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最近のアウグスチヌス研究文献

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最近のアウグスチヌス研究文献
161
最近のアウグスチヌス研究文献
治
泉
典
生誕 1 600年記念論文集 Augustin us M agister (以下 AMと略〕は 我々に豊富な知 識を
与えてくれたが, これと前後して最近数年間にかなりの数の研究が提出されている。
AMの内容は 既にデュモリシ氏が「聖アウグスチヌス研究」 で詳しい解説をされたの
で, ここでは若干を除いてその後のそノグラフィーを中 心に解説宏進めたい。 勿論 今
日あらゆる角度からして急速になされつつあるアウグスチヌス研究を解説するという
課題には, ただ困惑するだ けであったが, 幸い
Rudo1 f
Lorenz ,
Aug st in l iteratur
s eit d. Ju bilä um v. 195 4 ( Theol . R un d. N F 25, 1, 1959, S . 1 ー 7 5 ) が到着したの
で, これから 多くを学び知ったのである。 以下に重要なものはほぼ掲載し た と 思 う
が, テキスト 及び聖書釈義については省略した。 何よりも イタリア語の文献を掲載し
え なかったのは, 日頃の怠慢の結果であることをお詫びしなければならない。
I
生
涯
【イ) (1) C h.Boyer : C hr istian isme et n eopl aton isme dan s l a formation de
S.
Aug . 1953, R om
(2)
・ ・ ・
:
Le retour à la foi de S . Aug . Doctor C omm. 8, 1955
(3)
J . O 'M eara: The young Aug. 195 4, Longman s
(4)
・ ・ ・
:
Aug . an d Neoplaton ism, R ech. aug . 1 195 8
(5) M . F. Si acca: S. Aug. et l e chri sti an isme 1956, Louvain
アウグスチヌスの回 心がキリスト教への回 心か , それとも新プラトン主義への回 心
かという Alfaric 以来の聞に対して , グルセル ( 告白録研究, 1950)はアンプロシウ
スの説教 De I saac vel anima の中に Enn eades 1,6 の影響を認め , ミラノに於ける
キリスト教的新プラトン派の 一群 (テ オドロス, シンブリキアヌス〉を推定し, この
回 心は新プラトン主義へか , キリスト教へかではな く , アンプロシウスに於て結合さ
れていた新プラトン化せるキリスト教への回 心で・あったと結論する。従って Al fari cの
問は見かけの聞にしかすぎない , と。 この結論はそれ自体非常に明快であったが, 回
心の意味と本質をーそう立入って考えるならば, 新プラトン主義がそこで果した役割
に関しては問題が残されている。 ポワイエはアウグスチヌスが「プラトン派の書物」
を読む前に母モ ユ カの信仰から 受けていたものを強調し, 更に教会の権威への服 従を
回 心の本質的契機と見る。 シアツカも新プラトン派に出会う前に, 既にそれを克服し
162
うる信仰の態勢にあったと考える。
だがこの解決の仕方は, 複雑な歴史的諸要因の絡
み 合いと奥行を持った回心の解釈とし ては, かなり視野の狭いドグマ的なものに恩わ
れる。
アウグスチヌスがパ ウロの書に接した時, 言の 受肉について福音と新プラトン主義
との相違を認めたが, なおヨハネ伝のプロローグについ ては両者の相違に気ずかない
点など, 正に全体とし てクル セルの主 張の具体的歴史的正しさを思わせるが, アウグ
スチヌスが一時キリスト教から離れ, 新プラトン主義に移行した時期を持ったと見る
のは正当 だろうか。 グル セルはミラノに於けるプロチノス的エタスタシスの体験を失
敗と見るのは正しいとし ても, それ だけではなく むしろ現実のキリスト教の存在解釈
と掴み直しの契機になったのではあるまいか。 またこの体験のホルテンシウス的解釈
は内的発展のある一貫性を示すと共に, 精神史的にはギリシアとラテンの特質の差異
を示すであろう。 オメアラ (3は
) アルファリッグの知的回心と道徳的回心という区別を
修正し, 秘教的個人的精神態度から一般的公共的精神態度への移行を 考え, 前者はプ
ロチノスに, 後者はポノレ込Pオスに負うことを示し たが, これは回心の問題の核心に
一歩迫ったものと思われる。
回心があった園の描写に文学的フィクションが 多いことは屡々指摘されるが, クノレ
セルによればアウグスチヌスが身を投げか けたい ちぢくの木はヨハネ 1,4 8による。 ま
た toll e l eg e と叫ぶ 少年 少女たちは黙示録 1 4, 1- 4による。 このように聖書とのパ
ラレルを示すのがグル セルの観点であるが, 必ずしも確定できるものではなく, また
回心の本質把握としてはなお抽象的であろう。 アウグスチヌスは toll e l ege を 〔聖
書〕をとっ て読めと解したが, それは修道士の伝統から来る。 この点で「 少年 少女の
合唱」のピジョンをアフリ カの殉教者記録に見出したグル セルの研究 (次項参照〉は
興味深い。 アウグスチヌスの回心は最 終的には, 殉教理念と
、 初期修道士理 念 か ら 発
し, それらの現実の 終了と共に, キリスト教会の存在意味の原理的変貌を把えたこと
であると思われる。 このように考えるならば
, 回心の問題のより深く広い視野をもっ
学問的研究は, なお今後の課題とし て無限に開かれ ている。
〔ロJ
(6)
P. Courcell e: Antécê dents auto biograph i que des C onfess. de S. Aug.
R ev. phi10 1. litt. et h ist. anc. 3 1, 1957
(7) G. N. Knauer : Psal menz itate in Aug. Konfess. 1955, Gð ttingen
(8)
・ ・ ・
:
Peregrinatio animae, Hermes 8 5, 2, 1957
(9) A. P incherl e :Quel que remar que sur l es
nou v. Cl io, 5- 7, 1955ー7
C onfess . de S. Aug. La
叩]. F onta ine: S ens et val eur de imag e dans l es C onfess. AM, 1
(11) H. F ug ier : L' image de Dieu. centre dans l es
Re v. E tud .Aug.I, 1955
C onfess de S; Aug..
