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シンポジウム「発達障害(LD・ADHD・高機能自閉症等)の理解と支援

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シンポジウム「発達障害(LD・ADHD・高機能自閉症等)の理解と支援
シンポジウム「発達障害(LD・ADHD・高機能自閉症等)の理解と支援」
高塚
コーディネーター
高塚
雄介
シンポジスト
米山
明,水野
雄介(たかつか
薫,藤井
和子
ゆうすけ)明星大学人文学部教授
講師略歴等
中央大学学生相談室,早稲田大学総合健康教育センター相談室,常磐大学教授を経て,
平成18年より現職。
日本精神衛生学会理事長,日本電話相談学会常任理事 他
内閣府:「青少年の相談機関の連携に関する調査研究委員会」(平成14年度)委員長
本年度,本研究集会企画検討協力者
このシンポジウムの企画意図
「『発達障害』の理解と支援」というテーマについてだが,従来は『軽度発達障害』という呼称
で一般化していたけれど,最近はむしろ軽度という言葉を外して,
『発達障害』で表現することが
多いようである。
ひとつには,何をもって「軽度」
「重度」と言うか,なかなか線引きが難しいということがある。
また逆に,軽度でないと言うと,
「じゃあ,これは大変なのか」というふうに,先入観で見られて
しまうことが無きにしもあらずである。そういうことで,
『発達障害』という表現で一般化しよう
という傾向が強まっていると聞いている。
これから3人の方々に,それぞれの立場からご発言をいただくわけだが,1人は医師という立
場から。1人は今,課題となっている特別支援教育の推進に力を注いでおられる教育の立場。も
う1人の方は,臨床心理学的にケアをする立場という,3つの違った角度からの取り組み,考え
方というものを披露していただく。
米山
明(よねやま
あきら)心身障害児総合医療療育センター小児科医長
講師略歴等
医師として東京大学医学部小児科教室で研修後,不登校や摂食障害などの心理外来を担当。
並行して現在の心身障害児総合医療療育センターに勤務し,心身障害児や発達障害児の
診療に当る。
わたしは今,療育センターの小児科医をやりながら,板橋地区の情緒障害学級の通級の顧問,
板橋区の特別支援教育の在り方の委員,それからこの4年ほど,東京都の児童福祉審議会で子ど
も権利擁護部会という,
難しい虐待のケースを扱うところでもお手伝いをさせていただいている。
高塚先生から与えられた分担は,医学的なところで,今,発達障害の診断というのがどのくら
い進んでいるのか。あるいは,その治療の手だて。それに医療の連携が大事なので,治療的な側
面,連携の側面,そういったところをお話ししたい。
1.医学的な定義
発達障害者支援法というのが平成 17 年4月から施行された。この「発達障害とは」という定
義では,自閉,アスペルガー,PDD・広汎性発達障害,学習障害・LD,ADHD というような機
能の障害,ということである。
「LD」というのは,基本的には知的な発達の遅れはないけれども,聞く,話す,読む,書く,
計算する,または推論する能力のうち,特定のものの習得と使用に著しい困難がある。この著し
- 70 -
い困難というのが実はとても難しく,どこからが学習障害,どこからそうでないかと,やはりそ
この線引の問題になる。知的障害も目安として IQ が 70 ということになっていると思うが,そう
いったところでいうと,到達年齢に比して7割を割っていると障害というような形で位置付ける
のかなというふうに考えている。いろんな医学研究が進んで,「ADHD」もそうだが,7歳以前
に現れていて,中枢神経系のなんらかの機能不全であるといわれている。
「PDD」は高機能自閉とか,高機能の広汎性発達障害と言うけれども,3歳ぐらいまでに現れ
て,いわゆる社会性の問題が生じる。それから,コミュニケーション,言葉の発達。あるいは,
質的なイマジネーション,想像力の問題で,興味に偏りがある,というような3点を注意し,診
断をしている。
昔は子育ての問題,あるいは,言葉のない環境で言葉が遅れたり,コミュニケーションが育た
なかったのではないかといわれていたが,今はかなり医学の研究が進んで,そうではなくやはり
脳の機能障害ということがいわれる。
「アスペルガー」の基準もいろいろあるけれども,1つの基準としては3歳0カ月の時点で,
「2語文がまだ出てないと,言葉の遅れが明らかにあります」と言っている。言葉の遅れがある
かないかということが基準になるかと思う。
2.支援について
発達障害支援あるいは,特別支援教育がなぜ必要かということであるが,将来,社会適応が難
しくなる方々が,その頻度が高いということだろう。LD の方々に犯罪の率が高いとアメリカの
調査でいわれていたり,教育や福祉のところでは,やはり社会性の難しさから定職に就けない。
あるいは,転職だとか,ひきこもりの原因になっているんじゃないかともいわれている。
幼児期は育てにくい子どもとか,なかなか落ち着きがないとかいわれる。乳児期だと,癇が強
い,眠りが浅い,つまり睡眠のリズムが取れないという例が多い。実際に研究で見てみると,100
人子どもが居ると 15 人程度は癇が強かったり,なかなかミルクを飲まない。吐いてしまったり,
反り返ったりというようなことで育てにくいなど,生まれて数週間で結構分かるくらいの差がで
るようなお子さんたちは 10~15%居るということが分かっている。
そのお母さんたちは大変で,親が睡眠不足で,なかなか育児が難しい。そういう育てにくいお
子さんたちをフォローアップしていくと,ADHD,あるいは,PDD ということになったりする。
学童期では,学校での生活,学習の問題が起きてくる。いわゆる思春期・青年期になってくる
と,いろいろ二次障害といわれることが多くなる。反抗挑戦性障害だとか行為障害といわれるよ
うな,外向的な症状を出す方もいれば,抑うつ的とか,あるいは,おなかが痛い,頭が痛いとい
うような不安障害を現すお子さんたちもいる。
もう,これは単純に子育ての問題,あるいは,学校の教育の仕方の問題かと,そういうことで
はないので,脳の機能の偏りや,機能不全ということがある。
それと一つ大事なところは,わたしたちがアスペルガー症候群だとか,高機能自閉といわれる
方の診断の基準を広めている,ということがあると思う。今までは,
「ちょっと変わった人ね」と
いうくらいで,大人では社会適応できている人も,今は軽度発達障害圏に入れて診断をする。ク
ラスでうまくいかなければということで,診断されているお子さんたちがいる。ただ,その選別,
レッテルを張られるだけで終わってしまって,なかなかまだ手だてができてないというのが現状
かなと思う。
3.原因・診断について
今いろんなテレビ番組でも,右脳,左脳がどうとかいわれているが,機能の局在ということを
考えてみると,話す,書く,計算する,あるいは認知という分析的・算術的な脳というのは左脳
にあって,右脳では,空間認知だとか,非言語の観念だとか,音楽だとかがあるだろうという。
- 71 -
左脳の機能が悪ければうまく読めない,話せないという問題になる。いわゆる LD の症状もあ
る。右脳の問題で,問題解決能力という情報をまとめる力が弱い,ということもいわれる。
DYSLEXIA――読み書きの障害ということであるが,アメリカのトム・クルーズが有名で,いろ
んなところで講演もされている。
今,音読にかかわる脳ということで見ると,まず,ものを「目で見て」という後頭葉,それで,
「漢字やひらがなの認知」は局在が違う。そういったものを合わせて意味を統合して,認知して,
それから,発語というふうにいろいろな機能が局在しているわけである。最近では functional
MRI――機能的 MRI というのが撮られるようになってきて,脳の機能,局在も推定できるよう
になってきた。
自閉症は,子育てが原因ではないということは,もう,1950 年すぎからいわれている。今では,
いろんな脳の機能の障害で,ドーパミン,セロトニンという,脳内の物質の問題といわれる。一
卵性の双生児で,1人が自閉症だと,もう片方が自閉症の場合も非常に多いということで,15 個
くらいの遺伝子が重なっているのではないかという。
合併症として,自閉症全般を見ると知的障害も8割を伴うし,てんかんを伴う率も高い。男女
差でいうと,男性の方が多い。
ADHD についていうと,やはり男子の方が多い。これも今,遺伝の要因だとか,出生時の脳損
傷だとか言われているけれども,ドーパミンの異常ということが1つあり,あと,家族発生する
ということがよく言われている。いろいろな相談に乗るときに,なかなか親の受容が難しいとい
う経験をされると思う。その中で,やはり親が ADHD だったという方もいらっしゃる。自閉症
のケースについても,親がアスペルガーだとか,少し性格の偏りが強くあるとかで,LD あるい
は PDD の特長を踏まえた対応をしていかないと,なかなかコミュニケーションを取りづらいの
だろうと思う。
ADHD の合併というと,LD,学習障害がとても多い。それから,二次障害といわれ反抗挑戦,
あるいは,行為障害を合併することもある。不登校,適応障害を起こしてくる率も高い。
「ADHD
は症状がなくなっていくんだ」と言っていたが,最近は 80%は 10 代まで残り,6割くらいは成
