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アブダビとの永続的関係をめざして - JOGMEC 石油・天然ガス資源情報

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アブダビとの永続的関係をめざして - JOGMEC 石油・天然ガス資源情報
国際石油開発帝石株式会社 アブダビ事業本部 本部長補佐
ジャパン石油開発株式会社 取締役
川口 健一
エッセー
アブダビとの永続的関係をめざして
はじめに
ムアダルク、サターの両油田は当社
益は、上部ザクム油田権益が 2 0 2 6 年
と ADNOC の両社のみが権益を保有
に、その他の油田は 2 0 1 8 年に期限を
国際石油開発帝石(株)の子会社で
している。
迎える。アブダビでは海上権益期限
あるジャパン石油開発(株)は 1 9 7 3
当社が参画しているアブダビでの
に先立ち、陸上油田の権益が 2 0 1 4 年
年の設立以来、3 6 年間にわたってア
生産操業の詳細なレポートを 1 9 9 0 年
に期限を迎える。アブダビは世界第 5
ブダビ海上の石油権益に参画し、同
代初めに総支配人補佐として ZADCO
位の原油埋蔵量、第 8 位の原油生産量
地での石油開発に携わってきた。ア
に出向された石油公団の木下理事(当
を誇る石油大国であり、日本にとっ
ブ ダ ビ 国 営 石 油 会 社(Abu Dhabi
時)が、「超巨大油田の現場から」と題
ては原油輸入量の約 4 分の 1 を占める
National Oil Campany=ADNOC)、
して 1 9 9 7 年に「石油の開発と備蓄」に
第 2 位の供給国である。しかも、今後
BP、Total および当社により設立さ
寄稿されているので、本稿では当社
5 0 ~ 1 0 0 年間は原油生産が可能と言
れ た 操 業 会 社 ADMA-OPCO が ウ ム
が取り組んできた石油開発会社の産
われる超巨大油田に加え、未開発の中
シャイフ油田と下部ザクム油田の生
油国でのあり方や産油国との関係深
規模油田が点在し、生産能力の拡大ポ
産 ・ 操業を行う一方、上部ザクム油
化につき筆者の個人的な思いにも言
テンシャルも大きい。しかし、現在の
田、ウムアダルク油田、サター油田
及しつつ事例を紹介する。
権益保有者が権益期限後に自動的に
は ADNOC、ExxonMobil と当社によ
り設立された操業会社 ZADCO が操
業を担っている。言うまでもなく操
アブダビの石油権益をめ
ぐる攻防
業会社とは、権益保有者を株主とし
継続して権益を保有できるとは限らな
い。この状況下、メジャーズをはじめ
こ
し たんたん
世界の石油開発会社が虎視眈々と石油
権益の継続もしくは新規参入の機会を
て、権益保有者のために探鉱、開発、
石油権益には当然のことながら権益
窺っている。
生産を行う会社である。ただし、ウ
賦与期間が設定されており、当社の権
一方、産油国であるアブダビは今後
の自国の一層の経済 ・ 社会発展に寄与
する多面的な共同事業を実行できる
「真の友人」と上流部門を担っていく戦
略を採っている。具体的には、人材の
育成、環境保護、経済の多様化に向け
た産業の立ち上げである。これまで石
油会社は技術力と販売力を武器に石油
ビジネスを推進してきたが、ここにき
てその様相は大きく変貌を遂げつつあ
る。欧米諸国が石油会社のみならず国
家を挙げて産油国に近づき、資源外交
を繰り広げているからだ。
例えば、フランスは 2 0 0 8 年 1 月に
サルコジ大統領がアブダビを訪問し、
出所:ZADCO
原子力発電所開発協力、軍事協力協定
写1 上部ザクム油田洋上施設
77 石油・天然ガスレビュー
の調印式、ソルボンヌ大学アブダビ校
の起工式に出席した。さらに同国文化
エッセー
相はアブダビに建設されるルーブル美
受け入れられない時代、技術だけでは
も聞く。結局、情熱を持って粘り強く
術館分館につき皇太子と会談した。こ
生き残れないサバイバル時代へと突入
折衝した結果受注に成功した。初めて
の背景には Total の現石油権益の更新
しているのである。当社もまたその渦
の大規模スタディー実施であり、当時
が絡む。またアメリカは 2 0 0 8 年、大
中にある。以下、当社の石油開発分野
のチームの苦労は計り知れないが、結
統領、
国務長官のアブダビ訪問に加え、
での取り組み、非石油分野での取り組
果的に大成功を収め、当社の技術的プ
原子力平和利用協定調印、大学病院進
みについて、現在までの歩みを簡単に
レゼンスを高めるのに大きく貢献し
出による医療支援、マサチューセッツ
振り返りたい。
た。しかし一回限りでは相手に忘れら
