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初期近世哲学とコスモポリタニズムの逆説
Kobe University Repository : Kernel Title 初期近世哲学とコスモポリタニズムの逆説(Early Modern Philosophy and Some Paradoxes of Cosmopolitanism) Author(s) スミス, ジャスティン Citation 21世紀倫理創成研究,7:69-83 Issue date 2014-03 Resource Type Departmental Bulletin Paper / 紀要論文 Resource Version publisher DOI URL http://www.lib.kobe-u.ac.jp/handle_kernel/81009432 Create Date: 2017-03-28 初期近世哲学とコスモポリタニズムの逆説 ジャスティン・スミス コスモポリタニズムが最も密接に関連しているのは、ヘレニズムの哲学の諸傾向 である。キュレネのディオゲネスは、 に 、 「汝はいずこより来廿もりしかJ という聞い 「我はコスモ・ポリテスなり(世界市民である) J と簡潔に応じた ( D L 6刷 。 これまでも多くの研究者が、おおざっぱに見れば、キニク派のこうした身振りと 多様な普遍主義者のあいだにはある類似性がある点に注意を促してきた。後者の中 Jに出現した、必高揃に閏家を超えるさ には、当然ながら、いわゆる「枢舶の剛't まざまな宗教運動が含まれるが、それは仏教やキリスト教だけに限られるものでは グローバル ない。かれらは、いずれも自らの主要な教えの真理主張の普通的な妥当性を確立 することに努め、そのことを通じて、所与の文化との歴蜘悼繋がりを裁とうとし た日。イエス・キリストが「カエサノレのものはカエサルに、神のものは神にJ ( r マ タイによる福音書:~ 2 2 : 21)と説くとき、イエスは、なかでも特に、二つの別々の トル 領域の規則の限界画定をしようとしている。そのひとつは、ある地蛾や領域でしか E統性を享受できない士鼠Ijであり、他のものは、相互に完全に重なり合いながらも、 前者の支配オる領分をはる泊斗乙超えて広がっていく規則である。 とはいえ、キリスト者の戒律に従うことがいっそう困難になるのは、 「カエサノレ」 オ』グー 自身が神聖な秩序(=命令)の代理者を演じる場合である。本来、キリストとそ が、その秩序に忠実だったのだが、キリストが二種類のものに対する敬意を区別で きたのは、カエサルがまだキリスト者でなかったから i 弓晶ぎない。しかし、ひとり の地kの支圏諸が、自ら神聖な秩序の名において行為すると主張するとき、それが まったく容易に帝政に成り変わる関節切な普遍主義が存在する。 r 神聖な真理は普 ルール 遍的である。朕は神聖な真理の'4';により支肥オる。それゆえに、我が治世(=規則) を可能なかぎり、拡大しなくてはならない」。これは、すでに仏教徒のアショーカ 帝の場合に当てはまることである。アショーカ帝は、帝国主義自怖E 服を通して仏教 -69- 2 1世記倫理創成研究第 7号 をアジア地域全体の宗教に変貌させたのである。 劇飴桁為に転現員された普遍主義は、地域主義を紺守することを強く望んだと恩 の諸事l 害を無視する傾向をもっ、とし、う一般的規則があると われる、隣国や少蜘R すれば、マワリヤ王朝がその最後の例であるということではけっしてないだろうロ 地域的なものと普遍的なものとのあいだに生じるこうした対立は、古典古代に生じ た普遍主義的宗教にとどまるものではなく、同じことは、世俗的な民主主義、自由 と平等などの普遍的価値と想定されているものについても言える。マイケノレ・ 7 ン [1]のような研究者や、独自のやりかたではあるが、チャーノレズ・テーラー凶が指 摘してきたように、少数派の集団が、そこでならば、よりよく過ごせるような多く の観点があり、その点では、それらは、民主主義的な共和制に優先する。この場合 は、フランスやトルコがよく引き合いに出される例であるが、そこでは万人が人間 存在として等しく共有し、尊重することが期待される包括的価値のために、少蜘R の特殊な関心制面値を消し去ることが求められるのである。 ディオゲネスの「世界市民である」という主張は、自分自身は無害な世捨て人の シチズンシップ 傾向をもつことを報告したものであるが、このような主張と、 「世界市民であ ること」を、普遍的な真理を所有する指導者の却己=融Ijの必抑制所産として理解 示唆したいことは、このような緊張 することとは、まったく別の話である。