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Bulletin 6月号PDFファイル
平成3年4月16日第三種郵便物認可 平成21年2月15日発行(隔月15日発行)第24巻 第2号 通巻216号
Bulletin 216
2009 年 6 月号
COLONNADE
2Ð8
特集:保存問題神奈川大会 2009
●
●
●
はじめに
基調講演
パネルディスカッション
倉澤 智
北沢 猛 氏
2
3
4Ð5
北山 恒 氏 ― 4/今村有策 氏 ― 4/富澤喜美枝 氏 ― 4
鈴木 正 氏 ― 5/北沢猛 氏 ― 5
●
大会総括
6
室伏 次郎 ― 6/高橋 晶子 ― 6/森岡 茂夫 ― 6/中山和俊 ― 6/櫻田修三 ― 7
●
7Ð8
大会を終えて
北山 恒 氏 ― 7/今村有策 氏 ― 7/富澤喜美枝氏 ― 7/伊東 智 ― 7
藤本 幸充 ― 7/松嶋 晢奘 ― 7/相原 孝 ― 7/大川 謙一 ― 7/河辺近 ― 7
松永 基 ― 8/小澤勝美 ― 8/中村 高淑 ― 8/北村 芳郎 ― 8/星 淳一 ― 8
●
おわりに
倉澤 智
8
高橋 隆博
9
FORUM
抱負を語る:ターニングポイント
アトリエ秀しゅう
抱負を語る:職能を謙虚に
プロ・ジェクト、長谷山純 一級建築士事務所 長谷山
純
9
藤江和子さんに「建築家とのコラボレーション」について聞く
Bulletin 編集委員 10
槇文彦氏の建築を巡る旅
藤田直樹建築設計事務所 藤田
直樹 12
リポートJIAトーク2008
山岡嘉彌デザイン事務所 山岡
嘉彌 13
住宅生産研究所 中田
正二 14
NPO横浜マンション管理組合ネットワーク 阿部
一尋 15
ITの進歩は建築生産をどう変えるか
建築相談の最近の状況
第18 回保存問題神奈川大会2009を振り返って
よくばり?な活動
垣根のないデザインを再考する
三菱地所設計 須藤 啓
16
アーキズムあすか設計 小林
光義 17
連健夫建築研究室 連
健夫 18
BACKYARD
支部ダイジェスト ― 3月/4月
19
お詫びと訂正
19
旅してきました:Santa Maria de Poblet
関口治建築設計事務所 関口
編集後記
社団法人 日本建築家協会
The Japan Institute of Architects
治 20
20
関東甲信越支部
東京都渋谷区神宮前2-3-18 JIA館[〒150-0001]
Tel: 03-3408-8291
Fax: 03-3408-8294
http://www.jia-kanto.org/members
第三種郵便物認可 Bulletin 2009年6月15日発行
特集
保存問題神奈川大会 2009
はじめに
実行委員長・企画部会長 倉澤智
この特集は、2009年 2 月 28 日と3月1日に開催された第 18 回保存問題神奈川大会 2009(以下大会と省略)二日目の基調
講演とパネルディスカッション前半部の要旨を報告し、参加いただいたパネリストの方々および大会を準備した実行委員会
委員の感想を伝えることを目的としたものです。
大会二日目(3月1日)の午後から浦賀ドック機関工場内に用意された仮設会場において、極寒の中、基調講演とパネルディスカッションが
開催されました。会場は、実行委員会で用意した8台の石油ストーブと使い捨て懐炉ではとても凌ぐことができる寒さではなく、パネリスト
の方々をはじめ、大会参加者の方々には大変寒い思いをさせてしまったこと、この場をお借りしてお詫び申し上げます。しかし、そうした状
況を吹き飛ばすように、パネリストの方々のディスカッションは熱を帯び、内容は多岐に渡りながらも、ある収束を迎えることができたよう
に思います。その内容につきましては、後述にあるパネリストの発言の要旨を参照いただきたいと思います。
基調講演は「近代化遺産を市民にひらく」というテーマで北沢猛氏に50 分ほど御講演いただいた後、休憩をはさみ、パネルディスカッショ
ンへ移行していきました。パネルディスカッションの前半部では、北山恒氏、今村有策氏、富澤喜美枝氏、鈴木正氏、北沢猛氏の順に10 分程
度単独でお話し頂きました。基調講演およびパネルディスカッションの内容は、建築における保存・活用の方向性について、また、都市、建
築を考えていく上においても示唆に富む提言を数多く含んでおり、JIAメンバーの活動のヒントになるものと確信しております。
〈(有)倉澤智建築事務所〉
3月1日シンポジウム会場となった浦賀ドック。当日は冷たい雨が降るなかで、見学会が行なわれた。
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Bulletin 2009 年 6 月号
第三種郵便物認可 Bulletin 2009年6月15日発行
特集:保存問題神奈川大会 2009
成保存、文化の活力、文化の多様性を評価していくことです。あな
たは幸せですか、という質問に対して、ブータンでは 97 パーセン
基調講演
「近代化遺産を市民にひらく」
トの人が幸せだと答えますが、日本では標準的には 10 パーセント
程度です。自分の生き方、地域の生き方、日本の生き方をもう一度、
そういうところから考えていかないといけないと思います。
■北沢猛氏
最近地方都市の調査をよくやっているのですが、地方に行きます
近代化遺産(近代化産業遺産) は、近代を支えた産業であり、そ
と基本的な産業は農商工で、工といっても非常に規模の小さいもの
れを支えた施設は、日常生活の中にある歴史的遺産と違い、我々の
が多いのですが、農商工の連携がありません。現在、福島県田村市
知らないことが多く、また我々の知らない間に壊されてしまうこと
の調査(人口4万人) を地元の人と一緒にやっていますが、空き店
が多いと思います。近代化遺産は現在の大量生産型の工場(フォー
舗を借りてまちづくりを考えるセンターを開設し、ここで地元の人
ディズム) と違い、つくってきたものは近代的ですが、手が加わっ
たちと一緒にどういうことが可能か、どういうことをやってみるべ
たものであり、近代化の過程で伝統的なものから大量生産に移る過
きかということをディスカッションしています。現場で考え、現場
程のものなので、我々の生活にも使えるものなのです。
で生み出していくこと、現場で解決策をつくり出していくことが重
近代化遺産を拡張して考えると近代の都市計画、給排水、電気エ
要であると最近考えています。こうしたことは、いろいろな国で行
ネルギー処理システムも含まれます。また、遺産を支える制度とし
なわれています。
[プロジェクターでハンブルクの事例を紹介しな
て登録文化財制度があり、現在全国で近代化遺産の登録は 5900 程
がら]現在港町というのは産業の大きな転換点にあって、1980 年
度ありますが、これが何十万にならないと身近なものが保存される
代、港の再生がブームなりました。この頃は商業的な開発、新しい
ことにならないと思います。経済産業省は近代化産業遺産、昨年観
開発の種地として目がいったのですが、現在 2000 年に入り、港湾
光庁ができ産業観光が始まり、景観法の整備により景観重要建造物
の再整備は第2期のブームを迎えています。そして、第1期とは全
が定められましたが、全国でまだ 59 件しかないのが現状です。
く違うムーブメントとなりつつあります。
[舞鶴の事例を紹介しな
1999 年から4年かけて横須賀を調査し、報告書をまとめました。
がら]舞鶴は鎮守府が置かれていたところですが、軍の施設として
近代化遺産はひとつの建物、構築物が重要であるというよりも、一
煉瓦倉庫がたくさん残っています。それを活用して活動のスペース
連のものがつながってひとつの施設となっています。その点が、住
にしようとしています。キーワードは子供、地域の文化、近代の歩
宅などとは異なるものです。また、近代化遺産は多元的なもので、
み、食の文化をベースにやろうということです。古いものの活用の
たとえば動産から不動産まで、大きなスケールのものからバルブ一
仕方、文化、芸術、創造性、創造力、あるいは市民の力に対して、
個までを含むものです。近代化遺産が伝統的な歴史的遺産と異なる
古い建物は我々を刺激し、新しい力を引き出してくれます。
のは、工業的なプロセスの中にあるためデザインという概念が現れ
[横浜の創造都市構想の事例を紹介しながら]現在、臨海部の古
ていて、近代の中で合理的な価値を追求していることです。また、
い施設の活用を進めていますが、これらを横浜だけでやるのではな
近代の都市、産業に支えられた都市、そこで働いていた記憶、都市
く、横須賀、横浜、川崎、東京とそれぞれ特色があり、東京湾は近
住民の原風景として産業、港湾の場面があります。こういうことが
代化遺産の宝庫だと思いますので、これをうまくつなげてアピール
地域のプライドになり、共有の財産となっていくと思います。近代
していけば、世界でも類をみないものとなるのではないかと思いま
化遺産は生産ライン、移送、供給処理というシステムであり、ひと
す。
つのものとして見ていってもよくわからないし意味がないと言えま
[アジアの事例を紹介しながら]これは台北で昔お酒の工場であ
す。連携をみなければ近代化遺産は理解できないですし、つながっ
ったところです。規模も浦賀の機関工場と同じですが、ダンスの練
たものを残していくとひとつの風景となります。浦賀でいえばドッ
習場として使っていました。トップライトに見えるのは、孔があい
クがあって、機関工場があることが重要で、ドックだけではどのよ
ているだけです。この施設が若いアーティストを育てることになり、
うに船をつくっていたのかわかりません。こうした遺産は明治の中
今は立派な練習場もつくられたりしていますが、出発点はラフな使
期になると日本人の技術者が活躍し、そこに日本的なものが入って
い方から始まっています。
[北京の事例を紹介しながら]北京の中
いるので、日本の文化の連続性があると言えます。
心部と空港の間にある昔の工場地帯です。一辺が4キロくらいのま
保存という動きは現在ある地位を確保できていますが、今後はそ
とまった工場です。これをアートスペースに変えていくとうことで、
の活用、古いものを使っていく思想や環境、持続可能な社会、古い
ギャラリーがあったり、アトリエがあったり、本屋さんがあったり、
ものを使っていく知恵をもたなくてはいけませんし、現在の日本自
小さなベンチャー企業のオフィスになっていたり、デザイン事務所
体の組み立てをし直さなくてはいけない時代に差し掛かっていると
があったりしています。最初は非合法から始まったのですが、海外
思います。もともとある仕組み、もともとあるストックをどのよう
で評価され、現在では政府も認め、支援しています。先日、香港現
に使いこなしていくかが重要な出発点になります。ものをどう使う
代文化研究所の代表でダニー・ユン(建築家、パフォーマー) さん
かというときの価値観から問い直すこと、ものを使って一儲けしよ
と話をしたのですが、横浜、横須賀から東シナ海、シンガポールに
うという発想ではうまくいかないと思います。それではどの辺から
かけての海域のところに文化的な活動を活発にしようという都市が
問い直していけばよいのかということですが、その事例として、ブ
集中しているということで、東京湾全体の連携、東アジア地域の都
ータンの国は、国民総生産ではなく、国の目標として国民総幸福度
市の歴史的なものを活用していく新しい文化づくりに連携していけ
をいかに向上させていくのかを目標にしています。日本は経済成長
ばおもしろいですし、その出発点としてこの浦賀、横須賀がある役
を第1の目標にしていていますが、ブータンはこの目標は第2番目
としています。ブータンの一番大きな目標は人間の育成、文化の育
割を果たしてくれることを期待したいと思います。
