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第 1 回 メルロ=ポンティと現象学
2016/2/6(土) GACCOH 教養講座 やっぱり知りたい! メルロ=ポンティ 第1回 メルロ=ポンティと現象学 ナビゲーター:佐野泰之 メルロ=ポンティの経歴とメルロ=ポンティ研究の現在 資料の冒頭にある年表をご覧ください。メルロ=ポンティの生涯を、哲学者としての経 歴と主要テクストの情報を中心にまとめてあります。まずはこの年表を見ながら、メルロ =ポンティはどのような哲学者だったのか、そして彼の思想がのちの人々にどのような影 響を与えたのか、といった事柄について簡単にお話ししておきたいと思います。 メルロ=ポンティは 1908 年にフランス南西部のロシュフォール・シュル・メールで生ま れました。父親は彼が六歳になるかならないかの時期に他界し、以後は母親と兄と妹とと もに非常に親密な雰囲気の家庭で育ったと言われています。成長した彼は、フランスの超 エリート養成校である高等師範学校に進学し、そこでサルトル、ボーヴォワール、レヴィ =ストロースといったのちの思想界のスターたちと出会います。特にサルトルは「実存主 義」運動の盟友として、また批判的検討対象として、メルロ=ポンティの思索に生涯大き な影響を与え続けることになりました。その後、第二次世界大戦での兵役やレジスタンス 活動を経て、1942 年に処女作『行動の構造』を、1945 年に主著『知覚の現象学』を出版し ます。『行動の構造』は当時の生理学や心理学の諸学説を批判的に検討する著作で、その 内容こそ哲学的関心に方向づけられてはいますが、哲学者の処女作としてはやや異色とい う印象を与えるかもしれません。メルロ=ポンティは哲学者を自認しながらも、生理学や 心理学、さらにのちには言語学、社会学、生物学などといった他の学問分野と終生果敢に 対話を試み続けた思想家でもありました。メルロ=ポンティの思想は、こうした種々の学 問分野との関係を考慮せずには理解できないと言っても過言ではありません。この点につ いてはこの講座の第二回でより詳しくお話しする機会があるかと思います。 さて、『行動の構造』が脱稿されたのは刊行の数年前の 1938 年だったのですが、その翌 年の 1939 年に、メルロ=ポンティは彼の思想形成にとって極めて重要な経験をします。ベ ルギーのルーヴァンにあるフッサール文庫を訪問し、現象学の創始者エトムント・フッサ ールの遺稿を閲読したのです。1930 年代のフランスでは、エマニュエル・レヴィナスとジ ョルジュ・ギュルヴィッチによる現象学紹介の著作1や、フッサールの講演『デカルト的省 察』の仏訳の刊行、ドイツからパリに移住してきた現象学者アロン・ギュルヴィッチ―― メルロ=ポンティは 1933 年に彼と出会い、彼が書いたフランス語論文の添削を引き受けて 1 Emmanuel Levinas, Théorie de l’intuition dans la phénoménologie de Husserl, J. Vrin, 2001[1930].〔佐藤真理人 /桑野耕三訳『フッサール現象学の直観理論』法政大学出版局、1991 年〕、Georges Gurvitch, Les tendences actuelles de la philosophie allemande: E. Husserl, M. Scheler, E. Lask, N. Hartmann, M. Heidegger, J. Vrin, 1930. 1 2016/2/6(土) GACCOH 教養講座 やっぱり知りたい! メルロ=ポンティ います2――の活動などによって、本格的な現象学研究が始まりつつありました。こうした 動向の中で、サルトルが現象学を学ぶためにドイツに留学し、メルロ=ポンティもまたフ ッサールへの関心を徐々に高めていきます。フッサールが 1938 年にこの世を去ると、彼が 遺した四万頁以上にも及ぶ速記原稿はナチスによる焚書の危険を逃れるためにルーヴァン 大学へと移送されたのですが、そのことを知ったメルロ=ポンティはルーヴァンをいち早 く訪問し、ここにメルロ=ポンティと現象学の本格的な出会いが成し遂げられたというわ けです。このときに得た文庫の管理者との縁から、のちに彼は一部の遺稿を戦時下のパリ で保管するという任務を引き受けてもいます。1945 年の『知覚の現象学』は、分量から言 っても内容から言ってもメルロ=ポンティの主著にして最重要著作と呼べる本ですが、お そらくは 1939 年のこうした出会いの影響もあって、1938 年に脱稿した『行動の構造』と比 べてその問題設定や叙述スタイルは大きく様変わりしています。 とはいえ、二つの著作の間に連続性がないというわけではもちろんありません。『行動 の構造』から『知覚の現象学』を経て晩年に至るまでメルロ=ポンティを導いていた哲学 的関心は、ざっくり言えば、人間を単なる物に還元してしまう科学的思考と、純粋な意識 、、、 に還元してしまう当時の主流的な哲学的反省に抗して、物であると同時に意識であるとい う人間の「両義的」かつ具体的な存在様式をそのありのままの姿で捉える、というもので 、、 した。そのために彼が注目したのが、著作のタイトルにあるように、行動と、行動の担い 、、 手としての身体、そして身体と世界とがじかに接触する経験としての知覚だったというわ けです。