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第5章 音楽としてのナンタ
第 5 章 音楽としてのナンタ 第5章 音楽としてのナンタ 5.1 ナンタに継承されたチャンダンの様相 第 5 章では,プンムルからサムルノリ,サムルノリからナンタへと継承され ていく過程に起こる韓国伝統リズム定型「チャンダン」の様相の変遷をたどる ことによって,ナンタの音楽に見られる伝統音楽現代化の方法を明らかにする。 5.1.1 チャンダンの概要 伝統音楽の大半にはチャンダンが用いられている。チャンダンには数多くの 種類があり,それぞれが固有の名称,固有の拍数, 固有のテンポ, 固有のフ レーズ感やアクセントを有することで他のチャンダンと区別される68。 民俗楽においては楽曲の構成がチャンダンの配置によって大まかに決定され, 実際の演奏ではその流れに沿って,基本チャンダンだけではなく多様な変奏・ 変化形が繰り広げられることになる69。例えば,独奏とチャング伴奏による散調 と呼ばれる音楽においては,遅いテンポのチャンダンから始まり,5 6 種類の チャンダンを演奏する間に次第にテンポを速め,最終的に最も速いテンポで終 わるような例がある。 チャンダンを基礎に構成される音楽では,ひとつのチャンダンの反復やチャ ンダンの組み合わせなどによって上位レベルのリズム単位が作られ,この上位 レベルのリズム単位の反復や組み合わせがさらに上位のまとまりとなる。上位 レベルのリズム単位は,基礎的なリズム単位と同様にチャンダンと呼ばれたり, カラク(加楽 가락)と呼ばれたりするが,カラクは音楽作品全体の名称として キム・ドクス(金徳洙)清水 由希子訳『世界を打ち鳴らせ―サムルノリ半生記』岩波書, 2009,pp.285 69 実際の演奏では基本チャンダンだけではなく,「変チャンダン」と呼ばれる基本チャンダン の変奏型も用いられる。 68 103 第 5 章 音楽としてのナンタ も用いられるので,本論においてはリズム単位を全てチャンダンと呼ぶことに する。 地域や音楽の違いによってチャンダンは少しずつ異なっており,その総数は 数百と推定されているものの,具体的な数の特定は困難である。音楽の違いは チャンダンの違いでもあり,チャンダンを比較することは音楽を比較すること でもある。 5.1.2 チャンダンの記譜 朝鮮時代の第 4 代王の世宗(1397 1450)が創案した楽譜であるジョンカン ボ(井間譜 정간보)にチャンダンは記譜される。ジョンカンボは四角(ジョン カン=井間)で示された拍の単位のつながりによって持続を表現し,ジョンカン の中に書き込まれた記号によって,発音される音についての情報と発音のタイ ミングとを伝達する。書かれる記号は楽器によって異なり,音律名,文字,そ の他の記号などがジョンカンボには記される。 本論で使用するチャングジョンカンボ(表 4)はチャンゴのためのジョンカン ボである。チャンゴはチャンダンに基づいた伝統音楽の演奏には欠かせない楽 器であり,左右の革をバチもしくは素手で打つことで,チャンダンに必要な音 の要素を的確に表現することができる。チャングジョンカンボにおいても様々 な記譜法が存在するが,ここではサムルノリの教材70で用いられる記号によって 記譜されている(表 4)。「○」は低音,「●」は高音を示し,それぞれの記号 の大きさが音の強さを表している。2 段に記譜され,上段には高音,下段には低 音に関する記号が記される。 表 4 に示した記譜法によって表 5 は制作されているが,表 5 には,ひとつの ジョンカンを 8 分音符に置き換えた音符表記が併記されている。 70 在外同胞財団・韓国芸術総合学校『私たちの文化を學ぼうシリズ』在外同胞財団,1999 104 第 5 章 音楽としてのナンタ 表 4 チャングジョンカンボの記号 5.2 プンムルとサムルノリにおけるチャンダン プンムルは韓国各地にあり,用いられるチャンダンの数は非常に多いので, すべてのチャンダンを網羅的に記載することは不可能に近い。1 回のプンムル上 演では 20 種類以上のチャンダンを用いることが多く,変奏される数も無数であ る。