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Hodogaya Vol.92(aprox. 4.8MB) - web site of Hodogaya Catholic

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Hodogaya Vol.92(aprox. 4.8MB) - web site of Hodogaya Catholic
保土ヶ谷カトリック教会
教会報 クリスマス特集号
発行
2012 年 12 月 22 日 Vol.92
------------------------Hodogaya Catholic Church Magazine--------------------
クリスマスによせて
幼子イエスさまの心でクリスマスを迎える
主任司祭
バリー・ケンズ
先日、電車の中で美しい場面を目にしました。
これは、決して大人が子どもっぽくなれという
それは、若いお母さんが自分の赤ちゃんをいつく
意味ではありません。イエス様が意図しているこ
しみ深く抱きしめている光景でした。その赤ちゃ
とは、自分の人間的弱さ、微力さ、限界を謙虚に
んは、まだ小さくて弱い自分では何もできない者
認めて、神様からの助けと力により頼むような子
として、すべてをお母さんにゆだねていました。
どものような心ということです。
いつくしみ深い神様からの保護を信頼して、子
そこで皆さんに質問です。もし皆さんが権威あ
どものような心で自分のすべてを神様の御手に委
る者としてこの世に現れるとき、このような最も
ねましょう!
小さくて弱い赤ちゃんのような立場を選ぶでしょ
しかし、それはとても難しいことです。私たち
うか?
人間は、どうしても自己中心的な日常生活を過ご
イエス様は、私たちを愛するがゆえに そのよ
しがちです。
うな立場をお選びになりました。御子は神の栄光
そのようなときこそ、馬小屋で布にくるまって
と力をわきにおき、私たちと同じように弱い人間
飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子を思い浮かべな
になりました。その神であり弱い人間である赤ち
がら「神であるイエスよ、あなたのみ手に私の生
ゃんがイエス様です。
涯を委ねます」と祈りましょう。
イエス様がそのようにして誕生してくださった
そのような奉献をすれ
おかげで、神様が私たち人間にとって近い存在に
ば、最初のクリスマスの
なりました。
夜に約束された平和を深
みなさんにお願いがあります。クリスマスの夜
く味わう事ができるでし
に飾られた馬小屋を見つめながら、次のようなこ
ょう!
とをかみしめて味わってください。
その平和を私たちにあ
たえるために御子は人間
神である御子が、人間として私たちの前に現れ
になられました。それが
たとき、この最も小さくて弱い赤ちゃんの立場を
イエス様の誕生の目的です。
お選びになられたのだと。
その誕生から約 30 年後、イエス様は次のよう
皆さんクリスマスおめでとうござい
ます。
に言われました。
「はっきり言っておく。心を入れ
主の平和を豊かに味わえますように私は祈りま
替えて子供のようにならなければ、決して天の国
に入ることはできない。
」
(マタイ 18・3)
す。
1
クリスマスによせて
ベレン飾った?
イエズス会大船修道院 李 聖一
2 年前のクリスマスはマドリッドで迎えた。妹
家族もやってきて、クリスマスイヴは、スペイン
料理のレストランで食事して、カテドラルでミサ
にあずかり、キリスト教国のクリスマスを体験す
る計画だった。
ところが、夕方になるとすべてのレストランは
閉店してしまった。街を歩いているのは、日本人
観光客くらいで、何もやってないね、という日本
語が聞こえてくる。教会に行っても真っ暗で、
ミサが行われる雰囲気もない。
大がかりなベレンが飾られていて、毎年多くの
人が訪れる場所があるという。かつてのシベレス
そんなスペインだが、クリスマスが近づくと、
「ベレン飾った?」というのが季節のあいさつらし
宮殿で、現在は郵政省の建物になっている中庭で
ある。
い。「ベレン」とは「ベトレヘム」を意味するが、
物珍しさも手伝って見物にいった。たしかに見
イエス生誕の様子を人形にして飾ったものをいう。
事である。人形のひとつひとつがリアルで、馬小
屋も家も町の様子も実によくできている。そこに
幼子イエスがほんとうにいるような気分になって
くる。
いわゆる「馬小屋」である。それぞれの家は代々
受け継がれてきた人形もあるらしく、大事にしま
っておいて、待降節が来ると、飾られる。
デパートや広場の露店を覗くと、ベレン
コ ー ナ ーが設けられ、いろんな人形や馬小屋グッ
クリスマスを思い起こすことができるようなも
ズが売られている。今年はこんな飾りにしてみよ
のをお家のどこかに飾ってみては?と、私はよく言
うかと、訪れる客も多い。なかなかりっぱな人形
う。イエスの誕生を「待つ」気分が高まってくる
もあって、値段もかなりする。そういえば、私が
からである。そして何よりも、「想像する」とい
知っているスペイン人のブラザーは毎年趣向を凝
うことが祈りの一歩だからである。
らした馬小屋を作っていて、スペインからわざわ
「思い起こす」ことが信仰を深める。これはカ
ざ人形を仕入れていたのを思い出した。
トリックの典礼の中心であろう。
2
クリスマスによせて
クリスマスって何?