『行動の構造』は、当時の生理学や心理学がこれらの事象を十分に捉えきれてい ないことを示すことで、行動、身体、知覚を記述するためのいわばオルタナティブの必要 性を説くものでした。しかし、『行動の構造』では既存学説の批判に多くの紙数が割かれ た一方で、オルタナティブに関しては、最後に「知覚的意識」の分析の必要性が示唆され た程度で十分に提示されたとは言えませんでした。ここにメルロ=ポンティが現象学に接 近した主要な動機の一つが見て取れます。つまり、現象学はまさしく、『行動の構造』の 中で彼が要求していた、行動、身体、知覚を記述するための新たな理論だったと考えられ るということです。現象学がいかなる意味でこの新たな理論の役割を果たしえたのか、と いう問いを検討することがこの第一回講座の主な目的になります。 ここからは略歴を追うだけにしておきましょう。『知覚の現象学』の刊行後、メルロ= ポンティはリヨン大学講師、同大学教授、パリ大学教授、コレージュ・ド・フランス教授 の職を歴任します。コレージュ・ド・フランスの教授というのはフランスのアカデミック 2 澤田哲生『メルロ=ポンティと病理の現象学』(人文書院、2012 年、40-47 頁)。澤田氏はここで、メル ロ=ポンティの初期の生理学・心理学に関する知識がアロン・ギュルヴィッチに由来しているという興味 深い指摘もしています。 2 2016/2/6(土) GACCOH 教養講座 やっぱり知りたい! メルロ=ポンティ キャリアの一つの頂点であり、メルロ=ポンティがその職に就いたのは若干 44 歳のときで した。フランスの大学人なら誰もが羨む華々しい成功への階段をほぼ一直線に駆け上がっ たわけです。しかし、彼の人生はあまりにも突然終わりを迎えました。1961 年、53 歳とい う哲学者としてはまだまだこれからという時期に、メルロ=ポンティは自宅で冠状動脈血 栓症の発作を起こしてこの世を去ったのです。彼の死後、フランスの知識人たちが寄せた 数々の追悼文を見ると、当人すら予期していなかったであろう突然の死が周囲の人間にい かに大きな衝撃を与えたかを窺い知ることができます。死の直前まで彼が執筆していた未 完の著作は、弟子のクロード・ルフォールによって『見えるものと見えないもの』として まとめられ、1964 年に刊行されました。さらに、1951 年頃に彼が執筆しかけて途中で放棄 した言語についての草稿が、同じくルフォールの手によって 1969 年に『世界の散文』とし て刊行されました。年表にも記載したこのあたりのテクストまでが、一般に「メルロ=ポ ンティの著作」と言うときに念頭に置かれているものだと思います。 メルロ=ポンティの死後、サルトルの『弁証法的理性批判』(1960 年)へのレヴィ=ス トロースによる批判などの出来事を契機に、思想的流行としての実存主義は退潮し、代わ りに構造主義と呼ばれる思潮が一世を風靡することになります。しかし、70 年代頃には構 造主義も衰退し、代わりにポスト構造主義が、さらに今日では一部で「ポストポスト構造 主義」が語られるに至っています。こうしためまぐるしいモードの変化の中で、メルロ= ポンティの思想はどのように扱われてきたのでしょう。それは、無視、あるいは敬意をも った突き放しとでも呼んでいいと思います。のちの思想界を牽引したフーコー、ドゥルー ズ、デリダといった面々の思索の中には、さまざまな点でメルロ=ポンティの影を見て取 ることができますが、彼らがメルロ=ポンティを正面から論じたり、彼の仕事を表立って 引き継ぐことはほとんどありませんでした3。しかし、たとえメルロ=ポンティの仕事がの ちの世代の仕事の中で表立っては顧みられなくなり、ときに批判の槍玉にすら挙げられる 、、、、、、、 ようになったとしても、それでメルロ=ポンティの思想が乗り越えられただとか無用の長 物と化したなどと判断するのは早計でしょう。これは私見ですが――と言いつつ、極めて メルロ=ポンティ的な思想史観だとも思うのですが――こと思想に関して言えば、多くの 人々を触発した思想が、のちの思想によって決定的に乗り越えられてしまうなどというこ 3 三者のうち、フーコーへのメルロ=ポンティの「影響」については、ベルンハルト・ヴァルデンフェル ス「メルロ=ポンティにおける表現のパラドクス」(モーリス・メルロ=ポンティ『フッサール『幾何学 の起源』講義』加賀野井秀一/伊藤泰雄/本郷均訳、法政大学出版局、2005 年、447-469 頁)や廣瀬浩司 『後期フーコー 権力から主体へ』(青土社、2011 年)などで指摘されてます。また、デリダは『触覚 ジ ャン=リュック・ナンシーに触れる』(松葉祥一/榊原達也/加國尚志訳、青土社、2006 年)の中でメル ロ=ポンティを批判的に取り上げていますが、その読解はテクストを緻密に読み込むデリダらしからぬお ざなりなものです。それゆえ、同書の議論だけに依拠してデリダとメルロ=ポンティの距離を見積もるの は危険でしょう。 3 2016/2/6(土) GACCOH 教養講座 やっぱり知りたい! メルロ=ポンティ とはまずありえません。新しい世代の哲学者は、先行世代を批判しながら思想形成してい くのが世の常ですが、そのような「父殺し」とでも呼べる身振りの中で、暗黙裡に、ある いは否応なしに受け継がれてしまうものがあったとき、それこそがその思想の最も深い成 果だと言えるのだと思います。 他方、メルロ=ポンティの思想は、いわゆる「フランス現代思想」の展開とは別のとこ ろで思わぬ反響を呼びもしました。