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所得概念と所得税法 (4)
翻 訳 ゲオルク・シャンツ 所得概念と所得税法 ︵4︶ 篠 原 章 訳 3 相続、遺贈、贈与、生命保険金、富くじ賞金 すでに触れたように、これらはわれわれの堅守している所得概念に照すと所得となる。つまりひとたび帰属す れば自由に処分しうるところの純資産の増加である。これらを消費してしまっても、以前から有している資産は 温存されるで、これ以上貧しくなることはない。 これらがどの程度まで所得税に服するかは、このばあい、こうした帰属収入Anfalleがそれ以前に他の租税に よって大きな打撃を与えられているのか否かにかかっている。その判定は、キャピタル・ゲインのばあいとは幾 分違うかたちで下されることになる。 まず相続と遺贈にかんしていえば、周知のとおり、相続税が至るところで相当な広がりを見せており、こうし −121 − た資産増加はきわめて大きな打撃を与えられている。相続税は血縁関係の程度と関係がある。相続税の効力は、 幸運が大きければ大きいほど、血縁の感情が薄れれば薄れるほど、遠くの親類の果たす義務が共同体の果たす義 務にとって代わられれば代わられるほど、大きくなるといえよう。この租税が介入するのはそこまでであって。 確 定 所 得 に 二 重 に 打 撃 を 与 え る と い う 任 務 を も つ べ き で な い と す れ︵ ば1 、0 帰5 属︶ 遺産にもう一度課税する必要は全く ︵ な1 い0 。6 相︶ 続税はここでは特殊な種類の純資産の増加にたいする特別所得税として働くのである。 だが、相続や遺贈のすべてが課税されているわけではない。ドイツにおいては、卑属と夫婦は免税で、尊属は ほとんどのばあい大きく優遇されている。例外はエルザスーロートリソゲンtlsai5-Lothringenだけで、そこで は 、 一 八 八 九 年 六 月 十 二 日 の 新 し い 法 律 に も と づ き 、 右 の カ テ ゴ リ ー も 租 税 に 服 す る こ と に な っ て い︵ る1 。0 そ7 れ︶ で はなお打撃を与えられていない遺産にも課税すべきか否かという問題を考察してみたい。子孫などの所有となる 相続遺産を、われわれはとりあえず所得と考える。というのは、遺産が帰属する時点ではじめて、相続人はこれ を他の所得と同じように処分しうるからである。だが、これは何といっても独特の性格の収入であり、相続権に 応じてしばしば潜在的な請求権を表わすもので︵遺留分権を想起すればよい︶、その限りでは何ら新しい純資産 増加を示していない、と言えるかもしれない。したがって所得税法についても、相続税法がいちいち設けている ような免税規定を受け入れるとわれわれが言うことには意味があるのである。他のケースについても首尾一貫し ていさえすればよい。たとえば偶然的な終身年金の受け取りといった遺贈にたいして、すでにこの遺贈の資本価 額全体に相続税を課していれば、所得税によってさらに打撃を与えるべきではないのである。 贈与のばあいはもう少し正確に見なければならない。われわれの所得概念からすると、贈与について、それが -122 − 一度だけ与えられるものかそれとも繰り返し与えられるものか、また、法律的に保護されるものかそうではない ものか、さらに報償的なものかそうではないものか、といった点について区別をつけることはなく、これらはひ とたび発生すれば無差別に所得である。だが、ここでもわれわれは差し当たって、贈与の一部はすでに特別の租 税によって打撃を受けている、という事実に突き当たる。しかし周知のように、贈与税というテーマは、ドイッ 諸 邦 で は 例 外 的 に 様 ざ ま な 角 度︵ か窃 ら︶ 論 じ ら れ て い る︵ 。