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合法行為

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合法行為
説
卜,
ネ
国際法規則の不存在と国際法上の合法性の判断
はじめに
一 、﹁国際法規則の不存在﹂の意味と問題
二 国際法の完全性の理論
三 ﹁核兵器使用の違法性諮問事件﹂に関する勧告的意見の吟味
おわりに
培根
63 (2 ・ 9) 351
は じ め に
法主体の行為の合法性または違法性を判断するためには、問題となった行為に適用されるべき法規則が存在しなけ
ればならない。一般的な法的推論の過程は、特定の法規則を法主体の行為に適用することによって、問題となった行
論
論説
為の合法性または違法性を判断するからである。しかし、国策法主体の行為の合法性または違法性の問題をめぐって
は、問題となった行為を規律する国際法規則が存在しないという主張がなされることがある。そのような主張は最近、
ICJに勧告的意見が求められた﹁核兵器使用の違法性諮問事件﹂をめぐってもなされたことがある。すなわち核兵
器使用の違法性を否定する側は、核兵器使用の違法性を肯定する主張に対する反論として、核兵器の使用を禁止する
一般国際法は存在しないと主 張 し て い る 。
国際法はその定立の面からみて、国際法の規律が要求される問題に対して迅速かつ適切に対応することが難しい。
慣習国際法規則の成立北は時間がかかり、その内容も不明確である。条約の場合も、締結のための交渉から発効まで
は多くの手続きを経なければならず、長い時間がかかるのが普通である。’しかも、これら国際法規則は散発的かつ非
体系的に定立されるのであって、国際社会北は国際法規則に一定の体系的な整合性を持たせる統一的な立法機関は存
る 在しない。それ故、ある行為の国際法上の合法性の判断の問題をめぐっては、適用されるべき国際法規則が存在しな
いという主張がなされる可能性は常に存在するように思われる。﹁核兵器使用の違法性諮問事件﹂と関連してなされ
た、国際法規則の不存在の主張はその一つの例であろう。
ソ
このように国際法主体の行為の合法性︵または違法性︶の判断の問題をめぐっては、国際法規則の不存在の状況が
問題になりうるという認識から、また多くの関心が寄せられた﹁核兵器使用の違法性諮問事件﹂に関する勧告的意見
が出されたことを契機に、本稿は次の問題を考察してみようとするものである。つまり国際法主体の行為の合法性を
判断するに際して適用されるべき国際法規則が﹁存在しない﹂ということがあり得るか、また﹁国際法規則の不存
在﹂は国際法主体の行為の合法性判断の問題と関連してどう理解されるべきかの問題である。
本稿では、まず﹁国際法規則の不存在﹂の意味とそれが提起する問題を確認する。次に、国際法主体の行為の合法
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国際法規則の不存在と国際法上の合法性の判断(朴)
性の判断と関連して﹁国際法規則の不存在﹂が問題になりうることはないという、﹁国際法の完全性﹂︵oo目覧簿①・
昌Φωωo︷一華巽轟甑80=効≦︶の理論の内容とその妥当性に関して考察してみる。最後に、これらの考察を踏まえて核
兵器使用の違法性に関するICJの勧告的意見を吟味してみたい。
︵1︶ ﹁規則懐疑主義﹂︵歪冨ωoΦ冥三ωヨ︶はこのような推論の過程を否定する。﹁規則懐疑主義﹂は法規則を法的推論過程におい
ての論理的前提とみるのではなく、法的推論とは無関係に得られた判断を事後的に﹁正当化﹂する手段とみるからである。し
たがって、﹁規則懐疑主義﹂に立つ場合には、法的判断を事後的に正当化するために法規則が﹁要求﹂される。
︵2︶古川照美、﹁核兵器使用の違法性諮問事件︵下︶﹂ジュリストZo.一8ω﹄8軽﹂O・ド七九頁。
︵3︶勿論、慣習国際法の成立に関しては、慣習国際法成立のための二つの要素として言われてきた一般慣行と法的確信のなか
で、ある一方の存在だけを以て慣習国際法の成立を認める見解もある。時間の面においても、比較的短い時間の経過による慣
習国際法の成立を認めた判例もある。北海大陸棚事件判決、トGS沁§o養N℃亀もO・お−ω●しかし、これらのことによって慣習
国際法成立においての困難が緩和されることはあっても、基本的に慣習国際法が国際法の規律を要求する状況に迅速かつ十分
に対応して成立し難いという事情に変わりはない。
︵4︶ 国際社会が、主権国家の併存的に存在する未組織の状態から組織化され且つ協力的な体制へと変化するにつれて、国際法
の定立も散発的・非体系的・非組織的なものから、国際社会全体の示す一定の方向に沿って体系的・組織的になされるものへと
変化しつつある傾向は否定できない。しかし、国際法の体系的な定立・改正・廃止を可能にする、組織化された国際法定立機関
は国際社会にまだ存在しない。
︵5︶ ﹁核兵器の使用を禁止する﹃一般国際法﹄が存在しない﹂という主張においてのコ般国際法﹂は、具体的な事例に適用さ
れる時には﹁国際法規則﹂である。
︵6︶ 本稿で﹁合法性﹂のみに言及する場合でも、文脈によってそれは﹁違法性﹂の意味をも含むものとして理解されたい。
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論説
一 ﹁国際法規則の不存在﹂の意味と問題
法主体の行為を規律する法規則は基本的に禁止もしくは許容をその内容とする。
ある行為は、それが法規則によって許容されている場合には合法的であり、禁止されている場合爬は違法的である。
したがって、国際法主体の行為の合法性判断の準拠になる国際法規則が存在しないということは、その行為を禁止す
る国際法規則も許容する国際法規則も存在しないことを意味する。そのような状況においては、国際法主体の特定の
行為の合法性または違法性の判断はできない。
国際法主体の特定行為の合法性の判断を不可能にする﹁国際法規則の不存在﹂とは、禁止規則と許容規則の同時的
不存在を意味する点で、ある行為に関する、単なる禁止規則の不存在または許容規則の不存在とは区別されなければ
ならない。法規範の体系は一般法規則と個別法規則の連鎖と交錯でなっている。法主体の行為に対する法規範の規律
は、一般的禁止と個別的許容もしぐは一般的許容と個別的禁止の方式でなされるのである。したがって、’法規則は一
般禁止規則と個別許容規則または一般許容規則と個別禁止規則の連鎖と交錯のなかで存在し、特定の行為を規律する
特定の法規則はそのような連鎖と交錯のなかから発見され惹。つまり、ある行総が﹁許容される﹂という判断は通常、
その行為を﹁一般的に許容する﹂法規則が存在すると同時にその行為を﹁個別的に禁止する﹂.法規則が存在しないこ
とを意味するか、もしくは﹁一般的禁止﹂の法規則の下でその行為を﹁個別的に許容﹂する法規則が存在することを
意味する。したがって、国際法主体の特定の行為を﹁禁止↑する﹁国際法規則が存在しない﹂時には、そのような禁
止規則との関係にお・いて相対的な’一般性を持つ﹁許容規則が存在する﹂という推定が成立するのが普通である。同じ
ように国際法主体の特定の行為を.﹁許容﹂する﹁国際法規則が存在しない﹂時には、そのような許容規則との関係に
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国際法規則の不存在と国際法上の合法性の判断(朴)
おいて相対的な一般性を持つ﹁禁止規則が存在する﹂という推定が成立する。したがって、単に国際法上特定の行為
に関する﹁許容規則﹂または﹁禁止規則﹂が存在しないということは、国際法主体の行為の合法性の判断において障
碍を生じさせることではない。
国際法主体の特定行為に関して、それを禁止する国際法規則もそれを許容する国際法規則も存在しないこと、した
がって国際法主体の特定行為の合法性についての判断が不可能になることがあり得るかをめぐっては、見解が分かれ
る。
まず、国際法の適用が要求されるすべての場合において、適用されるべき国際法規則が国際法には完全に存在する
という見解がある。いわゆる﹁国際法の完全性論﹂である。この理論によれば国際法規則の不存在に起因する、合法
る 性判断の不可能性の問題はあり 得 な い 。