筆割Z が、これまでつねにコスモポリタニズムの核心にはあり続けたことである。普遍の グローバル 真理を所有するという主張とそのような真理がそこで成立する、普遍的秩序だけ に忠実である(= r 普遍的な命令だけに忠実であれ!J)という主張は、それが哲 学者や修道僧の手にある場合と軍隊の手にある場合では異なる。そして、いわば普 遍的な真理を普及させる武装しT 誹目織が存在するときですら、しばしばそこには哲 学者に固有のコスモポリタン伊荊榊が見いだされる。哲学者は、武装した同時代人、 宣教師、攻撃的な貿易カルテル、そしてこれら三つのすべてのあいだにある、グレ ーゾーンで同時に暴力的に広められる誇価値に声を与えるのである。主朗近世のヨ ーロッパのコスモポリタニズムの歴史ほど、それが明白な場所はおそらくほかには ないだろう。このことは、東アジアの文明が享受していた、と考えられるかもしれ ない、普遍的虞理の共有に対するヨーロッパの反省に特に表現されていたのである。 I[幕府によるスペイン川島放と、それに続く一六三五年の鎖国令 一六四二年の徳J -70- 初期近世哲学とコスモポリタニズムの逆説 とともに、筆者に関心のある時代の大部分については、日本はヨーロッパ人の想像 力のなかでは、あたかも薄明のなかにあるかのような#濯にとどまっている。近年 の研究が、それに先行する世況の日本と西洋の知識の体系の重要な総合に焦点を当 U 領域であり続けた。中国は、 ててきてはいる曲のとは対照的に、中国は重要な関I ヨーロッパの思相家たちが、真理の普遍的秩序に対してどのような関わりを持たな くてはならないか、を考え、また異なる文化的背景がこの真理を表現しうるさまざ 4 , まな方法を、考える対象であり続けt ここでは、普遍自慢尊皇に閲する、互いに重なり合う二つの反省の努力と、普遍的 真理が、さまざまな地域でさまざまに屈折して表現される方法とを区別することが 助けになるかもしれなv¥ そのような反省の努力のひとつは、実践と価植の支Eオ る領域に関しては、かなり以前から言い古された聞いを考えることであるロつまり、 遠く離れたこの文化の営みは、わたしたちの文化のそれと同じ足場に立つのだろう か、あるいはそれとも、わたしたち自身の文化の、特に優れた詩形式に関してわた したちのバイアスはE当化されるだろうか、と自問することである。原理的には、 ディオゲネスが自分自身を「コスモ・ポリテス」と見なしたとき、かれ泊三否定しよ らとはいえ、この種の反省にはもうひと うとしたのが、この種のパイアスであっT つのタイプがある。それが、おそらく最善誌のしかたで、いち早く表現されているの が 、 r(ここでもベルシアでも火は燃えるように)自然本性は不変であり、どこで も同じカをもっ」と述べる、 『ニコマコス倫理学』 悌 5巻 7章)のアリストテレ スの観察である。自然本性はどこでも同じである、という事実から帰結することは、 世界のさまざまな場所のさまざまな人々が同じことを述べるのは、世界がどのよう に動いているか、を記述し、因果的に説明しようとするときである。そうだとすすも ぱ、そこにあるのは、いささか時代錯誤な言い方にはなるが、 「科学的なコスモポ リタニズム」である。このコスモポリタニズムが主張するのは、これらの異なる説 明が、同じ真理を表現する異なる方法であること、また、それゆえに、自然本性が 園生によって統治されるかぎりは、これらの異なる説明は理性的であることである。 収束することになるのは、 これら二つの反省の努力が自然神学のなかでひとつ10 成日識をもつことができるかどうかという聞いに ある個人ヰ業団が神に関する十分f おいてである。この場合、 「十分な」というのは、救済のために十分という意味で -71- 2 1世記倫理創成研究第 7号 あるが、それは、神の御業の秩序と正しさをただ反省することだけで+分なのか、 あるいは、それとは対照的に、救済には啓示が必要とされているか、という問題で ある。啓示は、明らかにある歴史的瞬間にある特定の文化のなかで生じる。キリス ト教の場合、啓示は、地中海東部のユダヤ人のあいだで生じたと考えられるが、そ れは、インドヰ回目で仏陀の悟りが記録されてから、数世措B 後のことである。他方で は、自然本性に関する反省ならば、しトつでもどこでも起こりうるだろう。 異なる種類のコスモポリタニズムがこうして手を携えて進んで行く、典型的事例 があるが、それは、それぞれの文化が、その頃日識の文献骨悦尉御まなんであるにせよ、 自然の秩序に関する知識そして最糊包に陪神聖な秩序の源泉に関する知識になるこ とができると想定される場合、異なる文化的な諸表現が、その根底にある人間の単 一の自然本性に関する、相対的には重要ではない、パリエーションとなることも同 時に想定される場合なのである。