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第 三章
1
C IA の フ ロント
学 者 ・文 化 人 への触 手
自 由 文 化 会 議 と U S IA (アメリカ文化情報部)
ー
﹁自 由 文 化 会 議 ﹂ i
一九 五 七 年 、 東 京 で ﹁ペ ン ・ク ラ ブ ﹂ の 大 会 が 開 催 さ れ た と き 、 日 本 の ﹁赤 い 竜 ﹂ を た た き の め す た め に 、 ﹁有
名 な ﹂ イ ギ リ ス の作 家 が ﹁自 由 文 化 会 議 ﹂(C CF )の 系 列 の 例 の ﹁エ ン カ ウ ン タ i ﹂ 誌 か ら 派 遣 さ れ て 出 席 し た こ と
を 、 日 本 の知 識 人 た ち は 覚 え て い る 。 こ の策 略 に は 、 国 際 的 な 青 年 の集 会 に 出 席 し た ア メ リ カ の青 年 指 導 者 た ち を
思 い だ さ せ る も の が あ った 。 彼 ら は 栄 養 が よ く 、 き ち ん と し た 身 な り で、 の ん き そ う に 見 え た が 、 集 会 を 挑 発 し 分
裂 さ せ る た め に C I A に 金 で 雇 わ れ て い た の で あ る 。 か れ ら は 、 こ の ﹁ペ ン ・ク ラ ブ ﹂ 大 会 の 人 事 を 一新 し て 、 C
I A の 勝 利 に 終 わ ら せ な け れ ば な ら な か った 。 こ の 有 名 な 作 家 と い う の は ア ー サ i ・ケ ス ト ラ で、 彼 の ﹁真 昼 の 暗
黒 ﹂ そ の他 、 反 共 、 反 ソ的 作 品 は 、 C I A の援 助 を え て 出 版 さ れ た と い わ れ て い る 。
C C F - C I A 編 集 者 であ る ロ ン ド ン の ﹁エ ン カ ウ ン タ i ﹂ 誌 の メ ルヴ ィ ン ・ラ ス キ (
C I A の 工作 者 。前 出 ) の
﹁ハン ガ リ ア 革 命 ﹂ に 関 す る 著 書 は 、 C I A の 出 版 社 フ レ デ リ ッ ク ・プ レ ー ガ ー に よ っ て ニ ュー ヨ ー ク で出 版 さ れ
た 。 ロ ン ド ン の ﹁チ ャ イ ナ ・ク ォ ー タ リ i ﹂ 誌 の C C F - C I A 系 列 の編 集 者 ロデ リ ッ ク ・ マ ック フ ラ カ ー は 、 反
毛沢 東 の著 書 を 発表 した 。
59
い影
世 界 をお お うCIAの"黒
第二部
日 本 で は 、 C C F - C I A に 後 援 さ れ た ﹁ ﹃自 由 ﹄ 主 催 の 会 議 へ の参 加 者 の な か に 別 宮 貞 雄 、 林 健 太 郎 、 平 林 た
い子、 猪 木正 道 、 河 北 倫 明 、 木 村 健康 、 尾 高朝 雄 、 大 平 善 悟 、 関 嘉 彦 、 高柳 賢 三、 竹 山道 雄 が 名 前 を つら ね て いた 。
東 京 の 評 論 家 た ち は こ の 顔 ぶ れ を 見 て 、 ﹃中 央 公 論 ﹄ の 編 集 方 針 も ワ シ ン ト ン に 支 配 さ れ る よ う に な った ﹂ 、 と い
った 。
計 画 さ れ た のは朝 鮮 戦 争 よ り前 で
﹁文 化 的 自 由 の 保 全 と 拡 大 ﹂ に 献 身 す る と 宣 言 し て い る 。 し か し 、 つ ね に 社 会 主 義 国 だ け を 攻 撃 し 、 ワ シ
C I Aを親 会 社 と す る自 由 文 化 会議 CC F は、 一九 五 〇 年 六 月 に設 立 さ れー
ある
ン ト ン に は ほ こ 先 を 向 け た た め し が な い こ と は、 注 目 に 価 す る 。
一九 六 三 年 、 す で に 、 自 由 文 化 会 議 は 世 界 的 規 模 で 活 動 す る C I A ﹁フ ロ ン ト ﹂ の 一部 で あ る と 非 難 さ れ て いた
が 、 こ の と き 、 パ リ の 自 由 文 化 会 議 本 部 は 、 過 去 一二 年 以 上 の あ い だ 多 く の ﹁慈 善 財 団 と 団 体 ﹂ か ら 寄 付 を 受 け た
こ と を あ き ら か に し た 。 そ の な か に は 、 ア メ リ カ に あ る 財 団 や 団 体 の ほ か に 、 チ ュー リ ッ ヒ の 反 共 、 反 革 命 団 体 で
あ る ﹁ハ ンガ リ ー 愛 国 者 救 援 ス イ ス委 員 会 ﹂ と 西 ベ ル リ ン の反 共 的 傾 向 を ﹁ド イ ツ 芸 術 家 同 盟 ﹂ が は い っ て いた 。
(西ド ィ ッの) ﹁ホ ブ リ ッ ツ ェ レ 財 団 ﹂ と 同 じ く ﹁国 際 救 援 会 ﹂ が 長 い あ い だ C I A と 密 接 な 関 係 に あ った こ と は 知
﹁ア ンダ ー ソ ン 財 団 ﹂ と いう 財 団 を 通 じ て秘 密 資 金 を 最 終 的 に 自 由 文 化 会 議 に 集 中 す る た め 、
ら れ て い る が 、 そ の 他 の 財 団 と 団 体 も 、 程 度 の差 こ そ あ れ 、 関 係 が あ った 。 一九 六 七 年 の は じ め 、 ﹁ニ ュー ズ ウ ィ
ー ク﹂ 誌 はC I Aが
六 つ の異 な る ﹁フ ロ ン ト ﹂ 組 織 を 使 って い た こ と を 摘 発 し た 。
か つ て 、 ケ ネ デ ィ ー 、 ジ ョ ン ソ ン 両 大 統 領 のも と で 、 C I A 担 当 の 大 統 領 最 高 顧 問 で あ った マ ッ ク ジ ョ ー ジ ・バ
ン デ ィ ー が 、 フ ォ ー ド 財 団 の会 長 に な った こ と を 忘 れ て は な ら な い 。 彼 は 一九 六 六 年 五 月 に 日 本 を 訪 問 し 、 新 聞 に
60
よ れば コ
市民 ﹂ と し て 佐藤 首 相 お よ び椎 名 外 相と 会 談 した 。 ま た、 外 人記 者 ク ラブ に お け る 彼 の演 説 を、 ア メ リ
カ 大 使 館 の文 化 情 報 部 (U S IS ) は 七 ペ ー ジ の 印 刷 物 に し て 配 布 し た 。 こ う な る と 、 彼 の ﹁公 ﹂ ﹁私 ﹂ の別 も 、 U
月 、 フ ォ ー ド 財 団 は 、 自 由 文 化 会 議 に 一五 〇 〇 万 ド ル の 寄 付 を し て い る と 発 表 し た 。 一九 六 七 年
S I S あ る い は C I A の役 割 も 、 ま す ま す 複 雑 に な っ て く る 。
一九 六 六 年 =
二 月 二 〇 日 に は 、 フ ォ ー ド 財 団 は 立 教 大 学 総 長 松 下 正 寿 に た い し て、 ﹁ア メ リ カ に お け る 慈 善 団 体 の 研 究 が で き る ﹂
よ う に 六 〇 〇 〇 ド ル を 贈 って い る と 発 表 し た 。 そ し て 二 月 ご 五 日 の 日 本 の 新 聞 は 、 松 下 総 長 が 四 月 一五 日 の 東 京 都
知 事 選挙 に自 由 民 主党 と 民 主 社 会 党 の候 補 者と し て立候 補 す る、 と い う 発表 を 大 き く報 道 した。
日 本と アジ ア で (
と く に、学 界 、 文 化 界 への ﹁援助 ﹂ を テ コに し て1 訳 者 ) 大 規 模 に 活 動 し て い る ﹁ア ジ ア 財 団 ﹂ は 、
一九 六 五 年 一月 一九 日 に カ ン ボ ジ ァ か ら 追 放 さ れ た 。 首 相 兼 外 相 シ ァ ヌ ー ク 殿 下 は 、同 財 団 へ の書 簡 の な か で 、 ﹁わ
﹁複 雑 な C I A
れ わ れ の 独 立 と 中 立 の 保 障 が お び や か さ れ て い る と き 、 ア メ リ カ の ス パ イ 活 動 と 破 壊 的 分 子 の行 動 の 自 由 を 許 す な
ら ば 、 わ れ わ れ は 危 険 を お か す こ と に な る だ ろ う ﹂ と い った 。 ﹁カ ン ボ ジ ア ン ・ジ ャ ー ナ ル ﹂紙 は 、
機 関 ﹂ に つ い て 証 拠 の す べ て を 集 め る こ と は 困 難 で あ る が 、 多 く の情 報 が ス パ イ 活 動 の 源 は ﹁ア ジ ア 財 団 ﹂ で あ る
こ と を も のが た っ て い る 、 と の べ た 。
わ れ わ れ は 、 C I A が フ ォ ー ド 財 団 や ロ ック フ ェラ i 財 団 を 利 用 し て 、 世 界 中 の多 く の 人 び と を 仕 事 に 巻 き 込 ん
で い る こ と を は っき り さ せ よ う と し て き た 。 こ れ ら の 人 び と は 、 世 界 的 な C I A 組 織 の 一部 に な って い る こ と を ま
った く 気 が つ い て い な い の で あ る 。 こ の お 人 よ し ぶ り は 、 日 本 、 ア メ リ カ そ の他 い た る と こ ろ で 知 ら ず 知 ら ず の う
ちに 道 具 に さ れ て い る人 び と に と っても 同 じ こと であ る。
61
い 影ss
世 界 を お お うCIAのNN黒
第二部
日本 で 発 刊 され て い る 『自 由』
雑誌
CIA=CCF系
2
日本 文 化 フ ォ ー ラ ム と
雑 誌 ﹃自 由 ﹄
日本 文 化 フ ォー ラ ム (
本 文 で後 述 の よう
に 、C I A に支 配 され て いる と いわ れ る文 化
訳注)
自 由 会議 の 日本支 部 に相 当 す る 。 ﹁文 化 フオ
ーラ ム﹂ は、 文化 自 由 会議 の別 称 ー
は、 日本 の文 化 生 活 に ワシ ント ン の見 解
を 移 植 し、 日本 の知 識 人 を アメ リ カ の立
場 に ひき つけ る手 段 と し て奉 仕 す る ア メ
リ カ大 使館 の出店 の 一つであ るよ う に 見
え る。 そ れ は 一九 五 七年 に 創 立 さ れ、 パ
リ に本 部 の あ る文 化自 由 会 議 (CCF)の
加盟 団 体 あ る い はむ し ろそ の直 接的 な産
物 であ る 。 こ のC C F はC IA の紙 幣 束
に よ ってま かな わ れ、 そ の秘 密 資 金 は M
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河北倫明 (
批 評家)
福沢 一郎 (画家)
・D ・ア ンダ ー ソン基 金と いう ﹁基金 ﹂ を 通 じ て流 さ れ てい た。 日 本文 化 フォー ラ ム の当 時 の理 事会 の メ ンバ ! は
次 の通 り であ る。
植 村 鷹 千代 (
批評家)
︽美 術 部 門︾
︽小 説部 門 ︾
(
故)北 村 喜 八 (劇作家)
平 林 た い子 (
小説家)
内村直也 (
劇作家)
丹 羽文 雄 (小説家)
植 草甚 一 (
映画)
士口田秀 和 (批評家)
(
故 )三好 三郎 (劇作家)
石坂 洋 次郎 (
小説家)
植 草 圭 之助 (映画)
︽演 劇 部 門 ︾
北 川 冬彦 (映画)
別 宮貞 雄 (作曲家)
︽音 楽 部 門︾
︽経 済 学部 門︾
木村健康 (
東京大学 教授)
武 藤 光 朗 (中央大学教授)
林 健 太 郎 (東京大学 教授 )
中村菊男 (
慶 応大学教授)
(故)高柳 賢 三 (日本学 士会員)
気 賀健 三 (
慶応大学教授)
板 垣与 一 (一橋大学教授)
和 田耕 作 (日本 フ ェビアソ協会書 記)
三上 次 男 (
東京 大学教授)
河 原 次 吉 郎 (中央大学教授)
大平 善 悟 (一橋大学教授)
高橋正雄 (
九州大学教授)
井 上茂 (お茶 の水大学教授)
︽法 学 部 門 ︾
︽政 治 学 部 門︾
猪木正道 (
京都大学教授)
︽歴史 、 哲 学部 門 ︾
前 田護 郎 (
東京大学教授)
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い影。
世 界 を お お うCIAの"黒
第 二部
上 田敏 (東京大学教授)
︽文 学 部 門︾
︽社 会 学 部門 ︾
(批評家)
梅 原 一雄 (
東京新聞)
前 田陽 一 (東京大学教授)
原 田淑 人 (東京大学教 授)
渡 辺善 一郎 (毎日新聞 )
檜山義夫 (
東京大学教授)
牧内正男 (
共同通信)
鈴木舜 一 (
時事通信) 土 屋 清 (朝日新聞)
関嘉 彦 (
東京都立大学教授)
大 来 佐 武郎 (経済企画庁)
竹 山 道雄
尾 高 朝雄 (東京大学教授)
岡 田譲 郎 (東京教育大学教授)
青 山洋 三 (読売新聞)
︽ジ ャー ナ リズ ム部 門︾
半谷喬雄 (
産経時事新聞)
高 橋 歳雄 (松竹株式会社)
(故)中 谷 宇 吉 郎 (北海道大学教授)
直 井 武夫 (評論家)
桶谷繁雄 (
東京工業大学教授)
︽自然 科 学 部 門︾
︽一般 部門 ︾
大 原 総 一郎 (倉敷 レイ ヨン社長)
雑 誌 ﹁自 由 ﹂ は 、 C I A ー フ ォ ー ド ー ロ ッ ク フ ェ ラ i 基 金 に よ る 雑 誌 発 行 の 興 味 あ る 日 本 語 の実 験 で あ る 。 そ れ
は 東 京 で 印 刷 さ れ る 月 刊 誌 で 、 多 年 に わ た って 日 本 の 学 者 た ち に 食 い 込 も う と つと め て き た が 、 そ の 主 張 が 終 始 一
貫 し て 右 寄 り で あ る た め に 、 さ し た る 感 銘 を あ た え る こ と が な か った 。 ﹁自 由 ﹂ は 、 C C F が ア メ リ カ の立 場 を そ
れ と な く 防 衛 し ﹁共 産 主 義 と た た か う ﹂ た め に 作 った 国 際 的 雑 誌 の 系 列 の な か の 一部 で あ る 。 C C F の 資 金 は C I
A か ら 直 接 き て い た 。 し か し 、 最 近 は こ の 全 世 界 的 宣 伝 機 関 に 数 百 万 ド ルを 注 入 す る 仕 事 は フ ォ ー ド 財 団 の担 当 に
な った 。 か つ て ホ ワ イ ト ハウ ス で C I A の 首 脳 で あ った マク ジ ョ ー ジ ・バ ンデ ィ ー が 現 在 フ ォ ー ド 財 団 の長 で あ る
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こ と は 周 知 の こ と で あ り 、 一九 六 六 年 十 一月 三 日 に 、 こ の財 団 は 一五 〇 万 ド ル を ﹁独 立 的 組 織 ﹂ た る C C F に 寄 附
し た こと を 公表 した 。
こ の種 の雑 誌 が は た し て い る 役 割 の も っと も 興 味 あ る も の は 、 ア メ リ カ の 大 衆 を あ ざ む く と いう そ れ で あ る 。
﹁マイ ニチ ﹂ ﹁ジ ャ パ ン ・タ イ ム ズ ﹂ な ど に 提 供 さ れ 、 日 本 在 留 外 人 の 英 語 読 者 層 に こ れ ら の 論 文 が 日 本
