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倫理事例集 2011 倫理事例集 2011 倫理事例集 2011

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倫理事例集 2011 倫理事例集 2011 倫理事例集 2011
精 神 科 看 護 者のための倫 理 事 例 集 2 0 1 1
精神科看護者のための
精神科看護者のための
倫理事例集 2011
2011
特例社団法人
日本精神科看護技術協会
特例社団法人 日本精神科看護技術協会
00_ 目次 2011.8.23 1:14 PM ページ 1
精神科看護者のための
Contents
倫理事例集 2011
目次
はじめに
Ⅰ.
日本精神科看護技術協会
「精神科看護の定義」「精神科看護倫理綱領」 ………………………………1
1.精神科看護の定義 ……………………………………………………………………1
2.精神科看護倫理綱領 …………………………………………………………………3
Ⅱ.
精神科看護者が日常的に出会う倫理問題 ……………………………………25
1.接遇と倫理
…………………………………………………………………………17
2.倫理原則と臨床 ……………………………………………………………………21
Ⅲ.
アンケート調査の概要
………………………………………………………………25
1.調査の概要 ……………………………………………………………………………25
Ⅳ.
2.結果
……………………………………………………………………………………26
3.考察
……………………………………………………………………………………27
事例から学ぶ ………………………………………………………………………………35
1
事例 2
事例 3
事例 4
事例
5
事例 6
事例
Ⅴ.
安全確保と自由の尊重 ……………………………………………………35
家族との狭間で悩むこと ………………………………………………39
開放処遇の療養病棟で行われている私物管理の問題 …………42
排泄ケアが十分に行えずオムツとツナギ服を着用 ……………46
させてしまった認知症患者のケース
非告知投薬事例 ……………………………………………………………48
〈コミック解説〉施設内禁煙の波紋 …………………………………51
資 料 …………………………………………………………………………………………35
資料
1 :精神科看護の定義・精神科看護倫理綱領 ………………………55
資料
2 :倫理的意思決定の「4ステップモデル」の活用 ……………61
資料
3 :ICN看護師の倫理綱領 …………………………………………………63
資料
4 :ナイチンゲール誓詞 ……………………………………………………65
資料
5 :ヒポクラテスの誓い ……………………………………………………65
資料
6 :現代の規範倫理学 ………………………………………………………66
資料
7 :トンプソンによる倫理的問題を明確化するためのカテゴリー …70
資料
8 :身体抑制の法令・省令等 ……………………………………………71
資料
9 :ビーチャム・チルドレス『生命医学倫理の諸原則』(1979)の4原則 …72
00_はじめに 2011.8.23 1:14 PM ページ 1
はじめに
―倫理的に考えるとは―
「当事者・家族の医療に対する信頼を築くためには,最初の医療との関わりが極
めて重要であり,医療面だけではなく,生活面も含め,自尊心を大切にする関わり
方を基本とする」(平成22年6月17日第4回新たな地域精神保健医療体制の構築に
向けた検討チーム資料)
精神保健医療福祉改革の後半5年の施策を検討している厚生労働省(以下,厚労
省)の検討会の資料にこのような一文がありました。
「信頼を築く」
「自尊心を大切
にする関わり方」というセンテンスが目を惹きました。政策を議論する場で医療者
の姿勢について言及しなければならないということ――これをどう考えればよいの
でしょうか。
看護は,気づかいを伴った世話だといわれることがあります。「気づかい」の基
礎は,人としての尊厳への配慮でしょう。そして,このことは,倫理的な配慮と言
い換えることも可能です。検討会資料の通り,倫理的配慮のない関わりが当事者・
家族の不信を招いている可能性があり,政策を論じる場合にも「倫理」を起点にし
なければならないことが強調されるのは,日常臨床のなかの倫理問題がいかに重要
かを示しているからです。
日本精神科看護技術協会(以下,日精看)政策・業務委員会では,精神科看護者
のための倫理事例集をまとめるためのプロジェクトを立ちあげ,2009年∼2010年に
かけて事例の収集,検討を行ってきました。
事例の収集に先立ち,アンケート調査の形式で事例収集を行いました。その際,
調査対象者を2つの群としました。一つの群は,精神科病院で実習を行っている看
護専門学校の精神科看護担当教員です。これは,精神科看護と身体科看護の双方に
関わっていると考えられる看護教員の方が,精神科病棟の倫理問題に敏感ではない
か,現場の看護者より倫理的感受性が高い可能性があり精神科の臨床経験が少ない
分,ある程度距離をおいて精神科看護を評価できる立場にあるのではないか――と
考えたからです。看護教員に精神科の臨床現場がどう映ったかを知りたいと思いま
00_はじめに 2011.8.23 1:14 PM ページ 2
はじめに
した。
もう一群の対象者は,精神科認定看護師です。彼らには臨床現場での倫理的ジレ
ンマ,倫理的意思決定で悩んだ事例の提供を期待しました。また,日精看の第15回
専門学会Ⅱでもアンケート用紙を配布し,事例提供を呼びかけました。このアンケ
ートの回答の中間まとめを素材として,第17回専門学会Ⅰ・Ⅱで議論の場を設定し
ましたし,理事会でも意見を求めました。
この間の議論でわかったことは,そもそも「倫理問題とは何か」「どのように考
えれば倫理的に考えたことになるのか」ということについて,看護者間でコンセン
サスが得られていないのではないかということです。とはいえ,あらためてこの疑
問に答えようとすると,考え込まざるを得ません。
人は,人としてのあるべき姿を思い描き,「どう行動すべきか」を時に葛藤しつ
つ,ある行為を選びとっています。こういう意思決定は,道徳,倫理といわれるも
のに根差しています。このような人としての「理(ことわり)」が問われるのが倫
理問題です。自分自身に対して,このような観点から問いを発しているとしたら
「倫理的考えていたこと」になるのだろうと思います。とりあえず,倫理をこのよ
うに考えておくことにします。
今回,発刊することになりました精神科看護者のための倫理事例集は,この間の
政策・業務委員会倫理事例集プロジェクトの作業の結果をまとめたものです。しか
し,事例は少なく完成度が高いとは言えません。今後,日精看で倫理問題を考えて
いくためのラフスケッチとして考えていただきたいと思います。
倫理問題は,議論を続けていくしかありません。この事例集が各施設で議論の材
料として活用され,次の事例集の発刊へとつながっていくことを期待したいと思い
ます。
2011年6月
日精看 政策・業務委員会 倫理事例プロジェクトを代表して
吉浜 文洋
*本書では、
「精神科看護者」を看護職の免許を取得して精神科看護に従事するものとした。
01_日本精神科技術教会 2011.8.23 1:15 PM ページ 1
日本精神科看護技術協会
Ⅰ.
「精神科看護の定義」「精神科看護倫理綱領」
1.精神科看護の定義
日精看は,1987年に以下のように精神科看護を定義している。
「精神科看護とは,基本的人権の尊重を理念とし専門的立場から患者を理解し,
個々の状態に応じた全人格的なかかわりあいをとおして精神的健康を回復させ,社
会に適応できるよう援助することである。あわせて,保健医療の一分野として精神
保健の向上に寄与することをいう」
1987年は,精神衛生法が改正され,精神保健法が制定された年である(施行は翌
年7月1日)。その2年前には宇都宮病院事件が起こっている。日本の精神科病院
の不祥事が国際的にも批判され,精神保健法には,告知や精神医療審査会など入院
患者の人権を守る仕組みが導入された。社会復帰施設も生活訓練施設(援護寮)と
福祉ホームの2類型が規定され,地域ケアへのシフトも始まった。このような時代
を背景に,精神科看護の定義,次いで倫理要綱が示されたのである。
この1987年の定義は,精神科看護倫理要綱と共に見直され,新たな定義が2004年
5月,第29回通常総会において承認された。倫理要綱は,名称を「倫理綱領」と改
められたが,それほど大幅な改訂ではなく,若干の内容の修正,文言の整理が行わ
れただけである。
一方,精神科看護の定義は,時代の要請を受けて抜本的な見直しを行っている。
17年ぶりの定義と倫理綱領の改訂であるが,新旧2つの定義を比べてみると,精神
科看護がこの間どのように変化したのかがわかる。
改訂した2004年の定義は次の通りである。
「精神科看護とは,精神的健康について援助を必要としている人々に対し,個人の
尊厳と権利擁護を基本理念として,専門的知識と技術を用い,自律性の回復を通し
て,その人らしい生活ができるよう支援することである」
この新しい定義と以前の定義を,精神科看護の対象,理念,方法,目的に区別し
たのが,次の表1である。
1
01_日本精神科技術教会 2011.8.23 1:15 PM ページ 2
Ⅰ. 日本精神科看護技術協会「精神科看護の定義」「精神科看護倫理綱領」
表1 定義新旧対照表
新
定義の年
対 象
2004年
旧
1987年
理 念
精神的健康について支援を必要と
している人々
個人の尊厳と権利擁護
患者
(国民一般)
基本的人権の尊重
方 法
専門的知識と技術の活用
専門的立場からの患者理解
全人格的かかわりあい
目 的
自律性の回復とその人らしい生活
精神的健康の回復,社会への適応
精神保健の向上への寄与
1987年の定義から2004年の定義への改訂で文言が大きく変更されているのは,目
的の部分である。1987年には,精神科看護者は,患者の「精神的健康を回復させ,
社会に適応できるよう援助すること」を目的にケアを行っていると考えていた。
2004年の定義は「自律性の回復」「その人らしい生活」の実現が精神科看護の目的
であるとしている。
この定義の中の精神科看護の目的の変更は,17年の時の流れの中で精神科看護の
方向性が大きく変わってきていることを背景としている。その一つは,精神科看護
の守備範囲の拡大である。病院から地域へと精神科看護の対象領域は拡大し,多様
な場面での精神科看護者の活躍が期待されている。
例えば,診療報酬改定の度に,精神科訪問看護・指導料の要件は緩和される傾向
が続いている。2004年改定では,複数名訪問への加算がなされた。2006年改定では,
退院後3ヶ月以内は週5回まで可能となった。これまでは,退院後の期間に関わら
ず週3回までであった。2008年には,点数の引き上げと,急性増悪時の1日1回の
訪問を評価(7日以内)する改定がなされている。
退院前訪問指導も,2006年改定で6ヶ月以上の入院期間の場合には,6回まで算
定できるようになった。そして,2008年改定でそれまであった「入院が3か月を超
えると見込まれる患者」という制限がなくなった。
精神科看護者は,行動,発想ともに病院臨床に閉じたものとなることのないよう,
常に退院と地域での生活を念頭においたケアが求められるような時代となったとい
えよう。
もう一つには,治療・看護の目標をどこにおくか,精神障害からの回復とは何か
という認識の変化である。1987年の定義の「精神的健康の回復」には,障害を克服
することで「精神的健康」に至るとするニュアンスがある。健康−病気という軸で
考えると,例えば幻聴は病気の症状であり,それを治療によって改善し「精神的健
2
01_日本精神科技術教会 2011.8.23 1:15 PM ページ 3
康」を取り戻すという発想に立っているのがこの定義である。
新しい定義では,回復させなければならないのは,その個人の「自律性」という
ことになった。幻聴はあっても,それに左右されて「その人らしい生活」が営めな
い状態でなければよしとするのが新しい定義の発想と考えていいだろう。つまり,
症状の自己管理といった視点で病をコントロールする。そして,その主体は「自律」
能力をもった当事者である。精神的健康という価値の実現より,それを可能にする
当事者のありように力点が移った定義であると考えることができる。看護者のケア
によってエンパワーされることで,自ら病をコントロールする患者というイメージ
がこの定義にはある。その結果として,精神的な健康が実現するのである。
また,精神科医療における当事者の自己決定重視の方向性も示されている。誰が
精神科医療の主人公であり,看護者はどういうスタンスで精神科医療ユーザーに関
わるのか。新しい「精神科看護の定義」が問いかけているのはこのことであろう。
このような状況と考え方の変化に向き合った精神科看護の定義であるためには,
「精神的健康の回復」という限定された視点のみでは不十分であり,当事者の主体
性,生活全般にわたる支援へ視点を移し変える必要があったのである。
なお,旧定義の精神科看護の目的の一つであった「精神保健の向上への寄与」は,
新しい定義が「精神的健康について支援を必要としている人々」と対象を拡大する
ことで,あえて目的に付け加える必要がなくなったので,文言としては消えた形に
なっている。
2.精神科看護倫理綱領
専門職能団体が倫理綱領をもつのは,その職能集団を構成するメンバーが相互に
行動を「監督し,また承認し合う」ことが必要とされるからであり,「集団内にお
ける専門的知識や技術の一貫性を保障するため」であるといわれる。
このような考え方の背景には――専門性が高ければ高いほど,一般社会にその職
能集団のもつ知識,技術は理解してもらうのは困難となり,排他的,独善的となっ
てしまいかねないとの懸念がある。この懸念を払拭するには,問題が起きた時には
職能集団が常に自浄能力を発揮し,自律した決定を下さなければならない。また,
職能集団は,構成員が相互にチェックする仕組みを作ることで専門性の質を維持向
1)西村高宏:専門職
としての医師と倫
理,「ビジネス倫
理学」,ナカニシ
ヤ出版,p.68,
2004.
3
上させる必要がある。
倫理綱領には,この他に,組織を社会的な存在として認知してもらうための社会
への「宣誓」といった側面もある1)。
01_日本精神科技術教会 2011.8.23 1:15 PM ページ 4
Ⅰ. 日本精神科看護技術協会「精神科看護の定義」「精神科看護倫理綱領」
専門職能団体は,組織あるいは構成員個々人が自らを律するため,また社会への
責任の果たし方を明らかにするために倫理綱領を定め,公表しているといえよう。
日本における精神科看護の専門職能団体として歴史のある日精看の精神科看護倫理
綱領もまた,このような意義をもつ倫理綱領の一つである。
精神科看護の定義は文言の修正程度ではなく,かなり大幅な改訂となったが,倫
理綱領の改訂は文言の整理が主であり,大幅な改訂とはなっていない。医療の倫理
あるいは職業倫理一般は,それほど時代の変化の影響を受けずに安定したものと考
えていいのかもしれない。それは,法に規定された医療者の守秘義務や個人情報保
護法を待つまでもなく,紀元前の「ヒポクラテスの誓い」ですでに医師の守秘義務
が登場することでもわかる。
とはいえ,新しい精神科看護倫理綱領では,時代の要請を受けて見直された項目
もある。次の「インフォームド・コンセントと患者の治療への参画」「ノーマライ
ゼーション思想の普及啓発」2つの項目である。
この見直された2つの項目の観点は,17年前には精神科看護者にほとんど意識さ
れることはなかったと言ってもよい。精神科看護の定義の改訂点である「自律性の
回復」や「その人らしい生活」と,これら精神科看護倫理綱領の2つの項目の見直
しは相互に関連している。
この時代の精神科看護が目指さなければならないのは,丁寧なインフォームド・
コンセントによる自己決定医療であり,社会的入院者の退院促進によるノーマライ
ゼーション社会の実現である。日精看はこのような時代認識の下,2004年に精神科
看護の定義,倫理綱領を改訂した。
以下,日精看の精神科看護倫理綱領の各項目の意味することについて解説する。
1)(人権の尊重と権利擁護)精神科看護者は,対象となる人々の基本的人権を尊重
し,個人の尊厳と権利を擁護する。
敗戦の翌年1946年(昭和21年)11月3日に公布され,翌年の5月3日に施行され
た日本国憲法はこの60年余,新たな国のあり方,理想・理念を示し続けてきた。そ
の日本国憲法第13条は,
「すべて国民は,個人として尊重される」と宣言している。
精神科看護倫理綱領が「人権の尊重と権利擁護」を第1項としているのは,憲法の
この条項をまず確認することから看護倫理は語られるべきであると考えているから
である。
日本の戦後の精神科医療は,世界的にも例がないといわれる国の政策誘導による
4
01_日本精神科技術教会 2011.8.23 1:15 PM ページ 5
民間病院への大量収容政策を軸にして展開され,「治療なき監禁」と批判された時
代もあった。貧困な医療しか提供できないなかで,行動制限だけがなされる事態が
続いたのである。現在も,本来なら開放的に処遇されなければならないはずの任意
入院患者の閉鎖処遇が問題となっている。このなかには,入院による治療を必要と
していない社会的入院者も相当数含まれている。
長期入院患者は病棟に適応し,従順に看護者の指示に従うだけに,看護者は何の
疑いもなく,ルーチン業務として行動制限し,病棟ルールで縛っていて何の疑問も
感じていないことがある。しかし,精神科医療ユーザーの視点からは精神科病院の
2)小林信子:病棟規
則から「品位を傷
つける」処遇を考
える,精神科看護
v o l . 3 1 ( 7 ),
p . 2 6 - 3 2 ,
2004.
規則には「非人間的で品位を傷つける処遇」が相当あると思えるとの指摘がある2)。
病棟の慣行,不文律は,その環境に長期間なじんだ者には意識されることはあま
りない。新たに入院してきた患者や,新人看護者,看護学生,社会学者,アドボケ
イターなど,第三者の目で見ることのできる者が現れて初めて指摘され,自覚する
こともある。精神科看護者は,病棟ルールが社会の眼にはどう映るか,あるいは入
院患者の目からはどう見えるかといった視点で点検してみる必要がある。
日精看倫理綱領の第1項は,「個人の尊厳」を傷つけることなく,個人の「権利
を擁護」するという人権上の基本原則へ立ち返って看護実践を振り返る姿勢を求め
ている。それは,精神科看護の実践が倫理的緊張感を欠けば,患者の人としての尊
厳を傷つける事態が起こりうる危うさを常にもっているからである。憲法の基本的
人権の尊重は,あくまで「そうあるべきである」という理念を述べているだけで,
決して「個人として尊重される」社会が実現されているわけではない。倫理的感性
を磨く不断の努力があって初めて,人権の尊重という理念・理想へ近づけると考え
るべきだろう。
措置入院,医療保護入院などの非自発的入院,隔離拘束などの行動制限に代表さ
れるように,精神科医療では,「人権の制限」を伴う治療・看護が行われることが
ある。患者は「個人として尊重」されているか,精神科医療における基本的人権の
尊重とは何か――精神科看護者は,常に自分自身に問いかける必要がある。
2)(インフォームド・コンセントと協働)精神科看護者は,対象となる人々が説
明と同意に基づき治療へ参画できるよう努める。
1997(平成9)年の第3次医療法改正で,「医師,歯科医師,薬剤師,看護師そ
の他の医療の担い手は,医療を提供するにあたり,適切な説明を行い,医療を受け
る者の理解を得るよう努めなければならない」との文言が盛り込まれた。この条文
5
01_日本精神科技術教会 2011.8.23 1:15 PM ページ 6
Ⅰ. 日本精神科看護技術協会「精神科看護の定義」「精神科看護倫理綱領」
は,インフォームド・コンセントが医療者の責務であることを改めて確認したもの
といえる。
この条文で「適切な説明」
「理解を得る」と表現されているインフォームド・コン
セントは,情報の開示,その理解と合意,医療者に操作されない自発的な承認など
で成り立っている3)。医療者から患者への説明と患者の同意としての自己決定は,医
療の歴史を通して常に課題であったと思われるが,今日的な意味でのインフォーム
ド・コンセントの歴史は浅い。一般的には「ニュールンベルグ倫理綱領(1947年)
」
で理念が示され,医療の規範として国際的に承認されていたと言われている。本格
3)R.フェイドン,T.
ビーチャム著,酒
井忠昭,秦洋一
訳:インフォーム
ド・コンセント
患者の選択,みす
ず書房,p.4546,1994.
的議論がなされるようになったのは,判例が積み重ねられた1960年代半ばのアメリ
カにおいてであった4)。
アメリカでは消費者運動などに影響され,米国病院協会の「患者の権利章典」が
1973年に公表されており,それには患者の権利としてインフォームド・コンセント
の条項が盛り込まれている。この権利章典は,医療のなかの意思決定システムの転
換に決定的に影響したといわれる。米国病院協会「患者の権利章典」は,それまで
のパターナリズムの伝統から,患者の自己決定が権利として保障される方向へ転換
を宣言したのである5)。
4)高橋涼子:患者か
らユーザーへ―
精神医療から考え
る患者―医療者関
係とインフォーム
ド・コンセント
―,岩波講座 現
代社会学第14巻
「病と医療の社会
学 」 所 収 ,
p.151-168,岩
波書店,1996.
