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アメ リ カにおける草の根運動の力と新たな政治空間の模索

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アメ リ カにおける草の根運動の力と新たな政治空間の模索
博士(法学)石神圭子
学 位 論文 題 名
アメ リカにおける草の根運動のカと新たな政治 空間の模索
ーソール・ア リンスキーによるコミュニテイ組織化運動の哲学と
実践を中心に―
学位論文内容の要旨
本 論 文 は 、 20世 紀 ア ヌ リ カ に お け る 「 草 の 根 」 運 動 た る 「 コ ミ ュ ニテ ィ の 組 織 化 運動 」
に 着 目 し 、 こ の 運 動 の 理 念 と 実 践 に 関 す る 歴 史 的 考 察 か ら 、 現代 に お け る その 政 治 的 意 義
を 明ら か に す る もの で あ る 。
1960年 代 以 降 に 生 じ た ア メ リ カ の 政 治 変 動 は 、 ま こ と に 巨 大 で ある 。 と り わ け、 公 民 権
運 動 を 契 機 と し て 国 民 す べ て の 平 等 が 権 利 と し て 保 障 さ れ 、 その 権 利 を 擁 護す る た め に 国
家 権 カ が 発 動 さ れ る よ う に な っ た こ と は 、 ア メ リ カ の 政 治 社 会に お け る 画 期的 な 大 変 革 で
あ っ た 。 さ ら に 、 こ う し た 動 き は 、 環 境 保 護 運 動 や 消 費 者 保 護運 動 と い っ た公 共 利 益 運 動
の 急 速 な 登 場 と 定 着 を 後 押 し し た 。 そ し て 、 こ う し た 政 治 運 動を 支 持 母 体 とす る 政 党 や 政
治 エ リ ー ト た ち は 、 彼 ら へ の 権 利 付 与 と 引 き 換 え に 、 自 身 の 権力 基 盤 を 拡 大し て い っ た 。
も っ と も 、 こ の 1960年 代 の 変 革 が 成 功 す る た め の 条 件 は 、 そ の 一 世 代 前 の 1930年 代 に
準 備 さ れ て い た 。 ロ ー ズ ヴ ェ ル ト 政 権 期 に 行 な わ れ た ニ ュ ー ディ ー ル 改 革 は、 自 分 た ち の
経 済 的 利 益 が 正 当 に 配 分 さ れ て い な い と 感 じ た 労 働 者 が 連 帯 して 抗 議 運 動 を行 い 、 政 治 家
に 圧 カ を か け る こ と に よ っ て 、 連 邦 政 治 全 体 に 大 き な 発 言 権 を持 っ よ う に なっ た 結 果 で あ
っ た 。 運 動 に 参 加 し た 人 々 の 構 成 や 運 動 の 組 織 形 態 に 違 い は ある も の の 、 市民 的 権 利 を 求
めた 黒 人 た ちの 戦 いは、 この一 世代前 の事例 を踏襲 するか たちで 行なわ れたので ある。
た だ し 、 自 由 に 権 利 が 創 れ る よ う に な っ た と い っ て も 、 ここ に は 大 き な問 題 が あ っ た。
一 定 の 凝 集 カ と 統 率 カ を 備 え 、 資 金 や 人 材 、 そ し て 専 門 的 知 識が 豊 富 な 集 団で あ れ ば あ る
ほ ど 、 よ り 大 き な 圧 カ を 政 治 家 に か け る こ と が で き る の は 当 然で あ り 、 逆 に言 え ば 、 政 治
家 へ 接 近 す る こ と が 困 難 で 、 集 団 の 組 織 化 が 難 し い 人 々 は 、 国家 か ら 不 当 な扱 い を 受 け る
こ と に な っ た の で あ る 。 こ こ に 、 運 動 の 「 成 功 」 と 社 会 的 包 摂が 容 易 に 結 びっ か な い こ と
の 、一 つ の 構 造 的要 因 が あ っ た。
60年 代 以 降 の ア メ リ カ 政 治 社 会 に お い て は 、 個 人 主 義 の 強 化 傾 向 に加 え 、 政 治 的 ・経 済
的 ・ 社 会 的 お よ び 空 間的 断 片 化 が 間 断な く 進 行 し 、「 自 己 」 と 「他 者 」 の 壁 はよ り い っ そ う
高 くな っ て い る。 こうし た時代 にお いて、 「全体 」との 相互 補完性 を欠い た「部 分」. 「断 片」
