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『ボヴァリー夫人』におけるフェリシテ像の成立 - Kyushu University Library

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『ボヴァリー夫人』におけるフェリシテ像の成立 - Kyushu University Library
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『ボヴァリー夫人』におけるフェリシテ像の成立
大 橋 絵 理
19 世紀の小説では,しばしば家政婦が重要な役割をもつ。バルザックは『ウ
ジェニー・グランデ』のなかで孤独な女主人公に最後まで付き添う女中ナノン
を描き,ゾラは『ナナ』に落魄した主人を見捨てる小間使いのゾエを登場させ
た 1)。ゴンクール兄弟もまた然り。『ジェルミニー・ラセルトゥ』において,情
を交わす男たちに次々と翻弄される不幸な女中の一生を物語っている。このよ
うな女中たちはとりわけ副次的人物として,主人公の腹心となり忠誠をつくす, あるいは裏切り者となって敵と内通するなどし,主人の欲望や偽善性を露呈さ
せる役目によって物語の筋にヴァリエーションをもたらす。
フローベールもまた様々なタイプの女中を描いているが,本稿でとりあげる
のは『ボヴァリー夫人』に登場するフェリシテである 2)。彼女の名前そのもの
についていえば当時の一般的な部類に入り,さして珍しくもないものの,フラ
ンソワーズ・ガイヤールが,主人公エンマによる「至福 félicité」の希求を加味
するなら小間使いの名には彼女との緊密な繋がりが仮託されていると指摘して
いるだけに 3),小間使いの人物造型を踏まえた命名であると推測される。本稿
では,
『ボヴァリー夫人』の草稿に生成するフェリシテ像を考察しながら 4),主
人公との関係において彼女が担う役割の諸相を明らかにしたい。
*
まずフェリシテの設定を物語展開との関連から見ておこう。草稿中,最初に
彼女の名が見出せるのは「プランとシナリオ」の f o 43 である 5)。エンマがシャ
ルルと結婚したとき,すでにボヴァリー家にはナスタジーという女中がいた。
だがエンマはヴォビエサールでの華やかな舞踏会を経験するや,老女ナスタ
ジーを解雇し,新たに若い家政婦を雇う。それがフェリシテであり,交替の筋
228
書きは f o 43 から最終稿まで変わらない。彼女が第 1 部の最終章で配された理由
は,もちろん主人公の心境の変化と関係づけて考える必要があろう。退屈な日
常に対するエンマの不満が顕在化するのはヴォビエサールの舞踏会であり,鬱
憤が肥大したあげく,彼女を破滅へと導く情事が第 2 部で始まる。フェリシテ
の登場は,かかる展開と軌を一にしているのである。
さらに「プランとシナリオ」f o 43 には,フェリシテにかんする次の記述が
しつ
ある──「フェリシテ──彼女を躾けようとする──馬丁との恋愛を夢見る」。
彼女の「躾け」がどのように描かれるのかを草稿に辿るならば,まず vol. 1,
f o 266 vo と f o 257 で初めて具体的な描写が現れる。F o 266 vo のほうは最終稿と
同様の描写だが,f o 257 では下働きの女中という側面が強調されている──
<[cir]> frottait[elle-même[= Félicité]]l’escalier <du ht en bas>, cirait le bois
des chaises <<écurait le marteau de la porte>> [et le soir enfin][accablée de
fatigue][elle s’endormait épuisée, mais étourdie de remontrances, <[toute]
>
[ahurie, en sueur]—[Mais]elle obéissait <se[illis]soumettant à tout> comme
une [esclave]. <[sans murmure] esclave> [elle ne savait] de peur d’être renvoyée <pr n’être point>(vol. 1, f o 257)
上記の描写を特徴づけるのは,エンマが 14 歳のフェリシテに課す過酷な労働
と,それに対する後者の疲労および解雇への怯えである。とくに「奴隷のよう
に」という言葉は,フェリシテがエンマに隷属している様を端的に示すが,こ
のような主従関係は,
