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「自然哲学-理解」(pdf)
1 ヘーゲルをどう理解するか-「自然哲学」 「エンチュクロペディ-自然哲学」は評判が悪い。ヘーゲルの時代における自然科学のさまざまな知⾒を補論に 詰め込み、偏⾒に囚われた調理をしながら自説を展開している。補論を読み進めることは苦痛ですらある。専門 家も通過儀礼として取り扱っている印象を受ける。でもヘーゲルマニアとしては取り組む意味を求めたい。 現在の自然科学の知⾒に基づいて、ヘーゲルの主旨を活かしながら再構築できないか。こうした読み⽅をして、 何が活かされ、何が捨てられるか。ヘーゲルの理解の仕⽅として、こうしたアプローチにて、自分なりの練り⽅を考え てみるのもおもしろい。 自然哲学の内容は、物質が個別化・個体性を目指し、さまざまな形態化に向かう。一⽅ではその有限の世界 に絡め取られる過程であり、他⽅では自⼰感情や意識にいたる過程である。この⾯では唯物論であり、この間の 概念の展開の記述であるという⾯では観念論である。 ヘーゲルはカントや脳科学と同様に、自我(脳)が世界を構成するという視点に⽴つ。カントはこの世界を構 成する自我の構造を提示したが、ヘーゲルはそこから物自体と先験的なカテゴリを捨て去り、自我と世界(自然と 精神)との関わりにおける数千年にわたる経験と相互コミュニケーションを通じて形成されてきた概念に置き換える。 概念は無限であり、自然は有限である。概念は、その有限な自然を捉えようとする過程を通じて自らを⾒出すこ ととなる。 (自然の概念) 自然は理念が自らを解放して出会う最初の素材であり、それ自身で生きた活動を示す存在である。自然 の本質規定は外在性(他在態)にある。自然はそれだけで存在し、互いに無関⼼で孤⽴しているように ⾒える。自然界には内的必然性がなく、外的に⾒出される必然性及びその現れである偶然性だけである。 自然界の学は外⾒上自⽴して⾒えるものの関係であり、区別され、無関係に⾒えるものの不可分離性 のことである。 自然における概念の展開は、ばらばらにある理念が統一されてゆく過程である。⾔いかえると、理念が自 ⼰の潜在している(内⾯的なものとしてある)本来の姿を表に出していくことでもある。生命にいたってはじ めて主体性が現れ、相互外在性と決別して自分のもとにある存在態となる。 (自然を考察する⽅法) 人間が自然に対して実践的に関わるとき、何らかの意図や目的をもって自然対象に関わる。ここでは自然 そのものや全体としてではなく、自然の個々の対象、個々の側⾯にのみ関わる。そうした側⾯に対して人 間は必要に迫られて、機知を働かせ、自然⼒に対して他の自然⼒を差し向けて相⼿を消耗させ、自分 自身の目的を実現する(理性の狡智)。ここでは、この外的な目的にとって所与の自然が役⽴つか否か が問題となる。 人間が自然を理論的に且つ思考によって考察するとき、自然という対象の自⼰内で規定された普遍、つ まり⼒、法則、類などの認識を目指す(自然科学)。ここにおける態度は、主体と客体とが別々のものと して置かれ、思考は対象に普遍性という形式を付与し、事物の内容を知性の中へ取り入れる。理論的 考察においては、自らの目的をも自分から分離することによって、自分を思惟として純粋な主観を確⽴し、 そのことによって客観をも確⽴している。ここにおける普遍は個別的事物の中にその実態をなす類として実 在しているものとする。この時人間はあるがままの自然の本当の姿を捉えようとしながらも、思考によって事 物を普遍性という観念的な性質をもったものに転換する。思考することにより、人間は自分の他者である 自然を自然自身の他者にすることとなる。自然をわれわれのものにすることと、諸事物が自然的諸事物と © 2015 TakayoshiK 2 して自由に対自的に存在することこの⽭盾が認識作⽤の本性である。 自然哲学も自然を理論的に捉えようとするが、それは自然との関わりの中から事物の本性を概念として捉 えようとするものであり、概念的考察における普遍的規定が自⼰自身の内在的必然性に基づいて生成し、 展開する過程を考察する。哲学は自然科学から⼿渡された悟性的普遍から自然の概念を生じさせ、自 分自身の中で必然的な全体像へと形成する。概念的認識が個別的なものである事物に否定的に関係 し、個別を普遍の中でみるようになる。概念的認識は理論的振る舞いと実践的振る舞いとの統一となる。 I. ⼒学 A. 空間と時間 1. 空間 基本概念が自然に向き合う時、はじめに直接的な規定として現れる概念は、自分の外(他在)に無関 係な状態としてあり、抽象的な普遍性である空間である。空間は外⾯的な抽象として規定される秩序で あり、直観の形式である。空間は全く観念的で相互併存状態を提供するものとしてあり、一定の区分を 自分自身のうちに持たない、端的に連続的であり量である。 しかし、空間は自体的には区分を身にまとっている。われわれが自然に対し、実践的に関わるとき、空間は 前後左右上下という質的な区分をもつ。量の内に現れる区分は、空間の中における点という概念を生み 出す。点という概念は線として現れることにより、空間上に実在性をもち、拡がりをもつ⾯へと展開する。理 論的には点は空間の否定であり、⾯は点の否定であるが、⾯において否定的契機を身につけた空間的 統合の回復となる。しかし、これは直観の形式としての空間から、実在性としての個別的な空間を分離す る(限界を示す)ものともなる。 2. 時間 空間はわれわれとの関わりの中で、自らを分離し、限界を示すという否定性を身につけた⽭盾である。この 否定性が相互に併存するものに対して無関係に現象する。併存するものが単独で否定性を持つものとし て措定されるとき、限界及びそこにおけるある・ないが顕在化し、その⽭盾より時間という概念が現れる。 時間は空間と同様に、直観の純粋な形式である。時間は空間的な存在の否定的統一であり、直観され た生成である。時間は実践的な関わりの中で、点がいまとして現実性をもつものとなる。時間の中で万物 が生起消滅するのではなく、時間そのものがこの生成、生起と消滅であり、存在する捨象作⽤である。有 限なものは、はかなく、時間的である。 3. 場所と運動、物質 空間における排他的な点は、措定されており、時間である統合的な否定性を経ることによって、実在性を 身につける。この実在性を身につけた点が場所という概念である。 時間が空間的に場所として措定されるのと同様に、その外⾯性が時間的に措定されることにより運動とい う概念が生じる。運動は消失の中の持続であり、空間と時間の相互移⾏の過程であり、時間を通じては じめて真に区別された空間である。 これに対して空間と時間の関係において静止的な同一性として現存在する単独存在が物質であり、物の 最も抽象的な概念となる。 B. 物質と運動 有限的⼒学 空間の相互併存状態は、物質という概念が現れることにより、その抽象的な個別化の契機によって、ばら ばらの状態として示される。 