とし て記 載し た. これら の北 西- 南東 走向 のリ ニア メン トは 左横 ずれ断 層と 考え られ るが ,神 崎市 の境 峠付 近か ら越道 にか けて の東 北東 -西 南西 走行 の断 層は 右横ず れ断 層と 考え られ る. 以下 では ,明 瞭な 活断層 につ いて その 特徴 を簡 単に 記載 する . 6-1.日向峠-小笠木峠断層 本図幅内での日向峠-小笠木峠断層は約 16km の長 さを 有す るが ,北 東に 連続 する ため, 全長は さら に長 い. 福岡 県相 良区 東部 で複 数に トレー スが 雁行 する が, それ 以外 の場 所で はほ とんど で1 条の 断層 であ る. 断層 に沿 って ,鞍 部や直 線状 谷, 小河 谷の 左屈 曲が 認め られ る. 那珂川 や椎 原川 ・室 見川 も大 きく 左に 屈曲 して 見える . こ の断 層は,九州 活断 層研 究会( 1989), 活断層 研究 会( 1991)で は確 実 度 III の断 層と して記 載さ れて いた にす ぎな かっ たが ,谷 口ほ か( 2008)にお いて 福岡 県相 良区 脇山 付近 に発 写真 3 6-2.松瀬断層・楮原断層 楮原断 層は 約 5km,松瀬 断層 は本 図幅 内で は 約 5.5km であ るが ,さ らに 西に 延び る.い ずれ も左横 ずれ 断層 と考 えら れる .松 瀬断 層は 金立 山の北 麓で 楮原 断層 から 分岐 する よう に分 布し , 両断層 に挟 まれ た楮 原付 近は 細長 い低 地帯 をな す.楮 原付 近で は, 楮原 断層 によ って 低位 面が 変位を 受け てい る可 能性 があ る地 形面 の不 連続 が認め られ る. 6-3.背振山の東の断層 この断 層は ,活断 層研 究会 編(1991)の板 屋 峠断層 の南 部に あた る. 板屋 峠断 層の 北部 はリ ニアメ ント とし ても 不明 瞭で あり ,板 屋峠 の北 側に並 走す る推 定断 層が 認め られ るに 過ぎ ない . 早良区脇山における圃場整備以前の空中写真に見る低断層崖 国 土 地 理 院 1974 年 撮 影 の 空 中 写 真 か ら 作 成 し た オ ル ソ 写 真 . 白矢印は断層線を示す。黒は図 7 の地形断面図の測線. 10 南部は ,直 線状 の山 麓線 や直 線状 谷, 河谷 の屈 曲が認 めら れ, 左横 ずれ 断層 と考 えら れる .石 谷山の 西南 麓に は山 腹斜 面に 直線 状の 崖が 確認 でき, その 延長 で小 河谷 の屈 曲が 認め られ る. 図7 写真 4 早良区脇山における断層崖を横切る地形断面図 早良区脇山の低位段丘面上に見られる断層地形 圃場整備後で不明瞭であるが,中央の道路付近や,道路よりも右(西)で断層 通 過 付 近 で 傾 斜 が 急 に な る の が わ か る . 写 真 3 の B−B’ 付 近 の 写 真 . 11 7 .警 固 断層 帯とそ の周辺 の活断 層 の ト レン チ 調 査 7-1.宇美断層 宇美断 層の トレ ンチ 調査 は ,山 浦と 江辻 の 2 地区 で行 われ た( 下山 ほか , 2008). 1)山 浦ト レン チ( 図 8) 山浦地 区の トレ ンチ 調査 は ,明 瞭な 変位 地形 が認 めら れた 高位 段丘 の南 の, 太宰 府 市大 字北 谷字 山浦 の沖 積地 で行 われ た. こ こで はま ず, リニ アメ ント をま たぐ 方向 で 群列 ボー リン グが 行わ れ, 基盤 上面 のず れ が認 めら れた 箇所 でト レン チが 掘ら れ, 断 層が 出現 した .ト レン チの 壁面 図に 示し た よう に, 地層 は上 から 人工 改変 土, 第四 紀 砂礫 層, 古第 三紀 層, 白亜 紀花 崗岩 とな っ てお り, トレ ンチ 壁面 には 明瞭 な西 上が り の逆断 層が 観察 され た(図 9,写真 5).