「地方風俗」という副題をもつ『ボヴァリー夫人』にいか
にもふさわしい 19 世紀の典型的な社会風俗だったはずである。
しかしながらフローベールは,草稿 vol. 2,f o 8 vo において階段掃除や椅子の
ワックスがけ等を削除し,最終稿には上流家庭風の躾けだけを残す──
エンマは顔立ちの優しい 14 歳になる孤児の娘を雇い入れた。エンマはこの娘に木綿頭
巾を禁じ,
「旦那様,奥様」と呼びかけること,水の入ったコップは皿に乗せて持って
くること,入る前に戸をノックすること,そのほかアイロンのかけかた,糊のつけか
た,衣装の着せ方を教え込んで,自分の小間使いに仕立てようとした。新参の女中は
暇を出されないように,言うことをよく聞いた。 6)
ここでフェリシテはもう「奴隷のよう」ではなく,
「叱責され頭がぼんやり」す
229
ることもない。これらの細部を無くすことでフローベールは,フェリシテを奥
様付の下女という,エンマにとっていっそう身近な存在へと変え,後者の〈上
流〉幻想を強調したと考えられよう。
次に我々が注目するのはフェリシテと異性との関係である。
「プランとシナリ
オ」f o 43 では,馬丁との恋愛を夢見る彼女の姿が描かれていたが,しかし「夢
見る rêver」という動詞はやがて消去され,vol. 1,f o 257 から f o 247 vo までの
草稿では異性との会話に彼女の胸がときめくこともない。
「時々気晴らしのため
に彼女は御者たちとおしゃべりしに表に出かけて行った」とあるように,男た
ちとの会話は息抜きに変わり,最終稿では「時々御者たちとおしゃべりしに表
に出かけて行った」 7)と,単なる生活習慣に変わる。これらの修正に読みとれ
るのは,作家が小間使いの性格を初心な生娘から男慣れした娘へと変更したこ
とであろう。
フェリシテはその後ヨンヴィルで恋人をもつ設定になっており,最終稿では
彼女と情夫との交際が 2 度にわたり描かれている。まず第 2 部・第 12 章で描か
れる最初の男との関係は,
「プランとシナリオ」には見られず,初期の草稿にお
いて素描された。老ボヴァリー夫人がふたりの情事を話題にするが,vol. 4, f o 131 vo では具体的な描写はなく,老婦人が「絶えず使用人を監視しなくては
いけない」とエンマに注意するだけである。F o 131 において初めて「抱きしめ
て embrassant」と「キスをして donner un baisier」という言葉が加えられ, フ ェ リ シ テ が 台 所 で 男 性 と 抱 き 合 う 様 が 前 景 化 さ れ る。 さ ら に f o 133 や
f o 227 vo でも « embrassant la cuisinière » と書かれるが,最終稿では「ボヴァ
リー老夫人はその前の晩,廊下を横切ろうとする時に,フェリシテが一人の男
と一緒にいるのを見つけた」 8)となり,直接的な性描写は削除されてしまう。
興味深いことにフローベールは,老ボヴァリー夫人による非難を聞いたエン
マの反応をめぐり,f o 131 の時点で,
「エンマは注意を払わなかった」と「笑い
だした」という 2 つの表現の間で逡巡している。最終稿では後者が選択される
ことから,作家はフェリシテの恋よりもエンマの態度のほうに主眼を置くに
至ったと考えられるが,おそらくこの選択はフェリシテの逢引が発覚する時期
を,vol. 4,f o 131 vo 以降,エンマとロドルフの情事の直後に配置したことに関
連していよう。情交の折りにエンマが「私はあなたの召使です!」
(vol. 4, f o 128) 9)と叫ぶことを踏まえれば,彼女の笑いは,フェリシテの行為に自らの
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それを重ね合わせた結果と解釈でき,一連の修正によってフローベールは義母
のブルジョワ的道徳観に対するエンマの反抗心を明確にしたといえるだろう。
第 2 部・第 14 章に置かれたフェリシテの 2 度目の恋もまた「プランとシナリ
オ」にはなく,草稿の段階で書き足されている。Vol. 4,f o 247 と f o 262 vo では
逢引に向かうフェリシテにエンマが一言「幸せにね」と声をかけるだけだった
のに対して,f o 243 以降では事情を察したエンマの発する「幸せにね」という
励ましに「少なくとも彼はあなたを好きなの?」という台詞が付け加えられる。
これにより,恋人に裏切られた主人公が小間使いに親近感を抱く心理が加えら
れ,同時に彼女が愛される悦びに目覚めたことが示唆されるわけだが,とはい
