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イメージの人類学のための理論的素描―民族誌映像を通じての

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イメージの人類学のための理論的素描―民族誌映像を通じての
18 日
イメージの人類学のための理論的素描
民族誌映像を通じての「科学」と「芸術」
箭内
匡*
本稿は、人類学的実践を言葉のみならずイメージの実践として再考しつつ、そうした「イ
メージの人類学」の中で、民族誌映像(写真、映画、ビデオ)の役割を考えることを提案す
るものである。ここでイメージとは、我々の意識に現前するすべてを指 L 、例えば人類学者
のフィールド経験のすべては、一つのイメージの総体と見ることができる。民族誌映像は、こ
うしたフィールド経験のイメージ(より正確には、それに近いもの)の一部を定着させ、言
葉による人類学的実践が見えにくくしてしまうような経験の直接的部分を我々に垣間見せてく
れる。そうした視角から本稿でまず考察するのは、マリノフスキー、ベイトソン、レヴィ=ス
トロースの民族誌写真であり、そのショットの検討を通じ、各々の理論的実践がその下部で独
自の「イメージの人類学」によって支えられていることを示す。そのあと、 7 ラハティ、ルー
シュ、ガードナー、現代プラジルの先住民ビデオ制作運動の作品を取り上げ、映像による表現
が、言葉による人類学が見逃してきたような民族誌的現実の微妙な動きや質感、また調査者と
被調査者の問の関係を直接的に示しうることを示す。このように「イメージの人類学」を構想
し、その中で民族誌映像の役割を拡大することは、「科学」と「芸術」が未分化な場所に人類
学を引き戻し、それによって言葉による人類学的実践をも豊かにするであろう。
キーワード・イメージ,民族誌映像,ショット,映画=トランス,全体
目次
I はじめに
N フィールドのなかのカメラ
E いくつかの概念装置
V 民族誌映像による表現
1
7 イー Jレド、イメージ、映像
1
7 ラハティによる「全体」の表現
2
民族誌映像とショットの概念
2
3
4
ルーシュの「映画=トランス」
E 民族誌映像と人類学理論
1 マリノ 7 スキーのロングショット
2
3
ベイトソンの「ミデF イアムーロング」
レヴイ=ストロースのキャンデイツド写
真
*東京大学
ガードナーによる物質性の表現
I映画=トランス」の現在
羽おわりに
『士化人類学J 7町2
1
8
1
2
0
0
8
.
9
カメラの奇跡は、我々を言語的な世界か
なもの」について考えてみたい"。そのために
ら非言語的な世界へと連れて行ってくれる
本稿では、この「何か芸術的なもの」を、「イ
ことです。様々な意味の世界からただ一つ
メージ」という明確に定義された概念によって、
の存在の世界へ。我々が言葉の局部性の網
必ずしも「芸術的」ではないものと一緒にすく
の中でもがいている世界から、静かで澄み
きった、そこで精神がくつろぐことができ
るような全体的世界へ。(フランシス・フラ
ハティ)"
い上げることにする。その上で、この「イメー
ジ」を一定の条件下で直接に定着したものとし
ての民族誌映像に焦点を当て、その中に現われ
る「科学」と「芸術」の微妙な関係について考
えてみたい(ここで「民族誌映像」とは「人類
I
学的フィールドで制作される写真・映画・ピデ
はじめに
オ等の映像J すべてを指すことにする)。この
人類学は、その歴史の中で、いつも芸術に対
考察は、人類学において周縁的な地位一一一
して愛憎半ばする態度をとってきた。マリノフ
方で「科学」のための単なる研究資料として、
スキーがトロプリアンドで、芸術を深く愛し
他方で「科学」と対立するものとしての「芸術」
ながらそれを抑圧して「科学」を樹立しようと
的映像としてーーに置かれてきた民族誌映像の
したのは、人類学にとってほとんど祖型的なド
人類学的意義の再評価と同時に、「イメージの
ラマであろうし [cf. 山口
1982
:9
1
6;Yo凹G
人類学」の構築へと我々を導くはずであるヘ
1
9
9
8
:1 1-18] 、例えばA ・ジェ Jレが、芸術の「科
学」的な人類学理論を構築すべく、芸術の感性
E いくつかの概念装置
的内容を無視する姿勢をとった(彼は後にそれ
を別の形で再導入するのだが)ことは、こうし
た祖型の反復に見えなくもない [GELL 1998J 。
1 7 イールド、イメ
ジ、映像
まず「イメージ」の概念からはじめよう。「イ
しかし他方で、『西太平洋の遠洋航海者』や『悲
メージ」とは、ここでは美学者の岩城見ーに
しき熱帯』などの古典的人類学を代表する著作
従い、「意識に対して感覚的に現前するものの
が、文学的・芸術的次元を持つものとして人類
すべて」であると考えるヘつまり、我々の日
学内外の読者に愛読されてきたことを誰が否定
常生活の中で知覚、経験する様々な事物のほ
するだろうか。こうした状況の背景には、人類
か、記憶や夢、写真やテレピ映像など、我々
学がフィールドワークという、身体的な行為を
の意識に現前する全てを、「イメージ」と考え
通じて対象の「全体J を把握しようとするとい
る。その意味では、我々の生活は「イメージ」
う意味で、芸術にも通じる営みを核心部分に持
とのやりとりで成り立っているのであり、我々
ちつつ、同時に「科学J として自らを樹立しよ
は「イメージ=内=存在」だとも言える[岩城
うと努めてきた、という根本的事実があると恩
2
0
0
1:4-5 , ii] 5)。
われる。
きて、岩城のイメージ論で注目されるのは、
この論考では、「芸術と人類学」という本特
こうしたイメージが、ある時は「かたちをもっ
集のテーマを考えるに当たり、「芸術と人類学」
た現象」として、ある時は「絶えずかたちを変
という関係そのものに立ち向かい、人類学者が
えて次々に私たちに対して現われてくるもの、
自らの五感を駆使してフィールドにある「全体」
襲ってくるものたち J として現出する、と考え
:2] 。確かに我々はふ
を捉えようとする時、また人類学者がそうした
る点である[岩城 2001
「全体」を民族誌的描写において表現しようと
だん、見慣れた対象を「かたちをもった」もの
する時、そこに見え隠れしている「何か芸術的
として安心して処理している。その背景には、
1
8
2
イメージ町人類学のための理論的素描
我々がすでに習得した「言語・記号システム」
借りて言えば「意図性において弱い」、「意味に
がイメージを「かたち J と安定した仕方で結び
おいて弱い J [c王 BERGER
つけていることがあるだろう。とはいえ、我々
92J ものでありぺだからある部分不定形で、
は他方で「かたち」に容易に還元できない対象
多様な解釈を許容するものでもある。究極的に
に出会うこともあるし、もっと根本的には、見
言えば、民族誌映像とは、「かたちをもっ J 1か
慣れたはずの対象が忽然と「かたちをもたない」
たちをもたない」という区別が未決定な状態で
a
n
dMOHR 1
9
9
5
:90 ,
対象として現出する可能性もつねに存在してい
フィールドの「イメージ」を提示するものであ
る6)。安定した「かたち」がイメージ(ないし
る。
現実)の本質であるという保証はどこにもない
第二に、民族誌映像は、撮影者のフィー Jレド
1
3
9
1
4
5;箭
での知覚そのものを記録したものではなく、カ
のである[ぱベルクソン 1976:
メラという機械により、一定の撮影条件下でそ
内(編) 2006 ・ 3-6J 。
この岩城のイメージ論は、人類学的実践を振
れを記録したものである。それはー方で撮影者
り返る上でも有効だろう。フィールドワーク初
の知覚を反映しつつも、他方で撮影者の知覚か
期の人類学者にとって、多くの事物は不確実な
ら外れたものをも必然的に含むのであり、だか
形でしか既知の「かたち」と結びつけられない
らこそ我々は自らが撮った写真に時に意外なも
ものであり、時に「かたちをもたない」イメー
のを見出し、驚くことになる。民族誌映像とは
ジでもある。経験の蓄積の中で、人類学者は自
つまり、撮影者の「人称的な」視覚とカメラの
らを取り岡むイメージをしだいにより安定し
「非人称的な」視覚とが唆味な形で共存したも
た「言語・記号システム J (現地のそれ、自言
のである ω。
語等のそれおよび分析上のそれ)と関係付けて
第三に、民族誌映像(民族誌写真を含む)は、
ゆくが、しかしそこで対象が生き生きとした形
「非人称的なもの j を含んだイメージであるに
で捉え続けられている限り、「かたちをもたな
も関わらず、フィー Jレドを離れた人類学者に
い」イメージの次元は消えないだろう。後に人
とって自らの「フィー Jレド経験j の記憶の重要
類学者がその研究成果を論文として発表すると
な結節点となるのであり、そのような形で、人
き、それは基本的に(今度は研究上の日常的・
類学者の言葉による研究実践にも秘かに影響を
学術的言語の) 1言語・記号システム」によっ
与えてゆくものである。 19世紀から今日まで、
て表現されることになる。しかし、もしそこで
民族誌映像は(その学問的可能性を抑圧されつ
の言語表現が人類学者のフィールド経験におけ
つも)暗黙のうちに人類学的実践の全体と関
る「かたちをもたない」イメージとの交流を失っ
わってきたのであり、人類学者が自らの内なる
ているなら、それは身体的経験としてのフィー
イメージ記憶と写真(後には映像一般)との聞
ルドワークが与える特質を欠いたものであると
で営んできた関係は、人類学的思考の(大部分
は)非反省的な、しかし重要な一部分を構成し
言わざるをえない。
てきたはずなのだ。その意味では、すべての人
2
民族誌映像とショットの概念
類学者は映像人類学者だったと言えるだろう。
このようにフィールドの「イメージ」を考え
さて、「イメージ」と民族誌映像の関係をこ
るとき、民族誌映像とは一体何だろうか。第一
のように捉えた上で、以下では、人類学者がイ
にそれは、撮影者の意図 (1何を撮るかJ) のも
メージのレベルで営む学問的実践一一これを
とで制作される以上、基本的には「かたちをも
「イメージの人類学」と呼ぽうーーについて、
っ」イメージである。しかし同時に、一般に映
民族誌映像を手がかりに考えていく。ただ、そ
像というものは、ジョン
のためには、映像(写真、映画、ピデオ)につ
パージャーの言葉を
『文化人類学J
1
8
3
7
3
/
22
0
0
8
.
