...

見る/開く - 東京外国語大学学術成果コレクション

by user

on
Category: Documents
3

views

Report

Comments

Transcript

見る/開く - 東京外国語大学学術成果コレクション
東京 外 国語大学 『日本研 究教育年 報 1
6』 (
201
2.
3
)
く研究 ノー ト)
ミクロネシア連邦ヤップ島における日本語教育の現状及びその変遷
上 久 保
明 子
1
.は じめに
ミクロネ シア連邦は太平洋の中西部 に位 置 し、大洋州地域 に分類 され る。 同 じ大洋州 地
域 の中では、オー ス トラ リアやニ ュ- ジー ラン ドにおいて 日本 語教育 が盛 んで あ り、それ
らの地域 にお ける 日本 語教育の研 究は多 く蓄積 されてい る0万、国際交流基金の調査 1
に
よれ ば 2010年現存 、では太平洋 島喚地域 の 16地域 中 13地域 で 日本語教育が行 われ てい
るものの、その詳細 について未 だに明 らかに され ていない地域 もある0
1
.1 ミク ロネ シア連邦における日本言
吾教育の概要
990年前後か ら各 州 2に JI
CAボ ランテ ィア3が派遣 され て継続
ミクロネ シア連邦では、1
的 な 日本語教育が導入 され 、 2010 年現在 までに 4 州全てで 日本語教育が行 われて きた。
日本語教育導入 の理 由は、各州 の教育機 関が、 日本 とミクロネ シア連 邦 との経 済的 関係 が
今後一層強 まるのではないか と見込んでいた こと4
、また、日本 は地理約 ・歴史的に も身近
な国である とい う意識 が国民の中に根付 いてい ること5な どであ る。日本語教育機 関は主に
i
I
CA ボ ランテ ィアのほか、ポ ンペイ州及びヤ ップ
各州 の中等教育機 関であ り、教師には e
州 には在留 の 日本人教師 もい る。
ミクロネ シア連邦 において、 日本語 は外 国語 にあた り、現地語お よび公用語 である英 語
のほかに外 国語 として唯、全ての州 において学 ばれ てきた言語 であ る。 しか し、連 邦政
府 が示す言語教育政策 では、外国語教 育 に関す る指針やカ リキュラム策定な どの具体的 な
取 り組 みが見 られ ないのが現状である6
。
1 国際交流基金 「日本語教育国 。地域別情報 2010年度 」
ミクロネ シア連邦 は、西か らヤ ップ州 、チ ュ- ク州 、ポ ンペイ州 、及び コスラエ州 の 4州 で構成 され て
い るC
>首都 はポ ンペイ州 ポ ンペイ 島のパ リキ-ル であ り、在 ミクロネ シア 日本 大使館 もポ ンペイ州 ポ ン
ペイ 島の コロニアにある0
3J
I
CAボ ランテ ィア事業は 、日本 の ODA予算 に よ り独 立行政法 人国際 協力機 構 (
J王
CA)が実施 してい
I
CAボ ランテ ィアの活動報告書 を本文 で引用す る際 には、例 えば 2007年 に提 出 され た平 成 1
9年
るoJ
度 2次 隊派遣、土 生 塾が記 した盈上 皇 活動報告書 の場合 、上記 下線 を付 した箇所 の情報 をま とめ 、 「消
動報告 書 (
1
92上久保① ,2007)」と表記す る0第 1号活動報告書の添付 資料 を参考 に した場合 は、「
添」
とい う略記号 を用 いて 「
活動報告書 (
1
92上久保① 添 ,2007)」 とす るO また 、J
I
CAボ ランテ ィアが
記 した引継書の場合 もそれ に従 い、引継 書 (92上久保 ,2007) と示す0
4 西尾 ・カ ッケンブ ッシュ (
1998:27)
5 活動報告書 (
l
lシニア短賢 、更 田③添 2,2000)
6 ミクロネ シア連邦 の言語環境及び言語教 育政策 に関す る詳細 は、上久保 (
印刷 中) を参照 され たい。
2
1
- 31-
1
.
2先行研究
ミクロネ シア連邦の 日本語教 育に関 しては、日本統治時代7
の 日本語教育 に 目が向け られ
るこ とが多い。公学校 での教育全般 あるいは教育方針 に関す る調査及び研究 については、
1938)
、矢 内原 (
1963)
、今泉 (
1996)
な どが詳 しい。 また、南洋群 島の公
南洋群 島教育会編 (
学校 で使 われていた国語読本や南洋群 島にお ける 日本語教 育 についての調査及 び研 究は、
1938)
、麻 原(
1942)
、多仁 (
1991
)
、浦 田(
1998a,1998b)
、津留 (
1998)
、
南洋群 島教育会編 (
2000,2002)
な どが詳 しく、それ らを始 めこれ までに多 くの研 究の蓄積 がある
由井(
。
また、第 二次大戦以降の 日本語教育 を対象 と した論 考 には、西尾 ・カ ッケ ンブ ッシュ
(
1998)
、 栗 田(
2004)、JI
CA ボ ランテ ィアの活動報告書があ るQ西尾 ・カ ッケ ンブ ッシュ
(
1998)
は、1
996年か ら 1997年 に太平洋 島喚地域 の 16地域 で調査 を行 い、 日本語教育の
沿革や 当時の状況、各地域 の教 育、言語政策 、そ して遠隔教 育に関す る調査結果 を記 して
2004)
は、 ミクロネ シア連邦 にお ける 日本語教育 の問題 点 と して、 日本語教育
い る。栗 田(
が 日本政府 の援助 に依存 してい ること、及び 日本語教育に関す る国の指針 が示 され ていな
CA ボ ランテ ィアの活動報告書 は、各 ボ ランテ ィアが各々の活動
い ことを挙げてい る。JI
シニア短繁、更 田③ 添 2,2000) 揺
内容や課題 を報告 してい る。特 に、活動報告書 (ll-
2000年 に、当時の 日本語教 育機 関、 日本 語学習者 、JI
CA 日本語教師ボ ランテ ィア、 ミク
ロネ シア連邦政府教育局の担 当者 を対象 に、ア ンケー ト調査及 びイ ンタ ビュー調査 を行 い、
各機 関にお ける 2000年 当時の 日本 語教育の状況や問題点 を明 らかに してい る。
この よ うに ミクロネ シア連邦の 日本語教育 は、ある時点にお ける横 断的な調査や報告が
な され て きてい る。第二次大戦以降の 日本語教育に関す る先行研究の うち、西尾 ・カ ッケ
1998)及び活動報告 書 (
ll
シニア短緊、更 田③ 添 2,2000) には、ヤ ップ島
ンブ ッシュ(
での 日本語教育 に関す る記述 も見 られ る。 しか し、ヤ ップ島 に焦点 を絞 り、戦後 に行 われ
た 日本 語教育の変遷 を詳細 に記述 した研 究は これ までにない。 ヤ ップ島にお いて過 去に行
われ た 日本語教 育、及び現在行 われ てい る 日本語教育について整理 し記述す ることは、ヤ
ップ島にお ける今後の 日本語教育 について考 える際に も欠かせ ない。
1
.