1 ザ0 ク9 セ︶ ンーヴァイマール、シュヴァルッブルクールドル シュタット、ヴァルデック Waldeck'メクレンブルクーシュトレリッツMecklenburg-Strelitz'ハンブルク、ロ イス本家領そしてザクセンーマイニングンからなるグループは、生存者による贈与には全く課税しない。第二の グループに属する国々、プロイセン、ザクセン、バイエルン、エルザスーロートリングン、リューベック、ザク センーコーブルクーゴー夕Sachsen-Coburg-Gotha、ロイス分家領、アンハルト、ブラウンシュヴァイク Braunschweig'リッペーシャウムブルク[一ppe-Schauヨburg'メクレンブルクーシュヴェーリン Mecklenburg-Schwerin'ラウエンブルクLauenburgでは、生存者による贈与への課税は贈与の証明書をもとに 行われ、ある種の印紙税ないしは手数料という形態をとっている。第三のグループは、ヴュルテンベルク、シュ ヴァルッブルクーゾンデルスハウゼンおよびブレーメンから成り、証明書とは関係なく贈与の法的手続 Rechtsaktに課税するものである。四番めのグループには、バーデン、ヘッセン、ザクセンーアルテンブルク Sachsen-Altenburg'オルデンブルクそしてリッペーデトモルトが数えられ、混成的な制度をつくりだしている。 これと並んで税率についてもまたぎわめて大きな多様性が存在する。とりわけここで重要なことは、贈与税のば あいも相続税と同じく、血縁関係の程度に応じて段階づけされているか否かという点である。このような段階づ −123− けが行われているのは、プロイセン、ヴュルテンベルク、ヘッセン、オルデンブルク、ブレーメン、ザクセソー アルテンブルク、ロイス分家領、リッペーデトモルト、アンハルトーデッサウAnhalt-Dessau’シュヴァルッブ ルクーソンデルスハウゼン、そしてリッペーシャウムブルクである。各ラントの所得税にかんして、贈与は免税 されているか、それともすでに十分打撃を受けているかを知ることができ、かつ知ることになるか否か、あるい は、所得税についてさらに例外を設ける必要があるか否か、といった点を決するのは各ラントの贈与税形成の状 態なのである。筆者は贈与は課税されるべきだと考えているからこそ右のように述べたのである。バイエルンで は不動産贈与にたいして二%の税率を課し、その一方、動産贈与にたいしては、公証人作成の契約書があるばあ いに限って、しかもわずか三%の税率が適用され、親族のばあいにはたった一穴%である。これについてははっ きりと、動産贈与課税が不十分であると言うことができるだろう。したがって、以下のように述べることが所得 税法において意義をもつことになろう。不動産贈与は所得税免税、動産贈与は所得税課税であると。ただしこの とき贈与税も税額計算に含めることができる︵そもそも贈与税が必要と見なされればの話であるが︶。 富くじ賞金には以下のような問題がある。 ドイッには、一〇%の帝国富くじ税がある。だが、周知のようにこれは、賞金当選人にではなく、富くじ購入 者全体にかかるものである。この印紙税は、富くじ協会によって、富くじ総発行計画枚数をもとに前納されなけ れ ば な ら な ︵い m。 ︶富くじ協会はこの税額を一枚一枚の富くじに配分するのである。当選人も確かに税を負担する が、それは賞金を基準とするのではなく、賭金を基準とするのである。彼は、富くじ購入者としてのみ課税を受 けるのである。それと同時に、国家は当選人からさらにある種の公課を取り立てる。これは賞金の一〇%∼一 − -124 八%である。これは富くじ協会の費用と事業活動資金を一部負担するものであるが、さらにこの他に高率の利潤 税が残っている。また富くじ賞金を所得税から免税することは適当であると考えられている。しかし、自国の富 くじをもたない国家にとっては適当であるとは限らない。つまり富くじをもたない国家の領土に居住する者が当 選人になると、彼はその時点で外国によって課税されるのであるから、富くじをもたない国家の立場からする と、この賞金を納税義務のないものとみなして、所得税の課税対象からはずすことには何の根拠もない。 