この例が特に明白に現れるのが、中国に対するゴ ットフリート・ライプニッツの二重の関心である。ライプニッツは、第一に、差し 追った現実問題の場面で、いわゆる典礼論争の場合には、祖先崇拝の文化的な営み を、キロスト教の教義の受容と相いれないものではないものとして擁護することに Fペヲル よって、マテオ・リッチのような自由なイエズス会士の側に立った。ライプニッ ツは、第二に、超越的なものと世俗的なものとのの中国的な区別に関する理論的説 明を与え、それが神と倉随の根本的な区別に関する理解があることの十分な誼灘で ある点、さらにそうした区別があれば、現世の神への崇敬と来世の救済にも+分で あることを論じ、最後に、この理解の哲学的人間学的な根拠についても反省したの である。 一六九九年以前の中国からのイエズス会土の報告に対するライプニッツの序文、 31以来、ライプニッツはヨーロッパと中国の対梢牲に いわゆる『最新中国情報H 心を奪われていたのであり、両者をユーラシア大陸の相互に釣り合いを取るふたつ の両極と考えていたのである。 r 最も偉大な文化と人類による最も偉大な技術文明 は、わが大陸の両端である、ヨーロッパと中国に集中している。[中略]中国は、一 種、東のヨーロッパであり、地上のE反対の端を飾るものである Jとライプニッツ は書く。ライプニッツの究艦枕情念では、あらゆる文化が、自然の秩序一一それ -72- 初期近世哲学とコスモポリタニズムの逆説 自身が神の理性の表現ー→こ書き込まれた、永遠の知恵を等しく表現する力を備え ているロしかし、ライプニッツは、多くの同時代の人々と同様に、中国が世界ィの背 文化のなかでは特訓な事例であり、ヨーロッパに匹敵するか、あるいは、それ以上 の技脊尚カャつ政治的に高度な複雑性の段階に達しているものと見なしていた。そし て中国は、ヨーロッパの基準から見た「哲学」と認められるものの支えなしに、そ れを成し遂げたと考えたのである。当時の人々の共通のバイアスでは、中国の人々 ホートマトン は、実のところ賢明な自動装置であるれ中国の梯桝樹台術は、盲目的に発展し たのであり、それらの背後にある、自然や正義の第一原理に関する反省を伴わなか ったのであるロ このようなバイアスは、さまざまな形式を取るが、相瑚近世ヨーロッパの人々が、 士会で暮らすアメリカ先住民メのハーブヰ喋揮の知識 たとえば、在統的な狩淵ー督診M を評価する場合と、根材甘に異なるものではない。その場合、この知識は、いわば 自然そのものの露出したものであり、観胸が本能的に持っている薬の知識 つまり 蹴物語精気のときに、植樹主の薬を見つけ出す能力と本質的には異ならないものと 考えられていたのである。このような土着の人々に対する典型的な言い回しが、 「自然の人々 I 国国加盟,Is J[ 4 1であった。つまり、宇議且りには、自然と区別され ない人々である。しかしながら、中国では自然からの分離は、実践と技術を通して 生じたが、それは、ヨーロッパの人々が、これらの実践ヰ技術がそもそも存在する ためには、それがそれらを基礎づけなければならない、と想定しがちである、抽象 的な諸原理なしに生じたものであると考えられていたのである。 このような一見したところの逆説を説明するために、多様な情じがたい理論が生 じた。一例を挙げれば、イエズス会士であった、アタナシウス・キルヒャー [ 5 ]は 、 中国人が古代の中東に起源をもち、中図書訟の書字の体系がへプライ語の変形である と主張した。キノレヒャーの理論では、中国人は長期にわたり、広く放浪し、最糊告 に形而上学と第一原理に骨する知識とを忘却してしまったのであるが、一度は、か れらの科教倫理学そして尉舗を基礎づけていたのである。ライプニツツは、キ ノレヒャーのようなしか化で自分を曲げる必要はなかっただろうが、それは、ライプ ニッツにはそれを想起すれば、助けとなるものがあったからである。つまり、一切 -73- 2 1世記倫理創成研究第 7号 が絶対的に同ーの理性民秩序の表現であること、また、あらゆる実体がその完足概 念[副のうちに、あらゆる他の実体のあらゆる真理を内包していることを思い出せ ばよかったのである。そのために、ライプニッツにとっては、たとえば、多様な自 然言語を研究することは大いに価値のあることであっT らこの点をライプニッツは 一七O四年の『人間知性新論』で説明している。キリスト教の聖典とともに研究す る必要があるのは、単に中国ヰ柏の古典文明の古代の文献だけではない。文献を持 たないさまざまな文化の諸言語も研究しなくてはならない。なぜなら、理性は語業 そのもの、語源そして文法上の諸形態に埋め込まれているからであると、ライプニ ヲポジトリー ッツは論じるe このように、人間の背文化は、理性の生きた蓄えであり、まっ たく文字通りに世界最大の図書館なのである。