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thepromise
ザ・プロミス
「初めに、神が天と地を創造した。
」創世記 1 章 1 節
すべての創造の初め
時が始まる前、高い木々や雄大な山々や星をちりばめた空はありませんでした。ただ、
神様だけがおられました。神様は、真実なる本である聖書の中で、何が起こったのかを私
達に話しておられます。
神様は何もない所(無)から天と地を創造されました。しかし、世界は形がなく、何もあり
ませんでした。神様が突然「光よ。あれ」と仰せられますと、光ができました。神様はす
べての力を持っておられる方なので、全能なるご自身の御言葉だけを使われて天と地とそ
の中のすべてのものを創造なさいました。
神様は、普通の六日間であらゆるものを創造なさい
ました。そうです。神様は何万年もの時間をかける
ことはなさいませんでした。神様の御言葉である聖
書は「夕があり朝があった。第一日。
」と言って、創
造の期間を六日間に限定しています。このことは第
二日目にも第三日目にも、六日間のすべてにあては
まることです。それぞれの日に神様は、
「∼∼よ。あ
れ」と仰せられました。そして、神様はその全能なる御言葉によって、光、空、かわいた
土地、海、川、植物、木、太陽、そして星、魚、家畜類、野生の動物などが存在するよう
になりました。神様のなされた事と創造されたすべてのものとには明確な順序(秩序)が
ありました。
しかしすべての目に見える生き物のうち、一番
すぐれた者が第六日目に特別に創造されました。
それが男であり、女でした。男と女はさまざまな
理由により独自に造られました。最初の男アダム
は神様ご自身によって土地のちりから形造られ
ました。そして最初の女エバは、アダムのあばら
骨の一つから神様によって造られました。男と女
は実に特別に造られたのです。
人間はまた、神様のかたちに創造されましたので、
特別でした。それは人間の見える姿が神様と同じだ
という意味ではありません。神様は霊ですから、人
間が神様のように見えるはずはありません。神様に
は人間が持っている肉や骨はありません。神様の形
に創造されたということは、創造のときには、人間
には罪がなく、神様の御心を完全に理解し、神様の
ように完全だったという意味です。事実、神様が創造の御業のすべてを終えられた時、
神様は、すべてのものは「非常によかった」と仰せられました。
体に加えて、神様は男と女に生きている魂をお与えになりました。神様は人間にだけ体
と魂の両方をお与えになったのです。他の目に見えるどんな生き物もこのような魂を持っ
ていません。
神様のかたちの特別に創造されたという事の他に、人間には地球上のすべてと地球上に
生きるものを支配する務めが与えられました。人間は、海の魚、空中の鳥、家畜、土地、
そして地球上に動くすべての生物を守らなければなりませんでした。神様が人間にお与え
になった責任は、なんと大きな責任でしょうか。
しかし、今日、罪の故に、人間は神様が創造されたものを守ってはいません。
私達は神様が創造された美しい世界を誤用し
ています。例えば、私達は有害な黒煙で空気を汚
染しています。廃水で川を汚しています。町中で
も郊外でもごみをまき散らしています。私達は野
生動物を殺したり、植林をしないで木を切り出し
たりしています。
私達は、最早、神様の創造なさった世界の良い管理人ではなくなってしまいました。私
たちの世界は神様がお造りになられたままの美しい創造ではなくなっています。
また私達は自分自身の体の管理にも無責任になっています。私達は食べ過ぎたり、飲み
すぎたり、たばこを吸い過ぎたりして、自分の体を虐待しています。麻薬で自分の体を破
壊します。私達は神様が創造された完全な被造物ではなくなっています。
私達は自分の体やこの世界を濫用する代わりに、神様に感謝すべきなのです。私達は健
康であることを神様に感謝すべきです。自分の体に十分気をつけるべきです。私達は畏れ
多いほどすばらしく造られていますので、神様をほめたたえるべきです。他のどんな生物
も私達がするように考えることも手を使うこともできません。他のどんな生物も私達が持
っているような魂を持っていません。
この魂は、神様からの贈り物です。私達の御子、イエス・キリストを信じる信仰を通し
て、私達の魂は、いつの日にか、それをお与えになった神様のところに帰るのです。その
時、私達は神様に「主に感謝せよ。主はまことにいつくしみ深い」と賛美の声を上げるこ
とでしょう。
