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毛 利 氏 庭 園 散 策 会

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毛 利 氏 庭 園 散 策 会
2013年
旧山陽道から毛利氏邸に向かう松並木参道
本邸前に広がる面積 約55,000平方メートル
の庭園は、自然の地形を生かし、江戸時代
の大名庭園を彷彿とさせる大池泉廻遊式で
す。庭石には県内産の花崗岩の山石や川石
を用い、植栽は松を多く配しながら、植え
られている植物は250種以上といいます。モ
ミジの美しさは有名ですが、四季を通じて
さまざまな表情が楽しめる庭園です。
防府市の毛利邸は、旧長州藩主・毛利公爵家
毛
利
氏
庭
園
散
策
会
の本邸として1916年(大正5年)に竣工しま
した。
庭園は、1967年(昭和42年)に山口県の名勝
に指定され、1996年には(平成8年3月 8.4ha
(84,000平方メートル)に指定面積を広げ、
国の名勝に指定され、本邸は、2011年(平成
23年) 国指定の重要文化財となりました。
春
∼
初
夏
参道前の石柱側のアカマツ
毛利氏邸に関する諸情報は、文化庁「国指定文化財等データベース」を参考にしています。また、本稿の写真は2013年6月に撮影したものを主体に掲載しています。
マツ並木参道
毛利邸を訪れるとまず出会うのがマツ並木の参道です。この松並木参道は毛利邸の特色の一つ
です。防府毛利邸の特色は何かと聞かれたらマツ並木と言っていいほどの素晴らしい景観です。
日本の名勝庭園をいろいろ見ていますが、整然としたマツ並木がある場所はなかなかありませ
ん。
東西に合わせて100本近くのマツがあります。参道のマツにはアカマツとクロマツがあります。
一見して見比べると樹皮の色合いが違います。
アカマツは赤く樹皮がうろこ状にはがれます。剪定の際は樹皮をはがし、樹肌の照りを引き立
たせます。
クロマツは黒っぽく樹皮は固まり状にはがれ、古いマツほど樹皮が盛り上がって隆起していま
す。また実際に葉をさわってみるとその違いはよくわかります。葉先や芽が非常にしっかりし
ていて固く針のようなクロマツに対し、アカマツは柔らかい弾力性がありさほど痛くありませ
ん。
毛利邸のマツは樹齢にして何年ぐらいたっているのかと良く質問を頂きます。
石本造園
2013
-1
年輪つまり木の大きさは環境によって変わるため、外
観から適正な数値を類推するのは難しいことですが、
少なくとも植え付けて100年ぐらいが経過しています。
参道を造る際に苗木のようなか細いマツを植えたとは
考えにくいので、参道造成の当初には少なくとも50年
生以上のマツが植えられたと考えられます。
現在の幹の大きさからも150年から200年以上は十分経
過している大きさと判断できます。
表門に向かって右のみごとなアカマツ
昨今マツ枯れで庭木のマツや山のマツが枯れているの
を目にされていることと思います。
このマツ枯れの原因はマツノマダラカミキリというカ
ミキリ虫が持っている1mmに満たないマツノザイセン
チュウによるものです。カミキリ虫は松の1∼2年の若
い枝を食べます。その切り口からセンチュウウが入り
何百、何千、何万と増殖しマツの生理機能に異変をき
たし枯れていきます。
この病気は北米からくる輸入木材に入っていたカミキ
リ虫が持っていたセンチュウに由来するものです。
元々は日本にはいなかった外来種にです。
クロマツ
通常、自然界では生物は共生して生きているものです。
北米のマツには抵抗性があるため枯れることはありま
せんが、日本のマツでは抵抗力が無いため枯れてしま
います。外来種が持ち込まれると自然界の生態系が壊
れてしまうため、問題になっています。
明治末期からマツ枯れが始まり、昭和40年代にマツ枯
れの病気が解明されました。
散策会のきっかけ
クロマツの樹皮 →
マツノマダラカミキリ
マツノザイセンチュウ
4年前に剪定の維持管理で園内に入らせていただいたことが私が毛利氏庭園に関わる
こととなったきっかけです。その時期は冬だったこともあり、観光にお越しになる
方がほとんどいない寂しい雰囲気でした。観光バスでお見えになる方も少ない時期
ではありましたが、地元の方の散歩・散策も少ないことに非常に残念な思いがいた
しました。
地元の方にもっと来ていただきたいという思いもあり、毛利氏庭園の魅力を一人で
も多くの方に知ってもらえるよう自分にできることは何かを問いかけてみました。
そこで、地元の方に愛着を持っていただける一助になればと、散策会を行うことを
決めた次第です。
石本真司
1級造園技能士/1級造園施工管理技士
1級土木管理技士/樹木医(登録番号804)
有限会社 石本造園
散策会では毛利氏庭園の季節に応じた魅力をで見ていただけるよう心がけています。
なお、防府市の観光協会に入会されると入園が無料になります。
石本造園
2013
-2
現在 マツ枯れを予防する手立ては2つあります。カミ
キリ虫が発生する時期に薬剤を散布することと、薬剤
を幹に注入する方法です。
薬剤は5月下旬ころから散布します。注入剤は殺センチ
ュウ剤という成分が含まれた薬剤を冬の寒い時期に幹
に注入します。毛利邸のマツにはこのようにラベルが
