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Education For All 戦略の中のノンフォーマル教育 ~ガーナを事例に~
Education For All 戦略の中のノンフォーマル教育 ~ガーナを事例に~ 国際学部国際学科 20527079 北川義斗 1 目次 はじめに . .. .. .. .. .. . .. .. .. .. .. . .. .. .. .. .. . .. .. .. .. .. . .. .. .. .. .. . .. .. .. .. .. . ..3 第一章 今日までの教育協力の流れ .. .. . .. .. .. .. .. . .. .. .. .. .. . .. .. .. .. .. . .. .. .. ..5 第一節 開発にかかわる教育協力の歴史 ・第二次世界大戦後から七十年代 . .. .. .. .. .. . .. .. .. .. .. . .. .. .. .. .. . .. .. ..5 .. .. .. . .. .. .. .. .. . .. .. .. .. .. . .. .. .. .. .. . ...5 ・八十年代 .. .. . .. .. .. .. .. . .. .. .. .. .. . .. .. .. .. .. . .. .. .. .. .. . .. .. .. .. .. . ...7 ・九十年代 .. .. . .. .. .. .. .. . .. .. .. .. .. . .. .. .. .. .. . .. .. .. .. .. . .. .. .. .. .. . ...7 第二節 Education For All (万人のための教育) ・EFA 誕生の背景 .. .. .. .. .. .. .. .. . .. .. .. .. .. . .. ..8 .. .. .. .. . .. .. .. .. .. . .. .. .. .. .. . .. .. .. .. .. . .. .. .. .. .. . .. ..8 ・目標 .. .. .. .. .. .. . .. .. .. .. .. . .. .. .. .. .. . .. .. .. .. .. . .. .. .. .. .. . .. .. .. .. ...9 ・課題 .. .. .. .. .. .. . .. .. .. .. .. . .. .. .. .. .. . .. .. .. .. .. . .. .. .. .. .. . .. .. .. .. ..11 第二章ノンフォーマル教育 第一節 .. .. . .. .. .. .. .. . .. .. .. .. .. . .. .. .. .. .. . .. .. .. .. .. . .. .12 ノンフォーマル教育 . .. .. .. .. .. . .. .. .. .. .. . .. .. .. .. .. . .. .. .. .. .. . .. .12 ・ノンフォーマル教育とは . .. .. .. .. .. . .. .. .. .. .. . .. .. .. .. .. . .. .. .. .. .. . ...12 ・ノンフォーマル教育の種類 .. .. .. .. . .. .. .. .. .. . .. .. .. .. .. . .. .. .. .. .. . .. ..13 ・ノンフォーマル教育の課題 .. .. .. .. . .. .. .. .. .. . .. .. .. .. .. . .. .. .. .. .. . .. ..14 第二節事例 1 基礎教育とノンフォーマル教育 .. .. .. . .. .. .. .. .. . .. .. .. .. .. . .. ..15 ・エチオピア住民参加型教育改善プロジェクト背景 ・プロジェクト内容 .. .. .. .. . .. .. .. .. .. . .. .. ..15 .. .. .. . .. .. .. .. .. . .. .. .. .. .. . .. .. .. .. .. . .. .. .. .. .. . ...16 第三節事例 2 成人識字教育とノンフォーマル教育 ・NGO 団体アクションエイド .. . .. .. .. .. .. . .. .. .. .. .. . .. ..17 . .. .. .. .. .. . .. .. .. .. .. . .. .. .. .. .. . .. .. .. .. .. .17 ・アクションエイドガーナでみるノンフォーマル教育 第三章ガーナにおける、EFAためのノンフォール教育 第一節ガーナにおける初等教育普及 ・ガーナ教育政策 .. .. .. .. . .. .. .. .. .. . .. .. ..20 .. .. . .. .. .. .. .. . .. .. .. .. .. . .. .. .. .. .. . .. ..21 .. . .. .. .. .. .. . .. .. .. .. .. . .. .. .. .. .. . .. .. .. .. .. . .. .. .. ...21 ・世界銀行との政策 .. .. .. . .. .. .. .. .. . .. .. .. .. .. . .. .. .. .. .. . .. .. .. .. .. . ...22 ・ガーナ初等教育における地域間格差状況 第二節ガーナにおけるノンフォーマル教育 .. .. .. . .. .. .. .. .. . .. .. .. .. .. . ...24 . .. .. .. .. .. . .. .. .. .. .. . .. .. .. .. .. . ..28 ・政府の補完機能としてのノンフォーマル教育 ・識字教育の開発効果 ・識字教育の課題 .. .. .. .. . .. .. .. .. .. . .. ..18 .. .. .. . .. .. .. .. .. . .. .. .. .. .. . .28 .. .. .. .. . .. .. .. .. .. . .. .. .. .. .. . .. .. .. .. .. . .. .. .. .. ..29 .. . .. .. .. .. .. . .. .. .. .. .. . .. .. .. .. .. . .. .. .. .. .. . .. .. .. ...31 おわりに . .. .. .. .. .. . .. .. .. .. .. . .. .. .. .. .. . .. .. .. .. .. . .. .. .. .. .. . .. .. .. .. .. . .33 参考文献 . .. .. .. .. .. . .. .. .. .. .. . .. .. .. .. .. . .. .. .. .. .. . .. .. .. .. .. . .. .. .. .. .. . .35 2 はじめに 筆者は 2006 年~2008 年に、一年半大学を休学し、アフリカのナミビアにある NGO の スタッフの一員として働いた。そのとき筆者は、NGO が運営している職業訓練校や幼稚園、 子どもの援助プログラムといったさまざまなところで経験をつむ機会があった。職業訓練 校では、平均年齢 25 歳ぐらいの男女が建設の技術や秘書になるための基本的な会計、パソ コンの使い方などを習っていた。そこでは主に週 1 回土曜日にパソコンの授業の復習、ま たはパソコンのコースをとっていない生徒のために授業を手伝うことをしていた。また幼 稚園では、スポーツの時間に幼稚園の先生とともに新しいゲームなどを教え、一緒になっ て子どもと遊んだ。そこにいた生徒や幼稚園生は字が書ける、読める子どもしかいなかっ た。そのうえに、職業訓練校にいた生徒たちは英語も流暢に話すことができたのである。 ナミビアでは、英語とアフリカーンス語が公用語となっているが、他にも諸民族の言語 も存在する。そのため、コミュニティの中へと入ると入るほど英語を話すことのできない 人も増え、諸民族の言葉さえ読み書きできない子供いる。このような公用語を話せない人 は、子どもの援助プログラムをやっている際に簡単に見つけることができた。このプログ ラムでは、孤児や社会的に傷つきやすい子どもに教育費や制服を援助する、トイレを無償 で配布をするなどのアクティビティを行っていた。そのときに筆者はよく現地のスタッフ と出かけ田舎の方にある家族を訪問し、話す機会が頻繁にあった。そこで出会った人、子 どもの中で印象の強い子どもに出会った。その子は自称 17 歳の女の子で、その子の腕の中 には1歳半の子どもを抱いていた。その子どもはその親と一緒に1歳半の子どもを育て、 夫はなく学校にも通っていなかったのである。そのせいか、英語を話すことができなかっ たのである。そのほかにも学校には時々行っているものの、学校よりも家の手伝いに日々 を追われている子どもにもあった。 このような子どもたちは、筆者が働いていた職業訓練校や幼稚園では見かけることはな かった。生徒は無計画な妊娠などはしておらず、また HIV/AIDS の防ぎ方など、基礎知識 は日本の同年代の者より知っているのではないのかというほどであった。 そこで、筆者はもし子供を持っている幼い女の子が学校に通っていたら、また違う人生 を歩んでいたのではないのかと感じた。教育を受けることにより子どもが持てる可能性を 広げ、危険を避けることができるのではないかと感じたのである。そのとき初めて、筆者 は子供に対する教育がどのように子どもの発育に影響していくのかに興味を持ったのであ る。 また、ナミビアの他にも南部アフリカのモザンビークにあるチルドレンタウンに行き、 そこでも子供の教育に携わることがあった。そこは、NGO が孤児やストリート・チルドレ ンを学校の中にある寮に泊まらせて、無償で教育を提供している場所であった。そこには、 孤児やストリート・チルドレンだけではなく、普通に両親が学費を払い外部から通学して いる生徒もいる。このとき筆者に、いまだに教育を受けられずにいる子どもは将来どのよ 3 うな生活を送り、教育を受けられている子どもとどのような差が生まれて行くのか疑問が わいたのである。 この論文では、発展途上国での子どもだけでなく、広範囲でのノンフォーマル教育とは 何か、その大切さ必要性、またさまざまなアプローチ方法などを研究し、論じていく。筆 者が活動をしたことのあるアフリカに焦点をおき、そこで教育を受けることのできていな い子どもたちや成人の実態、背景、現状などについて、先行研究をもとに論じて行きたい。 また、ノンフォーマル教育が、どのように人々の開発、発展につながって行くのかについ ていくのかを書いていきたい。 一年間経験をつませていただいたアフリカ大陸のことを、また一つでも詳しく知る機会 となり、将来のために役立てるようなことができれば筆者として大変うれしいと思ってい る。 4 第一章 今日までの開発における教育の流れ 初めのこの章では、教育にかかわる開発の歴史の中でどのように今日開発教育の世界的 な行動枠組みである Education For ALL(万人のための教育)政策ができたのかを、時系列を 追って論じていく。第一節では第二次世界大戦後から 90 年代の間で開発の中で教育がどの ように位置付けられてきたのかを概観する。第二節では今日の開発教育の目標となってい る EFA ではどのようなことが掲げられているのか具体的に調べ、また現時点での問題点を 考察していく。 第一節 開発にかかわる教育(開発教育)の歴史 第二次世界大戦後から 70 年代 発展途上国に対する先進国の援助の歴史は 1950 年代前後にまでさかのぼる。第二次世界 大戦後の 1947 年、援助はアメリカによるヨーロッパへの復興資金の供与としてはじまった。 その後、1949 年 1 月 20 日にアメリカのトルーマンは「科学の進歩と産業の発達がもたら したわれわれの成果を、低開発国の状況改善と経済発展に役立てようではないか」と、就 任演説で開発の必要性を訴えた[千葉 2004:4]。 この時期から開発援助の歴史や開発にかかわる教育の援助の歴史が生まれたのである。 1950 年代開発援助の理念としてミリカン・ロストウ・プランがあった。これは途上国の安 定がアメリカの国益に適当とし、社会発展には「基礎条件を作る段階」「飛躍の段階」「自 立的成長の段階」という 3 段階があるとされた。