++++++++++++++++++++
「神のかたちに彼を創造し、男と女とに彼らを創造された」創世記 1 章 27 節
さらにもっと勉強するために、あなたは聖書で創世記 1・2 章を読んでください。
「ひとりの人の罪が世界にはいり、罪によって死がはいり。」
ローマ 5 章 12 節
「救い主の約束」が与えられます。
神様が男と女を創造された時、神様は彼らに生活上の明確な役割を与えました。夫は、
家庭の頭であり指導者であるべきでした。妻はふさわしい助け手であるべきでした。しか
し、アダムは、悪魔に誘惑されたエバによってそそのかされ、罪に落とされてしまいまし
た。この罪の恐ろしい結果が天地万物の人間の上に襲いかかってきました。この問題につ
いて学びましょう。
神様が天地万物を創造された後、神様は美しい園に私達の最初の両親を置かれました。
その園はエデンの園として知られています。それは、すばらしい所であったにちがいあり
ません。見るからに好ましく食べるのに良いすべての木がそこに生えていました。一つの
川が人や動物や植物に水を与えるためにそのエデンの園の中を流れていました。アダムと
エバは幸せでした。労働は苦役ではなく、喜びでした。
しかしながら神様は、アダムに一つの命令を
与えました。神様はアダムに「エデンの園の中
央にある善悪の知識の木からとって食べては
ならない」と仰せられました。
「それをとって
食べるとその時あなたは必ず死ぬ」と神様はア
ダムに仰せられました。
そこにサタンと呼ばれる罪深くなったある
天使が登場します。サタンはエバに尋ねます。
サタンはエバが神様の御言葉を疑うように誘
惑します。サタンは嘘さえもつき、次のように
いってエバを誘惑しました。「あなたがたは決
して死にません。あなたがたが善悪の知識の木
から食べるとき、あなたがたが神のようにな
る」と。その結果、エバには禁断の木の実が食
べるに良いものと見えました。そこでエバはそ
の実を食べてしまいました。それからエバはア
ダムにもその実を与えました。そしてアダムもまた食べてしまいました。アダムとエバは
神様のこの簡単な命令にさえ従えませんでした。彼らは罪を犯してしまいました。彼らは
彼ら自身と彼らが生活している世界の上に神様からの罪の宣告をもたらしてしまいました。
彼らはすぐさま霊的に死に、その結果として肉体的にも死ぬべきものとなりました。
アダムとエバの犯した罪の結果は明白であり、今日の私たち一人一人もその結果を被っ
ています。
あなたも私ももはや神様のかたちを持っていません。つまり、私たちはもはや罪のない
状態ではなく、罪深いものなのです。また私たちはもはや神様を完全に知ることはできま
せん。
神様は起こった事のすべてをご存知でした。神様は
罰としてアダムとエバをエデンの園から追放なさいま
した。今やアダムは辛い仕事をしなければならない、
と神様は彼に仰せられました。労働は苦痛となしまし
た。それは現在でも同じでしょう。いばらとあざみが
アダムの畑に生えていました。いばらとあざみは現在
も生えていますね。そして、神様は「あなたの体は、
ちりからつくられたのだから、ちりに帰らなければな
らない」と仰せられました。それは今でも同じなので
す。
しかし、神様はただ公平で正しいだけのお方ではありません。神様はあわれみ深く罪を
赦してくださるお方でもあります。神様は、すばらしい祝福に満ちたお約束をアダムとエ
バにそして私たちすべての罪人に与えて下さいました。それは、神様が救い主(罪をとり
のぞいてくださるお方)をお遣わしになるという約束でした。なぜなら悪魔は蛇の形であ
らわされましたので、この悪魔の力を滅ぼすことを述べるために神様は聖書で次のように
仰せになりました。「彼(救い主)はおまえ(悪魔)の頭は踏み砕く」と。遠い昔に約束されたこ
の救い主こそ、神の御子、イエス・キリストに他なりません。イエス・キリストはご自身
の受けられた苦しみと十字架の死と死者の中からのよみがえりとを通して、罪の罰と死の
恐怖と悪魔の力から全人類を救い出されます。
あなたや私にはこの救い主が必要なのです。私たちがこの世に生を受けた時に、既に私
たちは罪深い状態にあります。私たちは最初の祖先のアダムとエバからこの罪深い状態を
受けついでいます。ですから私たちは毎日生活の中で多くの罪を実際に犯すのです。私た
ちは神様の戒めを守ることができません。私たちが嘘をついたり、盗んだり、のろったり、
悪い欲望をいだいたり、隣人を傷つけたり、神様より他の事を大切にしたり、偶像礼拝を
する時、私たちは罪を犯しているのです。私たちは罪深い思いを持っています。罪深い言