と し て の 「 草 の 根 」 が 、 一 貫 し た 持 続 性 と 抵 抗 の 論 理 お よ び 変革 志 向 性 に 基づ く 全 国 的 運
動 の 主 体 と な る こ と は 、 そ も そ も 可 能 で あ り 、 可 能 で あ っ た のか 。 こ の 点 につ い て 、 本 論
文 は 、 2008年 のア メ リ カ 大 統 領選 挙 に お け るオ バ マ 「 現 象」 が 、 「 コ ミュ ニ テ ィ の 組 織化 」
運 動 の 全 国 化 と 政 治 運 動 と し て の 可 能 性 の 現 出 で あ る と い う 仮定 か ら 出 発 する 。 そ し て 、
こ の 「 運 動 」 が い か にし て 現 実 の 「 根無 し 草 」 た る「 個 人 」 を 動員 ・ 組 織 化 し、 ’ 運 動 体 を
維 持し え た の か を論 証 し て い く。
本 論 文 が 着 目 し た 「 コ ミ ュ ニ テ ィ の 組 織 化 運 動 」 は 、 労 働運 動 が 最 も 活性 化 し た 30
年代
に お い て 、 地 域 「 コ ミ ュ ニ テ ィ 」 を 動 員 対 象 と し て 始 め ら れ 、公 民 権 運 動 が勝 利 を 収 め た
60年 代 半 ば に ピ ー ク を 迎 え 、 そ し て 公 共 利 益 運 動 が 急 速 に 登 場 し て く る 70年 代 初 頭 に は
「 限 界 」 に 突 き 当 た って い た 。 だ が 、こ の 運 動 の 創始 者 た る ソ ール ・ ア リ ン スキ ー (Sau
l D.
Alinsky)の 組 織 化 哲 学 は 、 労 働 者 の 社 会 権 で も 、 被 抑 圧 者 の 市民 権 で も な く 、ア メ ル カ の
― 6―
起 動 原理 たる人民主権に立脚して いた。彼は、雑多な人々が生 活を営む「コミュニティ」
こ そ が民 主主義社会の原動カであ り、変革主体であると考えた 。人々は、コミュニティで
の 活 動 を 通 し て 自 律 性 ・ 主 体 性 を 確 立 し 、 「 他 者 」 と の 関わ りに お いて 民主 社 会の あり 方 を
学 ん でい く。コミュニティ「組織 」は、彼らの相互的関係を構 築する「場」であり、共同
体 の 生活 改善を実現するために結 集された「権力」であった。 そして、こうした「権力」
の 行 使は 、コミュニティ内部の構 造や人間関係と外部社会の権 力構造を俯瞰することがで
き る 「 オ ー ガ ナ イ ザ ー 」 の 後 方 支 援 に よ っ て 効 果 的 に 行 な わ れ る の で ある 。
だ が 、 「 コ ミ ュ ニ テ ィ 」 は 、 人 々 の 人 種 的 ・ 階 級 的 ア イデ ンテ ィ ティ が最 も 明確 に現 れ る
空 間 であ った。とりわけ公民権運 動の「成功」によって新たに 巻き起こった人種的な反動
は 、 階級 意識と手を携えて「コミ ュニティ」という居住空間を 分断していった。アリンス
キ ー は 、 こ の 「 分 断 」 現 象 を 、 黒 人 ス ラ ム の 組 織 化 や 「 中 流 jを 組 み 込 ん だ よ り 広 範 な 組
織 化 によ って何とか乗り越えよう としたが、スラムの住民の「 権力」だけでは太刀打ちで
き な い既 存の政治構造や人々の間 の根深い差別意識に直面し、 その試みは結果的に蹉跌を
余 儀 なく された。むろん、アリン スキーは「コミュニティ」の 変容と組織化運動の限界を
十 分 認識 していたし、運動内部で も「地域」を越えた組織構造 や新たなアプ口ーチが模索
さ れ て も い た 。 し か し な が ら 、 60年 代 以 降 、 政 党 政 治 レ ヴェ ルに お いて 巧み に 創ら れた 「 白
人 」 「 所 有 者 」 に 有 利 な 言 説 空 間 は 、 運 動 の 全 国 化 を 阻 んで いた 。 環境 保護 運 動が 掲げ た ア
メ ル カ 社 会 の 道 徳 的 ・ 文 化 的 再 生 が 、 人 々 に 「 正 し い 」 と受 け容 れ られ たの と は対 照的 に 、
既 存 のシ ステムから排除され、い まだに「物質的」価値の中で 貧困から抜け出せない人々
の 側 か ら の 社 会 的 ・ 政 治 的 参 入 の 試 み は 、 他 の ア メ リ カ 人に 、「 正 しい 」と は 認識 され な か
