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博物館だより No.84 2013.7

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博物館だより No.84 2013.7
岐阜市歴史博物館
№
84
2013 . 7
重要文化財 乾漆十一面観音立像
奈良時代
像高 176.6㎝
岐阜市・美江寺蔵
心木と粘土で大まかな形を作り、その上に「漆」を浸した「麻布」を何重にも重
ね、その後、像内の粘土を取り出して空洞にする脱活乾漆(だっかつかんしつ)と
いう手法で作られた十一面観音像です。
当初、三重県の名張郡で祀られていましたが、奈良時代に本巣市美江寺町、戦国
時代に斎藤道三が現在の岐阜市域に移したと伝えられています。秘仏として、年に
一日だけ公開されてきましたが、特別展『岐阜の至宝』に特別出品していただける
ことになりました。
(2)岐阜と加納―行き交う人びと
美濃国において有数の都市であった岐阜町と
加納城下町を取り上げ、古地図から江戸時代の
都市の様子を明らかにし、美濃のにぎわいを感
じていただきます。
企画展
古地図にみる
江戸時代の美濃
2013.7.12
(金)
~9.1
(日)
江戸時代、多くの絵図が作成されました。近
世社会は、それまでの中世社会とは違い領主層
のみならず、民間においても多くの絵図が作成
された時代でした。城下町に集住した武士たち
は、村々に絵図の作成を命じ、生産力などの様
子を把握しました。また、商業出版がはじめて
成立し、各地の絵図が出版されるようになりま
した。
美濃国においても、国全体を描いた絵図から
「加納藩領図」
(岐阜町周辺部分)天野家文書(当館蔵)
はじまり、岐阜町、加納町といった都市、そし
(3)村のすがた―村絵図
て多くの村々が描かれました。木曽三川を筆頭
幕府が訴訟を裁定した時に作成された村の絵
に多くの河川がある美濃国には、治水時などに
利用された絵図も豊富にあります。さらには、 図や、将軍の代替わりの際の幕府役人巡見に伴
い作成された村の絵図などを取り上げ、村々に
長良川役所の改役(問屋役)をつとめた西川正
おいて絵図が作成された過程を考えます。約
容(満阿)のように、自ら美濃国の絵図をつく
130 年振りに岐阜に里帰りし、
「初」公開とな
り、書物を編纂し日本全国の地誌と絵図をまと
る村絵図も展示します。
めた人物もいました。
(4)
「濃水」-美濃の川
本展では、美濃国、特に現在の岐阜市域に焦
岐阜県は「飛山濃水」とよばれるように、美
点を絞り、地域に徹底的にこだわり、江戸時代
濃国は多くの河川があり水が豊かにある地域で
の古地図を紹介します。
す。水の恩恵をおおいに受けた美濃国ですが、
一方では洪水などがたびたび起こり水害に悩ま
されもしました。治水時などに作られた河川に
因む古地図を紹介します。長良川の流通を管理
した西川正容が作成した美濃国の絵図なども展
示します。
関連行事
「美濃国絵図」正保 2 年
(1645)
岐阜県歴史資料館蔵
(1)描かれた美濃国
美濃国全域を描いた古地図を取り上げ、江戸
時代における美濃国の様子を紹介します。約5
m四方の国絵図(上部写真)も展示します。ま
た、美濃国は 13 万石余の尾張藩領があるなど、
尾張国と強い結びつきがあり、二つの国が同時
に描かれることもありました。美濃・尾張を含
んだ広域図も展示します。
■連続講座「古地図の読みかた」
①「町の古地図を読む」8月 24 日(土)
②「村の古地図を読む」8月 31 日(土)
各午後2時~3時 当館学芸員
定員 40 名 前日までに電話で申し込み
■展示説明会
7月 20 日(土)・8月 10 日(土)
各午前 11 時~、午後2時~
当館学芸員
※企画展観覧者は自由にご参加いただけます
■スタディーツアー
毎週日曜日 各午前 11 時~、午後2時~
※小・中学生対象(参加無料)
夏休みの自由研究で岐阜の歴史を調べる時などに役に立つ
内容です。岐阜城・加納城・中山道・長良川・岐阜の遺跡な
どの古地図に関係する調べものができる書籍コーナーも設置
します。
※費用・申し込み方法など詳細は展覧会チラシなどをごらん