また、教会富くじ、競馬富くじ、博覧会富くじなどの当選人を免税することにも全く根拠はない。したがっ て、一般的な規範を立てられるとすれば、富くじ賞金はそれが当選人の居住国の国家富くじから得られたもので ない限り、その受領者は課税される、ということになる。 生命保険のばあいー物的保険および収益保険は除くー、問題はちょっと複雑である。保険料は所得の一用途で あ る と 見 な さ れ る に 違 い な か ろ ︵う m。 ︶したがってこれを、利子つきの貯蓄と同一視することができる。両者とも資 本投資と見なされるからである。しかし保険は、利益を受けることも損失を受けることもある資本投資である。 保険料の支払いとそれにたいする利子の増加とに対応する額よりも、その受取り額は多くなったり少なくなった りする。それどころか事情によっては何も受け取らないこともある。たとえば生存保険のばあいは支払開始期限 前に死亡しているケース、疾病保険のばあいは病気にならないケースなどがある。同様の事態は、他の貯蓄形態 のばあいも排除されるものとは限らない。ある人がとうした貯蓄を元手に家を建てるとすれば、彼はこの家から 利益を受けることも損失を受けることもある。ある人が有価証券を購入するとすれば、この証券は値上がりする こともあればただ同然になってしまうこともある。だがやはり保険のばあいは、右のような特徴がその仕組みの ― 125 − 本質に備わっているため、他の貯蓄形態とは違っている。そこで以下のような点も敢えて考察しておきたい。 ある人が自分の所得の一部を投資する。彼が貯蓄銀行にそれを預けようが、家ないし有価証券を購入しよう が、ある種の請求権を取得したことには変わりはない。彼はそれについていつでも完全に自由な処分権を有する のである。ところがこのことは保険にはあてはまらない。傷害保険、疾病保険、老齢者保険、廃疾保険のばあ い、収入は不確実な事故を前提にしており、保険料の支払いによって私有財産を失い、制約された請求権を取得 しているのである。生存者保険のばあいも事態は同様である。死亡保険のばあい、死亡という結果は確実なもの であるが、被保険者は保険金を自由に処分することはできない。たとえできたとしても、せいぜいその一部につ い て で あ︵ る1 。1 こ2 う︶ した点をことごとく視野に入れて考量すると、保険金であれ年金であれ、保険からの収入はす べて所得と見なすことが最も簡単明瞭と思われるはずである。われわれの用いる所得概念以外の概念を用いてみ ると、不都合な事態が生じてしまう。つまり傷害保険会社、生命保険会社などから支払われる補償保険金は資産 と見なされ、継続的な年金というかたちで同じ支払いが行われると︵傷害年金、終身年金など︶、これは所得と見 なされるのである。 つぎに課税にかんしてだが、保険証書にたいしては取引税がかかる。この公課はきわめて小さなもので、問題 の 所 得 に た い す る 実 質 的 課 税 と 見 な す こ と は で き な い︵ 。m こ︶ の公課はむしろ、管理手数料という性格をもってい る。したがって、所得から流出する保険料と証書から生まれる年金と保険にたいしては、大きなためらいなく課 税 し う る の で あ︵ る1 。1 い5 ず︶ れにせよこのやり方は、現在行われているよりも、おおむね満足できる適切な解決策の ひとつ足りうるものである。 -126 − 相続、遺贈、贈与、生命保険金、富くじにたいする立法者の側の取り扱いにかんしては、差し当たって二つの 大きな分類が可能である。 第一の分類グループに属する法律は、この種の収入いっさいをできるだけ免税にしようというものである。こ れに属するのは、バーデン、ヘッセン、オルデンブルク、ロイス本家領・分家領、ザクセンーヴァイマールの所 得税法、スイスの諸法、これを厳密にいうとカントン都市であるバーゼルとゾロトゥルンSolothurn︵一八九五 年︶の一般所得税法、並びに残りのカントンの特殊所得税法である。