9
いて分析的に論じる上で不可欠な、「ショット」
するのではなしむしろ撮影現場での現在に定
の概念に触れておかねばならない。ショットと
位してそこで生起する出来事を逐一追ってゆこ
は「一定の撮影条件下での一定の[時間]空間
うと長いショットを用いることが少なくない。
的範囲の視[聴]覚的イメージの記録」であり、
「シークエンスショット」ないし「長田し」と
あえて言語的類比を行えば、映像における単語
呼ばれるこのタイプのショット(音声を使えば
ないし文のようなものである。
フレーム外の出来事も反映できる)は、民族誌
ショットは、その空間的サイズにより、ロ
映像においても主流の撮影方法である。ただ
ングショット、ミディアムショット、クローズ
し、特に民族誌映像が表現手段として用いられ
アップに大別できる針。例えば、撮影対象(人
る場合、カメラ特有の視覚力を生かした、カッ
間や事物)の全体を包むようにフレームに収
めるものが「ロングショット J であり、撮影対
ト割りによる振り方も重要であり、だから二つ
のアプローチは相補的なものである。
象自体よりも背景を含めた全体に強調点を置く
「超ロングショット」もその一種である(この「超
E 民族誌映像と人類学理論
ロングj は、その中で物事が生起するところの
全体的状況や全体的な雰囲気を提示するのに適
以上の準備のもと、まずマリノフスキー、ベ
したショットである)。撮影対象の半分あまり
イトソン、レヴイ=ストロースという三人の人
一一人物なら半身から膝上あたりまでーーをフ
類学者が撮影した民族誌写真を検討しよう。目
レームに収めるものは「ミディアムショット」
的は、彼らの人類学的思考を下部から支える
と呼ばれ、一般に人物のアクションを示すのに
「イメージの人類学」を掘り起こすとともに、
適しているとされる。他方、「クローズアップ」
いかにして「すべての人類学者は映像人類学者
は、撮影対象の部分一一例えば人物の顔から胸
である」のかを具体的に示すことである。
まで一ーを切り取ったものであり、さらにアッ
プして部分の部分を切り取った「超クローズ
1
マリノフスキーの口ンダショット
アップ」もその一種である。クローズアップは、
マリノフスキーは、フラハテイと並ぶ映像人
被写体の情動や質感を生々しく伝え、カメラ独
類学の創始者と呼ぴうるかもしれない。当時の
特の視覚を感じさせるショットといえる
非常に困難な撮影条件(重くて扱いにくい機
DELEUZE 1
9
8
3;渡辺
[cf.
1968J 。
材、長い露出時間、熱帯特有の湿度…)のもと、
映画やビデオではショットの時間的広がりも
彼はトロプリアンドで大変な時間と費用と労
重要であり、これについては、編集の問題とも
力をかけ、綿密な撮影プランを立てつつ 1000枚
関係しつつ、「短いJ ショットか「長い」シヨッ
以上の写真を撮影する [Yo凹G 1
9
9
8
:5
1
4
.
トかという二つの対照的な考え方がある。「短
276] 。それらの写真は、彼の民族誌的著作の中
い」ショットは劇映画において一般的な撮り方
にきわめて豊富に C[遠洋航海者J には 75枚、
で、明確な撮影意図の下に被写体を一定の角度
『未開人の性生活』には92枚、『珊瑚礁の菜園と
から切り取ったものであり(短く切ることが旨
呪術』では 116枚)収められているが、それだ
なので「カット」とも呼ばれる)、これは被写
けではない。 E ・サマンが例証したように、彼
体を様々な角度から捉えた短いショット(ロン
の民族誌は、写真と本文との聞の頻繁な相互参
グ、ミディアム、アップ等)を重ねて映像を立
照を通じてイメージのレベルと(それ自体が視
体的に構成してゆく、いわゆる「カット割り」
覚的イメージに富んだ)文章のレベルが読者の
を念頭に置いたものである。これに対しドキュ
頭の中で並行して発展してゆくよう注意深く編
メンタリー的な映像では、状況を分析的に提示
まれており
[SAMAlN 1995J 、それは今日のハ
1
8
4
イメージの人類学のための理論的苦描
イパーテクストの先駆けでさえある。確かに彼
し、精彩に富んだ写真を撮ったのがベイトソン
は、映像を用いて民族誌的対象を捉え、映像を
とレヴィ=ストロースであった。
用いて自らの研究成果を表現するという明瞭な
意図を持っていた人であった'"'。
ところで、マリノ 7 スキーの写真はショット
ベイトソンの人類学的思考は、マリノフス
キーに劣らず映像と深く関わるものであった。
「結晶の構造と社会の構造とに同じ法則が支配
という観点からも興味深い。なぜなら、彼の写
しているかもしれない J [ベイトソン 2000 :
真は人物 (2-3 人から多人数の集まりまで)
133J と考え、レベルの異なる対象聞で視点移
を周囲の事物で包むように中距離・遠距離から
動することを身上とした彼の思考スタイル自
撮ったロングショットが圧倒的に多いという顕
体、ショットサイズを変えて様々な大きさの事
著な特徴を持っているからである [c[. SAMAIN
物を同列に置くことのできる映像メディアと本
1
9
9
5:1
2
8
1
2
9;Yo山G 1
9
9
8
:1
7
2
0
J
o I マリ
質的に親和的なものだっただろう。より具体的
ノフスキー的ショット」とでも呼べそうな、こ
に言えば、彼はパリ島で、イアトム Jレの「分裂
の独特の撮り方を彼がなぜ一貫して用いたのか
生成的シークェンス J [ベイトソン 2000 :1
7
7
J
に関しては、彼自身の内的な撮影意図に加え、
を念頭に置きつつ、(ロールフィルムを積んだ
おそらく彼が持っていた撮影機材の技術的要
ライカで可能な)連続写真や映画カメラによる
因(レンズの暗さ、感光速度の遅さなど)も大
撮影を大量に行ったが、彼が撮影したのはまさ
きく影響していただろう叫。いずれにせよ確か
に (11 で述べた)シークエンスショットであっ
なことは、 E' サマンと M ・ヤングが論じたよ
た問。ライカのカメラは、カメラを大きく寄せ
うに [S品目別 1995 :1
2
8
1
2
9;Yo凹G 1
9
9
8
:
て被写体の一瞬の表情を捉えることを可能にし
17-20J 、一つの写真の中で被写体とそれを取
たが、これも彼がこだわった文化の「手ざわり」
り囲む事物が密接に交流するこれらのロング
[ベイトソン 2000: 141J を考える上で大きな
ショット(レンズが暗いため被写界深度は深く、
助けになったと思われる。
前景も背景も同じような明瞭さで写る)が、民
ミードとの共著『パリ鳥人の性格J [ベイト
族誌的対象の相互関係の探求に焦点を当てる彼
ソンとミード 2001J の(約25000枚の中から選
の機能主義的アプローチと密接に関わっている
ばれた) 759枚の写真を、ショットサイズとい
ことである。とりわけそうした一連の写真の細
う観点から眺めてみよう。ベイトソンは、この
部が、トロプリアンドから遠く離れた場所で民
本の導入部では映画の状況提示ショットにも似
族誌を綴っていた後年のマリノフスキーにとっ
た超ロングショットを、また通過儀礼を扱った
て、分析上の重要な助けになったことは容易に
末尾の部分では、儀礼的動作の民族誌的背景を
想像できょう。マリノフスキーの民族誌写真は
含んだ(マリノフスキーにも似た)ロングショッ
エスタプリッシ J グ
このように、分析的(あるいは科学的)側面と
トを多用している。しかし、この本の写真の大
表現的(あるいは芸術的)側面の両方において、
半を支配するのはミディアムとロングの閑の
彼の著作と不可分なものだったのである。
ショットであり、分類が必ずしも自明でないこ
とを前提の上で試算すれば、そうしたショット
2 ベイトソンの「ミディアムーロングj
は Iパリ島人の性格J の写真の 70% 以上を占
写真の歴史において 1920年代後半のライカ
めている。それを一括して「ミディアムーロン
の出現は様々な意味で革命的なものであった。
グ」と呼ぶなら(これは、「ベイトソンの一貫
1930年代前半にライカのカメラは多くのフォト
した撮影意図の下でのミディアムとロングの聞
ジャーナリストによって利用されるようになっ
のシヨット」という意味であり、通常の「ミディ
