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相模湾沿岸の砂丘の組成 ・ 時代などに 関す る若干の知見

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相模湾沿岸の砂丘の組成 ・ 時代などに 関す る若干の知見
相模湾沿岸の砂丘の組成・時代な.どに
関する若干の知見
太
Note
Area
Sand
of
PrefectⅥ.re,
則
子
Dunes
Sagami
the
along
戸
子・瀬
Problems
the
on
陽
田
Coastal
the
at
Bay,
/Kanagawa
Japan
Central
By
Yoko
SedimentologlCal
the
at
textural
of
sands
their
main
comparison
as
of
area
the
As
minerals.
to
content
of
be
dune
beach
grain
is larger
th占former
better
sorted
sands
may
than
smau_er
than
be
the
that
than
beach
from
originated
transportation
of
of selective
3 and
Figs. 9-12 show
2) Table
result
mineralogica且
composition
ca且ities
in
the
both
to
glVen
the
thought
of
the
1.
mouth
river,
diameter
median
to
the
of
vicinity
sides
Fig.
be
transported
and
It
towards
by
the
of
eastery
the
median
River
the
the
and
east・
preserlt
亙ong
shore
two
are
nsuauy
heavy
of
dune
of
the
and
si旦t
sands
betweerl
beach
and
deposited
textural
sands
tendency
beach
current・
parameters,
from
is
decreases
sands
the
as
beach・
adjacent
diameter
This
in
tend
the
dune
The
dune
are
of the
va互ues
that
obvious
the
Sagami
of
sands
the
from
re-
the
diameter
sands
the
8且oca且ities
content
beach
of
for
sands
median
distribution
is
distribution
dune
formation
between
dtlne
differences
on-shorewind
the
dunes・
sands・
ancient
Moreover,
the
roundness
especia旦1y
the
These
that
dune
sand
criteria
higher
a
liatter.
sands.
is
of
of
from
bordering
the
of
of
the
have
and
the
made
distribution
the
distinguish
tO
distribution,
size
the
dun畠sands
Name且y,
sands
attempt
process
obtain
agency
and
2-8.
Figs.
and
the
to
possiblie
generally
adjacent
is generalily
sands
it is
Tab旦壷1
in
than
rounder
to
that
in
sands
and
beach
Of
An
:
attempted
environment
palrS
adjacent
shows
sht)wn
are
are
thickness
and
chTOnO旦oglCally
dune
tile
dunes
the
explain
Shape
follows
of
to
sands,
classify
as
sands
depositional
Of the
cognltlOn
to
and
analysis
beach
present
dund
sand
District・
Kantb
compositioll,
summarized
Sedimento互ogical
the
this
are
Bay,
and
minera且
slgniBcance,
resu旦ts
1)
and
beach
parameters,
and
The
between
of the
studies
geomorphologlCal
Sagami
the
along
distinguish
to
made
SETO
Noriko
and
and
area
coastal
OVA
50且o-
largest
towards
lS
in
the
Simi互ar
are
which
The
median
36
太
diameter
also
roundness
able
be
may
than
older
the
the
the
FuJI・
The
in
discovered
in
me血ts
dunes
The
B
process
is
more
are
remark-
the
sands
of
is
by
this sand
also
part
B・ P・ and
have
group
intervened
are
group
B
of
by
this
of
300years
the
the
dune.
is
Radiof,ag一
pumice
therefore,
group,
thin
is
wbicb
drift-wood
B・ P・
very
of
lo_
some
zone
weathered
The
group.
dunes
sand
2000years
about
southern
dunes・
pumice
volcano
the
on
the
A
They
the
paraStic
discovered
than
younger
a
are
group
thickness・
covered
HoEI,
also
have
dunes
in
m
B group
wbicb
underly
sand
is 1950±90
P・
B・
years
(Gak-687)・ The
this wood
this
1
A
with
ejecta and
A
of
deposits
between
at
type
of volcanic
lS
ac-
groups
zone
dunes
about
Mt・
four
weathered
sand
group
from
sand
be
of
presence
zone
1707
into
classi丘ed
The
This
A・D・
may
the
area・
group
so
beach
cover
formed
were
inland
the
at
thickness
weathered
Jomon
of
the
(Fig・ 13)・
this
in
potterey
of
1707
in
be
can
cover,
thick
and
dunes
erupted
in the
area
vegetable
drift-wood
thickness,
date
carbon
silt content
and
Such
a
the south.
in
situated
weathering
dunes,
of
this group・
of
30-50cm
of this
has
which
calities
the
and
than
dunes
sand
the
of
dated
oldest
fragments
Mt・
the
that
coast,
area
northern
therefore,
dunes
condition
radio-carbon
densely
vegetated
be
by
arrangement
the
may
the
south,
coastal
to
cording
horizon,
from
子
則
former.
The
3)
northwards
higher
in the
caused
the
at
the
at
戸
are
values
tendency
子・瀬
decreases
陽
田
C
group
sand
zone.
weathered
fragments
black
and
of scoria
in A・D・
1707・
erupted
Accordingly'tbey
are
in process
of
formation
at
the time
of this volcanic
The
dunes
activity・
are
youngest
sand
D group
have
no
cover,
which
zone
vegetable
weathered
and volcanic
ejecta.
So
that,
formation
the
began
the
in A.D.
of this group
after
1707
pumice
sands
eruption
has
and
been
The
4)
the
dunes
the
beach
sands
15m
posits
the
thickness
are
uslng
3 to
still continued
margln
River・
gressive
be
can
Of
to
the
criteria
regression
The
of
towards
the
towards
the
shows
the
the
of
the
north.
sboreline
post
目
Ⅰ・調査地域と問題点
1)調査地域に関する従来の研究
2)本研究の目的
3)本地域の砂丘の分布
II・砂丘砂と浜砂との識別
1)砂丘砂と浜砂との識別に関する従来の方法
次
varies
alluvial
altitude
Sea
about
beach
lowers
during
transgression.
and
from
eastern
level
cores,
dune
the
The
the
beneath
boring
sands
at
glacial
of
between
Their
lowerlng
successive
time
dune
the
base
the
data
and
dunes.
the
of
distinction
thickness
under
altitude
observation
the
recognized
after
the
of
increase
upland
This
and
the丘eld
mentioned
tends
and
present.