工科大学大学院とマスダール(アブダ
ビフューチャーエナジーカンパニー)
操業会社株主としての役割
間での新エネルギーを中心とする教
れる。重要なことは継続である。こう
して当社は引き続き 1 9 9 0 年に、同様
の広域地質スタディーを実施した。
育 ・ 研究に関する覚書締結と続いた。
操業会社が油田の生産を行うとはい
一方、上部ザクム油田では開発着手
これらが、最近報道されたアブダビに
え、その株主は新規開発に向けたイニ
以来、開発関連役務を受託した Total
おける ConocoPhillips の陸上ガス田開
シアチブをとるとともに、スタディー
が主導してきた技術支援を当社が主導
発の落札、Occidental の 2 小規模油田
の実施、人員の派遣、開発 ・ 生産に関
すべきであるとの機運が高まった。そ
の権益獲得と無縁であるとは言い難
する最新知見の提供等に関し、操業会
の背景には当社が多くの人員を派遣し
い。これらはほんの一例に過ぎない。
社支援の責務を負う。当社は 1 9 7 8 年
ていたウムアダルク、サター両油田の
Shell も BP も同様の接近を図り、アブ
に ADNOC との共同事業としてウムア
開発を担当していた操業会社 UDECO
ダビとの関係をより強固にし、石油権
ダルク油田の開発に着手したのに続
と ZADCO が 統 合 さ れ、 当 社 か ら の
益の獲得 ・ 保持に鎬を削っているのが
き、巨大な埋蔵量を有しつつも油層の
UDECO への出向者が ZADCO 勤務と
現状である。
性状から開発困難と見られていた上部
なったことがある。
ザクム油田の開発、サター油田の開発
上部ザクム油田はアブダビが誇る大
と 1 9 8 0 年代には新規開発に向け主導
油田である。坑井数も 5 0 0 本を数え、
的 な 役 割 を 果 た し た。 こ こ で は、
スタディーに手作業で対応していたの
2 0 0 4 年、ザイード UAE 大統領 ・ ア
1 9 9 0 年代以降当社が取り組んできた
では到底間に合わないことから、ワー
ブダビ首長が逝去した後、その長男カ
株主としての役割について述べたい。
クステーションと油層シミュレーショ
しのぎ
アブダビの変化
ン ・ 地質 ・ 物探の総合解釈ソフトの導
リファ皇太子(当時)が大統領 ・ アブダ
ビ首長を承継し、故ザイード大統領三
(1)
技術支援
入を行った。当時日本にはソフトの代
男のモハメッド王子がアブダビ皇太子
当社は 1 9 8 0 年代、ウムアダルク、
理店もなく、したがってユーザー講習
に指名された。新首長と皇太子は故ザ
サター両油田開発の主導的役割を果
会も海外から講師を招いて実施した。
イード首長の建国の精神を受け継ぎつ
たすため人的資源の多くをこの 2 油田
実に試行錯誤の連続であった。
つ、新たな国づくりのための意欲的な
に 注 力 し て き た 経 緯 も あ っ て、
ADMA-OPCO でのスタディー受注
政策を矢継ぎ早に発表してきた。モハ
ADMA-OPCO 事業は BP、Total が主
の実績が功を奏し、アブダビに対して
メッド皇太子はアブダビ政府執行評議
導 し て い た。 こ の ま ま で は、BP、
も徐々にではあったがプレゼンスが向
会(首長国の内閣)
の議長として内政を
Total に比べて当社が技術力のアピー
上し、操業会社の ZADCO も当社のス
主導するとともに、自国の持続的発展
ル で 見 劣 り す る と の 見 地 か ら、
タディーを期待するようになった。一
と人材の育成を大命題にメジャーズを
ADMA-OPCO の 大 規 模 な 技 術 ス タ
連の上部ザクム油田スタディーのなか
はじめとする海外の企業に協力 ・ 連携
ディー受注を試みた。アブダビ海域を
で特筆すべきは、石油公団(当時)
支援
を求めてきた。アブダビは外国政府 ・
対象とした広域地質スタディーであ
の下 1 9 9 5 年に開始したいわゆる共同
企業と共存するオープンな政策を採ろ
る。それまで大型スタディーの実施実
研究であり、4 課題から開始した。
「地
うとしているところに特色がある。
績がなかったため、当時の ADNOC 関
震探査による圧入流体のモニタリン
永続的な信頼関係を維持できるア
係者は当社単独によるスタディーの実
グ」は、当時アブダビで注目されてい
ブダビにとっての「友人」探しが始
施に懐疑的であった。一方、あるパー
た課題だったため、われわれのスタ
まっている。石油開発企業にとって、
トナーは共同スタディーの実施を提唱
ディーは高く評価された。その結果、
もはや石油開発だけではアブダビには
し、当社に費用負担のみを打診したと