一方、.﹁国際法の完全性﹂を否定する立場に立つと、適用されるべき国際法規則が存在しないことによって、国際
法主体の特定行為の合法性の判断ができない場合はあり得る。そのような場合としては二つを考えることができる。
第一は、国際法主体の行為が国際法による規律の対象外である場合である。法規範による規律の対象外の領域は一般
的に﹁法から自由の領域﹂︵﹁①Oげ什ωh﹃Φ一①﹁ 勾鋤彫bP︶あるいは﹁非法的領域﹂︵お。耳巴①Φお﹁菊曽⊆ヨ︶とよばれる。した
がって、﹁国際法から自由の領域﹂︵<α一台①﹃﹁①Oげけωh﹁①一①﹁ 幻日¢5P︶に属する行為に関しては、それを規律する国際法規
則が存在しないのであり、そのような行為は国際法上の合法性の判断の対象から除外されることになる。第二は、い
わゆる﹁国際法の鉄欠﹂︵σq巷ω〇二昌①ヨ鋤鉱。轟=僧ぎい口。評①昌血①ω<α貯Φ霞Φげ9ω︶が存在する場合である。﹁鉄塔﹂と
は第一には﹁不存在﹂を意味する。しかし、それは単に何かが存在しないことではなく、内部的関連を持つ諸部分で
り
構成された全体の内での一定の部分の不存在を意味する。したがって、﹁国際法の鋏欠﹂は﹁国際法﹂全体を構成す
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論説
る部分としての﹁国際法規則﹂の不存在を意味し、国際法の適用においての特定の国際法規則の不存在を意味する。
﹁国際法から自由の領域﹂と−﹁国際法の鉄欠﹂とは禁止規則と許容規則が同時に存在しない場合どして、.国際法上の
合法性の判断を不可能にするという点においては一致する。但し、﹁国際法から自由の領域﹂においては最初から国
︵7︶
際法による規律を要求する状況が存在しないのに対して、﹁国際法の鉄欠﹂はそのような状況が存在するにも寝わら
ず、それを規律する特定の国際法規則が存在しない点で両者は相違する。
.以下では、国際法上の合法性判断の不可能性の問題をめぐっての、これら二つの見解の妥当性について考察してみ
る。
︵1︶禁止もしくは許容ではなく、・特定の行為を義務づける規則もある。しかし、そのような規則も義務づけられて行為を許容
する一方、義務に反する行為を禁止するという点で、行為の禁止もしくは許容に還元して理解することができる。
︵2︶ ﹁一般﹂個別﹂は﹁原則−例外﹂の関係として見ることもできる。したがって、﹁一般規則﹂は﹁怯原則﹂と呼ぶこともで
きる。しかし、﹁法原則﹂は特定のものに適用される法規則という意味で理解されない場合が多いことを考慮して、本稿では
﹁一般規則﹂を﹁法原則﹂とは呼ばないことにする。﹁法原則﹂と﹁一般規則﹂を区別することに関しては、ω貯Oo二身 国けNー
︵4︶ 勿論、国際法体系を完全と見る見解は、国際法体系だけではなくて法体系全体が﹁完全性﹂−を持つとみる。=碧9煽。一紹員
逆も同じでみる。
コ般的﹂な﹁禁止﹂規則は、それより﹁一般的﹂な﹁許容﹂規則との関係においては﹁個別的﹂な﹁禁止﹂規則になり、その
︵3︶ そして、この場合コ般一個別﹂の関係は相対的なものである。つまり、より﹁個別的﹂な﹁許容﹂規則の前提となる
げ葭αqoき回書ミ§、駄ミ鷺§亀誉ミミ皆ミ”α夢①9噂ぢ雪︹以下、︾㌧§§§触として引用どPな参照。
ωoゴ臼。o寓05§甘︸§ぎ噛§、い§画ミ寒。建§職㌔ざら§斜一〇〇一︹以下、ミ鷺§§§ミ9ミとして引用︺もレNO⋮○①oお㏄9≦鋤旨。亭
ら。ミδ層一り竃目︹以下、Oo昌臼巴牢貯9覧。ωとして引用︺”,刈参照。そのほかにも﹁三原則﹂の意味の理解に関しては、08胃
ヨ碧ユ8”↓冨020冨一二ユ50日置。ωo=暮㊦ヨ緯凶8巴い”ミー08ω置。﹃巴蹄。ヨ夢。ωけ碧号。貯蔵oh夢①国巳①ohい帥≦一讐肉鳴§識§
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国際法規則の不存在と国際法上の合法性の判断(朴)
ミ§曹駐⑨§紺§ミ脳§ミトQミ層ωΦ8&国島ぼoP一㊤09︹以下、聖§ミ8として引用︺も・NOP
︵5︶臼ユ。ケ守ω9霞碧貫卜笥簿§§§老恥ミミミ§沁鳴さ欝ぎミ隷討8曾馬ミ§受診§N§斜§§§ぎ轟ミ腎ミ。魯§貯勘ミ§駄
寒ミミ賊§§翁§隷鳴ミ鳴魯勝藁㊤㊤一︹以下、卜笥審§として引用どω.N一ωh
︵6︶Ω①串≦塞ぎ。き巴ρ皇Q多多ミミ鳶◎§監審§§翁§§鳴ミ§§譜図慧鳴⑦ミ§導ミぎ§羨恥§ミミ§駄
Oミ§§§、嵐き甘ミさ§沁Qら紳暮ミミミミ鑓博ミ恥鷺\Nミミし㊤①倉ψδ噛●⋮男鋤ω什Φ霞幕戸政疑審§噂ω・旨O.
︵7︶ 法の訣欠についての論議においてN一梓①一画p。8もこのような区別を出発点にしている。国ヨ。り樽N一け。ぎきP駅馬審§§沁§ミ讐
目80。”ω●◎。h
二 国際法の完全性の理論
ユ 法哲学的立場によっては、存在論的次元において法を完全なものとみる。存在論的に法を完全なものとしてみる法
哲学的立場からすれば、法主体の行為の合法性判断において適用される法規則が存在しない場合はあり得ない。なぜ
ならば、存在論的に法が完全である場合には、法の適用において法規則が存在しない状況はいつも只冒鋤壁。一①の性
格を持つからである。つまり、そのような状況とは適用されるべき法規則が明確でないことを意味するだけであり、
したがって法規則の発見あるいは認識の困難を意味するにすぎない。法は完全に存在しているから、法規則の発見あ
るいは認識の困難さえ克服すれば、常に法主体の行為の合法性に関する判断は法規則の適用によって得られることに
なる。また、存在論的に法を完全なものとして前提しないにしても、﹁実定法﹂以外の形での法の存在を認めるあら
ゆる法哲学的立場によると、法規則の不存在に起因する、合法性判断の不可能性は部分的に否定される。そのような
法哲学的立場によると、実定法のなかから適用する法規則が発見されない時でも、実定法以外の﹁法源﹂からそれが
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論説
発見される可能性は常に存在するからである。﹂したがって、議論の範囲を実定法に限定すると、法規則の不存在に起
因する、合法性判断の不可能性の問題は、法実証主義を前提にする時にだけ問題としての完全な意味を持ち得ること
になる。そして、法実証主義の立場から離脱せずに、言い換えれば実定法以外の法の存在を前提せずに、合法性判断
の不可能性を否定する主張もある。国際法を法体系として完全なものとして見る見解の主張である。そのような主張
はその根拠によって二つに区別することができる。一つは﹁一般的許容の原則﹂に基づくもので、もう一つは﹁法の
原則﹂に基づくものである。
e 一般的許容の原則
ω原則の内容
﹁一般的許容の原則﹂とは、﹁法的に禁止されていないことは法的に許容されている﹂︵壽讐①<臼尻昌9一〇〇q9ξ
る 只。匿玄8α一ω一①oq僧ξbo昌鼻9α︶という原則である。この原則は法実証主義から離れることなしに、﹁法の鋏欠﹂や
﹁法から自由の領域﹂を否定する論理の根拠である。
同原則に逮れば、法によって積極的北︵℃。ω凶ぼく。巳許容されて加ない行為であっても、それを禁止する法規則嚇
ら 存在しない場合には、それは法によって消極的に︵昌ooq葺く。ぐ︶許容されるのである。それ故、同原則によると、国
内法と国際法を問わず法によって規律されないも分は存在しないことになる。したがって、同原則は﹁法σ鉄欠﹂を
ハ り
否定すると三時に﹁法から自由の領域﹂をも否定する。
﹁︸般的許容の原則﹂は﹁主権の残余原理﹂とは区別されなければならない。.﹁主権の残余原理﹂は、国際法の領域
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国際法規則の不存在と国際法上の合法性の判断(朴)
で国家主権を根拠に﹁一般的許容の原則﹂を説明する論理である。PCIJはローーチュス号事件判決で、立法管轄権
に関するトルコの行為の自由を認める際にこの論理を用いた。同判決においてPCIJは、国際法が国家の﹁自由意
志﹂の産物だという前提から、国家の独立に対しての制限は推定されてはならないという認識に基づいて、特別の禁
止規則が存在しない限り国家は﹁主権﹂から由来する﹁広範な裁量権﹂を持つことを認めた。ローチュス号事件にお
いて立法管轄権について認められたこのようなコ般的許容の原則﹂は、それが特に﹁主権﹂より由来するという点
から﹁主権﹂の残余原理といわれるのである。しかし、﹁一般的許容の原則﹂の根拠を主権に置かなければならない
