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第4章 FLBとその参加団体による主要な反対型環境運動

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第4章 FLBとその参加団体による主要な反対型環境運動
第四章
FLB とその参加団体による主要な反対型環境運動における運動手法の変遷
本研究では,FLB とその参加団体による主要な反対型環境運動における運動手法の変遷
を把握するために,文献調査 3 と第二次ヒアリング調査を実施した.
本章では先ず,同調査の概要について述べ,次に調査結果に基づき,本研究の対象であ
る 4 つの反対型環境運動の歴史の概要を,運動ごとに運動主体ととられた手法を中心に説
明する.
4-1
調査方法
本研究では,調査対象とする FLB とその参加団体による主要な反対型環境運動として
「比良スキー場拡張計画反対運動」
「びわ湖空港反対運動」
「永源寺第二ダム反対運動」
「水
上バイク反対運動」の 4 つを選定した.「比良スキー場拡張計画反対運動」は FLB 代表の
TS 氏が最初に関わった運動であり,
「びわ湖空港反対運動」と「永源寺第二ダム反対運動」
は,第三章で述べたように,1990 年代の FLB とその参加団体にとって最も重要な運動で
あったため,また,「水上バイク反対運動」は FLB が団体として初めて本格的に取り組ん
だ運動であったためである.
調査対象とした 4 つの運動における運動手法の変遷を把握するために,文献調査 3 と第
二次ヒアリング調査を実施した.収集した主要な文献資料と第二次ヒアリング調査の概要
をそれぞれ表 4-1 と表 4-2 に示す.
表 4-1
比良スキー場拡張計画
反対運動
びわ湖空港反対運動
永源寺第二ダム反対運動
水上バイク反対運動
文献調査 3 で収集した文献資料
湖国の自然と環境破壊の現場から(1990・1991 年度)
2)
審査請求報告書(比良スキー場拡張計画阻止)
1)
湖国の自然と環境破壊の現場から
3)
永源寺第 2 ダム反対運動と住民組織に関する一考察
4)
地域から見た「びわ湖空港」
5)
びわ湖を救え!~琵琶湖水上バイク問題報告書~
19
1)
表 4-2
運動
比良スキー場拡張計画
反対運動
第二次ヒアリング調査の概要
調査対象者
調査実施日
TS氏
2009/12/08
FLB代表
YH氏
2010/10/12
永源寺第二ダム反対運動
NS氏
2010/11/16
びわ湖空港反対運動
YM氏
AH氏
IM氏
IT氏
2010/11/26
2010/10/20
2011/02/27
2009/02/28
NK氏
2010/04/08
MJ氏
UM氏
MK氏
KA氏
HY氏
2010/05/09
2010/06/12
2010/07/30
2010/08/05
2010/08/21
「鈴鹿の自然を守る会」代表
永源寺町議員,「『もういらない』
永源寺第2ダム住民会議」会員,「奥
永源寺の文化と自然を考える会」事
務局長
弁護士
「びわ湖空港建設阻止委員会」代表
「空港いらへんトラストの会」代表
FLB事務局長,GW代表
滋賀大学教員,レジャー審議会委員,
FLB会員,GW会員
Green Wave会員
当時のS町自治会長,FLB会員
ヤマハマリーナびわ湖代表
2000~2002年度滋賀県自然保護課長
小型船協会代表
水上バイク反対運動
対象者データ
表 4-2 に示すように,第二次ヒアリング調査の調査期間は 2009 年 12 月 8 日から 2010 年
02 月 28 日までである.調査対象者としては調査対象とした運動で指導的役割を果たした
人物を中心に選定した.調査方法としては調査対象者に対する対面での聴き取り調査を採
用し,ヒアリング対象者に対して,運動毎に開始から結果に至るまでの経緯と,とられた
運動の手法を中心に聴き取りをおこなった.なお,水上バイク反対運動に関しては,FLB
と対立する立場にあったと考えられる人物にも,運動の評価に関するヒアリング調査を実
施している.
以下,調査対象とした 4 つの運動について,年代順に,それぞれの歴史の概要を運動手
法を中心にまとめていく.
4-2
比良スキー場拡張計画反対運動の概要
比良スキー場拡張計画反対運動の歴史を表 4-2 に示す.同運動は前述したように,FLB
代表の TS 氏が最初に関わった運動である.
比良山系では,北比良峠から八雲ヶ原一帯にかけての比良スキー場が 1950 年代後半に
開発されたのを皮切りに,この時期から複数の開発事業による大規模な自然破壊が始まっ
ている.同スキー場の開発では,比良索道株式会社によって,山麓に登行リフトとロープ
ウェイが架設され,小規模なスキー場と宿泊施設が建設された.その後,同企業によって
20
1965 年には山系南部の打見山から蓬莱山一帯にかけて「びわ湖バレイスキー場」が建設さ
れている.