ください。
― 2 ―
特別展
『岐阜の至宝-伝承と創造-』
2013.10.11
(金)
~11.17
(日)
岐阜県には、国宝をはじめ数多くの文化財が
伝来しています。文化財は地域の歴史や文化を
考えるうえで欠くことのできない貴重な財産
で、当館では館蔵のコレクションに加えて、個
人・団体のご所蔵者のご協力を得て、それらの
文化的な価値を明らかにし、その魅力を伝える
ことにつとめて参りました。
多様な文化財の中で分野を限ったり、背景に
ある歴史事象をテーマにするのでなく、文化財
そのものを主題とした特別展も過去に何回か開
催してまいりました。今回は、美江寺の十一面
観音立像など今まで展示する機会に恵まれな
かった作品を中心にして、さらに今までテーマ
として正面から取り上げてこなかった書跡や能
装束や能面といった分野にも重点をおきます。
藤原定家自筆の『古今和歌集』や『明月記』の
ほか、
『寸松庵色紙』
、
『石山切』
、
『烏丸切』
、
『久
松切』といった古筆切の名品からは日本語の文
字としての美しさを再発見することができると
思いますし、春日神社(関市)や長滝白山神社
に伝来したきらびやかな小袖や見る角度によっ
て表情が変わる能面から、室町時代から桃山時
代にかけてのデザインや表現方法を味わってい
ただきたいと思います。
▲ 国宝 「金銅獅子唐草文鉢」 護国之寺蔵
文化財はただ単に残存してきたわけではあり
ません。長い年月の間、それを守り伝えようと
した人々の想いや営みがあってこそ、現代にま
で伝えられてきたのです。本展では現在、仏像
や仏画がどのような方法で修理・修復されてい
るかについても紹介することにしました。紙や
絹などを材質とした文化財の修復技術に関し
て、日本は世界でトップレベルですが、美濃和
紙は修復の材料として日本国内だけでなく、海
外でも注目されています。
さらに、文化財は単に古をしのび顧みるため
のものではありません。文化財は将来の文化の
向上や発展の礎にもなります。岐阜県は陶芸分
野の人間国宝を多数輩出してきましたが、その
作品の中には、現代作家としてのオリジナリ
ティとともにアイデンティティとしての文化的
背景を色濃く残していることに気づくでしょ
う。これらは、まさに岐阜の文化と共鳴して生
み出されたものなのです。
岐阜の歴史や文化を改めて考えていただくと
ともに、現代まで伝えてきた人々の営み、さら
に、誇るべき歴史や文化の結晶を次の世代に引
き継いでいくために、わたしたちが今なにをす
べきかを考える機会にしていただきたいと思い
ます。
関連行事
◆講演会 「岐阜県の仏像」
11 月 3 日(日・祝)午後 2 時~ 4 時
愛知県立芸術大学 名誉教授 山崎隆之さん
■展示説明会
10 月 19 日(土)・11 月 2 日(土) 各午前 11 時~・午後 2 時~
■スタディーツアー
毎週日曜日 各午前 10 時 30 分~・午後 1 時 30 分~ ▲ 重要文化財 「古今和歌集」
個人蔵
※小・中学生対象(参加無料)
※費用・申し込み方法など詳細は展覧会チラシなどをご覧く
ださい。
― 3 ―
加藤栄三・東一記念美術館
先生のご遺族はじめ多くの方々から作品のご寄
贈をいただき、所蔵作品も約 3,400 点余となり
ました。
絵画制作の舞台裏を探る
その内容は、素描、下図、本画と制作過程を
素描・下絵・本画 展
系統的に検証できるユニークな所蔵となってい
2013.9.18
(水)
~12.8
(日)
ます。
日本画という言葉自体は、明治以降から使用
されるようになったもので、西洋画の流入に対
抗する語として生まれた比較的新しい言葉で
す。
来館者から、
「日本画と西洋画の違いは」と
いう質問をよく受けます。構図の取り方、遠近
法の考え方など様々な違いはありますが、
「絵
具とそれを定着させる基底材料の違いで区別さ
「フィレンツェの夜明け」(大下図)加藤栄三
れます」と答えることにしています。
日本画は、天然に産出する鉱物を砕いた岩絵
本展では、
絵画の制作過程を系統的に展示し、
具、動植物から抽出した顔料、近代以降開発さ
作者がいかにモチーフと対峙し、試行錯誤を繰
れた人造の絵具を、動物の骨、皮などから抽出