3本稿の 目的
本稿 では、執筆者 が 直 接携 わ る機会 を得 た8ミクロネ シア連 邦ヤ ップ島9にお ける 日本語
71
91
4年 か ら 1
9
45年 の終戦 まで、現在 の ミクロネ シア連邦 を含む ミク ロネ シア地域 を 日本 が統治 して
いたOその時期 の ミクロネ シア地域 は 、南洋群 島 と呼ばれ る。また、南洋群 島 を管轄す る 円本政府 の行
南洋群 島教育会編
政機 関は南洋庁 と呼ばれ 、南洋庁 が所管す る小学校 は南洋群 島公学校 と呼ばれ る。 (
(
1
93
8
)
)
本稿 執筆者 は 、2
007年 か ら 2
0
08年 にかけて 、J
I
CAのボ ランテ ィア事業に よ りミクロネ シア連邦のヤ
ップ島に派遣 され 、ヤ ップ高校 にお いて 日本語教育 に携 わ る機会 を得 た。
9 ヤ ップ州の州都 は、ヤ ップ島の コロニアに置かれ てい る。 いわゆるヤ ップ島には、州都 コロニアのある
島に加 え、橋で繋がれた北東部 のガギ-ル ・トミール鳥お よび北部 のマ-プ島、そ してマ-プ島に隣接
したル ムング島があ り、 これ らがヤ ップ鳥 と呼 ばれ てい るDヤ ップ州 にはヤ ップ島の ほか、ユ リシー環
礁 、ウオ レアイ環礁 、ヌ グル環礁 な ど約 1
3
0の環礁及び島がある0本稿 ではヤ ップ州 の 中で も、特 にヤ
ップ島の 日本語教育 を研 究対象 とす る。
8
- 32-
ミクロネ シア連邦ヤ ップ鳥にお ける 日本語教育の現状及びその変遷
教育を 1つの事例 とし、これ までにま とまった記述の行われていない地域 にお ける 日本語
教育について、現状及びそ こ-至るまでの変遷 を調査 し、その結果 をま とめることを 目的
990年代か ら 201
0年現在までにヤ ップ島で行 われた 日本語教育
とす る。本稿では特に、1
の変遷 を記述す る。
2. ヤ ップ島にお ける 日本語教 育の現状 (
JI
C
Aボ ラ ンテ ィア派 遣 以降 )
I
CA ボ
本章 では、 日本語教育機 関の概要及 び 日本語 教育 の現状 を記 述す る。 なお 、J
ランテ ィア活動報告書や本稿執筆者が現地滞在 中に得た情報 を参考に したほか 、
201
0年現
CA 日本語教師ボランテ ィアか らも情報 を得た1
㌔
在ヤ ップ高校で活動 している JI
2,
1ヤ ップ州の 日本語教育機関
ヤ ップ州では 1
990年代以降、初等教育、中等教育、高等教育、及びその他機 関で 日本
01
0年現在では、中等教育 1機 関のみで 日本語教育が行 われ て
語教育が行われてきたが 、2
990年代 の 日本語教育については、次章で記述す る。
いる。現在すでに終了 してい る 1
ヤ ップ州で現在 日本語教育が行われてい るのは、ヤ ップ島で唯一の公 立高校、ヤ ップ高
校である。ヤ ップ高校 に通 う生徒の年齢 は、1
5歳か ら 1
8歳である 1
。2008年度のヤ ップ
ま
高校 の生徒数は、おお よそ 7
00名である。生徒の卒業後の進路は、本稿執筆者 が現地で得
た情報 によると、国外の大学-進学 した り、ヤ ップ島あるいはポ ンペイ島の短期大学-進
学後 に国外の大学-編入 した りす るほか、アメ リカの軍隊-入隊す ることもある。 また、
家事の手伝 いや村での仕事のため、社会的身分 としては無職 で生活す る者 も少 な くない。
0年生か ら 1
2年生の生徒が履修 できる
日本語 とい う教科は選択必修科 目の一つで 、1
0
2009年度後期 (
201
0年 1月 ∼5月)に 日本語を学習 している生徒数は、計 42名 である12
O
ヤ ップ高校の 日本語 クラスは、1
996年 に開講 されてか ら 201
0年現在 まで、 日本人教師が
交代で授業を担 当 してきた。
2.
2 日本語教育の内容
2.
2.