5)前掲書3)p85
インフォームド・コンセントが重視されなければならないのは,意思決定の尊重
という患者の権利擁護の側面と,疾患の有効な自己管理のために患者の治療への参
加は欠かせないという側面があるからである。医療上の意思決定への患者自身の参
加は,病を管理することが同時に生活を管理することに直結することの多い慢性疾
患や老年期退行性疾患の場合には必須である。精神疾患もまた,慢性的に経過する
ことが多く,症状自己管理やそのための服薬自己管理などセルフケアで対処するこ
とが目標となる。治療の中で患者の主体性が生かされ,自律へ向かうためには,患
者−看護者関係は指導−遵守(コンプライアンス)ではなく,水平的な協働(コラ
ボレーション)関係でなければならない。入院医療における看護計画,それに退院
計画等の策定に患者の参加を求めるのは,このような新たな患者−看護者関係の構
築をめざしているからである。
臨床でも精神障がい者の地域ケアにおけるケア会議のように,当事者を含む関係
者が意見を述べ合い,最終的には当事者自身が了承することでケアプランが決定さ
れるシステムになっている方が望ましいことはいうまでもない。
この数年,企業の社会的責任が問われ「コンプライアンス対応」「コンプライア
ンス研修」などといった言葉を聞くようになった。コンプライアンス(compliance)
6
01_日本精神科技術教会 2011.8.23 1:15 PM ページ 7
という用語は,もともと法律・規則「遵守」を意味していて,このように使われる
のが本来的である。辞書には「盲従的態度」「卑屈さ」といった意味も載っている
(ランダムハウス英和大辞典第2版)
。このように,コンプライアンスという用語に
は一方的に「従わせる,従う」というニュアンスがある。医療の場でこの用語が使
われるとき,ノンコンプライアンスの責任は,患者の側にあるとする医療者の姿勢
が透けて見えることになる。
しかし,このような医療者−患者関係では,治療関係がうまく構築されないこと
がある。患者へのコンプライアンスの要求ではなく,患者に積極的に治療へ参加し
てもらうことを強調して使われるようになったのが「アドヒアランス(adherence)
」
という用語である。
アドヒアランスには,「執着,固守,忠実」という意味がある。患者自身が治療
方針の決定に参加し,服薬であれば患者自身の実行可能性,規則的な服薬を妨げて
いる要因,課題への取り組みで必要とされていることなどを医療者とともに検討し
ていくことで自らの課題に「執着」してもらう。このように,アドヒアランスとい
う用語はコンプライアンスの指示−遵守ではなく,医療者と患者との協働的な関係
を軸にして医療の問題を考えていくことが必要であることを強調して使われている。
精神科医療におけるインフォームド・コンセントでは,患者が説明を理解し,そ
して自発的に同意,承認する精神状態であるかどうかが問われることがある。これ
は,自己決定能力,同意能力の問題である。そのような患者が治療の提案に同意せ
ず,拒否した場合には,強制的な医療に踏み切るかどうかについて精神科医療関係
者は悩む。
医療保護入院は,「本人の同意に基づいて」行われる入院である「任意入院」が
「行われる状態にないと判定されたもの」が対象となる。医療保護入院の対象者は,
精神疾患によって自分に医療が必要であるかどうかを判断する能力が阻害されてい
ることを意味している。つまり,医療保護入院は,インフォームド・コンセントが
成り立たない状態での非自発的入院であるということになる。
「メンタルケアに関する国連決議(1996年)
」は,次のように述べている。
「患者
のインフォームド・コンセントなしに治療を行う権限が与えられているいかなる場
6)メンタルケアに関
する国連決議 厚
生省保健医療局精
神保健課監修:わ
が国の精神保健福
祉 平成7年版,
p.413-422,
1996.
7
合においても,患者に対して治療の性格,可能なあらゆる代替治療について情報を
与え,及び可能な限り治療計画の進展に患者を関与させるよう,あらゆる努力が払
われる」6)。
医師や看護者などの精神科医療関係者は,このような姿勢で臨床に臨まなければ
01_日本精神科技術教会 2011.8.23 1:15 PM ページ 8
Ⅰ. 日本精神科看護技術協会「精神科看護の定義」「精神科看護倫理綱領」
ならない。精神科医によって行われた「説明」には,看護者が補完的役割を果たす
ことを必要とすることも少なくない。
3)(行動制限最小化)精神看護者は,治療過程において隔離等の行動制限が必要
な場合に,それを最小限にとどめるよう努める。
全国の精神科病院の保護室総数は,10,812室,施錠できる個室総数は12,200室で
ある。そして,精神科病院では毎日1万人以上の患者が隔離ないし拘束されてい
る7)。
200数十年前のピネルの精神障がい者の鎖からの解放,約100年前のわが国におけ
る呉秀三の巣鴨療養所における手枷,足枷の禁止,保護室の改造など,精神科医療
7)精神保健福祉資料
平成19年6月30
日調査の概要 厚
生労働省精神・障
害保健課
における隔離拘束最小化への取り組みは連綿と行われてきた。しかし,現在でも,
隔離が長期に及び解除のめどがたっていない事例も少なくない。過去,現在と,行
動制限最小化は精神科医療の課題であったし,これからも課題であり続けるだろう。
行動制限最小化への政策上の取り組みは,継続的になされている。この20年余で
も,宇都宮病院事件後の通信面会の自由を再確認したガイドライン(厚生省告示)
の通知(1985年)
,精神保健法成立時の行動制限基準を定めた厚生省告示(1987年)
,
犀潟病院事件(1999年)後の隔離拘束の原則の確認など,行動制限最小化への取り
組みが行われてきた。
2004年の診療報酬改定では「医療保護入院等診療料」の施設要件として「行動制
限最小化委員会」の設置が義務付けられた。しかし,隔離・拘束が目に見えて減少
しているとは思えない。
2007年6月30日調査(対象は全国1,642精神科病院)では,入院患者数 316,109
人,保護室の隔離患者数 8,247人,身体的拘束を行っている患者数 6,786人,合
計15,033人の患者が隔離拘束状態にある。これは,対病床比率4.8%となる(2007年
6月30日現在)
。
同調査によると全国の任意入院患者は190,435人であるが,そのなかで開放処遇
を制限されている者は36,547人(19.2%)。これらを2006年6月30日調査と比較して
みると,精神科病院の隔離拘束は微増傾向であり,最小化が進んでいるとはいい難
い状況がうかがえる。
なお,介護保険施設では原則的に身体拘束が禁止されているが,身体拘束の約3
割は,例外としての「緊急性,非代替性,一時性」の3原則を満たしていなかった
との調査報告がある。新聞報道によると拘束率(全延べ拘束日数/全入所者の延べ
8
01_日本精神科技術教会 2011.8.23 1:15 PM ページ 9
8)2005年12月17
日,朝日新聞,朝
刊.
入所日数)は,5.2%となっており8),介護保険施設における拘束廃止の取り組みに
ついても問題が多いようだ。
行動制限を最小化するには,伝統的な精神科病棟の文化の変革が必要だろう。患
者をコントロールする対象とみなすのではなく,協働して障害に立ち向かうパート
ナーと考える――このような病棟文化が創り出されることでしか,行動制限は減少
9)吉浜文洋:行動制
限最小化のための
変革 精神科看護
34(3),p.1622,2007.
しない9)。
患者と看護者が協働するためには,患者と問題行動(症状)を分けて考えること
ができるかどうかが鍵になる。患者,それに家族や医療関係者が共に悩まされてい
るのは,問題行動である。対処しなければならないのは,患者という人間ではなく,
問題行動であると考えるのである。
患者本人を評価するのではなく,患者から切り離された問題行動を評価して対処
策を患者と共に考えていくという発想に立てば,患者と看護者双方が協力して問題
10)海 保 博 之 編 :
「温かい認知」
の 心 理 学 ,
p.123-140,
金 子 書 房 ,
1997.
に対処することができる10)。具体的には,まず,丁寧なインフォームド・コンセン
トであり,そしてケアプラン作成にも患者に参加してもらうことである。患者にも,
行動制限の解除へ向けて,症状の自己管理の役割等を担ってもらうのである。この
ように治療・看護過程では一般的になっている考え方を,行動制限を行っている患
者のケアにも取り入れる努力が,行動制限最少化を推し進めるのではないだろうか。
4)
(守秘義務)精神科看護者は,職務上知り得た秘密を守り,プライバシーを
保護する。
医療者は,患者の「私生活」に立ち入らざるを得ないことも多い。医療者に守秘
義務があることで,患者は隠しておきたい個人的な秘密であっても治療上必要と思
えば打ち明けることができる。
保助看法には,
「
(保健師,看護師,准看護師は)正当な理由がなく,その業務上
知り得た人の秘密を漏らしてはならない(第42条の2)」との規定がある。精神保
健福祉法も,「精神病院の職員又はその職にあったものが,この法律の規定に基づ
く精神病院の管理者の職務を補助するに際して知り得た人の秘密を正当な理由がな
く漏らしたときも,前項(1年以下の懲役又は50万円以下の罰金)と同様とする
(第53条2項)
」と規定している。また,看護補助者は,保助看法の対象外となるが,
個人情報の保護に関する法律によって,守秘義務が同様に規定されているといって
よい。
さらに,法体系の整備は進み,2005年には個人情報保護法が施行され,プライバ
9
01_日本精神科技術教会 2011.8.23 1:15 PM ページ 10
Ⅰ. 日本精神科看護技術協会「精神科看護の定義」「精神科看護倫理綱領」
シー保護は新たな時代を迎えた。この法律では守秘義務は「情報の第三者提供」に
関連して規定されている。個人情報保護法とそのガイドラインは,保助看法や精神
保健福祉法が,「正当な理由なく漏らしてはならない」と抽象的に規定している患
者情報の第三者提供が例外的に容認される「正当な理由」を詳細に定めている。
この法律は「個人情報の有用性に配慮しつつ,個人の権利権益を保護する(第1
条)
」こと目的としている。そして,基本理念を次のように規定している。
「個人情
報は,個人の人格尊重の理念の下に慎重に取り扱われるべきものであることにかん
がみ,その適正な取り扱いが図られなければならない(第3条)
」
過剰な個人情報保護によって,医療安全に支障を及ぼすことがないよう,「有用
性へ配慮しつつ」守秘義務が守られなければならない。そのバランス感覚は「人格
尊重の理念」で支えられる必要がある。守秘義務との関連では,個人情報の自己コ
ントロール権という考え方が,この法律の根幹をなしていることを忘れないことだ。
情報を誰に開示するかを決めるのは,患者本人であることが確認されなくてはなら
ない。
紀元前にまとめられた「ヒポクラテス全集」(所収論文の一部しかヒポクラテス
の手になるものはないともいわれる)には,「ヒポクラテス宣誓」が収録されてい
る。この宣誓には,「業務上より見聞きし,または人の私生活に関して知り得たる
秘密は,厳守して口外せざるべし」と守秘義務に関する事項がある11)。
守秘義務は,2000年以上続く規範の伝統を受けて,法の中に組み入れられている。
守秘義務に反した行為は倫理を超え,法律で罰せられるほどの重要さをもっている
11)中川米造:医学
を み る 眼 ,
p.54,日本放
送 出 版 会 ,
1970.
のである。守秘義務はインフォームド・コンセントと違い,歴史のある医療界の重
要な伝統的規範といっていいだろう。
5)(継続学習)精神科看護者は,専門職業人として質の高い看護を提供するため
継続して学習に努める。
専門職と非専門職は何をもって区別できるのか。看護は専門職といえるのか,半
専門職,準専門職ではないのか等,看護と専門職に関する議論は多彩に展開されて
きた。しかし,看護が専門的知識・技術に裏付けられていなければ,対象者に有害
な作用を及ぼすおそれのある医療という職業分野の一翼を担っていることは,誰も
否定しないだろう。
看護に関するある一定の知識と技能を習得したとみなされた者に,国は看護師の
資格を与える。この国家認定の資格を有していない者が看護師を名乗り,「療養上
10
01_日本精神科技術教会 2011.8.23 1:15 PM ページ 11
の世話」「診療の補助業務」に就くことは,許されていない。専門職業人としての
精神科看護者であるということは,いうまでもなく精神科看護の知識・技能を有し
ているということが前提となる。
医療・看護は進歩し続け,看護の知識も増加し刷新され続けており,最新の知識
を得るための努力なしに「質の高い看護」を提供することはできない。専門職業人
は常に学ぶ姿勢をもっていなければならない。学び続けるために看護者個人が努力
するのはもちろんだが,病院など所属する組織も学習の機会や費用を保障すること
で,看護者が専門職業人としての知識,技能を身につけるよう支援することが求め
られている。
インターネットに象徴される情報化社会の進展で,誰でもが必要な情報に容易に
アクセスすることが可能となった。また,生涯学習の時代でもある。精神科医療ユ
ーザー自身も学んでいる。看護者も精神看護専門誌の購読,職能団体等の主催する
研修会への参加など,「継続して学習」することによって専門職業人としての質を
保ち続ける努力が必要である。
6)
(研究)精神科看護者は,より有効な看護実践を探求するため研究に努める。
精神科看護者が,専門的知識と技能を身につけケアに臨んだとしても,それで全
ての問題に対処できるわけではない。解決を迫られる問題の中には,既存の知識で
は対処できない問題もある。実践研究が必要となる理由がここにある。
ここでいう研究は,あくまで看護実践のレベルを高めていくための研究である。
研究のための研究ではない。研究にあたっては臨床で発生した問題に焦点をあて,
その解決が志向される必要がある。そして,個々の看護者の実践研究の積み重ねが
精神科看護者全体の知的財産となるように,職能団体はマネジメントしなければな
らない。具体的には学会の開催,研究論文集の発行,精神科看護者への情報提供な
どである。
なお,研究にあたっては精神科医療ユーザーの人としての尊厳を傷つけたり,権
利を侵害することのないよう配慮しなければならない。
7)
(他の専門職との連携)精神科看護者は,家族や他の専門職との連携を図り,
対象となる人々がその人らしく生活できるよう努める。
精神科看護が対象者とみなし,支援を行うのは当事者のみでなくその家族も含ま
れる。家族の意向は,治療・看護にさまざまな影響を及ぼす。急性期医療において
11
01_日本精神科技術教会 2011.8.23 1:15 PM ページ 12
Ⅰ. 日本精神科看護技術協会「精神科看護の定義」「精神科看護倫理綱領」
は,患者の回復より家族の精神的回復は遅れがちである。そのため,入院期間が不
必要に長期化することがある。長期入院者の退院促進は,家族の反対にあうことで
計画が頓挫することも多い。家族に納得してもらえる提案ができるかどうかは,患
者の地域移行支援にとって時に決定的な意味をもつことがある。
医療の現場で日常的に使われる「チーム医療」という言葉は,目指すべき理念で
あって,既に存在するとは考えないほうがいいのかもしれない。職種間の連携,特
に看護職と医師の関係は,パートナー,車の両輪等といわれるが,果たしてそう表
現できるほどに成熟した関係となっているか,臨床現場によっては疑問を感じるこ
とも少なくない。
医療事故の要因の一つに「権威勾配」が指摘されることがある。この概念は,飛
行機事故における機長と副操縦士,航空機関士のコミュニケーション,意思決定,
チーム形成の分析に由来する。飛行機のコックピット内の権威勾配は,機長が過度
に権威主義的でも,平坦な関係でも事故に結び付くことがあるという12)。
このことを医療に即していうと,看護者は医師の指示を無視することは許されな
い。しかし一方で,医師の指示が納得できないとき看護者は,医師に自分自身の問
題意識を十分に伝えきれているかが問われることになる。医療事故防止という観点
12)篠原一彦:医療
のための安全学
入門 事例で学
ぶヒューマン
ファクター,
p.111∼120,
丸善,2005.
