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Page 1 Page 2 研究ノート 神島二郎研究ノート 1. はじめに一問題の所在
\n Title Author(s) Citation 神島二郎研究ノート 大森, 美紀彦; OHMORI, Mikihiko 国際経営論集, 37: 137-149 Date 2009-03-31 Type Departmental Bulletin Paper Rights publisher KANAGAWA University Repository 研究 ノー ト 神島二郎研究 ノー ト 大 森 1 . はじめに一間題の所在 美紀彦 ク トル をもつ政治学者 は数多い。 しか し、神 島 が政治学者 として稀有であったゆえんは後者 の 神 島二郎 と言 えば、アカデ ミックな研 究のみ ベ ク トル を持 っていた ことである。 日本 におい な らず、政治 ・社会評論の世界でも活躍 し、戦 ては、欧米輸入の理論で現実政治が分析 され る 後 日本社会に広範 な影響 を与 えた政治学者であ ことはあって も、 日本の現実政治か ら逆 に理論 る。 「 アカデ ミックな研究業績」 としては 『近代 を形成す るとい う研究はほ とん ど行われていな 日本 の精神構造 』 (1961年 ・岩波書店) が代表 いか らである。 的な著作 としてあげ られ、 この著作 を中心 とし この点、丸 山寅男の 1970年 までの仕事はやは た60年代か ら70年代 は じめにかけた研 究業績 は り特筆すべきものであった。それ らが面 白かっ 政治学 ・政治思想のプロパーだけでな く、隣接 たのは、戦前 ・戦後の 日本政治の分析 において、 の社会科学にも大きな影響 を与えた。 現実 と理論の往復運動があったか らである。 こ 一方政治 ・社会評論 の分野 では、『国家 目標 の発見』 (1972年)、『常民の政治学』 (1972年)、 の結果、良 し悪 Lは別 として、丸山研究 も1970 年代までの仕事に集 中す る(2) 。 『人心の政治学』 (1977年)、『日常性の政治学』 しか し、丸 山は 1970年以降、『現代政治の思 ( 1982年) 、『転換期 日本の底流』 (1990年)等に 想 と行動』 (1956・57年)所収 の論文 にみ られ 集 め られた評論 に見 られ るよ うに、戦後社会 ・ るよ うな、理論 と現実 との往復運動 とい う仕事 戦後政治に対 して鋭 い警告 を発 し続 けた (1)0 を急速に行 なわな くなってい く。 1970年以降の 神 島の 日本社会の現実-の関わ り方には二つ 丸 山は、 「 歴史意識 の古層」 (1972) や 「 政事の のベ ク トルがあった。ひ とつは、 自らの学問の 構造」 (1988) に代表 され るよ うな 日本政治思 成果 を武器 に現実政治や社会の問題 に警告 を発 想 史の古典文献研究に沈潜す るよ うになるので す るベ ク トル、 も う一つは現実か ら政治理論 を ある`3)0 構築 しよ うとす るベ ク トルであった。前者 のベ 丸 山が 1970年以降現実 と理論の往復運動 を停 (1)『国家 目標 の発 見』 ( 1 97 2年 ・中央公論社)・『常民 の政治学』 ( 1 97 2年 ・ 伝統 と現代社)・『人 心の政治学』 ( 1 97 7年 ・ 評論社 )・『日常性 の政治学』 ( 1 982年 ・ 筑摩 書房)・『転換期 日本 の底流』 ( 1 990年 ・中央公論社 ) (2)丸 山研 究 は引 き も切 らないが、近著 では次の よ うな ものが あ り、いずれ も1 97 0年以前 の丸 山の著作 に焦点 をあて てい る。笹倉秀 夫 『丸 山量男論 ノー ト』 ( 1 98 8年 ・ みすず書房 )・入谷敏 男 『丸 山最男 の世界』 ( 1 99 8年 ・ 近代文芸社)・ 福 田敏 一 『丸 山異男 とその時代 』 ( 200 0年 ・ 岩波書店)・長谷川宏 『丸 山異男 を ど う読むか』 ( 2 001 年・ 講 談社新書)・水 2 004年 .ち くま新書)・竹 内洋 『丸 山異男 の時代一 大学 ・知識 ・ジャーナ リズ 谷三公 『丸 山異男- あ る時代 の 肖像 』 ( 20 05年 ・中公新書)・苅部直 『丸 山寅男- リベ ラ リス トの 肖像 』 ( 200 6・ 岩 波新書) ム』 ( (3) 「 歴 史意識 の 『古層 』 」 は 『日本 の思想 6歴 史思想集』 ( 1 972年 ・ 筑摩書房) の 「 解説 」 と して発表 され 、 「 政事 の 構 造」 は 1 977 年 に国際基督教大学の シ ンポジ ウムで初 の講演発表 、つ いで 1 98 4年 に 「 百草会」 シンポ ジ ウムで講演発 表 、論文 としてま とめ られ たのは 1 98 8年イ ギ リスにおいてであった ( 「 Thes t r uc t ur eo fMa t s ur i g o t o:t heba s s oo s t i n a t o o fJ a pa ne s epol i t l C a ll l f eJTHE ATHLONE PRESS 1 98 8『The mesa ndThe or i e si nmod e r nJ a pa ne s ehi s t o r y』 所収) . 『丸 山嘉男集別巻』 ( 1 9 97 年・ 岩波書店) 「 年譜」参照。 37 神 島 二郎 研 究 ノー ト 1 止 したのに対 して、神 島はそ うしたスタンスを 治元理表」 とい うきわめて抽象的な形で残 して 生涯維持 し続 けた。それは 自らの社会的発言 と 世 を去 った。 「 政治元理表」の解析 とそれ を用 その リアクシ ョンに対す る応答 をあわせ もった いた現実政治の分析 は、課題 として残 されたの ものであった。そ うした神 島のスタンスは、あ である。それはきわめて深 く重い課題 である。 る意味で 「 純粋 なアカデ ミックな研究業績」 の 本稿 は、そ うした課題 に応 える準備 として、 蓄積 を妨 げたのか も しれ ない。象牙の塔 の高み 主に 『近代 日本の精神構造』以降の研究で神 島 か ら現実分析 を行い、現実の政治状況 に対す る は何 を企図 し何 を達成 したかを整理す ることを 発言 な ど行わず、図書館的資料 に基づ く研究 を 目的に してい る。本稿 が多少 な りともその深遠 行 っていれば、神 島の 「 純粋 なアカデ ミックな なく神 島政治理論 >に分 け入 る手がか りとなれ 研 究業績 」 はず っ と蓄積 され ていただ ろ う。 ば幸いである。 「 現実 との格 闘」の結果 、政治学者 の間で、神 島の 「 アカデ ミックな研究業績」 としては 『近 代 日本の精神構造』のみが着 目され、本論文で 2. 『 近代 日本の精神構造』 の隣接社会科 学への影響 展開す る 「 新 しい政治学」の構築 とい う研究生 活の後半生の営みには光が当て られて こなかっ た( 4 ) 0 『近代 日本 の精神構造』及び 『日本人の結婚 観 』『文明の考現学』所収 の 、60年代 か ら70年 ところで、『近代 日本 の精神構造』以降、理 代 は じめの神 島の論文は、隣接 の社会科学に大 論 と現実 との往復運動で神 島が 目指 していた も きな影響 を与 えたが、分野にわけてそれ らを見 のは 「 政治学の再構築」 とい うことであった。 てみ よ う。 そ して、そ うした研究スタンスを踏 まえて密 か ① 「 ファシズム論」-丸 山異男の一連 のファシ に期 していたのが 「 新 しい政治学」 をま とめた ズム論- 「 超 国家 主義 の論理 と心理 」 `6)、 「日 『政治原理』 と題す る書 と、その 「 新 しい政治 本 ファシズムの思想 と運動」 ( 7 ) 、「 軍国支配者 の 学」に基づ く現代政治分析 を企図 した 『現代 日 精神形態 」(8)等 が戦後 日本 の社会科学 に衝撃 を 。 