ADNOC が主導したザクム 3 次元地震
2009.5 Vol.43 No.3 78
アブダビとの永続的関係をめざして
探査のフィージビリティースタディー
の過程で、本油田に関する当社のスタ
た。当初、成分系油層シミュレーショ
実施に際し、ADNOC からその一部を
ディー内容と技術的知見はメジャーズ
ンモデルを適用したスタディーを
有償で実施してほしいとの要請を受け
と同等かそれ以上であることが確認さ
行ったものの、当時のシミュレーショ
るに至り、当時世界最大規模の 3 次元
れ、
当社にとってその後の励みとなり、
ン技術ではミシブル状態達成の有無
震探実施に向け大きく貢献した。
アブダビに対し技術力をアピールする
にかかわりなく、シミュレーション
「掘削」
のスタディーでは、操業会社
こととなった。
セルの残油飽和率がゼロになってし
まい、回収率を現実より多く評価し
をはじめ掘削サービス会社も動員し、
適切な酸処理、長期の水平坑井内部の
(3)
論文発表
てしまうという問題に直面した。こ
生産挙動モニタリング、生産量増加、
技術支援だけがプレゼンスを高める
の問題を解決するため、成分系油層
適切な油層管理を目的に特殊水平坑井
手法ではない。より多くの関係者にア
シミュレーションにおいて残油飽和
仕上げ技術(MLTBS)の開発に着手
ピールする必要があるからである。ア
率を正しく設定する画期的な新理論
し、世界初となる上部ザクム油田での
ラブ人は一般に自己を売り込む能力に
を、先輩の B 君とともに構築した。ス
改修水平坑井実証試験に臨み成功を収
長けている。例えば、国内外の学会が
タディーの結果は操業会社で報告す
めた。この実証試験により、これまで
開催されると、忙しいにもかかわらず
るとともに 2 0 0 4 年の ADIPEC で発表
生産に寄与していなかった坑井を活性
論文を発表しようとする。通常の業務
し、 好 評 を 博 し た。ADIPEC で の 発
化し、試験生産では通常の約 3 倍の生
に加えて、時間をとられるわけだが、
表論文は厳しい審査を経て、2 0 0 7 年
産を記録した。共同研究は地下技術、
日本人も見習うべきであろう。アラブ
2 月発行の SPE 公式刊行論文集である
機材選択、二酸化炭素の回収 ・ 油層へ
人と競うわけではないが、当社内でも
Reservoir Evaluation & Engineering
の圧入、3 次元震探解釈 ・ 応用等、さ
国際学会を有効に活用し、プレゼンス
誌に掲載された。2 0 0 8 年、本論文は
まざまな分野に拡充された。2 0 0 0 年
を高めようとの機運が生じ、先輩諸氏
SPE の 栄 誉 あ る 賞 の 一 つ で あ る
に石油公団は ADNOC と覚書を交わ
が中堅社員に檄 を飛ばしたものであ
「Cedric K. Fergason Medal」にノミ
し、共同研究は更なる発展を遂げるこ
る。中堅社員は、断るような大義名分
ネートされ、同年 9 月に米国デンバー
とになる。
もないため渋々承諾するのだが、結果
で 開 催 さ れ た 2 0 0 8 年 SPE の ATCE
的にその後、若手社員の意欲をかき立
(Annual Technical Conference and
(2)上部ザクム油田権益の国際入札
た
げき
てることになる。
Exhibition)において A 君が受賞する
当社の技術支援による技術力がアブ
筆者の記憶では当社社員による国際
に至った。共著者の B 君には「Cedric
ダビで浸透した頃、ADNOC が保有す
学会での発表は、1991年にバーレーン
K. Fergason Certificate」が授与され
る上部ザクム油田自社権益の一部を外
で開催された「Middle East Oil Show」
た。A 君はこれら一連の出来事で一躍
資に譲渡する公開入札が開始され、当
が最初であったと思う。それ以降、中
「時の人」になったが、本人の能力も
社も事業拡大 ・ 将来の権益更新を視野
堅 ・ 若手社員は積極的に学会での発表
さることながらこれまで当社の諸先
に入れ応札した。当社は単独および他
を試み、1 9 9 6 年以降「ADIPEC:アブ
輩が培ってきた土台、文化がその背
社との共同入札の両建ての形で入札に
ダビ国際石油会議」では常に 5 本以上
景にあったことは明らかである。
臨んだ。当然のことながら共同入札で
の論文が発表され、その存在感を示す
はパートナーとの軋 轢があり、当初
ことになったと自負する。さらに一部
パートナーからはパートナーによるス
の論文は、発表だけにとどまらず厳し
出向者は操業会社での実務遂行は当
タディー結果を共有するという名目で
い審査を経て学会誌に掲載されるに