1 ミクロネシア連邦共通の教材及び活動 例
ミクロネ シア連邦の中等教育機 関では、 どの機 関で も特定の教科書 は使用 していない。
市販の教科書の場面等は ミクロネ シア連邦の学習者 にそ ぐわない ことが多いため、具体的
3
0
な教授 内容 は各教師が学 習者に合 ったプ リン ト等 を準備 し、使用 してい る1
教授 内容 については 、J
I
CA 日本語教師ボ ランテ ィアによ り、2006年 に FSM 共通 日本
2
0
1
0年 5月 に、2
01
0年 5月現在 の学習者数や使用数朝 、授 業内容 な ど、本稿執筆者 か らの質 問に メ
ール で回答 して もらった0
10
1
1ただ し、入学の遅れや留年 、休 学 のほか、度退学後 に再び復学す るな ど、諸事情 に よ り 2
0歳 を超 え
る生徒 もい る
。
1
22
01
0年現在 、 日本語 の授業 を担 当 してい る JICA 日本語教師ボ ランテ ィアか らの情報 に よる。
1
3 活動報告書 (
llシニア短 繁、更 田③添
2
,2
0
0
0
)
-3
3-
語 シラバスが作成 された 1
4
。
しのために各州 の高校
で
共
作
成
の背景 に は、中等教育か ら高等教育へのスムーズ な橋 渡
有できるシラバスの必要性 が大き くなった こと、また、共通 シ
ラバスの作成及び改訂作業 によってシラバスの改良や教師-の効果が期待 された こと1
5
な
どがあるoFS
M 共通 日本語 シラバスの方針 は、ミクロネシア連邦における 日本語教授 項 目
を完全 に統-す るのではな く、各 日本語教師が各学校の現状 に合わせたシラバスを定 めろ
際の拠 り所 とす ること1
6であるO
共通 シラバ ス作成 と同時に、会話集や クラス活動集、ひ らがな練習帳、ひ らがな 50 音
義、ひ らがなフラッシュカ- ドな ど、共通 シラバスに準拠 した教材 も各種 作成 され てい る1
7
。
これ らの教材は、共通シラバス同様 に、語嚢
わせて作成 されてお り、 ミクロネ シア連邦
の
や
場
学
習
面設定が ミクロネ シア連 邦 の学習者
に
合
者 に とって身近な ものの名 称及び身
近
な
表現 を扱 っている点が特徴である。
ミクロネ シア連邦 4州では、 この よ うな教材が作成 されたのに加 え、20
01年 か ら 2007
年 までは ミクロネ シア連邦 4州合同で 日本語合唱 コンク-ル も行われていたQ しか し、運
営者 となっていた JI
CA 日本語教師ボランテ ィア数が半減 したことによって 運 営が困難 に
なったな どの理 由で 、2
008年以降合唱 コンク-ルの開催 は見合わ されてい る18
0
2
.
2
.
2ヤ ップ高校の 日本語 クラス
ヤ ップ高校で 日本語 クラスを履修 した生徒 は 、1年間の半期 にあたるお よそ 5か月間、
毎 日 1コマは 日本語クラスに出席す ることになるoヤ ップ高校 の方針では 日本語 クラスを、
生徒が異文化への理解 を深 める場 として位 置づ けてい る1
9 活動 報告 書 (
171 小川 ⑤ ,
0
2007)か らは、 日本語の運用能力 を向上 させ ることに加 え、 日本の伝統文化か ら現存 日本
で流行 しているものまで、様 々な角度か ら日本 を伝 えるよ うな授業が行われていた ことが
読み取れ る。
ヤ ップ島では政治的あるいは経済的にアメ リカの影響 を強 く受け、 E
3常生活にもアメ リ
カか らの輸入品が溢れてい る。そのよ うな環境のなか、 日本語 クラスにおいて生徒が 日本
の言語や文化に触れ ることによって、アメ リカ以外の外国に 巨
∃を向ける機会を搾 るとい う
ことも、 日本語 クラスには期待 されてい ると思われ る
O
1
4 この とき作成 され たのは 「
FSM 共通 日本語 シ ラバ ス Japane白
e IJ「(
同)Japanes
eI
I(
必修 )」「(
同)
Japanes
eI
I(
選 択 )」の 3つ であるC (
活動報告 書 (
1
60更 田⑤ ,2007日
1
5活 動 報告書 (
160更 田⑤ 添 JPl,2007)
1
6 活動 報告書 (
16・
0更 田⑤ 添 JPl
,2007)
1
7引継 書 (
17・
1小川 ,2007)、活 動報告 書 (
1
60更 田⑤JP2,2007)
18・
1三浦③④ ,2007,2008)
)
1
8活 動 報告 書 (
1
9 引継 書 (
17・
1小川 ,2007)
-
3
4
-
ミクロネシア連邦ヤ ップ島にお ける E
]本譜教 育の現状及びその変遷
3.ヤ ップ島 に お ける 日本 語教 育 の変遷
3.1研究方 法
本章 は文献調査 に加 え、本稿執筆者が 2名 を対象 に行 った聞 き取 り調査 に基づいて記述
仮名 )20であ り、聞 き取 り調査
す る。1 人 は私塾型 の 日本語学校-通 っていたムオ ン氏 (
は 2008年 7月に現地 で行 ったOも う 1人 は、1997年 か ら中等教 育機 関で 日本語教育に携
わっていた大橋旦氏21であ り、2009年 1月 に現地で聞き取 り調査 を行 ったO調査時間はそ
れぞれ約 1時間で、半構造化イ ンタビュ-
22を用いて実施
した。 ムオ ン氏- のイ ンタ ビュ
ーの過程 で、私塾型 の 日本語学校 のほかに も、短期 の 日本語講座 な らび に初等教育 におい
て 日本語教育が行 われ ていた ことが判 明 し、それ らにつ いて も後 目メール でムオ ン氏 に確
認 して情報 を得 た。
3.
2 1
990年代以降のヤ ップ島における 日本語教育の変遷
調査の結果、ヤ ップ島では 日本統治時代 の 日本語教育及 び現行 の 日本語教育のほかに、
1990年代 を中心 に 6つ の異な るタイプの 日本語教育が行 われ ていた ことが分かったOそ
2.
1節 以下でそれぞれ の 日本語教
れ らの 日本語教育 について、表 1にその一覧 を示 し、3.