ばらばらの状態は、相互に無関⼼でありながら同一の場にあることであり、それぞれの単独存在の否定的 © 2015 TakayoshiK 3 統一というありかたを本質的なものとしている。こうして物質は連続的でもあり、関係性をもつものでもある。 ここに物質の反発と牽引という概念が同時に現れる。物質は不可分的に反発と牽引の両者であって、こ れらの契機の緊張の中にあるという、否定的統一である。個別化の契機は個別性として捉え直される。こ のばらばらな状態で存在するとともに連続的でもある特殊性を、否定的な自⼰関係としての統一へ還元 すること、一つの主体性である個別性へ還元することにより物質は重さという概念と結びつけられ、重さを 身につけているものと捉えられる。 1. 慣性的物質 物質はさしあたり、単に直接的なものとして量的な区別をもつのみである。定量に特殊化された物質は質 量という概念で扱われる。これが一つのまとまった全体という規定を受けると物体という概念となる。物体は 空間や時間の形式に無関係なものとして、その内容として現象する。 物体は空間規定からみれば持続的であり、時間規定からみれば、無常である。物体は両者の契機を結 合する統一、すなわち運動を身につけている。しかし物体は空間時間の形式に無関係であるため、その運 動は外⾯的であり、慣性的なものとしてある。 2. 衝突 慣性的である物体は、外的に運動状態にあるものとして置かれる。物体は他の物体と関係することにより、 運動状態にあることが顕わになる。この関係は直接的には一つの運動として捉えられる。このため相互に 抵抗しあうものでもあり、質量が身につけている定量により特殊化される。ここから相互に相対的な重さ、 すなわち重量という概念を生じる。〔運動の伝達と重量〕 重さは実在的な規定性として、量的な規定態である速度と合して運動量という概念を形成する。 内包量としての重量が物体そのものにおいて一点に集中されると、それが重⼼である。重⼼という概念にお いては、物体はその中⼼を自分のどこに置くかは問われない。 3. 位置変化 〔落下という表現を変更〕 重⼼を自分の外に置き、その中⼼と物体とが空虚な空間により分離されているとき、特定の⽅向性を持つ 運動となる。 位置変化は相対的に自由な運動である。位置変化は物体の身につけている重さの最初の現象であり、 その概念により措定されているため、物体にとって内在的である。位置変化は、一つの中⼼を単に抽象的 に措定することである。中⼼と物体との距離は、外から導入された偶然的な規定である。 中⼼という単純な単独存在の措定は、否定的な自⼰関係であり、本質的に自⼰自身の反発である。中 ⼼が外に実在することと自⽴的な単独の在り⽅との⽭盾が運動として現象する。 C. 絶対的な⼒学 物体性の、理念として実現されている真の規定された概念は引⼒である。運動は現象する現存在として の主体性の契機へと連結(推論)される。ここでは、一⽅は自⼰自身への抽象的な関係という普遍的 な中⼼として、他⽅は中⼼のない個別性という自⽴的な物体のあり⽅として現象する。 物質の抽象的な隠れた自⼰内存在が重さ一般であるが、今やこの内部中⼼(自⼰内存在)が形式へ と展開される。物質は今や質を付与された物質となる。 II. 物理学 単独存在が物質の内に展開され、物質が身につけた規定をもつようになると、物質は個体性をもつ。自 分に内在する形式によって、空間的なものを重さに対抗して規定するにいたる。 © 2015 TakayoshiK 4 A. 普遍的な個体性 1. 抽象的な物理的物体 質を付与された最初の物質は、純粋な自⼰同一性、自⼰内反省の統一としてある。それ自身はまだ抽 象的な最初の顕在化にすぎない。このような物質は、自然の中に現存在しながら、統合の他の諸規定に 対抗する自⽴的なものとしてある。 これは物体としてあるが、絶対的に軽いものであり、中⼼とのズレを身につけており、震動(波)として現 象する。この現存する普遍的な自⼰が光である。 物質が実在性をもち、多くの物質が併存する環境のなかにおかれると、ばらばら状態の抽象的な物質が、 諸規定をもつ自⽴的に存⽴する自由な物体として存在するにいたる。これは元素として展開される。 2. 元素 個体性を備えた物体はこれらの規定を隷属的な契機としてその身につけている。それは普遍的な個体の 生成の契機を形づくる。 (単純な元素) 直接的でまだ区別のない単純性である元素は、自⼰をもたない否定的な普遍性にすぎず、ただ重さを身 につけ、遍く存在する。外に対しては抵抗性・弾⼒性を示し、内的には規定されず、流動的である。これが 空気の質をもつ元素である。 (対⽴の元素) 抵抗性の⾯が先鋭化すると、自ら燃え上がって他者を食いつくすとともに、自⼰自身を食いつくすものへ転 化する。これは、単独存在となった個体性の不安としてあり、自⼰性が物質化された元素である。そして 燃焼により中和性へと移⾏する。これが火の質をもつ元素である。 流動的な⾯は自身が中性的なものとして現れ、相対⽴するものを結合し、対⽴を解消するもの(宥和 性)としてある。それ自身は自⼰を喪失した、固定した規定性を含まないものであり、他に対して受動的 な元素としてある。これが水の質をもつ元素である。 (個体的元素) 区別の個体化された規定であるような元素は、多様な諸契機を差異のあるままで含むものであり、それら を個体的な統一に総括する統合性である。諸契機を過程へと駆り⽴てながら、この過程を維持する⼒で ある。これが地の質をもつ元素である。 3. 元素的な過程 個体的な同一性のもとで、別々の元素とそれらの違いが相互に対⽴するように結合され、またそれらの統 一と対⽴するように結合される。 個体的元素の過程の一⽅の契機は個体的な同一性の分裂である。個体的な同一性のもとで、別々の 元素とそれらの違いが相互に対⽴するように結合される過程を形成する。自⽴的な対⽴の契機は、凝固 性と自⼰をもたぬ無規定で中性的なものの両端へ向かおうとする緊張の中にある。対⽴の⼆つの側⾯は、 それぞれ単独存在に向かっていく。〔→集中と分散から個体化へ〕 過程のもう一つの契機は、その単独存在が、否定性の極点まで達すると自⼰を否定するということである。 別々の存⽴を目指す⼆つの側⾯は、この存⽴が浸食され、燃焼することにより本質的な結合が作り出さ れる。個体的元素は、こうして実在的で生産的な個体性として生成する。〔→新たな元素の形成と再結 合へ〕 ここには今後の展開における基本的論理規定が展開されている。自然の始まりにおいて、直観の形式である 空間の中に想定される点という概念から、ビッグバンが起こり、実在化し、拡張し、時間を生み出し、光ととも © 2015 TakayoshiK 5 に水素元素・ヘリウム元素・水・⾦属系元素が生み出される。ヘーゲルは古代哲学の原理とされた空・火・ 水・地を始原の元素とし、これらの元素の質として4つの規定を定義した。