り返しながら作品を完成させていったか、その
した膠(にかわ)を接着剤として描きます。そ
息づかいや眼差しを感じ取っていただけるよう
のため、日本画はスケッチ現場での制作には無
心がけました。
理があります。現場で描いた素描 ( スケッチ )
栄三先生の「フィレンツェの夜明け」は、61
をもとにアトリエで構想を重ね、下図を創り、
歳のとき、長女 : 美耶子と門下生:石川響とと
下図をもとに本画(完成作品)を描くという制
もにイタリアを巡る約 50 日間の写生旅行に出
作過程をたどります。
かけた際の作品です。
初めての海外旅行であり、
「たとえ一枚のスケッチでもいいから、本当に
これがイタリアの空だ、イタリアの土だ、とい
えるものが描けたらそれで十分だ」という気持
ちで羽田を旅立ったといいます。そんな新鮮な
気持ちで描いた作品を大下図とともに鑑賞して
いただきます。
また、東一先生が日本芸術院賞を受賞された
代表作「女人」は、そのスケッチが百点前後あ
り、全てを公開することはできませんが、壁面
一杯に展示し、この作品にかける思いが伝わる
ような展示に心がけました。
「女人」
(素描)
加藤東一
完成作品では見られない作家の意気込みや苦
私たちが、美術館や画廊で鑑賞する作品は、
しみ、ためらいといった心の動きを感じ取って
そのほとんどが本画(完成作品)ですが、一つ
ください。
の作品が完成する裏には、多くの素描・下図と
いった“おびただしい作品以前の作品”が隠さ
れているのです。
当館は平成3年5月に開館して以来、本年で
22 年目を迎えました。その間、栄三・東一両
― 4 ―
博物館ニュース
特別展「岐阜の茶の湯」協賛市民茶会が開催されました
特別展「岐阜の茶の湯」開催期間中の土・日を中心に、岐阜市茶道連盟に加盟する表千家・裏千
家・松尾流・久田流半床庵、江戸千家、久田流和楽庵、表大阿流の七流派に加え、武者小路千家と
三斎流の二流派による茶会が 11 回、岐阜公園内の華松軒和室で開催されました。
市茶道連盟は、昭和 24 年に始まった 5 月上旬の「鵜飼開き」のほか、
「信長まつり」
、
「梅まつり」
といった岐阜市などが行う行事に協賛し、広く市民が茶の湯に親しむことができる茶会を開催して
います。恒例となっている年 3 回のほか、岐阜市文化センターや岐阜公園の茶席開き、海外の姉妹
都市提携などの記念にも臨時で茶会を開催されてきました。今回は、各流派の協力を得て岐阜にお
ける茶の湯文化の歴史をたどる展覧会を博物館
が開催するのに伴い、展覧会を盛り上げ、多く
の方に茶の湯に親しんでいただこうと、1 流派 1
~ 2 日茶席を担当していただきました。
中学・高等学校の茶道部に所属する方たちも
参加されたほか、県外からの茶会の問い合わせ
も多く、連盟に加盟していない二流派や岐阜で
誕生した流派について「どのような点前をされ
るのか見てみたい」という研究熱心な方たちの
注目を集めました。
6 月 2 日開催の茶会より
■分館 加藤栄三・東一記念美術館の展示■
本誌4ページで紹介した以外の分館展覧会は以下の通りです。
7月2日(火)~9月16日(月・祝)
加藤栄三・東一 絵画に描かれた鵜飼(第1展示室)
7月2日(火)~8月4日(日)
日本画の今を彩る 創立20周年記念 グループ「途」展(第 2 展示室)
8月6日(火)~9月16日(月・祝)
私と道化師 長尾憲明 水彩画展(第 2 展示室)
9月18日(水)~10月27日(日)
創立 10 周年記念 SAN sun 会展(第2展示室)
10月29日(火)~12月8日(日)
創立 30 周年記念 岐阜県現代美術家協会推薦展(第2展示室)
■特集展示(2 階 総合展示室内)■
2階の総合展示室の一角に特集展示コーナーを設置し、1~2ヵ月ごとにテーマを分けて資料を公開して
います。これからの日程は次のとおりです。
7月5日(金)~8月4日(日)
戦国合戦図の世界
8月9日(金)~10月14日(月・祝)
鷺山遺跡群
10月18日(金)~11月10日(日)
鷹図
■分室 柳津歴史民俗資料室の展示■
柳津歴史民俗資料室(岐阜市柳津町下佐波 1-15 もえぎの里2階)では、次の日程で展示を行います。観
覧は無料です。
~8月4日(日)
土器・大集合!
