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エスニック文学講義

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エスニック文学講義
エスニック文学講義
Lecture on Ethnic Literature in America
第 1講
第 2講
第 3講
第 4講
第 5講
第 6講
第 7講
第 8講
第 9講
第 10 講
第 11 講
第 12 講
第 13 講
第 14 講
第 15 講
イントロダクション
ユダヤ史概観
ユダヤ系アメリカ文学を学ぶ上での重要語句
アメリカにおけるユダヤ系移民の系譜
東欧・ロシアにおける文化活動とその影響
東欧・ロシア系ユダヤ人第一世代の作家
1930 年代のユダヤ系作家
第二次世界大戦とユダヤ系作家(1)
第二次世界大戦とユダヤ系作家(2)
ホロコースト
ホロコーストの作家
ホロコーストの作家とポストモダン
1960 年代以降のユダヤ系作家
1980 年代以降のユダヤ系アメリカ作家
まとめ
メモ
第1講
イントロダクション
―1―
担当
新田玲子
ユダヤ人とは何か
1) 人種:
→→ 長い歴史の中で人種混合が進み、100 パーセントユダヤ人と主張する
人々が必ずしも同じ民族的特徴(鼻や目の形など)を維持していない。
2) 宗教:
→→ 現在では、無神論者や自由主義者が多い。
3) 国 :
→→ 世界各地にユダヤ人は散在する。
ユダヤ教の特徴
1.
2.
3.
4.
5.
6.
7.
の禁止
の遵守
(
神との契約の印としての
細かな戒律
戒律にかなった食べ物(
の禁止
男女の役割の明確な分離
)
)等
メモ
第2講
ユダヤ史概観
ユダヤの歴史の始まり
頃
セム族カナンに入る。
―2―
、エホバと契約
「わたしは
の神である。
あなたはわたしの前に歩み、
者であれ。
わたしはあなたと
を結び、
大いにあなたの
であろう。
……
あなたと後の子孫は共に代々わたしの契約を守らなければならない。あなたがたのうち、
男子はみな
をうけなければならない。これはわたしとあなたがた及び後の子孫との
間のわたしの契約であって、あなたがたの守るべきものである。」
(Ge.17/1-17/10)
ユダヤ教の基本原理:
神との契約——証としての割礼
神の定める道を守る者(
選民思想に付随する
)になることを自ら選択
アブラハム —— イサク —— ヤコブ —— ヨセフ
BC. 1700 年頃 ヤコブ、ヨセフの招きでエジプトに移住→→エジプト生活始まり
モーセのもとでのユダヤ民族の結束
BC.13c 前半
、
(
)
「わたしは下って、彼らをエジプトびとの手から救い出し、これをかの地から導き上がって、
良い広い地、
、すなわちカナンびと、ヘテびと、アモリびと、ペリ
ジびと、ヒビびと、エブスびとのおる所に至らせようとしている。いまイスラエルの人々の
叫びがわたしに届いた。わたしはまたエジプトびとが彼らをしえたげる、そのしえたげを見
た。さあ、わたしはあなたをパロにつかわして、わたしの民、イスラエルの人々をエジプト
から導き出させよう」(Ex. 3/8 - 3/10)
「雲が幕屋の上からのぼる時、イスラエルの人々は道に進んだ。彼らはその旅路において常
にそうした。しかし、雲がのぼらない時は、そののぼる日まで道に進まなかった。すなわち
イスラエルの家のすべての者の前に、昼は幕屋の上に主の雲があり、夜は雲の中に火があっ
た。彼らの旅路において常にそうであった。
」
(Ex. 40/34 - 40/38)
時のエジプト王ラムゼス2世はヘブライの神YHWH(私はあってある者)を知らず、
再三の脅威にさらされながらも、ヘブライびとをエジプトに引き留めようとする。
—— 無事出国 →→
(
)
メモ
モーセの十戒
1.
2.
3.
4.
5.
あなたはわたしのほかに、なにものをも神としてはならない。
あなたは自分のために、刻んだ像を造ってはならない。
あなたは、あなたの神、主の名を、みだりに唱えてはならない。
安息日を覚えていて、これを聖とせよ。
あなたの父と母を敬え。
―3―
6.
7.
8.
9.
10.
あなたは殺してはならない。
あなたは姦淫してはならない。
あなたは盗んではならない。
あなたは隣人について、偽証してはならない。
あなたは隣人の家をむさぼってはならない。
(Ex. 20/1 - 20/17)
ユダヤ教の基本原理:
→→
→→
BC.13 世紀 後半
カナン占領
モーセ後のユダヤの歴史
紀元前11世紀後半
王によってヘブライ王国建設
王によって拡大
紀元前10世紀
王(もっとも繁栄)
紀元前10世紀後半
ソロモン王の死後南北分裂
→→ 北 イスラエル王国、南 ユダ王国
紀元前722年
イスラエル王国滅亡
年 ユダ王国滅亡
→→ ネブカドネザル王による
→→
BC538
ペルシャの支配
の始まり
クロス王バビロン虜囚を解く(第一次帰還)
BC.536 エルサレムに第二神殿の竣工
BC.458∼ 司祭エズラ、二度目の帰還を指揮
ユダヤ人貴族ネヘミアと協力し、民族離散後の拠り所となる精神的枠組みを
設定
→→BC. 5 世紀
が始まる
(intermarriage)
1)
2)それまで多くの異説を含んでいたモーセ資料を整理
BC444 年に
(the Pentateuch;
; the Five Books of Moses)
を正典化する。
(
「創世記」、「出エジプト記」
、「レビ記」
、「民数記」
、「申命記」の五書
→→ 聖書の中でももっとも重要なもの)
異民族の支配下での生活
BC.300年 アレクサンダー大王(ギリシア系)の東方遠征
マケドニア、エジプト、シリアと支配者が変わる
BC.63年 ポンペイウスのエルサレム占領 ローマの属領となる
BC.40年 ヘロデ、ローマの承認を得てユダヤ王となる
―4―
AD.6年 ユダヤはローマの直轄地となる
AD.30年頃 イエスの処刑
死海文書(他民族の支配下で精神基盤の確立を重視)
AD. 66-73年 第一次ユダヤ戦争 マサダの砦、崩壊により終結
ヨハナン・ベン・ザッカイ、エルサレムを抜け出す。
ヴェスパシアヌス将軍が皇帝になることを予言し、その際にパレスチナに学校を建て
る許可を求める。ネロの自殺によって、強者が王位を争い、最終的にヴェスパシアヌ
スが王位に着き、ザッカイは学校を建てることができる。
最初の
を建設→民族離散におけるユダヤの学問所
ユダヤ人が民族離散を生き延びる方法を確立
1.すべてのユダヤ人はその兄弟の保護者である。
→ 同朋意識の確立
2.シナゴーグでの礼拝式の基準を決定。
→ どの土地においてもユダヤ教を維持
3.ユダヤ人口を守る手段の確立。
→ 族外婚の禁止に加え、嬰児殺しと独身主義に重罰
4.自治権を守り、反逆罪から身を守る規則を決定。
→ 居住国の法律を守り、その防衛のために戦う
5.パレスチナは魂のふるさとにすぎない
→ パレスチナを再び征服してユダヤ国家を建てようと
してはならない。無益な流血を避け、平和を求める。
散り行くユダヤ人
第二次ユダヤ戦争
ローマ帝国の衰退が始まる
132-135年
第三次ユダヤ戦争
軍人のバール・コクバと学者のラビ・アキバ指導
少数だが強軍でローマ軍を辟易させる
→→ユダヤ人のエルサレム入市禁止
以後、聖書だけが民族的つながりを維持する拠り所となる
→→
113-115年
メモ
異教徒支配下での生活
さまよえるユダヤ人のイメージ
キリスト教支配下における迫害の歴史
180年頃 新約聖書確定
313年
ローマ、キリスト教公認
―5―
キリスト教、ローマの国教となる
マホメット出現、メッカを占領 サラセン帝国成立
アラビア半島から地中海沿岸に勢力を伸ばす(1258年滅亡)
7c ∼ 11c スペインにおけるユダヤ勢力拡大
1078年 ローマ法王、グレゴリー7世、ユダヤ人公職追放令
1238年 グラナダ王国(スペインにおけるムーア人最後の砦)
1290年 イギリスからユダヤ人追放
1306年 フランスからユダヤ人追放
1355年 スペイン、トレドにおける12、000人のユダヤ人虐殺
1391年 スペインにおいて大規模のユダヤ人迫害が始まる
1492年 スペイン、フェルナンデ・イサベラ両王時代
スペインからユダヤ人追放
392年
610 頃
アメリカへの移住
1654年
1848年
23名の
ドイツ、三月革命
がニューアムステルダムに到着
の移民が増える
1881年 ロシア、アレクサンドル二世の暗殺にともなう
発生
の流入
1921-24年 アメリカ、移民割り当て法
1938-45年 ナチスによるユダヤ人虐殺(
)
1948年5月14日 イスラエル建国宣言
パレスチナ戦争(第一次中東戦争)
1949年 イスラエル、国連加盟
1956年 エジプト、スエズ運河を国有化
スエズ動乱(第二次中東戦争)
1958年 アラブ連合共和国成立
1964年 PLO結成
1967年 六日戦争(第三次中東戦争)
イスラエル、エルサレム旧市街地、シナイ半島、ヨルダン西岸、
ゴラン高原を占領
メモ
第3講
ユダヤ系アメリカ文学を学ぶ上での重要語句
1. Orthodox
Conservative
Reformed
2. rabbi
Hasid
―6―
tzaddik
3. synagogue (shul, the house of study)
cheder (Hebrew school)
4. Torah (The Pentateuch, The five books of Moses)
Talmud
the Ark
5. Sabbath (Shabbes)
Rosh Hashanah
Passover (Pesach)
Hanukkah
6. kosher
deli (delicatessen)
7. menorah,
tefillin (phylactery)
yarmulke (skullcap)
8. Bar Mitzvah
circumcision
《流浪体験に関する言葉》
1. Diaspora (exile)
2. Sephardi (pl. Sephardim),
Ashkenazi (pl. Ashkenazim)
3. pogrom
shtetl
ghetto
4. greenhorn
《その他》
1. schlemiel(shlemiel)
schlimazel(shlimazel)
2. schnorer(shnorer)