葉を話します。私たちは、罪深い行いをしてしまいます。その結果として、あなたや私が
地獄での永遠の死を被ることは当然なのです。
私たちの慰めは、神様が救い主をお遣わしになるという御約束を守って下さった事を知
ることです。私たちは聖書でその救い主について学びます。
++++++++++++++++++++
「わたしはおまえと女との間に、また、おまえと子孫との間に敵意を置く。」
創世記 3 章 15 節
人間の堕罪(罪に落ちた事)についてもっと学ぶために聖書の創世記 3 章を読
んでください。
「今日ダビデの町で、あなたがたのために、救い主がお生まれにな
りました。この方こそ主キリストです。」
ルカ 2 章 11 節
神様の約束は守られます。
神様がアダムとエバに救い主の御約束を最初に与えられた時から
救い主が実際にお生まれになった時まで、何千年という時間が過ぎ
去りました。この間に、神様はご自身の民族を励ますために多くの
特別のメッセンジャーや預言者を遣わして下さいました。この民族
は救い主のご降臨を忍耐して待ち望み続けました。預言者たちは絵
画的な描写で、救い主がどのような方で、何をなさるかを教えまし
た。徐々に回数を増やしながら、段々とよりはっきりと、彼らは神
様のお約束の実現について話しました。そして、その時が来た時に、
晴天の夏の日の稲妻と雷鳴のように突然、全人類の救い主はお生ま
れになりました。
救い主は、約 2000 年前にイスラエルの国のベツレヘムという小さな村でお生まれになり
ました。この方は処女マリヤからお生まれになりました。ベツレヘムの宿屋には彼らのい
る場所がありませんでしたので、救い主は貧しい馬小屋でお生まれになりました。
天使達がこの驚くべき誕生のニュースを羊飼いたちに知らせまし
た。羊飼いたちが御使いを見て、ひどく恐れた、と聖書は語ってい
ます。しかし、御使いが彼らの恐れを静めました。御使いは彼らに
言った。
「恐れることはありません。今、私はこの民全体のためのす
ばらしい喜びを知らせに来たのです。きょうダビデの町で、あなた
がたのために、救い主がお生まれになりました。この方こそキリス
トです」と聖書に書かれています。
神様は御自身の御約束を守って下さいました。神様は救い主を遣わして下さいました。
この御約束の実現は非常に特別なお方によってなされました。この方は一つの人格の中で
真の神であり、真の人間なのです。また、このお方は父なる神様と聖霊なる神様と共に唯
一の神なのです。
天地万物を創造された時に、この方もそこにおられたと聖書が告げていますので、私た
ちはこの方が真の神であると分かるのです。このお方は全能であり、罪のないお方です。
父である神様が二度も「わたしの愛する子、わたしはこれを喜ぶ」とこの方をお呼びにな
りました。
それと同時に、この方が真の人間であったという事は、この方にも食事や睡眠の必要が
あったという事が証明されています。この方には人間の体と人間の感情がありました。
イエスと名付けられました。この救い主が三十歳になられた時に、良い知らせ(福音)を宣
べ伝え始め、教え始められました。多くの人々がイエス様とお会いし、お話を聞くために
やって来ました。
イエス様が権威をもってお話をされましたので、彼らはやっ
て来ました。たびたび、イエス様はその教えの中で譬話、つま
り霊的な意味を持っているこの世的な物語を用いられました。
その譬話の一つに、畑で種を蒔く人の話があります。また種は
道ばたに落ち、鳥が来てそれを食べてしまいます。また、別の
種は土の薄い岩地に落ちます。土が深くなかったので、すぐに
芽を出しますが、日が上ると、焼けて、根がないために枯れて
しまいます。また、別の種はいばらの中に落ちますが、いばら
が伸びて、ふさいでしまいます。また、別の種は良い地に落ち
て、豊かに実を結びます。
イエス様はこの譬話を説明して下さいました。この種は神様の御言葉です。ある人々は
御言葉を聞いても、悪魔が来て、この人の心に蒔かれた御言葉を奪って行きますので、こ
の人々は信じることも救われる事もできません。また、御言葉を聞くと、すぐに喜んで受
け入れ、信じる人々もいます。しかし、御言葉のために困難や迫害が起こると、すぐにつ
まずいてしまいます。彼らは、浅い、岩地に蒔かれた種と同じです。また、いばらの中に
蒔かれるとは御言葉を聞くがこの世の心づかいと富の惑わしとが御言葉をふさぐために、
実を結ばない人のことです。しかし、最後には神様の御言葉はイエス様を約束された救い
主として信じ、信仰深い生活をし、救われている人々の心に蒔かれます。私たちはイエス