第 1 の段階では技術援助がなされるべき で、第 2 の段階ではそれに加えて吸収可能な資本が提供されるべきだと述べた。同時に、 開発援助計画におけるアメリカの資本提供の少なさを指摘し、技術援助に一億ドル程度を 1957]。 追加することを提案した[ミリカン/ロストウ このような背景から、1950 年代末には教育援助の種類はおおむね 4 種類とされていた。 (1)合衆国内または第三国における外国人の訓練、(2)援助国へのアメリカ専門家派遣、(3) 援助国の教育制度及び教育機関への技術援助、(4)教育制度、教育機関への財政援助である。 このときはまだ、アメリカが中心となった援助体制であった。このようにアメリカが諸外 国の教育設備に深く関与することにより、開発と教育を問題関心とする学者たちを生み出 したが、開発計画、開発経済学、開発行政、開発社会学などと並ぶポピュラリティは持つ ことができなかった。しかし、この分野は「開発教育」(development education)と呼ばれ るようになった[江原 2001:42-44]。 1960 年代に入り、アメリカの外交政策上、教育面に変化が起きる。ケネディ大統領は、 外交政策における教育文化交流の重要性を認め、これに高い優先順位を付けるべきだとい う専門家の意見に同意し、直ちに教育文化関係の国務次官補を置くことに決めた。最初の 就任者は、新設ポストの目的として(1)教育文化担当局の強化、(2)政府と民間セクターの関 係強化、(3)連邦諸機関の連携強化、(4)経済成長の前提条件である「低開発国」の人的資源 5 開発の強化、(5)国際機関におけるアメリカの指導力と支援の強化、という5つを定めた。 第 4 の目的が挙げられたのは、経済の物的基盤を整備してもそれを使いこなす人間に新し い技能や知識がなければ不毛に終わるということがますます明らかになってきたからであ る[Coombs 1964]。 またアメリカは、1961 年のワシントンにおける OECD 会議、ユネスコのサンティアゴ会 議(1962 年)、それに続く各種のユネスコ会議などで、経済成長の前提条件として教育の重 要性を強調した[江原 2001:47-48]。 50 年代は教育制度、教育機関への財政支援が主流で、60 年代に入ると財政支援だけでな く人的投資にも力をいれるようになった。どちらもロストウの近代化論 1 の考えを基として 教育の援助がおこなわれていたのである。 このような近代化論はアメリカのモデルをもとにしてシステム的に組み立てられたもの であり、それに当てはまらない状況を把握することはできなかった。個人が近代的な人間 類型に啓蒙されれば、直ちに開発に向かって努力を開始すると考えられていた。伝統や文 化は近代化の障害と捉えられていた。そうした障害となる伝統や文化から人々を解放する のが教育であると考えられたのであり、教育は教化の手段とはなっても、地域社会の事情 や文化を代弁する動機はもちえなかった。この様な思想の限界は 70 年代に近代化の挫折と して明らかになる[江原 2001:55-56]。 70 年代になると教育の国際協力は多様化した。ユネスコのような教育を専門とする組織 のみならず、世界銀行やアジア開発銀行、UNDP(国連開発計画)、ユニセフなどの国際機関 も教育開発にかかわるようになった。このような国際協力の積極的な展開と同時に、近代 化論による限りない進歩への限界も聞かれようになったのも 70 年代である[千葉 2004: 6-7]。 なかなか解決されない貧困や経済格差の問題に国際社会の関心が集まり、従属論 2 や世界 システム論 3 が台頭して、途上国主導の新国際経済秩序による公正の実現や社会開発・内発 的展開が、国際社会において議論された。これと同時に、基礎的な教育は、ベーシック・ ヒューマン・ニーズの主要要素であるという認識が生まれた[黒田/横関 2005:3]。 世界銀行による 1974 年の教育政策報告書は、開発の目的を拡大するとともに、教育制度 が発展途上国の人々のニーズに合っていない原因は、開発戦略が近代セクターに偏り、多 ロストウの近代化論とは経済成長の諸段階を 5 つにわけ、各国を 5 つの段階に分類するも のだった。(1)伝統社会。(2)離陸のための先行条件。(3)離陸。(4)成熟化の過程。(5)高度大 衆社会 [牧田 2008/5/9] 。 2 近代社会と低開発社会とは、先進と後進という発展段階の違いではなく、搾取と被搾取と いう歴史的な構造のもとで、一方の開発が他方の低開発を作り出しているとする。これは 1970 年代頃からラテンアメリカを中心として提起された考え方 [江原 2001:16] 。 3 複数の文化を抱含しつつ 15 世紀以来形成されてきた資本主義世界経済のこと。西欧を中 心として中心、半中心、周辺という不均等構造が単一の分業によって結ばれ、富は絶えず 中心に向かうシステムとなっている。中心(北)の発展によって周辺(南)の低開発がもたらせ る。従属論を踏まえてウォーラーステインによって提唱された [江原 2001:16] 。 1 6 数の低所得の人々が無視されていたためと今までの開発計画を否定するものだった。60 年 代との違いとして、農村教育への注目、働く青少年、成人、女性が教育の対象に加えられ たこと、限定的とはいえ大衆教育の必要性をみとめたこと、ノンフォーマル教育も教育制 度の一部として位置づけたこと、60 年代に力を入れてきた職業教育を再検討しようとして いたことが挙げられる [江原 2001:59-60] 。 80 年代 80 年代は、発展途上国の多くを債務危機が襲い、構造調整政策 4 によって財政は緊縮を余 儀なくされ、教育をはじめとした社会セクター全体の発展は足踏み、あるいは後退した[黒 田/横関 2005:3]。特にサハラ以南のアフリカ諸国では構造調整が与えた影響は深刻で、一 人当たり国内総生産(GDP)は 1975 年以来減少が約 20 年続いた [江原 2001:64]。 このような状況は「失われた 10 年」とも言われている。しかし、 「失われた 10 年」とい われる年代にも、国際協力の分野で注目されるべき新たな展開も見られた。この頃になる と、国際機関のなかで科学技術の進歩よりも文化や価値の保存・保護が重要ではないかと いう考えが強まっていく。また、社会的経済的弱者に対する配慮を伴ったセーフティネッ トの構造や、教育や福祉、医療保険分野などの社会セクターへの積極的な予算確保が叫ば れるようになった。ここでセーフティネットとしての教育の役割が再確認されたのである。 「文化政策におけるメキシコ宣言」(1982 年)では「開発に人間性を与えることが不可欠」 であり、「開発戦略は、各社会の歴史的、社会的および文化的脈絡を考慮に入れて政策され なければならない」と謳った。これはこのときの開発の流れの現れだった。こうした従来 の経済成長一辺倒の開発に代わり、文化や価値の保存・保護、人間中心の開発を重視する 考えは、1980 年代後半から、1990 年代にかけて新たな展開を見せるようになった[千葉 2004:8-9]。 90 年代 90 年代に入ると教育に関する会議が頻繁に開催されるようになった。その中のひとつで ある、1990 年 3 月に開かれたタイのジョムティエンにおける「万人のための教育世界会議」 (WCEFA, World Conference on Education For All, ジョムティエン会議)は次の節で取り 上げる。 そのほかに、同年 1990 年ニューヨークで「世界子どもサミット」がユニセフ主催で開催 され、世界の政治的指導者を結集させ、特に第三世界の子どもたちの状況に光を当てるこ とに成功した。また国連開発計画は、90 年から「人間開発報告書」を刊行し、「人間開発」 債務返済が不能または困難に陥った発展途上国に対し世界銀行が 1980 年に導入した計画。 債務国の経済構造の改善が必要との立場から、構造調整融資と引き換えの指導のもと、緊 縮財政、民営化、輸出志向型工業化などの一連の措置が実施される。国際収支の改善を最 優先するこれらの政策は、社会的弱者の生活を直撃する結果を生んでおり、各方面から厳 しい批判が向けられている[江原 2001:18]。 4 7 の枠組みを構築・提示し、教育などの関連セクターの重要性を国際社会に訴えた。93 年に はニューデリーで「E-9 教育サミット」が開催され、世界の人口の約半分、非識字成人の 70%を占める人口最多の 9 カ国(バングラディッシュ、ブラジル、中国、エジプト、インド、 インドネシア、メキシコ、ナイジェリア、パキスタン)が、2000 年まで教育の完全普及を目 指すことで合意した。1994 年にはカイロで「世界人口開発会議」が開催され、人口問題解 決のためには、特に女子の教育に重点をおいて、質の高い教育への普遍的なアクセスを実 現することが要請された[黒田/横関 2005:6]。 1995 年にはコペンハーゲンにおいて、 「世界社会開発サミット」が開催され、教育やその 他の社会セクターに優先的に予算や援助の配分がなされるように提言が行われた。96 年に は、アンマンで「万人のための教育に関する国際協議フォーラムの中間会議」がおこなわ れ、ジョムティエン会議で定めた 2000 年に向けた新たなる目標を設定した。同年、パリの OECD の開発援助委員会(DAC)では、 「新開発戦略」が採択され、初等教育の完全普及と男 女間教育格差の是非が、国際社会が連携して達成するべき目標として提示された。これら 二つの目標は、ミレニアム開発目標に引き継がれた[黒田/横関 2005:7]。 以上が 90 年代に行われた教育世界会議の動向である。 1990 年代の以前は、政府機関などと対峙することの少なかった NGO であるが、1990 年 代以降は教育の分野の開発においても不可欠な役割を担う組織として認められ始めた。前 述した DAC の「新開発戦略」は開発に不可欠な要素としての「参加」を重視したものであ り、できるだけ多くの人々を開発のプロセス、特に意思決定に参加させることや、政府以 外の開発の担い手である NGO セクターの専門性の向上もあいまって、地域密着型の開発や 参加型の開発が重要な概念となった。またこの参加型の開発にならんで 1990 年代に多用さ れるようになったキーワードはエンパワーメントである。このエンパワーメントとは、い ろいろな意味合いが込められている。生活技能や識字、職業記述の習得を通して、市場で 評価されるような生きる力として国際機関が使用する意味合いもあれば、女性の社会的地 位の向上やジェンダー問題に焦点をあて、男性優位の社会構造の変革を目指す用語として 使われることもある[千葉 2004:11]。 第二節 Education For All(万人のための教育) EFA 誕生の背景 先に 80 年代の「失われた 10 年」についてふれたが、80 年代では教育開発の分野だけで はなく国際援助すべての分野で低迷が見られた。 債務負担の増大、経済の停滞や後退、経済格差の拡大、人口の急増、戦争、内紛、自然 災害、環境の悪化などの問題が多くの途上国を直撃した。特に前述したように、経済危機 の影響が深刻であったアフリカ地域やラテンアメリカ地域では、構造調整政策の名のもと に、教育分野を含む社会・福祉関連の予算が大幅に削減され、教育の発展に深刻な影響を 及ぼした[江原 2001:302]。 8 この様な状況は教育面で次のような数値となって現われていた。1 億人以上の子ども(う ち約6割が女子)が初等教育を受けていないこと、9600 万人の成人(3分の2が女性)が読み 書きの困難な状況にある非識字者であること、1 億人以上の子どもと数え切れないほどの大 人が基礎教育を修了できずにいることなどである[UNICEF HP 2008,10.18]。 その状況を教育面から打開しようと、ユネスコは第 2 次期計画(1984-1989 年)で初めて Education For All の概念を発表した。その後、1990 年にタイのジョムティエンで「万人 のための教育世界会議」(WCEFA, World Conference on Education For All, ジョムティエ ン会議)がひらかれ、「万人のための教育世界宣言」が採択された[独立行政法人国際協力機 2005:147]。この会議はユネスコ、ユニセフ、世界銀行、UNDP によって開催され、20 構 の国際機関および 155 の政府、150 ほどの NGO が参加した[千葉 2004:10]。 