3. luftmensh
4. gentile
goy
shikse
kike
5. Sholem aleichem (Shalom aleicham).
L’chaim
Mazel tov
メモ
第4講
アメリカにおけるユダヤ系移民の系譜
1.セファルディム(sephardim)
年、23 名の
系ユダヤ人が
に到着したことに始まる。
程度に留まる。
特徴:同化が激しく、19 世紀になっても人口は
黎明期のユダヤ系作家
―7―
(1) Mordecai Noah (1785-1851)
フィラデルフィアのポルトガル系ユダヤ人の裕福な家庭に生まれる。法律、政
治、作家業と多彩にこなす。チュニス公使時代にユダヤ人であるために職を追
われたために、反ユダヤ主義を弾劾する手紙をしたためたことで一般には知ら
れる。
(2) Emma Lazarus (1849-1887)
ニューヨーク生まれの詩人。
ヨーロッパの模倣作が多いが、東欧・ロシアからの移民の悲惨な姿に影響され、
Songs of a Semite (1882)によって、ユダヤ人であることの意識に立ち返る。
The New Colossus
Not like the brazen giant of Greek fame,
With conquering limbs astride from land to land;
Here at our sea-washed, sunset gates shall stand
A mighty woman with a torch, whose flame
Is the imprisoned lighting, and her name
Mother of exiles. From her beacon-hand
Glows world-wide welcome; her mild eyes command
The air-bridged harbor that twin cities frame.
“Keep ancient lands, your storied pomp!” cries she
With silent lips. “Give me your tired, your poor,
Your huddled masses yearning to breathe free.
The wretched refuse of your teeming shore.
Send these, the homeless, tempest-tost to me.
I lift my lamp beside the golden door!”
新たな巨人
大陸から大陸へと制覇の四肢を伸ばすギリシアの名だたる巨人と異なり、ここ、我らの波打ち際、
夕陽の沈む戸口に、トーチを掲げる強い女性が立っている。トーチの光は閉じこめられた稲妻。
そして、女性の名は難民の母。たいまつを掲げる彼女の手から、世界に向けて歓迎の意が光輝い
ている。彼女の優しい目は二つの姉妹都市が作り上げた、空をまたぐ港を指揮している。
「いに
しえの地を、おまえたちの積み上げられたおごりを、とどめおけ」と、彼女のもの言わぬ口は叫
んでいる。「おまえたちの生み出した、疲れし者、貧しき者、自由を息したいと焦がれながらう
ずくまる群衆を、我に与えよ。おまえたちの岸辺にあふれかえる惨めな難民を、我に与えよ。彼
らを、そして家を持たぬ者、風雨にもまれし者を、我に送り届けよ。我は黄金の扉のそばにて、
明かりを掲げているであろう」
メモ
2.アシュケナージ(Ashkenazim)
1820 年頃から増え続け、
年のドイツ、三月革命において、ユダヤ人が市
民権を獲得できなたために拍車がかかった
系ユダヤ人。
になる。
1820 年から 1880 年までに、ユダヤ人口は約
特徴:アメリカの成長期にあたり、
を収めた者が多い。
アメリカの
において大いに栄える:
The New York World (Joseph Pulitzer [1847-1911]), The New York Times (Adolph
Ochs [1858-1935]が育てる)などの活躍。
―8―
3.
東欧・ロシア系ユダヤ人
年、ロシア、アレクサンドル二世の暗殺によって大規模な
が発生し、ユダヤ人が国外退去を命じられたことによって大規模な
流入が生じる。
年、
に阻止されるまで流入が続く。
特徴:ロシアにおける職業の限定(手工業や才能を生かした職業)のため、渡米後
などに進む者が多い。
も、
2世代目以降になると、教育と自由な職業の選択が可能となり、
(弁護
士、医師、教師、公認会計士等)になる者が増える。
の移民で、年齢幅は広く、家族構成も多様なため、旧大陸での文化
を保存した
であった。
→→→
4.
ホロコーストのユダヤ難民
1935 年に移民法が緩和され、ナチスの迫害を逃れた
が移民を許可される。
一般の難民の多くは戦後渡米。
等
メモ
第5講
東欧・ロシアにおける文化活動とその影響
イディッシュ語(Yiddish)
1. 東欧ユダヤ人が用いた
。
(cf.セファルディムの言語はラディーノ(Ladino.)
2.
を使用。
が 70-75 パーセントを占める。
3. 語彙:
他に、ヘブライ語、ポーランド語、ロシア語など、ユダヤ人が居住して
いた地域の言語を借用。
―9―
4.「
」(mother’s language)と呼ばれ、聖書が書かれている
「聖なる言語」(the sacred language)であるヘブライ語と区別される。
5. It has been estimated that at one time (in the 1920’s) about two-thirds of all the
Jews in the world could understand Yiddish. Hitler’s gory harvest changed that
forever. (Reo Losten, The Joys of Yiddish. New York: McGraw-Hill Book
Company, 1968.)
ハシディズム (Chasidism/ Hasidism)
1. イスラエル・ベン・エリエゼル(Israel ben Eliezer [1700?-1760])によって始
められる。後に、
「良き名の師」を意味する
(the Baal Shem Tov)として知られる。
2. a.形骸化したユダヤ主義から生き生きとしたユダヤ精神へ
b.
c.
によって神を知る
やユーモアに溢れ、わかりやすい言葉で説法する
→→面白い逸話や説話、小話、格言が生まれる
↓
↓
現代アメリカ文学における
3. ハシディズムに従う人々、
は後に世襲となる。
的主人公
の指導者は
と呼ばれ、この称号
4. 東欧・中央ヨーロッパを中心に
に広がる。
弟子のドブ・ベール、ハシディズムを全ヨーロッパに広める。
19 世紀に衰退しかけたところに、ハスカラー運動が起こり、
らによって蘇る。
メモ
ハスカラー(ユダヤ・ルネサンス)
1770 年代から 1880 年代の東欧における
哲学:
政治:
文学:
Martin
→→
→→
→→
Buber (1878-1965)
オーストリア生まれのユダヤ人哲学者。
ハシディズムを受け継いだユダヤ実存主義を完成。
―10―
ロマン主義的シオニスト。
代表作:「我と汝」(1923)
Theodor Herzl(1860-1904)
ハンガリー生まれ
政治的シオニズムの指導者
Sholem Aleichem (1859-1916)
日常語であるイディッシュを使用。
女、子供のものとされた小説をユダヤ文学に高める。
→→ “Grandfather of Modern Yiddish”と呼ばれる Mendele や、
古典的 Yiddish
小説家 I.L.Peretz とともに、イディッシュ文学を確立
「イディッシュ文学の
」と呼ばれる
代表作:Tevye’s Daughters(1949 年英語訳出版):Fiddler on the Roof (1964)の原作
ショラム・アレイヘムさんに心からのごあいさつを申し上げます。……
さて、今週のシナゴーグで、聖書のどの部分をあなたは学ばれますかな。ヴァイクラですから
な、レビ記の第一章からはじめるのですかね、わしの話はぜんぜん違ったところなんですよ。つ
まりレッフ・レッホ̶̶「この地を出でよ」と告げられるところです。わしはずっとこう言われて
きました、
「この地を出でよ̶̶出発すべしテヴィエ ̶̶おまえの国より出でておまえ自身の土地を
離れよ̶̶おまえの父の家、おまえが生まれ、現在まですごしてきた村から今おまえに示す土地へ
̶̶要するに、おまえの判断で動くところならどこへでも」これが今、わしが出くわしている教訓
なのです。いつ、この教訓を学ぶようになったかとお聞きになるんですか? 今やわしは年老い
て無力になり、世界で一人ぼっちの身の上なのです。ロッシュ・ハシャーナに、わしらが言いま
すね、「年老いてから、われをお見捨てにならないように」と。心にしみる言葉ですなあ。
(「アナテフカ」から)
メモ
第6講
東欧・ロシア系ユダヤ人第一世代の作家
参考文献:
『ユダヤ系アメリカ文学の出発』浜野成生 研究社出版
『ユダヤ系アメリカ短編の時空』日本マラマッド協会 北星堂書店
メモ
―11―
(1) Abraham Cahan (1860-1951)
Lithuania で生まれ、Vilna のユダヤ人学校教師要請所を卒業した後、1882 年(22
才)の時にアメリカへ移住。ロシア革命の理想を受け継ぎ、アメリカにおいても社
会主義文学に深く関わる。渡米後まもなくから、The World に記事を載せ、その後
定期的に新聞に記事を書くようになる。
の主任編集長を 50 年近く勤め、
Yiddish 語の新聞、
(1)
として、
として、
(2)
(3)また Sholem Asch, I.J.Singer, I.B.Singer らを起用し、
として、貢献。
代表作:The Rise of David Levinsky (1917):
(2) Mary Antin (1881-1949)
ロシアの Polotsk 生まれ。1894 年渡米。旧世界と移民体験を描く。
代表作:The Promised Land (1912)
In America, then, everything was free, as we had heard in Russia. Light was free; the streets were as
bright as a synagogue on a holy day. Music was free; we had been serenaded, to our gaping delight, by a
brass band of many pieces, soon after our installation on Union Place.