例えば人工知能研究の分野では、古典的な計算主義的 アプローチへの批判を通して、ハイデガーやメルロ=ポンティのように身体性や状況性か ら人間を理解しようとする現象学者の議論が注目を集めるようになりました4。また言語学 の分野では、60 年代後半にチョムスキーの生成文法から生成意味論と呼ばれるグループが 派生し、そこから認知言語学と呼ばれる現代言語学の大きな潮流の一つが生まれてきたの ですが、この運動の主導者の一人であるジョージ・レイコフは、哲学者マーク・ジョンソ ンとの共著の中で自分たちの思想的バックボーンとしてメルロ=ポンティとジョン・デュ ーイの名前を挙げています5。さらに脳科学の分野では、1996 年に「ミラーニューロン」と 呼ばれる特殊な神経細胞が発見され、これが人間の他者理解に何らかの役割を果たしてい るのではないかと話題になったのですが、このニューロンを発見したイタリアの研究グル ープの一人がメルロ=ポンティの他者論を手がかりにこのニューロンの機能について考察 したというちょっとしたエピソードがあります6。加えて、現代ではケアの現象学という臨 床研究と境を接する分野がありますが、そこでもメルロ=ポンティは重要な参照項の一つ になっています7。ついでに言及しておけば、昨年の 9 月から 12 月にかけて、東京国立近代 美術館で「てぶくろ|ろくぶて」展というメルロ=ポンティをテーマにした展覧会が開催 されていたのをご存じでしょうか。メルロ=ポンティは芸術についても論じているのです が、彼の芸術論はアーティストたちにも一定のインスピレーションを与えたようです。メ ルロ=ポンティと芸術の関係については第三回でお話しする機会があるでしょう。 ところで、このようなメルロ=ポンティ思想の「浸透と拡散」とでも呼びうる流れの背 後で、80 年代末頃からメルロ=ポンティ研究の状況は徐々に変わりつつあります。生前に 彼が行なった講義の準備ノートや記録が相次いで出版され始めたのです。1988 年にはパリ 4 ヒューバート・L・ドレイファス『コンピュータには何ができないか』(黒崎政男/村若修訳、産業図書、 1992 年)、テリー・ウィノグラード/フェルナンド・フローレンス『コンピュータと認知を理解する 人 工知能の限界と新しい設計理念』(平賀譲訳、産業図書、1989 年) 5 George Lakoff and Mark Johnson, Philosophy in the Flesh: The Embodied Mind and Its Challenge to Western Thought, Basic Books, 1998. 同書のタイトルにある flesh という語は、メルロ=ポンティの後期思想の重要概 念である「肉〔chair〕」を念頭に置いたものです。 6 マルコ・イアコボーニ『ミラーニューロンの発見 「物まね細胞」が明かす驚きの脳科学』(塩原通緒 訳、ハヤカワノンフィクション文庫、2011 年、29-31 頁) 7 例えば、西村ユミ『語りかける身体 看護ケアの現象学』(ゆみる出版、2001 年)。また、大阪大学の 村上靖彦氏もこうした分野で精力的に活動されている研究者の一人です。 4 2016/2/6(土) GACCOH 教養講座 やっぱり知りたい! メルロ=ポンティ 大学で行なわれた児童心理学についての講義録8が、1995 年には晩年にコレージュ・ド・フ ランスで行なわれた自然についての講義ノート9が、1996 年には哲学と存在論に関する最晩 年の講義ノート10が、1998 年にはフッサールに関する同じく最晩年の講義ノート11が出版さ れました。これによって、これまでフランス国立図書館で読みにくい直筆ノートの形でし か見ることのできなかったメルロ=ポンティの思索の記録が多くの研究者にアクセスでき るものになりました。2000 年代に入ってからも草稿出版の流れは続き、2003 年にはコレー ジュ・ド・フランスにおける制度化と受動性についての講義ノート12が、2011 年と 2013 年 にはコレージュ・ド・フランスで初年度に行なわれた二つの講義の準備ノート13が出版され ています。最後の二つのテクストの編纂者の一人であるエマニュエル・ド・サントベール はメルロ=ポンティの未公刊草稿の調査に基づく精緻な文献学的研究を行なっており、彼 の諸著作は今日のメルロ=ポンティ研究者にとって必読の二次文献となっています。 これらの草稿が興味深いのは、単に新しい資料だからとか、メルロ=ポンティの思索の 舞台裏が覗けるからというだけではなく、メルロ=ポンティが公刊著作の中で扱うことの なかった――少なくとも、まとまった形では扱うことのなかった――さまざまな概念やテ ーマ(文学、制度化、自然など)に関する議論がそこに含まれるからです。それらのテー マを主題的に扱う優れた研究14もすでに発表されており、公刊著作とそこで表立って論じら れているテーマに依拠した従来のメルロ=ポンティ像は今後草稿研究の進展によって大き く塗り替えられていくことが予想されます。メルロ=ポンティ入門を謳うこの講座ではこ うした最新の資料の内容について詳しくお話しすることはできませんが、第三回で文学を 取り上げる際にここで挙げた講義の内容についても少しご紹介したいと思います。 前置きが長くなってしまいました。それではいよいよ、メルロ=ポンティの思想の具体 的な内実に踏み込んでいくことにいたしましょう。最初の導きの糸となる問いは「現象学 とは何か」です。 8 Merleau-Ponty à la Sorbonne: résumé de cours 1949-1952, cynara, 1988. 