目標 この EFA(Education For All)、ジョムティエン会議が発信した明確なメッセージは、す べての人々に基礎的な教育機会を保障することは国際社会や国家にとって重要な責務であ るということだった。これは BHN(ベーシック・ヒューマン・ニーズ)もしくは基本的人権 としての基礎教育という人権アプローチと、最大の開発効果、投資効果が期待できるもの としての基礎教育という開発アプローチが合致し、基礎教育普及の重要性が再認識された 結 果 と も い え る 。 こ の EFA は そ の 後 の 教 育 開 発 の キ ー ワ ー ド と な っ た [ 黒 田 / 横 関 2005:3-4]。 そこでの具体的な内容は次のような 6 項目である。 (1) 家族や地域社会の支援を含め、早期幼児ケア・発達活動を拡張する。特に貧しい子 どもたち、不利な立場に置かれた子供たち、障害を持つ子どもたちに配慮する。 (2) 2000 年までに初等教育(あるいは各国が「基礎」と考えるレベルまでの教育)へのア クセスと終了を普遍化する。 (3) 学習生成機を向上させる(教育の質の改善)。たとえば、一定の年齢層の一定の比率 のものが必要とされる学習水準に到達するようにする。 (4) 2000 年までに成人の非識字率を 1990 年の半分に削減する。とくに女子の識字率を 拡大する。 (5) 若者と成人のための基礎教育・その他の基礎的な技能の教育の機会を拡張する。プ ログラムの効果は人々の行動の変化、保険・雇用・生産力への影響によって評価する。 (6) マスメディア、新旧のコミュニケーション手段、社会的行動など、あらゆる教育チ ャンネルを通じて個人や家族がより良い生活や健全かつ持続的な開発に必要とされる 知識・技能・価値観を獲得する機会を拡大する[江原 2001:304]。 他にもこの会議は、従来もっぱら子どもを対象にした初等教育を中心にイメージされて 9 いた基礎教育の概念を拡大し、早期幼児教育、若者や成人を対象とした識字教育やノンフ ォーマル教育、国によっては前期中等教育までをも含む、より包括的かつ柔軟な「より広 いビジョン」(expanded vision)で基礎教育を理解することを提案したのである[江原 2001:303]。ノンフォーマル教育が初めて EFA 戦略の中に位置づけられるようになったの もこのときである[独立行政法人国際協力機構 2005:147]。 その後、このような活動を単発で終わらせないように、91 年には、会議を共催した 4 機 関(世界銀行、ユネスコ、ユニセフ、UNDP)が中心となり「万人のための教育国際諮問フォ ーラム」が設置され、ユネスコ本部内に事務局(EFA 事務局)をおいて、各国での活動を継続 的にフォーロー・アップする体制が整えられた。そして、2000 年に 2000 年が期限だった ジョムティエン会議での宣言をフォーロー・アップする形で世界教育フォーラムが開催さ れた。3 日間の会期の間に、アナン国連事務総長、松浦ユネスコ事務局長、ブラウン UNDP 総裁、サディク国連人口基金(UNFPA)事務局長、ウォルフェンソン世界銀行総裁、ベラミ ー・ユニセフ事務局長、スパーリング・アメリカ国家経済委員長などの演説をはさんで、 各種のパネルの討議や数多くの分科会が開催された。最終日には会議の成果を取りまとめ た文書「ダカール行動のための枠組み」が採択された。この新しい「ダカール行動のため の枠組み」は、次のような新しい 6 つの目標の達成を公約として掲げている。 (1) 包括的な早期幼児ケア・教育を拡大し改善する。特に、最も弱い立場や不利な状況 にある子どもたちに焦点を当てる。 (2) 2015 年までに、すべての子どもたち、とくに女子をより困難な状況にある子どもた ち、人種的マイノリティに属する子どもたちに重点を置いて、無償・義務性の量質的 な初等教育にアクセスでき、それを修了することを保障する。 (3) 適切な学習・生活技能プログラムへの公正なアクセスを通じて、すべての若者と成 人の学習ニーズが満たされるよう保証する。 (4)2015 年までに、とくに女子を中心にして成人識字率の現水準を 50%改善すること を達成する。すべての成人向けの基礎・継続教育への公正なアクセスを確保する。 (5)2005 年までに、初等・中等教育での男女間格差を解消し、また 2015 年までに教育 におけるジェンダーの平等を達成する。とくに、良質な基礎教育への女子の完全かつ 平等なアクセスと学業成績を確保することに焦点を当てる。 (6) 教育の質のあらゆる側面を改善し、とくにリテラシー(識字能力)、ニューメラシー (計算能力)、基本的生活技能の面で、すべての人々に明確に認識でき、かつ測定しえる 学習成果が達成されるようエクセレンス(優秀さ、質の高さ)を確保する[江原 2001:314-315]。 この「ダカール行動のための枠組み」は今日にも続いており、2000 年に行われた国連ミ レニアムサミットの MDGs(ミレニアム開発目標)に大きく影響している。 10 課題 この「ダカール行動の枠組み」は 10 年前の「万人のための教育世界宣言」が謳われた諸 目標がいかに達成困難であったかを示唆し、目標を再設定した。また、市民社会との協力 を強調する形での上記の諸目標に向けた取り組みを各国政府が行うことになっているのが、 ダカール行動枠組みの特徴でもある。しかし、 「ダカール行動枠組み」について各国の進捗 状況をモニターするユネスコの報告書(Global Monitoring Report)によれば、2015 年まで の初等教育の完全普及という目標は現状のままでは 57 カ国において達成されないという。 前途多難な状況は今も昔も変わらないといってもよい[千葉 2004:12-13]。 このように 60 年代から教育は開発の中で重要な分野であると認識され、90 年代の「万人 のための教育世界宣言」で教育開発の重要性が再認識された。また、 「ダカール行動枠組み」 で 90 年代の目標の進捗状況を調査した「EFA2000 評価」は、 「多くの国でかなりの進展が 見られた」と報告した。しかしながら、それは一方では「着実ではあるが慎ましい前進」 と表現されて、多くの課題を残すものでもあった[江原 2001:317]。 とくにアフリカ大陸にある半分以上の国がほとんどの「ダカール行動枠組み」を 2015 年 に達成することが困難な状況にある。または、2005 年までの目標を達成されていない。そ の背景としてさまざまなことが今日挙げられている。 たとえば、ダカール会議の目標で初等教育での「無償」の原則が明記された。ただ、こ こで注意すべきは、「無償」の意味である。単に授業料(fee)を徴収しないという意味での無 償ならば、多くの初等教育はすでに「無償」である。問題は授業料ではなく、PTA 会費や 学校修繕費、学校基金といった名目で徴収される教育費である。家庭側からみれば、子ど もは貴重な労働力である。子どもが学校に行くということは、家庭にとっては労働力が減 るということを意味する。たとえ授業料などの「直接費用」無料であったとしても、家庭 にとっては労働力を学校に行かせるという「コスト」を払っている。もし子どもが学校に 行かずに家庭の仕事を手伝っていれば、経済的にも家計にもプラスになるであろう。しか し、子どもが学校へいくと、その得られたであろうプラスはなくなるのである。教育の機 会を得るためにコストを払っているということから、これを「機会費用」という。途上国 において教育が普及しない理由のひとつは、上述の直接費用と並んで、この「機会費用」 が大きいということである[黒田/横関 2005:94-95]。 途上国の学校では就学率は増加したが、校舎や教室の建設が追いつかず、1 教室あたりの 生徒数が増大し、机やイスや教科書がない、教材がないという状況が慢性化している。こ のような学習環境では、学習の成果は上がらないということは言うまでもない[江原 2001:19]。 計量化の難しい教育の質については、小学校を卒業しても基礎的な読み書きができない 子どもがかなりの割合がいるなど、学習の到達度がかなり低いことがわかっている。留年・ 中途退学の問題も大きい。教員の力量も不足している。一国の中でも地域間の格差が著し 11 いのが普通であるし、男女間の格差も存在する。教育財政はほとんど崩壊しているような 状況で、教科書などの基礎的な教材も十分ない。最近では、HIV/AIDS の問題も教育に深 く関わるものである[澤村 2003:18]。 第二章ノンフォーマル教育 第一章では、開発教育歴史を概観してきたが、この章では 60 年代から 70 年代にかけて 初めて教育制度の一部として認められたノンフォーマル教育がどのように教育制度の中で 位置づけられているのか論じる。本章の第一節では、今日 EFA 戦略を達成するために必要 なノンフォーマル教育の定義に着目し、具体的なノンフォーマル教育の多様な活動内容を 調べ、その中での特徴や課題点を触れていく。また、第二節と第三節ではノンフォーマル 教育を援助支援している JICA と活動を行っている Action Aid という NGO を事例として、 ノンフォーマル教育の活動内容を取り上げていく。 第一節 ノンフォーマル教育 ノンフォーマル教育とは 第一章に述べたように「ノンフォーマル教育」という言葉が教育政策上に登場したのは 1960 年代後半から 1970 年代にかけてとされている。 その背景には、開発途上国だけでなく先進諸国においても、従来の公的な教育システム が適切に機能していないという危機感があった。1960 年代の開発途上国においては、教育 は独立以降の近代化のための手段として位置づけられており、教育システムの構築は最重 要課題の一つであった [黒田/横関 2005:153]。 1960 年代後半になると、経済成長の手段としての教育が十分に機能していないという現 状を受け、教育が社会・経済の変化に迅速に対応するためには学校教育だけではなくより 広い社会的な関わりが必要であるとして、「フォーマル教育(Formal Education)」 、「イン フォーマル教育(Informal Education)」、 「ノンフォーマル教育(Non-formal Education)」 の三つの分類が提示された[Coombs & Ahmed 1974: 8]。 フォーマル教育:確立した教育機関において制度化されたフルタイムの学習が与えら れる教育システム。学校教育。おもに 5 歳から 25 歳くらいまでを対象とする。 インフォーマル教育:日常の経験や、家庭、職場、遊び、市場、図書館、マスメディ アなどの環境から教育上の影響を受けることによって、態度、価値、知識、技術が付 随的に伝達される、生涯にわたる組織的でない学習プロセス。 ノンフォーマル教育:正規の学校教育制度の枠外で組織的に行われる活動。フォーマ ル教育(学校教育)が初等教育の完全普及を達成できない現状に対応するため、すべての 人々の基礎教育ニーズを補完的で柔軟なアプローチで満たそうとする活動を指す。こ れまでに成功したノンフォーマル教育プログラムに共通する点は、小さい対象学区、 12 地域と親の積極的な関与、地元出身の準教員の活用と研修制度の構築、簡略で柔軟な カリキュラム、基礎教育教材の支給などである。また、伝統的な教育施設の強化など も効果的とされる[独立行政法人国際協力機構 2005:5-8]。 このようにノンフォーマル教育は、フォーマル教育のような組織性・計画性とインフォ ーマル教育の多様性を併せもつ比較的自由度の高い教育だといえる。ノンフォーマル教育 は主に不就学児(Out-of-school children)や 15 歳以上の成人を対象として行われ、その内容 は環境保全、保健衛生、貧困削減など生存に関わる開発課題や生活技能(Life skill)、収入創 出(Income generation)、情報管理、意思決定への参加といった生計や福祉の向上に直結し ており、学習者の現状やニーズに応じて変化する。 ノンフォーマル教育の種類 ノンフォーマル教育は開発途上国の成人から子どもまですべての人々の中で、教育を受 けていない子どもたち、成人非識字者、十分な教育を受けられなかった青年や成人などを 対象に、「基礎的な学習のニーズ」の充足に資する協力を行うことがまず基本的な考えとな る。同時に、開発の各課題分野を超えて共通する、いわゆる横断的な協力対象もある。そ れは、 「女性・女子」、 「少数民族」、 「障害者」、 「都市貧困層」などのいわゆる「社会的弱者」 と呼ばれる人々である。