したがって、ここから特に帰給する ことは、ライプニッツから見れば、ひとつの文化の営みを理性的なものとして資格 づけるために、その文化に属する構成員自身が、自分の文化に明司甘な理謝。説明 を与えることは必ずしも要求されないことである。 こうした主張は、まさに「微小表動 [ 7 ]の学説を唱える哲学者にわたしたちが 期待することではあるだろう。つまり働j 療象説によれば、あらゆる実体は、たと えたいていは、ぼやけた、すなわち漠然とした、しかたであって、本来の意味で 「知動と呼ぶことができるものを得ることには成功しないとしても、あくまで自 然の秩序全体を表現するのである。しかし、そうだとすれば、中国人の知識の体系 濠象からなる、という見方をライプニッツが取ったということになっ が単なる微4 てしまうだろうが、かれにはそのような一種の見下した意図はないのである。事簡 8 1のころまでにライプニ は、むしろ逆であり、一七一四年の『中国自然神学論H ッツは、少なくとも古代には、世界と独立に存在する超越神に関する知識があった、 と論じる準備があったのであるロライプニッツは次のように書いているロ 中国人が精神的実体を置織していること、あるいは認識していたことは、最初 は疑われるかもしれなし九しかし、この点を十分に考察した後で、私はかれら がそうしたと判断する。おそらく、かれらはこれらの実体を分離した実体、そ してまったく物質を超えた実体としては認識していないとしても、そうなので ある。その場合、被造実体に関しては差し障りがないだろうが、それは、私自 -74- 初期近世哲学とコスモポリタニズムの逆説 身も天使は肉体を有すると想定することに傾いているからであるが、これは古 代の和とたちの見解でもあった。また、理性的な魂は、身体から完全に解放さ れることはない、とも私は考える。しかし、神に関して言えば、中国人のなか には、神に身体を与えるような人々がこれまでもあったが、それは、ギリシア やアジアの古代の哲学者たちがそうしたように、結果として、神を世界霊と見 なし、神に物質[質料]を付け加えることになる。とはいえ、中国の太古の著者 のなかには、まさに「気」、つまり物質の産出に対しては、 「劃、つまり、 第一原理を帰属させるものがあったことを示せば、ゼロから始める必要はない のである。そしてかれらが言おうとしたことを説明するにはこれで十分だろう。 (かくして)その弟子たちに対しては、神が、あらゆる物質を超えた、 「世界 を超越する知酌であることを説明することがより容易になるだろうロ 筆者もまたヨーロッパ中心主義に反対する者の抱く般念を共有してはいるが、か れらは、引用の最初の謝花見てお手上げになってしまう。つまり、ライプニッツ が、この問題に関しては、遠く離れたところにいて、中国語に関しては欄瑚枇日 識しかないのに、自分自身に対しては権威を与え、また、始めから、 「劃は、そ れが、キリスト教の神に「似ている」のではなくて、まさにそれであるために、適 :f、完全に超越的な原理として現れるに違いないと仮定する、と 切に理解さえすす1,1 いう極端な想定をしている点が問題となるのである。しかしながら、この種の舵念 は、今は脇において、それ以外にここで生じていることを見るように努めてみた,,, 9 ]の古い恩恵にある ライプニツツのこうした見解は、キノレヒャーの「古代神学J[ 程度までは共鳴しているものであるが、それは、それS .J上にかなり寛容なやりかた でのことなのである。真理に至るためには、中国語の古代の文献が古代の秘とたち の文献と同じ源泉に由衆するものでなくてはならない、などとライプエッツは想定 しないのである。 実際、ライプニッツにとっては、中国人が神の概念を知らない、あるいは常には 知らないとしても、かれらはそ¢概念を有してしものである。神の概念は、 「劃 から抽出できるが、歴史的にはそれが物体化された「世界霊」に縮減される傾向が c .o この朝協まは、しばしば西洋の歴史においても生じたのである。事実、ライ あっ t -75- 2 1世記倫理創成研究第 7号 プニッツは、 『中国自然神学識』を書いている時噺には、英国の自然神学者、特に ロックとニュートンが、そのよう欄舗をしたとして、かれらをさかんに社倒して いた。中国人は確カ斗こ神を知っている。ニュートンですらそうであるが、かれらは 皆、自分たちがすでに獲得している概念を明噺にするために、ライプニッツの助け を必要とするのである。そしてこれこそが、ライプニッツの和解のための一部助方 法の剖扮なのであるが、ライプニッツの想定では、それにすべての人は同意するし、 不一致が生じるのは、わたしたちが用いる用語を理解する方法が寸分には明噺でな いからに過ぎないのである。