からも,各職種は相互に補い合い,しかも自律しているという関係を目指さなけれ
ばならないだろう。
家族,そして医師,精神保健福祉士,作業療法士,薬剤師等の専門職種の連携が
スムーズであれば,当事者が「その人らしく生活できる」可能性が広がる。その人
らしい生活とは,当事者のそれまでの生き方,生きることへの意味づけ,そして周
囲の人々との関係等に影響され,決まってくるその人固有の生活である。
8)
(社会の信頼と期待)精神科看護者は,専門的知識と技術をもって,社会の
信頼と期待に応えられるよう努める。
社会は,精神科看護者の専門性=知識と技術に何を期待しているのだろうか。そ
の期待に応えるとはどういうことなのか。あらためて考えてみたいテーマである。
精神科看護者への社会からの期待は,精神科医療への社会からの期待に重なるだ
ろう。このテーマは,社会は精神科医療に何を期待し,精神科看護者は精神科医療
のなかでどのような役割を担うのか――という問いに置き換えることができる。
現在,医療の世界で第一の課題として挙げられなければならないのは,医療安全
の問題だろう。健康を回復する目的をもつはずの医療の現場が危険に満ちているこ
12
01_日本精神科技術教会 2011.8.23 1:15 PM ページ 13
とは,かつては社会の側からは信じがたいことだったと思われる。しかし,今では
連日のように医療事故の報道がなされる現実がある。精神科看護者もまた,その防
止に取り組まなければならない。日常の臨床の中に潜む事故要因を洗い出し,安全
な治療環境を保つには,看護者の「専門的知識,技術」が必要とされている。
日精看も,2006年から11月の医療安全週間にあわせて「医療安全推進フォーラム」
を開催し,医療安全への取り組みを強化している。
患者の人権に配慮した医療もまた,精神科医療に期待されていることである。精
神科医療は,しばしば不祥事を引き起こし,社会から指弾されてきた歴史がある。
精神科病院は,一般的には暗く閉ざされた特殊な病院というイメージをもたれてい
る。しかし,多くの精神科病院が建て替えの時期を迎え,病院内外とも明るく,ア
メニティのよい新しい病棟が目立つようになってきた。物理的環境の改善に加えて,
社会からは「人が人として尊厳をもって遇すること」を精神科医療は期待されてい
る。精神科看護者が,精神科臨床で心がけなければならないことの第一と第二は,
安全・安心,それに人権への配慮だろう。
新しい薬物が次々登場し,治療技法が刷新されていく時代である。このような背
景をもつ社会は,精神科看護者に変化に対応できる専門職であることも期待してい
る。社会の信頼を得て期待に応えるには,より高い専門性をもった精神科看護者の
養成が必要である。日精看は,精神科認定看護師制度を改正し,2007年から専攻領
域を10に拡大した。1人1人の精神科看護師が生涯学び続ける姿勢をもち,精神科
医療の進歩に立ち遅れない看護を展開する能力を身につけていくことが,社会の期
待に応え信頼を得ていく基本ともいえる。
9)
(普及啓発)精神科看護者は,地域社会の人々にノーマライゼーションの観点
から,精神保健福祉(思想)の普及に努める。
障害をもつ人々も,安心して地域で暮らせる社会的条件を整備していくことが,
ノーマライゼーションである。精神科医療におけるその実現の第一歩といえる脱施
設化は,2003年度より実施されてきた精神障害者退院促進支援事業が,2006年度に
障害者自立支援法の地域生活支援事業に位置付けられることで,目に見える形にな
ってきた。この流れを定着させることができるかどうかは,障害者自立支援法によ
って利用しやすい社会資源が十分に整備されるかどうかにかかっていた。そして,
問題は,地域社会がノーマライゼーションや精神障がい者の社会復帰に理解を示す
かどうかであった。
13
01_日本精神科技術教会 2011.8.23 1:15 PM ページ 14
Ⅰ. 日本精神科看護技術協会「精神科看護の定義」「精神科看護倫理綱領」
精神障がい者は危険とみなされ,地域に受け入れてもらえないことがある。グル
ープホームや作業所の設立の計画が,地域住民の反対によって挫折を余儀なくされ
ることが全国各地で起こっている。触法精神障がい者の専門治療病棟も,根強い反
対運動で大幅に建設が遅れてきたという経緯がある。
「精神保健医療福祉の改革ビジョン」は,
「精神疾患を正しく理解」し,
「自分自
身の問題として考える」ことを期待して,「精神疾患は生活習慣病と同じく誰でも
がかかりうる病気であることの認知度を90%以上とする」という「国民意識変革の
達成目標」を掲げている。また,精神保健福祉法は,国民の義務として「国民は,
精神的健康の保持及び増進に努めるとともに,精神障がい者に対する理解を深め,
及び精神障がい者がその障害を克服して社会復帰をし,自立と社会経済活動への参
加をしようとする努力に対し,協力するよう努めなければならない」と定めている。
このような規定を設けなければならないのも,精神障がい者を取り巻く現実がそれ
だけ厳しいからである。
日精看は「精神保健・医療・福祉領域での業務経験を有する者が集い精神科看護
領域の学術の振興を図り,その成果を活用することで,精神的健康について支援を
必要としている人々が安心して暮らせる社会をつくっていくことを目的とする」と
第36回通常総会で定款変更案が承認された。
また,目的達成のために,看護の有資格者だけでなく,精神保健・医療・福祉領
域での業務経験を有する者は,他職種でも正会員としての資格をもつことができる
ように変更された。目的達成のための事業として,①精神科看護領域の学術の振興
を図り,その成果を活用して精神障がい者を支援していく事業,②精神障がい者の
自立を目指す活動に協力し,支援していく事業,③一般公衆に対する精神保健医療
福祉に関する普及啓発活動等を通して,万が一,精神障がい者となっても,安心し
て地域で生活できるように精神科看護者も他職種と協働して一定の役割を果たさな
ければならない。
10)
(政策提言)精神科看護者は,看護専門職能人として地位の向上と看護水準を
高めるため政策提言を行う。
看護者が病院や地域で遭遇する問題の背景には,直接的,間接的な区別は必要か
もしれないが,全て政策があるともいえる。行動制限のように「厚労省告示」の遵
守が求められ,政策と臨床が直接的なつながりをもつ場合もあれば,家族問題のよ
うに政策は臨床と間接的に関係しているだけのこともある。また,障害が「社会的
14
01_日本精神科技術教会 2011.8.23 1:15 PM ページ 15
不利(ハンディキャップ)」となるのは,多くの場合,社会的な施策が不十分な故
であることも考慮されなければならないだろう。
日精看では,2年ごとの診療報酬改定,ほぼ5年ごとに行われている精神保健福
祉法改正など,精神保健医療福祉に関連する政策の動きに対して要望書を提出して
いる。これは,精神科の領域における専門職能団体として政策決定に影響力を行使
することにより精神科看護の困難さを軽減することができれば,それは患者の利益
にもつながると考えているからである。ただ,政策提言に際して,アイデアだけで
意味をもつ場合もあるが,多くの場合はその根拠を示さなければ説得力がない。職
能団体が政策決定に関与していくためには,課題の発見,調査に基づく問題解決の
方向性の提示などを行っていかなければならない。
わが国の自殺者数は,1998年に3万人を超え,以来,2010年まで連続して12年間
も3万人台が続いている(2010年の警察庁統計では自殺者は31,690人)
。交通事故に
よる死亡は飲酒運転の厳罰化,各種団体等の取り組みもあって減少を続け,2008年
は5,155人にまで減少した。交通事故の6倍もの人々が自ら命を絶つという深刻な
事態である。2006年には,自殺対策基本法が制定された。国も自殺予防に本格的に
取り組み始めているが,精神科看護者はこうした社会問題にも敏感でなければなら
ない。なぜなら,例えば,自殺とうつ病は密接な関係にある。受診せず,うつ病と
気づかれないまま自殺にいたることも多い。われわれの専門知識と,技能をこの問
題の解決に活用するには,どういう取り組みが考えられるのだろうか。
日精看では,2010年から自殺予防週間と,自殺対策強化月間にあわせて「自殺予
防対策セミナー」を開催し,自殺防止のための啓発活動を行っている。また,毎年
7月1日を「こころの日」と位置づけ,こころの健康の大切さを考えていただくた
めに講演会やイベントを行っている。この取り組みは,精神科看護者の存在を社会
にアピールする機会にもなっている。
以上,解説を加えた日精看の倫理綱領は「精神科看護」に特有なものというより,
看護全般あるいは全ての医療関係者に必要とされている倫理であるとも言えるだろ
う。しかし,精神科医療・看護には医療の他の領域よりも過大に,日常的に倫理的
葛藤がつきまとうようにも感じる。それは,精神科医療が「強制的」「非自発的」
な医療・看護を避けることができないからである。入院や治療を自己決定してもら
おうにも,判断能力に問題がある場合もある。自己決定は,人が自由意志をもって
いることが前提となるが,精神障がい者の場合はこのこと自体が障害されている場
15
01_日本精神科技術教会 2011.8.23 1:15 PM ページ 16
Ⅰ. 日本精神科看護技術協会「精神科看護の定義」「精神科看護倫理綱領」
合があるのである。
何が患者の最善の利益なのか,家族の意向のみで決定してもいいのか,どこまで
人権の制限は許されるのか,看護者はジレンマに陥る。このような患者の尊厳と権
利擁護をめぐる悩みや葛藤は,精神科看護者の多くが経験する。医療のどの領域で
も倫理問題は発生するが,精神科臨床ほど日常的ではないと思われる。
精神科看護の実践過程で起きる倫理問題に答は用意されているのか。一般的に法
は条文化されており,何をなせばよいか,やってはいけないことは何かは明白であ
る。そして,強制力ももっている。倫理は内面的なものであり,個人によって考え
方は微妙に違う。したがって,発生した個別倫理上の課題に向き合うしかない。日
精看の精神科看護倫理綱領も,臨床で起きる問題について答を用意しているのでは
ない。むしろ,精神科看護者はどのような姿勢をもって専門職能人たらんとしてい
るのかを,社会に対して宣言するという意味合いが大きい。職能団体が倫理綱領を
定めることで,その構成員の倫理的感性を覚醒させ,倫理的判断能力を高めると楽
観できるほど精神科看護の臨床は安易ではない。しかし,専門職能団体として,日
精看は社会に何を約束し,構成員にどのような倫理的態度を求めているか,日々の
臨床での葛藤のなかで思い起こすのも,専門職能を生きる上では必要だろう。
日精看の倫理綱領の構造を表2に整理した。この倫理綱領には,
「自律性の原則」
は明確には示されていない。
「人権の尊重」
「治療への参画」に含まれるとも考えら
れるが,次回改訂では,
「自律性の原則」をめぐる議論が必要だろう。
表2 日精看の精神科看護倫理綱領の構造
ケアに直結した
臨床看護倫理
1 . 人権の尊重
2 . 説明と同意
3 . 行動制限最小化
4 . 個人情報保護
ケアに間接的に影響する
看護倫理
7 . 連携
9 . ノーマライゼーション
職能団体としての組織倫理
5 . 学習 6 . 研究 8 . 社会の信頼 10 . 政策提言
*本項は、『精神科看護白書2006⇒2009』所収「日本精神科看護技術協会における
精神科看護の定義と精神科看護倫理綱領」
(p.229-243)を一部改変したものです。
16
02_精神科看護者 2011.8.23 1:16 PM ページ 17
Ⅱ. 精神科看護者が日常的に出会う倫理問題
1.接遇と倫理
この「精神科看護者のための倫理事例集」の発刊を目的に実施したアンケートへ
の回答のほとんどは,われわれが期待した倫理的ジレンマの事例ではなく,各自が
感じ取った倫理的問題の箇条書きであった。その数,400余。その中で看護教員の
回答は,約300項目にもなった。それをカテゴリー化してみたところ「接遇」
「病棟
ルール」「基本的な看護姿勢・技術・知識」に分類できることがわかった。看護教
員の目に映った精神科看護の「倫理的問題」の多くは,接遇的な側面,基本的看護
技術の原則無視,知識不足にあったといっていいだろう。看護教員の倫理的感受性
では,接遇の悪さが個人の尊厳を侵していると感じとられているし,手技の原則無
視が患者の尊厳を冒したものと映っている。接遇の問題は,
「もてなし」
「サービス
提供」の問題であって,倫理とは関係ないという意見もある。しかし,看護教員は
接遇の問題を倫理的な問題としてとらえていた。
ある看護部長は「看護師教育の方針として心がけていることは?」と問われて
「機会をとらえて注意しているのは,社会人としてのマナーの大切さ。いろいろな
年齢や背景をもつ人間を相手にする職業なので,挨拶,身だしなみ,接遇など,社
会人としてのマナーを身につけることは必須です。それが,初対面の方に安心感と
13)(野宮雅子:国
立病院機構 東京医
療センター看護部長
philiaフィリア no.4
march 2010
信頼感をもっていただける第一歩だと思っています」と答えている13)。
患者に「安心感と信頼感」をもってもらう必要がある。初めて受診する,あるい
は入院した患者であれば不安であろうし,この病院はきちんとした治療看護を行っ
てくれるだろうかという思いに駆られるであろうことは容易に想像できる。だから,
マナーが重要なのである。
マナーの悪さは,自分はないがしろにされたという思いを患者に抱かせ,自尊心
を傷つける。自尊感情の低下しがちな精神障がい者にとって,このことは医療者と
の信頼関係を損なうことにもなり,継続した受診に影響が出ることもあるだろう。
このように考えると,マナーの悪さは「害するなかれ」という倫理原則に反すると
もいえる。
接遇,マナーは,マニュアルを用いて,あるいは講習会を開いて学んでもらうこ
17
02_精神科看護者 2011.8.23 1:16 PM ページ 18
Ⅱ. 精神科看護者が日常的に出会う倫理問題
とが可能である。「教育・訓練で身につけてもらえるから倫理問題ではない。倫理
というのは内面的な問題である―」という主張になるのだろう。確かに,教育訓練
で患者に「安心感と信頼感」をもってもらえる演技が可能となり,不快感を与えな
い接遇が身につくかもしれない。しかし,「相手を思いやる気持ちが自分のなかに
あって役割を演じているだろうか」,「心にもない対応をしているのではないか」
「どうもしっくりこない」
,そういう気持ちにとらわれたときには,表層の演技と内
面の動機が葛藤状態となる。これは,一種の倫理的ジレンマといってよい事態であ
る。
あいさつや電話の応答などのマニュアル化できる「型」としての接遇は,講習会
で学ぶことができる。しかし,「型」の実践では心がこもっていないことに気づく
こともある。多くの人は,行為の動機の純粋さも求めるだろう。とすると,ここか
らは倫理の問題ということになる。
相手を思いやること―これは,看護の底に流れるケアリングと呼ばれることもあ
る対人状況である。接遇は,本来そこに根をもっているはずなのだが,援助者の感
情は揺れ動き,怒りがわくこともある。冷静に「患者さま」といっていられる場面
だけではない。そのような時,感情のままに振る舞おうとするのを抑えるのは倫理
の力である。
アンケートでは,
「浣腸を温めていない」
「体温計を使用後消毒せずに次の人に使
っていた」「褥瘡の処置をしていても,体位交換が効果的に行われていなかった」
などが指摘されていた。忙しさのあまり,基本的な看護技術を手抜きして済まそう
としている自分に気づき後ろめたい気持ちになったとしたら,その感情は倫理的感
受性に由来するものだろう。このように,自分自身が利己的に振る舞いそうになっ
ていることに気づき,それに対して抵抗するエネルギーを供給するのも倫理である。
<なぜ,ちゃんづけは問題か:接遇が倫理問題となる時>
一昔前のことだが,慢性期病棟で精神看護実習を行っていた時のエピソードであ
る。A看護師が病棟内放送で「・・・ちゃん,女子病棟に行くならお小遣い渡さな
いわよ(おやつだったかもしれない)」と注意していたと,学生が実習カンファレ
ンスで報告したことがあった。その話し合いに加わっていた私は,学生にこのカッ
コ内の言葉だけを抜き出すと,誰が誰に言う場面が想像できるかと問いかけた。
その病棟は,ほとんどの患者が長期入院患者であった。「・・・ちゃん」と呼ば
れた患者は,中年男性であった。10代後半から20代前半ごろ入院して以来,10年,
18
02_精神科看護者 2011.8.23 1:16 PM ページ 19
20年を経て,その時まで付き合いの長いなじみのA看護師にこのように呼ばれ続け
たのであろう。
学生に,誰が誰に言っている場面が思い浮かぶかと問いかけたのは,ペプロウの
患者−看護者関係の変遷に連想が及んだからであった。よく知られているように,
患者と看護者はお互い未知の人として出会い,幼児−母親代わりという依存関係,
カウンセラー・情報提供者−子ども・青年という過程を経て,対等の大人対大人の
関係へと発展していく―と,ペプロウは患者−看護者の相互関係のプロセスについ
て論じている。
急性期の症状があって入院した患者は,精神,身体いずれであれ病状が改善して
いくにつれ,次第にセルフケア能力が回復し,依存から自立へと向かう。これが一
般的な疾患の回復過程であること,そうならないとしたら,患者−看護者関係の経
過に何らかの問題が潜んでいるというのがペプロウの主張である。
この実習でのエピソードの患者−看護者関係は,ペプロウの役割関係の変遷から
いうと,依存関係で停滞していて,次のステージに進んでいないと考えられる。こ
のA看護師は,10年,20年と母親代わりの役割を取り続けて,患者を依存的な母子
関係のなかに封じ込めてきたとはいえないだろうか。当事者達は意識していないに
しても「・・・ちゃん」と愛称で呼ぶ関係からは,このような患者−看護者関係が
想像される。このような関係の中では体験は積み重なることはなく,パーソナリテ
ィの発達が促されるとは思えない。
通常想定される発達,患者−看護者関係の発展が意識されない看護者の戦略によ
って阻害されているとしたら「害するなかれ」という倫理原則に反することにはな
らないか。そのような病棟文化を容認してきた組織倫理のありようは問題ではない
か。「ちゃんづけ文化」は,接遇の問題だけでなく倫理の問題としても考えること
ができると思われる。
患者を依存させることでコントロール下におくような病棟文化が,かつての精神
科病棟を支配していたことは否定できない。時に,接遇の問題として「愛称で呼ぶ
のは止めよう」と言われることはあっても,なかなか改められることはなかった。
愛称で呼ぶような患者との距離の近い家族的雰囲気は,むしろ好ましいと考える看
護者もいた。ちゃんづけで呼ぶことは,患者をいつまでも母親の庇護下に留め置き,
意のままに支配したいという母親役である看護者の意識されない願望の現れなのか
もしれない。
伝統的な看護のものの考え方は,看護者が患者をアセスメントし,それに基づい
19
02_精神科看護者 2011.8.23 1:16 PM ページ 20
Ⅱ. 精神科看護者が日常的に出会う倫理問題
てプランを立案し,実践するというものだった。プランは,一方的に患者に押し付
けられがちであった。医療者のコントロール下でしか,順調な回復は望めないとい
うわけだ(急性期医療ではこの側面を全面否定できないが)。患者も依存する方が
心地よいし,ケアすること自体が依存や退行を誘発する面もある。医療の文化は,
このようなお任せ医療から自己決定医療へとそのコンセプトを変えつつあるとはい
え,患者との協働はまだ十分とはいえない。特に,精神科医療は強制的な治療を完
全に克服できる展望をもたないから,なおさらである。
このような背景もあって精神科病院では,最近まで「ちゃんづけ」に象徴される
ように,患者を幼児の発達レベルにとどめ置く依存的な患者−看護者関係が支配的
であったと考えることもできるだろう。これは,患者を看護者が一方的にコントロ
ールする病棟文化である。自立した地域での暮らしがケアの目標となる時代となり,
大人と大人の関係が求められている。退行促進的な呼称は,接遇上のことのみでな
く,治療関係あるいは倫理的にも問題をはらむと考えなければならない。
呼称問題の倫理には,別の側面もある。認知症病棟では,愛称を含む若い頃の呼
ばれ方,あるいは旧姓,その人が一番輝いていたころの役職名で患者を呼ぶことが
あるという。その方が反応がいいからだ。接遇的には当人の名字を呼ぶのが正しく,
それは高齢者でも子どもでも変わりないとされることが一般的だろう。それを承知
で,このような多様な呼び方を患者のいま生きている世界に合わせて用いることは,
倫理的に許されるかどうかが問われるかもしれない。
「うそ」とまではいえないかもしれないが,一種のからかいではないかと受け取
る医療スタッフがいるかもしれない。家族はどう思うかも気になる。ここでは,ち
ゃんづけ問題の「害するなかれ」の倫理原則というより「嘘も真もことばの手管」
ということをめぐる倫理が問われることになるだろう。
表3 患者−看護者関係における諸局面と役割の変遷
カウンセラー
看護者
未知の人
無条件的な母親の代理人 情報提供者
リーダーシップ
おとな
代理人=母親,兄弟
患者
看護関係
における
諸局面
未知の人
幼児
方向付け・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
子ども
青年
おとな
同一化・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
開拓利用・
・
・
・
・
・
・
・
・
問題解決
20
02_精神科看護者 2011.8.23 1:16 PM ページ 21
2.倫理原則と臨床
かかわれない、その瞬間に存在するものごと
事例「彼女」
彼女の看護記録には、脈拍や便尿の回数を書き込む欄に毎日「拒否」の文字が並んでいる。
脈もとらせず、便や尿の回数を聞いても返答しないということだ。
誰とも口をきかず、毎日頭から毛布をかぶって過ごすようになって、もう1年が経ってしまっ
た。
彼女は私に脈をはからせる。しかしそれは看護者である私を好きであったり、信頼している
というわけではないように思う。私が追い詰めるからだ。逃げられないように、ベッドの隅ま
で彼女を追い詰める。
よい看護者、よい人風の笑顔を作りながらにじり寄る。意地悪だと思うし、媚びたつくり笑
いの嘘を彼女に見抜かれてるような気がして、自分がとても愚かしい気にもなる。でも、そう
する以外に、私は自閉する彼女との接点をもつ方法を思いつかないのだ。逃げられないことを
知り、あきらめると、彼女は細い細い手を差し出す。
(中略)
検脈が終わると、彼女は石鹸を持って洗面所に急ぐ。他人に触れられる屈辱を拭い去ろうと
するかのごとく、ひとしきり彼女は手を洗う。私はその後の姿に「ごめんね」と謝りながらも、
検脈板に数字が書き込めたことに、なぜかとても安堵するのだ。
とりつくしまのない患者さん、拒絶的な患者さんを前にすると、やはり不安に駆られてしま
う。ふだん自分がやっている「いかにも看護らしい」ことができないぶん、看護者として自分
がそこに存在する意味がないように思えてしまうからかもしれないし、あるいはそれ以前の話
で他者と「つながれない」こと自体が私を不安にさせるのかもしれない。
かかわりの瞬間があるなら、たとえどんなわずかな接点であっても、どんな形であったとし
てもつながっていたいと思う自分のほうが、もしかしたらはるかに必死なのかもしれない。か
かわることそのものを拒否されているときに、時間をかけて待つことも必要なのだろうと思い
ながらも、
「なにかしらの取っかかり」を見つけられないかと模索せずにはいられない。
また、私と彼女の短いかかわりに、こちらが発する以外の言葉はない。なにか話しかけては
みるものの、返答がない以上、こちらが発した言葉はそのまま宙を漂っているような格好にな