ていたが、 1930年代中葉にこのライカを手に
アム・ロングJ ではない)、まさにそのような
『文化人類学J
「ミディアム
1
8
5
7
3
1
2 2田 8.9
ロング」、特にその連続写真を通
取ろうとするキャンデイッド写真(ナンピクワ
じて、「定常型システム」を生きるパリの人々
ラの一連のスナップ写真はその白眉である)ヘ
の生きざまが捉えられていくのである。
狭義での人類学的関心から自由になり、むし
この「ミディアムーロング」は、「個人にお
ろ芸術的性質を身に纏ったようなこれらの写真
ける本能的・感情的な動きを組織する、文化的
は、記述的な民族学的論文「ナンピクワラの家
に平準化されたシステム J [ベイトソン 2000
族・社会生活J [L削 STRAUSS 1948] の中では
174J を捉えようとしてパリに入ったベイトソ
いかにも座りがわるいが、人類学と文学とが不
ンの意図を正確に反映するものであり、一方で
可分に融合した『悲しき熱帯』の中では本文と
文化的コンテクストの中で個人を捉えるという
見事に一つの全体をなしている。
人類学的な要請を反映するとともに(それは当
しかし、このレヴイ=ストロースの「イメー
然ロングショットへの強い引力となる)、他方
ジの人類学」は、彼の言葉による人類学とどの
でそうした個人を行動のレベルで描写しつつ
ような関係を持っているのだろうか。一連の写
(従ってミディアムへの引力となる)、個人の内
真の中で、カドゥヴェオの身体塗飾のそれは、
部での本能的・感情的な動きをも把握する(そ
彼の理論との明白な関係を示すものだろう。模
れはクローズアップへの引力となる)、という
様を描いた顔や身体の写真は、『悲しき熱帯J
相矛盾する要請に同時に応えるものである。背
ではトリミングによって奥行きを消されて平面
景・行動・情動を同時に捉えようとする、この
化し、ボジアーニによるテ調ツサンや人々による
独特な緊張感を持ったショットは、ベイトソン
図案のイメージと交じりあって、人々の内面に
の芸術的感性なしには達成しえなかったもので
ある「構造」を可視化する。しかし一体、あの
あり、そこには、「科学」と「芸術」が不可分
クローズアップ写真による情動や質感の描写、
なベイトソンの「イメージの人類学」が、確か
そしてとりわけキャンデイッド写真による「肉
に存在しているのである問。
眼の次元では求めるべくもないアクチュアリ
ティ J [渡辺 1968
3
レヴィ=ストロースのキャンディッド写真
:103J
の把握は、どう考え
たらよいのか。私見では、それらの写真は、レ
最後に、同じく 1930年代に、ブラジル内陸部
ヴイ=ストロースの様々な考察が感覚的質への
でライカを用いて写真撮影していたレヴイ=ス
彼の稀有の感受性に深く根ざしたものである
トロースにも触れておこう。レヴイ=ストロー
こと、たとえ後年のレヴイ=ストロースが感覚
スがブラジルで撮った写真は約 300 日枚にのぼる
的質をとりわけ二重分節性の中で捉え直すにせ
(そのうちの 59枚が『悲しき熱帯』の印象的な
よ、「感覚可能なものと知的に理解可能なもの
写真群を構成している)。それらの写真が長い
との対立を超越しよう J [レヴイ=ストロース
年月の後に、 180枚を集めた写真集『ブラジル
2
0
0
6
:23J
への郷愁』を構成しえたこと自体、 1930年代の
虚なものではないことを、我々に示しつづけて
レヴイ=ストロースの映像への取り組みが生半
いるのだと思われる。
可ではなかったことを示しているだろう。
『ブラジルへの郷愁』の一連の写真で特に印
とする彼の一貫した意図が決して空
以上、三人の人類学者による民族誌映像を
ショットという観点から検討しつつ、彼らの人
象的なのは、ライカを手にした「写真家レヴイ
類学的思考の下部に確かに存在する「イメージ
=ストロース」の視点の自由さである。マリノ
の人類学」を眺めてみた。ただし、彼らの場合、
フスキー的ロングショットとは無縁のクローズ
疑いなくそうした「イメージの人類学」は言葉
アップ写真。ベイトソン的連続写真とは全く無
による人類学に従属すべきものであった。しか
縁の形で被写体のアクチュアリテイを鋭く切り
し、それが唯一の可能性だろうか。それとは
1
8
6
イメージの人類学のための理論的素描
別に、イメージをイメージによって表現するあ
いるのだ)。
り方も可能なのではないだろうか。そしてとり
もちろん、被写体からの働きかけは、撮影の
わけ、イメージをイメージによって表現する中
過程だけでなく、撮影テーマの設定の段階です
で、言葉による人類学が苦手としてきた問題が
でに始まっている。ベネズエラの先住民プメ社
把握される可能性もあるのではないだろうか。
会での G. オロピッチの経験はこの点を示す好
以下ではそうした問題に向けて議論を進めてゆ
例だろう。 1990年代初め、現地調査と平行して
こう。
映像プロダクションのための写真撮影を行うこ
N
いう歴史上の人物について語ることから、それ
とになった彼女は、人々が頻繁に F ・プラダと
フィールドのなかのカメラ
を撮影テーマに選ぶことにする。プラダは 1959
ここまで「マリノフスキーの写真」、「ベイト
年、「計画的文化変容J を行うためにベネズエ
ソンの写真」、「レヴイ=ストロースの写真j と
ラ政府によって村に派遣された人類学者であ
書いてきた。しかし、この「の」は字義通り
り、彼が導入した新しい農耕や牧畜の技術はプ
受け取ってよいのだろうか。映像とは撮影者の
メの人々に大歓迎された。しかし翌 1960年、非
ものであると同時に被写体のものでもある。実
先住民の地元有力者たちが彼を「共産主義者」
際、民族誌映像がどのように制作されるかを細
として告発し、彼は村から追放されて計画は頓
かく検討すれば、被写体は様々な形で撮影者に
挫する。オロピッチは、村に捨て置かれたト
働きかけ、映像制作のプロセスに介入している
ラックなど、計画の様々な造物を写真に撮って
ことが分かつてくる。
いった。
興味深いことに、このような問題は、エスノ
さて、現像した写真を彼女が人々に見せる
メソドロジーの会話分析のように、客観主義的
と、それらは言葉による調査では引き出せな
な視点から映像を純粋な研究資料として作成
かった人々の内面的イメージを誘発していっ
する研究領域でも注目されはじめている。会話
た。人々は一連の写真を眺めつつ一一特に彼女
分析の研究者 L ・モンダダは、例えば小学校の
自身が気付かなかった写真の細部に触発されな
授業のように、撮影対象がフレーム内に収まら
がら
プラダにまつわる様々な神話的語りを
ないために手持ちカメラで撮影する場合、撮影
語りはじめたのである回。オロピッチはその中
者がしばしば被写体の動きを頼りにカメラ移動
で、プメの人々の内面においてプラダが過去の
を行っていることを指摘する(例えば、フレー
「黄金時代」を象徴する人物として生きられて
ム外の教室後部の生徒が教師に指される場面
いたこと、そして彼をめぐる神話的な語りが、
では、フレーム内の生徒が指名と同時に後ろを
プラダの村での短い滞在から現在まで続く人々
振り向き、撮影者はその動作に反応してカメラ
の悲惨を説明するものであること、を理解した
のフレームを教室後部に移動する) [MONDADA
のであった [ÜROBITG
2
0
0
4:34-38] 。
2
0
0
6:58-60] 。いかに客観主義的な姿勢で撮影
この事例で興味深いのは、人類学者が人々の
に臨もうと、撮影者は特定の視点、特定の 7
語りに導かれて一連の写真を撮り、それらの写
レーミング、特定のカメラ移動を選択しつつ撮
真の、人類学者の撮影意図に含まれていなかっ
影しているのであり、この過程において被写体
た細部が、人々の内面のイメージと直接反響し
となる人々の行動は、撮影者が意識していな
ていった点である。その意味では、この事例は
くても、撮影を決定する要因の一つなのである
1960年代後半に行われたナパホ映画の実験のす
(小学校の事例で、後ろを振り向いた生徒は、
ぐ隣にあるとも考えられる。 5 ・ヮースと J
何も知らずに映像の一種の共同制作者になって
アデアによるこの有名な実験は、文化相対主義
.
