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救いの福音と素晴らしい証しを伝える グッドニュース

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救いの福音と素晴らしい証しを伝える グッドニュース
2015.
1
救いの福音と素晴らしい証しを伝える
グッドニュース
今月のメッセージ
わたしに敵する者の
いかに多いことでしょう。
ダビデには敵が多くいました。
「主よ、わたしに敵する者のいかに
多いことでしょう。わたしに逆らって立つ者が多く」
(詩編3:1)
最初は熊や獅子が敵でした。それらが来て羊をわしづかみすると、
そのままにすることはできませんでした。その後、
ゴリアテの前に立ち、
それからも戦いは終わりませんでした。戦いの前でダビデは
いつも神を見上げ神に頼るしかありません。神は私にも戦わせました。
外側には救われていない宗教人たちと福音の真理を持って戦い、内側では
肉に従って流れていこうとする兄弟姉妹たちと戦わなければなりませんでした。
一番難しい戦いは自分自身との戦いでした。私にも、肉についていく楽な道へ
流れようとする心があるからです。戦いで押される時もありますが、
主に頼り勝利するたびに大きな喜びを得るのです。
私たちが余裕を持つと肉に素早く流れることを
強く感じます。それで神が下さる恵みの一つが敵する者を起こすことです。
敵する者があって休まず神を見上げるようになるのです。ダビデの心に敵する
者が満たされていましたが、神を見上げるうちに神でいっぱいになりました。
神が彼の心に平安と信仰を下さり、ダビデはこう歌いました。
「しかし主よ、あなたはわたしを囲む盾、わが栄え、わたしの頭を、
もたげてくださるかたです。」(詩編3:3)
―パク・オクス牧師の説教より
月刊「グッドニュース誌」は1986年4月創刊号を発刊した以来
今まで救いの福音と素晴らしい証しを伝え
多くの人々をイエス・キリストの世界へ導いています。
Contents
2
今月のメッセージ わたしに敵する者のいかに多いことでしょう
説教
今月の説教 「主よ、みこころでしたら、きよめていただけるのですが」 _パク・オクス牧師
5
証し
13 1月の証し 誰かが私のために祈る_チョン・スングム
51
宣教師手記(1回) からし種の中に命がうごめくように_ミャンマー キム・テイン宣教師
67
パク・オクス牧師の証し(180回) 神が心に主となった米航空母艦の牧師_パク・オクス牧師
スペシャル
26
特集|2014年を振り返り、2015年を迎えて | 戦いをりっぱに戦い抜くキリストの兵卒として
54
ズームイン|フィジーIT&クリスチャンキャンプ
Contents
暮らしと信仰
61
ボアズの畑 「飛行教官がしたことです」_キム・トンソン牧師
63
聖徒の人生 ソロモン王とシュラムの女の婚礼_パク・ヨンジュン牧師
22
幕屋の物語9 洗盤に規格がない理由は
表紙の話
いくら濃い暗闇が大地を覆っても太陽が昇ると暗闇は退いて行
く。サタンが人をだまして人の心を罪で覆っていたが、光なるイエ
スが来られすべての罪悪を除かれた。その福音が至ると人の心
が明るくなり、その中で不思議な命の働きが始まる。2015年が明
けた。多くの人々が真の光であるイエスに出会うように。(写真、ア
フリカ大陸の日の出)
今月の説教
「主よ、みこころでしたら、
きよめていただけるのですが」
「イエスが山をお降りになると、おびただしい群衆がついてきた。すると、そ
のとき、ひとりのらい病人がイエスのところにきて、ひれ伏して言った、主
よ、みこころでしたら、きよめていただけるのですが」。イエスは手を伸ばして、
彼にさわり、「そうしてあげよう、きよくなれ」と言われた。すると、らい病は直
ちにきよめられた。 」(マタイによる福音書8:1~3)
パク・オクス牧師(喜びニュース江南教会の牧師)
5
外部から力が来て
イエスは神の御言葉でこの地に来られました。科学者たちが「地球に
はいくら見てもエネルギーがないけれど、外部からエネルギーが来て地
球に力を与えている」と語るのを聞きました。そうです。創世記1章で地
は形なく、むなしく、やみが淵のおもてにありました。その時、地そのもの
には虚しさや闇を追い払うような力がありませんでした。外部から神の
御言葉がきてそれらを追い出してくださり、地は花を咲かせ、実が実る美
しい姿に変わることができました。
私たちの心も、私たち自らは罪に勝てる力がありません。罪が私たち
の心に入り王になり、闇が心を握っていても私たちにはそれらを追い払う
能力がありません。創世記1章で神が「光あれ」といわれ、その光が来て
闇を追い出したように、私たちの心でもそうです。
病気が治ったライ病人は違う心を一つ持っていた
マタイによる福音書5章から7章までをイエスが人々に話された後、8章
で山から下りる時おびただしい群衆がついてきました。その時一人のライ
病人が出て来てイエスにひれ伏して言いました。
「主よ、みこころでしたら、
きよめていただけるのですが」。イエスは「そうしてあげよう、きよくなれ」
と言われ、彼の病を治してくださいました。
ある日、この御言葉を読んで「当時イスラエルに数多くのライ病人が
いたはずなのに、他のライ病人は何故こんなことを思わなかったのだろ
う?そしてこのライ病人はどのようにしてイエスの前に出たらライ病を治し
てもらえると思うようになったのだろう?」と思いました。
もし他のライ病人
も「私がイエスの前に出て行くとイエスが私の病気を治してくださる」と思
ったなら、彼もイエスの前に出て行き、ライ病を治してもらったはずです。
イエスの前に出てきたライ病人は体が清くなって家に戻り、家族と一
緒にどれほど幸せな人生を歩んだことでしょう!しかし、他のライ病人た
ちは何故イエスの前に出てこないで、他人から蔑視と冷遇をされながら
愛する家族と離れ、ライ病人の村で、陰気な洞窟の中で悲惨に暮らさな
6
イエスの前に出てきたライ病人はハンサムでも、賢くも、
お金が多いのでもありませんでした。他のライ病人と同じような人でした。
ただ、ある日彼の心にイエスが入って来られました。
ければならなかったのでしょうか?その違いは、顔がきれいだったり、賢
かったり、お金が多かったり、力があったり、善を行ったりする違いでは
ありませんでした。
病気が治ったライ病人は他のライ病人たちが持っていない心をひと
つ持っていました。その心は、イエスについて聞いた時に起こる「イエス
は大きな能力を持っている方だからその方は私の病気も治せる!それな
ら私が行ってイエスに頼むとき、イエスの御心であれば私の病が清くな
る!」という心でした。ライ病人の心の中で「私の病気を治せる方はイエス
しかいないから、私がイエスの前に出なければ!」という心が作られたの
です。もちろんその心もライ病人自分が作ったのでなく、神がその中に作
ってくださったのです。
他のライ病人たちは「ライ病にかかって苦しい!家族に会いたい!私
は商売が上手なのに、この陰気な谷でずっと暮らさなければならない。
こんなところで毎日飢えてどうやって生きればいいのだ。」と思うばかりで
した。彼らは自分がライ病にかかったことを嘆くばかりで、病から逃れる
道は探しませんでした。
彼はためらわずイエスに出会いたかった
イエスの前に出てきたライ病人はハンサムでも、賢くも、お金が多い
のでもありませんでした。他のライ病人と同じような人でした。ただ、ある
日彼の心にイエスが入って来られました。ある日、ある人がイエスについ
て「その方は病人を治し、能力と奇跡を行われる神の御子だ」と話してい
ました。その話を聞くとき、神が彼の中に「イエスが神の御子であれば、ど
んな病でも治せる方であれば、私がイエスの前に出て行けば私の病も治
7
る!」という心を入れてくださいました。
彼は躊躇せずにイエスに出会いたかったのです。しかしイエスがいら
っしゃる町に入ることができませんでした。ライ病人は町に入れないから
です。
ちょうど、イエスが山の上で御言葉を伝えるという話を聞き、彼は山
の下でイエスを待ちました。そしてイエスが山を下りるのを見て、
「主よ、み
こころでしたら、きよめていただけるのですが」と自分の心を表しました。
私もこのライ病人と同じだった
1962年、私が救われた時、私もこのライ病人と同じでした。イエスに出
会う前は自分の人生を嘆きながら「お金を沢山稼げればいいな」などと
虚しい欲望だけを持っていました。私には貧乏から逃れる力がなく、自
分の中で悩みや心配を除く能力もなく、私は罪がとても多い、汚れて、
醜い、悪な人間でした。
ある日罪のせいで苦しみ、神の前に罪を赦してくださいと祈っていま
した。いつもしていた祈りでしたし、こうやって祈っていても依然として罪
が残っていましたが、その日は違いました。神が私の中にある心を作って
くださいました。
「そうだ、イエスが十字架で流された血潮で私の罪が贖
われたのだ。私の罪が洗われた。」と思うようになったのです。
「そうだ。イエスが十字架で釘つけられ、亡くなられたなら、私の罪が
洗われたのだ。私の罪が十字架で解決されたのだ!」
私の罪が洗われたということを悟ってから、イエスが私の心の中に入
られました。その時から私は変わり始めました。まるで農作する者がいな
くて捨てられ、雑草だけが生い茂っている地に、農夫が来ると沃土に変
わるように。
8
ヨハネの福音書15章でイエスが「私はぶどうの木、
あなた方はその枝である。私の父は農夫である」と言われました。
神は私たちの心の中で信仰を育てられます。
農夫は農作をする時、畑をすき返し、雑草を抜き、きれいにしてから
畝を作り、そこに芋や白菜などをまきます。農夫がまいた作物はしばらく
してきれいに並んで芽生えるようになりますが、それがとても美しいで
す。私の心がこのように変わりました。以前は私の中は、悩み、憎しみ、欲
望、罪に対する恥ずかしさ、絶望で満ちていました。まるで雑草で乱れて
いるように、それらが心の中で乱れていました。しかし、イエスが私の中
に入られてからは聖書を読むたびに御言葉が一つ一つ私の中に入り根
を張って成長し始めました。
「私が福音を伝えることを主が喜ばれるのだ。
福音を伝えなくては!」などの心が沸き上がりました。神が下さる限りな
い喜びと望みが私の心に生じることを感じました。
ヨハネの福音書15章でイエスが「私はぶどうの木、あなた方はその枝
である。私の父は農夫である」と言われました。神は農夫です。小麦や白
菜をつくる農夫ではなく、ジャガイモやサツマイモを作る農夫でもありま
せん。神は私たちの心の中で信仰を育てられます。私が救われてから聖
書を読むほど、御言葉が私の中に受け入れられ、信仰で私の中に撒かれ
たその御言葉が生きて働き、私の中に新しい思いを作りました。その思
いが私を導き、実らせることを見ることができました。
罪があまりにも大きくて決して白い雪のようには洗われないと
思っていたが
マタイによる福音書8章のライ病人はライ病にかかってから、長い間
家族と一緒に居られず、ライ病人の谷の陰気で冷たい洞窟の中で暮らさ
なければなりませんでした。お腹がすいても家族が食べ物を持ってきて
くれなければ、飢えているまま苦しく悲惨に暮らさなければなりませんで
9
した。
このライ病人がどうやってそのような暮らしを終えることができたで
しょう?ある日、人々の話を聞きました。イエスと言う人が病人を治すとい
うことでした。その話を聞くうちに彼の中に「その方がメシアなのか?そう
だ、メシアなのかもしれない。メシアが来られると私たちをすべての苦し
みから救ってくださる。その方が私をライ病から救ってくださるはずだ」と
思いました。それまで彼は一度も自分をライ病から救ってくれる人がいる
なんて思ったこともありませんでした。
私も同じでした。私は幼い時から教会に通っていましたが、私の罪が
雪のように洗われることは不可能だと思っていました。嘘をついたり人を
嫌ったり、傲慢だったり…。私は毎日罪を犯しました。行いで犯す罪も大
きかったのですが、心で犯す罪はあまりにも大きくて決して私の罪は白
い雪のように洗われないと思っていました。
ある日私が生きてきた日々を顧みながら、自分の人生は失敗ばかりで、
自分は滅びた者であることを悟りました。
「私は罪に深くおぼれた。あま
りにも悪だ。私は生まれ変わってもこのようには生きたくない。私が今15
だったら正しく生きるのに…。もう罪から逃れられない!」しかし、ある日
神が私の心の中にイエスの十字架を思うようにしてくださいました。十字
架を思ううちに「罪を犯した私の代わりにイエスが亡くなられた。イエス
が自分の罪を贖われたのだ!」と思いました。
その時から私の心の畑は捨てられた荒地ではありませんでした。神
が私の心の畑を掘り起し、新しい心を一つ一つまき始めたのです。聖書
を読むたびに以前はなかった心が生じました。
「神が私にも働かれる!