えフローベールが f o 258 vo の行間に「あなたは彼を好きなの?」という異文を
加筆し,
「幸せにね」の下には,快楽へと誘う「楽しみなさい」という言葉を記
すことから,同草稿には作家の迷いが看取できる。その後,f o 241 では「幸せ
にね」は抹消され,
「あなたは彼を好きなの?楽しみなさい」という文に改めら
れて,最終稿は次の形におさまる──「彼女は〈あなたは彼を好きなの?〉と
突然いった。真っ赤になったフェリシテが返答するのも待たないでエンマは寂
しそうにつけたした。〈さあはやく行きなさい! 楽しんでね!〉」 10)。
おそらくフローベールはエンマの台詞の修正を彼女の恋愛観の変化に適合す
るかたちで行った。フェリシテの 2 度目の恋は,草稿ではエンマの 2 つの情事
の狭間に挿入されている。最初の恋においてエンマが問題にするのは,相手が
自分を愛しているかどうかであった。この設定は vol. 4,f o 133 vo から最終稿ま
で変わらず,ロドルフとの逢引は「〈あなたは私を愛しているの〉という決まり
文句」 11)で終わる。これとは反対にレオンとの恋愛では,vol. 6,f o 55 vo から
最終稿まで「〈私はレオンを愛している〉と彼女は心に言った」 12)という文が繰
り返されているように,自分が相手を愛しているか否かをエンマが問う設定に
なっている。以上を踏まえれば,フローベールは最終稿においてフェリシテへ
の問いかけを「あなたは彼を好きなの?」とすることで,エンマとレオンの恋
の有り様を予示したと考えることができよう。
もっとも,エンマとフェリシテとの関わりは,恋愛という主題だけにとどま
らない。両者が緊密に結びつくのはエンマの破産のときであり,彼女が金策す
る際の唯一の相談相手がフェリシテなのである(vol. 6,f o 130 vo で後者は破産
宣告の伝達者として登場する)──
231
— Madame <Madame cria Félicité en entrant> c’est une abomination. il y <en>
a une [autre] à la Mairie, et une quatrième contre l’église ». [Emma] / Elle se
jeta dessus. C’était l’annonce de la[vente]. <la vente de> <par autorité de justice> [Saisie] <Alors> Elle fit plusieurs <tours> [de]/dans chambre, vivement,
en pas <rapidement[sans]ne parlant>, haletant, les narrines écartées. —[sans
rien dire]<fureur> <& pleine d’une muette>
フェリシテから動産売り立ての告知を伝えられたエンマは,動揺して寝室の中
を無言で歩き回る。F o 132 vo では,冷静になろうと頭を手で抱えたり,香水を
こめかみにつけたりといった身体動作の描写によってエンマの苦悩がいっそう
強調される。この部分に続いて彼女たちは見つめ合うのだが,作家は推敲を重
ねる過程で両者の結託を示す表現を書き加えていく──
elles se regardèrent. <la domestique savait tout> elles n’avaient <de l’une à
l’autre> rien à cacher.[elles connaissaient leur secrets réciproquement. Emma ne
lui faisait pas de confidence, mais ne lui cachait rien]
. <et sa maîtresse la tenait
également par la connaissance de ses petites> <infamies>
エンマは半ば信用できぬままフェリシテに秘密を委ね 13),後者は恋人からの入
れ知恵で,女主人に気があるギョーマン氏を訪ねるように勧める 14)。つまり彼
女たちの間に,色気に訴えて借金するほかに打つ手がないという暗黙の了解が
成立するのである。
最終稿ではエンマの苦悩を示す表現が省かれ,焦点はエンマとフェリシテの
関係のみに絞られる──
女中はかわいそうにすっかり興奮して,いま戸口から引きむしってきた一枚の黄色
い紙を差し出した。エンマはチラと見て,自分の動産全部が売立てになることを一目
で読んだ。
ふたりは黙って顔を見合わせた。女中も奥様もお互いになんの秘密もない仲であっ
