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本文ファイル - 長崎大学 学術研究成果リポジトリ

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本文ファイル - 長崎大学 学術研究成果リポジトリ
NAOSITE: Nagasaki University's Academic Output SITE
Title
グローバル化における日本医薬品企業の経営戦略に関する一考察
Author(s)
宮崎, 勝年
Citation
Nagasaki University (長崎大学), 博士(経営学) (2010-03-19)
Issue Date
2010-03-19
URL
http://hdl.handle.net/10069/23186
Right
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http://naosite.lb.nagasaki-u.ac.jp
博 士 論 文
グローバル化における日本医薬品企業の経営戦略
に関する一考察
平成 22 年 1 月
長崎大学大学院経済学研究科
経営意思決定専攻
宮崎 勝年
グローバル化における日本医薬品企業の経営戦略
に関する一考察
宮崎 勝年
グローバル化における日本医薬品企業の経営戦略に関する一考察
宮崎
目
序論
勝年
次
本研究の目的と構成・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
1
第 1 章 グローバル化と日本医薬品企業・・・・・・・・・・・・・・・ 4
第 1 節 グローバル化と日本医薬品企業 ・・・・・・・・・・・・・ 4
第 2 節 医薬品グローバル市場の特質・・・・・・・・・・・・・・・15
第 2 章 日本医薬品産業の特質・・・・・・・・・・・・・・・・・・・19
第 1 節 「医薬品」の製品としての特質・・・・・・・・・・・・・・19
第2節
第3節
医薬品研究開発プロセスの特質・・・・・・・・・・・・・・26
日本医薬品産業の特質・・・・・・・・・・・・・・・・・・29
第 3 章 日本医薬品企業におけるグローバル化の戦略パターン・・・・・37
第 1 節 「医薬品産業ビジョン」から見る日本医薬品企業戦略・・・・37
第 2 節 日本医薬品企業のグローバル化に関する事例研究・・・・・・44
(1)武田薬品工業・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 44
(2)萬有製薬・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 58
(3)中外製薬・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 67
第 4 章 日本医薬品企業の経営戦略・・・・・・・・・・・・・・・・・74
第 1 節 日本医薬品企業のグローバル戦略・・・・・・・・・・・・・74
第 2 節 日本医薬品企業の選択肢・・・・・・・・・・・・・・・・・85
第5章
本研究の結論と今後の課題・・・・・・・・・・・・・・・・・97
参考文献・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・99
付録・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・104
謝辞・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・110
序論
本研究の目的と構成
まず本研究の分析対象を明確にしておく。医薬品には大きく分けて医療用医薬品と一般
用医薬品とがある。これらは研究開発の方法、販売の方法は大きく異なっており、全く違
う事業ドメインである。
本研究は、前者の医療用医薬品を分析対象においたものである。医療用医薬品とは医師
によって使用され、医師が出す処方箋もしくは指示によって患者が使用する医薬品であり、
病院、診療所を介してしか購入できないものである。一方、一般用医薬品は消費者が自分
の判断にて薬局等で購入できるものである。厚生労働省「薬事工業生産動態統計」による
と、2005 年の日本医薬品市場は全体で 7 兆 5635 億、その内、6 兆 9030 億が医療用医薬品
である。実に 90%近くを医療用医薬品が占めており、本研究も医療用医薬品を分析対象に
進めて行く。
世界の医薬品市場は 2005 年で約 60 兆円の市場規模であり、
そのシェアはアメリカ 44%、
日本 11%、欧州 29%、その他 16%となっており、単独の国ベースで言えば日本は世界第 2
位の市場規模となっている。
図 1-1
世界の医薬品市場規模
1994年
Rest of
World
18%
1998年
Japan
21%
Rest of
World
16%
2005年
Japan
16%
Europe
26%
Europe
27%
Japan
11%
Europe
29%
N.A merica
34%
2,524億ドル
Rest of
World
16%
N.A merica
42%
3,332億ドル
N.America
44%
6,014億ドル
出所:厚生労働省医政局経済課監修『創薬の未来』2007 年、p.130 より
しかし、日本医薬品市場は世界第2位の市場であるが、厚生労働省の試算によると 2005
年度に 33 兆円とされる国民医療費は、制度改革を行った後でも 2025 年に 56 兆円まで達す
ると予測され、医療費は年々膨張して行く事が想定されている 1)。日本政府は、病気がちな
高齢者が増加する中で医療費は増加の一途を辿り、国としても医療費を抑制して財政の逼
迫度合いを緩和しなければならない状況から、医療費抑制政策を推進しなければならない。
1
) 厚生労働省「医療給付の将来見通し」http://www.mhlw.go.jp/bunya/iryouhoken/iryouhoken02/01.html
1
具体的には、医療に対する薬剤使用の比率を下げる方策(公的保険によるDPC 2)の普及)、
先発医薬品が特許の切れた後発品医薬品 3 )に切り替える方策や患者さんに処方される医薬
品を保険償還時に少数しか認めない方策、また今まで公的保険で認めていた医薬品を一般
用医薬品に移行させて公的保険の請求を軽減するなどの方策を実施している。また平成 19
年度「高齢社会白書」によると、今後の日本の総人口は長期の人口減少過程に入り、2025
年に人口 1 億 2,000 万人を下回った後も減少を続け、2046 年に 1 億人を割って 9,938 万人
となり、2055 年には 8,993 万人になると推計されている 4)。以上のように長期的には日本
医薬品市場は拡大よりも縮小方向に向かっている。
さらに政府は 2007 年の「骨太方針」で後発医薬品の比率を 3 割とする目標を掲げている
ため、具体的に厚生労働省は、2013 年度までに全国 145 ヶ所の国立病院で使用する後発医
薬品の比率を数量ベースで現在の 2 倍以上に引き上げる方針を決めている。比較的規模が
大きい国立病院での使用例を示し、患者や医師に根強い後発医薬品への品質に対する抵抗
感を和らげ、低価格の後発医薬品の普及を促し、医療費抑制に繋げる狙いがある。この後
発医薬品への切り替えは、日本医薬品企業の収益に大きく影響する 5 )。加えて、近年日本医
薬品市場における欧米医薬品企業のシェア拡大により、日本医薬品企業が獲得できる市場
シェアは小さくなってきている。
日本医薬品市場は、医薬品研究開発、製造に医薬品企業全体が共通する規制に加え、従
来は医薬品卸などの流通も国内の医薬品企業別の系列に色分けされており、欧米医薬品企
業または国内の異業種(食品、化学など)企業も参入しにくい特質を成していた。そのた
め欧米医薬品企業が海外で画期的な新薬を開発しても、そのほとんどが日本医薬品企業と
の合弁販売会社を作る、又は販売委託の形で契約しない限り、日本市場には参入できなか
った。
そのため欧米医薬品企業の中でもファイザーやアストラゼネカは、前述した日本医薬品
市場の特質に対応して、古くから日本市場に取り組み、地道に売上げを上げて、確固たる
基盤を構築している企業もある。また米メルク社のように萬有製薬を 100%子会社として日
本市場に取り組んでいるケースもあり、その取り組み方は様々である。
ところで従来の欧米医薬品企業は、M&A による規模の拡大によって成り立ってきた側面
がある。しかし、従来の欧米医薬品企業のビジネスモデルが成功を続けるには、ブロック
バスターと呼ばれる大型新薬を絶えず開発、発売する事が前提条件であるが、医薬品の研
究開発のリスクは高く、世界的に新薬候補品が枯渇しつつある。
さらに、医薬品の研究開発は 10 年以上の長期間を要し、1つの医薬品に多額のコストが
かかり、新薬を投入するためには継続的に研究開発ができるだけの規模とコストを吸収で
2)
DPC:DPC とは、Diagnosis Procedure Combination の略で、従来の診療行為ごとに計算する「出来高払い」方式
とは異なり、入院患者の病名や症状をもとに手術などの診療行為の有無に応じて、厚生労働省が定めた 1 日当たりの診
断群分類点数をもとに医療費 を計算する新しい定額払いの会計方式
3) 後発医薬品:特許期間が消失した際に発売される医薬品
4)www8.cao.go.jp/kourei/whitepaper/w-2007/zenbun/html/j1112000.html
5)日本経済新聞 2009 年 3 月 26 日
2
きるだけの企業体力が必要とされてきた。日本医薬品産業と米国医薬品産業の売上高研究
開発比率を比較検討すると日本医薬品企業1社当たりは 2006 年で 14.8%、米国企業1社当
たりは 16.2%とさほど変わりはないが、金額で見れば日本企業1社あたり 858 億、米国企
業1社あたり 4069 億と 5 倍程度の開きがある 6)。このように研究開発の規模においても日
本医薬品企業と欧米医薬品企業では企業体力が大きく違い、その結果として生み出される
医薬品の数においても海外から日本市場に導入されている数が増加し、欧米医薬品企業の
日本医薬品市場におけるプレゼンスが高まってきた要因の1つとされている 7)。
今後、日本医薬品市場が規制緩和を受けて、日本医薬品市場がグローバル市場の一部に
なって行く可能性を考えると、日本医薬品市場における欧米医薬品企業のプレゼンスの上
昇を踏まえ、今後日本医薬品企業が成長、存続するために国内だけに留まるのか、海外展
開を拡大して行くのか、その経営戦略が求められる。
本研究は、日本医薬品企業が、どのようにして経営戦略を立てて行動すべきかについて
考察する事が大きなテーマである。
欧米医薬品企業のビジネスモデルを全面的に取り入れるという戦略も1つの選択肢とし
てはとしては考えられる。しかし、第 3 章で示すように 2005 年度の世界医薬品企業の売上
高(規模と業績)で見ると、日本最大手の医薬品企業である武田薬品工業でも 17 位であり、
欧米医薬品企業のように規模を追求したとしても相当の時間と費用、加えて新薬開発費用
をかけなければならないため、大きなリスクを抱え込む事も想定しなければならない。
本研究は、以上のような状況を踏まえ、第1章において日本医薬品企業についての現状
と分析を行い、第2章で日本医薬品市場の特質や日本医薬品企業の特質、医薬品の製品と
しての特質について検討を加えた。
さらに第3章では、厚生労働省の「医薬品産業ビジョン」を踏まえ、グローバル化に対
する活動の方向性を見出すため、日本医薬品企業の中でグローバル化に積極的な企業を取
り上げてケーススタディを行い、その傾向を導き出し、日本医薬品企業のグローバル化に
おける選択可能な経営戦略を明確にする。
第4章では、前章からの日本医薬品市場におけるグローバル化と医薬品産業の特質につ
いての分析、それに加え代表的な日本医薬品企業の3社のケーススタディを踏まえ、日本
医薬品企業のグローバル化における経営戦略の選択肢を提示するために、競争戦略と提携
戦略について定義し、その先行研究とそのフレームワークを確認し、日本医薬品企業の経
営戦略の選択肢を考察する。
第5章では、本研究の要約に加え、今後の課題を示し、日本医薬品企業グローバル戦略
を示して行く。
) 日本製薬工業協会[2008]、pp.36-72
) 吉森 [2007]、p.270
6
7
3
第1章
グローバル化と日本医薬品企業
第1節
グローバル化と日本医薬品企業
医薬品の創製は、科学技術の急速な進歩によって、多くの病気の克服、寿命の延長に始
まる大きな恩恵をもたらし、加えて交通手段や IT の急速な発達を背景として、グローバル
化が進展した事によって、さらに世界中に恩恵をもたらしている。
グローバル化の一般的な定義は、「ヒト、モノ、カネ、そして情報の国境を越えた移動が
地球的規模で盛んになり、政治的、経済的、あるいは文化的な境界線、障壁がボーダレス
化する事によって、社会の同質化と多様化が同時に進行すること 1)」であり、また佐和[2001]
は「グローバリゼーションとは、単に経済にのみかかわる現象ではなく、政治、技術、文
化など、人間社会のあらゆる側面において同時進行しつつある、地球規模での均質化へ向
けての過程を意味する。グローバリゼーションが極限まですすむか否か、いいかえれば、
地球規模での均質化が実現するか否か、そしてまた均質化が必要なのか否かについては、
意見の分かれるところであろう。しかし、プロセスとしてのグローバリゼーションの進行
は、それを食い止めようと、いくらあがいてみても仕方のない、不可逆的な現象なのであ
る 2)」と指摘している。
グローバル市場でボーダレス化が進行して行く 21 世紀においては、医薬品産業を含めた
ライフサイエンス分野を、各先進国で経済発展の牽引分野の1つと位置づけ、国家戦略と
して取り組みを強化している。科学技術は経済成長をもたらす重要なものであり、公的資
金の政策的投入や企業の研究開発投資の増大、研究支援を推進する制度改革が各国で進ん
でいる。
日本企業でもグローバル企業の場合は、電機、自動車産業に代表されるように地球全体
を市場とし、それを1つの単位として捉え、世界中に製造、販売、調達、研究開発拠点な
どを設置し、経営活動を行っている。医薬品産業においても、他産業に比べて高い研究開
発リスクと人体に直接影響があるために、承認に至るまでに様々な規制を多く抱えていな
がらも、世界各国での最先端の研究成果をいかに効率よく利用し、スピードを上げて医薬
品開発を行い、世界各国で販売活動を拡大展開し、収益の最大化を図って行くかが重要で
ある。
実際に世界の売上高の上位企業にある医薬品企業の全てがグローバルに研究開発や販売
等の事業活動を展開しており、すでに新薬の世界同時開発・販売が主流になってきている。
このような状況において、欧米医薬品市場のみならず、新興国である東ヨーロッパやアジ
ア等を含めた国際共同治験 3)が世界規模で進んでいる。
八木・大久保[2008]は、国際共同治験の新興国における実施が進んできた要因について 3
1
)『経済辞典第3版』有斐閣 1998 年p.280
) 佐和[2001]、pp.190-191
3) 国際共同治験:1つの試験を行う上において、実施国の数が2つ以上で行われている試験
2
4
つの点を指摘している。第1に被験者の確保である。開発競争が激化し、治験に必要な被
験者数が増加する中、アメリカなどの治験先進国においては、治験に必要な被験者を短期
間で集める事が容易ではなくなってきている。そのため、新興国で多くの被験者を確保す
る必要性が高まっている。第2に開発コストの軽減である。先進国に比べて相対的に開発
コストの低い新興国での治験を増加させる事は、開発コスト全体の軽減に対して効果的な
手段の1つとして考えられる。第3に新興国としての市場性の位置づけの向上が考えられ
る 4)。
他方、こうした急速なグローバル化の時代の中で、世界各国でイノベーションの重要性
への認識が高まってきており、産業の国際競争力を高めて行く上で、研究開発の成果を速
やかに国内外の市場へ届け、経済的、社会的価値への転換につなげるため、発明、技術革
新、基礎研究の成果の実用化等のプロセスにおいても ISO、ICS に代表されるような国際
的ルールの統一の形成も必要である。
以上のような背景から、自動車、電機を始めとしたグローバル企業と同様に日本医薬品
企業のグローバル化は避けられない状況にあり、この節では日本医薬品企業のグローバル
化について、第1に「規制緩和から見たグローバル化」、第2に「日本医薬品市場における
外資系医薬品企業のプレゼンス上昇からみたグローバル化」、第3に日本医薬品企業の「海
外売上比率から見たグローバル化」という3点から、日本医薬品市場に大きな変化が伴い、
日本医薬品企業がグローバル市場において活動を展開しなければならない必要性について
考察して行く。
まず第1に「規制緩和から見たグローバル化」について考察する。一般に日本市場全体
の特質を考える上で、藤野[2000]は 90 年代に急速に拡大している外国企業の対日投資を「価
格破壊=低価格志向型」
、「規制緩和=新市場対応型」、「リストラ支援=グローバル戦略型」
という3つの類型で捉え、特に「規制緩和=新市場対応型」において、従来規制などのた
めに新たな進出が難しかった事業分野において規制緩和が進んだ結果、新たな市場機会が
一気に出現するため、チャンスに積極的に対応しようとする企業が国内外から参入してい
る 5 )」ことを指摘している。
長銀総研調査[1994]によれば、
「外資系企業にとって対日投資が困難な理由として①30 年
以上にわたる様々な外資参入規制②株式持ち合いなどを背景にした売上げ成長志向・低利
益許容の競争環境③系列取引等の長期継続的な日本的商慣行④地価・税率・採用等の事業
運営上の高コスト⑤外国企業側の戦略⑥外国企業側の努力不足 6)」の6つの理由を挙げてお
り、日本市場が規制、独特の商慣行で守られてきた点を指摘している。
次に日本市場の障壁構造について、ツィンコータ/ウオロノフの主張に基づいて、その特
質を考察して行く。日本の市場を輸入障壁の観点から見た場合、
「70 年代当時日本は、同じ
経済水準にある他国に比べて、製品輸入の割合が少なく、総輸入額に占める製品輸入の割
4
) 八木/大久保[2008]、p.1
) 藤野[2000]、p.158
6)長銀総合研究所[1994]、p.19
5
5
合は、1979 年にはわずか 26%にすぎなかった。これに対しアメリカではその割合は 58%
であり、EC諸国では 62%であった。同時に日本では国内総生産(GDP)に対する製品輸
入の割合はわずか 2%程度であったが、それはアメリカの水準の半分にしかすぎなかった。
このような数字は過去数十年間にわたって一定の水準のままに維持され、そしてまた製品
輸入が他の先進諸国に比べて低水準にあり、外国とは異なる特徴があった 7)」と指摘されて
いる。
さらに割合については、
「消費財の割合がわずか 20%以下であるに過ぎず、他の製品の大
部分は、資本財か中間財であり日本が独自の最終製品や機械類を生産するのに用いられる
製品であった 8)」と指摘している。
また通常の障壁は関税や輸入割当であり、
「1960 年代中頃において、実施されていた日本
の関税率は 21%もの高さに達しており、これは他の先進諸国と比較した場合、その当時で
はかなり高い水準であり、輸入制限品目の数もかなり残存し、工業製品では 50 品目、農産
物では 60 品目が制限品目 9)」とされていた。また関税や輸入割当の背後には、非関税障壁
が存在し、もっとも防御的な観点に立つ非関税障壁は、製品の安全性ならびに人体への健
康の安全性に関するものであり、それらは食品と医薬品の分野で特に厳しいものであった。
例えば、「当時新しい医薬品が海外から日本において承認される場合、輸入されるために
は、外国で評価、承認されたものであるにも関わらず、再度の臨床テストを日本にて実施
するだけでなく、事前の非臨床試験を反復して実施すること 10)」が必要であった。
つまり外国企業にとっては、自国の国家機関によってすでに証明されたテストでは承認
されないために、テストのための手続きを、もう1度最初からやり直さなければならなか
ったのである。さらにテストは「商品が到着した後で、日本の国内で行う必要があり、ま
た認可の証明書は、通常日本の代理店に与えられ、外国の製造業者に与えられなかった。
もし代理店を変更した場合には、その製造業者は、検査のための手続きをすべてもう1度
実施しなければならなかった 11)」としている。
加えてポ-ター、竹内[2000]は日本市場・産業において国際競争力の観点から、その持
続性に疑問がある事を指摘している。
グローバル市場において日本の国際競争力の特質は、第1にその競争力を持つ産業の数
が比較的少数であった事であり、第2に日本が競争力を有する産業においても、日本企業
の収益率が国際水準よりも慢性的に低かった事であり、第3に日本国内における産業別の
生産性に大きな格差がある事であり、国際競争力に富んだ日本(家電製品、自動車等)と
競争力に欠ける日本(農業、化学、日用品、医療製品、ソフトウェア等の製造業とサービ
ス産業全般)の2つの日本の要素を示し、その格差を指摘している 12)。
7
)ツィンコータ/ウオロノフ[1989]、p.6
)ツィンコータ/ウオロノフ[1989]、p.7
9) ツィンコータ/ウオロノフ[1989]、pp.8-9
10) ツィンコータ/ウオロノフ[1989]、p.8
11) ツィンコータ/ウオロノフ[1989]、p.11
12) ポーター/竹内[2000]、pp.8-14
8
6
さらに日本企業は「輸出できる程の競争力をつけるまでは幼稚産業として保護する必要
があるという名目の下に、貿易障壁やその他競争を抑制するような様々な規制によって守
られてきた。実際には、これらの産業は永久に競争力をつけることはなく、今でもその多
くは保護されたままである 13)」と指摘している。
ポ-ター/竹内は、「競争力のない産業は、総じて非効率である一方、多数の雇用を生み
出し、一種の社会保障制度としての役割を果たしてきた。様々な政府の政策や介入によっ
て保護されているために、これらの産業ではこれまで企業の統廃合やリストラクチャリン
グなどが起こらなかった。このような競争力のある日本とない日本の2つが存在してきた
事の帰結は、極端に高い生活コストである。いくつかの製品やサービスの価格水準を日本
と英国、米国間で比較すると、日本の価格水準があらゆる面で、非常に高いことを示して
いる。唯一の例外は、医療分野であり、この産業は政府の規制によってコストが抑えられ
ている一方、サービスの向上、治療方法のイノベーション、新薬の開発といった面では遅
れている 14)」としている。
宮内[2001]は、日本とアメリカを規制の面から比較し、
「70 年代から始まったアメリカの
規制撤廃は、規制産業の生産額でGNPに占める比率を 1988 年までに 6.6%まで低下させ、
それまで 17%だった規制比率を押し下げた。他方日本では、90 年代に入ってから漸く規制
緩和を進めてきたが、依然として護送船団方式が大きな勢力を保ち、日本の規制比率は 1995
年時点で 34.1%、2000 年時点でも 33.4%となっており、アメリカと比べて大きな違いがあ
る 15)。この護送船団方式はユーザーや消費者が求めていない商品やサービスしか作り出せ
ない企業でも、外からの競争を排除し、高い価格を認めることによって存続させなければ
ならない。そのため、創意工夫のない商品が存在したままで、かつ価格が高止まり、その
コストを負担しているのはユーザーや消費者になる。この護送船団方式によって、競争が
発生せず、イノベーションが起こらなくなると述べ、中でも金融業と医療分野はより統制
色の強い事業分野 16)」であると指摘している。
以上のように、日本市場そのものにおいて国際競争力がない産業は規制が強く、閉鎖的
な市場であるという特質があった。
次に日本医薬品産業について考察する。医薬品産業では「医薬品」という他の製品に比
べ、規制が強い製品特質を持っており、上記に指摘した日本市場における商慣行に加え、
医薬品製造販売承認を得るためには各国の医薬品承認基準に合わせた試験が行わなければ
ならなかった。そのため莫大な費用がかかる治験 17)を幾度も行わなければならない事から、
迅速な新薬普及の観点からも医薬品承認審査の基準の調和が求められてきた。
こうした背景から 1991 年に日・米・欧の薬務当局と業界団体による官民共同の会議がス
) ポーター/竹内[2000]、pp.8-14
) ポーター/竹内[2000]、p.13
15) 宮内[2001]、pp.22-23
16) 宮内[2001]、p.62
17) 治験:医薬品は、動物実験や臨床試験を行い、有効性や安全性を確認した上で厚生労働大臣に製造販売承認の申請を
行うが、この製造(または輸入)承認申請に必要な臨床試験を治験と称し、薬事法に定められている。
13
14
7
タートし、1993 年より日米欧の三極によるICH(日米欧医薬品規制調和国際会議:
International Conference on Harmonization of Pharmaceuticals for Human Use)18)によ
り、医薬品の品質、安全性、有効性についてのガイドラインが作られ、日本では 1997 年 4
月から改正薬事法により、
「医薬品の臨床試験の実施基準:GCP」が法制化され、1998 年 4
月より本格的な実施となった。この事により承認審査に関する基準の統一化が図られ、海
外で実施した治験データを一部活用する等の進展が見られた。
その代表的な例として「バイアグラ」のケースが挙げられる。バイアグラはアメリカ市
場で 1998 年 4 月に発売されたが、遅れる事わずか 1 年あまりの短期間で日本でも発売が可
能になった。この事は、ICH 以前の医薬品は各国の承認基準に合わせた試験が行わなけれ
ばならなかったが、主要国間での臨床データの相互活用が日本でも本格的に利用される事
になり、日本医薬品市場にとって画期的な出来事であった。
ICH によって、図 1-1のように日本は市場規模では世界第2位ながら、今までその市場
の閉鎖性と厳格な薬価制度を持つ市場であったが、アメリカ、ヨーロッパに加え、日本で
も医薬品の同時承認申請の体制ができつつあり、日本医薬品市場もグローバル市場の一部
に取り込まれる基盤が作り上げられた。
また 2007 年6月「規制改革推進のための3カ年計画」が閣議決定された。この計画にお
ける医薬品の規制改革については、国際共同治験(日本のみならず他の国々で共同の臨床
試験を行う事)をより活用する方針が示された。すでにICHの指針を踏まえたGCP等を遵
守して収集・作成された外国の臨床試験のデータは、国際共同治験も含めて日本における
承認審査資料として受け入れている。この計画は、日本の医薬品の開発・承認をさらに促
進するために治験データの受け入れ基準を明確にするなど、治験が早期かつ効率的に行わ
れるシステムの構築を行うよう促している。この国際共同治験は世界で同時に治験を実施
するもので、新薬の承認・発売を早める事ができ、世界における日本の医薬品産業の競争
力に繋がるものである 19)。
さらにこの計画では、欧米諸国で承認された医薬品について、日本での迅速な承認を促
進する事も示された。現在、欧米で標準的に使用されていながら、日本では承認されてい
ない医薬品も多く、迅速に日本の国民に提供できる様、今後専門家の意見を聞きながら、
医療上の必要性が高いものを対象に、必要な治験を早期に実施するよう指導するとともに、
優先的な承認審査などを行う事としている 20)。
また日本医薬品市場の独自の規制の1つに「薬価基準制度」がある。この薬価基準制度
は他の先進国と比べて特徴的であり、この事が欧米医薬品企業の参入障壁の1つと指摘さ
18) ICH:医薬品規制に関する世界共通のガイドライン作りを目指して活動する国際会議。新薬の許認可の基準は国によ
って異なるため、共通のガイドラインを定める事によって、国際間の調和を進めデータの相互受け入れを行う事を目的
に 1990 年 4 月に発足。これまでに 50 以上のガイドラインが合意され、各国で実施に移されている。構成メンバーは、
日米 EU 三極の医薬品規制当局と産業側の 6 つの団体、またオブザーバーとして WHO,EFTA(欧州自由貿易連合)、カ
ナダ保健省が加わっており、事務局を IFPMA(国際製薬団体連合会)に置いている。
19) 日本製薬工業協会[2008]、p.40
20) 日本製薬工業協会[2008]、p.40
8
れてきた。日本の薬価算定が公定価格であるのに対し、アメリカ、イギリス、ドイツでは
新薬の価格設定は原則として医薬品企業が自由に価格を決められる自由価格制度となって
いる。
現在の日本の方式では、新たに承認された新薬の薬価は「類似薬効比較方式」、「原価計
算方式」と呼ばれる方式で算定される。特に「類似薬効比較方式」では、すでに薬価基準
に収載されている医薬品の中から、効能・効果、薬理作用、組成・化学構造式、投与形態、
剤形区分、剤形・用法などから見て新薬ともっとも類似したものを比較薬として選び、1
日あたりに使用する薬剤の価格比較する事によって算定され、臨床試験のデータに基づく
画期性、有用性(有効性と安全性)
、市場性により加算されて行く方式である。
外国ですでに販売されている医薬品については、「算定された価格が外国の価格(アメリ
カ、イギリス、ドイツ、フランス)の平均の 1.5 倍を越える場合、または 0.75 倍未満の場
合は、算定された価格と外国平均価格を用いて調整される。この結果、日本の新薬の価格
は、外国価格に比べて低いものが多くなる傾向にあると言われており、その結果、価格を
自由に決められないことと相まって医薬品企業の新薬開発意欲を損なうことになる 21)」と
も指摘されている。
医薬品業界関係者と厚生労働省の間で「医薬品産業政策の推進に係る懇談会」において
薬価基準制度の改革の議論も行われている。厚生労働省は 2007 年8月に「新医薬品産業ビ
ジョン」を策定し、さらにその具体化に向けて、革新的医薬品・医療機器創出のための5
ヶ年戦略を踏まえアクションプランを取りまとめた。
このプランでは薬価制度、薬剤給付の今後のあり方について厚生労働省は「海外で我が
国よりも高い薬価が期待できる医薬品については、海外で先に上市(筆者注:製品を市場
に投入することを表す業界用語)した方が薬価算定に有利であり、国内先行開発に不利な
算定方式になっており、イノベーションを適切に評価し、国際的に競争力のある市場とし、
同時に医療保険財政の持続可能性を確保していくためには、特許期間中にリスクとイノベ
ーションに見合うリターンが得られ、かつ特許期間満了後は再審査期間を経た上で、後発
医薬品に着実に置き換わるという仕組みに向けた検討が必要である 22)」と指摘している。
現行制度の下では、特許が切れた新薬でも薬価は時間をかけてゆっくりと価格が下がっ
て行くために、日本医薬品企業の日本市場での経営基盤が一気に揺らぐ事はなく、競合医
薬品が出たとしても、医師との人間関係の強さなどによって市場支配力が強くなれば、医
薬品そのものの競争以外の要素が働くため、日本医薬品企業は当分の間、十分な利益が確
保できる状況にあり、その結果、他国に比べ後発品市場が未発達であった事も日本医薬品
企業の利益水準を保つ事に寄与してきた。
しかし新薬価制度になると、新薬価格決定制度の面でも海外の医薬品市場とほぼ同じ条
件が整うことになり、日本医薬品市場のグローバル化への推進が大きく進展する事になる。
) 日本製薬工業協会[2008]、p.27
) 厚生労働省医政局経済課[2007]、p.64
21
22
9
また医薬品製造の側面でも、欧米の基準に統一される状況にある。医薬品の品質を確保
するためには、原料の受け入れから最終製品の包装、出荷にいたるまで、十分な管理のも
とで作業が行われなければならない。国内では薬事法に基づく「医薬品の製造管理及び品
質に関する規則」と「薬局等構造設備規則」が定められており、これらを指して GMP(Good
Manufacturing Practice)と呼ばれている。特に「医薬品の製造管理及び品質に関する規
則」は 1994 年 4 月以降、メーカーの遵守事項から許可要件に変更されており、万が一、製
造管理や品質管理に不備があれば業務停止を命じられる。
日本国内で製造した医薬品を欧米へ輸出する場合にも、国内工場について欧米の薬務当
局 に よ る 査 察 を 受 け な け れ ば な ら な い 。 ア メ リ カ に は CGMP ( Current Good
Manufacturing Practice)と呼ばれ、世界で最も厳しいとされる生産管理基準が存在して
おり、冒頭で述べたjavascript:comment('../keyword/ich' , 'ich' , 4 )ICHで原薬の製造に関す
る「医薬品の製造管理及び品質に関する規則」の統一を目指して協議が進んでおり、医薬
品の製造分野にもグローバル化の波が押し寄せようとしている 23)。
以上のように、規制緩和が進展してくると、海外において承認されている医薬品が以前
と比べ日本市場に容易に導入しやすくなり、日本医薬品市場で欧米医薬品企業のプレゼン
スが上昇している大きな要因となっている事が考えられる。
第2に日本市場における「欧米系医薬品企業のプレゼンス上昇からみたグローバル化」
の進展について確認する。前述のグローバル化の大きな要因として挙げた規制緩和の点に
加え、日本医薬品市場そのものが革新性のない新薬開発体質を歴史的に抱えていたことが
もう1つの大きなポイントである。
戦後、欧米からの製品輸入や技術導入によってスタートした日本の医薬品企業は、1970
年代あたりから独自の開発力を高め、いまや海外で売上げ上位に入る医薬品も生み出して
きている。さらにICH javascript:comment('../keyword/ich' , 'ich' , 4 )による規制緩和で、
各国の医薬品企業と同様に海外展開に積極的に取り組みはじめている。
一方で、図 1-1 に示したように日本医薬品市場は、アメリカに次いで世界第 2 位の規模
を持つだけに、欧米医薬品企業の進出も盛んになってきている。
欧米医薬品企業の進出当初は日本医薬品企業と販売提携する形が一般的だった。日本の
医薬品市場は、研究開発規制に加え、以前は医薬品卸などの流通も日本医薬品企業系列に
色分けされており、外資系または日本国内の異業種(食品、化学など)企業は参入しにく
かった。そのため欧米医薬品企業が海外で画期的な新薬を開発しても、そのほとんどが日
本の医薬品企業との合弁販売会社を作るか、又販売委託の形で契約しない限り、日本医薬
品市場には参入できなかった。また「1951 年~1960 年当時は日本の医薬品製造は製造法特
許制度を採用していたため、同じ新薬でも製造法が異なる特許を日本で取得すれば、製造
販売することができ、このことが日本医薬品産業から画期的な医薬品ではなく、類似医薬
) http://www.seiyaku-navi.jp/tenbou/tenbou09.html
23
10
品が続出した原因ともなり、また多くの特許係争裁判も起こった 24)」と述べられている。
医薬品特許権の問題は「日本では製造法のみが特許として認められる制度(製造法特許
制度)によって日本医薬品産業は外国からの模倣であるとの指摘から、1976 年に新薬の物
質そのものが特許として認められる物質特許制度が施行されたため、この頃になり日本の
医薬品企業の研究開発が活発になってきたという歴史的背景がある 25)」と指摘されている。
欧米医薬品企業は次第に自社での販売力を整え、完全自販体制に移行する企業が増加し、
図 1-2 に示すように、欧米医薬品企業の日本国内での売上高のシェアはすでに 30%程度に
達しており、今後、javascript:comment('../keyword/ich' , 'ich' , 4 )ICHの合意がさらに進展
し、海外の臨床データがより利用できるようになれば、40%以上になるとも予想されてい
る 26)。
図 1-2
外資系企業の出荷金額の推移
金額(百万円)
構成比率(%)
40.0
8,000,000
総出荷額(A)A
外資系企業出荷額(B)B
構成比(B/A)B/A
7,000,000
6,903,045
6,338,697
6,031,303
6,000,000
5,747,667
5,201,578
5,316,683
6,617,437
5,699,119
29.5
5,516,845
5,380,674
35.0
32.7
30.8
5,868,638
5,652,621
6,520,58133.3
6,410,737
30.0
28.3
5,147,037
25.5
5,000,000
25.6
25.0
24.0
21.7
4,000,000
20.0
20.0
19.8
20.3
20.5
20.0
18.6
15.0
3,000,000
2,174,298
1,976,302
2,000,000
1,000,000
2,161,708
965,417
1,029,071
1,054,768
1,077,664
1,164,058
1,161,408
1,239,534
1,501,208
5.0
1991
2,034,224
10.0
1,793,590
1,540,548
1,322,789
1992
1993
1994
1995
1996
1997
1998
1999
2000
2001
2002
2003
2004
0.0
2005 (年)
出所:厚生労働省「新医薬品産業ビジョン」2007 年資料編 、p.11 より
表 1-1 に示すように日本医薬品市場における医薬品売上高を 2000 年と 2005 年を比較す
ると日本国内の医薬品市場のトップは武田薬品工業で、次いでアステラス製薬が2位にラ
ンクインしているが、欧米医薬品企業がより上位に進出し、そのプレゼンスが高まってき
ている事が明らかである。
また表 1-3 に示すように日本国内市場の伸びが鈍化する中で海外部門の業績が上昇して
いる企業が好調に推移しているほか、欧米医薬品企業、後発品医薬品企業の躍進が目立っ
ている。このうち欧米医薬品企業については、上位 20 社までに 6 社が、中でも第 3 位にフ
) 日本薬史学会[1995]、p.110
) 日本薬史学会[1995]、p.17
26) http://www.seiyaku-navi.jp/tenbou/tenbou07.html
24
25
11
ァイザー、第 5 位に中外製薬(ロシュグループ)、第 8 位にノバルティス ファーマの 3 社
がトップ 10 にランクインするなど、日本医薬品市場においてもグローバル化が進んでいる
様子が伺える。なお、アベンティス ファーマについては、2006 年1月にサノフィ・サンテ
ラボと合併し「サノフィ・アベンティス」が発足したため、2005 年度の業績を公表してい
ないが、20 社以内にランクインは確実であり、このため欧米医薬品企業は、7 社が 20 位以
内にランクインしていることになる。
表 1-1
合併による国内医薬品売上高ランキング(00-05)
2000年 (単位:百万円)
2005年 (単位:百万円)
順
位
順
位
1
2
3
4
5
6
7
8
9
10
11
12
13
14
15
16
17
18
19
20
21
22
23
24
25
26
27
28
29
30
社名
医薬品売上高
武 田 薬 品 工 業
三
共
山
之
内
製
薬
大
正
製
薬
エ
ー
ザ
イ
第
一
製
薬
藤 沢 薬 品 工 業
塩
野
義
製
薬
中
外
製
薬
萬
有
製
薬
大
塚
製
薬
田
辺
製
薬
フ ァ イ ザ ー 製 薬
ノバルティス ファーマー
グラクソ・スミスクライン
小 野 薬 品 工 業
協 和 醗 酵 工 業
ウ ェ ル フ ァ イ ド
アベンティスファーマ
住
友
製
薬
大
日
本
製
薬
明
治
製
薬
大 鵬 薬 品 工 業
バ イ エ ル 薬 品
ア ス ト ラ ゼ ネ カ
三 菱 東 京 製 薬
参
天
製
薬
フ ァ ル マ シ ア
582,886
05
