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喝 - 経営禅研究会

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喝 - 経営禅研究会
2010 年 2 月 4 日
経営禅研究会 飯塚 如風
かつ
~
「喝」
~
坐禅をし始めの頃は、雑念が次から次へと湧き起ってくる。そのうちに坐禅の型もぐらつ
し
け
けいかくさくれい
いてしまう。そんな時、師家が持っている警策(警覚策励の略で、眠りを覚まし、修行を
励ますための棒)が飛んでくる。
「喝」といえば中国唐代の臨済宗祖の臨済義玄が有名です。また、義玄の言葉に「随処作
主・立処皆真」があります。臨済は、何かといえば弟子に「カァーツ」と大きな声で応え
ほっす
ていました。
「仏法のぎりぎり肝要のところは何か」と問う僧に、臨済は払子(長い獣毛を
束ねて、柄を付けた法具。日本では煩悩を払う標識)を立てた。僧は「カァーツ」と一渇
しんみょう
した。臨済もまた一渇してその僧を打った。臨済は言った。
「仏法を修行する者は 身 命 を
おうばく
惜しんではならぬ。わしはかつて黄 檗 先師に三度、仏法のぎりぎり肝要のところを問うて
三度棒で打たれた。できたらもう一度ああいう棒を受けてみたいものだ。」その時、一人の
僧が進み出た。臨済は棒を差し出した。僧が棒を受け取ろうとすると、臨済はその僧をす
かさず打った。
かつ
~
四つの「喝」
~
「喝」は、まるで禅問答のように難解で、訳がよくわかりません。そのためか、同じ『臨
済録』勘弁では、臨済は「喝」を四種類に分けて示しています。
(1)「ある時の一喝は金剛王の宝剣」
金剛王の宝剣は、もっとも堅く、もっとも鋭利で、どんなものでも断ち切ることができ
るように、ある時の一喝は、迷いや妄想、不安といった心の動揺を断ち切る喝です。
こ
じ きんもう
(2)「ある時の一喝は踞地金毛の獅子」
金色の毛の獅子が地面にうずくまって、まさに獲物に飛びかかろうとしている姿は、凛
とした威力を漂わせて周囲を圧倒します。ある時の一喝は、獅子のような寄りつく隙を与
えない威力を持つ喝です。
たんかんようぞう
(3)「ある時の一喝は探竿影草」
たんかん
ようぞう
探竿影草とは、竿の先に鵜の羽をつけて、水中の魚を探って(探竿)、浮き草(影草)の
下に集めてとる漁法です。このことから、ある時の一喝は、探りを入れて力量を試す喝で
す。
な
(4)「ある時の一喝は一喝の用を作さず」
これは自然のままに、何の作為も思惑も加えない喝で、「無喝の喝」といわれるもので、
悟りの境地から吐かれた最上級の喝とされています。
喝は、それ自体は無義語ですが、そこにはじつに深い響きがあります。私たちは、さま
ざまな迷いや悩みをかかえて、現実の壁の前で立ち止まっていることがあります。そんな
ときの一喝は、現状を打ち破る力を持っています。
【 禅 と 経 営 】
■自らの経営の現状を打ち破り、常に謙虚に見直すことです。
■自社の未熟さを知り、顧客サイドで思考する。
■高い理想、「あるべき姿」を明確にし、自社の経営に喝を入れる。
■横着心、傲慢心に喝を入れる。日々改善の経営をする。
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