この質の規定は自然哲学全体を 通じて進展する契機となっている。最初は遍く存在する空気の質の元素が主導する。光と闇との対⽴部分は 唐突な印象が免れないため、後の項に移動した。 B. 特殊な個体性 個体的統一は、それだけ単独にて、物質をその重さに抗して規定する内在的形式である。個体性が措定 されることにより、物質はばらばらな状態の内にありながら、その状態に抗してなされる求⼼化作⽤をもつ。 これは物質的な空間作⽤を内在的に規定する働きである。 1. 比重、凝集状態 単純で抽象的な特有化は、物質の比重(特有の重さ)ないし密度である。すなわち質量の重量と体積 との割合(比例関係)である。 最初に個体性を指し示すものが比重である。それによって物質的なものは、引⼒一般から解放され、特 有の内部中⼼を対置する。 そして、比重や密度の異なる物質がばらばら状態を本質とし続けることにより、形式規定はさらに、物質の さまざまな要素が特有の仕⽅で相互に関わる空間的関係、すなわち凝集状態となる。凝集状態は比重 よりも包括的である。凝集状態において、諸物体は実在的に相互に関わり、相互に接触する。 凝集状態の最初の規定は、全く無規定な結集である。それは他者との付着関係にすぎない。付着の関 係においては、自分自身との親和性よりも他のものとの親和性の⽅が大きい。物質の自⼰との凝集⼒は、 さしあたっては重さに対抗して結集する強さであり、単に量的な凝集状態である。〔形式的な機械的関 係〕 量的な凝集状態は増大することにより、質的に変化する。相互の衝突や接触の繰り返しなど外部の暴⼒ の圧迫と衝撃に対抗して、弛緩する固有性と弛緩により自分の形態の自⽴性を⾒せつける固有性をもつ にいたる。これが弾⼒性である。弾⼒性とは、回復される比重の変化に過ぎない ここにおいて、単に要請しているにすぎない観念性が、それだけ単独で現存するようになる。ばらばら状態の 部分の存⽴と、統一点の存⽴との両側⾯の関係をもつものとなる。このような観念性は、相互に止揚し合 う規定の交替としての一つの観念性であり、物体のそれ自身の中での内⾯的な震動として現れる。〔震動 の現象〕 2. 震動と振動 物体のばらばら状態が単独で存⽴することを否定することになると、単純性・形式は自由(遊離態)とな る。このことは物質的空間性の物質的時間性への移⾏である。各元素が衝突による結合分化を繰り返 す。この運動は震動の形式の内にある。 震動は他の物体へ伝達されうる。その可能性は、物体を自由に貫通するものという観念性を示している。 震動に伴う振動は外的な場所変化として、すなわち他の諸物体に対する空間的な関係の変化としてあり、 震動とは区別される。振動という観念性の現存は、その抽象的な普遍性のために、単なる量的な区別し かもたないため、それらの調和と不調和とは数的関係として扱うことができる。〔振動の現象〕 振動は、物質的な諸部分のばらばら状態とその否定との交替である。この交替は比重と凝集状態との実 在的な観念性であり、熱として現れる。物体の内における交替作⽤は、同時に物体の凝集状態の変質 であり、物体の硬さの廃棄の始まりである。〔元素の融合プロセスより生ずる熱の現象〕 © 2015 TakayoshiK 6 3. 熱 熱は物質がその無形式性、その流動性へと還帰する契機である。熱は形式よりももっと内的に諸物体を 一つ(合一)にする。物質の抽象的な連続性は、否定の否定としてここで能動性として措定される。熱 は、形式的には空間規定一般との関係において、拡張させるものとして現象する。〔膨張の現象〕 物体がこのような現存を示すのは、むしろ他の物体への熱の伝導としてである。これが外⾯的な熱である。 外部から伝導される温度は、その現存の規定性としては、温度が伝導される物体の特殊な比重と凝集 状態によって制約される。これが比熱という熱容量の概念である。 熱による物体の固有性の焼尽は、それが完遂され、実際に実現されると、純粋な物理的な観念性の実 存を獲得する〔発火と放射として現象〕。 実在的な物質、すなわち形を身につけて保持している物質の展開は、こうして統合され、その物質のさま ざまな規定の純粋な観念性(統一点)へ移⾏する。すなわち、抽象的な自⼰同一的な自⼰性へ移⾏ する。〔融合プロセスによる重⼒核の生成と収縮=親和的な機械的関係〕 この自⼰性は、こうした外的個体性そのものの圏では、外⾯的となり消失する。この外的個体性の領域の 制約性は、形が、重さを持つ物質の特殊化であり、統合性としての個体性は、せいぜい自体的でしかなか ったということである。〔超新星の爆発〕 相互に無関係の現存をした特殊化された物質的なものは、その無関係さが解消される。そして、自⼰へと 関係する無限な形としての自⼰性が、この物質的なものを自由に規定する統合性、すなわち自由な個 体性として存在する。〔多様な元素の生成と新たな個体性の形態化へ〕 遍在するものが、比重を契機に偏在化に向かい、凝集状態を形成することにより、相互の衝突と接触により 核融合反応が起こる(発熱)。ここでは主導する質の元素が、空気から火へ転化する。これにより抽象的で 特殊な個体性(新星)が形成されるが、融合プロセスは鉄の蓄積を産み、内向きの重⼒が圧倒して、急速 な収縮とその反動を引き起こし、爆発にいたる。その結果として固体化した塵とガスが拡散する。これにより、 元素一般の凝集から、固体化した物質群の凝集による分散統合の形へ変化する。 C. 統合された個体性 抽象的な段階の中⼼は消失し、固体群という実在性へと展開し、機械的な衝突・融合・分化という関係 を繰り返しながら、引⼒を契機として、相互の関係を中⼼と周辺として凝集する。これが直線(軸)を身 につけた平⾯という形態(抽象的形態)へと進み、中⼼としての核に対して周辺が新たな結合過程によ り個体性を身につけ、相互の関係が引⼒により一定の法則を形成して均衡するにいたる。 1. 形態 物質はもともと重さをもっているが、特殊性を経てばらばらに分裂し、固体化したものが凝集化すると、それ ぞれが固有の質量をもち、関係性(引⼒)を中⼼にして、統合性へ向かう。統合された個体性としての 物体は、直接的には物質的なものの空間的共存の形式としてある。それは内⾯的な仕⽅のみでなく、空 間的な外⾯的な制約までも、内在的な、展開された形によって規定されている物体である。こうして形が 自発的に顕在化される。〔形の生成〕 直接的な形態は、一⽅では脆弱性という点性であり、他⽅では自分から丸まっていく流動性である。脆弱 なものは概念の区別となって現出する。点は線へ移⾏する。形はこの線上の両極で、対⽴しながら自分を 確⽴する。これらの両端は契機であり、両者自身の関係によって保持されている。この関係は現象として は両者の中間(媒概念)が無差別であることにある。このような推論が、展開された規定性の中での形 態化の原理を形づくる。〔磁気の軸の形成〕 © 2015 TakayoshiK 7 形式の活動は、⾯に移⾏することにより形態となる。すなわち磁気の軸を身につけた点と平⾯との統一とし ての形態となる。