た。ようやくフェリシテはため息をついて,
「私ならギョーマンさんのところへ参るの
でございますがねえ」。
「お前そう思う?」
その問いはこういう意味であった。
「お前は下男と心やすくしてあの家をよく知っているが,あそこの旦那さんはときお
り私の噂をしただろうか?」
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「ええ,行ってごらんなさいまし,悪いことは申しません」 15)
エンマは f o 130 vo でのように動産売立ての紙をひったくったりはせずに一目で
読むだけで,むしろフェリシテの方がエンマにかわって興奮を露わにする。ま
た,f o 132 vo に記されていた小間使いに対する女主人の不信感が消去され,い
まや彼女らは互いに信頼し合っているように見える。換言するならば,明らか
に最終稿でふたりの親近性・親和性が増しているのだ。
また,フェリシテが交際するギョーマン家の下男の役割も見逃せない。Vol. 6
の f o 129 vo,f o 131 vo,f o 168 vo,f o 173 vo において,彼がエンマを同家へ導き
入れる際,その様子は初対面にもかかわらず,必ず「なれなれしげに」
「知人の
ように」と形容されていることから,草稿の段階ですでに下僕が彼女たちの企
てを察知する者として設定されていたと考えられよう。さらに最終稿では男の
態度は次のように描かれる──「呼び鈴の音で,赤チョッキを着たテオドール
が玄関先の石段に現れた。そして,なれなれしげにエンマにドアを開け,知人
のように食堂のなかへ案内した」 16)。
しかも下男の名テオドールは,フェリシテのそれと同様に,フローベールの
作品構想において重要な意味を持っている。彼の名前は草稿から最終稿まで不
変だが,じつは「プランとシナリオ」の初期段階では,テオドールと名付けら
れた別の人物がいたのである──
<テオドール>[ロドルフ]・ブランジェ 35 歳。経験豊富な男性〔…〕
彼女はテオドールが彼女に対して感じたことをレオポルドに対して感じる
彼女はもう彼を愛していない 彼を利用した──経済状態の崩壊が増していく〔増大〕
テオドールとの 2 度目の別れ──〔彼女〕失望──もうなにもない
(「プランとシナリオ」f o 3 vo)
作家はテオドールという名をいったんロドルフと書き換えたにもかかわらず, 以後もこの名を使い続けている。ちなみに同じプランではエンマが金銭的援助
を懇願する相手はテオドール=ロドルフだけであり,彼の拒絶によりエンマは
絶望することになっており,さらに「プランとシナリオ」f o 11 にも「<テオ
ドール>[ロドルフ]」の記述は,エンマの交際相手の名として 2 度あらわれる。
フローベールが作中人物の名を重視していたのは周知であり。たとえば『感
233
情教育』を執筆中,友人がノジャンにはモロー家が実在するので主人公の名前
を変えるよう勧めると,作家は次のように反論している──
非常に恩知らずな振る舞いですが,私の小説の主人公の名を変えたらという忠告に従
うことができないのをご容赦下さい。
〔…〕もうあとに戻る時間はありません。小説の
なかで固有名詞は,きわめて重要なもの,主要なものなのです。名前を変えるのは皮
膚の色を変えるよりも難しい。黒人を白くしたいといったものです。 17)
フローベールの主張を勘案すると,フェリシテとエンマのそれぞれの交際相手
の間には潜在的な共通点があるように思える。最終稿でエンマが借金を申し込
む最初の相手はギョーマン氏,最後の相手はロドルフである。だが,草稿では
エンマがギョーマン氏を訪ねるのはテオドールがフェリシテを唆したからであ
り,彼がエンマをギョーマン氏のもとへ案内するという設定になっている。す
ると,テオドール=ロドルフにはエンマを自殺へと導く役目が一貫して割り振
られていると解釈できよう。エンマが絶望の果てに命を絶つのは,
「プランとシ
ナリオ」f o 3 vo や f o 11 では彼女による借金の無心をテオドール=ロドルフが拒
絶したことが原因だった。したがって作家は構想の初期段階から最終稿にいた
るまで,テオドールという名の人物に,エンマの運命を左右する役割を与えて
いたと考えられるのだ。
フェリシテは物語の終局においても再登場する。「プランとシナリオ」f o 38
には,主人公の自死のあと,彼女の衣装を着させられる女中が案出されている
──「フェリシテの盗み。──悲しみ。彼〔=シャルル〕はフェリシテに自分
の幻想のためにエンマの服を着せる」。だが草稿の段階に移ると同箇所は次のよ
うに変更される──「フェリシテは服を着る。時々,彼女が出てくる時,錯覚
