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本文ファイル - 長崎大学 学術研究成果リポジトリ

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本文ファイル - 長崎大学 学術研究成果リポジトリ
NAOSITE: Nagasaki University's Academic Output SITE
Title
ジョン・スタインベックの「菊」について
Author(s)
中村, 正生
Citation
長崎大学教養部紀要. 人文科学篇. 1982, 22(2), p.49-62
Issue Date
1982-02
URL
http://hdl.handle.net/10069/15144
Right
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http://naosite.lb.nagasaki-u.ac.jp
長崎大学教養部紀要(人文科学篇) 第22巻 第2号 49-62 (1982年2月)
ジョン・スタインベックの「菊」について
中村正生
John STEINBECK's "The Chrysanthemums"
MASAO NAKAMURA
I
The Long Valley (1938)は"The Red Pony"を含めて十五の短篇からなっ
ており、かってAndre Gideによって「チェーホフのもっとも感動的な物語に
勝るとも劣らない」と賞賛されたように、優れた短篇集のひとつとして高い評
価を得ているものである。この点に関して、 Robert M. Bentonの意見を参考
までに引用しておこう。
As an example of the mastery of the short-story form, The Long Valley
serves as a model to readers and writers alike. Illustrating variations
in form and style, the stories are masterpieces of objective realism,
characterization, and tone. In addition, effect is often achieved through
simplicity of form, and appropriate uses of understatement are rein-
forced by powerful symbolic associations. What weaknesses appear
in the stories are usually due to Steinbeck's love for dramatic conclusions. For the most part, however, they demonstrate to the reader
the sensitive ear and the perceptive eye of one of the most accomplished prose writers of the twentieth century.15
以上のように、劇的な結末を好む故に、物語に弱点があらわれることがあると
しながらも、 The Long Valleyに収められた諸作品を傑作と認め、作者スタ
インベックを短篇小説作家の名手であり、二十世紀のもっとも熱達した散文作
家のひとりであると評価している。また、彼は"the most important link
between John Steinbeck and his writing is that he was born and came to
maturity in the Salinas Valley"というPeter Liscaの言葉を引用し、さら
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中村正生
に続けて次のように述べている。
The long Salinas Valley was to Steinbeck in a related sense what
Yoknapatawpha County was to William Faulkner. He grew up in it
and knew its people. He returned to it when serious writing became
an obsession as well as a vocation. And he drew from it the memorable scenes, characters, and images which fill The Long Valley.2'
このように、スタインベックの作家としての資質に、彼の生まれ育った「サリ
ーナスの谷間」が加わるとき、そこにスタインベック固有の文学世界が叙情性
豊かに醸成されてくるのである。そして、そのようなものがThe Long Valley
を満たしているのである。なかでもその冒頭を飾るHThe Chrysanthemums"
は、スタインベックの短篇のうちでも、もっとも有名なもののひとつに数えら
れている。
Ray B. West, Jr.は、スタインベックの短篇小説はTortilla Flat (1935)
に見られる「牧歌的で親しみぶかい様式」 3)に支配されていると指摘している
が、 〃The Chrysanthemums"に流れる牧歌的叙情性を見るとき、この作品が、
その意味でも、スタインベックの短篇の本流に位置するものであることが容易
に理解できる。そこには、サ1)-ナス生まれの作家スタインベックならではの
持味が遺憾なく発揮されているのである。以下、この作品について、二・三の
考察を加えてみたい。
Ⅱ
アーネスト・-ミングウェイがA FarewelltoArms (1929)の結末の部分
を17回にわたって書き直したという`伝説'がある。作家がその最後の一行を
書き終えるのに、つまり、ひとつの作品を完結させるのに如何に慎重な考慮を
払うかという、いわば、ひとつの典型的な例と言えるだろう。それと同様に、
そしてそれに劣らず、作家が意識的に神経を集中させるのは、作品の書き出し
についてであろう。それがしばしばその作品の全体のムードを決定し、そのテ
ーマを暗示することになるからである。ところでHThe Chrysanthemums"は
次のように始まっている。
The high grey-flannel fog of winter closed off the Salinas Valley from
the sky and from all the rest of the world. On every side it sat like
ジョン・スタインベックの「菊」について
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a lid on the mountains and made of the great valley a closed pot.