人まで残るということが言われている。
医療機関でどのように診断をするかだが,わたしどもは,アメリカの精神医学会の診断基準に
基づいて,知的障害,LD,あるいは発達性協調運動障害,広汎性発達障害,ADHD というよう
なことを診断する。もちろん家庭の情報もそうだが,学校の情報も入れて,外来の様子で診察を
したところで診断していくし,補助診断として,心理の検査とか,医学検査をしていく。
ADHD と自閉症は,両方の基準を満たすお子さんたちが,とても多い。最初 ADHD と思って
いたけれども,だいたい小学校4~5年生では落ち着きが出てくるわけで,そしたらやはりコミ
ュニケーションの課題がとても強くて PDD だったなんて診断がよくあり,いろいろ議論がある
ところである。
診断というのは,客観的なように診断基準に基づいてチェックしているが,その見方によって
違うことがある。ひとつそういう調査があるが,アメリカ・イギリス人と中国人の児童精神科医
で,同じ ADHD の子を診たときに,どちらが診断率が高くなるかいうと,中国人の方がよりお
行儀良くしてなきゃいけないという発想からか,プライドが高いからか,診断率が高いといわれ
ている。そのくらい主観的だ。
4.治療について
治療というと,あくまで薬は補助的なものである。まずは環境の調整,あるいは,行動の調整
ということを試みていきながら,それに薬を加えていく。
ADHD の場合,リタニンという薬が,3分の2の症例で有効だといわれていて,処方すること
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もある。ADHD の症状を現していて,虐待的な家庭というような不安度のとても強いタイプには,
抗うつ剤のセロトニンを使うこともある。脳波異常がある場合には,てんかんの薬が気分安定薬
としても認められているので,そういったものを使うこともある。
自閉症については,2001 年にアメリカで大きな調査が行われて,非定型抗精神病薬リスペリド
ン,商品名でリスパダールというのだが,自閉の傾向の方々の興奮とか,自傷,情動行動に有効
だといわれている。
それと今,CBT,認知行動療法ということが,より有効だといわれている。ペアレントトレー
ニングは,この後,藤井先生がお話ししてくださるかと思う。あとで,水野先生もお話ししてい
ただけると思うのだが,治療=やはり教育そのものだと思う。
学習準備の取り組みだとか,いろんな取り組みがあり,やはり,その障害に合わせて教育,あ
るいは,養育ということを,親御さんたちへ教育する。親御さんたちを支援することが大事かな
と思う。
これは,皆さん感じていらっしゃることかなと思うが,本人がやはり「自分ができない,みん
なと違う」と感じ始めるのが小学校3~4年生くらいの時期。わたしは,よくマズローの欲求階
層というのを使うが,自信がなくなってセルフエステーム――自信,自尊感情――がなくなると,
自分の足元が揺らいでくる。そうすると自分の家族が,
「自分を愛してくれてるか,守ってくれて
るのか」ということを,まず,気にしている。やはり自分が所属して守られてるというところが
あって,そこで自信というのが出てくるわけである。その足場――安心・安全基地というが――
の足場固めをしていかないと,なかなか前へは向かないということのように思う。
今,いろんな脳生理学が研究されて,①生きるというところは,脳幹のレベル。それから,②
安全あるいは,愛情,いろんな欲求というところは辺縁系のレベル。今の LD だとか含めて,③
より前向きな行動というのは前頭葉で,といわれる。そういった機能レベルを考えてみてみると,
自信がなくなっていたら,足元のところから,自信を付ける方向に向けることが目標であるかな
と思う。
もう一つ,告知という問題が大事になる。やはり障害の告知をされたときというのはショック
で,障害を否認して,いろんな医療機関,専門機関をショッピングする方もいる。抑うつ的にな
って,そこから,だんだん過剰適応でいろいろ右往左往して,最終的に順応するということにな
っていくのだけれども。
こういう発達障害のお子さんたちが診断されるのが,5~6歳だったり,小学校低学年で,そ
れまでは普通と思って,
「ちょっとわがままな子,多動な子ね」ですんできたが,そこでポンとい
われて,とてもショックで立ち上がれない親御さんたちもいらっしゃる。そういう意味で,学校
の現場でもそうだし,わたしたち医療,療育の現場でもそうだが,告知と,その後を,どうフォ
ローするかというのは,とても大事な点だなと思う。
わたしたちの療育という中では,いろいろな障害を持ったお子さんたちも,その親任せにする
わけではなく,社会が育てるものということがとても大事になってくる。地域連携がうまくいけ
ばいいけれども,うまくいかないお子さんたちもいる。
今回学校の関係者も多いようなので,最後に個人情報ということで一言添える。本人たちの発
達検査,特徴をつかむために検査するけれども,その情報というのは,親御さんたちに,まだま
だ情報開示されていない地域がたくさんあるかと思う。これは失敗例だが,親の同意がないとき
に医療機関と連絡を取ったために,わたしたちが「こういう発達障害ですね」と言ったところで,
親御さんは,初めてそれを知ったという経験があった。やはり個人情報の保護という認識はとて
も大事だが,やはりこういった情報は,小さい時期から保護者と共有できるといいかなと思う。
その一方で虐待のケースなどを見ていると,逆に,個人情報は出せませんという反応を学校だ
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とか,いろんな機関で経験する。今,虐待のケースの情報交換というのは守秘義務より優先され
ると法律で認めているので,そういったところは,直接の連携を取りながらいけるといいと思う。
水野
薫(みずの
かおる)福島大学大学院教授
講師略歴等
東京都公立小学校教員,東京都教育委員会指導主事等を歴任し,現職。
日本児童青年精神医学会,日本教育心理学会,日本LD学会,日本小児精神神経学会,
日本発達障害学会等に所属。東京LD教育研究会会長を務める。
1.教育現場と発達障害
わたしは,きょうは教育の立場で話をする。現在は臨床心理士の立場で仕事をしているものだ
から,教育に戻って話をさせていただきたいと思う。参加者名簿を見ると,半分ぐらいが学校教
育関係の方。あとは警察関係とか,福祉関係の方ということで,それぞれがこの子たちにはとっ
ても大事な立場だし,まさに連携を取り合っていかなければならない,そのことを踏まえて,少
しお話をさせていただく。
米山先生は医者として診断をなさる立場だが,教育の立場でいうと,診断名と,今見せている
行動が違うこともある。
その辺も踏まえてまず,文科省が平成 15 年の夏から秋に,
「軽度発達障害」の調査をした。そ
の中で一番多いのは LD で 6.3%だという結果が出ている。実は現場の先生方に言わせるとそん
なものではない。数値的には似たようなものだけれども,一番困っているのは,行動とか,友だ
ち関係とかでトラブルが絶えない子どもたち。あえて言うならば,広汎性発達障害や,ADHD の
症状を見せている子どもたちだということになる。
やはり学級経営,あるいは,授業を進める上で困っているのは,教科に特化した障害である LD
よりも,行動とか,人間関係とか,状況理解力とか,そういった社会性,行動調整といったもの
だ,というのが教育現場の現状である。その辺を踏まえて子どもたちと付き合っていかないと,
LD といわれたからといって,LD の対応だけしていれば子どもが良くなるとはいえない。字が書
けるようになったらば,気が付いたら全教科ほかのところは遅れていたとか,友だちとうまくや
れない。深刻ないじめ,いじめられ関係が教室の中にまん延していたということは少なくない。
もう一つ重要なことは,発達障害なのか,そのほかのものが絡んでいるのか。この区別をして
いかないと,子どもへのきちんとした対応はできない。特に虐待とかいろいろな事情で,赤ちゃ
んの時代に愛着関係を形成することができなかった子どもの中には,広汎性発達障害の子どもた
ち,特にアスペルガーといわれる子どもたちと,よく似た症状を示すことがある。
同様に,ADHD の症状を示すこともあり,これが,発達障害――今の米山先生のお話にあった
ように,脳の機能障害――によって起こるものなのか,人間に対して基本的な信頼関係が持てず,
距離を置いて安全なのかどうかを確かめなければかかわれない子どもなのか。それが,ちょっと
したことで情緒不安定になってしまってカーッとなるとか,落ち着きがないとかという行動に出
たり,生活が乱れていて忘れ物が多い,あるいは,注意散漫であるというような症状で出ている
こともある。その辺は,見極めが非常に重要で,あとの教育的な対応,心理的な対応がかなり違
ってくる部分である。
それともう一つは,学習障害を疑われて専門機関を訪れるケースの中に,かなりの知的障害,
軽度の知的障害の子どもが居る。あるいは,ボーダーラインレベルの IQ のお子さんたちも少な
くない。この辺を,診断的には LD であるけれども,教育的に果たして LD の対応でいいのかど
うか。その辺も見ていかなくてはいけない。遅れのあるお子さんが,同年齢の標準的な発達の子