〔木田元・鯨岡峻訳『意識と言語の 獲得 ソルボンヌ講義Ⅰ』みすず書房、1993 年〕 9 La nature, Notes cours du Collège de France, Seuil, 1995. 10 Notes de cours 1959-1961, Gallimard, coll. «Bibliothèque Philosophie», 1996. 11 Notes de cours sur L'origine de la géométorie de Husserl, PUF, 1998. 〔加賀野井秀一/伊藤泰雄/本郷均訳 『フッサール『幾何学の起源』講義』法政大学出版局、2005 年〕 12 L'institution/La passivité: Notes de cours au Collège de Frence (1954-1955), Belin, 2003. 13 Le monde sensible et le monde de l'expression: Cours au Collège de Frence Notes, 1953, MetisPresses, 2011. Recherches sur l'usage littéraire du langage: Cours au Collège de France Notes, 1953, MetisPresses, 2013. 14 制度化というテーマについては、Koji Hirose, Problematique de l'institution dans la dernière philosophie de Maurice Merleau-Ponty, Université de Tsukuba, 2004. また自然というテーマについては、加國尚志『自然の現 象学 メルロ=ポンティと自然の哲学』(晃洋書房、2002 年) 5 2016/2/6(土) GACCOH 教養講座 やっぱり知りたい! メルロ=ポンティ 自然科学的世界観 現象学とは何かという問いを検討するにあたって、本来ならば、現象学の創始者である フッサールが現象学という方法を打ち立て、考察を深めていった道のりを、彼の著作の内 容を紹介しつつ一歩一歩皆さんと一緒に辿っていくのがアカデミックには正統な「現象学 入門」ということになるのでしょうが、今回は時間の都合上重要なトピックを一つ一つ丁 寧に検討していくことはできません。そのため、若干の飛躍や単純化を免れることはでき ませんが、以下では僕たちにも馴染み深い科学、とりわけ自然科学が依拠している世界観 との対比を通じて、メルロ=ポンティを理解するために最低限必要な現象学的世界観の特 徴を素描してみたいと思います。 たとえ専門的な科学者ではなくても、僕たちは学校教育などを通して自然科学的なもの の見方というものを小さな頃から刷り込まれ、無意識のうちにそうしたものの見方を内面 、、、 化しています。例えば、僕たちは当たり前のように、「目の前のこのテーブルは、本当は 目には見えない小さな原子からできている」と言ったり、「僕たちが見ている木の温かな 、、、 質感をもったこのテーブルは、実際は色も質感ももたない物体から反射した光が網膜を刺 激し、その刺激が脳の情報処理を経ることで僕たちの頭の中に生み出されたイメージにす ぎない」と言ったりします。このように語るとき、おそらく多くの人が頭の中に思い浮か べているであろう構図を大雑把に描いてみれば、図1のようになるでしょう。 この構図の中にはいわゆる物心二元論の基本的な考えが素描されています。僕たちが現 に見ていると思っている木の質感をもったテーブルは、実際にはテーブルそれ自体ではな く、僕たちの心の中に存在するイメージ――哲学史的に由緒ある用語で言い換えれば、「観 、、、 念(idea)」――にすぎません。そして本当のテーブルそのものに関して言えば、それは色 も質感ももたない無味乾燥な原子の塊です。生き生きとしたテーブルの観念が存在する心 の中の領域と、単なる原子の塊としてのテーブルが存在する物それ自体の領域がここでは 区別されています。 そして、先程述べた脳の情報処理云々という説明がまさしくそうであったように、自然 科学は一般に、前者の領域を後者の領域に対して二次的・派生的なものとして扱っていま 、、、 す。本当の世界とは、色も質感ももたない粒子や波動の世界のことであって、僕たちが現 に見ているさまざまな色や質感をもった物というのは、何か不可思議な作用――科学はそ れをいまだに解明できていませんが――によってそうした物理的世界から二次的に生じて きたものだと考えられるわけです。物理的実在からできている「本当の世界」と、僕たち の心の中に存在するにすぎない「かりそめの世界」――本当の世界から派生してきた二次 的な世界――とのこうした対比は、科学的世界観の根底に深く刻み込まれています。現代 でも、このような世界観を支持する哲学的立場は存在して、「自然主義(naturalism)」と 6 2016/2/6(土) GACCOH 教養講座 やっぱり知りたい! メルロ=ポンティ 呼ばれています。現代の自然主義について論評することはこの講座の目的ではないのです が、現象学というものが、これまで述べてきたような科学的世界観を批判――あとで詳し く述べますが、これは決して「否定」ではありません――することを通して練り上げられ てきたということは、まず押さえておくべきポイントです。 