然のこととして、出向元のプレゼンス
対価の要求があった。しかし 1 9 9 0 年
至った。
を高めるという使命を負う。操業会社
代より継続し培った社内スタディーお
現在 ADMA-OPCO に出向している
の業務は単独で担当することもあれ
よび石油公団との共同研究による実績
A 君も、この頃将来を夢見る技術者と
ば、チームを組織してグループで対処
が大いに役に立つこととなった。当社
して、黙々とスタディーに励んでい
することもある。単独であれチームで
が独自のスタディー結果を提示したと
た。2003年に、石油公団との共同研究
あれ、業務を円滑に進め実績を上げる
ころ、パートナーは対価の要求を撤回
「CO2 圧入 EOR スタディー」の一環と
には、出向先での人脈ネットワークの
したからである。当社は結果的に落札
して、アブダビ海域の主力油層を対象
構築が必要不可欠となる。多くの国籍
するには至らなかったが、入札書作成
に CO2 ミシブル攻法の評価を実施し
の社員からなる操業会社では多種多様
あつれき
79 石油・天然ガスレビュー
(4)操業会社への出向者の役割
エッセー
(1)環境への貢献
の言語 ・ 文化が交錯するため、日本人
2 0 0 8 年前半 6 カ月の平均生産量実績
には苦手意識が伴う。筆者も当初その
において 2 0 0 7 年同期比 5 万バレル /
1 9 9 9 年よりアブダビ環境庁と共同
一人であった。会話は英語より日本語
日の増加を実現した。これは、配下の
でマングローブの試験的植林プロ
の方が楽であり、見知らぬ人との会話
エンジニアそれぞれの得意分野の知識
ジェクトを上部ザクム原油の処理 ・ 出
より、仲間同士の会話の方が楽しい。
の集結と新しいアイデアの導入 ・ 実施
荷 基 地 で あ る ジ ル ク 島 で 実 施 し た。
だからといって仲間内の日本人のみと
により点検 ・ 改修作業の集約化や作業
1 9 7 9 年より UAE Marine Resources
のコミュニケーションではネットワー
スケジュールの見直しなどを通じ、各
Research Centre に派遣され現地の状
クも構築できず、ひいては会社のプレ
坑井やプラント施設の稼働時間の効率
況に詳しい専門家、玉栄氏と国際マ
ゼンスも高まらない。
化、生産可能量の算出方法改善等につ
ングローブ生態系協会の馬場博士の
諸先輩方から、パーティーでは日本
き努めた結果であり、所期以上の目的
協力を取り付け、当社がイニシアチ
人同士で固まるな、会社では日本人相
を達成したことによる。本人の企画立
ブをとり、植林計画を策定する等主
手でも日本語は使うな、と叱咤された
案能力と、Production Team の総合力
導的役割を果たした。環境保護の面
ものである。当社からの出向者は多か
を引き出し技術的知見に基づく自分の
では、既に当時 Shell がウミガメの保
れ少なかれこのような経験を積み重ね
意見を同僚、上司に浸透させたネット
護、Total が ジ ュ ゴ ン の 保 護、BP が
ながら、ネットワークを構築していっ
ワーク構築の成果であった。操業会社
フラミンゴ休息地の設営に着手して
たのである。
への出向は操業経験の体得、当社技術
いたことを知り驚かされた。マング
その活躍例として、ADMA-OPCO
力の直接のアピールとなるばかりでな
に出向した C 君について触れたい。
く、産油国における異文化 ・ 多文化環
同君は、アブダビでの長年の生産 ・
境の下でのチームワークのあり方を経
操業にかかわる経験を買われ、生産量
験できる得がたいチャンスであると言
を増強する使命を受けて 2005 年に
える。
しっ た
ADMA-OPCO に出向した。C 君が優
秀なエンジニアであることは間違いな
いが、
彼が請われたもう一つの理由は、
産油国との関係強化:アブ
ダビ社会への貢献
アブダビ経験時に培ったネットワーク
にあった。仕事のみならず会社の厚生
当社は現保有権益の延長はもちろ
活動にも積極的に参加し、スポーツや
ん、アブダビ政府との関係深化を目
趣味を通じ社内外の人脈形成に時間を
的に、技術支援に加えてアブダビ社
費やして構築した周囲との信頼関係が
会 に 貢 献 す る こ と を 志 向 し 始 め、
評価されたのである。C 君の使命であ
1 9 9 0 年代後半より本格的にそのため
る生産量増強は、ADMA-OPCO 内に
の活動を開始した。これは、技術面
あった保守性に対するチャレンジでも
の支援だけではメジャーズにはなか
あった。赴任早々、既に形成したネッ
なか勝てないと判断した当時の役員
トワークの活用、そして新規のネット
の英断であった。今でこそ企業の社
ワーク構築が始まる。巨大組織、多国