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回 心と告白との間に, 従っ てまた告白録の文学的情造との簡には深い連関がある。
(確かに回 心体験のこれ程文学的な記述は, キリスト教ではかなり異様である〉この
連関の本質的意味にどの程度迫りうるかはともかくとし て , 女学的構造の偶別的研究
が進んでいる。 グル セルは自伝のキリスト教的伝統を示し ている。 自伝を罪の表明の
形式で行うものは東方的修道士に由来し, 思寵による悔改の叙述は西方教 会 的 で あ
る。
( カルタゴのキプリアヌス〉また合唱する子供達のピジョンはアフリカの殉教者
記録や, ナヂアンズスのグレゴリウスの回 心に見られる。
(紛は告白録の統一性を論じた 異色あるものである。 従来 1 1- 1 3巻の創世記註解の前
にある 10巻が後の挿入でないかと屡々疑われた。
( Wil1inger, C ourcelle)グナウエル
は各書と各部分を結合する同ーのモチーフと, それに応ずる聖書の引用を指摘する。
詩篇 10 2, 3 (主 はすべての病を医し給う。 邦訳 10 3 ) が 10巻の初めと 終りにあっ て各
1 9, 1 1に結合する。 peregrinati o animae という
部分を結合すると共に, 10巻を 1 巻
主題は, 魂が病と不安と困窮から逃れて永遠の神の家の平和に赴く旅である。 アウグ
スチヌスはこれをルカ伝の放蕩息子の物語にたとえたのである。 もっともピンケレ(9)
1 以降の 終了後の掃入と見る。 グナウ
は 10巻の初めと 2 8, 3 9以下 (記憶論の後〉は 1 巻
エル (7は
) この 部分を 取除いているので, 告白録の統 一性の問題はなお残されている。
仰と凶は文学的措写の研究である。 それはプラトン的用語と聖書的用語が主なもの
であるが, その行情的冥想的スタイルは説教から生れたものであり, それがこの書に
一般的通俗的性格を附与した 。 或いは聖書釈義の練習にも関 係 す る と云わ れ る 。
(M ohrmann)このことは 恐らくアウグスチヌスの回 心の歴史性とその意味づけ に 対
し, 極め て重要なものを示唆する。
〔ハ〕閥 W . C. F rend: The Gnosti c M
- ani chean Tradition in
R oman
North­
Af1ica, J ourn al of Ecc1 . Hist. 4, 195 3
tta L. H.Grondi; s: Analyse du mani ch長isme numidian au IVe si毒 c1 e, AM,
III
tt41 P. J . de Manasce : Aug..M a ni chéen, F reundesga be f. E. R.
Curti us,
1956, F rancke, Bern
tt� A. Adam: Der mani chäische U rsprung der
Lehre v. d.
2
R ei chen
bei Aug., Th. Lit. Z eit. 77, 1952
nEt
-
- -: Das F ortwir ken des Ma ni chäismus bei Aug., Z.K.G. 77, 195 8
tt7l - - -: Tex t z um Ma ni chäismus, 1954, de Gryter, Berlin
!1s M. Boycer : The M a ni chean
Hymn-Cyc1 es in
Pa rthia n, 1954, O x f.
U ni v.
マエ教がアウグスチヌスの思想に何らか痕跡を与え ているという問題は 古くからあ
ったが, 最近の 宗教史研究の進展に伴い, アウグスチヌスに於 けるマ ニ 教の問題はい
1“
よいよ重要なテーマとなった。 マニ教は時代と場所を分けて論ずる必要があるが, 同
と問は 北アフリカについて解明したものである。 Fren d によればカルタゴのマニ教と
グノーシスとは連続している。 このグノーシス派は旧約聖書を拒否するが, パ ウロを
霊覚者として 受入れており , それ 故アウグスチヌスはマエ教時代にパウロを知りえた
のである。 マニ教とカトリッタ教会との関係も興味深い。 ドナチスト教会から斥 けら
れ たマニ教はカトリッタ教会に避難することが出来た。 ここから してアウグスチヌス
に対するドナチストの反感の強さが一部説明される。
ベチリアヌスとの論争)また
(
西方教会にマニ教が残存しえたのは, アウグスチヌスの思寵と予定の教義を用いたこ
とによる。 Gron d i js はヌミヂアのマニ教の三位 一体論の形式を C . Faust. 20 , 2に見
た。 キリストは神の力, 智慧である。
コ
( リ前1 , 24)神の力は太陽に, 神の智慈は
月に住む。 この考えは C orpus Hermeticum にも 多く見出されよう。
叉 多少の用語の
差異はあって も, 新プラトン主義にも見られる。 そしてこれら 古代末期 宗教史の一般
的用語からアウグスチヌ'ス も完全に免れていたのではない。
二つの国の観念、lこマニ教 の 影 響があることは,以前 C om bès が指摘したが, A.
Adamが 再び示している。 原人アダムにお ける人類の統一, カインとアベノレの象徴解
釈 , 予知による支配 , 善悪の混合などの考えにマエ教の影響が見られる。 マニ教がア
ウグスチヌスに入 って来たのは, それのもつ讃歌の敬虞性によるものである。 マニ教
が云う完全人 v ir perfe ctus をキリストと教会 も形成するのである。
A. Adam は闘
で告白録の中のマニ教の影響を詳しく調べた。 自己の罪悪行為の表明は, 春のベマの
大祭のそれと連関する。 また詩篇の引用の仕方,1 3 巻という構成 ,教会概念の中にそ
の痕跡が認 められる。
聞のテキ ストはラテン, ギリシア, シリア, アラピアのマニ教の資料抜粋であり,
古代教会の論争の理解に利用される。
闘は今世紀の初め
Turf 五n から発見され たも
のの最後の章の復原で , 死者の魂の運命と光の国への上昇を歌う葬式歌である。 その
後 エジプトから発見され たコプト語の讃歌と種々共通性 がある。 聞はこれらの信穏 し
うる中央アジアとエジプトのテキストを余り幸リ用 していない。
(=) (1明P. Keseling : Aug . un d Quin tilian, AM, 1
捌 A.Kurfess: Vergils 4 . Ekloge bei H ieronymus u.
