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卸売ネネ
論説
アメリカにおける労働災害補償制度一
︵
林
1及びわが国における労働災害補償制度の若干の問題点1
目
序 論
第一章 コモン・ローにおけるアメリカの使用者責任
第一節 使用者のコモン・ロー上の義務
第二節使用者のコモン・ロー上の抗弁
第三節 裁判所によるコモン・ロー上の抗弁の修正
第二章 使用者責任法と労働災害補償法
第一節 使用者責任法の歴史的背景
第二節 安全保護法規
第三節 使用者責任法の欠陥
第四節 使用者責任法より労働災害補償法へ︵以上本号︶
第五節 労働災害補償法の成立
弘子
37 (5−6『●135) 405
次
一、
37 (5−6 ・136) 406
第三章 今日の労働災害補償法
結 論
序 論
Aメリカ労働災害補償法成立に至る時代的背景
運輸及び通信の発達が著しかった。特に電信、電話の革命的進歩はこの時代の経済的発展を促した主要な一要素とい
れが定着化したのは一八八○年以後であった。ここにアメリカは工業優位の時代を迎えるに至ったのである。さらに
金労働者が発生した頃に認められる。工業製造生産高が初めて農業生産高を越えたのは一八五〇年のことであり、こ
いものであった。アメリカ産業革命の完成期は、十九世紀中葉に工場制生産が工業において支配的となり、大量の賃
一八○○年代から一九〇〇年代にかけてアメリカは激動の時代を迎えた。中でも産業の発展の速度と規模は目覚し
国の産業の発展について概説しておきたい。
おいて一斉に開花した観があった。先ず、アメリカ労災法の歴史の前史ともいうべき十九世紀から二〇世紀に至る同
周知のようにアメリカでは二〇世紀に入るや否や、それまでの使用者責任法とは異なった労災法が各州及び連邦に
の葛藤の歴史を描くこととな っ た 。
ることは必然的にコモン・ロ⋮における不法行為責任に基づく使用者責任法と新しい法理論としての補償法の法理と
法﹂と書く。︶の問題点のいくつかにも触れようとするものである。 ところで、アメリカにおける労災法の発展を辿
本稿はアメリカの労働災害補償法の発展とその現状を分析し、 それとともに日本の労働災害補償法︵以下 ﹁労災
論説
アメリカにおける労働災害補償制度(一)(林)
わねばならない︵一八四四年、モールスにより電信機の実用化に成功、一八七六年、ベルによる電話機の発明︶。特
に鉄道の発展と拡大はアメリカ経済の発展にとって、東部の工業と西部の資源開発の間を結ぶパイプの役割を果し、
アメリカの真の歴史は運送網の発展の歴史であるともいわれて叶を・アメリカの鉄道建設は一八二六年頃から積極化
し、その後の三〇年間に一〇倍強に達している。
電信機の発明は鉄道の発展を促し、一八五〇年以後は政府が土地や奨励金の給与を開始したこともあり、南北戦争
ま
中より大陸横断鉄道建設時代に入った。大陸横断鉄道の建設計画はしばしば論議され、南北抗争の政治問題にまでに
なったが内乱はその建設を促進する結果となった。というのは南部議員の去った連邦議会は、直ちに北部の欲する通
りの大陸横断道路の建設を可決したためである。一八九六年にはシカゴとサンフランシスコ間のユニオン・パシフィ
ヅクが完成した。一八九〇年代には鉄道は東北部に激増し、西部への進出も著しかった。しかし、鉄道建設は一九一
六年の四十六万キロを頂点に下り坂となった。
ところで一八七三年にアメリカを襲った恐慌は、破産件数四、七〇〇件、損害額一〇億ドルに達した。この恐慌の
後、大企業間の競争は益々激化し、その結果企業合同の傾向も顕著になった。企業合同は最初鉄道事業に集中的に現
われたが、 これは鉄工部門にも急速に拡がっていった。 一八九〇年にはシャーマン︵トラスト禁止︶法が制定され
た。これらの諸事情が労災法の制定に至る背景となっていた。
そして、一九〇〇年にはパリで万国博が開かれた。同年に、アメリカの偉大な歴史学者であるヘンリー.アダムス
はこの万国博を訪れている。この博覧会の最大の呼び物は﹁ダイナモ﹂であった。彼の生涯で予測もしなかった強力
な力を秘めたこの機械の前に立ったとき︽驚くべき速さで音も立てずに回転しているこの偉大な車輪に比せば天体の
回転すら色槌せて感じられた。︾と彼は書いている。︽中世文明の象徴としての聖母は、かの荘麗なシャルトルの大
37 (5−6 ●137) 407
百冊
伽藍を造らしめたが、来たるべき物質交明の象微としてのダイナモは、物質生産の原動力となるであろう。この象徴
は機械化された人間の時代を生み出すであろう。︾とアダムスは予測した。この年にはパリでは万国博開催を機に、
37 (5−6 ●138) 408
国際労働者保護立法会議︵OO昌σq触Φω貯8毎鋤鉱。昌鋤一〇〇¢﹁冨℃肖080鉱05綜ぴq餌貯ユ①ω榊導く鉱=①舞ω︶ が開かれていたこ
︵3︶
とはアメリカの労災法の歴史にとっても意義深いことであった。
つまり、この時代に産業は西欧諸国において飛躍的に発展したが、そのことは必然的に労働災害の増発に繋がり、
その規模は、既に古典的な労働者保護法の枠内では処理できぬ程に達していたのであった。ほとんど総てのヨーロヅ
パ諸国が、一八八四年のドイツ災害保険法の成功に影響されて、一九〇〇年頃までには同様の制度を採用していたに
もかかわらず、アメリカでは労災法制定要求運動が広まり各州が次々に労災法を制定していった時期は、他の西欧諸
国に比して遅かった。 ︵その間の事情については第三章で説明している。︶
Aメリカ労働災害補償法の成立
災法の制定をみている。これは数あるアメリカの労働法規中、非常な速さで各州に広がった特異な例であった。とい
ソシソ、イリノイ、オハイオ、マサチュセッツ︶。南部に集中していた六三を除いて一九二〇年までに総ての州で労
いる︵ワシントン、カンザス、ネヴァダ、ニュー・ハンプシャー、カルフォルニア、ニュー・ジャージー、ウイスコ
働者側から主張された違憲性の問題と直面せねばならなかったのである。︶ が、一〇州で制定されたことに由来して
州労災法︵後述するようにコモン・ロ:の過失責任を否定して生れた労災法の新しい法理は、裁判所、使用者及び労
ューでは労災問題の特集が行われたりした。一九六一年を五〇周年というのは一九一一年間アメリカで最初の有効な
一九六一年に、アメリカは労災法制定後五〇周年を迎え、各種のシンポジウムが催されたり、各大学のロー・レビ
一、
説
三△.
アメリカにおける労働災害補償制度(一)(林)
うことは、一九〇五年に連邦最高裁判所によって違憲と判決された︽一〇時間労働法︾︹ピ8喜臼∼Z●ドしり○。9
ω.似α︵おOα︶︺が合憲判決を受けたのは、実に一九一七年のことであったし.︹じご§什ぎαq∼O﹁①碧P卜。駆ω9ψωb。卜。
︵H⑩吋¶︶︺、一九二三年に違憲と判示された最低賃金法が︹︾爵ぎω<・〇三豊お謬”ωまω三富r悼①目90。・α駅︵H㊤b。ω︶︺
合憲判決を受けたのが一九三七年であったことによっても窺われる ︹芝①ωけ89ω什Oρ<・℃僧三ω戸。。OOd・ω・ωお
イ ︵Hりω¶︶︺。このように労災法の原則が各州で素早く受け入られていったことは、労働災害に対する労使の関心の高さと
同時に、この時代に産業災害が益々増大していたことをも裏づけている。しかし、最初の有効な労災法が生まれるま
でには、労働者、使用者、立法府及び裁判所による長い苦闘の歴史があったのである。︵第二章を参照されたい。︶
ところで労災法は、コモン・ローの単なる修正法ではなくコモン・口1からの革命を経て生まれたというのがアメ
リカにおける通説であるにもかかわらず、コモン・ロー上の不法行為の概念が、今日も尚、労災法に深くその影を落
しているところに労災法の今日の問題点の一つがあると思われる。 ︵この問題については第三章及び結論にて論述し
た。︶
二九四八年に最後の州となったミシシッピー州が労災法を制定して以来、アメリカには五〇の州労災法と四つの連
邦法とがある。四つの連邦法というのは、その制定年代順に挙げると次のようになる。e州際通商の鉄道事業の労働
者に適用される連邦使用者責任法 ︵↓ご①冑①亀Φ鑓一南§覧。︽臼ω.ご9。三一一蔓﹀。ぴも。笛ω$什・①9おO◎。︶、そのタイトルが
示すように不法行為責任に基づく損害賠償制度をとっている。⇔連邦職員労災補償法 ︵↓富悶Φα巽乱国巳℃一〇饗Φω.
ーンズ・アクトとして知られている海商法︵一門び0 7臼①﹃Oゴ鋤鵠仲 フ蔵9噌一つ① \〆O件導 鼻① ¢・ ω・ ︵︶・ ①Q◎Q◎’ H㊤卜oO︶、本法は連邦使
たが、アメリカで最初の有効な労災法であった。つまり、無過失責任に基づく定率補償を規定していた。⇔通称ジョ
Oo旨墨引鋤二8︾oゴG。㎝o∩梓◎什・呂9おO。。︶、本法は、一九〇八年に制定されたときには適用範囲が非常に限定されてい
37 (5−6 ・139) 409
有している。アメリカにおいても同様で、海事法は独自の法領域を形成しているが、アメリカ海事法は歴史的にはイ
ギリスのコモン・ローから形成されたのではなく国際商取引の慣行から発生したといわれている。第三章で論述する
ようにアメリカの海事法が海員の保護に対してコモン・ローには見られなかった弾力性を示した理由もここにあった
のである。㈲港湾労働者労災補償法 ︵↓ゴΦいO轟ωびO器§Φ⇒、ω鋤a¢黛ぴ○噌毛O蒔①お”Oo目℃窪器鉱○昌>o計ωωd・ω・
㊤Oピ目露¶︶、本法制定以前には、港湾労働者はジョーンズ・アクトの適用下にあったが本法によって船員と港湾労働
者は異なった法の適用を受けることになった。
大別すると連邦法の適用を受ける労働者には二つの類型があることになる。不法行為責任に基づく使用者責任法の
下にある鉄道労働者と船員︵但し、不法行為責任の定型化と不法行為法そのものの変化が考慮されねばならない。︶
及び労災補償制度の下にある連邦職員と港湾労働者とである。
各州の労災法は、労災法による救済は排他的なものであると規定しており、不法行為を理由とする損害賠償の請求
を認めていない。後述するアメリカ特有の歴史的事情から︵連邦憲法修正十四条との関連︶、 現在でも二十三州は労
’5︶
災法を強制適用にせず、適用を受けるか否かの選択権を使用者に与えている。適用除外の申請をした使用者はコモン
・ロー上の抗弁を主張することができる。
しかし、適用除外の申請をするか否かにかかわらず使用者は労災に対する保険を確保せねばならないことになって
いる︵但し、ルイジアナ州法のみが、裁判所の認定があれば保険の加入は必要ではないと規定している。︶。政府が一
括して保険を取り扱っているわが国とは異なって、アメリカでは連邦及び州の基金で労災保険を運営している場合を
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用者責任法を船員にも適用すると規定した法律である。わが国でも船員保護法は陸上労働者保護法とは異なった独自
の発展をとげ、現在でも船員は船員法及び船員保険法の適用を受け、労働基準法及び労災保険法とは異なった法制を
説
論
アメリカにおける労働災害補償制度(一)(林)
除いて総ての労災保険は営利保険と自己保険とによっている。 ︹連邦職員保険も含めて州保険基金によるもの二十二
%、営利保険六十四%、自己保険十四%︵保険に加入せず一切の費用を使用者が自己負担するもの。︶。 営利保険に
よる給付は州基金よりも高く、その増額率も高いし、サービスも迅速だといわれている。 ︵¢・ψ﹀・≦。H叶§①昌.ω
Oo§o窪巴89ω二昌H8刈”、あωズ××=Zρb。導H8⑩℃窓●卜。ミー旨。。︶︺
わが国では通常労災法の特徴として e使用者の無過失責任であること、⇔業務上の災害のみを対象としているこ
と、⇔目的は労働能力の回復と労働者及びその遺族の生計の維持にあること、四実損害の賠償ではなく定率補償であ
ること、㊨罰則による履行の担保がなされること、国民法上の損害賠償を排除していないこと等が挙げられるが、㈹
を除いて日米間において大差は見られない。今日、アメリカでは、船員と州際通商に従事する鉄道労働者及び労災法
の適用を除外されている労働者︵典型的には農業労働者、家事使用人、請負労働者等︶を除けば総ての労働者が労災
法 の適用下にある。
アメリカの労災法の歴史は、大局的には、使用者責任法から労災法へ、つまり、中心が使用者の責任の有無の問題
から労働者が被った災害を補償することに移っていったといえる。わが国で労基法と労災保険法が併存している状態
は・この過渡期に当るであろ寛
わが国では労働省の見解に代表されるように個々の事業主の損害賠償という考え方がかなり強いが、アメリカでは
労災については、後述するように企業を媒介としてその損害を広く社会に分散させようという見解が支配的である。