367,930
03
302,531
249,004
228,900
227,450
189,696
186,055
181,223
169,747
01
161,988
05
161,568
156,710
03 メルク子会社
144,300
138,800
129,384
127,300
125,102
115,200
113,965
03 分社化
110,000
109,859
92,867
03 北陸製薬+
89,846
ダイナボット
85,700
83,411 01 J&J子会社
81,831
81,533
日本ベーリンガーインゲルハイム
72,533
帝
人 71,308
02 大正製薬と富山
化学の合弁で設立
1
2
3
4
5
6
7
8
9
10
11
12
13
14
15
16
17
18
19
20
21
22
23
24
25
26
27
28
29
30
社名
医薬品売上高
武 田 薬 品 工 業
ア ス テ ラ ス 製 薬
フ
ァ
イ
ザ
ー
三
共
中
外
製
薬
エ
ー
ザ
イ
第
一
製
薬
ノバルティス ファーマー
大
塚
製
薬
大
正
製
薬
三菱ウェルファーマ
大 日 本 住 友 製 薬
萬
有
製
薬
グラクソ・スミスクライン
塩
野
義
製
薬
ア ス ト ラ ゼ ネ カ
田
辺
製
薬
小 野 薬 品 工 業
協 和 醗 酵 工 業
大 鵬 薬 品 工 業
帝 人 フ ァ ー マ
明
治
製
薬
久
光
製
薬
参
天
製
薬
アボッ ト ジャ パン
831,152
571,500
394,738
318,127
314,524
283,000
278,193
253,000
213,687
203,996
196,818
192,613
185,320
180,000
170,100
162,843
152,489
143,244
139,305
112,448
105,700
102,200
89,950
88,833
86,094
83,867
83,848
83,278
83,227
82,700
日本ベーリンガーインゲルハイム
ヤ ン セ ン フ ァ ー
バ イ エ ル 薬
味
の
大 正 富 山 医 薬
マ
品
素
品
(注)一部推定
出所:厚生労働省「新医薬品産業ビジョン」2007 年資料編 、p.2 より
また表 1-2 に示すように、日本医薬品市場における医薬品輸出入額で検証してみると、日
本から海外へ輸出した金額は 1996 年には 2056 億円、同時に日本に輸入された金額は 4893
億円と輸入超の状況であるが、10 年後の 2006 年において日本から海外へ輸出した金額は
12
3721 億と 1665 億増加している。
しかし同時に日本に輸入された金額は 9912 億円と 5019 億の増加であり、日本医薬品市
場における海外からの輸入額はかなりのペースで伸びてきている。
日本医薬品市場の中の企業間の競争においても、グローバル化が進行している事を伺わ
せている。
表 1-2
年
1991
日本医薬品輸出入額
輸 出
(単位:百万円、%)
入 超
輸 入
金額(A)
対前年伸率
金額(B)
対前年伸率
金額
B/A(倍)
146,723
15.8
419,145
2.1
272,422
2.86
1992
173,052
17.9
465,168
11.0
292,116
2.69
1993
164,023
△5.2
437,852
△5.9
273,829
2.67
1994
158,454
△3.4
431,619
△1.4
273,165
2.72
1995
172,866
9.1
461,114
6.8
288,248
2.67
1996
205,654
19.0
489,346
6.1
283,692
2.38
1997
236,197
14.9
512,006
4.6
275,809
2.17
1998
249,888
5.8
489,149
△4.5
239,558
1.96
1999
274,098
9.7
521,843
6.7
247,745
1.90
2000
294,398
7.4
513,636
△1.6
219,238
1.74
2001
331,628
12.6
611,895
19.1
280,267
1.85
2002
351,825
6.1
677,236
10.7
325,411
1.92
2003
368,768
4.8
716,502
5.8
347,734
1.94
2004
383,028
3.9
769,196
7.4
386,168
2.01
2005
367,664
△4.0
905,966
17.8
538,302
2.46
2006
372,115
1.2
991,234
9.4
619,119
2.66
出所:経済産業省「通商白書」
(1991~2006)より
第3に「日本医薬品企業の海外売上高比率から見たグローバル化」の観点から考察する。
日本の人口高齢化で年々増大する医療費を抑えるため、政府は 2 年に 1 度の薬価改定を
行い、価格の引き下げ傾向を強め、景気の影響を受けず安定している反面、伸び率では低
成長であり、図 1-3 に示すように日本医薬品市場は頭打ちの状況にある。
そのため日本医薬品企業の売上高を伸ばす方法は、第1に日本医薬品市場で新薬を投入
しつつ、いかに薬価改定による落ち込みを防ぐか、第2に日本医薬品企業にとって、海外
市場でどれだけ売上高を伸ばせるかの2点が重要になる。
図 1-4 に示すように、日本医薬品企業の売上高上位4社の海外売上高の推移を 1996 年か
ら 2006 年の 10 年間で比較してみると、この 10 年で4倍に増加しており、さらに表 1-3 に
おいて日本医薬品企業各社の 2006 年決算を検証して行くと、海外での売上比率の高いとこ
ろが全体の売上げも大きく伸ばしており、その数字は海外売上比率 50%程度になるなど、
国内売上高とほぼ同等になっている事が示されている。
このように海外展開の進展の違いが、各社業績の差になってあらわれている。
13
図 1-3
日本医薬品市場の規模
(億円)
80,000
75,635
医療用医薬品
医薬品全体
70,000
71,373
60,000
60,127
66,822
62,030
65,979
66,850
66,568
52,016
63,387
62,666
60,342
64,107
65,206
66,174
60,313
57,477
51,369
73,148
72,501
69,030
64,349
61,002
71,739
69,061
53,167
53,807
58,686
56,526
56,991
55,168
51,470
50,000
40,000
30,000
20,000
10,000
0
1990 1991 1992 1993 1994 1995 1996 1997 1998 1999 2000 2001 2002 2003 2004 2005
(年)
※医薬品市場規模=出荷金額-輸出金額
出所:厚生労働省「新医薬品産業ビジョン」2007 年資料編、p.8 より
図 1-4
売上上位 4 社(武田、アステラス、第一三共、エーザイ)の国内・海外売上高及び海
外売上高比率の経年変化
6000
金
額
75
国
%内
・
海
50
外
売
上
高
25
比
率
5000
4000
(
億
円
3000
)
2000
1000
0
0
1996 1997 1998 1999 2000 2001 2002 2003 2004 2005 2006
国内売上高
海外売上高
(年度)
海外売上高比率
棒グラフ:売上上位4社の国内・海外売上高 折れ線:売上上位4社の国内・海外売上高比率の平均
出所:政策研ニュース
14
No24 2008 年 2 月、p.14 より
表 1-3
2006 年日本医薬品企業財務比較(連結決算)
社名
武田薬品工業
アステラス製薬
第一三共
エーザイ
大塚製薬
大日本住友製薬
三菱ウェルファーマ
塩野義製薬
田辺製薬
大正製薬
小野薬品工業
協和発酵工業
大鵬薬品工業
久光製薬
参天製薬
ツムラ
科研製薬
杏林製薬
持田製薬
キッセイ薬品工業
総売上高
(百万円)
1,305,167
920,624
929,506
674,111
853,948
261,213
227,517
199,759
177,531
242,071
141,711
354,274
132,992
109,791
100,485
91,227
76,415
77,093
74,066
64,215
経 常
売上高
自己資本 総資産 自己資本
海外売上
経常利益
純利益
総資産
海外売上
利益率
利益率
比 率 利益率 利益率
高比率
(百万円)
(百万円)
(百万円)
(百万円)
(%)
(%)
(%)
(%)
(%)
(%)
585,019 44.8
335,805 25.7
3,072,501
78.8
10.9
13.9
643,600
49.3
197,813 21.5
131,285 14.3
1,470,701
74.7
8.9
12.0
450,062
48.9
152,086 16.4
78,549
8.5
1,636,835
77.5
4.8
6.2
356,700
38.4
110,462 16.4
70,614 10.5
792,114
69.7
8.9
12.8
410,765
60.9
113,983 13.3
52,874
6.2
982,113
45.8
5.4
11.7
337,566
39.5
43,181 16.5
22,605
8.7
382,535
79.8
5.9
7.4
39,307 17.3
24,305 10.7
323,364
75.4
7.5
10.0
28,113 14.1
18,594
9.3
429,569
80.4
4.3
5.4
26,063
13.0
32,346 18.2
20,174 11.4
297,087
78.1
6.8
8.7
17,271
9.7
24,926 10.3
15,420
6.4
631,929
86.3
2.4
2.8
56,587 39.9
35,271 24.9
504,815
88.0
7.0
7.9
2,446
1.7
30,901
8.7
12,694
3.6
378,870
63.8
3.4
5.3
64,196
18.1
38,798 29.2
24,511 18.4
333,193
87.7
7.4
8.4
14,095
10.6
27,001 24.6
15,847 14.4
141,143
73.1
11.2
15.4
20,843 20.7
13,147 13.1
159,098
80.8
8.3
10.2
13,333
13.3
14,643 16.1
13,152 14.4
143,378
47.7
9.2
19.2
7,667 10.0
4,602
6.0
100,900
59.9
4.6
7.6
8,655 11.2
4,842
6.3
124,039
79.2
3.9
4.9
10,238 13.8
6,030
8.1
109,707
68.6
5.5
8.0
2,520
3.9
1,570
2.4
163,583
75.3
1.0
1.3
-
(注)海外売上が10%未満の場合、有価証券報告書への記載義務がない。
出所:2007 年各社有価証券報告書より筆者作成
第2節:医薬品グローバル市場の特質(アメリカ医薬品市場を中心に)
医薬品ビジネスをグローバルに捉えた場合に、医薬品企業にとってアメリカは最も重要
な市場となっている。前掲の図 1-1 によれば、世界の主要国における医薬品市場シェアを
1994 年と 2005 年の 12 年間で比較してみると、世界全体の市場は 1994 年の 2524 億ドル
(25 兆円)から 11 年後の 2005 年には 6014 億ドル(60 兆円)と増加している。その国別
のシェアを見るとアメリカは 1994 年では 34%であったが 2005 年には 44%へ増加し、日本
は 21%から 11%へ、ヨーロッパ(EU)は 27%から 29%となっている。
特にアメリカ市場のシェアは、他の先進国と比べても飛躍的に伸び、またそのシェアも
世界市場の5割弱を占めている。このアメリカ市場にどう取り組むかが、世界の医薬品企
業にとって重要な点である。
伊原[2004]によれば、アメリカ市場の成長要因の理由について次の3つの点が指摘され
ている。第1の要因は「自由価格制」であり、アメリカは、ほぼ完全な形で自由薬価制度
が維持されている唯一の先進国である。第2の要因は「規制および政策動向」、第3の要因
は「医薬品企業によるマーケティング戦略」である 27)。
第1の自由価格制であるが、アメリカ以外のヨーロッパ諸国、日本の医療は国が直接運
営(イギリス、イタリア)するか、あるいは政府の関与が強い保険方式(フランス、ベル
ギー、ドイツ、日本等)で、医療費抑制政策(特に後発医薬品:日本を除く)を代表とす
る厳しい価格抑制策により、医薬品市場の伸びが抑えられている。
しかしアメリカのような自由価格制の場合、医薬品価格形成にあたっては医療サービス
) 伊原 [2004]、p.140
27
15
価格において供給者と需要者の間での情報の非対象性が色濃く反映されやすい。つまり高
度に専門的で広範な知識を持った供給者側(この場合は医薬品企業)に対抗しうるだけの
十分な情報を、需要者側(患者あるいは医師)が持ちうる事が困難であり、このため自由
競争に委ねた場合には、価格形成として医薬品企業に有利な方向に引っ張られやすく、容
易に医薬品の価格が高くなる傾向が指摘されている 28)。このためアメリカ市場では新薬の
価格が他の市場に比べ、より高くなる傾向がある。
第2にアメリカの「規制および政策動向」の観点から見て3つの重要な点が挙げられる。
1つ目はFDA 29)における審査体制の変化であり、2つ目にはアメリカ固有のシステムであ
る「マネジドケア」30)による処方薬利用による押し上げ効果、3つ目には「メディケア」31)
による外来薬剤給付の拡大の3点である。
1つ目のFDAにおける審査体制ついては、1980 年代後半の新薬審査期間は平均で 30~
35 ヶ月に達していたが、1998 年にはこれが平均 11.7 ヶ月にまで短縮される事になった。
これは 1992 年に法制化された「Prescription Drug User Fee Act」という制度の創設によ
る影響が大きいとされている。この制度は、申請メーカー側がFDA審査プロセス効率化実
現のためのコスト増加分を手数料の形で負担する見返りとして、FDA側は原則として12
ヶ月以内(その後 1997 年に 10 ヶ月以内に短縮)での審査完了を約束するものである。こ
うしたFDAによる審査体制の変化を背景に、年間の新規化合物承認件数は 1990 年代前半の
20 件台から、1996~1999 年には 30 件台以上へと増加した 32)。
2つ目にはアメリカ固有のシステムである「マネジドケア」による処方薬利用について
述べる。1990 年代初期までは、アメリカの医療は、医療費の決定者は医療サービス供給者
であり、そのための医療費の高騰を抑えるため、医療を受ける側が医療の利用可能種類、
及び価格を保険会社が管理、制限する事により医療費の低減を目的として民間医療保険の
方式が広まった 33)。
このマネジドケア型保険による処方薬の積極利用にあたっての理論的な背景は、薬剤経
済性評価 34)と呼ばれる概念であり、これは総医療費に占める処方薬コスト構成比を見て、
総医療費ベースで相対的に高価な新規性の高い薬剤を使った方が使わない場合の入院、外
来を比べた際に新規性の高い薬剤を使う場合と使わない場合に総医療費はどちらが安く済
むかという概念である。
この概念が、新規性の薬剤が発売されて高価格のものであっても、効果が良ければ入院
期間が少なく済み、また外来の通院の日数が減るなど総医療費が安く済むと、新規性の高
) 伊原 [2004]、p.140
) FDA: Food and Drug Administration の略で、米国食品医薬品局であり日本の厚生労働省にあたる。
30) マネジドケア::社会保障費削減のために過需要を減らすシステムの総称.社会保障を受ける側と提供する側に社会保
障費を抑制する規制を行う管理統制システムである。http://www.clair.or.jp/j/forum/forum/jimusyo/111NY/INDEX.HTM
31)メディケア:アメリカの公的な医療保険制度は、65歳以上の高齢者を対象としたメディケアと低所得者向けのメデ
ィケイドの2種類しかなく、その他の個人や企業は民間の医療保険制度に加入しなければならない。
32) 伊原 [2004]、p.142
33) 吉森 [2007]、pp.16-19
34) 薬剤経済性評価:医療政策の導入は主に欧州諸国で進んでおり、各国毎に独立した機関が設立され、保険償還の可否
と言った意思決定等に利用されている。
28
29
16
い医薬品は推奨され、普及しやすくなった。
さらに患者の薬剤負担の仕方も変化し、1990 年以前の伝統的な保険では患者はいったん全
額自己負担をした後に、その 70%~80%の還付を受けるのが一般的であったが、マネジド
ケア型保険では、一般的に 10~20 ドル/月程度の自己負担のみで薬が入手可能になったた
め保険も広く普及し、より医薬品が普及しやすくなった事が指摘されている 35)。
3つ目にはメディケアによる外来薬剤給付の拡大である。メディケアとは「65 歳以上の
アメリカ国民および障害者は政府により医療補償を受けることができるものであり、これ
は医療費全体の約 20%を占めている。2003 年 12 月にメディケアの改正法が上院で可決さ
れ、これまでのメディケアでは注射、点滴に給付対象が制限され、外来などで処方される
医薬品給付は認められなかったが、今回の改正で 2006 年からその給付が認められる 36)」こ
とになった。2006 年のアメリカ処方薬市場は対前年比 8.3%増の 2749 億ドル(33 兆円)
となり、この市場拡大はメディケアの改正による導入によって、新たな薬効領域での後発
医薬品使用の増大、がんや糖尿病などの薬効領域での新薬の発売などによって加速された
37)。
このように国が規制を緩和して医薬品によりアクセスしやすい環境になってきている事
もアメリカ医薬品市場が成長してきた要因である。
第3に、医薬品におけるマーケティング活動の推進である。医療用医薬品の広告宣伝は
FDAの規制下にあるが、1997 年 8 月に臨床試験関連情報をより多く知りたい、あるいは自
己の健康、疾病状態への関心の高まりといった医療における消費者の意見から、世界で唯
一アメリカだけが消費者向け直接広告(DTC:Direct to Consumer)規制の緩和が実現し
ている 38)。テレビ等の消費者に対する影響力の強い媒体を通して、直接消費者に医薬品の
存在をPRする事によって、当該製品の知名度が上がり、患者の製品に対する志向を強め
ると共に、これまでに受診歴のない層の受診を促し需要を掘り起こしている。
吉森[2007]は、このDTCによって「医師と患者との関係は、とりわけ医薬品企業による
直接広告やインターネットの普及により大きく変化しつつあり、両者間の情報の非対称性
は縮小し、患者が治療方法に関する意思決定に積極的に関与するようになった」と述べ、
また「十分な情報を有する患者は一般的に簡単な治療法を選考するため、医薬品の普及に
大きな影響を与えている 39)」と指摘している。
以上のように伊原[2004]が指摘したアメリカの医療制度の変遷における規制緩和、加え
て民間保険が主流になってきた上で政府の介入による保険給付の拡大という点から、アメ
リカ医薬品市場は、図 1-1 に示すように他の先進国である日本が 1994 年の世界シェアが
21%から 2005 年では 11%へ、ヨーロッパ(EU)は 27%から 29%と減少、停滞する中で、
アメリカは 1994 年では 34%であったが 2005 年には 44%へ増加し、大きく成長してきた。
)
)
37)
38)
39)
35
36
伊原
吉森
三枝
伊原
吉森
[2004]、p.143
[2007]、p.20
[2007]、p.3
[2004]、p.146
[2007]、p.24
17
石倉[2000]は、今後もアメリカ医薬品市場は大きな成長が見込まれ、最大の消費地とし
ての地位を守り、世界市場におけるアメリカ市場の比率は高くなると述べている。
また革新的な新薬には高い価格がつけられ、市場浸透スピードの立ち上がりが他国に比
べてずっと早い事から、新製品上市のための市場として特にアメリカ市場の動きが重要で
あり、世界の医薬品業界や企業に大きな意味を持つと述べている。さらに世界の医薬品業
界においてアメリカ医薬品企業(業界)が果たす役割について、アメリカ医薬品業界のグ
ローバル度をマーケット、コスト、規制、競合の観点から分析し、アメリカ医薬品市場を
グローバル化の先導となるリードカントリーとして位置づけている 40)。
伊原、吉森、石倉等、アメリカ市場の重要性を指摘する見解は多く、今まで述べてきた
規制緩和の多くがアメリカ医薬品市場を中心としたグローバル化を促進させており、それ
が医薬品の消費市場に加え、医薬品研究開発においてもアメリカ市場はグローバル化の中
心的な役割を果たしている。
研究開発においても、2002 年にアメリカ医薬品企業の研究開発投資は全体で 320 億ドル
に達し、この内アメリカ国内で支出された研究開発費は 264 億ドル、国外支出は 57 億ドル
と推定されている。売上高に対する研究開発費の比率は 18.2%であり、アメリカのすべて
の産業の中で最大であった 41)。
吉森[2007]によれば、「過去 10 年間のアメリカ市場への医薬品における研究開発投資は
ヨーロッパの2倍に達し、ヨーロッパ、日本を含め、研究開発投資がアメリカに集中する
傾向が観察される 42)」と指摘している。
1990 年当時のヨーロッパ医薬品企業は研究開発投資の内 73%をヨーロッパ内で実施し
たが、10 年後の数値は 59%にまで低下し、EU(欧州連合)の欧州委員会の報告書では、
アメリカの医薬品企業が新規化合物の世界市場における売上高において明らかに主導的地
位を獲得し、2007 年のアメリカ医薬品企業の研究開発投資は全体で 588 億ドルに達し、ア
メリカのその他の製造企業に比べ、医薬品企業の売上高に占める研究開発投資額の割合は、
実に5倍になるとされている 43)。
以上のようにアメリカ医薬品市場は、消費市場という側面と研究開発の場という両側面
からの最重要の市場となっており、グローバル医薬品市場を考える上で最重要市場として
位置づけられる。
) 石倉 [2000]、pp.1-50
) CMS.2003.Health care Industry Market Update Jan10 .p.16
42) 吉森[2007]、p.25
43) 米国研究製薬工業協会 PhRMA. [2008]News Release 4月2日
40
41
18
第2章
日本医薬品産業の特質
第1節
「医薬品」の製品としての特質
前章において、日本医薬品市場におけるグローバル化の進展を「規制緩和から見たグロ
ーバル化」、「日本医薬品市場における外資系医薬品企業のプレゼンス上昇からみたグロー
バル化」、日本医薬品企業の「海外売上高比率から見たグローバル化」という点から指摘し
た。日本医薬品市場では大きな変化が起きており、日本市場そのものがグローバル市場の
一部になりつつある事が明らかとなった。
この章では、日本医薬品産業がどのような特質を持っているかを明らかにする。
姉川[2002]は、
「日本医薬品企業の大多数は国内市場に大きく依存し、外国で医薬品を開
発し、販売する国際的事業展開を行う企業は少なく、また医薬品企業の規模と利益率は欧
米の上位企業と比較して小さく、巨額の研究開発費の負担や国際的事業展開の費用負担が
困難であった。これまで開発してきた多数の医薬品も画期的な医薬品は少なく、既存の医
薬品の改良型医薬品で、外国では販売されない医薬品が多かった 1)」と指摘している。
その理由は、日本医薬品産業が公的保険の中で政府主導の内需型の規制産業として発展
を続けて来た事が大きい。今後、日本医薬品産業が成長して行くためには、海外進出の促
進が課題とされつつも、欧米医薬品企業の大型化が世界的な潮流となっている中で日本医
薬品企業が国際競争に勝ち残るためには、更なる創薬技術と資本力の増強等、さまざまな
競争力向上のための施策が求められる。
このような背景を踏まえ「日本医薬品産業の特質」を考察するために、医薬品そのもの
の「製品としての特質」、「研究開発のプロセスにおける特質」さらに「他産業と比較分析
を行った上での医薬品産業としての特質」を踏まえ、そこから「日本医薬品産業の特質」
を分析し、日本医薬品企業のグローバル化における基礎資料として検討して行く。
まず「医薬品」の製品としての特質を検討する。ここでは、ハーバード大学ピサノ教授、
筑波大学
桑嶋准教授の主張をもとに、医薬品と他産業の製品、特にエレクトロニクス産
業や自動車産業と医薬品産業の開発の違いを比較し、以下に研究開発プロセスの違い、医
薬品の研究開発リスクの観点を中心に製品特質を考察する。
第1にピサノ、桑嶋ともに医薬品研究開発における特質は「不確実性」にあるとし、そ
の性質上、他産業と比べても不確実なものであると指摘している。
ピサノ[2006]は、不確実性について、医薬品研究開発だけの特質ではないと指摘しなが
らも、ほとんどの産業では、研究開発のプロセスでテクノロジー面での基本的な成功可能
性が問題になる事はなく、
「例えば自動車のデザイナーは、デザインの細部に非常にこだわ
) 姉川[2002]、p.49
1
19
り、このデザインは大量生産が可能なのか、消費者に受けるのか等の不確実性はあるが、
基本的なテクノロジーには不安を感じることはなく、きちんと道を走る車が出来上がるこ
とについては 100%確信し、期待したほどの売上げは達成できなくても、自動車としての機
能は果たし、市場に導入することができる。エレクトロニクスや半導体などのハイテク産
業でも状況は同じであり、ほとんどの産業では、技術面での基本的な成功可能性の問題は、
プロセスのかなり早い段階で解決済みである 2 )」と指摘している。
ところが医薬品の場合は、研究開発の大多数が失敗に終わるケースがほとんどであり、
医薬品研究開発のさまざまなステップにおいて開発中の新薬候補は、試験を行う毎に安全
性や有効性の問題が見つかる場合が大半である。
図 2-1 を見ると医薬品研究開発では、最終的に承認を得られる化合物は 19817 のうち1
つに満たない確率である。新規化合物として特許の申請がなされ、非臨床試験に至る確率
は 2636 分の1であり、その後治験薬として申請がなされて臨床試験が開始できる確率は
7329 分の1であり、無事に臨床試験が終了し、承認申請に至る確率は 12443 分の1となり、
最終的に承認され市場にて販売される確率は 19817 分の1となっている。
新薬開発につぎ込まれる資源の大半は、失敗作のために費やされるのが現状であり、医
薬品産業の研究開発は、新薬候補の安全性、有効性、用法に関する情報を集める事が最大
の目的であり、言い換えれば医薬品研究開発とは、情報の収集・解釈をくり返すことを通
じて、不確実性を減らして行くプロセスである。
ピサノ[2006]は、医薬品の研究開発プロセスについて「自動車、エレクトロニクス、航
空機、ソフトウェア、エンターテインメントなどの製品開発は、製品の修正案を作り、そ
れをテストすることをくり返して、機能面や経済面での改良を目指すプロセスと言える。
図 2-1
安新
全規
性物
の質
研の
究有
効
動性
物と
が
対
象
第1相
第2相
第3相
フェーズⅠ
フェーズⅡ
フェーズⅢ
健比
康較
な的
人少
が数
対の
象
少
数
の
患
者
が
対
象
多
数
の
患
者
が
対
象
有人
効を
性対
と象
安と
全し
性た
の
テ
ス
ト
承認申
請と審査
1~2年
薬価収載
と販売
総申企
合請業
機とか
構 ら
に独厚
よ 生
る医労
審薬働
査品省
医へ
療の
機承
器認
と厚
薬生
価労
基働
準省
収に
載よ
る
薬
価
の
設
定
)
(
)
新医
規薬
物品
質の
のモ
合ト
成と
・な
発る
見
臨床試験
【治験】
3~7年
非臨床
試験
3~5年
(
基礎研究
2~3年
育薬
ー市販後
調査ー
ェッ
医
薬
品
の
研
究
開
発
か
ら
販
売
ま
で
の
プ
ロ
セ
ス
新薬開発に要する期間と成功確率
チ発
売
後
クの
安
全
性
や
使
用
法
の
出所:厚生労働省医政局『平成17年医薬品産業実態調査報告書 p.98』を加工
) Gary P.Pisano[2006]、p.119
2
20
フェイズ フェイズⅡ
フェイズⅢ
研
究
開
発
の
成
功
率
化合物数
累積成功率
前の段階から移
行できた確立
基礎研究
非臨床試験
臨床試験【治
験】
承認申請
承認取得
535,049
203
73
43
27
ー
ー
1:2,636
→
1:2,636
1:12,443
1:7,329
→
1:2.78
出所:日本製薬工業協会『DATE
→
BOOK
1:1.7
1:19,817
→
1:1.59
2008』2008 年、p.41 を参考に筆者作成
こういう場合、製品は「発見」されるのではなく、設計とテストの繰り返しを通じて「進
化」して行くものであり、最初に製品の大まかなコンセプトが設計されて、その後の試行
錯誤を通じて設計の細部が詰められて行くこととなる。しかしこの図式は、医薬品研究開
発にはそのまま当てはまらず、その出発点は、病気のプロセスに深く関わっている受容体
や酵素などの薬物標的を発見・検証することであり、薬物標的は設計できず、科学者にで
きるのは、既に存在する薬物標的を発見し、その役割を解明し、特定の医薬品にきちんと
反応するかどうかを調べることである。医薬品は、自動車や半導体のような進化のプロセ
スをたどらず、新薬候補の化合物を選別して分析・試験を行い、良い結果の出た化合物に
ついてさらに分析・試験を重ねるのが、医薬品開発のプロセスである。この途中で、医薬
品として有効性・安全性が認められないという証拠が集まれば、その化合物を放棄して、
また最初からやり直すことになる 3)」と指摘している。
つまり医薬品開発は、化合物サンプル抽出の繰り返しであり、選んだ化合物がうまく行
かなければ、そっくり捨てて、新しい化合物を選ぶという作業になる。また人間の生物学
的な知識が不十分なので、非臨床試験段階(動物実験)の結果から人間に対する結果を推
測する事も極めて難しい状況である。例えば、マウスの実験で癌に劇的な効果を示した化
合物が、人間に対してはまったく効果がなかった、動物ではコレステロールが劇的に下が
ったが人間では期待はずれに終わったという例が大半であり、ほとんどの場合は、マウス
と人間の生物学的種差、仕組みの違いが解明できておらず、高度な予備知識と試験モデル
がないために、医薬品研究開発はどうしても試行錯誤を繰り返し、常に不確実性がついて
回ることになる。
同様に桑嶋も、医薬品開発における不確実性について、自動車産業の開発と医薬品開発
とを比較し、医薬品研究開発の特質を指摘している。
桑嶋[2006]は「医薬品開発の成功率の少なさの最大の理由は、化合物の有効性、安全性
に関する事前評価の難しさにあり、自動車をはじめとした多くの産業では、目標機能を発
揮するための製品構造は、事前にかなりの程度予測できる。それに対して医薬品の場合、
実際に化合物を作って評価して見なければ、目標とする薬効をもっているのか、毒性はな
いのかといったことがわからない点に特徴がある。自動車のように技術が成熟した製品・
産業と違い、ある製品構造とそれがもたらす機能(薬効・毒性)の間の因果関係が十分特
定されておらず、そのため医薬品の研究者は、常に因果関係知識が不足している状態で、
) Gary P.Pisano[2006]、 pp.121-122.
3
21
試行錯誤的に研究開発を進めなければならない不確実性にある 4 )」と指摘し、ピサノと同じ
見解を示している。
またピサノ[2006]は「医薬品研究開発と医療を一変させる可能性のある科学的進歩は、
実に幅広い科学の分野にまたがる。バイオテクノロジーは、生物学、生化学、科学、コン
ピューターサイエンス、バイオインフォマティクス 5 )、数学、工学、医学といった広範な学
問が混ざり合っていると考えるべきものである。また医薬品研究開発の中身は、30 年間で
数が大きく増えただけでなく、種類も飛躍的に増えてきたのが最近の傾向である。30 年前、
医薬品研究開発と言えば概ね伝統的な化学の領域だったが、今では、分子生物学、細胞生
物学、遺伝学、バイオインフォマティクス、計算化学、タンパク質工学、コンビナトリア
ル化学、遺伝子工学、ハイスループット・スクリーニング(HTS) 6 )などの新しいツールが関
わるようになった。新しいツールが登場したおかげで、広大な新しい可能性が開けてきた
ことは確かであるが、こうした科学を新しい医薬品や治療法という形を結実させる上で、
極めて広いジャンル、アプローチ、スキルを摺り合わせる重要性がかつてなく高まってい
る 7 )」と指摘している。
このように人間の生物学的仕組みは、極めて複雑な上に、個々による性格が非常に強い
が、しかし医薬品産業が特殊なのは、ヒトの体の仕組みが解明されていないケースが大半
な上に、人体と医薬品とを摺り合わせる必要のある個々の領域の技術、また科学が急速な
進化の途中にあるため、各医薬品企業が充分に使いこなせていない事も不確実性をより一
層高めていると考える。
さらに医薬品研究開発の特質を産業間比較によって詳しく分析するため、産業横断的枠
組みの構築の観点から藤本・安本[2000]の研究を考察する。
藤本/安本[2000]は、携帯電話、カラーテレビ、スーパーコンピューター、医薬品、合成
樹脂、ビール、化粧品、ゲームソフト、アパレルといった製品の事例分析を行い、研究蓄
積が多い自動車との比較の観点から、各製品・産業における効果的開発パターンを検討し
ている。さらに各製品・産業の分析結果を統合する形で、産業横断的な比較分析を行うた
めのコンティンジェンシー的(状況依存的)な枠組みを提示し、常に正解となるパターン
があるわけではなく、条件(製品・産業特性)が異なれば成功パターンも異なる事を示し
ており、この分析の枠組みとして「問題解決サークル」から検証している。
この「問題解決サークル」は次の 5 段階で定式化される。
「①問題認識(まず達成すべき
目標を定め)、②代替案のサーチ(それを実現する代替案を探す)、③設計案とシュミレー
ション・モデルの作成(各代替案がもたらす結果を実験により推定し)、④シミュレーショ
ンの実行、評価(その結果を評価し)、⑤シミュレーション結果の評価、選択(目標を達成
する選択肢があればそれを選択する)」、もしなければ再度②の代替案の探索に戻って再探
) 桑嶋 [2006]、p.18
) バイオインフォマティクス:生命科学と情報科学、情報工学が融合した学問分野
6) ハイスループット・スクリーニング HTS:新薬を開発するためのスクリーニング技術の1つ。新薬候補となる多数の
化合物の生物活性を高速で自動的に調べられる。
7) Gary P.Pisano[2006]、 pp.120-121.
4
5
22
索するように、目標を達成する解が見つかるまで、このサイクルが繰り返される 8)。
これを医薬品開発に当てはめれば①目標物質の決定、②化合物のデザイン・合成・天然
物質の探索、③各種試験、④化合物の評価、⑤選択となる。一般に問題解決における中心
的活動は②代替案の探索と③実験であるといわれており、そこで②③に注目してみると他
産業と比較した医薬品開発の特質として次の点が浮かび上がってくる。
第 1 に大量スクリーニングのような「幅広い代替案の検索」が必要、第2に臨床試験に
代表される「極めて詳細なテスト」が必要の2点である。こうした「サーチ」
「シミュレー
ション」に関わる特質は、今まで考察してきた医薬品開発における「不確実性」と密接に
関係している。
藤本/安本は「医薬品開発において幅広いサーチが必要とされるのは、所与の薬効をもた
らす物質を一から探す必要があり、開発の初期において極めて幅広い探索をかける必要が
ある。その意味では極めて技術的な不確実性の高いハイテク製品である。しかも、生命に
関連するため、製品の構造や機能関係が複雑であり、機能確認のためのシミュレーション
(臨床試験など)が極めて複雑になる 9)」と指摘している。
つまり、目標薬効をもつ化合物を事前に特定する事ができないために、とにかく多数の
化合物を作って評価するしかなく、狙った結果を事前に予測できない原因不確実性をもち、
また化合物が予想もしなかった薬効や毒性をもっているケースもあることから結果不確実
性も併せ持っており、原因不確実性も結果不確実性も高いパターンに分類される典型例は
医薬品である。この場合、予想される効果的開発パターンは幅広いサーチ(例えばマス・
スクリーニング)と複雑なシミュレーション(臨床試験)を上手にこなす事であるが、し
かし、
「この2つを同時に行う事はコスト的に不可能であり、まず徹底的なサーチ、次に徹
底的なシミュレーションを行い、前者から後者への微妙な移行期を上手に乗り切ることが
ポイントである 10 )」と指摘している。
図 2-2 は、藤本らが事例研究を基礎として、複数の製品・産業における原因不確実性と結
果不確実性をまとめたものである。これを見れば医薬品が、他の製品・産業と際立った特
質を持っている事がわかる。
製品自体の特質について原因不確実性の高い製品としては、ビールやアパレル、化粧品
などがある。藤本/安本は「ビールは味を実現するための設計指標が多数あり、その組み合
わせは多数存在している。多数の組み合わせから狙った味を実現するのは容易ではなく、
1つの新製品を開発するために何百回と試飲するケースもある。同様にアパレルや化粧品
の場合も、次のシーズンにどの色がはやるのか、つまり何が正解かを事前に知ることは難
しいのが特性である。ただし結果不確実性に関して、これらの製品の場合幅広いサーチが
必要とされる一方で、そのテストはシンプルである。ビールの場合には、検査員が試飲す
) 藤本[2000]、pp.252-254.
) 藤本[2000]、pp.252-254.
10) 藤本[2000]、p.318
8
9
23
るだけだし、アパレルの方も、サンプルを見せて顧客に評価してもらうことになる 11 )」と
述べ、この点で臨床試験のような高コストのシミュレーションが要求される医薬品は、こ
れらの製品とは区別されるべきものとしている。
一方、結果不確実性が高い製品として自動車がある。藤本/安本は「自動車は、製品構造、
使用環境、要求機能がいずれも複雑なため、所与の製品構造がもたらす結果を予想するこ
とが難しい製品である。そのため多様な条件でテストコースを走る、衝突実験を実施する
図 2-2
原因不確実性と結果不確実性
結果不確実性
(シミュレーションの複雑さ)
高い
低い
幅広いサーチと
簡単なシミュレーション
幅広いサーチと
深いシミュレーション
医薬品
ビール
高い
毛織物・アパレル
化粧品
?
原
因
不
確
実
性
機能性合成樹脂
?
ゲームソフト
スパコンCPU
携帯電話端末
カラーテレビ
絞ったサーチと
簡単なシミュレーション
乗用車
低い
絞ったサーチと
深いシミュレーション
出所:藤本・安本『成功する製品開発』2000 年、p.319 より
等、極めて詳細なテストが行われる。ただしサーチの面では、自動車は技術的に成熟して
おり、新モデルを開発する場合でも、狙った製品機能をもたらす構造は比較的見やすい 12 )」
と指摘し、サーチすべき解の選択肢が限られている点で、医薬品とは異なっており、原因
不確実性が低い事が示される。
以上の事をまとめると、原因不確実性と結果不確実性のどちらか一方が高い製品・産業
はいくつか見られるが、医薬品のように原因と結果の両方の不確実性が高い製品・産業は
見つかっていない事が示されている。その意味では、原因不確実性と結果不確実性が共に
高く、幅広いサーチと詳細なシミュレーションの両方を要求される点は、医薬品開発の特
質であり、ピサノ、桑嶋の論点と一致する。
すなわち、医薬品の研究開発プロセスでは、数千から1万の化合物の探索と臨床試験に
) 藤本[2000]、pp.318-320.
