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国際貿易理論の新たな潮流と東アジア*1

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国際貿易理論の新たな潮流と東アジア*1
国際貿易理論の新たな潮流と東アジア*1
慶應義塾大学経済学部教授 木村福成
要 旨
本論文では、近年、国際貿易理論において注目を浴びているフラグメンテーション理論、アグロメ
レーション理論、
「企業」という切り口という3つの分析枠組みを紹介し、それらが現在の東アジア
経済の国際分業体制を理解する上で有効であることを示す。
Abstract
This paper presents three new analytical approaches in international trade theory, i.e.,
fragmentation theory, agglomeration theory, and the theory of“firm,”and claims that they are
extremely useful in understanding the current pattern of industrial location and international trade in
East Asia.
第1章 はじめに
時、東アジアは機械産業に強い優位性を持ってい
る。機械は部品点数の多い商品であり、各生産段
東アジアにおける政策レベルでの経済統合は他
階の効率的な配置と企業内組織・企業間関係が競
地域に比べ大きく遅れていたが、2002年1月の日
争力を大きく左右する。日系をはじめとする多国
本・シンガポール経済連携協定(JSEPA)の署名、
籍企業は、各国間の賃金格差やインフラ整備状況
2002年11月の中国・ASEAN枠組み協定の調印な
の違いを利用しながら、特異な産業構造を形成し
ど、経済統合を目指す動きもいよいよ本格化して
ていった。このことを理解せずに、東アジアの経
きた。WTOドーハ・ラウンドにおける自由化交
済統合は語れない。
渉の先行きが不透明な中、東アジアのどの国も世
本論では、国際産業立地パターンを分析するた
界の地域主義の流れに遅れまいと、自由貿易協定
めの学術分野である国際貿易論の最近の成果を紹
(FTA)締結に積極的な姿勢を見せるようになっ
介し、東アジアの生産・流通ネットワークをとら
てきている。しかし、今後結ばれていくFTAの
える新しい視座を提案する。そして、そのような
内容や、その背景となる産業・貿易構造について
新しい分析枠組みが、多国籍企業、とりわけ日系
は、必ずしも十分な議論がなされていない。
企業のための立地条件という視点から東アジアを
実は東アジアでは、いまだかつて我々が経験し
とらえるのに有効であり、また、今後の政策面の
たこともない精緻な国際的生産・流通ネットワー
経済統合を考える上でも重要な切り口を提供する
クが構築されつつある。地域を固まりとして見た
ことを明らかにする。
*1
106
本稿は、Kimura(2002)
、木村(2002a、2002b)の内容をベースとして、大幅に加筆・修正したものである。2002年7月16日
に国際協力銀行開発金融研究所において行った講演では、参加者から多くの示唆を得た。ここに感謝の意を表したい。
開発金融研究所報
立地・貿易パターンの分析においても一定の説明
第2章 新しい東アジア国際分業体
制をとらえる視座
能力を有する。国際間の技術水準の違い、賃金水
準の違いは、今でもどの国で何を生産するのかを
考える上で重要な要件となる。しかし、精緻な生
産・流通ネットワークの形成が進むにつれ、これ
(1)伝統的国際貿易理論
らだけでは説明しきれない現象が生じてきてい
る。以下では、国際貿易理論における新しい成果
伝統的な国際貿易理論は、ミクロ経済学の一般
均衡理論に立脚して、国と国との間の生産配置と
を踏まえながら、3つの新たな分析視点を紹介し
たい。
貿易パターンの決定メカニズムを明らかにしよう
とするものである。貿易の利益の源泉は、外生的
(2)フラグメンテーション理論
に与えられる国と国との違いに求められる。それ
は、リカード・モデルであれば二国間の生産技術
第1はフラグメンテーション理論である*2。伝
の違いであり、ヘクシャー=オリーン・モデルで
統的国際貿易理論においては、主として産業・業
あれば二国間の生産要素賦存比率の違いである。
種レベルでの比較優位あるいは立地の優位性が議