- 74 -
どもたちの中に入れば,当然いろいろな面で未熟さが目立ち,それが,多動というふうに見られ
ることもある。特に学校の先生方は,その辺をしっかり見極めていかなきゃいけないと思う。
逆に,どう見てもツッパリだとか,不登校だとかというので,発達障害が前面に出てこないけ
れども,実は背後に発達障害が隠れているケースがたくさんある。長期的な不登校,ひきこもり
の中には,広汎性発達障害で,適応がうまくいかなかったのを気付かれないまま不登校状態にな
ったケースとか,ADHD の中で多動とか衝動性があまり目立たない,おとなしいボーッとしたタ
イプの子どもで,小学校の中学年ぐらいから,なんとなく自分に対する違和感を感じていって不
登校状態に陥っているなんていうケースもある。そうすると従来の不登校への心理的な対応をし
ても,なかなか改善しない。
今日は警察関係の方もいらっしゃるけれども,思春期以降になると,そうとう派手なツッパリ
で鑑別所に回る,あるいは,少年院に入るというケースの中に ADHD,あるいは,ADHD を伴
ったアスペルガーなども時には見受けられる。また,判断力がやや未熟なボーダーライン級のお
子さんも決して少なくない。
そうすると矯正教育の方も,発達支援的なものを加味していかなければ,最終的に自立,この
場合は更正が難しくなってくるケースもあるんじゃないかなということで,判断が難しいところ
だと思う。米山先生のお話にあったように,親御さんが似たようなタイプで,子育てがとっても
下手。もともと子どもが,生まれながらにして脳機能の偏りを持っている上に,下手な関わりを
されているために,二重のハンデを抱えてしまった子どもたちが決して少なくないということも,
頭に入れておくことが大事かなと思う。
2.特別支援教育について
本来の教育の話題に戻って。特別支援教育が,来年度4月から本格実施ということで,今,学
校現場はてんやわんやしている。なんでこういうことになってきたかというのを,簡単に見てい
きたいと思う。
そもそも現在の特別支援の政策が出る前は,どちらかというと障害が重い人に手厚くしていた。
それより前,昭和 54 年の養護学校義務制までは障害が重い方とか,重度の肢体不自由の方は,
教育を受けなくてもいいという就学免除,あるいは,少し遅らせてからでもいいという就学猶予
というシステムがあった。もちろん,今でも猶予は生きていて例えば,病気で長期入院をしてい
るために1年入学を遅らせる。これは,もっともなことだけれども,かつてはそうではなくて,
障害が重いから教育は不能であるというような古い考え方の時代があった。それがいけないので
はないかということで,昭和 54 年に養護学校が義務制になり,どんなに障害の重い子どもでも,
学校教育が受けられるようになったことは非常に素晴らしかったと思う。
けれども,ちょっとそこでうまくいかないことができてきた。器は作りました,子どもはどん
どん入ってくる。でも,専門的に指導できる教員がほとんど居ない。そんなことで盲・ろう・養
護学校や特殊学級などの特殊教育が,非常によく発展した部分と混乱した部分とが出てきた。
同時に出された 309 号通達という「障害が軽い,軽度の子どもは,通常の学級で配慮しながら
指導しなさい」,そういう通達のために,それ以前はかなりの境界線レベルの子どもが知的障害学
級に入っていて,中学卒業した後一般就労していたのだが,そういう子どもたちが通常の学級に
入るようになった。当然のことながら,効果は上がらなかった。わたしはその前から教員をやっ
ていたが,今言う LD とか,広汎性発達障害でボーダーライン級の子たちが,みんな知的障害学
級に入っていた。そのころに卒業した子たちは,いまだに仕事に就いているが,通常の学級で特
別なトレーニングもなく,ただ排除されるだけあるいは「お守りをしてもらう」ということで行
ってしまった人たちは,適応ができていない。そういう2点目の問題がある。
3つ目が,新しい概念として,だいたい 1980 年から 1985 年ぐらいから出てきたのが LD。そ
- 75 -
の後,1995 年ぐらいから ADHD――その前に ADD という時代があったけれども――が出てき
た。2000 年代に入ってから,高機能の広汎性発達障害という概念が出てきて,今までは,落ち着
きのない子,しつけの悪い子,わがままなやつというふうにいわれていた子どもたちが,実はそ
うじゃないんだとなる。ハンデのある子どもたちなので,特別な手だてが必要なのだ。そうする
と,今までの特殊教育の体系を全部見直さないといけないのではないかという,そういう流れの
中で出てきたのが「特別支援教育」
。
特別支援教育が急に出てきて流行のようにいわれるけれども,特殊教育をやってきた人間にと
ってはひとつの流れで,重い方に傾き過ぎたのが,今度は軽い方に目を向け始めたという,そう
いう流れになっている。
ところが,そうは言うが,また重い方に手厚くしたときと同じような悩みが出てきている。今
度はむしろ,通常の幼稚園から高等学校に苦しさが多くなっているのではないかなと思う。幼稚
園から高等学校すべてに「特別支援教育コーディネーター」を配置して,この子たちの教育の中
心的な役割を果たしてくださいと言っているけれども,新しく人が配置されたわけではなく,今
居る人員の中で誰かがやるという。学校の先生方の中には余計なものを押しつけられたというと
らえ方をして,非常に頭を痛めている校長先生も少なくないのが現実であろう。
それから,気になる子が居たらコーディネーターが校内委員会を招集して,その子について検
討しましょうといわれるものの,専門家がコーディネーターになっている学校は非常に少ない。
恐らく数%だと思う。コーディネーターは連絡調整しかできないので,校内委員会をやっても,
ただただ烏合の衆が頭を集めてというような現状だという見方がある。わたしから言えば,そう
やって先生方が頭を悩ましただけでも大進歩だとは思うけれども,教員というのは,考えた以上
何か手だてが欲しい。でも,それは,わたしたちには到底見つからないんですよという苦しさが
ある。
こういう子が居たら「個別指導計画・個別支援計画」を立てましょうといわれているけれども,
「気になるのはこの子1人じゃないんですよ。わたしのクラス 40 人のうち,5人は気になるん
ですよ。その子に個別の計画立ててるゆとりありませんよ」,というような話も聞かれている。そ
んなことで通常の学級の先生方が,大変だ,大変だと思いながらなんかやらなきゃというふうに
焦っている,そういう現状がある。
もう一つは,通級指導教室の問題。東京都は,通級指導学級から,巡回指導,それから養護学
校センター構想などいろいろなものがある。専門性を持った人たちが,通常の幼稚園から小・中・
高を支援しましょうという,これも非常に素晴らしいことだけれども,
ここでもまた人が居ない。
いい人に当たれば非常に素晴らしい機能を果たすので,現在もいろいろなところでやっているけ
れども,やはり人が居ない。
まだ,現在の教員免許証では軽度発達障害に特化したものはない。教員養成大学で LD,ADHD,
高機能自閉症だけを専門に取り上げているところはない。来年度から特殊教育の免許状が特別支
援に変わると中に入ってくるが,わたしが聞いているところでは,これらの子どもたちを取り上
げた講座はまだ必修ではないようである。わたし自身も選択で授業を持つけれども,そういう現
状だから,人を育てるというのがまだまだ難しいという実態がある。
子どもにとって,どうやったら一番プラスになる,メリットがあるのかなというのを,これか
らみんなで模索していかなきゃいけない。今,もちろんやっているが,これからもっとやってい
かなきゃいけない大きな課題を,学校が背負わされている。あるいは,教員養成系の大学が背負わ
されているのではないかと感じているところである。
3.支援の実際
この子たちは,通常の学級に在籍することが圧倒的に多いだろう。通級による指導を受けたり,
- 76 -
巡回相談員の相談――これは,主に担任の先生が利用することが多いと思うが――それから,特
別支援校であったり,行政だったり,そういうところにある相談室のようなセンターでの相談と
か指導も受けられるようになる。
もうちょっと障害のレベルが重い,あるいは,不適応が大きい子どもだと,現在の特殊学級が,
「特別支援学級」という名称になり,こちらで教育を受ける子も出るだろう。高校生の年齢にな
ったときには,現在も,養護学校高等部に何人か入っているが,特別支援学校に入っていくこと
にもなるのではないか。それと恐らく,民間の療育機関,あるいは,医療・福祉系の療育機関で
の指導もかなり充実してくると思う。
次に,指導の中身というか,こういう子たちにどういうことをやっていったらいいか簡単にお
話をしたい。これは東京都の情緒障害学級――主に発達障害,自閉症を中心にやってきた学級―
―の指導の柱が,大きく変わることはないと思う。
細かい説明は省略するが,とにかく基本的な態度(学習態勢、基本的行動様式)を身につけさ
せること。コミュニケーション能力を高めること。それから,脳の機能障害に起因する認知の偏
りがあるので,そこにきちんと対応すること。それから,感覚,運動機能。意外にここら辺が弱い
ために,集団適応が悪くなる,あるいは,社会的な認知が悪くなるというケースがある。また,