『文化人類学J
1
8
7
7
3
1
2 2凹且 9
仮説のイメージ的次元を探求するという意図の
おいて明らかな異物だという事実である。人類
もと、ナパホの人々自身に映画カメラや編集機
学者がフィールドでカメラを用いる時、そこに
の使い方を教えーーもちろんこの段階でワース
必ず三つの重要な変化が生起する。一方で人類
は文化的影響が介入しないよう徹底的に配慮し
学者は「撮影者J (ないし「撮影チームの一員 J)
ている一一、彼ら自身に自由にテーマを選ぴ、
という、機械による記録のために機械を通して
自由に撮影、編集させるものであった [WO町H
世界を眺める存在に変貌する回。そして他方で
a
n
dADAIR 1997J 。要約すれば、民族誌映像と
被写体になる人々も、カメラの前に立っとき、
は、撮影者の「人称的J 視線の完全な支配下に
現在過ぎ行く一瞬のイメージが(理念的には)
あるのではなく、むしろ被写体の身体の無言の
永遠に記録されるという意識を頭のどこかで持
影響力を受け(モンダダ)、時には撮影者をあ
つのであり
る部分素通りして被写体自身の関心をほとんど
彼らは撮影前の彼らと同じではない [cf. HEIDER
[cf. GEFFROY 1990J 、その時既に、
直接的に反映し(オロピッチ)、それゆえ、人々
1
9
7
6:50-55J 。つまり、民族誌映像の制作にお
の内面にあるイメージ的思考のほとんど直接的
いては、撮影者も被写体も、ある「動き」の中
な表出(ワースとアデア)とも連続線上にある
にあるのであり、民族誌映像とはそういった流
ものなのだ。
動する現実の中で、撮影者と被写体が相互に影
ちなみに、プメやナパホのような伝統的に口
頭的コミュニケーションに依拠してきた社会で
響しあい、ある部分両者の意図が識別不能にな
りつつ、制作されるものなのである mo
は、人々の語りや行為は経験のイメージ的な次
この何だか落ち着かない状況ーーしかしそれ
元に深く根ざしており、そうした社会での民族
ゆえに何か重要な真実が潜んでいることを予感
誌映像と人々の経験のイメージ的次元との直接
させなくもない状況
的な交流は興味深いテーマの一つだろう回。実
いのだろうか。また、もしそうした状況が「マ
は、どう理解したらよ
際、ナパホ映画の一見奇妙な特徴も、彼らが
リノフスキーの写真」、「ベイトソンの写真j、
熟達していたはずの口頭伝承のイメージ的思
「レヴィ=ストロースの写真」にも何らかの形
考を念頭に置けば、自然に了解可能なものにな
で当てはまるなら、そこでのイメージと理論と
るヘ例えば、彼らが作った作品には、映画の
の関係は再考に値するのではないだろうか。こ
テーマと関わりがないように見える「歩く J 場
うした問題をも念頭に置きつつ、今度は、「イ
面のショットが延々と続くという特徴が見ら
メージの人類学」を言葉で表現するのではなく、
れたが、こうした「歩く J 過程の描写を繰り
そのまま映像として表現する営みの中でどんな
返すのは、ナパホ神話の特徴であった [WORTH
ことが起こってきたのかを眺めてみたい。
a
n
dAnAIR 1
9
9
7
:144-152J 。またナパホの人々
は、撮影した映像を完壁に記憶しており、信じ
V
民族誌映像による表現
がたい速さで編集作業を行ったとされているが
[WORTHa
n
dADAIR 1997 ・ 190-198J 、これも彼
既に見たように、「イメージ」とは「かたち
らが口頭伝承の語りの中で大量のイメージ記憶
をもつものJ であると同時に「かたちをもたな
の運用に熟達していたと考えれば、まったく不
いJ ものであり、また民族誌映像とは、本質的
思議なことではない。
ところで、撮影は撮影者と被撮影者だけから
には「かたちをもっ J ["かたちをもたない」と
いう区別を未決定なものとして定着させるもの
成り立つのではなく、そこには常に第三者一ー
である。とすれば、イメージを言葉によって一
すなわちカメラ
が介入する。そして、ここ
定の「かたち」に定着させる代わりに、イメー
で決定的に重要なのは、カメラはフィー Jレドに
ジをそのまま用い、「かたちをもたない」次元
1
8
8
イメージの人類学のための理論的素描
を抑圧せずに人類学的思考を表現することも可
影に協力し、時には撮影のために自らの命をも
能ではないだろうか。以下では、人類学と映画
危険にさらしたのであった[フラハティ 1994
芸術との境界領域でまさにそうした作業に取り
FLAHERTYe
tGA回阻R
組んだロパート・フラハテイ (1884-1951) 、ジャ
の人々が、フィルム上に永遠に定着される自
;
1958J 。撮影の中で現地
ン・ルーシュ (1917-2004) 、ロノミート・ガード
らの姿を思い描きつつ、〈モアナ}での伝統的
ナー (1925ー)の三人を取り上げたい。 HEIDER
な生活様式の再現や、《アラン}での古いサメ
口976J から P!NK [2001J まで、何らかの意味
漁の再現といった、失われた、しかし誇るべき
で「科学」としての映像人類学を志向する傾向
過去の再現に熱中したという事実 [FLAHERTY e
t
を主流とするなら、彼らはその中で明らかに周
GARDNER. 1958J
縁ないし外部に位置するものだが副、だからこ
てフラハティと現地の人々が表現したのは、客
は興味深い。映画制作を通じ
そ彼らは、次に見るように、言葉による人類学
観的現実そのものではなかった。フランシス
が容易にアプローチできなかった問題を映像的
フラハテイは、フラハテイの映画は「時間を越
に発見し、映像的に表現したのだと言える。そ
えた時間」に関するものであり、それは「何
して彼らが取り組んだ問題は、最後に触れるよ
かを祭っている」のだと述べたが [7 ラハテイ
うに、現代ブラジルにおける先住民ビデオ制作
1
9
9
4:12J 、そこにあるのは確かに、制作者と
運動のような実践とも直接つながってゆくだろ
現地の人々が一体となって制作する中で忽然と
うa
現出してきた「生の真実」とでもいうべきもの
であっただろう。
1 7 ラハティによる「全体j の表現
ところで、フラハテイの映画の新しさは制
もともと探検家だった 7 ラハテイは、 1910
作方法だけではなかった。 20世紀中葉の現代映
年代にカナダのイヌイットと 6 年間寝食を共
画の出現を支えた映画批評家アンドレ・パザン
にし、その後彼らとの親密な関係に基づい
は、 7 ラハテイの映画が、アクションを全体と
て、《極北のナヌーク} (N,削 ook o
ft
h
eNorth
,
1920-21) を完成する。{ナヌーク}から{モ
して捉えようとする(例えば{ナヌーク}のア
ザラシ狩りの場面では狩人と穴とアザラシをフ
アナ > (Moana , 1923-25) 、《アラン> (蜘lof
レーム内に収めている)ことで稀有の現実感を
Aran, 1932-34) と続く 7 ラハテイの「民族誌的J
獲得していること、また彼の映画が人物中心で
な映画は同時期のマリノフスキーの著作に比す
なく、人聞を取り囲む事物に焦点を当てている
べき記念碑的なものであり、映画史的には、あ
ことを高く評価した [BAZ刑 1999
:5
9
. 156J 。
らゆる民族誌映画・ドキュメンタリー映画の原
これは映画的であると同時に人類学的な問題
点であると同時に、ネオレアリズモから A ・キ
でもある。アクションを全体として捉える 7
アロスタミまでの現代映画の一つの原点とも言
ラハテイのショットはマリノフスキーのロング
シヨットに似ているし、また周囲の事物との関
いうるものである。
一連の作品の制作においてフラハティは、現