On the broad, level land floor the gang ploughs bit deep and left the
black earth shining like metal where the shares had cut. On the
foot-hill ranches across the Salinas River, the yellow stubble fields
seemed to be bathed in pale cold sunshine, but there was no sunshine
in the valley now in December. The thick willow scrub along the
river flamed with sharp and positive yellow leaves.
It was a time of quiet and of waiting. The air was cold and
tender. A light wind blew up from the south-west so that the farmers
were mildly hopeful of a good rain before long; but fog and rain do
not go together. (1) (斜字体は筆者、以下同様)
季節は冬。濃い灰色の霧がすっぽりとサリーナスの谷間を包みこみ、すべての
他の健界からこの谷間を隔離してしまっている。畑は鋤で深く掘りおこされ、
金属のように光っているその土は黒く、地味の豊かさを思わせる。今は農閑
期。ひんやりとした大気の中で、静かに待機している時期である。南西から吹
く微風に農民たちは、恵みの雨も近いのではないかと心待ちにしている。
このように、十二月のサリーナスの谷間の模様が描き出されている。冬なの
で、当然ながら、 grey, black, pale, yellowと色彩のはなやかさはないが、淡
彩で描かれた一枚の絵画を見る思いがする。しかし、注意深く読み返してみ
ると、この部分が単に冬のサリーナスの情景描写に終わっていないことがわか
る。掘りおこされた黒い土は慈雨を待っている。しかし、上の引用の貴終行に
fog and rain do not go together.とあるように、霧と雨とは両立する
ものではない。つまり、この表現は雨の降る可能性はゼロであることを示噴し
ている。そしてこの雨を待つ黒い土は、豊かな黒い髪(dark hair)をしたエ
ライザ・アレン(Elisa Allen)を象徴していると考えられる。
先に発表した"The Snake"に関する小論4)の中で、ぼくは、その中に登場
する女、まさに蛇の化身かと思われる女が、服装も眼も黒い色で、なかんずく
そのまっすぐに伸びた髪も黒であることを指摘し、その作品において、黒い色
のもつ強烈な効果について書いた。その「黒」に蛇のもつ原始的な生命力が
こもり、その無気味さが読む者の心を震裾とさせるのである。思えばHThe
Murderに出てくるスラヴ系の女Jelkaも、激しい本能を内蔵しているが、そ
の髪も眼もやはり黒い色をしていた。スタインベックはこの「黒」という色に
女のもつ不可解な原始的本能的生命力を象徴しているように思える。そしてこ
中村正生
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のサリーナスの肥沃な「黒い土」に雨は降らないのである。この書き出しの部
分は、子供のない、その意味でも不毛な夫婦関係を暗示している。それは冬の
サリーナスの谷間を描写するだけでなく、上述のように極めて含蓄に富んだ表
現となっており、作者の周到な配慮が感じられる。
ところで、 Tortilla FlatはThe Long Valleyに先立つこと三年、つまり
1935年に出版され、スタインベックの、いわば、出世作となった作品である。
そしてThe Pastures of Heaven (1932)の中に見られる「"長い谷間"に住む
こく普通の人間」 (the ordinary people of his "long valley")5)に対する強い
関心が、この作品には一層深められたかたちで引き継がれているということが
できる。次は同書からの引用である。
‖‥.And
then
I
was
married
to
a
beautiful
girl.
