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英語 1 第 10 章 EMPIRE

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英語 1 第 10 章 EMPIRE
英語 1 第 10 章
Introduction
EMPIRE
Yoshiki Tajiri
シャーロック・ホームズが最初に登場した小説である『緋色の研究』(1887)の冒頭で、ワトソン医
師はホームズと初めて出会ったときの様子を物語っている。ワトソンは医学の研究を終えた後、ある
連隊に配属され、補助外科医としてインドに派遣された。これは第二次アフガン戦争が勃発した直後
のことであった。アフガニスタンでの軍事行動中にワトソンは肩を負傷し、その治療のために訪れた
病院で今度は「インド領での忌々しい厄介」である腸チフスに襲われてしまった。軍隊では役に立て
なくなったので、ワトソンは療養のためイギリスに送り返された。
することがなかったので、ワトソンは「大英帝国のあらゆる怠け者の類が否応なく吸い込まれて
いく巨大な汚水貯めとも言うべき大都市ロンドンに、自然と引き付けられていった」のである。ワト
ソンは、自分がそれらの「怠け者」のうちの一人であることをよく自覚していた。ロンドンでワトソ
ンは偶然古い友人に出会い、その友人はワトソンに同宿仲間としてホームズを紹介したのだった。彼
ら二人が記憶に残る最初の出会いを果たしたのは、ロンドン病院の化学実験室だった。出会ったその
場でホームズは「私が思うに、あなたはアフガニスタンにいましたね」と言い当て、まさにホームズ
らしい方法でワトソンを驚かせた。
さて、彼らの出会いがいかにイギリスの帝国主義政策に彩られているかを我々は見て取ることがで
きる。ほぼ全てのシャーロック・ホームズの作品における語り手であるワトソン医師自体が、帝国領
から持ち込まれたある種の外来物であり、ホームズが対面するその他の全ての外国から入ってきた見
知らぬ人々、動物、病気もまた同様であった。魅力的であり厄介でもある外国のものを含んださまざ
まな問題を立派に解決していくことで、ホームズ(とその作品)はもしかすると、過度に膨張を続け
る帝国に住む人々の不安を軽減するのに象徴的な働きを持っていたのかもしれない。
地理学者のイーフー・トゥアン(段義孚)氏は、1985 年に地理学報に寄せた論文『シャーロック・
ホームズの風景』の中で、コナン・ドイル氏の著した有名なシャーロック・ホームズシリーズを読め
ば、今日の読者がヴィクトリア朝イギリスの本質を理解しうると彼が信じている理由について説明し
ている。我々はシャーロック・ホームズの住む創作上の世界と、ホームズの作者であるドイルの知る
現実の世界との間の多くの類似点を見つけることにより、作品からヴィクトリア時代のイギリスの社
会的地理、文化的地理についてとても多くのことを推理することができるというのがトゥアン氏の主
張である。例えばトゥアン氏が説明するには「ホームズの世界は科学や合理主義に対する信頼にあふ
れているが、それだけでなく自分自身に対する疑いや、人間不信にも満ち溢れてもいる」という。同
様にして、現実でのヴィクトリア朝イギリスでは「イギリス人は物質的進歩に対して大きな自信を示
す一方で、他方では社会が制御不能なほど巨大化、複雑化してしまい、その結果社会に適応できない
人々が怒りに体を震わせ暴動を起こしかねない状況である、ということに気付いてもいた」。またト
ゥアン氏は「大英帝国の首都の本質は『暗黒の街ロンドン』(『暗黒大陸アフリカ』の類型表現であ
る)であると思われていて、その存在がブルジョア階級の平穏無事な生活や上品なうわべでさえもか
き乱してしまう」ことについて、小説の中でいかに描かれているかを説明している。このように、ヴ
ィクトリア時代のイギリス人読者にとって、有能で優れたホームズの魅力は明らかであった。「超自
然的とも言うべき頭脳に恵まれていて、憂鬱を打破してくれる人がイギリスにいれば良いのに。当惑
した人間が、秩序や正義を維持するための既存の制度から助けを得られなかったときに、最後の頼み
綱としての拠り所あれば良いのに」。シャーロック・ホームズはまさにそのような人間であり、ベイ
カー街にある彼の部屋はまさにその頼みの綱となる場所であった。