係の中で人間的ドラマを展開するフラハティの
地の人々と長期間生活を共にする中で作品を構
映画的語りは、機能主義のそれに似ていなくも
想していっただけではなく、現地に現像機材を
ない。こうしたことは、フラハティがマリノフ
持ち込んでラッシュフィルムを現地の人々と一
スキーと同様にフィールドの現実を熟知してい
緒に見ながら撮影を行った[フラハテイ 1994
;
たこととも無関係ではないだろう。
CALDER拍RSHALL 1963; 大森 1982 ・ 98-101J 。
しかし、両者の類似点はそこまでである。ア
人々はその中でごく自然に映画制作に参与して
ザラシ狩りのショットのような全体志向的な
いったのであり、だからこそ彼らは献身的に撮
ショットをカット編集に組み入れつつ、映像
1
8
9
『文化人類学J 7
3
1
22
0
0
8
.
9
の具体性の中で「全体」を表現しようとしたフ
カメラのみならず、音声面での独自の試みにも
ラハティの手続きは、言葉の抽象能力を利用し
現われている。《狂気の主人たち> (1955) をは
たマリノフスキーの手続きとは異質なものであ
じめ、 yレーシュは自分でオフのナレーションを
る。そして、フラハティがそこで表現した「全
付ける場合、映像を映写しながらスクリーン上
体」とは、マリノフスキーのそれのような客観
に流れるイメージの「現在」に身を置き、即興
主義的な分析の中で想定される「社会構造の明
瞭で確実な輪郭 J [マリノフスキー 1980
:7
8
J
で詩的感覚に富んだナレーションを作る [cf
CINノMAcTION1
9
9
6:4
2
J0 <私は黒人>
(
1
9
5
8
)
ではなく、むしろ撮影者と被撮影者が不可分に
や〈ジャガー> (1957-1967) などでは、登場人
なり、客観的現実と主観的現実が不可分になる
物となった人々自身にスクリーン上の映像を見
ような瞬間に忽然と、「認識と同時に啓示でも
ながら即興でナレーションを付けさせた。 Jレー
ある J [FLAHERTYetGARDNER1958J ものとして
シユがこのような即興性を重視する映画制作を
現出してくる特別な「全体j であった。究極的
行ったことの背景には、彼の撮影したアフリカ
に言えば、マリノフスキーがイメージの「かた
の人々の高度に発達した口頭的コミュニケー
ちをもっ J 側面に依拠して社会文化的全体を構
ションがあっただろう。イメージの記憶に基づ
築したのに対し、フラハティはイメージの「か
いて即興的に語る彼らの伝統的実践は、 Jレー
たちをもたない」次元を含んだ、どこか未知性
シュの映画において新しい表現を獲得したので
を含んだ全体を、「民族誌的」映像の具体性を
あり、 jレーシュ自身も「映画=トランス J(滋依)
通して示したのであった。
を通じて自ら即興的なカメラマン、即興的な語
り手になったのである。
2
では、こうした「映画=トランス」の人類学
ルーシュの「映画=トランス j
1950年代に始まるジャン・ Yレーシュの一連の
的意義は何だろうか。第一にそれは、被写体の
試みは、 1920年代ソ連でのヴェルト 7 の自由な
現実の直接的な I]~依」によって生まれるがゆ
撮影方法に触発されつつ、このフラハティの映
えに、人類学者の恩考が持ち込みがちな西欧/
画を新しい形で再創造したものだと言える [cf.
非西敵、伝統/近代といった区別を最初から越
1
0
5
1
0
7
J
o )レーシュは自らの営み
えたものである。例えば{狂気の主人たち》は、
大森 1982:
を「映画=トランス J (cinéー岡田e) と呼び、撮
「ノ、ゥヵ J (ハウサ語で「狂気」を意味する)と
影者が撮影対象によって影響を受けつつ撮影
いう、植民地を支配する白人がもたらした事物
する状況は、],医依現象と類比的なものだとす
の滋依霊が人々に l~ く様子をカメラに収める。
る [ROUCH 2003J 。ルーシュはこの「映画=ト
Jレーシュはこの強烈に伝統的でありながら同時
ランス」を徹底し、事前にプランを練って理想
に強烈に近代的でもある現実を、それをどう人
的なショットを撮るのではなく、不完全であっ
類学的に言語化=カテゴリー化するか苦慮する
ても撮影の「現在」での被写体・カメラ・撮影
ことなく、ただそれによって「滋依」されつつ
者の交流を直接フィルムに焼き付ける方法を編
そのままフィルムに焼き付けたのである。第三
み出した。それは人類学的のみならず映画的に
に、「映画=トランス」は客観的現実と主観的
も斬新なアイデアであり、ヌーヴェル・ヴァー
現実の区別を越えたものである。例えば{私は
グの映画作家たち(J
=L
・ゴダー Jレら)や撮
黒人}や〈ジャガー}のオ 7 ・ナレーションを
影監督たち (N .7)レメンドロスら)に決定的
任された登場人物たちは、客観的説明を最初か
な影響を与えることになる [MARSOLAIS
1
9
9
7
:
5
4
5
6;CINノMACTlON 1
9
9
6:162J 。
こうした姿勢は、三脚を排した彼の即興的な
ら放棄して自由に語り始めるが、しかしそのよ
うにして、彼らの主観的現実が客観的に観察可
能な形で提示される、という新しい状況が生ま
1
9
0
イメージの人類学のための理論的素描
れる。映画作家としてのルーシュは、演出によ
らの批判の大半はガードナーの映像の革新性に
る劇映画をも撮っているが、「映画=トランス」
目を閉じた近視眼的なものであり
にとって、フィクションであっても、もしそれ
1
9
9
3:1
3
9
1
6
8:HEIDER 2001-2002
[cf. LOIZOS
・ 61J 、我々
が撮影時の被写体とカメラと撮影者の直接的な
はまたしてもそこに、「科学J の名による「芸術」
交流を失わないならば、それはある種の民族誌
の抑圧一一そしてその「芸術」が垣間見せてい
的ドキュメントなのであり、 jレーシュのいう
る新しい「科学」の可能性の抑圧ーーを見出す
「映画=人類学 J (ciné-anthropologie) の一部を
のである。
構成するものなのだ。
ガードナー独自のスタイルは、初期の傑作
付け加えれば、{狂気の主人たち}が扱うハ
《死烏}より、ベイジ Jレ・ライトの影響下でカ
ウカの)!l\依霊は、 JレーシユがM' グリオールの
メラの視覚力を前面に出した、{砂の ]IJ }(Rivers
指導下で書いた博士論文においても取り上げら
ofSand, 1973) 、《深い心} (
D
e
e
pHearts , 1981) 、
れており、そこでこの滋依霊と植民地的状況の
{至福の森} (
F
o
r
e
s
tofBliss , 1986) のような作
関係も明確に指摘されている。とはいえ、この
品群に明確に見出すことができる。彼の作品
優れた博士論文の中で、ハウカの民族誌的措写
の特徴はルーシュの作品と比較すると捉えやす
はソンガイの伝統的宗教についての記述という
いかもしれない。 Jレーシュの方法は、カメラの
民族学の学術論文の枠組みを撹乱するものでは
前に展開する人閥的世界によってÍ)辰依」され
1
9
6
0
:73-77J 。これに対し、「イ
ながら撮影するものであり、彼のショットの基
メージ」の直接的な提示である《狂気の主人た
本は、行動をよく表現するところのミディアム
ち》の方は、そうした枠組みを容易に破壊して
ショットであった(ロングショットやクローズ
ない [ROUCH
しまう強烈なカを持っている由。明らかに、現
アップを用いる場合もその視点はつねに被写体
実によって「滋依された」民族誌映画作家 Jレー
の人々の視点に近い)。これに対しガードナー
シュは、言葉によって「かたちをもっ」イメー