Education was free. That subject my father had written about repeatedly, as comprising his chief
hope for us children, the essence of American opportunity, the treasure that no thief could touch, not even
misfortune or poverty. It was the one thing that he was able to promise us when he sent for us; surer, safer
than bread or shelter. On our second day I was thrilled with the realization of what this freedom of
education meant. A little girl from across the alley came and offered to conduct us to school. My father
was out, but we five between us had a few words of English by this time. We knew the word school. We
understood. This child, who had never seen us till yesterday, who could not pronounce our names, who
was not much better dressed than we, was able to offer us the freedom of the schools of Boston! No
application made, no questions asked, no examinations, rulings, exclusions; no machinations, no fees. The
doors stood open for every one of us. The smallest child could show us the way.
(The Promised Land)
当時、アメリカではすべてがただだった。ロシアでうわさに聞いていたとおりだった。明かりが
ただだった。だから、通りは祭日のシナゴーグのように赤々としていた。音楽がただだった。だ
から、息をのむほど嬉しかったことに、多くの楽器を備えたブラスバンドが、ユニオンプレイス
に到着したばかりの私たちを、音楽を奏でて迎えてくれた。
教育がただだった。これは父が繰り返し手紙に書いて寄越していた点で、私たち子供達のため
に彼が大きな期待を寄せていたものであった。それはアメリカでの成功の要であり、いかなる泥
棒も盗むことができない宝であり、不幸や貧困によっても損なわれることがない。教育が受けら
れるということは、父が私たちをアメリカに呼び寄せたとき、私たちに約束した点であり、パン
や家よりも、もっと確固とした、安全な生活を約束してくれていた。到着二日目、私は、この、
教育の自由というのがどういう意味なのかを本当に理解することができて、興奮に身を震わせ
た。路地の向かいに住む小さな女の子がやってきて、私たちを学校に連れていってくれると言っ
たからだ。父は出かけていたが、私たち五人はこの時までに少し英語の単語を覚えていた。そし
て、私たちは学校という単語を知っていた。私たちは理解した。この子供は昨日まで私たちにあ
―12―
ったこともなかったし、私たちの名前をきちんと発音することもできないし、私たちと同じくら
いみすぼらしいなりしかしていないけれども、それでも、私たちにボストン市の学校で自由に学
べる機会を与えることができるのだ。入学手続きはまったくいらなかった。質問はまったくされ
なかった。試験もなし。例外も、差別もなし。どんな落とし穴もないし、料金も不要だった。教
育のドアは私たち一人一人に広く開かれていた。どんな小さな子供でも、私たちをそこに導いて
ゆくことができたのだ。
Anzia Yezierska (1885-1970)
ロシア生まれ。1901 年渡米。1920 年に出版された処女短編集 Hungry Hearts (1920)で
一躍有名になり、
と呼ばれる。
貧しいユダヤ人の生活を女性的な視点から捕らえる家族の葛藤や移民生活の苦悩を
とおし、重荷を背負うというユダヤ人の苦しい生き方を選ぶことで、人生に真っ向か
ら取り組む力強い姿勢を保つ。
代表作:Hungry Hearts (1920)、 Bread Givers (1925)
メモ
第7講
1930 年代のユダヤ系作家
1930 年代ユダヤ系作家の特徴:
1. アメリカ自身が、依然ユダヤ的特質を異質なものとみなす時代で、親たちが属す
るユダヤ的世界や慣習に反発。アメリカ社会への
を示す。
2. 1930 年代アメリカの左傾の影響を受け、人種差別問題や労働運動など
が強い。
(1) The New York Intellectuals (ニューヨーク知識派)
ニューヨークを中心にした最初のユダヤ系作家グループで、雑誌
を舞台に活躍。1930 年代の二世代作家の
を、非常を顕著に示す。
Philip Rahv(1908-73), Lionel Trilling (1905-75), Alfred Kazin (1915Fiedler (1917- ), Irving Howe (1920- ), Harold Bloom (1930- ) etc.
―13―
,
、
), Leslie A.
(2) Michael Gold (1893-1967)
本名 Itzok Isaac Granich 。ルーマニアのユダヤ系移民として、ニューヨークのロー
アー・イーストサイドに生まれる。ローアー・イーストサイドのイディッシュ文化、
ゲットー生活の貧困、腐敗、不潔の体験が、Jews Without Money に結実。
「
」というジャンルを確立。
の代
表作家だが、スターリン主義者であったため、1930 年代半ばから次第に孤立して
ゆく。
The New Masses の編集者
代表作:Jews Without Money (1930)
The East Side of New York was then the city’s red light district, a vast 606 playground under the
business management of Tammany Hall.
The Jews had fled from the European pogroms; with prayer, thanksgiving and solemn faith from a
new Egypt into a new Promised Land.
They found awaiting them the sweatshops, the bawdy houses and Tammany Hall. There were
hundreds of prostitutes on my street.
They occupied vacant stores, they crowded into flats and apartments in all the tenements.
(Jews without Money)
ニューヨークのイーストサイドは当時は市の赤線地帯で、大きな 606 号公園にもタマニーホー
ルの商売力は及んでいた。
ユダヤ人は東ヨーロッパにおける迫害から逃れてきた。祈りと、神への感謝と、厳粛な信仰を
もって、第二のエジプトから第二の約束の地へと渡ってきた。
そんな彼らを待ち受けていたのが搾取工場であり、売春宿であり、タマニーホールだった。僕
が住んでいた通りには、何百という売春婦がたむろしていた。
女達は閑散とした店に腰を下ろしていた。彼女たちはあたりの安い賃貸の間借り部屋や小さな
アパートに、ぎゅうぎゅう詰めで暮らしていた。
メモ
(3) Nathanael West (1904-40)
本名、Nathan Wallenstein Weinstein。アングロサクソン風のペンネームでユダヤ的な
ものを含まない作品を発表。
一見ふざけた
によって、1920 年代の虚無感を
漂わせる強い
を、超現実的でグロテスクな、洗練された笑いに
よって表し、1960 年代の
の先達となる。
代表作:Miss Lonelyhearts (1933), The Day of the Locust (1939)
The Miss Lonelyhearts of The New York Post-Dispatch (Are-you-in-trouble? —
Do-you-need-advice? — Write-to-Miss-Lonelyhearts-and-she-will-help-you) sat at his desk and stared at
a piece of white cardboard. On it a prayer had been printed by Shrike, the feature editor.
“Soul of Miss L, glorify me.
Body of Miss L, nourish me.
Blood of Miss L, intoxicate me.
Tears of Miss L, wash me.
Oh good Miss L, excuse my plea,
―14―
And hide me in your heart,
And defend me from mine enemies.
Help me, Miss L, help me, help me.
In saecula saeculorum. Amen.”
Although the deadline was less than a quarter of an hour away, he was still working on his leader. He had
gone as far as: “Life is worth while, for it is full of dreams and peace, gentleness and ecstasy, and faith
that burns like a clear white flame on a grim dark altar.” But he found it impossible to continue. The
letters were no longer funny. He could not go on finding the same joke funny thirty times a day for
months on end. And on most days he received more than thirty letters, all of them alike, stamped from the
dough of suffering with a heart-shaped cookie knife.
(Miss
Lonelyhearts)
『ニューヨークポストディスパッチ』紙の「孤独嬢」
(困ってますか?助言が必要ですか?「孤
独嬢」に手紙を書いて下さい。彼女がお助けしますよ)の担当者は、彼の机に向かって座り、白
い厚紙を凝視していた。そこには、特集編集者のシュライクによって祈りの言葉が書き記されて
いた。
「孤独嬢の魂よ、我に栄光を与え給え、
孤独嬢の肉体よ、我を養い給え、
孤独嬢の血よ、我を酔わし給え、
孤独嬢の涙よ、我を洗い清め給え、
ああ、善良なる孤独嬢よ、我が嘆願を許したまえ、
我を汝の心のうちに保護し、我が敵より守り給え。
我を助け給え、孤独嬢よ、どうか、どうか、助けたまえ。
俗の俗なるものの名において、アーメン」
原稿の締め切りまで十五分もなかったにもかかわらず、彼はまだ書き出しの部分をいじくりまわ
していた。彼は、「人生は生きるに値します。というのも、人生は夢と平和、優しさと恍惚、陰
鬱な祭壇に清く白く燃える炎のような信仰にみちみちているからです」というところまで書いて
いた。しかし、そこから先を続けることができなかった。投書はもはやおもしろく思えなかった。
一日三十回、何ヶ月も同じ冗談をおもしろいと感じ続けることはできなかった。しかも、たいて
いの日、彼は三十通以上の手紙を受け取っていた。どれもこれも似たようなもので、ハートのク
ッキー型で、苦しみという生地から抜き出したようなものだった。
メモ
(4) Henry Roth (1906-1996)
1907 年、生後 18 ヶ月のとき、オーストリアか
ら母に抱かれてニューヨークに到着し、その後
the Lower East Side で育つ。自伝的主人公 David
の成長を追いながら、父 Albert の苦闘と父と子
との微妙な葛藤を、
で
Call It Sleep を描く。1930 年代の不況の時代、
社会性の欠如を批判されるが、1950 年代になっ
て再評価される。
代表作:Call It Sleep (1934)
―15―
メモ
第8講
第二次世界大戦とユダヤ系作家(1)
第二次世界大戦後のユダヤ系アメリカ文学
1.
移民の 2・3 世代目の成長
(Federal Writers’ Project)
2. ルーズベルトによる
——1930 年代の不況対策が、貧しい家庭出身の有能な若手作家を支援
3. 第二次世界大戦はナチスに対する
→→民主主義意識の高まり
4.
