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転生したから新世界を駆け巡ることにした

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転生したから新世界を駆け巡ることにした
転生したから新世界を駆け巡ることにした
氷純
タテ書き小説ネット Byヒナプロジェクト
http://pdfnovels.net/
注意事項
このPDFファイルは﹁小説家になろう﹂で掲載中の小説を﹁タ
テ書き小説ネット﹂のシステムが自動的にPDF化させたものです。
この小説の著作権は小説の作者にあります。そのため、作者また
は﹁小説家になろう﹂および﹁タテ書き小説ネット﹂を運営するヒ
ナプロジェクトに無断でこのPDFファイル及び小説を、引用の範
囲を超える形で転載、改変、再配布、販売することを一切禁止致し
ます。小説の紹介や個人用途での印刷および保存はご自由にどうぞ。
︻小説タイトル︼
転生したから新世界を駆け巡ることにした
︻Nコード︼
N8622CR
︻作者名︼
氷純
︻あらすじ︼
赤田川ヨウは飛行機事故に巻き込まれ、失意のまま死亡すると異
世界で第二の生を受けていた。
男爵家に生まれたものの前世の記憶が災いして生活に馴染めず、厄
介払いをかねて開拓学校を受験させられてしまう。
︱︱え、人型兵器があるの? 適性ないの? 落第? ⋮⋮どうす
んの?
1
第一章は毎日更新します。
2
プロローグ
なぜ、この世界に生まれたのか。
答えの出ない自問自答を繰り返す。
失った右足から血が流れ、体温が零れ落ちていく。
木々の焼ける臭いに誘発された頭痛に抗いながら、俺は周囲を見
回した。
機体の大部分が分解した飛行機が山を少し登ったところに落ちて
いる。
山中への墜落事故だ。俺は機体から投げ出されたらしい。
よく生きていたものだと思う半面、右足からとめどなく流れる血
の量を思えば死期は近いとも感じていた。
どうせなら、考える暇もなく死んでしまいたかった。
なぜ、この世界に生まれたのか。こんな死に方を迎えるためじゃ
なかったはずなのに。
積み上げてきたもの、築き上げてきたものが、すべてこの短い間
にガラガラと音を立てて崩れていく。こんな感覚を味わうために生
きてきたわけじゃなかったのに。
家族、親族、友人、いつまで経ってもタバコを止めない同僚、最
近仲良くなったコンビニ店員の元不良、どこで餌を貰っているのか
丸々と太っているくせに会うたびにしきりに餌を要求してくる野良
猫、すべての関係が俺の命と一緒に薄れていく。
なぜ生まれたのか。
﹁死んだらなかったことになるのに﹂
俺の最後の言葉さえ、この世界には残らない。
3
﹁︱︱坊ちゃん。開拓学校に着きましたよ﹂
御者の言葉で、俺は微睡から引き揚げられた。
最悪な気分で頭を振り、前世の死に際の記憶を払い落とす。胸が
むかむかして、今にも吐きそうだった。
その時、爪の伸びた五指でギリギリと握り潰されるような痛みが
右足を襲う。
舌打ちして、俺は右足を見つめてそこに〝生身の右足〟があるこ
とを再認識する。
前世の死に際で右足を失ったせいだろう。俺はこの世界に転生し
てからも幻肢痛にさいなまれていた。
﹁坊ちゃん、早くしてください﹂
御者に急かされて、俺は馬車を降りる。
一分の隙もないレンガ敷きの道路を踏みしめる。
見上げれば、今にも降り出しそうな灰色の雲が空を埋め尽くして
いた。
御者が馬車からせっせと俺の荷物を降ろしている。
乱雑に荷物を石畳の上に転がした御者は俺を見る。道端で死にか
けの蛾でも見つけたような目だ。
﹁それじゃあ、あっしはもう帰ります。そうそう、旦那様からの言
伝です﹂
馬車に乗り込みながら、御者は俺の父から預かったという伝言を
口にする。
﹁もうファーグ家の敷居は跨がせない。入学金、授業料、支度金と
4
教科書はすべて手切れ金と思え。⋮⋮最後まで聞きますかい?﹂
﹁いや、いい⋮⋮﹂
﹁では、失礼しやす﹂
馬に進めの指示を出し、御者は馬車を動かす。
俺は荷物をまとめて、ため息を吐いた。
荷物を持ってポケットに入れておいた開拓学校の受験票を取り出
す。
氏名コト・ファーグ、男、十三歳。備考欄にはファーグ男爵家長
男、と俺に関する基本的な情報が書かれている。
俺がこの世界で長男として生を受けたファーグ家は男爵家だが、
元は地方豪族だったらしくそこそこの広さの土地持ちだ。一応は貴
族階級なわけで、生まれただけで本来は勝ち組といえる。
だが、俺はその勝ち組の生活から落ちこぼれて、家長である父か
ら絶縁された挙句、こうして開拓学校を受験させられている。
﹁俺、何してんだろうな⋮⋮﹂
俺の絶縁に関して、実家には何の落ち度もない。間違いなく、前
世の記憶を有していた俺に原因がある。
怪我もないのに右足に痛みを訴えたり、前世の死に際に味わった
喪失感を思い出してしまって人と親しくなれなかったり、俺は貴族
として生活するには不利な点が多すぎたのだ。
弟が生まれて七年が経ち、跡取りとして問題なさそうだと周囲が
判断すると、俺はこうして開拓学校へと送り出された。
開拓学校とは、魔物が跳梁跋扈する新大陸を開拓する人材を育成
するために設立された国立学校だ。
実家の考えは手に取るようにわかる。俺が開拓に成功すればよし、
スピーリツァリーゼ
途中で死んでしまえばなおよしの二段構えだ。
新大陸に生息する魔物の中には精霊人機と呼ばれる全高七メート
5
ルの人型兵器でなければ対応できない巨大な種類も多数生息してい
るらしく、開拓学校卒業者でも三年以内の死亡率は四割前後と言わ
れている。組織が維持できているのが不思議な死亡率だ。
俺は受験票を見て、試験会場に向かう。
開拓学校の敷地の端にある巨大な広場が最初の会場らしい。
広場に到着すると、俺と同じように入学試験を受けに来たらしい
十四、五歳の少年少女が七人、口をぽかんと開けて広場の中央を見
つめていた。
彼らの視線を追いかけてみると、そこでは鉄の巨人が長剣を片手
に剣術の型を披露していた。
﹁あれが精霊人機か⋮⋮﹂
精霊人機、それは人類が開発した魔術と工学技術の結晶にして魔
物に対する最終兵器だ。
それまで大型魔物は百人規模の騎士部隊でようやく討伐の可能性
が見えてくるという人類の脅威だった。戦うよりも逃げるしかない
人類の天敵だった。
しかし、精霊人機の登場は人類と魔物の関係性を一変させた。
俺は精霊人機の威容を見つめて、納得する。
全長は七メートルほど、白くカラーリングが施された特殊鋼板に
覆われた人型の機械。
腕や足は特殊鋼板を重ねて強度を上げており、動かす度に見た目
からは想像できないほど澄んだ金属同士の擦過音を奏でた。
携える長剣は四メートル近い刃渡りを持ち、ただの一振りで激し
い風が巻き起こり、広場の砂を巻き上げる。
一歩を踏み出せば重量感のある落下音を響かせ、広場の端にいる
俺の足元を震わせた。
これほど滑らかに鉄の巨人が動くのかという驚きは、きっと俺と
一緒に精霊人機の動きを目で追っているこの場の少年少女も抱いた
6
だろう。
いつまでそうしていただろうか、精霊人機は地面すれすれで振り
下ろした長剣をぴたりと止め、片膝をついた駐機状態となる。
精霊人機の胴体部分から、意外にも細身の男性が降りてきた。広
場の端から若い女性が駆け寄って、男性に紙を渡す。
細身の男性は紙に目を通してから、俺たちを見回す。
﹁そろそろ入学試験を始めましょう。あなた方には精霊人機の適性
試験を受けていただきます﹂
丁寧な口調でそう言って、試験官らしき細身の男性は口を開く。
﹁試験番号一番、コト・ファーグ、こちらへ来てください﹂
名前を呼ばれて、俺はすぐに試験官の下へ駆け寄った。
十四、五歳ほどの少年少女の中で十三歳という年の割に背の低い
俺は人目を引いていたらしく、囁く声が聞こえてくる。
試験官は俺を見て頷くと、ついてくるように身振りで指示してく
る。
試験官の後について行くと、操縦者としての適性を図るため精霊
人機に実際に乗ってもらうと説明を受けた。
﹁こちらは開拓学校にしかない訓練用の複座型精霊人機です。後部
座席に試験官の私が乗り込みますので、指示通りに動かしてくださ
い。決して指示したこと以外の操作は行わない様にお願いします﹂
試験官の説明から思い浮かべるのは自動車教習所の車のようなも
のだ。ある程度の安全を後部座席に乗った試験官が担保してくれる
のだろう。
7
﹁では、乗ってください﹂
試験官が精霊人機の胸部へ延びる梯子を指差す。
片膝をついた駐機姿勢の精霊人機を間近で見上げ、吐息を漏らす。
特殊鋼板が鈍く輝き、装甲の内側にはばねのようなものが見え隠
れしている。なんともメカメカしい。
﹁早く乗ってください﹂
﹁はい﹂
俺は複座の名にたがわず二つ用意されている座席のうち一段低く
設けられた前部座席に座る。
シートベルトを締めて、試験官に確認してもらう。
﹁はい、大丈夫ですね。では、魔導核との親和性を見ますから、左
右にあるグローブをはめてください﹂
﹁魔導核ってどういうものなんですか?﹂
﹁入学すれば習います。危険はありませんから心配しなくても大丈
夫ですよ﹂
慣れた様子で俺の質問を流した試験官が早くグローブをはめるよ
うに急かしてくる。
言われた通りにグローブをはめると、指先から少量の魔力を抜き
出される感覚がした。徐々に肘へと昇ってくる感覚は肩まで到達す
る。
試験官は魔導核の作動モニターらしき人体図を見つめて頷く。
﹁アクセスは完了です。では次に、両足を下の靴に入れてください。
消毒してあるので水虫等は気にしなくて大丈夫です﹂
8
水虫⋮⋮。
俺はつい、靴を見つめてしまった。
試験官は無表情で眼鏡の位置を人差し指で直す。
﹁気にされる方が多いので。女性は特に﹂
﹁そ、そうですか﹂
素足になって座席下の靴を履くと、また指先から魔力を抜き出さ
れる感覚がした。膝から足の付け根まで昇ってくる。
﹁最後に、このチョーカーを身に付けてください﹂
渡された白いチョーカーを首に着けると、やはり魔力が抜き出さ
れる。頭や胴全体から微量に魔力が抜き出されて、なんとなく背筋
が寒くなった。
人体図を眺めていた試験官が頷いて、後部座席に乗り込む。
﹁では、精霊人機を動作させます。先に私が手本を見せるので合図
をしたら操作を代わってください﹂
﹁分かりました﹂
緊張してくるけど、周りは何もない演習場だから、失敗しても精
霊人機そのものを壊さない限り迷惑は掛からないはずだ。兵器だか
ら多少の失敗で壊れるほど軟なつくりもしてないだろう。
試験官が精霊人機の両腕をゆっくりと開いて、元の位置にまたゆ
っくりともどす。
﹁グローブから魔力を吸われている限り、考えたとおりに動作しま
す。動かしてみてください﹂
9
試験官の指示を受け、俺は両腕を開くイメージをする。
自分の体も少し動いてしまったけれど、精霊人機は滑らかな動き
で両腕を開いてくれた。グローブから抜き出される魔力量がわずか
に増えている。
どうやら、操縦者と精霊人機を魔力で繋いで情報をやり取りして
いるようだ。操作によって情報量が増えればやり取りする魔力量も
増えるらしい。
操縦者の魔力切れ対策はどうなっているんだろう、と思った直後、
チョーカーからまじりっけなしの純粋な魔力が流れ込んできてびく
りと体が震えた。
﹁操縦者の魔力切れを防ぐためのフィードバックがあります。正常
に機能しているようですね﹂
試験官が説明してくれる。驚くから先に言ってほしかった。
では次に移りましょう、と試験官の操作で精霊人機が二歩前へと
進む。操縦席が上下動した。
試験官は俺の顔色を見てから、口を開く。
﹁これが終わったら次は両手の指を動かす細かい動作の練習があり
ます。転倒しかけた場合は私が操縦権を奪って体勢を直しますので
ご安心ください。では、気負わずにどうぞ﹂
試験官が言ってくれるけれど、両腕を動かすのと違って足を動か
すのは少し怖い。どうしても転倒のリスクを想像してしまう。
でも、躊躇してばかりもいられないだろう。
息を整えて、俺は足を動かした。
﹁︱︱あれ?﹂
10
精霊人機が反応しない。
両腕を動かした時とは違い、魔力が多めに抜き出される感覚もな
い。
﹁どうしました?﹂
﹁いえ、動かなくて⋮⋮﹂
﹁足をもとの位置に戻して一拍置いてから、まぶたを閉じて足を動
かすイメージを強く持ってください﹂
試験官に言われるまま、俺は足を戻して瞼を閉じ、足を動かすイ
メージを強く持つ。
﹁瞼を閉じたままで結構ですから、右足を蹴り上げるくらいのつも
りで動かしてください﹂
﹁はい﹂
強くイメージしたまま、俺は右足を振り上げた。
コンと操縦席と俺の右足がぶつかる音が響くけれど、精霊人機は
びくともしない。
﹁えっと⋮⋮﹂
﹁おかしいですね⋮⋮﹂
試験官も困惑したように呟く。
﹁足の爪先から魔力が流れている感覚はありますか?﹂
﹁はい。ただ、両腕を動かした時と違って流れ出す魔力量が変わら
ないです﹂
﹁計器類を見る限り確かですね。おかしいな⋮⋮﹂
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少し待っていてください、と試験官は精霊人機を数歩歩かせたり
して状態を見た後、首を傾げる。
﹁魔力経路が切れてない限り動かないなんてことはないはずなのに
⋮⋮。別の受験生でも同様の結果になるか見たいので、一度交代し
ましょう﹂
試験官の言葉に不安を覚えつつ、俺は精霊人機を降りて次の被験
者らしき少年と入れ替わる。
金髪天然パーマの少年は俺よりも頭一つ分大きくて少し筋肉質だ。
見るからに体を鍛えていますという印象で、精霊人機操縦者の適性
もありそうだった。偏見だけど。
﹁試験番号二番、ロイですね?﹂
﹁はい﹂
金髪天然パーマことロイ君が受験票を掲げて本人であることを証
明すると、試験官は俺をちらりと見てからロイ君を精霊人機の操縦
席に案内していった。
俺も行った両腕を広げる動作の後、試験官が操縦したのか滑らか
な動きで精霊人機が二歩進む。
一拍間をおいて、再び精霊人機がぎこちなく歩き出した。
その後指先を動かして落ちている剣の柄を掴み、勢いよく振りぬ
く試験を行い、被験者のロイ君と試験官が降りてくる。
﹁ロイ君は適性試験に合格です。初操縦とは思えない剣の振り抜き
でした。当校で励んでください﹂
試験官はロイ君と固い握手を交わした後、俺に目を向ける。
知性的な瞳で俺の事を興味深そうに見つめつつ、試験官は口を開
12
く。
﹁コト・ファーグ君、あなたは未だかつて前例がないほど適性があ
りません﹂
⋮⋮完膚なきまでに全否定された。
試験官は眼鏡をくいっと人差し指で持ち上げると言葉をつないだ。
﹁理論上、精霊人機を操縦できないはずはありません。あなたは非
常に興味深い事例です。先天的に足を動かせない者でもなければ操
縦ができるはずなのですが⋮⋮﹂
先天的、ね。生まれる前に足を失った場合はどうなるかの事例が
俺という事か。
試験官は非常に言いにくそうにしながら、俺に手を差しだしてき
た。
﹁精霊人機操縦者の適性が全くない以上、あなたの入学は認められ
ません。受験票を返却し、当校の敷地から速やかに出て行ってくだ
さい﹂
﹁落第、という事でしょうか?﹂
﹁前代未聞ではありますが、規則ですので﹂
俺は試験官に受験票を手渡し、荷物を背負って広場を後にする。
何人かの少年少女が前代未聞の落第生である俺を指差してひそひ
そと言葉を交わしていた。
開拓学校の門を出て、俺はため息交じりに空を見上げる。
﹁どうすんのさ、これ﹂
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乾いた笑い声が聞こえる。
誰かが嘲笑っているのかと思えば、俺の口から発せられていた。
もう笑うしかなかった。
家には帰ることもできず、開拓学校には入れず、手元には使い道
のない教科書と十三歳の少年が持つには多すぎる金銭だけ。
ぽつりと頬に当たる水の感触に、空を睨む。
﹁ボーイズビーアンビシャス、つわもの共が夢のあと⋮⋮﹂
自らを皮肉って苦笑する。
後は野となれ山となれだ。夏草がわりにペンペン草でも生えれば
上等だと思うことにしよう。
俺はひとまず宿を取って落ち着いて身の振り方を考えようと、石
畳を踏みしめて歩き出す。
幸いにもお金はある。宿で一晩過ごすくらいどうという事もない。
本格的に降り出した雨に髪が濡れ、額に貼り付く。
惨めな気分だった。
前世の記憶がなければもう少しうまく生きられたのだろうか。
少なくとも、精霊人機の操縦士適性が皆無で落第という結果には
ならなかっただろう。
適当に見つけた宿に転がり込む。
濡れ鼠の俺を見て、店主らしき男性が驚いたような顔をして、す
ぐにタオルを持ってきてくれた。
タオルで髪の水気をふきとりながら店主に一泊分の値段を聞いて、
お金を払う。
﹁こんな大荷物を担いで雨の中歩いてきたのか。災難だったな﹂
﹁えぇ、まぁ⋮⋮﹂
たった一晩、宿を借りるだけの間柄だと頭でわかっていても、言
14
葉がうまく出てこない。
タオルを貸してくれた店主に何か気の利いたことの一つでもいう
べきだと思いながらも、意に反して俺の口は重くて開かない。
諦めて荷物を担ぎ直す。
﹁タオル、ありがとうございました⋮⋮﹂
これだけは言わなければと、俺は礼を言って頭を下げる。
店主は特に気にした様子もなくタオルを受け取ってくれた。
﹁部屋に案内するよ。ついてきな﹂
俺を先導する形で、店主は階段に向かう。
足を乗せる度にぎしぎしと嫌な音を立てる階段は木製で、幅は一
メートル近くある。大荷物を担いでも十分に上り下りができた。
店主が肩越しに振り返り、俺に端へ寄るよう手を振ってくる。
﹁ちょっと道を開けてくれ。上からのお客さんが通れないから﹂
店主の言葉に階段の上を見上げれば、赤茶色の外套を羽織り、白
いキャップを被った男がいた。
革のスーツケースを下げたその男は灰色の瞳を廊下に向けて何事
かを呟き、俺と店主に気付いて白いキャップを目深にかぶり直す。
二十代の半ばか、三十の初めくらいに見えたその男の呟きは店主に
は聞こえなかったらしい。
男が階段を下りてくる。
店主とすれ違い、背の低い俺の横を通る時、眼があった気がした。
俺は階段を下りていく男の背中を見送ってから、階段を上り始め
る。
重い荷物を背負った俺を気遣ってか、店主はゆっくりと階段をの
15
ぼりながら俺を何度も振り返ってくれる。
けれど、店主は階段を上り切る間際まで来て唐突に足を止めた。
﹁︱︱坊主、そこにいろ!﹂
店主は叫ぶなり階段を駆け下りていく。
何事かと思い、階段を上り切った先に延びる廊下を見て、硬直す
る。
廊下の半ばに広がる血だまりの中で人が倒れていた。
すぐに階下を見下ろす。
店主は先ほどの白いキャップを被った男を追いかけて行ったらし
い。状況を考えれば当然の判断だ。
前世の死の間際に大量の死体を見たからだろうか、俺は廊下に倒
れている血まみれの男を見てもなんとも思わなかった。飛行機事故
の現場に転がっていた死体は俺を含めて五体満足な方が珍しいくら
いだったから、血だまりに倒れた男は〝マシ〟だとさえ考えてしま
う。
けれど、そんな冷静さも男の指が動いた瞬間吹き飛んだ。
﹁︱︱生きてる!﹂
俺は荷物を放り出して残りの段を駆け上がり、血だまりに倒れ伏
す男に駆け寄る。
男は腹を数か所刺されており、流れ出している血の量を考えても
素人目には致命傷にしか見えない。
俺はポケットからハンカチを取り出して男の傷口を押さえ、止血
を試みる。
助からないと分かっていても、何もしないという選択肢は取れな
かった。
虚ろな男の目を覗き込む。
16
男は宙を見つめて悔しそうに歯噛みする。
﹁異世界の魂が新大陸にあると分かったのに⋮⋮こんなところで﹂
うめき声に混ざって聞き取りにくいはずの言葉はやけにはっきり
と耳朶を打った。
階下がにわかに騒がしくなる。店主が人を呼んだのだろうか。
しかし、俺の耳は急速に雑音を遠ざけていた。
﹁おい、異世界の魂ってどういうことだよ﹂
血まみれの男に問いかける。
しかし、虚ろな目をした男からはすでに魂が抜け落ちていた。
17
第一話 異世界の魂
船のタラップを降りると、強い潮風に外套の端が煽られてバタバ
タと音を立てた。
青い空を行く白い雲の流れは速く、船の積み荷を降ろす荷運び人
たちの威勢のいい掛け声と一緒に俺を急かすようだった。
新大陸の玄関口、港町デュラと書かれた金属製の洒落たプレート
が街の入り口に掛かっている。
宿で看取った男が口にした、異世界の魂が新大陸にあるという、
臨終の言葉に興味を引かれて、俺はこの新大陸の大地を踏んだ。
俺は船で読んでいた新聞記事のスクラップ帳を鞄の中に収める。
宿で看取った男の名前はバランド・ラートというらしい。精霊研
究の第一人者で、精霊人機の開発にも彼の研究成果が一部流用され
るほどの研究者だ。
必然的に、彼の死は新聞等で大きく報道されたが、第一発見者で
ある店主と俺については完全とまではいかないまでも緘口令が敷か
れていた。
軍の立会いの下で官憲から事情聴取を受けたが、バランド・ラー
ト博士の臨終の言葉は俺の胸の内にだけ留めた。
異世界の魂というのが俺を指していないのは明白だった。なぜな
ら、俺は旧大陸の貴族の家に生まれ、新大陸へは一歩も踏み込んで
いないからだ。
俺は道端の石を蹴り飛ばす。
この新大陸のどこかに、俺と同じように異世界の記憶を有する何
者かがいる可能性がある。それが人か、動物か、あるいは魔物なの
かまでは分からないが、俺がこの世界に生まれた理由を知る手掛か
りになるかもしれない。
俺が、前世の記憶を有したまま生まれてしまった手がかりに、な
18
るかもしれないのだ。
バランド・ラート博士の臨終の言葉から、俺はある一つの可能性
を考えずにはいられなかった。
俺が、あるいは俺たちが前世の記憶を有したまま転生したのは、
何者かの介入があったからという可能性だ。
もしこの転生が作為的な何かであるのなら、俺はその理由が知り
たい。
なぜなら、理由を知るまでは死んでも死にきれない可能性がある
からだ。
俺の今世がうまくいかない理由の一つは前世の記憶があるから。
ならば、自殺でもすれば前世の記憶ごと無くして人生をやり直せる
のではないか、と考えた時期がある。
転生という現象がある事は俺の存在が証明しているのだから、周
りの人間が前世の記憶を持っていない以上、前世の記憶を消去して
転生する何らかの自然現象が存在するとも考えられる。自殺すれば
その自然現象に正しく組み込まれて俺も前世の記憶を消去されたう
えで転生できるのではないだろうか。
けれど、俺の転生が作為的な物であるのなら話は変わってくる。
何度死んでも、異世界の魂は前世の記憶を消去されなかったり、
この転生を引き起こした何者かの目的を達成するまでは前世の記憶
が消去されないという可能性がある。
﹁ぞっとするな﹂
背筋をムカデが這い上がってくるようなぞわぞわした嫌悪感に身
震いする。
転生するたびに喪失感を味わうなら、俺は二度と友人や家族を作
れない。もう二度と、あんな思いに苛まれたくない。
もしもう一度、前世の記憶を持ったまま転生したら、俺は人とコ
ミュニケーションが決定的に取れなくなるだろう。
19
大事な物なんて作れなくなるだろう。
それはきっと味気なくて、意味を見いだせない、灰色の人生だ。
何一つ大事にできない欠陥品の出来上がりだ。
俺は欠陥品ではなく、人間として生きて死ぬためにこの新大陸で
転生の理由を探さなくてはいけない。
開拓者ギルドへ足を向ける。
バランド・ラート博士がどういった情報筋から異世界の魂のあり
かを突き止めたのかはわからないが、情報を集めるためには各地の
開拓者から情報を吸い上げる開拓者ギルドを当たるのが得策だろう。
それに、異世界の魂と明言している以上この世界の魂にはない何
らかの特徴があるはず。
開拓者ギルドは海沿いの街らしい白塗りの建物だった。外見から
察するに三階建てだろう。
民間の組織だが新大陸固有のギルドであり、組合員の数も多い。
俺と同じように開拓学校に入れなかったり、中退したような連中が
それでも新大陸に夢を見て戸を叩くからだ。
ちなみに、開拓学校の卒業生は軍に入隊するらしい。正式に訓練
を積んだ精霊人機を扱える技能者というだけで重宝がられ、新大陸
では実戦に次ぐ実戦で命を落としていくのだ。
国軍でさえそんな有様なのだから、民間の寄せ集め団体である開
拓者ギルドの死亡率たるや推して知るべし。
建物に入ると、二、三人構成の開拓者らしきグループが四組、い
くつかのテーブルに座って職員と話をしているのが見える。
十三歳の俺を見ても誰一人注意を払わなかった。俺とそう年の変
わらない少年もいる事から、子供の開拓者も珍しくはないらしい。
さすがに保護者らしき大人と一緒にいる者がほとんどだったが。
まぁ、俺は自立しているし。実家でも勘当扱い⋮⋮感動的な扱い
を受けてお別れしたわけで。
手の空いているギルドの職員が俺に気付いて、テーブルに手招き
してくる。
20
足を運ぶと、いくつかの書類を用意しながら椅子をすすめられた。
﹁本日のご用件をお伺いします﹂
﹁登録と、情報収集です﹂
﹁新規のご登録ですね。説明をさせていただきます﹂
職員がすらすらと開拓者ギルドについての説明を始める。
開拓に適した土地を見つけた際、ギルドに届ける事で支援を受け
られるほか、国からの介入をギルドという武装集団の力である程度
防ぐことができるという。単純に言って、力を合わせて開拓者の権
利を守るための団体が開拓者ギルドだ。
﹁ギルドの運営費として、登録された方には毎年一定額を納めてい
ただいております。魔物の皮やはく製などの買い取りも行っていま
す。新種の花や香辛料などを見つけた場合にはギルドか、提携して
いる商人ギルドへ持ち込んでいただければ商品価値に応じて多額の
金銭が支払われることもございます﹂
この町の開拓者ギルドの実績です、と差し出された一覧表には最
近になって聞くようになったハーブが何種類か書かれていた。この
町の周辺で見つかった新種のハーブらしい。
﹁この、魔力袋というのは?﹂
﹁魔導核の主原料です。精霊人機を動かすのに使えるほど大きなも
のはこうして実績として記載されます﹂
魔導核と聞いて理解した俺は、鞄を撫でる。鞄の中には開拓学校
で使う予定だった各種教科書がすべて入っている。中には精霊人機
や魔導核に関する記述もあるはずだ。後で読み込んでおこう。
俺は登録書類を埋める。本名とは別にニックネームを書く欄があ
21
るけれど、これには何の意味があるのだろうか。二つ名とか書くの
か?
最後の項目で筆を止める。
﹁この、相続者というのは?﹂
﹁開拓者は死亡率が非常に高いので、事前に遺品等の相続者を決め
ておくことが推奨されています。後で変更することもできますから、
いまは開拓者ギルドを指名しておいてかまいません﹂
私の名前でもいいですよ、と笑えない冗談を飛ばしてくる職員を
無視して、開拓者ギルドと書く。保険金詐欺的に殺されたりしない
だろうか。
﹁大きな開拓団に所属して団の名前を書く方が多いですね。皆さん、
最初は天涯孤独の身で登録にやってきますから﹂
俺の書いた書類に不備がないかを見直して、職員は口を開く。
﹁情報収集と先ほど伺いましたが、どのような情報をお求めでしょ
うか?﹂
﹁お金はかかりますか?﹂
﹁ギルドとして答えられる範囲であれば無料です。個人情報は開示
できませんけどね。相手がたとえ国家であったとしても、個人情報
は守られますのでご安心ください﹂
無法者が大挙してやってきそうな信念を語る職員。
新大陸にやって来るような人間の中にはそういった無法者も含ま
れているのだろう。
俺は質問の方法を考えて、口を開く。
22
﹁ひとまず、この町について教えてください﹂
一通りの情報を入手して開拓者ギルドを出た俺はため息を吐いた。
﹁まさかこんなに早く見つかるとは思わなかった﹂
この町について質問している内に職員から聞くことができた噂話
に、異世界の魂に関係すると思われる物があった。
この町には幼き才媛と呼ばれる少女がいたらしい。
七歳にして複雑な計算をこなし、精霊人機の最新兵装であるマド
ウジュウの基礎概念を確立するなど、その才能は周囲を驚かせ︱︱
恐怖させた。
今では化け物と呼ばれるようになったその少女は、親にも捨てら
れて町はずれの森の中に一人で住んでいるという。
出来過ぎた話だ。
この世界の人には意味がつかめない文字列だろうマドウジュウと
いう最新兵装の名称は、俺の頭の中では魔導銃と漢字に変換できて
しまう。
魔導銃でなくとも、マジックガンでもマジカルガンでもよかった
だろうに。名前がチープになるのを嫌ったのだろうか。
とはいえ、魔導銃という名称から少女の正体を想像できる。
バランド・ラート博士の最後の言葉にある異世界の魂とやらがこ
の町でかつて幼き才媛と呼ばれ、今では化け物と怖がられている件
の少女に宿っているのなら、きっと彼女の前世は日本人だったのだ
ろう。
俺は少女が住むという町はずれの森を目指して歩き出しながら、
ギルドの職員から聞いた少女に関する噂話を思い出す。
親に捨てられて以降の少女はそれまでの才媛振りが嘘のように無
気力になり、魔導銃の権利で得た金銭で森に家を建てると引き籠っ
23
たという。
町を騒がせたその才能は鳴りを潜め、楽隠居然として森の奥に住
む少女だったが、彼女の持つ金を狙って近寄る質の悪い開拓者がい
た。
すでに化け物扱いされていた少女が死のうと町の住人は気にしな
かっただろう。
しかし、町に帰って来た開拓者は全身傷だらけだった。
開拓者が青い顔で言うには、少女は開拓者の不意を打って馬乗り
になると、聞いたこともない言葉を発して笑みを浮かべながらナイ
フを開拓者に振り下ろしたそうだ。
恐怖した開拓者は森から命からがら逃げ帰って来たとの事だった。
その後も何人かの開拓者が金目当てや興味本位で少女の家を訪ね、
ことごとく返り討ちに遭っている。
この町が新大陸の玄関口であり、開拓者に成り立てで実力の伴わ
ない者が多い事も原因の一つだろう。
だが、成り立てとはいえ開拓者だ。魔物を相手取って戦おうとす
る連中だからそれなりに腕は立つ。
実際、少女に斬りかかられることなく帰って来た開拓者も多いと
いう。見るからに強そうな相手には手出ししないのか、はたまた不
在だったのかはわからない。
俺は通りに並ぶ店のガラスに映った自分の姿を横目に見る。
切れ長の目に黒い瞳、中途半端に脱色したような茶色か黒か見分
けのつきにくい髪は油で整えてある。白い肌には染み一つなく、着
ている服は暗色系で揃えてあるが、オレンジ色の安物マフラーだけ
は浮いていた。背負った荷物の大きさもあって、少年バックパッカ
ー風の出で立ちだ。
開拓者と言えば長剣などの武器を持っているものだが、俺はナイ
フ一つ持っていない。
先方を刺激したくないから持っていく必要もないだろう。
噂話を聞く限り、少女の家を訪ねた者は怪我を負って帰ってくる
24
ことはあっても死体を晒す羽目になる者はいなかったらしい。
死んでいなければ、開拓者ギルドとしても馬鹿が身の程をわきま
えずに喧嘩を売って返り討ちにあったと処理するから、少女は手加
減したのだろう。
さすがは才媛というべきか、したたかだ。俺はしとやかな才媛の
方が好みだけど、件の少女はドギツイ棘を有しているらしい。せい
ぜい刺されないように気を付けよう。
冷たい潮風に耳を撫でられて寒気を覚え、俺はマフラーに顎を埋
める。
振り返った先の海は違和感を覚えるほど静かに凪いでいて、浜辺
に打ち寄せるさざ波が太陽の光を複雑に反射していた。
俺が乗ってきた船はまだ港に停泊しているようだ。この町が魔物
に襲われた時に乗り込む緊急避難用の船も停泊している。
﹁新大陸だもんな﹂
入植が始まって間もない新大陸では、精霊人機の配備も進んでい
ない。旧大陸にある本国から順次精霊人機が投入されているが、入
植者の増加に加えて新大陸の開拓が進みつつあり、精霊人機の数は
まだまだ足りていないのが現状だ。
魔物の区分は三種類。小型、中型、大型に分けられ、小型は訓練
を積んだ人間が一対一で、中型は訓練を積んだ人間が三人から五人
で連携して倒せるかどうかというところ。
精霊人機がなければ大型の魔物との交戦は絶望的で、襲われれば
町一つ簡単につぶされてしまう。
精霊人機の配備が進んでいない以上、大型魔物に町が襲われた際
の避難経路を確保するため、どんな街でも何らかの対策が講じられ
ている。
先ほど開拓者ギルドで話を聞いたところでは、町の住人は事前に
税として納めた額に応じて緊急避難用の船への乗り込みが許されて
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おり、俺のように外から来た者や避難用の船に乗れない住人は町の
各所にある地下通路を利用できるそうだ。
町を抜けるとすぐに森が広がっていた。
手付かずとまではいかないが、あまり手入れされているようにも
見えない森の中に設けられた道を歩く。
リスがちょろちょろと走り回っていて、枝の上には見たこともな
い鳥がくつろいでいる。新大陸固有の鳥だろう。
魔物の気配がないのは町の守備隊や開拓者が定期的に狩っている
からだとして、狐などの動物を見かけない。リスや鳥といった小動
物くらいしか見られないのは少し残念だ。もっと新大陸らしい奇天
烈な生き物を見てみたかった。
たまに藪をかき分けたりしながら歩いて行くと、道が二手に分か
れていた。片方は明らかに使用頻度が少ないと分かる細い道で、立
て看板がなければ見落としていたかもしれない。
﹁この先化け物屋敷、ね。しかし、字が汚いな。悪口を書くなら誰
にでも読める綺麗な字で書かないと意味ないだろう﹂
明らかに住人が立てた物ではない看板に従って、細い道に入る。
ぬかるみに気を付けながら道を進む。何度も曲がりくねる蛇のよ
うな道の先に、赤い屋根のこじんまりとした家が見えてきた。
周囲を囲む木々は背が高く、幹も太い。
相当な年月をここで生きていると分かる立派な木々に囲まれなが
ら、赤い屋根の家は建てられたばかりと分かる綺麗な壁に囲まれて
いた。二階建てで、窓は小さく、雨戸が閉じられている。
壁の内側に家庭菜園らしきものが見えた。夕暮れの赤い太陽光に
照らされて、ニンジンに似た白い花が球状に集まって咲いていた。
町から意外と距離があり、こんな時間になってしまった。帰り着
く頃にはもう夜になっているはずだ。
少女の一人暮らしと聞いているし、泊めてもらえるとも思えない。
26
今日のところは顔だけ見せて、後日改めて訪ねるとしようか。
そう思って家の玄関に近付こうとした時、がさりと頭上から音が
してあわてて見上げる。
﹁︱︱え?﹂
女の子がナイフをくわえ、俺に向かって飛び降りてくるところだ
った。
重い荷物を背負っていたのが災いして、為す術なく押し倒される。
俺を仰向けに転がした女の子は、俺の腹の上に座り込む。
地面に頭を打った俺は腐葉土の柔らかさに感謝した。
馬乗りになった女の子がくわえていたナイフを右手に持つ。
俺は西日の眩しさに目を細めつつ、腹の上にまたがっている女の
子を見た。
長い黒髪を毛先で一文字にそろえた少女は同じく黒い瞳で俺を見
下ろし、ナイフを夕陽にチラつかせる。ナイフを持つ手から視線を
逸らすと、袖に使われた二重のフリルと鎖骨が綺麗に見える大胆に
開けた襟が特徴的な黒のワンピースを着ている事に気が付いた。
というか、ワンピースで男の上にまたがるなよ。
歳は十歳ほどに見える。町で聞いた噂話では今年で十三歳ほどの
はずだから、童顔なのだろう。
女の子がナイフをこれ見よがし掲げて、刃を俺に向けた。
﹁痛いのは好き?﹂
女の子は無表情に問いかけてくる。
俺が嫌いだと答える前に、女の子はその手のナイフを俺の肩へ振
り下ろした。
冷たい鉄の刃が肉の内側に入り込む。異物感と共に痛覚が刺激さ
れ、鋭い痛みが脳へと走る。
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﹁︱︱っ﹂
痛みを堪えるために歯を食いしばり、俺は女の子を睨みあげる。
だが、女の子は次の瞬間、予想外の行動をとった。
無表情のままナイフを手の中で反転させると、俺にやったのと同
じように自らの肩をナイフで斬ったのだ。黒いワンピースの肩口が
裂けて赤い血が溢れ出す。
痛みを感じないわけではないだろう。その証拠に、目の前の少女
は痛みを堪えるように肩を押さえて歯を食いしばる。
目の前で起こったことが理解できずにいる俺に、少女は視線を合
わせて薄桃色の薄い唇を開く。
﹁お揃い﹂
少女が〝日本語〟で呟いて、にっこりと笑みを浮かべる。夕日と
同じように温かみがあるのに、見ているだけでずきずきと胸に痛み
が走る孤独な笑みだった。
少女が手の中でナイフを再び半回転させ、振り上げる。
もう一度、という事だろう。
ナイフが振り下ろされる前に、俺は少女に声を掛ける。
この世界では俺と少女にしか伝わらないだろう日本語で、声を掛
ける。
﹁お前も前世の記憶に今世を台無しにされているクチか?﹂
俺の言葉に硬直した少女は驚いたように目を見開いた。
﹁⋮⋮日本人?﹂
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少女の小さな声での質問に、俺は深く頷いた。
29
第二話 身の上話
ほうあさ
少女は芳朝ミツキと名乗った。
﹁あなたは?﹂
自己紹介を促す前にすることがあるだろう、と俺は腹に掛かる重
圧を腹筋で押し返す。
﹁ひとまず、腹の上からどいてくれると嬉しいんだが﹂
﹁こうされている方が男の子は嬉しいでしょう? それで、お名前
は?﹂
この女⋮⋮。
黒い瞳に見降ろされつつ、俺は諦めて答える。
﹁赤田川ヨウ﹂
﹁本当に日本人なのね。ちょっと驚いた﹂
そう言って、芳朝ミツキは俺の腹からようやくどいてくれた。
俺は立ち上がろうとして、荷物の重さに抗えず一度横になる。そ
んな俺の努力を見て、芳朝はくすりと笑った。
﹁ひっくり返ったカメみたい﹂
﹁あいつらは硬い信念を背負ってるんだ。馬鹿にするな﹂
﹁重荷じゃない﹂
くっ、よく口のまわる奴だ。才媛の名は伊達じゃないのか。
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﹁ほら、信念に泥がついてるよ﹂
くすくす笑いながら、芳朝が俺の背負った荷物についた泥を払っ
てくれる。
ちなみに、ここまでの会話はすべて日本語だ。十三年も使わなか
った言葉でも案外すらすらと口をついて出てくる。前世の記憶が邪
魔で精霊人機の適性が皆無なだけはある。誰にも自慢できないけど。
先ほどまでナイフを片手に俺にまたがっていたとは思えない友好
的な態度に騙されそうになるが、芳朝はまだナイフを手に持ったま
まだ。
俺は斬られた肩口をハンカチで止血して、芳朝の左肩を見る。
﹁芳朝は止血しなくていいのか?﹂
自分の肩口を見た芳朝は﹁そうね﹂と呟いて家を指差す。
﹁訪ねてきたからには理由があるんでしょう? お詫びにお茶でも
出すから上がっていきなよ﹂
﹁それが襲った相手に対する態度か﹂
﹁女の子の一人暮らしは物騒なのよ。攻撃は最大の防御でしょ﹂
﹁物騒な女の子の一人暮らし、の間違いだろ﹂
言い返すと、芳朝は肩をすくめる。痛みが走ったのか、眉をひそ
めて家の玄関に向けて歩き出した。
俺は彼女の背中を追って歩き出しながら、声を掛ける。
﹁なんで自分のことまで傷つけたんだ?﹂
玄関扉を開けて、芳朝は俺が通って来た道を指差す。
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﹁立て看板があったでしょ。この先化け物屋敷って﹂
﹁あったな﹂
家に入り、芳朝に倣って玄関で靴を脱ぐ。芳朝が金を払って建て
ただけあって日本住宅と同様のマナーで良いらしい。ご丁寧にも手
作りらしいスリッパが二足置かれていたが、来客を想定しないのか
サイズは小さい。それでもすっと俺の足が収まってしまう。まだ第
二次性徴を迎えていない俺の体は同年代の男子と比較しても小柄だ
からだろう。
玄関の横には額縁に飾られた絵があった。男女の二人組が描かれ
た油絵だが、素人作品なのが丸わかりだ。
﹁この世界の父と母だよ。私が描いた﹂
芳朝が横目で絵を見て、説明してくれる。
﹁あの看板を立てたのもこの人たち。せめてもの罪滅ぼしだってさ。
化け物をこの世界に産んでごめんなさいってね﹂
芳朝の声には抑揚がなく、適当に眺めただけのドラマの感想でも
話しているのかと錯覚しそうだった。
リビングに入り、席を勧められる。
お茶を用意すると言って、芳朝はキッチンでコンロに火をつけた。
小さな魔導核を使用して火を起こすファンタジーなコンロだ。
火に炙られるケトルをつまらなそうに見ていた芳朝がふと視線を
外し、窓の外を見る。
夕日に照らされて赤く染まった庭と塀が見えるばかりだ。
﹁⋮⋮ここに来たってことは、私の事情はある程度知ってるのかな
32
?﹂
芳朝が呟くように問いかけてくる。
﹁幼き才媛と呼ばれてたんだってな。今は化け物扱いらしいけど﹂
﹁やっぱりこの世界に来てからの事しか知らないか。前世の身の上
話から始めてもいい?﹂
﹁辛くないなら﹂
芳朝が俺を振り返って、くすりと笑う。
﹁赤田川君の話もいつか聞かせてね﹂
﹁気が向いたらな﹂
俺の場合、特に重たい身の上話があるわけでもない。唐突に死ん
でしまったせいで一風変わった対人恐怖症になってはいるがそれだ
けだ。
だが、芳朝の口振りは暗い何かが潜んでいるような気がした。
芳朝はケトルに視線を移し、語りだす。
﹁死んだのは多分、十八歳の時。肩書上は大学一年生だったけど、
半年近く実家に引き籠ってたから、ほとんど授業は受けてない。最
後は火事に遭って記憶が途切れてる﹂
仮に火事場から救い出されていたとしても、記憶がそこで途切れ
ている以上こん睡状態のまま意識が戻らず死んだのだろう。