I
do
not
say
that
it
was not because of the chevrons that she married me. But she was
very beautiful and young. Her eyes were bright, she had good white
teeth, and her hair was long and shining. So pretty soon this baby
was born."6'
さて、慈悲深きJesus Maria Corcoranは、ある日、メキシコから逃れてきた
若い兵士を助けてやるO彼は自ら伍長(jcaporaT)だと称するが、奇妙なこと
に、小さな赤ん坊を抱えているDannyの家で仲間たちのあたたかいもてな
しをうけたその兵士は、やがて重い口を開き、自分の身の上について語り始め
る。そして、この引用部分は、上官に奪われてしまって今はメキシコにいると
いう妻について彼が話すところである。 『彼の妻は若くて大変美しい。目もと
が涼しく(bright)、きれいな白い歯をしており、その髪は長くて光っている。
それですぐさま、この赤ん坊が生まれた。』という次第なのである。このよう
にスタインベックは、この作品で、りっぱな「限」と「歯」と「髪」に恵まれ
た女には、すぐさま新しい生命を産み出すたくましい力が備わっていると、こ
の若い兵士のロを借りて語っているのである。それではエライザの生命力は、
具体的にどのように示されているであろうか?蕨初、彼女は次のように描写さ
れる。
She was thirty-five. Her face was lean and strong and her eyes were
as clear as water. Her figure looked blocked and heavy in her gardening costume, a man's black hat pulled low down over her eyes,
clod-hopper shoes, a figured print dress almost completely covered
ジョン・スタインベックの「菊」について
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by a big corduroy apron with four big pockets to hold the snips, the
trowel and scratcher, the seeds and the knife she worked with. She
wore heavy leather gloves to protect her hands while she worked.
She was cutting down the old year s chrysanthemum stalks with
a pair of short and powerful scissors. She looked down towards the
men by the tractor-shed now and then. Her face was eager and
mature and handsome; even her work with the scissors was over-eager,
over-powerful. The chrysanthemum stems seemed too small and easy
for her energy. (1-2)
エライザ・アレンは三十五才。その顔はやせているが、たくましく(strong)、
また、熱意がこもり、成熟していて美しい。そしてその眼は水のように澄んで
いるO菊を努定するその鉄には、あまりにも熟がこもり力が入りすぎて、彼女
のエネルギーの前には、古い菊の茎も小さすぎ、手ごたえがない位である。こ
の彼女のエネルギーは、実は、家の手入れにも行き渡っていて、玄関に敷かれ
た靴ぬぐいもきれいに掃除され、窓ガラスはピカピカに磨かれている。こぎれ
いな白塗りの家のまわりには、窓までとどく赤いゼラニュームがぎっしりと植
えられている。黒い髪に象徴されるェライザの生命力は、まずこんな具合に示
される。なお、この作品には、彼女の歯に対する言及ばないが、ここに「水の
ように澄んでいる」 (as clear as water)と書かれたその眼は、メキシコの若
い兵士の妻の眼と同じ属性を備えている。つまり、この場合、兵士の妻の眼を
表現する`bright'は、エライザの眼の描写に用いられた`as clear as waterと
同義だと考えられるからである。このように、スタインベックは、エライザの
もつその生命力の存在を彼女の黒い髪だけでなく、その美しい眼にも託して表
現しているのである。
しかし、彼女の身なりはとなるとこ庭仕事のためとはいいながら、その生命
力を極度に隠蔽するかたちになっている。まず、男物の帽子を目深にかぶり、
その黒い髪を隠している点である。さらに野良仕事用のどた靴をはき、模様の
ついたサラサ地の服もほとんど見えないほどの大きなエプロンをつけ、手には
分厚い革手袋をはめている。そのため彼女の身体つきは、ずんぐりして重苦し
い感じに見えるのである。このような帽子と服装によって隠蔽された生命力
は、彼女の指先にこもって、菊の栽培へと注ぎこまれているのである。しかる
に、この帽子は、彼女の前に鋳かけ星が現われて菊の話をもち出すまで、決し
て脱がれることはない。そしてその後で、彼女の指は鋳かけ屋のズボンの中の
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脚に向かって伸びていくことになる。それだけに、エライザにとって、鋳かけ
屋の出現がもつ意味は重要であると言わなければならない。
Ⅲ
この作品中で、エライザがその「力強い指」 (her strong fingers) (2)、
「テリアのように敏捷な指」 (her terrier fingers) (2)について語る場面が二
回ある。最初は夫ヘンリーに対してであるO彼女が菊の手入れをしていると、
夫がそばへ寄ってきて声をかける。
`At it again,'he said. `You've got a strong new crop coming.'