福音を伝えよう!人々に罪が贖われる話をしよう!」数えきれないほどの
思いを神が私の心に起こして下さいました。
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以前は欲望が、恨みが、憎しみが、傲慢が彼を導いていましたが、
神が彼の心にイエスに向かう望みを下さり、
今はその望みが彼を導きました。
望みが彼の足を導きイエスの前に出させた
列王記下5章に出てくるナアマン将軍は、少女の話を聞きサマリアに
いるエリシャの預言者に訪ねていくとき、
「私が神の人に会えばうちにい
る少女の言うとおりライ病が治る!自分の体にはいつも膿が流れていたが、
体がきれいになったらその苦しみから逃れられる!私が明るく生きられ
る!もうライ病人の暮らしから逃れる!」と思いました。彼はその心で兵車
に乗ってダマスコからサマリアまで走って行きました。
イエスに出たライ病人も「私がイエスに出会うとその方は私の病気を
治すことができる!」という心でイエスに向かって足を運びました。彼の
心にイエスに向かう信仰と望みが起き、その心が彼の足を導き、イエスの
前に出て行かせました。以前は欲望が、恨みが、憎しみが、傲慢が彼を
導いていましたが、神が彼の心にイエスに向かう望みを下さり、今はその
望みが彼を導きました。彼がイエスに進む間、彼は望みの中で足を運ぶ
ことができました。
ライ病人がイエスに出会ったとき、イエスが「そうしてあげよう、きよく
なれ」と言われ、すぐ彼のライ病がきれいに治りました。彼はモーセが命
じた供え物を祭司長に捧げ、家族のもとに戻りました。
「ほら、お父さんだ!!お父さんが来たよ!」
「お父さん、町に入ってきても大丈夫ですか?」
「そうだ。ライ病がきれいに治ったんだ!今からは一緒に暮らせる!今
まで苦労しただろう?これからはお父さんが働く!そうすればいい洋服も
買ってやれるし、おいしい食べ物も買ってやれる。」
「お父さん、お父さんと一緒に住めて幸せです!」
ライ病人がきれいになってから、子供たちとこうやって話を交わす、美
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しい家庭の姿を想像できます。
新年にも神が下さる心が私たちを導き
同じライ病人でしたが、神が彼の心にイエスに向かう心を起こしてくだ
さったとき、彼は新しい人になりました。人々が実を刈り取るために地に
種をまくように、神は今も私たちの心に御言葉の種をまき、実らせること
をされます。その神を見上げ、その神に望みを持つことがとても幸せです。
新年にも神が私たちの中にご自分が下さる心を起こされるでしょう。
その心が私たちを導き、私たちを通して救われる人々が起こり、神を喜ば
せる尊い働きが成し遂げられる実を実らせると信じます。
パク・オクス牧師
現在、喜びニュース河南教会の担当牧師であり、マハナイムサイバ
ー神学校の設立者および(社)国際青少年連合IYFの設立者であ
る。毎年国内外で開催される聖書セミナーおよび大学生キャンプに
招待されて講演をしている。著書は『罪の赦し生まれ変わる秘密』
『悔い改めと信仰』そして17か国で翻訳出版された『私をひいて行く
あなたは誰か』他約40冊がある。 www.ospark.pe.kr
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1月の証し
誰かが
私のために祈る
突然、息子が亡くなり、失意におぼれて暮らしていたチョン・スングム
姉妹。10年ぶりに自分を訪ねてきた友達が渡した『グッドニュース
誌』を読み、真の信仰を学びたくて集会に参加し、新しい命を得、新
しい人生を始めた。
チョン・スングム(喜びニュースモクポ教会)
空が崩れるような悲しさ
私は7人兄弟の末子として生まれ、家族に愛され平凡に生きてきた。
中学2年のある日、学校から戻ってきたとき、兄嫁から「お父さんが倒
れて病院に運ばれた」と聞いて前が暗くなった。いつもお父さんが言
われていた言葉、
「末子はいつ大きくなって嫁に行くのかな?私が死
ぬ前に嫁に行かないと」。貧しかったがお父さんはいつも私のすべて
を解決してくれる人だった。そのお父さんが亡くなり、
「これから自分の
人生を自分が責任を取らないといけない」という思いになり、なんでも
自分で解決した。
教会に一生懸命通いながら結婚をし、息子を産んで幸せに暮らし
ていた。そんなある日、私の前で起こってはならないことが起こってし
まった。あっという間にタクシーが息子を空に飛ばしてしまった。集中
治療室で何も知らず寝ている息子。
「生かさなければ!」という願い一
つで、人間にできるすべての方法を使った。眠れず集中治療室で暮ら
した。
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2014年12月21日雪が降っていた日曜日。『グッドニュース』に証しが載せられるおかげ
で教会の記者が家族写真も撮ってくれて、個人写真も撮ってくれた。救いに導いてく
れた『グッドニュース』が今回は特別な誕生日プレゼントをくれてとてもありがたい。
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そんなある日から、名前を呼ぶと反応し、
つねると眉をしかめる息
子にありがたかった。意識が戻り、安心して良いという医者の言葉
に、周りの人々はお母さんが死ぬといけないから休むようにと私を家
に帰らせた。家に戻ったが不安で休めなかったので再び病院に戻る
と、保護者を求める救急事態が起こった。飲食物が息子の気道に入り、
肺に水が入って死にかけている状態だという、空が崩れるような言葉
を聞いた。
息子はとうとう息を引き取った。
「あの子を置いて行くと娘も苦しむことになる…」
教会に行った時、先輩の慰めの言葉一つが短刀のように私の心に
突き刺さった。
「神の前でどうやって暮らしてきたの?なぜ戒められた
の?」。神を怨んだ。
「優しく生き、一生懸命神に仕えたのに、なぜこ
んな目にあわせたのか?」自分が何かを間違えたから戒められたのか
は、私には本当には分からなかった。タクシー運転手の間違えで、病
院の間違えで…。
すべてを怨んでみたが、息子を先に送った心を慰め
ることはできなかった。神に呪われたという思い、息子を殺したという
自責の念、このような心のため苦しくて、
でも教会に行かないわけにも
いかなかった。再び始める心でもっと熱心に祈りながら教会の生活を
した。
「子供をくださるならば何でもする」という覚悟で神に祈り、人工授
精、体外受精を何回も試みたが失敗した。諦めてみたり考えまいとし
たりして一生懸命暮らしたが、子供がいなくなった空席はどうしても
満たされなかった。試験管ベビーを何度も試みて、最後に微細受精
で娘を産み、とても嬉しかった。
しかし、嬉しい心も束の間で、
IMFの余波で夫が営んでいたゴル
フ場の会員が減っていき、挙句は家に赤紙がはられた。私がどこに
立てばいいのか分からなかった。
すべてを諦め、死を思っていた。同
じマンションの人が投身自殺をするのを見て、死ぬとすべてが終わり、
楽になりそうだった。しかし娘が心に掛かった。
「あの子を置いて行く
と娘も苦しみ、痛むことになる…。」
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それで娘と一緒に死のうと思っていたが、
くっきりと澄んだ娘の瞳
を見て正気に戻った。
「なぜこんな怖いことを思うのだ。」その思いか
ら逃れようと子供を抱いて家を飛び出した。
「でもどこの教会に行けばいいか分かりません。神さま!」
故郷へ戻り新しく始めようと夫を説得しようとしたが、夫の自尊心
が許してくれなかった。なんでも一生懸命頑張ってまた起き上がろう
とする夫を置いて故郷に行くことに決めた。夫は私たちを送ってから
ソウルに戻りお金を稼ぐと言っていたが、結局戻らずに一緒に暮らした。
そんな中2番目の子供を妊娠したことが分かった。
夫はあれこれやってみたが騙され、裏切られた。私は神を怨んだ。
「死んで地獄に行ってもいいから、
やることが上手くいくなら、サタンに
でも仕える」と思い、教会には行かなかった。それでも心から神を否
認することはできなかった。
「私は分かる。聖書が事実であることは。
イエスが私の罪を担われたことを。
でも今はダメだ。」
再び始めた夫の事業も破産してしまった。それに前の家で殺人事
件が起こり、その死体を見てしまったため、目を閉じるとその死体が自
分の姿に見えて苦しかった。
「これ以上はダメだ!他人の力では生き
られない。教会に行こう。」神に祈った。
「でもどこの教会に行けばい
いか分かりません。神さま!御霊が働かれる教会を神が教えてくださ
い。」
10年ぶりに再会した友
ある日、10年ぶりにある友達(喜びニュースクァンジュ恩恵教会チ
ョ・ソンヒ姉妹)から電話をもらった。友達の息子キソクがオーストラリ
アで行われたグローバルキャンプに行って来てチョコレートを買って
きたが、幼い頃自分に良くオーストラリアのチョコレートをくれたおじ
さんのことを思い出し、調べて連絡先が分かったと言っていた。夫が
息子を失ってから会社からもらった輸入チョコレートを息子の友達だ
ったキソクに箱ごとあげたりしたからだ。
家族で友達の家を訪ねた。久しぶりに再会した場で友達が教会
16
1.モクポクリスマス
カンタータ公演場で。
2.教会の菜園を作り、
野菜を収穫することも
嬉しくて楽しいことだ。
3.家族写真/夫パク・チョンイル
兄弟、娘パク・ソンヒャン
(高校2年生)、
息子パク・チェヒョン
(中学2年生)
4.増築工事中の喜びニュース
モクポ教会で牧師婦人、姉妹たちと。
17
と神の話ばかりして少しイラッとして退屈だった。帰りに友達が「グッ
ドニュース」という月刊誌2冊を私に渡してくれた。帰って読み始めた。
私が知っていた神とは違う神の話に紛らわしくて頭が痛くなり眠れな
かった。私と同じような状況だったある姉妹の証しが心に食い込んだ。
私は一生懸命したが息子を殺したのに、その姉妹は神に頼り神に息
子を委ね、息子が生きた証しだった。本当に神を知りたかった。
牧師と相談をしたくて喜びニュースモクポ教会を訪ねたが、教会
の中に入らずに家に戻ってきた。
生きておられる神!
間もなく、友達がうちに訪ねてきた。喜びニュースモクポ教会に聖
書セミナーがあるから行こうと言うことだった。言うまでもなく付いて
行った。感謝なことに、クァンジュに住んでいる友達の夫婦が毎晩モ
クポまで来て私たちの夫婦を教会に導いてくれた。御言葉を聞き、私
の人生が苦しくなるしかなかった理由が分かった。ナアマン将軍の御
言葉を聞いて、自分を信じ誰の言葉も受け入れられなかった自分の
状態を、自分が主人になって生きた人生の結果が、自分だけでなく多
くの人々を苦しませ、悩ませたことが分かった。
今までローマ人への手紙1章に出る心の罪―ねたみと殺意と争い
など―が解決できなかったのに…。
「見よ、世の罪を取り除く神の小羊。
」この世に自分が含まれていて自分のすべての罪を取り除かれたイエ
スに出会い、喜びと感謝の涙を流した。
今まで自分を飾って生きてきた人生、悲しみと苦しみを隠すため
に誇張していた人生を下ろした。私のせいで息子が死んだという心の
恨み、誰にも言えなかった苦しみ、いつも胸を押していたもの、不眠
症などがすべてなくなった。自分の知識の世界で知っていた神、自分
の基準で信じていた神ではない、生きておられる神!このように生き
ておられる神、自分の人生に働かれる神を教えてくださるため沢山の
ことをなさった方が神であることが分かった。喜びと感謝で涙が止ま
らなかった。
18
夫は集会の期間中に牧師たちとの信仰相談を通して
ハマンのような自分の姿を発見し、自分が知っている
聖書が救いの能力ではなく知識であることが分かった。
「あなた、私、今日救われたよ!」
救われてから神が私にある御言葉を約束としてくださった。
「…主
イエスを信じなさい。そうしたら、あなたもあなたの家族も救われます」
(使徒行伝16:31)この御言葉を成し遂げられるため神はうちの家族に
多くのことをされた。夫は私と一緒に集会に参加したが聖書の御言
葉を知っているという思いで、自分の考えを簡単に下ろすことができ
なかった。しかし、教会とリュ・ホンリョル牧師が優しくしてくれて、ソ
ウルの大伝道集会に参加できるように連れて行ってくれた。夫は集会
の期間中に牧師たちとの信仰相談を通してハマンのような自分の姿を
発見し、自分が知っている聖書が救いの能力ではなく知識であること
が分かった。続いて罪だらけの自分を発見し福音を受け入れた。夫は
喜びに耐えられず泣きながら私に電話をした。
「おまえ、私、今日救われたよ!神が私を哀れんでくださって恵みを
施されたんだ!」
とても嬉しかった。
それから、夫は神のまえで正しい信仰生活をしたいと言って酒とた
ばこを止めさせてくれと祈ったそうだ。そして間もなく、小学生の時か
ら始めて到底やめられないと言っていたお酒とたばこを神が辞めさせ
てくださった。
「お母さん!こんなときは神を求めてください。」
義理の母はうちの夫婦が教会に再び通うことを心で嫌がっていた。
長男が祭事をしないから不安になり、教会に行こうと言うと「あなたた
ちで行きなさい。私は行かないから。」と頑固に断られた。
あるお盆は日曜日だった。義理の母は私たちが墓参りを先延ばし
にして教会に行くことが嫌で、かたくなに怒っていた。その時神が私
19
に義理の母に向かって強く話せる心をくださった。義理の母は家を
出ると叫んだが、その時神が義理の母に働かれた。いきなりお腹が痛
くなり吐き出して、息もできないほど激しい痛みを訴えていた。しかし
病院に行くことは拒否していた。