sands
from
(Figs・ 15-18)・
always
Sagami
dune
of
obtained
above
at
de-
from
of the
area
the
pro-
相模湾沿岸の砂丘の組成・時代などに関する若干の知見
2)本地域における調査方法
3)調査結果とその考察
Md?:
q¢‥ α¢:紳:
siltの量:円磨度:重鉱物含有量:貝殻など
の石灰分の量:まとめ:
ⅠⅠⅠ・砂丘砂の組成とその分布
1)調査方法
2)砂丘砂としての認定
3)各測定値の分布とその考察
Md¢:
siltの量:円磨度:まとめ:
ⅠⅤ・砂丘砂の形成年代およびそれに基く分類
1)砂丘上の植生と風化作用のおよんだ深さ
2)火山噴出物
3)流木の年代測定その他
4)砂丘の分類
A群の砂丘:
B群の砂丘:
C群の砂丘:
D群の砂丘:
Ⅴ・砂丘砂の厚さと基盤の状態
1)砂丘砂の厚さ
2)砂丘下の基盤の性質と高度
ⅤⅠ.む
す
び
Ⅰ.調査地域と問題点
1)調査地域に関する従来の研究
ここで研究対象にしたのは,相模湾沿岸の,西は押切川,東は境川によって噴される
東西約23kmの地域である。この地域は,相模川の下流に位置する沖積平野で,北ほ
相模原台地,西は大磯丘陵,東は三浦丘陵によってかこまれた低乎な地域であり,沖積
面上に数列の砂丘が発達している。
これらの海岸砂丘についての従来の研究のあらましをのべると以下のようになる。花
井重次(1926)は,陶陸地塊より藤沢付近までの地域をとりあげて砂丘の分布,形態な
どをのべ,また砂丘砂の下に,海抜10mの高度に浜襟が露出することから,土地の陛
起運動を指摘している。今村学郎(1936)は,野外調査と砂丘砂の機械分析をおこなっ
て,砂丘の比高の変化,砂丘砂の比重,粒径,重鉱物含有量の分布などを論じている。
なあ
花井ののべた浜硬ほ河成砂であって地殻運動を示す資料にはならないとのべ,さ
らに砂丘砂の厚さが薄いことを指摘しているが具体的な資料ほ示されていない。その
後,矢島中(1941)によって,相模川から境川に至る地域の砂丘の形態的研究がおこな
われた。そして,砂丘は形態上から4群に分類され,それらの分布が砂の供給源および
卓越風向,風速との関係から考察された。最近では,中野尊正(1956)によって,本地
域の砂丘の発達史と沖積世悔進との関係などがまとめられ,また,これら砂丘の全部が
宝永山起源(1707年)の火山砂または浮石によっておおわれていることが指摘された。
また,平塚市域の砂丘については,おもにその分布,火山砂との関係,埋蔵木の吟味な
どがおこなわれている(磯村,
1967)0
以上の諸研究によって,砂丘の分布,生成などに関してかなりの点が明らかにされ
た。しかし,砂丘砂の厚さおよびその地域的変化,砂丘砂の組成とその分布状態,砂丘
37
38
太
田
陽
子・瀬
戸
則
子
の形成年代などはまだ十分に明らかであるとはいえず,吟味すべき点があるように思わ
れる。
2)本研究の目的
1)でのべたことにもとづき,本研究においては,
a)現在形成中の砂丘砂と浜砂との
比較研究により両者の組成上の差異を明らかにすること, b)その結果を利用して砂丘地
域の砂が風成砂であるか否かを吟味すると共に,砂丘砂の粒径,形態,鉱物組成などの
分布状態とその意味を考察すること,
c)砂丘砂の厚さと砂丘砂下の基盤高度を吟味す
ること,およびd)砂丘の位置,形態,風化の程度,火山噴出物との関係などから砂丘
の形成年代を考察すること,などを研究目的としてとりあげることにした。
3)本地域の砂丘の分布
1/25,000地形図,市町村役場で発行された1/3,000および1/10,000地形図,
1/10,000
の空中写真などの判読と野外観察によって,本地域の砂丘の分布図を作製した(第1図)0
押切川より,花水川までの地域では,大磯丘陵の南部をふちどる旧汀線高度約20m
の沖積段丘(中村原面,大塚1930)上に1列または2列の砂丘がみられる。押切川から
葛川までは1列,葛川から花水川までほ2列の砂丘をなす。いずれも松でおおわれ,段
丘面からの比高は4-8mである。
花水川から相模川までの地域では,砂丘は非常に低平で,何列も発達し,南部では海
岸線とほぼ平行しているが,北にゆくにしたがって西南西から東北東の方向になる。最
北の砂丘ほ,平塚市豊田にあり,周囲からの比高は約4mである。その南に位置する
凍西に長い3列の砂丘は,非常にわずかな高まりで,沖積面との比高ほ1-2mにすぎ
ない。最南部の海岸線付近にほ,現在形成中の砂丘があり,一部分にコウボウムギなどが
生えている。そのすぐ北の砂丘,すなわち海岸から2列目の砂丘上には環在道路が通っ
2-4mあり,松が生えている。
ており,海岸から3列目の砂丘は,比高がや⊥大で,
相模川から境川までの地域では,
5-6列の砂丘があり,西部では東西に連なる横列
の砂丘であるが,東部では北東-南西方向の縦列砂丘となっている。また,砂丘の標高
は,一般に南から北にゆくほど高くなっている。最北の相模原台地と平行する砂丘は,
西部の香川付近でほ沖積面との比高給5mであるが,東部の藤沢駅の北では15mに
ましている。この砂丘には松その他の植生がみられる。その南につづく砂丘列では,沖
3-7m,
積面からの比高は,北部から頓に,約8m,
3-6m,
2-7mとなる。最南の
潟岸線に隣接する砂丘は1-2mの比高である。この砂丘のみは植物におおわれていな
いが,その他の砂丘にはすべて植生がみられる。
ⅠⅠ.砂丘砂と浜砂との識別
1)砂丘砂と浜砂との識別に関する従来の方法
現在形成中の程々の堆積物が,その堆積営力,環境に応じて組成上どのような特色を
もつかということは,すでに多くの研究によって取扱われている。そして,このような
研究は,過去に形成された堆積岩の堆積環境を知るためにも大きな意味をもつことほ周
突口の事実である。以下で検討しようとする浜砂と砂丘砂についても,両者を識別するた
39
相模湾沿岸の砂丘の組成・時代などに関すの若干の知見
〕
達≡
竺瞥
芸
三宝 豊
苦咽
蚕室■貰蓋意
義翼宴芸道
<
くR
霞El寸墓
r+
h
.哲
/
/
\
\
\
・′
/
、
L4
( 'j---・笥
/
/
/
/
やっ
ノ/
_I-It
40
太
田
陽
子・瀬
戸
則
子
めの種々な指標が検討されている。それらの中で,最近の研究例の二,三をあげてみた
い。
BEALおよびSHEPARDほ,浜砂と砂丘砂の円磨度を考察しようとして,メキシコ湾
岸地域において相隣接する浜と砂丘から試料をとり,各試料をふるいわけして,
1/8-
1/16mmの階級のものをえらび出した。そして,それぞれを100粒づっ顕微鏡下で
Powerの方法にもとづいて円磨度を測定した。それによると,浜砂では,
0.26∼0.30,
砂丘砂でほ0・35-0・40と,円磨魔の値は場所によって異なるけれども,一対の浜と砂
丘では常に砂丘砂の万がまるく,円磨度が両者を識別する指標となるとしている。そし
て,この結果を付近の試錐資料に適用して,現海面下に海浜堆積物中に砂丘が介在して
いることを指摘した。また,浜から砂丘にうつるとわずかな距離であっても急に円磨度
がますことから,砂丘砂において円磨度が高いのは,運搬中の
abrasion
M.A.