もちろん、科学者が皆、ここで述べたような世界観を表明していたり、自分がそのよう な世界観をもっているとはっきり認めているというわけでは必ずしもありません。科学者 にインタビューしたことはないので推測にすぎませんが、むしろこのような哲学的問題な どには関心を払うことなく自分の研究に勤しんでいる方がほとんどなのではないでしょう か。もっとも、もしそうだとしても、自然科学が基本的にこうした世界観の上に成り立っ ているという事実が否定されるわけでもありません。むしろ、それと意識されていないか らこそ、科学的世界観はかくも強固に僕たちの思考を呪縛しているのだと言ってもよいで しょう(先程挙げた物体や視覚についての「科学的」説明が、皆さんにとっていかに馴染 み深いものであったかを思い出してみてください)。 フッサールによれば、こうした科学的世界観の原型はガリレイやデカルトの時代にすで に整えられ、今日に至るまで連綿と受け継がれてきたのですが、こうした事柄を考慮に入 れてみると、伝統というものがもつ測り知れない力を感じはしないでしょうか。デカルト を直接読んだことがなくても、デカルトに影響された人々の語りを通して、僕たちは知ら ぬ間にデカルト的な発想を刷り込まれている、ということがありうるわけです。生物学者 のリチャード・ドーキンスは、個人を超えて人から人へと伝播していく思想や慣習を「遺 伝子(gene)」をもじって「ミーム(meme)」と名づけましたが、自然科学の根幹にはま さしく、はるか昔の哲学者の思考が――丸ごととは言わないまでも、その根本的な発想の 部分において――ミームとして今も残っているのだと言ってもよいかもしれません。 〈共に考える〉という思想 余談ですが、このことは「哲学する」とはそもそもどういうことかという問題を考え直 す手がかりになるように思います。僕のように昔の哲学者――といっても、僕の場合は高々 半世紀ほど前の人物にすぎませんが――の思想を研究していると、時折、「そのような研 究は〈哲学学〉であって〈哲学〉ではない」、という非難を耳にすることがあります。す でにアクチュアリティを失った哲学者の著作をねちねちと読んで何になるのか、他人の思 、、、、、 想などに頼らず、自分の頭で今日僕たちが直面しているさまざまな哲学的問題に取り組む べきではないのか、といった価値観がそうした非難の背景にはあるのでしょう。この非難 自体は決して故なきものではないのですが、他方でメルロ=ポンティは、哲学という営み をそのような二者択一の中に押し込めてしまう発想に強く反対していました。彼はとある 7 2016/2/6(土) GACCOH 教養講座 やっぱり知りたい! メルロ=ポンティ テクストの中で次のように述べています。 その企てが非常に多くの反響を引き起こした哲学者に対しては、しかも、明らかに彼が いた地点からかくも遠く離れたところにあっては、あらゆる追憶はまた裏切りでもある。 つまり、我々は我々の思想という何の役にも立たない献辞を彼に捧げ、そうすることで いわば我々の思想に何の正当性もないお墨付きを与えるか、反対に、敬して遠ざけると いった体で、彼を彼自身が欲し、語ったことのうちにあまりに厳密に押し込めてしまう かのいずれかであろう。〔…〕「客観的な」哲学史は、偉大な哲学者たちを彼らが他人 に考えさせようとしたものから切り離してしまうし、対話を装った省察においては、我々 は問いと答えを自分で作り上げているだけなのだが、それらの間に、語られている哲学 者と、彼を語っている当の人間とがともに居合わせているような中間領域が存在するは ずなのだ。もっとも、そこにおいては、そのつどの瞬間に各々に属するものを区別する ことは権利の上ですら不可能なのだが。(S 259f/2.2f)15 ここで示唆されている哲学研究のいわば「第三の道」とでも呼びうる方法は、メルロ= ポンティ自身の哲学の方法でもありました。グザヴィエ・ティリエットはその方法を次の ように描いています。 彼〔メルロ=ポンティ〕の読み方は選択的ではあったが、それにもかかわらず注意深かっ た。ある章句が心を打ったとき、彼はペンをとり、一種の自由な注釈を書きくわえ、他人 の考えに自分の考えを接木し、それに自分の刻印を捺すのであった。『知覚の現象学』の 幾多のページが整えられた註釈に似ているということ、それらのページは、一つの主題― ―最初の提起者も、おそらくは、その含蓄のすべてには気づいていなかったであろうよう な主題――によって提示されたある示唆、ある進水斜面からの自律的な展開を組織するも のだということを示すこともできよう16。 他人の考えに自分の考えを接木する、というのは言い得て妙で、メルロ=ポンティの論 15 メルロ=ポンティの著作からの引用は以下の略号を用いて示し、スラッシュの前後に原書と邦訳の頁数 を記しました。文献が複数巻に渡る場合は頁数の前に巻数も記しました。訳文は拙訳ですが、邦訳を適宜 参考にしています。 PhP: Phénoménologie de la perception, Gallimard, coll. «Tel», 1976[1945]. 〔竹内芳郎他訳『知覚の現象学』 みすず書房、1967-74 年〕 S: Signes, Gallimard, coll. «Folio essais», 2001[1960]. 〔竹内芳郎監訳『シーニュ』みすず書房、1969-70 年〕 16 グザヴィエ・ティリエット『メルロ=ポンティ あるいは人間の尺度』(篠憲二訳、大修館書店、1973 年) 8 2016/2/6(土) GACCOH 教養講座 やっぱり知りたい! メルロ=ポンティ 述は確かにそんな印象を与える面があります。