の影響
アメリカにおける
イスラエル建国(1948 年)を機に
が起きる
↓
ユダヤ系知識人の進出
ユダヤ的素材が受け入れられやすい状況の整備
メモ
―16―
I. ユダヤ的な題材をあまり強調せず、アメリカ人として同時代の問題点を提示した作家達
(1) Irwin Shaw (1913- 1984 )
ブルックリン生まれで、演劇、小説を数多く描く。
戦争作品やニューヨークを舞台とした都会的センスの物
語が特徴。センチメンタル。
代表作:The Yong Lions (1948),
Rich Man, Poor Man (1970)
(2)Arthur Miller(1915-
)
New York 生まれ、ミシガン大学時代に演劇を書き始める。
30 年代に培われた強い
を持ち、その矛
盾とそれに翻弄される人間を暖かく見つめる。
テネシー・ウィリアムズと共にアメリカ演劇の最盛期を代
表する劇作家。
代表作:All My Sons (1947), Death of A Salesman (1953)
―17―
CHARLEY [stopping HAPPY’s movement and reply. To BIFF]: Nobody dast blame this man. You don’t
understand; Willy was a salesman. And for a salesman, there is no rock bottom to the life. He don’t put a
bolt to a nut, he don’t tell you the law or give you medicine. He’s a man way out there in the blue, riding
on a smile and a shoeshine. And when they start not smiling back – that’s an earthquake. And then you get
yourself a couple of spots on your hat, and you’re finished. Nobody dast blame this man. A salesman is
got to dream, boy. It comes with the territory.
BIFF: Charley, the man didn’t know who he was.
HAPPY [infuriated]: Don’t say that! ... I’m gonna show you and everybody else that Willy Loman did not
die in vain. He had a good dream. It’s the only dream you can have — to come out number-one man. He
fought it out here, and this is where I’m gonna win it for him.
BIFF [with a hopeless glance at HAPPY, bends toward his mother]: Let’s go, Mom.
LINDA: I’ll be with you in a minute. Go on, Charley. [He hesitates.] I want to, just for a minute. I never
had a chance to say good-bye.
[CHARLEY moves away, followed by HAPPY. BIFF remains a slight distance up and left of LINDA.
She sits there, summoning herself. The flute begins, not far away, playing behind her speech.]
LINDA: Forgive me, dear. I can’t cry. I don’t know what it is, but I can’t cry. I don’t understand it. Why
did you ever do that? Help me, Willy, I can’t cry. It seems to me that you’re just on another trip. I keep
expecting you. Willy, dear, I can’t cry. Why did you do it? I search and search and I search, and I can’t
understand it, Willy. I made the last payment on the house today. Today, dear. And there’ll be nobody
home. [A sob rises in her throat.] We’re free and clear. [Sobbing more fully, released] We’re free. [BIFF
comes slowly toward her.] We’re free . . . We’re free . . .
(Death of a Salesman)
チャーリー(ハピーの動きを止めながら、答える。ビフに向かって):誰もこいつを責めやあし
ないさ。君らはわかっちゃあおらん。ウィリーはセールスマンだったんだ。そして、セールスマ
ンにとっては、人生に確固とした拠り所なんか、ないんだよ。彼はナットにボルトを差し込むよ
うな仕事をしてたわけじゃあないんだ。法律の説明をしたり、処方箋を書いたりしてたわけじゃ
あない。彼は大空の下に出かけて行く男だったんだ。笑みを浮かべ、ぴかぴかの靴を履いてな。
それから、やがて人々が微笑み返さない時がやってくる。そりゃあ、天地がひっくり返るような
出来事だ。そして、やがて帽子にひとつふたつしみがつく。それで、一貫の終わりさ。誰もこい
つを責めやあしないさ。セールスマンは夢を見なけりゃあならんのだよ。そして、セールスマン
の夢は販売業績にかかわってるんだ。
ビフ:チャーリー、父さんは自分がどの程度の人間かわかっちゃあいなかったんだ。
ハピー(腹を立てながら)
:そんなふうに言うんじゃない!……僕は、兄さんにも、みんなにも
わからせてやる。ウィリー・ローマンは無駄死になんかしなかったって。父さんは良い夢を抱い
ていた。人が抱き得る唯一の夢だ——ナンバーワンになるってことだ。セールスマンとして父さ
んはそれを得ようとがんばっていたし、僕も同じようにセールスマンとして、父さんに代わって
それを実現してみせる。
ビフ(ハピーに、どうしようもないといったまなざしを向け、母の方に身をかがめる)
:母さん、
行こう。
リンダ:すぐに行くから。チャーリー、先に行っていて。(彼はためらう)お願い、ちょっとだ
けだから。最期のお別れを言う機会がなかったから。
(チャーリーは立ち去り、そのあとをハピーが追う。ビフはリンダの左側、観客の方に少し寄っ
て立つ。リンダはそこに座り、気持を立て直す。フルートが、あまり遠くないところで奏され始
める。その音色を背景に、彼女は語りだす)
リンダ:ねえ、あなた、許してね。私、泣けないの。どうしてだかわからないけど、泣けないの。
わたしには、理解できないのよ。いったい、どうして自殺してしまったの?教えてよ、ウィリー。
私にはあなたがまた旅に出ているだけのような気がするの。あなたが戻ってくるんじゃないかっ
て、思い続けているの。ねえ、ウィリー、泣けないのよ。どうして、自殺なんかしたの?私は理
由を探すけど……探して、探して、それでも、理解できないのよ、ウィリー。今日、家の最後の
ローンを支払ったの。今日よ、あなた。そして、家には誰も残っていないの。
(すすり泣きの声)
私達は何の負債もなく自由になったの。
(すすり泣きはあたりをはばからない嗚咽に変わる)私
たちは自由なの。(ビフがゆっくり彼女の方に進む)私たちは自由になったのよ……自由になっ
たのよ……
―18―
(3) Norman Mailer (1923-
)
New Jersey 生まれ、Brooklyn 育ち。ハーバード大学在学中
(1943)に作品を書き始める。第二次大戦において太平洋戦線
に参加。その体験に基づいて書き上げた処女長編 The Naked
and the Dead で一躍有名になる。社会派作家。
強大な組織としてのアメリカが個人を飲み込んでゆく危機
を予見。
「
」と、「
」とを
テーマにする。
代表作:The Naked and the Dead (1948):第二次大戦を扱った最初の文学的傑作
An American Dream (1965), The Dear Park (1955)
に転進。
後年、
代表作:The Presidential Papers (1963)
He had never quite freed himself of the shock Major Dalleson”s victory had given him. To leave his
battle front on a quiet morning and return the next day to find the campaign virtually over was a little like
the disbelief with which a man would come home to find his house burned down. ...
But this frustration was replaced by another. What if he had been present, had directed the climactic
day himself? What really would it have meant? The Japanese had been worn down to the point where any
concerted tactic no matter how rudimentary would have been enough to collapse their lines. It was
impossible to shake the idea that anyone could have won this campaign, and it had consisted of only
patience and sandpaper.
For a moment he almost admitted that he had had very little or perhaps nothing at all to do with this
victory, or indeed any victory — it had been accomplished by a random play of vulgar good luck larded
into a causal net of factors too large, too vague, for him to comprehend. He allowed himself this thought,
brought it almost to the point of words and then forced it back. But it caused him a deep depression.
(The Naked and the Dead )
彼は、ダルスン少佐の勝利によって受けた衝撃から完全に立ち直ることが、ついにできなかっ
た。静穏無事な朝、戦線を立ち、翌日帰ってみたら、作戦はあらかた終結していたということは、
家に帰ってみたら、家が焼け落ちていたというのと同様、信じられないことだった。……
しかし、この挫折はもうひとつの挫折に取ってかわられた。もし自分がここにいたとしたら、
そして、自分でクライマックスの日の戦闘を指揮したとしたら?そうしたら、実際どうだったろ
う?日本軍はすっかり消耗してしまっていた。一致した戦術をとりさえしたら、それがどんなに
不完全なものであろうと、敵の戦線を崩壊させるに十分であったのだ。どんな人間でもこの作戦
を勝利に終わらせることができたのだ。ただ、忍耐と真摯な努力がありさえすればよかった。そ
ういう考えを振り切ることは、どうしてもできなかった。
一瞬、彼は、この勝利には、自分はほとんど、いやおそらく何一つ関係しなかったと認めかけ
た。実のところどの勝利にも関係がなかったとさえ言える——勝利は、いろいろな要因の気まぐ
れな網の中に織り込まれた、卑俗な行幸のでたらめな作用によって成就したもので、その網はあ
まりに大きく、かつ莫としたもので、自分にはとうてい理解できないものだった。彼はこうした
考えを甘受し、もう少しで口にだしそうになったが、やがてそれを押し戻した。だが、このため
に彼は非常に憂鬱になった。
メモ
(4) Jerome David Salinger (1919-
―19―
)
〈黄金の 1950 年代〉と呼ばれる経済繁栄と朝鮮戦争や赤狩り、核競争、宇宙開発
競争に象徴される冷戦とが、物質的には豊かで、精神的には保守的な 1950 年代の
、
に反逆。
風土を作り出す。その中でアメリカの
を志向。アメリカの 1950 年代を代表する作家となる。
『ライ麦畑』において、1950 年代の青年が用いる
を文学表現
として使用。
代表作:The Catcher in the Rye (1951), Nine Stories (1953), Franny and Zooey (1961)
Boy, it began to rain like a bastard. In buckets, I swear to God. All the parents and mothers and
everybody went over and stood right under the roof of the carrousel, so they wouldn’t get soaked to the
skin or anything, but I stuck around on the bench for quite a while. I got pretty soaking wet, especially
my neck and my pants. My hunting hat really gave me quite a lot of protection, in a way, but I got
soaked anyway. I didn’t care, though. I felt so damn happy all of a sudden, the way old Phoebe kept
going around and around. I was damn near bawling, I felt so damn happy, if you want to know the truth.