付いていますが、注入剤を使用しています。有効期間
は昔は1年でしたが薬剤が改良された現在は4年程度で
す。
毛利氏邸の参道は根が張れるスペースが限られ、御覧のように道路側には根が張れないことや、
場所的には非常に狭いスペースに植えてあるものもあるので、必ずしも生育環境は良いとはい
えませんが、しっかり根を張って生きています。場所によっては芽が伸びずに、成長していな
いマツや幹が腐って弱っているマツがありますが、根が十分に張り出せない環境も弱ってくる
原因の一つです。
毛利邸はほかの庭園に比べてマツの割合が多い庭です。マツはマツ枯れの予防を行うことや毎
年剪定をして樹形を整えておくことが望ましい樹木ですから、維持管理の手間や経費も松の少
ない庭園・邸宅と比べ嵩むと言わざるを得ません。
表門 (本門)
建物、庭園ともに和を中心とした毛利邸の表門(本門)
は、公家や武家の邸宅の正門とされてきた薬医門です。
しかし実は、この門には建設当時(明治末期から大正
にかけて)の最も高い建築技術や新しい試みが採用さ
れています。
表門の柱はヒノキ材が使われていますが基礎はコンク
リートです。
鉄筋コンクリート造
一間薬医門 (いっけんやくいもん)
左右脇門及び袖塀附属
国指定重要文化財
今では当たり前のように使われて
いるコンクリートですが、この当
時はまだコンクリートを使うこと
が珍しい、いわば先駆けの頃にな
ります。
また、柱は一見すると総ヒノキ材
とおもわれるかもしれませんが、
実はヒノキ材を四面に張り付けて、
内側はコンクリートと鉄筋で作ら
れています。
コンクリート
柱の板の割れ目から見た内部
石本造園
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表門を入って右手にモミジ、
左手にツツジがあります。
左手の一つ一つが大きなツツジの寄
せ植えは5月下旬になると咲きます
が、同時に100株以上咲きますと非
常に見応えがあります。植え付けて
100年近く経っていますから風格が
あります。
門番所
2013年6月4日撮影
門番所は表門を入ってすぐの左側にあります。
木造、建築面積14.61㎡、
入母屋造、桟瓦葺(さんかわらぶき)
国指定重要文化財
青もみじ
表門を入って左のモミジ林は通称、モミジ谷。
毛利邸の誇る景観の一つにマツ並木があるとお話しました
が、晩春から初夏にかけての「青もみじ」と秋の「紅葉」
の美しさも、防府毛利邸を特色づける素晴らしい景観の一
つです。
ナギ川が流れるモミジ谷の新緑
通常モミジは山の尾根筋ではなく谷筋に生育しています。
モミジは水分が豊富な方が生育しやすいのです。毛利邸の
モミジ谷も「なぎ川」が流れる湿地帯で、他の場所よりモ
ミジが元気に育っているのがわかります。
新緑のシーズンは絶景です。毎年の散策会はこの時期に合
わせて行っていますが、この素晴らしさを見ていただきた
いための会期設定です。
モミジの翼果
新緑の若葉はみどり一色で表現されるものでなく、いろい
ろな緑があり目にとってもやさしい他に、芽吹きは樹木に
とっても非常にエネルギーに満ちていますから見る側もエ
ネルギーをいただけます。
毛利邸・毛利氏庭園の見どころの時期はいつかと聞かれま
したら、紅葉の季節も素晴らしいですが生命力の溢れる新
緑のシーズンもお薦めです。
庭園内のモミジの新緑
石本造園
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表門から本邸前の車寄せへ
この石橋も何気なく通っていますが立派なものです。
毛利邸の土地、建物、庭園すべてにかかわる費用が当時
の金額で35万円で、今の金額に直すと130∼150
億円になるのではといいます。現在の物価や賃金の水準
から考えると金額以上であることは間違いありません。
鉄筋コンクリート造単アーチ橋、
橋長6.4m、石造高欄付 国指定重要文化財
当時の最高の技術、つまり培われて来た和風建築や和風
造園技術に加え、先端技術をも余すことなく使われてい
ることも御覧になっていただきたいと思います。
建築技師責任者・原竹三郎氏は、竣工後に、どのような
材料を使っているかとかメンテナンスの方法など後世の
維持管理のために建築様式報告書を残しています。
江戸時代の建築は藩主・当主に相当する方の意向・色合いが建築そのものに強く反映されてい
ましたが、明治以降の近代では設計者の意向や特色が多く反映されています。毛利氏邸に関し
て言えば毛利氏の意向を踏まえながらも建築技師の原竹三郎氏や庭園の作庭の佐久間金太郎氏
の見識や意向が多く反映されています。
また、工事費用が限られていることから無制限に作りたいものを作っている時代から、限られ
て予算で進めることが求められる時代となり、いかなる節約が出来るかなども考えて工事が行
われたことも建築家や造園家の手腕が多く求められる時代となった理由といえましょう。
庭石
庭園の庭石は毛利氏邸の裏山の多々良山のものが使われています。このあたりの石は花崗岩で
す。右田ヶ岳の山肌にも見える石ですが、岩肌はざらざらした感じで年数が経つと黒味を帯び
ます。庭石一つ動かすにしても当時は重機がない時代ですから手間がかかります。
庭石は庭園材料の中で一番重い重量物ですから運搬を考えると近場言うなれば地産地消が経費