る。その不安定で居心地の悪い空間にも私が少し慣れはじめたところ、双方の息づかいがそこ
にあることに気がついた。
「あれが言葉の代わりなんだなあ」と後になって思ったのだった。
阿部あかね:『精神科看護』2004年11月号「息づかい」より
21
02_精神科看護者 2011.8.23 1:16 PM ページ 22
Ⅱ. 精神科看護者が日常的に出会う倫理問題
臨床で起きる倫理上の問題を考える場合,倫理原則がもち出されることが多い。
その中でも最もよく知られているのは,以下のようなビーチャムとチルドレスの4
原則である。
(1)自律性尊重の原則:患者の考え方,選択,行動を尊重する
(2)無危害原則:患者に危害を与えない
(3)仁恵の原則:患者の幸福や利益になるように行動する
(4)正義の原則:患者を平等に処遇し,資源を公平に分配する
この4原則は,①患者の自己決定を尊重しているか,②患者に害になるようなこ
とを行っていないか,③患者の利益になることは何か,④患者は公平,公正に処遇
されているか ―このように医療者が自らに問いを発し,批判的に吟味することと
いえる。
倫理理論はカントの義務論,ミルの功利主義,アリストテレスの徳倫理など多様
に体系化されている。この多様な倫理理論のなかから,ビーチャムとチルドレスは,
医療の場で起きる倫理問題を判断するのに応用しやすく共有しやすい原則を取り出
し,4つの原則としたといわれている。この客観的で普遍性のある4つのシンプル
な原則を用いて倫理問題の論点整理を行えば,判断の根拠を示してかみ合った議論
が可能となると考えられているのである。
しかし,事例「彼女」をこの4原則で考えようとすると何か無理がある,釈然と
しないという思いに駆られる。
(1)自律性尊重の原則について
嫌がるのを追い詰めて脈をとっているのだから,患者の思いを尊重しているとは
いえない。自律性の原則を無視しているのは明白である。
(2)無危害原則について
本人は,触られた手を洗いに行く。触られることで手が汚されたと思い込んでい
るとすれば,心理的な侵襲を加えたともいえる。無危害原則に反することになる。
22
02_精神科看護者 2011.8.23 1:16 PM ページ 23
(3)仁恵の原則について
彼女に利益になる行為と言えるかどうかが問われる。
以上のように,4原則に基づいてに考えると嫌がる患者の脈を測るこの場面の行
為は,このうち3つの倫理原則に適わない行為に思える。果たして,倫理的問題は
ないと言えるだろうか。
しかし,このように,倫理原則に沿って考えてみるだけでは釈然としないのはな
ぜか。一つは,看護者の動機が考慮されていないことである。病棟の他の看護者は,
拒否されれば,それ以上は働きかけずに引き下がっている。検脈板に拒否と書き入
れて済ませている。そういう病棟文化の中で阿部看護師だけが,患者さんの自閉の
壁を何とか突き崩したいという思いから,自分自身「愚かしい」行為と思いつつも
脈をとっている。この行為が倫理的問題はないと言えるかどうか検討する時,この
動機は無視されていいのだろうか。
そして,阿部看護師自身,決してこれでよしとしているわけではない。「この方
法しか思いつかない」から次善の方法として行っているだけである。脈一つ測るこ
ともできない全てに拒否という状態,関わりがもてない状態が1年も続いているな
かでの次善の策なのである。あっさり引き下がる他の看護者を見ていて,私だけで
もという思いも阿部看護師の中にはあっただろう。
このように状況は複雑である。患者さんの個性,生活史,感情,病棟文化,他の
看護者の考え方,さまざまな要素が絡み合っている。それらを考慮したなかでの,
とりあえずの判断――追い詰めてでも脈をとることから,展望が開けてくるかもし
れないということにかけてみるという試みは許されないのか。こういう総合的な視
点からの検討は,倫理原則で考えるようなクリアさがないことは確かである。どの
ような行為をすればいいかの指針は見出しにくい。
倫理原則を規範,基準として,人の行為を評価することへの批判がある。原則に
従い,結果さえよければ倫理的な行為といえるのかという批判である。
「気づかい」
「思いやり」「配慮」「気配り」といった行為の背景をなしている心のありようや姿
勢を無視していいのかと問うているのである。「ケアリング倫理」と呼ばれる倫理
的立場からの問題提起である。
女性の道徳観念の発達は,男性とは異なるという実証的な研究から発展した「ケ
アの倫理」は,倫理原則だけに依拠して倫理問題を判断することに批判的である。
他者の苦悩を感じ取り,それを軽減することに責任をもとうとする「ケアの倫理」
23
02_精神科看護者 2011.8.23 1:16 PM ページ 24
Ⅱ. 精神科看護者が日常的に出会う倫理問題
では,普遍性ではなく個別性を重視し,関係性に注目して倫理問題を考えようとす
る。
ある行動を選びとったことの倫理的妥当性を明確に示すことは,そう容易ではな
いとあらためて思う。
24
03_アンケート調査結果 2011.8.23 1:17 PM ページ 25
Ⅲ. アンケート調査の概要
1.調査の概要
1)目的
臨床の場においては日常的にさまざまな倫理的価値の対立があり,特に強制的入
院や閉鎖処遇,隔離・拘束などの治療手段が避けられない精神科において,問題は
いっそう複雑である。当事者の意思と家族の意思が相反するとき,医師の判断と看
護者の思いに不一致があるとき,患者が判断能力欠如とみなされて真実の告知が行
われないとき等,看護者が倫理的な意思決定をするための一助となる事例集を作成
するための基礎資料とすることを目的とした。
2)対象
(1)精神科認定看護師(2008年4月1日現在の登録者)
(2)第15回専門学会Ⅱの参加者
(3)全国の看護師養成機関に勤務する精神看護学担当教員(2008年10月現在の
会員登録者)
3)調査方法
看護者対象および教員対象の自記式質問紙をそれぞれ作成し,郵送にて配布・回
収した。ただし,対象者(2)については学会受付にて配布し,会場内に回収箱を
設置して回収した。
4)調査期間
2008年10月∼11月
5)倫理的配慮
質問紙とともに,調査は無記名であり,個人が特定されることはないこと,デー
タは厳重に保管し,調査目的以外には使用しないことを明記した文書を配布し,調
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03_アンケート調査結果 2011.8.23 1:17 PM ページ 26
Ⅲ. アンケート調査の概要
査用紙の返送をもって調査に同意したものとみなした。
6)分析方法
回答された文章から倫理的価値の対立に関する文脈を抽出し,内容の類似性によ
って分類・整理し,カテゴリー化した。分析は,複数の精神看護学領域研究者によ
り客観性を確認しながら行った。
2.結果
1)回答者の状況
回答者総数198名,うち精神科認定看護師84名(151名配布,回収率55.6%)
,第15
回専門学会Ⅱ参加者13名(583名配布,回収率2.2%)精神看護学担当教員101名
(297名配布,回収率34.0%)であった。全てを有効回答とした。
2)回答内容
全対象者の回答から821文脈が抽出され,内容によって整理したところ,接遇に
関する問題,病棟ルールに関する問題,看護の基本的姿勢に関する問題の大きく3
つに分けることができた。更に類似性によって分類したところ,いくつかの項目に
整理できた。その項目および代表的な事例について表4∼6に示した。
(1)接遇に関する問題
ここでは,接遇を患者と接するときの単なるマナーを意味するものではなく,精
神科医療とくに精神科病院に入院している患者の「人としての尊厳」に関わる看護
者の姿勢の問題としてとらえた。患者をどう呼ぶかという呼称の問題,威圧的行
動・言動,不適切な言葉遣いや態度,プライバシー保護の問題,説明と同意,人と
しての尊厳を直接奪うような行動・言動等の記述があった。
(2)病棟ルールに関する問題
過剰でずさんな危険物管理や,預かっても管理を適正に行わない等の危険物に関
する問題,私物・金銭・嗜好品の管理における画一性や,それらの管理を患者をコ
ントロールする手段として使っている問題,その他外出や入浴,スケジュール管理,
服薬管理等における問題の記述がみられた。
(3)看護者の基本的姿勢の問題
知識不足や処置の原則の軽視・無視,感染等に対する医療安全の軽視・無視等,
26
03_アンケート調査結果 2011.8.23 1:17 PM ページ 27
基本的な看護技術の不足の問題,看護者の都合による隔離・拘束,懲罰的な隔離・
拘束,隔離・拘束中のケア不足等の不適切な隔離・拘束の問題,治療やケアのみな
らず患者の人生における自己決定の軽視・無視の問題,特に身体疾患や身体症状の
軽視・無視等の治療・ケアの放棄の問題等の記述があった。
また,記録については方法の問題,内容の問題,質的な問題,看護計画の不備に
関する問題が記述されており,医師との関係性における「指示受け」の問題につい
ての指摘もあった。
3.考察
表4∼6に示したように,提起された問題は数多く,ここに示された短文だけを
読んでいると,精神科病院というところはとんでもないところであるかのように思
われてしまうかもしれない。しかしながら,記述されているのは,一つの現象その
ものであり,これらの行為がどのような文脈の中で行われたのかについては不明で
ある。倫理は法律と同じように,その人の属する社会の価値観に基づくものであり,
人の行動を規定するものである。法律は成文化されたものであり,法律にはすべて
の人が平等に従わなくてはならないし,執行手段がある。それに対して,倫理は法
律ほど厳密でも正確でもないし,倫理を守らせるための社会的組織はない。しかし,
法律はある一つの行為のみが問題にされるが,倫理は行為に反映されるであろう意
図や想念までも含めて考えられるものでもある。したがって,ここに示された「行
為という結果」のみから,すべての行為が倫理的に問題であるとするのは,あまり
に短絡的な見方であると思われる。
たとえば,
「患者を拘束する」という行為は,できれば避けたいと考えていても,
転倒のリスクの高い高齢者の場合は転倒が骨折に直結することは少なくない。骨折
は,寝たきりにつながりやすいこともよく知られた事実であり,骨折もまた避けた
いリスクである。拘束によって更に筋力が低下し,歩行がおぼつかなくなるという
患者のセルフケア上に及ぼす問題も考慮しながら,それでも数少ないスタッフの中
でどうすることが最もよいのかについて十分に検討された結果であるなら,「高齢
者の拘束」という行為は倫理的な問題というよりも,むしろスタッフ配置の問題と
いえるかもしれない。
また,非告知投薬は,まさに「自律性の尊重」と「善行」という倫理原則の対立
であり,
「倫理的ジレンマ」の代表ともいえるような行為である。外部から見れば,
27
03_アンケート調査結果 2011.8.23 1:17 PM ページ 28
Ⅲ. アンケート調査の概要
患者に説明もせず薬を飲ませる,あるいは無理やり患者を押さえつけて注射をする
ということは,患者の自己決定を無視するとんでもない行為のように見えるかもし
れない。しかし,常に患者と関わり,患者の非現実が現実に近づいていくという薬
物の効果を知っている者にとっては,その行為を行わないことがかえって患者の苦
痛を長引かせてしまう可能性が大きいと感じられるのである。しかし,その行為と
いう現象のみに目がいくと,何の疑問も感じないで平然と非告知投薬を行っている
かのように見えてしまうということも起こりうるのではないだろうか。
さらに,長期にわたる入院期間の中で構築された,あたかも家族であるかのよう
な人間関係がかもしだす雰囲気も,他者から見れば異様に映るかもしれない。立派
な中年男性が「○○ちゃん」などと呼ばれるのは,確かに子ども扱いしているよう
に見えるかもしれないが,当人同士はそれに慣れ親しんでおり,むしろ友達関係と
いうようなものともいえる。病院は地域の中にあって,一時的な通過地点にすぎな
いという考えが出てきたのは最近のことであって,かつては生活の場そのものであ
り,衣食住はもとより,レクリエーションから作業まで常に一緒に行ってきたのだ
から,そのような関係が構築されていったことを全面的に否定するわけにはいかな
いだろう。しかし,現在は,そこからさらに前向きに地域に参加することを推進し
なければならないのだから,これまでと同じようであってはならないことはいうま
でもない。関係の変化を恐れるからでもあろうが,あまりにも長い期間慣れ親しん
だ名前から変わることを患者自身が望まないということもあって,変化の歩みが遅
くなっているのだともいえる。しかし,若い看護者までもがそういう呼び方をする
のは,明らかに間違いであろう。支援をする者として,患者と新たな関係を築いて
いくときに,
「○○ちゃん」と呼ぶことがあってはならない。
看護技術の原則無視や知識不足,あるいは看護記録の不備,看護計画の不十分さ
などに関して,ここに提起されたようなことが行われているのであれば,それは正
していく必要のある倫理以前の問題である。倫理は,行いや態度が「良いか悪いか」
「正しいか,間違っているか」
,あるいは「なぜそのような行動をするのか」を検討
するものであり,吟味するのは当事者が大切にしているもの(価値)である。私た
ちが臨床において,どのように振る舞うかを規定するものともいえる。
たとえば,私たちは滅菌ガーゼを素手では扱わない。それはなぜか。感染のメカ
ニズムについての知識(科学的根拠)があり,患者に害を与えてはならない(倫理
原則)という姿勢を基にして,素手で扱わないという行為が生まれる。言葉を変え
れば,倫理は医療従事者が本来とっているケアに臨む姿勢を意識化したものに他な
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03_アンケート調査結果 2011.8.23 1:17 PM ページ 29
らず,すでに医療従事者の中にあるものであり,自らの内に見出せばよいというこ
となのである。
医療行為の一つ一つに倫理的側面は存在する。たとえば,死が間近に迫り,経口
的に栄養をとることができなくなった患者に輸液をすることの是非は「輸液によっ
て栄養,水分が補給され患者の生命を延ばすことができる」という側面と「患者の
心臓はすでに弱っていて,尿がほとんど出ない状態なので,患者の苦しみがさらに
増す可能性がある」という側面を考える必要がある。倫理に正解はない。ただ,自
らがなした行為について,なぜそのようにしたのかを説明できるように,正しく悩
むことが必要なのではないだろうか。
29
03_アンケート調査結果 2011.8.23 1:17 PM ページ 30
Ⅲ. アンケート調査の概要
表4 接遇に関する問題
項目
具体的な事例
患者の名前を呼び捨てにしたり「∼ちゃん」づけで呼ぶ
入院が長いためか職員との距離が近すぎるのではないかと思われる場合がある
不適切な呼称
若い看護者までもが自分よりも年上の患者を「∼ちゃん」と呼ぶ
大人の患者に向かって「∼ちゃん,かしこいね∼」など子どもに話すような言葉で話す
名前でなく「じいちゃん」
「ばあちゃん」と呼びかけながらケアをしている
「言う事を聞かない」
「約束を守らない」などの患者に注意をするときの口調が強く威圧
的である
「約束守らなかったら縛るよ」など脅迫するようなことを言う
患者が失敗したりすると,理由も聞かずに叱りつける
威圧的・管理的な 力関係や圧力で抑えつけることで患者をおとなしくさせようとしている
被害妄想で食べられない患者に「残したら胃管入れるから」と脅した
言葉や態度
患者に対して命令口調で話す
患者に対して,無視,命令,言うとおりにさせるという対応をする
管理的に「∼しなさい」と言うことが多い
指示的な言葉が耳につく看護者がいる
患者に敬語を使えない看護者が多い
年配の患者に対する友達言葉(タメ口)
ここ数年新人看護者の態度が目に見えて悪くなった
不適切な
配膳車のカーテンを足であける看護者(男性)がいた
言葉遣いや
職員が患者と一緒に喫煙しながら話している。患者と同じ目線でリラックスして会話を
するためといっているが,そのようにしなくても話はできるはず
態度
時間が1分早い,または遅いだけで,
「貸し出しはもう終わり」
「まだ早い」と対応する
患者が看護室に訴えに来ても何かと理由をつけて待たせ,結局は放置する
看護者の服装や髪の毛がだらしない
自立している男性患者の入浴時に女性スタッフが観察している
摂食障害の患者の食事中の様子を見張るようにチェックしている
カーテンなしの大部屋でオムツ交換をしたり,ポータブルトイレを使用している
プライバシーが
ナースステーションで処置中に他患が入ってくるのを止めない
保護されていない
ホールで座薬を入れていた
入浴時自室で脱衣し,裸のまま浴室に連れて行く
不測の事態に対処するためかもしれないがトイレに鍵がない
患者が理解できないと決めつけ十分な説明をしない
治療についての説明なしで薬物が投与されている
症状が悪化して拒薬している患者に他の方法を検討することなく,味噌汁に水薬を入れ
て飲ませた
治療についての
患者に対する説明が常に不十分,特に医師は退院指導を行っていないのに書面上行った
説明と同意
ことになっている
院内のアンケート調査で退院請求や不服申し立てなどの権利について知らないと答えた
患者が40%いた
医師が患者と話をしないでカルテのみ記載している
長期間入浴を拒否していた患者を無理に引っ張って入浴させる
自分で髪が洗えない患者の髪を短髪にしてしまった
患者の同意なしで 患者に口を開けさせて内服薬を入れる
研究のための採血の際「ここだけにサインすればいいから」と傲慢な言い方をした
無理に行う行為
レクリエーションに参加したがらない患者を無理に衣類を引っ張って座らせる
無意味に制限して食事を早く終わらせる
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懲罰的な行為
一段上の立場で
あるかのような
言葉や行為
盗癖のある患者を「反省しろ」と保護室に隔離した
盗食する患者にテーブルでバリケードした中で食事をさせる
保護室内で衣類やリネンをトイレにつめるという理由で全裸の状態で隔離していた
しつこい(嫌いな)患者の訴えには全く耳を貸そうとしない看護者がいる
冗談半分だが,うるさいと口をガムテープでふさごうとした看護者がいた
患者の言葉を聴くよりも自分言いたいことを伝えている感じの看護者が多い
患者をさげすんでいるように見える
患者の前で「この人たちは治るわけがない。だからほっとけばいいんだよ」と言った
患者に対して「∼してあげる」など,対等でない言い方をする
患者の私物であるおやつを時間を決めて並ばせて配る
表5 病棟ルールに関すること
項目
過剰な管理
患者の気持ちを
考えず一律に,
しかもずさんな
管理をする
嗜好品で患者を
コントロールする
外出・外泊の
不適切な制限
電話や面会の制限
31
具体的な事例
過去に縊死をした患者がいるという理由でバスタオルと80cm以上のタオルの持ち込みが禁
止されている
読む本は医師がチェックする
ヘッドホンステレオのイヤホンが危険物として禁止されている
任意入院でも,ボディチェックをする・持ち込み検査を強化する
開放病棟で金銭管理を看護者が行っている
洗濯用洗剤で自殺企図をした患者がいるということで患者全員の洗剤が看護室預かりに
なっている
綿棒や爪楊枝を預かるが,使用した分に関してはチェックしない
衣類が共有されている(洗濯はしている)
盗まれたりなくしたりするため,私物や食べ物全てに名前を書いて預かっている
私物の持ち込みは制限されており,化粧品は持ち込めない
私物はほとんど倉庫にしまってあり,日常生活はほとんど管理されている
本人に私物を管理させておらず,本人に不足を気づかせずに「次はこれを買え」と指示
している
病棟の規則ということで,患者の能力をアセスメントせずに一律に,金銭,おやつ,テ
レホンカードなどを全て預かっている
一人の患者の持ち物が紛失したとき,患者全員の荷物を点検した
衣類に大きく名前を書くことになっており(見えるところに)
,人格障害の女性が,
「大
切にしていたブラジャーにまで名前を書かされて悔しい」ととても怒っていた
多飲水の患者さんのコップは預かることになっている
決められた時間に5分遅れるとタバコを渡してもらえない
隔離などの行動制限時に「おやつはなし」という
片づけをなかなかしない患者に片づけをしないとおやつを渡さないことになっている
タバコ1本を3つに切り分けて渡している
大学受験をしたい患者が願書提出のために外出を希望したが,主治医の「非現実的」と
の判断で不可になった
任意入院の患者に医師や看護者が説得して外出制限をする
帰院時間までに帰らなかった開放病棟,任意入院の患者を1週間外出禁止にした
外出・外泊が患者の希望や状況によらず,一律的になっている
早朝に電話をかけた相手から苦情があり,電話使用時間の制限をせざるを得ない
退院患者の面会を一律に許可しない
面会に制限があり,状況に応じて対応したいが,対応できないときのことを考えると一
律に制限するしかない
電話は自由なのにテレホンカードは預かりになっていて,電話中監視していた
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Ⅲ. アンケート調査の概要
罰則的に代理行為をしている
院内に売店があるのに,1日1回の代理行為もしない
罰則的な代理行為
「OTに参加しなければ買い物なし」などの看護計画を立て,実行しないスタッフに「和
を乱すな」という
リハビリという名目で患者にリネン交換をさせている
患者が行う
なぜそうするかの意味も伝えずに患者にシーツ交換をさせ,ぐしゃぐしゃでも直そうと
シーツ交換
もしない
ほとんどの患者が介助が必要なため時間が足りず,流れ作業のように介助している
リハビリ病棟なのにほとんどの患者が洗濯を外注にしていて,学生がつけばできる人も
援助させてもらえない
個別性を無視した 誤嚥が心配だからと患者が全員通路の方向を向いて食事をする
病院のレクリエーションに家族が来ない患者は一律参加させない
画一的な
安全の重視はわかるが,余暇時間をすごすための物品が不足している
スケジュール
開放病棟,社会復帰病棟でも消灯時間は21時になっている
画一的なスケジュールで患者が動かされている
レクリエーションや作業が患者の希望や状況によらず画一的に行われている
服薬のときナースステーションの前に並ばせたり,一斉放送で呼び出している
看護者の都合
夕食時間が遅いわけでもないのに食後すぐに就寝前薬を飲ませる
による服薬
食後薬を食前にすべてまとめて服用させている
表6 基本的な看護姿勢・技術・知識
項目
具体的な事例
速乾性擦式手指消毒液を携帯し,手洗いをあまりしていない
長期臥床患者に対する体位変換や,拘縮予防のための関節可動訓練,肺塞栓予防の下肢
のマッサージなどがあまりみられない
一部の看護者だが,点滴やIVHなどの管理に基本的知識が不足している
呼吸音や腸音の聴取が必要時正しい方法で行われていないことが多い
知識不足
薬の内容や目的などについて理解せずに,与薬している
心電図や脈拍に対する知識不足のせいか,リスクのある不整脈でも放置されている
薬剤の血中濃度が高いのに,それに対する判断の記載がないので放置されているように
見える
検査データの知識不足のせいか放置している
点滴の流量が調節されないなど,点滴の管理がいいかげんに行われていた
看護技術の
褥瘡の処置をしていても,体位交換が効果的に行われていなかった
浣腸液を温めていない
原則無視
浣腸を立位で行っていた
体温計を使用後消毒せずに次の人に使っていた
消毒液の濃度をきちんと計量しないで適当に入れている
感染管理対策が
点眼薬を患者が自分で点眼していたが,その時の手洗いが不十分
軟膏塗布するときの手の清潔が気になった
不十分
導尿時の無菌操作がいい加減であった
採血をゴム手袋なしで行っていた
処方箋を見ないで薬の準備をしていた