一方,1971 年には関西電力によって,同じ比良山系に「北小松揚水発電所建設計画」が
計画されている.同計画は,すり鉢状の地形を持つ北小松地区上部の「オトシ」と呼ばれ
る場所に大規模なロックフィルダムを建設し,夜間の余剰電力によって琵琶湖の水を汲み
上げ,昼間の電力利用のピーク時に約 500 m の落差を利用して 130 万 kw の発電を行おう
とするものであった.
この計画に対して,1972 年から故 KK 氏と「比良を愛する会」による反対運動が始まっ
ている.TS 氏も同会に協力する形でこの運動に関わっていた.
反対運動もあったが,結局この計画は,揚水発電所のために山上に水を溜めると,地質
が脆い比良山では決壊した場合,大災害につながると関西電力が判断したことで 1974 年に
中止になっている.
その後, TS 氏(現 FLB 代表)によって「比良の自然を守る連絡会議」(以下,連絡会
議)が 1983 年 9 月に結成された.同連絡会議の目的は文字通り比良山系の自然をこれ以上
の開発による破壊から守ることであった.
そのような中,琵琶湖汽船によって翌 1984 年に「比良スキー場拡張計画」の開発申請
が行政に提出される.これは,前述の比良スキー場の総面積を約 4 倍,ゲレンデ面積を約
3 倍に拡張しようとする計画であった.この申請を受け,連絡会議は同計画が比良山系の
大規模な自然破壊につながるとし,約 15,000 人の反対署名を集めている.琵琶湖汽船は,
反対運動の高まりから,翌年 1985 年に一旦,開発申請を取り下げている.
しかしその後,1986 年に同計画は再浮上し,翌年 1987 年「比良スキー場拡張計画」を
含んだ琵琶湖国定公園の公園計画の一部決定が県によって告示された.さらに,同年 5 月
に滋賀県知事が,事業者側から開発事業申請が提出された場合,環境アセスメントを実施
する旨を表明する.同月に連絡会議が開催した「比良の自然保護を考える集い」において
TS 代表が,県が環境アセスを実施すると表明したことに触れ,「比良スキー場拡張計画」
の動きや反対運動の経過を報告し,さらに同計画が比良山系の自然破壊に繋がることにつ
いての理解を参加者に求めている.このような反対運動の高まりを懸念したためか,翌年
1988 年 12 月には,志賀町がリゾート法に基づき比良山をリゾート指定地域に含めるよう
県に要請するが,県は国へのリゾート地域指定の申請を断念している.
連絡協議会は同年,環境庁長官に対し審査請求書を提出する.これは,県の公園事業決
定の取り消しを求めて,行政不服審査法に基づき環境庁長官に事業内容の審査を請求した
ものであった.審査請求を提起するという運動手法については,連絡会議の会合の中で決
定されたという.審査請求人は TS 氏を含む計 13 名で,中には 9 名の学識経験者も含まれ
ていた.
審査請求書において連絡協議会が指摘したのは,①スキー場拡張予定地の自然の学術的
重要性とスキー場拡張によってもたらされる自然破壊,②自然公園法関連規定などからみ
21
た県の決定の違法性,③県自然環境保全審議会の決定過程における違法性についてであっ
た.この審査請求を受け,滋賀県は翌年,知事名で環境庁に弁明書を提出している.また,
それに対して連絡会議は,同庁に対して反論書を提出するとともに意見陳述を行ない,さ
らに反論補充書を提出している.
連絡協議会が提出した審査請求に対して,1989 年 7 月に環境庁長官による裁決が下され
た.裁決そのものは,審査請求を却下するものであったが,同時に環境庁から滋賀県へ「事
情決定見直しも含め,十分慎重な対応が必要である」という見解が別途示される.滋賀県
はそれに対応せざるを得なくなり,同計画は中止となった.
比良スキー場拡張計画反対運動は滋賀県における反対運動の先駆けとなった.当時にお
いて,自然保護の立場から学者を含む市民団体が行政不服審査法に基づき審査請求を提起
した例は,全国的にもほとんど見られず,それに対する環境庁の対応に社会的関心が集中
した.また,この運動に成功したことが,TS 氏が FLB を結成するきっかけとなる.
なお,第二章で述べたように,既往研究の運動形態の分類に基づくと,同運動は比良山
系の自然を守るために(
「自然環境保護型」),「比良の自然を守る連絡会議」という「同志
的組織化型」の運動体による「ネットワーク型」運動によって,自然破壊につながる「比
良スキー場拡張計画」という作為を阻止しようとした運動(「作為阻止型」
「反対運動」)で
あったと考えられる.