8月6日(火)~10月6日(日)
加納藩と柳津
10月8日(火)~12月1日(日)
大正時代の岐阜
上記の日程は、都合により変更する場合もございます。ご了承ください。
― 5 ―
研究ノート
唱歌〈港〉の成立と受容
淺野麻衣
はじめに
「♪空も港も夜ははれて…」ではじまる唱歌
〈港〉は、現在でも愛唱されている唱歌の一つ
である。長らく小学校の音楽の教科書に掲載さ
れ続けたため、授業で習ったという人も多いで
あろう。さらに、昭和 29 年(1954)公開の映
画『二十四の瞳』
(木下恵介監督、
高峰秀子主演)
の挿入歌としても使用された。長く教科書に掲
載されたのは、この曲にそれだけ魅力があった
ためと考える。どのような点が評価され、教科
書に掲載され続けたのであろうか。本稿におい
ては、〈港〉の成立過程およびその内容をふま
えた上で、この曲の掲載された、戦後の小学
校の音楽の教科書を分析し、
〈港〉が学校教材
としてどのように扱われていたのかを検討した
い。
1.〈港〉の成立過程について
まず、
〈港〉の成立過程について説明する。
〈港〉
の初出は、明治 33 年(1900)に出版された『新撰
国民唱歌』第一集である。作詞は、当時東京音
楽学校(現・東京藝術大学音楽学部)の文学担
当教員であった旗野十一郎(たりひこ、18501908)、作曲は、同校本科師範部学生の吉田信太
(1870-1953)である。
〈港〉は、歌詞の方が先
に出来上がっており、教官に言われて生徒がそ
れぞれ曲を付けたところ、吉田の作品が教官の
目にとまり、採用されたのである(
『教育音楽』
(1955 年 7 月号)
、p.78)
。 この話から、
〈港〉は、吉田が東京音楽学校
に在学していた明治 26 年から同 28 年の間に作
られたと考えられる。
〈港〉のように、当時の唱歌制作は、作詞は
国文学者など大家が行い、作曲は外国曲のメロ
ディーを引用する場合や、東京音楽学校の学生
および卒業生が行う場合が多くあった。という
のも、旋律よりも歌詞に重点が置かれ、教訓的
な内容の歌詞を歌わせることにより、徳性を涵
養することが唱歌教育の目的とされていたため
である。旗野の他の作詞作品も、吉田以外の学
生が曲を付けているものがある。
〈港〉の歌詞
は教訓的な内容ではないが、その制作方法は、
当時の普遍的な方法であったと言えるだろう。
2.