安全管理不十分
点滴の確認を一人で行っていた
週末には,行動制限解除を延期していた
看護者の都合による
夜勤帯はスタッフが少ないので,隔離や拘束をする
行動制限
少ないスタッフで看護していると,10代の患者に対応できず保護室に入ってもらう
32
03_アンケート調査結果 2011.8.23 1:17 PM ページ 33
危険予防のための
過剰な行動制限
懲罰的な行動制限
ルーチン化した
行動制限
拘束中のケア不足
環境への配慮不足
非告知投薬
患者の自己決定の
軽視
33
暴力・問題行動・他患とのトラブルの不安があるからといって隔離する看護者がいた
他患への迷惑行為だけで隔離する
IVH・胃管留置だけで必ず抑制する。点滴中に抑制することが当たり前になっている
転倒予防のため車椅子拘束を行っている
高齢者に対して転倒をおそれるあまり拘束する
オムツをはずしてしまうという理由で腰ひもをきつく結んだり老人予防衣を着せる
リスクの予防対策として他の方法を検討せずに安易に行動制限を行う傾向がある
患者の迷惑行為に対して,懲罰的に行動制限が行われていた
患者が暴力にいたった理由を検討せずに隔離・拘束の方法が検討されていた
訴えが多い,スタッフに文句を言うなどの理由で隔離が行われる
「約束事」と称して,少しの暴言,叩く程度でも保護室を使用していた
救急で入院した患者はルーチンなので,全員拘束する
PICUではルーチンでバルンカテーテルを留置している
抑制時オムツを使用し,患者からトイレに行きたいという訴えがあっても決まった時間
にしか誘導できなかった
抑制している患者には夜間オムツを使用する
隔離室の臭いが気になった。特に便臭が強い
MR病棟で,換気が悪いせいか異臭がした
男子病棟のトイレ付近は尿臭が強く学生が気分不快になった
身体合併症病棟で尿臭が強く,仕方がないという考えが気になった
男子病棟はタバコ臭,体臭などいろいろな臭いが強い
閉鎖病棟のトイレの臭いが強い
ベッドや柵にほこりがつもっている
トイレがいつも汚れている
給茶器や流しがいつも不潔で,給茶器の下にたまっているお茶が腐って異臭がすること
がよくあった
床頭台においてあるペットボトルの水が腐っていても気づかない(冷蔵庫の中も同様)
ベッド下に置いてある衣装ケースを掃除のために直接ベッドの上に置く
拒薬する患者に対して食事に薬を入れて服用させる
食事にハロペリドール液を混入するなど,本人への説明なく薬が投与されている
入院中に恋愛関係になり結婚を含めて生活設計を立てたいと申し出があったが,積極的
な支援対策がとれなかった
統合失調症の患者が子どもがほしいといったとき,家族が反対し主治医も賛成しなかっ
た
統合失調症の患者に,夫も出産を望んでいたのに,医療者が中絶を勧めた
統合失調症の患者が妊娠し,出産を希望したが家族が反対し中絶した
母親の葬儀に参列するとパニックや状態悪化を起こすのではないかという懸念から親族
の希望で告知が延期され,葬儀に参列できなかった
03_アンケート調査結果 2011.8.23 1:17 PM ページ 34
Ⅲ. アンケート調査の概要
身体症状の訴えの
軽視
ケア不足
看護記録の不備・
不適切な表現
不十分な看護計画
口頭指示の
記載不十分
一方的な
医師の指示
患者の腹痛の訴えを主治医は心気的なものと判断し,プラセボ(偽薬)で対応していた
が,すい臓がんで亡くなった
定期的に検査を行い,血糖が高いにもかかわらず,その後のフォローがされたかどうか
がカルテに書かれていない
検査値に異常があっても計画にあがらず,記録にも残っていない
患者のいつもと違う状態を「波がある」
「たまにある」とし,検査データの確認や処方の
変更の確認,バイタルサインの確認などをしない
膝関節痛の訴えがある患者に,腫脹や熱感があっても不定愁訴として対処しない
身体合併症に関する患者の訴えに対してきちんと取り上げ,他科受診に至るまでに時間
がかかりすぎる
内科の薬を数年のみ続けている患者について「この人こんな薬飲んでましたっけ」とい
う程度の認識しかない
本人が疼痛を訴えても「どうせ妄想だから」と取り上げず,観察もしない
乳がんの患者が腰痛を訴えたが放置し,結局,骨転移,肝転移で亡くなった
患者から身体的な訴えがあったとき「精神症状」と判断しがち
下痢をしていることを確認せず,そのまま下剤を飲ませる
身体観察が不十分。排便など本人の訴えのみで腹部の触診や聴診をしない
口腔ケアを十分行っていない
ADL自立の患者に対して歯ブラシをもっているかどうかも把握できていない
生活習慣病予防の働きかけをしようとしたら医師に必要ないといわれた
食事制限に対して精神症状が悪くなるという理由で最初から取り組まない
状態を詳しく記録したら「必要ない」と管理者に叱られた
情報を口頭で共有し,記録しない看護者が多く,患者の状態を把握しにくい
基本的にほとんど何も書かない
記録に「しつこい」
「うるさい」などの言葉が使用されている
説明の仕方の不十分さを棚にあげて,患者の「理解が悪い」と書く
記録の目的が不明な記録がただ書いてある
患者の具体的な言葉の記録がない
おとなしくしている,暴言を吐く,ふてくされた,頻回,再三など主観的な表現の記載
が多い
情報に対するアセスメントがない
看護計画が立てられていない
入院時の計画しかない
計画の評価が定期的に行われていない
計画が古いものしかない。1年に1回くらいしか見直されていない
計画が活かされていない
医師が書くのを嫌がるので,看護者が臨時処方箋を書くことがある
診察時に口頭で指示することが多い
電話による指示の記録がない
医師の指示で患者への対応が決まり,看護者の意見はほとんど聞かれない
医師が看護者を怒鳴る
家族への対応を医師が独占していて,看護者が家族と自由にかかわれない
医師の指示を理由も聞かずにそのまま受ける看護者がいる
34
04_事例1-5 2011.8.23 1:17 PM ページ 35
Ⅳ. 事例から学ぶ
事例
1
安全確保と自由の尊重
76歳になる女性のAさんは20歳代に統合失調症を発症したが,長期にわたって病状は
安定しており,6年前から老人ホームに入所中であった。最近幻覚,妄想が増強し,介
護を拒否するようになったため,薬物調整目的で入院となった。ホームでの日常生活に
関しては,配膳すれば食事は自力で摂取することができるし,排泄行為そのものにも問
題はないのだが,歩行が不安定なためトイレまで行くのは難しい状態ということであっ
た。歩行を介助をしようとしたところ「自分で歩けますから大丈夫です。ついてこない
でください」と拒否するため,しばらく本人の希望通りにして様子を見ることにした。
少し離れたところから見ていると,足元がかなりふらついており,転倒のリスクが高
いことが推測された。また,入院2日目には実際にトイレの前で転倒したため,車椅子
を使用してもらうことになった。しかし,Aさんは車椅子にじっと座っていることがで
きず,すぐに立ち上がろうとするので,やむを得ず安全ベルトで拘束することになった
のだが,一旦拘束すると,なかなか解除する機会がなく,車椅子に拘束されたまま6時
間以上が経過してしまった。足背に浮腫が著明になって,つらくなったAさんは立ち上
がって歩こうとして,車椅子ごと転倒してしまった。そのため,転倒の危険があるから
とベッド上に胴拘束されることになってしまった。
Aさんのように,転倒のリスクが高い場合や,異食の危険性が高い場合,あるいは週
末のスタッフ数が少ないときなどには,安全管理上のリスクが高い患者に対する安全を
確保するためと称して隔離や拘束が行われることが多い。
看護者としては,隔離や拘束が最善の方法ではなくても「仕方が無い」
「必要悪である」
と考えざるを得ないという側面がある。しかし,一旦,行動制限してしまうとなかなか
見直されず,ずっとその状態のまま放置され,逆にADLを低下させて,転倒の危険性が
高まることも考えられる。
35
04_事例1-5 2011.8.23 1:17 PM ページ 36
Ⅳ. 事例から学ぶ
倫理的視点からの問題点
て,Aさんの安全を守るためには拘束はやむを
1.自律尊重原則×無害原則
得ない処置である。しかし,6時間もの長い間
一人で自由に歩きたいというAさんの気持
放置するのは,別の意味でAさんに害を及ぼす
ちは尊重されなければならないが,Aさんは
のはいうまでもないことなので,看護者に余裕
自分の足元がふらついていて転倒の危険性が
のあるときには拘束をはずしてAさんを見守る
高いことを理解していない。転倒すれば,転
という方法である。ただし,看護者の余裕とい
び方にもよるが,打撲や裂傷等何らかの被害
うのは主観的なものであり,どの程度拘束をは
が発生する。頭部の打撲は重大な障害につな
ずすことができるかは疑問である。
がる可能性もあるので,転倒を予防するため
の方法として拘束をするのは無害原則に則し
(2)拘束は続けるが,時間を決めてトイレに
付き添う
たものといえる。しかし,そのまま足背の浮
拘束をはずす時間を意識的に設けることに主
腫が著明になるまで6時間も放置されてしま
眼をおく方法であり,1時間から2時間に1度
ったというのは無害原則に反する。
10分ないし15分拘束をはずして担当看護者が歩
行に付き添うと言うものである。Aさんが,そ
対応のキーワード
のとき尿意があるかどうかはわからないので,
(1)原則,拘束を続ける
必ずしもトイレに行くということにはならない
(2)拘束は続けるが,時間を決めてトイレに
であろうから,ベッド上で横になっていてもら
付き添う
(3)毎日家族にきてもらい,一定時間拘束を
しないで付き添ってもらう
ったり,下肢のマッサージを行うことなどが取
り入れられてもよいだろう。ただ,Aさんのた
めに,定期的に10分ないし15分という時間を
(4)転倒はやむを得ない事態であるので,転
丸々とられてしまうのは厳しいという意見もあ
倒しても大事に至らないように保護帽や
る。また,歩行に付き添うことをAさんが受け
関節サポーターを装着してもらう
入れてくれるかどうかも不明である。
(5)下肢の筋力をつけるような運動を取り入
れる
(6)看護者の増員
(3)毎日家族にきてもらい,一定時間拘束を
しないで付き添ってもらう
家族にそれができるならば,拘束をはずす時
間が確保できるという観点からはよい案といえ
モデル行動
(1)原則拘束を続ける
よう。増強した幻覚・妄想に対する薬物の調整
が終了すれば退院できるので,短期間のことで
Aさんは自分の現在の状態を理解していない
もあり,(2)案同様,歩行時のつきそいをA
ので,一人で歩けると思い込んでおり,説明し
さんが受け入れてくれるかどうかは不明である
ても受け入れてくれるとは思えない。したがっ
が,家族にはたらきかけてみるのは無駄ではな
36
04_事例1-5 2011.8.23 1:17 PM ページ 37
いかもしれない。このことによって,家族との
かし,(5)案同様,現状に対処できることで
関係も深まる可能性もあり,Aさんを家族にま
はないし,何人増員すれば拘束をしないですむ
かせていられる間,他の患者さんにかかわるこ
のかということに関する明確なデータも不足し
とができるという利点もある。しかし,家族の
ている。病院という組織が営利企業であること
負担が大きいようであれば,Aさんと家族の関
を考えれば,無制限に増員できるわけでもない
係がかえってよくない方向に向かうことも考え
ので,あまり現実的な案とはいえない。また,
られるので,細やかな配慮が必要であろう。
Aさんの問題の発端は介護への抵抗であったの
(4)転倒はやむを得ない事態であるので,転
だから,付き添いそのものをAさんが受け入れ
倒しても大事に至らないように保護帽や
てくれるようにならなければ,増員しても意味
関節サポーターを装着してもらう
がないと言えよう。
(1)案(2)案(3)案とも,拘束するこ
とを前提としているが,この案は原則として拘
考 察
束をしないことを前提にするものである。Aさ
この事例の看護者の第一義的な責任の対象は
んが受け入れてくれるならば,Aさんが自由に
Aさんであり,転倒というAさんの安全管理上
行動できるという点でよいと思われる。ただ,
のリスクをAさんが苦痛を感じないような手段
保護帽などの装着は面倒だったり,じゃまな感
で回避することである。Aさんの願いは,一言
じがしたりするものなので,Aさんがそれを積
で言うなら「私の好きにさせて欲しい」という
極的にとりいれてくれるかどうかには疑問が残
ことになる。しかし,Aさんの拒否に従って付
る。説明して装着した時には受け入れてくれた
き添いをしなかった結果として,Aさんが転倒
としても,気づかない間にはずしてしまったり
してしまったのだから,Aさんの願いに副うこ
することもあるかもしれない。
とはできない。何らかの形で転倒を防止する方
(5)下肢の筋力をつけるような運動を取り入
れる
(4)案同様,拘束を前提にしない案である。
法を考えなければならないのだが,このとき安
易に拘束という手段が取り入れられるのは問題
だと言えよう。Aさんに限らず,高齢者が増え
筋力の低下という長期にわたる問題に対する方
ている現在,転倒のリスクの高い患者さんが複
法としては重要なことであり,取り入れること
数入院するのは,どこの病院にとっても避けら
はよいが,今すぐに効果が出るわけではないの
れない状況と言える。限られた人員配置の中で
で,この案単独では現状に対処することができ
複数の患者さんの転倒防止に取り組むのは容易
ない。
なことではない。そのため,拘束という手段が
(6)看護者の増員
看護者の数が増えれば確かにAさんに付き添
っていられる時間を作ることが容易になる。し
37
選ばれやすいのは必然であるともいえるのだ
が,その前に考えられる方法を試してみること
が大切なのではないだろうか。
04_事例1-5 2011.8.23 1:17 PM ページ 38
Ⅳ. 事例から学ぶ
拘束をしたら,いっそう観察を密にしなけれ
もちろん,それは病状の悪化によるものであろ
ばならないのだが,転倒防止ということを最重
うから容易に解決しないかもしれないが,その
要課題と考えていると,拘束をしたことで安心
努力を続けながら,(4)案を勧めてみること
してしまい,Aさんの事例のように長時間放置
も必要であろう。転倒の仕方も重要であり,崩
されてしまう可能性は高い。拘束によるリスク
れ落ちるような倒れ方といきなりバタンと倒れ
は,転倒のリスク以上の課題になる場合がない
るのでは,その影響が異なる。Aさんがどのよ
わけではないことを忘れてはならないであろ
うな転び方だったのかはわからないが,転んだ
う。また,転倒のリスクといっても,そのレベ
あとの外傷によって転び方を推測することは可
ルや理由は一人一人異なるはずである。たとえ
能であるし,Aさん本人に聞いてみることがか
ば,Aさんの場合で老人ホームからの情報で推
かわりを深める第一歩になる可能性もある。拘
測できるのは,Aさんはトイレに行く時以外は
束は最後の手段であると決め,患者さんの状態
それほど歩行していないのではないかというこ
を細かくアセスメントすることによって,一人
とである。そして入院の直前まで,Aさんはト
ひとりの患者さんに適した転倒防止方法を検討
イレに行く時には職員に付き添ってもらってい
していくことが大切なのではないだろうか。
たのだと思われる。そうでなければ,頻繁に転
また,
(5)案は何かが起こってからではなく,
倒していたという情報があるはずだからであ
最初から何らかの形で病棟のスケジュールに取
る。しかし,介護に抵抗を示すようになって,
り入れていくことを検討していかなければなら
付き添いもできなくなってしまったということ
ないのではないかと思われる。また(6)案も,
なのではないか。入院後も,看護者の申し出を
非現実的とはいえ,短時間勤務者やボランティ
断っている。だとすれば,まず,付き添いを受
アの導入も含めて,看護管理者が考えていかな
け入れてもらえるようなかかわりを続ける方法
ければならない課題であるかもしれない。
が最初に選択されてよいのではないだろうか。
どうすればいいのだろう?
38
04_事例1-5 2011.8.23 1:17 PM ページ 39
事例
2
家族との狭間で悩むこと
Bさんは統合失調症で入院した。3年前のことであるが,入院するまでが大変だった。Bさ
んは大きなドーベルマンを飼っていた。ずいぶん小さい頃から飼っているので,ドーベルマン
はBさんにとてもよくなついていて,Bさんのいうことしかきかない。普段はそれでも特に問
題はないのだが,Bさんの意に反することを何かしてもらいたいときにはとても困ったことに
なる。今にも噛みつきそうな勢いで向かってくるドーベルマンと対決するのは難しく,家族を
含めて周囲の人々は,結局のところBさんのいいなりになるしかないという状態が続いていた。
小学生がサッカーを楽しんでいる原っぱにやってきてドーベルマンをけしかけ,逃げ回る小学
生に大笑いしているということもあった。皆,何とかならないかと思っていたが,どうするこ
ともできなかった。家族は小さくなって謝る日がだんだん多くなってきた。
そんなある日のこと,Bさんは何を考えたのかわからないが,バケツに塩水を作り,隣の
家の車にかけてしまったのである。それだけでも大変なことだが,Bさんはその上に自分が
購入していた雑誌のグラビアを細かくちぎって花吹雪のようにばらまき,紙はべったりと車
にはりついてしまった。隣の人はさすがに我慢できなくなって,保健所に相談に行った。保
健師が家を訪ねたが,Bさんは会おうともしない。部屋の前にドーベルマンがいて,まるで
追い返そうとするかのように保健師に向かって低いうなり声をあげていた。そこで,保健所
では,まずドーベルマンをなんとかしなければということで,麻酔銃を準備して出かけたの
だが,ドーベルマンは一歩も家から出ようとはしない。公道にいれば麻酔銃で撃つことが可
能なのだが,敷地内にいる動物を勝手に撃つことはできないので,その日もどうすることも
できなかった。次の日,父親が病院に相談に来た。近所の人からも文句を言われるのでと懇
願された医師は,決してよいことではないがと断りつつ,水薬を処方することにした。しば
らくして,Bさんが少し穏やかになったとき,Bさんは入院することになったのである。
それから3年が経過し,Bさんは穏やかな日々を過ごせるようになった。以前のことはあ
まり語らないが,サッカーをしていた小学生とはいっしょに遊びたかったのだという意味の
説明をした。ドーベルマンは大型の犬だし,小学生には怖いのだと話すと,そのことはわか
ってくれるようにもなった。そろそろ外泊をして,退院という話をするようになったのだが,
家族はもう2度とあの時のような思いはしたくないから勘弁してほしいという。Bさんもそ
のことはよく理解していて,自分は帰ることができないとあきらめているが,医療従事者の
目からみればBさんは,薬物もきちんと服用できるし,きめ細かなフォローをすれば入院し
ている必要はないと思われるのである。
39
04_事例1-5 2011.8.23 1:17 PM ページ 40
Ⅳ. 事例から学ぶ
倫理的視点からの問題点
1.自律尊重原則と社会通念との対立
Bさんは,病状は安定しているにもかかわ
(2)Bさんの本当の気持ちを確認する。
(1)の方法では,医療従事者の気持ちの方
が先行しているようにも思われる。Bさんが退
らず家族の理解が得られないため,社会復帰
院できる可能性がある1つの方法ではあるが,
のめどが立たない。
Bさんの本当の気持ちは分からない。自律尊重
2.誠実原則と善行原則の対立(非告知投薬)
の原則から考えれば,Bさんの本当の気持ちを
入院前のBさんに対して行われた投薬は非
確認することを忘れてはならないだろう。Bさ
告知投薬である。(この問題に関しては別の
んは,家族の気持ちをよく理解しており,家族
事例で考える)
がそう思っているのなら,自分は退院できなく
ても仕方がないといっているが,本当のところ
対応のキーワード
はどうなのか確認する。Bさんが気持ちを表現
(1)家族の考えは考えとして聞くが,退院に
できるまでには時間を要するだろうが,仕方が
向けてSSTなどを取り入れた日常生活の
ないから退院しないのか,できれば退院したい
訓練を行う。
のかについて話し合う。ただ,Bさんを追い詰
(2)Bさんの本当の気持ちを確認する。
めることにならないよう,アパートでの自立や,
(3)外出,外泊など,家族が受け入れやすい
グループホームの利用などさまざまな可能性に
ものから,Bさんと家族が共に過ごせる
ついて検討できると良いだろう。そうすること
時間をつくる。
によって,本当の意味でBさんの自己決定が尊
重されることになる。
モデル行動
(1)家族の考えは考えとして聞くが,退院に
向けてSSTなどを取り入れた日常生活の
訓練を行う
(3)外出,外泊など,家族が受け入れやすい
ものからBさんと家族が共に過ごせる時
間をつくる。
Bさんの現在を家族に理解してもらうために
家族の意見には反するが,このような方法で
は,Bさんと家族が共に過ごす時間をつくるこ
Bさんに力がつけば,家族のもとに帰らなくて
とは重要である。Bさんと家族の間にトラブル
も,独立して生活できる可能性が高くなるであ
が発生しないように,最初は家に行くのではな
ろう。そのことによって,家族も認めてくれる
く,どこかで落ち合って一緒にすごしてもらう
のではないだろうか。しかし,この方法は家族
というような手順を踏んだほうがよいかもしれ
の意見に反することを実行するので,家族が縁
ない。そして,家族が家に帰っても大丈夫なの
を切るというような強行手段に出る可能性も否
ではないかと思えるようになったら,家への外
定できない。
出を繰り返すというように,とても時間がかか
るかもしれないが,家族の気持ちをほぐすには
40
04_事例1-5 2011.8.23 1:17 PM ページ 41
い話で,2度とあのような思いはしたくないと
必要な時間だといえる。
述べている。
医療従事者は,Bさんは病状が安定している
考 察
Bさんは,現在特に困ることはないし,家族
ので,生活面の世話をしてくれる人がいれば十
が反対する気持ちは十分に理解できる(自分が
分に社会に適応できると判断しており,家族の
したことについては細かいことは覚えていない
心配もわからないわけではないから,家庭にも
が,大変な迷惑をかけてしまったことはわかる)
どるのは難しいかもしれないが,アパートも不
ので,これ以上家族に迷惑はかけたくないから
可能ではないし,グループホームにまず出てみ
ずっと病院にいてもよい。また,退院できるな
てもよいのではないかと考えている。
らしてもよいし,どちらでもよい。ただ,正月
臨床では,よく見られる事例であるが,この
などに外泊くらいはできるとよいとは思うと言
場合,看護者の第一義的な責任の対象はBさん
っている。また,日常生活技能はまだしっかり
である。Bさんが,現在の安定した状態が保て
とは身についていないが,練習すればできる力
ることを基盤にして,家族の理解と協力が得ら
はもっている。
れ,社会に復帰することができるようにするこ
一方,Bさんの家族は,本人の状態が安定し
とが,看護者の第一義的な責任の対象となるこ
ているのは大変ありがたいことだが,Bさんが
とを考えると,(1)(2)(3)の方法はどれ
入院に至るまでには多くの苦労があった。特に,
がよいということではなく,並行して取り組む
近所の人には会わせる顔もなく,小さくなって
行動であると言えるのではないか。医療従事者
過ごしているので,Bさんが病院に入院してい
の気持ちだけで事態を進めると,話がこじれる
てくれるのは本当に助かっている。だから,病
可能性が高い。時間はかかるが,患者さんや家
院を出ることなど全く考えたことがなかった。
族の思いを大切にして根気強くはたらきかけ続
近所にあれだけ迷惑をかけて,どうやって説明
けることが,回り道のように見えてもよい結果
するのか見当もつかない。とにかく,病院で静
が得られるだろう。
かに暮らしていてほしい。退院などとんでもな
Bさんの気持ち
持ち
家族の気
どうすればいいのだろう?