表 4-3a
年
1983
1984
1985
月
9
2
3
5
6
10
10
10
1
2
9
11
主体
代表:TS 氏
志賀町長
琵琶湖汽船
連絡会議
連絡会議
琵琶湖汽船
連絡会議
志賀町
琵琶湖汽船
連絡会議
滋賀県,
志賀町
志賀町観光協
会会長他 3 名
志賀町長
連絡会議
12
滋賀県
3
8
1986
1987
比良スキー場拡張計画反対運動の歴史(その 1)
1
滋賀県知事
連絡会議
動き
「比良の自然を守る連絡会議」(以下,連絡会議)を結成
比良スキー場の大拡張構想を発表
比良スキー場拡張計画の存在を認める
比良山系を調査登山
県知事と交渉
志賀町に「開発申請」を提出
約 15,000 名の反対署名を提出※1
「開発申請」を県へ送達
「開発申請」を取り下げる
約 5,000 名の反対署名(※1 の追加分)を提出
自然公園計画の見直し作業に着手
志賀町長に比良スキー場の拡張を要望
県知事に比良スキー場の拡張を要望
県自然保護課長から「志賀と協議中」との情報を得る
滋賀県自然環境保全審議会・自然公園部会で「比良スキー場の拡張を条
件付きで認める」と決議
「琵琶湖国定公園の公園計画の一部一部決定,公園事業の一部決定」を
告示※2
県知事に対し※2 の公園事業決定の撤回を求める抗議文を提出
22
表 4-3b
年
月
2
3
比良スキー場拡張計画反対運動の歴史(その 2)
主体
植物分類
地理学会
連絡会議
滋賀県
1987
5
8
2
4
7
9
11
12
連絡会議
日本生態学会
近畿地区会
連絡会議
滋賀県知事
審査請求人
京阪電鉄
連絡会議
連絡会議
滋賀県
7
環境庁長官
7
1988
1989
4-3
滋賀県知事
動き
「比良スキー場拡張反対」の要望書を滋賀県知事に提出
行政不服審査法に基づき,※2 の公園事業決定に対する審査請求を環境
庁に提出
自然環境保全審議会の総会を開催
比良スキー場拡張問題について事業申請が提出された場合,環境アセス
を実施する旨を表明
「比良の自然保護を考える集い」を開催
「比良スキー場拡張反対」の要望書を滋賀県知事に提出
朝日新聞滋賀版に「比良スキー場拡張反対」の意見広告を掲載
審査請求に対する弁明書を環境庁に提出※3
※3 に対する反論書を環境庁に提出
比良スキー場拡張計画の推進を表明
京阪電鉄に抗議と質問状提出
京阪電鉄と交渉
比良山系のリゾート地域指定申請を断念
審査請求を却下すると同時に,知事宛に「事業決定の見直しを含む慎重
な対応を求める見解」を示す
びわ湖空港反対運動の概要
びわ湖空港反対運動の歴史を表 4-4 に示す.なお同表において,網掛け部分は,特に FLB
あるいはその参加団体が関わった出来事であることを表している(運動の関係団体のうち
「びわ湖空港建設阻止委員会」と「空港いらへんトラストの会」が FLB の参加団体であっ
た).同運動は前述したように,「永源寺第二ダム反対運動」とともに,1990 年代の FLB
とその参加団体にとって最も重要な運動であった.
びわ湖空港は,滋賀県の経済発展を目的として,日野町と蒲生町(現東近江市)にまた
がる丘陵地 180 ha に建設が計画された空港である.
同計画は,1987 年 9 月に,県行政によって,田上,甲賀・甲南,蒲生・日野の 3 候補地
とともに発表された.総事業費 280 億円の大規模事業にもかかわらず,まったく地元への
説明がない,住民無視の計画であった.これを受け,建設候補地となった地域住民による
署名活動や集会などが 1988 年から始まっている.同年 11 月に候補地が蒲生・日野に決定
されたことを機に,同地域の地域住民による反対運動はいよいよ本格化する.
同年に蒲生・日野の地域住民によって,蒲生町の対策協議会(以下,蒲生 5 協),日野
町の対策協議会(以下,日野 4 協)がそれぞれ結成される.その後,1990 年 5 月に AH 氏
含む 10 名によって「びわ湖空港建設阻止委員会」(以下,阻止委員会)が発足,同団体は
情報公開制度を利用した住民監査請求や異議申し立てのような手法によって行政を追及し
ていくことになる.翌年 11 月には日野町議員 3 名によって「びわ湖空港建設反対協議会」
23
(以下,反対協議会)も発足する.同月,運輸省により,びわ湖空港が第 6 次空港整備 5
ヵ年計画の予定事業として採択されると,翌 12 月に蒲生 5 協・日野 4 協が合同となって,
これに対する抗議集会を開催している.1993 年 2 月には,IM 氏を含む反対派の地域住民
によって「空港いらへんトラストの会」
(以下,トラの会)も発足,5 月には空港建設反対
のための立木トラストを開始する.同団体は同年 7 月には「公共事業に反対する立木トラ
スト全国ネットワーク集会」にも参加している.