I don’t know why. It was just that she looked so damn nice, the way she kept going around and around,
in her blue coat and all. God, I wish you could’ve been there.
(The
Catcher in the Rye)
雨が急に馬鹿みたいに降り出した。まったく、バケツをひっくり返したように、という降り方
だったねえ。子供の親たちは、母親から誰からみんな、ずぶ濡れになんかなってはたいへんと
いうので、回転木馬の屋根の下に駆け込んだけれど、僕はそれからも長いことベンチの上にが
んばっていた。僕はすっかりずぶ濡れになった。特に首筋とズボンがひどかった。ハンチング
のおかげで、たしかに、ある意味ではとても助かったけど、それでもとにかく、ずぶ濡れにな
った。でも、僕は平気だった。フィービーがぐるぐる回りつづけているのを見ながら、僕は、
突然、とても幸福な気持になったんだ。本当をいうと、大声で叫びたいくらいだった。それほ
ど僕は幸福な気持だったんだ。なぜだか、それはわかんない。ただ、フィービーが、ブルーの
オーバーやなんかを着て、ぐるぐる、ぐるぐる、回りつづけている姿が、無性にきれいに見え
ただけだ。まったく、君にもあれは見せたかった。
(5) Allen Ginsberg (1926-
)
アメリカの
の代表的詩人。ニュージャージィ
出身。Columbia 大学在学中に
や William Burroughs らの影響を受け、
アメリカ各地を放ろう。Whitman、W.C.Willimas らの影響
を受け、
と
によっ
て旧来の詩壇に真っ向から対抗。
代表作:Howl (1956)
第9講
第二次世界大戦とユダヤ系作家(2)
ユダヤ的な題材を、アメリカの普遍的な問題に還元した作家達
―20―
新しい型の主人公の登場:
勇壮な姿の英雄ではなく、身近な存在で、善良であるが故に、弱肉強食の世界で失
を備えた人物が主人公となる。
敗ばかりしているような
(1) Saul Bellow (1915-
)
ユダヤ系アメリカ作家の第一人者
モントリオールの貧民街で生まれ、シカゴで育つ。
シカゴ大学で文化人類学を専攻。大学の教職つきながら、作
家を志す。初期においてはニューヨークにも住み、
の寵児であった。(社会的関心が高い)
その後、社会的な出来事に巻き込まれすぎることを疎み、シ
カゴに戻る。以後、シカゴ大学で教鞭をとり続けながら、作
品を発表。
ユダヤ的特徴が強い人物によって、現代に生きる個人の苦境を、
や
を用い、
から描く。
1976 年ノーベル賞受賞。
代表作:Dangling Man (1944), The Victim (1947),The Adventures of Augie March (1953),
Henderson the Rain King (1959), Herzog (1964), Mr. Sammler”s Planet (1970),
Humboldt’s Gift (1975), The Dean’s December (1982), More Die of Heartbreak (1987)
The son, Kotzie, worked evenings in the corner drugstore and went to school in the neighborhood of
County Hospital, and it was he who told Grandma about the free dispensary. Or rather, the old woman
sent for him to find out what one could get from those state and county places. She was always sending
for people, the butcher, the grocer, the fruit peddler, and received them in the kitchen to explain that the
Marches had to have discounts. Mama usually had to stand by. The old woman would tell them, “You see
how it is - do I have to say more? There”s no man in the house and children to bring up.” This was her
most frequent argument. When Lubin, the caseworker, came around and sat in the kitchen, familiar,
bald-headed, in his gold glasses, his weight comfortable, his mouth patient, she shot it at him: “How do
you expect children to be brought up?” While he listened, trying to remain comfortable but gradually
becoming like a man determined not to let a grasshopper escape from his hand.
(The Adventures of Augie March)
息子の方のコツィーは夜間、角のドラッグストアーで働き、地区病院のそばにある学校に通って
いた。そして、ばあさんにただで診療が受けられると教えたのは、彼だった。というか、老女の
方がそういった州とか地区施設に彼をやって、どういった恩恵が得られるか見つけ出したのだっ
た。老女が話をする時は普通、ママはそばに立っていなければならなかった。老女は役人に言っ
たものだった。「見りゃあわかるでしょう——私がわざわざ説明する必要はないと思うんですが
ね。この家には男手がないのに、養育しなけりゃならない子供達はいるときてるんだから」この
ような言い方が、ばあさんがもっとも頻繁に用いた説得方法だった。福祉委員のルービンはきさ
くな人で、頭がはげていて、金縁のめがねをかけ、でっぶりとした体格で、辛抱強い口元をして
いたが、彼が家にやってきて台所に座ると、ばあさんは彼に向かって、「この子たちをいったい
どうやって育てろというんだね?」と、鋭く問い詰めた。彼はばあさんの主張にじっと耳を傾け
ながら、なんとか居心地良さを保とうとしていたが、次第に、手から飛びだそうとするばったを、
そうはさせじと決心した男の顔つきに変わっていった。
(2) Bernard Malamud (1914-1986)
ブルックリン生まれ。1930 年代の不況と東欧・ロシアでのユ
ダヤ人の生活に深く影響を受けると同時に、イタリア系の妻
―21―
の影響で、イタリアを舞台にした作品も多い。
をもっともよく受け継い
悲しみの中にユーモアを忘れない
でいる作家。貧困と不運に生きる主人公達を滑稽な笑いをこめて描く、
が特徴。
と、ユダヤ性を普遍的な意味で利用。
代表作:The Assistant (1957), The Magic Barrel (1958), The Fixer (1966), Pictures of
Fidelman (1969), Dubin’s Lives(1979), God’s Grace (1982)
“Let me ask you this,” Frank went on. “Do you consider yourself a real Jew?”
Morris was startled, “What do you mean if I am a real Jew?”
“Don’t get sore about this,” Frank said, “But I can give you an argument that you aren’t. First thing,
you don’t go to the synagogue—not that I have ever seen. You don’t keep your kitchen kosher and you
don’t eat kosher. You don’t even wear one of those little black hats like this tailor I knew in South
Chicago. He prayed three times a day. I even hear the Mrs. say you kept the store open on Jewish
holidays, it makes no difference if she yells her head off.”
“Sometimes,” Morris answered, flushing, “to have to eat, you must keep open on holidays. On Yom
Kippur I don’t keep open. But I don’t worry about kosher, which is to me old-fashioned. What I worry is
to follow the Jewish Law.”
“But all those things are the Law, aren’t they? And don’t the Law say you can’t eat any pig, but I
have seen you taste ham.”
“This is not important to me if I taste pig or if I don’t. To some Jews is this important but not to
me. Nobody will tell me that I am not Jewish because I put in my mouth once in a while, when my tongue
is dry, a piece ham. But they will tell me, and I will believe them, if I forget the Law. This means to do
what is right, to be honest, to be good. This means to other people. Our life is hard enough. Why should
we hurt somebody else? For everybody should be the best, not only for you or me. We ain’t animals. This
is why we need the Law. This is what a Jew believes.”
(The Assistant)
「では尋ねますが」と、フランクは続けた。「あなたは自分がほんとうにユダヤ人だと思ってい
ますか」
モリスはびっくりした。
「わしがほんとうのユダヤ人かとは、どういうことだね」
「気を悪くしないでくださいよ」と、フランクは言った。「しかし、ぼくはあなたがユダヤ人で
ないという証明ができますよ。まず第一に、あなたはユダヤ教会に行きませんね——少なくとも、
僕はあなたが出かけるのを見たことがない。それに、あなたは台所を聖書の掟通りに保っていま
せんし、掟通りの料理も食べていませんね。それに、僕が南シカゴで知っていた仕立屋は小さな
黒い帽子をかぶっていましたが、あなたはそれをかぶってもいない。その仕立屋は日に三度お祈
りをしていましたよ。奥さんが言ってましたが、あなたはユダヤの休日にもずっと店をあけてき
たそうですね。奥さんがいくらわめいても聞こうとしなかったそうですね」
「時には」と、モリスは顔を赤らめながら答えた。「食べてゆくためには、休みにも店を開けて
おかなくてはならんこともある。わしだって、ヨム・キープル(贖罪の日)には開けちゃあいな
い。だが、食事についてのユダヤの掟については、わしは気にしちゃあおらん。あれは時代遅れ
だからな。わしだって、ユダヤの律法はきちんと守ろうと心がけとるよ」
「でも、僕が言ったようなこと全部が律法なんじゃないですか。そして、律法では、豚は食べて
はいけないんじゃないですか。でも、僕はあなたがハムを食べてるのを見たことがありますよ」
「豚を食べようと食べまいと、わしにはたいしたことじゃあない。それを重要だと思っているユ
ダヤ人もいるが、わしにはどうでもいいことだ。舌がさみしいとき、ハムをたまに一切れ食べた
からといって、わしがユダヤ人じゃあないなんて、誰も言いやしない。でも、もしわしが律法を
忘れでもしたら、皆はわしがユダヤ人じゃないと言うだろうし、わしも皆の言うことを信じるだ
ろう。つまり、正しいことをする、正直である、善良であるということだ。それも、他の人に対
してそうするってことだ。人生は十分つらいものだ。どうして他の人を傷つけなけりゃあなら
ん? そんなことはすべきじゃあないんだ。なぜなら、人は誰でも最善を尽くすべきなんだ。そ
れも身近な人のためだけじゃない。みんなのためにな。わしらは獣とは違うだよ。だから人間に
―22―
は律法が必要なのさ。そして、それがユダヤの教えなんだ」
(3) Philip Roth (1933-
)
New Jersey 生まれの三世代目の作家。
旧弊なユダヤ社会の宗教や習慣に反逆する若い世代を取
り上げ、1960 年代
に、旧弊をうち破って自己のアイデン
ティティを模索したアメリカの若者の共感を呼ぶ。耳障
りな不平の声、おおっぴらな性的表現によって、
とみなされる。
ユダヤ的中産階級の偏狭な俗物性・形式主義を痛烈に揶
揄しながら、なお、その共同体に深く根ざした自己のア
イデンティティに、人間のあり方を見る。
代表作:Goodbye Columbus (1959), Portnoy”s Complaint
(1969), My Life as a Man (1974), The Ghost Writer (1979), The
Counterlife (1986), The Facts (1988),
And how did my father take all this? He drank— of course, not whiskey like a goy, but mineral oil and
milk of magnesia; and chewed on Ex-Lax; and ate All-Bran morning and night; and downed mixed dried
fruits by the pound bag. He suffered — did he suffer — from constipation. Her ubiquity and his
constipation, my mother flying in through the bedroom window, my father reading the evening paper with
a suppository up his ass . . . these, Doctor, are the earliest impressions I have of my parents, of their
attributes and secrets.