もちろん、よく知られているように、ライプエッツは、 「計算しよう」と宣言することで、戦争を防止することができると想定した。それ はあたかも戦争がその深い原因として、信念に関する不一致をつねにもつかのよう に言うのであるロ このように、ライプニッツは、わたしたちが同じ普遍的な瑚生前秩序を共有して いると信じるのであるが、その秩序についてわたしたちが知っていることにはさま ざまな明断さないしは混乱の程度があること、そしてそれゆえにこそ、わたしたち はある一定のしかたで真理を知っていると考えるのである。こうした信念が一緒に なると、それが、ディオゲネス自身が認識したと恩われるタイプのコスモポリタニ ズムを構成する。しかし、ライプニッツは、普遍由旬年理に対するコスモポリタニズ ムの関与を論じる際にすでに筆者が指摘した、緊張も体現している。つまり、わた したちは同ーの真理を共有している、とライプニッツは考えるが、それゆえ、わた したちは世界の他の領域に宣教師剖躍し、かれらを説得し、かれらがすでに暗黙 裏に所有し、意識下では知っている真理を樹言させる必要がある、とも考える。ラ イプニッツは、中国がヨーロッパに倫理問題の宣教師を事同室するべきである、とリ ベラノレに宣言する一方で、中国レ九そして全世界には、キリスト教の宣教が必要市町 正当であることを疑うことはなかったが、それは、い古斗乙行為するかではなく、正 しし滑為を基礎づける背第一原理を教えるためであった。 ライプエッツには、ローマ教皇庁と対立する、イエズス会を支持する傾向があっ , d 育報提供者の多くは、ニコロ・ロンゴノ勺レディのようなイエズ たが、かれm主要t ス会宣教師であっT らしかし、ライプニッツの具体的な目的は、カトリックに対抗 する、プロテスタントの宣教活動を促進することであった。とりわけライプニッツ -76- 初期近世哲学とコスモポリタニズムの逆説 が近い関係にあったのは、ヒヨブ・ノレドノレフのようなハレのリベラノレなプロテスタ ントの東洋学者たち [ 1 0 1であったが、この場合、ライプニッツおよびライプニッツ と意見を同じくする宣教活動の仲間たちが、中囲内柏の非キリスト教文化圏に送ろ うとしたものと、それとは反対にこうした人々が自分たちに送ることを望んでいた ものとを分けることは難しv¥ ライプニッツが『中国自然神学論』を書いたのは、 中国で進行中の宣教活動を正当イ甘するためであるが、ライプニッツの主要な論証は、 宣教師が中国に歯周した時点で、宣教をゼロから始めなくてはならない、と想定す ることが間違っているというものである。逆に、ライプニッツは、それを用いて活 動することができる多くのことがすでに与えられている、と想定する。また、宣教 活動を促進するというライプニッツの関心は、中国人自身が信じている「そこにあ るなにを用いて活動するカサに関する情報をもたらし続けてくれる宣溺獅をもちた いという自分の強い関心に関わるのであり、かれらが信じているものを現実に変え てしまう、という点にはそれほどなかったのである。 実り豊かな双方向性への同じ希望は、ライプニッツの以上の諸活動に対応する、 ロシア帝国内の文献を持たないあらゆる言語の標本を作るという、キャンペーンに o . " このキャンベ も見られる。この標本は「主の祈り J[11]を転写するものであっ t ーンは、キリスト教の核心を初めてシベリアやモンゴルの異教徒の言語に置き換え るという二重の目的に貢献するのに役立つだろうというものであっ t c るしかし、そ れは、ライプニッツ本人には、自分の言語め不断に拡充されるデータベースに加え るべき、新しい言語軸ザータを獲得するものでもあった。このプロジェクトはラ イプニッツのとてつもなく野心的な、 「個物」、つまり、 「個体の科学J の一例に 過ぎない。それは、知識の多様な領域の膨大な量の個別的なデータを蓄積すること であるが、それが可能にするのは、結果として、ある所与の領域の多樹主の範圃の マッピングなのである。そして最糊甘には、そのような科学が多樹生の根底にある、 統一性の説明を可能にするのである。 1 2 1と公衆衛生の統計収 このアプローチの他の明白な事例は、地磁気変動の研究[ 集のような異なる分野にある。しかし、おそらく最も実り豊かなものは、このアプ ローチが科学的な探究の具体的な領域として、比較言語学の基礎で果たした役割で ある。その想定は、どの自然言語も、たとえそれぞれがその個性的なしかたでは、 -77- 2 1世記倫理創成研究第 7号 他の領域よりもある領域では、それほど判明ではないとしても、同ーの理性的秩序 のひとつの表現であるというものである。