...

安定マッチングへの分権的プロセスと知識の役割 上圷宏史

by user

on
Category: Documents
75

views

Report

Comments

Transcript

安定マッチングへの分権的プロセスと知識の役割 上圷宏史
筑波大学大学院博士課程
システム情報工学研究科修士論文
安定マッチングへの分権的プロセスと知識の役割
上圷 宏史
(社会システム工学専攻)
指導教員 金子 守
2011 年 3 月
Abstract
本論文は,Gale-Shapley 結婚問題における安定マッチングへの分権的プロセスに,各個人がもつ自分や他
人の選好に関する知識が果たす役割を考察する.主結果は以下の 2 つである:
(1) マッチングを形成する事前に,2 サイド間で異性の選好に関する知識に優劣がある状況を仮定す
る.そして,知識優位な側とする女性達が各安定マッチングの生起する確率を推論し,自分の選好
を顕示するか否かを選択するゲームを構築する.このとき,均衡として女性達の一部が選好を顕示
せず,安定マッチングの確率分布を自分達が好ましいように操作できる可能性があることを示す.
この結果は,“各個人が異性全員の選好を知っている” という仮定は確率的な分権的プロセスに及
ぼす影響が大きいことを含意する;
(2) (1) と異なり事前の知識の優劣の存在は仮定せず,各個人がどのようにペア候補を選択するかの意
思決定基準を定式化する.この定式化を通して,不安定マッチング内でのサイクルから脱却して安
定マッチングに到達するためには,意思決定の評価基準である自分の選好に関する知識に加えて,
最小限必要となる異性の選好が存在することが明らかとなる.
目次
第1章
序論
1
1.1
目的と背景 . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . .
1
1.2
本論文の構成 . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . .
2
マッチングと知識
4
集権化マッチングと知識 . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . .
4
第2章
2.1
2.2
第3章
2.1.1
Gale-Shapley アルゴリズムと知識 . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . .
4
2.1.2
不完備情報としての他人の選好 . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . .
6
分権化マッチングと知識 . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . .
9
2.2.1
萌芽的研究と知識の必要性 . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . .
9
2.2.2
プレマッチングと意思決定 . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . .
10
2.2.3
マッチングと顕示選好 . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . .
12
戦略的な選好の顕示
14
3.1
他人の選好に関する知識と安定性 . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . .
14
3.2
選好顕示ゲーム . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . .
17
分権的プロセスにおける意思決定
20
4.1
意思決定基準の定式化 . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . .
20
4.2
意思決定と知識 . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . .
23
第4章
4.2.1
Knuth (1976) の未解決問題 . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . .
23
4.2.2
選択関数と必要最小限の知識 . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . .
24
第5章
結びの議論
27
付録 A
証明
28
A.1
命題 3.2 の証明 . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . .
28
A.2
命題 4.1 の証明 . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . .
29
Acknowledgements
32
i
References
33
ii
第1章
序論
1.1 目的と背景
社会には,各個人がパートナーを見つけてある目的を達成しようとする状況がある.その状況をモデル
化したものがマッチング理論である.各個人が互いに満足できるパートナーを見つけることは,そのマッ
チングを長期にわたって安定的に維持することを可能にする.しかし,その満足感には,自分や他人が潜
在的なパートナー達に関してもつ好ましさの順序―――選好の知識が必要なはずである.本論文は,マッチ
ング理論のなかでも特に分権化された環境に注目し,各個人がもつ自分や他人の選好に関する知識がマッ
チングの形成に与える影響を理論的に考察することが目的である.
様々な社会・経済のようすが 2 サイド・マッチング(two-sided matching)としてモデル化できる.病
院側と研修医側との間のインターンシップがその例である.各病院は研修医達に関する選好をもち,逆
に,各研修医は病院側に関する選好をもつ.そして,その選好の情報をもとに長期にわたって安定的な
パートナーシップである安定マッチングを目指す.このとき,安定マッチングを出力することが期待され
る特定のアルゴリズムを制度として導入しようと試みるのがマッチング研究における集権化マッチング研
究の立場である.こうしたアルゴリズムの設計は,Gale and Shapley (1962) による “deferred acceptance”
アルゴリズムに始まるが,現在のマッチング研究においても理論的・制度的に重要な位置にある.
一方,現実社会でのマッチング環境は必ずしも集権化されている(もしくは,され得る)とは限らな
い.結婚相手や共同研究のパートナーを見つけるときが,多くある例のなかの一部として挙げられる.し
かし,アルゴリズムの与えられていないマッチング環境においても,安定マッチングが形成されているの
ではないかという予想は自然であろう*1 .この集権化されていない,即ち,分権化されたマッチングを研
究の対象とするのがもうひとつのマッチング研究の立場である.特に,Roth and Vande Vate (1990) は,
任意の Gale-Shapley 結婚問題には,参加個人達が自発的にペアを組み替えることを繰り返すことで安定
マッチングに到達するパスが必ず存在することを理論的に示した.この研究は,その後の分権化マッチン
グ研究の発展における基礎となっている.
一般に,ゲーム理論・経済学において,直面するゲームや経済に関して個人達が如何なる知識をもつ
*1
Roth (1991) も,アルゴリズムによって制度化されていない場合でも,マッチングに参加する個人達による自発的なペアの組
み替え(再契約)を繰り返すことで安定マッチングに達し得ることを示唆している.
1
かは重要な要素である.そして,マッチング理論においてもこのことは例外でない.本論文は 2 サイド・
マッチングを対象とするが,以下 Gale-Shapley 結婚問題に従って,2 サイドを男性集合と女性集合とす
る.このとき,参加個人の視点から参加者達の選好に関する知識に注目すると,その種類を以下の 3 つに
関する知識に分類することができる:
(1) 自分の選好;
(2) 同性達の選好;
(3) 異性達の選好
である.
安定マッチングを出力できるアルゴリズムを設計する集権的立場の研究なかでも,Gale-Shapley アル
ゴリズムを基礎としてその拡張を試みる学校選択などの制度研究においては,各個人にとっての (1) 自分
の選好と (2) 同性達の選好に関する知識について重要視しているといえる.それは,アルゴリズムが安定
マッチングを出力することと同時に,耐戦略的(strategy-proof)であることがその評価基準の 1 つとなっ
ていることからわかる.アルゴリズムを運営するときには,まず,各個人に自分の選好を申告してもらう
ことから始まる.その際,同性達の選好と彼らの申告に対して自分の選好の申告の仕方を戦略的に考慮す
る必要がないことが望ましいとされるのである.
また,同じ集権化マッチング研究においても,より一般のメカニズム・デザイン理論の立場では,(1)
自分の選好と (2) 同性達の選好に加えて,各個人にとっての (3) 異性達の選好の知識を考慮することがあ
る.Roth (1989) は,各個人が自分の選好(タイプ)は知っているが,異性達の選好は必ずしも完全には
知らないという状況の集権化マッチングに対して,男女双方からの自分の選好の申告を戦略とする不完備
情報ゲームとして定式化した.
このように,集権化マッチングでは選好に関する個人達の知識量に様々なバリエーションをつけた研究
がされている.一方,分権化マッチングの文脈では,知識の役割に焦点を絞った研究はされていない.し
かし,集権化環境では制度設計者が最終的な安定マッチングを形成するのに対して,分権化環境では参加
者達自身が自発的にマッチングを形成しなくてはならない.つまり,参加者達が安定マッチングを形成す
るためにおこなう一連の意思決定は直接的に相互に依存しており,その相互依存関係を結ぶ媒介となるの
が他人の選好に関する知識であると考える.とりわけ本論文は,安定マッチングへの分権的プロセスとし
て,不安定マッチングのなかでのサイクルから脱して安定へと収束するために必要となる最低限の知識を
検証することが目的である.
1.2 本論文の構成
第 2 章では,まず,本論文が対象とする Gale-Shapley 結婚問題を概説する.次に,Gale-Shapley アル
ゴリズムに注目し,集権化マッチングと各個人の選好に関する知識との関係を考察する.続いて,分権化
マッチングにおいては,Gale-Shapley アルゴリズムと異なり,異性達の選好に関する知識が必要であるこ
とを指摘する.そして同時に,集権化・分権化マッチングそれぞれの他研究のなかで,他人の知識に関す
る知識について如何に対処されてきたか,そして,本論文とどのように関連しているかを順に纏める.
2
第 3 章では,異性達の選好に関する知識量が事前にサイド間で異なることを想定し,その情報の非対称
性が分権化マッチングに与える影響を考察する.そして,情報優位な側が自分の選好を戦略的に顕示でき
るというゲーム的状況を構築することによって,分権化環境における安定マッチングへの確率的な到達プ
ロセスへの影響を明らかにする.
第 4 章では,分権化マッチング研究の代表的論文である Roth and Vande Vate (1990) に代わる分権化プ
ロセスを提示する.これは各個人の意思決定基準を定式化することに始まる.そして,分権化マッチング
と各個人の選好に関する知識との関係を明らかにする.
第 5 章では,結びの議論として本論文を総括的に纏めるとともに,残された課題を提示する.付録は,
2 つの結果に関する証明を掲載している.
3
第2章
マッチングと知識
本章は,集権化マッチングと分権化マッチングのそれぞれについて,過去の研究では選好に関する知識
をどのように扱ってきたかを纏めたものである.
集権的アプローチの萌芽である Gale-Shapley アルゴリズムは,各個人が自分の選好を知っていること
のみで安定マッチングを出力する.しかし,アルゴリズムを安定マッチングを出力する一般のメカニズム
へと拡張すると,議論は複雑さを増す.他人の選好に関する知識の欠落をゲームにおける不完備情報とし
て導入した場合,確実に安定マッチングを出力するメカニズムは存在しないことが知られている.何れに
しても,集権化マッチングは不完備情報を扱う手法が確立しているといえる.
続いて,分権化マッチングの萌芽である Roth and Vande Vate (1990) を概説する.Roth and Vande Vate
(1990) は,マッチングの安定性の定義に最も忠実な自発的なペアの組み替えという概念をもとに,安定
マッチングへの分権化プロセスを記述した.しかし,マッチング形成に参加する各個人が如何なる意思決
定をしているかが明確でない.それに比べて,Adachi (2000) は安定マッチングを達成するために各個人
がおこなう意思決定を明確にしている.但し,各個人は,異性達の選好を熟知した上でその意思決定の結
果を互いに推論することが要請されており,Adachi (2000) を安定マッチングへの分権的プロセスと解釈
することは難しい.最後に,マッチングに顕示選好という概念を導入した研究を紹介する.この研究は,
事前には知らなかった他人の選好が徐々に顕示されることでその知識を順に獲得していくマッチング・モ
デルの構築へとつながる方向性をもつのではないかと予想する.
2.1 集権化マッチングと知識
2.1.1
Gale-Shapley アルゴリズムと知識
本小節では,初めに,本論文が対象とする 1 対 1 の 2 サイド・マッチング―――Gale-Shapley 結婚問題
を概説する.続いて,集権化マッチングとしての Gale-Shapley アルゴリズムと各個人が必要とする選好
に関する知識との関係について纏める.