ではなくて,選択運搬によるものと推定している(BEAL,
によるもの
SHEPARD,
and
F.P.,
1956)0
BRADLEYは,テキサス州のMustang島において,
3地点から29の試料(海面下,
砂丘,両者の間のbermなど)をとり,各試料をふるいわけ,さらにbromoformを
用いて重鉱物と軽鉱物を分離し,重鉱物のvOlume
%を求めた。その結果,重鉱物の
割合は,陸成の砂丘では36-60%,平均4=5%,海中の砂では0.2-12%,平均0.4%,中間のbermでは16-64%,平均34%
となり,環境ごとに異なった値を示すので,
これが環境を識別する指標となりうると述べている。そして,陸成の砂丘に重鉱物が多
いのは,選択運搬の結果であって,一般に重鉱物は円磨度が高いため風に運ばれやすい
∫.S. 1947)。
と考えた。しかし,円磨魔の資料などは明らかにされていない(BRADLEY,
さらに, SHEPARDとYouNGほ,浜砂と砂丘砂を識別するために世界各地の海岸か
ら74対の浜砂と砂丘砂を採取し,円磨度,
silt含有量,粒径中央値,淘汰度,
ness,
kurtosis,有色鉱物の量,貝穀その他の石灰分の含有量,
silt中のZircon
の量などの測定をおこなった。その結果,円磨度,
con
skewcrystal
zir-
siltの含有量,有色鉱物の量,
crystalの量,貝穀などの量の五つが砂丘砂と浜砂を識別する指棲となること,と
くに卓越風が海から陸に向う場所では非常に有効な指標となることを明らかにした。す
なわも,砂丘砂ほ浜砂よりもまるく,
siltの含有量が多く,
zircon
crystal,有色鉱物
の畳も多く,貝殻などの含有量が少ない。これらの差異を生じた原因を風による選択運
搬の結果と推定している(SHEPARD,
F.P.
and
YouNG,
R., 1961,
SIiEPARD,
F.P.,
1964)。
また,
FRIEDMANは,粒皮紐成が運搬営力のエネルギ-の状態をもっともよく反映
すると考えて,浜砂,砂丘砂,河砂を粒皮紐成から識別しようと試みた。粒度分析をし
た上で,粒径中央値,淘汰度,
skewness,
kurtosisを求め,砂丘砂は他の砂よりも細
粒でMd¢が1・49以上であること,
skewnessほ浜砂では負であるが砂丘砂と河砂は
正であること,淘汰度についていうと,砂丘砂がもっともよく淘汰されていて(0.5以
下),浜砂,河砂はつねにそれよりも値が大きいことなどを手旨摘している。また,砂丘
砂は一般に他の砂よりも重鉱物の量が多いことをのべている(FRIEDMAN,
G.M.
1961)。
以上のように,粒皮紐成,円磨度,鉱物組成など種々の点から砂丘砂と浜砂との差異
が論じられ,多くの砂丘砂,浜砂などを統計的に扱う場合,または相接する浜と砂丘と
相模湾沿岸の砂丘の組成・時代などに関する若干の知見
41
の場合には,両者は組成上から比較的明瞭に識別されることが明らかとなってきた0
2)本地域における調査方法
相模湾沿岸における浜砂と砂丘砂との組成の差を明らかにするために,上記の研究結
果と作業上の便とを考慮して,粒皮紐成,円磨度,重鉱物の比率,貝殻その他の石灰分
の含有量を指標としてとりあげることにした,現在の波打ちぎわとそれに接する砂丘頂
部(現在形成中のもので植物におおわれていないもの)とからそれぞれ8地点をえらび,
何れも表面の砂を採取した。試料採取地点は第1図に示してある。これらの砂をつぎの
方法で処理した。
9, 16, 32, 60, 115, 250meshで
乾燥させた試料50gをTylerの標準ぶるいの5,
ふる}、, 8階級に区分した。そして各粒魔の重量比を求め,積算頻度曲線をえがき,そ
れから粒径のparameterとして,
INMANの用いた式により,粒径中央値,
(M(対-
1/2(¢5+¢95)
-Md
((q¢-1/2(卵4-¢16))・
壁)kurtosis
α¢
skewness(α¢1/2(¢95-¢5)
D・L・, 1953)。なあ細粒物質の量を知
(β¢- q¢ -q¢ )を求めた(INMAN,
?50)・淘汰度,
るために115
,
mesh以下(0・125mm以下)の量を求め,便宜上siltの含有量とみな
した。
つぎに,各試料から0・25-0・5mmの階級の砂粒を100こづっ顕微鏡下で観察し,
KR口MBEINの図(KRロMBEIN,
W.Cリ1941)と比較して円磨度を測定し,平均値を求
めたo粒径による円磨度の差異はないといわれるので(BEAL・
F・
M・A・
and
SHEPARP,
Pリ1956),作業の便宜上この地域の浜砂と砂丘砂の両方に比較的多く含まれているこ
の階級のみについて測定した。
さらに,乾燥させた試料の中,
ぞいてから60および115
20gをうすいアンモニア水で洗い,粘土分をとりの
mesbのふるいにか仇0.125-0.25mmのものをえらび出
し,それを比重2・8-2・9のトーレ液を用いて重鉱物と軽鉱物に分離し,乾燥させてか
ら秤量し,重鉱物の重量比を求めた。
つぎに,水洗して乾燥させた試料を20gとり,クエン酸の水溶液(水500ccに対し
クエン酸20g)に48時間ひたした後,ふたたび水洗,乾燥させて秤量し,
20gとの差
を,貝がらなどの石灰分がとけさった量とみなすことにした。
3)調査結果とその考察
調査結果は第1表にまとめてあるが,各要素ごとにかんたんに説明すると以下のよう・
になる。
Md?:砂丘砂のMd?は1・1-2・7,浜砂では0.3-2.5と,何れも場所によってかな
り異なり,はなれた場所でほMd¢の絶対値によって両者を識別することほむつかし
いoしかし,砂丘砂のMd?の最小が1・1であって風によって運搬し得る粒径の限界
を暗示しているらしいこと・また,第1表,第2図に示されるように,同一地点でほつ
ねに砂丘砂の方が浜砂よりも細粒であることが注目される。このことは,
の結果と同じである。なあ浜砂のMd?をみると,相模川河口付近でもっとも粗く,
それからほなれるほど一般に細粒となっており,浜砂を供給源とする砂丘砂もまたこれ
FRIEDMAN
太
42
陽
田
戸
子・瀬
則
子
C)
書芸蓋
F]
コ
⊂⊃
cy?