今井恵子
待降節を迎える時、イギリスの作家チャール
イエスの誕生後にはこうした子ども達の惨劇の
あがな
ズ・ディケンズの『クリスマス・キャロル』を思
贖 いがあったことを無視することはできません。
だからこそクリスマスという言葉そのものの神聖
い出します。
な意味とその起源に対する敬意をあらためて心に
満足にクリスマスのごちそうも用意できないど
きざみます。
ころか日々の暮らしにすら困っている人がいるこ
とを作品に描き、クリスマス・シーズンが本来は
クリスマスは親切と赦しと恵みと喜びのときで
思いやりと助け合いの季節であることを教えてく
す。長い一年の中でもこのときだけは男女、子ど
れています。
も達共に、
ふだんは閉ざされた心でも大きく開き、
強欲な金融業者・スクルージは、クリスマスイ
ヴに見た夢の中で幽霊に過去・現在・未来の自分
自分たちより貧しい暮らしをしている人たちも墓
の姿を見せられ、
今までの自分の生き方を反省し、
というおなじ目的地に向かって旅する仲間同士な
クリスマスの朝に目を覚ました時にはすっかり別
のであって、どこか別の場所に向かう別の生きも
の人間になっています。
のではないということを思い出させてくれます。
クリスマスをお祭りとして祝うだけならキリス
ト者としての意味はありません。真のクリスマス
は真のキリスト者にとって慶事でありまた啓示の
出発点でもあるに違いないのです。
イエス・キリストの降誕を記念するクリスマス
ですが、同時に大きな悲劇もあります。イエスの
誕生を東方から来た博士から聞いたヘロデ王は恐
れ惑い、ベツレヘムとその近辺の二歳以下の男の
子をひとり残らず殺すよう命じました。
この地球上では今でも紛争が絶えず、飢えや病
気に苦しんでいる人がいます。
「クリスマスはプレゼントをもらうだけの日じ
ゃない」ことを、つまり大切なのは隣人愛や平和
という“クリスマス精神”なのだということをこの
降誕節に心にとどめていきたいと思います。
3
私の夢がかなった時
シスター 石﨑阿砂子
先日は両親の追悼ミサにご一緒にあずかって下
が、歌に合わせて二歩進んで一歩後ずさりしなが
さってありがとうございました。
ら、ゆっくり祭壇に向かう入祭、奉献、閉祭の踊
おばやし
りの光景は特別でした。
現在私は聖心会小林修道院に戻ってきています
が、小林聖心女子学院小学校を退職後4年間ほど
東アフリカのウガンダの聖心女子学院小学校に勤
める機会をいただきました。私はアフリカの砂漠
の子「阿砂子」と名付けられていたのでアフリカ
での生活を夢見ていたのが実現したのです。
スーツケースの半分を大きな蚊帳で満たし、ウ
ガンダのシスター達と車で首都カンパラから赤道
をわたりました。ところどころに見られた民家も
少なくなり、背の高いアリ塚が点在するさびしい
誕生日調べをしてグラフの勉強をしようと思っ
所に来ると、急ににぎやかな太鼓の音が聞こえ、
ても自分の誕生日を知らない子供がいて、
「分から
踊っている子ども達に歓迎されました。これがア
ない人」を 12 月のあとに付け加えてグラフを作
フリカの子ども達の仲間に入れてもらった瞬間で
ったこと、殺風景な修道院の前の広場に子ども達
した。
と一緒に石ころを取り除き、岩地にコスモスや
ヒマワリをたくさん咲かせたことなど色々なこと
が思い浮かんできます。
乾季と雨季はありますが、一年中日本の 10 月
頃の気候のようで過ごしやすく、学院から見下ろ
すカトリックの発祥地、ビラ・マリアの景色、毎
朝7時ごろに見られる日の出の美しさも格別です。
本当に水と電気さえあれば申し分のない所です。
でも私の滞在中に一番心に残ったことは、この
子ども達がよく学べるように大勢の人々の手が差
し伸べられていることでした。学費を払って下さ
っている方々、水確保のために努力して下さって
この学校は 2003 年に世界中の聖心関係の援助
いる方々、聖堂、14 教室の校舎、先生方の宿舎を
