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ワンパーパス ドウシシャ 半日の京都散策 すると、「あんた、ここの卒業生

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ワンパーパス ドウシシャ 半日の京都散策 すると、「あんた、ここの卒業生
2 2014 年 6 月 1 日発行 同志社校友会・同窓会 会報 ワンパーパス ドウシシャ
第7号
第 7 号 同志社校友会・同窓会 会報 2014 年 6 月 1 日発行 3
を合唱する。M 氏は元グリークラブ。S 夫婦はともに
平成25年度 会計報告
同志社交響楽団。私は元応援団ブラスバンドの指揮者。
同志社で学んだ道草教育
(平成25年4月1日~平成26年3月31日) 単位:円
収 入 の 部
指揮をしながら、私の胸に同立戦で満席の応援団を指
自由人 五泉市
相田 昇
今から 17 年前、10 年間務めた中
学校の校長を退職した。以来、自らを
自由人と称している。それまでは何か
と窮屈な身分だったので、解放感のある良い称号だと
悦にいっている。
私は大学時代岩倉で暮らした。近辺には 5 人の 同
やん が下宿しており、毎晩誰かの部屋でとぐろを巻い
ていた。その面々がまだつながっている。今は広島、
鳥取、静岡、埼玉、そして新潟に暮らす。お互い定年
を迎えた頃から、2 ∼ 3 年おきに夫婦同伴で集まって
いる。会場は先に述べた 5 県だ。初発は広島・福山の
揮した感動がこみ上げた。
新潟市
埼玉の N 氏は望遠鏡を持参してバスの先頭に乗り、絶
今出川キャンパスの一番東、女子中
次は私が佐渡へ招待した。トキ、トキと宣伝したら、
本間 由起子
えず空を見上げていたが、ついに一羽も現れなかった。
高の奥に、赤れんがの同志社幼稚園が
一度「いたっ」と声を上げたがカモメであった。気の
毒なことをした。S 氏はたらい舟で奥方にしっかり抱
きついていた。その S 氏が昨年鳥取の大山に皆を招待
した。久しぶりに再会し私の顔を見るや、新潟には新
幹線があったとうらやましがった。次回は静岡である。
富士山が爆発しないうちにと幹事に頼んであるが、今
のところ音沙汰がない。
我ら既に喜寿を過ぎている。毎回 5 人すべてが夫婦
で出席できているわけではない。突然おしっこが出な
M 氏が引き受け、瀬戸内海の周囲 1 キロもない小島に
くなったと欠席した者もいる。健康第一である。わが
本龍馬ゆかりの「平成いろは丸」が 10 分足らずで島へ
喜んでいる。幸い私は老
妻は地元で最高の企画と
ある「人生観の変わる宿」に泊まった。鞆の浦から坂
運んでくれる。夜は特設の浜小屋で海鮮料理を肴にと
人病を除けばおよそ元気
ムのような洞窟を見つけた。思わず中でワンパーパス
部文化学科卒)
である。(1961 年 文学
ことん飲み、翌朝浜辺を散策したら、天井の高いドー
あることをご存じですか? 同志社女
子部の母といわれるメアリー・F・デントン先生によっ
て明治 30 年に開園された、100 年以上の歴史がある
幼稚園です。私の上の娘は、私の母校である同志社女
半日の京都散策
う人生大詰めなんです」と言えば、「まだまだ、これ
からやんかい!」と元気付けられた。
妙高市
伊藤 慎一
4 年前の 4 月、所属する山の会の
総会が遷都 1300 年に沸く奈良県は
明日香村で行われた。当時まだ走っ
ていた懐かしい夜行列車「きたぐに」
号で行く。久しぶりの京都駅は新しくなっていて戸
惑った。ザックをコインロッカーに預け、カメラのみ
持って地下鉄に乗る。烏丸今出川で下車して同志社大
学へ。西門から入るとすぐ、当時とさほど変わらぬキャ
ンパスが広がり、とても懐かしく、並木に映える赤れ
んが校舎やチャペル、学部の掲示板などをゆっくり歩
今出川通りを一直線に東へ向かうことにした。賀茂
大橋の袂で比叡山の写真を撮り、見頃を迎えた鴨川べ
りの桜を眺める。百万遍を過ぎて、私が当時住んでい
た近くの白川今出川に差し掛かると、あれこれの思い
出とともに感傷的になる。銀閣寺には寄らず右折して
哲学の道へ入る。南禅寺までの間に程よく並ぶ寺社を
横目に、疏水べりの桜を見ながら南禅寺まで歩いた。
赤れんがのアーチ橋 水路閣を下から見上げ、「時は過
ぎ往けり」と呟いた。桜の季節の日和のせいか人が多
いのに驚いた。タクシーを拾い京都駅へと向かった。
ひとときの京都にさよならを告げ、青春時代のあの頃
はもう遠くなってしまった
いて眺める。かつてこのキャンパスを闊歩し、ベンチ
ことを実感した。近鉄京都
に腰かけ、当時の仲間たちと過ごしたのを思い出すう
駅で東京からの山の会員数
ちに正門まで来てしまった。緑濃い木立を背景に、校
人に会い、昼食をともにし
祖 新島襄の良心碑を撮影していると、ゴミ収集車のお
じさんが「これ何て書いてあるんけ、いつも見ている
が分からへんのや」と聞いてきた。「良心の全身に充
満したる丈夫の起り来らんことを」と読み上げて説明
てから橿原神宮前行きの電