Gale-Shapley 結婚問題は,組 (M, W; P) で与えられ,モデルを構成する各要素は以下のように定義され
る:2 つの集合 M と W は互いに素な有限集合であり, M = {m1 , m2 , . . . , m p } を p 人の男性全員の集合,
4
W = {w1 , w2 , . . . , wq } を q 人の女性全員の集合とする.各男性 m ∈ M は,女性全員と自分とを元とする集
合 W ∪ {m} 上に選好関係 %m をもち,各女性 w ∈ W は,集合 M ∪ {w} 上に選好関係 %w をもつ.また,各
男性,各女性のもつ選好関係は合理的(rational)であると仮定する.即ち,完備性*1 (completeness;比
較可能性)と推移性*2 (transitivity)を満たすとする.男性全員の選好関係の集合を {{%m }m∈M },女性全員
の選好関係の集合を {{%w }w∈W } と書き,それぞれ男性選好プロファイル,女性選好プロファイルと呼ぶ.
そして,2 つのプロファイルを纏めた集合 {{%m }m∈M , {%w }w∈W } を P と書き,選好プロファイルと呼ぶ.
Gale-Shapley 結婚問題の 1 つの解(outcome)概念は,以下の結ばれたペア(結婚)全体の集合である.
Definition 2.1 マッチング(matching)µ は,µ ◦ µ(x) = x を満たす M ∪ W から M ∪ W への全単射であ
り,µ(m) , m ならば µ(m) ∈ W ,かつ,µ(w) , w ならば µ(w) ∈ M とする.
Definition 2.2 あるマッチング µ が安定(stable)であるとは,µ が個人合理的であり,かつ,いかなる男
女のペアによってもブロックされないことである.即ち,マッチング µ が以下の (IR) と (S) を同時に満
たすことである:
(IR)
(S)
µ(m) %m m for all m ∈ M and µ(w) %w w for all w ∈ W; and
@(m, w) ∈ M × W such that w m µ(m) and m w µ(w).
また,定義 2.2 の性質 (S) における男女のペア (m, w) を一般にブロッキング・ペア(blocking pair)と
呼ぶ.
Gale and Shapley (1962) は,任意の結婚問題に対して安定マッチングが常に存在することを証明した.
この証明は,いかなる選好プロファイルの結婚問題に適用しても安定なマッチングを出力するアルゴリズ
ムを提案するという構成的方法によるものである*3 .
次に,集権化マッチングにおける安定性と各個人の選好に関する知識の役割を確認するため,このアル
ゴリズム自体に注目する.Gale-Shapley アルゴリズムは,各個人が (1) 自分の選好に関する知識のみを完
全にもっていれば運営上一切問題が生じない.その理由は,Gale-Shapley アルゴリズムが耐戦略的*4 で
あることによる.耐戦略的なアルゴリズムが与えられれば,各個人は同性達による戦略的な選好の申告の
可能性を考慮する必要がない.即ち,互いが真の選好が申告された上でアルゴリズムが運営されることを
期待しているが故に,(2) 同性達の選好を各個人が互いに知る必要はない.同様に,(3) 異性達の選好に関
*1
*2
*3
*4
ある男性 m に関する選好関係の完備性は以下のように記述される:W の任意の元 x,y に対して, x %m y または y %m x で
ある.
ある男性 m に関する選好関係の推移性は以下のように記述される:W の任意の元 x,y,z に対して, x %m y かつ y %m z な
らば x %m z である.
証明は無差別関係を許容しない厳密な選好関係のもとでおこなわれたが,無差別関係を許容する場合の証明も,その自然な
拡張により得られることが知られている
メカニズムが耐戦略的(strategy-proof)であるとは,そのアルゴリズムにおいて,他人が如何なる申告をしていたとしても,
どの個人も自分の真の選好を申告することが決して損にならないことをいう.つまり,Gale-Shapley アルゴリズムにおいて
は,他人の異性達に対するプロポーズの順番にかかわらず,自分は真の選好に従って好ましい順にプロポーズをすることで
損をしない.
5
しても知る必要はない.従って,集権的プロセスとしての Gale-Shapley アルゴリズムが (1) 自分の選好
に関する知識のみを必要とすることに比べて,分権化プロセスにおいては如何なる知識を各個人が最低限
必要とするかを考察することを,第 2.2 節以降では展開する.
一方,Gale-Shapley アルゴリズムに限らず,より一般に安定マッチングを出力する集権的メカニズムに
議論を拡張すると,他人の選好に関する知識が不完備であるとき,安定マッチングを出力するメカニズム
が存在しないという結果を得る.次小節で紹介する複数の研究は,集権化マッチングにおいて知識が完備
であることが如何に重要かを示す結果である.
2.1.2
不完備情報としての他人の選好
Roth (1989) は,自分の選好の情報は完全に知っているが他人の選好の情報は必ずしも完全には知らな
い状況の集権化マッチングを分析した萌芽的研究である.そのために,不完備情報ゲームの文脈としての
集権化マッチングを定式化した.そこでは,参加者達が制度設計者に対して戦略的に選好を顕示して,設
計者はその申告された選好をもとにマッチングを形成する.
不完備情報ゲームの定式化を紹介するにあたり,まず,完備情報ゲームとしてのマッチング・モデルを
概説する.引き続き,Gale-Shapley 結婚問題 (M, W; P) において,集権的に,即ち,制度設計者が設計す
るメカニズムによってマッチングを決定することを考える.メカニズムは,先程の Gale-Shapley アルゴ
リズムとは異なり,各個人が申告する選好のプロファイルによって運営される.本小節のみ,選好プロ
ファイルを P = {P(m1 ), . . . , P(m p ), P(w1 ), . . . , P(wq )} と記述する*5 .このとき,選好 P(m) をもつ各男性
m は自分の選好としてどのような選好 Q(m) を申告するかという戦略的状況に直面し,同様に,各女性 w
も P(w) をもつが,選好 Q(w) を戦略的に申告できる状況にある.この申告された選好のプロファイルを
纏めて Q = {Q(m1 ), . . . , Q(m p ), Q(w1 ), . . . , Q(wq )} とする*6 .そして,h は任意の申告されたプロファイル
Q に対してマッチング µ を出力する関数であり,メカニズムと呼ばれる.プロファイル Q に対して出力
するマッチング µ = h(Q) が Q に関して安定であるとき,メカニズム h を安定メカニズムという.また,
マッチング h(Q) が Q に関する男性最適な安定マッチング*7 であるとき,メカニズム h を男性最適安定
メカニズムという.以上を纏めると,マッチングにおける情報完備ゲームは組 (N = M ∪ W, Q, h, P) で表
現できる.通常のゲーム理論と同様に,完備情報ゲームでは,すべての個人がもつ真の選好は共通認識で
あることが仮定されている.
個人 i ∈ M ∪ W の戦略 Q∗ (i) が他の個人達の戦略の組 Q−i に対する最適反応であるとは,マッチング
µ = h(Q∗ (i), Q−i ) におけるペア µ(i) が他のいかなるマッチング ν = h(Q(i), Q−i ) におけるペア ν(i) より少
なくとも同程度に好ましいときをいう.続いて,個人 i ∈ M ∪ W の戦略 Q∗ (i) が支配戦略であるとは,戦
*5
P はすべての個人に対して無差別関係を許さない強選好のみからなるプロファイルとする.
強選好プロファイル P に応じて,Q も強選好の申告のみ扱うことにする.
*7 2 つのマッチング µ と ν を考える.マッチング µ において,どの男性もマッチング ν におけるパートナーより好ましくな
い女性とパートナーになることなく,少なくとも 1 人の男性がマッチング ν におけるパートナーより厳密に好ましい女性と
パートナーになるとき,マッチング µ はマッチング ν を男性側の立場から(パレート)支配するという.そして,あるマッ
チングが男性最適であるとは,それを男性側の立場から支配するマッチングが存在しないことをいう.女性側の立場からの
支配関係,最適性も同様に定義される.
*6
6
略 Q∗ (i) が他の個人のあらゆる戦略の組 Q−i に対する最適反応であるときをいう.
次の定理はこのマッチング・モデルにおける不可能性定理にあたり,不完備情報下においても再考察さ
れる結果である.
Theorem 2.1 (Roth (1982)) Gale-Shapley 結婚問題の各サイドに少なくとも 2 人ずつ存在するとき,すべ
ての個人に対して真の選好を申告することが常に支配戦略となる安定メカニズムは存在しない.
しかし,安定メカニズムを男性(女性)最適安定メカニズムへと限定すると,以下の定理が示される.
Theorem 2.2 (Dubins and Freedman (1981)) 男性最適安定メカニズムにおいては,すべての男性にとっ
て真の選好を申告することが支配戦略となる(同様に,女性最適安定メカニズムにおいては,すべての女
性にとって真の選好を申告することが支配戦略となる.).
情報完備ゲーム (N = M ∪ W, Q, h, P) において,戦略の組 Q = (Q(m1 ), . . . , Q(m p ), Q(w1 ), . . . , Q(wq )) が
均衡であるとは,すべての個人 i ∈ M ∪ W に対して Q(i) が他の個人の戦略の組 Q−i に対する最適反応で
あるときをいう.
定理 2.1 は,すべての個人に対して,他の個人達が真の選好を申告しているときに真の選好を申告する
ことが常に最適反応となる安定メカニズムは存在しないということを含意しているため,以下の系が導か
れる.
Corollary 2.1 (Roth and Sotomayor(1990)) すべての個人が真の選好を申告することが常に均衡となる
安定メカニズムは存在しない.
定理 2.2 は,男性最適安定メカニズムが設計者によって運営される場合,女性達によって虚偽の申告が
されたとしても,男性達は真の選好を申告するという均衡の存在を示唆していた*8 .また,すべての個人
の選好が強選好ならば,男性最適な安定マッチングは女性最悪なマッチングであることが知られている.
つまり,男性最適安定メカニズムが運営されるときという女性達にとって選好の虚偽の申告をするインセ
ンティブがある状況において,そのメカニズムが出力するマッチングが真の選好に関して安定であり得る
かが,不可能性定理 2.1 に対するメカニズム・デザインの立場としての興味となる.その結果は,次の定
理に集約されている.
Theorem 2.3 (Roth (1984)) メカニズム h を男性最適安定メカニズムとする.すべての男性が支配戦略を
選択して真の選好を申告していると仮定する.また,女性達は情報完備ゲーム (N = M ∪ W, Q, h, P) にお
ける均衡となる任意の戦略の組 P0 = (P0 (w))w∈W を選択すると仮定する.このとき,出力される男性最適
安定マッチングは真の選好 P における安定マッチングの 1 つである.
*8
Gale and Sotomayor (1985) によって,このような均衡の存在が示されている.
7
続いて,他人の選好に関する不完備性を導入したマッチング・ゲームとその主要な結果を概説する.各
個人は他人の選好を知らないが,それらがどのような確率分布から生起するかを知っていることを想定
する.