しばしば誤用される比較優位という概念は、正確
論される。しかし、現在の東アジアを見れば、必
には、二国間の違いに基づき、仮想的な貿易のな
ずしも産業・業種がひとかたまりとなった立地で
い状態(autarky)における複数の財の比較生産
はなく、もっと細かい工程レベルでの国際分業も
費によって定義される。そして、いったん貿易が
しばしば観察される。典型例は、半導体関係を中
始まれば、両国とも生産費が相対的に有利な財の
心とする電子機械産業である。この産業は、産業
生産を増加させ、その財を輸出しもう一方の財を
全体としては明らかに人的資本・物的資本集約的
輸入するという貿易パターンが実現すると考え
である。しかし現在では、そのアクティヴィティ
る。このようなモデル枠組みから、端的に言えば、
の全てが先進国に立地するのではなく、細かい工
発展途上国は技術的に容易で労働集約的な財を生
程に分けられて分散立地される傾向がある。この
産・輸出し、先進国は逆に高度な技術を用い人的
ような現象を説明するのに有効なのがフラグメン
資本・物的資本集約的な財を生産・輸出するとい
テーション理論である。
う結論が導かれる。
フラグメンテーションとは、もともと1カ所で
ベンチマーク・ケースでは、国際間で移動しう
行われていた生産活動を複数の生産ブロック
るのは財のみであって、資本、労働などの生産要
(production block)に分解し、それぞれの活動に
素は移動できない状況を考えている。したがって、
適した立地条件のところに分散立地させることで
国際資本移動を考慮する場合には、理論モデルに
ある(図表1参照)。たとえば、上流から下流ま
若干の修正を施す必要がある。しかし、単なる色
で全て一括して扱っている大きな工場が日本に立
の付いていない資本の移動ということであれば、
地していたとしよう。この産業・業種は全体とし
財に体化された資本の代わりに資本そのものが国
ては人的資本・物的資本集約的であったとすれ
際間移動するという形で、ヘクシャー=オリー
ば、伝統的理論に基づいて先進国に立地していて
ン・モデルの中で比較的容易に取り扱うことがで
もおかしくない。しかし、その工場の中身をよく
きる。
見てみると、ある工程は技術者集団が身近にいる
これらの伝統的理論は、現在の東アジアの生産
*2
ことが重要である一方、別の工程は極めて労働集
フラグメンテーション理論については、Jones and Kierzkowski(1990)
、Deardorff(2001)
、Cheng and Kierzkowski(2001)
などを参照してほしい。
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107
図表1
フラグメンテーションの模式図
係を柔軟に組み合わせた国際的生産・流通ネット
ワークができあがってくる。こういった現象がま
フラグメンテーション前
さに東アジアで観察される。
分散立地というと、地域全体にまんべんなく生
大工場
産ブロックがばらまかれるような状況を想像する
かも知れないが、実はそうはならない。なぜなら、
フラグメンテーション後
PB
SL
サービス・リンクの構成要素の多くは、強い規模
SL
PB
の経済性を有するからである。海運におけるコン
SL
PB
PB
SL
PB
SL
テナー輸送、航空機を使った輸送などでは、その
基盤となるインフラのキャパシティが輸送単価に
大きく効いてくる。電気通信も、最初のインフラ
PB: 生産ブロック
SL: サービス・リンク
投資が大きく、ランニング・コストは極めて安い。
抽象的なコーディネーション・コストには各種取
引費用や企業間契約の安定性をもたらす法制や経
約的であるかも知れない。工程ごとの技術特性を
済制度などを整備するコストが含まれるが、それ
考えて、一部は日本に残し、別の工程は中国ある
らもトランザクションが大きいほどコストは下が
いは東南アジアに立地させれば、場合によっては
ってくる。したがって、分散立地と言っても、サ
全体の生産コストを削減することが可能であろ
ービス・リンク・コストが相対的に低いところに
う。このように、生産ブロックを分散立地させる
集中する形で生産ブロックが立地していくことに
ことをフラグメンテーションと呼ぶ。
なる。
ここで重要となってくるのが、分散立地した生
また、サービス・リンク・コストの低下には政
産ブロックの間を結ぶサービス・リンク(service
府の政策も大きく影響してくる。さまざまなモー
link)のコストである。このサービス・リンク・コ