﹁自 由 ﹂ に 発 表 さ れ た 論 文 は ア メ リ カ 大 使 館 の 情 報 部 に よ っ て も っと も 数 多 く 訳 さ れ 、 日 本 の 英 字 新 聞 と く に ﹁ヨ
ミウ リ﹂
の 雑 誌 の 代 表 的 見 解 で あ る か の ご と き 誤 った 知 識 を あ た え る 。 の み な ら ず 、 こ れ ら の訳 文 の コピ ー が ワ シ ン ト ン に
し か も像 の歪 ん だ鏡 ー
でしか な いわ け であ る 。
﹁自 由 ﹂ の 見 解 を こ の よ う に利 用 す る こと は も っと も 偽 隔 的 で 、 あ る 意 味 で は 、 そ れ は ワ シ ン ト ン
送 ら れ 、 そ こ で は 日 本 の 新 聞 論 調 が ア メ リ カ の 立 場 を 支 持 し て い る と い う 、 真 実 か ら ま った く 遠 い 印 象 を 生 む 、 ア
メ リ カ大 使館 が
大 衆 心 理 の探 求 と ﹃思 想 の科 学 ﹄
の見 解 を ふ たた び ワ シ ント ンに反 映 さ せ ると いう鏡 1
3
ウ ォ ル ト ・ ロ ス ト ウ の マサ チ ュー セ ッ ツ 工 科 大 学 (M I T )付 属 の ﹁国 際 問 題 研 究 所 ﹂ か ら 生 ま れ た 組 織 網 も 複 雑
(﹁アメ リ ヵの ア ジ ア政 策 ﹂ は 、 ア メ リ
な も の で あ る が 、 こ の 研 究 所 は 、 ロ ス ト ウ が 一九 五 〇 年 に C I A の 全 面 的 な 支 特 を え て 設 置 し 、 ﹃中 共 の 将 来 ﹄ ﹃ア
メ リ カ の ア ジ ァ 政 策 ﹄ な ど 特 別 な 研 究 を 秘 密 版 と ﹁普 及 ﹂ 版 の 両 方 で 準 備 し た
カ で廉 価 版 で出 版 さ れ、 事 実 上 、 C I A の ﹁
強 硬 方 針﹂に よ る ア メ リ カ 入 の洗 脳 手段 であ った 。 戦 前 、 日 本 の参 謀本 部 が 愛国 的 な
学 者 を使 って侵 略 思 想 を宜 伝 し た こと が 思 いだ さ れる)。 す で に 指 摘 し た よ う に 、 ロ ス ト ウ は こ と ば を も て あ そ ぶ 学 者 で 、
65
も
黒 い影 、
世 界 を おお うCIAの
第 二部
か つ て 植 民 地 であ った 地 域 の 解 放 戦 争 は ﹁共 産 主 義 者 の 侵 略 ﹂ で あ る と い う 理 論 を 作 り あ げ た 。
ロ ス ト ウ の 国 際 問 題 研 究 所 は 、 東 京 に あ る ﹁思 想 の科 学 研 究 会 ﹂ の研 究 活 動 に つ い て 知 った 。 一九 五 四年 か ら 五
五 年 ま で ロ ック フ ェラ i 財 団 の﹁客 員 ﹂と し て ハー バ ー ド 大 学 に 留 学 中 で あ った 加 藤 秀 俊 は 、 C I A の 国 際 問 題 研 究
(マサ チ ュー セ ッッエ 科 大学 ) は 、 日 本 の 一般 大 衆 の 考 え に 大 き な 関 心 を も ち 、 連 続 漫 画 、 ラ ジ
所 か ら 連 絡 を う け 、 こ の ﹁思 想 の 科 学 ﹂の 資 料 に も と つ く 研 究 の 編 集 者 を 引 き 受 け る 意 志 が あ る か ど う か を き か れ た 。
C I A系 のM IT
オ ・ド ラ マ、 雑 誌 の 連 載 読 み 物 、 映 画 な ど の 研 究 が 普 通 の 日 本 人 の 心 理 を 解 明 す る カ ギ を あ た え る だ ろ う と 期 待 し
て い た 。 加 藤 は そ の 任 務 を 引 き 受 け 、 仕 事 は 予 定 ど お り 終 わ った 。 一九 五 九 年 、 英 語 の 普 及 版 が 東 京 で、 自 由 文 化
会 議 C C F の本 も 出 版 し て い る チ ャ ー ル ズ ・タ ト ル に よ って 出 版 さ れ た 。 だ が 、 一九 六 〇 年 、 日 本 の }般 大 衆 は こ
の 本 が 指 摘 し た の と は 異 な った 行 動 を 示 し 、 日 米 軍 事 条 約 の 強 行 可 決 に た い し て岸 内 閣 を 崩 壊 さ せ る 大 デ モ ン ス ト
レ ー シ ョ ン を お こ な った 。
オ ハイ オ 大 学 か ら 来 日 し た 学 者 ハー バ ー ト ・パ ッ シ ン (現在 は教 授) は 、 一九 五 五 年 二 月 に ラ ング ー ン の 自 由 文 化
会 議 に 参 加 し た こ と も あ る が 、 一九 五 七 年 に ﹁エ ン カ ウ ン タ ー ﹂ 誌 か ら 出 版 さ れ た 論 文 に 手 を 加 え た ﹁日 本 の 民 衆
文 化 ﹂ の序 文 のな か で 日 本 の 雑 誌 と 出 版 社 を と り あ げ 、 ﹁保 守 主 義 者 が 日 本 を 支 配 し て い る が 、 本 屋 は 社 会 主 義 者
に 支 配 さ れ て い る ﹂ と 嘆 い て い る 。 こ の序 文 は 、 国 際 問 題 研 究 所 の 編 集 者 が 書 い た も の で 、 ﹁マ ル ク ス主 義 的 世 界
神 話 ﹂ を 論 じ 、 現 在 の世 界 の問 題 は 資 本 主 義 で も 共 産 主 義 で も な く ﹁近 代 主 義 ﹂ の 問 題 で あ る、 と す る C I A 1ー ロ
スト ゥー
ー ラ イ シ ャ ワ ー の こ じ つけ の 主 題 を く り か え し て い る 。
ラ ング ー ン に お け る 自 由 文 化 会 議 の 報 告 の な か で 、 パ ッ シ ン は ﹁文 化 的 自 由 に た い す る 全 体 主 義 の 脅 威 ﹂ を と り
66
あ げ 、 戦 前 と 戦 中 の ﹁日 本 に お け る 全 体 主 義 の 経 験 ﹂ に つ い て の べ、 戦 後 に つ い て は 次 の よ う に 結 論 し た 。
﹁現 在 、 日 本 に は 少 数 の超 国 家 主 義 的 グ ル ー プ が あ る が 、 共 産 主 義 者 に く ら べ れ ば そ の 力 は 微 々た る も の で、 日
本 に お け る 民 主 主 義 を お び や か す も の が あ る と す れ ば 、 そ れ は 共 産 主 義 で あ る と い って も ま ち が い な い ﹂。
あ る い は 現 在 の自 由 民 主 党 政 府 内 の
だ が 、 こ の ﹁指 導 的 な 日 本 学 者 ﹂ は 、 ﹁国 家 総 動 員 法 ﹂ ﹁軍 機 保 護 法 ﹂ ﹁思 想 統 制 ﹂ 諸 法 そ の 他 が ﹁自 由 主 義 者 ﹂
近 衛 公 爵 の も と で制 定 さ れ 、 こ れ ら が 、 岸 信 介 そ の 他 多 く の ﹁自 由 主 義 者 ﹂
、
﹁オ ー ルド ・ラ イ ト ﹂ (旧 右翼 主 義者 。 た と え ば賀 屋 興 宣 、 岸 信 介 な ど) に 助 け ら れ て 、 一九 四 一年 に 東 条 英 機 首 相 が 戦
争 を 開 始 す る た め の道 を開 いた こと を 忘 れ て い る。
C I A に 象 徴 さ れ る ア メ リ カ の右 翼 と 、 日 本 の 右 翼 と は ク モ の 糸 の よ う な も の で 結 び つけ ら れ て い る 。 こ の ク モ
の糸 の 正 体 は 、 一九 六 五 年 二 月 、 ア メ リ カ が 北 ベ ト ナ ム 攻 撃 を 開 始 し た と き 姿 を あ ら わ し た 。 そ し て 、 現 在 の ア ジ
﹁ア メ リ カ ン ・ア セ ン
ア に お け る ア メ リ カ の 役 割 が 、 か つ て 日 本 が 満 州 と 中 国 の ﹁共 産 主 義 者 ﹂ を 攻 撃 し て い た と き の 役 割 そ っく り で あ
﹁日 本 会 議 ﹂
(ロ ック フ ェラ ー財 団 の発 言 力 が 強 いと ころ であ る ) で集 会 が 開 か れ 、
﹁ア メ リ カ 会 議 ﹂ と
る こと を あ き ら か に した 。
4
近年 、 コ ロンビ ア大 学
ブ リ ー ﹂ (アメ ー-・ヵ会 議 ) の名 の も と に 学 者 、 実 業 家 、 国 家 公 務 員 た ち が 集 ま った 。 各 会 合 の 終 わ り に は 、 講 演 が 一
冊 の 本 に ま と め ら れ 、 関 心 を も って い る と 思 わ れ る 人 た ち に 配 ら れ た 。
67
い 影xx
世 界 を お お うCIAのxx黒
第二部
一九 六五 年 、 こ の会議 の議 事 録 (第 一部)が現 在 コ ロンビ ア大 学 の教 授 を し て いる ハー バ ー ト ・パ ッシ ンに よ って
整 理 さ れ た 。 第 一章 は スタ ン フォ ード 大 学 の エド ワード ・サイ デ ン ステ ッカ ー教 授 が 寄 稿 し た。
サ イデ ン ステ ッカ ー は 、 一九 五〇 年 代 後半 の数 年 を 日本 で送 り、 研 究 のか た わ ら、 日本 の ﹁左 派 ﹂ 知識 人 を 攻撃
し つづ け る 英 字 新 聞 に 定期 的 に 特 別 寄稿 し た。 交 際 の面 でも 考 え かた でも 、 サ イデ ン ステ ッカー は ﹁左 派 ﹂ の反 対
であ った 。 東 京 に滞 在 中 のあ ると き、 彼 はな ん の説 明 も な しに 、 ソ ウ ル の アメ リ カ 大 使 館 に ﹁公式 ﹂ の客 と な った
こ と が あ るQ
﹁アメ リ カ会 議 ﹂ のな り ゆ き は、 あ き ら か に 日本 の政 治 と 産 業 の指 導 者 た ち に深 い感 銘 を あ た え、 一九 六 六年 四
月 、 東 京 の工 業 ク ラブ で ﹁ジ ャパ ニー ズ ・アセ ンブ リー ﹂ (﹁日米関係民間会議﹂) 発 会 のた め の集 会 が開 かれ るに い
た った。 こ の集 会 の議 長 は、 ど こ へで も顔 を だ す 元首 相 の岸 信 介 で、 お もな参 加 者 のな か に は か つて慶応 大 学 塾 長
であ った故 小 泉 信 三、 経 団連 会 長 の石坂 泰 三、 東 京 商 工 会議 所 会 頭 の足 立正 な ど が いた。 準 備 会 に は賀 屋 興宣 、愛
知 揆 一、 加 瀬 俊 一、 堀 越 頑 三、嵯 峨根 遼 吉 、 木 内信 胤 の ほ かに 民主 社 会 党前 書 記 長 の西 村栄 一(現委員長)が ﹁オブ
ザ ーバ ー ﹂ と し て参 加 し、 ア メ リ カ会 議 に似 た ﹁日 本 会 議 ﹂を 一九 六 七年 の秋 、 日本 で 開催 す る ことが 決 定 さ れた 。
一九 六七 年 二月 二〇 日 に は ﹁日本 会 議 ﹂ 開 催 の計 画を 具 体 化す るた め に ﹁国 際 親善 日本 協議 委員 会 ﹂ が 結成 さ れ
た こと が 発 表 され 、 ﹁日 本 会議 ﹂ は﹁日米 安 全 保 障 条 約 と 中 国 政策 ﹂ と いう 議 題 で日本 に おけ る アメ リ カ の軍事 基 地、
沖 縄 政 策、 現 在 の安 全保 障 条 約 、 両 国 間 の貿 易 、 他 の アジ ア諸 国 と の関 係 な ど を 討 議 し、 ﹁両国 の実 業 、教 育 、通信 、
政 府 、 宗教 、 法律 およ び そ の他 の分 野 ﹂ の代 表 を 集 め て、 九 月 一四日 から 一七 日 ま で下 田 の東 急 ホ テ ル で開 かれ た。
これ ら の経 過 を た ど ってみ ると 、 C I Aと 岸 信 介 の計 画 に は関 連が あ り 、 問 題 は も はや 学問 や 学 者 では なく 、中
68
国 に 対 抗 す る 再 軍 備 で あ る こ と が 一見 し て あ き ら か で あ る 。 一九 六 六 年 四 月 に こ の 計 画 が で き た と き の 、 そ も そ も
三島 由紀夫 氏 をた たえる
の発 起 人 であ る岸 元 首相 の名 前 が、 計 画 が 進 展 す る にし た が って 、 ど こ か へ置 き 忘 れ ら れ て し ま って い る こ と は 、
きわ め て重 要 な意 味 を も って い るよ う に思 わ れ る。
5
一九 六 六 年 八 月 、 ﹁ア メ リ カ の世 紀 ﹂ の 主 唱 者 で 資 本 主 義 の
十 字 軍 戦 士 で あ る ヘ ン リ i ・ル ー ス の 発 行 し て い る ﹁ラ イ フ ﹂
誌 は 、 日 本 の 小 説 家 三 島 由 紀 夫 に つ い て 、 ﹁一種 の 神 、 日 本 的
な 美 の 最 後 の 帝 王 、 美 の 神 風 パ イ ロ ット ﹂ で あ る と 賛 辞 を 呈 し 、
さ ら に 、 ﹁彼 は 国 際 的 に 認 め ら れ る こ と を 渇 望 し 、 そ れ を す こ
し も 隠 し だ て し な い ﹂ と の べ た 。 だ が 、 日 本 の研 究 で 知 ら れ て
い る イ ギ リ ス の 学 者 ア イ ヴ ァ ン ・モ リ ス は 、 一九 六 五 年 七 九 歳
で 物 故 し た ば か り の谷 崎 潤 一郎 に つ い て 、 ﹁彼 こ そ は わ れ わ れ
の 時 代 の 数 少 い文 豪 の 一人 で あ った ﹂ と ほ め て 書 い て い る の で
あ る。
こ の ア メ リ カ の雑 誌 は 、 三 島 由 紀 夫 は 日 本 で ﹁ノ ー ベ ル賞 に
69
い影 、
世 界 を お お うCIAのss黒
第 二部
文化 自由会議 に出席 した林健 太郎氏
も っと も ふ さ わ し い 候 補 者 ﹂ で あ る と の べ た が 、 一九 六 七 年 三 月 、 三 島 由 紀 夫 が 三 人 の仲 間 と 中 国 政 府 を 攻 撃 し た
こ と が 読 売 新 聞 で 大 き く 報 道 さ れ 、 日 本 の ノ ー ベ ル賞 選 考 委 員 会 が こ の ニ ュー ヨ ー ク の 提 言 を 受 け い れ る か ど う か
わ か ら な か った 。 し か し 中 国 の ﹁学 問 と 芸 術 の 自 由 が 侵 害 さ れ て い る ﹂ と い う 彼 ら の ス ロー ガ ン は 、 ア メ リ カ で な
に か の 受 賞 を 約 束 す る よ う に 思 わ れ た 。 川 端 康 成 、 安 部 公 房 、 石 川 淳 、 三 島 由 紀 夫 の 四 人 の作 家 は 、 ﹁操 手 傍 観 ﹂
す る に し の び ず 、 ﹁い か な る 思 想 的 立 場 に も か か わ り あ う こ と な く ﹂ 中 国 に お け る ﹁学 問 の 自 由 と 芸 術 の 自 由 の 破
壊 ﹂ に た い し て 抗 議 す る の で あ る 、 と い った 。 こ れ は 、 C I A に 支 持 さ れ た 自 由 文 化 会 議 の 中 心 ス ロー ガ ン を 別 の
こ と ば で 表 現 し た に す ぎ な か った 。
読 売 新 聞 の ﹁編 集 手 帳 ﹂ は 、 彼 ら の と った 態 度 を ﹁勇 敢 で あ る ﹂ と 評 し た が 、 こ の評 価 は お か し い。 こ れ ら の 作