Aug., Sacr is
Erudir i 6,195 4
削 A. S ol ign ac : An alyse et source de la Question De Ideis, AM, 1
凶 ・・・: Do xographies et man uels dan s la format ion de
S. Aug. R ech.
aug. 1,195 8
アウグスチヌスの有した 古代的教養についてはマルー「聖アウグスチヌスと 古代文化
の 終末J 1
( 9 4 9 2)に詳 しく叙述されているが, これらはその個別的な研究である。 酬
はレトリッグの領域でアウグスチヌスとクインチリアヌスの聞に接触点を見るが, そ
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の 直接的依属性は 証明され ないという。 酬はアウグスチヌスが ヴエルギリウスをキリ
ストの 予言者と見たことから, ヒエロニムスと論争したことが示される。 ( ep.5 3,7)そ
の際アウグスチヌスの 方がはるかに自由な態度であったと云われる。
S olign a c
闘は
8 3諸問題集46の イデア論の源を, Didaska lios に 遡 る中期プラトニズムの概説書のラ
テン 訳に見出した。 従ってアウグスチヌスの哲学史の知 識はキケロよりもよいi源泉を
持つとされる。また 闘では C . Acadふ10,2 3 などのキケロ的でない学説史を 追 って お
り,ピタゴラスと新アカデミア派についてはキケロより ヴ7ロが顧みられる。 またア
プレ イウスの 訳したニコマコスの数学を知 って お り,この ヴァロとユコマコスの影響
が 聖書と結合してアウグスチヌスの数の思弁を生んだとされる。 又 ci v . Dei 8,2 は テ
オプラストスの physicae opin ion es とソチオンの diadochai の影響を示すとされ,
S oligna c はこれらをコルネリウス・ケル ソスの op in ion es omn ium philosophorum
に 帰着させ ている。
〔ホ〕凶 G.Bardy: Un 是l è v e de
S. A ug. ; L icen tius, L' Ann ee
Th éo1 . a ug.
1 4, 1954
凶 M . de Gon zague : Un correspon dan t de S. Aug. ; Ne br idius. AM,1
(2� R. Joly : S. Aug. et l' in tr élan ce relig ieuse, R e v . Be lge dePhilo1 . et
d' Hist. 3 3, 1955
同 OPer1
.
er : Les v oyag es de S. Aug. R ech.aug. ,
1 19 5 8
聞と凶はアウグスチヌスをめぐる重要人 物の研究であり,この種のものは今後の 伝
記研究に不可欠である。
闘はドナチストに対するアウグスチヌスの態度の変 更を年代的に 追 っているが,大
体は C. Fren d, The
Donatist
C hurch, 1952 によるものらしい。 だがアウグスチヌ
スを 不寛容と見一一それは一部正当だとして も一一ドナチストの 寛容と対比させるの
は 如何なるものであろうか。
闘は旅行の日時と場所を克明に 誰べてお り,それらが説教や書簡の年代 決定に重要
な役割を果している。
〔へ〕捌 W . HU mpfn er : Die Mðn chsreg e l des h1 .Aug. AM,1
凶 .
F Chati110 n : Quel ques remar que sur An te O mn ia, R e v .Etud.Aug.
2, 1956
倒 G. Folliet : Des moin es en chites à Carthage en
400-,
1
Stud.P atr.
1I,19 57
北アフリカ教会でアウグスチヌスが非常な努力を注いだ修道制は,やがて西欧的キ
リスト教の展開を導く重要な因子として,思想史的にも社会 経済史的にも尽きざる学
問的興味のある問題である。聞は DM ( Disciplin a M on a sterii) の信想性, 及び RA
( Regula Augutin ii) がもともと男子用のものか, 婦人用のものかを論ずる。
DM は
1“
De rno r. ecc1 .ca th. との密接な関係によってアウグスチヌスのものであると確かめら
れる。 また R A は De op.rno nach . や説教 3 55, 3 56 と関係せしめられ, 元来男子
用であったとされる。 DM は 388- 9 1年 にタガステで成立 した。 R A は用語的には
3 93 年よりも後ではない。
北アフリカの修道制に対するエジプト, パレスチナ, カパドキア等のオリエント的
影響を闘は論じている。 また闘は De o p. rno nach. について, アウグスチヌスと論
争 した修道者と M essalia ni とのパラレルを示している。 カルタゴには東方的由来を
もち, メツサリアの 異 端を 受けついだ修道院が存 していた。 それ 故アウグスチヌスを
北アフリ カ修道院の父とするのは厳密には制限される, と云う。 しか し勿論ここで東
方的西方的類型を区別するならば, アウグスチヌスに於ては, それが教会に基礎をも
ち, 都市におかれ, 司祭が集合 し, 禁欲をマ ツシーフなものとし, 日常的労働を導入
した点で, オリエントやエジプトの個人的苦行的荒野主義とは質を 異にすることは云
うまでも ない。 西方教会はかかる仕方て・の合理化により, 個有な 宗教性を保存すると
同時に, カトリ カの理念を社会的文化的にも遂行 したのである。
正
〔ト〕側
F. K õr ner : D ei
哲
Entwic klung
学
Aug s. v. d. A na rnnesis zur
Il lu rni na ­
tio nslehr 巴i rn Lichte sei nes Innerlic h kei tspri nzip s, Theo 1.Qua t. 13 4,
1954
�V - - -, Deus i n ho rni ne vide t, Das Sub je kt der rne nsch liche n Er ke n­
ne ns nach d. Lehre A. ,
5 Philo s.]b . d. G口rresgesellschaf t 64, 1956
倒
v. Wa rnach : Er1 euchtung und Ei ns prechung b ei Aug . AM, 1
認識論では今日でもケリン, ヘッセン, ジノレソンなどが基礎的であるとされている
が, ケルネルはかなりラジカルな見解を示している。 彼はアウグスチヌスに於て最初
新プラトン派から 受容した想起説と後の照明説とは, t:こだ解釈の仕方が 異なるだけで
ある, と 考える。 乙の 二つを結合するものは, 英知的対象の先天的認識が人間の内面
に受容され, そこに生ずるという内面性の原理である。 魂が神を認識するには, 魂に
内在する神の永遠の光に戻ら ねばならぬ。 認識の主観客観, その両者の関係, 及び全
体の形市上学的根拠は内面性の領域に属する。 勿論人間の認識主
観たる内面と, より
内なる客観的な
Deus - veri tas とは区別される。 しか しケルネルは霊魂における神の
内在を存在論的に照明と同ーの意味に解 し, Deus -ve ritas を客観の側だけでなく認識
主体の側にも見出そうとする。 神の創造のヲチオの永遠的活動は, 人間の被造的ラチ
オを照し貫ぬく。 Deus i n ho rni ne vide t とは, 神についての人間の思惟が, 神の自
己についての思惟である, ということを意味する。
だがこのいちじるしく観念論的な解釈も, メモリア, 殊に rne rno ria Dei に関して悶
161
最近のアウグスチヌス研究文献