車に乗った。総会の場所の
おかげで思いがけぬ京都散策を楽しめた。
(1965 年 商学部卒)
前年度繰越金
443,984
年会費
213,000
総会
総会・懇親会参加費
お祝い金
300,000
60,000
助成金
支部活動助成金
〃
10,000
273,700
子大学を毎朝通り過ぎて、この幼稚園に通っていました。
同志社の教育理念のもと、「知識は詰め込むのでは
なく体験体得から学ぶ」「個性を大切にする」という
保育方針の中、伸び伸びと過ごした 3 年間。毎日園庭
に残って駆け回り、夏は鴨川で水遊び、秋は御所で紅
葉拾いと、恵まれたロケーションのお陰で、春夏秋冬
心ゆくまで遊ぶことができました。園庭開放に残るの
はだいたいいつも同じ顔ぶれで、私たち母親はという
と、容赦なく襲い掛かる京都の猛暑、冬の底冷えにひ
たすら耐えながら子どもたちを見守り続けたのでし
た。二度と取り戻せない子ども時代。思い切り遊び道
草をして学び、逞しく育ってほしいと願いながら…。
すると、「あんた、ここの卒業生かい」と。「ハイ、も
金 額
その時の母親仲間とは、京都を離れた今でもお互いに
子供の成長を報告し合っています。
卒園後、小学校入学のタイミングで新潟に引っ越し
てきて 7 年。長女は中学生になりましたが、未だに道
草ばかり(苦笑)。面白いことやヘンテコなことが大
好きで、自分が人と違っていても気にしないちょっと
変わった子です。個性を尊重し伸び伸び育てたいと
思っていたはずなのに、なぜみんなと同じようにでき
ないのだろう?と悩むことも多くなりました。
しかし、ある時ふと思いました。国禁を犯してアメ
リカに渡った新島先生も、和洋折衷ファッションの八
重さんも、周りから見たらきっと変わり者だったに違
いないと。
新島先生は遺言で「同志社においては
儻不羈なる
書生を圧束せず務めて其の本性に従ひ之を順導する可
し」、つまり、才気が優れ、独立心が旺盛で、条規で
は律し難い生徒を型にはめずに、その本性を生かして
育てること、と伝えています。
道草教育は楽ではないし迷いや不安は尽きません
が、子どもの見えない可能性を信じて今日もまた頑張
ろうと気持ちを新たにしたのでした。
(1997 年 女子大 学芸学部卒)
合 計
1,300,684
支 出 の 部
会報
会報作成
事務
振込手数料
総会・交流会案内送付
事務用品・雑費
総会
講演会
懇親会
講師・来賓謝礼
その他活動
同窓会活動
他団体との交流
会議
幹事会
会報編集会議
慶弔
香典
次年度繰越金
合 計
金 額
21,000
11,295
57,716
13,424
229,256
334,355
34,900
3,044
20,000
53,900
1,100
10,000
510,694
1,300,684
*2014年度総会にて報告予定
はじめまして
松永誠一氏 新潟県信用保証協会 理事
(1976 年 商学部卒)
故郷は上越の片田舎で、学生時代の締めくくりが同志社でし
た。在学時の烏丸通、今出川通には路面電車が往来していた
こと、アパートで簡単な自炊を覚えたこと、冬季の銭湯が特
に温かであったことなどが懐かしい思い出です。
清水明氏 新潟県立生涯学習推進センター 次長
(1978 年 法学部法律学科卒 )
村上市瀬波温泉出身です。職場は県立図書館の中にあり、鳥
屋野潟公園に囲まれています。春は桜、
秋は紅葉がきれいです。
暖かくなったら趣味の写真をたくさん撮りたいと思います。
坂本務氏 日本放送協会 新潟放送局 局長
(1981 年 文学部文化学科卒)
昨年、報道局から新潟に赴任しました。中越地震などの取材
を担当しましたが新潟勤務は初です。新潟に根ざす公共放送
として、微力ながら地域に貢献していきたいと思っています。
佐藤俊次氏 新潟日報社 メディアシップ企画部 管理運営センター長
(1988 年 社会学部卒)
卒業してから 25 年、OB・OG の皆様と縁遠い生活をしてき
ましたが、私の職場(メディアシップ)での総会を機に、お
仲間に入れていただくことになりました。
小嶋能憲氏 真言宗智山派福王寺住職・不動産鑑定士
(1994 年 法学部法律学科卒)
旧新津市の出身です。同志社卒業後、兵庫県の不動産鑑定士
事務所、京都市東山区の総本山智積院の修行を経て、9 年前
に U ターンしました。今後ともよろしくお願いいたします。
山崎真氏 朱鷺ファイナンシャルアドバイザーリー LLP 公認会計士
(1994 年 商学部卒)
新潟市内で会計事務所をやっています。関西から新潟に帰っ
てきて 15 年。京都で過ごした 4 年間は大きな財産です。新
潟で母校に関わる機会を得られて、とてもうれしいです。
伊里浩氏 財団法人北方文化博物館
(2003 年 法学部卒)
旧新津市出身です(先祖は佐渡島)。北方文化博物館にて新
潟を学び伝える仕事をしています。最近は「沢海まちあるき」
を立ち上げました。一緒にまち歩きしませんか?
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