……ああ! そのまま! そのまま!」
(vol., f o 308 vo)。つまり最初はシャルルが
フェリシテに服を着せたが,執筆が進むにつれフェリシテ自身が自発的にエン
マの服を着るように改められたのである。そして f o 312 vo になると,エンマの
服を着たフェリシテの態度に焦点が絞られる──
Félicité[devenue maîtresse, ne n’en prenait souci et]lisait des feuilletons, au lieu
de faire la cuisine. <<[faisait comme Madame]>> <et> Elle [Elle] portait les
robes de Madame [...]. <<Et comme elle était>> [Elle] était à peu près de sa
taille[…].
234
[Elle finit par si bien imiter sa maîtresse, qu’elle en prend les yeux, les gestes,
les cris & elle décampa du logis]
フェリシテはもはやエンマと主従関係にあった小間使いではない。彼女は「女
主人」になった。強いて言えば,エンマその人になったのである。このことは
フェリシテが「連載小説を読んだ」という文句によっていっそう強調される。
そもそも主人公が退屈な日常を忘れさせてくれる恋人を切望するに至った背景
にはまさに読書の影響があり,なかでも連載小説がエンマの精神形成に深くか
かわった点を考慮すれば,フローベールがフェリシテを内面的にもエンマと近
づけたと解せよう。さらに f o 312 vo では両者の外見的・身体的な類似が加えら
れる。「まなざし,しぐさ,驚きの声」などでの点で「女主人をまねる」小間使
いの姿が提示されるいっぽうで,エンマの服を着た彼女がシャルルに妻を想起
させるという一節により,背格好だけでなく優雅な身のこなしまでフェリシテ
がエンマにそっくりであることが暗示されている 18)。
ところがフローベルは,小間使いが女主人の物腰を模倣する部分を最終的に
削除する。F o 311 では,「女主人になったフェリシテは料理するかわりに連載
小説を読んだ。彼女は奥さんの服を着た」という簡略化された文章に変わり, f o 310 では「料理をするかわりに連載小説を読んだ」という表現が抹消される。
そして「自筆清書原稿」f o 478 では「女主人になった」という文も削除され,
最終稿は以下のような記述となる──
フェリシテは今では奥さんの服を着ていた。
〔…〕フェリシテの背格好がエンマと同
じくらいなので,シャルルはフェリシテを後ろから見るとよく錯覚にとらわれて叫ぶ
のだった。
「おお! そのまま! そのまま!」 19)
フローベールが,フェリシテにエンマの姿を自然に重ね見るシャルルの錯覚だ
けを描くことで,両者の相似をいっそう強調したのは明らかであろう。
後続の展開では当初,フェリシテの次のような行為が設定されていた──
「フェリシテの盗み。テオドールと逃げる Félicité s’enfuit avec Théodore」
(「プランとシナリオ」f o 32,f o 33,f o 35)。F o 41 になると「フェリシテの盗み。
テオドールとパリに逃げる」と行先が明示される。パリに対するエンマの強い
235
憧憬を考慮すると 20),テオドールと連れ立ってパリへ逃げるフェリシテは,エ
ンマの叶わぬ夢を彼女に代わって実現する役割が与えられたのであろうか。
しかし,フローベールは f o 41 の「パリ」を消去し,vol. 6,f o 308 vo 以降で
は「盗んで逃げる。テオドールに連れられて enlevée par Théodore」に変えて
しまう(f o 312 vo では « enlevée par Téodore » と「連れられて」の部分を下線
で強調)。作家はさらに最終稿において,「聖霊降臨節の日にフェリシテはテオ
ドールに連れられて,洋服ダンスに残っている物すべてを盗んでヨンヴィルか
ら逃げ出した」 21)とするのだが,もちろん一連の変更にはフェリシテとエンマ
とのテーマ論的な結びつきを深める意図が働いていよう。エンマもまたロドル
フに対して「よそへ行って暮らすのです。どこかへ行って」と駆け落ち先を示
すことはない 22)。また « enlever » という語についても,エンマがロドルフにし
た懇願,「私を連れて逃げて Enlève-moi」 23)に用いられている。これらの共通