ドでの自由化や規制緩和を通じて、市場メカニズ
ストには、輸送費、電気通信費、さらにはもっと
ムによるサービス・リンクの供給を促していくこ
抽象的な意味でのコーディネーション・コストな
とが求められる。さらに、サービス・リンクには
どが含まれる。このサービス・リンク・コストが
規模の経済性が存在し、また公共財としての性格
十分に低いかどうかが、フラグメンテーションに
が強いものも含まれることから、市場メカニズム
よる生産コスト低下が可能かどうかを決定する。
だけに頼ることができずに積極的な政府の関与が
したがって、フラグメンテーションという現象
必要となる場面も当然出てくる。そこでは、「ガ
は、どの産業にも起こるのではなく、産業・業種
ヴァナンス」などと言った抽象的・一般的な命題
ごとの技術特性によるところも大きい。たとえば、
を超えて、サービス・リンク・コスト低下のため
鉄鋼業における一貫製鉄所は、一カ所に立地して
の個別具体的な政府戦略が必要となってくる。そ
いるからこそエネルギー効率を高めることができ
れができて初めて、フラグメントされた生産ブロ
るわけで、これを生産ブロックに分けて分散立地
ックを誘致し、自国を国際的生産・流通ネットワ
させるわけにはいかない。しかし、サービス・リ
ークの中に組み入れていくことが可能となる。
ンク・コストの低減はグローバリゼーションの1
つの重要な帰結であり、近年、フラグメンテーシ
(3)アグロメレーション理論
ョンが採算に乗ってくる場面が増えてきている。
108
また、フラグメンテーションは、企業グループ内
第2の新しい視点はアグロメレーション理論で
(intra-firm)でも異なる企業を巻き込んだ形でも
ある。ここではagglomeration(集積)あるいは
起こりうる。グローバリゼーションが進行すれば、
industrial cluster(産業集積)と呼ばれる経済活
企業間(arm’s-length)のサービス・リンク・コ
動の地理的な集中立地から生ずる効率性向上を強
ストの低下も起きてきて、企業内組織と企業間関
調する。このような概念はもともと都市計画や経
開発金融研究所報
済地理の分野で用いられてきたが、近年、一種の
核概念である比較優位に基づく貿易パターン決定
規模の経済性という形で国際貿易理論に組み込ま
という考え方を根底から覆す可能性を秘めてい
れ、空間の経済学という新しい分野の中心的概念
る。比較優位の世界では、技術格差であれ生産要
とされるに至った 。
素賦存比率であれ、外生的に与えられる初期条件
*3
集積の利益は、理論的には、ある地理的境界線
の違いに依存して、どの産業がどこに立地するか、
内への経済活動の集積が大きくなるほど生産コス
何がどのように貿易されるかが決まってくる。し
トが低下する、あるいは集積の中心に近いほど生
かし、集積の利益が存在する場合には、極端な話
産コストが低下する、といった形で定式化される。
をすれば、真っ平らな地平が初期条件として与え
しかし、現実にどのようなミクロ的メカニズムに
られたとすると、どこに集積が形成されるのかは
基づいて集積の利益がもたらされるのかについて
未決定となる。理論的に言えば、複数均衡の状態
は、さらなる実証研究が求められている。一口に
となるのである(図表2参照)。いったん集積の
集積と言ってもさまざまなタイプのものがある。
種ができたところが集積の利益を得て、そこが集
たとえば、東京都大田区、大阪府東大阪市、新潟
積となるという、一種の自己実現的な均衡が生じ
県燕市などで観察される集積は、似通った生産活
うることになる。
動を行っている中小企業が地理的に集積している
ものである。一方、企業城下町を考えてみると、
そこでは下流のアッセンブラーを中心に上流の部
品製造業者が層を成して集積するという、垂直的
な分業体制が構築されている。直接的な生産コス
トが問題となるのか、それとも人的資源の地理的
図表2
アグロメレーションの模式図
集積または産業集積:
空間版の規模の経済性を想定する。
「集積が集積を呼ぶ」。
政府の政策の余地あり。
集積、あるいは情報取得コストの節減が決め手と
なるのか、より詳しいケーススタディを蓄積し、
それを理論化していくことが望まれる。
東アジアにおいても、華南におけるコピー機・
プリンター製造の集積、東莞市の台湾系コンピュ
ータ製造企業の集積、タイの東部臨海工業地帯に
おける自動車製造の集積など明確な集積が発展し
つつある。そこでは、一部部品の全世界的ネット
このことから論理的に導かれる1つの結論は、