(Portnoy’s Complaint)
そして、父はこうしたことすべてをどんなふうに受け取っていたでしょうか。父は飲みました̶
̶もちろん、浅はかな非ユダヤ教徒のようにウィスキーを飲むなんてことはしません。父が飲ん
だのは緩下剤になる鉱油やマグネシア乳です。それに便秘薬のエックス・ラックスをぼりぼりと
かじっていました。それに、朝も晩も、繊維がたっぶりのオールブランを食べ、便秘に効くと言
われるミックス・ドライフルーツを一ポンド袋まるまるむさぼっていました。父は苦しんでいま
した̶̶ああ、本当に苦しんでいたのです̶̶あの、便秘のせいで! 母ときたら、神業のようにど
こにでも現れる。そして、父はどうしようもない便秘。母は寝室の窓を通って空から舞い降りれ
るのに、父はけつに座薬を突っ込んで夕刊を読んでいる……先生、これが僕が両親について、彼
らの特質や秘密について、一番最初に抱いたイメージだったんです。
メモ
第 10 講
ホロコースト
ホロコーストの影響
1.
2.
3.
→→ユダヤ人像が変化
→→反ユダヤ主義が下火
→→ユダヤ意識が高まる
↓
ユダヤ的題材を普遍的主題のために使える基礎を作る
―23―
がアメリカ文学の中央で活躍
+ ホロコーストの作家達
ホロコーストにかかわる歴史的知識
1938 年 クリスタルナハト(
)
1941 年 バービヤール渓谷での虐殺
1942 年 ミゾチゲットーの虐殺
ポーランド各地のユダヤ人がワルシャワゲットーに集められる
1943 年 ワルシャワゲットー蜂起
ナチスの強制収容所
アウシュビッツ、ビルケナウ(アウシュビッツ第二収容所)
ダッハウ(ミュンヘン郊外)
マイダネク(アウシュビッツと共に生体実験が行われる)
1947 年 エクソダス号事件
メモ
第 11 講
ホロコーストの作家
ホロコーストの作家達
1.
2.
3.
4.
5.
Isaac Bashevis Singer (1904-1991)
Elie Wiesel (1928)
Jerzy Kosinski (1933-93)
Raymond Federman (1928)
Walter Abish (1931)
ホロコーストの作家の特徴:
1)
アイデンティテイの喪失
―24―
2)
人間に対する不信、人間の隠された冷酷さの認識
メモ
(1) Isaac Bashevis Singer (1904-1991)
。
ポーランド生まれの
1934 年に兄 Israel Joshua Singer (1893-1944)をたよってニュ
ーヨークに亡命。
に作品を書き続ける。
失われた祖国の習慣や人々を描くのに最適であると、失わ
れゆくイディッシュ語にあくまで固執。
ホロコーストのために失われたワルシャワのユダヤ人ゲットーを舞台に、古き良き時
代を彷彿とさせる心温まる物語や、ホロコーストのために失われたワルシャワのユダ
物語や、故郷を失い、
ヤ人ゲットーなどを舞台に、
アメリカやイスラエルに移り住んだ人々の、
を描く。
1978 年、ノーベル文学賞受賞。
代表作:Gimpel the Fool (1957), The Spinoza of Market Street(1961), In My Father”s Court
(1966), Enemy; A Love Story (1970)(発表年は英語版の出版年)
I am Gimpel the Fool. I don’t think myself a fool. On the contrary. But that’s what folks call
me. They gave me the name while I was still in school. I had seven names in all: imbecile, donkey,
flax-head, dope, glump, ninny, and fool. The last name stuck. What did my foolishness consist of? I was
easy to take in. They said, “Gimpel, you know the rabbi’s wife has been brought to childbed?” So I
skipped school. Well, it turned out to be a lie. How was I supposed to know? She hadn’t had a big belly.
But I never looked at her belly. Was that really so foolish? ... I was no weakling. If I slapped someone
he’d see all the way to Cracow. But I’m really not a slugger by nature. I think to myself: Let it pass. So
they take advantage of me.
(Gimpel the Fool)
俺はばかのギンペルだ。自分ではばかと思っちゃいない。そんなことあ、ちっともないと思う。
だが、みんなは俺をそう呼ぶ。まだ学校に行っている頃についたあだ名だ。当時はあだ名は全部
で七つあった。あほう、とろま、まぬけ、ぐず、おたんこなす、左巻き、ばか。最後の、ばかが
あとあとまで使われることになった。どうして俺はばかなのか。だまされやすいのだ。連中は、
「ギンペル、ラビの奥さんがいよいよ出産だってさ」と言った。だから、学校はないものと思っ
て休んだんだ。ところが、それは嘘だったわけさ。どうして、嘘だってわかる?そりゃあ、奥さ
―25―
んのお腹は大きくなかったよ。だけど、奥さんのお腹をじっと見つめたことなんかありゃあせん
しな。だから、そんな嘘にひっかかったとしても、さわぎたてるほどばかなこととはいえんだろ
う? ……俺はひょろっこいわけじゃない。もし誰かをぶんなぐりゃあ、相手はクラコフまです
っ飛んじまうだろう。だけど、生まれつき乱暴な質じゃあないもんで、心に思うわけだ。まあ、
いいさって。で、連中は俺を笑い者にし続けるわけだ。
(2) Elie Wiesel (1928)
ハンガリー生まれ。
アウシュビッツ、ブーヘンボルト強制収容所を体験。
戦後フランスに行きジャーナリストとして活動を始め、
1956 年渡米。
強制収容所生存者の意識の奥の暗い部分を、
の影響を受けた内省的な筆で描く。
作家活動と共に平和運動の指導者。1986 年ノーベル平和
賞受賞。
代表作:The Night (1960), The Dawn (1961),
The Accident (1962)
I awoke on January 29 at dawn. In my father’s place lay another invalid. They must have taken him
away before dawn and carried him to the crematory. He may still have been breathing. There were no
prayers at his grave. No candles were lit to his memory. His last word was my name. A summon, to which
I did not respond. I did not weep, and it pained me that I could not weep. But I had no more tears. And,
in the depths of my being, in the recesses of my weakened conscience, could I have searched it, I might
perhaps have found something like—free at last!
(The Night)
私は一月二十九日の明け方に目覚めた。父のいたところには別の病人が横たわっていた。父は
夜明け前に連れ去られて、焼却炉へ運び込まれたのに違いない。おそらく、まだ息があったのか
もしれない。父の墓のもとで祈りはあげられなかった。父の霊のためのろうそくはともされなか
った。父の最後の言葉は私の名前であった。私を呼ぶ声、それに私は答えなかったのである。私
は泣かなかった。そして、泣けないということが、私にはつらかった。しかし、涙は枯れ果てて
いたのだった。そして、もし私の存在の奥底を、私のひ弱い良心の奥深いところを掘り返して見
出すものがあったとするならば、それは他でもない、とうとう自由になった!というような思い
だっただろう。
(3)Jerzy Kosinski (1933-93)
ポーランド生まれ。
戦争のために両親と別れ、東ヨーロッパを転々とし、ロ
シア軍に保護される。戦後両親と再会するが、共産主義
に馴染めず、1957 年アメリカに亡命。歴史と政治学を学
んだあと、映画 The Reds(ウォーレン・ビーティ監督主
演作)に出るなど、多彩な活動をしていたが、1993 年自
殺。
独特の
な視点で、人間や社会の愚かさを
暴く。
―26―
代表作: The Painted Bird (1965), Being There (1971), Blind Date (1977)
When a sufficient number of birds gathered above our heads, Lekh would give me a sign to release the
prisoner. It would soar, happy and free, a spot of rainbow against the backdrop of clouds, and then plunge
into the waiting brown flock. For an instant the birds were confounded. The painted bird circled from one
end of the flock to the other, vainly trying to convince its kin that it was one of them. But, dazzled by its
brilliant colors, they flew around it unconvinced. The painted bird would be forced farther and farther
away as it zealously tried to enter the ranks of the flock. We saw soon afterwards how one bird after
another would peel off in a fierce attack. Shortly the many-hued shape lost its place in the sky and
dropped to the ground. These incidents happened often. When we finally found the painted birds they
were usually dead. Lekh keenly examined the number of blows which the birds had received. Blood
seeped through their colored wings, diluting the paint and soiling Lekh’s hands.