削減につながります。
庭木
庭木もできるだけ経費をかけないような試みが行われています。防府三田尻邸や山口の野田邸
など毛利家の所有地から持ち込まれたり、ヒノキ等は苗木から育てたものを使っています。こ
ちらの着工は明治25年ですがその時から庭木の準備が始まり、苗木や幼木も完成の大正5年に
は30年程度たっているのである程度の大きさになっていました。
車寄せ広場
車寄せ広場のシンボルになっている樹木はヤマモモです。ヤマモモは温暖な気候帯の代表的な
照葉樹林の木です。雄株と雌株がありこちらは雄で実はつきません。
石本造園
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その横にあるのはソテツです。最近
はソテツを植えるところは少なくな
りましたが、当時はよく植えられる
植物のひとつでした。この木はもっ
と暖かい熱帯地帯によく見られま
す。
ヤマモモ
ひと際高くそびえたつ石造物が灯ろ
うで、このような形は春日灯ろうと
言われます。庭園内にもいろいろな
ソテツ
種類の灯ろうがありますが、この庭
を作るために仕入れたものは全くなく、毛利氏所有地等のどちらかの場所に所有していたもの
を持ち運ばれたものになります。
庭園へ
庭園入口の中雀門(ちゅうじゃくもん;城内または武家屋敷の内部に設けた門)を入ると正面に見える灯ろう
も春日灯ろうの形です。石の材質は花崗岩です。
防府毛利邸の庭を造られた方は東京高輪の仙花園の庭師・佐久間金太
郎さんです。
明治政府の要請により廃藩置県後旧藩主家などの当主は東京に住まな
ければなりませんでした。公爵となられた毛利家当主のお屋敷も東京
高輪(現・品川プリンスホテル)にありました。佐久間さんはその時の高輪の
邸宅の専属の庭師さんになります。
庭園に入ってすぐの灯ろう
佐久間さんは庭園を造るために東京から防府にこられ、作庭後も庭園
管理に従事されました。そのご子息も後継者として庭園の維持管理に
従事されました。
庭園は、樹木等の成長に加え、管理者による庭木の整枝・剪定で雰囲気が変化し続けます。
防府の毛利邸の建物は純和風の作りです。庭園も回遊式のつくりで東西に芝生広場があり洋風
の雰囲気はありますが全体的には和風の日本庭園です。佐久間さんは東京出身であることから
江戸時代からある庭園様式が使われています。明治時代は洋館の建物も積極的に取り入れられ
た頃でもありますが、 防府の毛利邸ではあまり見かけないことも含め、当主の好みが色濃く反
映されているのではないでしょうか。
日本庭園の特色として花の咲く木をあまりいれていません。こちらには花の咲く木はサクラ、
ツバキ、ツツジ類などいくつかの種類はありますが、色とりどりに花が咲く光景は見られませ
ん。果樹はウメのみです。マツ、モミジを中心とした日本庭園です。
石本造園
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樹種は日本に当時からあったものが中心ですが、明治時代になって外国から入ってきた樹種も
あります。
こちらのダイオウショウ(大王松)もその一つです。
原産は北米の方でこの庭園でも人木は高く成長してい
ます。ダイオウショウは江戸末期頃から日本に入って
きた樹種なので、その当時としては珍しかったと思わ
れます。
源平ツバキは花が咲き分けて咲きます。ツバキとサザ
ンカの違いの一つとしてツバキは花が終わると丸ごと
落ちてしまいますが、サザンカは花びらがばらばらに散ってしまいます。
ダイオウショウ
ダイオウショウ
本邸
←中雀門
タイザンボク
マキ
ナギ
その隣にあるタイサンボクもモクレン科の仲間で白くて大きなお花を咲かせますが、ダイオウ
ショウと同じように北米原産の木です。
梛(ナギ)の木はよく神社などに植えられている木ですが、縁起の良い木として植えられてい
ます。防府の毛利邸に流れる「ナギ川」や 明治天皇がご宿泊になった梛邸などにも梛の名前が
石本造園
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伺えます。梛の木は古くから神社の境内に植えられ、熊野神社では神木とされ、またナギが凪
に通じることから船乗りの人がお守りとしたり、その葉が切れにくいことから、男女間の縁が
切れないように、女性が葉を鏡の裏に入れる習俗があったともいいます。
タイザンボク
ナギ(樹皮)
ナギ(葉)
日本庭園には造る際に決まりごとが様々ありますが、そ
の一つとしてこちらの拝石があります。拝む石と書きま
すが、ここに立って庭を眺めます。
殿様の間からは正面に位置するマツはこの庭園の中でも
枝ぶりのよいマツの一つです。マツの樹齢は樹皮が亀の
甲羅のような切れ込みの深さによっても計り知ることが
出来ますが、ご覧のようにこの松は古いことが分かりま
す。参道にあるマツよりさらに古いことが伺い知れます。
拝石
その隣にあるイブキは当時から100年経つと大きくなって今ではマツを
追いやる大きさになってしまいました。イブキの方を出来るだけ小さく
仕立てて、マツを助けてあげる方がいいでしょう。
イブキ等の針葉樹は葉がないところから切ると枯れてしまいます。
そのため徐々に小さく仕立てることしかできません。
屋内から