阻止委員会は,情報公開制度を利用して空港整備事務所の接待費に関して住民監査請求
を行うが,県の公文書公開審査会がこれを非公開と決定すると,1995 年 7 月に,同非公開
決定の取り消しを求めて提訴し,翌年 5 月に勝訴する.阻止委員会はこの勝訴によって,
旅行や接待についての公文書を入手し,この情報を基に,さらに 1996 年 9 月に空港接待費
311 万円の返還を県に求めて提訴し,翌年 6 月に全面勝訴する.なお,阻止委員会代表の
AH 氏の記憶によれば,各訴訟の公判回数は前者と後者がそれぞれ 3 回と 4 回くらいであ
ったという.1997 年 8 月には滋賀県知事が環境アセスメントとびわ湖空港建設計画を併行
していくことを表明したことを受けて,反対協議会が抗議文を提出している.FLB も 1999
年 3 月に滋賀県知事と会談し,計画の白紙撤回を要望している.これらの反対運動の結果,
翌年 11 月に滋賀県知事がびわ湖空港建設計画を中止することを表明した.
表 4-4a
年
1987
1988
1990
月
9
11
5
8
7
主体
行政
行政
AH 氏他 10 名
行政
代表:日野町
議員 3 名
運輸省
蒲生 5 協・日
野 4 協(合同)
講師:KM 氏,
YM 氏
FLB,反対協
議会
必佐地区
十禅寺の会
IM 氏他
トラの会
反対協議会,
神戸空港を
考える会
滋賀県知事
7
トラの会
10
反対協議会
11
1991
12
1
1992
4
12
1
2
5
1993
6
びわ湖空港反対運動の歴史(その 1)
動き
田上,甲賀・甲南,蒲生・日野の 3 候補地を発表
空港候補地を蒲生・日野に決定
「びわ湖空港建設阻止委員会」発足
空港基本計画案を発表
「びわ湖空港建設反対協議会」発足
第 6 次空港整備 5 ヵ年計画にびわ湖空港を予定事業として採択
抗議集会開催
学習会開催
空港現地調査と交流会を開催
環境アセスメントに受け入れ合意の覚書を県と交わす
必佐地区アセス合意の覚書調印に異議申し立て
「空港いらへんトラストの会」発足
立木トラストを空港予定地 2 ha で実施
運輸省へ反対陳情
空港計画を見直すと発言
「公共事業に反対する立木トラスト全国ネットワーク集会」に
参加,環境庁で記者会見
運輸省,県,町に計画白紙撤回の要望書を提出
24
表 4-4b
年
1993
1994
1995
月
12
6
主体
阻止委員会
FLB,トラの
会
滋賀県
阻止委員会
7
阻止委員会
10
3
5
阻止委員会
AH 氏
阻止委員会
びわ湖空港
建設促進期
成同盟会
AH 氏
AH 氏
AH 氏他
AH 氏他
FLB
AH 氏
滋賀県知事
2
8
1996
9
10
11
12
1
6
8
動き
滋賀県知事に公開質問状を提出
空港の白紙撤回の要請書を県に提出
日野 4 協と話し合い
県公文書公開審査会の議事録非公開に対し異議申し立て
審査会による,空港整備事務所の接待費の非公開決定の取り消
しを求めて提訴
静岡空港の反対運動の代表者 3 名と交流会を開催
空港関連資料一部非公開に異議申し立て
空港接待費の裁判で原告(AH 氏)が全面勝訴
決起集会を開催
空港接待費の 311 万円返還を求めて提訴
日野町情報公開条例案の作成に着手
情報公開条例の制定を求める署名活動を開始
情報公開条例の制定を求める 3532 名分の署名簿を提出
近藤正臣氏を招いてシンポジウムを開催
空港接待費の訴訟で原告が全面勝訴
環境アセスと建設計画を併行していくことを表明 ※1
反対協議会
※1 を受けて,知事に抗議文を提出
10
FLB,トラの
会
12
トラの会
3
11
FLB
滋賀県知事
運輸省に第 7 次空港整備計画から蒲生・日野をはずすように要
望
知事のアセスの強行表明に対し,現地でロープ張り,立ち入り
禁止の看板掲示を行なう
滋賀県知事と会談し,計画の白紙撤回を要望
「びわ湖空港建設計画」を中止することを表明
1997
1999
2000
びわ湖空港反対運動の歴史(その 2)
びわ湖空港反対運動の成功要因として,ヒアリング対象者の AH 氏は,①行政訴訟を起
こした点,②地域外の運動団体とネットワークを結んで協力し合うことができた点,③全
国各地の空港計画に反対する運動団体と情報を共有し合い,連携をとっていた点,④一部
の建設区域の地権者が最後まで土地を譲らなかった点を挙げている.