苦しみながら、亡くなったお母さんに助けてと呼びながら床をはっ
ていた義理の母に言った。
「お母さん!お母さんの亡くなったお母さん
は、お母さんを少しも助けてあげることができません。こんなときは
神だけが助けることができるから神を求めてください。」義理の母は
すぐ神に赦してくれと祈り、救急車で病院まで運ばれた。義理の母
は集中治療室で何回も死線をさ迷い、牧師が訪ねて来て福音を伝え、
救われた。今は健康に教会の中で祝された暮らしをしている。
その後義理の母に「お母さん、その時何故神に助けてくれと言わ
ずに赦してくれと言いましたか?」と聞いてみた。義理の母はこう答え
た。
「私は神を恨んで生きてきた。息子の嫁さんが優しく暮らして一生
懸命教会に通っていたのに、何故孫を連れて行ったかと、本当に恨ん
でいた。それで赦してくれという言葉が出てきたんだ。」
「神が助けてくださった」と叫んだ
夫と義理の母が救われてから息子と娘も救われ教会の中で育てら
れている。自分が育てると欲望で育てたはずなのに、神に委ねると神
が育ててくださることが見える。
ある日、うちの家族はスンチョンにある義理の姉の家に向かって
いたが、向かい側から大きい車2台がぶつかり、その1台は中央線を越
えて私たちの車に向かってきた。避ける間もなく
「ア…!」という嘆きが
出てきたが、不思議なことに目の前でその車が後進して退いた。
うち
の家族は皆「神が助けてくださった!」と叫んだ。夫は「義人5人が乗っ
ているから神が私たちを守ってくださった」と言っていた。
うちの家族
の心にそのことが大きく残っていた。
それ以外でも神はいつもうちの家族に働かれた。家が教会と遠く
て不便だったのに、牧師の信仰に従い、礼拝堂のすぐ近くにある家に
引っ越すことができた。夫も事業をまた始め、信仰でお店を営んでい
20
る。状況は大変そうに見えるが、神はいつも善で美しく私たちの家庭
を守り、幸せに導かれる。
ご自分の御言葉を約束としてくださり
どうやって祈ればいいか、どうやって聖徒として暮らせばいいか分
からない私に、神の教会は御言葉で私を導いてくれた。福音の仕事
の前で自分の軟弱さや足りなさにおぼれ負担に思うと、神がご自分の
御言葉を約束としてくださり御言葉に頼って走り出せるようにしてくだ
さった。
「わたしは以前には、神をそしる者、迫害する者、不遜な者であった。
しかしわたしは、これらの事を、信仰がなかったとき、無知なためにし
たのだから、哀れみを被ったのである。」
(テモテへの第1の手紙1:12)
自分の限界と負担を越え、私を導いてくださった神に感謝する。最
近うちの教会は礼拝堂の増築工事をしている。私にはこのことを一
緒にする力がないけれど神が下さった心で約束の献金を見積もり、神
が応えてくださると信じる心で祈ることが出来、感謝する。起工礼拝
の時、パク・オクス牧師が来られ、命を得る教会になると祝詞し、とも
に喜んでくださった。その心を受けて、増築した新しい礼拝堂で、私
の実家の家族、親せき、知り合いが救われて一緒に礼拝を捧げるよう
に望んでいる。
誰かが私のために祈り
私を主の中に導いてくれた友達が言った。
「私はあなた方の夫婦のために
約10年祈っていたよ」。救われてから私は教会で、修養会や伝道集会を前にし
て人々が救われるように祈る兄弟姉妹の姿を見た。私もそのように誰かが私の
ために祈り救われ、神が私の主となった人生を歩むことができて感謝する。
自分の心では福音の働きができないけれど、神が教会の中で度々自分の心
を変えてくださり、福音の働きに共にできるように導かれる。私は足りないけれ
ど、しかし神の恵みによって、わたしは今日あるを得ているのである。神に感謝
と栄光を捧げる。
21
幕屋の物語⑨
洗盤に
規格がない理由は
多くの人々が救われた後に犯した罪をどう処理すればよいか分からなくて
迷う。神の側では私たちに向かっていつも心を開いていらっしゃるのに、自
分が神に向かって心に闇を持って神から離れることを見る。そうやって神か
らくる霊的な恵みを受けられなくて、弱くなり、汚れた罪の中におぼれるしか
ない。
神は幕屋に手足を洗う洗盤を用意された。神は私たちが救われてからも
罪を犯し、神と私たちの間に壁ができることを、事前にご存じで、救われてか
ら犯した罪もキリストの血によって解決されたことを、繰り返し言われている。
救われてから罪を犯し、大胆になれない時、洗盤で手足を洗うように、
キリス
トが私たちを全うされたことを信じることでどんな状況でもいつも大胆に神の
前に出なければならない。
祭壇、香の祭壇、箱など幕屋のすべての器具には規格が決まっているが、
洗盤には規格がない。その理由は、神が私たちの罪と咎を贖うのには、制限
と限界を置かれなかったからだ。
―パク・オクス牧師著『幕屋』より
幕屋はイエス・キリストの形であり、私たちが歩む信仰の道です。毎月『幕屋』の中の短
い物語を紹介します。信仰の道がどのように開かれるのか一緒に行ってみましょう。
22
特集|2014年を振り返り、2015年を迎えて
戦いをりっぱに戦い抜く
キリストの兵卒として
23
キム・キチョル作
新年が明けた。去る1年間、神の御言葉が信仰により世界各地で起こした奇跡のような
数多くの働きを見た。新年にはどんなことが起きるだろうか…!去年受けた主の恵みを
振り返り、新年にはどんな望みを持っているか、牧師と聖徒たちの話を聞いてみた。
羽毛が濡れない
マガモのように
キム・キチョル(喜びニュースハンバト教会の長老)
2014年の1年を振り返ってみると感謝しかない。豊かでない状況の
中で制作活動をしているが、心は感謝と平安の中にある。救われる
以前、上がってくる思いと目に見える世界に従って生きる時は難しい
状況を勝ち抜ける力がなかった。
新年の朝、
マガモが水の上を歩き水に入る作品を作りながら、
マガ
モの羽毛が濡れないことを思った。主の御言葉を心に抱いて生きる
聖徒は、この世や状況に濡れないのである。心に抱いた御言葉がす
べての状況を十分勝ち抜けるようにしてくれるのだ。救われた聖徒とし
て、自分の思いではなく御言葉を思いながら生きて行くということがと
ても感謝だ。
「わたしが、それらの日の後、イスラエルの家と立てようとする契約
はこれである、と主が言われる。
すなわち、わたしの律法を彼らの思
いの中に入れ、彼らの心に書きつけよう。こうして、わたしは彼らの神
となり、彼らはわたしの民となるであろう。」
(ヘブル人への手紙8:10)
この世から聞こえてくる沢山の声が私たちの心を惑わせるけれど、
主の御言葉が喜びと望みの中で2015年に向かわせる。新年の朝、
38
年もの病人が主の御言葉を聞き起き上って歩いたように、私たちも主
の御言葉ですべての状況に勝ち、起き上って歩くことが光栄で感謝す
る。
24
わが預言者たちに害を
加えてはならないと
言われたとおり
ぺ・サンシク(中央アフリカ共和国の宣教師)
2014年の春、中央アフリカ共和国の内戦によりしばらく韓国に帰り交
わる時間を持った。
「自分」という偽りの世界から出て真の主の世界に入
る、自分の魂が一条の光線に出会う時間だった。
2014年の4月にここに戻り、まだ内戦中だったが、状況とは関係なく伝
道集会を始めた。
「タマラ」で行った集会の二日目、民兵隊の隊長がフラ
ンス軍に捕らえられ、大きな暴動が起きた。それも知らず一人で集会の
場所に行く途中、怒り狂った民兵隊と行き当たった。彼らは私に銃を押
し付けながら殺すと言っていた。怖かった。
「ここで終わるのか?」その時、
ある兵士が現れ、
「私は会の人知っているけど、あの人宣教師だよ。」そ
して「ここに集会しに来た」と話せと言った。神が私を助けてくださり集会
をすることができた。
10月の集会にはコートジボワールのイ・チョンド宣教師が自らこの国
に来ると言われた。誰がこんな危ない国に来たがるだろうか?感謝だっ
た。たくさん準備することはできなかったが、その時は特に主が働かれ
た。元教育部の長官が参加して救われ、環境部の長官も福音を聞き、そ
の方の奥さんが救われた。そして民兵隊員が救われ、神学校に入学した。
主の慰めで満ちていた。
また、忘れられないことがある。10月のある日曜日の朝だった。いきな
り大きな銃声が鳴り、礼拝堂に銃弾が飛んできて自分の頭スレスレにか
すっていった。素早く伏した。
「いったい何事だ。」しばらくして、民兵隊
が外国の軍人に追われ礼拝堂の中に入ってきた。それからあっちこっち
25
から銃弾が飛んできた。臨時で使っていた礼拝堂だったので部屋をブリ
キで作っており、銃弾を避けるような場所がなかった。銃弾が屋根を突
き抜いて転がる音がした。椅子に座り、その時間が過ぎるのを待ってい
た。静かに主だけを見上げた。私にできることは何もなかった。銃撃戦
は30分間続いた。
「わが油そそがれた者たちにさわってはならない、わが預言者たちに
害を加えてはならない」と言われた詩編105編の御言葉のとおり、神は私
をまた守ってくださった。
11月は一か月間毎晩集会を行った。
「ブエラブ」で行った集会の二日
目、集会を終えて家に帰ってきたが、体が痛くなってきた。とても痛くても
う死にそうだった。パク・オクス牧師に電話して祈りをお願いした。アフリ
カに来てあれほどひどいマラリアは初めてだった。自分の魂が自分の体
から分離されそうだった。牧師が言われた御言葉が思い出された。
「私
たちにあるどんな問題でもイエスが戦われると勝ちます。」薬も飲んで
いない状態だったので、イエスが病気に勝ってくれなければならなかっ
た。牧師たちと聖徒たちの祈りを聞かれ、主がマラリアに勝ってくださっ
た。集会を続けることができ、沢山の人々が救われた。
主が私を砕かれ、ご自分が喜ばれるところへ私を導かれ、ご自分の道
具とされることがとても感謝だ。2015年にも一人、一家族、一都市、一つ
の国を守られる主が大きな恵みを施され、もっと力強く働かれ、沢山の
実を実らせることを思うととても希望がある。
26
私たちが
知らないことを、
主がご存じである
キム・スヨン(インド、オリサの宣教師)
2014年1年間神が私たち皆に大きな恵みを施された。御言葉で立
たせたご自分のしもべを私たちにくださったことを知らせ、信じさせ、
しもべを通して表された御言葉の結果を見せることで不信の勢力を追
い出し、教会と私たちの心を清められた。クリスマスカンタータ公演で
アメリカを福音で覆われ、ケニアのニャヨスタジアムで私たちに敵対し
たビショップを清い私たちの教会の手に委ねられ、ポリネシアの島々
やマタイによる福音書講解で広いロシアの地を福音で覆われた。イン
ドでも年間30回を超えるワールドキャンプを行い、数えきれない学生
たちや人々が救われた。
私たちは変わったことがないけれど、命である御言葉が成長し実
を結んだ。神がエゼキエルに「人の子よ、これらの骨は、生き返ること
ができるのか?」と聞かれた。彼は「主なる神よ、あなたはご存じです。
」と答えた。彼が知らなくても主がご存じであるように、2015年を主が
ご存じである。過去私たちの前には不可能な状況も、絶えないこの世
の迫害も多かった。しかし、主がご存じである。迫害は私たちをみな
主の前で切実にさせ、主を見上げさせた。主はご自分の義と真理を
表され、ご自分のしもべを立たせてくださった。イエスはピリポにどこ
からパンを出すかを聞かれたのではない。主はどうされるかをご存じ
だった。私たちが知らないことを主がご存じだ。主がもうすでにご存
じの2015年、私たちが知らないけれど、私たちを通して福音ですべて
を勝ち抜き、私たちすべてを栄光なる福音の新しい世界へ導かれる
神がのぞまれる。
27
新年にも見える神と
同行しながら
クォン・チョンガン(喜びニュースファスン教会の牧師)
いつだって恵まれると思っていた。難しくても恵みで結局は祝され
るという思いの中で暮らした。2014年韓国のワールドキャンプの前に
パク・オクス牧師と交わったとき、自分に信仰があるということを表し
たかった。しかし、御言葉を信じる者ではなく自分の思いに従うもの
であることが現れた。自分自らは信仰で生きられないということを見た。
「彼らの心は、いつも迷っており、彼らは、わたしの道を認めなかった」
というヘブル人への手紙3章10節の御言葉が私の心に刻まれた。信仰
生活の答えが見えた。
「自分ができないから教会があり、しもべがい
るのだ!」結論を下した。教会としもべに向かって心が開かれた。心か
ら教会の肢体となった。
以前は自分が上手くしようとする熱心で教会に敵対しながら生きて
きたが、教会に従う人生が始まった。その後、神が中国の教役者の集
まりの講師、済州島の中国人の修養会講師、香港修養会の講師など、
教会の仕事ができるように道を開いてくださった。私が働くときは教
会を台無しにしたが、神が使ってくださると有益な者になった。
2014年には「これ以上は良くなれない!」と叫びたいほど、祝福さ
れた。実際にもよくこの言葉を言っていた。霊的に死んでいた私を神
が生かしてくださったと信じた。見えない私の神は偶像で、見える教
会の神が真の神だった。それでこれからは神と同行することは漠然
ではなく、明らかで簡単だ。2015年新年にも見える神と同行することを
思うと、期待と望みで胸がいっぱいになり、感謝する。
28
神が送ってくださる
所で口を開き
チェ・スヒョン(喜びニューステグ教会)
2014年、神の中で本当に祝された時間を送った。2014年を迎えて
感謝したのが一昨日のようなのに、
もう1年が経った。全身が癌にか
かる贈物をもらい、神が下さった夢があった。世界中を回りながら神
が生きておられることを証し、人々の心に神と望みを蒔き、真の幸せ
が何なのかを伝えることだった。
脊髄炎から始め、全身に癌が広がり、6年を闘病する間、災いのよ