つまり、一時的には企業がそれを負担するが、最終的には消費者がその生産物の価格の一部として支払うという考え
方が、即ち生産のために流された血は消費者が補償すべきであるという考え方が支質的である。
37 (5−6 ・141) 411
三、労災補償と不法行為責任との接点
37 (5−6 ●ユ42) 412
春闘の闘争目標のぬつに掲げ、七〇年春闘でこの額は五〇〇万円に引き上げられた。労基法第一条②項を論拠に、最
中心とする春闘共闘委員会は六七年秋、労災死亡特別補償三〇〇万円要求︵上積み要求︶を決定し、六八年一六九年
しかし、わが国でも一九六八年越春闘以来、労働組合の労災に対する態度が急速に変り始めた。総評、中立労連を
︵10︶
四五〇ドルの特別給付を受けること等を規定している。
へ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ へ
に加算して支給されること︵傍点筆老︶ω従業員及びその扶養家族は外科手術の給付を受け、いかなる手術にも最高
を補償するため週六十五ドルを二十六週置支給すること、手当は当該労働者が資格を持つと思われる入院、手術給付
ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ へ
協約の第一条は㈲生命保険として死亡の際には六、五〇〇ドル支給すること、ω一時的疾病に対する手当は所得喪失
三六三の地方組合の下に約一五〇万人の組合員を有する組合。︶ のモデル協約の第九章は﹁保険﹂となっており、同
者に与える条項︵h戦ぎσqΦσΦ嵩似禅ω6す諾ω①︶を設けることは一般化している。例えば、全米自動車労組︵UAWi一、
強かった。これに対してアメリカでは法定補償のほかに労働組合が協約の中で一定の法定外補償あるいは賠償を労働
の制定以後も極めて少なかったし、又労働組合も補償問題に対する関心が薄く、法定内補償で済ませるという傾向が
労働災害に関して被災労働者やその遺族が損害賠償を請求するヶ!スは、わが国では戦後の労基法及び労災保険法
比して、労災補償の水準も低く、その改革のテンポも遅くなりがちになっている。
なく、殆んどが労働省の解釈例規で片づいており、その解釈例規を覆すような判決も少ない。その結果、アメリカに
ハ の拡大及び制度の改革を促進する役割を果しているのに比して、わが国では伝統的に裁判所に持ち込まれる事件が少
アメリカの労災法の歴史を通じていえることはアメリカでは労災法に関する裁判が多く、そのことは労働者の保護
論説
アメリカにおける労働災害補償制度(一)(林)
低基準である法定補償に対する上積みを企業に要求する組合の動きとともに企業と法定外補償または賠償協定を締結
ぬ することに成功する例もかなり増えてきている。
最近、労働組合が組合員の補償請求や賠償請求訴訟に援助や指導を行うケースも増えてきている。わが国における
労災訴訟の増加は労働関係に市民的権利意識が定着し始めたばかりではなく、法定補償についても労働者の主体的な
バねね
権利意識を確立する過程としての意義をも有していると考えられる。
たとえば、 昨年の四月、 横浜地裁が労働能力の喪失につき約三、五〇〇万円の損害賠償の請求を認めた常石造船
事件もその一例である︵本件は・東京高裁控訴艶・本件は・讐ド・クにクレ←の鋼造機の部分を発注した常
石造船が他の業者に頼まず、自社の建築課でずさんな基礎工事を行っていたため、基礎部分が壊れて横倒しになり、
大怪我をした原告がこの事故のために半身不随の状態となったケースである︵昭和四十一年四月事故発生︶。裁判所
は民法七一五条と七一七条とを適用し、三十六才の原告の得べかりし所得をホフマン式計算によって算出し、さらに
五十五才より六十三才までに得べかりし所得を加算し、見舞金、本人及び妻子への精神的慰謝料及び原告が怪我をせ
ずに働いていたならば看病の必要もなく、妻は内職も出来たであろうと看護費用と内職費用までも認めた画期的な判
決であった。季刊労働法七七号の本件に関する座談会における発言に︽こういう事件が民訴で争われねば救済されな
Wというのは本末顛倒であり、この事件が出たということによって、それ訴訟だ訴訟だというのでは救済制度が少し
も前進しない、むしろ災害補償というのはやはり、労災保険制度によって内容及び適用事業も充実してゆくべきで、
こういう事件については民法理論を生かすということは不必要にすべきである。ここで認められたから民事訴訟でい
った方が得だというようなことを労働者が考えるようになったのでは時代逆行だ。︾という意見がある︵三島教授、
同誌一八○頁︶。 だが、労働災害が労働関係の当事者によつで損害賠償の対象として争われる、つまり、労災に対す
37 (5−6 ・143) 413
37 (5−6 ●144) 414
る市民的権利の主張は、わが国における労働者の主体的権利意識の確立の布石として、むしろ長い間待たれていたも
のではあるまいか。この意識こそが市民的権利義務の法規範の成熟を見ないままに労災補償を上からの保護として一
わが国では、戦前は、労災を不法行為の問題としてとらえつつ無過失責任論をそこに導入する考え方が通説であっ
度を提案し始めている。 ︵この問題については、第三章で論述している。︶
に、労災法の適用を受ける労働者は、 損害賠償の請求を認められていない。︶にも損害賠償の請求を認めるような制
積みされることになったため、アメリカでも一部の学者は、排他的に労災法の適用下にある労働者︵既に述べたよう
の労災補償制度も両者を併存させる方式をとり始め、不法行為に対する損害賠償は、労災補償に基づく給付の上に上
ているアメリカでは、当然にこの両者による救済内容の比較が行われやすい。さらには、一九四八年以後、イギリス
だが、既に述べたように過失責任に基づく使用者責任法と労災法の二つの法制度を、労災の救済に関して併存させ
法行為責任から離れ、そして労災法独自の法理を打ち立てるかということであったのであり、民法学者の中には、労
︵17︶
災補償を厳格責任の一種としてとらえている人が少なくないことを批判している労働法学者もいる。
は、アメリカの労災法の専門家の一部によっても強く主張されている。今日までの労災法の全歴史は、いかにして不
労災法があるのに過失責任に基づく損害賠償の請求を認めることは、 労災補償制度の発展を阻害するということ
︵16︶
もに、これからのわが国の︽労災裁判︾の動向が注目されるのである。
最近、東京地裁では、労災補償問題を労働部が専門に担当することになったと聞くゆこのような裁判所の動きとと
大きさは、改めて労災補償給付の水準の低さをわれわれに示しているのである。
ところで本件の場合、労災法による給付額は二五〇∼三〇〇万円といわれ、三、五〇〇万円の損害賠償額との開きの
︵15︶
挙に導入したわが国の労災補償制度の歴史を通じて欠けていたものであった。
︵14︶
論説
アメリカにおける労働災害補償制度(一)(林)
たが、戦後は、労基法及び労災保険法の制定により労災補償制度は民法上の損害賠償制度とは異質の法理に基づくと
する説が支配的となっている。学説の大勢がこの態度をとっているにもかかわらず、労基法の構成は必ずしもこの考
え方には徹していない︵労基法八十四条②︶。これを反映してか、わが国の裁判所は、大体において不法行為責任の
発展としてとらえる傾向が強いようである。
さて、今日、労災、公害、交通事故が重大な社会問題化しているのは、わが国のみならず世界的傾向といわれてい
るが、後の二者は同時に労災問題の重要な構成要素ともなっている。職業病及び業務上あるいは通勤途上の交通災害
の問題である。公害問題に関しては、被害者の救済のために企業の無過失責任の法理の導入あるいは被害者側の因果
関係の立証責任の緩和が要請されている。この問題についてもアメリカ労災法の歴史と現状の分析が、何らかの示唆
を与えはしないかと思う。というのは、無過失責任の法理に基づく労災法が、長い苦闘の後に生み出されたアメリカ
とは異なり、わが国の場合、外形的には立法による上からの解決という形で無過失責任の導入は、何の抵抗もなく行
われたからである。
さらに、元来不法行為に属する交通事故が、その事務の迅速化と保険的処理とによって、独自の法域を形成しつつ
あることも、また世界的な傾向である。たとえば、カナダのサスカッチェワンでは、交通事故処理に無過失責任を導
入する一段階として、]定額まで無過失責任による処理を行い、一定額を越えた場合にのみ損害賠償の請求を認める
︵18︶
制度を採用しており、アメリカでも同様の提案がなされている。
このように、不法行為法と一旦不法行為法から決別した補償法とが、不法行為法自体の変化とともに再び歩み寄る
傾 向が窺われるである。
以上のような観点からも、アメリカにおける労災法の歴史を辿り、現状の問題点の分析を行うことが、わが国の労
37(5−6 ・145) 415
災法の問題を考える際にも何らかの意義を有するのではないかと思う。
本論では、アメリカの労災法の歴史を十九世紀中葉から判例を主体に辿り、その現状及び展望を考察し、 併わせて
極めて不十分ながら、わが国の労災補償の問題点の幾つかにも註の中で触れるように努めた。
︵−︶合衆国の真の歴史は運輸の歴史であり、鉄道会社の社長の名前は大統領の名前よりも重要である。 ︹フィリップ・ゲダラ
︵一八八九−一九四四年︶ーイギリスの歴史小説家︺
鉄道労働者が他の州際通商の労働者に先駆けて連邦政府による労働者保護政策の対象となった理由の一端もここにあっ
た。 一九〇八年に連邦使用者責任法が制定される以前に鉄道会社の多くは独臼の企業内労災補償計画を既に実施してい
た。︵第二章を参照されたい。︶
︵2︶アメリカの鉄道は総て私鉄であり、会社数は七〇〇を越えている。ペンシルバニア鉄道、サンタフェ鉄道等単独で日本の
頁、その他の民間工場における労災扶助の内容については、古賀・清正﹁わが国労災補償前史にかんする若干の考察﹂産
駆をなすものであったが、その本質は家父長螺温情主義にあった。 ︵小川政亮﹁社会保障﹂日本近代法発達史1、一=二
に示唆を得て明治三十八年八月に設置したものである。一応保険計算を採用した点で、ともかくもわが園の労災保険の先
共済組織を奨励設置するものもみられた。たとえば、鐘紡共済組合は、社長の武藤山治がドイツのクルップ社の福祉施設
わが国の場合にも工場法︵明治四十四年︶に先駆けて明治二十年以降紡績産業を始めとする若千の産業部門には従業員の
よる社内計画の一環として労災補償が行われていた︵U・S・スティール、インターナショナル・ハーベスタ⋮社等︶。
る意味での資本の温情ないし、慈恵的扶助であった。アメリカでは使用者責任法から労災法へと移る過渡期には大企業に
戦前におけるそれら一連の立法の性格は労鋤者の生活保障たる意味をもつのではなく、労働者の組織の対抗運動を懐柔す
︵4︶わが国においても労働災害立法はその内容や社会的機能は別として労働立法史の中で最も古くから現われている。しかし
訳編、﹁原曲ハアメリカ史﹂三、四巻。
︵3︶=①霞︽﹀瓢Φヨρ↓げ①二野8⇔什δコ○剛二①霞︽﹀号ヨω.bdoω酢。コ.87①閑ぞ霞ω菱①℃﹁Φωω・お①ご署・ωお一ωΦO、アメリカ学会
国鉄に匹敵する規模を持つ会社もある。
416
37 (5−6 ●146)
説
論
アメリカにおける労働災害補償制度(一) (林)
業労働研究所報四九号︵一九六九年︶ 一頁以下に詳しい。︶
アメリカではドイツ的温情主義を恐れる傾向が強く、企業内福祉計画に対しては労働組合からの強い反対があった。各
州の労災法の作成に際し、アメリカが全面的にイギリス法を採用した理由もここにあった。これに対してわが国では、イ
ギリス法及びドイツ法の影響が見られた。船員保護法には、イギリス法の影響が強いのに対し︵明治十二年に英国の商船
法を基調とする西洋形船員雇入雇止規則の制定をみている。この規則は同三十二年の旧商法典の中に編入された。︶、 明
治四十四年の工場法の十五条にそのまま受け継がれた明治三十八年の鉱業法の八十条はドイツ各州の鉱業法規で定められ
た鉱夫組合︵慈恵的宗教的団体︶の扶助規定によっているといわれている︵維本朗造﹁工場主の扶助義務一工場法十五条
の研究﹂京都法学十一巻三号三八七頁︶。ところで、わが国にドイツ流の労働保険が紹介され始めたのは明治十年代から
といわれ、明治十四年十二月十六日の﹁明治日報﹂にはドイツ社会保険計画について述べたカイゼルの勅語が報道されて
おり、明治十六年十二月十一日及び翌年三月十五日の同紙には﹁ドイツ保険法典﹂が紹介されている︵小川、前掲論文二
百十二頁、坂寄俊雄﹁社会保障﹂=一三頁︶。明治十三年官営工場払下げ決定の翌年には早くも工場立法が企てられ、日
