...

組織統治論の構想 - 滋賀大学 経済学部

by user

on
Category: Documents
92

views

Report

Comments

Transcript

組織統治論の構想 - 滋賀大学 経済学部
─1 ─
滋賀大学経済学部研究年報 Vol.20 2013
組織統治論の構想
─企業文化論と統治性の交差点から考える─
伊 藤 博 之
状況において,一般的に「よい経営」について
Ⅰ はじめに
考察する場合に現在ヘゲモニー4)を確立して
いる学問領域は企業統治論である。しかし現在
本稿は,「善い経営」のための統治の理論と
の企業統治論には,筆者が「善い経営」につい
なる組織統治論 1)を提唱する,筆者の研究プ
て考えるうえで参考にできるものはほとんど見
ロジェクト(伊藤 , 2009, 2011, 2012)の一環とし
当たらない。なぜならその領域では,主として
て位置づけられる。ここで「善い」とは,アリ
法律と経済学の文脈にある限られた言説によっ
ストテレス 2)が「内的善」としたもので,卓
て思考の枠組みが設定されてしまっているから
越性と関連する。それはいかなる外的・客観的
である 5)。その枠組みの中では「良い経営」
指標でも測定できない
「よさ」
を意味する。
一方,
について考えることはできる。しかしその「良
「よい」というひらがなには「良い」という漢
さ」は当該言説の中で定義され,測られる「良
字も対応する。「良い」はアリストテレスのい
さ」である。典型的には株価や売上高,成長性
う「外的善」に対応する。それは外的・客観的
などの広義の業績に関連した指標が企業統治の
指標で「良さ」の度合いを測定できる「よさ」
成功の判断基準とされる。それに対して,本稿
である。ひらがなの
「よい」
は,
「良い」
と
「善い」
の結論を先取りすれば,組織統治論では,「善
を区別しないときに用いることができる。組織
い経営」のために組織の卓越性の追求が問題に
統治論を展開するためには,
このように
「よい」
なる。また,組織の歴史(伝統)の意義やそこ
と「善い」と「良い」を使い分けることが必要
に参加する諸個人の働き甲斐や倫理感なども組
になる3)
(伊藤 , 2012)
。
織統治論が考察する問題領域となる。
以上の「よい」の区別は一般的に意識して使
本稿は,そのような組織統治論のあるべき姿
い分けられることはほとんどない。そのような
を構想するために,次のように議論を展開する。
─────────────────────────────────
1) 組織統治という用語は現在のところ学術用語として使用されていない。一般的には,組織統治は企業が法令順
守や社会的規範に従うことを担保する組織内部の管理体制を意味し,企業統治や CSR と関連のある言葉として
用いられている。本稿で組織統治という用語はこのような用法と異なり,企業統治論における基礎理論となる論
考を意味している。
2) ここでのアリストテレスの内的善と外的善の議論は,アリストテレス/朴一功訳(2002)『ニコマコス倫理学』
京都大学学術出版会による。なお,これ以降の本稿のアリストテレスへの言及もすべて同著による。
3) 本稿においてもこの3つの表現は明確に意識して使い分けている。それに注意を喚起するために,この区分に
関する表現には括弧をつけている。
4) ある領域でどの言説がその問題を語る資格があるのかは客観的に決定されるのではなく,その言説が他の言説
や出来事の連結から生まれる影響力のネットワークにおいてヘゲモニーを確立することによると考えられる
(Laclau and Mouffe, 2001)。
5) これ以外にもステークホルダー・アプローチやスチュワードシップ理論などの組織論からのアプローチもある
(Clark, 2004)。しかしこれらはいずれも理論的に未発達で企業統治論への影響も少ない。それゆえ,ここでは議
論の俎上にはあげない。
─2 ─
滋賀大学経済学部研究年報 Vol.20 2013
第2節「問題設定」では,現在の企業統治論の
蔽」される経緯を,「マネジリアリズム」の浸
問題点を指摘することと,Foucaultの統治性に
透と関連づけて概説する7)。
関する思考を概観し,企業統治論と Foucault
の統治概念の違いを明確にすることを主たる
1.企業統治論の見取り図
課題とする。第3節「統治のテクノロジーとし
Gomez and Korine(2008)によれば,企業統
ての企業文化論」では,主に1980年代に展開さ
治には法律的,経済学的,政治哲学的という3
れた機能的な企業文化論と,それに対する批判
種類の問題設定が可能である。しかし通常,企
的分析を吟味する。この節では,企業文化論の
業統治論で明示的に議論されるのは最初の2つ
統治性を明らかにすることがとりわけ重要な課
の問題設定に限られるとされる。
題となる。第4節「ディスカッション」では,
企業統治の法律的な問題設定では,会社法
企業文化論の統治性の限界を乗り越えるため,
の枠組や過去の判例に照らして,「株主の権利
Foucaultの統治性の思考に立ち返り,それを
は何か」
,
「経営者の受託責任は何か」,
「株式
MacIntyre(1984)の「善き生」に関する道徳哲
会社の主権者は誰か」などを論じる。経済学的
学の議論と結びつけて考察することを主たる課
な問題設定では,エージェンシー理論(Jensen,
題とする。また,組織統治論の概要を具体的に
1993;Jensen and Meckling, 1976)を代表例と
示すために,
ごく簡単な事例分析も追記される。
して,経営陣のインセンティブや株式市場によ
「結語」では,本稿の意義を整理するとともに,
残された課題を提示する。
る監視の機能やコストなどを問題にする。
この2つの問題設定は互いに補完し合う点が
多い。
たとえば,
委託者
(株主)
と受託者
(経営者)
Ⅱ 問題設定
の間に生じるエージェンシー問題8)は,法律的
この節では,まず現在の企業統治論が法律的
み立てる出発点にある。株式市場からの牽制機
及び経済学的な問題設定に主に規定されている
能との関連で企業統治論の議論の枠組みが設定
ことを簡単に確認したうえで,統治に関して
される傾向が生まれるのは,そのためでもある。
「善」という論点を提起する政治哲学的な企業
一方,政治哲学的な問題設定では,そもそも
統治論の必要性を主張する。次いで,企業統治
自由で平等であるべき個人がどのようにマネジ
論の政治哲学的問題設定の原点となる統治の捉
メントに従うべきかを論じ,経営における権
え方として,Foucaultの統治性の思考を簡単に
力の性質やその正当性が問われる 9)。Gomez
紹介する。最後に,
主流派の経営学6)において,
and Korine(2008)は,このような問いに対す
企業統治の政治哲学的問題設定の起源となった
る考察には,一企業の問題を超えて国家の政策
かもしれない「経営権の正当性」の問題が「隠
や時代精神などの分析も付随すべきとする。企
及び経済学的な問題設定のいずれもが論理を組
─────────────────────────────────
6) ここで主流派の経営学という表現は極めて広義の意味で用いている。その典型例は Simon(1976)である。
7) その隠蔽後,企業統治に関する問題は企業支配論という経営学の一領域の議論に閉じ込められ(三戸 , 1998),
あるいは,会社法上の法律論として展開された(Aoki, 2010)。
8)
エージェンシー問題とは,受託者が委託者よりも自己の利益を優先させる機会主義的行動をとるリスクをいう。
9)
このような問題設定が政治哲学的とされるのは,国家(や都市)の統治の正当性を問う政治哲学の伝統に属する
からである。また,このような立場が想定する組織観は,古代のギリシア人が「ポリス」と呼んだ政治的場とし
ての特質を備えている(Deetz, 1992)
。政治的場としての組織は,製品やサービスを生産するのにとどまることな
く,メンバーのアイデンティティや社会的知識や意味の構築をめぐって言説的諸実践が競合する場として概念化
される。ポリスとは,人々がともに活動しともに語ることから生まれる組織である。ポリスの存在は人間にとっ
ては根源的なものであり,ポリスを奪われることは人間にとってリアリティを奪われることに等しい(Ardent,
1958)
。このような組織観が,後述するマネジリアリズムの組織観といかに異質なものかを確認されたい。
組織統治論の構想
─企業文化論と統治性の交差点から考える─(伊藤博之)
─3 ─
業統治論ではこのような議論は極めて少ないと
定される。
しかし Foucaultにとっての統治とは,
もされる。
統治者(企業統治論の経営者に対応)を規律づ
しかし「会社は誰のものか」とか「会社は何
けることではない。彼の論じる統治とは,組織
のために存在するのか」という企業統治に関す
の諸実践や人の布置を適切なものとすることで
る問いをわれわれが日常生活の文脈で発すると
ある。Foucault(1994)はそれを「統治とは諸々
き,本来,企業統治のあるべき姿を暗黙のうち
の事物の正しき配置であり,ひとは,事物をふ
に政治哲学的に問うていることが多いのではな
さわしき目的に導くため,事物に対する責を負
いだろうか。たとえば,
「会社は従業員のもの
うのである」(p. 256)と表現している10)。
である」ことを主張した日本企業で働く人々た
事物の適切な配置である統治を実現するに
ちは,法律上,あるいは,経済学上の論争を挑
は, 独 自 の 統 治 の 合 理 性 で あ る「 統 治 性11)
もうとしていたわけではない。
「会社は誰のも
(governability)」 を つ く り 出 す 必 要 が あ る。
のか」を論じる対話のルールを法律や経済学が
統治性とは,ある特定の合理性や真理を主張
一律に規定することを正当化する客観的根拠が
する言説による「行為の管理(the conduct of
存在するわけでもない。
「会社は誰のものか」
conduct)
」の意味でもある。すなわち,まず
といった企業統治をめぐる論争がしばしば感情
統治されるべき事物についての言説(知識)
的な対立を惹起するのは,論争の当事者自身が
があり,その言説やそれを補助する様々な道
意識していないものの,各々の生き様や統治の
具(記録,統計,図表,建築物など)を利用し
理想像をめぐる議論が闘わされていることを示
て「諸々の事物の正しき配置」である統治が実
唆する。
現されるのである。統治をつくり出す言説や諸
法律や経済学によって規定される企業統治論
道具は「統治のテクノロジー(technologies of
はこのような素朴な直観を掘り下げることをむ
governance)」と総称される。
しろ難しくしてしまう。その一方で,Foucault
なお,ここで Foucaultが「合理性」や「真理」
の統治性の思考は,このような統治に関する直
とするものは,ある言説が定義づける特定の合
観を理解するのに役立つ一貫した考え方を提起
理性であり真理であることに注意が必要である。
するものである。
したがって,Foucault 流の統治論を展開する
2.Foucault の統治論
ためには,統治がつくり出される背後で,「ど
のような言説や諸道具が働いているのか」,「ど
法律的及び経済学的な問題設定における企業
のような合理性や真理の主張が掲げられている
統治論の統治とは,通常,経営者の規律づけを
のか」を分析する必要がある。
意味する。それゆえ,企業統治論の論点は,社
経営学の言説が,たとえ暗黙的にではあって
外取締役の増員や指名委員会や報酬委員会の設
も,
「企業をどのように統治すべきか」
,
「何を統
置などの経営者の選任,
インセンティブの設計,
治の対象とするのか」
,
「誰が統治の権限を有す
株式市場からの監視機能などの効果を巡って設
るのか」
,
「統治の目的は何か」などの問い12)
─────────────────────────────────
10) これはギョーム・ド・ラ・ペリエール(1555)『政治の鏡―国家を統治し政治により治める様々なる方法を含
む─』から Foucault が引用した文言でもある。ペリエールは小貴族出身のフランスの詩人であった。
11) 統治性とは,
「統治(government)」と「合理性(rationality)」を合わせた Foucault による造語である(Townley,
1993)。
12) これらの問いは「いかに自己を統治するか,いかに統治されるか,いかに他者を統治するのか,誰によって統
治されることを人は受け入れるべきなのか,最良の統治者であるためにはどうすればよいのか」(Foucault,
1994:p. 247)という Foucault が統治性を論じた文章に対応している。
─4 ─
滋賀大学経済学部研究年報 Vol.20 2013
に対する回答を提示できれば,その言説は統治
けておきたい。また,その問いがある時期から
のテクノロジーの一翼を担う資格がある。たと
議論されなくなった理由を検討してみよう。企
えば,Townley(1993)は人的資源管理(HRM)
,
業統治論で政治哲学的な問題設定が表面化しな
Knights(1992)は経営戦略論,du Gay(1996)
かった理由も,その経緯に関連すると考えられ
は企業文化論を統治のテクノロジーの観点か
るからである。
ら論じている。次節では du Gay(1996)の企業
そもそも経営学や専門経営管理職は19世紀の
文化論の統治性の分析を吟味するが,それは
アメリカに初めて出現したとされる(Chandler,
Foucaultに依拠した統治論を例示することとも
1977)。その背景には鉄道会社を筆頭とする大
なろう。
企業とマス・マーケットの出現があった。それ
また,以上の記述では判然としていないが,
以前の企業といえば小企業や家内制工業が主
Foucaultは統治の中心に人間を置いていること
流であったが,垂直統合した大企業が現れ,機
を確認しておくことは決定的に重要である。統治
能間の統合を管理する経営管理が重要な職能と
のテクノロジーを利用し,人間が自らを「統治可
して出現したことが経営学や経営管理者を生
能な主体(governable / manageable subject)
」に
んだのである。しかし新興の専門経営者(経営
変えることで統治性は実現される13)。Foucault
管理者を含む)は,企業の所有権とは無縁であ
(1994)の統治の定義の後半に「ひとは,事物
り,権威を正当化する階級的基盤を欠いていた
をふさわしき目的に導くために,事物に対する
(Drucker, 1942;Kanter, 1977)。それゆえ,彼
責を負うのである」
(p. 256)とあったが,その
らの経営権の正当性の根拠は問題視されざるを
責を負う「ひと」とは,この統治可能な主体な
えなかった。たとえば,Drucker(1942)は,彼
のである。
らの権力の根拠のあいまいさを次のように表現
後述するように,企業文化論においては,個
している。
人は自らを企業家的主体として陶冶することが
求められる。それは企業文化論が生み出す統
経営上の権力は,今日非正統的な権力である,
治,すなわち,諸々の事物の適切な配置をつく
と。それは権力の正統な基礎として,社会が受
り出すことと表裏一体の実践なのである。
なお,
け入れた基本原則に基礎を置いていないのであ
Foucaultは,この統治可能な主体の個人として
の自由の可能性も論じている。この論点につい
ては,その背景として Foucaultの思想史につ
いての言及が必要であることや,組織統治論を
構想するうえで重要な問題を含んでいるので,
本稿の後半まで説明を留保することとしたい。
る。それは,かかる原則によって支配され,制
限されもしない。さらに,だれにも責任がない。
個人財産は,社会的・政治的権力の正統な基礎
として,社会に受け入れられた基本的原則であっ
た。…けれども今日,経営上の権力は株主から
は独立し,彼らに支配されず,彼らに対して責
任もないのである。しかも,経営が実際にふる
3.経営権の正当性とマネジリアリズム
う権力の正統な基礎として,個人の財産権に関
企業文化論の分析に移る前に,
(主流派の)
誤解されるといけないから述べるが,以上は
経営学においても,統治に関連する政治哲学的
現代の経営にたいする攻撃ではない。反対に,
な問題設定が,かつて経営権の正当性の問題と
して議論の俎上にあがっていたことにも目を向
わるべき基本的原則はほかにない。…
今日の多くのアメリカ株式会社の専門経営者ほ
ど能率的,誠実,有能,かつ良心的な支配者集
─────────────────────────────────
13) ここで Foucault の統治論が,個人は統治のためのどのような主体として構築されうるのか,また,個人はそ
れにどのような態度で臨むのか,などといった政治哲学的な論考を追究していることは明らかであろう。
組織統治論の構想
─企業文化論と統治性の交差点から考える─(伊藤博之)
─5 ─
団はかってなかった。彼らがふるう権力は,そ
産的権力を持たない代わりに,
「効率性」
を主張し,
れを奪ったから彼らの所有となったのではなく,
それを基盤に,経営管理の一方的な力の行使を
株主がその権利と義務を放棄したからなのであ
正当化しようとする。管理者による統率が,企
る。(Drucker, 1942:邦訳 , pp. 83-84)
業の経営に際し,最も合理的な方法を提供する
と考えられたのだ。Micheal Crozier15)が指摘す
Druckerは,専門経営者が経営権をえた理由
を「株主がその権利と義務を放棄したから」と
表現することで,所有と経営の分離論によった
るように,合理性は,既存の確立した権力グルー
プへ挑戦する差異の根拠の一つである。
(Kanter,
1977:邦訳 , p. 10)
説明をしている。しかし彼らの経営権は,既存
の社会に受けいれられた基本的原則によっては
Kanterの指摘によれば,財産権(資産的権
「正当(統)化」されなかったことも Druckerは
力)に代わるものが,合理性と効率性を主張す
指摘していることを確認しておきたい。
る経営の諸言説であった。近代組織論を経営権
とりわけ,この新しい専門経営者を生んだお
の正当化のイデオロギーであるとする指摘も少
膝元のアメリカにおいて,個人主義や民主主義
なくはないが(Feldman, 2002;Perrow, 1972),
が文化の中軸にあったことが経営権の正当性に
このような指摘も同じ文脈で解釈できる。アメ
対する難題を提起することになった14)
(Bendix,
リカで経営学が急速に発展した理由は,個人主
1974;Ciulla, 2000;Hoopes, 2003)
。マネジメ
義の文化とマネジメントの対立を乗り越えるた
ントはアメリカの基本的価値観である個人の自
めに,経営の諸言説による正当化が他国と比べ
立性,自由,平等を阻害するのではないかと
てより一層必要とされていた,という解釈もあ
いう疑問は,同国においてとりわけ重要な意
りうるかもしれない。
義をもたざるをえなかったのである。たとえ
さ ら に,Deetz(1992)は, 専 門 知 と し て 経
ば,Whyte(1956)の『組織のなかの人間』や
営の合理性や効率性を促進することを主張す
Riesman(1961)の『孤独な群衆』は,アメリ
る 諸 言 説 の ジ ャ ン ル を「 マ ネ ジ リ ア リ ズ ム
カの個人主義の文化と近代企業のマネジメント
(managerialism)」と呼んでいる。マネジリア
間の葛藤をモチーフにしている。
リズムには学術的な言説だけではなく,一般に
そして,新しく出現した専門経営者が経営
流布している経営思想や経営手法が主張する言
権の正当性の根拠として最終的に獲得したも
説も含まれる。マネジリアリズムは,企業を経
のこそが,専門知としての地位を確立した経
営者と同一視したうえで,認知的・道具的思考
営 の 諸 言 説 で あ っ た(Bendix, 1974;Kanter,
様式に基づき,公式的組織によるコントロール
1977;Knights and Morgan, 1991)
。たとえば,
を中心的なモチーフとする,経営上の諸言説の
Kanter(1977)は,それに関連して次のように
ジャンルである。Deetzは,所有と経営の分離
述べている。
に成功した近代企業が支配的存在となったこと
を契機にマネジリアリズムが出現したとした。
管理者は,その存在理由として,合理性と効
そしてそれは今日に至るまで,ビジネスに関す
率を強調する。管理者はその後ろ盾としての資
る一般常識としてもヘゲモニーを確立し続けて
─────────────────────────────────
14) このような統治の問題はアメリカのみの問題ではない。それは,近代における統治の問題を極端なかたちで表
しているに過ぎない。そして,Gomez and Korine(2008)によれば,企業統治を理解するには,近代社会におけ
る統治の意義を理解する必要があるものの,そのような研究はきわめて少ない。彼らによれば,社会のエピステー
メが権力の行使のあり方を構築し,社会で個人が統治されることに同意する根拠を左右するのである。
15) Crozier, M.(1964)The Bureaucratic Phenomenon, Chicago: University of Chicago Press.
─6 ─
滋賀大学経済学部研究年報 Vol.20 2013
いるとされる。
次のようなことである。経営権の正当性への関
Deetzが マ ネ ジ リ ア リ ズ ム と 呼 ぶ も の を,
心は,Berle and Means(1932)らが論じた所有
Ingersoll and Adams(1992)は「マネジリアル・
と経営の分離や Chandler(1977)が論じた近代
メ タ 神 話(managerial metamyth)
」と呼んで
企業の出現を契機に顕在化した。しかし経営に
いる。マネジリアル・メタ神話は,次のような
関する専門知の合理性を根拠にして,専門経
3つの中心的信念からなる,技術と合理性を中
営者の経営権を正当化するマネジリアリズムが
心とする神話(言説)とされる。それを参照す
ヘゲモニーを確立していくことで,企業統治の
ることで,マネジリアリズムの特徴をより明確
政治哲学的問い(経営権の正当性への問い)は,
に理解できよう。
批判的経営学や企業支配論などの特殊な領域以
外では問題にされることがなくなった。また,
⑴全ての作業プロセスは合理化可能であり,
マネジリアリズムがヘゲモニーを確立したこと
また,そうされるべきである。合理化とは,全
で,(主流派の)経営学の諸言説では,統治と
体を構成要素に分割し,完全なコントロールが
いう概念とともに実践・道徳・倫理という諸概
可能なまでに徹底的に理解することを意味す
る。⑵組織の目的を達成する手段には,最大限
の注意が払われるべきである。その結果,目的
が忘れられる場合や目的が見失われる場合,目
的は手段に従属することとなる。⑶効率性と予
測可能性が最も重要な考慮すべき要因となる。
(Ingersoll and Adams, 1992:p. 40)
念も理論的考察の対象から外されることになっ
た。それらは価値の領域に属する概念とされ,
マネジリアリズムが扱う道具的合理性の範疇を
超えていると考えられた。このような言説とし
て典型的なのが Simon(1976)の組織論であっ
た。
Foucaultによれば,権力はそれが表立って気
こ の よ う な 特 徴 を も っ た 言 説 と し て は,
づかれないところ,すなわち「隠蔽」されて
Simon(1976)の組織論が典型的である。Simon
いるところで最も効力を発揮する。Berle and
の組織論は,論理実証主義の立場に立つことで
Means
(1932)
が所有と経営の分離を論じて以来,
規範や価値の問題を考察から退け,目的を所与
企業統治論が新たな学問領域として1990年代に
とした手段の道具的合理性を追究した。それ
出現するまでに50年を要した一つの理由は,経
は上記に引用したマネジリアル・メタ神話(あ
営権の正当性の問題がマネジリアリズムによっ
るいは,マネジリアリズム)の説明が完全に
て隠蔽されていたためであると考えることがで
当てはまる組織の理論である。それ以外にも,
きるのである16)。
Porter(1980)の競争の戦略やリエンジニアリ
一方,1990年代に入って企業統治論が出現し
ングなどの経営手法もこのジャンルの言説とし
た理由は,経営権の正当性を政治哲学的に問う
て分類できる。このような経営学や経営に関す
ためではなかった。それは,1970年代から始ま
る諸言説や諸技法は,専門知としての身分を確
る証券市場に関する法律改正,それを受けた株
保することで,経営上の諸実践を構築する統治
式市場の拡大や変質,様々な企業不祥事の結果
のテクノロジーの一翼を担いうるのである。
であり,企業統治論は法律的及び経済学的な問
以上のレビューについて,経営権の正当性へ
題設定から定義されることになったのである
の関心の隠蔽という観点から読み取れる意義は
(伊藤 , 2012;Tricker, 2012)。それゆえ,マネ
─────────────────────────────────
16) 隠蔽されるものが消えてなくなるわけではない。この場合,
経営権の正当性の問題はその後も存在し続けるが,
マネジリアリズムに属する諸言説が統治のテクノロジーとして機能することで,それによって構築される統治可
能な主体は経営権の正当性を省みず,道具的合理性を追求する主体となったと考えられるのである。
組織統治論の構想
─企業文化論と統治性の交差点から考える─(伊藤博之)
─7 ─
ジリアリズムによるこの隠蔽は,現在の企業統
抱えてもいる。一見すると経営や企業の理想を
治論でも有効に作用している。それが企業統治
語る企業文化論が,「善い経営」の理論として
論において政治哲学的問題設定が表面化してこ
どこに問題があるのかも次節では明確にしたい。
なかった理由の一つと考えられるのである。
そこから組織統治の正しいあり方を洞察できる
しかし既述のように,多くの場合,企業統治
はずだからである。
をめぐる論争は,隠蔽された深層の奥で必ずし
も意識されることなく,各々の政治哲学的立場
Ⅲ 統治のテクノロジーとしての企業文化論
をめぐって闘わされているように思われる。ま
た,加護野他(2010)の次のような企業統治の
本 稿 が 企 業 文 化 論 と し て 論 じ る も の は,
定義に現れる「よい経営とは何か」という問い
『 エ ク セ レ ン ト・ カ ン パ ニ ー』(Peters and
は,われわれが企業統治の問題を考える出発点
Waterman, 1982)に代表される所謂「ビジネス
に本来あるものと考えられる。
書」を通して喧伝された経営上の諸言説である。
すなわち,加護野他は,企業統治を「株式会
本節では,この意味での企業文化論の典型的な
社(コーポレーション)
」がより「よく経営」
テクストとして『エクセレント・カンパニー』
されるようにするための諸活動とその枠組み作
を吟味するとともに,企業文化論の統治性分析
り」(p. 2)と定義している。このような定義の
を検討する。企業文化論の統治性分析は,本稿
意義を堀り下げるためには,
「よいとは何か」
,
と同様に Foucaultの思考に依拠した議論であ
「経営とは何か」
,
「組織の統治と個人の生き方
にはどのような関係があるのか」といった,根
源的レベルの問いにさらに遡って考える必要が
り,統治性概念の理解を助けてくれるだろう。
1.企業文化論のテクスト
ある。法律・経済学・マネジリアリズムのいず
組織論において「文化」という概念が注目さ
れもがこのような問いを回避していることはい
れた本来の動機は,社会的実践における意味の
うまでもないだろう。
次元を問うためであった(Alvesson and Berg,
次節では,企業統治論の政治哲学的問題設定
1992;du Gay, 1996;Smircich and Calás,
から組織統治論を構想することを目的として,
1987)
。社会的実践を遂行するためには,人間
企業文化論を吟味していく。企業文化論は,統
はそれに意味を与えることができなければなら
治性の観点から研究が行われた経営学の先行研
ないという発想がその出発点にあった。さらに,
究
(du Gay, 1996)
が存在する稀少な領域である。
その背景には,社会科学における解釈学的転
Foucaultの統治性の思考を例示するためにも,
それを吟味することは有意義である。必ずしも
換(Bernstein, 1983;Giddens, 1976)や Geertz
(1973)の解釈人類学などの影響もあった。
明示的なものではない場合もあるが,統治のテ
し か し Smircich and Calás(1987)は, こ の
クノロジーとしての企業文化論は,
「企業をど
ような組織文化の初期の研究がやがて機能的な
のように統治するのか」
,
「何を統治するのか」
,
組織文化論へ移行してしまったことを,「(組織
「誰が統治すべきか」
,そして「どのような目的
文化論において)カルチャラル・スタディーズ
で統治をすべきか」に対する回答を用意する。
は優勢であったが失敗した」と表現している。
それによって,企業文化論は統治についての独
ここでカルチャラル・スタディーズとされるも
自の理想を提示する。
のは,Geertzなどの流れを汲む解釈的アプロー
しかし,後述するように,企業文化論の統治
チ(e.g., Alvesson and Berg, 1992;Feldman,
性は,
「良い経営」の理想は提示しえても,
「善
1986)を指す。組織文化論の研究が意味の次元
い経営」の論理を提示できないという問題点を
を問う解釈的アプローチから逸脱して,機能主
─8 ─
滋賀大学経済学部研究年報 Vol.20 2013
義の組織文化論が優勢となったことが失敗と捉
一方,同著は,6つの財務指標と革新性とい
えられたのである。本稿が注目するのは,この
う1つの定性的指標によって,アメリカで際
失敗とされた機能主義の組織文化論である。そ
立った業績を長期間に亘ってあげているエクセ
れを本稿では組織文化論全般と区別するために
レント・カンパニーを選出した。たとえば,エ
「企業文化論」と表現する。企業文化論は,組
クセレント・カンパニーには,IBM 社,ヒュー
織の意味の次元を捉え損なったという意味では
レット・パッカード社,インテル社,ウォルト・
失敗であったかもしれないが,マネジメントの
ディズニー社,ボーイング社,3M 社,ジョ
重要なツールと見なされ,統治のテクノロジー
ンソン&ジョンソン社,メルク社,マクドナル
としては一定の成功を収めることとなる。
ド社,ウォールマート社といったアメリカを代
このような企業文化論の普及に貢献したテク
表する43社が選ばれた。
ストとしては,『エクセレント・カンパニー』
なお,本稿の議論との関連では,同著ではエ
(Peters and Waterman, 1982)
,
『シンボリッ
クセレント・カンパニーの定義には革新性とい
ク・マネジャー』
(Deal and Kennedy, 1982)
,
う定性的基準が含まれるものの17),エクセレ
『セオリー Z』
(Ouchi, 1981)
,
『ジャパニーズ・
ント(卓越性)の意味はまったく考察されてい
マネジメント』
(Pascal and Athos, 1981)など
ないことは確認しておきたい。同著でエクセレ
が有名である(順不同)
。これらテクストの出
ントという用語は一般的な用語として特別な説
版以前,文化という用語はビジネスの世界で一
明なしに使用されているのである。
般に使用されることは少なかった。また,組織
さて,同著では,上記のようにして選出され
の意味の次元を捉えようとする解釈的な組織文
たエクセレント・カンパニーに共通する特徴と
化論の文化概念は専門家のジャーゴンに留まっ
して以下の8つを見出している。⑴行動の重視,
ていた。これらのテクストの出版をきっかけ
⑵顧客に密着する,⑶自主性と企業家精神,⑷
に,文化(企業文化や組織文化)という用語は
ひとを通じての生産性向上,⑸価値観に基づく
ビジネスの世界で広く一般的に用いられるよう
実践,⑹基軸から離れない,⑺単純な組織と小
になったのである。とりわけ『エクセレント・
さな本社,⑻厳しさと緩やかさの両面を同時に
カンパニー』は,1980年代の経営言説を代表す
もつ,である。これら8つの特徴から描き出さ
る書籍となり,経営の諸実践に大きな影響を
れるエクセレント・カンパニーの全体像とは,
与えたと評価されている(Barley and Kunda,
精密な分析的経営戦略の立案や精緻な組織の設
1992)。同著はアメリカ国内だけで450万部とい
計を否定し,そこで働く人々の価値観の共有や
う驚異的な売上をあげたことは,その影響力の
企業家精神の重要性を強調するものであった。
大きさを数字で裏づけている(坂下 , 1992)
。
同著には様々な解釈が可能であるが,まず,
『エクセレント・カンパニー』では,まず,
「強い文化仮説(あるいはエクセレント・カン
当時の多くのアメリカ企業の衰退の原因を,現
パニー仮説とも表現される)
」という表現に要
場を知らない本社のスタッフがビジネススクー
約されることが一般的である。出口(2003)は,
ルなどで教えられた分析手法を駆使し,実行不
この強い文化仮説が経営学の中心的なテーマと
可能で現実離れした戦略を作成することが組織
なり,1980年代前半の組織文化論に大きな影響
の機能不全を招いたことによる,と診断した。
を及ぼしたとしている。強い文化仮説は「強い
このような組織の病理現象を同著は「分析麻痺
文化がエクセレント・カンパニーを生む」とす
症候群」と名づけた。
る仮説である。この仮説において,強い文化と
─────────────────────────────────
17) 革新性の評価は業界の複数の専門家(内部者)の主観的判断による。
組織統治論の構想
─企業文化論と統治性の交差点から考える─(伊藤博之)
─9 ─
業績の間の因果関係は典型的には次のように解
単に強い文化のもと人々が仕事をすれば,高い
釈される。
生産性と業績がもたらされる,という予定調和
論に過ぎない。そこでは,企業の戦略と事業領
強い文化をもつことで,組織のメンバーはど
域との適合性や組織構造の優劣などは考慮され
のような行動に価値があり,どう対処していく
ていない。一方で,
『エクセレント・カンパニー』
かを理解し,共通の目標にむかって努力してい
には,マッキンゼーの7Sモデルを前提とした
く環境が整えられる。その結果,組織が環境に
適応して高い生産性を生み,成果としての高い
業績をもたらす。(嶋口他 , 2009:p. 236)
次のような解釈も不可能ではない。
すなわち,経営戦略や経営管理のシステムな
どの組織の様々な仕組みや仕掛けが,ある論理
の下に一貫していれば,そこには強固な価値観
上記のように,組織のメンバーの行動力を重
が生まれる可能性も高まる。逆に,強固な価値
視する同著は,戦略経営に対するアンチテーゼ
観の共有を生み出そうとすれば,その価値と一
を提起したとされる(坂下 , 1992)
。また,同著
貫する諸施策が実行される必要がある。
は,共有された価値観を奉じる社員の企業家精
われわれ自身がある会社で働いている場面を
神によって恣意的な経営上のコントロールを無
想像してみるとよい。われわれが強固な価値観
用にする「福音の書」として専ら受容されるこ
を共有できるのは,経営者の掲げる価値が日常
とになる(Ciulla, 2000)
。
や危機的状況での彼の言動,人事の処遇,仕事
以 上 が『 エ ク セ レ ン ト・ カ ン パ ニ ー』 の
の仕掛けなどの局面で一貫している場合である。
標 準 的 な 評 価 で あ る。 著 者 の Peters and
それらの諸要素間にずれや矛盾があれば,その
Watermanもそのような主張を意図していたも
価値は忽ち金科玉条と化すに違いない。『エク
のと考えられる。しかし同著には,以上の要約
セレント・カンパニー』における強い文化の存
とは噛み合わない点も存在する。
在が意味することは,このような組織の一貫性
たとえば,同著では,分析のフレームワー
が存在していることである。そこに文化や価値
クとして,「マッキンゼーの7Sモデル」に依拠
というソフトな要素の重要性を見たことに同著
することが明記されている。マッキンゼーの
の独自性があったのである。すなわち,強い文
7Sモデルは,経営コンサルティング会社マッ
化を企業が保有することは,環境に適合した一
キンゼー社が開発した経営診断モデルである。
貫した組織を実現することと同義なのである。
このモデルでは,⑴機構(Structure)
,⑵戦略
このような解釈によれば,
『エクセレント・
(Strategy)
,⑶スタッフ(Staff)
,⑷スタイル
カンパニー』は戦略経営論を否定するものでは
(Style)
,⑸システム(System)
,⑹共通の価値
ない。実際に,企業文化は戦略経営の中心的
観(Shared value)
,
⑺スキル(Skill)の7項目(7
課題であるという指摘も存在する(Steidlmeier,
つのS)が相互に一貫した論理で連結した組織
1993)。戦略経営とは,「環境の機会や脅威に企
が理想とされる。同著ではこのモデルの比較的
業の全社的な経営資源を適合させるため,企業
詳しい紹介が前半に掲げられるものの,それと
組織のあらゆるレベルのミッション,目的,戦
同著が発見したエクセレント・カンパニーの特
略,組織構造,及びマネジメント・システムを
徴との関係は論じられていない。
統合的かつ包括的に適合させようとする経営手
先述のように,同著ではマッキンゼーの7S
法である」(坂下 , 1992:p. 87)とされる。マッ
モデルとは別に,強い文化仮説が企業文化と業
キンゼーの7Sモデルが含意するのは,このよ
績の間の因果関係として想定されていると読解
うに定義される「戦略経営」そのものでもある。
できる。しかしこの仮説が述べていることは,
組織が高業績であるためには,環境への適応と
─ 11 ─
滋賀大学経済学部研究年報 Vol.20 2013
同時に,組織の一貫性を構築すべきことは,コ
起源は,新自由主義という国家の政治レベルで
ンティンジェンシー理論も指摘していたところ
の新しい統治性についての伝道活動にあった。
でもある。このような考え方は,経営学では極
イギリスのサッチャー政権が掲げた新自由主
めてオーソドックスなものである。
義は,国家の統治に市場原理を導入することを
しかし『エクセレント・カンパニー』の以上
主張した合理的主張にとどまるものではなかっ
の読解は一般的なものではないことを繰り返し
た。新自由主義の本質は,統治の対象となる人々
ておく必要があるだろう。あくまで,同著をあ
が新たな価値に基づいて自己を陶冶し直すこと
る観点から見れば,そのような解釈も不可能で
を求める道徳的伝道活動だったのである。すな
はない,という読解の可能性を提示するに過ぎ
わち,新自由主義以前の統治思想は,個人の外
ない18)。しかしそれによって同著の論点には
部から与えられる価値規範の内面化を通じて権
様々な解釈が可能であることが明らかになった
威に従順な主体(規律的主体)を構築しようとし
(また,後者の読解の方が標準的な同著の解釈
た。一方,新自由主義の主体は,市場原理を内
よりも,企業文化論の統治性には適合している
なる自己の価値基準とすることで,自由と自己
ことが後述される)
。
責任を与えられた自己管理の主体であった19)。
これは同著に限ったことではない。企業文化
新自由主義の言説は政治思想の次元を超えて
論のテクストは社会科学としての論理の構成や
様々な実践の領域に浸透していく。そこには企
概念があいまいである,という指摘は一般的で
業文化論を展開したビジネス書20)も含まれて
ある(出口 , 2003)
。それにも関わらず同著は,
いた。この新自由主義の統治に起源をもつ言説
アメリカだけで450万部という驚異的な売上を
は「卓越性の言説(discourse of excellence)」
あげたのであった。同著(や他のテクスト)の
と表現される。そして,統治性の観点から,
影響力の大きさを所与として議論を始めるので
du Gayはエクセレント・カンパニー(すなわち,
はなく,この驚異的な売上の理由が改めて問わ
企業文化論)の本質を次のように描いている。
れる必要がある。そして,同著が受容された理
由を探ることは,企業文化論の統治性の隠され
エクセレント・カンパニーは企業家的主体21)
た正体を解明する重要なカギとなることが後に
を構築しようとする。企業家的主体とは,自立,
明らかにされる。
自 己 規 制, 生 産 的 個 人(Gordon, 1987;Rose,
2.企業文化論の統治性
先に言及された日常生活の行為の指針の集合を
本節では,Foucaultに依拠した企業文化論の
統治性分析である du Gay(1996)の研究を検討
していく。du Gayによれば,企業文化論は企
業経営の分野での孤立した言説ではない。その
1989, 1990)を意味する。ここで企業家的とは,
意味する。その指針とは,エネルギー,イニシ
アチブ,自立性,そして,責任感などの言葉で
表現される。そして,この「企業的な自己」は
計算する自己である。
「自己は自己そのものにつ
─────────────────────────────────
18)
Pascal(1990)は,同著出版の5年後にエクセレント・カンパニーに選出された43社のうち3分の2の企業が
業界での地位を低下させていることを指摘している。このような批判に対して同著の一般的な解釈では回答を与
えることは困難である。しかし筆者が提示したもう一つの解釈によれば,それに答えることは容易である。経営
学の「適応が適応を排除する」という周知の理屈を踏まえれば,環境に適応して一貫した組織を有するエクセレ
ント・カンパニーの抜本的な変革は困難となると考えられるのである(河合 , 2006)。
19) 以上の表現は佐藤(2009)の同様の議論も参照している。
20) ここで挙げられるビジネス書とは,Ouchi(1981),Peters and Waterman(1982),Peters(1987)
,Kanter(1990)
などである。
21) ここでは“enterprising”に「企業家的」という訳を当てている。
組織統治論の構想
─企業文化論と統治性の交差点から考える─(伊藤博之)
─ 11 ─
いて計算し,それをよりよくするために自己に
によって実現される。
(Miller and Rose, 1990:p.