シャーロック・ホームズ作品で描かれた、文字と想像におけるヴィクトリア朝の風景について書い
たこの論文の中で、トゥアン氏は以下の内容を含む幅広い話題について焦点をあてている。その内容
とは、ヴィクトリア朝イギリスの地理上の範囲、自然世界や性格と外見の間の関係に対するヴィクト
リア時代の人の考え方、また人間の制度、行動、心理に影響を与える環境についてヴィクトリア時代
の人がどのようにして理解していたか、などである。このセッションでの文章の中で、彼は最初に大
英帝国の絶頂期にあったヴィクトリア時代後半の人々の、地理的な想像について述べる。そしてそれ
からヴィクトリア時代の人々の都市や自然世界に対する姿勢について述べる。
The Landscapes of Sherlock Homes
Yi-Fu Tuan
地理学的視野
帝国というものは、多くの民族集団と文化とから成り立っている。それらは英国に至ると、英国に
彩りと生命力を与えるとともに、外国人嫌いの地元民に漠然とした脅威感を与える。見知らぬ人々の
みならず、見知らぬ、または危険な可能性のある動物や病気が、英国というよく手入れされた居心地
の良い場所に入り込むと、この感覚は高まるのだ。『まだらの紐』では、サリーにあるグリンズビー・
ロイロット博士の屋敷を通して不吉な雰囲気が生み出されている。そこで起こる不可解な事件につい
て語られるときはもちろんのこと、さらにはロイロットが、極めて反社会的なことであるにもかかわ
らず、ジプシーが敷地内を徘徊することを許し、彼がインドから連れ帰ったチーターやヒヒにも同様
であることが語られるときにもである。サリーは、文明化された穏やかで典型的な英国様式のイメー
ジを呼び起こす英国の一地域である。しかし、ロイロット邸には、読者は物語の結末で知ることにな
るのだが、インドの致命的な毒を持つハラグロヌマヘビを含め、帝国の果てからやってきたこれらの
異質な存在が潜んでいたのだ。『瀕死の探偵』において、私たちは中国人の船乗りがロンドンの波止
場で働いていたと知らされる。ホームズはそこで痛みを伴う病気になったと主張した。そして彼はそ
の病気の症状を緩和するために、スマトラ出身の東洋微生物専門家であり、ホームズの敵であるカル
バートン・スミスという人の助けを求めようとした。
物語では、これらの異質な存在の気配自体が、切迫した混沌や運命の雰囲気を醸し出している。ヴ
ィクトリア時代の人々は自信満々に見せかけてはいても、とても大きくて不穏で奇妙な世界を理解す
ることなどできない、ましてや支配することなどできるわけがないと深く思っていた。彼らには知ら
ないことが多すぎた。ヨーロッパの誰が、世界の果ての人や出来事との無数の関連を把握できるほど
の頭脳を持ち合わせていただろうか。そして誰に、必要となればそこまで行って自ら探求を行うほど
の体力があったろうか。その答えはもちろん、シャーロック・ホームズである。もうひとりの天才的頭
脳の持ち主、シャーロックの兄マイクロフトと違って、シャーロックは行動の人であり、世界のどの
国のどんな社会状況でも完全にくつろぐことができる、疲れ知らずの旅行家であった。ホームズが、
スイスのライヘンバハ滝でモリアーティ教授との戦いで命を落としそうになった後に、こともなげに
語った口調を考えてみてほしい。
「私は二年間チベットを旅し、ラサを訪れてラマの頭と数日間を過ごして楽しんだ。君はシガー
ソンという名のノルウェー人の、すばらしい冒険譚を呼んだことがあるかもしれないが、それが
君の友人についての話だったとは夢にも思わなかったろう。私はそれからペルシアを通り、メッ
カ見物をして、短時間ながらもハルツームにいるカリフを訪問するという興味深い経験をしたが、
それは英国外務省と連絡を取った結果であった。フランスに戻ってからは、数ヶ月をコールター
ルの誘導体に関する調査に費やしたが、それは私がモンペリエにある研究室で行ったものだ。」
『
( 空き家の冒険」』より)
地元の知識
もしも帝国や世界が、秩序立ててものを理解する人間の能力を超えた、騒然とした人間の集まりか
ら成り立っているように思えるときがあるとしたら、(小規模においては)ヨーロッパのだらしなく
広がる都市もそれと同じなのである。都市の無限な多様性は、それを大きな謎のようにする。数え切