様についての良い知らせの種が私たちの心を信仰で満たすことを望んでいるでしょうか。
イエス様はまた数々の奇跡を起されました。この奇跡はただ神様だけにできる行為です。
この奇跡は、イエス様が神様の全能の御子であることを証明するために行われました。イ
エス様は、自然に対しても権威と力がある事を示すために、水を
ぶどう酒に変えたり、ガリラヤの海の嵐を静められました。また
イエス様は、病人、耳が遠い、目が見えない人々を癒すことを通
して、病気に対しても力があることを示されました。更に、イエ
ス様は、ヤイロの娘、ナイン町のやもめとなった母親のひとり息
子、また友ラザロを死者の中から彼らをよみがえらされたことで、
死に対してさえも力があることを示して下さいました。
イエスというお名前には、救い主と言う意味があります。この
イエス様は神様によってアダムとエバに約束された救い主です。
またイエス様はあなたがたの救い主です。あなた方は聖書の良い
知らせを通して、あなたがたを救うためにイエス様が何をして下
さったかということについて学ぶことができます。あなたがたも、
イエス様を神の御子として信じるために、良い種があなたがたの
良い心に蒔かれますように。そして、イエス様の御名にあって永
遠のいのちを持ちますように。
+++++++++++++++
「わたしの上に主の御霊がおられる。主が、貧しい人々に福音を伝えるように
と、わたしに油を注がれたから。
」
ルカ 4 章 18 節
救い主の御誕生について、あなたの聖書で、ルカによる福音書 2 章を読んでく
ださい。
「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。」
ヨハネ 3 章 16 節
イエス様はその約束を実現されます。
なぜ?・・・・・どうして、イエス様は、永遠なる神のひとり子であるのに、喜んで天の
栄光を離れてこの世に来てくださったのでしょうか。なぜ、彼は富んでいましたのに喜ん
で貧しくなり、人間の間に住んで下さったのでしょうか。その答えは、愛!その一言に尽
きます。父なる神様はこの世を愛し、そのひとり子をわたしたちの間に住まわせるために
遣わして下さいました。イエス様は私たちを非常に愛してくださいましたので、私たちの
多くの罪の代価をご自身の苦しみと死とによって自ら進んで支払って下さいました。
イエス様は私たちのために確かに苦しみを受けられました。
その時の宗教指導者たちはイエス様を殺そうとしていました。
彼らはイエス様が説く赦しのメッセージをひどく嫌いました。
彼らはイエス様が神様の御子であることをどうしても信じよ
うとはしませんでした。その結果、彼らはイエス様の弟子の一
人であるユダを、銀貨三十枚で買収し、イエスを裏切るように
仕向けました。イエス様はエルサレムの街の門の外にあるゲッ
セマネの園で祈っておられた時に、捕らえられました。イエス
様は宗教裁判を受けるために裁判所へ連れて行かれました。イ
エス様は御自分が神の御子であると言われましたので、断罪さ
れました。しかし、ユダヤ人たちは死刑の権威を持っていませ
んでした。そこで、イエス様はローマの総督ポンテオ・ピラトのもとに送られました。そ
こで、イエス様はあざけられました。彼は残酷にも鞭打ちされ、鋭い茨の冠をかぶせられ
ました。ピラトは、この方を無罪とみなし、釈放しようとしましたが、群集は「十字架に
つけよ、十字架につけよ」と大声で叫びました。
そこで、エルサレムの門の外のゴルゴダという丘で、
イエス様は二人の犯罪人といっしょに十字架につ
けられました。十字架につけられたイエス様は七回、
御言葉を発せられました。イエス様はご自分を十字
架につけた人々のためにゆるしの言葉を仰せられ
ました。イエス様は愛を示して、母マリヤのことを
イエス様の愛しておられた弟子のヨハネに頼みま
した。イエス様は隣の犯罪人の一人に彼が天国に入
ることを約束なさいました。十字架につけられてか
ら六時間後に、イエス様は、「完了した」と叫ばれ
ました。イエス様はこの世に来られた目的を完全に
果たされました。イエス様は罪のない方であったの
に、私たちの代わりに苦しみと死とを受けて下さっ
て、全人類、
(あなたも、私も全て)の罪の代価を
支払って下さいました。イエス様が死んだ時、世界
は震えました。はりつけの担当にあたっていたローマ兵は「確かに、この方はまことに神
の子であった」と言いました。
イエス様の友達がイエス様を墓に埋葬しました。墓の入り
口は石で塞がれておりました。長官は墓に封印をし、遺体が