育 について、その導入 の背景や 学習内容 を加 えて詳細 を述べ る。
く表 1>1990年代以降のヤ ップ島にお ける ‡
ヨ本譜教 育の変遷 (
現行 の ものを除 く)
時期
機関
学習者
教師
短期の
日本 語講座
1990年代
(
数回開催)
[
場所】
私立学校
・
公共施設
成人
ア メ リカ入教師
私塾型 の
日本語学校
19921993年
ヤ ップ ジ ャ バ
ン/
ス クーノ
レ
子 供∼成人
(
10-60代)
ボ ランテ ィアの
日本人教師
初等教育 で の
日本語教育
1990
1996年 頃
ル ム ン グ小 学
校
小学生
ヤ ップ入教師
中等教育 での
日本語教育
1996(
現在)
ヤ ップ高校
高校 生
(
1518歳)
JⅠ
CA ボ ランテ ィア
高等教育 での
日本語教 育
19992000年
20022003年
COM※ヤ ッ プ
キャンパ ス
COM 学生
JⅠ
CA ボ ランテ ィア
2
(
2ケ月間)
001年
入国管理局
入 国管理官
JⅠ
CAボ ランテ ィア
入 国管理局での
日本語講座
在留 の 日本人教師
※ ミクロネ シア短期大学 (
Co
l
l
e
g
eOfMi
c
r
o
ne
s
i
a:以下 、COM二とす る)
(
ムオ ン氏及び大橋氏- の聞き取 り調査、奥 田 ・奥 田(
1994)を もとに執筆者が作成)
1
95
0年生 まれ で、ヤ ップ島北部 のル ムング島の出身 であ る。2
008年 7月 の聞 き取 り調 査
当時、ムオ ン氏 はヤ ップ州議会の議 長を務 めていたO それ と同時 に 、J
I
CAボ ランテ ィアがヤ ップ島赴
任 直後 に受 けるヤ ップ語研修 の講師 も担 当 していた0
21 大橋氏 は 1
92
6年 に 巨
3本 で生 まれ 、1
93
0年 か らヤ ップ-移 った (大橋 (
1
98
6
)
)
o幼 少期 を 日本統治時代
のヤ ップ島で過 ご し、公学校 へ も通 っていた。1
997年 か らヤ ップ鳥に在住 し、2
01
0年 8月現存 もヤ ッ
プ島に在住す る01
9
97年 か ら 2
005年 まで、ヤ ップ高校 で 日本語教 育に携 わ っていた0
20 ムオ ン氏 は
臨み、対象者 の状況や[
E
M
M
T
l
答 に応 じて追加 して質問 した り、説 明 を求 めた り、回答 の意味 を確認 した りし
なが ら調査す る方法である 西巨い 武藤 (
2
0
08
)
)
。
(
- 35-
3.
2.1短期の 日本語講座
990年代 にはヤ ップ島の中心地 コロニアで何度 か短期 的 に 日本 語 講
ムオ ン氏 によると、1
座 が開かれ た とい う。講座 を担 当 した教師は、 グアム大学の 言語学者 あるいは 日本滞在経
験 のあるアメ リカ入 ボ ランテ ィアであった。 これ ら短期 の 日本語講座 は成人の学習者 を対
象 と し、私立の学校や公共施設 を借 りて開かれていた とい うことであ るO この講座 が開か
れた背景や使用教材 な どに関す る詳細 は不明だが、ムオ ン氏 によれ ば、 この講座 では英語
を媒介語 と して、 日本語 のひ らがなやカ タカナな どを学習 していた とい うことであるo
この 日本語講座 の受講料や 開講時間な どは分かっていないo Lか し、 この よ うな 日本語
講座 が開かれ 、学習意欲 のあ る有志 が集 まっていた とい うことは事実であるO ヤ ップ島の
人 々の中には、 日本語学習に関心 を持 ち、 この よ うな機会があれ ば参加 して 日本語 を学ん
でいた とい う事実があることが分か る。
3.
2.
2私塾型の 日本言
吾学校
1992年か ら 1993年 にかけて、ヤ ップ島北部のマ-プ島で 日本語学校 が開かれ た。きっ
かけは、当地域 の元首長が、 日本 の文化や 日本 の精神 をヤ ップ島の人 々に広 めたい とい う
思いか ら日本語学校 の設 置を決 め、教師 として小学校及び 中学校 の教諭 であった 日本人夫
妻 を 日本か ら招 いた こ とによるo 当教師は 日本 で退職後ヤ ップ島-渡 り、無償 のボ ランテ
ィア で教師 を務 めていた。
この学 校 は子供 か ら成人まで を対象 に してお り、進度 によって コー スが分 け られ ていたQ
各 コ-スほ 8週 間で終 "
fL、合 計 3度 にわた って開講 され た。奥
田・奥 田(1994)には、学
6歳 まで とあ り、幅広い年代 の学習者が参加 していた ことが分か る。朝
習者 は 13歳 か ら 6
992年 の開校 当初 の学習者 は、ホテル従業員や建築家、通訳 と
日新 聞の記事 23によれ ば、1
様 々だった。 ムオ ン氏の話 に よる と、学習者は各 コ- ス 10名程度 であったO
1994)
を見 る と、外 国人 向けの 日本語教科書や 日本 の小学校で使 われてい る
奥 田 ・奥 田(
国語教科書 を参考 に して、教師 2人で教材 を作成 していた ことが分か る。 ムオ ン氏 による
と、 当校 では、ひ らがな及び簡単 な漢字の読み書 き、挨拶表現、あるいは短 い文章表現な
どが教 え られ ていた とい うことで ある。
990年代 になって もなお、ヤ ップ島には
この 日本語学校 の設 立者及び学習者 の存在 は 、1
自主的に 日本や 日本語 について学 ぼ うとい う姿勢 を持 ち続 けてい る人 々がいた ことを示 し
2010)
では、この 日本語学校 に通 っていた学習者 の手記 を分析 し、経済的 ・
てい る。上久保 (
歴 史的背景 とともに学習者 の持つ 日本語-の意識 を考察 しているO そ して、その学習者 が
日本や 日本語-の愛着か ら日本語-の関心を持 ち続 けてい ること、次 の世代の人々に も 日
本語 を伝 えよ うとしていた こ とな どを指摘 してい る。
23
1992年 9月 29日の朝 日新聞夕刊 に 「
南 の島で第二の教師人生」 とい う小 見出 しで、奥 田夫妻 がヤ ッ
プジャパンスク-ルで日本語を教えている様子が紹介されている0
-3
6-
ミクロネ シア連邦ヤ ップ島にお ける 日本 語 教 育 の現状 及 び そ の変遷
3.
2.
3初等教育における日本語教育
ミクロネ シア連邦全体で も、これまでに行われた初等教育における 日本語教育は 1例の
みで、ヤ ップ島北部のルムング島にあるルムング小学校で行われた。 ムオ ン氏 によると、
当小学校 の教員の一入が 日本語 はヤ ップ島の子供たちに とって今後有用 となるはずだ とい
う信念 の もと、ヤ ップ州教育局の認可 を得 て 日本語 の授業 をカ リキュラムに績み 込み、
1990年頃か ら 5-6年 間 日本語の授業を行 っていた とい うことであるO
学習者 はルムング小学校の在校児童 である。 ムオ ン氏の詣では、 日本語の授業は毎 日行
われ、教材 はすべて教師が作成 していたo また、授業はヤ ップ語で行われ 、授業では 日本
語の歌を歌 った り、
挨拶や語句 を学んでいた よ うであるoカタカナやひ らがなも教 え られ、
優秀な児童であれば 、 1年が終わる頃には簡単な会話ができた とい うことである。
ムオン氏によれ ば、 日本語の授業を担 当 した教師は、 日本統治時代に公学校で 日本語 を
学んだ人物であ り、先述の短期 日本語講座や私塾型 の 日本語学校 にも通 うほ ど、教師 自身
も熱心に 日本語 を学習 していた とい う。 この教師のよ うに、ヤ ップ島の子供たちへ も 日本
語 を広めたい と考え、それ を実行 していた人物がいた ことは、ヤ ップ島にお ける 日本語教
育について述べ る上で注 目に値す ることではないか と思われ る。
3.