清戦争︵一八九四年一九五年︶以後ほとんど毎年立法が企てられていたが繊維業を中心とする資本家の激しい反対によっ
て実現しなかった。 ︵当時全労働者の六十五%を占めていた女子労働者の内八十四%は、繊維女工であった。︶
︵5︶適用除外の申請には明示の意思表示が必要とされるが、たとえば筆者が一九六九年中ら一九七〇年にかけて滞在していた
ルイジアナ州では実際に適用除外の申請した事例は皆無といってよい程であった。
︵6︶鉄道労働者と船員に関しては今日まで多数の労災法案が議会に提出されたが、いずれも労働組合の強い反対で立法化され
ていない︵この問題については第三章にて説明した。︶。アメリカの船員及び鉄道労働者組合が使用者責任法を廃止して労
災法を制定することに反対している最大の理由は、現在の使用者責任法の下で労働者が享受している以上のものを労災法
が給付しないということである。短期の傷病の場合にはむしろ補償給付の方に利点があるが、長期の場合には不法行為に
基づく損害賠償の方がはるかに多額になっている。イギリスのビヴァリッジ報告も、労災法が労働者に定率補償を自動的
に迅速に給付し、労使関係を継続させ、回復した場合には職場への復帰を容易にし、メリット制の保険料は災害の防止に
役立ち、使用者は責任を担保することができた、このように労災保険制度は労使の双方に利益を与えたと述べ、しかし、
ω最終的手段としては訴訟に頼っている、②労働者が訴訟を起す場合に労働者を援助する機構がない、⑧補償の支給に関
37 (5−6 ●147) 417
百冊
説
昏氏
して安全な保証がな・い、㈲労災法による諸給付が労働者のニードを充たしていない、㈲強制保険よりも運営費用が高い、
ゆ個々の使用者責任を基礎とする労災法はある種の職業病をカバーすることを困難にしている等を労災法の欠点として挙
げていた︵≦帥一一㌶§cσΦ︿Φ門乙ぴqOQQoo⋮巴ぎ。α雲切8p。飼鳥﹀二︸Φ鳥留噌≦o①ω・客メ”竃欝。ζ圃=mP一⑩爵・℃舞¶⑩︶。
わが国の場合にも損害賠償額と労災補償額との間の差異は大きいといわれ、後に述べる﹁常石造船事件﹂は、具体的に
この差額の大きさをわれわれに示した点で注目された。
︵7︶ ﹁労災保険制度は労基法による災害補償制度から直接的に派生したものではなく、両者は業務災害に対する事業上の補償
責任の法理を共通の基盤として並行しているものと理解すべきであり、現実の状態においてはむしろ後者は未加入事業に
ついて前者を補充する関係に立つこととなった。それと同時に両者の補償内容の格差も顕著となったことに伴い労災補償
制度全体としては近い将来に現在のような二元的状態を克服し、労災保険制度に︸元化さるべきことが要請されるのであ
って、 今次改正における全面適用の指向もかかる要請に応えようとするものにほかならない。﹂︵労働省、 労災補償部編
著、﹁新労災保険法﹂二三二頁︶ 昭和四十年度の改正における労災保険による労基法上の労働者ではない一−人親方への適
用開始及び重い障害に対する補償の年金化、打切補償に代る長期傷病給付導入、遺族補償給付の年金化等は、既に労基法
上の責任保険より社会保険への歩みを進め、労災保険法の労基法からの離脱を示すものとして注目される。
︵8︶アメリカでは通勤災害は労災補償の対象とはならないというのが一般原則となっている。消費者による危険負担という考
え方が、この種の災害を労災法の適用除外とする一理由となっているのではないかと考えられる。イギリス労災法の影響
の強いアメリカ法は、二要件主義をとっているが、最近の判例の傾向は、業務関連性?○昆−8ヨΦo甑§︶を重視し、実
質的一要件主義をとる傾向にある。にもかかわらず、交通事故発生現場を公道と私的所有地とに分け、公道での事故には、
もはや生産関係がないと考えているようである。この事故の例外となるのは職場と近接した場所での事故である。例えば
工場と隣接した踏切りにおける事故及び職場から出た途端の事故 ︵↓町民鐸○一泊Uo6賃貯①︶等が適用対象の事故とみなれ
さている。 ︵ζ糞。一9①俸霊鋤葺’≦O芽ヨΦ⇒、ωOOヨ需ロ鋸江OP≦Φ馨℃鐸ケOOこお①ω燭℃℃﹂◎◎O一一〇。蒔︶
︵9︶英・米では不法行為の判例が非常に多いのに比して、戦前の日本では民事に関してはほとんど損害賠償請求事件はなかっ
た。わが国の救憶や扶助の制度が、私法的不法行為とは別個に恩恵的な性格をもって採用され、労災も不法行為として裁
判所の問題となることは殆んどなかった︵荒木誠之﹁災害補償理論の展開﹂季労二七号二∼一五頁︶。これは英・米・仏
37 (5一・6 ・ 148) 418
アメリカにおける労働災害補償制度(一) (林)
その他の西欧諸国との著しい相違である。これちの諸国では使用者の無過失賠償責任が激しい闘争の後に生み出されたの
に比してわが国では最初から立法化されていた︵工場法十五条︶ことによっても示される。現在のわが国の労災補償制度
は、憲法発布後労基法の出現によって生まれたものであるが、大正五年の工場法施行令と労基法とを比較対照するとき、
消 却
下 差し戻し
十七
十七
三二七︵16%︶
一〇四︵5%︶
、=二三︵57%︶
四三七︵22%︶
二、○〇一︵㎜%︶
計
既に今日の労基法上の労災補償制度の骨格は出来上っていたことがわかる。しかし、それを支える基本的精神は著しく異
上 取
二〇
五一
九〇︵22%︶
一〇〇
τ、四七〇︵・・%︶二二六三︵・・%︶
一七三︵17%︶
二三
合
なっている。 ︵労働省編﹁運動史﹂⑳九三七一九六四頁参照のこと。︶
体
裁 決 別 棄
事件逆
一1!ーー1
三七︵㎎%泓
)
全
業務上・外
八六器%︶﹁
三四︵34%︶
山ハ山ハ︵23%︶
八
障害等級
給付制限
66
%
二三︵77%︶︸
登
﹁アメリカの労働問題﹂一九六六年六号、八Oi八八頁。団体交渉に基づく全般的な保健福祉は、ω入院給付、②生命保
労災法と社会保障法﹂で述べるようにアメリカの社会保障は非常に限定されておりその内容も貧弱であるために、労働協
のは少ない。︶ 坂本浜雄﹁アメリカ労働協約の医療保障条項﹂一橋論叢、第五七巻五号六四六頁。本稿の第三章第三節﹁
科、眼科の治療のための給付に及び必要費は全額使用者負担となっている。 ︵但し、扶養家族が適用範囲に入れられるも
険、姻事故死及び傷害給付、凶労災疾病、労働不能給付、 ㈲外科保険、 ㈲病院内外の医療給付、㎝出産、小児マヒ、歯
︵10︶
例解しによる。
が、障害等級に関する不服と業務上・外の認定に関する不服が圧倒的に多いことがわかる。本影は上山顕﹁労働保険裁決
右の表は、昭和三十一年に設置された労働保険審査会の同年八月から昭和四〇年九月までの裁決実数の内容分類である
そ の 他
ス
約の医療保障条項が充実する傾向にある。わが国の場合にも昭和四十五年の中央労働委員会事務局の労働協約調査によれ
37 (5−6 ●149) 419
_1_
説
論
ば、同調査の対象となった三六八協約のうち二六七協約が労災補償に関する規定を有しており、そのうち具体的な規定を
﹁七〇年春闘労働災害かくとく中間集計﹂労働法律旬報ぎ●起伊①、=一頁
っているものがそのうち約四十四%となっている︵日本労働協会﹁最近の労働協約﹂二=二頁︶。
有するのは二一二八協約であり、その内容は労基法上の補償と大差ないが、休業補償については法定補償を上回る給付を行
︵11︶
企業負担による補償として注目されるのは通勤途上の事故に対するものである。四十四年秋闘で私鉄総連は、産別統一闘
争として﹁企業内業務上﹂として︵出勤のみ、一部は往復︶通勤事故補償を獲得している。蛍働災害による死傷事故の十
五%が通勤災害であるにもかかわらず、通勤途上の事故は原則として業務上災害とはみなされていない。通勤なくして労
働はありえず、非常に拘束性の強いものでありながらも、直ちに労災保険の適用事故とすることには、その責任を企業に
だけ負わせられない社会責任の強いものだけに問題があるとされているし、自動車損害賠償保障法との調整も問題点の一
つである。一九六四年のILO一二一号条約︵﹁業務災害と職業病の場合の給付に関する条約﹂は、 その七条②で、定期
通勤事故を業務災害の定義の中に含めるように規定しており、この方法をとる国は現在四十豊国余りとなっている。わが
国の場合にも最終的には立法による解決が急務とされるが、昭和四十四年、労働省に﹁通勤途上災害調査会﹂が設けられ
た。 ︵その前後の経緯については、保原喜志夫﹁通勤途上の災害﹂労働法学会誌三六号一四七頁以下を参照されたい。︶
先頃、労働省は、﹁労働災害白書﹂︵働く人の安全と健康︶を初めてまとめて閣議に提出した。昭和四十四年度の労災に
よる死亡者数は約六千二百人となっているが、アメリカの死亡者数は、少し古いが一九六六年で約一万四千五百人であっ
た。同白書によれば、職業病は、四十四年中約三万件で、過去五年間で約五割の増加となっているのが注目された︵昭和
四十六年二月二十六日、毎日新聞夕刊︶。ところで、職業病に関してアメリカでは、連邦及び半数以上の州が包括適用主
義を採用しているのに対し、わが国は列挙主義をとっている︵労基法施行則規三十五条︶。昭和四十三年の腰痛に関する
通達にも示されるように、複雑かつ緊張化する労働条件とともに労基法施行規則三十五条の三十八号の活用が重要となっ
てくると思われる。たとえば、国家公務員についてではあるが、国家公務員災害補償法に基づく人事院規則一六一○の十
条及び別表第一に列挙された疾病ではなくとも、公務により既応症︵胃ガン︶が悪化して死亡した場合に公務上の災害と
判示されたケースがある。︵第一審では、疾病と勤務の間の因果関係が否定されていた。 東京高裁﹁遺族補償請求控訴事
件﹂労働法律旬報賓9謡O別冊︶。
37 (5−6 0150) 420
アメリカにおける労働災害補償制度(一) (林)
職業病とそれ以外の一般的な疾病とを区別することが困難になってきている今日、業務に起因するという条件を新しい
共同体責任i社会的連帯性に基づいた責任1としなければならないという意見もみられる︵たとえば↓。巨。震αq蓉罫
↓ずΦω需。三一↓お緯ヨ①馨oh国二兎○団ヨΦ9ぎ言q言ω02巴ω8ξ洋ざ一ピ幻く。一.一〇卜。ゆり8・。。サ一雪O︶が、既にオランダで
は一九六七年十二月四日法︵Qa冨緯ωげ巴92σ・①ミ︶によって一九六八年一月一日より、 業務上・外を区別せず一切の疾病
を取り扱う保険計画を実施している。財源は、十五才から六十五才の被保険者の拠出と国庫補助とによって賄われている
︵被保険者の拠出は、一九六八年は年収の○・四%、最高一五、三五〇フローリンとなっている。一フローリンは約一〇
〇円に当る。︶。その成果が注目されるケースである︵ぎ霞。良琴江。⇒Oh罎ε自−震葵QQ貯ζΦωωぎω霞き6①鴇剛ωQo界××戸
ぎ●卜。り一⑩①P唇●N誤ーミ①︶。
︵12︶荒木誠之﹁技術革新・産業合理化と労働災害﹂法律時報、一九七〇年二月号二一二頁。
︵13︶本判決に関する資料としては、労働法律旬報客ρ起O別冊、岡村親宜﹁労働災害をめぐる裁判所闘争の現状と問題点﹂労働
法律旬報Z9起㎝.①、三三頁、﹁労災裁判闘争の勝利﹂月刊いのち、一九七〇年六月口75、 松島・三島・馬場三氏による本件
に関する座談会﹁業務上災害と損害賠償責任﹂季刊労働法七七号一七六一一九四頁等がある。
︵14︶荒木、前掲論文二一二頁。
︵15︶ソ連では、社会保険計画︵閑Q。閃ω戸OO紆oh昏①冨≦8片ぴ①霊9さ。﹂刈︶に組み込まれない労働者︵例えば請負業者︶
が、入的傷害を蒙った場合には無料の医療を受けられるだけで、労働不能に対しては何の補償も認められなかったのを改
めるために新民法曲ハの四〇六及び四=条で民事訴訟を起こすことを認めることになった。但し、損害賠償額の算定に際
しては、相手方の支払能力を考慮に入れることを規定している。不法行為に対する懲戒としての損害賠償の役割を考慮し
た法の改正であるといわれている︵旨≧エ①母﹃鼻℃臼ωo呂二εξ矯①&○。o≦卑ω8芭δβ①㎝工髪︿.炉窄℃,総α1
㎝。。ご曲り認︶。三、五〇〇万円の損害賠償の支払いを企業に命じた﹁常石造船事件﹂も、懲戒的意味を持っていると考えら
れるが、支払いの担保の問題が考慮されねばならない。しかし、いかに多額の損害賠償を受けようと、失われた生命及び
身体の健康は回復されない。何よりも労働の安全の確保こそが急務なのである。
︵16︶ ﹁モーレツ社員と業務上の事故補償﹂、法学セミナー、一九七〇年十二月号四四頁。
︵17︶たとえば、﹀’霊話oPピ巽ωoロ.ωを。穿ヨ①5.ωOoヨ需霧雪δコピ帥牽。剴類●℃為●き自を巴富﹁Φω邸8帥昌自乏。蒔ヨ雪、ω
37 (5−6 ●151) 421
OOヨ梱︶2沼郎09q乞>OOじ細℃や﹄①ート。S