〈東京大学大学院教授/柏の葉アーバンデザインセンター センター長〉
Bulletin 2009 年 6 月号
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第三種郵便物認可 Bulletin 2009年6月15日発行
なのかという考えを日本に構築していかなくてはならないと思いま
パネルディスカッション
「浦賀ドック保存活用を考える」
す。いまだに公共イコール官という概念がくずれていません。市民
の力、官の力、企業の力を合わせみんなで支えていく公共とういも
のを 21 世紀につくっていかなくてはならないと思います。東京都
参与として都立の文化政策に意見を言わせてもらっていますが、公
■ 北山恒 氏
共の施設は東京都立……という風に名前がついています。しかし早
オーストラリアのシドニー湾にコッカトゥーア
く市民社会を成熟させることによって、官が運営する「東京都立美
イランドという、今は何も使っていない元造船場
術館」を市民が運営する「東京美術館」というかたちにしていかな
でドックの残された島があります。船着き場にイ
くてはならないと思っています。トーキョーワンダーサイト(以下
ンフォメーションがあり、レシーバーと地図をもらい、ルートにし
TWS と省略)を計画しようと考えたとき、東京のアートシーンの中
たがって自由に行くと色々な説明がされます。この近代産業遺産の
には大きな意味で大学以外に美術館と画廊、貸し画廊という構造し
面白さというのは、だれでも自由に触れられるし、特に危険である
かありませんでした。なかなか若いアーティストたちが活躍する場
ことはなく、ダメという所が何もなくてどこでも自在に入っていっ
がなく、それを我々は胴体がないのだと、頭と足はあるのだが本当
て歩き回れます。今日、関東学院の学生が向こうまで抜けるデッキ
に重要なボディがないのだと。 TWS は、ひとつの実験場であり、
ウォークを作ってくれていますが、同じような感じで、通り道が整
パイロットプログラムとしてひとつの点をつくろうとしました。す
備されているだけで、空間が人を誘ってガイドしてくれる。特にガ
でに東京都には建築の世界では評判の良くない巨大文化施設がいく
イドがいるわけではないのですが、空間が場所を探して人が自由に
つもありました。それらのカウンタープロポーザルとして、文化施
歩けるようにしてあるというような、余計なことはしてなくて、だ
設を新築でつくるのはやめ、小さな既存の建築を改修して、小さな
けど適切な空間のインフォメーションがされている場所でした。
点から始めようと試みました。それはハコが先ではなくコンテンツ
学生時代に大学院の課題で横浜の三菱重工の造船所(現在のみなと
が先なのだということも表わしていました。もし活動が拡大したら
みらい)を課題に与えられました。そこに低層の商業混在のハウジ
小さな点をひとつずつ増やしてゆこうと考え、現在三つの活動拠点
ングという計画の提案をしたのですけれども、それはドックを見た
があります。
とき学生ながら感動して、ドックは当然のように残そうと、何の疑
現在、東京都はオリンピック招致をしていまして、オリンピック
問ももたずに3本のドックと上屋を残して計画しました。それが、
の中には文化プログラムというものがあります。ギリシアもアテネ
実際に工事が始まると全部埋め立てられて、全部壊されてクリアラ
オリンピックを機会にアーツカウンシルと言われている制度がつく
ンスされてしまった。その様子をみて、学生だったときに自分が思
られました。いま東京都が考えているのは、東京がいかにすばらし
った感受性と、社会の感受性、社会のルールは大きく違うのだと、
いか、現代的か、伝統的かということを誇るだけではなく、首都で
その時思いました。その後、ドックの1本は掘り出され復元してド
ある東京、市民の活動の場である東京の芸術文化の基盤整備をより
ックヤードガーデンとして保存されています。
整備し、これからの世界の都市の文化基盤のモデルをつくってゆこ
先程、今村さんと話しているときに東京の国立新美術館の話がで
うとしています。TWS の経験をもとに、もっと市民の芸術文化活
ましたが、国立新美術館は旧東大生産技術研究所の敷地です。その
動の小さな拠点をたくさん、千ぐらいつくれないかということで、
旧東大生産技術研究所は、戦前は近衛師団が使っていた歴史的な建
文化プログラムの中に「千の見世」
、「千の結び」というコンセプト
築物で、楕円状の建物の真ん中にテニスコートがあって天高が高く
で IOC に提出しています。それは日本語の「千」という言葉のなか
印象的な建物でした。その建物を全部壊して新しい国立新美術館が
に千両役者や値千金などのようにたくさん、豊富だというイメージ
出来ています。今朝、NHK の「新日曜美術館」でパリにあるオルセ
があるので、千という漢字を使っているのですが、そのような小さ
ー美術館の紹介をしていましたが、これは昔の駅舎が素晴らしい美
な芸術文化の拠点づくりはコミュニティーの再生であり、それが社
術館に変換されたものです。国立新美術館はこのオルセー美術館の
会とアートを結び、人々と社会を結び、あるいは都市と農村を結び、
ように、歴史ある旧東大生産研究所を改修するだけで良かったのだ
かつアジアと東京を結び、世界と東京を結ぶような結び目をいっぱ
と思います。あのような歴史的な建築を目の前に見ていても、それ
いつくろうではないかと。結び目をつくることによって日本語で綾
をぶち壊してしまうメカニズムがこの国にはあります。
模様というすばらしい言葉がありますが、綾模様を描き出せないか
コッカトゥーアイランドを見ていて思ったことは、私達のもって
ということを考えています。
いる社会のメカニズムっていうものは、開発オブセッション、空い
〈東京都参与・トーキョーワンダーサイト館長〉
ているものは何かに使わなくてはならない社会なのでしょう。かた
や、空いているものは残地として置いていく、そして使い方は未来
の使う創造力に委ねていくというやり方があると思いました。
〈(有) architecture WORKSHOP/横浜国立大学大学院 Y-GSA教授〉
■ 富澤 喜美枝氏
横須賀建築探偵団の富澤と申します。まず私
達がやっております横須賀建築探偵団という集
まりですが、15 年くらい前から横須賀市内を中
■ 今村 有策 氏
心といたしまして戦前までに建てられました建物を見て歩きながら
近代化遺産というようなものを保存するのか開
そのお宅におじゃましまして、建物ができた由来とか最初に建てた
発するのかということを考えるときに、一番大事
建築主さんはどういうお考えだったのか、どういうご商売であった
なことはまずは「公共」そして「公共財」とは何
のか、といったことを記録し活動をしてまいりました。そういうも
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Bulletin 2009 年 6 月号
第三種郵便物認可 Bulletin 2009年6月15日発行
特集:保存問題神奈川大会 2009
のを見て、聞いて、まとめて皆さんとお話していく中で、横須賀と
海軍というものがいかに強い結びつき、また海軍によってこの街が
■ 鈴木正氏
浦賀のまちづくりですが、平成3年3月に市
成り立ってきたといことがよくわかってまいります。浦賀ドックは
民の方々と学識者の方々と浦賀文化村構想を策定
煉瓦ドックとして貴重なものですけれども、先程北沢先生の方から
して、順次進めております。川間ドック周辺が最
今ベースの中にあります一号ドックですけれども、これは明治5年
初に勢いよくリゾート開発を始めました。ここも住友重機械工業
から現在も稼動しているわけで、遺産という名前はつけられないの
(以下住重と省略)の造船所の跡地で、マリーナとセットしたリゾー
だなと思いました。浦賀ドックも産業遺産という「遺産」がついて
ト型の開発ということで進めてきたのですが、住重さんの合同経営
しまったという一寸ショックは受けたのですけれど、浦賀ドックは
会社が途中で断念いたしまして、現在ユニマットがここでリゾート
ドックだけそこにあってみんなが見ればいいとか、子供が見ればい
開発を進めるかたちになりました。それから今われわれがいるとこ
いとか、船の歴史がわかればいいとか、一生に一回来る人のために
ろ(機関工場内部)、ここが住重の本拠で、最も重要なところですが、
あってはダメですね。そのドックの中で何をするとか点だけで考え
ここについては横須賀市としては住重に対して早く土地利用転換を
てはダメで、さっき今村さんがおっしゃったように、いっぱい結び
し、市と街と一緒にまちづくりをしようとしているのですが、いま
目をつくって編み目のようにネット化するというのはどういう場面
のところ住重さんの考え方が凍結されているという実体がございま
でも大切なことだと思っております。面をとらえて、また仕事もと
す。現在、住重さんとしては横須賀の夏島というところに造船所の
らえて、住んでいる人にもプラスになる、来てくれる人にもプラス
拠点を移してしまったので、平成 15 年の3月にこの造船所が閉鎖
になるエコミュージアム的な発想でまちづくりを進めていかなけれ
され、この歴史が105 年で終わっているかたちになっております。
ば、ただひとつ何があるというのだけではダメだと思います。では
このような流れを受けて、浦賀港周辺地区再整備計画および事業化
それをどういうふうにしたらよいのか、やはり住民というのが一番
プランというものをつくりまして、街の方々と一生懸命やってきて
大事なキーワードを持っていると思います。市民というのもあるの
おります。この内容は、歴史、文化、自然、港の街浦賀の再生とい
ですが、市民というと横須賀は広いですから、やはり住んでいる方
うことをテーマといたしまして、地域の活性化、交流人口の増加、
が自分の街をどうしたいか、それを行政にどういうふうに働きかけ
横須賀の新しい魅力づくりを目的にしております。この浦賀地区の
てそこから力を引き出していけるか、ここのところが大事だと思っ
エリア的な考え方ですが、四つの地区に分けております。まずエリ
ております。昨日お立ち寄りいただいたかもしれませんが、横須賀
ア1ですが、現在我々がいるところですが、これは遺産などをミュ
上町教会という小さな木造の教会で昭和6年に建てられたものがあ
ージアムパークとして市民の方々と共同で活用する方向で残してい
りまして、それが登録文化財になっております。そういったものを
くというかたちになっております。それからエリア2ですが、住重
ひとつひとつ活用しながらまちづくり、横須賀の魅力づくり、また
本体の部分ですが、ここには商業ゾーンとか公共ゾーンとか横須
地域のプライドづくりに役立てて、横須賀市民として誇りの持てる
賀・浦賀の起爆剤になるものを持ってきたいと思っております。エ
街になっていってほしいと思っております。
リア3ですが、これは現在ある環境と住居環境の整備というかたち
〈横須賀建築探偵団代表〉
になってくると思います。それから大切なのはエリア4。この目の
前にある水域ですね、なるべく残していって、浦賀の良さを継続さ
せていきたいと考えております。これらを進めるための戦略ですけ
れども、浦賀の渡しを利用して浦賀港を回遊するような水辺プロム
ナードを先導的につくり、それから市民の方々と実験的にミュージ
アムパークの実効性を高めていく、そういうかたちでやってきてお
ります。エリア2、エリア3につきましては、今後住重もしくは他
の事業者も入るかもしれませんが、計画的に永い時間をかけてまち
づくりを整備していきたいと思っております。 〈横須賀市都市部長〉
■ 北沢猛氏
これからの都市が必要なものというのは、自ら
の文化を外から持ってくるのではなく、自らつく
りだすという機能が都市に必要です。都市は産業