調達も同時に進行している。標準的で納期の厳し
政府の役割が潜在的には大変大きいということで
くない部品については、インターネット等で検索
ある。比較優位の源泉である初期条件を大きく覆
して、何しろ世界中で最も安い調達業者から仕入
すためには、相当強い政策が必要となる。しかし、
れればよい。逆に、部品メーカーと頻繁にスペッ
集積の利益が存在するということであれば、場合
クの調整の話し合いをしなければならないような
によっては、ごく小さな集積の種をうまく蒔くこ
部品、ジャスト・イン・タイムで納める必要のあ
とさえできれば、自国に集積を引っ張ってこられ
る部品などについては、近くに立地することが重
る。また、いったん集積が出来上がってしまうと、
要である。このようなメリハリのついた部品調達
賃金水準の上昇など他の不利な経済状況の変化が
システムが東アジアで発達しつつある。
起きても、比較的安定的な産業構造を作り上げる
集積の利益の存在は、伝統的国際貿易理論の中
*3
ことも可能となる。
アグロメレーション理論についてはKrugman(1991、1995)やFujita、Krugman、and Venables(1999)を参照のこと。
2003年1月 第14号
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産も同時に移動する。企業は、自ら有しているそ
(4)
「企業」という視点
の企業特殊資産からのリターンを最大化するよ
う、生産配置を決める。
第3の新しい考え方は、「企業」という切り口
この企業特殊資産の存在は、先進国同士の直接
の導入である。伝統的な国際貿易理論は、ミクロ
投資の際になぜ同一産業内の企業が双方向に動く
的基礎に立っているという意味ではもちろん個々
のかを説明するのに有効である。しかし、さらに
の企業の行動を記述しているが、一方で産業・業
強くその概念の重要性が認識されるのは、先進国
種やマクロへと積み上げて一般均衡の枠組みで考
から発展途上国への直接投資のケースである。そ
えたいとの理論的要請もあるため、極めて単純な
こでは、発展途上国の地場系企業と先進国の多国
形の企業しかモデルにはいっていない。企業は、
籍企業との間の技術レベルの違いは歴然としてい
利潤最大化問題を解く独立した経済主体ではある
る。こうなると、たとえばリカード・モデルが想
が、しかし企業1つ1つの個性はほとんど記述さ
定していた国際間技術格差も、地場系企業同士の
れていない。標準的な完全競争モデルであれば、
技術格差なのか、それとも多国籍企業の進出を前
同一産業内の企業はどれも全く同じものを作って
提とした場合の技術受容能力の格差であるのか、
いて、企業規模すら特定化されない。各種製品差
区別する必要が生じてくる。
別化モデルではその点は改善されるが、モデルの
さらに、企業は、自らの活動をどこに立地させ
利便性を考えればそれほど凝った設定が許される
ようかという「立地選択」と同時に、どのような
わけではない。
活動を自らの中に取り込み、何を他の企業に任せ
このような国際貿易理論の状況は、企業活動が
るかという「内部化選択」も行っている。たとえ
盛んに国境をまたいで展開されている東アジア経
ば、図表3を見てほしい。ある製品の生産・流通
済を考える際に大きな問題となってくる。まず、
の過程を上流から下流へのvalue chainとして描い
直接投資をどのようにとらえるかというところで
てみよう。最上流の原材料生産から下流の組立工
不都合が生じる。直接投資は、単なる色の付いて
程、さらに卸売、小売まで全て抱え込んでいる企
いない資本の移動ではない。直接投資が行われる
業などはほとんど存在しない。企業は通常、他企
際には、グリーンフィールド(新規投資)であれ
業から部品・中間財を買ってくるという形で上流
M&A(合併・買収)であれ、それぞれの企業が
側の境界を設定し、自らの製品を他企業に売ると
有している技術や経営ノウハウなどの企業特殊資
いう形で下流側の境界を決めている。このように、
図表3 企業の立地選択と内部化選択:例
上流
部品
モデュール
組立(OEM)
卸売
下流
110
開発金融研究所報
どのような活動を自らの境界の内側に位置付ける
など、ユニクロ独特のさまざまなノウハウが存在
かという選択を内部化選択と呼んでいる。そして、
するものと想像される。そのような強みを生かし
その内部化した部分をさらに細かいスライスに切
ながら、生産は中国で行うという(ある種の)立
り分けて、一部は日本に置き、一部は中国、東南