彼がフッサールをはじめとするさまざまな 哲学者や心理学者や芸術家について語ったことは、それが彼の思想なのか、語られている 当の人物の思想なのか見分けがつかないことがあるのです。いや、もっと正確に言いまし ょう。その思想は語られている当の人物からすれば思いもよらなかったものであろうとい う点ではメルロ=ポンティのものなのですが、その人物が語ったことの中に潜在的には確 かに含まれていたと感じられるという点ではその人物のものでもあるのです。 もちろん、このような思考のスタイルはたまたまメルロ=ポンティが好んでいた偶然的 な手段にすぎず、哲学研究の方法として一般化できるものではない、と考えることは簡単 ですし、もし一般化できるとしても、このスタイルはどこかしら職人芸的なものに依拠し ているところがありますから、ディシプリン=教授可能なものとして規格化できるかと言 えば難しいでしょう。とはいえ、メルロ=ポンティのこうした思考実践は、「考える」と はそもそもどのような営みなのかという問題を僕たちに改めて考え直す機会を提供してく れるように思います。僕たちは大抵の場合、「自分の思考」と「他人の思考」を簡単に区 別できるかのように考えていますが、ことはそう単純でしょうか。誰かの意見に賛成して 考えるときはもちろん、反対して考えるときでさえ、僕の意見は僕が賛成したり反対して いる当の誰かの意見がなければそもそも考える必要がなかっただろうし、考えようとも思 わなかっただろうという意味では、自分とは別の誰かの思考に依存しています。このとき 、、、、、 僕は、果たして自分の頭で考えているのでしょうか。むしろ、他人の思考に促され、他人 、、、、、、、、、 の思考によって考えさせられているのではないでしょうか。 メルロ=ポンティは別のところで「人は常に、何かを、何かについて、何かにしたがっ て、何かにならって、何かに対して、何かに逆らって考える」(S 27/1.18)のだと語ってい ます。何ものにも拠らず無から生じてくる思考など存在しないというのは、彼の基本的な 信条でもありました。そして実際、僕たちの頭の中から自然に湧き上がってきたように思 える思考でさえ、はるか昔の他人の思考の残響だということがありうるのはすでに見た通 りです。思考の生産性というのは必ずしも他人を準拠点にしているかどうかで決まるもの ではなく、「他人にならった」思考が創造的でありうるし、「自分の頭で」考えた事柄が 酷く月並みなものでありうるものはないでしょうか。だとすれば、訓詁的な〈哲学学〉と 創造的な〈哲学〉の対比は、おそらくそうした対比を好んで用いる人が考えているほどに は自明なものではないのではないでしょうか。僕はこうした事柄を、明確な根拠をもった 主張というよりは単なる問いかけとして提示しているわけですが、しかしこうした問いは メルロ=ポンティを読むときに皆さんに常に念頭に置いて欲しい問いの一つです。 9 2016/2/6(土) GACCOH 教養講座 やっぱり知りたい! メルロ=ポンティ 生きられた世界への還帰 脱線はこれくらいにして、科学的世界観の検討に戻りましょう。僕たちは科学的世界観 、、、 を当たり前のように受け入れていますが、よくよく考えてみると、自然科学が本当の実在 だとみなしている粒子や波動といったものを、僕たちは直接見たり触ったりすることはで きません。そうした対象を僕たちは経験することができないか、できたとしても観測機器 などの助けを借りて間接的に経験――例えば、電流計の針が動くのを見て電流の存在を推 測するといった行為がそれに当たるでしょう――するだけです。日常的経験の中では、光 とは大抵の場合、特定の波長をもつ波のことではなく、じりじりと肌を焼く陽射しや白熱 灯のオレンジ色の輝きのことであり、水とは大抵の場合、H2O のことではなく、蛇口から 滴り落ちる透明な流れや喉を通り抜ける冷たく爽快な感覚のことではないでしょうか。 自然科学によって刷り込まれた世界観が、僕たちの直接的経験からいかにかけ離れたも のであるかを実感していただくために、図2を見てください。 これは、物理学者のエルン スト・マッハ――音速の単位の名付け元となったあのマッハです――が『感覚の分析』と いう本の中で提示した絵です。マッハは現象学者ではありませんが、この絵は科学的世界 観と現象学的世界観の違いを考える際のわかりやすい出発点になると思いますので、以下 ではこの絵を手がかりに考察を進めていきたいと思います17。 この絵は、マッハが安楽椅子に腰掛けて右目を閉じたときに見える光景をスケッチした ものです。先程見た図1が、物を観察する人をいわば外部から、三人称の視点で描いてい るのに対して、この絵は観察者を内部から、一人称の視点で描いたものだと言えます。二 つの絵を見比べてみると、僕たちが物体や視覚について科学的な説明をするときに自然と 思い浮かべていた図1のような構図が、僕たちが実際に見ている光景というよりは、僕た ちが科学的説明に沿って作り上げた想像上の光景にすぎないことに気付くでしょう。図1 のような光景の中で生きている人は現実には存在しません。僕たちに現に見えている風景 というのは、図2のように一人称的な視点(パースペクティブ)に拘束されています。 しかし、僕たちは図2のように現に見えている非常に狭い光景の中に閉じ込められてし まっているわけではありません。