の場であり、人が集まってくるファクターとして文化がないといけ
ません。産業と文化という両方ないと都市は魅力がないわけです。
シンポジウム(基調講演・パネ
ルディスカッション)は極寒の
浦賀ドック機関工場内で開かれ
た。
会場レイアウトは、地元・関
東学院大学建築科学生有志によ
るもの。
今までの大きな産業なり、大きな美術館をつくろうという発想では
なく、自由に皆さんが発想して自由な行動がとれる、そういうスポ
ットをたくさんつくるというのは、これから取り組まなくてはなら
ないことだと思います。そういう風に考えると、この浦賀というの
は可能性があると思います。伝統的な街並みもありますし、いろん
なスペースがたくさんある。東京に絶対勝てることがあるのは浦賀
には水辺があるということ。文化的中心になっているところには水
Bulletin 2009 年 6 月号
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第三種郵便物認可 Bulletin 2009年6月15日発行
辺があります。水辺があるということは必需品であると思っていて、
ードウエアーの考え方も変えていく、運営の仕組みとかソフトも変
東京に比べ横須賀、横浜とかは優位性があります。この水辺をうま
えていけばよい。新しいものをつくりだしていくというのは時間が
く使ったスポットとして再生していければと思います。また、中国
かかるので、ローコストでやって5年、10 年くらいのスパンで見
の例で大きな工場地帯を活用している例があるのですが、この中に
てあげられるような活用の仕方というのは、実はこの先に大きな財
建物を建てるのです。そこの中だけはきちっと生活ができたり、そ
産を残すことになるのではないでしょうか。我々が引き継ぐ遺産と
こで制作ができたりというもう一つシェルターをつくることで快適
いう言葉で表すとマイナスのイメージがあるかもしれませんが、僕
に使えます。そこにかけているコストというのはものすごく小さい。
は将来の市民に対して引き渡すという意味でいい財産、資源だとい
全体を直すのに 100 必要だとすれば、そのうちの2か3くらいでそ
つも考えています。
のスペースを使えるようにしてしまう。その辺の考え方も今日集ま
〈東京大学大学院教授/柏の葉アーバンデザインセンター センター長〉
っている大半の方がプロフェッショナルな方ですから、そういうハ
神奈川大会の特徴は、シンポジウムを既存の施設を使わずに、浦賀
ドックの中の今は使われていない工場で開催したことです。シンポ
大会総括
ジウムの前日は、傘もさせないような強い雨が降る寒い日でしたが、
朝から JIA の会員と賛助会員、関東学院大学、神奈川大学の学生が
■ 室伏次郎 ―― JIA 神奈川代表
集まりました。雨漏りで水浸しの工場で午前中は大掃除、午後は会
本大会の準備に際しては地元行政の方、市民の
場の設営ととてもハードでしたが、充実感で満たされた一日でした。
方の絶大なご支援をいただき、また例年を超える
しかし皆で力を合わせて準備したにもかかわらず、シンポジウムの
多くの参加者を得て成功裡に終えることができま
当日は前日までの天気予報が外れてしまい、雨でおまけに扉がない
したことは、神奈川地域会の会員一同感謝とともに大きな達成感を
会場を冷たい風が吹抜ける最悪の状態でした。それでも、参加者か
得ることができました。改めて心から御礼申し上げます。
らお叱りを受けず、関係者一同でホッと胸を撫で下ろしました。会
印象に残る地域からのご発言がありました。
「近代化遺産の保存」という大会主旨の表現に対して、
「当地とし
ては継承している日常の大切な財産と思っている」というものです。
員だけではなく賛助会員と学生が参加した文字通り手づくりの大会
でしたが、これからの JIA の活動のあり方を示すことができた大会
だったと自負しています。
〈アルフィ建築デザイン〉
歴史の巡り合わせで大戦の被害をまぬがれ、150 年の時間を通して
今に至るまで使い続けている人々の、誇りと強い意思を感じさせる
言葉であり、この大会に相応しいコメントとして心に残ります。真
に有り難うございました。
〈(株) スタジオアルテック〉
■ 中山 和俊 ――財務部会長
100 年に一度の不況の中での保存大会。財務担当の裏話は、冷や
汗と不安感の連続でした。まずは宿泊場の確保、昨年の豪華な新潟
大会の会場に負けないようにと考え、横須賀を象徴する某ホテル
■ 高橋晶子
(設計:丹下健三)を確保しようとした矢先に、
「10 月で営業中止で
――企画部会・シンポジウム総合司会
す」との回答。こんなことがあるのかと思いつつ、地元会員の紹介
開港以降、近代化政策の基盤的存在であった
にて今回のホテルを格安でキープすることが出来ました。またメイ
軍事産業関連建造物を、これだけ一気にみる企
ン会場の浦賀ドックの機関工場は、通常使われていない廃墟状態。
画は初めてだった。特に、水野僚子氏の調査研究になる長浦倉庫群
前日に、近傍の関東学院大学建築学科のボランティア 20 名と埃だ
は、戦後民間所有に移りながら現在も現役で稼動しており、建築空
らけになりながら大掃除を行なった努力の結果、当日を迎えること
間の質も(たぶん多くの)予想を超えて素晴らしいものである。
ができました。
2日目の浦賀ドックでのシンポも、いわゆるライブ感にあふれた
全国的には知名度の低い横須賀での開催への不安に反し、蓋を開
ものとなった。パネラーと非常に近い距離で一群となり、タルコフ
けてみると申し込みの状況は好調で、早々に定員に達し、財務担当
スキーの映画の情景に紛れ込んだような、雨がしたたる冷え冷えと
者としての第一段階の不安は解消されました。当日はストーブだけ
した場所の力を身体で感じるひと時だった。
では凌げず、会場の入口近くにあった薬局の使捨カイロを買い占め
これら横須賀浦賀の歴史的資源が、今後もさまざまな場面で多く
の人々に開かれ、記憶に残る風景の一端を担い続けることを祈念し
ている。
〈(有)ワークステーション/武蔵野美術大学教授〉
た厳しい寒さもいい思い出になりました。
本来横須賀は気候の温暖な三浦半島の入口です。今回をきっかけ
に、改めて季節のいい時期に横須賀、浦賀、三浦半島に足を運んで
いただければ幸いかと思います。
〈(株)多摩設計〉
■ 森岡茂夫 ――運営部会長・実行副委員長
神奈川大会における運営部会の役割
神奈川大会における運営部会の役割は以下のようなものでした。
■ 櫻田 修三 ――広報部会長
まず広報としての仕事は、この大会にあわせてホームページのリ
・スケジュールと人員配置表の作成
ニューアルに取り組みました。昨年の7月に完成し、同時に「かも
・関係者と参加者の名簿の作成
めのたより」というブログもスタートし、広報の骨格が出来上がっ
・見学会、シンポジウム、宿泊、懇親会場などとの渉外および設営
てから、大会テーマに合わせた市民向けのポスター作りに取り組み
と運営
6
Bulletin 2009 年 6 月号
ました。幸いにも、賛助会員に印刷会社が参加していましたので、
第三種郵便物認可 Bulletin 2009年6月15日発行
特集:保存問題神奈川大会 2009
魅力あるポスター、そして大会配布の報告書も出来上がったと感謝
は残しましたが、心に残る大会でした。ありがとうございました。
しています。ポスターの誤字や部数、市民向け広報の不足など課題
〈企業組合創和設計〉
■ パネリスト 富澤喜美枝氏
大会を終えて
大変寒い中でのシンポジウムでした。保存と活用について話し合う会場と
してはまったくぴったりな状況だったと思います。悪条件のなかでこそ、本
■ パネリスト 北山恒氏
質を捉えることができるからです。参加者は、かじかんだ体で浦賀ドックの
防寒の用意をするように事前連絡を受けていたのですが、当日は残念なが
保存活用の有り様を考えられたことでしょう。それと、少なくとも近い将来
ら雨、さらに気温も低く、オン・サイトのシンポジウムとしては最悪の状況
まで、企業の所有である浦賀ドックの活用をどうするか議論しているのも夢
でした。京急で浦賀に向かうときは、おそらく参加者も少なく低調な会なの
があり、自由な発想が許されるだけ脳が活性化しました。
だろうと想像しました。浦賀駅から雨の中の産業道路を歩いているときは惨
群馬や新潟、長野など遠方から参加された方々には横須賀がどう印象付け
めな気分でした。ところが、会場に着くと室伏代表始め、この神奈川大会を
られたでしょうか。土地柄やまちの歴史、人々の気質でまちはみな個性が違
企画運営されている建築家の方々に温かく迎えられ、気持ちが安らぎました。
います。地元の遺産を活用したまちづくりが、良いコミュニティ―をかたち
そして会場に入ると、大勢の建築家達が迫力ある産業遺構を前にして嬉しそ
づくり、住みつづけたいまちをつくっていくのだと思います。多くの皆さん
うです。建築家という人種は人間が創意工夫をして立ち上げた構築物をみる
の協力で楽しい会が開催され、そこに参加できたことをとてもうれしく思っ
と何故か興奮してしまうもののようです。会場構成は関東学院の学生が行な
ています。ありがとうございました。
〈横須賀建築探偵団代表〉
ったそうですが、果敢にこの産業遺構に取り組んで見応えあるインスタレー
ションとなっていました。充実した一日でした。この大会に参加できたこと
をありがたく思っております。
■ 伊東智 ―― 企画部会
神奈川の場所性と力強い建築の中での保存大会を開催するにあたり、1年
〈(有) architecture WORKSHOP/横浜国立大学大学院 Y-GSA教授〉
間の準備は、ある意味建築的で建築家の資質が発揮される共同作業となりま
した。大会は記憶に残るものとなり、その一員になれたことは私にとっても、
■ パネリスト 今村有策氏
今後の設計活動において財産となる良い経験でした。
〈ULTRA STUDIO〉
「協働の世紀の建築と都市を考える」―― 21 世紀は市民の時代であり、協
働の時代です。私たちは目の前にある社会の問題を関係者が一緒になって考
え、一緒に解決してゆかなくてはなりません。その根幹にあるのが「公共
(パブリック) とはなにか」そして「係わる (コミットメント)」の在り方です。
建築とは存在のあり方を場や形として表わすものです。協働の世紀における
■ 藤本幸充 ―― 企画部会
保存問題は市民との関係性、抜きには考えられない。建築家以外の参加者
が多いのも大会の特色だ。毎回参加してくれる面々も多く年一回お会いする
のもまた楽しみのひとつ。
〈(株)鎌倉設計工房〉
パブリック・スペース、そして建築の在り方を私たちは少しづつ構築してゆ
かなくてはなりません。今回のシンポジウムはそのプロセスや考え方のきっ
かけを私たちにくれたと思います。浦賀ドックは民間の資産ですが、私たち
■ 松嶋晢奘 ―― 企画部会
第3回栃木拡大委員会で神奈川県立図書館・音楽堂が取り上げられ、それ
社会の記憶であり、資産でもあるのです。その公共財をどのように継承し、
以来参加しています。第7回神奈川拡大委員会「大山から江ノ島へ」でこの
新たな命を吹き込み、次世代への資産となるように開発してゆくかは、まず
前年あたりから組織的に運営されるようになりました。江ノ島の婦人会館を
プロセスのデザインから始めることが重要ではないでしょうか。今回のシン
会場にワークショップを開きました。この時も大雪でしたが、暖房が利いて
ポジウムを契機に様々な市民のかかわりが生まれてくることを期待していま
寒さは感じませんでした。今回の寒さには閉口しましたが、それを上回る熱
す。
意が感じられました。
〈東京都参与・トーキョーワンダーサイト館長〉
〈(有)松嶋晢奘建築研究所〉
■ 相原孝 ―― 運営部会(見学会担当主査)
エクスカーション
運営部会として会場整備、バス、船、ホテルなどの連係がスムーズに運ん