難な問題があることを示している。 ケルネルはメモリアを英知的認識のi原泉と見て,
理性的内容がそこに存することを, 霊魂における deus - v erit as の内在を以て基礎づけ
んとしたのである。 ジルソンはかかる仕 方でメモリアを形而上学的なものに高めるこ
とを拒否している。 人間の神への向上だけが神の中にあり, メモリアが神を含んでい
るのではない。
(序説 13 9頁〉だが人が生得的にもつ memoria
Dei の中に含まれた
ものが散乱した知識であるとしても, なお自然的な不滅なものであるならば, 英知 的
認識, 神の認識は人聞の自然の中におかれたものの上昇であり, 人間はもともと有す
る真理認識の能力によって神に照らされた本質であると考えられたのではないのか 。
このような問は一概にペラギウス的だとは云い切れない。 少くとも哲学的にはかかる
疑問はアウグスチヌスに対し繰返し向けられるものであろう。
Warnach の論文についてはデユモリン氏が紹介されたけれども, 一つの疑問があ
る。 照明はジルソンの云うような単なる比喰ではなく, たとえ直接体験をこえている
としても, なお「 糞の光」であり, アナロギアが存することは否定 されないが, 依然
primum an alo ga tum に留まっている。 照明は神の言に与かることであり, 照明と語
りかけとは等しい。 そこで認識は言語的性格をもつに至る。 神の側からの照明に基い
て思惟を言語に表わすととにより, 知識の対象について実際に語り, 真の判断に至る
のだとされる。 だがアウグスチヌスに於て loq utio から
v i sio が生ずるというこの
解釈は正しいだろうか。 むしろ逆に v i sio から loq utio が生ずるのである。 英知的
カテゴリーの領域では言は言語的機能を失い, その限りで照明にせよ諮り か け に せ
よ, 必然的に比喰的である。 即ち非本来的な池上の言葉で以て霊的世界を語るのであ
る。 løq utio よりも res, visio が重要であることは少くともアウグスチヌスの根本傾
向であろう。 この意味でヴルナハの言語哲学的解釈は問題の核心に触れつつもなお十
分納得し難いものがある。
〔チ〕闘 F. G . Thonnard : On tho lo gie a ug.
, L' Ann ee Thêo1 .Aug. 14 195 4
凶
R udolf Schn eider : S eele un d S ein b ei
Aug. un d
Aristo teles, 1957,
Ko hlhammer
聞は AM の寄稿論文に続くもので, アウグスチヌスの存在論のプラトン的特質を
のべている。 神, 三位一体から出発して存在・本質・実体の概念、を 論じ, 存在者と第
一の存在たる神との関係を分与に於て見, 従ってアリストテレス的思、惟の要素を積梅
的には認め難いとする伝統的見 地に立っている。 他方凶はアウグスチヌスの存在論に
アリストテレスの概念を
、 積極的に認め, しかも資料の綿密さと体系的一貫性を持つ点
で画期的な論文である。 M ein hold の後書きによればシュナイダーは没前のほとんど
25年間をこのテーマに俸げたと云われる。 存在論は 事物の内的根拠としての存在を探
究する。 実体の存在の内的根拠にはその本質の実現, 即ち生成と運動が属する。 シュ
ナイダーはこのことをアウグスチヌスの霊魂論について確認せんとする。 魂はある仕
168
カで存在者であり, 存在者の存在を開示する。 そこで魂の生長能力と知覚能力を詳細
に検討する。 この能力は究極的には「存在の救い」に仕えるものに他 な ら な い。 存
在の救いとと analo gia en tis とは密接に関 係する。 一体アウグスチヌスを してアリ
ストテレスに近ずかせたものは, 実は聖書的・キリスト教的要素な の で あ る。 例え
ば創世記 1 , 2 ( 植物の分類! ) an a lo gia en tis に於てはμ釘áßαalr;;εlr;; &;').0
0
rÉ;IiOr,;はありえない。 存在者の形相的自向性をアウグスチヌスは考えている。 不変的
な神と可変的世界との関係が彼の中心問題であるが, an alo gia en tis の考によって新
プラトン主
義とマニ教の魂 の転生説を拒否した。 神が他のものに変ることはありえな
いのである。 だが それだけでなく, 同時にアリストテレスを 超えるものが示される。
それは創造の 信仰から来る。 神は世界を段階的に創造し, 存在者は各々の段階に於て
in suo gen ereに善で・ある。
シュナイダーは生長能力 ( v i ta)をアリストテレスの植物魂の概念に一致させるが,
アウグスチヌスはマニ教の植物魂の 考えを拒否したのであり, この点 や や体系的すぎ
るかも知れない。 他方魂の知覚能力につい て非常に興味ある見解を提出する。 内的知
覚は魂の能力であるが, シュナイダ ーはジソレソンと 異なり, そこに能動・ 受動の二つ
のポテンツを認めるのである。 内官の 受動能力とは, 正に存在者の形象を 受入れるも
のであり, 同時に それを保つメモリアの場所に他ならない。
I内官の 受動能力は, 今
現にある存在者に関しては知覚であり , 今 そこにない同ーの存在者に関しては記憶で
ある 。」ここでも存在の救いのモチーフが貫かれるのを見る。
〔リ〕闘 A. Mi tterer : Die aristo te lisc he Umdeutu時der aug.En twic klun gs­
le hre b ei T h. v . A quin , R e v .E tud. Aug. 1, 1955
: DieEn twicklun gsle hre Augustin s, 1956, Herder
閥
・ ・ ・ ・
間
C h. Boyer : La no tion de n a ture c hez S. Aug., Do cto r
Comm uni s
8, 1955 (; S tud. Pa tr. rr , 195 7)
聞には「聖トマスと現代の世界像との比較」という副題がある。 それは教会的トミ
ズ ムに欠けた発展説をアウグスチヌスに見出し, 更に現代の自然科学的進化説に答え
んとするものである。 アウグスチヌスとトマスでは有機体の生成発展について根本的
に見解が異なる。 トマスでは tec hnomo rp h であり, 世界は製作の場所であるが ,ア
ウグスチヌスでは geo rgomorp h であって, 世界は植物の場所であり, 有機体は神の
見守る内的発展によって生ずる。
事物の先在的イデアの総体はU r wel t であり, それは神の創造の思惟内容と 考えら
れるものだが,自己を質料的に展開し,後は生ずる被造物の形体をとる。 その発展系列
en ( semina sem in i um )
・
U rorganism en - Sam en . O rganism en である,
はE lem en teUrsam
ここでUrsam en が中間におかれているが, それが e lem en ta から生ずるのは ra tio
semi n a lis によるのである。 従って o cc山io ra elem en torum semina( trin ム9, 17)は
最近のアウグスチヌス研究文献
169
re le men ta から生み出された se minaJと意訳される。 この考えは発展的活力をイデア
の個有 超越性から白分
日 的に生物学的内在に移す試みであろう。 semen は se men の体
と ra tio
se minalis から成る。勿論 ra tio se min alis は se men の体の数的構造とは区
別される。 その数的構造はイデアの模倣として , 神の創造のイデアに於て先在すると
考えられる3 しかしアウグスチヌスの発展説がこのような内在的なものの独立性を明
確に知っていたかどうかは , かなり疑問の余 地があると思われる。
〔ヌ〕岡 Chaix品ly : S. Aug., Temps e t Histoire , 1 956,E tud.Aug.