100年という歳月は当時にとって予想もしない状況もありますが、庭
木は主と従の関係を仕立てることで維持できますので、これから手を入
れても遅くはありません。
屋内から
奥方様の間から正面に位置するこちらの松も枝ぶりがよいマツです。こ
ちらは長く伸びた枝の下に自然石を添えています。このような石は景石
と言います。樹木と自然石が一体となるような配置をします。
設計する際に部屋から見てどの配置がよいかを考えています。
1階縁側外階段から
庭園の設計には芸術性が要求されます。佐久間さんの関係者の方によれ
ば、佐久間金太郎さんは、茶道、華道、小唄など今でいう伝統文化を大
事にされ、当主の毛利様も佐久間さんを非常にかわいがられたとのこと
です。佐久間さんの2代目の息子さんもこの庭の管理に関わられ毛利様
2階から
石本造園
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にお仕えされたとのことです。
大きな石が飛び石として使われています
が、この円形の石は臼です。臼を飛び石
として使うケースもあります。
模様が入っている石はノミで加工しなが
ら作られたものです。飛び石の材料も全て多々良山から運ばれ
てきたものです。
佐久間さんは東京から
来られましたが、庭の
工事に従事された方は
地元の方がほとんどで
すから、材料の運搬だ
けでも非常に多くの労働力が必要だったことでしょう。
ただ、現在のように人件費が高い時代ではありませんが、
金銭だけでない地元の人の献身と思いもこの工事には沢
山注がれたと思います。
飛び石の方向を進むと紅梅があります。こちらは明治
天皇のお后・貞明皇后さまが好まれた木です。
このあたりはウメの木が集まっている梅林になります。
ウメとサクラは咲く時期が違いますが、花のつき方も
違います。ウメは枝にひっつくように咲きますが、サ
クラは花柄が長く、枝から離れて咲きます。
貞明皇后お手植えのウメ
芝生広場から東の自然林へ
ここから東側の芝生広場になります。そしてその奥からは高木の木がある自然林になっていま
す。 自然林といえども人工的に植栽されたものですから樹種は限られています。
すべて完成したのは大正5年ですが、着
工はこちらの土地を選定してからの明治
25年で、その時には木の植え付けを開
始していました。完成までに25年経っ
ていますからその期間で樹木は育ってい
屋内からの芝生広場の眺め
(2011年10月撮影)
芝生広場
石本造園
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ますし、小さい木を植える方がコストがか
からなくて済むメリットがあります。
トゲ無し栗
東側の端にトゲなしクリが
あります。
通常のクリはトゲがありま
すが、こちらはトゲ先が曲
がり全く痛くありません。
幹が腐りだいぶ傷んでおり
ます。この状況になると次
の代の後継樹を直ちに残し
ておくことが必要です。
自然林
トゲ無し栗
トゲ無し栗の花(2013年6月撮影)
昭和天皇がお見えになった時にお植えになられたマツ、ス
ギ、ヒノキです。
その斜めにある珍しい木はスギの仲間のコウヨウザンです。
この木は温暖な場所に生息しています。
コウヨウザン↓
コウヨウザン
コウヨウザン(広葉杉)は杉科コウ
ヨウザン属の常緑針葉樹。中国では
「杉」の漢字はコウヨウザンのこと
を指し、は日本で言う杉は中国では
一般に柳杉(リュウスギ)と呼ばれ
ます。
石本造園
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庭園の中心部へ
それでは庭園の中心部に向かって歩きます。
こちらに高く育っている木がありますがダイオウシ
ョウ(大王松)です。
この葉はお正月の生け花に使われますが、庭木とし
て民家にあるものはそのままにしておくと大きくな
りすぎますので毎年剪定が必要になります。
毎年剪定すると実がつきにくいですが、こちらはそ
のままの自然樹形ですから大きな実が付いています。
これだけ大きな松笠は珍しいのでなかなか見る機会
はないと思います。
隣にある大きな幹の木はシイの木です。根を四方に
張り、台風などのどんな状況が来ても倒れない力強さを感じます。
ダイオウショウとシイ
ここには五重塔があります。石を加工するには場合、材質が柔らかなものでないと出来ません。
この塔の材質は出雲の来待石(キマチイシ)に似ています。難点としては材質がやわらかいと風
化しやすく、年月を経るとぼろぼろに崩れていきます。ただ、この塔は非常に良い状態を保持
しています。
毛利庭園を散策するときに絶好のスポットがいくつ
かありますが、こちらもその一つです。
多々良山を背景に本邸などの建物を見ることが出来、
よく観光写真に使われている場所です。
正面にみえる大きく風変わりな灯ろうがありますが、
この形は雪見灯ろうと言います。
ほっそりとした三角型の傘の灯ろうは春日灯ろうと
いい男性的で、雪見灯ろうは女性的な灯ろうです。
両方を一体としてお庭に配置するケースが多いです。
この灯ろうの特徴は大きな傘です。
これだけ大きいものは自然石では作れません。よく
見ると分かりますがセメントで作られています。建
石本造園