芳朝は壁に背中を預けると、大きくため息を吐いた。
﹁引き籠る前、つまり高校生だった頃の事なんだけど、結構優秀な
生徒だったんだ﹂
33
﹁自分で言うのか﹂
﹁生徒会長兼テニス部部長、学内模試で国語と数学はトップだった
よ。英語はダメダメだったけど﹂
マジで優秀な生徒だった。なんか眩しい。これができる奴のオー
ラという物なのか。
前世から文句なしで才媛じゃないか。
ちょっとした尊敬の念を覚えていた俺の視線に気づいて、芳朝が
肩を竦めた。
﹁そのキラキラした目を向けるの止めてくんないかな。言ったでし
ょう。私は引き籠ったんだよ﹂
それとこれとは別だと思うのだが、芳朝曰く別とは言い難いらし
い。
﹁周囲の期待に応えると、自分の存在が相手の中でどんどん大きく
なるような錯覚がしてたんだ。それが嬉しくて頑張ってただけなん
だよ。称賛欲求みたいなものかな﹂
頑張れば認めてもらえる。期待をかけて仕事を任される。必要と
してもらえる。
それが前世で芳朝が努力を続けた理由であり、意義だったという。
だが、そんな努力の意義を芳朝は今さっき錯覚だと言い切ってい
た。
﹁何が切っ掛けだったのか思い出せないし、そもそも切っ掛けなん
てなくてずっと自分の内側にわだかまっていたのかもしれないけど、
唐突に〝これ私がやらなくてもいい仕事だよね〟ってはっきり思っ
ちゃったんだ。周りの人はどんどん私に仕事を回してくるけど、本
34
来あの人たちがやるべき仕事まで私に回してきてさ。おかしいなっ
て思って周囲をよくよく観察したんだ﹂
芳朝が笑おうとして笑い切れていない歪な笑みを浮かべて、天井
を仰ぐ。芳朝が見上げている天井に浮かんでいるだろう光景は見え
ないけれど、俺にも観察結果がなんとなく見えた気がした。
芳朝がため息を吐いて笑みを浮かべる事を諦める。
﹁お察しの通り、私はいくらでも替えが利く単なる雑用係でした。
認めてもらえたわけでも、期待されていたわけでもなくて、まして
や誰も必要だとは思ってなかったんだよ。いや、引き籠って半年経
つと分かるけど、これ単なる思春期だよね。自分がそんな特別な人
間だなんて思い込むなって。馬鹿だよ、ほんと﹂
自嘲しておいて、芳朝は重たいため息を吐く。
﹁それでも、何のために頑張ったんだっけって考えて、これから何
のために頑張ろうと考えて、答えが出ないままズルズル半年経つ頃
に火事にあって死にました﹂
前世の話を終えた時、ちょうどお湯が沸いてケトルが甲高い音を
立てる。
芳朝はお茶を淹れてお盆の上に乗せると俺が待つリビングに運ん
できた。
差し出されたお茶を飲もうか躊躇っていると、芳朝が目の前で飲
んで見せる。
﹁安心しなよ。毒は入れてないから﹂
﹁悪い。つい︱︱﹂
﹁期待しちゃった? ごめん、毒で苦しむ姿を見ていられるほどの
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Sっ気はないんだなぁ﹂
芳朝が片手をひらひらさせて、しょうがないドM君だなぁ、など
と言ってくる。
⋮⋮謝って損した。
というか、化けの皮がはがれてるぞ。誰だ、最初にこいつを才媛
とか呼んだ奴。才能があればいいってもんじゃないだろう。人格も
考慮しやがれ。
そう考えた時、俺はふと疑問に思った。
芳朝は努力する意義が見いだせずに死亡して、この世界に転生し
たはずだ。
しかし、この世界で芳朝は幼き才媛と呼ばれていた時期がある。
俺が疑問を抱いている事に気付いたのだろう。芳朝は﹁続きを話
そうか﹂と言ってお茶を一口飲むと、この世界に転生してからの事
を語りだした。
﹁この世界に転生した時、私はチャンスをもらったと思ったんだよ。
前世で努力する意義だった、誰かに必要とされる自分を実現しよう
と思ったんだ。有体に言えば、自分は誰かに必要としてもらえるだ
けの力があるっていう満足感が欲しかった﹂
﹁思春期を引きずってたわけか﹂
﹁こじらせちゃったんだよ﹂
苦笑して、芳朝はリビング全体を示すように手を広げた。
﹁こじらせた結果がこれ。お金が手に入って、才媛と呼ばれてちや
ほやされたかと思ったら、陰で化け物呼ばわりされました。結局さ、
みんな私の知恵とか、知識とか、発明とか、お金を欲しがっている
だけで、私は入れ物くらいにしか思ってないんだよ。高性能パソコ
ンとか、そんな感じ。また失敗したんだなって思ったらどうでもよ
36
くなっちゃって、こうして森の中で若隠居してるの﹂
身の上話は終わり、と芳朝はお茶に手を伸ばす。
俺は芳朝の話を整理して経緯を把握した。
肩を斬られた時の芳朝の行動を思い出し、俺は納得できずに質問
する。
﹁結局、俺を襲ったり自傷行為に及んだのは?﹂
カップの取っ手に触れるか触れないかのところで手を止めた芳朝
は満面の笑みを浮かべた。
﹁私の事を化け物って呼ぶ人間たちも斬り付けられると痛がって赤
い血を流すんだよ。私と一緒。それを見ると安心するんだ﹂
とっておきの宝物を自慢するような明るい口調。芳朝の表情も口
調と同様に輝いている。
だが、芳朝の笑顔は俺に馬乗りになったまま﹁お揃い﹂と言った
時のように、孤独の色が潜んでいた。
俺はお茶の入ったコップを傾ける。
芳朝は自身が置かれている状況を正しく認識している。話をする
限り論理的に物事を考えるだけの知性や理性もある。
だからこそ、芳朝は微妙に〝ズレ〟たのだろう。
﹁なぁ、俺の事を化け物だと思うか?﹂
﹁赤田川君は間違いなく人間だよ。だって、私に斬られた時に傷を
痛がったし、赤い血も流したもん﹂
何を当たり前のこと聞くんだと言わんばかりに、間髪入れずに答
えが返ってくる。強く断言するその口ぶりは異論の一切を認めない
37
という固い意思が篭っていた。
﹁なら、芳朝は人間か?﹂
﹁赤田川君が人間なんだから、私も人間だよ。お揃いなんだからさ﹂
変なの、と芳朝は笑い、話を打ち切る。
俺だって、何も芳朝を化け物呼ばわりするつもりはない。
だが、芳朝は化け物呼ばわりされ続ける事で過去の記憶を持つ自
分が人間というくくりに収まるかどうかの自信が持てなくなったの
だろう。
だからこそ、芳朝は自身を化け物呼ばわりする者達を人間と定義
して、襲ったうえでの反応から人間は傷つけると痛がり、赤い血を
流すという共通項を抽出し、自傷行為に及ぶことで同一化を図った
のだ。
芳朝の背景を理解してしまうと、俺も襲われた被害者ながら抗議
するのに抵抗を覚えてしまう。真に抗議すべき相手は芳朝をここま
で追い込んだ町の連中のような気がしてならないからだ。
芳朝も前世の記憶に今世を台無しにされている、俺の同類だ。
だからこそ、言わなければならないだろう。
﹁芳朝、俺たちの転生は計画的なものかもしれない﹂
俺が話を切り出すと、芳朝はきょとんとした顔で見つめ返してき
た。
しばらく俺を見つめていた芳朝は首を傾げる。
﹁どういう事?﹂
﹁異世界からの魂は、記憶を消去されないまま生まれ変わり続ける
可能性があるってことだ﹂
38
あくまでも可能性だが、芳朝に真剣に考えてもらうためにも脅す。
芳朝の顔からみるみる血の気が引いていった。
﹁ちょっと待って、それってどういう︱︱﹂
﹁俺もまだ調べ始めたばかりで何もわからない。ひとまず、順を追
って説明する﹂
俺は鞄から新聞記事のスクラップ帳を取りだし、テーブルの上に
広げる。
﹁何それ?﹂
怪訝な顔をする芳朝に、俺は説明する。
﹁精霊研究者、バランド・ラート博士の殺害事件に関する新聞記事
の切り抜きだ。俺が泊まろうとした宿で殺害されて、俺と店主が第
一発見者になった﹂
興味深そうに新聞記事を覗き込んだ芳朝はざっと記事に目を通し、
首を傾げた。
﹁精霊研究の第一人者バランド・ラート博士暗殺、犯人は精霊信仰
者か⋮⋮。私たちと関係があるように思えないんだけど﹂
﹁新聞記事はバランド・ラート博士の人物像を知るために集めてい
る側面が強いからな﹂
新聞記事から読み取れるバランド・ラート博士の人物像は、著名
な精霊研究者であり、軍に所属している凄腕の魔術師という事くら
いのものだ。
まだ事件発生から十日ほどしか経っていない。新大陸に来るまで
39
に船の上で過ごした三日間を除けば、俺の手元にある新聞記事は事
件発生から七日目までの物だ。続報に期待、というところだろう。
芳朝が新聞記事を読み終わったのを見計らって、俺はバランド・
ラート博士の臨終の言葉を伝える。
﹁異世界の魂が新大陸にあると分かったのに⋮⋮こんなところで。
これが俺の聞いたバランド・ラート博士の最期の言葉だ﹂
﹁異世界の魂。それで私のところに来たの?﹂
﹁理解が早くて助かる。それで、バランド・ラート博士との面識は
あるか?﹂
新聞記事を読んだ時の反応からおおよその予想は出来ていたが、
芳朝はあっさりと首を横に振った。
﹁聞いたこともないよ﹂
やはりか。
とはいえ、振り出しに戻ったと判断するのは早計だ。バランド・
ラート博士の言葉から考えても、彼は異世界の魂と接触することな
く失意の内にこの世を去っている。芳朝と面識がない方がむしろ自
然なくらいだ。
まずはこの町でバランド・ラート博士の目撃証言などを当たって
みる必要がある。
これからの方針を考える俺に、芳朝が真剣な顔で声をかけてきた。
﹁この転生の秘密を探るの?﹂
﹁そうしないとおちおち死ぬこともできないからな。芳朝はどうす
る?﹂
本音を言えば、彼女には協力してもらいたい。
40
俺は人と話すのが苦手だ。それは俺の死が人間関係の喪失に直結
し、どうしてもあの強烈な喪失感に身構えてしまうからだ。
だが、俺と同じく前世の記憶を有する芳朝となら、うまく話せて
いる。
それは、今世の記憶を残したままの次の転生があるかもしれない
と思えるからだ。俺が死んでも芳朝が死んでも、記憶を持ち続ける
限りこの関係は終わらない。
他の人とは違い、俺と芳朝は前世の記憶を有したまま転生した実
績があるから、死んでもこの人間関係が終わらないという希望を強
く持っていられるのだ。
おそらく、喪失感に身構え続ける俺では証言を集めるための聞き
込みを上手くできない。この点を芳朝に補ってもらえればありがた
い。
芳朝は悩んでいるようだった。
だが、最初から結論は出ている。
芳朝は前世の記憶を有したまま転生し続ける事と人間の枠組みか
ら外れて化け物になる事を同一視している。
人間でいたいと考える芳朝にとって、この転生の根本原因を潰さ
なければ化け物へと近づくために生を重ねることにもなりかねない。
芳朝は﹁嫌な人生﹂と呟くと顔をあげて俺を正面から見つめた。
﹁協力するよ。またこの記憶を持ったまま生まれ変わるのは嫌だか
ら︱︱﹂
芳朝の言葉は、唐突に外から響いてきた轟音にかき消された。
一瞬の硬直の後、俺たちは一斉に立ち上がって耳を澄ませる。
﹁⋮⋮遠い﹂
硬い物を破壊するような轟音が響いてくる方角に見当をつけ、俺
41
は芳朝と一緒に窓に取りついた。
森の木々の向こうに煙が上がっているのが見える。
﹁あっちは確か、デュラがある方角だったはず﹂
俺の呟きに頷いた芳朝は遠目に煙を見つめる。
﹁魔物襲撃時の避難指示に使う狼煙だよ﹂
芳朝は顔を顰め、リビングの奥にある昇り階段に向かう。
﹁どうするんだ?﹂
﹁町の地下通路の出口で避難してくる人たちを待ってから、一緒に
近くの港町に避難する。赤田川君も用意して﹂
町の様子は分からないが、見に行くわけにもいかない現状では芳
朝の判断が正しいだろう。
町が魔物の撃退に成功すれば、俺たちは地下通路の出口で待ちぼ
うけを食わされることになるが、何もないのならそれが一番だ。
﹁分かった﹂
俺は芳朝の案に賛成して、荷物に手を伸ばした。
42
第三話 人食い山羊
町から延びる地下通路の出口は森の奥、街道からやや離れた崖下
にあった。
俺と芳朝は家を出て早足で出口に先回りして、魔物に襲われてい
る港町デュラから逃げてくる避難民を待つ。
﹁他の出口から逃げてくる可能性は?﹂
﹁避難するときは住民それぞれが指定された地下通路を使う事にな
ってるの。中で渋滞して出口や入口から小型の魔物に襲われたりし
たら元も子もないからね﹂
住民それぞれに避難経路が設定されているため、町からの退避が
決定した時点ですべての地下通路の使用が決定づけられるとの事ら
しい。
もちろん、魔物の襲撃があった方角へ続く地下通路は使用されな
いが、俺と芳朝が陣取っているこの地下通路の方角は魔物が来た方
角とは違うらしい。
﹁芳朝が居てくれてよかった。俺は狼煙の見方なんてわからないか
らな﹂
﹁町ごとでも違うけどね。私もデュラの狼煙の見方しかわからない。
旧大陸だと狼煙の見方を覚えたりしないものなの?﹂
﹁魔物の被害も多いけど、俺の実家は男爵家だから、避難するより
討伐に動く側なんだ﹂
﹁ますます狼煙の見方を覚えておくべき立場だと思うけど﹂
俺はあさっての方向を向いて口ごもる。
43
前世の記憶の影響もあって口下手な俺は討伐隊の士気を落としか
ねないため、半ば部屋に軟禁状態だった。狼煙の見方なんて覚える
機会がそもそもない。
何と言ってごまかした物かと考えた瞬間、右足にギリギリとした
痛みが走り、思わず顔を顰めた。
﹁︱︱え、何か癇に障ること言った?﹂
俺の表情の変化に気付いた芳朝が困ったように聞いてくる。
﹁いや、違うんだ。前世で右足を失ったせいで、右足が痛む事があ
るんだ。幻肢痛だと思う﹂
しばらくすれば治るから、と芳朝を安心させて、俺は右足を睨む。
そこに自分の足があるのだと強く認識する事で早く幻肢痛から解放
されるのだ。
﹁そんな形の後遺症もあるんだね﹂
芳朝が心配そうに俺の顔を覗き込んでくる。
痛みを紛らわせるために芳朝と話していると、地下通路の奥から
人の足音がこだましてきた。
徐々に大きくなってくる人の足音は幾重にも重なっており、人数
の多さを窺わせる。
俺は芳朝と一緒に地下通路から距離を取り、周囲の森を警戒する。
これから人が大勢やって来るのだ。魔物の類が嗅ぎつけてやって
こないとも限らない。
地下通路からデュラの守備兵の格好をした男が三人、先行するよ
うに出てきて、俺と芳朝の姿に驚いた顔をする。
44
﹁お前達、ここで何を︱︱﹂
﹁町の外にいたので、出口に先回りして守備に当たっていました﹂
芳朝が先手必勝で恩を売る。危険な町から避難してきた住人達の
仲間意識に俺たちを受け入れる下地を作るため、俺が事前に芳朝に
提案していた台詞だ。
俺が言えればいいのだが、避難民たちとこれから二日ほどかけて
隣の港町まで行くことを考えてしまうと、俺の口は重くなる。今も、
俺は彼らを直視できなかった。
俺は守備兵たちに背を向け、町の方角に目を凝らす。すでに日も
落ちていて空は暗いが、おかげで町の明るさが火の手によるものだ
と分かる。かなり被害が出ていそうだ。
守備兵たちに続いて、町の住人達が地下通路の出口から顔を出し
始める。
暗い地下通路の中を進む不安もあったからだろう。町の住人達は
出口にたどり着くとほっとしたような顔で互いの無事を喜び合い、
先に到着した人々の中から知り合いを探そうとする。
そして、芳朝を見ると一様に渋面となり、化け物が、と吐き捨て
た。
だが、嫌いながらも恐れているらしく、芳朝に聞こえるように悪
口を言う者はいない。
俺は隣に立つ芳朝に横目を向ける。
﹁嫌われたもんだな﹂
﹁最初は擦り寄ってきてたんだけど、突っぱねたらこれだよ。使え
ない道具はいらないんだろうね﹂
そう言って、芳朝は陰のある笑みを浮かべた。
芳朝が失敗したこの世界での人生を端的に表す人々の態度に、俺
は思わず舌打ちする。
45
何人かの住人が音に気付いて俺を見た。
ここで騒動を起こしても何の益もないと思い直し、俺は素知らぬ
ふりで顔をそむける。
だが、胸の内にわだかまる嫌な気分だけはぬぐえなかった。
出口から殿を務めていた守備兵が七名出てくると、隊長が柏手を
打って注目を集める。
﹁状況を説明します。ご清聴ください﹂
少しざわついていたが、時間がもったいないと判断したのか、隊
長が港町デュラの戦況を教えてくれる。
港町デュラを南西から襲った魔物集団は大型魔物の一種であるギ
ガンテスと中型魔物であるゴライア、小型魔物であるゴブリンの混
成群らしい。
どれも人型をした魔物で、ギガンテスは体長六から八メートル、
ゴライアは四メートル前後が標準だ。ゴブリンは一メートルほどだ
が、時折二メートルを超える強力な個体がいるらしい。
﹁防衛に当たっていた精霊人機が三機大破した時点で皆さんの避難
誘導が決定しました。おそらく、他の精霊人機四機も破壊されるで
しょう。夜を徹して隣町まで移動することになります﹂
細々した注意事項を述べた隊長は住人を見回して質問の有無を訊
ねる。
今日デュラに到着したばかりの俺が口を挟める状況ではないのだ
が、住人の何人かが芳朝を見てひそひそと何事か相談すると、挙手
した。
﹁開拓者を傷だらけにするような化け物が混ざっているが、どうす
るんだ?﹂
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明らかに芳朝を指した質問だった。
隊長は眉を寄せて芳朝を見る。
﹁集団の先頭を歩いてもらいたい。魔物の襲撃があれば、戦闘にも
参加してもらう﹂
この集団の不満を抑えようと思えば、隊長の案しかないだろう。
下手に追い出せば、今後、避難してきた住人達の多数決で気に入ら
ない者や弱い者がつまはじきにされかねない。
﹁別にいいよ﹂
芳朝が投げやりに承諾し、俺に目も向けず先頭へ歩き出した。
俺と無関係を装って巻き添えを避けようとしたのだろうが、俺は
気にせず芳朝について行く。
俺の足音に気付いた芳朝が肩越しに振り返り、呆れた顔をした。
﹁空気読めないの?﹂
﹁読まないんだよ。それに、俺は一人で集団に放り込まれたら生き
ていけないんだ﹂
﹁すごく情けないセリフに聞こえるんだけど﹂
﹁俺にもいろいろ事情があるってことだ。そのうち話すよ﹂
俺と芳朝が話していると、住人達からの鋭い視線がいくつも突き
刺さってくる。
向こうから関わり合いになろうとしないなら、俺も居心地がいい。
隊長が俺たちの前にやってきて、出発を告げた。
隊長の先導に従って街道に出る。
デュラを襲う魔物の影響だろうか、夜行性の動物さえ息を潜めて
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いるようで、森は至って静かだ。
群れからはぐれたらしいゴブリンが居ても、守備兵が出合い頭に
撫で斬りして仕留めていく。あまりにも鮮やかな手際で、デュラで
負けて逃げてきているのが嘘みたいだった。
隊長が俺の顔を見て、悔しそうな顔をする。
﹁個人の技量がいかに優れていても、生身では中型魔物の足止めが
精いっぱいです。ましてや、大型魔物が相手では手も足も出ません。
市民を守るのが務めの我々の不甲斐なさを笑ってください﹂
笑えるわけないだろうが。後ろにいる市民とやらにリンチされる
わ。
冗談はともかく、大型魔物を相手にするにはどうしても精霊人機
が必要になるようだ。
俺は開拓学校で乗った精霊人機の感触を思い出す。
体高七メートルに迫る鋼鉄の巨人。魔導核に刻まれた魔術式を蓄
魔石から供給した魔力で起動し、操縦者の意思と魔力を汲んでその
力を振るう、人類の最終兵器。
乗ったからこそ、精霊人機の強力さは理解できる。
だが、港町デュラにおける戦いではその精霊人機さえ大破したの
だ。どれほど強力でも数の暴力には敵わないという事だろう。
しかし、隊長は首を横に振った。
﹁確かに、精霊人機でも複数の大型魔物を相手取れば勝てません。
ですが、デュラでの戦いの敗因は別にあります﹂
﹁と言うと?﹂
﹁歩兵戦力ですよ﹂
隊長が言うには、精霊人機はその大きさから小型魔物への対処が
難しく、小型魔物による町への浸透を防ぎきれないという。
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歩兵戦力はこの小型魔物に対処して戦線を維持しつつ、場合によ
っては中型魔物を足止めし、精霊人機が大型魔物を全滅させるまで
の時間稼ぎをするのが主任務となる。
歩兵戦力には町の守備隊の他、ギルドに登録された開拓者が参加
する。
﹁出払っていた開拓者が少なければ、あるいは戦線の維持も可能だ
ったのでしょうが⋮⋮﹂
悔しそうな隊長の表情にいたたまれなくなって、俺は視線を逸ら
した。
町を出払っていた登録済みの開拓者の一人が俺です。すみません
でした。
まぁ、俺の戦闘能力なんてたかが知れているんだけどさ。
芳朝が無言で俺の背中を叩いてくる。気にするなと言いたいのだ
ろう。
夜を徹して歩き続け、他の地下道から避難してきた住人と合流し
ていく。
住人達は数が増えて気が大きくなったのか、雑談が増えてくる。
同時に、芳朝を悪く言う声が聞こえてくるようになっていた。
いつ魔物に襲われる分からない緊張感の中で、周囲の人間と認識
を共有して仲間意識を高めようとしているのだろう。早い話が、敵
を作って一致団結しようとしているのだ。
﹁適当なところでこの集団から離れた方が良い気がするな﹂
俺の提案に、芳朝は意外そうな顔をした。
﹁てっきり、悪者役を甘んじて受けるのだと思ってたけど⋮⋮。意
外と薄情ね﹂
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﹁情があるからこそだ。このまま排斥の機運が高まると兵たちでも
不満を抑えきれなくなる。兵たちが暴力で統率を取れるなら隣町ま
で集団を率いることは可能だろうけど、隊長は暴力を許容できるタ
イプじゃない。人数も増えているし、我を通せると分かったらみん
なが自分勝手なことを言い出して集団そのものが崩壊する。これ以
上人が増えるようなら、俺たちはいない方が良いだろう﹂
すでに懸念事項はある。
この逃避行は魔物の襲撃によって突発的に引き起こされたもので、
誰も食糧などを携帯していない。足の速い兵士が数人、隣町まで先
回りして増援と物資の手配をしているが、今日中に着くとは到底思
えない。
人間、腹が空くと怒りっぽくなるものだ。一日二日なら人を食っ
てまで腹を満たそうとはしないだろうけど、暴力沙汰が発生する可
能性は高い。
暴力でストレスを発散しようと思った場合、真っ先に標的になる
のは芳朝だ。何しろ、誰も止めないだろうから。
﹁なんだ、私の事を気にしてたんだ⋮⋮﹂
盲点だった、と言って、芳朝は照れたように笑った。
﹁久しぶりに優しくされるとやばいね。コロッといくね﹂
﹁よし、ばっちこい﹂
﹁いまの一言で我に返ったよ。ありがとう﹂
気安いやり取りが久しぶりなのはお互い様で、俺もコロッといく
ところだった。肩の傷を押さえて心を落ち着ける。
芳朝が守備兵に指示を出している隊長を見てから、俺だけに聞こ
える大きさで声をかけてくる。
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﹁気にしてくれるのは嬉しいけどさ。デュラの人たちも馬鹿じゃな
いんだよ。あの人たちは安全圏から悪口を言って人を誹謗中傷する
事で不安や恐怖と戦ってるの。私たちが居なくなったら、誹謗中傷
の矛先が町を守れなかった守備隊に向かうよ。そうなれば統率なん
て取れなくなる。それが分かってるから、あの隊長さんも町の人た
ちを諌めないし、明らかに和を乱している私たちを一番人目につく
先頭に出してるんだよ﹂
﹁ようは、俺たちをスケープゴートにしてるのか﹂
俺は守備兵の善性を信じすぎていたようだ。
さすが芳朝だ。嫌われ者としての年季が違うと考え方の下地が違
ってくるらしい。
芳朝が俺を横目でにらむ。
﹁失礼なこと考えてない?﹂
﹁いやいや、感心していたところだ。それにしても、芳朝の読みが
正しいなら、俺たちは集団から抜けない方が良いんだな﹂
﹁そうだよ。導かれる羊たちのスケープゴートとして、精一杯ご奉
仕しましょう﹂
﹁キリスト教徒だったのか?﹂
﹁日本人的多神教だよ﹂
俺たちの会話が聞こえたのか、隊長が振り返って怪訝な顔をして
いる。知らない単語ばかりで会話する俺たちに注意を払っているの
が見て取れる。
生贄の山羊が下手なことをしてパニックを引き起こさないよう監
視しているのだろう。あいにくと角笛を持ってはいないので安心し
てほしい。
だが、注意がこちらに向いているのならちょうどいい。
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﹁集団の維持に俺たちが必要だとしても、俺たちに集団が必要とは
限らないよな﹂
魔物の襲撃を受けて慌てて飛び出したデュラの住人とは違い、俺
と芳朝は避難準備を行う余裕があった。
最低限の着替えや金銭の他、食料品を持ち出しているのだ。
聞き耳を立てていた隊長が振り返り、苦い顔をする。
俺はにっこりと愛想笑いを浮かべておいた。俺の考えを察したの
か、芳朝も同じように隊長へ笑いかける。
隊長が根負けしたように口を開いた。
﹁休憩時には私のそばを離れないでください﹂
﹁ありがとうございます﹂
隊長のそばにいれば、暴力を振るわれたり所持品を奪われること
はないだろう。
隊長と言外の取引を終えた俺に、芳朝が笑みを浮かべる。
﹁人を喰ったような性格してるね﹂
﹁人聞き悪いな。手紙しか食べないさ﹂
山羊だけに。
俺の気の利いたジョークは芳朝に﹁つまらない﹂と一言で切って
捨てられた。
52
第四話 今後の方針
奪い合うように支援物資に群がる住人達を遠巻きにしつつ、俺は
芳朝と一緒に隊長のそばに腰を下ろす。
﹁一段落着いたし、今後の身の振り方を考えた方がよさそうだな﹂
腹を満たし、のどを潤すことしか考えられずにいる住人達の鬼気
迫る輪から外れている俺はゆっくり休憩しつつも頭を働かせる。
﹁まずはバランド・ラート博士の足取りを追いたい﹂
芳朝は自前の水筒に口をつけて水を飲んでいたが、俺の話は聞い
ていたらしく頷いた。
﹁現状で手がかりと言えばバランド・ラート博士の最期の言葉だけ
なんだし、順当だよね。ただ、足取りを追うにしたって町という町
を虱潰しに聞き込みするわけにもいかないでしょ。どうするの?﹂
﹁そこなんだよな。正直、情報が少なすぎて予定が組み立てられな
い﹂
俺は荷物の中のスクラップ帳を思い出す。何度も読み返したおか
げで大体の内容は頭に入っていた。
﹁魔術師として軍に所属していたらしいから、その手の施設がある
町を当たってみようか﹂
﹁軍事拠点だと、私達みたいな一般人は入れてもらえないよ?﹂
﹁開拓者として登録してあっても駄目かな?﹂
53
﹁肉壁扱いされて魔物の前に立たされて死ぬだけだね﹂
芳朝が現実の厳しさを教えてくれる。嫌われ者のボッチ隠居だけ
あって、他人が自分をどう扱うかを穿った見方で考えている。
しかし、芳朝の考えにも一理あるので反論はしない。
どうしたものかと考えていると、住人達の物資の取り合いが始ま
っていた。
すぐに隊長が守備兵たちを事態の収拾に向かわせ、自らも仲裁に
歩き出す。
俺は芳朝と顔を見合わせる。
隊長に付いて行くと鉄火場に踏み込む事になってしまう。だが、
ここに残っても住人に絡まれる危険性があった。
隊長が俺たちの逡巡に気付いて、予備の小剣を鞘ごと俺に投げて
寄越した。
﹁男なら自分の女くらい守って見せろ﹂
カッコいいけど誤った認識のせいで滑っている台詞を言い置いて、
隊長は颯爽と仲裁に向かった。
渡された小剣を見つめていると、芳朝に肩を叩かれる。
﹁期待してるよ、王子様﹂
﹁え? なに言っちゃってんの?﹂
﹁ほら、私は才媛、漢字は違っても姫だし﹂
﹁は? なに言っちゃってんの?﹂
鼻で笑いつつ煽ったら頬をつねられた。暴力的なお姫様だ。
痛む頬をさすっていると、俺たちが隊長の庇護下から離れたのを
察した住人が二人歩いてきた。
見たところ、歳は三十に入ったばかりといった風情の夫婦だ。
54
夫婦を見た芳朝の顔がこわばる。
住人達が俺と芳朝に向けていた視線も、敵意が抜けて興味をそそ
られたような、観察するようなものに変わっている。
夫婦が俺の前に並んで立つ。
﹁君は何者だ?﹂
﹁あなた方は?﹂
名乗る前に相手の素性を訊ねると、旦那の方が眉をピクリと動か
し、芳朝を一瞥した。
﹁大変不幸なことに、そこの化け物の生みの親だ﹂
芳朝のこの世界でのご両親だったか。
隣に座っている芳朝を見ると、顔を伏せていた。
俺は芳朝の家の玄関に飾ってあった絵を思い浮かべ、夫婦を無視
して芳朝に声を掛ける。
﹁絵が下手なんだな﹂
﹁⋮⋮うん﹂
芳朝が言い返すこともなく小さな声で答えた。
完全に委縮した様子の芳朝に声を掛ける事もなく、夫婦は俺を見
る。
﹁それで、君は何者だ? そこの化け物と親しいようだが﹂
﹁えーと、探偵仲間、みたいな、そんな感じ、です⋮⋮﹂
駄目だ、このままだと俺の口下手が炸裂する。
早くも俺の弱気な態度を見抜いて、デュラの住人達が嫌味な笑み
55
を浮かべ始めていた。この夫婦をやり過ごしても、続けて他の住人
に絡まれるのは明らかだ。
俺は片手を夫婦に向けて突き出して話を遮り、芳朝に声を掛ける。
﹁この二人と縁を切る気はあるか?﹂
﹁え⋮⋮?﹂
俺の質問が唐突過ぎたのか、芳朝が硬直する。
質問に答えたのは芳朝ではなく彼女の両親の方だった。
﹁とっくに縁を切っている。才能が枯れたのか知らんが突然何も作
らなくなって⋮⋮ただ賢しいだけの引き籠りに成り下がった。気味
の悪い言動に耐えていたのは発明品が売れるからだというのに、恩
を仇で︱︱﹂
﹁あぁ、もういいです。十分なので、その辺にしておいてください。
それと、彼女は俺の仲間なので、あまり悪く言わないでください﹂
自分でも現金な物だが、今後この二人とかかわる必要がないと分
かっただけで幾らでも舌が回るようになる。
勢いがついた俺は夫婦を見上げて笑みを浮かべる。
﹁そもそも、縁を切ったなら近付かないでくださいよ﹂
﹁⋮⋮それが化け物だと知った上での付き合いなら良い。心配して
損をした﹂
面白くなさそうに言って、芳朝の両親は俺たちに背を向けた。
嫌味の一つでも言ってやろうかと思ったが、火種を撒くのはよく
ないと思い直す。
代わりに、俺は芳朝に声を掛ける。
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﹁なんで言い返さなかった?﹂
芳朝は空を仰いで苦笑した。
﹁いまさら、なんて呼ばれても構わないだけだよ﹂
嘘だと指摘する事は出来る。
何と呼ばれても構わない、なんて諦めている奴が、人間であるこ
とに固執して誰彼かまわず斬りつけて自己との同一化を図ろうとす
るはずがない。人間であることを認めてもらいたいから、目の前で
一緒なんて言葉を口にする。
だが、指摘して何かの解決になるのだろうか。
芳朝とこの世界の両親との関係は、もう修復不可能なほどに壊れ
ているように見えた。
嘘を指摘しても、芳朝の傷を抉るだけだ。
俺はため息を飲み込んで、空を仰いで、気付く。
芳朝が俺を横目でちらちらと窺っていた。
﹁なんだよ﹂
﹁なんで縁を切るつもりかなんて聞いてきたのかと思って﹂
もっともな疑問だった。
ちょうどいい機会だ。俺は周囲を見回して出発までまだ時間があ
るのを確認してから口を開く。
﹁芳朝があの二人と縁を切れば、今後関わり合いになる事がなくな
る。それなら、俺はどもったり、緊張したりせず話せるんだ﹂
芳朝が少し考えて、首を傾げる。
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﹁人と話すのが苦手なの? 私とは普通に話しているみたいだけど﹂
﹁話すのが苦手というより、話すのも苦手なんだ。死んだら人間関
係が全部リセットされる。人生で築き上げた関係が跡形もなくなる
喪失感に身構えて、人と親しくなれないんだ。だから、この場限り
の関係だと割り切れたなら、ちゃんと向き合って話せる﹂
頭で理解しているし、このままではいけないとも思っていると話
すと、芳朝は白い指で彼女自身を指差した。
﹁私との関係もこの場限りってこと?﹂
﹁いや、俺と芳朝は転生者だから、他の人間とは少し関係性が違う。
俺と芳朝はどちらか、あるいは両方が死んでも記憶の齟齬が生じな
い可能性が高いだろ。転生者が死んだら記憶が消えて再転生するな
ら、この関係は来世に引き継ぐことはないけど、それをお互い認識
できないから喪失感に悩まされることはない。逆に死んでも来世で
記憶を維持しているなら、何らかの方法で互いに連絡を取り合って
再会することもできる﹂
身勝手な考え方なのは俺も理解している。
それでも、この世界の人たちとは違って芳朝との関係は俺にとっ
て唯一安心材料がある関係だった。
利用するなと怒られるかと思ったが、芳朝はほっとしたように笑
った。
﹁前世の自分に振り回されている者同士だね﹂
それで何故ほっとするんだろうか。
俺の疑問をよそに、芳朝は安心した顔でため息を吐く。
﹁あぁ⋮⋮最後のチャンスだと思って身構えちゃってたなぁ﹂
58
芳朝の呟きを聞いて、俺はようやく気付いた。
住人達の騒動が収束して、守備兵たちが持ち場に戻り、隊長が帰
ってくるのを見て、俺は口を閉ざす。
喪失感に身構える俺には芳朝との関係が必要だ。俺にとって、芳
朝は代えの利かない存在でもある。
そして、芳朝は俺に必要とされる実感を得ることができる。それ
は彼女が前世を含めた今までの人生で求めて手に入らなかった、誰
かの役に立てる関係だ。
きっと、俺たちの関係は歪なのだろう。
自分が抱える問題を解決してくれる存在が相手だけだから依存し
ている。
他に選択肢がないから一緒にいるだけだ。
それでも、俺たちはこの関係を続けるのだろう。
もうすぐ出発の時間だと告げる隊長に促されて、俺は立ち上がる。
﹁貸してくれてありがとうございました﹂
小剣を隊長に返し、芳朝の両親やデュラの人々を盗み見る。
﹁なぁ、芳朝、一つ提案があるんだ﹂
無言で先を促す芳朝に、俺は切り出す。
﹁開拓者として有名になろう﹂
﹁どうして?﹂
一見すると、転生した理由を探すという俺たちの目標とは何ら関
係のない提案に、芳朝は怪訝な顔をしつつも理由を聞いてくれる。
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﹁理由は二つある。軍属だったバランド・ラート博士の足取りを辿
るには軍の関係施設に行く必要がどうしても出てくる。開拓者とし
ての活動実績があれば、士気を落とさない様にむやみに使い潰され
ることはないだろうし、俺たちも実績を積む過程で実力がつくから
死ににくくなる﹂
ふむふむ、と演技がかった仕草で頷いていた芳朝は周囲の守備兵
たちを見回した。
﹁あの守備兵さんたちみたいな剣術や魔術は一朝一夕に身につくと
は思えないね﹂
﹁魔導銃があるだろ。芳朝が作ったんじゃないのか?﹂
﹁家に置いてきちゃったよ﹂
芳朝が自宅の方角を振り返る。
取りに戻るのは無理だが、町によっては魔導銃を売っている店も
あるだろう。幸いというべきか、資金は十分にある。
﹁実際に撃った経験は?﹂
﹁何度かあるよ。魔物を仕留めたこともある。魔導銃を使うなら即
戦力になれるけど、硬い皮膚を持っている魔物相手にも効くような
魔導銃は重たいよ?﹂
﹁基本的に精霊人機用に開発された兵装だもんな。生身で扱えるよ
うに小型化しても、限界はあるか﹂
芳朝の口振りから察するに、特に鍛えているわけでもない俺や芳
朝が担いで戦場を動き回るのはあまり現実的ではない重さらしい。
拳銃のようなものも流通しているそうだが、小型魔物の中でもゴ
ブリンのような柔らかい魔物にしか通用しないという話だった。
だが、俺たちが活躍するには魔導銃の運用が必要不可欠だという
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結論は芳朝も同じらしい。
芳朝は少し考えて、首を横に振る。
﹁中には精霊人機を運用している開拓団もあるそうだけど、赤田川
君のコミュニケーションスキルを考えると加えてもらえるとは思え
ないよね﹂
﹁無理だな。そもそも、俺は精霊人機に乗れないんだ﹂
開拓学校の入学試験で、俺は史上例をみないほどに適性がないと
お墨付きをもらっている。
芳朝に説明すると、彼女は額を押さえた。
﹁前世で手や足の欠損を経験したら乗れないって話が事実なら、た
ぶん私も無理だよ。火事にあって上から落ちてきた何かに手を潰さ
れた時の夢を未だに見るもん﹂
芳朝も芳朝で壮絶な最期を迎えていたらしい。
不幸自慢をするつもりもないので、俺は開拓者として有名になり
たいと考えた理由についての話に戻す。
﹁もう一つの理由だけど⋮⋮﹂
口ごもった俺を、芳朝は真剣な目で見つめてくる。
このセリフを言うのは気恥ずかしかったが、言わずに済ませる方
法もない。俺は腹をくくって口を開く。
﹁芳朝はこの世界での人生を諦めてるみたいだけど、たとえこの世
界で過ごした時間で失敗していたとしても、これからを諦めるには
早すぎると思うんだ﹂
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芳朝の前世の話は聞いたし、転生してからの話も聞いた。芳朝な
りに精いっぱい頑張った結果が今の状況だと分かっている。
芳朝が諦めてしまうのも理解できる。たった一日、デュラの住人
達の反応を見た俺でも関係修復が絶望的だと思うほどだ。年単位で
この悪意にさらされてきた芳朝が諦めるのも仕方がない。
だが、それで諦めてはいけない気がした。
﹁その、なんだ⋮⋮。もう、一人じゃないんだからさ﹂
思わず顔を背けつつ言うと、芳朝が小さく笑う声が聞こえた。
﹁私は赤田川君一人で良いんだけど、このままじゃやっぱりいけな
いよね﹂
呟くように言って、芳朝は視線を前に向けると深く頷いた。
﹁せっかく町を出るんだし、三度目の正直を狙ってみるのもいいか
もね﹂
﹁決まりだな﹂
俺は芳朝と頷きあい、目標に向かって大きく一歩を踏み出した。
62
第五話 大きな宿屋はシェルター
町に到着すると、避難民は順次解散となった。
避難所の類を用意してもらえるのかと思っていたがどうも違うら
しい。
ほとんどの避難民は親類縁者を頼ってどこかの町へ移動する。中
には旧大陸行きの船に乗る者もいた。
だが、頼る先のない人々もいる。
そんな頼る先のない人である芳朝は、俺の隣でのんきに欠伸を噛
み殺していた。
二日間ほとんど眠ることなくこの港町まで避難してきたのだから
当然ともいえるが、疲労がたまっているらしい。
﹁あの人たちは開拓者として登録して、別の土地を開拓していくと
思うよ。何人死んじゃうか分からないけど。デュラは旧大陸との交
易をするうえで重要な港町だから、一年もすれば奪還作戦があると
思う。それまで生き残っていれば、あの人たちも作戦に参加するか
もね﹂
﹁芳朝は登録しないのか?﹂
﹁ギルドが登録者で込み合うと分かっているのに、今日登録する必
要はないでしょ。私たちは金銭的な余裕もあるし、今日は宿を探し
ましょ﹂
﹁宿も混むだろうしな﹂
デュラの住人達も、二日間の野宿で疲労困憊のはずだ。どこかへ
頼るにしても、今日のところは疲れを取るため何処かで眠りたいと
思うのが人情だろう。
逃げ出すときに金目のものを持ってきている人がどれほどいるか
63
はわからないが、知り合いと金を出し合って安宿に泊まる算段をし
ている人も幾人か見受けられる。
ここに残ると恐喝される可能性もあるので、俺は芳朝と一緒に大
通りへ歩き出す。
﹁つけられてない?﹂
芳朝が後ろを振り返って目を細める。
俺たちが金を持っているのは、住人達も知っている。今までは隊
長の目があったので襲われなかっただけだ。
﹁大通りで襲うほど短絡的だとは思えないから、大丈夫だろう。寝
込みを襲われるかもしれないけど﹂
﹁解決してないよ﹂
﹁少しいい宿に泊まるしかないな﹂
防犯がきちんとした店なら、部屋に閉じこもっているだけで向こ
うも諦めてくれるはずだ。
暇つぶしの道具もある。開拓学校に入れなかった俺だが、教科書
は未だに持っているのだ。
芳朝が僅かに躊躇った後、ため息を吐く。
﹁一緒の部屋で良い?﹂
﹁別にいいぞ。今後の事も話したいし﹂
﹁⋮⋮可愛い女の子と同室というところに反応しないのは、やせ我
慢かしら?﹂
﹁ははっ、ナイスジョーク﹂
頬を抓られた。この暴力女のどこが可愛いのか。
64
﹁冗談はさておき。俺としては芳朝が別室で一人になっている方が
心配だ。ただでさえ嫌われているうえに、金銭問題までからむと、
最悪の場合殺される。それと、俺は芳朝を襲ったりしない。せっか
くこうして気軽に話せる相手を見つけたんだ。嫌われるようなまね
をするはずないだろ﹂
﹁嫌わないって言ったら?﹂
﹁襲う、しっかり襲う﹂
ノリで言ってから、隣を歩く芳朝を見て俺はげんなりした。童顔
かつ発育不良、十三歳でこれは少し将来が心配だ。
﹁十年くらい様子見てからな﹂
﹁その憐れむような視線をやめて﹂
大通りだけあって立派な店構えの宿を見つけて、俺と芳朝は五泊
分の代金を払った。
二階に上がる階段を店主に先導されていると、バランド・ラート
博士の殺害現場が脳裏をよぎる。
またしても廊下には死体が転がっていた、なんてことはなく。い
たって平和そのものの廊下を進んで奥から二つ目の扉の鍵を渡され
た。
手始めに五日間、町がまだ騒がしければさらに連泊すると伝えて
おいたおかげか、店主は愛想よく笑いながら防犯は万全だと説明し
てくれる。
﹁精霊人機の格納庫にも使われている魔導錠です。スペアはありま
せんので、紛失には気を付けてください﹂
﹁ありがとうございます﹂
部屋はベッドが二つ、テーブルが一つに木の椅子が二つ、窓際に
65
は揺り椅子が備え付けられていた。
クローゼットも広く、簡易ながら調理台まで備え付けられている。
﹁長逗留にはもってこいだな﹂
﹁夜は騒がしそうだけどね。それを踏まえてのこの値段かな﹂
芳朝が窓から外の大通りを見下ろして考えを口にする。
宿の前の大通りは飲み屋も多くあり、夜ともなれば酔っ払いが出
歩くだろうと予想された。
だが、強盗や恐喝を警戒している俺たちにとっては、夜でも人の