2,
4 中等教育における日本語教育 (
J暮
C
Aボランテ ィア派遣以前)
大橋氏 によると、1
996年か らヤ ップ高校 に 日本語の授業が設置 され 、翌年 の 1
997年ま
で、私塾型 日本語学校 の教師 を務 めた奥 田両氏 が 日本語 の授業 を担 当 していた。 その後
1
997年か ら大橋氏に引き継 がれ 、JI
CA ボランテ ィアが派遣 され る 2005年 まで大橋氏が
日本語教育に携わっていた。学習者は、ヤ ップ高校で選択科 目として 日本語の授業 を履修
0人 ∼25人
す る生徒である。大橋氏が担 当 していた ときの 日本語学習者数は 、1クラス 1
で 5クラスあ り、計 7
0人程度だった とい う
。
教材 に関す る点では、教科書はな く、教師が適宜作成 していたo授業では、挨拶及び簡
単な会話、ひ らがな、カタカナな どを学ぶ ほか、 日本の歌 を歌った り、 日本の話 を聞かせ
るな どして文化紹介 を行 っていた。
ヤ ップ州以外の 3州では 1
990年時点で JI
CA ボ ランテ ィアが中等教育での 日本語教育
を行 っているのに対 し、ヤ ップ島では 2005年 まで在留 日本人が 日本語教育に携わってい
た。 この よ うに、ヤ ップ島にお ける特徴 は、他の州 に比べ在留 日本人の手 による 日本語教
育の期間が長い ことである。在留 日本人が中等教育機 関で長 く日本語教育 に携 わっている
ことは、ヤ ップ島の社会に馴染んだ 日本人の存在 をヤ ップ島の人々に知 らせ る効果、ひい
ては 日本人や 日本語 をよ り身近 なもの と感 じさせ る効果 もあったのではないか0
3.
2,
5高等教育における日本語教育
1
999年 に COM ポンペイキャンパ スにおいてホテル & レス トランマネ ジメン トプ ログ
- 37ー
ラム24が開講 され 、COM ヤ ップ キ ャンパ スで も 1
999年 か ら 2003年 まで 同プ ログラムが
5
。教師 は J
I
CAボ ランテ
開かれ て 、COM の学 生 を対象 に接 客用 の 日本 語教育が行 わ れ た 2
ィアで あ り、ホテル の業務 内容 、 日本語 の接 客表現 、及 び接 客マナ- が教 え られ たO
教材 は、既製 のテ キス トを参考 に、教師 が作成 したハ ン ドア ウ トや写真 、文化紹介 の ビ
6
O 学習 内容 は接 客用 の 日本 語表 現 で あ り、 リスニ ング及 び ス ピ
デ オな どを使 用 してい た2
ー キ ング に重 点が 置かれ て教 え られ ていたo 実際 にホテル - 見学 に行 く27な ど、 日本 語表
現以外 に も、ホテルや レス トラン で働 く上で参考 にな る情 報 を学生に提供 していた と思 わ
れ るO
さらに、学 生 を対象 と した コー ス とは別 に、社 会人 を対象 と した接 客用 日本 語講座が 2
回開かれ たO つ は、 計 20 時 間のツアー ガイ ドトレ- ニ ン グ講座 であ り、 日本 人の習慣
や 日本人が不快 に感 じる行為や言動 な どを紹介 した 280 も う -つ は、サ- ビス全般 と接客
に
】
本譜 を学ぶ プ ログラムで、1回 2時 間の講 座を遇 3回 、2か月間にわた って計 24時 間行
われ たo ホテル 関係者 や レス トラン経営者 をは じめ、ヤ ップ州政府 の税 関や教 育局 、観 光
局 の スタッフ、学校 の教員 な ど、約 26人 が参加 した2
9
。
現在のヤ ップ島では、接 客用 日本 語教 育 はほ とん ど行 われ ていない。本節 で述 べた よ う
な接 客用 日本 語教育 は、ヤ ップ島 にお け る 日本 語教育 の展 望 を述べ る際の参考 とな る重要
な前例 と言 え よ う。
3.
2.