なお,第二章で述べたように,既往研究の運動形態の分類に基づくと,同運動は蒲生・
日野の自然を守る(「自然環境保護型」)ことと,空港建設が地元にもたらす過剰な財政負
担を回避し,公共事業に依存しない内発的な地域復興を目指そうとするために(「内発的発
展型」)
,
「びわ湖空港建設阻止委員会」のような「同志的組織化型」と「空港いらへんトラ
ストの会」のような「既成集団組織化型」の運動体による「ネットワーク型」の運動によ
って,空港建設と言う作為を阻止しようとした運動(「作為阻止型」
「反対運動」)であった
と考えられる.
25
4-4
永源寺第二ダム反対運動の概要
永源寺第二ダム反対運動の歴史を表 4-3 に示す.なお同表において,網掛け部分は,特
に FLB あるいはその参加団体が関わった出来事であることを表している(運動の関係団体
のうち「鈴鹿の自然を守る会」と「奥永源寺の文化と自然を考える会」が FLB の参加団体
であった).同運動は前述したように,
「びわ湖空港反対運動」とともに,1990 年代の FLB
とその参加団体にとって最も重要な運動であった.
永源寺第二ダムは,旧八日市市と周辺 8 町の受益面積 7500 ha の農地の灌漑を目的とし
て,愛知川上流の茶屋川に建設が計画された農業用ダムである.同計画に投入された総事
業費は,違法判決が下された 2007 年 10 月時点で約 492 億円に及ぶ.
滋賀県および国が永源寺町議会と地元東部地区に対して,「永源寺第二ダム建設計画」
(以下,第二ダム計画)を説明し,この事案が町議会で議論されるようになったのは 1989
年からである.
当時の SG 町長が 1990 年 4 月に「蛇砂川問題が解決するまでダム問題は待ってほしい」
と表明したことで,同計画は一時棚上げとなる.しかし,1992 年 8 月に同町長が条件付き
で第二ダム計画の実施を容認する姿勢を示す.これに対して「ダム建設とまちづくりを考
える町民のつどい実行委員会」
(以下,実行委員会)が「国営新愛知川土地改良事業に関わ
る意見書提出に関する請願書」を永源寺町議会議長宛てに提出するとともに,FLB の加入
団体である「鈴鹿の自然を守る会」も「奥永源寺の文化と自然を考える会」と共に「第二
ダム建設計画による水源確保の破棄を求める要望書」を永源寺町議会議長に提出している.
なお,実行委員会がダム建設に反対した理由は,建設によって負担金を支払わなければ
ならない受益農家として「減反のため,第二ダムが必要なほど水需要は増していない」と
いうものであった.また,「鈴鹿の自然を守る会」と「奥永源寺の文化と自然を考える会」
に関しては,鈴鹿山系の自然破壊を阻止することが目的であった.
その後,1994 年 1 月に同計画を実施することが滋賀県政によって決定され,土地改良法
の手続きの一環として,
「国営新愛知川土地改良事業計画書」の縦覧が一市八町の役場で開
始される.この縦覧終了後に設けられた異議申し立て期間に,「実行委員会」「鈴鹿の自然
を守る会」
「永源寺町議会」を含む団体や個人合わせて 289 件の同計画書に対する異議申立
てが同年 3 月に農林水産大臣宛に提出されている.しかし,これらの異議申立ての全てが
却下あるいは棄却されたため,これに対して町議会のダム問題特別委員会が農林水産大臣
宛に抗議声明文を提出する.また,同年 5 月には FLB と実行委員会が「鈴鹿の自然を考え
るつどい―第二ダム計画の必要性を問う!」集会を共催している.
さらに,1994 年 4 月には HM 氏が「第二ダム問題は一度白紙に戻し,町民の立場から見
直したい」との公約をもって町長選挙に出馬し,当選する.同氏の擁立には,FLB の加入
団体である「鈴鹿の自然を守る会」の代表 YH 氏が関わっていた.
そして同年 5 月に,実行委員会を含む 3 団体が「鈴鹿の自然を考えるつどい―第二ダム
26
計画の必要性を問う!」集会を開催する.そして,この集会において,行政訴訟という手
段に訴えることが決定される.
