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国産最初の産業用ロボット生産開始
国産最初の産業用ロボット生産開始 川崎重工業株式会社 世界で最初に産業用ロボットの基本概念を発表したのは、米国のG.C.デボルで あるとされている。 彼は単純繰り返し作業に従事する多数の作業者の自動化に着目、 1954 年に出願した特許の中で、プレイバックロボットの概念を示した。 この特許に注目 した米国人が後に“ロボットの父”とも呼ばれるJ.E.エンゲルバーガーである。 彼は、産業用ロボットを開発するベンチャー企業“ユニメーション社”を起こし、 世界初の本格的な産業用ロボット “ユニメート”を試作し、主として自動車 工場向けに実用化していった。 1967 年川崎重工業(当時は川崎航空機) は、この全く独創的な機械“ロボット“の 将来性に大いなる可能性を見出し、 ユニメーション社と技術提携交渉を開始 した。 翌 68 年 10 月、技術提携契約を 締結するとともに、社内に設置していた “IR 国産化推進室”メンバー全 14 名で 日本のロボット事業の第 1 歩を踏み出した。 写真1.世界初の産業用ロボット “UNIMATE” 1969 年 3 名の技術者が渡米し技術修得する一方、サンプルマシン“ユニメート 2000” の製造技術研究を行い、同年 5 月には国産産業用ロボット“川崎ユニメート 2000 型” の第1号機を誕生させるに至った。 この記念すべき 1 号機は当社のロボット工場(明石市)の玄関に展示されている。 翌 1970 年には国産化推進室は、 “省力機械部”に昇格し、陣容を 84 名 に増強するとともに、明石工場にロボッ ト工場が落成し、名実ともに産業用 ロボットの生産体制が整った。 当初は、 ユニメーション社の設計をそのまま 踏襲したが、その性能・信頼性は、厳し い使用条件を要求する日本の自動車 工場などでは問題があり、特に信頼性 写真2.国産初の産業用ロボット“川崎ユニメート” 評価を示す MTBF(平均故障間隔時間)は 1000 時間以下であり、しばしば故障すると いう状態であった。 現在の MTBF が 8 万時間であることを思うと隔世の感がある。 し かし顧客 技術者た ちの 川崎ロボ ットに 対する熱い期待は変わることがなく、 ロボット部門の改善意欲も留まることを知ら なかった。 この両者相まっての可能性追求の 熱意と努力こそ、その後 川崎ロボットが大量 に導入されることになった基本的な要因であ る。 写真3.磁気ドラム記憶装置 なお、同年 9 月、第 1 回産業用ロボット展が 東京・晴海で開催され、当社が出展した“2000 型” は来場者の注目を一身に集める人気を博した。 このように産業用ロボットが事業としての 発 展 が 見 え た 翌 1971 年 、 関 係 会 社 に よ る “産業用ロボット懇談会”が組織され、 今日のロボット工業会に発展していった。 写真4.第1回ロボット展での川崎ロボット 参考文献:“明石工場 50 年史”川崎重工業株式会社 1990 年 10 月発行