必然性はない。同原則の論理的構造は、法は許容か禁止かであり、積極的許容と積極的禁止が同時に存在しない場合
は消極的許容が存在するというものである。故に、同原則はそれ自体論理的に完結されているものであって、同原則
が成立するために他の法的根拠が要るのではない。同原則によって認められる自由は、一般的許容の結果法主体に与
えられる自由であって、主権の属性から由来する自由ではない。仮に、同原則と﹁主権の残余原理﹂が同じ内容のも
のだとすると、主権を持っていない、国内法上の法主体には同原則が適用される余地がない。しかし、同原則は国内
法においても妥当しうるものである。同原則の根拠を国家主権に求めるのは、主権の絶対・最高の属性という観念に
基づいて、主権は本質的にそれに対する制限・禁止とは両立しないものであるという考えからであろう。しかし、国
際法上の国家主権は国際法が与えたものであり、最初から国際法による制限、国際法への服従を排除するものではな
む
い。それ故、コ般的許容の原則﹂は﹁消極的﹂残余原理︵おω置ロ巴づΦσq鋤鼠く①嘗一口。一宮Φ︶ではあるが﹁主権﹂の残余
原理ではない。
コ般的許容の原則﹂を根拠に﹁国際法の完全性﹂が認められ、国際法上の合法性判断の不可能性が否定されるた
めには、同原則が実定国際法上の法原則であるかそれとも妥当な論理的原則でなければならない。したがって、同原
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説 則によって国際法上の合法性判断は常に保障されているかの問題に答えるためには、
同原則の実定法性と論理的妥当
される﹂ということは、その行為が国際法の規律の対象でないこと、あるいはその行為に関して国際法の鉄魚がある
ハヨ
ことを意味することはあり得るが、慣習国際法上・﹁一般的許容の原則﹂が存在することの証拠になることではない。
外されていることもあり得る。国際法上禁止規則が存在しないことによってある行為が︵法的ではなく︶事実上﹁許
ものでもない。ある行為は法とは無関係に﹁許される﹂こともあり得るし、また﹁合法・違法﹂の判断の対象から除
ような行為が﹁法的に許容される﹂ことを意味するものではない。また当然それが﹁合法的﹂であることを意味する
ならない。しかし、禁止規則の不存在によってある行為が﹁許ざれる﹂ということは、あらゆる場合において、その
禁止規則の不存在によって許容される自由な行為は﹁合法的な﹂ものであり︵それには法的効果が与えられなければ
にはそれが﹁許容される﹂という場合、その﹁許容﹂は﹁国際法による許容﹂を意味する。したがって、国際法上の
的許容の原則﹂の証拠とみることはできない。同原則により、ある行為に対する国際法上の禁止規則が存在しない時
行は国際法によって禁止されていないという意味で﹁許されて﹂いる。にも拘わらず、それを慣習国際法上の﹁一般
規則の存在しない場合においての国家行為、例えば一方的国内措置のような慣行は希ではない。そしてそのような慣
らない。しかし、慣習国際法上の同原則の証拠になりうる国家慣行の存在を立証することは難しい。国際法上、禁止
①コ般的許容の原則﹂が一般国際法としての実定性を持つ為にはそれが慣習国際法として確立していなければな
② コ般的許容の原則﹂め実定法性の検討
性について検討しなければならな い 。 ・
論
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国際法規則の不存在と国際法上の合法性の判断(朴)
②﹁法の一般原則﹂を国際法の法難として認める立場に立つと、コ般的許容の原則﹂が慣習国際法でない場合で
も、それが﹁法の一般原則﹂に該当する限り国際法上の実定性を持つことになる。そして、PCIJ規程を起草した
ほ ﹁法律家諮問委員会﹂で一部の委員はコ般的許容の原則﹂を﹁法の一般原則﹂として認めていた。
お ﹁法の一般原則﹂が﹁国内法に共通する法原則﹂を意味することから、﹁一般的許容の原則﹂が﹁法の一般原則﹂で
あり得るためには﹁一般的許容の原則﹂が諸国の国内法上の共通の法原則でなければならない。しかし、諸国の国内
法において国内法全体に妥当する﹁一般的許容の原則﹂を規定している実定法規定を発見することは難しい。国内法
においても個別的な法分野によっては﹁一般的許容の原則﹂が認められていることもある。例えば、憲法上の罪刑法
定主義の規定は刑事法の分野に関してコ般的許容の原則﹂を規定している実定法条項とみることができる。また、
憲法が基本的人権として自由権を規定する場合、それは刑事法の分野または民事法の分野に関してコ般的許容﹂を
規定しているとみることもできる。しかし、行政法のような公法の分野と手続法の分野に関してはコ般的許容の原
それは論理的原則としては妥当であるか?
則﹂を規定する実定法規定は一般的に存在しない。したがって、コ般的許容の原則﹂を諸国の国内法に共通する法
原則としてみることはできない 。
け ㈹ コ般的許容の原則﹂の論理的妥当性の検討
﹁一般的許容の原則﹂が国際法上の実定性を持たないとしても、
①まず、﹁法から自由の領域﹂の存在を否定する論理として、コ般的許容の原則﹂は妥当性を持たない。
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論説
﹁一般的許容の原則﹂は二値論理︵8≦︿巴ロ①一〇〇q凶。︶に基づいている。言い換えれば、同原則は論理的に排中律に
基づいている。﹁禁止﹂と﹁許容﹂とを排中律的に捉えると、﹁禁止されていないことは許容されている﹂ことになる。
禁止と許容以外の第三の可能性は閉じられている。コ般的許容の原則﹂は、﹁法﹂の文脈にそのような論理を導入し
たものである。故に、﹁一般的許容の原則﹂は﹁法によって禁止されていないことは法によって許容されている﹂と
いうことを内容としている。また、合法性の判断という観点からみる場合、同原則によれば法的評価を受けるすべて
お のことは﹁合法的か違法的か﹂であり、それ以外の可能性は存在しない。
コ般的許容の原則﹂が論理的に排中律に基づいているということは、排中律が妥当しない場合には﹁一般的許容
の原則﹂の妥当性も否定されることを意味する。そして義務論のコンテキストからみると、﹁一般的許容の原則﹂の
基礎となる排中律は妥当性がない。義務論の領域内には、﹁法によって禁止も許容もされない領域﹂が存在する。そ
のような領域とは、法的規律の外にある領域、つまり﹁法から自由の領域﹂である。そのような領域は、法の禁止ま
たは許容が及ばない、法的中立の領域である。法的中立の領域のなかである行為が行われ得るということは、その行
為が法的に許容されていることを意味するものではない。義務論のコンテキストからみると、ある行為が﹁許され
る﹂ということは﹁法的に許容される﹂ことを意味することもできるし、法とは無関係に単に﹁許される﹂ことを意
話することもできる。したがって、﹁一般的許容の原則﹂はあらゆる義務論的コンテキストに妥当するものではない。
め ﹁道徳の最小限﹂︵簿匡。。oゴ①ωζ一三ヨ鐸ヨ︶に止まろうどする傾向すらある。﹁国際礼譲﹂に任せられている国際関係、
レ な箏。﹁規範要請的状況﹂は﹁法規篤﹂でない﹁他の規範﹂北よっても規律されること嚇できる。むしろ﹁法﹂は
としての﹁一般的許容の原則﹂は論理的妥当性を持たない。﹁法要請的状況﹂は﹁規範要請的状況﹂の一部分にすぎ
﹁規範要請的状況﹂︵昌。ヨム①ヨ9匿ぎσqω凶ε暮一8︶と﹁法要請的状況﹂︵一9。≦・αoヨ薗民ぎoq。・ぎ9一8︶を混同するもの
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国際法規則の不存在と国際法上の合法性の判断(朴)
国際法による規律ではなく国際政治による交渉と調整の対象になる国際関係等は﹁国際法から自由の領域﹂である。
②コ般的許容の原則﹂が﹁法から自由の領域﹂の存在を否定する論理として妥当性がないということが、同原則
が﹁法の憂愁﹂の存在を否定する論理としても妥当でないということを意味するものではない。なぜならば、同原則
が﹁法から自由の領域﹂の存在を否定する論理として妥当性を持たない理由は、それがあらゆる義務論的領域を法の
領域に含ませるところに、言い換えれば﹁規範要請的状況﹂と﹁法要請的状況﹂とを同一視するところにあるからで