うに見えたが平安だった。私にできることがなくて神が働かれたこと
が感謝だった。
2014年5月9日、病院で癌細胞がないと判定されてから、6月からオー
ストラリアとニュージーランドをはじめ、日本、インド、ネパールに行っ
て神がなさったことを話した。多くの人々が心を開き近づいてくるのを
見て、神が働かれることに感謝した。韓国でもいろいろなところをま
わりながら神が私にされたことを話したが、聞く人々が驚き、心が変
わったという話を聞いた。ただ驚いただけではなく、神の方に心を移
した話を聞くとき一番感謝した。
神の道具として世界の各地を回って、より健康になることを見る。
神の導きの中で生きるのが平安だ。2015年には神がどこへ行かせてく
ださるか分からないけれど、そこで口を開き神だけを話したいし、自
分の話を聞く沢山の人々が、心に神が下さる力と望みを得るように。
今も心が熱い。
29
私のように問題や
苦しみに縛られた
人々に
シム・ホンソブ(マハナイム神学校在学)
2013年クリスマスカンタータの時、神がご自分のしもべに出会わせ、
長い間お酒におぼれ、廃人のように暮らしていた私をお酒から救って
くださった。そして、思いにもよらなかったマハナイム神学校に入らせ
た。
お酒から逃れてからも、私は自分の心を自ら収めたり折ったりする
ことができないため、神は神学校という垣の中で自分から逃れるよう
に導かれた。特別な恵みで神学校に入ってきたので、最初は真面目に
暮らそうとした。しかし、その心を持っていると、負担なことの前に立
つと避けたく、逃げたかった。そのたびに神がご自分のしもべが流して
くれる心で自分の思いを追い払い、ご自分の方へ私を導いて行かれた。
神が「私」はいつも悪なので自分に頼らず、イエスだけに頼らなければ
ならないことを教え続けられた。そして、私が小さいイエスになったこ
とを教えられ、イエスとして生きさせた。
神学校に入学する時、金銭的に困難だったが、どんなことでも教会
の前に持って行けば、神が恵みを施されることを見た。私は王の婚礼
に参加して豊かになる人生を生きていると思う。
2015年には家族が教会に心を開き、福音の仕事に一緒に参加する
恵みを受けたい。また私が過去信仰で生きられないため難しくなった
娘が、教会で守られ、育てられることを望む。一歩踏み出し、過去お
酒におぼれて生きていた私のように問題や苦しみに縛られて生きる人
々に、イエスの愛と能力を伝えてあげたい。
30
体と心、魂をいやす
団体になり
チョン・ホンジュン
(グッドニュース医療ボランティア会会長)
去年の夏、グッドニュース医療ボランティア会のアフリカ医療ボランテ
ィアは予定通り進められなかった。西アフリカの地域にエボラ出血熱が
拡散され、政府のアフリカ旅行制限でケニアだけで医療ボランティアを
して、そのほかの国はキャンセルされた。代わりにこの冬に南太平洋のフ
ィジーで医療ボランティアをしたが、とても恵まれた。神が南太平洋の奥
地の人々にも福音を伝えられようと、フィジーでITキャンプと共に医療
ボランティアを用意された。
フィジーの医療ボランティアには国際マインド教育の講師たちも一緒
にしたが、これはこれから医療ボランティアが肉体の疾病だけを治療す
るのではなく、心の苦しみも癒し、進んでは魂までも癒す、いわば人間そ
のものをトータルケアする医療ボランティアに発展できるというビジョン
を見せてくれた。これからのグッドニュース医療ボランティア会は、医療
スタッフだけではく、
マインド教育の講師たちも一緒にできることを望む。
私たちのグッドニュース医療ボランティア会は、去年の秋、長い間望
んでいた政府から社団法人として承認を得た。これもまた神が下さった
特別な恵みだと信じる。
すでに社団法人グッドニュース医療ボランティア
会は、量的にも質的にも新しく発展できる転換点を迎えている。グッドニ
ュース医療ボランティア会をどうやって導かれるか神の計画はよくわから
ないけれど、2008年創立以来、今まで飛躍的発展をしてきた過程から見
て、これからもっと大きく発展し、地球上で苦しめられる多くの人々の体と
心、魂を癒すボランティア団体になると信じる。
31
教会が成長するほど、
うちの会社も成長し
パク・キョンレ
(喜びニュース仁川教会、ピエルコスメティックの代表)
2014年会社の規模が大きくなるにつれ、大きな問題が起こった。洗
顔フォームを誤って作り、3万個を捨てなければならなかったし、品質
の検査が厳しい日本のホームショッピングに輸出し、それまで何の問
題もなかった毛髪染料を15万セットも返品された。大きな損失だった
が、神が私の心に平安をくださった。間もなく、関連会社が前年より3
倍も多く品物を注文した。毛髪染料も中間貿易をされる社長が知恵
を絞り、日本が半額を負担し、原料会社で半分を負担する恵みを受
けた。嬉しいこともあった。会社がCGMP(優秀化粧品品質管理基
準)認証をもらったことだ。全国約千か所の製造会社の中で30か所し
かもらってない、費用が高く厳しい認証だ。
うちの会社の規模では到
底不可能なことだったが、神が助けてくださり全ての検査を完璧に受
けることができた。
会社で業務時間1時間を空け、聖書勉強を始めて6年が経った。御
言葉中心に進めて、2013年からはマインド講演の形に変えたが、聖書
を教えようとしている時は聞かなかった職員たちが、
マインド講演を
聞きながら耳と心を開き始めた。2014年にはマインド講演が終わると
個人信仰相談を始めた。個人的に御言葉を伝え、修養会と大伝道集
会に招待して5人が救われた。キム・ヒョンソク兄弟、チェ・ミングク兄弟、
パク・ミヌ兄弟、ユ・サンウン兄弟、パク・チンヒ姉妹だ。
2015年にも教会が成長するように会社も成長し、働く職員たちの心
も成長し、救われる人々がもっと多く起こると思い、望みがある。
32
子供たちが教会で
暮らすことが幸せだ
ミン・ビョンハン(喜びニュースハンバ教会)
40歳に夫を送り、うつ病で苦しんだ。先に救われた次女(喜びニュースカ
ンルン教会のチョン・オクスン牧師婦人)が会費4万ウォンを払ったから修
養会に行こうと言ったのでお金がもったいないと思い付いて行った。そこで
私が姦淫の場で捕えられた女と同じことを発見し、救われた。その後、長い
間病んでいた胃潰瘍が治り、3年間吸っていたタバコも止め、耳鳴りも止ん
だ。
神に会わなかったら、うちの家族はバラバラに分かれてどこにいるのかも
知らずに暮らしたかもしれない。神が私たちを哀れみ、皆救って教会の中に
留まらせた。長男のチョン・クンチャン牧師はボルギョで、次男のチョン・ク
ヌク牧師はヨンインで教役をしていて、三男のチョン・クンソブと、四男のチ
ョン・クンソクは大田で一緒に信仰生活をしている。長女のチョン・スンジャ
も大田に住んでいるが、2013年には夫のキム・ヨンシクが長老になり感謝し
た。子供たちが教会で結婚して子供たちを産んで暮らす姿を見ると幸せだ。
キム・ヨンシク長老の娘が結婚して3年になったが子供ができなくて祈っ
ていたが、2014年の12月に出産してとても感謝だ。そして喜びニュースボルギ
ョ教会で教役をしている息子の嫁の健康のために祈っていたが、神が治して
くださるという望みがあり、感謝だ。特に同じマンションに住んでいる90歳の
おばあさんに福音を伝え、その方が救われてとても喜んでいたので、また感
謝した。
2015年にもウガンダで宣教している孫のチョン・ミギョンをはじめ、子供
たちが健康な体で神に恵まれて生きることを望み、私も主の胸に抱かれる日
まで健康に暮らすことを望む。
33
殻の脱ぎ方を
教えてくれた
学校を去りながら
ユン・スミン(リンカーンハウスカンルンスクール3年生)
いつの間にか時間が経ち、カンルンで3回目の冬を迎えている。新
入生としてカンルンに向かっていた冬、島流しされる人のように沢山
泣いた。2014年、高校3年になると入試競争をしなければならないと
いうことが怖かった。そして、今、卒業と共に大学入学(ミョンジ大学、
英語英文学科)を待っているこの冬が名残惜しい。
過ぎた高校生活を振り返ってみると思わず笑みがこぼれる。今ま
で私は自分の限界のハードルを乗り越える訓練を休まずしてきた。全
国英語スピーチ大会、4日間の無銭伝道旅行、1年間泣いたり笑ったり
した受験生活…。ハードルを一つずつ超すたびに息切れがして辞め
たいときも多かったが、一思いに乗り越えた時来るやりがい! また、
時には苦い失敗は大きな意味と教えを残した。
度々「この学校でなかったら今の私がいるのかな?」と思う。小さ
な背、陰気な顔と気が小さい性格のせいで私は子供の時から無視さ
れたり、いじわるをされたりした。その傷で言葉を失い、誰にも心を開
かなかった。他の人と言葉を交わすことも、目を合わせることもしなか
った。しかし、今の私は常に挑戦したい。
私の殻の脱ぎ方を教えてくれた学校を去ると思うと寂しい。私を
心から愛してくれた教会と、先生方、そして、友達!私の家族と同様だ。
過去3年間は星の王子様の青い星のように、私に決して忘れられない
大事な思い出として残るだろう。それから新年にはまた大切な思い出
を作っていくつもりだ。
34
神が下さった音楽で彼ら
の心を熔かし
オ・パウル、イ・ヘリム夫婦(グラシアス合唱団)
2014年の年明けにイタリアとスイスで行われたコンクールの準備をしなが
ら、私たちは自分たちの実力を少し疑っていた。しかし現場で私たちの合唱団
の声がどの合唱団より深いことを聞いた。神の約束だけを信じて付いて行っ
たが、神が私たちを世界最高の場に立たせたのだ。
特にアメリカのクリスマスカンタータ巡回公演が思い出に残る。とても沢山
のひとびとが公演場を訪ね、座席がいっぱいになり、帰ってしまった人も多か
った。私たちの公演を待っていた人々…!神が用意された人々だった。舞台に
立って歌って演技しながら目に映る、観客席に座っている純粋な人々。アメリカ
人で間違いない?アフリカ人のようだった。私たちが出す一音一音、仕草一つに
とても喜び、一緒に泣いたり笑ったりすることを見た。それで一音、仕草一つに
も、もっと心を尽くした。牧師が聖誕のメッセージを伝える時には、彼らの反
応が気になり、カーテンの後ろでのぞいてみると、観客が一人も洩れず御言
葉に浸り、反応し喜ぶのを見た。
「私たちは公演して次の都市に移動するの
に忙しいけれど、神はあの人々を用意されたのだ!」私たちが過ぎてから聞こ
えてくる福音の働きや証しが、私たちの心に喜びと望みをもたらした。家を去
り、長い間練習をすることもあるが、人々が主の胸に戻るのを見ると慰められ
る。神が私たちを使ってくださることがとても感謝で幸せだった。
2015年には神が出会いたがる人々、神が用意された人々にもっと沢山出会
いそうだ。神が私たちにくださった音楽で彼らの心を熔かし、彼らが救いの箱
舟の中に導かれることが望まれる。
(オ・パウル、グラシアス合唱団のバリトン)
35
最近クラシック音楽が衰退していると言う。オーケストラや合唱団が団員
の中での分裂が多く、団員たちの心をどうやって集めればいいかが大きな問
題だそうだ。グラシアス合唱団は主人が神なので人に寄るのではない。私た
ちの心を集める方も神で、傲慢で間違っている私たちの心を折ってくださる方
も神だ。私たちは各自の声を出すのではなく、まず聞く訓練をして全体が一つ
の声を作って行く。
私たちは学ぶことを諦めない。神の約束が私たちを諦めないように使って
下さるため、その約束の中で私たちは世界一の座に向かって行く。パク・オク
ス牧師が「グラシアス合唱団がクラシック音楽史を新しく書く」と言われたが、
私たちはそのことを信じている。
神は私たちにそのことができるように私たちの音楽を新しくしてくださる。
この世のどの音楽より真実で、素直で、美しく、きれいに私たちの音楽を作っ
て行くことを見る。私たちが音楽を作る時、誰にもくださらなかった知恵を神
が私たちにくださると思う。
2015年にも私たちは神が下さった約束の中で、心に望みを抱いて約束され
たことに向かって旅を続ける。
(イ・ヘリム、グラシアスオーケストラのバイオリニスト)
2014年4月、イタリアの「リヴァ・デル・ガルダ」国際合唱大会で大賞を受賞したグラシアス合唱団。
36
今、
チェ・ウンリョル
ヘブル人よ
エジプトの暮らしを終え、
今、立ち上がれ
谷の乾いた骨よ
死の闇を脱ぎ
今、目覚めよ
主の中にいる者よ
渇くことのない命の泉へ
今、走って行こう
人々の魂が
向こうの東の地でも
今、生きるように
37
忘れられない
120日間の伝道旅行
チェ・ウンリョル(喜びニュースカンルン教会)
2014年は私を祝され、導かれた神の恵みが満ちていた1年だった。自
分から出る思いは死んだラザロを見る彼の妹たちだったが、神のしもべ
が聞かせてくれたイエスの御声が私の魂を生かし、1年を祝福してくだ
さった。
120日間の台湾伝道旅行は一生涯忘れられない証しで、美しい思い
出になるだろう。副大統領と台北の市委員に会い、大学の総長や教授、
中高校の校長たちに会い、チャンファ市のある高校で学生900人の前で
マインド講演をして、台北のタンチャン大学の心理学科の教室で自殺
防止講義をして…。いろいろなことがあったが一番幸せで心に残るの
は福音を伝えたことだ。罪のせいで苦しんでいたが、福音を聞いて喜
んでいたウメイラン伝道師の顔を忘れられない。
2014年は喜びと感謝で終わり、2015年新年を信仰と望みで迎える。
新年にはもっと多くの国を訪ね、伝道旅行をしたい。また軍部隊や刑
務所でマインド講演をしながら福音を伝えたい。
38
ズームイン|フィジーIT&クリスチャンキャンプ
キャンプが終わって、教会の兄弟姉妹たち。キャンプに参加した学生たちと一緒に捧げた野外礼
39
南太平洋の島々にも
福音が!