項から浮かび上がるのは,両者の対照的な付置である。すなわち死によってし
かシャルルから逃れられなかったエンマとは異なり,テオドールという恋人に
「連れられて」,誰も知らない場所へ逃げ出せたフェリシテは,感傷小説に憧れ
るエンマの,いわばロマンティックな恋愛観における「至福」を彼女に代わっ
て実現するという役割を与えれられたといっても過言ではあるまい。
*
フェリシテは草稿の初期段階では典型的な女中として 19 世紀の社会階層に組
み込まれていたが,推敲の過程で次第に逸脱し,2 度の恋愛を通じてエンマと
照応する存在へと変容する。破産の挿話では女主人の窮地を救おうと親身に
なって協力し,死んだエンマにかわってその夢を実現する。だがフェリシテの
変貌はそれだけにとどまらない。『ボヴァリー夫人』刊行後も,彼女の名は『ま
ごころ』に登場する女中──フローベールの世界においてエンマと同様に稀少
な存在価値を放つ主人公──に授けられるのである。この点については,同短
編で彼女の不実な恋人がテオドールと命名される符合とともに稿を改めて論じ
たい。
236
註
1 )アンヌ・マルタン=フュジエは 19 世紀のブルジョワ家庭には 2 つの女性の軸,すな
わち家族の中心としての女性の使用人と,家庭の中心としての女主人とがあり,両
者は不可分であると述べている。Voir Anne MARTIN-FUGIER, La Place des bonnes :
la domesticité féminine à Paris en 1900, Paris : Perrin, coll. « Tempus », 2004,
p. 9.
2 )『ボヴァリー夫人』からの引用にはピエール=マルク・ド・ビアジの校訂した版を用
い た(Gustave FLAUBERT, Madame Bovary : mœur de province. Présentation,
notes et transcriptions par Pierre-Marc DE BIASI, Paris : Imprimerie nationale
éditions, 1994)。訳出にあたっては『フローベール全集』第 1 巻(伊吹武彦訳),筑
摩書房,1965 年を参照した。『ボヴァリー夫人』に登場する女性使用人のうち先行
研究がとりわけ注視してきたのは,農業共進会で受賞する老婆カトリーヌ・ルルー
である。ルース・シジバは,彼女のみすぼらしい服装や怯えきった様子を描写する
文章に,不定代名詞 « on » が使用されている点に注目し,観衆のみならず語り手も
包摂する用法であると分析した。しかも同挿話中,檀上のブルジョワたちを「すべ
て似通っている」
(ibid., p. 262)と指摘する際にもこの不定代名詞を用いることで, ルルーを内心では見下していながら表彰するという彼らの偽善が暴露されていると
いう(voir Luce CZYBA, « La servante des Comices dans Madame Bovary », in
Écrire au XIXe siècle. Recueil d’articles offert par ses amis, collègues et disciples. Éd. par CZYBA, Besançon : Paris, Presses Universitaires de FrancheComté ; Belles Lettres, Annales littéraires de l’Université de Franche-Comté,
no 646, 1998, pp. 33-34)。さらにシジバは,
『ボヴァリー夫人』のフェリシテが砂糖
を盗んで食べたり,エンマの服を盗んで逃げたりすることから,女中は無秩序や混
乱の原因としても描かれていると指摘している(voir aussi Luce CZYBA, La Femme
dans les romans de Flaubert : mythe et idéologie, Lyon : Presses Universitaires
de Lyon, 1983, pp. 286-287)。ところで,ニジェル・プレンツキによれば,『まごこ
ろ』に登場するフェリシテ像の萌芽はすでにカトリーヌ・ルルー像のうちに見い出
せ る と 述 べ て い る(voir Nigel PRENTKI, « Comparaisons et contrastes entre
Madame Bovary et Un cœur simple », http://flaubert.univ-rouen.fr/etudes/prentkifr.