その後,同年 10 月に実行委員会は「『もういらない』永源寺第 2 ダム住民会議」
(以下,
住民会議)に発展改組し,住民会議として「土地改良事業計画決定等の解消」と「却下,
棄却決定に対する取り消し」を求める訴状を大津地方裁判所に提出する.YH 氏は 52 名の
原告団に加わっていた.なお,第一審の原告側の主張は,行政が環境アセスメントを行な
っておらず,環境配慮義務のある土地改良法の理念から外れていたという理由から,土地
改良法に基づく事業計画決定等の違法性を訴えるものであった.また,訴訟と同時に,住
民会議によって,同訴訟を支援する目的で「第 2 ダム行政訴訟を支援する会」が結成され
ている.
提訴から 8 年後の 2002 年 10 月に大津地裁によって原告団 52 名のうち,49 名について
は原告資格がないと却下され,3 人は原告と認められたが,原告の要求を棄却する判決が
下された.これを受け同年 11 月に,住民会議のメンバーを含む原告 41 名が大阪高等裁判
所に控訴する.控訴審における原告側の主張は,第二ダム計画の根拠法である土地改良法
に定められている手続上の不備を訴えるものであった.
控訴は,3 年後の 2005 年 12 月に,計画の策定段階において土地改良法に定められたボ
ーリング調査が実施されておらず,ダムの規模を誤って設計したことに違法性があるとし
て,大阪高裁が第二ダム計画の違法判決を下したことで,原告側の勝訴に終わる.さらに
農林水産省が最高裁判所に上告したが,2007 年 10 月に上告が棄却され判決が確定した.
なお,上記の間の公判回数は,大津地裁で計 18 回 8),大阪高裁では計 8 回 9)に上る.
表 4-5a
年
月
8
8
1992
1993
8
10
12
1
1
3
3
1
1
1994
2
3
主体
SG 町長
実行委員会
永源寺第二ダム反対運動の歴史(その 1)
動き
第二ダム計画を条件付きで容認する姿勢を示す
「国営新愛知川土地改良事業に関わる意見書提出に関す
る請願書」を町議会に提出
「第二ダム計画の破棄を求める要望書」を提出
「第 1 回町民の集い」を開催
「第 2 回町民の集い」を開催
永源寺町長に抗議文を提出
7 つの条件を付し「ダム同意の意見書」を提出
鈴鹿の自然を守る会,他
実行委員会
実行委員会
実行委員会
SG 町長
鈴鹿の自然を守る会,奥永源
寺の文化と自然を考える会, 永源寺町議会議長に「住民合意を求める請願書」を提出
実行委員会,他
実行委員会
計 2,093 名の請願署名を集める
滋賀県
第二ダム計画の実行を決定※1
※1 を受けて知事に抗議文を提出し,大臣他 4 人に要請
実行委員会
文を提出
実行委員会
「第 3 回町民の集い」(講師:TS 氏)を開催
第二ダム計画に対する「異議申し立て」を農水大臣に提
289 件(団体・個人含む)
出※2
27
表 4-5b
年
月
4
5
7
8
永源寺第二ダム反対運動の歴史(その 2)
主体
実行委員会
FLB,実行委員会
農水大臣
町議会ダム問題特別委員会
実行委員会
1994
10
実行委員会
住民会議(原告団 52 名)
住民会議
10
大津地裁
11
住民会議のメンバー含む原
告 41 名,弁護士 5 名
2002
2005
12
2007
10
大阪高裁
農水大臣
最高裁
動き
HM 氏を永源寺町長に擁立(HM 氏当選)
「第 4 回町民の集い」を開催
※2 の異議申し立てを全て却下,棄却する※3
※3 に対する抗議声明文を農水大臣に提出
「第二ダム計画の取り消しを求める住民のつどい」を開
催(原告団の結成式)
実行委員会が住民会議へと発展
大津地裁に提訴(行政訴訟)※4
住民会議を支援する目的で「第 2 ダム行政訴訟を支援す
る会」(以下,支援会)を結成
※4 の訴訟において,原告の内 3 人を棄却,49 名を却下
の判決
大阪高裁に控訴※5
※5 の訴訟において,計画の違法判決を下し原告側の勝
訴
最高裁に上告※6
※6 の訴訟において,上告不受理を決定
当時,ダム建設計画を全面的に白紙にする判決は,全国で初めてであった.1994 年から
2007 年まで続いた行政訴訟においては,行政側の落ち度を見つけるために,原告の住民側
は何度も学習会を開催している.また,YH 氏は運動のノウハウを学ぶ目的で,FLB 代表
の TS 氏とともにダム計画の凍結に成功した徳島県木頭村を視察に訪れている.さらに,
「永
源寺第二ダム反対運動」とほぼ同時期に並行して進行していた「びわ湖空港反対運動」を
行なったびわ湖空港建設阻止委員会との関係について,同じ FLB の参加団体として,運動
手法に関する話し合いを行ない,互いの運動を応援し合っていたと YH 氏は証言している.