不完備情報ゲームとしてのマッチングは以下の組によって定義される*9 :
Γ = (N = M ∪ W, Q, h, U =
∏
Ui , F).
i∈N
h : Q → L[M] は,申告された各個人の選好から,すべてのマッチングの集合 M 上の確率分布族 L[M]
への関数であり,メカニズムと呼ばれる.Ui は,潜在的なパートナー達と自分との集合に実数値を対応
させる効用関数の集合である.即ち,各個人が如何なる効用関数をもつかが不完備情報ゲームにおける各
個人の “タイプ” であり,それらは確率的に実現する.その個人達の効用関数の各組 u = {ui }i∈N ∈ U に対
する確率を纏めた確率分布が F である.確率分布 F は個人達の共通認識であり,各個人は自分のタイプ
のみを知ってこの F をもとに申告を選択する.この “戦略” を σi で表現し,個人の効用関数の集合 Ui か
らあらゆる申告の集合への関数とする.σ = {σ}i∈N と定義するとき,個人達の申告 Q = σ(u) に対して,
マッチング全体の確率分布 h(σ(u)) が決定し,結果としてあるマッチングが実現する.
タイプが ui である個人 i の期待効用は以下のように記述できる:
ui (σ) =
∑
pi (u−i |ui )ui [h(σ(u−i , ui ))].
u−i ∈U−i
但し, pi (u−i |ui ) は個人 i が確率分布 F を用いてベイズ・ルールによって計算する条件付き確率である.
不完備情報のマッチング・ゲーム Γ において,戦略の組 σ∗ が均衡であるとは,すべての個人 i ∈ N と
その個人のすべての効用関数 ui ∈ Ui に対して,以下の性質が成り立つことである:個人 i のすべての戦
略 σi に対して,ui (σ∗ ) ≥ ui (σi , σ∗−i ).
メカニズム h が安定であるとは,申告された選好 Q に対してその出力 h(Q) が確率 1 で安定マッチン
グであることをいう.次の定理は,完備情報のマッチング・ゲームの定理 2.3 を否定する不可能性定理で
ある.
Theorem 2.4 (Roth (1989)) Gale-Shapley 結婚問題の各サイドに少なくとも 2 人ずつ存在するとする.こ
のとき,不完備情報ゲーム Γ の均衡のうち,実現するマッチング h(σ∗ (u)) が確率 1 で常に安定となる均
衡 σ∗ が少なくとも 1 つ存在するようなメカニズム h は存在しない.
以上が,他人の選好を知らない状況での集権化マッチングを不完備情報ゲームとして定式化した先行研
究の主結果である.前述のように,この結果は,集権化マッチングに参加する個人達にとって,そのタイ
プに関するすべての個人間で共通の確率分布が利用可能であるとされる.このように共通の確率分布を信
念として形成すると仮定することは,各個人が十分に理性的であるという想定のもとでのアプローチとし
*9
Roth (1989) は,各個人 i の戦略を自分の選好の申告 Q(i) に限らず,より一般の戦略を許した集合 Di として定義した.しか
し本論文では,特殊ケースとして選好の申告のみが戦略である場合の結果を概説する.
8
て意味がある.一方,第 3 章においては,知らなかった他人の選好の情報を事前に獲得できる可能性があ
る個人達を分析の対象としたいため,その個人達が事前に共通の信念を形成していると仮定する積極的な
理由はない.従って,第 3 章では不完備情報ゲームとは異なるアプローチをとる.
2.2 分権化マッチングと知識
2.2.1
萌芽的研究と知識の必要性
本小節は,安定マッチングへの分権的プロセスの萌芽的研究の結果を紹介するとともに,そのプロセス
のなかで参加個人達が必要とする選好に関する知識について纏める.
Roth and Vande Vate (1990) は,Gale-Shapley 結婚問題には,参加個人達が自発的にペアを組み替える
ことを繰り返すことで安定マッチングに到達するパスが必ず存在することを示した.
Theorem 2.5 (Roth and Vande Vate (1990)) µ を (M, W; P) における任意のマッチングとする.このと
き,µ = µ1 ,かつ,µk が安定となるマッチングの有限列 µ1 , . . . , µk が存在する.但し,各 i = 1, . . . , k − 1
に対して,µi にはブロッキング・ペア (mi , wi ) が存在し,µi+1 は µi からブロッキング・ペア (mi , wi ) を満
足させることにより構成される.
この定理は,Knuth (1976) が当時未解決とした “任意の選好プロファイルに対して,任意のマッチング
から安定マッチングに到達するパスは存在するか” という問題を解決したとされている.そして,一見す
れば安定性の定義 2.2 の性質 (S) に沿った納得のいく結果でもある.しかし,集権化マッチングと比較し
て,各個人の選好に関する知識の側面からこの定理を再考すると,この性質 (S) に基づくブロッキング・
ペアの分権的な組み替えは,当然の結果として起こり得るものではないといえる.それは,マッチングが
与えられて,そこにある男女のブロッキング・ペアが存在していたとしても,その男女が互いの選好を知
らなければ,性質 (S) の意味するそこに成立している両想いの事実に気付かず,そのマッチングが不安定
なまま維持されることが考えられるからである*10 .
前節でも述べたように,Gale-Shapley アルゴリズムには,各個人が (1) 自分の選好に関する知識のみを
完全にもっていれば十分であった.一方,制度設計者のいない分権的状況のなかで安定マッチングに到達
するためには,ブロッキング・ペアが各個人の意思決定に基づき自発的に組み替えられていく必要があ
る.そのために,各個人にとって (1) 自分の選好に関する知識は完全であっても (3) 異性達の選好に関す
る知識が欠如していることは,前述の意味において安定マッチングに到達することを妨げる明らかな要因
となるのである.そこで,次章では,Gale-Shapley アルゴリズムと分権化マッチングに共通して必要な
(1) 自分の選好に関する知識が完全であったとき,(3) 異性達の選好に関する知識が分権化マッチングの安
定へのプロセスに与える影響に焦点を絞って考察する.
加えて,Roth and Vande Vate (1990) は,各個人が如何なる意思決定をおこなった結果として安定マッ
チングに到達するはずなのかについて一切記述していない.このことは,ある不安定マッチングに対して
*10
このことは Roth and Sotomayor (1990) も指摘している.
9
複数のブロッキング・ペアが同時に存在する場合に問題を含む.定理 2.5 から,あらゆるブロッキング・
ペアが正の確率で生起すると仮定したとき,以下の系を導いている.
Corollary 2.2 (Roth and Vande Vate (1990)) 任意のマッチング µ は確率 1 で安定マッチングに収束する.
しかしこの結果は,ブロッキング・ペアが複数存在するときには,そのなかの 1 組しかマッチすること
が許されないばかりか,その 1 組は確率的に決定されることを意味している.この性質は,参加個人達の
自由な意思決定のもとで安定マッチングを目指そうとする分権的プロセスのなかでは外生的な要因であ
り,そのプロセスの説明として相応しくないと考える.また,ブロッキング・ペアの組み替えの回数が限
られている状況を想定した場合,確率的に安定マッチングに必ず収束するとしても,その有限回内におい
て安定マッチングに到達できるかは定かではない.つまり,Knuth (1976) の提示した未解決問題に厳密な
解決策を与えたことにはなっていないと考える.
故に,第 4 章では,分権化マッチングに参加する個人達が,直面したマッチングに対してどのような意
思決定をするか,即ち,どのような評価基準に基づいてペアの組み換えを希望してそれが達成されていく
かを定式化する.Adachi (2000) は,その定式化に有用な概念を与えており,それが次小節で紹介するプ
レマッチングである.そしてこの定式化は,分権的プロセスにおいて異性の選好に関して最低限必要とな
る知識が何かを明らかにする.また同時に,この意思決定基準によって先程の確率的構造を回避すること
ができる.
2.2.2
プレマッチングと意思決定
Adachi (2000) *11 が定義したプレマッチングを概説するため,マッチングの定義 2.1 を書き直す.マッ
チング µ は, M ∪ W から M ∪ W への全単射であり,次の 3 条件を満たすものである:
(1) 任意の x ∈ M ∪ W に対して,µ ◦ µ(x) = x;
(2) µ(m) , m ならば µ(m) ∈ W ;
(3) µ(w) , w ならば µ(w) ∈ M .
(1) の条件は,独身である以外は男性 1 人と女性 1 人とが対になっていることを要請する.(2) の条件は,
男性が独身でないならば相手は女性であることを要請する.(3) は,女性が独身でないならば相手は男性
であることを要請する.
プレマッチングは,マッチングの 3 条件から条件 (1) を除いたものである.正確には,以下のように定
義している.
Definition 2.3 写像 v M : M → M ∪ W と vW : W → M ∪ W が以下の条件を満たすとき,2 つの写像のペ
*11
Gale and Shapley (1962) の構成的証明に代わる安定マッチングの存在証明を,Tarski の不動点定理を用いておこなったこと
が Adachi (2000) の貢献である.
10
ア v = (v M , vW ) をプレマッチングという:
v M (m) , m ならば v M (m) ∈ W;
vW (w) , w ならば vW (w) ∈ M.
(2.2.1)
つまり,独身でない男性は女性と対応して,独身でない女性は男性と対応していれば,男性 1 人と女性
1 人とが対になっていなくてもよい状態である.これは,各男性が各々どの女性とマッチしているかの予
想をしていて,各女性も各々どの男性とマッチしているかの予想をしていると解釈できる.そしてその予
想は必ずしも正しい訳ではなく,すべての男女の予想が正しいときに限ってプレマッチングはマッチング
になっているといえる.
以下では,各個人は無差別を許さない強選好関係のみをもつとする.この仮定に応じて,新たな表記を
1 つ導入している.ある男性 m にとって女性 w が女性 w0 より厳密に好ましい,または,w が w0 と同じ
女性であるとき,w m w0 と書く.女性側の立場についても同様の表記を用いる.
マッチングの定義とプレマッチングの定義 2.3 により,マッチングが 1 つ与えられると,プレマッチン
グは一意に定まる.そこで,“安定” マッチングが与えられたとき,一意に定まるプレマッチングが如何
なる性質をもつかが焦点となる.Adachi (2000) は,その性質が以下の方程式系であることを導いた:
v M (m) = max{w ∈ W : m w vW (w)} ∪ {m} for all m ∈ M;
m
vW (w) = max{m ∈ M : w m v M (m)} ∪ {w} for all w ∈ W.
(2.2.2)
w
また逆に,(2.2.2) をもつプレマッチングが与えられたとき,マッチングが一意に定まり,かつ,安定で
あることを示している.このようにして,安定マッチングの存在を証明することを,(2.2.2) を満たすプレ
マッチングの存在を証明することに帰着させた.方程式系 (2.2.2) の含意するところは,マッチングの安
定性の条件は,各男女が自分を受け入れてくれる(と予想する)異性達と自分自身のなかで最も好ましい
1 人を選ぶことと同値であるということである.先程から “予想” と表現しているのは,(2.2.2) が非協力
ゲームにおけるナッシュ均衡に近い特徴をもっているからである.つまり,各男性の最適な選択 v M は女
性達の最適な選択 vW に関する予想に依存していて,逆に,各女性の最適な選択 vW は男性達の最適な選
択 v M に関する予想に依存しているのである.男女の推論の連鎖が停止するのはお互いの予想と最適な異
性の選択とが一致するときであり,このとき,その男女は互いに他から逸脱したいインセンティブをもた
ない.つまり,すべての男女に対してその一致がみられれば,もはやプレマッチングは誰も逸脱のインセ
ンティブをもたない男女のペアの集合を構成しており,それが到達する安定マッチングなのである.この
ように,プレマッチングという概念は安定マッチングを達成させるための各参加者の意思決定を表現する
ものであるといえる.