チャンダンの名称も地域によって多様であり,異なったチャンダンを同じ 名称で呼んだり,同じチャンダンを異なった名称で呼んだりすることも少なく ない。また,同じチャンダンであっても,ある地域では移動する時に演奏する が他の地域では決まった踊りのためにしか演奏しないなどの,独自の地域性を 持っていることも多い。(表 5 はサムルノリ教材とチャンダン教本を参照して 李敬美が再作成した71。) 71 韓国伝統芸術研究保存会『サムルノリ②三道ソルチャンゴカラク:演奏編』サムボ出版社, 1993 [原書名:한국전통예술연구보존회『사물놀이 2:삼도설장고가락:연주편』1993,삼호 출판사],キム・チョンマン(金淸滿)『韓国のチャンダン』民俗苑,2002 [原書名:김청만 『한국의장단』민속원,2002],キム・ホンソン『サムルノリとは何か』クィインサ:ソウ ル,1988 [原書名:김헌선『사물놀이란 무엇인가』귀인사:서울,1988] 105 第 5 章 音楽としてのナンタ 表 5 サムルノリで用いられる基本チャンダン 106 第 5 章 音楽としてのナンタ 107 第 5 章 音楽としてのナンタ サムルノリでは 23 種の基本チャンダンが用いられる(表 5)。この 23 種の基 本チャンダンは,1978 年の初公演直後に確定したレパートリーに含まれる 5 つ の基本的楽曲《ヨンナムノンアク》(嶺南農楽 영남농악)《ホナムウドクッ》(湖 南右道クッ 호남우도굿)《ウッタリプンムル》(웃다리풍물)《サムドソルチャ ンゴカラク》(三道ソルチャンゴカラク 삼도설장고가락)《ピナリ》(비나리)の 中で用いられたものであり,その後,《サムドノンアクカラク》(三道農楽カラ ク 삼도농악가락)《パンクッ》(판굿)72の 2 曲もレパートリーに加わったが,用 いられる基本チャンダンが増えたわけではない。この 23 種の基本チャンダンは, 複数の地域のプンムルで用いられている比較的よく知られたものでもある。例 えば,前に述べたカンルン・プンムルでは 20 種類程度のチャンダンが用いられ ているが,そのうちの 4 種類は,他の地域のプンムルでも用いられることの多 い,表 3 の〈2.チルチェ〉(칠채),〈5.フィモリ〉(휘모리) ,〈9.クッコリ〉 (굿거리) ,〈11.トントクン〉(덩덕궁) である。カンルン・プンムルにおいて は《ソナンクッ》で〈5.フィモリ〉〈11.トントクン〉が,《コルリプクッ》で 〈5.フィモリ〉〈11.トントクン〉が,《パンクッ》で〈2.チルチェ〉〈5.フィ モリ〉〈9.クッコリ〉〈11.トントクン〉が,他のカンルン・プンムル固有のチ ャンダンと共に用いられている。 長い伝統を持つプンムルには分類が困難な程に数多くのチャンダンがあるが, サムルノリでは総数で 23 種,ひとつの楽曲としては 5 6 種程度,90 分程度の 上演時間のナンタでは 12 種というように,用いられるチャンダンの種類は減少 している。用いられるチャンダンという視点に立てば,ナンタに見られる伝統 音楽の現代化とは用いるチャンダンの種類を楽曲にとって本質的に重要なもの に限定するということであると言えよう。 プンムルとサムルノリの音楽上の差異は,チャンダンの用いられ方にある。 プンムルで用いられるチャンダンは行事の性格や村の移動距離などのその場の 流れに合わせてその大まかな順番が決定され,ケンガリのリードによって演奏 される。プンムルの音楽は即興性が強く,サムルノリに見られるようなチャン 72 プンムルで行われるパンクッを 20 分程度に縮小したものであり,このレパートリーの存在が, 古くから継承されている伝統音楽というサムルノリに対する誤解の一因ともなっている。 108 第 5 章 音楽としてのナンタ ダン構成は行われないので,チャンダンによっては何度も反復・再現されるこ とがある。例えば,A,B,C,D,E という 5 つのチャンダンが用いられると仮定 したとき,プンムルでは A-B-C-A-B-D-A-B-E-A-B-A-B のような形で,同一のチ ャンダンが何度も再現されるのに対し,サムルノリでは,A-B-C-D-E あるいは C-A-B-E-D のように進行し,同一のチャンダンが再現されることはない。 5.2.1 《ウッタリプンムル》のチャンダン サムルノリ公演で演奏されるレパートリーのひとつである《ウッタリプンム ル》は京畿と忠淸道地方で継承されているプンムルの名称から由来している。 