れないほどの無表情な顔の裏には、そして果てしない列を成す家やアパート、ビルといった建物の正
面の背後には、どんな思考や情熱が潜んでいたのだろうか。18 世紀にはすでに、なんとなく不安な気
持ちに駆られた強烈な好奇心が存在した。1707 年、最初の重要な私小説において、アラン=ルネ・ル
サージュは、その建物の正面を突き破って、都市生活のあらゆる軽薄さと悪習とを暴露することは、
悪魔や悪霊にしかできないと示唆していた。ホームズは表層の裏側を見抜く才能を発揮していたため、
しばしば悪魔の力を持っているのではないかと思われていた。もっとも、最もよくこのような才能を
目の当たりにした人であるワトソンは、礼儀正しすぎてそんなことを口にすることはなかったが。「ず
る賢い!鬼のような奴だ!」英国で最も危険な犯罪者であったモラン大佐が、モリアーティの死に引
き続いて逮捕されたとき、怒り狂った大佐が言えたのはこれだけである。
大都市では何が起こっているのだろうか。無知とは恐ろしいことであるため、私たちは知りたいと
思う。私たちは確かに、新聞やラジオ、テレビの報道や噂に満ちた話を通して、見知らぬ家の壁の向
こうや、見知らぬ隣近所で起こっていることについて、少しはわかる。しかし、私たちの知ることは
誰かを通したものである。私たちは日ごろ、悪魔のように動き回り、物事の表層を突き破って見ると
いう自由、あるいはあらゆる社会的階層に上手く入り込むことができるような地位があり、賢くて大
胆で活発なシャーロック・ホームズのような人の自由を持っていれば良いのにと夢見るだろう。ホーム
ズはトルコのお風呂やボクシングジム、阿片窟にいても、ロンドンの応接間にいるときのように快適
に感じていた。彼は貴族とも、かろうじて読み書きができる程度のプロボクサーとも、同じ口調で話
すことができた。
「ごきげんよう、聖シモン卿」ホームズは立ち上がりお辞儀しながら言った。
「肘掛け椅子にお掛けください。こちらは私の友人であり同僚である、ワトソン博士です。火に
もう少し近づいて、この問題について話し合いましょう。」
その貴族がホームズに、自分のような社会階級の人を依頼人にするのには慣れていないのだろうと
言うと、ベイカー街の誇り高き住人はさらっと応じた。
「いいえ。階級は下がっています。」
「どういうことだ。」
「前回の同種の事件の依頼人は王でしたから。」
(『独身貴族」より』)
ポンディシェリホテルのボーイが、『四つの署名』でホームズを知らないといってホームズの受け
入れを拒んだとき、ホームズは朗らかに声をあげた。
「いやあ、ご存知のはずですよ、マクマード君。忘れたはずがないと思いますね。四年前、君の
引退試合の夜にアリソンの部屋で君と三ラウンド戦ったしろうとを覚えていないのですか。」
「覚えていますとも!シャーロック・ホームズさん!」プロボクサーはうなった。「まったく!
どうして見間違ったりしたのでしょうか。」
19 世紀における物質的進歩にも関わらず、ヴィクトリア時代の人々は、彼らの社会に対する理解が
不完全である上に、彼らの自然に対する支配は現実というよりむしろ幻想と呼んだ方が良いのかもし
れないと思っていた。ホームズの物語の際立った特徴は、ロンドンにおいてさえも漂う孤立感である。
家々は脆い避難所なのだ。家庭や個人は敵意に満ちた自然と社会とに囲まれて、自力でなんとか過ご
していく傾向にある。何かに包囲されているという雰囲気があるのである。以下にワトソンのナレー
ションのひとつから例を挙げよう。
「車で去るとき、私はちらっと後ろを盗み見た。私はいまだにあの階段に立った小さな集団が見
えるように思えた。―(フォレスタ夫人とモースタン嬢との)ふたつの上品でぴったり寄り添っ
た姿、半ば開いたドア、ステンドグラスを通して輝くホールの明かり、気圧計、そして明るく光
る絨毯押さえが。私たちを飲み込んでしまった荒々しく暗い仕事のまっただ中で、たった一目で
も移ろいゆく英国家庭を目にすると心が和んだ。」
(『四つの署名』より)
しかしもちろん、ほぼすべての物語(特に読者の好む物語)の鍵となるイメージは、ベイカー街の
221B 番地である。繰り返しになるが、コナン・ドイルはそこを人間と自然という恐ろしい混沌の渦中
にある快適で居心地の良いオアシスとして描いている。
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