家 た ち は (一九 三〇 年 代 に戦 争 機関 に加 わ った 他 の ﹁芸 術 家 ﹂ た ち の よう に)、 日 本 政 府 、 ア メ リ カ お よ び C I A の 政 策 に
し た が った 行 動 を し た 。 つ ま り 、 彼 ら は 中 国 に 反 対 し て 、 強 い ほ う に 味 方 し た の で あ る 。 多 く の 国 で は 、 権 力 に 反
対 し て ま で も 芸 術 と 学 問 の 真 の自 由 を 宣 言 す る こ と が 、 勇 気 あ る 行 動 と 考 え ら れ て い る の に であ る 。
C I A が 積 極 的 な 役 割 を 演 じ た イ ンド ネ シ ア で 、 ﹁九 月 三 〇 日 事 件 ﹂ の あ と で 五 〇 万 の 人 間 が ﹁虐 殺 ﹂ さ れ た こ
と を こ の作 家 た ちが 非 難 し 、 ま た 芸術 、文 化 、 学問 の自 由 のた め の在 日朝 鮮 人 のた た か いを擁 護 した と い う こと を 、
い ま だ か っ て 聞 いた こ と が な い。
彼 ら が も し 文 化 的 政 治 的 な 運 動 を 強 力 に 展 開 し た な ら ば 、 一九 一三 年 に ハワ イ で生 ま れ 、 日 本 に き て 軍 隊 に と ら
れ 、 一兵 士 と し て 中 国 に い った ハナ マ ・タ サ キ の 禁 止 さ れ て いた 二 つ の 作 品 を 日 本 で 出 版 さ せ る こ と が で き た か も
し れ な い の で あ る 。 日 本 の 軍 隊 に お け る 兵 隊 の悲 惨 な 運 命 と 、 愛 国 的 な 熱 情 を か き 立 て る イ デ オ ロギ ー に 力 を か し
70
た 天皇 制 の役割 を 批判 的 に えが い た ﹁皇 道 遙 かな り﹂ と 、 占 領 下 の 日本 を 批 判 し た ﹁山河 は残 る﹂ は 一九 五〇 年 と
一九 五 二年 にボ スト ンの ホ ー ト ン ・ミ ブリ ン社 から 出 版 さ れ た。
タ サ キ の作 品 に加 えら れ た 不 当 な 圧迫 こそ、 ﹁学問 と 芸 術 の自 由 ﹂ の擁 護 者 た ちが 、 彼 ら自 身 の国 で問 題と す べ
き文 化 の ﹁破 壊﹂ であ る よう に思 わ れ る。 四人 の作 家 の ﹁勇敢 な ﹂態 度 は、 彼 らが 、 看 板 か らす っかり 名 前 を はず
し てしま った岸 信 介が 考 え だ した 九 月 ﹁会議 ﹂ (日米民間関係会議lI下田東急 ホテル) で ﹁中 国政 策 ﹂ を う ち だ す顔
日本人 に中 国を スパイさ せよ
ぶ れ の、 ﹁文 化 的﹂ 代 表 に ふさ わ し い ことを も のが た って い る。
6
ま え に の べ た よ う に 、 特 別 な ﹁研 究 ﹂ の す べ てが C I A か ら 金 を も ら っ て い る わ け で は な い 。 あ る も の は ア メ リ
カ 国 防 省 か ら 補 助 金 を も ら い 、 ま た あ る 計 画 は ア メ リ カ の ﹁慈 善 ﹂ 財 団 か ら 補 助 金 を あ た え ら れ る 。 こ れ ら の ﹁文
化 交 流 ﹂ に 共 通 し て い る 一つ の 特 徴 は 、 ア メ リ カ の ド ルが だ れ か 他 の も の の 教 養 と 交 換 さ れ る と い う こ と で あ る 。
C I A で な い も の が 日 本 で 情 報 収 集 を し た 一例 と し て 、 一九 六 一年 末 、 フ ォ ー ド 財 団 が 日 本 、 台 湾 、 ア メ リ カ の
九 四 一年 以 後 の 変 化 を 理 解 し よ う と す る 総 合 的 な 努 力 が 、 国 内 的 に も 国 際 的 に
研 究 所 に 一四 〇 万 ド ル の 補 助 金 を だ し て、 ﹁現 代 中 国 に 関 す る 重 要 な 知 識 を え る た め の 研 究 ﹂ を さ せ た こ と が あ る 。
一九 六 一年 ま で、 中 国 に お け る コ
も ほ と ん ど 見 ら れ ず ﹂ 、 し か も ﹁中 国 と マル ク ス ・レ ー ニン 主 義 の中 国 共 産 党 に つ い て 知 る こ と が ま す ま す 必 要 に
な っ て い た ﹂ の で あ る 。 当 時 の 同 財 団 会 長 は 、 い ま や 、 ﹁こ の 危 急 存 亡 の 必 要 に こ た え る た め 、 利 用 で き る 方 策 を
7ヱ
い影、
世 界 を お お うCIAのN"黒
第二部
動 員 す る﹂ こと が 必要 であ ると 結 論 し た。
﹁危 急 存 亡 ﹂ で あ る と 決 め た の は フ ォ ー ド 財 団 で あ り 、 数 カ 月 ま え 、 あ た ら し い ケ ネ デ ィ i 政 府 の 国 防 長 官 に 任
命 さ れ た の は 、 フ ォ ー ド 財 団 が 大 株 主 で あ る ﹁フ ォ ー ド ・モ ー タ ー ・カ ン パ ニー ﹂ の 前 社 長 ロバ ー ト ・ マク ナ マラ
な
で あ った 。 突 然 、 ﹁敵 ﹂ は 中 国 で あ る と 発 表 し た と こ ろ を 見 る と 、 こ の ﹁必 要 ﹂ は 国 防 省 か ら 生 じ た も の の よ う だ 。
そ れ は ﹁中 国 に 関 す る 知 識﹂ が 集 め られ る以前 であ ったが 。 C IAが 直 接 に 日本 そ の他 の国
そ し て 日 本 そ の 他 の 国 の学 者 に 資 金 を 用 立 て る こ と は 、 ベ ト ナ ム へ の 兵 力 増 強 と い う ケ ネ デ ィ ー の 決 定 と 時 を 同 じ
く し て決 め ら れ た!
の 学 者 を 雇 っ て 中 国 に た い す る スパ イ 活 動 を さ せ る こ と は あ き ら か に 不 可 能 で あ った が 、 同 じ こ と を フ ォ ー ド 財 団
が 引 き 受 け る 場 合 に は 、 ﹁慈 善 的 教 育 的 ﹂ 高 潔 さ の 臭 い が た だ よ った 。
こ う し て ﹁中 国 の 国 内 的 発 展 ⋮ ⋮ た と え ば 政 治 思 想 と 教 育 制 度 、 工 業 化 と 土 地 改 革 な ど の 問 題 ﹂を 研 究 す る た め に 、
一七 万 三 〇 〇 〇 ド ル の補 助 金 が 東 洋 文 庫 に あ た え ら れ た 。 ま え に の べ た と お り 、 日 本 の 学 者 た ち は ﹁ス パ イ ﹂ と は
よ ば れ ず に 、 も っと お だ や か な こ と ば で ﹁調 査 陣 ﹂ と い わ れ た 。 台 湾 で は、 一九 四 九 年 に 蒋 介 石 が 逃 亡 す る と き も
ち だ し た 中 国 外 務 省 の資 料 を 研 究 し 、 発 表 す る た め 、 同 じ 補 助 金 が あ た え ら れ た 。 フ ォ ー ド 財 団 は 、 日 本 と 台 湾 の
学 者 に 協 力 す る ﹁客 員 ア メ リ カ 人 学 者 ﹂ を 援 助 す る た め 、 ア メ リ カ の ﹁社 会 科 学 研 究 協 会 ﹂ に も ﹁六 万 五 〇 〇 〇 ド
(そ の多 く は ア メ リ ヵ の冷 戦 ま たは 熱戦 から え ら れた も の であ る ) を
ル の補 助 金 を あ た え た 。 後 者 の 研 究 に は 、 ﹁四 〇 人 な い し 五 〇 人 の ア メ リ カ お よ び 外 国 の 経 済 学 者 ﹂ の参 加 が 期 待
さ れ た。
大 き な ア メ リ カ の (免 税 ) 財 団 が 、 巨 額 の 補 助 金
﹁大 き な ﹂ 知 的 セ ン タ ! に あ た え 、 知 的 セ ン タ ー は ア メ リ カ と ア メ リ カ の 戦 争 に 賛 成 し た 学 者 、 冷 戦 に 賛 成 し て い
72
る 学 者 を つぎ つぎ に 招 い て ア メ リ カ の 見 解 に つ い て 講 演 さ せ 、 敵 味 方 の陣 営 内 の 学 者 の ﹁頭 脳 ﹂ を そ れ に よ っ て 判
断 し た こ と が 、 い ま に な って あ き ら か で あ る 。 同 じ 一九 六 一年 一二 月 、 フ ォ ! ド 財 団 は ﹁文 化 交 流 ﹂ を 援 助 す る た
め に ﹁東 ヨ ー ロ ッパ 諸 国 と の 交 流 ﹂ の た め に 相 当 な 基 金 を 出 し た 。 さ ら に ま た ﹁世 界 の 民 主 的 な 学 会 を 強 化 す る ﹂
た め に ジ ュネ ー ブ の ﹁国 際 関 係 研 究 財 団 ﹂ へ、 そ し て ﹁知 的 活 動 お よ び 中 央 ヨ ー ロ ッパ と の 連 絡 の 中 心 と し て ウ ィ
ー ンを 強 化 す る ﹂ た め に ウ ィ ー ン の ﹁高 度 研 究 協 会 ﹂ へも 補 助 金 を あ た え た 。 ス ペ イ ン 、 イ ギ リ ス 、 オ ラ ン ダ に も
と く に ﹁低 開 発 地 域 ﹂ に お け る そ の活 動 に た い し て 補 助 金 が あ た え ら れ た 。
﹁米 州 新 聞 協 会 技 術 セ ン タ i ﹂ に た い し て も 、 ﹁ラ テ ン ・ア メ リ カ に お け る 新 聞 そ の 他 の 広 報 機 関 を 強 化 す る ﹂
た め に 四 〇 万 ド ル の補 助 金 が あ た え ら れ た 。 ア メ リ カ 会 議 も 、 一九 六 二 年 五 月 に イ ギ リ ス で 開 い た 集 会 に た い し て
エ ッセ
補 助 金 を も ら った 。 近 親 相 姦 に も 似 た こ と で あ る が 、 フ ォ ー ド 財 団 は ロ ッ ク フ ェラ ー に 支 配 さ れ て い る ニ ュー ヨ ー
ク の ﹁日 本 協 会 ﹂ に も 補 助 金 を あ た え た 。
東洋 文 庫 に あ る現 代 中 国 に関 す る本 と 資 料 の目 録 。
フォー ド 財 団 は、 補 助 金 の代償 と し て東 洋 文 庫 に な にを 望 んだ か ?
の
日本 の主 要 な 図 書 館 にあ る現 代 中 国 に関 す る本 と 資料 の目 録 。
一九 五 六年 か ら 一九 六 一年 ま で発 表 さ れ た、 現 代 中 国 に関 す る中 国 の論 文 の 目録 。
﹁中 央 公 論 ﹂ ﹁改 造﹂ ﹁日本 およ び 日 本 人﹂ な ど の総 合 雑 誌 に 発表 さ れ た 、 現代 中 国 に関 す る評 論、
イ、 報 告 の目 録 。
特 殊 問 題 に か んす る注 釈 つき 文献 目 録 。
78
{4}(3}(2)(
(5)
い 影,
世 界 を お お うCIAのs黒
第二部
㈲
現 代中 国 を 専 攻 す る日 本 の学 者 と 学会 の名 簿 。
日 本 の 学 者 が 中 国 と 中 国 語 に つ い て す ぐ れ た 知 識 を も っ て い る の で 、 フ ォ ー ド 財 団 は 、 東 洋 文 庫 に い つ で も ﹁日
本 と 外 国 の学 者 が 利 用 で き る ﹂ こ と を 条 件 と し た ﹁現 代 中 国 研 究 セ ン タ i ﹂ を 作 ら せ る た め 補 助 金 を あ た え た の で
あ る 。 ま え に の べ た と こ ろ か ら 、 そ う い う ﹁研 究 ﹂ の 目 的 に は ﹁純 粋 な ﹂ 学 問 よ り も 政 治 的 軍 事 的 な 動 機 の あ る こ
と が あ き ら か で あ る 。 す く な く と も 、 そ れ が 、 も っと も ら し い ス パ イ 行 為 の 申 し 入 れ を 即 座 に 非 難 し た 日 本 の 学 者
の結 論 であ った。
し か し 、 フ ォ ー ド の ア ジ ア に た い す る 興 味 は す こ し も 減 殺 さ れ な か っ た 。 一九 六 七 年 六 月 、 フ ォ ー ド 財 団 は 、
(
バ ー ク レー)、 コ ロ ン ビ ア 大 学 、 コ ー ネ ル 大 学 、 ハー ヴ ァー ド 大 学
﹁ア ジ ア 研 究 ﹂ と く に 近 代 中 国 、 日 本 、 朝 鮮 の 研 究 の た め に ほ ぼ 八 百 万 ド ル を 寄 附 し た こ と を ニ ュー ヨ ー ク で 公 表
し た。 寄附 金 の大 部分 は、 カ リ フ ォ ル ニア大学
(こ れと
﹁国 際 関 係 に 及 ぼ す 近 代 兵 器 と 工 学 の 影 響 ﹂ を 検 討 す る た め の 前 後 五 回 の 会 合 の経 費 と し て支 払 わ れ
に 贈 ら れ 、 そ こ で ﹁中 国 問 題 専 門 家 ﹂ を 養 成 す る た め に 使 わ れ た 。 十 万 ド ル は ﹁ア メ リ カ 科 学 ア カ デ ミ i ﹂ に 行 き 、
日本 の学者 と
た 。 東 京 に あ る ﹁日 本 経 済 研 究 セ ン タ ー ﹂ も 、 ﹁セ ン タ ー の計 画 を 支 援 す る た め ﹂ に 十 万 ド ル を も ら った
直 接 な 関連 はな いが 、 意 味 深 い の は、 こ れ と時 を同 じく し て フ ォー ド自 動 車 会 社 が ブイ リ ピ ソに 組立 工場 を 建 設 し て アジ ア地 域
への サ ービ スを 行 な う と発 表 し た こと で あ る。)
こ の 種 の ﹁研 究 ﹂ が 純 粋 に 学 問 的 と いう よ り も 政 治 的 ・軍 事 的 な 動 機 を 持 っ て い る こ と は 、 す で に の べ て き た こ
と から 明白 であ ろう 。 C I A から のこ の体裁 の い い スパ イ行 動 の提 案を 拒 否 し た 日本 のす ぐ れた 学 者 た ち は少 く と
も そ う いう結 論 を く だ し て いる。
74
第 四章
1
由
な﹂ 新
聞
マス コ、
ミへ の浸 透
﹁
自
J ・ウ ィ リ ア ム ・フ ルブ ラ イ ト 上 院 議 員 は 誠 実 な ス ポ ー ク ス マ ン と し て 世 界 中 に 知 ら れ て い る が 、 一九 六 六 年 十
月 二 日 、 テ レ ビ で 、 ア メ リ カ の 新 聞 は 政 府 の ﹁奴 隷 ﹂ に な り さ が り 、 ベ ト ナ ム 戦 争 に か ん し て 、 ほ と ん ど の 新 聞 が
﹁血 に 飢 え て い る ﹂ よ う だ 、 と 語 った 。 捲 き 上 げ ら れ た カ ー テ ンは 、 い か に ﹁見 え ざ る ﹂ 魔 法 の 絨 藍 が 、 こ れ ら の
報 道 を 助 成 し て い る か を 暴 露 し て い る 。 一九 六 七 年 二 月 二 四 日 、 ﹁ア メ リ カ 新 聞 研 究 使 節 法 人 ﹂ (ジ ・ア メ リ ヵ ン ・ ニ
ュー ズ ペ イ パ ー ・スタデ ィ ・ミ ッシ ョン ・イ ン コーポ レイ テ ド) 主 催 で 、 二 九 人 の ア メ リ カ の新 聞 記 者 が 、 ﹁ア ジ ア 研 究