あるアマゾンの言語は、何らかの薬草の 諸性質の記述については、 日開上学的な意味でも言語的な意味でも)相当程度に 「より明噺Jであるかもしれないが、ラテン語は、とにかく、神の真の自然科生を 表現するための能力についてはより明噺かもしれないのである。しかし、ある所与 の言語が世界についての同じ真理を他の言語のように表現できなし哩由は原理的に . t ¥ r 主の祈り」は、ラテン語でもシベリアの言語でも同様院「主の祈り」な はなl のである。 文化の営みは、自然言語の場合と同じ多くの問題を引き起こし、多樹生の背後に ある統一牲を求めるようにわたしたちを促す。それはまた、何らかの外側の観点か ら、そうした営みを導く信念について判断しようとする試みに対しては、深刻な認 識論土の諸問題も生み出すロそのような問題に気づき、その結果、文化方建揃止する 場合、寛容の原理を働かせる必要にも気づくことが、リベラルなイエズス会士を導 いたものであるように恩われる。ライプニッツは典礼の論争についてはかれらに同 意しt~o ローマ教皇庁から見.tL1:f、カトリックの儀式は、聖ベトロ大聖堂でも中国 でもE確に同じに見えなくてはならない、と宣言することはまったく容易なことで あるが、現地の宣教師は、その地域の現実に合わせる必謝生があることを理解した のである。 これと互いに関連するのだが、キリスト教を採用する方向ではなくて、キリスト 教を拒絶あるいは見かけの上では拒絶する方向で、遠藤周作は一九六六年に、その 小説『沈黙』のなかで、あるポルトガノレ人の宣教師の物語を語っている。この宣教 師は、日本の役人がかれの足の下に置いた、踏み絵を踏むことを決断する。その結 れは引き因されて、火あぶりになる運命を免れるのだ由主、小説のローカノレな 果、かi 文脈では、カれは最糊甘に1 尭神者とは見なされず、むしろキリストに最高のしかた で関わり、キリストを愛するものとなる。儀礼はたぶん無関に多様なのである。振 る舞いの意味も簡単に逆転してしまうことがある。しかし、ロドリゲスが、このよ うな「転び」を通して、変わらずに結びついていると信じたものが、キりスト教の 真理であった。それは、たとえかれの振る舞いが、確実にかれを永遠にかれがその ために働いた地上の制度からは切り離すとしても、そうなのである。 -78- 初期近世哲学とコスモポリタニズムの逆説 これに似た話は人類学刊の在録にたくさんある。デンマークとイヌイットの混血、 クヌート・ヲスムッセン [ 1 3 1は、二O世捕直初頭のグリーンランドのシャーマンたち について物語っている。かれらは、最初の聖体拝領としてセイワチの内臓の部分を 食べることでキリスト教徒になったが、それは、以前はかれらの身分のような男た ら聖書には、セイワチに関する記述が何もないことは明らかで ちには薬忌であっT あるが、キリスト教がセイワチの肉体を通してだけ樹寸くことができた、という事 実は、普遍的秩序(=命令)の拡大のためには、ローカノレな必要に対応することが 不可避であることが示されている。 ロドリゲス神父は、ディオゲネスの力量に見合う、真のコスモポリタンであった、 と考えてもよいかもしれなv¥ ロドリゲスが、ローマ教皇庁に事国皆したま主である 必要がなかったのは、かれが事案キリスト教徒であったからであるし、地上の制 度によって自分が聖職に叙せられ続けられるかどうかは、もはやかれの関心の対象 ではなくなってしまったからである。これこそが「コスモ・ポリテス Jの最も制酔 な事味である。キニク派とキリスト教の違いは、かれらがそれぞれ「コスモス」を 理解する、しかたの違いにあるが、それは、直凝的で自明な行為の指針を与えるの は、自分自身の自然本性であるか、あるいは、神聖な計画に一致するように車U 障さ れ、導力寸もた自然な秩序として自然本性を理解する均九の違いである。しかし、こ れは、同ーの根本的なものへの関わりのなかでは、些細な変異に過ぎないのである。 他方で、これとは対照的に、コスモポリタニズムのたいていの表現は、その起源 の諸状況によって特徴づけられる。したがって、それは筆者が本稿で記述しようと してきた逆説によって特徴づけられる。たとえば、ライプニッツは、自分自身が世 界市民であると考え、わたしたちが事来世界市民であると信じもした。しかし、 ライプニッツは、かれがたまたまそこに生まれた文明が、世界に関する確実な根本 的真理に関する最も明噺な理解を有する、文明のひとつであると見なした。このこ とは、また、他の世界にまで出かけて行き、他国の人々を、これらの真理を享受す るようにおそらく激しく説縛するプロジェクトを正統なものとする。 r 手幼宝ここで はあなたがたに語る。あなたがたが賛成しょうがしまいが、わたしたちは全く同じ ものである。」 