Elisa straightened her back and pulled on the gardening glove
again. `Yes. Theyll be strong this coming year.'In her tone and
on her face there was a little smugness.
`Youve got a gift with things,'Henry observed. `Some of those
yellow chrysanthemums you had this year were ten inches across. I
wish youd work out in the orchard and raise some apples that big.
Her eyes sharpened. `Maybe I could do it, too. I've a gift
with things, all right. My mother had it. She could stick anything
in the ground and make it grow. She said it was having planters'
hands that knew how to do it.'
`Well, it sure works with flowers, he said. (2-3)
最初の「またやっているね」 (`At it again,'he said.)という言葉からェラ
イザが今日だけでなく、いつも菊の手入れに精出していることがわかる。ヘン
リーは、彼女が今年咲かせた直径が10インチもあろうかという黄色い菊をはめ
るのだが、すぐそれに続けて「向うの果樹園で、あれくらいの大きさのリンゴ
をならせてくれるといいんだがな」と言う。彼女はそれに応じて、自分の手に
は、どんな木片を地面につきさしても芽を出すことができたという母親ゆずり
の才能が、生まれながらに備わっているのだと説明し、その手を`planters'
hands'と表現する。しかし、ただそれだけのことである。 「とにかく草花に対
してはたしかに効目があるようだな」という彼の言葉でエライザの指に関する
話は打ち切りになる。 -ンリーは仕事熱心とはいえ、彼女の指に備わった力を
リンゴの収穫をあげることと結びつけて考えるだけであって、その指先に何が
こもっているかなど到底わからない。ただしこの時点では、エライザ自身も自
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分の指のもつ才能は知りつつも、その其の意味を承知しているわけではない。
それを本当に知るためには、前述したように、やはり鋳かけ屋の登場を待たな
ければならないのである。とにかく二人の問で交される「指」の話はこれだけ
で終わりである。
ヘンリーは菊畑に姿を現わす前に、食肉会社の連中とかけあって、ほとんど
彼の言い値通りに三十頭の牛を売ることに成功していたので、機嫌よくェライ
ザに外で食事をしようともちかける。
'And I thought, he continued, 'I thought how it's Saturday afternoon, and we might go into Salinas for dinner at a restaurant, and
then to a picture show-to celebrate, you see.'
`Good,'she repeated. `Oh, yes. That will be good.'
Henry put on his joking tone. `Theres fights tonight. Howd
you like to go to the fights?'
`Oh, no,'she said breathlessly. `No, I wouldn't like fights.'
`Just fooling, Elisa. Well go to a movie. Lets see. Its two
now. rm going to take Scotty and bring down those steers from
the hill. It'll take us maybe two hours. We'll go in town about five
and have dinner at the Cominos Hotel. Like that?'