使 節 ﹂ と し て 日本 を訪 問 した 。 U P I報 道 に よ る と、 台湾 、 香 港、 南 ベト ナ ム、 タイ も訪 れ たと いう 。 だが 、 報 道
は 、 こ の全 旅 程 が ペ ン タ ゴ ン の お 膳 立 で、 記 者 た ち に 影 響 を 与 え る た め 、 米 陸 軍 に よ って 整 え ら れ た 多 く の 物 見 遊
山 の 一つ で あ る 、 と い う こ と は 暴 露 し て い な い 。 こ の例 か ら も 判 る よ う に 、 ペ ン タ ゴ ンは 五 百 の零 細 新 聞 と 二 百 の
テ レ ビ 局 か ら な る ﹁研 究 使 節 法 人 ﹂ に 接 触 し よ う と し た の で あ る 。
一九 六 六 年 三 月 十 七 日 、 イ ンド ネ シ ア 外 相 の スバ ンド リ オ 博 士 が ジ ャ カ ル タ で 軍 事 評 議 会 に 逮 捕 さ れ た 時 、 ア メ
リ カ の新 聞 界 は 、 じ ぶ ん が 偏 向 し 、 血 に 飢 え て い る こ と を 大 っ ぴ ら に 表 明 し た 。 こ のと き 、 ア メ リ カ の 新 聞 界 は た
75
い影 、
世界 を お お うCIAの"黒
第ご部
だ ち に 酒 宴 を は っ て こ の事 件 を 祝 い 、 ス バ ンド リ オ に 対 し て 大 い に 敵 意 を 燃 す こ と に よ っ て、 国 務 省 に 対 す る 敵 は
こ れ ら の ﹁客 観 的 ﹂ な 報 道 人 に と っ ても 敵 で あ る こ と を 表 明 し た の で あ る 。
一九 六 七 年 一月 十 日 、 三 人 の ア メ リ カ の 婦 人 平 和 運 動 家 が 北 ベ ト ナ ム か ら 帰 国 し 、 ニ ュー ヨ ー ク で 記 老 会 見 を 開
(彼 女 ら は 北 ベ ト ナ ムに + 一日間 滞 在 し 、 ホ ー ・チミ
﹁ア メ リ カ の 新 聞 記 者﹂ に愚 弄 さ れ、 嘲 笑 さ れ 、 侮 辱 さ れ た) 。
いた 。彼 女 ら は見 聞 し た こと を アメ リ カ人民 に 伝 え た が って いた
ン大統 領 と 二 時間 にわ た って 会見 し た。 し かし、 彼 女 ら は、
A F P (フラ ン ス通 信 社 ) の 通 信 員 は 即 座 に こ う 書 い た 。
﹁会 見 は 怒 鳴 り 合 い に 変 った 。 ジ ャー ナ リ ス ト 達 は 三 人 の婦 人 の語 る の を 妨 害 し 、 悔 辱 し 、 嘲 笑 し 、 低 脳 扱 い し
た﹂ と 。
﹁新 聞 記 者 た ち ﹂ は 、 婦 人 た ち に 、 お 前 た ち は ﹁北 ベ ト ナ ム の 宣 伝 機 械 ﹂ の手 先 だ と い った 。 こ の 三 人 の 婦 人 た
ち と は 、 ベ ト ナ ム 反 戦 大 学 委 員 会 の 管 理 秘 書 の バ ト リ シ ア ・グ リ フ ィ ス夫 人 、 無 党 派 の ア メ リ カ の 小 雑 誌 リ ベ レ イ
シ ョ ン の 記 者 バ ー バ ラ ・デ ミ ング 夫 人 、 そ し て最 近 、 ベ ト ナ ム で 戦 闘 を 拒 否 し た た め 三 年 の懲 役 を い い渡 さ れ た ア
メ リ カ 兵 士 デ ニ ス ・モ ー ラ の姉 グ レ イ ス ・ モー ラ ・ ニ ュー マ ン 夫 人 であ る 。
ア メ リ カ の ﹁﹃自 由 な 新 聞 ﹄に は 、 A F P が 、 彼 女 ら は ア メ リ カ の爆 撃 に よ る 多 く の 犯 罪 を 見 、 ア メ リ カ は 北 ベ ト
ナ ム 人 民 に 対 し て "技 術 的 恐 怖 " の 戦 争 を 行 な って い る と 語 った のを 報 じ た 以 外 ﹂ 婦 人 た ち が 見 、 か つ 報 告 し た こ
と は 、 ほ と ん ど 何 も 掲 載 さ れ な か った 。 こ の 直 後 に 、 ニ ュ! ヨ ー ク ・タ イ ム ス の編 集 長 ハリ ソ ン ・ソ ー ル ズ ベ リ ー
が ハノ イ か ら 帰 国 し 、 現 地 の 状 況 を 眼 前 に 見 る よ う に 報 道 す る 時 ま で は 、 ニ ュー ヨ ー ク の ﹁ジ ャ ー ナ リ ス ト ﹂ た ち
は 臆 病 者 だ った (
噂 で は、 C I A が 婦 人 たち の記 者 会見 を ぶ ち 壊 す た め 、記 者 の群 の中 に妨 害者 を 配置 し た と いう )。
76
1
世 界 の新 聞 に のび る C IA の手
一九 六 七 年 二 月 二 十 日 の A P は 、 ア メ リ カ 新 聞 組 合
(アメ リ カ ソ ・ニ ューズ ペ イ パ ー ・ギ ルド) が 、 ベ ル ギ ー の ブ
リ ュ ッセ ル に あ る ﹁ジ ャ ー ナ リ ス ト 国 際 連 合 ﹂ (イ ン ター ナ シ 皿ナ ル ・フ エデ レイ シ 。ン ・オブ ・ジ ャー ナ リ スト) や 、
パ ナ マ の ﹁米 州 ジ ャ ー ナ リ ス ト 連 合 ﹂ (イ ンタ ー ・ア メリ カ .フ ェデ レイ シ 鼠ン ・オ ブ ・ア メ リ カ) の 秘 密 チ ャ ンネ ル を
通 じ て 、 ﹁他 の諸 国 の 新 聞 労 働 者 を 援 助 す る と い う 仕 事 ﹂ を 手 助 け す る た め 、 い か に C I A が 資 金 を 供 給 し て い た
か を 報 告 し て い る 。 こ れ ら の 三 つ の パ イ プ ラ イ ン を 通 じ て 合 衆 国 、 ヨ ー ロ ッパ 、 ラ テ ン ・ア メ リ カ の新 聞 記 者 た ち
は 、 C I A に ﹁援 助 ﹂ さ れ て い る の で あ る 。 も う 一つ の ﹁ヒ モ つ き ﹂ 新 聞 団 体 は ﹁国 際 新 聞 協 会 ﹂ で あ る 。 こ れ は
ス イ ス に 本 部 が あ り 、 フ ォ ー ド 財 団 や そ の他 の基 金 か ら 多 額 の 金 を 受 け て い る が 、 そ の か な り の 部 分 は ﹁親 切 な ﹂
一九 六 五 年 の イ ン ド ネ シ ア の軍 事 ク ー デ タ ー の前 後 に 主 要 な 黒 幕 と し て の 役 割 を 演 じ た と の べ た
(そ の詳細
つけ ヒ ゲ を つけ た C I A のド ル だ と 報 道 さ れ て い る 。 こ の 団 体 は 、 ほ と ん ど す べ て ア メ リ カ の 資 金 で ま か な わ れ て
いて、
は別 のと ころ で のべ た) 。
一九 六 七 年 二 月 の C I A の発 表 に よ る と 、 ア メ リ カ の新 聞 、 通 信 、 雑 誌 、 そ し て 一部 の ラ ジ オ 従 業 員 の労 働 組 合
と し て 長 い 間 尊 敬 を う け て い た ア メ リ カ 新 聞 組 合 は 一九 六 〇 年 以 来 、 ほ ぼ 百 万 ド ル を C I A か ら 支 払 わ れ て い た 。
こ の巨 額 な 資 金 に よ って 、 C I A は 国 際 的 な 新 聞 組 合 の加 盟 団 体 に 影 響 を あ た え そ れ を 利 用 し よ う と 企 て た 。 こ の
資 金 は 、 ボ ル テ ィ モ ア の チ ェ サ ピ ー ク基 金 、 オ ハイ ォ 州 コ ラ ン バ ス の ブ ロー ド ・ア ン ド ・ ハイ 基 金 、 オ ハイ オ 州 ク
77
も黒 い影
世 界 を お お うCIAの
第二部
リ ー ヴ ラ ンド のウ ォ ー ド ン ・ト ラ ス ト 、 ボ ス ト ン のグ ラ ナ リ ー 、 フ ァ ン ド 、 フ ィ ラ デ ル フ ィ ア の ア レ ク サ ンダ ー ・
ハミ ル ト ン基 金 な ど を 通 じ て、 秘 密 裡 に 供 給 さ れ た 。 こ の 最 後 のも の は C I A の ﹁合 計 主 任 ﹂ と し て よ く 知 ら れ て
い る 団 体 で あ る が 、 一九 六 五 年 か ら 新 聞 組 合 に は 資 金 の支 払 を や め て い る 。 な お 、 新 聞 組 合 の 役 員 のあ る 者 は C I
ア メリ カ の新 聞 と 政 府 と の つな が り
A の専 任 スパ イ で あ ると推 定 さ れ る。
2
こ れ に 関 連 し て C I A や 国 防 ・国 務 省 そ の 他 の ア メ リ ヵ 政 府 機 関 と ア メ リ カ 新 聞 、 通 信 社 と の 関 係 を あ げ る の も
む だ で は あ る ま い。 世 界 の お も な ニ ュー ス の 中 心 地 に は ど こ に も 数 人 の え り ぬ き の ﹁信 頼 で き る ﹂ ア メ リ カ 人 記 者
が お り 、 そ の 土 地 に あ る ア メ リ カ 大 使 館 か ら 特 別 の 待 遇 を 与 え ら れ て い る 。 こ う い う 記 者 の あ るも の は 以 前 (
第二
次 大戦 時 、朝 鮮 戦 争 時 な ど に) ア メ リ カ 諜 報 ⋮
機 関 で 働 い て い た 前 歴 が あ り 、 そ こ で 、 ﹁内 幕 話 ﹂ の 取 材 のた め に 現 在
の ア メ リ カ 諜 報 機 関 、 つ ま り C I A と 密 接 な 接 触 を 保 持 し よ う と し が ち で あ る 。 つ ま り 、 彼 ら は C I A な ど の政 府
(ニ ュー スを 流 し て反 応 を見 る た め の) と し て 使 い 、 反 対 に 記 者 の方 は 、 そ の 心 付 け (チ ップ ) と し て、 こ れ
機 関 を ニ ュー ス源 と し て 用 い る わ け だ が 、 む ろ ん 、 こ れ は 相 互 支 援 関 係 に な る 。 政 府 機 関 の 側 で は 報 道 ⋮
機 関 を ﹁試
験 気 球﹂
ら か ら す ぐ 始 ま る ﹁行 動 ﹂ を 事 前 に 知 ら し て も ら う の で あ る 。 過 去 六 カ 月 間 に は 、 チ ベ ット や ネ パ ー ル に か ん す る
ニ ュー ス ・ス ト ー リ ー が ワ ン サ と 紙 上 に あ ふ れ た が 、 こ れ は、 う た が い も な く 反 中 国 感 情 を つ く り だ す た め で あ り 、
こ の 新 し い傾 向 の 源 が C I A であ る こ と は あ り そ う な 話 だ 。
78
人 的 な コネ も 少 な く な い 。 近 年 、 老 練 な 新 聞 記 者 が 政 府 機 関 に 就 職 す る 傾 向 が ひ き つづ き 存 在 し て お り 、 た と え
ば 二 人 の 新 聞 記 者 出 身 者 が 大 使 に な った ほ か 、 現 在 A I D (国 際 開発 局 ) の 首 脳 の 一人 は U P I 通 信 の記 者 出 身 で
あ る 。 数 年 前 に は 、 リ ポ ー タ ー 誌 の記 者 も 政 府 の高 官 に な っ た 。 他 方 、 政 府 が 新 聞 に 圧 力 を か け る こ と も 多 い 。 過
去 数 年 間 に お こ った こ と だ が 、 国 防 省 の 新 聞 主 任 官 は 下 院 の委 員 会 で 、 自 分 の 部 局 が 、 ニ ュー ス、 と く に ベ ト ナ ム
戦 争 に か ん す る ﹁ニ ュー ス を 操 作 し よ う と し た ﹂ こ と を 承 認 せ ざ る を え な く な った 。 一九 六 七 年 後 半 に 、 サ イ ゴ ン
に い る ア メ リ カ 入 記 者 た ち は ﹁米 軍 高 級 将 校 ﹂ と ニラ ミ 合 い に な った が 、 そ れ は 、 高 級 将 校 連 中 が 新 聞 を 統 制 下 に
お こ う と し て 、 ﹁お 気 に 入 り ﹂ の 記 者 を ひ い き し 、 在 ベ ト ナ ム 米 軍 に つこ う の い い 記 事 を か く ﹁お 気 に 入 り ﹂ 新 聞
を 確 保 し よ う と し た の で あ る 。 じ つは 、 こ れ は 、 真 の 自 由 な 新 聞 と 軍 国 主 義 者 と の 果 し な い 戦 争 の つづ き で あ る 。
筆 者 は 、 か つ て マ ッカ ー サ i 元 帥 の 渉 外 局 が 、 日 本 の 右 翼 の ﹁暗 黒 面 ﹂ を あ ば い た り 、 占 領 軍 の 欠 陥 を 暴 露 し た り
し た 記 者 に た い し て 、 悪 意 のあ る 攻 撃 を し た の を 思 い 出 す 。 そ れ は 、 ﹁お 前 の や っ て い る こ と は ロ シ ア の 奴 ら の た
日 本 の新 聞 と C I A
め に な る こ と だ ぞ ! ﹂ と いう お ど し で あ った 。
3
では 、 日本 で は どう であ ろう か 。
ど れ ほ ど 多 く の 日 本 の新 聞 人 が 国 務 省 や 、 あ る い は 、 そ の 他 のも っと ﹁当 り の や わ ら か な ﹂ C I A の フ ロ ン ト 組
織 (表面 に出 て い る団 体 )の ゲ ス ト と し て ア メ リ カ に 招 待 さ れ た か は 不 明 で あ る 。 ま た 、 ど れ ぐ ら い の 日 本 の 新 聞 l l
79
い 影xx
世界 を お お うCIAのNX黒
第二部
英 字 紙 、 邦 字 紙 双方 を ふ く め てー
(入 一ペ ー ジ) に 示 す と お り であ
に C IA が ﹁滲 透 ﹂ し て い る かも 不明 であ る。しか し 、読 売 新 聞 と ジ ャパ ン タイ
ム ズ の 両 紙 が C I A の お 目 に か な った こ と は 知 ら れ て い る 。 前 者 に つ い て は 以 下
り 、 ま た 、 後 者 に つ い て は 、 そ の編 集 幹 部 の 一人 が 、 一九 六 〇 年 、 あ た か も 安 保 改 定 騒 動 の ま っさ い ち ゅ う に ア メ
(こ の よ うに 、 日本 の新 聞 に た いす る CI A の浸 透 は ま だ 、 ほと
リ カ で ひ ら か れ た ﹁報 道 委 員 会 ﹂の 総 会 に 出 席 し た こ と に よ っ て し め さ れ る 。 こ の ﹁報 道 委 員 会 ﹂ と い う の は す で に
の べ た よ う に C I A か ら 金 を も ら って い る 団 体 で あ る
ん ど、 ヤ ミ に包 ま れ て い るが 、 そ れ はC I A の浸 透 が な い こと で は な いし、 ま た 、 浸 透 し て いる の はC I A だけ だ と いう こ と で
も な い。 )
た と え ぼ 、 こ れ は 最 近 の 周 知 の事 件 だ が 、 一九 六 五 年 十 月 のは じ め 、 時 の ア メ リ カ 駐 日 大 使 ラ イ シ ャ ワ ー は 、 大
﹁客 観 性 ﹂ を 欠 い て い る こ と を 責 め た 。 外 国 の 外 交 官 が 公 式 に こ の よ う な 非 難 を 加 え る の は 日 本 の