働きかける。
(Rose, 1989:pp. 7-8)」。このように,
27)
企 業 家 的 と は Foucaultの い う 倫 理 的 な ル ー ル
の型を示す。そして,よい統治は個人が自己を
統治することに根拠を置くのである。(du Gay,
1996:p. 60)
企業文化論による統治性は,他者(経営階層
の上位者)から押しつけられる統治を従業員一
人一人の自己の陶冶の問題に置き換える。また,
この統治性において,仕事は統治の対象となる
以上に指摘されるように,企業文化論による
諸個人の自己実現の手段である。同時に企業の
統治の本質は,個人が企業家的主体として自ら
利益に貢献する能力を開発することが個人に
を陶冶することを求める,新しい統治性(統治
とっての成長であり,責任であるとされた。こ
の合理性)を提示するものであった。企業家的
うして,企業文化論の統治に貢献することは個
であることが「倫理的なルールの型」である理
人の自由意志によるものであるとともに,道徳
由は,ここで指摘されるエネルギー・イニシア
的責任に転換されたのである。
チブ・自立性・責任感といった諸特性を個人の
当然のことながら,このような企業文化論の
美徳として備えることが道徳的に求められるか
統治性は過去のマネジリアリズムのもとでは当
らである。
たり前のものではなかった。たとえば,企業文
アメリカのように個人主義を強調する文化に
化論による統治性では,末端の労働者に及ぶま
あって,個人が経営権に服従することは問題視
で事業成長への貢献が求められる。しかしマネ
されてきたことは先に指摘した。しかし,企業
ジリアリズムの影響下にある経営学や経営の常
文化論の提示する統治性では,統治の対象とな
識(そこでの統治性)では,環境の不確実性へ
る個人が自らを企業家的自己として陶冶するこ
の対処や事業成長に対する責任は経営陣に課さ
とで,経営権の正当性をめぐる葛藤を不要なも
れる。
のとした。個人がどのような存在として経営に
また,これまでの記述にも示唆されてきたが,
関わるのかという政治哲学的論点は,企業文化
企業文化論の統治性において,自己の陶冶と組
論の統治性の中心的なテーマとなっていること
織の統治は一体のものでもあることを確認する
がお分かりいただけるであろうか。その統治性
必要がある。du Gay(1996)はそれについて次
の中心に企業家的自己の陶冶がある,というわ
のように述べている。
けである。
『エクセレント・カンパニー』が「福
音の書」として受容された理由はここにある。
「変革のプログラム」としての企業文化論が成
du Gay(1996)が 引 用 す る, 企 業 家 的 自 己
功すれば,全ての組織メンバーの自己実現の欲
についての以下の Miller and Roseの記述は,
求を追及することで,顧客満足が達成され,生
Whyte(1956)や Riesman(1961)が描いた,企
業の中で抑圧される個人と著しい対比をなして
いることを確認されたい。
自立,創造性,責任の追及から潜在力を発揮
産性が高められ,品質が確保され,イノベーショ
ンが促進され,柔軟性が保証される世界として
再概念化される。その結果,生産的個人の自
立的主体は中心的な経済資源となる。(du Gay,
1996:p. 63)
する自由な個人としての企業家的自己にとって
上記のように企業文化論の統治性では,企業
仕事はもはや必ずしも制約ではない。仕事は自
家的自己として自己を陶冶した人々の自己実現
己実現の本質的要素である。…仕事の統治は全
ての個人ひとりひとりの自己実現の心理的渇望
の追求が,望ましい組織の統治を生み出すこと
になる。すなわち,当該の組織の活動は,常に
─ 11 ─
滋賀大学経済学部研究年報 Vol.20 2013
顧客満足,生産性,品質,イノベーション,柔
うな理解による。
軟性を自ずと促進するものとなるのである。
一方,企業文化論の統治性には次のような問
その一方で,企業文化論による統治性は,企
題点があることも du Gayは指摘している。企
業における経営管理の諸制度や諸技術の必要
業文化論の統治性では,諸個人は自己のキャリ
性も排除しない。たとえば,それは以下の du
ア開発や利益への貢献を成果との関連で測られ,
Gay(1996)の文章に示される。
その尺度のうえで競い合うことが当然視される。
事業の成否に対する責任や諸々の説明責任は,
営利企業の文化は,具体的な実践やテクノロ
低位の階層上の地位にある従業員にも課される
ジーによって(「具体的な手段」(Hunter, 1987)
ことは先述した。したがって,企業文化論によ
によって),初めて操作化されるものである。企
る統治においては,階層的統制が最小化され,
業の文化はあいまいで予測できない「精神的な
もの」ではなく,様々な(具体的な)メカニズム
(応募フォーム,採用のオーディション,コミュ
ニケーション・グループなど)に刻み込まれてい
る。シニア・マネジャーが望ましいと思う目的
を達成するためにそれらを用いて,人びとの行
動を分析し,規格化し,実行できる。それゆえ,
卓越した事業組織の統治は組織の日常の実践に
あからさまな権威の存在は目立たないものにな
るが,異なった種類の統制が強化される危険性
が伴うとされるのである。
以上の統治性分析は企業文化論の本質を鋭く
捉えている。Gomez and Korine(2008)は企業
統治論の政治哲学的問題設定として企業を超え
た国家の政策や時代精神の分析も必要であると
具現化される。(同時にルーズでもありタイトで
したが,du Gayによる企業文化論の統治性分
もある)「イネーブリングで,エンパワリングな
析はそのような論考を射程に収めてもいる。そ
ビジョン」(Peters, 1987)の構築を通して企業家
こから,
『エクセレント・カンパニー』などの
的主体を構築することも必要である。(du Gay,
1996:p. 61)
企業文化論のテクストが広く受容された理由を
読み取ることも可能である。
Laclau and Mouffe(2001)によれば,ある言
以上のように,du Gayは,企業文化を目に
説が影響力を獲得するのは,他の諸言説や出来
見えない精神的なものではなく,様々な具体的
事の影響力のネットワークに組み込まれる結果
なメカニズムやツールに組み込まれたものとし
である。本稿では,このネットワークを「権力/
て捉えている。企業文化論による統治性では,
知の体制」と呼ぼう22)。このような観点から
既述のように個人に企業家的自己への陶冶を求
解釈すれば,du Gayの上記の議論で企業文化
めることを中心とするが,それは同時に官僚的
論が新自由主義という政治的言説から展開した
マネジメントから企業家的なマネジメントへの
ものであるとされる点が注目に値する。
経営スタイルの移行や,新しい組織形態(たと
1980年代以降,新自由主義に連なる諸言説や
えば,よりフラットな組織構造やそれを実現す
出来事が連なり大きな影響力を発揮する権力/
るための仕事や人事制度の再編)の導入も伴う
知の体制が成立しつつあった。du Gayも新自
のである。第3節第1項の『エクセレント・カ
由主義の影響力は彼の著書の執筆時までますま
ンパニー』の議論において,強い文化仮説の立
す強固になりつつあることを批判的に論じてい
場よりも,マッキンゼーの7Sモデルから組織
る。『エクセレント・カンパニー』(Peters and
の一貫性を読み取る筆者の解釈の方が企業文化
Waterman, 1982)が広く受容された最大の理由
論の統治性に合致しているとしたのは,このよ
は,同著がその権力/知の体制に組み込まれた
─────────────────────────────────
22) 別稿(伊藤 , 2012)では,権力/知の体制の観点から企業統治論の言説の分析を行っている。
組織統治論の構想
─企業文化論と統治性の交差点から考える─(伊藤博之)
ことで説明できる。同時に同著の驚異的な売上
は,新しい「出来事」としてこの体制を強化す
─ 11 ─
1.Foucault の最晩年の思考の位置
ることとなったとも考えられるのである。
「善い経営」を目的とした組織統治論を組み
卓越性という言葉が企業文化論では頻繁に用
立てるためには,第2節第2項「Foucaultの統
いられたが,その意味が真剣に問われなかった
治論」で説明を留保した Foucaultの最晩年の
理由も,新自由主義の流れを汲む権力/知の体
思考について論じる必要があるが,若干の補足
制との関係で理解できる。すなわち,この体制
を加えておくことが有用である。
においての究極の価値基準は市場原理に置かれ,
日 本 の 経 営 学 研 究 で は Foucaultが 応 用 さ
企業家的自己といえども,それは市場に照らし
れ る こ と は 少 な い が23), イ ギ リ ス を 中 心 に
て評価されるべきものであった。du Gayが「企
「Foucault 派(Foucauldian)」 と 呼 ば れ る 経 営
業家的自己は計算する自己である」と表現した
学の一派が存在する。しかし欧米でもこれまで
のは,そのことを意味している。
の経営学の Foucaultの応用は,その大半が『狂
一方,「善い経営」の論理を追究する組織統
気の歴史』(1961)や『監獄の誕生』(1975)な
治論の観点からは,この点において企業文化論
どを中心にした権力論(権力/知や規律権力)
の統治性は問題点となる。市場原理による計算
との関連での議論が展開されてきた(Crane et
を依り所として自己を陶冶することは,外的善
al., 2008)。 そ の 結 果 と し て,Foucaultの 応 用
を基準に置くことを意味する。そこでは計算上
は,批判的経営学の分脈で経営に関する規律
の「良さ」を競うことはできるかもしれないが,
的実践を批判的に論じるものが多かった(e.g.,
卓越性という「善さ」は省みられない。
Burrel, 1988;Deetz, 1992;Knights, 1992;
また,du Gay(1996)による企業文化論の統
Townley, 1993)。こういった経営学の研究に対
治性分析は,以上の「企業家的自己が計算する
しては,権力批判を超えて人間の自由の可能性
自己」であることを批判的に明らかにするが,
を示す論理が不在であることが批判されてきた
「それでは善い経営のための統治はどうあるべ
(Feldman, 2002)。哲学の分野でも,同様の批
きか」ということは論じられてはいない。企業
判が Foucault 自身にも向けられていた。すな
文化論の統治性の問題点を浮き彫りにするとこ
わち,Foucaultの思考は権力作用を問題視する
ろで議論が終わっているのである。その先にど
ことを可能にするが,個人が権力から自由を確
う踏み出すかが組織統治論が検討すべき課題と
保するための議論が欠落していることが批判さ
なろう。
れていたのである。
一方,Foucaultには,
『性の歴史Ⅰ─知への
Ⅳ ディスカッション
意志─』を1976年に出版してから,最晩年の2
つの著書『性の歴史Ⅱ─快楽の活用─』
,
『性
本節では,企業文化論の統治性の分析を踏
の歴史Ⅲ─自己への配慮─』を1984年に出版
まえて,Foucaultの最晩年の統治と主体に関す
するまでの8年の間,著書を出版しなかった
る論考と,それを発展させる可能性をもった
空白期間があった。自由の論理の不在という
MacIntyreの道徳哲学の議論に依拠して,
「善
Foucaultの権力論への批判への回答が困難であ
い経営」を目的とする組織統治の理論を構想し
ると一般に考えられていたことと重なり,この
ていく。
空白期間,Foucaultの思考は行き詰っていたと
解釈されることもあった。さらに,最後の2冊
─────────────────────────────────
23) 拙著(2009)では,Foucault をアメリカ企業のフィールドワークの解釈の枠組みとして応用している。
─ 11 ─
滋賀大学経済学部研究年報 Vol.20 2013
の著作(つまり『性の歴史Ⅱ』と『性の歴史Ⅲ』
)
織の統治の重なり合いとして統治を提示した。
では,個人の自由,道徳的判断,倫理について
そしてそのような特徴を「よい統治」の条件と
の論考が中心に展開されていたので,Foucault
した(du Gay, 1996:p. 60)。しかしそこでの企
は自身の権力論への批判に答えることができず
業家的自己は計算する自己であり,市場原理が
思想を転換しようとした,と解釈されることも
その計算の根拠に置かれた。
あった。しかし現在の Foucault 研究ではこの
一方,Foucault(1984a, 1984b)の統治論には,
いずれの解釈も否定されつつある。
統治におけるあるべき姿を論じる部分がある。
『性の歴史』シリーズにおいて出版の空白期
とりわけ,この議論は Foucaultの晩年の思考
とされた期間,Foucaultは講義や講演で思想を
のなかでも経営学で応用されたことはほとんど
発展させていた。そして,この間の講演禄が
ない。しかしそれは企業文化論の統治性分析を
1990年代に出版され始め(e.g., Foucault, 2004)
,
超えた組織統治論を構想する出発点とできる論
Foucaultの思考の展開が広く知られるように
考である。すなわち,晩年の Foucaultによれば,
なった。その結果,Foucaultの前期と後期の思
組織的統治に自己統治(陶冶)が重なり合う点
考は断絶しているのではなく一貫していること
にこそ,個人の自由や倫理の可能性がひらかれ
が明確になった。すなわち,彼の思考の中心は
る。
主体と真理の問題であり,権力や知の分析はそ
Foucaultにとって,個人の自由や倫理の実践
の前提として展開されたものであった。後期の
は,自己の選択において自己を陶冶する技法(生
Foucaultは,その思考を統治論として展開して
存の技法)を積極的に用いることによる。
「生
いる24)。du Gayが依拠したのもこの Foucault
存の技法」とは,自己に配慮し,自己を統御し,
の統治論であった。
自己を磨くことを旨とする技法であり,それを
2.自己の陶冶と組織の統治
彼は次のように表現している。
Foucault(1984a, 1984b, 1994)の統治論が示
そのプラクティックの総体とは〈生存の技
したのは,組織の統治の前提には自己の陶冶が
法〉と名づけてよいものである。それは熱意や
あるということであった。Clegg et al
(2002)
は,
意志に基づくプラクティックであると解さなけ
統治性のそのような一般的特徴を次のように述
べている。
Foucaultにとっての統治性とは,組織的な統
治の戦略であると同時,組織的統治の主体とな
る人々の自己統治の戦略でもある。(Clegg et al,
2002:p. 319)。
企業文化論の統治性も,このような自己と組
ればならず,そのプラクティックによって人々
は,自分に行為の規則を定めるだけでなく,自
分自身を変容し個別の存在として自分を変えよ
うと努力する主体,自分の生を,ある種の美的
価値をになう,また,ある種の様式基準に応
じる一つの営みと化そうと努力するのである。
(Foucault, 1984a:邦訳 , p. 18)
生存の技法は「人間存在が自分は何であるの
─────────────────────────────────
24)
それでも彼の議論に次の諸点で問題がないわけではない。Foucault 自身が自らの思考全体を体系的にまとめ
たことがない。また,とりわけ晩年の Foucault の論考を論じるためには講義録に依拠せざるをえない。その結果,
彼自身の言葉の用法がきわめて流動的であることから,その思想を体系的に把握することは容易ではない。たと
えば,本稿が注目する統治性や統治という言葉の用法自体にも多様性がある。しかしそれでも Foucault の議論
は企業統治論の(政治哲学的な)論点に関連性が高い。それは,少なくとも「善い経営(会社,組織)とは何か」
を考えるうえで,現在の当該分野での大多数の論考のレベルを明らかに超えていると考えられるのである。
組織統治論の構想
─企業文化論と統治性の交差点から考える─(伊藤博之)
─ 11 ─
か,自分は何をなすのか,そして自分が生きる
テーマがあり,その物語に登場する他者に対し
世界を問題構成する,その場合の諸条件を規
ても「役の割り当て」が行われる。そのうえで,
定する」
(Foucault, 1984a:邦訳 , 18頁)自己を
卓越した社会的実践への貢献が自己の物語の構
構築するテクノロジーである。自己のテクノロ
成要素となる。また,このような自己の物語の
ジーが目指すものは,自己の自由意志において
作成がわれわれの自己のモニタリング能力の基
自己を変革すること,そして自己の外部から課
礎にあるが,それは個人の内面で完結するもの
される言説の一方的な権力作用に抵抗すること
ではない。なぜなら,ある社会的実践において,
である。自己の自由意志に基づいて,ある生存
そもそも他者の自己物語がその配役と整合する
の様式を選択し自己を陶冶し続けることで,個
ものでなければ,他者はそれに抵抗するだろう
人は道徳的・倫理的主体として自己を育成でき
し,
社会的相互作用に齟齬が生じよう。
こうして,
るとされるのである。
「状況の定義」の不断の相互参照とモニタリン
それは権力の作用から逃れることを意味しな
グが社会的相互作用には伴うこととなる。それ
い。Foucaultの権力論によれば,人間は権力と
ゆえ,自己の物語も広義には共同的な産物とな
の関係で初めて生産的になれるので,権力を免
らざるをえない。このような自己の物語を「善
れる選択肢はない。誤解の余地もあるが,
「権
き生」の追求として紡ぎ続けることこそが,
「善
力を自己の陶冶のために使いこなす」という表
き生」を生きるということとされるのである。
現が生存の技法と権力の関係のニュアンスを伝
上記の議論に照らせば,『エクセレント・カ
えるためには有用かもしれない。
ンパニー』の原著英文タイトルが「卓越性の追
Crane et al.(2008)は,Foucaultの 以 上 の
求(In Search of Excellence)」であったことは
考え方を MacIntyre(1984)の美徳の議論と結
興味深い。企業にとっての卓越性の追求とは,
びつける。アリストテレス25)に依拠しつつ,
単に株価を最大化することでも,売上や利益を
MacIntyreは,自己を陶冶する主体とは,
「善
増加させることでもない。卓越性はいかなる外
き生」
を生きる道徳義務を自己の内に感じとり,
的指標でも定義することはできない。また,個々
卓越した社会的実践に貢献することを目指す,
の企業に応じて目指すべき卓越性は様々である。
という二重の意味で有徳の存在であるとする。
高業績を達成することが前提となるが,それは
また,
「善き生」とは,
「善き生を追求して生
文字通り,エクセレント・カンパニーであるこ
きること」
そのものであるとされる。すなわち,
とを追求し続けることである。また,それは「善
「善き生」とは何をするかによって決まるもの
い経営」を追求することでもある。そして,以
ではない。「善き生」に具体的な定義や測定可
下の理由でやはりそこには物語が関係する。
能な指標は存在せず,
「善き生」を真摯に追求
会社という存在にとっても物語の創出はその
すること自体にその本質があるとされる。
本質に関連する。Deetz(1992)によれば,会社
さらに,「善き生」とは自己の物語と深く関
は一組の言説によって支えられるある種のフィ
連することも指摘される26)。自己の物語には
クションである。その言説には,法的地位,契
─────────────────────────────────
25) アリストテレスの美徳の考え方を展開する経営学の論考には野中・紺野(2007)がある。
26) MacIntyre(1984)によれば,人が言説内のある立場(たとえば,労働者など)を受け入れると,その特定の立
場から世界を経験するようになり,また,その立場に付随する一群の概念,イメージ,メタファー,話し方,物
語が入手可能になる。また,その立場に自由意志に基づいてコミットメントした場合,それに応じた道徳体系の
発展を伴う。個人はいくつもの言説に巻き込まれるので,いくつかの主体の立場は瞬間的なものであろうが,主
体的経験というのは諸言説のさまざまな立場の全体性から生み出されるものである。このように個人の言説への
参加は重層的で断片化されているが,記憶から構成される自己物語の作成を通して,個人のパーソナリティの一
貫性や整合性,そして,自尊心の満足が目指されるのである。
─ 11 ─
滋賀大学経済学部研究年報 Vol.20 2013
約,そして役割,権威,意味の言語論的生成を
たとえば,伊藤(1998)では,ヒューレット・
含む。それが一貫性をもつためには,会社の記
パッカード社が主力事業を電子計測器からプリ
憶から会社に関する出来事や事物をまとめる物
ンターとコンピュータ事業に転換した際,創業
語が必要とされるのである。
理念である「貢献の原則」を維持することで組
以上より,エクセレント・カンパニーとして
織の卓越性を維持することに腐心する様子を分
の自社の物語を掲げ,その実現に貢献するため
析している。
に社員が自己を陶冶することが組織統治のある
「貢献の原則」とは,技術革新によってこれ
べき姿である,と考えることができる。自社の
までにないモノを社会に提供することを意味し
エクセレント・カンパニーとしての組織の物語
た。実際に,同社はこの原則にしたがって開発
は,組織メンバーが自己を陶冶する際に用いる
すべき製品を決定してきた。「同様の製品が既
統治のテクノロジーの中核となるべきものであ
に存在するから」とか「独自の技術の貢献がな
る。また,それは組織メンバーにとって,自己
いから」という理由で,利益が確実に見込める
を道徳的行為主体として陶冶するための自己の
新製品のアイデアでもしばしば却下されること
テクノロジーでもある。
があった。また,この原則は同社の社会的存在
もちろん,このような理想像が完全に実現さ
意義を定義するものであった。卓越した企業と
れることは現実にはありえない。しかし理想に
して社内外で認知された同社の自社像(物語)
及ばない点は常に改善すべき点として問題視
の中心には,このような「貢献の原則」があった。
され,そこに規律が働く。そのような「統治
ところが,「貢献の原則」はコンピュータと
へ の 意 志(the will to govern)
」
(Knights and
プリンター分野での事業展開において問題とな
McCabe, 2003)を経営の駆動力として組織を貫
る。たとえば,同社が「貢献の原則」によって,
くことこそが組織統治論の提案する「善い経
IBMの互換機をつくることを避け,独自規格を
営」
(伊藤 , 2012)のあるべき姿と考えられるの
追求したことは,コンピュータ事業での躓きの
である27)。
原因の一つとなった。その結果,パソコン事業
からは一旦撤退を強いられてもいる。しかし同
3.組織統治の事例:ヒューレット・パッカー
ド社
社はあくまで「貢献の原則」とその伝統にこだ
わり続けた。
そして,1980年代の後半のプリンター事業で
組織の物語は過去の出来事をある観点から編
の成功を転機として,同社では「貢献の原則」
集したものである(伊藤 , 1998, 2001, 2002)
。そ
の再解釈が行われる。すなわち,1990年ころに
の編集において自社の卓越性の物語を維持し続
は,「貢献の原則」の意味は,「新しいこれまで
けることが,
組織統治論の提起する
「善い経営」
にないモノをつくり出すこと」に限定されるの
の駆動力となる。
ではなく,「技術革新によって便利さや低価格・
─────────────────────────────────
27) 組織統治論が影響力をえるためには,
新自由主義に発する権力/知の体制とは別の体制を構築する必要がある。
その際,『ビジョナリー・カンパニー』(Collins and Porras, 1994)は組織統治論のテクストとしてもっとも有望
な候補である。「最高のなかの最高」,「利益を超えて」,「基本理念を維持し進歩を促す」,「社運を賭けた大胆な
目標」,「決して満足しない」などのビジョナリー・カンパニーの特徴は,同著が企業の卓越性自体を問題として
いることを示唆している。Collins 自身「どうやったら偉大な企業が築けるのか」(Collins and Hansen, 2011:邦
訳 , p. 33)が彼の問いであることを明言している。また,『エクセレント・カンパニー』
(Peters and Waterman,
1982)も上記のような組織統治論の観点から再解釈・再評価することも不可能ではない。企業文化論自体を再解釈・
再構成することも可能かもしれない。それ以外に,卓越性の追求という観点から経営上の諸実践や出来事を再評
価していくことも,新しい権力/知の体制を構築することに貢献することとなろう。
組織統治論の構想
─企業文化論と統治性の交差点から考える─(伊藤博之)
─ 11 ─
高機能の同時達成などを成し遂げること」も含
の数は4名になる)
。この事実だけをとりあげ
まれると再定義される。この再解釈の結果,同
れば,取締役会が経営陣の牽制機能を果たした
社は,戦略や事業構造を大きく変化させながら
と考えられるのである。しかし同社は明らかに
も,
「創業以来の伝統を継承した卓越した会社」
組織統治には失敗している。
という同社の物語は社内で維持され続けた。当
フィオリナまでは社内の生え抜きの CEOを
時の CEO(ジョン・ヤングとルイス・プラット)
選任していた同社が,社外から CEOを迎えた
もこのような物語を継続させることに腐心し
背景には株式市場への配慮があった。当時,
た。
インターネットバブルの渦中にあって,コン
このような事例によれば,組織統治とは組織
ピュータとプリンターといった所謂「ハード」
が自己を再生される力であることが分かる28)。
に事業の比重を置いた同社の戦略は取締役会か
また,物語論の観点からも,組織の歴史的伝統
ら問題視されていた。その結果,サービスやイ
はこのような物語の再構成によって維持される
ンターネット関連への事業の転換を図ることを
と考えられる(伊藤 , 2001, 2002)
。組織統治と
可能にすると考えられた CEOが社外から招聘
組織の歴史的伝統は本質的に関連すると考えら
されることになった。しかし結局,同社のサー
れるのである。
ビスやインターネット関連事業への転換は実現
一方で,2000年以降,ヒューレット・パッ
することはなかった。フィオリナは,コンパッ
カード社の経営が迷走を開始したことにも触れ
ク(PCメーカー)を買収することで,同社のハー
ておくべきであろう。1999年にルイス・プラッ
ド関連の事業をより強化することとなる。
トが任期を1年残して CEOを退任すると,そ
その一方,彼女は同社の伝統を毀損したとも
の後任として,社外からカリスマ型の経営者で
される。フィオリナ時代の同社は「カタストロ
あるカールトン・フィオリナが CEOとして招
フィー(大惨事)」であり,マネジャーを含め
聘される。しかし同社は,暫定 CEO(解任され
た同社の社員は自社の CEOから会社を守る責
た CEOの後任を見つける間空席を臨時で務め
務を感じたとされる(Malone, 2007:p. 378)。
る CEO)を除いて,
その後,
社外から CEO(カー
ここに過去に育まれた強固な組織統治の残滓が
ルトン・フィオリナ,マーク・ハード,レオ・
読み取れる。過去の組織統治が有効に機能した
アポテカー)を招聘しては,取締役会が任期途
結果,社員達は同社の卓説性に貢献する道徳的
中で解任することを繰り返す,という異常事態
行為主体として自己を陶冶してきたと考えられ
に陥ることになる。レオ・アポテカーに至って
るのである。会社を守る義務を感じたのは,こ
は僅か1年で解任されている。この異常事態に
の道徳的行為主体であった。また,フィオリナ
ついては別稿で本格的に分析を加えてみたいが,
は,同社の歴史に依拠したエクセレント・カン
次のような点は指摘できそうである。
パニーという物語を再構成することに失敗した
まず,逆説的ではあるが,この異常事態は,
ことで,組織統治の装置を破壊したと考えるこ
ヒューレット・パッカード社で企業統治がある
ともできる。社員にとって,フィオリナは同社
意味で機能していたことを示している。株式
の伝統を破壊する経営者として認知されていた
市場の意向を踏まえた取締役会は3名続けて
ことを Malone(2007)の指摘は示している。
CEOの解任に成功している(プラットも任期を
1年残して退任しているので,彼を入れればそ
─────────────────────────────────
28)
河合(2006)は強い文化をもった企業の革新を分析するなかで,このような組織の自己再生のプロセスを記述
している。
─ 11 ─
滋賀大学経済学部研究年報 Vol.20 2013
4.組織統治論を擁護する
根拠を示すことができない。自らの議論に規範
的な要素があることを認めることも困難であろ
法律と経済学による問題設定が支配的な現在
う。それに対して,組織統治論は道徳や倫理の
の企業統治論では,本稿が提起する統治の考え
問題を問う立場と統治の合理性の双方を統合す
方を議論に組み込む余地は少ない。それにも関
る言説である。それが Foucaultや MacIntyre
わらず,組織統治論を筆者が提起する根拠や,
に依拠することは,所謂「規範」と「実証」の
想定される批判への反論を,若干繰り返しにな
区分を無意味なものとする哲学的前提に立つこ
る点もあるが,整理しておきたい。
とを意味するのである29)。
まず,企業統治についての議論では,実際に
Ⅴ 結語
論点になっているのは「組織に卓越性を追求さ
せること,また,一旦確立した組織の卓越性を
維持するためには何をなすべきか」ということ
冒頭に掲げたように,本稿は,組織統治論を
が少なくはないという筆者の素朴な認識があ
提示する一連の論考の一環をなすものであっ
る。
た。当該の論考に属する別稿では,既存の企業
さらに,企業統治を「株式会社(コーポレー
統治論の権力/知の体制の批判的分析(伊藤 ,
ション)」がより「よく経営」されるようにす
2012)と,統治という観点を意識した解釈的ア
るための諸活動とその枠組み作り」
(加護野他 ,
プローチの実践(伊藤 , 2009, 2011)を試みてい
2010:p. 2)と定義するのであれば,組織統治
る。そして,本稿では,統治のテクノロジーと
論を企業統治論の一ジャンルとして展開するこ
しての企業文化論の分析と Foucaultの統治性
とも不可能ではない。組織統治論とは,このよ
の思考を交差させることで,組織統治論のある
うに定義される企業統治の問題を,法律や経済
べき姿を構想することを試みた。組織統治論は
学の枠組みに予め入れ込んでしまうのではなく,
組織の卓越性の追求と統治性(統治の合理性)
企業統治論の定義にあった「よく経営される」
を結びつけることで構築される,というのがそ
という言葉に拘り,統治の問題を考える試みで
の構想の中心であった。そして,組織の物語や
もある。
卓越性,自己の統治・倫理・自由などを論じる
「組織統治論が規範的である」という,想定
問題領域を組織統治論は提示することを本稿で
される批判には次のように答えたい。そもそも
示した。
企業統治論は規範的な性質を帯びていることは,
一方で,本稿の議論には指摘すべき課題はあ
法律的及び経済学的問題設定による理論でも変
まりに多く残っている。本格的な組織統治論の
わるところはない。たとえば,経済学による企
構築は今後の課題として残される。それとも関
業統治論として代表的なエージェンシー理論
連するが,Foucaultの統治性の思考についての
は規範論であることが批判されている(Gomez
説明は単純化されたものである。Foucaultの思
and Korine, 2008)
。企業統治論は,経営のある
考をより深く掘り下げる他に,政治哲学や道徳
べき姿を掲げ,現実に介入することを意図した
哲学の論点も本格的に追加すべきかもしれない。
言説である以上,規範論の要素を含まざるをえ
さらに,ヒューレット・パッカード社の事例は,
ないのである。
企業統治論とは別に組織統治論を展開すること
その一方でこれら現行の企業統治論は規範の
の意義を明確にする価値を有するが,そのため
─────────────────────────────────
29) このような指摘に対しては,Bernstein(1983),Dreyfus and Rabinow(1983),Rouse(1987)なども参照され
たい。
組織統治論の構想
─企業文化論と統治性の交差点から考える─(伊藤博之)
の本格的な調査と分析も今後の課題として残さ
れている。
【付記】
本稿は,科学研究費補助金(挑戦的萌芽研究
24653032・基盤研究(B)24330119)助成による
研究成果の一部である。
参考文献
Alvesson, M. and Berg, P. O.(1992)Corporate
Culture and Organizational Symbolism, Berlin/
New York: du Gruyter.
Aoki, M.(2010)Corporations in Evolving Diversity:
Cognition, Governance, and Institutions, Oxford:
Oxford University Press(谷口和弘訳(2011)『コー
ポレーションの進化多様性─集合認知・ガバナンス・
制度─』NTT 出版).
Ardent, H.(1958)The Human Condition, Chicago:
University of Chicago Press(志水速雄訳(1994)
『人
間の条件』筑摩書房).
アリストテレス/朴一功訳(2002)『ニコマコス倫理
学』京都大学学術出版会。
Barley, S. R. and Kunda, G.(1992)“Design and
Devotion: Surges in Rational and Normative
Ideologies of Control in Managerial Discourses,”
Administrative Science Quarterly 37(3), pp. 363399.
Bendix, R.(1974)Work and Authority in Industry:
Ideologies of Management in the Course of
Industrialization, 2nd ed., Berkeley: University of
California Press(大東英裕・鈴木良隆訳(1980)『産
業における労働と権限』東洋経済新報社).
Berle, A. A. and Means, G. G.(1932)The Modern
Corporation and Private Property, New York:
MacMillan(北島忠男訳(1958)『近代株式会社と私
有財産』文雅堂書店).
Bernstein, R. J.(1983)Beyond Objectivism and
Relativism: Science, Hermeneutics, and Praxis,
Philadelphia: University of Pennsylvania Press(丸
山高司・木岡信夫・品川哲彦・水谷雅彦訳(1990)
『科学・解釈学・実践─客観主義と相対主義を超え
て─』(Ⅰ)(Ⅱ)岩波書店).
Burrell, G.(1988)“Modernism, Postmodernism and
Organizational Analysis 2: the Contribution of
Michel Foucault,”Organization Studies, 9(2), pp.
221-235.
Chandler, A. Jr.(1977)The Visible Hand: the
Managerial Revolution in American Business,
Cambridge, MA: Belknap Press(鳥羽欽一郎・小林
袈裟治訳(1979)『経営者の時代―アメリカ産業に
おける近代企業の成立―』(上)(下)東洋経済新報
社).
─ 11 ─
Ciulla, J. B.(2000)The Working Life: the Promise
and Betrayal of Modern Work, New York: Crown
Business( 中島愛訳(2003)『仕事の裏切り─なぜ,
私たちは働くのか─』翔泳社).
C l a r k , T(
. 2 0 0 4 )“ I n t r o d u c t i o n : T h e o r i e s o f
Governance-Reconceptualizing Corporate
Governance Theory after the Enron Experience,”
i n Cl a r k, T(
. e d.), T he o r i e s o f Co r po r a t e
Governance: the Philosophical Foundations of
Corporate Governance, London/New York:
Routledge, pp. 1-30.
Clegg, S., Pitsis, T. S., Rura-Polley, T. and
Marosszeky, M.(2002)
“Governmentality Matters:
Designing an Alliance Culture of InterOrganizational Collaboration for Managing
Projects,”Organization Studies, 23(3), pp. 317337.
Collins, C. J. and Hansen, M. T.(2011)Great by
Choice: Uncertainty, Chaos, and Luck: Why Some
Thrive Despite Them All, New York: Harper
Business(牧野洋訳(2012)『ビジョナリー・カンパ
ニー 4─自分の意志で偉大になる─』日経 BP).
Collins, C. J. and Porras, J. I.(1994)Built to Last:
Successful Habits of Visionary Company, New
York: Curtis Brown(山岡洋一訳(1995)『ビジョナ
リーカンパニー─時代を超える生存の原則─』日
経 BP).
Crane, A., Knights, D. and Starkey, K.(2008)“The
Conditions of our Freedom: Foucault,
Organization, and Ethics,” Business Ethics
Quarterly, 18(3), pp. 299-320.
Crozier, M.(1964)The Bureaucratic Phenomenon,
Chicago: University of Chicago Press.
Deal, T. E. and Kennedy, A. A.(1982)Corporate
Cultures, Reading, MA: Addison-Wesley(城山三郎
訳(1983)『シンボリック・マネージャー』新潮社).
Deetz, S. A.(1992)Democracy in an Age of
Corporate Colonization: Developments in
Communication and the Politics of Everyday Life,
Albany: State University of New York Press.
出口将人(2003)『組織文化のマネジメント─行為の
共有と文化─』白桃書房。
Dreyfus, H. L. and Rabinow, P.(1983)Michel
Foucault: Beyond Structuralism and
Hermeneutics, 2nd ed., Chicago: University of
Chicago Press(山形頼洋・鷲田精一他訳(1996)『ミ
シェル・フーコー─構造主義と解釈主義を超え
て─』筑摩書房).
Drucker, P. F.(1942)The Future of Industrial Man:
a Conservative Approach, New York: John Day
(田代義範訳(1965)『産業人の未来』未来社). Feldman, S. P.(1986)“Management in Context: an
Essay on the Relevance of Culture to the
Understanding Organizational Change,”Journal
of Management Studies, 23(6), pp. 587-607.
─ 22 ─
滋賀大学経済学部研究年報 Vol.20 2013
Feldman, S. P.(2002)Memory as a Moral Decision:
the Role of Ethics in Organizational Culture, New
Brunswick, N.J.: Transaction Publishers.
Foucault, M.(1961)Historie de la Folie á l áge
classique, Paris: Gallimard(田村俶訳(1975)『狂気
の歴史』新潮社).
Foucault, M.(1975)Surveiller et Punir: Naissanve de
la Prison, Paris: Gallimard(田村俶訳(1977)『監獄
の誕生─監視と処罰─』新潮社).
Foucault, M.(1976)La Volonté de Savoir: Hisoire de
la Sexualité, Paris: Gallimard(渡辺守章訳(1986)
『性の歴史Ⅰ─知への意志─』新曜社).
Foucault, M.(1984a)L’Usage des Plaisirs: Hisoire
de la Sexualité, Paris: Gallimard(田村俶訳(1986)
『性の歴史 Ⅱ─快楽の活用─』新曜社).
Foucault, M.(1984b)Le Souci de Soi: Hisoire de la
Sexualité, Paris: Gallimard(田村俶訳(1987)『性の
歴史 Ⅲ─自己への配慮─』新曜社).
Foucault, M.(1994)“La《Governmentalité》,”
Cours du Collège de France, 1978( 石 田 英 敬 訳
(2000)
「統治性」
『ミシェル ・フーコー思考集成Ⅶ』
筑摩書房 , pp. 246-272).
Foucault, M.(2004)Sécurité, Territoire et Population,
Cours du Collège de France, 1977-1978, Paris:
Gallimard(高桑和巳訳(2007)『安全・領土・人口』
筑摩書房).
du Gay, P.(1996)Consumption and Identity at Work,
London: Sage.
Geertz, C.(1973)The Interpretation of Cultures:
Selected Essays, New York: Basic Books.(吉田禎
吾・柳川啓一・中牧弘充・板橋作美訳(1987)『文
化の解釈学』(Ⅰ)(Ⅱ)岩波書店).
Giddens, A.(1976)New Rules of Sociological Method,
London: Century Hutchinson(松尾精文・藤井達也・
小幡正敏訳(1987)『社会学の新しい方法基準─理
解社会学の共感的批判─』而立書房).
Gomez, P. and Korine, H.(2008)Entrepreneurs and
Democracy: a Political Theory of Corporate
Governance, Cambridge: Cambridge University
Press.
Gordon, C.(1987)“The Soul of Citizen: Max Weber
and Michel Foucault on Rationality and
Government,”In Whimster, S. and Lash, S.(eds.),
Max Weber: Rationality and Modernity, London:
Allen and Unwin, pp. 293-316.
Hoopes, J.(2003)False Prophets: the Gurus Who
Created Modern Management and Why their
Ideas are Bad for Business Today, New York:
Basic Books( 有賀裕子訳(2006)『経営理論偽りの
系譜─マネジメント思想の巨人たちの功罪─』東
洋経済新報社).
Hunter, I.(1987)“Setting Limits to Culture,”New
Formations, 4, pp. 103-123.
Ingersoll, V. H. and Adams, G. B.(1992)The Tacit
Organization, Greenwich, CT: JAI Press.
伊藤博之(1998)「「解釈学的読み」からの組織パラダ
イム論再考─ヒューレット・パッカード社の事例
をめぐって─」『彦根論叢』314, pp. 89-112.
伊藤博之(2001)「組織の歴史的伝統の探求─物語論
の観点から─」『彦根論叢』329, pp. 213-230.
伊藤博之(2002)「組織ナラトロジーにむけて─組織
をめぐる時間と物語─」『彦根論叢』334, pp. 221234.
伊藤博之(2009)
『アメリカン・カンパニー─異文化
としてのアメリカ企業を解釈する─』白桃書房。
伊藤博之(2011)「組織を統治する権力─オーナー企
業のプロジェクト・マネジメントを解釈する─」
『滋
賀大学経済学部研究年報』18, pp. 63-85.
伊藤博之(2012)
「コーポレート・ガバナンス論の系
譜 学 ─「 よ い 統 治 」 の 探 求 を め ぐ る「 現 在 の 歴
史 」 ─ 」『 滋 賀 大 学 経 済 学 部 研 究 年 報 』19, pp.
55-74.
Jensen, M. C.(1993)A Theory of Firm: Governance,
Residual Claims, and Organizational Forms,
Cambridge, MA: Harvard University Press.
Jensen, M. C. and Meckling, W. H.(1976)“Theory
of the Firm: Managerial Behavior, Agency Costs,
and Ownership Structure,”Journal of Financial
Economics, 3, pp. 305-360.
加護野忠男・砂川伸幸・吉村典久(2010)『コーポレー
ト・ガバナンスの経営学─コーポレート・ガバナ
ンスの新しいパラダイム─』有斐閣。
Kanter, R. M.(1977)Men and Women of the
Corporation, 2nd ed., New York: Basic Books(高井
葉子訳(1993)『企業のなかの男と女─女性が増え
れば職場が変わる─』生産性出版).
Kanter, R. M.(1990)When Giants Learn to Dance,
London: Routledge.
河合篤男(2006)『企業革新のマネジメント─破壊的
決定は強い企業文化を変えられるか─』中央経済
社。
K n i g h t s , D(
. 1 9 9 2 )“ C h a n g i n g S p a c e s : T h e
Disruptive Impact of a New Epistemological
Location for the Study of Management,”
Academy of Management Review, 17(3), pp. 514536.
Knights, D. and McCabe, D.(2003)“Governing
through Teamwork: Reconstituting Subjectivity
in a Call Centre,”Journal of Management Studies,
40(7), pp. 1587-1619.
Knights, D. and Morgan, G.(1991)“Corporate
Strategy, Organizations, and Subjectivity: a
Critique,”Organization Studies, 12(2), pp. 251273.
Laclau, E. and Mouffe, C.(2001)Hegemony and
Socialist Strategy: towards a Radical Democratic
Politics, 2nd ed., New York: Verso(西永亮・千葉
眞訳
(2012)
『民主主義の革命─ヘゲモニーとポスト・
マルクス主義─』筑摩書房).
MacIntyre, A.(1984)After Virtue: a Study in Moral
組織統治論の構想
─企業文化論と統治性の交差点から考える─(伊藤博之)
Theory, 2nd ed., Notre Dame, Ind.: Notre Dame
Press(篠崎榮訳(1993)
『美徳なき時代』みすず書房).
Malone, S. M.(2007)Bill and Dave: How Hewlett
Packard Built the World’
s Greatest Company,
New York: Portfolio.
Miller, P. and Rose, N.(1990)“Governing Economic
Life,”Economy and Society, 19(1), pp. 1-31.
三戸浩(1998)
「会社支配論とコーポレート・ガバナ
ンス論」『横浜経営研究』19(2), pp. 29-38.
野中郁次郎・紺屋登(2007)『美徳の経営』NTT 出版。
Ouchi, W.(1981)Theory Z: How American Business
Can Meet the Japanese Challenge, Reading, MA:
Addison-Wesley.
Pascale, R. T.(1990)Managing on the Edge, New
York: Simon and Schuster(崎谷哲夫訳(1991)『逆
説のマネジメント─自己再生のパラダイムを求め
て─』ダイヤモンド社).
Pascale, R. T. and Athos, A. G.(1981)The Art of
Japanese Management, New York: Simon &
Schuster(深田祐介訳(1982)『ジャパニーズ・マネ
ジメント』講談社).
Perrow, C.(1972)Complex Organizations: a Critical
Essay, 2nd ed., Glenview, Ill.: Foresman(佐藤慶幸
監訳(1978)『現代組織論批判』早稲田出版部).
Peters, T.(1987)Thriving on Chaos: a Handbook for
a Management Revolution, Basingstoke:
MacMillan(平野勇夫訳(1989)
『経営革命』
(上)
(下)
TBSブリタニカ).
Peters, T. J. and Waterman, Jr., R. H.(1982)In
Search of Excellence, New York: Harper and Row
(大前研一訳(1983)『エクセレント・カンパニー』
講談社).
Porter, M.(1980)Competitive Strategy, New York:
Free Press(土岐坤・中辻萬冶・服部照夫訳(1982)
『競争の戦略』ダイヤモンド社).