会的責任が問われているが、当時と
籍の社員からなる企業のなかでは一人
し て は 画 期 的 な 取 り 組 み で あ っ た。
では何事も達成できないことをこれま
支援は環境、教育、文化交流と多岐
での経験から熟知していたのである。
にわたる。当初これらの支援業務に
問題点を洗い出し、関係者が傷つかな
携わることは正直、社内でも“傍流”
いように配慮し、管理職として建設的
扱いであり、担当を命ぜられた社員
に改善案策定を主導し、上層部に改善
も戸惑いを隠せなかったが、徐々に
を提案していった。
ではあるが成果が出始めると、社内
具体的には、業務目標として操業効
の関心も高まりその意義が理解され
率の向上による生産量の増加を掲げ、
浸透していった。
2000 年 3 月
2007 年 12 月
出所:JODCO
ジルク島でのマングローブ
写2 植林の成果
2009.5 Vol.43 No.3 80
アブダビとの永続的関係をめざして
ローブの調査、採種、苗床育成、植
(SIPP)
」として 1 9 9 9 年に開始した。
議第 2 回地域会議を含め数々の国際学
林など、当時本社勤務であった事務系
技術支援を
(株)地球科学総合研究所に
会で報告 ・ 発表したほか、アブダビ環
社員の D 君らが玉栄氏、馬場博士とと
お願いし、期間は 5 カ年に及ぶ大型の
境庁はじめ ADNOC、操業会社でも紹
もに炎天下汗を流した。
プロジェクトであった。初年度はアブ
介した。その結果、ADNOC をはじめ
ジルク島での 2 年間にわたる試験的
ダビの石油開発分野での衛星データ利
とするアブダビの石油開発会社のみ
植林の成功は、アブダビ環境庁の役員
用状況を調査するとともに関係者に日
ならず、広く UAE の関係機関に衛星
会でアブダビ王族の有力な一員である
本の関連設備を案内し、ICEP におい
データを用いた海洋油濁監視の有効
ハムダン同庁長官から絶賛されただけ
て講演会を開催した。調査結果を踏ま
性と実現可能性を明確に理解 ・ 啓蒙す
でなく、ADNOC 主催の 2 0 0 1 年 HSE
え、UAE 大学からの要望によりデー
ることができ、同国の将来にわたる
Award において、約 7 0 件の応募案件
タ解析システムを同大学に設置し、シ
環境保全政策への貢献につながった。
のなか 6 位入賞を果たした。同年秋に
ステム習熟の技術指導を行いながら
事実、アブダビ環境庁はこの技術の
開催された ZADCO 共同運営委員会で
データ解析の共同研究を開始した。
環境モニタリングへの応用に関心を
は同社総支配人より当社に対し、感謝
大学との共同研究の第一歩として
示し、沿岸海域の底質分布や緑地 ・ 農
の意の表明があった。さらに 2 0 0 1 年
Landsat-7 の最新データを用いて UAE
地分布等を対象として当社との共同
にアブダビで開催された国連との共催
全土の画像を作成し、アブダビで開催
研究の実施へとつながった。衛星デー
の国際マングローブ ・ シンポジウムに
された国際環境会議においてアブダビ
タ解析の技術は、日本の看板とも言
おいて、アブダビ環境庁 /ZADCO/ 当
環境庁ブースに展示した。引き続き、
える技術として現在もアブダビ石油
社の共同執筆で発表した論文が、同シ
衛星画像による海洋油汚染検知 ・ 監視
大学(PI)で集中講義を企画 ・ 実施する
ンポジウム議長より極めて高い成功例
方法をテーマとして実施した。共同研
ものとなっている。
であると称賛され、その模様は大々的
究を通じ UAE 大学におけるデータ解
に新聞等により報道された。ジルク島
析技術保有を確立し,同大学衛星デー
のマングローブは順調に成長し、3 年
タ処理 ・ 解析システムの今後の効果的
教育 ・ 人材育成はアブダビが最も力
の歳月をかけて ZADCO への技術移管
利用を促進するため、最終研究成果と
を注いでいる分野である。教育面で
も完了した。引き続き当社はアブダビ
して“Oil Spill Atlas of the UAE”を作
は日本の公文式教育の導入を図った
環境庁の要請により、マングローブ植
成した。
林と魚類の養殖を組み合わせた生態系
この間の研究成果は、世界石油会
(3)教育への貢献
(写 3)。アブダビでの公文式教育は
1 9 9 8 年の試験導入に始まり、さまざ
復元事業を実施した。これらの事業は
アブダビ環境庁の役員会メンバーとの
関係構築にとどまらず、管轄する王族
の当社認知度を高める結果をもたらし
た。
(2)リモートセンシング技術移転
1 9 9 0 年代後半、環境問題への認識
が深まるなか、石油開発操業会社にお
いても環境事業への取り組みが活発に
なってきた。
当社はアブダビにおける環境監視態