阪 で 、 二 人 の 日 本 入 ベ テ ラ ン記 者 (訳 注 .朝 日新 聞 の泰 正 流 、 毎 日 の大 森 実 )に た い し て前 例 の な い 攻 撃 を 加 え 、 彼 ら の
ベ ト ナ ム通 信が
(後 に、 ニ ュー ヨー ク .タイ ム ス の ハリ ス ン ・ソー ル
主 権 の侵 害 で あ り 、 あ る い は 日 本 の 従 属 的 地 位 の 公 認 で あ る と 多 く の 人 は 見 た 。 と こ ろ が 、 そ の 記 者 の 一人 は そ の
た め に 職 を 失 い 、 し か も 日 本 政 府 は 何 ら の抗 議 を 提 出 し な か った
ズ ベ リ ーは 、 右 の 二人 の 日本 人 記者 の記 事 が ほ と んど 真 実 であ る こと を裏 書 き し た)。
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ま た 、 こ れ は 帰 謬 法 式 の 逆 の証 明 だ が 、 日 本 の大 新 聞 は 、 な ぜ 、 自 分 の責 任 で C I A の活 動 を 摘 発 し な い の だ ろ
う か 。 も し も 、 日 本 の 新 聞 が 倫 理 的 堕 落 の 道 を た ど っ て い る と いう 証 拠 を 必 要 と す る な ら ば 、 い か に 日 本 の 日 刊 新
ヘ
聞 が C I A I ! ア ジ ア 財 団 の全 て の 物 語 を さ け て き た か を 調 べ て み さ え す れ ば よ い。 こ れ ら 日 刊 紙 が 外 国 人 が 日 本
の内 外 で書 いた 特 電 を 紙 面 に のせ てき た こと は真 実 で はあ る。 し か し、 日本 の日刊 紙 は 日本 人 記 者 に、 日 本 に おけ
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ら
る C I A l ー ア ジ ア 財 団 の物 語 を 調 べ た り 、 公 表 し た り す る の
を 許 さ な か った。 何 故 か 。 日刊 紙 が保 護 し て いる のは だれ な の
か。 だ れ が命 令 に彼 ら は服 し て いる のか。
ア メ リ カ で は ニ ュー ヨ ー ク ・タ イ ム ス が C I A の ス キ ャ ンダ
ル の 一部 を 暴 露 し た 。 同 紙 は "急 進 的 " で は な い 。 だ が 、 正 直
な 新 聞 た ら ん と し て い る の で あ る 。 ﹃朝 日 ジ ャ ー ナ ル ﹄ お よ び
﹃潮 流 ジ ャ ー ナ ル﹄ は C I A に 関 す る 記 事 を 掲 載 し た が 、 こ れ
ら も ま た 外 国 人 ラ イ タ ー に よ る も の で あ る 。 日 本 の大 新 聞 は 何
故 C I A を 擁 護 し て い る の か 。 ア メ リ カ 大 使 館 か 、 そ の他 の だ
れ か の 命 令 で 行 動 し て い る の で あ ろ う か 。 イ ギ リ ス 、フ ラ ン ス 、
イ ンド 、 パ キ ス タ ン、 アメ リ カ では、 C IA に 関 す る暴 露 記 事
は過 去 数 カ月 間 新 聞 の大 き なネ タ元 と な って いた 。 日 本 で これ
を抑 え つけ て い る のは だ れ だ ろう か。
カ イ ロか ら ジ ャ カ ル タ に い た る諸 国 で は 、 ジ ェー ム ズ ・ボ ン
ド の映 画 の上 映 を 禁 じ て い る 。そ の 理 由 は =連 の 作 品 (
00 7も
の) が 登 場 す る ス パ イ を 栄 光 に つ つむ か ら で は な く ー ー ア メ リ
カ の ス パ イ 鳳 全 戦 全 勝 で 殺 人 を "巧 妙 に し か も セ ク シ ー に 4 行
81
い 影NN
世 界 を お お うCIAのxx黒
第二部
この破壊 された町の報道が事実無根 と攻撃 された
な う のだ がー
" と いう理 由 に よ るも の であ る。
イ ンド ネ シ ア で 発 表 さ れ た よ う に 、 こ れ ら 作 品 が ア メ リ ヵ 人 と イ ギ リ ス 人 を 称 賛 し 、 あ る い は ま た 、
"犯 罪 行 為 に 刺 激 的 影 響 を 与 え る
し か し 、 日 本 に お け る C I A の 物 語 は "ジ ェー ム ス ・ボ ンド " 作 戦 で は な い 。 そ れ は 、 ロ ック フ ェラ ー 、 フ ォ ー
ド 、 ア ジ ア 各 財 団 の 諸 計 画 の よ う に 、 ア メ リ カ の た め に 日 本 を 奪 い と る こ と で あ る 。 こ の こ と は 一般 に は あ ま り 知
ら れ て い な い が 、 も し そ の全 貌 を 物 語 る こ と に な れ ば 、 こ の 物 語 は 非 常 に セ ン セ ー シ ョ ナ ル な も のと な ろ う 。
一九 四 七 年 二 月 の 日 本 の ゼ ネ ス ト (二 ・ 一スト) に
と こ ろ で 、 日 本 と 日 本 の新 聞 に つ い て は 、 C I A の 観 点 に 立 てば 、 問 題 は さ ら に 広 範 に 入 り 組 ん で い る と い う 歴
史 的 事 情 が あ る 。 と いう のは 、 工 業 国 日 本 の新 聞 記 者 た ち は 、
対 す る マ ッカ ー サ ー の禁 止 令 で 幕 を 上 げ た ア メ リ カ の 役 割 に つ い て 、 ま た 一九 四 九 年 十 二 月 以 降 の 反 中 国 軍 事 活 動
に 対 し て 、 け っ し て 共 感 し て い な か った か ら で あ る 。
日 本 で の こ の状 況 に 反 撃 を 加 え る た め 、 ワ シ ント ン の 戦 略 家 た ち は 日 本 の 新 聞 の オ ー ナ ー や 発 行 者 に 、 ﹁オ ー ナ
i ﹂ ら し く 彼 ら の新 聞 の 完 全 な る 統 制 を 掌 握 す る よ う 勇 気 づ け 、 ま た ﹁進 歩 的 な ﹂ 作 品 の出 版 を 拒 否 す る よ う 、 口
説 き 政 策 を と った 。 一九 四 七 年 の イ ン ボ デ ン 少 佐 か ら 一九 六 〇 年 の マ ッ カ ! サ ー 大 使 、 一九 六 五 年 の ラ イ シ ャ ワ ー
大 使 ま で の記 録 は、 日 本 で必要 と さ れ た も のが、 全 く商 業 的 で全 儲 け と 親 米 派 を増 加 さ せ る こと に のみ貢 献 す る よ
﹁マデ イ ソ ン街 の 大 広 告 代 理 店 の 東 京 支 店 設 立 と と も に 、 広 告 に 支 払 わ れ る ア
う な 新 聞 を 創 り 出 す こ と で あ った こ と を 物 語 って い る 。
こ う し て 、 ア メ リ カ 資 本 の流 入 と
メ リ カ 保 有 の数 十 億 の 日本 円 は 、 初 期 の ア メ リ カ の マ ス メ デ ィ アが 演 じ た と 同 じ よ う な 役 割 を 、 日 本 の マ ス メ デ ィ
ア に も 同 様 に 受 入 れ せ し め る で あ ろ う 、 と い う こ と は 予 想 さ れ た こ と で あ った 。 す な わ ち 社 会 認 識 は P T A の 水 準
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以 内 に お し こ め ら れ 、 セ ッ ク ス 、 セ ン セ イ シ ョ ン 、 ス キ ャ ンダ ル、 殺 人 に 置 き 換 え ら れ た 。 ﹁自 由 新 聞 ﹂ は 暴 力 の
(中 国 本 士 は 、 ア メ リ カ政府 が 中 国 は ﹁敵 ﹂ であ ると 決 定 し て し ま っ
侍 女 、 恐 怖 の 教 師 と さ せ ら れ た 。 ア メ リ カ の新 聞 のよ う に 、 日 本 の新 聞 も 公 衆 に 対 す る 保 護 者 や 教 育 者 でな く 芸 人
﹁国 際 新 聞 協 会 ﹂ と ア ジ ア の新 聞
に な る に 違 いな い 。
4
ア ジ ア の 他 の 国 1 ー い わ ゆ る ﹁自 由 ア ジ ア ﹂ で は
た が故 に、勘 定 に 入 れ な い) ﹁先 進 ﹂ 国 の新 聞 調 整 問 題 は 非 常 に 異 っ て い た 。 戦 後 1 ー 一九 四 五 年 以 降 ー i の フ ィ リ
ピ ン 、 イ ンド ネ シ ア 、 セ イ ロ ン と い った 諸 国 で は 、 自 由 と 独 立 を 夢 み る 空 気 で 一杯 だ った が 、 C I A の 役 割 は 、 彼
ら が 新 聞 に 近 づ い て も 、 毛 沢 東 が と った 独 立 へ の 道 を 押 し 進 め な い こ と を 確 保 す る こ と で あ っ た (永 年 、 アメ リ カ
の アジ ア で の前 哨 地 であ った フィ リピ ンで 、 右 翼 的 な出 版 方 針 を 助 成 す るた め 、 マ ッカ ー サー の軍 隊 の支 配 下 で は 、僅 し か持 込
ふる い
ま れな い ニ ュー スプ リ ント が最 も 友 好 的 な新 聞 に のみ与 え ら れ た と いう 、 明 白 な傾 向 が あ った)。
一九 四 五 年 か ら 一九 五 二 年 ま で 、 ア メ リ カ は 各 出 先 機 関 に よ っ て箭 に か け ら れ た 援 助 や 復 興 計 画 と 引 換 え に 、 フ
ィ リ ピ ン に お け る 九 九 力 年 契 約 の 軍 事 基 地 を 得 、 ア メ リ カ 陸 海 空 軍 が 情 報 活 動 を す る こと を え た 。 こ れ は 自 由 と
か 改 革 と か を 口 に す る 全 フ ィ リ ピ ン人 に 徹 底 的 な 監 視 を 付 け る も の で あ った 。 一九 五 二年 、 見 せ か け だ け の ア メ リ
カ 空 軍 大 佐 ﹁ラ ンズ デ ー ル 大 佐 ﹂ が 、 マ ニラ に 到 着 し た 時 、 ア メ リ カ の情 報 活 動 者 は ﹁地 下 に も ぐ る ﹂ こ と に な っ
た 。 ラ ンズ デ ー ル は C I A の エー ジ ェ ン ト で 、 フ ィ リ ピ ン 大 統 領 に ラ モ ン ・ マグ サ イ サ イ を 選 出 す る 任 務 と 、 マグ
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い 影N。
世 界 を お お うCIAのNN黒
第二 部
サ イ サ イ の キ ャ ン ペ ー ンに 資 金 を 与 え 、 最 強 の 反 米 勢 力 ﹁フ ク 団 ﹂ 鎮 圧 のプ ログ ラ ム を 彼 に 実 行 さ せ る よ う 委 任 さ
れ て いた。
後 者 は根 絶 であ った 。 ラ ンズ デ ー ル大 佐 は マグ サ イ サ イ 選出 と フク団 に対 す る改 革ー
C I A計 画 の ﹁勝 利 ﹂を 主
弾 圧 のキ ャ ンペ ー ンの主導
ラ ン ズ デ ー ル の計 画 と は 、 あ る ﹁社 会 改 革 ﹂ と 大 量 弾 圧 で あ った 。 す な わ ち 前 者 の 最 大 要 件 は 土 地 改 革 で あ り 、
権 を 握 る こと に 成 功 し た。 し か し十 年 以 上経 過 し て、 多 く の公式 筋 は ラ ンズ デ ー ルー
張 し て い る と は い え 、 し か し 、 結 果 は そ う で は な い よ う だ 。 一九 六 七 年 二 月 、 マ ニラ 発 の U P I 特 電 は ﹁共 産 主 義
者 ﹂ フ ク 団 は 再 び ﹁潜 在 的 に 非 常 に 危 険 ﹂ で あ る と 報 じ た 。 そ れ は 、 も し ﹁低 生 活 水 準 層 が 主 張 し 、 も し 土 地 改 革
(ラ ンズ デ ー ル大 佐 は、
﹁ベト コソ﹂ 相手 に ブイ リピ ンと 同 じ 結 果 を遂 行 す る た め、 南 ベト ナ
が な け れ ば ⋮ ⋮ 現 状 の全 て は 一年 半 のう ち に 吹 き 飛 ん で し ま う だ ろ う ﹂ と いう も の で あ る
世間 衆知 のご と く 、 フィ リピ ン で の偉 大 な ﹁勝 利 ﹂ の後 、
ム に派 遣 さ れ た)。
スイ スに本 部 を おく 国
に 引 継 が れ た 。 こ れ は た ま た ま 、 ︼九 五 一
プ レー ガ ー出 版 商 会
共 に
C
フ ォ ー ド 財 団 と ロ ック フ ェラ i 財 団 に よ っ て 資 金 が 供 給 さ れ た と 報 じ
(イ ン タ ー ナ シ ョナ ル .プ レ ス ・イ ス テ ィ テ ユー ト、 IP I )1
こ の 時 期 の、 ア ジ ア の ﹁自 由 新 聞 ﹂ を 指 導 す る 仕 事 は 、 前 述 し た も う 一つ の 新 聞 組 織 ー
際 新 聞 協会
年 、 朝 鮮 戦 争 の最 中 に 形 成 さ れ 、 C I A ー
ノ
も や は り 一九 五 一年 に 設 立 さ れ た (一九 五 九年 のIp I会 長 は 、 ロ
ら れ て い る 。 ﹁文 化 自 由 会 議 ﹂ (コ ン プ レ ス ・ フ オ ー ・ カ ル チ ュラ ル ・フ リ ー ダ ム) L と
I A の ﹁見 え ざ る 帝 国 ﹂ の 部 分 を 成 し て い る ー
ヅク フ ェー ラ ー財 団 理事 のバ リー ・ピ ン ハムで あ った。 ロ ック フ ェラ ー財 閥 の アジ アに対 す る好意 は 、 確 か に最 大 の原 油 供給 源
であ るイ ンド ネ シ アと 石油 市 場 とし て第 一位 の 工業 国 日本 と に関 連 があ る )。
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私 は フ ォ ー ド 財 団 に 手 紙 を 送 り 、 I P I に 資 金 を 拠 出 し て い る か ど う か 尋 ね た こ と が あ った が 、 ス イ ス の 本 部 に
直 接 尋 ね ら れ た し 、 と の こ と で あ った 。 そ こ で 、 私 は I P I の収 入 源 に つ い て 二 度 尋 ね た が 、 一九 六 六 年 十 月 十 七
日 、 ﹁収 入 源 のあ る も のに つ い て は 当 然 、 我 々 の記 録 文 書 の 中 に 埋 も れ た も の を 調 査 し な け れ ば な ら な い ﹂ が 故 に
回 答 で き な い旨 、 忠 告 さ れ た 。 そ の 日 以 来 、 何 の 通 知 も 来 て いな い が 、 最 近 の 事 件 に 照 ら し て 、 も し 詳 細 な 報 告 が
な さ れ た な ら ば 、 予 想 さ れ る ﹁財 団 ﹂ の い く つ か は 直 接 あ る い は 間 接 に C I A と 通 じ て い る だ ろ う 、 と 結 論 で き る
だ ろう 。
国 際 新 聞 協 会 は 、 ア ジ ア に お け る 定 期 刊 行 物 、 ﹁と く に 、 編 集 や 経 営 ス タ ッ フ に 助 言 を 与 え 訓 練 す る た め に ア ジ