6 入国管理 局 にお ける 日本語 講座
ヤ ップ島にお け る接 客用 日本 語教 育 と して も う -つ 、入 国 管理 局 での短期 日本 語講座 を
挙 げ る。 この講座 は 1度 しか行 われ て い ないが 、 日本 語 教 育 の効果 が期待 で きる取 り組 み
だ と考 える。
0してい
ヤ ップ島の入国管理 局 で は 2001年 2 月 、 当時 ポ ンペ イ 島の入 国管理 局 に勤 務3
たJ
I
CA 妻
ヨ本譜 教師 ボ ランテ ィアがヤ ップ島 に出張 し、入 国管 理 業 務 に就 いてい る入 国管
24 Ho
t
e
l& 民es
t
aur
antManagement
,
Pr
ogr
am
(
以 下 、HRM プ ログラム)
。 ポ ンペ イキ ャンパスでは、
ミクロネ シア連邦の観光業 に携 わ る人材 育成 に加 え、グアムやサイパ ン等 にお ける雇 芹3
機会 を広 げ るた
め 、1
999年か ら HRM プ ログラムが開講 され たoHRM プ ログラムの うち 日本語 コ- スの 目的 は、ホ
テルや レス トランで接客業務 を遂行す るため基本的 な 日本語 を習得す ることである (
活動報告書 (
11シニア短繁 、更 田③ 添 2,2000)
)
oHRM プ ログラムを専攻す る学生 は、必須科 目と して 30単位 (
1
科 目 3単位 ) を履修す る (
活動報告 書 (
123青木② ,2002))
。HRM プ ログラムは、プ ログラムを修
了す る と資格や免許が 与え られ る c
er
t
l
f
l
C
at
epT
Ogr
am の。つ であ る (
才
芸動報告書 (
1
01平井③ ,1
999)
(
l
lシニア短緊 、更 田③ ,2000))
。
25 活動報 告書 (
1
23青木② ,2002)
26 活動報告 書
(
(
101平井③⑤ ,1
999,
2000)(
123青木② ,2002)
)
(
101平井③ ,1
999)
28 活動報告書 (
1
01平井⑤ ,2000)
29 活動報告書 (
123青木⑤ ,2003)
27 活動報告書
30 入 国管理局 での 日本語 教 育は、 ミクロネ シア連邦各州 で入 国審査 の際、審査官が 日本 人観 光客に 日本
語 で対応 で きるよ うにす る とい う酎 杓で導入 され た (
活動報告書 (
ll
3丹② ,2000))。 そ して、ポ ン
ペ イ州 に配属 され た JI
CAボ ランテ ィアが 、2年 間の活動 中に各州 -出張 し、各州 の入 国管理局支部 に
お いて短期講座 が開かれ た (
ぎ
占動報告 書 (
ll3丹⑤ ,2002))。
-
38 -
ミクロネシア連邦ヤップ島における日本語教育の現状及びその変遷
理官 を対象 に 2か月間の短期 講座 が実施 され た31。
教材 は、教 師が入 国審査 の様 子 を 観 察 して必
要
な表現 をま とめて作成 し、講座 を行 い な
が ら適 宜改 良 を重ね て使 用 していた320この教材 33を見 る限 り、入 国管理局 で の 日本 語講座
で扱 われ ていた 内容 は、入 国審査 で よ く使 われ る表現及び 語句 、数字 、時 の言 い方 をは じ
め、挨拶 、 自己紹介 、 日常場 面での簡単 な 日本語表 現 な どで あ る。
3.
3 1
99
0年代 以降のヤ ップ島 における 日本語 教育 の 変遷 の ま とめ
3.
2節 では 、1990年 以降ヤ ップ島において、現行 の 日本語 教 育 の ほか に も、成 人 を対象
と した 日本語 教 育 あ るいは接 客用 日本語 教育 な ど、様 々な形 態 の 日本語教 育が行 われ た こ
とを述べ たO
短期 の 日本語講座 及 び私塾型 の 日本語学校 に関 して は、戦前 か ら戦 中にか けて 日本語 教
育 を受 けた とい う過 去 の歴 史 か ら 日本語 学習 に関心 を示す 人 を対象 に 日本語教 育 が行 われ
ていた こ とが分 か った。 また、短期大学や入 国管理 局 での例 で は、観 光産業 と関連 させ た
日本語教育 が行 われ ていた こ とが分か った。
4.ヤ ップ島 に お け る 日本 言
吾教 育 の課 題
前章 では、ヤ ップ島 にお いて これ まで に複数 の タイ プの 日本語教 育が行 われ ていた こ と
を明 らか に したo Lか し、第 2車で述べ た よ うに、現在 は 中
等 教 育
機 関 にお け る 日本 語敬
育 しか行 われ ていない。 多様 な学習者がいた に もかかわ らず 、 現在 は展 開 され てい る 日本
語教 育が限 られ た ものになってい るo それ がヤ ップ島 にお け る現在 の 日本 語教 育 の課題 で
あ り、今後 改善 で きる点 ではないだ ろ うか。
本稿 では、ヤ ップ島にお け る 日本 語教 育 の課題 と して特 に、以 下の 3点 を挙 げ る。
(1) ヤ ップ 島では、 中等教育機 関で 日本語 を学 んで も、そ の後継 続 して 日本語 を学ぶ
機 会 がない。
(2) 日本語 あ るい は 日本 文化 に関心 を持 つ ヤ ップ 島の人 々が 、高校 生 を除 き、 日本語
または 日本 文化 に触 れ る機会 がほ とん どない。
(3)ヤ ップ島の観 光産業 に関連 させ た 日本 語教 育が ほ とん ど行 われ てい ない。
4.1 日本語 の継続 学習
ヤ ップ島 にお け る 日本語教 育の課題 の 1つ めは、ヤ ップ島で は 中等教育機 関で 日本語 を
学 んで も、その後継 続 して 日本語 を学ぶ機 会 がない こ とで あ る。 ヤ ップ高校 で学習す る内
容 は初級 前半程度 で あ り、初級 後 半以降 の内容 を学ぶ場 が ない とい うのが現状 で あ る。 ヤ
31 活動 報告 書 (
ll3丹③ ,2001)
3
2 活動報告 書 (
ll3丹頂)
⑤ ,2001,
2002)
33 活動 韓含 蓄 (
ll3丹 ⑤ ,
2002) の添付資料
Ja
pa
ne
s
eHandbo
o
k (作成 年 不 明)
-3
9-
ッ プ高校 の 日 本
語 クラスでは、情操教育や異 文化理解教 育 と して 巨
1
本語教 育が行 われ てお
り、その点 では太いに意義 がある。 しか し、初級 に とどま らず さらに進んで 日本 語 を学習
したい と思 う生徒 に対 し、初級後 半以降の内容 を学ぶ機会 が提供 され ていない とい う状況
か、中等教育修 了後 も 日本語 の学習 を希望す る者 のために、継続 して学
習
す る こ
と が
で
き
るよ うな機 会の創 設 を検討す る必要があるのではないだろ うかQ
例 えば、高等教育機 関に 日本語 コ-スを設 置 し、 日常生活 に見 られ る場面 を設 定 して語
桑 のバ リエー シ ョンを増や した り、やや アカデ ミックな内容 を扱 った りす るな ど、 中等教
育か らの継続性 を考慮 して 日本語 の継続学習の機 会 を提供す るこ とも可能であろ う。
4.
2市民講座の不足
ヤ ップ島にお ける 日本語教 育の課題 の 2つ めは、 日本語 あ るいは 日本文化 に関心 を持つ
ヤ ップ島の人 々が、高校 生 を除 き、 日本 語または 日本文化 に触れ る機会がほ とん どない こ
2.
1節 で述べた短期 の 日本語講座や 、3.
2.
2節 で述べた私塾型 の 日本 語学校 の
とである。 3.