目が途切れないこの環境はむしろありがたい。
俺は部屋の鍵を閉めて、テーブルの上に荷物を置いた。
﹁芳朝、これからの話をし︱︱寝るなよ﹂
﹁二日間ほとんど徹夜だったんだから寝かせてよ。今話をしても聞
いても、一眠りしたら忘れちゃう﹂
すでにベッドに倒れ込んで枕に顔を埋めながら、芳朝は反論して
くる。
俺は諦めて荷物の整理をして、教科書を取り出した。
開拓者として有名になる方法について、俺は精霊人機の代わりに
なる物を開発しようと考えていた。
この世界には前世で言う自動車にも似た乗り物がある。精霊人機
の整備車両や歩兵人員の運搬車両だ。
だが、開拓者の活動範囲はほとんどの場合は未開の森や湿地など、
車を乗り入れるには適さない環境だ。走行可能な場所が限られる車
は魔物に狙われやすく、車を守るための人員も必要とされる。
俺と芳朝の二人だけで使うには不便な代物だった。
だが、体を鍛えていない俺たちは長距離を移動する手段を確保し
ておかなければならない。
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そこで、精霊人機を簡略化、小型化した兵器を開発して、中型魔
物を専門に狩る傭兵のように活動したいと俺は考えている。
精霊人機は大型魔物との戦闘に特化している反面、小型や中型の
魔物と戦いにくい。特に小型魔物の浸透作戦には抗えないと守備隊
を率いる隊長さんも言っていた。
小型に対抗する戦力である随伴歩兵も中型魔物を相手にするには
数人で連携しなくてはならず、大変な危険が伴う。
中型魔物を専門に狩る人間がいれば、隙間産業的に儲かるし頼り
にもされるだろう。
というわけで、俺は精霊人機の教科書を開いて内部構造などを調
べ始めた。
スピーリツァリーゼ
打算的な考えで開いた教科書だったが、読んでみると案外面白い。
精霊人機とは、魔導工学の研鑽の末生み出された人型の対大型魔
物用兵器だ。
内蔵された蓄魔石から魔力供給を受けて、魔導核が発動し、操縦
することが可能になる。
本来、精霊人機はその膨大な全体重量を支える事は出来ない。
しかし、とある魔物の生態に関する研究が重量の問題を解決した。
人骨型の魔物、スケルトン種だ。
スケルトン種は筋肉や内臓、皮膚すら持たないが人型を維持して
いる。これに目を付けた科学者がスケルトン種の体を維持している
魔術が存在すると仮定して調査し、発見した。
魔力によって物を支えるこの魔術の発見により、精霊人機は重量
の上限を大きく引き上げることに成功した。
また、この魔術には副産物として、遊離装甲の概念を生み出した。
スケルトン種に布などを被せると、魔術的な作用を受けて布はス
ケルトンから一定の距離を保って浮くという。これを精霊人機に応
用したものが遊離装甲であり、他のパーツから完全に独立した宙に
浮く装甲である。
遊離装甲はクッション性があるため衝撃の緩和を行いながらも閉
67
所での精霊人機の活動を妨げないため、急速に配備が進んでいると
いう。
俺は教科書のページをひっきりなしにめくりながら、読み漁る。
なんだかんだで巨大ロボットにあこがれた少年時代を過ごしてきた
のだ。俺の時代は人型ではなく獣型やら恐竜型のロボットアニメが
流行っていた。Zが付くやつだ。
そういえば、この世界には獣型のロボットはないのだろうか。
﹁重量制限がなくなると脚部への負荷も軽減されるし、芳朝が銃を
開発するまでは飛び道具もなかったから人型に落ち着いたのか?﹂
納得いかないが、教科書をいくらめくってみても獣型の兵器は存
在しない。
︱︱ないなら作ればいいだろう。
心の中の俺がインテリぶって眼鏡を押し上げながら囁いてくる。
﹁常識破りの、俺専用ロボット。疾く駆けるスマートな決戦兵器⋮
⋮いいじゃないか﹂
ぐっと拳を握り、俺はひそかな決意を秘めながら精霊人機の基本
構造に関する記述を読み漁る。
スケルトンを模した基礎骨格に、胸部にあるコックピットや魔導
核、蓄魔石を守るための内部装甲、その外側には外部からの衝撃を
軽減し、骨格やコックピットを守るための外部装甲が存在し、最外
縁には遊離装甲が存在する。
動作にはスケルトンの魔術を解析して魔導核に刻み込んだ魔導式
と、各部に供給される魔力で動作する強靭なばねが使われているよ
うだ。
組立自体は工具があればどうにかなる範囲に思えるが、魔導核の
適用範囲から出てしまうと動作しないなどの問題もある。一朝一夕
68
で組み立てられる物ではない。
当然と言えば当然だ。
俺は教科書の端に鉛筆で獣型精霊人機を設計しつつ、考える。
部品の入手や魔導核に関する知識がどうしても必要だ。魔導核に
関する知識は教科書である程度学べるにしても、一から作るとなる
と道具も手に入れなければならない。
﹁整備工場の見学とかさせてもらえないかな﹂
あわよくば、技術を盗みたい。
教科書を読み進め、俺は最大の問題を思い出す。
俺が精霊人機の適性を持っていなかった理由だ。
教科書の記述によれば、精霊人機は魔導核との間に魔力で繋がり
を作る事で同調し、細かい操縦が可能になるという。
だが、先天的に操縦者が手足を動かせない場合はこの限りではな
い。俺は前世の記憶が原因で、いまだに幻肢痛にさいなまれている
ため、この例外に該当してしまったのだろう。
だが、考えてみると妙な話だ。俺は転生してから立ち上がったり
歩きだすのが遅かったが、今ではきちんと歩けるし走れもする。
教科書の記述を読む限り、先天的に手足を動かせない操縦者の場
合、魔力経路が繋がらないという。逆に、事故などで手足を失った
操縦者はしばらくの間は魔力経路を繋げることができる。
教科書のコラム欄には、事故で足を失った精霊人機乗りがその後
も訓練を続けて精霊人機に乗り、戦い続けた事例が乗っている。
もしかすると、俺も訓練次第では精霊人機に乗る事が出来たのか
もしれない。
とはいえ、開拓学校も俺を訓練するくらいなら初めから適性のあ
る者に訓練を施す方がよほど効率的なので、いまさら知ってもしょ
うがない話だ。
69
﹁問題は、適正がない俺でも動かせるような仕組みを作る方法を確
立できるかどうかだな﹂
外で酔っ払いたちが騒ぐ声を聞きながらぼーと考えていると、部
屋の中から艶めかしい声が聞こえてドキリとする。
慌てて目を向ければ、芳朝がベッドの上で丸くなっていた。
同じ部屋にいたのを完全に忘れていた。
寝相が良い方ではないらしく、布団はベッドの下に落ちている。
枕を抱えるようにして眠っている芳朝の服がめくれて白い肌が見え
ていた。
﹁ピンク⋮⋮いいと思います﹂
何がとは言わないけど。
パジャマのズボンの紐って締めると寝苦しかったりするよね。う
ん、お兄さんも経験あるよ。
しかし、アレには白黒、赤や水色、ベージュなんかがある。ベー
ジュはまぁ見た瞬間ドキリとするけど、ちらリズム的観点で考える
なら白一択だと思うんだ。
だって白だよ? ブリーフで考えてみればわかるじゃん。年頃に
なったら隠そうとするよね。腰パン白ブリーフとか絶対避けるじゃ
ん。腰パンとスカートひらりは似て非なるものだけど似ている部分
があるんだよ。白下着的な意味で。あるいは見せパン的な意味で。
分かるかな? わっかんねぇだろうな。
なんて愚にもつかない事を真面目に考えている自分は寝不足だと
気付き、俺はさっさとベッドに倒れ伏した。
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第六話 シェルターの外
昼ごろに目を覚ました俺は、昨夜からテーブルに広げたままの教
科書を読む芳朝に声を掛けられた。
﹁おはよう。ご飯にする? パンにする? それともパスタ?﹂
﹁お好み焼きで﹂
バカげた応酬を繰り広げて、俺はベッドから起き上がる。
俺が寝ている間に着替えたのか、芳朝は手編みらしい白のセータ
ーに七分丈のジーンズという出で立ちだった。長い髪は青いリボン
で簡単にひとまとめにしている。うなじの白さが眩しい。
芳朝が簡易調理台に向かい、コップにコーヒーに似た苦みのある
白い飲み物を淹れて持ってきた。
やけに香ばしいその白いコーヒーもどきを喉に流し込む。新大陸
でよく飲まれているという嗜好飲料だ。
俺は芳朝が読んでいた教科書に目をやる。
﹁教科書を読んでたのか?﹂
﹁精霊人機の基礎構造学と、魔導核へ刻む魔術式の教科書だけね﹂
魔導核の教科書をめくりながら、芳朝は答える。
魔導核は魔術を図式化した魔術式を刻みこみ、魔力を流すだけで
魔術を発動できるようにした物だ。威力や規模は固定だが、発動ま
での時間が極端に短いのが特徴である。
精霊人機を動かす際に使われる他、コンロの火を起こす魔術もこ
の魔術式を刻まれた魔導核を利用している。複雑な火加減の調整を
術者が行う手間が省けるからだ。
71
ところでこの魔導核の原材料は魔力袋と呼ばれる魔物や肉食動物
の持つ臓器を硬化させたものである。
魔力袋は後天的に発生する臓器で、魔術の発動を助ける物と考え
られているが、その正体は不明だと教科書には書いてあった。
大型の魔物や長生きした肉食獣の中に作られている事が多く、稀
に人間も魔力袋を作り出すことがあるという。
魔力袋の大きさや品質によって、魔導核にした際に同時発動でき
る魔術式の数が左右され、高品質の魔力袋はほぼ間違いなく精霊人
機に使用するための魔導核へ加工される。
芳朝が魔力袋に関する記述を指でなぞりながら、首を傾げる。
﹁この記述がおかしい気がするの﹂
そう言って、芳朝は俺に教科書を突き出してくる。
﹁魔力袋は魔物や肉食動物が魔術を使用するために必要不可欠な臓
器であると考えられる⋮⋮。確かに、おかしいな﹂
指差された文章を読み上げ、俺は精霊人機の基礎構造学の教科書
を手に取る。
昨夜は寝不足だったせいで記憶が少々あいまいだが、目的のペー
ジはすぐに見つかった。
﹁スケルトン種は魔術を使ってるな﹂
後天的に発生する臓器であるはずの魔力袋を持たない生まれたて
でも、スケルトン種はその体を維持するための魔術を使用している。
二つの教科書で記述が食い違っていた。
﹁スケルトン種だけは生まれつき魔力袋を持っているって事だろう
72
な﹂
﹁もしそうなら、スケルトンを狩れば魔力袋を大量に手に入れられ
るし、それを魔導核に加工して売りさばく仕事をしている人がいる
と思うの。私は聞いたことないけど、赤田川君は?﹂
﹁聞いたことないな﹂
魔導核の需要は極めて高い。原料である魔力袋も同様だ。
スケルトン種が必ず魔力袋を有しているのなら、専門に狩りを行
う者が居てもいいはずだ。
﹁気になるが、今は考えても仕方がない。それより、俺が昨日の晩
に考えたことを話していいか?﹂
﹁⋮⋮これの事?﹂
教科書をぺらぺらとめくった芳朝が、俺が昨夜隅に描いた精霊兵
器の設計図を指差した。
シカの形を模した俺の設計図を眺めた芳朝は、軽く頷いた。
﹁人型じゃなくて動物型にしたのは分かるんだけど、理由を聞いて
もいい?﹂
﹁俺たちは中型魔物を専門に狩る開拓者を目指そうと思うんだ。そ
の上で、魔物から距離を取りつつ、魔導銃を撃つことができる安定
性と速度、走破性を実現するなら四足の動物が一番だと思ったんだ
よ﹂
俺が考えているのは、魔導銃を持って駆け巡りながらの一撃離脱
戦法だ。
芳朝は俺の考えに理解を示しながらも疑問が一つある、と首を傾
げた。
73
﹁精霊人機の適性がない私たちがどうやって動かすの?﹂
﹁それをこれから考えるつもりだったんだけど、いま閃いた﹂
会心の笑みを浮かべつつ、俺は胸を張って説明する。
﹁精霊人機と同じ動作方法にする必要はない。バイクや自動車と同
じようにハンドルやペダル操作を取り入れつつ、ある程度の自動化
を魔術で行えばいい﹂
﹁そんなことができるの?﹂
﹁魔術式を使えばできると思う。姿勢制御の魔術もあるから横転防
止はすぐにでも可能だ。障害物を自動で避けるのも、遊離装甲の魔
術を弄れば実現できると思う﹂
﹁すでに頭の中に設計図がありそうね﹂
感心したように言って、芳朝は教科書を俺の前に置いた。
﹁協力するよ。でも、開拓者をやるなら最低限の剣術や魔術も身に
付けないとね﹂
﹁そうだな。資金はそれなりにあるんだし、開拓者を雇って教えて
もらうのもいいかもしれない﹂
開拓学校の入学資金などをほぼ丸々持っている俺はもちろん、魔
導銃の特許料でそれなりに儲けている芳朝も経済的な余裕が十分あ
る。
一通り今後の予定を詰めた後、俺は窓に歩み寄り、通りを見下ろ
した。
昼間だけあって宿の前の大通りを行きかう人の数は多い。デュラ
からの避難民も混ざっているからか、窮屈そうだ。
路地の陰などに目を凝らしていると、宿を見張るようにしている
三人組の男の姿を見つけた。
74
﹁まだ狙われてるみたいだ。当分はこの宿で食事をとるしかないな﹂
﹁私は一生部屋の中でもいいよ﹂
﹁引き籠りめ﹂
﹁じゃあ言い直すよ﹂
芳朝はコホン、とわざとらしく咳払いして、桜色の口元にうっす
らと笑みを浮かべて黒い瞳で上目使いに俺を見る。
﹁赤田川君と二人きりなら、一生この部屋の中でもいいよ?﹂
﹁ちくしょう、あざと可愛いじゃねぇか。だが、断る!﹂
﹁つれないなぁ﹂
前世から引き籠りだという芳朝は部屋の中での過ごし方を心得て
いるらしく、教科書を読み始める。
俺は鞄の中から取り出したノートに獣型精霊兵器の設計図を書き
込む。魔導式はまだ手を出せないが、機械的な構造であれば俺の知
識でも十分だ。
﹁設計は赤田川君に任せるよ。私は魔導核に刻む魔術式を考える﹂
役割分担を決めて、芳朝は魔導核の教科書を読み進めていた。
時折意見を交わしながら、休憩や食事、睡眠を挟みつつ三日もす
ると機械的な設計図はほぼ書き上がった。
元となる精霊人機からかなりの部分をパクリスペクトして部品の
互換性を高め、新しく部品を製造する手間を極力なくした獣型の精
霊兵器。
我ながら惚れ惚れする出来栄えだ。まだ設計図なのに。
75
﹁名前は精霊獣機でいいか?﹂
﹁総称ならそのセンスのかけらもない名前で良いと思うよ。分かり
やすいし﹂
そっけない言い方をしつつも、芳朝はやたら気合の入った字で設
計図に〝精霊獣機〟と書き込んでくれた。
だが、完成した設計図はあくまでも試作機だ。
実際に作って調整を加えつつ、俺と芳朝が実戦で使うような完成
形へと近づけていかなくてはならない。
だが、材料や部品がない。技術的にも、設計図通りに組み上げら
れるかどうか心もとなかった。
教科書でも精霊人機の整備の仕方を学べるのだが、実際にやって
みなくては分からない事もあるだろう。
﹁外の様子はどうだ?﹂
﹁見える範囲に私達を狙ってそうな人はいないね。この町に着いて
四日も経っているから、お金を持っていなかった人は開拓者として
働いているんだと思うよ﹂
窓の外を確認した芳朝の言葉に安心して、俺は荷物を片手に立ち
あがった。
﹁部品や材料は手に入らないけど、技術だけなら開拓者ギルドで身
に付けられるかもしれない﹂
開拓者が集まって作る開拓団の中には精霊人機を持つ集団がある。
開拓団の中でノウハウが蓄積されていれば、ギルドにもノウハウ
が流れている可能性があった。
76
﹁開拓者ギルドに行って精霊人機を持つ開拓団を雇おう﹂
﹁精霊人機の整備方法を教えてもらうつもり? ノウハウをそう簡
単に教えてくれるとは思えないよ﹂
﹁たしかに開拓団にも秘密のノウハウがあるだろうけど、ギルドで
共有されているような整備方法は別だ。依頼料次第では交渉の余地
があると思う﹂
それに、芳朝の開拓者登録もまだ終えていない。開拓団を雇えな
かったとしても、無駄足にはならない。
﹁それに、いい加減に部屋の中から出ないと気が滅入るんだ﹂
﹁こんなに尽くしている私との生活が負担だなんて、ひどい!﹂
﹁︱︱は?﹂
演技がかった口調で叫んだ芳朝が泣き真似をする。
凄く面倒くさいシチュエーションを選んできた芳朝に、俺は驚愕
した。
芳朝は驚き固まる俺をちらりと見ると、顔を両手で覆う。
﹁私を捨てるつもりね。そうなんでしょう?﹂
﹁いま顔を隠してる理由は、笑ってるからじゃないだろうな?﹂
﹁質問に答えてよ。いつもそうやってはぐらかすんだから!﹂
うわぁ、ほんとうに面倒くさい。
俺は一度咳払いして声を作る。
﹁捨てるはずがないだろう。外へ出て、芳朝をみんなに自慢するん
だ。俺に尽くしてくれてばかりの芳朝へのささやかな恩返しも兼ね
て、今日は外でお昼を食べよう。もちろん奢らせてくれるよな?﹂
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芳朝が泣き真似を止め、手の位置をずらすと上目づかいで俺を見
る。
﹁奢らないと気が滅入る?﹂
﹁あぁ、尽くしてもらってばかりだから、奢らないと気が滅入るよ﹂
﹁なら、しょうがないなぁ﹂
へらっと笑った芳朝は、顔を隠していた手を下ろし、すっと真面
目な表情になる。
﹁なかなかのフォロー。赤田川君、もしかしてリア充だった?﹂
﹁いまのフォローに高評価を与える芳朝の前世を思うと涙が浮かぶ
よ。さぁ、出かけるから用意しろ﹂
人差し指で芳朝の頭を軽くついて、俺は財布の中身を確認する。
冗談の応酬だったとはいえ、奢ると言い出したのは俺だ。反故に
はできない。
芳朝はすぐに準備を終えて、鍵を片手に立ち上がる。
俺は窓を閉めて、芳朝と一緒に部屋を出た。
扉に鍵をかけ、宿の主に部屋の鍵を預ける。
﹁掃除は結構なので、誰も入れないようにしてください﹂
店主は笑顔で頷き、鍵を壁の棚に入れた。
﹁ご本人が同伴でない限り、部屋へ通すことはございませんからご
安心ください。本日はデートですか?﹂
十三歳の男女が一緒に外へ出ると聞かされればそう考えるのも無
理はない。
78
実際、昼食は外で食べることになっている。
﹁お昼は必要ないので、厨房の方に伝えておいてください﹂
﹁かしこまりました。デュラからの避難民が昨夜暴力事件を起こし
ているので、お二人もお気をつけて﹂
忠告に礼を言って、俺は芳朝と並んで宿を出た。
人通りが多い道を選んでまっすぐにギルドへ向かう。
道すがら、俺は街並みを見回す。
丘の上に白い壁の家が立ち並ぶこの港町は、海の上から見ればき
っと美しく映えるだろう。
レンガ敷きの道路にはアーチ型の模様が一定の間隔ごとに作られ
ており、街路樹は鮮やかな緑を頭に被っている。街路樹を透かして
見る緑と白い家とのコントラストが見事だった。
港町らしい潮風に乗って、花の香りが微かに感じ取れた。顔を向
けると街路樹の向こうに花壇がある。
﹁そんなに大きな港町じゃないけど、よく整備されていて綺麗だな﹂
﹁デュラの代わりになるように作られている町だからね。まだ港の
整備が進んでいないから大型船の入港には規制がかかっているけど、
これからもまだまだ発展していく町だよ﹂
新大陸で生まれ育った芳朝は事情通らしい。
この港町を取り巻く事情を芳朝から聞いていると、道の先に建物
が見えてきた。
﹁⋮⋮異世界人のセンスなのかな?﹂
﹁えっと、デュラにあったギルドの建物はこんなんじゃなかったん
だけど⋮⋮﹂
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開拓者ギルドの建物は、こじんまりとした城だった。
ファンシーな明るい色に塗られたとんがり屋根が五つ、装飾的な
意味合いしかない桃色の歪なひさしが壁から突き出していて、これ
でもかというほどにアーチを取り入れた外観は明らかな過剰装飾。
どこからどうみてもラブホです。
俺は芳朝と顔を見合わせ、気まずくなって互いに顔をそむけた。
今回ばかりはさすがの芳朝も耳まで赤くなっている。
前世の記憶故に建物を見た瞬間そっち系の建物だと思ってしまう
が、この世界の人たちにとってはおしゃれな建物で通っているらし
い。ギルド館に入っていく開拓者や依頼者は建物を見上げて少し誇
らしげな顔をしていた。
﹁ど、どうする?﹂
﹁意識しないでよ。気まずい﹂
﹁無茶だろ。だって、これだぜ?﹂
しばらく問答を交わして、俺たちは覚悟を決めてギルド館へ足を
踏み入れた。
中の様子は、俺が開拓者登録を済ませたデュラの開拓者ギルドと
同じだ。広めのホールにテーブルがいくつか置かれており、職員が
開拓者それぞれに対応している。
俺は芳朝と一緒に空いているテーブルに腰を下ろした。
ここ最近はデュラからの避難民が開拓者としての新規登録をして
いたらしく、芳朝が申し出ると、またか、という顔をしながらもす
ぐに書類を出してくれた。
俺は芳朝が書類に記載している横で、精霊人機を持つ開拓団がこ
の町にいるか訊ねる。
﹁精霊人機を持っている開拓団ですか。少し待っていてください﹂
80
職員さんが立ち上がってカウンターの職員とやり取りすると、一
枚の紙を片手に戻ってきた。
﹁いましたよ。開拓団〝竜翼の下〟が今朝町に入って来たようです。
防衛任務に定評のある傭兵型の開拓団で、防衛を行う新規開拓地が
この付近にあるそうです﹂
デュラが魔物に襲われた時にも思ったが、新大陸は魔物の群れに
よる襲撃で町や村が一夜で滅びる危険な土地だ。
デュラほど大きな町が滅びるのは稀だというが、防衛機構の整っ
ていない新規開拓地など魔物の脅威の前には無力だろう。
開拓団〝竜翼の下〟はそんな防衛力が貧弱な土地に出向いて護衛
を行う事を主な仕事として評価を得ている開拓団だという。
﹁団員数は戦闘員二十名、非戦闘員が二十名の計四十名。兵装は精
霊人機が二機、整備車が二両ですね。精霊人機乗りは大型撃破数が
今年で七体の実力派です。中型を倒した歩兵戦闘員も多く、経験豊
富な開拓団ですよ﹂
俺は芳朝に目配せする。
この開拓団は文句なしの大あたりだろう。
俺は職員から渡された紙に書いてある情報を読み、決断する。
﹁この開拓団に依頼を出すことは可能ですか?﹂
﹁すでに依頼を受けているようなので、掛け持ちできる内容であれ
ば可能です。先方が受けてくれるかはわかりません﹂
﹁では、依頼を出すので、書類をください﹂
俺は職員さんから渡された書類の空欄を埋めて提出する。
俺が出した報酬額に目を丸くした職員さんは、依頼内容を見て納
81
得したように頷いた。
﹁この金額であれば、受けてもらえると思います。精霊人機の整備
員は未だに少ないので、開拓者ギルドとしてもこういった形での技
術習得は大歓迎ですよ﹂
ニコリと笑った職員さんが、個人的にも話を通しておくと約束し
てくれた。
82
第七話 マッピングと圧空
職員さんの個人的なお話に効果があったのかは定かではないもの
の、俺と芳朝が昼食を終えてラブホ⋮⋮ギルドの建物に戻ると、す
でに開拓団〝竜翼の下〟の副団長が待っていた。
副団長リーゼさんは長い金髪を編み込んだおしゃれで清潔感のあ
る背の高い女性だ。赤縁の細い眼鏡をかけていて、見るからにでき
る秘書風のオーラを漂わせている。
リーゼさんは俺たちを見て、他に人がいない事を確認する。
﹁あの依頼料から想像した年齢よりずいぶんとお若いですね。無理
をしたのであれば、減額にも応じますよ?﹂
まさか依頼を受けた当人から報酬の減額を提案されるとは思わな
かった。
ありがたい申し出ではあったが、芳朝が首を横に振って断る。
﹁正当な報酬だと考えていますので、減額はしません。どうか、ご
教授ください﹂
俺は芳朝と一緒に頭を下げる。
芳朝の礼儀正しい態度は好感触だったらしく、リーゼさんは口元
をわずかにほころばせた。
﹁分かりました。報酬に見合う仕事を約束しましょう。今日から三
日はこの町に滞在しますので、その間、精霊人機の整備方法をお教
えします。今日から始めますか?﹂
﹁お願いします﹂
83
﹁では、こちらへ﹂
リーゼさんが颯爽と歩き出す。
俺は芳朝と一緒にリーゼさんの後を追って歩き出した。
その時、芳朝が俺の肩を叩いてくる。
﹁この開拓団とは三日間の付き合いだけど、大丈夫? きちんと話
せる?﹂
俺のコミュニケーション能力を心配しているらしい。
俺は正直に首を横に振った。
﹁多分、無理だ。でも、仲良くなる必要はないから問題なく過ごす
事は出来ると思う。開拓団の人には少し不快な思いをさせるかもし
れないけど⋮⋮﹂
﹁私がフォローするよ﹂
﹁頼んだ﹂
芳朝がにんまりと笑って平たい胸を叩く。
﹁任せなさい。大いに頼りなさい﹂
芳朝も結構な社会不適合者のはずだが、まともに人と会話できる
点で俺より優秀なのも事実だ。
したがって、芳朝の偉そうな態度に文句を付けられない。
リーゼさんに案内されたのは港に面して並ぶ倉庫の一つだった。
周囲の倉庫では商会に雇われた荷運び人が船と倉庫を行ったり来
たりして商品を運んでおり、とても賑やかだった。
開拓団〝竜翼の下〟が借りたという倉庫の中では、赤と白に塗装
を施された精霊人機が片膝をついた駐機姿勢で格納され、団員によ
84
る整備を受けていた。
防衛依頼を主に受けている開拓団が所有している精霊人機だけあ
って、重厚感のある装いだ。重装甲が売りらしく、倉庫の端に安置
されている装甲板は教科書で見た外装甲の中でも最大厚で、外装甲
を支える板バネなども増設されている。
精霊人機の特殊装甲ともいえる遊離装甲は、分厚さもさることな
がら湾曲させる事で飛来物を自然と受け流せるようになっている。
二機の精霊人機の横に置かれているのは下辺が短い台形のタワー
シールドで、特殊な軽金属が使われているという。その隣には鈍色
に輝く幅広の大剣が横たわっている。
リーゼさんが精霊人機を指差す。
﹁戦闘時にはあの二機が身を挺して大型や中型魔物の侵攻を阻み、
他の戦闘員は後方で罠を駆使しつつ中型魔物の数を減らし、小型の
侵攻を阻む戦術を取っています。だから、我々〝竜翼の下〟の精霊
人機は腰部と脚部の調整がかなりシビアで、脚部のキャンバー角と
トー角の調整技能は国軍の整備班にだって負けません﹂
キャンバー角にトー角って⋮⋮車かよ。
どうやら、精霊人機におけるキャンバー角は内股や外股、がに股
やO股の設定、トー角は膝や爪先の内向きや外向きを設定するとい
う。
設定次第で走行時や直進、方向転換を行った時の安定性や、最高
速度や加減速の性能、攻撃を受けた際の踏ん張りに影響する他、人
間の骨格に相当する内部装甲の摩耗の早さなどに影響が出るという。
脚部は操縦者の癖が非常に大きく影響するため、よく取る姿勢へ
速やかに移行できるようあらかじめ足に角度を加えておくのだそう
だ。
リーゼさんの話では、竜翼の下が運用する精霊人機は脚部の故障
や不具合、破損といった事故が極端に低い事で有名らしい。
85
﹁たまにバカな同業者が我が団の女性に、一晩中ヤッても大丈夫な
のか、などと下品な質問をしては足腰立たなくなるまでボコボコに
される事件が起きるのが困りものです﹂
なにそれ、こわい。
リーゼさんは片手を頬に当ててため息を吐く。
﹁そもそも、男の方が一晩立て続けられないでしょうに⋮⋮ナニが
とは言いませんけど﹂
言ってるじゃん。
芳朝が耳まで真っ赤になって俯いている。引き籠りには刺激の強
すぎる話だもんな。
さっきは平たい胸を反らして自信満々だったくせに、なんて口が
裂けても言うまい。
﹁⋮⋮ごめん﹂
芳朝が小さく呟いた。
俺はため息を飲み込んでリーゼさんに声を掛ける。
﹁すみません。そんな事より早く整備方法をお教え願いませんか?﹂
何とか言い切って、俺は息を吐き出す。
失敗した。今の言い方は態度が悪い。
芳朝も横で顔を顰めている。
仲良くなりたくないと頭の片隅で思っているせいか、自然と突き
放すような言い方になってしまった。
内心頭を抱える俺の予想に反して、リーゼさんはプロらしく笑顔
86
で受け流すと整備班を呼びつけた。
﹁この二人に精霊人機の整備方法を基礎から教えなさい。期限は三
日。別の開拓団にこの二人が加わった時、我が団の名前を出されて
も恥ずかしくないくらいにみっちりと教え込むこと。いいですね?﹂
リーゼさんの言葉に、整備班の目がギラリと光った。
﹁三日で一人前か。上等だ﹂
整備班長らしき髭の男が呟き、肩を回す。
﹁おい、誰か眠気覚ましになる物を買ってこい。三日間ぶっ続けで
動けるようなきつい奴だ﹂
﹁へい、了解﹂
整備班長の言葉を受け、若い男が倉庫の外へかけていく。
整備班長がにやりと笑って俺の首に腕を回した。
﹁うちの整備技術を学ぼうっていうんだ。半端は許さない。どこに
行っても整備士として即戦力になれるくらいの実力を身につけない
限り、この倉庫からは出さねぇからそのつもりでいろ﹂
そんなこんなで、開拓団〝竜翼の下〟による整備士養成短期講座
が始まった。
最初に教えられたのは工具の扱い方と部品の名称及び俗称だった。
宿にこもっている間に教科書を読んで予習していたおかげで躓く
ことなく名称などを覚えることができたが、工具の扱いとなると別
だった。
まさか工具を使うのにも魔力を使う事になるとは思わなかった。
87
精霊人機の巨大なパーツを固定するには、身体強化の魔術を施し
ながら工具を扱う必要があるのだ。
工具の扱い方だけで丸一日使った後、魔導核に刻まれた魔術式の
説明と調整方法を教えてもらう。
一番学びたかったことだけあって、俺たちも気合を入れて取り組
む。
﹁魔導核に刻んだ魔術式は発動範囲を指定しておく必要があってだ
な︱︱﹂
整備班長の説明を聞きながら、俺はノートにメモを取る。
魔術式をいくつも刻む事ができるほど高品質の魔導核はなかなか
手に入らないらしく、精霊人機の量産に歯止めがかけられる原因で
もあるという。
精霊人機の起動に必要な魔術式だけでもかなりの数に上るが、世
の中には超高品質の魔導核を使用した専用機と呼ばれる特殊な機体
も存在する。
国軍がそのすべてを管理している専用機は魔導核に刻まれている
魔術式の数が多く、特殊な技能を持っていたり、基本スペックが大
幅に高いなどの特徴がある。
あくまでも民間人である開拓者には手に入るべくもない専用機だ
が、諦めきれないのが人情というものだ。
﹁低品質の魔導核を複数個使用した並列魔導核システムも研究され
た事があるが、成功していない。どうしてもシステム系が巨大にな
りすぎて、精霊人機の内部に収めることができないからだ。だから、
高品質の魔導核を使用する以外に精霊人機を起動する方法はない﹂
整備班長の説明は教科書にも載っていた事だった。
魔導核の最小直径はおおよそ六センチ。一般的な精霊人機に使用
88
される魔導核は直径七十センチであり、原料となる魔力袋はごくま
れに中型魔物から取れるものの、基本的には大型魔物から採取され
ている。魔力袋そのものが後天的に発生する臓器であり、大型魔物
の腹を捌いたからといって確実に見つかるものではない。
高品質の魔導核は貴重品なのだ。
﹁高品質の魔導核を大量生産する技術が開発できれば億万長者にな
れるってのが研究者の間でまことしやかに語られる定番ジョークだ。
言われたら愛想笑いを忘れるな﹂
整備班長、それはあきらかに無駄知識です。
ただでさえ詰め込み教育で頭の中に知識が氾濫しているのに、要
らないものまで突っ込もうとしないでほしい。
隣では芳朝がノートにジョークを書き込んでいた。ここ笑うとこ
ろ、などと注釈を入れないといけない時点でジョークとして破綻し
ている事に気付け。
﹁それじゃあ、実際に魔術式を刻んでみろ﹂
整備班長はそう言って、安物の低品質魔導核を放り投げてくる。
俺は空中でなんなくキャッチしたが、芳朝は受け取り損ねて額に
ぶつけていた。運動神経が悪いのではなく、ノートにジョークを書
き込むために俯いていて反応が遅れたのだろう。
﹁痛つつ⋮⋮﹂
額をさすりながら渡された魔導核を見て、芳朝が整備班長に質問
する。
﹁刻む魔術式は何でもいいですか?﹂
89
﹁好きにしろ。どうせ一つしか刻めないが、刻んだ魔術式を書き換
える事もできる﹂
初めてなのだから失敗するのが当然という考え方なのは教わる側
としてもありがたい。
俺は専用のナイフに魔力を込めて、特殊なインクに漬けた後、魔
導核に魔術式を刻む。
刻む魔術式は頭の中に入っている。
風魔術の一つ、コンプレッションエア。空気を圧縮するだけの魔
術だ。
風魔術は一般的に戦闘には向かず、帆船を動かす際に使用する魔
術と認識されている。火や水、岩といった魔術と違って既に存在す
る大気に働きかけるため、魔力の消費量が少ないという利点がある。
地面の砂を巻き上げて目潰しに使うなどの使用例はあるが、風魔
術そのものを使用して相手を傷つけるのはまず不可能だというのが
この世界での認識である。
そんなわけで、仮に刻み方を失敗しても大惨事を引き起こすこと
はない安心で安全な魔術だ。
もっとも、そのまま刻むのでは芸がないので、俺は今後の事も考
えて応用を加えた。
ちまちまと刻んでいると、芳朝が先に魔術式を刻み終えて整備班
長に確認してもらっていた。
﹁多分発動できると思うんですけど﹂
﹁こいつは⋮⋮﹂
芳朝が差し出した魔導核を見て、整備班長の眉間に皺がよる。
そういえば、芳朝は宿でずっと魔導核の教科書を読みこんでいた。
俺が精霊獣機こと獣型の精霊人機を設計している間、ずっとだ。
整備班長が顔を上げる。
90
﹁ギルドで特許を取った方が良い。これはかなり有用な魔術式だ。
よく考えたな﹂
﹁教科書を読む機会がありましたから﹂
芳朝はにっこりと笑って、俺にだけ見えるように拳を握って親指
を立てた。
詳しい話は後だと言い置いて、整備班長が魔導核を芳朝に返す。
俺が魔導核に魔術式を刻むのを待ってから、ギルドに特許を出願
しに行くという。
隣に戻ってきた芳朝に、俺は小声で訊ねる。
﹁何をした?﹂
﹁魔術式を自作してみたの。といっても、既存の魔術式の応用だけ
どね﹂
芳朝の話によれば、精霊人機の特殊装甲である遊離装甲の魔術式
を改変して、精霊人機を起点とした周囲の地形を一瞬でマッピング
する魔術式を作ったという。周囲に魔力を飛ばすため魔力消費量が
多いが、開拓者という仕事を考えれば非常に有用な魔術だ。
﹁芳朝って頭良かったんだな﹂
﹁前世で学内模試トップだったって言ったでしょう﹂
そんなことも言ってたな。
しかし、芳朝がハードルを上げてくれやがったせいで、安全第一
で刻んでいた俺の魔術式がかなり見劣りする結果になった。
何かを期待している整備班長の瞳にたじろぎながら、俺はコンプ
レッションエアの魔術式を改良して生み出した魔術、圧空を刻んだ
魔導核を差し出した。
91
俺が差し出した魔導核を見て、整備班長はしょんぼりした。
﹁発動するだろうが、威力の割に効果範囲が限定的すぎるな。まぁ、
初めてならこんな物だろう。だが、風魔術の利点は魔力消費が少な
い事だ。空気を生み出すのは魔力の浪費が大きすぎるだろ﹂
駄目だししてから俺に魔導核を返した整備班長は、芳朝と俺につ
いてくるように言って、開拓者ギルドへ歩き出した。
⋮⋮いつか見返してやる。
92
第八話 壁の外側と内側
﹁本当に三日であらかたできるようになるとは⋮⋮﹂
開拓団〝竜翼の下〟の短期講習を終えた俺と芳朝は、精霊人機の
整備だけならマニュアルを見ながらこなせるようになっていた。
俺って実は才能があるんだろうか。
自惚れる前に、整備班長に頭を小突かれた。
﹁まだまだ半人前だ、このたわけ﹂
細かな微調整ができ、湿地や岩場などの戦地に合わせた仕様へ速
やかに換装出来て初めて一人前だと言われた。
だが、どちらも開拓団ごとの特色が色濃く出る事もあり、ここで
教わっても意味がないらしい。
整備長が倉庫の中へ視線を移す。釣られて目を向ければ、芳朝が
整備班の人たちや精霊人機乗りたちと楽しげに話していた。
別れを惜しむような空気ではあるが、同じ開拓者同士いつかどこ
かで会えるだろうという楽観的な魔法の言葉のおかげで湿っぽくは
ない。
俺には理解できない空気だ。人間いつ死ぬか分からない。魔物の
脅威が色濃い新大陸では二度と会えない可能性の方が高いくらいだ。
関わらない方が精神衛生上、はるかに良いじゃないか。
俺は整備班長に声を掛ける。
﹁報酬の方なのですが﹂
﹁ん? あぁ⋮⋮﹂
93
まだ隣にいたのかと言いたげな顔をした整備班長は芳朝達と俺を
見比べてから、何か言葉を飲み込んだ。
﹁副団長に渡してくれ﹂
﹁団長さんに渡すべきだと思うんですが﹂
そういえば、ここに来てから竜翼の下の団長に会った事がない。
倉庫の中を見回してみるが、それらしい姿はなかった。
はたと気づく。
しばらくは俺も整備班の人間と一緒に倉庫で雑魚寝をしていて感
覚がマヒしていたが、普通は宿を取ってそこで寝る。団長もこの町
のどこかに宿を取っているのかもしれない。
だが、俺の予想に反して団長は先に防衛依頼を出して来た開拓地
に出向いて現場視察をしているらしい。
﹁まぁ、団長に金を渡しても結局は副団長に預けるんだがな。団長
に金を渡すとケチりやがるから、部品も満足に買えなくて困る﹂
整備班長が談笑を続ける芳朝達のところへ行くと、入れ違いに副
団長ことリーゼさんがやってきた。
俺は用意していた報酬をリーゼさんに渡す。
といっても、報酬はトラブルを防ぐために前もってギルドに預け
てあり、俺から渡すのは小切手のようなものだ。
﹁確かに、受け取りました﹂
リーゼさんは報酬を受けとって頷く。
﹁お二人はこれからどこかの開拓団に入団するのですか?﹂
94
眼鏡を外してレンズを拭きながら、リーゼさんが世間話を振って
くる。
俺は無言で首を横に振った。
﹁⋮⋮そうですか﹂
少しの間、俺の言葉を待っていたリーゼさんが諦めたように呟い
た。
椅子代わりにしている木箱に座って、俺は芳朝の話が終わるのを
待つ。
木箱がきしむ音がして目を向ければ、リーゼさんが隣に腰掛けて
いた。
﹁あなたはずいぶん人と距離を取りますね﹂
﹁隣に座っているじゃないですか﹂
俺が言いかえすと、リーゼさんが座る位置を俺から離してから、
開いた空間をポンポンと叩く。
﹁では、ここに座ってください﹂
俺はリーゼさんが叩いた空間を見下ろす。
﹁年の功ですか?﹂
﹁殴りますよ?﹂
いい年なんだから、男の子のお茶目を許す度量を見せてください
よ。
いや、言わないけど。
リーゼさんが膝に頬杖を突いて芳朝達を眺める。
95
﹁大きなお世話だというのは分かっています。しかし、あなたが人
との間に壁を作った時、壁の内側にいるのは果たしてあなただけで
しょうか?﹂
﹁壁を回り込んで向こう側との間を行ったり来たりできる奴がいる
だけでしょう﹂
俺はリーゼさんから視線を逸らし、芳朝を見る。
リーゼさんは知らない事だが、俺と芳朝は最初から〝そういう関
係〟として成立している。
リーゼさんが俺を横目でにらむ。
﹁壁の向こう側とやらへ行ったっきり、帰ってこないかもしれない
とは考えないんですね。私の目にはずいぶんと傲慢に映ります﹂
﹁その言葉を壁に投げている自覚はありますか? それとも透視能
力ですか。怖いですね﹂
これ以上話を続けるつもりはない。踏み込んでくるなという意思
を込めて言葉を返す。
しばらく俺を睨んでいたリーゼさんだったが、呆れたようにため
息を吐いて立ち上がった。
﹁︱︱いつか後悔しますよ﹂
そんな台詞だけ残して、リーゼさんはそれっきり俺とは口を利か
なかった。
竜翼の下の面々に別れを告げた芳朝がやって来る。
﹁そろそろ帰ろうか﹂
96
芳朝は俺とリーゼさんの間の重い空気を読み取ったのか笑顔を浮
かべる。
﹁ほら、行くよ﹂
芳朝が俺の手を掴んで引っ張り、無理やり立たせようとする。
俺は立ち上がって、芳朝の後ろにいる竜翼の下の面々を盗み見る。
リーゼさんはああ言ったが、別に俺は嫌われているわけではない。
居ても居なくてもいい、そんな立ち位置にいるだけだ。
だがら、追い払われるわけでもなければ惜しまれるわけでもない。
﹁お世話になりました﹂
俺は芳朝と一緒に頭を下げて、開拓団〝竜翼の下〟の倉庫を後に
した。
肩越しに振り返ると、防衛依頼を請け負った開拓地へ出発するた
め、各員が慌ただしく動き始めている。
今日中に、竜翼の下はこの港町を出発するだろう。
そしてきっと、二度と会う事はない。
﹁お昼を食べてから宿に戻ろうか?﹂
芳朝が俺の腕を取って気を引こうとする。気を使ってくれている
らしい。
だが、今回リーゼさんと喧嘩した原因は俺の態度だ。非は俺にあ
る。
俺には慰められる権利なんてなかった。
﹁そうだな。何か食べたいものはあるか?﹂
﹁奢ってくれるのかな?﹂
97
﹁割り勘だ。というか、マッピングの魔術式のおかげで一儲けした
くせに、たかるなよ﹂
芳朝が開発したマッピングの魔術式はすぐにギルドに登録され、
様々な開拓団が使用している。
魔力消費が激しく精霊人機でなければ使用できないため需要は限
られているのだが、それでも十分な儲けがあったらしい。
芳朝はちょっとした金持ちになっていた。
﹁前世でも芳朝が引き籠っていた事に驚いてるよ。スペック高すぎ
るだろ﹂
﹁理由は話したでしょ。何かができるからって引き籠らないとは限
らないの﹂
大通りで見つけた大衆食堂に入ると、昼間だというのに結構な繁
盛ぶりだった。
しかし、暗い顔をしている人が多い。ほとんどの人がどこかに怪
我をしていて、安酒をちびちびと飲んでいた。
あまりいい空気とは言い難い。
おそらくはデュラから避難してきた住人の内、頼る先がなくて開
拓者になった者達だろう。見覚えのある顔が二、三人見受けられた。
俺は無言で芳朝を背中に隠し、大衆食堂から出る。
﹁初期資金があった俺たちとは違って、苦戦しているみたいだな﹂
﹁⋮⋮仕方がないよ。ついこの間まで魚を捕ってたりしてた人たち
なんだから﹂
国から委託されたギルドを通して支援金がいくらか支払われてい
るはずだが、あの様子ではすぐに使い果たすだろう。
98
﹁デュラの奪還作戦はどうなってるんだろうな。重要な港町だから、
奪還作戦が立てられるかもしれないって芳朝も言ってただろ?﹂
﹁ギルドに寄ってみればわかると思うけど、近付きたくないなぁ﹂
芳朝が難色を示す。
デュラの住人と鉢合わせする可能性が高いからだろう。
昼間から大衆食堂で安酒を飲んでいる者がいるくらいだ。仕事に
あぶれた者がギルドにたむろしていてもおかしくない。
だが、もう一度宿に引き籠るというのも得策ではない。