勢強化協力の一環として、アブダビに
おける衛星データの実用化をアラブ首
長国連邦(UAE)大学に提案した。こ
れは、財団法人石油開発情報センター
(ICEP) の ご 理 解 ・ ご 支 援 を 得 て
「Satellite Image Processing Project
81 石油・天然ガスレビュー
出所:JODCO
写3 公文式で勉強する生徒たち
エッセー
ほう ちゃく
まな困難に逢 着 しながら試行錯誤を
初、片言の英語しか理解できない、海
示し成長した証しを見せようとする姿
繰り返し、拡大 ・ 縮小を繰り返した。
外は初めてという学生ばかりで、日本
にはつい、うれしさを覚える。
8 年間の導入取り組みを通じて公文式
の文化、特に食文化を受け入れても
教育の意義 ・ 成果に対するアブダビの
らうのに苦労した。一方、当社女性
理解 ・ 支持が得られるようになり、こ
社 員 に、 は に か み な が ら 接 触 す る
教育 ・ 人材育成に情熱を燃やすアブ
の方式が定着したと判断されたことか
UAE 大学生の姿は可愛いものであっ
ダビから支援要請は続く。裏を返せば、
ら、
一層の発展のため2006年以降
(株)
た。社員、社内関係者、社員の大学
これまでの実績がアブダビで浸透しつ
*
(5)アブダビ石油大学(PI)支援
公文教育研究会に事業運営主体を移管
での恩師、「ニイガタ首長国連邦 」等
つある証しでもある。「うれしい悲鳴」
し た。2 0 0 8 年 度 は、 モ デ ル 校 8 校、
の社外関係者の多大な協力を得てさ
である。
公立 1 校で受講生徒数は 2,2 4 0 名を数
まざまな活動を行ってきたが、1 9 9 6
1 9 9 9 年、当社を含めアブダビで石
える。現在は公文教育研究会を側面か
年には、それまでの実績を評価いた
油 開 発 事 業 を 展 開 す る 4 社 は、
ら支援する一方、エミレーツ財団とと
だき、石油公団(当時)から資金面で
ADNOC より PI 設立につき支援を求
もに青少年育成基金を設立し、受講生
の支援をしていただくこととなり現
められた。PI は、自国での技術者育
のなかから優秀者を表彰している。
在に至っている。
成を目的に、2 0 0 0 年 1 2 月に公布され
2 0 0 7 年からは PI 学生も夏季日本研
た PI 設立法により ADNOC 主導で設
修の一員に組み込むこととなり、現在
立された大学である。当社の PI に対
公文式教育導入に先立つ 1 9 9 3 年よ
総勢 1 0 名の学生を対象に実施してい
する貢献は ADNOC とアブダビ政府に
り UAE 大学の地質系学生を対象に夏
る(写 4)
。開始以来 1 5 年を経過した
日本の貢献をアピールするだけでな
季日本研修をアブダビ石油
(株)
と共同
現在、研修参加 1 期生のなかには現地
く、アブダビの石油産業の将来を担う
で企画した。これは同大学理学部長の
の操業会社の課長クラスにまで昇進し
学生に当社を認知してもらう重要な機
要請によるもので、当時 Total は工学
た者もおり活躍している。不思議なこ
会と考え、積極的に支援および協力す
系の学生を対象にフランスでの研修を
とに研修中の研修指導者と受講生の
ることを表明した。
実施したため、地質系は当社にお願い
「師弟関係」は今でも通用する。研修指
さらに、PI の設立 ・ 運営に関し中心
したい、
というのがその背景であった。
導者がアブダビでかつての受講生と再
的な役割を果たしている ADNOC は、
一度受けたら失敗は許されないと覚悟
会した時には旧受講生は礼儀正しく接
当社にとって最重要パートナーである
の上、実施に踏み込んだ。研修開始当
し、自身が作成した技術レポートを提
だけでなく、最高経営責任者(CEO)
(4)UAE 大学地質系学生の日本研修
はアブダビの石油最高評議会の事務局
長を兼任していることから、石油公団
(当時)のご支援をいただき、積極的に
運営に関与していくことになった。大
学 運 営 参 画 に 加 え、2 0 0 6 年 に は
ADNOC の強い要請により、更なる支
援を企画し、短期講義、日本の各界の
方による学生向け講演会、技術移転を
念頭に置いた講座を実施した。さらに
大学への講師派遣、共同研究実現に向
け検討している。
(6)ア ブダビ日本人学校 ・ 幼稚園への
UAE 国民子弟受け入れ
2 0 0 4 年、アブダビ首長国モハメッ
出所:JODCO
ド皇太子は、将来の国の発展のために
UAE大学地質系学生・PI学生
写4 合同の日本研修
は優秀な人材を育成しなければならな
いとの方針の下、幼児期からの国際教
2009.5 Vol.43 No.3 82
アブダビとの永続的関係をめざして