った のである。
し かし ながら、岐路に立った「 コミュニティの組織化運動」 は、アリンスキーが直面し
た 「 限 界 」 か ら 、 新 た な 展 望 を 開 い て い た 。 本 論 文 が 考 察 し た ACORNは 、 ア リ ン ス キ ー
「 哲 学」 の「限界」を切ルロに、 オーガナイザーの役割の刷新 や選挙政治との連携に挑戦
し 、 人種 ・階級横断的な「コミュ ニテイ組織」の全国化に最も 成功している組織である。
こ の 組織 が自覚的に試みているの は、地域「コミュニテイ」の 分断を乗り越えることで全
国 的 な社 会的・政治的包摂化を実 現することではない。彼らは 、権カから疎外された人々
を 権 利の 拡充によって救済するの ではなく、権カそのものの意 味を人民自らが思考するよ
う に 促す ことによって、アメリカ というーつの「コミュニティ 」を創りあげようとしてい
るの である。
ア リン スキ−「哲学」の出発点 は、多様な集団が生活してい るにもかかわらず、集団間
は 民 族集 団ごとに分裂している地 域「コミュニティ」を調和的 に組織化することで、民主
社 会 の統 治に携わるにたる「人民 」を創出することであった。 現代のアメリカは、アリン
ス キ ーが 見たバックオブザヤーズ と同じではないが、多様な集 団が存在するにもかかわら
ず 、 いま だ肌の色や階級意識によ って集団間は分裂したたまま である。また、人々は、自
分 の 行動 が他者とどのような関係 にあるかを想像することもな く、社会サーヴィスの消費
者 と して 投票する。こうした現実 から、秩序構築の主体となる 「人民」を創出するには、
コ ミ ュニ テイ組織が「公的な場」 となり、かつ身近な共通の利 益を実現していくことで、
既 存 の 秩 序 に 対 抗 し う る 「 力 」 を 生 ま ね ば な ら な い 。 ACORNは ま さ に 、 そ う し た 理 念 の
も と で 新 た な 組 織 化 手 法 を 案 出 し 、 駆 使 し て い る 。 そ の 意 味 に お い て 、 ACORNは ア リ ン
ス キ ー 「 哲 学 」 の 最 も 基 本 的 な 部 分 を 、 た し か に 継 承 し て い た 。 そ し て 、 そ のよ う なACOR
N
に 支 え ら れ な が ら 生 じ た 2008年 の オ パ マ 「 現 象 」 は 、 「 人 民 」 を 触 発 す る 役 割 を 担 う 一 人
の 「 オ ー ガ ナ イ ザ ー 」 に よ る 、 ア メ リ カ の 「 組 織 化 」 に 他 な ら な か った の であ る。
― 7―
学 位論文審査の要旨
主査
副査
副査
教授
教授
教授
空井 護
辻 康夫
山 口二 郎
学 位 論 文 題 名
ア メリカに おける草 の根運 動のカと新たな政治空間の模索
―ソール・アリンスキーによるコミュニテイ組織化運動の哲学と
実践を中心に一
I学 位論文 の概要
本 論文は ,20世紀 アメリ カの「 草の根 」運動を 代表す る「コ ミュニ ティ組 織化」 運動の 理念と
展 開 過 程 を 明 ら か に し , あ わ せ て 今 日 に お け る そ の 政 治 的 意 義 を探 る こ と を目 的 と す る。
序 章は, 2008年大統 領選挙 で生じ た「オ パマ現 象」が ,オーガ ナイザ ーとし てシカ ゴの地 域社
会 に深く 関わるな かでバ ラク・ オパマ が内面 化した ,他者 との連 帯のなか に公的 なもの を見る 意
識 が,個 人と共同 体の連 続的な 理解を 要請す るアメ リカの 規範精 神と共鳴 するこ とで惹 き起こ さ
れ た可能 性を指摘 する。 そして ,「公 」と「 私」の無媒介な結合など期待できない「大きな社会」
の なかで,「運動」を媒介に他者と出会い,新たな紐帯を形成し,「公」を再構成してゆくよう「草
の 根」の 人々を促 し誘っ た試み として アリン スキー の運動 に着目 し,その 思想と 行動の 解明を 通
じ て「オ パマ現象 」の基 層の最 深部に 接近す るという,本論文の研究目的・方略を明らかにする。
つ いで 第 1章 は , アリ ン スキー が最初 に組織 化を手 がけた ,シカ ゴ・サ ウスサ イドの白 人労働
者 居 住 区を 拠 点 と する バ ッ ク オプ ザ ヤ ー ズ近 隣 協 議会(BYNC)の 設立( 1939年) 過程に おいて,