php)。
3 )Voir Fançoise GAILLARD, « L’en-signement du réel(ou la nécessaire écriture de
la répétition) », in La Production du sens chez Flaubert. Sous la direction de
Claudine GOTHOT-MERSCH,[Colloque de Cerisy-la-Salle du 21 au 28 juin 1974],
Paris : Union Générale des Éditions, coll. « 10/18 », 1975, p. 201. さらにガイヤー
ルは「フェリシテ」という語がもつ純粋さは,フローベールが理想とした「何も書
かれていない書物」にも関連すると分析している(voir ibid., p. 204)。また〈至福〉
にかんしては,シャルルとの結婚生活に耐えきれず,
「かつて本のなかであれほど美
237
しく思われた〈至福〉
〈情熱〉
〈陶酔〉という言葉」の意味を求めるあまり,苦悩の末
に死に至るエンマの生の軌跡が想起されるが(Madame Bovary, op. cit., p. 125),こ
れについてフランソワ=ルネ・マルタン=ベルテは,
「至福,情熱,陶酔」のイメー
ジがエンマの恋愛観の根幹であり,彼女の結婚後の情事にも繰り返し出現すると分
析している(voir François-René MARTIN-BERTHET, « Sur le vocabulaire autonyme
dans Madame Bovary : félicité, passion, ivresse et quelques autres », in Mélanges
de langue et littérature françaises offerts à Pierre Larthomas, Paris : École nor‑ male supérieure de jeunes filles, 1985, pp. 327-329)。
4 )『ボヴァリー夫人』の草稿は 4 つに分類され,ルーアン市立図書館に保管されてい
る。内訳は「プランとシナリオ(Mss. gg 9)」,「下書き(Ms. g 223-1-6)」6 巻,
「自筆清書原稿(Ms. g 221)」,
「コピイストによる印刷用清書原稿(Ms. g 222)」で
ある。本稿ではルーアン大学の「アトリエ・ボヴァリー」のなかの「『ボヴァリー夫
人』草稿」のサイト(www.bovary.fr/)の画像にもとづき線上転写をおこなった。
< > 内は加筆箇所,<< >> は左余白加筆箇所,
[ ]および日本語訳の〔 〕内は抹消
された箇所を示す。なお,フォリオの番号は執筆順に基づくものではなく,執筆順
に関しても「アトリエ・ボヴァリー」を参照にした。
5 )「プランとシナリオ」f o 45 vo では,« renvoie définitivement Nastasie. prend une
fillette(l’indiquer gentille)qu’elle style Victoire ou Félicité » と記されている。こ
こで注目すべきは,フローベールが彼女の名前をヴィクトワールにするかフェリシ
テにするか決めかねている点である。おそらく同名の男性形が『まごころ』のフェ
リシテが愛した甥の名前であることも関係していよう。
6 )Madame Bovary, op. cit., p. 157.
7 )Idem.
8 )Ibid., p. 328.
9 )この言葉はその後 vol. 4, f o 127 にも見られ,最終稿まで変化しない(ibid., p. 327)。
10)Ibid., p. 360.