) 藤本[2000]、p.318
11
12
24
代表される詳細なテストが必要とされるが、図 2-3 に示すように、臨床試験は1つの化合物
当たり数十億円から 100 億円もの費用がかかり、医薬品研究開発でもっとも費用がかかる
領域である。
これを数千の候補品すべてに行う事は不可能であり、そこで、探索とテストのバランス
が重要となる。言い換えるとコストと機会費用を視野に入れ、その移行をどう行うかとい
う点がポイントになる。そしてこのバランスの切り替えは、化合物の絞り込みパターンと
して現れて、研究開発のパフォーマンスに影響する。
図 2-3
基礎・応用・開発別
基礎研究費
応用研究費
研究開発費推移と構成比
開発研究費
4,000
3,000
基礎研究費
24%
2,038
2,000
開発研究費
54%
1,295
研究開発費
3,782億円
(2001年度)
応用研究費
22%
839
1,000
700
905
546
0
1992 1993 1994 1995 1996 1997 1998 1999 2000 2001
Data Source : 製薬協アンケート調査20社
出所:医薬産業政策研究所『財務データから見た製薬企業の 10 年』2003 年、p.37 より
切り替えが早すぎれば、見込みのある化合物を落としてしまい、逆に切り替えが遅くな
れば、誤って落とす可能性は減るがコストが増える。両者の間に分岐点とも言うべき「最
適ポイント」があり、臨床開発段階に関して言えば、費用の一番かかる多数の患者を対象
にしたフェーズⅢ試験前、つまり「フェーズⅡ試験終了時点」がポイントであろう事が推
察される。
そして、桑嶋[2006]は「最適ポイントを軸とした、大きく網をはってタイミング良く一
気に絞り込むという化合物絞り込みパターンこそが、医薬品開発に要求される、幅広いサ
ーチ(高い原因不確実性)と深いシミュレーション(高い結果不確実性)という困難な課
題に対処するための効果的なマネジメントである。そして、その基礎を提供するのがgo or
no-goの判断能力とプロトコールデザイン(臨床試験企画能力)という2つの組織能力が非
常に重要である」と述べており、さらに「こうしたマネジメント方法においても他産業と
25
開発方法を含め、違いが見られている 13 )」と指摘している。
以上の事から、医薬品の製品特質は、原因・結果の不確実性が高い事が他の産業製品と
比べて明らかにされており、それが結果として研究開発プロセスのリスク管理が医薬品に
はより重要である事が明確になった。
第2節
医薬品研究開発プロセスの特質
この節では、厚生労働省医政局の「医薬品産業実態調査報告」
、日本製薬工業協会の「DATA
Book」、「てきすとぶっく製薬産業」を参考に考察する。
一般に新薬を世の中に出すためには、候補化合物の発見、in vitro(試験管内)または動
物での薬理作用・毒性の検討、ヒトでの臨床試験、承認申請の過程を順に経なければなず、
これらの過程は各国独自の規制に基づいて実施されてきた。
個々の研究ステップの規制の根幹をなすものは、医薬品の製造管理および品質管理に関
する基準(Good Manufacturing Practice:GMP)、動物での医薬品の安全性試験の実施に関
する基準(Good Laboratory Practice:GLP)、医薬品の臨床試験の実施に関する基準(Good
Clinical Practice:GCP)である。1996 年に医薬品として承認申請のために行う治験(臨床
試験)は、日米欧の3極からなる ICH(日米欧医薬品規制調和国際会議:International
Conference on Harmonization of Pharmaceuticals for Human Use)により、医薬品の品
質、安全性、有効性についてのガイドラインが作られ、日本では 1997 年 4 月から改正薬事
法により、「医薬品の臨床試験の実施基準:GCP」が法制化され、1998 年 4 月より本格的
な実施となった。
日本では治験の実施に先立ち、規制当局への届け出が必要であり、承認を得て始めて治
験を進めることができる。医薬品開発の臨床試験は安全性と有効性を確認しながら段階的
に実施されるべきものとの認識のもとに、前掲した図 2-1 のように従来フェーズⅠ試験、フ
ェーズⅡ試験、フェーズⅢ試験、及びフェーズⅣ(育薬-市販後調査)試験とに分けられ、
さらに図 2-4 に示すように多くの規制 14 )の中で製品開発が行われるところに特質がある。
医薬品の研究開発の特質を理解するには、一連の研究開発の流れを知る必要がある。医
薬品の開発は、まず開発の目的設定から始まる。どのような病気に効く薬を作るかという
事であるが、例えば、高血圧であれば、血圧を下げるために「血管を広げるのか」
「血管の
弾力性を増すのか」等、いろいろ考えられるが、まずそうした効果がありそうな化学物質
を自然界や合成により探し出す事から始まる。候補になった物質の物理化学的性状を調べ、
目標とする効果の有無についても動物実験を行うなど、初期的なスクリーニングテストで
) 桑嶋[2006]、p.118
) 日本研究開発規制は7つ(GLP,GCP,GMP,GQP,GVP,GPSP,JQSP)図 2-4 参照
13
14
26
選ばれた化学物質について、さまざまな形でテストする事を前臨床試験、又は非臨床試験
と呼んでいる。最も重要な試験は毒性試験で、有害な作用の程度を調べるが、通常、薬剤
は投与量の増加に依存して薬理作用(薬の効き目)は上昇し、ある用量から毒性が発現し
て、薬剤によっては死に至る。
ヒトへの投与量の安全基準は、感受性の高い動物の致死率 50%にあたる用量の 600 分の
1 と決められており、さらに毒性試験は致死量の検討だけではなく、催奇性試験、生殖能試
験、発ガン性、習慣性(依存性)など様々な角度から検証される。
図 2-4
薬事法に基づく規制の仕組み
開発段階
製造販売段階
流通段階
薬局・販売業の許可
製造販売業の許可
品質管理・
安全管理に
関する規
制、人的要
件
使用段階
再審査
再評価
構造設備規
制、人的要件
製造販売承認
製造業の許可
GPSP
市販後の調査
・製造管
理・品質管
理に関する
規制
・構造設備
規制
医薬品
GQP
GLP
非臨床試験
治
験
の
届
出
GVP
品質管理 安全管理
GCP
GMP
臨床試験
製造管理・品質管理
<薬事監査>立入検査・収去試験、行政指導、行政処分(命令)
出所:日本製薬工業協会「てきすとぶっく 2008」2008 年、p.11 より
この毒性試験の他に薬物動態検査が行われ、動物の体内に投与された薬物の血液中濃度
が何時間で何%になるのか、目標とする体の部位に何時間で到達するか、その後何時間で
体外に排出されるかといった薬物の代謝の経時的変化が測定される事になる。また経口投
与、皮下注射、筋肉注射、静脈注射、座薬など異なる投与方法による吸収と代謝の比較な
ど、こうした非臨床試験の成績を踏まえて始めて治験薬をヒトに投与する段階がフェーズ
Ⅰ試験である 15)。
こうした前臨床試験で十分な薬効と安全性が認められた薬剤はこのフェーズⅠ試験にて、
後の臨床試験のために必要と想定される用量範囲の認容性を決定し、予期される薬物有害
反応の性質を判断するために行われる。これらの試験には通常、健康な治験志願者を少数
募集して薬剤を投与し、まず薬効よりも安全性や薬物の体内動態を確認する。この段階は、
初めて医薬品がヒトに投与されるため、投与量の設定には細心の注意が要求される。
)
15
杉山、津谷 [2006]、p.9
27
フェーズⅡ試験では、前期フェーズⅡ、後期フェーズⅡと分かれ、フェーズⅠより得ら
れた医薬品候補薬の安全性、薬物動態、薬理作用に関する情報をもとにして、治験薬の有
効性が予測される患者層を対象にした治療効果の探索が行われる。前期フェーズⅡ試験で
は、この段階で初めて少数の患者を対象として、有効性と安全性を評価する事が目的とな
る。この段階では安全性が主たる目的であるが、有効性についての情報を得る必要がある
ため、比較的均質な集団になるよう選択された患者が対象とされる。しかしながら、適応
症の推定を行うためには、ある程度、患者層に幅をもたせる事も行われ、ここでの大きな
目的は臨床用量設定の根拠を得る事である。後期フェーズⅡ試験では、フェーズⅢ試験で
実施する用法・用量の至適用量幅を決定する事になり、この段階では治療対象となる患者
群を決定する事も目的の1つであり、対象となる患者の幅は広げられる 16 )。
フェーズⅢ試験はもっとも代表的な検証試験であり、ここでの主たる目的は、フェーズ
Ⅱまでに得られた医薬品候補薬の適応症や対象患者群における有効性と安全性の成績を検
証する事である。この試験では有効性が期待される疾患を有すると診断された多数の患者
が対象となる。全国の多施設で実施されるため、担当医師への試験目的、投与量、投与方
法、被験者の選定などを明確にし、実施計画書の遵守を徹底させる必要があり、また担当
医師の評価判定の偏りをできるだけ小さくする事が求められる。この段階では、薬効評価
に関わる変動を克服する試験方法が採られる。この変動には、①自然経過における変動、
②個体間の変動、③心理的、社会的な変動等があり、このためプラセボ(疑似薬:効果の
まったくないもの)、あるいはすでに有効性が確立している標準薬を対照として、ランダム
化比較試験を実施する事が原則である。このランダム化比較試験は二重盲験法(バイアス
を避けるために、被験者、担当医師ともにいずれが試験薬であるのか対照薬であるのか知
らされない方法)を採用する事が多い 17)。
フェーズⅣ試験(図 2-1 では育薬―市販後臨床)について述べると、医薬品の承認までに
評価されるのはフェーズⅢ試験までの成績であり、承認前に対象となる患者数は多くて数
千名であるが、一方、承認後に新薬が投与される患者数は数千万人及ぶ場合もある。また
フェーズⅢまでは比較的軽症、中等症の患者群が対象となり、重症例、多剤併用例、妊婦、
小児、老年者は対象から除外されるのが一般的である。承認後では、医薬品が長期間に渡
って使用され、また多種多様の併用薬や様々な病態など、投与される患者背景が増幅され
てくる。フェーズⅢ試験までは当該医薬品の有効性・安全性の評価に限度があり、新医薬
品についての真の評価を行うためには、多種多様な病態を有する多数の患者における情報
を収集し、評価するために実施される 18)。
このように医薬品はさまざまな試験をクリアしなければならないため、医薬品の開発期
間は図 2-1 に示すように圧倒的に長いのが特質となる。先に述べた慎重な試験と開発期間の
長さ、加えて年々進歩する創薬基盤技術の導入(遺伝子情報解析、創薬技術の革新、医学・
)
)
18)
16
17
杉山、津谷 [2006]、p.10
杉山、津谷[2006]、p.11
杉山、津谷[2006]、p.11
28
薬学の進歩等)など研究開発のインフラ整備も含め、新たな投資が継続的に必要である事、
信頼性、質の高い臨床試験の実施、海外での研究開発の促進など、さまざまな要因が莫大
な研究開発投資を必要としているが、結果は、現在に至るまでに年々新薬開発の成功率は
低下する傾向にある。1992 年~1996 年での新薬成功確率が 6053 分の1 19 )であるのに対
し、2006 年では 19817 分の 1 と 3 分の 1 に創薬力が落ちている 20)。
この事は以前よりも開発リスクが高まっており、研究開発費の高騰に拍車をかけている。
第3節
日本医薬品産業の特質
この節では、日本医薬品産業の特質について、第1に「医薬品事業独自に見られる事業
特質」を考察し、第2に「医薬品産業と他産業の比較」「医薬品産業共通に見られる特質」
を考察し、第3に「日本医薬品市場の特質」について考察して行く。
第1に医薬品事業を事業ドメインの側面から捉えると非常にシンプルなものである。ハ
イテク産業や IT 産業等においては、企業として自らの事業ドメインが不明確であり、その
ため自らの事業ドメインの設定、明確化を行い、それを確実に事業遂行する必要がある。
しかし医薬品ビジネスの場合、人の命、健康に貢献するべく、良質な医薬品を社会に提供
する事が各社共通の企業目標であり、それを行うための事業ドメインは明確である。医薬
品事業における成長戦略は、画期的な医薬品を研究開発して、それをいかに効果的にマネ
ジメントするかであり、シンプルながらそれをいかに的確に、効率的に遂行して行くかが
重要である。
第2に医薬品産業は本来典型的なハイリスク・ハイリターン型の知識集約産業である。研
究開発におけるリスクには「製品化リスク」と、「開発費回収リスク」があり、製品化リス
クとは、研究開発活動の成果として新製品が生まれるかどうかに関するリスクであり、開
発費回収リスクとは、開発には成功したが、その新製品が市場で受け入れられ、期待通り
の収益が得られるかどうかのリスクである。医薬品事業は製品の研究、開発、販売まで 10
年以上の長期を要し、しかも成功確率は約 19000 分の1程度という極めて製品化リスクの
高いビジネスである。
次に開発費回収リスクであるが、多額の研究開発費をかけてようやく製品化に成功しても、
同効品に先んじられたり、より優秀な競合品が予期した以上に早く出現し、需要が変化し
たりするなど、期待通りの売上げが得られない場合がある。前節で指摘したように医薬品
研究開発は不確実性の高い特質をもっており、他産業界と比べて高リスクな産業であると
同時に、こうした特質を持っているため医薬品産業では高リスクに耐えうるために利益率
(売上高税引き後利益率)の高さは他産業に比べ顕著である。表 2-1 に示されるように自動
車、家電等の他の産業が利益率(売上高税引き後利益率)10%を越える事はほとんどない
)
)
19
20
日本製薬工業協会[2006]、p.8
日本製薬工業協会[2008]、p.8
29
が、医薬品企業の利益率の平均値は 12%である。
さらに伊丹[2006]は、日本医薬品産業の特質について、アメリカと日本の上場、公開企業
を分析し、医薬品企業の売上高営業利益率(return on sales;ROS)を評価項目とし、さ
らに優良企業(上位 10%企業)、平均企業(中央値企業)、下位企業(下位 25%企業)と階
層別に比較検討している。表 2-2、表 2-3、表 2-4 からアメリカ医薬品産業の ROS を直近 5
年間平均で見れば、優良企業は 27.2%、平均企業では-20.4%、下位企業では-343.6%であり、
アメリカ医薬品産業内では格差が大きく、産業内の過半数の企業が営業赤字という状態で
ある事を指摘している。
表 2-1
知識集約型産業の収益性比較
(産業別)
(単位:%)
年 度
売上高税引後損益率
医薬品
使用総資本事業利益率
(21社)
自己資本税引後利益率
売上高税引後損益率
コンピュータ・電機
使用総資本事業利益率
(5社)
自己資本税引後利益率
売上高税引後損益率
電子機器部品
使用総資本事業利益率
(54社)
自己資本税引後利益率
売上高税引後損益率
民生用電気機器
使用総資本事業利益率
(19社)
自己資本税引後利益率
売上高税引後損益率
自動車
使用総資本事業利益率
(10社)
自己資本税引後利益率
売上高税引後損益率
光学機器
使用総資本事業利益率
(7社)
自己資本税引後利益率
売上高税引後損益率
製造業
使用総資本事業利益率
(882社)
自己資本税引後利益率
1996
6.1
9.6
8.1
1.1
3.3
4.2
5.3
8.8
7.6
1.9
5.5
5.3
2.2
5.6
8.8
3.8
6.9
8.0
2.0
5.1
5.6
1997
5.2
9.4
6.5
△0.2
2.6
△0.7
5.8
10.3
8.3
1.8
5.6
5.0
1.9
5.1
6.9
2.9
6.2
6.1
1.5
4.9
4.2
1998
6.1
10.6
7.0
△2.1
0.8
△8.3
4.2
8.1
5.5
0.9
3.6
2.4
1.9
5.3
7.0
△0.1
3.9
△0.1
0.6
3.8
1.5
1999
7.1
11.3
7.9
0.2
2.5
1.0
5.0
9.2
6.7
1.3
3.2
3.4
△0.2
4.5
△0.6
0.5
5.4
1.0
0.7
4.3
1.9
2000
7.3
10.7
7.5
1.3
4.5
5.9
8.9
11.6
12.3
0.7
3.6
2.0
1.5
5.1
5.1
2.9
7.7
6.8
1.7
5.3
4.5
2001
9.7
11.3
9.6
△5.6
△1.3
△25.6
1.6
3.9
1.8
△2.1
0.7
△5.5
3.5
6.7
11.0
△0.1
5.1
△0.3
0.1
3.4
0.2
2002
9.2
12.0
8.6
△0.4
2.0
△2.2
3.4
6.3
3.8
0.4
2.6
1.1
4.3
7.6
13.7
1.8
6.1
4.4
1.6
4.9
4.3
2003
11.8
12.6
10.5
0.5
2.8
3.3
5.3
7.7
6.3
1.2
3.0
3.5
4.7
8.0
14.8
3.6
6.5
9.4
2.7
5.9
7.0
2004
11.6
12.6
9.6
1.0
3.8
5.3
5.7
8.0
6.8
0.6
3.1
1.7
4.0
7.7
11.9
1.8
4.9
5.1
3.3
6.9
8.4
2005
12.8
14.1
11.4
1.0
4.0
5.0
6.4
8.7
7.7
0.4
3.3
1.1
5.0
8.1
14.2
3.0
8.3
8.8
3.8
7.4
9.4
2006
13.1
13.1
10.2
1.1
4.0
5.3
7.2
9.6
8.6
1.6
3.9
4.4
5.0
7.9
14.1
5.3
11.2
14.4
4.1
7.6
9.8
[注1] 事業利益:営業利益+受取利息・配当金
[注2] (調査対象医薬品会社:協和発酵,武田,アステラス,大日本,塩野義,田辺三菱,日本新薬,富山化学,中外,科研,エーザイ,森下仁丹,ロート,持田,エスエス,扶桑,ツムラ,キッセイ,
栄研化学,沢井,第一三共)
出所:日本製薬工業協会『DATABOOK 2008』2008 年、p.15 より
表 2-2
優良企業の ROS 日米比較
30
(単位:%)
日本
全産業平均
IT
自動車
小売
化学
家庭用品
重工・産業用機械
紙・パルプ
医薬品
鉄鋼
飲料
電子部品
11.8
11.9
7.2
7.8
9.9
13.6
12.2
9.2
23.6
10.2
11.3
13.3
過去20年間平均
日米格差
米国
(米国-日
18.5
6.7
18.1
6.2
11.4
4.2
11.2
3.5
17.4
7.5
21.7
8.1
14.6
2.4
16.8
7.6
29.1
5.4
20.9
10.8
20.2
8.9
22.2
8.9
日本
12.7
13.0
8.7
9.3
11.3
19.9
12.3
9.6
23.4
9.4
8.0
14.3
直近5年間平均
日米格差
米国
(米国-日
15.6
2.9
13.9
0.9
10.2
1.5
10.4
1.1
14.6
3.3
18.8
-1.1
12.6
0.3
12.5
2.9
27.2
3.8
12.2
2.8
20.5
12.5
18.8
4.5
注1)優良企業とは、各産業内の上位10%に位置する企業を指す。
注2)各産業の値は売上高営業利益率の時系列データの単純平均。全産業平均の値は、各産業の値の単純平均で算出。
過去20年間平均は1985年から2004年まで、直近5年間平均とは2000年から 2004年までを対象としている。
出所:伊丹
表 2-3
平均企業の ROS 日米比較
日本
全産業平均
IT
自動車
小売
化学
家庭用品
重工・産業用機械
紙・パルプ
医薬品
鉄鋼
飲料
電子部品
敬之 『日米企業利益率格差』2006 年、 p.135 より
5.1
4.5
3.6
2.5
4.8
6.4
4.4
4.5
11.0
4.4
5.2
5.4
過去20年間平均
日米格差
米国
(米国-日
6.1
1.0
3.2
-1.3
5.8
2.3
4.9
2.4
7.9
3.1
8.3
1.9
7.4
3.1
9.0
4.5
0.7
-10.3
5.4
1.0
8.9
3.7
5.6
0.2
(単位:%)
日本
5.3
3.9
4.2
2.6
5.2
8.8
4.2
3.5
11.6
4.1
4.6
5.3
直近5年間平均
日米格差
米国
(米国-日
1.3
-4.0
-4.6
-8.5
4.1
-0.1
3.5
0.9
4.2
-1.0
5.1
-3.7
5.6
1.4
6.7
3.2
-20.4
-32.0
3.6
-0.5
6.4
1.8
-0.2
-5.5
(注)各産業の値は売上高営業利益率の時系列データの単純平均。全産業平均の値は、各産業の値の単純平均で算出。
過去20年間平均は1985年から2004年まで、直近5年間平均とは2000年から2004年までを対象としている。 出所:伊丹
表 2-4
敬之 『日米企業利益率格差』2006 年、p.135 より
下位企業の ROS 日米比較
31
(単位:%)
日本
全産業平均
IT
自動車
小売
化学
家庭用品
重工・産業用機械
紙・パルプ
医薬品
鉄鋼
飲料
電子部品
2.9
2.1
2.1
1.2
3.1
3.5
1.9
2.5
7.3
1.9
2.8
2.9
過去20年間平均
日米格差
米国
(米国-日
-11.8
-14.6
-12.2
-14.3
2.8
0.7
2.2
0.9
1.2
-1.9
2.0
-1.5
3.3
1.4
5.9
3.4
-132.4
-139.7
1.8
0.0
2.6
-0.1
-6.6
-9.6
日本
2.7
1.2
2.3
1.2
3.0
5.2
1.0
1.9
7.5
1.2
3.1
2.0
直近5年間平均
日米格差
米国
(米国-日
-38.5
-41.2
-36.2
-37.4
-0.6
-3.0
0.6
-0.7
-10.5
-13.5
-5.2
-10.4
-0.3
-1.3
3.1
1.1
-343.6
-351.1
-0.1
-1.3
-2.8
-5.9
-28.0
-30.0
注1)下位企業とは、各産業内の下位25%に位置する企業を指す。
注2) 各産業の値は売上高営業利益率の時系列データの単純平均。全産業平均の値は、各産業の値の単純平均で算出
過去20年間平均は1985年から2004年まで、直近5年間平均とは2000年から2004年までを対象としている。
出所:伊丹
敬之 『日米企業利益率格差』2006 年、p.142 より
一方、日本医薬品企業でのROSの直近 5 年間平均は、優良医薬品企業(上位 10%企業)は
23.4%、平均企業では 11.6%、下位 25%企業では 7.5%であり、アメリカと比較して産業内格
差が小さく、全ての階層で営業利益を上げている 21)。
この日米医薬品企業の利益率比較の結果は、日本では公的保険医療に守られた規制産業で
あるという要因が大きく、本来自由競争のアメリカ医薬品市場と比較しても、日本医薬品
産業は規制によってローリスクハイリターンの市場構造を成しており、各階層の医薬品企
業が利益を出す事ができる日本医薬品産業の特質を示していると考える。
第 3 に「研究開発投資の大きさ」が医薬品産業の特質として挙げられる。ここでは他産
業と比較して論じる。2006 年の売上高研究開発比率で日本医薬品産業の平均は 10.95%で
あるが、自動車や家電の大手企業では一桁前半、全製造業の平均は 3.65%程度である。し
かし表 2-5 によれば 1985 年から経時的に見てみると医薬品産業の平均は 1985 年 7.04%か
ら 2006 年 10.95%(3.95%アップ)へ、製造業全体は 1985 年 2.69%から 2006 年 3.65%
(0.96%アップ)であり、医薬品産業の研究開発投資への割合が年々高くなってきている。
表 2-5
)
21
日本の産業別研究費の対売上高比率
伊丹[2006]、pp.131-144.
32
産業別
全産業*1
農林水産業
鉱山
建設業
製造業
食品工業
繊維工業
パルプ・紙工業
印刷工業
医薬品
科学工業
総合化学・化学繊維
油脂・塗料
その他の化学工業
石油・石炭製品工業
プラスチック工業製品
ゴム製品工業
窯業
鉄鋼業
非鉄金属工業
金属製品工業
機械工業
電気機械器具工業
電子応用・電気計測器工業
その他の電気機械器具工業
輸送用機械工業
自動車工業
その他の輸送用機械工業
精密機械工業
その他の工業
情報通信業
ソフトウェア業・情報処理業
1985
2.31
0.24
1.03
0.49
2.69
0.77
1.18
0.71
―
7.04
3.79
2.80
3.14
3.61
0.38
1.75
2.86
2.61
1.94
1.92
1.59
2.74
―
―
―
2.90
2.96
2.61
4.49
0.97
―
―
1990
2.78
0.50
1.13
0.54
3.36
0.98
1.76
0.88
―
8.02
4.89
4.01
3.90
4.06
0.64
2.37
3.20
2.60
2.33
1.80
1.60
2.99
―
―
―
3.65
3.73
3.20
5.94
1.21
―
―
1995
2.73
0.43
0.98
0.45
3.43
0.99
1.76
0.90
―
8.03
5.30
4.08
4.47
4.75
0.54
2.64
3.37
2.39
1.96
2.35
1.35
3.26
―
―
―
3.34
3.46
2.74
5.16
1.50
―
―
2000
3.01
0.58
0.99
0.48
3.70
1.01
2.17
0.98
―
8.60
5.36
3.64
4.43
5.11
0.24
2.38
3.64
2.48
1.64
2.37
1.70
3.93
―
―
―
3.90
4.09
2.86
6.34
1.70
―
5.79
2001
3.29
0.54
1.24
0.42
4.03
0.96
1.87
1.09
―
8.52
5.73
4.07
4.71
5.07
0.26
2.83
4.02
2.84
1.67
2.49
1.49
4.16
―
―
―
4.25
4.44
3.15
6.58
1.79
―
3.69
2002
3.06
0.58
0.93
0.39
3.99
1.08
2.25
1.16
1.35
8.91
3.59
3.90
4.13
2.95
0.23
2.44
4.20
2.53
1.50
2.45
1.39
4.43
5.20
4.98
5.26
4.35
4.56
1.87
7.77
1.82
1.97
2.41
2003
2.98
0.74
0.93
0.42
3.71
1.06
1.70
1.16
1.26
8.43
4.13
3.66
4.34
5.13
0.23
2.47
4.34
2.30
1.45
2.13
1.25
4.12
5.05
5.14
5.02
4.40
4.63
1.69
6.26
2.14
2.08
3.13
2004
3.11
0.70
1.27
0.40
3.87
1.11
1.88
1.28
1.23
8.64
4.08
3.75
4.16
5.00
0.24
2.27
4.33
2.28
1.32
2.20
1.45
4.08
4.97
5.10
4.92
4.56
4.80
1.55
7.44
2.58
2.29
4.09
2005
3.08
0.75
1.29
0.40
3.87
1.30
2.43
1.24
1.35
10.01
3.92
3.48
4.18
5.03
0.22
2.09
4.31
2.32
1.05
1.77
1.89
3.99
4.72
4.48
4.81
4.47
4.72
1.50
7.69
2.04
2.16
3.23
(単位:%)
2006
2.99
0.83
0.88
0.40
3.65
1.20
2.14
1.17
1.87
10.95
3.10
2.63
3.96
4.16
0.25
2.64
3.99
2.01
1.01
1.57
1.18
3.72
4.98
5.22
4.91
4.31
4.48
1.62
7.52
1.84
1.88
2.58
出所:総務省「化学技術研究調査報告(2007 年 12 月 11 日付)
」より
また新薬開発費用に関しては、さまざまな研究が行われ、1990 年代のデータを活用した
タフツ大学(アメリカ 2001 年)の報告を図 2-5 に示す。図 2-5 によると世界的な医薬品企
業が新規化合物1品目を市場に投入するまでの開発コストは、8 億ドル(約 900 億円)に達
する。この数字には製品として市場に出なかった物質に対するコストも考慮されている。
タフツ大学によれば、このコストは年々上昇していて 1970 年代のデータでは 3.4 億ドル、
1980 年代のデータでは 4.6 億ドル、1990 年代では 8 億ドルと高騰してきている。
図 2-5 新規化合物 1 品目を上市するための研究開発コスト、時系列的変化:海外データ
33
Millions of 2000$
900
800
700
600
500
400
300
200
100
0
802
466
336
318
214
84
探索・非臨床
1970年代認証
54
104
臨床
1980年代認証
138
合計
1990年代認証
出所:Di Masi, Hansen & Grabowski, The price of innovation: new estimates of drug development costs, Journal of
Health Economics 22 (2003) pp. 151–185 より
この理由としては、多くの点が指摘されるが、研究開発における不確実性の増大、研究
分野の拡大に伴うコスト、特に図 2-5 に示されるように前臨床開発よりも臨床開発にかかる
費用の方が高い伸びを示し、1つの医薬品を開発するために、多数の症例を組み入れるた
めにコストが大きく上昇している事が原因であると指摘されている 22 )。
第4に製品としての医薬品の特質が、生命関連性(有効性、安全性)
、公共性(社会の責
任=医療)、高品質性、安定供給の確保が必要であり、そのため医薬品産業は規制との関わ
りあいが強い「規制産業」である事があげられる。その規制は、人の命と関連性が高いた
め、研究開発プロセスにおける有効性、安全性の試験が極めて慎重に行われるためであり、
医薬品の研究開発プロセスでは、有効な化合物が見つかったからといって、すぐにヒトに
試すことはない。
また日本医薬品市場は、研究開発規制に加え、以前は医薬品卸などの流通も国内メーカ
ー系列に色分けされており、外資系または国内の異業種(食品、化学など)メーカーも参
入しにくかった。そのため欧米企業が海外で画期的な新薬を開発しても、そのほとんどが
日本の医薬品企業との合弁販売会社を作り、さらに販売委託の形で契約しない限り、日本
市場には参入できなかった。外国資本の流入も 1975 年以降に漸く 100%自由化と物質特許
制度が施行され、この頃になり漸く日本の医薬品企業の研究開発が活発になってきたこと
は前章で示した。
さらに当時の日本の医薬品産業を象徴していたのが類似性医薬品である。通常は新薬発
売から一般に 10 年程度は特許(製品特許は 20 年)で守られているが、医薬品は化学構造
) 木村[2008]、p.222
22
34
式をわずかに変えただけでも新規特許として認められるケースもあり、化学構造を多少変
更しても有効性や副作用はあまり変わらないため、新薬にもかかわらず、独創性の点では
劣ってしまう傾向があった。つまり、欧米医薬品企業が国境を越えた新薬開発・販売網構
築競争にしのぎを削る中、日本市場では「類似性医薬品」のような革新性のない製品が横
行してしまったという歴史があった。こうした事も日本医薬品市場から見た「医薬品」自
身の特質に影響を及ぼしている状況も考察されなければならない。
第5は、日本医薬品市場は景気に左右されにくい市場であるという事である。日本医薬
品市場の推移を見ると、医療用医薬品は医療保険制度の中で公定価格であるために価格競
争が起こりにくく、周りの環境が変化をしても市場が安定しているという大きな特質を持
っている。
その理由の1つに薬価基準制度がある。薬価基準制度は、医療保険制度の中で治療のた
めに用いる事のできる医薬品の「品目」と医療機関が購入すべき「価格」とを薬価基準と
して厚生労働大臣によって定められている。
医薬品は公的価格として存在し、国から決められる医薬品の価格「薬価」は国における
算定方式(類似薬効比較方式Ⅰ、類似薬効比較方式Ⅱ、原価計算方式)によって決定され、
開発した企業に価格決定権は存在しない。またその価格は自由価格制度を採用するアメリ
カ、イギリス、ドイツなどに比べて安価になる傾向になっている。
日本の新薬の価格が外国価格に比べて低くなるのは、度重なる薬価改定 23 )により、類似
薬効方式で算定する際の比較薬の価格が低下したことと、日本の薬価算定が公定価格であ
るのに対して、アメリカ、イギリス、ドイツでは新薬の価格設定は原則として医薬品企業
が価格を決められる制度となっている事も一因となっている。その結果、日本医薬品企業
の新薬開発意欲を損ない、国際競争力への低下に繋がる可能性も指摘されている 24)。
さらに欧米医薬品市場では特許が切れた新薬は、ただちに後発医薬品に切り替わってし
まい、今まで高い薬価で高収益を得ていた企業の売上げが急減してしまうケースがほとん
どである。しかし日本市場では後発品市場が未発達な上、特許が切れた新薬でも薬価は時
間をかけてゆっくりと価格が下がって行くために、経営基盤が一気に揺らぐ事はない。
表 2-6 で示すように、後発医薬品の日本医薬品市場シェア率は先進国最低であり、日本医
薬品市場の特質の1つとなっている。
価格競争が起こりにくい理由の2つ目は、医療用医薬品の場合、その消費者である患者
は、自己の疾病の内容およびその疾病に用いられるべき医薬品についてほとんど知識を持
っておらず、従って医薬品の選択は医師に委ねられねばならないという意味で、患者は消
費者能力を欠いており、消費者主権は患者に関しては成立しえない状況にある。
表 2-6
各国後発医薬品シェア
) 薬価改定:薬価基準は、医療用医薬品の公定価格として実際の購入価格が反映されている事が前提となるが、実際の取引では医療機
関によって購入量などの取引条件が異なるため、市場価格は1つではない。厚生労働省は「医療機関の平均購入額を保証する」という考
え方に基づき、薬価基準収載医薬品の市場価格を正しく薬価に反映させるため、市場価格の調査(薬価調査)を行い、原則として2年に
1度の薬価改定を行って来た。
23
) 日本製薬工業協会[2008]、p.28
24
35
後発医薬品シェア(単位:%)
国名
数量
16.8
56
41
49
12
日本 (2004年) アメリカ (2005年)
ドイツ (2004年)
イギリス (2004年)
フランス (2004年)
金額
5.2
13
23
21
6
日本:医薬品工業協議会、米:Generic phamaceutical association、英、独、仏:European generic medicines association
出所:厚生労働省医政局経済課「創薬の未来」2007 年、p.84 より
また、医薬品は生命関連商品であり、患者にとって不可欠な製品であるため、高価格を
理由に購入を断念することが少ない事、また他方、前述したように医薬品は公定価格であ
るため、企業自身が価格を引き下げることによって、その需要の拡大をはかることも不可
能な市場であり、言い換えると、医薬品は他の製品に比べ価格弾力性が低いということが
指摘できる。
第6に日本医薬品産業の特質として企業数が非常に多いという事である。日本の医薬品
企業数は 1400 以上あり、表 2-7 で見てみると医薬品産業上位 10 社での売上高集中度は約
50%程度であるが、自動車産業(完成品メーカー)の場合は、10 社に満たない数で売上高
集中度 100%になり、こうした事からも医薬品産業では売上高上位集中度が低い事が指摘さ
れる。ここでの売上高上位集中度とは産業全体の売上高や出荷額に占める上位企業占有率
の事を指すが、医薬品産業は自動車や家電などの産業分野と比べて低い状況にある。
表 2-7
日本医薬品産業の集中度
医療用医薬品売上高
区分
単位:百万円,( )内は医薬品売上高比,単位:%
12年度
13年度
14年度
15年度
16年度
17年度
上位 5社
1,900,388
( 28.8) 2,128,932
( 29.8) 2,331,220
( 30.6) 2,430,504
( 31.1) 1,907,996
( 29.3) 3,157,497
( 38.4)
上位10社
2,884,338
( 43.7) 3,199,932
( 44.8) 3,481,506
( 45.7) 3,614,420
( 46.3) 2,916,893
( 44.7) 4,423,092
( 53.7)
上位30社
4,811,890
( 73.0) 5,341,604
( 74.8) 5,714,917
( 75.0) 5,948,044
( 76.2) 5,064,693
( 77.7) 6,554,535
( 79.6)
上位50社
5,721,132
( 86.8) 6,287,694
( 88.1) 6,696,577
( 87.9) 6,916,169
( 88.6) 5,894,055
( 90.4) 7,410,294
( 90.0)
上位100社
6,382,760
( 96.8) 6,925,032
( 97.0) 7,392,427
( 97.0) 7,585,436
( 97.1) 6,342,102
( 97.3) 8,049,760
( 97.8)
医療用医薬品
売上高
6,593,334
(100.0) 7,140,400
(100.0) 7,621,009
(100.0) 7,809,980
(100.0) 6,518,445
(100.0) 8,229,417
(100.0)
1,396
1,391
1,347
1,342
1,279
1,231
集計企業数
出所:厚生労働省『医薬品産業実態調査』平成17年度より
この産業集中度の低さは、規制によって存続している企業が多数存在している事を意味し
ており、産業内の効率性の悪さを示しているものと考える。
第 7 に日本医薬品産業においてはMR 25 )が非常に多く、人海戦術を採った営業戦略が特
質であり、この特質を2つの点から指摘する。
25) MR:医薬情報担当者Medical Representative、MRと略す)多くのMRは製薬会社に所属し、自社の医薬品情報につ
いて医師をはじめとする医療従事者に提供し、副作用情報を収集することを主な業務としている。
36
医薬品は生命関連物資であり、それぞれ品目別に多少の差はあるが、人体にとっていず
れも異物であるため、医薬品企業として、自社製品の品質・有効性・安全性・使用法(使
用上の注意含む)について、その使用者である医師や販売業者へ、一般用医薬品について
は消費者へ情報を伝達することは当然の責務である。医薬品に関する情報は、製品に添付
してある添付文書(いわゆる効能書き)に記載されているが、添付文書による情報提供だ
けでは不十分であり、最新の医学・薬学情報や製品に関する新知見などを医師や薬局へ提
供する必要が生じている。そこで、この任務を遂行するために医薬品企業のMRが、医薬
情報の伝達だけでなく、医薬品が使用された結果得られる様々な臨床成績や医師からの要
望、さらに副作用の発生や不良品などのクレームを収集し、速やかに企業へフィードバッ
クしなければならない立場にある。
さらに第4で述べた通り、日本医薬品市場では「類似性医薬品」のような革新性のない
製品が横行してしまったという歴史から、当時の日本医薬品市場における製品競争におい
ては製品の優劣がほとんどないために、日本独自の商慣行による営業を主体とした企業経
営が成り立って来た。そのような背景を踏まえ、日本医薬品企業従業員の部門別比率を見
てみると、2005 年で管理部門 13.7%、製造部門 27.8%、研究部門 16.6%、営業部門は全従