Ln
l_n
⊂⊃
寸
仁一
寸
Ol)
N
(エ)
寸
l_0
cy')
亡-
ぐつ
〔に)
0)
(工)
∝)
CY')
廿
CY')
N
CY?
廿
L∫)
r+
(⊃
8.ヨ4)
,.弓
U
く弓
Q)
よ言・aFq
ぐ/) (:に)
ぐrつ 廿
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唱
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召.pq)
愈
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一
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Q
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∞
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廿
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相模湾沿岸の砂丘の組成・時代などに関する若干の知見
43
に対応した粒径の分布を示している。
Md91の場合と同様に
q¢: q¢は浜砂では0・2-1・6,砂丘砂では0・2-0・7となり,
場所による差がかなりあってq¢の絶対値では必ずしも区別できないが,砂丘砂の方
がより淘汰されていて,また地域的な変化も少ないことほ明瞭である。同一地点でほ一
顧に砂丘砂の方の値が小さく(第3図),
FRIEDMANの指摘したことと合致する。なあ
o¢ とMd?とをくらべてみると,粒径中央値が小さいほどよく淘汰されている傾向が
ある。
α¢:浜砂では,
FRIEDMANの研究で
-1・2-0・3,砂丘砂でほ-0.8-0.4となる。
ほ,砂丘砂のα¢が負の値を示す点で他の砂と異なっていたが,本地域では第4図で
みられるように,
α¢は両者を識別する指標とはなりにくいようである。
1・3-0・4,砂丘砂で2.3-0.8となる。第5図からわかるように,個々
β¢:浜砂で,
の地点においては,一例を除いて砂丘砂の方が浜砂よりも大きい値を示し,両者を識別
する目安の一つとなりうることがわかる。
34,
KURTOSZS,P≠/
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DUNE
5.OEO
5・浜砂と砂丘砂の
KURTOSISの比較
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D〕NE
Fig・
Flg・
6・浜砂と砂丘砂のSILT量の比較
Siltの量:浜砂では0-6・3%,砂丘砂では0-8.8%となる。どの場合にも全量に
対する割合ほ小さいけれども,一般に同一地点では砂丘砂の方により細粒物質の量が多
く, SHEPARDらの結果と同じ魔向を示す(第6図)0
円磨度:浜砂では0・31-0.33,砂丘砂では0.33-0.38となり,
0.33をさかいとして
砂丘砂の方がまるい。また,第7図で示されるように,同一地点ではつねに砂丘砂の方
がまるい。このように,すでにSⅢEPARDらによって指摘された通り,円磨度はこの地
域でも両者を識別する指標とすることができる。ただし,円磨魔の測定にほ個人差がさ
をナられない点を注意する必要があるので,
0.33、という値をそのまi他地域に適用するこ
とはできない。
重鉱物含有量:砂丘砂では30-73%,浜砂でほ29-54%となり,砂丘砂の万に多
い傾向がある。同一地点でほ一つを除いてつねに砂丘砂において量が多い(第8図)。こ
SHEPARDら,
のことは,
BRADLEYの研究結果と一致する。なb,三位(1965)ほ,砂
丘砂に重鉱物が多いということに疑義をもち/むしろ砂丘砂にほ石英の比率が大きいの
太
44
田
陽
子・瀬
戸
ROUNDNESS..〉AL〕ES
則
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DUNE
DUNE
Fig.
Fig.7.浜砂と砂丘砂の
8.浜砂と砂丘砂の
重鉱物量の比較
円磨度の比較
でほないかと述べて(これに対する具体的資料は示されていない)いるが,少なくとも
この地域では上述の結果となっている。このように,砂丘砂に重鉱物が多い原因とし
て,
BRADLEYは,重鉱物は軽鉱物よりも円磨度が高く,風による選択運搬をうけやす
いという見解を出している。しかし,円磨度の測定値などの資料は出されていない。そ
こで,試みに本地域の16の試料について,重鉱物と軽鉱物とにわけて円磨度を測定す
ると第2表のようになる。この表でわかるように,砂丘砂,浜砂ともに軽鉱物よりも重
鉱物の円磨度が高く,
BRADLEYが考えたように,重鉱物は風による選択運粧をうけや
すくて砂丘により多く集中したと考えてさし支えなさそうである。また,重鉱物の集中
する砂丘砂において円磨魔の平均値が大きいということとも矛盾しない。ただし,何故
重鉱物がよりまるくなりやすいかということは今後の問題としてのこされている。
Table
2.現在形成中の浜砂と砂丘砂の鉱物ごとの円磨度の比較
Roundness
SafrlPle
of
Heavy
Minerals
Roundness
Light
of
Minerls
No.
