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Kago-no-Sato

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Kago-no-Sato
Kago-no-Sato
結界を張り続け て る の ! ? 平 安 時 代 か ら …
籠の里
Webデザイナーの遠野由佳(22才)は、日本各地の村を訪れる事が趣味であ
る。休暇になるとバックパックにデジタルカメラとノートパソコンを詰め込ん
で出かけ、訪れた村や里山の様子を自分のホームページに載せていた。
ある夏の日、いつも通り里山に入った由佳は突然の豪雨に小さな祠で時を過
ごす。屋根にあたる雨音を聞いている内、不思議な感覚に軽い目眩をおこし
た。やがて雨は上がり、外に出ると辺りは深い霧に包まれていた。
由佳は深い霧の山道を下りはじめた。山道の木々には一筆書きで星の形が書
かれた札が貼付けられている。好奇心からその札をカメラにおさめる由佳。
山道を下ると、霧の晴れ間に小さな村が見える。予定では国道の通る町に出
るはずだったが…
村は四方を山に囲まれた半径四、五百メートルほどの円形の平地にあった。
中央に小さな神社が建ち、その脇を流れる小川から田んぼに水をひいている。
家は山沿いの木立にわずか五軒が点在するだけだ。山の恵みと田畑だけで生活
する日本の原風景そのものの村だった。これまでどんな山奥の村に行っても必
ずひかれていた電気も水道も、この村には無い。
由佳は驚きつつも喜々として撮影を開始するが、次第に村の持つ異様な雰囲
気に気づき始める。田畑にいる村人はいずれも作務衣に似た時代物の服を着て
おり、由佳が挨拶をしながら近づくと、驚いたように家の中に逃げ込んでしま
う。しかも一軒に一人しか住んでいないらしく、老人三人と老婆二人の五人が
村人の全てだ。
村の途中で見つけた道祖神は通常の地蔵などと違い、動物が彫られている。
道祖神は村の東西南北のはずれ四箇所にあり、それぞれ異なる動物が彫られて
いた。
由佳は撮影しながら村を一周した。が、どこにも山に登る道が無いことに気
づく。しかも、自分が降りてきた山道も消えて無くなっていた。この村から出
る道が無いのだ。
すでに夕暮れ。由佳は道を見落としたのかも、と思いながら村人の家を訪ね
た。しかし、全ての家が堅く戸を閉ざしている。
途方に暮れた由佳は、神社に続く道の脇に滅多に使うことのない一人用の小
さなテントを張り、かろうじて通じる携帯電話で友人に連絡した。友人は、そ
りゃタヌキかキツネに化かされてるんだわ、と笑っている。由佳はあながち嘘
じゃないかも、と思いながら携帯を切り、地面に座ってバッグからノートパソ
コンを取り出してこの村の様子をまとめ始めた。
五軒の家と神社、道祖神の位置を書き込んだ簡単な村の地図を作り、村の様
子を撮影した写真をはめ込んで自分のホームページにアップした。
少なくとも携帯が通じるという事が由佳を安心させており、地図に付けたコ
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メントの内容も「興味深い村を見つけた」といった程度のものだった。
夕暮れの中、パソコンをしまってふと横を見ると、道に老婆が立っている。
昼間みた村人の一人だ。
老婆は辺りの様子を伺いながらも興奮気味に「どうやって里に入った」と由
佳に詰め寄ってきた。由佳がこれまでの経緯と自分も村から出る道を探してい
る事を告げると、老婆はがっくりと肩を落とし、テントを指さして「夜、何が
あってもその中から出るな」と言って立ち去ろうとした。由佳はあわてて老婆
に尋ねた。
「あの、ここの住所は…村の名前は何というんですか?」
老婆は振り返り、ただ一言「かご…」と答えて足早に去って行った。
日が沈み、テントの中でメールをチェックすると、早速友人からその村に関
する情報が入っていた。
村の四隅に置かれた道祖神に刻まれた動物は、それぞれ、玄武、青龍、朱
雀、白虎、という神を意味し、これは外に対し結界を張るための『陰陽道』の
呪術だと言うのだ。由佳はメールに書かれたURLから『陰陽道』に関する情報
を見た。すると、村の状況と一致する情報が次々に見つかった。
一つは村人の住まいと服装が全て、陰陽道が盛んだった平安から室町時代に
かけてのものという事。もう一つは円形の平地の周囲に点在する村人の家の位
置が五角形の頂点に配置されており、山道で見た札に書かれた星印の頂点と一
致するという事。その星型は晴明桔梗あるいは五芒星と呼ばれる呪印で、結界
を張る時に使うという。もしかしたら村全体に結界を張っているのかもしれな
い。五芒星の中心、つまり村の中央には神社が建てられている。
そして村人の言った「かご」という言葉。童謡「かごめかごめ」で唄われて
いる、何かを閉じこめるための籠。決して出ることのできない籠。出口の無い
この山村。
由佳の頭に突飛な推論が浮かんだ。
この村は平安時代から陰陽道の力で外界から孤立した結界として存在してい
て、外から踏み入る事のできない、外に踏み出す事もできない、隠れ里なので
はないか?。でもそれなら何故、由佳はこの村に入れたのだろうか…?