業員の 41.9%、その内、MRは営業部門従業者の 26.2%を占め 26)、その占有率が非常に高
い。
また、政府による薬剤費抑制政策により市場が縮小化しているとはいえプロモーション
戦略による製品差異化、需要創造の余地は残している。それは医師の9割がMRを薬剤情
報源として有用であると認識しており、さらにMRの活動によって薬剤の処方に 3 割の医
師に影響があると答えている 27 )。
つまり日本医薬品企業の場合では人海戦術が主流であり、医師と面会を実現できること、
加えて医師に薬剤の紹介回数と売上げが比例するかどうかに営業マネジメントの主体が置
かれた確率論にあるため、営業の戦術は人材投入による「病院への訪問回数」、「医師に対
する薬剤の紹介回数」における営業管理が、今でも積極的に行われている。
以上のように、医薬品産業の特質を述べ、世界の医薬品産業の共通の特質として 4 つ、
日本医薬品産業の特質を 3 つ挙げ、合計7つの医薬品産業の特質を指摘した。
) 厚生労働省「医薬品産業実態調査報告書」より、医薬品売上高3億円以上を対象とし、従業員は医薬品部門に限定し
た調査対象 71 社の調査
27)「月刊ミクス」2008 年 1 月号 p.19
26
37
第3章
日本医薬品企業におけるグローバル化の戦略パターン
第1節
「医薬品産業ビジョン」から見る日本医薬品企業戦略
2002 年に厚生労働省から医薬品産業の将来へのビジョンを示すため「生命の世紀を支え
る医薬品産業の国際競争力強化に向けて(医薬品産業ビジョン)」が策定された。
さらに 2007 年には「新医薬品産業ビジョン」として改訂され、医薬品産業政策の基本的
な考え方、医薬品産業を取り巻く環境の変化、医薬品産業の現状と課題、医薬品産業の将
来像、革新的新薬創出のための具体策について取りまとめられた。
この節では、2002 年と 2007 年に改訂された「医薬品産業ビジョン」を比較検討し、
「医
薬品産業ビジョン」で指摘されている「日本医薬品産業の将来像」を中心に考察する。
第1章と第2章で見たように日本医薬品市場もグローバル化が進展しており、
「医薬品産
業ビジョン」でもグローバル化における日本医薬品市場のあり方として、「医薬品産業を日
本経済のリーディング産業と発展させて行く観点からすれば、国内資本の医薬品企業にも
厳しい国際競争の中で生き残る必要があるが、この点と欧米医薬品企業の日本市場への進
出とは別であり、日本の医薬品市場が国際競争力を有して行くために、欧米医薬品企業の
積極的な進出は歓迎すべきことである 1 )」と指摘しており、日本医薬品市場のグローバル化
を推奨している。
しかしグローバル化の進展によって、さらに日本医薬品産業の国際競争力の低下が進ん
でいる。「世界の主要医薬品企業では世界同時開発が主流となる中で、国際共同治験に日本
が取り残されていること、世界各国でイノベーションの認識が急速に高まり、研究開発の
国際競争が政府レベルで進んでいること、さらに世界の医薬品企業における企業の合併買
収等の動きが一層進み、日本の医薬品業界においても大きな企業合併が動き始めたこと、
一方ベンチャー企業の興隆、さまざまな受託を行う企業の増加など、多様な関連産業が発
展していることからも前回策定した「医薬品産業ビジョン」時点から大きく環境が変化し
ている 2)」と指摘している。特に研究開発分野では「医薬品産業ビジョン」から5年が経過
し、生命科学分野の研究開発の動向、特にヒトゲノムの解読を終え、ポストゲノム研究が
発展し、それを受け医薬品分野では、抗体医薬や分子標的薬といった新薬開発競争がさら
に激化している。
このような環境変化を踏まえた上で、日本医薬品市場の現状と課題について、前回の「医
薬品産業ビジョン」と「新医薬品産業ビジョン」を比較検討する。
日本医薬品市場において外国オリジナルの医薬品シェアが伸び、一方欧米諸国で販売さ
れている医薬品の日本市場への販売が遅れている問題が明らかになってきている。また「産
業の国際競争力という観点で見ても、過去5年間の取り組みにも関わらず、日本医薬品産
) 厚生労働省[2002]、p.3
) 厚生労働省[2007]、p.7
1
2
38
業の国際競争力の強化が進展したとは言い難く、その結果、日本医薬品産業の国際競争力
は伸びず、創薬環境、市場そのものの国際競争力も失われかけている 3)」と指摘されている。
以上、「新医薬品産業ビジョン」から指摘されたグローバル化の進展と日本医薬品産業の
国際競争力低下の認識に立ち、産業の発展に継続的イノベーションが必須である事を前提
に、日本医薬品産業の将来像について考察する。
日本の大手医薬品企業は、海外展開の進展等により売上高を伸ばしてきているが、世界
の医薬品企業の合併や欧米等の市場拡大もあって売上高をさらに伸ばしたため、表 3-1 に示
すように、2006 年医療用医薬品売上高で日本医薬品企業は、武田薬品工業の世界 17 位が
最高位である。一方でバイオベンチャーであったアムジェンが世界 11 位、後発医薬品企業
であるテバ製薬工業が世界 19 位となっており、従来とは異なるタイプの医薬品企業が日本
の医薬品企業に追いつき、追い越し始めている状況にある 4)。
表 3-1
世界医薬品企業の再編
2001年
順
位
1
2
3
4
5
6
7
8
9
10
11
12
13
14
15
16
17
18
19
20
2006年
売上高
社名
(百万
$)
ファイザー(米)
25,518
グラクソ・スミスクライン(英)
24,973
メルク(米)
21,351
アストラゼネカ(英)
16,057
アベンティス(仏)
15,659
ブリストル・マイヤーズ・スクイブ
15,300
ジョンソン&ジョンソン(米)
14,851
ノバルティス(スイス)
13,519
ファルマシア(米)
11,970
アメリカン・ホーム・プロダクツ(米 10,940
イーライ・リリー(米)
10,856
ロシュ(スイス)
10,200
シェリング・プラウ(米)
8,369
アポット・ラボラトリーズ(米)
6,277
武田薬品工業(日)
5,850
サノフィ・サンテラボ(仏)
5,616
バイエル(独)
5,076
ベーリンガー・インゲルハイム(独) 4,665
シェーリング(独)
4,149
アムジェン(米)
4,016
順
位
1
2
3
4
5
6
7
8
9
10
11
12
13
14
15
16
17
18
19
20
売上高
(百万
$)
ファイザー(米)
45,083
グラクソ・スミスクライン(英)
39,335
サノフィ・アベンティス(仏)
37,461
ノバルティス(スイス)
29,491
ロシュ(スイス)
27,318
アストラゼネカ(英)
25,741
ジョンソン&ジョンソン(米)
23,267
メルク(米)
22,636
ワイス(米)
16,884
14,816
イーライ・リリー(米)
14,268
アムジェン(米)
13,861
ブリストル・マイヤーズ・スクイブ
12,395
アポット・ラボラトリーズ(米)
シェリング・プラウ(米)+オルガノン 12,008
ベーリンガー・インゲルハイム(独) 11,637
バイエル・シェーリングファーマ(独
9,873
武田薬品工業(日)
9,352
ジェネンテック(米)
9,284
テバ製薬工業(イスラエル)
8,408
メルク(独)+セローノ(スイス)
7,718
社名
出所:厚生労働省「新医薬品産業ビジョン」2007 年資料編、p.1 より
3
4
) 厚生労働省[2007]、p.7
) 厚生労働省[2007]、p.27
39
他方、日本医薬品市場に目を向けてみると、日本の国民医療費は 2006 年に行われた医療
制度改革後であっても、その後 2010 年には 33.2 兆円、2015 年には 40 兆円、2025 年には
56 兆円になると推計され、高齢化による影響のみならず、今後の新薬の発売など医療の高
度化を見込んで算出されている 5)。さらに世界の医薬品市場は日本医薬品市場に比較して高
い伸びを示しており、より市場拡大の促進が図られる事が予測されている。この市場の伸
びに対応して日本医薬品産業が発展して行くためには、2002 年の「医薬品産業ビジョン」
で指摘された「多額の研究開発投資を継続して行うためには、ある程度の売上高(企業規
模)も必要である 6)」との見解に加え、2007 年「新医薬品産業ビジョン」では、合併を繰
り返し、大型製品を中心に開発を行う従来型のグローバルメガファーマのモデルに限界が
見え始めているとも指摘しており 7)、日本医薬品企業の適正企業規模での発展を促している。
以上のような環境変化と市場変化、企業発展の形を踏まえて 2002 年の「医薬品産業ビジ
ョン」と「新医薬品産業ビジョン」が示す将来像を比較すると図 3-1 のようになる。
2002 年の「医薬品産業ビジョン」では 10 年後の日本医薬品産業の姿については、企業
間の競争を通じて、産業全体の生産性の向上や産業構造の再編、効率化が進み、その結果、
研究開発費を確保しながら画期的な新薬を世界に提供できる大企業が出現する一方、安価
で良質な後発医薬品に対するニーズが高まり、優良な後発医薬品企業も成長するとの将来
像を示している。
図 3-1
「医薬品産業ビジョン」に見る日本医薬品企業の将来像
医薬品産業ビジョン(2002)
における将来像
新医薬品産業ビジョン(2007)
における将来像
メガファーマ
少なくとも2~3社
メガファーマ
少なくとも1~2社は
グローバルメガファーマへ
グローバルニッチファーマ
スペシャリティファーマ
グローバルカテゴリーファー
マ
ジェネリックファーマ
ジェネリックファーマ
OTCファーマ
OTCファーマ
ベーシックドラッグファーマ
分類無し
異業種、ベンチャー
出所:厚生労働省医政局経済課監修『創薬の未来』2007 年、p.39 より
5
6
7
) 厚生労働省「医療給付の将来見通し」http://www.mhlw.go.jp/bunya/iryouhoken/iryouhoken02/01.html
) 厚生労働省[2002]、p.11
) 厚生労働省[2007]、p.35
40
また医薬品産業の研究開発の成果は、市場で共有、蓄積可能であるため、比較的規模の
小さい企業でも大きな研究開発の成果を生むチャンスがあり、こうしたチャンスを生かし
た中堅の企業が得意分野において成長していくケースも数多くあると指摘し、10 年後の国
際競争力のある日本医薬品産業の構造を次の4つのタイプに分類した 8)。
第1に世界的に通用する医薬品を数多く有し世界市場で一定の地位を獲得する総合的な
新薬開発企業であるメガファーマ、第2に得意分野において国際的に一定の評価を得る新
薬開発企業であるスペシャリティーファーマ、第3に良質で安価な後発医薬品を安定的に
供給し、情報を充実させて販売する企業であるジェネリックファーマ、第4にセルフメデ
ィケーション 9)に対応し、一般用医薬品を中心に開発する企業であるOTCファーマ 10)の4つ
である。
こうしたタイプ分類を行い、日本の医薬品企業においては、戦略的な経営を展開し、専
門分野において国際的な評価を得られるスペシャリティーファーマ、ジェネリックファー
マ、OTCファーマに成長して行く事が求められている。これらのうち、2002 年日本市場の
世界に占めるシェアを考え、少なくとも2、3社はメガファーマとして発展する事が期待
される 11)と指摘している。
さらに 2007 年「新医薬品産業ビジョン」では、「まず第1に世界的に通用する医薬品を
数多く有するとともに、世界市場で一定の地位を獲得する総合的な新薬開発企業、グロー
バルメガファーマである。このうち、今後の世界の医薬品開発をリードするブロックバス
ター中心ではない新しいタイプのグローバルメガファーマを少なくとも1社から2社は目
指すことが求められる 12)」としているが、第2節で具体的に取り上げるため、ここでは詳
しく述べない。
第2に得意分野において国際的にも一定の評価を得る研究開発力を有する新薬開発企業、
スペシャリティーファーマであり、これがさらに分類され、「比較的小さい企業でも大きな
研究開発の成果を活かして成長して行くケースとしてグローバルニッチファーマ、得意分
野に研究開発を絞り込んで国際競争力の強化を図るケース、グローバルカテゴリーファー
マを目指すことが求められる 13)」。
この「新医薬品産業ビジョン」では、グローバルニッチファーマ、グローバルカテゴリ
ーファーマについては、
「国際競争の新たなステージに適応し、適正な規模への拡大、世界
をリードできる領域の追求、競争力のある製品群の充実などが実現すれば世界の主要企業
と新薬開発を競うことは十分可能である 14)」と指摘している。
) 厚生労働省[2002]、p.17
) セルフメディケーション:個人が健康管理に関心を持ち、医療従事者の協力を得ながら健康の維持・増進、ならびに病
気の予防、治療を日常レベルで実行する事を指す。
10)OTC ファーマ:一般用医薬品の事を OTC(Over the Counter Drug)と言い、医師の処方箋を必要としない薬剤を製
造する企業
11) 厚生労働省[2002]、p.17
12) 厚生労働省[2007]、p.36
13) 厚生労働省[2007]、p.36
14) 厚生労働省[2007]、p.35
8
9
41
日本医薬品企業の企業規模を考えると、この領域に該当する企業がほとんどであり、日
本医薬品企業がグローバル化を考える上で、この領域が大きな部分を占めているではない
かと推察する。
ここではグローバルニッチファーマ、グローバルカテゴリーファーマについて考察する。
ニッチとは一般的に、
「隙間あるいは適所と訳され、競争者からの直接の攻撃を避けながら、
その市場への影響力を行使し、十分な利益を上げることのできる市場細分を指す。圧倒的
に強い競争者が市場の大部分を抑えているような状況下で、弱い企業が事業を継続してい
くためには、自社に適合したニッチを探し出すことが重要である 15)」と指摘されている。
コトラー[2003]は「市場ニッチを満たす事を専門とする企業が、ほぼすべての業界に存
在し、市場ニッチャーは市場全体や大きなセグメントさえも追求せず、サブセグメントを
標的とする。市場ニッチャーには経営資源の限られた小規模な企業が多いが、大企業内の
小規模な事業部もニッチ戦略を実施する可能性がある。総市場としては低いシェアを占め
る企業であっても、ニッチ戦略よって高い収益を得ることができる 16)」と指摘している。
またポーター[1995]は企業の業績に多大な影響を与える要因として、組織を取り巻く外
部環境の産業構造や業界のもつ特質に注目した。その枠組みを分析する事を目的としたも
のが「5つの競争要因」であり、「新規参入者」
「供給業者」
「代替品」「顧客」「競争業者」
が挙げられ、それぞれが脅威を持ち、自社に影響をもたらすとされている。
つまり企業が特定の業界において他社に対して優位な競争地位を得るために、自社のポ
ジションをいかに決定するかという事に重点をおいており、それを踏まえ「競争戦略」と
は、業界内で防衛可能な地位を作り、5つの競争要因にうまく対処し、企業の投資収益を
大きくするための攻撃的または防御的アクションであると説明し、ポーターは企業にとっ
て利益をもたらす、競争相手に打ち勝つための3つの基本戦略を提示している 17)。
5つの競争要因に対処する場合、他社に打ち勝つための基本戦略を「コストのリーダー
シップ」「差別化」「集中」の3つの基本戦略を示している 18)。
グローバルニッチファーマ、グローバルカテゴリーファーマは、3つの基本戦略のうち、
「集中」に該当する。
集中戦略は、特定の買い手グループとか、製品の種類とか、特定の地域市場とかへ、企
業の資源を集中する戦略であり、さらに図 3-2 のように「低コスト戦略と差別化戦略は、業
界全部にわたってそれぞれの目的を達成するのを狙いにしているが、集中戦略はそもそも
特定のターゲットだけを丁寧に扱う目的であって、個々の政策もこれを頭に入れて作られ
る。ターゲットを広くした同業者よりも、狭いターゲットに絞る方が、より効果的で、よ
り効率のよい戦いができるという前提から、この戦略が出てくる。特定のターゲットのニ
ーズを十分に満たす事で差別化または低コストが達成でき、また両方とも達成できたりも
)『経営学大辞典第2版』中央経済社 1999 年p.731
) コトラー[2003]、p.823
17) ポーター[1982]、p.55
18) ポーター[1982]、p.56
15
16
42
する。集中戦略は、市場を全体として見る立場からすると、低コストも差別化も達成でき
るわけではないが、狭く絞られた市場ターゲットだけについて見ると、低コストも差別化
も達成できており、集中を果たした企業は、業界の平均を上回る収益が得られるはずであ
る 19)」と指摘している。
ポーターは「集中戦略」のリスクにも言及しており、第1に拡散戦略を取る業者と集中
戦略を取る企業との間のコスト差が開いてきて、絞り込まれた狭いターゲットを取引相手
にするコスト優位が失われ、集中戦略で達成された差別化が相殺されてしまう。第2に戦
略的に絞ったターゲットと市場全体とで要望される製品やサービスの間に、品質面や特長
面の差が小さくなる。第3に戦略的に絞ったターゲットの内部に、さらに小さな市場を同
業者が見つけて、集中戦略を進める企業を出し抜いてしまうという3つのリスクを挙げ 20)、
集中戦略を選択する上で有用性とリスクのバランスを考える事を提示している。
図 3-2
3つの基本戦略
戦略の有利性
低コスト地位
差別化
コストの
リーダーシップ
業
界
全
体
ー
戦
略
タ
顧客から特異性が認められる
ッ
ゲ
ト
特
定
セ
グ
メ
ン
ト
だ
け
集 中
出所:M.ポーター(土岐 坤他訳)
『新訂
競争の戦略』ダイヤモンド社、1995 年、p.61 より
以上のように「新医薬品産業ビジョン」における日本医薬品企業が目指すグローバルニ
ッチファーマ、グローバルカテゴリーファーマは、欧米のグローバルに展開している医薬
品企業にとって魅力的でないために無視されている市場か、もしくは魅力的であっても参
入できないような薬剤のカテゴリーを見つけて、その市場に集中する戦略を推奨している。
さらに「新医薬品産業ビジョン」は「経営トップの強力なリーダーシップの下、企業自
身が成長の鍵となる研究開発・イノベーション促進の観点から、M&Aやアライアンス、
「選
) ポーター[1995]、p.61
) ポーター[1995]、p.71
19
20
43
択と集中」など戦略的な経営の展開に努め、世界同時開発・販売の実現や革新的医薬品の
創出など、国際競争力を強化して行くことが不可欠である 21)」と指摘しており、個々の日
本医薬品企業自身によるグローバル化に対する戦略的な経営を求めている。
第4にベーシックドラッグファーマであるが、新医薬品産業ビジョンにおいては、「医療
を支える基礎的な医薬品、必須医薬品又は伝統的な医薬品を効率的かつ安定的に供給する
企業であり、医療を支える基礎的な医薬品、必須医薬品又は伝統的な医薬品(例えば、ワ
クチン、輸液、血液製剤、局方品、漢方製剤・生薬など)について、今後も質の良い製品
を安定的に供給していけるような企業体質の強化が求められる 22)」と指摘されている。
この分野は、なくてはならない分野の医薬品でありながら、年間売上高が 100 億円に満
たないメーカーも数多く存在している。代表的なメーカーとしては、漢方薬ではツムラ、
局方品では丸石製薬などが挙げられる。
第5に良質で安価な後発医薬品を安定的に、情報提供を充実させて販売する企業(ジェ
ネリックファーマ)である。新医薬品産業ビジョンにおいては、「医療を支える基礎的な医
薬品、必須医薬品又は伝統的な医薬品を効率的かつ安定的に供給する企業。後発医薬品の
市場シェアの拡大が政策課題とされている中で、良質で安価な後発医薬品に対するニーズ
は一層高まると考えられ、安定供給や品質に対する信頼性の向上に寄与する優良な大手後
発医薬品企業の成長が求められる 23)」と策定されている。
第6に一般医薬品を中心に開発する企業(OTCファーマ) 24)である。新医薬品産業ビジ
ョンでは、「国民の健康維持・増進や疾病の予防などのQOL向上のためのニーズが高まっ
ていることを考慮して、スイッチOTC 医薬品 25)を含むOTC医薬品の活用により、健康等国
民の求める新たなニーズにも対応できる一般用医薬品企業の成長が求められる 26)」と策定
されている。
第7に異業種、ベンチャー企業である。異業種の参入については、医薬品を専業としな
い異業種企業は新技術を活用した創薬への積極的参入を目指す事により、日本のバイオテ
クノロジーの発展を担うという大きな役割を果たしてきており 27)、その事例として味の素
やキリンホールディングスなどのバイオ発酵技術を持った企業が以前から参入している。
「新医薬品産業ビジョン」でのベンチャー企業の意味は、バイオテクノロジー等を基幹
技術とし、創薬を目的とした起業型研究開発企業を指しており、「日本においてはまだ存在
感はないが、欧米では創薬に不可欠な存在となっており、日本においても新技術、創薬の
) 厚生労働省[2007]、p.44
) 厚生労働省[2007]、p.36
23) 厚生労働省[2007]、p.36
24) OTC:OTC とは Over The Counter Drug の略で、医師の処方せんがなくても、薬局等で購入できる一般用医薬品の
事であり、薬局のカウンター越しに置かれていることから、「オーバー・ザ・カウンター・ドラッグ」と呼ばれている。
OTC ファーマとは、一般用医薬品を主体に製造している医薬品企業の事である。
25) スイッチ OTC: OTC の中でも、これまでは医師による診察が処方に必要で、医療機関を受診しなければ手に入らな
かった薬が、大衆薬として薬局や薬店で買えるようにスイッチされたものを、スイッチ OTC と言う。
26) 厚生労働省[2007]、p.36
27) 厚生労働省[2007]、p.37
21
22
44
シーズ創出の担い手としての役割が期待される 28)」と指摘している。
以上、2002 年の「医薬品産業ビジョン」では4つのカテゴリーに分類されていたが、2007
年の「新医薬品産業ビジョン」では7つのカテゴリーに分類され、より企業の経営資源の
選択と集中を促す事が示されている。
第2節
日本医薬品企業のグローバル化に関する事例研究
日本医薬品市場に対する欧米医薬品企業の参入、浸透が活発化し、日本医薬品市場もグ
ローバル市場の一部となった。
日本医薬品産業は、1980 年代まで国民皆保険制度の下で年々拡大する日本市場で基盤を
作り成長する事ができた。また 1975 年に日本市場において外国企業の 100%出資可能とな
るまでは、欧米医薬品企業は日本市場で技術供与や合弁会社の設立を通じて提携し、販売
活動は日本医薬品企業に委ねるケースが多かった。
それが 100%外資資本自由化を引き金として、欧米医薬品企業は日本法人を立ち上げ、独
自の販売網を築く体制を作り、より企業間競争が激しくなった。さらに日本政府の薬価抑
制政策が顕著になり始め、日本医薬品市場の成長は鈍化し始めた。このため今まで海外に
目を向ける必要がなかった日本医薬品企業も成長のためには、海外市場へ本格的に取り組
まねばならない状況になってきた。
この節では、グローバル化に日本医薬品企業がどのように対応してきたのかについて具
体的にその過程を明確にする。
本節の分析対象として、武田薬品工業、萬有製薬、中外製薬を取り上げる。
武田薬品工業に関しては、日本医薬品産業のリーディングカンパニーである事、また萬
有製薬、中外製薬に関しては、中規模ながら堅実に経営を行ってきた中で早くからグロー
バル化を意識した医薬品企業であり、現在では萬有製薬は米メルク社の 100%出資子会社で
あり、中外製薬はスイスのロシュ社と戦略的提携を組み、どちらも欧米医薬品企業の傘下
に属してグローバル化への対応を図ろうとしている代表的な医薬品企業である。
この3つの企業の事例を検証する事によって、日本医薬品企業のグローバル展開につい
て考察して行きたい。
(1) 武田薬品工業
1953 年に武田薬品はアメリカン・サイアナミッド社との折半出資で日本レダリー(株)(ワ
イス(株)、現在ファイザー製薬と合併)を設立した。日本医薬品企業として武田薬品は戦
後初めての医薬品合弁会社を作り、同社では、抗生物質「オーレオマイシン」の製造を行
い、同製剤の販売は武田薬品が担当した。
1954 年にはビタミンB1誘導体(ビタミンB1の体内への吸収を高めた製剤)
「アリナミ
) 厚生労働省[2007]、p.37
28
45
ン」の開発に成功し、さらに 1955 年 にビタミンCのアメリカ向け輸出を開始した 29)。
1960 年以降の武田薬品は事業部制を採用して事業の多角化を推進している。この時武田
薬品は、ヨーロッパ型の総合化学会社を目指して、化学品分野、農薬分野、食品分野に経
営を広げた 30)。
武田薬品の国際化について見ると 1957 年に「メキシコ武田」を設立し、1960 年代に入
ると開発した自社品を海外へ展開するため、1962 年台湾での製造会社設立を初め、その後
フィリピン、タイ、インドネシアなど東南アジアに製造販売子会社を設立した。
その後 1980 年代に入ると、当時の社長であった倉林は「世界に通用する新薬をテコに欧
米市場に基盤を築く方針」を掲げ、
「新薬に国境はない。欧米市場へ売り込むことで、多額
の研究開発費も回収できる 31)」と述べ、国際化へのさらなる推進を図っている。
この方針を受け欧米市場での武田薬品の活動は、ビタミン・バルク(原末)の輸出拠点とし
て「ドイツ武田」と「米国武田」を設立していたが、さらに本格的な製品の販売会社とし
て、1978 年にフランスのユクラフ社と合弁で設立した「カセーヌ・タケダ」、1981 年に西ド
イツのグリュネンタールとの合弁で「タケダ・ファルマ」を設立している。
この設立の背景は、1981 年日本医薬品市場の薬価改定で当時過去最高の 18.6%薬価が引
き下げられ、1981 年の日本の医薬品生産額は前年比 5%増と、1950 年以来の低い伸び率に
とどまった。このため武田薬品の業績は 1980 年度、1981 年度と停滞し、日本医薬品市場
はこれまでのような高成長は望めなくなっていた 32)。
1980 年代前半武田薬品は、欧米市場で合弁会社などを通じて医薬品を直接販売している
唯一の日本医薬品企業である 33)にも関わらず、その武田薬品も売上高に占める輸出の割合
が 7%前後で推移している事を前提に倉林は「売上高の 45%が他社からの仕入品の販売だ
から、自社製品だけの輸出比率をとると 10 数パーセントにはなっている。昭和 60 年代中
にはこの比率を 30%に持っていきたい 34)」と、海外展開への具体的な数値目標を示してい
る。
また今後のあるべき武田薬品の国際化について、研究開発部門の観点から当時の森田常
務は「医薬品の国際的な同時開発を進める」方針を明確にし「研究開発費を早く回収する
には、国内だけでは不可能。世界レベルで商品化を進める。薬によっては海外が先行する
ケースも出る 35)」と述べ、1980 年代から武田薬品は世界同時開発戦略の考えを持ち、1988
年に武田欧州研究開発センターを設立するなど、日米欧の世界三極医薬品研究体制の確立
を急いでいた。他の日本医薬品企業の国際化が、概ね 1990 年以降である事を考えると武田
薬品の国際化への推進が積極的であった事が理解できる。
)
)
31)
32)
33)
34)
35)
29
30
武田薬品の起源についてはwww.takeda.co.jpに拠っている。
桑原[2001]、p.78
日本経済新聞 1982 年 1 月 12 日
日本経済新聞 1982 年 1 月 12 日
日経産業新聞 1982 年 3 月 5 日
日経産業新聞 1984 年 12 月 19 日
日経産業新聞 1986 年 2 月 26 日
46
武田薬品の国際展開の方法については、当時の武田国男常務・医薬品事業部国際本部長が
「現地企業と手を組む合弁方式でじっくり時間をかけてやる 36)」と述べている。
海外で積極的な事業展開を図って行くには、その国の文化や習慣などに対する十分な理
解が求められる。さらに当時は国によって医薬品の許認可手続き等が異なり、海外での事
業においては、合弁事業の相手先の手助けが不可欠となる事から、武田薬品は一貫して合
弁によって進出してきた。
武田薬品の国際化がより進展したのは、1985 年アメリカ市場において米国アボット社と
合弁で TAP ファーマシューティカルズ(株)(後の TAP ファーマシューティカル・プロダク
ツ(株))を設立した事であった。この TAP は、アメリカの医薬品企業のアボット社と武田
薬品の出資比率 50 対 50 で創設され、社長はアボット社のアイラ・リングラー、副社長が
武田国男であった。武田薬品は TAP 設立によって医薬品の開発、販売の機能を整備し、ア
メリカ市場での本格的な進出を開始した。
武田薬品は、日本国内トップ企業であったが、世界ではベスト 10 に遙か及ばない規模で
あり、アメリカ市場においてそれほど名前の通った企業ではなかったため、そのような状
況でアメリカ市場に進出するには、他の企業と協力して、不足する能力や資源を補う必要
があった 37)。
武田は「TAPでは、感染症に使われる抗生物質を 3 品目発売する予定になっており、す
でに工場の建設も進んでいた。抗生物質は武田薬品のもっとも得意とする分野で日本では
高いシェアを持っていた。しかし当時、アメリカ市場では他社から次世代タイプの抗生物
質が翌年にも売り出される予定であり、TAP内のマーケティング担当者たちは、このよう
な状況下での武田の抗生物質の投入には疑問を抱いていた。それではTAPは何を手掛けた
らいいのか。いくつかあった候補の中から、まだ競合品がなく、ニッチ市場を狙えて、し
かも将来性のあるものに絞った。それが前立腺癌の治療薬リュープリンであった 38)」と述
べている。つまり当時の武田薬品は、アメリカ市場における他社との競争状況から考え、
ニッチ戦略を取らざるを得なかった事が理解できる。
伊丹[2007]は「1980 年代末以来のアメリカでの事業活動の活発化の過程で、日本におけ
る優れた営業体制をアメリカでも質・量ともに確保するには、歴史、活動実績、知名度の
低さから難しく、MR個人の力に依存した属人的サービスによる差別化も、アメリカでのニ
ーズや商習慣の違い、それを達成できるだけの人的資源、能力の不足によって実現が難し
かったのであろうし、さらに知名度の低さから、医療関係者との関係構築を一から始めな
ければならず、この点もアメリカへの進出スピードに時間がかかり、大きな壁となったと
思われる 39)」と指摘している。
武田は「TAPは抗生物質を製造販売する事になっていたが、前立腺癌の治療薬リュープ
)
)
38)
39)
36
37
日経産業新聞 1990 年 3 月 29 日
伊丹[2008]、p.251
武田[2005]、pp.90-93
伊丹[2008]、p.259
47
リンへの変更を本社に申し出たが、本社の経営幹部全員から反対された 40)」と振り返って
いる。この時武田は「医薬の国内営業が幅をきかす日本の本社には海の向こうのことはわ
かっていなかった。もはやアメリカの市場、世界の市場を抜きには語れないのに、旧態依
然だった 41)」と述べている。
最後は当時の小西会長が経営幹部を説得して TAP は、1985 年に自社創製の前立腺がん治
療剤「ルプロン(一般名:リュープロレリン)
、日本名リュープリン」を発売する事になっ
たが、このリュープリンという薬剤がニッチ市場であり、現地での MR を量的に確保する
必要性もなかったため、当時の規模に応じた必然的な選択であったと推察する。
武田は「この時のアメリカ在住体験はさまざまな面で勉強になった。特にアメリカ流ビ
ジネス、経営者のマネジメントスタイルには刺激を受けた。彼らの目標達成にかける情熱
とエネルギー、仕事に対する集中力、合理的な判断力、タフなネゴシエーションにはお世
辞抜きで敬服する 42)」と述べ、さらに「好むと好まざるとに関わらず、こうしたビジネス
カルチャーの中で成長を続ける世界の巨大な製薬企業と対峙しなければならない。危機感
を持つと同時に、島国、日本の意識の遅れを改めて思った 43)」と当時を振り返り、1993 年
に武田薬品社長に就任以降の社内改革、国際化への強化推進への基盤となっていると考え
る。
1986 年に倉林氏から梅本氏へ社長が交代した。梅本は厚生省の出身で、武田薬品創業以
来、社長を外部からスカウトした人材が就任する初めてのケースであり、また厚生省の事
務次官経験者が上場企業の社長に就任するのも業界初のケースであった。しかしながら梅
本の考え方も前社長倉林と同様に「世界のマーケットを頭に描いて医薬品の開発は進める
べきだ 44)」とさらなる国際化の必要性を訴えている。
1990 年以降、武田薬品の国際戦略も変化が見られた。武田薬品は 10 年ほど前からアメ
リカ、フランス、イタリア、ドイツに現地企業と合弁会社を設立し、これらを通じて海外
事業を進めてきたが、この欧米の 4 拠点の中に持ち株比率で 50%を超える会社はなかった。
しかし、仏ルセル・ユクラフ社との合弁会社に関し、1993 年を目処に持ち株比率を変更し、
武田薬品が株式を過半数取得することになった。これまでの共同歩調路線から経営権を取
得する政策への移行が見られた。
梅本は「体力がついたらパートナーから独立していくのは、欧米企業が日本でやってい
るのと同じ 45)」と述べ、武田薬品の国際戦略の変化を説明した。加えて武田薬品は 1990 年
度を初年度とする中期 5 ヵ年計画で年商1兆円企業実現への基盤を固める方針を打ち出し、
さらに医薬品部門で「21 世紀初頭に世界のトップグループ入りを目指す 46)」と述べ、国際
40
)
)
42)
43)
44)
45)
46)
41
武田[2005]、p.94
武田[2005]、p.94
武田[2005]、p.95
武田[2005]、p.97
日本経済新聞 1989 年 7 月 26 日
日経産業新聞 1990 年 11 月 20 日
日経産業新聞 1990 年 3 月 29 日
48
化進展の目標を示した。
1991 年に森田氏が社長に就任し「ストラクチュア・リノベーション(SR=構造改革)計画」
と名付けたリストラを進めた。SR計画の狙いは、海外でのM&Aを含めた積極投資で「本当
の国際化」を図るための体力作りにあった 47)。森田の目指したところは「将来、世界の医
薬品メーカーの中で 5 指に入りたい。目標は米国メルク社」と副社長時代に語っていた 48)。
森田はその理由を「マネジメントの質の高さなども挙げられるが、何よりも世界の医薬品
業界に向けて発信する情報が優れているからだ」と説明し、武田薬品が将来米メルク社と
肩を並べるためには「社員一人一人が世界市場で生き残りにかける危機意識を持つことが
すべて 49)」と述べ、当時世界No1 の医薬品企業である米メルク社を目指し、武田薬品はグ
ローバル企業へ道を歩んで行く意思を明確にしている。
その後 1993 年森田の後を受けたのが、米アボット社と折半出資合弁会社である TAP フ
ァーマシューティカルズ(イリノイ州)の副社長として事業を起動に乗せ、1986 年に武田薬
品に戻り国際事業部次長、1987 年取締役、1989 年常務、1991 年医薬事業部長と専務を兼
任、1992 年副社長を経て 1993 年 6 月に社長に就任したのが創業一族の武田国男氏である。
武田は社長就任時、武田薬品が進むべき方向について「東洋の小島のローカル企業とし
て生きるか、研究開発型国際企業の道を進むか」の 2 社択一から研究開発型国際企業を選
んだ 50)。
その当面の目標を「医薬品は、欧米先進国を含め、医療費抑制で低成長時代に入ってい
る。国内市場だけでは投資回収が難しい状況だ。当社の国際戦略は欧米での拠点整備は終
えた。今後は海外市場をにらんだ新薬の投入を進め、規模の拡大を目ざす。医薬品事業の
連結ベースでの海外売上高は前期で 25%だった。2000 年には 50%に引き上げたい 51)」と
述べ、優先的に海外市場の拡大を考えている。
しかし、武田薬品本体の体制について武田は「当時の武田は多角化路線で水膨れしてい
て、大企業病の見本のような会社だったんです。持たれあいの共同体を機能的な組織と社
員に変えないと、近い将来大変な事になるという気がしていました。どこへ行くのか将来
像見えない中で、効率とは無縁の肥大化の道を歩んでいた 52)」と述べており、医薬品の開
発経費が増大する中で多角化事業が足かせになり、組織のスリム化、リストラの必要性を
考えていた。
さらに武田薬品は 1994 年 3 月期決算で、大型新薬も市場に投入できない上、非医薬事業
である化学品事業部、フード・ビタミン事業部の両部門が低迷し、当時三共に経常利益で業
界トップの座を奪われていた。
1997 年武田薬品は、国内売上高トップでも世界売上ランキングでは 13 位であり、武田
)
)
49)
50)
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52)
47
48
日経産業新聞 1993 年 6 月 4 日
日経産業新聞 1990 年 4 月 9 日
日経産業新聞 1990 年 4 月 9 日
日本経済新聞 1997 年 4 月 9 日
日経金融新聞 1994 年 1 月 21 日
『サンデー毎日』2002 年 81 巻 23 号 p.73
49
は「中規模程度の企業に過ぎない」と自らの状況を分析し、さらに「これからは海外しか
ない」と改めて海外進出への強化を推進する意思を明確にした 53)。当時の長沢常務経営企
画部長も「武田の経営のあり方は国際基準に転換せざるを得ない 54)」と体制の抜本改革を
押し進める事を強調している。
武田薬品の改革は次の 3 つを中心に行われた。第 1 は人事制度である。新制度は加齢に
伴い毎年 4 月に自動昇給する「本人給」の割合を 6 割から 3 割に下げ、職位と成果に基づ
く「職務給」を 7 割に上げた。また目標達成度に応じて管理職の年収に格差をつける成果
主義的な賃金制度も導入した。さらに 1997 年 4 月はベースアップを実質的に廃止し、能力・
成果によって同年次で昇給に最大 18000 円の差がつく賃金制度を一般社員にも導入した。
大型新薬を開発した研究者に最高 5000 万円の特別ボーナスを支給し、優秀な人材を外部
から柔軟に中途採用するため、勤続年数が短くても高い退職金が得られる制度も導入した
55)。いずれも従来の平等の日本企業の伝統制度を廃止し、国際企業を目指した改革を行っ
た。
第2には社内の体質改革である。1995 年には 2005 年までに社員を 3500 人減らし 7500
人体制にする削減計画を作成し、主力の医療用医薬品部門を社長直轄にする一方で、収益
の構造を医薬事業に依存する構造を変えるために大衆薬や農薬・動物薬、化学品などの 5 部
門にカンパニー(社内分社)制度を 1996 年に採用した 56)。
武田は就任からの4年を「国際競争に参入するための準備期間。ようやくスタートライ
ンに立った」と総括し、
「米国の医療用医薬品の売上高を日本の 2-3 倍。将来、持ち株会
社は日本に置くが、分社した子会社は外国を本拠地とし、外国人のトップでも構わない」
と目標を掲げ、あくまで欧米医薬品企業大手のような多国籍企業を目指している 57)。
さらに次々に社内改革を断行する理由について武田は「新しいものを生み出すため、古
いしがらみは壊す」と述べ、「今やらなければならないのは人員規模の適正化だ。日本企業
には不要な機能がたくさんあり、多くの人がぶら下がっている。必要な機能を洗い出し、
そこに人を付ける。徹底的にやったら、5000 人でいけると思っている。ただ、海外の従業
員数は増えるだろう」との見解を示した 58)。武田はそのリストラの理由を「米国に行かな
かったら現在の私はなかっただろう。米国の経営者は利益追求とチャレンジ精神が強烈だ。
一銭たりとも無駄にしないし、挑戦して成功すると巨額の報酬を手にする。変えるべき点