は、一方でミディアムシヨットを用いて人間的
ジを提示する人類学者ルーシュより先鋭的なの
視点を示しつつも、他方で、被写体の質感を鮮
であり、そのことは、民族誌映像が現実をある
やかに伝えるクローズアップやロングショット
程度「かたちをもたない」ままで提示できると
を積極的に用い、カメラならではの超=人間的
いう一点と深く関わっているだろう。「映画=
な視点を導入してゆく。
人類学」はそうやって、未だ現われていない、
しかしなぜガードナーは、こうした超=人閥
来るべき(言葉による)人類学を予告するので
的なショットを多用するのだろうか。それは彼
ある。
にとっての人類学が、社会文化的システムの客
観主義的研究ではなく、「人間的現実をその本
3
ガードナーによる物質性の表現
まさにそのような意味で、ロパート・ガード
質が顕わになるように捉えること J [GARDJ、IER
2
0
0
6
:332J
であり、カメラは、その「人間的
ナーの一連のすぐれて芸術的な民族誌映画は、
現実」が深く根ざすところの物質性を鋭く示す
来るべき人類学を予告するものの一つなので
からである。例えば〈砂の]IJ}の鞭打たれる女
はないだろうか。
性たち、《深い心}の化粧する男性たちは、単
J .マーシャ Jレの〈狩猟者}
(刀leHu胸rs, 1952-57) の編集と彼自身の《死鳥》
なる社会文化的存在ではなく、身体の物質性に
(DeadBirds , 1961-64) の制作を通じ、アメリ
深く根ざした存在なのであり、また《至福の森}
カ映像人類学の誕生において中心的役割を果た
の、ベナレスの死にゆく人々は、彼らを取り巻
した彼は、 1980年代には実証主義的な映像人類
く事物と同じように、破壊(死、腐敗)と生成
学者たちから激しく批判された。しかし、それ
の聞に常にある、自らの身体の抜き差しならな
『文化人類学J
1
9
1
7
3
1
22
0
0
8
.
9
い物質性と直面している人々なのだ。音声面で
も、例えば《至福の森}における、川を行くボー
4 r映画=トランス」の現在
最後に、ブラジルの「村の中のビデオ」プロ
トのオールのきしむ音、木を切り倒す音、関節
ジェクトを取り上げ、かつて民族誌映像の被写
炎を患う人物が階段を下りながら附く声といっ
体であった人々が主体的に参加して制作され
た、物や身体の物質性を伝える音声を、ガード
た「民族誌的J 映像について見ておこう。それ
ナーはあえて音量を上げて強調する [GA阻阻R
らの作品は明らかに、これまでみてきたフラハ
a
n
dヨSTヨR 2
0
0
1:51 ,
テイ、 Jレーシュ、ガードナーの仕事の連続線上
68J 。ガードナーの映画
は、ある意味でルーシュのそれに劣らず「映画
に位置するものである。
=トランス」であると言えるかもしれない。た
「村の中のピデオ J (
V
i
d
e
on田 aldeias) プロジェ
だ彼の場合は、人間の身体をも含めた「物質的
クトは、 1970年代からブラジ Jレ先住民問題と関
なもの」によって「滋依」されるのである。
わってきた V' カレリが1987年に創始したもの
ガードナーが{砂の川〉以降、人類学者と
で、ブラジルの多くの先住民集団と共同で、自
密接に連携しつつも、自身は撮影者の立場に
主制作ピデオの制作や(先住民集団の間での、
専念するようになったこと(彼は《死烏}の
またテレビや学校用への)普及をその活動内
制作においては自ら現地語を学び [HEIDER
容としてきた。 1997年からは映像作家M' コヘ
2
0
0
1
2
0
0
2:66-67J 、ルーシュのような人類学
アと共に先住民自身のための映像制作ワーク
者=撮影者に近づいていた)も、そこから理解
ショップを推進し、今日では数多くの先住民映
できるだろう。社会文化的現実をその物質的側
像作家による作品が制作されて、先住民映画な
面をも含めて全体として捉えようとするなら、
いし民族誌映画のカテゴリーを越えた評価を得
イメージの「かたちをもたないj 次元、容易に
つつある [C品EL口 2004J 。ここでは、数々の
言葉にならない次元をも把握しなければならな
作品の中から、「村の中のピデオ」の第 1 作と
いのであり、そうした次元を映像が捉えるため
なった{少女の祭り} (
A
f
e
s
t
adamoça, 1987) と、
には、(言葉による実践としての)人類学的な
先住民自身による初期の作品群に属する《雨季}
視点を踏まえつつも、同時にそこから外に出る
(Not
e
m
p
od
a
schuvas , 2000) と{蜂鳥} (Shomδ1st,
ような動きが必要になるからである。
2001) の 2 作品に言及しておきたい。
おそらく人類学は、ガードナーが映像によっ
カレリの撮影による《少女の祭り》は、ナ
て示したような民族誌的現実の物質的次元をい
ンピクワラの人々が、成女儀礼のピデオ映像
まだ十分には把握してはいない。しかし、今日
をめくa って映像の中の自分たちとどんな対話を
のように生活のあらゆる側面が高度に表象化さ
行ったかを、儀礼の映像と、その映像を眺め
れ、あたかも全てが最初から「かたちをもっ」
る人々の映像を重ね合わせながら描く。カレ
イメージとして機能しているようにみえる世界
リは、(フラハティ的方法を徹底した形で)映
で、現実のいまだ表象化、記号化されていない
像を撮影するたびに全て彼らに見せるという
部分に注目することは、フィールドワークとい
方法をとったが、その中で撮影は先住民自身
う
(1かたちをもたない」イメージの経験を含
の、こんな自分たちを見たい、あるいは見せた
んだ)身体的な営みを研究の軸とする人類学
いという要望に導かれるままに進められていっ
にとってきわめて重要であるように思われる。
た [CARELLI 2004J 。作品では、撮影された成
ガードナーの映画は、そういった場面において
女儀礼のビデオを人々が見て、洋服を着たまま
民族誌映像が重要な役割を演じうることを示唆
儀礼を行っているのは拙いと感じ、次の儀礼は
しているのではないだろうか。
皆で裸で行う様子が示される。また作品の結末
では、若者たちがナンピクワラのアイデンテイ
1
9
2
イメージの人類学のための理論的素描
ティの証として苦痛をこらえつつ鼻や唇にピア
自然に語りかけ、人々もまたごく自然に撮影者
スする様子が「インデイオの一人一人が、ピア
に語りかける。そして娠影者は、自ら熟知して
スする様子を(ピデオに)記録することを求め
いる場所の湿度、泥水、空気、植物、そういっ
た」というナレーションとともに示される。
この作品で、映像という「永遠」の相のもと
た一連のものの物質性(ガードナーの映像とも
無関係ではないような)をもカメラにしっかり
での自らの姿との出会いが人々を伝統主義的方
と収めてゆく。一見ホームビデオのような、小
向に導いていることは興味深い。これは、フ
さな出来事を集めただけのこれらの作品は、し
ラハテイが{モアナ}や〈アラン》の撮影をし
かし決してホームビデオではない。なぜなら撮
たときにも見られた傾向て、あった。確かに、先
影者も被写体の人々も、リラックスした雰囲
住民たちは映像が他の人々によって見られるこ
気の中ではありながら、そこで死にゆく現在の
とを明確に意識しており、民族としての存亡の
一瞬一瞬が、自分たちの民族の記録という何か
危機の中、そうした伝統主義が政治的意味を帯
貴重なものとして、「永遠」の相のもとで眺め
びていることは事実である(こうした政治的側
られていることを意識しているからである。あ
面は、シリーズ第 3 作の{テレビの精霊} (0
たかも、この先住民たちが、「かつて起こった