盗み出されないように兵士たちに墓の入り口を見張るように
命じました。
しかし、死も警護もイエス様を墓に留めておく事は出来ま
せんでした。かなり前、何回もイエス様は弟子たちに、御自
身がよみがえると語っておられました。そして、そのように
なりました。
日曜日の朝早く、今日私達がイースターと知っているその日に、イエス様に従っていた
数人の婦人たちが墓のほうに向かって歩いていました。彼女たちは「だれが墓の入り口か
ら、あの石を転がしてくれるでしょう。
」と話し合っていました。墓の近くまで来て見ます
と、石はすでにわきへ転がしてありました。警護の者たちもいませんでした。彼女たちが
見たのは、空の墓でした。彼女たちが聞いたのは、天使の声でした。天使は喜びにあふれ
るメッセージを伝えました。
「あなたがたが
十字架におかかりになったイエスを捜して
いることは、わたしにわかっているが、も
うここにはおられない。かねて言われたと
おりに、よみがえられたのである。さあ、
イエスが納められていた場所をご覧なさい。
そして、急いで行って弟子たちにこう伝え
なさい。イエスは死人の中からよみがえら
れました。」
このメッセージを聞いた婦人達と弟子達のすべての人達の心は喜びで満たされました。
永遠なる神様の御子であるイエス様は人となり、この世に来てくださり、苦しみと死とを
受けられましたが、死に打ち勝ち、よみがえられました。この方は生きておられます。
四十日の間、イエス様は多くの人々に御自身を示されました。時に、500 人以上の人々に
同時に現れました。それから、祝福しながら弟子達の目の前でゆっくりと厳かな様子で、
天に昇られました。天において、イエス様は世の終わりの日に目に見える形で再び来られ
る日まで、父なる神様と共にあって、権威と栄光の最高の地位についておられるのです。
あなたの心も何と喜びに満たされることでしょうか。あなたの救い主はあなたのために
苦しみ、死なれました。あなたの罪の罰の身代わりとなりました。イエス様は再び天に上
られ、真の神であると証明されました。この方の復活を通して、あなたは義とされました。
これは、あなたの罪が赦されたということなのです。神様は、今日、あなたにこのことを
約束されました。あなたがこの約束を他の人々と共有するようにと・・・・・・。天使は
婦人たちに語りました。
「行って他の人々に話しなさい、このすばらしい知らせを話して下
さいますように。イエス様は生きておられます。そして、あなたの救い主です、と。
++++++++++++++++
聖書の「マタイによる福音書 27 章、28 章」には、イエス様の死と復活について詳しく書
かれています。どうぞお読みください。
「あなたがたが十字架につけられたイエスを捜している・・・・・・・よ
みがえられたからです。
マタイ 28 章 5・6 節
「神の恵みにより・・・・・義と認められるのです。」 ローマ 3 章 24 節
「救い主のお約束」-
あなたは神様によって義(正しい)と認められます。
「救われるためには、何をしなければなりませんか」(使徒の働き16章30節)この問いは、何世紀
も前に、ある怯えたギリシア人の牢番が使徒パウロにした問いでした。この問いは今日多くの人がする
問いとなっています。
「救われるためには、何をしなければなりませんか」。あなたに出来ることは何も
ありません。神様がすべてなさって下さいました。神様はイエス・キリストを通じて、あなたを救って
くださいました。神様はあなたに、
「あなたの罪は赦されている」と約束して下さっています。あなたは、
神様によって義(正しい)と認められているのです。
神様によって義と認められるとは、どういう意味なのでしょう。義認とは、神様がイエス・キリスト
のゆえにあなたを義(正しい)と宣言される、神様の法廷での判決なのです。アダムというひとりの人
間によって死がこの世に入り、そして、罪によって死がこの世に入りました。同様に、イエス・キリス
トというひとりの方によって、全世界が義(正しい)と宣言されたのです。イエス様が十字架の上で死
なれた時、イエス様は全人類の罪をその身に負
ってくださったのです。聖書は、
「主は私たち
のすべての咎を彼に負わせた。
」と語ります。
十字架上の死によって私たちの罪に対する罰
の代価を完全に支払ってくださったので、イエ
ス様は死から誇らかによみがえったのです。再
び聖書は明言します。
「主イエス様は、私たち
の罪のために死に渡され、私たちが義と認めら
れるために、甦られたのです。
」
神様は、ただその恵みのゆえに私たちを義と認めておられる、即ち、私たちの罪を赦しておられるの