ある。したがって、コ般的許容の原則﹂によって﹁法の訣欠﹂の存在が否定されるかの問題についてはさらなる検
討が必要である。
コ般的許容の原則﹂は﹁法の訣欠﹂の存在を否定する論理としても妥当性がない。
すでに述べたように、法規範の体系は一般禁止規則と個別許容規則または一般許容規則と個別禁止規則の連鎖と交
錯でなっている。そして、﹁一般的許容の原則﹂は一般規則−個別規則の連鎖が常に最も一般的な許容から出発する
ことを前提にしている。しかし、ある法体系においての﹁許容一禁止﹂・﹁禁止−許容﹂の連鎖が常にコ般的許容﹂
から出発することを保証するものはない。また、それがコ般的許容﹂から出発しなければならない必然的理由もな
い。ある法体系は権利本位でも義務本位でも構成することができる。そして、国際法体系においても国際法体系全体
をカバーする一般的許容もしぐは一般的禁止を前提する理由はない。国際法主体の行為は、国際法上違法でないとい
う事実によってその合法性が保証されるものでもなければ、合法でないという事実によってその違法性が断定される
ものでもない。したがって、国際法体系全体に妥当する一般的﹁許容﹂を前提するコ般的許容の原則﹂は﹁国際法
の鉄欠﹂を否定する論理としても妥当性がない。国際法体系全体に妥当する一般的﹁許容﹂が存在しない時には、あ
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論説
る行為を規律する国際法が無欠する場合にその行為を﹁合法﹂ど判断することはできないからである。実際、﹁国際
法から自由の領域﹂に属していた事項が国際法による規律の対象に含まれるようになると、ほとんどの場合そのよう
な事項に関しては一定の期間﹁国際法の訣欠﹂が存在する。すでに述べたように国際法規則は新たにできた﹁国際法
要請的状況﹂に迅速かつ適切に対応して定立されないからである。宇宙法、大陸棚や深海底に関する国際法、国際環
ハの 境法等の分野においてはこのような意味で一定の期間﹁国際法の鋏欠﹂が存在したのであり、それはまだ完全に埋め
られているとはみられない。このように国際法の言言するところでは、国家行為の合法性判断は不可能である。
③﹁一般的許容の原則﹂は﹁国際法の訣欠﹂を否定する論理として妥当性がないとしても、同原則が基づいている
排中律は多くの場合の法的推論に妥当する。なぜならば、前述したように法規範め体系は一般規則と個別規則の連鎖
と交錯でできており、法体系の中の特定の部分は一般的禁止もしくは一般的許容に基づいているのが普通だからであ
る。例えば国際法上の領域主権は、国家に自国領域に対する国家管轄権の行使に関して一般的許容を与えている。ま
た条約の締結に関しても国際法は国家に一般的許容を与えている。公海自由の原則も国際法上の一般的許容の代表的
れ な例である。逆に国家による武力行使に関しては国際法は一般的禁止を課してしる。このように一般的許容もしくは
禁止が存在する分野においては、一般的許容に包摂されることは個別的禁止の対象にならない限り、常に法的に許容
されているし,、その逆も同様である。にも拘わらず、一般的許容もしくは一般的禁止に基づいている法分野において
も﹁法の鉄管﹂はありケる。まずは、既存の法規則が効力を失っているにも拘わらず、それに代わる新しい法規則の
定立がない場合である。法の定立・改正・廃止が体系的に行われる国内法においてはこのような場合が生ずることは
あまウない。でも国際法においては、代わる新法の定立なしに既存の法規則が失効することが、特に慣習国際法にお
63 (2 ・22) 364
国際法規則の不存在と国際法上の合法性の判断(朴)
いて、,,珍しくはない。慣習国際法の場合、既存の慣習国際法規則に対する法的確信が撤回されるか、あるいは既存の
慣習国際法規則に合致しない国家慣行が一般化しているにも拘わらず、新しい慣習国際法規則が成立しない間には法
の鉄欠が生ずる。領海の幅に関して一定の期間国際法の鉄建があったことはその顕著な例である。
口 ﹁国際法の原則﹂または﹁法の一般原則﹂
﹁一般的許容の原則﹂の他、国際法の完全性のもう一つの根拠になりうるのが﹁国際法の原則﹂またはICJ規程
第三八条一項ωが規定する﹁法の一般原則﹂である。国際法の原則または﹁法の一般原則﹂が、条約や慣習国際法に
含まれていない国際法規則の無限の貯蔵所︵一口①×げ鋤二ω二一σ一① ωけO﹃ΦげO⊆ω①︶として認められる場合には、それによって
国際法は存在論的に完全なものになるからである。
﹁国際法の原則﹂と﹁法の一般原則﹂は区別されなければならない。したがって、国際法の完全性の根拠という点
においても両者は別々に検討されなければならない。
ω ﹁国際法の原則﹂
﹁国際法の原則﹂︵嘆ぎα且Φωo︷融け①∋9甑8巴冨≦︶はその本質上一般的かつ抽象的性格のものであり開放的構成
お ︵8魯−8艮霞①血︶を持つということによって、広範な事項に適用されうる。それ故、﹁国際法の原則﹂は国際法規則
の貯蔵所としての意味を持つと言える。それで、より広範な範囲を包括する﹁国際法の原則﹂は個別規則︵昭Φo葭。
﹃巳Φ︶の基礎をなすものであり、個別的禁止規則がない場合にも﹁国際法の原則﹂を根拠に国際法上の合法性判断は
63 (2 ・23) 365
論説
あ 可能だとする見解もみられる。二三8ヨ国×9昌ωδづ事件においては、適用されるべき特定の国際法規則が存在しない
場合にもそれに適用し得る﹁国際法の原則﹂は常に存在し、そのような一般原則のコー,ロラリに従って権利や義務の
︵27V . ’ . : −
衝突は解決できることが認めら れ て い る 。
しかし、﹁国際法の原則﹂の持つ一.般性と抽象性は、﹁国際法の原則﹂が条約や慣習国際法として存在する個別規則
から一般化・抽象化されたものであるという事実から由来する。それ故、条約と慣習国際法が完全でない限り、それ
ぬ を一般化・抽象化した﹁国際法の原則﹂が国際法規則の無限の貯蔵所として国際法の完全性を保障することはできな
い。.﹁国際法の原則﹂と言われるものはその数が限られているばかりでなく、その内容も特定されている。そして、
個別的禁止規則がない場合には﹁国際法の原則﹂が適用されうるという時、.その﹁国際法の原則﹂とは本稿でいう
コ般規則﹂として理解されるべきである。また、国器9露国答8ω凶8$ωoにおいての国際法原則の適用は、その実
れ 質は国際法規則の類推適用である。故に、国際法規則の類推適用が国際法の完全性を保証するものでない限り、同学
ハおり
決のいうように国際法原則によってあらゆる﹁国際法の鉄面﹂㌔が埋められることはない。.一
② ﹁法の一般原則﹂
ICJ規程第三八条一項◎の.﹁法の一般原則﹂が﹁国際法の完全性﹂の根拠として援用される可能性があることは、
同規定が国内私法の影響を受けたものであるという事実からも窺うことができる。
近代国家の成立とともに因国内法においては私法の分野において︵﹁法の訣欠﹂■に起因する﹁裁判不能﹂の問題が
生ずるようになった。噛それで、国内法においてはこの問題を解決して裁判不能を禁止するために、・﹁法の鉄血﹂を包
括的に埋める﹁般条項が設けられることになり︵,この一般条項によって国内私法は﹁完全性﹂を持つようになったの
63 (2 ●24) 366
国際法規則の不存在と国際法上の合法性の判断(朴)
である。国内法の領域で生じた﹁裁判不能﹂の問題と私法の﹁完全性﹂の要求はPCIJの設立を論議する過程にお
あ いても認識された。なぜならば、当初PCIJは強制管轄権を持つものとして予定されていたにも拘わらず、条約と
が 慣習国際法はPCIJの裁判規範として完全なものとは思われなかったからである。そこで、国際法の訣欠を包括的
に埋める手段として、﹁国内私法上のそのような一般条項に倣って﹁法の一般原則﹂が規定されることになったのであ
る。このように、PCIJ規程の成立過程からみると﹁法の一般原則﹂が﹁国際法の完全性﹂の根拠として援用され
るのは当然ともいえる。しかし、﹁法の一般原則﹂が﹁国際法の完全性﹂の根拠になりうるか否かは﹁法の一般原則﹂
の法的性質とその概念的意味をどのように把握するかによるものである。
ICJ規程上の﹁法の一般原則﹂の法的性質やその概念的意味をめぐっては大いに見解の対立がある。その対立を
考察するのは本稿の範囲を越えることになる。本稿では、﹁法の一般原則﹂を根拠に国際法が法体系としての完全性