こ の断 層は 古第 三紀 層と 白亜 紀花 崗岩 の地 質 境界 断層 であ り, 上の 第四 紀砂 礫層 を切 っ ていた .こ の垂 直変 位量 は 約 0.6m で, こ の砂礫 層の 14 C 年 代は約 4,300 年前 とい う 値を 示し てい る. さら に, 火山 灰分 析の 結 果 , K-Ah ( 鬼 界 ア カ ホ ヤ ), AT ( 姶 良 Tn ) テ フ ラ の 混 入 が 確 認 さ れ た た め K-Ah テ フラ の 降 灰 以 降と 考 え ら れる . 図9 図 8 宇 美 断 層 山 浦 ト レ ン チ 付 近 の 地 形( 下 山 ほ か ,2008) 1:沖積低地 2:下位段丘面 3:中位段丘面 4:上 位 段 丘 面 5:活 断 層 6:活 断 層( 位 置 や や 不 明 瞭 ) 7: 活断層(伏在部) 8:ボーリングサイト 9:トレンチ サ イ ト . 地 形 区 分 ・ 断 層 線 は 池 田 ほ か ( 2004) に よ る . 宇 美 断 層 ・ 山 浦 ト レ ン チ 壁 面 ス ケ ッ チ ( 下 山 ほ か , 2008) 12 写 真 5 宇 美 断 層 ・ 山 浦 ト レ ン チ 壁 面 ( 下 山 ほ か , 2008) RS: 盛 土 Qg: 第 四 紀 砂 礫 層 Tr: 第 三 紀 頁 岩 層 Gr: 白 亜 紀 花 崗 岩 これら から 宇美 断層 は 約 4,300 年 前以 降に 少な くと も 1 回活 動し たこ とが 明ら かで ある( 福岡 県 , 2006). な お , こ の ト レ ン チ で の 横 ず れ 成 分は不 明で ある . 第三紀 層中 に西 傾斜 の破 砕帯 が存 在す る( 写真 6,図 10).トレ ンチ でそ の破 砕帯 中の 断層 粘土 が第四 紀砂 礫層 (旧 砂礫 層 1)の 基底 部分 を切 ってい たた め,西上 がり の逆 断層 が確 認さ れた. この垂 直変 位量 は 約 0.06m で ある.ただ し,こ の場所 のト レン チは約 6m と 深く ,地 下水 位が 高く, 周囲 が砂 礫層 であ るこ とか ら, 掘削 後湧 水に伴 う崩 壊が 激し く, 観察 時間 が数 時間 しか とれな かっ た. 断 層 面 の 走 向 は N26°W, 傾斜 は 55°W で ある.断層 に 切ら れた 第四 紀砂 礫層 中の 木 片 の 14 C 年 代値 は 20,870± 140yBP を 示し てい る.一方 , 火山ガ ラス 分析 の結 果,K-Ah ガラス は認 めら れず AT ガ ラ スの み混 入が 認め られ た. こ れら から 江辻 トレ ンチ では , 約 2 万年 前以 降に 少な くと も 1 回活動したことがわかる ( 福 岡 県 , 2007). し か し , この 砂礫 層の さら に上 位の 砂 礫層 およ び境 界が 断層 によ っ て切 られ た証 拠は 得ら れな か った. 2)江 辻ト レン チ 前調査 とし て反 射法 探査 ,群列 ボー リン グを 行い, 基盤 上面 のず れが 認め られ た箇 所で トレ ンチが 掘ら れた .図 と写 真で 示し たよ うに ,古 写 真 6 宇 美 断 層 ・ 江 辻 ト レ ン チ 壁 面 ( 福 岡 県 , 2007) Qg1 : 第 四 紀 砂 礫 層 Tr: 第 三 紀 シ ル ト 岩 , 凝 灰 岩 , 石 炭 層 13 図 10 宇 美 断 層 ・ 江 辻 ト レ ン チ 壁 面 ス ケ ッ チ ( 福 岡 県 , 2007) 1:砂礫層 2:シルト岩 3:凝灰岩 4:破砕を受けた石炭 5: 粘 土 ( 破 砕 に よ る ) 6 : 頁 岩 7 : 14C 年 代 測 定 試 料 採 取 場 所 . グ リ ッ ド は 1m 間 隔 . 