2014年11月27日から30日まで、フィジーの南太平洋総合大学の隣にあ
るフィジー国立体育館で、「フィジーIT&クリスチャンキャンプ」が行われ
た。政府の招待により約300か所の島から来た450人の学生含め、約
700人の参加者たちが時間が経つにつれてキャンプに浸り、嬉しく楽し
い時間を送った。マインド講演を担ったパク・ヒジン牧師は4日間福音を
伝えた。キャンプの最後の日パク・ヒジン牧師が、イエスが「完了した」と
言われたように、主が十字架に釘つけられなくなったことにより私たちを
救うことを完了したと話すと、学生たちも「アーメン!」と答えた。
南太平洋の島に住んでいる人々が一人二人救われている。以前は想
像の中で描いてみた南太平洋の海の数多くの島々とその島の人々が
私たちの兄弟姉妹になり、私たちに近づいている。純粋な南太平洋島
の人々の心に福音が火のように広がって行っている。
· いろいろな島から「来てくれ!」と私たちを呼ぶ
シム・キウォン(フィジーの宣教師)
· 神が私たちをそこへ送られ
ソン・チャンソン(喜びニュース江南教会)
40
ズームイン|フィジーIT&クリスチャンキャンプ
いろいろな島から
「来てくれ!」と
私たちを呼ぶ
シム・キウォン(フィジーの宣教師)
ジャマイカから故郷へ、またフィジーへ
ジュ恩恵教会の牧師が教会で暮らせるよ
2005年、短期宣教で行ってきたジャマ
うに計って下さり、信仰生活を最初から学
イカへ宣教に行った。3年半をジャマイカ
ぶことができた。自分を信じて暮らした結
で送ったが、教会と神のしもべを無視して
果がどんなものなのか、少しは分かるよう
自分を信じるだけだった。2008年の夏、ワ
な気がした。教会で「学校で福音の仕事
ールキャンプに参加するために帰国した
をしてほしい」と言われ、ジョンナム大学
時、やっと自分の姿を少し見ることができ
に編入した。2人の子供がいる一家の長と
た。6か月間叱られ訓練を受けたが、高ぶ
して決して簡単な決定ではなかったが、自
った心は簡単には低くならなかった。牧
分の計算どおりに生きたくなかった。
師に認められるために良い証しを作って
時間が経ち4学年の後期を残している
出たが、無駄だった。また飾り、また砕か
時だった。二度とパク牧師に会えないと思
れ、そのことを繰り返したが、これ以上こ
っていたが、また会えるようになった。テ
のままでは狂いそうだった。牧師が最後
ドクの修養館に牧師に会いに行きまた叱
に「私が君を変えてあげようと思っていた
られると思っていたが、自分の思いとは違
が、私もどうしようもない。どうすればいい
って牧師はとても喜んで私を迎えてくれ
と思うのか?」と聞かれた。
「牧師、私は到
た。
底できそうにはありません。故郷に帰って
「今までどう暮らしたの?」
心をからにする時間がいると思います。」
「牧師、私が間違っていました。」
と言った。牧師は「そう。心をからにして
「教会を離れた教役者たちが皆また
戻って来たら私がまた使うよ。」と言われ
た。
故郷のクァンジュに帰った。クァン 41
戻ってくるよ。神の前で感謝する。」
牧師は喜びながら「悔い改めは自分を
信じるところから御言葉を信じるところに
移ることだ。」と言われた。
その年に学校を卒業し、
マハナイム神
学校にまた入ることに少し葛藤した。しか
が訪れた。行ったことも、聞いたこともな
い国だが、神がすでに私に光栄を与えら
れたから。
し、ノアの目にこの世が既に水で裁かれ
フィジー教会はオーストラリアシドニー
たように、神のしもべの心にこの世はもう
教会のアンナ姉妹の伝道で始まった。フ
焼き尽くされた世界だった。それゆえこの
ィジー人であるアンナ姉妹は家族に福音
世に心を置くことができないパク牧師の
を伝えたくて、
ヤン・ウンギ牧師にフィジ
心を覚え、
マハナイム神学校に再び入学す
ーに来てくれることを頼んだ。
ヤン牧師は
ることにした。神学校で暮らすと、聖書の
フィジーを数回訪問し、福音を伝えて救
御言葉が、以前神学校で聞いた御言葉と
われる人々が起きた。救われた兄弟姉妹
は違って私の心をたたき、私を新しい世
たちがいつの間にか20人を超え、彼らがフ
界へ導いてくれた。
ィジーに教会が立てられることを切実に
翌年の2013年1月1日、フィジーに行けと
言う教会の導きに従い、私はフィジーの首
都スバへ行った。
望み、私たちの夫婦が派遣されたのだ。
2013年1月7日、喜びニュースウルサン教
会のオ・ソンギュン牧師を招き、創立礼拝
を捧げた。礼拝を捧げながら、神が私た
行ったことも、聞いたこともない
ちに良い礼拝堂をくださり、兄弟姉妹たち
国だけれど
を赦してくださったことに感謝した。それ
フィジーはオーストラリアのシドニーか
以降、私たちは福音の働きに再び参加す
ら飛行機に乗って東の方に4時間30分ほ
ることができるように導かれた神の前で
ど行かなければならない、南太平洋の島
感謝しながら暮らしている。
国だった。初めて接する新しい世界に対
する緊張とともに心配が上がってきた。そ
「この講演をフィジーの青少年たちに聞か
の時神がご自分の御心を私に見せてくだ
せてほしいです。」
さった。
2013年6月に韓国でワールドキャンプ
「見よ、あなたは知らない国民を招く、
が行われたが、キャンプにフィジーの青少
あなたを知らない国民は/あなたのもと
年部長官を招待したい心が上がってきた。
に走ってくる。これはあなたの神、主、イス
うちの教会のサムエル兄弟が軍隊で長官
ラエルの聖者のゆえであり、主があなたに
と一緒に働いたことがあると言っていたの
光栄を与えられたからである。」
(イザヤ
で、約束をして会うことができた。長官は
書55:5)この御言葉により心に大きな平安
キャンプに行こうという話を聞いて、自分
42
ズームイン|フィジーIT&クリスチャンキャンプ
はしばらく前に韓国に行ってきたから、ま
次官はキャンプ期間中パク・オクス牧
た行くのは大変なので次官を送ってやる
師のマインド講演を聞いて、
「この講演を
と言われた。小さい島国だったので長官
フィジーで青少年たちにしてほしい」とい
は行ってほしいと思っていたので少し残
う心を表した。
「次官、心さえあればでき
念に思った。しかし、次官に会って話して
ます。」と言った。
見ると韓国のワールドキャンプに興味を
1年が経ち、次官は2014年韓国のワール
持っていた。その方は韓国駐在フィジー
ドキャンプにも参加することを願った。私
大使と親戚だったので、是非行きたいと言
は長官と一緒に参加することを願ってい
っていた。次官はキャンプに参加すると
たが、選挙期間だったので忙しく、次官だ
約束した。
け招いて行った。キャンプ期間に次官は
キャンプの1週間前、次官がいきなり海
パク・ヨングク牧師と交わり、心に福音が
外に出張して連絡がつかなくて困ってい
明らかに根を張った。キャンプが終わり、
た。どうすればよいか分からなかった。
「
仁川空港に行く汽車の中で、次官は「フィ
ここで止めるべきか、それとも続けるべき
ジーに着いたら、ぜひうちに来て私がここ
か…?」青少年部に連絡して次官が泊まっ
で聞いた福音をうちの家族にも伝えてくだ
ているところの電話番号を調べ、電話を
さい」と頼まれた。神の前で本当に感謝し
した。次官は「今回は行けそうではないの
た。
で、来年行きましょう。
すみません。」と言
われた。飛行機のチケットをもう準備して
「私は何故こんなに大きな建物を借りた
いた状況だったが仕方なかった。
「分かり
のだろう?」
ました。来年はぜひ一緒に行きましょう」
と返事をするしかなかった。
2014年9月、メールを一通もらった。グ
ッドニュース医療ボランティア会から送ら
しかし、
「…人にはそれができないが、
れたメールで、アフリカにエボラ出血熱の
神にはなんでもできない事はない。」
(マ
ウイルスが広がり、アフリカへ医療ボラン
タイによる福音書19:26)という御言葉を
ティアに行けないからフィジーでボランテ
思い出した。再び次官に電話をかけ、
「ど
ィアをしたいという内容だった。神がフィ
うすれば今回行けるか、方法を教えてく
ジーに恵みを施されると思った。11月にパ
れ」と言った。すると次官も心を変え、私
ク・ヒジン牧師を招いて持つ聖書セミナ
がフィジーで措置を取ることができる道を
ーとともに、医療ボランティアをすること
教えてくれた。結局、神が時間ギリギリに
にスケジュールを取った。オーストラリア
キャンプに参加できるように導かれた。
シドニーのヤン・ウンギ牧師にこれを知ら
43
1.
すでに自分は義人だと手を挙げ
て表す学生たち。
2.2013年韓国のワールドキャンプ
期間に、韓国駐在フィジー大使館
で青少年部次官(左)と一緒に。
3.福音を伝えるパク・ヒジン牧師。
4.開幕式で祝詞をする青少年
部長官。
44
ズームイン|フィジーIT&クリスチャンキャンプ
せると、
ヤン牧師は青少年のためのITキ
次官を訪ね助けを求めると、次官はフィジ
ャンプを一緒に進行しようと言われた。そ
ーに有益な行事なので助けると言い、国
うやって「IT&クリスチャンキャンプ」が
に属された「国家青少年楽団」を公演チ
誕生した。
ームとして送ってくれた。
短期間に大きな行事を準備したので
続いて総理室の室長を訪ねた。その方
難しいことが多かった。まず、場所を得る
はうちの教会のある兄弟の親戚だった。
ことが簡単ではなかった。あっちこっち調
私たちは室長に会い、キャンプについて
べてフィジー国立体育館を借りた。1,500
説明し、IYFの広報動画を見せた。その
人を収容できるフィジーで2番目に大きい
方は非常に喜び、
「総理室がこの行事を
体育館だ。借りてから「私はなぜこんなに
後援する」という公文を作ってくれた。そ
大きな建物を借りたのだろう?私は狂っ
れから青少年部長官が総理室から送った
たのか?」という思いをたくさんした。
「は
公文をもらい、私たちに会おうと連絡して
たしてキャンプに何人ほど参加するんだろ
きた。
う?」少しずつ心配が上がってきた。
ヤン
数人の兄弟姉妹たちと一緒に訪ねて、
牧師に言うと、牧師は神の御心だとそのま
青少年部長官・次官をはじめ関係者たち
ま進めようと言われた。
と1時間ほど会議を持った。長官がどうや
フィジーは人口が90万にならない国
って人を集めるつもりかと聞かれた。ボラ
で、フィジーの原住民が50万人ほどでイン
ンティアを募集していて、チラシとポスタ
ド系フィジー人が40万人ほどだ。宗教は大
ーを作ってキャンプを知らせる計画だと言
体キリスト教とヒンズー教である。首都が
うと、長官は「明日青少年部で全体会議を
ある本島は面積10,388km²で小さいけれ
持ってからこのキャンプに参加できる人
ど、南太平洋にある島々の中で一番大き
の数を教えます」と言われた。
い島で、周りにある島国から学生たちが留
翌日、また連絡を受けて長官室に行っ
学に来て勉強する「南太平洋総合大学」
た。長官は「フィジーには4区域があり、約
がここにある。私たちが借りた体育館はそ
300か所の島があります。そこからリーダー
の大学のすぐ隣にある建物だった。
級の学生450人を選抜してキャンプに送る
ことにしました。450人に対する食事と宿
約300か所の島から450人を選抜してキャ
泊代、交通費は全て支援することにしまし
ンプに送る
た。」と言われた。後でわかったことは、
キャンプを進めるに私には力が足りな
次官が韓国のワールドキャンプに2回参加
く、物質もとても足りなかった。青少年部
した後、青少年部に所属されている機関
45
長や政府の官僚たちにIYFとワールドキ
くてパソコンの使用になれていない学生
ャンプを紹介し、多くの人々がすでに私た
たちのために準備した。午後のアカデミー
ちのキャンプについて知っていた。