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﹁轟ご醤”O鎚9菊①8簿∪Φ︿Φδ℃ヨ⑦三ω言﹀簿。ヨ○げ二Φ︾8三Φ簿Ooヨ葛。鈴江0780◎一
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じり卑
︵18︶
簿嵩働O.Oo鄭鳥鉱一・bご貸爵ω圃。℃お什①9陣。嵩8戦昏Φ↓欝離開。<剛2一ヨ矯轡蹄二ΦQd8≦P餌助筆Oo二お①㎝・
第一章 コモン・ローにおけるアメリカの使用者責任
定の義務を課していた。これらの義務は労使関係の特殊性ゆえにコモン・ローが形成したという見解 ︵﹁使用者と労
ところで労使関係は契約関係であり、この契約が一旦成立するとコモン・ロ⋮は、使用者に労働者保護に関する一
った。
かっただけではなく、訴訟は遅延し、勝訴した場合にも弁護士料やその他の諸費用を差し引いた残額は僅なものであ
璽使用者の過失を立証する義務は労働者側にあった。労災に対する損害賠償が労働者に認められることは殆んどな
初期のコモン・ローにおいては労働災害に遇った労働者は侵害訴訟に基づいてのみ使用老を訴えることができた
第馴節 使用巻のコモン・目一上の義務
Ω讐① ◎ α 博 H ㊤ ㎝ 9 ℃ 9 刈 刈 ・
買い叩こうとしている。しと証言していた。︾ じヴ。︽雲磐◎竃。鑓グ轡菩。暁ω.ご葺。鶯ω8触ざ2・︿・9厳①δ昌﹀ωω9
年に上院労使関係調査委員会の前で、ある労働者は﹁使用者は労働力を機械と同じだと考えており、出来るだけ安く
のような状況では、労働力は商品として取り扱われ、労働力の損傷は機械の減価償却と同様に処理された。一八八三
︽産業労働の生産性は一八六五年から一八八九年の間に三倍から四倍となり、ある産業ではそれ以上になった。そ
論説
37 (5−6 魯152) 422
アメリカにおける労働災害補償制度(一)(林)
働者という単なる関係は、使用者が自分に払う以上の義務を労働者に払わなければならないということを暗黙のうち
に含んではいない。しかし、使用者は判断の及ぶ限りで労働者の雇用中の安全を保障する義務を有する。﹂ ℃ユ①ω二く
<●﹁o≦一①さ蕊G。8ω遣戸芝・ピ竃一﹄弓卸国.ω09昌・匂・国×●誌℃H一ξ●り○。8G。腿O一σq①ω只閑Φ覧︶℃Q。H︶と、 雇用契約幽
中に暗黙のうちに含まれているという見解とがある ︵﹁巽≦Φ若く・じdoω8づ卿謡。﹁o①ω8﹁閑零OoこH。。自℃腿ζ①蝕。・
ζ霧ω・お矯Z9・惹旨。おく.Ω①く巴き9ρρ卿ω戸い.力ざOoこ蕊ΦρΦ無音・8Q。︶。
さて、この義務を怠ったために生じた労災に対する使用者責任の範囲は雇用契約に基づくといわれていたが、その
範囲は産業関係に対する裁判所の態度に応じて時代とともに変化してきている。コモン・ロー上の使用者責任は制定
︵2︶
法によってではなく裁判所によって形成されてきたのである。
ところで使用者の労働者保護義務は㈲安全な職場を与えること、ω安全な道具及び設備を提供すること、ω労働者
の気づかない危険に対して労働者に警告及び指示を与えること、ω適格な労働者を必要な人員だけ揃えること、㈲就
業に関する規則を作成することとなっていたが、使用者の労働者保護義務に関する限り、大陸法とコモン・ローの間
ヨ に大差は認められない。
それぞれの義務の内容は次のようなものであった。㈲安全な職場を与えること1使用者が安全な職場を提供し、職
場の安全のために通常の注意義務を履行することは雇用契約に含まれた暗黙の条件である。職場とは、現実に仕事の
なされる場所だけではなく、 足場︵竃。じd$昏く・切圧気ρおOピ同露≡●露ρ①一Z・南●Q。癖8①㊤ピ・カ.︾・①竃︶、
また使用者が特定の道を通るように指示した場合には、トラックの通る通路及び橋をも含む︵Z①①皆響く・Oo凝滞お℃
お。。Q。℃H霧︾葵・刈㊤ρ 二鼻ω・芝・N血.合α︶。使用者は仕事場が安全か否か相当の検査を行う義務を負う。しかし、
使用者のこの義務は絶対的なものではなく、使用者はフェロー・サーバント・ルールと危険引受けの抗弁とによって
37 (5−6 ・153) 423
ない︵封じd帥鼠く.管毛●じd剛ωず○℃Ooこ痴りOQ。隔Hり㊤7一鋤ωω・励α心℃Q。q2●国’○◎P嵩ピ●夘.︾こZσoり・ミ9お¶︾§●ω鉾
は、機械の欠陥による災害と同様に労働者の不適格性によって仲間労働者の蒙った災害に対して責任を負わねばなら
員だけ揃えること一ある意味では労働者は道具の一種であるといわれ、使用者が不適格な労働者を雇い入れた場舎に
引き受けたとみなされていた︵閃鋤二涛ω∼.・霊ωoゴ㊦さH⑩軽ドωおや駆○。㎝博培﹀りNα・q醤︶。ω適格な労働者を必要な人
貯09N坤渇ひqOρ<.南叫号冨oP同Q。㊤ω℃頓○○︾●ω腿厨α㎝男Φ山.㊤お︶。 一般に熟練労働者は、未熟練労働者以上の危険を
に自然に払う程度の義務を要求されているにすぎなかった︵8富ぎく●園ざOoこμQ。㊤野G。MZ’じ弓●も。OPゆ○ぽ嵩ζ讐亭
b。ON勺5一〇9にO>・露卜。︶。若年労働者や未経験労働者に対しても、使用者は同様の環境の下で通常の用心深い労働者
いことを労働者が自らの経験や理解から明らかに知っていた場合は除かれる︵しd磐ヨ餌蹟9Φ﹁<・勺Φ毒・即OoこH㊤b。G。”
る。但し、労働者が危険を彼の仕事に必然的に附随するものと予見していた場合や、使用者が予見することができな
イ 知ることのできる、あるいは知りうべきであった欠陥及び危険につき使用者は労働者に警告と指示を与える義務があ
ない危険に対して警告及び指示を与えること一労働者が気づかない欠陥又は危険のうち使用者が相当に注意を払えば
てはいない。 ︵<園餌ωぴ一コ幅四δO嵩 俸 ∩甲.菊● ︵︶○。 <・ζO︼Ψ冷罵Φ博 HOO㊤O鴇 HO ω● 0戸 一〇野駆層 ω屯[’ 国α。 bOも。切︶。 ⑭労働者が気づか
聞①℃●$Q。︶。 しかし、この義務は使用者が必ずしも最も安全なあるいは最新の設備を与えねばならないことを意味し
菊記号我OoこHOG¶ρH80・ω・bこお”留囲・惣門2卜。鴇閃霞α<●霊8喜霞σq幻・OOこ蜀鵡博一〇〇ζ霧ω.漣9 置︾幹
備が安全であるように相当の検査をする必要があり、その義務を継続的に履行することを要求される︵国。¢αqびく●
らない︵しd︽憎護①<・円鋤。っ梓§①鵠ω℃OO●O暁Z。駁こ一〇〇9μ①ω2●磯.戯①厨㎝¶2●国・刈ω○◎︶。使用者は労働者の使用する設
37 (5−6 ●154) 424
義務を免れることが出来た。ω安全な道具及び設備を提供すること1使用者は安全な器具、道具、施設等を提供する
義務を有し、彼が当然に知っていたか、あるいは相当の検査によって知ることの出来た欠陥に対し責任を負わねばな
説
論
アメリカにおける労働災害補償制度(一)(林)
閑①℃.お刈︶。仕事を安全に遂行できるだけの人数の労働者を雇い入れないことは使用者の過失であるとされていたが、
労働者は損害賠償の請求をするためには、当該労働者の不適格性を立証するだけではなく、その労働者を雇い入れた
︵5︶
際に使用者が相当な注意を払わなかったということをも立証せねばならなかった。㈲就業に関する規則を作成するこ
と1使用者は安全労働のために就業に関する規則を作成し、それを履行するために相当の注意を払わなければならな
い。規則作成義務には、たとえば、適当なスペースを仕事のために与えるというような使用者の委託不能義務を履行
する方法を示したものと、特別の場合を除き、通常は労働者に委ねられている事柄を詳細に規定したものという二つ
のカテゴリーに分けられるといわれている。しかし、このような義務も絶対的なものではなく、雇用に附随する危
険、明白な危険、及び仲間労働者の過失から生ずる危険、あるいは労働者自身の過失によって生ずる一切の危険は総
HG。④Q。”露Z●い冒.沼℃自︾●Nb。昏︶。
て、労働者が雇用関係に入り、かつそれが継続するときには引受けられたものと考えられていた︵く。ω。。<.OΦ一①≦碧ρ
︵7︶
第二節 使用者のコモン・ロー上の抗弁
コモン・ローの成熟期には、過失責任に基づく訴訟以外には何の救済形式も労働災害に対して認められていなかっ
た。そして、この損害賠償請求権もω寄与過失、ω危険引受け、ωフェロー・サーバント・ルールの抗弁によって大
巾に制約されていたのである。これらの三つの抗弁が総そ覆されることは、多くの場合不可能であった。 ︵これらの
抗弁が﹁聖ならざる三位一体﹂と呼ばれた所以である。︶ 以下これらの抗弁を具体的に説明したい。
㈲ 寄与過失︵8算脱ぎ痺。蔓昌Φαq=αq窪。Φ︶ 相当に安全な仕事場を与えることや適切な道具や設備を与えることに
っき使用者に過失があったことを労働者が立証したとしても、労働者がその危険を知っていた場合や、労働者自身に
37 (5−6 ●155) 425
者に過失があった場合にも、鉄道会社が事故を避けるべき最後の機会を有していたならば、会社は損害賠償の支払い﹁
︵ω§⇔=∼、’じdO馨O二俸H≦O●知.OOこHΦも◎鼻”○◎刈2の鵠。ω9H刈ω諺●GOOO一︶。
を免れぬと裁判所は判示した。 一般に、最後の機会則 ︵9①貯馨2¢霞9舞。①門十傑 と呼ばれるルールである
︵9︶
ω危険引受け︵霧蟹§讐δづ。暁貼出罫︶使用者がコモン・ロ:上気に課せられた義務を正当に履行したにもかかわら
ず生じた危険は、雇用に附随する危険として労働者によって引受けられたものとみなされていた︵§鼠。。8くり↓箒
O㊦暮二一園会。葺。鋤⊆Ooこ同○◎①9。◇一2。旨じ魅ω︶。 ところで先の寄与過失と危険引受けとが、いかに異なるかが問題
となる。実際のところ両者の間に大きな違いがあるとは考えられないが、裁判所は次のように両者を区別している。
危険引受けは危険を認識し、それを黙認することであるが、寄与過失とは、通常のあるいは相当の行為から離脱する
ことである。結局、両者の差異は、明らかに認識される危険で労働者が当然に知っていると考えられるものと、労働
︵10︶
者が通常の注意を払うことにより発見できる危険との差異であると、裁判所は考えているようである。
だが一九〇八年の連邦職員労災補償法のように、危険引受けの抗弁は廃止しても、部分的抗弁として寄与過失を残
している場合には、両老の瀬音をすることが必要となる。連邦法による寄与過失の抗弁の部分的修正は、普通、比較
過失の原則︵8ヨ℃鷲9。銘ノ.Φ嵩Φぴq︸一αQ①琴①毎戸Φ︶と呼ばれる原則である。 コモン・ロ;上、労働者に過失があれば、そ
の過失の程度の如何を問わず、一切の賠償が拒否されていた。この原則を、過失に段階を設けることにより緩和した
のが比較過失の原則であり、連邦のほかテネシー、ジョージア、 イリノイの各州がこの原則を採用した。 この原則
は、海事法上のルールを導入したものであり、海事法における比較過失の原刻は、有名な↓7Φ冨鋤×ζ〇三ω事件に
37 (5−6 。 156) 426
︵8︶
過失があった場合には損害賠償の請求を認められなかった。
しかし、この抗弁は裁判所によって部分的には廃止された。たとえば、線路巡視人が業務上死亡した事件で、労働
説
論
アメリカにおける労働災害補償制度(一)(林)
︵11︶
由来している。
0フェロー・サーバント・ルール ︵囲Φ一一〇類 ω⑦叫く麟謬叶 ﹁¢一①︶ 十九世紀の後半、既に、使用者の他の抗弁が恐るべき状
︵
態に達していたときに、フェロー・サーバント.ルールが誕生したのであった。
︵12︶
イギリスでは、一八三七年に、津一①ω鉱①︽<.閃。≦一三事件によって既にこのルールが確立していた。本判決が下さ
れた頃には、過失法は未だ生まれたばかりであった。イギリスの判例中、業務遂行中に仲間労働者の過失によって傷
害を蒙った労働者が使用者に損害賠償を求めた事件は、一八三七年以前にはなかったといわれ、本判決の中でアービ
ンガー卿は、使用者の普通の過失に対して労働者が使用者を訴えた先例はなかったと述べている。
戯ζ①陣ρζ器ω.お一ω。。﹀ぎ●∪①o・ωG。㊤︶事件によって、アメリカに導入された。本判決は、 アメリカにおける危険引
この事件から十二年後に、フェロー・サーバント・ルールは、男山≦Φ塞く.じdoω8二七≦o円Φω審﹃菊ざ︵HQ。凸博
︵13︶
受けの抗弁とフェロー・サーバント・ルールを確立した事件として有名であり、この判決は、逆に、イギリスにおけ
る判決にも広く引用された の で あ っ た 。
フェロー・サーバント・ルールは、労働者が互に親しく接していて個人的によく知っているような小企業や商店に
は妥当したかもしれないが、大企業の場合には適切なルールではないことは明らかであった。それにもかかわらずこ