この《ウッタリプンムル》は,表 3 の1番から 5 番までの 5 つのチャンダン〈1. チョクチョギ〉(쩍쩍이)〈2.チルチェ〉,〈3.ユクチェ〉(육채),〈4.マ ダンサムチェ〉(마당삼채),〈5.フィモリ〉(휘모리)を用いて構成されて いる。《ウッタリプンムル》で用いられているチャンダンも拍数や固有のフレ ーズ感やアクセントか異なる。《ウッタリプンムル》を含め,サムルノリに用 いられているチャンダン名の由来はプンムルから由来しているものが多いが, その用い方は異なる。5 つのチャンダンは決められた順序で演奏され,次のチャ ンダンへの移行は奏者間の合図によって行われる(図 5-1)。 図 5-1 《ウッタリプンムル》のチャンダン構成 《ウッタリプンムル》のチャンダンは京畿と忠淸道地方で継承されているプ ンムルに用いられているチャンダンの一部を用いて構成されている。《ウッタ リプンムル》のチャンダンでチルチェ,ユクチェ,フィモリはナンタにも用い られる。ここでは《ウッタリプンムル》でのチャンダンの特徴とその由来につ いて述べる。 表 3 の1番〈1.チョクチョギ〉(図 5-2)チャンダンは演奏の時にチョクチ ョクと聞こえることから名付けられたと言われている。プンムルでは子供を肩 109 第 5 章 音楽としてのナンタ に乗せて座ったり経ったりする動作に合わせて叩いたが,サムルノリではそう いう動きがなくなり,座奏で行う。 図 5-2 <チョクチョギ>チャンダンのジョンカンボ表記と音符表記。ウッタリプンムルのチャンダ ンに用いられ,楽器の音が チョクチョク と鳴ることから名付けられたと言われている。 表 3 の 2 番〈2.チルチェ〉(図 5-3)の名称のチルは数字の 7 を意味し,ジン が 7 回叩かれるということから名付けられた。ジンはプンムルに使われる楽器 の中で細かく刻むよりは頭の拍を区別するなどの拍の取り方によって叩く部分 と数が決められる場合が多く,チルチェもそのことから由来している。チルチ ェのチャンダンはウッタリプンムルの代表的なチャンダンだと言われ,2 拍子と 3 拍子の混合しているのがその特徴である。 図 5-3 <チルチェ>チャンダンのジョンカンボ表記と音符表記。2 拍子と 3 拍子の混合チャンダン で一回のチャンダンでジンが7回を叩くことから名付けられたと言われている。 ウッタリプンムルに用いられる表 3 の 3 番〈3.ユクチェ〉(図 5-4)は多くの 地方にも同じ名称のチャンダンが存在するが全く異なる特徴を持つチャンダン を意味する場合もある。ウッタリプンムルでのユクチェは 10 拍のチャンダンで 110 第 5 章 音楽としてのナンタ 2 拍子と 3 拍子が 2+3+3+2 に混合している。スピードが早くなるとケンガリとチ ャングが交互に掛け合いを披露する場合もあるがナンタで用いられるときに掛 け合いは行われない。 図 5-4 <ユクチェ>チャンダンのジョンカンボ表記と音符表記。2 拍子と 3 拍子の混合で 10 拍チャ ンダンである。 表 3 の 4 番〈4.マダンサムチェ〉(図 5-5)のサムチェは 3 拍子系のチャンダ ンを表す。マダンサムチェはウッタリプンムルで最も早いテンポのフィモリに 移るための結びチャンダンとして用いられている。 図 5-5 <マダンサムチェ>チャンダンのジョンカンボ表記と音符表記。3 拍子のチャンダンでテン ポを段々上げてからフィモリチャンダンに移る。 表 3 の 5 番〈5.フィモリ〉(図 5-6)はプンムルとサムルノリだけではなくタ ルチュム,パンソリ,民謡のような他の民俗楽に使用されるなど幅広く用いら れている。ウッタリサムルノリではケンガリの掛け合いが特徴でナンタにおい ても用いられている。 111 第 5 章 音楽としてのナンタ 図 5-6 <フィモリ>チャンダンのジョンカンボ表記と音符表記。BPM140 程度のテンポで演奏される チャンダン。サムルノリで演奏される時には最後のチャンダンとして用いられることが多い がナンタではエピソードの進行に合わせて単発的に用いられている。 ウッタリプンムルでも見られるようにサムルノリにおいてのチャンダンは反 復・変奏されるものではあるが再現されるものではない。