41
04_事例1-5 2011.8.23 1:17 PM ページ 42
Ⅳ. 事例から学ぶ
事例
3
開放処遇の療養病棟で行われている私物管理の問題
C看護師は開放処遇の療養病棟に勤務している。C看護師の勤務する病棟では,薬物
はもちろんのこと,小遣いも,たばこも,テレホンカードも,患者さんによってはおや
つもすべてが看護室預かりになっている。患者さんたちは,長期にわたって入院してい
る人が多く,それに苦情を言っているわけではないし,現在特別の問題が生じているわ
けでもない。また,現在の段階では,患者さんたちに退院のめどが立っているわけでは
ない。しかし,患者さんたちのすべてが,管理能力がないということでもない。そもそ
も,入院してからずっと管理された状態なので,患者さんたちのもっている力が確認さ
れていない。退院する,しないにかかわらず,人間は自由な存在であり,独立して考え,
決定し,その決定に基づいて行動することが基本であり,少しでも自分で管理できるも
のは患者さんたちに返していくべきではないかとC看護師は考えた。そこで,そのこと
について話し合いたいと病棟カンファレンスのときに提案したところ,賛否両論の意見
が出され,前向きにそのことに取り組んでみようという話にはなっていない。
反対意見の主なものは,病棟には自分で管理できる人とできない人がいる。そのため,
一人ひとり違った対応をしなければならない。できる人はいいが,できない人が「なぜ自
分は自己管理ではないのか」など苦情を訴える可能性もあり,混乱すると思う。そうなる
と,スタッフ数が限られているのだから,一律の対応でなければ無理だというものである。
病棟担当医は,
「患者さんたちは,退院の見込みが少ない人ばかりである。ずっと病院
にいるのだから,病棟のルールに馴染んでいるのだし,このまま波風を立てない方がよ
いのではないか」と考えている。
また,かつては,
「自分の金なのになんで自由にさせないんだ」と苦情をいう人もいた
が,今ではすべての患者さんが病棟のルールに従って生活しており,特に何も言ってい
ない。ただ,この問題に関して直接話し合ってはいないので,本音でどのように思って
いるのかは分からない。
倫理的視点からの問題点
1.自律尊重原則違反
患者さんたちが,自分の自由意志で自分のこ
とを決定し行動することができていない。
2.無害原則違反
患者さんたちが何も苦情を言ってこなくなっ
たのは,患者さんたちがあきらめたということ
であろう。しかし,このまま病棟のルールの中
での生活を続けることは,患者さんたちがもっ
42
04_事例1-5 2011.8.23 1:17 PM ページ 43
ている力をもなくさせる(社会的廃用症候群)
者さんの中から,自分の意志で自分の行動を決
可能性が大きい。
定することができそうな人を選び,できるもの
から自分で管理してもらうように試みるという
対応のキーワード
方法が考えられる。そうすることによって,患
(1)このままの状態を続ける
者さんたちの潜在能力を確認することができ
(2)C看護師が受け持ち患者さんに自律に向
る。また,C看護師が「自己管理は無理ではな
けた支援を試みる
いか」と判断した人に対しても理由を説明する
(3)すべての患者さんの私物を自己管理にする
ことによって,患者さんたちが自分も自己管理
(4)患者さんに意見を聴く
したいと思えるような動機付けにもなるのでは
ないかと考えられる。C看護師の受け持ち患者
モデル行動
(1)このままの状態を続ける
このまま,患者さんたちには何も知らせず,
さんのみがそのような対応をされることで,他
の患者さんがどのように感じるかわからない
が,自分も自己管理したいと思う患者さんは,
私物を預かり管理し続けることは可能である。
看護者にその旨を伝えるのではないかと思わ
病棟担当医の言葉通り,これまで通りの平穏な
れ,自己管理の患者さんが結果として増えてい
日が続くと思われる。しかし,この場合,患者
く可能性がある。
さんたちは,自分で苦労しながら自分のお金を
ただ,この問題に関しては他のスタッフが納
やりくりしたり,食べたいものを少し我慢する
得しているわけではないので,反対しているス
体験,あるいは逆に我慢した後で何かを手にし
タッフが患者さんたちにどのような対応をする
たときの喜びを感じる体験もできないままに,
かによって,その効果が影響を受ける。
行動や感情が平板化し,病棟のルールの中でし
(3)すべての患者さんの私物を自己管理にする
か生きられなくなってしまう可能性が高い。退
スタッフ数が限られているのだから,一律の
院の見込みがないというのは,「現在の状況が
対応でなければ無理だという意見が多いなか
続き何もしなければ」ということであると考え
で,患者さんの個別性に応じた対応をするのは
られる。患者さんたちの可能性を,あるいは周
難しいと思われるが,そうであるなら逆に全て
囲の人々の変化の可能性を確認することなく,
の患者さんに薬物は別として,
「私物(小遣い,
このままでよしとすることはあってはならない
たばこ,テレホンカード,おやつ,衣類など)
ことである。
は自己管理してください」とお願いするという
(2)C看護師が受け持ち患者に自律に向けた
支援を試みる
方法が考えられてもよいのではないだろうか。
患者さんの中には「今さら何を言うんだ」と拒
新しい取組に反対するスタッフが多い中で
否する人もいるであろうし,自己管理してみた
は,とりあえず,C看護師が自分の受け持ち患
もののやっぱり難しいと訴える人も出てくるか
43
04_事例1-5 2011.8.23 1:17 PM ページ 44
Ⅳ. 事例から学ぶ
もしれない。そのような患者さんたちに対して
個別に丁寧に対応できなければ,最終的には元
者さんの気持ちや考えも浮かび上がってくる。
問題の始まりは管理の「ルール」であるから,
のように看護室管理の人ばかりということにな
このようなルールがいつ頃,どのようにして出
ってしまう可能性がないわけではないだろう。
来上がったのか,またこれまでに問題はなかっ
それでも,やってみることに価値があると思わ
たのか,あったとしたらどのような問題であっ
れる。なぜなら,拒否も患者さんの意思表示で
たのかを整理してみることから始めるのもよい
あり,やっぱり難しいと気づき,支援を求める
かもしれない。患者さんたちに聞きたいことを
のも患者さんの意思表示だからである。そのよ
まとめ,それぞれの看護者が,受け持ち患者に
うな意思表示があってはじめて,支援の方向性
対して,現在の病棟のルールについて感じてい
が見えてくる。たとえば,その患者さんが拒否
ることや考えていることを丁寧に聴く。その上
をすることの意味を考え,話し合っていくこと
で,全体のミーティングを開いて,患者さんた
からその患者さんのニードが明らかになり,新
ちの意見をまとめていく。
たな計画が立案される場合もあるはずである。
当然のことだが,はじめてしばらくの間は看
考 察
護者の方でも患者の方でも,戸惑いや混乱が生
長期に入院している患者さんが多い病棟で
じるであろう。波風を立てなくてもという病棟
は,この事例のように漫然とした私物管理や代
担当医の意見には反するが,波風が立つことは
理行為(本来の意味での代理行為ではない)が
必ずしも悪いことではない。波風が立つことに
行われているところが少なくない。それは,か
よって変化が生じる。逆にいえば,波風を立て
つての医療が精神科に限らずパターナリズムに
なければ変化は生じない。その変化を活かすこ
よって行われていたことの名残といえよう。パ
とができれば,事態はよい方向へと転換できる
ターナリズムとは父権的保護主義ともいわれ,
のである。
医療従事者は,戦前の家父長制度のもとにおか
(4)患者さんに意見を聴く
れていた父親と同じように,専門的なトレーニ
時間はかかるが,患者さんたちの本音を聴く
ングを受け,豊富な知識や判断力をもっている
というのは大切なことである。
「本音」というの
ので,病気や治療のことについてほとんど知ら
は,通り一遍のアンケートなどからは得られな
ない患者さんたち以上に,患者さんにとって最
い。ルールの問題は,患者さんの自律性を尊重
も善いと思われることを決めることができると
するということの一側面でしかないのだから,
いう考え方である。かつては,あらゆる場面に
一人ひとりに向き合い,これからどのように生
おいて医療従事者,ことに医師の権威は絶大で,
きていきたいのかを共に考えるという方法をと
患者さんたちは医師から言われたことに従うの
ることが必要である。その中から,ルールに対
が当たり前であったし,医師以外の医療従事者
してどのように考えるかということに対する患
に対しても,基本的には「おまかせします」と
44
04_事例1-5 2011.8.23 1:17 PM ページ 45
いう姿勢が強かった。
しかし,最近では,知る権利,あるいは自己
ような患者のほとんどは,自分で判断すること
が可能であり,自己管理能力があるとみなせる
決定ということがさかんにいわれるようにな
からである。もし,この金銭管理という行為が,
り,医療の世界においても自律性や人権が尊重
自分でお金をもっていると,不必要なものを買
されるようになってきた。それにつれて,医療
ってしまったり,他の患者さんに貸したりして,
従事者にも説明をする責任が求められるように
すぐになくなってしまうから,そうならないよ
なり,医師の説明に対してもわからなければ質
うに「患者さんのために」看護者がお金を預か
問をしたり,納得できなければ他の医師を紹介
り,「患者さんのために」よいと思われるもの
してもらうということが普通に行われるように
を買ってくるということであるならば,それは
なっている。精神科も例外ではないのだが,精
援助だということになる。
神科の場合,患者さんたちの一部は判断能力が
しかし,もしそれが,援助なのだとすれば,
欠如,または低下しているために,強制入院な
あらためて援助とは何かを考える必要がある。
ど,パターナリズムがある程度は許される側面
なぜなら,そのような行為は,患者さんが「不
が残っている。もとより,それは最小限度の範
必要なものを買ってしまって」後悔することや
囲で行われなければならないのだが,医療従事
「お金が足りなくなって」悩むという人間とし
者側に「判断能力が欠如あるいは低下している
て当たり前のことができる機会を奪っているこ
患者さんにとって一番よいことをしてあげてい
とに他ならず,本当の意味での人権の尊重とは
る」という意識が強いために,ときにパターナ
程遠いことだからである。
リズムの行き過ぎが生じてしまうという事態に
なることを否定できない。
病棟が集団生活の場である以上,ルールが必
要であることはいうまでもないが,その運用に
たとえば,代理行為は,本来なら自分で行う
あたっては個別性を尊重した柔軟なものでなけ
ことができるはずの社会的な行為を行うことが
ればならない。また,激しい症状を示していた
できない患者さんに代わって看護者などが行う
患者さんであっても,治療やケアによって変化
行為をいう。代理行為には,そうしなければな
し,成長する。そのことを考えず,「この患者
らない明確な理由がなければならないのだが,
さんにはこうすることが必要なのだ」と思い込
この事例のように所持品や小遣い,貴重品,危
んでしまったり,
「人手が足りないから一律に」
険物の管理を初めとして,日用品や嗜好品の購
というのは,患者さん中心ではなく看護者中心
入,家族への連絡や通信物の取り扱いなどの代
のケアということになる。
理行為が,援助との境界線が不明確なままに行
なわれている場合がある。
開放病棟で,自由に外出できる患者さんの金
銭管理を行なうべきではない。なぜなら,この
45
04_事例1-5 2011.8.23 1:17 PM ページ 46
Ⅳ. 事例から学ぶ
事例
4
排泄ケアが十分に行えずオムツとツナギ服を着用させてしまった
認知症患者のケース
アルツハイマー型認知症で入院している70歳代の男性患者Dさん。夜間せん妄で高齢の
妻に対して暴力的となり,老老介護に限界をきたして入院となった。
日中は,介護抵抗もなくケアに対しても攻撃的な反応は見られないが,夜間は介護抵抗
が強く排泄誘導にも応じないことが多い状況である。基本的に尿意はあるが,トイレに間
に合わず失禁することが多く,加えて排便したあとに便を触ってしまい衣服に擦り付ける
などの不潔行為がみられていた。スタッフが多い日中は排泄誘導などを時間毎に試みてい
たが,夜勤の看護者は時間的な余裕のなさや介護抵抗から排泄誘導ができないこともあっ
た。また,失禁した後に衣類を脱ぎ捨てて裸になるようになってしまうことも見られるよ
うになった。苦慮した看護者は独断的な判断でオムツとツナギ服を着用させてしまった。
倫理的視点からの問題点
ターンをアセスメントして,夜間に便意が生じ
1.患者の自己決定能力が欠けている場合にお
ないように薬物調整など適切なケアを提供でき
いて患者の尊厳を検討していないこと。
るように検討することが必要である。また,ト
2.人員不足という前に,ケア技術について看
イレの位置をわかりやすく表示したり,排泄行
護者間で検討すべきであること。
動が行いやすいように衣類を工夫するなど,環
境を調整する。なお,排泄には羞恥心が伴うた
対応のキーワード
(1)Dさんの行動パターンに合わせた根気強い
かかわりと調整
(2)カンファレンスを行い,最良の方法を検討
する
(3)絶対にオムツとツナギ服の着用はさせない
め,プライバシーの配慮も怠ってはならない。
失禁して衣類が汚染した場合は,誰でも気持ち
の悪いものである。服を脱ぐことはある意味当
然であり,適切に衣類を交換するように調整す
ることが必要である。加えて,本人の尊厳を損
なうことがないように,批判的にならず,言葉
づかいに注意して接する。
モデル行動
(1)Dさんの行動パターンに合わせた根気強い
かかわりと調整
看護師は,日常的な患者の排泄状況と行動パ
不潔行為があるということだけでの,オムツ
やツナギ服の着用は,自立した行動が阻害され,
結果としてADLの低下を招いてしまうことと
なり得るため,安易な対処をしないことが望ま
46
04_事例1-5 2011.8.23 1:17 PM ページ 47
れる。
また,夜間せん妄が介護抵抗を生むのであれ
なポイントである。DさんのQOLを考え,
ADLの低下を予防する視点が必要である。日
ば,日中活動の再評価を行い,適切な日中のケ
中の排泄誘導は適切であるのにもかかわらず,
アを提供して夜間せん妄を防ぐことが必要であ
夜間にオムツやツナギ服を着用させてしまうこ
る。そのうえで,夜間せん妄が軽減しない場合
とはADLの低下を招きかねないこと。また,
は,医師と相談して適切な薬物コントロールを
強制的な対応は,Dさんの気持ちを考えずに,
行うことが必要である。
結果としてその場しのぎの接し方になっている
(2)カンファレンスを行い,最良の方法を検討
する
こと。認知症高齢者は知的機能は失われても,
感情的には十分反応しうることを考えて接しな
夜勤などで看護者が手薄になる時間帯におい
ければ,不信感を生んでしまい,更なる介護抵
て,対応が困難となる場合のケアについて看護
抗を生じる可能性があることを認識しておかな
スタッフ全員での検討が必要である。ポータブ
ければならない。認知症患者の行動をみるとき,
ルトイレの設置や,トイレに近い部屋への移動
多角的にアセスメントしないと,その問題行動
などの援助を試みる。また,排泄誘導の前に頻
の原因考察もアプローチの仕方も見当違いにな
回に声がけしてみるなど,安易にオムツやツナ
ることが多いことを認識しておく。さらに,人
ギ服を着用させてしまう前に何らかの工夫をし
員不足といっても,尿意のある患者に一方的に
てみる必要がある。
オムツを着用させてしまうことは,患者の尊厳
(3)絶対にオムツとツナギ服の着用はさせない
を侵してしまう行為であることを認識しておく
介護保険施設の対応にならい,「ツナギ服は
ことが必要である。夜勤は人員不足であるとい
着せない」「オムツをとるのは仕方ない」とい
うのは理由にはならない。それならば,それな
う考え方も必要である。また,看護者の独断的
りの工夫が必要であるものと考える。基本的信
な判断で着用させてはならない。「もし,オム
頼関係があってこそケアが成立すること,Dさ
ツをとってしまったら,また着用したらいい」
んに安心感をもってもらえるようなケアとはど
という患者に合わせたケアを心がける必要があ
のようにすればいいのかをチーム内で具体的に
ると思われる。オムツをとってはいけないと考
検討しておく必要がある。
えるのは看護者のひとつの価値感であり,「オ
また,アセスメントすることなく,日常的に
ムツをとって何が悪いか」という逆転の発想も
看護者の都合でオムツやツナギ服を着用させて
必要である。
いるということであれば,病棟全体の倫理的教
育が必要であろうし,日常的にグループワーク
考 察
による事例の検討などの研修を行うことが急務
Dさんが,尿意がある患者であることは大切
である。
47
04_事例1-5 2011.8.23 1:17 PM ページ 48
Ⅳ. 事例から学ぶ
事例
5
非告知投薬事例
保健所の相談から入院となった事例である。
Eさん30歳の女性。20歳ごろから家に引きこもったままで,外出したことがない。相
談者はEさんの叔母。その叔母によれば,Eさんの父親は彼女が高校3年生の時に亡くな
り,その後は母親との2人暮らしであった。短大2年生のとき,突然見知らぬ家に上が
りこんでしまったというエピソードがあるが,その後間もなく引きこもりが始まったた
め,それ以上のことはわからない。Eさんに関して,親戚の者は病気ではないかと心配
し,何度も母親に病院に連れて行くよう勧めたのだが,母親が抱え込んで親戚のいうこ
とには耳をかさない状態が続いていた。今回,その母親が肝臓がんの末期で,入院する
ことになり,Eさんの面倒を見ることができなくなってしまったので,Eさんの入院先
を探してほしいということであった。なお,Eさんは誰に対しても(母親も含めて)こ
の11年間,一切口をきいていないということであった。
夕方4時すぎに,保健師につきそわれての入院であった。入院に対する抵抗はほとん
どなかったが,夕食は味噌汁をほんの一口すすったのみであり,服薬は一切受け付けな
かった。無言なので,拒否なのかどうかもわからなかった。一日目は服薬をしないまま
一睡もしない状態で(ラウンドのたびに大きな目をして天井を見つめていたので)夜が
明けてしまった。母親からの情報がまったく得られないので,Eさんがどのような日常
生活を送っていたのか不明のままであった。次の日は食事だけは口にしたものの,薬に
対しては口を開けてくれなかった。
注射という案もあったが,注射をするにもおそらくはかなりの抵抗があるであろうと
いうことが推測された。錠剤をすりつぶして食事に混ぜることになったが,1度薬に関
して勧めているとはいえ,食事に混ぜることは何も話していないのだから,非告知投薬
ではないのかということが問題になった(注射であれば,抵抗があったとしても,非告
知にはならないが,だまって食事に混ぜてもよいのだろうかという疑問である。しかし,
食事に混ぜたと言えば食べてくれないことも考えられ,それでは,栄養も摂れないとい
うことになるので,Eさんに混ぜたことを伝えるのはよくないのではないかという意見
もあった)
。
48
04_事例1-5 2011.8.23 1:17 PM ページ 49
倫理的視点からの問題点
1.自律尊重原則と善行原則の対立
善行原則に従えば,薬物を投与することが第
進めたいということと,抵抗の少ない方法の方
がEさんを脅かさずに実施できるのではないか
ということ,薬物の効果が出てきて交流がもて
一選択となるが,無言で開口しないことをEさ
るようになってから,関係を作っていく時に,
んの拒否の表現とするなら,自律尊重原則上薬
時間をかけてわかってもらえばよいことを考え
物投与はできない。この場合,入院に関しての
れば,この案は,最適ではないにしても,妥当
拒否はないので,治療は受けてもらってもよい
な方法であるといえる。
という判断となった。しかし,このままでは必
要な薬物がEさんに取り込まれないので,投与
方法に関しての,議論が残った。
(2)説得を続け,自ら服用してくれるのを待つ
Eさんが口を利かなくなってから11年も経過