開拓者になったデュラの住人の仕事がうまくいっていないのなら、
この町から拠点を移す資金もきっと持ってはいないだろう。
デュラの住人がこの港町で腐っていけば、また俺や芳朝の金品を
狙う者が出てくる。それも、今回は他に選択肢が残されていない食
いつめ者が相手だから、持久戦は逆効果にしかならない。
﹁そろそろ犯罪に走る奴が出てもおかしくないな﹂
﹁考えたくはないけどね。この町の人もピリピリしているみたいだ
し﹂
芳朝に言われて、俺はさりげなく通りを行きかう人を観察する。
確かに、開拓者を遠巻きにしたり、近付くことを極力避けている
住人の姿があった。
﹁芳朝、外食は中止して宿に戻ろう﹂
俺は通りを曲がって宿に足を向ける。
隣に並んだ芳朝が尾行や路地の陰に気を付けながら、口を開く。
﹁今日のところはそれでいいけど、根本的な解決にはならないよ?﹂
﹁分かってる。俺に一つ考えあるんだ﹂
99
﹁何をするの? って今は言えないか﹂
尾行に気が付いて、芳朝が質問を引っ込めた。
早足で大通りを進み、宿に逃げ込む。
半ば走り込むようにして帰って来た俺と芳朝に店主が驚いていた。
﹁お、おかえりなさい﹂
﹁ただ今戻りました。驚かせてすみません。後をつけられていたも
ので﹂
芳朝が店主に頭を下げている間、俺は宿の外に視線を走らせる。
デュラからの避難途中で見た覚えのある二人組が通りを曲がって
いくところが見えた。薄汚れたコートが翻り、腰に下げていたナイ
フの鞘が覗く。
店主が顔を険しくして、見回りを強化してもらえるよう騎士団に
頼むと言ってくれた。
俺は芳朝と一緒に店主から部屋の鍵を受け取り、二階に上がる。
﹁時間がないな﹂
﹁予想以上にね﹂
揃ってため息をついて、俺たちは部屋に入る。
防犯設備は万全だと店主が太鼓判を押すだけあって、侵入された
形跡はない。それでも念を入れてクローゼットなどを見て回り、よ
うやく一息ついた。
俺は白いコーヒーもどきを淹れて芳朝に渡す。
﹁さっきの話だけど、一度デュラに引き返そうと思う﹂
芳朝が怪訝な顔をする。
100
﹁デュラに? 魔物に占拠されてるでしょ﹂
﹁町が襲われてもう八日目だ。そろそろ魔物もばらけ始める﹂
襲われた当日と違って脅威度は格段に下がっている。
﹁それに、この町を出てもデュラの住人がいる可能性が高い。それ
も、この町でくすぶらずに済んだ実力者だ﹂
﹁あぁ⋮⋮﹂
盲点だったと、芳朝は右手で目を覆った。
芳朝は白いコーヒーもどきが入ったコップを回して、ため息を吐
く。
﹁逃げ場がないね。でも、デュラに行く必要があるとも思えないか
な﹂
﹁デュラに放置されている大破した精霊人機、それが倒したであろ
う中型や大型の魔物の死骸、宝の山だと思うんだ。特に魔導核を手
に入れられるのが大きい﹂
開拓団〝竜翼の下〟で整備技術を学んだ理由は、俺たちが使える
精霊兵器を作るためだ。
俺が設計した精霊獣機の部品で最も手に入りにくい物が魔導核で
ある。
大破していようと、精霊人機に使われていた魔導核ならば品質は
問題ないから、起動実験にはもってこいだ。
国に提出を求められたなら応じざるを得ないが、デュラで屍を晒
している大型魔物から採取した魔力袋から作った魔導核であれば提
出義務がない。
俺が意味のある事だと説明すると、芳朝は考え込んだ。
101
危険を考えれば当然の反応だ。地道にお金をためて高品質の魔導
核を購入するという選択ももちろんあるのだから。
考え込んでいた芳朝は、ふと俺の座る椅子を見て何かに気付いた
ようにほっと息を吐き出した。
﹁⋮⋮あぁ、だからあの時、距離を置いて座ってたのね﹂
﹁何の話だ?﹂
﹁なんでもない。デュラの人たちから距離を取る赤田川君の案に賛
成するってだけよ﹂
見透かしたように笑いながら、芳朝はコーヒーもどきを飲んだ。
﹁どうせ、私が反対したら赤田川君だけでデュラに行っちゃうだろ
うし﹂
﹁行かないよ﹂
﹁理由がなくなるから?﹂
芳朝に笑顔で訊ねられて、俺は窓の外に視線を逃がした。
完全に見透かされているようだ。
102
第九話 回収屋デイトロ
芳朝との相談の結果、出発は二日後と決まった。
一晩宿で休んだ後、食料品などを買って出かける予定だった。
その予定が崩れたのは、宿で一晩寝た朝の事。
﹁︱︱あなたの思い出拾って帰還。回収屋、デイトロお兄さんでっ
す﹂
出会いがしらに強烈な自己紹介を決め顔で言ってくるデイトロさ
んを横目で警戒しつつ、俺はわざわざ宿に迎えに来たギルド職員に
訊ねる。
﹁何の騒ぎですか?﹂
開拓団〝竜翼の下〟の精霊人機整備講座を受けて、俺も芳朝もへ
とへとで寝込んで迎えた早朝だ。デイトロさんのテンションについ
て行くのは苦しい。
職員さんは宿一階の待合所を兼ねたテーブル席に俺と芳朝を招く
と、説明してくれた。
﹁こちらの方は戦場からの物品回収を行う依頼を優先的に受けてい
る方です。開拓者ギルドに登録している開拓団の一つですが、もっ
ぱら回収屋と呼ばれています。今回は港町デュラにおけるギルド所
有の精霊人機と資料の回収を依頼しました﹂
ギルド資料の回収⋮⋮個人情報だもんな。
デュラはかなり大きな港町で旧大陸側からの大型船もやって来る
103
主要な交易地だから、物が溢れ返っている。回収屋としては稼ぎ時
だろう。
﹁デイトロさんについては︱︱﹂
﹁デイトロお兄さん、だ。少年少女よ、慕ってくれていい﹂
話の腰を折らないでほしい。
俺と同じ気持ちだったのか、職員さんがデイトロさんを一睨みし
て黙らせる。
デイトロさんは叱られた小犬みたいな表情で俯いた。
﹁初めての依頼で緊張するだろうと思って場を和ませたかったのに
⋮⋮﹂
そう呟いて萎れているデイトロさんの言葉の中に聞き捨てならな
い単語が含まれていた。
職員さんが苦々しい顔でデイトロさんの口の軽さにため息を吐い
て、口を開く。
﹁お二人には回収屋に同行してデュラに赴き、道案内などをしてい
ただきたいと思っています。精霊人機の整備技能にも期待しており
ます﹂
﹁えっ!? 整備ができるの? やったね! デイトロお兄さんの
期待がいま高まったよ。うち整備士が三人も一斉に引退しちゃって、
人手不足なんだ。どうだろう、一緒に︱︱﹂
﹁ちょっと静かにしてください﹂
﹁はい⋮⋮﹂
話に割り込んできたデイトロさんが職員さんの冷たい声にしょん
ぼりした。
104
デイトロさんを大人しくさせた後、職員さんは改めて俺たちに向
き直る。
﹁今回はギルドからの依頼です。前金も用意してありますので、受
けてくれませんか?﹂
ちょっと待ってほしい、と職員さんに言い置いて、俺は質問する。
﹁なぜ、俺たちなんですか? デュラからの避難民は他にもいます。
彼らは俺たちと違って金銭的な余裕がないから、仕事に飛びつくで
しょうし、足元を見て報酬額を下げることもできるでしょう?﹂
職員さんは難しい顔で首を横に振った。
﹁金銭的な余裕があるからこそ、今回はお二人に依頼を出したので
す。デュラは魔物の巣窟になっていると予想されますが、襲撃時に
比べれば魔物の数も減っているでしょう。そんな無人の町に余裕が
ない者を送り込めばどうなるかは想像がつくのではございませんか
?﹂
﹁⋮⋮火事場泥棒ですか﹂
精霊人機の魔導核を狙って忍び込もうとしていました。すみませ
ん。
職員さんは隣のデイトロさんを手で示す。
﹁そういう事情で、回収屋としての彼は信用してくださって大丈夫
です。どうでしょうか、この依頼を受けてはいただけませんか?﹂
﹁報酬を聞いても構いませんか?﹂
﹁お二人にお金を支払っても効果がないかと思いまして、いくつか
用意しています。どれかを選んでください﹂
105
職員さんが報酬の一覧表をテーブルに置いた。
くたびれた紙に書かれた一覧表を芳朝と一緒に覗き込む。ギルド
依頼の報酬一覧と書かれていた。
お役所仕事、という感想が頭の中に浮かぶ。
芳朝が俺の服の袖をちょいちょいと引っ張り、一覧表の真ん中あ
たりを指差す。
そこには、精霊人機の部品発注の代行業務解禁の文字があった。
つまり、伝手のない俺たちでも金さえあれば精霊人機を組み立て
られるという事だ。
﹁これで決まりでしょう﹂
芳朝が言う通り、今の俺たちにはまたとないチャンスだった。
だが、代行業務自体は金額ベースでは低い部類に入る。
俺と芳朝のやり取りを見ていた職員さんが苦笑した。
﹁代行業務は開拓団が利用するサービスですが、あくまでもギルド
の伝手を使えるようになるだけで、部品の購入費は別に頂きます。
もちろん、私共としましては精霊人機を持つ開拓団が増えてくれる
とありがたいのですが、あなたがたは人数が少ないですから、持て
余してしまいますよ?﹂
確かに、たった二人で精霊人機を運用するのは無理がある。
整備士と操縦士は同時にこなせるが、実際に精霊人機を使用して
前線に立つ場合は運搬整備車両の運転手や、それを守る歩兵人員、
精霊人機の援護を行う者も必要になる。
精霊人機を本気で運用するなら、最低でも十人は欲しい。
だが、俺と芳朝の場合は違う。精霊人機の部品で精霊人機を作る
とは限らないのだ。
106
俺の考えている精霊獣機は少人数での運用を大前提としている。
運搬整備車両は必要としない。機動戦闘を行う精霊兵器というコン
セプトだから、移動速度が遅い歩兵人員はむしろ邪魔だ。
それに、精霊獣機は対中型、小型魔物に対する兵器だから、集団
戦では歩兵として運用することになる。歩兵が歩兵に守られてどう
する。守るべきは精霊人機だ。
とまぁ、精霊獣機の話をするつもりもないので、依頼報酬につい
て考える。
﹁代替業務の解禁をお願いしたいのですが、金額ベースでは今回の
依頼に釣り合いませんよね。他の報酬と二つ受け取ることは可能で
すか?﹂
﹁金額ベースでの報酬額を超過しない範囲であれば、可能です﹂
職員さんの色よい返事に礼を言って、俺は疎外感を覚えて寂しそ
うにしているデイトロさんを指差す。
﹁回収屋という話ですが、戦闘力はどういった評価を受けています
か?﹂
﹁中の下ですね。撤退戦や隠密行動に特化しているので大型魔物の
撃破数は少ないですが、任務の危険度に反してほとんど被害を出さ
ない開拓団です﹂
職員さんから聞く限り、ギルドからは新人を加えて経験を積ませ
るのにはちょうどいい開拓団という評価を受けているようだ。
俺と芳朝に依頼を回したのも、新人教育の意味合いが含まれてい
るのだろう。
話の俎上に挙げられたのが嬉しいのか、デイトロさんが照れてに
やけながら頭を掻く。
107
﹁回収屋が自分の命を取りこぼしたら冗談にもならないからね。デ
イトロお兄さんは団員の命を大事にするのがモットーなんだよ﹂
ノリは軽いけれど、頼りがいのあるモットーをお持ちのようだっ
た。
少し考えたが、俺は芳朝の意見を聞くべく耳打ちする。
﹁魔術や剣術の指導を短期間だけ教わってみたいと思うんだ﹂
﹁その前に、女性がいるかどうかの確認をしたいんだけど﹂
不安そうな顔の芳朝に指摘されて初めて思い至る。
移動日数だけで二日、精霊人機を運用するというからには車両も
あるのだろうが、男性しかいないのなら断った方が良い。
芳朝からは聞きにくいだろう、と俺はデイトロさんを見る。
﹁デイトロさんの開拓団には女性の団員が何名在籍してますか?﹂
﹁デイトロお兄さん、だよ。いい加減強情を張るのはやめなよ。女
性団員は二人いる。大丈夫、ギルドから紹介された新入りさんに暴
力を振るったりはしないよ。回収屋の利用は六割がギルド、三割が
軍なんだ。信用第一さ﹂
これは信用しても大丈夫だろう。
芳朝も同じ考えらしく、後は任せる、と耳打ちしてきた。
俺はギルドの報酬一覧をデイトロさんに差し出す。
﹁俺たちが受け取る分の報酬の一部を権利化してデイトロさんたち
にお渡しする代わりに、剣術と魔術の実戦稽古をつけていただきた
いのですが、可能ですか?﹂
デイトロさんは意外そうな顔で差し出された一覧表に視線を落と
108
し、職員さんに目を向ける。
﹁向上心のある良い子たちじゃないか。デイトロお兄さん感動した。
てなわけで、俺たちの報酬にこれを上乗せして、一つ上のランクの
報酬を出してもらうことは可能かな? 前途ある若き開拓者を積極
的に支援するのはギルドにとっても悪い話じゃないよね。どうよ、
そこんところ﹂
﹁⋮⋮上乗せは難しいですね﹂
﹁ならお断りで﹂
にっこり笑って、デイトロさんは俺たちではなく職員さんに告げ
る。
﹁デイトロお兄さんは団員の命を大事にするのがモットーなんだと
言ったろう。仕事仲間の命も大事にするんだ。その仕事仲間の生還
率を上げる依頼に報酬を出し渋るのはギルドさんも狭量すぎやしな
いかな?﹂
ねぇ、どう思う、とデイトロさんは隣に座る職員さんへ身を乗り
出して凄みを利かせる。
自分の中での優先順位がはっきりしている人らしく、依頼主であ
るギルドが相手でもはっきり物を言うようだ。
職員さんが苦い顔をする。
﹁上に話を通してみましょう﹂
﹁早い方が良いと思うよ。なんだか、マッカシー山砦の方で軍の回
収部隊が動き出してるらしいからさ。ギルド所有の精霊人機がまだ
現場に残ってるんでしょう? 誰かの懐に消えちゃうかもしんない
よ?﹂
109
デイトロさんがドスの利いた囁き声で職員さんを煽り、手のひら
を上に向けて上下させた。
﹁報酬の重みは信頼の重みだ。デイトロお兄さんはギルドさんに信
頼してもらいたいなぁ。そういうわけで、今すぐ上とやらに掛け合
ってもらいたいなぁ﹂
職員さんがため息を吐いて立ち上がる。
﹁分かりました。少し待っていてください。昼までには話をつけて
きます﹂
﹁行ってらっしゃい﹂
デイトロさんが手を振ると、職員さんは憂鬱そうな顔で宿を出て
行った。
職員さんを見送って、デイトロさんが俺を見る。
﹁いやはや、ギルドの人がいると聞けない事ってあるよね。デュラ
の皆さんに狙われてるらしいけど何したの、とかさ﹂
デイトロさんの目が剣呑な光を帯びた気がした。
﹁報酬が足りないと言われても、これ以上は出せませんよ?﹂
﹁予防線を張るべきはそこではないと思うけどね。それとも、ギル
ドの関係者に同席願った方が良かったかな?﹂
しばし睨み合いを演じると、デイトロさんは目を閉じて肩を竦め、
降参とばかりに両手を挙げた。
﹁脅すつもりはないんだよ。単純に、デイトロお兄さんの可愛い開
110
拓団が有象無象のやっかみを受けるのかどうかを知りたかっただけ
なんだ。状況次第では出発時刻をずらして無関係を装ったりしない
といけないからね﹂
﹁では、出発時刻をずらしましょう﹂
﹁おやおや、あっさり引くね﹂
鎌掛けをしてくるデイトロさんに、俺は笑みを浮かべる。
﹁問答をするだけ時間の無駄ですし、デュラの人たちが迷惑を掛け
る可能性は高いですからね﹂
デイトロさんが俺たちを警戒するように、俺たちもデイトロさん
を警戒している。お互いにはっきりさせておいた方が良い事だ。
俺たちがデュラの住人に狙われている理由は、芳朝の半生による
ところもあるが、一番は弱者である俺たちが多額の金銭を所持して
いるからだ。
俺はともかく、芳朝が持っている金は大部分が特許によって稼ぎ
出したもので、継続的な収入が見込める。
精霊人機を運用する開拓団の維持費がどれくらいになるのかはわ
からないが、継続的な収入は魅力的だろう。
対等な立場で交渉するのならともかく、相手はギルドが認める武
装集団だ。どんな手を使ってくるか分からない。
こちらの事情を話してもいい相手かどうか、まだ判断ができなか
った。
デイトロさんは面白そうに目を細めた。
﹁まぁ、今はそれでいいよ。君たちの人となりを見て、判断してい
く事にするさ。話は終わりだ。お腹空いちゃってさ。何か食べてい
い? 良いよね。デイトロお兄さんが払うんだし﹂
111
デイトロさんはあっけらかんとした笑顔でウインクすると、宿の
主に手を振ってサンドイッチを頼む。
朝食をとっていない俺たちに食事を持っていくかどうかで悩んで
いたらしい店主が、デイトロさんが頼んだサンドイッチと一緒に持
ってきてくれた。
俺は芳朝と一緒に朝食を食べ始めながら、デイトロさんを観察す
る。
癖の強い人ではあるが、開拓団の団長としてはかなり優秀な部類
に思える。ギルドとの交渉に強気に出られるだけの実力もありそう
だ。
警戒しつつも、仕事の間は信頼しても大丈夫だろう。
しばらくして、ギルドから帰って来た職員さんがため息を吐きつ
つ、報酬の上乗せが上に認められたことを報告してくれた。
112
第十話 前哨戦
三日ほどの準備期間を過ごしてから町を出発した俺と芳朝は、郊
外で待っていたデイトロさん率いる回収屋と合流した。
回収屋は速度を重視しているとの事で、精霊人機の運搬車と整備
車が一台ずつあり、メンバーは各車両に分乗して目的地である港町
デュラに向かうとの事だった。
朝に出発してデュラ近郊に到着するのが本日の夕方頃、その後は
郊外で野営し、デュラへの潜入は翌日の朝からという予定だった。
デュラへの道はある程度整備されているため、整備車両も問題な
く走行できる。
多少の揺れはあるものの、前世の記憶にある自動車と違ってエン
ジン音が聞こえなかった。
聞けば、回収屋は魔物が多い現場で活動することが多いため、音
を出さないように改造しているらしい。
整備車両の全長は九メートルほど、七メートルの精霊人機を寝か
せて整備するために荷台が広く長く取られている。このため、走行
可能な道が限られているとの事だった。
運搬車両は全長六メートルを超える程度、片膝をついた駐機状態
の精霊人機を二機乗せることができる。簡易的な整備はこの運搬車
両でも行えるそうだ。
デイトロさんの率いる回収屋はほぼ全員が戦闘技能を持つ人たち
で構成されていた。
そのため、俺と芳朝を鍛えてくれる人はいくらでもいるのだが⋮
⋮。
﹁才能がない。才能がないことそのものが才能なんじゃないかって
くらい、才能がないな﹂
113
発破を掛けるためにあえて辛辣なことを言っているわけでもなく、
心底そう思っているらしい口調で回収屋のメンバーが俺と芳朝を評
価する。
実際、俺と芳朝は笑えるくらい武術の才能がなかった。
港町デュラの郊外に構えた野営地で、俺と芳朝は剣や槍、斧に棍
棒に至るまで、一通りの武器を順に持たされ、素振りをさせられた。
そこで判明したのは、俺と芳朝が前世の記憶の影響でとっさに体
を動かせないという事実だった。
具体的には、俺は前世で失った記憶がある右足が、芳朝は火事場
で何かに潰された右手が、それぞれとっさに動かせないのだ。
最初の内はわざとやっているのではないかと勘繰られていたが、
デイトロさんが直々に俺と芳朝に模造剣で打ち込んできて、演技で
はないと認められた。
にわかには信じられないほど、俺と芳朝は右足や右手の反射が死
んでいるらしい。
対応策を考える、とデイトロさんが何人かの腕が立つ部下を連れ
て会議をしている間、俺と芳朝は魔術の訓練に入った。
﹁精霊人機の適性がないのって、これと同じ原因かな?﹂
﹁多分な。魔術も駄目だったらいろいろ考え直した方が良いかもし
れない﹂
具体的には、開拓者になる以外の道で軍の施設に入り込む方法だ。
バランド・ラート博士の足取りを追う前段階からこんなにも躓く
とは思っていなかった。
第一印象おっぱいなグラマラスお姉さんが俺たちの前で指先に小
さな火を灯す。
﹁剣術が使えない以上、魔術くらいは使えないと話にならないよ。
114
死ぬ気で練習しな﹂
グラマラスお姉さんはやけに気合の入った声で俺たちに魔術とは
何かを話してくれる。
基礎知識として知ってはいるが、改めて頭に叩き込んだ方がよさ
そうだ。
﹁魔術、あるいは魔法は魔力を用いて周囲の精霊に働きかけ、様々
な現象を引き起こす技術の事だ。これがあったからこそ、人間は絶
滅しないで済んだと言われている。魔術がなければ精霊人機が開発
される前の、大型魔物に対抗できなかった時代を人類は生き延びら
れなかっただろう﹂
この世界の歴史の中で、人類を最も救った生物が精霊であると言
われるゆえんだ。
件のバランド・ラート博士が研究していたのも精霊だった。
グラマラスお姉さんが豊かな胸を抱えるようにして腕を組む。気
が散るほど立派だ。触りたい。
﹁精霊は目に見えない生物だ。あちこちで研究者が頑張っているけ
ど、正体や生活史はいまだ不明で謎に包まれている。精霊を信奉す
る精霊教徒なんてのもいるけど、二人は違うだろうね?﹂
精霊教徒に恨みでもあるのか、グラマラスお姉さんの眼つきが据
わっている。
﹁精霊教徒じゃないです﹂
俺は芳朝と共に声を揃えて答えた。
115
﹁そうかい。そいつはよかった。本当に良かったね?﹂
なんで疑問形なんですか。指先の炎を大きくして威圧するのはや
めてください。
ある程度の説明を聞いた後、俺は芳朝と一緒に魔術の練習に入る。
この世界に転生してからというもの、前世からのあこがれもあっ
て魔術を練習したことがたびたびあるため、いくつかの基本魔術は
苦も無く発動できた。
魔術はいくつかの技術の上で成り立っている。魔力精製、性質変
化、放出量調整だ。
術者は発生させたい魔術に必要な事象を引き起こすために、魔術
をイメージする事で魔力の性質を変化させ、精霊を呼び寄せる技術
が必要になる。
精霊は魔力を食らう事で特有の生理現象を起こす。これが魔術と
呼ばれている。
術者のイメージが不完全だと魔力の性質変化が中途半端になり、
精霊が関係のない魔力を食い散らかすため発動する魔術の規模に影
響が出るそうだ。
精霊人機などに使われている魔導核は性質変化と放出量調整を術
者の代わりに代行し、さらには精霊の代わりに魔術を引き起こす優
れものである。原料である魔力袋も同様だ。
魔術の練習をしていると、お姉さんは難しい顔をした。
﹁可もなく不可もなく。人並み程度に出来てはいるけどそれだけか﹂
練習を続けろと言って俺たちに課題を言い渡したお姉さんはデイ
トロさんたちの会議に加わりに行った。
魔術の練習をしながら、俺は芳朝を見る。
﹁魔導銃を持ってきてよかった、と考えるべきか?﹂
116
﹁あれってサブウェポンなんだけどね。弾薬もタダじゃないし﹂
今回の回収作戦への参加が決まった日に、俺は芳朝と一緒に魔導
銃を四丁買ってきていた。拳銃が二丁と、狙撃銃が二丁、弾薬も買
ってある。
すでに試射は終えているが、意外にも反動はほとんどなかった。
問題があるとすれば重量と維持費だ。
拳銃は射撃姿勢を維持すると腕が痺れてくる。狙撃銃に至っては
重すぎて支えがなければ狙いを定められなかった。威力は申し分な
いが命中率は低い。
﹁火薬を使わないのに、なんであんなに高いんだろうな﹂
﹁使う人がほとんどいないからでしょ。魔力消費を抑えたいなら剣
術を習得する方が一般的だからね﹂
剣術が壊滅的な俺と芳朝に選択肢は残されていないわけですね。
﹁俺たちは近接戦闘が壊滅的だから、何かで補いたいな。不意打ち
を受ける事もあるだろうから、対策の一つくらいはあった方が良い﹂
拳銃も殺傷力はあるが、魔物相手では心もとない。少なくとも、
即死させるには急所に打ち込む必要がある。
﹁某洋画の二丁拳銃武術とか?﹂
﹁俺の分の拳銃を貸そうか?﹂
﹁え、私がやるの?﹂
﹁どうぞ、どうぞ﹂
と馬鹿をやっている間も、頭の中では対策を考えていた。
魔物の巣窟になっている港町デュラが近い事もあり、魔力に余裕
117
を持たせて訓練を終える。
ちょうど会議を済ませたデイトロさんたちが立ち上がったところ
だった。
練習を終えた俺たちを見て、デイトロさんが口を開く。
﹁武術は捨てよう。魔術師として鍛えれば芽が出る可能性もあると
思う。ただ、不意打ちを受けて距離をとれない場合でも対応できる
ように、護衛を雇った方が良い﹂
そう言って、デイトロさんは俺の肩を叩き、整備車両を指差した。
﹁デイトロお兄さんと一緒に回収屋をやってくれるなら、無問題だ
けどね。整備も一通りできるようだから、うちは大歓迎だよ﹂
﹁遠慮しておきます﹂
﹁それは残念﹂
デイトロさんはさほど残念には思っていなそうな軽い口調で言っ
て肩を竦める。
﹁それはそうと、明日の作戦についていくつか話しておかないとね﹂
俺と芳朝の戦闘力も分かった事で、デイトロさんは明日に行う港
町デュラ潜入時の人員配置を考えておいたらしい。
俺は芳朝と一緒に整備車両にいろと言われた。近付いてくる小型
魔物に対して車両の中から魔術を発動し、整備車両を守ればいいと
の事だった。
﹁そんなわけで、今夜はもう魔力を使わない方が良い。二人には道
案内も頼みたいから、整備車両の助手席に座ってもらうよ﹂
﹁了解しました﹂
118
役に立てるとは思えないが、明日は精いっぱいやろう。
俺が決意を固めていると、デイトロさんは目を細めて、俺の肩を
バシバシ叩き出した。
﹁こらこら、態度が堅いぞ。デイトロお兄さんが寂しくなってもい
いのか﹂
デイトロさんの手が再度持ち上がったタイミングで、俺は肩を引
いて避けた。
空を切った己の手を見つめてきょとんとしたデイトロさんはその
手を丸めて自分の口元へ持ってくる。
﹁え、デイトロお兄さん嫌われてる!?﹂
嫌いになるほど親しくなった覚えがない。
それより、叩かれた肩がジンジンと痛む。
俺が肩をさすっていると、グラマラスお姉さんがデイトロさんの
頭に手を置いた。
﹁あんまり構うからだよ。うざったい性格してるんだからほぼ初対
面の相手がついてこれないのはいつもの事だろう﹂
﹁デイトロお兄さんの愉快で親近感山盛りの性格がうざいはずがな
い!﹂
その台詞がすでに鬱陶しい性格の発露だと、きっとデイトロさん
は気付いていないのだろう。
けれど、デイトロさんの仲間たちはいつもの病気が始まった、と
顔を見合わせ苦笑した。
デイトロさんの鬱陶しい言葉を聞き流しつつ、笑い話に転じてい
119
く仲間たち。
回収屋の人たちを眺めていると、芳朝が肘で俺の脇腹を突いてき
た。
﹁あの人たちの事、どう思う?﹂
﹁デイトロさんを中心にしつつ、他のメンバーも横のつながりをき
ちんと維持してる。よくまとまったチームだと思う﹂
もしも誰かが死んだとしても、悲しみつつ支え合いながら克服し
ていく力強さもある。
だからこそ、俺はデイトロさんにあまり近付きたくない。
芳朝が俺の腕をとって微笑んだ。
﹁デイトロさんたちとは、この仕事だけの付き合いになるね﹂
芳朝の笑顔の意味を理解しつつ、俺は深く頷いた。
翌朝、整備車両に乗り込んだ俺は扉を閉めた。
俺と運転手との間には芳朝が座っている。デュラに住んでいた芳
朝がナビゲーションを務め、俺は周囲の警戒をしつつ魔術で小型魔
物を排除する役割だ。
整備車両の後ろには運搬車両があり、その左右には精霊人機が一
基ずつ配置されている。
﹁それじゃあ、出発しようか﹂
遊離装甲を二重に纏う精霊人機レツィアに乗ったデイトロさんが
宣言すると、整備車両が静かに走り出した。
俺は整備車両のバックミラーで精霊人機レツィアを見る。
120
全体的に灰色に塗られているが、よく見ると太陽光を反射しない
様に塗料が塗られているのが分かる。左手には精霊人機と同等の大
きさの大鎌を持っていた。大鎌の柄には頑丈そうな鎖が巻きついて
いる。
整備を手伝ったときにも見せてもらったが、レツィアはかなり癖
のある機体だ。
二重にされた遊離装甲はかなりの防御力を持ちながら、高いクッ
ション性を有しているため市街地でもほとんど行動を阻害されない。
しかし、遊離装甲は魔力で支えているため維持するだけでも魔力を
消費し、接触等で既定の位置からずれると元の位置に戻すためにま
た魔力を使う。非常に燃費の悪い装甲なのだ。
レツィアは防御力のほとんどをこの遊離装甲に頼っていて、機体
そのものの装甲は薄い。速度はかなりのもので、脚部なども高速化
を図ったセッティングがなされている。
だが、大鎌を扱うために腕の部分に動作を補助するバネなどを増
設し、全体のバランスが悪い。
下手な姿勢で大鎌を振るうと胴体部分が腕部の加速に置いて行か
れて体勢を崩し、最悪転倒する。
そんなじゃじゃ馬レツィアに乗ったデイトロさんの実力は港町デ
ュラに近付くとすぐに発揮された。
整備車両を見つけてデュラから小型の人型魔物ゴブリンと中型の
同じく人型魔物ゴライアが走ってくる。
餌を見る眼で整備車両を見据え、走り込んでくる人型の魔物たち。
引きつけて魔術を放とうと俺が準備した時、いつの間にか整備車
両の横にレツィアが立っていた。
まったくと言っていいほど音がしなかったことに、俺は思わず目
と耳を疑った。
﹁デイトロお兄さんの本日の初仕事、お前ら、ほめたたえろよ!﹂
121
操縦者であるデイトロさんの声が拡声器を通じて周囲に響き渡る。
レツィアが大鎌の柄に巻きついていた鎖を外し、腰をかがめた。
支持部品のない遊離装甲が重なり合って擦れ、リンと澄んだ音を立
てる。
次の瞬間、レツィアの右手から大鎌が投擲され、魔物の集団の後
方を走っていた中型魔物ゴライアの胸に突き刺さる。
急所を大きく外れた大鎌の投擲はゴライアの命を奪いこそしなか
ったが、湾曲した刃がろっ骨の隙間に入り込んでいて、容易には抜
けそうにない。
ゴライアが痛みに怯んで足を止めた瞬間、レツィアが増設された
腕の力に任せて思い切り引き倒す。
全長四メートルの人型の魔物、ゴライアの転倒はかなり大きな音
を立てた。
後方からの大きな音に足を止めたゴブリンは気付いていないのだ
ろう。
大鎌とレツィアを繋ぐ巨大な鎖が頭上から叩きつけられようとし
ている事に︱︱
﹁上手く跳ばないと死んじゃうよ﹂
デイトロさんが拡声器でゴブリンたちに届かない忠告を飛ばす。
レツィアが大きく左手で円を描くと、握られた鎖がまるで大縄跳
びの縄のように一回転してゴブリンを端から一気に薙ぎ払う。
横から高速で叩きつけられた巨大な鎖にゴブリンたちは吹き飛ば
され、五メートルほど飛んで地面にたたきつけられた。
ほとんどのゴブリンが即死。息のある者もいるようだったが、骨
を砕かれていて立つこともままならないようだった。
無理もない。高速道路でトラックに跳ねられたようなものだ。
醜い肉の雨となって血をぶちまけたゴブリンを気にせず、レツィ
アは鎖を両手で持って思い切り引っ張った。
122
鎖を通じて届いた力がゴライアの胸から肋骨ごと大鎌を引きずり
出す。
胸を大きくえぐられたゴライアがそれでも立ち上がろうとする。
だが、ゴライアが立ち上がる前にレツィアとは違うもう一機の精
霊人機が駆け寄って剣を横に一閃、首をはねた。
﹁凄い⋮⋮﹂
精霊人機では対処が難しいはずの小型魔物を一蹴し、中型魔物は
利用するだけ利用して抵抗させずに処分する。
手際が良いなんてものじゃなかった。
運転手がアクセルを踏み込みながら、自慢げに笑みを浮かべる。
﹁回収屋ってのはこんなものだ。魔物とは戦わない。蹴散らせるな
ら蹴散らして、ダメならすぐに撤退が基本戦術だからな。大型が出
たら即撤退するつもりでいろ﹂
かっこいいんだか、悪いんだか、わからない台詞だった。
だが、回収屋として魔物の巣窟に潜入するのなら、それが最善な
のだろう。
大鎌を一振りして血を払ったレツィアから、デイトロさんの声が
響く。
﹁前哨戦は終いだ。回収業務を始める!﹂
デイトロさんが宣言すると、俺たちが乗る整備車両は加速し、デ
ュラの中へと進入した。
123
第十一話 デュラ回収依頼
魔物に襲われたはずのデュラだったが、俺の記憶にある町並みは
所々に見て取れた。
たった一度この町を訪れただけの俺でさえ、記憶に引っかかるく
らいだ。隣にいる芳朝には廃墟の町並みといえども庭のようなもの
だろう。
﹁第三番通りに入るには、次の十字路を右折です﹂
芳朝が告げると、運転手は整備車両のウインカーを出す。
後方右側を走っていたデイトロさんが愛機レツィアを加速させ、
整備車両より先に十字路に到着、進行方向に敵がいない事を確認す
ると右手を挙げて合図する。
町の南西門から進入した俺たちは、最初にギルド所有の精霊人機
の回収に向かっていた。
整備車両が第三番通りに入ると、奥に大破した精霊人機が放置さ
れていた。
左足が外れ、遊離装甲がはじけ飛んで民家に突き刺さっている。
カメラ付きの頭部は巨大な手で胴体から引き千切られたようなあり
さまだ。よほどの力で握られたのか、うっすらと指の跡がついてい
る。
こんなことができる魔物は大型の人型魔物、ギガンテスだろう。
精霊人機の周辺には随伴歩兵の物と思われる乾いた血痕や武器ら
しきものが転がっていたが、死体は見当たらない。
﹁やっぱり食われていたか⋮⋮﹂
124
運転手が痛ましそうに呟き、舌打ちする。
整備車両は精霊人機を素通りして十メートルほど行ったところで
停止した。
アイドリング状態でバックミラーを覗き込む運転手に倣って、俺
も後方の様子を見る。
運搬車が大破した精霊人機に横付けし、回収屋所有の精霊人機が
二機で協力し合いながら大破した精霊人機の四肢を武器で斬り飛ば
す。
﹁あんな乱暴なことをして大丈夫なんですか?﹂
﹁一番値が張る魔導核や蓄魔石は胴体にあるからな。いちいち乗り
換えて運搬車に乗せるなんて時間のかかることをしていたら、魔物
に囲まれてなぶり殺される。乱暴でも、分解して部位ごとに運搬車
に放り込んだ方が、効率がいいんだよ﹂
大破した精霊人機を運搬車に積むと、すぐにその場を後にする。
迅速で無駄のない行動だ。回収屋の名は伊達ではない。
後方を走る運搬車両の拡声器から焦ったような声が響く。
﹁伝達! 大破した精霊人機の頭部にギガンテスの指の痕跡あり。
薬指の欠損を確認! 〝首抜き童子〟が町に潜んでいる可能性あり
!﹂
伝達に耳を澄ませていた運転手が舌打ちした。
緊迫感を増す回収屋の面々とは逆に、俺と芳朝は何がなんだかさ
っぱりだ。
芳朝が首を傾げるのを見て、運転手が口を開く。
﹁貿易都市トロンク周辺にいると考えられているギガンテスの個体
識別名だ。獲物の首を胴から引っこ抜いて脊髄をしゃぶるのが趣味
125
のイカした奴だよ﹂
﹁強いんですか?﹂
﹁中型から大型の魔物が主食って言えば、強さが分かるか?﹂
なんとなく想像がついた。
精霊人機レツィアから、デイトロさんの声が響く。
﹁首抜き童子を見つけたら即報告、デイトロお兄さんがかっこいい
所を見せている間に方向転換して逃げるように﹂
存在が確認されていても、作戦に変更はないらしい。
芳朝が左折を指示した後、腕を組む。
﹁続行するしかないでしょ。いまさら町を出ても、群れの仲間をや
られたギガンテスたちが興奮状態になってしばらく近づけなくなる
もの﹂
﹁人型の魔物は仲間意識も強いからな﹂
運転手の補足に納得しつつ、窓の外を注意深く観察する。
ときおり体高一メートル前後のゴブリンを見かけるが、精霊人機
を見ると慌てて逃げ出していく。
回収屋たちは逃げていく魔物に興味はないようで、追いかけて止
めを刺すようなまねはしない。
﹁左折後、直進すればギルドです。かなり広い通りに加え、近くに
は広場があるので魔物との戦闘に備えてください﹂
﹁おう、心配すんな。兄貴がかっこよく活躍する場が増えるだけだ﹂
軽口を叩きながら、運転手がウインカーを出す。
デイトロさんが操る精霊人機、レツィアが曲がり角へと走り、突
126
如急停止したかと思うと大鎌を建物に向かって投げつけた。
壁の石と窓ガラスが弾け飛ぶ。
﹁総員、北門に向けて全速撤退!﹂
レツィアに遅れて剣を構えた精霊人機から団員の声がする。
崩れていく建物の向こうに、体高八メートルほどの人型の魔物が
見えた。
赤い肌は岩肌のようにデコボコとした筋肉で盛り上がり、ギラリ
とした険の強い三白眼がこちらを視界に収めていた。
ギガンテスと呼ばれる大型の魔物だ。それが建物の裏に二体、確
認できた。
すぐさま運転手が拡声器のスイッチを入れ、魔力を流す。
﹁曲がり角の確保を頼む。道幅が狭くて反転は無理だ!﹂
視線を曲がり角へと向けると、中型魔物であるゴライアがやって
きていた。足元にはゴブリンが二体ついている。
次の瞬間、レツィアが大鎌の鎖の先端を投げ、ゴライアの首に巻
きつけた。
レツィアが左手で大鎌を建物に突き立て、片足を引いて地面に踏
ん張る。
﹁小型はそっちで片付けろ﹂
デイトロさんの声が響き、ゴライアが宙に浮かぶ。レツィアの強
化された両腕で鎖を思い切り振ったのだ。
鎖に従って吹き飛んだゴライアが建物の裏にいたギガンテスに横
からぶち当たる。
バランスを崩したギガンテスを横目に、整備車両は曲がり角へと
127
進入し、北に向けて全速力で走りだした。
わらわらと出てくる小型魔物に運転手が舌打ちし、俺に目線で指
示を出してくる。
俺は窓から左手を出して、魔術を発動する。
﹁ロックジャベリン﹂
返しのついた石製の槍を打ち出す魔術を発動し、前方のゴブリン
二匹を串刺しにして道の端まで弾き飛ばす。
﹁上出来だ、新入り!﹂
運転手に褒められつつ、進行方向にいる魔物へロックジャベリン
を撃ち込んで行く。
北門までの最後の直線に入る頃、ギガンテスをあしらってきた精
霊人機、二機が合流した。
灰色の塗装に魔物の物らしき赤い血が斑点を作っているレツィア
からデイトロさんの指示が飛んでくる。
﹁北門を抜けてデュラから離れる。ここはかなり不味い﹂
飄々としたデイトロさんにしては余裕のない声だった。
何かがあったのだろうが、撤退戦の間は余計なことを考えずに指
示に従えと言い含められているため、俺は目の前の仕事に集中する。
北門に弁慶よろしく仁王立ちしていたゴライアにロックジャベリ
ンを三発撃ち込むが、ゴライアは町のどこかで拾ったらしいテーブ
ルを盾にして防いでいる。
﹁人型はこれだから嫌なんだ﹂
128
運転手が悪態を吐く。
俺はロックジャベリンを受けて砕け散ったテーブルの木片に、上
向きの突風を生み出す風魔術アップドラフトを発動させる。
舞い上がる木片に視界を奪われたゴライアに改めてロックジャベ
リンを撃ち込んだ。
万が一腕で防がれても大丈夫なように魔力を多めに込めたからだ
ろう、ゴライアの腹に突き刺さったロックジャベリンはそのままの
勢いでゴライアを北門の外へと弾き飛ばした。
これで北門を抜けられる。
そう思ったのも束の間、道の左側にあった小さな家が吹き飛んだ。
崩れた家から立ち上る土煙の中から赤黒い腕が俺たちの乗る整備
車両に向けて伸びてくる。
俺は魔術を撃つために窓から出していた腕を反射的に車内へ引っ
込めた。
だが、赤黒い腕は開けられていた整備車両の助手席の窓を掴む。
整備車両は全速力で北門に向かっているところだ。
左側の窓から突き込まれた指は走行中の整備車両を止めるにはい
たらなかったが、それでも人外の膂力で助手席の扉を引き剥がした。
後方へ吹き飛んでいく助手席の扉を見送った俺は、シートベルト
の上端を固定する金具が衝撃で半ば外れかかっている事に気付く。
﹁ふざけっ︱︱﹂
運転手が悪態を吐きながら、バランスを崩してスリップしかけた
整備車両を安定させるために逆ハンドルを切る。
確かに、整備車両は安定した。
だが、大きく左右に揺られる助手席の壊れかけたシートベルトは
俺を支えきれるはずもない。
俺の体は、整備車両が右に大きく振れた瞬間、外へ投げ出されて
いた。
129
背筋が寒くなるような浮遊感を味わった俺はとっさにポケットに
手を入れる。
ポケットの中の硬い感触を確かめ、なりふり構わず一気に魔力を
注ぎ込んだ。
最善を尽くさなければ死ぬと、頭の中で警報が鳴り響く。
同時に、前世で味わった強烈な喪失感がよみがえり⋮⋮俺は考え
てしまった。
大事なモノを作らなくてよかった、と。
﹁︱︱おい、やめろ!﹂
運転手の声がした瞬間、俺の後を追うようにして芳朝が飛び出す。
直後、ポケットの魔導核が刻み込まれた魔術式に従って魔術を発
動する。
自作の風魔術、圧空。
俺の体と地面との間に一瞬で空気が〝発生〟する。
発生した空気が全方位への突風を生み出し、俺の背中を持ち上げ
た。
整備車両から投げ出された勢いを殺すと同時に、飛んできた芳朝
を抱き留める。
再度、圧空を発動させようと試みるが、間に合わずに地面へたた
きつけられた。
レンガ敷きのおしゃれだが硬い道路を転がる俺と芳朝の横を運搬
車両が通り抜けていく。
俺たちが整備車両から投げ出されたことには気付いているのだろ
うが、むやみに速度を落とせる状況ではない。
俺たちが整備車両に乗って走って来た道から体高八メートルのギ
ガンテス三体を始めとした群れが走ってきていた。
俺は痛む体に鞭打って起き上がる。
130
﹁芳朝、お前まで投げ出されてどうするんだ﹂
腰をさすりながら立ち上がった芳朝が俺を睨みつける。
﹁死ぬなら一緒。そうでないと、私は誰に必要としてもらえばいい
のよ﹂
﹁あぁ、分かった。そうだな。死ぬなら一緒がいい。芳朝がいない
と俺は孤独死確定だからな﹂
俺は芳朝の手を取って北門に走る。
北門を抜けた整備車両と運搬車両を背に、デイトロさんの操るレ
ツィアともう一機の精霊人機が俺たちを迎えるために走り出してい
た。
合流すれば、精霊人機に掴まってデュラを離脱できるはずだ。
だが、俺たちの淡い希望は横合いから飛んできた火炎の魔術に打
ち砕かれた。
人間程度なら容易く飲み込んでしまえる直径の火炎の球がレツィ
アの前を横切る。
﹁こんな時に魔力袋持ちが出てきやがった!﹂
デイトロさんの声が拡声器から漏れ聞こえる。
俺たちからは建物が邪魔で見えないが、どうやら魔術を使用でき
る魔物が横から接近しているらしい。
俺たちが足を止めた瞬間、建物を破壊して俺たちと精霊人機の間
にギガンテスが躍り出た。
石造りの家を障子でも破るように突き崩したギガンテスの右手に
は薬指がない。
﹁しかも、こいつが首抜き童子か⋮⋮﹂
131
もう一機の精霊人機から団員の苦々しい声が聞こえてくる。
ギガンテスが二機の精霊人機を視界にとらえる頃には、崩された
家の瓦礫を乗り越えてゴブリンたちが道を塞ぎかけていた。
どう見ても、俺と芳朝には突破できない。
後方からはギガンテス三体を中心にした魔物の群れが迫ってきて
いる。
決断はデイトロさんの方が早かった。
﹁地下道を使って町を出ろ! 無理ならギルド周辺で待機。二日以
内に迎えに行く!﹂
言うが早いか、レツィアの大鎌を俺たちの後方へ投げつけて魔物