時間論については AM にも三つの論文が寄稿されたが , この書は単なる歴史的研
究以上にすぐ れた哲学論文である。 前半では時と永遠を霊魂と存在の関係で把える。
存在は永遠に属し , 魂は時間性に属する。 ここで心理学と存在論が出会うのである。
時間は di sten tio an imae と云われるが , それは魂が時間の創造者, 主人であること
を意味するのではない。 時間の存在は意識に於ける流れをこえた所に基礎 づ け ら れ
る。 神の永遠の思惟は 事物の一切の時間規定を含んでいる。 だが時間は永遠の純粋な
存在にまで至ることはない。 時間の存在は被造的存在であり, 神が時間の創造者であ
る。 永遠と時間の聞には incom men surab il
i té (パス カル〉がある。 人間の時間は それ
自身と しては消滅に向う時であり, キリストの 受肉が初 めて時を永遠に導く の で あ
る。 かかる時聞は終末論的であるとも云えよう。 この書の後半では心理的時間と歴史
的時間の対応が示される。 神の国の時は喪失的な時の中に希望を 再建する。 disten tio
an im ae という時間の定義はここで明らかになる。
即ち時間の心理学的持続は永遠の
存在への召喚であり, このプロセスが歴史の意味と内容と して考えられたのである。
〔ル〕倒 R E
. . C ushman : F aith an d Re ason , in Compan ion to the S tudy o f
S . Aug. 1 955, O xf.Uni v.
附 K . Lð wi th : Wissen un d Glauben , AM, 1
削 P. M.Lð hre r : De r
Glauben sbe grぽ d. h1. Aug. in
se inen erste n
Schri f ten bis zu d. Con fe ss., 1955, K ð lin
信仰と認識の問題 , 即ちそれらの秩序づけが所 謂キリスト教哲学を可能にするか否
かについては 完全に見解が分れる。 前掲(5で
) シアッカは最後の数頁でキリスト教哲学
の可能性を論ずるが , 受肉に基いて人閣の自然的理性と 超自然的信仰は具体的に結合
し , 理性の真理と信仰の真理との問には Par ticip ation véc ue があると考える。 だが
これとは異なり, カトリッグの内部でもアウグスチヌスに於いてキリスト教哲学を人
間学的に基礎づけんとする試みはある。
hia cordis be i
AM. 1に 予告された M ax se in, Philo sop­
Aug. もそれに属する。 cor に於ては人間の精神的生と肉体的生が深
くからみ合い , あらゆる思惟の源として考えられるのである。
他方白羽, 酬はキリスト教哲学に対して懐疑的である。 信仰は意志、的 なものであり,
それは権威に 従うが, 権威に基くのではなく, むしろ信仰が権威を生むのである。 従
170
って権威は理性に確'支さを与えることを必然的な課題とするのではない。
(カッシュ
マ ン〉レヴィットはキリスト教 信仰のもつ合理性をギリシア人のピスティス概念に
、 比
して強調するが, 権威への 信仰は神の啓示に基づくー図的な所与に他ならず, それは
哲学的探究に対 して無制限に開かれたものではない。 哲学はただ啓示の真理に対して
可能的なものと してだけ留まるのである。 レーレル凶は 信仰と認識の連続性を示すの
を意図 しているが, 権威を客観的要素とし, 信仰を主観的行為として, 主
観客観の図
式で 信仰概念、を分析する。 認識を導く 信仰は本来的な意味での 信仰ではなく, 確実性
に基ずく確 信であり, 客観的認識はただザツへの直観によってだけ生ずるものとされ
る。 このように してこの書はかえって 信仰概念の分裂を示す結果になっているように
思われる。
E
神
学
〔オ〕幽 v na B
a eol
v
: eR ch
e rch
es s ur la C hrist o lo ige
ed
.S
Aug. 1956U
n i v.
F ir b ourg
(43) E. F ra
nz : Tot u
s C hr
ist u
s, tS uiden
ilbe r
Christ u
s u
..
d
Ki rch
e
be i
Aug
. , Diss . Bo
nn . 1956
キリスト論のモノグラフイはこれまでo.
C hristi
cS ehe l, Die
ns
A chauu
n g .