またこのことは,「びわ湖空港建設阻止委員会」代表の AH 氏に対するヒアリングでも確
認できている.
永源寺第二ダム反対運動の成功要因として,ヒアリング対象者の YH 氏は,上記のよう
に反対住民側が事業の手続き上の不備を指摘するための学習に努め,成功事例に運動のノ
ウハウを学んだことを挙げている.
なお,第二章で述べたように,既往研究の運動形態の分類に基づくと,同運動は鈴鹿山
系の自然を守る(
「自然環境保護型」
)ことと,ダム建設が地元市町村にもたらす過剰な財
政負担を回避し,公共事業に依存しない内発的な地域復興を目指そうとするために(「内発
的発展型」
),実行委員会などの「既成集団組織化型」と「鈴鹿の自然を守る会」などの「同
志的組織化型」の運動体による「地域完結型」の運動によって,ダム建設という作為を阻
止しようとした運動(「作為阻止型」
「反対運動」)であったと考えられる.
28
4-5
水上バイク反対運動の概要
水上バイク反対運動の歴史を表 4-5 に示す.同運動は前述したように,FLB が団体とし
て初めて本格的に取り組んだ運動であった.
水上バイク反対運動は,FLB 等が琵琶湖水域における水上バイクの規制を滋賀県行政に
求めた運動(水上バイクの規制を行わない県行政の不作為の抑制をめざした運動)である.
同運動が始まった背景を,ヒアリング対象者で S 町自治会長かつ FLB 会員でもあった,
UM 氏の証言を基にまとめると次のようになる.ある事業者が S 町の湖岸沿いの土地を下
水道関係の事業のために県から借用していた.しかし,1997 年ごろから事業者が無断でそ
の土地を水上バイクの出航場所として利用するようになる.そのため,水上バイクの利用
者が増え,S 町の住民は水上バイクの騒音や悪臭に苦しめられるようになる.さらに水上
バイクを出航するために湖岸の植生が破壊されるなどの被害も発生している(なお,事業
者はその後,借用した土地を他目的で使用しているとして県から告発されている).
このような問題に対応し,水上バイクによる S 町における環境破壊を阻止し,安らぎの
ある水辺の環境を次世代に引き継ぐため,2000 年 5 月に,IT 氏などによって結成されたの
が Green Wave(以下,GW)である.
GW は,発足から 2001 年までは独自で水上バイク反対運動を続けていたが,2001 年 1
月からは FLB に協力を求め,FLB と連携して運動を進めていくことになる.GW の意図と
しては,S 町内だけの運動では限界があり,また,さまざまな運動において成功実績をも
つ FLB から運動のノウハウを学ぶためであったという.これ以降の 2001 年から 2002 年に
かけて,FLB と GW によって,琵琶湖水域における水上バイクの規制を求める要望書が計
16 回,規制のためのレジャー条例案が計 3 回県行政に対して提出されることになる.
FLB と GW は先ず,2001 年 4 月に,滋賀県知事に対し「水上バイク規制に関する要望お
よび公開質問書」を提出している.IT 氏によれば,水質や動植物,湖辺住民の被害等の実
態調査や対策を要望していたが,県がなかなか対応しなかったことから,同年 7 月には,
民間の分析機関に委託して独自に水質汚染実態調査を行ったという.この調査の結果,水
上バイクのハイオクガソリンに含まれる MTBE という発がん性物質が周辺水域から検出
される.この他にもベンゼン,トルエン,キシレン,ベンゾピレンといった有害物質が検
出されている.なお,当時の新聞報道によると,県の対応が遅れた理由は,縦割り行政と
「公有水面であるびわ湖は自由使用である」という原則の 2 点が障害になったためである
という.また,この頃,海外の水源水域における水上バイクの規制に関する情報や,FLB
が行なった水質汚染実態調査の結果を行政に提供する役割を果たしたのが NK 氏である.
さらに,同年 12 月からは,FLB 代表の TS 氏と NK 氏が「滋賀県琵琶湖レジャー利用適
正化審議会」
(以下,レジャー審議会)の審議会委員となり,同審議会で意見陳述を行なう
ことになる.また,2002 年 9 月に 2 団体は滋賀県知事へ『市民が作る「琵琶湖を守るため
29
のレジャー規制条例案」』を提出する.