ア の諸 国 語 で 出 版 さ れ る も の ﹂ に 非 常 な 関 心 を 持 っ て い る と 明 言 し て い る 。 過 去 十 年 間 、 ア ジ ア に お け る 活 動 は 、
こ れ が 単 な る 根 拠 のな い願 望 で な か った こ と を 証 言 し て い た 。 し か し 、 こ のC I A お 声 が か り の ﹁国 際 的 ﹂ 組 織 の
怪 人物 ヴ ィタ チと ルビ ス
奇 妙 な 特 色 は 、 彼 ら は す べ て ﹁ア ジ ア ﹂ か ら 中 国 を 除 外 し て い る と い う こ と で あ る 。
5
あ る 信 頼 す べ き 筋 の情 報 に よ れ ば 、一九 五 九 年 以 前 に 、セ イ ロ ン の コ ロ ン ボ で 当 時 の首 相 と も 密 接 な コネ ク シ ョ ン
のあ った 、あ る 若 い右 翼 的 な ジ ャ ー ナ リ ス ト が 、街 の 中 心 部 に あ る ﹁ウ ェ ス ト レ ッ ク ス ﹂ に 関 係 のあ る 名 の ア メ リ カ
の映 画 施 設 で 気 ま ま に 振 舞 って い た と いう 。 こ の 施 設 は 、 事 情 通 の セ イ ロ ン 人 が セ イ ロ ン で の C I A 本 部 だ と 確 信
し て い る 場 所 で あ る 。 一九 五 九 年 、 C I A が 熱 心 に 支 援 し て い た と い わ れ る 、 右 傾 的 な 欧 米 政 権 が 失 脚 し た 時 、 国
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第二部
際 新 聞 協 会 の ﹁ア ジ ア 局 長 ﹂ の ポ ス ト が 、 こ の 若 い ジ ャ ー ナ リ ス ト 、 タ ル ジ ー ・ヴ ィ タ チ に 提 供 さ れ 彼 は 就 任 し た 。
ヴ ィ タ チ 氏 は ロ ン ド ン に 本 部 を 置 い た が 、 大 半 は ア ジ ア で 過 し 、 彼 が ﹁助 言 ﹂ し う る 若 い ジ ャ ー ナ リ ス ト た ち を
ア ジ ア 各 地 に 配 置 し た 。 何 故 な ら ぼ 、 一九 五 八 年 以 降 、 石 油 に 富 ん だ イ ンド ネ シ ア で起 こ った 事 件 は 、 ロ ッ ク フ ェ
ラ ー の石油 に つい て の、 ま た アメ リ カ国 務省 やC IA の欲望 、 あ る いは ヴ ィタ チ氏 のそれ と も 完 全 に合 致 しな か 4
、
た の で 、 I P I は そ の ア ジ ア に お け る 精 力 の ほ と ん ど を こ の地 域 に 注 ぎ 込 ん だ か ら で あ る 。
こ のよ う に し て I P I が 見 つけ 出 し た 者 の 一人 と し て モ ク タ ル ・ル ビ ス が い た 。 彼 は イ ンド ネ シ ア 国 営 通 信 社 ア
ニ タ ラ の 東 京 通 信 員 で 、 一九 五 〇 年 の 朝 鮮 戦 争 当 時 、 日 本 に い た 。 当 時 、 日 本 の ア メ リ カ 人 社 会 で は 愛 国 心 が 盛 ん
な 時 で 、 そ れ は ま た 強 力 な 反 共 の 時 期 でも あ った 。 当 時 、 ルビ ス 氏 が ど の よ う な 編 集 方 針 を 抱 い て い た か わ か って
い な い が 、 イ ンド ネ シ ア の最 高 権 力 者 で あ る ア ブ ド ゥ ル ・ ハリ ス ・ナ ス チ オ ン将 軍 が 、 米 軍 の 側 に 立 っ て 朝 鮮 人 と
戦 う た め イ ンド ネ シ ア部 隊 を 送 り 込 み た が っ て い た こ と は 知 ら れ て い る 。
一九 五 八年 、 C I A が ス カ ル ノ 大 統 領 を 追 放 し よ う と 目 論 ん で い た 年 、 ル ビ ス は ジ ャ カ ル タ で ﹁イ ンド ネ シ ア ・
ラ ヤ ﹂ に 論 説 を 書 い て い た 。 当 時 の 彼 の 立 場 は ほ と ん ど ﹁自 由 世 界 ﹂ の側 に 立 っ て い た の で 、 ロ ック フ ェ ラ ー の も
う 一つ の 組 織 で あ る 、 マ ニラ の ﹁マグ サ イ サ イ 賞 委 員 会 ﹂は 、 彼 に ﹁ア ジ ア の ジ ャ ー ナ リ ズ ム ﹂の た め に 総 計 一万 六 千
ド ルに も のぼ る賞 金 を 与 え た 。 同 じ 一九 五 八年 に 、 こ の 新 聞 は 弾 圧 を 受 け 、 こ の若 い ジ ャ ー ナ リ ス ト は 投 獄 さ れ 、
そ の後 、 自 宅 に 軟 禁 さ れ た 。 後 に な って 、 こ の こ と は ル ビ ス 氏 に と っ て ほ と ん ど 厄 介 な こ と に は な ら な か った よ う
だ (﹁
自 由 世 界 ﹂ の新 聞 は彼 を ﹁
偉 大 な ジ ャー ナリ スト﹂ とも ﹁恐 れ を知 ら ぬ批 評家 ﹂ と も呼 んだ )。 彼 は 一九 六 一年 、 イ ス
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ラ エ ル で 開 か れ た I P R 会 議 に 出 席 す る こ と を 許 さ れ 、 当 然 で あ る が 会 議 で ﹁名 誉 を 与 え ら れ た ﹂。
一九 六 四 年 、 ル ビ ス 氏 の著 作 ﹁ジ ャ カ ル タ のた そ が れ ﹂ が ニ ュー ヨ ー ク で 出 版 さ れ た 。 そ れ は 反 ス カ ル ノ の 強 い
調 子 で 書 か れ て い た が 、 こ の ﹁恐 れ を 知 ら ぬ ﹂ ル ビ ス氏 は 、 最 近 の 何 十 万 人 も 虐 殺 さ れ た ス カ ル ノ 大 統 領 の 支 持 老
と は 違 い 、 無 事 で あ った 。
一九 六 五 年 、 イ ンド ネ シ ア で は ﹁九 二 二〇 事 件 ﹂ に 続 い て 血 な ま 臭 い数 々 の事 件 が お こ った が 、 数 日 後 、 国 際 新
聞 協 会 の ﹁ア ジ ァ 局 長 ﹂ ヴ ィ タ チ 氏 は ジ ャ カ ル タ に い て 、 何 事 が 起 こ り 、 ま た 何 事 が 起 こ ろ う と し て い る か を 知 っ
て い る 人 た ち と 連 絡 を と っ て い た 。 こ の ﹁新 聞 主 任 ﹂ の求 め て い た も の の 一つは 、 イ ンド ネ シ ア に ﹁自 由 世 界 ﹂ の
新 聞 を 復 活 す る こ と で あ った 。 数 カ 月 後 に 、 モ ク タ ル ・ル ビ ス氏 は 、 彼 の 新 聞 を 設 立 す る た め の特 別 褒 賞 金 二 万 五
千 ド ル を 受 取 る た め 、 ﹁マグ サ イ サ イ 賞 委 員 会 ﹂ に よ っ て マ ニラ へ招 待 さ れ た (マ 三 フのあ る 右 翼 出版 業 者 で I P I の
執行 部 評 議 会 の メ ンバ ー でも あ る男 は 、ルビ ス氏 に輪 転 機 と 他 の印 刷 機 を 寄 贈 し た)。
﹁マグ サ イ サ イ精 神 ﹂ (C I A の手 先 と な って フク団員 を殺 す こと? ) を 不 朽 な も の に し
﹁マグ サ イ サ イ 賞 ﹂ は 一九 五 七 年 、 ニ ュー ヨ ー ク の ロ ッ ク フ ェ ラ ー 家 の 兄 弟 が 五 十 万 ド ルを 献 金 し て創 設 し た も
の で あ る 。 ロ ック フ ェラ ー は
た と え ば 黒沢 明 と
た い と 考 え 、 毎 年 、 賞 金 一万 ド ル の 賞 金 を マグ サ イ サ イ ﹁精 神 ﹂ を 体 現 し た ア ジ ア人 に 与 え る こ と に し た 。 ニ ュー
が 、 自 分 た ち の 幸 運 は 石 油 の お 陰 で あ る と 気 付 か な か った に 違 い な い 。
ヨ ー ク の ロ ッ ク フ ェ ラ i ・セ ン タ ー か ら は 遠 く 離 れ た マ ニラ で の こ と だ か ら 受 賞 者 の何 人 か ー
い った 人 た ち ー
一九 六 六 年 十 月 十 二 日 、 マ ニラ 発 の A P 電 は I P I の地 方 代 表 で あ る チ ャ ー ル ス ・グ リ ー ン氏 と 称 す る 人 物 が 、
印 刷⋮
機 械 部 品 と 修 理 工 を ジ ャ カ ル タ に 送 り 、 か く し て ルビ ス の 新 聞 が 発 行 で き た 、 と の べ て い る 。 グ リ ー ン氏 は 、
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第二部
﹁タ ル チ イ ・ヴ ィ タ チ は す で に イ ンド ネ シ ア の 首 都 に い る ﹂ . そ し て ﹁日 本 出 版 ・編 集 者 協 会 (ジ ャパ ン ・パブ リ ッ
シ ャー ・ア ンド ・エデ ィ ター ・ア ソシ エー シ ・ソ) も こ の計 画 に 協 力 し て い る 。 I P I は 来 週 、 二 人 の 日 本 人 専 門 家 を
ジ ャ カ ル タ に 派 遣 さ れ る だ ろ う ﹂ と の べ て い た ⋮ ⋮ 。 な お 、 六 七 年 八 月 、 マ ニラ で 会 議 を ひ ら い た ア ジ ア 一五 力 国
(P EA ) を 設 立 、 八 年 間 の I P I の仕 事 を ひ き つぐ こ と に し た 。
マ ン ガ の 世 界 に も の び る ﹁恐 怖 ﹂ の手
の 六 〇 人 の編 集 、 出 版 者 は ア ジ ァ 出 版 財 団
6
さ ら に 重 要 な こ と は ﹁見 え ざ る 政 府 の 仕 事 ﹂ の ﹁見 え ざ る影 ﹂ で あ る 。 す な わ ち 、 新 聞 、 雑 誌 の計 画 的 な 記 事 、
傾 向 的 な 政 治 漫 画 、 秘 密 警 察 の 秘 密 資 金 に 依 存 す る ﹁大 学 者 ﹂ に よ っ て 書 か れ た 著 作 へ の助 成 金 な ど が そ れ で あ
る 。 ア メ リ カ の映 画 会 社 や テ レ ビ 番 組 は 、 C I A の ﹁自 由 ﹂ メ ッ セ ー ジ を 伝 え て い る。
何 年 に も わ た っ て 、 西 ド イ ツ の ベ ル リ ン か ら 広 範 に ば ら ま か れ た 政 治 漫 画 が 、 ﹁自 由 世 界 ﹂ の 多 く の新 聞 に 、 親
にし ば しば 使 わ れ て い る )。 こ れ ら の 右 翼 的 政 治 漫 画 は す べ て タ ラ ン テ ル 通 信 社 の提 供 で T P の マ
米 、 反 ソ 、 反 中 国 、 反 共 宣 伝 を つぎ 込 ん で い る (こ れら の漫 画 は 南朝 鮮 、 台 湾 、東 京 の英 字 紙 ⋮ 英 文 づ
、イ ニチ、 ジ 訪
、パ
ン ・タイ ム スー
ー ク が つ い て い る 。 こ の通 信 社 は ヒ ト ラ ー の ﹁第 三 帝 国 ﹂ (ヒ ト ラー が ナチ ス党 独 裁 下 に つく った ド イ ッ国 家 の名 称 。帝
政 ド イ ッ国 家 の名 称 。帝 政 ド イ ッお よ び ワイ マー ル共 和国 に つぐ第 三 のド ィ ッ帝 国 の意 ) 時 代 の ゲ ッペ ル ス 博 士 に 仕 え た 何
人 か の漫 画 家 を そ の ま ま 使 っ て い る 。 い ま や 彼 ら は 昔 な が ら の ﹁ボ ル シ ェビ キ に 咬 み つく ﹂ 類 の ﹁ウ ィ ッ ト ﹂ で、
よ り 大 き く 、 よ り 払 い の よ い ﹁自 由 新 聞 ﹂ に 仕 え て い る の で あ る 。 C I A が 直 接 、 あ る い は ミ ュン ヘ ン (
ババリア
88
,
の首都 、 ナ チの発 祥 地 ) に あ る ﹁ゲ ー レ ン ﹂ 機 関 の ネ ッ ト ワ ー ク を 通 じ て 、 こ の 工 作 に 金 を 出 し て い る 、 と 推 測 す る
のは自 然 な こと であ る 。と いう のは、 も し こ のよ うな 機 関 が 存在 しな け れば 、 C IA は そ のよ う な 出先 機 関 を 必 ず
﹁自 由 世 界 ﹂ の新 聞 に 現 わ れ る
や 作 った に 違 い な い か ら で あ る 。 同 じ よ う に ロ ンド ン の ﹁コ ー リ ン ・ジ ョ ン ス ト ン ﹂ に よ っ て 書 か れ る ﹁共 産 主 義
批 評 (コメ ン タリ ー ・オ ン .コム ニズ ム) ﹂ が 、 反 共 文 書 出 版 が 専 門 で な い、 多 く の
が 、 こ の ﹁共 産 主 義 批 評 ﹂ は 明 ら か に C I A の 販 路 な の で あ る (
東 京 の毎 日 新聞 英 文 版 は 定 期 的 に こ の フ ィー チ ャー版
を使 って いる) 。 引 証 さ れ た ソ ー ス は 、 以 上 に の べ ら れ た こ と が 、 C I A の冷 戦 戦 士 と 類 似 の 政 治 的 方 向 づ け を 持
送 と ﹁自 由 ヨ ー ロ ッ パ 放 送 ﹂
﹁共 産 主 義 ﹂ と た た か う ﹁自 由 ア ジ ア放 送 ﹂
﹁自由アジア ﹂放
った 、 世 界 的 な 連 携 の あ る 情 報 機 械 か ら 出 て く る の だ 、 と い う こ と を 明 白 に し て い る 。
H
1
﹁自 由 ア ジ ア 放 送 ﹂ は 第 二 次 世 界 大 戦 後 、 戦 時 中 の 短 波 放 送 施 設 を 引 き つぎ 、 ﹁共 産 主 義 ﹂ と た た か う 意 図 を も
っ て、 サ ン フ ラ ン シ ス コで 設 立 さ れ た 。 そ れ は 、 一九 四 九 年 、 毛 沢 東 指 揮 下 の 紅 軍 が 勝 利 を お さ め た す ぐ あ と の こ
と で あ った 。 こ の 放 送 計 画 は 、 ﹁独 立 作 戦 ﹂ と も よ ば れ 、 パ シ フ ィ ッ ク ・ガ ス ・電 気 会 社 、 サ ザ ン ・パ シ フ ィ ッ ク
鉄 道 、 バ ン ク ・オ ブ ・ア メ リ カ と い った 西 海 岸 の 大 企 業 の 名 が 看 板 に 掲 げ ら れ て い た 。
し か し 、 諜 報 の エ キ ス パ ー ト た ち は 、 ア ジ ア の人 た ち が 貧 し く 、 ほ と ん ど の 者 が 短 波 (乃 至 長波 ) ラ ジ オ を 持 っ
89
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第 二部
て い な い と い う こ と を 、 仕 事 を 始 め て み て 初 め て わ か った よ う で あ っ た 。 こ う し て 、 ヤ マが は ず れ 、 ま も な く ﹁自
由 ア ジ ア 放 送 ﹂ は 消 え た 。 し か し 時 が た つ に つれ 、 毛 主 席 の 政 治 が 十 年 も た た ぬ う ち に 、 中 国 人 の 平 均 生 活 水 準 を
﹁き わ め て意 図 的 な ﹂ 番 組 を 、 ア メ リ カ 西 海 岸 、 ハ ワ イ 、 フ ィ リ ピ ン、 沖 縄 に あ る 短 波 放