のようなルールを裁判所が形成した背景には、労働者の安全を保護しようという意図と企業の負担を軽減し、産業の
育成を計ろうとする裁判所の意図の葛藤があったと考えられる。 本判決から二十年後に﹁は、危険引受けとフェロー
・サーバント・ルールの抗弁は、英、米両国においてしっかりと根を下し、マスターとサーバソトに関するコモン・
ローの重要な部分となっていた。だが、このルールは、後には裁判所自身によって制約された。たとえば使用者自身
にも過失があれば、このルールを抗弁として使うことは認められなかったし、さらに、災害に遇った労働老が、災害
427
37 (5−6 . 157)
なかった。︽フェロー・サ⋮バント・ルールが形成された頃と異なり、企業は拡大し、業務は複雑になったため、労
働者はそれぞれ異なった業務を分担し、互に独立している。古い論理は、今日の新しい状況には当はまらない。︾と
いう考え方を裁判所は徐々に取り始めたが、このルールは、後述する使用者責任法によっても完全に廃止されず、労
災法制定に至るまで生き残ったのである。
第三節 裁判所によるコモン・ロー上の抗弁の修正
閃。ゆ暑Φ一一事件によって裁判所がフェロー・サーバソト・ルールの抗弁を認めるようになってから間もなく、少くは
あったが裁判所の中には副本人原則︵<ぢΦ℃認コ06巴戦巳①︶、 つまり、 原告に対して使用者を代表するような権限を
︵15︶
有する労働者は、フェロー・サーバントではないという原則を採用するものもあった。
お フェロー・サーバント・ルールを最初に廃止したのはオハイオ州で、一八五一年のことであった。その理由は、企
業はその代理人が過失によって第三者に引き起こした傷害に対しては全面的に責任を負うにもかかわらず、雇用して
いる労働者には損害賠償を支払わなくてもよいというのは不合理だということにあった。
フェロー・サーバント・ルールに対する他の例外的規則に、使用者の委託不能義務︵瞬登デαΦ=ぴq鋤三Φ9鉱①ω︶と呼ば
れるルールがある。適格な労働者を雇い、相当に安全な通路や仕事場を与えること、一定の検査と監督を行うこと等
︵他人に委託することのできない義務︶を怠った使用者は、フェロー・サーバント・ルールを抗弁として主張するこ
とはできないという原則である。 但し、当該労働者が、 事故の原因となった欠陥あるいは使用者の過失を知ってい
た場合には損害賠償は認められなかった。 使用者の委託不能義務の原則は、 イギリスの一八八○年の使用者責任法
37 (5一一一6 5!58) 428
を引き起こした労働者と同じ使用者の下で、コモン・エンプロイメントに従事していたことが立証されなければなら
︵14︶
論説
アメリカにおける労働災害補償制度(一) (林)
︵↓げ①国§覧OくΦ房、冒冨び=潔く︾OρHQQOQ9腿QO卸蔭軽”<ざ戸O巨軋N︶ の第一条に規定されていたルールであるが、それ
を基にしたアメリカでは、既に述べたように裁判所によって法令とは独立に発展させられたルールであることが注目
される。
イギリス及びアメリカの裁判所は、使用者の安全法規違反に起因する危険は、いわゆる危険引受けの中には含まれ
ないと判示し、アメリカの幾つかの州は寄与過失の抗弁については比較過失の原則を採用することによってこれを修
正した。
このように、コモン・ロー上の使用者の抗弁の修正は、ある程度まで裁判所自身の努力によって行われたにもかか
わらず、改革は十分ではなく労働者の真の救済とはなりえなかった。結局、立法による改革がなされることになった
この訴訟は、場合訴訟︵贈O白一〇⇒ O昌 辞プ⑦ 6螢ωO︶であり、歴史的にはトレスパスから派生している。 トレスパスによる訴訟
のである。これが、十九世紀末から二十世紀初頭にかけて各州に誕生した使用者責任法である。
︵−︶
は、ある人に直接に傷害を与えたときには可能であったが、裁判所は類推適用によって間接的な侵害に対しても場合侵害
訴訟︵窪Φω09。のωoコ昏①8給︶を認めた。物で直接に人を傷つけたときにはトレスパスの訴訟であり、物を放置したため人
が誤ってこれにより傷ついたときに提起されたのが場合侵害訴訟である。 ︵高柳・未延編﹁英米法辞典﹂参照︶
︵2︶使用者責任法には、ローマ法系とゲルマン法系の二系譜がある。ローマ法では何人も自己の故意・過失についてのみ責任
を負い、他人の行為については責任を負わないのを原則とした。ただ、例外的に奴隷の主人が奴隷の行為について責任を
負った︵⇔O叶一〇昌 昌○×帥一一ω︶ほか、旅館の主人及び船主がその使用人の窃盗その他の不法行為に対して責任を負うという制
度︵自・げω9昇①雪げ三身︶があった。これに対してゲルマン法は、原因責任︵<ΦB武器ω琶αq℃ユ言号︶が一般的であったが、
他人の行為に対する責任も広く承認されていた。このように大陸法における使用者責任の制度が概ね過失責任主義をとっ
ているのに対して特色的なのは英米法である。英米法では今日の使用者責任は︵♂、帥$ユ。島一子ぴ二身きα冨諺。墨=冨げ凶〒
37 (5−6 ・159) 429
養冊
説
曇△,
一族︶十七世紀のコモン・ローにおいて確立されたものであるが、 その起源がローマ法にあるのか、あるいはゲルマン法
にあるのかについて意見の対立がある︵霞錠零﹁器α冨ヨΦρ↓冨ピ鋤≦oh8霞声く。一.ド一霧9一︶﹂ω忠餌。・︶。しかし、
イギリスにおいては使用者が被用者の行為に対して責任を負う中盤的な制度は十六世紀までに消滅してしまったといわ
れ、十七世紀以降の使用者責任の発達は、まったく商工業の発達に促された新しいものであり、今日の使用者の無過失責
任は政策的なものだとされている︵注釈民法十九巻、債権⑳二六六−二六七頁、拙稿﹁イギリスにおける雇用契約法理の
一考察﹂産業労働研究所報五一号二七頁︶。 わが国の場合には使用者の無過失責任は直接に制定法によって︵鉱業法八十
条、工場法十五条︶導入されたが、工場法制定以前に治安警察法によって既に一切の団結が刑法上の犯罪とされていたた
め工場法の実施いかんは工場主の恩恵にゆだねられていた。
︵3︶≦.じ零。ω霞圃ピ睾9↓。簿ωし㊤毅曽斜望.棄婁雪げ・o・・薯.ω、謎一ω・。・。・
︵4︶ω⑩09心。。①噂譲学①8・
︵5︶≦。。9ζ蝉。・8﹃俸。。興毒昌rQ。Φ○凸p
︵6︶霊9簿℃ζ鋤ω8触⇔匿留H<霧只冒匹●国ρyお一ω●ω①o・。。霞噛。。Φ9に¶。。二一霜⑩●
︵7︶わが国の使用者の安全義務は、労基法四十二、四十三条に一般原則が定められ、細則は命令に委ねられているが、使用者
の安全義務を雇用契約に求める学説が有力で労働契約上の義務と解し、判例の多数は労基法上の特別義務と解しているよ
うである。不法行為上の注意義務と解する見解は少数の判例にのみ見い出される。立法上の使用者の安全衛生に関する義
務を明文化している例としては、フランスの一八九八年四・忍法、ドイツ民法︵一八九八年八月︶六百十八条、営業条例
百二十条a等がある。 ︵桑原呂宏﹁安全衛生﹂新労働法講座八韓三∼一九頁︶
︵8︶自身に過失があれば他人の過失に対して損害賠償を請求できないということは、コモン・ローにおける比較的新しい原則
であり、労使関係だけではなく他の関係にも適用された。しかし、この問題は、アメリカにおいては、︸部の州における
比較過失の導入及び最終的には無過失責任の導入によって徐々に解決されていった。わが国の労基法七十八条は、行政庁
の認定を条件として、労働者に重過失のあった場合には使用者の労災補償の支払いを免除している。諸外国の立法例をみ
ると故意又は犯罪によらぬかぎり労働者に重過失があった場合にも、使用者は補償貨任を免れないのが通例であるのに、
わが国にだけこうした条文が設けられているのは、工場法および鉱業法にもこの種の規定があったのを踏襲したものだと
37(5一一一6 .160) 430
アメリカにおける労働災害補償制度(一)(林)
いわれている︵佐藤一三島﹁労働者の災害補償﹂九三一九四頁︶。アメリカにおける多数説は、過失に段階を設けること
を否定し、重過失の概念を認めていない。
︵9︶最後の機会則とは、相手方に対して災害による損害の発生を未然に防ぐ最後の機会を有していた人は責任を負わねばなら
ないという原則である。イギリスでは、一九四四年に鋸≦男臥。﹁ヨ︵Oo糞ユ98﹃︽Z⑦oq財αqΦ琴。︶﹀簿によって、寄与過失
と最後の機会の抗弁は廃止された。アメリカではいくつかの州︵例えば、フロリダ、アイオワ、ヴァージニア、ミシシッ
ピー︶と連邦使用者責任法及び海商法を除いて最後の機会の抗弁を認めている。
一。。㊤P一巽qψ一、一部は自身の過失から、一部は上級船員の過失によって、労働災害に遇い、負傷した船員が︵海事不
︵−o︶≦.r寄。ωωoき。ウ6陣f℃Pωお一ω。。c。.
︵11︶
法行為︶海事裁判所を通じてその船舶を訴えた事件である。︽原告が過失によって事故の発生に寄与した場合には一切の
賠償を請求できないというのがコモン・ローのルールである。しかし、原告の傷病が一部は自己の過失に起因するもので
あっても、一切の賠償を拒否するのは正当ではない。平等の正義、ヒューマニティ、生命、人体の安全及び公序良俗から
考えても、たとえ原告に過失があったにせよ、船舶が損害の一部を賠償するのが妥当である。︾と裁判所は述べている。海
事法と他の法分野との関係について、有名な司碧≦o昌事件において︵一。。念.蔭竃醇ρ竃器ω.おりωG。︾ヨ・∪①ρωω㊤︶、ショ
ー判事は、﹁海事法は、それ自身のルールと類推適用とを有しており、他の法分野に海事法を適用するわけにはゆかない。
だが、たとえそうであっても、海事法のルールのあるものは、他の法分野にとっても良き先例でありうる。﹂述べていた。
罎.俸≦.ご刈じ旨国客お●肉屋に雇われていた労働者が荷車を引いている際に、仲間労働者の荷の積み過ぎから車輪の
︵12︶
片方がはずれて負傷し、荷車を適切な状態に修理しておくのは使用者の義務であるとして使用者を訴えた事件である。裁
判所は、 ﹁仲間労働者の過失から自分を守るために要求される勤勉さと注意とは、仲間労働者の過失によって引きおこさ
れた傷病に対する損害賠償の請求を認めることよりも、安全弁としては、はるかに有効である。﹂ と考えていた。イギリ
スでは、このルールは、一九四八年の ζ≦菊飢江差︵℃①憎ω8巴ぎ言ユΦ。。︶︾9によって廃止された。 イギリスにおいて
は、産業革命を経て一八三〇一五〇年代頃から労働災害に対する帰責の問題と関連して使用者の過失の問題が法廷で論ぜ
られ始めた。この過失に関する原則は、主観的要素を重視する富¢犀 よりは、これを含んだ行為︵不法行為︶という客
観的要素を重視する過失によって使用者に責任を負担させるということにあった︵佐藤一三島、前掲書一八頁︶。
431
37 (5−6 ●161)
37 (5−6 ・!62) 432
︵13︶本件は、機関車の技師が転轍手のスイッチの切替の失敗によって負傷した事件である。両者は業務の遂行に関しては個人
的に接触することはなかったし、技師は転轍手の過失を予見したり、自分をその過失から守ったりすることは不可能であ
つた。にもかかわらず、裁判所は﹁それぞれの労働者の安全は、互の義務を適切に行うことに依存している。労働者は、
仲闇労働者の不適格性を使用者に通告することもでき、 聞き入れられない場合には、職場を離れる自由を有している。﹂
と述べて損害賠償の請求を認めなかった。︵樹間労働者の過失に対して使用者を訴えた最初のアメリカのケースは、 一八
四一年夏サウス・カロライナで起こったζ⊆霞塁<.↓冨Gっ○昇ずΩ﹃o一一き即即∩04]≦o竃巳昌昌ω.門餌葦ωc。α︵もつ.ρy
ω①﹀旨.∪①ρ卜。①。。事件であった。︶
︵14︶コモン・エンプロイメント︵8日ヨ§Φヨ豆○︽登霞吟︶とは、通常の注意をすれば、その仕事に従事している総ての労働者
が、仲閣の過失が他の労働者に傷害を与えるということが予見されるような業務を指す。
︵15︶イギリスでは、副本人原則は採用されなかった︵を房oo<●竃①昌ざ一。。①。。”ピ卿勾・一匡.多ωρ︾℃や9ω.鴇①︶。しかし、
一八七七年にこの問題を調査するため下院は委員会を設け、当委員会は、フェロー・サーバント・ルールの修正が望まし
いと報告した。一八八○年に、英国使用者責任法が制定された。本法は、鉄道労働者に対するフェロー・サーバント・ル
ールの適用を禁じていた。本法は、アメリカの使用者責任法にも強い影響を与えた ︵↓9国田℃δ篇誘.ご⇔謀一一蔓︾。計
一。。。。Pお禽麿ψ≦6侍.魯・心N︶。冨ぴ象ρと霧許9⇔銭ω霞く鋤葺やト。ご9巴こ一⑩一ω●︿〇一㎝・℃●㎝お劇.
︵16︶ご巳①鍵莚慧搾零く.もQ穿く窪P一。。㎝ごト。OO三〇富︾80三〇閑・○︾●四卜。寓.