たちの足を止める。
俺はデイトロさんに頷いて、近くの民家の扉にロックジャベリン
を撃ち込んで破壊した。
﹁芳朝、道案内任せた﹂
﹁任された﹂
走り出した芳朝の後を追って、俺は民家に飛び込む。
芳朝がロックジャベリンで窓を吹き飛ばすのが見えた。
芳朝と一緒に玄関の反対側へ飛び出し、通りを挟んだ向かいの家
も同じように破壊して進む。
家主に怒られそうな逃避行で戦場から抜け出した。
﹁芳朝、ギルドに向かおう﹂
﹁なんで?﹂
﹁道の後方から来た魔物は俺たちを追ってきた連中だ。大半はギル
ド周辺からついてきてる。だから、いまはギルド周辺の魔物が少な
132
い!﹂
芳朝が肩越しに頷いて進行方向を左に向けた。
北門でデイトロさんたちが魔物を引きつけているらしく、激しい
戦闘音が聞こえてくる。
おかげで、俺たちの走る道には魔物が少ない。
たまに鉢合わせる魔物には風魔術で巻き上げた砂埃をくらわせて
視界を奪い、戦わずにやり過ごす。
息が切れ、脇腹の痛みを堪えながら走り続けた俺たちはギルドへ
と滑り込むように駆け込んだ。
﹁芳朝、休むな。バリケードを作るぞ!﹂
床にへたり込んで荒い呼吸を繰り返す芳朝を叱咤して、職員と開
拓者が話をするときに使うテーブルを入り口へ運ぶ。
さすがは開拓者の建物というべきか、窓は鉄製の鎧戸で内側から
補強されている。入り口は扉が設けられていなかったが、俺と芳朝
が運んだテーブルで塞ぐことができた。
ゴブリン程度なら問題なくやり過ごせるだろうが、中型のゴライ
アには効果がないだろうし、大型のギガンテスに至っては建物ごと
破壊される可能性があるのでまだ安心はできない。
芳朝が胸に手を当てて息を整えつつ、受付カウンターに体を預け
る。
﹁ギルドの地下通路は?﹂
﹁奥にあったはずだけど、使えるかな﹂
お互い全力疾走の後で息が上がっていたが、逃走経路が確保でき
るかどうかでこの後の身の振り方が変わってくる。
俺と芳朝はギルドの奥へ慎重に進む。
133
耳を澄ましていると、戦闘音がやんでいる事に気が付いた。
﹁デイトロさんたちは撤退したみたいだな﹂
﹁早く合流したいところね﹂
廊下の奥の両開きの扉をくぐった部屋に、目的の地下道を見つけ
る。
芳朝に明りを頼み、俺は安全を確認するため先に地下道へ入った。
﹁⋮⋮運がないな﹂
﹁転生するくらいだもの。期待しちゃダメでしょ﹂
芳朝と顔を見合わせて、ため息を吐く。
地下道の奥は土砂で埋まっていた。
134
第十二話 逃走経路の模索
手持ちの武器は拳銃一丁と十五発入り弾倉が三つ、内ひとつは装
填済み。
拳銃だと小型魔物は倒せるが、中型や大型が相手では効果がない。
﹁狙撃銃を整備車両に置いてきたのは痛手だな﹂
﹁私も拳銃と弾しかないよ。赤田川君と離れない方がいいと思って、
とっさに動いたのがよくなかったかな﹂
芳朝も失敗したとぼやいているが、後悔している様子はなかった。
地下道が土砂で塞がっている以上、俺たちがデュラを脱出するに
は別の地下道を使うか、二日後までデイトロさんを始めとした回収
屋の救出を待つしかない。
手持ちの武器で二日もの間ギルドの建物に立てこもるのは難しい。
大型魔物に嗅ぎ付けられれば建物ごと文字通り叩き潰される。
﹁別の地下道を探す方がまだ安全か﹂
俺は土砂で埋まった地下道に見切りをつけて、背中を預けていた
壁から離れた。
芳朝が立ち上がって、廊下を指差す。
﹁武器があるかもしれないから探しましょう。蓄魔石を見つければ
かなり楽になるよ﹂
魔力を蓄積できる蓄魔石は魔術師の魔力消費を肩代わりして、戦
闘時間を延長させる。
135
いまの俺たちが中型の魔物に有効打を与えるには魔術しかないか
ら、蓄魔石があれば生還率は上昇するだろう。
芳朝の意見に賛成して、俺は建物の奥へ足を進める。
﹁可能なら、依頼にある資料を見つけて運び出そう。量が多くて運
び出せないなら、一纏めにする﹂
貸し出し用の武器が収められた部屋を見つけて中に入る。
﹁剣と槍ばっかりだね﹂
芳朝が部屋を見回して落胆する。
貸し出し用とあるくらいだから、あまり高価な物は揃えていない
ようだ。借りパクを警戒しているのだろう。借り主が開拓地で死亡
してしまう場合もありうる。
俺と芳朝はデイトロさんたちに武器を扱う素質がないと嬉しくな
い太鼓判を押されているので、剣にも槍にも興味はない。生兵法は
大怪我の基だ。
一つくらい使える物はないかと部屋をひっくり返す様にくまなく
調べたが、結局めぼしい物はなかった。
﹁つくづく、俺たちはついてないな﹂
﹁そんなことないよ。赤田川君はこの私と二人きりなんだからつい
ている方だって﹂
﹁ワァ、ウレシイ﹂
棒読みで返して、部屋を出る。
ぞんざいだなぁ、などと愚痴を言いながらついてきた芳朝が、い
きなり俺に後ろから抱きついてきた。
冗談はやめろという前に、芳朝の手に口を塞がれる。
136
﹁⋮⋮耳を澄ませて﹂
芳朝に言われて、周囲の音に注意を向ける。
何か重たい物が断続的に落ちる音が遠くから近付いてくる。
大型魔物、ギガンテスの足音だ。
芳朝と目配せして、息を殺す。
ギガンテスに限らず、大型魔物は中型や小型の魔物を引き連れて
移動する。
建物の中にいる限りギガンテスに直接見つかる事はないだろうが、
小型魔物であるゴブリンは簡単に侵入してくる。
入り口のバリケードは大丈夫だろうか、と見えもしない壁向こう
へ目を凝らす。
しばらくして、ギガンテスたちはギルドの前を素通りしていった。
遠ざかる足音にほっとして、深呼吸する。
﹁生きた心地がしないな﹂
﹁転生してからずっと死ぬ前と変わらないけどね﹂
﹁倒錯してるな﹂
﹁人生を歩みながら、転び続けているような。そんな本末転倒っぷ
りだよね﹂
﹁芳朝がいるから起き上がれるけどな﹂
﹁マァ、ウレシイ﹂
割と本気で言ったのに、棒読みが返って来た。
﹁⋮⋮悪かった﹂
﹁いえいえ、こちらこそ﹂
にっこり笑った芳朝が俺の背中を叩いてくる。
137
資料室はどこだろう、と建物を歩き回る。
二階の階段を上がってすぐ手前の部屋に、資料室を見つけた。
中に入ってみると、棚にフォルダごとに収められた資料が並んで
いる。
かなりの数があるため、二人ですべてを運び出すのは難しい。
﹁一階の受付カウンターに運び出そうか﹂
デイトロさんたちと回収に来るとしても、わざわざ二階まで上が
るのは手間だ。回収中に大型魔物に嗅ぎつけられでもすると一大事
である。
優先順位の高い物を選んで、階段を下りては受付カウンターに積
んでいく。
ほとんどのフォルダを運び終えて残った物の表紙を見ると、引退
および除籍者名簿だった。
﹁これもいると思うか?﹂
芳朝に表紙を見せると、棚の残りに目をやった。
﹁どうせ一回で運びきれる量しか残ってないんだし、持っていこう
よ。デイトロさんと合流したら、判断を仰げばいいんだし﹂
﹁それもそうだな﹂
俺は残りのフォルダに手を伸ばす。
棚から取り上げた最後のフォルダを取った時、中からばらばらと
紙が落ちてきた。
フォルダの留め具が外れていたらしい。
﹁悪い、拾うからちょっと待ってくれ﹂
138
芳朝に謝ってこぼれた紙を拾おうとした時、俺は落ちた資料の中
に見覚えのある名前が書かれている事に気が付いた。
﹁︱︱バランド・ラート﹂
俺はすぐに手に持っていたフォルダを棚に置き、バランド・ラー
トの名前が書かれた紙を拾いあげる。
芳朝が隣から覗きこんできた。
﹁これ、開拓者の登録書類だよね﹂
﹁あぁ、どうやらバランド・ラート博士も開拓者をやっていたらし
いな﹂
紙には登録者の名前と技能が書かれている。相続者にはギルドが
指名されていた。
だが、新聞報道によればバランド・ラート博士は軍属だったはず
だ。民間の開拓者ギルドに登録して仕事をするほどの時間的余裕が
あったとは思えない。
軍を辞めてから開拓者として登録したのなら、新聞報道で軍属と
紹介されていたのはなぜなのか。
開拓者として登録した後で軍に入ったとも考えられる。
﹁赤田川君、紙の裏に履歴が書いてある﹂
﹁履歴?﹂
芳朝に指摘されて紙を裏返すと、バランド・ラート博士が開拓者
として移動した町が事細かに書かれていた。
マッカシー山砦、大工場地帯ライグバレド、ガランク貿易都市、
トロンク貿易都市など、新大陸各地を放浪していたようだ。
139
新大陸各地を放浪したバランド・ラート博士は、最終的にこの港
町デュラに到着して旧大陸行きの船に乗っている。
﹁芳朝、要らない紙はないか?﹂
﹁書き写すんでしょ。受付カウンターに筆記用具が一通りそろって
いるのは見たよ﹂
準備してくる、と言って一足先に一階に下りる芳朝を見送って、
俺は紙をひとまとめにした後、他のフォルダと一緒に一階へ持って
いく。
すでに筆記用具を準備してくれていた芳朝にバランド・ラート博
士の登録書類を渡してから、俺は他に関連する資料がないかを探し
た。
バランド・ラート博士はデュラで依頼を受けていないようだ。デ
ュラを出たのは八年ほど前、芳朝が五歳だった計算になる。
﹁芳朝、五歳の時は猫を被ってたのか?﹂
﹁その言い方はひどいなぁ。こっちの世界の知識を色々と仕入れて
いた頃だよ。まだ幼き才媛の片鱗も見せてなかったね﹂
﹁それで、バランド・ラート博士は芳朝を見つけられなかったのか﹂
当時から異世界の魂を探していたとは限らないが、町ですれ違っ
ていた可能性はある。ままならないものだ。
バランド・ラート博士の放浪歴の中でおかしな点はまだある。
マッカシー山砦の滞在日数だ。おおよそ二年もマッカシー山砦で
生活していたらしい。
このマッカシー山砦は軍事施設だ。民間人の枠を出ない開拓者が
依頼もなしに長期滞在できる場所ではない。新聞報道では軍属だっ
たはずだから、当時は開拓者と軍人、二足のわらじで生活していた
のだろうか。
140
﹁どうにも身分がふらふらした経歴だな。精霊研究者で、開拓者で、
軍事施設に長期滞在する。何してたんだ、この人﹂
バランド・ラート博士の人生の本分がどこにあるのか分からない。
もう博士と呼ぶのがためらわれるくらいだ。
とりあえず、マッカシー山砦に滞在した二年間で何をしていたの
かは探った方がよさそうだ。
﹁書き写し終わったよ﹂
芳朝が紙を丸めてポケットに入れながら報告してくれる。
俺は適当に見繕った椅子に座って腕を組んだ。
﹁問題はどうやって別の地下道へ逃げ込むかだ﹂
思わぬ情報が手に入った事は嬉しいのだが、現在の苦しい状況は
何一つ好転していない。
外は魔物が跋扈していて、万が一戦闘せざるを得ない状況になれ
ば死を覚悟しなければならない。
考える俺の隣に椅子を持ってきた芳朝が、肩が触れそうなほどの
距離で座る。
﹁ところで赤田川君に質問があるんだけど﹂
﹁なに?﹂
服の布越しに芳朝の肩の感触が伝わってくる。
芳朝が体を俺の方に傾け、耳に囁くように落ち着いた声を出す。
﹁このまま一生、町から脱出できないとして、寂しいと思う?﹂
141
﹁思わないけど、そういう問題じゃ︱︱﹂
言いかけて、俺は口を閉じる。
だが、俺が言いかけた言葉を察したように、芳朝はにんまりと笑
った。
﹁意見が変わってないのならそれでいいの。さぁ、脱出の準備をし
ましょう﹂
上機嫌に笑った芳朝は、ギルドに保管されている町の地図を取り
出して、地下道の入り口に丸を付けていく。
破壊された家のがれきで塞がれた道にバツ印をつけ、最短距離を
割り出しているようだ。
芳朝の浮かべた笑みにため息を吐きながら、俺は最短距離の割り
出しに協力する。
ここから一番近い地下道の入り口は市場にあるらしい。人が多く
集まる場所であるからか、地下道は二本あるようだ。
道を横切るのは最低限にして、民家の窓から窓へ移動することを
前提に道順を定める。
二階以上の建物へ定期的に入って、二階の窓から周囲の安全を確
かめる事にして、俺たちは地図を片手に立ち上がった。
突発的な魔物との遭遇に対処できるよう、俺は拳銃を抜く。
小さな魔導核が組み込まれたこの拳銃は魔力を流すことで小規模
な爆発を内部で発生させ、弾を撃ち出す仕組みとなっている。魔術
による爆発であるため煤などが発生しないが、発砲音が大きく威力
もあまり期待できない。
拳銃の中には爆発に指向性を持たせて威力や飛距離をあげたり、
発砲音を小さくする魔術を同時展開する物もあるが、高価すぎて手
が出なかった。
銃口を天井に向け、俺はギルドの窓から隣の民家に移る。
142
窓を壊して民家に侵入した俺は、部屋の中を素早く見回して安全
を確認し、芳朝に合図を送る。
部屋の入り口で家の中の音に耳を澄ませて魔物の有無を確認する。
﹁大丈夫だ。次に移ろう﹂
慎重に家から家へ移る。
窓を割るたびに家主に申し訳なく思うが、自分たちが生き残るた
めだ。
﹁家主も天国で笑って許してくれるよ﹂
﹁そういう黒い冗談は言うなよ。転生して喜びにむせび泣いてるか
もしれないだろ﹂
﹁その冗談も割と黒いと思うけどね﹂
緊張を和らげるための冗談も乾いた笑いしか呼ばないほど、俺と
芳朝を取り巻く空気はピリピリとした緊張感をはらんでいた。
北門でデイトロさんたちが暴れてくれたおかげなのか、町中の魔
物の密度は高くない。
しかし、耳を澄ませば聞こえてくる重量級の足音は次第に北から
町の各地区へ移動を始めているようだった。
目的の地下道がある市場の近くまで来た俺は家の窓を割って忍び
込み、二階の階段を探す。
市場は人が密集するうえ、ここは旧大陸との交易が盛んな港町だ。
市場全体がかなり開けた場所になっている。
﹁あのあたりか﹂
地図と見比べて、崩れがかった赤い屋根の家を観察する。
地図によれば、赤い屋根は病院になっているらしい。
143
﹁病院というより迷子預り所みたいになってたけどね。私もお世話
になったことあるし﹂
芳朝が思い出話を挟んでくる。
親とはぐれても何とかしてしまいそうな前世の記憶持ちのくせに、
何をやっているんだ、こいつは。
﹁あ、何その顔。私だって迷子を見つけたらお世話くらいするんだ
からね﹂
﹁疑って悪い﹂
﹁分かればよろしい﹂
話が噛み合っているようで噛み合っていないが、指摘して墓穴を
掘ることもないので黙っておく。
﹁それで、どうするの。入り口におっさん臭い寝相の奴がいるけど﹂
﹁さて、どうするかな⋮⋮﹂
芳朝の指摘通り、赤い屋根の病院の入り口にはごろりと寝転んで
いるゴライアがいた。体長は四メートルを少し超えたぐらいだろう
か。赤黒い肌はギガンテスやゴブリンと変わらないが、肩には丸い
傷が治ったような痕があり、それだけが個性を醸し出している。
魔物の牙か何かが刺さった傷痕だろうか。生々しい傷跡はゴライ
アを歴戦の勇士のように見せていた。
あまり戦いたくない相手だ。中型魔物は訓練を積んだ数人が囲ん
で倒すような相手で、俺と芳朝のようなひよっこが二人がかりで倒
せる相手とは思えない。
せいぜい、北門を塞いでいたゴライアにしたように吹っ飛ばすく
らいが限界だろう。
144
もっとも、戦闘音で町中の魔物を呼び寄せる事にもなりかねない
ので、ゴライアを吹き飛ばす案はおのずと除外せざるを得ない。
﹁もう一つの地下道を使うしかないな﹂
幸い、この辺りの魔物はあのゴライア一体だけだ。
静かに移動すれば、地下道へ忍び込む事も可能だろう。
俺はもう一つの地下道へ移動するため、芳朝と一緒に一階へ下り
る。
お互い軽口も叩かない。すぐそばに俺たち二人では手に負えない
魔物が寝転んでいるのだ。騒げるはずもなかった。
内側から窓を開け、侵入予定の窓ガラスに魔術で湿らせた紙を丁
寧に貼り付けて割る。音は最小限にすませてゴライアに気付かれて
いない事を確かめて、次の家に移る。
慎重に慎重を重ねて、今日一日で随分と手際よくなってしまった
窓割りをこなす。
盗賊にでもなった気分だ。
ゴライアが身じろぐ度にびくびくしながらも、地下道の入り口に
たどり着いた俺たちは音が出ないようにハイタッチを交わす。
﹁それじゃ、さっそく逃げるとしましょうか﹂
小声で言って、俺は地下道への入り口に手を掛ける。
鉄製の入り口はなかなか重たかったが、芳朝と二人がかりでなん
とか開ける事が出来た。
これで脱出できる︱︱そう思った次の瞬間、盛大な爆発音ととも
に地面が揺れた。
﹁︱︱はぁ!?﹂
145
慌てて音の出所を探ると、南側で土煙が上がっていた。
デイトロさんたちの攻撃開始だとしても、あまりにも早すぎる。
精霊人機の稼働時間は蓄魔石内の魔力量に依存しているが、今朝
からの戦闘で消耗しているはずだ。
デイトロさんが俺たちに宣言した二日後に助けるというのも、蓄
魔石に魔力を充てんする時間を見積もっているはずだった。
だが、南で上がる土煙も爆発音も、明らかな戦闘音であり精霊人
機を用いた攻撃だ。生身の人間にはあそこまで大規模な爆発魔術を
使う事は出来ない。
隠密行動を得意とするデイトロさんたち回収屋の仕業にしてはあ
まりにも音を立てすぎている。
爆発魔術なんて派手な物を使う理由が何かあるのだろうか?
いや、違う。
俺は頭を振って思考を切り替える。
問題は南で起きた戦闘ではない。
俺は慌てて赤い屋根の病院前で寝転んでいたゴライアに視線を移
す。
パッチリお目々が俺たちを視界に収めていた。意外とつぶらな瞳
をしてらっしゃる。
﹁赤田川君、悲しいお知らせがあるよ﹂
﹁ゴライアがお目覚めになった事か?﹂
﹁いいえ、違う﹂
芳朝はゆっくりと首を振って拳銃をゴライアに向ける。
﹁この地下道も埋まってるのよ﹂
芳朝に言われて目を向けると、地下道は確かに瓦礫で埋まってい
た。
146
視線を地下道が続いているだろう方へ向けると、民家が地盤沈下
を起こしているのが見えた。
﹁俺の気分まで沈みそうだ﹂
﹁逃げ足だけでも浮かしておきなよ﹂
芳朝は言葉を発すると同時に、ゴライアに向けて拳銃を発砲した。
147
第十三話 後ろ向きの覚悟
銃撃、ロックジャベリン、共に効果なし。
爆発系の魔術、腕の一振りでかき消され、少々のやけどを負わせ
るだけ。
﹁重戦車か何かか、こいつは!﹂
叫びつつ、俺と芳朝は共に民家に飛び込んで窓を割りながら家を
挟んだ向こうの道へ移動する。
体長四メートル越えのゴライアは民家に阻まれると屋根に手を掛
けて体を持ち上げ、塀でも越えるように民家を乗り越え、俺たちの
後を追ってくる。
歩幅がまるで違う事もあり、単純な追いかけっこでは逃げられな
い。
そう思って民家を使った障害物競走に切り替えたものの、引き離
すまでには至らない。
﹁他の魔物と出くわしたら一巻の終わりだよ。どうするの?﹂
﹁どうするって︱︱﹂
本当にどうしたらいいんだよ。
芳朝が牽制のために放ったロックジャベリンを素手でワシ掴みに
して投げ返してくるゴライアを肩越しに振り返って考える。
少なくとも物理攻撃が効くような相手ではない。
拳銃で撃ちこんだ銃弾は皮膚にはじかれることこそなかったが、
少し太めの爪楊枝が刺さった程度のダメージしか与えていないよう
だった。対物ライフルでもないと効果がないと思うのだが、そんな
148
物この場にないし、仮にあったとしても走りながら撃てるような代
物ではないだろう。
南側での戦闘は激しさを増しているらしく、町全体が騒がしくな
っている。あまり逃げ続けていると芳朝の言う通り他の魔物と出く
わして挟み撃ちにされ、殺されるだろう。
ゴライアが瓦礫を掴んで投げつけてくるのに気付いて、俺はロッ
クジャベリンで撃ち落とす。
すぐに近くの民家にもロックジャベリンを撃ち込んで今日一日で
慣れてきた不法侵入を挟みつつ家の向こう側へと潜り抜ける。
通りに出た瞬間、俺は右足を軸に反転して潜り抜けたばかりの家
に向き直った。
俺はポケットに入れたままになっている圧空の魔導核に魔力を込
めながら、火炎系の魔術であるファイアアローを左手に構えた。
屋根を掴むゴライアの手を見てすぐにファイアアローを撃ち込み、
魔導核に刻まれた魔術式を発動する。
圧縮された空気が生み出された瞬間に解放され、周囲へ突風を巻
き起こした。
突風にあおられたファイアアローは形を崩しながらも一気に火力
を増し、燃焼範囲を広げる。
俺の圧空で飛ばされた精霊がファイアアローの魔力に触れ、一時
的に周囲の精霊密度が増したことにより威力が増したのだ。
屋根の向こうで体を持ち上げようとしていたゴライアは頭上を越
えていく軌道を描いていたファイアアローが突然膨れ上がった事に
驚いたのだろう。屋根から手を離したらしく、家の向こうで重たい
物が落下する音が聞こえた。
俺は再び反転して芳朝の後を追う。
丈夫そうなドーム状の家の玄関で芳朝が手を振っている。
合流してすぐに家の中へ逃げ込み、窓から通りの様子を窺った。
屋根を越えてきたゴライアが俺たちを探して通りを見渡す。頭と
左手にやけどを負っているようだが、痛がる様子はない。
149
ほとんどの魔術を歯牙にもかけないタフさに戦慄する。
俺や芳朝がもっと威力のある魔術を使いこなせれば違うのだろう
が、俺たちは訓練らしい訓練を始めたばかりでレパートリーも少な
い。
どうする。どうすればいい。
こうして身を潜めてやり過ごす以外に何一つ思いつかない。
ゴライアが通りにいない俺たちを探すことを諦め、近くの民家に
拳を突き入れた。
虱潰しに一件ずつ潰していくつもりか。
﹁いまのうちに裏通りへ抜けよう﹂
芳朝の細い腕を掴んでリビングの窓へ忍び足で移ろうとした時、
﹁︱︱赤田川君!﹂
叫んだ芳朝に押し倒された。
何事かと思った瞬間、俺たちが潜んでいた民家の屋根が吹き飛ぶ。
正確には、床上一メートルほどの高さから上の部分が丸々、外か
らやってきた赤黒い腕に薙ぎ払われたのだ。
石が、レンガが、木材が、はるか彼方へと吹き飛んでいく。
ゴライアがラリアットでもするように走りながら民家を端から薙
ぎ払ったのだと気付くまで数秒を要した。
ゴライアが仕事ぶりを確かめるように破壊した家々を振り返る。
空から降ってくる破壊の痕跡をその分厚い皮膚で弾きながら、砂
煙の中に立つゴライアの姿は悪魔じみていた。
悪魔の瞳が俺たちの姿を捉える。
獲物をしとめた時の肉食獣のそれにも似た鋭くどこか享楽的な光
を瞳に宿して、ゴライアはゆっくりと歩いてくる。
150
﹁芳朝、逃げるぞ!﹂
縫い付けられたようにゴライアから視線を外せないまま、俺は覆
いかぶさっていた芳朝を抱き起こす。
あんなものと戦おうと考えること自体が馬鹿げていたとようやく
気付いた。勝ち負けを決める舞台にも立っていない。負けて食われ
る未来しか存在しなかったのだ。
﹁芳朝、何してる。早く逃げ︱︱﹂
芳朝の体から力が抜けている事に気付いて、俺はゴライアを視界
に収めたまま、芳朝を見る。
﹁おい、芳朝⋮⋮﹂
芳朝は頭から血を流してぐったりしていた。黒髪に血が付着して
不気味に光を反射している。
近くに血が付いた木の破片が落ちている事に気付いて、理解する。
芳朝の口元に耳を寄せて息があることを確認した俺は、ゆっくり
と芳朝を横たえた。
ゴライアと戦って勝てるはずがない。
だから、生き残るためには逃げなければいけない。何を置いても、
逃げるのが正解だ。
俺は立ち上がって、芳朝に背を向ける。
誰にも見咎められるはずがない。ここには俺と芳朝、そしてゴラ
イアしかいないのだから。
だから、ここは逃げるべきだろう。それが正解だろう。
﹁︱︱あぁ、本当に運が悪いな﹂
151
俺は拳銃を引き抜き、ゴライアの目に向けて引き金を引く。
有効射程から外れてはいるが、的が大きいために銃弾はゴライア
の耳に穴を穿った。
逃げるのが正解? あぁ、その通りだ。普通の奴なら逃げて、生
き抜くのが正解だ。
だが、俺は普通ではない。転生者で、落伍者で、社会不適合者だ。
芳朝がいなくなればこの人生に大事なものは何一つ存在しなくなる。
この人生に失敗して、これからも失敗し続けるだろう、この世界に
置いてきぼりをくらった異邦人だ。
死ぬことに躊躇いはない。生きることにこそ躊躇いがある。その
躊躇いを取り除くために、喪失感におびえない人生を得るために、
この新大陸に来たんだ。
俺みたいな馬鹿でも予想がつく。
芳朝を失えば、またあの絶望的な喪失感に苛まれると。
だから、逃げるわけにはいかない。
もしもここで死ぬとしても、芳朝がいない世界で生きるよりずっ
とましなのだから。
﹁死ぬなら一緒がいい、か﹂
生き残るためではなく、一緒に死ぬために戦おうっていうんだか
ら、俺も程よくずれている。
ゴライアが足を止めた。
俺は両手で拳銃を支え、まっすぐ前に突き出す。照準器を覗き込
み、ゴライアの目を執拗に狙って撃ち続ける。
ゴライアは俺の銃撃など気にした様子もなく、別の何かを警戒す
るように周囲を見回した。
ゴライアの様子がおかしい事には気付いていたが、芳朝を担いで
逃げ切れる相手でもない以上、俺の取れる行動は限られている。
空になった弾倉を右手で外しつつ、左手で取り出した新しい弾倉
152
と入れ替えた。
いまだ好転しない状況の中で、それでも活路を見出そうと周囲に
視線を走らせる。
南側の戦闘音はやむ気配がない。それどころか徐々にギルドの方
へ移動しているようだった。
目の前のゴライアも南の戦闘音を警戒し、ちらちらと視線を向け
ている。俺と芳朝という餌が目の前にあるため南に行く様子はない
が、気移りしているのだ。
だからこそ、ゴライアは気付かなかったのだろう。
北の民家からゴライアを覗く灰色の人型の陰に。
聞き覚えのあるリンと鈴が鳴るような澄み切った音が空気を揺ら
した直後、大鎌が空気を切り裂いて民家と民家のわずかな隙間から
飛来する。
狙い過たずゴライアの背中に突き立った大鎌には鎖がついていた。
﹁うちの弟分と妹分に手を出さないでもらおうか﹂
デイトロさんの声が拡声器から響き、鎖が一気に手繰り寄せられ
る。
灰色の精霊人機レツィアは増強された腕部を軋ませ、轟音を伴っ
て拳を放つ。
デイトロさんの卓越した技量はレツィアの拳を最高速で民家の間
に滑り込ませ、大鎌を突き立てられて逃げる事の出来ないゴライア
の頭を粉砕した。
頭を失ったゴライアの体がくずおれて石畳に赤い染みを広げる。
レツィアは腕を引き戻すと大鎌をゴライアの背中から引き抜いた。
﹁二人とも無事、ではないみたいだね。悪いけれどレツィアの魔力
残量も少ない。手の上に乗ってくれ﹂
153
レツィアが地面に手を広げる。
俺は芳朝の体を背負った。
頭を怪我している芳朝を動かしたくはなかったが、今は町を脱出
するのが先だ。
俺が芳朝を背負ったまま手のひらに乗ると、レツィアの腕がエレ
ベーターのように持ち上がる。
独特の浮遊感の後、レツィアの手のひらは肩のあたりで上昇を止
めた。
視線が高くなったことで、俺は周囲に整備車両がない事に気が付
いた。それどころか、レツィア以外の精霊人機も見当たらない。
﹁デイトロさん、回収屋の皆さんは?﹂
﹁北門の外に待機させているよ。レツィアをすぐに動かすためには
車両の蓄魔石からも魔力を移す必要があったからね﹂
俺たちを救出するために急いでレツィアを起動させたのか。
だとすると、南側で起こっている戦闘はいったい誰が始めたんだ?
南に目を凝らすが、建物が邪魔で見通しが効かず、何が起きてい
るのかはわからない。
﹁説明は後だ。しっかり掴まってくれよ﹂
デイトロさんに言われて、俺は芳朝を落とさない様に抱え直して
レツィアの指に掴まった。
レツィアが反転して北門に向けて駆け出す。
南側に魔物が集まっているのか、道中にゴライアやギガンテスは
見当たらない。
南へ走って行くゴブリンに遭遇しても、体長一メートル程度のゴ
ブリンと七メートルの鋼鉄の巨人であるレツィアで勝負になるはず
もなく、道端の石にするように蹴り飛ばされていた。
154
大きさはそれだけで武器となり得る。
ゴライアとの戦闘でもわかったが、精霊人機の戦闘力は隔絶して
いるのだ。人類の最終兵器だけはある。
だが、俺は操縦することができない。
今回のゴライアとの戦いで俺は無力さを痛感した。大事な物を作
れたとしても、俺は何も守れない。
力が必要だ。
新大陸では、町一つが魔物の群れに簡単に滅ぼされるのだから。
通りを走り抜けるレツィアの手の上から、魔物に荒らされた町並
みを眺める。
急速に後ろへ流れていく町の景色は、人の世から置き去りにされ
た空虚さに包まれていた。
もはや守るものが内側に無いにもかかわらず、そびえ立つ北の防
壁が見えてくる。力がないばかりに大事な物を取りこぼした、ただ
の壁だ。
北門を潜り抜けてしばらく走ると、デイトロさんはレツィアの速
度を落とし始める。
後方に小さく見えるデュラはまだ騒がしかったが、町の外に広が
る北の森は静かなものだった。
道の先に精霊人機が佇んでいる。回収屋が持つもう一機の精霊人
機だ。
﹁異常は?﹂
﹁なしです。兄貴は無事みたいですが⋮⋮二人は?﹂
精霊人機同士で拡声器を使った報告をして、デイトロさんはレツ
ィアの手を地面まで下げてくれた。
﹁怪我をしている。整備車両に運んでくれ﹂
155
森の中に隠蔽されていた整備車両からぞろぞろ回収屋の面々が出
てきて、芳朝の怪我の具合を見て中に運び込む。
﹁大丈夫。頭の骨にも異常はないようだから﹂
魔術の訓練に付き合ってくれたお姉さんに言われて、俺は胸をな
でおろした。
本当にギリギリではあったが、何とか生き残れた。俺が何かをで
きたとはお世辞にも言えないが、それでもこうして町を出られたの
は不幸中の幸いだろう。
レツィアに乗ったデイトロさんが間に合わなかったらどうなって
いたかは、あまり考えたくなかった。
﹁ファーグ﹂
﹁⋮⋮はい﹂
デイトロさんの声に一拍遅れて、俺は返事をする。
この世界での自分の名前がコト・ファーグだとすっかり忘れてい
た。コト・ファーグと呼ばれて過ごした十三年間よりも、芳朝と過
ごした数日の方がよほど濃かったからだろう。
デイトロさんは返事が遅れたことに疑問を抱いた様子もなく、俺
の頭の上に手を置いてきた。
﹁よく生き残った。正直、もうだめかと思ったよ﹂
本当に駄目だと思ったのなら、助けになんか来なかっただろう。
望みはあると考えたからこそ、無理をしてまでレツィアで駆けつ
けてくれたのだ。
﹁助けに来てくれてありがとうございました﹂
156
深く頭を下げる。
頭を持ち上げた時、デイトロさんの手はすでに俺の頭上から消え
去っていた。
レツィアに集中させた魔力を各車両などに分散させるといってレ
ツィアに向かったデイトロさんに背を向けて、俺は遠くのデュラを
見る。
芳朝という大事な者がいる限り、俺はあの町よりいくらかマシな
のかもしれない。どんぐりの背比べ程度の違いしかないのだろうけ
ど。
芳朝の目が覚めたら、身を挺して庇ってくれたことに礼を言おう。
157
第十四話 撤退と帰還
芳朝が目覚めたのは俺たちがデイトロさんに救出された翌日だっ
た。
問診の結果から後遺症などはないと分かったが、俺たちは回収屋
の面々と共にデュラを離れて隣の港町へ帰還するべく整備車両を走
らせていた。
俺は荷台に寝かされている芳朝のそばに座り、経緯を説明する。
﹁俺たちがゴライアと戦っている間、デュラの南側から軍の回収部
隊が入ったらしい﹂
﹁出発前にデイトロさんが言っていた、マッカシー山砦の?﹂
俺は頷く。
マッカシー山砦は港町デュラに近い軍の駐屯地であり、要塞だ。
新大陸開拓の黎明期から存在する要塞で、付近の町が魔物に襲われ
た際には素早く軍を出動させて防衛に当たる。
港町デュラがギガンテス率いる人型魔物の群れに襲われた際には
出動が大幅に遅れたという。肝心なところで役に立たないという印
象だ。
だが、今回の出動の遅れはデイトロさん曰く〝きな臭い〟らしい。
﹁芳朝は気絶していたから知らないと思うけど、南側から入った軍
の回収部隊はギルドに向けて移動していた。本来は精霊人機を回収
する任務を帯びているはずなのに、まっすぐギルドに向かっている
んだ。それだけなら魔物との戦闘を避けていたのかとも思うけど、
デュラへの進入を図る前にデイトロさんたちへ軍の指揮官が接触し
てきている﹂
158
デュラに取り残された俺と芳朝を救出するために急ピッチで蓄魔
石に魔力を充てんしていたデイトロさんたちの下を訪れた指揮官は、
所属部隊を明らかにするのを避けながらデイトロさんたち回収屋の
面々に手を引くよう通告してきたらしい。
結局、俺と芳朝を救出するためにデイトロさんたちは軍の通告を
無視したのだが、デュラで軍と遭遇した場合は口封じに殺されてい
た可能性もあった、とデイトロさんは笑いながら話していた。
芳朝が腕を組んで首をひねる。頭に巻かれた包帯が痛々しかった
が、本人が言うにはさほど痛みを感じないらしい。長い黒髪が頭の
傾きに合わせて揺れた。
﹁私と赤田川君の救出に成功した以上、軍と本格的に事を構えるつ
もりはないから町へ帰還するって事ね。ギルドの資料も回収してい
ないのに何で帰るのかと思ってたけど、軍が出てきたんじゃ仕方な
いのかな﹂
芳朝も納得していないようだが、不満は飲み込んだようだ。
ギルド所有の精霊人機は回収しているので最低限の仕事を果たし
たと言えるが、報酬の減額は避けられないだろう。
面白くなさそうに唇を尖らせた芳朝はポケットの中から一枚の紙
を取り出す。
﹁これ一枚を渡しても、焼け石に水だよね﹂
芳朝がひらひらと振る紙は、バランド・ラート博士の登録書類だ。
﹁勝手に書き写すなって叱られるだろうし、隠しておけ﹂
﹁はーい﹂
159
芳朝が紙をポケットにしまう。
﹁それにしても、マッカシー山砦の動きに違和感があるね。バラン
ド・ラート博士も滞在していたみたいだけど﹂
﹁いずれ探ることになるだろうな。ただ、先に実力を身につけない
といけない﹂
﹁報酬額を下げられると精霊人機の部品購入の代行業務を受ける権
利を貰えない可能性もあるね﹂
芳朝が心配するが、その点についてはすでにデイトロさんと交渉
してあった。
﹁俺と芳朝に訓練をつけてくれるようにデイトロさんに依頼してあ
っただろ。報酬額を下げられた場合は、デイトロさんたちへ渡す予
定だった権利分で相殺することになってる﹂
訓練をつけてもらったのはたった一日で、しかも俺と芳朝を危険
に晒した負い目もあってか、デイトロさんから提案されたのだ。
もっとも、俺たちは救出してもらった側なので金銭で報酬を払う
形で話がまとまっている。
金額を告げると、芳朝は﹁妥当なところだね﹂と呟いた。
お金の管理はそれぞれで行っているため、今回はデイトロさんと
直接交渉した俺が全額払う事に決めてある。
﹁赤田川君がそれでいいなら甘えるよ。帰ったら何かおいしい物で
も食べようか?﹂
﹁奢ってくれるのか?﹂
﹁お世話になってるからね﹂
芳朝の言い訳に苦笑して、俺も甘えることにした。
160
しばらくして、港町に帰り着いた俺たちはギルドに足を運んだ。
俺と芳朝にデイトロさんの三人は受付カウンターで職員の名前を
告げて呼び出す。
予定よりも早い帰還に職員さんが不思議そうな顔をしてやってき
た。
テーブルに案内され、少々窮屈に感じながら四人でテーブルを囲
む。
テーブルの下で俺と芳朝の足がより広い空間を求めて戦争を開始
している事は職員さんもデイトロさんも気付いた様子はない。
というか、芳朝の足はかなり細い。決戦を挑むと折れてしまいそ
うで怖かった。
全力を出せないでいる俺に対して、芳朝はガンガン攻めてくる。
最終的に、俺の足はテーブルの下から締め出された。
﹁⋮⋮芳朝、そのドヤ顔を止めろ﹂
﹁敗者が勝者の表情に文句をつけるなんて身の程知らずね。頭を垂
れていなさい﹂
﹁くっ⋮⋮﹂
演技がかった口調で言い返されて、俺は俯いた。
職員さんが首を傾げている。
俺と芳朝の知られざる領土争いを歴史の闇に葬るためにも、俺は
デイトロさんにデュラの回収依頼に関する報告をお願いした。
﹁それでは、デイトロお兄さんの失敗談を話そうか﹂
デイトロさんが失敗したというより、軍の介入があったせいで依
頼の続行が不可能になったのだが、デイトロさんは失敗談として口
火を切った。
精霊人機の回収に成功した後、軍の介入があった事、回収部隊は
161
ギルドを目指して移動していた可能性についての報告を受けて、職
員さんは眉を寄せた。
﹁マッカシー山砦からの出動が遅れた件に加えて回収屋を頼まずに
回収部隊を動かしたという事は、見られたくない物を回収する予定
だったのでしょう﹂
﹁おやおや、心当たりがあるのかな? デイトロお兄さんも興味を
引かれちゃうなぁ﹂
﹁いがみ合ってはいませんが、商売敵ですからね。情報はある程度
仕入れていますよ。特にマッカシー山砦司令官のホッグスは最近、
ずいぶんと羽振りがいいらしいです。貿易港であるデュラに私物が
あったのかもしれませんね﹂
職員さんが肩を竦めて不穏なことを言う。
司令官の私物というと、山吹色のお菓子の類だろうか。一度味わ
ってみたいものだ。誰か差し入れしてくれないかな。
冗談は置いておいて、俺は職員さんの話に口を挟む。
﹁軍の回収部隊はギルドに向かったんですよ?﹂
﹁内通者がいる可能性はありますよ。組織ですからね﹂
肝の据わった割り切り方だな。男前だ。
後はこちらで調べる、と職員さんは話を打ち切って報酬の話に切
り替えた。
﹁精霊人機を回収してくれているので、ギルド資料分の減額となり
ます。開拓者であるお三方に申し上げるのは憚られるのですが、ギ
ルド資料は金銭的な価値がありませんから、盗む者もいないでしょ
う。減額は最小限にとどめるよう、私からも口添えしておきます﹂
162
さりげなく協力を約束してくれた職員さんは、回収された精霊人
機の状態を見てくると言って立ち上がった。ついでに報酬額につい
ての話を上と相談してくるらしい。
少し時間がかかるとの事だったので、俺は芳朝と一緒に遅めの夕
食をとるため席を立つ。
﹁俺たちは何か食べてくるので、あとで合流しましょう﹂
席に残っているデイトロさんに声を掛けると、ショックを受けた
ような顔をして両手で口を覆う。
﹁デイトロお兄さんを食事に誘ってくれないなんて、一緒に過ごし
たこの数日間はなんだったんだい?﹂
﹁仕事です﹂
間髪入れずに答えると、デイトロさんは言葉に詰まったように唸
って天井を仰いだ。
芳朝がくすくす笑う。
﹁⋮⋮無駄よ。壁の内側は私の特等席なんだから﹂
呟いた芳朝が俺の腕に自らの腕をからめてくる。
そのままデイトロさんに背を向けて出口へ向かう。
﹁デイトロお兄さんはフラれてしまった!﹂
天井を仰いだまま、デイトロさんが叫ぶ。周囲の開拓者から失笑
を買っていた。
肩越しにデイトロさんを見ていた俺が不満だったのか、俺の腕に
絡められた芳朝の腕の力が強まる。
163
﹁何が食べたい?﹂
問いかけられて、俺はデイトロさんから視線を外して芳朝を見る。
奢られる側としては任せたいのだが、俺が決めないと芳朝は納得
しそうにない。
﹁ゲテモノ料理にしようか。スライムとか﹂
俺は笑顔で提案する。もちろん冗談だ。
芳朝の希望を聞くために、あわよくば彼女自身に決めてもらうた
めに確実に断られる物を選んだ︱︱はずだった。
﹁うん、分かった。探せばどこかにあると思うよ。海沿いの町だか
ら、シージェリースライムを使った料理になるかな﹂
一切の抵抗なく俺の提案を受け入れて、芳朝は通りを見回して店
を探し始めた。
俺の冗談を真に受けたのか、それとも俺をからかっているのか、
長いまつげに隠された芳朝の瞳からは窺い知れない。
後者であると分かったのは、ジビエ料理屋の前で芳朝がにやりと
笑った時だった。
別にジビエ自体はどれもゲテモノではないのだが、この世界の場
合は野生の獣や鳥の他に魔物もジビエに含まれる。
頼もうとすれば魔物だって食べられる店に連れてこられたわけだ。
芳朝が半笑いで俺の脇腹を突いてくる。
﹁割と本気で焦ったでしょ?﹂
﹁いつかやり返してやる﹂
164
負けず嫌いだなぁ、と笑って芳朝が先に入店する。
店の内装はかなり凝っていた。
窓を小さくして外からの明かりを減らしつつ、橙色の魔導光が隅
に若干の陰を作りながら店内を照らしている。
客席はテーブルごとの島方式で店内に分散配置されていて、ゆっ
たりとしたスペースになっていた。これなら隣の席で魔物料理を食
べる好き者がいても気が散る心配はなさそうだ。
壁には空のワインボトルを並べた棚があり、ラベルが読めるよう
になっている。本日のおすすめメニューと題された黒板の欄にホー
ンラビットのドライソーセージと書かれていた。
ホーンラビットは一応魔物だが、魔物魔物しい外観をしていない
のであまり抵抗なく食べられそうだ。
遅い夕食を摂りに来たのは俺たちだけではないようで、いくつか
のテーブルではどこかの商会の重役らしい男たちがワインを片手に
腹を探り合っていた。なぜ、あいつらは食欲ではなく金銭欲で腹を
満たそうとしているのか分からない。
肉体年齢十三歳の俺と芳朝の来店にも、店員は丁寧に対応してく
れた。
テーブルに案内され、渡されたメニューを見た俺は芳朝と顔を見
合わせる。
メニューには魔物を使った料理しかなかった。
ここ、魔物料理専門店だ⋮⋮。
芳朝も知らなかったらしく、珍しく焦っているようだ。殊更にす
まし顔を取り繕って、私は関係ありませんオーラを出している。
俺はメニューをざっと見てから、無難な物を選んで注文する。
﹁バロメッツのピリ辛サラダ、リモンフィッシュのカルパッチョ、
おすすめのホーンラビットのドライソーセージをお願いします﹂
小型魔物ばかりだけど、外観的には問題なし。リモンフィッシュ
165
辺りは姿焼きで出てきても食べる自信がある。
バロメッツは羊に良く似た形の種が入った瓢箪のような魔物だ。
つる性植物の形状をしていて、周囲を通りがかる小動物をそのつる
で絡めて絞め殺し、栄養にする。
リモンフィッシュは海に生息する体長二十センチほどの魔物だ。
五、六匹の群れを作って回遊し、海上を飛ぶ鳥に向かってトビウオ
よろしく飛び上がり、集団で食らいつく。
ホーンラビットは言わずもがなの角付きウサギだ。
俺は選んだ料理に使われている魔物を再度検証し終えて、ほっと
安堵する。
芳朝も俺と同じものを頼み、平たい胸を撫でおろしていた。
注文を聞いて引っ込んだ店員が小鉢を乗せた盆を運んでくる。
﹁お通しでございます﹂
そんな物まで出るの?