差異のある両極は無差別の中間へ還元され、全物体の⾯と表⾯に展開される。ここで は、点性が発展した形へ拡張されてはいるが、球という限界の内に還元されてある。〔形態の生成=円盤 形星雲の現象〕 (中⼼としての光) 球の中の点は多様な元素を巻き込みながら、平⾯上に統一点を形成し、その特殊な元素群の結合によ り、比重と凝集状態にある熱を発火と放射へ転換させる。物質のこの現存する普遍的な中⼼としての自 ⼰は光として現れる。 光は純粋な顕在化作⽤であり、物質的な観念性として不可分の単純な自⼰外存在である。光はそれを 差別するもの、否定するものと関係する。さしあたり、光は不透明なもののただ表⾯にのみ関係することに より、その表⾯を顕在化する。 表⾯の側は他者で自分を映し照らすものであり、他者だけが自分の側で現象する。 光とこの表⾯は相互に外的な関係を持つが、両者の限界ではじめて光が現存するものとなる。〔恒星と周 辺との関係〕 (光に対する物体) 光の否定である暗⿊は、光の抽象的・同一的観念性に対⽴するものとしてある。この対⽴するものは物 質的な実在性として、⼆つの在り⽅に分裂して現れる。一⽅は物体的な差別性、すなわち物質的な単 独の在り⽅、凝固性である。他⽅はただ自⼰内に崩壊するものとして、解消と拡散するものとして存在す る。〔周辺の塵とガスの現象〕 (物体の個体形成) 自⼰のうちに還帰した対⽴が個体的な統合をもつ物体である。凝固性と崩壊するものとは相互に統合と 分裂を繰り返す。凝固性は解放されて実在的な区別の分離へと向かい、この凝固性の解消が自分として の統一点によって凝集へと向かう。〔惑星と衛星の分離形成〕 自分自身に関係するこうした形式が、形態という領域の中で、場所的関係を規定する内在的な活動で ある。〔質量と距離による相互配置の最適化〕 固体を含んだ、新たな機械的関係による凝集化は、引⼒という関係の中に置かれ、円盤形の星雲を形成し、 その中⼼の膨らみが恒星として光を放つ。その周辺にある固体やガスは光を受けるものとなるとともに、相互に 個体性を形成し、恒星に対する惑星とその衛星とに分離し、その質量と距離の均衡する場所に配置され、角 運動量保存の法則という関係性を保持するにいたる。太陽と地球と⽉が引⼒の緊張関係の中にあってバラン スを保つという、絶対的な機械的関係の実現となる。 地球は引⼒という否定的契機を経て、他者の中で自⼰として統合するにいたった。これ以降、太陽と地球と の関係性の中で、地球自身があらゆる特殊性の内で自分を生み出し、維持する統一となるという自⼰形成 の過程がテーマとなる。全体を規定するのは地球における両者の熱の差異の中和であり、そこにおける化学的 な過程が描かれる。機械的関係は化学的関係へ移⾏する。 2. 個体的な物体の特殊化 形態をえるまでの過程では、その中の質の差異には無関⼼であった。自分として統一し、形態という領域 の中で場所的関係が規定されると、続いては、個体的な物体〔惑星〕の側で、個体性の中で規定され保 持されている区別ののなかで、統合のありかたが措定されなければならない。物体は形態化された個体性 © 2015 TakayoshiK 8 の中にあって、異なる質の個体という区別をもって相互に関係し合う。はじめは自⽴的なものとして相互に 無関⼼であり、表⾯的な区別のもとに+と-の両極として顕在化する。そして物体は、この関係の中では、 物体の自⼰を自⼰の内における震動(波)としての観念的な運動によって告示する。これは電気的な 関係である。〔形式的な区別と関係〕 さまざまの特殊的な性質、これらの性質の複合体、すなわち特殊な物体は、真に自⽴的ではない。だから、 全ての物体性が、緊張と過程の中へ入り込む。この過程が同時に個体的な物体の生成となる。 いまやこの形態は、現存する過程から抜け出て変形されたものとしてあらわれる。これが化学的な過程であ る。化学的過程は、非有機的な個体性の生の統合である。〔融解と融合へ〕 個体的な物体の特殊化の項は、太陽系全体の形態化から、地球の形態化へ視点を移し、電気的関係を 明らかにして、より強い結合のための化学的関係への移⾏するステップとして位置付けられている。しかし、電 気的関係について⾒るべきものは無い。光の透明性や、色彩、におい、味が扱われているが、別の項に移動 する。 3. 化学的な過程 差別されているにすぎないものの結合(混合)は、その媒概念としてこれらを自体的に結合させるような 現存する第三者を必要としない。これらに共通なもの、すなわちこれらの類がすでに、これらの現存在相互 の規定性であることによる。しかしながら、化学的な過程は統合であるから、化学的な過程の普遍的な本 性は、分離させ、分離させたものを一つへと還元するという⼆重の活動である。両極は中間へと結合され る。中間が中和的なものならば、両極へ分解する。だから化学的な過程は推論なのであり、しかもその始 まりばかりでなく途中もそうである。中間で⼆つの極の持つ規定性が自分に接触し、⼆つの極は自分を互 いに差異化する。ここでは、物体がどのような特殊な過程の中に位置を保つかということが、その物体の化 学的な固有性を形づくる。〔鉱物系元素の形成とその配列の変形〕 (合一) 過程の発端となり、最初の特殊な過程をなすものは、形については直接的で無差別な物体類(鉱物系 元素の結晶)である。単に差別されているだけで、相互に活性化し合うことのない鉱物結晶は、その均質 な統一性によって、その内在的な規定性と差別を相互に伝達する。このことによって鉱物結晶は過程の引 き起こし役を演じる。中和性一般としての水によって開かれた差別可能性によって、鉱物結晶と水に対す るその緊張した差別の実在的な活動(化学的過程)が始まる。 即自的に関係のうちにもたらされた鉱物の異なった規定性の中に存在している活動性が、単独で現存す るものとして措定されると、それが熱である。まだ無関係で、鈍感な差異の内にあるものが化学的な対⽴に まで活性化される。 このように差別されたものは、自分の他者と端的に対⽴する。差別化されたものは、本質的にただ他者に 対するその関係のうちに存在しているにすぎない。自分を否定するものと自分を同一化しようとする過程を 身につけている。その所産は中間体という物体である。この中間体という物体は再び相互の関係に入るこ とによって、完全に実在的な化学的過程(中和)を形成する。〔推論の関係〕 ここで登場するのが普遍的な中和性の特殊化であり、化学的に活性化された物体相互の差別の特殊 化である。これがいわゆる選択的親和性である。すなわち、現に存在しているものを分離することによって、 他の特殊な中和性を造り出すことである。 (分離) © 2015 TakayoshiK 9 中和的なものが分解することで、特殊な化学的物体への還帰が始まり、ついには無差別な物体にまで達 する。化学的な過程は、個体的な物体がその直接性の中で使⽤されるとともに、再びまた生み出される。 