Riesman, D.(1961)The Lonely Crowd: a Study of
the Changing American Character, New Haven:
Yale University Press(加藤英俊訳(1964)『孤独な
群集』みすず書房).
Rose, N.(1989)“Governing the Enterprising Self,”
In Heelas, P. and Morris, P.(eds.), The Values of
the Enterprise Culture: the Moral Debate,
London: Routledge, pp. 141-164.
Rose, N.(1990)Governing the Soul: the Shaping of
the Private Self, London: Routledge.
Rouse, J.(1987)Knowledge and Power: Toward a
Political Philosophy of Science, Ithaca, NY: Cornel
University Press( 成定薫・網谷祐一・阿曽沼明裕
訳(2000)『知識と権力─クーン/ハイデッガー/
フーコー─』法政大学出版局).
佐藤 嘉幸(2009)『新自由主義と権力─フーコーから
現在性の哲学へ─』人文書院。
坂下昭宣(1992)『経営学への招待』白桃書房。
嶋口充輝・内田和成・黒岩健一郎(編)(2009)『1か
らの戦略論』中央経済社。
─ 22 ─
Simon, H. A.(1976)Administrative Behavior, 3rd ed.,
New York: MacMillan(松田武彦・高柳暁・二村敏
子訳(1989)『経営行動』ダイヤモンド社).
Smiricich, L. and Calás, M.(1987)“Organizational
Culture: a Critical Assessment,” In Jablin, F.,
Putnam, L., Roberts, K. and Porter, L.(eds.),
Handbook of Organizational Communication,
Newbury Park, Calf: Sage, pp. 228-263.
Steidlmeier, P.(1993)“Institutional Approaches in
Strategic Management,” Journal of Economic
Issues, 27(1), pp. 189-211.
Townley, B.(1993)“Foucault, Power/Knowledge,
and its Relevance for Human Resource
Management,”Academy of Management Review,
18(3), pp. 518-545.
Tricker, R. I.(2012)“The Evolution of Corporate
Governance,”In Clark, T. and Branson, D.(eds.),
The Sage Handbook of Corporate Governance,
London: Sage, pp. 39-61.
Whyte, W. H.(1956)The Organization Man, New
York: Simon and Schuster( 岡 部 慶 三・ 藤 永 保 訳
(1960)『組織のなかの人間─オーガニゼーション・
マン─』東京創元社).
─ 22 ─
滋賀大学経済学部研究年報 Vol.20 2013
Toward a Theory of Organizational Governance: Corporate
Culture and Governability
Hiroyuki Ito
Corporate governance is generally defined as the system controlling and directing
corporations as well as their executives. Law and economics have primarily provided central
theoretical frameworks in the field. However, on corporate governance there should be the
other perspective in order to give coherent answers to the following questions. How it is
justified that an equal individual should be managed in a corporation? What is the ideal of
management? The perspective is termed as a theory of organizational governance.
In order to build the theory, discourses of corporate culture are critically examined.
The analysis shows its ideal of governance and problems. Then, this paper attempts to
describe a preliminary picture of a theory of organizational governance. It is a normative
theory of prescribing the excellent management, based upon Michel Foucault’
s concept of
governability. According to Foucault, governance is considered as an activity shaping the
field of action. Besides, in the Foucault’
s governance, organizational governance is built in
self-governance of its members.
Finally, this paper proposes that the ideal of organizational governance should be driven
by the search for excellence. In the ideal, organizational members should use the narrative of
their company to govern themselves. A brief case study of Hewlett Packard is presented to
exemplify the analysis from the viewpoint of organizational governance.
─ 22 ─
滋賀大学経済学部研究年報 Vol.20 2013
世代会計の手法面の展開と類型
水 谷 剛
Ⅰ はじめに
Ⅱ コトリコフが提唱した世代会計
Ⅴ 今後の方向性
Ⅴ-1 毎年度の推計
Ⅱ-1 手法の概要
Ⅴ-2 国際比較
Ⅱ-2 前提の置き方
Ⅴ-3 財政の破綻可能性の考慮
Ⅱ-3 コトリコフの手法に対する批判と反論
Ⅱ-3-1 コトリコフの手法に対する批判
Ⅰ はじめに
Ⅱ-3-2 コトリコフの反論
Ⅲ 世代会計の手法面の展開と類型 Ⅲ-1 手法面の4類型
財政の持続可能性を確保するためには,将来
Ⅲ-1-1 コトリコフの手法
にわたり世代を超えて負担を分かち合う必要が
Ⅲ-1-2 サステイナビリティ・ギャップを用
あり,世代間公平の考え方が重要となる。世代
いた手法
Ⅲ-1-3 過去の受益・負担を含めて拡張した
手法
間公平の問題を議論する際には,世代間公平を
定量的に示し,可視化する世代会計の活用が期
待されるが,世代会計については,手法面の理
Ⅲ-1-4 将来世代を細分化して拡張した手法
解が不十分なまま,現在世代と将来世代の不均
Ⅲ-1-5 手法の選択
衡の大きさを示す数字のみに注目が集まる傾向
Ⅲ-2 その他の手法面の工夫
がある。また,こうした数字に対して,
「世代
Ⅲ-2-1 時系列評価による政策評価
会計の数字で世代間公平を捉えることは不可
Ⅲ-2-2 セグメント別の推計
能」,「そもそも世代間不均衡を損得勘定で表す
Ⅲ-2-3 物価上昇率を考慮した分析
ことは不適切」といった感情的な批判が見受け
Ⅲ-2-4 一般均衡モデルによる推計
られる。
Ⅳ 先行研究の前提の置き方
世代会計が世代間公平についての正確で分か
Ⅳ-1 先行研究の概要
りやすい情報を伝える役割を果たすためには,
Ⅳ-2 先行研究の前提の置き方等
推計結果の数字の意味や世代会計のメリットや
Ⅳ-2-1 世帯・個人
限界を含めた手法面の理解を共有することが不
Ⅳ-2-2 年齢区分
可欠となる。これまで,世代会計による世代間
Ⅳ-2-3 受益への算入項目
不均衡の推計結果をまとめた先行研究のサーベ
Ⅳ-2-4 成長率・金利
イは多くみられるが,手法面を中心として整理
Ⅳ-2-5 人口推計
したサーベイは少ない。このため,世代会計の
Ⅳ-2-6 社会保障
手法面を中心として,先行研究を類型化し整理
Ⅳ-2-7 不均衡等の指標
する本稿の意義があると考えられる。
Ⅳ-2-8 感応度分析・政策分析
Ⅳ-3 先行研究における推計結果
─ 22 ─
滋賀大学経済学部研究年報 Vol.20 2013
Ⅱ コトリコフが提唱した世代会計
個人の負担-個人の受益(移転支出)=非移転
支出+政府純債務残高…⑵
となる。ここで,⑵式の左辺は個人の純負担(負
世代会計は,Auerbach, Gokhale and Kotlikoff
担と受益の差額)を表しており,この純負担は
(1991)により提唱されて以降,個人の政府に対
すでに存在する現在世代と今後生まれてくる将
する受益と負担の世代間不均衡を分析する有益
来世代のいずれかによって負担されなければな
なツールとして活用され,
多くの研究事例がある。
らないことから,⑵式を変形すると,
ここでは,まずコトリコフが提唱した世代会計の
現在世代の純負担+将来世代の純負担=政府
手法・前提及びそれに対する主な批判について
の非移転支出+政府純債務残高…⑶3)
概観する1)。
となる。⑶式は世代会計の基本式であり,政府
Ⅱ -1 手法の概要
の異時点間の予算制約において,現在世代及び
将来世代の将来にわたる純負担の現在価値の合
世代会計とは,個人と政府の間の受益・負担
計が,将来の政府の非移転支出の現在価値及び
を世代別に分配し,現在価値化して集計したも
政府純債務残高の合計をカバーしなければなら
のである。世代会計は,将来にわたる政府の収
ないことを示している。なお,異時点間の予算
入により,将来にわたる政府の支出の現在価値
制約式は,将来に向けた基準時点からの予算制
と政府純債務残高 2)をまかなうという政府の
約を現在価値で表したものであることに留意が
異時点間の予算制約が出発点となる。これを式
必要である4)。
で表すと,
コトリコフが提唱した世代会計は,現在世代
将来にわたる政府の収入=将来にわたる政府
の残りの生涯5)において現行の政策を維持した
の支出+政府純債務残高…⑴
場合6),先送りされた債務を将来世代全体で負
となる。コトリコフが提唱した世代会計では,
担するとの前提に立ち,将来世代の生涯純負担
政府の収入は全額個人の負担とみなす一方,
を推計することで,現在世代と将来世代の世代
政府の支出については,年金・医療のように
間不均衡について定量的に示すものである7)。
個人の受益とみなすことができる支出項目(移
転支出)と政府消費,政府投資のように個人の
Ⅱ -2 前提の置き方
受益とみなさない支出項目(非移転支出)の2
世代会計の推計にあたっては,経済成長率
つに分けて扱うこととしている。
これに基づき,
や利子率の前提を置く必要がある。Auerbach,
⑴式を変形すると,
Gokhale and Kotlikoff(1991)においては,経済
─────────────────────────────────
1) コトリコフが提唱した世代会計の手法の詳細については,アゥアバック・コトリコフ・リーブフリッツ(1998),
吉田(2006),増島・島澤・村上(2009),増島・田中(2010a)に詳しい。
2) 世代会計の推計では,政府の異時点間の予算制約式において,政府の負債から金融資産を控除した「政府純債
務残高」を使うことが一般的である。
3) Auerbach, Gokhale and Kotlikoff(1991)における数式は,
現在世代の純負担+将来世代の純負担+政府純資産残高=政府の非移転支出
となっているが,現在日本を含む多くの国で政府の負債が金融資産を上回る状況であることに鑑み,分かりやす
さの観点から「政府純資産残高」を右辺に移項して「政府純債務残高」とした。
4) 政府の過去分の収支差額については,予算制約式上,政府純債務残高に反映されることとなる。
5) 世代会計では,人々の寿命について仮定を置いた上で推計を行っている。
6) 既に決定されている政策変更は推計に反映させることとなる。
7) 後述するが,コトリコフが提唱した世代会計では,現在世代の過去分の受益・負担を含まないため,0歳世代
と将来世代の比較のみが意味を持つこととなる。
世代会計の手法面の展開と類型(水谷 剛)
─ 22 ─
成長率0.75%,利子率6%を基本ケースとして,
い,③政府行動の変化に対する家計の反応が考
経済成長率は0%,1.5%,利子率は2.5%,3%,
慮されていない,④政府の歳入・歳出の将来推
3.5%,5%,7%の場合の感応度分析の結果を
計の前提条件が恣意的である,⑤割引率の置き
示している。アゥアバック・コトリコフ・リー
方に大きな影響を受ける等の問題点が指摘され
ブフリッツ(1998)によると,割引率は政府の
ている8)。
歳入と歳出に不確実性があるためリスク調整す
また,コトリコフの世代会計については,⑥
べきであり,実質政府短期借入利率を上回る割
過去の受益・負担が算入されておらず比較可能
引率が正当化できるとしている。同時に,
「今
なのは0歳世代と将来世代のみである,⑦現在
日までのところ,世代会計は適切なリスク調整
世代の残りの生涯には現行の政策が維持される
についてまだ究極的な手法を確立していないた
一方,将来世代が先送りされた債務を負担する
め,複数の割引率を用いて世代会計を推計する
との非対称な仮定が置かれている,⑧将来世代
のが標準的な方法」と整理している。こうした
を一つの世代として扱っており将来世代の純負
考え方の下,Auerbach, Gokhale and Kotlikoff
担は将来世代全体の平均値で示される,⑨生涯
(1991)においては,実際の政府借入金利に近
純負担額では,経済成長による所得水準の変化
い率である3%を中心とする低い利子率を用い
が考慮されず各世代の実質的な負担の重さを測
た推計を実施し,世代会計の結論が変わらない
れない,といった問題点が指摘されている。⑥
ことを確認している。
~⑨の点については,コトリコフの世代会計の
このほかの主な前提として,人口推計がある
性質上の特徴であり,必ずしも問題点と整理す
が,Auerbach, Gokhale and Kotlikoff(1991)
ることは適切でないとの考え方もあるが,世代
に お い て は, 米 社 会 保 障 局(Social Security
会計の結果を解釈する上で留意すべき点であ
Administration)による人口推計を用いている。
る。
Ⅱ -3 コトリコフの手法に対する批判と反
論
Ⅱ -3-2 コトリコフの反論
Cutler(1993),Haveman(1994),Diamond
(1996)などによる①~⑤の批判に対するコト
コトリコフが提唱した世代会計に対して,こ
リコフらの反論を概観する9)。
れまでさまざまな批判が展開されている。以下
まず,①の政府消費や政府投資などの便益を
では,こうした批判やそれに対するコトリコフ
考慮していない理由について,アゥアバック・
の反論を概観する。
コトリコフ・リーブフリッツ(1998)は,
「こう
した政府支出の利益を各世代に帰属させるのは
Ⅱ -3-1 コトリコフの手法に対する批判
困難だからである」としている。
コトリコフが提唱した世代会計に対して,
②の遺産などの利他的な行動や流動性制約を
Cutler(1993),Haveman(1994),Diamond
前提とすると意味がないとする批判については,
(1996)などにより,①政府消費や政府投資な
後世代のことを配慮する家計が存在する下で
どの便益を考慮していない,②遺産などの利他
は世代会計は意味を持ちにくいとする Cutler
的な行動や流動性制約を前提とすると意味がな
(1993)の主張に対して,Kotlikoff(1997)は,バ
─────────────────────────────────
8) 増島・田中(2010a)による。
9) コトリコフの世代会計に対する批判及びそれに対する反論は,吉田(2006),宮里(2009)において詳細にまと
められている。
─ 22 ─
滋賀大学経済学部研究年報 Vol.20 2013
ローの中立命題を否定する研究はすでに非常に
提条件についての批判が展開されている。一方,
多く存在していること等を示し,世代会計は意
その後の世代会計の研究の中で,コトリコフの
味を失うことはないと反論している10)。また,
世代会計への批判に対応した手法面のさまざま
流動性制約等によりライフサイクル仮説が個人
な工夫がみられる。世代間公平を定量的に示し
の行動を捉えていないとの Cutler(1993)の主
可視化する手法として世代会計を活用するにあ
張に対し,Kotlikoff(1997)は,政府が約5兆ド
たっては,世代会計の手法の正確な理解が重要
ルの借入れが可能であること自体,多くの人々
であり,最近の手法面の展開を踏まえた世代会
が流動性制約を受けていない強い証拠であると
計の先行研究についての整理を行う。
している。
③の政府行動の変化に対する家計の反応が考
Ⅲ -1 手法面の4類型
慮されていない点に対して,
Kotlikoff(1997)
は,
Ⅱ-3-1で概観したとおり,コトリコフの
世代会計の推計結果は一般均衡モデルのもとに
世代会計の手法に対して,過去の受益・負担が
各世代の効用を比較する研究方法によって得ら
算入されておらず比較可能なのは0歳世代と将
れた結果と大きく違いがないことを挙げ,世代
来世代のみである(⑥)
,将来世代のみが先送
会計の方法と結果は,世代間の真実の負担を近
りされた債務を負担する(⑦)
,将来世代の純
似するのに適切であると主張している11)。
負担は将来世代全体の平均値で示される(⑧)
④の政府の歳入・歳出の将来推計の前提条件
等の問題点が指摘されている。こうした指摘に
が恣意的であるとの指摘に対して,コトリコフ
対応した先行研究における手法面の展開を4分
はその指摘を認めた上で,将来推計の方法には
類に類型化して整理する。
様々なアプローチがあってしかるべきであると
具体的には,先行研究の類型をコトリコフの
している。
手法,サステイナビリティ・ギャップを用いた
⑤の割引率の想定に大きな影響を受ける点
手法,過去の受益・負担を含めて拡張した手法,
に つ い て,Auerbach, Gokhale and Kotlikoff
将来世代を細分化して拡張した手法の4つに分
(1991)は,「政府の収支に関して,リスクがな
類し,それぞれの手法の概要,メリットと問題
いものとみなせば,国債の利子率を用いるのが
点,応用分析の類型を概観する(表1参照)。
適当であろう。(中略)単一の割引率を用いる
のは適当でなく,異なったリスクに直面したも
Ⅲ -1-1 コトリコフの手法
のには異なった割引率を用いるべきであるとの
まず,基本となるコトリコフの手法について
考え方の下,この点は改良すべき点である」こ
概観する。
とを認めている。
コトリコフの手法は,現在世代の残りの生涯
において現行の政策が維持され,先送りされた
Ⅲ 世代会計の手法面の展開と類型
債務は将来世代全体で負担するとの仮定の下,
現在世代(0歳世代)と将来世代の世代間不均
コトリコフが提唱した世代会計に対しては,
衡を分析するものである。
Ⅱ-3-1で概観したとおり,その手法及び前
メリットとしては,標準的な手法であり,海
─────────────────────────────────
10) 世代会計の前提条件であるライフサイクル仮説の妥当性については,
「経済社会構造に関する有識者会議」
財政・
社会保障の持続可能性に関する「制度・規範ワーキング・グループ」中間報告で論じられている。
11) さらに Kotlikoff(1997)は,「すべての政治家,マスコミ,大衆に動学的一般均衡モデルによる推計結果を理解
させることは現実的ではないので,世代会計によって政策の世代間の影響を伝えることとした」としており,世
代会計の簡便で理解しやすいメリットを認めている。
世代会計の手法面の展開と類型(水谷 剛)
─ 22 ─
外を含む多くの先行研究と比較可能である点及
必要かを示すことができる。このシミュレーショ
び毎年度推計による世代間不均衡の経年変化の
ンにおいては,世代間均衡確保のための政策手
分析がしやすい12)という点が挙げられる。
一方,
段(どの税目を増税するか,どの歳出項目を削
問題点としては,過去の受益・負担が含まれな
減するか等)の仮定を置く必要がある15)。ただ,
いため,現在世代のうち高齢者層と若年層の世
債務残高や現在のプライマリーバランス(PB)
代間の比較が不可能である点及び将来世代の純
の赤字幅が大きい場合には,世代間均衡確保の
負担が将来世代全体の平均値で示されるため,
ために相当厳しい増税や歳出削減が必要との結
将来の特定世代の受益・負担が明示されないと
果が示されることとなり,現実の政策オプショ
いった点が挙げられる。
ンというより,世代間均衡確保に向けて「待っ
世代会計は,現行の政策を維持した場合の世
たなし」の厳しい状況を示すことに意義がある
代間不均衡の分析に役立てることができるほか,
と考えられる。
政策の変更が各世代の受益と負担に与える影響
を分析するツールともなりうる。コトリコフの
手法における応用分析の類型としては,政策変
Ⅲ -1-2 サステイナビリティ・ギャップを用い
た手法
更を仮定して現在世代が残りの生涯に直面する
次に,Ⅱ-3-1のコトリコフの手法におけ
受益と負担を変化させて行うシミュレーショ
る将来世代のみが先送りされた債務を負担する
ン及び0歳世代と将来世代の世代間均衡を確保
との指摘(⑦)への対応となるサステイナビリ
するため現時点で必要な政策変更を示すシミュ
ティ・ギャップを用いた手法について概観する。
レーションに大別される。
この手法は,現在世代・将来世代ともに現行
前者のシミュレーションでは,将来の特定時
の政策が維持されるとの仮定の下,財政不足額
点から税率変更や歳出削減を実施した場合,現
の割引現在価値(サステイナビリティ・ギャッ
在世代と将来世代の純負担にどのような影響を
プ16))を推計することで,財政の持続可能性
与えるかの政策分析に活用できる13)。ただし,
を分析するものである。サステイナビリティ・
将来世代の純負担は残差として計算されるため,
ギャップは,コトリコフの手法の副産物として
税率変更や歳出削減の政策変更は,計算上まず
算出可能であり,麻生・吉田(1996),吉田(2006),
現在世代に適用され,その結果先送りされる債
島澤(2007)をはじめとする多くの先行研究に
務の増減を通じて,将来世代の純負担に影響す
おいて,現在世代と将来世代の純負担に加えて,
ることとなる。
サステイナビリティ・ギャップを表示している。
後者のシミュレーションでは,世代間均衡14)
Bonin(2001)においては,サステイナビリティ・
確保のためにどれだけの税率変更や歳出削減が
ギャップを用いた手法17)をコトリコフの手法
─────────────────────────────────
12) 他の手法(後述の将来世代を細分化して拡張した手法)でも,経年比較は可能であるが,現在世代の残りの生
涯において現行の政策が維持されるシンプルな仮定を置いているため,政策変更の世代間公平に与える影響を分
析しやすい特徴がある。
13) 前述のとおり,コトリコフの手法では,過去の受益・負担が含まれないため,現在世代に属する各世代の受益・
負担水準の比較はできないが,政策変更が現在世代に属する各世代の受益・負担をどのように変化させるかにつ
いては分析可能である。
14) コトリコフは,0歳世代と将来世代の純負担が等しくなることを「世代間均衡」と定義している。
15) 世代間均衡を確保するためにどの政策手段を使うかによって,
現在世代内の高齢者層と若年層の負担が異なる。
例えば,所得増税では退職世代は影響を受けないのに対し,消費増税では幅広い世代に影響が及ぶこととなる。
16) サステイナビリティ・ギャップは,潜在的政府債務,フィスカル・ギャップ等と呼ばれることもある。
17) Bonin(2001)においては,コトリコフの手法を「Residual Approach」,サステイナビリティ・ギャップを用い
た手法を「Sustainability Approach」として,先行研究を分類している。
─ 22 ─
滋賀大学経済学部研究年報 Vol.20 2013
と対峙する手法と位置づけて整理しているが,
活用できる。後者のシミュレーションでは,財
サステイナビリティ・ギャップを将来世代のみ
政の持続可能性確保のため,どれだけの税率変
が追加負担すると仮定して個人ベースに置き直
更や歳出削減が必要となるかを示すことがで
したものがコトリコフの手法である18)。この
きる21)。この場合,コトリコフの手法と同様,
ため,サステイナビリティ・ギャップを用いた
財政の持続可能性22)確保のための政策手段の
手法は,コトリコフの手法と親和性が高いもの
仮定を置く必要があり,債務残高や現在の PB
であり,推計結果の表示にあたり,世代間不均
赤字幅が大きい場合には相当厳しい増税や歳
衡に重点を置くか財政の持続可能性に重点を置
出削減が必要との結果が示されることとなる。
くかの違いであると位置づけられる。
メリットとしては,現在から将来にわたる
GDPの合計(割引現在価値)に対するサステイ
Ⅲ -1-3 過去の受益・負担を含めて拡張した手
法
ナビリティ・ギャップの比率を計算することで,
次に,Ⅱ-3-1のコトリコフの手法におけ
財政の持続可能性確保に必要な毎年の PB 改善
る過去の受益・負担が算入されておらず比較可
幅の対 GDP 比を明示することが可能となるこ
能なのは0歳世代と将来世代のみであるとの指
と19)及び毎年度推計による財政不足額の経年
摘(⑥)への対応である過去の受益・負担を含
変化の分析がしやすいこと20)が挙げられる。
めて拡張した手法について概観する。
応用分析の類型としては,政策変更により現
この手法は,コトリコフの手法で推計される
在世代・将来世代が直面する受益と負担を変化
現在世代の残りの生涯における受益・負担に,
させて行うシミュレーション及び財政の持続可
現在世代の各世代の過去の受益・負担を加える
能性を確保するため現時点(または将来の特定
ことにより,現在世代に属する各世代間の不均
時点)で必要な政策変更を示すシミュレーショ
衡について,分析可能としたものである。世代
ンがある。
会計の推計上,過去の受益・負担の推計は,政
前者のシミュレーションは,将来の特定時点
府の異時点間の予算制約式には影響せず,コト
から税率変更や歳出削減を実施した場合に財
リコフの手法で計算された各世代の受益・負担
政の持続可能性(サステイナビリティ・ギャッ
の推計結果に,現在価値化した過去分の受益・
プ)にどのような影響を与えるかの政策分析に
負担を加算して表示することとなる。
─────────────────────────────────
18) 佐藤(2005)は,サステイナビリティ・ギャップの意義について,「標準的な世代会計がもつ将来世代の追加負
担に関する bias の存在(将来世代の追加負担が過剰に計測されるという問題)を回避した上で,持続可能な財政
政策とするために必要とされる政策変更の大きさを明らかにすることができる」と述べている。
19) 例えば,将来にわたる財政不足額であるサステイナビリティ・ギャップが将来にわたる GDP の合計の1割で
あると仮定すると,毎年度 GDP の1割分 PB を改善することで,サステイナビリティ・ギャップをゼロ(=財政
の持続可能性を確保)にすることが可能となる。Batini, Callegari and Guerreiro(2011)に詳しい。
20) コトリコフの手法では,個人ベースの純負担により経年変化が示されるのに対し,サステイナビリティ・ギャッ
プを用いた手法では,マクロベースの財政への影響額で経年変化が示される。
21) コトリコフの手法の場合,0歳世代と将来世代の純負担額が等しくなるという世代間均衡を確保するため,現
時点での政策変更を仮定することが必要である。一方,サステイナビリティ・ギャップを用いた手法の場合,財
政の持続可能性確保のために,必ずしも現時点での政策変更を仮定する必要がなく,将来の特定時点(例えば,
2020年など)
以降の政策変更を仮定することも可能であるため,
より現実的な仮定を置けるというメリットがある。
この場合,0歳世代と将来世代の世代間不均衡は,政策変更までの期間の違いがあるため完全に解消されないこ
ととなる。なお,コトリコフの手法においても,完全に世代間不均衡を解消(=世代間均衡を確保)するという
仮定を置かなければ,将来の特定時点の政策変更の仮定は可能であり,本質的な違いではない。
22) サステイナビリティ・ギャップは,現行の政策を維持した場合,誰も負担せずに残る財政不足額を表しており,
値が正であれば持続不可能となり,ゼロであれば持続可能性が確保されることとなる。
世代会計の手法面の展開と類型(水谷 剛)
─ 22 ─
メリットは,現在世代に属する各世代間の比
残高や財政収支等の将来シナリオの仮定の下
較が可能となることが挙げられる。問題点は,
で26),将来世代のうち各世代の受益と負担に
過去分の推計にあたり,人々の寿命分(80 ~
ついても分析可能としたものである。推計方
100年の仮定を置くことが多い)の年数を遡る
法の観点からみると,近い将来世代を細分化
必要があるため,データ制約や手間がかかるこ
することで,現在世代と同様の方法27)で細分
とが挙げられる23)。過去の受益・負担は,既
化された各世代の受益・負担を推計する一方,
に実現しているものであり,将来の政策的な判
先送りされた債務は,遠い将来世代が負担す
断に影響を与えないため,算入しないとする考
ることとなる28)。
え方もある。しかしながら,現在世代に属する
メリットは,将来の特定世代の受益・負担の
各世代の生涯にわたる受益・負担を比較可能と
分析が可能となることである。すなわち,細分
し,世代間公平の確保に向けた理解を求める観
化された将来の各世代の受益・負担を推計する
点からは,過去分を含めた生涯にわたる受益・
ことにより,将来世代を漠然と定義するのでは
負担を示すことに意義があると考えられる24)。
なく,現在世代の人々の関心が強い近い将来世
応用分析の類型としては,コトリコフの手法
代への影響を明示的に示すことが可能となる29)。
と同様,政策変更により現在世代が残りの生涯
また,債務残高や財政収支等の将来シナリオの
に直面する受益と負担を変化させて行うシミュ
仮定を置くことで,現在世代の受益・負担も変
レーション及び0歳世代と将来世代の世代間均
化することとなり,将来世代のみが先送りされ
衡を確保するため現時点で必要な政策変更を示
た債務を負担する(⑦)との問題点の改善となり
すシミュレーションがある。
うる。問題点としては,経済や財政に関して超
長期にわたる前提を置く必要があることが挙げ
Ⅲ -1-4 将来世代を細分化して拡張した手法
られる。コトリコフの手法でも,100年あまり
過去の受益・負担の考慮に加えて,Ⅱ-3
の経済や財政に関する前提が必要30)となるが,
-1の将来世代の純負担は平均値で示される
将来世代を細分化する手法の場合,さらに長期
(⑧)との問題点への対応となりうる将来世代
の経済前提31)が必要となるほか,債務残高や
を細分化して拡張した手法25)について概観す
財政収支等の何らかの将来シナリオの仮定が必
る。この手法は,将来世代を細分化し,債務
要となる。
─────────────────────────────────
23) 過去のデータの信頼性や連続性の問題のほか,過去の受益・負担を現在価値化するための適当な割引率(実質
的には割増率)の選択が難しいという問題もある。
24) 過去の受益・負担を考慮しない場合,仮に高齢者世代が受益超となっても過去にその受益に見合う額を負担し
たはずとの主張につながるため,過去分を含めた生涯の受益・負担を定量的に示す意義があると考えられる。
25) 過去の受益・負担を考慮せず,将来世代を細分化して拡張することも理論的には可能であるが,現在世代に属
する各世代との比較ができず,メリットが限定的であると考えられる。
26) 理論的には,債務残高や財政収支等の将来シナリオの仮定を置かず,将来世代を細分化することも可能である。
しかしながら,近い将来世代を細分化し,現在世代と同様,現行の政策が維持されるとすると,近い将来世代は
0歳世代の受益・負担とほぼ同じとなる一方,最終的な債務の負担がさらに遠い将来世代に先送りされる結果と
なり,分析の意義が乏しいと考えられる。
27) 現行の政策が維持される前提をいう。
28) 細分化されない遠い将来世代については,現在世代の人々の関心が強くないと考えられることから,推計結果
の表示においてその受益・負担については明示的に示さないことも選択肢となる。
29)
吉良(2006)は,現在世代の生存にとって,その社会実践を直接に引き継ぐ「近い将来世代」の存在が不可欠
であるとの観点から,配慮義務の正当性を議論している。
30) 正確には,0歳世代の寿命分の前提が必要。
31) 細分化する近い将来世代の年数分だけ経済前提を延長する必要がある。
─ 33 ─
滋賀大学経済学部研究年報 Vol.20 2013
応用分析としては,特定時点での債務残高等
価に活用する意義を示した研究事例といえる。
の将来シナリオを変えた場合に,現在世代及び
同様に,毎年度定期的に世代会計の推計を行う
将来世代に属する各世代の受益と負担にどのよ
ことにより,毎年度の政策変更が世代間公平に
うな影響を与えるかの分析が可能である。
与える影響についての政策評価に活用すること
も可能であろう34)。
Ⅲ -1-5 手法の選択
以上,コトリコフの手法及びその展開形であ
Ⅲ -2-2 セグメント別の推計
る3類型の手法を概観した。展開形である3類
世代会計は,世代に属する人々を一括りにし
型は,コトリコフの手法における問題点に対応
て,各世代の政府に対する受益と負担の平均値
した手法であるが,それぞれにメリット・問題
を推計している。「全国消費実態調査」個票等
点を抱えることとなるため,無条件にコトリコ
から計算される世帯類型別の受益と負担をみる
フの手法への改善と言えるわけではない。この
と,同一世代に属する家計であっても,世帯類
ため,世代会計の活用にあたっては,目的に応
型によって大きな違いがみられる。世代会計は,
じた手法の選択が重要となる32)。
あくまで各世代の平均値による世代間不均衡の
Ⅲ -2 その他の手法面の工夫
比較であることに留意が必要である。
この点についての改善策として,各世代に属
コトリコフの手法の問題点に対応したⅢ-1
する人々をその属性によりセグメントに分類し,
で示した展開形の3類型以外にも,これまで付
世代会計を推計することができる。例えば,増
加的な分析を伴う研究がなされている。以下で
島ほか(2010c)では,所得階層・居住地ごとに
は,こうした先行研究をサーベイする(表2参
世代会計を推計し,政府を通じた受益・負担を
照)。
世代間のみならず,世代内の所得階層あるいは
居住地の違いによってどの程度異なるかを分析
Ⅲ -2-1 時系列評価による政策評価
している。また,鈴木(1999)では,公表され
宮里(2009,2011)では,過去に遡って時系
ている諸統計を活用して男女別の世代会計の推
列的に推計を行うことで,世代間格差の改善・
計を行っている35)。
悪化が景気等による一時的なものか,恒常的な
セグメント別の推計は,世代別の平均値にと
ものかについて検証している。さらに,時系列
どまらない分析を可能とするものであり,特に
的な分析を行うことで,どのような世代間再分
所得階層ごとの推計は,世代内の格差に配慮し
配政策が採られてきたかを検証することができ
つつ世代間公平を確保する観点から,意義深い
る33)。
研究であると考えられる。ただ,個人の受益・
宮里(2009,2011)は,過去のデータについ
負担に算入される政府の支出・収入の各項目を
て時系列的な分析を行うことで,過去の政策評
年齢階層に加えて所得階層などのセグメント別
─────────────────────────────────
32) 展開形である3類型のベースはコトリコフの手法であり,目的に応じて複数の手法を組み合わせて推計結果を
示すことも可能である。
33) 宮里(2009)における1990年代の世代間再分配政策の分析を拡張して,宮里(2011)では1990年,2000年代の世
代間再分配政策について分析を加えている。佐藤(2012)は,2005年と2010年の日本の世代会計の推計を行い,
推計結果を比較することで日本の世代間不均衡が拡大してきていることを示している。
34) 世代会計の推計結果の変化が,政策変更の影響か足元のマクロデータの影響かといった要因分析を併せて行う
ことが重要である。
35) そもそも Auerbach, Gokhale and Kotlikoff(1991)における推計は,男女別である。鈴木(1999)は,日本にお
いて,統計データの制約の中で男女別の推計を行った初めての研究である。
世代会計の手法面の展開と類型(水谷 剛)
─ 33 ─
に分配する必要があり,データの制約・信頼性
が今後の課題となりうると考えられる。
Ⅳ 先行研究の前提の置き方
Ⅲ -2-3 物価上昇率を考慮した分析
世代会計の推計は,前提の置き方により影響
島澤(2011)においては,インフレに伴う通
を受けるため,現実的で説明可能な前提を置く
貨発行益(シニョレッジ)を国民から政府への
ことは極めて重要である。以下では,前提の置
所得移転とした世代会計をするなど,
インフレ・
き方を中心に主な先行研究をサーベイする(表
デフレを考慮した世代会計を推計するとともに,
3参照)。
マイルドなインフレ(2%)が実現したケース
についてのシミュレーションを行っている。こ
Ⅳ -1 先行研究の概要
れは,世代会計の推計は実質タームで計算され
各 研 究 の 特 徴 を 概 観 す る と,Auerbach,
るものの,インフレによる通貨発行益は実質的
Gokhale and Kotlikoff(1991)は,コトリコフら
な課税に等しいという考え方に基づくものであ
による最初の世代会計の推計である。麻生・吉
る36)。
田(1996)は初期の代表的な日本の世代会計の
推計である。内閣府(2005)は経済財政白書(平
Ⅲ -2-4 一般均衡モデルによる推計
成17年版)における日本の世代会計の推計38)
Ⅱ-3-1で示した政府行動の変化に対する
である。吉田(2006)は,17か国による国際比
家計の反応が考慮されていない(③)という世
較プロジェクトである Auerbach, Kotlikoff and
代会計の問題点への対応として,多くの研究者
Leibfritz(1999)と同様の手法・前提による日
により一般均衡世代重複シミュレーションモデ
本の世代会計の推計である。島澤(2007)
,宮
ルによる分析が行われている37)。
里(2009)
,増島・田中(2010a)
,佐藤(2011)は,
将来の経済予測が目的であれば,政策変更の
それぞれ日本の主な世代会計の研究者による
マクロ経済への影響を考慮した一般均衡モデル
比較的最近の日本の世代会計の推計である39)。
の妥当性は高まると考えられるが,複雑で作業
Batini, Callegari and Guerreiro(2011)は,IMF
面における負担が大きい上,世代間公平につい
Working Paperとしてまとめられた米国の世代
て分かりやすく情報を提供する観点からは一般
会計の推計である。
均衡モデルは,一般の人々に理解しにくい問題
もある。このため,政策変更のマクロ経済への
Ⅳ -2 先行研究の前提の置き方等
影響が考慮されない限界はあるが,世代会計の
以下では,世代会計の前提の置き方を中心に,
簡便で理解しやすいメリットは大きいと考えら
主な先行研究についてサーベイする。
れる。
Ⅳ -2-1 世帯・個人
コトリコフをはじめとする海外の研究では,
個人ベースのデータによる分析が中心である。
─────────────────────────────────
36)
Auerbach, Gokhale and Kotlikoff
(1991)
においては負担項目に通貨発行益
(シニョレッジ)
が算入されているが,
日本の研究では算入されていないケースがほとんどである。
37) 表1〜表3は,世代会計の先行研究について整理したものであり,一般均衡による分析は掲載していない。
38)
このほか,白書における推計は,経済企画庁(1995),内閣府(2001,2003)があるが,ここでは最新の推計を
取り上げた。
39) 各研究者の比較的最近の推計の中で,前提の置き方等が確認できる研究を取り上げている。
─ 33 ─
滋賀大学経済学部研究年報 Vol.20 2013
一方,日本では受益・負担の各項目を世代別に
受益に算入されておらず,その後の国際比較
分配するときに用いる「全国消費実態調査」等
プロジェクトである Auerbach, Kotlikoff and
の統計が世帯ベースとのデータの制約があるた
Leibfritz(1999)等の研究では教育費を受益に
め,日本の先行研究においては,世帯ベースも
算入するケースの試算も行われている43)。日
しくは個人ベースではあっても世帯データによ
本の先行研究では,国際比較プロジェクトに倣
り受益・負担を各世代に分配することが一般的
い教育費を受益に算入するケースも示す推計が
となっている。なお,日本の最近の研究では,
あるほか,経済企画庁(1995)においては,Ⅱ
個人ベースの研究(ただし,世帯データにより
-3-1で示したコトリコフの手法において政
受益・負担を各世代に分配)が多くなっている。
府消費や政府投資などの便益を考慮していない
(①)との批判に対応して,政府消費,政府投
Ⅳ -2-2 年齢区分
資を含むすべての支出項目を受益に算入して推
年齢区分の表示については,コトリコフをは
計を行っている44)。
じめとする海外の研究では,1歳刻みで推計を
教育費については,米国の統計では教育費が
行い5歳毎に表示するケースが多い。日本の先
移転支出に分類されていないため,当初受益に
行研究では,データの制約から10歳刻み(又は5
算入されなかった。日本の SNA 統計では,教
歳刻み)で推計・表示するケースと海外の研究
育費の大部分は医療・介護の現物給付とともに
に倣い1歳刻みで推計し5歳毎に表示するケー
「現物社会移転」に含まれており,医療・介護
ス40)に分かれる。いずれのアプローチでも,推
の現物給付が受益に算入されていることとの整
計結果に大差はないと考えられ,目的との関係
合性の観点からは,教育費を受益に含める妥当
で理解しやすい表示をすることが重要であろう。
性があると考えられる。また,教育費を受益に
なお,
経済財政白書等の一部の先行研究では,
算入する場合,保護者世代の受益とするか子ど
20歳未満及び今後生まれる世代を「将来世代」
も世代の受益とするかの検討が必要となる。
と定義し,世代間不均衡は20歳代世代と「将来
政府消費,
政府投資については,
前述のとおり,
世代」を比較しており,結果の解釈にあたって
コトリコフはこれらの利益を各世代に帰属させ
留意が必要である41)。
るのは困難であるため,受益に算入していない
としている。実際,政府消費,政府投資を受益
Ⅳ -2-3 受益への算入項目
に算入している先行研究では,政府消費,政府
コトリコフの推計では,政府消費,政府投
投資からの受益45)を人口・世帯数に応じて各
資42)及 び 教 育 費 は 非 移 転 支 出 と し て 個 人 の
世代に均等に分配しており46),合理的・論理
─────────────────────────────────
40) 日本の研究において,1歳刻みで推計する多くのケースでは,仮に分配に関するデータが10歳刻みの場合は,
該当する世代区分に均等に割り振るもしくは線形を仮定するケースが多い。
41) 経済財政白書における世代会計は世帯ベースであり,
データの制約から20歳以上を現在世代として推計している。
20歳未満を将来世代とすることについては,20歳未満の世代は投票権を持たないため社会の意思決定に参画でき
ないため将来世代に含めるとの積極的な理由づけも考えられる。
42) 世代会計の先行研究では,政府投資を含めて「政府消費」としている場合が多いが,SNA 上の政府消費との
混同を避けるため,本稿では政府消費と政府投資を分けて記述している。
43) 多くの先行研究では,国際比較プロジェクトに倣い,教育費を算入しないケースを「ケースA」,教育費を算
入するケースを「ケースB」として,推計結果を表示している。
44) その後の経済財政白書(内閣府(2001,2003,2005))においても政府消費及び政府投資を受益に算入している。
45) 政府投資については,投資額そのものではなく,公的資本ストックからの固定資本減耗額を毎年の受益として
捉える研究もある。
46) このため,各世代の受益が増加し,各世代の純負担額が小さく推計される結果となる。
世代会計の手法面の展開と類型(水谷 剛)
─ 33 ─
的な方法で政府消費,政府投資を各世代に分配
このほか,Ⅱ-3-1の政府の歳入・歳出の
している先行研究はほとんどないと考えられる。
将来推計の前提条件が恣意的であるとの問題点
政府消費,政府投資を受益に算入しない理由と
(④)に対する改善として,中長期試算等の政
して,各世代への合理的な分配が困難であるほ
府試算と整合性をとった研究50)や成長率を労
か,個人の予算制約に直接影響を与えないため
働生産性上昇率と生産年齢人口増加率に分解し
とする考え方もある47)。一方,政府消費,政
てより精緻化した研究51)もある。なお,政府