だことに実行委員長はじめ運営関係各位のご協力大変ありがとうございまし
た。初日は天気に恵まれましたが、二日目は極寒の雨の中での見学会やシン
ポジウムでした。しかし最後まで皆様が席を立つことなく時間を共有できた
ことで保存大会を通しとても熱いものを感じました。 〈(有)エーツープラスワン〉
■大川 謙一 ―― 運営部会(ホテル担当主査)
2月28日:軍港めぐり
横須賀で大会を行なうと聞いた時、正直、他県の会員の期待に応えられる
か心配でしたが、あの寒さを除いて(笑)すべて良かった。地元としても再
発見の楽しい大会でした。
パネラーの先生はじめ、皆様に感謝。
〈(株)大川設計〉
■ 河辺近 ―― 運営部会(見学会担当主査)
私の高校が横須賀市内だったこともあり、久しぶりの横須賀&浦賀でした。
いつも通っていた道の一本向こう側に、横を歩いていた塀の向こう側に、あ
2月28日:田浦周辺工場群・倉庫群見学
3月1日:浦賀まち歩き
のような建築、空間が広がっていたのですね、とても驚きでした。保存大会
Bulletin 2009 年 6 月号
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第三種郵便物認可 Bulletin 2009年6月15日発行
特集:保存問題神奈川大会 2009
を通して、多くの方々と出会い、学べたことに感謝しています。
〈ken-ken (有)〉
■ 中村高淑 ―― 広報部会
初の大会参加にして、主催者側として主に広報を担当。当日は多くの参加
■ 松永基 ―― 運営部会(会場設営担当主査)
者を得て、盛況の内に幕を閉じることができ、ホッすると同時にこの大会の
僕は会場設営の主査でした。会場は廃屋の機関工場、予算も少なく、真冬、
重要性を改めて認識しました。次はこの大会報告をWEBに公開予定です。
ここでやるの?と何度も思いました。関東学院建築の学生を始め、スタッフ
〈中村高淑建築設計事務所〉
の努力があり、会場はどうにかできました、当日は雨風がひどく、その中で
の開催は建築と人との真の関わりでした。
〈エムズワークス一級建築士事務所〉
■ 北村芳郎 ―― 広報部会(JIA 神奈川賛助会員)
問われたのは会の出来ではなく参加者の想像力でした。なぜこんな寒い中で
■ 小澤勝美 ―― 財務部会
長時間?先生方は成功を喜び、充実感でいっぱいの模様。建築家は特殊な人
船を造る器である浦賀ドックは、レンガ造では最古のドックで 1000 隻も
物であることが良く理解できた。
〈東京ガス
神奈川都市エネルギー部〉
の船を造ってきたという。素材と高さや奥行きのスケールの大きさと風景が
醸し出す姿が好きだ。近代化遺産、碓氷の鉄道橋、琵琶湖疏水、軍艦島など
など。
〈(株)ユー・アール・ユー総合研究所〉
■ 星淳一 ―― 広報部会(JIA 神奈川賛助会員)
前日の準備段階から多くの賛助会員にお手伝い頂きました。オカムラさん
には、仕事中にもかかわらず建物内を見学させて頂きました。正会員と賛助
会員が一体となり、おもてなしをできたことが最大の成果だと思います。
〈星通商(株)〉
大会企画段階から深く関わ
り、当日は浦賀ドッグの説
明とドッグ見学会のガイド
をしていただいた亀井泰治
氏(横須賀市都市部都市計
画課主査)
「浦賀まちあるき」地元ボランティア
ガイドの皆さん(紹介者は副委員長の
森岡茂夫氏)
3月1日シンポジウム会場では当時の
珍しい造船・海運の道具が展示された
3月1日、会場でふるまわれたランチ「よこすか海軍カレー」
2月28日同日開催された地域サミット
会場構成を考案した
関東学院大学建築学
科の学生
2月28日に開かれた懇親会
おわりに
実行委員長・企画部会長 倉澤智
保存問題大会では、大会終了時に大会を主催した地域会の代表によって宣言を読みあげることが習わしとなっています。この宣言は、2日
間の大会から学んだこと、大会のテーマに沿った保存・活用のあり方、建築、都市のあるべき姿の方向性をまとめたものと言えます。今回の
大会では室伏次郎JIA 神奈川地域会代表(大会開催時)により、以下三つの宣言が発表されました。この宣言をベースとして、今後の建築の
保存・活用について見識を深め、実践へ向かうよう大会参加者の方々と確認し合い、無事大会が締めくくられました。
■ 大会宣言 1. 敬意の表明:
持続可能な社会のあるべき姿の先鞭のように150 年におよぶ近代化遺産と呼ばれる地域資源を使い続けて、
今日にその活きた姿を繋げてこられた、横須賀,浦賀の市民の皆様に深く敬意を表明致します。
2. 伝え、連携すること:
モノづくりより、出来事、コトづくりを通じて様々な連携、風景を創りだす事に参加すべきこと。
3. 実践への努力:
文化、芸術の要素を立ち上げることに向けた市民活動に協力参加してゆくこと。
p. 16保存問題委員会活
動報告もあわせてご覧く
ださい。
(パネルディスカッショ
ン進行役:須藤啓氏によ
る大会レポート)
(写真撮影:櫻田修三、立石博巳、中村高淑)
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Bulletin 2009 年 6 月号
第三種郵便物認可 Bulletin 2009年6月15日発行
温故知新
抱負を語る
ターニングポイント
職能を謙虚に
――さらなる刺激を求めて
長谷山 純
高橋 隆博
■あれは、将来を漠然と考え始めていた高校3年の春、書店で立
■学校を出て最初に設計した建物はもう 30 歳になっている。勤
読みした雑誌で建築家に一目惚れ……。これが私が建築を志すタ
めのときに担当したものを含め全て生き永らえてくれていること
ーニングポイントといえます。(正しくは、その建築家の生活ぶ
がありがたい。
りへの憧れであり、その証拠に、雑誌名も、その建築家が何方か
それでも時々、あの大スパンは大丈夫だろうか、大きな吊物な
も定かでない始末ですが。)その後、大学では例にもれず、事務
んかするんじゃなかった、と心配になることがある。もっと心安
所やゼネコン設計部のバイト巡り、気がつけば大学生活の大半を
らかに思い出せる建築がつくれないものだろうか。
納賀雄嗣氏の事務所で。その影響か? 周囲が所謂「就活」の頃、
突発的に(因みに本人はそう思ってませんが)1年の渡米。(帰
2005 年の構造偽装事件のときは「嘘だろ? そんなことをし
たら夜眠られるわけがない」と友人達と語りあったものだ。
国後も氏の下での活動が在りきで)勿論、建築的な肥しとなりま
ところがその後、出るわ出るわ! 審査に関わる方たちからも
したが、何となく 30 歳での独立を決めたのもその頃です。帰国
決して稀な話ではないことを聞かされた。一般の人々に負の建築
後、一色事務所の生活はバブル時代の幕開けに始まり、デスクの
家像が定着してしまうのは我慢がならない。
足元の寝袋が擦り切れる、濃密?な生活を送ります。奇しくも三
十路でビックバン、翌年の独立となりました。独立後は、全てを
一人でこなすこれまでと違う忙しさの中、非情にも「建築家とし
て何か社会にしてるか?」と、もう一人の自分の声が……。余裕
が見えると、町内会や少年野球の指導(たまたま育った地元で親
となっていたこともあり)をきっかけに、地元行政等の種々の委
員会へ参加してきました。その一方で近年は設計依頼以外の様々
建築が生まれるまでに、一体どれほど多くの人が関わるだろう
か。そして完成してからはもっと多くの人々が関わってゆく。
きちんと設計され、きちんとした工事がなされた建物は長寿で
あることも実感している。
40歳を過ぎてから独立して、あっという間に10年が過ぎた。
建築という行為に関わる人々との間に信頼関係を築けなければ
私たちの職能に価値はないと思った。
な相談も増え、コマーシャリズムおよび偏った情報の氾濫や伝わ
悪意がなくてもミスはする。至らないことはもっと多い。
り方に閉口することもしばしば……。クライアントや仕事上の出
高い志を持つ方々の中に自分を置いて、謙虚に研鑽を積まなけ
会いは同年代や年下も増え、いつしか仕事や作品に「お叱り」も
ればいけないと思った。
聞こえなくなってきた今日この頃、私は JIA にほのかな期待を寄
〈プロ・ジェクト、長谷山純
一級建築士事務所〉
せています。薄らぎがちな初心と新たな刺激をを求めて。(ター
ニングポイントの予感?)
〈(株)アトリエ秀 しゅう〉
→産れながらの老け顔で
変わらぬ魅力をいつまでも
「湘南のアマン・ダリ――Y邸」
→宣伝。20年前の出版だがいい
本ですよ。こんな風になれば、
あんな事件は起きなかった。
↓11年前、シチリアに行った時
の写真。様々な時代の建築が
長寿を全うしている。
←適材適所による
スケルトン・インフィル住宅
「S-BOX」
Bulletin 2009 年 6 月号
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覗いて見ました「他人の流儀」
第三種郵便物認可 Bulletin 2009年6月15日発行
藤江和子さんに
「建築家とのコラボレーション」
について聞く
■建築家とのコラボレーションを通して独特の家具デザインをは
じめ、カテゴリーを超えたオリジナルな世界を構築しながら建築
と人と家具の新しいあり様を提案しつづけている藤江和子氏に、
その独創的なお仕事について伺ってきました。
藤江和子氏インタビュー風景
聞き手:Bulletin編集委員
■建築家とのコラボレーションについて
――建築家とのお仕事はどのように進められるのでしょうか?
依頼はたいてい実施設計が始まった頃にいただくことが多いで
す。建築事業としてある程度見えた段階です。建築家が実施設計
を通して空間を固めていく過程で建築と関わりながら、何か提案
■これまでの歩み
――建築界にはいられたきっかけと、家具デザイナーを目指された
できるところを探す―これが私の仕事だと考えています。
建築家とのコラボレーションにおいてまず行なうことは空間イ
経緯について教えて下さい。
メージの共有化です。図面を読み込んで空間を理解するところか
もともと書・絵など芸術系が好きで、高校時代は絵を描いてい
ら始めます。空間イメージの共有に関しては、様々なコミュニケ
ました。美術短大へ進学するにあたって、ファインアートではな
ーションを要します。「かたち」以外のところに大きな時間とエ
く職業として家具のデザイナーを目指そうと思いました。ちょう
ネルギーを費やすことも多いですね。要するに理解することが大
ど時代は高度経済成長と共に東京オリンピックから万博へと世の
切です。初めての方とのコラボレーションの時には、今までどう
中が非常に〈デザイン〉に向いて動いていた良い時代でした。卒
いう建築を造ってこられた方かなというのは資料の中で見ますが、
業後、宮脇檀建築研究室へ就職しインテリアセクションに配属さ
あまり特別なことはしませんね。建築だってプロジェクトによっ
れ、 B O X シリーズなどのインテリア計画を担当していました。
てみんな変わるわけだから進め方も変わってくる。ですから私共
そこではその他、住宅雑誌記事の編集なども担当していました。
の家具の仕事は、自ら請け負うショップインテリアなどの仕事と
3年間勤めてエンドウプランニングへ移りました。エンドウプラ
はまったく違いますね。立ち位置とか、関わりあうところとか、
ンニングに移籍したのは、エンドウさんのところは設計室の他に
スピードとか。ものによっては3年も4年もかかることもありま
工場をもっていたからです。家具製作の現場、つまりものをつく
す。たぶんリズム感が違いますね。
るリアルな現場が見れると思ったのです。そこでは主に間仕切シ
――建築家にはいろいろなタイプの方がいらっしゃいますが、その
ステム家具の開発に携わりました。
中でどのようにご自分の色を出されていかれるのでしょうか?
――具体的にはどのようなお仕事をされたのですか?