しかし,この推論の連鎖とその停止は,各参加者が十分に合理的・理性的であるときの予想と選択の結
果であるといえ,かつ,それらには異性達がもつ選好の情報が必要不可欠である.また,プレマッチング
が安定マッチングを一意に定めるにあたって,実際になんらかのペアの組み替えがおこなわれている訳で
はなく,強いて言えば,それは各個人の頭のなかでおこなわれていることになる.一方,本論文が対象と
しているのは,マッチングが与えられたときに各個人がどのような意思決定をすることで分権的プロセス
11
が構成されていくかである.故に,Adachi (2000) は本論文が意思決定基準を定式化するのに優れた結果
をもたらしてくれるが,集権化されてはいないにしても,分権化マッチングの要素は薄い.さらに本論文
は,その分権化プロセスのなかで他人の選好に関する知識の必要性を見出すことを目的としているが,知
識が不完備であることを分析対象とはしていない.
2.2.3
マッチングと顕示選好
マッチングの参加者達が高度な推論能力のなかで,安定マッチングに到達することを期待するのではな
く,与えられたマッチングやそのときに起こるであろうペアの組み替えを観察して,安定マッチングを目
指すことが分権化の焦点である.そこで予想することが,“あるマッチングに対して起こったペアの組み
替えは,参加者達の選好の情報を顕示しているのではないか” ということである.実際,Roth and Vande
Vate (1990) におけるペアの組み替えは,互いが両想いであることが事実であるブロッキング・ペアが順
にマッチングを変化させていく.そして,ここで予想する選好の情報の顕示は,本論文が注目した他人の
選好に関する知識について,参加者達にその知識の獲得の可能性をもたらすのではないかと考えた.
経済学においては,財の価格や需要などの観察可能なデータから消費者のもつ選好関係を近似的に導出
することの可否を検証するのが顕示選好理論である.2 サイド・マッチングにおける観察可能なデータと
は,そのとき選択可能であった異性達や自分自身のなかからパートナーとして誰を選択したかということ
になる.
顕示選好としての二項関係をマッチング理論に初めて導入したのは Blair (1988) であり,その後,Alkan
(2001, 2002) によって研究が続けられた.また,Alkan and Gale (2003) は,Alkan (2001, 2002) における
成果をスケジュール・マッチングに拡張している.スケジュール・マッチングとは,通常のマッチング理
論が考察の対象とする各個人が “誰とパートナーシップを組むか” に加えて,“どのくらいの時間その人と
パートナーであり続けるか” という追加的な意思決定要素をもつマッチングである.しかし,何れの研究
も,安定マッチングの集合の数学的構造を議論する束論のオペレーションのために顕示選好を用いている
だけであり,前述の期待のように,マッチングにおいて個人が形成していったパートナーシップの履歴を
観察することによってその個人の選好が顕示されるか否かを直接議論したものではない.但し,このよう
な議論がされていないことはそれ程不思議なことではない.あるマッチングからペアの組み替えが起こっ
たとき,自分にとってより好ましい異性とのペアが実現できるが故に新たなペアを形成したのならば,当
然,新しいパートナーは以前のパートナーより好ましい.一方,相手側からペアを解消された立場で新た
なペアを形成したのならば,以前のパートナーが新しいパートナーより好ましかった可能性がある.しか
もこの 2 つの組み替えは見分けがつかない.従って,経済学における顕示選好理論のように,観察可能な
データから一貫性のある選好を導出することは困難である.そこで,個人達がマッチングを形成する以前
に選好を自ら直接顕示することを想定する.これが,第 3 としての選好顕示の有無を戦略と考えるゲー
ム的状況の構築へとつながる.このゲームは,第 2.1.2 小節において概説した不完備情報ゲームとしての
マッチング・モデルとも関連する.集権化マッチングにおいては,制度設計者が存在し,最も単純な場合
であれば選好を戦略的に申告する.一方,本論文は分権化マッチングを対象としているため,制度設計者
は存在しない.しかし,ブロッキング・ペアとしての自発的なペアの組み替えにとって,異性達の選好に
12
関する知識が必要であることは前述のとおりであり,戦略的に選好を申告する相手を,同じく参加者であ
る異性達と想定することも可能であろう.
但し,個人が選好を顕示する,もしくは,他人から選好が顕示されることに意味がある,即ち,顕示さ
れた選好を “知る” ということを議論する際には,分権化マッチングやその安定性の概念を選好に関する
知識の不完備性を扱うことができるものへと拡張する必要がある.他人の選好を必ずしも完全には知らな
い状況において,ペアの組み替えが如何にして起こるのか,そして,長期的に維持され得るという意味で
安定であると解釈できるマッチングとは如何なるものかを定義しなければならない.
以上の流れに沿って,第 4 章のアプローチをとる前に,本論文に関わる一連の研究のなかで提案を考え
た別のアプローチを纏めたものが次章である.このアプローチは,Roth and Vande Vate (1990) を知識の
制約を導入することを通じて拡張し,分権化プロセスに対する異性達の選好に関する知識の影響を炙り出
そうとしたものである.但し,既に問題点が多く明らかになっているため,どこが問題であるかを自ら指
摘しながら,第 4 章としてのアプローチの必要性に言及するための材料としたい.
13
第3章
戦略的な選好の顕示
系 2.2 のように,Roth and Vande Vate (1990) は分権化マッチングにおける安定へのプロセスに確率構
造を導入した.前述のように,これは各個人の意思決定としては説明できない外生的構造である.しかし
本章では,その確率構造を積極的に援用することによって,個人達がもつ異性達の選好に関する知識が果
たす役割を考察する.2 サイド間でその知識に優劣があるとき,知識優位な側の個人達の一部が戦略的に
自分の選好を顕示せず,生起する安定マッチングの確率分布を変化させる可能性があることを示す.以下
では,女性達は男性達がもつ選好を知っているが男性達は女性達がもつ選好を知らないという,もっとも
基礎的な事前情報の優劣が 2 サイド間で存在する状況を想定する.
3.1 他人の選好に関する知識と安定性
まず,Gale-Shapley 結婚問題を知識の要素を含むかたちに拡張する.続いて,その拡張モデルにおける
安定性や Roth and Vande Vate (1990) との関係を纏める.
女性集合 W のべき集合を P(W),そして,集合 P(W) の任意の元を KW と書く.このとき,集合 KW
の元である任意の女性に対して,その女性の選好は “男性全員が事前に知っている選好である” ことを
あらわし, KW の元でない女性達の選好は “男性全員が事前には知らない選好である” ことをあらわす.
また,女性達は各男性の選好を事前に知っていることを想定する.即ち,知識優位な側が女性サイド,
知識劣位な側が男性サイドといえる.そして,異性全員に事前に選好が知られている個人達をあらわす
集合 K = M ∪ KW を 知識プロファイルと呼ぶ.知識プロファイル K を新たな要素として構成した組
(M, W; P, K) を K-安定結婚モデルと呼ぶ.
次に,定義 2.2 に知識の要素を明示した安定マッチングを定義する.本章では,選好関係に以下の 2 つ
の性質を仮定する:
Assumption 3.1 すべての個人は無差別関係を許さない強選好関係をもつ.
Assumption 3.2 すべての個人にとって,任意の異性とペアになることは独身でいることより好ましい.
14
仮定 3.1 に応じて,選好プロファイルと知識プロファイルの各元の記述に対しても強選好関係 を用い
る.仮定 3.2 は安定マッチングの定義 2.2 における個人合理性 (IR) が任意のマッチングに対して成り立
つことを意味する.しかし,これは簡単化のためのみの仮定ではない.本論文で扱う知識の優劣は異性達
の選好に関するものであり,自分の選好に関する知識の優劣は存在しない.そこで,知識の優劣に焦点を
絞るためにこのような仮定をする.
仮定 3.2 のもとでは,あるマッチングが安定であるとは,そのマッチングによるパートナーより好まし
い相手だと互いが思う男女がペアになっていないことが存在しないことである.しかし前述のように,自
発的なペアの組み替えを可能にするには,男女がその両想いの事実に気付くことが本質的である.そして
本論文では,それは男女が互いの選好を知っていることと同義である.
そこで,あるマッチングが安定であることを,互いの選好を知っている男女の場合のみブロッキング・
ペアとなり,そのような男女のペアが存在しないことであると定義する*1 .
Definition 3.1 K-GS 結婚問題において,あるマッチング µ が K-安定(K-stable)であるとは,µ が以下
の (KS) を満たすことである:
(KS)
@(m, w) ∈ M × KW such that w m µ(m) and m w µ(w).
次の例で,K-安定と K-不安定なマッチングを確認する.
Example 3.1 M = {m1 , m2 , m3 },W = {w1 , w2 , w3 } とする.選好プロファイルを以下のものとする*2 :
m1 : w1 , w2 , w3 , m1 ,
m2 : w1 , w2 , w3 , m2 ,
w1 : m1 , m2 , m3 , w1 ;
w2 : m1 , m3 , m2 , w2 ;
m3 : w1 , w3 , w2 , m3 ,
w3 : m1 , m2 , m3 , w3 .
知識プロファイルを K = {m1 , m2 , m3 , w2 , w3 } とする.つまり,情報優位な女性達は男性全員の選好を
知っているが,情報劣位な男性達は女性 w2 と女性 w3 の選好のみを知っていて,女性 w1 の選好は知ら
ないとする.このとき,以下のマッチング µ1 は K-安定であり,マッチング µ2 にはブロッキング・ペア
*1
K-安定性の概念は,それ自体に未だ問題を抱えている.定義 3.1 は,互いに他の真の選好を知っている男女のみが現在の
マッチングから逸脱するインセンティブをもつことを含意しているが,それ以外の男女がまったく逸脱のインセンティブを
もたないとするのは議論が単純過ぎている.各個人が与えられたマッチングから逸脱するとき,もしくは,逸脱したいと思
うとき,選好に関する如何なる知識を用いているかを明らかにする必要がある.
また,あるマッチングが達成されているときにその事実と一貫性のある知識が何であるかということも考察されていない.
例 3.1 では K-安定・K-不安定なマッチングを確認する.そのなかで, K-安定マッチング µ1 に注目する.情報劣位な男性達
は女性 w2 と女性 w3 の選好のみを知っていて,女性 w1 の選好は知らない.マッチング µ1 が達成され,男性 m2 は女性 w1
とマッチしている.しかし,パートナーシップが形成されたその瞬間にも,男性 m2 は女性 w1 の選好を知らないことになっ
てしまう.このように,パートナーに自分が如何に評価されているかを知らないままでいるということは違和感があり,あ
るマッチングが達成されたということと矛盾しない知識のあり方を再考察する必要がある.
*2 各個人に対して,左から順に好ましい異性を並べている.
15
(m1 , w2 ) が存在して K-不安定である*3 :
(
m m2
µ1 = 1
w2 w1
)
m3
,
w3
(
m
µ2 = 1
w3
m2
w1
)
m3
.
w2
次の補題は, K-GS 結婚問題において,知識プロファイル K の変化による K-安定マッチングの集合の
変化を明らかにする.