これらの人々はそもそも社会・経済のメインストリームから排除 されている場合が多く、そのためフォーマル教育を中心とした基礎教育機会へのアクセス が確保されないケースが少なくない[JICA 2005:15]。 前述したように、ノンフォーマル教育の比較優位と強みは、その多様性・柔軟性を持っ て開発途上国が直面する様々な開発課題に対応できる点にある。このような開発課題別の ノンフォーマル教育支援アプローチを JICA は 5 つの分野に分けている。①基礎教育の拡充 と質の向上(成人・青年の識字率の向上、子どもの識字率・就学率の向上含む) 、②生計の 向上、③保健・衛生環境の改善、④自然環境保全、⑤平和構築の 5 つのアプローチに分類 されている[同上 2005:15]。 JICA によれば前述した 5 つのアプローチ方法の具体的な例はこのようになっている。 開発課題 ノンフォーマル教育対応例 基礎教育の拡充 ① 全国識字キャンペーン と質の向上 ② 再識字教育(基礎識字より非識字者に脱落した人が対象) ① 成人・青年 ③ 機能的識字教育(社会経済の発展の結果に生じたニーズへの対応) の識字率の ④ 移動図書館、リソース・センター設置 向上 ② 子供の識字 率・就学率 ① 中途児童の基礎教育(同等性プログラム) ② ストリート・チルドレンの識字・基礎教育(同等性プログラム) 13 の向上 ③ 移民・移動民の子どもの識字・基礎教育(同等性プログラム) ④ 遠隔基礎教育(遠隔地人口対象・遊牧民、地理的・時間的制限ニー ズに対応) 生計の向上 ① 収入創出活動一般 ② 成人農業・工業技術訓練・教育(Extension Education Programme) ③ 女性のための収入創出活動・職業・技術訓練 ④ 青少年のための職業・技術訓練 ⑤ 住民組織・夫人会組織強化活動 保険・衛生環境 ① 健康教育 の改善 ② 栄養教育、家庭科教育(識字教育との組み合わせ) ③ 都市貧困・スラム地域での保険・衛生教育 ④ プライマリ・ヘルスケア・プログラム 自然環境保全 ① 自然資源の運営・管理における支援(行政の能力開発や住民参加型 の教育保護区管理など) ② 環境教育 ③ 生計向上プログラムや識字プログラムにおける環境教育 平和構築 ① 平和啓蒙・啓発キャンペーン ② 多言語相互文化教育活動(Inter-cultural Understanding) ③ 平和教育 ④ 人権、紛争予防、環境保全教育 ⑤ 除隊兵士の社会復帰支援のための職業訓練 出典:[JICA 2005:17] ノンフォーマル教育の課題 ノンフォーマル教育をめぐる最大の課題は、安定的な資金の確保である。途上国では少 ない教育予算を初等教育に集中させる傾向にあり、ノンフォーマル教育予算は限定されて いる。そのため、財源の多様化、予算運用の効率化、透明性の確保などの努力を継続する とともに、現地に存在するすべての利用可能なリソース(人材、物資、資金、情報など)を動 員できるような工夫を行わなければならない[黒田/横関 2005:150]。 また、千葉によれば世界銀行内の会議でもノンフォーマル、識字教育は、貧困対策に本 当に貢献する分野として真剣に投資対象として扱われるよりも、moral imperative(道義的 必要物)として、細々と教会やボランティアに任せておけばいいものとされている[千葉 2004:129]。 このほかにもノンフォーマル教育と学校教育との連接が課題である。ノンフォーマル教 育終了後の学習者の進路選択の幅を広げてくことは極めて重要である。成人については公 的な職業訓練校などへのアクセスを、不就学児については学校教育への復学や上級学校へ 14 の進学などを保障することが学習者のモティベーションを高め、彼らの学習ニーズを将来 にわたって充足することにもつながる[黒田/横関 2005:150]。事実 70 年代のノンフォーマ ル教育は制度的学校教育との接続の機会があまりないことから成果があらなかった[江原 2001:80]。 また JICA は政府の教育機関だけでなく NGO を含む市民社会組織(Civil Society Organization: CSO)まで、多岐にわたる連接が必要と提言している。政府を巻き込むこと で、持続性の確保が期待されるほか、特にソーシャル・ギャップの是正促進に関係する、 特定の社会的弱者グループを対象とする政策的・法的な支援は、政府機関の役割として必 要不可欠と考えられている。NGO を含む市民社会は案件形成段階での情報収集を始め、ノ ンフォーマル教育を促進するための有力なパートナーとなりうる。その際、NGO が持って いる国際的な NGO ネットワークを活用することも有効であるとされている[JICA 2005: 130-131]。 ノンフォーマル教育を行っていく上では、学習放棄者の減少を目指すのも課題となって いる。ノンフォーマル教育には就学義務がなく、学習者のほとんどは労働に従事しながら 学んでいるため、途中で学習を放棄するものが多く、ノンフォーマル教育の費用対効果を 低めている。これがノンフォーマル教育の普及・拡大を困難にしている理由の一つであり、 早急な対応が求められる。たとえば、識字に加えて学習者のニーズに合致した現実的かつ 多様な内容を適時に導入し、ノンフォーマル教育プログラムが生活改善や社会参加や収入 向上に効果的であることを学習者に実感させる工夫や、学習の進度や達成度を自ら実感で きるような工夫は、学習者のモティベーションを維持し、継続的な学習の実現に貢献する と考えられている[黒田/横関 2005:151-152]。 たとえば、在来の知恵(Local Wisdom)に注目することにより、現地の事情に即した実用 性の高い支援を行うことが可能となる。こうした現地のリソースを積極的に活用すること は、前述したように支援を行う上での費用対効果の観点から重要である[JICA 2005:133]。 第二節 事例 基礎教育とノンフォーマル教育 エチオピア住民参加型教育改善プロジェクト背景 エチオピアの教育分野は多くの課題を抱えている。青年層の識字率は 57.4%で、アフリ カ地域平均 76.6%と途上国 85.2%を大きく下回っている。初等教育就学率も 69.3%と途上 国の中でもかなり低く、アフリカ諸国の平均 84.9%を下回る。さらに男女格差も大きく、 男子 74.8%、女子 53.0%と大きな開きがある。このような状況の下、MDGs の一つである 「2015 年までの基礎教育完全普及および男女格差是正」を実現するには、エチオピア政府 の財源だけでは不十分であることから、基礎教育を必要としている住民が、内発的な動機 に基づいて基礎教育の整備に参加することが不可欠となっている。また、フォーマル校設 置基準(カリキュラム、施設、教員資格など)が厳格で、多様な地域の教育ニーズに柔軟に対 応できないことから、それに代替するものとして、校舎建設費用が比較的安価であり、か 15 つカリキュラムが柔軟に行えるノンフォーマル教育が、低コストで質の高い教育のモデル を提供する可能性を持つとされている。州政府もその必要性を認めており、ノンフォーマ ル校から、通常の学校への転校など教育プログラムの同等化がすすんでおり、一部の州で はノンフォーマル教育を 3 年間受けた子どもがフォーマル教育の 5 年生に進級できるよう 規則を持っている[JICA 2005:25]。 プロジェクト内容 上記のような背景のもと、エチオピアでは、住民参加による基礎教育改善の取り組みが 多くの開発援助機関や NGO により進められてきた。しかしながら、住民参加を重視するあ まり、本来基礎教育の提供に責任を負うべき行政との連携およびその能力向上、並びに行 政と住民の協働について十分な配慮がされてこなかった。そこで JICA はこれらの点に配慮 した住民参加を中心に、基礎教育を提供するノンフォーマル小学校(CBBEC)のモデル開発 を目標としてプロジェクトを開発した。 このプロジェクトは行政官と住民の両方を巻き込み、前者の能力向上を図り、同時に住 民の教育に対する意識改革を進めて主体者意識を高めながら、ノンフォーマル校を建設、 運営するモデルを提供しようとするものである。以下のような成果を目指して活動が実施 されている。 ① 地方教育局の行政官の住民参加型学校建設・運営委にかかる計画制定・実施能力が 向上する。 ② 選ばれた地区において CBBEC が建設され、教育環境が整備される。 ③ CBBEC が住民組織と地方教育局との協力で運営・維持される。 ④ CBBEC の教員およびファシリテーター(非資格教員)の教授能力が向上する。 また、このプロジェクトでは、エチオピアにおけるノンフォーマル教育の展開について 次のような認識を持っている。 ① ノンフォーマル教育は、行政が基礎教育に対するすべてのニーズに対応できるだけの 財政的・技術的能力を十分に備えていない現状に対応するための、あくまでも暫定的 な措置であり、本来行政が提供すべきフォーマル教育との関連を無視して独自に提供 することはされるべきではない。将来的にフォーマル教育とノンフォーマル教育は一 本化され、その運営は行政が行うべき。 ② ノンフォーマル教育プログラムの対象者をフォーマル教育プログラムの対象者と差 別化し、以下のことに焦点を定めるよう、行政に提案している。 a. おもに距離、地形などの要因から教育サービスが届かないへき地の子どもたちに 教育機会を提供する。 b. 家事労働や農作業などの理由で、柔軟性の少ないフォーマル教育プログラムには 参加できない子どもたちに、より柔軟なカリキュラムやスケジュールを提供する。 c. おもに社会文化的背景から、地域の小学校のプログラムに参加しにくい女子に教 16 育機会を提供する[JICA 2005:25,26]。 具体的にこのプロジェクトは、コミュニティスクール(ノンフォーマル教育校)の拡充を目 的としながら、学校建設支援(アクセスの拡充)、各学校における教育の質向上の支援(質向 上)といった学校への直接的な支援を行うことに加えて、これらの活動に地方自治体を巻き 込み、実務および研修を通じて地方自治体の行政官のキャパシティを拡充すること(マネー ジメント強化)にも力を入れている。JICA はノンフォーマル教育プロジェクトにおいても、 こういった行政への働きかけを含んだ総合的な協力を行っていくことが重要であると考え ている。特にノンフォーマル教育の分野では草の根レベルでの教育活動の支援を中心に行 うドナー・NGO が多いなか、中央政府あるいは地方政府のキャパシティの強化を通じ、活 動が点で終わることなく面的に広がりをもつように働きかけを行っている[JICA 2005: 27]。 第三節 事例 成人識字教育とノンフォーマル教育 NGO 団体アクションエイド アクションエイドは社会的意識の高いセシール・ジャクソン-コール氏というビジネス マンによって 1972 年に創設された。アクションエイドは、貧困や社会的弱者の人々やその コミュニティとともに、彼らの基本的な権利を確立すること、開発において彼ら自身が決 定権を持てるようになること、彼ら自身が利益を守る力をつけることなどに支援・協力を している。アフリカ、アジア、中南米とカリブ海地方などで活動をおこなっているが、そ の形態としては、現地の団体とのパートナーシップが基本になっている。活動分野として は、初等教育、女児教育、緊急人道支援、農産物や食料などの公正な貿易、HIV/AIDS、国 際的な援助、紛争と平和などと幅広く、現場でのパートナー団体を通じての支援や、イギ リス政府や国際社会に向けたアドボカシーやキャンペーンなども広く展開している。また、 国内プログラムや開発教育を通じて、途上国問題や国際問題への自国民の理解の増進や解 決に向けての協力推進なども行っている[ActionAid HP 2008/11/26]。 また教育面でアクションエイドは、教育を基本的な人権の1つであり、開発を行ううえ で非常に重要と考えている。人々が他の基本的な権利を保証するのを可能にするのに教育 権を確保するのは主要である。アクションエイドは主に教育に取り組む国際機関とされて いる。 30 年間以上の経験があり、アクションエイドは独自の教育アプローチを持っている。 それは「リフレクト(REFLECT)」と呼ばれ、これは世界でも有名である[ActionAid HP 2008/11/26]。 