府投資を受益に含めない場合,ほとんどの世代
の中長期試算は一般均衡モデルであることから,
において負担超となり,負担に見合う受益を受
中長期試算と整合性をとることで,政府行動の
けていないとの誤解を招くおそれがある。受益
変化に対する家計の反応が考慮されていない問
項目に何を含めるかは,推計の一つの大きな論
題点(③)への対応となりうる。
点であり,
いずれのアプローチをとる場合でも,
また,長期にわたる適切な成長率や金利の設
推計結果とともに,受益項目に何が含まれ,
「純
定は困難であるため,多くの研究では基本ケー
負担」が何を意味するのかを明確に示す必要が
ス以外に成長率・金利の設定を変更した試算を
あると考えられる。
行う感応度分析を行っている52)。いずれにし
ても,世代会計は財政の超長期の推計という一
Ⅳ -2-4 成長率・金利
面もあるため,成長率・金利について,合理的・
Ⅱ-3-1において,コトリコフの手法に対
論理的な前提を置くことが重要である53)。
して,割引率の想定に大きな影響を受ける問題
点(⑤)が指摘されている。世代会計の推計結
Ⅳ -2-5 人口推計
果は,成長率・金利の前提に大きく左右され
日本の個人ベースの世代会計の推計では,社
るため,成長率・金利の置き方が重要なポイ
会保障・人口問題研究所の中位推計を使用する
ントとなる。Auerbach, Gokhale and Kotlikoff
ケースがほとんどであり,世帯ベースの推計で
(1991)では,成長率0.75%,金利6%を基本ケー
も世帯数の算出にあたり中位推計を活用するこ
スとしていたが,その後の国際比較プロジェク
とが,一般的である。また,一部の研究では,
トでは成長率1.5%,金利5%が使用されてい
中位推計を用いた基本ケースに加えて,高位推
る48)。表3において,成長率1.5%,金利5%
計・低位推計を用いた感応度分析を行っている。
を基本ケースとしている先行研究49)は,こう
社会保障・人口問題研究所の人口推計が存在す
した国際比較プロジェクト等の研究との比較可
る期間以降は,人口構成が定常状態になると仮
能性を考慮したものであると考えられる。
定することが一般的である。
─────────────────────────────────
47) 吉田(2008)参照。
48) アゥアバック・コトリコフ・リーブフリッツ(1998)において,「割り引かれている税や給付等のフローの不確
実性を考えると,この率(実質政府短期借入利率を上回る5%)は正当化できると思う」との金利の設定につい
ての考え方が示されている。
49) 吉田(2006),島澤(2007),佐藤(2011)。
50) 内閣府(2005),増島・島澤・村上(2009),増島・田中(2010a)など。
51) 増島・島澤・村上(2009),増島・田中(2010a)など。
52) Ⅱ-2で述べたとおり,コトリコフは「今日までのところ,世代会計は適切なリスク調整についてまだ究極的
な手法を確立していないため,複数の割引率を用いて世代会計を推計するのが標準的な方法」と整理している。
53) 世代会計における受益・負担,非移転支出は,基本的に成長率で増加し利子率で割り引かれることとなる。日
本の現状を考えると,現在世代の受益・負担構造の PB 赤字分及び現在の政府債務残高を将来世代の負担で返済
する世代会計の枠組みとなるため,金利成長率格差(金利-成長率)が大きければ,遠い将来の負担分が大きく
割り引かれることとなり,将来世代の負担が大きくなる。
─ 33 ─
滋賀大学経済学部研究年報 Vol.20 2013
Ⅳ -2-6 社会保障
担が減少することとなるため「世代間不均衡」
コトリコフの世代会計においては,すでに決
は大きくなるという問題点がある54)。こうし
定されている政策は推計に反映させることとさ
た問題点への対応として,純負担の額ベースに
れており,日本における多くの先行研究では平
よる比較ではなく経済成長による所得の伸びを
成16年年金改革等の決定された政策を推計に反
勘案して生涯所得に対する純負担の比率を示す
映させている。現実の推計にあたっては,社会
「生涯純負担率」55)の指標がある。生涯純負担
保障に限らず,どこまでを決定された政策とみ
率については,分母・分子両方に将来・過去の
て推計に反映させるか,どのような形で定量化
割引率が適用されるため,割引率の設定の影響
して反映させるか等が論点となりうる。また,
を軽減できるメリットもある。
受益の太宗を占める社会保障について,どこま
このほか,前述のとおり,財政の持続可能性
で精緻に推計に組み込むかという課題もある。
に注目する場合,現行の政策を継続したときの
財政不足額の指標であるサステイナビリティ・
Ⅳ -2-7 不均衡等の指標
ギャップを示す方法もあり,海外の研究ではサ
世代会計の推計結果をどのような数値を用い
ステイナビリティ・ギャップに重点を置いた研
て指標化するかも重要である。コトリコフの研
究も多い56)。
究や国際比較プロジェクトでは,現在世代と将
来世代の間の不均衡を表す指標として,0歳世
Ⅳ -2-8 感応度分析・政策分析
代に対する将来世代の生涯純負担の増加率であ
成長率・金利等の前提の置き方を変えること
る「世代間不均衡」という指標を用いており,
で,推計結果の方向性に変化がないかといった
日本でもこれに倣った研究が多い。
推計結果の強固さを見る感応度分析は多くの研
ただ,問題点として,Ⅱ-3-1で示したと
究で行われている。こうした感応度分析は,Ⅱ
おり,純負担額では経済成長による所得水準の
-3-1で示した政府の歳入・歳出の将来推
変化が考慮されず,各世代の実質的な負担の重
計の前提条件が恣意的であるとの問題点(④)
さを測れないといった問題点(⑨)が指摘され
及び割引率の想定に大きな影響を受ける問題点
ている。また,「世代間不均衡」を0歳世代に
(⑤)への対応の一つであると位置づけること
対する将来世代の純負担額の増加率で示すこと
ができる。先行研究では,感応度分析として,
については,基準となる0歳世代の純負担額が
成長率・金利のほか,人口推計等についても前
小さくなると,「世代間不均衡」は大きくなる
提を変えた研究57)がある。
という問題がある。例えば,国際比較プロジェ
また,感応度分析とは視点が異なるが,将来
クトにおける教育費を算入しないケースと教育
の人口構成が変わらないとした場合の推計と比
費を算入するケースを比較すると,教育費を算
較することで,世代間不均衡の推計結果のうち
入するケースでは0歳世代も将来世代も同様に
少子高齢化の要因がどの程度かを評価する要因
受益が増加することとなり生涯純負担額の差は
分析も可能である58)。少子高齢化の要因分析
ほとんど変わらないが,分母・分子ともに純負
のほか,現行の政府純債務残高をゼロと仮定し
─────────────────────────────────
54) 例えば,教育費を算入しないケースで0歳世代の純負担が100,将来世代の純負担が200の場合「世代間不均衡」
は100%となるが,教育費を算入しないケースで教育費の受益(50とする)を控除すると0歳世代の純負担が50,
将来世代の純負担が150となり「世代間不均衡」は200%に上昇する。
55)「生涯純税負担率」と呼ばれることもある。
56) Bonin(2001)に詳しい。
57) 島澤(2007),増島・田中(2010a)など。
58)Auerbach, Gokhale and Kotlikoff(1991)
,Auerbach, Kotlikoff and Leibfritz(1999)
,吉田(2006)
,島澤(2007)など。
世代会計の手法面の展開と類型(水谷 剛)
─ 33 ─
て試算したケースと比較した政府純債務残高の
最後に,世代会計の今後の方向性について,
影響の要因分析もある59)。
若干の考察を加える。
感応度分析,要因分析及びⅢ-1で述べた現
在世代が残りの生涯に直面する受益と負担を変
Ⅴ -1 毎年度の推計
化させて行うシミュレーションによる政策分析
宮里(2009,2011)では,過去に遡って時系
の推計上のプロセスは同一であり,目的に応じ
列的に世代会計の推計を行うことで,世代間格
てこうした分析を行うことで,推計に付加価値
差の改善・悪化が景気等による一時的なものか,
を加えることが可能である。
恒常的なものかについて検証を行い,その意義
Ⅳ -3 先行研究における推計結果
本稿は,世代会計の推計結果の数字の意味や
世代会計の限界を含めた手法面の理解を共有す
ることが不可欠との観点から,手法面を中心と
を確認している61)。同様に,世代間公平や財
政の持続可能性の状況を毎年度推計することは
重要である。
Ⅴ -2 国際比較
して整理するものである。このため,先行研究
世代会計は,Auerbach, Kotlikoff and Leibfritz
の推計結果の数字自体を比較することが主眼で
(1999)の国際比較プロジェクトが実施されて
はないが,手法の選択や前提の置き方が推計結
以来,世界的な国際的な比較は行われていない。
果に与える影響を評価する参考とするため,別
欧州財政危機や米国の債務上限問題を受けて,
表において各先行研究の「世代間不均衡」の値
各国財政の持続可能性に注目が集まる中,世代
を示した。各先行研究の基準時点の違いもある
会計の国際比較を行うことは有意義である。
が,各研究の推計結果である「世代間不均衡」
今後,国際比較が行われる場合,1999年の国
の差はかなり大きく,手法の選択や前提の置き
際比較プロジェクトの手法や前提(例えば,成
方の重要性が確認される。
長率1.5%,金利5%)とは異なる手法や前提で
比較されることも考えられ,日本の世代会計の
Ⅴ 今後の方向性
推計や手法の進展を国際的に発信していくこと
が重要と考えられる62)。
コトリコフが提唱した世代会計に対しては,
その手法や前提の置き方に対するさまざまな批
Ⅴ -3 財政の破綻可能性の考慮
判があるが,本稿でみてきたとおり,その後の
コトリコフの世代会計においては,政府の異
研究において,こうした批判に対応した手法面
時点間の予算制約が満たされることを前提と
の展開がみられる。世代会計の手法や前提につ
し,現在世代の残りの生涯には現行の政策が維
いて理解した上で,世代会計の手法や前提の置
持される一方,将来世代が先送りされた債務を
き方を適切に選択することにより,世代間公平
負担するとの非対称な仮定が置かれている
(⑦)
。
について正確で分かりやすい情報を伝える世代
しかしながら,仮に債務の先送りを続け,近い
会計の有用性は確保されると考えられる60)。
将来に財政破綻が起こるような場合には,金利
─────────────────────────────────
59) Auerbach, Kotlikoff and Leibfritz(1999)など。
60) 本稿では,世代会計の手法面の定性的な改善に焦点を当てており,世代会計の有用性の定量的検証は今後の課
題としたい。
61) Ⅲ-2-1参照。
62) 2011年に IMF Working Paper において米国の推計が行われており(Batini, Callegari and Guerreiro(2011))
,
前提の置き方等の一つの方向性を示すものとなる可能性がある。
─ 33 ─
滋賀大学経済学部研究年報 Vol.20 2013
の急上昇や経済の混乱を通じて,その時点で生
きている現在世代の受益・負担にも影響するこ
ととなる。このため,将来の財政の破綻可能性
を考慮に入れた世代会計の推計を行い,債務の
先送りが現在世代にも悪影響を与える可能性が
あることを示すことは,世代間公平に関する正
確で分かりやすい情報を伝える上で有益である
と考えられる。
参考文献
アゥアバック・アラン J・ローレンス J・コトリコフ・
ウィリー・リーブフリッツ(1998)「世代会計の国
際比較」『金融研究 1998.12』,日本銀行金融研究
所
麻生良文・吉田浩(1996)「世代会計からみた世代別
の受益と負担」『フィナンシャル・レビュー』第39
号
吉良貴之(2006)「世代間正義論──将来世代配慮責
務の根拠と範囲」『国家学会雑誌』119巻5・6号
経済企画庁(1995)『経済白書(平成7年版)』
佐藤康仁(2005)「国民負担と世代会計論」『東北学院
大学経済学論集』,東北学院大学学術研究会
佐藤康仁(2011)「世代間均衡の回復と世代間利害調
整の必要性」
『経済政策ジャーナル』第8巻第2号,
日本経済政策学会
佐藤康仁(2012)「2005年と比較した2010年の日本の
世代間不均衡─2010年基準世代会計の基本推計結
果─」日本財政学会第69回大会報告論文
島澤諭(2007)「財政再建が世代間不均衡に与える影
響について:世代会計による定量的な分析」早稲
田大学現代政治経済研究所
島澤諭(2011)「世代間格差の政治経済学」『季刊 個
人金融』Vol.6 No.2,㈶ゆうちょ財団
鈴木玲子(1999)「個人別世代会計による受益と負担
の分析:世代間移転構造からみた財政の問題点」
日本経済研究センター
内閣府(2001)『経済財政白書(平成13年版)』
内閣府(2003)『経済財政白書(平成15年版)』
内閣府(2005)『経済財政白書(平成17年版)』
増島稔・島澤諭・村上貴昭(2009)「世代別の受益と
負担~社会保障制度を反映した世代会計モデルに
よる分析~」ESRI Discussion Paper Series No.
217,内閣府経済社会総合研究所
増島稔・田中吾朗(2010a)「世代間不均衡の研究Ⅰ~
財 政 の 持 続 可 能 性 と 世 代 間 不 均 衡 ~」ESRI
Discussion Paper Series No. 246,内閣府経済社会
総合研究所
増島稔・田中吾朗(2010b)「世代間不均衡の研究Ⅱ~
将 来 世 代 の 生 年 別 の 受 益・ 負 担 構 造 の 違 い ~」
ESRI Discussion Paper Series No. 247,内閣府経
済社会総合研究所
増 島 稔・ 島 澤 諭・ 田 中 吾 朗・ 杉 下 昌 弘・ 山 本 紘 史
(2010c)「世代間不均衡の研究Ⅲ~現存世代内の受
益・負担構造の違い~」ESRI Discussion Paper
Series No. 248,内閣府経済社会総合研究所
三菱 UFJリサーチ&コンサルティング(2010)
「世代
会計モデル・ライフサイクルモデルを用いたシミュ
レーション分析① 世代間格差の現状と消費税増
税・子ども手当政策のシミュレーション分析」
MURC 政策研究レポート
宮里尚三(2009)「1990年代の世代間再分配政策の変
遷─世代会計を用いた分析」井堀利宏編『バブル/
デフレ期の日本経済と経済政策5 財政政策と社
会保障』第8章 慶應義塾大学出版会
宮里尚三(2011)「1990年,2000年代の世代間再分配
政策の変遷:世代会計を用いた分析」,金融調査研
究会報告書(47)『超高齢社会における社会保障・
財政のあり方』第3章,金融調査研究会
吉田浩(1995)「世代会計によるアプローチ」『ESP』
第277号
吉田浩(2006)「世代会計による高齢化と世代間不均
衡に関する研究(改訂版)─2000年基準による世代
会計推計結果─」高山憲之編『少子化の経済分析』
東洋経済新報社
吉田浩(2008)「世代会計による世代間不均衡の測定
と政策評価」,貝塚啓明・財務省財務総合政策研究
所編著『人口減少社会の社会保障制度改革の研究』,
中央経済社
Auerbach, Alan J., Jagadeesh Gokhale and Laurence
J. Kotlikoff( 1991)“Generational Accounts: A
Meaningful Alternative to Deficit Accounting,”in
Bradford, David eds., Tax Policy and the
Economy, Vol. 5
Auerbach, Alan J., Jagadeesh Gokhale and Laurence
J. Kotlikoff(1994)“Generational Accounting: A
Meaningful Way to Evaluate Fiscal Policy”,
Journal of Economic Perspectives, Volume 8,
Number 1 Winter 1994
Auerbach, Alan J., Laurence J. Kotlikoff and Willi
Leibfritz(1999)“An International Comparison of
Generational Accounting”, Generational
Accounting around the World, University of
Chicago Press
Batini, Nicoletta, Giovanni Callegari and Julia
Guerreiro(2011)“An Analysis of U.S. Fiscal and
Generational Imbalances: Who Will Pay and
How?”IMF Working Paper, WP/11/72
Bonin, Holger(2001)Generational Accounting :
Theory and Application , Springer, Berlin
Cutler, David(1993)“Review of Generational
Accounting: Knowing Who Pays, and When, for
What We Spend,”National Tax Journal Vol. 46
No. 1
Diamond Peter(1996)“Generational Accounts and
Generational Balance: An Assessment,” The
National Tax Journal, Vol.49, No.4
世代会計の手法面の展開と類型(水谷 剛)
Haveman Robert( 1994)“Should Generational
Accounts Replace Public Budgets and Deficits?”
Journal of Economic Perspectives, Vol.8, No.1
Kotlikoff, Laurence J.(1997)“Reply to Diamond’
s
and Cutler’
s Reviews of Generational
Accounting,”National Tax Journal Vol. 50, No. 2
Takayama, Noriyuki, Yukinobu Kitamura and
Hiroshi Yoshida(1999)“Generational Accounting
in Japan”in Auerbach, A. J., Kotlikoff L.J. and
Leibfritz eds.,Generational Accounting around the
World, NBER
─ 33 ─
付加的な分析のポイント
表2.付加的な分析を伴う先行研究
内容
物価上昇率を考慮した分析 インフレに伴う通貨発行益を国民から政府への所得移転とするなど,インフレ・デフレを考慮した世代会計を推計。
(出典)内閣府資料を基に作成
島澤(2011)
過去に遡って時系列的に世代会計の推計を行うことで,世代間格差の改善・悪化が景気等による一時的なものか,恒常的なものかについ
宮里(2009)
時系列評価による政策評価
て検証。
所得階層・居住地ごとに世代会計を推計し,政府を通じた受益・負担を世代間のみならず世代内の所得階層あるいは居住地の違いによっ
増島ほか
(2010c) 所得階層別,地域別の推計
てどの程度異なるかを分析。
研究
(出典)内閣府資料を基に作成
さらに将来世代を
細分化して拡張し
た手法
コトリコフの手法
を 過 去 の 受 益・ 負
担を含めて拡張し
た手法
サステイナビリ
テ ィ・ ギ ャ ッ プ を
用いた手法
コトリコフの手法
表1.先行研究の4類型
概要
メリット(○)と問題点(△)
応用分析の類型<主な研究>
・現 在世代の残りの生涯において現行の政 ○標 準的な手法であり,海外を含む多くの ・受益と負担を変化させて行うシミュレーション
策が維持され,先送りされた債務は将来 先行研究と比較可能
< Auerbach, Gokhale and Kotlikoff
(1991)
,
吉田
(1995)
,
麻生・吉田
(1996)
,
,鈴木(1999)
,島澤(2007)>
世代全体で負担するとの仮定の下,現在 ○毎 年度推計による世代間不均衡の経年変 Takayama, Kitamura and Yoshida(1999)
世代(0歳世代)と将来世代の世代間不均 化の分析が可能
・現在世代(0歳世代)と将来世代の世代間均衡を確保するため,現時点か
衡を分析
△過 去の受益・負担が含まれないため,現 ら受益と負担を変化させて行うシミュレーション
在世代のうち現在の高齢者層と若年層の <吉田(1995,2006)
,麻生・吉田(1996)
,島澤(2007)
,佐藤(2011)>
世代間の比較が不可能
△将 来世代の純負担が平均値で示されるた
め,将来の特定世代の受益・負担が不明
・現 在 世 代・ 将 来 世 代 と も に 現 行 の 政 策 ○サ ステイナビリティ・ギャップの将来に ・受益と負担を変化させて行うシミュレーション
が維持されるとの仮定の下,財政不足額 向けた GDP の合計(割引現在価値)に対 < Bonin(2001),Batini, Callegari and Guerreiro(2011)>
の割引現在価値(サステイナビリティ・ する比率を計算することで,財政の持続 ・財政の持続可能性を確保するため,現時点(または将来の特定時点)から
ギャップ)を推計することで財政の持続可 可能性確保に必要な PB 改善幅の対 GDP 受益と負担を変化させて行うシミュレーション
<内閣府(2001),Batini, Callegari and Guerreiro(2011)>
比を明示可能
能性を分析
・コ トリコフの手法の副産物として算出可 ○毎 年度推計による財政不足額の経年変化
能
の分析が可能
・コ トリコフの手法による残りの生涯にお ○現在世代の中での各世代間の比較が可能 ・受益と負担を変化させて行うシミュレーション
ける受益・負担に,各世代の過去の受益・ ○毎 年度推計による世代間不均衡の経年変 <増島・田中(2010a)>
負担を加えることにより,現在世代のう 化の分析が可能
・現在世代(0歳世代)と将来世代の世代間均衡を確保するため,現時点か
ち各世代間の不均衡についても分析可能 △将 来世代の純負担が平均値で示されるた ら受益と負担を変化させて行うシミュレーション
め,将来の特定世代の受益・負担が不明 <三菱 UFJ リサーチ&コンサルティング(2010)>
△過去分についてデータの制約,手間
・将 来世代を細分化し,債務残高や財政収 ○将 来の特定世代の受益・負担の分析が可 ・特定時点での債務残高等の将来シナリオの相違が,将来世代のうち各世
支等の将来シナリオの仮定の下で,将来 能
代の受益と負担に与える影響を分析
世代のうち各世代の受益と負担について △経 済や財政に関して超長期にわたる前提 <増島・田中(2010b)>
も分析可能
を置く必要
─ 33 ─
滋賀大学経済学部研究年報 Vol.20 2013
×
○
○
○
×
―
世代間不均衡※
・成長率・金利
・人口(一定)
・ 税 制 変 更, 歳 出 ・ 直 間 比 率 変 更, ―
変更等の政策分析 年 金 カ ッ ト の 政 策
分析
・世代間均衡確保
のための政策分析
社会保障
不均衡等の指標
感応度分析
政策分析
g=1.5%
r=5.0%
×
g=2.0%
r=4.0%
×
○
×
×
○
個人
5歳毎に表示
2008
g= 米議会予算局の
長期財政見通し
r=3.0%
g =1.5%
r =5.0%
878.7%
51.7%(将来世代と 240.6%
20歳 代 と の 比 較,
1998年)
589.6%
・金利
・個人所得税の別
データ
・財政の持続可能
性確保のための政
策の分析
・財政再建の遅れ
の影響分析
・医療制度改革,減
税延長等の政策分析
―
平 成16年 年 金 改 革 決 定 さ れ た 政 策 を
を反映
反映
世代間不均衡※
サステイナビリ
テ ィ・ ギ ャ ッ プ,
生涯純負担率
中位推計(2100年以
降一定)
×
×
×
○
個人
5歳毎に表示
Batini, Callegari
and Guerreiro
(2011)(米国)
2010
×
×
×
○
個人
5歳毎に表示
2005
増島・田中(2010a) 佐藤(2011)
・成長率・金利
・金利
・成長率・金利
―
・人口(高位・低位,・人口(92,97年基 ・出生率(高位・低
一定)
準)
位)
・2105年債務安定化・ ・ 世 代 間 均 衡 確 保
・ 世 代 間 均 衡 確 保 ・増税の政策分析 ―
債務解消ケース等 のための政策の分
のための政策の分 ・財政再建の遅れ
の試算
析
の影響分析
析
・財政再建の遅れ ・世代間均衡確保
のための政策の分
の影響分析
析
・成長率・金利
・人口(一定)
54.2%(将来世代と 176.2%(将来世代と 591.7%
20歳代との比較) 20歳代との比較)
20歳代と比べた将来
世代の生涯純負担の
増加率,サステイナ
ビリティ・ギャップ
―
―
※「世代間不均衡」は,0歳世代に対する将来世代の生涯純負担の増加率(%)
(出典)内閣府資料を基に作成
基 本 ケ ー ス の 推 計 86.4%(男性)
結果(世代間不均衡 52.3%(女性)
※)
米社会保障局によ 中位推計から世帯
る人口推計
数を算出(2090年以
降一定)
―
1990 ~ 98( 時 系 列
的に分析)
世帯
10歳刻み(20歳代以
上が現在世代)
○
△(子ども世代に算 ×
入するケースも試
算)
×
×
○
個人
5歳毎に表示
2004
宮里(2009)
【2023年まで】中長期
試算「慎重シナリオ」
【2024年以降】
g =生産性上昇率
(1.5%)+生産年齢
人口増加率
r = g +2.0%
【2025年 ま で 】 世 中位推計(2100年以 中位推計(2100年以 中 位 推 計 か ら 世 帯 中位推計(2106年以
降一定)
降一定)
数を算出(2100年以 降一定)
帯数の将来推計
降一定)
【2026年 以 降 】 中
位推計から世帯数
を算出
平 成16年 年 金 改 革 平 成16年 年 金 改 革 平 成16年 年 金 改 革 ―
予定されている制
を反映
を反映
を反映
度変更を反映
生涯純受益(負担) 世 代 間 不 均 衡 ※, 世 代 間 不 均 衡 ※, 20歳 代 世 代 を 基 準 生涯純負担率
サ ス テ イ ナ ビ リ サ ス テ イ ナ ビ リ に各世代と比較
ティ・ギャップ
ティ・ギャップ
g(一人当たり成長 【2012年 ま で 】 中 g=1.5%
r=5.0%
率)=3.0%
期展望
r=5.0%
【2013年以降】
g=2.0%
r=4.0%
△(子ども世代に算
入するケースも試
算)
×
○(保護者世代に算 ○
入)
人口推計
政 府 消 費, 公 共 投 ×
資の受益への算入
過 去 の 受 益・ 負 担 ×
の推計
成長率・金利
g=0.75%
r =6.0%
社会保障支出等の ○
受益への算入
教育費の受益への ×
算入
個人・世帯
年齢区分
2000
島澤(2007)
表3.主な先行研究の前提等
吉田(2006)
世帯
個人
10歳刻み(20歳代以 5歳毎に表示
上が現在世代)
○
○
個人(男女別)
5歳毎に表示
基準年
世帯
10歳刻み(20歳代以
上が現在世代)
○
Auerbach, Gokhale 麻生・吉田(1996) 内閣府(2005)
and Kotlikoff
(1991)
(米国)
1989
1992
2003
世代会計の手法面の展開と類型(水谷 剛)
─ 33 ─
─ 44 ─
滋賀大学経済学部研究年報 Vol.20 2013
Developments and Classification of Generational Accounting
Approaches
Tsuyoshi Mizutani
In discussing the issue of intergenerational equity, use of what is known as generational
accounting, which aims to quantify the state of such equity, is expected to play a role. For
generational accounting to convey information on intergenerational equity in an accurate,
easy-to-understand manner, one must not only pay attention to the figures but also share an
understanding of the methodology, including the meaning of estimate outcomes as well as
the merits and limitations of generational accounting. In this thesis, we will take an overview
of the criticisms of generational accounting introduced by Laurence Kotlikoff, and look at the
methodological developments in recent studies made in response to such criticisms.
As for Kotlikoff’
s generational accounting, several criticisms have been made, including 1)
past benefits and burdens for current generations are not factored in and comparison can be
made only between the generation aged zero today and future generations; 2)asymmetric
assumptions are made in that“only future generations will bear the burden of resolving the
outstanding deficits; and 3)
the net burden for future generations is shown only as an average
figure for the entire future generations. Recent studies have responded to such criticisms
in three lines of approaches: 1)expanding the scope to include past benefits and burdens;
2)employing the so-called sustainability gap, which looks at the present value of long-run
fiscal deficits; and 3)expanding the discussion by breaking down the future generations. In
addition to such methodological sophistications, researchers have made various other efforts
to respond to criticisms, such as improving on the assumptions on interest rates and growth
rates.
As we have seen so far, a number of criticisms have been leveled at Kotlikoff’
s generational
accounting as to his methods and assumptions, but recent studies have made various
methodological advances in response to such criticisms. I believe that we can ensure the
effectiveness of generational accounting in conveying information regarding intergenerational
equity in an accurate, easy-to-understand manner by understanding the methods and
assumptions involved in generational accounting and by appropriately selecting such
methods and assumptions.
─ 44 ─
滋賀大学経済学部研究年報 Vol.20 2013
商業施設から見た「ファスト風土化」の可能性
─京都市のケースを手がかりに─
山 下 悠
田 口 了 麻
面から考えた場合,この現象の主な原因の1つ
Ⅰ はじめに
に,全国で統一的な機能の整備を優先したこと
による,コンビニエンスストアやファストフー
本論は,三浦展が提唱した「ファスト風土
ド店などのフランチャイズチェーンや,百貨店
(化)
」の概念について,フランチャイズチェー
やスーパーマーケットをキーテナントとし,か
ンやショッピングセンターなどの商業施設の観
つフランチャイズチェーンの店舗群を併せ持つ
点から「ファスト風土化」の過程について分析
ショッピングセンターの大量出店が挙げられ
し,さらに,三浦の主張が景観 1)を重要視す
る。また,これまでの都市研究のうち,都市の
る観光都市においても有効であるかについて考
景観問題が論じられたものに関しては,街路景
察を行うことを目的としたものである。そのた
観に主眼が置かれたものこそ数多くあるが,外
めに,フランチャイズチェーン・ショッピング
観のほとんどが全国的に画一化された商業施設
センター・「ファスト風土(化)
」の3点につい
に着目したものは,少なくとも筆者たちの調べ
て吟味した後に三浦の主張について考察し,そ
た限りでは確認されていない。したがって,実
の上で京都市の現状と比較して分析を試みる。
際にフランチャイズチェーンやショッピングセ
1970年代後半から80年代にかけて全国的に都
ンターが都市機能や都市景観にどのように影響
市基盤整備事業 2)が施行され,その結果,現
しているのかについての議論は,現状行われて
在では国内の各都道府県の中心部のほとんどが
いないと考えられる。
都市的地域 3)となった。しかし,急激な都市
ところで,今述べた商業施設の乱立を含む地
化によって都市機能が劇的に向上した反面,そ
域の都市化および郊外化(以下,引用箇所を除
の代償に従来あった景観の破壊や画一化といっ
き都市化に統一 4)は,地域の消費社会化を急
た問題が生じるようになり,近年はこれらの問
速に促していく。そして,これらの結果として
題の解消が,都市計画や景観づくりにおける重
景観の画一化ないし破壊が起こり,最終的には
要な課題となっている。この問題を商業機能の
地域の独自性が失われる一連のプロセスを指し
─────────────────────────────────
1)「都市景観」を含む「景観(landscape)」は,景観法で「良好な景観」について言及されてはいるが,「景観」
そのものがどういうものかについては特に定められてはいない。これは,「景観」という言葉が景観法施行以前
から様々な学術的分野で用いられており,それゆえに多様な意味を内包しているためである。したがって,「都
市景観」についても定義することが困難ではあるが,渡部(2009)の指摘するように「景観」という言葉には「眺
め」や「街(町)並み」という意味も含まれているという前例に則り,本論では「都市景観」を都市の眺めおよ
び街(町)並みを意味する言葉として用いている。
2) 具体的には,都市再開発法第2条第1項によって定められている「市街地再開発事業」と,1981年に事業制度
が創設された「都市機能更新事業(旧:特定再開発事業)」の二事業である。
3)
「都市的地域」および「都市」については,社会科学の各分野において多様な解釈が存在しており,統一的な
定義が未だに定められていない。しかし,都市機能(商業機能や行政機能)の有無や人口密度の観点から,各地
方の中心部を「都市的地域」と呼称することは差し支えないと考えられる。
─ 44 ─
滋賀大学経済学部研究年報 Vol.20 2013
て,三浦(2001)は「ファスト風土(化)
」5)と
反対の動きである景観保全や美観形成について
いう言葉を作った。この言葉とそれに象徴され
は言及していない。「ファスト風土化」を肯定
る三浦の言説は,彼の「ファスト風土」論の総
的に語るか否定的に語るかはともかくとして,
決算である『ファスト風土化する日本─郊外化
これらの疑問ひいては「ファスト風土」論に対
とその病理』が出版された2004年以降,言論界
して学術界の側からメスを入れることは,都市
における郊外論および消費社会論のキーターム
と商業施設,都市と景観,商業施設と景観の関
の1つとなった 6)。しかし,このような動き
係性に着目した今後の都市研究の発展において
があったにもかかわらず,
「ファスト風土」論
も,決して無駄ではないと考えられる。
に関する学術的な分析は現在にいたるまで行わ
そこで本論では,まず今回扱うフランチャイ
れておらず,批判についても言論界からのもの
ズチェーンおよびショッピングセンターがどの
に留まっている7)。
ようなものなのか概観し,それを踏まえた上で
三浦の言説に対する筆者たちの疑問は,大別
「ファスト風土
(化)
」
の概念について分析した後,
すると以下の2点である。1点目は,三浦は
「ファスト風土化」が起こる可能性について検
「ファスト風土化」の発生過程や「ファスト風
証する。次に,政令指定都市でありながら市内
土」の現状については述べているが,
「ファス
に多くの名所・観光資源を持つ観光都市でもあ
ト風土化」する原因や,ある地域が「ファスト
る京都市を対象に,⑴景観の破壊という意味で
風土」となりうる根拠については言及していな
の「ファスト風土化」に対してどのような対策
いことである。したがって,どのような地域が
をとっているのか,⑵それらの対策は有効に機
「ファスト風土化」する可能性があるのか,現
能しているのかをそれぞれ検証し,以上をもっ
状ではその判断基準が設定されていないと考え
て,今後の都市研究への一助としたい。
られる。2点目は,三浦が挙げる「ファスト風
Ⅱ 商業施設について
土」の事例の中に京都市が含まれていることで
ある。京都市といえば国内でも有数の観光都市
であるが,観光都市では景観保全や美観形成が
まず,本論で扱う商業施設であるフランチャ
最重要視されるため,景観の破壊という意味で
イズチェーンおよびショッピングセンターが,
の「ファスト風土化」が起こりにくいと考えら
それぞれどのようなものなのかについて述べて
れる。だが,三浦はこの「ファスト風土」と正
いく。
─────────────────────────────────
4) 都市が発展拡大するとき,通常ならば郊外部へと徐々に市街地が拡大していくが,日本の場合,他の先進国お
よび発展途上国と同じように,大規模な区画整理事業が徹底されずに都市開発が先行することによるスプロール
現象が高度経済成長期から発生していた。しかし2000年頃からの大都市圏の地価下落以降,スプロール化によっ
て郊外部に拡散した都市機能の統廃合および再構築が行われた結果,従来郊外と呼ばれていた場所ながら都市部
とほぼ同等の都市機能を有するニュータウン(例えば,大阪府の箕面森町や,宮城県の泉パークタウンなど)が
できるなどといった,郊外化した地域の都市化が起こっている。また,鰺坂ほか(2013)が指摘するように,
1990年代後半から大都市を中心に都心回帰の動きが起こっており,昼夜の人口比較や居住者数の大小のみで都市
部と郊外部(より厳密に言えば,ベッドタウンとしての郊外)を区別することが難しくなっている。したがって,
これらの点を考慮する限り,都市機能の観点からも人口数の観点からも都市部と郊外部の線引きが曖昧となって
きていると言えるため,本論では「都市化」と「郊外化」については,都市機能が整備されるという意味での「都
市化」に全ての呼称を統一している。
5)
これらの用語は三浦の執筆物の中で数多く用いられており,代表的なものは本文でも挙げた三浦(2004)であ
るが,表題に初めて記載されたものは三浦(2001)である。
6)三浦(2004)以後に都市および郊外の商業施設と景観の関係性について論じたものとしては,東・北田(2007),
東(2010),速水(2012)などがある。
7) 具体的には,永江(2010)や宮台(2011)などを参照されたし。
商業施設から見た「ファスト風土化」の可能性
─京都市のケースを手がかりに─(山下 悠・田口了麻)
1.フランチャイズチェーン
─ 44 ─
イズ・システムが考案され,本部が加盟店に対
して商標を使用して商品を販売する権利を譲渡
社団法人日本フランチャイズチェーン協会の
するだけでなく,本部が開発した店舗経営のた
定義に従えば,フランチャイズ・システムと
めのマニュアルやノウハウ(ビジネス・フォー
は事業者(以下,本部)が他の事業者(同,加盟
マット)を使用する権利も譲渡し,本部と加盟
店)との間に契約を締結し,自社の商標や標識
店が共同して事業を行う「ビジネス・フォー
および本部が開発した営業ノウハウを用いて商
マ ッ ト 型 フ ラ ン チ ャ イ ズ 」(business-format
品の販売その他の事業を行う権利を与え,一
franchising)というシステムである。
方,加盟店はその見返りとして一定の対価を支
日本で最初にフランチャイズ・システムが導
払い,事業に必要な資金を投下して,本部の指
入されたのは,1956年の東京飲料株式会社(現,
導および援助のもとに事業を行う両者の継続的
東京コカ・コーラボトリング株式会社)設立で
関係である。主にアメリカの企業が加盟してい
あった。本国アメリカと同様日本においても「商
る「国際フランチャイズ協会」
(International
標ライセンス型フランチャイズ」によって販売
Franchise Association)や「 ヨ ー ロ ッ パ フ ラ
網の拡大が行われた。その後,1963年7月にダ
ンチャイズ連盟」
(The European Franchise
スキンが,10月に不二家が,それぞれ「ビジネス・
Federation)が策定したフランチャイズの定義
フォーマット型フランチャイズ」の店舗を出店
と一部異なる部分はあるものの,フランチャイ
させた。その後,1970年にミスタードーナツと
ズを,⑴資本的に独立した2つの事業者間の契
ケンタッキーフライドチキンが,1971年にマク
約関係で,⑵本部は加盟店に対して営業ノウハ
ドナルドなど,海外フランチャイズ企業が日本
ウを提供して対象となる事業について指導およ
の市場へ参入するのを受けて,日本フランチャ
び援助を行うこと,⑶本部の統制に加盟店が従
イズチェーン協会が1972年に設立された。しか
うこと,⑷加盟店は本部に対価を支払うことと
し,日本フランチャイズチェーン協会の定義に
いう点で定義しているのは同一である8)。
は,最初にアメリカで発達した「商標ライセン
このように定義されるフランチャイズ・シス
ス型フランチャイズ」が含まれていない。これ
テムは,大きく分けて2つのタイプに分けるこ
は,生産者が卸売業者や小売業者との間の関係
とができる。1つは,1850年代にシンガー社が
を自社内に取り込んで販売網を構築する「流通
ミシンの販売を促進するために確立したシステ
系列化」や,小売業者が他の生産者の商品は扱
ムで,20世紀に入りコカ・コーラやフォード,
わないという契約を提携する「専売店」や「特
シェルなど製造企業が,加盟店に対して商品
約店」を日本の多くの製造企業が導入していた
や原材料を供給するとともに,自社の商標を使
ためである。
用して商品を販売する権利を与える「商標ライ
日本フランチャイズチェーン協会が2012年7
センス型フランチャイズ」
(trademark license
月から9月にかけて行った調査によると,日本
franchising)というシステムである。最初にア
国内には小売業333社,サービス業365社,外食
メリカで発達したのはこのタイプであるため,
業529社,その他合計1260社のフランチャイズ
「伝統的フランチャイズ」とも呼ばれる。
チェーンが存在し,総店舗数は約23万9000店,
これに対して,1950年にダンキン・ドーナツ,
売上高で見れば約21兆6000億円にも上る。さら
1954年にバーガーキング,1955年にマクドナル
に,日本フランチャイズチェーン協会がフラ
ドとファストフードの分野で新しいフランチャ
ンチャイズ・システムとして含んでいない「商
─────────────────────────────────
8) 川越(2001)では,フランチャイズ協会による定義と法律上の定義について国際比較を行っている。
─ 44 ─
滋賀大学経済学部研究年報 Vol.20 2013
標ライセンス型フランチャイズ」のチェーンも
て お り,Lafontaine(1992)や Maruyama and
含めると,日本の小売業のおよそ3割をフラン
Yamashita(2010)などでこれらの仮説がアメリ
チャイズ・システムが占めている。特に,1971
カや日本のフランチャイズチェーンでも成立す
年にセイコーマートやココストアが出店したこ
ることが示されている。
とによって始まったコンビニエンスストア業界
もう一つの研究として,本部と加盟店が締結
の台頭は凄まじく,2001年にはセブン -イレブ
する契約項目のうち,「ビジネス・フォーマッ
ン・ジャパンが日本国内の小売業の中で売上高
ト型フランチャイズ」の特徴である,加盟店が
が最大の企業となるなど,フランチャイズ・シ
売上高または粗利益の一部を本部に定期的に支
ステムは社会の多くの関心を集めていると言え
払うロイヤリティに着目し,なぜロイヤリティ
るだろう。
が導入されるのかについて研究が行われている。
このように隆盛を誇るフランチャイズ・シス
Rubin(1978)や Mathewson and Winter(1985),