A s. li be r
eP sr n
o u. W
e r k, 190 1 だけであ った。 シェーノレとパヴェルは種々の点で対
捺的である。 前者は新プラトン的ロゴス説がアウグスチヌスの 受肉の福音的評価を妨
げていたと考える。 fo rm a De i - fo rm a homin is
はロゴスの 異なる状態である。 しか
しパヴェルによればそれはn ta ura De i -n ta ura homin is
である。 彼はその副題「キ
リストに於ける人性と神性」が示すように受肉者の人性から出発して, 一つのベルソ
ナに於ける両性の交りを主題的に追及する。
パヴェノレは 従来陵味にしか理解されなかったペルソナの概念を
、 三つの発展期に分け
て整理し, その用法と意味を確立する。 それによってテルトリアヌス以来の用語がラ
テン教会の神学に定着したことが明らかになる。 神性と人性の結合たる一つのペルソ
ナは, eV rbum の一つの活動に他ならない。 両性の統一性は 受肉者のベルソナにお
かれるのである。 このことはアウグスチヌスがキリストの感情について語った所でも
興味深く示される。 キリストの悲しみはその人性に基づくのではなく, むしろそれが
我々他の人間のために必要であるならぽ, キリストは自らの中に人間の感情をいだい
たのである。 彼の人性は通常の人間性と同一ではない。 キリストには魂の無知や弱さ
n is
は帰せられないc ロマ書 8,3 in s i mi il tudine m car
ep ccait が主たる根拠である。
n is と caro の同一視をアウグスチヌスは認めな
アンチオキア学派のs i mi il tudo c ar
い。 キリストの人性を一般の人間性と異なら しめたのは , 実体の結合における恩寵の
働きである。 この観点、はベラギウス論争によって益々強化された。 キリストが神の子
最近のアウグスチヌス研究文献
171
に高 められたのは道徳的高さによってではなく, 一切の功績なしに 受肉に於ける予定
に基づくのである。 そのようにしてキリスト論が救済論の観点から見られるようにな
った。
アウグスチヌスのキリスト論は全体として
V er bum - homo の型に属し Logos -sarx
の型に属さないことをパヴェルは示したが, しかし人間における霊魂と肉体の統ーを
実体的結合に比較し, 霊魂を言と肉の結合肢と考えたことは, 恐らくナジアンズスの
グレゴリウスに由来すると云う。 この点でシエールの評価にも或る正しさがあると思
われる。 アウグスチヌスにはキリストが高くされる傾向を否定出来 ない。 その点で十
字架に於て神にすら棄てられんとしたキリスト a ngef
ochte ner Chr istus に 信仰の最後
の拠点を見出したルターとの相違は簡単に越えられぬものがある。
闘はキリストと教会について幽で 多く語られなかったものを補っている。 この書が
キリストと他の人間との結合に関して, 道徳的 及び身体的神秘的結合を人格的 及び歴
史的というカテゴリーにおきかえたのは, アウグスチヌスにとって恐らく無理な解釈
であろう。 しかし義認論と imita tio Chri sti の教会論的背景が明らかにされている。
義認はキリストと教会との聞に起るのであって, キリストと個々人との聞に起るので
はない。 キリストは, 我々が身体的に 受取ったものを捧げることに対して e xem p lum
である。 云いかえれば imita tio Christi は救済の手段ではなく救済そのものである。
このような形でアウグスチヌスのキリスト論は教会論と密接な関係におかれている。
〔ワ〕凶
A . S olig nac : La co nditio n de l' homme p écheur d 'apr ès
S . Aug.
,
Nouv. R e v. Th éo1 ,
. 8 8, 1956
附 M. S trohm : Der Begr i 鉦der na tura vitia ta bei Aug., Theo l. Qua t.
1 3 5, 1955
附 A .M . Dubarle : La plura lité de p éch és h是r édita ires da ns la tradi ­
tio n aug., R e v . Etud. Aug. 3 , 1957
附 M. He nschel : Das malum i n De civ. Dei, Diss. J e na 195 7
�a G. Nygre n: Das Pr 邑desti na tio nspro blem i n der Theologie Aug.s . 19
56
, G ötti nge n
附 G.de Pli nval : Aspects du d是termi nisme e t de la liber té da ns la do ・
ctri ne de S. Aug., R e v.Etud. Aug. 1, 1955
恩寵論は罪, 予定, 自由等の連関で論ぜられるが, 凶は原初状態, 堕罪について根
本資料を検討している。 神の独占活動と人聞の応答性が同時に問題にされる。 楽園に
おける n∞posse peccare は無差別性や無活動を示すのではなく, 普に向う自発性で
ある。 かかる力は人間の自然性の中に基礎づけられたものではなく, 神の賜であり,
善を行うのに不可欠な助け (adiutor ium si ne qua no n)である。 この恩寵が存する 故
に人聞にとっては罪が真剣に関われるのである。 最初のアダムの罪の継続に関して所
1抱
謂遺伝説と誕生説の関をアウグスチヌスは決定しえない。 それは彼が二元論的人間観
のために , 霊魂にお ける原罪の遺伝の問題を解 決出来ないからである。 だが問題はこ
うである。 生物学的法律的に見て全ての人間はアダムの中に含まれ, 従って罪は遺伝
的であるが , 同時に心E型的に見れば, アダムの罪は性交渉の際の=ンタピスケンチア
への同意によって突入する。 従って罪はi宣伝的であると同時に意志的であり , 人格的
であると同時に非人格的である。
闘では原罪は単に肉的コンタピスケンチアだけでなく , 超自然的な傷・病であり ,
それによって墜落 した人間の中に憎 しみと争がもたらされたことを示している。�Qは
アダムの罪以外に両親の罪のi宣伝があることを示すが , 勿論この 二つの罪はアウグス
チヌスでは 異なるものと考えられている。
聞は神国論における悪の問題の 二 重性を指摘する。 自然の秩序に従えば, 事物は存
在する 限り何らかの善であり , 悪は欠如的なものである。 しかし神の義の法則に 従え
ば罪は意志、的背反であげ , 悪は神の罰である。 ここで創造論と罪論が関 係 して非常に
興味ある問題がかくされているが, 著者は一元論と二元論のギャ ップと干渉という図
式でアウグスチヌスの思惟 構造を考えている。