です。聖書は、「あなたは、恵みのゆえに救われたのです。」と私たちの心に思い起こさせます。恵みと
は、神様の無償の愛です。私たちを愛しておられる神様は、アダムとエバが罪に堕ちた時に約束して下
さったとおりに、この世に御子を遣わされたのです。神様の御子イエス様が、自らすすんでこの世での
完全な生活をされ、更に、十字架の上で罪なく死んでくださったのは恵みの故なのです。神様は、この
全てのことを、あなたの身代わりとしてなされたのです。聖書は、
「恵みとまことはイエス・キリストに
よって実現した。
」と語ります。
ですから、あなたを救うのは、あなたの過去または現在の行いではなく、
「神様がイエス・キリストを
通じてすでになさっていることによるのだ」、ということがおわかりですね。では、どうすればあなたは
この救いをあなた自身のものにすることができるのでしょう。イエス・キリストへの信仰によってです。
「あなたは、恵みのゆえに、信仰によって救われたのです。
」とは、聖書の言葉です。
信仰もまた、神様の賜物です。あなたの救い主としてのイエス様への信仰とは、あなたがこの方を信
頼することです。クリスチャンが「私は信じます。
」と言えばそれはその人が神様を信頼し、神様の約束
が全て果たされることを確信している、ということを意味します。この信仰は、神様の御言葉と洗礼と
聖晩餐という聖礼典の中に見出される福音、即ち良い知らせを通して私たちの心と人生に入ってきます。
神様の恵みにより、神様の賜物である信仰を通して、私たちは神様の御前で義(正しい)と認められ、
聖なるものと宣言されるのです。私たちの罪はイエス・キリストの義によって覆われるのです。その結
果、神様はもはや私たちの罪をご覧にならず、イエス様の義に目を向けられるのです。ですから、神様
はキリストの故に、私たちを義であり正しいと宣言されるのです。
言い換えれば神様が全てのことをすでにしてくださったのです。私たちに出来ることは何もありませ
ん。そして、このことこそ、神様が聖書の中で私たちに語っておられることなのです。
「あなたは、恵み
のゆえに、信仰によって救われたのです。それは、自分自身からでたことではなく、神様からの賜物で
す。行いによるのではありません。だれも誇ることのないためです。
」
こんなにはっきりした神様の御言葉に逆らって、多くの人が自分自身の善い行いによってこの完全な
義を手に入れようとすることで、かえってこの義を拒否しているのです。でも無駄なのです。なぜなら、
神様は私たちを救われるために私たちの努力を必要とはしていませんし、望んでもおられないからです。
「救われるためには何をしなければなりませんか。」という問いへの答えは、「何もありません。」です。
「イエス・キリストを信じなさい」が真の答えです。その信仰さえも、福音の約束を通して神様が賜った
ものなのです。
神様の赦しが人間の行いにかかっていないので、今や全ての信者は神様の赦しを確信できるのです。
もし、神様の赦しが人間の行いにかかっているとすれば、私たちは神様を十分に満足させるほどの善い
行いをしたかどうか確信がもてず、したがって救われるかどうかも全くわからないことになります。赦
しがイエス・キリストによってすでに完全に成し遂げられたことにかかっているからこそ、信者は救いを
確信できるのです。
そこで、あなたの人生のすばらしい目的は、まず何よりも聖書からイエス様に関する良い知らせにつ
いて学ぶことです。そうすればこんどは、その良い知らせをあなたの友人、親戚、隣人と分かち合いた
いと思うでしょう。この人たちに神様が全ての事をしてくださったと伝えてください。この人たちに、
神様の恵みによって救い主イエス様への信仰を通して、私たちは義(正しい)と認められ、罪が赦され
ていると伝えてください。
++++++++++++++++
聖書の『ローマ人への手紙 3 章』で、義認(神様によって正しいと認められること)について詳しく書か
れています。どうぞお読みください。
「あなたは、恵みのゆえに、信仰によって救われたのです。
」
エペソ 2 章 8 節
「ですから、信仰によって義と認められた私たちは、私たちの主イエス・キリ
ストによって、神との平和を持っています。」
ローマ 5 章 1 節
『救い主の約束』-あなたは平安になります。
御父、御子、聖霊、なる三位一体の神様。私たちは父なる神様とその偉大なる御業すなわち全世界と人
間の創造について学んできました。では、聖霊とはなんでしょうか? 聖霊は私たちにとってどんな働き
をしてくださるでしょうか?