本の精神構造』の出版であった(5) 961 年の 『近 与えた ことは事実である。 しか し1 しか し、神 島はその両方の課題 を果たす こ と 代 日本の精神構造』 も、丸 山には見 られない庶 なく 「 新 しい政治学」のエ ッセ ンスだけを 「 政 民意識 か らのアプ ローチに よ り、 「日本 フアシ ( 4) 大森秀夫は 『近代 日本の精神構造』以降の神島の 「日本人論」を次のよ うに評 している- 「 後のいわゆる日本人 論 に しば しば見 られ るよ うに ( 民俗学的研究を補 うもの として第三部や本書の他の部分でも活用 された)文芸作品や 伝記 あるいは雑多な風俗描写 といった資料が、一貫 した方法な く引用 され、思い付き的な評論に堕す る危険がある。」 (「神島二郎の近代 日本 『精神構造』の分析一戦後政治 と政治学⑥ 」『Up』1 9 8 7 年1 2 月 ・東京大学出版会)そこには 神島の 「日本人論」 を 「 思い付 き的な評論」 とし一段低い もの とす る 「 アカデ ミズム」的な発想が見て取れ るO大森 には神島の 「 新 しい政治学」構築の意図な どは読み取れていない。 (5)神 島の1 9 81 年の年賀状には、次のよ うにある- 「 軍備増強論や ソ連脅威論が高まるなかで、過 ぐる1 5 年戦争の記 憶がなまなま しくよみがえ り、世の中がやがて急に雪崩れ を起 こしそ うな気配 を感 じま して、昨年初め私は、この風 潮 を止 めることは今な らばできるはずだ と、本来の仕事 を一時わきに置いて、軍備無用の現実認識 をもって正面か ら 立ちはだかる行動 を起 こそ うと決心 し、爾来一年間そのための執筆 と講演 にできるかぎ りの時間をふ りむけ遮二無二 やってまい りま したoそ して 『私の話に感ず るところがあった人はす くな くとも三人の仲間をふや して くだ さい』 と、 ねずみ講式に同志をふやす ことを訴えてきま した。その現実認識 をさらに原理的に深化 させ るために本年は、本来の 仕事に立ちかえって、 日本の経験 を中心に した政治学理論の再構築 と現代 日本の精神構造の究明に私は全力を傾注す る所存であ りますO-後略- 」 ( 下線筆者 ・ 『回想神 島二郎』神島二郎先生追悼書刊行会 ・1 9 9 9 年 ・1 9 3 頁に掲載) 『現代 日本の精神構造』 と 『政治原理』の出版の企図を、筆者は神 島 自身か ら度々聞か された。 また 『現代 日本の 精神構造』は 「 新 しい政治学」に準拠す るか ら 『政治原理』の方を先に出版 しなければな らない とも話 していた。 (6)丸山異男 「 超国家主義の論理 と心理 」 ( 1 9 4 6・雑誌 『世界』) (7)丸山藁男 「日本 ファシズムの思想 と運動」( 1 9 4 7・東洋文化講座講演) ( 8)丸山異男 「 軍国支配者の精神形態 」 ( 1 9 4 9 年・ 雑誌 『 潮流』) 1 3 8 国際経 営論集 No. 3 7 2 0 0 9 ズム研 究」 に大 きな影響 を与 えた。 例 えば、安部博純 『日本 ファシズム研究序説』 に囲まれ たなかでの経済的 自立 と性 の解放 を と お して、人間の<単身者 >化現象 が急速 な広 が (1975年 ) では、神 島の研 究 は丸 山寅男 な どと りをみせ て きてい るのではないか。 日本 で この 共に 「 近代政治学派」 として取 り上 げ られ分類 単身者化 の問題 の重大性 に着 目した人 は、政治 され てい る`9)0 学 の神 島二郎氏 です。」 玉野井 はイバ ン ・イ リ ② 「日本社会論」 -社会学の分野では 「 第二の イチ( 1 3 ) や ア ン ドレ ・ゴル ツ(14)な どの引用 の文脈 ムラ」の理論 、近代 日本 の 「 出世主義」、 「 単身 で神 島二郎 の 「 単身者主義」の議論 を取 り上げ 者主義」の分析 な どが大 きな影響 を与 えた。 てい る。 1988年刊 『 社会 学事典』 ( 弘文 堂) の神 島二 ・『日本人 の結婚観 』 (1969年 ・ ③ 「 家庭論 」 ・ 郎の項 目には 「 天皇制 ファシズムや 日本 の近代 筑摩書房 ) は 『結婚観 の変遷 』 (『日本文化研 化 を支 えた民衆の精神構造 の解 明に、多角的視 究』第 9巻 ・1961年 ・新潮社) を増補改定 した 点か ら、また独 自の概念 (「 第二のムラ」 「 帰簡 ものである。後 に講談社学術文庫 に も収 め られ 原理」 な ど)用 いて取 り組 んでい る。」 と記述 広 く読 まれた。 同書 は大学の講義 で様 々な形 で 1 0 ) 。「 第 二の ム ラ」 は 『近代 日本 の され てい る( 用 い られ た と聞 くが、例 えば 『思想 の科学 ・ 精神構造』 で もっ とも注 目され た分析概念 のひ 「 家庭論」特集 号』 (1979年) に一文 を求 め られ とつであった。 てい るよ うに、神 島の 「 家庭拠点主義」 は良 く l l )では、 竹 内洋 『日本 人の出世観』 (1978年)( 知 られ ていた議論 であった 。 ( 1 5) 「日本人 の 出世観 」 を分析す るた めに、神 島が ④ 「 民衆 史」 - 日本 の歴 史学 プ ロパ ーで、 「 民 作 りそ して用 いた多 く概念 が使 われ てい る。例 衆 史」 とい うジャンルが発展 したのは 1970年代 1 9頁)、 えば、 「 世論民主主義 と出世民主主義」 ( で ある。色川 大吉 ・鹿 野政直 ・金原左 門 ・松永 イ ギ リス社会 の とらえ方 ( 25頁)、 「 神人 同格教 昌三 ・布川清 司 ・安丸良夫等 の業績 が次々に発 32頁)、 と神人懸隔教」に関す る加藤玄智の引用 ( 表 され た。 それ らの著作の参考文献 に 『近代 日 近代 日本 にお け る 「 人格」 の考 え方 ( 6 4頁)、 本 の精神構造』 は必ず登場 した。例 えば 「 民衆 対群集 的個人意識 (75 「 藤 吉郎主義 」 (66頁)、 「 史」 を代表す る研究者 の一人である一橋大学名 頁)」等 で あ る。神 島の先行研 究がな けれ ば、 誉教授安丸良夫 の主著 『日本 の近代化 と民衆思 この書 は成 立 しなかった と思われ る。 想』( 1 6 ) の 「 あ とがき」に次のよ うな記述がある一 玉野井芳郎 は 『ジェンダー ・文学 ・身体』( 1 2 ) で次の よ うに言 ってい る- 「 第二に、市場産業 「 私 は さ しあた ってのテーマ を、維新変革 をは さむ近代化過程 にお ける民衆の意識 ない し思想 (9)安部博純 『日本 ファシズム研究序説』 ( 1 975 年・ 未来社) ( 1 0)見 田宗介 ・栗原彬 ・田中義久編 『社会学事典』 ( 1 9 88年 ・ 弘文堂) この事典 では他 に も 「 群化社会 」「 馴成社会/ 単身者 主義 」「 桃太郎主義」等 の神 島が作 り出 した概念が載せ られてい る。 異成社会 」「 1 97 8年 ・ 学文社) ( l l ) 竹 内洋 『日本人の出世観』 ( ( 1 2)玉野井芳郎 「 人間にお けるジェンダーの発見」( 玉野井芳郎監修 『ジェンダー ・文学 ・身体』・1 9 86年 ・ 新評論所収) ( 1 3)イバ ン ・イ リイチl va nl l l i c h ( 1 92 6-2 002) ウィー ンに生まれ る。 自然科学、神学、哲学、歴史学 を修 めた後 、5 1 年 に渡米。 さらにメキシコに移 り、67-7 6年、国際文化交流セ ンター ( CI DOC) を開催 し、教育 ・交通 ・医療 の分 『脱病院化社会』著 野で、人 々の 自律性 にも とづいて専門家 による管理 を無化す る、現代産業批判 を展 開 して きた ( 97 9年 ・ 晶文社 ・ 金子嗣郎訳) 0 者紹介 よ り ・1 ( 1 4)アン ドレ ・ゴル ツAndr 占Gor z( 1 924-20 07)オース トリア- スイスー →フランスO新左翼系理論家。 