(The
Painted Bird)
十分な数の鳥が寄ってきた。レックはこの捕虜を放すようにとぼくにいった。その小鳥は解放
され、喜び勇んで、空高くに雲を背にして虹色の点となって舞い上がっていき、待ちかまえてい
る茶色の群れのなかに飛び込んだ。瞬間、鳥の群れは混乱した。彩色された鳥は鳥の群れの端か
ら端へと飛び回り、仲間のひとりだと納得させようとむだな努力を続ける。しかし、そのけばけ
ばしい色に眩惑された鳥の群れは納得しないままに、その鳥のまわりを飛んだ。彩色された鳥は
懸命に群れの中に加わろうとするのだが、しだいに遠くへ遠くへと押しやられる。そのあとまも
なくして、一羽ずつ次から次へと激しい攻撃を加えて、その鳥の皮膚をついばむのをぼくたちは
見た。そしていろいろな色調をした形態は空にその場を失い、地上に落下したのだった。こうい
ったことはたびたび起きた。色を施された鳥をようやく見つけたときには、それはたいがい死ん
でいた。レックはその鳥が受けた傷の数を熱心に調べた。血が色を塗られた翼ににじんでいて、
その色彩を薄め、レックの手を汚した。
メモ
第 12 講
ホロコーストの作家とポストモダン
新しいホロコースト文学
ホロコーストの影響を被りながらも、アメリカでの作家活動の開始が
になった作家達の中には、当時のアメリカ文壇を襲っていた「
響を受け、新しい文学形式を模索した者がいた。
→→ Raymond Federman, Walter Abish
(1) Raymond Federman (1928-
頃
」の影
)
フランス生まれ。14 歳の時、自宅で家族
がゲシュタポに捕らえられて強制収容所
に送られるが、母親が機転を利かせてク
―27―
ローゼットに隠したてくれため、彼だけが生き残る。
1947 年に渡米。朝鮮戦争に従軍。在日中にアメリカ国籍を得る。
の研究で博士
後にカリフォルニア大学ロサンゼルス校で
号を取得。大学で教鞭を執りながら、英語及びフランス語で詩と小説を発表。
伝統的な文字の意識に捕らわれず、斬新な文学表現を試みる作家。
代表作:Double or Nothing (1971), Take It or Leave It (1976),
The Voice in the Closet (1979),
(Take It or Leave It)
(2) Walter Abish (1931-
)
ウィーン生まれ。1938 年にナチスを逃れてオーストリアを
離れ、イタリア、フランスを経て、1940 年日本軍に支配下
の上海に赴く。1948 年の中華大革命を機に、イスラエルに
渡り、二年間の軍隊生活の後、建築学を専攻、1955 年建築
家として出発。
1957 年渡米。ニューヨークを中心に、作家活動に入る。詩、
批評も手がける。
1974 年の Alphabetical Africa において、新しい文学表現を
試みる作家として注目されるが、表現手法の目新しさだけ
でなく、問題となる点を執拗に問いかける反面、感情を抑
えた控えめな語りや、作者から距離を置きながらも冷たく
突き放すことがない、バランスの取れた視点など、成熟し
た大人の文体に独自の味わいがある。
―28―
代表作:Alphabetical Africa (74)、In the Future Perfect (1977)、How German Is It (1986)
Ages ago an archeologist, Albert, alias Arthur, ably attended an archaic African armchair affair at
Antibes, attracting attention as an archeologist and atheist. Ahhh, atheism ... anyhow, Albert advocated
assisting African ants. Ants? All are astounded. Ants? Absurd.
(Alphabetica Africa)
むかしむかし、考古学者のアルバート、別名アーサーは、アンティベでの原始的なアフリカの
空理空論の行事に巧みに参加し、考古学者として、また無神論者として、注目された。そう、無
視論論者として……ともかくも、アルバートはアフリカ産の蟻を支持することを唱えた。みんな
驚いた。蟻だって? ばかな。
What is it that you really want? Paula had once asked him.
Redistribution of wealth, he said instantaneously.
No. What do you really want?
Success, he said cautiously.
No. Not success. What do you really want?
Why not success?
You’re terribly devious, did you know that?
No.
If only I knew what you really wanted I would be able to trust you, she said in all sincerity.
You can trust me.
No.
(How German Is It)
いったい全体、あなたは本当は何を望んでいるのと、パウラがかつてウルリッヒに尋ねたことが
あった。
富の再分配と、彼はすかさず答えた。
違うわ。本当に望んでいるものよ。
成功と、彼は注意深く言った。
違うわ。成功じゃあないわ。あなたが本当に望んでいるものよ。
どうして成功じゃあないと思うんだ?
あなたって、とてもまどろっこしいのよ。自分でもわかってる?
いいや。
あなたが本当は何を望んでいるのかわかりさえしたら、あなたを信頼できるのだけどねと、彼女
は心から言った。
僕は信頼できるよ。
いいえだめよ。
第 13 講
1960 年代以降のユダヤ系作家
ユダヤ系アメリカ人の
→→
→→ユダヤ性を強調する必要性の喪失
イスラエルの
(六日戦争の勝利)
→→ユダヤ人が虐げられる者から
→→ユダヤ・ルネサンスの熱が冷める
に変化
ただし、ホロコーストを記憶し続けようとする動きは、ホロコースト作家のアメリカ
における活動に刺激されながら、アメリカ生まれの作家によっても続けられる。
(1) Chaim Potok (1929 )
の家庭に生まれる。
ブルックリンのユダヤ地区の
伝統の中に新しい生き方を見いだすユダヤ人を描こうとするが、
―29―
ところに限界。
第二次大戦や朝鮮戦争を扱った作品もある。
代表作:The Chosen(1967), The Promise(1969), My Name Is Asher Lev (1972)
(2) Cynthia Ozick (1928-
)
ブロンクス生まれのユダヤ系作家、批評家。
Henry James の影響を受けながらも、
The Shawl や、ユダヤ系
知識人のアイデンティティの問題を扱った The Pagan Rabbi and
Other Stories など、ユダヤ的素材に固執しながら、
があることを描く。
代表作:Trust (1966), Pagan Rabbi and Other Stories(1971), The Shawl(1989)
It was a magic shawl, it could nourish an infant for three days and three nights. Magda did not
die, she stayed alive, although very quiet. … Magda’s eyes were always clear and tearless. She
watched like a tiger. She gurarded her shawl. No one could touch it; only Rosa could touch it. Stella
was not allowed. The shawl was Magda’s own baby, her pet, her little sister. She tangled herself up in
it and sucked on one of the corners when she wanted to be very still.
Then Stella took the shawl away and made Magda die.
Afterward Stella said: “I was cold.”
And afterward she was always cold, always. The cold went into her heart: Rosa saw that Stella’s
heart was cold. Magda flopped onward with her little pencil legs scribbling this way and that, in search
of the shawl; the pencils faltered at the barracks opening, where the light began. Rosa saw and pursued.
But already Magda was in the square outside the barracks, in the jolly light. It was the roll-call arena.
…Rosa saw that today Magda was going to die, and at the same time a fearful joy ran in Rosa’s two
palms, her fingers were on fire, she was astonished, febrile… .
(The Shawl)
それは魔法のショールで、三日三晩、乳飲み子に栄養を与え続けてくれた。マグダは死なず、
とても静かにはなったけれど、まだ生きていた。……マグダの目はいつも澄んでいて、潤むこと
がなかった。眼光は虎のように鋭かった。ショールの番をしているのだ。だれにも触らせはしな
い。触っていいのは、母のローザだけ。従姉妹のステラにだって、触らせない。ショールはマグ
ダの赤ちゃん、マグダのペット、マグダの血を分けた妹だった。マグダはショールに身を絡ませ、
静かにじっとしていたいときには、そのはじっこをしゃぶった。
やがて、ステラがショールを奪い取り、マグダを死なせた。
あとになって、ステラは言った。「寒かったから」と。
そして、あとになっても、ステラの寒さは収まらなかった。いつまでも、ずっと……。寒さは
心の中にまで入り込んだ。ステラの心が冷え切っているのを、ローザは見て取ることができた。
マグダは鉛筆のような脚でよちよち歩き、ショールを探してまわった。バラックの出入り口、光
と影の境目で、二本の鉛筆がよろめく。ローザはそれに気づき、目で追った。けれど、マグダは
もう、バラックの外の広場に、明るく照らされた場所にいた。点呼のための集合場所だ。……マ
グダは今日死ぬのだとローザは悟った。と同時に、両手の平に恐ろしい歓喜が駆け抜け、十本の
指がかっと燃え上がり、ローザはその熱さに驚愕した。
メモ
―30―
(3) Joseph Heller (1923 -1999 )
ニューヨーク生まれ。ニューヨーク大学、コ
ロンビア大学大学院を卒業、オクスフォード
大学にも学ぶ秀才。
第二次大戦に爆撃手として従軍した体験に
基き、巨大な組織の中で自己のアイデンティ
ティを守るために奇妙な行動を取るヨッサ
リアンを主人公に、
や、
による心理的な時間
操作を用いた新しい戦争作品、Catch-22 で、
一躍有名になる。
Good as Gold では、ユダヤ的体験がないと言いながら、それでもユダヤ人でしか体験
できないような、目に見えない差別を扱っている。
、
を特徴とする。
代表作:Catch-22 (1961), Something Happened (1974), Good As Gold (1979)
“Catch-22,” the old woman repeated, rocking her head up and down. “Catch-22. Catch-22 says they
have a right to do anything we can’t stop them from doing.”
“What the hell are you talking about?” Yossarian shouted at her in bewildered, furious protest.
“How did you know it was Catch-22? Who the hell told you it was Catch-22?”
“The soldiers with the hard white hats and clubs. The girls were crying. ‘Did we do anything
wrong?’ they said. The men said no and pushed them away out the door with the ends of their clubs.
‘Then why are you chasing us out?’ the girls said. ‘Catch-22,’ the men said. ‘What right do you have?’ the
girls said. ‘Catch-22,’ the men said. All they kept saying was ‘Catch-22, Catch-22.’ What does it mean,
Catch-22? What is Catch-22?”
“Didn’t they show it to you?” Yossarian demanded, stamping about in anger and distress. “Didn’t
you even make them read it?”