その時、由佳はテントの外に何かが動く気配を感じた。入り口の隙間から
そっと外を見る。右手の神社の暗闇には何も見つけることはできなかったが、
左手遠くに建つ家の前に松明の明かりが見えた。目を凝らして見ていると、家
の戸が開き、中から神主のような格好をした老人が出てきた。由佳はカメラの
望遠で老人の様子を伺った。
老人は家の前に座ると、神社に向かって何かを唱えはじめた。と、老人の周
りに陽炎のような光が浮かび始め、老人の顔がみるみる青年に変わっていく。
驚いた由佳がカメラから目を離すと、遠方の家からも同様に光が浮かんでい
る。と、神社からうめき声があがりだした。
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由佳は神社の暗闇に恐る恐る懐中電灯を向けた。すると、そこには無数の人
影が地中から姿を現していた。信じられない光景に由佳は身をすくませた。人
影はミイラのような化け物だ。ぎこちなく四肢を動かして土の中から立ち上が
ろうとしている。だが、あるモノは歩き始めた途端身体が溶けるように崩れ落
ち、またあるモノはもがいた後、頭から再び地中に埋没していく。どうやら化
け物達は思うように身動きがとれないらしい。テントまでやって来れないかも
しれないが、由佳には生きた心地がしない。ただガタガタと震えていた。
同じ頃。
夕方、由佳に詰め寄った老婆が三十代の女となり、祈りをしている。が、気
が乱れている様子で、周囲の光も弱い。
その時、女の前方、田んぼの暗闇にポツンと立つ子供の姿。
「おお…」
女の目から涙が溢れる。よろよろ立ち上がると、今度は女の横から男の声が
した。
「どうした?」
見ると、女を優しく見つめる男の姿。
「…あなた…」
男は微笑んだ。
「やつれたな」
女は涙にふるえ、今にもくずれ落ちそうだ。男は田んぼの子供を見た。
「あの子もお前の事を心配しているぞ」
女は子供の名を呼び「会いたかった…」と子供の方へ歩き出した。
子供も女の方にかけてくる。
喜びにほつれる女の顔。
だが、その背後の男の顔はあきらかに人間の顔では無くなっていた。
かけてくる子供。
手を差し出す女。
と、女の目の前で子供の眉間が上にばっくりめくれあがり、そこに巨大な目
が出現した。
女は恐怖に身を凍らせた。
明け方。
集まって一点を見つめる村人たち。その姿は若いままだ。村人の視線の先に
は、目玉をえぐられ、はらわたを喰いちぎられた女の死体。村人は一様に表情
を堅くしてつぶやいている。
「結界が…」 「…出てくる…」
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その頃。
一睡もできずにテントから出てくる由佳。周りを見渡し何もいない事を確か
めると、急いで携帯をかけた。が、こんな早朝ではどの友人も出ない。
再びテントの中に入るとインターネットに接続し、検索をはじめた。
陰陽道、化け物...
すると、陰陽道に関する闇の部分が見えてくる。
陰陽道の呪術。式神。鬼… 昨夜見たものがその鬼なのだろうか…。
由佳は思いつく全ての友人宛に夕べの出来事と自分の推測をメールで送っ
た。そして、村人に真相を聞き出すために意を決してテントの外に出た。
村人はまだ死体の周りにいた。
源寿(三十五才)と知徳(四十才)が声を張り上げている。
「今夜には襲ってくるのだぞ!」
「それは分かっておる!だから何か手だてを打とうと言っているのだ!」
「手だて?そんなものがあるのなら最初からやっておるわ!」
二人の言い合いを余所に、唯一残された女の村人、小雪(十八才)が悲しそ
うに死体を見つめている。その隣に立つ杉丸(二十五才)が自分の上着をそっ
と死体にかぶせた。
そこに、由佳がやってきた。
小雪は死体を見せまいとあわてて由佳の所に近寄った。杉丸も後に続く。
由佳は近づく小雪に尋ねた。
「あなた方は…陰陽道で…その…結界を張って…おじゃるか?」
真顔で素っ頓狂な質問だ。だが小雪と杉丸は表情を変えない。由佳の質問が
良く分からなかったのか、小雪が逆に尋ねる。
「貴方は、どこからこの里に入って来たの?」
小雪の容姿と言葉使いに、由佳は少し安心した。
「それは、昨日もお婆さんに聞かれたわ…」
源寿と知徳はその言葉にハッと振り返り、由佳の元へ近づいてきた。
「それで!何と答えた?」
「ここから出る方法を知っているのか?」
由佳はその勢いに圧倒されて後ずさった。
「それは…こっちが聞きたいくらい」
昨日の老婆と同じく、がっくりと肩を落とす源寿と知徳。
「それでは、やはり今夜か…」
「待て。それでは、この娘は…晴明公のおっしゃっていた…」
インターネットで見た名前が出て、由佳は指で五芒星を描きながら尋ねた。
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「晴明って。この。安倍晴明?」
「晴明公を知っておるのか!?」
「お主も、陰陽師!?」
「え!? いいえ! あの、インターネットでちょっと…」
「いんたーねっと?」
「聞かぬ言葉だ…やはり…」
「うむ」
由佳に詰め寄る源寿と知徳を杉丸が止めた。小雪が由佳の前に歩み出て男た
ちに頼む。
「お願い。この人との話は私にさせてください」
テントの脇の草むらに座る由佳と小雪。
由佳のこれまでの経緯と推測を聞き、小雪は下を見つめながら話し出した。
「そう。あなたも、あれを見たの…」
「あれは一体…?」
「昨日貴方の所に来た女の人…鏡花さんも…あの鬼たちに殺されたわ。
この里にはね、鬼が出るの。何人も喰い殺されたわ。
残ったのは私たち五人だけ」
由佳は小雪を見つめていた。小雪の言う言葉が素直に信じられる。
「私も、もう死ぬんだと覚悟してたわ。でも晴明公が来てくれたの。
晴明公は鬼たちを鎮めてくれたわ。それ以来私たちは晴明公がおっしゃっ
た通りに里を封印してきた… 何年も、何年も…」
「それ以来…って…」
「もう何年も…気が遠くなるくらい…
普通ならとっくにお婆さんになって死んじゃってるわね。私も普段はお婆
ちゃんの姿になってしまうもの」
由佳は、村人が老人から青年に姿を変える昨夜の光景を思い出した。
「鬼を鎮めている間は昔と同じ姿になるの。でも朝が来て、呪文が終わると
またお婆さんの姿になってしまう。その時が一番悲しいわ」
由佳は小雪の切ない口調に何とか慰めようとするが、あまりに突飛な事でう
まく言葉が出てこない。
「ここから逃げられたらって、何度も思ったわ。でも一人でも欠けたら
この里は…ううん。都中が鬼で溢れてしまうの。それに…」
「それに?」
「いえ。何でもない。…鏡花さんは、多分あなたを見て村から出られる
かもって思ったんだわ。鬼は、そんな心に付け込んでくるの」
「その…鬼は晴明に鎮められたんじゃないの?」
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「鬼とこの里は切っても切り放せない存在なの。それに、晴明公はいずれ
現れる大きな鬼の事も予言なさったわ」
「大きな、鬼?」
「そう。晴明公はその予言をおっしゃって、立ち去る前に、里のはずれから
矢を放ったの」
小雪は神社を見つめた。