サル トル らの 実存主義 の影響 を受 け、高度産業社会にお ける全面的な管理 と疎外か らの人間の解放 を唱 え、周辺革命論 を否定 して 1 96 4年)、『困難 な革命』 ( 1 967 年) な ど ( 『社会学小辞 労働者階級の革命性 を力説 した。『労働者戦略 と新資本主義』 ( 977年 ・ 有斐閣) 。 典』1 ( 1 5) 神 島二郎 「 家族 を 自立の拠点 として」 (『思想 の科学一 主題 家族 は人 間解放 に とって有効か』 1 97 9年 3月号所 収) ( 1 6) 安丸良夫 『日本の近代化 と民衆思想』 ( 1 97 4年 ・ 青木書店) 39 神 島二郎研 究ノー ト 1 の変革 の問題 に求 めた。 このテーマ を選 んだ一 文明』 に 「日本文 明論 の認識枠組」 とい う巻頭 つの理 由に、その ころ出版 され た この方面の二 論文 を寄稿 してい る(22 つの力作、神 島二郎 『近代 日本 の精神構造』 と ⑥ 「 柳 田国男研 究」・ -神 島が柳 田民俗学の意義 R. N. ベ ラ- 『日本近代化 と宗教倫理』 か ら う を精 力 的 に説 いた時期 は、『常 民 の政 治学』、 けた刺激 があ り、私 は、神 島氏 ともベ ラー とも 『柳 田 国 男 研 究 』2̀ 3 )、 『シ ン ポ ジ ウム柳 田 園 異 なったや り方で この間題 に迫 りたい と思 った 男 』( 2 4 ) を出版 した 70年 代 前 半 で あ る。 それ は ) 。 とい うこともある。」 (293頁) 「 足下の現実 を探 る」(25)学問 として柳 田民俗学 を ⑤ 「日本文化論」・ ・ ・ 明治か ら1990年代前半まで 評価 し、紹介す るものであった。 日本 の政治 を の 「日本文化論」 をま とめた好著 に南博 『日本 西洋 か らの輸入 の政治学で解 くのではな く、独 7 )があ るが、 この書では神 島の著作が三 人請 』 (1 自の理論モデル を構築す るために、柳 田か ら学 つ あげ られ てい る。 『日本 人 の発想 』( 1 8 )と 『日 ぼ うとしたのである。柳 田民俗学 は、神 島の言 本 人 の結婚観 』 うよ うに、戦前においては 日本の現実調査 を行っ ( 1 9) 『日本人 と法 』 ' で あ る。 本 ( 20 書で この よ うに多 くの著作 が と りあげ られ てい ていた唯一 の社会科学であったか らである。 る者 は、梅原猛 、河合隼雄 、志賀重昂 、津 田左 一方、神 島は 「 足下の現実 を探 る」学問 とし 右吉、土居健郎 、 中根 千枝 、芳賀矢一、長谷川 て柳 田民俗学 を評価す る反面、その問題 点 も指 如是閑、福沢諭 吉、ルース ・ベネデ ィク ト、イ 摘 してい る。 1961年 に雑誌 『文学』で、神 島は ザヤ ・ベ ンダサ ン、丸 山英男、三宅雪嶺 、和辻 「 所与 と課題」 とい う問題 を取 り上げてい る( 2 6 ' 。 哲郎等 であ り、 これ らの人 々 と同列 に扱 われ て 民俗学 に とって重要 なのは民俗事象 とい う 「 所 い るのは、神 島が 「日本文化論」 とい う分野 に 与」ではな く 「 課題 」である。 その認識 が民俗 も大 きな影響 を与 えてい る証 になってい る と思 戦争 と民俗 」 (2 7 ) は、 学に欠 けてい る。 1986年 の 「 う。神 島は 『新 ・日本人論』 (1980年 ) とい う 戦争 と民俗 は ど う関わ るのか とい う 「 課題」- ) 。 ここでは、 「 馴成社 共編著 を出 してい るが (21 の回答 を民俗学 に もとめる、 とい う上記 の問題 会論」の提示 とい うかた ちで 日本文化 の議論 に 意識 にそ った論文であった。 参入 しなが ら、 さ りげな く彼 の政治学 に基づ く 主張- 「 非武装 主義 の現実性 」 「 宗教 的寛容 の 3. 研究の時期区分 問題」 「 極東軍事裁判 の意味」、 「 新 しい政治学」 の概念、 「 人心の政治」等 をお りまぜ てい る。 神 島の この方面の活動 は、比較文明学会 を通 じて継続 され 、例 えば 、 1986年 には雑誌 『比較 私 は神 島二郎 の生涯 の研 究活動 を以下の よ う に 4期 に分 けてい る( 2 8 ) 0 ①第 1期 (1941年 ∼ 1946年) - 1939年一高入学、 ( 1 7)南博 『日本人論』 ( 1 9 94年・ 岩波書店) ( 1 8) 神島二郎 『日本人の発想』 (1975年・ 講談社) ( 1 9) 神島二郎 『日本人の結婚観』 (1969年・ 筑摩書房) ( 2 0) 神島二郎他共著 『日本人と法』( 編著・1978年・ ぎょうせい) ( 21 ) 神島二郎 「日本社会の特性」(『 新 ・日本人論』1980年・ 講談社所収) ( 2 2) 神島二郎 「日本文明の認識枠組」(『 比較文明 2』1986年・ 比較文明学会所収) ( 23 ) 神島二郎 『 柳田国男研究』( 編著・1973年・ 筑摩書房) ( 24) 神島二郎 『シンポジウム柳田国男』( 編著・1973年・日本放送出版協会) ( 25) 神島二郎 『 政治をみる眼』 ( 1 9 91 年・日本放送出版協会) 4頁。 ( 26) 神島二郎 「 柳田学以前」 (『 文学』voL29・1961 年・ 岩波書店所収) ( 27) 神島二郎 「 戦争と民俗」 (『日本民俗文化大系第12巻現代と民俗』1986年・ 小学館に所収) ( 2 8) この時期区分は 『 政治の世界』 (197 7 年 ・朝日新聞社)の所収論文の配列をヒントにしている。神島自身は諸論 文を、 I1958-1963、 Ⅱ1965-1968、Ⅲ1970-1973,Ⅳ1974-1976に4区分している。筆者は 『 政治の世界』の時期 区分にそってオリジナルな時期区分を作成したが、1973・74年の区分については、神島自身と筆者の認識は一致して いる。そこが神島の研究人生の大きなターニングポイントであったのではないだろうか0 1 40 国際経営論集 No. 37 2009 42 年 に東大入学。 この時期の注 目され る論文に た。そ こには君が生涯多用 した 『帰簡』概念や 「 古代研究」 ( 41 年)がある。44年 に入隊、過酷 『支配す る』 とい うや ま と言葉 の 『しらす』 が な戦争体験 を経て、引き上げ。47 年 に東大に復 早 くも表れ るo」 と(32) 「 帰簡」や 「しらす」 と 学 。 い う言葉はすでにこの ころ使 われていたのであ ②第 2期 ( 1 947 年∼1 961 年) -・ 近代 日本 を分析 る。神 島が戦争 に巻 き込まれず 、 日本 に関す る する 「 中間理論」の形成期。 その集大成が 『近 この よ うな研 究 を続 ける こ とがで きたな ら、 代 日本の精神構造』 ( 61 年) 。 『近代 日本 の精神構造』 は生まれ なかったけれ 0 ③第 3期 ( 1 962 年∼1 973 年) - 『近代 日本の精 ども、 「日本 の政治 と日本語 に固執す ること」 新 しい政治学」構 神構造』 のモデル の追試 、 「 に よる 「 新 しい理論モデル」( 3 3 ) の構築は もっ と 集の模索期。 早 く進 んでいたか もしれ ない。 ④第 4期 ( 1 97 4 年∼1 998 年) - 「 新 しい政治学」 しか し、1 943 年 に神 島は出征。東大入学翌年 (「 政治元理表 」) の形成期。 遺稿 は 「 柳 田国男 に入隊 した戦争体験は神島を悠長な 「 古代研究」 と丸山鼻男を超 えて」 ( 98年) 。 の世界に沈潜す ることを許 さなかった。学徒 出 第 1期 ( 1 9 41 年∼1 9 46年) 陣前 に入 隊 し、 「日々の戦闘の敗北 に もかかわ 「 古代研 究」 ( 1 941 年 ) は、 一高在 学 中に らず一 中略一最終的な勝利 を確信 し、ゲ リラに 『 護 国合雑誌』 に載 った ものである( 2 9 ) 0『政治の なってで も戦お うとした」( 3 4 ) 過酷な実戦体験 を 世界』では 「 私がまず現実につ くことか ら学問 経 て敗戦、そ して捕虜 とな り、戦地 フィ リピン を始めなければな らぬことに気づか されたのは、 か らの引き上げるのが この第 1期である。 