は戦ってでも変える。ところが日本に帰ると仕事をしたが報いられるわけでもないし人の
多さばかりが目に付いた。これではつぶれると感じた 59)」と国内トップ企業とは言え、将
来への危機感を持ちつつ、国際化推進は武田薬品の成長戦略の必須項目になっていた。
)
)
55)
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57)
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53
54
日本経済新聞 1997 年 4 月 9 日
日本経済新聞 1997 年 4 月 9 日
日本経済新聞 1997 年 4 月 9 日
日本経済新聞 1997 年 7 月 24 日
日本経済新聞 1997 年 7 月 24 日
日本経済新聞 1998 年 12 月 9 日
日本経済新聞 1998 年 12 月 9 日
50
武田薬品は、表 3-2 のように収益構造が医薬事業に偏っており、さらなる医薬事業の国際
化を進めるには他の事業が足枷になっている状況であった。
表 3-2
武田薬品工業
事業別売上高、営業利益
事業セグメント別売上高
出所:武田薬品アニュアルレポート 2003、p.24 より
事業セグメント別営業利益
出所:武田薬品アニュアルレポート 2003、p.27 より
さらに 2001 年に武田は「世界シェアを 3%以上にする 60)」と社員に向けて宣言し、2000
年時点の武田薬品の医療用医薬品世界シェアは約 1.5%であるため、これを 2 倍の水準にす
ることで米メルク社などを追撃する国際的製薬会社を目指す姿勢を明確にした 61)。
そのため医薬品への経営資源の集中も加速させており、表 3-3 に示すように動物薬、ビタ
ミン原料、化学品と非医薬品事業で提携を行い、いずれも提携先が主導権を握り、武田薬
品は各事業から撤退する事になる。
武田は「改革の具体的なヒントを得たのは、1983 年から 3 年間、米製薬大手、アボット・
ラボラトリーズ社との合弁事業立ち上げに携わるため、渡米したときでした。米国の企業
は組織の中につくられたシステムにそって、物事を進めるから、すべてが透明やし、スム
ーズに流れていく。グループごとに固まって日々の業務をたんたんとこなしている武田に
おった私にとっては、非常に新鮮に映りましたね。社内にはもう私より上の人間もいない
し、次は武田の上にいる世界のグローバル製薬会社を相手に真剣勝負です。5 月に発表した
2005 年までの中期経営計画では、独自開発する医療用医薬品の売上高を 1 兆円以上にする
などの業績目標を掲げました。この計画が達成できれば、世界で 10 指に入るグローバルな
製薬会社になる 62)」と述べ、世界のグローバル医薬品企業と戦う体制を医薬品事業への選
択と集中によって再構築を図った。
以上のように、人員削減、能力給、非医薬品事業からの撤退という3つの主な改革を行
い、国際化へ対応するための体制を整えていった。
武田薬品の国際展開は、現地メーカーとの合弁会社で販売ノウハウを蓄積した後、合弁
相手の持ち株を買い取り、経営権を握るのが基本戦略であった。
) 日本経済新聞 2001 年 1 月 19 日
) 日本経済新聞 2001 年 1 月 19 日
62) 日本経済新聞 2001 年 7 月 16 日
60
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51
表 3-3
武田薬品工業
事業再編(1999 年~2003 年)
出所:武田薬品アニュアルレポート 2003、p.31 より
図 3-3 に示すように「リュープロレリン(一般名)」、「ランソプラゾール(一般名)」は
1,000 億円を超え、武田薬品の海外売上高比率をより高めた。しかし、売上高は TAP ファ
ーマシューティカル・プロダクツ(イリノイ州)は米アボット社との合弁であっため、武田薬
品が得る利益は限られていた。
そのため米アボット社の持ち株を買収して子会社化したいが、武田は「業績が良すぎて
合弁相手のアボット・ラボラトリーズが株を手放さない 63)」としてアメリカ市場への拡大が
停滞していた事を示唆している。
そこで新たな販売拠点が必要と判断し、現地企業の買収をいくつか検討したが、最終的
に 1987 年に全額出資で武田ファーマシューティカルズ・アメリカ(TPA、イリノイ州)を設立
した。
その後 1997 年に高血圧症治療剤を欧州で発売自社創製の「カンデサルタン シレキセチ
ル(一般名)
」をイギリス・ドイツで販売を開始し、高血圧治療の新しい流れをつくるアン
ジオテンシンII受容体拮抗剤として、現在世界約 90 ヶ国で販売され、さらに 1999 年発売
した糖尿病薬「ピオグリタゾン(一般名)」では米製薬大手イーライ・リリーと共同販売を
行っている 64)。
このようにして武田薬品は国際戦略 4 製品を武器に売上高を伸ばして来た。しかし世界
のグローバル医薬品企業は成長戦略に合併買収を行う企業が多い中で、武田が目指す企業
像として目標にするのが米メルク社であった。武田氏も「生きているうちにメルクのよう
) 日経産業新聞 1998 年 8 月 3 日
) 日本経済新聞 2000 年 8 月 17 日
63
64
52
な会社にしたい 65)」と述べ、武田薬品が一段と成長した企業としての理想像としている。
図 3-3
武田薬品工業
国際戦略製品売上高(2001 年~2003 年)
出所:武田薬品アニュアルレポート 2004、p.5 より
武田薬品は、世界の医薬品業界再編に対して当時の米メルク社(2008 年 3 月にシェーリ
ングプラウ社と合併)と同様に独自路線を歩んでいる。その理由を武田は「企業の合併、
買収(M&A)に資金を使うより、自前で投資する方が効率が良い 66)」と考えていた。さらに
武田は企業の合併、買収に対して「規模拡大が生き残りの条件と言っても、大きくなった
らそれに見合うだけの従業員が要ります。それを支えるだけのキャッシュも必要です。そ
れにプラスして事業を伸ばしていくとなると、大きな新薬を続けて出して行かなくてはな
りません。例えばファイザーなどは、事業の成長を株主に約束して、それが果たせない場
合は他社を買収しているのが現状です。規模が大きいというだけでは意味がない。小さく
ても、その規模を維持して伸ばして行くだけの新製品が出ていけば素晴らしい会社だと言
えると思います 67)」と述べ、加えて「小さいながらもプレゼンスがある今の武田を大きく
していった方がいい 68)」と語り、規模拡大のための企業の合併、買収には一線を画してい
る。
またグローバル企業になるための課題について武田は「例えば人事面を挙げると、海外
の人事を本社から指令するのか、それとも現地の販売会社がある程度の裁量権を持った方
がいいのか、人事の評価制度を世界中で統一すべきかどうかなど、例を挙げ始めるといっ
ぱいあります。各国の状況が違う中で、ある程度の中心を決めておくべきか、画一的な本
社主導を進めるべきか。現状は中央集権というよりは、現地の販売会社が裁量を持った形
)
)
67)
68)
65
66
日本経済新聞 2001 年 1 月 19 日
日本経済新聞 2001 年 1 月 19 日
日経ビジネス 2002 年 10 月 21 日号
日経ビジネス 2002 年 10 月 21 日号
p.100
p.101
53
に近いです。しかしこれが最適なのかどうなのかわかりません 69)」と述べている。
しかしグローバル化において日本に残すべき機能などついて「日本にはこだわらず、最
終的には税の一番安いところに本社を持っていってもいい。どこに移しても大丈夫な体制
にしておくべきである 70)」と述べている。こうした一連の発言から武田氏はグローバル企
業とは国籍などが問題ではなく、その都度必要な改革を行い、会社の使命をいかに遂行し
て行くかを説いているものと推察する。
その後の武田薬品はグローバル活動を積極的に行い、2001 年に武田研究投資(株)をアメ
リカに設立、さらに 2002 年タケダ・ファルマ(有)の経営権を取得し、ドイツの医薬品販売
合弁会社、タケダ・ファルマ(有)を全額出資子会社とした。加えて 100%所有の販売子会社
「タケダ・ファルマ・オーストリア(有)」
、
「タケダ ・ファルマ・スイス(株)」の経営権を
取得し、海外での販売拠点を広げていった。
さらに研究開発部門では、イギリスに医薬品開発会社、武田欧州研究開発センター(株)
(現在の武田グローバル研究開発センター(欧州)(株) )を設立し、2003 年にアメリカで
武田グローバル研究開発センター(株)を設立し、日米欧三極の研究開発拠点の構築により、
図 3-4 に示すようにグローバル開発体制の強化と効率化を推進した。
また武田薬品は生産体制においても原薬製造工場である武田アイルランド製薬(株)を
設立し、当社初の医薬品バルク(原薬)の海外生産拠点として設立した。
2003 年に長谷川氏が社長に就任した。武田は社長在任 10 年間について「パイプライン 71)
をそれほど積めなかったのが1つだけ心残り 72)」と振り返った。
さらに武田は「4 つの国際戦略製品や、米国の合弁会社も起動に乗り始め、世界の夢にかけ
てみることを決断した。しかし、当社が挑戦にふさわしい力を持っているかをみると、営
業利益率、株主資本利益率(ROE)など全指標で世界企業と大きな格差があった。特に製造部
門の生産性が低く、国内で勝ち残るのも難しいと強い危機感を持った。指標を悪くしてい
た構造的原因を分析し、それをつぶしていくのが武田の構造改革だった。
図 3-4
)
)
71)
72)
69
70
武田薬品工業のグローバル研究開発ネットワーク
日経ビジネス 2002 年 10 月 21 日号 p.102
日経ビジネス 2002 年 10 月 21 日号 p.102
パイプライン:「新薬候補」を指す業界用語、
日経産業新聞 2003 年 5 月 16 日
54
出所:武田薬品アニュアルレポート 2008、p.31 より
しかし、当時は経営指標による管理という意識が薄かった。構造改革をする以前に体質
改善、つまり幹部から一般従業員までの意識改革が必要だった。構造改革の基本戦略は事
業の高付加価値、人員の適正化、経営資源の重点的配分という 3 点。収益性の高い医薬品
事業にヒト、モノ、カネを重点的に投下し、責任の所在を明確にするほか、客観的な指標
や基準作りといった当たり前のことを当たり前に進めた。ぬるま湯につかっていた無責任
な大企業病の従業員は計数を冷静に見ることを避けてきた。恥ずかしいことだが、まず幹
部から経営指標をたたき込み、評価を徹底することから始めた。仕組みの体系化の中では
成果主義に基づく透明度の高い人事制度の導入が最も重要だった。構造改革でROEが 7.8%
から 18.2%に高まり、営業利益率では世界の強豪に匹敵するようになった。今後は研究開
発の強化による新製品の確保が最重要課題だ。米国事業の戦略的重要性はますます高まり、
グローバル企業に適した世界本社のあり方や人事諸制度の改革に最優先で取り組む 73)」と
今後の方針と武田薬品のグローバル化について社長就任時から振り返った。
長谷川新社長のグローバル戦略は「世界で生き残るには一に製品、二に製品だ。画期的
な製品を生むには研究開発が重要だが、米ファイザーのような売上高 4 兆円の企業と違い、
1 兆円の武田には独自の生き方がある。研究開発型の世界企業を目指し、自社研究を徹底的
に強化する 74)」と述べている。長谷川は組織のあり方についても「組織の文化はトップが
変えていくもの。要衝の地位にいる人に対して、日常の接点を通じて国際的製薬企業にふ
さわしい意識を持ってもらえるように働きかけていく 75)」とトップマネジメントの重要性
を説いている。
さらに欧米医薬品企業の合併、買収の動きを踏まえ、武田薬品が取るべき戦略を長谷川
は「シェアを高めるため、新製品の投入や他社製品の共同販売を進めていく。規模拡大の
ために他社に合併を働きかける考えはない。武田が仮に合併や買収を検討するとしたら、
パイプラインを増やす場合だけだ 76)」と述べている。さらに長谷川は「武田もこの 1 年間
でバイオベンチャーなど 1000 社以上の企業について調査した。米投資会社を通じて英ベン
チャーなど 3 社に出資したが、本当に欲しい新薬の種を探すには時間がかかる。武田が手
掛けていない分野で、いい新薬の種があれば買収を積極的に検討する。ただ、あくまでも
自社開発の補完と考えている 77)」と述べ、まず規模拡大よりも製品を市場に出す事を最優
先に考えている。
武田会長もこうした欧米の動きに対して「買収に対抗する手段は企業の時価総額を大き
くすることだが、合併などで簡単に企業価値が上がるものではない。合併後に膨らんだ体
質をスリム化するには相当の時間がかかる。重荷を抱え、合併効果が出るまでに挫折する
)
)
75)
76)
77)
73
74
日本経済新聞 2003 年 10 月 21 日
日本経済新聞 2004 年 6 月 13 日
日経産業新聞 2003 年 4 月 23 日
日本経済新聞 2004 年 6 月 13 日
日本経済新聞 2004 年 6 月 13 日
55
こともある 78)」と述べ、独自の路線で展開する事を改めて主張している。
しかし武田薬品のパイプライン不足について長谷川は「2009 年以降の主力製品の特許切
れを考えると十分ではない。自社研究は絶対の屋台骨だが、短期的には外部から持ってく
るしかない。新薬が業績に貢献するには時間がかかるので、開発終盤に入っている候補を
最優先で持ってくる。新薬候補の権利を単純に買えればいいが、無理なら企業買収も含め
可能性を排除せずに取り組む 79)」と買収も検討する事を明らかにした。
この長谷川の考え方は、2007 年にイギリスのバイオベンチャー「パラダイム・セラピュー
ティック」を傘下に収め、さらに世界最大のバイオ医薬品メーカーである「米アムジェン」
の日本法人を買収した。2008 年に武田薬品は米アボット・ラボラトリーズと 1985 年に折半
出資した合弁会社(TAP)を完全子会社化した 80)。
さらに 2008 年に武田薬品は、総額 8800 億円でバイオ医薬品メーカーのミレニアム・ファ
ーマシューティカルズ(マサチューセッツ州)を買収すると発表した。ミレニアム社の買収は
図 3-5 にあるように癌領域に豊富なパイプラインを有し、武田薬品の第1の目標であるパイ
プライン拡充に適した会社であり又アメリカ事業における相乗効果を期待しての買収であ
った。
長谷川社長と武田会長は1兆数千億円規模に膨らんだ手元流動性の使い道を大きく 3 通
り考えていた。第1は手薄な欧州の事業基盤拡大のための欧州企業の買収、第 2 に合意し
た米合弁会社の TAP ファーマシューティカル・プロダクツの完全子会社化、第 3 にがん領
領域や中枢神経領域のパイプライン獲得であった 81)。
図 3-5
ミレニアム社研究開発パイプライン状況
出所:武田薬品アニュアルレポート 2008、p.14 より
)
)
80)
81)
78
79
日本経済新聞 2004 年 6 月 21 日
日本経済新聞 2006 年 6 月 23 日
日本経済新聞 2008 年 3 月 19 日
日経産業新聞 2008 年 4 月 11 日
56
長谷川は「ミレニアム社はがんに特化している。当社がほとんど持っていない機能で、
この補完関係が相乗効果だ。武田グループの中で独立した企業としてやっていただく」と
述べ、さらに今後の買収戦略において長谷川は「様々な予期せぬことに備え、オペレーシ
ョンのためのキャッシュは 5000 億円持っていたい。その上で買収のために 1 兆円持ってお
いた。これだけの多額の買収を再びやるほどの力はない。まずは買収の相乗効果を出すこ
とに注力したい 82)」と述べ、当面は買収効果を如何に出すかというマネジメントに集中す
る事になる。
以上武田薬品の経営史を振り返り、武田薬品のグローバル化への対応を考察した。武田
薬品の業績は表 3-4 に見るように成長を続け、海外売上高も年々高まっている。
表 3-4
武田薬品工業
業績
武田薬品工業株式会社および子会社
単位:百万円
2008年3月期 2007年3月期 2006年3月期 2005年3月期 2004年3月期
2003年3月期
売上高
\1,374,802
\1,305,167
\1,212,207
\1,122,960
\1,086,431
\1,046,081
営業利益
423,123
458,500
402,809
385,278
371,633
310,686
当期純利益
355,454
335,805
313,249
277,438
285,264
271,762
研究開発費
275,788
193,301
169,645
141,453
129,652
124,230
2002年3月期 2001年3月期 2000年3月期 1999年3月期 1998年3月期
売上高
\1,005,060
\963,480
\923,132
\844,643
\841,816
営業利益
281,243
226,102
171,443
142,220
132,952
当期純利益
235,656
146,855
119,625
91,755
81,610
研究開発費
100,278
89,846
777,260
80,034
79,039
出所:各期有価証券報告書より
図 3-6
売上高及び海外売上高比率(1997 年~2002 年)
出所:武田薬品アニュアルレポート 2003、p.24 より
図 3-7
売上高及び海外売上高比率(2002 年~2007 年)
) 日経産業新聞 2008 年 4 月 11 日
82
57
出所:武田薬品アニュアルレポート 2008、p.71 より
しかし製品が継続して市場に出てこなければ、いかに武田薬品とは言え、独力でグロー
バル成長は難しい。
小林[2007]は、武田薬品の国際化について「武田は過去 16 年間(1991 年から 2006 年)、
1 年の例外もなく、売上高と海外売上高比率とを向上させてきた努力は、大きく評価される
べきであり、この間武田は、海外売上高比率 20%、30%、40%の壁を突破して今日に至っ
ている 83)」と評価しているが、武田薬品の国際化の課題について「問題は将来にある。武
田が、医薬品業種のグローバル化の波に乗り、更なる売上高と海外売上高比率の拡大と向
上を図る時、果たしてこれまでのように、経営パフォーマンス構成の諸ファクターの間で、
良好にして有効なバランスある成長を維持していけるのかどうか 84)」であると指摘してい
る。
伊丹[2007]は、「メガファーマと言われる欧米各企業と比較すると、売上額、品目数の点
から、世界に通用する薬の絶対的な数がまだまだ少ないだけでなく、国内でしか通用しな
い、いわゆるローカルドラッグの数も多くあり、いまだ業績の柱となっている。これらの
事から海外他社と比較すると、全体として見た製品ラインナップ、ポートフォリオの点で
見劣りするのは否めない。つまり、武田の好調さは、日本の製薬企業の中では目立つもの
の、他のグローバルメガファーマと比較すると、アメリカを中心とした世界進出が軌道に
乗り始めたという段階であり、厳しい状況に置かれている事には変わりがない 85)」と指摘
し、武田薬品が海外で国際競争力を十分に獲得するに至っていない事を示唆している。
武田薬品のケースでは、日本医薬品企業が独自にグローバル展開を行う視点から考察し
た。日本医薬品企業の中でグローバル化がもっとも進んでいる武田薬品でさえ、将来の展
望が見えず、また武田薬品のグローバル化は未だ初期段階である事も同時に確認した。
武田薬品のグローバル事業展開の不十分さの原因は多々存在するであろうが、日本国内
トップ企業として培ってきた経営資源を海外への移転がまだ十分にできていない事が大き
な原因の1つではないかと考える。
伊丹[2007]は、
「武田薬品は日本医薬品企業のトップとして長年君臨しており、研究成果、
業績、効率的な開発ノウハウ、営業活動のノウハウなど、数え切れない部分で知識の蓄積
83
) 小林[2007]、p.113
) 小林[2007]、p.113
85) 伊丹[2008]、p.250
84
58
が国内には存在する。しかし、それをアメリカに移転するプロセスが思うようにはいかな
いのであろう 86)」と指摘している。
武田薬品は、武田国男氏を筆頭にグローバル企業の基盤を何代ものトップを経て構築さ
れてきたが、今後は「グローバル市場に通用する製品をいかに創出するか」、「グローバル
市場に対応するための意思決定の精度を上げるために企業統治をどう整備するか」、「人材
をどのように集め育成するか」等、グローバル市場を独自で展開するためには、武田薬品
自身が、経営環境に適切に対応し、グローバル組織を絶えず進化させるための改革を続け
て行かなくてはならない。
(2)萬有製薬
ペニシリンの製造販売で戦後の復興をなしとげた萬有製薬は、1950 年代になると、アメ
リカの有力製薬会社と提携による技術導入によって、抗生物質を中心に経営の発展と近代
化を図った。当時の岩垂亨社長は、戦後の新時代の発展にとって海外の進歩した製薬業の
知識、ノウハウの入手が必要不可欠と考え、日本の医薬品業界の民間経営者として初めて
渡米し 1950 年 9 月から 4 ヶ月間滞在し、アメリカの諸医薬品会社(米メルク社、シャープ
アンド・ドーム社、アメリカン・サイアナミッド社等)との提携の契機を作った 87 )。
当時は、欧米の技術への追随が主たる目的であったと思われるが、こうした動きからも
経営者の岩垂亨に日本医薬品企業国際化へ信念が感じられる。
米メルク社は、コルチゾン製品(米メルク社が合成に成功した最初の副腎皮質ホルモン)
を、合弁会社を設立し、最新かつ世界最高水準の医薬品を日本で製造・販売したいという
意向があった。しかし当時、資本の自由化は行われておらず、米メルク社の日本メルク萬
有株式会社に対する出資は外資法に基づいた政府の個別調査による認可が必要であり、政
府は国内産業保護のために外資導入には厳しい態度をとっていた。このためバルク 88)を輸
入して生産するという合弁会社は許可にならず、最後の数工程を日本で行うという形式で
1954 年に日本メルク萬有株式会社が設立された 89)。日本の外資との医薬品合弁企業として
は、ファイザー田辺(田辺製薬とファイザー社の合弁、その後、台糖ファイザーを経て現
在のファイザー製薬)、日本レダリー(武田薬品とアメリカン・サイアナミッド社)につ
ぎ、国内 3 番目の合弁会社となった。翌年、岡崎に日本メルク萬有株式会社の工場も建設
され、本格的にホルモン製剤の合成が始まった。
萬有製薬は、1961 年の株式上場後の約 10 年は、相次ぐ海外有力メーカーとの提携と、
各種の抗生物質から循環器系まで新製品の開発が成功し、開発、製造、販売が順調に行わ
れた。
表 3-5 の売上高推移を見ると、1960 年当時に萬有製薬の年間売上高は 32 億円程度であ
ったが、71 年、72 年になると約 300 億円と約 9 倍になり、同じく 5 億円程度であった営
86
)
)
88)
89)
87
伊丹[2008]、p.256
萬有製薬[2002]、p.109
バルク:医薬品は,実際に販売される最終製品とバルク製品(医薬品の原料や中間体)を指す。
萬有製薬[2002]、p.139
59
業利益は、70 年には 82 億円と 10 年間で 16 倍に達した。
1970 年代に入り、萬有製薬の増収増益は続くものの、利益が次第に停滞し、1972 年から
低下に転じている。当時の利益の低下は、抗生物質の伸び悩みと「アンヂニン」
(抗動脈硬
化薬)の副作用問題を契機とするものである 90)。萬有製薬ではペニシリンの後は「アンヂ
ニン」の好業績に依存しすぎる事のないよう、神経系用薬、ホルモン剤などの開発、製造、
販売にも努めたが、販売促進によって売上高自体は増加しつつも、営業費や販売促進費な
どの支出が年々増大するようになった。表 3-5 に見られる様に、1967 年当時の営業利益率
が 26%であったのに対し 1973 年では 15%まで低下し、業績の停滞が明らかになってきた。
しかし 1970 年代の日本医薬品市場は、健康保険の普及とともに、日本医薬品市場自体は
拡大し続け、萬有製薬も売上高自体は伸張した。しかし萬有製薬の場合は 1965 年発売の「ア
ンヂニン」以後の自主開発製品は乏しく、全体から見ると、依然として抗生物質を中心に、
従来系統の製品が販売の主体であった 91)。
表 3-5
損益計算の推移(1960~84 年度)(単位:百万円)
年度
1960
1961
1962
1963
1964
1965
1966
1967
1968
1969
1970
1971
1972
1973
1974
1975
1976
1977
1978
1979
1980
1981
1982
1983
1984
売上高 売上総利益 営業利益 当期純利益
3225
1788
529
399
4216
2415
840
755
5317
3134
1377
1191
7012
4086
1926
1683
9784
5526
2416
2510
11456
6576
2913
2882
14264
8521
3747
3807
17547
10479
4728
4703
22038
13286
6194
6058
27087
16321
7666
7798
31981
18905
8299
9064
30165
17849
7080
7893
29951
16434
4497
5320
35490
17900
5400
6259
41286
20637
5663
7308
40927
19123
3725
5746
42432
19411
3277
5163
45229
20869
3600
5476
50053
23685
5288
6767
55362
26600
5327
7087
63861
26704
5993
6950
67438
27251
5700
7487
71528
31736
6445
8153
68594
29659
3362
6885
61195
25509
339
6492
出所:各期「有価証券報告書」より
1970 年代の中頃から抗生物質の市場は急激に成熟するようになり、自主開発品、ヒット
) 萬有製薬[2002]、p.177
) 萬有製薬[2002]、p.209
90
91
60
製品が得難い為に特許切れの後発品にも注力したが、すでに先発メーカーが市場を支配し
ており、販路の開拓は困難であった。この時期を通じて、萬有製薬の営業活動は難渋を極
め、その理由も自社製品による優れた新薬を市場に提供できなかったことにあった 92)。こ
の時期に萬有製薬から発売されたのは、1977 年の「アミカシン」、1980 年の「セプチコー
ル」
「マーキシン」
「メネシット」、1982 年の「セドラール」
「クリノリル」などであったが、
いずれも自社開発品ではなく、ブリストル社や米メルク社の開発品であり、「アンヂニン」
以来、約 20 年間にわたって萬有製薬は自社開発による新製品を生み出せていなかった。
1970 年代後半になると、自社開発品が途切れ、1976 年、1977 年と売上、利益とも下降
線を辿っている。1978 年には「アミカシン」がブリストル萬有研究所(合弁会社)によっ
て開発され、1978 年、1979 年、1980 年と売上高は伸張したが、この「アミカシン」の伸
張が止まると収益は鈍化し、それを補うために後発品、漢方薬にも進出したが、1982 年の
薬価引き下げにより、前年を下回る結果となった。表 3-5 に見られるように「営業利益が減
少しているにも関わらず、当期純利益は 1982 年度までは微増を維持したが、1983 年度に
は前年比 16%減となった。しかも 1982 年度までの当期純利益の微増は、金融収支での大幅
な受取利息をとする主因とする営業外収益によるもので、メーカーとしてはやや異例な経
営の時期 93)」であり、さらに 1980 年代になると業績の悪化が表面化して、1981 年度から
引当金の取り崩しが始まり、1983 年度からは長期借入も始まった 94)。
表 3-6
営業外収益の推移(1972~83 年度)(単位:千円)
年度
1972
1973
1974
1975
1976
1977
1978
1979
1980
1981
1982
1983
営業外収益
1340786
1456147
2391161
2503118
2276578
2277772
2049138
2196101
1788674
2659076
2695175
5588984
受取利息 受取配当金 営業外費用 支払利息
891717
17440
517473
173897
961703
21398
596873
219342
1768738
26767
746455
262629
1846791
46756
481991
279309
1587694
28843
390222
263422
1482449
35034
401802
202176
1261916
41436
570313
165628
1299834
43012
436319
294883
871287
49284
832318
590692
1917236
56976
871963
658889
1861262
79052
986957
606635
4682658
74531
2066351
536226
出所:各期「有価証券報告書」より
1970 年代の後半から萬有製薬の業績は停滞していたが、米メルク社との合弁会社である
日本メルク萬有は表 3-7 に見られるように業績が伸びていた。この時期に米メルク社では
「ジャパン・プラン」と言われた対日戦略が策定され、米メルク社は、日本メルク萬有株
式会社をはじめ日本における関連企業との関係強化のために国際部門を配置し、それまで
「極東地区」に含まれていた日本を独立させ、日本担当部門を 1976 年に設置した。
) 萬有製薬[2002]、p.211
) 萬有製薬[2002]、p.235
94) 萬有製薬[2002]、p.236
92
93
61
またその前年に、米メルク社の対日方針として大幅な売上高増の目標に対応するため日
本メルク萬有株式会社と萬有製薬との販売活動を強化するために共同のプロジェクトチー
ムを結成している 95 )。また「ジャパン・プラン」の策定に次いで、萬有製薬との米メルク
社の基本協定である「日本メルク萬有株式会社の運営に関する覚書」の更改が行われた。
その内容は次の 6 つである。第 1 に 1976 年から 1986 年の 10 年間、米メルク社は他の契
約等に妨げられない限り、新製品を日本メルク萬有株式会社に提供する。第 2 に両者は日
本メルク萬有株式会社の改編と拡大に人員と資金を投入する。第 3 に萬有製薬は米メルク
社製品の売上高増大に努め、日本メルク萬有株式会社の販売を最優先するよう努める。第 4
に 1985 年までの製品に見合う新しい生産設備が必要となるので、新工場の建設に向けた計
画と行動を起こす。第 5 に販売方法の再構築を検討する。第 6 に効率のよい管理体制を考
える。萬有製薬の代表が会長、米メルク社の代表が社長となり、両社の合意の下に取締役
会を経て決定を行うという合意がなされた 96 )。
この覚書更改の背景としては、1975 年に行われた資本 100%への自由化という規制緩和
が行われた事も重要であり、米メルク社は萬有製薬との合弁会社である日本メルク萬有株
式会社設立以来、日本医薬品市場の将来性について大きな期待を持っていた 97)。
1977 年には「販売協定の更改」が行われ、この新しい販売協定は、業界他社の業績が成
長しつつある中で、表 3-7 に示されるように、相次いで発売される日本メルク萬有株式会社
製品の売れ行きが伸び悩んでいる点をどう解消するかという課題のもとで行われた 98)。
萬有製薬は、日本メルク萬有株式会社の製品販売にさらに全力を尽くす事、かつ販売に
おける情報は日本メルク萬有株式会社と情報を共有するなど、厳しい内容を持つものとな
り、この「販売協定の更改」が、後の米メルク社との全面的な提携に引き継がれた 99)。
以上のように米メルク社は日本メルク萬有株式会社の強化策を推進し、さらに販売協力
だけではなく、「ビッグ・ボール」と呼ばれる積極的な方針を打ち出した。その方針とは、
萬有製薬が日本メルク萬有株式会社を包含する統一企業体をつくり、そこに資本参加して
萬有製薬を日本における有力製薬会社に発展させるというものであった。
1980 年には、萬有製薬の売上に占める日本メルク萬有株式会社の割合は 40%を超え、萬
有製薬も将来の発展を期して、強力な研究開発型の企業を目指すという構想に賛同した。
言い換えれば米メルク社のビッグ・ボール構想を無視できない状況になった。萬有製薬側
は、「ビッグ・ボール構想を断れば、米メルク社は日本メルク萬有株式会社を 100%支配下
に収めて日本市場の拠点とし、萬有製薬への製品供給は打ち切られるという事態も想定さ
れた 100)。
医薬品業界の競争が激化し、客観的情勢は厳しいものの萬有製薬の経営は、まだ必ずし
)
)
97)
98)
99)
95
萬有製薬[2002]、p.217
萬有製薬[2002]、pp.218-219
萬有製薬[2002]、p.219
萬有製薬[2002]、p.220
萬有製薬[2002]、p.220
100) 萬有製薬[2002]、p.224
96
62
も米メルク社の資本参加によって救済を求めるような状態ではなかったが、しかし岩垂社
長は「時代の趨勢を直視し、萬有製薬の将来を考えた時、会社を資本支配の観点からでは
なく、経営陣・従業員の共同の働き場所であるとし、それを強化・発展させるのが経営者
の使命であると考え、メルク社との提携強化を選択する事とした 101)」と述べている。
こうして 1981 年に岩垂社長は、米メルク社において「ビックボール構想」を実現する方向
で米メルク社のホラン会長との間で両社トップの確認文書を作成した。
その概要は次の 4 点である。第 1 に米メルク社は萬有製薬の過半数の株式を取得し、完
全に統合され、将来、製薬業界をリードするような会社を組織する。第 2 に新しく組織さ
れた会社は研究開発、生産、販売、販売促進、配給あるいはライセンス活動など、製薬企
業としてすべての分野で活動する。第 3 に萬有製薬の従業員は全員受け入れる。第 4 に準
備段階として米メルク社は市場経由で萬有製薬株の 5%を取得するというものであった 102)。
岩垂社長は、
「メルクが 5%弱の資本参加をしてから間もなく申し入れがあった。一年間
よく検討したが、将来のことを考え、経営が安定している時機に資本力を大きくし国際的
な企業を目指した基盤づくりをすることが必要だと判断した。メルクが日本側の自主的な
表 3-7 日本メルク萬有の資本金・売上高・利益及び従業員数の推移(1955~74 年度)
年度
1955
1956
1957
1958
1959
1960
1961
1962
1963
1964
1965
1966
1967
1968
1969
1970
1971
1972
1973
1974
資本金
50百万円
50
50
100
100
100
125
175
225
400
800
1000
1250
1500
1500
1500
1800
2000
2000
2000
売上高
税引き後利益 従業員数
274366千円 16247千円
27
428120
37205
37
366586
31620
58
492463
41941
70
800927
29676
106
957802
66723
158
1140236
118091
186
1376059
174797
226
1791495
320469
346
2670543
587585
439
3033725
584350
574
3313830
530127
638
4016023
561932
699
4415357
555673
737
4965498
601706
743
6095231
989789
761
7140548
1110138
785
7303458
910420
804
8007041
801614
798
8951098
805941
807
(注1)1972年までが11月期決算、以後12月期決算。72年12月期の1ヶ月決算(売上高405128000円、税
引き後利益9707000円)は表から省略してある。
(注2)従業員数は3月20日現在。常勤役員を含む。
出所:萬有製薬 『萬有製薬八十五年史』2002 年、p.145 より
経営を認めると約束してくれたのも決断に至った理由のひとつだ 103 )」と述べ、さらに今回
の資本提携が「メルクへの身売りではなく、萬有が世の一流企業になるための第一歩であ
る」と強調している 104 )。契約の中でも萬有の経営の自主性を最大限尊重し、日本的企業経
)
)
103)
104)
101
102
萬有製薬[2002]、p.224
萬有製薬[2002]、p.225
日本経済新聞 1983 年 8 月 4 日
日本経済新聞 1983 年 8 月 5 日
63
営の温存と業界慣行に従うことを確約している。
さらに岩垂社長は全社員に対して米メルク社の傘下に入るにあたって次のように説明し
ている。「変動する薬業界において、さらに新薬を研究開発し、近時、同業他社でも行われ
ているように外国における営業を活発にするためには、メルク社の資金、技術等の援助を
受けた方が有利であると考えました。会社の基盤が強固になれば従業員の皆様にとって、
より良い事だからであります。しかし、今までの日本的習慣や雇用関係の安定、給与、福
祉、昇進等のしきたりが変わるというのであれば心配されると思います。私も、そういう
ことであれば、この事はやれないと思っておりました。しかしメルク社は、日本的な経営
法を支持するのみか、これこそ今後萬有が成功を続けて行くために必須のものだと考えて
いるという事であるので、ここに踏み切った訳であります 105)」と述べ、さらに当時、喜田
村萬有製薬専務は「今回の決断は、世界に互していける医薬品会社になれるかどうかをか
けた決断だった 106 )」と指摘している。
一方、米メルク社側の日本医薬品市場への取り組みについて、当時のエブラハム・コーエ
ン上級副社長は「新薬の開発費は膨大であり、ひとつの市場でそれを回収するのは無理。
好むと好まざるとにかかわらず世界市場を考えざるを得ない。日本の市場では二つの側面
を考えている。ひとつは言うまでもなく製品の日本市場での定着だが、日本に良い薬があ
ればそれを世界市場でも売りたいとも思っている。子会社は米メルク社の製品を日本へ広
める原動力となるが、その一方でよい薬があればその企業とライセンス交換し合うつもり
だ。製品の品ぞろえのため、時には日本企業と手を組む必要もある 107 )」と指摘している。
以上のように、国際的な新薬開発競争が激化する一方、日本医薬品市場では薬価の引き
下げなどで環境が厳しくなっており、生き残り策を模索している萬有製薬と日本を拠点に
グローバル戦略を強化しようとする米メルク社の利害が一致したものと考えられる。
1983 年に米メルク社全額引き受けによる EDR(無記名欧州預託証券)形式の第三者割当
増資及びドル建て転換社債を発行する事が発表され、1984 年には米メルク社の持ち株比率
が 50.02%となり、資本金 443 億 2900 万円、売上高 611 億 9500 万円の新生萬有製薬が誕
生する事となった。
萬有製薬が米メルク社の傘下に入った後、米メルク社のロイ・バジェロス会長兼最高経営
責任者(CEO)は、萬有製薬との資本提携に関して「企業買収より提携の方がやりやすい。医
薬品企業の買収は高くつくし、統合に時間がかかりすぎる。大型合併でも、効率化のため
に工場の閉鎖や大量解雇の必要も出てくる 108 )」という点から、100%出資子会社よりも資本
提携の正当性を強調している。
また米メルク社と萬有製薬の資本提携のメリットについて、この提携で指揮をとった元
米メルク日本・中国担当副社長、P・リード・マウラーは、資本提携後の萬有製薬のマネジメ
)
)
107)
108)
105
106