7-2.警固断層帯 警固断層帯では南東部の太宰府市大佐 野, 大野 城市 上大 利, 北西 部の 福岡 市中 央 区薬院 ,福 岡市 中央 区浜 の町 の 4 カ 所で ト レンチ 調査 が行 われ た. 1)大 佐野 トレ ンチ ( 図 11) トレン チ壁 面に は礫 ,砂 ,シル ト,泥炭 ない し泥 炭質 の腐 植土 層な どか らな る厚 さ 約 4.6m の堆 積物 とそ の下 位の 花崗 岩が 露 出した .ト レン チ壁 面上 部 3m はト レン チ 掘削 地点 で行 われ た遺 跡調 査終 了後 の埋 土 である .そ の下 位 の 1.6m が自 然の 地層 で あり ,上 位よ り第 1 層か ら第 4 層に 区分 さ れた( 下山 ほか , 1999)( 図 12). 第 1 層は 南壁 面を 中心 に露 出す る暗 灰色 粗粒 砂層 から なり ,斜 層理 が明 瞭な チャ ネ ル充填 物で ,A 層, B 層 の 2 回 分の 堆積 物 がみ られ る. 本層 中に は土 師器 の破 片が 出 土し,4~ 5 世紀 の堆 積と 考えら れる .最 下 部か らは 弥生 式土 器片 も産 出し た. 木片 の 14 C 年 代値 は 1,400 年 前~ 1,900 年前 を示 す. 下位の 第 2 層 とは 不整 合で 接す る. 第 2 層は 上部 (2A 層 )が 青灰 色砂 質粘 土層,下部( 2B 層 )が 粗粒 砂層 であ る.第 2A 層 上部 の粘 土は 砂の 薄層 を挟 み,下ほ ど 泥炭質 にな る. 第 2A 層 下部 から AT 火 山 図 11 警 固 断 層 帯 ・ 大 佐 野 ト レ ン チ 地 点 の 位 置 ( 下 山 ほ か , 1999) 14 図 12 警 固 断 層 帯 ・ 大 佐 野 ト レ ン チ の 壁 面 の ス ケ ッ チ ( 下 山 ほ か , 1999) 3 層 は,基 底部 分が 断層 で切 られ て折 りた たま れ,下 盤側 の断 層付 近で 向斜 状形 態を して いる. 第 2B 層 も断 層付 近で 向斜 状を みせ るが , 第 3 層より も小 さい . 第 2A 層も 上盤 側で は東 へ傾 き,下 盤側 では ほぼ 水平 で, 撓曲 構造 を示 す. 第 1 層は 変形 を受 けて いな い. 大佐野 トレ ンチ では ,2 回の 断層 活動 が認 め られた .イベ ント 1 は第 2 層以 後,第 1 層 以前 で,約 16,000 年前 ~ 約 1,500 年前 の間 であ る. この活 動に より 断層 に沿 い西 側が約 40cm 高く なり ,第 2A 層は撓 曲し た(写 真 7,図 13).イ ベント 2 は ,第 4A 層堆 積後 ,第 2A 層堆 積開 始以前 で,約 32,000 年前 以後 ~約 25,000 年前 以前で ,断 層西 側が 約 25cm 高 くな った . 灰由来 の火 山ガ ラス が産 出し た. 泥炭 質粘 土の 14 C 年代 値 は 16,000 年 前~ 25,000 年 前を 示し, AT 火山 灰の 年代 とよ く一 致す る.第 2B 層 は断 層近く にみ られ ,断 層下 盤の 凹部 を充 填し てい る. 第 3 層は 黒色 の泥 炭層 で,北 側壁 面の みに み られる .レ ンズ 状断 面を 示し ,断 層下 盤の 凹部 を充填 する .泥 炭の 14 C 年代 値は 31,000 年前 ~32,000 年前 を示 す. この 層は ,一 部は 第 4A 層中の 砂層 と平 行し ,そ の上 に漸 位関 係で のる が一部 は 第 4B 層に 直接 接し てい る. 第 4 層 は, 上部 がシ ルト 質細 粒砂 層( 第 4A 層),下部 は礫 混じ り粗 粒砂 層( 第 4B 層)から な る . 第 4A 層 の 木 片 と 泥 炭 の 14 C 年 代 値 は 31,000 年前 であ る. 