を受けて創立された学校です。小学校は7年生ま
建てて下さった方々など。
であり、5 歳から 16 歳位までの 400 人近い寄宿
生がいました。
「ともに愛し分かち合って学ぼう」
私が関わった子ども達のこれからの成長ぶりを
今は楽しみにしています。
という学校のモットーを掲げ、英語で教育されて
いました。生徒のほとんどがカトリック信者でし
たので、毎週、日曜・火曜日に御ミサがありまし
た。聖堂の中央通路を大太鼓、小太鼓のリズムに
合わせて鮮やかな色の衣装で二列に並んだ子ども
4
福岡キャンパスからこんにちは
神学生 岡野充良
皆さんお久しぶりです。昨年は一年間保土ヶ谷
教会でいろいろお世話になりました。おかげさま
で落第もせず無事に今年の 4 月から福岡キャンパ
スに異動し、3 年間ここで神学科生として神学の
勉強をする事になりました。
今回初めて東京・神奈川以外のところで暮らす
ことになりました。働いていた時も地方転勤を強
く希望していたのですが、とうとう東京から出し
てもらう事ができず、今回人生の中でも初めて別
写真を見れば分かるかと思いますが、建物がと
の街で生活することとなり、福岡での生活を満喫
ても大きく歴史のある感じがします。造りが基本
しているところです。福岡は本当に良いところだ
的に大きく天井が高くてスペースが広いのでとて
と思います。
も開放感があります。
また、敷地がとても広くて緑が多いので、豊か
福岡でも一年ごとに現地の小教区に派遣される
な自然に囲まれているという点においてもすばら
にしじん
事になっております。今年はカトリック西新教会
というところで、かの福岡地名数え歌で「一本で
しいと思います。敷地の中で散歩をしながら季節
も西新(にしじん)
」と歌われるところでもありま
の移り変わりや生き物や草木の小さな変化を観察
す。教会の規模は、保土ヶ谷教会と大体同じくら
したり、夜は星空の移り変わりを楽しむことがで
いでしょうか、加えて幼稚園が併設されており、
きます。
こうした豊かな環境の中で、祈りと勉強に集中
若干手狭でもあるのですが、そのためか子どもの
できることは、私にはすばらしいお恵みだと感じ
数が非常に多いのが特徴かなと思います。
福岡キャンパスは、いろいろ厳しくて大変なと
ています。この 3 年間という時間の中で、祈りと
ころだと脅かされていたのですが、確かに授業等
黙想を通じて自分の召命についてさらに深めて行
は厳しいかもしれませんが、基本的にのびのびで
くことができるよう、お祈りいただければ幸いで
きるところだと私は思っています。
す。
5
その時の神父様から、神父様のお姉様と一緒の
シリーズ
この名前をいただきました。「光の子として歩み
☆ザ・洗礼!☆
なさい」あの日見つめたロウソクの暖かい光は心
の中にずっと残っています。時には強い風に炎が
∼あの日あの時、私の洗礼∼
ゆれ、消えそうになりながら、小さな火は燃え続
けています。
私の洗礼名
私は、一人娘として、両親に見守られ、たくさ
ヒラリオ
んの愛情を受けて育ってきました。
そんな私には、
マリア様とヨゼフ様の名前をいただいたこの霊名
平成13年12月のクリスマスミサにおいて神父
がとても大切に思われます。
さまより洗礼を授けていただきました。入門講座
私の父は、日本キリスト教団の東京飯田橋の富
はKさんにうけもっていただきました。
士見町教会の信者でした。学生の頃は、青年会で
洗礼が近づくなかで思い悩む当時の心の揺れ
活躍していたようですが、私の記憶の中には、父
を、信徒会館2階からの秋の景色を見ると思い出
が教会に通う姿はありませんでした。そして私の
すことがあります。
洗礼も20歳になるまでは反対しておりました。
当時の私は洗礼名を自分で選ぶことができる
でも、そんな父が、私がまだ幼稚園に通う前(保
ことは知りませんでした。有名な聖人の名を自分
の霊名としていただくことにおこがましさを感じ、
少し悩んだ末に「教会の聖人たち」という聖人の