萬有製薬[2002]、p.226
日本経済新聞 1983 年 8 月 5 日
日経産業新聞 1987 年 1 月 8 日
日本経済新聞 1992 年 6 月 28 日
64
ントについて「メルクに買収される前の万有については業界では、おおらかというか、ど
んぶり勘定的だったとの声が聞かれたが、買収後、萬有は変わった。プロパー(医薬情報担
当者)管理も厳しくなったようだ 109 )」という。また「日本でうまくいっている企業を買うの
は難しい。メルクが萬有を買収した時、萬有には新しい薬がなかった。新技術が欲しい日
本と日本に進出したい外国の立場がうまく適合し、買収が成立した 110 )」と指摘している。
1985 年 10 月の新生萬有製薬の発足に際して、岩垂社長は、社員にメルク傘下に入った際
のメリットを「メルクが萬有の過半株を取得した後、この度萬有と日本メルク萬有が合体
し、萬有はメルクとともに歩むことになった。我々は日本の薬業界の中で、国際化時代を
先取りした訳である。企業相互の国際的理解はなかなか難しい面もあるが、これからの企
業にとって国際性と広い視野は最も大切であり、私共はその先駆的役割を誇りに思う 111 )」
と述べている。その後、日銀顧問の東山紀之を萬有製薬の特別顧問に迎え入れ、外資の弱
みである日本政府や金融筋などへの人脈作りを期待して起用しており、さらに米メルク社
の戦略に沿って「新生萬有」の経営力を強めている 112 )。
その後社長に就任した東山は「細々と生き残るのは可能だったが、社会的に自分の存在
を示し、社員に働き甲斐をもってもらうことは難しかった。外資の傘下に入ったら相互理
解の努力と忍耐をすること。目先のことでなく、将来どういう会社をつくっていくか、も
ともと違う会社であることを認識することだ。まだ、いまの段階では両社のメリットが十
分出ているとはいえない。メルクにふさわしい相手になるには、こちらに誇りうるものが
ないといけない。メルクも当社にオリジナリティーを期待しているだろう 113 )」と述べ、資
本提携後の萬有製薬のマネジメントの重要性を認識している。
さらに萬有製薬のグローバル戦略について東山は「海外に進出しなくても世界戦略がた
てられる」との観点から、世界 7 カ国 17 カ所にあるメルクの開発拠点を利用できるため「日
本につくば研究所のような本格拠点を作るだけで十分だ 114 )」とも指摘している。
つまり日本の大手製薬各社は相次ぎ海外拠点作りに巨額を投じているが、資金も技術も
ない多くの中小製薬会社が海外に自力で進出するのはリスクが高い。東山は「買われたこ
とによって費用をかけずに、海外に研究所を展開するのと同等以上の効果が得られる 115 )」
と指摘している。
米メルク社の傘下での萬有製薬の業績は、表 3-8 に見られるように、1986 年に「レニベ
ース」、1987 年に「チエナム」が発売され、共に当初の予想を上回る勢いで売上高を伸ばし
た。この 2 つの新薬が売上高を押し上げた事と、さらに外部環境要因として 1985 年のプラ
ザ合意以降の急速な円高が進み、米メルク社からの原料の輸入量が増加し、製造原価の 8
)
)
111)
112)
113)
114)
115)
109
110
日経産業新聞 1989 年 11 月 17 日
日経産業新聞 1989 年 11 月 17 日
萬有製薬[2002]、p.243
日本経済新聞 1984 年 11 月 21 日
日経産業新聞 1989 年 11 月 17 日
日経産業新聞 1992 年 12 月 3 日
日経産業新聞 1992 年 12 月 3 日
65
割以上を占める輸入バルク 116)が円高によって安価に調達できたメリットから 1983 年以来、
毎年減少していた売上高が増加した 117)。
以上のように、過去約 50 年以上にわたる米メルク社と萬有製薬の関係は、両社を取り巻
く業界環境の変化とともに徐々に発展してきた。
米メルク社、萬有製薬のトップ間で合意に達した点は、「グローバルなものは共通に、ロ
ーカルなものは自主的にという、いわばハイブリッド的な原則 118)」であり、東山社長の後
を受け継いだ長坂は「こうした基本原則のもとにおいてこそ、萬有製薬はメルクグループ
の一員として多大のメリットを享受し、さらには最大限の利益を追求する事が可能となる
119)」と述べている。
以上のように萬有製薬の米メルク社傘下における一番のメリットは、規模の利益を得る
ことができた事である。
表 3-8
統合後業績の推移(1984~01 年度)(単位:百万円)
年度
1984
1985
1986
1987
1988
1989
1990
1991
1992
1993
1994
1995
1996
1997
1998
1999
2000
2001
売上高
61195
59090
65268
77653
96148
95022
100292
105135
114719
122476
129022
130812
145846
139588
153284
162503
169747
180215
営業利益 経常利益 当期純利益
339
6492
2814
▲1268
4813
1030
3549
10812
2476
9235
13733
4467
15129
19456
6307
12285
16916
7958
10301
15411
6785
10655
15214
6473
12349
14678
6295
15892
17064
7511
20571
19935
9327
23126
22059
10952
26820
27106
12068
21277
23816
12276
27094
32118
13144
29590
34343
17099
33695
34815
19124
34609
35489
20625
出所:各期「有価証券報告書」より
研究開発面では、米メルク社との間で研究員の相互交流を活発にし、日本の研究者も米
国の研究所や大学で研究活動ができる点、また米メルク社は世界の関連企業を組織化して
おり、そのうちの一社が新薬を出せば、世界で販売できるネットワークを手に入れる事が
できる 120 )。また米メルク社は世界で最も先進的な研究体制とノウハウを保有しており、萬
有製薬は、ローカルに独立した会社として自主的な立場で研究・開発を推進し、かつグロ
ーバル企業のメンバーとして人材や技術面での交流、助言、補完を行えば、国際的にも効
果が期待できる 121 )。
経営システムにおいてもグループ企業内のシステムを組み込む事で低コストのシステム
)
)
118)
119)
120)
121)
116
117
輸入バルクとは医薬品の原料を海外(米国)から輸入する事を指す
萬有製薬[2002]、p.311
萬有製薬[2002]、p.394
萬有製薬[2002]、p.394
日経産業新聞 1991 年 10 月 5 日
萬有製薬[2002]、p.394
66
構築が可能であり、製造においても生産拠点を最も適切な場所に集約し、萬有製薬が必要
に応じて輸入すれば、量産効果は大きい。つまり各国毎にその国の規制などの実状を配慮
して、ローカル会社が担当すれば、グローバル的に見て理想的な生産体制を築くことがで
きる 122 )。
また日本国内の営業的側面からも、米メルク社のデータベースを利用して世界最新の医
薬情報の提供や、高度な医薬情報を求める医師のニーズに対応する事ができる点である 123 )。
長坂は、米国の最新医学情報を満載した医師向けのビデオマガジンを創刊しMRに持参
させ、「世界最大規模の医薬情報データベース、フィルムライブラリー、学術論文の英語翻
訳サービスとともに柱ができた 124 )」と指摘している。
萬有製薬は、当時日本の有力な医薬品会社の中で唯一とも言うべきグローバル企業米メ
ルク社の資本出資する外資系企業になり、その後も表 3-8 に示すように実績を伸ばしてき
た。2000 年には親会社である米メルク社が開発した骨粗鬆症治療薬、2001 年度以降に喘息
治療薬や非ステロイド系の抗炎症薬などの大型製品を相次いで発売する計画であったため、
日本国内で約 1200 人であったMRを 2004 年度には 5 割増の 1800 人に増やし、営業力を強化
する戦略を打ち出していた 125 )。
さらに萬有製薬は、2002 年に 2007 年度(2008 年 3 月期)を最終年度とする中期経営計
画を発表し、2001 年度で売上高 1802 億円を最終年度に 3330 億円に設定し、さらなる成長
戦略を策定している 126 )。
しかしながら、他の競合製品に押され、主力製品(特に血圧降下剤、高脂血症治療剤)
が予想以上に伸びず、2002 年 9 月中間決算が大幅な減益となった。萬有製薬は、米メルク
社の製品力によって、1985 年以降業績が拡大してきたが、2000 年以降大型製品が投入され
て来たにも関わらず、2002 年上半期の売上高がほぼ前期並みにとどまるなど成長が停滞し
ていた。当時の佐藤取締役は、営業の重点を量から質に転換する必要性と主力製品で「医
師への薬の情報提供で他社に負けている」と反省の弁を述べている 127 )。
さらに親会社の米メルク社への特許権使用料が今後増える見通しが示され、外資系傘下
におけるマイナス面も指摘された 128 )。
そうした背景の中、2003 年1月9日に米メルク社は、萬有製薬を TOB(株式公開買い付
け)で 100%子会社化すると発表した。
当時の萬有製薬の長坂会長兼社長と米メルク社のデビット・W・アンティスヒューマンヘ
ルス事業部門プレジデントは、米メルク社が萬有製薬を 100%子会社化する理由について、
米メルク側は日本での新薬販売を強化するためであり、萬有製薬側は国際展開に有利にな
)
)
124)
125)
126)
127)
128)
122
123
萬有製薬[2002]、p.394
日本経済新聞 1990 年 10 月 29 日
日経産業新聞 1992 年 2 月 21 日
日経産業新聞 2000 年 10 月 3 日
日経産業新聞 2002 年 9 月 10 日
日経産業新聞 2002 年 11 月 29 日
日経金融新聞 2001 年 12 月 12 日
67
るという判断を行ったと指摘されている 129 )。
アンティス氏は「メルクが開発した新薬を効果的に日本の患者に届けるためであり、萬
有が開発した製品を世界で販売することが狙いだ。これまで萬有とメルクで互いに機密情
報を公開できないなど、事業の効率に問題があった。今後は萬有の経営陣もメルクの意思
決定にかかわれるようにるようになり、事業展開のスピードが高まる。合理化やコスト削
減が目的ではない」と述べ、さらに「メルクは 1954 年に萬有と合弁会社を設立、1984 年に
過半数の株式を取得した。100%子会社化は経営権を取得した時点から選択肢としてあった
が、いままでは必要でないと考えていた。だがこれから新薬を発売できる今が好機だ 130 )」
と指摘している。
さらにアンティス氏は、今回の 100%子会社化の意味については、2002 年 9 月中間決算
の萬有の業績伸び悩みを受け、経営再建するための子会社化であるとの見解についても否
定し、「今回の決定はさらに萬有が強くなるため 131 )」と述べている。
長坂氏も「完全子会社となることで、日本で開発した新薬を米欧で販売しやすくなる 132 )」
と述べている。
また当時の米メルク社会長兼CEOギルマーティン氏は「これまでは 49%の株主の権利に配
慮する必要があり、メルクと萬有で研究開発上の機密情報を相互に公開するのが難しかっ
た。今後はあらゆる面で連携の効率とスピードが増すだろう。萬有の基礎研究の蓄積はメ
ルクにとって貴重な資産だ。特にがん、中枢神経疾患、肥満、糖尿病の研究では重要な役
割を担う。国際ネットワークに統合することで、研究成果を世界市場でいち早く製品化で
きる 133 )」と述べ、完全子会社化の選択の必要性を指摘している。
以上のような理由から 2004 年 3 月に米メルク社は、2003 年 1 月に完全子会社化する方針
を打ち出していた萬有製薬の株式取得を完了したと発表した。
米メルク社においても、売上高の 6 割を占める非医薬品部門を切り離しており、研究開
発に経営資源を集中し、今回の萬有製薬の事例についても株式買い増しを通じて萬有製薬
を研究開発戦略に組み込んだと見る事ができる。
完全子会社化後に萬有製薬の社長に就任した平手氏は「メルクから 1984 年に 51%の資本
を受け入れてきたが、萬有はいまだにメルクのすごさを使い切っていない印象がある。逆
に言えば私が今後やらねばならない課題が山積しており、やればやるほど変わる可能性も
ある。萬有はもっとメルク化していいと思っている」と述べている。
今回の萬有製薬のケースは、欧米医薬品企業の傘下に入り、さらに完全子会社型へ変化
したものである。今後日本医薬品業界のグローバル化が進展し、競争が激しさを増してい
る中で、日本医薬品企業のグローバル戦略を考察する際、独自でグローバル化を展開する
方法に加え、先行している欧米医薬品企業の国際ネットワークに統合するという異なる視
)
)
131)
132)
133)
129
130
日経産業新聞 2003 年 1 月 14 日
日経産業新聞 2003 年 1 月 14 日
日経産業新聞 2003 年 1 月 14 日
日経産業新聞 2003 年 1 月 14 日
日本経済新聞 2003 年 9 月 1 日
68
点から日本医薬品企業のグローバル化を考える重要な事例である。
(3)中外製薬
1975 年以降、日本の医薬品企業は、薬価の抑制による日本医薬品市場成長の鈍化や外資
法の規制緩和で日本医薬品市場への外資参入が積極化し、国際化が進展した。
その中で中外製薬は、国際化進展に対応するため、海外の有力会社との提携を行い、ア
メリカ 4 社、イギリス 1 社、西ドイツ 1 社、フランス 2 社、韓国1社、台湾 1 社と合弁会
社の設立、共同開発など積極的に展開した 134)。
さらに中外製薬はグローバルな視点に立った長期プランに基づく 5 カ年計画を発表し、
「創造的・革新的new中外への脱皮による国際製薬企業としての基盤確立」というビジョン
を設定し、第1に戦略経営体制の強化、第 2 に研究開発優位基盤の確立、第 3 に国際化の
促進、第 4 に国内営業競争力の強化、第 5 に生産技術力及びコスト競争力の強化、第 6 に
経営効率の向上と財務基盤の拡充という 6 つの点を基本政策とした 135)。
しかし中外製薬の国際化は図 3-8 に示すように順調には推移せず、輸出高、輸出割合は
1980 年から比較しても若干の伸びを示すに留まっていた。
図 3-8
中外製薬
輸出高・輸出割合の推移
輸出高
輸出割合
出所:中外製薬『中外製薬 75 年の歩み』
、2000 年資料編、p.113 より
) 中外製薬[2000]、p.143
) 中外製薬[2000]、p.161
134
135
69
特に中外製薬のアメリカ事業展開において、アメリカのベンチャー企業ジェネテクス・
インスティチュート社との研究で遺伝子組み替えヒトエリスロポエチン商品名「エポジン」、
G-CSF(天然型のヒト顆粒球コロニー形成刺激因子)商品名「ノイトロジン」がアメリカ
のアムジェン社との特許係争の結果敗訴し、1992 年にアメリカ市場における中心的な役割
を果たして来た合弁会社の中外アップジョン社解散を余儀なくされ、アメリカでの事業構
築プランを見直す事になった 136)。
そのような厳しい状況の中、1992 年に永山治が社長に就任した。永山は、先代の上野が
述べた企業三原則の理念に加え、市場並びに経営はグローバル化し、人、組織、機能など
すべてにわたり国際化に向かって着実に取り組む事が重要である考え、企業三原則(社会
性・人間性・経済性の追求)に加え、「国際性の追求」を新たに加えて「企業四原則」とし
た 137)。この「国際性」について永山は「社員一人一人と各機能の国際化を進める事、世界
各地域に即したマネジメントを展開する事」とし、さらに 21 世紀のビジョンとして「世界
の医療と人々の健康に貢献するグローバル企業を目指す 138)」事を掲げた。
将来の企業像についても永山は「創造的な共生のために国際的で産業横断的な戦略提携
の確立 139)」をイメージしており、以後スイスの医薬品企業ロシュとの戦略的提携を結ぶ際
の意思決定に表れているのではないかと思われる。
また永山は、グローバル化を見据えた業界再編の見通しや中外製薬の戦略について「医
療用では研究開発や販売を含め、国際展開の目標をいかに設定するかで製薬各社の戦略は
異なってくる。ただ国際展開できる企業は再編が進んだ米国でさえ数社にとどまる。経営
の基盤となる自国の市場規模が米国の半分の日本ではもっと少なくなるはずだ 140)」と日本
医薬品企業独自のグローバル化展開に対して厳しい見解を示している。
また中外製薬の戦略については「当社は抗体医薬(免疫反応を応用した)などニッチ市場を
目差す中堅プレーヤーだ。この規模の製薬会社に求められる研究開発費のクリティカルマ
ス(最小限必要な規模)は年間 500 億円と想定し、その水準に近づけている。国際展開は自社
単独、提携など製品ごとに戦略を決めていく 141)」とし、日本国内での統合については「必
要ない。合併は経営戦略の一つだが、日本のニッチ企業同士が合併してもニッチの域を出
ないからだ 142)」として日本企業同士の合併については否定的であった。
以上の事から、永山が他社との連携を模索している状況が強く示唆されている中で、2001
年 12 月 10 日にスイス製薬大手ロシュと中外製薬は、ロシュが中外製薬の発行済み株式
50.1%を取得し傘下に収めると発表した。
この外資の傘下に入る戦略を永山は「1980 年代から研究領域を抗体医薬(免疫反応を応用
)
)
138)
139)
140)
141)
142)
136
137
中外製薬[2000]、p.212
中外製薬[2000]、p.219
中外製薬[2000]、p.219
中外製薬[2000]、p.219
日経産業新聞 2001 年 9 月 27 日
日経産業新聞 2001 年 9 月 27 日
日経産業新聞 2001 年 9 月 27 日
70
した)などバイオ医薬に絞り込み、欧米大手と互角に組めるだけの強みを持つまでになった
との自負がある。5 年ほど前から提携の検討を始め、2000 年にはバイオ医薬が臨床試験入
りして機は熟した。一方、ゲノム(全遺伝子情報)解読を受けバイオ医薬の中でも研究テーマ
が広がっている上、中外は研究開発投資が売上高の 20%を超え、単独では増額が難しくな
った。国内では薬価(薬の公定価格)が下がり、危機感は強かった 143)」と述べている。
また永山が提携相手にロシュを選択した理由については「国内勢相手では今回のような
図式は描けなかった。バイオ医薬は生産設備が巨大になり設備投資の負担も重く、日米欧
の三極で研究・生産体制を構築できる相手を探すとロシュだけだった。本来、資本に国内、
海外の区別はないはず。決め手は提携や合併が技術力の強化につながるかどうかだ。欧米
で相次いだ大型合併も、主力製品の特許切れが近づくと新製品を持つ相手と合併を繰り返
すだけでは限界が見えてきた 144)」事に加え、
「ロシュグループ入りは抗体医薬などバイオ医
薬の強みを生かす手段だ 145)」と述べ、傘下に入る目的の一つは抗体医薬で日米欧三極体制
を構築する事を示している。
さらに永山が、今回の提携に最も重要な案件を「自主経営」に定め、
「ロシュのフランツ・
フーマー会長兼最高経営責任者(CEO)とは『グローバルに考え、ローカルに行動する』との
考えで一致していた。だからロシュは日本で自ら経営するのではなく中外に投資する形を
とり、中外のパフォーマンスを評価する方式に理解を示した。中外はロシュの連結子会社
になるから、収益や研究開発で成果を上げ続ける限り、ロシュにとってはどちらが経営し
ても成果の点では同じことになる 146)」と話し、それが受け入れられた事が今回の決定に繋
がっている。
他方、中外製薬を傘下に収めるスイス製薬大手ロシュのフランツ・フーマー会長兼最高経
営責任者(CEO)の見解は「日本では中外ほど長期的な研究開発戦略がある企業はない。国際
展開も早かった。中外は大型のたんぱく質生産設備を持つほかモノクロナール抗体の研究
も進んでおり、抗体研究に力を入れているロシュと組めば相乗効果が期待できる 147)」とし
て中外製薬との研究開発における統合メリットを強調した。
中外製薬の自主経営についてフーマーは「ロシュはむしろ、研究開発で優れた実績を持
つ企業との提携などを通して、開発力を高める。(日本ロシュとの合併で発足する)新中外が
革新性を発揮するにはロシュ本社からコントロールされない自律的な経営が大切だ。両社
は互いの情報ネットワークにアクセスでき、研究開発の生産性を上げられる 148)」として、
その自主性を尊重している。
またフーマーは、
「ロシュが 75 年間日本で事業をやってきて 30 位前後だったのが、提携
)
)
145)
146)
147)
148)
143
144
日経産業新聞 2002 年 1 月 7 日
日経産業新聞 2002 年 1 月 7 日
日経産業新聞 2002 年 10 月 1 日
日経産業新聞 2002 年 1 月 7 日
日経産業新聞 2002 年 5 月 13 日
日経産業新聞 2002 年 5 月 13 日
71
で一気に 5 位に浮上するだけでも大きい 149)」と考えており、日本市場における販売戦略の
側面からも統合メリットを強調している。また永山もロシュ側のメリットとして「ロシュ
は日本で 70 年以上の歴史がある外資系最古の企業だが、日本では 31 位。100%出資の販売
子会社方式で日本市場を開拓するのは限界があると考えている。自主性を奪い、研究や開
発、営業をどうするかに親会社がいちいち口を挟めば、日本に根付いた経営はできないこ
とをフーマー会長もはっきり認識していると思う 150)」と述べている。
このように互いのメリットを強調し、中外製薬・ロシュ統合が次のような流れで行われ、
図 3-9 に示されている様に新しい中外製薬の体制が構築された。
さらに中外製薬は 2002 年秋にロシュ日本子会社と統合し、表 3-9 に見られるように業績
を急拡大させ、日本国内売上高も 10 位前後から一気に 4 位に浮上した。
図 3-9
RDM(研究・開発・販売)における中外とロシュの連携
国内
海外
販売部門
ロシュ グローバルマーケティング
ロシュ グローバル開発
新生中外グローバル開発
ロシュ 研究
Projects
Projects
新生中外国内開発
Projects
Projects
新生中外国内マーケティング
Products
Products
Projects
研究部門
Products
Products
開発部門
新生中外グローバルマーケティング
中外 研究
出所:中外製薬アニュアルレポート 2003、 p.7 より
表 3-9
連結経営指標等
) 日本経済新聞 2002 年 5 月 6 日
) 日経金融新聞 2002 年 9 月 3 日
149
150
72
決算年月
2000/3
2001/3
2002/3
2003/3
2003/12
2004/12
2005/12
2006/12
2007/12
2008/12
売上高
(百万円)
195,506
203,005
211,705
237,390
232,748
294,670
327,155
326,109
344,808
326,937
販売費一般管理費
(百万円)
66,539
69,527
72,189
79,177
62,963
83,900
78,504
80,067
86,569
148,345
研究開発費
(百万円)
39,993
41,188
47,844
48,511
43,524
48,165
50,058
54,609
54,243
53,225
営業利益
(百万円)
29,977
30,242
26,708
30,317
42,719
51,497
79,168
58,347
66,702
51,563
経常利益
(百万円)
28,936
29,039
29,554
30,967
43,947
51,990
82,091
60,922
67,687
57,265
当期純利益又は
当期純損失(△)
(百万円)
8,760
15,500
14,598
△20,135
28,445
34,117
53,632
38,417
40,060
39,264
設備投資額
(百万円)
13,321
9,689
14,291
17,815
11,819
9,865
16,129
16,344
19,609
26,570
(百万円)
14,462
14,407
12,938
14,904
10,514
14,383
16,980
13,814
14,913
20,080
減価償却費及び
その他の償却費
1株当たり
当期純利益又は
当期純損失(△)
(円)
35.53
61.70
57.93
△51.75
51.73
62.27
97.00
69.35
73.23
72.07
配当金
(円)
13.00
16.00
16.00
16.00
13.00
18.00
34.00
30.00
30.00
34.00
総資産額
(百万円)
321,087
340,174
349,225
425,301
405,197
411,449
456,442
462,124
458,942
397,066
有形固定資産簿価
(百万円)
80,225
77,797
81,444
93,969
91,969
90,051
79,459
85,150
92,495
98,345
有利子負債
(百万円)
75,181
70,402
70,093
12,107
10,761
6,167
1,348
451
342
304
純資産額
(百万円)
170,972
190,256
200,779
277,253
296,717
320,846
368,306
391,604
385,797
397,066
従業員数
(人)
4,877
4,931
4,964
5,774
5,680
5,327
5,357
5,962
6,282
6,383
(注) 1 売上高は、消費税等抜き
(注)
2 2003年6月25日開催の定時株主総会において決算期を12月31日に変更したため、20003年12月期は2003年
4月1日から2003年12月31までの9ヶ月
出所:各期「有価証券報告書」より
また永山が考える研究開発費年間 500 億についても図 3-10 に見られるよう 2005 年には
投資できる状態になり、加えて図 3-11 のように研究開発のパイプラインも豊富になった。
「これからはバーゼルでのロシュグループの経営会議にも顔を出して、グローバル企業の
経営を学びたい 151)」と中外製薬のグローバル展開に対してさらに積極的な姿勢を示してい
る。
図 3-10
中外製薬
研究開発費の推移
) 日経産業新聞 2004 年 9 月 3 日
151
73
(億円)
(%)
600
30
546.1
22.6
20.4
500.6
18.7
500
20
481.7
478.5
16.7
485.1
16.3
435.3
15.3
400
10
研究開発費
(左軸)
300
研究開発費/
売上高(右
軸)
0
01
02
03
04
05
06
出所:中外製薬アニュアルレポート 2006 年、p.33 より
図 3-11
中外製薬・ロシュ提携後の製品・開発品ポートフォリオ
2001 期末時点
上市済
2008 期初時点
上市済
後期開発品
NEU
FEM
EPO
が
ん
が
ん
EPO
そ
の
他
OXA
ALF
EVI
SVE
ACT(RA)
SIG
ED-71
そ
の
他
EPO
OXA
C.E.R.A.
ALF
EVI
ED-71
BONVIVA
ACT
(RA)
PEG
(Cirrhosis)
COPE
(Cirrhosis)
アライアンス前
KVT
AVA
(BC)
TAR
(PC)
HER
(GC)
XEL
(CRC)
AVA
(NSCLC)
AVA
(GC)
EPO
NEU
XEL
(GC)
FEM
SVE
PEG
(HCV)
SIG
RMD
後期開発品
AVA
(CRC)
TAR
(NSCLC)
HER
(BC)
XEL
(BC,CC)
RIT
COPE
(HCV)
TAM
アライアンス後
出所:中外製薬アニュアルレポート 2007 年巻頭より
この中外製薬の対応は、外資系グローバル企業の傘下に入り、グローバル市場での販売、
74
研究開発の相乗効果を示している。中外製薬のケースは萬有製薬とは違い、抗体医薬、バ
イオ医薬という強みを持った中で傘下入りを果たしており、加えて中外製薬の大衆薬事業、
診断薬事業などの不採算事業を一気に処理し、企業内改革をより迅速に進めて行く事が可
能となったという視点と、現在でも業績を伸ばしており、今なお戦略提携が継続している
点からも、今後の日本医薬品企業がグローバル化への対応考える上で重要な事例である。
この章では日本医薬品企業のグローバル化について現状と分析を行い、さらにグローバ
ル市場へ参画した日本医薬品企業の代表的なケースを考察した。
これまでの日本医薬品企業のグローバル化というと自社製品を海外で自社販売する事を
意味してきた。しかし自社販路は、販売提携よりも利益が大きい事がメリットであるが、
多大なコストを抱えながら常に利益を得られるための製品供給が必要である。
本研究において、日本医薬品企業がグローバル化の中で安定的地位を確保するために、
他にどのような方法があるかを考察した際に、1つの経営戦略として、グローバル企業の
メンバー会社としてグループに参画し貢献する事を示した。
藤野[2000]は「日本企業が『グローバリゼーションへの対応』『経営のグローバル化』
という時は、自らが主導を握った形での世界展開を想定してきたきらいがあるが、今後は
外国企業のグローバル事業戦略の中に参加するという形でのグローバリゼーションへの対
応という選択肢も存在する 152)」と指摘している。つまりグローバル企業グループの中の貢
献については、日本市場の販売や研究開発でも薬効領域、または毒性試験、剤形開発とい
った特定領域に絞って担当する事も可能である。
グローバル化が避けられない中で日本の個々医薬品企業自身が取るポジショニングによ
って戦略は異なる。特に M&A 等で外資系企業の傘下に入る事については日本企業では否
定的なイメージで捉えられやすい。しかし萬有製薬、中外製薬のように将来的に生き残る
ための積極策として考慮して行く事も有効であり、自社に最も適した戦略を多様な選択肢
の中から検討して行くべきであると考える。
) 藤野[2000]、p.159
152
75
第4章
日本医薬品企業の経営戦略
第1節
日本医薬品企業のグローバル戦略
前章までで、日本医薬品市場におけるグローバル化の確認と医薬品産業の特質について
の分析を行い、それに加え代表的な日本医薬品企業の3社のケーススタディを取り上げた。
医薬品の特質は、他の製品に比べ人体への影響が大きいため、さまざまな規制と研究開
発プロセスの不確実性による製品特質が明確になった。しかし日本医薬品市場の特質につ
いては、日本独自の閉鎖的な環境から規制緩和により他の製品市場と同様に市場自体がグ
ローバル市場の一部となり、日本医薬品市場が独自の市場特質を有しているとは言えなく
なってきたことも明らかになった。
しかしながら日本医薬品企業のグローバル化の行動形態はケーススタディで示した 3 社
による 3 パターンしかなく、しかもそのほとんどが武田薬品工業に見られるような自力で
海外展開を図る企業が多く見られている。
以下この章では、これらを踏まえグローバル市場における日本医薬品企業の経営戦略を
考察するために競争戦略と提携について定義し、そのフレームワークを確認する。
まず「戦略」の定義について、チャンドラー[2004]は「長期の基本目標を定めた上で、そ
の目標を実現するために行動を起こしたり、経営資源を配分したりすること 1 )」と指摘し、
また伊丹[2003]は「市場の中の組織としての活動の長期的な基本設計図 2 )」と指摘し、「戦
略」とは長期的な目標と活動過程を示しているものと考えられる。ここでは戦略の中でも
競争戦略、提携戦略を中心に考察する。
競争戦略については、ポーターの「競争戦略」に基づいて考えて行きたい。ポーター[1995]
は「競争戦略とは、業界内で防衛可能な地位を作り、5つの競争要因にうまく対処し、企
業の投資収益を大きくするための、攻撃的または防御的アクションである 3 )」と指摘した。
ポーターの競争戦略の概略としては、業界構造と競争業者を分析するためのフレームワ
ークである5つの競争要因、また買い手及び買い手の価値連鎖を理解して相対的コスト地
位を診断し、これらを踏まえた上で、ある種の競争分野内、全分野、業界の1つのセグメ
ント等、持続可能な競争優位を確立するために3つの基本戦略であるコストリーダーシッ
プ戦略、差別化戦略、集中戦略を長期的な経営戦略のベースに採用し、その上で個別戦略
を推進して行く事である。
つまりポーターの競争戦略は、競争環境を正しく理解し、その環境が将来どのように変
化するか予測し、企業が強固な市場地位をもたらす競争の仕方を選択する事である。
その業界内での競争状態を決めるのは、基本的に5つの要因があり、図 4-1 で示すように
競争状態を決めるのは、新規参入の脅威、代替製品の脅威、顧客の交渉力、供給業者の交
1
)チャンドラー[2004]、p.17
)伊丹[2003]、p.2
3)ポーター[1995]、p.17
2
76
渉力、競争業者間の敵対関係の5つの競争要因が挙げられる 4 )。
この5つの競争要因のフレームワークを基に、日本医薬品産業の競争状態について分析
してみると、図 4-2 のように表すことができる。
日本医薬品産業の新規参入業者においては、第2章に述べているように研究開発費、長
期間に渡る開発期間を考えると参入障壁は高いと考えられる。次に買い手の交渉力につい
ては、医薬品価格が医療用医薬品では公定価格で規制されているため、価格競争が起こり
にくい構造になっており、さらには医師に医薬品の決定権があるため、価格に対する感度
が低いと考えられる。
図 4-1
5つの競争要因
新規参入業者
新規参入の脅威
競争
売り手の交渉力
業者
買い手の交渉力
買い手
供給業者
業 者 間 の 敵 対 関 係
代替製品・
サービスの脅威
代
替
品
出所 :マイケル・ポーター、土岐
図 4-2
坤他訳『新訂
競争の戦略』1995 年 p.18 より
日本医薬品産業の5つの競争要因
新規参入の脅威は少ない
高い新規参入コスト
日本の医薬品流通市場の特殊性
新規参入業者
(兼業企業等)
新規参入の脅威
売り手の交渉力
競争 業者
供給業者
買い手の交渉力
買い手
業 者 間 の 敵 対 関 係
・業界内の競争は、 他業
界と比較して それほど厳
しくないが
ー7兆円強の市場 規模
ー製品の差別性 が、特
許・規制 によって長期に
維持可能
ー参入企業の高収益体質
ー市場変動が予測可能な
ため、適正な範囲に固定
費水準をとどめ ることが可
能
ー外資系企業の進出
代替製品・
サービスの脅威
代 替 品
(後 発 品も含む)
出所;筆者作成
4
)ポーター[1995]、p.20
77
・買い手(特に患者)からの 価格に関す
る交渉圧力は 強くない
-保険制度によって定められた
薬価と患者負担額
-実際にコストを支払う患
者の薬剤選択権の欠如
(処方を決めるのは医 師)
-病院、診療所による薬価差益(公定
価格と納入価)の追求
-調剤薬局の薬価差益(公定価格と
納入価)の追求圧力
しかしながら代替品である後発医薬品が国の政策によって推進され、加えて日本医薬品
市場において欧米医薬品企業のシェアが右肩上がりに伸び、日本医薬品企業のシェアが低
下している事を考慮し、どのようにして業界構造に対応すべきか戦略を立てなければなら
ない。
またポーター[1995]は、これらは業界の競争が、既存の競争業者だけの競争ではないとい
う事を示し、
「5つの競争要因のどれが決定要因になるかについては、多くの重要な経済的
技術的特性がモノをいう 5 )」と指摘しており、各社はどこが脅威になっているのか考えなけ
ればならない。
さらにこの様な競争要因を理解した上で、その対処方法を考える必要性がある。それが
競争相手に打ち勝つための「3つの基本戦略」である。その3つの戦略とは、コストリー
ダーシップ、差別化、集中である。
コストリーダーシップは、
「コスト面で最優位に立つという基本的目的にそった一連の実
務政策を実行する事で、コストのリーダーシップをとろうという戦略 6 )」であり、差別化は、
「自社の製品やサービスを差別化して、業界の中でも特異だと見られる何かを創造しよう
とする戦略 7 )」である。集中は、「特定の買い手グループとか、製品の種類とか、特定の地
域市場とかへ、企業の資源を集中する戦略 8 )」である。
ポーターは、3つの基本戦略について「うまく実行するには、それぞれ違った経営資源
や熟練が必要であり、組織のあり方、管理手順、新製品開発体制の面でもみな違う。その
結果、どの戦略を成功させるにも、それを第一の目標として忍耐強く総力を投入しなけれ
ばならない 9 )」と述べ、さらに「基本戦略は、それぞれ違ったリーダーシップの形を必要と
するし、どの戦略を主力にするかによって、企業カルチャーと雰囲気が違ってくるのであ
る 10 )」と指摘している。
またポーター[1989]は、競争がグローバル化した際にも「国際的に競争する企業の戦略問
題といっても、多くは国内で競争する企業のそれと大変よく似ている 11 )」と指摘しており、
基本的な考え方は国内、国外も同じである事を主張し、更にグローバル戦略の定義を「集
中配置か分散された活動の調整か、あるいはその両方によって国際的な競争優位を確保し
ようとする戦略がグローバルと呼ばれる 12 )」と指摘している。
この様な定義のもとで、ポーターは図 4-3 のように国際戦略のあり方を示している。
さらにポーターは図 4-3 に示している活動の配置(価値連鎖 13 )内の活動が世界のどの場
5
)ポーター[1995]、p.21
)ポーター[1995]、p.56
7)ポーター[1995]、p.59
8)ポーター[1995]、p.61
9)ポーター[1995]、p.63
10)ポーター[1995]、pp.63-64
11)ポーター[1989]、p.21
12)ポーター[1989]、p.35
13)価値連鎖とは、どんな企業でも何らかの方法で販売物流、製造、出荷物流、販売マーケティング、サービスの5つを主活動、人事、
6
労務管理、技術開発、調達の4つを支援活動と呼び、大きく9種類の活動を行っている事を指す。ポーターは各要素で付加価値が創造さ
れ、これらが連鎖し、最終的に各活動で付加した価値の総和として製品やサービスが提供される事を提唱している。
78
所で行われ、その場所の数はどれくらいか)、調整(国別で行われる同種類の活動が互いに
どれくらい調整されているか)の問題がドメスティック戦略と国際戦略の問題の違いであ
る 14 )と述べ、さらに表 4-1 で示すように価値活動の種類ごとに配置問題と調整問題を挙げ
ている。
図 4-3
国際戦略のタイプ
高
活
動
の
調
整
低
海外投資額が大きく、
各国子会社間に強い調
整を行なう
単純なグローバル戦略
多国籍企業、または1
つの国だけで操業する
ドメスティック企業によ
る国を中心とした戦略
マーケティングを分権
化した輸出中心戦略
分散型
集中型 活動の配置
出所:マイケル・ポーター、土岐
表 4-1
活動別の配置・調整問題
価 値 活 動
製
坤他訳『グローバル企業の競争戦略』1989 年 p.34 より
造
配 置 問 題
調 整 問 題
分散した工場それぞれにどんな役割を与えるか。
コンポーネントおよび最終製品の工場をど
世界中の工場をどう連結させるか。
こに置くか。
製法技術と生産ノウハウを各工場間でどう交流させるか。
販 売 ・ マ ー
ケ テ ィ ン グ
製品ラインの確定。
国(市場)の確定。
広告と販促資材の制作場所。
ブランド名を世界中共通にするか。
売上高を国別勘定間で調整する。
チャンネルと製品ポジショニングを世界中似たものにする。