彼 が,「 リベラル 」とは 明確に 区別さ れるべ き「ラディカル」をオーガナイザーに据え,既存の権
力 構造に 対する異 議申立 てを手 段に, コミュ ニティ の改善 のため に民衆を 結集す るとい う組織 化
の 「 哲 学」 を 確 立 して ゆ く過 程を追 跡する 。そし て第2章 は,そ の後,1972年に世 を去る までに
ア リンス キーが携 わった 組織化 運動の うちの 主だっ たもの を,時 系列的に 考察す る。戦 後,大 量
の 黒 人 が 北部 に 流 入 した と き , BYNCは 一転 し て 白 人居 住 区 維 持組 織 と 化 し, 逆 に 1959年 にア
リ ンスキ ーがシカ ゴ・サ ウスウ ェスト サイド に設立 したサ ウスウ ェスト・ コミュ ニテイ 組織は ,
白 人の郊 外への逃 亡を阻 止でき なかっ た。一 方,1962年 にアリ ンスキ ー初の 「黒人 組織」 として
シ カゴ・ ウェスト サイド に設立 された ウッド ローン 組織は ,公民 権運動と 連動す ること で,イ ン
ナ ー ・ シテ イ の 黒 人貧 困 層 の エン パ ワ ー メン ト に 貢献し ,さら にアリン スキー は1970年 ,環境
保 護や消 費者保護 に強い 関心を もつシ カゴの 「中流 」の組 織化も 手がける ことに なる。 しかし 総
じ て言え ば,彼が 主導し たこれ ら口ー カルな 組織は ,公民 権運動 の「成功 」以後 の人種 的反動 と
階 級意識 の高揚に より, コミュ ニテイ の断片 化が進 行する なかで ,次第に 困難な 状況に 追い込 ま
れ つっあ ったと言 えるの であり ,これ を本論 文はアリンスキー哲学の「岐路」.「限界」ととらえ
る 。彼は ,組織が コミュ ニティ にとっ て異質 な他者 を排除 する装 置と化す 現実に 苦悩し ,広が り
を 見 せ る「 中 流 」意 識 が 市民 間 の 対話 を 困 難に し て ゆく こ と に 懸念 を 募 らせて いた。
そ ののち ,アリ ンスキ ーの哲学 を継承 しつつ ,その 限界も 強く意 識する ポスト ・アリン スキー
時 代 の オー ガ ナ イ ザー は ,彼 が試み なかっ たナシ ョナル なレヴェ ルでの 組織化 に着手 する。 第3
章 は そ の例 と し て ,福 祉 受 給 者を 対 象 に 1967年 に設立 された 全国福 祉権組 織を取 り上げ ,貧困
者 に対す る資源配 分を「 不平等 」な活 動とみ なす「 中流」 からの 反発を前 に,最 終的に その運 動
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が 行 き 詰 ま る 過 程 を 分 析 す る 。 第 3章 が , こ の 全 国 福 祉 権 組 織 と , 1980年 代 に 弱 者 と マ イ ノ リ テ
イの 代弁 者と し て登 場し なが ら広 範 な支 持連 合形 成に失敗したジ ェシー・ジャクソンを併置す る
こ と で 浮 か び 上 が ら せ る の は , “ undeserving’ と の ス テ イ グ マ を 刻 印 さ れ た 人 々 への 資源 配 分要 求
運動 が, 共和 党 がへ ゲモ ニー を握 る 政治 空間 の内 で必然的に逢着 せざるを得ない限界である。 し
かし 他方 で, 同 じく ナシ ョナ ルな 組 織化 を, アリ ンスキー哲学に 忠実にマルティ・イシューで ,
しか も彼 には 最 後ま で受 け容 れら れ なか った 政党 との関係構築を も図りつつ積極的に試み,成 果
を 収 め る 組 織 も 出 現 す る の で あ り , 第 4章 が 取 り 上 げ る の は そ う し た 組 織 の 代 表 格 た る , 即 時 改
革 の た め の コ ミ ュ ニ テ イ 連 合 (ACORN)で あ る 。 設 立 か ら 40年 , ACORNは 全 国 的 な 動 員 を 可 能
にす る組 織構 造 を備 え, 民主 党を 通 じた 立法 化に よる問題の解決 を狙って政策過程への影響カ を
高め ,さ らに ま た公 選公 職者 の選 挙 では その 動員 カを見せっけつ っある。ポス卜・アリンスキ 一
時代 のオ ーガ ナ イザ ーは ,コ ミュ ニ テイ の状 況改 善だけでなく, 人々のネットワークを人為的 に