土ヶ谷に引越したばかりの頃)3、4歳だったと思
いますが、散歩で保土ヶ谷教会に連れてきてくれ
ました。この小さい時の父とのお散歩が、私の歩
祝日が記載されている本を見て、自分の誕生日に
みの第一歩だったと、今は神様と父に感謝です。
ある
「聖ヒラリオ司教教会博士」
に出会いました。
マリアとヨゼフと幼子イエス。この聖家族に見
「ヒラリオ」には明朗という意味があることを
守られて皆が暖かい家庭を築ける様、祈る日々で
知りました。また、ヒラリオ博士の両親はカトリ
す。
ック信者ではなかったのですが、ある日一冊の聖
書を手にしたことがきっかけでキリスト教を熱心
に研究され、これこそ長い間自分が求めていた宗
大きなきっかけ
教であると確信し、洗礼を受け信仰を実際生活に
ラファエラ・マリア 江口美由紀
生かすようになり、教会博士の称号を贈られるま
でに至った人物だったそうです。自分の信仰生活
小学校から大学までカトリックの学校に通い、
を導いて頂きたいと思い「ヒラリオ」という霊名
子どもの頃から信仰が身近にあったため、自分が
をいただきました。
いつか洗礼を受けるだろうなという予感は常にあ
りました。
しかしなかなかきっかけがないままでいたあ
私の洗礼名
る時、Hさんから、ネパールのポカラという町に
マリア・ヨセフィーナ 津髙節子
教会を建てる計画があり、それを色々な人に広く
伝えて支援を得るために、発起人である大木章次
マリア・ヨセフィーナ、
これが私の洗礼名です。
郎神父様の生涯や、30年に渡るネパールでの宣教
20歳になった年の11月1日諸聖人のお祝い日に、
活動について本にできれば、というお話をいただ
上野毛のカルメル会の聖堂で美大の先輩達に囲ま
きました。
れて洗礼の恵みに授かりました。
お会いしたことのない方の半生を書けるかど
6
うか、最初は不安もあったのですが、蓋を開けて
この日、なぜか一晩中眠れず、私の中で、何か
みれば波乱に満ちた大木神父様のお話は非常に興
が壊れ、何かが生まれました。そして洗礼を受け
味深く、おもしろく、私自身楽しみながらのお仕
ようと決意しました。
日曜日の 11 時ごろ保土ヶ谷教会に行きました。
事となりました。
教会の建築計画を支援する方々のおかげで本
そのときは、主任司祭のカラン神父が何かの用事
はきちんと形になり(保土ヶ谷教会の本棚にも置
で不在で、栄光からシュトルテ神父が来て、司式
かれています!)、とうとうこの12月にポカラで
をしていました。偶然なのか、必然だったのか。
教会の起工式が行われるところまでこぎ着けたそ
しばらくの間、シュトルテ神父と個人教授で、
うです。
キリスト教の復習を行い、1995 年のクリスマスに、
私は、洗礼を受けました。洗礼名は使徒ヨハネで
一連のできごとを通して、おそらく私の人生に
す。
これ以上のきっかけが現れることはないのではと
思い、受洗を決意しました。それも、当の大木神
その後、教会で、ミサに参加し、いろいろな活
父様に洗礼を授けていただけたことは、神様の大
動に参加したり、遠足に行ったり、バザーを手伝
きなお恵みだと感じています。
ったりしていました。
しかし今度は、勤務先シンクタンクの経営破た
長き彷徨 受洗まで
そして今日まで
ん、その後に就いた福祉・介護の仕事で、日曜出
使徒ヨハネ 亀井弘和
勤が常態だったことなどを理由に、しだいに教会
から離れてしまいました。
私は、1968 年、イエズス会の運営する栄光学園
しかし、今年から勤務形態が変わり、再び教会
に入学しました。しかし、入学した私は、キリス
に行けるようになりました。長い彷徨でした。
ト教には、全く興味がありませんでした。当時、
課外で公教要理(現在は聖書研究会)の時間があ
りましたが、
第 1 次募集には応募しませんでした。
そんなある日、放課後、図書室で偶然『山上の
壮年会の役割、奉仕と分かちあい
垂訓』を書いた本を手にし、それを読んで深く感