国が異なっても価格は同じにする。
サ ー ビ ス
サービス拠点をどこに置くか。
サービス基準と手順を世界中同じにする。
技 術 開 発
調
達
各R&Dセンター間に研究課題を配分する。
各R&Dセンター間の人事交流。
国別の市場ニーズに応じた製品を開発する。
国別に新製品発売の順番を決める。
R&Dセンターの数と場所。
国別に資材供給業者の場所を決め、管理する。
資材市場の情報を交換する。
共通資材の購入を調整する。
資材購入拠点の場所。
出所:マイケル・ポーター、土岐
坤他訳『グローバル企業の競争戦略』1989 年 p.32 より
ポーター[1989]は「配置と調整が、企業の国際的地位から生まれる戦略の競争優位を決め
14
)ポーター[1989]、p.30
79
る 15 )」と指摘し、さらに「戦略の競争優位を理解するためには、活動をグローバルに集中
したり、分散した活動を調整して、低コストか差別化に到達できるための条件を知らなけ
ればならない 16 )」と述べている。
そしてポーターは国際競争の為の具体的な「配置と調整策」を原理的にまとめ、図 4-4
のようにグローバル業界における4つの戦略を提唱した。
図 4-4
グローバル業界の4つの戦略
地理的範囲
グローバル戦略
セ
グ
メ
ン
ト
範
囲
国中心の戦略
多
数
セ グローバル・コスト・
グ リーダーシップ、または
メ グローバル差別化
ン
ト
少
数
セ
グ
グローバル細分化
メ
ン
ト
出所:マイケル・ポーター、土岐
市場防衛の国を狙う
相手国優先
坤他訳『グローバル企業の競争戦略』1989 年 p.59 より
ポーターが提唱した4つの戦略とは、「グローバル・コスト・リーダーシップまたはグロ
ーバル差別化」、「グローバル細分化」、「市場防衛の国を狙う」、「相手国優先」である。
ポーター[1989]は、グローバル・コスト・リーダーシップまたはグローバル差別化につい
て「幅広い製品ラインをすべてまたは大部分の重要市場にいる買い手に売る事により、グ
ローバル配置と調整からくるコストまたは差別化優位を探究する戦略 17 )」であり、グロー
バル細分化について「世界中の特定セグメントへ製品を売る戦略 18 )」であり、市場防衛の
国を狙う事は「市場が政府によって防衛されている国を探し、さらに市場防衛戦略はグロ
ーバル競争を妨害しようとする政府の政策(高率関税、厳重な輸入割当、高いローカルコ
ンテンツ要求などで行われる)戦略 19 )」であり、相手国優先は「業界全体はグローバルで
も、その国の独自性が強い業界セグメントを狙う戦略 20 )」であると指摘した。
ポーターは「今後成功する国際的企業は、価値連鎖のどの活動でもグローバルに配置と
調整をうまく行って、そこから競争優位を探し出し、さらにそのための組織上の障害を乗
り越える企業である 21 )」と述べ、グローバル市場に置いても、先に示した構造分析を的確
に行い、適正な戦略を選択する事の重要性を提唱している。
15
)ポーター[1989]、p.41
)ポーター[1989]、p.36
17)ポーター[1989]、p.59
18)ポーター[1989]、p.60
19)ポーター[1989]、p.60
20)ポーター[1989]、p.61
21)ポーター[1989]、p.71
16
80
次に提携について考察する。提携についてドラッカー[2004]は「組織と組織の関係におい
てさらに重要な意味を持つのが、事業拡大の手段としてのパートナーシップ(提携)の増
大である。今日、ダウンサイジング、合併、買収が大きなニュースになっている。しかし
最大の変化は所有ではなく、パートナーシップに基づく関係、すなわち合弁会社、共同販
売や共同研究強化のための少数株式取得、その他半ば非公式の諸々の提携関係などニュー
スにならないパートナーシップの増加である 22 )」と指摘している。
さらにドラッカーは提携の増加の理由として3つの要因を挙げている。第1に事業規模
があまりに大きくなり資金を賄いきれなくなってきた事、2つ目にはいかなる企業も必要
な技術をすべて自ら用意することができなくなった事、3つ目には世界の多くの地域、特
に中国沿海部やマレーシアのような新興国では、現地パートナーとの提携関係なしには事
業を行えないと述べている 23 )。
ポーター[1989]は「提携はグローバル戦略の多くの面で価値ある道具であり、それを開
発する能力はこれから益々競争優位の重要な根源となるであろう 24 )」と企業が競争優位を
保持して行く戦略的手段として企業間連携の重要性を指摘している。
また戦略提携の一般的な定義では「企業が独立性を保持したまま、特定目的のために互
いの経営資源を利用、供与、補完しあうこと。緩やかな協調関係と組織としての独立性が
重視されるため、2社が統合して1社になるM&A(合併・買収)は戦略提携には含めない
25)」とされている。
竹田[1992]は、戦略提携について「企業提携は従来から存在したのだが、1970 年代中頃
以降、特に 1980 年代に入って多国籍企業の競争戦略に組み込まれて大幅な質的変化を起こ
した。それはグローバルな力を求めるための成熟経済内部での戦略上の選択あるいは競争
上の武器となり、グローバル競争、技術移転あるいはその他の戦略的挑戦のための新しい
アプローチ 26)」と述べ、さらに「この新しい性格の戦略提携は多国籍企業のグローバル化
の形態変化を示す企業内国際取引の多様化に他ならない 27)」と指摘している。
以上、提携の定義について考察したが、提携に関連する研究は数多くなされている。そ
の中で本研究は、その中でも代表的なゲイリー・ハメル/イブ・L・ドーズとヨシノ/ランガ
ンの戦略提携について考察する。
ゲイリー・ハメル/イブ・L・ドーズ[2001]は、提携の目標について3つを挙げており、
「第
1にグローバルないしは特定の新市場において、クリティカルマス(決定的な意味を持つ
数・規模)を構築する。第2に馴染みのないマーケットについて速やかに学習し、インサ
イダーとしての地位を確立する。第3にその地域に集中的に存在するスキルにアクセスす
22
)ドラッカー[2004]、pp.61-62
)ドラッカー[2004]、pp.61-62
24)ポーター[1989]、p.325
25
)『実践経営辞典』[2006]、pp.319-320
26)竹田[1992]、p.25
27)竹田[1992]、p.25
23
81
る 28)」と指摘している。
またゲイリー・ハメル/イブ・L・ドーズは、従来の提携と今日の戦略提携の考え方につ
いて表 4-2 に示すように4つの領域から、その変化を指摘している。
伝統的な考え方と新たな考え方を要約すると、伝統的な考え方は、戦略提携が中核事業
において行われる事が少数であったのに対し、新たな考え方では、戦略提携が企業戦略の
中核的な存在になっている事、次に伝統的な合弁事業はパートナーが合弁企業に持ち込む
各種経営資源やそこから得られる成果が明白なものであったのに対し、新しい提携はその
表 4-2
アライアンスの考え方
伝統的な考え方
アライアンスの価値創造について
・コスト・ベネフィット分析 →
・価値創造を優先 →
・単純な補完
→
・構造を最初に決定
→
アライアンスの発展・継続性について
・設定された目標の管理
→
・単一の交渉
→
・コミットメント
→
・継続性重視
→
コンフリクトの解消について
・コラボレーション
→
・相互依存
→
・信頼
→
成長するアライアンスのイメージ
・結婚
→
・単一のリレーシップ
→
出所:
新たな考え方
複雑な戦略的評価
価値獲得に重点
複雑なコスペシャライゼーション
プロセスの進化
変化する目標を追跡
複数の交渉
選択肢の創造・維持
競争力増強重視
コラボレーションと競争
不均衡な依存に伴うリスクの解消
共通の利益の強調
政治・外交
アライアンスのネットワーク
ゲイリー・ハメル/イブ・L・ドーズ 志太 勤一/柳 孝一監訳『競争優位のアライアンス戦略』2001 年.p.11 より
双方が不明確である事、さらに従来は、2社間の関係であったのに対し、新しい提携は複
数のパートナーとの関係になっている事や、今日提携して単一の製品を生産するのは稀で
あり、多くのパートナーの経営資源を要する複雑なシステムやソリューションを開発する
ための提携が増えた事、また味方と敵というパートナーとの関係が非常に曖昧になってき
た事など企業を取り巻く環境がグローバル化によって変化した事が考えられる。
しかし、戦略提携の問題点として、伝統的な提携以上に、新しい戦略提携を進める上で、
「マネージャーは従来よりも幅広く経済的、戦略的な成果に目を向けてパフォーマンスを
評価するように求められている 29)」と指摘し、その理由を戦略的成果が「アライアンスは、
新しい環境について学習するために用いられ、新しい事業分野についての不確実性を低減
することを目指している。したがって、戦略的な価値を具体的に評価することは難しい 30)」
と述べている。
28
)ゲイリー・ハメル/イブ・L・ドーズ[2001]、p.37
)ゲイリー・ハメル/イブ・L・ドーズ[2001]、p.12
30)ゲイリー・ハメル/イブ・L・ドーズ[2001]、p.14
29
82
ここでゲイリー・ハメル/イブ・L・ドーズが挙げている成果とは、提携によって生み出
される価値であり、これを彼らは「価値創造(value creation) 」と呼び、この価値創造とい
う概念を導入し、戦略提携には次の3つの目的が存在することを指摘している。
第1に「Co-option」である。
「Co-option」とは、
「潜在的なライバルや補完的な製品・サ
ービスの提供者との提携によって、新しいビジネスを生み出そうとすることである。ここ
では「Co-option」という用語を、次の意味で用いることにする。①潜在的なライバルをア
ライアンスに取り込むことで、その脅威を効果的に中和する。②アライアンスを目指す企
業にとって意味のある製品・サービスを持つ企業に対し、連合への参加を呼びかけてネッ
トワークによる経済効果を生み出す。ライバルも補完的な商品の提供者も、連合という屋
根の下に取り込んでしまう 31 )」ものであると指摘している。
つまり、潜在的競合企業や補完的な製品やサービスのプロバイダーをパートナーにして、
ライバル企業に対して競争を有利に展開するためには、提携を通じてクリティカルマスを
構築し、グローバルなプレゼンスを高めることが必要である。
第2に「Cospecialization」である。
「Cospecialization」とは「経営資源や業界での地位、
スキル、知識などを結びつけることによってシナジー効果を実現し、新たな価値を生み出
すというものである 32 )」と指摘している。つまり別々の経営資源やポジション、スキル、
そして知識を結合させた結果生じる相乗的な価値創造のことである。マーケットアクセス
を得るための現地パートナーや、自社のスキルを補完するためのグローバルパートナーを
必要とするが、これらのパートナーと提携することで新しい市場でインサイダー化できる。
第3に「学習と内部化」である。「アライアンスは、まだ具体化されていないような新し
いスキルを学習して内部化するためのよいきっかけとなる。コアとなる能力は、マーケッ
トでオープンに取引されることはない。そうしたスキルをアライアンスのパートナーから
学び、内部化し、アライアンスの垣根を超えて展開することができれば、それは企業にと
って非常に価値あるものになる 33 )」と指摘している。
つまり企業がグローバル市場で競争するようになると、それまである程度地理的に隔離
されていたそれぞれのスキルの格差が鮮明になり、その格差がスキルの劣った企業にとっ
て命取りになる。スキルが劣る企業は提携を使って他社のスキルを学習することで、スキ
ルのギャップを埋めることができる。これらのスキルは市場で売買できるものではない。
以上のようにゲイリー・ハメル/イブ・L・ドーズは、提携を通じて価値の創造を追求す
る企業は、競合企業や補完的な製品やサービスのプロバイダーをパートナーにする活動、
別々の経営資源やポジション、スキルそして知識を結合させ、それをレバレッジさせる活
動、重要なスキルを学習する活動の3つのうち、いずれかの活動に見出すことができると
いうことを主張している。
次にヨシノ/ランガンの戦略提携について述べる。まずヨシノ/ランガンは戦略提携の役割
31
)ゲイリー・ハメル/イブ・L・ドーズ[2001]、p.5
)ゲイリー・ハメル/イブ・L・ドーズ[2001]、p.6
33)ゲイリー・ハメル/イブ・L・ドーズ[2001]、p.6
32
83
について次の3つの点を指摘している。
第1に市場ニーズに迅速に反応すること、第2に市場に技術を迅速に導入すること、第
3に異なる管理システムを学習することであり、これら戦略提携の役割は、グローバルな
競争が激しくなった経営環境要因に対して、多国籍企業が活動の幅を広げ、コスト優位及
び、差別化優位を追求する手段として示されている。
さらに次の 3 つの特徴を同時に備えるものが戦略提携であると定義している。第1に合
意した一連の目標の実行に向けて協力する2社以上の企業が、提携を結んだ後も独立して
いるもの、第2に提携を結んだパートナー企業が、提携から得られる利益を共有し、取り
決められた仕事の実行を管理するもの、第3に提携を結んだパートナー企業が、技術や製
品など、1つ以上の重要な戦略分野で基盤の維持に貢献するものである。このような特徴
を考えた時、ライセンシング、クロスライセンシング、フランチャイズなど従来から見ら
れる企業間の契約または広義の提携は戦略的提携に含まれないとしている 34 )。
また具体的に戦略提携として従来型の提携と今日の提携を比較して考える際、ヨシノ/ラ
ンガンは、膨大な事例研究から現代の提携の特性を1つ目に国際的な提携、2つ目にライ
バル企業との提携、3 つ目に業界を越えた提携という3点を指摘し、これら新しい特性を有
する戦略的提携のマネジメントのために、経営者は従来とは異なる新しいスキルを身につ
けるべきと指摘している 35 )。
以上を踏まえ、ヨシノ/ランガンは、新しいスキルを必要としている経営者に戦略提携を
マネジメントする上で有効なフレームワークを提示している。
そのフレームワークを表 4-3 に示すが、企業間の協調と競争の関係を同時に考慮しようと、
提携企業間の競争状態の程度を示す「コンフリクトの可能性」、つまり関係企業同士が競争
関係になる「潜在的可能性の高低」と提携企業間の協調状態の程度を示す「組織的相互作
用の程度の高低」を基準にして 4 つのタイプを提示している。
ヨシノ/ランガンは、この提携の 4 つのタイプを次のように定義している。
表 4-3
提携のタイプ
高
競争前段階の提携
競争的提携
コンフリクトの可能性
順競争的提携
非競争的提携
低
低
組織的相互作用の程度
高
出所:Yoshino,M.Y.,Rangan U.S,Strategic Alliances,Harvard Business School Press,1995,p.19 Figure1.3 より
34
) Yoshino,M.Y/ Rangan,U.S[1995]、pp.68-70
) Yoshino,M.Y/ Rangan,U.S[1995]、pp.16-22
35
84
第1に順競争的(procompetitive)提携であり、産業間や垂直的な価値連鎖の関係にみられ
るタイプの提携である。この提携においては関係企業同士の相互作用は低く、潜在的競争
の可能性も低い。
第2に非競争的(noncompetitive)提携であり、同一産業に属するライバル関係にない企業
同士の提携である。この提携においては関係企業同士の相互作用は高いが潜在的競争の可
能性は低い。
第3に競争前段階(precompetetive)提携であり、異なる産業に属する企業同士が新技術の
開発のように目的がはっきりしている提携である。
第4に競争的(competitive)提携であり、同一産業内の企業と密接な関係にあるという意
味で非競争的提携と似ているが、しかし最終製品市場においては両社が直接ライバル関係
になっている点に違いがある。
このようにヨシノ/ランガンは戦略提携を4タイプに分類し、特性、役割を明確にした上
で、さらに経営者がどのようにその提携を管理して行くかを考えるポイントを「柔軟性」
「コ
アの防御」
「学習」
「価値の付加」挙げ、提携をマネジメントする有効なツールとして表 4-4
のように提唱している。
表 4-4
提携における戦略的目的の相対的重要性
戦略的目的
提携のタイプ
柔軟性
コアの防御
学習
価値付け
競争前
****
***
**
*
競争的
*
****
***
**
非競争的
**
*
****
***
順競争的
***
**
*
****
(注)アスタリスクの数は、その数が多いほど戦略的目的の相対的な重要性が増す。
出所:Yoshino,M.Y.,RanganU.S, StrategicAlliances ,Harvard Business School Press,1995,p22,Table1.1 より
ヨシノ/ランガンの提示した提携の4つのタイプは、企業の複雑な提携関係を前にして、
経営者の提携を管理する方法の基準又戦略的目標との関わりから示した点で有用性が高い
と考える。
また竹田[1992]は、図 4-5 に示すように戦略提携が多国籍企業の戦略展開過程でどのよう
な位置にあるのか、企業自ら能動的に外国企業に働きかけ、外国市場に進出する場合を表
している。竹田[1992]は、図 4-5 に示す通り、海外進出には間接輸出から完全所有子会社の
設営に至るまで各種の方式が存在すると指摘する。重要な点は「海外進出は戦略的に①②
85
③のいずれかを選択する事ではなく、企業自体の発展度合いによって規制された制度的性
格をもつものであり、多国籍企業は、その最終ゴール達成を踏まえて初めて①②③の計画
的活用が可能となった 36 )」と述べ、さらに「各種の企業提携は十分に選択、併用されうる
戦略的性格をもつ性質に変わった 37 )」と指摘している。
図 4-5
0%
海外事業方式における戦略提携
出資の度合
100%
高
柔軟性
高
戦 略 提 携
支配力
意思決定力
不確実性
低
低
①間接輸出 ②(従来の)ライ 長期取引関係 契約設定 合弁会社(対 ③(従来の)合 ③完全所有子会
社〔新設,合
センシング・ (ハンドシェイ
等・少数所有)
弁会社(対
併,買収〕
フランチャイ ク,組織化)
あるいは資本
等・多数所
ジング
参加
有)〔新設,
合併,買収〕
注:F.Simyar と K.Argheyd のモデル("Export Entry Expansion Strategies,”in P.J.Rosson and S.D.
Reid(eds.), Managing Export Entry and Expansion, Praeger,1987.)をもとに筆者が整理したもの。
出所: 竹田『国際戦略提携』1992 年、p.112 より
以上のように戦略提携の定義、内容について述べたが、しかし戦略提携は多くのメリッ
トが存在する一方でデメリットも存在する。
浅川[2003]は、戦略提携のマイナス面として「自社技術を公開し提供せざるを得ない点、
コアとなる技術に関する戦略統制が独自の判断で利かなくなる点、提携相手と市場が重複
する可能性、意思決定が統一されない可能性及び利益をも共有せざるを得ない点などが挙
げられ、そうしたプラス、マイナスをよく勘定して企業は判断すべきである 38 )」と指摘し
ている。企業、経営者が提携に拠ってパートナー間でのオペレーションの合理化、戦略提
携が複雑に入り組んで企業活動が制限されればその意味をなさない。
ゲイリー・ハメル/イブ・L・ドーズ、ヨシノ/ランガンの戦略提携に対する視点は、技術・
市場の両面で外部要因の変化に直面する企業がその変化に適合するために取った戦略的な
手段として提携が捉えられている。そこには企業の組織能力なり、それを活用する経営者
や経営戦略の役割が、企業の内部要因との関わりで必ずしも十分に考慮されているわけで
36
)竹田[1992]、p.113
)竹田[1992]、p.114
38)浅川[2003]、p.226
37
86
はない。
実際に竹田[1992]は、戦略提携が多国籍企業の海外事業方式の中にあって完全所有子会社
設営と比べるとコントロールの面で不十分であり、取引上の不確実性でも相対的に高い位
置にある事を確認している 39 )。
さらに提携を考える上で最も注意しなければならない点は「提携の成否の判断」である。
提携が成功したかどうかを判断する上で、提携の期間が長いか短いかはあまり重要ではな
い。なぜなら、提携が長く続いたとしても提携を通じて競争優位が失われていては意味が
なく、提携の目的は、あくまでも異なる能力や資源を持ち寄ることで、提携前よりも競争
優位を高める事であると考える。
そのため企業は、自社単独で何を行い、何を戦略的提携によって行うのかを十分に考察
されねばならない。企業が自社単独では創造し得ない価値とは何か、またどのような局面
で戦略的提携を行うべきなのかを見つめ直し、その選択の問題や戦略的提携固有の価値が
考察されていなければ、充分な効果を期待できないと考える。企業間同士で戦略提携によ
ってすべての価値が創造される訳でもない点に留意しなければならない。
第2節
日本医薬品企業の選択肢
この節では、先行研究を踏まえて日本医薬品企業のグローバル化における経営戦略につ
いて考察する。
ポーターが提唱している戦略は、グローバル市場において4つの戦略「グローバル・コ
スト・リーダーシップまたはグローバル差別化」、「グローバル細分化」、「市場防衛の国を
狙う」、「相手国優先」である事は前節で示した通りである。
第1に「グローバル・コスト・リーダーシップまたはグローバル差別化」を医薬品産業
に当てはめて考察する。
ポーター[2009]は「医療関連メーカーは、色々なやり方でゼロ・サム競争を展開してきて
いる。まず、顧客が力を持つようになり、価格へのプレッシャーが強くなってきたために、
合併によって製品ラインを拡大して、自分たちの交渉力を高めようとしている。これによ
って、自社製品が競合品と類似していても、あるいは患者に対するメリットの差がほんの
僅かであっても、多くの製品カテゴリーに参入することになるのである。これは、患者に
とっての価値を高めることではなく、販売員により多くの製品を売らせることや、流通業
者、購買組織、顧客に対して強い影響力を持つことに重点を置いている 40 )」と述べ、医薬
品企業がコストリーダーシップ戦略を避けている事を示唆している。
さらにポーター[1989]は「最初に動いた企業は規模と習熟の優位を確保しているから、こ
れと戦うのは難しい。グローバル業界では、この最初の企業効果が特に重要である。世界
39
)竹田[1992]、p.114
)ポーター[2009]、p.432
40
87
的な配置と調整で確保された規模、習熟、融通性の経済性がグローバル化と結合している
からである。業界構造が変化して、過去のリーダーの規模と習熟の経済性をゼロにするよ
うな新製品や新技術へ一挙に飛躍する機会が訪れると、グローバルなリーダー企業は交代
する。すなわち、新しい世代、新しい技術へ最初に動いた企業が勝つ 41 )」と指摘している。
つまり欧米医薬品企業は、日本医薬品企業よりも、先んじてグローバル化を展開してき
たため、製造、販売、技術開発等においては、欧米医薬品企業の規模と習熟の優位性があ
るために、今後日本医薬品企業が規模の利益を追求し、コストリーダーもしくはグローバ
ル配置と調整からくるコストに対抗するには、かなりの時間を要する。
そのため多くの日本医薬品企業が取りうる戦略の選択肢は「グローバル細分化」
「市場防
衛の国を狙う」、「相手国優先」の3つの戦略になる。しかし、「市場防衛の国」、
「相手国優
先」の戦略に関しては、その国の市場構造分析を的確に行い、さらに国ごとの適正な戦略
を選択しなければならない「国中心の戦略」になり、グローバル戦略と分けてポーターは
考察している。
「グローバル細分化」は、ポーターが言う過去のリーダーの規模と習熟の経済性をゼロ
にするような新製品や新技術の機会を得て、少数のセグメント(特定の領域疾病、化合物
種類の特化等)を選択する事であり、日本医薬品企業のもっとも取り得るグローバル戦略
であると考える。
安室[2007]は、一般的な日本企業の今までのグローバル戦略について「日本企業の多くは
本国からの輸出を中心としたグローバル戦略・経営の歴史を歩んできたように思われる。
そのため、企業によっては自国中心主義的な性格を持って、ビジネス活動が展開されてき
た 42 )」と述べ、これに加え日本企業の新しいグローバル戦略について「世界各地で生み出
される知識をグローバルな規模で移転し、結合することで競争優位を創り出そうとしてい
る 43 )」と指摘している。
ポーターの言う「グローバル細分化」戦略と安室の言う「日本企業の新しいグローバル
戦略」から日本医薬品企業のグローバル戦略を考察すると、新製品や新技術の機会又は世
界各地で生み出される知識をグローバルな規模で移転し、結合する観点から「提携」が重
要な戦略に挙げられる。
医薬品の創製は、他の業界と同じく IT 化、グローバル化の進展に伴い大きく変化し、さ
らに設備、技術(ゲノム創薬、蛋白質の構造解析、インフォマティクス等)など、生命科
学と情報科学技術双方の面からアプローチしなければならなくなっている。
また提携に加え、ゲイリー・ハメル/イブ・L・ドーズ[2001]は「戦略的提携の代替案と
して買収という方法がある 44 )」と指摘しており、M&A戦略についても考察する。
第1に「提携」戦略を考察するため、近年の日本医薬品企業、欧米医薬品企業とバイオ
41
)ポーター[1989]、p.46
)安室[2007]、p.39
43)安室[2007]、p.40
44)ゲイリー・ハメル/イブ・L・ドーズ[2001]、p.3
42
88
ベンチャーとの提携の一部を表 4-5 と表 4-6 にて示す。
これらの提携は日米欧の市場を補完しあうものではなく、大手企業にない技術をベンチ
ャー企業が補完するという提携である。技術の補完型提携の増加の背景には、ここ数年の
ゲノム技術を始め、新しい技術の勃興がある。これらの技術を基盤にアメリカを中心にイ
ギリス、フランス、ドイツなどでもベンチャー企業が続々と誕生している。
表 4-5
バイオベンチャーと日本医薬品企業の主なアライアンス
提携時期
医薬品会社
バイオベンチャー
疾患領域
2005年
4月 扶桑薬品工業
オンコセラピーサイエンス
抗がん剤
06年
3月 アステラス製薬
免疫生物研究所
リウマチ薬
10月 中外製薬
ペルセウスプロテオミクス
抗がん剤
07年
3月 武田薬品工業
キャンバス
抗がん剤
7月 科研製薬
ジーンテクノサイエンス
リウマチ薬
8月 ゼリア新薬工業
テムリック
抗がん剤
08年
1月 大塚製薬
オンコセラピーサイエンス
抗がん剤
2月 協和発酵
リブテック
抗がん剤
3月 エーザイ
エムズサイエンス
中枢神経系薬
8月 エーザイ
シンバイオ製薬
抗がん剤
9月 キッセイ薬品工業 ワイズセラピューティックス
抗がん剤
9月 ベーリンガー(独) イーベック
-
12月 中外製薬
カイオム・バイオサイエンス
-
09年
1月 大鵬薬品工業
アリジェン製薬
抗潰瘍剤
2月 塩野義製薬
オンコセラピーサイエンス
抗がん剤
4月 第一三共
ディナペック
-
5月 エーザイ
シンバイオ製薬
抗がん剤
(注)協和発酵はキリンファーマとの経営統合で2008年10月より協和発酵キリン
出所:山崎
技術など
ペプチド医薬
抗体医薬
抗体医薬
ペプチド医薬
抗体医薬
低分子薬
ペプチド医薬
抗体医薬
低分子薬
低分子薬
抗体医薬
抗体医薬
抗体作製技術
低分子薬
ペプチド医薬
抗体作製技術
低分子薬
清一『エコノミスト』2009 年 8 月 25 日号、p.29 より
ヨシノ/ランガンが提唱した提携のタイプのフレームワークで分析してみると、今までの
日米欧の市場を補完する販売を中心とした提携戦略においては「順競争的(procompetitive)
提携」「非競争的(noncompetitive)提携」というタイプを選択してきた事になる。
しかし表 4-5、表 4-6 の提携戦略の状況から考察すると競争前段階(precompetetive)提携
であり、異なる産業に属する企業同士が新技術の開発を行うというように目的がはっきり
している提携である。
さらに海外の新薬創製の状況を見ると、矢野[2004]は「20 年前では医薬品業界全体で 20
億ドルの研究開発投資をした結果、新薬許可数が 30 品目であった。しかし最近ではその 20
倍もの 400 億ドルの研究開発費を投じたにも関わらず新薬許可数は 30 品目と変わっておら
ず、循環的な現象か構造的な現象かはさておき、新薬の生産性が低下していることは事実
である 45 )」と指摘している。
医薬品企業は導入品による売上高の確保と同時に独自の研究開発を進めていかなければ、
必要な成長率が維持できない状況であるため、ヨシノ/ランガンが提唱している「競争的
(competitive)提携」のように同一産業内の企業と密接な関係にあるが、最終製品市場(販
45
)矢野[2004]、pp.20-21
89
売)においては導入先と導出先における両社が直接ライバル関係になっているケースも多
くなっており、日本医薬品産業においてもヨシノ/ランガンが示す4つのタイプすべての提
携 が 実 施 さ れ て い る が 、 そ の 形 も 「 順 競 争 的 (procompetitive) 提 携 」「 非 競 争 的
(noncompetitive) 提 携 」 の タ イ プ か ら 競 争 前 段 階 (precompetetive) 提 携 、「 競 争 的
(competitive)提携」へ提携のパターンが増え、提携のパターンに変化が現れている。
表 4-6 世界大手によるバイオ医薬品企業との提携・買収(2008 年 1 月~2009 年 7 月)
会社名
公表年月日
08/1/16
08/4/17
ファイザー(米)
08/5/21
08/9/16
09/1/26
サノフィ・アベンティス
(仏)
ロシュ(スイス)
250
440
非公開
非公開
68,000
08/1/3
109
08/2/12
500
08/7/25
600
08/12/22
グラクソ・スミスクライン
(英)
買収・提携金額
(百万ドル)
非公開
09/5/14
315
08/4/17
598
08/10/23
615
08/11/21
31
08/12/17
810
08/12/23
1,428
09/7/27
120
08/7/21
43,700
08/7/11
非公開
ノバルティス(スイス)
08/12/29
アストラゼネガ(英)
08/3/13
ジョンソン・エンド・
ジョンソン(米)
08/11/24
09/2/12
メルク(米)
イーライ・リリー(米)
09/3/9
20
非公開
438
130
41,100
09/4/21
225
08/3/13
137
08/6/12
35
08/10/6
6,500
提携内容
ドイツScil Technologyと軟骨特異的成長因子薬「CD-RAP」に関するグローバルライセンス契
約締結
米Avant Immunotherapeuticsと多形成芽腫(脳腫瘍の一種)に対する治療用ワクチン(第2相臨
床試験段階)に関するグローバルライセンス契約締結
米Five Prime Therapeuticsとがん・糖尿病治療の標的や治療用たんぱく質の探索などの共同
研究契約締結及びその後得られる医薬候補の商業化に関するグローバルライセンス契約締結
米Mannkind Corporationと吸入インスリン薬Technosphere Insulinの共同研究に関する契約
締結
抗体医薬品やワクチンに強みを持つ米ワイスを買収することについて同社と合意
サノフィ・アベンティスのワクチン事業部門Sanofi Pasteurが、オランダCrucellと狂犬病発症予防用モノクルナール抗体医薬
品(第1相臨床試験段階)の共同研究及び商業化に関する契約締結
米ダイアックスとがん治療用の完全ヒト型抗体及び抗体作製の関連技術に関するグローバル
ライセンス契約締結
天然痘ワクチンACAM2000などのワクチンの開発・製造を手がける英Acambisを買収することに
ついて同社と合意
デンマークNovozymesと肺炎や敗血症治療の新しい抗生物質(改変ペプチド)の開発・販売に関
する契約締結
協和発酵キリンと潰瘍性大腸炎やクローン病などの自己免疫疾患領域の完全ヒト型モノク
ローナル抗体(非臨床段階)に関するグローバルライセンス契約締結
米Regulus TherapeuticsとマイクロRNAを標的とする炎症性疾患などの治療薬候補の商業化
に関する契約を締結
オーストリアAFFiRiSとアルツハイマー疾患の治療用ワクチン(第1相臨床試験段階)の商業化
に関する契約を締結
中国Shenzhen Neptunus Interlong Bio-Techniqueと、中国など新興市場に向けたインフル
エンザワクチンの開発・製造を行うジョイントベンチャー設立について同社と合意
米Dynavax Technologiesと自己免疫疾患治療薬(核酸医薬品、非臨床段階)の商業化に関する
グローバル契約を締結
米アルケミクスと関節リウマチなど炎症性疾患を治療するためのアプタマー医薬品の商業化
に関するグローバル契約締結
米アムジェンと閉経後骨粗鬆症治療用モノクローナル抗体の欧州やメキシコなどにおける共
同販売契約締結
抗体医薬品に強みを持つ米ジェネンテックを完全子会社化することについて同社と合意
スイスLonzaとバイオ医薬品の開発・製造に関する契約締結
米Alpha Vaxとサイトメガロウイルス感染症などに対するワクチンの開発に関するライセン
ス契約締結
英Silence TherapeuticsとsiRNA(低分子二本鎖RNAによる遺伝子の発規抑制)の薬物送達技術
に関する共同研究契約締結
外科手術用製品や免疫治療製品の開発・販売を手がけるイスラエルOmrix
Biopharmaceuticalsを買収することについて同社と合意
米Ihsmedのバイオシミラー(バイオ医薬品の後発品)の候補品及び製造施設を買収することに
ついて同社と合意
関節リウマチ治療用のモノクローナル抗体医薬品を有する米Schering-Ploughを買収するこ
とについて同社と合意
米Medarex及びMassachusetts Biologic Laboratoriesとディフィシル感染症治療用抗体医薬
候補品に関するグローバルライセンス契約締結
カナダTransition Therapeuticsと糖尿病治療用タンパク薬(第2相臨床試験段階)の事業化に
関するグローバルライセンス契約締結
イスラエルTransPharma Medicalと骨粗鬆症治療候補薬(ペプチド断片、第2相臨床試験段階)
の共同開発に関するライセンス契約締結
抗体医薬品を含むがん治療薬などを有する米イムクローン・システムズを買収することにつ
いて同社と合意
08/12/18
150
肥満治療用のバイオ医薬候補品などを有する英Thiakisを買収することについて同社と合意
09/1/12
847
デンマーク・サンタリスファーマとLNA(安定化させた人口核酸)基盤技術に基づくRNA医薬品
に関するグローバルライセンス契約締結
ワイス(米)
(注)サノフィ・アベンティスのAcamble買収、Crucellとの提携、グラクソ・スミスクラインのAFFiRiSとの提携は、1ユーロ=1.43㌦で計算
出所:竹内
慈美、上村
武、依田
宏樹『エコノミスト』2009 年 8 月 25 日号、p.35 より
この提携タイプの変化は「自社だけでは必要な成長率を確保できないのならば、売上高
の何割かを外部から導入する事は経営上不可欠な戦略となる。MR(医薬情報担当者)の稼
働率を一定に維持するためにも、自社新薬の端境期に外部から製品導入でその穴を埋める
のは理にかなっている。欧米医薬品企業によるベンチャー企業や中堅の医薬品企業からの
製品導入はすさまじいほど行われている 46 )」と指摘されていることからも、その傾向は益々
顕著になっている。
つまり欧米医薬品企業は日本医薬品企業に比べて自社新薬が多いとされ、その差が日本
医薬品市場で欧米医薬品企業のシェア拡大の基盤になっているにもかかわらず、その欧米
46
)矢野[2004]、pp.20-21
90
医薬品企業の方が日本医薬品企業より導入提携戦略に積極的である。
米メルク社を例に取ると、米メルク社はこれまで自社新薬を重視する傾向が強かったが、
特許切れと新薬不足もあり、ここに来て大幅に提携戦略を活発化させている。同社の提携
件数は、1999 年には通年で僅か 10 件の契約だけであったが、2003 年には通算 75 件もの
契約を締結している 47 )。
この傾向は、新薬の生産性が低下している世界医薬品産業全体の流れであり、上記のよ
うな導入品の提携の変化は、今後さらに加速していく事が予想される。医薬品企業は導入
品による売上高の確保と同時に独自の研究開発を進めていかなければ、必要な成長率が維
持できない状況であるため、グローバル化の進展に伴って提携のパターンも変化している
事が明確になった。
次にM&A戦略について考察する。ゲイリー・ハメル/イブ・L・ドーズは「買収は非常に
思い切ったやり方であり、企業にとっては必要以上の物を非常に高い価格で購入すること
になりかねない。また買収によって得ようとした資産、例えば密接な政府との関係や有能
な科学者が活躍してくれることが、買収のプロセスのなかで失われてしまうことも少なく
ない 48 )」と述べ、さらに「未開拓の市場や不確実性の多い技術環境ではなおさらである 49 )」
と指摘し、買収のリスクを考えるよりも戦略的提携が多くの企業にとって理想の方法であ
る主張している。
日本医薬品企業も表 4-5 に見られるように提携戦略を推進してきたが、近年の日本医薬品
企業は、M&A もグローバル戦略の1つとして選択している。M&A 戦略によって企業の規
模を追求すると医薬品の研究開発の生産性の向上に寄与するのか、また M&A を通じて企業
の規模の拡大が成長のシナジー効果を生みだすのか等、不確実な要因も多い。
一般的なM&Aのメリットについて見てみると「M&Aの目的は、第1に自社にない経営資
源を取得する、第2に複数事業間の相乗効果を上げる、第3に複数の事業を保有すること
で事業リスクの分散を図る 50 )」とされており、近年のM&Aでは、「蓄積するのに時間がか
かる技術やノウハウを即座に手に入れることができるという点が重視される 51 )」とされて
いる。
一方、デメリットとして「M&Aは欧米企業で盛んに行われ、期待された効果が得られな
い場合も多く見られ、また短期間で有形・無形の経営資源を得られる反面、異文化の組織
が一緒になることによって、混乱や摩擦が生じることがある 52 )」と述べられている。
M&A のメリットを医薬品企業に当てはめて考察すると、第1に現在の新薬開発の困難性
と投資額の増大に対応するため、規模拡大で開発投資資金を確保できることである。第2
に事業再構築により効率化が図られ収益性が改善することである。第3には規模拡大によ
47
)
)
49)
50)
51)
52)
48
矢野[2004]、p.21
ゲイリー・ハメル/イブ・L・ドーズ[2001]、p.4
ゲイリー・ハメル/イブ・L・ドーズ[2001]、p.4
野村総合研究所[2008]、p.176
野村総合研究所[2008]、p.176
野村総合研究所[2008]、p.176
91
り市場支配力を強めることができる。
次に M&A のデメリットを考えると、第1に規模の拡大とともに新製品効果が小さくなる
ことである。
例えば 10 億ドルの大型製品も売上高 50 億ドルの企業には 20%もの寄与だが、
200 億ドルの企業には 5%の寄与でしかない。規模の拡大は成長力を低下させる作用があり、
M&A による規模拡大が市場並みの成長を不可能にしているとみることができる。欧米の巨
大企業は、その組織が巨大な分、大きな売上が見込める製品を導入対象にせざるを得ない。