地選択、またその部分は直接自らの中に取り込ま
アジアに置くという形で、立地選択を行う。この
ないという内部化選択を行っているわけだ。
ように、立地選択と内部化選択は、それぞれの企
また、総合家電メーカーも、最上流の研究開発
業が自ら保有する企業特殊資産を勘案しながら、
と最下流の流通は、自らの製品の強みを生み出し、
同時に行っているのである。なお、内部化選択に
ブランドネームを確立するという意味で自ら行う
は、ここでの例のような上流側、下流側の境界だ
が、真ん中の生産工程は思い切って他社に出して
けではなく、財務、人事その他、機能的な活動に
しまうということも、しばしば行われるようにな
ついても行われうる 。
ってきている。他社に自らのブランドネームのつ
*4
多くの日本企業については、1980年代以来、積
いた製品を生産してもらうというOEM(original
極的に多角化を進めたことから、どちらかと言う
equipment manufacturing)は、各社が企業秘密
と内部化の度合いが高くなり過ぎてしまっている
としているために量的にどの程度の規模に達して
のが1990年代後半以降の状況である。安易に企業
いるかを把握するのは難しいが、少なくとも各企
内組織を拡張するのではなく、採算性をよく考え
業にとって欠くことのできない要素となっている
て、内部化の度合いを絞り込むことが必要となっ
ことは確かである。電子製品や携帯電話の大量生
てきている。それと同時に、企業の境界の外側に
産部分を専門的に請け負うEMS(electronics
ついても、昔ながらの下請関係のような長期的な
manufacturing service)企業の台頭、強みのある
取引関係を継続した方がよいのか、もっとオープ
部分に業務を絞り込むべきとするcore
ンな市場で取引した方がよいのか、あるいはその
competenceの議論なども、この文脈に位置付け
中間形態である委託生産などの形をとるべきなの
られる。これらはみな、立地選択と内部化選択を
かを、見直すことが求められている。企業内組織、
同時に行っている例である。このような企業間の
企業間関係をいかに効率的に再編成するかが課題
分業体制が可能となってきた背景には、技術的に
となっているのである。
はモジュール化の進行があり、また企業間契約の
この文脈で考えると、現在の東アジアにおける
安定性が高まってきたことも重要である*5。
国際分業体制においては、以前のような「輸出か
直接投資か」といった単純な視点ではとらえきれ
(5)雁行形態論をめぐる論議
ないことが起きてきていることがわかる。たとえ
ば、ユニクロは、自ら資本を投資して海外生産拠
以上のような東アジアにおける新しい状況を踏
点を設けるのではなく、中国人保有の企業200∼
まえると、昨今盛んな雁行形態論が現在でも当て
300社と契約して安価で品質の高い衣料を生産さ
はまるのかどうかという議論もやや焦点がぼやけ
せ、それを日本に輸入するという形で、1つのビ
ているように思えてくる。
ジネス・モデルを提供した。その背後には、当然、
赤松要以来の元々の雁行形態論は、1国1産業
どうやっていい生産者を見つけてくるか、いかに
を取り上げ、輸入代替から輸出化へと至るいわゆ
品質を保つか、模造品の可能性にどう対処するか
る雁行形態的な生産・貿易パターンの変化を記述
*4
*5
企業特殊資産がもたらす所有の優位性、それを踏まえた立地の優位性、内部化の優位性という3つの優位性に基づいて直接投
資が行われるという考え方については、Dunning(1993)参照。ただし、そこでは、必ずしも経済学を踏まえた経済論理が整
合的な形で整理されていないことに注意してほしい。経済学の中では、産業組織論の中の垂直統合の理論が内部化選択を取り
扱っている。
木村・丸屋・石川(2002)は、企業という切り口から現在の東アジア国際分業の実態を報告している。特にEMS企業について
は、同書に収録されている岩上(2002)参照。
2003年1月 第14号
111
するものであった。これが次第に拡張解釈され、
分業が盛んになってきたということであれば、フ
1国多産業ヴァージョンや多国1産業ヴァージョ
ラグメンテーション理論が我々の理解を深めてく
ンが登場し、雁行形態的発展という概念が発展・
れる。家電製品などの製品サイクルの同期化につ
形成されてきた 。
いては、まずそれが企業個々の戦略によるもので
*6
ここで確認しておきたいのは、この雁行形態論
あることを確認し、企業特殊資産である技術の移
あるいは雁行形態的発展という考え方はあくまで