Beach
6
35
12
36
17
34
29
33
36
35
37
34
44
35
45
35
Dune
.38
Dune
Beach
 ̄l
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.35
.34
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.34
.32
.36
.31
.35
.31
.37
.33
.37
.33
1
33
35
34
32
31
31
31
31
貝殻などの石沢分の量:前述の方法を用いた結果をみると,とけ去った量はどの試
料においても0.1-0.2g内外で,議論の対象とすることができなかった。今後,石灰
分をとかす時の方法,対象とする粒径などを十分に吟味した上で再検討をおこなうつも
りである。
まとめ:以上のように,この地域の浜砂と一頭荏形成中の砂丘砂について測定した結
果, Md¢, α少, ̄紳,siltの含有量,重鉱物の含有量,円磨度においては一般に一対の
砂の問に差が認められ,これらが砂丘砂と浜砂とを識別する指標となり得ることが明ら
相模湾沿岸の砂丘の組成・時代などに関する若干の知見
45
かになった。すなわち,砂丘砂は,浜砂よりも細粒でよく淘汰され,多くの重鉱物を含
み,′円磨度が高い傾向をもっ。これら′ゎことは,砂丘砂が,浜砂を供給源として風によ
る選択運搬をうけて堆積したことから生ずるものと解釈される。ただし,浜砂,砂丘砂
それぞれの中においても,運搬エネルギー,堆積環境などの差にもとづく組成の差があ
るので,それらの関係をより量的に求める必要があり,現在の段階では,はなれた場所
の試料を検討する時にある絶対値で両者を識別することはむつかしい。また,すでに
FRIEDMANなどが指摘しているように,一つの指標のみで区別するよりも,いくつか
の指標から総合的に判断することが必要であろう。
その分布
 ̄ⅠⅠⅠ.砂丘砂の組成と
1)調査方法
相模湾沿岸地域の砂丘砂の組成を知るために、,本地域に分布する砂丘のほぼ頂部に当
る部分において,
50地点から地表下豹40cmの砂を採取した。試料採取地点は第1図
に示してある。本地域でほ,駅の付近の市街地,工場の敷嘩などで右耳砂丘の原形が破か
'いされていることが多いので,試料の採取は必ずしも規則的におこなわれているわけで
ほないo
これらの試料について,砂丘砂と浜砂とを識別するのに有効であったMd?,
p¢, α¢,紳,silt含有量,円磨度,重鉱物含有量をIト2)で述べた方法を用いて求めたo
その結果を第3表にまとめてある。
2)砂丘砂としての認定
第3表の数値の中,
( )にいれたものは,先にのべた砂丘砂と浜砂との比較において
-砂丘砂の値と考えられたものからはずれたものである。もちろん,度々のべたようにあ
る絶対値で,あるいは一つの指標のみで両者を区別することほむつかしく,堆積状態な
どを加味して総合的に判断する必要があるから,
( )を付した値をもつ試料がすぐに砂
丘砂でないということにはならない。ただし,地点16においては,三つの値に()が
っけられ,その付近の砂丘砂ともかなり値を異にしているので,この試料ほかっての浜
砂であると判断した。こ⊥は,標高3m,周囲からの比高給1mの低い高まりである
が,ごく表面を除いては,浜堤に当る地形であろう。その他の地点の表面近くの砂は,
上述の分析結果からすべて風成の砂丘砂と考えられる。
3)各測定値の分布とその考察
Md¢:第9図は,第3表をもとに.して作製したMd¢の分布図である。この図から,
海岸線に近い南部でほ,相模川河口付近でもっとも粒径が粗く,一般にそれから離れる
・ほど細かくなっている傾向が認められる。これは,今村(1936)ののべた通りである。
とくに,東-向っての粒径の減少は著しい。相模湾沿岸では,現在主として東の方へ流
1962),今回調べた浜砂のMd¢もすで
.動する漂砂がみられるといわれ(荒巻,鈴木,
にのべたようにこれと似た変化を示している.すなわち,砂丘砂のM(坤は,海浜堆
≡積物のMd¢と対応した分布を示し,浜砂が砂丘砂の供給源であることをあらわしてい
る。なお,花水川付近でやゝ粗くなるのは花水川の運搬する堆積物の影響と思われる。
46
太
Table
Sample
No.
田
陽
子・瀬
戸
則
子
3.砂丘砂の分析結果(表面から40cmの探さの試料)
Median
Diameter
Md¢
Sorting
♂¢
Skewness
α¢
Kurtosis
β¢
Percent
Silt
Content
Round.
neSS
Percent
Heavy
Minerals
in
Fine
Particles
1
2
3
4
5
6
7
8
9
10
ll
12
13
14
15
16
17
18
19
20
21
22
23
24
25
26
27
28
29
30
31
32
33
34
35
36
37
38
39
40
41
42
43
44
45
46
47
48
49
50
2.4
2.4
2.5
2.1
2.1
2.7
2.2
1.9
1.6
2.0
1.5
1.9
2.4
1.9
2.0
1.4
1.3
2.1
2.0
1.7
1.6
1.9
1.6
1.4
1.9
1.5
1.9
1.9
2.0
2.2
2.0
2.2
1.4
1.1
1.5
1.7
1.2
2.2
2.0
0 3
0 5
0 6
0
0
4
4
0 2
0 4
0 6
0 6
0 6
(1 0)
0 5
0
0
4
5
0 4
(1 1)
0 5
0 6
0
7
0 6
0 7
0 3
0
5
6
0 4
0 6
0 6
0
0
5
0 3
0 5
0 7
(0 9)
0
0
7
6
0 6
0 5
0 7
(0 9)
(0 8)
1.9
1.7
1.5
(1 2)
1.2
0 6
0 3
0 5
1.1
1.7
1.4
1.2
(1・0)
1.5
1.5
0 7
(0 8)
(1 1)
(0 9)
(0 9)
0
6
(1 0)
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-0.5
-0.3
-0.2
0.3
0.2
0.3
-0.1
0.2
0.1
-0.4
-0.1
-1.1
-0.5
-0.3
-0.1
-0.2
0.3
0.4
-0.4
-0.4
-0.2
-0.4
-0.2
-0.3
-0.2
-0.5
-0.3
-0.2
0.3
0.2
0.3
-0.1
0.2
0.1
-0.4
-0.1
-1.1
-0.5
-0.3
-0.1
-0.2
0.3
0.4
-0.4
-0.4
-0.2
-0.4
-0.2
-0.3
1.5
i.2
0.7
1.1
1.1
2.3
6.4
10.2
5.8
2.2
2.3
8.8
1.0
3.7
0.8
0.9
1.1
0.7
2.5
2.2
2.2
1.1
2.7
0.8
1.4
(0・5)
0.8
1.5
1.6
0.8
0.7
1.3
1.1
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1.0
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0.8
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1.1
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56
47
61
.36
60
74
.35
.42
辻堂南西万で,砂丘砂,浜砂ともに周囲よりやゝ粗い部分があるがその原因は明らかで