「その矢が落ちた所が、今神社のある、あの場所」
「じゃあ、あの神社は」
「多分、大きな鬼が出てくる場所だろうって皆言ってたわ。晴明公はその
場所を矢で占ったんだって…。それでその場所に神社を建てたの」
「大きな鬼が、出てくる場所…」
「そうしてこの里は封印されたの。晴明公はおっしゃってたわ。『これから
この里は『籠の里』となるのだ』って」
「籠…やっぱり…」
由佳が推測した『かご』の意味は正しかった。この村は鬼を閉じこめた籠
だったのだ。
「籠の…里…」
その時、由佳の携帯が鳴った。その音に驚く小雪。由佳はあわてて携帯に出
た。
「あ、もしもし。ごめんね。早朝に電話しちゃって。用件はメールしといた
から…うん。とりあえず見て頂戴。うん。じゃ…」
携帯を切り、小雪の強い視線を感じる由佳。
「あ。これ?これは携帯電話っていって、遠くの人と話が出来る、機械…
じゃ分からないか… 話が出来る、筺なの」
「遠くの人と…話?… 他にも何かできるの?」
「えっと、メール…じゃなくて、ふみを送る事もできるけど…」
言いながら由佳はノートパソコンを取り出す。
「この筺は、もっとたくさんの文字や絵なんかも送ることが出来て…
あと、世界中の人からの情報を見る事も出来るの」
由佳の説明に、小雪の表情がこわばる。
「じゃあ例えば…それで、人を、呪う事はできる?」
由佳は戸惑った。
インターネットを使って人を呪う事は…できるのだ。由佳には胸に強く刻ま
れた悲しい経験があった。
由佳にはちょうど小雪と同じ位の年の妹がいた。妹も由佳同様インターネッ
トで自分のホームページをたち上げていたのだが、ストーカーまがいのメール
に悩まされ続け、やがて携帯電話にもストーカーからの電話やメールがくるよ
うになった。妹が強く出れば出る程ストーカーは「恨む」「殺す」といった言
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葉で脅すのだ。妹はついにノイローゼになってしまい、パソコンや携帯を恐れ
て一切使わなくなったばかりでなく、あやうく自殺してしまうところだった。
妹は見ず知らずの人間に呪われたのだ。
「使い方によっては…呪う事も、できるわ…」
「その筺って、たくさんの人が使ってるの?」
小雪の言葉にハッと我にかえる由佳。
「あ、そうね。パソコンはどうだろ…でも、携帯は殆どが持ってるわね」
その言葉に、小雪が顔面蒼白で立ち上がった。
「どうしたの?」
「な、何でもない。ちょっと用事を思い出したわ」
小雪はそう言い残すと駆け出していってしまった。
「ちょっと待って!最初の話!鬼って!?殺されたってどう言う事よ!?」
村人が死んだ女性を埋葬している。
遠くから小雪がかけてきた。
「あの人は!あの人は私たちの知らない陰陽の術を使うわ」
知徳は「やはり…」とつぶやくと自分の手を見つめた。
「昼になってもこうして昔通りの姿でいることが何よりの証拠」
源寿が辺りを見渡す。
「その術の影響で地脈が動き、気が充満しているというわけか」
女性の墓を作っていた杉丸が振り返った。
「しかし、力を取り戻したのはおそらく鬼も同様。しかも、結界を張るには
一人足りません」
「それでは、今夜…」
「うむ、間違いない」
「じゃ、あたし達は…あたし達はどうなるの!?」
涙目の小雪に杉丸が近寄った。
「小雪、落ちつけ!」
源寿が「あの女なら、もしかしたら」とつぶやいた。
知徳がそれに答える。
「そうだな。何か手だてを知っているかもしれん」
その時、
「あのう…」と由佳の声。
「その…私もお弔いを…」
小雪が由佳に駆け寄った。
「あなたの持ってるあの筺で、鬼を退治する事はできるの!?」
「は?」
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杉丸も近寄ってくる
「貴方も陰陽の術を使うと聞きました」
「え? そんな。あたしに鬼が退治できるわけないじゃないですか!
第一、昨日見た鬼って…あれは一体何なんですか!?」
由佳の問いに無言の村人たち。やがて源寿と知徳が話しはじめた。
「この女が陰陽師でないとすると、この地脈の流れは一体?」
「いずれにせよ鏡花亡き今、結界は張れない。巨大なる鬼が現れずとも、
いつもの鬼どもが襲ってくるであろう」
小雪が絶望の表情を浮かべる。由佳が源寿と知徳に訊ねた。
「巨大な鬼って… それと私と何か関係があるんですか?」
由佳の言葉に答えたのは杉丸だ。
「貴方がこの里に来てから里全体の気が強くなったのです。
それに、そもそも貴方がこの里に入ってこられたこと自体、何らかの
理由があるはずなのです」
源寿と知徳が由佳をじっと見つめている。
「我々はお前の持つ力のせいだと思っている」
「力って… わたしそんなもの持ってません」
小雪が耐えきれず叫び出した。
「もうだめよ!私たちは、助からないわ!」
「小雪!」
杉丸が小雪に駆け寄る。
「助かるわけない!あの時だって、晴明公が来なければ、みんな死んで
いたのよ!」
杉丸は叫ぶ小雪を抱きしめながら由佳に向かって言った。
「荷物をまとめて、日が沈む前にここに戻ってきてください。我々はあなた
のための結界を用意しますから」
源寿と知徳も「うむ」とうなずく。
「私のための、結界?」
「さあ、早く!」
杉丸に叫ばれ、由佳はあわててその場を去った。
荷物をまとめた由佳は、村を一周することにした。夕方までは大丈夫だとい
う杉丸の言葉は信じられたし、自分で納得できないことが多すぎるからだ。今
だ半信半疑だが、小雪の涙はもう見たくない。村人と自分を救う方法が何かあ
るはずだ。由佳は、小雪のためにも何かをしなければならないと感じはじめて
いた。歩きながら、由佳の頭の中を「かごめかごめ」の唄がくり返される。
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♪かごめかごめ、篭の中の鳥は、いついつでやる。
夜明けの晩に、鶴と亀がすべった。後ろの正面だあれ
由佳は、まず鬼を目撃した神社に行き、社の中をのぞいてみた。
ご神体は鏡と矢。多分この矢が晴明が放ったという矢であろう。
「ここから大きな鬼?」
∼篭の中の鳥は、いついつでやる∼
「鳥は…鬼?」
村の四方に置かれた道祖神。東の青龍は龍。西の白虎は虎。北の玄武は龍を
巻き付けた亀。そして南の朱雀は孔雀。孔雀を鶴に置き換えれば南北に鶴と亀
がいることになる。
∼鶴と亀がすべった∼
「鶴と亀…それがすべる?一体どういう事?」
由佳は、村の北東、古びた巨木のそびえる空き地に座ってインターネットに
接続した。ノートパソコンの電源は既に半分を切っている。
まずはメールに目を通し、現在の状況と村人から聞いた話をまとめて友人た
ちに送った。次に安倍晴明と鬼に関する情報を徹底的に探し出した。
安倍晴明を代表とする陰陽師たちは「式神」と呼ばれる鬼を自在にあやつる
事ができ、その鬼を使って人を呪う事も、呪い返す事もできたという。また、
陰陽師たちは都に出没する鬼たちの討伐にも一役かっていたという。つまり、
陰陽道と鬼は切っても切れない関係にあったのだ。だが、この里のように、残
された人々が結界を張り続けなければならない。という結末の説話は見あたら