〈港〉とはどのような曲か
〈港〉の特徴は、当時の日本には珍しい三拍
子であった点である。元来日本人は地面に足を
付けて農作業を行う農耕民族であり、西洋や韓
国、モンゴルのような、馬に揺られて移動する
騎馬民族とは異なり、三拍子が苦手であるとさ
れている(小島美子『日本の音楽を考える』音
楽之友社、1976、p.93-94、小泉文夫『民族音楽
の世界』
日本放送出版協会、
1985、
p.60)
。しかし、
村尾は、
この曲は「タタ/タン/タン(♫♩♩)」
という、シンプルな強弱弱の反復されるリズム
が人々に受け入れられたことを指摘している
( 村 尾 忠 廣「Comprehensibility of the Weakly
Closed pattern in Triple Meter Music : An
Aspect of the process of How the Japanese
Have Been Getting Used to a Triple Meter」
(
『CRME』85、1985)
。三拍子ながら、大きく二
拍子として捉えることができるため、リズムが
取りやすかったのかもしれない。さらに、当時
の唱歌には「ドレミファソラシド」の中から、
不安定で音程の取りにくい半音の
「ファ」
と
「シ」
を除いた「ヨナ抜き」のものが多かったが、こ
の曲は「ファ」を 2 回使用しているものの、そ
れがかえって柔らかい印象を与えている。
また、
「♪ドレミミ…」で始まるため、
「ドレミっちゃ
ん」と替え歌としても歌われた(金田一春彦・
安西愛子『日本の唱歌』上、明治篇、講談社、
1977、p.96-97)
。このように、
〈港〉の旋律には
画期的な手法が取り入れられたのである。
〈港〉の楽譜
では、歌詞の方を見てみよう。以下が、旗野
の作詞した歌詞である。
1. 空も湊も 夜ははれて 月に数ます 船のかげ
端艀のかよひ にぎやかに よせくる波も
黄金なり
2. 林なしたる帆 檣に 花と見まがふ 船 旗章
は
し
け
こ
が
ね
― 6 ―
ほ ば し ら
ふ な じ る し
積荷の歌の にぎはひて 湊はいつも 春なれや
1 番の「端艀」とは、陸と停泊中の船の間を、
乗客や貨物を乗せて運ぶ小舟のことであり、そ
の端艀の往来でにぎわう夜の港を描写してい
る。2 番は、花のように鮮やかな多くの船旗が
はためき、春のようににぎやかな昼の港を描写
している。なお、明治 33 年(1900)に発表さ
れた際の題名は、
「港」ではなく「湊」であった。
こちらの「湊」には、物や人が集まる所という
意味もあるため、往来の激しいにぎやかな湊を
指していたのであろう。
「港」に変更された理
由は不明である。
〈港〉は、旗野が広島の宇品港の暁橋(通称
めがね橋)から見た風景を描いたとされてい
る。宇品港は、日清戦争時、旧日本軍の西日本
最大の軍港として栄えた場所である。現在広島
の宇品中央公園には、
〈港〉の歌碑が建てられ
ている。なお、
〈港〉の歌碑は、作詞者の旗野
が初代校長を務めていた新潟県阿賀野市立保田
小学校にも建てられている。しかし、旗野が広
島を訪れたという記録はない。旗野は、岐阜の
鵜飼の様子を描写した〈長良川の鵜飼〉
(
『最新
中等唱歌集』明治 41 年出版)や、皇居や隅田
川など、東京の名所を列挙した〈東京名所進行
の歌〉(『新式唱歌』明治 30 年出版)という特
定の場所を題材とした唱歌も作詞しているが、
〈港〉の歌詞には、場所を特定する固有名詞は
全く出てこない。
「作曲の吉田信太が、広島高
等師範に赴任したおりに見た宇品港という憶測
もある」(『私の心の歌〈夏〉夏の思い出』学習
研究社、2004、p.
90)が、
〈港〉は吉田が同校
へ赴任するよりも前に作られた上に、彼は作詞
には関わっていない可能性が高い。吉田が広島
における音楽教育の普及に尽力したため、
〈港〉
=広島のイメージが定着したのかもしれない。
逆に、場所を特定していないという指摘もある
(池田小百合『童謡と唱歌 歌唱の歴史①春夏
のうた』夢工房、2002、p.