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物の基礎すべてにコンクリートが使わ
れ、小野田セメント(1881年(明治14年)
設立の日本初の民間セメント会社) から直接
運ばれたものです。
灯ろうも構造物として一つ一つ型をつ
くって作られたと思います。
こちらの東屋は防府平野が一望できる
場所です。
東屋の近くには数年前まで非常に背の
高いマツがあり、遠くからでも目印と
して分かるほどのものでした。樹勢の衰退にともなうマツ枯れでした。
こちらにあるサクラは庭園の中でもひと際大きいもので
す。
サクラは幹からでも不定根といって根を出すぐらい生命
力の強い木ですが、腐朽菌が入り込みやすいため腐りや
すい木でもあります。太い枝が折れたり切ったりした部
分から腐朽菌が入り込みますので切るときの処置にはケ
アが必要になります。
東屋
この時期に咲いているサクラはヤマザクラ、花と葉が同
時にで、葉が赤みを帯びていることが特徴です。
南側の土手の周りのサクラはソメイヨシノが中心です。
ひょうたん池
これから南側にあるひょうたん池をまわっていきたいと
思います。
ひょうたん池の南東から本邸を望む
ここにはモミジ、クスノキ、マテバシイなどの高木が
あります。高木の自然樹形がひときわ樹木のよさを引き
立たせています。
高木の下にアセビがあります。馬酔木と書きます。
このひょうたん池の土手から見る風景も眺めのよい場所
の一つです。
早春に咲く馬酔木の花
アセビは、日本に自生するツツジ科の常緑の低
木。花もの盆栽として作られることもあります
が、種は有毒。
石本造園
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池の周りにあるサクラはソメイヨシノを中心とし、他
に大きな花弁が幾重にもなって咲く八重桜があります。
花弁が5枚までを一重といいます。サクラは品種改良
して今では600種程度あります。
サクラの花びらも薄いピンク、濃いピンク、ウコン色、
薄みどり色などがあります。
ソメイヨシノより早く咲く桜は、向島小学校にあるカ
ンヒサクラ(ヒガン系)があり、色は非常に濃いピン
ク色です。
サクラの開花宣言の基準木がソメイヨシノです。ヤマ
ザクラはソメイヨシノより少し早く咲きます。山に咲
いているサクラはヤマザクラになります。ソメイヨシ
ノは自生しているものでなく江戸時代に染井村でエド
藤棚の下から匂いサクラ越しに池を望む
匂いサクラ
2011年4月2日撮影
ヒガンとオオシマザクラをかけあわせて作られたサク
ラが日本全国に広がったものです。(自然交配説もあります。)
サクラの花は夏ぐらいから花芽の準備に入り、葉から
ホルモンが出ます。冬季になると一度サクラは眠りま
すが、その後温度が次第に上がってくることにより芽
が開きつぼみが成長していきます。
花が咲くことは葉からでるホルモンが関係しますが、
健全に成長しないと葉も成長しないので樹木は葉が大
切になります。
西の芝生広場周辺に植えられたソメイヨシノ
(2013年6月4日撮影)
サクラには天狗巣病という病気にかかると花が咲かな
くなるので、病気の管理も大切になります。
サクラの枝の切り方、処置には十分気を付けなければ
なりません。幹は枝を巻き込むようにして成長するの
で、太い枝の切り口が腐ってしまうとそのまま幹まで
腐り・腐朽菌が入り込んできます。
サクラの樹皮は皮目といって呼
吸をしている部分があるのが特
徴です。
サクラの皮目
西の芝生広場北側にある
メタセコイア
(2013年6月4日撮影)
石本造園
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桜
毛利氏庭園のサクラは、西の芝生広場やひょうたん池の南側や東の自然林あたり、つまり庭の
外周沿いにその多くが植えられています。
本邸の正面は、いわゆる武家風の日本庭園に設えられており、梅や椿はありますががサクラは
植えられていません。
ニオイサクラ
ニオイサクラは
Aの場所にあります。
2011年4月2日撮影
B
A
C
D
毛利氏庭園の桜はおよそ上の図のピンクで示した辺りに植えられています。
芝生広場やひょうたん池の回りにはソメイヨシノが多く植えられています。ソメイヨシノは、
明治と第二次世界大戦後に、桜堤や街路樹として全国に多く植栽されました。
ソメイヨシノは江戸時代から染井村(現在の東京都豊島区駒込一丁目から駒込七丁目)に集落を作っていた造園
師や植木職人達によって育成されたと言われています。生まれて200年も経ていない新しい品種です。最初は昔か
らサクラの名所として知られていた奈良の吉野にちなんでヨシノサクラと名付けられましたが、吉野のサクラは
葉が出てから花が咲くシロヤマサクラが多く、やはり違いがわかる名前をということで、ソメイヨシノと呼ばれ
るようになりました。
毛利氏庭園では、特にひょうたん池の外周にあるサクラが、
ほとんどが枝枯れをおこしたり、幹の内部が腐朽菌によって
腐っている状況です。
樹木の衰弱は、枝が枯れている、葉の量が少ないなど目に見
える外観で判断できますが、実は目に見えない地下部では根
がたいへん衰弱しています。
ひょうたん池周囲のサクラ(CD)
園路に表面に根が出ている
石本造園