第二章‘使用者責任法と労働災害補償法
連邦法一本法は労働組合は営業を制限するコソスピラシィーでも独占でもないことを明言していた⋮一によっても
食品と薬品法や工場監督制度に関する州法、さらには、一九一四年のクレイトン法のように独占を規制しようとする
の数が増大していったことにも現れていた。長い激しい闘争は、遂にその効果を示し始めていた。そのことは、純粋
︽新しい精神が充満していた。それは州及び連邦の立法にも反映していた。そのことは、婦人の参政権を認める州
論説
アメリカにおける労働災害補償制度(一) (林)
窺われた。一九一五年までに二十五州が労働日制限法を通過させ、数千人の労働者は労働組合の活動を通して一日八
時間労働を獲得していた。労働者が半世紀近くに亘って要求してきた児童労働法は児童の就労年令及び労働時間の制
限をした。一九一二年までに二十八州がこの種の法律を通過させた。一九一二年にマサチュセッツは最初の最低賃金
法を立法化し、一九一三年には、さらに八州がこれに従った。
一九一五年までに、古くからの労働者の要求であった労働災害補償法が三十五州で通過した。同年に、議会は海員
組合に拍車をかけられ、ラ・フォレット海員法を通過させた。これば船長が絶対的な権限を有し、航海中に船舶を離
れることが刑事犯罪とされていた海員の奴隷的状態からの解放の第一歩であった。翌年、議会はアダムソン法を通過
させた。鉄道労働者のストライキによる威圧の後に通過した本法は、州際鉄道労働者に八時間労働を保障するもので
あった。︾しdo<霞鋤巳竃霞巴90喝・9陣こ℃●H◎。○●
第一節 使用者責任法の歴史的背景
ほとんど総ての州が一八八○年から一九一〇年の間に、部分的あるいは全体的に一八八○年のイギリスの使用者責
任法︵漕門ず① 早立ロ℃一〇く①Nω、 [一鋤ぴ一一請けく bO仲℃ 駆QQ卿腿ら” <一〇齢● 6び。 戯O︶の影響を受けた使用者責任法を立法化した。 本法は
次のような場合にフェロー・サーバント・ルールの抗弁の主張を禁じたものであった。先ず、欠陥のある通路、作業
場、機械が原因で事故が発生した場合、あるいは使用者の義務を履行していたフォアマン及び使用者の命令又は規則
に従っていた労働者の過失が傷病の原因となった場合、さらに鉄道の転轍器の信号機及び鉄道のエンジンの故障が事
故の原因となった場合、鉄道労働者の過失によって傷病が引き起こされた場合となっていた︵家事使用人と船員は除
外されていた。︶。しかし、一切の過失の立証義務は労働者側にあり、しかも労働者は事故発生後六週間内に使用者に
37 (5−6 ・163) 433
−事故を通告せねばならなかった。裁判官が相当の理由があると認めた場合を除いて傷病の場合には六週間以内に、死
37、(与一6 0164) 434
者の責任を免責する契約を締結することを禁じた法律。 イギリスの使用者責任法は、 免責契約の締結を認めていた
ところで、使用者責任法に属する一連の法規は三つのカテゴリーに分類されうる。第一に、雇用の条件として使用
かったのである。
ロー上の抗弁を弱め、さらには廃止することであった。だが、後に述べるようにその本来の目的は十分には果されな
使用者責任法に要求されたのは、被災労働者が法廷で使用者とより対等に闘うことができるように使用者のコモン・
なくなかった︵例えば、Ooコ⇒①鉱2ρO雪.ω富努●”欝≦ω鼠おOピoF嶺9窺①≦竃①×一8鴇ピ鋤≦。・℃一〇。⑩ρ9面Q。︶。
の中には既にその州において裁判所によって形成されていた使用者責任を制定法として規定したにすぎないものも少
かれた一九一〇年頃までには、実質的に総ての州がなんらかの形で使用者責任法を有していた。だが、これらの法律
も一八八○年にイギリスが使用者責任法の制定を行ってからのことであった。シカゴで労働災害補償委員会会議が開
このように一八八○年以前にも使用者責任法を制定した州もあったが、その傾向が顕著になったのは、何といって
︵1︶
の 各州がこれに続いた。
︵署内O・↓Φ環・>OρHOQ①9、カンザス︵ス鋤冨。。.o∩樽指診①ω”一Qo﹃蒔糟O.⑩蒔︶、ウィスコンシン︵≦弱ω.訂譲9HOO胡‘O﹂刈切︶
法化した最初の州であった︵Op。.ピ①署P︸Q。q9戸H繍︶。次いでアイオワ︵旨旨・ピ2。タ、ρ一Q。①紳6μ$︶、 ワイオミング
これらの法の適用対象は主に鉄道労働者に限定されていた。ジョージア州は、鉄道労働者に関する使用者責任法を立
イギリスの使用者責任法が制定される以前に既に使用者責任法を立法化していたアメリカの州も幾つかあったが、
最高三年間の所得に限られ て い た 。
亡の場合には一年以内に訴訟が開始されなければ損害賠償の請求権は消滅することになっていた。さらに、賠償額は
論説
が、アメリカでは一九〇八年までに二十七州がそのような慣行を禁止する法律を制定していた。第二に、本人が死亡
した場合にも遺族に訴権を認めた法律︵コモン・ロー上、訴権は本人の死亡とともに消滅していた。︶。一九〇四年
までに四十一州がこの種の立法を行っていた。第三に、コモン・ロー上の使用者の抗弁を廃止または修正した法律。
ほとんどの法律が、フェロー・サレバント・ルールの廃止をその主な目的としていたが、その適用対象は鉄道労働者
や鉱夫のような特別に危険な業務に従事する労働者に限定されていた ︵使用者責任法によって、層総ての労働者に対
してフェロー・サーバント・ルールの適用を禁止したのは、コロラド州だけであった。Ooごω霊け﹀⇒⇒●H⑩Oピωoo・
鱒O①O︶。寄与過失及び危険引受けの抗弁は、使用者責任法によ.っては完全には廃止されず、多少の修正がなされたに
、すぎなかった。その修正も、既に述べた裁判所によってなされた修正の域を出ていなかった。
五年に、鉄道労働者に対してフェロー・サーバント・ルールの適用を禁止した﹁准州モンタナにおける鉄道建設促進
法﹂が違憲判決を受けた事件は、例外的なものであっ︵湿。その理由は、使肘者責任法と呼ばれる一連の法律は、コモ
ン・ローの過酷さをわずかに緩和したにすぎなかったし、その本質がコモン・ロー上の不法行為責任の枠内に留った
ことにある。使用者責任立法による救済は極めて不十分なものであった上に、進展はゆるやかであったため、遂には、
労災法の急速な立法化要求運動とともに使用者責任法は消滅していった。
二十世紀初頭に至るまで労働組合は、労災法の制定よりはむしろ使用者責任法の強化を求めていた。しかし、一九
〇九年以来、労働組合は、労災法制定要求運動の主力となった。というのは一九〇〇年に、組合活動家と大企業間の
調停と仲裁を行うことを主目的どして創設された全国市民連合︵Z鋤ユ8既Ω<一6哨①α①鑓ユ8︵以下ZO男と略す︶、
一九二五年に死亡するまでサミュエル・ゴンパースは20哨の副会長をつとめた。︶が一九〇八年に産業保険委員会
37 (5−6 ●165) 435
後の労災法が裁判所によって厳格に解釈されたのに対してか一般に使用者責任法はゆるやかに解釈された。一八九
アメリカにおける労働災害補償制度(一)(林)
37 (5−6 ●166) 436
を創り、一九〇九年の窯O閃の会合において労働組合も労災法の制定に賛成の意を表し、労災法制定要求に主力を置
たとえば、一八九五年にマサチュセッツ州の﹁工場における婦女子の労働を規制し、本法施行のために監督官を派
労働者はその業務に附随する危険を引受けたという考え方が強く現われていた。
に述べたように、判決の中には、それぞれの労働者は自分のことは自分で注意すべきであり、危険な業務に従事する
潤追求を自由に委ねることによって社会の福祉は最高に達成されるという理論は、判決の中にも反映されていた。既
ところで、十九世紀の初期と中期にはアメリカではレッセ・フェールの経済理論が支配的な時期であり、各個人に利
的救済による損害賠償の額が減少しつつあったことは、コモン・ローに対する一般的信頼に反するように思われる。
えられている。しかし、,十九世紀から二十世紀にかけて、産業災害が著しく増大しつつあったにもかかわらず、司法
コモン・ローは社会事情の変更によって必要となったときには新しい救済を与える弾力性を有していると一般に考
法へと大きく前進した年でもあった。 、
の報告は、世論に強い影響を与えた。そして、この会議の開かれた一九︼○年は、アメリカが使用者責任法から労災
任法によるコモン・ローの改正は不十分であり、問題の真の解決には労災法の立法化が不可避であると報告した。こ
るか、⇔合憲性の問題等がこの会議で討議されていた。使用者責任法を調査した各州の労災補償委員会は、使用者責
決定方法⇔連邦保険か、あるいは州保険か、州保険とすれば強制適用か、あるいは選択適用か、⇔他の法規を廃止す
出関係の人をも含めるか、㈹労働者も拠出すべきか、㈹使用者が自己保険等で代用することを認めるか、⇔保険料の
働者を含めるか、㊨補償給付は一時金か、年金か、㈲給付額及び給付期間、丙待機期間、㊨扶養家族に他人及び非嫡
び一〇州の労災補償︵調査︶委員会が参加し、e適用対象の職業、⇔無過失責任の導入、⇔適用事業で働く総ての労
き始めたためである。一九一〇年には︵十一月十、十一、十二日︶シカゴで労働災害補償委員会が開かれた。連邦及
論説
アメリカにおける労働災害補償制度(一)(林)
遣する法律﹂︵竃霧ω●富≦ω口Q。㊤ρ戸誤。。”ρω㊤Q。︶の合憲性が問題となったとき、裁判所は︽本法は、コモン・ロー
に未知であった責任を形成するように意図された新しくかつ驚くべき法理に基づくものである。本法はマサチュセッ
ツ州の先例のみならずイギリスの先例にも反する。︾と述べ本法は違憲であると判示した。本法は婦女子の労働を規
制するために使用者に一定の義務を課し、違反した使用者には罰則を適用したものであった。
また一九〇五年にニューヨークの一八九七年労働法は、連邦最高裁判所によって違憲と判決された。本法の百十条
は製パン又は製菓工場で働く労働者の労働時間を一日一〇時間に制限すると規定していた。裁判所は︽本法は製パン
工場の労働者の契約権に干渉している。各個人が自身の労働に関して契約する一般的な権利は連邦憲法修正十四条に
よって保障された自由の一つであり、労働を売る者は、それを買う者と同等の権利を有する。清潔で衛生的なパンは
パン職人が一日一〇時間あるいは一週間に六〇時間働くか否かにかかっているのではない。︾と述べた。
これらの判決からも当時の裁判所の一般的な見解が窺われる。さらに何故コモン・ローが労働者の救済に弾力性を示
さなかったかという原因も明らかになる。コモン・ローを修正しようとしたが実質的にはコモン・ローの延長にすぎな
かった使用者責任法の限界もここにあったのである。改革を求める世論の関心は裁判所から立法府へと移っていった。
第一一節 安全保護法規
使用者責任に副本人原則や委託不能義務が附加されるとともに、裁判所の中には使用者はコモン・ローによって課
せられた以上の委託不能義務を負わねばならないという見解を取るもめも現れ始めた。児童労働法やあるいは一定の
機械には柵をせねばならないというような安全保護法規に使用者が違反したために発生した危険まで労働者が引受け
たといえるだろうかという疑問を裁判所は持ち始めていた。
37 (5−6 。167) 437
安全保護法規は二十世紀に至るまでは法規そのものが少なかったために問題にならなかったが、二十世紀に至る頃
鵬
から各州は次々に鉱山、工場、坑道その他の危険の多い職場の労働者の安全保護立法を行い始めていた。これらの法
・⑱
規自身は明確にコモン。ローを修正してはいなかったが、裁判所はこれらの解釈を通してコモン。ローの修正を行っ q
たため、安全保護法規とコモン。ロ!についても簡略に説明しておく必要があると思われる。 諮
一八八八年にオハイオ州は鉄道の転轍器及びスイッチに覆をするように規定した法律を通過させた︵Q。㊦〇三〇霊芝ω曽6
︾90貼μG。Q。Q。℃℃﹂8︶。 八九九年に鉄道会社にしばらく雇われていて労働条件をよく知っていたスイッチ係がスイ
37
ッチに覆がなかったために負傷した事件が連邦裁判所に持ち込まれ、安全保護法規の解釈に関するリーディング・ケ
ースとなった。裁判所はそのような法律は危険引受けの抗弁を廃止したと判決したのである。︽危険引受けは雇用契
約の条件であり、安全保護法規の規定を契約によって免責することを認めることは、法規に定められた権利を放棄す
ア ることを認めることであり、公共の福祉を考えれば、そのような権利放棄が合法とされるはずがない。︾ しかし、
四年後に連邦裁判所は全く反対の判決を下した。多くの州裁判所は最初の連邦判決に従った。
州裁判所の場合、たとえばニューヨーク州では、 ︸八九六年に使用者の工場法違反が原因で労災が起こり、労働者
が左手を切断した事故に対し、同署の控訴裁判所は労働者の損害賠償の請求を認めなかった。︽本件の問題点は、コ
モン・μ1上のルールに従って労働者が業務上の明白な危険を引受けた場合に、使用老の工場法違反を理由に労働者
は損害賠償の請求ができるか否かということである。︾︽たとえ使用者が工場法に違反しても、労働者は危険を引受
けたのである。工場法があるという理由で労働者が明白な業務上の危険を引受けることを認めないというコモン・ロ
ヘ ヘ ヘ へ
ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ハハコ 一の原則も先例もない。︾だが最後に裁判所は、 ﹁生涯不具となった原告に大いに同情せざるをえないが、有益かつ
適切な司法原則によって一般的正義の実現が妨げられている。﹂と述べていた︵傍点筆者︶。 十六年後に同裁判所は
論 説
アメリカにおける労働災害補償制度(一)(林)
この司法的救済の正当化の根拠を公共の福祉に求め、使用者が安全保護法規に違反した場合には危険引受けの抗弁を
使用できないと判決した。
これは、 ωε﹁σq①ω律bd仁∋ωζhαq●Oo・<・じUΦ鍵。冨§℃事件で、未成年者が雇用の際に年令を偽ったとしても、児童
一九コニ年に、連邦最高裁判所は、安全保護義務違反の使用者は危険引受けの抗弁の主張は出来ないと判決した。
︵10︶
労働法に違反した使用者は、有責であると判示された。
このように初期の例外を除けば、安全保護法規に違反した使用者は危険引受けの抗弁を使用できないという態度を
裁 判所はとっていた。
相当に安全な職場と機械を提供する使用者のコモン・ロ!の義務の不十分さを如実に示す事件が毎日、至るところ
で発生していた。ここに、それ自体はコモン・ロー上の抗弁を明らかに廃止していなかった安全保護法規を、裁判所
︵11︶
がかなり進歩的に解釈した理由があったと思われる。
第三節 使用者責任法の欠陥
新しい立法に対する要求が増大するにつれ、裁判所は、使用者責任法をもっと進歩的に解釈し、コモン・ローの原則
を修正しようと努めた。だがコモン・ローを使用者責任法によって修正しようとする試みは不成功に終った。なぜな
ら、コモン・ローの原則が立っていた根本的な前提が産業社会の現実と合わなくなっていたからである。単純で危険も
より少なかった経済の中で生まれたコモン・ローの原則は、経済が拡大し、複雑化してくるにつれてその論理性を失っ
ていったのである。使用者責任法によってコモン・ローを改革しようとした半世紀に亘る努力は実を結ばなかった。
使用者責任法の欠陥としては、一般にe賠償額が不十分であること、⇔裁判の遅延、⇔賠償額が一定していないこ
37 (5−6 ●169) 439
e 賠償額の不十分さ
次の表は一九一一年以前に、三つの州の使用者責任法に基づいて六〇四の労災死亡事件に対してなされた損害賠償
ハ O
δOτミ更引
心一
①一
嵩ω
○○
一⑩
お①
認.㎝
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一門①
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一〇.心
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焉B●刈
α①
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卜◎
ト■己
群」σ》ω『腿
一 ト己 トOO∼GnOOτ、て
㎝OO∼ごOOO冗セ
ごOOO物ミ並旨
N)トLqq卜⊃(○
@寮 ﹁・−・←τ馴馴丁’く陵一か 卑 ⋮
額を示したものである。無賠償のケースが実に三二・五パーセントを占めている。
@ @一
さらに労働者が勝訴した場合にも
、 弁護士、医者及び保険会社へと流出している。訴訟費用
賠
償
金
は ◎裁判による解決の遅延
わずか四分の一が産業災害の犠牲者の手に渡って い る の で あ る 。 ︾
︵13︶
一 を負
担
し
て
い
る 。損害賠償あるいは責任保険と し て 、 わずかな金額が使用者によって支払われているが、その内の
は、賠償額の三〇∼五〇%にまで達している。 使用者責任法というにもかかわらず、労働者は産業災害費用の十分の
も達している。
︽賠償を受けた割合は使用者責任法の制定後、 明らかに増えている。それでも労働者側が敗訴した割合は八○%に
ωσ)N)ωω
37 (5−6 ●170) 440
と、四望ましい労使関係を破壊すること、㈲救済の不十分さは終局的には公共の負担となること等が挙げられるが、
以下簡略に説明したい。
説
論
アメリカにおける労働災害補償制度(一) (林)
争いが上級裁判所にまで持ち込まれた場合には事件の解決は非常に遅れた。たとえば、オハイオ州では、死亡事件
の場合には最終判決に達するまでに平均約三年を要し、イリノイ州では、死亡事件でない場合にも賠償が現実に受け
取られるまでに平均三年かかったといわれている。
⇔賠償額の不定性
定率補償をその特色としている労災補償と異なり、使用者責任法の下では使用者は実損害の賠償、つまり医療費と
賃金喪失に対する賠償のみならず、慰謝料をも払わなければならず、さらに外貌の醜悪化及び社交性の喪失に対して
も賠償せねばならなかった。だが補償法のように一定のスケジュールが定められておらず、各裁判官及び陪審員の判
37 (5−6 ●171) 441
断基準によって賠償額が決定されていたため、賠償額は非常に不安定で曖昧になっていた。
(単位ドル)
Sommers, Workmen’s
Compensation, N. Y,,
John Wiley&Sons,1954,
pp.ユ4∼37.