基本的に私はどんな仕事でも受けることにしています。ケース
エンドウプランニングでは子供の家具もやっていて、それに相
バイケースだから何とも言えないけれども、要するに関わるとい
当関わりました。その時に子供の視点で空間を見ること、子供が
うことは、そのことによって一つでも二つでも一歩でも良い意味
使う環境を考えることを経験しました。そういうところでスケー
ル感とか身体感覚などを身につけたと思います。かたちや材質に
よって子供の行動や感情が変わるのです。どうやってアクション
を呼び起こすかとか、どうやったら楽しいか、そういうことをか
なりやっていました。コンペティションなどにも出したりしてい
ました。でも子供にこびるようなことは一切やってなかったです
ね。むしろ、そこに構法をどういれていくのかとか、また、ちょ
っとしたアクションで環境が大きく変わるとか、空間感覚が変わ
るとか、そんなことを模索してやっていました。今思えば、これ
が現在ものを作る上でとても役立っているというか、非常に良い
経験、大きな影響になっていると思います。使う側の視点、体験
する人の視点というのでしょうか。いかに子供になるというか、
いかに使う側の気持ちになるか。それを大人に置き換えていけば
……。いつも上からものを見ていたらそういうデザインはできな
いということを学びました。
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Bulletin 2009 年 6 月号
慶應義塾大学三田図書館/1982
[撮影:白鳥美雄]
第三種郵便物認可 Bulletin 2009年6月15日発行
覗いてみました「他人の流儀」
■このコーナーは「独自のスタイルで活躍中の方にお話を伺い、その
秘訣を探り出そう!」という企画です。話を聞いてみたい、あるいは
に展開していかなければいけないわけで、どういうアプローチを
興味あるテーマなどがありましたら編集委員会までお知らせ下さい。
その建築家がされている方であろうが、何か提案できることがな
いだろうかと常に考えながら関わっています。
るものと考えています。私たちは大きな空間に行った時、例えば
■デザインの手法
初めてロビーなどのすごく大きな空間に行ったとしますよね、そ
――最初にインスピレーションが浮かばれるのでしょうか?
ういう時ってみんな一瞬とまどってしまいがちですが、そういう
かたちというのは最後ですね。もちろん建築計画の内容を理解
時のある種の手がかりとなるもの、そういうものの一部だと思っ
しながらやりますから。見えないところでたくさん時間を費やし
ています。家具もテーブルや椅子だけじゃないわけですから。要
ますね。いつもはじめからこのようなかたち……というのがある
するに、建築と私たちの間に存在するもの。だからインターフェ
のではありません。作業を進めていくうちにかたちやテーマが浮
ースといっているわけです。その両方を調停するものとして存在
かび上がってくるのです。建築との関係、空間の使われ方をイメ
している。つながったり離れたり。スケール感しかり、質感もそ
ージしてかたちを考えていきます。いつも模型でエスキスを繰り
う。そこにあるべきものっていうか、そういうことも含めての話
返すのですが、模型が発想の手段でしょうか。
ですよね。それはスケールとかかたちだとかいう問題を超えてい
――くじらシリーズが生まれた経緯についてお聞かせください。
るものがあると思っています。
実はくじらの第一号ができたときには、その空間の使われ方と
――後進の建築家・デザイナーに伝えたいことは?
して、人の動きが非常に複雑なスペースだったということがあり
誠実によく考えることが大切。目一杯、深くよく考えることで
ました。動線を整理していろいろ考えていると、流線型のかたち
す。「選ぶ、アセンブルする」のではなく、「創造する」というこ
がでてきたのです。空間が非常に整然としていて、そこに少しニ
とが重要なのです。そこにオリジナリティが生まれ、デザイナー
ュアンスの違うものがほしいということで、そうすると不定形な
の存在の意義があるのだと思っています。このことは平素から強
ものがいいなあと。けれどもそれを家具というものとしてつくる
く意識する必要があるのではないでしょうか。
ということは物理的技術的にとても難しい、三次元の曲面で。そ
――最後に、これからの抱負についてお聞かせください。
れで模型を板を集めて作っていったのです。そして生まれたもの
なのです。
新しい建築に出会い続けたいですね。とくに若い人とコラボレ
ーショしたいですね。これまでもずっと自分を開放してきたつも
以前、「椅子の断面」というエッセーを書きましたが、椅子と
りです。これからもそのような自分でいたいと思います。
いうものの本来の姿というのは座るところがあって、もうそれで
いいわけで、それを断面形にして繋げていった、というのがくじ
■「旅が大好き」という藤江氏。その理由は「見たことがないも
らの発想のもとです。要するに、ひとつの単位があってそれを集
のに出会えて、新鮮な体験ができるから……」とのこと。「旅の
めていったわけです。
場所はどこでもいい。わくわくできるところなら特に指定はしな
――家具について「インターフェース」という表現をよくお使いに
い」というお答えからも伺えるように、本当に好奇心旺盛な藤江
なりますが……。
氏。常に新しい自分を発見しながら、自分を更新し続け、仕事に
家具というのは人間が空間に関わる際のある種の手がかりとな
挑むエネルギッシュな姿勢。そのしなやかさとたおやかさこそが、
美しく力強い造形を生み出す原動力なのだと、改めて感じまし
た。
●
〈聞き手:三上紀子・鈴木利美〉
藤江 和子 氏 経歴
株式会社藤江和子アトリエ代表。
富山県生まれ、宮脇檀建築研究室、エンドウプランニングを経て、
1 9 7 7 フジエアトリエ、1 9 8 7 株式会社 藤江和子アトリエ設立。
現在 多摩美術大学客員教授、東京大学、長岡造形大学、広島工
業大学非常勤講師
受賞:1989日本インテリアデザイナー協会 協会賞、
1996インテリアプランニング賞
1996建設大臣賞、JID賞
1996インテリアスペース部門 部門賞、
多摩美術大学新図書館/2007
[撮影:浅川敏]
2005日本建築美術工芸協会 第15回AACA賞 本賞
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第三種郵便物認可 Bulletin 2009年6月15日発行
委員会活動報告
アーバントリップ実行委員会
槇文彦氏の建築を巡る旅
――第59回アーバントリップ
藤田 直樹
今から 20 数年前ボクがまだ学生だった頃、建築に目覚めるき
明るさでしたが、これが晴天の時にはスクリーンに構造体の影が
っかけとなったのは代官山のヒルサイドテラスでした。4 0 代建
くきりと映り、また夕暮れ時には西日でオレンジ色に染められる
築家の中にはボクと同じような思いを持たれている方も多いので
そうです。その様相の変化を見るためだけにもう一度訪れてみた
はないでしょうか? 今回のアーバントリップはその槇文彦氏の
くなります。
建築を巡る旅。自然と期待が高まります!
次に代官山の旧朝倉邸です。ここはヒルサイドテラスの建主で
最初に訪れたのは江東区のロレックス東陽町ビルです。到着し
あられる朝倉さんのご自宅で
てまず目に入ってきたのがガ
したが現在は重要文化財に指
ラス・ガラス・ガラス。永代
定されています。大正ロマン
通り沿い一杯に広がるガラス
を感じさせる趣のある造りで
のファサードです。どうして
すが特筆すべきはその材料で
これほどガラスを感じるのか
しょうか。使われている木材
といいますとサッシュ枠が薄
が良いものばかりで建具など
く、その背後にある丸柱も
は今でも狂いがなくすーっと開けることができるのです。また今
200 φと非常に細いのです。これは皮膜と骨格という考えで、セ
では手に入らないゆらぎのあるガラスも味わい深さを演出してく
ンターコア=背骨で全体をがっちり固めて横力に抵抗させ、窓周
れています。
りの円柱=肋骨で鉛直荷重だけを担当、その上をガラスが皮膜と
そしていよいよヒルサイドテラスです。道に沿って造られた奥
して覆うという構造によるものです。内部はセンターコアとそれ
性 *のあるフォルム。そして
をぐるりと一周する執務空間。廊下とのパーティションもガラス
そのスケール感。街と呼応す
が多用されておりどこにいても自然光を感じることができます。
る建築とはこういったものな
最上階にはカフェテリアがあり、こちらも自然光がたっぷりと入
のかと改めて思います。外壁
る快適な空間になっています。時計修理は集中力が必要な作業。
の仕上げが吹付けタイル、磁
ロレックスさんでは休憩時間に従業員さんがリラックスできるこ
器タイルそしてアルミパネル
とを第一に考えていらっしゃるようです。時計の精密加工のイメ
とその時代に合った表現方法
ージと槇さんのシャープさ。それがうまくマッチした作品だと思
に移行していくのも 25 年という歳月をかけて造られたことを物
います。
語っています。このような背景をもった建築は今後もそう生まれ
次は渋谷区にある東京キリストの教会です。山手通りに接する
ないのではないでしょうか? 建築界の宝です。
ように台形のガラスファサー
最後にヒルサイドフォーラムにて槇文彦氏との質問形式の対談
ドが顔を向けています。そし
です。ル・コルビュジエのソファーにそっと座る槇さん。まずは
てそれがそのまま礼拝堂の形
ご自身の建築人生を振り返っ
となっているのですが外から
て優しい口調で淡々と話し始
見る限り「こんな車の音がう
めます。やはり巨匠です。オ
るさい中で礼拝できるのだろ
ーラが漂っています。話題は
うか?」という疑問が浮かび
建築の質、設計の進め方、建
ます。しかし礼拝堂に入ってみると先ほどまでの騒音が全く聞こ
築は発見、言語と建築、と進
えません。平面図を見ないとこのガラスがファサードのガラスと
みます。最後のほうの「槇さ
同一面なのかと疑いたくなるほどです。しかしこのガラスは厳密
んがきっかけて建築を始めた人も多いと思いますが」の問いかけ
には同じではないのです。間を 1m ほど空けたダブルスキンにな
に「ボクは教祖じゃないから」とやや照れたように笑われていた
っており、そこにフィーレンデールの構造体を収めているのです。
のが印象的でした。近代建築から現代へと確実に一時代を築いた
これにより驚くほどの遮音性を発揮しています。このガラスはグ
巨匠。しかしその飽くなき探究心は留まるところを知らず、まだ
ラスファイバーティッシュが挿入されており、その乳白のスクリ
まだ新しい世界を切り開いて行かれるご様子です。
ーンが外部からの光を柔らかく室内に運び入れてくれます。それ
最後にツアーを企画してくださった実行委員の皆様、後援をし
が白と天然木を基調にした礼拝堂を明るく温かみのある空間に仕
てくださった東京ガスさんに感謝の意を表します。
上げているのです。見学当日はやや曇りでしたのでふわっとした
〈藤田直樹建築設計事務所〉
*槇文彦氏の著書『見えがくれする都市』
(鹿島出版会SD選書/1980年)で使っていた言葉
12
Bulletin 2009 年 6 月号
第三種郵便物認可 Bulletin 2009年6月15日発行
委員会活動報告
JIA トーク実行委員会
リポート JIA トーク 2008
J I A トーク 2 0 0 8 年度
委員長
山岡 嘉彌
昨年は例年通り、年4回のトークが開催された。
のコミュニケーションをなくしてしまった」「居住空間で
第 2回は 2 0 0 8 年 5 月 2 8 日(水)、作家で書誌学者であ
人の気持ちは変わる」「芸術、文化の世界が夢を見ていけ
る林望氏による「古典文学とすまい」。自然の中に「すま
ば、そこから真がでてくる」などのお話があり、さらに旧
い」がある。古典文学を通じて、日本人の自然観に根ざし
知の仲である渡辺武信氏 (建築家・映画評論家) も参加さ
た「すまい」があることを、「書斎記」、「方丈記」、「法然
れて盛り上がり、楽しい充実した会となった。
草」「本朝文粹」等々の例を挙げて語られた。
第 2 回 は 7 月 23 日(水)、「絵のことば(イラストレーシ
いずれの回も、芸術・文化に関心のある約 80 名の参加
者が会場を埋めた。
ョン・アート)とは何か」と題してのイラストレーター・
2009 年度は平倉直子新委員長にバトンタッチ。来たる
秋山孝氏(多摩美術大学教授)によるトーク。「イラストレ
6月 3日(水)、佐藤卓氏(グラフィックデザイナー) による
ーションは原始的な表現であるが、ゆえに伝達力は強力で
「ほどほどを徹底的にデザインする」をテーマとする第1
ある。」子供の頃の原風景がルーツとなり、「目に見えない
ものを目に見えるようにする世界」「ユニバーサル・ラン
回トークを皮切りに4回開催予定である。
ちなみに、第2回は9月2日(水)、 三枝成彰氏(作曲家)
ゲージ――僕の絵は世界共通の言語。」と語る秋山先生は
テーマ未定、第3回は 10 月 21 日(水)、山下洋輔氏(ジャ
童心を失わないまま大人になって、そのまま今があるよう
ズピアニスト) テーマ未定、第4回は 12 月2日(水)、田中
であった。
優子氏 (江戸研究、社会学者)「未来のための江戸学」、と
第 3 回 は 9 月3日(水)、「世界遺産アンコール・ワット
いった音楽、芸術、文化の第一人者。この JIA トークは、
――王たちの物語」と題し、東南アジア古代史研究家・石
大ホールで聴講すべき第一線で御活躍の著名な芸術家、文
澤良昭氏(上智大学学長) に、アンコール諸遺跡の最新の
化人のお話を少人数のインチメートな関係で聴ける貴重な
保存修復・調査・研究などの最新の成果をご披露していた
機会ですので、JIA の会員の皆様のみならず、知人、御友
だいた。