簡単に言えば、聖霊は真の神であり、御父と御子と共におられ
ます。その方々は一つであり、また等しく全能であり、聖なるも
のです。私たちにとって重要なことは聖霊の働きなのです。
第一に、聖霊の働きによって、あなたがたは信じる道、すなわ
ち信仰に導かれます。聖霊はあなたを信仰のない側から神様の御
言葉と救いの御業とによって、信仰のある側へと呼び入れます。
聖霊はあなたに活気あふれた命をお与えになります。以前、あな
たは罪の暗闇の中に生きていました。しかし、神への信仰を持つ
人は、神の約束の光の中に生きています。
第二に重要なことは、聖霊が数々のすばらしい霊的な賜物を、
信仰を持つ人々にお与えになるということです。私たちは既に罪
の赦しをいただいていることを学びました。しかし、もっとたく
さんの賜物があります。
あなたも私も今や神様と共に平安のうちにおります。私たちは神様を恐れることはありません。神様
は愛すべき方であり罪を赦してくださる方であることを学びました。聖書の中にも「義は平和をつくり
出し」と記されています。
あなたも私も希望を持っています。日々多くの希望を抱いて生活しています。幼い子供たちには学校
に行く希望、若い人には誠実な配偶者を見つける希望、熟年者には健康を保つ希、それぞれ希望を抱い
ているでしょう。しかし、聖霊はもっとすばらしい、天国での永遠の命の希望を与えてくださいます。
神様の御言葉は「祝福された望み、すなわち、大いなる神であり私たちの救い主であるキリスト・イエ
スの栄光ある現われを待ち望みます」と言う事を思い起させます。
あなたと私は喜びに満ちた命を持っています。私たちの生活のうちに失望や落胆することが生じても、
福音によって私たちの心は打ちひしがれることはありません。私たちは神様が私たちの祈りに耳を傾け
ていてくださることを知っていますので、いつでも神様に信頼することが出来ます。ですから私たちの
心は喜びで満たされます。聖書は「神の栄光を望んで大いに喜んでいます。そればかりではなく、患難
さえもよろこんでいます」
。と言っています。
あなたも私も慰めをいただいています。悲しみが私たちの生活に入り込む日があっても、私たちは聖
書の中にある神の慰めの言葉を聞くことができます。
「これこそ悩みのときの私の慰め。まことに御言葉
は私を生かします。
」
たくさんの霊的な賜物を贈って下さる他にも、聖霊は私たちに罪を憎み、良い行いで満たされた清い
生活を渇望するように導いて下さいます。良い行いとは、信仰のある者が神の御言葉に従って、神がよ
くしてくださった全てのことへの愛と感謝とをもって行う全てのことです。
イエス様に対する信仰の結果として、神様がキリストの故に私たちの罪を赦して下さったように、私
たちも他の人々に親切にすることができ、また罪の赦しを与えることができるようになります。私たち
は忍耐強くなることができるでしょう。優しさも信仰のある人の特徴です。私たちは憤りや悪しき欲望
や悪い習慣をコントロール出来るようになるでしょう。これら全てのすばらしいことは福音により聖霊
が働き、信仰のある人々の間で実現されたものなのです。
しかしまだ、聖霊によって私たちの人生にもたらされるものがあります。悪魔と不信仰な者と私たち
の生まれながらに持っている罪深い心は、信仰を弱らせようとする働きがあります。悪魔は私たちが善
を行おうとすることを妨げます。しかし、聖霊こそが私たちの信仰を強めてくださいます。聖霊こそが
私たちの天国での永遠の喜びに入るまで、神様の御心にしたがう信仰を守って下さいます。
神様はあなたを救おうとされておられます。ですから、神様の御言葉に耳を傾けてください。聖書の
学びも必要です。聖霊の働きを受け入れて、神への信仰を造っていただき、そしてクリスチャンとして
の生活をもたらしていただいてください。あなたの心に光輝く御言葉を受け入れてください。もしも、
聖書がお手元になければ差し上げます。どうそ、聖書を開いてください。特に、マタイ・マルコ・ルカそ
してヨハネの 4 つの福音書からイエス・キリストの話を学んでください。イエス様は必ずあなた御自身を
永遠の命に導いてくださる力を備えてくださっています。
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「わたしの力は、弱さのうちに完全に現れるからである。」
コリント第2、12 章 9 節
ローマ人への手紙 5 章をお読み下さい。励ましが与えられます。
「イエスは彼に言われた。
『わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。』 ヨハネ 14 章 6 節
その約束は、永遠の命に導きます。
人は死んで、生き返るでしょうか。「いいえ」と無神論者は答えます。「かもしれない」と哲学者も答え
るでしょう。しかし、神様の子であるクリスチャンだけが、イエス・キリストを信じる信仰に基づいて、
確信を持って「はい、再び生き返ります。
」と答えることがでえきます。
「わたしは、よみがえりです。いのちです。私を信じる者は、死んでも生きるのです。また、生きて
いて信じる者は、決して死ぬことがありません。」とイエス様ははっきりと約束して下さいました。しか
し、私たちは本当に『決して死ぬことがありません。』でしょうか?私たちは愛する人のお墓のそばに立
ち尽くしたことがありませんか? また、死が私たちのことをも待っていることを見ませんか?