なかった。
さらに、陰陽道の占いは式盤と呼ばれる円形の盤や筮竹を使うのであり、村
人の話のように矢を放って場所を占うといった方法は見つからない。何より、
大ボスとも言うべき巨鬼の出現を予言しながら手をこまねいているというのは
大陰陽師、安倍晴明らしからぬ行動であった。
「まだ村のことで分からない事が多すぎるわね。全てを聞かないと…」
ノートパソコンを閉じ、地面に下ろした由佳の手に何かが触れた。
見ると、そこには古びた骨が地中から露出している。
「ひ!」
由佳は飛び跳ねるように立ち上がった。
あらためて巨木の回りを見渡すと、そこには無数の骨。どれも犬や蛇などの
動物の骨だ。
「何これ∼」
あわててバッグを背負い、その場を立ち去る由佳。
「やっぱり、まだいっぱい隠してるー!」
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由佳は村人の元へ急いだ。
村人たちは死んだ女、鏡花の家の前にいた。畳二畳程のスペースの四隅に竹
が立てられ、それぞれが御幣で結ばれていた。どうやらこれが由佳のための結
界らしい。
そこに由佳が現れ、小雪に問い詰めた。
「まだ何か私に隠していることがあるわね。教えてちょうだい。
この村のこと。鬼のこと」
小雪は困惑するが、由佳はなおも問い詰めた。
「何でもいいわ。そこから私達を救う方法が見つかるかもしれないの」
杉丸が近づいてきた。
「やはり貴方も陰陽の術を…」
由佳はキっと杉丸をにらんだ。
「私はWebデザイナーよ!そんな事はどうでもいいわ!早く話して頂戴!」
「!…そ、そうですか…」
由佳の迫力に圧倒され語り始めた杉丸を小雪が遮った。
「私が、私が話します」
他の村人から見えない場所に由佳と小雪が座っている。
小雪がゆっくり語り始めた。
この村は平安時代、民間陰陽師の集い住む村で、貴族達から公にできない依
頼を受けていた。
呪い殺しである。
村人は、深い山里に隠れ済む呪詛集団だったのだ。
陰陽師達は式神と呼ばれる鬼神たちを、京の情報収集や貴族との連絡手段、
呪いをかける時の道具、あるいは物資の搬送として、あらゆる場面に使ってい
た。式神さえいれば村は独立して成り立ち、外に通じる道は必要無かった。道
がなければ邪魔者が入り込む心配もなかった。
「まるで引きこもりとインターネットね…」
由佳がつぶやく。小雪はなおも語り続けた。
万事がうまくいっているかのように思えた。ところが、陰陽道には『式返
し』という術がある。これはいわば呪い返しであり、呪われる力をそのまま呪
う相手に返す方法である。
ある日、村から放った式神が、呪う相手側の強力な陰陽師の式返しにあい、
村の陰陽師の一人が死んだだけでなく、村にいる全ての式神どもが一斉に村人
に襲いかかって来た。
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由佳の脳裏に、妹の苦しんでいた日々が思い出された。同時に、掲示板に書
き込まれた悪口雑言や誹謗中傷。書き込みによるイジメのニュースの数々。小
雪の話を聞きながらネット社会の歪んだ状況が頭をよぎった。
式神の襲来に村人たちは動揺した。彼らにとってもはや必要不可欠となって
いる式神を安易に退治するわけにいかないからだ。村人は式神の動きを抑えつ
つ解決の糸口を探そうとしはじめた。
だが、村にはさらなる恐怖が待ちかまえていた。
生活の根幹になっていた式神を封じなければならない、という事態に困惑し
た者が式神の妖気に取り憑かれていったのだ。邪悪な力は徐々に村中に広が
り、ある者は鬼に身を変え、ある者はその鬼に食べられていった。
やがて村に壮絶な地獄絵図が展開された。
小雪は震えながらその時の様子を語った。
「家に帰ると…お父様が…暗がりで…お母様の心臓を食べていたわ…」
小雪の頬を涙が流れる。
「その時のお父様の…目と…肉をほおばる…音が…今も…」
由佳は小雪を抱きしめた。
「もういいわ」
が、震えながらなおも語り続ける小雪。
「隣に住んでいたお姉さまは…お腹の中の…自分の子供を引きずり出して…
食べたの」
小雪を抱きしめる由佳もその言葉にゾクリと体を震わせた。
村は負の力に飲み込まれて崩壊寸前だった。
その時、正の力の象徴とも言うべき安倍晴明が村を訪れた。山奥から発する
邪悪な気を察したのだ。もはや事態は村だけの問題では無くなっていた。この
ままではやがて京をも脅かすことになるだろう。
晴明は式神と、鬼になった村人を次々と地中に封じ込めた。次に、生き残っ
た五人の村人に陰陽道の持つ力を諭し、今後も村に結界を張り続ける事を約束
させた。晴明には未来が見えていたのだ。それは、陰陽道の衰退と、その後の
未来に陰陽道に似た力を持つ技術が世に広まる、というものだ。そしてその
時、封印された鬼たちはその力を求めてより強く、より巨大になって復活する
であろうことも予知していた。
由佳は携帯とノートパソコンを見つめ、つぶやいた。
「これが、晴明の予言した力…」
それがいつの日になるかは分からないが、自分達の犯した罪を償う意味でも
村を封印し続ける必要があると晴明に解かれ、それを受け入れる村人たち。
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村を出る際、晴明は村のはずれから矢を放ち、矢は村の中央に突き刺さっ
た。晴明は言った。
「この里を外からも封印する。これからこの里は『籠の里』となるのだ」
晴明の一行は去り、やがて村は完全に封印された。
そして、晴明の放った矢の刺さった場所に神社が建てられた。
そこが、いずれ巨大な鬼の現れる場所であるだろうと考えたからだ。
「それから、長い長い日々がはじまったの。巨大な鬼の出現を恐れながら」
「大丈夫。何か鬼を退治する方法があるはずだわ」
由佳の言葉に、小雪が涙に濡れた顔を上げた。
インターネットが陰陽道と同じ力なのかもしれないという事は小雪には言え
ない。今は小雪を励まさなければならないのだ。
由佳は携帯電話を小雪に見せた。
「私は…陰陽師じゃないけど、これを使えば必ず何か力になれるはずだわ」
小雪はその言葉を素直に受け入れ、こくりとうなずき、携帯を見つめた。由
佳にしては珍しく少女趣味なウサギの人形のストラップが付いている。
由佳は小雪の視線に気づき、ストラップをはずした。
「あげる」
「え?いいの?」
「うん」
「ありがとう」
微笑みながら見つめ合う二人。
「さ。みんなの所に戻らなきゃ」
「うん」
走り去る小雪。微笑みながら見送る由佳。
小雪の姿が小さくなると、由佳はキっと真顔になりパソコンを起動させた。
「何かあるはずよ。何か」
しかしパソコンのバッテリーはすでに切れかかっている。画面にアラートが
点滅する。
「お願い!がんばって!」
メールの受信が終了し、急いで目を通す由佳。5通目のメール。
『携帯が通じるんですよね?という事は、平安から時が止まっている様に
見えても確実に現代との接点はあるわけです。となると、そこは時空の
混在している場所と言えます。』
「時空が混在?」
『という事は、晴明の放った矢はもしかしたら..』
そこまで読むんだその時、
プツリ...