出現するチャンダン はあらかじめ決定されており,チャンダン出現の順序を決定することが楽曲を 構成することでもある。実際の演奏においては,ひとつのチャンダンの反復・ 変奏によって創出される音楽的持続が次に演奏されるチャンダンを導き出すこ とになる。この構造は 1960 年代アメリカのミニマル・ミュージック73に通じる ものがある。 ひとつのチャンダンの反復によって形成される持続は,サムルノリに比べて プンムルの方がはるかに長い。サムルノリでは,ひとつの楽曲が複数のチャン ダンで構成された約 15 分 20 分程度の作品であるのに対し,プンムルではひと つのチャンダンだけを 10 分以上演奏する事もある。 5.3 ナンタにおけるチャンダン ナンタでは,表 3 の中の,〈2.チルチェ〉〈3.ユクチェ〉〈5.フィモリ〉〈11. トントクン〉〈14.バンギルクナク〉〈15.タドゥレギ(다드래기)〉〈16.ヨンサ ンタゥドレギ(영산다드래기)〉〈17.タドゥレギメジ(다드래기맺이)〉〈18.ヨン ギョルチェ〉(연결채) 〈19.ビョルダルゴリ〉(별달거리) 〈21.メジ〉(맺이) 〈23.トンサルプリ〉(동살푸리) の 12 のチャンダンを基本にして劇中で演奏さ れる音楽が構成されている。エンディングの近くに韓国伝統舞踊であるサムゴ 73 1960 年代から盛んになったミニマル・ミュージック(Minimal Music)は音の動きを最 小限に抑え,パターン化された音型を反復させる音楽。単にミニマルと呼ばれることも ある。 112 第 5 章 音楽としてのナンタ ム(三鼓舞 삼고무)74のチャンダンを借用しているが,それがナンタにおいて 唯一サムルノリ以外のチャンダンを用いたエピソードである(以後,チャンダン については表 3 を参照)。 5.3.1 ナンタに用いるチャンダン ここではナンタで用いられているチャンダンの由来と特徴について述べる。 プロローグはシンバルに似たバラ(바라)やチンなどの金属製楽器と皮系の伝統 打楽器だけを用いて演奏される。劇中においては楽器に見立てた各種の厨房器 具(鍋,ゴミ箱,しゃもじ,箸,たらい,まな板,包丁など)が用いられるが, エピソード 8 では伝統打楽器と笛,エピソード 24 のエンディングでは伝統打楽 器も加わる。このような厨房器具の楽器としての使用はナンタが厨房の劇であ る制約から生じた工夫である。劇であることの制約は使用楽器の変更以外にも あり,それに伴うさまざまな音楽上の変更あるいは工夫が,ナンタの音楽の特 徴でもある。表 6 にナンタで用いられるチャンダンを出現順に記載した。 74 サムゴムはステージ後方の左,右,中央の三方に配置した四角い太鼓台に掛けた三つ の太鼓を打ちながら踊る舞踊である。 起源はスンム(僧舞:舞のひとつ。山型の笠をか ぶり,僧衣をつけて 僧侶の如く装って舞う舞)を踊った後,踊り手が解脱の境地に至る ため にポッコ(法鼓:正月に僧が担ぐ太鼓)を叩く行為にある。ナンタでは太鼓の代わ りに厨房器具を用いて演奏する。 113 第 5 章 音楽としてのナンタ 表 6 ナンタで用いられるチャンダン エピソード(上演時間) チャンダン (0) プロローグ(5 分) チルチェ,ユクチェ, タドゥレギ,ヨンサンタドゥ レギ,タドゥレギメジ,ヨン ギョルチェ,メジ (1) オープニング (3 分) ビョルダルゴリ,フィモリ (2) 支配人登場 (50 秒) なし (3) 野菜配達 (30 秒) なし (4) 料理指示 (1 分 30 秒) なし (5) 支配人の甥登場 (2 分) なし (6) スープ作り (6 分 30 秒) フィモリ (7) スープ味見 (3 分) チルチェ (8) スープの味見(観客 (4 分 30 秒) トントクン (9) 料理再開 (4 分 30 秒) フィモリ (10) お皿投げ (2 分 30 秒) なし (11) アヒルつぶし (3 分 40 秒) なし (12) アカペラ (4 分) なし (13) まな板 (8 分 30 秒) トンサルプリ,フィモリ (14) カンフー (5 分 30 秒) なし (15) 観客と拍手 (10 分 30 秒) フィモリ (16) マジック (3 分 20 秒) なし (17) 餃子作り (5 分 30 秒) なし (18) ケーキ作り (2 分 40 秒) バンキルグナク (19) 料理チェック (1 分 30 秒) なし (20) パーティ(サンモ)(1 分 30 秒) なし (21) 場面転換(エンディング準備)(50 秒) なし (22) サムゴム(三鼓踊) (1 分) サムゴム (23) ボール投げ (1 分 30 秒) なし (24) エンディング(4 分) フィモリ 114 第 5 章 音楽としてのナンタ プロローグでは〈2.