当然のことながら社会的な行動。それから,基本的生活習慣。これは当たり前とはいえ,この子
たちは脳のレベルでのいろいろなつまずきで,睡眠障害があったり,感覚過敏があったりという
ことで,普通のしつけはしにくいところがあって,親御さんが苦労している。それから,学力。
この辺が指導の柱として取り上げられるもので,それぞれの立場で,どこに重点を置くか。ある
いは,それぞれの子どもで,どこに重点を置くかというのは変わってくると思う。
学力だが,資料では最後に「広義の学力」と書いたのは何かというと,通常の小・中・高等学
校の教科書に沿った,読み書きそろばんだけでもないが,教科書に沿った,学習指導要領に沿っ
た学力だけが,学力ではないことを意味している。特にこの子たちは,将来社会に出て,非常に
適応しづらいという特徴がある。早くから社会自立のために必要なことを,きちんと育てていか
なければいけない。この社会自立に必要な力を「広義の学力」と考えている。
これは知的障害教育の養護学校高等部では,ごく当たり前にやられていることである。高等部
は,社会に生きていく人をそこで育てることが大きな柱になっている。通常の小・中・高等学校
ではこういうことはやらないと思うが,家庭への支援,あるいは業間の指導などで大事だし,ま
た,家庭と直接かかわっている立場であれば,この辺を強調していただきたいと思う。
職業では当然だが,大事なのが肯定的な自己感・自己理解。自己理解のときにどうしても障害
受容というものが大事になる。すぐに障害告知――障害名を知らせる,これはあまりにも焦り過
ぎている。たまたま知ってしまえばともかくとして,きちんとした土壌が出来上がっていて,受
け入れられるだけの知的な発達と,年齢でなければ難しい。
むしろ,「今できていることがなんだろう。ちょっと頑張るとできそうなことはなんだろう」
,
こんなところが得意,こういうところに夢中になってやれるんだよね,というのを見つけてあげ
ることが,肯定的な自己感を育てる上でとても重要である。これは,学校の先生方は分かるのだ
けれども,親御さんはなかなか気が付きにくい。親御さんに十分に理解していただきたいところ
である。
4.おわりに
通級指導教室が新しい教育システムとして動き始めている。どういうものかというのをきちん
と認識しないと,大変な子はみんな預ければなんとかやってくれる,そういうふうに感じられて
しまう方もいらっしゃる。そういうものではなくて,通常の学級で生活する上で欠かせないもの
だけれども,通常の教育の中だけでは手が回らないものを取り上げる学級である。
- 77 -
しかもそれは,発達に特化したものであること。例えば,しつけとか親御さんへの指導は,通
級学級ではやらない。子どもの育て方,発達の偏りを改善するための助言はするけれども,家族
関係とか,虐待などについてはできないので,その辺はきちんと線引きをしてほしいと思う。
藤井
和子(ふじい
かずこ)まめの木クリニック ケースワーカー
講師略歴等
埼玉県内の児童相談所で児童福祉司として児童・思春期,様々な問題の相談に従事後,
国立精神・神経センター精神保健研究所
室長を経て,現職。
本年度,本研究集会企画検討協力者
1.ケースワーカーとして見た発達障害
これまで医学的な立場と,子どもに対する教育の現場の方から,二人がお話しされたわけだが,
わたしはケースワーカーという職業,アイデンティティーを持っている。児童相談所を皮切りに,
児童相談所では児童福祉の領域,その後,児童の精神保健の領域において携わってきている。
いまだに忘れられない子は,小学校2年生だが,もうにぎやかで,「モヤモヤカッカ角 1,000
本で,おっかあが怒るんだ」なんて言う子が居た。たぶん彼は ADHD だったんだろうなとか,
そういうところで,やっぱり親の苦労をしていたのだろうと,今思う。なんでこんなに非行を繰
り返さなきゃならないのだろうと,ずうっと引っかかってた子も何人かいた。今,少しわたしな
りに勉強するようになったら,そういう発達障害が基本にあった子たちなのかなというふうに思
える。
軽度発達障害というときの「軽度」は,先ほどからもいわれているけれども,単に知恵遅れが
ないというだけのところで,障害そのものは軽度ではないというふうに考える。社会適応して生
活していく上では,決して軽度ではないだろうと思う。発達障害は,目に見えない障害であるた
めに,なかなか理解されない子どもたちである。
本人は,同年齢の子どもたちに比べて,簡単に言えば凸凹な発達をしている。凸のところだけ
見ていると,なんで凹のところができないんだということで,なかなか理解してもらえない。知
能の遅れはないので,普通の行動したり,学習したりと,当たり前に振る舞うことをどうしても
期待されてしまうわけである。
家庭ではどうかというと,育てにくい子どもたちである。家族は,難問を抱え,ストレスにさ
らされる。不適切な養育になりがちで,情緒や,行動上に問題を呈しやすく,つまり二次障害を
起こしやすく,親子関係の悪循環を引き起こし,ひいては虐待を発生しがちであると,簡単に言
えばそうなる。
集団生活になると,指示が通りにくいというのが,ひとつ特徴的にある。集団行動が苦手な子
どもたちでトラブルメーカーになったり,パニックをしょっちゅう起こして,授業が成り立たな
くなることも起こる。
こんなふうに,さまざまなところで,大人から見ると「困った子」たちなのだが,実は「困っ
ている子ども」たちなんだというふうに理解する必要がある。
2.支援について
わたしの立場は,子どもを取り巻く環境をどう整えていくかということが仕事である。親の精
神保健が,子どもの精神保健にもっとも大事であると思っていて,子どもに関するケースワーク
というのも,ファミリーケースワークだと思い,家族に焦点を合わせてやってきているつもりで
ある。
成績は悪いわけではないし,言葉も話せるし,いろいろ物知りなのに「うちの子は,なんでこ
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んなことができないの?」と,親もクエスチョンマークの連続。子どもは子どもで,自分なりに
自然に振る舞っているのに,「ノー,ノー。駄目,駄目。そうじゃないでしょう,何やってるの」
と言われて,子どもも,
「なんで?なんで?」というクエスチョンマーク。クエスチョンマークと
クエスチョンマークが日常生活一緒に居るわけだから,当然,カオス状態になるわけである。
家族に会うと,
「実際,わたしのやってることは虐待です」と言う。うちひしがれて,親も自己
価値観を下げてやってくる。だいたい半分以上の方は,抗うつ剤を服用されていることが多い。
本当にこういう悪循環が起こる。
さっきの米山先生のお話もあったけれども,被虐待児になるリスクファクターがとても高い。
自閉症研究の杉山登志郎先生(あいち小児保健医療総合センター)は,被虐待児の 45%はなんら
かの発達障害を持っているというふうにおっしゃっているが,わたしも現実的な現場に居るもの
としてそういう実感を持っている。だから,虐待防止のためにも,わたしたちは,絶対に軽度発
達障害の子どもたち,それから,親御さんたちを支援していかなければならないと思っている。
発達障害は,もちろん適切な支援があればという前提だけれども,成長とともに状態像は変化
し,適応的な行動も増えていくと言っていいと思う。でも,根っこの部分は,そう変わらないと
いうことは言える。
だとすると,何をしなければいけないか。わたしたちは,この悪循環をとにかく断ち,断つこ
とによって二次障害を最小限に防ぐことが大切であると考えている。二次障害でもっとも大きな
ものは自尊心・自尊感情を低下させてしまうことである。そのことが,将来的に,いわゆる反社
会的な行動になったり,非社会的な行動になったりして,さまざまな問題行動の要因となりやす
いからである。
その悪循環を断つために何が必要かというと,親をはじめ子どもを取り巻く人たちが,障害の
知識と理解を進めることが,まず第1。子どもの持っているさまざまな不具合とか,困難さとか,
そういったものを理解することによって,
「あっ,そういうところがあったんで育てにくかったん
だ」という理由も分かってくるからである。
理解を深めるために,今,わたしたちがしていることは,米山先生の話とダブりますが,医学
的診断である。生育歴を細かく聞いたり,家庭や,集団場面での行動,様子を,できるだけ詳し
く聞く。それから,行動観察をする。複数の心理テストを行う。家庭の状況も聞くなど,総合的
なアセスメントをし,その結果を親と共有するということである。親と一緒に支援するものがで
きていないと,ずれていってしまうので,共有し,共通理解するということが出発点になると考
えている。
3.具体例から
広汎性発達障害のお子さんというのは,なかなか気分を変えられないとか,場面を切り替える
のがとても苦手とかがあるわけだが,それが障害からきているものなんだということを,親がな
かなか分からない。
例えば,テレビでずっとゲームをやっている。熱中すると何もほかのものは一切刺激が入らな
くなるぐらい過集中してしまう。お母さんがお台所で仕事をしながら,「もう,テレビおしまい」
とか,「もう,お風呂入っちゃいなさい」と怒鳴っているが,全然聞こえないのである。
親は,聞こえていると思っている。でも,全然言うこと聞かないから,子どものそばに行って,