再構 築し ,参 加 と討 議に 基づ く市 民 社会 の復 興に 寄与するものと して,さらには政党との関係 構
築を 通じ て政 府 権カ をよ り民 主的 に 構成 する ため の回路として, っまり現代アメリカにおける デ
モ ク ラ シ ー の 欠 損 分 を 「 補 う (replenish冫 」 組 織 と し て , コ ミ ュ ニ テ イ 組 織 を 発 展 さ せ よ う と し て
おり ,本 論文 に よれ ば, かか る人 々 に支 えら れた 「オパマ現象」 は,ひとりの若きオーガナイ ザ
ー に よ る , ア メ リ カ と い う ナ シ ョナ ルな コミ ュ ニテ イの 組織 化で あっ たと 解さ れる 。
H学 位 論 文 の 評 価
本 論 文は ,少 なく と も日 本で は従 来顧 み られ ることのなかったコミュ ニテイ組織化運動に着目
し, そ の展 開過 程を 追 跡す ると とも に, 自 らの 運動をアメリカの起動原 理に忠実に即した「デモ
クラ シ ーの 実践 」と 位 置づ ける アリ ンス キ ーの 「組織化哲学」が,個人 主義的潮流が抗い難いも
のと な った 今日 にお い てこ そそ の意 義が 際 立つ ような,ひとつのすぐれ たデモクラシー思想であ
っ た こ と を , 説 得 的 に 論 証 し て い る 。 20世 紀 ア メ リ カ は さ ま ざ ま な 「 民 主 化 」 運 動 に よ っ て 彩 ら
れて お り, なか でも 労 働組 合運 動と 公民 権 運動 についは膨大な研究蓄積 があるが,それらと交錯
しつ つ 展開 され なが ら ,そ して 今日 も命 脈 を保 ちながら,これまで正当 な評価を受けてこなかっ
たも う ひと つの 「民 主 化」 運動 に光 を当 て ,お そらく日本で初めてその 今日的な意義を明確に論
じ きっ たこ と は, アメ リカ 政治 史 ・政 治思 想史 研究 と して 本論 文が 誇 って よい 成果 であ ろ う。
それとともに本 論文は,「草の根」運動の 民主化ポテンシャルを深く信 じる,ポスト・アリンス
キー 時 代の オー ガナ イ ザー のひ とり とし て オパ マを位置づけ,彼の大統 領就任への道程それ自体
が, ア メリ カの ナシ ョ ナル な組 織化 であ っ たと の斬新な解釈を打ち出し ている。ジェイムズ・ク
ロッ ペ ンバ ーグ の研 究 など ごく 一部 の例 外 を除 き,表層的分析と伝記的 記述にとどまるオパマ論
が巷 に 溢れ るな か, 歴 史的 コン テク スト を しっ かり踏まえた深みのある オバマ理解を呈示した点
にお い て, 本論 文は ア メル カ現 代政 治研 究 とし ても一定の学術的価値を 有すると評価できよう。
た だ し論 文審 査に お いて は, アル ンス キ ーが 自ら展開したシカゴでの 組織化活動を扱う前半部
分 ( 第 1-2章 ) と , ポ ス ト ・ ア リ ン ス キ ー 時 代 の オ ー ガ ナ イ ザ ー を 扱 い , 最 終 的 に オ パ マ 論 と し
て 閉 じ ら れ る 後 半 部 分 ( 第 3-4章 ) の 接 合 を よ り 自 然 で 滑 ら か に す る よ う な 論 理 的 な 仕 掛 け や 工
夫の 必 要性 が指 摘さ れ た。 たし かに 本論 文 は, アリンスキーの組織化運 動とオバマによるアメリ
カ 政 治 空 間 の 転 換 と い う 2つ の テ ー マ を 扱 い , そ れ ぞ れ に っ き 一 定 の 成 果 を 挙 げ て は い る も の の ,
1本 の 論 文 と し て の 統 一 感 を 感 じ さ せ る ま で に は 構 成 が 練 り 上 げ ら れ て い な い き ら い が あ る 。 ま
た同 じ く審 査担 当者 か ら, 論理 の展 開が 不 明瞭 な論述や抽象的にすぎる 難解な表現,実証的裏付
けが 弱 い推 論な どが 散 見さ れる との 指摘 が あっ た。とはいえ,かかる欠 陥は本論文の学術的価値
を決 定 的に 減ず るも の では なく ,ま たい ず れの 問題も,本論文の公表に 先立って行われるべき補
訂作 業 によ り解 消可 能 であ ると 考え られ る 。
以 上 から ,本 論文 は 博士 (法 学) の学 位 を授 与されるに値する水準を 備えていると判断した。
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