このREFLECTはパウロ・フレイレの理論と参加型調査方法(PRA, Participatory Rural Appraisal) 5 を組み合わせて、バングラディッシュ、エルサルバドル、ウガンダでの実践か PRA は、1970 年代後半から 80 年代前半にかけて開発分野の研究者により開発された調 査方法、RRA(Rapid Rural Appraisal)がその原型である。PRA は、コミュニティ特有の状 況や変化に富む社会状況を、短期間かつ低コストで調査できる手法として広まった。人類 5 17 ら方法論を確立した教育アプローチであり、成人識字教育において多角的で革新的な方法 である[江原 2003:128]。 これには特定の教材はなく、学習者グループ自身が教材を作りながら学ぶ。教材は自分た ちの暮らしを分析しながら作る村の地図やカレンダー、男女の仕事を表にして整理したも のなどがあり、寸劇や発表、歌や話し合いを通じて情報を得るための道具を獲得できるこ とを知り、さらにはこれらの学習が、本来享受すべき社会サービスを受ける権利を含めた 人権にまで及び、学習者のエンパワーメントにつながるとされている。このような学習方 法は、通常の成人識字教育よりも参加型・双方向的であり、学習者自身の学ぶ力をひき出 すことができる[江原 2003:129; REFLECT ACTION HP 2008,11,26]。 アクションエイドガーナでみるノンフォーマル教育 アクションエイド・ガーナ(以下、AAG)では HIV/AIDS や教育、女性の権利、緊急時の援 助、サヘル地域の食糧危機に対する援助などを行っている。中でも教育は特に力を入れて いる分野の一つである。AAG は、教育は基本的人権とし、教育を受ける権利は人々がほか の権利を行使するのを可能にする権利だと考える。そして、すべての子どもたちは公平な システムの中で質のある教育を受けることができるべきであり、そのためには政府は質の ある基礎的な教育を提供する義務があると考えている。また彼らのビジョンは、政府と共 に上質の幼児教育と社会変動にリンクされる成人学習を確実にするために学校を超えて 「万人のための教育」の完全なアジェンダに目を向けている [Action Aid Ghana HP 2008,11,26] 。 AAG は教育援助の方法を以下の4つに分類をしている。 1. 学校のガバナンス;資源の割り当てと効率的なマネージメントの手段 2. アクセス;質のある教育への公平なアクセス 3. 教育への権利;教育政策公式化とマネージメントへの市民の参加 4. HIV/AIDS;HIV/AIDS 増加の教育への影響 1.の学校のガバナンスでは教育システムの透明性やアカウンタビィリティを増やすため に、コミュニティのメンバーの能力を築き上げる活動や、女性のために非暴力の学校環境 を促進することや、教育政策計画過程の上で市民社会の活動を活発にするために協力体制 の構築に貢献するようなことが行われている[Action Aid Ghana HP 2008,11,26]。 2.では行政機関が特に女性や、身体障害者、孤児、学校から遠くに住んでいる子どもなど に基礎的な権利として簡単かつ自由に教育に参加することを保障するために、コミュニテ ィと一緒に活動を行っている。また、学校に行くことができなくなった子どもに対して 学的または民族学的調査方法を取り入れており、従来の数量的調査を細くするものとして 開発されたものである。PRA はこれを基礎に、さらに調査対象の人々自身が有する知識や 価値観を抽出することに主眼が置かれている。コミュニティのニーズや問題意識に対する 理解を深めることを目的とする[江原 2003:204]。 18 REFLRCT プロジェクトを通して教育の場を提供している。具体的には彼らは「地方の教育 ボランティアプログラム(Rural Education Volunteer)」、「飼育者のための学校(The Feeder Schools)」、「牧童小学校(Shepherd Schools)」の 3 つがある。どれも地方暮らしや、家庭の 手伝いなどで学校教育に参加できない子どもや成人に教育を提供している[Action Aid Ghana HP 2008,11,26]。 3.はアドボカシー活動や学習のための教育の権利にかかわるすべての問題について調査 することや、政府やドナーに対してより教育のための資源を得るためにコミュニティと一 緒に活動をしている。4.は学校教育やその他の教育の場で HIV/AIDS や性病(以下 STD)に 関する知識を深めるための活動を行っている[Action Aid Ghana HP 2008,11,26]。 これら 4 つのうちの「2.アクセス」はノンフォーマル教育の分野に入る。たとえば、「牧 童小学校(Shepherd Schools)」は典型的なノンフォーマル教育である。これは第 2 章の第 1 節で述べた JICA のノンフォーマル教育の定義にあてはまる。この「牧童小学校」は正規の 学校教育制度の枠外で組織的に行われる活動であり、フォーマル教育(学校教育)が初等教育 の完全普及を達成でいいない現状に対応するため、すべての人の基礎教育ニーズを補完的 で柔軟なアプローチで満たそうとする活動を指している。 この「牧童小学校」は 1996 年から設立され、普段農作業や牧畜で忙しく公共の学校に参 加できない子ども、成人を対象にした学校である。また、子どもたちが学習内容に親しみ を持てるように、その地域に合った教育内容を考案し、考え方も工夫している。毎年この 学校は増え続け、現在では 40 校までに増えている。小学校1年生から 3 年生までを村に近 い「牧童小学校」で学んだあと、高学年からは普通の公立小学校に編入することができる。 このような低学年だけの「分校」は公立学校にも設けられているが、 「牧童小学校」は前述 のような学校運営や教育内容の工夫から、村の子どもたちにとって公立学校よりも通いや すい学校となっている。また、公立学校のように制服着用の義務もないので、家庭の出費 も減る。就学年齢を超えてしまった子供にとっても、自由な「牧童小学校」は公立学校よ りも敷居は低い[江原 2003:130]。 AAG はこのような識字教育、基礎教育の他にも平和教育を行っている。平和教育は前述 したように、ノンフォーマル教育の一つである。 ガーナ北部は歴史的に民族紛争があり、1995 年には 5000 人近くの人々が犠牲となる抗 争にまで発展した。こうした地域の状況を反映して、学校を拠点とした課外活動「若者ク ラブ」が結成され、「平和と和解プログラム」を実施している。このクラブには「牧童小学 校」の児童に加えて地域に住む若者も参加し、平和教育、衝突した際の交渉、和解のため の方法を学ぶ。若者がコミュニティに働きかける契機を作ると同時に、本来コミュニティ のリーダーシップを取るべき若者に平和教育を行うことにより、将来の平和への投資を行 っている[江原 2003:131]。 また、「4. HIV/AIDS」の活動もノンフォーマル教育の 1 つである。これは、HIV/AIDS に対する知識を深めるための教育を小学校で指導要領に入れているだけでなく、「地方の教 19 育ボランティアプログラム(Rural Education Volunteer)」、「飼育者のための学校(The Feeder Schools)」、「牧童小学校(Shepherd Schools)」の場所で地域の若者も対象とした教育 活動が行われている。 このようにノンフォーマル教育の幅の広さがわかる。単にノンフォーマル教育といって も、アプローチの方法、教育分野は多種多様である。第 1 節に書いたが、JICA によればノ ンフォーマル教育の分野は大きく分けて5つに分かれている。また、AAG の一つの活動を 見るだけでもノンフォーマル教育が公立学校で補えない子どもに教育を与える形で、いろ いろなターゲットがありそれに対して、さまざまなアプローチ方法がある。この柔軟性の あるノンフォーマル教育が誕生したのは第 1 章で触れたが 60 年代である。90 年代になる と、EFA ジョムティエン会議の中でフォーマル教育が補えないところを補うノンフォーマ ル教育、識字教育が初めて EFA 戦略の中に位置づけられるようになった。しかし、実際に は戦略の中に位置づけられた識字教育は、第 2 章の困難性で述べたようにパートナーシッ プを得るのが困難であり、市民社会の中や政府に受け入れられず、他のセクターとの連携 をとれていない国もある。そのため、EFA 戦略や MDGs 目標の「2015 年までに、すべて の子どもたち、とくに女子のより困難な状況にある子どもたち、人種的マイノリティにぞ くする子どもたちに重点を置いて、無償・義務性の量質的な初等教育にアクセスでき、そ れを修了することを保障する」を達成するのは現時点で難しい国がある。そのなかで、ノ ンフォーマル教育がどのように EFA や MDGs に貢献できるかを次章で論じていく。開発 が非常に困難といわれている暗黒大陸アフリカ(サハラ以南のアフリカ諸国)の中から、 EFA 戦略達成に近いまたは達成している国を取り上げ、そこでどのようにノンフォーマル 教育が機能しているのかを論じていく。 第三章 ガーナにおける、EFA ためのノンフォール教育 ここまで、ノンフォーマル教育が教育開発協力の中でどのように位置付けられてきたの か歴史に沿って調べてきた。また、そのノンフォーマル教育がどのようなものか定義づけ をし、その課題や実際に行われているプロジェクトを取り上げてどのような開発効果があ るかを紹介した。第 3 章では、このノンフォーマル教育がどのように MDGs や EFA 達成 のための一手段として、効果があるのかを西アフリカに位置するガーナを取り上げて論じ ていく。 第1節ではガーナが抱える初等教育での困難性を調べるために、ガーナが行っている教 育政策や、国際機関とともに行われている政策に着眼する。そして、第 2 節では第 1 節で の課題や問題点を補うためにどのようにノンフォーマル教育が行われているかを調べ、そ の開発効果、課題を見出し、将来性を論じていく。 第1節ガーナにおける初等教育普及 20 ガーナの教育政策 1957 年、ガーナはほかのアフリカ諸国に先立って独立を遂げ、植民地時代の国名「ゴー ルドコースト」から名前を「ガーナ」に変えて独立国となった。初代大統領エンクルマ大 統領に率いられた独立政府は教育開発を推し進めていた。ガーナでは多くのアフリカ諸国 と同じように植民地時代に宗主国による教育制度が確立していた。 ガーナでの植民地時代の教育は、旧宗主国であるイギリスの教育制度と言語による教育 であった。この教育は、首都アクラがある人口高密度が高い南部の海岸沿いで特に行われ、 南部にいる人々の教育への関心を高めていった。しかし、植民地教育は必ずしもガーナ人 のために行われず、ガーナがイギリスの植民地となる以前からあった教育、宣教師による ものや非西欧文化を持つ人々の欧風化を目的として行われたものと同様に、支配の道具と して使われていた。このような状況の中、初代大統領に就任したエンクルマ大統領は教育 開発計画に熱心で、教育は拡大し 60 年代には、ガーナの教育は西アフリカでもっとも進ん だレベルに達していた[江原 2003:118-120]。 エンクルマ大統領が就任していた時の 1961 年に初めて、ガーナにおける就学適齢のすべ ての子どもに無償であり義務である初等教育と基礎教育を提供する政策が教育決議書に設 立された。同時にその教育条例は十分な公立学校を提供する上で、政府の努力を増加させ るために私立学校の機構を政策として作った。これは、常に発達する教育、特に基礎教育 での要求に応えるために設立された。この機構はのちの 1973 年に、正式に教育省の一部の 私立学校部門となった[UNESCO 年不明:5 ]。 その後エンクルマ大統領が外遊中にクーデターにより 1969 年に失脚してから、ガーナは 相次ぐクーデターで軍事政権が次々に入れ替わる不安定な時期を迎え、教育の質は低下し、 学校現場も荒廃していった。 この 1970 年代では、教育改革が中等教育で実験的に行われた。しかし、この実験的に行 われたことは失敗に終わり、その他にもいくつか問題があった。一つは、すべてにおける 先生達がこのガーナの教育現場から去り、中には国外のナイジェリアをはじめとする近隣 諸国に職を求めるものもいた。もう一つの問題は、約半分近くの初等教育者の代わりを見 つけるために、教員資格を持っていない者を先生として雇わなくていけなかった。そして、 これらは実質的に教育の質を低下させることにつながっていった[Attar 年不明:40]。