育による徳育、知育に着目し、同年
さらに、2 0 0 7 年には中東諸国を歴
る国際入札が実施された。本来なら
1 2 月に、フランス、ドイツ、中国お
訪した安倍首相(当時)がアブダビ日本
各国の石油ガス開発会社に入札案内
よび日本に対し、
各々の大使館を通じ、
人学校での UAE 国民子弟教育の現場
を出し、Pre-Qualification を経て入札
UAE 国民子弟を在アブダビのそれぞ
を視察された。2 0 0 9 年 4 月には、幼
資格の付与を行うのであろうが、こ
れの学校で教育してもらいたい旨要
稚園教育を終える園児 2 名が日本人小
の入札ではそのようなプロセスはな
請。これを受け、在 UAE 日本大使館
学校に入学することになる。
く、アブダビ政府が候補会社を複数
とアブダビ日本人会関係者間の協議を
指名してきた。指名を受けた開発会
経て、2 0 0 5 年 1 0 月に皇太子に対し、 (7)
文化交流
社はこれまでアブダビで石油開発に
アブダビ日本人学校付属幼稚園年少
アブダビ環境庁との関係構築が進む
貢 献 し て き た メ ジ ャ ー ズ に 加 え、
組に毎年 2 名の幼児を 2 0 0 6 年 9 月よ
につれ、日本との文化交流の提案が
1 9 9 0 年以降アブダビに急接近を図っ
り受け入れることを正式回答した。
あった。アラブの世界には鷹狩り文化
てきた米国 2 社も含まれていた。日本
アブダビ日本人学校を運営する日
があり、日本とも共通していることか
勢では当社のみに案内があった。産
本人学校運営理事会では、UAE 国民
ら、アブダビ環境庁より日本での鷹狩
油国アブダビは現地で事業を展開す
子弟受け入れに伴う新しい組織 ・ 態勢
りを視察したいとの申し出があった。
る外国企業に多種多様の支援を求め
づくりと資金調達等事業のすべてに
当社は即座に対応し、日本鷹狩りの本
てきたが、これは彼らの「友人」、す
わたって単独で対応することは困難
流とも言える「諏訪流」の鷹匠に案内を
なわち永続的パートナーを選定する
なため、アブダビ進出民間企業を中
していただいた。日本の伝統的鷹狩り
ためのプロセスであったかもしれな
心に恒常的に UAE 国民子弟受け入れ
に感銘を受けたアブダビ環境庁関係者
い。結果的に当社は落札には至らな
事業を支援する組織を設立しようと
はアブダビでの展示会「アブダビ国際
かったが、アブダビでの新規事業へ
の声が高まり、アブダビで事業を推
狩猟乗馬展」に日本の鷹狩り文化を出
の「入場資格整理券」が与えられたこ
進している石油開発会社、商社等 1 0
展するよう提案してきた。これを受け、
とは真のパートナーの一員となりつ
社が発起人となり、特定非営利活動
当社は 2 0 0 4 年以降継続してブースを
つあることの証しととらえたい。
法人(NPO 法人)「日本 UAE 青少年児
設営し、鷹匠による鷹狩り文化の紹介
童育成交流協力会」が 2 0 0 7 年に東京
をしている。今日では、鷹狩りにとど
都より認可を受け設立された。
まらず茶道、日本刀紹介にまで及び、
2 0 0 6 年 9 月からの入園を目標に皇
日本文化の浸透に努めている。
太子府への受け入れスケジュール ・ 受
け入れ条件の説明、入園希望者の面接
たか
たかじょう
これまでの成果
今後の課題
当社の石油開発、社会貢献事業に関
する取り組みについては現地でそれな
りの評価を受けていると思ってはい
る。しかし、アブダビが望んでいるの
等の準備を進め、無事 2 名の UAE 国
民子弟の入園が実現した。
当社はメジャーズに比較すれば規
は石油 ・ ガス部門に大きく依存してい
2 0 0 8 年末までに、NPO 法人から幼
模がはるかに小さく、開発技術一般
る経済・産業構造を速やかに多角化し、
児教育専門家 3 名を派遣し、現地雇用
においてもメジャーズには一日も二
油価の騰落に左右されることの少ない
の補助教員 4 名の協力を得て、UAE
日も長がある。産油国はその点知っ
強 靭な経済基盤をつくることである。
国民子弟 4 名を含む 2 5 名の園児の教
てはいるが、決してそれを口には出
人材の育成、教育に力を入れているの
育にあたっている。受け入れ初年に入
さない。われわれにとっては言い訳
もこの目的を達成するためという側面
園した国民子弟も次第に幼稚園に慣
が利かないのである。3 6 年間に及ぶ
が大きい。この目的を達成するために、
れ、個人差はあるが、最近では先生の
当社の企業努力が産油国アブダビに
アブダビは同国に先端技術を移転、研
口頭での指示を理解する、全員に交
どのようにとらえられているか、ま
究開発 ・ 生産拠点を設立、リスクを共
じって日本語の歌を歌うといったレベ