テムに関する研究は大きく分けて二つの側面か
Lal( 1990),Bhattacharyya and Lafontaine
ら行われている。まず,どのような理由でフラ
(1995)などの分析によって,上で述べた本部
ンチャイズ・システムが導入されているのかに
が怠けるインセンティブが発生しないようにす
関する研究である。上で述べたように,生産者
るためにロイヤリティが導入されていることが
が小売業者を取り込んだり,生産者自ら資金
理論的に示されており,この理論命題について
を投じて販売店を設立するのではなく,あく
は Maruyama and Yamashita(2012)が実証的
まで資本的に独立した事業者として契約関係を
に確認している。
締結して共同で経営を行う理由について,主
にエージェンシー理論に基づく理論的な分析
2.ショッピングセンター
が Rubin(1978)や Lal(1990)
,Bhattacharyya
社団法人日本ショッピングセンター協会の定
and Lafontaine(1995)などで行われている。具
義によると,ショッピングセンターとは「一つ
体的には,本部と販売店は共同して事業を行っ
の単位として計画,開発,所有,管理運営され
ているのだが,販売店が適切に経営を行って
る商業・サービス施設の集合体で,駐車場を備
いるのかについて,本部が商品や原材料の仕
えるものをいう。その立地,規模,構成に応じて,
入量などから監視するのは困難であり,さら
選択の多様性,利便性,快適性,娯楽性等を提
に,需要の不確実性があるため売上高だけから
供するなど,生活者ニーズに応えるコミュニ
行動を分析することも不可能である。このよう
ティ施設として都市機能の一翼を担うものであ
に,本部が販売店の行動を監視できない場合に
る」と定義されており,単独店舗が大型化した
は,販売店に怠けるインセンティブ(モラルハ
ものや,ロードサイドに形成された商業施設群
ザード)が発生する。同様に,本部にも怠ける
との区別がなされている。また,同協会が取り
インセンティブが発生する。販売店は広告投資
扱うショッピングセンターの基準として,小売
や経営指導などについて適切な行動を取るよう
業の店舗面積が1500㎡以上あり,百貨店やスー
に本部へ求めることになるが,そのような本部
パーマーケット,専門小売店といったキーテナ
の行動を販売店が監視できない場合には,本部
ントを除くテナントが10店舗以上含まれている
にも怠けるインセンティブ(モラルハザード)
ことなどが指定されており,核となるキーテナ
が発生し,この二つのモラルハザードを防ぐた
ントがない商業施設がショッピングセンターの
めにフランチャイズ・システムが導入されてい
範囲から漏れていることは注意しておきたい。
るという結論が得られている。この理論命題
ショッピングセンターの先駆的な施設である
が正しいかについての実証分析も多く行われ
とされている商業施設は,1950年に豊橋駅に開
商業施設から見た「ファスト風土化」の可能性
─京都市のケースを手がかりに─(山下 悠・田口了麻)
─ 44 ─
設された。これは,第二次世界大戦によって破
ショッピングセンターのみならず小売店の立
壊された駅舎の建設を国鉄と民間が共同で行い,
地に関する多くの研究は,Hotelling(1929)に
その見返りに商業施設を駅舎内に設けた「民衆
よる線形モデルが用いられており,小売店がど
駅」であった。国鉄という大量輸送が可能な交
こに立地するのか,そして,その場所でどのよ
通手段がある場所に立地し,複数の店舗を並べ
うな競争を行うかについて理論的な分析を行っ
た商業施設は多くの商業者の関心を集め,天王
てきた 9)。この問題について実証的な分析を
寺駅や和歌山駅,姫路駅も同様のシステムで商
行った研究として大屋敷(2012)を挙げること
業施設が駅舎内に設けられた。
ができる。大屋敷(2012)では,日本のショッ
一方,ほぼ同時期に国鉄など鉄道会社に関連
ピングセンターについて,立地する自治体の潜
した商業施設として「地下街」がある。これは
在的な購買力が高く,立地する用地の地価が低
民衆駅とは異なり大都市中心に設立され,交通
いならば,大きなショッピングセンターが出
の利便性を高めるために地上を走る自動車と分
店される可能性が高いという実証結果を得てい
離された地下歩道に面して作られた商業施設で
る。また,大屋敷(2012)では大規模ショッピ
ある。1952年に東京駅地下に開設された東京駅
ングセンターが立地されると中心市街地の経済
名店街を始め,名古屋駅,大阪駅,横浜駅など
にどのような影響を与えるのかについて,中心
で建設された。
市街地の再開発を同時に行った富山市と,行わ
このようなターミナル駅近隣の商業施設開発
なかった青森市との比較分析も行っている。そ
と並行して,食料品や生活必需品の低価格販売
の結果,再開発を行った富山市では他のショッ
によって拡大してきたスーパーマーケットが,
ピングセンターが新たに建設されることで,中
モータリゼーションの進展に伴って郊外のロー
心市街地における小売業全体の売上高を増加さ
ドサイドに,自らのスーパーマーケットをキー
せて雇用も拡大しているのに対し,再開発を行
テナントとしたショッピングセンターを設立し
わなかった青森市では小売業全体の売上高は落
た。関西圏における具体例を挙げると,1968年
ち込み,雇用も減少が続く「中心市街地の小売
に建設された「イズミヤ百舌鳥ショッピングセ
業の空洞化」が発生しているとまとめている。
ンター」
や
「ダイエー香里ショッパーズプラザ」
などであり,これ以降スーパーマーケットの大
Ⅲ 「ファスト風土化」について
型化はショッピングセンターの形態で行われる
ことになった。
では,国内にショッピングセンターはどれく
1.概要
らいあるのだろうか。日本ショッピングセン
本論の冒頭でも述べた通り,「ファスト風土
ター協会が取り扱う基準に則ったショッピング
(化)
」という言葉は,三浦(2001)が作った造
センターは2012年12月末時点で3096施設が営業
語である。まず,この言葉が作られるに至るま
しており,平均して15000㎡のショッピングセ
での背景がどのようなものだったのかについて
ンターに49店のテナントが出店している。都道
述べていく。
府県別に見ると東京都の285施設が最も多く,
三浦(2001)では,自身の出身地である新潟
愛知県の227施設,
大阪府の221施設と続く。
なお,
県上越市で起こった「ファスト風土化」につい
京都府には70施設のショッピングセンターがあ
て,以下のように述べている。
り,うち33施設が京都市内に建設されている。
─────────────────────────────────
9) Hotelling(1929)による線形モデルを用いた研究については,大屋敷(2012)を参照されたし。
─ 44 ─
滋賀大学経済学部研究年報 Vol.20 2013
合併した上越市10)は,高田市と直江津市の中
したのだ。日本中の地域が固有の風土を喪失し,
間地点に市役所を統合移転した。そこは当時は
均質化し,
「マクドナルド化」し,かわりに誕生
まわりがほとんど田圃であったが,国道11)に近
いため,その後急速に発展し,宅地化が進み,
したのは,
いわば個性のない「ファスト風土」だ。
(三浦(2001), p.56)
ニュータウンができ,ロードサイドには多くの
店ができ,大手の大型スーパーも出店した。
[中
略]さらに95年には,新しくできた北陸自動車
道のインターチェンジ付近の田圃の真ん中に,
ここで初めて「ファスト風土」という言葉が
出てくるが,ここまでの三浦の言説をまとめる
12)
と,「ファスト風土化」とは交通網の拡大によ
が誕生し,全国的に話題になった。客を取られ
り物流が増大した結果,国内の幹線道路沿いの
た大手スーパーはパワーセンターと同じ道沿い
いたる所に同じ商業施設が立ち並ぶようになる
に店を移転して反撃を開始。近隣には各種のロー
現象を指し,その結果として地域が東京と比較
当時,敷地面積で日本最大のパワーセンター
ドサイド店が進出し,さらに郊外的な風景が拡
大している。
(三浦(2001), p.51)
して限りなく同一化した状況のことを「ファス
ト風土」と呼ぶと考えられる。また,ここで述
べられている「マクドナルド化」とは,Ritzer
このように,元々田畑しかなかった場所に市
(1993)によって作られた概念であり,ファス
役所が移転したことにより,新たに鉄道網や
トフードのフランチャイズチェーンであるマク
道路網が整備され「東京が近くなった」
(三浦
ドナルド社の経営理念および経営の合理化が,
(2001), p.52)
。その結果,地方の都市化が進み,
商業機能を担当する商業施設のみならず,その
「大都会の拝金主義と爛熟した消費文化が突然
商業施設を利用する消費者においても支配的に
大量に流入」
(三浦
(2001)
, p.52)
するようになる。
さらに三浦は,これらの現象が単に新潟県上越
市だけではなく日本中の地方で起こっていると
し,以下のように指摘する。
なっていくことを意味している。
2.過程と弊害
これらの言説から,ある地域が「ファスト風
土化」する過程は以下のように説明することが
土木費の増加は交通量の増加を生む。[中略]
できる。すなわち,まず道路や鉄道といった交
物流が増大し,日本全体が均質な市場に変わる。
通網の強化が行われる。それにより地域は都市
日本中の田園の真ん中を走る幹線道路沿いには,
化し,居住する人々の移動範囲が拡大するとと
同じスーパーがあり,コンビニがあり,ファス
トフードがあり,パチンコ屋ができ,カラオケ
ボックスができ,テレホンクラブができ,ラブ
ホテルができる。その光景は,東京郊外と何も
変わらない。いや,もしかすると東京郊外以上
に徹底して郊外的だ。日本中が「総郊外化」13)
もに物流機能が強化される。その結果,
「マク
ドナルド化」した企業形態を持つ商業施設であ
るフランチャイズチェーンやショッピングセン
ターが出店することが可能となり,他の都市と
類似した看板や外観を持つ商業施設が大量に進
─────────────────────────────────
10) 新潟県上越市は,1971年4月に高田市と直江津市が合併して成立した。
11) 地図および三浦(2001, 2004)を参照する限り,国道8号とそのバイパス区間である直江津バイパスのこと,お
よび国道18号とそのバイパス区間である上新バイパスであると思われる。
12) 上越ウイングマーケットセンターを指している。パワーセンターに関する厳密な定義はないが,業種別に大型
ディスカウントストアが出店している商業施設であるとされており,上越ウイングマーケットセンターにもキー
テナントとして酒・米・ガソリンなどの価格破壊を行っていたカウボーイ上越店が出店していた(カウボーイ上
越店は2009年閉店)。
13)
三浦(2001)によると,この言葉は三浦が文化地理学者のオギュスタン・ベルクと対談した際に,ベルクが日
本の現状を表す言葉として用いていたとしている。
商業施設から見た「ファスト風土化」の可能性
─京都市のケースを手がかりに─(山下 悠・田口了麻)
─ 44 ─
出し,消費面での利便性が向上する。しかし一
土」における要素の一つとして「マクドナルド
方で,都市機能とくに商業機能は強化されるも
化」を挙げている点である。Ritzer(1993)では,
のの東京と同質的なものとなり,その弊害とし
この現象が⑴効率性(システムの簡素化や目的
て「日本中の地域が固有の風土を喪失」
(三浦
達成への最短方法の提供)
,⑵計算可能性(質
(2001), p.56)する現象,すなわち「ファスト風
的評価の量的評価への同一化)
,⑶予測可能性
土化」が起こるといった具合である。
(サービスおよび商品の画一的な提供),⑷制御
では,「ファスト風土化」することにより,
(技術ラインなどの技術体系を用いた顧客への
具体的にどのような弊害が生じるのだろうか。
効率アップの要請)の4つの原理によって支え
三浦(2004, 2009)によると,
「ファスト風土化」
られており,マクドナルド・モデルを人々にとっ
による商業機能の面での弊害は,以下の二点に
て「抗いがたいもの」にしていると分析してい
集約される。第一に,フランチャイズチェーン
る(Ritzer(1993), pp.30-35)。 つ ま り, こ れ ら
やショッピングセンターが立地することによっ
の原理を全てもしくは部分的に有する「マクド
て全国共通の商業サービスを受けられることに
ナルド化」した商業施設は,それ自体が画一化
なる反面,その地域独自の商店街が失われてい
しており,さらには商業施設を利用する消費者
く現象が起こるという点。第二に,従来は大都
の方にも画一化を促していく。この「マクドナ
市にしかなかった商業施設が地方へ進出するこ
ルド化」による商業施設と消費者の画一化は,
とによって,都市と地方において販売されてい
日本を例に言い換えれば,画一的な商業施設が
る商品の差異がなくなり,地域の独自性が見え
日本中のあらゆる場所に進出し,地域が東京と
にくくなる点である。これらの点について,三
同じもしくは東京以上に東京的になっていくと
浦(2009)では以下のようにまとめられている。
説明が可能である。このことから,三浦が地域
の都市化すなわち「ファスト風土化」を「マク
本来風土というものは,その土地土地の自然
ドナルド化」と同等のものと見ていたと考える
に制約されている。[中略]ところがその風土が,
ことができる。
ファスト風土化するということは,日本の中の,
また,「地方」と聞くとどうしても辺鄙な片
もちろん世界中の無数の地域の個性が失われ,
文化が消滅するということである。
(三浦(2009),
pp.45-46)
田舎や閑静な土地をイメージしがちになるが,
三浦
(2004)
は
「ファスト風土化」
した事例として,
今回筆者たちが調査を行った京都市内を含めて
比較的大規模な都市を複数挙げているため,三
地方のショッピングモールに行けばわかるが,
浦が言うところの「地方」が何処を指すのかに
輸入 CD 店のタワーレコードもあれば,個性的
ついて,疑問の余地が残る。問題意識の項で述
な本と雑貨の店ヴィレッジバンガードもある。
べたように,1970年代後半から80年代にかけて
いずれも,つい最近までは,東京らしい店の代
表であった。それが今や日本中のショッピング
モールの中にある。(三浦(2009), p.47)
全国的に都市基盤整備事業が施行された結果,
現在では国内の各都道府県の中心部のほとんど
が都市的地域となっている。このことを鑑みる
限り,三浦が言う「地方」とは,東京の都市部
3.考察
および郊外以外の地域を指したものであると考
えるのが妥当であろう。つまり,三浦の「ファ
以上が,三浦の考える「ファスト風土(化)
」
スト風土」論は,商業施設ひいては文化的な側
である。しかし,ここで注意しておきたいこと
面から考えると,東京と東京以外の地域という
がいくつかある。まず,三浦が「ファスト風
二項対立によって成立していると考えられる。
─ 44 ─
滋賀大学経済学部研究年報 Vol.20 2013
このことから,
さらに次の指摘が考えられる。
では,三浦の主張に当てはまるような論拠が
これまでに述べた通り,
三浦の
「ファスト風土」
仮にあるとするならば,はたしてどのようなも
論は都市と郊外,または大都市と地方都市の比
のが考えられるだろうか。三浦の言説を改めて
較という観点からの考察が主となっているが,
示すと,「ファスト風土」とは⑴商業機能が拡
その一方で地方都市における都市部と郊外部,
充することによって東京と同等の商業機能を持
厳密に言えば市街地と農村部の関係という視点
ち,⑵フランチャイズチェーンやショッピング
が欠落している。これを三浦が挙げている事例
センターの出店によって商店街などの従来から
を用いて説明すると,三浦の出身地である上越
あった商業施設が撤退し,⑶景観の破壊もしく
市では,市役所の統合移転に際し,上越市役所
は画一化が起こっている地域のことを指すと考
が鉄道駅14)の最寄りに位置することになった。
えられる。これは言い換えると,⑴土地の利用
上越市役所周辺は都市機能が集積していること
用途,⑵商業施設,⑶屋外広告物としての商業
から,地方都市の中心部と呼んでも差し支えな
施設の外観の3つの側面において「ファスト風
い。この場合,上越市役所周辺と同市郊外部
土」になりうる条件が満たされていれば,その
を,市街地と農村部の二項対立という観点から
地域は「ファスト風土化」する可能性があると
比較して,双方が少なくとも商業機能の面で同
いうことである。
等の機能を有していれば,それは郊外部が都市
そこで本論では,その条件を満たすものとし
化している証明であると説明できる。だが,三
て法律を挙げる。以下,上記に挙げた「ファス
浦(2001, 2004)では上記のような比較および同
ト風土」になりうる条件に関する三つの側面に
市郊外部に関する言及はなされておらず,それ
ついて,各種関連する法律と絡めながら,現行
ゆえに上越市役所周辺については,三浦の言説
法下において「ファスト風土化」する可能性が
だけではあくまでも都市化した一地方の中心部
あるか検証を行う。
であるとしか説明ができず,さらには地方都市
の郊外部の実像についても不明瞭な点が残る。
1.土地の利用用途
表1 土地の利用用途に関する法律
Ⅳ 「ファスト風土化」する可能性の検証
年次
三浦(2009)では「ファスト風土化」が発生
する過程と,それによって誕生した「ファスト
風土」の状況については述べられているが,地
方に商業施設が流入する原因や,地域が「ファ
スト風土化」する根拠に関しては明示されてい
法律
1947年
地方自治法
1950年
建築基準法
1954年
土地区画整理法
1968年
都市計画法
1969年
都市再開発法
2004年
景観法
ない。だが,少なくとも三浦の言説を参照する
限り,それらは「日本中の地域が固有の風土を
まず,第二次世界大戦後に,自治体が日本の
喪失」
(三浦(2001), p.56)するような,具体的
領土である土地をどのように利用するのかにつ
には国内の全域に適用可能なものでなければな
いて,国が制定した法律について表1でまとめ
らないと考えられる。
た。
─────────────────────────────────
14) JR 信越本線の春日山駅のこと。駅周辺には上越市役所を含めて公共施設が集積している。また,駅の開業は
上越市役所の統合移転前の1928年であり,かつ道路網の強化についても市役所の移転前後に行われたということ
は特にはなく,それゆえ,三浦が「ファスト風土化」の過程の一つとして指摘している交通網の強化は,上越市
役所周辺に限って言えば行われていないと考えられる。
商業施設から見た「ファスト風土化」の可能性
─ 44 ─
─京都市のケースを手がかりに─(山下 悠・田口了麻)
土地の利用用途に関する法律としては,まず
められているということが分かる。これは例え
1947年に地方自治法が制定されて自治体に自治
ば,地方公共団体の直轄地,商業地,工業地な
権が委任された。この後,1950年の建築基準法
どである。これらは全て規模の大小の差はある
および1954年の土地区画整理法によって建築基
ものの等しく国内の各地方にあるものであり,
準が定められ,全国的に統一された基準に沿っ
地方間の比較においても共通に備わっている区
た建築物のみ建築可能となった。さらに,1968
域であるということができる。これらの区域の
年の都市計画法および翌1969年の都市再開発法
中には,「ファスト風土化」した景観の構成物
によって都市整備の基準が策定され,都市の
の代表である商業施設を立地する商業地も含ま
整備や市街地の開発が行われてきた。その後,
れている。さらに,都市計画法および建築基準
2004年には景観法が制定され,都市的地域にお
法がある以上,用途の混在を防ぐために用途地
いても都市景観を含む景観の形成および保全の
域の設定を行って建築物の種類や建ぺい率,容
ための活動を実施することが義務付けられた。
積率などの制限を行うと,それに適合しない建
ここで重要なのが,都市計画法である。第4
築物は建築できなくなり,その結果として,共
条では都市計画について「都市の健全な発展と
通性を持つ施設の設置は避けられないことにな
秩序ある整備を図るための土地利用,都市施設
る。この点から,公的機能としての都市機能が
の整備及び市街地開発事業に関する計画」
(都
国内で画一的なものとなるように法律で定めら
市計画法第4条)と定義しており,次いで第8
れている以上,土地の利用用途の面で「ファス
条で,計画履行のために「地域,地区又は街区
ト風土化」が起こる可能性は十分にあると考え
を定める」
(都市計画法第8条)とし,これらを
られる。
利用用途に応じて21の地域・地区・街区(以下,
これらの総称を区域と呼称)に区分け15)してい
る。これは,現行法下では地域内部の各区域の
2.商業施設
表2 商業地の利用に関する法律
利用用途が法律によって定められていることを
年次
意味している。また第2条で,都市計画が「農
1956年
百貨店法
林漁業との健全な調和を図りつつ,健康で文化
1973年
大規模小売店舗法
2000年
大規模小売店舗法 廃止
的な都市生活及び機能的な都市活動を確保すべ
きこと並びにこのためには適正な制限のもとに
土地の合理的な利用が図られるべきこと」
(都市
法律
大規模小売店舗立地法
2006年
都市計画法 改正
計画法第2条)
を基本理念として定めているため,
都市整備を行う上で,都市機能を確保すること
次に,商業地の利用に関する法律について表
が必要条件となっていることが示されている。
2でまとめる。1956年に制定された百貨店法に
では,都市計画法と「ファスト風土化」の関
よって百貨店の店舗面積や営業時間に規制が行
係性についてはどうだろうか。先に述べたよう
われていたが,大型のショッピングセンターは
に,自治体が土地をどのような用途で用いるか
適用範囲に入っていなかった。その後,1973年
の法的区分は第8条によって規定されている。
に制定された大規模小売店舗法(以下,旧大店
これを第2条の内容を踏まえた上で解釈すれば,
法と呼称)によって,百貨店のみならず大型の
都市整備を行う上で最低限必要な施設があり,
ショッピングセンターなども含めた大規模な商
その施設を設置するために用いられる区域も定
業施設に対して法的に出店調整が可能となった
─────────────────────────────────
15) 区分けの詳細については,都市計画法第8条第1項から第16項までを参照されたし。
─ 55 ─
滋賀大学経済学部研究年報 Vol.20 2013
ことが明文化され,大規模小売店舗審議会によ
り,現在各地方にある大型のショッピングセン
る審査を受けることが義務付けられた。さらに
ターは全て,土地の利用用途を自由に設定でき
2000年に入り大規模小売店舗立地法(以下,新
る自治体が必要だと思って誘導した結果,現在
大店法と呼称)が制定され,出店規模に関する
の位置に立地していると言える。次に,小規模
審査や規制が撤廃された。
そのため,
フランチャ
の小売店舗については,先述の通り出店規制は
イズチェーンやショッピングセンターは都市計
現行法下でも特に設定されていないため,自由
画法や中心市街地の活性化に関する法律(旧:
に出店することが可能となっていると言える。
中心市街地における市街地の整備改善及び商業
そして,規模の大小にかかわらず,全ての商業
等の活性化の一体的推進に関する法律,以下,
施設つまりフランチャイズチェーンやショッピ
新旧どちらも中心市街地活性化法と呼称)など
ングセンターは,現行法を順守した上で出店し
の法律を遵守していれば自由に出店することが
ている。これらのことから,法律に則っている
可能となった16)。
限り自由に出店が行える以上,商業機能の画一
ここで重要となるのが,新大店法と都市計画
化を避けることはできず,それゆえ,商業機能
法および中心市街地活性化法,いわゆる「まち
の面での「ファスト風土化」は十分に起こりう
づくり三法」17)の関係である。2000年の旧大
ることであると考えられる。
店法の廃止および新大店法の施行により,一旦
は大規模小売店舗の出店規制は撤廃されて自由
3.屋外広告物としての商業施設の外観
に新規出店することが可能になった。しかし,
表3 屋外広告物に関する法律
2006年の改正により,都市計画法による大規模
年次
商業施設の出店規制が強化された18)。
その結果,
法律
1949年
屋外広告物法
大規模小売店舗の場合には自治体の都市計画に
2004年
屋外広告物法 改正
参画することが求められるようになったが,小
規模の商業施設についてはこれまでに特に規制
最後に,屋外広告物としての商業施設の外観
等は設けられておらず,現在でも自由に出店す
に関する法律を表3にまとめた。都市の景観に
ることが可能となっている。
多大な影響をおよぼす屋外広告物については,
それでは,商業施設と「ファスト風土化」の
まず1949年に屋外広告物法が制定され,第2条
関係性についてはどうだろうか。商業施設に関
で「常時又は一定の期間継続して屋外で公衆に
連する法律を整理すると,まず,大規模小売店
表示されるものであつて,看板,立看板,はり
舗については現行法下では単独出店が事実上規
紙及びはり札並びに広告塔,広告板,建物その
制されており,自治体の策定する都市計画に基
他の工作物等に掲出され,又は表示されたもの
づいた形でのみ出店が可能となっている。つま
並びにこれらに類するもの」
(屋外広告物法第
─────────────────────────────────
16) この背景には,1998年に都市計画法が改正された結果,用途地域を種類や目的に応じて自治体が自由に設定可
能となったことも大きく影響していると考えられる。
17) 1998年の都市計画法の改正および中心市街地活性化法の制定と,2000年の新大規模小売店舗立地法の制定を受
け,これらの法律がそれぞれ自治体による土地の利用設定(ゾーニング)の促進(改正都市計画法),中心市街地
の空洞化防止(中心市街地活性化法),生活環境に対する影響への観点からの大規模商業施設の出店調整(大規模
小売店舗立地法)に対応しており,かつ地域の実情に合ったまちづくりを行うことを目的として制定されたため,
通称「まちづくり三法」と呼ばれている。
18) 2006年の都市計画法の改正により,以下のことが定められた。まず延床面積が1万㎡を超す大規模小売店舗お
よび大規模集客施設の出店規制が行われ,出店可能用途地域が商業地域・近隣商業地域・準工業地域の三つに限
定された。この結果,出店に不可欠な用途地域の区分設定については,1998年の同法改正により自治体主導の事
業計画の策定が既に必須となっていたため,これにより,用途区分を無視した単独出店が事実上不可能となった。
商業施設から見た「ファスト風土化」の可能性
─京都市のケースを手がかりに─(山下 悠・田口了麻)
─ 55 ─
2条)と定義された。ここから,現行法下では
物に関する各種法律の観点から見れば適法の範
商業施設の外観や看板,広告塔なども全て屋外
囲内である。したがって,屋外広告物すなわち
広告物であると定められていることが分かる。
商業施設の外観の画一化は,現行法下では別途
その後,2004年に景観法の制定に伴って屋外
条例で規制されていない限りは避けられず,そ
広告物法の改正が行われ,都道府県の認可が必
れゆえ,屋外広告物としての商業施設の外観で
要ではあるものの,市町村でも屋外広告物条例
の「ファスト風土化」も十分に起こりうると結
が制定可能となった。また,同年の改正では従
論付けられる。
来届け出制であった屋外広告業を登録制に変更
し,同法に違反している屋外広告物および屋外
以上のように,現行法下では⑴土地の利用用
広告業に対して,登録の取り消しや営業の停止
途,⑵商業施設,⑶屋外広告物としての商業施
措置を取ることも可能となった。さらに,第3
設の外観の3つの側面全てにおいてそれらが画
条によって屋外広告物の表示を禁止する区域に
一化されるようになっており,このことから,
ついて明文化されており,表示方法の基準につ
少なくとも法律の面から見た限りでは,日本中
いても,第5条で「広告物(第3条の規定に基
全ての地域が「ファスト風土化」する条件を満
づく条例によりその表示が禁止されているもの
たしていることが明らかとなった。
を除く。
)の形状,面積,色彩,意匠その他表
示の方法の基準若しくは掲出物件(同条の規定
に基づく条例によりその設置が禁止されている
Ⅴ 京都市の「ファスト風土化」への対策
とその効果の検証
ものを除く。)の形状その他設置の方法の基準
これまでに述べてきたように,現行法下では
又はこれらの維持の方法の基準」
(屋外広告物
日本中全ての地域が「ファスト風土化」する可
法第5条)を,都道府県もしくは市町村が定め
能性があると考えられる。だが,観光による産
ることが示されている。
業が主である観光都市の場合,都市機能を充実
さて,屋外広告物と「ファスト風土化」の関
させることよりも観光地としての価値を向上ま
係性だが,まず,現在出店している商業施設に
たは維持するために景観を保全することの方が
表示されている屋外広告物は,主に屋外広告物
重要視されている。この場合,観光都市は他の
法・都市計画法・景観法の三法によって規制の
都市と同様に「ファスト風土化」が起こってい
対象となっている。また,従来の屋外広告物お
るのか,従来の郊外論とは切り離して検討する
よび屋外広告業は届け出制であるため,法律
必要があると考えられる。
に従って設置されているかどうかを市民が自
ここで有効となってくるのが,条例である。
主的に判断することは非常に困難であった19)
そもそも条例とは,自治体が国の法律とは別に
が,2004年の同法改正後は登録制に移行し,さ
定める自主法20)であり,各自治体の管轄下に
らに罰則についても強化されたため,より厳格
おいてのみ法的拘束力を持つものである。これ
に各種法律に従うようになったと考えられる。
は言うならば,自治体が国の法律とは別に地域
このことから,仮にフランチャイズチェーンや
の状況を鑑み,必要に応じて設ける決まりごと
ショッピングセンターが乱立しており,かつそ
であり,法律では対処できない事象を扱う際に
の外観が全て同じであったとしても,屋外広告
重要な役割を担っている。
─────────────────────────────────
19) 当時はまだ屋外広告物および屋外広告業の登録制への移行前であり,法律に従っていないと考えるに足る情報
も乏しく,ゆえに全ての屋外広告物は差別ビラなどの極端な場合を除けば法律に従っていると考えざるをえな
かった。
20) 自治体による条例の制定については,憲法第94条で法律の範囲内で認められている。
─ 55 ─
滋賀大学経済学部研究年報 Vol.20 2013
表4 京都市の条例および決定
年次
条例および決定
対応する法律および計画
⑴ 土地の利用用途
1956年
京都市建築基準法施行細則
建築基準法・土地区画整理法
1971年
京都市都市計画区域
都市計画法
2004年
京都市景観計画
景観法
2007年
京都市眺望景観創生条例
⑵ 商業施設
2000年
京都市大規模小売店舗立地法施行細則
大規模小売店舗立地法
2010年
京都市商店街の振興に関する条例
新京都市観光推進計画
⑶ 屋外広告物
1956年
京都市屋外広告物等に関する条例
屋外広告物法
1996年
京都市屋外広告物等に関する条例 改正
2004年
京都市屋外広告物等に関する条例 改正
景観法
2007年
京都市屋外広告物等に関する条例 改正
景観政策「時を超え光り輝く京都の景観づくり」
それは,今回の調査対象である京都市におい
及び右京区の一部を除いた京都市全域が,都市
ても同様である。以下,前章で挙げた3つの側
計画区域となった。さらに,2004年の景観法制
面について,京都市の条例とそれに対応する法
定を受け,翌年には京都独自の景観保全および
律についてまとめた表4を参照にしながら,そ
美観形成を目的とした京都市景観計画23)を策
れぞれの面で京都市ひいては観光都市で「ファ
定したほか,2007年には「特定の視対象を眺め
スト風土化」が起こりうるのかについて検証し
るときに視界に入る建築物等の高さ,形態及び
ていく。
意匠について必要な事項を定めること」
(京都
1.土地の利用用途
市眺望景観創生条例第1条)を目的とした京都
市眺望景観創生条例が制定された。
まず,土地の利用用途に関して京都市が制定
ここで考えたいのは,観光地とはどういう区
した条例についてまとめる。なお,京都市が制
域なのかということである。現行法下では,観
定した条例の数は膨大であるため,ここでは前
光地の定義は特に示されてはいない。しかし,
章1.で挙げた国の法律に対応したもののみに
ツーリズムの観点から見れば,観光地とは歴史・
限定して述べる。
文化・自然景観などの観光資源が,保養・遊覧
第二次世界大戦後の1956年,京都市では建築
が可能な形にある程度整備されており,かつ,
基準法および土地区画整理法に則る形で京都市
交通機関や宿泊施設などの観光客を受け入れる
建築基準法施行細則21)が制定された。その後,
ための設備が整っている区域24)のことを指し,
1970年の都市計画法の改正22)を受け,1971年
都市的地域の内部に観光地が数多くある地域の
には京都市都市計画区域が決定され,市街化区
ことを観光都市と呼ぶと考えられる。京都市の
域と市街化調整区域が決定された結果,左京区
場合,206件の建造物が重要文化財に指定され,
─────────────────────────────────
21) 当時はまだ国の建築基準法に対する施行細則のみであった。なお,京都市独自の建築基準条例については2001
年に制定された。
22) 1970年の改正によって,計画区域がより細かな区分に分類されるようになった。
23) 京都市景観計画の詳細については京都市都市計画局都市景観部市街地景観課(2011a)を参照されたし。
24) 観光地の大まかな定義については,岡本(2001),溝尾(2003)を参考に解釈した。
商業施設から見た「ファスト風土化」の可能性
─京都市のケースを手がかりに─(山下 悠・田口了麻)
─ 55 ─
17件の建築物が世界文化遺産「古都京都の文化
ここで考えたいのが,商業施設と出店規制の
財」として登録されていることからも分かるよう
関係である。2000年の旧大店法の廃止および新
に,
他の都市よりも観光名所が多く,
このことから,
大店法の施行により,一旦は大規模小売店舗の
観光都市と呼んで差し支えないと考えられる。
出店規制は撤廃されて自由に新規出店すること
以上の点から,次のことが言える。前章1.
が可能になった。しかし,2006年の「まちづく
では,都市の維持において最低限必要な都市機
り三法」改正による出店規制の強化が行われた
能を確保するための施設を立地する区域として,
結果,単独出店が不可能となり,都市計画に基
地方公共団体の直轄地,
商業地,
工業地を挙げた。
づいた形でのみの出店に限られるようになった。
これらは先述の通り地方間の比較においても共
一方,小規模の商業施設については,現行法下
通に備わっている区域であり,
言うならば地方・
でも出店規制は行われていない。以上の点から,
地域・都市間の比較において共通性を表す要素
現状京都市では新大店法および「まちづくり三
である。これに対し,観光地はその地方独特の
法」による出店規制に対して独自条例を制定し
建築物や施設のことであり,先の共通性に対し
ていないため,「ファスト風土化」する可能性
て独自性を表す要素であると考えられる。しか
については,国の法律と同等であり,商業機能
し,観光地に関する定義は現行法下では定めら
の画一化は避けられないと考えられる。
れておらず,また法律および条例によって規定
しかし,京都市ひいては観光都市に関して言
された用途でしか自治体が土地を利用できない
えば,確かに他の都市と同じように商業機能の
点は他の都市と同様である。さらに,観光都市
画一化は避けられないものの,「ファスト風土
であるがゆえに他の都市以上に都市機能の強化
化」する可能性についても同等であるかと問わ
が行われているため,土地の利用用途について
れれば,決してそうとは言い切れない部分があ
は,公的機能としての都市機能の画一化は避け
る。例えば,京都市では三浦(2004)が指摘す
られず,したがって観光都市においても,
「ファ
るような,フランチャイズチェーンやショッピ
スト風土化」
は十分に起こりうると考えられる。
ングセンターが商店街を衰退に追い込むような
2.商業施設
事例は確認されていない。これには2つの理由
が考えられる。1点目は,大規模商業施設が立
次に商業施設についてであるが,京都市では
地するだけのまとまった土地が少ない点である。
旧大店法に伴った出店規制などに関する条例は
京都市の場合,市内のいたる所に寺社仏閣を主
特に設けられなかったが,2000年には新大店法
とする文化財が立ち並んでいる。これは,地域
に適合する施工細則が定められた。しかし,こ
独自の区域すなわち観光地が数多く,かつ広範
れはあくまでも新大店法の「施行に関し必要な
囲にわたって密集しているということであり,
事項を定めるもの」
(京都市大規模小売店舗立
そのため,大規模商業施設が新たに立地できる
地法施行細則第1条)であり,独自の出店規制
だけの広い土地が限られていると言える。その
等を設ける性質のものではないことに注意した
証拠に,東京23区を含む21政令指定都市を対象
い。この後,2010年には新京都市観光推進計画
に1㎢あたりのショッピングセンター立地数を
に従う形で,京都市商店街の振興に関する条例
算出した結果,京都市は15位の0.040施設であっ
を制定した。
た25)。この数字は市内面積の広さから考えれ
─────────────────────────────────
25) 京都市は全都市のうち総面積が827.9㎢で5位,ショッピングセンターの施設数が33施設で8位であった。なお,
1㎢あたりのショッピングセンターの施設数が最も多かったのは大阪市(面積222.3㎢,ショッピングセンター数
92施設)の0.414,次いで東京23区(面積623.0㎢,ショッピングセンター数205施設)の0.329であった。
─ 55 ─
滋賀大学経済学部研究年報 Vol.20 2013
ばかなり少なく,このことからも,京都市内で
屋外広告物等に関する条例が制定された。この
は大規模商業施設が立地できる土地が,他の都
条例は,大別すると⑴屋外広告物等特別規制地
市と比較しても少ないと言うことができるだろ
区内における制限,⑵屋外広告物規制区域内に
う。
おける制限,⑶屋外広告物の表示等を禁止する
2点目は,小規模な商業施設と市内の既存の
地域又は場所,⑷屋外広告物の表示等を禁止す
商店では販売している商品が異なり,それゆえ
る物件,⑸表示等を禁止する屋外広告物等の5
に競合するような事態が発生していないという
つの点で屋外広告物について規制基準を設ける
ことである。京都市のような観光都市の場合,
ためのものであり,屋外広告物に関する独自条
観光客向けの土産物や独自の商品を販売する商
例としては日本初のものである。また,1996年
店が多数存在している。それらはコンビニエン
の改正では全国で初めて窓ガラスなどに内側か
スストアやファストフード店などのフランチャ
ら表示される広告物についての規制が定められ
イズチェーンと競合することがなく,ゆえにフ
た27)。その後,2004年の景観法制定に伴い屋
ランチャイズチェーンが商店街を衰退に追い込
外広告物法が改正28)されたことを受け,京都
むような事態も発生していない26)。観光都市
市屋外広告物等に関する条例をそれに適合する
も都市である以上,先に述べたように都市機能
形に改正した。さらに,2007年に建物の高さと
の一部としての商業機能の画一化は避けられな
デザインおよび屋外広告物の規制に関して全面
いが,少なくとも観光都市独自の商店について
的に見直された結果,同年から新景観政策「時
は,この画一化の流れの外に位置していると考
を超え光り輝く京都の景観づくり」が実施され,
えられる。したがって,観光都市では商業施設
京都市屋外広告物等に関する条例の改正,併せ
の出店規制を独自に定めない限りは,他の都市
て屋外広告物の制度に関するパンフレットの作
と同様に商業機能の画一化は避けられないが,
成,京都市独自のサインデザインの事例を紹介
観光名所の数が多ければ大規模商業施設が出店
する「京のサイン」の作成,建築物の高さ・建
しにくく,また観光都市独自の商店はフラン
築デザイン・広告物の3点の規制に関してまと
チャイズチェーンと競合しないため,
「ファス
めた「京(みやこ)の景観ガイドライン」の作
ト風土化」が起こる可能性は他の都市よりも低
成などが行われた29)。
いと考えられる。
京都市の場合,京都市屋外広告物等に関する
3.屋外広告物としての商業施設の外観
条例が施行された直後から,コーポレートカ
ラーや意匠を京都の町並みに調和するように指
最後に,屋外広告物としての商業施設の外観
導を行い,京都市が持つ独自性に適合させよ
について述べる。京都市では,1956年に京都市
うとしてきた。さらに,2007年の条例改正に
─────────────────────────────────
26) この場合,フランチャイズチェーンは共通性を持った商店,地域独自の商店は独自性を持った商店とそれぞれ
区別できるが,京都市ではフランチャイズチェーンが他の都市の店舗にはない,その地域の店舗限定の商品を販
売しているケースが多数見られた。これは,共通性を持っているはずのフランチャイズチェーンが,地域の独自
性に寄与しているということであり,さらには観光都市に出店したフランチャイズチェーンが,その地域独自の
ものになる可能性を示唆するものであると考えられる。
27)
京都市屋外広告物等に関する条例についての詳細は京都市都市計画局都市景観部市街地景観課(2011b)を参照
されたし。
28) 具体的には,新たに⑴景観計画との適合,⑵市町村の役割の強化,⑶表示灯禁止物件の追加,⑷表示灯制限地
域の拡大,⑸違反に対する措置の拡充,⑹屋外広告業の登録性の創設が,それぞれ定められた。
29) 屋外広告物の規制についての詳細は,京都市都市計画局都市景観部市街地景観課(2009, 2011b, 2013)でまとめ
られている。また,この規制の具体的な内容およびその効果の検証に関する先行研究として,武山(2011)によ
る印象調査が挙げられる。
商業施設から見た「ファスト風土化」の可能性
─京都市のケースを手がかりに─(山下 悠・田口了麻)
─ 55 ─
よって規制区域や規制基準がより細かく設定さ
られるため,「ファスト風土化」が起こる可能
れ,フランチャイズチェーンやショッピングセ
性が極めて低くなることが,それぞれ明らかと
ンターのみならず全ての建築物に対して,地域
なった。
独自の景観に適合するように促している。ま
Ⅵ おわりに
た,
「京都市優良屋外広告物賞」を設置して優
良な広告物を選定するとともに,優良な屋外広
告物に対して京都市が最大50万円までの制作費
本論では,これまで学術界で検証されてこ
の補助を行う制度も設立している。そのため,
なかった「ファスト風土(化)」の概念につい
京都市では本来外観の面で全国に画一化されて
て,⑴フランチャイズチェーンやショッピング
いるフランチャイズチェーンやショッピングセ
センターなどの商業施設の観点からその過程と
ンターが条例による規制以上の過剰反応をした
弊害について,⑵法律の観点から土地の利用用
結果,その地域でしか見られない独自の外観に
途・商業施設・屋外広告物としての商業施設の
なっているという事例が多々見受けられる。こ
外観の3つの側面において機能の画一化およ
れは,京都市の屋外広告物規制が他の都市と比
び「ファスト風土化」が起こる可能性があるこ
較してかなり厳しく設定されているからであり,
とについて,それぞれ明らかにした。また,観
このことから,少なくとも観光都市が景観保全
光都市の例として京都市を対象に条例の分析を
や美観形成を目的に京都市と同等かそれ以上の
行った結果,⑴京都市の条例は景観の破壊とい
規制を設けた場合,屋外広告物すなわち商業施
う意味での「ファスト風土化」に対する対策と
設の外観の画一化は起こりにくくなり,またそ
して有効に機能しており,⑵観光都市も都市で
のような規制を設けるとフランチャイズチェー
ある以上都市機能の均一化は避けられないが,
ンやショッピングセンターが独自性に進んで適
商業施設については観光都市であるがゆえに
合しようとするため,
「ファスト風土化」が起
「ファスト風土化」が起こりにくく,屋外広告
こる可能性も極めて低いと考えられる。
物としての商業施設の外観については条例を制
定することによって「ファスト風土化」が起こ
以上の点から,観光都市では,⑴土地の利用
る可能性を極めて低くできることも,併せて明
用途については,公的機能としての都市機能の
らかとなった。
画一化が避けられないため「ファスト風土化」
最後に,今後の課題を示して結びとしたい。
する可能性があり,⑵商業施設については,独
まず,本論では京都市にのみ焦点を絞って分析
自条例を制定しない限りは商業機能の画一化が
を行ったが,都市的地域における都市機能と景
避けられないものの,観光名所の数が多ければ
観の均一化についての都市間の差異比較は行っ
大規模商業施設が出店しにくく,また観光都市
ておらず,パッケージとしての商業施設の外観
独自の商店はフランチャイズチェーンと競合し
と,コンテンツとしての商業施設の商品やテナ
ないため,「ファスト風土化」が起こる可能性
ントに関する比較も含めて行っていく必要があ
が他の都市よりも低くなり,⑶屋外広告物とし
る。さらに,京都市では独自性の要素が強く,
ての商業施設の外観については,景観保全や美
かつ自治体が景観保全や美観形成を通じて独自
観形成を目的とした条例が制定された時点で屋
性の確保に積極的に取り組んだ結果「ファスト
外広告物すなわち商業施設の外観の画一化は起
風土化」が起こる可能性が低くなったと結論付
こりにくくなり,またそのような規制を設ける
けられたが,現行の法律および条例に従って都
とフランチャイズチェーンやショッピングセン
市整備を行うと「ファスト風土化」がどこの都
ターが独自性に進んで適合しようとすると考え
市でも起こるのかについては,現状ではまだ明
─ 55 ─
滋賀大学経済学部研究年報 Vol.20 2013
らかとなっていない。そのためにも,都市整備
と「ファスト風土化」の因果関係について検証
することが必要である。本論が,今後の都市研
究の発展の一助となれば幸いである。
参考文献
Bhattacharyya, S. and F. Lafontaine(1995)“DoubleSided Moral Hazard and the Nature of Share
Contracts,”The RAND Journal of Economics, 26,
pp. 761-781.