動可能性、受入国側の技術受容能力の変化を議論
も現実の生産配置・貿易パターンの観察から生ま
すべきであろう。このような背後の経済メカニズ
れてきたものであり、なぜそのようなパターンが
ムの解明こそ重要ではないだろうか。
現出するのかについては現実に沿った極めて複雑
な経済ロジックがそのまま提示されているという
(6)政策的含意
ことである。パターンの説明においては、ある部
分では比較優位の拠り所となる生産要素賦存比率
上の3つの新たな分析視点は、グローバリゼー
が登場し、またある部分では直接投資を通じた多
ション下の産業振興政策についても根本的な再考
国籍企業の国際展開戦略が前面に出てくる。現実
を促すものとなっている。
の経済は当然のこととしてさまざまな要素が絡み
これらの分析視点が指し示す産業振興のための
合って動いている。それらを解きほぐした上でど
方策には、サービス・リンク・コストの低下、集
の経済ロジックについて議論しようとしているの
積の形成、多様な企業内組織・企業間関係構築の
かを明確にしなければ、そもそも何を論争してい
余地の創造などが含まれる。これら全てについて、
るのかがわからない。雁行形態論が現在でも当て
政府が潜在的に果たしうる役割は極めて大きい。
はまるのか、あるいは雁行形態的発展パターンは
世界銀行等との間のいわゆる産業政策論争で是
消えてしまったのか、といった議論が行われる際
非が議論された産業振興政策は、主として地場企
には、こういった問題が生じているように筆者に
業育成のための貿易保護や低利融資に関するもの
は思える。当てはまっているのかいないのかとい
であった*7。しかし、グローバリゼーション下で
う議論よりも、背後でどのような変化が東アジア
特に対内直接投資を積極的に受け入れながら経済
経済に起こっているのかをピンポイントでとらえ
発展をしていこうという現代の発展途上国を議論
ることの方が、はるかに重要なのではないだろうか。
するには、これまでの問題設定は狭すぎる。ミク
雁行形態論が当てはまらなくなったとの主張の
ロ的経済政策の理論的基礎として、まず市場の失
背景となる観察事実の多くは、上に述べたフラグ
敗の存在を確認し、そこから生ずる市場の歪みを
メンテーション理論、アグロメレーション理論、
相殺するようなfirst-best policyを探し、それが施
企業という切り口という3つの考え方を導入すれ
行不可能な場合にはsecond-best policyの可能性を
ばかなりの説得力をもって解釈可能である。たと
検討する、という基本的なロジックの組み立てそ
えば、要素賦存比率の違いから生ずる賃金水準の
のものは、そのままでかまわない。しかし、政策
順序に従った変化が必ずしも起きなくなってきた
の中身については、従来の産業政策の是非をめぐ
ということであれば、それはサービス・リンク・
る議論の際のように狭く定義しすぎないことが肝
コストの存在や集積の利益の存在、多国籍企業の
要である。新たな政府の役割を定式化することが
立地戦略の変化によってある程度説明できる。産
喫緊の課題である。
業・業種単位の生産配置が不明確になって工程間
*6
*7
112
雁行形態的発展については、山澤(2001、第3章)が丁寧な解説を加えている。また、渡辺(2001、第6章)の重層的追跡と
いう概念も、多国1産業ヴァージョンの雁行形態論に近い考え方である。
たとえばWorld Bank(1993)参照。
開発金融研究所報
合わせることによって、進出するかどうかの判断
第3章 新しい分析枠組みの有効性
がなされていくことになる。
したがって、以下ではまず、産業・業種単位で
の立地の優位性という観点から中国とASEANを
(1)産業立地をとらえる視点
比較する視点を提供し、そのあとで日本企業の有
する企業特殊資産との掛け合わせについて議論し
以上のような新たな分析枠組みは、今後日系企
ていく。
業が東アジアでの活動をいかに展開していくべき
か、あるいは東アジアにおけるFTAネットワー
(2)立地の優位性
ク構築に当たってはどのようなことに留意してい
くべきかを考える上で有効な視点を提供してくれ
まず、ある産業・業種を取り上げた時に、不確
る。以下ではかいつまんで、日本企業の進出先と
実性等も考慮した立地の優位性がどのような要素
しての中国とASEANについて議論してみよう。
によって構成されているのかを見てみよう。立地
企業活動の国際化が東アジアの国際分業体制の
中で不可欠な要素になっていることを踏まえる
の優位性は、産業連関的な発想で整理するならば、