そうなると概念が内⾯的必然性にとどまっていないで、現象するようになる。この過程の始まりと終わりは互 いに違っている。これが化学的な過程の有限性を形づくる。 地球という個体的な物体の側は、太陽の引⼒との均衡のもとに、熱の差異が平衡に達する途上にて化学的 過程により中⼼核とその外殻の個体性が形成される。この過程は自らを分離して関係するものであるが、一 ⽅向的であり、その有限性が生命と区分されるものとなる。 III. 有機体の物理学 今や、個体性は自分自身のうちで重く、過程としてあらゆる特殊性の内で自分を生み出し維持する統一 である。個体性は既存の原理を組み合わせて新たな原理(生命)を生み出して、分離して相互関係に 入る。新たな原理自身も自らを分離して、相互関係に入る。 生命は、形態すなわち生命の普遍的な形姿としては、地質学的な有機体である。生命は、特殊な形式 的な主体性としては、植物的な有機体である。生命は、個別的な具体的な主体性としては、動物的な 有機体である。 A. 地質学的な自然 最初の有機体はもともと自体的に存在する有機体(炭素を含む鉱物系元素)として規定されている以 上、生命体として現存するのではない。生命は、主体・過程となったときに、本質的に自分を自分自身と 媒介する活動である。主体的な統合に向けて前提とされる直接的な統合は、有機体の単なる形態(外 形的なもの)にすぎない。これが普遍的な体系としての個体的な物体である。化学的な過程においてす でに、地球は現にこのような統合体として存在している。個体的な物体内にある、特別なさまざまな物体 の内へと普遍的な諸元素(原理)が進んでいく。 自体的に存在するにすぎない有機体では、その分肢は、生命過程を自分自身の内に含まず、その外⾯ 的な組織系を形成するものである。それは自らが受ける外部の熱との差異が平衡に達する過程として現 象し、抽象的他者への熱の放出から、特定の他者への放出へ進み、自分内他者への放出へと展開する。 (抽象的他者への放出) 内部から湧出する熱は、抽象的他者に対して放射される。化学的過程の結果、表⾯は硬い⾦属系の 殻に覆われ、この殻を経て内部の熱を地球外へと放射する。この間に、内部のより低温な環境にて重い 岩石(玄武岩)が生成される。 やがて増大した重い岩石が湧出して、硬い殻は沈み込んでゆく。〔火の質の元素が主導する⿊い地球〕 (特定の他者への放出) 放射により一定の温度にいたると、それまで蒸発していた水分が蓄積され始め、熱の放射は伝導へと移⾏ する。太陽との関係にある引⼒も、水分の蓄積を妨げない範囲であり、岩石は水との共存関係に入る。 〔水の質の元素が主導する⻘い地球〕 (自⼰内他者への放出) 伝導により一定の温度にいたると、外殻を覆う重い岩石が内側の熱を閉じ込め、内部のより低温な環境 にて岩石が溶け出し、密度の⼩さく軽い岩石(花崗岩)を生成する。 軽い岩石は増大し、既存の岩石の上に浮いて、陸地として形態化する。かくして、地球は中⼼核を抱え ながら、周囲に液体と固体の状態の重い岩石をもち、その表⾯に水(海)と陸地(花崗岩)を浮かべ © 2015 TakayoshiK 10 る構造へと変化した。〔地の質の元素が主導する灰色の地球〕 この構造は内部の熱を外へ移動し、より低い熱を自分の内へ取り込む、対流として現象する。対流は他 者への熱の放出ではあるが、自⼰と他者とは連続しており、区別のない区別における移動となる。 ここにいたって、自分自身が発する熱と、外部より受ける熱の差異が平衡に達し、安定的な変化に移⾏ する。両者の差異の変化の影響は表⾯に限定される。 (表⾯の形態) 個体的な物体は今や、産出しながら根底に存する個体性として、自⼰内変化という硬直性を揚棄し、主 体的な生命性に対して自分を開くにいたる。個体的な物体は、地の普遍的実体となる。この実体の最初 の規定された生命は大気である。重さは弾性を持ち、温度変化と連関する大気の大波を形成する。温 度は排出された熱と太陽により付け加えられる熱である。中和性は海であり、太陽と⽉の位置の変化と地 球の形態により合成された⼲満運動である。陸地は今や中和性にまで自⼰展開するこの個体的な安定 性であり、諸元素のゆりかごである。 形態は物質を規定し貫く純粋な形式として、自分自身とのみ同一である。形態の性質は、光との関係と して現れる。物体は純粋な結晶としては完全な同質性の中にあって、透明であり、光に対する媒体となる。 〔透明性という性質〕 非物質的な⼒の作⽤が、内⾯的な現存在へと進み、結晶作⽤の中間的な性質を止揚する。そして内 在的な点性および脆弱性という規定が登場する。脆弱性という契機は暗化するものとして作⽤する。単 独でも現存する暗いものと明るいものとが、透明さを媒介することによって、同時に具体的で個体的な統 一の中に置かれると色彩という現象になる。〔色彩という性質〕 区別の一⽅の項の原理は物理的な特殊性を備えたものとして可燃性自体である。可燃性は単純な理 論的な過程としての特殊な個体性であり、空気の元素との接触により目に⾒えぬ発散へ向かう。〔におい という性質〕 対⽴のもう一つの契機である中性的なものは、固体化されて特定の物理的中和性となる。この性質は同 時に、水という抽象的な中性的なものである元素に対する関係(可溶性)にとどまる。この中和性は結 晶水となって現れることがある。〔味という性質〕 対⽴が地の普遍的実体にあらわれたものは差異の感覚であり、自⼰展開する過程に属する。 (新たな原理としての生命への移⾏) 岩石は雨や風により崩されてゆき、互いに外⾯的な混合を繰り返し、粘土や砂へ展開し、抽象的な成層 として全く形態を欠くものとなる。岩塊はその鉱物的な性質を失うまでに展開形成して、そこで植物的なも のに結びつく。 地球自身の熱が主導する変化に関する記述は、ヘーゲルにはない。ここでは太陽と地球の関係性は地球にと っての熱のバランスという緊張の中にある。その関係性の中で、地球自身が熱という否定的契機を生み出し、 それを止揚し、自⼰を維持する統一となる。この自⼰形成の過程は、地質学的有機体としての生命の過程 である。しかし、地球はまだ単なる形態に過ぎない。有機体の外⾯的な組織系を形づくり、他の生命の基盤と なる物体である。この中で、鉱物系元素が海により融解状態におかれ、火山の熱という媒介により、やがて点 としての生命体が発生する。化学的関係は目的的関係へ移⾏する。 B. 植物的な自然 外部の熱との差異を超克した地球という物体は、その表⾯に生命という新たな原理を生み出す。それは © 2015 TakayoshiK 11 物体から生じて、そこから分離し、自分の中⼼をもち、主体へと移⾏する。主体となった個別性は地質学 的な自然との共存関係から、その表⾯を改変する否定的威⼒へ移⾏するが、この威⼒により自らも没落 する。 (抽象的な生物) 植物的なものが始まる場所は、生命性が一つの点(⼩胞)へと自らを集中し、この点が自分を保持し自 分を生産する場所、自分を自分から突き放し新たに生み出す場所である。 