Hotelling, H.(1929)
“Stability in Competition,”The
Economic Journal, 39, pp. 41-57.
L a f o n t a i n e , F(
. 1 9 9 2 )“ A g e n c y T h e o r y a n d
Franchising: Some Empirical Results,”The RAND
Journal of Economics, 23, pp. 263-283.
Lal, R.(1990)“Improving Channel Coordination
through Franchising,”Marketing Science, 9, pp.
299–318.
Maruyama, M. and Y. Yamashita(2010)“The Logic
of Franchise Contracts: Empirical Results of
Japan,” Japan and the World Economy, 22, pp.
183-192.
Maruyama, M. and Y. Yamashita(2012)“Franchise
Fees and Royalties: Theory and Empirical
Results,”Review of Industrial Organization, 40,
pp. 167-189.
Mathewson, G. F., and R. A. Winter(1985)“The
economics of franchise contracts,”Journal of Law
and Economics, 28, pp. 503-526.
Ritzer, G.(1993)The McDonaldization of Society: An
Investigation into the Changing Character of
Contemporary Social Life, Pine Forge Press.(正岡
寛司監訳(1999)『マクドナルド化する社会』早稲
田大学出版部)
Rubin, P. H.(1978)“The Theory of the Firm and
the Structure of the Franchise Contract,”Journal
of Law and Economics, 21, pp. 223-233.
鰺坂学・上野淳子・堤圭史郎・丸山真央(2013)「『都
心回帰』時代の大都市都心地区におけるコミュニ
ティとマンション住民:札幌市,福岡市,名古屋
市の比較(上)」『評論・社会科学』第105号 , 1-78頁。
東浩紀編(2010)『思想地図β vol.1』合同会社コンテ
クチュアズ。
東浩紀・北田暁大(2007)『東京から考える─格差・
郊外・ナショナリズム』日本放送出版協会。
大屋敷啓輔(2012)
『ショッピングセンターの立地や
規模の決定要因に関する研究』神戸大学経営学研
究科博士論文。
岡本伸之(2001)『観光学入門─ポスト・マス・ツー
リズムの観光学』有斐閣。
川越憲治(2001)
『フランチャイズシステムの法理論』
商事法務研究会。
京都市都市計画局都市景観部市街地景観課(2009)
『京
のサイン』。
京都市都市計画局都市景観部市街地景観課(2011a)
『京都市景観計画』。
京都市都市計画局都市景観部市街地景観課(2011b)
『京の景観ガイドライン(広告物編)』。
京都市都市計画局都市景観部市街地景観課(2013)
『京
都市の都市計画』。
永江朗(2010)『新・批評の事情 不良のための論壇案
内』筑摩書房。
速 水 健 朗(2012)『 都 市 と 消 費 と デ ィ ズ ニ ー の 夢
ショッピングモーライゼーションの時代』角川書
店。
三 浦 展(2001)「 少 年 犯 罪 と 土 建 行 政 ― 総 郊 外化 し
『ファスト風土』化する日本」
『PSIKO』第2巻第
1号 , 50-61頁。
三浦展(2004)『ファスト風土化する日本─郊外化と
その病理』洋泉社。
三浦展(2009)
「犯罪を誘発する都市構造:ファスト
風 土 化 と い う 問 題 」『 都 市 計 画 』 第58巻 第 6 号 ,
45-49頁。
溝尾良隆(2003)『観光学─基本と実践』古今書院。
宮台真司(2011)「『父殺し(の不可能性)』から『父赦
し 』 へ ─3.11後 の 世 界 と そ の 意 味 」 宇 野 常 寛 編
『PLANETS SPECIAL 2011 夏休みの終わりに』第
二次惑星開発委員会 , 48-49頁。
渡部章郎(2009)「専門分野別による景観概念の変遷
に関する研究:特に植物学系分野,文学系分野に
関して」『四天王寺大学紀要』第47号 , 1-15頁。
商業施設から見た「ファスト風土化」の可能性
─京都市のケースを手がかりに─(山下 悠・田口了麻)
─ 55 ─
The Possibility of a "Fast-Food-Like Landscape" from the
Perspective of Commercial Facilities: The Case of Kyoto City
Yu Yamashita
Ryoma Taguchi
The objective of this paper is to look at how commercial facilities including franchise chains
and shopping centers turn into a fast-food-like landscape, a concept proposed by Atsushi
Miura, and to examine whether it applies to tourist cities that attach great importance
to landscape. First, franchise chains, shopping centers and fast-food-like landscape will be
discussed in detail, followed by Miura’
s argument. Then, our findings will be compared to the
current situation of Kyoto City.
In this paper, two new aspects of a fast-food-like landscape that have not been examined
in the academic world will be presented. One is its process and adverse consequences on
commercial facilities such as franchise chains and shopping centers. The other is a possibility
that land use, commercial facilities and their external appearance as a means of outdoor
advertising may lose their functional diversity and change into a fast-food-like landscape from
a legal perspective.
Furthermore, we chose Kyoto City as a model of a tourist city and analyzed its ordinances.
The analysis revealed that the city has been working effectively to prevent the creation
of a fast-food-like landscape and the resulting destruction of the city’
s historic ambience. It
also found that commercial facilities in tourist cities will unlikely turn into a fast-food-like
landscape and that outdoor advertising on those buildings will hardly ever result in a fastfood-like landscape as long as proper regulations are adopted, even though we cannot keep
the functions of tourist cities from becoming similar and alike because in essence they are
just like any other city.
─ 55 ─
滋賀大学経済学部研究年報 Vol.20 2013
─ 55 ─
滋賀大学経済学部研究年報 Vol.20 2013
医療ツーリズムにおける法的・社会的問題
─インドの商業的代理出産の動向─
藤 田 真 樹
Ⅰ はじめに(背景と目的)
国境を越えて他国へ行くこと」を一般に意味す
Ⅱ 代理出産をめぐる法的・社会的問題 るが 1),インターネットの普及や国際交通網
1.代理出産の利用資格をめぐる問題とその
の発達を背景に拡大し,現在では世界50カ国以
事例
上で医療ツーリズムが行われている 2)。2008
2.子の親権と国籍をめぐる問題とその事例
年の医療目的で渡航した者の数は年間600万人
3.代理母の健康をめぐる問題とその事例
程度と推計され,2012年には市場規模は1千億
Ⅲ 代理出産をめぐる法案等の変遷の概要 ドルを超えたと見積もられる3)。
Ⅳ イギリスとアメリカにおける代理出産に対
渡航目的としては,先端医療や,より良い品
する規制の概要 Ⅴ インドのガイドライン等の規制状況と問題
点
質の医療を求めて渡航するものが大半であるが,
各国の医療事情に起因するところもある。例え
ば,カナダでは治療を受けるまでに時間がかか
1.代理出産の利用資格
るため,待機時間の解消を目的に渡航するケー
2.代理母の資格・中絶の権利
スが多い 4)。また,米国では公的医療保険の
3.子の親権と国籍
対象外で,かつ民間健康保健に加入していない
4.代理母に対する金銭的補償
多数の無保険者がいることに加え,雇用主が医
5.代理母の募集
療保険の負担を軽減するため従業員に医療費の
Ⅵ 考察
低い海外での治療を推奨している5)。その他,
幹細胞治療など自国では受けられない治療を求
めて渡航する場合もある6)。
Ⅰ はじめに(背景と目的)
近年,医療ツーリストの渡航先としては,渡
航理由に関わらずアジアが目的地となっている
医療ツーリズムとは,
「医療を受ける目的で
割合が高い。以前の医療ツーリズムは新興国か
─────────────────────────────────
1)
伊藤暁子「医療の国際化─外国人患者の受入れをめぐって─」『技術と文化による日本の再生』国立国会図書
館総合調査報告書(2012年)102頁。
2) See Gahlinger, PM.“The Medical Tourism Travel Guide: Your Complete Reference to Top-Quality, LowCost Dental, Cosmetic, Medical Care & Surgery Overseas”
(Sunrise River Press 2008)p. 1.
3)See Devon M. Herrick“Medical Tourizm: Global Competition in Health Care”
(NCPA Policy Report No.304)p. 1.
4) Michael D. Horowitz, MD, MBA; FACS, Research Associate, Jeffrey A. Rosensweig, PhD, Associate
Professor of International Business and Finance and Director, and Christopher A. Jones, DPhil, MSc, FRSM,
Research Associate.“Medical Tourism: Globalization of the Healthcare Marketplace, Retrieved”MedGenMed.
(September 2012)p. 6. Nadeem Esmail“The Private Cost of Public Queues”Fraser Alert ,2012 edition”
Fraster Institute(June, 2012)p. 2.
5) See Saritha Rai“Union Disrupts Plan to Send Ailing Workers to India for Cheaper Medical Care”New York
Times(October 11, 2006).
6) See id. 4, Michael et al. p. 2. p. 6.
─ 66 ─
滋賀大学経済学部研究年報 Vol.20 2013
ら先進国への渡航が主流であったが,現在は先
う所謂マンジ事件がインド国内外で報道され世
進国から新興国へ向かう新たな流れが加わって
界の注目を集めた。
おり,アジア地域の主要国における医療ツーリ
また,2012年に入ってから,子の国籍をめぐ
ストの受け入れ数は,概ね年間300万人となって
るトラブル以外にも代理母の健康上のトラブル
いる。この背景には,
これらの新興国においては,
が報じられている。
外貨獲得や内需拡大といった目的で,国策とし
このような代理出産に対し,インド政府は,
てプロモーション活動や制度改革が行なわれき
当初は医学的理由だけに目的を限定し,厳格な
た経緯があり,その他,営利企業が経営を行っ
要件で代理出産を認める方針を採用してきたが,
ている民間病院が多く,病院側に新たな収益源
代理出産の商業化の進展に伴い,代理出産を手
として医療ツーリズムに積極的に取り組むイン
掛ける病院,仲介業者の存在を無視できず,そ
センティブが強くあることも指摘されている7)。
れを追認する形で規制するという,一部方針の
一方で,こうした医療の産業化の背景で,近
転換をせざるを得ず,その後,様々な法的トラ
年,法的・倫理的問題が生じている。とりわけ,
ブルの増加を受け,2013年に入って再び,代理
医療ツーリズムに関するあらゆる問題が,イン
出産を規制する方向に転換した。
ドの商業的代理出産の問題に集約して現れてき
本稿では,こうした医療の産業化の問題を考
ている。
える手がかりとして,近年話題になっているイ
インドは現在,①欧米に比べて費用が安いこ
ンドの商業的代理出産の法的問題について取り
と,②多くのインド人女性が代理母に志願する
上げ,まずインドにおける代理出産に関して,
社会環境にあること,③医療水準が高く,プラ
近年どのようなトラブルが生じているのかを確
イベートヘルスケアがうけられること,④代理
認するⅡ。次に,代理出産に対するインド政府
出産の斡旋業者が英語を話すことができるこ
の対応について,時系列に沿って法案等の変遷
と,⑤インド人の労働者の調達が容易であるこ
を概観するⅢ。そして,インドの旧宗主国であ
と,⑥インドは世界的に有名な観光地であるこ
り,現在もインドの立法政策に大きな影響を与
と,⑦国レベルでの法による規制がなされてい
えているイギリス,及び,一部の州において商
ないことなどの理由により,世界の代理出産の
業的代理出産を容認するアメリカについての法
ハブとなっている 8)。商業的代理出産を手掛
制度を概観しⅣ,①代理出産の利用資格,②代
けるクリニックの数は登録制ではないため正確
理母の資格・中絶の権利,③子の親権と国籍,
な数は不明であるが約1000存在し,市場規模と
④代理母に対する金銭的補償,⑤代理母の募集
しては現在約445億 USドルであると推計される。
方法の論点について比較法的な見地から検討す
2011年に代理出産によって生まれた子供の数は
ることによって,インドにおいて当初はイギリ
2000人を超えるとする報道もある9)。
スにならって医学的な理由がある場合に限っ
しかし一方で,インドの代理出産をめぐって
て,厳格な要件で代理出産を認めようとしてき
は,これまでも,子の国籍問題をはじめとして
たが,商業的代理出産が事実上広く行われるよ
問題が絶えない。2008年には日本人を父として
うになった事実を受け,商業的代理出産を容認
代理出産で生まれた子どもが親子関係に基づく
するアメリカの一部の州と類似した規制を行お
国籍の取得ができず,日本に帰国できないとい
うとしていることを検証するⅤ。その上で,欧
─────────────────────────────────
7) 植村佳代「進む医療の国際化~医療ツーリズムの動向」株式会社日本政策投資銀行産業調査部。
8) See Kari Points“Commercial Surrogacy and Fertility Tourism In India ,The case of Baby Manji,”The
Kenan Institute for Ethics at Duke University, p. 3.
9) See“Surrogacy a $445 mn Business in India.”The Economic Times(August 25, 2008).
医療ツーリズムにおける法的・社会的問題
─インドの商業的代理出産の動向─(藤田真樹)
─ 66 ─
米における商業的代理出産を巡る議論を踏まえ,
を作製し,代理母に移植することによって,エ
インドの商業的代理出産をめぐる固有の議論を
ビエタ(Evyatar)を授かった。イスラエル政府
確認し,生殖技術の商業化の問題について考察
はパスポート等の必要な書類を揃えるために,
することを目的とするⅥ。
二人に DNA 検査をして親子関係を証明するよ
う求め,ヨナタン(Yonatan)が父親である証明
Ⅱ 代理出産をめぐる法的・社会的問題
書を提出し,二人は子を連れてイスラエルに帰
国した。これに対して,イスラエルでは,国内
1.代理出産の利用資格をめぐる問題とそ
の事例
では認められないゲイカップルの代理出産を目
的としてインドへ渡航し,生まれた子を届出て
国籍を付与して帰国させ,一緒に生活するのは
商業的代理出産は,
代理出産の依頼者,
代理母,
法の潜脱であるとして批判が高まった11)。
生まれてくる子,医療機関,仲介業者等多くの
2010年には,ゲイのフランス人であるレイモ
利害関係を有する者が存在するため,多くの法
ンド・スオト(Raimondo Souto)が,ムンバイ
的・社会的問題が存在する。近年,インド国内
で代理出産により双子を得たが,監護権が認
外において大きな議論となっているのは,性的
められず,子が里子に出された。フランスは
マイノリティーによる代理出産の利用資格をめ
伝統的に性的マイノリティーの権利に関してリ
ぐる問題である。
ベラルな立場をとり,1999年にはフランス民法
イ ン ド 国 内 で は,1961年 イ ン ド 刑 法(The
(Code civil)515条で事実婚を認めている。し
Indian Penal Code 1961)377条で同性愛を禁止
かし,同性婚は認められておらず,ゲイのカッ
しているにもかかわらず,海外から,母国で禁
プルが共同で養子縁組をすることも,人工受
止されている代理出産を目的として,インドを
精で子を得ることも認められていない12)。代
訪れるゲイカップルが数多く存在する。
理出産では,精子はフランス人男性のものを
インドにおいて同性愛者が代理出産を行って
使ったので遺伝学上はスオト(Suoto)の子であ
いる実態について最初に報道されたのは,2008
る。しかし,帰国後に子の診察をした医師が,
年のイスラエルのゲイカップルについてであ
子が代理出産によって生まれており,また,体
る。イスラエルでは商業的代理出産は違法であ
重が軽く適切な養育が行われていない可能性が
り,2009年まで同性カップルによる養子縁組
あることを理由に警察に通報したため,スオト
も認められていなかった10)。しかし,ヨナタ
(Suoto)は逮捕された。スオト(Suoto)は子の
ン(Yonatan)とオメール(Omer)のゲイガップ
監護権を主張したが,裁判所はこれを認めず,
ルはムンバイへ渡り,卵子提供を受けヨナタン
パスポートも剥奪されたためフランス国外へ出
(Yonatan)の精子を用いて体外受精を用いて胚
ることもできなくなった13)。
─────────────────────────────────
10)
なお,2009年になって,テル・アビブ家庭裁判所は,前国会議員のウジ・エベン(Uzi Even)とパートナーの
アミット・カルマ(Amit Karma)が,30歳のヨッシ(Yossi)を養子縁組することを認めている。“Court grants
gay couple right to adopt 30-year-old foster son”HAARETZ(March 11, 2009).
11) See“Israeli gay couple gets a son in India”Times of India(November 18, 2008). See id 1 p. 16. 邦語訳の初出
として,「生殖補助医療とテクノロジーを考える研究会忘備録」(2010年6月8日)下記 URL 参照〔http://
azuki0405.exblog.jp/11276216〕(2013年8月20日最終確認)
.
。
12) ただし,ゲイカップルに婚姻および養子縁組を法的に認めようとする動きもある“French Protests against
marriage Bill”, BBC NEWS EUROPE(November 17, 2012).
13) See“Surrogacy woes: India-Born baby in French foster care”Daily News and Analysis(July 27, 2010). 邦語
訳の初出として,
「生殖補助医療とテクノロジーを考える研究会忘備録」
(2010年8月3日)下記 URL 参照〔http://
azuki0405.exblog.jp/11674305/〕(2013年8月20日最終確認)
.
。
─ 66 ─
滋賀大学経済学部研究年報 Vol.20 2013
2.子の親権と国籍をめぐる問題とその事例
て依頼者夫婦の法律上の子としてパスポートを
発行することができず,イギリスに入国するこ
インドの生殖補助医療をめぐって,メディ
とができなくなった。このトラブルは,結果と
アで最も多く報道されているのは子の親権と
して6カ月間のみ有効とするビザが発行され,
国籍をめぐる問題である。確認できる限りに
一応の決着がついたが,インドにおける代理出
おいて最も早く報道されたのは2004年のイギ
産の問題が認識される端緒となった14)。
リス国籍の夫妻の双子についてである。イギ
2007年11月,同 じ くナ イナ・ パ テ ル(Naina
リス人のラータ・ネグラ(Lata Negla)とアー
Patel)医師の経営するアカンシャー・クリニッ
カッシャ・ネグラ(Akash Negla)夫妻はグジャ
ク(Akanksha Clinic)で,日本人夫妻が離婚し
ラート州にある代理出産で有名なナイナ・パ
たため,子が帰国出来ないというトラブルが生
テ ル(Naina Patel)医 師 の 経 営 す る ア カ ン ク
じている15)。日本人の山田夫妻は,インド人女
シャー・クリニック(Akanksha Clinic)で,夫
性プリトブン・メータ(Pritiben Mehta)と代理
の精子と妻の卵子で体外受精を行ったうえ,受
出産契約をした。アカンクシャー・クリニック
精卵を妻の母親であるラダ・パテル(Rhadha
(Akanksha Clinic)では,代理母は子に対する
Patel)
(44歳)に移植しニール(Neal)とナンダ
全ての権利を放棄する契約を締結する手続がと
ニ(Nandani)の双子を得た。イギリスにおいて
られていたが,山田氏は離婚経験があったため,
代理出産は「1985年代理出産契約法(Surrogacy
夫婦が離婚した際に夫が監護権を持つとの条項
Arrangements Act 1985)
」および「1990年人
も入れられていた。クリニックにおいて山田氏
受精卵及び胚研究法(Human Fertilization and
の精子と匿名の提供者の卵子から胚が作成され,
Embryology Act 1990)
」によって規制されて
インド人代理母に移植された。山田氏は子の出
いる。法律上の母親は分娩者である代理母とさ
産を待つまでの間,日本に一時帰国した16)。代
れるが(人受精卵及び胚研究法27条)
,代理母
理母は無事に子を出産しマンジ(Manji)と名付
の同意等の要件を満たした場合,子の出生から
けられた。しかし,子の出生する一カ月前に山
6カ月以内に裁判所に申立てを行い,決定で依
田夫婦は離婚し,山田氏の離婚した元妻は,子
頼者である母を法的な母とすることが認めら
を連れ帰るために山田氏とインドに行くのを拒
れている(同法30条)
。ところが当時,インド
絶したため,山田氏は単身でインドに渡航する
ではイギリスで採用されているような親子関
こととなった。山田氏は,日本の大使館に掛け
係に関する裁判所の決定は認められておらず,
合い,子のパスポートまたはビザを発給するよ
また「1981年イギリス国籍法(Nationality Law
うに求めたが,日本の民法は分娩主義を採用し
1981)」は,婚姻関係にない男女間の子で父の
ており,生みの母を法的な親としているため,
みがイギリス国籍を有する場合には,法律婚ま
大使館はこれを拒否した。そこで,山田氏はマ
たは事実婚の外観が完成することをイギリス国
ンジにインド人としてのパスポートを発行させ
籍取得の要件としていた(イギリス国籍法3条
るため,アナンド市に対して出生証明書の発行
1項)。このため,イギリス政府は双子に対し
を求めた。しかし,1890年に制定されたインド
─────────────────────────────────
14)“Visa for twins born to their grandmother”The Guardian(July, 27 2004).“Twins born to their granny win
entry to UK”, The Telegraph(July, 27 2004).“Twins born to own gran fly home”BBC NEWS(July, 26
2004).邦語訳の初出として,伊藤弘子「インドにおける生殖補助医療をめぐる近年の動向⑵」戸籍時報 No.681(平
成24年4月)13頁。
15) See Baby Manji Yamada v. Union of India & ANR.(2008)INSC 1656)(September 29, 2008).
16) See id. 8 p. 4.
医療ツーリズムにおける法的・社会的問題
─インドの商業的代理出産の動向─(藤田真樹)
─ 66 ─
養子縁組法(Guardians and Wards ACT 1890)
(Premila)もこのような病院や仲介業者の犠牲
は,人身売買を防止する趣旨から,独身男性に
になったのではないかという疑問も呈されてい
よる養子縁組を禁止していた。このため,マン
る20)。
ジは3カ月の間,法的な母はいないという状況
に置かれることとなった17)。この訴訟は連邦最
Ⅲ 代理出産をめぐる法案等の変遷の概要
高裁判所までもつれ込んだが,結果として,一
月後,ラージャスターン地区を管轄するパスポー
このように,代理出産をめぐっては,代理出
ト発行所は,日本への渡航許可書の一部として
産の利用資格,生まれて来る子の親子関係の確
マンジの身分証明書を発行した。日本の大使館
立と国籍をめぐる問題,代理母の健康などにつ
も人道的見地に立って1年間有効のビザを発行
いて様々な問題が生じている。代理出産をめぐ
した。マンジは帰国後,数日の間に山田氏に養
るこのような問題に対して,インド政府はどの
子縁組された18)。
ように対応してきたか。まず,時系列に沿って
3.代理母の健康をめぐる問題とその事例
その概要を述べる。
代理出産に関する問題がインド政府に初めて
代理母の健康上の問題についても昨年になっ
認識されたのは2000年になってからである。イ
て報じられている。2012年5月,アーメダバー
ンド保健家族省(Ministry of Health and Family
ドのパルス・ホスピタル(Pulse IVI Women’
s
Welfare)が 設 置 す る イ ン ド 医 学 研 究 評 議 会
Hospital)で, プ レ ミ ラ・ ベ グ ラ(Premila
(Indian Council of Medical Research : ICMR)21)
Vaghela)は家計を補助し,自分の子を養うた
は,1980年に設けた「被験者を対象とする医学
め,アメリカ人カップルの代理母になったが,
研究についての倫理声明(Policy Statement on
原因不明の合併症のため死亡したことが報じら
Ethical Considerations involved in Research
れている。病院によれば,定期検査を待つ間,
on Human Subjects)
」を設けたが,2000年に
プリミラ(Premila)は夫のカラサン(Karasan)
「被験者を対象とする生物医学研究の倫理ガイ
と座って話していたが,突然痙攣を起こしうず
ド ラ イ ン(Ethical Guidelines for Biomedical
くまった。プリミラ(Premila)はすぐに治療室
Research on Human Participants 2000)」( 以
に運ばれ緊急帝王切開手術を受け,その後,集
下「2000年倫理ガイドライン」とする)とし
中治療が受けられる病院に搬送されたが,間も
て改定する際,「生殖補助医療に関する特別原
なく死亡した。なお,子供は未熟児で生まれ
則の声明(Statement of specific principles for
たが元気に育っている19)。この事件に関して,
assisted reproductive technologies)」の章が初
営利主義の病院や仲介業者が,代理出産の依頼
めて設けられた。前文(Introduction)には,
「生
者の意図を汲んで,教育を十分に受けていない
殖補助医療は,精神的にも肉体的にも忍耐を必
代理母の命よりも子の命を優先させ,プリミラ
要とし費用も高額である。そこで,認証された
─────────────────────────────────
17) See id. p. 5.
18) See id. p. 7.
19) See“Surrogate mother dies of complications”Times of India(May 17, 2012),“India’
s surrogate mothers are
risking their lives. They urgently need protection”, The guardian(June 5, 2012). 邦語訳の初出として,「生殖
補助医療とテクノロジーを考える研究会忘備録」(2012年5月22日)下記 URL 参照〔http://azuki0405.exblog.
jp/15897924/〕(2013年8月20日最終確認)
.
。
20) See“Pitfalls of surrogacy in India exposed”Asian Times Online(May 24, 2012).
21) は,医学研究の推進のために設けられたインド研究基金(Indian Research Fund Association)を前身とする組
織である。詳細については〔http://www.icmr.nic.in/About_Us/About_Us.html〕(2003年8月20日最終確認)。
─ 66 ─
滋賀大学経済学部研究年報 Vol.20 2013
施設で,熟練した技能をもつ医師により,治療
この後,前述の日本人夫妻の間に生まれた子
の必要な患者に対し,安全な医療技術が合理的
が,親が離婚してしまったため,日本に帰国で
な価格で提供されるため,早急にガイドライン
きなくなったマンジ事件26)が起きて世界中で
を設けることが必要である」と述べられている
インドにおける商業的代理出産の問題が大きく
22)
。
報道されることとなった。
一方,同評議会は2002年に,世界水準の治
2008年にはインド保健家族省から「2008年
療が受けられることを当事者である患者と国
生殖補助医療規制法案(Assisted Reproductive
民 に保障するため,生殖補助医療施設を認証
Technologies(Regulation)Bill)2008」( 以 下,
し,規制し,監督を及ぼすことを目的として
「2008年法案」とする)が提出されたが成立に
「生殖補助医療施設の認可・監督および規制に
は至らなかった27)。この法案には Introduction
関するガイドライン(The National Guidelines
が設けられていなかったため,立法趣旨が不明
for Accreditation Supervision and Regulation
確であるとの非難がインド国内の NGOからな
of ART Clinic in India)2002」
( 以 下「2002年
された28)。
生殖補助医療施設ガイドライン草案」とする)
2008年法案提出のあと,インド政府立法委
を作 成した。ICMRはこの草 案を作 成したの
員 会(Low Commission of India)か ら「2008
ち,有識者を集めた国家機関であるインド医科
年生殖補助医療に関する施設および当事者の
学 会 議(Indian National Academy of Medical
権利義務に関する法制化の必要性に関する報
Science)23)と 共 同 し て, こ の 草 案 に 対 す る
告 書(Government of India, Law Commission
公聴会を行ったのち,
「生殖補助医療施設の
of India, Need for Legislation to regulate
認可・監督および規制に関するガイドライン
assisted reproductive technology clinics as
(The National Guidelines for Accreditation
well as rights and obligations of parties to a
Supervision and Regulation of ART Clinic in
surrogacy, Report No.228,August 2008)」( 以
India)2005」を作成した(以下「2005年生殖補
下「2008年立法委員会報告書」とする)が出さ
助医療施設に対するガイドライン」とする)24)。
れた29)。この報告書では,
「ICMRによって作
同評議会は2006年に2000年倫理ガイドライン
成された2008年法案は多くの欠陥を抱えるもの
を「被験者を対象とする生物医学研究の倫理ガ
であるが,ARTクリニックのみならず,生ま
イドライン(Ethical Guidelines for Biomedical
れてくる子を含め代理出産の全ての当事者の権
Research on Human Participants 2006)
」とし
利と義務について規制を及ぼそうとしている点
て改訂したが
(以下
「2006年倫理ガイドライン」
で前進している」としつつも,利他的な代理出
とする),その際前述の「生殖補助医療の特別
産については容認されるが,商業的代理出産は
原則の声明」も同時に改訂された25)。
禁止すべきという主張を中心に9つの提案がな
─────────────────────────────────
22)「2000年倫理ガイドライン」64頁。
23) See NAMS’
s HP 下記 URL 参照〔http://www.nams-india.in/〕(2013年8月20日最終確認)。
24) 下記 URL 参照〔http://icmr.nic.in/art/Prilim_Pages.pdf〕(2013年8月20日最終確認)。
25) 下記 URL 参照〔http://icmr.nic.in/ethical_guidelines.pdf〕(2013年8月20日最終確認)。
26) See id. 15.
27) 下記 URL 参照〔http://www.prsindia.org/uploads/media/vikas_doc/docs/1241500084~~DraftARTBill.pdf〕
(2013年8月20日最終確認)。
28) See Sama-Resource Group for Women and Health“Assisted Reproductive Technologies: Implications for
Women’
s Reproductive Rights and Social Citizenship”,(December 10, 2010)p. 26.
29) 下記 URL 参照〔http://lawcommissionofindia.nic.in/reports/report228.pdf〕(2013年8月20日最終確認)。
医療ツーリズムにおける法的・社会的問題
─インドの商業的代理出産の動向─(藤田真樹)
─ 66 ─
された30)。
を有する精子,卵子提供者,代理母の保護の問
2010年法案には,2008年法案にはなかった序
題が意識されるようになってきており,規制対
章(Preamble)が設けられた。そこでは,
「過去
象についても ARTクリニックから精子バンク
20年において,体外授精や代理出産を手がける
まで拡大されている。しかし,代理出産が産業
クリニックの数が劇的に増加した。誰もが許可
として行われるようになったことに伴い,ART
なく ARTクリニックを開業したため,インド全
バンクの他,旅行代理店や,代理出産の仲介業
土にわたって,クリニックが乱立している。こ
者,代理出産を手掛ける法律事務所,生殖補助
のような状況下にあって,公益的観点から,利
医療を提供する公立病院が実際には重要な役割
害関係を有する者の医学的,法的,倫理的,社
を果たすようになってきたが,これらの存在に
会的利益を保護するため,クリニックに対して
ついて,法案等において未だ明確な位置づけは
規制を及ぼすことが必要となってきた。この法
なされていないとの批判がなされている32)。
案は,倫理的枠組を提供し,より良い医療の実
2008年法案,2010年法案ともに,未だ成立
践を通じて,不妊治療を受ける患者の利益を最
しておらず,目下,法的拘束力のない2005年
大化するとともに,利害関係を有する全ての者
の自主的な遵守に代理出産の規制が委ねられ
の法的権利を確保するため,体外授精,配偶子
ている状況であるが,2010年の法案の一部を先
の提供者,代理出産を扱うクリニックおよびそ
取りする形で,2013年にインド内務省(Home
れと関連する精子バンクを認証し監督する手続
Ministry)から「代理出産を目的としてインド
きを設けるものである」と述べられている31)。
へ入国する外国人のビザの種類およびビザの
しかし,インド法律委員会報告書の商業的代理
交 付 条 件(Type of visa for foreign nationals
出産を禁止すべきとの見解は2010年法案におい
intending to visit India for Commissioning
ては受け入れられなかった。
Surrogacy and conditions for grant visa for
倫理ガイドライン,生殖補助医療施設に対す
the purpose」とする通達が在外大使館,領事
るガイドラインと,法案はそれぞれ性質が異な
館に向けて出された。この通達によって,代理
るため,一概に比較することはできない。しか
出産を目的としてインドに入国する外国人は
し,序章(Preamble)等の変遷をおった限りに
「観光ビザ」ではなく,「医療ビザ」でなければ
おいては,2000年倫理ガイドラインにおいては,
ならず,医療ビザの交付のためには二年以上法
医学的に治療が必要である者の利益の保護を
律婚を継続している男女で,母国において代理
目的として,認証された医療施設で標準化され
出産が認められており,代理出産で生まれた子
た治療が行われることが必要であるとしていた
を法的な子として母国へ連れ帰ることができる
が,2010年法案では,法律による規制がなかっ
こと等の証明が必要とされることとなり,イン
たため既に乱立してしまった ART(Artificial
ドにおいて事実上広く行われていた同性愛者に
Reproductive technology: 生 殖 補 助 医 療 )ク
よる代理出産は困難になったことが指摘されて
リニックをどのように監督していくか,また
いる33)。
ARTクリニックの増加に伴って,法的利害関係
─────────────────────────────────
30)「2008年立法委員会報告書」25頁~ 26頁。
31)「2010年法案」1〜2頁。
32) See id. 28. p. 26.
33) See“Australian Surrogacy and Adoption Blog: Surrogacy and Adoption Law in Australia by Stephan’
s page,
a Brisbane family and Surrogacy Lawyer”下記 URL 参照[http://surrogacyandadoption.blogspot.com.
au/2013/01/regulatory-worries-from-india.html](2013年8月20日最終確認)。
─ 66 ─
滋賀大学経済学部研究年報 Vol.20 2013
インドにおける代理出産をめぐる法案等の変遷
2000年 インド医学研究評議会(Indian Council of Medical Research :ICMR)「2000年被験者
を対象とする生物医学研究の倫理ガイドライン(Ethical Guidelines for Biomedical
Research on Human Participants 2000)」
2002年 イ ンド医学研究評議会(Indian Council of Medical Research :ICMR)「2002年生殖
補助医療施設の認可・監督および規制に関するガイドライン草案(The National
Guidelines for Accreditation Supervision and Regulation of ART Clinic in India
2002)
」
2005年 インド医学研究評議会(Indian Council of Medical Research :ICMR)「2005年生殖補
助医療施設の認可・監督および規制に関するガイドライン(The National Guidelines
for Accreditation Supervision and Regulation of ART Clinic in India 2005)」
2006年 イ ンド医学研究評議会(Indian Council of Medical Research :ICMR)「2006年被験
者を対象とする生物医学研究の倫理ガイドライン(Ethical Guidelinesfor Biomedical
Research on Human Participants 2006)」
2008年 マンジ事件(Baby Manji Yamada v. Union of India & ANR.(2008)INSC 1656(29
September, 2008)
)
2008年 インド保健家族省(Ministry of Health and Family Welfare)「2008年 生殖補助医
療規制法案(Assisted Reproductive Technologies(Regulation)Bill 2008)」
2008年 インド政府立法委員会(Low Commission of India)「2008年生殖補助医療に関する
施設および当事者の権利義務に関する法制化の必要性に関する報告書(Government
of India, Law Commission of India, Need for Legislation to regulate assisted
reproductive technology clinics as well as rights and obligations of parties to a
surrogacy, Report NO.228,August 2008)」
2010年 インド保健家族省(Ministry of Health and Family Welfare)「2010年 生殖補助医
療規制法案(Assisted Reproductive Technologies(Regulation)Bill 2010)」
2013年 イ ンド内務省(Home Ministry)
「代理出産を目的としてインドへ入国する外国人
のビザの種類およびビザの交付条件(Type of visa for foreign nationals intending
to visit India for Commissioning Surrogacy and conditions for grant visa for the
purpose」
Ⅳ イギリスとアメリカにおける代理出産
に対する規制の概要
つつも代理出産を認めているイギリス,一部の
州で商業的代理出産を認めているアメリカにお
ける代理出産の規制について,まず簡単にその
インド政府は近年,代理出産の利用資格を制
概要を見ておきたい。
限する方向で動いているが,商業的代理出産に
イギリスの代理出産に対する規制の概要は以
ついてはなお容認する方向で規制を行おうとし
下のとおりである。イギリスでは1978年に,世
ているように思われる。本章では,インドのガ
界ではじめて体外受精児が誕生して以来,体
イドライン等の規制状況と問題点について検討
外受精技術の利用に対する倫理的な議論が引
する前提として,今なおインドの立法政策に強
き起こされた。2010年に,HFEA(Human F
い影響を与えており,商業的代理出産は禁止し
ertilization Embryology Authority)に 登 録
医療ツーリズムにおける法的・社会的問題
─インドの商業的代理出産の動向─(藤田真樹)
─ 66 ─
された不妊治療クリニックの数は71件あり34),
州法のモデルとしては,1988年に統一州法全国
45,264人の女性が合計57,652サイクルの体外授
会 議(National Conference of Commissioners
精または顕微授精を受けている35)。第三者の
on Union States Laws, NCCUSL)か ら「 生 殖
介 入 す る 生 殖 医 療(Donor Insemination:DI)
補助医療によって生れた子の地位に関する統
に 関 し て は,1,985人 の 女 性 が3,878サ イ ク ル
一 法(Uniform Status of Children of Assisted
の治療を受けていると報告されている36)。代
Conception Act 1988)
( 以 下 単 に「1988年
理出産については,1985年に「代理出産契約
子の地位に関する統一法」とする)
」が設け
法(Surrogacy Arrangements Act 1985)
( 以
ら れ た38)。 そ の 後,同 じ く 統 一 州 法 全 国 会
下 単 に「1985年 代 理 出 産 契 約 法 」 と す る )
」
議(NCCUSL )か ら,2000年 に「 統 一 親 子 法
が,1990年に「人受精卵及び胚研究法(Human
(Uniforms Parentage Act 2000)
」
が設けられ
(以
Fertilization and Embryology Act 1990)
(以
下単に「2000年統一親子法」とする)
,同法は,
下単に「1990年 HFE 法」とする)
」が制定され
2002年改正され(
「2002年統一親子法(Uniforms
た。そして,二つの法律を修正する「2008年人
Parentage Act 2002)
」
)
,現在に至っている(以
受精卵及び胚研究法(Human Fertilization and
下単に「2002年統一親子法」とする)
。改正前の
Embryology Act 2008)
( 以 下 単 に「2008年
1988年子の地位に関する統一法,2000年および
HFE 法」とする)
」が設けられた37)。イギリス
2002年統一親子法の採用,不採用,一部採用に
においては,代理母の卵子を用いて,医療機関
ついては,連邦制をとるアメリカにおいては各
で人工授精を行い,代理が出産を行う代理母方
州議会の裁量に委ねられており,法規制を行わ
式(Traditional Surrogacy: Straight Surrogacy:
ず商業的代理出産を容認する州も存在する39)。
Partial Surrogacy)による代理出産も,代理母
当事者間に争いがあり州法に規定がない場合,
以外の卵子と精子を体外授精させ,代理母に移
親子関係の確立および子の親権等について,裁
植する借り腹方式(Gestational Surrogacy: IVF
判所によって決められることになる。
Surrogacy: Full Surrogacy)の代理出産につい
尚,1988年子の地位に関する統一法で,
「代
ても,どちらも禁止されていない。しかし,医
理出産の依頼者は,法律婚の関係にあり,少な
学的な理由がある場合に限って代理出産を認め
くとも一方の配偶子を提供しているものに限ら
ており,商業的なものは禁止している。
れる(1条3号)とされていたが,2000年統一
アメリカにおける代理出産の規制であるが,
親子法では,この条項は削除された(1条3号)。
連邦法で代理出産を規制しておらず,代理出
この条項の削除によって,事実婚のカップルに
産契約を禁止している州もあれば契約の履行
も代理出産の利用資格が拡大され,また,カッ
に強制力を認めている州も存在する。したがっ
プルの双方が医学的な理由で配偶子の提供がで
て,各州によって規制状況が異なる。しかし,
きない場合にも,代理出産によって依頼者カッ
─────────────────────────────────
34)“Fertility treatment in 2010 : trends and figures”, Human Fertilization Embryology Authority:HFEA
(November 16, 2011)p. 6, 下記 URL 参照[http://www.hfea.gov.uk/docs/2011-11-16_-_Annual_Register_
Figures_Report_final.pdf](2013年8月20日最終確認)。
35) See id. p. 7.
36) See id.