「毎日,毎日,何やってるの。もう,切りなさい」と言って,バチっと切っちゃう。そうすると
「ワーッ」となって,
「今,いいとこなのに」とか,
「もうじき切ろうと思ったのに」とか言って,
そこでバトルが始まるわけである。
でも,あるお母さんに,
「彼らは後ろから言われたんじゃ分からない。そういう特性があるから,
そばに行って,必ず目を見て,子どもの視線になって,
『今,もう,テレビは終わる時間だよ。次
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は,お風呂入るんだよ』ってことを,単純に,明確に伝えてあげましょう」と話したら,「先生,
あんなもんなんですね」と言ってきた。「あんなもんなのよ」と答えると,「今まで3年間の怒鳴
り続けたわたしは,なんだったんでしょう。今までは,無視されてる,反抗してとぼけられてる
というふうに思ったから,もうカッカしちゃったけれども。ああ,そういう特性があるんだって
ことが分かったら,腹が立たなくなりました。それだけで,自分は楽になりました」となるわけ
である。
子どもの特性を理解するということが,大切なことだと思う。そこから,どんどん親御さんが
自分で考えるということができるようになるし,そういう理解をすることで,次の手だてが出て
くるわけである。理解しないところに,手だては出てこないと,わたしは思っている。まず,そ
の子の特性を理解するということが大切である。
手だてとしては,わたしたちがやってることが唯一,一番いいと思っているわけではないけれ
ども,本当に子どもの特性を理解することで,その子に合った対応を身につけていただくこと。
今のところ,行動療法的アプローチが適していると考えられている。
このとき子どもの障害を治すのではなく,子どもの特性にあった対処をすることで,親のイラ
イラからしょっちゅう怒ること,子どもとの怒鳴り声,それを減らして日常生活を穏やかに過ご
せるようにということを目標にしている。親が楽になるための対処法と考え,親御さんのケアを
メインにしたプログラムを,わたしたちは「ペアレントトレーニング・プログラム」として,国
立の研究所に居る時代に作った。
それについて,お手元に資料があると思うので,後で読んで,分かっていただければと思う。
このペアレントトレーニング・プログラムというのは,グループで行ったり,個別で行ったり
するけれども,本当に「あんなもんなんですね」と,ちょっと視点を変えただけで,親子の関係
がスムーズにいくということが結構多いのである。
わたしたちは家庭の支援,親支援をする。親の大変さも受けとめながら,具体的な対処法を提
供していくということが大事かなと思う。
4.学校・地域との関わり
水野先生のお話のとおり,学校でも大変である。PDD のお子さんの場合には,むしろ家よりも,
学校の方が大変なのである。確かに家では本を読んでいたり,おとなしく好きなことやっていて
くれれば親としては,あんまり困らない場合もある。でも,学校でもそれをするので,先生は大
変なわけである。そういう意味で,学校での評価と,親との評価や,困り具合がずいぶん違って
くる場合もある。その辺の共通理解がなかなかできなかったり,先生と子どもの間でも,親と子
に生じやすい悪循環が起こりやすいということは言えると思う。
親も,教師も行き詰まると,どうしても相手に期待過剰になる。それで,険しい関係になって
しまって,なおさら共通理解ができず,協力関係が持ちにくくなってしまう。そうしたとき,わ
たしたちのような第三者が間に入ることが,とても重要だと思っている。
実際に学校の先生から,毎日,毎日,苦情が来ると,お母さまも真っ青な顔になってみえるが,
そんなときは,どのぐらい大変なのか,どんな状態なのかということを,授業参観させていただ
いたり,先生方に子どもと親の状況を聞くことにより理解することが,支援の在り方としてとて
も必要なのかなと考えながらやっている。
わたしたちが親をサポートすることはもちろん大事だけどれも,日常的に親のそばに居るわけ
ではないので,親御さんたちの生活空間の中に,1人でも本当に理解をしていただく方が増える
ことが,もっとも大事なことだろうと思う。そういうネットワークや,理解者をどう増やしてい
くかということも,わたしたちの仕事と思っている。
今までよりもだいぶ理解が進んできて,それほどでもなくなってるのかもしれないが,いまだ
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に子どもが学校で乱暴したりすると,親のしつけの仕方が悪いと言ってすぐ非難がやってくる。
学校からも,「○○さんのところに,謝りの電話を入れてください」とか,しょっちゅう電話がか
かってきて,電話恐怖症になってるお母さんもいる。電話をすれば,「お宅どんなしつけしてる
の?」,
「厳しすぎるんじゃない?」,
「愛情不足なんじゃない?」,
「甘すぎるんじゃない?」とか,
いろんなことを言われてしまう。
あるお母さんなんか,
「お互いさまよ」と言ってもらっただけでも涙が止まらなくなったという,
そのぐらいつらい思いをしている。わたしたちは,やはり基本的にお母さんが地域の中でそんな
ふうに孤立しないで,1人でもお母さんを支えてくれる人が身近に増えるように,そういった働
きかけというのも,とても大事なことだと思う。
先日もグループを始めるに当たって,
「このペアレントトレーニングというのは,これこれこう
いうことから作り上げたものです」とお話しした途端に泣き出した。後から「なんで泣いたの?」
と聞いたら,
「うちの子は,3歳のときに ADHD だって診断されたけれども,診断されただけで,
どうしたらいいのか誰も教えてくれなかった」と。今,子どもは5年生になっているが,結局ど
うしていいか分からない。人に迷惑かけたくないという思いが強いから,あれはやっちゃ駄目,
これやっちゃ駄目。もう,どんどんしつけが厳しくなって,結局,虐待通告されてしまった。
「ち
ょっと間を置いて,お互いにホッとする時間ぐらいかなと思っていたら,3年も返してもらえな
かった」ということで,
「手だてがあるんだと聞いた途端,うれしくて涙が出ました」とおっしゃ
っていた。
それぐらい,どうしたらいいのかということを親御さんたちは求めているということなので,
受容的・共感的な理解だけでは,なかなか親への支援にはならない。もっと具体的な対処法が必
要だということで,ペアレントトレーニングを行っている。ご興味のある方は,また別の機会に
でもお話しさせていただきたいと思う。
参加者は前半の間に質問票に質問やコメントなどを記入。休憩時間に質問票を回収・整理して,
後半のディスカッションの時間は質問への回答を軸に進めていった。
協 議
高塚
前半のお話を伺っていて,もう少し皆さんにも共有していただくために,私の方からいくつか
質問したいことがある。
○診断・アセスメントの問題について
まず,米山先生に伺いたい。機能障害という診断,判断というのは,医学的にいうと極めてあ
いまいなところがあると思う。器質障害といわれれば,それは確かに医学上の問題だというふう
に誰もが納得すると思うけれども,そこのところはどういうふうにご判断,説明されるのか。
米山
とっても難しいところで,機能的 MRI で働きを見ても,それは結果論なのか,原因なのか,
よく分からないこともある。
ADHD とか,LD もそういう傾向があるのだが,大人になったときに社会適応していれば障害
と言われないので,その辺が,よく WHO でもいう,in purement なのか,disability なのか,
handicap なのかと,ごちゃ混ぜになっているところが現実だと思う。
よく言うのだが,わたしは眼鏡を取ると会場の方がほとんど見えないわけだが,そこの代替,
手だてがあれば見えてるので,in purement は治らないけど,disability は,あるいは handicap
はなくなるよというようなところでとらえている。とてもあいまいで申しわけないが。
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高塚
その辺が一般の人たちからすると,非常に不安なところでもあると思う。医学上の問題である
ならば,きちんと治療というのが行われてしかるべきだし,医学という立場からは,もう少しき
ちんと解明して,説明が必要なような気がする。
それともう一つは,先ほどのご説明で,英国と中国の比較が出た。中国というのは,社会的に
枠が固い中で,その枠から外れるような行動をするから,やっぱり問題だということで,その診
断にストレートにつながるということはなんとなく分かる。
ただ日本というのは,昔の方がはるかに枠の固い社会だった。今は,どちらかというとルーズ
になってきている。ところが,昔の方がそういう子どもたちの存在が,あまりクローズアップさ
れてこなかった。ところが今のように自由になったのに,そういう子どもたちの問題行動が,逆
に注目されるようになってきた。これは矛盾するような気がする。
もしもこれが,多少遺伝学的な問題も介在しているとするならば,30 年前,50 年前の発生率
と,今の発生率とそんなに変わっていないはずなのだが。今の日本の社会で,こういう子どもた
ちの存在が,非常に,先生たちも,親も,もてあますようになってきているし,問題視されるの
は先生のお立場からなぜだと思われるか?