ない。以上のような海岸線と平行する方向での粒径の変化は,内陸部-向うほど不明瞭
である。
海岸線と直交する方向のMd¢の分布をみるために,第1図の断面線に沿ってMd¢辞
をあらわしたのが第10図である。この図と第9図から,粒径中央値は内陸部にむかうJ
47
相模湾沿岸の砂丘の組成・時代などに関する若干の知見
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Fig・
10・砂丘砂の粒径中央値,
SILTの量,円磨魔の南北
方向での変化(断面の位置は第1図にあり)
ほど小さくなる傾向が認められる。これが,各砂丘形成時の条件のちがいによるもの
か,または砂丘形成後の風化作用の影響によるものかをきめることは一つの問題であ
る。以前に,筆者の1人が西津軽および房総半島の砂丘砂について調べた結果によると
(大倉, 1960),両地域ともに形成時代の古い砂丘ほど粒径は小さく,砂丘の形態も不明
瞭となっていて,それらを形成後の風化,侵蝕の影響によるものと解釈した。本地域に
おいても,内陸部の砂丘ほど土壌化が進んでいることから,同様に解釈したい。そし
て,先にのべた東西方向の粒径中央値の変化が,内陸部ほど不明瞭なことも,やはり形
成後の風化の影響と考えることができよう。すなわち,新しい砂丘では,粒径中央値は
砂丘形成時の条件のちがいを反映して地域的に異った値を示すのに対し,古い砂丘でほ
風化の影響によって細粒化するとともに形成時のちがいが不明瞭にされてゆくと考え
られる。
Siltの量:第11図は,各地点におけるsiltの量を,全量に対する重量比であらわ
したものである。この図から,
siltの量は南北方向で著しい地域差をもつことが認めら
れる。すなわち,最南部にあって植生におおわれていない砂丘では大体0-1%
(境川
の西方に8・8%という値を示す場所があるがそれを除くと大部分は1%以下)である
のに対して,もっとも内陸部にある砂丘では5-10%(10%をこえるところもいくつか
あり,最大は18・5%に達する)となる。そして,両者の中間に当るところでほ,
1-5%
内外の値が大部分を占め,明らかに北部の方ほどsiltの量がふえている。この傾向は
第10図においても明らかである.一方,東西方向での地域差はけんちよではない。
以上のべたように,
Siltのような細粒物質の量は,北方ほど多いという規則的配列を
もち,それが砂丘形態の不明瞭さ,粒径中央値が北部ほど小さくなることと対応してい
相模湾沿岸の砂丘の組成・時代胡どに関する若干の知見
・49
(
古モ
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51
相模湾沿岸の砂丘の組成・時代などに関する若干の知見
るなどのことから,砂丘形成後にうけた風化ないしは土壌化作用の期間の長短と関係し
ていると思われる。
Siltの量は,浜砂と砂丘砂との識別にさいしても有効であったが,
それ以上に,砂丘の形成年代の新旧を推定する目安として用いることができるように思
われる。
q¢その他:
6¢は大体0・2-1・1の問の値を示すoその大部分は0・3-0・7で,浜砂
とくらべてより淘汰をうけていることほ明らかである。その中で比較的q¢が大きい値
47, 48),丘陵に接するかまたはもっとも内陸部に位置する
を示すのは,河口付近(46,
ところ(32,
38, 39,
50)などである。前者は供給源に近いため,後者ほ形成後の風化作
用および後述するような軽石粒の混入などのため値が大きくなったのであろう。
α¢,
紳などの分布はきわめて不規則であり,十分に説明することができない。
円磨度:砂丘砂の円磨魔の分布ほ第12図に示されている。大部分の場所で0・35以
上となり,浜砂よりよく摩滅されている。東西方向での円磨度の変化はほとんどない
が,南から北に向うにつれて値が大きくなる傾向がある(案lo,
12図。これほ,
Siltの
量や粒径中央値の変化と同様に,おそらくは形成後の風化作用によって説明することが
できるであろう。陸上で風化を受けた時間が長いほど鉱物がまるくなるということは,
W・ C・ 1957)。
海岸段丘堆積物中の重鉱物について報告された例がある(BRADLEY,
まとめ:上述のことを以下にまキめてみる.本地域の砂丘妙においては,粒径中央
値は相模川から東-向?3:減少しており,これは海浜堆積物の粒径分布と同じ傾向であ
るので,供給源の砂の大きさと関係して,砂丘形成時に生じた現象であろう。一方内陸
の方へ向っても粒径中央値は減少する。これは内陸へ向ってのSiltの量の増加,円磨
度の増加とも対応していて,砂丘形成後の風化作用をうけた期間の長短を反映するもの
と思われる。その他の値の分布についてはきわめて不規則な配列をなしているため説
明することができず,今後の問題としたい。
ⅠⅤ.砂丘の形成年代およびそれに基く分類
本地域の海岸砂丘の形成年代を推定する資料として,砂丘の形態や配列などのほか
に,とくに,砂丘上の植生の状態と風化作用のおよんでいる深さ,火山噴出物との関
係, 14Cによる年代測定の結果などをとりあげた。第13図にはこれらの資料をまとめ
てある。
1)砂丘上の植生と風化作用のおよんだ深さ
前述のように,現在の海岸線付近にある砂丘のうち,葛川以東に分布するものにはほ
とんど植生がなく,一部分にコーポームギ,ハマヒルガオなどがみられるにすぎない。
それに対して葛川以西の砂丘および葛川以東で内陸に位置するものはマツその他の植
物で密におおわれており,また,砂丘砂の表面は腐植を含んで黒ずんだ色を呈してい
る。風化作用(腐植の形成を伴なっているので土壌化作用というべきかもしれない)の
およんだ深さを知る目安として,検土杖を用いて色の変った部分と新鮮な砂との境を求
めると第13図のようになる。この図でわかるように,風化を受けた部分の厚さほ,丘
1mまたはそれ以上に達するが,それ
鎮または台地に接するところでもっとも厚く,
52
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53
相模湾沿岸の砂丘の組成・時代などに関する若干の知見
より海側では次第に薄くなり,葛川以東の海岸線付近では,表面まで新鮮な砂が露出し
ている。
2)火山噴出物
この地域の砂丘上または砂丘中には,富士山の寄生火山である宝永山の1707年の噴
出物である火山砂および軽石がみられる(中野,
1956)。これらの噴出物と砂丘砂との
関係を野外観察およびききとりによって調べた結果を第13図に示した。台地または丘
陵に接する部分では砂丘の表面は火山噴出物におおわれていることが多い。一万,砂丘
砂中に火山噴出物が介在する例は少なくとも3点で確認され,何れも火山噴出物にお
おわれた砂丘よりも海岸側に位置している。このことは,宝永山の活動時には,内陸部
の砂丘はすでに形成,固定されていたのに対し,後者の砂丘は形成の途中にあったこと
を意味する。また,ところによっては水磨された軽石を含む場合が比較的滴岸に近い砂
丘にみられるが,これほ浜砂に供給された軽石が再堆積したものであろう。さらに'や
っとも海岸に近い砂丘では,火山噴出物は全く認められず,宝永山活動時より後に形成
されたことを示している。
3)流木の年代測定その他
平塚駅西口の地下道建設工事のさいに(1966年),標高7.1mの砂丘下で理木が発見
された。これについての詳細は,磯村(1967)により記載さたている。理木は,厚さ
5.1mの砂丘砂下にある
0.5-1cm大の円磨された浜機中から出土しており,かつて
の海浜に打ちよせられた流木が後に砂丘下に埋没したものである。この流木の14Cの1950±90
測定は学習院大学の木越研究室によっておこなわれ,
B.P.