しかも、アルコール類は頼んでいない。
何か無言の圧力を感じて、俺はまたメニューを開く。
﹁アモンティリャードをお願いします⋮⋮﹂
なんでシェリーとウイスキーしかないんだよ。後リキュールもあ
るけど、頼まないから。異世界のリキュールとか何が入っているか
想像がつかなくて怖い。マンドゴラが漬け込んであったりしそうだ。
そもそも、向こうの商人さんたちが飲んでるワインはどこから出
てきたんですかね?
芳朝が小鉢を恐る恐る覗き込んで、店員さんに声を掛ける。
﹁これはなんでしょうか?﹂
166
震え声の芳朝に対して、店員さんがにっこりと笑う。いい笑顔だ
な。
﹁シージェリースライムの胡麻和えでございます。お客様は魔物料
理を味わった事が無いようでしたので、この機会に親しんでいただ
きたくご用意しました﹂
大きなお世話である。
シージェリースライムとは越前クラゲに良く似た大型魔物の一種
だ。強靭な触手を動かして周囲五メートルの海水を自在に操作し、
群れを成すと大型船も沈めてのける大渦を作り出す。
前世が日本人の俺と芳朝はクラゲを食べる機会もあったから抵抗
も少ないが、この世界の人間の感覚で言えば文句なしのゲテモノ料
理に分類される。
店員さんが芳朝に酒のメニューを渡す。
﹁どうぞ、酔ってしまえば抵抗なんてなくなりますよ﹂
笑顔で凄いストレートパンチ放って来たよ、この人。
硬直している芳朝に代わり、ライウイスキーをロックで頼んでお
く。
﹁口直しの水も忘れずに持ってきてください。こいつ、酒を飲んだ
事が無いので﹂
俺の言葉を聞いて、店員さんは笑みを浮かべたまま頷いた。
﹁かしこまりました﹂
店員さんを見送って、俺は芳朝に声を掛ける。
167
﹁申し訳程度に酒は一口だけ飲んで、あとは水で誤魔化せ﹂
﹁了解⋮⋮。それにしても赤田川君、慣れてない?﹂
﹁引き籠りと違って飲む機会は多かったんだ﹂
﹁私は引き籠り以前に未成年だったんだよ﹂
むっとした顔で抗議する芳朝だが、成人しても引き籠ったままで
は飲む機会もそうないと思えた。
店員さんが落ち着いた動作ながらも素早く運んできたアモンティ
リャードを一口飲む。
わずかな酸味の後、口の奥から喉の上部にかけて木の実の芳香が
広がっていく。酸味が消えて木の実の芳香の余韻が長く続いたかと
思えば、溶けるように存在感が消えていった。
それなりにアルコール度数の高い酒だが、気にせずに飲み続けて
しまいそうな怖さがある。某エドガーさんじゃあるまいし、アル中
にはなりたくない。
酒の誘惑を振り切るべく、お通しの胡麻和えを食べてみると、こ
れが案外おいしい。
シージェリースライムはクラゲ特有のコリコリした歯ごたえに加
えて旨味がある。何に近いともいえないが、海産物だと分かる旨味
だ。胡麻の風味と合わさって、味がしっかりしているのに、くどく
ない。水っぽさも感じなかった。
向かいに座っている芳朝を見ると、意外な食べやすさに目を見開
いている。
﹁⋮⋮これ好きかも﹂
小さく呟いた芳朝が小鉢を空にするまで、そう時間はかからなか
った。
俺もすぐに食べ切ってしまうが、どうにもこの胡麻和えは酒が欲
168
しくなって仕方がない。
その後に運ばれてくる料理も美味しかったが、酒に伸びる手を止
めるのに難儀してしまう。
なんて恐ろしい店だ。また来よう。
169
第十四話 撤退と帰還︵後書き︶
明日からは一日一話更新となります。
170
第十五話 港町の状況
ギルドに戻った俺たちはデイトロさんに合流した。
デイトロさんはずっと席に座っていたらしく、気を利かせた職員
さんが運んできたサンドイッチを齧っている。
﹁良い物を食べてきたような顔をしているじゃないか。デイトロお
兄さんは疎外感と一緒に湿気ったサンドイッチを味わっているとい
うのに⋮⋮﹂
﹁回収屋の皆さんと行ってきたらどうですか?﹂
言い返して、芳朝がギルドの裏手を指差した。ギルドの裏手には
精霊人機や整備車両を持つ開拓団に開放された駐機スペースがある。
回収屋の面々もそこで待機しているはずだ。
デイトロさんはサンドイッチの最後の一欠片を口に放り込む。
﹁親睦を深めたいのに君たち二人がその場にいないんじゃ意味がな
いだろう?﹂
愚痴を言って、デイトロさんがコップの水を喉に流し込んだ時、
職員さんがやってきた。
書類とメダルのようなものを持って席に着いた職員さんが、俺た
ち三人にそれぞれメダルを差し出してきた。
受け取ったメダルを観察する。ギルドのマークと数字が刻印され
ていた。
﹁これ、なんですか?﹂
﹁権利書のようなものだと思ってください。受付でそれを提示して
171
いただければ、特定のサービスを受けることができます。お二人の
場合は精霊人機の部品購入の代行業務ですね﹂
紙よりも保管などが楽だからと、メダルになったらしい。
芳朝が親指でメダルを上に弾き、手の甲に乗せてもう片方の手で
隠して俺に突き出した。
﹁どっちだと思う?﹂
﹁表﹂
適当に答えると、芳朝は手の甲を見せる。メダルは乗っていなか
った。
﹁正解は無しでした﹂
﹁隠していた方の手に握りこんでるだろ。卑怯だぞ﹂
﹁有るか無しかを聞いているのに表って言われても困惑しちゃうよ
ね﹂
﹁誤魔化すな﹂
じゃれ合っていると、デイトロさんに同様の説明をし終えた職員
さんがわざとらしく咳払いした。
じゃれ合いを止めて職員さんに向き直ると、デイトロさんがテー
ブルに頬杖を突いて俺に声をかけてきた。
﹁仲良いなぁ。羨ましいなぁ。デイトロお兄さんとも遊んでほしい
なぁ﹂
芳朝がデイトロさんを横目に見て、首を傾げる。
﹁転生したらワンチャンあるかもですね﹂
172
確かに、転生して前世の記憶を持っているなら仲良くなれるかも
しれない。
だが、芳朝の言葉は字句通り、いっぺん死んでから出直せと言っ
ているのと大差がない。
デイトロさんが肩を竦めた。
﹁キッツいなぁ。二人はデイトロお兄さんと回収屋をやるつもりは
ないって事かな? うちは整備士が欲しくてたまらないんだけど﹂
﹁無理ですね。お話しできませんけど、今後の予定もあるので﹂
﹁そうか、残念だなぁ﹂
芳朝がにべもなく断ると、予想していたようにデイトロさんはあ
っさり引っ込んだ。
職員さんが書類をテーブルの中央に広げる。
﹁お三方の証言を確認させていただきます﹂
職員さんが同情的な目をデイトロさんに向ける。
﹁単刀直入に問いましょう。本当にデュラでマッカシー山砦からの
回収部隊に遭遇したのですか?﹂
﹁軍の回収部隊であることは間違いない。他には?﹂
﹁いえ、結構です。ファーグさんたちも証言に変わりはありません
ね?﹂
職員さんに問われて、俺は少し考える。
﹁直接回収部隊を見たわけではありませんが、デュラの南側で戦闘
が始まったのは確かです﹂
173
ありのままを証言すると、職員さんは紙に証言内容を書き込んで
確認を求めてくる。
証言内容に間違いがないことを署名すると、職員さんが頭を下げ
てきた。
﹁マッカシー山砦に問い合わせていますが、おそらく白を切られま
す。開拓者としての評価に影響は出ませんが、この町での仕事が少
しやりにくくなると考えてください﹂
依頼を放棄して、言い訳に軍の介入があったと嘘を吐いた可能性
があると思われているらしい。
デイトロさんが腕を組んだ。
﹁マッカシー山砦の司令官はホッグスだったね。覚えておくとしよ
う﹂
煮え湯を飲まされたため、デイトロさんは件の司令官がかかわる
依頼を受けない意思を固めたらしい。
俺と芳朝の場合はマッカシー山砦に行ってバランド・ラート博士
に関する調査をする予定があるため、ホッグスという司令官を殊更
に避けるつもりはない。それでも、印象は悪い。
とはいえ、まだマッカシー山砦側が白を切るとは限らないのだか
ら、判断は保留としよう。
報酬の内訳と減額についての説明をされて、納得の上で話を終え
た。
俺はさっそく職員さんに精霊人機用の部品を購入したい旨を伝え
る。
﹁係の者を呼んできますので、しばらくお待ちください﹂
174
職員さんが席を立つと同時に、デイトロさんも立ちあがった。
﹁それじゃあ、頼りになるデイトロお兄さんはここで失礼しようか
な。二人とも、気が変わったら何時でもうちにおいで。歓迎するよ﹂
どこかに整備士は落ちてないかなぁ、と呟きながら、デイトロさ
んが壁際で何かを話し合っている開拓者の集団に近付いて行く。次
の仕事先を決めるための情報収集をするらしい。
芳朝が肩を叩いてくる。
﹁お金は持っているから良いけど、組み立てるならそれなりに広い
場所が必要になるし、工具類も買い揃えないといけないね。家でも
借りる?﹂
女の子と二人暮らしは魅力的な提案だったが、いかんせん時期と
場所が悪い。
﹁デュラの連中がまだ俺たちを狙ってるかもしれない。対策を立て
るまでは宿で暮らそう﹂
﹁対策って言っても、何があるの? 護衛でも雇う?﹂
相手が金を持っていない以上護衛を買収されることはないと思う
けど、俺が護衛との仲を悪化させる可能性が高いので却下する。
一口に開拓者といっても、リーゼさんたち開拓団〝竜翼の下〟や
デイトロさん率いる回収屋のような人間的に良くできた人たちばか
りではないのだ。金に目がくらんで後ろから襲われないとも限らな
い。
それに、精霊獣機を真似されるのも避けたかった。有用かどうか
も未知数だが、俺と芳朝が開拓者として有名になるためのキーアイ
175
テムである以上、出し抜かれる事態は避けたい。
﹁魔術で防犯できるように何か考えてみよう。応用すれば野宿する
ときにも役に立つだろうし﹂
﹁分かった。マッピングの魔術式を弄って索敵の魔術式にしてみる
よ。範囲内に動く者がいれば警報を鳴らすような魔術にしてみる﹂
簡単そうに言って、芳朝が紙の端にペンを走らせる。
実際、芳朝にとっては簡単なのだろう。
芳朝が開発したマッピングの魔術式は精霊人機の持つ遊離装甲を
維持する魔術式をベースに構築したもので、指定された空間内に魔
力の力場を張り、空間内のあらゆる物体を遊離装甲として仮定して、
魔導核を中心としたX,Y,Z座標を割り出し、モニターに表示す
る魔術だ。
この魔術を連続使用して、事前にモニターに表示した物体の位置
とのズレを読み取ればマッピングならぬサーチの魔術式に変貌する。
さらに、サーチの魔術式が刻まれた魔導核に近い場所で位置ずれ
が起こった場合に警報を鳴らせば、簡易警報器の完成だ。
とまぁ、俺でも手順くらいならばわかるのだが、それを魔術式に
しろと言われるとお手上げだ。魔導核の設定を行う整備士ならば造
作もないのだろうけど⋮⋮。
芳朝が索敵の魔術式を書いている間に代行業務の係員と話をする。
精霊人機の部品である魔導核や指のパーツなどをいくつか購入す
ることに決めて、値段を計算する。
﹁⋮⋮意外と魔導核が安いな﹂
開拓団〝竜翼の下〟で整備方法を教わっていた時に聞いた魔導核
の値段よりも一割近く値下がりしている。元が非常に高価な物なの
で、一割の値下げが非常に大きい。
176
精霊人機の魔導核は大型の魔物が稀に体内に発生させている魔力
袋を加工して作るため安定供給が難しい代物だ。ごく稀に中型魔物
から得られることもあるというが、大概は品質が見合わない。
簡単に値下がりするものではないだけに一人首を傾げていると、
係員が教えてくれた。
﹁最近になって、ガロンク貿易都市に魔導核が持ち込まれるように
なったんですよ。それで魔導核に余裕が出ているんです。まぁ、今
だけだと思いますけどね﹂
﹁軍や国が買い取って量を調整しないんですか?﹂
魔導核の使い道はいくつもあるが、高品質な物となると精霊人機
へ使われることを避けるために国が制限を掛けそうなものだ。
魔物に対する兵器としての認識が強い精霊人機だが、数が揃えば
革命だって起こせるだろう。
係員さんは首を横に振った。
﹁出回っている魔導核のほとんどはコンロで火を起こすのに使うよ
うな、魔術式を二つか三つ同時起動するのがせいぜいの粗悪品です。
まぁ、精霊人機に使える魔導核を砕く必要がなくなったので、こう
して価格に影響が出ていますけどね﹂
﹁それじゃあ、高品質の魔導核の供給量自体は変わってないという
事ですか?﹂
﹁例年より多いのは確かですけど、それだけですね。去年や一昨年
はいくつかの開拓団が本格的な活動をしたので、魔物の討伐数も多
かったんです。結局のところ一番多くの魔物を討伐したのは軍で、
防衛拠点ボルスに駐留している雷槍隊ですね。私、雷槍隊のファン
なんですよ﹂
話が逸れそうだったので軌道を修正しつつ、俺は魔導核を予備も
177
含めて四つ買う事にした。もっとも、半分は芳朝が代金を払うから、
俺が買うのは実質的に二つだけだ。それでも結構な出費である。
﹁若いのにお金持ちですね﹂
係員さんが驚いているが、俺の資金もそろそろ底をつきそうだ。
もともと開拓学校への入学金その他のために渡されたお金で、精霊
人機の部品を買うのは予定外だったのだから。
俺も芳朝に倣って何か発明した方が良いかもしれない。一応構想
はあるが、この世界で実現できるだろうか⋮⋮。
購入のための書類を提出して、代金の二割を払う。物が届いてか
ら、残りの八割を払えばよいとの事だった。
品物が着いたら知らせてくれるとの事で、俺は芳朝と一緒に席を
立ってギルドを出る。
﹁人通りの多い道を行こう﹂
そろそろ俺たちが帰って来た事をデュラの人々も嗅ぎつけている
はずだ。
尾行に注意しながら二人で歩く。
回収依頼に出発した前と比べると、町からギスギスした空気が消
えているように見えた。
料理屋を覗き見ても、デュラからの避難民らしき人影がない。
人が減った理由は、宿の主人が教えてくれた。
﹁近くの開拓地が人手不足だとかで、デュラの避難民が送り込まれ
たんですよ。ギルド側としても町で問題を起こされる前にどこかよ
そへ追いやりたかったんでしょうな﹂
詳しく話を聞くと、どうやら開拓団〝竜翼の下〟が依頼を受けて
178
駐留している新規の開拓地に畑を広げる労働力としてギルドが派遣
したらしい。
戦闘技能が無くてもお金を稼げるうえに、働き次第では開拓した
土地を貰って暮らすこともできる待遇に加え、防衛依頼に定評のあ
る開拓団が駐留しているとあって、デュラの避難民が我も我もと群
がったようだ。
金目当てで襲われるんじゃないかと身構えていた俺たちは拍子抜
けしたが、それでも町に残っている避難民もいるとの話を聞いて気
を引き締める。
鍵を受け取って二階に上がり、部屋に入る。借りっぱなしの部屋
には荷物がちゃんと残っていた。
﹁芳朝の作っている警報の魔術式が完成したらガレージ付きの家を
借りて精霊獣機を作り始めよう﹂
了解と返事して、芳朝がベッドに寝転がる。
魔術式を書きつけた紙をベッドの上に広げているところから察す
るに、寝ころびながら魔術式を開発するようだ。
俺も開発するとしよう。
魔術式の教科書を開いて、俺は圧空の魔術式に手を加えてからと
ある銃の開発を始めた。
これが終わり次第、ようやく精霊獣機の開発に取り掛かれるのだ
と思うと、設計図を描く手にも力が入った。
179
第十六話 プロトタイプ
デイトロさんたち回収屋と帰還してから一か月が経とうとしてい
た。
鳥の囀りに起こされて、俺はベッドを出る。
着替えを済ませて一階に下りると、先に起きていた芳朝が白いコ
ーヒーもどきを飲んでいた。
﹁おはよう﹂
﹁おはよう。新聞は外か?﹂
﹁うん。取ってきて﹂
﹁了解﹂
玄関に足を向けかけた時、芳朝に呼び止められた。
振り返ると、カップを軽く持ち上げている。
﹁赤田川君の分も淹れようか?﹂
﹁頼んだ﹂
﹁頼まれた。愛とミルクと砂糖、どれを入れる?﹂
﹁どうせ愛はセルフサービスだろ﹂
その返しはどうかと思うな、と肩を竦めて芳朝がキッチンへ向か
った。
俺は改めて玄関に向かう。
芳朝と借りたこの家はガレージ付きの二階建てだが、一階のほと
んどのスペースがガレージで占められている。リビングとキッチン
は一階にあるが、二階部分に居住スペースが偏っていた。
その代わり、ガレージ内は外に音が漏れにくい構造でかなりの広
180
さがあり、特殊な間取りのせいで借り手もいない事から相場よりも
かなり安く借りることができた。
玄関を出て通りに面したポストから新聞を取る。
一面記事を覗くと、今年も出生率低下、の文字が見えた。
﹁文化や産業が発達すると出生率って低下するもんなのかな。まぁ、
この場合は関係ないか﹂
欠伸を噛み殺して家の中に戻り、リビングで芳朝からコーヒーも
どきを受け取る。
﹁愛を囁いておいたよ。熱い気持ちを注いで抽出した、とびっきり
ディープな奴﹂
﹁今度から注ぐのはお湯だけにしてくれよ﹂
ドリップコーヒーもどきの深い苦さに顔を顰めて、ソファに腰を
落ち着ける。コップがやけに重い。
いつの間にか、二人きりの時は日本語で会話をするのが当たり前
になっている。
テーブルに置いた新聞の一面記事を覗いた芳朝が﹁またこの報道
やってるんだ﹂と呟いた。
どうやら世界的な出生率低下が起きているらしい。四十年以上前
から観測されていて、特にここ数年は出生率は低下が著しい。
この出生率低下は人間に限らず、あらゆる動物、魔物にも当ては
まる。
まぁ、俺にとってはどうでもいいけど、国のお偉方にとっては人
口減少につながるゆゆしき事態なのだろう。
芳朝が新聞を広げてバランド・ラート博士殺害事件に関する報道
記事を探す。
事件から早くも一カ月を過ぎている事もあって、話題は風化して
181
いる。報道記事もめっきり減った。
﹁あ、容疑者が絞り込めたみたいだよ﹂
芳朝が広げた新聞の端を指差した。
こぶし大の小さな記事にはバランド・ラート博士殺害事件の続報
として、容疑者ウィルサムが新大陸へ逃亡した可能性が高いと書か
れていた。
﹁精霊教徒の犯行か。研究者は大変だな﹂
容疑者ウィルサムは熱心な精霊教徒だったとの証言が載っている。
精霊を信仰する彼らは精霊を研究対象にするバランド・ラート博士
が憎くて仕方がなかったらしい。
この世界には写真がないため、どこまで当てになるかもわからな
い似顔絵が記事に載っている。
似顔絵を見る限り、犯行現場になった宿の階段ですれ違ったのは
この男だ。
バランド・ラート博士の足跡を追う以上、どこかで遭遇する機会
があるかもしれないと思い、俺はいつも通り新聞を切り抜く。
俺が新聞記事を切り抜き始めたのを見て、芳朝がスクラップ帳を
持ってきてくれた。
記事を切り抜く俺の横でコーヒーもどきを飲んでいた芳朝がガレ
ージの方を見る。二重扉を隔てたガレージを透かし見るように目を
細めた。
﹁いよいよ、起動実験だね﹂
緊張をはらんだ芳朝に頷き返す。
今日は精霊獣機プロトタイプの起動実験を行う予定なのだ。
182
二週間前に届いた精霊人機のパーツと、それまでにギルドの整備
施設を借りて弄り倒した魔導核、更にいくつかのパーツは俺が自作
してまで組み上げたプロトタイプだ。まだ外装さえ装着していない
骨組みのようなものだが、既に愛着のようなものがある。
今日は動作のテストを行い、問題がなければ各部の耐久テストを
行う予定だった。
﹁あまり気負う必要はない。失敗してもやり直しがきくからな﹂
切り抜きをスクラップ帳に収めた後、白いコーヒーもどきを飲み
干して立ち上がる。
ガレージとの仕切りになっている二重扉はリビング側が木製、ガ
レージ側が鉄製となっている。
鉄製の扉を開けると、一段低い石の床に足を下ろす。
この家の施工主は魔導工学の研究者だったらしく、ガレージも元
は研究室を兼ねていたようだ。施工主はすでに大工業地帯であるラ
イグバレドに引っ越していて、研究資材が残されていたのも助かっ
た。
研究室を兼ねていただけあって広々としたガレージの中央に精霊
獣機のプロトタイプが寝そべっていた。
形としてはやせぎすの超大型犬、ボルゾイやサルーキに近いサイ
トハウンドの特徴を持っている。体高一メートル半、頭までを含め
ると二メートルになる。体長は二メートルにわずかに届かない程度。
肺の位置に魔導核と蓄魔石があり、保護するために肋骨状の柵を
設けてある。四肢は体に比べると太さが強調されるが成人男性の太
ももと大して変わらない太さだ。魔力を流すための魔導鋼線が網目
状に張り巡らされた足は骨格に当たる丈夫な鋼鉄の棒にいくつもの
バネが筋肉の代わりに取り付けられている。
筋肉代わりに使っているバネはほとんどが精霊人機の手に使用す
る物と同じで、互換性を持たせるために調節するのに苦労した。魔
183
力を流すことで急速に伸び縮みさせる事ができる魔導合金性のバネ
は需要が多いおかげか性能の割に安価なのはありがたい。
﹁最終点検に入ろう。芳朝は魔導核を頼む﹂
すっかり魔導核のスペシャリストとなっている芳朝に得意分野の
点検を頼む。俺でも一応できるのだが、芳朝の方が早くて正確だ。
俺は各部品の噛み合わせなどを確かめて、先に点検を終えた芳朝
と共に壁際に退避する。
起動を開始すると、蓄魔石から魔力を供給された魔導核が魔術式
を光らせる。
精霊獣機プロトタイプの起動を確認、動作テストに入る。
プロトタイプは腹這いの姿勢から四肢の関節を軋ませながら立ち
上がった。予想以上に耳障りに響く関節の軋みに眉を寄せて、芳朝
が紙に注意点を書き込む。
﹁重量を測った方がいいな。重量軽減の魔術式が正常に機能してな
い可能性がある﹂
俺は重量計を持ち出してプロトタイプの前に置き、壁際に戻って
操作する。
プロトタイプはよく訓練された犬のように重量計の上に乗り、お
座りした。
重量計の目盛を見る。
﹁やっぱり、理論値よりも重たいな。数値を読み上げるから、メモ
してくれ﹂
芳朝が数値をメモしたのを確認して、プロトタイプを重量計から
下ろし、魔導核を停止させる。
184
メモした数値を睨んで腕を組む芳朝の隣から覗きこんで原因の検
討を始めた。
﹁ちょっと逆算してみようか。各部の重量と魔術式による重量の軽
減率を掛けた物を足していけばいいわけだから﹂
事前に測ってある部品の重量と軽減率を踏まえた式を組み立て、
魔術式が正常に発動した際の理論値を求める。
実測値と理論値との差が各部の倍数ではない事から、重量軽減の
魔術は発動しているようだ。
ならば、魔術の発動個所に問題があるのではないかと考えて、プ
ロトタイプを点検する。
原因はすぐに明らかとなった。
﹁足だな﹂
﹁重量軽減の魔術の適用範囲と足の位置がずれてたんだね。一昨日、
足の長さを調節してクッション性を高めた時に計算を間違ったみた
い﹂
原因を特定したところで、芳朝がさっそく魔導核に刻まれた魔術
式に手直しを加える。
芳朝が作業している間に、俺はプロトタイプの足関節を見直す。
先ほどの起動時に鳴った軋みが気になったのだ。
関節部の摩耗を測るために分厚く塗っておいた塗料の様子を見る。
﹁関節じゃないのか⋮⋮﹂
塗料の剥がれ方を見る限り、理論値以上の負荷がかかったように
は見えない。重量軽減の魔術が正確に発動していなくとも、関節部
に余裕を持たせていたおかげで摩耗は避けられたらしい。
185
しかし、関節が音の原因でないのなら、どこが軋んでいたのだろ
うか。
原因が魔導鋼線とスプリングの接続部にあると分かるまで小一時
間ほど使い、修正にさらに小一時間かけた。
﹁再起動する﹂
﹁よし、行け、プロトタイプ君、略してプロトン﹂
哲学者みたいな愛称をつける芳朝に苦笑して、プロトンを起動す
る。
先ほどの軋み音が嘘のように音もなくスっと立ち上がったプロト
ンに感動しつつ、重量を測る。
緊張の面持ちで目盛を覗いた芳朝が口を開く。
﹁理論値通り、完璧だよ!﹂
﹁よっしゃ﹂
芳朝とハイタッチを交わし、動作テストのためのランニングマシ
ンを運んできてプロトンを乗せる。
まずは歩行のテストだ。
プロトンを挟んだ向こう側に高さを測るための目盛を用意して、
歩行時の上下動の幅を確認する。乗り心地はもちろん、騎乗して銃
器を扱う際の狙いの付けやすさにも影響する重要な項目の一つだ。
とはいえ、今日はあくまでも動作テストなので実際に騎乗はしな
い。テスト項目でこの歩行を取り入れたのは各部の消耗のしやすさ
を見るためだ。
四足歩行の動物には、斜対歩と側対歩という二つの足の運び方が
ある。
斜対歩は斜めの足同士、右前脚と左後脚、左前脚と右後脚を対に
して動かす足の運び方、側対歩は片側の足同士、右前脚と右後脚、
186
左前脚と左後脚を対にして動かす足の運び方だ。
側対歩は胴体のひねりを加える必要がないため、動物の場合は疲
労が少ない歩き方とされている。このため、犬を模したプロトンも
側対歩を採用している。
ランニングマシンの上をゆっくりと歩くプロトンは上下動こそ少
ないが前後の動きが激しい。歩幅の調整をした方がよさそうだ。ま
た、足を浮かせている間の体幹バランスも気になる。
﹁ある程度速度が出ていないと横転しそうだな﹂
﹁歩行時は斜対歩で、加速したら側対歩にしてみる?﹂
﹁魔導核のリソースをそんなことで消費したくないから、姿勢制御
の魔術式を強化した方が良くないか?﹂
相談の上、姿勢制御の魔術式を強化する事で対応する事に決め、
次の動作試験に移る。
歩行からそのまま走行に切り替えるだけだ。
最高速度や加速性能を見るためのテストであると同時に、脚部の
負担や魔力の消費量など確認すべき項目は多岐にわたる。
実際に速度を上げていくと、脚が滑り始めた。金属製ながら爪も
装着してグリップ力を上げているにもかかわらず、着地時に足が滑
っている。
転倒する前に速度を落として、芳朝と共に原因を究明する。
本物の動物とは異なり体重の移動や爪への力の掛け方などが疎か
になりがちで滑りやすいと予想していたが、まさかここまでとは思
わなかった。
足裏に溝をつけ、足の接地面積を増やすなどの対応を行ってから、
地面を蹴る時に爪が地面に食い込む様に角度の調整を加えた。
再度ランニングマシンの上を走らせてみる。
﹁マシになったか?﹂
187
﹁プロトンはこれでいいけど、私達が乗ることになる機体はもっと
対策が必要になるね﹂
﹁戦闘中に転倒したらシャレにならないからな﹂
やはり実際に動かしてみないと分からない事は多々あるものだと
実感しながら、紙の項目を埋めていく。
﹁このまま耐久実験に移ろうか﹂
﹁そうだね。朝ごはんを作って来るから待ってて﹂
芳朝が二重扉を開けてキッチンへ姿を消す。
俺はプロトンの耐久テストを行いながら、ふと思いついて端材を
用意する。
﹁これで良し﹂
プロトンとカタカナで書かれた手のひら大のプレートに鎖を通し
て、俺は出来栄えに満足する。
やっぱり、愛犬にはドッグタグが必要だと思うんだ。
188
第十七話 ギルドからの依頼
プロトンの動作実験を行ってからさらに二か月を経て、俺と芳朝
は得られたデータをもとに精霊獣機の作成をほとんど終えていた。
精霊人機の部品は取り寄せれば二週間ほどで送られてくるため、
互換性のある精霊獣機の完成も早かった。
体長七メートルを超える精霊人機とは違って、精霊獣機は三メー
トルに満たない事もあり、たった二人でも十分に人手は足りていた
のも大きい。人手が足りないからといって誰かを雇う伝手も器量も
ないから助かった。
そして、各種点検や動作テストを終えた精霊獣機は今日、町の外
での野外試験を行う︱︱予定だった。
﹁まったく、なんでギルドに呼び出しなんてされなくちゃいけない
のよ⋮⋮﹂
芳朝が不満そうに唇を尖らせる。
そう、野外試験を行う予定だった今日に限って、ギルドからの呼
び出しを受けたのだ。
どうも、年に一度の会費の支払期限が近付いているらしい。要は
督促状が送られてきたのだ。
俺と芳朝が金を持っている事を知っているからか、ギルドも催促
に余念がない。高価な精霊人機の部品をこの三カ月で次々購入して
いるし、芳朝の開発したマッピングの魔術式も特許をこの町で取っ
ている。
俺の発明品も特許登録してあり、微々たるものだが継続収入が入
ってきていた。
デュラからの避難民の中には早くも支払目途が立たずに職員と相
189
談の上、どこかの開拓団に紹介されて下働きを始めている者もいる
らしい。断るとギルドから除名されて職を失うから、紹介というよ
りは強制労働のようなものだ。
この制度を悪用する開拓団も存在し、死亡率が高くなる傾向にあ
るという。
開拓者のほとんどは身寄りがない者達で依頼中に死亡しても自己
責任が基本だ。慰謝料を請求されることはない。
精霊人機の随伴歩兵は死亡率が高く成り手も少ないため、この制
度で紹介された開拓団では随伴歩兵として扱われる場合が多い。
ギルド側も会費の滞納に対する抑止力としてみているため、際立
って死亡率が高い場合を除いて紹介する開拓団を選り好みしない。
もっとも、ギルドの姿勢を批判する声もあるようだ。
相も変わらずラブなホテルにしか見えないギルドの建物に入る。
何度か精霊人機の部品を発注するために訪れているおかげで一々気
まずくなることはない。
芳朝が目頭をもんだ。
﹁太陽が眩しかった﹂
﹁人を殺すなよ﹂
芳朝は肩を竦めた。
﹁とっくの昔に私は死んだ﹂
﹁お前の前世の自室は老人ホームだったのかよ﹂
高校卒業後半年で死んだくせに。
俺と芳朝の姿を見つけて、精霊人機の購入を代行する係員さんが
走ってくる。
この三カ月、俺たちはギルドに来るたびに精霊人機の部品を発注
していたから、今日も同じだと思ったのだろう。
190
駆けつけてきてくれたのに申し訳ないけれど、部品は足りている。
会費を払いに来た事を伝える。
﹁他の職員は手が離せないので、わたしが承ります。どうぞ、こち
らのテーブルにいらしてください﹂
係員さんに案内されてテーブルにつくと、すぐに会費を支払い、
領収書をもらう。
わざわざテーブルに座るまでもなかったな、と思いながら立ち上
がろうとすると、係員に押しとどめられた。
﹁お二人にお願いしたいことがありまして⋮⋮﹂
﹁俺たちに?﹂
開拓者としての活動実績がほとんどない俺たちにギルドがまとも
な頼み事などするだろうか。
俺たちが警戒したことに気付いたのか、係員さんが苦笑した。
﹁事情からご説明いたします﹂
﹁その説明を聞いた後にお断りしても構わないのでしょうか?﹂
警戒心剥き出しの質問になってしまったが、係員さんは気分を害
した様子もなく頷いた。
断れるなら良いか、と安心して説明をお願いする。
係員さんが言うには、近くの開拓地へ物資を運ぶから護衛を頼み
たいらしい。
﹁できれば、断らないでいただきたいのですが⋮⋮﹂
﹁届け先は?﹂
191
という俺の質問に帰って来た地名は、開拓団〝竜翼の下〟が駐屯
している開拓地だった。
道は舗装されておらず、物資を運ぶ馬車の速度を勘案すると一日
半掛かるらしい。
﹁魔導車は使わないんですか?﹂
精霊人機の整備や運搬に使う魔導車で物資を運べば、馬車よりも
早く目的地に着けるはずだ。
しかし、係員さんは首を横に振った。
﹁車両は数が少ないですから、護衛として参加する開拓団の車両以
外は今回の依頼に随行しません﹂
﹁そうですか﹂
ここ最近の精霊獣機作りを通して蓄魔石に魔力を溜める大変さを
知った身としては、魔導車を増やせとも言いにくい。
それに、デュラの二の舞とならない様に魔導車よりも精霊人機を
増産すべきだろう。
だが、俺たちに護衛を頼むというのは理解できない。それが大事
な物資ならなおさらだ。
﹁デイトロさんたち回収屋の皆さんから、俺たちが戦闘で役に立た
ないと報告されてはいませんか?﹂
剣術の才能はまるでなく、魔術も人並み程度。しかも体力がない。
護衛という戦闘力が重視される依頼に俺たちを紹介するからには、
何らかの裏事情がありそうだ。
係員さんが苦虫をかみつぶしたような顔になる。
192
﹁度々精霊人機の部品を買っていただいているお得意様にこんなこ
とを頼むのは心苦しいのですが⋮⋮﹂
本当に言いにくそうに係員は口ごもり、声を落とす。
﹁お二人には目的地で怪我人の振りをしていただきたいのです﹂
﹁⋮⋮は?﹂
意味が分からない。なぜ、開拓地で働いている人たちの士気を落
としかねない怪我人の振りをしなくてはいけないのだろうか。
困惑する俺をよそに、芳朝が何かに気付いて、ため息を吐いた。
﹁つまり、開拓地で不満を溜めている元デュラの住人に、嫌われ者
の私が怪我をしている様子を見せて、自分たちはまだマシだ、と思
わせたいんですね。ついでにほかの護衛もいる中で怪我人が出てい
る事から開拓地周辺が危険だと思わせて脱走を防ぎたい、とかそん
なところですか?﹂
あぁ、そういう事か。
芳朝の言葉で納得して、係員さんを見る。
気まずそうに冷や汗を流しながら、係員さんは視線を逸らした。
俺はギルド内を見回す。
さっきは係員さんの言葉を信用して他の職員の動きなど見ていな
かったが、暇そうな職員が何人かいるようだ。
今回の頼みにくい依頼を切り出すために、この三カ月で最も俺た
ちとの接点が多いこの係員さんを当てたのだろうか。
もしもそうなら、そろそろ潮時だろう。
﹁本当に申し訳ないです。帰ってきたら、食事をおごりますので、
どうか受けていただけませんか?﹂
193
係員のこの言葉が決め手だった。
俺は首を横に振る。
﹁食事をご一緒するほど仲良くないですから、結構です﹂
﹁そ、そうですか﹂
がっくりと首をうなだれる係員を見てから、この依頼を受けるか
芳朝に横目で問う。
﹁どっちでもいいよ。赤田川君もそろそろこの町から出たいでしょ
う?﹂
﹁最後に依頼を受けるのもいいか。実戦テストもしたいし﹂
﹁確かに、実戦テストにはいい機会かもね﹂
芳朝の賛同も得られたので、俺はうなだれたままの係員に声を掛
ける。
﹁依頼を受ける前に、参加する人たちについて教えてください。演
技ではなく本当に怪我をするのは嫌なので﹂
﹁主力はデイトロさんたちです。他には三人のグループで活動して
いる開拓者の方々が四つ、全部で十二人ですね。いずれの方も五年
以上の実績がありますので、実力は申し分ないかと思います﹂
﹁⋮⋮俺たちを連れ出すためにデイトロさんたちに頼んだんですか
?﹂
﹁いえ、さすがにそこまではしませんよ。たまたまこちらに来てい
らしたので声を掛けたんです。精霊人機を持っている開拓団で、物
を運ぶ実力もありますから﹂
回収屋として有名になるくらいなのだから、危険地帯での物資輸
194
送も大丈夫という判断だろうか。
馬車を使う時点で速度が大幅に落ちるから、デイトロさんたちの
長所である足の速さが死んでいるのだけど、ギルドは理解していな
いのかもしれない。
とはいえ、団員を大事に扱うデイトロさんが受けた依頼なのだか
ら、安全マージンは十分に取っているとみるべきだろう。
依頼を受けることにデメリットはない。
﹁分かりました。その依頼をお受けします﹂
係員がほっとしたような顔をする。
俺たちの気が変わる前に話を進めたいのか、すぐに書類を出して
きた。
出発は十日後、報酬額に少し色を付けてもらうよう交渉してから、
署名する。
十日あれば精霊獣機の野外テストを行って調整も可能だ。
﹁いやもう、断られたらどうしようかとハラハラしましたよ﹂
係員が書類を片付けながら言う。
﹁開拓地からの脱走者が出てるんですか?﹂
﹁出てからでは遅いんですよ。脱走者だってその後の身の振り方を
考えてますから、資金を持ち逃げしたり、武器を持っていったり、
酷い時には精霊人機を奪おうとして暴動を起こすんです。その後は
まっとうな職に就けるはずもなく野盗に成り下がったりして、ギル
ドは討伐のために開拓者へ依頼を出して無駄な出費ばかりかさむ事
に⋮⋮。あぁ、今の愚痴は聞かなかったことにしてください﹂
日ごろから練習してるんじゃないかと疑いたくなるほどすらすら
195
と愚痴っておいて、いまさら忘れろとは無茶を言う。墓の下から這
い上がって来世でも覚えておいてやろう。そうして彼の子や孫に伝
え聞かせるのだ。情報を漏らすことの愚かしさとして、きっと彼の
子孫にとって良い反面教師となるだろう。
部品の購入を代行してもらって度々お世話になっているからやら
ないけど。
俺たちが怪我人の振りをする事情を他の参加者に説明しておいて
くれるよう頼んでから、俺たちはギルドを後にする。
早く帰って精霊獣機の野外テストをしたい。
早足で借家へ帰り、ガレージに向かう。
三か月前は広々としていたガレージも、今はやや手狭になってい
た。
理由はガレージに安置された大型犬型の精霊獣機プロトンと二機
の精霊獣機だ。
一機は俺の専用機であるシカ型の精霊獣機ディア。全体的なカラ
ーリングは白だが、脚の先と角は黒で塗ってある。
体高は一メートル半、体長は二メートル半とヘラジカ並みの大き
さに加えて目を引くのは頭部から胴体の半ばまでを覆い隠すように
伸びる巨大な二本の角だ。
この角はいわば盾であり、背中に乗る俺が体を伏せれば完全に身
を隠すことができる。加えて、上部にはいくつもの窪みがあり、狙
撃銃の銃架としての機能を果たす。首には反動を軽減する機構を備
えているため、騎乗したまま狙撃銃をぶっ放しても俺への負担は全
くと言っていいほどない︱︱予定だ。
さすがに町中で対物狙撃銃をぶっ放すほど俺も世間知らずではな
いため、まだ試射は行っていない。
もう一機は芳朝の専用機であるヒョウ型の精霊獣機パンサー。こ
ちらは全体的に黒だが、脚の先と尻尾は深紅の塗装が施してある。
体高は一メートル、体長は二メートルと少し、実際のヒョウと比
べると一回り大きい程度だが、尻尾が扇形をしているのが特徴的だ。
196
扇形の尻尾はパンサーに組み込まれた魔導核に刻まれている索敵
の魔術式と連動しており、後方からの攻撃を自動的に弾く機能を持
っている。また、金属製でできているうえに先端部に出し入れ可能
な刃がついているため、それ自体が武器にもなる。
出し入れ可能なのは爪も同じだ。四つの足全てに組み込まれた強
靭で鋭い爪は対象を切り裂く以外にも木を上り下りする際にも使用
できる。まだ野外テストで確認していないからスペック上の話では
あるが、芳朝を乗せたままでも重量軽減の魔術により木の枝に乗る
ことも可能だ。
俺の専用機であるディアに比べて機動力があるパンサーだが、重
火器の使用にはあまり向いていない。反動が大きすぎる銃はパンサ
ーの背に寝そべるようにして、耳を銃架として使用する必要がある。
首が短いため反動もあまり殺せない。
どちらも一長一短だが、それこそが専用機の専用機たるゆえんだ
ろう。たった一人の操縦者に合わせ、他を顧みない一途さ。汎用性
なんて無粋な物はドブに捨てろ。反論は許さん。
﹁さて、十日以内に最終調整だ。余裕を持って終わらせないとな﹂
俺は芳朝と一緒に二機の精霊獣機の野外テストに出かけた。
197
第十八話 精霊獣機の評価
物資輸送依頼の出発日、俺と芳朝は張り切って集合場所へ向かっ
た。
二機の精霊獣機には腹部に収納スペースが存在する。最低限の工
具類に加えて旅に必要な物も二機に振り分ければギリギリで収まっ
た。
精霊獣機の操作には精霊人機と違って魔力の経路を繋ぐ必要がな
い。蓄魔石から供給される魔力によって常時起動状態の精霊獣機の
各部に対して、首の付け根に埋め込まれたレバー型ハンドルで指示
を出すのだ。
精霊人機は手や指の動きなどの細かい動作ができないと話になら
ないため魔力経路を繋いで操縦せざるを得ないが、精霊獣機は武器
を持つ手がそもそも存在しない。足に関しても小型魔物を踏みつぶ
すなどして転倒する可能性がある精霊人機よりも最初から這いつく
ばっている分だけ安定している。
ディアの上に乗って通りを進む。乗り心地は最高だ。上下の揺れ
を感じないまま滑るように道を進んでいると、動く歩道にでも乗っ
ているような気分になる。
芳朝に至っては愛機であるパンサーの上で本を読んでいる。騎乗
したまま長時間文字を追っていても酔わないのだから、乗り心地の
良さは自動車の比ではない。
三か月もの間、苦労した甲斐があったという物だ。
⋮⋮周りの視線さえなければ、気分よくいられただろうに。