(i)企業・事業所内の生産コスト、
(ii)企業・事
と、産業立地についても、従来のような比較優位
業所と市場とを結ぶ輸送・流通サービス、(iii)
的な発想よりもむしろ絶対的な立地の優位性が問
その製品の需要サイドである市場、そして(iv)
題となってくることを、しっかりと認識すべきで
それら全体に関わってくる政策環境という4つの
あろう。生産要素がそれぞれの国境内にとどまっ
要素に分けて議論を整理することができる(図表
ている状態を想定するのではなく、直接投資とい
4参照)
。これらを1つ1つチェックしていけば、
う形で資本も技術も国際間で移動しうる状況を考
たとえば中国とASEANの立地の優位性を客観的
えなくてはならない。その時には、企業は、自ら
に比べることがかなりの程度可能となる。
の企業特殊資産の性格を考慮しながら、それを活
従来からASEANの先進5カ国(シンガポール、
かすことのできる立地を決定することになる。最
マレーシア、タイ、フィリピン、インドネシア)
終的には、産業・業種一般についての立地の優位
との比較で中国の強みとされてきたのは、第1に
性と、進出企業が保有する企業特殊資産とを掛け
各種人的資源、第2に国内市場の大きさである。
図表4
生産コストを決める諸要素:図解
流通マージン
運輸マージン
資本サービスへの支払い
労働サービスへの支払い
インフラサービス投入
市場
中間投入(現地調達分)
中間投入(輸入分)
2003年1月 第14号
113
第1の労働サービス投入に当たる部分について
し示すような生産要素賦存だけではなく、サービ
は、外省人の使用も含む安価で優秀な非熟練労働
ス・リンク・コストであり、集積の利益であり、
のみならず、その上のフォアマン・クラス、熟練
また企業内組織・企業間関係についての選択肢の
工、中間マネージャー、さらには研究開発に携わ
広さにあることがわかるだろう。
る研究者・技術者に至るまで、幅広く豊富な人材
供給があること、この点で、中国はASEANに比
(3)企業の強みを生かす余地
べて強い優位性を有している。また、第2の市場
については、中国は未だに完全に統合された国内
一方、いかに中国の立地の優位性が高まってい
市場を有していないとしても、多くの産業・業種
るとしても、即座に中国に進出すべきとはならな
にとって市場規模は相当程度大きく、生産面での
い。ここでは、個々の企業が保有する企業特殊資
規模の経済性をクリアするのに十分であることが
産をよく考えて、立地の優位性との掛け合わせで
挙げられる。
検討していくことが求められる。
しかし、それ以外の要素については、つい数年
日系企業が中国進出に二の足を踏み、まだまだ
前まで、中国はさまざまな弱みを持っていると考
ASEANに拠点を残しておこうとするのには、以
えられてきた。1つの問題は、物流に関わるもの
下のような理由が考えられるだろう。第1に、中
も含む貧困な経済インフラであった。もう1つ、
国市場の競争条件の厳しさである。せっかく進出
さらに深刻だったのは、経済取引環境等を含む一
しても、競争に打ち勝っていけないのであれば、
般的な政策環境の不安定性、不確実性であった。
進出する意味がない。第2に、ASEANの方が日
これらの問題があったために、日系企業の中国向
系企業の経済におけるウェイトが重いためいろい
け直接投資とASEAN向け直接投資の間にも、一
ろな面で融通が効く、あるいはこれまでの経験の
定のバランス感覚が働いていたのである。
蓄積から人材も育っており仕事がしやすい、など
ところが、ここ2∼3年の間に、中国は急速に
ということもありうる。第3に、中国に進出する
その欠点を克服しつつある。1つの変化は、イン
にしても、その政治体制なども考えると、危険分
フラ整備、政策環境の改善が急速に進んでいるこ
散のためにASEANにも拠点を確保しておきたい
とだ。高速道路や港湾の建設はまさに史上まれに
との思惑も働くかも知れない。
みる速度で進行しており、また地方同士の誘致競
このような日本企業側の状況、さらには中国に
争やWTO加盟によって政策環境も急速に良くな
おける潜在的なビジネスパートナーの存在なども
ってきている。まだ問題はたくさん残っているが、
考えれば、何でもかんでも中国に出ていけばよい
ASEANとの比較という意味ではかなりいいとこ
ということにならないのは当然である。
ろまで行くようになってきた。これらは、我々の
文脈で言うとサービス・リンク・コストの低下に
(4)日本に残るもの
つながっていく。
114
もう1つは、それらに支えられた集積の利益の