ついにパソコンのバッテリーが切れた。由佳は必死にキーを叩くが何の反応
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籠の里
も無い。がっくりと肩を落とす由佳。読みかかった文章が気にかかる。
『晴明の放った矢は…』
確かにそう書いてあった。
鬼の出る場所を占った矢に何かあるのだろうか?
由佳は携帯を見つめた。
「残る頼みは、これだけね」
だが、携帯の電源も残りわずかになっていた。
「メールは何とか…。でも通話は、あと1回くらいかも…」
日が傾く。
由佳は結界の中に座っていた。知徳が結界の回りをすり足で歩いている。反
閇(へんばい)と呼ばれる浄化の法である。その回りでは三人の村人が呪文を
唱えている。
反閇を終えた知徳がゆっくりと由佳の前に来た。
「これで良いだろう。決してこの中から出るではないぞ」
源寿が神社を見る。
「巨大な鬼が出てこぬのであれば何とかしのげるかもしれぬ。我らは各々の
家でいつも通り祭文の奏上を続ける」
村人たちは各々の家に戻り始めた。
杉丸がにこりと笑い「明日、また合いましょう」と言いながら去っていく。
小雪が、立ち去る前にエヘヘと笑いながら首にぶら下げた携帯のストラップ
を由佳に見せた。
小雪の後ろ姿を見ながら微笑む由佳。が、すぐに真剣な表情になり、地面に
置いた携帯に目を落とした。
「陰陽道と、同じ力…」
視線を上げ、緊張した表情で神社を見つめる
「巨大な鬼は…出てくるわ…」
日が沈んだ
村人四人は各自の家の前に座り、祭文を唱えている。
四人で結界を張ろうとしているのだ。
それぞれの身体の回りにほのかな光が浮かぶ。
暗く深い夜が訪れた。
印を結び呪文を読む源寿が、突然「うおお!」と叫び、左腕を押さえながら
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籠の里
苦しみ始める。左手がみるみる赤紫色に変色し、ツメが伸びてくる。源寿は鬼
へと変貌しているのだ。
「おのれ!もう来おったか!」
右手で印を結び、呪文を唱えながら左腕にかざすが効果は無い。額から脂汗
が流れはじめる。源寿は立ち上がって自分の家にかけ込んだ。
「ぐおおお!」
もがきながら、玄関にぶらさがっているナタをつかんだ。
力を振り絞って左腕を床につけ、ナタを持った右手を頭上に振り上げる。
ひきつった様に指を開いている左手は、もはや人間の手では無い。
怒りに溢れる源寿の顔。
「おのれー!!」
ナタが左腕に振り下ろされた。
由佳は一人結界の中に座っていた。
チリチリと鳴いていた虫の声がピタリとやんだ。
同時に風が吹きはじめ、御幣が揺れる。
「来た」
遠方の暗闇にうごめく姿が見える。
由佳は結界の中央で身を縮めた。
ゆっくりと歩いてくるその姿はミイラの様である。腕は異様に長く、両目の
あるべき場所には無数のしわがより、そのかわり額に巨大な目が一つ。ひから
びた全身に対してその目だけがヌラヌラと動いている。
やがてそのモノの回りからも大小無数の影が出現し、由佳の回りに集まり始
めた。由佳は恐怖に震えたが、どうやらその化け物どもには由佳の姿が見えな
いらしい。結界が効いているのだ。
じっと息を凝らす由佳。
こめかみから角をはやした鬼が由佳の横を通り過ぎる。
由佳がホッとした、その時
横に置いた携帯が鳴った。
鬼たちが一斉に振り向く。
由佳はあわてて携帯を取ろうとしたが、手にはじかれ、結界の端に飛ばされ
た。バッと倒れ込んで携帯をつかみ急いで電源を切ると、そのまま顔を伏せて
じっと固まった。
息を殺して身を屈めていると、鬼たちが再び動き始める気配がした。
顔を起こす由佳。と、目の前に巨大な顔。
「ひ!」
顔面についた無数の目が不規則にギョロギョロと動いている。結界の境界を
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籠の里
挟み、息のかかるほどの距離で対峙する由佳と鬼。由佳は堅く目を閉じた。
やがて鬼はゆっくりと立ち去っていった。胸をなで下ろし、結界の中央に戻
る由佳。他の化け物どもは村に散らばったらしく、姿が見えない。
由佳が大きく息をつこうとしたその時、前方の木陰から、髪を前に垂らし、
四つん這いで蜘蛛の様にうごめく影が出てきた。
「!」
その影を見る由佳の顔面が見る見る蒼白になった。
見覚えのある着物。
首からは、携帯のストラップがぶら下がっている。
「…小雪?…」
ザザザ!