こ れらの問題は、情勢が悪い中で失業率が増え、国民が国外流失する中で教育の量を無理に 増やそうとした結果生まれたのであろう。 1981年になると、それまでのクーデター以降 2002 年まで政権を握っていたローリング ス大統領のもとで、教育環境の整備による就学率・識字率の向上を目指した教育改革が着 手された。ガーナ政府は、社会発展のカギは人材育成であるとの認識から、教育を国家開 発目標の重点分野として位置づけ、教育分野に国家経常支出の約 35-40%を費やした[澤村 2003:221]。 しかし、国家経常支出の約 35-40%を教育分野に費やしていたガーナ政府だが、海外ドナ 21 ーによる教育支援にも頼っていた。その頼っていたドナーの教育協力資金は削減され、1985 年には、1976 年度の支援の 3 分の 1 になっていた。それにより、学校教育の筆記用具、ノ ート、机、椅子、黒板、チョークなどといった必需品は学校で不足していった[Attar 年不 明:40]。 そのような中行われた 1989 年の教育改革は「教育の構造と内容の改革」といわれている。 小学校から高校までの就学年数をそれまでの 17 年の 6-4-5-2 制から 12 年に短縮し、6-3-3 制を採用し、6 年間の初等教育と 3 年間の中等教育を合して基礎教育とした。また、教育内 容に職業技術訓練てきな要素を多くして「役に立つ教育」を目指した[江原 2003: 120]。 この就学年数を減らすことにより、教育分野におけるコストを抑え、それを教育の質と量 の拡大のために費やした。この改革は当時、教育に関連する質や効率性を少し改善するこ とができた[ Attar 年不明:40]。 しかしながら、まだ質の低下を止めることはできなかった。前述したが、資格を持った 先生の国外流失はガーナでの貧しい状況が続く中から逃れるように、当時石油資源を見つ けたナイジェリアにその大半は行き、ナイジェリアでは急速に基礎教育の拡大が行われた。 結果的に、改革が行われたにも関わらず、訓練されていない先生で国外に流失した人材を 穴埋めしなくてはならなかった。このような要因で、教育の質の低下は止まらなかった。 [Akyeampong 2004:4]。 さらに、教育改革による新制中学と高校の導入は新たな混乱を巻き起こし、教育改革か ら 6 年目の 1993 年に実施された新制高校卒業の全国統一試験の結果は、よりこの混乱を拡 大させていった。高校卒業性の大半が大学入試資格を得られないという結果が出たのであ る。かえって、教育の質が一層低下したことがだれの目にも明らかとなった。このように ガーナ国内では教育の質に関する危機が起こっていたが、同時期にガーナに押し寄せたグ ローバル化の潮流れは教育の量的拡大の重大をさらに強調させた。1990 年にタイ・ジョム ティエンで開催された「万人のための教育世界会議」が開催され、協力機関による教育協 力の最重要点課題を基礎教育分野とすることが形成されていった[江原 2003:121]。 世界銀行との政策 この流れを受けて、ガーナ政府は世界銀行の支援のもとに、基礎教育は国民の義務であ り無料で提供されること、国内のすべての初等教育就学を 2005 年までに達成することを定 めた FCUBE(Free Compulsory and Universal Basic Education, 無償義務完全基礎教育) プログラムを 1996 年に制定した[江原 2003:121]。当時世界銀行は、初等教育向けの 学校建設を中心とするプロジェクト、地域社会による中等学校建設支援、インフォーマル セクターによる職業訓練、成人識字教育、高等教育、と五つの教育プロジェクトを支援し ていた[江原 2001:217]。 この FCUBE の場合、(ⅰ)教育・学習の質の改善、 (ⅱ)教育アクセスの改善、(ⅲ)経営管 理の改善、を目標とした。(ⅰ)についての評価基準は、学力テストの結果、教員の欠勤率、 22 主要科目の生徒と教科書の比率などで、(ⅱ)については学年別就学率、留年率、修了比率な ど、(ⅲ)は生徒と教員の比率、教員と管理者の比率など計 15 指標が挙げられた[澤村 2008:286]。具体的に、(ⅰ)の目標については、教員の指導力向上を目指し実践的な技術の 向上を図るため、学校をベースとした訓練を行う。各地に教員資料センターを設置する。 学校の管理運営を改善するため校長向け訓練を行う。教員養成学校では、小学校での実地 訓練時間を増やし、また卒業生は一定期間地元の小学校に勤務する。教育専門大学との連 携を強化する。そしてこれらの措置に加えて、カリキュラムおよび教材と学業成果の連関 性評価、教科書の無償配布などが実施計画に盛り込まれた[江原 2001:221] (ⅱ)の目標については、就学率停滞の原因を究明し、これらに対処しなければならない。 就学率の低い地域はガーナ北部に集中しているうえ、未就学の子どもたちのほとんどは貧 困層に属する。実際に、無償教育といっても、指定服、文房具、PTA 会費などが家計に与 える重圧は大きい。就学者数の増加を図るためには、就学阻害要因を調査し、それを取り 除くための手段を考案しなくてはならなかった。具体的には、新校舎の建設現場は貧困の 度合いに関するデータに基づいてニーズの高い地区を優先する。校舎のデザインは費用と 維持のしやすさを考慮して簡便なものとする。既存の学校施設をより有効に利用する。老 朽化の著しい校舎は修復し、スペース不足に悩む都市部では二交代制授業の導入を検討す る。カリキュラム、教科書を分析し、性差別のある場合はこれを改善する。地域社会や父 母による学校教育への参加を促し、授業環境の改善を図るために NGO と協力して学校改善 プロジェクトを支援する、などの改善策が計画された [江原 2001:220] 。 (ⅲ)についての主な政策は、教育システム上の管理を分権化することであった。今まで教 育省とガーナ教育サービス(GES)が行っていたことを、地方の州ごとに管理し、また州の地 区ごとに権限が与えられるようになった。学校レベルでは校長が学校を管理した。しかし ながら、地区ごとにその地区にある学校は管理され、それは州ごとに管理されるようにな った。そして、個々の管理の能率性を上げるために、校長レベルから管理能力や財政にお けるキャパシティ・ビルディングが行われた。実際にこれを行うために、州ごとや、地区 ごとに校長を集め訓練を行った[Ghana Education Service 2004:4]。 この FCUBE が実施された年では、教育省の報告によればガーナの学校適齢の子ども の 30%がまだ就学していなかった。このような画期的な政策があったにもかかわらず、い くつかの地区では、学校修復費や活動費のために、生徒に対して教育費を払わせたりする ことがあった。このときガーナ政府はたくさんの子どもたち、特に貧困層の子どもたちを 学校に行かせることから断念させる影響があると断言していた。さらに、学校レベルでの 管理、監督能力の低さが見受けられ、この能力の低さが FCUBE プロジェクトの実施を阻 害していた[Maikish 2008:6]。 このような中、2000 年にセネガル・ダカールで「世界教育フォーラム」が開催され、2015 年までにすべての子どもが初等教育を受けることができるようにするという目標が設定さ れ、ガーナは 2003 年に新たな教育戦略計画 2003-2015(ESP)を制定した。 23 ESP は教育省が「ガーナ国民全員に、全レベルにおいて国民の能力を引き出す技術を修 得するための教育を提供し、貧困削減を促進し、社会経済、ひいては国家の発展を推進す ること」を目標としている。その目標には、教育省が提供すべきサービスとして、1)全国 民の実用的な識字力と自立を確保するための施設、2)万人のための基礎教育、3)万人の ための開かれた教育機会、4)科学技術に重点を置いた技能開発のための教育と訓練、5) 中間・高度な人材開発のための高等教育の保証、が設定されている。ESP は FCUBE と大 きく異なる。特に、大統領の強い意向によって加えられた「技術職業教育訓練(Technical and Vocational Education and Training:TVET)の推進」が追加されたことが大きな特徴とな っている。また、幼稚園の義務化・無料化も初めて行われた[外務省 HP 2009/10/29]。 ガーナ初等教育における地域間格差状況 ここでガーナの初等教育の現状を実際の数字を用いて、FCUBE で掲げられた①教育・学 習の質の改善、 ②教育アクセスの改善、③経営管理の改善と ESP での④全国民の実用的 な識字力の観点から概観してみる。 表 1:ガーナ全体の小学校就学率 年度 総就学率 1992 年 1999 年 2006 年 79% 73% 86% 57% 72% 純就学率 出典:Integrated Social Development Centre (2001), Ghana Human Development Report (2007), Education For All Global Monitoring Report (2009)より筆者作成。 まず、②の教育アクセスの点では表 1 を見てわかるように、1997 年から 2006 年まで若 干の低下がみられるが、10 年間でほぼ 10%向上している。ガーナの人間開発報告書によれ ば、ミレミアム開発目標達成に徐々に近づいている[Ghana Human Development Report 2007:30]。 表 2:年度別・標準テストで習熟レベルに達している児童の割合(算数) 年度 1992 1993 1994 1995 1996 1997 1999 2000 公立 1.1% 1.5% 1.5% 1.8% 1.8% 2.7% 4.0% 4.4% 31.0% 40.4% 私立 31.7% 53.7% 出典:Ministry of Education in Ghana (2002) CRT report. ①教育・学習の質の改善の点では、小学校 6 年生の算数と英語の 2 教科で 1992 年から実 施されている標準テストの結果に明らかな特徴がみられている。表 2 からわかるように、 算数の学習到達度が極端に低く、小学校 6 年生の習熟レベルに達している児童はテストの 24 初年度ではわずか 1%に過ぎなかった。94 年からは私立校も含めてテストが行われたが、 ここで公立校と私立校の学習到達度の差が明らかになった。深刻な学力の低さを表すデー タは、ガーナ政府のみならず NGO を含む国際協力機関、そして何よりも児童と親、また学 校現場に大きな衝撃を与えた[江原 2003:123]。 表 3:小中学校教員の不足状況 年 不足している教員の 教員養成学校卒業者 絶対的不足人数 数 数 1998 10,909 6,114 4,795 1999 12,430 5,697 6,733 2000 15,630 7,336 8,294 2001 19,141 6,285 12,856 2002 22,628 6,594 16,034 出典:Ministry of Education (2002) 表 4:教員と生徒数の割合 年 1999 2006 1 人の教員における生徒数 30 35 出典:Education For All Global Monitoring Report (2009)より筆者作成 この教育・学習の質の改善は、③の経営管理の改善にも深くかかわっている。この標準 テストの結果からの批判の対象となったのが教員たちであった。特に、基礎教育の小中学 校の教員の社会・経済的地位の低さとモラルの問題に議論が集中した。高校卒業後に進学 する 3 年生の教員養成学校には大学進学を希望していたものの、成績が満たずに教員養成 学校に入った者が多かった。教員の平均年齢は若く、30 歳以下が半分以上で、経験年数 5 年以下が半数以上となっている。この傾向は教育開発の遅れている北部で強い。表 3 は、 ガーナにおける小中学校教員の不足状況である。進学や転職により教員の不足人数は年々 増えている[江原 2003:124]。また、表 4 の UNESCO の報告書によれば、教員一人当た りの生徒数は 1999 年から 2006 年までの間に増えている[UNESCO 2009:13]。この表 3 と表 4 を見てわかるように、③の経営管理の改善はされているどころか悪化している。一 見統計的には②の教育アクセスは改善されているが、②教育アクセスの改善と③経営管理 の改善はされているとは言い難い。