さらにオランダ、イタリア、ルクセンブルク の所得税法もこれに属する。これらの法律はすべて、免税という点を完全に明示しているわけではないが、その 表現と構造から、この種の収入の免税を望んでいることは想像できるはずである。とはいえ、ここに属するもの のなかには、同じ原理的基礎に立ちながらこの点を明確に表現する一連の法律もある。アンハルト︵第十六条︶と ザクセン︵第十五条︶のそれは、﹃相続等々の収得形態を介しての例外的諸収入﹄を課税所得と見なしていない。ザ クセンーマイュングン︵第十一条︶とシュヴァルッブルクーゾンデルスハウゼン︵第十一条︶のそれは、﹃相続、贈 与、生命保険等々の収得形態から生ずる例外的諸収入﹄、プロイセン︵第八条︶、リッベーデトモルト︵第四条︶の法 律、一八九五年五月十四日のヴュルテンベルク租税法案︵第八条︶は、﹃相続、贈与、生命保険l等々の収得形態 から生ずる例外的諸収入﹄をそれぞれ課税所得とは見なしていない。これらの法律にょれば、この種の収入は所 得ではなく、﹃基本資産の増加﹄と見なされる。しかしながらプロイセンのように、株式会社、有限会社、協同組 合及び同種の法的人格のぼあいはこうした収入は課税される、という例外規定を伴っていることもしぼしぼ見受 けられる。 −127− 立法者の理解は、一八九〇年十一月三日の法案にかんするプロイセンの提案理由において典型的に現われてい ると思われる。﹃基本資産を課税所得と区別することは特別な重要性をもつものである︵第八条︶。こうした区別 は、個々の納税義務者の主観的な見解と意図にもとづいて行われるのではなく、もっぱら一般に妥当する経済的 諸原則にもとづいて行われる。例外的利益供与は、ある人が自分自身の資産ないし所得を消費しなくとも第三者 から彼のところに流入してくるもので、同時に、経済的諸原則に照したとき長期的な欲求充足という目的を達す る こ と の な い も の で あ り 、 基 本 資 産 の 増 加 と 見 な し う る も の で あ ︵る 1。 1﹄ 6︶ ﹃同様のことは、ある種の資産の譲渡によって獲得された利益にかんしても妥当する。ただしこのとき、この 譲渡自体が、純粋な投機行為と思われるものではなく、別の法的あるいは経済的な配慮を原因として行われるば あいに限られる。﹄ ﹃第八条で挙示された収入は、祖税上の資産増加を示す諸事例のほんの一例にすぎない。先に触れた諸前提を 満たす事例でこれと肩を並べるものはまだ数多く存在する。これにかんして明確な概念規定を示すことは、個々 の事例を疲れ果てるまでいちいち挙げつらねることと同様、ほとんど不可能である。個々の事例をいちいち挙げ るという試みは、いつも不完全にとどまる穿鑿好きな行為という意味以上はもたないだろう。第八条で示された 諸原則をその意義に別していっそう発展させることは、執行諸規定と実践の任務として残されるはずである。﹄ 第二の分類グループに属するのは、所得概念を右で触れた﹃例外的収入﹄という点にかんして拡張し、それに したがって納税義務も拡大しようとする国々である。これらの国々は、とくに富くじ賞金の免税について消極的 な態度をとっている。 −128 − オーストリアの法案には、下院の決議によってその第百五十九条に非課税所得が明記されている。﹃相続、生命 基金保険、贈与等々の対価を伴なわない利益供与からの例外的諸収入﹄がそれである。 他のぼあいに通常用いられている表現﹃等々の収得形態﹄は、ここではもっと限定的な性格を与えられ、 l 厳 密 に い え ば 、 政 府 案 と ︵は m違 ︶ってー対価を伴なわない利益供与という表現に狭められている。オーストリ ア側の見解にしたがうと、富くじ賞金は対価を伴なわないこうした利益供与には明らかに属さない。これはもと もとの政府原案にはあったものの、ここでは言及されていない。