37) 詳細については,神里彩子「第3章 諸外国における生殖補助医療の規制状況と実施状況 [1]イギリス」神
里彩子・成澤光編『生殖補助医療 生命倫理と法─基本資料集3』(信山社 2008年)74頁以下参照。
38) 下記 URL 参照[http://claradoc.gpa.free.fr/doc/269.pdf](2013年8月20日最終確認)。
39) 現在法整備がなされているのは19州と DC であり,代理出産契約を無効としている州は,5州と DC であり,
一部の州においては商業的代理出産も認めている前掲註37)「第1章 調査の概要」15頁。
─ 66 ─
滋賀大学経済学部研究年報 Vol.20 2013
プルと遺伝的繋がりのない子を得ることが可能
原則代理出産の利用資格はなく(条項3.14.1),
となった。
20歳から30歳の女性については,避妊をしてい
Ⅴ インドのガイドライン等の規制状況と
問題点
ない状態で2年以上夫と同居または婚姻関係に
あるにも関わらず妊娠しない場合,30歳以上の
女性については,避妊をしていない状態で1年
前述したように,インド政府は当初は医学的
間同居または婚姻関係にあっても妊娠しない場
理由に限って代理出産を認めるイギリス型の規
合でなければならないとする年齢等による制限
制モデルを採用してきたが,商業的代理出産の
が設けられた。
増加に伴い,利害関係を有する者が増大してき
2008年法案以降は,法律婚・事実婚のカップ
たことから,商業的代理出産を容認するアメリ
ル,独身の男性,女性にも利用資格が認められ
カの一部の州のモデルを参考に商業的代理出産
た(32条1項)
。2000年倫理原則から2008年法
を容認する方向に方針を転換してきたように思
案までの変遷を追うと,代理出産の利用資格と
われる。
して医学的な不妊を理由とする者から,アメリ
一般的に商業的行為は⒜営利を目的としてお
カの2000年統一法や,商業的代理出産を認める
り,⒝集団的に,⒞反復継続して行われ,⒟定
一部の州のように,事実婚についても代理出産
型性,⒠簡易迅速性が求められるという特徴を
を認め,更に,独身の男性や女性といった社会
有する。このことについて,比較法的な見地か
学的不妊を理由とする者まで利用資格を拡大し
ら,①代理出産の利用資格,②代理母の資格・
てきたことがわかる。
中絶の権利,③子の親権と国籍,④代理母に対
しかし,2010年法案では,母国において代理
する金銭的補償,⑤代理母の募集について個別
出産が認められている文書の提出を求め,また
の論点に沿いながら,インドのガイドライン等
事実婚のカップルについても母国で認められて
の規制状況についてその変遷を追うことによっ
いる場合とするとの要件を加重し,代理出産の
て,問題点の検証を行う40)。
利用資格に制限を加える方向に向かっている。
1.代理出産の利用資格
2.代理母の資格・中絶の権利
代理出産の利用資格について,2000年倫理原
代理母の資格・義務について2000年倫理原則
則においては,合法的に養子縁組出来る場合で
では,配偶子のドナーの資格について規定され
(条項1)
,かつ医学的にその手段に訴えること
ているが,代理母の資格については規定されて
が唯一の解決となる場合(条項4)とされてい
いない。中絶の権利に関しては,代理母は中絶
た。
する権利を有し,依頼主は既に支払った費用に
これに対し,2005年生殖補助医療施設ガイド
ついて請求することができないとされている
ラインでは,医学的に不可能であるか望まし
(条項8)。
くない場合に利用資格が認められるとし(条項
2005年ガイドラインでは,代理母の資格とし
3.10.2),2000年倫理ガイドラインにあった,
て,45歳以下であること(条項3.10.5)
,生涯
合法的に養子縁組出来る場合という条件は削除
を通じて3回以上の代理出産を行っていない
された。一方で,20歳以下のものに対しては,
こと(条項3.10.8)
,HIVに感染していないこ
─────────────────────────────────
40) インド政府が代理出産を産業として推進してきたことについて,先行研究として日比野由利編「生殖テクノロ
ジーとヘルスケアを考える研究会 報告集Ⅰインドとタイにおける生殖技術と法整備の現状」がある。本稿では
比較法的な見地から検討を行う。
医療ツーリズムにおける法的・社会的問題
─インドの商業的代理出産の動向─(藤田真樹)
─ 66 ─
と(条項3.10.7)と具体的な要件が設けられた。
これを見ると,
代理母の資格・義務については,
中絶の権利については,ガイドライン自体に規
年齢制限の幅が狭くなっており,また,HIV 以
定はない。しかし,ガイドラインに付属する代
外の病気に罹患している者も欠格事由とされ,
理母の同意書のサンプルにおいて,
「自らの意
この点においては代理母の資格は厳格化されて
思で中絶の権利を有する。その際,遺伝学上の
いる。しかし,出産の回数については,生涯を
親,その代理人が妊娠で支払った全ての費用に
通じて3回という制限から,自分の子を含め5
ついて賠償する」
と記載されることとなった
(4
回以上と,要件が緩和されている。
条7項)
。
2006年倫理原則では,代理母の資格・義務に
3.子の親権と国籍
ついての詳細な規定は設けられていない。しか
イギリスにおいて代理出産における法的な母
し,
代理出産契約は法的に強制力をもつとされ,
は原則として分娩者である代理母とされ(HFE
(条項8)
,中絶の権利については,遺伝学上の
法27条),依頼者である男性が法的な父とされ
親は既に支払った費用について請求することが
る(HFE 法28条3項)
。代理母の同意等の要件
できないとされた(条項6)
。
を満たした場合,子の出生から6カ月以内に裁
2008年法案では,代理母の資格として,年
判所に申立てを行い,決定で依頼者である母を
齢が21歳以上45歳以下であること(34条5項前
法的な母とすることが認められている(HFE 法
段)と年齢の下限が設けられ,生涯を通じて3
30条)。
回以上の代理出産を行っていないこと(同条同
これに対して,米国では,州法のモデルであ
項後段)
,性感染症等の病気にかかっていない
る「1988年子の地位に関する統一法」において
こと(34条6項)
,配偶者がいる場合は,同意
は,5条以下で,代理出産を認める場合をモデ
を得ていること(34条16項)との条項が追加さ
ルA,代理出産を認めない場合をモデルBとし
れた。中絶に関しては,施行規則(15条1項)
ているが,代理出産を認めるAの手続きに従う
で登録所に提出すべきとされる代理母になるこ
場合,依頼者及び代理母は,代理母が妊娠する
とへの同意書(FORM-J)において「自らの意思
前に裁判所に対して申立てをし,代理出産契約
で中絶をする権利を有する。その際,遺伝学上
の事前承認を経なければならない(5条b項)。
の親,その代理人に,妊娠に関して生じた全て
裁判所は,依頼者の女性が肉体的に精神的にも
の費用を賠償する。ただし,この中絶が,専門
重大な危険を伴わずには妊娠出産できないこと
家の医学的助言に従ったものである場合は別と
が医学的に証明されていること,代理母になる
する」と記載されることとなった。
女性が妊娠出産を経験していること等の要件を
2010年法案では,代理母の年齢について,21
全て満たしている場合に,代理出産契約に事前
歳以上35歳以下(34条5項前段)と2008年法案
承認を与える。認可を得た代理出産契約に基づ
に比べて厳格化された。一方で,生涯で出産で
いて子が生まれた場合,依頼者夫婦が法律上の
きる回数については,自分の子を含め5回以上
親となる。認可を得ない代理出産契約は無効で
の出産を行っていないこと(34条22項)と変更さ
ある。代理出産契約を無効とする選択肢 Bによ
れた。また,代理母は妊娠中の胎児,および生
れば,代理出産によって生まれてきた子の法律
まれてきた子を引き渡すまでの間,監護義務を
上の母親は,代理母となり,代理出産契約に同
負う(34条24項・25項)との規定が加わった。中
意していた夫が法律上の父親となる。「2000年
絶の権利については,2008年法案と同様である。
統一親子法」,「2002年統一親子法」41)の発想
─────────────────────────────────
(2013年8月20日最終確認)
。
41) 下記 URL 参照[[http://www.uniformlaws.org/shared/docs/parentage/upa_final_2002.pdf]
─ 77 ─
滋賀大学経済学部研究年報 Vol.20 2013
も基本的に,
「1988年子の地位に関する統一法」
ていた(条項3)。しかし,2008年法案以降では,
と基本的な枠組みは同じである。
代理出産で生まれた子は依頼人の子と見なされ
州法に規定がない場合,判例においては,原
(35条1項~3項),代理母は親権を放棄しなけ
則として子の最善の利益(best interests of the
ればならず(34条4項)
,出生証明書には依頼
child)
という観点から子の親権が決定されるが,
者の氏名が記載されることとなった
(同条7項)
。
その際,①当事者の意思(intent)
,②遺伝学的
親子関係の確立については,インドは当初,分
な繋がり,
③妊娠出産したのは誰か
(分娩主義)
娩主義を原則として,その後に養子縁組を行う
が考慮される42)。判例においては,代理母方
方式を採用するイギリスに類似した親子関係構
式の代理出産については,②と③の要素を考慮
築のための制度を採用しようとしていたと思わ
して代理母に親権を認め43),借り腹型代理出
れる。しかし,商業的代理出産が広く行われる
産については,①,②の要素を考慮して代理出
ようになった現実を踏まえ,契約者の意思を尊
産の依頼者に子の親権を認める傾向がある44)。
重し,契約当事者である依頼人の親の名を出生
インドでは,2000年倫理原則においては,子
証明書に記載すると共に,代理母に子の親権を
供を妊娠・出産した女性が母親であると推定さ
放棄させ,手続的煩瑣を避ける,商業的代理出
れ(条項2),依頼主は,代理母の同意のもと,
産に親和性のあるアメリカの一部の州に類似し
6週間後に養子縁組の優先権を得ることとされ
た制度へと変化してきたことが伺える45)。な
─────────────────────────────────
42) Carla Spivack“The Laws of Surrogate Motherhood in the United States”Oklahoma City University School
of Law p. 97. ただし,アメリカにおいては,親子関係の確立のレベルの問題と子の監護権を含む親権のレベルの
問題の混乱がみられるように思われる。
43)
例として Baby-M 事件があげられる。1988年にニュージャージー州で争われた BABY- M 事件は,代理母方
式の代理出産について問題となった事案である。ウィリアム・スターン と妻のエリザベス・スターンは,新聞
広告による募集に応じたメアリー・ベス・ホワイトヘッドと,代理出産契約をした。契約の内容は,10,000$ を
対価としてウィリアムの精子をホワイトヘッドに人工授精し,出産後,ホワイトヘッドは子の親権を放棄し,ウィ
リアムに引き渡すというものであった。その後,多発性硬化症のため自ら子供を産めないエリザベスが正式に養
子縁組することになっていた。ホワイトヘッドは1986年3月27日,無事女児を出産した。しかし,ホワイトヘッ
ド は心変わりし,子を手元に置いておきたいと考えるようになり,子の引渡しを拒んだ。そのため,スターン
夫妻は,法的な親は自分たちにあると主張して提訴した。これに対して,ニュージャージー最高裁判所は,代理
出産契約は州の法秩序を混乱させ,公序良俗に反し無効である。州の養子縁組法は,子の出生後,母親がカウン
セリングを受けた後でなければ,養子縁組を認めていない。また,金銭を対価とする養子縁組を禁止する州法に
も抵触する,さらに代理母は契約の内容を殆ど理解できていなかった事情が見受けられるとし,法的な親はホワ
イトヘッドであるとしつつも,家庭裁判所に,離婚訴訟で用いられる子の最良の福祉の原則を採用し親権がだれ
にあるのか決めるように命じた。結果として家庭裁判所は,スターン夫妻に親権が,ホワイトヘッドには訪問権
が認められた。なお,この事件を契機としてニュージャージー州では代理母方式の代理出産を禁止された。See
In the matter of Baby M, 537 A.2d 1227, 109 N.J. 396(N.J. 1988).
44) 1993年に California 州で争われた,Johnson v Calvert 事件は,借り腹方式の代理出産の事案である。アンナ・
ジョンソン(Anna Johnson)はマーク・カルバート(Mark Calvert)とクリスピーナ・クラバート(Crispina
Calvert)の夫妻と,代理出産契約を締結した。契約の内容は,子宮を摘出して自分で子を産めないクリスピーナ
の卵子とマークの精子を体外受精させ,アンナに移植し出産する。アンナは子の出産後,親権を放棄してクラバー
ト夫妻に子を引き渡すが,その見返りとして,分割払いで計10,000 $の補償を受け取るというものである。しか
し,子が生まれた後,アンナは契約にある三度目の支払いがなされなかったため,子の親権を放棄して引き渡す
ことを拒んだ。クラバート夫妻は提訴し,アンナは応訴した。これに対して,カリフォルニア州最高裁判所は,
州親子法においては,分娩と遺伝学的繋がりによって母親が誰であるかの推定がなされる。しかし,分娩者と遺
伝的な繋がりのある女性が異なる場合,自分の子として育てようとする意思をもつ女性が親となることが,子の
最善の福祉の観点から望ましいとして,Crispina が法的な母親であるとした。See Johnson v Calvert(1993)5
C4th 84.
45)(イリノイ州の)“Gestational Surrogacy Act”と極めて類似しているとの指摘がインド政府立法委員会からな
されている。「2008年立法委員会報告書」14頁参照。
医療ツーリズムにおける法的・社会的問題
─インドの商業的代理出産の動向─(藤田真樹)
─ 77 ─
お,前述のマンジ事件を受け,2008年法案以降,
このような医学的手続きは,高度な医療施設を
代理出産契約後,子が出生する前に依頼した両
有し,国際的需要があり,貧しい代理母が調達
親が離婚した場合,生まれて来た子はその両親
可能なインドを含む幾つかの国において合法で
の子と推定するとの規定が設けられた(35条4
あり,産業とよべる規模に達しつつある」と合
項)。
法であることを明示した。
4.代理母に対する金銭的補償
なお,補償の支払い方法について,2008年法
案の施行規則では,ARTクリニックへの提出
イギリスでは,商業的代理出産は禁止されて
が義務づけられる「依頼者と代理母の契約書
いるが,妊娠出産に通常伴う医学的な費用の
(FORM-U Contract between the patient and
補償のほか,金銭的な報酬を伴わない,利他
the Surrogate)」において,依頼者から代理母
的代理出産(Altruistic Surrogacy)は認めてい
に支払われる補償は3回の分割払い総額の75%
る。その補償額は,
「合理的な費用(reasonable
を代理母への胚移植の際に支払わなければなら
expenses)
」の範囲内でなければならないとす
ないとしていたが(15条1項),2010年法案の
るのがイギリス高裁の判断である46)。
施行規則に付属する契約書では,代理母への補
インドにおいては,金銭的補償について,
償は5回の分割払いとされ,子を出産した際の
2000年生命倫理原則では,
「医学的管理にかか
5回目の支払いで補償の全額のうち75%を支払
る費用」は依頼者が持つとされていたが(条項
うことと修正された(15条1項)。これに対して,
9)
,
2005年生殖補助医療施設ガイドラインでは,
インドの女性の人権保護団体から,依頼者より
代理母に対する支払い(payments to surrogate
の規定に変更されただけでなく,子が得られな
mothers)は医学的費用の他,
「妊娠に関係する
い場合は,感情的,身体的リスクが伴う代理母
全 て の 費 用(all expenses associated with the
の労働,妊娠は価値がないものとして扱われて
pregnancy)」が含まれなければならないとさ
おり,代理母にとって搾取的で不利なものであ
れた(条項3.5.4)
。この補償額に限度が設
るとの批判がなされている48)。
けられていないため,当初インドでは合理的
な費用を超える商業的代理出産(commercial
5.代理母の募集
surrogacy)を認めるかについて疑問視された
イギリスにおいては,代理出産契約法3条
が,2008年マンジ事件判決47)で,連邦最高裁
で代理母の募集を行うことを禁止している49)。
判所は,利他的代理出産と区別した上で,
「商
アメリカの一部の州においては商業的代理出産
業的代理出産とは,代理出産の一形態である。
を認めており,仲介業者も数多く存在する。し
代理母は子宮を用いて妊娠・出産する。その費
かし,代理懐胎契約を有効とみなしている州で
用は,親になるという夢を叶えるための金銭的
は,厳格な基準とコーディネーションへの配慮
ゆとりのある不妊カップル,または,貯金や借
がなければ,生まれて来る子供,代理懐胎者,
金をすることができる者によって支払われる。
依頼者の三者を守りきれないという配慮から,
─────────────────────────────────
46) See Neutral Citation Number:(2012)EWHC 2631(Fam).
47) See Baby Manji Yamada v. Union of India & ANR.(2008)INSC 1656.
48) See Nivedita Menon ,SAMA“The Regulation of Surrogacy in India-Questions and concerns”
(January 10, 2012)
49) ただし,非営利のものも含め仲介団体が存在することが指摘されており,その実態の把握が困難であることが
問題となっている。詳細については武藤香織「イギリスにおける代理懐胎の現状」『代理懐胎に関する諸外国の
現状調査』
(平成18年厚生労働省生殖補助医療緊急対策事業「諸外国における生殖補助医療の状況に関する調査」
研究班)下記 URL 参照〔http://www.pubpoli-imsut.jp/pdf/dairikaitai1.pdf〕(2013年8月20日最終確認)118頁。
─ 77 ─
滋賀大学経済学部研究年報 Vol.20 2013
透明性が高い基準をもうけ,選択基準,除外基
提起されている52)。すなわち,法案は現在の
準,スクリーニングのプロセスがかなり明確な
代理出産の在り方について規制するよりも,医
ものとなっている50)。
療従事者に生殖補助医療技術に対する関心を
インドでは,代理母等の募集について,2005
もってもらうためのものとなっており,代理母
年ガイドラインでは,ARTクリニックによっ
の健康や子の福祉といった観点からは不十分な
て,代理母の募集をすることは禁止され(条項
ものであり,むしろ代理出産の依頼者や斡旋業
3.10.4),代理母の募集は,ARTクリニック,
者の利益を保護することを目的としており,産
法律事務所,その他の独立した機関によって設
業としての代理出産を推し進めるための法整備
立された(条項3.9.1.1)精子バンク(semen
を行ってきたかのようにも捉えられるというも
bank)を通じて行うことが規定された(条項
のである53)。
3.10.4・3.9.1.3・3.9.2)
。2008年法案以
商業的代理出産を容認すべきかについては,
降も基本的な発想は同じである51)。
アメリカにおいて,1980年頃からフェミニズム
イ ン ド は, 代 理 出 産 を 斡 旋 す る 権 限 を,
の法学者,実務家を中心に議論されてきた54)。
ARTバンク(ART bank)に委ねる方向で法制
商業的代理出産に賛成する代表的な論者とし
備を行おうとしているが,現在のところ代理母
ては L・アンドリューズが挙げられる。その見
の斡旋の殆どを病院や個人が行っており,法制
解を要約すれば,代理母の存在自体フェミニズ
化された際に,どの程度実効性があるか疑問が
ム運動の産物であり,商業的代理出産に反対す
残る。
ることは,女性の自由な意思決定に対して,そ
の同意なく政府の干渉を認めることになるが,
Ⅵ 考察
それはフェミニストの主張に反する。女性も行
為能力のある個人として任意に情報を受けて
インド国内においては,国レベルで生殖補助
契約に同意したならば,リスクの伴う行動に従
医療を規制しようとするインド政府の姿勢につ
事することを認めるべきというものである55)。
いて,代理母の権利を保護するという観点から
また,M・シュルツは,現代の生殖補助医療技
一定の評価が出来るとする意見が多くみられる
術の発展を鑑みれば56),個人の自由な意思決
が,一方で,2008年法案については,一体誰の
定により生殖行為を決定するのが重要であり,
利益を保護するための法案なのかという疑問が
また子の親権との関係でも,分娩の事実より
─────────────────────────────────
50) 詳細については,神里彩子「第3章 諸外国における生殖補助医療の規制状況と実施状況[1]イギリス」神
里彩子・成澤光編『生殖補助医療 生命倫理と法-基本資料集3』(信山社 2008年)74頁以下参照。
51) 2010年法案においては,卵子提供のドナーや代理母の募集も行う予定であることを意識して,精子バンクから
ART バンク(ART-bank)へと用語が変更された。
52) See“Comments and Suggestions on the Assisted Reproductive technology(Regulation)Bill and Rules-2008
(Draft)and request to incorporate suggestions”Sama Resource Group for Woman and health ,New Delih,(4
December, 2008)p. 1.
53) See Saronjini N B,Aatha Sharma,“The draft ART(Regulation)Bill :In Whose Interest?”, The Journal of
Medical Ethics Vol 4 No.1 January-March 2009 p. 36.
54) 詳細については,吉田邦彦『民法解釈と揺れ動く所有権』「第7章 アメリカ法における「所有権法の理論」
と代理母問題-フェミニズム法学・批判的人種理論・プラグマティズム法学に関する研究ノート」(有斐閣2001
年1月)338頁〜 420頁。
55) See Lori B. Andrews, Surrogate Motherhood:The Challenge for Feminist, Lawrence O. Gostin(ed)
“Srrogate
Motherhood : Politics and Economics”(University of California Press 2007)pp.171-172.
56) See Marjorie M. Shultz,“Reproductive Technology and Intent-Based Parenthood: An Opportunity for
Gender Neutrality”, Berkeley Law Scholarship Repository 1990 ,pp.307-315.
医療ツーリズムにおける法的・社会的問題
─インドの商業的代理出産の動向─(藤田真樹)
─ 77 ─
も,熟慮した上で明示された意思が重要であ
的構造を補強し,(黒人奴隷の子が主人の所有
り,それによって子の最善の利益が達成される
物であったように)依頼者と代理母との間の階
とする57)。そして,商業的代理出産契約は一
層性が生じ,その固定化にもつながることをそ
律に禁止すべきではなく,瑕疵のある意思表示
の理由とする63)。ただし,商業的代理出産を
や制限行為能力者であった場合は,既存の契約
完全に禁止すると代理母の経済的苦境が生じ,
法理によって個別に対処すべきとする58)。こ
「板ばさみ(double bind)」の状況が生じるので,
れに対して,商業的代理出産に反対する見解と
暫定的な措置として,斡旋仲介も含む商業的代
して,E・アンダスンがあげられる。この見解
理出産は禁止し,契約の法的実現(履行の強制,
は,商業的代理出産は,無条件の愛・信頼が貴
損害賠償)は禁止すべきとする64)。
重となる親子関係の場合,無償の愛の領域に商
インドにおける商業的代理出産に関する議論
業的規範を持ち込むことになり,子の放棄に向
についても,アメリカ同様に賛否両論ある。ア
けて,親の無償の愛を低めるために金銭の支払
カンシャー・クリニック(Akanksha Clinic)を
いを介在させることは,代理母が自律的に愛情
経営するナイナ・パテル(Naina Patel)医師は
関係を発展させることを阻害し,これは子の
以下の理由から商業的代理出産に賛成する立場
商品化へと繋がる59)。また商業的代理出産は,
をとる。代理母は子供のいない夫婦のための代
女性の生殖能力の商品化に繋がり,代理母に対
理人として物質的な報酬を上回る崇高な行為を
する抑圧・操作による支配関係を形成すること
自発的に行っている側面がある。自然に妊娠・
になり,代理母の人格を侵害することを理由と
出産することが出来ない女性は,インド人の代
する60)。ただし,この見解は,営利的な代理
理母に子を出産してもらうことで新しい人生を
出産以外もすべて禁止するのは現実的ではな
手に入れることができる。そして,貧しいイン
いとして,営利的ではない代理出産を容認しつ
ド人の女性は,子宮を貸すことによって纏まっ
つも,
代理出産契約は法的に履行を強制できず,
たお金を手にすることでき,事業を興し,家を
代理母の子の親権の放棄に対する翻意を認め
買い,子に教育を施すことによって貧困から逃
るべきとの結論をとる61)。M・レーディンも
れることが出来る65)。
E・アンダスンと類似の理由で商業的代理出産
これに対して商業的代理出産に反対するもの
に反対する立場をとる。すなわち,商業的代理
として,インド政府立法委員会の報告書が挙げ
出産は,女性の生殖能力の商品化から子どもの
られる。この立場は,代理出産は,子の商品化
商品化へ繋がり,更にはすべての人の商品化へ
へ繋がるものであり,母と子の絆を壊し,自然
繋がり,ひいては個人の尊厳への侵害となるド
の摂理に反するものであり,身体を売って金銭
ミノ効果を持つ62)。また,女性の性的・抑圧
を得なければならない発展途上の国々の貧しい
─────────────────────────────────
57) See id. pp.325-345.
58) See id. pp.352-354.
59) See Elizabeth S. Anderson, Is Women's Labor a Commodity?, Philosophy and Public Affairs, Vol. 19, No. 1.
(Winter, 1990), pp.75-80.
60) See id. pp.80-87.
61) See id. p. 87.
62) See Margaret J.Radin, Prostitution and Baby-Selling:Contestd Commodification and Women’
s Capacities,
“Contested Commodities”(Harvard University Press, 1996)p. 145.
63) See id. pp.151-153.
64) See id. pp.144-148.
65) See“The Indian Surrogate-A look Into India’
s surrogacy Industry”(Author unknown)p. 20.(Dr.Naina
Patel’
s opinion)
─ 77 ─
滋賀大学経済学部研究年報 Vol.20 2013
女性の搾取に繋がる。そして,代理出産に成功
70)。また,家父長制の影響が強く残るインド
しても,時として,代理母の精神的な負担に
において,夫に促されて代理出産に志願する女
ついても考慮しなければならない66)。確かに,
性の割合が高く71),このような状況において,
世界人権宣言16条1項は,
成人した男女は人種,
十分に情報を収集した上で,契約書を熟読し,
国籍,宗教に差別なく,結婚し家族を持つ権利
自由な意思に基づいて代理出産契約を行うこと
を認めている67)。しかし,インドにおいては,
は,極めて困難であると思われる。また,かつ
この権利が協調されすぎてきた経緯があり,法
て米国において人種による階級の固定化があっ
が,代理出産の依頼者の自由を擁護し,依頼者
たように,インドにおいてはカースト制度の影
の地位を認めようとしている現在,法に対する
響が現在も強く残っており,商業的代理出産を
干渉をしないことが適切であるとは思われない。
認めれば,依頼者と代理母との間の階層の固定
同時に,代理出産がもたらす社会的な目的と着
化に繋がりかねない。したがって,インド人女
地点を評価せずに,倫理的な観点から一切禁止
性の自己加害の危険を避けるため,一定の範囲
してしまうのでは合理的ではない。生殖補助医
で国家が後見的に介入することが必要となると
療のような新しい技術を促進するためには,適
思われる。しかし,一方で,米国以上に経済的
切な法による干渉が求められる。暫定的には,
な苦境に立たされている女性が数多く存在し,
現在求められている実際的な方法は,米国の
また代理出産が産業として成長し多くの利害関
1988年子の地位に関する統一法のように,依頼
係人が生じた現状があるため,刑事罰をもって
者夫婦の一方と遺伝的な繋がりのある場合に利
代理出産を一切禁止してしまうのは現実的では
他的な代理出産のみを認め,商業的代理出産に
ない。商業的代理出産については法で禁止しつ
ついては禁止すべきであるとする68)。
つも,利用資格を制限し,契約の履行の強制を
私見は,商業的代理出産については禁止すべ
排除し,代理母の翻意を認めるといったかたち
きであるが,利他的な代理出産に限って暫定的
で,利他的な代理出産に限って暫定的に認める
に容認すべきであると考える。
その理由として,
という「不完全な市場のモデル」を採用するの
まず米国の商業的代理出産に賛成する見解は,
が,現実的な法のあり方ではないかと思われる。
女性を自律した個人であることを前提に,自由
前述のように,2013年にインド内務省から在外
な意思に基づいて商業的代理出産を行うことを
大使館,領事館に向けて通達が出され,代理出
前提としているが,発展途上にあるインドにお
産の利用資格が制限されることになったが,こ
いて,同様の見解をとることは女性の搾取に繋
のように徐々に商業的代理出産を規制していく
がりかねないことが挙げられる。インドの女性
インド政府の対応は評価できる。今後のインド
の人権擁護団体の代理母の属性に対する調査に
政府の対応が注目される。
よれば,代理出産に志願する女性は一般的に貧
困地域の出身で69),初等教育を受けておらず
【付記】
識字率も低く安定した職に就ける見込みも薄い
本稿は,金沢大学医薬保健研究域医学系研究
─────────────────────────────────
66) インド政府立法委員会報告書11頁。
67) 前掲註12頁。
68) 前掲註24 〜 25頁。
69) Center For Social Research“Surrogate Motherhood-Ethical or Commercial”下記 URL 参照〔http://www.
womenleadership.in/Csr/SurrogacyReport.pdf〕p. 28.
70) See id. p. 31.
71) See id. p. 39.
医療ツーリズムにおける法的・社会的問題
─インドの商業的代理出産の動向─(藤田真樹)
員として調査にあたっていた,
「グローバル化
による生殖技術の市場化と生殖ツーリズム:倫
理的・法的・社会的問題」の研究成果を私的に
取り纏めたものである。本稿のⅤ章で取り扱っ
たインドの法案等における代理出産の商業化に
ついて大枠を最初に提示したのは,プロジェク
ト・リーダーである金沢大学医薬保健学研究域
医学系助教の日比野由利氏である。また,本論
稿の執筆にあたっては,大阪大学グローバルコ
ラボレーションセンター専任講師(元金沢大学
医薬保健研究域医学系研究員)の島薗洋介氏,
金沢大学医薬保健研究域医学系研究員の牧由佳
氏の多大なる御示唆を得た。この場を借りて改
めて御礼申し上げる。
─ 77 ─
─ 77 ─
滋賀大学経済学部研究年報 Vol.20 2013
Legal and Social Issues Surrounding Medical Tourism
Changes in the Stance Toward Commercial Surrogacy in India
Masaki Fujita
Medical tourism can be defined as the practice of traveling to another country for the
purpose of medical treatments. The popularity of such tourism has expanded with the
widespread use of the Internet and the development of international transportation, and
today more than 50 countries around the world receive foreign visitors for medical purposes.
It is estimated that about 6 million people traveled abroad for medical reasons in 2008, and
the market is said to exceed 100 billion dollars in 2012.
The primary purpose of medical tourism is to seek leading-edge medical technologies or
high-quality treatments, but another aspect is driven by the circumstances of the healthcare
services in the tourists’home countries. For example, in Canada, a patient often endures
a lengthy wait before receiving treatment. For this reason, many patiants choose to travel
abroad“to shorten the wait”by visiting a local clinic. In the United States, a significant part
of the population lacks any health insurance coverage. Moreover, in many cases, employers
encourage workers to seek medical care in a foreign country where treatment costs are
lower in order to cut down on healthcare insurance expenses. Apart from the above, many
patients travel abroad for access to treatments that are unavailable in their home countries.
Regardless of the purpose, Asian countries have accounted for a large portion of medical
travel destinations in recent years. In the past, patients from emerging countries would most
commonly travel to advanced countries. Today, however, there is a new flow of patients
from advanced countries to emerging nations, with approximately 3 million medical tourists
traveling to major Asian destinations every year.
One factor behind this development is the governments of the emerging countries that
have promoted medical tourism and reformed their domestic regulatory framework with
the aim of earning foreign currency and expanding domestic demand. It is also pointed out
that, in such countries, a large number of hospitals are run by private-sector, profit-making
corporations, increasing the incentive for hospitals to actively promote medical tourism as a
new source of income.
Against the backdrop of the industrialization of medical care, problems have arisen in
recent years from both legal and social aspects. The issue of commercial surrogacy in India
is one area where a full spectrum of problems surrounding medical tourism has come to the
fore.
India is now the world’
s hub of commercial surrogacy. Clinics in India are not required to
register with the authorities to handle commercial surrogacy and an accurate count of such
医療ツーリズムにおける法的・社会的問題
─インドの商業的代理出産の動向─(藤田真樹)
─ 77 ─
clinics is unavailable. However, these clinics are said to number around 1,000, and the market
is estimated to be worth about 44.5 billion dollars. Some news reports put the number of
babies born through surrogacy in 2011 at over 2,000.
There is no end in the legal conflicts surrounding surrogacy in India, such as fighting over
the nationality of the child. At first, the Indian government tried to apply strict regulations
on surrogacy and limited the practice to only medical purposes, but as the commercialization
of surrogacy became widespread, the government gave in to the trend and revised its
regulatory stance to a more lenient one. However, in the face of an increasing number
of legal problems, the government changed its stance once again and moved to tighten
restrictions on surrogacy in 2013.
In this study, as a step in considering the issue of the industrialization of medical care, we
will look at the headline-making legal and social problems surrounding commercial surrogacy
in India and study changes in the relevant legislation in the country.
We will also take a look at the United Kingdom, India’
s former colonial master and a
country with continuing influence on legislative policies in India, and the United States,
where in some states commercial surrogacy has been legalized, from a comparative point
of view. We will then consider the debates in Western countries concerning commercial
surrogacy, and revisit the unique issues in India concerning this matter.
─ 77 ─
滋賀大学経済学部研究年報 Vol.20 2013
─ 77 ─
滋賀大学経済学部研究年報 Vol.20 2013
<講 演 録>
震災復興・インフラ劣化危機に対する高耐久性化の必要性*
丹 野 政 志
筒 井 公 平
高耐久化推進機構事務局長を務めております
また現在の時点でも75歳以上の3人に一人が要
筒井公平です。まず私の方から,東日大震災以
介護,5人に一人が認知症となっている訳です
降の国土強靭化政策のもとで繰り広げられてい
から,今後20年先と言えば,社会資本の老朽化
る復興事業や耐震事業のなかで,どのような問
と併せて,人間の方も超高齢化し,さらにそれ
題点が発生しているのかについて簡単に説明
に対する社会福祉対策費用の膨大な増加が予想
し,その後,代表を務める丹野政志氏の方から,
されます。
それを克服するためのいかなる技術が存在する
このような環境下,国土強靭化の200兆円が
のかを歴史的な教訓等も踏まえながら包括的に
どのように使われるのか,必要性の疑わしいダ
語っていただきます。
ムや道路の新設に使われるのか,それとも今に
さて去る5月20日に「防災・減災等に資する
も落ちそうな橋や崩落しそうなトンネルの補修
国土強靭化基本法案」
が国会に提出されました。
に充てるのか ? は全ての国民の気になるとこ
10年間で200兆円の事業規模を打ち出しており,
ろです。
土木・建設業界の方々に限らず,
国民全体として,
元々,手抜き工事をせずに規格通り造られて
どのように実行され,どのように資金 = 税金
いるならば,その後の補修さえしっかりなされ
が使われていくのか,国民生活に直結するもの
ていれば,鋼材でできた橋梁やコンクリート構
として高い関心が持たれるものです。
造物のトンネル等は50年と言わず100年以上持
社会資本の高齢化時代の到来が俄かに注目を
たせることも不可能ではありません。しかるに,
集めて来ましたが,耐久性の限界の目安とされ
現実はろくなメンテナンスもされていないため
る建築後50年以上経過する社会資本の割合は,
に急速な腐食が進んでます。
現在
(平成22年)
と20年後で比較すると,
例えば,
限られた財源下,一度落ちた橋を再び掛け直
道路橋(8% →53%),河川管理施設(約23% →
す資金的な余裕がどこにあるでしょうか。
約60%),湾岸岸壁(約8% →約53%)と急増し
「一度落ちたら,2度と隣町に行く橋も繋が
ます。今後は下手をすると,
「突然橋が落ちる。
らない」
,そういう切羽詰まった時代がすぐそ
トンネルが崩落する。
」という事態が日本中,
こにあるのだと思います。
日常茶飯事に発生するという状況に陥ることも
さて,「防災・減災等に資する国土強靭化基
十分予想されます。
本法案」の内容を見てみましょう。第九条一に
一方に於いて,世界最速の高齢化と人口の急
「既存の社会資本の有効活用等により,施策の
減により,生産年齢人口(15歳以上65歳未満は
実施に要する費用の縮減を図ること。」,二「施
2006年10月の65.8%から2040年には53.9%へと減
設又は設備の効率的かつ効果的な維持管理に資
少,逆に後期高齢者の数は57%も増加します。
すること。
」三「地域の特性に応じて,自然と
─────────────────────────────────
*この論稿は,平成25年7月5日㈮の講演「震災復興国土強靱化のための秘策─インフラ危機を救う高耐久化技術」
をもとに,講演者が若干の加筆を行い,さらに充実した内容としたものである。
─ 88 ─
滋賀大学経済学部研究年報 Vol.20 2013
の共生及び環境との調和に配慮すること。
」と
惧されます。
明記されています。
以上のように,実は社会インフラを維持管理
そして,この実行に当たっては,政府が「国
するための人的,組織的なインフラさえもない。
土強靭化基本計画」を策定し,それと調和させ
200兆円の予算は,やれる人も組織もないのに
る形で都道府県または市町村は「国土強靭化地
どこに入れて,どうやって実行して行くのか ?