(Gak-687)という
値が得られた。すなわち今から約2000年前には,平塚駅付近は海岸線に当っており,
その時の海面の高さほ環海面より約2m高かった。その後現有の位置まで海面は低下
した。以上の資料をもとに,平塚付近の砂丘の模式断面をえがくと第14図のようにな
る。
なお,海岸砂丘のような形成時代の新しい地形の発達史を考察する時にほ,考古学沿
道物との関係を吟味することは不可欠であるが,今回の調査でほまだ手をつけることカこ
できなかったので今後の課題としたい。ただ,茅ヶ崎市中尾の台地に接する砂丘上から・
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太
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戸
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碗文末期の堀ノ内式土器が出土したこと,平塚駅南方の砂丘上から8-9世紀の土器が
出土したこと(日野一郎氏の個人的な談話による)などを付記しておく。
4)砂丘の分類
以上の資料をもとにして本地域の砂丘を形成年代にしたがってA-Dの4群に大別
した(第13図)去
A群の砂丘:この地域でも-'Lとも古い砂丘群で,大磯丘陵南縁の海岸段丘面上およ
び花水川以東でほ相模原台地に接する内陸部に分布する。一般に厚さ1m以上の風化
された部分をもち,粒径中央値の小さいこと,
siltの量が多いこと,円磨魔の高いこと
などによって特色づけられる,もっとも風化作用を著しく受けた砂丘である。前述のよ
うに縄文式土器はこの砂丘から出土しており,もちろん宝永山の噴出物によっておおわ
れている。なお,花水川以西のA群の砂丘ほ,現在の海岸線に近いところにあるため,
一部分的により新しい時代の砂の影響を受けていることがある。
B群の砂丘:花水川から境川に至る地域において,
A群よりも南側に位置してい
る。風化を受けた部分の厚さはA群よりも薄く30-50cm程度である。
うちで,より海岸側に位置しているものは,
:2000年前にほまだ海浜であり,
B群の砂丘の
14C測定と火山噴出物との関係から,約
1707年にはすでに砂丘が形成を終えていたことがわか
る。この群の砂丘はさらに細分できると思われるが,まだそのための資料を得ていな
-い。
C群の砂丘:葛川から境川に至る地域においてB群の砂丘よりもさらに海岸側に分
二布する。風化を受けた部分の厚さは30cm以下で,粒皮紐成,円磨度などの資料から
ち,風化の程度が少ないことがわかる。この砂丘砂中に,宝永山の噴出物が介在してい
るので,その前後にわたる期間に形成されたものであろう。
D群の砂丘:花水川以東の現在の海岸線にすぐ接している砂丘で,植生はほとんど
なく,表面まで新鮮な砂丘砂からなる。火山噴出物は全く認められず,少なくとも宝永
山の噴火より後に形成が始まり,今もなお形成の途中にある砂丘である。
Ⅴ.砂丘砂の厚さと基盤の状態
1)砂丘砂の厚さ
砂丘砂の組成の垂直的変化および砂丘砂の厚さを知るために,野外で露頭を求めた結
果第15図で示したように8地点(位置は第18図にある)でかなりの深さの断面をみる
ことができた。各地点において,いろいろの深さから試料をとり分析した結果の例を第
・4表に示す。分析方法は先にのべた通りである。この分析結果を,前述の浜砂と砂丘砂
の識別の指標と比較し総合的に判断すると,地点7の表面下15.8m以 ̄Fにある砂襟層
を際いて,砂丘砂とみなしてさしつかえない。そうすると,上記各地点の砂丘砂の厚さ
 ̄は,地点7で15.8m,
8で,
>8m,
13で>15m,
54では5mとなる。
つぎに,平塚市役所,茅ヶ崎市役所,湘南海岸整備事務所などから試経費料を入手し
て露頭のみられない地点での砂丘砂の厚さを検討した。一応,疎まじりの砂層,裸層な
どがはじめてあらわれる深さを風成砂の下限とみなして,第18図に示すA-Sの19
55
相模湾沿岸の砂丘の組成・時代などに関する若干の知見
52
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4.砂丘砂の組成の垂直的変化
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相模湾沿岸の砂丘の組成・時代などに関する若干の知見
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Fig・
17・試錐資料による柱状図(2)
地点でその値を得た(第16,
(第15-17図の地点はFig.