している。Eさんにしてみれば,突然の日常生
活の変化でとまどっているであろうし,自分が
対応のキーワード
病気であるとは思っていないのではないだろう
(1)食事に薬物を混入する
か。また,自分に何が起こっているのかわから
(2)説得を続け,自ら服用してくれるのを待つ
ないから,不安だし,自分に生じたことについ
(3)抵抗があっても注射をする
て納得したいという気持ちがあるのではないだ
(4)食事に薬物を混入したことをEさんに告
ろうか。11年という長い年月に比べれば,口を
げる
利かないという事態がしばらく続くことは大き
な問題ではないと思われるし,Eさんは他者に
モデル行動
(1)食事に薬物を混入する
迷惑をかけるような形で存在しているわけでも
ない。また,今回Eさんに起こった変化は,E
食事はほとんど全量摂取してくれるので,食
さんにとっては青天の霹靂だろうから,何も言
事に混ぜるのは最も簡単な方法である。しかし,
わないけれど,時間が多少かかったとしても,
Eさんが納得して服用しているわけではなく,
Eさんなりに納得して服薬してくれるまで待っ
強制的な投与ということになる。日本の法律で
てもよいという考えを基盤にした方法である。
は,入院同意と治療同意は同じであるが,諸外
適切な方法ではあるが,どの程度待つことにな
国では入院同意があっても治療同意がなければ
るのかの予測が全くできないところに問題が残
治療はできないとするところも多い。しかも,
る。また,一睡もしていないのは初日の緊張の
非告知投与を始めると,いつ,どのようにその
ためとも考えられるにせよ,このまま眠れない
ことを患者さんに告げるのかということも問題
日が続く可能性もゼロではないので,そんなに
になるし,患者さんの信頼が得られなくなる場
気長に待つわけにはいかないだろう。
合もある。Eさんに関しては,言語的交流がも
てないことがとても大きな問題で,治療を早く
49
(3)抵抗があっても注射をする
Eさんは自分に何が起こっているのか知りた
04_事例1-5 2011.8.23 1:17 PM ページ 50
Ⅳ. 事例から学ぶ
いと思っているはずであり,たとえ,食事に混
ても,それを信じてもらえないということも起
ぜた薬で状態が良くなったとしても,自分の意
こりうるので,この方法は取り入れにくい。
思で薬を飲んだわけではないのだから,薬物の
必要性が納得できない可能性もある。むしろ,
考 察
抵抗があったとしても,注射の方が治療をされ
看護者の第一義的な責任の対象は,いうまで
ていることが明確でよいという考え方も決して
もなくEさんである。Eさんの意思を尊重する
間違ってはいない。しかし,Eさんにとって,
という立場からは,(2)案が最も適切と思わ
我々医療従事者は11年ぶりに出会う他者なのだ
れるが,前述のように11年間という歳月がEさ
から,恐怖を与える存在になってはならない。
んに及ぼした影響をどのように考えるかによっ
Eさんには,保護的にかかわることがよい結果
て対応は異なるであろう。11年間もの長い間未
につながると思われるので,できるかぎり,E
治療であったからこそ,なるべく早く治療を開
さんにとって侵襲の度合いが少ないものを選ぶ
始した方がEさんにとってよい結果をもたらす
べきであるとも考えられる。
だろうという立場もあれば,逆に11年間も変わ
(4)食事に薬物を混入したことをEさんに告
げてから食事をしてもらう
1度勧めているとはいえ,薬を食事に混ぜる
ことは何も話していないのだから,だまってそ
らない日々を過ごしていたのだから,今焦って
治療を急ぐことはないという立場もある。その
どちらも間違った対応とはいえない。
しかし,Eさんは何も語っていないが,初日
れを飲んでもらうのは,非告知投薬になるので,
には一睡もしていないこと(家では眠られたの
「薬を飲んでもらえないので,ご飯に混ぜた」
かどうかも不明であるが)から,緊張が強いこ
ということを知らせてから食事をしてもらうと
とも考えられるので,何らかの治療は開始した
いう意見である。薬を服用しないのは,錠剤や
ほうがよいであろう。とはいえ,11年間母親と
散剤がのみにくいからであるかもしれないし,
のかかわりしかなかったEさんが,多くの他者
11年間の間に風邪など全くひかなかったという
がいる場所に無理やり連れて来られてしまった
こともないであろうから,薬を服用した経験は
のだから,一睡もできなくても当然といえば当
あるはずで,これまでそのときにどのような飲
然のことでもあり,それだけでもかなりの侵襲
み方をしていたのかもわからないのだから,形
になっているともいえる。したがって,これ以
状を変えてみるのは悪くない。しかし,薬物を
上,Eさんに脅威となるようなかかわりはして
拒否しているのであれば,それを伝えることに
はならないだろうし,できるだけ安心できる環
よって食事も拒否されることになるのではない
境を提供することが望ましい。これらのことを
かという心配がある。しかも,そういうことで
考え合わせると,現在の段階では(1)案が最
食事を拒否されてしまうと,薬を混ぜなくなっ
も適切なのではないだろうか。
50
04_事例6_漫画 2011.8.23 1:18 PM ページ 51
事例
51
6
〈コミック解説〉施設内禁煙の波紋
04_事例6_漫画 2011.8.23 1:18 PM ページ 52
Ⅳ. 事例から学ぶ
52
04_事例6_漫画 2011.8.23 1:18 PM ページ 53
53
04_事例6_漫画 2011.8.23 1:18 PM ページ 54
Ⅳ. 事例から学ぶ
イラスト「スタジオ ネロリ」山田ヨーコ
54
05_資料01 2011.8.23 1:19 PM ページ 55
Ⅴ. 資料1
精神科看護の定義
精神科看護とは,精神的健康について援助を必要としている人々に対し,個人の
尊厳と権利擁護を基本理念として,専門的知識と技術を用い,自律性の回復を通し
て,その人らしい生活ができるよう支援することである。
(2004. 5. 26)
<解 説>
この定義は,以下の三つを骨子として精神科看護を定義している。
1.精神科看護の対象
2.個人の尊厳と権利擁護
3.自律性の回復とその人らしい生活
99文字の定義に込めた精神科看護の理解を容易にするために,骨子ごとに解説す
る。
1 精神科看護の対象
精神科看護は,精神的健康について援助を必要としている人々を対象としている。
精神的健康は単に精神疾患に起因するものだけではなく,人々が生きる過程で直面
する多様な心の問題を含んでいる。よって,精神科看護は,精神疾患を有する人々
にとどまらず,すべての人々を対象とする幅広い支援活動を意味している。
精神医療を取りまく社会的環境は,入院医療主体から地域を拠点とした地域生活
支援へと変化してきている。また,日々精神保健への関心が高まる社会情勢の中で,
個人が心の健康を保とうとするニーズも顕在化しつつある。
このような社会的環境の変化を受け,精神科看護者は,疾病の予防や治療に限ら
ず,心の健康を保持・増進する活動に積極的に参加し,精神保健福祉の向上に寄与
しなければならない。
55
05_資料01 2011.8.23 1:19 PM ページ 56
Ⅴ. 資 料
2 個人の尊厳と権利擁護
生命・自由・幸福の追求は日本国憲法で定められた,国民の権利であり人間がも
つ根源的かつ普遍的な願いである。しかしながら,我が国の精神障がい者の処遇を
めぐる歴史的経緯は,人権が尊重されてきたとは言いがたい。精神科看護者は,こ
の歴史的経緯を重く受け止め,対象となる人々の生命,人格に対する深い尊厳とと
もに,高い職業倫理をもって判断し,行動しなければならない。
精神障がい者をめぐる法整備は精神衛生法から精神保健法,さらに精神保健福祉
法へと変遷し,対象者主体の医療がすすめられている。精神科看護者は,精神保健
福祉法に規定された精神医療の特性を踏まえ,良質な医療を提供するために,治療
上必要な行動制限に対しては,十分な説明のもとに,可能な限り対象となる人の同
意を求めながら,必要最小限となるように専門的知識や技術をもって応えなければ
ならない。
3 自律性の回復とその人らしい生活
精神科看護の対象は,精神的健康について援助を必要としているすべての人々で
ある。「自律性の回復」とは,対象となる人自らが,思考・判断・行動することを
通して,自身のより良い生き方を見出すことを指している。
精神科看護は,対象者自ら精神的健康について考え,より良い生き方を見出せる
ように支えることを目的としている。人はだれしも固有の生活史と生活環境を有し,
個別性を持って生きている。その人らしさは,その人自身の自律性の回復をもとに
実現可能となる。したがって,精神科看護者は,患者−看護師関係を基盤に対象の
個別性を尊重し,自律性の回復に向けて支援しなければならない。
(2004. 5. 26)
「精神障害者」の表記変更について
日本精神科看護技術協会は2004年7月1日より,「精神障害者」の
「害」の字について,人権尊重のため一部自治体の例に倣って,適切
な表現が提唱されるまでの間は「がい」と表記することにした。
ただし,法律用語,公文書,施設の名称や団体名等の固有名詞の表
記などはその限りではない。
56
05_資料01 2011.8.23 1:19 PM ページ 57
精神科看護倫理綱領
精神科看護者は,本協会の精神科看護の定義を理念とし,法と人道の精神を踏ま
え,看護者の責務を遂行する。次のとおり倫理指針を提示する。
1 精神科看護者は,対象となる人々の基本的人権を尊重し,個人の尊厳と
権利を擁護する。
2 精神科看護者は,対象となる人々が説明と同意に基づき治療へ参画でき
るよう努める。
3 精神科看護者は,治療過程において隔離等の行動制限が必要な場合に,
それを最小限にとどめるよう努める。
4 精神科看護者は,職務上知り得た秘密を守り,プライバシーを保護する。
5 精神科看護者は,専門職業人として質の高い看護を提供するため継続し
て学習に努める。
6 精神科看護者は,より有効な看護実践を探求するため研究に努める。
7 精神科看護者は,家族や他の専門職との連携を図り,対象となる人々が
その人らしく生活できるよう努める。
8 精神科看護者は,専門的知識と技術をもって,社会の信頼と期待に応え
られるよう努める。
9 精神科看護者は,地域社会の人々にノーマライゼーションの観点から,
精神保健福祉の普及に努める。
10 精神科看護者は,看護専門職能人として地位の向上と看護水準を高める
ため政策提言をおこなう。
(2004. 5. 26)
<解 説>
1 精神科看護者は,対象となる人々の基本的人権を尊重し,個人の尊厳と権利
を擁護する。
基本的人権は日本国民が等しく持つ権利であり,いかなる場面においても尊重さ
れなければならない。精神疾患及び精神障がい者に対する国民の理解は十分とはい
えず,多くの差別や偏見が存在している。精神科看護者は,精神障がい者を含む対
象となる人の傍らにいて,その人らしい生活の実現のため支援しなければならない。
また,いわれのない差別や偏見のためにその人らしい生活が疎外されないように権
利擁護者としての役割を果たさなければならない。
57
05_資料01 2011.8.23 1:19 PM ページ 58
Ⅴ. 資 料
2 精神科看護者は,対象となる人々が説明と同意に基づき治療へ参画できるよ
う努める。
私たちは,自分自身の疾患についてその治療法及び予後について知る権利を持っ
ている。また治療法を選ぶ権利も持っている。いかなる疾患でもその権利は侵害さ
れてはならない。わが国においては,多くの精神障がい者が,社会資源の不足や制
度上の不備により,長期入院を余儀なくされている歴史を持っている。精神科看護
者は,長期入院患者を,新たに作り出さないためにもインフォームドコンセントの
原則をもって,対象となる人々が,自らの治療に参画し,適切な医療を受けること
ができるよう努めなければならない。
3 精神科看護者は,治療過程において隔離等の行動制限が必要な場合に,それ
を最小限にとどめるよう努める。
入院治療においては,隔離・拘束や,面会,電話,外出・外泊,持ち物の制限な
ど治療上判断される個別的な制限や,病棟出入り口の施錠,生活時間の限定など安
全管理上判断される全体的な制限のように,さまざまなかたちで行動制限が行われ
る。
精神科看護者は,行動制限が対象となる人の基本的人権を脅かすものであり,大
きな苦痛や不安,さらには身体機能の低下,自己決定能力や問題対処能力の低下と
いう弊害をもたらすものであるという認識をもたなければならない。そして,過剰
な行動制限がなされないように,日々,行動制限が適切かどうか,行動制限を最小
とするために必要なことは何かを見極めつつ,対象となる人自身が行動を自己管理
できるように支援していく必要がある。
4 精神科看護者は,職務上知り得た秘密を守り,プライバシーを保護する。
精神科看護者は,適切な支援を提供するために,対象となる人が現在おかれてい
る精神・身体・社会面についての状況だけではなく,生きてきた軌跡を辿ったり,
その人を取りまく人々の心に触れたり,さらには今後の生活設計を知るというかた
ちで,幅広い情報を得ることが多い。
個人情報を得る際には,その利用目的を説明しつつ,可能な限り対象となる人の
自己決定のもとで提供してもらう必要がある。対象となる人の情報提供を拒否する
権利を尊重し,不適切な情報収集とならないように留意する。職務上知り得た情報
については,その取り扱いに細心の注意をはらい,守秘義務を遵守しなければなら
58
05_資料01 2011.8.23 1:19 PM ページ 59
ない。さらに,個人情報の漏出を防止するための対策を講じ,情報が安全に管理さ
れる体制整備に尽力する。
5 精神科看護者は,専門職業人として質の高い看護を提供するため継続して学
習に努める。
精神科看護者には,引きこもり,幼児虐待や思春期に特有な病気,失業や自己破
産に伴う自殺者の増加,高齢化に伴う痴呆症など,疾病構造の変化,国民の意識の
変化,医療技術の進歩ならびに社会的価値の変化にともない多様化する人々の健康
上のニーズに対応していくために,高い教養とともに高度な専門的能力が要求され
る。このような要求に応えるべく,専門職業人として計画的にたゆみなく日々研鑚
に励み,能力の維持・開発に努めることは,精神科看護者自らの責務である。
精神科看護者は,自施設での現任教育のプログラムの他に,日本精神科看護技術
協会及びその支部が主催する各種研修,学会・研究会などの継続学習の機会を積極
的に活用し,専門職業人としての自己研鑚に努める。
6 精神科看護者は,より有効な看護実践を探求するため研究に努める。
精神科看護者は,常に,より質の高い看護が提供できるよう,研究などにより得
られた最新の知見を活用して看護を実践するとともに,新たな専門的知識・技術の
開発に最善を尽くさなければならない。専門的知識・技術は蓄積され,さらなる看
護の発展に貢献する。精神科看護者は,実践や研究に基づき,看護の中核となる専
門的知識・技術の創造と開発を行い看護学の発展に寄与する責任を担っている。
精神科看護者はあらゆる研究の対象となる人々の不利益を受けない権利,情報を
得る権利,自分で判断する権利,プライバシー・匿名性・機密性を守る権利を保障
しなければならない。
7 精神科看護者は,家族や他の専門職との連携を図り,対象となる人々がその
人らしく生活できるよう努める。
精神科看護者は,対象となる人々の自己決定を尊重し,そのための情報提供と決
定の機会を保障していくと共に,常に個別的なアプローチと温かい配慮をもって接
するように努める。対象となる人々がその人らしい生活を継続できるように,自律
性の回復と維持,増進という目的のもとに,その人を取りまく他の精神保健福祉関
係者と連携を図る。そして,それぞれの能力を最大限に発揮し,その人が社会にお
59
05_資料01 2011.8.23 1:19 PM ページ 60
Ⅴ. 資 料
いて安定した生活を送ることができるように支援する。
8 精神科看護者は,専門的知識と技術をもって,社会の信頼と期待に応えられ
るよう努める。
精神的健康が社会的に注目され,精神科看護の専門性が今まで以上に問われる時
代になってきている。精神科看護者は,社会の信頼と期待に応えられるように,専
門職としての誇りを持って,自己の職業の社会的使命と責任を自覚しなくてはなら
ない。
研究,実績により得られた最新の知見を有効に活用しながら,より質の高い看護
を提供していく必要がある。また,高度な知識や技術による看護行為は,信頼関係
のもとで初めて効果的な看護援助となりうるので,信頼関係を築き,発展させるよ
うに日々尽力し,社会の信頼,期待に応えていくように努める。
9 精神科看護者は,地域社会の人々にノーマライゼーションの観点から,精神
保健福祉の普及に努める。
社会復帰施設建設などへの反対運動にもみられるように精神障がい者に対する誤
解や無理解が地域社会には根強く残っている。障がい者が地域社会でその人らしく
生活するには,社会の人々の理解と協力が必要である。精神科看護者は,対象とな
る人々が地域社会の一員として,その尊厳が守られ安心して生活が送れるような地
域社会づくりに力を尽くさなければならない。また,メンタルヘルスについての正
しい知識の普及啓発,自助グループの育成など地域社会の精神保健問題に関与する
ことが期待されている。
10 精神科看護者は,看護専門職能人として地位の向上と看護水準を高めるため
政策提言をおこなう。
精神科看護者は,対象となる人々のニーズの実現や専門職業人として最大限の力
を発揮する為に地方自治体や国の政策上の条件整備に関与しなければならない。そ
れらを実現するために臨床や地域において絶えず政策の評価を行い,必要に応じ要
望事項を取りまとめ日本精神科看護技術協会などと連携して政策提言をおこなうこ
とが求められている。
(2004. 5. 26)
60
05_資料02_9 2011.8.23 1:19 PM ページ 61
資料2
○ 倫理的意思決定のステップ
看護者は,医師,患者,家族,同僚,他の専門職者など多くの関係性の中で働い
ている。それらの間で,あるいは自分自身の価値観との間でどちらをとるか,どう
したらよいか迷うことがしばしばある(倫理的ジレンマ)
。
○ 倫理的意思決定を導くモデル
4ステップモデル(ICNの提案)の手順
ステップ1
問題の明確化
・全体のストーリーを記述し,その状況にかかわる人たち,
および看護上の問題点を明確にする。
ステップ2
問題の分析・整理
・状況にかかわりのある人を列挙し,各人が大切にしてい
る価値や思いを整理する。
・法律や制度が関係する場合それについても整理する。
・列挙した人の中から,看護者として第一義的な責任を取
るべき対象を明記する。
ステップ3
判断
・看護者の行動の選択肢を列挙する。良い悪いを考えずに
ブレインストーミングを行って選択肢を挙げていく。
・それぞれの行動をとった場合の結果及び波及効果につい
て考える。
ステップ4
行動の選択
・行動の選択肢を決め,それをどのように試すのかを決め
る。
・ステップ3の選択肢の中から,ステップ2で明記した「看
護者の第一義的な責任の対象」にとって最善と思われる
行動を決定する。どの選択肢も全ての人に100%よいと
いうものは通常ない。
・とるべき行動を決定したら,その行動をどのように行う
かを考える。何をなすかりも,どのような思い,態度,
雰囲気をもってそれを行うかが重要な鍵になる。
行動後の評価
実際に行動してみると,予想外の事態に直面することも多い。うまくいった
ときも含めてその経験を振り返り,日常に実践に生かすこと。
61
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Ⅴ. 資 料
○ 問題解決用紙を活用し,4ステップにならって整理をしてみましょう。
事例5の場合
4ステップモデルによる問題解決用紙
ステップ1:全体の状況,
関係している人
1)全体の状況,
関係している人
ステップ3:看護者の行動の選択肢,
その結果,
波及効果
選択肢
どうなるか
欠点
A案
利点
欠点
B案
利点
2)看護上の問題点
欠点
C案
利点
ステップ2:関係する人たちの思い・大切なこと・関連する法律や制度
1)登場人物のリストとその思い・価値
欠点
D案
利点
その他案があればいくつでも
ステップ4:何をなすべきか?それをどのように為すか?