確かに、私たちの体は死ななければなりませんし、墓に納められるでしょう。しかし、既に学んだ通
り、人間には魂があるのです。死というのは、体と魂が分離されることなのです。体が死んでも、私た
ちの魂は生き続けます。イエス様を救い主として信じなかった人々の魂は地獄という終わりのない罰の
ある場所に引き渡されます。そこで悪魔とその手下たちと共に留められます。そこで、永遠の苦しみを
受け続けるのです。
しかし、その一方で、クリスチャンの魂は天国、即ち、神様のおられる特別な場所に直接行きます。
そこで魂は神様と全ての信者たちと天使たちといっしょに生きるのです。
この世の終わりの日に、つまり最後の審判の日に、イエ
ス様はすべての人々を裁くために再び来られます。その日、
すべての死んだ人々の体は、死からよみがえります。彼ら
の体は彼ら自身の魂と再び結合されます。一方では、イエ
ス様を救い主として信じなかった人々の体と魂は地獄での
永遠の苦しみに落とされますが、他方では、イエス様を信
じる信仰があった人々は、栄光を与えられた体と魂をもっ
て、天国の永遠の喜びの中で生きるのです。
天国がどのような所であるのかについて、私たちにははっきり分かりません。しかし、聖書は天国の
色々なことについて説明しています。例えば、天国では私たちがイエス様の御前でイエス様と共にいる
であろうことを聖書は教えています。天国は大いなる喜びと幸福のある場所です。天国に入る人々は、
この世では経験するような苦痛も悲しみも死も涙もありません。天国は永遠の喜びがある所です。また、
私たちはイエス・キリストを信じる信仰を持って死んだすべての愛する人とそこで再会します。
天国では、私達は神様の御座の回りの天使たちといっしょに神様を賛美します。「ほふられた子羊は、
力と、富と、知恵と、勢いと、誉れと、賛美を受けるにふさわしい方です。」また、「聖なるかな、聖な
るかな、聖なるかな。神であられる主、万物の支配者、昔いまし、常にいまし、後に来られる方」と私
たちは天使たちといっしょに喜んで歌います。信仰のある神様の子供は誰でも天国で救い主と共にある
その日を期待して、経ち望むべきでしょう。
それですから、あなたは次の一つの質問に答えなければなりません。もし、今晩、あなたが死を迎え
たとしたら、あなたはどこに行くのでしょうか。あなたの魂は天国に行くのでしょうか。それとも地獄
でしょうか。仮にあなたが天国に入れるとしても、神様は何故あなたが天国に入る事をお許しにならな
ければならないのでしょうか。神様が完全な生活をあなたに要求しておられる事を思い出してください。
神様は「だから、あなたがたは、天の父が完全なように、完全でありなさい」と言われたのです。しか
し、神様はあなたの生活の中に何をご覧になるでしょうか。それは罪です。
「罪を犯したものは、その者
が死ぬ」と神様は私たちに警告しておられます。しかし、多くの人々は自分が罪人であることを認めま
せん。彼らは、”私は他の人よりはましだ。私は正しいことをしようと努めている“と自分を自慢して、
自分で自分を救おうとします。しかし、神様は次のように言っておられます。
「なぜなら、律法の行いに
よって義と認められる〔罪が赦される〕者は、ひ
とりもいないからです。あなたに何ができるでし
ょうか。何もできません。私たちを救って下さる
ために神様がすべての事をすでにして下さったか
らです。神様は、イエス・キリストを通してあなた
を救って下さいます。イエス様は「失われた人を
捜して救うために来たのです。
」イエス様は、あな
たの罪の罰をあなたの代わって受けてくださるた
めに、十字架の上で死んで下さったのです。今や、
イエス・キリストの故に、神様はあなたを義と宣言
して下さいます。次の御言葉はあなたへの神様か
らの素晴らしい約束です。
「主、イエスを信じなさい。そうすればあなたも救われます。」
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黙示録 7 章には天国の描写が書かれています。どうぞここを読んで下さい。
お祈り
愛する神様。あなたはあなたの御言葉の中で私たちに多くの事を教えておられます。私は自分が罪人
である事を教わりました。私には救い主が必要である事を私は知りました。あなたは私にイエス、キリ
ストを示して下さいました。この方こそ私の救い主です。どうか、いつも私がイエス・キリストを信じる
信仰を持ち続けることができますように。どうか、イエス・キリストを通して、私を天国での永遠の命に
お導きください。イエスさまの御名によってお願いします。アーメン。
「神は彼らの目の涙をすっかりぬぐいとってくださるのです。」
黙示録 7 章 17 節
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