の時間にはテクォンド、ライチャスダンス、
青少年部の助けで保健部の関係者た
韓国語、アートなどのクラスが開設され、
ちに会い、キャンプ期間に行うグッドニュ
学生たちの大きな反応を得た。何よりうれ
ース医療ボランティア会の活動についても
しいことは、参加者のほとんどが福音を
議論することができた。保健部では医療
確信したということだ。彼らは手を挙げ、
ボランティア会に食事と車両を提供し、患
イエス・キリストの血潮で自分が義人にな
者を治療できるテントを支援すると約束し
ったと表した。
た。また新聞に公告を出し、私たちがする
キャンプの最終日の朝は青少年部長官
ことを広報してくれた。こうやって、青少年
と学生たちが会う時間があった。その時
部、保健部と共にキャンプを開催すること
学生たちは「以前は何故このようなキャン
になった。
プを準備できなかったのですか?」と抗
議するように訴えたりもして、
「このような
何よりうれしいことは、参加者のほとんど
キャンプを続けて開催してください!」と
が福音を確信したということ
公式に要請した。
2014年11月29日の夜、キャンプの幕が上
がり、青少年部長官が祝詞をしてくれた。
あの島、この島と福音を待っている人々
長官は公演を見て、講師のパク・ヒジン
を訪ね
牧師が伝えたメッセージも最後まで傾聴
「わたしに求めよ、わたしはもろもろ
し、心を開いた。行事が終わってからはパ
の国を/嗣業としておまえに与え、地のは
ク・ヒジン牧師と個人的に相談する時間
てまでもおまえの所有として与える。」
(詩
を持ってから帰られた。
編2:8)
キャンプには約700人が参加した。フィ
神がご自分のしもべにくださったこの
ジー各地域の町の青年リーダーと島々の
約束がフィジーで成し遂げられているこ
代表学生たち450人が政府の招待で参加
とに感謝する。そして、その約束を成し遂
し、100人のボランティア、一般参加者150
げる道具として私が使われていることに
人が共にした。参加者の中にはキリバス、
本当に感謝する。約40年前、パク・オクス
マトゥク、ソロモンなど、小さい島から来た
牧師が南太平洋の島々に住んでいる人々
学生も多かった。
のために切実に祈ったことが、今成し遂げ
今回のITキャンプは文明に恵まれな
られていることを見る。私を見ると、怠け
46
ズームイン|フィジーIT&クリスチャンキャンプ
て、言葉もないものなのに、神が私をつ
かみ、道具として使われることに感謝す
る。
キャンプが終わってから、喜びニュー
スチョンアン教会の副教役者であるキ
ム・セファン牧師を招いて後続集会を持
った。教会の兄弟姉妹たち、キャンプに
参加した学生たちとボランティアなど約
120人が参加して御言葉を聞いた。救わ
私の罪がどのように洗われたのか分かる
れた人々の心に福音がより強固に立たせ
ようになり…
られ、彼らは「この福音は生まれて初め
「私は友達を通して知りました。ITキャンプ
て聞きました。このキャンプを通して義
だと知って参加しましたが、信仰プログラムも
人になりました!」と喜んでいた。キリバ
あってとても嬉しかったです。キャンプで私
スの小さな島から来た青年ポアキラは自
が一番好きだったプログラムはマインド講演
分の国にもこの福音が伝わるように切実
です。その時間が私に挑戦を、私の人生に変
に願っていた。
化をもたらしたからです。マインド講演を聞き
集会が終わり、12月14日の日曜日には
ながら、罪がどのようにこの世に入り、私がな
野外で礼拝を捧げた。約110人が参加し
ぜ罪人になったか正確に学ぶことができまし
て今回のキャンプを振り返ってみて、聞
た。また、私の罪がどのように洗われたのか分
いた福音を繰り返す祝された時間を持
かるようになり、言葉で表せないほど嬉しい
った。あちこちの島々から「来てくれ!」
です。新しい友達もたくさん付き合うことがで
と私たちを呼んでいる。これからはあの
きて楽しかったです。このキャンプがとても良
島、この島と福音を待っている人々を訪
くてこれからも続いてほしいです。」
(モナカ)
ね、そこで「ミニITキャンプ」を開催し
て福音を伝えるつもりだ。
47
神が私たちを
そこへ送られ
ソン・チャンソン(喜びニュース江南教会)
2014年の夏、アフリカ医療ボランティア
ろ行事会場についた。困難な旅程だった
を準備したが、エボラ出血熱のウイルス拡
が、荷物を片づけて韓国の医療スタッフが
散でケニア以外は諦めるしかなかった。し
来るのを待っている患者たちのためにす
かし、神は私たちに思いにもよらなかった
ぐ診療に取り組んだ。
フィジーへと道を開いてくださった。
フィジーにも国立病院、個人医院があ
ITキャンプと医療ボランティアを同時に
るけれど、施設が立ち遅れていたり、診療
進行したので、現地で準備する過程が簡
費が高すぎたりして国民が治療を受ける
単ではなかった。準備を少しでも助けるた
ことは難しい。それゆえ医療ボランティア
めに先発隊としてフィジーに着いた。はっ
が診療する1分1秒が彼らにはとても大事
きりと決まったことがなくて少し漠然だった
で感謝な時間だった。3日間の日程の間、
が、私たちに道がない時、神がご自分の良
医療スタッフは食事をとり、診療し、夜遅く
い計画どおり導かれた。キャンプは青少
寝ること以外のことはしなかった。
年部で積極的に助け、医療ボランティアは
初日、診療開始前に持った全体会議
保健部から車両、食事、広報、テント提供
の時、医療ボランティアチーム長のキム・
など、いろんなところを支援してくれた。行
ソンウォン院長が「出発する前、パク・オク
事を準備するうちにフィジー政府とうちの
ス牧師に会ってきました。牧師は『私の代
教会が親しくなり、兄弟姉妹たちも足を踏
わりにフィジーに行くと思って、診療だけし
み出すと神が助けてくださることを見て感
ないで英語で福音も伝えろ』と言われまし
謝していた。
た。」と伝えた。医療ボランティアを上手く
医療スタッフの日程は厳しかった。11月
やろうとだけ思っていた私たちの心に主は
27日の午後韓国を出発して約10時間を
福音を伝える新しい心をくださり、私たち
飛びフィジーのナンディ空港に着いて、ま
はその道が開かれることを望んでいた。
た陸路で4時間を移動して28日午後2時ご
アフリカで医療ボランティアをする時は
48
ズームイン|フィジーIT&クリスチャンキャンプ
1.フィジー教会の兄弟姉妹たちとボランティア達。
2.ベラタ町で私たちを助けてくれた町の青年会長
が救われた(右から2番目)
3.歯科診療中のレックスクァチョン歯科キム・ソン
ウォン院長
4.医療ボランティアをしながら、合間合間に治療
を受けに来た人々に福音を伝えているボランティ
ア。
49
沢山の人々が同時に集まってくるので、医
まってくると言う。こうやってスバに来て、救
療スタッフは忙しく診療だけしなければな
われた兄弟姉妹たちが自分たちの故郷
らなかった。それに比べ、フィジーでは患
の島にも福音が伝わることを願っている。
者が少なくて、内心心配していた。しかし、
ある島は行くのに1日がかかり、船便も1か
むしろ患者一人一人を詳しく診療出来て医
月に1回しかないそうだ。それで、マヌア姉
療スタッフと患者、両方大満足だった。ま
妹は私たちと一緒に行く伝道旅行を大き
た診療の途中に患者に福音を伝えること
く思い、非常に喜んでいた。
もできて、とても感謝した。
モトゥリキ島はその中でも近い島で、行
特にグッドニュースコアの仲間10人が
くのに6時間ほどかかった。モトゥリキ島の
診療補助および通訳ボランティアで同行
人々は純朴で情が深いように見えた。姉
したが、医療ボランティアの日程が終わっ
妹が島のあっちこっちに散って住んでいる
てからは教会から1時間ほど離れている
親戚を集めると25人ほどだった。蝋燭を
町のベラタを訪ね、町の人々を招待し、公
つけて輪になって、賛美を歌い、水曜の夜
民館でいろいろな公演を披露した。彼ら
の礼拝を捧げた。感謝なことに、私に御言
は幸せだった短期宣教師の時に戻ったよ
葉を伝える時間を下さり40分間福音を伝
うだった。町の人々もとても喜んでいた。続
えた。暗くて御言葉を聞いている人々の顔
いてグッドニュースコアの仲間たちは町の
は良く見えなかったが、質問に答えたり、
人々に福音を伝えた。
手を挙げたりしながら、真剣に御言葉を
福音を聞いた人々の中で、私たちを助
聞いてくれて本当に感謝した。間もなく福
けてくれた町の青年会長が救われた。夜
音の実が豊かに結ばれるという望みがで
中、私たちが町を去る時、彼は「今日、子供
きた。
たちも大人も本当に幸せでした。特に私
私たちの人生で訪ねて行く理由がな
が恵みを受けました。」と感謝の挨拶を伝
かった南太平洋の島々、出会う理由がな
えた。後で、その町からフィジーの宣教師
かったそこの人々、神が私たちをそこへ行
を招いて集会を持つことにしたと言う知ら
かせ人々の心に福音の種をまかれる。そ
せを聞いてとても感謝した。
うやってそこで賛美が響き渡る日を神が
医療ボランティアチームが帰ってか
計画されていらっしゃると思う。ぜひ、その
ら、4人が残り、フィジー教会のマヌア姉妹
島々にまた行って、神がその計画を成し
の故郷のモトゥリキ島へ伝道旅行に行っ
遂げられることに道具として使われたい。
た。フィジーには約300か所の島の住民た
ちが首都の「スバ」があるビティレブ島に集
50
宣教師手記(1回)
からし種の
中に命が
うごめくように
キム・テイン(ミャンマーの宣教師)
51
キム・テイン宣教師は1989年2月救われ、小学校の教師として働きな
がら福音に仕えている中、神に呼ばれ、宣教学校に入った。醜い自
分の姿と関係なく恵みで呼ばれる神の御心を発見し、信仰を持つよ
うになり、2000年ソウルトボン恩恵教会に派遣された。現在はミャン
マーの宣教師として教役をしている。2015年1年間、12回に渡って彼の
人生と教役の中で力強く働かれた神について聞いてみる。
ミャンマーには「地獄の香り、天国の味」と呼ばれる果物、
ドリアンが
ある。
ドリアンは木も大きくて、その種も赤ん坊のこぶしほど大きい。それ
でその種で頭をたたかれるとこぶができるほどだ。聖書には「天国は、一
粒の大きいドリアンの種のようなものである。」とは書いていない。
「天国
は、一粒のからし種のようなものである。」と書いてある。種の中で一番み
すぼらしく、小さいのがからし種なのに、神はその一粒のからし種を通し
て、ご自分の国を立たせることを喜ばれる。私の姿がまるでこのからし種の
ようだ。
人に負けてはいけない私
私は1968年、
ドコチャングンのカゾで生まれた。父は漢方薬屋を営み、
母は薬局を営んでいた。それで田舎で私の家は裕福な方だった。小学校
に通っていた時は勉強も上位で、学級委員はもちろん、生徒会長、ボーイ
スカウトの隊長など学校でいろんなことをやった。そのためか、私は人に
負けてはいけない性格を持つようになった。
中学校を卒業してからは、田舎では勉強ができなければ入れないコチ
ャンテソン高校に入り、コチャンの町内に下宿した。しかし、3日で家に戻
ってきてしまった。3年間親を離れ下宿をすると言うことが嫌だったからだ。
ただ故郷のカゾで暮らしたかった。しかし、
すぐ心を変えまたコチャンに行
った。いつも私の心の底にある「私はエリートになる!」という欲望のため
だった。高校に行って自分なりに一生懸命勉強したが、紆余曲折の挙句に
三浪までした。今はキョンヒ大学で教授をしている同じ年の親戚のように
成功したかったが、人生思う通りにならなかった。
三浪の末得た結論があった。
「私がやらなかっただけで一生懸命や
52
神が私の義と我を折ろうと三浪を許されたんだ。
三浪という強盗がなかったら、
私と言う人間は決して主に会えなかったんだ!