を持つ為には、同原則が条約及び慣習国際法とは別の国際法法源でなければならないと同時に、同原則の概念が国際
法の﹁無限の貯蔵所﹂になりうるものとして捉えられなければならないことだけを指摘したい。
PCIJ規程上の同原則の起草過程をみると、規程を起草した法律家諮問委員会は自然法を国際法の一部として考
えていたように思われ、同原則が自然法を意味するかの問題をめぐっては委員の間で見解の対立があったが、一部の
お ﹁自然法﹂の現代的表現︵ヨOαΦ﹁昌 hO﹁ヨ信一①け一〇昌︶として理解される。このように﹁法の一般原則﹂の概念を﹁自然
委員はそれを自然法として理解した。そして今も同原則は、人によっては国際法の形成期に決定的な役割を果たした
ぬ
れ 法﹂と同じものとして捉えるか、あるいは﹁国際法の完全性﹂自体を﹁法の一般原則﹂として捉えると、同原則を根
拠に国際法は完全性をもつことになるだろう。
しかし、﹁法の一般原則﹂は何よりも国内法、その中でも私法に共通する法原則という点で、無限の内容を持つも
63 (2 。25) 367
論説
のではあり得ない。特に国際社会を構成している諸国のイデオロギー的な相違や経済・社会・文化の相違を考えると、
各国の国内法に共通する法原則の数や内容は大いに制限されざるを得ないだろう。なお、同原則に含まれうる国内法
れ 上の法原則は国際関係に適用することのできる性質のものに限られる。国内私法の原則を丸ごと︵一〇〇ぎω8鼻碧α
ぬ σ鋤旨①一︶国際法に導入することはできないのである。このように﹁法の一般原則﹂の内容が制限されたものであると
結
すれば、それを根拠に国際法が完全性を備え得ることはないと思われる。
⇔ 小
﹁国際法の完全性﹂に関する以上の考察を整理し、合法性判断と関連して国際法規則の不存在の意味するところを
考えてみたい。
まず、法を﹁完全な﹂ものとしてみる法哲学的立場に立たない限り、国際法は﹁一般的許容の原則﹂によっても
﹁国際法の原則﹂や﹁法の一般原則﹂によっても﹁完全性﹂を持つとは思われない。ト﹁一般的許容の原則﹂は自由主義
イデオロギーに基づくものであって、慣習国際法として確立していない。なお、それは﹁法の一.般原則﹂でもなけれ
ば法的推論の原則としても妥当性がない。また、﹁国際法の原則﹂は条約と慣習国際法から離れて存在しうるもので
はなく、故に国際法の完全性を保証することはできない。﹁法の一般原則﹂はそれが﹁自然法﹂と同じものとして理
解される場合には国際法規則の完全な貯蔵所になることができるゆ■しかし、﹁法の一般原則﹂は数においても内容に
おいても制限されたものとみるべきであり、﹁国際法の完全性﹂の根拠とみることは難しい。
国際法が完全ではないということは、国際法の適用が問題となった状況において適用する国際法規則が存在しない
63 (2 ●26) 368
国際法規則の不存在と国際法上の合法性の判断(朴)
ことがあり得ることを意味する。そして、国際法主体の特定行為を規律する特定の国際法規則が存在しないというこ
とは三つの場合に分けて理解するべきである。第一に、その行為が最初から国際法による規律の対象になっていない
性質のもの、つまり﹁国際法から自由の領域﹂に属する行為である場合である。この場合には、そのような行為が
﹁許される﹂︵巴一〇≦曽巨①︶ことはそれが法的に﹁許容される﹂︵O①﹃自ωωo蔓︶ことを意味するのではなく、なおその
行為が﹁合法的﹂であることを意味するのでもない。それは最初から法的評価の対象にならない。第二は、問題と
なった行為に関して﹁国際法の鉄色﹂がある場合である。この場合には行為は法的評価の対象になり、それに関して
は国際法上の合法行為もしくは違法行為としての評価が与えられるべきであるが、現状の国際法上評価の準拠になる
国際法規則が存在しないのである。したがって、﹁国際法の訣欠﹂によってある行為が﹁許される﹂︵削袖〇毛四巨①︶こ
ともそれが法的に﹁許容される﹂︵℃①﹃ヨ一ωωO﹃く︶ことを意味するのではなく、なお﹁合法的﹂であることを意味する
のでもない。そのような行為に関する合法性判断は、それを規律する国際法規則が定立される時まで留保されるべき
である。但し、それを規律する国際法規則が定立される時まで﹁許される﹂という点では、第一の場合と同じである。
第三に、国際法上の一般許容規則によってカバーされる行為であってそれに関する個別禁止規則がないか、もしくは
一般禁止規則によってカバーされる行為であってそれに関する個別許容規則がない場合である。この場合にはその行
為は法的に許容もしくは禁止されているし、合法的もしくは違法的である。
︵1︶ そのような法哲学的立場の代表的なものが自然法論であるのはいうまでもない。Qoo三&一難の表現を借りれば、﹁実定法を
覆っている天幕の訣欠を通して我々は自然法の青空を見る﹂。U・ω〇三国臼①び肉ミミ盟§ひ§き鳴蕪§Q§象ミし虐。。る●①O﹄ヨ霞
↓⇔ヨヨ①50昌昏①い。σqド巴O娼8器器ohい①σq巴Oa臼ω一﹀︼≦oα巴﹀二巴望臨。縢。粘いm≦堵律げωOo鼠巴盈虚Φ﹃988些①い。σqド巴
63 (2 ●27) 369
論説
ω訂εωo鴎﹀♂ミト貯ミミぎ貫け。コ茜試。昌逢い僧類”§Q郎§鳴嵐§§腎ミ§ミミ9§言§識ミ忠ミ”。。︵HO$︶︹以下、﹃ooq皆9。一〇需目露
として引用︺”,b。ON口9①ミから引用。
︵2︶ 例えば、自由法論とか歴史法学派の立場などを考えることができるだろう。
j ω聖旨8はω8昌①の論文を引用しながら、国際法を閉鎖された法体系にする原則、換言すれば﹁完全な﹂法体系にする原則
63 (2 ・28) 370
︵7︶,§.,留嵐8.︸Z。冨ρロ2。。∼o転 ・・、㌃.一.,−.∴ぐ﹁,㌧’∵
旧き凄。F観き怠ミ§愚魯凝レ﹁超・<8団ユ犀を。四二民工鋤ゴωら置目ω。ぎ①置。﹂。。●︾口鉾μO蚕ω﹄㊤劇・・
︵6︶ ﹁法から自由の領域﹂を否定する代表的な論者である閑日αぴ歪。ゴの論理も﹁一般的許容の原則﹂を根拠にしている。O⊆ω冨く
︵5︶国碧ω浴奮戸知豊ミ鯉ら書§蚕N・︾⊆PおOPω.μO●
の研究﹄、一九八五、一九六頁。
許容の原則﹂を指すものである。上掲注。またコ.般的許容の原則﹂の主張を﹁包括許容論﹂ともよぶ。杉原高峯﹃国際裁料
卜慧ぶψ器ρω翁。言。昌の﹁消極的法原則﹂︵野菜9。餓く。一。伽q袋。一二彊×言︶.あるい遺﹁自柏の原則﹂︵娼ユ昌。甘①α①一管0冨①︶もこ般的
法の指標﹄、一九九四、六八、八三頁︵奥脇執筆部分︶。また、﹁行為の一般的自由の原則﹂とよぶこともある。閃電8目魯貫
パ4︶ ﹁一般的許容の原則﹂は﹁一般的許容性の推定の原則﹂ともいう。村瀬信也・奥脇直也・古川照美・田中−忠共著﹃現代国際
根拠と関連して検討しているのは②というよりは、判決のための国際法規則の貯蔵所としての﹁法の原則﹂である。
ちなみに、ω巴38によるω8昌①の論文の引用が正確であるかに関しても疑問がある。特に、ω8昌①が﹁国際法の完全性﹂の
〇〇ヨヨ⊆巳蔓”切ミ”繍︵HOαO︶︹以下、≧§窺ミミとして引用︺も掌一ω一−N
た﹁国際法の完全性﹂に論議を限定している。一巳言ωω8昌ρきミ,卜鳶ミミ9。巳昏。閃巨。ユ80h冨ミ貯昏。討富ヨ巴。轟一
の理窟﹂を否定するための根拠にはならないからである。ω巴ヨ8が引用しているω8昌Φの論文億、国際裁判の文脈で捉えられ
いという意味での﹁国際法の完全性﹂の根拠に成り得るが、国際裁判の文脈から離れて国際法の適用一般においての﹁国際法
法の鋏欠﹂を否定する根拠になり得るのは①のみである。②と③は、国際裁判との関連においては﹁裁判不能﹂を生じさせな
ω巴38が﹁国際法の完全性﹂の根拠と←て考察の対象にしている三つの原則のなか、﹁国際法から自由の領域﹂または﹁国際
Oげ8黛⇔鉱O昌ω霊吋冨ω宣2昌Oωα鐸α﹃O律ぎθO∋曽鉱O昌”一〇ロ亘繭P肉鳴§恥9曹魯駄§騨画§甘§日月§ミ”お①8”,念μ−㎝●しかし、
られるという手続き規範、③﹁裁判不能﹂を禁止する規範、の三つに分けて考察している。甘雪9>・ω憂色oPρロ巴ρロ霧
を①﹁消極的法原則﹂︵昌ooq曽け貯。一着巴ヨ翼葺︶あるいは﹁自由の原則﹂︵O﹁ぎ。甘巴巴ま①詳伽︶、②請求の棄却により判決は与え
(3、
国際法規則の不存在と国際法上の合法性の判断(朴)
︵8︶ 村瀬信也・奥脇直也・古川照美・田中 忠、前掲書、同量︵奥脇執筆部分︶。