域計画」を策定することになっています。
使った税金は,年寄りばかりの国でどうやって
その際に,「大規模災害等に対する脆弱性の評
払っていくのか ?との素朴な疑問が涌いてくる
価を行い,その結果に基づいて案の作成をしな
ばかりです。
ければならない」とされています。
悲観的なことばかり申し上げていますが,そ
ところで,翻って,社会資本の現実の保守管
れが現実ではないでしょうか。
理,メンテナンスの状況を見てみましょう。高
そこで本日の本題に移りますと「今ある社会
速道路の保守管理では,一般的には最高のレベ
インフラを如何に安く,長くもたせるか。」=「高
ルと認識され,安心しきっていた中日本ネクス
耐久化」という発想が,ここで必要になってき
コの笹子トンネル事故。稚拙な工法と実質的な
ます。
ノーメンテナンスで崩落当たり前の状態になっ
至る所の橋が老朽化し,一度落ちた橋は,次
ていたことが判明しました。
に掛ける程の資金的余裕もない。こんな状況で
しかしながら,これはまだましな方かもしれ
は,どんなに古く痛んだ橋でも,修理修繕して
ません。実は,
各都道府県のほとんどに於いて,
使い続けるしかないというのが,我々が実際に
社会インフラの点検,保守管理,修繕等をする
置かれている現実ではないでしょうか。
専門部署がなく,実務を遂行できる人材さえも
さて,話を技術,ノウハウの世界に移します。
いないというのが,実態なのです。
本日の本命でもあります。日本は,世界に冠た
折しも,今回の滋賀大学での講演の後,8月
る技術立国であり,土木・建築の分野でも「嘗
4日の NHKスペシャルで「日本のインフラが
ては世界一の土木立国」と言われた訳ですから,
危ない」というタイトルの番組が報道され,浜
素晴らしい技術,ノウハウが沢山あります。
松市での実例が採り上げられました。
しかしながら,「いいものほど世に出ない。」
そこには,如何に自治体にインフラのメンテ
というのが,また日本社会の特徴でもあるよう
ナンスに対する体制,ノウハウが欠如している
です。特に,建築,医薬品の分野等で顕著に見
のか,如何に認識が甘いのかが赤裸々になりま
られます。開発費償却がとっくに終わり既に時
した。浜松市という人口80万人,静岡県で最大
代遅れで技術レベルの低い商品でも市場シェア
の自治体で起こっていることは,財政が逼迫し
さえ高ければ,莫大な利益が現に発生していま
ているそれ以下の市町村では,ましていわんや
すので,既存企業にとっては敢えていい商品を
ほぼ全てに見られるのではないでしょうか。
出す必要性もないのです。
ということは,いざ,国土強靭化の法律が施
例えば,一例ですが今回紹介する「水性無機
行された時に,誰が計画して誰が実行するのか
塗料」を大手マンション管理会社に持込みまし
も疑問です。恐らく県単位で言えば,第九条一
たところ,「そんないい商品使ったら,出入り
に「既存の社会資本の有効活用等により,施策
の塗装会社が困ってしまうからダメだよ。すぐ
の実施に要する費用の縮減を図ること。
」二「施
剥げてまた塗るから仕事になるのだから。」と
設又は設備の効率的かつ効果的な維持管理に資
言われました。
すること。
」でいうところの趣旨に於いて,
「や
日本にあるマンションも,社会インフラと全
る部署も,やる人もいない」のではないかと危
く同じでやはり2040年になると,例えば都内の
< 講演録 > 震災復興・インフラ劣化危機に対する高耐久性化の必要性(丹野政志・筒井公平) ─ 88 ─
マンションの約半数が築50年を超えてきます。
のか,今回の震災復興の計画の中にも活かされ
そのうち管理組合も機能してなく,修繕積立さ
ておりません。
え十分なされてないものが山のようにあり,や
今回我々がご紹介する技術・ノウハウは京都
はり2040年頃には建替えもできずにゴーストタ
大学,大阪大学等の専門の先生方が先鞭をつけ
ウンのようになったマンションが続出するで
て長年に亘って研究開発し,実績も積み上げて
しょう(既に,地方のリゾートマンションでは
こられましたが,先生の方のご退官等により,
始まっています)
。
またゼネコン不況の中の統廃合の過程で特許も
このような状況にも関わらず,目先の既得利
使われずに埋もれてしまった等の事情により,
益に固執して,「いいものでも使わない。
」と
「眠ったお宝」になってしまっているものであ
いう事態が蔓延しています。こういう悪しき
ります。大変残念なことです。
日本の慣行を打破して,高速道路,本四連絡
東北の震災復興,国土強靭化,社会インフラ
橋,電力会社の送電鉄塔,こういう大きなイン
の高耐久化にこの「眠っているお宝」は大変な
フラには是非,
「安くて,長持ちする」ものを,
実力を発揮できます。そこで,我々はこの場で
NETIS 等の客観的な性能評価に基づいて門戸
これらをご披露し,皆様にこの事実を知って頂
を開放して欲しいものです。
き,その上で是非,「国土強靭化の在り方」「高
本州四国連絡高速道路,東京電力等,国民の
耐久化の必要性」
「眠ったお宝の利用法」につ
税金が投入されている企業には,より率先して
いて一緒に考え,活動できればと期待しており
欲しいと願います。
ます。
高知県では,南海トラフ地震対策として津波
本日は,この後,高耐久化のために必要な様々
避難タワーを72基造る計画があると聞きます。
な技術,
ノウハウについて,
これらを実際に開発,
また,東北の被災地と同様に高台移転の計画も
商品化してこられました丹野政志氏から,具体
あります。しかし,一方で,漁業関係者は,仕
的な事例に即したお話をさせて頂きます。
事をする時は浜に降りてきて,仕事が終わった
(以上 筒井公平)
ら山に帰るのでしょうか。鉄塔も海に近い所で
は10 ~ 20年もすれば錆びが出てきて,いざ地
ただ今ご紹介いただきました,高耐久化推進
震が来るころにはボロボロになっている可能性
機構代表の丹野政志でございます。
があります。本来は50 ~ 100年持つ防錆性能が
現在日本は,震災復興とともに全国的に劣化
必要です。
200兆円で造ったインフラについては,
が著しいインフラ施設を復旧して,国土を強靭
数年後には,それらのメンテナンスコストが更
化⇒高耐久性化しなければいけないという課題
に乗っかってきます。防災,減災投資は,直接
に直面しております。この課題は,さきに筒井
的には産業振興にはならないので,後にはメン
氏が述べられましたように大変困難な問題を孕
テナンスコストのみが重く伸し掛かってきます。
んでおりますが,逆にこの危機的状況をチャン
ですから,威勢のいい話の一方で,維持管理等
スとしていくために,昭和後期から平成にかけ
の緻密な技術やノウハウ等の検討が必要です。
て準備されながらも未だ広く普及されず,一般
高台移転も,もし職住接近で,津波が来たら
に知られていない「新素材・新技術・新工法」
上層階に逃げればいいという構造の建物になっ
等の実践例の経過を報告させていただきます。
ていれば,普段は1階で魚市場や加工工場を営
そのうえでこれらの情報を共有化して,ぜひ震
み,いざとなれば3~4階以上に避難すればい
災復興と国土強靭化策のために活用していただ
い訳です。こういう技術・ノウハウも実はある
きたく願いまして,今日はここ彦根にやって参
のですが,やはり「いいものは世に出づらい」
りました。
─ 88 ─
滋賀大学経済学部研究年報 Vol.20 2013
本日は,現時点で,地震対策として最も有効
ダーとし無機顔料等で構成された塗料ですか
と期待されている PC工法1)等の例を紹介して,
ら,有機塗料の欠点としてあげられる耐熱・耐
それらが来るべき津波対策や原発事故復旧策に
候性に対する弱点,有害性等の問題も無かった
も活用が可能であることを示します。併せてイ
訳です。VOC4)の発生もなく,人体・環境へ
ンフラ施設の劣化対策に役立つ,NETIS2)等
の悪影響も発生しない塗料です。しかも,現在
の防錆対策例や今後のトンネル天井板落下防止
ならインフラの高耐久化に不可欠な「鋼材類の
策案等も紹介させていただきます。
防錆」と「コンクリートの保護塗膜材」として
も格段に優れた性質が発揮できます。しかしな
Ⅰ 世界遺産に学ぶ昭和~平成の取り組み例
がら,石油化学万能神話の誤った認識の下,現
代の土木,建築界では全くと言っていい程認知
ここで現在の高耐久化技術の紹介に入る前に,
されておりませんで(黙殺されていて)
,有害
歴史に学び,世界遺産の建造物に共通して見ら
で低性能の有機樹脂塗料だけが優先して流通し
れる高耐久性・安全性の知恵を振り返り,今後
ているのです。おかしなことに,国交省が「価格,
の継続的可能性を探ってみましょう。それは,
性能面における推奨品」として NETISに登録
近代の石油合成化学の反省も含め,自然観察に
してあるにも関わらず現況はこの様です。ここ
学んだ古の無機物質応用時代における素材の物
に,日本の土木建築業界の閉鎖性,非効率性が
理的・化学的安定性等の再発見を歴史的な教訓
現れていると思います。
として,より素直に受け入れて,将来の遺産造
ギリシャのベスピオ火山の灼熱の溶岩流の下
りに努める必要があると思うからです。
でも,美しい壁画を侵されずに守ったポンペイ
例えば現代社会では塗料と言えば,すなわち
の遺跡の水性無機質塗料(図─1)は,現在に
石油合成化学から作られた有機樹脂塗料 3)の
至り,我々メンバーの手で水性シリケート塗料
みを指すと言っても過言ではありません。しか
として再生して蘇ってきたのです。さらに,鉄
しながら,石油を使いこなせない太古の世界で
構造物でさえも,防錆剤としての水性ジンク
は,どのような塗料が使われていたのでしょう
リッチ塗料 5)の開発により高耐久性化が可能
か? 不思議なことに,現代の先端的な有機樹
な時代となりました。またローマの水道橋や地
脂塗料以上に優れた性質の無機塗料,即ち,水
下貯水施設等に見られる石積構造物の安定性か
性無機顔料等を原料とした水性無機塗料が実際
らヒントを得たアーチ技術の発展的応用など,
には使われていたのです。水性無機塗料は,石
世界遺産には現在に活かすべき技術のエッセ
油合成化学由来の有機樹脂塗料とは異なり C
ンスが詰まっているのです(図─2)
。それは,
(炭素)を含まず,原料が自然界にそのまま存
世界遺産から工業化時代への賜物として,
「アー
在するカルシウム成分等の無機質原料をバイン
チ技術の発想を球体構造に発展させた」スー
─────────────────────────────────
1) PC 工法;ピアノ線の緊張力により,ひび割れ易いコンクリート構造物の耐力向上を図るプレストレストコン
クリート技術の各種工法。
2) NETIS;国土交通省新技術登録情報の略称。
3) 有機樹脂塗料;石油合成化学技術の応用により製造される,炭素をバインダーとする塗料。可燃性で紫外線の
影響で劣化しやすい。
4) VOC;揮発性有機溶剤は有機塗装には一般にシンナーとして広く活用されている。人体への悪影響や温暖化
防止策として抑制の傾向。
5) 水性ジンクリッチ塗料;水性シリケートの硬化剤と亜鉛微粉末を混合して塗装する水性無機防錆塗料。従来品
より経済的で高耐候性。
< 講演録 > 震災復興・インフラ劣化危機に対する高耐久性化の必要性(丹野政志・筒井公平) ─ 88 ─
Ⅱ 新技術・新商品・新工法の先駆者紹介
ここでは,いわゆる「隠れたお宝」の先駆者
をご紹介します。これらの技術が,もっと広く,
かつ確実に普及していれば,日本のインフラの
傷みも少なからず食い止められたのではないか
(図─1)
と悔やまれます。
⑴ 水性無機塗料8)の開発者
市川好男氏(㈱日板研究所代表取締役)は無
機塗料の先駆者であります。北九州の八幡製鉄
所内の前田橋において実施された,原山直敏(㈲
セラテック代表取締役)の協力による比較検討
複合サイクル試験結果9)に基づいて,従来の有
(図─2)
機樹脂塗装で最も高度な施工方法とされていた
「C系重防食塗装」10)以上の防錆性能を確認し
パーポカラ 6)等の軽量盛土工法へと引き継が
た後に,10年保証契約を付与した VE 提案11)が
れ,今後の土木分野への革新的な活用へと,一
採用されたのが水性ジンクの最初の使用例です。
層の広がりが期待されます。諸外国に先駆けた
これにより,有機塗料による頻繁な塗り替えの
我が国発の抗菌光触媒技術 7)等も,無機塗料
抑制が可能となり,11年以上経った現在でも海
との複合化塗装で世界遺産の汚染の抑止等にも
岸域でありながら改修塗装の対象外扱いとされ
役立ちます。インフラの老朽化という限られた
ております(図─3)
。
時間との闘いの中にあっても,世界遺産から学
びつつ,いますぐにもできることがこれから沢
山あると期待されます。
⑵ 無灌水植生基盤材 12)の開拓者
大型淘板13)や発砲セラミックス14)の開発者
─────────────────────────────────
6) スーパーポカラ;軽量盛り土工法に多用された筒型ポカラの内部突起物を除去した改良版。分割製造連結一体
化の ZPC 工法も併用可能。
7) 抗菌光触媒;佐賀県窯業試験場で開発した塗料を,水性無機塗料のトップコート剤として併用すれば,広範囲
の汚染防止策として活用可能。
8) 水性無機塗料;水性シリケート塗料はシリカをバインダーとした親水性の無機塗料です。NETIS 登録品で大
臣認定の不燃材です。
9) 複合サイクル試験;防錆性能を確認する促進試験方法で,温冷繰り返し・塩水噴霧・乾燥条件の等を繰り返し
変化させ,発錆を促進観察。
10) C系重防食塗装;防錆便覧に公表されている橋梁等に採用されている最高度の防錆塗装システム。無機系ジン
ク + 有機樹脂5回塗り等。
11)
VE 提案;バリユーエンジニアリングを活用した改善提案手法。従来方法に対して,品質面と経済性の両面で
優位性を提案する合理化案。
12)
無灌水植生基盤材;植生には灌水措置の設置は一般的。但しケイセラパネルは保湿性の発泡セラミックスで,
セダム等なら無灌水可能。
13) 大型淘板;タイルとは小片の意味で,大型版は存在しなかった。天然鉱物繊維の混入と鉄の圧延技術を応用し
て,薄肉大型板が完成した。
14)
発泡セラミックス;鋳物砂の産業廃棄物に含有したマグネシウム等に着目し,粘土に撹拌混入して焼き上げ,
発泡した新素材を開発した。
─ 88 ─
滋賀大学経済学部研究年報 Vol.20 2013
である居上英雄氏(㈱クレーバーン技術研究所
現時点では最高度の防錆システムとして認めら
代表取締役)(当時)により,無灌水植生基盤
れるに至っております。このため,「スープロ
材も実現化しました。この材料は,産業廃棄物
ストランド」はまさに「錆びないピアノ線」と
である鋳物砂をリサイクルすべく粘土に含有混
して半永久的にその性能を維持することが可能
合し,焼成して世界初の「発泡セラミックス」
となり,今後の普及が期待されます。鉄筋コン
として発表したものです。その特性を応用した
クリート構造物の劣化は,主に鉄筋の酸化によ
基盤材は,相反する「保水性と浸透性」を同時
るものですから,この「錆びないピアノ線」を
に保持することが可能な不思議な素材で,砂漠
上手に鉄筋代わりに利用すれば,強度,耐震性,
に生育する植物等なら充分に灌水(水遣り)な
耐久性ともに大変優れた,革命的な鉄筋コンク
しで生育させることが実証されています。つま
リート構造物ができる訳です。高強度の性能を
り,この素材を使えば,あれだけ業界全体で苦
PC 技術と併用することで経済設計も可能とな
労していた屋上緑化や,コンクリートで覆われ
り,また防錆性能を活かして海岸域等の過酷な
て緑化が不可能とされている膨大な土木構築物
環境下でも外ケーブルの耐震補強材等としても
等も,土壌と灌水が不要となるため,安全で経
有効に活用ができ,維持費面等からも経済的で
済的な緑化策となり得ます。しかしながらやは
す。
りこの技術もまだ一般的には知られておらず,
今後の取り組みが期待されております。
Ⅲ 開拓された技術の経過
⑶ スープロストランド 15)の開拓者
錆びない PC撚り線を開発した田口保男氏
(タ
⑴ 無機塗料の経過
イムスエンジニアリング㈱代表取締役)
(当時)
水性無機ジンクリッチと防錆化粧水性塗料17)
の功績により,PC 建築や PC 土木分野16)でも
の耐久性が,各種の促進試験並びに12年に及ぶ
新しい取り組みが始まっています。引っ張り強
暴露試験結果等で性能が確認され,過酷な環境
度に優れたピアノ線でも,鋼材ですから酸化は
でも既存の有機塗料の塗り重ね工法より格段優
確実に進みます。この酸化を抑制するために通
る耐久性が実績と共に蓄積されてきています。
常採られる方法は,ピアノ線が外気に触れない
最初の取り組み例としては中部電力の浜岡原発
ようにピアノ線にグリース等の油性を塗布・充
関連施設の超高圧送電線鉄塔があげられます。
填する方法です。これが無くなると一気に酸化
塩分を含んだ強風と砂嵐という過酷な環境下で,
してしまうので,大変な労力をかけて絶えず油
亜鉛メッキの高耐久化を目的として,国内外の
成分が維持できる状態を,特別な方法で継続す
選抜された有機樹脂塗料と共に,我々の水性無
る必要があります。これに対して,
「スープロ
機塗料も促進耐候性の複合サイクル試験に参加
ストランド」は,撚り線の空隙に隙間なくポリ
した経緯があります。その結果,我々の水性無
エチレン樹脂を完全充填することに成功し,撚
機塗料を塗った亜鉛メッキ材のみが,当該環境
り線間内での結露現象も防御可能となりまして,
下でも40年間は亜鉛の消費量が極端に抑制され
─────────────────────────────────
15) ス-プロストランド;PC 撚り線のワライと言われる連続性調整空隙に着目し,熱可塑性のポリエチレン樹脂
を完全圧入充填した新素線。
16)
PC 建築や PC 土木分野;RC 建築では大スパン架構やブロック工法及びマット基礎等,PC 土木では PC 橋梁
やつり橋,PC タンク等。
17) 防錆化粧塗料;亜鉛表層面の親水性が確認できれば,防錆化粧シリケー塗料は直塗りできます。それだけで亜
鉛消費量が長期間抑制可能。
< 講演録 > 震災復興・インフラ劣化危機に対する高耐久性化の必要性(丹野政志・筒井公平) ─ 88 ─
ることが実験の結果確認され,素晴らしい実績
れる築地市場の豊洲への移転ですが(東京オリ
とすることが出来た経緯があります。今後,各
ンピックでさえ4,500億円の規模ですが)
,軟弱
電力会社でも送電線鉄塔等の維持管理費の抑制
地盤に際限なく大量の杭を設置する工法よりも,
策は重要課題となる筈ですから,これらの事例
スーパーポカラを中子とした「PC 技術を応用
が有効に活用されるように期待するものです。
したタンク構造の浮き基礎工法」とすれば,は
従来のしがらみにより,各関連会社とも対応し
るかに安い金額で構造物の建設も可能となる筈
づらいようで将来に向けての動きの遅さが危惧
です(懸案の土壌汚染水対策にも効果的です)
。
されております。
最近では,超高層の PC 版18)の塗装に於いて,
Ⅳ 様々なコンクリート工法の展開
フッ素樹脂以上に耐久性に優れ,しかも汚れ難
い性能と工期短縮効果並びに比較経済性の高さ
も理解されました結果,
実績も増えてきまして,
⑴ 大型 PC 屋根版の製法の省力化
ようやく普及の時期を迎えつつあります。PC
高度成長時代の取り組みとして交通規制上最
版に限らず,超高層のアルキャスト19)外装材
大級(2.5m×24m t=74㎜ w =15t / 枚)
等にも,高機能の無機塗料は活用されだしてお
の PC 屋根版の製造機械の改良を紹介する。西
ります。
独の製法では硬練りのコンクリートをスコップ
⑵ スーパーポカラの経過
で掻き揚げていたが,体力的な無理を軽減する
ためバイブレータスクリード21)に改良型ホッ
スーパーポカラ及び ZPC 工法20)は,既に実
パーを連動追加して省力化が実現し,開発会社
用化された旧筒型ポカラ工法の改良技術で,今
でも利用されています。
後軽量人工台地,貯水施設等において安定性能
とコストメリットが評価され,広く普及が期待
されます。近年の集中豪雨対策として東京都は
⑵タ
イルの落下事故対策としての「大型陶
板」の活用
環状7号線の地下50mの大深度地下に大規模な
貯水施設が巨額の資金で建設されましたが,こ
北九州のビル外壁のタイル落下事故を契機に,
の工法を利用すれば,より身近な施設(例えば,
居上社長が開発した大型淘板(1m×2m,厚
小中学校の校庭や公共駐車場の直下等)に比較
さ4㎜)の PC 板付複合化技術開発の取組みが
的少額の予算で遊水地が確保でき,震災時には
進み,躯体が割れても剥離しないアンカーシス
逆に飲料水としても活用が可能です。前例とし
テムを開発して採用された経緯があります。大
て,西東京市の小学校の校庭地下貯留槽等を参
型淘半は比較的靭性に富んで割れにくく,か
照し,集中豪雨対策と震災対策を含めて,この
つ,目地が少ないため劣化要因も少ないため,
ような工法の普及が望ましいと思います。一方,
移転費用に5,000億円以上の経費がかかると言わ
近年は大型施設の外壁にも多用されております
(図─4)。
─────────────────────────────────
18) PC 版;超高層の外壁は,軽量コンクリート製工場生産品プレキャストが一般的で,無機塗料も工場で塗装し
てから現場に届けられる。
19) アルキャスト;アルミの鋳型の特性を超高層の外壁に採用した例も出現。耐候性や防汚性,デザイン性より高
機能無機塗料を塗装した。
20) ZPC 工法;改良型スーパーポカラの分割製造を可能とし,かつ,簡易的な方法で連結一体化を可能ならしめ
た新工法。
21) バイブレータスクリード;高周波振動機が装備された,片練りコンクリート用の成型仕上げ機械。
─ 88 ─
滋賀大学経済学部研究年報 Vol.20 2013
よる浮体構造物が利用されています。これは,
Ⅴ海外での先端的コンクリート技術に学ぶ
現在放射能汚染水等の対応で,俄か作りのタン
クでその場をしのいでいる我が国の惨状に対し
ても,今後の解決策及び参考事例として活用で
⑴ 海に浮かぶ PC 構造物(石油掘削船)
ノルウエーで実施された
きると思います。
FIP22)の国際会議
Ⅵ 水性無機塗料の利用の広がり
に参加した際に,京都大学(当時)の六車教授
に同行させていただき北海油田用の PC 浮体構
造物の製造現場の見学例です。
水性無機塗料の用途は既述のように,鋼構造
海岸部の一部を締め切り,強固な岩盤上で下
物の防錆塗料として利用されているばかりでな
部構造の高強度密実コンクリートを打設した後
く,その用途はコンクリート構造物の保護材・
に PC 緊張を施して,遮水性能を付与して浮体
化粧材としても広く使用されています。打ち放
構造物を完成させます。その後は締め切りを開
しコンクリート23),PC 板,押し出しセメント
放して海水を導入して進水し,水深の深い沖合
成型版24),GRC 版25)等,各種窯業系基盤の塗
に移動して上部構造物を更に構築して全体を完
装実績も増加しています。従来の有機樹脂塗装
成させる方法が採用されています。その際,函
に比べて,耐用期間が長く,親水性の呼吸膜を
体には必要に応じてバラスト効果のための海水
形成するため汚れが少なく,塗装工期も短く(通
を流入し,レベル調整を実施しながら過酷な環
常有機塗料が3~5回塗りなのに対し,1~3
境下でも施工を実施しています。石油基地で掘
回塗り),経済的である等の面で優れています。
削後に原油と海水の出し入れで,浮き沈みのバ
また,大臣認定の不燃材料であり,かつ,国土
ランス調整を繰り返し,移動可能な掘削船とし
交通省新技術登録(KT-030044-A)の無機塗料
て活躍しています(図─5)
。
として,近年になって実績も増加傾向にありま
日本では,鋼材製の備蓄タンクが当たり前と
す(図─6),(図─7)。
なっていますが,ヨーロッパに於いては,高い
安全性を問われる海上タンクにも,PC 技術に
(図─3)
(図─4)
(図─5)
─────────────────────────────────
22) FIP;プレストレストレストコンクリート分野の国際会議。4年に1度開催されて,京都会議では六車教授が
チエアマンを務めた。
23) 打ち放しコンクリート;型枠に打ち込まれたコンクリートが硬化後に脱型された,素地肌のコンクリート体。
24) 押し出し成型版;押し出しや引き抜き製法のセメント系有孔窯業製品(モルタルやコンクリート)は,一般に
普及の時代を迎えています。
25) GRC 版;ガラス繊維をモルタルやコンクリートに混入し,引っ張り補強材として活用した GRC 製品は外壁板
にも活用されています。
< 講演録 > 震災復興・インフラ劣化危機に対する高耐久性化の必要性(丹野政志・筒井公平) ─ 88 ─
指して実施した,小集団活動の結果として産
みだされた成果品です。居上氏が産業廃棄物の
リサイクル化の研究過程で製品化した発泡セラ
ミックスは,自然界には存在し得ない世界初の
「完全連続発泡セラミックス」26)で,発泡倍率
や製品形状の自由性から,今後各種の新市場に
拡販可能な差別化新素材です。無機質の高耐久
性に加え,極小連続空間の存在やランダムな形
(図─6)
状により実現化する,相矛盾する「保水性と透
水性」に優れた性能は,それらの特質が可能な
らしめる広範囲な新市場,①外断熱市場,②防
水保護市場,③無灌水緑化市場,④ビオトープ
市場,⑤水質浄化市場,⑥水耕栽培基盤新市場
……等々に有望です(図─8)。
Ⅷ 防錆 PC 鋼撚り線の可能性
(図─7)
スープロストランドは田口保男氏(タイムス
エンジニアリング㈱代表取締役)
(当時)が考案
した独創的な特許工法で,ヒエン電工㈱の千桐
技師長が製品化を実現した差別化商品です。京
都大学の六車名誉教授(当時)が呼びかけた高
耐久性構造研究会の場で,英国で発生した PC
橋の落橋事故27)をきっかけに,錆びない PC 鋼
撚り線の開発に取り組み,商品の普及活動にも
小集団活動で取り組んで市場化できたもので
す。RC
(鉄筋コンクリート)
構造ではコンクリー
(図─8)
トがひび割れても,鋼材が錆びて切断しなけれ
ば構造体の寿命は延長できます。特に,PC 緊
張材によるプレストレストコンクリート構造物
Ⅶ 発泡セラミックスの可能性
はひび割れ幅も制御可能なため,貯水槽,原子
力容器,PC 橋,人工台地,PCマット基礎28)
ケイセラパネルは「軽い発泡セラミックス」
等の分野でも世界的に普及拡大しております。
の開発を契機に,有志で新市場の商品開発を目
今後は,放射能で汚染された水や汚染物質の
─────────────────────────────────
26) 完全連続発泡セラミックス;自然界の発泡セラミックとしては軽石があり水に浮きますが,ケイセラパネルは
直ぐに沈み,浮きません。
27) PC 橋の落橋事故;高強度コンクリートと PC 鋼材で構築された橋梁が,凍結防止剤等の浸透により PC 緊張
材が切断した落橋事故。
28) PC マット基礎;コンクリートのベタ基礎に,防錆 PC ワイヤーを配置して集中加重を分散コントロールすれ
ば不同沈下が抑制可能。
─ 88 ─
滋賀大学経済学部研究年報 Vol.20 2013
最終処分施設にも,幅広い活用が期待されます
(図─9)
(図─10)
。
材料と機械29)を活用して,更に真空吸引注入
工法等の新技術を追加して,各種の RC 構造物
の改修補強策として取り組んできた実績があり
ます。大きなひび割れから微細なひび割れまで,
目的に応じた材料と工法を選び,強度性能や硬
化時間も調整できます。他にも,PC 部材等の
連結にも使用可能となり,軽微な凹凸管と異型
鉄筋30)を活用した,注入硬化型アンカー方式
も開発されています。これらの工法は経済的で
強度性能が高いため,今後は各方面に広く活用
(図─9)
できます。我が国の老朽化が進み耐用年数に近
づいている我が国の鉄筋コンクリート構造物に
よるインフラ施設の補修対策に,力強い味方と
なり得ます。トンネルの天井板の落下事故対策
等にも,今後の応用検討が期待されます。
Ⅹ スーパーポカラの可能性
EPS 軽量盛土工法31)の弱点克服策として,
不燃・耐水・経済性等に優る,80%空隙の無筋
(図─10)
コンクリート PC 製品が市場化されています。
最初に開発した筒型ポカラの合理化版として,
「スーパーポカラ」
「ZPC 工法」では形状を修
Ⅸ コン・クリエイト工法の可能性
正し,
分割製造・連結一体化も可能となった結果,
ひび割れし難く・工期短縮・運送費軽減等の面
年号が代わって平成に移行したのを機に,当
でも進化して,経済効果も発揮できます。これ
時の金子長崎県知事の方針で新しい技術を「平
らの製品を活用して,周辺壁の止水壁面や底盤
成の出島構想」として発信するため,最新技術
の浮き基礎工法化等の PC工法と複合化すれば,
を発掘すべく訪欧。その際に同行した,大洋技
他の工法に比べて格段に安くて安定性に優れた
術開発㈱の黒瀬正行代表取締役(当時)の推薦
高耐久性の構築物が建設可能となります。軽量
により技術導入したものが,この差別化技術で
人工地盤・地下貯水槽・暗渠流水施設・緑化
す。
法面基盤・砂防ダム・護岸施設・最終処分向け
ドーバー海峡の地下トンネルのコンクリート
の地下貯留施設等にも応用できます(図─11)
ひび割れ部からの浸水防止策として使用された
(図─12)。
─────────────────────────────────
29) 材料と機械;2液硬化型ポリウレタン樹脂等を注入する材料と機械。主剤と硬化剤の比率は50%ずつに限定さ
れ,扱い易い工法。
30)
異型鉄筋;周囲に節状の突起がついている鉄筋。コンクリートとの付着性プラス引っ掛かり効果も追加され,
一体化が強化される。
31)
EPS 軽量盛土工法;軟弱地盤の盛土材として土壌より軽量な発泡スチロールが採用されているが,燃性と浮
力性予防策に出費が大きい。
< 講演録 > 震災復興・インフラ劣化危機に対する高耐久性化の必要性(丹野政志・筒井公平) ─ 88 ─
交通省の新技術情報にも登録公開されています。
Ⅻ 橋梁改修塗装工事の現状
米国での鋼橋落下事故をきっかけとして,わ
が国もインフラ設備の高耐久化に対する取り組
みの必要性が指摘されています。当時の具体的
(図─11)
対応策としては,
「水性無機ジンクリッチの開発
が急務」と橋梁新聞等が呼びかけましたが,未
だに新たな参画企業は見当たらないというのが
現状です。僅かに,弊社は創立時に水性無機塗
料「タフジンクー 11」を,10年保障の VE 提案
として北九州の
「前田橋」
の新設橋梁から着手し,
爾来12年目を経た現在も予想通りの耐候性が維
持されております。ようやくそのような成果が
認められまして,赤錆が全面に発生した橋梁の
(図─12)
本格的な改修塗装工事例として,山形県の「宮
の下橋」から採用が開始され,秋田県でも2橋
Ⅺ タフマックスの防錆評価と実績例
の試験塗装が完了して経過を観察中です。
旧道路公団が全国の暴露試験場で実施した重
防食塗装の経年変化比較試験では,水性無機塗
料「タフマックス」の防錆塗装システムが,東
京湾横断道路の「海ほたる」の暴露試験場で参
加しています。その結果からは,従来の有機塗
装系では全て塗装面のカット部からは赤錆が著
しく発生すること,錆巾は時間に比例して増幅
傾向であることが確認されております。しかし,
タフマックスの防錆塗装膜のみは錆巾が10年以
(図─13)
(改修前)
上経過後も変化していないことが確認されてお
ります。代替え促進試験32)として関連性の深い
N-CCT 試験や温冷・乾湿繰り返し試験からも,
沖縄暴露試験6年に相当する期間以上は耐えら
れること,かつ,傷が無い場合には沖縄の海岸
域でも7年以上は塗膜に損傷が発生しないこと
等も確認されております。このため今後橋梁や
水門等の重防食塗装に適するものとして,国土
(図─14)
(改修後)
─────────────────────────────────
32) 代替え促進試験;暴露試験を屋内で再現して促進する実験方法は,JIS 規格に基づき㈶日塗研や各研究機関で
実施されています。
─ 99 ─
滋賀大学経済学部研究年報 Vol.20 2013
-1 PC 工法の多様性
-3 PC 工法の多様性
土木・建築の分野では,高強度コンクリート
㈱ VSLジャパン34)の協力で発行した PCマッ
の進歩に伴い PCワイヤー等の高強度引っ張り
ト基礎工法の技術資料は,未だ一般的には普及
鋼材を緊張して構築する PC 工法が,現状では
していないというのが現状である。しかし,そ
最も優れた工法としての正当な評価の下,一層
の有効利用性は高く,海浜地区等の軟弱地盤に
普及すべき時代が到来しています。使用目的に
おける不同沈下35)対策や浮き基礎工法36)とし
応じて比較検討すれば,軽量化,大スパン化,
ての実績は増加しつつあり,耐久性能も確認さ
耐振性の向上化,高耐久性化,材工コストの低
れて普及の時代を迎えている。特に岩盤までの
減化等の面で,従来のコンクリート系の RC 造
深度が深い沿岸部の杭基礎を省略して,土質調
(鉄筋コンクリート造)や SRC 造(鉄骨鉄筋コ
査結果に基づく短長期的圧密性状37)の把握と,
ンクリート造)と比べても,優位性が発揮でき
上載荷重と PC 緊張力による反発力等による浮
るようになり始めています。
き基礎構造体の FEM 解析結果38)で判断基準は
明確化され,パソコンの普及で取り扱い易く
-2 PC 工法の多様性
京都大学の六車教授(当時)は,昭和39年に
なっています。
地震・津波被害と対策案
発生した新潟地震で転倒した RC 構造の住宅団
地の基礎杭の破壊性状を調査し,杭基礎のコン
三陸の津波被災地域では,漁業関係者の住ま
クリートの圧壊現象が転倒の原因と認定してい
いも高台に移転する都市計画になっています。
ます。対策としては高強度鋼材で横拘束して,
しかし,仕事をするのに一々,沿岸部まで車で
耐久性の向上を図る方法を開発して発表してい
通勤するのは無理があると思います。また,津
ます。㈱タイムスエンジニアリングの田口社長
波が来た際に高台まで非難するのも難儀です。
(当時)と協力して,高一様伸び鋼材による SD
車で避難している時に津波に流されてしまう危
パイル33)の補強手段も発表され,今後の耐震
険性も残ります。そう考えると日中仕事をして
設計に役立ちます。
いる際に,津波が来た時は職場から直ちに確実
に避難できる場所を確保すること,これが人命
─────────────────────────────────
33) SD パイル;スーパーダクタイル PC パイルの略称。高靭性 PC 杭の意味。曲げ変形に強いため大地震時の水
平力抑止策に有効です。
34) ㈱ VSL ジャパン;PC 緊張システムや定着体供給会社は工法により各社ありますが,VSL 工法の場合の日本
法人の会社例です。
35) 不同沈下;地震時に液状化等で局部沈下が発生します。全体が一様に船のように上下せず,地層や基礎杭も仇
になりがちです。
36) 浮き基礎工法;北海油田の浮体構造物をヒントに,鹿児島県枕崎市漁協の魚市場建設で,海岸部の埋め立て軟
弱地盤(8t/㎡)で,幅30m全長900mのマット基礎工法の VE 提案が実績例としてあげられます。50m級の場
所打ち杭を採用しない浮き基礎工法です。
37) 圧密性状;建設物の安定確認のため,建設に先立ち地盤の試掘(ボーリング)が実施され,荷重と時間に対す
る圧密特性を把握します。
38) FEM 解析;ボーリング結果から得た地盤性状を元に,上載荷重と地盤のバネ定数を加味した反力及び PC 緊
張力によるバランス制御力等をコンピューターで弾塑性応答解析すれば,短長期的に局部変形が生じし難い安定
的な浮き基礎構造の設計が可能です。
< 講演録 > 震災復興・インフラ劣化危機に対する高耐久性化の必要性(丹野政志・筒井公平) ─ 99 ─
確保の現実的な対応策ではないでしょうか。そ
でボロボロになってしまわないのか心配です。
のためには,仕事場近辺がそのまま安全な避難
錆びない構造体で,職場から上に昇るだけなら
所になるような構造の建造物を地域ごとに準備
ば,安心して日中も働いていられると思います
すること,これで避難所確保の問題は解決され
が,狭い鉄塔に多数の人が駆けつけるのは想像
ると思われます。今回の津波でも4階以上の高
しただけで無理があるように思われます。
さにいた方は,
ほとんど助かっているようです。
原発問題に活路を
そこで,予め3階までは津波が押し寄せてくる
のを前提とした建造物の構造にしておけばいい
と思います。具体策としては,沿岸部の土地は
原状復帰に対する保証問題は,被害規模が甚
軟弱地盤で液状化や不同沈下が起きやすいので,
大過ぎて民間電力会社及び関連支援機構だけで
PCマットの浮き基礎工法にすれば経済的で安
は手におえないため,結局国が支援政策として
全性も確保されます。塩害に強い PC,PRC 構
取り組むことになります。つまり,不足の費用
造の高耐久性の立体フレームならば,耐震性も
は全て国民の税金で負担せざるを得ない訳です。
向上して,しかも柱も耐力壁も少ない構造が可
しからば,国民全体の問題として広く叡智を求
能となるため,津波に対する抵抗性が減らせま
めて,無駄な出費が発生しないようにガラス張
す。避難階の下層部を津波が通過するように工
りで客観的な説明の下,一番いい方法で解決策
夫すれば,躯体をほとんど無傷で残すことも可
は実施されるべきです。地下から取り出した厄
能です。それにより,災害が去った直後から,
介なものは,拡散しない手法で地下に戻すべき
その建物を使い業務を再開できるようになるの
です。既述してきたように,原子力格納容器に
です。そこで働いていた方は,津波の際には直
も採用されている PCタンク技術が最も適して
ちに4階以上に避難していれば,全員の無事が
います。水とコンクリートとプレストレス力で
確保できる筈です。1階が荷捌き場,2階から
解決を図るのが最も経済的で,安心できる解決
3階が自走式駐車場や作業場並びに事務所や物
策の筈です。PC 汚染水も汚染物も同様に対応
置場等に活用が可能です。周辺居住者の避難場
が可能です。その前に安全な水蒸気は自然に空
所とするためにも,定期的な避難訓練やコミュ
に返しておけば,処分量を大幅に減らすことも
ニティー活動の場所としても長期的な視点から
できます。
計画的に整備していく必要があると思います。
南海トラフ地震に際しても,鋼材製の津波避難
ⅩⅥ 次世代への置き土産
塔が計画されていますが,震災が来る前に塩害
60歳以上のベテランが,全人口の25%を占め
る時代が到来しています。実学で経験豊富な元
気な世代にお手伝い頂いて,前代未聞の未解決
課題も運命共同体として取り組み,対応能力の
向上を図る必要があります。団塊の世代は日本
の宝でもあります。私達は,この団塊世代の活
力と技能を日本のインフラの高耐久化に活かす
べく取り組んで参ります。
(図─15)(浮き基礎・PC 工法)
─ 99 ─
滋賀大学経済学部研究年報 Vol.20 2013
塔の実績や根北峠の同様施設の改修塗装実績を
ⅩⅦ 太陽光発電の高耐久化案
参考に,防錆性能に優れた無機塗料の活用を検
討しないと,他のインフラ施設と同じ維持費増
原発のトラブル対策の一環として,環境に優
大の轍を踏む危険性があります。錆びた架台の
しい太陽光発電装置の全国的展開が急速に進展
補修を誰が行うのか? 投資家にとってはそん
しています。その場合の支持架台は,圧倒的に
な予算は初めから想定外だと思われます。
溶融亜鉛めっき材が多いというのが現状です。
その一方で,新しい太陽光発電施設への高耐久
ⅩⅧ イフドラⅡ 高耐久性化推進策
化策は急務であります。関係者のほとんどがパ
ネルの耐用年数には関心がありますが,それを
共産主義から自由主義まで,幅広く歴史的変
支える架台の耐久性には無関心で「安ければ安
遷を観察して世界的に経済学の分野でリードさ
いほど良い」
と大半の方々が考えておられます。
れた世界のドラッカー博士に対して,我が国に
しかし,当面の耐用年数の課題が20年以上では
は国民的なアイドルとして誇れる仮想世界のド
余りにも短過ぎます。過酷な環境下でも50年~
ラえもんがいた。…不透明感が漂い出した今か
100年以上は防錆も保証され,支持架台は安定
ら将来に向けて,現代に前代未聞の難題が出現
的に維持される必要があります。浜岡原発の鉄
したら,もしドラえもんならどんな打開策で切
イフドラⅡ・高耐久性化推進策
イ フ ド ラ Ⅱ(ドラッカー;マネジメント/100分de名著抜粋)
高耐久性化推進の例
1 ・企業の目的の定義は顧客を創造することである。
・未解決課題に対する VE 提案
2 ・プロならば,
「知りながら害をなすな」
・安全が確保できるローコスト案
3 ・顧客が何を求めているかを知り,それを提供することこそ企業のなすべきこと。
・社会的基盤の劣化抑止策案
4 ・すでに起こった未来を見て,自分で未来を作り出せ。
・鋼橋落下事故から防錆改良案
5 ・失敗で終わらずに再挑戦する。
・過去の太陽光発電架台改良案
6 ・理論は現実に従う。
・有効な実績例選別の再利用案
7 ・仕事ではワクワクドキドキしたい。
・安全・安心業務の先駆者案
8 ・本当にやる価値がある事業に専念して,他は他に任すこと。
・高付加価値差別化業務に特化
9 ・役割分担の明確化と実践が必要不可欠。
・異業種交流促進で役割分担化
10 ・新たな価値やシステムを構築して社会変化をおこす。
・高耐久性化推進業務の広域化
11 ・潜在意識の中にある商品やサービスとして形になっていないものを提供する。
・放射能問題の削減案
12 ・歴史はビジョンをもつ一人一人が作っていくもの。
・普及前の新技術の拡販化案
13 ・弱み克服して強みを伸ばす
・ポカラ・スーパーポカラ・ZPC
14 ・強み (得意分野の集約と伸長)(成果の上がる組織=仕事自体が喜び)
・高強度・高耐久性・防錆化案
15 ・集中 (極だった成果の追求)
・海浜地区全域の避難施設案
16 ・意思決定 (異なる意見との判別)
・活断層の影響を克服する案等
17 ・NETで距離感削減 (異業種交流・複合化促進)
・高耐久性化の連携にNET活用
18 ・新しい現実に対応するために変化し続ける。
・放射能・津波・地震情報への対案
19 ・生きた知識,使える知識が求められる。
・軟弱地の PC 浮き基礎や耐久化案
20 ・強みを伸ばして,生産性と生きがいを高める。
・平成の遺産構築・次世代活用案
21 ・見て聞いて全体をとらえる。 ・すでに行った行動を基に行動し,解ったものを使う ・福島原発事故の反省と解決案
22 ・補助線として,基本と原則を使う。 ・欠けたものを探して,ニーズをとらえる。 ・世界遺産に学び海浜環境に活用
23 ・自らを陳腐化して,再挑戦。 ・仕掛けをつくる。(達成すべく目標を定める)
・築地移転・八場ダム等の代案
< 講演録 > 震災復興・インフラ劣化危機に対する高耐久性化の必要性(丹野政志・筒井公平) ─ 99 ─
り抜けるのか? もしドラッカー博士ならどの
「いいものはいいものとして」採りあげられて
ようなヒントを解決策としてアドバイスしてく
いく社会体質に転化していくことを祈念するも
れるのか? …そんな思いで,インフラの高耐
のです。
久化策のキーワードを一覧表にしたものです。
ⅩⅨ 最後に,東京オリンピックに臨んで
東京というよりも日本の底力を日本人自身が
改めて再認識し,暗いことばかり続いていた
時勢にやっと自信を回復する契機を見出したの
ではないでしょうか。一方,その経済効果は
3兆円~ 150兆円まで大変アバウトな数字が歩
き出しているものの,費用の方も必要な施設の
建設のみで4,500億円とも言われており,さら
に東京駅羽田空港直結の地下鉄新線等のインフ
ラ整備まで実行するとなると,到底これでは収
まらないと早くも言われ出しています。こんな
中,半世紀前の東京オリンピックの際に造られ
た首都のインフラの耐久年数が限界に来ていま
す。首都高速羽田・横浜線の傷み具合は,笹子
トンネルの例を待つばかりでなく,専門家の間
では常に話題になっています。
恐らく大手ゼネコンでも新規施設の建設ばか
りに目が行き,どう考えても,業者的にも手間
ばかり掛かって儲かりもしない老朽インフラの
修繕等に真剣に取組む組織,企業がいるとは思
えません。老朽インフラの修繕・メンテをして
も誰も社会的な評価は得られないでしょうか
ら。ですから,余程行政の方で,老朽インフラ
への危機意識を堅持していないと,人・物・金
は,
新規施設の費用に回ってしまうと思います。
また,その意識の低下は,
「どうせ修繕なんて
従来通りのやり方で,決まった業者に適当にや
らしておけばいい。新規施設で目一杯なんだか
ら。
」となりがちです。
既に,東北復興も労務費と資材費の高騰で入
札流れが続出している中,国土強靭化計画と東
京オリンピックが本格化してきます。資金は,
予算を超えて流れていく可能性が十分あります。
斯様な状況下,是非,経済的にも,性能的にも,
(以上 丹野政志)
執 筆 者 紹 介(掲載順)
伊 藤 博 之
滋 賀 大 学 経 済 学 部 教 授
水 谷 剛
滋 賀 大 学 経 済 学 部 准 教 授
山 下 悠
滋 賀 大 学 経 済 学 部 講 師
田 口 了 麻
大 阪 大 学 大 学 院 文 学 研 究 科 博士前期課程
藤 田 真 樹
滋 賀 大 学 経 済 学 部 特任講師
丹 野 政 志
高 耐 久 化 推 進 機 構 代 表
筒 井 公 平
高 耐 久 化 推 進 機 構 事務局長
Fly UP