ほ と ん ど 二 倍 に も 引 上 げ た こ と か ら 、 ワ シ ン ト ン の高 級 情 報 官 は 、 宣 伝 放 送 を 再 評 価 し た 。 一九 六 六 年 ま で に 、 ア
メ リ カ の声 (
VOA)は
送 局 か ら 中 国 に 向 け て 放 送 し て い る 。 沖 縄 や 台 湾 か ら 中 国 本 土 へ向 け て 中 波 の宣 伝 放 送 も 送 ら れ 、 ま た 一九 六 六 年
の 夏 以 来 、 中 国 本 土 周 辺 を ﹁海 賊 放 送 船 団 ﹂ が 就 航 を 始 め 、 中 国 人 で 放 送 を 聞 く 能 力 の あ る 者 、 聞 き た が っ て い る
者 の耳 に 、 ワ シ ン ト ン の メ ッセ ー ジ を 注 ぎ 込 ん だ 。 こ れ は 最 も 腹 黒 い 種 類 に 属 す る ﹁黒 い ﹂ ペ テ ン の宣 伝 で あ り 、
国 家 首 脳 の 間 に 混 乱 を ま き 散 ら し 、 中 国 を 内 部 か ら 崩 壊 さ せ る こ と を 企 図 し て い た 。 東 京 に も 、 合 衆 国 ﹁極 東 放 送
会 社 ﹂ が あ り 電 子 の矢 を 中 国 に 射 込 ん で い る 。
南 朝 鮮 で は 、 C I A の 放 送 局 が 以 前 か ら 設 置 さ れ て い る 。 す で に 一九 四 六 年 初 頭 に は 、 ア メ リ カ は 南 朝 鮮 に ア ジ
ア 内 部 の す べ て の弱 微 な 電 波 ま で 聴 取 す る た め の精 巧 な 傍 受 局 を 作 って い た が 、 朝 鮮 戦 争 及 び 戦 後 に な っ て、 と く
に 一九 六 一年 の ク ー デ タ ー で朴 政 権 が で き る と 、 さ ら に 邪 悪 な 役 割 を 演 じ る こ と に な った 。
一九 六 一年 六 月 の ク ー デ タ ー で 朴 正 煕 陸 軍 大 佐 が 独 裁 者 と し て 出 現 し 、 す ぐ さ ま ケ ネ デ ィ大 統 領 に 歓 迎 さ れ た 。
朴 は 多 く の援 助 を 与 え ら れ 、 早 速 、 朝 鮮 統 一を 望 む 者 た ち を 叩 き 潰 し た 。 こ の 野 蛮 な 魔 女 狩 り の 指 導 者 は 朴 正 煕 の
﹁義 兄 弟 ﹂ 金 鐘 泌 (キ ム ・ジ .ン ・ビ ル) 大 佐 で あ った 。
金 鐘 泌 は そ の後 汚 職 事 件 で摘 発 さ れ た が 、ソ ウ ル の米 大 使 館 当 局 の調 停 で 釈 放 さ れ 、 ミ シ ガ ン 州 立 大 学 (
CIAと
深 く結 び つ いて い る) に 派 遣 さ れ 、 ﹁学 生 ﹂ と な った 。 亡 命 前 に 、 金 鐘 泌 は 南 朝 鮮 に ﹁C I A - 中 央 情 報 部 ﹂ を 作 り
90
出 し て いたが 、 これ は全 て アメ リ カ の工 作員 によ って慎重 に 準備 さ れ た こと な ので あ る。 や が て金 は帰 国 し、 彼 の
C IA も 動き は じめ た 。
と こ ろ で 、 こ の 金 11 朴 に よ って つく り だ さ れ た プ ロジ ェク ト の 一 つに 、 ﹁反 共 セ ン タ i ﹂ 、 つま り 、 北 朝 鮮 、 中
国 、 ソ 連 向 け の 放 送 網 が あ った 。 一九 六 一年 末 ー ー こ の南 朝 鮮 の独 裁 者 は 、 中 国 ・露 ・日 ・独 ・仏 ・英 六 力 国 語 で
宣 伝 を 放 送 す る 三 つ の 短 波 放 送 局 を 持 った 。 す で に 同 年 八 月 九 日 、 A P は 、 ソ ゥ ル 近 く の島 か ら ﹁共 産 中 国 ﹂ へ電
波 を 送 るた め 国連 本 部 は新 品 の五 〇 キ ロワ ット の放 送局 を拠 出 す る ﹂と 報 じ て いた が 、蒋 介 石 政 権 の 代 表 は こ の
﹁国 連 ﹂ の冒 険 的 事 業 を 視 察 し 、 蒋 ・朴 の ﹁共 産 主 義 に 対 抗 す る 心 理 戦 争 ﹂ の 調 整 を 要 求 し た 。
つ い に 一九 六 六 年 八月 、 ワ シ ン ト ン に 本 部 を 置 き 南 朝 鮮 に 送 信 局 を 持 つ ﹁個 人 的 資 金 に よ る ア メ リ カ の放 送 局 ﹂
で あ る ﹁自 由 ア ジ ア 放 送 ﹂ が 中 国 、 北 朝 鮮 、 北 ベ ト ナ ム に 向 け て 放 送 を 開 始 し た 。 こ の 五 〇 〇 キ ロ ワ ット の放 送 局
は ﹁朝 鮮 文 化 自 由 財 団 法 人 ﹂ と い う 名 に よ っ て 運 営 さ れ 、 前 合 衆 国 大 統 領 ハリ ー ・ト ル ー マ ンと ド ワ イ ト ・ア イ ゼ
ン ハゥ ア : が そ の ﹁名 誉 会 長 ﹂ に さ れ 、 前 統 合 参 謀 本 部 議 長 の ア ル リ ー ・バ ー ク 大 将 は 創 立 会 長 と 呼 ば れ た 。 ﹁こ
の 放 送 局 は 天 与 の自 由 に つ い て の メ ッ セ ー ジ を 放 送 す る で あ ろ う 。 番 組 は 共 産 主 義 老 の暴 虐 に 対 抗 し て 人 間 の 権 利
と 尊 厳 を 守 る で あ ろ う ﹂ と い う の が 、 そ の 声 明 で あ った 。 な お 、 バ ー ク 退 役 大 将 は し ば し ば 、 他 の 最 右 翼 主 義 者 た
ち と 同 調 し て い る人 物 であ る。
Ol
い 影 。。
世 界 を お お うCIAの"黒
第 二部
2
﹁C I A の C I A に よ る C I A の た め の 放 送 ﹂ i ー
﹁自 由 ヨ ー ロ ッ パ 放 送 ﹂
﹁見 え ざ る 政 府 ﹂ C I A は 、 ヨ ー ロ ッ パ で も 、 ま た 、 怪 電 波 を 出 し て い る 。 ﹁自 由 ヨ ー ロ ッ パ 放 送 ﹂ と 呼 ぼ れ る
こ の 組 織 は 、 ﹁破 壊 か ら 露 骨 な 軍 事 行 動 に 移 り つ つあ る 共 産 党 の 陰 謀 ﹂ を 暴 露 す る 目 的 で 朝 鮮 戦 争 直 前 の ↓九 四 九
年 に 作 ら れ 、 ﹁ポ ー ラ ン ド 、 チ ェ コ ス ロバ キ ァ、 ハ ンガ リ ー 、 ル ー マ ニ ア、 ブ ルガ リ ア の 八 千 万 の と ら わ れ た 人 び
と ﹂ に メ ッセ ! ジ を 放 送 し て い る 。 ﹁自 由 ヨー ロ ッパ 放 送 ﹂ は 、 ﹁自 由 ﹂ と い う 見 せ か け で ア メ リ カ の 人 び と か ら
資 金 を 集 め 、 な が い あ い だ ﹁非 営 利 的 な 、 非 官 設 の ﹂ 放 送 組 織 で あ る と 見 せ か け て き た 。 C I A は そ こ に な ん の 役
割 も も っ て い な い と 思 わ れ て い る が 、 ラ ジ オ の商 業 放 送 そ の も の の な か に 、 ア メ リ カ の 数 千 万 の家 庭 に C I A の冷
﹁自 由 ヨー ロ ッパ 放 送 ﹂ のた め の募 金 運 動 が ア イ ゼ ン ハワ ー 将 軍 (大統 領 にな る 二年 ま え ) と 西 ド イ
戦 宣伝 を も ち 込 む強 力 な手 段 が 秘 め られ てい る。
一九 五 〇 年 、
ツ の ア メ リ カ 占 領 地 区 軍 政 長 官 ル シ ア ス ・D ・ク レ 、
4将 軍 と に よ っ て は じ め ら れ た (ク レイ は 後 に ﹁コ ンチ ネ ン タ
﹁自 由 放 送 ﹂ の 全 国 委
ル缶詰 ﹂ ﹁スタ ンダ ー ド ・ブ ラ ンズ ﹂ ﹁エア ロス ペー ス ・コーポ レ ー シ ョン﹂ の重役 にな り 、 ﹁チ ェー ス ・イ ソ ター ナ シ ョナ ル
り
銀 行 ﹂ グ ループ を 通 じ て ロ ック フ ェラ ー財 閥 と近 づ き に な った )。一九 五 〇 年 か ら 一九 五 一年 ま で の
員 は 、 ル シ ア ス ・ク レ イ 、 ア レ ン ・ダ レ ス お よ び 後 に ア ン ゼ ン ハ ワー 政 権 の宣 伝 局 長 に な った ﹁タ イ ム ー ラ イ フ
社 ﹂ の C ・D ・ジ ャ ク ソ ン で あ った 。
﹁自 由 放 送 ﹂ が ﹁民 間 の、 非 官 設 の﹂ 組 織 で あ る と い う 見 せ か け を 維 持 す る た め 、 ア メ リ カ の大 財 閥 は 、 名 前 、
92
﹁C I A の、 C I A に よ る 、 C I A の た め の 放 送 ﹂ で あ った 。 そ れ は ﹁任 意 の
広 告 機 関 、 そ し て お そ ら く は 資 金 の 一部 を 貸 し た 。 ﹁デ ュポ ン ﹂ 社 も 目 立 った 役 割 を 、 は た し た 一つ で あ っ た が 、
﹁自 由 ヨ ー ロ ッパ 放 送 ﹂ は い つ で も
寄 付 ﹂ に よ っ てさ さ え ら れ て い る と 主 張 し た が 、 寄 付 者 の 名 前 は あ き ら か に し な か った 。 ﹁自 由 ヨ ー ロ ッ パ 放 送 ﹂
は 、 西 ド イ ッ の ミ ュン ヘ ン近 く に 二 つ の 送 信 所 が あ り 、 も う 一つは ポ ルト ガ ル に あ る 。
﹁自 由 放 送 ﹂ と ﹁自 由 ヨー ロ ッパ 放 送 ﹂ に 匹 敵 し 、 そ れ ら を も 圧 倒 し か ね な い の は ﹁ア メ リ カ 情 報 機 関 の 無 線 兵
(日本 語 を含 め て) で 放 送 し 、 ﹁自 由 放 送 ﹂ と ﹁自 由 ヨ ー ロ ッパ 放 送 ﹂ が 、
器 ﹂ であ る と 公 認 さ れ て い る ﹁ア メ リ カ の 声 ﹂ (VO A )で あ る 。 そ れ は ワ シ ン ト ン に 二 三 の ス タ デ ィ オ と 、 世 界 の い
た る と こ ろ に 送 信 所 を も って 三 九 力 国 語
﹁客 観 的 ﹂ と 自 称 す
東 ヨ ー ロ ッパ の ﹁と ら わ れ た ﹂ 諸 国 と ソ 連 の聴 取 者 の忠 誠 を 腐 敗 さ せ 、 あ る い は ひ そ か に 傷 つけ る た め に 計 画 さ れ
た ﹁裏 面 工 作 ﹂ の、 あ る い は わ い 曲 さ れ た プ ログ ラ ムを 放 送 し て い る の に た い し て 、 公 式 の、
冷 戦 と ア メリ カ 映 画
黄金 の スク リ ー ソ
る ニ ュー スを 放 送 し て い る 。
皿
1
ア メ リ カ 映 画 に お け る C I A の役 割 は 、 い ま だ 深 い 暗 闇 の よ う に 秘 密 に つ つま れ て い る が 、 こ れ ま で 長 年 に わ た
98
・"黒
い影
世 界 をお お うCIAの
第 二部
っ て、 ア メ リ カ 陸 海 空 軍 が 戦 争 映 画 製 作 の た め 、 映 画 製 作 者 を 大 い に 手 助 け し て き た こ と は 、 広 く 知 れ わ た っ て い
る 。映 画 製 作 者 は 兵 士 か ら 軍 艦 に い た る ま で す べ て を 提 供 さ れ た ス ト ー リ ー が ペ ンダ ゴ ン (国 防総 省 ) の 承 認 を え さ
え す れば 、 軍 は 何 でも 援 助 を 与 え る の であ る 。
ハリ ウ ッド 映 画 が 海 外 に 与 え た 影 響 を 調 査 し た 米 議 会 の委 員 会 の 話 に よ れ ば 、 ハリ ゥ ッド の 製 品 は ﹁冷 戦 の勝 利 、
即 ち 、 イ デ オ ロギ i 攻 勢 ﹂ の た め に 明 ら か な 役 割 を 果 た し て い る 。 一九 六 四 年 一月 に 出 さ れ た 公 式 報 告 書 に は 、 英 、
仏 、 伊 、 西 独 各 国 で の調 査 に も と つ く 結 論 が 示 さ れ て い る が 、 こ の 調 査 は 、 ア メ リ カ 映 画 を 観 て 、 観 客 が ア メ リ カ
を 好 ま し く 思 う か 否 か 、 自 国 の映 画 と 比 較 し て ア メ リ カ 映 画 を ど の 程 度 評 価 し て い る か 、 さ ら に ハリ ウ ッド が ア メ
リ カ 人 の生 活 に つ い て ど の 程 度 ま で 真 実 を 告 げ て い る と 思 う か を 調 べ た も の であ った 。
こ の調 査 は 、 ア メ リ カ 映 画 が 世 界 で も っと も ポ ピ ュラ ー で あ る こ と を 示 し た 。 イ ギ リ ス で は 自 国 の 映 画 を 八 六 パ
ー セ ン ト 、 ア メ リ カ 映 画 を 八 四 パ ー セ ン ト 評 価 し た 。 西 独 で は 自 国 の も の 五 八 パ ー セ ン ト 、 ア メ リ カ 映 画 四 一パ ー
セ ン ト を 評 価 、 七 四 パ ー セ ン ト の イ タ リ ア 人 が 自 国 の映 画 を 最 良 と 評 価 し 、 ハリ ゥ ッド 映 画 も 六 七 パ ー セ ン ト の支
持 を 得 た 。 西 欧 で は フ ラ ン ス だ け が 反 対 の 結 果 を 示 し た 。 フ ラ ン ス 人 の 七 四 パ ー セ ント が 自 国 の 映 画 を 最 良 と し 、
次 い で イ タ リ ア 映 画 の 四 五 パ ー セ ン ト 、 そ し て ア メ リ カ 映 画 は 第 三 位 で 二 六 パ ー セ ン ト で あ った 。 三 つ の 国 で そ れ
ぞ れ 行 な わ れ た 世 論 調 査 の 結 果 、 ア メ リ カ 映 画 が 全 て の 中 で ﹁も っと も 楽 し い ﹂ も の で あ る こ と が 示 さ れ た の で あ
と く に こ の点 が 賞 賛 さ れ た の だ が
によ るも のであ る こと は、 いう ま でも な い。多 く の観客 はギ ャ ング
る 。 こ の こ と は ア メ リ カ の 富 と 高 い 生 活 水 準 に よ る も の で あ り 、 ス ク リ ー ン に 撮 し 出 さ れ た 市 民 た ち の 屈 託 のな い
様子f
映 画 、 殺 人 や 残 酷 な 描 写 な ど に 不 満 を 抱 い て お り 、 一方 、 作 り も の の カ ゥ ボ ー イ が 出 て く る 、 次 か ら 次 へと 際 限 の
94
な い 勧 善 懲 悪 話 の 西 部 劇 に も 反 対 の 声 が あ る 。 セ ッ ク ス 、 野 蛮 さ 、 そ し て ア メ リ カ 的 生 活 様 式 の ﹁映 画 宣 伝 ﹂ も 非
難さ れ た 。
多 く の者 は 映 画 の スト ー リ ー の薄 っぺ ら な こ と を 慨 歎 し た が 、 調 査 の総 計 で は 、 だ い た い 、 ハリ ゥ ッド 映 画 を 良
し と し 、 ひ い て は ア メ リ カ を 良 し と し た の で あ る 。 こ の調 査 は 一九 六 二 年 の 六 、 七 月 に 行 な わ れ た の だ が 、 ハ リ ウ