また、ガーナの子どもの学習到達度と教員の質につい てもまだ課題が残されているようである。 表 5:2000 年における州ごとと全体の識字率 25 州 非識字率 英語のみの識 ガーナ言語の 英語とガーナ 字率 みの識字率 言語の識字率 その他 全体 42.6 16.4 2.5 38.1 0.8 Western 41.8 18.7 1.8 36.9 0.8 42.9 16.6 2.0 37.9 0.6 18.4 30.0 2.3 48.2 1.2 Volta Region 41.7 8.3 4.5 44.5 1.0 Eastern 36.4 13.4 3.3 46.4 1.0 35.0 12.9 3.2 48.1 0.5 Brong Ahafo 48.5 11.7 2.0 37.3 0.8 Northern 76.6 13.4 1.5 8.3 0.6 Upper East 76.5 14.4 1.3 7.0 0.8 Upper West 73.4 13.4 1.1 10.9 1.2 Region Central Region Greater Accra Region Ashanti Region Region 出典:Ghana Human Development Report (2007) 図 1:ガーナ地図 26 表 5 は 2000 年におけるガーナ全体と州ごとの、15 歳以上の識字率を表している。表か らみられるように、全体の識字率は 57%で、英語のみだと 16%、ガーナの言語だけだと 2.5%、両方の言語で 38.1%と、ガーナでは英語教育のほうがガーナの言語の教育よりもう まくいっている。これは、小学校から英語での教育が行われている結果であろう。次に、 州ごとに見ていくと、識字の地域格差が非常に高いのがわかる。非識字率の低い首都であ る Great Accra の 18.4%をはじめ、国全体平均以下の非識字率である州はほぼ 7 州である。 これら 7 州は図 1 のガーナ地図をみてわかるように、ガーナ南部に集中しているが、他の 非識字率が 70%以上を示している 3 州は北部に集中している。そして、ガーナの北部は南 部に比べて、田舎で経済的に貧しい地域である。また、このように地域間格差があるのは 27 識字だけにとどまらず、前述したように教員の分配の仕方、就学率にも格差がある。表 1 には全体の就学率が 80%近くだが、州ごとの内訳をみると識字率での格差と同じように、 上位 7 州は就学率の全体平均近くだが、下位 3 州は表 6 のガーナ人間開発報告書の数字に も出ているように、就学率が 60%を下回っている。 表 6:州ごとの就学率 就 全 Western Central Greater Volta Eastern Ashanti Brong Northern Upper Upper 体 Region Region Accra Region Region Region Ahafo Region East West 69.9 74.9 72.6 80.9 64.7 75.6 78.9 69.3 49.9 56 51 学 率 出典:Ghana Human Development Report (2007) 前述したように、ガーナは歴史的、地理的にも北部は南部よりも貧困地域であり、また 教育格差が実在している。ガーナは南北の地域格差を埋めるために、また、ガーナ全体の 教育開発を行うために、政府は早い段階から教育改革や、FCUBE、ESP などの様々な対策 を実施してきた。しかし、まだ MDGs や EFA の目標をもとに作られたガーナの ESP の改 善点すべてが改善されているとは言えない状況にある。それを達成するためには、教育開 発のさまざまな分野の開発を同時に行わなくてはならない。たとえば、前述したように FCUBE の目標の中にある、教育の質改善は、教育のマネージメント、経営管理の改善にも 深くかかわっている。またこれらの改善は、識字率にも関連している。このように、教育 開発では多方面からの改善が同時に行われることが非常に大切である。 第2節 ガーナにおけるノンフォーマル教育 政府の補完機能としてのノンフォーマル教育 近年、教育開発を進める上での NGO の活動は大きな変化を遂げている。特に、ガーナで 教育開発活動を行う NGO は、先進国 NGO あるいは国連や二国間協力機関をパートナーと し、それらの機関から資金を得て活発に活動している[江原 2003:126]。そして、NGO が行う教育はノンフォーマル教育として知られている。このノンフォーマル教育もガーナ では教育開発のなかで盛んに行われている開発の一つである。 ガーナではこのノンフォーマル教育は早い段階から認識されていた。UNESCO の報告書 によれば、1986 年にはすでにガーナ教育省の中にノンフォーマル教育の部署が設けられた。 この部署はガーナのノンフォーマル教育における全体管理の役割を担うようになった。そ れにより、ノンフォーマル教育部署が他の部署と親密に機能するようになり、ノンフォー マル教育部署は初等教育と成人教育両方を通じて、非識字者の根絶を主目的とする政府の 教育政策を行うために機能するようになった[UNESCO 年不明:20]。 28 実際にガーナ教育省が出している EFA 達成のための ESP 計画書を見ると、ほとんどの 活動計画の活動ステークホルダーのなかに NGO が記載されており、NGO の活動は政府の 政策を実施するためには必要不可欠になっている[Ministry of Education 2003:9-25]。 そして、NGO の支援による学校はノンフォーマル教育の位置づけではなく、公教育の重 要な役割を担っている。このことは、NGO 当事者も含め、実際には NGO が支援する学校 と公立学校との学校統合政策も政府の希望に沿う形で進められており、さらなる統合の拡 大を、住民のみならず政府からも期待されているのが現状である。本来、ガーナにおいて 無償の義務教育であるはずの初等教育は、政府が責任を持って提供するのが望ましい。し かし、現在の北部地域では、人的・財政的キャパシティが圧倒的に不足しており、近年中 に補うことは事実上不可能に近いと言わざるを得ない。このような状況を考慮すると、NGO の活動は、より直接受益者に支援が届きやすいことが特徴にあり、それらは結果的に北部 地域の支援として、効率的かつ効果的に成果が得やすいだろう[澤村 2003:232]。 また、ガーナ人間開発報告書では公教育を外れて、公教育から外れた人たちに素養を身 につけさせるためのノンフォーマル教育の試みは重要視されている。特に、ノンフォーマ ル教育での識字や基礎的な計算能力をつけるためのプロジェクトはよく機能している。例 として、公教育を受けたくても受けられない魚売りの女性たちは、このノンフォーマル教 育を通じて彼女らの商売の可能性をより高めることが出たという事例がある[UNDP Ghana 2007:29]。そのほかの評価として UNESCO の報告書では、ガーナでのノンフォー マル教育の識字教育はサハラ以南での地域としてはよく機能していると評価されている [UNESCO 2009:6]。 このように、早い段階からガーナでは政府の教育政策で、NGO の教育援助の一つである ノンフォーマル教育は認識され、今日ではこのノンフォーマル教育は政府の教育政策を補 完するような機能を持っている。とくに、ガーナでのノンフォーマル教育では識字教育が 盛んに行われ、他にも基礎的な計算能力、衛生問題、子どもの世話の仕方、子どもへの識 字を行っている。 識字教育の開発効果 ガーナでは全国機能的識字プログラム(The National Functional Literacy Program)は、 教育省のノンフォーマル教育部の主導の下、世界銀行の支援を受けて各地の NGO と協力し て行われている。世界銀行の資金融資、技術支援は 2006 年中旬で終了したが、その後政府 が実施を継続している。プログラムの目的は主に 15 歳から 45 歳程度の青年、成人、特に 女性と地方在住の貧困層を対象に、識字者の数を増やし、生活、職業にかかわる機能的知 識と技能を促進することである。このプログラムでの機能的識字者の定義は「各々のグル ープ、コミュニティで、識字を伴う活動において有効な役割を果たすことができ、さらに 個人及びコミュニティの開発のために、読み書き計算能力を継続的に使用することができ る者」である[小川 2008:203]。また、教育省計画書に記載されているこのプログラムの 29 具体的目標は、識字率を毎年 3%上げ、それを図るための評価テストも改善するとされてお り、具体的数字でも目標は掲げられている[Ministry of Education 2003:11]。 このプログラムの参加者は、2006 年までに約 220 万人にまでのぼり、そのうちの 8%の 17 万人が 15 歳以下で、その 15 歳以下の人口の 37%の 4 万 4 千人が公教育に一度は参加 したことがある[Ministry of Education 2006:21]。また、参加者の約 62%が女性で、約 60% が地方在住者であった。プログラムはガーナの主な 15 言語および英語で運営され、学習期 間は 21 カ月(週 3 回、1 日 2 時間程度)、ファシリテーターは学習者の指名するボランティ アであった。教材は、中央・地方政府の協力で英語のみならず、ガーナの主の 15 言語で地 域に合ったものを製作、配布される。カリキュラムは、読み書き計算、保健・栄養、環境、 市民意識などの生活知識と技能、職業技能と実践を含む、総合的識字プログラムである[小 川 2008:203]。 表 7:全国機能的識字プログラム成果 読む力 書く力 母語での読解 最低一つの完 力 全な文章作成 82% 48% 82% 43% 参加中間グル 計算能力 3-4 桁までの 6 桁の四則計 筆算 5 桁暗算 算 22% 31-32% 54% 28% 31-32% 59% 短い手紙作成 ープ 参加後グルー プ 出典:[小川 2008:203]より筆者作成 プログラム後のグループについて、読み書き計算の力をまとめてみると、約 66%が機能 的識字レベルを示し、約 29%が最低限の識字レベル、そして非識字者または非常に低い識 字レベルを示したものは 5%未満にとどまった。表7の結果からわかることは、21 ヵ月の 学習を通して大多数の参加者が母語の読解能力を得ることができるということ、同時にそ の習得した能力を持続することの難しさである。書く力を養い、それを持続することはさ らに難しく、計算能力については、学習者の日常体験に基づく暗算能力に関連している[小 川 2008:204]。 また、このプログラムの結果、参加者の間に知識水準、実践ともに、カリキュラムに含 まれている保健・栄養、環境、市民意識の向上などの生活知識と技能と実践の様々な開発 効果が認められている。まず、保健・栄養の分野の中の 1 つである家族計画の知識は、保 健分野に限らず、すべてのプログラムを通じて得られた知識の中で最も重要なものとして、 男女を問わず大多数の参加者に挙げられた。たとえば、プログラム参加以前では子沢山は 女性の誇りだと考えられていたが、家族計画の知識を通じて、子どもの数を減らし、計画 的に出産することで、より健康で幸せな子どもたちと家族を得ることをできた、といった 30 方である。その他、子どもの健康と栄養、予防接種、安全な飲料水の確保、食料保存方法 など、多数の課題について、プログラムによって得られた知識、およびその知識の実践が 報告された[小川 2008:205]。 また、市民意識の向上、個人・家庭・社会レベルでのエンパワーメント、子どもの教育 支援の分野でも、有益な効果が記された。例にとると、プログラム参加以前には、村の道 路の悪状況や学校の不足は政府の責任と考えられ、何の行動も足られなかったが、参加後 には村民の市民意識と団結力の向上により、道路の修復、小学校建設などを自発的に始め、 政府と協力して村の開発を進める方向に転換したなどである。子どもの教育支援では、学 齢期の子どもを持つプログラム参加者の 98%が子どもを学校に参加させていたが、比較グ ループの親の間では 49%にとどまっていた。また参加者は比較グループよりも、子どもの 家庭学習を支援し、子どもや家族、他の者に対し教育を受けるように促すようにもなった。 その他、経済活動面で成果が上がっている。参加者の 83%が以前と比較して、所得や生産 量が増加したと報告されている[小川 2008:206]。 