田'pírito d
aTV, 1990) でより明瞭に示される)。
ことは何ひとつ、歴史から見て無意味なものと
しかし他方で、それが同時に彼ら自身の存在の
みなされてはならない」というべンヤミンの呼
あり方に深く関わるものであることは、カメラ
びかけを受けとめたかのように[ベンヤミン
の前で自らの姿が「永遠に」記録されることを
1
9
6
9:114] 。
求めた、若者たちのピアスの場面によく現われ
ていると思われる却。
V
I
おわりに
さて、 M ,コヘアの指導のもとで制作された
《雨季}や《蜂鳥》は、これと興味深い対照を
本稿では、民族誌映像を手がかりに「イメー
示している。コヘア(彼女はルーシユが創設し
ジの人類学」の理論的問題性について眺めてき
たアトリエ・ヴァラン (Ateliers Vl町田)で映画
た。マリノブスキー、ベイトソン、レヴィ=ス
制作を学んでいる)は、映像制作ワークショッ
トロースの例では、各々のイメージの人類学は、
プを聞いたとき、伝統的儀礼のみが撮影に値
彼らの言葉による理論的実践を下部から支える
すると考えがちな先住民たちに対し、話すこ
ものとして、確かに存在するものであった。他
と、食事を作ること、仕事をすること、そうし
方、 7 ラハティ、 Jレーシュ、ガードナー、ある
たごく日常的なことも(もちろん非日常的なも
いはブラジル先住民の映画が示唆してきたよう
のと同時に)全て撮影に値することを示唆した
に、イメージの人類学をイメージを通じて実践
[CORRハA 2∞ 4]0 {雨季》と〈蜂鳥}は、そう
する中で、言葉による人類学が導入してきたよ
したコヘアの示唆を出発点に、先住民自身がカ
うな様々な対立
科学/芸術、我々/彼ら、
メラをかつぎ、彼ら自身が、一見何も起こらな
近代/伝統、非日常/日常といった
いような日常を再発見した作品である。
像が提示するイメージそのものの中に溶解して
は、映
「映画=トランス」の極限のようなこの二作
ゆくのであった。これと対照して言うなら、マ
品で印象的なのは、先住民である撮影者の、被
リノフスキーたちの「イメージの人類学J は、
写体の人々や事物との非常に親密な関係であり
言葉による人類学を最終的に優先させることで
(多くの場合、被写体の人々は撮影者の身近な
高度な理論性を獲得したのであるが、それと同
親族であり、舞台は自分の村だからこれは当然
時に、イメージの(つまり民族誌的現実の)直
である)、撮影者はカメラを挟んで人々にごく
接性から遊離し、その意味で理論的建造物の中
1
9
3
f文化人類字J 7
3
1
2 2凹 8.9
に自閉したとも言えるかもしれない。
ところで、民族誌映像の制作が撮影者と被撮
のレベルで、よりダイナミックな人類学一一イ
メージの直接性を取り戻し、同時にそうしたイ
影者とカメラが撮影という特別な出来事を一緒
メージと言葉との間の交流を取り戻すような
に生きる中でなされることは何度も見てきた通
ーを再創造できるのではないかという希望であ
りだが、既に 1970年代初頭に yレーシュが指摘し
る。それが実践されるとき、マリノフスキー以
2
0
0
3
:100-101] 、実は
来ずいぶんと離れてしまった人類学の中の「科
これに似たものは人類学的フィールドワーク一
学」と「芸術」も、再び和解に向かうのかもし
般の中にも存在してきた。なぜなら、カメラだ
れない。
ていたように [ROUCH
けではなく文字もまた「永遠の J 記録を制作す
る手段だからであり、その意味でベンを持った
注
人類学者もまた、現地の人々と一緒にどこか撮
1)この発言はロパート・フラハティの妻で共同
影の場面にも似た状況を生きるからである刊。
制作者でもあったフランシス・ 7 ラハティによ
だから、 IV の末尾で述べた「何だか落ち着か
ない状況」はあらゆる人類学的調査に潜んでい
るとも言える。これは必ずしも不都合なことで
はない。 V の記述を通じて暗に示そうとしたの
は、我々が本当に知ろうとすべきなのは、擬似
客観的に捉えられた文化や社会の表層ではな
く、むしろ調査者と現地の人々の出会いによっ
て引き起こされる「動き」が垣間見せてくれる
るもの [FLAHERTY e
tGARDNER 1958] 。
2):本稿では「芸術J
という言葉を、近年支配的
な社会構築主義的な枠組ではなく、それを乗り
ヱステテイヲタス
越えつつ aesthetics を感性論として再定義する視
点のもとで用いる [c王岩城 2001] 。経験の質を
ヱ λ テティックス
問題とする感性論は古典美学に近接した部分を
も持つが、そこでは古典的芸術観は完全に払拭
されている。
3)なお、港
[1999] の「映像の人類学」は興味
ような人間存在の根底的なあり方なのだ、とい
深い問題提起であり、本稿の議論をある部分で
うことである却。
先取りするものだが、「経験としてのイメージ j
冒頭で、我々はカメラによって「様々な意味
の世界からただ一つの存在の世界へ」、「言葉の
ではなく「映像」に焦点を当てている点で本稿
とは異なっている。
局部性の網の中でもがいている世界から、静か
4)ここで人類学の外からの岩城の定義を借用す
で澄みきった、そこで精神がくつろぐことがで
るのは、人類学では、イメージという言葉が指
きるような全体的世界へ」導かれるのだという
フランシス・フラハティの言葉を引いた。いく
ぶん神秘的にさえ響くこの言葉が、しかし決し
て空虚なレトリックではないことは、もはや明
らかだろう。イメージをイメージとして眺め、
し示す本質的に前一言語的企現象を、それ自体
として(言語とのアナロジーに依拠せずに)把
握する議論が少ないからである。
5)今日のフィールドに溢れている様々なメデイ
ア映像は、フィールドの「イメージ」の重要な
一部であり、その意味で当然、本稿の議論はメ
そこに身をおいて思考する時、確かに、かつて
ディア人類学とも関係する。しかし本稿では紙
の人類学者が考えた社会文化的全体とは異なっ
幅の関係からそれに関する議論は割愛する。
た意味での、ある「全体」が垣間見えてくるの
である [cf.箭内 2007] 却。
6)これに関し、メキシコの詩人オクタピオ・パ
スの次の一節を引いておこう。「われわれは毎
念のために付け加えれば、ここで主張した
日、同じ道を通り、同じ庭を横切る。そしてい
いのはもちろん言葉による人類学の否定ではな
つも夕方になれば、われわれの目は、レンガと
い。そうではなくて、「彼ら」と「我々 J が不
都市の時間でできた、同じ赤っぽい壁に出くわ
可避的に混じりあうような「イメージ」の次元
を直視することにより、イメージと言葉の両方
す。ある日突然、道は別世界に通じ、庭は誕生
したばかりであり、くたびれた壁が記号でおおわ
1
9
4
イメージの人類学のための理論的素描
れる。それはわれわれがそれまでに見たことのな
調査旅行に同行したブラジルの人類学者カスト
いものであり、その有様ーーその圧倒的な現実性
ロ・ 7 アリアの写真 [FA回A 2001J は興味深い。
:80J 。
7 アリアは明らかにロングショット中心であり、
付言すれば、こうした「かたちをもたないイメー
フレームを絞り込んで対象を鮮やかに捉えるレ
ジJ は、「言語ー記号システム」を詩的言語に転用
ヴイ=ストロースと際立つた対照をなしている
ーーーはわれわれを驚嘆させる J [パス 1980
することによっても生まれうる [cf. 山口 1975
7)ただし、その「弱さ J
ゆえに、映像はキャプ
ションの文字やオ 7 ・ナレーションと組み合わ
されると、往々にしてそれらの言葉の意味(映
像自体の意味ではなく)を強力に表現する媒体
に変身する [cf.