俺たちの開発した精霊獣機はこの世界の人々に非常に受けが悪か
った。
この十日間、ほぼ毎日野外テストのために町中でも乗り回してい
たが、直接文句を言われた事こそないものの嫌悪の表情を何度も向
198
けられた。
振り返ってみれば、バランスの悪い人型の精霊兵器しかこの世界
にはなかった理由についてもっと考察するべきだったのだ。
だが、意見を聞けるような親しい相手もいないため、俺たちはこ
うして嫌悪の視線を浴びながら集合場所に向かっている。
﹁芳朝、なんで平然としていられるんだ?﹂
﹁慣れてるもの。いまさら睨まれたくらいで動じないよ﹂
﹁そんなこと言ったって⋮⋮﹂
俺は落ち着かない気分で周囲に視線を走らせる。
露骨に顔を顰める人がいた。舌打ちしてすれ違う人もいた。
こんなものに慣れることができるのだろうか。
芳朝が俺の背中に手を当て、微笑みかけてくる。
﹁私がいるのに、何を心配する必要があるの? この状況は赤田川
君にとっても嬉しいはずじゃない﹂
芳朝の言う通り、友人など作りようのない今は俺にとって楽な環
境だ。
だが、それは逃げでしかない。
今世がすでに台無しだったとしても、これからを諦めるには早す
ぎる。そう考えて、芳朝を説得した俺が逃げていいはずがない。
それでも、この前世の記憶が消える目途が立たないうちは、踏み
出せない一歩だった。
芳朝がいるのだから今のままでもいいじゃないかと、楽な方に逃
げたくなる。
だから俺は、集合場所に先に来ていた商人たちから向けられる嫌
悪の目にもほっとして、同時に罪悪感を覚えた。
今回の依頼で護衛する開拓者たちの指揮を執る回収屋ことデイト
199
ロさんが俺たちを見て一瞬眉をしかめた。
デイトロさんでもダメか、と諦念と安堵が同時に湧き上がる。
俺たちが合流すると、商人たちがぎょっとしたような顔をして、
直後に嫌そうに顔をそむけた。
デイトロさんが頭を掻きながら歩いてくる。
﹁久しぶりだね。それで、君たちの乗っているそれはなんだい?﹂
よくぞ聞いてくれた。
﹁精霊人機を俺たち仕様に改造した、精霊獣機です﹂
﹁改造って言ったって、原形を留めてないじゃないか﹂
デイトロさんは突っ込みをいれながらも、俺の愛機であるシカ型
精霊獣機ディアの周りを一周して観察する。
﹁しかし、精霊人機の改造版か⋮⋮。固定観念を崩されているから
か、どうにも嫌な気持ちにさせられる。君たちは乗っていて、違和
感や嫌悪感が湧かないのかい?﹂
﹁えぇ、まったく﹂
なぁ、と同意を求めると芳朝は深々と頷いた。
﹁むしろ愛着があるから、貶すつもりなら戦争も辞さない﹂
﹁物騒だなぁ。デイトロお兄さんの首を取っても自慢にならないと
思うけどね﹂
デイトロさんは自身の首を撫でて、芳朝のヒョウ型精霊獣機、パ
ンサーを眺める。
200
﹁⋮⋮やっぱり駄目だ。なんだろう。デイトロお兄さんも良く分か
らないけど胸がむかむかしてくるんだ﹂
﹁勝手にむかむかしてればいい。有用性は私たちが証明する﹂
﹁以前から思っていたんだけど、デイトロお兄さんはもしかして嫌
われてるのかい?﹂
眉を八の字にしてデイトロさんが上目使いに見てくる。成人男性
にやられても嬉しくない仕草だ。
そっと目を逸らすと、デイトロさんは肩を落とした。
人の汗と涙の結晶たる精霊獣機を貶した罰だと思っていただこう。
俺はディアの頭を撫でる。
﹁俺たちは魔導銃での狙撃や援護を主に行うつもりです。この精霊
獣機の実戦投入は今回が初めてなので成果は保証できません。です
が、今回の依頼で俺たちに求められてる役割は開拓地で怪我人の演
技をして脱走者を出さないようにすることなので、戦闘力が無くて
も問題はないでしょう?﹂
﹁デイトロお兄さんの信条は話してあったよね。死なないでくれよ
?﹂
﹁機動力だけはあるので、いざとなったら真っ先に逃げる事にしま
す﹂
それも困るなぁ、とデイトロさんは苦笑した。
護衛依頼を受けた他の開拓者もやって来たので、配置についての
簡単な会議を行った後、出発となった。
俺たちの位置は先頭を切るデイトロさんたちの後ろ、護衛対象で
ある商人たちの前だ。
銃を使う俺たちを正面に配置するよりも後方で精霊人機の援護要
員として活躍してほしいとの事だった。
俺と芳朝が剣術も魔術も実戦レベルでは使えない事を知っている
201
デイトロさんらしい配置だ。
町を出発して最初の一日は整備された道を進む。
﹁後ろから視線が刺さるな⋮⋮﹂
振り返らずとも嫌悪の視線を向けられているのが分かる。
配置についての会議で精霊獣機に関する簡単な説明をしたのだが、
どうしたわけか誰もが嫌な気持ちになっていた。
影響がないのは俺と芳朝くらいのものだ。
芳朝も精霊獣機がここまで受け入れられなかったのは予想外だっ
たらしく、不機嫌に口を尖らせていた。
﹁みんなして嫌って⋮⋮。私のパンサーを何だと思ってるのよ﹂
芳朝がパンサーの頭を撫でる。ガレージで尻尾の長さをミリ単位
でこだわって、塗装も二日悩んだ会心作を嫌われたのがよほど不満
らしい。
﹁それにしても、なんで嫌われるんだろうな﹂
デイトロさんもそうだったが、他の開拓者も精霊獣機を嫌う理由
を説明できなかった。しいて言うなら、生理的に受け付けないらし
い。
俺と芳朝には共感できない理由だ。こんなにカッコいいのに。特
に俺のディアなんて白を基調とした塗装に二本の角の黒が際立った
シックな凛々しさを兼ね備え、もはや神々しいくらいだというのに。
﹁文化の違いかもね﹂
﹁俺たちの価値観はベースが日本だしな﹂
202
万物に神が宿る文化でなければこの神々しさは伝わらないのだろ
う。付喪神文化を根付かせる必要があるのか。
﹁この世界の価値基準だと、根底にあるのは精霊信仰か?﹂
俺たちが足跡を追っているバランド・ラート博士を殺害したとい
うウィルサムも、精霊を信仰していたらしい。
信仰の深浅はあるにせよ、この世界の人々は精霊を信仰している。
魔術の行使に必要な精霊は、人間が生身では到底太刀打ちできな
い魔物が蔓延るこの世界では神に等しい。精霊が存在しなければ人
間は絶滅していたのだから当然なのかもしれない。
同時に、この世界の人々は動物に対する愛情が希薄だ。
どうやら、ほとんどの動物が魔術を使えない事から、誰でも魔術
が使える人間を上位存在と考えている節がある。
犬猫をペットにしているのはこの世界でも同じで、人間こそが至
上だと声を大にして主張する者こそ少ないが、この世界の人々は多
かれ少なかれ人間至上主義のきらいがあった。
﹁精霊と関係が深い魔術を獣型の兵器を動かすために使っているの
が気にくわないのかもしれないな。魔導核を使っているから精霊抜
きで動いてるって説明しても多分無駄なんだろう。精霊獣機で人助
けでもすれば見方を変えてくれるかもしれないな﹂
﹁活躍するしかないって事ね。でも、今回はあくまでも実戦におけ
るデータ収集だと割り切った方が良いと思うの。功を焦って怪我を
してもつまらないでしょう?﹂
﹁演技する手間が省けるけどな﹂
﹁私は嫌よ。あの人たちを喜ばせても何にもならない。見下したり、
利用したりすることしか考えてないあの人たちのためになんで私が
怪我しないといけないの。努力の方向性を間違い過ぎて後ろを見て
る﹂
203
今日の芳朝の機嫌はかなり悪い。家を出た時はお披露目会だとば
かりに上機嫌だったのが嘘のようだ。女心は秋の空。方向性という
意味では彼女の心も十分迷走している。
方向音痴を自負する俺は余計なことを言わないよう口を閉ざした。
道中に戦闘は一切なかったため、予定よりも早く野営地に着いた。
テントを張る者、馬車の荷台に横になる商人、整備車両で寝るデ
イトロさんたち。皆それぞれに野営の仕方があるようだ。
そして、俺と芳朝の野営方法が一番おかしかった。
デイトロさんが俺たちを見て言葉選びに苦慮して、結局こう評価
した。
﹁独特だね⋮⋮﹂
俺たちの野営方法はシンプルだ。
シカ型精霊獣機ディアの角に布を引っかけ、布の対辺をヒョウ型
精霊獣機であるパンサーの尻尾に引っかける。これだけでテントの
屋根が完成する。後はテント屋根の下、精霊獣機の背の上で二人仲
良く寝転がるだけだ。
精霊獣機はどちらも二メートルを超える体長を有しているため、
背中で横になっても余裕がある。金属製なので硬いが、寝袋を敷け
ばさほど気にならない。
なにより、かさばりがちで荷物が増える要因になりやすいテント
の骨組みを持ち運ぶ必要がないのは非常にありがたい。
﹁布を張って寝袋を敷いたら完成なんて、とても便利だと思いませ
んか?﹂
﹁便利なのはわかるんだけど、整備車両なら布を張る手間さえいら
204
ないじゃないか。デイトロお兄さんには理解できない世界だなぁ﹂
デイトロさんも意外と頭が固い。
芳朝がテントの布を中からめくり、俺を手招く。
﹁早くおいでよ。一晩中抱きしめてあげるから﹂
﹁やめてくれ。芳朝の寝相の悪さを考えると投げ飛ばされそうで怖
い﹂
ディアもパンサーも犬の芸で言うところの〝伏せ〟の姿勢だが、
それでも高さは八十センチほどある。落ちるとそこそこ痛い高さだ。
デイトロさんが腕を組んで納得したように頷く。
﹁そうか。その狭さなら密着する大義名分を得られるのか。整備車
両だと味わえない利点だね﹂
無論、そんな意図で設計してはいない。
だから芳朝、わざとらしく頬に手を当てて恥ずかしそうな演技を
するな。本当に質の悪い奴だな。
デイトロさんが俺の背中を強く叩いて親指を立てる。
﹁君もなかなか隅に置けないね。デイトロお兄さん、見直しちゃっ
た﹂
﹁再評価を強く求めます﹂
そもそも、ディアの角が簡単な仕切りのようになるから密着なん
てできないんだけど。
俺の説明も聞かず、デイトロさんは後ろ手を振って整備車両へ去
っていく。
205
﹁明日の分の体力を残して早めに寝るようにね﹂
無駄なアドバイスをありがとうございます。
206
第十九話 二人の精神的な引き籠り
朝になり、各々で朝食を摂った後で出発となる。
ここから先は整備が行き届いた道ではなく、雑草と木を払っただ
けの簡素な道だ。適当な仕事ぶりが道のど真ん中に度々残された切
り株から読み取れる。
精霊獣機に乗る俺たちにとっては全く問題のない道だが、馬車に
乗っている商人たちや車両を使っているデイトロさんたちは対応に
苦慮していた。
自然とスピードが落ちてしまうが、それも込みで日程が立てられ
ているため予定に遅れは出ていない。
俺はのんびりとシカ型精霊獣機ディアに揺られながら四苦八苦す
る商人や回収屋を眺めていた。
ぬかるみにハマった馬車を救い出すため、整備車両にロープを繋
いで引っ張っている。
隣で芳朝が欠伸を噛み殺した。
﹁こうしてキャラバンを組んでいると精霊獣機の使いやすさが分か
るね﹂
﹁積載量の問題もあるから一概には言えないけど、踏破性は群を抜
いてるよな﹂
精霊獣機に乗っている身としてはじれったくて仕方がないが、徒
歩で護衛している開拓者たちにとってはちょうど良い小休止になっ
ているようだ。
馬車がぬかるみから脱出したその時、芳朝が乗るパンサーが唸り
声を上げる。
芳朝が太もものホルスターから素早く自動拳銃を抜いた。
207
銃身が長い鈍色の自動拳銃はやや重たいが安定した命中率を誇る
高威力の銃だ。
芳朝が銃を抜いたのを見て、開拓者たちがどよめく。
﹁何か来ます。注意してください﹂
芳朝が警告しても、開拓者たちは怪訝な顔をするだけだ。
しかし、俺は芳朝が警戒する理由を知っている。
俺が肩にかけていた対物狙撃銃を下ろした時、今度は俺の愛機で
あるディアがドアの軋むようなびぃーという鳴き声を発した。
﹁決まりだ。中型クラスの魔物が来る﹂
精霊獣機はあくまでも魔導工学の産物であり、動物とは違う。
ディアやパンサーの鳴き声の正体は芳朝が借家に仕掛けていたの
と同じ警報機だ。
俺はスコープを覗き込み、森の中に目を凝らす。
﹁⋮⋮いた。やや左後方にゴライアが一体。ゴブリンはここからだ
と草が邪魔で確認できない﹂
四メートルほどの人型の魔物が森の中を見回すように歩いてくる
のが分かる。距離はおよそ八百メートル。気付かれるのは時間の問
題だ。
﹁仕留められる?﹂
﹁距離があるから無理だな。当たると思えない﹂
俺の報告を受けてようやく魔物を認識した開拓者たちが動き出し、
ゴライアの襲撃に備える。
208
デイトロさんが精霊人機に乗り込む直前、俺のディアに一瞬鋭い
視線を向けていた。
他の開拓者も同じようにディアやパンサーを一瞥する。
まだ精霊獣機に嫌悪感があるらしい。
﹁いい加減、腹立ってきた﹂
﹁ゴライアが一体だけなら仕留めちゃいなよ。前衛の開拓者さんも
いる事だし、よく狙って撃てるでしょ﹂
俺は頷いて、対物狙撃銃をディアの角に乗せる。
市販されている中では最大射程を誇り、ほとんどの中型魔物に対
して効果があるとされる対物狙撃銃だ。五発入りの弾倉をすでに装
着してある。
火薬の代わりに銃に組み込まれた魔導核で小規模な爆発を起こす
魔導銃は機構内での爆発に耐えられるよう頑丈に設計されていてか
なり重たい。
俺はディアの首の付け根にあるレバーを引いて頭の高さ、角の高
さを調節する。それだけで騎乗したままでも楽に狙撃姿勢を取れる
ようになった。
開拓者たちに気付いたゴライアが森を掻き分けて走ってくる。そ
の姿をスコープ越しに確認しながら、俺は狙いを定めた。
ゴライアが開拓者たちを間合いにおさめ、その長い腕を振りかぶ
る。
同時に、開拓者たちが間合いを詰めるべく一気に駆けだす。
両陣営がぶつかる寸前に、俺は引き金を引いた。
引き金を通して魔力が吸い取られ、魔導核が刻まれた魔術式を光
らせる。
直後、爆発音が響き、ディアの首が発砲の反動を相殺するために
縮まった。ディアに騎乗せずにいまの俺の姿勢で撃とうとすれば確
実に肩を痛めるほどの反動だが、ディアの首の反動相殺機能のおか
209
げで俺に衝撃は届かない。
わずかに跳ねたスコープ越しに覗くと、ゴライアが怯んでいる。
振り下ろされようとしていたゴライアの左腕から血が噴き出して
いた。
怯んだゴライアに開拓者たちが殺到し、剣や槍がいくつもの線を
描く。
抵抗らしい抵抗もできないまま、ゴライアが体中から血を流して
倒れ込み、開拓者の一人がゴライアの首を刎ねて、あっさりと戦闘
は終了した。
ゴライアが連れてきたゴブリンが逃げ出そうとするが、追いかけ
た開拓者に次々と仕留められていく。
戦闘は終了とみて、俺は対物狙撃銃を肩にかけ直してディアの首
を点検する。
﹁⋮⋮首に異常はなし。反動相殺もできていたし、ある程度は連射
できそうだな﹂
高威力の銃を反動無しで連射できると分かった以上、次の戦闘が
あれば中型魔物に二、三発撃ちこんで倒すこともできるだろう。
初戦闘にしては十分な成果だ。よくやったな、ディア。
俺がディアの頭を撫でていると、芳朝がパンサーの頭に両肘を突
いて前かがみになる。
﹁出番なかった⋮⋮﹂
﹁この人数でゴライアとゴブリン数体だけが相手なんだから、芳朝
の出番はなくて当たりまえだろ﹂
芳朝の装備は中型魔物を相手にするには分が悪い。
ため息を吐いた芳朝が何かに気付いて口を閉ざす。
芳朝の視線を追って振り返れば、開拓者たちが精霊獣機を気味悪
210
そうに見つめていた。
﹁⋮⋮役に立っても扱いは変わらないみたいね。もっと活躍しない
とダメかな﹂
芳朝が日本語で呟いた。
俺以外に聞かせるつもりはないからだろう。
精霊人機から降りたデイトロさんが俺を手招いている。
ディアのレバー型ハンドルを操作してデイトロさんに向かって歩
かせると、芳朝も後ろからついてきた。開拓者たちの好意的とは言
えない視線に芳朝一人を晒したくはないから、俺は少し速度を落と
して芳朝が隣に並ぶのを待つ。
デイトロさんが腰に手を当てて俺の対物狙撃銃を指差した。
﹁驚いたよ。中型魔物を撃ち抜ける魔導銃なんて撃ったら肩が外れ
るんじゃないかって、デイトロお兄さんなりに心配してたんだけど、
杞憂だったね﹂
﹁精霊獣機で反動を軽減できますから﹂
﹁あぁ、やっぱりそれの首が関係してるんだね﹂
それ、とデイトロさんがディアに視線を移す。
デイトロさんは頭を掻きながら小さく唸った。
﹁有用なのは理解したけどね⋮⋮﹂
デイトロさんは自身の感情に納得がいかない様にため息を吐き出
す。
﹁もう何も言わないよ。理解できない物だと割り切った方が精神衛
生上もよさそうだ。自分でもこんなに頭が固いなんて思わなかった。
211
デイトロお兄さんがデイトロおじさんになる日も近いかな﹂
すぐに出発するよ、と言い置いて、デイトロさんは整備車両へ歩
いて行った。
言葉通りにキャラバンはすぐに動き出す。
その後開拓地の近くまで戦闘らしい戦闘はゴライアの襲撃が一回
だけで、あとは稀にゴブリンに出くわす程度だった。ゴライアにし
ろゴブリンにしろ、護衛の開拓者があっさり倒してしまったから、
俺と芳朝の出番はない。
それでも警報の魔術があるおかげで不意打ちを受けない事には感
謝された。
開拓地の近くで包帯を腕に巻きつけた俺と芳朝は他の開拓者たち
と口裏合わせをしてから開拓地に入る。
開墾したばかりの畑が広がる村だった。
畑の枚数に比べると家の数が明らかに多く、人口も比例するよう
に多い。キャラバンが運んできた物資の中には食料品も多く含まれ
ているから、飢える事はないのだろう。
ギルドから補助金も出ているだろうし。
開拓村の住人はデュラの出身者も多い。ほとんどは開拓が終わり
次第村を出ていくらしいが、中には定住を決めている者もいるとギ
ルドで聞いている。
﹁それにしては、あまりいい雰囲気とは言えないな﹂
ギスギスとした空気が蔓延して、村人の顔には覇気がない。
デュラからの避難時に見かけた人々が不満たらたらで木の伐採を
していた。
よくよく観察してみると、デュラからの避難民グループと開拓村
グループでわかれていて、互いに言葉をかけあう事さえしていない
ようだ。
212
デュラの避難民グループに斬り倒された木が倒れる音が響くと、
開拓村グループがうんざりしたような顔を向ける。
﹁倒すときは危ないから声を掛けろって言ってるだろ﹂
﹁ヘイヘイ、分かってますよ﹂
デュラの避難民はいい加減に返事をして舌打ちする。
この三か月、こんな態度をとり続けていたのなら開拓村が二分さ
れるのも当然だろう。
俺が横目で見ると、芳朝は肩を竦めた。
﹁デュラは新大陸でも最初期からある町で交易港としても栄えてい
たから、住人たちのプライドが高いのよ﹂
それで開拓村の人たちを根拠もなく見下していて言う事を聞かな
い、と。
﹁最悪だな、それ﹂
呆れていると、避難民グループが俺と芳朝に気付いたようだった。
精霊獣機に嫌悪の視線を向けた後、乗っているのが俺と芳朝だと
気付いて露骨に嫌そうな顔をする。しかし、俺たちの腕に巻かれた
包帯に気付くと見下す様に顎を上げた。
ここまで分かりやすいとポーカー勝負でも吹っかけて有り金を巻
き上げてやりたくなる。
開拓村の奥へ進んでいくと、村長だといういかにも働き盛りな三
十代の髭男が二人の男女を伴ってやってきた。
護衛のようについてきている男女のうち、女性の方は開拓団〝竜
翼の下〟副団長リーゼさんだ。俺と目が合うと静かに黙礼する。
キャラバンの商人が村長と話し始めると、手持無沙汰になったリ
213
ーゼさんともう一人の男性がこちらにやってきた。
﹁ドラン、久しぶりじゃないか!﹂
デイトロさんが腕を大きく広げて男性に駆け寄る。
ドランと呼ばれた男性は苦笑しながらデイトロさんの抱擁をすら
りと躱した。
﹁デイトロは相変わらずみたいだな﹂
旧知の間柄らしい二人を遠巻きにしていると、リーゼさんが芳朝
とパンサーを見比べて顔を顰める。
﹁その妙な乗り物は何ですか?﹂
﹁精霊人機を私たちが乗れるように改造した、その名も精霊獣機で
す﹂
精霊人機の整備方法を教えてもらった時にリーゼさんとも仲良く
なっているからか、笑みを浮かべて芳朝がすらすらと説明する。デ
イトロさんにもした説明だから淀みがない。
﹁精霊獣機⋮⋮﹂
険しい顔でパンサーを見ていたリーゼさんは、最終的に腕を組ん
でため息を吐いた。
﹁なぜ、このような気持ちの悪い物を作ったんですか?﹂
﹁き、気持ち悪い⋮⋮﹂
その評価は俺でもへこむぞ。
214
芳朝がすっと無表情になった。
﹁人が作った物を理由も告げず一方的にただ気持ち悪いと言っての
けるリーゼさんの精神性こそ気持ち悪いです﹂
芳朝が返す刀でリーゼさんを両断する。
まさか芳朝に言い返されるとは想像していなかったのだろう、リ
ーゼさんが怯んだ。
精霊人機の整備方法を学ぶために〝竜翼の下〟で学んでいた時も、
芳朝は人当たりが良かった。団員と距離を置いていた俺と対比して、
芳朝は人を遠ざけるような性格ではないとリーゼさんは過大に判断
していたのだろう。
だが、リーゼさんは芳朝の地雷を踏み抜いている。
確かに芳朝は自分から人を遠ざけようとはしない。本質的には寂
しがりな人間だ。
芳朝は今までの人生で努力を評価されず、自身を評価されず、自
分は他の人にとって取るに足らない存在だと突きつけられてきた。
そんな芳朝が〝努力して〟作り出した精霊獣機を、リーゼさんは
こともあろうに気持ち悪いと〝評価した〟のだ。
反発されて当然なのだが、芳朝の前世はもちろん半生さえ知る由
のないリーゼさんでは真の意味で何がいけなかったのかを知る術が
ない。
芳朝に反発された理由が分からないまま、リーゼさんは動揺で震
える指先でパンサーを指差す。
﹁理由も何も、気持ち悪い物は気持ち悪いでしょう?﹂
同意を求められても頷けるはずがない。俺にとってパンサーはカ
ッコいい。扇形の尻尾はカッコいいというより可愛い感じがしない
でもないけど。
215
芳朝は呆れたのか面倒くさくなったのか、ため息を吐いて顔をそ
むけた。
﹁理解できないならそれでもかまわないけど、貶す以外の言葉がな
いのなら口を閉じていてください﹂
芳朝からの明確な拒絶を受けてリーゼさんは戸惑ったように視線
をさまよわせ、俺に目を留めた。
﹁⋮⋮壁の内側に引き込んだまま放さないつもりですか﹂
﹁必ず壁の外側へ出てくるなんて思う方が傲慢ですよ?﹂
いつかの仕返しがてら言い返すと、リーゼさんはむっとした顔を
した。
しかし、芳朝が反応を示さない以上俺に何を言っても無駄だと考
えたのか、リーゼさんは背を向けて歩き出す。
デイトロさんたちの会話に加わるリーゼさんの背中を見送って、
俺は芳朝を見る。
すでにリーゼさんは眼中にないのか、芳朝はパンサーの頭に手を
置いて空を見上げていた。
まるで世界に蓋をしたような曇天を見上げたまま、芳朝が日本語
で呟く。
﹁きっと、私たちはこの世界の人たちから見ると生理的な嫌悪感を
抱くくらいずれてるんだろうね﹂
﹁仮にそうだとしても、俺が芳朝に向ける感情や芳朝が俺に向ける
感情には無関係だろ﹂
この言葉に何の意味もないことは分かっている。
壁の内側で完結することが芳朝にとっても俺にとっても良くない
216
事だから、こうして転生した理由について探ることにした。
だから、壁の内側をいくら肯定しても俺たちは前に進めない。
﹁やっぱり、私は赤田川君がいればそれでいいよ﹂
芳朝が笑いかけてくる。
その言葉が妥協の産物だという事に、芳朝は気付いているのだろ
うか。
きっとその言葉は他ならぬ芳朝自身が言われたくない言葉である
はずなのに。
﹁ねぇ、赤田川君﹂
芳朝は笑みを浮かべたまま小首をかしげる。
﹁町に帰ったら、開拓者の登録書類にあったニックネームの欄に前
世の名前を記入しない?﹂
そんな後ろ向きな提案をよりにもよって今するのか。
﹁卑怯だな﹂
﹁⋮⋮断る?﹂
芳朝の笑みに一瞬寂しさの色が滲んだことに気付いて、俺は空を
仰いだ。
﹁断らないさ。精霊獣機が受け入れられなかったんだから﹂
﹁そう言ってくれると思った﹂
芳朝はパンサーの上で晴れ晴れとした顔をした。
217
翌々日、港町に帰還した俺、コト・ファーグは登録書類に前世の
名前である赤田川ヨウの名を記載する。
同時に、芳朝もこの世界の名前を捨て去るように芳朝ミツキと前
世の名前を記入した。
発音しにくそうにしている職員さんを無視して、俺は芳朝と手を
繋いでギルド館を後にした。
世界が一瞬で狭まったような実感があった。
218
第一話 二人の嫌われ開拓者
姿勢を低くしてディアの黒い角に身を隠しながら、俺は森の中を
最高速で走り抜けていた。
ディアの鋼鉄の角と頭は木々の小枝をへし折り、軽やかな鋼鉄の
脚は藪を飛び越え、組み込まれた魔導核に俺が刻んだマッピング魔
術の応用である障害物認識の魔術により木の幹や岩を素早く避けて
いく。
俺の耳を撫でていく風は轟々と唸りを上げて後方へ抜け、風に揺
れた枝葉のざわめきが俺を追いかけてくる。
びぃ、とディアが索敵魔術による警報を鳴らす。
魔物が近い証拠だ。
俺は肩にかけていた対物狙撃銃を下ろし、ディアの黒い角を銃架
に見立てて狙撃姿勢をとる。
ディアに騎乗したままでも、狙いが大きくぶれる事はない。前後
の揺れがあるため慣れるまでは狙撃姿勢をとったまま走らせるのは
恐怖感が勝ったが、今では慣れたものだ。
森の奥に光が見える。
木々の葉に遮られて減じたそれとは違う直射日光が当たるその場
所に、今回の討伐依頼の対象であるサーベルタイガーに似た魔物レ
イグがいた。
レイグが俺に気付いて前傾姿勢をとる。
しかし、レイグが飛び掛かって来る前に俺はディアを操作して方
向を左に転換、右の角を銃架として構えていた対物狙撃銃の引き金
を引いた。
前傾姿勢をとっていたレイグの右後ろ脚の付け根に着弾、肉と血
を飛び散らせて大きくえぐる。
右後ろ脚に力が入らなくなり、レイグは前傾姿勢の状態からバラ
219
ンスを崩してうつ伏せになる。
俺は右手で銃を構えたまま、左手でディアの首の付け根にあるレ
バーハンドルを操作する。
レイグを中心にしてディアは右回りに円を描き始める。
半周ごとに一発づつレイグに銃弾を浴びせ、三発目でその場を離
脱した。
すでにレイグは死にかけているが相手は魔物だ。意識がある限り
は喰らいついてくる。
二百メートルほど距離をとって反転した俺はディアの足を止めて
対物狙撃銃の弾倉を交換する。
四発の銃弾を浴びたレイグは満身創痍ながらも何とか立ち上がろ
うとしている。体高二メートルほどと、小型魔物の中では比較的大
きい部類だけあって頑丈だ。
対物狙撃銃のスコープを覗き込み、レイグの頭に狙いを定める。
闘志を燃やすレイグの瞳と睨み合いながら、俺はとどめの引き金
を引いた。
眉間を打ち抜かれたレイグが力を失って倒れ込む。
しばらく観察して絶命したのを確認して、俺はため息を吐いた。
﹁対物狙撃銃だってのに、なんで五発まで耐えるんだよ。人間なら
軽くミンチだってのに﹂
ディアを前進させてレイグの横に乗りつけ、右前脚を確認する。
黒い斑点が三つあった。
﹁やっぱりこいつが〝三つ黒〟か﹂
新大陸中で家畜を襲っては食い殺していたレイグ、目撃証言から
右前脚に黒い斑点が三つあると分かった事から〝三つ黒〟と呼ばれ
るこいつは賞金まで掛けられていた。
220
討伐の証明として右前脚を切り取り、ついでに腹を掻っ捌く。
臓器を確認すると青みがかった光沢を放つ拳大の器官があった。
﹁魔力袋があるってことは魔術で身体強化をしてたんだな。タフだ
と思ったらそういうからくりかよ﹂
一発で足を吹き飛ばせるはずだったのだが、どうやら魔術を使っ
ていたらしい。
魔力袋を取り出して右前脚と同じ袋に入れ、水魔術で手を洗った
俺はディアにまたがった。
空を見上げて時間を計るとまだ昼前のようだ。
﹁早く帰って芳朝の手料理でも食べるか﹂
他に作ってくれる相手もいないし。
呟いて、ディアを加速させた俺は、依頼で滞在中の村に帰る。
木々を抜け、ぐんぐんと加速していくディアに合わせて角の裏に
身を隠す。
兵器故に痛みなど感じるはずもない鋼鉄のシカであるディアは小
枝を折る音を奏でながら森を走る。
精霊獣機の機動力をいかんなく発揮して、俺はすぐに村へ到着し
た。
村の入り口で警戒に当たっていた芳朝が俺に気付いて手を振って
いる。
﹁赤田川君、終わった?﹂
﹁あぁ、五発も撃たされたけど、何とか仕留めた﹂
村の入り口をくぐり、芳朝と並んで中へと入る。
小型魔物の侵入を防ぐ程度にしか役にたたない木の柵に囲まれた
221
村は人口百三十人ほど。四十人規模の開拓団が駐留して護衛にあた
っているから、この村の現在の人口は百七十人だ。
人口規模の割にかなりの数の牛や豚、鶏が飼育されている。飼料
を他所からの輸入に頼っているとの事だった。
それだけに、家畜を狙う悪名高きレイグ〝三つ黒〟はかなりの脅
威だったらしい。
もっとも、脅威の〝三つ黒〟は今日死んだのだから、この村にも
束の間の平和が訪れる事だろう。
どうせ、第二第三の〝三つ黒〟が生まれるまでの短い平和だが、
楽しんでもらいたいものだ。
いつも通り俺と芳朝の乗る精霊獣機に嫌悪の目を向けてくる村人
を眺めながら、そう思った。
﹁赤田川君、お昼は何が食べたい?﹂
﹁カルボナーラ﹂
村の家畜小屋に視線を向けつつ芳朝に答える。
芳朝は愛機であるヒョウ型精霊獣機パンサーの腹部を撫でて難し
い顔をした。
﹁⋮⋮ペンネでもいい?﹂
﹁大丈夫だ、問題ない﹂
﹁どっちに取ればいいのか分からなくなる紛らわしいセリフはやめ
ようよ﹂
そんなつもりじゃなかったんだけどな。
﹁ペンネでもいいよ﹂
﹁なら作るよ。この村なら材料もすぐに買えるだろうし﹂
222
芳朝がパンサーを降りて財布を持ち、材料の買い出しに向かう。
パンサーを降りたのは、乗ったままだと買い物する際に商人から
白い目で見られ、酷い時には値段を吊り上げられるからだ。
俺はパンサーの操縦をディアと連動させる。本来は乗り手が怪我
をするなどで操縦できなくなった時に使用するものだ。
村長の家の前に到着すると、先に誰かが呼びに走ったらしく村長
が開拓団の団長を護衛にして待っていた。
三十代の後半に差し掛かったくらいの、首が太いおっさん村長は
俺を見て眉を寄せる。
﹁討伐したのか?﹂
﹁しましたよ。これが証拠です﹂
討伐証明である三つの黒い斑点が浮かぶレイグの右前脚を渡すと、
村長は念入りに確認して鼻を鳴らす。
﹁そのようだな。念のため、死骸を確認したい。こちらの開拓団で
は発見さえおぼつかなかった〝三つ黒〟と本当に同じ個体か疑わし
いのでな﹂
疑り深い村長に討伐した場所を教えると、すぐに開拓団の団長が
仲間を呼びに走った。
報酬は死骸を確認してからとの事で一時村長と別れた俺は、芳朝
と一緒に野営している村はずれに向かう。
芳朝はすでに買い物を済ませて俺を待っていた。鍋にぐつぐつと
お湯を沸騰させ、ボウルに削ったチーズや生クリームを混ぜていた。
﹁おかえり。いいチーズが買えたよ﹂
ホールで売りつけられたけど、と芳朝は肩を竦める。
223
芳朝が精霊獣機を乗り回しているところを商人が覚えていたらし
く、足元を見られたとの事だった。
﹁村長は何だって?﹂
﹁本当に〝三つ黒〟かどうか疑ってたよ。今、開拓団が死骸を確認
してる﹂
開拓団では発見さえおぼつかなかったそうだが、俺は半日で発見
と討伐をしてのけたから、疑うのは無理もない。
ただ、俺と芳朝には精霊獣機に組み込んだ索敵の魔術があるため
発見は容易だった。
さらに言えば、森の中で随伴歩兵と行動せざるを得ない精霊人機
よりも、精霊獣機は単独で動ける分かなり早い。精霊人機に比べて
静穏性も高く小柄なため、警戒心の強いレイグに見つかって先手を
打たれる心配も少ない。
だから、俺たちが〝三つ黒〟の発見と討伐を高効率でこなすのは
当然だ。
芳朝がパンサーの腹部にある収納スペースからペンネを取りだし、
鍋に放り込む。すでに塩は入れてあるのだろう。
﹁また信用してもらえなかったんだね。これで依頼何件目だっけ?﹂
﹁七件目だ。依頼主は全部違うけど、精霊獣機に乗っているだけで
心証を害してるみたいだな﹂
これでも、精霊獣機を開発してからの俺たちは依頼を失敗した事
が無いのだが、生理的な嫌悪感を抱かせるという精霊獣機に乗って
いるだけでだれにも信用されない。
俺と芳朝は精霊獣機が無ければ開拓者としての活動ができないの
で、一刻も早く偏見をなくしたいところだ。
ペンネを鍋から出した芳朝がカルボナーラソースの中に投入して
224
混ぜ合わせ、皿に盛る。
俺はディアを伏せの体勢にした後、二本の角の上に板を置いて簡
単なテーブルを作る。
皿に盛ったカルボナーラをテーブルの上に置いて、芳朝と一緒に
手を合わせた。
﹁召し上がれ﹂
﹁いただきます﹂
芳朝が良いチーズというだけあって、くどさがない風味豊かなチ
ーズがペンネに絡み、とても食べやすい。
﹁芳朝ってなんだかんだとスペック高めだよな。元引き籠りの癖に﹂
﹁赤田川君だって料理できるでしょ。ザ男料理だけど﹂
なんだよ、ザって。
食事を続けていると遠くから足音が聞こえてきた。
振り返れば苦い顔をした村長と開拓団の団長が歩いてくる。
﹁死骸は確認できましたか?﹂
﹁⋮⋮あぁ、確かに〝三つ黒〟だ。報酬を払おう﹂
団長が悔しそうに舌打ちしている横で、俺は村長から報酬を貰う。
といっても、ギルドに持って行って引き換えてもらうための割符だ。
芳朝に渡すとパンサーの中に割符を放り込んだ。
食事に戻ろうとして、まだ村長と団長がいる事に気が付く。
﹁まだ何か用ですか?﹂
つい突き放すような言い方になってしまって、俺は誤魔化すため
225
に咳払いする。
芳朝が警戒するように二人を見て、パンサーの頭に手を置く。
村長が俺と芳朝を順に見た後、精霊獣機を見て眉をひそめた。
﹁今日中に村を出て行ってもらおう。依頼は済んだのだから、用が
ないのはそちらも同じだろう?﹂
﹁ずいぶんと急ですね﹂
依頼を受けたのは俺たちの判断だが、用が済んだからといって追
い出されるのも納得がいかない。
村長は精霊獣機から視線を逸らした。
﹁あまり見ていて気持ちの良い物ではないのでね。ここは小さな村
だ。村人の気持ちを最優先に判断を下すのは私の務め。だから、君
たちには即刻出て行ってもらいたい﹂
村長の言い分に、俺は芳朝と顔を見合わせた。
またか、という気分だ。
﹁昼食を終え次第、出発させてもらいます﹂
﹁早めにしてもらおうか﹂
言われなくとも、こんな村に長居は無用だ。
帰って行く村長と団長を見送って、俺は食べ残していたカルボナ
ーラに向かい合う。
﹁いい加減、マッカシー山砦に入れる依頼を見つけたいね﹂
芳朝の言葉に頷く。
俺と芳朝が転生した秘密を探る上でのキーを握っていただろう、
226
今は亡きバランド・ラート博士。
精霊研究の第一人者にして軍属の魔術師、そしてなぜか民間の組
織である開拓者ギルドにも登録していた彼のあやふやな経歴を思い
出す。
港町デュラの開拓者ギルドで見つけたバランド・ラート博士の足
跡の中でも異彩を放っているのが軍事拠点であるマッカシー山砦へ
の二年間の滞在記録だ。
マッカシー山砦でバランド・ラート博士が何をしていたのかが分
かれば、彼が軍属の魔術師として新大陸で活動していたのか、それ
とも民間組織である開拓者ギルドの構成員として活動していたのか
が分かる。その後の足跡をたどる上でも重要な情報になるはずだ。
だが、国が管理する軍事施設であるマッカシー山砦へ入る依頼と
いうのはなかなか見つからなかった。
それもそのはず、民間の武装組織であり開拓地に絡む諸々の利権
を国と奪い合っている開拓者ギルドの構成員を軍事組織に入れよう
とは普通、思わないからだ。
だからこそ、バランド・ラート博士の経歴のあやふやさが際立っ
ているのだが、足跡を追う身としてはたまったものではない。
一応、物資輸送の護衛などで依頼が入ることもある。港町デュラ
が人型の大型魔物であるギガンテス率いる魔物の群れに陥落してし
ばらくは、精霊人機をデュラ周辺の町や村に送り出して防衛を固め
ていたため戦力が不足し、物資輸送の護衛依頼もあった。
だが、デュラが陥落して半年以上が経った今では本国がある旧大
陸からの増援もあり、護衛依頼はめっきり減ってしまった。
芳朝が最後のペンネにフォークを突き刺し皿の上をぐるりと一周
させてソースをからませる。
﹁あ、そういえば、私もうすぐ誕生日だ﹂
芳朝がソースの絡んだペンネを見つめて呟き、上目づかいに俺を
227
見てくる。
長い髪と同じ黒いまつ毛が瞳に影を作って憂い顔に見える。
﹁誕生日プレゼントが欲しいなぁ﹂
﹁話を戻してもいいか?﹂
﹁いけず!﹂
芳朝がペンネを口に含んでそっぽを向き、空になった皿を持って
水魔術で洗い始める。
﹁話を戻してもどうせ何も決めようがないでしょ。いいじゃん、誕
生日の話をしたって。この世界で最後に祝ってもらってからもう五
年くらい経つんだよ﹂
﹁あぁ、分かったからへそを曲げるな。誕生日は何時だ?﹂
﹁いいよ、もう﹂
完全にへそを曲げたらしい。
ほとぼりが冷めたらもう一度聞くとしよう。
228
第二話 キリーの依頼
﹁あれが噂の⋮⋮﹂
﹁まだガキじゃねぇか﹂
なし崩し的に拠点にしている港町のギルド館に入ると、ここ最近
で増えてきた陰口が今日も耳に入ってくる。
﹁俺たちも有名になったな﹂
﹁悪目立ちっていうのよ﹂
俺に訂正を入れながら、芳朝はギルド館の中を見回す。
﹁なんか、人が多い気がしない?﹂
﹁そういえばそうだな。二割、いや、三割増しか﹂
まだ昼前という時間帯を考えると依頼が早めに終わって報告に来
た集団とも違うようだ。
俺と芳朝を見つけて、精霊人機の部品購入を代行する係員がやっ
て来る。
いつの間にか、俺と芳朝の担当はこの係員で決まっていた。
困り顔に愛想笑いを混ぜ込んだ器用な表情でやってきた係員にテ
ーブルへ案内される。
少し前、開拓村で怪我人の振りをしてデュラの避難民の不満を和
らげる依頼を切り出す役割をした係員だが、今は関係性が微妙に異
なっていた。
以前は俺や芳朝と接触する機会が多いためにある程度打ち解けて
いると周囲や係員本人も思っていたようだが、今では異端児の扱い
229
を押し付けられた被害者に立場がすり替わっている。
異端児とは、この世界の人々に生理的嫌悪感を抱かせるという精
霊獣機を扱うたった二人の開拓者、つまり俺と芳朝の事。
同情的な視線を周囲から浴びながら、係員は芳朝の手から割符を
受け取り、報酬を用意してくれる。
﹁ここ最近のお二人の活躍は凄いですね。たった二人で中型魔物の
討伐依頼もこなせる人はそういませんよ﹂
お世辞を言われても全然嬉しくない。
なぜなら、このお世辞は次の依頼を押し付けて早くこの町から遠
出させるための枕詞でしかないからだ。
﹁お二人への次の依頼ですが﹂
﹁こちらで選びます﹂
﹁⋮⋮そ、そうですか﹂
報酬が入った袋を掴んで立ち上がると、係員が慌てたように声を
かけてくる。
﹁アカタタワさん﹂
﹁赤田川です。なんですか?﹂
誰だよ。アカタタワさんって。言いやすいじゃないか。悔しい。
﹁あかたたわって⋮⋮あかたタワシさん、みたいな⋮⋮っ﹂
芳朝が腹を抱えて笑いをこらえている。勝手に人を台所用具にす
るな。箸が転んでもおかしい年頃を引きずる転生娘め。
人の名前を間違えておいて、係員は﹁だって言いにくいんですよ、
230
このニックネーム﹂とぼそっと呟く。丸聞こえである。
係員を睨みつけていると、彼は慌てて話を戻す。
﹁近いうちにデュラ奪還作戦の先駆けになる偵察作戦を軍が行うそ
うです。それで、精霊人機の部品がしばらく高騰するかもしれませ
ん﹂
﹁分かりました。教えてくれてありがとうございます﹂
まだ笑い転げている芳朝を引きずって依頼が張り出された掲示板
に向かう。そんなにあかたタワシさんがツボったのか。
﹁いつまでも笑ってんなよ。それより、今の話、聞いてたか?﹂
﹁デュラに偵察部隊が派遣されるって話でしょ。チャンスだよね﹂
芳朝の言う通り、これはチャンスだ。
デュラ周辺の軍事施設といえばマッカシー山砦である。偵察部隊