脆弱な点は⾯(保護膜)に覆われ、外部環境である地質学的な自然から分離される。そして多くの点 が、鉱物系元素を含んだ粘土や砂のなかで育成される。しかしこの過渡的発生は、自ら再生産することの ない有機化という点状態に限られている。ここでは、鉱物系元素に依存する代謝と増殖という自⼰保存 ⽅法が発達する。 形態:植物の生⻑は個体性の複写であり、個別的なものはいつまでも相互に無関⼼でばらばらな集まり であり続ける。植物は、有機的なものとして本質的に抽象的な形成物(細胞、繊維など)と、具体的な 形成物と区別されても分節される。しかし両者は根源的な同質性を保ち続けている。植物はまだ個体性 から主体性へと解放されていないため、その形態はやはり、幾何学的な形式と結晶的な規則性に近いとこ ろにとどまっている。その過程の所産となると、これは化学的な所産に近づく。 代謝:植物は鉱物系元素と水の元素を素材として取り入れ、これを実体的な過程、すなわち植物の特 別な本性(細胞の材料)に転換する。つづいて内的に作り直された生命の汁(液)をさまざまの形成 物へ転化する。栄養の補給は、継続的に循環する流れとして⾏われる。 増殖:鉱物系元素が触媒となり、新たな分⼦の生成や周辺の分⼦の崩壊を促す。植物的な主体が⾏ う分肢の形成と自⼰保存の過程は、自⼰の外へ出てたくさんの個体に分裂することである。 植物は継続的自⼰保存を目的としてもつ、しかしこの段階では主観的であり、外的な要因に依存するの みとなる。 (主体への移⾏) 形態形成の過程は、植物が自⼰自身へ関係する内⾯的な過程である。植物的なものそのものの単純な 本性に従って、この過程は直ちに外部への関係と外化とである。植物は⼆酸化炭素を媒介として、自らを 生成・育成する地の普遍的実体の外部にある光(太陽)と連結することにより、自分の目的に対する⼿ 段の客観化を図る。これにより植物は質的な変化を遂げる。 形態:有機体が個別的なものとなるための主体性は、客観的な有機体へと、すなわち、形態へと発展す る。形態とは、相互に区別されている部分へ分節される身体である。形態は区分をもつにいたる。自分自 身との媒介としての過程として、外に向かって自⼰を特殊化する過程と直接に結びついている。まずは、根 の分裂とともに始まり、その後葉が分裂して内部の循環経路が区分される。根と葉への形態形成の分離 は、それ自身「水の吸収」と葉と樹⽪及び光と空気によって媒介された「水の同化」とへの分離でもある。 代謝:植物は水や鉱物系元素という素材をもとに、⼆酸化炭素や⽇光を利⽤して生物分⼦を生成し、 副産物として酸素を排出する代謝⽅式へ移⾏する。この代謝作⽤により、明確な中⼼(真核細胞)を もち、主体的な生きた有機体となる。 増殖:個体の生成は個体自身の複製から、個体を生成する⼿順の複製へ移⾏する。これにより、鉱物 系元素に依存した複製は自⼰増殖へ転換する。普遍的な体系としての地質学的な自然と、たんに点的 な主体性とが、こうして実体としても分離される。 有機的な部分の差異は、たんに表⾯的な形態変容にすぎず、或るものは他のものの機能へと容易に移 ⾏することができる。植物は一つの区別を生み出すだけである。区別された側⾯が、同時にそれぞれの側 で、全体として個体であることはない。 © 2015 TakayoshiK 12 (植物と地との抗争) 植物における増殖の拡大は地の普遍的実体の表⾯の風化を促進し、空気の元素に対して⼆酸化炭素 の消費と酸素の大量発生を招き、自分を産み育てた大地を酸化し〔赤い地球〕、さらに太陽の熱を遮断 するにいたる。これにより、地の普遍的実体の表⾯は氷に包まれ〔白い地球〕、植物の活動は停止する。 しかし、火の元素は継続して地中より⼆酸化炭素を供給しており、やがて植物も蘇り、増殖を始める。こう して、植物と外的な地質学的有機体(環境)との⽭盾が継続する。 地球という物体は、化学的関係の過程から中和にいたり、区分のない区分の内にある。植物は与えられた環 境の内にあり、自⼰の継続的保存と繁殖をはかる目的のため、外的な区分を生み出すものとなった。そして⽇ 光という⼿段を⽤いて、より確実な継続的保存形態へ進展したが、結果として自らを消失するという⽭盾に陥 った。この⽭盾は、区分のうちに区分を持つという本来の有機体への移⾏を基礎付ける。 目的的関係は、主観的目的から外へ向かう活動となり、客観へ直接に関係し、それを⼿段として利⽤するに いたった。次は、自⼰の継続的保存という目的のために、もろもろの客観をそれらの本性に従って相互に作⽤ させ、自ら働くよう仕向けることへ向かう。このために、一つの細胞が別の細胞を丸ごと取込み、共生関係を持 つ、動物へと移⾏する。 C. 動物の有機体 動物的な本性は、直接的な個別性の現実性と外⾯性の中にありながら、同時にこれに対抗して、自分 の内へ反省した個別性の自⼰、すなわち自⼰の内に存在する主体的な普遍性である。動物において、 自⼰は自⼰にとって存在している。動物は相違しているものの実在する統一である。すなわち主体の⼆重 化であり、⼆重の統一が実在するようになっている。動物が実在する理念であるのは、動物の区分された 肢体が端的に形式の諸契機であり、自⽴性を保ちながらも自分達の自⽴性を常に否定して、そして自ら を統一へと要約する限りのことである。ここに本来の有機体のあり⽅がある。 動物には、偶然的な自⼰運動がある。動物の主体性は自由な時間であり、実在的な外⾯性を逃れたも のとして、内発的な偶然によって自発的に自分の場所を決める。特に動物がもっているのは、感情である。 感情は主体の⼆重化より現れる、もともと自体的にある分離である。動物は感情を持っているということに よって、他者に対する理論的な振る舞いをもつ。また、個体性にまで達する単独で存在する自⼰であるた め、地の普遍的実体からおのれを排除し分離し切断する。〔普遍的実体と植物の⽭盾を止揚=分離し て関係する→感覚と運動の創造〕 存在者としてではなく、もっぱら自⼰を再生産するものとして、存在し且つ自⼰を維持するものが、生命あ るものである。 a.個体的な理念として、すなわち、その過程の中で自⼰自身とだけ関わり、自⼰自身の内部において自 ⼰を自⼰と推論的に連結する個体的な理念として考察される。これが形態である。 b.自分の他者と、すなわち、自分の普遍的実体である自然と関わり、この自然を観念的に自⼰自身の 内へ措定する理念として考察される。これが同化である。 c.有機体はまた、理念、但しそれ自身生きた個体である他者と関わり、従って他者の中で自⼰自身と関 わる理念である。これが類の過程である。 1. 形態 植物から動物への移⾏は、自⼰の中に他者を統合することにより実現する。そして、ここにおける形態とは もろもろの分肢がそれらの本性に従って自ら働くよう仕向けられ、相互に作⽤している、全体としての動物 © 2015 TakayoshiK 13 的な主体である。 形態は、直接的には単に主体の単純なエレメント(境位)として存在しているにすぎない。