[
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2003J 。
15) 一般に photo elicitation とも呼ばれる、写真
250-258J 。
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を用いたインタピューについては COLLl ER
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6:chap.8J 、
PINK
等を参照。
16) 口頭的コミュニケーションに基づく社会での
イメージの問題については、別の場所で論じた
8)[ ブラジルへの郷愁』への序でレヴイ=スト
[箭内 2000J 。口頭的社会でのイメージ的実践の
ロースが述べる、自らの写真の「欠如の印象」も、
研究を、「イメージの人類学」の一部として考え
感覚的質に極度に敏感なこの著者がカメラの「非
ることも重要であろう
[cf.箭内 1993J 。
人称的な J 視覚に感じとった距離感のようにも
17) これに対し、ナパホと同様の映画制作の機会
みえる[レヴイ=ストロース 1994 :
9J 。
9)以下、写真・映画・ピデオの別を超えてシヨツ
無意識にハリウッド映画やテレピドラマの約束
を与えられた十代のアメリカ黒人の若者たちは、
トを定義する。ただしこれは一般論にすぎず、
事に従った映像を作ったのであった [WORTH
ショットの機能は他の撮影条件によって大きく
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:169-170J 。
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18) 社会学者 D ・ハーパーによるアメリカの路上
変わりうる。
10) 例えば『遠洋航海者J の英語初版 [MAL凹QWS 回
生活者の映像社会学的研究 [HARPER 2006J は、
1922J では(英語普及版や日本語抄訳版とは大
調査者であり同時に撮影者(彼の場合は写真)
いに異なって)コート紙に印刷された美しい写
であることの問題性を考える上でも興味深い。
真が随所に挿入され、本文ときわめて緊密な関
19) こうした相互影響の関係は今日しばしば「共
同制作」と呼ばれるが、そこに主体聞の意識的
係を営むようになっている。
1
1
) M.
ヤングは、マリノフスキーがロングシヨツ
な協力関係以前の抜き差しならない関係が含ま
トを優先したのは彼の研究方法論のみからくる
れていることは見落とせない。それはドゥルー
1
9
9
8
:18J 。しかし一連の
ズのいう、本来無関係な物同士の同時的な生成
としている [Yo山G
写真を眺めれば、きわめて光量の多い場面を除
き、大半の写真が被写体にポーズを取らせて慎
重に撮影されていることは明らかであり、そう
(deven叫 becoming)
とみることもできる[ドゥ
ルーズ、ガタリ 1994
:22 ほか]。
20) ルーシュを周縁的と形容するのは奇妙かもし
した条件下で、ハッドンに従って自然な写真を
れない。しかし本来「芸術」的衝動に強く彩られ、
重視したマリノフスキーが [Yo山G1998: 4J 、
劇映画の制作も手がけたルーシュの思想、の核心
プレが目立たないよう比較的遠距離からの撮影
は、疑いなくアカデミックな映像人類学の周縁
に傾いた可能性は大きいと思われる。
に位置している。
12) ベイトソンとミードのパリ研究は、もちろん
21)以下で触れる作品の DVD は、日米仏等で市販
三人の共同作業であるが、以下では実際にカメ
のもの(フラハティとルーシュ)の他、 DER (
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ラを持ったベイトソンに焦点を絞って述べる。
/八;vww.der.orgl) を通じてその大半が入手可能で
13) 社会学者の H ・ベツカーは、ベイトソンの写真
に写真家カルテイエ=プレッソンの作品に似た
芸術的特質を見出している [BECKER
14)
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これに閑し、レヴイ=ストロースの 1938 年の
ある。
22) 事実、彼の博士論文を指導した M ・グリオー
Jレは、{狂気の主人たち}を見てこのフィルム
をただちに破棄するように求めたのであった
『文化人類学J
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6:13] 。
[
ClNEMACTION 1
23)
このケースとは対照的に、
中沢新一
y. ジェプロワの
研究によれば、 2 日世紀前半のフランス山村の村
人たちは都会の流行を真似てカメラの前でポー
ズを取った [GEFFROY 1990] 。カメラは人々の内
2
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6 r芸術人類学』みすず書房。
ノ《ス、 0
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0 r弓と竪琴J 牛島信明訳、図書刊行会。
フラノ、テイ、F.
1
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9
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面の隠れた傾向性を引き出すのである。
24) 映像よりも「意図性において強い J 言葉によ
る記述の場合、それを取り囲む権力関係(従っ
てそこでの言説の政治)は、映像の場合よりも
H
rある映画作家の旅一一ロパート・フラハ
ティ物語』小川紳介訳、みすず書房。
ベイトソン、 G
2
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0
0 r精神の生態学』改訂第 2 板、佐藤良明訳、
明確に記述に刻印されるだろう [cf.クリフォー
新思索社。
ド 2003] 。しかし他方で、「言葉による人類学」
ベイトソン、 G. と M ミード
の下部に常に「イメージの人類学」が存在する
2
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0
1 rパリ島人の性格一一写真による分析』外
こと、そして「イメージの人類学」が言説の政
治に還元されない部分を常に持つことは決して
山昇訳、国文社。
J、りレクソン、
1
9
7
6
忘れるべきではない。
25) 今日、撮影や調査という行為の凡庸化の中で、
こうした「出会い J が自然に生み出す「動き」
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r笑い』林達夫訳、岩波書店。
ベンヤミン、 w.
1
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9 I歴史哲学テーゼ J r暴力批判論(ヴァル
はますます小さくなってきており、そこではよ
ター
り積極的な相互的コミットメントが不可欠だ
pp.111-131 、晶文社。
と思われる(しかしそれは、ある意味では、 7
ラハティが既に遠い前に実践していたことであ
ベンヤミン著作集 1 )J 野村修訳、
マリノフスキー、 B
1
9
8
0 I西太平洋の遠洋航海者Hマリノフスキー
る)。
レヴイ=ストロース J (世界の名著71) 寺
田和夫・増田義郎訳、中央公論社。
26) この「全体」に向かう姿勢は、映画=人類学
的スピノザ主義と呼んでもよいかもしれない
[cf.箭内 2007] 。ちなみに、この「全体」は、中
港千尋
1
9
9
9 I映像の自然J r映像人類学の冒険J 伊藤俊
沢新ーの言う「流動する心」と盤関係ではない
が[中沢 2006: 8 以下]、本稿の姿勢は中沢のそ
れより方法論的で経験主義的なものである。
参照文献
岩城見-
2
0
0
1 r感性論一一エステティックス
聞かれた
経験の理論のために』昭和堂。
1
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8
2 I 映像人類学 J r現代の文化人類学J (2)
祖父江孝男(編)、至文堂、 pp.85-131 0
クリフォード、 J
と存在の様式としてのコミュニケーショ
ンの様式 J I国立民族学博物館研究報告J
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0
6 I映画の対象一一映画における直接的なも
の J r映画的思考の冒険一一生・現実・可
能性j 箭内匡(編)、 pp.1-38 、世界思想
二十世紀の民族誌、文
学、芸術J 太田好信ほか訳、人文書院。
ドゥルーズ、 G.、 E ガタリ
1
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4 r干のプラトーJ 宇野邦ーほか訳、河出書
房新社。
1
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3 I 想起と反復一一あるマプーチェの夢
語りの分析 J r 民族皐研究 j 5
8 (3)
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0 Iマプーチェ社会における口頭性一一思考
2
5 (2) ・ 177-202。
大森康宏
2
0
0
3 r文化の窮状
治・港千尋(編)、 pp. 1O-20、せりか書房。
箭内匡
社。
2
0
0
7 I映像光スピノザ一一『内在性の映画』
が示すもの J r思想J 9
99:143-165。
山口昌男
1
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7
5 r文化と両義性』岩波書店。
1
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2 r文化人類学への招待』岩波書店。
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イメージ町人類学のための理論的素描
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レヴイ=ストロース、 C
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7
r悲しき熱帯 J (上・下)川田順造訳、中
央公論社。
1
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4
r プラジルへの郷愁j JII 田順造訳、みすず
書房。
2
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0
6
r生のものと火を通したもの』早水洋太郎
訳、みすず書房。
渡辺勉
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8 r写真・表現と技法j
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