れば何でもできるという思いに騙されてたんだ!」これ以上道がなかった。
試験が終わり、家に戻っては寝るばかりだった。一日18時間寝るのは疲
れることだった。唇が枯れた。夜は一升瓶を持ってさまよい、昼は人に
会いたくなくて寝ていた。布団をかぶっていると、自分の人生が最初から
最後までダメになっているという思いで悲惨だった。
救われた日、三浪が感謝に変わった
「生きるのが何の意味もない」という思いでいっぱいになっていた頃、
母が修養会に一度行ってみろと言った。母は1986年に福音を聞き救われ
てから私に「生まれ変わらなければ」という話をよくしていたが、理解で
きなかった。母は「リンゴも食べてみてこそ甘いか酸っぱいか分かるか
ら…。母が異端に溺れたと迫害しないで、直接行って聞いてみて間違って
いることがあれば教えてくれ」と言った。修養会費まで全て払っておいた
から行ってみろと言われて、言葉のまま「静かなところで修養する」と言う
から一度行ってみたかった。
1989年2月、大田ハンバッ青少年修練院(現在の喜びニュースハンバ
ッ教会)で行われた修養会に参加して、福音組で御言葉を聞いた。当時
講師だったチャン・ヨンチョル伝道師はルカによる福音書10章を伝えら
れたが、聞いていると私が強盗に襲われた人のようだった。とても不思
議だった。
「聖書に私の話があるんだ。私がまさに何もできない強盗に
襲われた者だったんだ!」裸の状態でほぼ死んでいる者にサマリア人が
訪ねて来たように、イエスが私の心に訪ねて来られた。ハレルヤ!神に
とても感謝した。
「神が私の義と我を折ろうと三浪を許されたんだ。三浪
という強盗がなかったら、私と言う人間は決して主に会えなかったんだ!」
自分の人生に反転が訪れた。三浪が恥ではなく、感謝に変わった。
53
「何故以前通っていた教会は永遠の贖いに対する御言葉を教えてく
れなかったんだろう?」私は子供の時からいつも罪人かと思っていた。
罪を犯し、懺悔し、罪を犯し、懺悔することを繰り返していた。そんな中「
こうやって罪を洗っても終わらず、罪を犯してまた犯すことを繰り返すな
ら、いっそ死ぬ5分前に全ての罪を悔い改めて神の前に行けばいいので
はないのか?」と漠然と思ったりもした。しかし罪に対するそのような疑
問が1989年2月に完璧に解決された。
「もしそうだとすれば、世の初めから、たびたび苦難を受けねばならな
かったであろう。しかし事実、ご自身をいけにえとしてささげて罪を取り
除くために、世の終りに、一度だけ現れたのである。」
(ヘブル人への手
紙9:26)
御言葉を通してイエスが私のすべての罪を完全に洗っておいたことを
確かに分かった。とても驚いた。私が通っていた教会では「原罪は洗わ
れたが、自分が犯した罪はいつも悔い改めて洗わなければならない」と
教わった。聖書は「すべての罪を洗った」と言っているのに。それで、教
理ではない、真の御言葉を伝える喜びニュースコチャン教会に母と一緒
に通った。
喜びニュースコチャン教会はファンガン近所の2階建ての建物を借
りて礼拝堂として使っていた。聖徒たちがワイン色の座布団に座って礼
拝を捧げた。みすぼらしい建物であれ、とても幸せだった。青年兄弟姉
妹たちがお金を稼ごうと大都市に行かず、少ない給料であれ教会に仕え
ようと田舎で働いていた。私のお小遣いより少ない給料をもらいながらも、
心を尽くして福音に仕える彼らの姿に感動した。私は彼らを見ながら教
会を学んだ。救われると私の胸を押していたかたまりが引いたようだった。
この世に対する欲望がなくなると、幸せに生きる道がたくさん見えてきた。
「神様!これ以上の幸せはNO!」
救われて間もなく、神の恵みでテグ教育大学に入学した。大学を卒
業して小学校の教師になり幸せだった。仕事を終え高速道路を走りなが
らサルピゼを過ぎるときは、遠くに夕焼けを見ながら神に驚嘆し、祈った。
「神様、感謝します。醜い私を救ってくださり、良い職もくださり、家族
54
もくださって、とてもとても幸せです。
十分の一を捧げ、主日学校の奉仕も
して、家族が皆教会に通い、休みのたびに修養会に行って、奉仕もしなが
らこうやって生きればいいでしょう。
うちのクラスの35人の生徒が1年が過
ぎると皆救われますように。神様!これ以上の幸せはNO!ありがとうご
ざいます。神様!」
こんな祈りをたくさんした。しかし、不思議なことに心の奥底から「こ
れで終わるはずはないのに…」という気がして、まるでどこかへ連れてい
かれてしまいそうだった。からし種の中に命がうごめくように。
白血病が治り、宣教学校に入学した幼なじみインス
1995年のある日、幼なじみのインス(喜びニュースカンドン教会のホ・
インス牧師)が白血病にかかったと言う知らせを聞いた。インスの奥さん
は結婚4カ月で離婚を要求し、離婚してからインスは田舎の実家で一人
になって、死ぬ日を待っているということだった。私にインスの病気を治
す能力はないけれど、私を苦しみから救い出してくださった神がインスも
救ってくださると言う望みで訪ねて行った。インスは抗癌治療のせいで
髪の毛がすべて抜け、柔らかい新しい髪の毛が生えていた。立ち上がっ
て、座ることさえろくにできないインスが寝汗をかきながら、横になり、御
言葉を聞きながら言った。
「テイン、私の人生はおしまいだ。力がなくて奉仕も、お金がなくて献
金もできない。残っているのは耳しかない。」
インスの言葉が私にとってはとても嬉しい知らせだった。
「そうだ。それだよ。耳だけがあればいい。信仰は聞くことによるもの
だから!」
当時喜びニュースコチャン教会のオ・セゼ牧師はインスに一日中福
音を伝えられ、とうとうインスが救われた。インスは救われてとても幸せ
で、献金箱の上に座っていたが、その場面を牧師に見られ、こういったそ
うだ。
「牧師先生、わ、わ、私は献金するお金もありません。それで神が私の
体でも受け取ってくだされば…という思いで献金箱の上に座っていまし
た。」
55
1.6歳の時の筆者。
2.一番前の学生が小学6年
の時の筆者。
3.学生たちに福音を伝えて
いた教師のころ。
4.クリスマスに母と妻と一緒
に賛美を歌った。
56
神は創造の神なので、元は私になかった心を
創造してくださった。
宣教学校に入りたい心を。
インスはその後「痛いけれど治った」というパク牧師の証しを読んで、
マルコによる福音書11章24節「そこで、あなたがたに言うが、なんでも祈り
求めることは、
すでにかなえられたと信じなさい。そうすれば、そのとおり
になるであろう。」という御言葉を信じた。
「ああ、それなら私もいたいけ
れど治ったんだ!」インスは信仰で白血病が治り、再婚し、宣教学校に入
った。
ダメだと思っていたけれど…
11996年、オ・セゼ牧師がインスを宣教学校に入学させるのをみて実は少
し衝撃を受けた。
「ああ、宣教学校には実力で行くのではなく、恵みで行
くんだ!それなら私もだれか親切な人を見つけたなら、私はその方のあと
について落ち穂を拾うんだ!」と思い、一筋の望みを見た。
救われて、実は私の人生で起こることができないことと起こってはならな
いことをいくつか決めて置いていた。一つはタバコを止めること、また教
会の中でお見合い結婚すること、宣教学校に入ることだった。また宣教
師になることだった。何回もそれはいけないことだと思った。しかし教会
の中にいると心が変わった。私の心の中で一つ一つ奇跡が起こった。神
は創造の神なので、元は私になかった心を創造してくださった。宣教学
校に入りたい心を。
その心を抱いて一か月で交通事故に4回も遭った。私は運転を確かにち
ゃんとしていたが、相手が居眠り運転をして私の車にぶつかりそうになっ
た。やっとの思いでよけた。その時「人が見て自分で正しいとする道があ
り、その終りはついに死にいたる道となるものがある。」
(箴言16:25)とい
う御言葉が思い浮かんだ。
「そうだ。私が見る道は全て死に至る道だ!神
57
が見せてくださる道に行かないと!」
実は1995年に神は御言葉で私を呼ばれた。その年、私が通っていたコチ
ャン教会の礼拝堂をリフォームすることで、オ・セゼ牧師がサムエル記下
7章2節を言われていた。
「王は預言者ナタンに言った、
「見よ、今わたし
は、香柏の家に住んでいるが、神の箱はなお幕屋のうちにある。」何気な
く教会と一緒にしたい気持ちで聞いていたが、続く御言葉が私の心に響
いた。
「それゆえ、今あなたは、わたしのしもべダビデにこう言いなさい、
『万軍
の主はこう仰せられる。わたしはあなたを牧場から、羊に従っている所
から取って、わたしの民イスラエルの君とし、あなたがどこへ行くにも、あ
なたと共におり、あなたのすべての敵をあなたの前から断ち去った。わた
しはまた地上の大いなる者の名のような大いなる名をあなたに得させよう。
」(サムエル記下7:8~9)
いきなりすごい祝福の御言葉を受けたが、負担で隠していた。その当
時宣教学校に行く気は少しもなかったからだ。知らないふりをして御言
葉を無視しようと頑張った。しかし、その日、神が私に言われた御言葉が、
まるで水面上に風船が浮かぶように私の心にぶつかった。今までミャン
マーで宣教している間この御言葉が私をつかみ、困難の中でも私の心に
平安をくださったことを証しできる。
1998年、私はソンジュトウォン小学校からハプチョンのナクジン小学校に
転勤する辞令を受けた。
「ナクジン」という名が本当ではないけれど「死
の灰」
(落塵「ナクジンと読む」)に聞こえた。
「落ちた灰のような私」とい
う心で暮らしている頃、チンジュで教役していたチョン・ヨンボク牧師が私
を呼ばれた。牧師はルカによる福音書14章26節を見せながら、
「宣教学
校に行くのはどうか」と言われた。
しばらくして私は宣教学校に入るために大田に面接に行った。その時、私
を面接してくださる牧師がこう聞かれた。
「君、学校で福音を伝えて教会につながった先生方がいるか?」
「伝道はしてみましたが、教会につながった人はいません。」
「学校は休んでいるか?」
「いいえ、辞職してきました。」
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1.幼なじみのホ・インス牧師の夫妻と一緒に
2.救われた後、信仰を教えてくれたオ・セゼ牧師(右から2番目)と兄弟たち。
「ははあ、困ったな。恵みがないと家に帰らないといけないのに…」
帰るかもしれないという言葉にびくっとした。しかし、面接が終わってドア
を開けて出る時、神が約束の御言葉をくださった。
「ご自身の御子をさえ
惜しまないで、わたしたちすべての者のために死に渡されたかたが、どう
して、御子のみならず万物をも賜らないことがあろうか。」
(ローマ人への
手紙8:32)御言葉が来ると心が平安になった。その後まもなく、宣教学
校に合格したと通知が来た。
「アブサロムよ。愛する我が子アブサロムよ!」
宣教学校で中間試験を受けると、私は少なくとも4位にはなりそうだ
った。なぜなら小学校の運動会の時かけっこをすると、8人で走っても4
位、7人が走っても4位、いつも4位だったからだ。それで1度も賞をもらっ
たことがなかった。宣教学校でも4位はしそうだったが、10か月ほど過ぎ
てみると、私たち夫婦が一番醜く、情けない者でビリだった。
その当時、1か月になった息子のミンチャンにあげる粉ミルクがなくな
り、
ミンチャンは3か月ほどジュースと麦茶を飲んでいた。もちろん母乳も
飲んだが、足りなかった。私はスーパーで粉ミルクを得ようとして3回追
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い出され、4回目には良い粉ミルクを得ることができた。とても嬉しかっ
た。その後、散髪もただでしてもらったり、眼鏡もただで得、妻がインフ
ルエンザにかかった時、薬局で薬もただでもらってきた。その時、同期の
宣教学生の中で何人かが私のまねをし、そのことを授業中に証しした。し
かし、聞いていた師匠の牧師が「それが信仰か?乞食だよ!私はお金が
ない時、神に祈ったんだ。」と言われた。衝撃だった。牧師は福音のため
にキムチョンで恵みを受けて礼拝堂を得たが、私はただ自分の肉のた
めに心を低くして生きるのが見えた。焦点が違った。大伝道集会をする
時は「今日はどこで髪の毛を切ればいいんだ?」と床屋を探し、
「どこで
粉ミルクを得ればいいんだ?」とスーパーを探し回った。伝道は後にして、
それこそ乞食が私だった。嘆きが出た。
しばらく泣いていたが、 「アブサロムよ! 愛する我が子アブサロム
よ!」と神が私を呼ばれたようだった。
「このような私をも愛されるんだ。自
分の民でないものを自分の民だと、愛しないものを愛したものと呼ばれる
んだ!」父の温かい心を感じた。その後驚くことに神が自分の心に自由を
下さり、恵みを施された。
ある日、ペゼ大学の近くで伝道しながらコンピュータ工学科の卒業予
定の学生だったチョ・チョンレ(喜びニュース江南教会の執事)に会った。
ハマンが故郷だった彼はキョンサンドのなまりを使っている私に心を開
き話をしている中、福音を聞き救われた。それでも教会には出なかったが、
ある日区域礼拝に参加した。パク・オクス牧師が「チョ兄弟、今週からう
ちの教会の日曜礼拝をインターネット放送で生放送することになった。イ
ンターネット放送の日曜礼拝の初めての救いの証しをチョ兄弟がしなさい。
」と言われた。パソコンに興味深かった学生のチョ・チョンレは、その時
から礼拝に真面目に参加した。神がされると伝道も簡単だった。
そうやって時間を送り、2000年2月、私はソウルトボン恩恵教会へ派遣
された。
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ボアズの畑
「飛行教官がしたことです。」
キム・ドンソン(喜びニューステグ教会牧師)
2013年10月にイギリスであったことだ。
彼に花を持たせた。
イギリスのマンチェスター東部のノースリ
信仰生活もそうだ。パイロットではない
ンカンシャーの空を飛んでいた軽飛行機
ジョン・ウィルディさんが飛行教官の言葉
のパイロットが意識を失い、乗客が飛行
に従ったとき、緊急着陸に成功したよう
機を操縦して着陸に成功した奇跡のよう
に、御言葉が教えることをそのまま従えば
なことが起こった。BBCの報道によると、
信仰生活を上手くすることができる。しか
当日軽飛行機にはパイロットの他に77歳
し、多くの人々が御言葉を無視し、自分の
のジョン・ウィルディさんが乗っていたが、
正しい方法で信仰生活をするため、信仰
パイロットが意識を失うと、操縦の経験が
生活がうまくできない。
全くなかったウィルディさんが操縦かんを
イエスも「私は自分からは何もできな
持ち、管制塔の指示に従った。危険な中
い」と、
「私の父が働かれると私も働く」と
ウィルディさんは飛行教官のロイ・マーレ
言われた。
「わたしは、自分からは何事も
イの指示に従って着陸した。彼は空港の
することができない。ただ聞くままにさば
空を4回回ってから適当な高度と速度を
くのである。そして、わたしのこのさばきは
維持しながら飛行機を滑走路に着陸させ
正しい。それは、わたし自身の考えでする
た。
のではなく、わたしをつかわされたの、み
以降ウィルディさんは自分をほめる言
旨を求めているからである。」
(ヨハネに
葉に、自分は少しも立派ではなく、かえっ
よる福音書5:30)またイエスは私たちにも
て自分が着陸できるように導いてくれた人
「あなた方は何もできない」と言われた。
が立派だったと、飛行教官がしたことだと
「わたしはぶどうの木、あなたがたはその
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枝である。もし人がわたしにつながってお
外と長引き、春に出陣した兵士たちはその
り、またわたしがその人とつながっておれ
年の冬になって撤収した。しかし、酷寒の
ば、その人は実を豊かに結ぶようになる。
中で早道を探す中、
つい道に迷ってしまっ
わたしから離れては、あなたがたは何一
た。その時管仲が言った。
つできないからである。」