ここでは点性 は脆弱性であり、線性(脊椎)となることにより強靭性をもち、⾯性(⽪膚)は展延性・可鍛性をもつ。 a.動物的な主体は、主体の外⾯性の中に潜む単純で普遍的な自⼰内存在である。普遍的なものは、 主体が現実的な規定態の中で自⼰自身と不可分に一体となっている。これが感受性である。 b.特殊的なものは、外部から刺激されるとともに、これを受け入れる主体が、外部に向かって反作⽤する。 これが興奮性である。 c.動物的な主体はこれらの契機の統一であり、外⾯性の関係から自⼰自身への否定的な還帰である。 この還帰によって、個別的なものとしての自⼰を生み出し、自⼰を個別的なものとする。これが再生産であ る。 (3 つの契機による各系) 概念のこのような 3 つの契機は、その実在性を、個体の中の各器官系としてもっている。 a.感受性の系は、感受性自身による抽象的な自⼰関係という極として、自⼰を規定する。この契機は、 脳髄系とその分化した神経となる。これらは、内部に向かっては感覚神経であり、外部に向かっては運動 神経である。 b.興奮性の系は、他者による刺激と自⼰維持作⽤による反作⽤であり、能動的な自⼰維持である。抽 象的な感覚的興奮性においては、受容性から反作⽤への単純な変化であり、これが筋肉一般である。 ⼼筋と屈筋へとさしあたり差異化し、さらに特有の末端への系へ形成される。興奮性は自分の中で自⼰を 維持するとき、内在的な能動性であり、脈動(循環器系)である。 c.再生産の系において、消化器系は腺系としては、直接的な、植物的な再生産である。しかし内臓とい う本来の系の中では、媒介的な再生産である。それぞれの分肢が腺を媒介して自分を修復する。 (各系の統合) 諸要素とそれぞれの系の区別されたさまざまのものは、合一されて形態となっている。この一つの形態のもと で、それぞれの契機が統合された体系として中⼼をもつ。これに対して末端は有機体と外界との関係を表 している。これらの中⼼は展開された統合であり、関連する諸規定はいずれにあっても呈示され、維持され ている。これらのもっと高次な単位は、全ての統合の器官を自らの周りに集めて、それらの合一点を感覚し ている主観の内に持っている。(自⽴組織とそれらの制御体系) 形態は生命のあるものとして本質的に過程である。しかも形態そのものが、抽象的な自⼰自身の内部で 営まれる形態形成の過程である〔細胞全体が絶え間なく更新されている〕。この過程の中で、有機体は 自分自身の分肢を⼿段とし、自分を食い物にすることによって自分を産出する(自分を維持するために 必要なときに自分自身を消費する)。どの分肢もそれぞれ、相互に目的であり、⼿段である。どの分肢も 他の分肢に対抗して自分を維持する。 2. 同化 (感情) 個別性の感情は直接的に排他的である。そして自分の外⾯的な条件であり材料である自然に対して緊 張している。動物の有機的な組織は、この外⾯的な関係の中で直接的に自⼰内に反省している。そのた めこの観念的な態度は、理論的な過程である。この観念的な態度は、外⾯的な過程としての、しかも特 定の感情としての感受性である。この感情が、自然に対する多様な感覚の区別となって現れる。動物は 自分が特殊なものであることを感覚する。感覚するものの内には、直接的に私のものとして画定されている 他者に対する関係がある。外にあるものが直ちに変化して、観念的にされ、私の感情の規定性となる。 © 2015 TakayoshiK 14 感覚と理論的な過程は、機械的な領域の感覚(重⼒と凝集状態や抵抗するもの、熱の感覚)である、 触覚一般である。対⽴の感覚(特殊化された空気性、水という実現された中和性とその対⽴物の感覚) である、臭覚と味覚である。観念性の感覚は⼆重化され、外⾯的なものに対する外⾯的なもの(空間 的)の顕在化としての色彩の感覚や、外化において姿を消す内⾯性(時間的)の顕在化としての音の 感覚である。要件は、感官が理性的なものとして一つの統合を造り出しているということにある。 (衝動) 自然に対する実践的な関係は自⼰内での分離で始まる。分離とは主体を否定するものとして外⾯性を 感じることである。実践的な関係は、欠如の感情と欠如を止揚しようとする衝動で始まる。感情が緊張し た客体(衝動の対象)という仕⽅で、主体の否定がそこに引き起こされて現象する。欠如は、否定では あっても、一つのものの中にもっとそれ以上であることが存在する場合である。自分自身の⽭盾を自分の中 にもつことができ、それに持ちこたえることができるのは主体である。このことが主体の無限性を形づくる。 欲求は一つの規定されたものである。衝動はこのような規定性の欠陥を、すなわちこのような規定性がまず さしあたっては主観的なものにすぎないという形式を止揚する活動である。規定性の内容は根源的であり、 活動の中で自⼰を保存し、活動によってのみ成就される。このことによって規定性の内容は目的であって、 本能である。本能とは無意識な仕⽅で働く目的活動なのである。 欲求が、自然の普遍的なメカニズムと抽象的な諸⼒との連関であるかぎり、本能は、ただ内的な刺激とし てのみ存在する。本能は、個別化された自然に対してとる関係としては一般的に規定されていて、範囲が 限定されている。 本能は、自分の規定を外⾯性の中へ造形し、素材としてのこれらの外⾯性へ、目的に適合した外⾯的な 形式を与え、そしてこれらの事物の客観性はそのまま存続させる。しかし本能は実在的な過程である。統 合のこれらの諸契機の主体となる生命は、一⽅では概念としての自⼰の内へと、他⽅では概念にとっては 外⾯的な実在性である諸契機へと両極に緊張している。生命は、主体がこの外⾯性を克服してゆく不断 の相克である。動物はこの外⾯性の克服をたんに個別的なもので、個別性がもっているあらゆる規定に従 ってでないとできないので、生命のこの自⼰実現は、自⼰の概念には適合しない。そのため生命は、満⾜ から絶えず欲求の状態へと帰って⾏く。 (同化と排泄) 同化は、外的な客体を機械的に捕獲することが⼿始めである。しかし同化そのものは、外⾯性を自⼰とし ての統一へ転化することである。生命のあるものは、自⼰に対⽴する外⾯的な自然の普遍的な⼒である から、同化は第一に、自⼰の中へ摂取した自然と動物性との直接的な一致、すなわち動物性固有の本 性への単純な転化である。同化は第⼆に媒介として消化である。すなわち主体と外⾯的なものとの対⽴ である。 外⾯的なものへの⼲渉そのものが本来、有機体が克服し消化しなければならないものである。観点のこの ような転換こそ有機体の自⼰内屈折の原理である。自⼰内への還帰とは、外部へと向けられた有機体活 動の否定にほかならない。動物は同化の過程を通して、おのれの他者を否定することによって自らを主体 性として、実在的な自⽴存在として措定する。 自分を自分自身から反発することは排泄、つまり同化過程の完了である。有機体の活動は合目的的で ある。この活動はまさに目的に到達した後、⼿段を捨て去るということにある。