このオーストリア案では、これにたいして、持 参金はとりあげられており、免税とされている。これは贈与に似た対価を伴なわない利益供与と見られている。 遺贈もまたこのカテゴリーに含まれている。民間会社が支払う傷害保険金が免税であるか否かははっきりしない よ う に 思 わ れ る 。 こ れ は 、 生 命 保 険 の 概 念 を 広 く 把 も う と す る か 狭 く 把 も う と す る か に 左 右 さ れ る 。 ︵m︶ オーストリアの法案と類似した土台に立っているのはシュヴァルッブルクールドルシュタット㈲とリューべッ クの法律である。 Xュ ヴ Xァ ル Nッ ブ Sル ク Xー ル Xド ル Nシ ュ Xタ ッ Xト の そ Xれ ︵ X第 七 N条 ︶ Sで は X、 ﹃ X相 続 X、 贈 N与、生命保険からの例外的収入﹄だけ シ が非課税所得と見なされている。したがってここにも﹃⋮⋮等の収得﹄という表現は存在しない。富くじ賞金は こ の ば あ い は や は り 基 本 資 産 の 増 加 で は な く 、 お そ ら く 課 税 所 得 で あ る と 思 わ れ る 。 持 ︵参 1金 2は 0﹃ ︶贈与﹄という概 念に含まれるはずである。私的な傷害保険機関によって支払われた補償金については右で述べたことが妥当する。 このような曖昧さを除いているのはリューベックの立法である。一八八九年五月二十七日の所得税法の、課税 純 所 得 算 定 に か ん す る 諸 規 定 の う ち そ の 第 九 条 に は 以 下 の よ う に 述 べ ら け て い る 。 ﹃ ︵相 1続 2、 1遺 ︶贈、贈与および傷害 ― 129 − 保険からの収入、婚姻のさいの持参金からの収入は、それらが取得時点で有する資本価額については所得に算入 されない。﹄ 富くじ賞金が課税所得に含まれないことは疑いない。それどころかこれは、利益をもたらす独立し た業務からの課税収益であるととくに強調されている。︵第九条第一項︶。 ブレーメンでは、課税所得をもっと限定している。そこでは、対価を伴なわない収入だけが課税所得から締め 出されている。﹃相続、遺贈、贈与および遺贈は、それらが取得時点で有する資本価額について、所得税を課せら れ な い も の と す ︵る 1。 2﹄ 2 ︶し た が っ て 富 く じ 、 保 険 ︵か 1ら 2の 3収 ︶入は課税所得に含まれないことになる。ブレーメンの立 法者は、一八四八年一月三日の最初の所得税法以来、右のような立場に立っている。当時、市参事会および市議 会 に よ っ て 、 財 政 委 員 会 の も っ と 先 進 的 な 諸 提 案 ︵は 捌は ︶っ き り 否 決 さ れ て い る 。 ︵125︶ ハンブルクはけっしてブレーメンの先例にならったわけではない。一八六六年三月二十六日の所得税法は、現 行の一八八一年三月七日所得税法も含むその後のすべての所得税法と同じく、富くじ賞金は明白に課税所得に算 入し、保険金は暗黙のうちにこれに算入するものとしている。これにたいして﹃相続、遺贈、贈与及び婚姻のさ いの持参金﹄だけを課税所得から除外している。 一方、他の国々の法律は遺贈や贈与さえ所得税の範囲に含めている。たとえば、一八四八年六月四日のバイエ ルンの所得税法および一八四八年七月二十八日のバlデンの所得税法によれば、少なくとも、贈与、資産譲渡、 遺言の指図によるすべての規則的受取りを、税額査定のさいに考慮しなければならない、となっていたはずであ ︵る 1。 26︶ たとえ周期的に反復する受取りが問題にされていなくとも、贈与や相続を課税所得と見なす法律はやはり何と − −130 言っても魅力をもつと言えるかもしれない。これは一八九四年八月二十四日のアメリカの連邦[所得税]法のこ とを指していうのである。それによれば、贈与あるいは相続を通じて取得された貨幣および動産は課税対象とさ る れ ︵。 