ニグレン糊は予定tJí.を自由意志説と神義論から区別して ,特にその後の西欧的伝統
を形成 したものと考える。 予定の観点における恩寵は人間の自由な 決定を切断するか
らである。 だがその限りで予定説はギリシア的自由意志の問題と折衝する。 この折衝
は恩寵が自由を回復するという命題を生んだ。 しかしこの自由が心理的に恩寵と結合
した自発性と解されるとき , 再び意志の自由説は功績(m eritum )の問題として取り上
げられ , そこでは意志は原因の領域に於て考察されるのである。 従ってアウグスチヌ
スの予定説は恩寵と自由の対立ではなく , 恩寵と功績の解き難い矛盾として展開され
ることになる。 パウロとアウグスチヌスの相違は!前者では予定が福音の召換であるの
に対し, 後者では人間を永遠の生叉は減びに至らせる原因の問題となった こ と で あ
る。 ニグレンはこれをキリスト教と哲学の結合した自然 宗教であると呼ぶ。 律法と福
音の把握はパウロ的ではない。 律法は善行を要求 し, 恩寵がそれを遂行する。 業が救
いの条件であり , 信仰は五des car ita t e forma ta であって, そこに律法によって規定
された倫理学が生ずるのである。 プリンヴァル(�国も予定説に哲学が侵入 したのを認め
るが , その評価はニグレンと逆であり , 哲学はアウグスチヌスを神学的運命論から解
放 したと考える。 自由と 愛の個有性を認 めたのはアウグスチヌスの功縦である。一一
ここでもアウグスチヌスの神学の非徹底性を我々は思わざ るをえない。
〔カ〕醐 ]. Gallay : La co i n ci en c e d e l a char it e fr at ern ell e d' apr ès l es
Tra ct. in 1 ]o a n . d e S . Aug ., R ev. Etud. Aug . 1, 1955
�l) M M
. ül ler : Di e L ehr e d es h1 . Aug . v. d. Paradi es eh e u . ihr e Aus ­
wir k ung i n d . S exual ethik d. 1 2 u. 13
]ahrh. bis Th. v. A quin,
最近のアウグスチヌス研究文献
173
1 954, R eg e n s burg
回 H . G. Dies n er : S tudie n z ur
Gesel1 s cha f tsl ehre u. soz ial e n
H a1tu ng
Aug . s, 1 954, M . N ie rneyer, Hal1 e
倒はキリスト者は如何にして兄弟 愛の確実さに至るか, また 愛からして如何なる態
度が生ずるかという興味ある問題を取扱う。 アウグスチヌスはドナチストに面して 愛
と高慢が同ーの 業をな しうることを知った。 ドナチストの 愛は実は高ぶりに他ならな
い。 愛の 業が本物であるか否かは神の前での自己の心をに問わ ねばならない。 信ずる
ものはこの 地上で 既に神の子たる平安と確かさを得る。 かかる自 du cia は charitas の
実であると Gal1 ay は主 張する。 愛に相応 しい態度とは di l ig e e t quod vis fa c であ
る。 愛は特定の態度に結びつけられているのではない。 キリスト者は自己の心を調べ
て兄弟 愛の存在を確認するとき , 欲することをな しうるのである。 かかる 愛は勿論怒
りとして表明するととも出来る。 それ故ことにアウグスチヌスの 愛は, 人聞に近ずく
糞理の 地上的形態の姿に於てひそかに絶対化され , 愛が他の行為の手段とされる危険
性が見られるのではないだろうか。
M也l1 er刷の論文はたしかに面白い論文である。 アウグスチヌスは 楽園に於て人は
身体の交りによって子を生んだが, 性的衝動は有しなかったと考える。 性的快楽とし
てのヨングピスチンチアは原罪の罰で・ある。 結婚は子孫増殖のためであるが , 本来的
には快楽の同意な しに行われるべきだ , と考える。 キリスト教的夫婦生活は本質的に
は 霊的な交わりである故 , [""結婚 した夫は妻が人間である限り 愛 し , 女である限り憎
むJ ( De ser rn. Do rn. 1 , 1 5) 初期のスコラ学者はアウグスチヌスの楽園の結婚の理想
を貫いたが , アペヲールに至って , 肉の自然的快楽は 既に楽園に於でもあったと主 張
される。 盛期スコラ学者はこれによって結婚の罪性という考えを原理的に克服した。
たとえ罪悪感が感情的には残っているとしても。 しか しルターは結婚の サクラメント
的性格を拒否 し , それを世俗的なものとするととによって再び性的快楽を罪と見倣 し
た。 ミュラーはことで理念、史的に見て, アウグスチヌスの見方は 古代的 二元 論の影響
であり , それが性の倫理学の建設を妨げたのだという。 従って 16世紀以来結婚を 宗教
的領域から除いたのは誤りであった。 一一勿論このミュラーの判断は 宗教改革者の誤
解であるだけでなく, 全く浅薄なものと云うべきであろう。
Dies ner闘はマルキシズムの立場から神学とは切りはなして国家説と社会倫理説を
取扱っている。 アウグスチヌスが理性による自然の探究を去って教会の問題に没頭す
るようになってからは , 信仰は権威を着るようになった。 平和と一致は教会内に於て
だけ存在 し, 教会外の人々はそれに与かることは出来ない。 アウグスチヌスの唯一の
功積は, 社会の上層階級の 宗教的誤謬に対 して良心の自由を確立したことである , と
云う。 アウグスチヌスが当時の社会的不満に対して理解を持たなかったという主 張は
必ずしも不当ではない。 何故ならアフリ カのコロエーの大部分はドナチストであった
174
からである。 だが彼が現存する社会の改善に直簸の希望を託さないのは 終末的信仰の
故であり , この点を humanit as の基準で浪IJることは 決して充分な理解にはならない
のである。
〔ヨ〕闘 E . Benz: Augustins Lehre v. d. Kirche, A bh . A kad . W iss. u. Litt .
Nr 2, 1954
凶
E. K inder : R eich Gottes u. Kir che bei Aug., Luthertum, He ft 1 4,
1954,
B国]. R at zing er : Volk u . Haus Gottes in
5 4, M ünchen
Aug . Lehre v. d. K ri che, 1 9
同 - ・・・:Beo bachtungen zur K
i rchen begr iff des Tyconius im L iber
reg larum, R e v. Etud. Aug . 2, 1956
聞
H..1. M arrou : C iv ti as Dei, c iv. terrena, num tertium
quid ,
. Stud .