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右の写真は図中のCのサクラです。密植はされて
いませんが、ひょうたん池の側に1本植わってい
ます。写真から、向こう側の木を消しこの木だけ
をぬき出したのが、下の写真です。
例えば、桜の代表種ソメイヨシノの根は、中・大
径の垂下根(水平型)を幹を中心に全方位に広げ
ます。この根は地下で木の幹を中心に傘の骨のよ
うに広がり樹幹を支えながら、土中から水分と養
分を吸い上げています。
細根は肥厚型といい、地面に対し斜め下と上層に
根をはり、細根が0.5mm以上に発達する特性を持
っています。
通気性がよく柔らかいフカフカな土壌で発達する
細根は、やや透明な色合いでまるで赤ちゃんのよ
うな可愛らしさがあります。
ひょうたん池周辺ののサクラの弱った原因の一つ
に踏み固められた園路の影響があります。
主幹は朽ち折れ、幹
も空洞化しています。
わずかに残った枝が、
花を付け、芽吹いて
葉を茂らせています。
サクラの根元を見ると、園路の方向にも体を支え
る太い根が表面を這うように伸びています。
なぜ体を支える根が地中深くに伸びずに、地表に伸びているかといいますと地盤が硬いため地
下深くに伸びるのが困難なために起こる現象です。これは花崗岩を主成分とした真砂土の特徴
で、非常によく締め固まります。固いところではスコップの歯が立たないぐらいカチカチにな
っています。こうなると、特に細根が育ちません。
園路側は
踏み固められた
固い土
固く作られた
池の岸
固く締まった真砂土
十分根を張れ空気を含みやすい柔らかい土壌の根
園路の反対側のサクラ(D)も土手と園路に挟まれ根張りが
十分出来きない所に密植されています。
それでも園路の地表に細根が集まり活動しようとしていますが、人の踏みつける圧力で潰され
傷んでしまいます。
石本造園
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西側の芝生広場の外周にあるサクラに比べる
と成長の違いがはっきりわかります。芝生広
場のサクラが植えられている場所はほとんど
根元周りを人が歩くことはないので、生育が
2∼3倍も違ってきます。
ソメイヨシノは種子では増えません。日本中
のソメイヨシノはほとんど接木で増やされた
もので、いわば日本中のソメイヨシノは全て
クローンといえます。
西の芝生広場の南端の丸で囲んだ辺り(B)の桜をメタセコイア
の方向から眺める。
例えば、種子で増える(実生)サクラを含む多くの樹木は、隣り合って並べて植えた場合でも
地上でも地下でも互いに有る程度領域を住み分けて成長していきます。
しかし、ソメイヨシノは全ての木がクローン
ですから、密植すると、隣の木の枝も根も自
分の枝や根と見分けがつきません。つまり隣
の木の枝も全部の枝だと認識してしまうそう
なので、隣の木の枝が自分の枝に覆いかぶさ
ったりしても、根が絡まってきても気づかず、
結果、異常に混み合って育ってしまいます。
こうした常態になると、日光や土中の空気の
取り合いがうまくいかなくなり、木の寿命を
縮めてしまいます。
密植されたソメイヨシノの枝が、互いに縦横斜めと縦横にか
らまるように伸び、多くの主幹は育たず朽ちてしまっている。
(新宿御苑)
ソメイヨシノは成長はサクラの中でも最も早
く、樹齢50年で15m、胸高幹周2.5m、枝張
り20mにもなります。この成長の早さがソメイヨシノが多く植えられた一因でもあります。
密植した場合も30年目くらいまではほどほどに育ちます。しかし、前述のようなクローンの特
性からか、ある大きさになると一気に樹勢が衰えてしまいます。腐朽病やてんぐ巣病にも弱く、
密植するとまたたくまに病気が伝播し、放置していると一挙に多くの木が枯れてしまいます。
日本三大サクラはいずれも千年を超す樹齢と言われます。三春滝桜(福島県)はベニシダレザ
クラ、淡墨桜(岐阜県)と神代桜(山梨県)はエドヒガンサクラです。一方、ソメイヨシノは、
手入れを良くしたとしても樹齢の平均は一般に70年から80年位と短いようです。
弘前公園には明治15年(1882年)に植えられたサクラが今も花をつけています。おそらく植
えられた環境や育成の為の保護に恵まれた日本最高齢のソメイヨシノではないでしょうか。
品種が生まれ未だ200年足らずのソメイヨシノです。今後、木の育成環境などに配慮されれば、
もしかすると、200年以上の寿命を保つ可能性もあるかもしれません。
いずれにせよ、ひょうたん池の周囲のサクラは早急に樹勢回復の手立てが必要ですが、園路の
まわりにあることや狭い間隔に植えてある現状の環境下では期待するほどの効果は難しいと思
います。
石本造園
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メタセコア
メタセコイアは、スギ科、別名アケ
ボノスギ(曙杉)、樹形は三角形で
す。新葉は明るい緑色で、秋になる
とオレンジがかった黄葉になりま
す。スギ科の特徴としてやや湿った
土壌を好みます。
メタセコイアは日本で化石が発見さ
れ、発見者の三木茂博士によりスギ
科の常緑針葉樹セコイアににている
ことから、「のちの、変わった」と
いう意味の接頭語である「メタ」を
つけ『メタセコイア』と命名し、