このように、単にノンフォーマル教育の一つの識字教育といっても、開発効果は多分野 にいたる。前述したように、ガーナの識字教育の効果として、家族計画、エンパワーメン ト、健康、栄養、教育に対する意識向上などに影響がある。また、ここで驚くべき点は、 ノンフォーマル教育が政府の教育省によって管理され、NGO と協力してプログラムを実行 して、EFA、MDGs や ESP 達成のため、地域間格差はまだあるが、確実に数字の上で貢献 しているところである。 識字教育の課題 ガーナの識字教育は UNESCO の報告書やガーナ人間開発報告書に記されているように、 サハラ以南のアフリカ諸国の中で機能している。そして、ガーナの全国機能的識字プログ ラムは、個人への利益にとどまらず、家族、社会への幅広い効果が確認されている。しか し、このように評価されているものでも、まだ課題は残されている。 課題として残されている点は、第一に、より有効なパートナーシップの構築である。生 活技能・職業技能取得分野ともに、教育以外の他のセクターとの協力が不可欠であること から、公私多様なパートナーとの協力推進の重要性が必要である。また、貧困削減に直接 影響する経済活動分野においては、取得された技能を生かすための経営資源の必要性、小 規模融資機関へのアクセスの拡大の必要性があり、ここでも教育分野を超えたパートナー との協力は必要である。第二に、識字プログラムのモニタリング評価、およびプログラム レベル、そして国レベルでの識字水準測定の充実と改善は、ともに強調されるべき課題で ある。モニタリング評価については、学習現場レベルでの学習者、ファシリテーターのプ ログラム参加と学習効果を促す材料として、政策レベルでは、評価研究の充実はプログラ ムの質を高めるうえで、そしてより良い政策指針を出すための材料としても重要であると 小川は考える[小川 2008:207]。 31 これに付け加える形で、UNESCO が出版したガーナの教育報告書では、プログラム実施 のための資金の欠如、そしてその資金のうちの約 80%がドナーによる資金であること、人 間開発のためのキャパシティ・ビルディングの利用の仕方、都市部ではないところでの伝 統的習慣をもった人や、NGO やオピニオンリーダーや他のステーキホルダーにプログラム を認識してもらう必要性、そしてガーナ言語の識字を維持するための環境が十分にそろっ ていないことが課題とされている[UNESCO 年不明:42]。また、小川が指摘したプログ ラムの質のことは 2009 年の UNESCO の報告書に、この識字プログラムに参加しているも のを含んだ公教育を受けられていない子どもは、言語や算数計算能力が公教育受けている 子どもよりも達成度が低いと記されている[UNESCO 2009:9]。これは公教育の質が他の教 育セクターよりも高いことが当たり前だと考えられるかもしれないが、ここでの識字教育 の質を考えたときノンフォーマル教育における識字教育の質はまだ十分ではないことがう かがえる。 また、この識字教育の課題を地域レベルで見たときに、識字率が比較的に高い Western Region の Ahanta West 地区ではこの識字プログラムがうまく機能していないこと報告し ている。全体的に識字プログラム参加者は 2003 年から 2006 年の間で、若干の低下も見ら れるが、2003 年の 235 人から 2006 年の 461 人まで増加している。しかしながら、この地 域の非識字者の人数を考慮すると未だに参加者の人数は低い[UNDP Ghana 2007:65]。そ して、教育開発が比較的に進んでいない Northern Region の West Gonja 地区では、高年 齢になるにつれて識字率が上がり、全体の識字率も徐々にではあるが上がっているだけで なく、この識字率の上昇が公教育の就学率につながっている。しかし、地方在住の女性の 参加は男性や都市部の人と比べ少ない。実際に全体の女性参加の割合は半分以下の 46%で あり、これは MDGs の中の教育における性差をなくす目標達成するのに難しくしている [UNDP Ghana 2007:53]。 このように、この識字プログラム全体では成果が出ているが、ある地域では成果が出て いない結果が続けば、地域格差は広がってしまうだろう。この識字教育プログラムは主に、 公教育に参加できない、社会的、経済的、地理的困難を持った者へのプログラムにも関わ らず、このままでは地域格差が広がる要因を作る状況が続く状態を生み出すプログラムに なってしまいかねない。地域格差が再生産されないようにこれらの課題を克服していく必 要性がある。 32 おわりに この論文で取り上げたガーナが所在するアフリカ大陸には、公教育をまともに受けられ ない子ども、また、非識字の成人がいまだにたくさんいるといわれている。UNESCO の 2009 年 EFA 報告書によると、サハラ以南の 3 分の1の子どもがいまだに就学齢時に学校 に通えない状況があり、その 3 分の 2 の子どもたちは将来的にも学校に通わないと考えら れている。そして、成人識字率は半分を若干上回る 62%となっていて、世界平均 82%には るかに及ばない。 この就学率の低い、まともに子どもが学校に通えない状況は、筆者が実際にアフリカに 足を踏み入れて活動を行ったときに痛切に感じたことでもあった。わたくし事だが、プロ ジェクトの一つとして、筆者が活動を行っていた地域で交通の便が悪い所に住んでいる家 族を訪問し動きまわっていたときに出会ったある家族には、男女一人ずつ初等教育に通っ ている子どもと、両親、祖父と祖母と赤ちゃんがいた。しかし、子ども二人は初等教育に 通っているといっても、毎日学校に通うのではなく本当に時々しか行かないと言っていた。 その理由を聞くと、男の子方はその時期家庭の力仕事をやらなくてはならず、女の子も家 事を行わなくてはいけないと言っていただけでなく、家の奥から女の子の赤ちゃんを連れ てきて、この子の面倒を見なくてはならないとも言っていたのである。また、整備されて いる道路から車で 1 時間ほど離れているところに住んでいる家族の、12 年制の初等教育に 通う学齢期の子ども 2 人は、学校までの道のりの長さと、家の手伝いという理由で学校に 通ったことがなかった。 このような実体験で見てきた就学機会の少なさ、家事に従事せざる得ない状況などの、 公教育を受ける点での悪状況を変えるために UNESCO を中心に多方向から教育開発が行 われてきた。そして、今日では UNESCO やその他の国際機関と各国首相で取り決めた EFA 戦略が教育開発での根底となっている。この EFA 戦略達成のために政府だけでなく、市民 団体である NGO もともに活動を行い、彼らの活動は教育開発の面ではノンフォーマル教育 として位置づけられ知るようになってきた。 この NGO による、市民主体のノンフォーマル教育は 60 年代後半から教育政策上に登場 し、今日では EFA 戦略の中ではノンフォーマル教育分野の一つである識字教育が目標の一 つとして掲げられている。このノンフォーマル教育は教育開発目標を達成するための一つ の手段として、教育開発のなかで注目を浴びるようになってきた。しかし、公教育を補い、 他の開発分野にも効果のあるノンフォーマル教育は今日、国の政策の中でまだ重要視をさ れていない面が多々ある。そのため、公教育を補完するためのノンフォーマル教育を運営 する側と公教育を運営する側、政府と NGO 間の連携が行われずに、成果が効果的に出てこ ないことがある。また、政府と協力して行うことによりノンフォーマル教育の課題の一つ である資金源確保にもつながるだけでなく、ノンフォーマル教育から公教育、フォーマル 33 教育への移転が円滑に行われる可能性が生まれ、フォーマル教育を補完することができる。 この公教育に戻れる制度を実際に行い、成果を上げている事例に、バングラディッシュ、 パキスタンがある。 このように、より効率的、効果的に成果を出せる可能性をもっているノンフォーマル教 育を、公教育をより完全に近く補うために質的にも量的にも発展させていくことが必要で ある。そして、ミレニアム開発目標や EFA 戦略達成のために公教育がすべての人にいきわ たるためのプロセスの一つとして、より重要視されるべきだと筆者は考える。 この論文書き終えての感想は、筆者自身のアフリカでの経験とこの論文と関連性を強く つなげることができなかったのが残念であった。強く関連性をつなげるためにナミビアの 教育環境のことの調べ、論じればよかったと思ったが、ナミビアの教育に関連する文献を 十分に見つけることが出来ずに断念してしまった。しかし、自身の NGO の教育機関で働い た経験がこの論文テーマであるノンフォーマル教育を調べる強い動機となり、また筆者自 身に国際開発の分野へ強く興味を持たせ、成長をさせてくれたアフリカ諸国の一つである ガーナを選び、論文を書き終えることができたことに感謝している。そのガーナを取り上 げた第三章の内容については文献を探すことはでき、ある程度の成果、課題などを見るこ とができたのだが、現地に行き直接リサーチすることができなかったのは心残りである。 しかし、次回このように論文を書く機会があれば、文献で調べ現地に直接リサーチしに行 き、またただ現地に行くのではなく、行く理由を明確にして現地での経験が十分論文に関 連、貢献できるような形で仕上げたいと感じた。 34 <参考文献> Akyeampong 千葉杲弘 Kwame (2004) Background paper prepared for the Education for All (2004 年) 『国際協力を志す人のために』 学文社 Coombs,Philip H (1964) The Fourth Dimension of Foreign Policy, Harper & Row publishers. 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Attar (年不明) 3.Ghana, UNESCO 小川哲一 (2008) 『国際教育開発の再検討―途上国の基礎教育普及に向けて―』 東信堂 澤村信英 (2003) 『アフリカの開発と教育 : 人間の安全保障をめざす国際教育協力』明 石書店 澤村信英 (2008) 『教育開発国際協力研究の発展―EFA(万人のための教育)達成に向け た実践と課題』明石書店 UNESCO (2005) Global Monitoring Report 2005 The Quality Imperative Whole school development in Ghana, UNESCO UNESCO (2009) Education For All Global Monitoring Report 2009, UNESCO UNDP Ghana (2007) Ahanta West district Human Development Report 2007, UNDP Ghana 35 UNDP Ghana (2007) West Gonja district Human Development Report 2007, UNDP Ghana The United Nations Development Programme Ghana Office (2007), Ghana Human Development Report, The United Nations Development Programme Ghana Office UNESCO( 年 不 明 ) THE NATIONAL REPORT IN THE EDUCATION SYSTEM 1990-2000, UNESCO <参考 HP リスト> ActionAid HP(2008,11,26) www.actionaid.org ActionAid Ghana HP(2008,11,26) http://www.actionaidghana.org/index.php 文部科学省 HP (2008, 10.18) http://www.mext.go.jp/ REFLECT ACTION(2008,11,26) http://www.reflect-action.org/enghome.html UNESCO HP(2009, 10.28) http://portal.unesco.org UNICEF HP (2008, 10.18) www.unicef.org 36