この主張には誰でもが同意するわけではないのは、明らかである。そしてこの事 -79- 2 1世 記 倫 理 創 成 研 究 第 7号 実が、適当な修正を施せば、近代のリベラノレな民主主義的な世俗主義の目指す普遍 性に関わる、いぜんとして変わらない問題のひとつとして残っている。それが、国 際的なレベルでの介入のための戦争から、国家内部あるいは地方制臓のレベルで 砂少数派の権利の問題の、すべてに関する論争の核心にあるものである。個人的な 人生哲学としてのコスモポリタニズムは、愛すべきもので、無害なものに見えるが、 それがいったほ陰変革のための力となると、さまざまな困難を生み出す。画柑哲 学者も政治家も、この問題をいまだに解決できていないのである。 【原注1 (1)これについては、たとえば、 2 0 1 3年 7月初日に開催された官四掴闘 G曲 盟 副 J 串a n ' s <luis阻白血町(15 5 C ト1 6 5 0 ) " の会識を参照のこと. 【訳注1 ここで民講演論文の理解の助けとする上で必要な限りで、一般向読者には比脚包囲臨みの 薄い人韓同唱託~についてごく簡単な説朋を付けておく。アリストテレスキライプニッツの典拠 については訳者治鴇足している。 [J]マイケノレ・マン : I 1Y フオノレニア大学ロサンゼノレス枝担金学割噂雄邑歴社会学者として r ; ;ーシャノレ・パワーーー吐陰的な〈カ〉の世界昼史(1)先史からヨーロツハヨ到の形成へ』 9世 和 『白)階層と国民国家の「長い 1 L 上・下)伊駅間T出版、森津樽、君壕直弾約な どの著作で知られるa 同チャーノレズ・テーラー世.~に著名な政治哲学者。へーゲル研究、『自我の源泉~ ( 下川 潔・桜井徹・田中智彦訳、名古屋大学出版会)など、多くの著作曲られる.多文佐噂の主 唱者、また、人権の普遍生と西欧的偏向を巡る議論、非西腕陰における民主主議問問国にも 積幽甘に取り組んでいる。 [ 3 1: W 最新中国情報』肋曲四a 血血 16 四年にラテン語で刊行されたライプエッツが集 めた中園に隣する七点の資料からなり、ライプニッツはその序文を書い丸こ¢溝f 側室多くの w i l i e ) を生み出した左言われる.序文の封獄は、ライプニッツ著 集第 中園熱愛家組曲中,h 10巻『中園学・地質学・普遍学』、工作舎 1 田 1年、山下正男訳 91頁から 1 10J { , -80- 初期近世哲学とコスモポリタニズムの逆説 カニ [ 4 ] r 自然の人々 I 園田加盟l s J この概念は、 16世論日のぞンテーニュの『曜嘘強制の「食 パリスム 人種」に始まり、ノレYーの『人間不平等起語論』とディドロの『ヴ}ガンヴィル帯情昔日補創 そ Lてレヴィ=ストロースの I悲しき需怖,~ r 野生の思考』に至るまでの「高貴な野蛮人Iと 西欧の「自民族中心主義Jj j : 伸l の根底にある表象である。 [副アタナシワス・キノレヒャー 1ω1 年~1従旧名医学やエジプト学な Eの幅広い分野で優 れた業績を残したが、ライプニッツとの関連では中国学とも関連し、特に記寺法の研究で影響 を与えたことが知られている固 [ 副 「主淀糊既告白 完全概念とも言う固ある個傾個人)にこの現実世界で生じるあらゆる出 来事、「その個榊:Q)j苗く時間・空間的な全軌跡」を述語として与えることができると考えられるよ うな概急個体は伝統覇櫨学のうちで尚庇告にならない「劇甚種差包と見なされたが、ライプニ ッツはそのような「このもの他ともいえるものも概逸駒に扱えると考えるa この概念は個々の 個体の完全な概念的定義である。 [ 7 ] r 微小事法<.J p e 包匝 F臨時也盟。 r 無意調胞に附する歴史上最も早い言及のひとつと言わ れる。感覚申撒は一定の闇値を超える以前からそれと気づ村1な川捕で表象されると主張す る。微,崎議l 立、神均年宙全体を見るのと類比的に近誌と将来の重要な全体を担う一方、そこ にひとつの真理の多様な表現を認めるパースベクティグイズムを説みi 泣r ことができる。 r 中国自掃榊学検ln 血 沼 田 8urU 1品自或客寄 118t u r e J J e晶 恕 偽 血 岨 1 7 1 6年に友人である レモン(r モナドロジー』を書くきっかけを与えた人物)に宛てて書渇れた書簡己邦訳はライ 凪~ 0巻『中国学・腫讃学・普遍宅昔、工作舎 1 9 9 1年、山下正男訳 1 5頁から プニッツ著作集第 1 銅民問題の箇所は、霊的実伽こ関するロンゴパルデイの見解に対する反駁として叙述され r ている。当骸箇所は詞駅 1 8J'{,この著作な でライプニッツは、三進法の記法と『畠教1の 踏論と広瀕似な Eも論じている。 