チルチェ〉〈3.ユクチェ〉〈15.タドゥレギ〉〈16.ヨン サンタゥドレギ〉〈17.タドゥレギメジ〉〈18.ヨンギョルチェ 연결채〉〈21. メジ 맺이〉 (図 5-11)の 7 つのチャンダンが続けて演奏される。〈2.チルチェ〉 (図 5-3)は BPM8075程度の速さの 2 拍と 3 拍の構成単位が混在するチャンダンで あり,〈3.ユクチェ〉(図 5-4)もまた 2 拍と 3 拍の構成単位が混在する 10 拍子 のチャンダンである。 ユクチェに続けて演奏される〈15.タドゥレギ〉(図 5-7)〈16.ヨンサンタゥ ドレギ〉(図 5-8)〈17.タドゥレギメジ〉(図 5-9)〈18.ヨンギョルチェ〉(図 5-10) 〈21.メジ〉(図 5-11)は全て構成単位が 3 拍のチャンダンであり,BPM100 以上 のテンポで演奏される。プロローグではユクチェが終わってタドゥレギからメ ジにかけて次第に速くなり,エピソード1のオープニングへと移行していく。 プロローグは韓国伝統服という衣裳を着て,伝統楽器を用いて音楽が演奏され る部分であり,「伝統音楽の演奏」という事象が観客に強く印象付けられる。 これ以降の厨房器具による演奏は,このプロローグにおける記憶を参照しなが ら聴かれることになる。 図 5-7 <タドゥレギ>チャンダンのジョンカンボ表記と音符表記。BPM100 程度のテンポで演奏され る 3 拍子チャンダンでサムルノリではタドゥレギ,ヨンサンタゥドレギ,タドゥレギメジ, ヨンギョルチェ,メジの順番に演奏される。ナンタにおいても同じ順番に演奏される。ナン タではユクチェからタドゥレギに移り,小さい音量でヨンサンタゥドレギが演奏される。 75 Beats Per Minute 音楽で演奏のテンポを示す単位。1 分間に楽曲が何回ビートを刻む かということを指している。主に1分間に何回4分音符を刻むかで書くことが多い。 115 第 5 章 音楽としてのナンタ 図 5-8 <ヨンサンタゥドレギ>チャンダンのジョンカンボ表記と音符表記。BPM110 程度のテンポ で演奏される 3 拍子のチャンダン。タドゥレギを小さい音量で演奏し,音量を段々大きあげ ながらタドゥレギメジに移る。タドゥレギメジに移る直前まで速いテンポで緊張感ある演奏 を行う。 図 5-9 <タドゥレギメジ>チャンダンのジョンカンボ表記と音符表記。BPM120 程度のテンポで演奏 される 3 拍子のチャンダン。タドゥレギメジのメジという言葉は結びを意味し,タドゥレギ とヨンサンタゥドレギを演奏した後,ヨンギョルチェに移る前までを結ぶチャンダンとして 用いられる。 図 5-10 <ヨンギョルチェ>チャンダンのジョンカンボ表記と音符表記。BPM120 程度のテンポで演 奏される 3 拍子のチャンダン。 116 第 5 章 音楽としてのナンタ 図 5-11 <メジ>チャンダンのジョンカンボ表記と音符表記。BPM160 程度の速いテンポのチャン ダンの<メジ>は結ぶという意味で演奏が終わる時に最後のチャンダンとして用いられるこ とが多いが<メジ>を演奏した後<フィモリ>が続けて演奏される場合もある。 オープニングで演奏されるチャンダンは 2 拍のまとまりを拍子構成の単位と する,4/2 拍子の〈19.ビョルダルゴリ〉(図 5-12)と 4/4 拍子の〈5.フィモリ〉 (図 5-6)である。2 つのチャンダンは BPM140 以上の速いテンポで BGM に合わせ て鍋や厨房器具を用いて演奏される。 図 5-12 <ビョルダルゴリ>チャンダンのジョンカンボ表記と音符表記。BPM180 程度の速いテンポ のチャンダンで豊作を願う歌詞を言うのが特徴であるがナンタでは歌詞は省略されて,ダン ス・ミュージックと厨房楽器で演奏される。 