1941年に学会発表されました。
化石の発見当時は100 万年前に姿を
消した樹木と思われていましたが、
同じ1941年に中国の四川省で「水
杉(スイサ)」と呼ばれ現存してい
ることが確認されたことから、「生
きている化石」とも呼ばれます。
毛利氏庭園のメタセコイア。2013年6月撮影、
メタセコイアの葉
この発見は植物学者を驚かせ、米国
の学者は種子を入手し研究を行いま
した。1949年、米国で育った挿し
木と種子が日本に届き、皇居にも植
えられることになりました。
昭和天皇は、メタセコイアをたいそ
う好まれ、すくすく伸びる姿を戦後
の日本の復興に重ね、曙杉の名でお
歌にも詠まれたほどです。
太平洋戦争後に日本各地に植えられ
ることになり、毛利氏庭園にあるメ
タセコイアもこのような時代背景の
中で植えられたものと思われます。
メタセコイアが2本、西の芝生広場の北側に植えられています。
石本造園
2013
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各々の初夏の花の位置は、別掲載の「毛利氏庭園植栽図 初夏Ⅲ」をご参照ください。
ツツジ
ツツジの見ごろは5月∼6月です。6月上旬で花期の終わりを迎えるものもありますので、 満開
の時期は5月下旬あたりでしょう。
毛利氏庭園のように広い敷地の場所にあ
るツツジは大きく仕立てられているの
で、花の咲く時期は見応えがあります。
表門の左側に丸く仕立てられたツツジが
100株以上が迎えてくれます。このあ
たりで見られるツツジはサツキツツジ、
クルメツツジ(別名キリシマ)で、ピン
ク、朱、白などの色が多く見られます。
毛利邸の表門を入ると迎えてくれるツツジ
サツキはツツジ科ツツジ属の園芸品種群の和名ですが、葉や枝に茶色の伏毛があり、葉は他の
ツツジに比べて小さく、他のツツジより花の時期が遅いのが特徴です。花が旧暦の五月(皐月)
頃(新暦の五月下旬から七月)に咲くことから「サツキ」と呼ばれるようになりました。
同じツツジでも品種によって葉の大きさや形が違っています。4月にかけて咲くヒラドツツジ
は、花も大きめで、特に葉が明るい黄緑色で大型(3㎝∼5㎝)で他のツツジの葉のサイズとま
ったく違うのでたやすく区別できます。
ヒラドツツジ
長崎県平戸地方で栽培されていたの
が名前の由来と言われ、1712年に発
行された「和漢三才図会」に「ヒラ
ドツツジ」の名前が出て来ます。
クルメツツジ
サツキツツジ
クルメツツジは江戸時代、久留米藩で
キリシマツツジを品種改良が始められ
た一群の園芸品種を指します。花弁が
二重になって咲き、サツキツツジと比
べ葉に光沢を持ちます。
サツキツツジは、江戸時代から園芸品
種が多く作られ、庭木だけでなく盆栽
としても親しまれて来ました。
ツツジは日本に古来より自生し、万葉集にはツツジを詠んだ歌が9首あるといいます。
さ
「物思はず 道行く行くも 青山を 振り放け見れば
をとめ
つつじ花 にほえ娘子
桜花 栄え娘子
な
汝れをぞも 我れに寄すといふ 我れをぞも 汝れに寄すといふ 汝はいかに思ふ」
巻13?3309
柿本人麻呂歌集
この歌では、思いを寄せる女性の匂うような美しさをツツジに、見栄えの美しをサクラに寄せ
て讃えています。
石本造園
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また、ツツジの木は茶の湯では湯炭として用いられ
ます。
特にツツジやサザンカの二股や三股になった小枝そ
のままの姿で焼いた枝炭は、炭に胡粉を塗り貴賓用
の白炭として用いられます。
ツツジ類は開花後から伸びた枝に翌年の花芽をつけ
ます。
通常の庭にあるツツジはそのまま伸ばしておくと場
所をとるため、花が咲き終わった時期にしっかりと
刈り込むと毎年変わらない大きさで仕立てられます。
躑躅
ツツジという漢字は画数も非常に多く難しい字で
す。「羊この葉を食せば躑躅(てきちょく)として
斃(たお)る。 ゆえに名づく」と「和名抄(平安
中期の辞書)」に書かれています。
「てきちょく」とは辞書に「足踏みすること。た
めらうこと」とあります。
「レンゲツツジ(蓮華躑躅)」は強い毒性を持ち、
現代でも世界ではこの花からの蜂蜜等に起因する
事故例が報告されています。
中国ではツツジは「羊躑躅(和名:トウレンゲツ
ツジ・シナレンゲツツジ)」のみが「躑躅」の文
字が使用されており、他は「杜鵑花」と名されて
いるようです。
日本でツツジの漢字にこの難しい字が当てられる
ようになったのは、レンゲツツジの毒性を広く知
らしめるためだったのではないか、とも言われて
います。レンゲツツジは群馬の県花で、同県のほ
か山梨、栃木、長野に群生地があります。
ツツジは、江戸時代から多くの品種改良が行なわ
れ、現代でも和風洋風をとわず多くの庭で植えら
れていますが、欧米でもアジアから伝わった園芸
花木アザレアが親しまれています。
ちなみに、敬宮 愛子内親王様のお印は「五葉ツ
ツジ」です。
右上図:斎藤兼光(1811ー1893 幕臣;1828幕府賄方、本草家:小石川百白 園経営)著
「一白圃躑躅譜(イッパクホツツジフ)」
国立国会図書館蔵(*)