次の表は、’ミネソタ州における労災事故に対する賠償額の実例である。最低と最高額の間の格差が非常に大きかっ
片手
405∼4,200
片足
50∼3,000
た ことが窺われる。
290∼2,700
⑳望ましい労使関係の破壊
片目
㈹ 公共の負担の増加 .
賠償が不十分なため、あるいは賠償を全然受けられなかったために、被災労働者及びその扶養家族は公共の負担あ
るいは個人的な救済に頼らざるを得なくなった。
第匹節 使用者責任法より労働災害補償法へ
古いコモン・ロー上のルールに基づく損害賠償請求訴訟は、 被災労働者に十分な救済を与えなかったばかりでな
く、多くの場合に労働者は敗訴したのであった。コモン・ローの欠陥の一部は使用者責任法あるいは安全保護法規の
司法的解釈によって緩和された。しかし、これらの改革では、広範な産業の発展と技術の発達とに伴う労働災害の増
加に追いつくことは不可能であった。裁判所がこの問題と直面することを避け、コモン・ローのルールを修正するこ
とを避けたということは、変革を立法によって求める運動、つまり、ドイツで既に立法化されていた労災法の立法化
を要求する方向へと世論を導いていった。
︵14︶
アメリカで最初の労災法は、一九〇二年にマリ竃ランド州によって制定された。マリーランド法︵ζ9霊≦ρ一⑩ON
o笥Hωり︶は訴訟によらない使用者の無過失責任による定額補償を規定していた。本法は、鉱山、採石場、電車関係の労
働者及び下水道の堀削や建造物の建設のために地方自治体に雇われている強磁を適用対象としていた。該当する使用
者は州保険委員会に労働者の人数に応じて一定額を払い込むことによって責任を保険することができた。保険料は使
お 用者と労働者が平等に負担し、労働者の負担金は賃金から天引きされることになっていた。しかし、一九〇四年にバル
37 (5−6 ・172) 442
法廷における労使の争いは、多くの場合労使間に強い敵対関係を生み出し、望ましい労使関係を破壊する原因とな
つた。
説
論
アメリカにおける労働災害補償制度(一) (林)
チモア下級裁判所は本法は違憲であると判示した。裁判所は、本法は本来司法権の管轄にある権限を保険委員会に与
あ えただけではなく、国民から裁判所に訴える権利及び陪審員の前で事件を審理してもらう権利をも奪ったと述べた。
労災法の二つの主要な特徴である使用者の無過失責任及び裁判によらない補償は違憲であると判示された。 本法に
よる補償の内容は、 使用者責任法による賠償と比しても非常に貧弱なものであった。 本法は使用者責任法の下で労
働者に認められていた権利を奪ったにもかかわらず、死亡事故の場合に最高一、○○○ドルの補償を認めたにすぎな
︵17︶
かった。しかも労働者は保険料の半分を負担させられていた。
次いで一九〇九年にモンタナ州が労災法を制定した︵ζo抱型ピ雪ω.H㊤OP。鉾①¶噂竃ヨ臼ω、Oo§需霧舞δコ﹀。戸本法
の全文はしd巳一・ohUΦ冨●o︷冨び。さく○一●Q。9薯●㊦α①一①①切に掲載されている。︶。本法は炭鉱及び洗炭労働者の労災
補償のために州の運営する団体保険基金を設立するためのものであった︵労使は、基金へ保険料を払い込むこと、1
使用者は掘り出された石炭、あるいは船積みされた石炭一トンにつき一セント、これに対し、労働者は所得の一%を
払い込むことが条件であった。︶。本法の適用を受けない労働者は、使用者責任法に基づいて使用者を訴えることがで
きた。しかし、一九=年に本法もまたO琶三二σq冨§<.裳。簿7≦①ωけ①∋,一§箕。<①巨①暮OoこH竃厨魁駆冨。暮・H。。9
Hお℃8.α経事件において違憲判決を受けたのであった。
﹁本法を全体的に考えるときに、本法は司法分野における新しい重要な命題を提起している。⋮⋮使用者の現実の
あるいは推定の過失を原因とする労働者の死亡あるいは傷病に対する損害賠償制度の廃止を必要とするような状況を
今日の賠償制度が作り出していることは専門家のみならず一般人にとっても周知の事実である。その要求は広範で強
いものであるだけに、その理由をここで調べてみることは妥当なことだと思われる⋮⋮。この州では今日でも一般的
に寄与過失、危険引受け︵フェロー・サ⋮バントの過失も含めて︶ の抗弁が労働者に対して使われている。 その結
37 (5−6 ●173) 443
を負わせる結果となっている。死亡あるいは傷病が雇用中の不可避の事故の結果であるとしても労働者は唯一の犠牲
老である。しかも、使用者が強制的に払わされた金の極く一部が労働者の手に渡っているということは良く知られて
いる。その僅かの金がさらに弁護士料、証人及び訴訟費用、 その他の訴訟経費として細分されている。 今日の制度
は、ある労働者には法による平等な保護を与えていない。使用者の支払能力の如何が原告に対する賠償を計算する基
準となっていることも明らかである。労災による人的傷病事件は、資本家と労働者の問にもっとも有害な階級的敵対心
を生み出している。しと本事件の判決の中で裁判所は、使用者責任法による法廷闘争のもたらす弊害について説明して
いる。さらに裁判所は、本法が特に危険な職業︵炭鉱︶を選び出し、他の危険な職業には課せられていない負担を労
働者に課しているが、使用者にも補償基金のために税を課しているために、憲法に違反して財産を剥奪したことには
ならず有効であると述べたが、本法が違憲と判決される理由は、使用者は補償基金に強制的に拠出させられたにもか
かわらず、本法は労働者のある者には損害賠償のために訴えることを認めているため、使用者は二重払いをさせられ
ることにあるとした。
マリーランド州とモンタナ州は、アメリカにおいて、様々な労災問題に関する委員会の仕事がその影響を現わし始
める前に労災法を立法化した例外的なケースであった。
このような先駆的な州の活動とともに連邦政府及び州政府その他労災問題の委員会の調査・研究もこの頃より活発
になってきていた。一八九三年に合衆国労働省はJ・G・ブルックスによるドイツ労働保険の研究を出版したが、そ
の研究は一般大衆の注目を引くには至らなかった。これより五年後に労働省のウイロビイ博士によってヨーロッパ諸
37 (5−6 ●174) 444
果、多くの場合に労働不能となった労働者及び死亡の際にはその扶養家族が不幸の全負担を背負ねばならなくなって
いる。労働者及びその扶養家族が公共の扶助を受けるという不名誉なことになり、結果的には納税者に附加的な負担
説
論
アメリカにおける労働災害補償制度(一) (林)
国における労働者保険の総合的研究がアメリカで初めて発表されている ︵≦.円毛一=o藍αq喜ざ芝。﹁置5αq§窪、ω
ぎω幽き6ρZ●く●↓び。§霧箱二ρo≦①一一卿OoこHQ。㊤Q。︶。﹁労働者保険﹂と題する本書は、その第二章以下でドイツ、
オーストリア、フランス、ベルギ⋮、イタリア、中央ヨーロッパにおける他の諸国及びイギリスにおける労災保険制
度の紹介を行っていた。一八九九年には、ニューヨーク州労働局がヨーロッパにおける災害補償と保険の問題を重点
的に詳しく研究したものを発表していた。
イギリス労災法の影響を強く受けることになったアメリカではあったが、一九一〇年頃まではイギリス労災法に関
︵18︶
する文献は非常に少なかったといわれている。ドイツ社会保険が成功した後、イギリスでは従来とは全く異なったア
プローチが試みられ始めていた。イギリスでは一八八○年の使用者責任法によって労災訴訟が増大し、同時に本法に
よる救済では産業災害の救済は極めて不十分であることが明らかになった。一八九三年にフェロー・サーバント・ル
ールを廃止する法案が下院に提出された。本法案は賠償額の制限を除去し、使用者責任の免責契約の締結を禁じるもの
であったが立法化には至らなかった。最初の労災法が通過したのは一八九七年であった︵≦o鱒§窪.ωOO§需霧鋤二〇昌
︾o∬HQ。り8①O卿①H≦o戸魯●ω刈︶。本法は全く新しい法理一無過失責任iを導入していた。労働者が業務遂行中に
業務に起因して労災に遇ったときには自動的に補償の給付を受け︵労働不能期間中、平均賃金の二分の一が毎週支給
された。労働者の過失による労災には補償はなされなかったが、永久廃疾者には過失にかかわらず給付がなされた。︶、
労働者が死亡した場合にはその扶養家族はわずかながら一時金の請求ができた。多くの場合、補償額は使用者責任法
︵19︶
に基づく損害賠償よりも少なかった。本法は一定の職業にのみ適用された。本法は早くも一八九八年にはニューヨー
ク州にJ・フォード上院議員によって紹介されていた。
︵20︶
アメリカでは一九〇八年に州際通商労働に従事する鉄道労働者の保護のために連邦使用者責任法 ︵も。㎝曽簿ω・①9
37 (5−6 ・175) 445
る立法的改革の総てを集約し成文化したもので、労災法への前進の重.要な一歩を記した法律であった。同年には、ア
メリカで最初の有効な労災法である連邦職員労災補償法︵ωqω齢暮ω融雪9ζ避ω9H⑩O。。︶ の制定をもみており、ア
メリカ労災法の歴史の出発点ともいえる年であった。 ︵最初の有効な州労災法の制定をみたのは序論で述べたように
一九一一年である。︶ 最初の連邦使用者責任法は一九〇六年に制定されたが、州際通商の鉄道事業にのみ適用され州
内鉄道事業は除外されたため違憲と判示された︵但し、コロンビア特別地区と准州には適用されることになった。︶。
一九〇八年の第二番目の使用者責任法は、一九〇六年法を鉄道労働者が州際通商の仕事に従事している場合には総て
適用すると規定した。本法の合憲性は一九一二年の聚おQっΦ8&閃激論。︽巽ω”ピ薫︶葺な9ω①ρお這堵器も。¢.ω﹂
み 事 件で確認された。
一九〇八年には鉱山や他の危険な職業は州際通商ではなかった。だが、もし当時、飛行機やバスによる運送が今日
のように盛んであったならば、鉄道のみならずそれらの運送機関の州際性が問題となったであろうと考えられるが、
パイ・ζ、長愛鷹スの運転手等撞面戸の洋上には隔ゲ︵連邦憲法第一条第八節︹三項︺は、州際通商事業に対する連邦の権限を規定している。︶
一九一〇年に早くもサザ⋮ランド上院議員を長とする鉄道労働者労災問題委員会︵サザーランド委員会︶がっくら
れ、同委員会は使用者責任法よりは労災法の方が望ましいと報告したにもかかわらず、鉄道労働組合の強い反対で今
日まで鉄道労働者に関する労災法の制定をみていない。 ︵この問題については序論でも触れたが、第三章第二節にて
船員の問題と関連して説明し て い る 。 ︶
37 (5−6 ゆ ]76) 446
︾箕=鵠NおOO。︶が制定された。本法はそのタイトルにもかかわらず鉄道労働者のみを対象としており、労働者に対す
る鉄道会社の不法行為責任を定めた法律である。しかし、本法は同法制定に至るまでの使用者の不法行為責任に関す
説
論
アメリカにおける労働災害補償制度(一)(林)
︵1︶産業化の遅れた州が労働者の保護のために、鉄道会社を法律によって規制したのは注目される。これらの州には鉄道会社
の本社はなく、株主も直接そこには住んでいなかったため、鉄道会社による圧力がなかったために早くから制定法による
改革が可能であったのである。 留ρ≦・ψ竃巴§P冒。鼠ω一9。器≦。節日①”.匂・Oo薬玉口沼田闘§冨≦きα零8一冨・ぎ・。e
℃鑑げOPおαご℃●這 アメリカにおける鉄道が産業の発展に貢献したことは既に述べたが、それと同時に、鉄道会社は
産業保険の進歩にも大きな役割を果している。多くの鉄道会社は、独自の労災に対する救済を企業内計画として、一九〇
八年の連邦使用者責任法が制定される以前に行っていた。病院サービス、民間保険会社との契約、友愛基金、定額救済部
の設置等があった。
ω 病院サービスーこれは救済のうちもっとも初歩的な計画であった。最初の病院は、一八六八年にカルフォルニアの南太
平洋鉄道によって設立された。これ以前には、会社は個人病院と契約していたのである。ペンシルバニア鉄道の監査官
であったりーベナックが一九〇三年差全国の大きな鉄道会社一四〇社に調査表を送ったところ、七十七社が解答し、そ
のうち三十九社が、この種のサービスを行っていると回答している。この内、一〇社が全額会社負担であった。
② 民間保険会社との契約−病院サービスの次の段階は、民間保険会社との契約によるものであった。大会社は、個人的な
使用者よりも安い保険料で一括加入し、保険料は労働者の賃金から天引していたが、保険料を一部負担した会社もあっ
た。イリノイ中央鉄道、ノーフォーク・ウエスターン鉄道等がこのような計画を実施していた。
㈹ 友愛基金一代表的な例としてカーネギー基金が挙げられる。一九〇一年、カーネギーは、ピッバーグのカーネギー・カ
ンパニーに四、○○○、○○○ドルの信託を与え、その利子を同社のあらゆる事業に従事している労働者の労災の救済
及び労働者が死亡した場合にはその扶養家族の救済あるいは長期勤続者の老令年金に使用するように命じた。
ω 定額救済部の設置!一八八○年にバルチモアとオハイオ鉄道の労働者が疾病・傷害に対する相互保険団体を設立した。
一八八⊥宿年にペンシルバニア鉄道も同様の計画を実施していた。ペンシルバニア鉄道の場合、その給付内容は次のよう
になっていた。
37 (5−6 ●177) 447
内⋮
二
二.