例えば、僕たちは自分の身体の後ろを見ることはできま せんが、自分の身体の後ろにはホワイトボードや壁があり、振り向けばそれを見ることが 、、 できるだろうと意識しています。また、僕たちは、自分が見ている物――フッサールが好 んで取り上げるサイコロを例にとってみましょう――が、現に自分に見えている面(例え ば一の面)だけでなく、自分には見えていない面(他の数字の面)をも同時にそなえてお 、、 、、、、、 り、サイコロを回転させればそれが見えるだろうと意識しています。僕たちに現に見えて 17 現象学への導きとしてマッハの絵を用いるというアイデアは、谷徹『これが現象学だ』(講談社現代新 書、2002 年)から借用しました。 10 2016/2/6(土) GACCOH 教養講座 やっぱり知りたい! メルロ=ポンティ 、、、、 いる光景は、マッハの絵がそうであるように非常に狭く、限定されたものにすぎないので すが、僕たちはそうした現に見えている光景を超えて(「超越」して)、物の見えない面 や視野に実際に含まれていないさまざまな物が、僕たちがそれを見ているか否かにかかわ らずそれ自体として(「即自的」に)存在しているはずだと信じているわけです。このよ うに、現に見えている光景を超えてその光景をはみ出すさまざまな対象と関係する意識の 構造を、現象学の用語で「志向性」と呼びます。フッサールはこの志向性という構造こそ が意識の本質であると考え、それを「意識とは何ものかについての意識である」というテ ーゼによって表現しました。現象学的な意味での「意識」とは、マッハ的な「現に見えて いる光景」プラス「そうした光景を超えてさまざまな対象と志向的に関係する働き」のこ とだと大雑把には理解していただいてよいでしょう18。 ここで「意識」と呼んでいるものはまた、例えば僕たちが「私はあの人のことを意識し ている」などと語るときの「意識」のように、特定の対象に特別な注意を向けている状態 だけを指しているわけではありません。フッサールは、僕たちは特定の瞬間に一つの対象 だけを意識しているわけではないという事実を指摘しています。例えば、先程述べたよう に、僕はこうやって喋りながら皆さんに注意を向けていると同時に、足下の木の床、背後 にあるホワイトボード、建物を取り巻く歩き慣れた京都の町並み等々を暗黙裡に――フッ サールの用語で言えば「地平」として――意識しています。さらに、僕はこうやって喋り ながら、現に話している話題だけでなく、先程まで話していた話題やこれから話そうとし ている話題も同時に意識しています。このような意識がなければ、僕は自分がどこで何を しているかわからなくなってしまうでしょう。現象学的な意味での意識とは、このような 広義において「意識」されたあらゆる対象を含む、非常に大きな広がりをもった領域のこ となのです。フッサールが意識をときに「領野」と呼ぶ所以もここにあります。 このように、僕たちは現に見えている光景を超えたさまざまな対象と志向的関係を結ん でおり、こうした関係は僕たちが明確に(「顕在的」ないし「主題的」に)意識している ものを超えて網の目のように広がっています。このネットワークの周縁部分は、顕在的な 意識を織りなす中心部分と比べてはるかに重要です。というのも、僕たちのあらゆる顕在 的な意識活動は、こうした周縁的な意識活動の領野の上で、こうした領野に支えられては じめて営まれるのですが、この領野は僕たちの日常生活の中では「当たり前」のものとな っており、ほとんど気づかれないままになっているからです。日常生活の中では、僕たち 18 ここで「現に見えている光景」と「対象と志向的に関係する働き」と呼んでいるものは、現象学の専門 用語では、それぞれ感覚的な「ヒュレー」と、志向的な「モルフェー」ないし「ノエシス」と言い換えら れます。両者はいずれも意識の中に含まれているという意味で「内在」と呼ばれます。ここでは踏み込む ことはできませんが、内在には正確に言えばもう一つ、志向的な働きの相関項としての当の対象そのもの が含まれており、これは「ノエマ」と呼ばれます。 11 2016/2/6(土) GACCOH 教養講座 やっぱり知りたい! メルロ=ポンティ はサイコロやホワイトボードや世界といったものが、僕たちの意識を離れて、僕たちに現 れているがままの姿でそれ自体として存在すると素朴に信じています(このような態度を フッサールは「自然的態度」と呼びました)。サイコロやホワイトボードや世界がそのよ うな姿で存在することは「当たり前」だとみなされているわけです。ところが、これまで やってきたような現象学的反省を遂行することで明らかになるのは、こうした対象の存在 についての信念が全く「当たり前」ではなかったという事実です。なるほど、それはかな り信頼の置ける信念ではあるでしょうが、しかし絶対確実と言えるようなものではありま せん。ホワイトボードは僕が気づかないうちに誰かがこっそり移動してしまっているかも しれませんし、サイコロは実は不良品で、一の面を裏返してみるとまた一の面が現れるか もしれません。僕がこうやって呑気に喋っているうちにこの建物の外側では世界が崩壊し てしまっていて、玄関のドアを開けるとそこには広大な無が広がっているかもしれません ――最後の一例はあまりありそうにないですが、かといって絶対にないとも言いきれませ ん。もちろん、だからといってサイコロやホワイトボードや世界の存在を信じることが不 条理だとか、そうした対象の存在を信じるのをやめるべきだと言いたいわけではありませ ん。