今 か ら三十七年前の1 940年 の夏である」( 3 0 ) とあ 第 2期 ( 1 947 年∼1 961 年) る。 『磁場 の政治学 』 (31 ) に よる と神 島が柳 田国 1 946年帰国復員。 戦争 が終 って、 「 多 くの血 男の名前 を知 ったのは 「 一高在学 中の こと」で を流 して この敗戦である。天皇は 自決す るにち あると言 ってい るか ら、おそ らく 「 古代研究」 がいない」( 3 5 ) と信 じた神島の直感は裏切 られた。 も柳 田園男の影響下に書かれたのではないか。 <なぜ 日本は この よ うな戦争 を行 ったのか>そ もしアジア ・太平洋戦争がなかったな ら、神 して <天皇 の無倫理性 は どこか ら来 てい るの 島の学問は 「 古代研究」か らどの よ うに発展 し か >とい う分析 に神 島は心血 を注 ぎ込まざるを ていったであろ うか。興味深い ところである。 えなかった。そ うした思いが神 島を して 『近代 福 島新吾はこの論文 について次の よ うに語 っ 日本の精神構造』 を書か しめたのである。 ている- 「 その論文は当時の狂信的皇国思想 と 『近代 日本の精神構造』 を人は難解 とい う。 は無縁で、冷静 に考古学、人類学、古代学な ど しか し、 この書は本文が近代 日本の社会 と政治 の基本文献 を広 く渉猟 し、原始信仰 、儀礼、神 を分析す る 「 理論」で、その 「 実証」が註で行 観 を考察 したものだ。その中で大胆にも古事記、 われていると理解すれ ば、容易に読 めるのでは 日本書紀の神 々や天皇の行為 を原始宗教や呪術 ないだろ うか。① 「 神人合一教 ・隔絶教」の比 の例証 に した りす る。検閲にかかっていた ら不 較モデル② 「 都都感覚」モデル③ 「 桃太郎主義」 敬罪 とされていただろ う。 こんな論文を1 941 年 モデル④ 「 郷党閥-学校閥」モデル⑤ 「 行政村 ・ に堂々 と発表 させた安倍能成校長は器量があっ 自然村 ・第二のムラ」モデル⑥ 「 出世民主化」 ( 2 9) 「 古代研究」については、現在検証中である。 ( 30)前掲 『政治 の世界 』2 82頁。 ( 31)神 島二郎 『磁場 の政治学』 ( 1 9 8 2 年・ 岩波書店) 2 2 5 頁。 50頁) ( 32)福 島新書 「 神 島二郎君 の思い出」 ( 前掲 『回想神 島二郎』 所 収 ・ ( 33)前掲 『政治 の世界 』2 81 頁o ( 34)前掲 『政治 の世界 』 1 0頁。 ( 35) 神 島二郎 『近代 日本 の精神構造』 ( 1 9 6 1 年・ 岩波書店) あ とが き 神 島 二郎 研 究 ノー ト 1 41 モデル⑦ 「 家族国家観」モデル⑧ 「 若者組」モ そ うじゃな くて、合わない とちょっ とモデル を デル等々、数多の仮説が提示 されているので あ 変 えてみ る とい うことをや っているわけです。 る。 そ うい うことで、私は非常に教 え られたわけで 本書は 「 足下の現実を探 る」 とい う柳 田民俗 す。 ところが、それ じゃ他方では、現実を丹念 学の方法論に基礎付 け られ るとともに、神 島 自 にきちっ と掘 り起 こす ことをやったか とい うと、 身が 「 方法的に影響 を受 けた」 と述べてい るよ かな らず しもや ってはいないわけです。」 ( 36) うに丸山異男の 「 行動論的手法」の影響 を受 け 神 島はモデル構築 を丸 山か ら学んだ ことを率 てい る。 「 行動論的政治学」 は、哲学的 な書斎 直 に認 めてい る。『近代 日本 の精神構造』 はそ の学問か ら抜 け出 し現実の政治の分析 に立ち向 ういった意味で丸 山の影響 を受 けてい る。 しか かった学派である。 「 行動論的手法」 は 「 数量 し、神 島が こ うした方法論 に基づ く本書 を見直 化」 と同一視 されがちだが、その最大の特徴 は す必要 を感 じるよ うになるのは意外 と早 くや っ 現実分析のための 「 理論- 実証」 とい う方法 に て くる- 「 私 は、 この本 ( 『近代 日本 の精神構 ある。選挙や大衆社会分析、比較政治等の分野 造』筆者註) を書いた ときに、前提にはもちろ で幾多のモデルが作 られ、現実が分析 された。 ん政治理論 があった。 それ は私 に とっては、 丸山英男はこ うした行動論的手法 を見事 に輸入 ヨー ロッパや アメ リカか ら受 け継いだ もので、 し、 日本の政治 を分析す るための数々の 「 モデ それまでわれわれの先輩 たちが信奉 してきた既 ル」 を立ち上 げた- 「自然 と作為 」 「 無責任 の 成の政治学の理論枠組 をそのまま使 っていたの 構造 」 「 天壌無窮の皇運 」 「 理論信仰 と実感信仰」 です。既成の政治学の理論枠組 は、そのままに 「 た こつぼ とささら」 「 であることとす ること」 前提 に して、それだけでは、 日本の社会の近代 等々、その 「 モデル」は全 く前例のない もので 化 はわか らないか ら、中間に村モデル を持 って あ り、人々に新鮮 な驚 きを与 えた。そ して、丸 きて - それで解いてみせたのですが、私 とし 山はその巧みな表現力を駆使 し戦後知識人のチャ ては、それで十分 うま くいった と思 っていたの ンピョンになったのである。 しか し、 日本の政 です一 中略一私は、今まで考 えていた政治学の 治分析 に使用 した 「 モデル」 自体は、西洋の歴 理論枠組 が どうもおか しいの じゃないか と考 え 史経験か ら生まれた ものだったのである。 は じめま した。 したがって、政治学を一度解体 この-んの事情 を神 島 自身は次の よ うにま と してば らして しまって、つ くりなお してみなけ めてい る一 「 丸 山さんは、 ヨー ロッパや アメ リ れば、話にな らないよ うに思えは じめたのです。 カの学者の仕事 をよく勉強 しま して、 ヨー ロッ だか ら、政治学 をつ くりなおそ う、 とい うこと パやアメ リカの学者がモデル をつ くって、現実 で仕事 を始 めま した」( 3 7 ) - つま り 『近代 日本の を見ているとい うことを知 っている。だか ら、 精神構造』出版 の 1 0年後 、1 970 年前後 には見直 彼 らが作ったモデル を、ち ょっ とここを変 えた しを開始 し、81 年 にはこの よ うに 「 回顧」 して らうま くい くん じゃなかろ うか、 とい うよ うな いるのである。 ことで、つ くり変 えて 日本 にあてはめてみ る。 第 3期 ( 1 962年 ∼1 973 年) そ うい う作業 をやれた人なんです。海 の向こ う 『近代 日本 の精神構造』で高い評価 を受けな の学説 を誤解 した りしなが らその結論 をただ受 が ら、本人はその方法に抗いを強めは じめる時 け容れただけで、そのモデルで間に合わない と 期である。 この ころか ら各誌か ら寄稿、 コメン ころはお説教で片づ けてい こ うとい う、一種 の トをも とめ られ るよ うになったが、 -『日本人の 政治家的学者 とは違 うわけです よ。丸 山さんは 結婚観 』 ( 1 96 4年) は、神 島の近代 日本論 を平 ( 3 6 ) 神島二郎編著 『天皇制の政治構造』 ( 1 9 7 8 年・ 三一 書房 ) 2 2 9 頁 ( 3 7 ) 前掲 『 磁場の政治学』 ( 1 9 8 2 年・ 岩波書店 ・ 序 にか えて) 1 4 2 国際経営論集 No. 3 72 0 0 9 易な記述で普及 させ、神 島を戦後 日本 を代表す 西洋 と日本の 「 権力観」の違いを明 らかにす る る知識人の一人- と押 し上 げた。 