︵9︶ω貯幻。げ臼こ。暮凶昌σqω\ω貯﹀昌冨﹁堵参考①α4§§曹§、的§鷺§§§ミ冒ミ︾㊤昏①α‘<o冨§巴㌔88﹂8・。も冒・旨切よ⋮
口●い碧8弓p。oげρ§鳴寒§職。ミミト轟ミミミ鳴ミ鷺§ミ篤§ミOQ§§ミミ聲一〇ωω︹以下、寒§帖§として引用︺”O掌おふO旧
司鋤ωけ①昌﹁魯貫卜魁審鳴§ω・N島 ●
︵10︶ ω8昌ρ≧§卜骨ミ、も●一ωO・但し、ω8旨①は、.おω凌ロ巴器αq切目く①寓貯。旦⑦..を裁判においての法の適用の文脈で論じているが、
それが法適用一般の文脈でも論じられうることは勿論である。
︵11︶ 男心ω8霞①荘は、コ般的許容の原則﹂が慣習国際法として成立していないことを論証する過程において、その論拠として、
ある行為を禁止する国際法規則が存在しないことは﹁一般的許容の原則﹂の証拠ではなく、当該国際法規則をめぐっての国家
の見解が一致しないことを表すものであると主張する。﹁霧8霞象戸トミ簿§圃Qり●卜。蔭O●このような論理は正しいものではないと思
われる。なぜならば、ある行為を禁止する国際法規則の不存在が当該国際法規則に関する国家の見解の不一致を表すという点
は正しいとしても、﹁一般的許容の原則﹂の言うことはそのような見解の不一致に起因して、国家行為に対する明示的な禁止規
則がない場合に、行為の自由が法的に許容されるということだからである。言い換えれば、﹁一般的許容の原則﹂はある行為に
対する国際法規則の不存在がその禁止をめぐっての国家の見解の不一致を表すことを否定しない。同原則は、禁止規則の不存
在がどのような原因によるものかとは関係なしに、禁止規則が存在しない場合には法的自由の許容があるとみるものである。
︵12︶ 幻凶oo凶−bd目ω9。け二と℃三=凶∋o﹁Φがそのような意見を早言している。中い。暮①趨碧耳︵日ぎ凄い①仁けΦ趨①o算①α.γミ誉§魯職。ミ、
卜亀ミ︵9N§生州ミQδ!<o言ヨ①炉↓7①O①昌①鑓一芝。蒔ω藁㊤ざ︹以下、○ミ§白雨ミ鳴蚕一として引用︺も・㊤μコ08H
︵13︶ 後述、⇔の②参照。
︵14︶ 閏四ωけ。震翁。け互卜職簿§︾ω・Nミh●
︵15︶ 閃僧ω9旨卑貫卜築審§”ωb軽卜。h
︵16︶ ↓口。ヨヨ①一〇はこのことを、.混一〇≦鋤三①げ①7p。≦自、.と.、O①§一霧。蔓び①冨くδ﹃、、の概念的区別を用いて説明する。つまり、、.二面
§一器oqげ①げ曽く凶。﹃、、は..弾一一〇零餌匡①び①冨くδ﹃..の一部分であって、..娼臼巨ωωo雪げ。冨≦o﹃、、は.、巴一〇≦僧三〇げΦ冨≦o﹃..に属するが
①げ一①.、と対応関係にあるといえる。そして、.、一①αq巴鳥目①⊆q哀げ①冨く凶。﹁..の領域がすなわち﹁法から自由の領域﹂であり、法規
↓9∋日①5い。σqド巴Oロ①目。霧もPおO山OO.本稿においての﹁許容﹂は.、b舞ヨ凶器。曼”、と対応関係にあり、﹁許される﹂は、、p。一一〇華
..p。=o≦9巨①げ①ゲm≦o円、、の中には..需﹃ヨ田沼。蔓び①訂≦o﹁..ではないものもある。それは、.5σq餌ξロΦ二q巴げ①冨≦o﹃、、である。
63 (2 。29) 371
論説
則による規律が要求されない領域である。﹁法から自由の領域﹂を否定する論理としての﹁一般的許容の原則﹂の論理的誤謬に’
ついての↓帥ヨ§①δの論証は、↓口。ヨ§①5いooq湯江O冒⑦暮①8”.冒掌μ逡−N8参照。・ . . ・’
︵26> 聞巴冒は核兵器使用を禁止する個別規則が存在しない場合でも国際法上の法原則によって核兵器の使用は国際法違反になり
用語法の問題だと思う。
は、具体的なことに対して法規則のように適用されるものではないと見る人もいる。﹁国9§窪ユβb80冨一廻﹃ぎ9二面もP下。。.
︵25︶ ωo冨。耳。が§甘§貸§§、冒ミ”,NO・法の﹁原則﹂と法の﹁規則﹂を対比的に捉えて法の原則は、したがって国際法の原則
罫愚§として引用︺、署.H8昌O.
︵24︶山本草二、新版﹃国際法﹄、一九九四、六〇頁“義目U﹂8≦謬嵩P窪§醇駄ぎミ軌らミ甘§斜§§、冒斜一〇8︹以下、
完全性である。
︵23︶ω85ρ≧§主軸§、︾,一ω。。⋮閑9。ω8昌轟轟ご§§”ψNN但し、ω8昌①と団9。ωけ。目・動§のいう完全性とは﹁裁判規範﹂としての
︵22︶ U・即O.Oo目50=︵一●﹀.ωケ83﹁巴.︶讐寒ミ譜§翁§§ミ魯ミ旦§如§℃︿o旨§o一”μO◎。NO冒﹄O刈−Q。●
き、︶bO︵お刈。。︶℃・ω≒ω︵おμ弘Oωhh・︶.司器9舞ロ夢りトミ讐”ψNミから引用コ’
︵21︶≧げ琴丘。密旨・βU凶。=9。民一§oqの富弘長&。﹁ω富暮。P象ミ§§ぎぎミ冴き首吊、§§書掬§ミ︵§概§誉ミ・
§ミ跨層§S6鳶おOQ。︾O⇔09
の論稿で確認される。旨旨貯ωω8昌P≧§卜封ミミ僧民匪。冒冨ヨ”怠。昌9。一髪島9巴聞§〇二〇P一二”OF℃震。ぎ9。ロ。鳥uぎ守§恥§
時点で︶想定しでいる。ω8昌ρきミト鳶§きΨ番謡.このような仮想的事件が﹁国際法の訣欠﹂の状況であることは、ω8昌。の別
機能的限界を考察するための素材として、宇宙ステーション技術の開発に伴う米ザソ間紛争という仮想の事件を︵・一九五九年の
︵20︶Qo850は、国際裁判における﹁裁判不能﹂・の禁止を主張したい凶暮06曽。算に対する反論の過程において、国際司法機関の
︵19︶ 固けN日9鐸﹃凶oρOo昌臼巴℃ユ旨9覧oρ層O●切Oム.
箭述eのω参照。
的許容の原則﹂のもつ﹁自由の原則﹂としての性格を国家主権と関連づけて説明することの不当性についてはすでに述べた。
︵18︶ この意味で﹁一般的許容の原則﹂は﹁自由の原則﹂︵冒貯。首①α①一ま。コ0︶と七ての性格を持つ。そして、﹁国際法上のコ般
劇α・法によって規律されないで道徳やその他の規範の規律に任せられている領域に対して、法は中立的である。’
︵17︶,○Φoお密集器貫寒8N虚言ミぎぼ昏量ミ鑓§謡肉ミ葺‘§ミらミ・§駄明暮”N≦⑦冨b霞9αq899①︾ロ巨9。印qO藁8。。−ψ
63.(2 r30) 372
国際法規則の不存在と国際法上の合法性の判断(朴)
ケるという。即8げ霞αP汚涜ぎ↓げ。ω甑ヨ。α曽Omω①”﹀ピΦσq巴>O鷺巴ω巴。︷毎①>8面一。>暮碧≠ω⊆Ooづ国貯。移一ヨω帥づαZ僧σq餌紹冨P
書”αO︵H㊤①㎝︶︹以下、目ゴ①ω匿ヨ。α鋤O器①として引用︺も’ミ一.
︵27︶ 審紺§窪尉ミ総§b卜器、ミ演貯§駄9軌§寄粛§魯9§葛§トミ§器︵9§、発註ミ§§§ミ織しリミ駐︶”英米仲裁裁判
所、一九二三年一一月九日判決。同判決に関しては、≧避甜§、⇔二面。き暑・刈㌣。。一参照。本稿は、卜§譜鳶ミミ寄§職§”弓ヒO
及び〆Φ尻①戸ミミミ塁も●おO﹄o樽ΦNにおいての同判決の紹介を参照した。
︵28︶ 山本草二、前掲書、同頁。
︵29︶ じd8≦5=ρ聖ミら骨駐℃b・一〇’
︵30︶ 本稿、一の注2参照。
︵31︶ い〇三①壱碧ぼ℃寒§無智§”℃●一目しHρ昌9①ω.
︵32︶ ﹁国際法の完全性﹂の根拠がコ般的許容の原則﹂にあるとみる立場は、条約と慣習国際法だけで国際法上のすべての問題
は規律されるとみる。したがって、そのような立場は﹁国際法の訣欠﹂を埋めるものとしての﹁国際法の原則﹂の存在に懐疑
的であり、この判決は批判の対象になる。訳①δΦP聖§曾醇も弓●お㊤−念O.
︵33︶ 周知の通り、一九〇七年のスイス民法第一条二項はこの点で大きい影響を及ぼした。各国の国内私法に規定された、その
ような一般条項に関しては、しd言Oげ。昌ゆq鴇9還QミN聖§膏、題ミト貸ミ蕊﹄慧、博犠ミミ鷺§ミ画§縞NGミ蕊亀§引窓ミミ亀参お㎝。。
︹以下、O§Q§、芝ミ覧塁として引用︺、OO●おO−。。参照。
︵34︶ この場合、﹁私法の完全性﹂とはなによりもまず裁判規範としての完全性を意味する。すなわち、﹁法の訣欠﹂による裁判
不能の可能性はなくなったという意味での完全性である。このことは﹁私法の完全性﹂への要求が﹁裁判不能の禁止﹂の為の
ものであったことの当然の結果である。それで、各国の国内法上﹁私法の完全性﹂の根拠になる一般条項は、多くの場合一九
〇七年号スイス民法のように法を裁判規範として捉え、裁判官に私法の下甑を埋める権能と義務を与えているのである。しか
し、基本的に裁判規範は同時に行為規範でもあり、﹁私法の完全性﹂は当然行為規範としての完全性をも意味する。
︵35︶ 周知の通り、﹁法の一般原則﹂に関するICJ規程の規定とPCIJ規程の規定は同じである。
︵36︶ ○げ8ぴq”O§Q§、、適ミら曽智勲℃﹂①.