`Of course I'll like it. It's good to eat away from home.'(3)
二人にとって外で食事をし、その後で映画を見るなどということは久し振りの
ことらしい。夫は冗談口調で拳闘を見ようかと誘うが、彼女は「拳闘なんか、ま
っぴらだわ」とつっばねる。これはなんとも楽しげな夫婦の会話ではないか。
どう見てもェライザは、外見上は幸福な農家の主婦である。しかし、彼女の内
面は果たしてどうであろうか?夫ヘンリーが飼育しているのは去勢牛(steers)
である。そしてこれは決して単なる偶然ではない。ぼくには、 -ンリーとこの
去勢牛とが二重写しになって見えるのである。彼にはエライザの豊かな生命力
を抱きとめ、それを花咲かせる能力が欠けている。菊はあくまでも、代替物で
あって、それがいくらりっぱなものでも、彼女は真底満たされることばないの
である。
ところで、へン))-は去勢牛を買いに来た背広姿の男たちといっしょにトラ
クター置場のそばに立ち、それぞれ小型フォ-ドの横腹に足をかけていた。一
方、爵かけ屋は馬とロバにひかせた奇妙な幌馬車に乗り、古びた車輪をギイギ
イいわせながら、この霧深い谷間に出現する。両者の作品への登場は、このよ
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うに明確な対照をなしている。このことに関連して、さらに第Ⅴ葦で述べるこ
とになるが、老いぼれ馬と小さなロバには、もとより自動車の力はない。しか
し、彼らには熱い血が流れている。生きているのだ。鋳かけ屋は、大きな男で
不精ひげを生やしている。その着ふるしたしわだらけの黒い服には、あぶらの
しみが点々とついている。乗っている馬車もポロなら、着ている物もこんな有
様である。しかしその男は「眼は暗い色をしており、荷馬車ひきや船乗りの眼
にうかぶ考え深い表情に満ちていた。 」のである。彼には背広やフォードから
は思いもつかぬ野性味が溢れており、聞けば片道に半年かけて、シアトルとサ
ン・ディェゴの問を毎年往復しているという。エライザにとっては、この谷間
からは想像もつかぬ未知の世界をこの男の表情に垣間見たのである。
鋳かけ屋は鍋の修理や鉄、庖丁とぎなどの仕事はないかと申し出るが、エラ
イザにあっけなく断わられてしまう。それでも二度三度とあの手この手で口説
きにかかるが、彼女はその都度、きっぱりと断わってしまう。 (`I'm sorry,'
Elisa said irritably, `I haven't anything for you to do.') (6)鋳かけ星もし
つこいが、そのしつこさに負けぬエライザもたくましい。ところが菊の話をも
ち出されると途端に、この彼女の様子が変ってくる。万策つきたかに見えたこ
の男が、彼女の菊畑を見て、 「奥さん、その草花は何ですか?」ときく。この
ひとことが節目となって、彼女の顔からいら立たしさと抵抗の色が消えてしま
ったのである。
The irritation and resistance melted from Elisa's face. `Oh, those
are chrysanthemums, giant whites and yellows. I raise them every
year, bigger than anybody around here.'
`Kind of long-stemmed flower? Looks like a quick puff of coloured smoke?'he asked.
`Thats it. What a nice way to describe them.
`They smell kind of nasty till you get used to them,'he said.
`Its a good bitter smell, she retorted, `not nasty at all.'
He changed his tone quickly. `I like the smell myself.'
`I had ten-inch blooms this year,'she said. ( 6 )
鋳かけ屋は、エライザの変化をいちはやく察知して、上の引用文に見られるよ
うに、菜の花を言葉たくみに形容したり、その匂いも敢初はいやと言っておき
ながら、彼女がいい香りだというと、あわてて言葉の調子を変え、自分もあの
ジョン・スタインベックの「菊」について
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匂いが好きなのだと平然と言ってのける。後は詩かけ屋の思い通りである。彼
女の自尊心をくすぐりつつ、どこまでも菊で押し通す。そして知り合いの婦人
に『どこかで立派な菊をめつけたら、種子をすこしもらってきておくれ』とた
のまれたのだと話す。このとき、この婦人の銅底の洗濯だらいの修理を、それ
はむずかしい仕事なのだが、上手にやってのけたという`宣伝'を抜け目なく
さしはさむことを忘れない。そこにこの男の本音が露呈しているのだが、今の
エライザにはそれは見えない。そして、このとき彼女はこれまでかぶっていた
男物の帽子をかなぐりすてるようにぬぎ、その「黒い髪」を露にする。その
「指」を被っていた「手袋のことなど、もう忘れてしまって」素手で砂土を掘
り、それを植木鉢にすくいこむのである。彼女の生命力は、今その充足を求め
て解き放たれようとしている。
Ⅳ
さて、エライザは再び自分の「指」について、今度は鋳かけ星に語ることに
蝣j&*
`Did you ever hear of planting hands?
`Can't say I have, ma'am.'