米山
やはり難しい問題。質問票にもあったのだけれど,環境ホルモンだとか,そういう影響がどう
かというのは,まだまだ研究の段階でいろいろ言われている。
だが心の問題のお子さんたちにかかわっていて,やはり親御さんたちの子育ての不全感がある。
日本の場合,成せばなる型で期待され,親も親らしくしなきゃという期待感の中で,自分がやっ
ぱりうまくできていないという不満。本当にいい意味での,ちゃんとしたしつけがない,しかれ
ない親が本当に増えてるなと思う。
もう一つはよく言われることだが,やはり産業構造の変化で,サービス産業が圧倒的に多いの
で,人とのかかわりがある仕事がとても増えている中で,そこへ適応しにくい方もいらっしゃる
のかなと思う。
高塚
そうすると,確かにこういうお子さんたちが生物学的な課題を抱えているとしても,やはりそ
の子どもたちを育てる親なり,あるいは社会の子どもたちに対する対応姿勢にも,やはり不全感
というものがあって,それも大きな要因の1つであると数えていいのだろうか。この病理性を見
せる現象に対して,親はまったくの免罪符をもらっていいということにはならないと理解してい
いということであるのか。
水野先生にお聞きしたいが,先生は盛んに,きちんと見立てをしなければいけないとおっしゃ
る。発達障害が先にあってそこから起こってくる愛着不全なのか,それとも,もともと愛着障害
のようなものがあって,その結果の行動なのか。そこがよくわからないと,現実に見れば現場の
先生たち,あるいは一般の社会の人たちがそこを見極める見立てがはたしてできるのだろうか。
水野
非常に難しいとは思う。ただ,これは米山先生や,藤井先生のお話にもかかわるところだと思
うが,まず,きちんとしたアセスメントをしてほしい。学校現場はでどういうふうにするかとい
うと,いきなり知能検査やるとか,脳波検査やるなんてことではなく,授業中,業間も含めて日常
の行動が,場所や,相手によって変わるかが,1つ重要な要素である。
特に愛着障害が顕著なケースは,相手によってかなり態度が変わってくる。そこら辺の見極め
は必要だし,それから,分かってやっているのか。知らないのか,知っているのか。この辺も見
極めてほしいと思う。
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授業中では,授業の中身が理解できないが故の苦しさから,二次障害として落ち着きが無くな
ったり,意欲が無くなったりしているケースもあって,それが小さいうちであれば,ただ,落ち
着きがないですむけれども,教師への攻撃的な行動や,あるいは,周りの子どもに対しての妨害
というような感じで出てきてしまう。その辺の見極めをきちんとした上で,それでもやはり何か
違うなという場合に,専門家にお任せして,発達評価をしてもらうということが必要だと思う。
ただし,時期が遅くなればなるほど事態は深刻になってくるので,変だなと思ったらば,十分
に専門家でないにしてもコーディネーターが,また教員が1人で見るよりも,学年のみんな,あ
るいは学校全体のほうがいいだろう。教師だけではなく,学校にはいろんな職種の方が居るので
違う目で見て,子どもの様子が,人によって,場所によって,どういうふうに見えているのか,
その辺を集約することが大事じゃないかなと思う。
もう一つは,家庭がどういうふうに子どもにかかわってきたか。これは,実は学校教育ではな
かなか入りにくいところである。個人面談をやっても,なかなか本音は聞けない。保護者会なん
かには,そういう親御さんに限って出てきてくださらない。押し掛けていったら居なかった,居
留守を使われたというふうに親が逃げ回っている場合には,やはり家庭に何かあるのかもしれな
いなということで,例えば,隣とか,周りの子どもたちから,ちょっと放課後の様子を聞いてみ
るとか地域訪問をする。自転車で,その地域を回ってみるとかもできればやっていただきたい。
学校現場だけで見られるものよりも,家庭の中で起こっていることが原因でというのが,特に愛
着障害の場合には多いかなと思う。
高塚
最近いろんな言葉が先走りしていって,この「発達障害」という言葉が出たことによって,持
て余す子どもは,全部発達障害のせいだとされてしまう風潮さえ生まれている。それは,また大
きな危険を伴うことでもあると思うので,あえて,そこの鑑別をどうするかということを聞いて
みたかった。
○現場の状況について
水野先生もやっぱり,
「最終的には専門家の手に」と言われたけれど,発達障害を本当に専門と
する人たちが,日本全国の津々浦々にそれだけ居るだろうか。
米山
質問票にもありましたが,まだまだほんとに少ないと思う。この数年これが言われて,いろん
な児童精神医学会,小児精神心身医学会とかが,だいぶ脚光を浴びて,小児科医みんな興味を持
ち始めているので,「わたしが専門よ」という先生方が,この数年で格段に増えると思うが。今,
実際に診断できるというお医者さんは,まだまだ必ずしも多くないのが現状だと思う。
今度,一応その専門家委員会に推薦しますというドクターが,来年度に向けて名前が挙がって
きていると思う。
高塚
やっぱりそういう情報があるとずいぶん違うだろうと思う。この先生のところへ行けば,ちゃ
んと見てくれるとか,治療するかどうかは別として,判断を付けてくれるという人が必要だろう。
米山
やっぱり本当に現場を知らない医者が多い。現場で困っていることが,言っても分かってくれ
ないようなお医者さんたちは,専門家じゃないと思った方がいいかと思う。
「フィールドを大事に
しないといけないよ」と言うのだけれども,そういうこともやはり理解する専門家を,わたした
ちが育てないといけないと思っている。
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高塚
○家族の支援について
藤井先生が,先ほど具体的に,親御さんにどういうふうにかかわるか話された。例えば,怒鳴
ってばっかりいて,それで通じていると思っている親に,ちゃんと目を見て,と具体的な指示を
与えたりすることは必要だと。しかし,それはある意味では,子育ての基本でもある。そうする
と,やっぱり今の子育てというのに,どこか問題があるというふうに考えていいのだろうか。
藤井
あると言えば大いにある。一言ではなかなか言えないが,ペアレントトレーニングみたいなも
のは,子育ての基本だと思う。健康な子は,先生とか親に合わせてくれているから,親もなんと
か育てられているんじゃないかなと,わたしなどは,そんな見方をしている。
子ども自身が育っていく。見て,まねして,覚えていくという力を持っている。なんといった
って,親と先生にかわいがられないと命にかかわるぐらい大変なわけだから。しかし,こういう
障害のある子らというのは相手に合わせるのが苦手なので,なかなかうまくいかないってことは
あると思う。
わたしたちが見ている範囲というのは,どうしてもクリニックに来る方々,あるいは,研究所
に来る方々という,ちょっと階層が狭いので全体的なことは分からないけれども,
全体的に親が,
きっぱり子どもに向かい合えていない。子どもの安全感とか,保護されているという安心感が,
親や学校の場で,保障されていないなという気がしている。
家族の機能というものがずいぶん大きく変化してきているだろうなというのは感じて,危機感
を持っているぐらいだ。社会的な支援・サービスを充実させる方が早道なのではという感じにな
っているのだけれども。
高塚
それでは,会場の方々から寄せられている質問に移ることにしたい。まず,発達障害のお子さ
んに,ある種の薬物が非常に有効な効果をみせるという。しかし,一方で依存性が高いというこ
とも指摘されて,やっぱり不安を感じている人も多い。その辺を医学的に見て,米山先生の方か
ら,ご説明していただけないだろうか。
米山
メチルフェニデート,商品名でリタニンというのは,実は,まだ日本では ADHD の適応薬に
はなっていない。一応,習慣依存はないと言っているが。ただ,その薬の構造式を変えると,覚
せい剤に近いものなので。そういったこともあって,「依存性はどうだろう?」と言われる。
ただ,リタニンを処方してあげなきゃいけない多くのお子さんたちがいる。わたしは,割合と
使う方の人間だが。多動,衝動でクラス内でのトラブルとかがあるときに,大体使う。
そういった場合でも,やはり中学ぐらいで,本人たちが「やっぱりお薬飲みたくないな」とい
うなところで,一度やめる。漫然と使うのではなく,よく学校の先生方にお願いするとき,試し
に2週間飲んで,その次に2週間休薬をして,そこでの変化というのを見ていただいたりして,
変わりなければ止めておこうというふうに判断をする。
リタニンについてはそういうところだが,虐待的なご家庭とか,そういう背景のある方で,鬱
のお薬を使うというようなこともある。うつ病,不安障害,あるいは強迫性障害にも使うのだが。
その薬というのは,やめるとまた再発するなんてことがあり得るものだから,割合と長く使うこ
ともある。自閉傾向のお子さんたちに使うリスペリドンなんかも,割合と長期に使っていく方が
いいんじゃないかなというように考えている。
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高塚
もう一つ,先ほど水野先生から,いろんな教育の現場における取り組みというのを教えていた
だいたが,特別支援教育というものについて,もう一度,少しご説明いただけないだろうか。
水野
ご質問票の中に,ちょっと誤解されてるのかなというところがあった。特別支援教育というの
は,従来からやっている特殊教育プラス新しいシステムが加わったということで,学校の名称が
変わったり,新しいコーディネーターだの,巡回相談員だのというものが出てきているが,基本
的には,今まで障害があるといわれていた子どもたちについての教育は大きくは変わらず,今の
体制が残る。