断層は ,走向 N19°W,傾 斜 40~ 50°W で , 厚さ 2~ 10cm の 黄灰 色の 断層 粘土 を伴 う.断層 面には 左横 ずれ を示 す条 線が 認め られ た. この 断層は 基底 の不 整合 面を 含め て第 4 層か ら第 2 層まで を切 断・ 変形 させ てい る. 下位 の地 層ほ どズレ や変 形が 大き い. 基底 面は 断層 で切 断さ れ,断 層に 沿っ て 65cm ずれ る. 第 4B 層 の基 底面の 高さ は断 層に 近づ くと 30cm 程 度低 下す る. 第 4A 層は 下盤 側だ けに みら れる こと や断 層付近 で撓 曲し て上 盤側 に続 くこ とも ある .第 15 写真 7 警 固 断 層 帯・大 佐 野 ト レ ン チ の 壁 面 の 断 層 と 変 形 し た 地 層( 下 山 ほ か ,1999) 図 13 警 固 断 層 帯・大 佐 野 ト レ ン チ 北 側 壁 面 の 断 層 付 近 の 拡 大 図( 下 山 ほ か ,1999) 16 2)上 大利 トレ ンチ 図 14 は ,断 層南 部に位 置す る福 岡県 大野 城 市上大 利( かみ おお り) 地区 での トレ ンチ 調査 の結果 であ る( 宮下 ほか , 2007). トレン チ壁 面の 地層 は,1 層~ 7 層 から なり , おおま かに 砂・ シル ト・ 腐植 土の 互層 と, これ らを削り込むチャネル充填砂層からなる.北 西・南 東両 壁面 で共 通す る地 層は ,上 位よ り, 砂礫層 ,砂 礫混 じり シル ト層 ,細 粒砂 層, 腐植 土層,中~ 粗粒 砂層 及び 青灰 色シ ルト 層で ある. 北西壁 面で は,約 60°南西 に傾 斜し た F1 断 層がみ られ る. F1 断層 は 7 層か ら 4 層ま でを 切り, 5c も しく は 5e 層 を 1m 程 下に 引き ずり 込んで いる .3d 層の 上位 のど こま で変 位さ せて いるか は不 明で ある が, 2 層に は覆 われ る. 図 14 南東壁 面で は ,中 ~高角 度で 南西 に傾 斜す る 数条の 断層 が認 めら れる .北 東側 のも のは 北西 壁面 の F1 断層 から 連続 する .南 西側 の断 層群 (F2 断層 )は 複雑 に分 岐・ 収斂 する .F1 断層 は 7 層 か ら 5a 層下 部ま でを 確実 に変 形さ せて おり, 少な くと も 2 層には 覆わ れる . F2 断層 は下部 でほ ぼ垂 直 ,上 部で は 40°程度 の南 西傾 斜を示 す. 北東 縁の 断層 は正 断層 的で ある が, 南西縁 の断 層は 逆断 層的 であ り, 横ず れ変 形が 推定さ れて いる . 上大利 トレ ンチ では ,約 9,500 年 前以 降に 少 なくと も 2 回 の断 層活 動が あり ,最 新活 動は, 約 4,300 年 前以 降に 限定 され る可 能性 が示 され た. 警固断層帯・上大利トレンチ壁面のスケッチと放射性炭素年代 測 定 値 ( cal yBP;±1σ )( 宮 下 ほ か , 2007) 17 3)薬 院ト レン チ 地下 鉄 3 号線( 七隈 線 )の 掘削 工事 に伴 う薬 院地 区工 事現 場で 薬院 トレ ンチ 調査 が 行 わ れ た ( 下 山 ほ か , 2005)( 図 15). こ こで は, 下位 より 須崎 層, 大坪 砂礫 層, 住 吉層 が堆 積し てい る. 断層 はト レン チ調 査 地点 では みら れず ,そ の西 側に 存在 した . 西 側 の 底 盤 で の 断 層 面 の 走 向 は N30°W, 傾斜 は 85°E~90°であ る .大 坪砂 礫層 下 部と 須崎 層を 切っ てい る. 