0
Lemma 3.1 K-GS 結婚問題 (M, W; P, K = M ∪ KW ) が 知識プロファイル K 0 = M ∪ KW
によって
(M, W; P, K 0 ) へと変化したとする.このとき,K-安定マッチングの集合をそれぞれ M,M0 とすると,
0
KW
⊇ KW ならば M0 ⊆ M である.
0
証明:KW
⊇ KW を仮定する.µ を集合 M0 に属する任意の元とする.定義により,この K-安定マッチ
0
0
ング µ には w m µ(m) かつ m w µ(w) を満たす M × KW
の元 (m, w) が存在しない. KW
= KW ならば,
0
マッチング µ は知識プロファイル K のもとで自明に K-安定である.故に,KW
⊃ KW とする.
0
まず,w0 を w0 ∈ KW
かつ w0 ∈ KW を満たす集合 W の元とする.マッチング µ は知識プロファイル K 0
のもとで K-安定であるから,w0 m µ(m) かつ m w0 µ(w0 ) を満たす M × KW の元 (m, w0 ) は存在しない.
0
一方,w00 を w00 ∈ KW
かつ w00 < KW を満たす W の任意の元とする.このとき,(m, w00 ) < M × KW で
ある.しかしこれは,w00 m µ(m) かつ m w00 µ(w00 ) を満たす M × KW の元 (m, w00 ) が存在しないことを
0
含意する.故に,KW
⊂ KW ならばマッチング µ は知識プロファイル K のもとでも K-安定である.
0
従って,KW
⊆ KW ならば,任意の µ ∈ M0 に対して µ ∈ M である.
補題 3.1 によって,次の命題が得られる.
Proposition 3.1 K-GS 結婚問題には K-安定マッチングが常に存在する.
証明:Gale and Shapley (1962) により,補題 3.1 において K 0 = M ∪ W のとき M0 は非空である.故に,
W に含まれる任意の KW に対して,M は非空である.
続いて,Roth and Vande Vate (1990) の安定マッチングへの収束パスが, K-GS 結婚問題にも存在する
か否かが興味となる.次の命題は,その収束パスの存在を保証する.
Proposition 3.2 集合 K を任意の知識プロファイルとし, K-GS 結婚問題 (M, W; P, K) を考える.µ を
(M, W; P, K) における任意のマッチングとする.このとき,µ = µ1 ,かつ,µk が K-安定となるマッチング
の有限列 µ1 , . . . , µk が存在する.但し,各 i = 1, . . . , k − 1 に対して,µi にはブロッキング・ペア (mi , wi )
が存在し,µi+1 は µi からブロッキング・ペア (mi , wi ) を満足させることにより構成される.
*3
同じ列の男性と女性がペアであることをあらわす.
16
証明:K-GS 結婚問題に対して,Roth and Vande Vate (1990) の証明を適用すればよい(付録 A.1).
3.2 選好顕示ゲーム
本節は,情報劣位な側の男性達に対して,情報優位な側の女性達が自分の選好を顕示するか否かを事前
に意思決定することを考える.ある女性がどの男性とペアになるかは,自分がどのような選好をもってい
るか,そして他の女性達がいかなる選好をもっているかに依存する.即ち,各女性のパートナーの決定
は,自分が選好を顕示するか否かだけでなく他の女性達が選好を顕示するか否かにも相互依存するといえ
る.本章は,この相互依存関係を表現する戦略形ゲーム “選好顕示ゲーム” を定義することから始める*4
.そして,この選好顕示ゲームにおいて,女性達の一部もしくは全員が戦略的に自分の選好の情報を顕示
しないという戦略をとり,かつ,ランダムメカニズムによって生起する K-安定マッチングの確率分布に
変化をもたらすことを示す.この結果は,Roth and Vande Vate (1990) の安定マッチングへの収束パスに
他人の選好に関する知識が影響を及ぼすことを含意する.
(M, W; P) を男性 p 人と女性 q 人の任意の Gale-Shapley 結婚問題とする.そして,与えられた GaleShapley 結婚問題に対して,知識プロファイル K を決定して K-GS 結婚問題 (M, W; P, K) を構成するの
が選好顕示ゲームである. KW = ∅,即ち,K = M ∪ ∅ = M のときの有限個の K-安定マッチング全体の
集合を M = {µ1 , . . . , µn } と書く.定義 3.1 により,M は与えられた Gale-Shapley 結婚問題において仮定
3.2 を満たすマッチング全体の集合と一致する.また補題 3.1 により,選好顕示ゲームによって決定され
る任意の知識プロファイル K ⊇ M ∪ W に対して,K-GS 結婚問題は M に属するマッチング以外の K-安
定マッチングをもたない.
選好顕示ゲームは,戦略形ゲームとして次の要素の組によって定義される:
G = (W, {w }w∈W , {S w }w∈W ; M, {m }m∈M ),
但し,
(1) W = {w1 , . . . , wq } は情報優位な側の女性集合;
(2) w∈W は女性 w の選好;
(3) S w = {rw , nw } は女性 w の純粋戦略の集合(rw は自分の選好を男性達に顕示する(reveal)という戦
略,nw は顕示しないという戦略*5 );
(4) M = {m1 , . . . , m p } は情報劣位な側の男性集合;
(5) m∈M は男性 m の選好
*4
このゲームは確率支配関係をもとにプレイヤー達の意思決定基準を構築している.このように,確率支配とその均衡概念を
非協力ゲームにおいて構築したものに Fishburn (1978) や Perea et al. (2006) がある.これらをマッチング理論の文脈に沿う
ように再構築したものが選好顕示ゲームである.
*5 選好顕示ゲームでは,真の選好を顕示するか否かの 2 つのみを戦略とみなし,虚偽の顕示を許していない.しかし,集権化
マッチングの文脈での既存研究のように,プレイヤー達が選好を顕示(申告)する際には,虚偽の申告の可能性を柔軟に残し
た上で耐戦略性の有無を議論すべきであり,この想定は本来相応しいものではない.加えて,自分の選好の全部を顕示する
か否かのみを考慮しているため,一部分のみを戦略的に顕示する状況を分析できないことも望ましくない.
17
とする.男性達はゲームのプレイヤーとしてではなく,ゲームの結果としてマッチングを形成する意味で
ゲームの要素としている.
ゲームは次のようにプレイされる.まず,後述の意思決定基準に基づいて,女性達がそれぞれの戦略
sw1 ∈ S w1 , . . . , swq ∈ S wq を選択する.すると,彼女達の戦略の組 (sw1 , . . . , swq ) ∈ S w1 × · · · × S wq によって
知識プロファイル K が決定されて, K-GS 結婚問題が構成される.すると,この K-GS 結婚問題におけ
るランダム・メカニズムに依存して,K-安定マッチングの集合 M 上に確率分布 pM が決まる.その確率
分布 pM の族を ∆(M) とおく.ランダム・メカニズムとは,初期時点でのマッチングと複数存在するブ
ロッキング・ペアのなかでどの男女が順にペアになるかを確率的に決定するものである.ここまでを写像
f : S w1 × · · · × S wq → ∆(M) であらわす.そして,ランダム・メカニズムによって実際にある K-安定マッ
チングが実現し,各女性にパートナーの男性が決定される.以上が,情報優位な女性達をプレイヤーとし
たゲームのプレイである.
次に,その女性達が戦略を選択するときの意思決定基準を説明する.そこで,女性 wi ∈ W について
考える.まず準備として,男性全員の集合 M を女性 wi の選好しない順に並べ替えた集合を M(wi ) と書
く.即ち, M(wi ) = {m1 , . . . , mk , . . . , ml , . . . , m p } のとき,1 ≤ k < l ≤ p を満たす任意の k と l に対して,
mk ≺wi ml である.
K-安定マッチングの集合 M 上に確率分布 pM が与えられることは,女性 wi にとって各男性とペアに
なる確率が付与されることを意味する.この確率分布を p M(wi ) とし,その族を ∆(M(wi )) とおく.即ち,
確率分布 pM が各 K-安定マッチング µ j ∈ M に付与する確率を pM (µ j ) とし,確率分布 p M(wi ) が各男性
m ∈ M(wi ) に付与する確率を p M(wi ) (m) とするとき,以下を満たす:すべての男性 m ∈ M(wi ) に対して,
∑
p M(wi ) (m) =
pM (µ j ).
j ∈ { j : µ j (wi ) = m }
ここまでの操作を写像 gwi : ∆(M) → ∆(M(wi )) とする.このとき, f と gwi との合成写像 hwi = gwi ◦ f :
S w1 × · · · × S wq → ∆(M(wi )) は,女性達の戦略の組 (sw1 , . . . , swq ) ∈ S w1 × · · · × S wq に男性達の線形順序集
合 M(wi ) 上の確率分布 p M(wi ) を対応させる.
この確率分布 p M(wi ) = hwi (sw1 , . . . , swq ) に対して,その累積分布関数 Hwi : M(wi ) → [0, 1] を以下のよう
に定義する:任意の男性 mk ∈ M(wi ) に対して,
Hwi (mk ) =
mk
∑
p M(wi ) (m).
m = m1
女性達の他の戦略の組についても同様に,集合 M(wi ) 上の確率分布 h0wi と累積分布関数 Hw0 i が得られる.
Definition 3.2 線形順序集合 Mwi 上の 2 つの異なる確率分布 hwi と h0wi に関して,hwi が h0wi を確率支配
する(hwi first degree stochastically dominates h0wi ; hwi D1 h0wi )とは,すべての男性 m ∈ Mwi に対して,
Hwi (m) ≤ Hw0 i (m)
が成り立ち,かつ,少なくとも 1 人の男性に対して厳密な不等式が成り立つことである.
18
女性 wi の意思決定基準を表現するのが次の定義である.
Definition 3.3 女性 wi の戦略 swi ∈ S wi が他の女性達の戦略の組 s−wi = (sw1 , . . . , swi−1 , swi+1 , . . . , swq ) に対
する確率支配のもとで最適反応(best response under first degree stochastic dominance; FSD-最適反応)
であるとは,
hwi (twi , s−wi ) D1 hwi (swi , s−wi )
となる戦略 twi ∈ S wi が存在しないことである.
続いて,均衡概念を定義する.
Definition 3.4 選好顕示ゲーム G において,女性達の戦略の組 s∗ = (s∗w1 , . . . , s∗wq ) が確率支配均衡(first
degree stochastic dominance equilibrium)であるとは,すべての女性 wi ∈ W に対して戦略 s∗wi が他の女性
達の戦略の組 s∗−wi に対する FSD-最適反応であるときをいう.
確率支配均衡において,女性達全員もしくはその一部が自分の選好を顕示しない戦略を選択していると
する.そして,その均衡状態における K-安定マッチング上の確率分布とすべての女性達が自分の選好を
顕示しているときの確率分布が異なっているならば,各女性たちは自分が好ましいように K-安定マッチ
ング上の確率分布を戦略的に操作できる可能性があるといえる.即ち,このような確率支配均衡が観察さ
れるとき,マッチングを形成する以前に異性達の選好に関する情報の優劣が存在することが確率的な安定
マッチングへの分権的プロセスに対して影響を与えていることを含意する.以上で構築した選好顕示ゲー
ムは,分権化マッチングにおける “各個人が潜在的なパートナー達全員の選好を知っている” という仮定
は,どのマッチングに到達するかに確率的変化を与えるという意味において重要であることを説明する 1
つの手法であると考える.