従来は特殊教育の対象とはされていなかった LD,ADHD,高機能自閉症等の発達障害――現
場では実際にはやってはいたけれど――そういう子どもたちへのシステムの充実の中で,養護学
校を今度は特別支援学校という名前にし,特別支援のノウハウを持った専門機関として,地域の
中心的な役割を担わせようというのがセンター化構想であって,発達障害がある子ども自体を養
護学校で指導するというのではない。
むしろ地域の幼稚園や,小・中・高等学校の先生方への助言をする。あるいは,先ほど医療の
面の専門家はまだまだというお話があったけれども,例えば,発達アセスメントとか,行動観察
とかを相談室に来ていただいたり,あるいはそれぞれの学校等に出向いてやりながら,1人の子
どもの理解を深めようとする。
また,親御さんの相談もしましょうというシステムですが,まだまだ十分に機能しているとい
うわけではなく,今,まさに検討中,あるいは,いろいろ模索している。わたしどもの福島大の
附属養護学校では,これからは,地域の,幼・小・中・高向けの研修会もしていこうという発想
もある。そういう意味でのセンター化で,うまくいけば素晴らしいけれども,新しいことなので,
これからの課題だと思う。
これは実は,文科省は大筋を出しているが,具体的なことは各都道府県の教育委員会に。県単
位,あるいは,東京都のようにたくさん細かい自治体がある場合には,全体でやるのでどこまで
進んでいるか…
高塚
家族に分かってもらうこと。これは,なかなか難しい問題がある。どういう形でそのことを告
げた方がいいのか。あるいは,告げるタイミングがあるとすればどういうときかと,お三方から
少しずつお話しをいただきたい。
米山
先ほど述べたけれど,告知というのは難しいところだと思う。告知したところでみんなショッ
クを受けるわけで,絶望させるような告知の仕方というのはしてはいけないと思う。
もう一つ大事なのが,先ほどあったように診断はするけど手だてを用意してないという機関が
多い。大学病院なんかもそうで。わたしたちは,療育・発達センターだから,言語や心理の先生,
感覚統合をやる OT の先生もいらっしゃってフォローアップできるようなシステムを持っている
が,そういうものがなくて,ここで診断はするけど,あとは学校現場でやってもらいましょうな
んて無責任なところもある。やはり手だてを同時に示してあげられるような形で,告知しないと
いけないかなと思っている。
虐待では,親のタイプを7種類とか9種類に分けていて,過剰な期待をするような親だとか,
あるいは,精神疾患のある親,子育てのスローな養育能力の低い親御さんにはどうかというよう
なことで,対応の仕方を考えることがある。やはり,親御さんの性格,あるいは,障害の重要度
の理解によって,分かりやすく告知,あるいはタイミングを見計らって告知をする。診断だけが
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一人歩きしないようにしないといけない。
子どもに対しては,自分で気付いて,
「どうしてぼくできないの?」と言ってくる時期,自分を
気付き始めたときに,そこで説明をしてあげる。「こういうところが,あなた苦手なんだね」と。
あるいは,それを学校で「僕って,自分の言葉で,自分の気持ちとか,考えを言葉にするのが苦
手なんです」というようなことが言えるように,こんなふうに言ったらいいかなんていうアドバ
イスも授ける場合もある。
藤井
先ほども,親と共通理解をするということが出発点だろうと話しましたが。実際わたしたちが
子どもの検査,アセスメントした結果を,できればご両親と子どもも一緒に報告という時間を1
時間,医師と心理・ワーカーが入って伝える。子どもさんは同じ診断名でも,それぞれまったく
濃淡が違うし,強弱が違うので,診断名を言ったところで,あまり意味がない……意味がないっ
て言い方はないけれども,その親御さんの理解を進めるためにはどうかなって気がする。
こういうところが得意だよねって,こんなところがやっぱり苦手かなって,こういうときには
どんなふうにいつもしてるのかなとか,そんなことで話していって。さっき米山先生もおっしゃ
ったように,目の不自由な人は,眼鏡をかければいいわけで,彼らがとてもやりにくいところは,
どういう手だてで支援が必要かも親御さんたちと話し合っていく。
それと検査する前に,
親御さんの訴えをいっぱい聞く。
「日ごろどんなとことで困ってるの?」,
「どういうところクエスチョンなの?」ということで聞いていくので,テスト結果で,お母さん
が日常生活できついなと思うときとつながっているんじゃないかと現実場面に返していくと,
「あ
あ,そうだったんですか」ということで,かなりホッとされる。
クリニックに来るということは,ある程度,もう覚悟して来られるせいなのだろうけれども,
お母さんのしつけの問題ではなくって,もともとこの子はこういうものを持って育てにくかった
んじゃないかってことを伝えると,
すごくホッとする親御さんたちの方が逆に多いと感じている。
その上で,本人の持つ難しさと,それから,対応のまずさからくる問題を,できるだけ整理して
いくということが,親の支援に大事なことなんだろうというふうに思う。
水野
わたしは子どもの方のことに絞るが,ほとんどの子どもが,いずれこの問題に直面する。特に,
幼児とか小学校の子どもたちを見ている先生方は,早いうちから,その土壌づくりをしてほしい
と思う。自分は駄目なやつなんだという気持ちを持ったときに,例えば,あなたは今通級に行っ
て頑張ってんだよねとか,病院でこういうお薬飲んでるのは,あなたのこういうとこよくしよう
としてるためだよね,などと言ったって子どもは納得しない。
その前に,やはりちょっと頑張るとできる自分像というのを見つけて,その流れの中で,薬と
か,通院,通級などについてとらえられるようにしていくことが,まず基本で,それから先が,
本当の意味の障害受容になってくると思う。
もし,障害面を子どもに伝えるとき,特に PDD の場合には,知識は入るけども中身の理解が
難しい,そういう特徴がある。物の本なんかには,診断基準を優しく書いて,説明しながら分か
らせるなんてことが書いてあるけれども,それは,そのときだけ「あっ,分かった」と,下手を
すればそれで止まってしまうか,逆行してしまう。とにかく頭でっかちで,いろいろな難しい知
識はサーッときれいに入るから,教えれば丸暗記はできる。
しかし,その意味をどういうふうにとらえられるかというのは,その子がどれぐらい言語能力
が育っているか。それから,自分と他者の区別を認識できるという年齢になっていなければ難し
いので,少なくとも思春期以降でないと難しい。あえて障害告知をしなければならない,どうし
てもする必要があるとしたら,わたしは高校生ぐらいの年齢にならないと難しいと思う。むしろ
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小さい子どもの場合には,特性をきちんと把握して,うまくやるためにどうしたらいいかという,
まあ,お二人の先生がお話ししてくださったような,手だてを一緒に考えてあげる。そういうシ
ステムがないといけないと思う。
もう一つは,今の子どもたちはマスコミがいろいろ報道しているし,親御さんが本を持ってた
り,自分でインターネット調べたりして,これが自分と同じだということを言ってくることがあ
る。その場合に,例えば,
「先生,僕ってアスペルガーなの?」とか聞いてきたときに,ごまかし
てはいけない。
「そんなことないでしょう」なんて言い方は,子どもたちはシビアに自分で勉強してきてるわ
けだから,ごまかしはきかない。もし自信がなければ,
「先生はよく分からないから,専門家に聞
いてみようか」というふうにして,お医者さんとか,心理,あるいは,情緒障害教育の指導主事
とか,通級学級の先生とか,そういう人のところに親子を寄こすということが大事である。そう
いうところの担当者は常時そういったことに触れているから,その後のフォローは,個人のカウ
ンセリングになる場合もあるし,課題指導しながら自分のよさというものを引っ張り出すという
働きかけをするかもしれない。
とにかく,あいまいにしておくことは不信感だけを招いてしまうのではないかと思う。分から
ないものは,分からないと言えることも,これは,子どもにもとってもいいことで,自分にも分
からないものもある。先生にだってある,お母さんにだってあるというのが大事なんじゃないか
なと思う。
高塚
もう一点だけ,時間が来ているので,できるだけ短めにお答えいただきたい。
きょうのお話というのは,どちらかというと,お子さんを中心とした問題だったが,発達障害
の大人の方も結構居る。こういう方たちに向き合う際,特に福祉の現場なんかではご苦労なさっ
てると思うのだが。何かご示唆いただける点があれば一言ずつでもいただきたいと思う。
藤井
児童・思春期専門の精神科クリニックなので,大人は扱っていないが,親御さんには,その傾
向の明らかな方々がいらっしゃる。もう,徹底的に向こうのペースで付き合うしかないと思う。
こちらの言葉が通じないときは,どういう表現したらこの人は分かってくれるんだろうかとか。
相手の言葉・文化,それこそ異文化のコミュニケーションをどうするかということを,こちらが
考える。だから,ここのところはちょっと妥協して,こっちに付き合ってくれないか,みたいな
関係が必要なんだと思っている。
子どもの診断をしたことで,親が「あっ,わたしがそうだったんですね」とおっしゃる方が何
人かいらっしゃる。そのときに,
「自分の大変さというのは,こういうところからだったんだ。こ
んなふうに,早くわたしのこと分かってくれるとこがあったら,わたし,もっと楽に暮らせてい
たのに」というようなことをおっしゃる。
その親御さんから,たくさんわたしは教えてもらっている。「どうしてもらったらよかった?