四肢を虫の様に動かし、その影が急速に近づく。
垂れた長い髪で顔は見えない。が、間違いなく小雪だ。
由佳の目から涙が流れた。
「小雪…」
その声を聞くと、鬼と化した小雪は結界の竹に食らいついた。
髪の間から長い牙が見える。ダラリと流れるよだれ。
バキッ! 竹が倒れた。
小雪がゆっくりと結界の中に入ってくる。
「いやああ!!」
由佳は結界を飛び出した。
闇の中を駆ける由佳。
暗闇の前方に明かりが見える。源寿の家だ。
由佳は源寿の家にかけ込んだ。
囲炉裏にチロチロと炎が揺れ、そこに源寿が背を向けて座っている。
由佳はゆっくりと源寿に近づいた。
様子がおかしい。
源寿の後ろには床に打ち下ろされたナタ。周りにはおびただしい血が飛び
散っている。
由佳を息を潜め、ゆっくりと源寿の横に回り込んだ。
源寿の顔は見えない。が、源寿の口元から異様な音が聞こえてくる。
肉を食み、骨をかじる音だ。
由佳は横から源寿の顔をのぞき込んだ。
源寿は、自分の左手をむさぼるように喰らっていた。
由佳はガタガタと震えつつも、源寿に気付かれぬ様外に出た。
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籠の里
村人はみんな鬼になったのだろうか?
由佳は力のはいらない足を必死に動かして道を歩き始めた。
涙も悲鳴も出ない。今は足を動かしているのがやっとだ。
すると、後方から不気味な足音。さらに前方で何かがうごめいた。由佳は道
をはずれて昼間無数の骨を見つけた空き地に入った。
骨の埋まっている巨木の周りを避け、道に近い場所の木陰に身を隠す。
体の震えが止まらない。
前方の暗闇で再び何かが動いた。木がガサリと揺れ、ブヨブヨと歩く朱色の
物体が由佳の前に姿を現した。子豚ほどの大きさのそれは、頭に爬虫類の目を
一つ付け、二本の足でよろよろと由佳に近づいてくる。
「こ、こないで..」
涙目で後ずさる由佳。
朱色のモノはグっと身を縮めると、いきなり由佳に飛びかかってきた。
「いやあ!」
その時、由佳の後方から白い紙片が一枚飛んできた。
紙辺はたちまち人の形に変わり、朱色のモノを抱き抱えると地面に落ちた。
同時に悲鳴の様な声がして化け物も人形もフッと消えた。
由佳が紙片の飛んできた方を見ると、そこに知徳が立っていた。
「何故結界におらん!」
「小雪が…小雪が」
知徳はすぐに状況を察した。
「そうであったか…」
村を見回す知徳。何かの気配をつかもうとしているようだ。
「む..源寿もか…」
由佳が知徳に訊ねた。
「ここへは、何故…?」
「巨大な鬼の気配を感じ辺りを見渡したら、お前が走って行くのが見えたの
だ」
「やっぱり、鬼は出てくるのね。でも、私が使っているものは…
その…陰陽師のような力は無いんですけど」
知徳は由佳の後方、巨木の根本に歩いていった。
「陰陽の術はそれを使う者、使う目的によって様々な種類があるように思わ
れているが、その根幹に流れるのはただひとつの純粋な『力』」
知徳は根本にかがみこみ、両手で地面を掘りはじめた。
「森羅万象と同様、ゆらめき変化しているように見えるが、その本質はただ
ひとつなのだ」
知徳が掘り起こしたのは一つの壺。蓋を閉じ厳重に紐で縛られている。
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籠の里
「奴が世の中に出てくるのは、お主の使う術の目的や方法では無い。
その本質である『力』の強さなのじゃ。奴はその力を欲しておる」
「『力』の強さ…」
「小雪から聞いたところによると、何でも小さな筺で外界と話ができるそう
だな」
「携帯のことね。ええ、そうです」
「清明公の結界の張られたこの里から外に連絡できる力など我々は持って
おらぬ。もちろん鬼どももな」
「それを、私が持っていた…」
「鬼の目的は、我らを殺すことではない」
知徳は壷を地面に下ろして由佳を見た。
「里から外に出ることなのだ」
由佳の背筋がゾッと凍った。
知徳は壺に張られた紐をはずして蓋をとると、壺の中に手を入れ、中から一
匹の蛇を取り出した。ウネウネと不気味にうごめいている。
「コ毒じゃ。壺に入れられお互いを喰らいあった生き物の中で最後に生き
残ったこの蛇の呪力を己の力にする」
知徳は蛇を両手でつかむと呪文を唱え、おもむろに蛇にかじりついた。
蛇の肉を噛みちぎり、皮を引き裂きながら一心に食らう。はじめはビチビチ
と抵抗していた蛇もやがてぐったりと体を垂らす。知徳の口の回りが蛇の血で
染まる。やがて蛇の体内から小さな肉の固まりがダラリと垂れた。蛇の心臓
だ。知徳は再び呪文を唱え、その心臓をぱくりと食べた。
由佳はそのおぞましさに身を縮ませた。
知徳は蛇の屍骸を地面に放ると、両手で印を結び、神社の方向を睨むと呪文
を唱えはじめた。
と、神社の回りから霧が立ち昇り、やがて、深いうなり声が轟き始めた。
それは地面、空、木々、あらゆる所から響き、村全体がうなり声に包まれて
いるようだった。
由佳は神社を凝視する。
この知徳の力なら、巨大な鬼も封じる事ができるように思えた。
神社の回りの霧はいっそう深くなる。
が、呪文を唱える知徳の表情に変化が現れ、険しい表情で目を開けた。
「鬼の居場所が…見つからぬ…」
由佳は知徳の言っている事がすぐには理解できなかった。
うなり声は村全体を包むほどはっきりと聞こえているが、その声の主である
鬼が何処にいるのか分からないと言うのか。
なおも呪文を唱え始める知徳の後ろで由佳は神社を凝視していた。
その由佳の後ろ。
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巨木の背後の暗闇に一抱えもある巨大な目が浮かび上がった。
目はゆっくりと上昇し、その回りの頭の輪郭も見え始める。
頭だけで由佳の身長は有にある。
二本の角を生やし、額に巨大な一つの目。その回りには昆虫の様な四つの目
がついている。口は耳まで裂け、黄ばんだ鋭い牙がのぞいている。
知徳と由佳の後方で、巨大な鬼は上半身まで姿を見せていた。
気配に気づいた由佳が後ろを振り向いた。