`Well, I can only tell you what it feels like. It's when youre
picking off the buds you don't want. Everything goes right down
into your fingertips. You watch your fingers work. They do it
themselves. You can feel how it is. They pick and pick the buds.
They never make a mistake. Theyre with the plant. Do you see?
Your fingers and the plant. You can feel that, right up your arm.
They know. They never make a mistake. You can feel it. When
you're like that you can't do anything wrong. Do you see that? Can
you understand that?'( 8)
夫ヘンリーに対する「指」の説明は核心にまで至らなかった。それは彼の関心
が、大輪の菊よりもリンゴの収穫の方にあることを彼女は知っていたからであ
る。今、この鋳かけ屋を前にして、彼女は一気にその「指」について語る。夫
に対しては一度も使わなかった「指」 (fingertips, fingers)という言葉が、こ
こでは繰り返し用いられる。不要の菅を指先が、ひとりでにどんどんつんでい
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く。指先と植物が溶けあうのだと彼女は言う。そこに理性は介在せず、指はた
だ彼女の原始的生命力の導くままに動くのである。「わかる?お前さんに理解で
きるかしら?」と重ねて問うェライザに、男は「わしにもわかるような気がし
ますだよ」と答える。そのとき、彼女の問いかけは、その男によって受けとめ
られ、これまで夫との問には、ついぞ味わうことのなかった感覚的充足を彼女
は経験する。地面にひざまづいたまま、彼女の手は男のズボンの中の脚に向か
って伸びていく。彼女の生命力は、ついにその「指」から彼へと通じるかに見
えた。しかし、その「指」は男にさわることなく地面に落ちてしまう。彼女自
身がこめられた菊の若芽は植木鉢に移植され、例の奇妙な荷馬車に乗って遠ざ
かっていく。これを見送りながら、彼女は「あれは明るい方向だ。あそこには
輝きがある」とつぶやく。このときの彼女は、もう以前のエライザではない。
鋳かけ星の出現によって、彼女は変ったのである。
Elisa turned and ran hurriedly into the house.
In the kitchen she reached behind the stove and felt the water
tank. It was full of hot water from the noonday cooking. In the
bathroom she tore off her soiled clothes and flung them into the corner. And then she scrubbed herself with a little block of pumice,
legs and thighs, loins and chest and arms, until her skin was scratched
and red. When she had dried herself she stood in front of a mirror
in her bedroom and looked at her body. She tightened her stomach
and threw out her chest. She turned and looked over her shoulder
at her back.
After a while she began to dress, slowly. She put on her newest
underclothing and her nicest stockings and the dress which was the
symbol of her prettiness. She worked carefully on her hair, pencilled
her eyebrows and rouged her lips. (10)
エライザは変った。浴室に入ると、これまで彼女の生命力を隠蔽していた野艮
着をひきちぎるように脱ぐと、軽石で全身を赤くなるまでこすりあげ、拭き終わ
ると、層室の鏡の前に立って自分の裸身を入念に眺める。それから、肌着、靴
下、ドレスと一張羅のものを着こんで美しく装う。化粧もていねいに行なう。
この引用箇所はエライザの変貌を見事に伝えている。 -ンリーは、妻の美しい
変貌ぶりをしげしげと眺め、 「おや、エライザ、きみはなんてすばらしく見え
るんだ! 」 (`Why-why, Elisa. You look so nice!') (ll)と感嘆の言葉を発す
ジョン・スタインベックの「菊」について
59
る。妻に「すばらしい」 (nice)の意味を問いかえされて、彼はまごつきなが
ら「さあ、なんと言っていいかな。きみが、ちがった人間のように、たくまし
くて、幸福そうに見える、つて意味さ」 (`I don't know. I mean you look
different, strong and happy.') (ll)と答える。彼にも妻が外面的に変ったこ
とだけは、確かにわかっている。しかし、その内面の変化を理解することはで