だ結論は出ていないであろう。しか
有する海外のパートナーを求めてい
ルまでに達している。この生活習慣の
し、現地油田に関する長年の知見の
る。当社としても優れた技術を有する
習得は、“日本の教育から規律を学ん
蓄積に基づく技術力が評価され、ア
わが国の企業とアブダビとのパート
でいる”と皇太子はじめ関係者から高
ブダビとの関係が深化したとの確か
ナーシップ形成のお手伝いをし、両国
い評価を得、また、現地テレビでも報
な手応えを感じる。
間の架け橋の一つになることが今後の
道された。
2 0 0 6 年に陸上ガス田開発にかかわ
課題であると考えている。
83 石油・天然ガスレビュー
きょうじん
エッセー
また、ドバイに比してわが国での知
ご理解をいただくに至っている。今
アラブ人は義理人情を理解すると
名度が低いアブダビを、できるだけ多
後の石油権益賦与は陸上ガス田開発
い う 点 で は 日 本 人 と 共 通 し て い る。
くの機関 ・ 企業に知っていただくこと
国際入札のように指名入札制になるも
「友人」に対するもてなし振りは尋常
にも可能な限り努めていきたい。創業
の と 予 想 さ れ る。 当 社 は 石 油 公 団、
ではない半面、警戒心も強く、なか
以来アブダビに在勤した当社社員、帯
JOGMEC 等の関係諸機関のご支援を
なかドアを開かない一面もある。欧
同した家族は延べ数百人に及ぶと思わ
得ながら情熱を持って取り組んできた
米流のビジネスモデル感覚では成果
れるが、ほぼ全員アブダビの人、文化、
が、民間企業としての限界も感じるこ
は得られない。石油の権益を獲得す
自然に好感をもって帰国している。ア
とがあった。それを補うのが政府によ
るためにも、現地で事業を成功させ
ブダビの魅力を広く知ってほしいと願
る資源外交であろう、と思う。なお、
るためにもアブダビの「友人」になる
うのは筆者ばかりではあるまい。
1 9 9 5 年に日本の皇太子殿下 ・ 同妃殿
ことが必須となる。アブダビは Win-
下両殿下が中東を歴訪され、アブダビ
Win の関係、すなわち共存する関係構
もご訪問されたが、その際のアブダビ
築の考えを抱いている。これからも
市民の熱狂振りは尋常ではなかった。
当社は石油権益保有者としての技術
これまで当社が取り組んできた石油
両殿下は、それほどまでに大歓迎され、
支援 ・ 技術提案およびアブダビで事業
開発会社の産油国でのあり方、産油国
日本の存在感を示すことに貢献された
展開する会社としての社会的責任を
との関係深化について述べてきたが、
が、日本の皇室とアブダビの王族が今
果たしながら企業努力を継続してい
石油公団、JOGMEC、財団法人石油
後とも引き続き親しく交流されること
きたいと思う。社内個々人がそれぞ
開発情報センター(ICEP)等の支援な
を切に望むものである。既述のよう
れの役割を認識し、実行することで
しにはここまではできなかったであろ
に、2 0 0 7 年には安倍首相(当時)がア
重 層 的 に 関 係 深 化 が 可 能 に な ろ う。
う。改めて謝辞を述べたい。
ブダビを訪問され、その年の 1 2 月に
日本政府、関係各機関のお力添えを
これらの活動は、
当社のプレゼンス、
はアブダビの皇太子が訪日され、いわ
得て、アブダビの「真の友人」として
人脈構築に大いに貢献し、ADNOC の
ゆる「UAE Year」とも言える年になっ
石油開発に邁 進し、石油の安定供給
みならずアブダビ政府要人の方々にも
た。大事なことは継続である。
に努めていきたい。
おわりに
まいしん
<注・解説>
*:ニイガタ首長国連邦とは、地域興しの一環として、1 9 8 4 年に新潟県朝日村、黒川村等、6 町村により「建国」された。
在日アラブ首長国連邦
(UAE)
大使館との交流をきっかけに、文化交流を目的として 2 度使節団を UAE に派遣。ザイー
ド UAE 大統領(当時)より親書を拝領。2 0 0 5 年、市町村合併によりニイガタ首長国連邦という名称は消滅したが、当
社と関係旧町村との交流は継続している。
執筆者紹介
川口 健一(かわぐち けんいち)
1978年、秋田大学鉱山学部鉱山地質学科卒業。
海外石油開発(株)入社。ジャパン石油開発(株)出向。その後、ウムアダルク開発会社(UDECO)・ザクム開発
会社(ZADCO)出向、ジャパン石油開発(株)本社・アブダビ支店勤務を経て、2004年より同社事業部長、2006年
より同社取締役(現職)、2008年10月より国際石油開発帝石(株)アブダビ事業本部本部長補佐(現職)。
2009.5 Vol.43 No.3 84
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