動しました。そして公教要理の第 2 次募集に応募
壮年会会長 今井達男
し、6 年間週 1 回、キリスト教の勉強をしました。
すべて勉強の終わったとき、神父から「あなた
今年の 4 月から 2 年間、会長をお引き受けし、
は十分理解したのだから、洗礼を受けてみてはど
早、半年を過ぎました。任期は 2 年間とのことで
うか」と強く勧められました。しかし、私は洗礼
すので、何とか全うできれば感謝と考えておりま
を受ける勇気がありませんでした。
す。あまり肩に力を入れずに、一人でも多くの方
大学卒業後は銀行系のシンクタンクで経済や産
と「奉仕」と「分かちあい」をすることができれ
業の調査を行っていました。このころはあまりキ
ばよいのかなと思っています。
リスト教について考えることはありませんでした。
壮年会は会の規定があるわけでもなく、老若男
そうして 20 年近く経って、時は突然やってき
女の区別なく、皆が気楽に集まれる会と考えてい
ました。それは 1995 年の 6 月ごろだったと思い
ますので皆さん奮ってご参加下さい。
教会には
「し
ます。仕事から帰宅し、テレビを見ると、ある信
きたり」が色々あるようですがそれには全く無頓
託銀行の行員がアイスピックを持って山形行きの
着でもあり、新しい息吹をどんどん取り入れれば
旅客機をハイジャックしていることを放送してい
よいのではないかな・・・と考えております。
ました。今でもはっきり覚えています。
7
一緒に奉仕していただいております副会長はO
会との交流も進めておりますので、さらに交わり
さん、Iさん、会計はSさんと、みなさん教会では
が深められればと願っております。
ベテランの方ばかりですので、安心して私のボケ
壮年会の主行事のハイキングは、往年のハイカ
とドタキャンの後押しをしていただいており、と
ー、Wさんに企画をお願いし、今回は丹沢の仏果
ても心強く感謝いたしております。
山―高取山―宮ヶ瀬湖・ダムの踏破というイベン
トでした。
さて、壮年会の役割ですが、一言で云えば教会
二俣川教会ヨゼフ会や磯子教会のSさん、Mさ
の行事が催される際の裏方の存在です。みなさん
んにも声かけさせていただき、男性14名、女性3
への声かけから荷物運びといったところです。年
名の総勢17名の大パーティーでした。教会学校リ
間の行事は、バザー、ハイキング、定例会であり、
ーダーのK.IさんやK.Mさんらの若∼い女性の応
忙しいのは主として焼き鳥やバーベキューですが
援参加もあり、普通であれば、おじさんはみんな
それなりに準備等々で盛り上がることも多く、こ
「十字架の道行」となるところですが、今回は我
なしております。定例会では壮年会の皆様から、
負けじとがんばる美しい姿、そして自然の景観を
とても心引きつけるお話をちょうだいする「分か
満喫できるすばらしいハイキングとなりました。
ちあい」の場を設けております。今まで、Oさん
無事帰還できたことを神様に感謝しつつ、その景
の「数学的発想」、Tさんの「東海道中膝栗毛」
観を写真で
「分かちあい」
をさせていただきます。
と経験を踏まえた興味あるお話しをしていただい
ており、それぞれ新鮮な話であり、とても心に強
く残る交わりを感じています。ケンズ神父様には
夜遅くまでおつきあいいただき、とても感謝いた
しております。
保土ヶ谷教会の特長は、奉仕を通して、一人に
偏るのではなく、少しでも多くの方が役割を担い
奉仕をして信仰を強めていただくことも大切なこ
とと感じております。
バザーを終えて
バザー委員長 松木英雄
バザー委員の人選がなかなか決まらず、例年6
月頃にはスタートしているバザー委員の顔合わせ
が9月になってしまいました。
私が委員長をすることになりましたが、暗中模
索といった状態で、何から手をつけてよいのか分
一人でも多くの方に役割の奉仕をしていただ
からず、それでも集まったバザー委員の一つ一つ
ければと考えておりますので、声かけをどんどん