きない。鋳かけ屋の出現により、エライザは自己に内在し、その「指」にこめ
られた生命力を初めて明確に意識したのである。それは、次のような言葉とな
って、誇らしく語られるのである。
'Im strong,'she boasted. 'I never knew before how strong.'(ll)
この作品の冒頭部で、彼女を外から描写するのに用いられた`strong'が、今、
彼女自身のロから述べられている。しかし、やがて鋳かけ屋の`本心'を知る
に及んで、老婆みたいに「弱々しく」 (weakly)泣くという皮肉な結末を迎え
ることになる。善良で働き者の夫ヘンリーとの生活は、これまで通り平和に進
行するであろうが、二人の生活は決して交わることのない永遠の平行線を思わ
せる。
このようにスタインベックは、彼の熟知したサリーナスを舞台に、その土地
に生きる人物を登場させ、叙情的にしかも適度の抑制をきかせながら、女の内
面に眠る生命力が外に向かって如何に花開こうとするのか、そして、平凡で幸
福そうに見える夫婦間の微妙な断絶を巧みな構成と筆力とによって、描いてみ
せたのである。この中に見られる夫ヘンリーの純朴さ、妻エライザによって示
される女の原始的生命力は、スタインベック文学の根底にあって、その魅力の
大きな源泉になっていると考えられる。
V
Elisa Allen, working in her flower garden, looked down across
the yard and saw Henry, her husband, talking to two men in business
suits. The three of them stood by the tractor shed, each man with
one foot on the side of the little Fordson. They smoked cigarettes
and studied the maphine as they talked, (a)
Elisa u!atched them for a moment and then went back to her
work, (b)
60
中村正生
She looked down towards the men by the tractor-shed now and then, (c)
Ehsa cast another glance towards the tractor shed. The strangers
were getting into their Ford coupe, (d)
Ehsa started at the sound of her husband's voice. (ト2)
以上は、エライザ・アレンがこの作品に初めて登場する場面である。花畑で仕
事をしている彼女が、中庭越しに最初に目撃するのは、夫ヘンリーと背広姿の
二人の男たちである。彼らはいずれも「トラクター置場」のそばに立ってい
る。(a)彼女も彼らをじっくりと眺めているわけではなく、その眼はすぐに畑
仕事にかえる。(b)それから、たくましく鉄を使いながら、時々「トラクター
置場」のそばにいる男たちを見る。(C)次に彼女が「トラクター置場」の方を
ちらりと見ると、その見知らぬ男たちはフォードのクーペに乗りこもうとして
いるところであった。(d)このように彼女は、野良仕事をやりながら、数回に
わたって男たちの方を見るが、彼らに対して特に関心をもっているわけではな
い。今、彼女の意識のほとんどすべてを占めているのは菊である。それは引用
例の最後の一文を見ればわかるように、夫の声を聞くまでは、彼がそばに来て
いることにすら彼女は気づかないのであるから。では何故、何度も彼女は男た
ちの方を見るのであろうか?それには作者の細かい計算が働いているように思
われる。男たちは、その都度、 `by the tractor shed'という修飾句につきまと
われていることに注意せねばならない。しかるに(d)では、彼らよりもさき
に「トラクター置場」の方に彼女の視線が向けられている。彼女の眼には、男
たちもトラクターも同じである。おまけに、夫と背広姿の男たちの間に交され
ているのは、 「去勢牛」売買の話なのである。自動車は機械文明を代表する。
それはまた、トラクターという形で農村とかかわりをもつ。機械文明は農民を
助けはするが、その反面、土地と人間との関係を疎にする。去勢牛は雄の機能
を文字通り抜きとられた肉のかたまりであって、人間にとっては役に立つが、
新しい生命を生み出す力はない。その点で、鉄のかたまりであるトラクターと
共通しているO作者は、作品の冒頭部で、エライザの眼を通して、夫へンT)をトラクターや去勢牛と結びつけ、サリーナスの大地になぞらえた彼女とは対
照的に、彼における生命力の欠如を印象づけようとしているのである。ここま
では、単にIooked, saw, watched, looked, cast another glanceと書かれたに
すぎないエライザの眼が、 `planters'hands'の説明をするときには、 「彼女の
ジョン・スタインベックの「菊」について
61
眼が鋭くなった。 」 (Her eyes sharpened.) (3)と、そこににわかに表情があ
らわれてくる。そして、やがて鋳かけ屋が姿を現わすと、その眼は、一層豊か
な表情で、エライザの心の動きを伝える。以下に彼女の眼の動きに関する表現
を抜き出してみよう。
Elisa saw that he was a very big man. (5)
`Oh, no,'she said quickly. `Nothing like that.'Her eyes hardened
with resistance. (5)