ただ、 「 丸山 比較論 を超 えて、神 島は 「 人心」 と 「 政策」の の弟子」 と呼ばれ ることには最初か ら抗いを見 ダイナ ミズムをここで描いている。 「 帰郡元理」 せていた。それは単なる 「 プライ ド」な どといっ 形成 の一里塚 となる論文ではなかったか と私は たものではな く、研究の方法論 とい う学問の根 思 う。 源 にかかわ るものだ った と私 は思 う。 神 島は また、西洋 と日本 の行政の違い とい う点に焦 『近代 日本 の精神構造』 で提示 した 日本 の現実 点 をあてた論文 もこの時期 にある。例 えば 「 政 把握 を普及 させ なが らも、新 しい方法 を模索 し ) 「 行政広報 の理念 」 治広報 と行政広報 」 (39 は じめていた。 は、欧米 と日本の 「 行政広報」の質的な違いが、 ) で ( 40 それは当時盛んであった 日本人 ・日本文化 を 描かれている。す なわち欧米では 「 立法国家」 め ぐる議論 に参入 しなが ら、同時並行的に行わ から 「 行政国家」-の移行時 に、 「 同意 による れたのである。 しか し、神 島はそ うした 日本人 統治」を確保す るために 「 行政広幸勘 が誕生 し 論 ・日本文化論 に違和感 を覚 え、次第にその世 たが、 日本でのそれ は 「 慈恵的官僚制」の土壌 界か らも引いてい く。つま り、当時の 日本論 ・ で、 「 中立」 の名 の下に、上か ら教化す る側 面 日本人論の普遍的な尺度 の不在 とい う現実を見 が強い とい う。 ここでは、『近代 日本 の精神構 て、 「 普遍 的な社会科学 の理論構築」 の必要 を 造』 には見 られない比較モデルが提 出 されてい 痛感 す るよ うにな るので あ る。 そ して、 その るが、それは基本的には 「 中間理論」を超 えて 「 普遍的な社会科学の理論」 である 「 新 しい政 ) は い ない。 同様 に 「 近代 日本 人 の教育観 」 (41 治学」の模索を始めるのが この第 3期である。 「 機 構 の教育能力 の極大化」 と 「 私人の教育能 この時期 のい くつかの論文 を、 「 新 しい政治 力の極小化」 とい うモデルで近代 日本の教育を 学」 の構 築 とい う視 点 でみ てみ よ う。 神 島は 分析 している。 1 9 65年 に 『現代 日本 思想 大系 1 0権 力 の思想』 そ して、 この時期 もっ とも注 目され る論文は ( 筑摩書房) を編み、 冒頭 で 「 権力の思想 」 と 1 968 年)( 4 2 )である。 ここで 「 社会認識 の構造 」 ( ) 。 そ こで神 島は、 い う解説 文 を書 いてい る(38 は 「 現実認識 に有効なモデル」、 「 操作 され るべ 「 国民の元気」 とい う側面か ら近代 日本 の政治 きモデル は一つでな く複数でなけれ ばな らず、 を分析 し、明治以降の政治家達が 「 気」の動 き 操作的に複数のモデル によって照明す るのでな を受 けつつ、 「 統体意志」 を発揮 して上か ら統 けれ ば、事象は適切 に解析 され ない」 とい う、 治 してい くダイナ ミズムを描いてい るが、 これ 「 政治元理表」 の前提 になる考 え方 が提示 され は 「 人心」 と 「 政策 」 の とらえ方 を示 してい てい るか らである。言わば 「 政治元理表」構築 て興味深い。つま り国民の 「 人心」の動 きを受 のための土台をなす論文 と言 えよ う。 けて、為政者 は具体的な政策 を立案 してい くの 同様の意味で注 目され る論文は 「 組識 と世代」 である。 「 人心」 とい うものが 「 分 った」者 が (1 971 年)(43)、 「日本政治 の復権 」 ( 72年)(44) ・ 「 黒幕」 になってい くダイナ ミズム も面 白い。 「 保 守二党論 」 ( 72年)(45 ) 、「 理論モデルの開発」 ( 3 8) 神 島二郎 ( 3 9) 神 島二郎 ( 40) 神 島二郎 ( 41 ) 神 島二郎 ( 42) 神 島二郎 ( 43) 神 島二郎 ( 44) 神 島二郎 ( 45) 神 島二郎 「 権力の思想」 ( 1 965 年・ 筑摩書房 『現代 日本思想大系1 0権力の思想』所収) 「 政治広報 と行政広報」 ( 1 9 66年 ・ 前掲 『政治の世界』所収) 「 行政広報の理念」 ( 1 9 67 年・ 前掲 『政治の世界』所収) 「 近代 日本 における 日本人の教育観」 ( 1 967 年 ・『思想』第5 22号所収 ・ 前掲 『政治の世界』所収) 前掲 『政治の世界』所収) 「 社会認識 の構造」 ( 1 968年 ・ 小学館 『教育学全集第 8巻』 ・ 「 組織 と世代」 ( 1 971 年 ・『 組織科学』第 5巻第二号 ・ 前掲 『 政治の世界』所収) 「日本政治の復権」 ( 1 97 2 年 ・『 公 明』第11 6号 ・ 前掲 『政治の世界』所収) 「 保守二党論」 ( 1 97 2年 ・『中央公論』第1 0 25号 ・ 前掲 『 政治の世界』所収) 神 島 二郎研 究ノー ト 1 43 の重要性 に言及 してい ることに注意 を要す る。 ( 73年)( 4 6 ) である。 「 組識 と世代」ではこの時期の特徴 である 日 ヨー ロッパの政治が言葉 に重 きを置 くのに対 し 本社会 を分析す る様 々なモデルが登場す る。 そ て、 日本 の政治が言葉以外 を重視す るとい う見 馴成単一社会モデル」② 「 マジ ック ミ れは① 「 方 が反 映 され てお り、 かつ思想 と区別 して、 ラー社会モデル」③ 「 高密 度社会モデル」 ④ 「 精神構造」概念 を構築 した神 島の意図がそ こ 「 高 コ ミュニケー シ ョン社会モデル」⑤ 「 政治 にあるか らである。 「 近代化 と政治的<ま とめ>の原理」は 『文 社会の柔構造モデル」である。 「日本政治の復権」で新たに登場 したモデル 明の考現学』で提 出 した 「 近代化の 3類型」の は<磁場モデル >である。 <馴成社会モデル > 議論 を再掲す ることによって、西洋 と日本の文 馴化」 とい う概念 を使 い精微 な議 も 「 異化 」「 化の違いに注意 を うながす。そ して政治的<ま 論になってい く。 「 保守二党論」では<-- ドー とめ>の原理 を抽 出すべ く生産労働 と交信作用 マイル ド (ソフ ト)モデル >が登場す るが、 こ のダイアグラムを提示す る。それ を前提 に後に れ らは 「 政治元理表」の土台 を形成す るモデル 「 政治元理表」 となる初期 のダイアグラムが初 であった。 めて提 出 され るのである。 「日本 の近代化」では従来の 日本文化論で使 1 974年 ∼1 998年) 第 4期 ( 1 974年 を第 4期 の始期 とす る理 由は、『近代 馴成一異成社会モデル」、 「 マジ ック 用 された 「 され ミラー社会モデル」、 「 高密度社会モデル」、 「 ア る 「 政治元理表」の初期構想が、 この書所収 の ニ ミズムモデル」等 が、 「 政治元理」 の構築 に 2論文で提示 されたか らである。それが 「 精神 むけて駆使 されてい る。 化 の精神構造 』 ) が出版 され、後 に精微化 ( 47 構造の概念枠組」お よび 「日本 の近代化」であ これ以降、 「 政治元理表」構築- 向けての論 、 る。前者 においては、まだダイアグラムが提 出 文集 が次々に刊行 された。『日本人の発想 』 闘争元理」が抜 されてお らず、 「 カルマ元理 」「 『政治の世界』( 4 9 ) 、『日本人 と法』( 5 0 ) 、『 政治 をみ ( 48) けている。それが登場す るのは 『政治の世界』 ) 、『磁場 の政治学』( 5 2 ) 、『現代 日本 の政 る眼』 (51 ( 1 977年) に再録 され た改訂論文 を待 たねばな 治構造』( 5 3 ' 、『 新版政治をみる眼』 (54 )などである。 らない。 