中国の立地の優位性の高まりにつれて、不況に
確保に成功しつつあることである。ASEANに比べ
もかかわらず日本企業の海外進出意欲は衰えてい
て中国で形成されつつある集積は規模も大きく、
ない。ここから、日本の競争力の衰えが叫ばれ、
かつさまざまな国籍の企業が入り交じっている場
日本経済が空洞化することを恐れる声も高まって
合が多い。これにより、上流の部品製造業者につ
きている。
いては市場の確保、下流の組み立て業者について
この議論をする際には、まず、日本企業の競争
は国内調達分のコスト削減が可能となっている。
力と日本の立地の優位性とを明確に区別する必要
以上のような理由から、ASEANに比して中国
がある。そして、ある産業・業種を取り上げて立
の立地の優位性が多くの産業・業種について高ま
地の優位性を議論するのであれば、上に示した図
っているわけだ。このような頭の整理をすると、
表4の議論をそのまま日本についても当てはめる
立地の優位性を決定しているのは伝統的理論が指
ことが可能である。
開発金融研究所報
日本は、所得の高い先進国である以上、労働サ
たっても狭隘であり、過剰参入とあいまって、保
ービスが割高になっていることは致し方ない。そ
護コストの負担感が高まっている。また、輸出志
れを補ってあまりある魅力的な立地条件を提示す
向型の部分に課される負担も無視できなくなって
るためには、サービス・リンク・コストを下げ、
きている。したがって、保護をはずしての国際的
集積を確保することが重要となってくる。日本の
再編成は不可避である。しかし、強い政治経済学
場合、特にサービス・リンク・コストが割高とな
的抵抗があり、それを打ち破る外圧としてFTA
っていることが心配である。また、企業内組織・
が用いられているのである。
企業間関係の多様性の許容を進めるためには、外
また、輸出志向型産業のアップグレードも重要
資系企業導入による新しい血の流入を図ることも
である。これらの産業は、輸出品製造のための輸
必要となってくるだろう。
入原材料免税措置により、実はすでにほとんど関
また、図表4の説明は、産業・業種をあらかじ
税を課されていない。したがって、関税撤廃のみ
め特定化した上での議論であった。日本の場合は、
を内容とするFTAは、彼らにとってさして魅力
まず、それまで市場に存在しなかった新しいモノ
的なものではない。しかし、サービス・リンク・
を作ることが一番大切である。それなくして潜在
コストの節減等に関しては、さまざまな課題が残
的に移転可能な技術だけを拠り所にしていたので
されている。これらをFTAの傘の下にぶら下げ
は、現在の高所得は維持できない。早く産業構造
て、東アジア経済を真の意味で統合されたものに
の転換を図って、新しい産業へとシフトしなけれ
近づけていくことが求められている。
ばならない。空洞化は、企業が外に出ていくから
起きるのではない。企業がより大きな利益を求め
第4章 結語
て行動するのは当たり前の話である。経済環境の
変化に対応する産業構造の変革が進んでいれば、
空洞化は起こらないはずである。
それらも含め、中長期的には人的資源の問題が
効いてくるだろう。その点が一番心配である。
本論文では、フラグメンテーション理論、アグ
ロメレーション理論、「企業」としての切り口と
いう3つの新しい国際貿易理論の分析枠組みを紹
介し、それらが現在の東アジアにおける産業立地
(5)東アジア経済統合の方向付け
や国際通商政策の動きを理解する上で大変重要で
あることを示した。国境のこちら側は全て日本
東アジアでようやく始まりつつあるFTAネッ
人・日本企業、あちら側は全て外国人・外国企業
トワークの構築に際しても、新しい分析枠組みは
というような、旧来型の国民経済概念にとらわれ
さまざまな示唆を与えてくれる。
すぎた視点からは、現在の東アジア経済の課題は
中国・ASEANの通商政策体系は、国内市場向
浮かび上がってこない。ある意味で世界的に見て
け輸入代替型産業のための保護政策と、海外市場
も特にグローバリゼーションが進んだ地域である
を対象とする輸出志向型産業のための開放政策か
東アジアを正しくとらえ、それを踏まえた企業戦
ら成る二重構造の形をとっている。FTAネット
略構築、国際通商政策の策定を行っていく必要が
ワークを形成していくということは、この二重構
ある。
造にメスを入れ、東アジア全体の経済統合度を高
めていくことを意味する。
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