1こ 2こ 7で ︶土地が除外されているという事情の理由は、この種の贈与と相続を所得と見なしていない、という ところにあるのではなく、この法律が特殊に農業的な性格を帯びている、というところにある。 立法者はこのような事柄について他の立法者に盲目的に追従する、という傾向が非常に強いとわれわれは考え ているが、事が﹃基本資産の増加と見る﹄という点に及ぶと、必ずしも原則的な一致は見られない。むしろ、こ の種のものを所得に算入するという傾向も十分に見受けられる。つまり、間違った立脚点の方向へ動いている、 あるいは、誤った基礎づけのもとに行動している、という風に人は本能的に察知しているのである。単純かつ素 朴に、あれこれのものにたいする租税がすでに存在してるので、われわれはこれらを免税にしている、と言う代 わりに、不明確な所得概念をよりどころにしてある種の受け取りをその所得概念の外に置こうと試みてきたので ある。 だが、贈与と遺贈を原理上課税所得に算入しない法律も、その原理を敢えて貫くことには必ずしも徹していな いのである。 プロイセン旧所得税法にかんする一八七七年一月三日の指令は、必ずしもすべての贈与を免税としているわけ ではない。そこ︵第二十九条︶には以下のように記されている。﹃たとえば年金あるいはそれ以外の貨幣評価可能 な利益がある人にたいして他者から支払われたばあい、受領者にたいして贈与者が特殊な権原︵契約、遺言執行 よ に る 贈 与 、 判 決 ︶ に よ る 義 務 を 負 い ︵、 1こ 2う 8し ︶た権原によって定められた金額を給付する限りにおいて、この給 −131− 付は受領者の独立した所得に算入してもかまわない。これにたいして、支払い行為一般あるいはその領が贈与者 の善意にもとづく給付はことごとく所得への算入に適さないものである。たとえこうした支払いが事実上反復す るものであっても、あるいはこのとき贈与者が受領者にたいして個人的な義務︵たとえば子弟等の扶養・扶持︶ を負っていたとしても、法的拘束性を伴なう決定にょって給付の性格と規模が定められていなければ、事情は変 わらない。﹄ 贈与が一回きりのものとして与えられるケース、あるいはこれを何回かの給付に分割して、法律上 この給付形態に拘束されるかたちで贈与の意志を実行に移すケース、このふたつのあいだに何故に区別を置く必 要があるのか、それを理解するのは難しい。ある人が他者にたいして、二千マルクの利子を十年間にわたって生 みだす価値を有する資本を与えるのと、彼が他者、たとえばその相続人にたいして、二千マルクの年金を十年間 にわたって与え続けるよう法的に拘束されるのとは、事実上同じである。後者の方が前者よりいずれにせよ確実 性が高い、とは言いきれない。浪費家の受取人についてならたぶんこのことはあてはまるかもしれない。しかし 別の受取人については、資本をすぐに受け取る方が、それを考えられる限りの確実な投資に回す可能性をもたら しうるのである。このばあい、反対に給行者が倒産などのうきめにあうことになれば、約定された年金は台無し になることもあるのである。 しかしプロイセンの指令によって強調された観点も、やはり維持されなかった。たとえば心づけはこの指令の 内容にそぐわないものだった。一八八八年十月十九日の命令にはつぎのょうに述べられていた。﹃心づけはそれ 自体としては自由意志にもとづく贈与であり、課税を受けない。だが事実上存在する事情を顧だとき、ボーイ、 ドァマンなどといった人々は、客などから慣習的に彼らに支払われるのがつねである心づけを、取り決められた −132 − 賃金と並ぶ、あるいはそれに代わるひとつの確実な所得源としてあてにしているのであるから、心づけを課税所 得に算入することは正当化されるのである。このような前提はしかし、たとえば鉄道馬車の車掌にはあてはまら ない。