ここでは 『政治の世界』所収の 3論文 そ してその最終的到達点が雑誌 『向陵』に載 っ 「 精神構造の概念枠組」 と 「 近代化 と政治的 < た 「 政治元理表 」 (「 柳 田国男 と丸 山最男 を超 ま とめ >の原理」 ( 前著では 「 近代化 の概念枠 えて」 )( 5 5 ) だったのである。 組 」) 及 び 「日本 の近代化一馴成 単一社会 の理 論」を検討 しよ う。 4. 5つの評論集 「 精神構造の概念枠組」では 「 政治元理表」 の基盤形成 が行 われ てい る。 ここでは、 「 精神 神 島の政治評論 は前掲 『国家 目標 の発見』、 構造」 を考 えるにあたって 「 非言語 シンボル」 『常民の政治学』、『人心の政治学』、『日常性 の ( 4 6 ) 神 島二郎 「 理論モデル の開発」 ( 1 9 7 3 年 ・『思想』第5 8 8 号・ 前掲 『政治の世界』所収) ( 4 7 ) 神 島二郎編著 『近代化 の精神構造』 ( 1 9 7 4 年・ 評論社) ( 4 8 ) 前掲 『日本人の発想』 ( 1 9 7 5・ 講談社) ( 4 9 ) 前掲 『政治の世界』 ( 1 9 7 7・ 朝 日新 聞社) ( 5 0 ) 前掲 『日本人 と法』 ( 1 9 7 8・ぎょうせい) ( 51)前掲 『政治 をみ る眼』 ( 1 9 7 9・日本放送出版協会) ( 5 2 ) 前掲 『 磁場の政治学』 ( 1 9 8 2・ 岩波書店) ( 5 3 ) 神 島二郎編著 『現代 日本の政治構造』 ( 1 9 8 5・ 法律文化社) ( 5 4 ) 神 島二郎 『新版政治 をみ る眼』 ( 1 9 91 ・日本放送 出版協会) ( 5 5 ) 神 島二郎 「 柳 田国男 と丸山異男 を超 えて」 ( 1 9 9 8 年・ 一高同窓会誌 『向陵』第4 0 号) 1 4 4 国際経 営論集 No. 3 72 0 0 9 政治学』、『 転換期 日本の底流』 にま とめ られて あ り方、そ してそれ を通 じて 日本社会 の問題 いる。その共通の特徴 は新聞や雑誌掲載の社会 点を論 じた評論集 と言 えよ う。本書 を通 して 批判 ・政治批判 を通 じ、構築途上の理論体系を 神 島は、 自らが依拠す る大学 を論ず ることで 現実の政治現象 に突 き合わせ検証 してい くとい 日本社会 と対峠 した。 とい うの も、本書所収 う点である。 自身の政治理論で現実の問題 が解 の諸論文は主に 『明治大学新聞』『東大新聞』 けるのか どうか とい う重い課題 を課 しているの 『立教 』 『法学周辺』 ( 立教大学法学部学生 向 である。以下、神 島が各著書で対決 した当時の け リー フ レッ ト)『チャペルニュース』 ( 立教 日本社会が直面 していた問題点を明 らかに し、 大学)『立教 ジャーナル』等 に学生 向けに掲 神 島の孤独 な戦いをた どってみたい。 載 された ものだか らである。 ① 『国家 目標 の発見』 は 1 956年 か ら71 年までの 大学 と学問を問い直 し、それ を通 じて 日本 評論 をま とめた ものであるが、<戦後民主主 社会 を問い直す とい う問題意識 は言 うまで も 義の確立のための戦い >が基調 をな している な く60年安保 と68・9年 の大学闘争 によって と筆者 は考 える。本書は50年代か ら70年代 は 形成 された。60年安保 に対 して も、 「 68・9年 じめにかけての政治状況 に対す る様 々な視点 闘争」に対 して も、神 島は学者 として人間 と か らの警鐘 とい うべ き評論集 であるが、それ して学生 の問いか けに真剣 に向き合 った。 を象徴す るのが 「 テ ロを生む社会 ・テ ロを押 「 68・9年闘争」以後 を 「 一身 に して三生 を経 さえる社会 」 (『朝 日ジャーナル 』 1 961 年2 る」の三生 目としてい るのが、何 よ りの証で 月1 3日所収)である。嶋中事件で引き起 こさ あろ う( 5 6) 0「 68・9年闘争」は何 よ りも大学に れた社会的恐怖 に対抗 し、テ ロに対す る特別 おける研究 と教育を問い直す ものであったが、 立法を提案す るこの論文は、神 島の現実政治 神 島はそれに真筆に向かい合い、 自らの学問 との対決姿勢 を象徴 してお り特筆すべ きもの と教育 を問い直 し、 「 移動大学」 な どの大学 である。言論 に対す る暴力 を絶対に許 さない 改革にも実践的に関わっていった( 5 7 ) 。神 島は とい う神 島の姿勢は、それ こそが戦争で多大 「 68・9年闘争」 を 自らの問題 として最 も真剣 の犠牲 をは らって獲得 した戦後民主主義の重 に受け止めた知識人の一人であると私は思 う。 要 な支柱 である とい う認識 に基づ く。 『近代 ③ 『人心の政治学』は 1 972年 ∼76年 の評論 を中 日本の精神構造』で提示 された 「 出世民主主 心 にま とめ られ 、 「 新 しい政治学」 の構築 と 義」な ど、近代 日本の社会形成の病理 を解 明 い う問題意識 が前面に押 し出 された評論集 で す るもろもろの枠組みが ここで も使用 されて ある。そ して本書は、 日本政治の分析の柱 と い る。 自らの構築 した理論 を武器 として戦お なる 「 帰響元理」 ( この段階では 「 帰響原理」 ) うとす る神 島の意思が示 されている。 を駆使 した評論集 である。分析の主たるター ② 『常民の政治学』 には、『国家 目標 の発 見』 ゲ ッ トになったのは、 田中角栄の政治手法で とほぼ同時期の 1 953年 ∼72年の評論が収 め ら あった。角栄政治の分析 の例 として 、 「 『人 れている。 まず 冒頭 で 「 常民」の定義が提示 心一新』 とい う名 の金権政治延命策 」 (『朝 され るが、全体 としては大学 における学問の 日ジャーナル 』 1 976年 8月 25日号所収) を見 ( 5 6) 「 福沢諭 吉は 『一身 に して二生 を経 る』 といったが、 も しそれ にな らえば、私は一身 に して三生 を経 た よ うに思 うO第一の変わ り目は 日本 の敗戦である。信 じて戦 った対英米戦 に敗れ、敗戦後戦争 にまつわる人間的腐敗 をつぶ さ に知 らされて、軍事的な敗北だけでな く精神的な敗北 を実感 し、新 しい運命 を切 り開かなけれ ばな らなかったか らで ある。 第二 にあげなけれ ばな らぬのは、6 8・9年の大学闘争 であ る。私 はそのなかで もまれ 、学生 につ る しあげ られ なが らある種の回心 を経験 した。人は これ を大学紛争 とよぶが、私 は この経験 によって学生たち とおな じくこれ を大 学闘争 とよぶ ことに してい る。」 ( 前掲 『日常性 の政治学』279貢) ( 5 7) 神 島二郎 「 移動大学 について」 ( 前掲 『常民の政治学』303頁)参照。 45 神 島二郎研 究ノー ト 1 てみ よ う。 ここでは、 田中首相退 陣後の 自民 頭論文 の 「日本 的共 同社会 の政治原理」 ( 初 党内の 「 三木 お ろ し」 の策謀 を取 り上 げ 、 出は 『伝統 と現代 』1 977年 ・1月号)では、 「 議会政治」の本来の姿、政治の道義的責任 、 「 帰簡原 理」 の分析 可能性 が全 面的 に展 開 さ 「 金権 政治」批判 な ど行 ってい る。 自民党 内 れ、「 天皇政治」や 「田中角栄 の政治 」 が こ で言 うところの 「 人 心」 は、 「 新 しい政治 理 の視点 で分析 され るのである。 さらにこの時 論」 にお ける分析概念 としての 「 人心」 とは 期すでに構築 されていた 6つの 「 政治原理」- 異 な る として、次の よ うに結ぶ- 「 人心の流 「 支配」 「自治」 「 同化」 「 カルマ」 「 闘争」 「 帰 れ はいまや括弧 つ きの 『人心』 (自民党 の党 簡 」- の現実政7 台を分析す る枠組み としての 内人心 ・著者註) を押 し退 けてせ きあえぬ大 可能性 が様 々に示唆 され てい るのである。 