Patr. II, 195 7
倒
F . G. M a ier : August in u. das ant ike R om 1955, Koh lhammer
B司E. D in kler : Augutins
Geschichtsau ffassung , S chwe iz. M onatsheft,
3 4, 1954
剛 A . Lauras : Deu x cités, ]é ru salem ct Ba b ylone, Formation et 針。lu ・
t ion d ' un th ème central du De c iv. Dei, C iudad de Dios, 1, 1954
神の国の 地の国, 教会と国家の問題に関してここにあげ た も の は , 闘を除いては
AM で激
しく 討論されたものの準備乃至延長であり, 既にデユモリン氏がとり上げら
れたので, 多くを繰返すことは出来ない。 ただ若干加えるならば, 曾てロイターが主
張したアウグスチヌスの教会の二重概念は 完全に誤りでないことである。 既にドナチ
ストがアウグチヌスは二種の教会を教える , と云って非難した。 (Bre v. coll. 3, 10 ,
19) Benz闘は ホフマンのテーゼ (人は 地上の教会に属することなしには予定された
教会に入ることはない〉を緩和し, 予定する恩簡は 可視的教会の枠をも越えうること
という考を示している。 現実の教会の内部に於て, サタラメントは限界をもつのであ
る。 従って ecc1esia と civ ti as Dei の同一視があるとしても , カムラーの云うように
終末論的意味に解され ねばならない。 しかし Kinder 凶はこの 終末論が新約聖書のそ
れと異なり 著
しく内在化していることを指摘する。
R at zing er は Kamlah の説を根本的には認めているが, なお可視的カトリッタ教
会に専ら関 心をお いている。 古代的な civitas の中 心は 祭儀であり, アウグスチヌス
の c ivitas Dei も真の神の 祭儀の場所である。 サクラメンタルな神奉仕に於て civi .
tas Dei とカトリッグ教会は 一致する。 愛は sacr if icium であると考え , サグラメン
タルな教会論的解釈を強調するのである。 更にラッチンガーはプラトン 的存在論を重
視 し , ecc1 esia catholica と ecc ies ia sancta という一つの教会の二つの見 方の関係を
175
最近のアウグスチヌス研究文献
sen sus と i n tl1
e ce t us との関 係においている。 教会と神の凶の関 係を感覚的なものか
ら英知的なものへ上昇するプラトン的段階系列と見る。
アウグスチヌスのc i vit as 説をプラトン的に解釈すれば,ライゼガンタが考えたよ
うに三つの国の図式に至るのであるが , その図式はアウグスチヌスにはない。 マルー
聞はただ二つの国しかなく,歴史的時間的Iこはそれらが混合しているだけだと指摘す
る。
地のIËの問題は教会と国家の問題であるが. M aier
岡はc i v. t erre n a の概念、をア
ウグスチヌスとローマとの折衝の観点から論ずる。 ローマは c i v. t errena のいわば
体現であり.c i v. J>
ei と形而上学的に対立する。 ローマの歴史は人間の神への反抗の
歴史として記されるのである。 アウグスチヌスのローマに対する戦いは,同時に人間
の自然的欲序の固有性 から出発するキリスト教的フマニスムスへの戦いであり,彼の
論議は反ベラギウス的に規定されている。 このマイエルに於ける神学的批判は,アウ
グスチヌスの存在論が倫理的f1JI斬にとって重要でないのかどうかの問題をはらんでい
る。 すべての存在の善をとく存在論は倫理学の領域では恩寵諭によって切断され,倫
理的によい行為とは信仰によってだけ可能であるとされる。 それ 故キリストとの関 係
なしには一切が懇であると 判定される。
しかしアウグスチヌスは国家にも神に向けられる可能性を認め でいるのである。 そ
n ler
闘は二つの歴史観の中に示している。 神国
のような国家への態度の変 更を. D ik
論では客観的な歴史理解があり, 歴史は救済史として目標に向けられた前進的なフ・ロ
セスである。 この観点に於てはキリスト教国家は異教的国家よりもよいも の で は な
い。 かかる客観的見方と結合して告白 1 1 巻における歴史性の実存的な理解がある。 ア
ゥグスチヌスはそこでは時閣を自然の世界 , 星の運動から解放して人間存在の時間意
識に結合させたのである。 人間の時間性は現在的な今において, 過去と未来が出会う
ことである。 それはカイロス的な永遠の今として,時の充実であり, 一種の実現され
た 終末論である。 かかる歴史性からしてキリスト者にはこの世の課題に協同する義務
が存する,と考えるのである。
R atz i ng er
酬はアウグスチヌスの二つの国の思想がチコニ ウスに起源をもっという
cS hol z のテーゼを反論する。 チコニウスの考えではエレ サレムは同時に パ ピロニア
であり,二つのc i vit as ではなく, 一つの国の内的闘争があるだけであった。 アウグ
スチヌスには闘争だけではなく調和と秩序が存するのである。
R auras
酬 もアウグス
チヌスがこの世の権力に対して根本的には悲観的でなかったと強調する。
AM で論争の中 心となった神秘主義についてはその後新しい研究は現れていない 。
この論争は未解決のままで 終pたが, そ れは
・日に云っ
て神秘体験と神秘主義との混
合にあるように忠、われる。 神秘体験それ自体は必ずしも神秘主義と同一ではない。 体
116
験を 可能ならしめ, それを神秘体験となす所の場所の論理構造が解 明されるべきであ
る。 このように包括的に併するなら , 我々は今後の課題としてアウグスチヌスの思惟
構造の中 心に神秘主主主の問題をおく ことが出来るであろう。
アウグチヌスの動揺する思惟をそれ自身として抱えんとするならば, 古代末期の豊
1Zな知 識を必要とすることを改め て知らされるのである。 その点で最近の箸作として
二つを挙げるなら,
r
ums, 2 B de,195 4, Mu­
C ar l S chnei der : Geistesgeschichte des ant iken C histent
nich.
H. A. W olfson : T he P hilosop hy of t he
C h urch Fathe rs, v o1. 1, 1956, Ha r.
var d. U niv.
がある。 シュナイダーは狭い教会史, 教義史ではなく, 宗教史や文学・芸術等をもふ
くめ て広く 杓神史の問題を扱っている。 キリスト教はへレニ ズム化することによって
世界宗教となったといラ著書の見地は勿論いろいろ問題にし うるであろ うが , 種々の
民族の精神的特質を明らかにした 第四章は特別に興味深い。 ヴォルフソンはP hilo,
2vols で知られるように, 古代教父のキリスト教哲学にフィロが果した 役割を重視す
るが , それは正にキリスト教哲学の根本的制約に関する問題として , 今日改めて読ま
れ , 研究されるべきであろう。 第一巻は, 信仰と狸性 , 三位一体 , 受肉, 聖霊, 異 端
を取扱って居り , 第二巻では倫理がテーマとされる 予定である。
P atrologie の新版が昨年出た ことを紹介して お しこれは
なお最後に A ltaner,
Vð ll
i g neu a br eti e t とあるように1956年までの新しい文献をすべて網羅して居る。
特にグノーシスとアウグスチヌスの文献が豊富に加わった こ と に驚かされるのであ
る。
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