この過程の結果は、外的な ものを自分に相応しくし、それまでの欠乏に対して完全性を感じる自⼰感情である。 動物は外部の自然との過程によって、自分自身の確信に、自分の主体的な概念に、真理、客観性を与 えて、個別的な個体となる。このような自⼰自身の産出は自⼰保存もしくは再生産である。このようにして 自⼰自身と合体した概念は具体的な普遍として、類として規定される。類は主体性のもつ個別性との関 © 2015 TakayoshiK 15 係と過程の中で登場する。 3. 類の過程 類はもともと自体的に存在しており、主体の個別性と単純な統一を保っている。主体の具体的な実体が 類である。しかし普遍的なものは、判断(根源的分割)という自⼰自身の身につけている分裂から出発 して、単独で存在する統一へ向かう。 (類と種) 類はもともと自体的にある普遍性の中で、種一般へと自分を特殊化する。形態学などの分類と系統を求 める志向は、その根底には原型とその発展を人間の精神にいたる諸段階として定義しようとする。この定 義が最も完全な組織に達したときに、自然は精神の道具であることが明らかになる。 動物の種は、さらに個別性として形成されるようになると、自分を自⼰自身に即してかつ自⼰自身によって 他者から区別し、他者を否定することによって単独になる。環境は外⾯的な偶然性に属しており、絶えず 暴⼒と危険の脅迫によって動物の感情を脅かす。 (生殖) 類はまた本質的に、個別性が類の中で肯定的に自分に関係することである。従って個別性は、排他的に 他の個体に対抗する一つの個体でありながら、この他者へと連続し、自分自身をこの他者のなかに感ずる。 この関係が欲求とともに始まる過程である。 個体は個別的なものとしてでは、内在する類に適合しないが、同時に一個の統一のなかで自⼰同一であ ろうとする類の自⼰関係でもある。そこで個体は欠損の感情を持つ。欠損はもともとあるべきものの欠けた 様であり、個体が自分と同じ類に属する他者のなかで自⼰感情に達し、他者との合一によって自分を補 い、この媒介によって自分と類を推論的に連結し、類を現存へもたらそうとする衝動に突き動かされる。こ れが生殖活動となる。 生殖活動の産物(⼦)は、差別された個別性の否定的な同一性である。このような否定的同一性は、 生成した類として、性の区分をもたぬ生命である。しかしこの産物は自然的な⾯から⾒ればもともと自体 的にのみ類である。しかしその産物それ自身は直接的に個別的なものである。この個別的なものは、これ を生んだものと同様な自然的な個体性へ、同様な差別性と無常性へと発展する規定をもっている。この 生殖過程は悪無限な進⾏となる。 生殖活動の産物の形成により、類は継続的な自⼰保存と繁殖をなしとげるが、固体は類における使命を 全うし、死へと向かう。 (個体のおのずからなる死) 健康とは有機的自⼰のその現存との均衡である。あらゆる器官が普遍的なもののなかで流動的であること である。病気の概念とは有機組織の存在とその自⼰との不均衡である。病気に固有な現象とは、有機的 な過程全体の同一性が、逐次的に経過する現象としてすなわち熱としてあらわれるということである。しか しこの熱は、個別化された活動に対抗する統合の経過であるから、治療の試みであり始まりでもある。 個別的なものとしての動物を有限な現存とするよりどころが普遍性である。この普遍性は、動物の内部で ⾏われるそれ自身抽象的な過程の終末に当たって、抽象的な威⼒として、動物の身に付いた形であらわ れる。動物が普遍性に適合しないということが、動物の根源的な病気であり、生まれながらの死の萌芽で ある。この不適合の止揚は、それ自身この運命の達成であり、自⼰を殺すことである。 個体の死は、排泄物と同様に、生命全体の継続的保存過程に組み込まれる。 (概念の実在化) 自然の最後の自⼰外存在は止揚され、自然の中にたんにもともと自体的に存在しているにすぎなかった © 2015 TakayoshiK 16 概念が、今やその真理へ、すなわち概念がもっている主体性へ移⾏した。 自然においては、概念はまだ自体的であるにすぎない。それは理念が自然のなかではただ個別者としての み現存するからである。動物は感覚では自分を感じる。これまでの運動の結果、自体的には意識としてあ る。理念はここでは、自律的な主体の内にある。主体は思考し、全ての空間・時間的なものを自分のもの に代えてしまう。そうして自分のもののなかで普遍性、すなわち自⼰自身をもつ。精神はこうして自然から 登場した。自然の目的は自⼰を殺すことであり、直接的なもの、慣性的なものという、それらの外⽪を破り 開くことである。 精神がこのようにして自然と現実性との和解をすることこそは精神の解放であって、ここに精神は自⼰の独 特の思考の仕⽅、ものの⾒⽅を解き放つ。自然の諸形態は概念の諸形態にすぎない。 動物では、一つの細胞が別の細胞を丸ごと取込み、共生関係を築くところから始まったが、これが自分の中で 固有の働きをする器官の連携を形成し、主体として統一した活動を⾏うものとなった。これは目的的関係にお いて、客観的なものが相互に出会い、連関する理性の狡智に対応する。しかし、この構造は自分の中の異質 なものの感覚となり、主体を否定するものとして現れてもくる。それは感情として表れ、欲求として外化すること から始まり、衝動として無意識に起こる本能として顕在化し、他者の中に自分を意識する自⼰感情へ展開す る。そして病気や死により、個別的なものとして展開してきた自然の自⼰外存在のあり⽅が、有限の中に絡め 取られるにいたった。しかし同時に、一⽅で個別的なものの死は、類、また生命の継続的な自⼰保存と繁殖 を媒介するものとなり、他⽅では自分の中の異質なものは、自⼰を感じ、意識が生まれる媒介ともなる。ここに 精神への飛躍がある。 自然哲学は、自然科学で⽤いる諸概念を整理して、その成り⽴ちから定義しようとする試みとなる。しかし、最 初と最後はあらかじめ決められている。空間から始まり、精神の入り⼝にいたる、概念の展開であり、その間を、与 えられた素材を利⽤して諸概念の整合的な生成として記述しようとするアプローチである。 はじめは、自然哲学の記述には偏⾒が散⾒され、それをまとめることは気の乗らない作業と思えた。しかし、つぎ はぎながら、現在の自然科学の知⾒をもとに自然哲学の内容を整理してみると、意外と適⽤可能な部分が多い ことに気が付く。参照した「地球進化 46 億年の旅」との相性も良かった。この創作はかなり楽しい作業となった。 今回参考とした図書は次の通り。 ヘーゲル「自然哲学(哲学大系Ⅱ)」(上巻)加藤尚武訳 1998 年 3 ⽉ 27 ⽇第 1 刷(岩波書 店) ヘーゲル「自然哲学(哲学大系Ⅱ)」(下巻)加藤尚武訳 1999 年 2 ⽉ 25 ⽇第 1 刷(岩波書 店) ロバート・ヘイゼン「地球進化 46 億年の物語」円城寺守・渡会圭⼦訳 2014 年 5 ⽉ 20 ⽇第 1 刷 (講談社) © 2015 TakayoshiK