の提案、意見を積み重ねながら少しずつ形になっ
いたしますので、お手伝いただける方はご遠慮な
てきました。
くお声をおかけ下さい。また、壮年会として他教
8
いました。
山手教会の飯野
神父さまによる
「神さまを賛美す
る日として今日一
日をささげたいと
思います」との祈
りにより開会しました。
講演会やビテオ上映会は、私たちの現代の信仰
生活がいかに多くの祈りと神さまの計らいの上に
成り立っているかを実感するものでした。
「バザーを楽しもう」というスローガンを決め
たものの、
その中身をどうしようかと悩みました。
「親父バンド」「フラダンス」「ビンゴ」と皆様
再宣教は、国家権力との結びつきのない宣教活
動であり、何もないところから、言葉風習をはじ
のご協力のおかげで、舞台での催し物が決まりま
め宣教方法を日本開国 20 年前から準備していた
した。
そうです。
休憩所がお御堂の裏側の目立たない所にあり、
再宣教を担ったパリ外国宣教会の宣教師たちは、
休憩する人も少なかったのですが、中央の賑やか
日本人のために命も私
さに比べ語り合う場としては、よかったと思いま
切支丹禁止のお札
す。「初めての人との出会い」、日頃、顔だけは
財も投げ打ってくださ
いました。また、フラ
会わせていても、あまり話したことのない人との
ンスの一般信徒たちか
出会いもあったように見受けられました。そんな
らのお祈りや献金とい
出会いを通してより深く知り合うことこそ「バザ
う支えもありました。
ーを楽しもう」の本来意図したものだったと気づ
外国人のためと表向
かされました。
Photo by K
多くの出店の方々、前日の朝から用意された婦
きに謳った教会に「天
主堂」としたのは、宣
人会の方々、そしていつもながらテントの準備を
教再開を潜伏キリシタンに知らせるためだったそ
していただいた壮年会の方々、舞台を作っていた
うです。
「日本改宗のための祈りの会」
では、
毎日、
だいた方々、多くの人に感謝いたします。
祈って祈って祈ったとい
「有難うございました」
います。
最後に退出される
梅村司教さま
ラファエル梅村司教さ
まの司式で、感謝ミサが
横浜天主堂・日本再宣教
150周年講演会・感謝ミサ
執り行われ、会場は神の
愛に対する感謝と喜びに
包まれました。
まさに祈りの上にた
11 月 24 日、横浜天主堂・日本再宣教 150 周年
講演会・感謝ミサがパシフィコ横浜国立大ホール
てられた横浜天主堂です。
で行われました。総勢約 4,000 人、保土ヶ谷教会
不安定な現代社会、先人の宣教活動にふれ、私た
からは、ケンズ神父さまと約 100 人がごミサに与
ちも信仰と宣教について姿勢を正したいと思いま
りました。宮内神父さまと岡野神学生もいらして
す。
9
(広報委員会)
ない。
“交わりとしての教会をめざして”
・ 教会で暫く顔を見ていない班内のメンバーに
(第 2 回)
は声をかけてみたい
ワーキンググループ 共同体の将来を考える会
間野宏一
・ 近隣の受洗者や転入者と接触の機会を積極的
に持つべき
・ 同じ班の方がどこに住んでいるのか、(位置情
「共同体の将来を考える会」(ワーキンググルー
報を落とし込んだ)マップを作ってみたら身
近に感じられるのではないか
プ:以下「WG」)では、“交わりとしての教会を
めざして”行っている取り組みについて、皆様に
・ 教会へ来られない方の送迎補助を行ったり、
広く知っていただきたく、前号よりお知らせを始
1 台の車に皆で乗るように声を掛け合う
・ 班での活動にはあまり積極的になれない。そ
めています。
同様の趣旨から、今年 4 月から7月にかけて、
WG メンバーが各班の集いに参加し、考える会の
れ以外の場で、何か教会内の活動をしてみた
いのだが、なかなか機会がない
・ 各年齢層の活動と、全員参加型の活動をうま
活動の目的と、
「交わりとしての教会」
「共同宣教
くミックスすることが重要 etc.