しかし,確率支配均衡を構成する FSD-最適反応を各女性が選択するためには,前述のランダムメカニ
ズムが女性達にとっての共通認識である必要がある.つまり,初期時点で如何なるマッチングが実現する
か,そしてそのマッチングが K-不安定でありブロッキング・ペアが複数存在した場合,それらのなかで
どの男女が順にペアになるかという 2 つの確率構造に対して,共通の確率分布を事前にもつことが必要で
ある.この事前分布の要請は,一般の不完備情報ゲームにおける共通の事前分布の存在の要請と似たもの
であるといえる.
19
第4章
分権的プロセスにおける意思決定
4.1 意思決定基準の定式化
本節は,Roth and Vande Vate (1990) に代わる安定マッチングへの分権的プロセスを提示する.但し,
簡単化のため,以下では男性 3 人( M = {m1 , m2 , m3 })と女性 3 人(W = {w1 , w2 , w3 })の Gale-Shapley 結
婚問題とする.本章では,選好関係に強選好の仮定 3.1 のみをする.引き続き,ある男性 m にとって女
性 w が女性 w0 より厳密に好ましい,または,w が w0 と同じ女性であるとき,w m w0 と書く.
Definition 4.1 マッチング µ に対して,関数 C : M ∪ W → M ∪ W が以下の性質 (4.1.1) を満たすとき,C
を選択関数と呼ぶ:


{w ∈ W : i w µ(w)} ∪ {i} if i ∈ M;


max
i
C(i) = 


max{m ∈ M : i m µ(m)} ∪ {i} if i ∈ W.
(4.1.1)
i
性質 (4.1.1) を個人 i が男性の場合に関して説明する.あるマッチング µ が与えられると,男性 i を µ
におけるペア µ(w) よりも厳密に好ましいと思う女性 w と,男性 i が µ におけるペアである女性 w = µ(i)
が決まる*1 .その女性(達)の集合が {w ∈ W : i w µ(w)} である.そして,男性 i 自身を加えた集合
{w ∈ W : i w µ(w)} ∪ {i} のなかで男性 i にとって最も好ましい 1 人が C(i) である.個人 i が女性の場合
も男女の役割を入れ替えれば同様に解釈できる.
また性質 (4.1.1) は,Adachi (2000) のプレマッチングの概念を基礎にしている.しかし,安定マッチン
グを一意に定めるプレマッチングの性質 (2.2.2) は,各個人の推論の連鎖としての意思決定であり,最終
的な安定マッチングが形成されるまでに起こるペアの変化は仮想的なものであった.一方の性質 (4.1.1)
は,実際にいま実現しているマッチングを観察することを通して,ペアの組み替えを希望するか否かの意
思決定をあらわしている.そして,初期時点として与えられるマッチング µ と選択関数 C によって,男
性 3 人・女性 3 人の Gale-Shapley 結婚問題における分権的プロセスを説明することができる.但し,µ
*1
µ はマッチングであるから,i = µ(w) は w = µ(i) と同値である.
20
は定義 2.2 の (IR) 個人合理性を満たす任意のマッチングであるとする*2 .分権的プロセスは以下の 3 つ
のステップから構成される:
(1) 与えられたマッチング µ に対して,各個人にとって次のマッチングにおいてペアになることを希
望する相手を対応させる関数が C である.そこで互いに互いを希望し合った男女 (m, w),即ち,
C(m) = w かつ C(w) = m なる男女 (m, w) は次のマッチング ν においてペアになるといえる.何故
ならば,選択関数によって互いが互いの解となっていることは,当事者の男性も女性も互いが両想
いであることを知っているなかで最も好ましい異性であることを含意しているからである.言い
換えれば,このときの男女 (m, w) はマッチング µ におけるブロッキング・ペアの 1 つである.ま
た,個人 i ∈ M ∪ W が独身でいることを希望した場合,即ち,C(i) = i であるとき,その個人 i は
次のマッチング ν で独身となるといえる.
(2) ステップ (1) が終了すると,パートナーを一時的に失った男性 µ(w) と女性 µ(m) がともに存在する
ことがある.また,マッチング µ においてもともとパートナーをもたなかった個人が存在すること
もある.このステップでは,それらの男女のなかで,互いにとって独身でいるよりもペアになるこ
とを好む 2 人が存在する限り,その男女は次のマッチング ν においてペアとする.故に,ステップ
(1) 終了後に発生した個人合理性を満たさない状況が改善される.
(3) それ以外の男女はマッチング µ におけるペアを ν においても維持する.ここでの男女は,ステップ
(1) における男女のように互いが互いの選択関数の解とはならなかった男女であるといえる.
この 3 つのステップが,各個人の意思決定を表現する選択関数 C に基づいて構成されるマッチング µ か
ら ν への分権的プロセスである.
次の例によってこのプロセスを確認する:
Example 4.1 M = {m1 , m2 , m3 },W = {w1 , w2 , w3 } とする.また,選好プロファイルを以下のものとする:
m1 : w2 , w1 , w3 , m1 ,
w1 : m1 , m3 , m2 , w1 ;
m2 : w1 , m2 , w3 , w2 ,
m3 : w1 , w2 , w3 , m3 ,
w2 : m3 , m1 , m2 , w2 ;
w3 : m1 , m3 , m2 , w3 .
以下の個人合理性を満たすマッチング µ が与えられたとする(縦に並んだ男女がペアであり,パート
ナーが空欄の個人は独身である.)
:
(
m
µ= 1
w1
m2
w2
)
m3
.
w3
選択関数 C は各個人に対して,以下の結果を対応させる:
*2
もし個人合理性を満たさないマッチングが与えられた場合であっても,各個人は自分の選好は完全に知っていることを仮定
しているため,独身でいる方が好ましい不満足なペアは自分の意思決定のみによって自由に解消することができる.
21
C(m1 ) = max{w1 , w2 , w3 } ∪ {m1 } = w2 ;
m1
C(m2 ) = max{w2 } ∪ {m2 } = m2 ;
m2
C(m3 ) = max{w2 , w3 } ∪ {m3 } = w2 ;
m3
C(w1 ) = max{m1 , m2 , m3 } ∪ {w1 } = m1 ;
w1
C(w2 ) = max{m1 , m3 } ∪ {w2 } = m3 ;
w2
C(w3 ) = max{m3 } ∪ {w3 } = m3 .
w3
前述のように,C は直接マッチングを出力する訳ではなく,次のマッチングにおいて各個人がペアになり
たいと希望する相手を出力するものである.このことは,男性 m1 と男性 m3 の選択が同じ女性 w2 となっ
ていること,また,女性 w2 と女性 w3 の選択が同じ男性 m3 となっていることからもわかる.
以下で,先程の 3 つのステップから導出される次のマッチング ν がどのように形成されるかをみる.ま
ず,ステップ (1) によって,互いが互いの選択関数の解である男女 (m3 = C(w2 ), w2 = C(m3 )) は次のマッ
チング ν でペアになる.これは,男女 (m3 , w2 ) がマッチング µ のブロッキング・ペアであったことを含
意している.次にステップ (2) として,もともと独身であった男性 m2 と先程一時的にパートナーを失っ
た女性 w3 について考える.しかし,男性 m2 が独身でいることを女性 w3 とペアになることよりも好む
ため,2 人の間でペアが組まれることはない.最後にステップ 3 を確認する.男性 m1 の選択関数の解は
女性 w2 であり,女性 w1 の選択関数の解は m1 である.この男女のパートナー変更の希望は実現するこ
となく,ペア (m1 , w1 ) に変化はない.
纏めると,構成されたマッチング ν は以下のものとなる:
(
m
ν= 1
w1
m2
m3
w2
)
w3
.
実は,例 4.1 のマッチング ν は既に安定である.この ν に対する選択関数 C の解は以下のようになる:
C(m1 ) = max{w1 , w3 } ∪ {m1 } = w1 ;
m1
C(m2 ) = max{w3 } ∪ {m2 } = m2 ;
m2
C(m3 ) = max{w2 , w3 } ∪ {m3 } = w2 ;
m3
C(w1 ) = max{m1 , m2 , m3 } ∪ {w1 } = m1 ;
w1
C(w2 ) = max{m1 , m3 } ∪ {w2 } = m3 ;
w2
C(w3 ) = max ∅ ∪ {w3 } = w3 .
w3
つまり,安定マッチング ν に対する C の解は,すべての個人に対して,その安定マッチングにおける互
いのパートナーか,独身としての自分自身となる.そして,選択関数 C と達成される安定マッチングの
関係は,一般に次の命題として纏められる.
22
Proposition 4.1 マッチング µ が安定であることは,µ に対する選択関数 C について以下の条件が満たさ
れることと同値である:
C ◦ C(i) = i for all i ∈ M ∪ W.
(4.1.2)
Proof: 付録 A.2.
4.2 意思決定と知識
本節では,前節で定式化した各個人の意思決定基準,即ち,選択関数 C を通じて,分権化マッチングに
おいて各個人が選好に関して必要とする知識とは何かを考察する.
但し,本節においても,集権化と分権化との違いである (3) 異性達の選好に関する知識に焦点を絞るた
め,(1) 自分の選好に関する知識は完全であることを仮定する.自分の選好に関する知識が完全であるこ
とは,各個人にとって,最大化問題としての選択関数 C を解く,即ち,次のマッチングにおいて希望する
パートナー(もしくは自分自身)を決定するという役割を担っている.一方,異性達の選好に関する知識
がマッチングの分権的プロセスに果たす役割は,次小節の Knuth (1976) の未解決問題に新たな解決法を
与えることによって明らかとなる.
4.2.1
Knuth (1976) の未解決問題
引き続き,M = {m1 , m2 , m3 },W = {w1 , w2 , w3 } とする.但し,選好プロファイルを以下のものとする:
m1 : w2 , w1 , w3 , m1 ,
w1 : m1 , m3 , m2 , w1 ;
m2 : w1 , w3 , w2 , m2 ,
m3 : w1 , w2 , w3 , m3 ,
w2 : m3 , m1 , m2 , w2 ;
w3 : m1 , m3 , m2 , w3 .
このとき,マッチングは以下の µ1 から µ6 までの 6 つ存在し,そのうち,µ5 と µ6 が安定である:
(
m
µ1 = 1
w1
(
m
µ4 = 1
w3
m2
w2
m2
w2
)
m3
,
w3
)
m3
,
w1
(
m
µ2 = 1
w2
(
m
µ5 = 1
w2
m2
w1
m2
w3
)
m3
,
w3
)
m3
,
w1
(
m
µ3 = 1
w3
(
m
µ6 = 1
w1
m2
w1
m2
w3
)
m3
;
w2
)
m3
.
w2
Knuth (1976) は,“任意の選好プロファイルに対して,任意のマッチングから安定マッチングに到達す
るパスは存在するか” という問題を提起するにあたり,ブロッキング・ペアを順にマッチしていくという
分権的プロセスにおいて安定マッチングに到達できないパスがあることを示した.それは,以下のような
ものである:
µ1 −→ µ2 −→ µ3 −→ µ4 −→ µ1 .