人など是非ご興味のある方々をお誘い合わせの上、ご来場
第 4 回 は 12 月 10 日(水)、「時代の鏡としての映画」と
題し、最新作『その日の前に』を封切り直後の映画作家・
下さい。
おわりに、JIA トークの運営にあたり、ご協賛いただい
大林宣彦氏によるトーク。「気配のコミュニケーション」
ている日新工業株式会社、日本アスファルト防水工業協同
――黙っていても感じあえる、わかりあえる、ことの重要
組合に、誌面をお借りし、厚く御礼申し上げます。
性を語られ、欧米から受け入れた西洋建築の中で「日本人
トーク前にサロンでくつろぐ渡辺武信氏と大林宣彦氏
〈山岡嘉彌デザイン事務所〉
映画作家・大林宣彦氏のトーク
Bulletin 2009 年 6 月号
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第三種郵便物認可 Bulletin 2009年6月15日発行
委員会活動報告
交流委員会
IT の進歩は建築生産をどう変えるか
Gグループ
中田 正二
JIAの建設産業基本問題委員会主催のインテグレイテッドプ
一枚一枚それぞれ寸法形状が異なって、それが例えば数千枚
ラクティスシンポジウム第3回「 JIA はインテグレイテッド
あったとしても、設計の段階で形状図付きの数量調書が直ち
プラクティスをどう捉えるべきか」が 2月 1 8 日に建築家会
に出力されてしまい、工場製作においてもそれが問題なく製
館で開催され、興味を持って拝聴しました。BIM に関する話
造され、工事現場での施工の段階でもそれぞれが干渉なく組
題です。
みあがって、しかもそのコストも事前に予測されてしまうと
建築設計に C A D が導入されることは当たり前となってい
いう驚異的なことが可能となります。
ますが、最近になってこの BIM (Building Information Model)
これまでの IT は、どちらかといえば CAD や構造計算など
というものが、しきりに話題となっています。これはコンピ
ルーチンワーク的な作業をコンピュータ処理によって省力化
ュータの記憶容量と演算速度の飛躍的な高速化によって現実
するという意味合いも強かったので、建築生産のシステムに
味を帯びてきたと考えられるのですが、これまで、構造設計
まで影響を及ぼすところはそう大きいものではなかったと思
や設備設計、数量積算のように、意匠図の建物データを部材
われますが、BIM の導入によって、建築の設計プロセス自体
として入力してそれぞれがコンピュータの中で建築データと
がこれまでに比べて創造性の大きなものとなり、建築生産の
して組み立てて演算処理をして構造や設備の設計をしたり、
システムにも大きな影響を及ぼすことが考えられます。
数量や見積りを算出していたものを、BIM では意匠設計の段
設計の段階で、仮想空間として建築を組上げてしまうこと
階で三次元仮想空間として建築を組み立ててその中に、あら
は、あいまいな未確定な部分を先送りすることがもはやでき
ゆる部位や部品を取り付けて意匠、構造、設備を含めた仮想
なくなってしまうことになります。平成 19 年の建築基準法の
建築として完成させてしまうというものです。
改正によって、確認申請の制度が大きく変わったのですが、
総合図的なチェックもその段階で行なわれ、部品相互の干
渉も設計の段階で分かり、取り付く部位や部品には、寸法、
その一つに工事段階の設計変更にかなり厳しい制限が加えら
れて設計が窮屈になったという指摘がありました。
材料、仕様、コストの情報を持っていて仮想建築に張り付け
BIM の導入によってもあいまいさを先送りできないことに
た段階で、ただちにコスト情報もはじき出されるというもの
よる業務量の増大と忙しさに見舞われることになりそうです。
で、いわば表計算ソフトのような計算を三次元仮想建築上で
現在工事の段階で行なわれていた設計のつじつま合わせの部
やってしまうというもののようです。
分が設計の段階で処理されなければ設計が終わらなくなって
このような考え方は、アメリカにおいて先行しており、ヨ
しまうからで、今の設計の進め方が大幅に変わらざるを得な
ーロッパ諸国においてもこのような考え方が進んでいるとい
いことになると思われます。
われています。 JIA もこの BIM という概念に注目していたわ
設計の初期段階から、製作側の情報も必要とされるとすれば、
けですが、この度のセミナーでも、わが国にもすでに実施例
メーカーの参画が必要になるでしょうし、そのようなものが
があることが複数のパネラーから報告されると共に、これに
増えればコスト情報も設計段階に取り込まれてその透明性も
対して積極的な見方が紹介されました。
進むでしょう。建築家や施工者の役割も大きく変化すること
これまで、我々は建築を一種の工業生産的なものと考え、
と思われます。そのとき、プロジェクトのまとめ役はだれが
構成部品の寸法や品種を単純化して揃えるという形で建築を
やるのか、建築家がやるのか、コンストラクションマネージ
考えるようなところがありましたが、そうした場合、ビルの
ャー(CM)なのか、請負や設計施工一貫施工の経験の豊富な
ファサードも単純明快なデザインになりがちでしょう。とこ
ゼネコンの役割なのか。建築生産に大きな変化を及ぼす IT 技
ろが考えてみると、工場加工の生産技術はさらにその先を行
術の波がすぐ近くに来ているように思われます。社会の動向
っており、ロボットによる部品の加工によってデータさえ入
に注意を払い、その変化に対応できるよう備えを十分にして
れてやれば多品種少量生産で何も問題はなくなっていること
おくことが重要でしょう。
に気が付きます。
いろいろ考えさせられることの多いセミナーでした。
BIM で建築が設計されれば、直線ではない曲がった建築で、
その外部にはめ込まれるガラスの形が長方形ではない変形で、
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Bulletin 2009 年 6 月号
〈(株) 住宅生産研究所〉
第三種郵便物認可 Bulletin 2009年6月15日発行
委員会活動報告
建築相談委員会
建築相談の最近の状況
建築相談委員会
委員長
―― 相談事例の紹介など
■相談内容の傾向
東京を中心とした首都圏建築相談室では約 30 名の相談
阿部 一尋
専門家、業者を選ぶことが大切であるとアドバイスしまし
た。
員が、JIA 館、江戸川橋の住宅金融普及協会、渋谷の東京
●
築 25 年のマンションの浴室ユニット天井が上階の排水
電力館で無料相談を予約制で受けています。2008 年度は
管リフォーム工事の影響でひび割れてしまった。上階居住
約 3 5 0 件の相談を受けました。近年の傾向は住宅を建て
者はリフォーム工事を管理組合に届けず、業者も事前通知
る前の進め方など一般相談が20%強で、残りは建てたり、
をせずいきなり下階相談者住戸に来て工事をしてしまった。
購入した後のトラブル相談です。住まいづくりの進め方な
工事騒音もひどく、心配で工事後浴室ユニットの天井裏を
ど事前に専門家に相談頂ければトラブルは少なくなるので
覗いたらスラブ貫通部の穴埋めもせず、ユニットの天井パ
はないかと日頃から相談員として残念な思いです。トラブ
ネルをひどく傷めていた。修繕を要求できるかとの相談。
ルなどの相談事例を紹介します。
スラブや下階に貫通している排水管は共用部分であり、管
理組合および上階の居住者とも十分協議し、上階居住者の
■擁壁と建物の耐震性の問題
●
都内の高低差のある密集地で擁壁ぎりぎりに建つ中古住
責任で施工業者に補修の責任を持たせるべきとアドバイス
しました。浴室ユニットは 25 年前のものであり、メーカ
宅の購入に当たって事前に相談に来られました。建物が擁
ーの部品のストックも期待できないので部分補修するか、
壁上部にぎりぎりで建っていて見た目にも不安を感じたと
ユニット全体の交換になるかは交渉次第となることをお話
いうことです。建物も築50年で耐震性に不安があります。
ししました。
区の耐震診断員リストから見て工務店の方に連絡すると、
補強工事を是非させて欲しいと言われて、かえって信頼で
■瑕疵問題
きなくなったとのことでした。地元で経験を積んでいる構
●
造に強い建築家に相談するよう、または土木の専門家に擁
建物全体の不同沈下はないようなので根太の配置が不適切
壁を調査してもらうようアドバイスしました。接道条件も
か、遮音性を重視した乾式パネルのため家具などの重量に
悪く建物は解体するのも手作業で相当の費用がかかるから、
より不陸が生じたのではないかとお話ししました。マンシ
しっかり補強すればまだ十分住めることもお話ししました。
ョンに限らず瑕疵問題は多くの相談があります。地盤、基
新築マンションを購入したが、床が平らでないとの相談。
礎や漏水など施工者の問題に限らず、最近は設計者の設計
■リフォーム工事の問題
●
77 歳の高齢者で 10 年まえから訪問販売による5回の繰
内容や工事監理が不適切との非難になることも多く、設計
者のより慎重な設計監理が求められます。
り返しのリフォーム工事で高額な費用を払ってしまった。
耐震補強工事や屋根の軽量化工事をした。今後浴室や基礎
■相談員の研修
の補修の予定になっているとのことでした。あと 20 年は
●
住んでいきたいとのこと。工事内容から比べて見るとかな
今年度は JIA 建築相談員に対し賛助会員メーカーの協力も
り高額な費用となっているようでした。耐震補強も訪問販
得ながら技術的問題を集中研修する予定です。
売によるいい加減な工事を多く見かけるので、信頼できる
事例にあるようにリフォームの相談も多くなっており、
〈NPO横浜マンション管理組合ネットワーク〉
Bulletin 2009 年 6 月号
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第三種郵便物認可 Bulletin 2009年6月15日発行
委員会活動報告
保存問題委員会
第 18 回保存問題神奈川大会
2009 を振り返って
保存問題委員会委員
須藤 啓
■はじめに
委員長として長年浦賀ドックの再整備計画に携わってこら
第18回保存問題神奈川大会2009が 2 月28日(土)、3
月1日(日)の二日にわたり開催された。
れた。近代化遺産再生の国内事例やブータンでのスローな
再生事例の説明の後、浦賀を起点とした横浜との連携につ
テーマは、「近代化遺産を市民にひらく 横須賀、浦賀
が伝える近代の記憶の景」で、横須賀および浦賀の街が会
いて、最後に都市計画家らしく東アジアの諸都市との連携
「東アジア海域環境文化圏」の構築論に及んだ。
場となった。今回、パネルディスカッションのコーディネ
後半のパネルディスカッションのテーマは「浦賀ドック
ータ役を初めて仰せつかったこともあり、印象深い大会と
の保存活用を考える」。パネリストは、学識経験者として
なった。
前出の北沢猛氏、建築家として北山恒氏 (横浜国立大学大
■エクスカーション
学院教授)、運営者として今村有策氏 (東京都参与・トーキ
初日:穏やかな陽気のなか、横須賀周辺の近代化遺産の
見学会が行なわれた。
ョーワンダーサイト館長) 市民の立場として、富澤喜美枝
氏(横須賀建築探偵団代表)、行政側から鈴木正氏 (横須賀
スムーズな進行のうちに執り行なわれたエクスカーショ
市都市部長)の5名。
ンで、今回最も印象に残ったのは、相模運輸倉庫の古い倉
北山氏は、シドニーの造船所跡地の事例を挙げ、最小限
庫群であった。戦前に海軍が使用していた倉庫が今も立派
の投資で何も作らず、残地としていくこともひとつの保存
に使われている。古びた外観からは想像できない内部空間
の形とし、現代の里山作りが必要と発言された。
に圧倒された。側廊のあるバシリカ形式の教会を思わせる
今村氏は、東京都での活動経験をベースに、浦賀と周辺
大空間で、かつてローマのサンピエトロ寺院に足を踏み入
に点在するストックと連携し、編み目模様を描き出し、各
れた時の感覚を思い出した。
拠点での結び目をつくることが重要と訴えられた。
■シンポジウム
富澤氏は、先人が残した遺産を受け継いでいく方法の困
二日目: 貴重なレンガ造の浦賀ドックが会場で、付属の
機関工場内でシンポジウムが開催された。雨で底冷えのす
る会場も関わらず、180名が参加されたと伺った。
難さと、住民の視点から街をどうしたいのかを考えて働き
かけていくことの大切さを主張された。
鈴木氏からは、浦賀ドックをミュージアム・パークとし
会場は、関東学院大学の学生によるお手製ステージにス
て残していく再整備計画の説明があり、すでに実験的な小
トーブが置かれ、参加者に使い捨てカイロが配られ、パネ
さな取り組み、すなわち編み目作りが始まっていることを
リストも参加者もコートを着込んでの異例のシンポジウム
伺った。
となった。
北沢氏は、浦賀には東京にない水辺があり、可能性があ
基調講演は、東京大学大学院教授で北沢猛氏。氏は横須
ること。ローコストで 10 年後を見すえる運営に仕組みを
賀市の「浦賀港周辺地区再整備計画推進計画検討委員会」
変える必要性や、活用には官と民の間に入る大家さんのよ
うなある種の専門家が求められると発言された。
■まとめとして
議論の末、浦賀ドックすなわち近代化遺産保存方法に関
する方向がおぼろげながら以下のように見えてきた。
(1)近代化遺産や他の資源を結ぶ編み目作り(ネットワ
ーク)が重要であること。
(2)最小限の開発で、現代の里山作りを目指すこと。し
かも、急がず、ブータンのようなスローペースで行なう。
(3)官と民の間に入る大家さんのような中間的役割の、
ある種の専門家を投入することが望ましいこと。
寒さにも負けず、活発で熱い議論が交わされたディスカ
シンポジウム風景
撮影:丸山幸弘
ッションであった。
● p.