河 をな しつつ ある。私 は正念場 を迎 えた 自民 ⑤1 980年代 はま さに激動 の時代 であった。『転 党 に禅家の言葉 を贈 って この稿 の結び とした 980年 か ら1 990 年 の評 換期 日本 の底流』 には 1 」い。『 我 に大力量あ り、風吹かば即ち倒 る』 論 が収 め られ たが、 この激動 の時代 の底流 に と。 つ ま り、神 島 の言 う 「 人 心」 は 自民 党 何 があ り、 ど う激流 に対応す るか とい う処方 「 党 内」 の 「 人心」 ではな く、政治 の浄化 を 葦 を示 したのが本書である。 ソ連 にお けるゴ もとめる国民の間に醸成 された 「 人心」なの ルバチ ョフの改革 と米 ソ緊張緩和 で終 った8 0 である。本書では こ うした 「 人心」概念が駆 年代 は、東西 ドイ ツの統一、 ソ連 の崩壊、湾 使 され て現 実政治 が分析 され る。 「 新 しい政 岸戦争 の勃発 とい う90年代 の大変動 が胎動す 治理論」による分析の初期実践版 と言 えよ う。 るま さに激動 の時代 であった。 日本 において 972年 か ら81 年 にか け ④ 『日常性 の政治学』 は 1 は竹 下政権下の消費税導入 とリクルー ト疑惑 ての評論をま とめたものである。軍備増強論 ・ 993 年 の 自民 で 自民党政治が大 き く揺 らぎ、1 ソ連 脅威 論 の台頭 に代 表 され る 日本社 会 の 党政権崩壊 ・細川 内閣誕生- と繋がってい く。 「 右傾 化 」 に対 して、神 島は註 の (5)に引用 9 89 年 には、戦前は 「 大元帥」 として、 そ して 1 した よ うに、敢然 と立 ち向か ったが、本書 は 戦後 は 「 象徴」 として昭和 の歴史 を形成 した その闘いの記録 ともい うべ き意義 を持っ。神 昭和天皇が逝去 した。 島は 自らの政治学 に基づ き 「 非武装主義 こそ 神 島はそ うした状況 の中で、 自ら開発 した が現実的である」 とい う認識 の普及 に全力 を 政治理論 で現状 を分析 しその動 向を示 しなが 尽 くした。 それ は主に本書の後半部 「 Ⅳ政治 ら、 日本や 国際社会の進路 についての処方等 の流れ のなかで」 に収録 されてい る。 そ こで を提 出す る。 そ こでは国内的には 「 単身者主 は、戦後の国際紛争が生 じる三つの条件 が提 義」 「 会社 主義 」 をあ らた め るこ と、国際的 示 され 、その条件 に照 らして 日本 が他 国か ら には 「 憲法第 9条」に基づ く武力 によ らない 侵略 され る危険性 が皆無 であることが主張 さ 国際政治の秩序形成 とい う従来か らの主張が れ 、そ うした客観 的条件 下にある 日本 の進 路 繰 り返 された。 が提示 され てい る。 現在 の 日本及び国際政治 の現状 を翻 って見 日本 国憲法第 9条 の現実性 についての神 島 れ ば、神 島の問題提起 と処方等 はます ます有 の立論 は現在 において も有効 である と私 は思 効 であるよ うに思 われ る。 非正規社員増大及 う。我 々は神 島の立論 を繰 り返 し検証す るな び不景気 を理 由に した <派遣切 り社会 >の状 かで、政治学の立場か ら憲法 9条の現実性 ・ 態 はま さに神 島の言 う 「 単身者 主義」 「 会社 有効性 を弁証 していかなけれ ばな らない と思 主義」の極 限形態 であ り、イ ラク戦争 の失敗 う。 以降、国際政治秩序 は非武力的方法で形成 し 本書では、そ うした議論 とともに 「 新 しい ていかなけれ ばな らない とい うことが、現実 政治学」の構築過程 もみ るこ とがで きる。巻 に よって一層 明 白になったか らである。神 島 1 4 6 国際経営論集 No . 3 72 0 0 9 の立論は現在で こそます ます意義 を持つ と言 えよ う。 <派遣切 り社会 >について、若干説 明 して さて、 「 原理 的に深化 させ るために本年 は、 本来の仕事 に立ちかえって、 日本の経験 を中心 に した政治学理論 の再構築 と現代 日本の精神構 お こ う。近代 日本 においては、労働者や国民 造の究明に私は全力を傾注する所存であ ります。 」 はそもそも企業や国家の 「 消耗品」であった。 ( 註 5) とい う言葉通 り、神 島は 1 980年以降政 神 島の分析 を一言で言 えばそ うい うことにな 治理論 の構築に入 る。 1 985年か ら自宅で限 られ る。戦争はその 「 消耗 品」を使 い捨てに した た弟子たちを集 めて始 め られた研究会 ( 「日本 が、戦後 「 会社」が 「 国家」の肩代わ りを し 研究の会」か ら 「 比較 日本研究会」-)はそ う て一時期国民の生活 を支 えた。そ こで生まれ した神 島の研究活動の一環であった。 たのが 「 会社主義」である。 この 「 会社主義」 90 年代の政治評論の中で単行本にはならなかっ は 「日本株式会社」 と諸外国に榔捻 され るほ たが、忘れてはな らない もの として、① 「 イラ ど力 を発揮 し、高度成長 を可能 に したが、や ク問題 と日本 」 (59) ② 「 転換期 を読む 」 (60) ③ 「 社 がて 「 会社」は戦前の国家 と同 じよ うに労働 会 党 は幻 だ った 」 (61) ④ 「日本政府 は幻 だ った 者を 「 消耗品」 と考えるよ うになっていった。 」( 6 2 )をあげてお こ う。いずれ も90年代 に 日本の こ うして進行 した 「 労働者 -消耗 品」視の極 かかえた重要な問題一湾岸戦争 と日本の国際貢 限状況が 「 派遣労働」である。立派になるの 献、社会党の消滅 と自民党政権の崩壊 、官僚政 は 「 会社」の建物ばか りであった。そ して、 治の弊害な ど一 に対 して 自ら形成 しつつあった こ うした 「 会社主義」 を支 えていたのが、明 政治理論で現実を分析 した ものであった。 治以来の国民 自身の 「 単身者主義」的な生 き 方- つ ま り生活 と人生の拠 り所 (「 家庭」や 「 地域 コ ミュニテ ィ」) をもたず に、 「 会社」 5. むすびにかえて-1 973年 ・福田歓との対話 の提供す るさま ざまな商品 ( 衣 ・食 ・住 《ウ サギ小屋だが》 ・娯楽な ど)を購入 させ られ、 神 島は 1 970年代 に、 「 政治元理表」 の構築- それ による一時の快楽 を享受 させ られ る生 き 向けての作業 を本格的に開始す るが、その出発 方- であった。 この 「 会社主義」 と 「 単身者 点で、西洋政治思想史の泰斗福 田歓- と対話 し 主義」 を克服 しなければ、いかに経済体制 を てい る。二人で編んだ 1 973年の NHK大学講座 改革 した ところで、根本的な解決 にな らない のテキス ト( 6 3 ) で行われた福 田との対話 を紹介 し と私は思 う。そ して、 この克服 は 日本 の国際 本小論 を閉 じたい と思 う。 貢献の方 向性 とも関わる。 つま り、 「 会社 主 このテキス トでは、神 島は福 田の展開す る西 義」 と 「 単身者主義」は戦争-の道 と親和す 洋史お よび西洋政治思想史 と自ら研究 したイ ン るか らである( 5 8 ) 。 ド ・中国 ・日本 の研 究 をつ きあわせ 、 「 新 しい ( 5 8 )赤木智弘の 「 『丸山最男』 をひっぱたきたい-3 1 歳 フ リー ター。希望は、戦争。」 ( 『 論座 』2 0 0 7 年 1月号)では、 格差社会 を リセ ッ トすべ く戦争 とい う手段があげ られてい る。赤木 には歴史や社会 と戦 うための 「 家族や地域 の連帯」 とい う発想 がみ られ ない。 「 単身者 主義」的な生 き方 は戦争 に親和す る。