南側 壁面 では 大 坪 砂 礫 層 と 須 崎 層 が 切 ら れ て お り 90°に 直立し てい る( 図 16, 17).こ の薬 院ト レ ンチ での 警固 断層 の活 動時 期は ,各 地層 の 年代測 定結 果か ら約 10,000 年 前~ 27,000 年前と 考え られ てい るが ,10,000 年 前以 降 の地 層の 断層 活動 によ る変 位は 位置 がず れ てい たた め必 ずし も明 瞭で はな いこ とか ら, 薬院 トレ ンチ では 新し い活 動は わか らな い. 図 16 図 15 警 固 断 層 帯・薬 院 ト レ ン チ で の 断 層 位 置( 下 山 ほ か , 2005) 太 破 線 が 断 層 走 向 線 ,太 実 線 が ボ ー リ ン グ と 掘 削 工 事 で 確 認 された断層の詳細位置 警 固 断 層 帯・薬 院 ト レ ン チ で の 断 層 部 分 の ス ケ ッ チ と 写 真( 下 山 ほ か ,2005) 18 図 17 警固断層帯・薬院トレンチ南側壁面のスケッチと写真 ( 下 山 ほ か , 2005) 19 4)浜の 町ト レン チ(図 18) 福 岡 市 中 心 部 に あ る 中央 区浜 の町 公園 で行 われた 浜 の町 トレ ンチ では ,表層 の 人工 埋土 の下 に海 岸の砂 層 であ る箱 崎砂 層, 河口干 潟 に堆 積し た住 吉層 上部の 粘 土層 と砂 層の 互層 ,更に 下 位に は内 湾の 海底 に堆積 し た博 多湾 シル ト層 が認め ら れた .博 多湾 シル ト層に は 貝化 石, 巣穴 (サ ンドパ イ プ) が観 察さ れた .更に は 陸域 で堆積 した 住吉 層下 部, 基盤 岩の 古第 三系 ・野間 層 がみら れた . 警固断 層は 地下 8m で検 出された.断層は,走向 図 18 警 固 断 層 帯 ・ 浜 の 町 ト レ ン チ の 位 置 ( 福 岡 市 警 固 断 層 調 査 検 討 委 員 N20°W,傾 斜 70°W の 西 会 , 2009) 側上がりの逆断層である (図 19, 写真 8). この 走向 ・傾 斜は 警固 断層 いた結 果生 じた 変形 構造 と考 えら れた .断 層活 の一般 的な 走向 ・傾 斜と 一致 する .断 層面 にそ 動の最 新年 代は 8,000 年前,垂直 変位 量は 50cm って下 盤側 の住 吉層 の一 部が 変形 して 巻き 込ま 以上で ある (福 岡市 警固 断層 調査 検討 委員 会, れてい る. 基盤 岩の 野間 層は 東に やや 傾斜 しな 2009). がら突 出し てい る. この よう な断 層と 基盤 岩の 形状は ,断 層運 動に 伴っ て古 第三 系野 間層 が隆 起する とと もに 東側 横方 向へ 押し 出す よう に動 図 19 警固断層帯・浜の町トレンチの壁面スケッチ(福岡市警固断層調査検討委員 会 , 2009) 20 写真 8 警 固 断 層 帯 ・ 浜 の 町 ト レ ン チ の 壁 面 写 真 ( 福 岡 市 警 固 断 層 調 査 検 討 委 員 会 , 2009) 図 20 博 多 湾 の 海 底 活 断 層 ( 岡 村 ほ か , 2009) 21 年前) があ るこ とが わか った ( 図 22). 8 .博 多 湾 に おける 警固 断層 陸域の 警固 断層 は ,荒津 の埋 立地 から 南東 方 へ延び る( 鬼木,1996)が,博多 湾の 海底 活断 層調査 では ,警 固断 層は 荒津 の北 西方 の志 賀島 付近ま で延 長す るこ とが 明ら かに され た( 岡村 ほか,2009).この 調査 は,そ れま での 大佐 野, 薬院で の陸 域の 調査 では 活動 の履 歴が 明瞭 では なかっ たた め, 海域 での 警固 断層 の分 布様 式, 活動履 歴を 明ら かに した もの であ る. 