︵37︶ 勿論、PCIJ規程第三八条一項㈲の﹁法の一般原則﹂は裁判規範として考えられたものであり、またそれは一般的に国
際裁判のコンテキストでの国際法の鉄欠を否定する根拠として理解される︵例えば、ω魯≦碧NΦ口げ①﹁αq①碁工ミ§§卵O’。。軽︶。し
63 (2 ●31) 373
論説
かし、国内法においてと同じように国際法においても、基本的に裁判規範は同時に行為規範である﹄H9暮。ぢ9。6算が﹁法の一
三 ﹁核兵器使用の違法性諮問事件﹂,・に関する勧告的意見の吟味
沁§o養N§鳩O.置◎。・
︵44︶ 甘8、39。鉱8讐ω富εmo︷ωo⊆昏−芝Φ曾>hユ888のICJの勧告的意見のなか、ζoZ9。一﹃判事の分離意見での指摘。h
ω.ω8・ ・
︵43︶ ト炉言開嘆ぐ︵ω合焼二§9お団芝p。匡。鼻Φ鳥ン§鳴9ミ駄﹀ぎ§ミ90昏①F一〇①ω”,自旧<①﹁α3霧\ω冒§9。矯§§ミ衷ミ”
匡。昌90一,ぴ。≦︾知僑§禽、翁8ミδ,マ一㊤①bの山一︾Oウ①O−N
般原則﹂の確認には大石な困難が伴わないとする指摘もある。ω貯口話ヨ℃耳㊦<ξ9。冠ooぢO①昌臼900霞器8”言忌6ぎけ。鱈や
同雪♪.弓や一〇〇自国際社会を構成する諸国家の異質性にも拘わらず、各国の国内法上の法原則の間には統一性が存在し、﹁法の一
国家の登場と関連してこのことを論ずるものとしては、ρ一・↓§眠昌︵↓鑓房莚9魁げ鴇国bd=こ雪と寒。督駄ミ甘§轟§§、冒斜
︵42︶ ≧蹄①ユ<雪脅。器\Ud歪コ。ω駒ヨヨP§き馬δミ§§隷鳴ミ邸魯、レO。。μ︹以下、§隷Qミ鳴き、として引用︺、ψω一P特に社会主義
訂⊆9弓90耳が循環論法に陥っでいることを示す。
の完全性﹂の観念を確証しているとも言っている。奪ミもbα・これは﹁国際法の完全性﹂と﹁法の一般原則﹂との関係に関して
︵41︶ きミ℃やOO・ぴ恥暮。箔置。耳はさらに、文明諸国によって認められた﹁法の一般原則﹂が国際法を構成している事実が﹁国際法
︵40︶ い9旨Ω69。9戸Ω︾ミ“隷犠ぽ恥三一℃b●謹●
聖ミ愚駐もO.お一為参照。
然法﹂︵昌⇔け蝿﹁90一 一”≦︶あるいは﹁自然の衡平﹂︵昌9ξ巴oρ雪嶺︶を規定しているのは少なくない。その例は、Ωお昌oq”曾ミ§、
︵39︶Oげ9σq”9§§N芝雨漏蕊も,ω−心・各国の国内私法においてPCIJ規程上の﹁法の一般原則﹂に該当するものとして﹁自
︵38︶ ρ︸・=・<鋤昌=8抽沁鳴ミ§神画轟きQ留ミ§跨駄§甘ミ§職§ミ冒斜H㊤。。ω矯冒﹄ω。。・
智ら鷺儀ミ馬δ﹂”P刈O●
般原則﹂を﹁司法的決定﹂と﹁国家行為﹂の正当な根拠︵一①αq凶臨ヨ魯① ωo舞60︶と言っているのは正しい。い9暮①日89 09、−
63 (2●32) 374
国際法規則の不存在と国際法上の合法性の判断(朴)
以上の考察を踏まえて、﹁核兵器使用の違法性諮問事件﹂に関するICJの勧告的意見を吟味してみると次の通り
である。
第一に、勧告的意見は慣習国際法または条約が核兵器による威嚇または核兵器の使用を﹁許容﹂︵9d[けゴO﹃一N轟け一〇HP︶
しているかを検討している。そしてそのような許容規則は存在しないという結論を下している︵A︶。これは同意見
がコ般的許容の原則﹂を否定していることの当然の論理的帰結である。なぜならば、もし﹁一般的許容の原則﹂を
認める場合には、核兵器使用の違法性を判断する為に、核兵器使用を許容する国際法規則が存在するかを検討する必
要はないからである。すなわち、﹁一般的許容の原則﹂を認める場合には、核兵器使用の違法性を判断するにあたっ
ては、それを﹁禁止﹂する国際法規則が存在するかを確認するだけで充分である。勿論、勧告的意見の中でも、武力
紛争に関する国際法の分野の範囲内においては、国際法上核兵器自体を武力紛争の手段として使用することに対する
ヨ 禁止が存在するかに関する検討がみられる。しかしその検討がコ般的許容の原則﹂を前提にしたものではないこと
は勿論のこと、武力紛争に関する国際法の分野においては武器の使用に関する一般許容規則が存在することを認めた
結果でもない。同意見がそのように禁止規則の存在を検討するのは、武力紛争に関する国際法の分野においては、許
容規則がないことによって特定の武器の使用が違法になるのではなく、特定の武器の違法性は禁止規則を用いて積極
る 的に規定するという国家慣行を考慮した結果にすぎない。
第二に、勧告的意見は核兵器による威嚇または核兵器の使用に関する国際法規則を、一般規則と個別規則の連鎖の
なかで考察している︵C、D︶。つまり、武力行使の一般的禁止を規定している国連憲章第二条四項は、核兵器使用
に関する一般禁止規則を構成する。そして同条文との関係において自衛権に関する国連憲章第五一条の規定および軍
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論説
事的強制措置に関する国連憲章第四二条の規定は個別許容規則としての意味を持つ。さらに国連憲章第五一条の規定
は、比例性の原則、武力紛争に関する国際法および国際人道法上の諸規則との関係においては、一般許容規則を構成
し、後者の原則と諸規則は個別禁止規則としての意味を持つことになる。
︻第三に、勧告的意見は核兵器による威嚇または核兵器の使用の合法性に関する法的判断が不可能な場合があること
を認めている︵Eの後段︶。勧告的意見のこの結論はコ般的許容の原則﹂の否定であると同時に﹁国際法の完全性﹂
の否定である。そして国際法が法体系として完全なものではなく、国際法においては合法性判断の為に適用されるべ
き国際法規則が存在しないことがあり得ることを示している。勿論︵この結論をめぐってはICJ裁判官の意見が真
二つに分かれたという事実は、それが幅広い支持を受けかたいものであって、國多くの論議の対象になりうることを窺
わせる。そして、・実際勧告的意見の結論に対する反対意見の批判もこの点に集中していも。合法性判断の留保という
結論に賛成する意見は﹁国際法の完全性﹂を否定し、自衛という極端な状況においては核兵器使用を禁止する国際法
上の諸規則と自衛権との関係を規律する国際法規則が欠如していることを認める。他方、勧告的意見の合法性判断の
い 留保に反対する意見は、国際法の現状に照らすならば自衛の為の核兵器の使用は合法であると主張するか、または泊
む 衛の場合を含めて核兵器の使用はあらゆる場合において違法であると主張する。しかしこのような反対意見はφずれ
も、今の国際法上自衛の状況においての核兵器の使用の合法性判断の根拠になる国際法規則が十分野明確な形で存在
しているということを前提にしたものである。したがって、これら反対意見の批判は≒国際法の完全性﹂を前提に国
際法上の合法性判断は常に可能であるという立場に基づいたものではない。反対意見の中では﹁一般的許容の原則﹂
だけは﹁裁判不能﹂の禁止を根拠として勧告的意見の合法性判断の留保を批判している。これは明示的に﹁国際法の
ハね の根拠になりうるローチュス号事件判決に対する明示的な論駁もみられるのである。・但し、出凶oqαqぎ。。判事の蓋附意見
ハお 63 (2 ●34) 376
国際法規則の不存在と国際法上の合法性の判断(朴)
む ロ ヨ
完全性﹂を認めてはいないが、﹁裁判不能﹂の禁止を認め、なおあらゆる場合において国際法上の合法性判断は可能
とみる点からみて﹁国際法の完全性﹂を認めているものと思われる。
確かにこれら反対意見が指摘するように、自衛という極端な状況においての核兵器使用の合法性に関する国際法規
則が現在の国際法上欠如しているかに関しては疑問の余地があるように思われる。自衛の為の核兵器使用に限ってみ
ると、勧告的意見Eの前段がコ般的に﹂︵αqΦロ臼①ξ︶という条件付きで下した結論、つまり核兵器による威嚇また
は核兵器の使用は武力衝突に関する国際法や国際人道法に反するという結論は、自衛の為の核兵器使用にも適用され
るべきと思われる。しかし、自衛の為の核兵器使用を違法とみるかそれとも勧告的意見の結論のようにこの問題に関
する法的判断は不可能とみるかは、この問題を規律する﹁国際法の現状﹂をどのように把握するかに帰着するもので
ある。そして国際法が法体系として﹁完全﹂なものでない以上、勧告的意見のように﹁国際法の現状に照らすなら