23
(4.2.1)
4.2.2
選択関数と必要最小限の知識
本論文が提示する選択関数 C は,Knuth (1976) の不安定マッチングのサイクルを解消することができ
る.そして,この新たな解決法を与えることによって,異性達の選好に関する知識のどの部分が,分権的
プロセスからサイクルに陥る可能性を排除する役割を果たしているかが明確になる.
まず,マッチング µ1 が与えられたとする.このとき,C は以下の解をもつ:
C(m1 ) = max{w1 , w2 , w3 } ∪ {m1 } = w2 ;
m1
C(m2 ) = max{w2 } ∪ {m2 } = w2 ;
m2
C(m3 ) = max{w2 , w3 } ∪ {m3 } = w2 ;
m3
C(w1 ) = max{m1 , m2 , m3 } ∪ {w1 } = m1 ;
w1
C(w2 ) = max{m1 , m2 , m3 } ∪ {w2 } = m3 ;
w2
C(w3 ) = max{w2 , w3 } ∪ {w3 } = m3 .
w3
以下の 3 ステップ:
(1) C(m3 ) = w2 かつ C(w2 ) = m3 なる男女 (m3 , w2 ) がペアになる;
(2) ステップ (1) でパートナーを失った男性 m2 = µ1 (w2 ) と女性 w3 = µ1 (m3 ) がペアになる;そして
(3) ペア (m1 , w1 ) に変化はない
によって,達成されるのは安定マッチング µ6 である.
次に,µ2 が与えられたとする.このとき,C の結果は以下となる:
C(m1 ) = max{w1 , w2 , w3 } ∪ {m1 } = w2 ;
m1
C(m2 ) = max{w1 } ∪ {m2 } = w1 ;
m2
C(m3 ) = max{w1 , w2 , w3 } ∪ {m3 } = w1 ;
m3
C(w1 ) = max{m2 , m3 } ∪ {w1 } = m3 ;
w1
C(w2 ) = max{m1 , m3 } ∪ {w2 } = m3 ;
w2
C(w3 ) = max{m3 } ∪ {w3 } = m3 .
w3
以下の 3 ステップ:
(1) C(w1 ) = m3 かつ C(m3 ) = w1 なる男女 (m3 , w1 ) がペアとなる;
(2) ステップ (1) でパートナーを失った男性 m2 = µ2 (w1 ) と女性 w3 = µ2 (m3 ) がペアになる;そして
(3) ペア (m1 , w2 ) に変化はない
から,達成されるマッチングは µ5 となり安定である.
24
µ3 に対して,C は以下の解をもつ:
C(m1 ) = max{w1 , w3 } ∪ {m1 } = w1 ;
m1
C(m2 ) = max{w1 } ∪ {m2 } = w1 ;
m2
C(m3 ) = max{w1 , w2 } ∪ {m3 } = w1 ;
m3
C(w1 ) = max{m1 , m2 , m3 } ∪ {w1 } = m1 ;
w1
C(w2 ) = max{m1 , m3 } ∪ {w2 } = m3 ;
w2
C(w3 ) = max{m1 } ∪ {w3 } = m1 .
w3
以下の 3 ステップ:
(1) C(m1 ) = w1 かつ C(w1 ) = m1 なる男女 (m1 , w1 ) がペアになる;
(2) ステップ (1) でパートナーを失った男性 m2 = µ3 (w1 ) と女性 w3 = µ3 (m1 ) がペアになる;そして
(3) ペア (m3 , w2 ) に変化はない
からマッチング µ6 が達成され,µ6 は安定である.
最後に,µ4 が与えられたとする.すると,各個人に対して C は,
C(m1 ) = max{w1 , w2 , w3 } ∪ {m1 } = w2 ;
m1
C(m2 ) = max{w2 } ∪ {m2 } = w2 ;
m2
C(m3 ) = max{w1 , w2 } ∪ {m3 } = w1 ;
m3
C(w1 ) = max{m1 , m2 , m3 } ∪ {w1 } = m1 ;
w1
C(w2 ) = max{m1 , m2 } ∪ {w2 } = m1 ;
w2
C(w3 ) = max{m1 , m2 } ∪ {w3 } = m1
w3
を対応させる.同様に,以下の 3 ステップ:
(1) C(w2 ) = m1 かつ C(m1 ) = w2 なる男女 (m1 , w2 ) がペアとなる;
(2) ステップ (1) でパートナーを失った男性 m2 = µ4 (w2 ) と女性 w3 = µ4 (m1 ) がペアになる;そして
(3) ペア (m3 , w1 ) に変化はない
から,達成されるのは安定マッチング µ5 である.
つまり,サイクル (4.2.1) の任意のマッチングに対して,選択関数 C は安定マッチングへのプロセスを
与える.故に,C による分権化プロセスは Knuth (1976) の問題の新たな解決法である.
続いて,選択関数を提示することによって,各個人が異性達の選好に関する知識をもつことが重要であ
ることを示す.再度,マッチング µ1 が与えられた最初の状況に戻る.そして,女性 w2 に注目する.w2
の選択関数の結果は,
C(w2 ) = max{m1 , m2 , m3 } ∪ {w2 } = m3
w2
25
であった.自分の選好に関しての知識が完全であるという仮定のもとでは,彼女のマッチング µ1 におけ
るパートナー m2 = µ1 (w2 ) よりも男性 m1 と男性 m3 が好ましいことを知っている.もし,w2 が,男性 m3
にとっては彼の µ1 におけるペア w3 = µ1 (m3 ) よりも自分の方が好ましい,即ち,関係 w2 m3 w3 = µ1 (m3 )
を知らないとする.すると,w2 の選択関数における選択対象の集合が {m1 , m2 , m3 } から {m1 , m2 } へ小さ
くなる.それに伴い,彼女の選択関数 C の解は,
C(w2 ) = max{m1 , m2 } ∪ {w2 } = m1
w2
となる.この結果を他の個人達の C の解とともに分権化プロセスを構成すると,達成されるのは不安定
マッチング µ2 となる.このマッチングは,先程のサイクル (4.2.1) における µ1 に続くマッチングに他な
らない.
このマッチング µ2 に対して,今度は,男性 m3 に注目する.彼はマッチング µ2 におけるパートナー
w3 = µ2 (m3 ) よりも女性 w1 と女性 w2 が好ましいことを知っている.ここで,関係 m3 w1 m2 = µ2 (w1 )
を知らないとする.すると,m3 の選択対象の集合が {w1 , w2 , w3 } から {w2 , w3 } へ小さくなる.それに伴
い,彼の選択関数 C の解は,
C(m3 ) = max{w2 , w3 } ∪ {m3 } = w2
m3
となる.この結果から達成されるのは不安定マッチング µ3 となる.このマッチングは,先程のサイクル
(4.2.1) における µ2 に続くマッチングである.
続いて,µ3 に対しては,女性 w1 に注目すればよい.彼女も自分の選好は完全に知っているが,関係
w1 m1 w3 = µ3 (m1 ) を知らないとする.すると,彼女の選択関数 C の解は,選択対象の変化に伴って,
C(w1 ) = max{m2 , m3 } ∪ {w1 } = m3
w1
となり,達成されるのは不安定マッチング µ4 である.
最後に,µ4 に対しては,男性 m1 の女性 w2 の選好の知識の欠落が不安定マッチングを達成させる要因
となる.彼が,関係 m1 w2 m2 = µ4 (w2 ) を知らないとする.すると,彼 1 人の選択関数 C の解が,
C(m1 ) = max{w1 , w3 } ∪ {m1 } = w1
m1
と変化することによって,達成されるのは不安定マッチング µ1 となってしまう.以上でサイクル (4.2.1)
が実現した.
以上の議論によって,Knuth (1976) の問題が解決されるとともに,安定マッチングに到達する分権化プ
ロセスを選択関数が構成するために必要な異性の選好に関する最小限の知識が明らかとなった.
26
第5章
結びの議論
本論文の目的は,安定マッチングへの分権的プロセスには,各個人がもつ選好に関する知識の役割が重
要であることを理論的に示すことであった.その目的を達成するため,分権化されたマッチング環境にお
いて,各個人が如何なる意思決定基準をもつかを定式化した.この定式化を通じて,Roth and Vande Vate
(1990) では議論されなかった,各個人がもつ異性達の選好に関する知識の重要性が明らかとなった.
Roth and Vande Vate (1990) の結果は,分権的プロセスを記述したものではなく,Gale and Shapley
(1962) による安定マッチングの構成的な証明を拡張した存在証明として解釈すべきであると考える.そ
れは,Roth and Vande Vate (1990) の定理 2.5 の証明の特殊ケースが Gale-Shapley アルゴリズムに一致す
ることに基づく.
本論文は各個人は自分の選好に関しては完全な知識をもつことを仮定している.選択関数 C の構造に
よって明らかなように,自分の選好を利用して選択対象の集合を評価するため,この仮定をしない場合に
はプロセスはより複雑になる.
また,第 4 章以降は男性 3 人・女性 3 人の Gale-Shapley 結婚問題に限定している.これは,選択関数
から次のマッチングを構成する際,男性 4 人・女性 4 人の場合,互いに互いの希望が一致しない男女の数
が増加するため,単純な拡張ができないからである.マッチングの構成の仕方をより精緻化することがで
きれば,一般に男性有限人対女性有限人のマッチングに拡張できることが期待される.
27
付録 A
証明
A.1
命題 3.2 の証明
以下では,定義 3.1 の性質 (KS) の意味でのブロッキング・ペアのみを扱うため,それを単にブロッキ
ング・ペアと記述する.
µ1 を任意のマッチングとする.そして,µ1 にブロッキング・ペア (m1 , w1 ) が存在すると仮定する.も
し µ1 にブロッキング・ペアが存在しないならば,k = 1 として証明終了である.
µ2 を µ2 (m1 ) = w1 とした,即ち,µ1 におけるブロッキング・ペア (m1 , w1 ) を満足させて構成したマッ
チングとする.そして,集合 A(1) = {m1 , w1 } を定義する.いま,A(1) の定義により,(m2 , w2 ) が µ2 にお
ける任意のブロッキング・ペアならば,{m2 , w2 } は A(1) に含まれていないことに注意する.
命題の証明は,µk が安定マッチングとして達成されるまで,各 i = 1, . . . , k − 1 に対して集合 A(i) を以
下の 2 つの条件を満たすように構成するという方法によってなされる:
(A1)
A(i) ⊂ A(i + 1);
(A2)
A(i) はブロッキング・ペアを含まない.
すると,集合の列 {A(i) : i = 1, 2, . . . } は包含関係の意味で i に関する単調増加性をもつが,高々
A(i) = M ∪ W である.故に,この集合 A の構成のステップは必ず有限回–k 回で停止する.すると,
A(i) = M ∪ W のときにも条件 (A2) によってブロッキング・ペアは存在しないため,そのときのマッチン
グ µk は安定であるといえる.
数学的帰納法により,前述の条件 (A1) と (A2) を満たす集合の有限列 {A(i) : i = 1, . . . , k} が構成できる
ことを証明する.
i = q のとき,集合 A(q) が以下の 2 つの性質を満たすと仮定する:
(MI1)
A(q) はµq+1 におけるブロッキング・ペアを含まない;
(MI2)
µq+1 は A(q) に属する個人と A(q) に属さない個人とをマッチさせない.