堆積 物は 礫層に のる 砂, 砂質 シル ト, シル ト, 粘土 から なり, これ らが 主に 東落 ちを 示す が, 地溝 を作 るよう に西 落ち の断 層も みら れる(図 20,21). 調査地 点で の最 新イ ベン トは 約 4,500 年前 か ら 4,000 年 前 の 時 期 , 1 つ 前 の イ ベ ン ト は 約 8,500 年 前か ら 6,500 年前 ,さ ら に 8,500 年以 前にも 少な くと も 1 回以 上活 動し たと 考え られ ている (岡 村ほ か, 2009). 文科省 開発 局・九州 大学(2013)は,さら に 詳細に 調査 し,岡村 ほか( 2009)の断 層が 地溝 状に分 布す るこ と,B 層 を切 る断 層( 活動 時期 は 3,100 年前 から 4,300 年 前)と B 層 を切 って いない 断層 (活 動時 期 は 7,400 年 前か ら 8,000 図 21 9.警固断層 帯とその 周辺の活断層の活 動 福岡図 幅に みら れる 活断 層は ,主 に警 固断 層 帯の南 東部 が分 布す るが ,そ れ以 外の 活断 層の 分布も みら れる .主 要な 活断 層は 北西 -南 東方 向の走 向を 示し てい る. 東よ り西 へ, 宇美 断層 -香椎 断層 ,石 堂- 海の 中道 断層,警固 断層 帯, 日向峠 -小 笠木 峠断 層帯 であ る. 南北 走向 の活 断層と して ,立 花断 層が 分布 する .こ れら の活 断層の 中で 過去 の活 動履 歴が 調査 され たの は宇 美断層 と警 固断 層帯 であ る. 西上が りの 逆断 層で ある 宇美 断層 では ,太 宰 府市山 浦地 点と 粕屋 町江 辻地 点で トレ ンチ 調査 が行 わ れ た. 山 浦 地点 で は ,宇 美 断 層は 約 4.3 千年前 以降 に少 なく とも 1 回 活動 した こと がわ か っ て い る ( 福 岡 県 , 2006). 江 辻 地 点 で は , 約 2 万 年前 以降 に少 なく とも 1 回 活動 した こと が明ら かで ある( 福岡 県,2007)が,それ より 新しい 時期 の活 動は 不明 であ る. 警固断 層帯 では,南よ り大 佐野 地点,上大 利 地点, 薬院 地点 ,浜 の町 地点 でト レン チ調 査が 博 多 湾 海 底 活 断 層 の 音 波 探 査 の 様 子 ( 岡 村 ほ か , 2009) 22 図 22 博 多 湾 の 海 底 活 断 層 ( 文 科 省 開 発 局 ・ 九 州 大 学 , 2013) 行われ た. 大佐 野地 点で は,走 向 N19°W,傾 斜 40~ 50°W の断 層が みら れた .活 動は 2 回 のイベ ント が確 認さ れた .イベ ント 1 は 第 2 層 以後 ,第 1 層以 前で ,約 16,000 年 前~ 約 1,500 年前の 間で ある .こ の活 動に より 断層 に沿 い西 側が 約 40cm 高 くな り, 第 2A 層 は撓 曲し た. イベン ト 2 は,第 4A 層 堆積 後,第 2A 層 堆積 開始以 前で ,約 32,000 年 前以 後~ 約 25,000 年 前以前 で, 断層 西側 が約 25cm 高 くな った .上 大利ト レン チで は, 約 9,500 年前 以降 に少 なく とも 2 回の断層活動があり,最新活動は,約 4,300 年前 以降 とさ れた .薬 院ト レン チで の警 固断層 の活 動時 期は ,10,000 年前 以降 の地 層の 断層活 動に よる 変位 は, トレ ンチ の位 置が ずれ ていた ため ,薬 院ト レン チで は新 しい 活動 はわ かって いな い. 浜の 町ト レン チで は, 断層 は, 走向 N20°W, 傾 斜 70°W の西 側上 がり の逆 断層で ある .