160)
。場所を特定
していないからこそ、各々が身近な港をイメー
ジできるため、歌い継がれていることも考えら
れる。いずれにしても、この点に関しては、更
なる追究が必要である。
3.音楽教科書に掲載された〈港〉
このように発表された〈港〉は、
明治期には、
9 冊の唱歌集に、大正期には、4 冊の唱歌集に
それぞれ掲載された。いずれも多いとは言い難
いが、12 冊の教授細目に〈港〉が指定されて
おり、小学校の授業において歌われ続けていた
ことがうかがえる。しかし、
大正 15 年(1925)
、
唱歌集に掲載された後、教科書に掲載される曲
は、戦争への国民の士気を鼓舞するための軍歌
が中心となったためか、明るい港を描写した
〈港〉は、取り上げられていなかった。
〈港〉が
頻繁に音楽の教科書に登場するのは、戦後から
である。それは、昭和 22 年(1947)度の音楽
科の学習指導要領において、
〈港〉が、小学 3
年生の 10 月に使用する教材として薦められた
ためであろう。その際 2 番の歌詞は、
〈うみ〉
や〈おうまさん〉の作詞で知られる詩人の林柳
波(1892-1974)により改変された、夜明けに
帰還した漁船を描写したものが掲載された。改
変された理由については、旗野の文語体による
歌詞が子どもたちに理解されにくいと判断され
たため、敗戦により港湾が荒廃したため、など
の指摘があるものの、未だ不明である。これも
また、今後の課題としたい。
戦後に発行された小学校の音楽教科書は、平
成 25 年(2013)現在で 801 冊、そのうち〈港〉
の掲載が確認できたものは、昭和 21 年から 51
年までの 76 冊であり、18 社の出版社から出版
されている。その多くに見られた特徴を以下に
述べる。
●対象学年は、主に 3 年生(昭和 20 年代のみ、
2 年生用が 4 冊、中学 1 年生用が 1 冊あり)。
●海を連想させるためか、6 月や 7 月、9 月の教
材として設定=夏の曲として認識されていた。
●
「三拍子」の曲であることを強調。三拍子の指
揮法や、
参考曲として外国の三拍子の楽曲(〈メ
ヌエット〉
(ボッケリーニ作曲)
、
〈金と銀〉(レ
ハール作曲など)を紹介。また、
「♫♩♩」以外
の三拍子のリズム打ちも練習させている。三拍
子を理解させ、
慣れさせる工夫がなされている。
●ハーモニカ、オルガン、鉄琴などを用いた合
奏曲として編曲され使用された。覚えやすく短
いメロディーで、三拍子のリズム練習にもなる
ため、児童が演奏するのに適していると判断さ
れた。
●明るい港の景色を思い浮かべて歌うように指
示。
表現力を身につけることがねらいとされた。
挿絵は、歌詞に合わせて船が多くにぎやかな港
の様子が描かれていた。
●「ドレミ」で始まるためか、階名で歌う練習
にも使用された。
このように、
〈港〉は三拍子である点が着目
され、これに慣れさせ、拍子感を育てる教材と
して使用されたのである。
昭和 51 年を最後に、
〈港〉は教科書に掲載さ
れていない。しかし、学校で習った世代は、今
でも思い出の曲として歌い続け、若い世代にも
歌い継がれているのである。
― 7 ―
「提灯絵紙見本帖」の内
「紫陽花」
菊池華秋画
縦 469mm、横 1,104mm
昭和初期
岐阜の伝統工芸品として知られる岐阜提灯に張る提灯絵紙の、見本帖に収められた 23 図のなか
の一つです。岐阜提灯は 19 世紀中頃には納涼用や盆提灯として好まれ、明治維新前後に一時衰退
しましたが、明治 10 年(1877)代より地元の実業家神山茂左衛門、勅使河原直次郎等によって再
興されました。特に、勅使河原直次郎は日用品であった岐阜提灯に工芸品的な付加価値を加えるこ
とにより、国内はもとより海外にまで販路を伸ばしました。
当見本帖は彼の経営していた勅使河原合資会社のものと思われ、近年まで岐阜市内の摺込師の家
に保存されていました。提灯絵紙は大量に製作するため、摺込師は絵師の描いた下絵をもとに墨版
を作り、色ごとに伊勢型紙を切り抜き、それらをもとにボタンバケを使って図柄を摺り込んでいき
ます。当資料もその技法によって作られたものです。下絵を描いた菊地華秋(1888 ~ 1946)は川
合玉堂門下の日本画家で、昭和 4 年(1929)第 10 回帝展で特選を受賞した俊才です。構図は 8 枚
の絵紙の上部に空色、下部に若草色の礬砂を引き、右上がりに青と白の紫陽花を描いたもので、中
央付近にボリュームを与えることで、棗型の提灯に張るとあたかも群生するが如くみえたと思われ
ます。また、青系を主体に濃淡を活かした彩色の摺り込みは、
摺込師の高い技量を伺わせるものです。
一見して今日の秋
草を主体とした盆提
灯の図柄と異なるこ
とから、主に輸出用に
作られたと思われる
こ の 絵 紙 は、 今 も 見
る 人 を 引 き 付 け、 当
時の岐阜提灯の質の
高さと工芸品的指向
性の一端をよく示し
ています。
№84 2013. 7
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