ッド が 彪 大 な 量 の戦 争 映 画 を 作 り 続 け た こ と に 関 し て 、 驚 く べ き こ と に は 、 論 及 も 項 目 さ え も ま っ た く な か った 。
明 ら か に 、 こ れ は 議 会 の 報 告 書 か ら 削 除 さ れ た の であ る 。 と い う の は 、 た と え ば 西 独 の 人 た ち が 、 せ っか ち な 若 い
ア メ リ カ の G I が 永 遠 に 軍 隊 の 英 雄 で あ り 、 片 手 だ け で 第 二 次 世 界 大 戦 の勝 利 を 獲 得 し た と い う よ う な こと を 無 視
す る だ ろ う な ど と は 考 え ら れ な い か ら で あ る 。 ハリ ウ ッド 映 画 の 他 の面 に つ い て 、 憤 慨 し た 英 、 仏 の 観 客 の 声 が 多
く 引 用 さ れ て い る が 、 ﹁戦 争 映 画 ﹂ に つ い て の引 用 は 全 く な い 。 こ の調 査 は 、 ケ ネ デ ィ 米 大 統 領 の 人 気 が い ま だ 高
か った 時 期 に 行 な わ れ た も の だ が 、 世 界 の 人 た ち は ほ ん の 数 カ 月 前 、 こ の 同 じ 、 徴 笑 を 忘 れ ぬ 若 い 大 統 領 が キ ュー
バ 侵 攻 を 認 め た こ と を 忘 れ て い な か った は ず で あ る 。
ベ ト ナ ム 戦 争 を 初 め て エ ス カ レ ー ト し た のも 、 他 な ら ぬ ケ ネ デ ィ 大 統 領 で あ った 。 彼 は ア イ ゼ ン ハウ ァー 大 統 領
が 在 任 中 の 一九 六 〇 年 末 に 八 百 人 の 軍 事 顧 問 団 で あ った 米 軍 を 、 数 カ 月 後 に は 三 万 人 に 増 員 し た の であ る 。 ハリ ゥ
ッド は 長 い 間 、 世 界 中 に ア メ リ カ の 友 人 を 作 っ て き た が 、 こ の 陽 気 な 人 気 も 、 一九 六 五 年 二 月 ジ ョ ン ソ ン大 統 領 が
北 爆 を 開 始 し て か ら は 次 第 に 減 退 し た 。 前 に 指 摘 し た よ う に 、 世 界 中 で 行 な わ れ た 最 新 の ﹁人 気 投 票 ﹂ は ﹁最 高 機
密 ﹂ で あ る が 、 い ま や ア メ リ カ の人 気 は 逆 転 し 、 不 人 気 に 変 って い る こ と を 示 し て い る 。
こ の 冷 厳 な 事 実 を 知 る 一つ の ヒ ン ト を あ げ よ う 。 一九 六 七 年 三 月 末 、 ア メ リ カ の 一新 聞 は 、 ハリ ゥ ッド に か ん し
95
、黒 い影 、
世 界 を お お うCIAの
第二部
て 次 のよう に問 う て いる
﹁現在 戦 わ れ て い るベ ト ム戦 争を 舞 台 に し て人 気 絶 頂 の配 役 で作 ら れ た戦 争 映 画 の大 作 が な いと いう 事 実 に は 何
か 意味 が あ る のか 。 第 一次 およ び第 二次 世界 大 戦 当 時 の愛 国 的情 熱 が 国 中 で失 わ れ て いる こと が、 ベ ト ナ ム戦 争映
画 に関 す る ハリウ ッド の態 度 を決 定 す る 主要 な原 因 な のであ る。も し 、 ハリゥ ッド が民 意 の何 ら か のバ ロメー タ ー
﹁戦 場 に かけ る橋 ﹂ の秘 密
で あ るな ら ば 、 ベ ト ナ ム戦 争 は全 く 一般 の共 感 を 得 て いな いと いう こと にな ろう﹂ 。
2
超 愛 国 的 な範 躊 に属 し、 不本 意 なが ら ベト ナ ム戦 争 支 持 の宣伝 を 勤 め て い るかも 知 れ な い唯 一の映 画 は、 右 翼 的
思 想 で知 ら れ たあ る製 作者 によ って作 ら れ た ﹁グ リ ー ン ・ベ レー﹂ (訳注 。反ゲリラ作戦部隊を テー マにした映画) で
あ ろう 。 こ の映 画を 上 映 す るた め C IA が ﹁力 を 貸 し ﹂ た と か、 貸 そう と し たと いう 漠 然 と した 噂 が あ るが 、 そ れ
は 単 な る ゴ シ ップ に 過ぎ な い。
こ の種 類 の話 では 次 のよう な も のも あ る。 それ は 超特 作 ﹁戦 場 に かけ る橋 ﹂ を 作 る た め謎 の金 が 動 いた と いう 話
であ る 。 そ れ は、 米 政府 が 日本 を 東 洋 の橋 頭墾 に し た いと望 ん だ ワシ ント ン (米政府)が ﹁残 酷 な 日本 人﹂ と いう
イ メー ジ を取 消 そう と す る た めだ った。 日本 帝 国陸 軍 が ク ワイ橋建 設 のた め戦 時 捕虜 を 強 制労 働 に 就 か せた と いう
事 実 は 、 ハリ ウ ッド 映 画 の好 み では な か った 。 何 千 人 も が死 に、或 いは 殺さ れ 、 捕虜 のほと ん ど は餓 死寸 前 であ っ
た 。 ご く 最 近 の 一九 六七年 二月 二十 日、 こ の野蛮 な 建 設 計画 に参 加 した 一人 と し て、 オー スト ラ リ ア のJ ・M ・ウ ィ
96
リ ア ム ズ 大 佐 は 、 映 画 の 美 的 作 り 話 に 抗 議 し て 、 マ レ ー シ ア か ら 東 京 の朝 日 新 聞 に 投 書 を 送 った 。 恐 ろ し か った 日
々を 回 想 し な が ら 、 彼 は 、 事 実 は 映 画 に 見 ら れ る も の と は ﹁雲 泥 の差 ﹂ が あ り 、 捕 虜 た ち は ﹁従 順 ﹂ で も な け れ ば
協 力 的 でも な か った と の べ て い る 。
つまり 、誰 かが ど こか で、 日本 は第 二次 世界 大 戦 中 に残 酷 で
な く 、 日 本 軍 は 東 南 ア ジ ア 進 駐 中 も 殺 鐵 者 で な か った と 大 胆 に
も宣 言 し て、一九 四 一年 か ら 一九 四五 年 ま で の間 の歴 史を 、真実
を歪 曲 し て改 訂 す る こと を決 定 し た のであ る。 だが 、 今 日、 シ
ンガ ポ ー ルや 香港 では 、 日本 軍隊 に虐 殺 さ れ、 今 日に な って そ
の骨 が発 見 さ れ つ つあ る何 千 と いう 市 民 の家 族 のた め ﹁血 債 ﹂
を 支払 えと いう 日本 に対 す る要 求 が 山 積 し て い る の であ る。
日本 の 一部映 画 製 作者 は ワ シ ント ンの真 の役 割 が見 抜 け ず 、
あ のよう な大 虐 殺 に関 す るペ ン タゴ ン の御 都 合 主義 的 な 了 解 を
小説 では な い1
再 び軍 人 崇 拝 に う
受 入 れ ても悪 い事 は決 し て起 き な か った のだと 確 信 す るに 至 っ
た よう であ る。映 画 は1
つ つを 抜 か し 、 ま た 日 本 人 を 軍 隊 や 戦 争 に か ぶ れ さ せ よ う と し
一時 、 日 本 占 領 当 時 のダ グ ラ ス ・ マ ッ カ ー サ ー 司 令 官
始 め て いる。 永 く アジ ア で経 験 を 積 ん だ 二人 の アメ リ カ の元 外
交官
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塾 が 動 い て つ くら れ た と い う 「戦 場 に か け る橋 」
"謎 の金
い 影 。。
世 界 を お お うCIAのNX黒
第二部
の 政 治 ア ド バ イ ザ : で あ った 元 大 使 の ウ イ リ ァ ム ス ・J ・シ ー ボ ルド と 、 以 前 国 務 省 に い た C ・ネ ル ソ ン ・ス ピ ン
ク ルスー 1 は 日本 で軍 国 主 義 は死 ん で いな い、 と 次 のよ う に のべ て い る。
つく ら せ
﹁ (日本 で ) 最 近 、 軍 人 魂 を 賞 賛 す る 映 画 が 復 活 し て き た こ と は 、 敗 戦 の 心 理 的 打 撃 や 外 国 軍 隊 に よ る 占 領 で さ
し か も 極 秘 のケ ち に
え も 、 日 本 人 の こ う し た 性 格 を 顕 著 に 変 え て は い な い、 と い う こ と を 明 ら か に 示 し て い る ﹂ 。
も し も 、 本 当 に 、 ﹁戦 場 に か け る 橋 ﹂ や ﹁グ リ ー ン ・ベ レ ー ﹂ を C I A が ー
た の だ った と し た ら 、 そ れ は ま さ に C I A の 真 の勝 利 で あ ろ う 。 と い う の は C I A か ら 提 供 さ れ た 材 料 で 、 ま た C
I A が 前 も って 決 め て あ る 結 論 に し た が って 、 学 者 た ち に 完 全 に ﹁客 観 的 ﹂ な 仕 事 を さ せ る と い う よ う な 、 き わ め
て 見 事 に 確 立 さ れ た C I A の 伝 統 に し た が っ て 、 こ の よ う な こと は 行 な わ れ た に 違 い な い か ら で あ る . C I A の 結
論 と は 、 我 々 は ﹁ "自 由 世 界 " の 民 主 的 な パ ー ト ナ ー ﹂ で あ り 、 ア ジ ア に お け る 同 盟 国 で あ る 日 本 が 必 要 であ り 、
デ ィ ズ ニー 映 画 の本 質
そ れ 故 日 本 は ﹁民 主 的 な パ ー ト ナ i ﹂ で あ る 、 と い う も の で あ る 。
3
さ ら に 陰 険 な 操 作 は 、 ウ ォ ル ト ・デ ィズ ニー の い わ ゆ る ﹁自 然 の驚 異 ﹂ に 見 ら れ る も の で あ る 。 C I A が こ の映
画 の 製 作 に 当 って 何 が し か の金 を 払 った と い う こ と に つ い て は 疑 問 が あ る 。 と いう の は 、 こ の映 画 は 、 戦 後 最 も 成
功 し た ア メ リ カ の 実 業 家 の 一人 で あ る ウ オ ル ト ・デ ィ ズ ニー の作 った も の で あ る か ら で あ る 。 こ の映 画 の お か げ で
何 億 も の 人 が 、 戦 争 こ そ 生 物 界 の法 則 で あ る と 堅 く 信 じ 込 ま さ れ た 。
98
そ し て こ の闘 い で は 最 も 強 者 が 勝 つ で あ ろ う し ま た 勝 つ の が 当 然 で も あ る 。 こ の映 画 に 登 場 す る 動 物 た ち は む り
やり 互 いに闘 う よ うな 状 況 に 置 か れ、 闘争 を 回避 し な いよう にさ せ ら れ て いる のだ が、 こう いう や り 方 で、 こ の
﹁真 実 の ﹂
映 画 は 作 ら れ て い る の で あ る 。 こ の歪 曲 さ れ た ダ ー ウ ィ ン 主 義 を も と に 、 ﹁愛 国 者 ﹂ デ ィズ ニー は ﹁自 然
の 法 則 ﹂ を タ テ と し て 、 ア メ リ カ は 原 爆 を 手 に 入 れ て 以 来 、 最 強 の 国 の 一つと な った の で 、 そ れ ゆ え 世 界 を 制 覇 す
べ き で あ る 、 と 証 明 出 来 た の で あ る 。 ﹁食 う か 食 わ れ る か ﹂ の 争 いを す る ア ザ ラ シ、 虎 、 ラ イ オ ン、 儀 、 蛇 、 鳥 、
適 者 生 存 な の であ った 。
そ し て ク モど も を か り て、 ウ ォ ル ト ・デ ィズ ニー は 何 億 人 も の 入 た ち を 馬 鹿 に し 、 こ れ ら の 人 た ち が 容 易 に ア メ リ
カ の支 配 を 受 け る よ う に し た の で あ る 。 こ れ こ そ が ﹁神 の法 則 ﹂ ー
何 百 万 も の人 た ち の心を 陰 険 な やり 方 で悪 化 さ せ る映 画 の利 用法 に つい ては し ば しば 注 目 さ れ てき た。 最 近 米 上
院 外 交 委 員 会 委 員 長 J ・ウ ィ リ ア ム ・ フ ルブ ラ イ ト 上 院 議 員 は 国 防 総 省 の つく った 映 画 を 非 難 し た 。 全 米 に 配 給 さ
れ た こ の戦 争 宣 伝 用 ﹁ド キ ュメ ン タ リ ー 映 画 ﹂ は 、 ﹁
,
何 故 ベ ト ナ ム で 戦 う か ﹂ と いう 題 名 で、 ア メ リ カ が 何 故 、 八
〇 〇 〇 マイ ル も 離 れ た 海 の彼 方 の 戦 争 に 参 加 す る よ う に な った か を ﹁説 明 ﹂ す る も の で あ る 。 フ ルブ ラ イ ト 上 院 議
員 は 、 こ の 映 画 は ア メ リ カ の攻 撃 か ら 自 ら の 祖 国 を 防 衛 し て い る ベ ト ナ ム 人 を ﹁侵 略 者 ﹂ と し て 描 こ う と し て い る
か ら 、 全 く の宣 伝 だ と い った 。 映 画 は ヒ ト ラ ー や ム ソ リ ー 二を 侵 略 者 と し て描 き 、 当 時 、 ア メ リ カ は こ れ ら の 侵 略
者 を ﹁防 止 ﹂ す る の が お く れ た が 、 し か し 、 ア メ リ カ は 今 度 の ベ ト ナ ム で は 、 過 去 の 失 敗 に 学 ん で 、 ベ ト ナ ム 戦 争
に 踏 切 った 、 と の べ て い る 。 ﹁ホ ー お じ さ ん ﹂ は 怪 物 ヒ ト ラ ー と 同 一視 さ れ て い る の だ !
前 述 のよ う な イ ン チ キなや り 方 で歴 史 的 な 主 題を 改 ざ ん す る や り方 に 関 連 し て、 ペ ン タゴ ンが アジ ア の戦 争 の 一
例 と し て 朝 鮮 戦 争 を 選 び 出 し 、 日 本 を 相 手 に 戦 った 太 平 洋 戦 争 を 選 ば な か った 、 と いう こ と は 、 非 常 に 意 味 深 い こ
99
い影、
世 界 を お お うCIAのx'黒
第 二部
映 画﹂ の中 で ホ!
チ ミ ンは ﹁南 ベ ト ナ ム で子 供も 大 人 も 区 裂
と で あ る よ う だ 。 ヒ ト ラ ー や ム ソ リ ー 二は い た が 、 東 条 は い な い。
こ の ﹁馨
く犠 牲 とな るよ う な 恐怖 の支 配 を 計
画 ﹂ し て いる と いわ れ て いる 。 アメ リ カ が南 北 ベト ナ ム の男や 婦 人 や 子 供 た ちを ナパ ー ム で焼 き 殺 し、 麦 や 稲 を化
学 的 に 枯 死 さ せ、 沖 合 に停 泊 し て い る軍 艦 か ら奥 地 の村落 に非 人道 的 な 砲 撃 を 加 え た り、 無 差別 に全 て の生 命 を 断
った り す るよ う な友 好的 な ﹁恐 怖 ﹂ に つ いて は全 く 何 も いわ れ て いな い のであ る。
ハリウ ッド は これ を物 語 の材料 と し て消 化 でき な い。 し か し、 これ こそ デ ィズ ニー や ペ ンタゴ ンが 不 変 の法 則 と
主 張 す るも のな の であ る。
蜘
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