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Bulletin 2009 年 6 月号
〈(株)三菱地所設計〉
2−p. 8「特集:保存問題神奈川大会2009」とあわせてご覧ください。
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地域会活動報告
JIA 群馬地域会
よくばり?な活動
JIA群馬地域会
―― 群馬地域会活動レポート
小林 光義
皆様のおかげです
ところによるとローカル地域会が利用することは初めてのケー
群馬地域会第 20 回通常総会を平成 21 年 4 月 18 日に開催し
スだとか。日頃より大宇根氏はこの会館の経緯継承そして現在
ました。開催に先き立ち、今回私達は JIA 会館のリニューアル
抱える問題など説明の広報活動をしており、このような利用を
された交流サロン「建築家クラブ」を利用させて頂こう、そし
ぜひ促し活性利用をしていきたいという強い想いを語っておら
てせっかく東京まで行くのだから……、ということでアーバン
れました……。
トリップ東京散策ツアーをも開催しようということになり、群
記念すべくこの JIA 会館建築サロンでの群馬地域会通常総会
馬地域会建築祭(『建築家』4月号に記事掲載) が終わるや否やそ
の開会宣言がなされ、伊平支部長より来賓挨拶を頂き、次第に
の準備に取り掛かりました。
従い順調に審議に入りました。「何も言わず承認してくれ」そ
自己紹介が遅れましたが、私は平成 19 − 20 年度代表幹事長
井淳一の下、事務局を務めさせて頂いた小林です。そう事務局
んな胸中で収支報告を読み上げ、監査報告をして頂き、「意義
なし」の声を待つ。
といえば各会員への連絡から事業調整から会計処理と会の運営
しかし今期大赤字を計上してしまう結果になってしまった執
の下支えを行なうわけですが、建築祭の清算処理もまだままな
行部がやはりただで済むわけがありませんでした。何故なのか
らぬ状況下で決算の準備をしつつ通常総会・アーバントリップ
という問いに、事業費増に伴うような収入が得られなかった事
東京散策ツアーの調整をするという、本業である建築家として
情説明や未払い案件があったことのなどを汗を拭いつつ回答し
の事務所経営をしつつであるからそれは大変な役どころでした
ていました。がしかしいつの間にか審議は一変し、その矛先は
が、皆様の多大なるご協力のもと盛大にその時を迎えることが
伊平支部長へと……矛先は言いすぎですが「この赤字は無駄に
できました。
浪費したというよりも活動を積極的にしてしまった結果であっ
「赤」を訪ねる
て、事業縮小をせざるを得ない状況下かもしれないが意義ある
当日はバスをチャーターし 7
活動を積極的にすることも大事です。だから支部から是非支援
時 3 0 分群馬より総勢 2 0 名で出
して頂きたい」と支部長への事業費支援の懇願になっておりま
発しました。まずは松本金弥会
した。
員監修によるアーバントリップ
東京散策ツアー。
「赤」をテーマに皇居周辺の
ある意味策略的に JIA 会館へ出向いてでの通常総会は無事終
了し、私の事務局としての責務も終了しました。
他地域間交流会
「赤」を訪ねる見学するそれぞれ
群馬地域会はほんとうに欲ば
の建築は色としてのキーワード
りです。せっかくの東京での総
だけではなく、それぞれの話題
会だから都内の地域会との交流
を抱えています。その話題を探りながらそしてその周辺の建築
会をしよう。と、ここ最近群馬
を散策しつつ「我々の建築とは何か」を推理してみましょう。
地域会と交流のある方々にお声
ということで、岡田信一郎氏による歌舞伎座、吉田鉄郎氏によ
をかけさせて頂き、交流懇親会
る東京中央郵便局、ガエ・アウレンティ女史によるイタリア文
の場となりました。
化会館およびその周辺を散策しました。
交流懇親会は松永基氏が監修、酒から肴そして地元で朝漁し
そして一行は国際文化会館に向かい、そこで庭園を眺めつつ
てきた生シラスと群馬からの野菜や米や地酒で宴会をプロデュ
昼食を頂きました。ここでは 2005 年の大改修に携わった鰺坂
ース、テーブル一杯の料理の品々、生ビールにワインを片手に
徹氏協力のもと、館内の案内から改修概要エピソードを伺うこ
参加して頂いた支部をはじめ新宿・杉並・世田谷・神奈川地域
とができました。
会から多数の方々との語らいは実にアットホームで楽しい、本
戦略的総会
さて次に一行は J I A 会館へ…
…。その前に、今回は土曜日と
当に楽しい場となりました。
またこのような機会を持ちましょうと約束を交わし合い、
我々群馬地域会一行は帰路につきました。
いうことで通常は休館なのです
最後に帰路も討論激論を交わしながらのバス車中であったこ
が、大宇根会館活用委員会会長
とは言うまでもありません。これが群馬地域会の様子の一端で
( 第 7 代 J I A 会長) のご配慮によっ
はありますが、概ねいつもこんな調子です。これからもこんな
て、開館して頂けました。聞く
群馬地域会をどうぞよろしくお願いいたします。
〈(株)アーキズム あすか設計〉
Bulletin 2009 年 6 月号
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第三種郵便物認可 Bulletin 2009年6月15日発行
部会活動報告
デザイン部会
垣根のないデザインを再考する
大倉冨美雄氏講演 「デザイン力 デザイン心」
デザイン部会
連 健夫
■デザイン部会主催で、年度末の3月 31 日、建築家で工
長を務めた。その中で工業デザイナーの地位向上に努力し、
業デザイナーである大倉冨美雄氏の講演が 60 名を超す参
「デザインと著作権」「IT 革命とデザイン新世紀」などの
加者の中で行なわれた。会場である JIA 館1階の建築家ク
機関誌を特集する。しかし大企業中心主義の壁は厚く、フ
ラブには大倉氏がデザインした椅子が並べられた。講演の
リーランスデザイナーが個人として評価されない日本の実
タイトルは「デザイン力 デザイン心」、これは氏の著書
態に苦慮する。静岡文化芸術大学教授として教育に関わる
から掲げたものであるが、著書と同様、深みがあり面白い
中で、実務経験のない教師やデザイン教育に馴染みの浅い
講演となった。氏は建築に興味があったが、数学が出来な
事務方に問題意識を持った。これは何もこの大学だけのこ
いと建築家にはなれないと思い込み東京藝術大学の工芸科
とではなかろう。論文偏重の教育環境はクリエイティブな
で学んだ。卒業後は日本コロムビアで電気製品のデザイン
教育の場と馴染みにくい。氏の垣根を越えたデザイナー魂
を担当した。そこで企業内デザイナーの匿名性の現実や自
から多くの作品が生み出された。カルテル社のプラスチッ
己表現の限界を感じ、米国に渡る。そこで 5 0 0 ドルを盗
ク椅子、イノーバーチェア、樹脂製ベンチ・オンダなどの
まれたことやポートフォリオがないばかりに仕事を得るの
家具、東芝ワードプロセッサなどの電気製品のみならず、
に四苦八苦した経験などから、米国は氏にとってネガティ
サイン計画やユニホームのデザインなど多彩なデザインが
ブとなった。その後イタリアに渡り、10 年間、工業デザ
紹介された。建築では赤坂 NAS ビルや青蘭学院八ヶ岳青
イナーとして、さらには建築家として腕を振るうことにな
蘭寮など個性豊かな作品が紹介された。参加者からの質問、
る。
「イタリア人は国を信じておらず、個人を信じている」
、
「建築士制度や基準法の改定が生んだ混迷の中で、建築家
「個人にデザインの良し悪しを判断する力がある」のコメ
への夢が見出せない状況」について、氏の「新しい職種を
ントに力が入る。この意識、風土の中で、彼のポートフォ
創ることが大切」というコメントは重い。垣根を越えた新
リオが認められ、高給で仕事を取ることができた。氏にと
しい職種が新しい市場を創造するのである。「デザインと
ってイタリアはポジティブなのである。興味深いのは、イ
は何か」の根本的な問いに対し、著書の中で「デザインと
タリアでは建築と工業デザインが分離しておらず、建築家
は諸要素(経営的、技術的、審美的要素)という、ほとん
は建築の設計のみならずプロダクトデザインも扱うのが当
ど互いに無関係な構成要素をモノや空間で時間の中に配列、
たり前ということである。そこにはまったく垣根がない。
構成すること」と述べている。アリストテレスの言葉を思
アンジェロ・マンジェロッティから彼は二つのことを学ん
い出した。
「建築とは諸要素を探求し統合することである」。
だ。ひとつは「モダンデザインでありながら感性豊かな造
ここには建物を設計するという言葉は一言もない。垣根の
形表現が可能」ということ、もうひとつは「建築から家具、
ないデザインの意味、さらには建築の意味そのものを再考
工業デザインまで分野を区切らずに仕事をしてもよい」と
させられる中味の濃い講演会となった。
いうことだった。この二点が氏の人生形成に決定的な影響
講演の後、今年度のデザイン部会長を大倉氏に委ねるこ
を与えた。あきらめていた建築への想いが再燃し、建築家
とが拍手で承認された。面白いデザイン部会が期待できそ
として生きることに人生のハンドルを切った。日本に帰国
うである。
した後、氏は日本インダストリアルデザイナー協会の理事
〈(有)連健夫建築研究室〉
■参加者より
「日本社会はシステムの行き止まり」、大倉氏のこの言葉が
何より印象的でした。ケニアで育った私にとって、日本の合
理性、機能性、消費社会が子供たちから生気と創造性を奪っ
ているように感じました。「デザインとは何か」の問いに、
私は「モノが人の感情に触れること」だと思っています。そ
のためにはデザインに境界をつくるべきではないと思います。
大倉氏の境界のないデザイン、すなわち「限界のないデザイ
ン」にこのことを強く感じました。
坂部真理(多摩美術大学環境デザイン学科4年)
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Bulletin 2009 年 6 月号
第三種郵便物認可 Bulletin 2009年6月15日発行
支部ダイジェスト ●3 月/4 月
詳細はJIA本部、関東甲信越支部HPなどをご覧ください
NEWS
●
年度の新宿プロムナードギャラリー展に出典する作品を募集中。
2009年度支部通常総会開催
2009年度関東甲信越支部通常総会が開催されます。
(発刊時は過去)
(ミケランジェロ会)
●
13 : 30支部通常総会、15 : 00会員懇談会、17 : 30懇親会
●
●
Bulletinがオールカラーになりました。同時に、印刷所の見直し
2009年度オープンデスク登録学生募集
をはかりコスト削減も実現しました。