エピソード 8 で演奏される〈11.トントクン〉(図 5-13)は 3 拍を拍子構成 の単位とする 12/8 拍子のチャンダンでジャジンモリ(자진모리)とも呼ばれる。 エピソード 13 では BPM80 程度で演奏される 2 拍を拍子構成の単位とする 8/8 拍 子の〈23.トンサルプリ〉と BPM140 程度の〈5.フィモリ〉がまな板と包丁を用 いて続けて演奏される。エピソード 18 では BPM100 程度で演奏される 12/8 拍子 117 第 5 章 音楽としてのナンタ の〈14.バンキルグナク〉が箸を用いて演奏される。エピソード 22 では韓国伝 統舞踊のサムゴムが演奏され,最後のエンディングでは〈5.フィモリ〉が伝統 打楽器とプラスティックドラム缶を用いて演奏される。 図 5-13 <トントクン>チャンダンのジョンカンボ表記と音符表記。フィモリ(図 5-6)のようにタ ルチュム,パンソリ,民謡のような他の民俗楽に使用されるなど幅広く用いられている。ジ ャジンモリとも呼ばれるトントクンは 12/8 拍子のチャンダン。 図 5-14 <トンサルプリ>チャンダンのジョンカンボ表記と音符表記。サムルノリのレパートリー ではチャングだけの演奏で用いられる曲に用いられている。チャングのばちを用いた動きが 特徴でナンタでは厨房器具を用いて演出している。 「まな板」エピソードにフィモリチャンダ ンと一緒に演奏される。 図 5-15 <バンキルグナク>チャンダンのジョンカンボ表記と音符表記。BPM100 程度の 3 拍子チャ ンダンでナンタではケーキ作りのエピソードでお箸を用いて演奏される。 118 第 5 章 音楽としてのナンタ プンムル,サムルノリ,ナンタは韓国の伝統チャンダンを用いている。ナン タではひとつの音楽の演奏時間が 3 4 分程度であることが多い。例えばオープ ニングは 2 つのチャンダンを1分 30 秒ずつ演奏する 3 分のエピソードであるが プンムルやサムルノリにはこのような 3 分程度の演奏時間の音楽などは存在し ない。またエピソード 1 のオープニングに見られるように,ひとつのチャンダ ンがわずか 20 秒の音楽として演奏されるという例もある。 このような音楽はブリッジ76的な性格を持ち,人物の登場と同時に一瞬だけ演 奏され,観客の注意をステージ上の状況の変化に向けさせることに寄与してい る。ナンタではひとつのチャンダンはプンムルのように執拗に反復されること はない。基本的に,ナンタでのチャンダンの配置については,物語の進行を妨 げないように配慮されているが,エピソード 13 のように伝統的なチャンダンの 一部を音楽そのものとして演奏することもある。何度も行われる〈5.フィモリ〉 の再現や,エピソード 8 やエンディングに見られる伝統楽器の再登場は,モチ ーフ操作や,テーマの再現といったような西洋音楽の作曲技法を連想させる。 このような手法が音楽としての統一感をナンタに与え,ほとんど反復されるこ とのない断片的なチャンダンと音楽以外の要素との結合によって冗長さを除き, 総合的な作品としての緻密な構成をナンタにもたらしている。 ナンタにおいては,プンムルやサムルノリにはあったチャンダンの反復は極 力抑えられ,作品構成におけるチャンダンの役割は,あたかも西洋クラシック 音楽におけるテーマやモチーフを連想させるようなものに変化する。サムルノ リにおいては避けられたチャンダンの再現という手法がナンタでは復活するが, それは,プンムルにおける即興的な決定の結果としての再現ではなく,作品構 築の手段としての再現である。そのように見れば,ナンタの冒頭,中間,終結 に配置されている伝統楽器による演奏もまた作品構成の要素として捉えること ができよう。チャンダンの音楽的役割という視点に立てば,ナンタに見られる 伝統音楽の現代化とはチャンダンを音楽作品構成のための要素と考え,ナンタ の上演に必要な 90 分という時間を構成していくことであると言える。 76 ブリッジは文字通り2つの異なるシーンを繋ぐように鳴らす音楽のことで,シーン移 行による時間経過や空間移動に伴う変化を強調したり,また逆に緩和したりするために 用いる。ここではナンタのエピソードとエピソードをつなぐための音楽のことである。 119