また成長を維持するためには大型製品が複数必要である。
第2には新薬の創製において新興企業が大きな役割を果たしているため、巨大企業のス
ケールメリットが小さくなっていることである。
第3には世界的医療費抑制と大型製品の特許切れによって、新薬だけでなく後発品市場
も急拡大しており、こうした市場を見落としがちである。
第4にはプロジェクトの数・構成・ウエイトのあり方の是非を判断する組織能力が創薬
の生産性を大きく左右するが、規模が大きくなると経営戦略上の判断に支障をきたすこと
が考えられる。
さらに今後も超大型企業の市場は徐々に低下して、高シェアの維持にはさらに一層の
M&A が必要ということになる。
確かにM&Aによる大型化は市場支配力を強め、それぞれの成長力を高めていく要素もあ
る。しかし今後は巨大企業に集約されていくというよりも、さまざまな技術をもった専門
化企業にシェアが分散される傾向にあるのではないかと考える。実際に 2002 年に米ファイ
ザー社と米ファルマシア社の大型合併によりファイザー社の株価が 10%以上下がった。本
当に巨大資本の経営が良いのかどうかとの猜疑心が投資家にあったと言われている 53 )。
さらに姉川[2000]は、日本医薬品企業のM&A戦略について「第1に 1990 年代半ばの日
本の医薬品企業のM&A費用は小さく、M&Aが容易であったが、大規模の効率性は必ずしも
高くなく、M&Aにより企業規模を拡大する動機がなかった。第2に 1990 年代末になって、
大規模企業の効率性が高くなり、M&Aによる企業規模の拡大が望ましくなかったが、この
とき買収対象企業の株価上昇においてはM&A費用が増加し、M&Aが事実上困難になった。
第3に 2000 年代初頭においてはM&A費用が上昇したため、極めて少数の企業の組み合わ
せについてのみM&Aの利益が生じなくなった。この結果、日本の医薬品企業の大規模で効
率性の高い企業、外国の大規模企業、日本の小規模で効率性の高い企業が参加するM&Aは、
組み合わせに限定される。日本の医薬品企業の 1990 年代のM&Aの数は少なく、規模も小
さかった。また 1990 年代半ば可能であったM&Aの多くは、現在行うにはすでに遅すぎる。
また 2000 年初頭で可能なM&Aの組み合わせは極めて少ない 54 )」と述べ、日本医薬品企業
がM&Aを行うタイミングを逸していると指摘している。
またチャンドラー[2008]は「主要な化学企業や製薬企業の多くは、製造に関する静的な規
) 日本経済新聞 2002 年 7 月 31 日
) 姉川[2000]、p.31
53
54
92
模と範囲の経済性よりも知識における動的な経済性からより多くの利益を得ることとなっ
た。利益を得た企業は知識における規模と範囲の経済性を何重にも増幅することによって
ダイナミックな利益基盤を形成したのであった。こうした企業は、設備の統合や管理上の
効率性を改善する買収や合併を通じてコストを引き下げる努力はした。しかし、これはマ
ージナルな効果であって、本質ではなかった 55 )」と指摘している。
つまり個々の企業の経営戦略は異なるため、合併効果が期待した程の相乗効果をもたら
すものなのか疑問が残り、また多大な資金を R&D に投資しても必ずしも新薬開発の成功に
はつながる保証はない。
医薬品企業におけるチャンドラーの言う本質は「創薬」にあり、そのため日本医薬品企
業は、M&A 戦略によって単に規模を大きくする意味でのグローバル戦略は選択すべきでは
なく、長期的展望から事業戦略を策定すべきであり、短期・中期的には提携戦略の方が望
ましい。
以上、ポーターのグローバル戦略から見た日本医薬品企業の選択肢を述べ、さらに提携
戦略、M&A 戦略から見た日本医薬品企業の選択肢について考察した。
次に日本医薬品企業が進めるべきグローバル戦略について藤野[2009]は、日本医薬品企業
の経営のグローバリゼーションについて「自立展開型」「グローバル・ニッチ型」「戦略提
携・参画型」という3つの類型を示している 56 )。
一般的な日本企業のグローバル戦略のあり方について、岩田[2006]は「輸出、海外直接投
資、ライセンシング(技術供与)の 3 つが代表的である」と述べ、
「当初は輸出が重要であ
るが、グローバル化の進展にともなって海外直接投資の重要性が高まってくる 57 )」と指摘
している。
石井[1992]は、日本企業の国際化について、次の 3 段階のステップを経てきた事を指摘し
ている。
「第 1 段階は、国内で生産した製品をいかに輸出するかという販売活動の海外展開
の段階である。第 2 段階は、国内の生産活動を中心にしながらも、現地市場への適応など
のため生産活動の一部を海外で行う段階である。第 3 段階は、世界を国内と海外に区分せ
ず、1 つの統合化された市場と見て、研究開発、資材部品の購買、生産、販売、財務、人事
などの戦略を全世界的な視野から考え、実行していく段階であり、いわゆるグローバル段
階である 58 )」と指摘している。
吉原[2002]は、日本企業の国際経営の変遷について「輸出中心の時代、海外生産の本格的
な展開、そして海外研究開発の推進である 59 )」と指摘している。
また関下[2004]は、これまでの企業の国際的発展段階について「独立企業間の提携や合弁
形態(ジョイントベンチャー)での共同所有から同一組織の海外進出、つまりは海外子会
社の設立への進化の道筋ならびに単一事業から多角化への事業活動の拡大の過程を一般的
55
)
)
57)
58)
59)
56
チャンドラー[2008]、p.97
藤野[2009]多国籍企業学会西部部会研究会報告資料
岩田[2006]、pp.230-231
石井[1992]、p.35
吉原[2002]、p.18
93
な発展のプロセスとして考えてきた」と指摘している。
一般的な企業のグローバル化進展の過程について、日本のグローバル化の代表的な業界
である電機や自動車産業を見ても、輸出中心の過程を経て海外展開するという経過を辿る
ケースが多い。
しかし日本医薬品業界においては第1章の表 1-2 や次に示す表 4-7 のように日本の医薬品
産業は、歴史的に輸出が輸入を上回った時期はなく常に輸入超の状態である。
この原因は、前掲した日本医薬品企業の歴史から考察すると日本医薬品企業の経営が欧
米医薬品企業から創製された医薬品を日本市場で販売契約によって成り立ってきた側面や
製造特許における独創的な医薬品開発の停滞、日本医薬品市場独自の規制によって海外へ
の輸出を図らなくても利益を出せる体制が存在していた事に起因する。
表 4-7
日本の医薬品の輸出入額の推移(1975-1993 年)
輸 出
年 度
(単位:百万円)
入 超
輸 入
金額(A) 対前年伸率(%) 金額(B) 対前年伸率(%)
1975 ( 昭和
50 ) 年
1980 ( 昭和
1985 ( 昭和
-0.7
金額
B/A
94,776
3.37
40,022
-8.6
134,798
55 ) 年
93,901
12.7
263,333
20
169,432
2.80
60 ) 年
131,839
2.4
333,240
3.9
201,401
2.53
1987 ( 昭和
62 ) 年
128,238
4.1
329,893
5.8
201,655
2.57
1988 ( 昭和
63 ) 年
111,526
-13
354,699
7.5
243,173
3.18
1989 ( 平成
元 )年
118,973
6.7
384,795
8.5
265,822
3.23
1990 ( 平成
2 )年
140,539
18.1
410,767
6.7
270,228
2.92
1991 ( 平成
3 )年
159,025
13.2
412,463
0.4
253,438
2.59
1992 ( 平成
4 )年
183,283
15.3
430,046
4.3
246,763
2.35
1993 ( 平成
5 ) 年 173,683
-5.2
* 輸出入額の医薬品にはバルクも含まれる。
441,660
2.7
267,977
2.54
出所:日本薬史学会「日本医薬品産業史」1995 年、p.157 より
以上のような状況から考察すると、日本医薬品産業においては輸出中心の時期が存在せ
ず、国内市場の中で充分に経営が成り立っていた事から、日本医薬品企業が一般的に他の
業界に当てはまるようなグローバル戦略を選択し得なかった経緯を見る事ができる。
次に吉原[2002]が指摘した「海外研究開発の推進」について考察する。
医薬品企業はその成長、発展が新薬の開発に依存しているため、研究開発活動を非常重
視している。
表 4-8 より日本医薬品企業の海外研究所設置数を見ると徐々に増えグローバル化を嗜好
するような傾向を推察できるかもしれない。しかしながら 2003 年以降減少傾向にあり、日
本医薬品産業のグローバル化の展開パターンが他業界に当てはまるものではないのかもし
れない。
94
表 4-8
日本医薬品企業の海外研究所数
年度
1998
1999
2000
2001
2002
会社数
7
9
12
14
15
研究所数
18
22
24
24
26
(注)会社数は有効回答社数(実績のあった会社数)
2003
14
29
出所:日本製薬工業協会『DATE
2004
13
23
BOOK
2005
12
19
2006
10
23
2008』2008 年、p.22 より
また今西[1994]は、日本企業の国際化の発展段階において業種による発展の違いを指摘し
ている。例えば「積極的に現地生産を推進している加工組立型業種の電機や自動車のよう
な例もあるし、投資規模が大きく建設期間も長くリスクの大きい素材産業型業種の鉄鋼や
造船などのように、一貫生産は自国生産中心で進め、資本参加や技術供与という形式の海
外化にとどまっている例もある。また、製造と開発の統合が強く要求される医薬産業など
のように、生産の空洞化現象が生じると、製造から開発へのフィードバック経路を消滅さ
せ、国際的な競争関係に直接の影響をもつような製品改良やプロセス・イノベーションの
能力を企業から奪ってしまうという懸念から、生産のないところで研究開発なんかありえ
ない、だから国内で生産しなかったら、必ずいつか日本の技術は衰退するという論理で積
極的な海外現地生産に踏み切らない例もある 60 )」と指摘している。
またダニング[1988]は、1982 年における医薬品企業の研究開発支出額を国別に推定し、
その動向を示している。例えばグループとしてスイス企業の海外研究開発支出割合がもっ
とも高く、その割合は全体の研究開発費の約 40%であり、アメリカ企業、イギリス企業、
オランダ企業の海外研究開発支出割合は約 20%、当時西ドイツ企業の海外研究開発支出割
合は約 26%、フランス企業の海外研究開発支出割合は約 10%、ベルギー企業の海外研究開
発支出割合は約 30%となっているが、日本企業とイタリア企業は研究開発活動をほとんど
自国で行っている 61 )。つまり同じ医薬品産業においても国毎にその動きが異なっている状
況があり、1980 年代の日本医薬品企業では、自国での研究開発活動に終始している状況が
伺える。
以上から医薬品業界グローバル化への発展については、他の業界とは違う視点から考察
すべきものであり、同じ医薬品産業内で各国毎においても異なる可能性がある。
これらを踏まえ、藤野[2009]が示した日本医薬品企業のグローバル3つの類型は、一般的
な企業のグローバル化とは区別して考察すべき重要な指摘であり、さらにポーターが指摘
する「規模と習熟の経済性をゼロにするような新製品や新技術」を得る機会を求め、次の
時代のグローバル企業を目指さねばならない観点から、現状の日本医薬品企業の規模の中
で今後の日本医薬品企業のグローバル化における経営戦略の分類として注目されるべきも
のである。
しかし本研究では、第1に自立展開型の(武田薬品工業)
、第2に完全所有子会社型の萬
60
) 今西[1994]、p.27
) ダニング[1988]、pp.123-143
61
95
有製薬、第3に戦略提携・参画型の中外製薬の3社を挙げ、グローバル企業への展開方法
についてさらに異なるパターンを示し、グローバル企業を目指す企業トップのマネジメン
ト、考え方、決断に関する実証研究を行ってきた。
その理由は、
「自立展開型」の武田薬品工業のケースを見ても、当初武田薬品はアメリカ
市場に展開する際に主力製品である抗生物質によって進出しようとした。しかし競争相手
が多く、まだまだアメリカ市場における基盤ができていない事を踏まえ、市場規模が小さ
く、競合品が少ないという分析から自社創製の前立腺がん治療剤「ルプロン(一般名:リ
ュープロレリン)、日本名リュープリン」を発売する事になった。このリュープリンはニッ
チ市場であり、現地での MR を量的に確保する必要性もなかったため、当時の規模に応じ
た選択であった。
つまり日本医薬品企業の規模でグローバル戦略を考える場合には自立展開型であっても
「グローバル・ニッチ」の市場に対して「自立展開」する戦略を取らなければならないと
いう事を示しており、さらに「自立展開型」「グローバル・ニッチ型」の境界線は先行研究
においても明確でなく、むしろ同じ領域の中で位置づけされるものであると考えるからで
ある。
そのため、本研究では「自力型」「被合併型=完全所有子会社型」「参画型=戦略提携型」
のグローバル化への展開方法について、さらに異なるパターンを示した。
しかし代表的な日本医薬品企業のほとんどが「自力型」を目指しており、「被合併型=完
全所有子会社型」「参画型=戦略提携型」において大手日本医薬品企業では萬有製薬、中外
製薬しか存在しなかったため、グローバル企業を目指す企業トップのマネジメント、考え
方、決断に関する実証研究を行った。
第1の「自力型」について、ポーター[1989]は「国内の需要と経営条件は、その国に本社
を置くグローバル企業に競争優位をもたらす強力な源泉をたくさん提供する。まず適切な
グローバル戦略を見つけ実行する点での一番乗りの優位性がある。国内ニーズ、特に特殊
なニーズに攻め立てられることで、国内問題解決にまず手をつけなければならないから、
特異なノウハウを身につけることになる。これを足がかりにして誰よりも早くグローバル
競争に出てゆくにつれて、このノウハウが規模と習熟の優位に転化する 62 )」と指摘した。
つまりポーターは、国内需要による成長と、それによる経営条件の良さを前提に、日本
医薬品企業として一番にグローバル化を行った企業が競争優位を持つことが出来ることを
示している。
武田薬品工業がその条件を満たしているということになるが、他の日本医薬品企業では
経営条件の良さに加え、新しい技術、製品の創性がないとグローバル化を行う時期の遅延
によって、先行した企業との比較優位性を示す事が困難であり、グローバル戦略の1つと
して選択することは難しくなる。
次に第2の「完全所有子会社型」の萬有製薬、第3の「参画型=戦略提携型」の中外製
62
) ポーター[1989]、p.51
96
薬について考察する。
第2の「被合併型=完全所有子会社型」の萬有製薬は、米メルク社の意思決定力が強く
働いているため不確実性は少ない一方で、経営意思決定力が小さい事になる。
米メルク社側から見れば、ポーターの4つのグローバル戦略から見て「国中心の戦略」
で「市場防衛の国を狙う」という戦略に従って日本医薬品市場へ展開されていることが示
唆され、結果として萬有製薬は米メルク社のグローバル戦略の一部に取り込まれグローバ
ル化を図ることができた。一方、第3章で考察したように萬有製薬から見れば、成長戦略
が行き詰まった段階での選択肢として、米メルク社からグローバル事業の中での強い経営
意思決定を与えられたことになる。
また完全子会社以前の体制では、米メルク社自身も他の 49%の株主の権利に配慮する必要
があり、さらに米メルク社と萬有製薬で研究開発上の機密情報を相互に公開するのが難し
かった点も指摘され、完全子会社化することで、あらゆる面で連携の効率とスピードが増
す事が期待できる。萬有製薬の基礎研究の蓄積、特にがん、中枢神経疾患、肥満、糖尿病
の研究では重要な役割を担っているとされ、これを米メルク社の国際ネットワークに統合
することで、研究成果を世界市場でいち早く製品化できる 63 )と当時の米メルク社会長兼CEO
ギルマーティン氏は指摘しており、完全子会社化の選択の必要性について述べている。
「被合併型=完全所有子会社型」のメリットについて浅川[2003]は「戦略やオペレーショ
ンないし重要な経営資源に対し、完全なコントロールが利く点である。社内の問題である
分、スピーディーな意思決定が可能である。海外拠点は組織内部であるので、知識、ノウ
ハウの移転もよりしやすい。また能力、資源が社内に蓄積され保持しやすい。さらには、
利益を1社で独占できる分有利である 64 )」と指摘しており、資源のない企業であってもグ
ローバル企業の優位性をそのまま享受することができる。
また萬有製薬のケースは藤野[2000]が指摘する「リストラ支援=グローバル戦略型」の類
型に似ており「日本企業が『グローバリゼーションへの対応』、『経営のグローバル化』と
いうとき、ともすれば自らが主導権を握った形での世界展開を想定してきた嫌いがあるが、
今後は外国企業のグローバル事業戦略の中に参加するという形でのグローバリゼーション
への対応という選択肢も存在することになる 65 )」という叙述に合致するものと考えられる。
日本医薬品企業の中では、まだ「完全所有子会社型」は少ないが、今後のグローバル化
の進展から、世界的な業界再編が起こる中で重要な選択肢になると考える。
次に第3の「参画型=戦略提携型」の中外製薬では、完全所有子会社型よりも不確実性
は高いが、意思決定力は強い事になる。
「参画型=戦略提携型」においては、日本医薬品企業がグローバル化への展開が遅延し
ていることからヨシノ/ランガンが示している「提携」における戦略的目的の1つである「学
習・内部化」を図り、その後に自力型に移行することも可能である。自動車業界で言えば
) 日本経済新聞 2003 年 9 月 1 日
) 浅川[2003]、pp.53-54
65) 藤野[2000]、p.159
63
64
97
フォードの傘下に入ったマツダが、その後フォードから独立するような動きである。
第3章のケーススタディでも永山が「これからはバーゼルでのロシュグループの経営会
議にも顔を出して、グローバル企業の経営を学びたい 66)」という発言にも現れているよう
に、日本医薬品企業はグローバル経営において欧米医薬品企業から学ぶ点が多く存在し、
グローバル化へ拡大展開するための不足部分を学習し、競争能力を高めることが望ましい。
武田薬品工業の長谷川社長は、グローバル化について人材の育成と活用の重要性につい
て「当社は売上高の 6 割強を海外で稼ぐが、それでも日本の本社は日本人ばかりで運営し
ている。いま悩んでいることの1つが、海外子会社の優秀な人材に日本の本社で働いても
らう方策だ。グローバル化が進むなかで外国から立ち遅れないためには、海外の人材を日
本に受け入れる体制づくりが必要だ 67)」と指摘している。
この武田薬品工業におけるグローバル化を進展させる上での問題点に対して、
「参画型=
戦略提携型」を選択した中外製薬の場合、研究開発面は傘下先のロシュが世界の関連企業
を組織化しているため、研究員の相互交流を活発にし、日本の研究者も世界の研究所や大
学で研究活動ができ、さらに販売面でも新薬を出せば世界で販売できるネットワークを手
に入れることもできるため、自らコストを掛けずに実施することができる。
このように「参画型=戦略提携型」の企業においては、グローバル企業の傘下に入り、
そのノウハウを学びながらグローバル化を優位に展開する事ができる。
またポーター[1989]が指摘する「配置と調整が、企業の国際的地位から生まれる戦略の競
争優位を決める」さらに「戦略の競争優位を理解するためには、活動をグローバルに集中
し、分散した活動を調整して、低コストか差別化に到達できるための条件を知る」点に関
して、第3章で考察したように中外製薬は「抗体医薬」というコア技術によって差別化を
実現し、ロシュのネットワークを使用することによって低コストを実現するというグロー
バル競争戦略の観点からも優位に展開することができると考える。
以上のように、日本医薬品企業の経営戦略の選択肢を考察してきた。
本研究では業界環境の変化と日本医薬品企業のケーススタディを行い、日本医薬品企業
のグローバル戦略について分析、考察した。
日本医薬品企業は「自力型」によってグローバル化を推進するケースが多く見られる。
日本医薬品企業がグローバル市場において生き残るという観点から見れば、
「被合併型=
完全子会社型」や「参画型=戦略提携型」によってグローバル化する選択肢の方が、リス
ク低減の観点とグローバル化を学習し、よりスムーズにグローバル化を実践できるのでは
ないかと考える。
) 日経産業新聞 2004 年 9 月 3 日
日本経済新聞 2009 年 10 月 28 日
66
67)
98
第5章
本研究の結論と今後の課題
本研究は、第1に日本医薬品企業の現状を詳細に検証し、医薬品産業は創薬プロセスの
技術的特殊性や規制・制度などが多く存在するため、産業自体として興味深い構造を持っ
ている事を明らかにした。
また本研究では日本医薬品企業のグローバル化に焦点を絞り、産業の特質を歴史的経緯
や今日の展開などの実証的観点、先行研究検討など学術的観点の両面から詳細に検討を行
った。
こうした議論を前提に、経営史的観点を維持しつつ武田薬品工業・萬有製薬・中外製薬
のグローバル化戦略を検証し、グローバル化戦略の雛型として自力型・被合併型・参画型
という 3 つの類型化を確立したことが本研究の大きな貢献である。
次に、日本医薬品企業の今後のグローバル化にとって上記3類型のうち、自力型よりも
被合併型、参画型が有利であることを同様の類型化を行った先行研究との相違点にも言及
し、日本医薬品企業の実態に即して論証した。
今までのグローバル医薬品市場の状況については、特にアメリカ市場を前提に述べられ
てきた。欧州市場では政府の医療費抑制が厳しく、収益も上がらない状況であるためにグ
ラクソ・スミスクライン、アストラゼネカ、ノバルティス、ロシュ、サノフィ・アベンテ
ィス等の欧州医薬品企業は、M&A によって企業規模の拡大を図るとともに、世界最大のア
メリカ市場で研究開発と販売網を作り、アメリカ医薬品大手企業と対抗できる多国籍企業
に変化した。そして欧州に残された中堅企業も、時代の変化に対応するため欧州企業同士
の統合合併を図り、アメリカ市場への進出を加速させてきた。この動きは欧州各国の自国
市場が小規模であり、成長を志向するのであればグローバル市場において競争をしなけれ
ばならない状況であり、この事は日本でも同様の状況を考察する事ができる。
欧州医薬品企業は、優れた新薬を作り出すための研究開発費を投資できる収益を上げる
ためには、自由価格制を採るアメリカ医薬品市場でできるだけ収益を上げ、研究開発へ投
資を回すため、研究開発、販売網を整備した。
日本医薬品企業では、すでにアメリカ市場へ進出し販売網を作り上げているのは武田薬
品、アステラス製薬、第一三共、エーザイの4社である。しかしこれらの日本の大手医薬
品企業も世界の医薬品企業と比較するとその規模も含めて中堅企業に位置づけされており、
なかなかその差は縮小していない。また海外市場への進出を躊躇している日本の中堅企業
(売上げで 1000 億~2000 億の範疇の企業)の体制は、未だはっきりしておらず、グロー
バル化の必要性は充分に理解していても、保有する新薬及び海外進出に要する経費と企業
規模を考え、海外展開に踏み切るのに躊躇せざるを得ないのが実態ではないかと推察する。
日本医薬品市場は、世界第 2 位の市場規模を持っているが、年々その市場シェアは縮小
し、また今後日本医薬品市場の規制緩和、医療費抑制政策がより進む事によって日本医薬
品企業が従来の収益を確保する事は非常に難しい時代になった。この時代の大きな変化に
99
対応するため欧州医薬品企業のグローバル戦略の事例は、自国市場の小規模市場を克服す
るために海外市場へ進出して行った歴史的経緯は、日本医薬品企業への先例ともなるべき
事例であり、以後日本医薬品企業のグローバル化への対応策を考察して行かなければなら
ない中で欧米系医薬品企業のルーツ、展開方法について検討すべき事項であると考える。
これは現在中国を中心としたアジア市場への展開も欧米医薬品企業に大きく日本医薬品企
業が遅れている現状からも考察しなければならない。
しかし本研究は日本医薬品企業を中心としたグローバル戦略を考察してきたため、今後
は欧米医薬品企業の考察も併せて行う必要性が課題として残っている。
今後、各日本医薬品企業自身のスタンスを明確にする必要が迫られており、「自力型」で
海外に展開する方法をとるか、販売提携を海外で結んでリスクを減らす従来的な方法も1
つのやり方である。しかし全てグローバル化を論じる際の方法は「自力型」を前提とした
一律的なものであり、各企業の個性的な戦略性が見えてこない。
本研究も当初は日本医薬品企業の中規模の企業でも、いかにして自社資源を念頭に入れ
海外展開すべきかを検討する方法論から始めたが、必ずしも市場プレゼンスが高くない企
業であっても戦略の選択によってはグローバル展開が可能である。
現在自社の経営資源を充分に生かせる戦略は何か、また自社の経営資源の得意分野を生
かし、他社にどの部分を委ねられるのかを考察した上で、まず自社がどうグローバル化を
実現するのか行動しなければならない。まずそこから考察して動かなければ日本医薬品企
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100
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付録
【武田薬品工業グローバル化への変遷 1 )】
1781(天明元)年創業
1871 年
洋薬の輸入を開始
1895 年
製薬事業を開始
1915 年
武田研究部設立、研究活動を開始する
1925 年
株式会社武田長兵衞商店を設立
1949 年
東京・大阪証券取引所に株式を上場
1950 年
日本で最初の総合ビタミン剤「パンビタン」を発売
1953 年
アメリカン・サイアナミッド社との折半出資で日本レダリー(株)を設立
1954 年
ビタミン B1誘導体「アリナミン」 を発売
1955 年
ビタミン C のアメリカ向け輸出を開始
1962 年
アジア進出
1962 年の台湾での製造・販売会社設立を皮切りに、その後フィリピ
ン、タイ、インドネシアなど東南アジアに製造・販売子会社を設立。1994 年に設
立された天津武田薬品(有)は、中国初の GMP 適合工場となった。
1963 年
日本企業で始めて、欧州でドル建て転換社債を発行
1978 年
ヨーロッパ進出 1978 年のフランスでの医薬品販売合弁会社設立に続いて、1982
年までにドイツ、イタリアにも拠点を開設。
1981 年
抗生物質の「タケスリン」
、「パンスポリン」を発売
1985 年
TAP ファーマシューティカルズ(株)設立、「ルプロン」を発売
1985 年
米国アボット社との合弁で TAP ファーマシューティカルズ(株)(後の TAP ファ
ーマシューティカル・プロダクツ(株))を設立。同年、自社創製の前立腺がん治
療剤「ルプロン(一般名:リュープロレリン)
」を発売する。
1988 年
筑波リサーチセンターを設立
1989 年「リュープロレリン(一般名)」の 1 ヶ月徐放型製剤を米国・欧州で発売
1991 年
消化性潰瘍治療剤「ランソプラゾール(一般名)
」を欧州で発売
1994 年
糖尿病食後過血糖改善剤「ベイスン」を日本で発売
1997 年
高血圧症治療剤「カンデサルタン シレキセチル(一般名)」を欧州で発売
1997 年
イギリスに全額出資の医薬品販売会社、英国武田(株)を設立
医薬品製造工場、武田アイルランド(株)設立
米国に武田アメリカ研究開発センター(株)を設立
米国に医療用医薬品事業の持株会社武田アメリカ・ホールディングス(株)を設立
1998 年
1
イタリアの医薬品販売会社、 タケダ・イタリア ・ファルマチェウティチ(株)の
) 武田薬品工業ホームページ
http://www.takeda.co.jp/に拠る
106
過半数株式を取得
フランスの医薬品販売合弁会社,ラボラトワール・タケダ(株)を全額出資子会社
米国に全額出資医薬品販売会社、武田ファーマシューティカルズ・アメリカ(株)
を設立
米国に全額出資の販売拠点として、武田ファーマシューティカルズ・アメリカ(株)
(現在の 武田ファーマシューティカルズ・ノースアメリカ(株))を設立
スイスに医薬品販売会社、 タケダ ・ファルマ・スイス(株)を設立
イギリスに医薬品開発会社、武田欧州研究開発センター(株) (現在の武田グロー
バル研究開発センター(欧州)(株) )を設立
1999 年
糖尿病治療薬「アクトス」
(一般名 ピオグリタゾン)を発売
2000 年
セレラ・ジェノミクスからゲノム情報データベースの使用権を取得
2006 年までに動物薬事業、ビタミン事業、化学品事業、食品事業、農薬事業、生
活環境事業の医薬外事業の再構築を発表
2001 年
武田研究投資(株)を米国に設立
2002 年
タケダ・ファルマ(有)の経営権を取得
ドイツの医薬品販売合弁会社、タケダ・ファルマ(有)を全額出資子会社とし、同
社 100%所有の販売子会社「タケダ・ファルマ・オーストリア(有)」、
「 タケダ ・
ファルマ・スイス(株)」の経営権を取得。原薬製造工場、武田アイルランド製薬
(株)を設立
2003 年
米国に 武田グローバル研究開発センター(株)を設立
2005 年
バイオベンチャー
シリックス社を統合
米国のバイオベンチャー、シリックス社(現在の 武田サンディエゴ(株))を
買収し、当社初の米国の研究拠点を設ける。
不眠症治療薬「ロゼレム(一般名:ラメルテオン)」を米国で発売
2006 年
欧州販売統括会社「武田ファーマシューティカルズ・ヨーロッパ(株)
」を設立
2007 年
バイオベンチャー
パラダイム・セラピューティック社を統合
英国のバイオベンチャー、パラダイム・セラピューティック社(現在の 武田ケ
ンブリッジ(株))および同子会社(現在の武田シンガポール(株))を買収し、
欧州・アジアに研究拠点を設ける。
抗体医薬研究会社「武田サンフランシスコ(株)」を設立
2008 年
日本アムジェン株式会社を統合
米国Amgen, Inc.の日本法人として、主に抗体医薬などのバイオ医薬品の日本に
おける臨床開発を行ってきたアムジェン株式会社(現在の 武田バイオ開発セン
ター(株))を 100%子会社化。
米国事業を再編 :米国合弁会社の TAP ファーマシューティカル・プロダクツ(株)
を Abbott Laboratories と均等な価値で会社分割。TAP 社を武田ファーマシュー
107
ティカルズ・ノースアメリカ社と合併し、TAP 社が保有していた開発機能を武田
グローバル研究開発センター(株)に移管。これをもって三社に分散していた米
国における販売・開発機能を集約した。
ミレニアム・ファーマシューティカルズ(株) を統合
癌領域と炎症疾患領域に強みを持つ米国のバイオ医薬品会社ミレニアム・ファー
マシューティカルズ(株)を買収。
アジア地域における販売統括会社「武田ファーマシューティカルズ・アジア(株)」
を設立。
アジア地域における事業基盤強化を目的に、タケダグループのアジア 5 ヶ国の販
売会社を包括的に管理する販売統括会社をシンガポールに設立。
アジア・オセアニア地域における臨床開発子会社「武田クリニカル・リサーチ・
シンガポール(株)」を設立。グローバルでの臨床開発の推進や製造・販売に関
する承認申請に向けた最適な体制整備の一環として、アジア・オセアニア地域に
おける臨床開発を行う子会社をシンガポールに設立した。
2009 年
消化性潰瘍治療剤「KAPIDEX(一般名:dexlansoprazole)」を米国で発売
痛風・高尿酸血症治療剤「Uloric(一般名:febuxostat)」を米国で発売
世界的製薬企業の創生に向けて、グローバル運営体制のさらなる強化を推進する
ため、組織・体制の再編を行い、「研究開発統括職」、「海外販売統括職」「経営管
理統括職」を設置。
この組織・体制の再編に伴い、武田ファーマシューティカルズ・インターナショ
ナル株式会社(米国イリノイ州)を設立。
北米におけるプレゼンスの向上
武田カナダ(株)を設立
欧州におけるプレゼンスの向上
武田スペイン(株)、武田ポルトガル(株)を設立
また、アイルランドにおける販売活動を同国全土に拡大し、これにより西欧諸国
の大部分(9 ヶ国)をカバーすることになる。
米国バイオ医薬品会社 IDM Pharma, Inc.IDM Pharma, Inc.を株式公開買付け
で、非転移性骨肉腫の新規治療剤MEPACT(一般名:mifamurtide)を有するIDM
社を癌領域強化の一環として買収。
【萬有製薬グローバル化への変遷 2 )】
1915 年3 月 岩垂亨
サルバルサンの合成に成功
8 月 萬有合資会社を創立
1917 年4 月 株式会社に改組
1925 年6 月 萬有製薬株式会社と改称
2
) 萬有製薬
http://www.banyu.co.jp/content/corporate/about/history/index.html に拠る
108
1936 年12月
日本橋本町に本社屋完成
1946 年5 月 ペニシリン公認製造許可第 1 号を取得
1952 年2 月 Merck & Co.,Inc.,Whitehouse Station,N.J.,U.S.A.と販売提携
1954 年12月 Merck & Co.,Inc.,Whitehouse Station,N.J.,U.S.A.と合弁会社、日本メルク
萬有株式会社を設立
1959 年2 月 利尿降圧剤「ダイクロトライド」発売
1961 年10月
東京証券取引所第一部に上場
1962 年8 月 降圧剤「アルドメット」発売
1965 年5 月 抗動脈硬化剤「アンヂニン」発売
1975 年7 月 新たな本社ビル竣工(日本橋本町)
1977 年5 月 ブリストル萬有研究所にて開発のアミノグリコシド系抗生物質製剤「アミカシ
ン」発売
1981 年5 月 NMB(日本メルク萬有株式会社)妻沼研究所開設
9 月 緑内障治療薬「チモプトール」を発売
1982 年3 月 Merck & Co.,Inc.,Whitehouse Station,N.J.,U.S.A.、萬有発行済株式の 5%
取得
10月
NMB 妻沼工場竣工
1984 年10月 Merck & Co.,Inc.,Whitehouse Station,N.J.,U.S.A.の持ち株比率 50.02%に
―同社の傘下へ―
12月
萬有製薬は Merck & Co.,Inc.,Whitehouse Station,N.J.,U.S.A.との合弁会社、
NMB の株式を 100%取得し完全子会社化
1986 年7 月 降圧剤「レニベース」発売
1987 年9 月 カルバペネム系抗生剤「チエナム」発売
1988 年6 月 B型肝炎ワクチン「ヘプタバックス‐Ⅱ」発売
11月
肝炎球菌ワクチン「ニューモバックス」発売
1989 年10月
抗菌点眼剤「ノフロ」発売
1991 年12月
高脂血症治療剤「リポバス」発売
1992 年6 月 つくば研究所開設
1997 年4 月 HIVプロテアーゼ阻害剤「クリキシバン」発売
1998 年8 月 降圧薬「ニューロタン」発売
1999 年5 月 緑内障・高眼圧症治療薬「トルソプト」発売
9 月 HIV-1感染症治療剤「ストックリン」発売
11月
緑内障・高眼圧症治療剤「チモプトールXE」発売
2000 年4 月 抗アレルギー点眼剤「アイビナール」発売
6 月 社名表記を「萬有製薬株式会社」から「万有製薬株式会社」に変更
2001 年8 月 骨粗鬆症治療薬「フォサマック」を気管支喘息治療薬「シングレア」を発売
109
2002 年12月
駆虫剤「ストロメクトール」発売
2003 年1 月 Merck & Co.,Inc.,Whitehouse Station,N.J.,U.S.A.、公開買付けにより未所
有分の萬有製薬普通株式を取得し、完全子会社化すると発表
7 月 東京証券取引所第一部上場廃止、つくば研究所内に新研究棟完成
2004 年3 月 Merck & Co.,Inc.,Whitehouse Station,N.J.,U.S.A.の完全子会社へ
【中外製薬グローバル化への変遷 3 )】
大正14年3月
上野十蔵、中外新薬商会を創業、医薬品の輸入販売を開始
昭和2年
医薬品製造に着手
昭和18年3月
株式会社に組織変更、商号を中外製薬株式会社(本社・東京都)とする。
昭和19年4月
㈱松永製薬所を九州合併、松永工場開設(広島県)
昭和21年9月
鏡石工場開設(福島県)
昭和26年7月
グルクロン酸の工業化に成功、解毒促進・肝機能改善剤「グロンサン末・
注」を発売
昭和31年3月
株式を東京証券取引所(現在
昭和32年4月
浮間工場建設(東京都)
昭和35年9月
綜合研究所建設(東京都・高田研究所)
昭和42年10月
福島化成㈱設立(福島県・現在
昭和46年2月
血液分析器及び試薬を発売、臨床検査薬機器分野へ進出
3月
株式会社東京証券取引所)に上場
永光化成㈱)
藤枝工場建設(静岡県)
昭和62年6月
富士御殿場研究所建設(静岡県)
平成元年12月
ジェン・プローブ・インコーポレーテッド買収(米国)
平成2年10月
宇都宮工場建設(栃木県)
平成6年1月
ロンドン駐在事務所(昭和 61 年3月開設)を現地法人化し、中外ファーマ・
ヨーロッパ・リミテッド設立(英国・現在連結子会社)
平成7年7月
中外バイオファーマシューティカルズ・インコーポレーテッド設立(米国・
現在
平成9年3月
12月
平成13年4月
中外ファーマ・ユー・エス・エー・エルエルシー
連結子会社)
中外診断化学㈱設立(東京都)
中外ファーマ・マーケティング・リミテッド設立(英国・現在連結子会社)
筑波研究所開設(茨城県)
中外ファーマ・フランス社設立(仏国・現在連結子会社)
平成14年3月
持株会社中外ユー・エス・エー・インコーポレーテッド設立(米国・現在
連結子会社)
5月
3
)
中外製薬
中外診断化学㈱の全株式を富士イビオ㈱に譲渡
有価証券報告書
2008 年に拠る
110
9月
ジェン・プローブ・インコーポレーテッドをスピンオフ
10月
エフ・ホフマン・ラ・ロシュ・リミテッドとの戦略的アライアンスに基づ
き、日本ロシュ㈱と合併し、ロシュ・ホールディング・リミテッド(ほか2
社)が当社の親会社となる。
平成15年12月
高田研究所と松永工場を閉鎖
平成16年12月
一般用医薬品事業をライオン㈱に譲渡、永光化成㈱の殺虫剤製造事業をラ
イオンパッケージング㈱に譲渡
平成17年3月
6月
平成18年5月
筑波研究所を閉鎖
鏡石工場及び東北中外製薬㈱の全株式をニプロ㈱に譲渡
浮間工場、藤枝工場、宇都宮工場及び鎌倉工場における医薬品等の製造に
関する事業を、会社分割により、子会社である中外製薬工業㈱に承継
111
謝辞
本論文は、長崎大学大学院経済学研究科
藤野哲也教授の多大なご指導を賜り、その研
究結果を取りまとめたものです。ここに謹んで心から感謝の意を表します。
また、本研究にあたり同大学院経済学研究科
菅家正瑞教授、内田滋教授には有益なご
助言、ご指導を賜り、誠に有難うございました。特に菅家教授には、私自身の研究テーマ
について試行錯誤している時期にいろいろな見方、考え方をご教授頂き、本研究の基盤を
構築する上で大変有益なご助言を頂きました。ここに厚く御礼申し上げます。
さらに同大学院経済学研究科
杉原敏夫教授、深浦厚之教授には本論文審査において有
益なご助言、ご指導を賜りました。ここに心から感謝申し上げます。
また長崎大学経済学研究科への入学し、その後仕事の傍ら研究を行う筆者に対して、何
一つ文句も言わずに支えてくれた妻と子供たちに感謝します。
112
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