2)看護者の第一義的な責任の対象
↓ 事例5をあてはめると
4ステップモデルによる問題解決用紙
ステップ1:全体の状況,
関係している人
1)全体の状況,
関係している人
Eさん:一切口をきかない(何がよくて何がEさんにとって快いことなのかが
把握できない)薬を勧めても口を開けてくれない。
X医師:食事に薬物を混入しようと考えている。
Y看護師:食事に薬物を混ぜるのは自律尊重の倫理原則に反する。
Z看護師:今の状態をずっと続けるよりも薬物を早く体内に取り込むことが必
要なのだから,
食事に混ぜてもよいのではないか
2)看護上の問題点
このままでは必要な薬物を患者が体内に取り込むことができない
(方法の選択に議論の余地がある)
ステップ2:関係する人たちの思い・大切なこと・関連する法律や制度
1)登場人物のリストとその思い・価値
Eさん:突然の日常生活の変化でとまどっているであろう
(推測)
自分が病気であるとは思っていないのではないだろうか(推測)
自分に何が起こっているのかわからない。納得したい
(推測)
X医師:薬を飲んでもらいたい
できるだけEさんにとって侵襲の度合いが少ない方法がよい
Eさんには保護的にかかわることがよい結果につながるだろう
Eさんにとって我々は11年ぶりに出会う他者なのだから恐怖を与え
る存在になってはならない
Y看護師:Eさんは自分に何が起こっているのか知りたいと思っているはず
たとえ,
食事に混ぜた薬で状態が良くなったとしても,
自分の意思で
薬を飲んだわけではないのだから,
薬物の必要性が納得できない可
能性もある。むしろ注射の方がわかってもらえるのではないか
Z看護師:薬物の効果が出てきて交流が持てるようになってから,
関係を作
っていく時に,
時間をかけてわかってもらえばよい
2)看護者の第一義的な責任の対象
Eさんである。
Eさんにとってもっともよい投薬方法を考えることが必要。
ステップ3:看護者の行動の選択肢,
その結果,
波及効果
選択肢
A案
B案
C案
D案
食事に薬物を
混入する
どうなるか
欠点
Eさんへの侵襲が少なくてすむ
Eさんには何が起こっているのかわ
利点
からない
説得を続け自ら 欠点 Eさんへの侵襲が少なくてすむ
服用してくれる
Eさんに変化が生じるまで時間がか
のを待つ
利点
かる。
または変化しない
抵抗があっても 欠点 薬物を取り込むことができる
Eさんは何をされたかがわかる
注射をする
Eさんへの侵襲が大きい
利点
スタッフに対する恐怖が出る可能性
Eさんの自律性は尊重される
食事に薬物を
欠点
混入したことを
食事も摂らなくなる可能性
Eさんに告げる
利点
その他案があればいくつでも
ステップ4:何をなすべきか?それをどのように為すか?
資料:小西恵美子編 看護学テキストシリーズNiCE 看護倫理 南江堂 2007を一部改変
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資料3
ICN看護師の倫理綱領
1953年国際看護師協会(ICN)において,初めて採択された。その後,何回かの
改訂を経て,2005年の見直しと改訂に至った。
【倫理綱領の基本領域】
1.看護師と人々
・看護師の専門職としての第一義的な責任は,看護を必要とする人々に対して存在
する。
・看護師は,看護を提供するに際し,各個人の人権,価値観,習慣,精神的信念が
尊重されるような環境の実現を促す。
・看護師は,個人がケアや治療に同意する上で,十分な情報を確実に得られるよう
にする。
・看護師は,他人の情報の守秘し,これを共有する場合には適切な判断に基づいて
行う。
・看護師は,一般社会の人々の健康上のニーズおよび社会的ニーズを満たすための
行動を起こし,支援する責任を社会と分かち合う。
・看護師はさらに,自然環境を枯渇,汚染,劣化および破壊から保護し,維持する
責任を社会と分かち合う。
2.看護師と業務
・看護師は,看護業務および継続的学習による能力の維持に関して,個人として責
任と責務を有する
・看護師は,自己の健康を維持し,ケアを提供する能力が損なわれないようにする。
・看護師は,責任を受け,または,他人へ委譲する場合,自己および相手の能力を
正く判断する。
・看護師はいかなるときも,専門職の信望を高めて社会の信頼を得るように,個人
としての品行を常に高く維持する。
・看護師は,ケアを提供する際に,テクノロジーと科学の進歩が人々の安全,尊厳
および権利を脅かすことなく,これらと共存することを保証する。
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Ⅴ. 資 料
3.看護師と看護専門職
・看護師は,看護業務,看護管理,看護研究および看護教育の望ましい基準を設定
し実施することに主要な役割を果たす。
・看護師は,研究に基づき,看護の中核となる専門的知識の開発に積極的に取り組
む。
・看護師は,その専門的組織を通じて活動することにより,看護における安全で正
当な社会経済的労働条件の確立と維持に参画する。
4.看護師と協働者
・看護師は,看護および他分野の協働者と協力関係を維持する。
・看護師は,個人,家族および地域社会の健康が協働者あるいは他の者によって危
険にさらされているときは,それらの人々や地域社会を安全に保護するために適
切な措置をとる。
資料:石井トク著 看護のこころ 看護の倫理規定・綱領・宣言集 丸善株式会社 2007を一部改変
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05_資料02_9 2011.8.23 1:19 PM ページ 65
資料4
ナイチンゲール誓詞
・我はここにつどいたる人々の前に我が生涯を清く過ごし,我がつとめを忠実に尽くさんことをおご
そかに神に誓わん。
・我はすべて毒あるもの,害あるものを絶ち,悪しき薬を用いることなく,また知りつつこれをすす
めざるべし。
・我は我が力の限り,我がつとめのしるしを高くせんことをつとむべし。
・我つとめにあたりて,取り扱える人々の私事のすべて,我が知り得たる一家の内事のすべて,我は
人に漏らさざるべし。
・我は心より医師を助け,我が手に託されたる人々の幸のために身をささげん。
資料:石井トク著 看護のこころ 看護の倫理規定・綱領・宣言集 丸善株式会社 2007より改変
資料5
ヒポクラテスの誓い
医神アポロン,アスクレピオス,ヒギエイア,パナケイアおよびすべての男神と
女神に誓う,私の能力と判断にしたがってこの誓いと約束を守ることを。
○ この術を私に教えた人をわが親のごとく敬い,わが財を分かって,その必要あるとき助ける。
○ その子孫を私自身の兄弟のごとくみて,彼らが学ぶことを欲すれば報酬なしにこの術を教える。
そして書きものや講義その他あらゆる方法で私の持つ医術の知識をわが息子,わが師の息子,ま
た医の規則にもとずき約束と誓いで結ばれている弟子どもに分かち与え,それ以外の誰にも与え
ない。
○ 私は能力と判断の限り患者に利益すると思う養生法をとり,悪くて有害と知る方法を決してとら
ない。
○ 頼まれても死に導くような薬を与えない。それを覚らせることもしない。同様に婦人を流産に導
く道具を与えない。
○ 純粋と神聖をもってわが生涯を貫き,わが術を行う。
○ 結石を切りだすことは神かけてしない。それを業とするものに委せる。
○ いかなる患家を訪れる時もそれはただ病者を益するためであり,あらゆる勝手な戯れや堕落の行
いを避ける。女と男,自由人と奴隷の違いを考慮しない。
○ 医に関すると否とにかかわらず他人の生活について秘密を守る。
○ この誓いを守りつづける限り,私は,いつも医術の実施を楽しみつつ生きてすべての人から尊敬
されるであろう。もしこの誓いを破るならばその反対の運命をたまわりたい。
資料:石井トク著 看護のこころ 看護の倫理規定・綱領・宣言集 丸善株式会社 2007を一部改変
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Ⅴ. 資 料
資料6
1.現代の規範倫理学
現代の規範倫理学を代表する学説には,
「徳倫理学」
「功利主義(目的論)倫理学」
「義務倫理学」の3つである。
倫理学
行為論
徳論
帰結主義
徳の倫理
功利主義
義務論
体系的倫理理論
価値の評価基準
焦点
問いかけ
徳の倫理
行為者の性格特性,人格
行為者
私はどのような人であるべきか
功利主義
行為の結果
行為
私は何をなすべきか
(結果主義)
義務論
行為の動機とその行為自体
2.徳の倫理
功利主義や義務論が「行為」に焦点を当てて論じられるのに対して,徳の倫理は
「私はどのような人であるべきか」
「良い人とはどういう人か」という問いかけに答
えていこうとする。徳の倫理は古代ギリシャのアリストテレスに始まるとされる。
66
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アリストテレスの倫理学
アリストテレスはプラトンやソクラテスが理念的な倫理学を展開したのに対し
て,実際の生活に根ざした常識的な議論を展開している。技術であれ,探求であれ,
行為であれ,人間の営みにはすべて何かひとつ善いものを目指すという目的(たと
えば医術の目的は健康であり,軍隊を動かす技術の目的は勝利である)があり,そ
の目的の頂点に幸福という最高の善がある。そしてその最高善は人間としてのよさ,
徳を通して実現されるものであると規定し,徳には知的なものと習慣的なものがあ
り,知的な徳は教えから得られるが,習慣的な徳は練習と習慣の繰り返しによって
獲得されるとした。
アリストテレスの徳のリスト
知的な徳
卓越性,理性,分別
十分な教育によって獲得できる
習慣的な徳
勇気,節制,正義,
忍耐,親愛,寛容
優しさ,誠実,謙虚など
練習によって獲得できる
徳
東洋の徳
一方,中国で始まった儒教は日本では8世紀以降に律令制度の中に取り入れられ
て以来,神道と融合し,日本人の考え方に強い影響を及ぼした。
儒教の教義は五常(仁・義・礼・智・信)という徳性を磨くことによって五倫
(父子有親・君臣有義・夫婦有別・長幼有序・朋友有信)の関係を維持するという
ものである。
【五常】
仁:人を思いやることで,多くの徳の核心であり,最高の徳目である。
義:人々が遵い行うべき正しい路であり私欲にとらわれずにすべきことをすること
である。
礼:仁の具体的な行動を示すもので,人間関係の上下で守るべきこと,節度や規範
を意味する。
智:是か非か,正か邪か,曲直の区別,真妄の区別が可能になる道である。
信:誠実であること。約束を破ったり,嘘をついたり,だましたりしないことをい
う。
67
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Ⅴ. 資 料
【五倫】
父子有親:親子の関係を維持するための心構えは「親」(一つになろうとするした
しみ)
。
君臣有義:君臣の関係を維持するための心構えは「義」
(状況に応じた正しい行動)
。
夫婦有別:夫婦の関係を維持するための心構えは「別」(各々の本分・職能を乱さ
ない区別)
長幼有序:年配者と若者の関係を維持するための心構えは「序」
(順序)
。
朋友有信:友達の関係を維持するための心構えは「信」
(偽りのないまことの心)
。
3.ケアの倫理と徳の倫理
ケアの倫理は「私は他者のニーズにどのように応答すべきか」を何よりも重視す
る。人と人とのつながりを大切にし,お互いの責任を認識し,他の人の苦しみや悩
みに対して応答していくことがケアの特色である。
そのためには,各個人やその状況を共感的に受け止めて,細心の注意を払いニー
ズを把握していこうとする姿勢や能力をもっていることが求められるのであり,患
者と看護師の関係には看護師の徳が必須である。
4.看護師にとっての徳の倫理の意味
看護師が徳をもつことで,その看護は「よい看護」になる。その徳が看護師自身,
患者,他の看護師などを感化すると考えられる。
ヘンダーソンは「看護師の人格こそが看護ケアの効果を計る,無形ではあるが最
善の尺度となる。看護ケアの質は看護するものの質によって左右される」と述べて
いる。看護師は自分自身を道具としてケアのために用いる人なのであり,看護師の
質はそのままケアの質に反映されるのである。日本看護協会の倫理綱領第13条に
「看護者は,社会の人々の信頼を得るように,個人としての品行を常に高く維持す
る」と述べられているのは,徳の倫理を表したものといえよう。
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5.徳の倫理の問題点
徳は他者を感化するほどの大きな力をもっているが,徳の基準(私はどのような
人であるべきか)は時代や状況によって変化する。「正直,勤勉,明るい,しっか
りしている,やさしい」などの性質は通常は善の方向に働くが,それを受ける人に
よっては迷惑であると感じられることもあるように,状況が変わると結果としてマ
イナスの方向に働いてしまう場合がある。また「従順,やさしさ」などの「徳」が
だれに対してそうであるかが問題になる場合もある。
第二次世界大戦中のドイツの看護師たちは医師に対して,あるいは国家に対して
「従順」という徳をもっていたかもしれないが,非倫理的な医学研究に参加し患者
を殺戮することが生じた。このように徳の倫理には,それが必ずしも規範的な判断
基準として働かないあいまいなところがある。それが徳の倫理のアプローチの問題
点である。
6.原則の倫理
専門職としての倫理的判断とその説明義務
看護師は専門職者として社会に対する責務を担っている。
看護者としてある場面でどのようにすることがよいことなのかを判断するとき,
1個人として自分の考えで善悪を判断するのではなく,看護師としてどうすればよ
いのか を判断する必要がある。さらにそれがなぜ看護師としてとるべき行動なの
かを他の人 に説明する義務がある。
判断のよりどころとしての倫理原則
原則の倫理の考えでは,それぞれの専門領域の中で重要な意味をもつ価値(倫理
原則)を明らかにし,それを判断のよりどころとするのである。
しかし,原則に忠実であろうとすれば個々人の具体的な問題を単純化してとらえ
なければならず,個別の要求や人間関係を軽視することにもなりかねない。現実的
には徳の倫理と原則の倫理を併用していくことが必要なのだと思われる。
資料:小西恵美子編 看護学テキストシリーズNiCE 看護倫理 南江堂 2007より改変
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Ⅴ. 資 料
資料7
トンプソンによる倫理的問題を明確化するためのカテゴリー
A.倫理原則に関する問題
①患者および専門職者の自己決定権の問題(自律の原則) ②善と害(善行の原則・無害の原
則) ③正義と公平さ ④真実の告知(誠実) ⑤インフォームド・コンセント ⑥QOL
B.倫理的権利に関する問題(倫理的に認められる個人の権利に関する問題)
①プライバシーの権利 ②自分自身・自分の身体に起こる事柄を決める権利(自己決定)
③医療を受ける権利 ④情報を提供される権利(インフォームド・コンセント,医療記録にア
クセスする権利) ⑤ケア提供者を選ぶ権利 ⑥生きる権利・死ぬ権利 ⑦子どもの権利
C.倫理的義務・責務に関する問題(医療者が果たすべき義務と責務に関する問題)
①個人の尊厳 ②決断・行為について責任をとること ③専門職としての能力を維持すること
④専門的実践において情報提供したうえでの判断の訓練をすること ⑤専門職としての標準的
な治療技術やケア技術を適用することや,進歩させること⑥専門職としての知識基盤を作るた
めの活動に参加すること ⑦能力的に低いあるいは非倫理的,非合法な実践から患者を守るこ
と ⑧公衆のヘルスケアニードに応える努力をすること ⑨政策の作成に参加すること
⑩違法な医療行為をしないこと ⑪適切な技術や知識のもとに医療行為を行うこと
D.倫理的忠誠に関する問題
①専門職同士の関係 ②医療者と患者の関係 ③医療者と患者の家族の関係 ④被雇用者とし
ての責務 ⑤決定者は誰か
E.ライフサイクルに関する問題(生命と生殖に関する問題)
①避妊と不妊 ②遺伝子操作と胎芽移植 ③人工妊娠中絶(生命の始まりはいつか)
④新生児の安楽死 ⑤未成年者の性的関係 ⑥不足している医療資源の割り当て ⑦ライフサイクル ⑧安楽死
資料:ジョイスE・トンプソン他著 山本千紗子他訳 看護倫理のための意思決定10のステップ
日本看護協会出版会 2004より
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資料8
○ 身体抑制の法令・省令等
精神保健福祉法第37条に基づく厚生省告示129号
○ 隔離とは
内側から患者本人の意思によっては出ることができない部屋の中へ1人だけ入室させること
により当該患者を他の患者から遮断する行動の制限をいい,12時間を超えるものに限る。
○ 身体拘束とは
衣類又は綿入り帯等を使用して、一時的に当該患者の身体を拘束し、その運動を抑制する行
動の制限をいう。
介護保険法指定基準において禁止の対象となる具体的な行為
(1)徘徊しないように、車いすやいす、ベッドに体幹や四肢を紐などで縛る。
(2)転落しないように、ベッドに体幹や四肢を紐などで縛る。
(3)自分で降りられないように、ベッドを柵(サイドレール)で囲む。
(4)点滴や経管栄養などのチューブを抜かないように、四肢を紐などで縛る。
(5)点滴や経管栄養などのチューブを抜かないように、または、皮膚をかきむしらないよ
うに、手指の機能を制限するミトン型の手袋などをつける。
(6)車いすやいすからずり落ちたり、立ち上がったりしないように、Y字型拘束帯や腰ベ
ルト、車いすテーブルをつける。
(7)立ち上がる能力のある人の、立ち上がりを妨げるようないすを使用する。
(8)脱衣やおむつはずしを制限するために、介護衣(ツナギ服)を着せる。
(9)他人への迷惑行為を防ぐために、ベッドなどに体幹や四肢を紐などで縛る。
(10)行動を落ち着かせるために、向精神薬を過剰に服用させる。
(11)自分の意思で開けることのできない居室などに隔離する。
(身体拘束平成13年 ゼロへの手引き 厚生労働省「身体拘束ゼロ作戦推進会議)
71
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Ⅴ. 資 料
隔離及び身体拘束の対象から除外する事例
(1)車椅子移動の際の転落防止を目的とした安全ベルトによる固定
(2)就寝時にベッドから転落を防止するための短時間の身体固定
(3)身体疾患に対する治療行為としての一時的な点滴中の固定
(4)感染症拡散を防止するためのサムターン・ロック(内側から開施できる)による施錠
「精神保健福祉法改正に関する疑義照会に対する回答」
(厚生省精神保健福祉課:平成12年7月31日)
資料9
ビーチャム・チルドレス『生命医学倫理の諸原則』
(1979)の4原則
自律の尊重
(respect for autonomy)
自律的な個人の意思決定能力を尊重すること
無危害(non-maleficence)
他人に危害を与えないこと
恩恵(beneficence)
危害を避け、便益を供与し、リスクと費用に対して便益を均衡さ
せること
正義(justice)
便益、リスク、費用の人々の間での適切な配分
資料:医学書院『医療倫理学の方法』より改変
72
奥付 2011.8.23 1:20 PM ページ 1
日本精神科看護技術協会 政策・業務委員会 2009年倫理に関する検討プロジェクト
委員長 吉浜 文洋 神奈川県立保健福祉大学 保健福祉学部看護学科
坂田 三允 医療法人社団新新会多摩あおば病院
南方 英夫 JA長野厚生連安曇総合病院
結城 佳子 名寄市立大学保健福祉学部看護学科
早川 幸男 特例社団法人日本精神科看護技術協会
木葉 三奈 特例社団法人日本精神科看護技術協会
(順不同)
精神科看護者のための倫理事例集 2011
「日精看」
:頒価500円(税込)
発行日:2011年6月30日(第2刷)
編 集:特例社団法人 日本精神科看護技術協会 政策・業務委員会
2009年倫理に関する検討プロジェクト
発 行:特例社団法人 日本精神科看護技術協会
〒108-0075 東京都港区港南2-12-33 品川キャナルビル7F
TEL 03-5796-7033(代) FAX 03-5796-7034 URL http://www.jpna.jp
印 刷:NPC日本印刷(株)
精 神 科 看 護 者のための倫 理 事 例 集 2 0 1 1
精神科看護者のための
精神科看護者のための
倫理事例集 2011
2011
特例社団法人
日本精神科看護技術協会
特例社団法人 日本精神科看護技術協会
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