肉の壁。視線を上に上げると、そこにはおぞましい鬼の顔。
由佳は恐怖で息を詰まらせた。
知徳も後ろを振り向くが、同時に、巨大な口が知徳に向かって落ちてきた。
鬼は知徳をバクリとくわえて立ち上がった。全貌を現した鬼。鬼の足下に倒
れる由佳。頭上からは知徳の悲鳴が聞こえる。
鬼は首を上に振ると、知徳の全身をばくりと飲み込んだ。知徳の悲鳴がピタ
リと聞こえなくなる。
鬼の力を誇示するかのように、雷鳴が轟いた。
由佳は這いながら鬼の足下から逃げ、草むらに身を隠した。
やがて鬼は村の中央に向かって歩きだした。その足下から化け物が次々と現
れ、鬼の足どりを追う様にうろうろと動きはじめる。
闇の中に一人残された由佳は恐怖のため放心状態になっていたが、やがて、
鬼の行方を確かめながらよろよろと道を歩き始めた。
「鬼は…村の中心から現れなかった… じゃあ、晴明の矢は何のため…?」
村の北東から出現した鬼は村の中央近くまで来ると、最後の村人、杉丸の気
配を感じとり、村の北西にいる杉丸の所へと向きを変えた。
由佳は鬼の行方を遠巻きに追い、村の真北まできていた。
と、玄武を刻んだ北の道祖神がうっすらと光を放っている。
「なに? 今度は、何がおこるの?」
由佳は戸惑いながらも何故かその光に安堵を覚えた。道祖神の横にヘタヘタ
と座り込んで遠くの鬼を見つめた。
その時。
東の空が白々とあけはじめた。
「よ…夜明けだわ!助かった!」
が、鬼は東の空に向けて右手をゆっくりと上げた。
途端、東の山から暗雲が立ちのぼり、日の光を遮りはじめた。
「ああ、だめ!また夜になっちゃう!」
泣きながらつぶやく由佳の脳裏を聞き慣れた唄がかすめる。
…夜明けの晩に…
明け始めた空が遂に闇に包まれた。
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籠の里
震える声で唄を口ずさむ由佳。
「…夜明けの晩に…鶴と亀が…すべった…」
家の前で呪文を唱え続ける杉丸。
その前方に迫る巨大な鬼。
その大きさの前では呪文を唱える杉丸はまったく無力に見える。
その時、由佳の横でうっすらと光を放っていた玄武の道祖神から強烈な金色
の光が立ち昇った。光に包まれる由佳。遠くを見ると、南の朱雀の道祖神の所
からも同じ光が立ち昇っている。
光はやがて道祖神を中心に東西の方向にカーテンの様に広がる。
村の北と南に、向き合う二枚の光の壁が出現した。
二枚の壁はやがてゆっくりと村の中央に向かい移動しはじめた。
由佳は光の壁の外側から壁の動きと一緒に村の中央に向かって歩き始めた。
と、突然光の内側の闇から鬼に変貌した源寿が飛び出してくる。
由佳はあわてて逃げようとするが、つまずいて地面に倒れてしまう。
猛烈な勢いで由佳に迫る鬼。
恐怖にひきつる由佳。
が、由佳めがけて光の壁に突入した途端、鬼は爆発するように燃え、黒こげ
になった骨だけが由佳の目の前に四散した。
光の壁は鬼を倒す力を持っているのだ。
「これは…晴明がこの日のために仕込んだ術?」
光の壁はなおも村の中央に向かって移動していた。南からの光の壁も迫って
くる。
「北の玄武は亀…南の朱雀が鶴だとしたら…」
光の壁を発した後もうっすらと輝いている玄武と朱雀の道祖神。
「鶴と…亀が…鬼を倒す術を……術(じゅつ)?……術(すべ)」
由佳が叫ぶ
「術(すべ)を打った!」
鬼は杉丸の目前まで迫っていた。
杉丸をなぎ倒そうと右手を振り下ろしたその時、移動してきた光の壁がその
手に触れた。
ぶすぶすと煙を上げる鬼の右手。
鬼はあわてて右手を引っ込めて後ずさった。
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光の壁が杉丸を包む。杉丸は呪文を止め、自分を通り過ぎる光の壁を見つめ
た。鬼の足下の化け物が杉丸めがけて突進するが、光の壁に突入した途端、
次々に爆発する。
由佳は光を見つめていた。
「鶴と亀が術(すべ)打った… 後ろの正面…
後ろの正面って何?…後ろの正面誰って…誰?」
ハッと気づき、駆け出す由佳。
「誰って… 安倍晴明に決まってるじゃない!」
いらだった鬼の振り下ろした腕が光の壁を抜けて杉丸を捕らえた。
はじき飛ばされる杉丸。
鬼も同時にただれた腕を押さえながら後ずさる。
杉丸の家にたどり着いた由佳が飛ばされた杉丸に駆け寄った。杉丸は血を吐
き、左手をダラリと垂らしている。
「大丈夫!?」
由佳は杉丸に叫んだ。
「ねえ、教えて! 晴明は… 晴明は何処から矢を打ったの!」
杉丸の目は虚ろだ。額からも血が滴っている。
「晴明は何処から矢を打ったの! お願い、教えて!」
杉丸はようやく由佳の言葉を理解し、村の東の端を指さした。その方向を確
かめる由佳。
「あっちね!分かったわ!」
「何を…しようと…」
「後はまかせて。大丈夫、なんとかするわ」
由佳は杉丸から手を離すと、意を決して村の中央に向かって駆け出した。
南北から発生した光の壁は既に村の中央近くまで迫まっていた。
光の壁にはさまれて、東西に一直線のエリアができ、その中で鬼と化け物た
ちがもどかしげに呻いている。
光の外側を、直線エリアの中央に建つ神社に向かって走る由佳。
由佳に気付いた化け物どもが一斉に由佳の目指す神社の方向へ進みはじめ
た。鬼もゆっくりと後に続く。
やがて二つの光の壁は神社の近くでその動きを止め、神社を中心に東西の道
を作った。
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籠の里
神社を背に立つ鬼。その前、光の壁の外側に立つ由佳。
光をはさんで鬼と由佳が対峙する。
鬼は苛立ちながら光の壁に両手を突っ込む。二の腕までが壁の外に出、顔が
光に触れた途端、鬼は苦痛に顔を歪ませながら後ずさった。が、次に突入した
ら確実に壁を突破するだろう。鬼はさらに苛立ち、顔を歪ませている。
反面、由佳は体を振るわせているものの、その表情はいたって冷静だ。
東西の道の行き着く先、東に建つ青龍の道祖神を見つめる由佳。
「あの道祖神から晴明は矢を放った。この神社に向かって。それは…