事例 よ うに、ヤ ップ島の人々の仁
科こは 日本語あるいは 日本文化 に関心 を持 ってい る人が少
な くない。 しか し、現在行 われてい るのは高校生 を対象 に した 日本語教育のみであ るQ高
校 生以外のヤ ップ島の人 々が、ヤ ップ島 と日本 とのつなが りを改 めて確認 し、 E
3本譜及び
日本文化 に触れ る機 会があって も良いのではないだろ うかOそれ に よって、ヤ ップ島の人々
がヤ ップ島の歴 史- 目を向け、 自らの島-の理解 を深 めるきっか けに もなってい くことが
期待 で きるのではないだろ うか。
4.
3観光産業に活かす 日本語教育
ヤ ップ島にお ける 日本語教育の課題 の 3つ めは、ヤ ップ島の観 光産業 に関連 させ た 日本
2005)な どで 言われ るよ うに、観光産
語教育がほ とん ど行 われ ていない ことである。 印東 (
業は ミクロネ シア連邦の経済 自立政策 の一つ として重要視 され てい る。 ヤ ップ島に関 して
も同様 に、観 光産業 は重要産業の一つであ り、今後、観 光産業の役割 が よ り一層大 き くな
ることが予想 され る。
ミクロネ シア連邦政府 の統計 34による と、2007年 までの過 去 10年 間、ヤ ップ島を訪れ
る外 国人全体の 7割 ∼8割 を観光客が 占めてい る。 日本か らの観 光客数 は 、2007年 にはヤ
観光客の国籍別 で見 る とアメ リカ (
44%)、
ップ島を訪れ る観 光客全体の 15% を 占めてお り、
27%) に次いで多い。過 去 10年 間 を見て も、多少 の増減 がある とはいえ、
冒- ロツパ (
日本か らも毎年血走数 の観光客がヤ ップ島を訪れ てい る。 しか し、ヤ ップ島の観 光関連施
設の中で、 E
]本譜 で対応 ので きるス タッフがい る施設 は少 ない。 そのため、今後ヤ ップ島
で も観光産業 に関連 させ た接 客用 日本語教育が有効 に活用 されれ ば、 よ り積極 的に 日本人
34
FSM Di
v
i
s
i
o
nO
fSt
at
i
s
t
i
c
s "
St
at
l
S
t
,
l
C
al
Ye
ar
bo
o
kFe
de
r
a
t
e
dSt
at
e
so
fMi
c
r
o
ne
s
ま
a2008"
- 40-
ミクロネ シア連邦ヤ ップ島にお ける 日本語教育の現状及びその変遷
観 光客 を呼び込む ことも可能 となるのではないだ ろ うか。3.
2.
5 節 の短期大学観 光科や
3.
2.
6節の入国管理局の事例の よ うに、接客用の 日本語教育 を再び展開 してい くことが、ヤ
ップ島の観光産業に とって も有効な政策の一つ となるのではないだろ うか。
5.おわ りに
本稿で記述 した 1
990年代の 日本語教育については、残 され た資料がほ とん どない こと
に加 え、調査の時間的制約 もあ り、詳細がまだ明 らかにできていない点 も多いo現時点で
ヤ ップ島の人々に とって、 どの程度あるいは どんな 目的で 日本語が必要なのかを現地 にお
いて綿密 に調査 した り、ヤ ップ島の歴史の各時期 にお ける 日本語教育 を本稿 とはまた別の
視点か ら捉 え直 した りす るな ど、様 々な観点か らの考察 も必要 となって くるだろ うo
また、本稿ではヤ ップ島における 日本語教育の課題 を述べたが、今後ヤ ップ島で これ ら
の課題 を解決 してい くには、 よ り具体的で撤密 な構想 を練 らなければな らないO例 えば、
接客用 日本 語教育に関 しては、ヤ ップ州政府 の観 光局、観 光施設 の経営者、短期大学 のカ
リキュラム担 当者、接客業従事者、あるいは接客業の職 を 目指す学生に対す るニーズ調査
に加 え、 日本人観光客 と按す る際 どのよ うな状況で どのよ うな 日本語が必要 とされ るか と
いった 目標言語調査 な ど、よ り具体的で詳細なプ ログラム設計が必要 となって くるOまた、
学校、企業、及び政府 といった各関係機 関が連携 を図 ることも重要である。例 えば、企業
か ら学生が接客業の実習をす る場 を提供 した り、研修 を終 えた学生や従業員 に政府 がある
一定の資格 を認定 した りす ることな どが考 え られ る。
これ らを踏 まえ、ヤ ップ島だけでな くミクロネ シア連邦全体の 日本語教育現場-還元で
きるよ う研究を進 めていきたい。
《参考文献》
麻 原 二子雄 (
1
942) 「南 洋 群 島 に於 け る国語 教 育 」『国語 文化 講 座 第 六巻
国語 遅 出編 』 朝 日新 聞社
pp.
89・
1
05
朝 日新 聞 1
992年 9月 29日夕刊 「南の島で第二の教師人生 」朝 日新 聞社
今 泉裕 美子 (
1
996)「
南洋庁 の公学校教 育方針 と教育の実態 」『沖縄文化研 究』2
2号,法政 大学
pp.
567・
61
8
印東遺子編 著 (
2005)『ミクロネ シア を知 るための 58章』 明石書 店
浦 田義 和 (
1
998a) 「中 島教 と南 洋 庁 公 学 校 国語 読 本 巻 - ∼ 巻 三 」 『佐 賀 大 国 文 』26 号 ,佐 賀 大 学
pp.
1
28・
1
49
(
1
998
b)「中島敦 と南洋庁公 学校補習科 国語読本 」
『研 究論 文集 』3巻 1号 ,佐賀 大学 p
p.
1
251
65
大橋 旦 (
1
986) 「
私 が子供時代 を過 したヤ ップ」『太平洋学会誌 』3
0号 pp.
1
028
奥 田敏治 ・奥 田克子 (
1
994)『かんまがあ る』 東京通信
上久保 明子 (
201
0)「
66歳学習者 が遺 した手記か ら辿 るヤ ップ島の 日本語教育 」『オセ アニア教育研 究』
1
6号,オセ アニア教育学会 pp.