1.25
1.20
60
2.00
0.60
0.80
1.00
750i 1,000
1,250
[
25d・・d
iii)死 亡
単位ドル
0.251 0.50.
。.50iO.75
ii)疾 病
給付期間は52週聞だったが功績のある労働者には
それ以上にわたって使用者が支払ったこともしば
しばあった。
会員一あらゆる階級の労働者
会費一職業に関係なく一定,但し給料に比例した
累進制
会社負担一基金の世話,施設の提供,管理費用の
負担(上級職員の給料,医療,調査,事務
員を含む),投資の安全の確認
財源一会費,会社負担金,利子,その他会社から
の援助
37(5−6 ●178)448
基金制度はその代表的な例とされている。わが国にも徳川時代に鉱夫の共済扶助を行っていた﹁友子組合﹂が発生し、鉱
労災補償制度の前史は労働者自身による災害に対する相互扶助に始まるといわれ、各国の鉱山労働者に広くみられた災害
家父長的性格を明らかに示していた︵例えば三菱生野鉱山鉱夫共済組合i大河内一男編﹁社会保障﹂一三七頁︶。一般に
組合員が死亡した際の遺族扶助のみならず、父母妻子の埋葬補助さらには子供に対する学資補助までも含んでおり、その
と、その最大の差異は、給付の種類にみられる。わが囚の共済組合による給付の中には、組合員本人に対する傷病給付、
これを、明治二十年︵一八八七年︶以降、特に明治四十年以降相次いで設置されるに至ったわが国の共済組合と比較する
ω①ρ○剛︽寓2蕃拳oP営︵ξu。一律芭團器霞婁。①ヨ葺①¢●G∩.︵卜。謬αΦ9y¢弾くΦ誘潔いMo︷〇三8αqo零。。・ωし⑩に鴨薯●卜。一ト。i舘⑩・
.ヘリ
1.00
52i固脂コ以ぞ麦毎日 i O.20 0.40
2.50
3日一52週間伽1・.….詞
2.00
52週聞薦日1
1
1・00[1・50
u藤壷司
國52週間ま面一
5級
爾珊・級i・級
説
払
百隠
アメ.,リカにおける労働災害補償制度(一)(林)
業条例︵明治二十三こ口制定後にも大きな役割を果していたといわれている︵小川、前掲論文、.二一二頁︶。アメリカに
おける共済組合として特に有名なのは鉄道労働者のブラザーフッドである。
︵2︶イギリスでは、一八四六年にキャンベル卿アクト、つまり閃弱気>8乙①簿︾9︵㊤二一〇≦9●。罫⑩ω︶ によってこの問題
が解決されていた。
︵3︶ρ一ωω≦㊤一タ竃。馨p冨∩①づ鹸・菊︽・Oρ・H。。Φ。。・H。。ζoづけ一①8瞳℃9ρ罵㎝、﹁准州モンタナにおける鉄道建設促進法﹂
︵監≦ω竃§切口。。刈ω●国×●留ωω・℃.⑩ω︶は、一八七三年五月に知事の拒否権発動にもかかわらず議会を通過したつ本法の二
十条は、上級職員のコントロール下にある労働者が前者の過失によって傷病を蒙った場合には会社は有責であるとして、
フェロー・サーバント・ルールの適用を禁じていた。︽二十条は、国内鉄道にのみ適用される⋮、国内鉄道会社が上級職
員の過失に対して責任を負う一方、外国会社は責任を免れている。国内会社にのみ重い責任を負わせている。︾というの
が違憲判決の理由であった。
︵4︶零88島鵡ωoh窪①9昌h臼980hOo日量ωωδ器。昌Ooヨ需昌沼二8h霞ぎ含馨﹃芭>8乙①三ω矯〇三$αq。ロヨ。.
︵5︶〆昌巨亀タ寄葺卑巴◎し。。㊤①”鼠。。Z●メω刈・。●
︵6︶Ho9づ葭郵之・尾・糟一89一㊤Q。qψ麟.
︵7>蜜霞①ヨ。おく・Ω①琶p巳○○律ωけじ寄.O。こ一。。・。Φ噛㊤鴇$N㊤。。●
︵8︶ω貯ピ。εωOoa9σqΦOρ郵]≦崔①さ一8ω.旨①頴9お朝.
︵9︶三三ω冨団く.℃錯簿簿①一●=。。り①・置。。Z.メ。。謡・
︵10︶一㊤一ωりNω一ζ●ψ認O・
︵11︶イギリスにおいても使用者の安全保護法規違反に起因する危険まで労働者は引受けたのではないというのが通説であっ
︵14︶マリーランドは、今日でこそ農業を主体とする州であるが、かってその州都バルチモアは商業の中心地であったσ一六九
︵13︶団・=﹂︶o≦器ざ頸ω8姥oh≦o芽一>8乙①旨一巳。ヨぎ評︽営ざ≦ρω寅8震ω8ユ6帥一〇り。ユΦ蔓oh8≦ρ一〇一N.℃・一舎‘∴
一βω娼吋9昌oo℃・ωcQ 窃 二
︵12︶り.]≦●幻二ぴ冒。≦℃ω09巴同窓ω霞鋤灘∩ρZ・kこ=①置︽=o一戸 一円ωuO℃・㊤ω一㊤9巴。℃陣①αび嘱O国αq=母αP >日①ユ8う ωoo帥巴
た。↓ず。ヨ窃︿.O⊆⇔冨。﹃ヨ9。ぎ。℃一◎。。。メ一。。ρbd・U’①。。㎝︵○﹀.︶
449
37・(5一・6 1●179)
論説
︸年に英国政府によってロイアル・プロヴィンスにされ、十八世紀には急速に発展した。特に有名なバルチモアクリッパ
;と一八三〇年のアメリカで初めての旅客と貨物の双方を運送するバルチモア・オハイオ鉄道の開始によってますます繁
栄した。マリーランドの労災法は、鉱夫出身であった上院議員のルイスによって州議会の総会に提出された。彼は鉱山と
鉄道事故の実情に驚いて本法案の提出を思い立ったといわれている。 ω$餌国.ω三昌σq算oP≦o﹃δ謬窪、ωOoヨ需㌣
ω無δ謬言竃鷲房房鼻㎝ω20.N冒﹃う鵠○艮官.ω¢三く①議5、Qっε象①ωぎ空ω8ユ8一鋤コ島℃o一三8一曽帥窪8爲.
︵15︶本法の本文はq.○り.ご⇔ξ$⊆o四夷げ。﹃G。3樽今一〇ω噂ゆ三ピZρ爵ω︵一⑩N①︶℃・㎝参照。
ーヨークの労働者連合は、﹁労働者が無過失であった場合に且使用者が労災に対する責任を負うようにコモン・ローを修正
︵20︶一八九八年には、ニューヨークの社会改良クラブはある種の産業災害に対する自動的賠償を求める法案を作成した。ニュ
同様に﹁疾病をもカバ:するものであった。
︵19︶一九〇六年法によって適用対象は全賃金労働者に拡大されたが、本法は一九二五年の労災法に統合された。本法は傷害と
ぎ含ω霞芭OO艮窪①謬8じd8H斜﹀箕罫お瓢り℃・Q。による。
参照。本国は G∩¢ヨ白田蔓。眺菊①咽︶○コ︵5タNo葵ヨΦづ”ωOoヨ零謬沼臨○謬>9陣p誓①9の甲↓冨訂ひq巴℃冨紹℃Z2ρ臨◎銘一
常に成功したため、一九一〇年頃までには、殆んど総てのヨ⋮ロッパ諸国は同様の立法をなすにいたっていた。次頁の表
会保険計画と同様に強制保険、労使双方による拠出、中央政府の強い統制をその特色としていた。ドイツのこの計画は非
一八八一年にビスマルクが提案した包括的な社会保険計画が一八八四年の﹁災害保険法﹂となった。他のビスマルクの社
︵18︶ドイツは近代的な労災法を制定した最初の国であるといわれている。一八三八年に労災法がプロシア鉄道に適用された。
ρ国●切鋤;¢9、穿①じ弓&o暁ζ鴛︾8巳!ぎ触閃ヨ2.ωOOヨ需コ鈴二〇pρ︸.oh浮90量oρ<o一.お︵おO窃︶..℃・器O.
〇%にも達する通常の保険会社のことを考えれば、この法律がいかに利点を有していたかおわかりになると思います。︾
施行春気は二年間でしたが、全体の経費は約三〇〇ドルで払い込まれた全保険料の約六%でした。経費が総保険料の約五
ついて次のように報告していた。︽私は、木法が会社及び労働者の双方にとって好ましいものであったと信じています。
している。一九〇四年に五月十日付の手紙で同局長は知事に基金を閉鎖したことを通告し、当労災法の実際の運営状況に
︵17︶州保険局長は下級裁判所の判決に従い、加入していた各使用者に、これ以後保険料の払い込みを受け付けないことを通知
︵16︶牢§江ぎζ↓冨¢三8鉱”鋤一一≦曙きユ碧Φ9ユ60ρ○応じU高丘ヨ葭ρじd①三ヨ080一蔓物80Hβ一。。⑩⑩i一㊤O。。●で・ω8.
37 (5−6 σ180) 450
アルバータ(カナダ)
1908/3/5
オーストラリア
1912/12/24
オーストリア
1887/12/28
ベルギー
1903/12/24
ブルガリア
1909/3/7
デンマーク
1898/1/ア
フィンランド
1895/12/5
フフンス
1898/4/9
イ
ド
ソ
(*)工場法公布(筆者註)
1903/6/15
連
1884/7/6
ツ
イギリス
1897/8/6
ギリシア
1901/3/6
ハンガリー
1907/4/9
イタリー
1899/3/17
オランダ
1901/1/2
ニュージーランド
1900/10/18
ノルウェー
1894/7/23
スペイン
1900/1/30
スエーデン
1901/7/5
スイス
1911/6/13
日本(*)
1911/3/28
ψ心雪参照。
︵21︶一九〇六年と一九〇八年の連邦使用者責任法の歴史は一九〇八年の使用者責任事件同筆蕊差入ω、H冨げ三蔓9器ρ・。o刈d・
冨ぴ。﹃冨σq巨鋤二§℃旨”曾Ooヨヨ。昌ω2鈴鴇缶ω8qo胤90い9ρ9同竃。︿㊦ヨ09ぎ昏09ψ”一。。8一おω卜。.自冒・0謬●
することを要求した。一八九九年には、いくつかの鉄道労働者のブラザーフッドもこの立場をとっていた。国・bd錘コα①凶ω噛
諸外国における労災法の制定年表
一・パイロット、副パイロット、スチュワーデス等実際の飛行に従事する労働者には適用されないと判示したケースがあ
60八二沼目ま昌鼠≦鼠ぎ岳壁鋤噛bd。ぴげωヨ①三一〇ρぎ皇一⑩αo︶。しかし、ワシントン州には、ワシントン州労災法はエァ
機関の労働者は含まれず、これらの労働者は総て州労災法の適用下にあると書いている︵じロ.即Q。ヨ9。一一、≦○葵ヨ9.。・
B・F・スモールは、連邦使用者責任法は鉄道労働者にのみ適用されるのであって、トラックやバス、飛行機等の交通
一㊤頓ω.O℃.卜oOcQ−N一Q◎’
︵22︶幻●℃霞ざび自国ぴ>o門C三ho﹃ヨOoヨ罵昌ω鋤鉱。づh99=≦ご穿臼ω∼℃ぴ①≦雪鳥088ヨ℃o﹃9蔓津〇三Φヨρ︿○憎おゆQα嘆言ゆq
37 (5−6 ・181) 451
(林)
アメリ』カにおける労働災害補償制度(一)
論説
る︹Qっ冨鼠Φ×﹃鉱ZO簿ゴを①馨﹀三ぎPぎρ質麟Oσ︿既℃.ドリω⑩矯㊤ω雰ρ︵b。eω心①︺。
の 結局、ワシントンD・C・にあるパイロット連盟に尋ねたところ、ある会社が州際飛行を行っている場合には、労災掃償
については労働協約の中で定めているということであった。たとえば、アライイング・タイガー航空は、協約中に、カル
フォルニア州労災法に従って国際線のパイロットにも支払う、但し特別法によってより高い補償を支払うことが規定され
ていればそれに従うと定めており、パン・アメリカ航空は、国際線パイロットの場合には、連邦港湾労働者補償法と同じ
補償を給付する、但し州労災法の給付の方が高ければ、それに従うと定めている。
37 (5−6 ●182) 452
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