司牧」について説明する時間をいただきました。
これについては短い時間にできるだけ多くのこ
皆さんが様々なご意見・アイデア(課題又はその
とを伝えようとしたため、分かりづらかったとい
解決策)をお持ちであることは、この内容からもよ
う反響(?)をいくつかいただきました。
しかし、一昨年春の WG 開始以降、昨秋の信徒
く分かりました。WG ではこれまで、各グループ
総会、そして今年の班の集いで、保土ヶ谷教会の
の代表者や委員会参加者とともに保土ヶ谷教会が
将来像について検討しているということを、多く
抱えている課題を抽出するという作業を行ってま
の信徒の皆さんにお伝えして、まずは「何かやっ
いりましたが、近いうちに、班の集いの場におい
ているのだな」
「みんなで検討しなくてはいけない
て、
この課題の洗い出しとそれを整理する作業を、
のかな」という印象を持っていただくだけでも十
同じ班に所属する皆さんとともに行う機会を作っ
分だったと考えています。
てみたいと考えております。およそ 9 年前に行っ
たワークショップを覚えていらっしゃる方も多い
共同宣教司牧は、信徒各々がそれぞれできる範
と思いますが、今回は新たなメンバーとともに、
囲において、家庭で、社会で、教会で、神様から
具体的なテーマを掲げつつ、あらためて各班内で
与えられた使命を自分の役割として果たしていく
分かち合いをする機会を持ちたいと思います。
ことを基本とする考え方です。
今年の班の集いで、
「班」という単位から考えてみた「共同宣教司牧」
計画はこれからですが、保土ヶ谷教会の全員で、
「交わりとしての教会」について、課題や解決策
進むべきビジョンを作り上げていくための大切な
をお聞きしてみました。以下に皆さんからいただ
機会の一つとなります。実現の際には是非、ご参
いたご意見をいくつか紹介させていただきます。
加ください。よろしくお願い致します。
・ 班長や副班長を同じ方に長い間任せているの
は心苦しいが、自分がやるとなると考えてし
まう
・ 家庭会を復活させるべき
・ 電話連絡網で、自分の前・後の人の顔を知ら
10
朗読台はいわば「みことばの祭壇」です。ポイ
あい
らぶ
ントは、
「聖書朗読」を大切にして欲しいというこ
ミサ
とです。奉仕者もミサ前に読んで考え、味わいま
二つのお恵み
しょう。そして朗読台に立ったら、読むことでは
なく、伝えることを考えましょう。
きょうは、ミサの中
「伝えたい気持ち」があれば、おのずと声が大
での「ろうそく」につ
きくなり、ゆっくりと語れるようになりますね。
いてちょっと考えてみ
ましょう
同時に、会衆も単に朗読として聞くのではなく、
ミサが始まる時、従者が香部屋からろうそくを
「みことば」
として聞くように、
考えてください。
持って出て来ます。そのあと聖堂の外でろうそく
主の食卓でご聖体をいただくのと同じように、み
には火がつけられ、鐘が鳴ると司祭らが十字架に
ことばを味わいましょう。
先導されて入堂し、ろうそくは朗読台に置かれま
す。
典礼研修会で、
「聖書朗読を今一度、いっそう大
切に考えましょう」とのお話がありましたのでご
ミサが始まり、ことばの典礼が終わると今度は
報告させていただきます。
ろうそくは祭壇に移されます。保土ヶ谷教会では
(典礼委員会)
このようにろうそくが移動しますが、ミサのはじ
めから最後まで祭壇に置いたままの教会もあるよ
うです。
ではろうそくはなぜ移動するのでしょうか?