さらに詳しく調べてみると、心づけを車掌に渡すという行為は、少数の乗客だけが行うことであり、しか も、この少数の乗客による心づけも様ざまな鉄道馬車の路線で必ずしもほぼ同じ程度に行われているわけではな く、むしろ路線によって少なからぬ差異が見られるため、収入額の査定はいっそうおぼつかないものになってい る 、 と 言 う こ と が ま ず は っ き り す る だ ろ ︵う 1。 2﹄ 9そ ︶れどころか﹃査定﹄をつうじてこの種の収入を確定することは困 難である、といえるかもしれない。しかし、こうした事情はホテルのボーイのばあいも変わるものではない。車 掌のばあいに考えられた路線による受け取り額の大きな違いはホテルのばあいも同じで、ホテルごとに違いが見 られるものなのである。いずれにせよ、ボーイのばあいはその所得の一部ないし全部を心づけから稼ぎ出すのだ から、その心づけについて租税を支払うべきものとし、車掌や郵便配達夫は免税というのでは誰も納得しない。 車掌にしてもその給与とは別に一〇〇マルクの心づけを受け取ることもあろうし、郵便配達夫にしても新年にな れば、その受け持ち地域の広さに応じて数百マルクを受け取るのであるから。これに付け加えて言えぼ、贈与は ほとんどのばあい、最も広い意味で、サービス給付の対価なのである。もちろんこれには鉄道馬車も含まれる。 人は親切なサービスやちょっとした働き、心のこもったお辞儀などにたいして多くを与えるものである。贈与の うちにどの程度、このような反対給付が含まれているかを判別することは全くできない。ここで区別をつけるの は誤りなのである。 プロイセンの新しい所得税法も旧法と同じ観点に立っている。継続的な扶持の供与l必ずというわけではな -133 − いが、法的に強制力をもつ養育費のように、贈与と見なされることが非常に多いーが受領者の手もとで課税さ れるのは、贈与者がその供与について法的に拘束されているか、法的に確定した判決が下されているぼあいだけ である。これにたいして、扶持費およびその他の利益供与のばあい、その支払い行為一般あるいはその支払い額 が贈与者の自由な意志に委ねられていれば、たとえその支払いが事実上反復されるばあいであっても、課税を受 け る 可 能 性 が あ ︵る 1。 3旧 0法 ︶と同じく、法的拘束性を伴なうばあいは贈与者は彼によって供与された扶持費に準拠し て免税とされる。このような課税・免税の関係全体は、利子支払いのばあいの関係に類似している。利子のばあ い 、 支 払 者 は そ の 債 務 利 子 順 を 自 分 の 所 得 か ら 控 除 し 、 受 領 者 は 自 分 の 所 得 に こ の 額 を 加 算 す る の で あ る 。 ︵131︶ 贈与にかんしてはさらに別の、︹概念上の︺区別に出くわす。私的な職業および公的な職業に従事する俸給生活 者にたいする特別報償がそれである。これは、報償的な性格と贈与的な性格とをしばしばその中にあわせもって いる。ハンブルク、リューベック、ブレーメンはこうした特別報償を完全なる課税対象であると断定を下してい る。ザクセンは継続的に供与される特別報償だけを課税対象としているが、さらに、贈与という名称で一定の時 期に供与される報償金も、その額について契約ないし慣行によって定められている限り、やはり課税対象と見な さ れ て い ︵る 1。 32︶ したがって境界線を見極めるのに四苦八苦している状態にあると言えよう。もともとそのようなものはありは しないのだから。そして結局のところ、あらゆる租税は課税期間内に有する支払い能力に準拠すべきであるとい うこと、人の一生には様ざまな贈与の流れが無数に存在し、これもまた支払い能力に属するものであるというこ と、これらがすっかり忘れ去られているのである。つまり、同じ給料を得ている二人の郵便配達夫のうち、一方 −134 − がさらに四〇〇マルクの心づけを受け取り、他方が五〇マルクも受け取らなかったとすれば、この二人を等しく 取り扱うことが公平であるといえるであろうか? 贈与と遺贈は課税所得ではない、という原則の侵犯は、税法上終身年金のばあいにも見られる。 