思想そしてキリスト教町倉l 白] 1 . r 古 代 紳 学 」 開 園 吐 凶OgJaキリスト教が始まるはるか以前町宗教者ヰ哲学者1tち、た とえば、オjレフェウス教沖ワヲトシ管学のな糾こキリスト教神学に姉むし、そ制改行する聖 なる教説があるとする考九ルネサンスを代表する新プラトレ噌再の哲学者、マルシリオ・フィ ッチーノが唱えた。 [ 1 0 ]ハレのリベラルなプロテスタント町東洋学者たち ハレは古車り嘩陸許ヰ童書備釈で名高 い犬宇都市左して知られる.いわゆる「ライプニッ~=ヴォルフ学汎の啓蒙並鰭学者在し て名高い、ク日スチャン・ヴォルフも 1 723年に孔子を論じた演説「中国人の実践哲学」を行 -81- 2 1世記倫理創成研究第 7号 い 、 「無料論」の嫌疑を受けた。 [ 1 1 ]r 主の祈り JPa 町 N岨 町 キ Pスト教の最も代却枕祈祷丸イエス自身が弟子らに 教えたと新約聖書には記されている。「天にまします我らの父よ願わくはみ名をあがめさせ たまえみ国を来たらせたまえ」で始まり、 「アーメンJ ( 1 8 8 0年のプロテスタント訳)で終 わる。ライプニッツは、世界各地問言語で「主の祈り」が Eのように膏軍配されているかを収集 し、比鍛言語学の素材とした。 [~地撤気変動の研究地獄衡はその大部分が堪鎌内部の電流を原因とする、地球がもっ 磁場である瓜太陽町影響マグマの活動など、さまざまな要因により、場所と時期により変 動している。蝿強績は、蝿姐上の位置情報E精淀、携帯電話のモーションコントロールセンサ ーなどにも手l 閲されるが、変動がどのように生じるかは現在も寸分には解明されていない。 [ 1 : ] 1ラスムツセン 1 8 7 9 1 9 3 3年。グリーランドの極地探検家で「エスキモー学のうむと呼 ばれる.犬ぞり明回航路を初めて布新し、そ¢羽織記を公刊し丸また、イヌイットの文化 や風俗に闘する人類学的著作を出版した.宜鵬年には、そうした記録をもとに、 T be 品 世 田l s o f Kn u d l i 包 岨 幽 担nという映画も公開されている。 【解説I この論文は、ジャスティン・スミス教授(パリ・ディドロ大学)が、 2 0 1 3年 1 1 月1 0日に神戸大学人文学研究科で行った勲賞の原稿を翻訳したものである。スミ ス教授は、 2 0 1 1年に公刊された『神の機械 ライプニッツの生命に関する諸科学』 (プリンストン大学出版局などの著作、論文により、ライプニッツの生物学およ t 贈学についての研究で世鼎甘に知られる。他方で、教授は、本講演で主脚色に論 じられているように、ライプニツツが生きた、ドイツ啓蒙主義の時代の射台哲学に ついても研究を進めている。特に、近年の研究プロジェクトでは、本稿の主題、 「初期近世哲学とコスモポリタニズム」と関連するが、アントン・ワイル目、Jレム・ 0 , 1703-1759駒の再発掘を進めている。 ア モ ー 仏 皿. アモーは、アフリカのガーナ出身の哲学者であり、ハレやイエーナの大学で教 鞭をとったが、その後、アフリカに帰り、そこで没しT ら 4歳ごろアムステノレダム 経由でドイツに連れて来られたとされる。ライプニッツも伺候した、プラクンシュ パイク・ヴォノレプェンヴュッテル家のアントン・ウノレリッヒの養子となり、大学教 -82- 初期近世哲学とコスモポリタニズムの逆説 育を受けた。 r ヨーロッパにおけるムーア人の権利」を論じたほか、 1 J e Hu 園 出 国em 四曲a p a 泊四『人間精神の無感覚について』などの著作で知られる。 昨、新たに注目され その後、ドイツ観念論の時期以除長く酎Lられていたが、 i ている。 本稿は、東西の「コスモポリタニズム」の歴史をたどりながら、立ち入って論 じられることの少ない、較瑚近世哲学について、特にライプニッツの中国文明への 関心を基軸に、科唱え倫理、宗教、関台の領域にまたがる、多様な「コスモポリタ =ズム」に内在する、普遍性要求とその主張古河T われるローカノレな文脈・現実初独 自の緊張関係を浮き彫りにしたものである。スミス教授は、講演の最後で、遠鵡司 作の『沈黙』に登場するロドリゲス神父の決断や、クヌート・ラスムッセンの報告 したグリーンランドのシャーマンたちのキリスト教の受容の歴史にも触れているが、 それらの事例は、現代のグローノ勺L化の総見にあって、さまざまな大権や平等など、 近代固有の「普遍的制耐置と倫劃とその将来を改めて考察する上であるイメージ と構想をわれbれに示唆しているものと言える。 なお、ライプニッツの哲学の全般についてのより詳細な内容は、 『哲学の歴史 責任編集小林道夫中央公論新1':1:)の デカルト革命神・人間・自然』第 5巻 t 「ライプニッツ」の章をご参照いただければ、幸いである。 o 松田毅訳) (パリ・ディドロ大学) -83-