それは今日のため、今、この時のために…」
由佳は破裂しそうな鼓動を何とか抑え、携帯を取り出した。
番号を押して耳にあてる。
何回かのコールの後
『由佳∼? あんたまたこんな朝っぱらに電話して∼』
「歌、うたってくれるかな?」
『はぁ?何言ってんの、あんた』
「いっつも歌ってるじゃない。おっきな声で」
『由佳?どうしたの?』
「お願い」
『訳わかんない。しょうがないな∼』
咳払いに続いて陽気な歌声が流れ始めた。
由佳は携帯を上にかざして鬼に叫んだ。
「これがあんたの欲しがってたもの! 外につながる力よ!」
歌声はサビに入ってより一層高まっている。
由佳は携帯を光の中に投げた。
化け物どもが一斉に携帯の飛ぶ方向に動く。鬼も携帯の行方を見ている。
由佳はダッと駆け出して光の壁を抜け、鬼の足下を直角に曲がると、東に向
かって一直線に走り出した。
光の壁に挟まれた直線の道を東の青龍の道祖神めがけ走る由佳。
が、次のその瞬間、由佳の足がピタリと止んだ。
「小雪…」
前方には四つん這いになった小雪がいた。
「小雪。どいて!」
小雪はゆっくりと由佳に向かってきた。
「小雪!私よ!思い出して!」
小雪がなおも由佳に近づき、ついに飛びかかろうとしたその時、人影が由佳
と小雪の間に進み出た。
杉丸だ。
両手で印を結びながら二人の間に立っている。
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籠の里
その表情は既に苦痛から解き放たれた様に凛としている。精神力だけが彼を
支えているのだ。
小雪が杉丸に飛びかかり、肩に喰らいついた。杉丸の肩の肉がごっそり喰い
ちぎられる。それでも杉丸の手は堅く印を結んでいる。杉丸は振り返り、首を
動かして由佳に前に進むよう促した。
小雪の口が杉丸の首に喰らいついた。
由佳は目を閉じて二人の横をすり抜けた。
悲しみで顔をぐしゃぐしゃにしながら道祖神に向かって走り続ける。
杉丸は優しい表情で自分の首に喰らいついている小雪を見つめている。
動物の様に首を振って喰らいついている小雪。その顔は振り乱した髪で見え
ないが、髪の間から大粒の涙が飛び散った。
泣いている。泣きながらもなお杉丸を喰らっているのだ。
杉丸の目が閉じ、印を結ぶ手がゆっくりとほどけていく。
二人が地面に倒れる。杉丸の首にかぶりつく小雪は、まるで愛する者を離さ
ないようにしっかり抱きついているようにも見える。
化け物どもの中心に落ちている携帯。
歌声が続いていたが、ついにバッテリーが切れる。
化け物は不思議そうに携帯を見つめているが、力の無くなった事を悟った鬼
は巨大な腕を振り下ろし、回りの化け物ごと携帯を粉砕した。
鬼は怒りの表情で由佳の方を向き、歩き出した。化け物どももギャーギャー
と叫びながらそれに続く。
必死に道を走る由佳。
最後に見たメールの内容が頭をかすめる。
『時空の混在している場所』『晴明の放った矢』
「矢は…晴明の放った矢は…鬼の出てくる場所を見つけるためじゃない!」
巨大な鬼の歩幅は、あっと言う間に由佳との距離を縮める。
「占いのためじゃない!」
泥に足を取られ転びそうになる由佳。
「攻撃のためなのよ!」
由佳はついに青龍の道祖神の前ににたどり着いた。
反転して神社の方を向く。
青龍の道祖神、由佳、鬼、そして神社が一直線に重なった。
行き止まりで観念したと思ったのか、化け物どもは鬼と一緒に不気味な笑い
声を上げながら近づいてくる。
22/24
籠の里
「…かごめ…かごめ…」
由佳は震える声で唄いはじめた。
「篭の中の鬼は…いついつ出やる」
鬼の口からだらりとよだれがたれる。
「夜明けの晩に…」
目を閉じなおも唄い続ける由佳。鬼はもう目の前だ。
「鶴と亀が術打った…」
由佳の目がゆっくりと開く。
「後ろの… 正面…」
悲鳴にも似た叫び声をあげ、由佳はダッ!と横に倒れ込んだ。
「だあれ!」
由佳が立っていた背後。鬼の正面。
そこには青龍の道祖神ではなく、一人の男が弓を引いて立っていた。
狩衣に身を包む涼しい顔立ちの男。
安倍晴明だ。
鬼の表情が歪む。
鮮烈な光と共に矢を放つ晴明。
矢の軌跡に視線を送る由佳。
千年以上も前に放った矢が、今由佳の瞳に映っている。
矢は一直線に鬼の額に突き刺さった。
悲鳴と共にのけぞる鬼。その体から炎が立ち昇り、周りの化け物どもを一瞬
にして巻き込んだ。
轟音を上げ地面に倒れる鬼。
飛び散る巨大な炎。 由佳の顔が炎で朱色に照らし出される。
炎に包まれる杉丸と小雪。
杉丸の体はもはや動かない。
なおも杉丸を喰らい続ける小雪。
泣いている。
肉を噛みちぎっては首を振り上げ、再び喰らいつく。
炎の中、そのシルエットはまるで号泣しているかのようだ。
やがてそれも炎に包まれて見えなくなる。
鬼の体は火の粉と一緒に飛び散り、後には背中や腕に火を付けてキーキー叫
びながら逃げまどう化け物たち。それも爆発するようにパン!と飛び散る。
23/24
籠の里
全てが終わった事を確かめ、後ろを振り返る由佳。
由佳に笑みを浮かべる晴明。
笑みを返す由佳。
「あたたた…」
ゆっくりと立ち上がり、再び晴明の方を見るが、そこには既に晴明の姿は無
く、青龍の道祖神が立っている。
南北の光の壁がゆっくりと消えていき、同時に青空が現れた。
由佳は、自分のための張られていた結界の場所に行った。
地面に投げ出され、半分開いているノートパソコンを手に取る。
歪んだ力の末路は、あまりに恐ろしく、あまりにも悲しい。
この筺の持つ力は、絶対そんな結末を迎えさせはしない。
由佳はパソコンをパタンと閉じ、そのケースに指で五芒星を描いた。
バッグを背負い、道に出る由佳。
が、そこに現れたのは舗装された立派な道路だ。
立ち尽くす由佳。
と、一台の車がやってきた。
車は泥だらけになった由佳の前で止まった。
ウインドウが開き、助手席の男が顔を出す。
「何やってんだ?こんな所で?」
にこりと笑う由佳。
「かごめかごめ」
<完>
24/24
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