相続人が第三者にたいして終身年金ないし年金を支給するかたちで遺贈を義務付けられたり、ある人が第三者 にたいする贈与として、終身年金を与える、ということはけっして稀ではない。相続税・贈与税がいくらか整備 されているばあいだと、受遺者は受贈者の年齢を考慮した上での終身年金の資本還元価額にもとづいて、こうし た遺贈あるいは贈与について租税を納めなければならない。それにもかかわらず、利子と資本が含まれる終身年 金は、その発生源にかかわりなく、つまり受給者が自分自身のお金を払い込んでそれを取得したばあいだけでな く、遺贈ないし贈与を通じて受給者がそれを受け取ったばあいについても課税を受ける、というのが一般的な規 則である。したがって、相続人が第三者にたいする遺贈二万マルクの支払いを義務づけられると、通常の理論と 実務にしたがえば、受領者はこの二万マルクの収入については所得税免税であるのにたいし、二万マルクの資本 価値をもつ終身年金というかたちで遺贈が供与されると、受領者はこの二万マルクについて少しずつ納税しなけ ればならない。 これについて過誤があると感じている立法者はごくわずかである。だが彼らもまた、一貫性を是非とももたせ ようという決意を持ちえなかったのである。三つのハンザ都市は、終身年金、年金等々の反復的な支払いについ ては免税としている。このばあい、こうした年金が当該ハンザ都市に居住するあるいは在留する納税義務者の自 由意志に基づいていることが条件である。これにたいして贈与者がその贈与額について課税を受けるにとどまる −135 − ことは言うまでもない。このばあい、贈与免税の原則が維持されるのは、この贈与について贈与者が納税義務者 で あ る ば あ い に 限 ら れ て い ︵る 1。 3た 3と ︶えば、あるベルリン市民がブレーメンに住む親族に二万マルクを贈与するか 遺贈するかするばあい、この収入はブレーメンの受領者にとって免税となる。これにたいして、そのベルリン市 民がブレーメンの受領者にたいして、これを終身年金というかたちで供与すると、受領者はその年金について納 税しなければならない。贈与者と受贈者がブレーメンに居住するばあい、この収入およびブレーメンにおける終 身年金は受贈者にとって免税である。しかし受領者は、彼がその贈与をブレーメン市民から受け取ろうが、ベル リン市民から受け取ろうが、経済的には同じ状態に置かれるのである。 贈与と遺贈は課税所得ではない、という原則を厳格に守ることはできないと考えられる。 保険金の免税にかんしても事情は変わらない。ある人が期限付保険︵生存保険︶に加入し、六〇才のときに保 険金を受け取るぼあい、多数の国々でこの保険金収入は課税を受けないことになっている。ある人が、一括払い 込みないしは長期に保険料を払い込むかたちで保険に加入し、特定の時点から終身年金ないし年金を受け取るば あい、彼は元本も含んでいるこの受給分について所得税を納めなければならない。ザクセンでは、購入された終 身 年 金 に 含 ま れ る 元 本 に つ い て 控 除 を 認 め る こ と を 、 法 律 の 条 文 と の 関 連 で は っ き り 否 定 し て い る ︵。 134︶ 私は第一部において、所得か一定期間の資産純増と見る概念だけが満足しうる定義をもたらす、ということを 示そうとしてきた。この定義は、商人的な考察様式と非商人的なそれとの双方に接近するもので、同時に所得学 説の理論上の要求に最もよく適合するものである。他方第二部では、この概念が税制にたいして卓越した土台を ― 136- 提供するということ、すなわち税制に存在する数多くの矛盾と不透明さを取り除き、支払い能力という観点をよ う や く 十 二 分 に 前 面 に 押 し 出 す こ と を 証 明 で き た と 考 え て い る ︵。 135︶ −137 一 −138 − 一139 − -140 − −141 − -142 −