戦争 が悲劇 しか生まない ことは、過去の 日 本人の 自ら歩んだ歴 史が明 白に物語 っているのだが-・ O ( 5 9 ) 神 島二郎 「 イ ラク問題 と日本」 ( 東京新聞 ・ 1 9 9 0 年1 0 月 3日) ( 6 0 ) 神 島二郎 「 転換期 を読む」 ( 1 9 9 4 年・ 東京新聞に 6回連載) ( 61 ) 神 島二郎 「 社会党は幻だった」 ( 1 9 9 6 年・ 東京新聞に 3回連載) ( 6 2 ) 神 島二郎 「日本政府 は幻だった」 ( 1 9 9 6 年・ 東京新聞に 7回連載) ( 6 3 )この神 島二郎 と福 田歓 - を講師 とす るNHK大学講座 には以下の二冊のテ キス トが準備 され たa『政治学 1-政 治文化 の類型 と問題 』 ( 1 9 7 3 年 4月 1日・日本放送 出版協会) と 『政治学 2- 政治文化 の類型 と問題 』 ( 1 9 7 3 年 7月 1 日・日本放送出版協会)であるC 4 7 神 島二郎研 究ノー ト 1 政治学」構築の準備作業一政治文化の類型化- ころどこにでも成立 しているわけだけれ ども、 を行 っている。 それ を可能 に してい る秩序 は、いつ も闘争の 福 田との対話 を通 じ、神 島は ヨー ロッパの政 契機 を処理 して成 り立っているわけで、 もち 治史か ら 「 支配元理 」 「 闘争元理」 を、アメ リ ろんいろいろな政治文化 によってそれぞれの カの現実か ら 「自治元理」、イ ン ドの現実 か ら 方式はあるに して も、そ こに支配関係 が成 り 「 カルマ元理」、 中国の現実か ら 「 同化元理」、 立っている。つま り人間の人間による搾取 も 日本の現実か ら 「 帰簡元理」 を導 き出そ うとし あれば、人間の人間に対す る支配 もあって、 ている ( この段階で抽 出 したのは この 6元理 で 逆説的にもそれが共存 を保障 していることは 互換 」 「 法」 「 知 己」が加 わ あった。 「 エ ロス」 「 否定できない ところです。それはいつだって るのは1 998年 の遺稿 「 柳 田国男 と丸 山異男 を超 共存の裏 にひそむいわばネガの面だ といって えて」である) 0 よいで しょう。」 ( 下線筆者 6 4 ) 「 支配元理」に基づ く政治学に対峠す ること ここでは神 島が人間の共存関係志向の強 さと になった福 田との対話 は、随所 に緊張感 を感 じ 共存の意味付 けの複数性 を示唆 しているのに対 させ るもの となった。テキス ト冒頭 には 「 政治 して、福 田はあ くまで もその背後にある支配関 のイメージ」についての議論が行われている。 係 を示唆 しているよ うに思われ る。 神 島が 「 政治のイメージ」を 「 支配元理」か ら 丸山量男は 『政治の世界』で次のよ うに言 っ 脱却 させ よ うとしてい るのに対 して、福 田はあ ている一 「 ただ紛争が純粋 な理性的討議か ら暴 くまで も 「 支配元理」に基づ き議論 しよ うとし 力的対立の方 向に近づ くに従 って、政治的な臭 てお り、緊張感 が手 張っている。 がす るのは何故か とい うと紛争の政治的解決が -神 島 なによ り相手に対す るなん らかの制裁力 を背景 その間題 をこの次に問題 に しておかな けれ ばな らないね。それは どうだろ う。や は として、その行使 または威嚇 によってな され る り共存関係 が成 り立つ とい うこと、そ して共 解決であるか らです。制裁力 とは相手の所有す 存関係 を成 り立たせ るとい うことは、結局、 るなん らかの価値 を相手の抵抗 を排 して剥奪す われわれの行動 を意味あるものにす ること、 る力です。一 中略- ですか ら権力現象 は物理的 それぞれの行動 に意味を付与す ることによっ 暴力 を行使 しうる人間ない し人間集団だけに特 て成 り立っわけです よ。その場合 に、共存 関 有のものではないわけです。ただ物理的暴力は 係が成立す るとい うことは、われわれが行 な こ うした制裁力の最 も極端 な場合 ですか ら、墜 治的紛争 は他 の解決手段がすべて効 を奏 さない う行動 に意味を付与 し、その意味をなん らか の形で共有 してい くとい うことと絡まるので はないかね。 場合には、究極 には暴力の行使 に立ち至 ります。 その意味で暴力 とい う物理的強制手段 を最後の この問題 を考 える うえでは、前提 とし 切札 ( u l t 血ar a t i o) として持たない集団は、そ て、人間の間で実現 している共存は、それ 自 れだけ社会的価値の争奪をめ ぐる政治的紛争に 体非常な逆説 を含んでいることに気 をつ けな お いて後れ を とるこ とにな ります 。」 ( 下線筆 ければいけない と思いますね。つま り、ただ %6 5 ) -福 田 平和 に、お互いに仲 よく暮 らしているとい う 「 政治的紛争 は他の解決手段がすべて効 を奏 ものではないので、その反面にはいつ も闘争 さない場合 には、究極 には暴力の行使 に立ち至 の契機 があるのだ とい うことですね。複数 の ります。」 とい う丸 山の政治のイ メー ジ ( 最後 人間の共存 は、ち ょっ とみ ると秩序のある と の切札 u l t 血ar a t i o-物理的強制手段 とい う政 ( 6 4 ) 前掲 『政治学 1- 政治文化 の類型 と問題 』l l -1 2頁。 ( 65) 丸 山長男 『政治 の世界』 ( 1 952 年・ 御茶 ノ水書房 ・ 引用 は岩波書店刊 『丸 L L J 最男集』第 5巻 ・ 1 3 8 頁) 1 4 8 国際経営論集 No. 3 7 2009 治イメージ) を福 田も共有 していたのではない こ うした神 島 と福 田の問題提起を、それ に続 だろ うか。そ して、それ こそが神 島の越 えよ う く政治学者 は果た して受 け止 めてきたであろ う としていた政治のイ メージであったのである。 か。 最後にこのテキス トか ら福 田歓- と共 に した ためた 「 開講の ことば」 を引用 してお きたい。 - 「 政治学は古 くして新 しい学問である。今 日 われわれが大学で講 じ学生が学んできた政治学 は、欧米の政治学の流れ を くむ もので、 これ は ギ リシャのプラ トン、ア リス トテ レス以来の伝 統 をもつ ものであるが、それ も、行動科学、サ イバネティックス、コンピューターの開発以来、 いち じる しく変わってきた。 ところが、それ ば か りではな く、世界政治のなかに第三世界が登 場 し、西欧世界にも若い世代が政治のファクター として登場 し、従来の権力観 では処理 しがたい 問題が政治の槍舞台をおか しつつある。 こ うし た状況のなかで、西欧のそれ とは異質な政治文 化の存在 が、西欧のそれ と肩 を並べて政治学的 考察 を、い うなれば、強要 しつつ ある。われわ れ政治学徒 は、 もはや西欧政治文化の伝統の枠 に止 まることな く、それ を超 えて政治学的考察 をすす め、政治学の新 しい展望を開かなければ な らない ところに立た されている。われわれは、 日本政治の考察 と達成 とを基軸 に、ひ ろく比較 考察 を試み、それによって政治学の今 日的課題 に取 り組むべ く、鋭意努力 してきた。 とい うの は、 日本政治についてな ら、もし努力す るな ら、 現実のデータをもって検証 しやすいか らである。 しか しなが ら、われわれの望みは遠 く、われわ れの歩みは遅々 として、いまだ腰だめの恨み を まぬがれない。そのよ うな事情 にかんがみ、今 回、政治学の講義 を放送す るにあたって、対談 形式によ り、問題 の掘 り下げに便 し、それ をテ キス トに し、われわれ二人で分担 して講義 をす ることに した。 もしこの講義が、い ささかな り と現代政治-の開眼に役立っ ことができれば、 幸いである。 神 島二郎 福 田歓 -」 `66) ( 66)前掲 『政治学 1-政治文化 の類型 と問題』及び 『政治学 2- 政治文化の類型 と問題 』「 開講の ことば」 神 島二郎研 究ノート 1 49