どんなことが助けになって,あなたは今,こんなふうに,普通にやれるようになっているの」と
いうことを,いっぱい聞くようにしている。だから,親の体験をきちっと聞くということが,と
ても大事なことなのだと思っている。
米山
先ほど親の自己不全ということをお話ししたけれど,やはり親御さんに添うというのはとても
大事だと思う。親御さんの今までの子育てをまず認めて,カウンセリングマインドと言ってしま
えばそれまでかもしれないが,共感することというのが,まず,1つ大事だと思う。
また,やはり PDD,アスペルガー,あるいは ADHD 的な親御さんもいらっしゃるので,そう
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いった場合は,口頭で言っても伝わらない。PDD だとか,その特徴を考えると,やはり文章にし
てみたり,分かりやすく説明する手だてを,そういう親御さんにしてあげると意外と納得がいく
ってこともある。それは逆に,文章を細かくつつかれて大変になっちゃうという経験もあるけれ
ど。少し分かりやすく説明して,こうですよというように示してあげることでうまく理解しても
らえるときもあるので,そういうお子さんたちに使う手だてを親御さんにも使ってみると,意外
とコミュニケーションがスムーズになるかなと思う。
藤井先生がおっしゃいましたけど,ほんとに異文化コミュニケーションというような,そんな
感じで割り切って対応していくというように診療をすることもある。
水野
わたしは,何人かそういうご本人と治療的なかかわりを持っている。まずは,かなりの部分で
主観的な判断をして,それで「周りが悪い,理解してくれない」ということで苦しんでる方が多
い。うつ状態になったりして。そのときに,
「はい。はい」と話だけを聞いていたのではらちがあ
かない。
具体的にはわたしは,認知行動療法の立場で治療をしている。一番大事なことは,認識のずれ
をきちんと自覚させて,本来の姿――周りの人のかかわりであれ,自分の姿であれ,本来のもの
――をきちんと理解させる。その次に,では,どういうふうにしたらもっと上手に振る舞えるだ
ろうかということを一緒に考えるアプローチでいく。
わたしの場合は,すべて個別のカウンセリングになるので,時間もかかる。だがうっかり苦し
いだろうからといって「うん。うん」と言ってしまうと,自分が正しいんだということで攻撃性
が前面に出てしまったり,かえって落ち込んでうまくいかない自分を苦しめてしまう。必ず,ど
ういうふうに振る舞えばもっとうまくいくだろうということを一緒に考えるアプローチをしてい
かなきゃいけないと思う。
集団の心理治療というのは,この人たちには向かないと思うが,集団活動する場合には,もと
もと持っている感覚過敏――特に聴覚過敏とか,人の顔が覚えにくいとか,スケジュールの変更
が弱いとか――そういったものを加味したグループ活動をしなければ治療的な意味がなくなって
しまう。その辺を考えた方がいいんじゃないかなと思う。
高塚
まだまだいろんな質問にお答えいただけるといいが,もう時間も迫っているので,残念ながら
ご質問に対しての答えはこの辺で終わる。
最後にコーディネーターとして,私がまとめなければいけないのだが,それぞれの先生方から
お話しいただいたことが,皆さんにとって十分に参考になったと思う。
○おわりに
私は,日本精神衛生学会の代表を務めていて,ちょっと危惧を持っているところがある。発達
障害の子が 6.3%ぐらい居るらしいと統計数値が出てきた。それと従来から,いわゆる精神障害
と呼ばれる中で,統合失調症の人がだいたい人口の1%前後。特に重いタイプのうつ病の人は,
だいたい2%前後。さらに,人格障害と呼ばれている人たちもジワジワと増えてきて,その人た
ちを合計すると,国民の 10 人に1人は何らかの精神的な障害をもってるという状況になる。そ
のことに,首をかしげてしまう。
最近は障害の名前が一人歩きして,なにか障害とか病名が付くとどこかで安心したり,あなた
任せにしているようなところがある。そうしたことが,私たちの心の健康にとってほんとにいい
社会なのかという疑問がある。「10 人に1人,そういう人が居るんだってよ」,
「へー」ですませ
てはいけないはずである。もっと言えば,また新たななんらかの障害名が登場する可能性がある。
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誰もがよくよく考えてみれば,みんな少しは障害めいたものをもっていて当たり前なんじゃない
のか。そういう認識のもとに,みんなでそれをどう支えていくかを考えることが必要なのだと思
う。
やはり専門家に「委ねる」ことが必要だという意見も,質問票にだいぶ出ていた。わたしはそ
う思わない。どういう人を専門家と言うかというと,なんでもできると信じ込んでいるのは専門
家ではない。自分の限界を,はっきりと認識できる人間が専門家である。教師も専門家。医師も
専門家。臨床心理士も福祉士も専門家である。しかし,みんなそれぞれが,自分の限界性を知っ
たときに,より適切な専門家は誰なのかということを探して,その人とどうやって協力,連携を
していくかが求められていく。だから,専門家であるほど,そういう人の力を借りるのがうまい
はずである。
しかし,現実は自分の専門性や,権威にこだわって,ほかの人たちをあまり信用しない人も少
なくない。そうした現実のもとでは連携,協力なんてできない。だから,みんなバラバラのまま
で行われている。数年前にわたしが,全国の相談機関の連携がどの程度行われているかと調べた
ときも,形式は整えられている。しかし,本音のところを言うと,どうやっていいか分からない,
結局は当てにならないから自分でやってしまうとか。なんとなくうやむやになってしまう。
だから「発達障害」について今日,このシンポジウムに教育の関係者,あるいはケースワーク
の専門家,医学の専門家という,違った領域の専門家をあえて登場してもらった意味がある。こ
の人たちが,うまく連携して,協力することによって,初めて発達障害という問題にきちんと対
応できていくのだと思う。医療と,福祉と,教育は,常に連携しなければいけない。
ご参加いただいた皆さんにもう一度,自分たちはそういうことができているのか,あるいは,
そういうことが機能しているのかどうかを考える機会にしていただければいいと思うのである。
今,臨床心理士を養成する指定大学院というのが,全国で百数十校ある。その中で,一種認定
校というところは,基本的にこういうことを専門的にみられる人が居る,あるいは,指導できる。
皆さん,地元に帰られても各都道府県に必ず何校かそういう大学院ができはじめているから,そ
ういうところに協力を求めるというのも,ひとつの手だと思う。
ところが逆に学校現場というのは,臨床心理士を敬遠するところがあって,うまく連携が保た
れていないところも多く見られる。もう,そういうことはやめて,必要ならばあらゆる資源を活
用して,結果的にこういうお子さんの役に立てばいいのだ,
そういう発想でいきたいものである。
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