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毛利氏庭園、東側のあずま屋からひょうたん池に向かう途中のハナショウブ
ハナショウブ
アヤメ科のハナショウブはこの時期・6月頃に咲く湿性植物です。今回の散策会の時期がちょ
うど見ごろです。ハナショウブは野原にあるノハナショウブを改良されて出来たものです。
その改良は江戸時代以降に行われ、5000種以上の品種が作られているといいます。白や青、紫
などの花色の種類や花弁の数、早咲きや遅咲き等のさまざまな品種があります。主な品種は、
江戸時代からの江戸系、伊勢系、肥後(熊本)系の大きな分類に加え、長井古種と呼ばれる山
形県長井市で栽培されてきた江戸中期以前の原種に近いとされるグループがあります。
特にその名が「尚武(武道・武勇を重んじること。)」に通じるからでしょうか、武士階級に好
まれ、細川家(肥後藩)では、菖翁(松平定
朝 p4の図譜の著者)からショウブを特別に
譲り受け「肥後六花」の一つと定め、今日ま
で栽培・改良が続けられています。
ハナショウブ(花期;5月下旬から6月)は、
アヤメ(5月上中旬)、カキツバタ(5月中下 ハナショウブ
アヤメ
石本造園
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旬)は全てアヤメ科に属し、花も良く似ていますが、開花期等が異なる他に、花の中心部分が、
ハナショウブは黄色、アヤメは網目状の模様、カキツバタは白とそれぞれ違います。
端午の節句の「菖蒲湯」に用いるショウブは、現代の植物分類ではサトイモ科に分類され、シ
ョウブ科とは別の植物に分類されます。
ハナショウブが花を咲かせるのは、僅か3日間。一つの花の開花期は短くとも、次々に花を咲
かせます。
毛利氏庭園では東側の芝生広場の南面の池の部分とあずま屋の東側にあります。あずま屋から
ひょうたん池に向かって歩くと小さな池の湿地部分に咲いているハナショウブはとても美しい
花の位置は、別掲載の「毛利氏庭園植栽図 初夏Ⅲ」をご参照ください。
ので一見する価値があります。
ハナショウブは仲夏(陰暦5月)の季語ですが、小林一茶に次の句があります。
「足首の埃たたいて花菖蒲」
また、井上ひさしの最後の作品「東慶寺花だより」に「花菖蒲の章 おきん」という物語があ
ります。
上図:松平定朝著
著者松平定朝(さだとも、号は菖翁、1773∼1856)は幕臣で、京都町奉
行を長く勤めた。花菖蒲の改良で名高く、本書はその花菖蒲(ハナショウ
「花菖培養録(カショウ バイヨウロク)」
ブ)の専書で、まず自序があり、続いて父の代からその改良に関わり、さ
国立国会図書館蔵(*)
まざまな品種を作り出すまでの苦心を述べる。ついで名花21品を図示し
たのちに、「盆植培養」「実生培養」「虫患」「肥しの製法」の項目を立てて
栽培法や害虫の駆除法を記す。じつは、本書は弘化3年(1846)に『花
鏡』の題で執筆されたのが最初である。(国立国会図書館 解説より)
石本造園
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スイレン
スイレンは、1つの花の咲いている期間は3日程度と短いのですが、5月∼7月くらいまでと花
の咲く時期が長い水生植物です。
毛利氏庭園では、ひょうたん池の西側と東側にあります。また、滝口の石組みで造られた池の
中にもあります。
ひょうたん池
スイレンは日あたりが良い場所で肥沃な泥土を好みます。葉と花は水面上に浮かび根茎は水底
の泥土に張っています。
毛利氏庭園の環境はスイレンにとても適して
いるので年々増えているのが確認できます。
スイレン科スイレン属の園芸種は育種類かあ
りますが、日本に自生するのはスイレン属の
ヒツジグサ(未草)のみです。
今日一般に多く見られるスイレンは、園芸種
です。
石本造園
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ヒツジグサという和名は未の
刻(午後2時頃)から花が咲
くことから名付けられたとも
言われますが、ヒツジグサも
実際には朝から夕方まで花を
開いています。
スイレンという名前は、日が
沈むと花を閉じることから
「睡蓮」と名付けられたので
しょう。
ときどきスイレンとハス(蓮)
が間違えられることがありま
す。
ひょうたん池
スイレンの葉には基本的に切れ込みがあり、ハスの葉には切れ込みはありません。
またスイレンの葉が水面から立ち上がることはありませんが、ハスの葉の芽生えの時期は水面
上に葉を浮かべるものの、やがて茎を伸ばし水面の上に葉をつけます。
スイレンの葉には水を弾く性質はありませんが、ハスの葉は水滴を弾き、水を丸い玉状にして
しまうのも大きな特徴です。
スイレンの花は、品種によっては水面に茎を伸ばしその先に花をつけるものもわずかながらあ
りますが、そのほとんどが花も水面に咲きます。
ひょうたん池
ハスの花は水面上に伸びる葉
同様、水面から離れた位置で
開花します。環境が良いと水
面から1m以上も伸びた花茎
の先に花を付ける場合もある
ようです。
注:2ページと4ページの古典書籍の図(*)は、いずれも国立国会図書館の許可を得て掲載しています。
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