18にあり)
17図)。したがってこの債ほ風成砂の最大限の値であって,
それよりも薄いことほありうる。以上の結果をまとめたのが第18図である。
この図をみると,砂丘砂の厚さは最大で16m,最小で2m,大体において5m前
後の場合が多い。前述の砂丘の時代的分類とくらべると,
A群でもっとも厚く(516m),
B,
C群でほそれにつぎ(3-8m),
D群でほもっとも薄い(3m以下)。とくに,
相模川以束でほ北部ほど砂丘砂の厚いのが目立つ。このような現象は当然砂の供給量
と関係していると思われるが,現荏の段階でほそれを分析できる資料をもたないので,
こ⊥にほ実態のみ報告し,今後の課題としたい。
2)砂丘下の基盤の性質と高度
砂丘砂の基盤をなすものは,何れも砂疎層または疎まじりの砂層であって,三位の分
戟(1965)による"風成砂の下に海成沖積統がある場合‥にあてはまる。その高さをみ
ると,相模川以東では北から南に向って徐々に低くなっており,沖積世における最大海
進の後に次第に海が退き,それに伴なって砂丘の形成域が南方にうつつたことを示して
いる。しかし,相模川-花水川問では全体として非常に高度が低く
4m以下でこのよ
うな変化は認められない。一方,花水川以西では砂丘の基盤はAl面とされる海成段
丘で,その高度は15m前後となる。
いま,一応同時代とみなしたA群の砂丘のみについてその基底高度をみると,花水
川を境として著しい差のあることに気がつく。すなわち,花水川以西でほその高度が
15m内外であるのに対して花水川の東でほ2m以下となり,さらに相模川の東方では
58
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59
相模湾沿岸の砂丘の組成・時代などに関する若干の知見
やゝ高くなっているが10mをこえることばない。これをどのように解釈したらよいで
あろうか。もしもA群の砂丘の基底がすべで同時代(Al面)の海面をあらわすとする
ならば,これらの高度の変化は地殻変動を反映するものとみなすことができる.相模湾
沿岸でほ,沖積段丘面の高度は酒匂川ふら相模川に向って低下しており,この傾向は関
東地震のさいの隆起量の地域的変化と対応していることはよく知られている。花水川
を境とす争砂丘の基底高度の変化はこのような運動の一端を示すものかもわからないo
ただし,花水川を境としてA群の砂丘の位置は海岸線からの距離を著しく異にしてい
るので,南北方向の憤動をあらわすという可能性もある(町田洋氏の個人的な談話によ
る)。
さらに,ここで同一時代とみなした基底高度が果してげんみつに対比できるものであ
るか否かも-づの問題である。すなわち,花水川以東の砂丘の基底はその西側とくらべ
て沖積世のより新しい時期をあらわすということはないであろうか。以上のように,砂
丘の基底高度の変化については,それらの数字が海面の指示者となりうるかどうかの吟
味とともに,沖積面の細分と対比とを正確におこなうことが必要であり,今後十分に検
討したい。
ⅤⅠ.む
す
び
のこされた問題点はその都度示したように多くあり,目的でのべたことに対する解答
ほ十分に与えられたとはいえない。しかし,大方の御批判をいただいて今後の研究を促
進させたいと思って,あえて今まで得られた結果のみをまとめてみた。各項目について
のまとめは夫々の場所でおこなっているのでこゝには繰返さない。
さいごに,今回の研究に当って試料の採取に協力して下さった当時の横浜国立大学学
坐,石川佳代,癖重允,一当問唯弘の3氏,この研究をおこなう契機を与えて下さった
平塚市教育委員会の磯村名男氏,その他いろいろ御助言をいただいた方々に心から謝意
を表したい。
引
荒巻
乎・鈴木隆介(1962)
用
献
文
:海浜堆積物の分布傾向からみた相模湾の漂砂について・地理学評論,
35,17-34.
BEAL,
M.A.
F.P.
SHEPARD,
and
Jour.
Environments.
BRADLEY,
J. S. (1957) ‥
percentage
of
(1956)
Differentiation
Minerals,
Heavy
AUse
:
to
Roundness
of
Determine
Depositional
26, 49-60・
Pet.
Sed.
of Marine
Mustang
Environments
Sub・aerial
and
Island,
Texas・
Jour・
by
Volume
Pet1
Sed・
2T,
116∼125.
BRADLlm,
W.C.
california.
Bull.
G. M.
(1961)
二FRIEDMAN,
Textural
花井重次(1926)
今村学郎(1936)
1NMAN,
D.L.
at
La
Origin
(1957) :
Geol.
:
of Marine
Soc. Amer,
Distinction
Characteristics.
Terrace
Deposits
Dune,
Jour. Sed.
Areal
and
Santa
Cruz
Area・
Beach,
River
Pet.
and
31, 514∼529.
地理学評論,
Sands
from
Their
2, 792-795・
12, 544-545・
:砂の研究・地理学評論,
Jolla, California.
the
68, 421-444.
between
:浜堤列の諸性質と湘南の砂丘について・
(1953) :
in
Seasonal
Beach
Variations
Erosion
Board
in Beach
Tech.
and
Men.
Nearsbore
(39), i-8?I
Sediments
60
田
太
磯村名男(1967)
KAUMBEIN,
W.
戸
子・瀬
則
子
39-64.
:埋蔵木と5F嫁市域の砂丘について・平塚市文化財調査報告書,第7集,
and
Geological Signi丘cance
of Shape
(1941) : Measurement
C.
of Sedimentary
ness
陽
Particles.
Jour. Sed.
Pet.
Round・
and
ll, 64-72.
5-12・
4,
三井秀夫(1965):海岸砂丘の形成について・第四紀研究,
143-146・
中野尊正(1956):日本の平野・古今書院,
大倉陽子(1960):西津軽地方における海岸段丘面上の砂丘について・地理学評論,
33, 628-
635,
6,
大塚弥之助(1930):大磯地塊を中心とした地域の最新地質時代の地史・地理学評論,
1-20,
113∼143.
S王1EPARD,
F.P◆
SHEpARD,
F.P.
YouNG,
and
Pet.
Jour. Sed.
(1964) :
(1961) :
Criteria
between
Distinguishing
in Modern
Environments.
Sedimentary
矢島
R・
Sediments
Useful
in
Developments
中(1941):湘南砂丘地域と-二の人文現象・地理学評論,
E RRA
Page
39
Beach
and
Dune
Sands・
31, 196-214.
1
Recognizing
I, 1-25.
17, 305-313・
TA
Instead
Fig.
in
Sedimentology,
INOMIYA
A′
42
Fig.
2
Mα¢
48
Fig.
10
Mα¢
52
Fig.
13
形式年代
of
Should
be
NINOMIYA
A_A/
Md¢
Md¢
形成年代
Ancient
Fly UP