Comments
Transcript
4 月 3 日(日) 5月19日(木) 案内人 ら・マンタの男 1)行程 コンド 8:00
RONDA 4 月 3 日(日) 5月19日(木) 案内人 ら・マンタの男 1)行程 コンド 8:00 頃出発(バス 又はタクシー) (往) Marbella バスセンター 9:20 発 (1 h 15’) 10:35 着 (復) Ronda 17:30(又は 20:00)発 2)概要 ロンダ山脈を流れるグアダレビン川の浸食で出来た峡谷にかかる橋(高さ 100 m以上)で 新市街と旧市街がわかれ、天空の村と呼ばれている 3)歴史散歩 スペイン人が選ぶ「村のベスト 10」第2位の魅力は何だろう。 それはロンダの小宇宙に新しいスペインと古いスペインが閉じ込められていることではないか。 古くは周辺に旧石器時代から人類が生活していたと言われ、遺跡であるピレータの洞窟には世 界的に貴重な壁画、土器、石器などが発見された。 その後、ケルト人、フェニキア人、ギリシャ人の影響を受け、紀元前 200 年ごろローマ帝国軍の支 配下で現在のロンダの根本が形付けられたといわれる。 時代が移るにつれアフリカのアトラス山脈からやってきたベルベル人との混血で実質的にはアフリ カ人であった時期もある。 しかし、11世紀時期ではイスラムの文化が色濃くあらわれ、ムーア人の王国でもあった。 1 5 世紀にキリスト教徒によるレコンキスタによって、今日のロンダが出来たようだ。 かくも複雑な人種や異文化の交わりで独特な文化が訪れる人を魅了している。 4)見学ルート バスターミナル(帰りのチケット購入)→パラドールの裏を通ってヌエボ橋→平和の聖母教会→ 聖ファン・ボスコの館→展望台→モンドラゴン邸(8人以上半額)→サンタ・マリア・ラ・マジョール教 会→市役所→聖セバスティアンのミナレット →フェリッぺ5世の門、アラブ橋、サンミゲル橋、アラブ浴場跡など→ムーア王の館 ミラドール・レストランで昼食(14:00 頃) その後 闘牛場見学やパラドールでお茶など自由行動 をする。 4)主な見学箇所 ◆ ヌエボ橋(新橋) ロンダには3つの橋がかかっている。すなわち上手から「アラブ橋」「サン・ミゲル橋(ローマ橋)」 そして新橋である。これは18世紀に完成された石橋で、高さは 98 mあるという。 過去橋の建設計画は2回あった。最初は1735年フェリッぺ5世の時。直径 35 mの大アーチで構 成された橋の工事はわずか 8 カ月で完成されたが、6年後の1741年に橋が崩れ50人の犠牲者 をだした。 その少し後の1751年、再工事が始まり1793年に完成。 この工事は峡谷の底部から始められ、その構造は3部分に分かれている。最下部には、一つの半 円アーチが置かれ、その上に 90 mの大アーチが乗っている。 やや小さいアーチが両脇で道路の高さまで建築物を支えている。 中央のアーチの 60 m位に部屋があり、200年にわたる橋の歴史に色々な目的で使用された。 最もよく知られていたのは牢獄の用途で、危険な罪人や死刑囚がつながれていた。 ◆ 聖ファン・ボスクの館 20世紀初頭に建てられたモデルニスモ様式の邸宅はグラナダの家族が、年老いたり病気になっ た修道士ために保養所としてサレジオ会に譲与したもの。 タイルで装飾された美しい中庭、地元の陶器のコレクションが素晴らしい。 ◆ モンドラゴン邸 1616年建築された郷士の館。14世紀に宮殿があった場所だが、1941年フェルナンド王の警護 を務めたモンドラゴン大将に下賜された。 その後幾人に所有権が変わり、何年もの間に数多くの変遷や修復で、構造が不均衡になり、壁も 何回も塗り替えられている。また庭園の設計や旧王宮との間をつないでいた入り口などに、 イスラム時代の住宅の名残を残している。 そんなわけで、ロンダ民間建築の中では最も重要なもののひとつである。 内部は現在では市立考古学博物館として使われ、ムデハル~ルネッサンス様式が混然一体と なった内部装飾は素晴らしいものがある。 地元で発掘された珍しい鉱物や金属なども展示されている。 ◆ ムーア王の館 「スペインにおけるアラブ支配の残したもののうちで最も貴重なもののひとつ」と言われるもので、 13世紀から所有者が変わるたびに改装され、内部は多くの部屋や廊下、抜け道、階段などが 迷宮のように入り組んでいる。屋敷内のどこをとっても木の細工や様々な暖炉の見事さに目をみ はる。 ファサードを飾るタイルにアラブの王が描かれているので「ムーア王の館」と呼ばれている。 ◆ アラブ浴場 13世紀末から14世紀初頭に川の傍らに建築されたもので、水を引き込むには絶好の立地条件。 アラブ時代のロンダの浴場としては最も規模が大きいものである。 当時の建物はアーチの壁で囲まれており、一番奥のある塔には水車が取り付けられて、小川から くみ上げた水をアーチの上を通る導水路越しに浴室まで運ばれていた。 内部は3つの部屋に分かれている。第一の部屋は水を温めるための「温水器」があり、床下温暖シ ステムの役割を果たしていた。第二の部屋(中央)の半球天井の星型をした採光窓は東西方向に 並んでおり、日中どの時刻にあっても陽が差し込むように工夫されている。 第三の部屋は休憩室、マッサージ室、着替え室として使われていた。 ◆ 闘牛場 近代闘牛の為の闘牛場としては最古のもの。1784年5月11日に開幕した。176本のトスカーナ 様式の柱の上にアーチを乗せた2段のアーケードが周囲を取り巻いている。 収容観客総数5千人、アリーナの直径 66 m、棚が石製の唯一の闘牛場である。 ここはスペインで最も歴史のあるロンダ王立騎士団の所有物として建てられ、軍事教育として、 武器の扱い方、騎馬戦、馬上の槍試合、騎馬での牛のあしらいなどを訓練され、王の一声で何時 でも戦場に馳せつけられるように備えられていた。 現在は、闘牛の催しはほとんど行われないが、9月の第2週には必ず、ゴヤ風の伝統闘牛とロンダ の騎馬闘牛が開催される。アーネスト・へミングウエイも言ってるように世界でもここだけしかないゴ ヤ風闘牛には古典闘牛と巧みな技を学ぶために世界中から愛好家が駆け付ける。 18世紀にこの街で生まれたペドロ・ロメロ(8歳でこの世界に入り90歳で死ぬまで 6 千頭の牛を倒 した)は牛をけしかけるムレータ(赤い布)の考案や真正面から牛を倒すやり方など今日の闘牛の 基礎を作ったと言われている。 内部には、ロメロとその息子、伝統的な英雄となった孫のペドロを始め、ロンダが輩出した闘牛士 を祈念する博物館もある。