レジャー審議会における議論を受けて,2003 年 4 月に施行されたのが「琵琶湖のレジャ
ー利用適正化条例」である.同条例は当初,従来型の 2 ストロークエンジンの水上バイク
の環境負荷が高いことから,琵琶湖における 2 ストロークエンジンの使用を 2006 年 4 月か
ら禁止,経過措置として施行の際の所有者に関しては適用の猶予期間を 2008 年 3 月までと
すると規定していた.しかし,2006 年に,2 ストロークエンジンから 4 ストロークエンジ
ンへの買い替えに配慮するため,猶予期間を 2010 年 3 月まで延長する旨の条例改正を行な
っている.
NK 氏によれば現在,同条例を守っていない人も多いが,琵琶湖における 2 ストローク
エンジンの水上バイクは全体的に減尐し,4 ストロークエンジンが普及しつつあるとのこ
とである.
表 4-6
年
月
4
6
主体
MJ 氏,IT 氏,
他
県行政,FLB,
GW
FLB
フジテレビ
2000
5
7
FLB,GW
8
FLB,GW
1
県行政
2001
9
10
11
12
1
6
2002
FLB,GW
FLB,GW
県行政
県行政,FLB,
GW
IT 氏
県行政
FLB,GW
県行政
県行政
県行政
FLB,GW
9
FLB,GW
11
FLB,GW
水上バイク反対運動の歴史
動き
Green Wave 発足
S 町現地調査
知事へ「水上バイク規制に関する要望および公開質問書」を提出
S 町取材
知事へ「水上バイク禁止に関する緊急要望書」と「水上バイク排ガ
ス水質調査に関する要望書」を提出
知事へ「滋賀県の水上バイク排気ガス調査結果と今後の対応につい
ての要望書」を提出
第一回公聴会を開催
近畿 2 府 1 県の各知事へ「水上バイク排気ガスによる琵琶湖の水質
汚染に関する要請書」を提出
知事へ「水上バイク問題に関する抗議文」を提出
FLB と GW へ「水上バイク問題に関する抗議文」に対し回答
合同調査検討会
世界湖沼会議で水上バイクの排気ガスの水質への影響について発表
第二回公聴会を開催
県行政へ懇話会に関する申し入れ書を提出
第一回レジャー審議会を開催
第二回レジャー審議会を開催
レジャー条例要網案を発表
知事へレジャー条例要網案に対する意見書を提出
知事へ『市民が作る「琵琶湖を守るためのレジャー規制条例案」』を
提出
知事及び事業者へ「JJSBA ジェットスキーびわ湖大会」の開催に対
する抗議文を提出
当時,FLB と GW とある意味,対立する立場にあったヒアリング対象者の同運動に対す
30
る評価として,滋賀県の自然保護課長を務めていた KA 氏は,同運動がレジャー条例制定
の原動力となったことは事実であるが,行政と協力する姿勢で臨んでいれば,より実効力
のある条例にできたはずだと述べている.また,小型船協会の代表としてレジャー審議会
に参加していた HY 氏は,FLB や GW は,2 サイクルエンジンの規制に拘るのではなく,
水上バイクの利用場所を徹底して管理するように,また,一部のマナーの悪い利用者に対
する規制を強化するよう,行政に求めるべきであったと述べている.
なお,第二章で述べたように,既往研究の運動形態の分類に基づくと,同運動は琵琶湖
の自然環境を守る(「自然環境保護型」)ことと,水上バイクの排ガス中に含まれる発がん
性物質に関するリスクを回避するために(「リスク回避型」),FLB と GW という「同志的
組織化型」の運動体によって,条例による水上バイクの規制という作為を要求あるいは,
そのためのオルターナティブな条例案を提示しようとした運動(「作為要求型」「オルター
ナティブ型」)であったと考えられる.
31
<参考文献>
1) FLB びわ湖自然環境ネットワーク:湖国の自然と環境破壊の現場から,宮川印刷株式会
社(1990-2000)
2) 比良の自然を守る連絡会議:審査請求報告書,宮川印刷株式会社(1989)
3) 水間みどり:永源寺第 2 ダム反対運動と住民組織に関する一考察,地域総合研究,6,
137-151(1996)
4) びわ湖空港問題編集委員会:地域から見た「びわ湖空港」,滋賀凡愚舎(2000)
5) FLB びわ湖自然環境ネットワーク:びわ湖を救え!~琵琶湖水上バイク問題報告書~
(2003)
6) AH,2010-10-20,私信
7) 里上譲衛:公共事業の現状と問題点-国営新愛知川土地改良事業を事例として-,大阪
経大論集,53(5),pp.39-67(2003)
8) NS,2010-11-16,私信
9) UM,2010-06-12,私信
10) 毎日新聞(滋賀),2001-05-24 朝刊 22 面
32
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