(ヨハネによる
福音書15:5)
教会史を見ると、福音的な教会が40年
以上維持できなかった。その理由は聖徒
「老いた馬の知恵を使う方がいいと思
います。彼らは経験が多いから道を良く知
っていて、私たちを案内してくれるでしょ
う。」
たちが自分を信じたからだ。自分が善で
管仲は老いた馬を何頭か選び、先に
義があると思ったので、神の御言葉に頼
歩かせた。そしてその後ろについて行くよ
らず、御言葉から離れた聖徒は結局堕落
うに兵士たちに指示した。そうやって移動
し、滅びるのだ。信仰生活は御言葉が私
して間もなく大通りに出て、斉の兵士たち
たちの中で働くのだ。自分の思い、経験、
は本国まで無事に帰ることができた。
状況を無視して、御言葉だけを立たせる
自分が飛行機を操縦できない時に管
のだ。御言葉だけを立たせようと頑張る
制塔の指示に従うことができ、自分が道
べきものではなく、自分ができないと言う
に迷っている時、獣の後ろにでもついて行
ことを悟る時、御言葉だけを立たせる人生
くことができる。そのように御言葉に従お
を歩むことができる。
うと頑張ることではなく、自分が何もでき
春秋戦国時代、斉の名宰相、管仲が桓
公と一緒に敵を攻めに行った。戦争が意
ない時、私たちはまことに御言葉だけに従
うようになる。
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聖徒の人生
ソロモン王と
シュラムの女の婚礼
パク・ヨンジュン(プサンデヨン教会牧師)
「…荒野から上って来るものは何か。見よ、あれはソロモンの乗物で、六十人の勇
士がそのまわりにいる。イスラエルの勇士で 」
(雅歌3:6~7)
聖徒はイエスが血で買った新婦なので
エゼキエル書やダニエル書に出て来る最後の時代のしるしが最近たくさん表れて
います。イエスがいつ再臨されるか分かりませんが、その時が近づいていることを
感じます。救われた人はどのような暮らしをしたとしても、再臨されるイエスを迎え
る条件を備えています。
サウルの娘ミカルはダビデが血で買った妻でしたが、ダビデ
がサウルに追われる生活をする間、またバルテエルに嫁に行き、ダビデとは関係の
ない暮らしをしました。その後ダビデが王になりイスラエルに戻ってきたとき、一番
先にミカルを探しました。救われた聖徒もまたイエスが血で買った新婦なので、私
たちがどういう暮らしをしてもイエスが私たちを探します。
イエスが私たちを迎えに来られる時も
雅歌3章には、ソロモンがシュラムの女に馬車を送り、彼女を王宮に連れて来て
一緒に住む話が出て来ます。イスラエルの伝統的結婚は新郎が新婦の家に行って
結婚式を行います。しかし雅歌3章ではソロモンが60人の勇士たちと一緒に金銀で
飾った美しい馬車をシュラムの女に送り、新婦を新郎がいる王宮に連れてきました。
これはまた来られるイエスが聖徒たちを迎える姿を見せているのです。
創世記にも同じ内容の話があります。エジプトのつかさになったヨセフがカナ
ンの地にいる家族をエジプトに呼ぶとき、馬車と一緒にロバにエジプトの美しい
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物と食べ物を乗せて送ります。ヨセフの父ヤコブはヨセフが贈ったものを見て、ヨ
セフに会いにエジプトに入りゴセンの地に留まり、ヨセフがゴセンに行き、父と家
族を王宮に連れて行きます。アブラハムも息子イサクの嫁を求めるために老いたし
もべを送る時、ラクダ10頭に彼が持っていたすべての良いものを乗せて送りました。
老いたしもべに会ったリベカはそのしもべについてカナンに来る途中、イサクに会い、
イサクがリベカを連れて行きます。イエスが私たちを迎えに来られる時もこの地に
来られるのではなく、空中で私たちを迎えられます。そして7年間の婚礼が行われ
る御国へ私たちを連れて行かれます。
イエスが救われた人々と幸せに宴会をする間、この地では7年の患難が始まりま
す。最初の3年間は反キリストが表れ、世界政府を作り世界を一つにし、平和を叫
ぶでしょう。しかし、3年半が経つと本性を表し、自分を崇拝し、仕えるようにします。
やっと騙されたことに気付いたユダヤ人の中の一部が悔い改め、イエスを信じ、666
を受けてない人々が犠牲になります。
イスラエルの民たちがカナンの地に入る時、サルモンがエリコの町でラハブに出
会い、また戻ってくると約束します。以降、ラハブはサルモンを待ちながら福音を伝
える人生を暮らします。滅亡を避けられる自分の家に一人でも多く入れるように導
く暮らしをします。サルモンがエリコの町に戻ってきたとき、死と命の働きが同時に
起こりました。エリコの人々は悲惨に死んでいきましたが、ラハブとその家にいた人
々は救われ、新しい人生を得ました。
このようなことを思うと、救われたことがどれほど大きくて驚くべきことか分かり
ません。
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小羊の婚宴に招かれた者は、さいわいである
「シオンの娘たちよ、出てきてソロモン王を見よ。彼は婚姻の日、心の喜びの日に、
その母の彼にかぶらせた冠をいただいている。」
(雅歌3:11)
「それから、御使はわたしに言った、
「書きしるせ。小羊の婚宴に招かれた者は、
さいわいである」。またわたしに言った、 「これらは、神の真実の言葉である」
。
(ヨハネの黙示録19:9)
上の御言葉に出てくる婚宴は、イエスと救われた聖徒が御国で7年間享受する
宴会です。その後、ヨハネの黙示録20章に記されたように、この地に下りて来て主
が新しく建設される千年王国時代を生きるようになります。
千年王国の後には、永
遠な国である御国で神と暮らすようになります。これは必ず起こることで、救われ
た聖徒だけが享受する世界です。
このようなことを思うと、私たちが救われたことがとても感謝で胸がいっぱいに
なります。何もしなかった私たちに主が訪れ、私たちを祝福された者としてください
ました。お金より、名誉より、何よりも尊いイエス・キリストを私たちの心にください
ました。
「彼女は男の子を産むであろう。その名をイエスと名づけなさい。彼は、お
のれの民をそのもろもろの罪から救う者となるからである。」
(マタイによる福音書
1:21)私たちの罪を終わらせ、御国をくださったイエス。そのイエスが私たちの心に
生きておられ、間もなく私たちを迎えに来てくださいます。
その時、「良い忠実な僕よ」とほめられるなら
ラハブはサルモンが去った後、目に見えるエリコの町を見て生きたのではなく、目
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に見えないサルモンを見ながら暮らしました。そうやって暮らす中、神がラハブを守ら
れ、必要なすべてをくださいました。シュラムの女もソロモンに愛されてから、周りの
人々を意識しないで、自分の足りなさにも縛られず、ソロモンに大胆に出ました。救わ
れた私たちにもイエスがいらっしゃいます。イエス一人いらっしゃればすべてが問題
になりません。主がこの地にまた来られるまで私たちを守られます。
ミカルはダビデに再び会うまで恥ずかしい暮らしをしました。ダビデが王になって
戻ってきたとき、
ミカルの心はどうだったでしょう?救われたのはすべての聖徒が同
一ですが、生きる姿は各自違います。残念なことに多くの聖徒たちがイエス一人で満足
できず、他のものを求め、そのようなもので心を満たしながら暮らします。しかし、私
たちが救われたときを振り返ると、この世が私たちを必要としない時、心が疲れて寂
しかった時、イエスが私たちを訪れました。聖徒はそのような自分を救ってくださった
主に感謝しながら、自分を空にし、恵みの座に近づきながら、心に神の御言葉を立て、
その御言葉に影響されながら生きる人々です。不慣れでもこのような人生を歩むとき、
私たちの心に感謝する心が深くなるのです。
雅歌3章の御言葉のように、イエスがまた来られ、婚宴を行う日が来ます。その時
私たちが主に「良い忠実な僕よ」とほめられるとどれほど感謝なことでしょう?将来
のことを思うと、この世のものに私たちの心を注ぐことができず、主だけに満足して生
きることができます。
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地の果てまで福音を、世の終わりまで主と共に_180回
パク・オクス牧師の証し
神が心に主となった
米航空母艦の牧師
ハワイのキャンプの時、不可能に見えることを助けてくださった神
2008年私たちはハワイでIYFグローバルキャンプを行いました。その
時、私たちには分からないことが多かったのですが、学生たちが行きた
いところに彼らを連れて行きたくて、ハワイでキャンプをすることにしま
した。キャンプを準備しながらとても大変だったことがあります。まず、ハ
ワイはアメリカの領土なので、キャンプに参加する2,000人の学生たちが
アメリカのビザを受けなければなりませんでした。飛行機便も問題でした。
ハワイまで週3便が運航していましたが、小さい飛行機だったので2,000人
が行くには無理でした。最後に、2,000人が泊まるホテルを探すのもとて
も大変でした。しかし、私たちは学生たちが喜ぶことをしてあげたくて、ハ
ワイキャンプをすることにしました。
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その時、神が助けてくださったことを忘れられません。まず、アメリカの
大使館からハワイのキャンプに行く学生たちにビザをくれると約束しまし
た。朝アメリカの大使館の前に行くとビザをもらおうと人々が並んでいま
すが、大使館がIYFの学生たちを別に並ばせて、特別窓口を作り、何人
かを除いてビザをくれました。とてもありがたかったです。そして偶然、ハ
ワイにある東洋旅行会社の社長に会いましたが、その方が2,000人の宿泊
所をすべて用意してくれました。とても感謝しました。それからその方を
忘れられません。最後に飛行機は大韓航空からチャーター便を出してく
れて、私たちだけでハワイに行くことができ、とても楽しかったです。その
時、私たちは不可能に見えることを神が助けられ、働かれることを見てと
ても感謝しました。
ハワイの音楽会で出会った米航空母艦の牧師
ハワイでキャンプを行う間、ワイキキビーチで水泳もして、音楽会もし
ました。ある日、野外音楽会をしましたが、多くの人々が参加して歌や演
奏を聞き楽しみました。その場に一人の米航空母艦の牧師が参加して、
その方と少し話をしました。話の途中にその方に聞きました。
「私があなたの部隊にある教会で一度説教をさせていただけますか?
」
「いつでもいらしてください。いくらでも説教する時間を差し上げます。
」
「ありがとうございます。今週の日曜には私がハワイにいないので行け
ませんが、今度ハワイに来ると日曜日にあなたの教会にいる将兵たちに
説教させていただきたいです。」
そして数年後のある日、チンヘにある海軍本部の軍宗教部から連絡
が来ました。プサンに米航空母艦が停泊しているけれど、そこに来てほし
いという要請でした。ハワイで出会った牧師が私を招待したのでした。生
まれて初めて航空母艦に乗り、多くの飛行機、ヘリコプターなどいろんな
所を見学することができました。公式行事が終わり、その牧師に聞きまし
た。
「あなたは航空母艦から外出することができますか?」
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「はい、私はこの時間以降は自由です。」
「なら私と一緒に市内に行きましょう。」
その方は5か月ぶりに陸地を踏んでとても喜んでいました。私はその方
をプサンデヨン教会につれて行き、夕食をもてなしました。ちょうど、プサ
ンリンカーンスクールの学生たちが扇の舞を練習していたので、その方に
公演を見せるととても喜んでいました。
「どうやって神を心に招くことができますか?」
その晩、牧師と座って話をしました。その方は、自分が乗っている航
空母艦に数千人の将兵たちがいるけれど、航空母艦に1度乗ると5~6か
月ほど船で過ごすので、家族関係でいろいろと問題が起こり、いつもその
ような問題の相談に来ると、その時答えられないけれどどうすればいい
かと聞きました。私はこう話しました。
「私は19歳まで多くの問題を持っていました。それで長い間苦しんで
いましたが、1962年救われてイエスが私の心に入られてから、全ての問題
を解決してくださいました。人の心は畑と同様です。どの畑であれ、主人
が管理してくれないと雑草が生い茂って醜くなります。逆に農夫が畑を
耕し、雑草を取り、そこに大麦や麦をまいたり、大根や白菜をまき、穀物
や野菜が生えると見栄えが良いです。私たちの心も神が農業を営むと雑
草があるはずがありません。逆に心をほったらかしておくと、困難や問題
が起こるしかありません。航空母艦に乗っている将兵たちが家族と離れ
ているのでいろんな問題が起こりますが、神が彼らの心におられるとそ
れが問題になるでしょうか?しかし彼らの心に神がいらっしゃらなければ、
誰がその問題に勝ってくれるでしょうか?」
私の話を聞いて牧師が驚きながら、どうやって神を心に招くことがで
きるかと聞かれたので、福音を伝える機会を得ました
「私たちが罪に対して沢山の思いと判断を持っていますが、私たちの
罪に対して神がどうおっしゃるかが大事です。」
私はヘブル人への手紙9章と10章を開き、永遠の贖いについて話しま
した。イエスが将来の良い大祭司として来られ、手で造られず、もっと大
きくて完全な天の御国の幕屋の贖罪所で、ご自分の血で永遠の購いを成
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し遂げられたことを伝えました。2千年が過ぎた現在、私たちの罪も十字
架で流されたイエスの血で洗われた話をしました。その方が福音を受け
入れて喜び、感激しました。
「イエスの血が私の罪を贖ったことは知って
いましたが、こうやって明らかに罪の赦しを受ける御言葉は初めてです。」
と私に感謝していました。
話を終えその方にプサンを見物させてあげました。クァンアンデギ
ョも見せて、チャガルチ市場で遅い時間でしたが、刺身ももてなしました。
その方がとても喜んでいました。そうやって時間を過ごし、その方を航空
母艦まで送ってあげました。
どこかの海で過ごすであろうが、心に神がいらっしゃる
それからは連絡が絶え、今はその牧師がどこにいるか分かりませんが、
その日、その方が罪を赦され、神がその心に入られてから、神がその中で
働かれることを思うと感謝します。その航空母艦に乗った多くの将兵たち
が難しい問題で牧師と相談しながら、福音を聞き、救われ、イエスが彼ら
の心の中にいらっしゃって、難しい問題を解決されることを思うと感謝し
ます。彼らがどこかの国を守るために出航し、どこかの海で過ごすであろ
うが、救われた将兵たちの心にいらっしゃる神が、彼らの中で全ての悩み
と恐れを取り除き、平安をくださったことを思うとどれほど感謝なことが
分かりません。
神は私たちの心を管理することをされます。主人がいない畑には雑
草が生い茂り、汚いものが多いけれど、農夫が働き始めるとそれらがす
べてなくなります。農夫は畑をきれいにかたづけてから穀物をまき、畑に
穀物だけが育つようにします。神が私たちの心にいらっしゃると、神は私
たちの中で様々な暗い思いを全て抜き取り、祝福されたものをまかれる
のです。そうやって尊い実が結ばれるようにするのです。神が私たちの中
におられ、私たちの心を導かれることを思う時、とても感謝します。神に
栄光を捧げます。数年前、プサンで再会して福音を聞いた牧師。その方
が航空母艦にいる数千人の将兵たちと一緒に礼拝を捧げ、彼らに福音を
伝えていることを思うと神の前でとても感謝します。その船にいるすべて
の将兵たちが救われ、祝福を得るように願います。
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