“They don’t have to show us Catch-22,” the old woman answered. “The law says they don’t have
to.”
“What law says they don’t have to?”
“Catch-22.”
“Oh, God damn!” Yossarian exclaimed bitterly. “I bet it wasn’t even really there.”
(Catch-22)
「キャッチ=22 だよ」と、老婆は頭を前後に揺すりながら繰り返した。
「キャッチ=22 なんだよ。
キャッチ=22 が、あの人たちは私たちにうむをいわさず何だってやれるって言ってるんだ」
―31―
「いったい何の話なんだ?」ヨッサリアンは困惑し、乱暴に抗議するような調子で彼女に向かっ
て叫んだ。「どうしてキャッチ=22 だってわかったんだ? 誰があんたにキャッチ=22 のせいだ
って言ったんだ?」
「白い硬い帽子を被って警棒を持ってる兵士たちだよ。女の子たちは泣いてた。
『あたしたちが
何をしたっていうの?』って、言ってね。兵隊達は、何も、と答えて、警棒の端でつっついて、
女の子達をドアから外へ追い出しちゃったのさ。
『それじゃあ、どうしてあたしたちを追い出す
のさ?』って、女の子たちは聞いた。
『キャッチ=22 のせいだ』と、兵隊達が答えた。
『どういう
権利があって、こんなことをするの』って、女の子たちは聞いた。
『キャッチ=22 のせいだ』と、
兵士達は答えた。あの連中の言うことといえば、『キャッチ=22 のせいだ、キャッチ=22 のせい
だ』ばかり。一体、キャッチ=22 って、どういう意味なんだい?キャッチ=22 ってのは何なんだ
ね?」
「連中はそれを提示しなかったのか?」ヨッサリアンは問いつめ、怒りと失望で足を踏みならし
た。「連中にそれを読ませもしなかったのか?」
「あの人たちはあたしたちにキャッチ=22 を提示しなくてもいいんだよ」と、老婆は答えた。
「法
律で、そんなことしなくてもいいってことになってるのさ」
「どんな法律が、そうしなくてもいいって言ってるんだ?」
「キャッチ=22 だよ」
「ああ、くそ!」と、ヨッサリアンは苦々しく叫んだ。「そんなもの本当は存在しさえしないに
ちがいないんだ」
メモ
第 14 講
1980 年代以降のユダヤ系アメリカ作家
1980年代以降のユダヤ系アメリカ作家の特徴
アメリカ作家として、1980 年代アメリカの様々な特質を体現。
z
z
z
ユダヤ性によって概観されるよりも、それぞれの作家の個性の違いが目立つ。
(1) Paul Auster (1947-
)
Newark, N.J.生まれ。
コロンビア大学で学び、追う者と追われる者の姿に、自
己探求の問題を秘めた The New York Trilogy で有名になる。
映画、舞台でも活躍。
の影響を強く受け、語
りの可能性について模索する。
―32―
文字の使い方や奇抜な文体で注意を引くのではなく、伝統的な語りを用いながら、
しつつ、語りの内容から新しい文学表現を模索する。
代表作:
The New York Trilogy: City of Glass (1985), Ghosts (1986), The Locked Room(1987)
In the Country of Last Things (1987)
First of all there is Blue. Later there is White, and then there is Black, and before the beginning
there is Brown. Brown broke him in, Brown taught him the ropes, and when Brown grew old, Blue took
over. That is how it begins. The place is New York, the time is the present, and neither one will ever
change. Blue goes to his office every day and sits at his desk, waiting for something to happen. For a
long time nothing does, and then a man named White walks through the door, and that is how it begins.
(“Ghosts” in The New York Trilogy)
すべての始めにブルーがいた。その後、ホワイトが現れ、そしてブラックが現れた。そして、
始まりの前からブラウンが存在していた。ブラウンはブルーを仲間に加え、仕事のこつを教え、
ブラウンが年を取ると、ブルーが仕事を引き継いだ。それが事の始まりだった。場所はニューヨ
ーク、時は現在。そのどちらも変わることはない。ブルーは毎日事務所に出かけ、机の前に座っ
て何かが起きるのを待つ。長い間、何も起こらない。それからホワイトと名乗る男がドアから入
ってきて、そうして事が始まる。
メモ
(2) Mark Helprin (1947-
)
ニューヨーク北部、ハドソン・リバー・ヴァレーで育つ。ハーバ
ード大学、プリンストン大学大学院、オクスフォード大学大学院
で学ぶ。イスラエル軍歩兵部隊に入隊。1969 年より『ニューヨー
カー』誌に短編を発表。
現 実 と 非 現 実 の
に 立 ち 、
ことを得意とする。
代表作: Ellis Island and Other Stories (1981), Winter’s Tale(1983)
メモ
―33―
(3) David Leavitt (1961- )
カリフォルニア生まれ。父はスタンフォード大学教授。
エール大学で創作学科専攻、のちにニューヨークの出版社で
アルバイトをしながら 1984 年 Family Dancing で注目をあび
る。
、
。
」と呼ばれる、喪失
「
感にさいなまれる現代の若者を描く。
代表作:Family Dancing (1984),
The Lost Language of Cranes(1986)
“You don’t know anything about this. The whole business is so simple it’s embarrassing.” She
puts her hand on her chest and takes a deep, shaky breath. “There is only one thing to be said here, and
I m the one who has to say it. And that is the simple fact that I love your father, and I will always love
your father. And he doesn’t love me. And never will.”
No one answers her. She is right. None of them know anything about this, not even Ellen.
Lydia’s children are as speechless as spectators watching a woman on a high ledge: unable to do any
good, they can only stare, waiting to see what she’ll do next.
What she does is turn to Alex. “Did you hear me?” she says. “I love you. You can escape me,
but you can never escape that.”
He keeps his eyes focused on the window above her head, making sure never to look at her. The
expression on his face is almost simple, almost sweet: the lips pressed together, though not tightly, the
eyes averted. In his mind, he’s already left.
( The Lost Cottage )
「あなたたちはこれについてなにもわかっていないのよ。要はあまりに単純なことで、恥ずか
しいほどなんだけどね」彼女は胸に手を当てて深く震える息を吸い込んだ。
「このことではひと
つ言われればいいだけなの。そして、私がそれを言わなければならないの。つまり、私はお父さ
んを愛しているし、これからもずっと愛し続けるだろうっていうこと。そして、お父さんのほう
では私を愛していないし、これからも決して愛することはないだろうってこと」
誰も彼女に答えなかった。彼女は正しかった。子供達は誰もこういうことは思ってもみなか
った。エレンでさえも。リディアの子供達は絶壁に立つ女性を見守る者のように、言葉を失って
いた。つまり、彼女のために何もできず、ただ彼女の次の行動を見守ろうと、じっと見つめてい
るだけだった。
彼女が次にしたことは、アレックスを振り返ることだった。「聞こえた?」と、彼女は言っ
た。「あなたを愛しているのよ。私から逃れられても、その事実からは逃れられないわよ」
彼は彼女の頭の上の窓に視線を固定していて、彼女と目を合わせないように用心していた。
彼の顔に浮かんだ表情はほとんどたわいないと、ほとんど優しいと、言えるものだった。唇は合
わされていたが、きつく結ばれていたわけではなく、目は少し反らされていた。気持の上では、
彼はもうとっくに立ち去っていたのである。
(4) Ethan Canin (1960- )
ミシガン州に生まれる
―34―
1982 年スタンフォード大学卒業、ハーバード大学医学部進学
1988 年、Emperor of the Air で注目を浴びる
短編作家
一人称語りによる成長物語
代表作: Emperor of the Air(1988), The Palace Thief (1994)
メモ
ブックリスト(エスニック文学講義)
課題:下記の中から二作を選んで読んで、その感想文をそれぞれ 1000 字から 1200
字程度で書きなさい。レポートはワープロで作成。原稿は二作分すべてをひと
まとめにし、表紙を別につけ、名前と学生番号を明記したうえで、必ず左肩を
ホッチキスで留めて提出のこと。
□Aleichem, Sholom
ショーラム・アライハム『屋根の上のバイオリン弾き』
□Abish, Walter.
ウォルター・アビッシュ『すべての夢を終える夢』
□Auster, Paul.
ポール・オースター『鍵のかかった部屋』、
『最後のものたちの国』、『孤独の発明』
□Bellow, Saul.
ソール・ベロー『オーギー・マーチの冒険』、
『ハーツォッグ』
『雨の王ヘンダーソン』、『犠牲者』
□Federman, Raymond. レイモンド・フェダーマン『嫌ならやめとけ』
□Heller, Joseph.
ジョーゼフ・ヘラー『輝けゴールド』
□Kozinski, Jerzy.
イェルジー・コジンスキー『異端の鳥』、『チャンス』
□Leavitt, David. デイヴィッド・レーヴィット『ファミリーダンシング』
□Mailer, Norman.
ノーマン・メイラー『アメリカの夢』、『鹿の園』
□Malamud, Bernard.
バーナード・マラマッド『アシスタント』
、『修理屋』、
『フィデルマンの絵』、『コーンの孤島』
□Ozick, Cynthia.
シンシア・オジック『ショールの女』
□Roth, Philip.
フィリップ・ロス『ポートノイの不満』、
―35―
『男としての我が人生』、『欲望学教授』
□Singer, I.B.
I・B・シンガー『敵、ある愛の物語』、『短い金曜日』
□Salinger, J.D.
J・D・サリンジャー『フラニーとズーイー』
、
『大工よ、屋根の梁を高く上げよ/シーモア序章』
□West, Nathanael.
ナサニエル・ウェスト『いなごの日』
□Wiesel, Eli.
エリ・ヴィーゼル『夜』
、『昼』、『夜明け』
(その他、授業で挙げた作品を原文で読んでも構いません)
メモ
―36―
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