ば﹂自衛の状況においての核兵器使用に関する合法性判断は不可能とする結論が最初から排除されるものではない。
その意味で勧告的意見Eの後段の結論は、本稿の考察の結論と符合する一つの事例としての意味を持つと言えるだろ
う。
︵1︶ 本稿では§紺§ミ賊§ミト§、ミ貸尉蓋魯甜︵自ミ︶に紹介されたものを参照した。同資料は英語で書かれた分だけを紹介して
おり、フランス語で書かれた五葬の裁判官の宣言を載せていない点で、完全なものではないことを断っておきたい。
同勧告的意見のなか、本稿の考察と関連する部分を紹介する。
﹁以上の理由から当裁判所は⋮⋮
幻 国連総会が提起した質問に対して次のように答える“
A 、全員一致で、
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論説
慣習国際法にも条約にも核兵器による威嚇または核兵器使用に関するいかなる特定的許容︵ωb8蕊。窪昏。ユ鎚ユ。昌︶も
存在しない“
B、11対3で、
慣習国際法にも条約にも核兵器自体による威嚇または核兵器自体の使用に対するいかなる包括的かつ普遍的禁止も存在
しない“
C 、全員一致で、
国連憲章第二条四項に反し、かつ第五一条の要件を満たさない、核兵器を手段どした武力威嚇または武力行使は違法で
ある“
D 、全員一致で、
また、核兵器による威嚇または核兵器の使用は、武力紛争に適用される国際法上の要件、特に国際人道法の原則と規則
上の要件に合致しなければならず、また明示的に核兵器に関連する条約その他の協定上の特定の義務と合致しなければな
らない“
E、7対7で、裁判長の決定投票によって、
上述の要件の結果、核兵器による威嚇または核兵器の使用は一般的には武力紛争に適用される国際法規則に、特には人
道法上の原則と規則に反するだろう。
しかし、国際法の現状︵穿OOq旨O昌けの[騨け①Oh一昌梓①口口⇔け剛O昌9◎一一9妻︶に照らすならば、そして当裁判所の利用できる事実要
素︵昏①。げ§。三ωo=碧g岱富島ω弓。ω巴︶に照らすならば、国家の存t自体がかかっている、自衛という極端な状況におい
.ての核兵器にポる威嚇または核兵器の使用が合法であるか違法であるかに対しては、当裁判所は確定的な結論を下すこと
ができない;⋮⋮﹂
h§勘耐駄§§§鐸ミ雰恥駄きら§、ミ§。鑓︾§曹嘩e§軌§﹄OS肉§。養N§も属㎝よ⋮自ミ。。0︵一〇〇〇︶”
白。。加H・
︵2︶.き㍉肉§養N逡9巳ド冒﹁p鐸“ミ器︵Hooo︶も。。一p
︵3︶h9沁§跨﹂§も葛。歯ロ・霧αωよω忌ミベ・㎝︵営α︶”u,。。N駕
︵4︶.トミ沁§。葺N§闇葛Oも9。月鋤﹄・。即自ミ。。?︵HOO⑪︶唱,。。N。。・ ’ 、 ・、﹁、一. ﹁口,∴ ..3 ,・,・∴
63 (2・●36) 378
国際法規則の不存在と国際法上の合法性の判断(朴)
︵5︶hgS沁§。跨N遷9巳刈もp。﹁Pω。。旧自ミωα︵おO①︶も●。。N・。.
︵6︶トO脳沁§。葺N逡軌も●属冨﹁P幽心。⋮自ミω切︵おOO︶も・。。NN●
︵7︶ 東京地方裁判所は﹁下田事件﹂判決で﹁国際法が禁止していないかぎり、新兵器の使用が合法であることは当然である﹂
という。東京地裁、昭三・一二・七、下裁民集第一四巻一二号、六四頁。同判決を評釈した聞巴詳も、東京地裁のこの論理自体を
否定しているとはみえない。閏巴ぎ↓ゴ①ω疑雲。ユ90器ρ℃.ミビしかし、勧告的意見の結論はこのような論理を否定するものであ
る。勧告的意見の結論に対する反対意見の中でωゴ悪習仁&Φ①昌判事は、﹁下田事件﹂判決と関連して次のように述べている。す
なわち、東京地方裁判所は核兵器使用に対する禁止が存在しない時にはそれに対する許容が必要であるかの問題に関しては判
断する必要がなかったと言っている。ωず聾鋤げロ&①o昌判事の反対意見、b6幣串ミωα︵一〇〇〇γO・。。$.しかし、これは﹁国際法が
<oお答。ゴ①二づ判事の宣言参照。自ミω㎝︵一〇〇〇︶も・。。ωω.
禁止していないかぎり、新兵器の使用は合法﹂という同地方裁判所の意見を見逃していることと思われる。
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同、噂戸?。。も9。﹁①ψω㊤虞P自ミωα︵おOO︶も層b。。甲。。●
同、O.刈も碧p。ψω①−ω。。⋮自ミωα︵一㊤㊤O︶も●㊤ω9
霞ひqひqヨω判事の反対意見、bb・?。。も費①ω●。。OムO⋮自ミ。。α︵お㊤①︶もb●㊤。。刈−。。’
ωげp。げp。げ⊆&①①昌判事の反対意見、薯●b。”HO山9自ミω㎝︵一㊤㊤O︶も,。。Ob。”。。①O−。。.
ωげp。転げ巳血①①昌判事、芝oo轟目餌ロけ曙判事および内。﹃o∋⇔判事の反対意見。自ミωα︵H㊤8︶も掌。。①一−㊤ω野
ωoげ≦Φσ①一判事の反対意見。自ミ。。α︵H㊤㊤①︶”,。。。。①−N9特に、戸。。合参照。
コ巴零匪m露臼判事の分離意見、冒・Nも碧Pρ,蔭も。鑓●①旧自ミ。。α︵一8①︶も掌。。ω駅よ●
1514
本稿で検討した﹁国際法の完全性﹂に関する立場の背後には国際法の本質や役割についての根本的な見解の相違が
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論説
潜んでいるように思われる。﹁一般的許容の原則﹂を根拠に﹁国際法0完全性﹂を主張する理論には、国襟法による
拘束を好まない国家の属性が影響しているように思われる。これは、コ般的許容の原則﹂が﹁主権﹂の残余原理と
結びつかれることによくあらわれている。それにくらべて、同じく﹁国際法の完全性﹂を主張するにしても、﹁法の
一般原則﹂を根拠にしている理論のベースには、国際社会における国際法の支配、特に国際司法機関を通じた国際法
の支配への希求があるように思われる。﹁国際法の完全性﹂の根拠が﹁法の一般原則﹂にある場合には、禁止規則が
ないことによって国家は国際怯の拘束から逃れるのではなくて﹁法の一般原則﹂という国際法の拘束を受けることに
なるからである。しかし、﹁国際法の完全性﹂の主張の背後にあるこのような二つの態度は共に否定されるべきもの
と思われる。﹁一般的許容の原則﹂のように国際法を自由主義の原理の基礎の上に置くことは、強大国の便宜につな
がるものであり、国際法内の概念である主権を国際法の上に君臨するものへ変質させる虞があるからである。また、
﹁法の一般原則﹂を根拠に﹁国際法の完全性﹂を主張することは、国際法を純粋な法律主義の基礎の上に置くことに
なり、それは国際法の実効性を損傷する結果を招きやすいからである。国際法が国際法主体の全ての行為を規律する
こと億可能なことでもなければ望ましいことでもない。また、国際法は鋏欠のない法体系ではない。国際法の漸進的
発達が要請されるのも国際法が訣欠を持つ法体系である事実を反映している。そして国際法の発達は常に国際社会の
現実に基づかなければならない。国際法は法体系として完全なものではない。国際法の規律の対象外のことに関して、
また国際法の鋏欠する場合において、国際法主体の行為を規律する国際法規則が存在しない場合がありうる。そのよ
うな場合には、問題となった行為の国際法上の合法性もしくは違法性を判断することはできない。場合によっては、
国際法規則を適用しての、国際法主体の行為の合法性もしくは違法性の判断は国際社会の現実を踏まえての国際法の
発達をまたなければならないのであり、その時までは判断は保留されなければならない。
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国際法規則の不存在と国際法上の合法性の判断(朴)
︵1︶ ﹁法の一般原則﹂を﹁国際法の完全性﹂の根拠とする代表的論者であるピ①暮①壱p。o耳の︵国際裁判においての︶﹁国際法の
完全性﹂の主張に対して、田岡はそれが﹁国際紛争の司法的解決の普及を翅望する余り﹂のものであると評している。田岡良
一、﹁法律紛争と非法律紛争との区別︵一︶ーラウターパハト説と其批判一﹂、法学︵東北大︶、第七巻三号、昭和十三年、六頁。
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