断 層活 動の 最新 年代 は 8,000 年前, 垂直変 位量は 50cm 以上 であ る( 福岡 市警 固断 層 調 査 検 討 委 員 会 , 2009). 博 多 湾 の 海 底 活 断 層調査 では ,最 新イ ベン トは 約 4,500 年前 から 4,000 年前 の時 期,1つ 前の イベ ント は約 8,500 年前か ら 6,500 年 前,さ らに 8,500 年 以前 にも 少なく とも 1 回 以上 活動 した と考 えら れて いる (岡村 ほか , 2009). このデ ータ から みる と,福岡 地域 での 宇美 断 層と警 固断 層帯 全体 の活 動履 歴で みる と, 最新 の活動 は 4,000 年前 の断 層 と 8,000 年 前の 断層 がある こと がわ かる . 23 10.引用文献 千田 昇(2006) :福岡平野の活断層.月刊地球,号外 54,112-117. 千田 昇 (2008) :福岡市中心部における警固断層の位置. 大分大学教育福祉科学部研究紀要,30 巻 1 号,29-34. 千田 昇・中田 高(1996) :福岡平野における警固断層系の新規活動について.日本地理学会予稿集,49, 184-185. 千田昇・岡田篤正・中田高・渡辺満久・鬼木史子(1996) :25000 分の 1 都市圏活断層「福岡」,国土地理院技 術資料 D・1-No.333. 福岡県(1996) :西山断層系,水縄断層系及び警固断層系に関する調査委託報告書第Ⅳ編,警固断層系につい ての調査結果,140p. 福岡県(1997) :警固断層系に関する調査.平成 7 年度・平成 8 年度地震調査研究交付金成果報告会予稿集, 科学技術庁,148-152. 福岡県(2006) :宇美断層に関する調査業務委託報告書,227p. 福岡県(2007) :宇美断層に関する調査業務委託報告書,183p. 福岡市断層調査研究会(2001) :福岡市市民局第 5 次警固断層調査業務委託報告書,240 p. 福岡市地盤図作成グループ(1981) :福岡市地盤図.九州地質調査業協会,174p. 福岡市警固断層調査検討委員会(2009) :警固断層に関する調査報告書-浜の町公園トレンチ調査結果-.1-14. 細野武男・古川俊太郎・坊城俊厚・高井保明(1975) :北部九州・響灘付近における音波探査の成果について 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回委員会 平成 26 年 2 月 21 日(金) 25 ダイヤ八重洲口ビル あすか会議室 ダイヤ八重洲口ビル あすか会議室 ダイヤ八重洲口ビル あすか会議室 b. 「警固断層帯とその周辺」の作成委員(平成 25 年度) 図 名 氏 名 福岡(改訂版) ○千田 甘木 脊振山 昇 所 属 大分大学名誉教授 石村大輔 千葉大学大学院理学研究科特任研究員 岡田真介 東北大学災害科学国際研究所助教 堤 浩之 京都大学大学院理学研究科准教授 平川一臣 北海道大学名誉教授 ○堤 浩之 京都大学大学院理学研究科准教授 後藤秀昭 広島大学大学院文学研究科准教授 中田 高 広島大学名誉教授 平川一臣 北海道大学名誉教授 八木浩司 山形大学地域教育文化学部教授 ○後藤秀昭 広島大学大学院文学研究科准教授 岡田真介 東北大学災害科学国際研究所助教 中田 高 広島大学名誉教授 八木浩司 山形大学地域教育文化学部教授 ○全体のとりまとめを担当した委員 c.国土地理院 防災地理課長 課長補佐 技術専門員 専門職 係長 村岡 中澤 増山 石川 湯本 清隆 尚 収 弘美 景一 連絡先 国土地理院応用地理部防災地理課 〒305-0811 茨城県つくば市北郷1番 電話:029(864)1111(代表) この解説書を引用する場合の記載例 千田 昇・堤 浩之・後藤秀昭(2014) :1:25,000 都市圏活断層図警固断層帯とその周辺「福岡(改訂版)」 「甘木」 「脊振山」解説書.国土地理院技術資料 D1-No.723,26p. 26