本の紹介
なんとなく、解りますね。聖書朗読と御聖体、こ
の二つがミサの中でのお恵みだからです。決して
今回は、絵本を 2 冊ご紹介します。絵本といっ
御聖体をいただくことだけがお恵みではないので
てもあなどるなかれ、大人も十分に味わえると思
す。
います。
『神の道化師』
次に「聖書朗読」について、少し考えてみまし
ょう。ある教会では聖書朗読の間は「聖書と典礼」
を見ないことになっているそうです。それは、朗
トミー・デ・パオラ作
ほるぷ出版
読を聞くことに集中するためです。
舞台は昔のイタリア。
また、
「聖書と典礼」をひと月分あらかじめ、ま
ジョバンニ少年は孤児で
とめて配布してしまう教会もあるそうです。こち
したが、得意の技で旅芸
らもミサの時はみことばを聴くことに集中するた
人の一座に加わりその名
めだそうです。
(決して、ミサ中に「聖書と典礼」
を開いて読むことを否定するわけではありませ
声は国中に広まります。
やがて長い年月が流れ、
ん。
)
年老いた彼の黄金時代は
終わったかのようでした。しかし、本番はこれか
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らだったのです。
フランスに古くから伝わる民話をもとに、作者
ようこそ保土ヶ谷へ
が心をこめて語りなおしています。
遠藤桂一郎さん
みなさん、はじめまして!
『ジョットという名の少年』
すでに間の抜けた挨拶ですね。半年ばかり前に
パオロ・グアルニエーリ(文)
ビンバ・ランドマン(絵)
西村書店
皆さんの前でケンズ神父様より紹介されたばかり
でした。
「ここへ来る前はどこにい
たの?」「どこから来たの?」
この絵本、一見、茶色系の地味な印象ですが、
とよく聞かれます。
「静岡から
グラデーションの妙というのか、不思議と明るさ
です」などと答えてしまい、
を感じさせる美しい絵本だと思います。
質問の意味が「どこに所属し
ていたのか」と分かるまで時
ジョットは13世紀のイタリアに実在し、ルネサ
間がかかりました。
ンスのさきがけとなった著
30 年ほど前に溝口教会に所属していましたが、
名な画家です。この絵本は、
両親が転勤を何度もしているうちに、教会自体か
彼が偉大な画家になる前の
ら足が遠のいてしまいました。その間に祈りの言
エピソードとして伝えられ
葉も文語体から口語体に変化しており、内容自体
た話を描いたもので、少年
は覚えていても表現が変わっているためミサの度
の「絵が好き!」というい
に戸惑っています。
じらしさがひしひしと伝わ
しかし、歌手としてクラシック音楽(歌曲やミ
ってきます。
サ曲)を歌っている時は教会に通っていなくて恥
ずかしいなあ、と思いながらも「私には歌う権利
ルネサンスは、中世のキリスト教の束縛から人
と理由がある!」と思っていました。
間を解放したと言われますが、ジョットをはじめ
すでに山登りに誘われ、バザーでのたこ焼き作
多くのルネサンス画家たちが描いた作品が、生き
業も体験させてもらい、この教会は実に活動的だ
生きとしたキリスト教の本質を後世に伝えたとい
なあと感じています。
うことも事実ではないでしょうか。北イタリアの
来年からは聖歌隊のお手伝いをさせていただく
パドヴァにあるスクロヴェーニ礼拝堂の内部を埋
ことになり、みなさんと一層親しく交わえること
め尽くす、ジョットが描いた聖書の物語の壁画群
を楽しみにしております。
は、写真集で見ても圧倒的な迫力です。
どうぞよろしくお願いいたします。
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最後に俳句を十句
真夜中のおぼろにかかる満月か
キリキリともののあはれを歌うのか
こぼれ落つピンクの萩は歩道わき
青空の散歩すがしき山の上
三色のかわいらしきはポーチュラカ
保土ヶ谷にこんな景色があったのか
赤とんぼくずのまわりをたのしげに
あちこちと繁った森の保土ヶ谷か
リッリッリッとどこまで続く夜中かな
クレーンは暑さをよそに平然と
宮崎 孝
編 集 後 記
みなさま、教会報「ほどがや」クリスマス特集
号をお届けいたします。今回は教会内からも、日
頃、保土ヶ谷教会と係わりの深い外部のかたから
も、多くの寄稿を賜り、クリスマスにふさわしい
メッセージを伝えることができると思います。
ありがとうございました。
(広報委員会)
編集・発行
保土ヶ谷カトリック教会広報委員会
お問い合わせ Tel 045-331-2317
発行所
保土ヶ谷カトリック教会
ホームページ http:/hodogaya.catholic.ne.jp
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