(広報委員会)
行政関連
*詳細は国土交通省、(財)建築行政情報センターのHP などを
ます。
ご覧下さい。
日本建築大賞、日本建築家協会賞、日本建築家協会新人賞
(3月 19、21 日付)
●
●
エレベーターの安全に係る技術基準の見直しに伴い、基準法施行
建築家のあかりコンペ募集中(8月 17 日締切)
令・規則の一部および告示が改正されます。
施行日:9月 28 日(国交省)
募集作品テーマ:日本のあかり
●
提案を、国交省から委託を受けた(財) 建築行政情報センターが
受け付けています。
主催:(財) 住宅リフォーム・紛争処理支援センター
JT 分煙空間募集中(6月 29 日締切)
●
ー HP に公開。
を募集中。主催: JT(日本たばこ産業株式会社)
●
日韓中建築家サッカー交流プログラム(6月 27 日)
●
事務所登録のある建築士事務所の開設者に対し、国土交通省、都
の参加者を募集中。
道府県、新・建築士制度普及協議会より、新しい建築士制度につ
いてのお知らせが送付されていますので、確認ください。
国際ヤングアーキテクトフォーラム
●
として、国交省により、全ての都道府県の建築士事務所協会に建
委員会・地域会・部会からのお知らせ
築設計サポートセンターが開設されました。
JIAトーク2009 第1回(6月3日)
講師:佐藤卓氏、日時: 2009年6月3日(水) 18 : 30∼20 : 30
「住宅リフォームガイド」パンフレット作成(4月6日)
●
東京都都市整備局により、
「あんしん・満足!」住宅リフォーム
会場:建築家会館1階ホール(JIA トーク実行委員会)
へのための「住宅リフォームガイド」が作成されました。
学生卒業設計コンクール 2009の公開審査
第 18 回東京都学生卒業設計コンクール 2009 の公開審査および
「住まいの健康配慮ガイドライン(改訂版)
」作成(3月 26 日)
●
東京都福祉保健局により、健康的な住まいづくりのための「住ま
展示会が開催されます。
いの健康配慮ガイドライン」の改訂版が作成されました。
日程:公開審査5月 30 日(土)/展示5月 31 日(日)
場所:新宿・工学院大学キャンパス1階アトリウム
●
建築士定期講習会
東京建築士会運営による定期講習が、6月・9 月・12 月・3 月に予定
(学生デザイン実行委員会)
●
建築設計サポートセンターの設置(2月 17 日)
構造設計一級建築士/設備設計一級建築士等の紹介等を行う窓口
フォーラムが開催されます。
●
建築士事務所向けダイレクトメール
6月 27 日(土) に韓国慶州市で開催されるAA-CUP 2009 慶州へ
7月 20 日∼ 31 日、フランスで第 10 回国際ヤングアーキテクト
●
基準法Q&A検索システムの公開(4月 10 日)
改正建築基準法Q&A検索システムが、(財) 建築行政情報センタ
「SMOKERS' STYLE COMPETITION」がアイディア、実施例
●
コンタクトポイントの公開(4月 21 日)
基準法、品確法に係る新技術等に対応した基準の整備、見直しの
住まいのリフォームコンクール募集中(6月 30 日締切)
「第 26 回住まいのリフォームコンクール」が事例を募集中。
●
エレベーターの安全に関して(3月 11 日)
各受賞者が決定し、作品が本部HPに掲載されています。
JIA と大光電機株式会社の共催
●
Bulletinリニューアル(5月 15 日)
会場:建築家会館1階ホールにて
5月 29 日締切でオープンデスクを希望する学生の募集をしてい
●
建築相談委員会、学生デザイン実行委員会、中央地域会、港地域
会、住宅部会、建築交流部会の HP が更新されています。
開催日程:2009年5月8日(金曜日)
されています。
新宿プロムナードギャラリー展作品募集(3月 31 日付)
5月 30 日(土) から6月 27 日(土) にかけて開催される、平成 21
お詫びと訂正
Bulletin 4月号(215号)において以下の誤りがありました。お詫びして訂正いたします。
●
表紙目次タイトル
・ FORUM欄上から14行目:
・ COLONNADE欄上から5行目:
誤:「建築基準法」に向けて
誤:群馬の建築家
正:福島の建築家
・ FORUM欄上から8行目:
誤:「建築基準法」と「建築家資格制度」のオープン化について
正:「建築基本法」と「建築家資格制度」のオープン化について
正:「建築基本法」に向けて
●
本文P. 15左段下、図表内
誤:「建築基準法」
正:「建築基本法」
■執筆された増子順一氏、野生司義光氏、神田順氏、そして会員の皆
さまに深くお詫びいたします。
Bulletin 2009 年 6 月号
19
旅してきました
第三種郵便物認可 Bulletin 2009年6月15日発行
Santa Maria de Poblet
祈りの生活を送っていましたが、やがて、強大
な経済力と権力を得ることによって当初の精神
――ポブレット修道院を訪ねて(スペイン)
から乖離させられることになりました。
旅の最初に訪れたのがこのポブレット修道院
■ポプラを意味するラテン語に由来するポブレ
でした。豊かな緑に囲まれ、厚い壁の中央に穿
ットの森は修道院が所有していました。
この建築群はシトー会派の修道士たちが12 世紀から18 世紀に
たれた開口には木製の扉が組み込まれ、その左右と上部には彫刻
かけて建築したもので、1991年に世界遺産に登録されています。
が施され、とても荘厳なものでした。石組みが作り出す造形は静
分厚い防壁に囲まれた広大な敷地には、中庭を囲む大回廊を中
かな光にあふれ、時の経過とともにその表情を変えていました。
心に聖堂、入口の間、ぶどうの圧搾所、食堂、暖房室、図書室な
この門はこれから出会う数々のロマネスク建築に思いをはせた
どが配置され、2階には修道士の寝室、修道院長の部屋、鐘楼な
第一章の幕開けでした。
(2008年9月)
〈関口治/(株) 関口建築設計事務所〉
どがありました。修道士たちは外界とは隔絶された清貧さの中で
編集後記
■この編集後記、ようやく夏服に替えようかという時期に書いて
に飛び回っているそのメールの数は何百億万通/日という天文学
いますが、読む頃は京都の葵祭や浅草の三社祭が終わった頃。そ
的数字だとか。パソコンの設定を変えたり長いアドレスに変えた
ろそろ暑くなっているのでしょう。
りと、このエコな時代にホント、ムダなエネルギーですね。
(M.A.)
■ある確認検査機関での話ですが、昨年末からは申請件数激減だ
(N.M.)
ったようです。それが、新年度の4月から急に増えてきたそうで
■新年度に変わり、広報員会では新人が増えました。ますますパ
す。拙速かも知れませんが、明るい兆しと考えてしまいます。
ワーアップしたメンバーで飲み会が楽しみだ。
(M.I.)
■埼玉地域会の友人に誘われて東京バイシクルライドという都心
(K.N.)
■お気づきでしょうか?「Bulletin」をカラー化しました!かつ、
印刷所の見直しによってモノクロのときよりもコストを下げるこ
を自転車で走るイベントに参加して来た。そこには車で走りすぎ
とにも成功!これからの「Bulletin」、ならびに広報にご期待くだ
ながら見るのとは違う都心風景があった。他にも同様のイベント
さい。
があったようなので、東京マラソンのように自動車規制して大規
■ぽかぽかと 日差しに誘われ そと歩き
模にやってもいいのではと感じた。めずらしく健康的な休日だっ
た。いい自転車が欲しい!
(Hf.Ko.)
(N.T.)
あたまをあげて つくしの気分
(R.S.)
■知り合いが東京ビックサイトの展示会にブースを出したため、
■建築家クラブ「金曜の会」に参加し、南條さんの「私の集合住
3日間助っ人にいってきました。景気が悪い悪いといいつつも、
宅設計論」――住宅から都市デザインへ――の語りを聞きながら
家を建てたい人はこんなにいるんじゃないと思う3日間でした。
ワインを楽しみました。このような会をもっと盛り上げましょ
う!
(Hy.Ko.)
■東京地域連携会議が開催されることとなった。第二回目の次回
(Y.S.)
■ この度、広報委員会に所属させていただくことになりました。
いろいろな情報が行き交う現場に立ち会わせていただいて、改め
は各地域会のホームページやブログの研究会とのこと。支部広報
てJIAの勢いを感じています。
委員会の活動との連携を提案したい。
(Y.Ko.)
■普段個人事務所で仕事をしていると孤独な作業の中でちょっぴ
■今号を持って任期満了。微力でしたが、楽しく、毎号新鮮に、
りうつな気分になったりすることがありますが、委員会に来て明
たくさんのことを学ばせていただきました。感謝!これからも発
るい建築家の皆様に囲まれ、元気を取り戻しています。 (F.Y.)
展し続けるブルティンを楽しみにしてください。
■先日管理建築士講習を受講しました。士法や基準法だけでなく、
(K.Ku.)
(S.T.)
■最近、迷惑メールに悩まされていました。どこかの CM に、狼
事務所の基本方針や人材管理、財務管理などの経営。また苦情と
に狙われた子羊の気分……なんて言葉がありましたけど、世界中
紛争予防など、案外興味深い内容も多く楽しめました。
編集 :社団法人 日本建築家協会
発行人 :菊地 良一
関東甲信越支部広報委員会
委員長 :中村高淑
副委員長:鈴木 利美・中澤 克秀
委員 :安東 政朗・池元 真克・倉島 和弥・近藤 弘文・近藤 剛啓
(T.Y.)
発行所 :社団法人日本建築家協会 関東甲信越支部
〒150-0001東京都渋谷区神宮前2-3-18 JIA館
Tel: 03-3408-8291(代) Fax: 03-3408-8294
印刷 :株式会社 協進印刷
古池 廣行・三上 紀子・杉本 由美子・高安 重一・竹内 秀夫
立石 博巳・田中 宣彰・米村 ふみ子・湯浅 剛
編集長 :鈴木利美
JIA関東甲信越支部関連サイト一覧
・(社)日本建築家協会 (JIA) http://www.jia.or.jp
副編集長:湯浅 剛
・建築家online(一般向け)http://www.jia-kanto.org
編集委員:安東 政朗・池元 真克・倉島 和弥・中村 高淑・三上 紀子
・JIA関東甲信越支部(会員向け)
田中 宣彰・米村 ふみ子・菊地 良一
表紙デザイン:山本 信治/本文デザイン:神田 雅子
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Bulletin 2009 年 6 月号
http://www.jia-kanto.org/members
©社団法人 日本建築家協会 関東甲信越支部 2009
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