帰納法の仮定 (MI1) は前述の条件 (A2) に対応している.また,条件 (A1) を満たすような集合 A の構成
のみを考える.
28
但し,i = 1 のとき,集合 A(1) = {m1 , w1 } は µ2 におけるブロッキング・ペアを含まないことは既に確認
した.また,µ2 のもとで A(1) に属するのは m1 ∈ A(1) と w1 = µ2 (m1 ) ∈ A(1) のみである.よって,i = 1
のとき 2 つの性質 (MI1) と (MI2) は満たされている.
i = k + 1 のときを考える.マッチング µq+1 が不安定ならば,(MI1) によって mq+1 と wq+1 の高々どち
らか一方のみが A(q) に属するブロッキング・ペア (mq+1 , wq+1 ) が µq+1 において存在する.故に,3 つの
ケースに分けて順に考える:
(i)
mq+1 ∈ A(q) かつ wq+1 < A(q);
(ii)
mq+1 < A(q) かつ wq+1 ∈ A(q);
(iii)
mq+1 < A(q) かつ wq+1 < A(q).
ケース (i):次のマッチング µq+2 は (mq+1 , wq+1 ) を満足させるように構成する.つまり,wq+1 = µq+2 (mq+1 )
となる.そして,A(q + 1) = A(q) ∪ {wq+1 } と定義する.もし µq+1 において男性 mq+1 にパートナーがいな
かったならば,集合 A(q + 1) は µq+2 におけるブロッキング・ペアを含まないため性質 (MI1) を満たす.
また,(MI2) も自明に満たす.
一方,男性 mq+1 に µq+1 におけるパートナー wq+2 = µq+1 (mq+1 ) がいたとする.すると,µq+2 において,
集合 A(q+1) にともに属する男性 mq+2 と女性 wq+2 = µq+1 (mq+1 ) が新たなブロッキング・ペア (mq+2 , wq+2 )
となる可能性がある.しかしこのときは,µq+3 を (mq+2 , wq+2 ) を満足させるように構成すればよい.また
この操作を,マッチング µr+1 (r + 1 ≥ q + 2)に対応する集合 A(r) にともに属する男女での µr+1 におけ
るブロッキング・ペアが存在しなくなるまで繰り返す.そして,その集合 A(r) を A(q + 1) と定義し直せ
ば,この集合 A(q + 1) は性質 (MI1) と (MI2) を満たす.また A(q + 1) = A(q) ∪ {wq+1 } により,任意の
r ≥ q + 1 に対して,A(r) ⊃ A(q) であるから,条件 (A1) に従った構成方法になっている.
ケース (ii):ケース (i) における男女を入れ替えることで同様に証明される.
ケース (iii):マッチング µq+1 におけるブロッキング・ペア (mq+1 , wq+1 ) を満足させるように次のマッチン
グ µq+2 を構成して,A(q + 1) = A(q) ∪ {mq+1 , wq+1 } と定義する.つまり,A(q + 1) ⊃ A(q) である.このと
き,集合 A(q + 1) は µq+2 におけるブロッキング・ペアを含まないため,性質 (MI1) を満たす.また,性
質 (MI2) も自明に満たす.
以上により,帰納法の仮定のもとで,3 つすべてのケースに対して,i = q + 1 のときである集合 A(q + 1)
は 2 つの性質 (MI1) と (MI2) を満たす.故に,命題は証明された.
A.2
命題 4.1 の証明
まず,マッチング µ が安定であるならば,µ に対する選択関数 C について条件 (4.1.2) が満たされるこ
とを示す.
mi を任意の男性とする.
(1) µ において,mi にパートナーの女性 wi = µ(mi ) が存在するとき;
C(mi ) = wi とする.µ は安定であるから,定義 2.2 の性質 (S) により,m j wi mi なる任意の男性
m j ∈ M に対して,µ(m j ) m j wi が成立する.故に,集合 {m ∈ M : wi m µ(m)} に属するすべての
29
男性 m に対して,mi = µ(wi ) m である.すると,選択関数 C は,
C(wi ) = max{m ∈ M : wi m µ(m)} ∪ {wi }
wi
= max{µ(wi ) ∪ wi }
wi
と変形できる.さらに,安定マッチング µ は個人合理性 (IR) を満たすので,µ(wi ) wi wi である
から,
C(wi ) = max{µ(wi ) ∪ wi }
wi
= µ(wi )
= mi .
従って,C(mi ) = wi ならば C(wi ) = mi である.即ち,C ◦ C(mi ) = C(wi ) = mi .
(2) µ において,mi が独身であるとき;
µ の安定性 (S) から,w j mi mi なる任意の女性 w j ∈ W に対して,µ(w j ) w j mi が成立する.この
とき,集合 {w ∈ W : mi w µ(w)} に属するすべての女性 w ∈ W に対して,mi mi w j である.従っ
て,C の性質 (4.1.1) の男性の場合に注目すると,
C(mi ) = max{w ∈ W : mi w µ(w)} ∪ {mi }
mi
= mi .
故に,C ◦ C(mi ) = C(mi ) = mi がいえる.
また,男性と女性の立場を入れ替えることで同様に,任意の女性 wi ∈ W に対して C ◦ C(wi ) = wi が導
出される.
次に,マッチング µ に対する選択関数 C について条件 (4.1.2) が満たされるならば,µ は安定であるこ
とを示す.任意のマッチング µ が与えられたとする.条件 (4.1.2) は以下の 4 つの場合として書き下すこ
とができる:
(1) 男性 mi ∈ M に対して,パートナーの女性 wi = µ(mi ) ∈ W が存在し,C(mi ) = wi かつ C(wi ) = mi ;
(2) 男性 mi ∈ M が独身(mi = µ(mi ))であり,C(mi ) = mi ;
(3) 女性 wk ∈ W に対して,パートナーの男性 mk = µ(wk ) ∈ M が存在し,C(wk ) = mk かつ C(mk ) = wk;
(4) 女性 wk ∈ W が独身(wk = µ(wk ))であり,C(wk ) = wk .
しかし,ケース (3) はケース (1) と同値であり,ケース (4) はケース (2) の男性を女性に置き換えたもので
ある.従って,男性 mi がケース (1) に当てはまる場合とケース (2) に当てはまる場合に分けて,ケース
(1) と (2),(4) からマッチング µ の安定性を導くことを示す.
ケース (1):C(mi ) = wi であることは,選択関数 C の性質 (4.1.1) の男性の場合から,女性 wi が集合
30
{w ∈ W : mi w µ(w)} ∪ {mi } の選好順序 mi に関する最大元であることを意味する.従って,
mi w j µ(w j ) なる任意の女性 w j に対して,wi = µ(mi ) mi w j ;かつ
(A.2.1)
wi = µ(mi ) mi mi
(A.2.2)
である.また,C(wi ) = mi であることは,性質 (4.1.1) の女性の場合から,男性 mi が集合 {m ∈ M : wi m
µ(m)} ∪ {wi } の選好順序 wi に関する最大元であることを意味する.故に,
wi m j µ(m j ) なる任意の男性 m j に対して,mi = µ(wi ) wi m j ;かつ
mi = µ(wi ) wi wi
(A.2.3)
(A.2.4)
である.
ケース (2):C(mi ) = mi であることは,性質 (4.1.1) の男性の場合から,その男性 mi は集合 {w ∈ W : mi w
µ(w)} ∪ {mi } の選好順序 mi に関する最大元であることを意味する.即ち,
mi w j µ(w j ) なる任意の女性 w j に対して,mi = µ(mi ) mi w j
(A.2.5)
である.
ケース (4):ケース (2) に関して男女を入れ替えての同様の議論から,条件 C(wk ) = wk は,
wk ml µ(ml ) なる任意の男性 ml に対して,wk = µ(wk ) wk ml
(A.2.6)
である.
以上で得た性質 (A.2.2) と (A.2.4) からマッチング µ の安定性の定義 2.2 の (IR) が構成され,性質
(A.2.1) と (A.2.3),(A.2.5),(A.2.6) から (S) が構成される.
31
Acknowledgements
本論文を纏めるにあたって,直接・間接的に多くの御指導や御助言を頂きました.特に,石川竜一郎先
生には,日々多くの時間を割いて熱心な御指導を頂きました.心から御礼を申し上げます.
また,金子守先生・秋山英三先生には,研究が萌芽の段階から有益な御助言を多数頂きました.心から
御礼を申し上げます.石川研究室の皆様には,多くの発表の機会と御助言を頂きましたことを感謝申し上
げます.
縁あって,集合・位相論をともに勉強することとなった中村研究室・金子研究室の皆様からは,お互い
が意識している以上に素晴らしい刺激を頂いていたと信じています.
最後に,本論文の執筆を含め大学院生活を支えてくれた両親に感謝します.
2011 年 3 月
32
つくばにて(修士(社会経済)
)
References
Adachi, H. (2000): “On a Characterization of Stable Matchings,” Economics Letters, 68, 43–49.
Alkan, A. (2001): “On Preferences over Subsets and the Lattice Structure of Stable Matchings,” Review of
Economic Design, 6, 99–111.
Alkan, A., Gale, D. (2002): “A Class of Multipartner Matching Markets with a Strong Lattice Structure,”
Economic Theory, 19, 737–746.
Alkan, A. (2003): “Stable Schedule Matching under Revealed Preference,” Journal of Economic Theory,
112, 289–306.
Blair, C. (1988): “The Lattice Structure of the Set of Stable Matchings with Multiple Partners,” Mathematics
of Operations Research, 13, 619–628.
Dubins, L. E., Freedman, D. A. (1981): “Machiavelli and the Gale-Shapley Algorithm,” The American Mathematical Monthly, 88, 485–494.
Fishburn, P. C. (1978): “Non-cooperative Stochastic Dominance Games,” International Journal of Game
Theory, 7, 51–61.
Gale, D., Shapley, L. (1962): “College Admissions and the Stability of Marriage,” The American Mathematical Monthly, 69, 9–15.
Gale, D., Sotomayor, M. A. O. (1985): “Ms. Machiavelli and the Stable Matching Problem,” The American
Mathematical Monthly, 92, 261–268.
Knuth, D. E. (1976): Mariages Stables, Montreal, Les Presses de l’Universite de Montreal.
Perea, A., Peters, H. Schulteis, T. Vermeulen, D. (2006): “Stochastic Dominance Equilibria in Two-person
Noncooperative Games,” International Journal of Game Theory, 34, 457–473.
Roth, A. E. (1982): “The Economics of Matching Stability and Incentives,” Mathematics of Operations
Research, 7, 617–628.
Roth, A. E. (1984): “Misrepresentation and Stability in the Marriage Problem,” Journal of Economic Theory,
34, 383–387.
Roth, A. E. (1989): “Two-Sided Matching with Incomplete Information about Others’ Preferences,” Games
and Economic Behavior, 1, 191–209.
Roth, A. E. (1991): “Incentives in Two-Sided Matching with Random Stable Mechanithms,” Economic Theory, 1, 31–44.
33
Roth, A. E., Sotomayor, M. A. O. (1990): Two-sided Matching: A Study in game-theoretic modeling and
analysis, Cambridge, Cambridge University Press.
Roth, A. E., Vande Vate, J. H. (1990): “Random Paths to Stability in Two-Sided Matching,” Econometrica,
58, 1475–1480.
34
Fly UP