むしろ、ここで重要なのは、不確かであろうが何であろうが、僕たちは事実としてそ 、、、、、、 うした対象の存在を信じてしまっているということ、そしてこの信念は僕たちが努力して 捨て去ろうとしても決してできないほどに深く、僕たちの内に根を張っているということ です。僕たちは、物や世界が僕たちとは無関係にそれ自体で存在するということを、何か 理性的に判断したうえで自発的に信じようと思って信じているのではなく、反省によって そのような信念をもっていると自覚する以前に、自分の意志ではどうにもならない仕方で 信じているのです。僕たちはすでに世界の存在を信じてしまっている、僕たちはすでに世 界と関係を結んでしまっている――メルロ=ポンティがフッサールの功績として最も評価 するのは、この「すでに……してしまっている」という僕たちの存在の条件をなす次元の 発見です。フッサールはこの次元すらも「意識」の用語で記述しようとしたのですが、メ ルロ=ポンティはこの次元をより実存的に「非反省的生活」や「生きられた世界」と表現 します。それは僕たちが狭い意味で「意識」する以前に、僕たちがすでに投げ込まれ、そ の中で生きている領野だからです。現象学の方法として名高い「現象学還元」も、メルロ =ポンティにとってはこのような非反省的な領野を発見するための方法という意義をもつ ものでした。 生きられた世界と科学 最後に、以上のような「生きられた世界」と科学がどのような関係にあるか考えてみま しょう。現象学的還元によって、僕たちがすでにその中に投げ込まれてしまっている非反 12 2016/2/6(土) GACCOH 教養講座 やっぱり知りたい! メルロ=ポンティ 省的な領野の存在が明らかになるわけですが、そこにおいて僕たちが関わっているさまざ まな物は科学的世界観が想定する実在とは大きく異なる姿をしています。科学的世界観に おいては、物というのは純粋な物理的パラメータからなる存在として考えられます。そし て、これは美しいだとか、これは物を切るのに使えるだとか、これは穢れた対象であると いった感情的・実践的・文化的諸特性――僕たちが通俗的な意味で「主観的」だと称する 諸特性――は、そのような物理的パラメータによって規定される物にあとから付け加わる ものだと考えられています(このような発想を、メルロ=ポンティはフッサールの表現を 借りて「裸の事象(bloße Sachen)の存在論」と呼んだことがあります)。しかし、生きら れた世界における物はそのようなものではありません。生きられた世界においては、物は まずはじめに感情的・実践的・文化的な意味を担った存在として与えられています。物を 純粋な「裸の事象」とみなす科学的な態度は、物と感情的・実践的・文化的に関わる非反 省的生活のあとで二次的に生み出されるものにすぎません。このことを忘れて、科学が想 定する実在こそが最も根源的で初次的な実在だと考えるところに、科学的世界観の誤りが あるとメルロ=ポンティは考えました。メルロ=ポンティの哲学的マニフェストとして名 高い『知覚の現象学』の序文には次のような印象的な記述があります。 、、、、、 事物そのものへ立ち返るとは、認識がいつもそれについて語っているあの認識以前の世界 へと立ち返ることであって、一切の科学的規定は、この世界に対して抽象的・記号的・依 存的でしかなく、それはあたかも、森とか草原とか川とかがどういうものであるかを我々 にはじめて教えてくれた風景に対して地理学がそうであるのと同様である。 (PhP 9/1.4f) ただし、このように考えるからといって、現象学は科学の諸成果を否定するわけではあ りません。フッサールが現象学という方法を確立するに至ったのは、数学や論理学や経験 科学の諸成果をきちんと根拠づけるという目的を追求した結果でした。この目的はメルロ =ポンティも共有しています。むしろ、現象学の課題は、科学がそこから生じてきた科学 以前の経験というものに立ち返ることで、科学的世界観がそもそもどのように構築されて きたのかを問い、科学の根拠と射程をもう一度確かめ直すことにあると言えます。それゆ えにこそ、現象学は科学の中にある独断的な想定を批判し、科学の地盤をより確固たるも のにしようと努めるのです。現象学が科学批判であって科学「否定」ではないというのは こうした意味においてです。この点についても序文にあるメルロ=ポンティ自身の言葉を 確かめておきましょう。 私が世界について知っている一切の事柄は、たとえそれが科学によって知られたものであ 13 2016/2/6(土) GACCOH 教養講座 やっぱり知りたい! メルロ=ポンティ っても、私はそれをまず私の視界ないし世界経験から出発して知るのであって、この世界 経験がなければ、科学の諸々のシンボルは何の意味ももたなくなってしまうだろう。科学 の全領域は生きられた世界のうえに構成されているのであり、もしも我々が科学自体を厳 密に考えて、その意味と有効範囲を正確に評価しようと思うならば、我々はまず何よりも この世界経験を呼び覚さねばならないのであって、科学とはこの世界経験の二次的な表現 でしかないのである。(PhP 8f/1.3f) かくして僕たちは、現象学の探究領域をこのような生きられた世界として見定めること ができました。しかし、僕たちがこれまで確かめてきたのは、生きられた世界のほんの入 口、若干の主導的な諸特徴にすぎません。次回はいよいよ、メルロ=ポンティとともに「驚 き」に満ちた生きられた世界の深部へと分け入っていきたいと思います。 ご静聴ありがとうございました。 14