11)Ibid., p. 326. Vol. 4, f o 126 vo, f o 128 vo, f o 125 にも同様の表現が見られる。
12)Ibid., p. 446. Vol. 6, f o 45 では「彼女は彼を愛していた」と主語が 3 人称であるが,
vol. 6, f o 55 vo, f o 101 vo, f o 177 vo と最終稿では「私は彼を愛している」と主語が
1 人称に変わり,エンマ自身の言葉になっている。
13)Vol. 6, f o 128 vo には「彼女たちはお互いなんの秘密もなかった。女中は奥様につい
てすべてを知っていたし,同様に奥様も彼女のささいな不道徳を知っていた」と記
されているが,f o 131 vo, f o 168, f o 161 vo では,ほぼ最終稿と同じ文章になっている。
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14)「プランとシナリオ」f o 33 には「破滅,ロドルフのもとへ戻るという考えが頭に浮
かぶ。しかしその前に 3 人を訪問する。ギョーマン,ビネ,ルルー」と記され,フェ
リシテの名は見当たらないことから,構想の初期段階ではエンマが自分独りで
ギョーマン氏訪問の決意をする設定だった可能性がある。
15)Ibid., p. 468.
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16)Ibid., pp. 468-469.
17)1868 年 8 月 13 日付ルイ・ボナンファン宛書簡(Gustave FLAUBERT, Correspondance
III (janvier 1859 - décembre 1868). Édition établie, présentée et annotée par
Jean BRUNEAU, Paris : Gallimard, coll. « Bibliothèque de la Pléiade », 1991, p. 788)
。
書簡の日付は編者の推測による。
18)エンマの容姿は,ヴォビエサールの領主ダンデルヴィリエ侯爵に「この女はなかな
か姿もよく,挨拶の仕方も百姓女のようではない」
(Madame Bovary, op. cit., p. 139)
と評価され,ロドルフをして「かわいい女だ〔…〕それにパリの女のような身のこ
なしだ」と言わしめるほどであった(ibid., p. 248)。
19)Ibid., p. 519. フローベールは vol. 6, f o 311 で,シャルルがフェリシテを見てエンマ
だと取り違う場面設定を,最初の「アパルトマン」から「寝室」に変える。これに
より,寝室という最も私的な空間から出てくるフェリシテはさらにエンマに近付く。
ところが,最終稿ではこれらの表現は削除される。
20)最終稿においてエンマはレオンとの逢引の折りに,
「ああ,パリに行って暮したらど
んなにいいでしょうね!」という言葉を発する(ibid., p. 428)。フェリシテを雇い
入れる場面の直前には,エンマのパリにたいする憧憬が描かれている──「パリと
はいったいどんな場所だろう。パリ! なんと大きな感じがする名! 彼女はその名
を繰り返しては楽しんだ。〔…〕エンマは『籠』という婦人新聞や『サロンのエスプ
リ』を購読した。〔…〕最新の流行や一流洋服店の住所,ブローニュの森やオペラ座
の社交日を知っていた」
(ibid., pp. 154-156)。エンマがフェリシテを小間使いに仕立
てようとしたのも,自らの生活をパリの貴婦人のそれに近付けるためであったのは
疑いない。
21)Ibid., p. 519. バルバラ・ヴィンケンは,エンマの衣装の描写は 2 つの情事のそれぞ
れと密接な関係があり,象徴的意味合いを帯びていると指摘する(voir Barbara
VINKEN, « Loving, reading, eating : the passion of Madame Bovary », Modern
Language Notes, vol. 122, no 4, Baltimore : The Johns Hopkins University Press,
2007, p. 759)。ヴィンケンの解釈を踏まえれば,テオドールと逃亡するフェリシテ
がエンマの服を盗むという設定となった理由は明らかであろう。またショシャナ=
ローズ・マルゼルは,エンマによる衣服の選択はロマンティックな小説の影響を受
けたものであると指摘している(voir aussi Shoshana-Rose MARZEL, L’Esprit du
chiffon : le vêtement dans le roman français du XIXe siècle, Berne : Peter Lang,
2005, pp. 80-81)。
22)Madame Bovary, op. cit., p. 322. 同 様 の 表 現 は vol. 4, f o 107, f o 97 v o, f o 109,
f o 136 vo, f o 110 vo, f o 111 にも見られる。
23)Ibid., p. 330. この言葉は vol. 4, f o 142 vo, f o 136 vo, f o 138 vo にも見られる。
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