Elisa's eyes grew alert and eager. 'She couldn't have known much
about chrysanthemums. (7)
`Beautiful,'she said. `Oh, beautiful.'Her eyes shone. She tore off
the battered hat and shook out her dark pretty hair. (7)
`It's the budding that takes the most care,'she said hesitantly. `I
don't know how to tell you.'She looked deep into his eyes, searchingly.(8)
She was kneeling on the ground looking up at him. Her breast swelled
passionately. (8)
Elisa stood in front of her wire fence watching the slow progress of
the caravan. Her shoulders were straight, her head thrown back, her
eyes half-closed, so that the scene came vaguely into them.... She
shook herself free and looked about to see whether anyone had been
listening. (10)
When she had dried herself she stood in front of a mirror in her
bedroom and looked at her body. She tightened her stomach and threw
out her chest. She turned and looked over her shoulder at her back.
(10)
Far ahead on the road Ehsa saw a dark speck. She knew. She tried
not to look as they passed it, but her eyes would not obey.
The roadster turned a bend and she saw the caravan ahead. She
swung full around towards her husband so she could not see the little
covered w呼on and the mis-matched team as the car passed them.
中村正生
62
In a moment it was over. The thing was done. She did not
look back. (12)
鋳かけ屋の出現から、物語の結末に至るまでのエライザの眼に関する表現を抜
き書きすると以上のようになる。かって、ヘミングウェイの"IndianCamp"香
読んだとき、作品全体に占める会話の多さ、及びその会話の巧みさに日を見張
ったことがある。極端な言い方になるかもしれないが、 ‖Indian Camp"から
一切の地の文を省き、跳び石のように会話の部分だけを読み進んでも、この作
品の内容とムードはほぼまちがいなく把握できるのではないかと思われた。
今、スタインベックの"The Chrysanthemums"の中にエライザの眼の動きを
追跡するうちに、ぼくは"Indian Camp"を読んだときと似たような感慨にと
らわれている。上の引用文について順を追って説明を加えることは、この場
合、この作品の梗概を述べることに通じている。つまり、彼女の眼の動き、そ
の変化を追うだけで、 "The Chrysanthemums"のプロットの展開が理解され、
鋳かけ屋によってついに顕在化するが、やがて潰えていく、たくましいがはか
ないェライザの生命力の変遷を見ることができるからである。古来、 `Eyes
are as eloquent as lips.'と言われているが、この作品を読む限りにおいて、
その感を一層深くしている。
註
◎テキストはJohn Stもinbeck, The Long Valley (London: Heinemann, 1970)
を使用した。従って引用文の後の括弧内に記入された数字は、すべてこのテキス
トのページを示している。なお、本文にそう大した引用文の訳は大久保康雄訳
『スタインベック短篇集』 (新潮社)のものを借用した。
1) Tetsumaro Hayashi, ed. A Study Guide to Steinbeck (New Jersey: The
Scarecrow Press, Inc., 1974), pp. 70-71.
2) Ibid., p. 69.
3)レイ・B.ウェストJr.著龍口直太郎・大橋吉之輔訳『アメリカの短篇小
説』 p-73. (評論社)
4)中村正生「ジョン・スタインベックの「蛇」について」長崎大学教養部紀要人
文科学篇第21巻第2号1981
5) Peter Lisca, The Wide World of John Steinbeck (New Jersey: Rutgers
University Press, 1958), p. 71.
6) John Steinbeck, The Short Novels of John Steinbeck (New York: The
Viking Press, 1953), p. 76.
(昭和56年10月31日受理)
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