51
64
- (
印刷 中)「ミクロネ シア連 邦にお ける言語教 育政策 の現状及 び課題 」『オー ス トラ リア研 究紀
要』追手 門学院大学オース トラ リア研究所
栗 田恵美子 (
2004)「ミク ロネ シアの島か ら
中等 ・高等教育機 関 を中心 とした 日本語教 育事情 」『
AJALT』
- 41-
27号 , 日本語 教 育普及協 会
pp6468
をめ ぐって- 」『日本語教 育 』7
4乳
日本 語教 育学会
pp.
1501
61
津留紀 子 (
1
998) 用 木統 治 下の 南洋群 島 にお け る 巨
二
3本 諾
否教 育 をめ ぐって 」『熊 本 大学留 学 生セ ン タ- 紀
要 』2乳
熊 本 大 学留学 生セ ンタ-
pp.
1
03118
南洋群 島教 育会編 (
1938)『南洋群 島教 育 史』 青 史社
1
998)『日本語 教 育 とそ の環境- 太 平拝 島喚地域 にお け る- 』笹
西尾珪 子 書カ ッケ ンブ ッシュ知念寛 子 (
川 平和財 …
乱亀峻 匡はら金
2008) 「調香的 面接 法 の概 要」松 浦均 ・西 口利 文編 『観 察法 ・調査 的 面接
西 田裕 紀 子 F武藤 (
松 尾)
久枝 (
法 の進 め方』 ナ カニ シャ 出版
1
963) 「南洋群 島の研 究 」『矢 内原 忠雄 全集
矢 内輝 忠 雄 (
第 3巻
権 民政策研 究 Ⅲ』岩 波 寮店
pp133138
…- -1 2002) 「「日本 語」か ら 「国語」-- 旧南洋群 島 での こ とば に よ る統合 力の構 築 - _
≡『研 究論
叢』59私
京都 外 国語 大 学 国際 言語平和研 究所
pp.
239246
国際 交流 基金 「日本語 教育 国 b地域別 情 報 2010年度 J
j
af
L
g
QjBi
i
i
j
BB
B
L
neS
e
l
s
uT
VeV/
c
o
unも
T
幽
i
l
www,
地
由 (
2011年 8月 23日ア クセ
ス確認 )
FSM Di
vi
s
i
on of St
at
l
S
t
i
c
s "St
at
i
s
t
i
c
alYe
ar
book Fede
r
at
ed St
aも
(
き
S Of Mi
c
T
OneS
i
a 2008"
蜘
:
/
/
www.
s
pc.
i
nt
/r
)
ri
s
ml
e
o
unt
T
Yj
f
叫地
建鮎由ns
偶 を
汀bc
'
ok/
Pubvbk九七
m (
2011年 9月 20 日
ア クセ ス確 認 )
国 際協 力機 構 J
I
CAボ ラ ンテ ィア活動 報 告書
2002) 「平成 12年度 3次 隙 ミクロネシア連 邦派遣観 光業
素 木 は る実 (
活動 報 告 書第 2号 J
(
2003) 「平成 1
2年 度 3次 隊 ミク ロネ シア連 邦派遣観 光業
活 動報 告書 第 5号 」
小川 建治 (
2007) 「
平成 1
7年 度 1次 隊 ミク ロネ シア連 邦派 遣 日本 語教師
箔 動報告 書第 5号1
-
-- (
2007) 「平成 17年 度 1次 隊 ミク ロネシア連 邦派 遣 日本語 教師
精勤 終 7時 引継 書」
丹
博輝 (
2000) 「平成 1
3年 度 3次 隊 ミク ロネ シア連 邦派遣 日本語 教師
活 動 報告書第 2凱
-
-
1年 度 3次 隊 ミク ロネ シア連 邦派 遣 日本語教 師
(
2001) 「平成 1
消 勤 報告 奮第 3凱
(
2001) 「、
す
'
J
一
成 11年 度 3次 隊 ミク ロネ シア連 邦派遣 日本語 教師
活 動 報 告蕃第 4号 」
ほ002) 「平 成 11年 度 3次 隊 ミク ロネ シア連 邦派 遣 日 本語 教 師
措
動 報告 書第 5号 」
平 井理恵 子 (
1
999) 「平成 10年 度 1次 隊 ミク ロネ シア連 邦 派遣観 光 業
活 動報 告 書第 3 替 」
-W mm- (
2000) 「平成 1
0年 度 1次 隊 ミク ロネ シア連 邦派遣観 光業
活 動 紬祭 憲第 5号 」
2000)「i
F
,
^
・
戒 11年 度短期 緊急 シニ ア
更 Ul
恵子 (
ミク ロネ シア連 邦派遣 日本 語教師
措 動報告書 第 3号 」
別 添 2 「ミク ロネシア連 邦 にお け る 日本語教 育 の現状 と課 農
凱
-
-
(
2007) 「平成 1
6年 度 0次 隊 ミク ロネ シア連 邦派 遣 日本語 教師
活 動 韓乍
㌢露第 5号 」
(
2007) 「平成 16年 度 o次 隊 ミク ロネ シア連 邦派遣 口本譜 教 師
活 動 報告書第 5号 」 別 添 JPl
l
「
共通 シ ラバ ス と教材 の開発 につ い て 」
-m-
(
2007) 「
平成 1
6年 度 o次 隊 ミク ロネ シア連 邦派 遣 日本語 教 師
活 動報 告書第 5号 」 別 添 JP2
「シラバ ス と教材 開発 の経 過 」
三浦真 美 (
2007) 「平成 18年 度 1次 隊 ミク ロネ シア連 邦派遣 日本語 教 師
活 動報 告書第 3号 」
(
2008) 「平成 18年度 1次 隊 ミク ロネ シア 連 邦派 遣 日本語 教師
活 動 報告書第 4号」
- 42-
ミクロネ シア連邦ヤ ップ鳥にお ける 日本語教育の現状及 びその変遷
《付記》
本稿 は、東京外国語 大学大学院地域 文化研 究科 に提 出 した修 士論 文 『ミク ロネ シア連 邦ヤ ップ島にお け
-部 を書 き改 めた ものであるO
る 日本語教 育- その変遷 と現状及び今後の展 望-』 の-
《謝辞》
本稿執筆 にあた り、大橋且氏、ムオ ン氏 には多 くの情報 を提供 して頂 きま した。指導教官 の鈴木智美先
生 には随時助言 を頂 きま した。 ここに記 して心 よ り感 謝 申 し上げますO
- 43-
Fly UP