も結果報告をマッカシー山砦に持ち込むだろう。
上手く偵察部隊に加わってマッカシー山砦に入る事ができれば、
バランド・ラート博士の足跡を追う事ができる。
問題はどうやって取り入るかだ。
俺と芳朝に気付いた開拓者が掲示板から遠のいた。
掲示板を見る限り、偵察部隊と一緒にデュラで仕事をするような
依頼はない。
﹁しばらくは様子見といこうか﹂
﹁そうだね。どうせこの町で待つならスポンジを買いたいな﹂
﹁⋮⋮何から発想したかは聞かないでおこう﹂
﹁えぇ、聞かないの?﹂
残念そうな声ながらも、芳朝はニマニマと笑っている。
231
﹁ほら、いくぞ﹂
誕生日プレゼントはスポンジにしてやろうかな。
そっち系のホテルにしか見えないファンシーなギルド館を出る。
一回建てなおした方が良いと思うのだけど、俺と芳朝以外の開拓者
にはずいぶんとウケが良いらしいから望むだけ無駄だろう。
通りを進んで借家に帰る。
もともと借り手がいない事で有名な家だけあって、精霊獣機の悪
評が広まった今でも金を払っている限りは住んでもいいと家主に許
可を貰っていた。
四日ぶりに玄関に上がり、すっかり慣れ親しんだ家の空気を吸い
込み帰って来た実感を得る。
﹁あぁ、肩が凝った﹂
﹁ジジ臭いよ﹂
俺の事を窘めながらも、芳朝は飛び込む様にソファに寝転がる。
﹁気が休まるねぇ﹂
﹁ババくさ︱︱﹂
仕返しに言い返そうとすると、読んでいたように芳朝がクッショ
ンを投げてきた。
顔面スレスレで受け止めて、投げ返す。
﹁もうすぐ一つ歳をとってまた一歩ババアに近付くんじゃねぇか。
魂が経年劣化するならとっくに婆だけどな﹂
﹁うっさい、じじい﹂
232
クッションの応酬を繰り返して軽いスキンシップを図った後、俺
はキッチンに向かう。
﹁コーヒーいるか?﹂
﹁うん、欲しい﹂
ソファに寝転がったまま芳朝がひらひらと手を振ってくる。
キッチンに常備されている白いコーヒーもどきを入れるためにお
湯を沸かしていると、溜まっていた新聞を読み始めた芳朝が形の良
い細い右足を垂直に挙げて俺に向けて振った。
﹁行儀が悪いぞ。手で招け、手で﹂
シンクロナイズドスイミングかと。いや、オンザソファシンクロ
か。新競技だな。
﹁いま新聞で手が塞がってるの。それより、この記事見てみなよ﹂
芳朝に指差された新聞記事に目を通してみる。
開拓学校の卒業生が新大陸に向けて出発するという記事だ。
新聞から顔を上げてみると、ソファの背に顎を乗せた芳朝が大き
な黒い瞳を輝かせて俺を見ていた。
﹁開拓学校の入試に落っこちた赤田川君には刺激が強すぎたかな?﹂
﹁落ちたおかげで芳朝と会えたんだからそれでいい﹂
﹁ほほぉ⋮⋮前世で何人女の子を泣かせたのかな?﹂
﹁泣くような殊勝な女はいなかったよ﹂
﹁それはそれで気になるなぁ﹂
単純に俺がフラれただけだ。
233
根掘り葉掘り聞こうとしてくる芳朝を無視して、キッチンに戻る。
沸いたお湯で白いコーヒーもどきを淹れていると、二日目の新聞
を読んでいた芳朝が今度は左足で俺を招いた。ズボンが捲れて太も
もまで見えている。太もも、ふくらはぎ、爪先まで綺麗な線を描い
ていた。
オンザソファシンクロ的なポイントは高いな。
いまさら気付いたけど、シンクロの位置がおかしい。
﹁今度は何だ?﹂
﹁開拓学校の卒業生が新大陸で初めて参加する作戦がデュラへの偵
察らしいよ。本来はリットン湖の攻略に参加するはずだったんだけ
ど、駐屯地になってる防衛拠点ボルスへ行く時にマッカシー山砦を
経由する関係で、デュラ偵察任務を押し付けられたみたい﹂
﹁それってあれか。部活帰りに洗剤買ってきてみたいなノリか﹂
﹁どちらかっていうと、大会の会場に行く時に部員全員の飲み物を
買ってクーラーボックスに詰めておけ的なノリかな﹂
元生徒会長兼テニス部部長の芳朝は実体験と思しき例えを持ち出
してきた。
例えはともかく、開拓学校の卒業生がデュラに来るというのは有
益な情報だ。
デュラは開拓学校のある旧大陸とを結ぶ重要な貿易港だが、いま
や大型魔物のギガンテスやゴライア、ゴブリンの集団に占拠されて
いる。ギガンテスの中には〝首抜き童子〟と呼ばれている強力な個
体も潜んでいる。
つまり、直接デュラに船をつけることができないわけで、代わり
の港が必要になるのだ。
デュラから最も近い港は俺たちが拠点にしているこの町にある。
﹁待っていれば偵察部隊の出発に立ち会えるって事だな﹂
234
﹁それもあるけど、開拓学校の卒業生って話だから実戦経験が少な
いでしょう。リットン湖攻略部隊の本体は防衛拠点ボルスにいる雷
槍隊だから、偵察任務に参加する兵力もそんなに多くないだろうし、
この町で開拓者を募集して間に合わせの戦力として使う事もあるか
もよ﹂
芳朝の推測にも一理ある。
それに、この町は開拓者が他の町に比べてやや多い。なぜなら、
デュラの避難民の多くがこの町で開拓者をやっているからだ。
特に最近では近くの開拓村へ派遣されては出戻りを繰り返してい
るらしい。態度が悪すぎて現地の村民と軋轢を生むとの事で評判も
悪い。発端はデュラの避難民の態度だが、最近では開拓村も露骨に
待遇を悪くして追い出しにかかっており、悪循環に陥っていた。
いまならデュラ奪還につながる作戦に進んで参加する開拓者も多
いだろう。役に立つかどうかは分からないが、ギルドも調整するだ
ろうしな。
﹁それじゃあ、偵察部隊を待ってから行動開始という事でいいか。
上手く取り入ってマッカシー山砦へついて行けたなら御の字だな﹂
淹れたての白いコーヒーもどきを持って芳朝が寝転んでいるソフ
ァに腰を下ろす。
芳朝が体を起こし、おねだりするように俺に両手を伸ばしてくる。
﹁ちょうだい﹂
﹁ほらよ﹂
カップを渡して、並んで飲む。
酸味は少ないが深い苦みのある液体が喉に流れていく。苦みの中
に含まれていたわずかな甘みが舌の上ですっと溶けて、苦みを中和
235
した。
嗜好品だから遠出する時には持っていかないこの白いコーヒーも
どきを飲むのが、依頼帰りのお約束になっていた。
しばらくまったりしていると、開けっ放しのガレージとを隔てる
二重扉から芳朝の愛機パンサーの鳴き声が聞こえた。
﹁誰か来たみたいだな﹂
カップをテーブルに置いて立ち上がり、自動拳銃を片手に玄関に
向かう。
玄関の向こうへ射線を確保した時、呼び鈴が鳴らされた。
空き巣の類なら容赦なく撃って捕縛するつもりだったが、どうや
ら無害な訪問者のようだ。
以前、頭の悪そうな男二人組がやってきて、番犬代わりにしてい
たプロトンに制圧されていた事があったため用心したのに拍子抜け
だ。
とはいえ、安心するのはまだ早い。
俺たちの家に訪ねてくる者といえば、せいぜいギルドの職員くら
いだ。しかし、さっきギルドから帰って来たばかりの俺たちに用事
があるとは少し考えにくい。
﹁どちら様ですか?﹂
外に問いかけると、わずかな間を挟んで答えが返って来た。
﹁キリーといいます﹂
返って来たのは意外にも幼い声だった。
聞き覚えのない名前と声に首を傾げて、芳朝を見る。
芳朝は首を横に振った。彼女も知らないらしい。
236
俺は傍らに控えている番犬代わりの精霊獣機プロトンに玄関扉を
開けさせる。
扉の向こうには八歳ほどの女の子が立っていた。
玄関扉を開けたプロトンを見て目を見張った後、女の子は怯えた
ように後ずさる。
我が家の前にほかに人影はない。どうやらこの子がキリーらしい。
﹁プロトン、お座り﹂
声を掛けたところで聞くはずもない。俺はプロトンの右耳を指先
で弾き、スリープモードに移行させる。無論、お座りだ。
キリーが目をぱちくりさせている。
それにしても、やはり見た記憶がない女の子だ。
﹁赤田川君も罪な男ね。私というものがありながら、こんな年端も
いかない娘を知らず知らずのうちに虜にするだなんて﹂
﹁どこから突っ込んでいいのか分からないくらいネタをぶち込むの
はやめろ﹂
﹁もっと丁寧な突っ込みが欲しかったなぁ﹂
知った事か。一応はお客様の前だというのに。
俺は腰をかがめて女の子と目の高さを合わせる。
﹁それで、君、ご用件は?﹂
訊ねると、キリーは俺と芳朝の間で視線を行き来させる。
﹁えっと、町はずれの頭がいい化け物さんのお家って、ここであっ
てますか?﹂
237
何を言ってるのかなぁ、この子は。
まぁ、想像はつくんだけどさ。
﹁君、デュラに住んでいた事はある?﹂
試しに確認してみると、キリーは頷いた。
確定。この子は芳朝の客だ。
かつてデュラで幼き才媛と呼ばれ、その後は化け物と罵られてい
た芳朝を肩越しに振り返る。
芳朝は困ったような顔をしていた。相手が大人ならば諦めか軽蔑
のまなざしでも向けていただろうが、子供相手では鈍るらしい。
俺の横で中腰になってキリーと目を合わせた芳朝が口を開く。
﹁その頭のいい化け物に何の用事?﹂
自分の事は伏せるつもりらしい。
キリーは恐る恐る家の中を覗こうとするが、芳朝が先回りして視
線を遮る。
キリーが目を伏せた。
﹁開拓者さんにお願いしようと思ったけどお金なくて、頭がいい化
け物さんが開拓者になったって言うからお願いしてみようと思って、
頭いいならきっとできると思うから﹂
要領を得ないキリーの言葉に芳朝が合いの手を入れながら根気強
く聞き出す。
﹁︱︱つまり、避難するときに置いてきたぬいぐるみを取り返した
いの?﹂
238
要点をまとめて芳朝が確認すると、キリーはコクリと頷いた。
母親の形見のぬいぐるみを魔物の巣窟になっているデュラから回
収する。
それを受ける開拓者はまずいないだろう。回収屋と呼ばれている
デイトロさんですら危険だからと一時撤退を選んだような場所だ。
報酬もなしにぬいぐるみを取り戻しに行く開拓者はいない。何しろ、
開拓者だって生活が掛かってる。
キリーはギルドに依頼を出そうとしたが報酬が最低額を下回って
いるとの事で受理されず、個別に何人かの開拓者に頼んだが空振り
に終わったらしい。
しかし、ギルドでデュラの化け物が依頼を片付け始めたという噂
を聞きつけ、俺たちの家へと訪ねてきた。
﹁⋮⋮お願いできませんか?﹂
ダメ元でも一縷の希望を信じて頭を下げるキリーに、芳朝は弱り
顔で俺を見てきた。
どうしようかと悩んでいる芳朝に苦笑して、俺はキリーに向き直
る。
﹁家がどこにあるか、ぬいぐるみはどんな形か、教えてもらおうか﹂
239
第三話 追加のお仕事
デュラに出発することになった経緯を伝えると、もはや俺と芳朝
の専属受付となっている係員が渋面を作った。
﹁あの子の依頼ですか。気になってはいましたが、アカタタワさん
たちが受けるとなると⋮⋮﹂
﹁赤田川です。問題がありますか?﹂
﹁問題というほどのものはありませんが⋮⋮。できれば受けて頂き
たい依頼がいくつかあるので﹂
係員が手元の依頼書をぺらぺらと捲る。
どうせ遠出を促すための依頼だろうな、と思っていたら、係員が
出してきた依頼書には意外な内容が書かれていた。
﹁お二人が戻ってきたと聞いた上の方からこれらの依頼が下りてき
てまして﹂
名前が発音できないから妥協したな。
依頼内容は現在各地に散っているデュラの避難民へ、デュラ奪還
作戦が開始される旨を伝達するという物だった。
同行する軍人が奪還作戦への資金提供を呼びかけるらしい。
お金はいくらあっても困らないからだろうけど、国から支給され
るはずの費用で足りないとも思えない。
﹁もしかして、この同行する軍人ってマッカシー山砦から派遣され
ますか?﹂
﹁可能性は高いと思いますが、私から確かなことは言えないです﹂
240
答えた係員は視線を逸らした。
マッカシー山砦には一度依頼の邪魔をされている。戦場から物品
を回収する依頼を受ける開拓団、通称回収屋のデイトロさんと共に
出かけたデュラのギルド資料を回収する依頼でのことだ。
きな臭いとデイトロさんが評価していたマッカシー山砦が絡む依
頼。それも金に関する事となると慎重にならざるを得ない。
芳朝が依頼書を白い指先で摘み、興味なさそうにひらひらと振る。
﹁これさ、梯子を外されたりするんじゃないのかな。寄付された資
金を軍人さんが持って行った後、マッカシー山砦は知らぬ存ぜぬで
押し通して、私たちが詐欺を働いたことにするとか﹂
﹁いや、ギルドから降りた依頼だからそこまであからさまな事はな
いと思うけど﹂
ないよね、と係員に訊ねると、青い顔で俯いた。
﹁上の方から私に直接渡された依頼書なので、依頼内容を知ってい
る職員が私だけだと今気づきました﹂
何それ、怖い。
とはいえ、よほどのお馬鹿でない限りはそんな梯子のはずし方は
しないだろう。
﹁わざわざ俺たちをはめなくても、寄付金はすべて使い切ってしま
いましたって帳簿を作ればいいだけだろ。人件費が異様に高くなっ
てたりするかもしれないけど、俺たちの知った事じゃない﹂
﹁それもそうね。ただ、君子危うきに近寄らずとも言うし、この依
頼は受けたくないよ﹂
241
芳朝が摘まんでいた依頼書を係員に返して、依頼を拒否する。
俺も同意見だ。危ない橋を渡る気はない。
寄付を集めているのがマッカシー山砦である以上、うまく取り入
れば中へ入れるかもしれないという淡い期待はあるものの、今回は
見送ることにした。
﹁そんなわけで、別の人に頼んでください。寄付を呼びかけるのな
ら嫌われ者の俺たちより適任の人が何人もいるでしょうから﹂
詐欺るつもりなら俺たち以上の適任者は見つからないと思うけど
ね。
罠に嵌めたとしても俺たちに有利な証言をしてくれる心当たりも
ない。
係員は眉を八の字にした情けない顔で依頼書を引っ込めた。俺た
ちに断られたと上司に報告するのは気が滅入るのだろうけど、もし
も詐欺だったとき割を食うのは係員も一緒だ。
﹁では、お二人はデュラに行くとして、帰還はいつごろになります
か?﹂
﹁三日後には戻れると思います。足は速いので﹂
精霊獣機の踏破力をもってすれば、精霊人機や整備車両よりも早
く現場に到着できる。森を突っ切れる恩恵は大きい。
精霊獣機を知っている係員は﹁アレですか﹂と呟いた。デイトロ
さんと同じで有用性を認めつつも受け入れられない人だ。
話は終わり、と席を立つと、係員に呼び止められる。
﹁デュラに行くのでしたら、魔物の数と、各門付近の状態を見てお
いてくださると助かります﹂
﹁奪還作戦前の偵察を軍がするはずでしょう?﹂
242
﹁開拓学校を卒業したばかりの新人が行う偵察です。ギルドからも
人を募ることが予想されますから、こちらから出す開拓者の選考基
準を定めるためにも現場の最新情報が欲しいんです﹂
お二人の仕事に対する誠実さは信用しています、と付け足されて
は断りにくい。たとえそれがうわべだけの空虚な言葉だと知ってい
ても⋮⋮。
﹁分かりました。ですが、あくまでもついでです。中途半端な物に
なることは覚悟しておいてください﹂
あとで文句をつけられても困るので予め断っておいてから、俺た
ちはギルドを出た。
借家に帰って準備を整え、番犬代わりのプロトンをメンテナンス
してから出発する。
精霊獣機にまたがっていつも通りの嫌悪の視線を浴びながら、俺
たちは通りを抜け、門をくぐって外に出た。
空は高く澄み渡り、南を目指して鳥の群れが飛んでいく。
風は少々強いが、陽も照っていて冷たさは感じない。
﹁スピードを出しても大丈夫そうだな﹂
﹁走らせながら作戦を決めよっか﹂
芳朝が先にパンサーの速度を上げ、俺は追従する。
道の上を走っていたのはわずかの間。すぐに森の中に突っ込んだ
俺たちはディアとパンサーの障害物回避に頼りながら駆け抜ける。
森に入ってからは芳朝が俺の後ろに回った。
俺の愛機であるディアは森の中でも角のおかげで木の枝を折って
進む事ができるが、芳朝が乗るパンサーには角のような乗り手を保
護するガード機能がない。芳朝自身が小柄なので身を屈めればパン
243
サーの頭が障害物を払いのけてくれるのだが、不便に変わりはない。
ディアの鋼鉄の角が枝を折るパキパキという音が断続的に響く。
成人男性の太ももと同じくらいの太さがあるディアの四肢は地面
に転がる石を踏んでもバランスを崩すことなく、音も立てない。
無機質な鋼鉄のシカはその本来の重量に比例した安定感で森を駆
けてくれる。
半日ほど森を突っ切ったところで日も落ち、野営の準備に入った。
二人きりで魔物のいる森の中で野営するのは自殺行為だが、俺た
ちの場合は精霊獣機に備わった警報の魔術があるため奇襲を受ける
危険性は低い。
明日はギガンテスたちの寝ている早朝にデュラへ潜入するため、
早めに食事を済ませようと余っていたチーズの消費も兼ねてパスタ
ヴォーロを作る。チーズと卵を混ぜて茹でたパスタに絡ませるだけ
の簡単料理だ。
失敗しようのない料理だけあって味もそこそこ。食べやすいチー
ズに助けられている感が強い。
さっさと食べ終えて後片付けをした後、いつものようにディアの
角とパンサーの尻尾に布を渡してテントを作る。
中に入って横になると、すぐに眠気が襲ってきた。
その時、足に何かが当たる軽い衝撃を感じて体を起こす。
﹁芳朝、蹴るなよ﹂
﹁じゃあ絡む﹂
﹁それもやめろ﹂
絡ませてくる芳朝の足を避けると、くすくすと機嫌の良さそうな
笑い声が聞こえた。
﹁明日は早いんだから、あまりじゃれるなよ﹂
244
猫か、お前は。
基本的に夜行性の芳朝は﹁つまんないの﹂と不満を漏らす。
﹁そういえばさ、なんでキリーの依頼を受けようと思ったの?﹂
﹁芳朝も悩んでただろ。この依頼をこなせば少しくらい周りからの
見る眼が変わるかもしれないって、芳朝も思ったんじゃないか?﹂
キリーは芳朝の事を﹁頭のいい化け物﹂だと言っていたが、おそ
らくは周囲の大人の言葉を聞いて覚えてしまったのだろう。言葉の
裏にある悪意を理解していれば芳朝に依頼をしようとは思わなかっ
たはずだ。
﹁キリーだけを味方につけたところで大勢に影響はないけど、少し
ずつ変えていくしかないだろ﹂
芳朝を化け物と呼ぶ利己主義な大人たちではなく、真の意味で芳
朝を頼りにして慕ってくれる味方を増やしていくべきだ。
それはきっと、今の俺と芳朝の間にあるような歪な関係ではない
だろうから。
芳朝が身じろぎする音が聞こえる。顔をこちらに向けたのだろう
か。
﹁今度は赤田川君が生きづらくなるよ?﹂
﹁あまり変わらないだろ﹂
﹁向こうが遠ざかるのとこちらが遠ざかるのは違うよ。向こうが遠
ざかっても赤田川君は追いかけないけど、赤田川君が遠ざかると向
こうは追いかけてくるんだから。デイトロさんみたいにね﹂
人懐っこい飄々とした性格の回収屋、デイトロさんの顔を思い出
して、俺は思わず顔を顰めた。
245
確かに、芳朝自身は本来人当たりの良い性格をしているし、芳朝
を認める者がいれば俺にも目を向けるだろう。
なら、俺だけが突っぱねるか?
駄目だ。そんなことをすればせっかく構築した芳朝の交友関係も
台無しになってしまいかねない。
二律背反、解消する方法は芳朝と別の道を歩むことくらいだろう
か。
別の道を歩めるくらいなら、最初からこんな関係には発展してい
ないだろう。
﹁︱︱ねぇ、赤田川君﹂
芳朝の甘い声が聞こえる。
﹁無理をしなくても、私はこのままでいいんだよ?﹂
﹁⋮⋮あんまり俺を甘やかすな﹂
﹁真面目だね。だから悩むんだろうけど﹂
俺は寝返りを打って芳朝に背を向ける。
﹁もう寝ろ﹂
﹁うん、そうする。おやすみなさい﹂
﹁⋮⋮おやすみ﹂
話を打ち切っておいてなんだが、こんな気分で寝ていられるか。
悶々としながら、何とか眠ろうと瞼をきつく閉じる。
自然と聴覚が鋭敏になり、ディアの角の向こうから規則正しい寝
息が聞こえてきた。
さんざん煽っておいて、芳朝はあっさりと寝入ったようだ。
俺はため息を吐いて、気分転換に外の空気でも吸おうとテントか
246
ら出る。
空を見上げれば満天の星が広がっている。前世で見上げた空とは
全く違う星の並びを見上げて、またため息を吐いた。
中途半端な覚悟で人の内面に首を突っ込んだ結果がこれだ。
自分で変化を受け入れる覚悟もないくせに、周囲に変化を求めて
いる。
周囲から絶え間なく浴びせられる虫の音が、うじうじするなと俺
の頭を叩いている気がした。
ごそごそと音が聞こえて振り返ると、芳朝がテントから出てきて
目をこすっていた。
﹁赤田川君、何してるの?﹂
お前がそれを聞くのかよ。
芳朝は俺の隣に立ってあくび交じりに空を見上げる。
﹁星を見てたの?﹂
﹁まぁ、そんなところだ﹂
はぐらかすと、芳朝は﹁へぇ﹂と気のない返事をして、何かを探
すように地面に目を凝らした。
﹁どうした?﹂
問いかけると、芳朝は諦めたように肩を上下させて、また星を見
上げた。
﹁蛇にでも噛まれようかと思って﹂
﹁そんなに簡単に帰れたら悩んでないって﹂
247
ラストシーンだけ覚えてるけど、内容はうろ覚えだ。うる覚えっ
て言いたくなるくらいうろ覚えだ。
どんな話だったかな。
芳朝に聞いても碌なことにならない気がして、俺は星を見上げて
話題を逸らす。
﹁そういえば、この世界の蛇って鰓があるのを知ってたか?﹂
﹁え、何それ初耳なんだけど。蛇って両生類だっけ?﹂
爬虫類だ。この世界ではどうだか知らないが。
﹁本で読む限りは地上で生活するけど、あいつら元々川を泳いで渡
ったりするから、こっちの世界では両生類に進化していてもおかし
くないな﹂
あれ、退化かもしれない。どっちだ?
芳朝は﹁ほへぇ﹂と感心したような声を出す。俺が星を見ている
と聞いた時より反応が大きい。
俺より異世界の蛇に関心がありますか。そうですか。
248
第四話 ぬいぐるみ回収
早朝、まだ日も昇り切らないうちに朝食を食べ終えた俺と芳朝は
道具を片付けて精霊獣機に騎乗した。
霧が出ているが、視界が利かないほどではない。銃をいつでも使
えるように担いで、デュラに向けて出発した。
﹁まずは西門から見てみよう﹂
ギルドの係員に頼まれたデュラの各門とその付近の状況を検分す
るため、西門へ慎重に近付く。
ディアとパンサーの索敵魔術に反応はない。
芳朝と手分けして付近の被害状況をメモし、整備車両が通れるか
どうかを基準にして通行可能な道を選定する。
同様の調査を他の門でも行って、一度森の中に退避した。
﹁北はともかく、南はひどいな﹂
﹁あの日の戦闘音はすごく大きかったし、無理もないね。多分ギル
ド館の近くまであんな感じだと思うよ﹂
芳朝が言うあの日とは、俺たちがデイトロさんの回収依頼に同行
してはぐれた時の事だ。
結局マッカシー山砦が関係を否定しているため公式には所属が不
明の回収部隊と、デュラに巣食う大型の人型魔物ギガンテスを筆頭
とした中型魔物のゴライアや小型魔物のゴブリンがデュラの南側で
戦闘を行っている。
おそらくはこの回収部隊と魔物たちの戦闘の余波だと思われる破
壊の跡が、南門付近では色濃く残っていた。
249
家は倒壊して瓦礫が散乱し、綺麗な石畳が敷かれていたはずの道
はあちこちに穴が開いている有様だ。
精霊人機の部隊を展開するために家を壊した跡もあった。
芳朝が腕を組む。
﹁ここまでして何を回収するつもりだったのか分からないけど、司
令官の独断でここまでの規模の部隊を動かせるものなのかな?﹂
﹁関与を否定しているくらいだからマッカシー山砦に出撃記録は残
っていないだろうし、費用をどうやって捻出したのかも気になる所
だな﹂
﹁ますますマッカシー山砦は怪しいね。偵察部隊がバランド・ラー
ト博士と関係があるとはちょっと思えないけど﹂
芳朝の意見に頷きつつ、俺は調査結果をまとめた紙をディアの腹
部にある収納スペースに保管する。
﹁どちらにせよ、マッカシー山砦に行く予定は変わらない。今はキ
リーの依頼に集中しよう﹂
﹁そうね。私が先行しようか?﹂
芳朝が自らを指差して首を傾げる。
魔物の巣窟となっているデュラでは多勢に無勢の戦闘が想定され
るから、芳朝を前方に置く方が良いだろう。
パンサーは俺のディアと違って奇襲に対応しやすい上に、囲まれ
てからが真骨頂ともいえる全方位への攻撃手段を持ち合わせている。
﹁任せた。俺は後ろから援護する﹂
﹁それじゃ、行こうか﹂
芳朝がパンサーを走らせ、北門に向かう。
250
ヒョウ型の精霊獣機パンサーは全身のバネを使ったしなやかな走
り方で一瞬のうちに加速した。
俺はディアで追いかけて、パンサーの後ろについて空気抵抗を減
らして加速を助けてもらう。
相変わらずとんでもない加速性能だ。あれで回頭性も俺のディア
より上で、木登りまでできるんだから、機動力では並みの魔物を上
回るだろう。
北門からデュラへ潜入する。
索敵魔術の有効範囲を狭めてキリーの家がある二番地へ向かう。
近くに公園がある二階建ての一軒家だとキリーからは聞いていた。
転がっている瓦礫をものともせず、芳朝を乗せたパンサーはしな
やかに駆けていく。後ろから見ていてもほとんど揺れがないのが分
かるほど、安定した走りを見せていた。
パンサーが鳴き声を発し、索敵魔術に反応があったことを知らせ
る。
道の先に目を向ければ、ゴブリンが三体連れ立って歩いていた。
ゴブリンは俺たちに気付いて持ち歩いていた包丁や槍を振り上げ
る。
だが、槍を構えたゴブリンが得物を振るうより先に、芳朝は太も
ものホルスターから抜き放った自動拳銃の引き金を続けざまに引い
ていた。
五つの発砲音の後、三体のゴブリンは仰向けに倒れ伏す。
槍を持っていたゴブリンは眉間を打ち抜かれ、包丁を構えていた
二体は胸を打ち抜かれていた。
一体はまだ息があったようだが、走行中のパンサーの下敷きにな
って爪で引き裂かれ、絶命していた。
﹁やっぱ強いな﹂
中型魔物にはあまり効果がない自動拳銃だが、小型の魔物である
251
ゴブリンであれば即死させる事も可能だ。
パンサーの機動力と自動拳銃の速射により、芳朝は小型魔物に対
しての攻撃に特化している。
また哀れなゴブリンが民家の二階窓を破って飛び掛かって来るが、
パンサーの索敵魔術で奇襲に気付いていた芳朝は慌てることなく加
速してタイミングをずらす。
上から飛び掛かったゴブリンはタイミングをずらされたまま落下
し、半ば通り過ぎたパンサーの尻尾に触れた瞬間、胴体から上下に
分かれた。
パンサーの扇形の尻尾に取り付けられている出し入れ自在の刃に
両断されたのだ。
索敵魔術と連動したパンサーの尻尾は芳朝が操作せずとも後方の
敵を切り殺し、扇形の形状を生かして飛来物を叩き落とす役割を担
っている。
パンサーに死角はない。乗り手である芳朝の自動拳銃による中距
離攻撃とパンサー自身の爪や尻尾を使った近接攻撃で小型魔物を寄
せ付けない。
今回のような魔物の群れを相手にする場合は心強い戦力だった。
芳朝がパンサーの速度を落とし、肩越しに振り返って前方を自動
拳銃で示す。
中型魔物のゴライアが俺たちに気付いて立ち上がる所だった。周
囲には取り巻きのゴブリンが七体。
ゴブリンはともかく、ゴライアは芳朝の手に余る。一対一なら勝
てるだろうが、ゴブリンが邪魔だ。
﹁分かった。ゴライアは俺が仕留めるよ﹂
芳朝に指示を出して、俺はディアの足を止めながら肩にかけてい
た対物狙撃銃を下ろす。
ディアの黒い角を銃架にして、スコープを覗き込む。距離にして
252
五百メートル以上はあるだろうか。
眉間に一発で仕留めたいところだが、距離を考えるとより当たり
やすい胸を狙うべきだろう。
ゴライアが駆けだす前に、俺は引き金を引いた。
初撃がゴライアの右肩に命中し、肉をこそぎ取る。即座に次弾を
装填し、角度を修正して狙い撃つ。
右肩に続いて右わき腹を打ち抜かれたゴライアの動きが明らかに
鈍った。無傷のゴブリンが全力疾走してこちらに向かってくるが、
俺の隣で芳朝が自動拳銃を構えている。任せておいていいだろう。
俺は三発目をゴライアに向けて放つ。
三度目の正直というべきか、ゴライアの胸に穴が開く。
﹁︱︱しぶといな﹂
右胸、右肩、右わき腹の三か所から少なくない量の血を流しなが
ら、ゴライアは闘志を燃やした瞳で俺たちを睨みつけ、傍らの倒壊
した家の瓦礫を左手に取った。
まぁ、投げさせないけど。
四発目の引き金を引くと、ゴライアの左肩がはじけ飛ぶ。
手にしていた瓦礫を取り落し、ゴライアがふらついたところで五
発目がまた胸に命中する。
ゴライアが仰向けに倒れるのを視界に収めながら、弾倉を交換し、
ゴブリンを見る。
すでに芳朝の銃撃を受けて三体が倒れ、残り四体が間近まで迫っ
てきていた。
﹁屋根から撃っちゃおうか﹂
﹁賛成﹂
芳朝の提案に頷いて、俺はディアの頭を右に向け、三歩助走をつ
253
けて跳躍させる。
動物ではありえない跳躍力で屋根の上になんなく着地した俺は、
周囲の安全を確認したうえで対物狙撃銃を眼下の通りで右往左往す
るゴブリンに向けた。
﹁私がやるから良いよ﹂
この距離であれば、芳朝に任せた方が安上がりか。弾代も馬鹿に
ならないのだ。
﹁分かった。俺は道順を確認してるよ﹂
芳朝が屋根の上からゴブリンに銃弾を浴びせる間、俺は屋根の上
で広くなった視界を生かしてキリーの家を探す。
公園はすぐ見つけることができたが、瓦礫で塞がれた道が多い。
それ自体は精霊獣機の足を止めるには足りない障害だが、大型魔物
や群れがいると違ってくる。
霧で遠くまでは見渡せないが、それでも体高八メートルのギガン
テスらしき影が背の高い建物の隙間から見え隠れしていた。
﹁終わったよ﹂
芳朝の声に視線を下げると、道路に倒れ伏しているゴブリンの姿
があった。
安全を確認してから、目立つ屋根の上から降りて通りに戻る。
弾倉を交換する芳朝に周囲の状況を伝え、俺は公園の方角を指差
した。
﹁屋根を超えて行く方が早いかもしれない。幸い、霧のおかげであ
まり目立たないだろうから﹂
254
それに、ここでの戦闘音を聞きつけた魔物が向かってきているは
ずだ。通りで正面衝突するより、アドバンテージのある屋根の上か
ら攻撃する方が安全だ。いざとなれば、屋根から降りて民家を盾に
し、逃走も図れる。
芳朝は少しの間考え込んだ後、頷いた。
﹁赤田川君の作戦で行きましょう。普通のギガンテスなら出くわし
ても逃げ切れると思うけど、魔術を使える〝首抜き童子〟と鉢合わ
せしたら勝ち目がないから、早く依頼を済ませてデュラを出るべき
だもの﹂
意見がまとまって、俺は芳朝と並んで公園の方角を目指す。
屋根伝いに駆け抜けていると、踏み抜かないのが不思議に思える。
重量軽減の魔術がなければできない芸当だろう。
魔術は偉い。超偉い。
第一目標の公園が見える屋根の上で一時停止して、キリーの家を
探す。
キリー本人から教えてもらった特徴に当てはまる家は二件あるが、
キリーの話では襲撃のあった日に家から飛び出して扉も閉めなかっ
たというから、向かって右側の家だろう。
周囲に魔物がいない事を確認して屋根から道に降り立ち、キリー
の家らしき二階家に近付く。
表札を確認してキリーの家だと確信した俺と芳朝は精霊獣機から
降りた。
俺はサブウエポンとして持っている自動拳銃を腰のホルスターか
ら抜いて、先に家の中に入る。
玄関とリビングの安全を確認して、精霊獣機と一緒に待機してい
た芳朝を手招いた。
日本の家屋と比べれば天井が高いとは思うが、それでも精霊獣機
255
には窮屈な空間であることは変わらない。番犬用のプロトンならも
う少しマシなんだけど。
パンサーとディアを入れて扉を閉める。
﹁中に魔物はいないみたいだな﹂
﹁動かずに潜んでいる可能性もあるから、気を抜いちゃだめだよ﹂
芳朝に注意されて気を引き締める。
精霊獣機の索敵魔術は範囲内の動く物を感知するため、魔物が微
動だにせず潜んでいたりすると効果が薄い。
屋外でなら範囲を広げて魔物が俺たちを発見して奇襲のために行
動するより先に見つけ出せる。だが、芳朝が指摘したように家の中
にあらかじめ潜んでいると発見できない可能性は否定できなかった。
キリーの証言を思い出して二階に上がる。パンサーとディアも器
用に階段を上っていた。
拠点として使っている借家で実験した時も思ったけど、鉄の大型
動物が階段を音もなく上る光景はシュールな絵面だ。
二階の手前の部屋にキリーの部屋はあるという。
中途半端に開かれているドアを一気に押し開け、中に向かって自
動拳銃を構える。
﹁魔物はいないな﹂
ゴブリンがいる可能性も考慮して身構えていたが、食料があるわ
けでもない子供部屋にゴブリンも用事はないだろう。おままごとで
もしていたら写メ撮るけど。
スマホ持ってないから無理か。
﹁散らかってるな﹂
﹁荒らされたって風でもないし、普段から片付けしてないんでしょ﹂
256
絵本や人形が乱雑に床に転がっている子供部屋を見回して、目当
てのぬいぐるみを壁際の衣装棚の上に見つける。
母の形見というだけあって、ぬいぐるみだけはきちんと片付けて
いたらしい。
俺は衣装棚に近付いて、転がっていた台を脇にずらしてぬいぐる
みに手を伸ばす。
手に取ってまじまじと見てようやく熊のぬいぐるみだと分かった。
﹁ぬいぐるみも回収したし、さっさと撤収しよう﹂
ディアの腹部収納スペースにぬいぐるみを入れて、窓を割るのも
忍びないと思い一階に下りる。
階段を下りきって玄関に足を向けた直後、俺は違和感を覚えて足
を止める。
地面が揺れた気がした。
刹那、パンサーが唸り声をあげ、ディアが鳴く。
索敵魔術に引っかかる前に揺れを感じたという事は︱︱
﹁大型魔物か!﹂
慌てて玄関に走り、外に出る。
俺に続いて出てきた芳朝が先にパンサーにまたがった。
俺もすぐにディアに騎乗し、周囲の音に耳を澄ます。
﹁多分、東だね﹂
芳朝の言葉に頷く。
まだ距離はあるが、霧が晴れてきていてこちらが発見される確率
が上がってしまっている。
257
屋根の上から距離を始めとする詳細を確かめる事は出来そうもな
い。
﹁西門からデュラを出るしかないな﹂
それも、屋根を伝うことはせず、通りだけを進んでいく必要があ
る。
相談している暇もない、と俺は芳朝に先行してディアを走らせる。
体高八メートルを超えるギガンテスの歩幅を考えれば、俺たちと
の距離はさほど大きくないはずだ。
角があるため空気抵抗が大きい俺のディアの後ろでいつもより早
く加速したパンサーに乗った芳朝が俺を抜いて正面に出る。
今度はパンサーが空気抵抗を一身に受けてくれたため、ディアの
速度が上がる。
すぐに最高速に到達した俺たちはそのままの勢いで通りを走り抜
けた。
姿勢制御の魔術を頼りに、ほとんど減速しないまま曲がり角に突
入する。
脚部のバネが軋み、遠心力によって体が自然と宙に浮きかける。
レバー型ハンドルを強く握って堪えつつ、腰を曲がり角の内側にず
らして遠心力に対抗した。ハングオンなんて前世振りだ。
どうにか曲がり切って、前を見る。
芳朝はパンサーの足に付いた攻撃用の丈夫な爪をスパイク代わり
に使用して難なく曲がったようだ。パンサーの機動力が少し羨まし
い。
心配そうに振り返った芳朝に、俺は問題ないと手を振ってアピー
ルした。
バイクがないこの世界でハングオンなんて久しぶりだからとっさ
に体が動かなかったが、次からはどうにか対処できるだろう。
その証拠に、次の曲がり角は外側から内側、遠心力に従って外側
258
へと抜ける安定したコース取りをしつつ、ハングオンで遠心力に対
処する。
今回はスムーズに曲がる事が出来て、俺は自信を取り戻した。
この調子なら逃げきれる、そう思った刹那、先行するパンサーが
唸った。
間を置かず、ディアが鳴く。
﹁芳朝!﹂
﹁分かってる!﹂
魔物の接近を感知した精霊獣機を信用して、俺たちは周囲に目を
凝らす。
現在は最高速度で走行中だ。進行方向で魔物がのほほんと歩いて
いる可能性だってある。
だが、俺は燻るような焦燥感と危機感を覚えていた。
そして︱︱それは唐突に現れた。
ゴウッと風を押しのける巨大な石の槍が俺たちの進行方向にある
民家を串刺しにする。
目を見張って巨大な石の槍が飛んできた方角に目を向けると、三
百メートルほど先に今飛んできたのと同じ石の槍を片手に投擲姿勢
を取るギガンテスの姿があった。
あんなにきれいに磨かれた槍の形をした岩などそこらに転がって
いるはずがない。
﹁ロックジャベリン⋮⋮﹂
俺がデイトロさんたちとの回収依頼で乱発した魔術だ。もっとも、
俺が使ったロックジャベリンとは大きさが段違いだが。
そして、魔術を使うギガンテスを一体、俺たちはすでに知ってい
る。
259
﹁赤田川君、あれ〝首抜き童子〟だよね?﹂
﹁多分な!﹂
芳朝に答えつつ、ディアの速度は維持したまま対物狙撃銃を角に
乗せ、ギガンテスを狙う。
スコープを覗き込む余裕はない。それでも距離は三百メートルで
〝首抜き童子〟は体高八メートル。
外すような的じゃない。
引き金を引くと魔力が吸われる。搭載された魔導核の魔術式が光
を放ち、発砲音が高く響く。
だが、それだけだった。
中型魔物も討伐できる対物狙撃銃の銃弾を受けても首抜き童子は
一筋の血を流すだけで顔の筋肉一つ動かさない。
身体強化の魔術で堪えたのか、それともギガンテスには元から対
物狙撃銃など脅威ではないのか。
いずれにせよ、俺たちは首抜き童子を討伐する術どころか、追い
払う方法さえ持ち合わせていなかった。
260
第五話 思い出の品
首抜き童子が構えていたロックジャベリンを力の限り投擲する。
轟音を伴って飛来したロックジャベリンが俺に向かってくるが、
ディアの速度を調整して事なきを得た。
俺は対物狙撃銃を肩に掛け直し、レバーハンドルを握る。
攻撃が効かず、首抜き童子は戦意旺盛、じきに周囲の魔物も戦闘
音を聞きつけてやって来るだろう。
逃げる以外に手がない。
﹁赤田川君、逃走ルートはどうする?﹂
芳朝が首抜き童子を警戒しつつ意見を求めてくる。
一直線に西門を目指せば首抜き童子に逃走経路を読まれる可能性
がある。
しかし、遠回りをすると集まってくる魔物と出くわす可能性もあ
った。
﹁警戒すべきは首抜き童子の投擲だ。これだけの距離があれば、投
げられてからでも避け切れる。一直線に西門に向かおう﹂
過信するわけではないが、精霊獣機の足は速い。
対して、人型の魔物は他の魔物と比べて足が遅い傾向にある。体
高八メートルを越えるギガンテスはともかく、四メートル以下のゴ
ライアやゴブリンであれば遭遇しても十分に逃げ切れるはずだ。
芳朝が頷いて、通りを右折する。
直線上にある瓦礫を超える際に速度が落ちることを嫌ったのだろ
う。
261
俺も座りをずらしてディアの右折を補助して曲がり切る。
距離が離れたためか、首抜き童子が追いかけてきた。中途半端な
高さの二階建ての家はハードル走の要領で跳び越え、ある程度の高
さの家はショルダータックルで突き崩し、一直線に追いかけてくる。
苦い思いで後方を確認してから、前に向き直る。
通りを曲がって臨戦態勢のゴライアが二体、現れた。
﹁芳朝、射線を開けてくれ!﹂
迫ってくる破壊音を聞きながら、俺は対物狙撃銃を構える。
芳朝が道の端にパンサーを寄せて俺の射線を確保してくれる。
仕留める必要はないが、悠長に狙っている時間もない。
立て続けに引き金を引き、二発ずつゴライアに撃ち込む。一体は
上手く心臓を打ち抜けたらしく即死したようだが、もう一体はしぶ
とく立っていた。
しかし、執念の光を宿したゴライアの目に銃弾が撃ち込まれる。
芳朝がいつの間にか抜いた自動拳銃を連射したのだ。
鍛えようのない目玉に銃弾を受けたゴライアがたまらず手で顔を
覆い、たたらを踏む。
そんなゴライアの横を俺と芳朝は高速で駆け抜けた。
銃身が熱くなった対物狙撃銃を風に当てて冷ましつつ、俺は弾倉
を交換する。
全力で走行中のディアに騎乗したままの弾倉交換は風がもろに体
に当たって振り落とされそうになるが、姿勢制御の魔術式が騎乗者
である俺の体にも及んでいるためなんとか耐えられる。
馬で言えば鞍に当たる部分を太ももで強く挟んで姿勢を保ちなが
ら弾倉の交換を終えた俺は後方を確認する。
顔を押さえたゴライアを避けるために減速した首抜き童子が忌々
しげに俺たちを睨んでいた。
首抜き童子の減速は大きく、俺たちは一気に距離を離すことに成
262
功する。
これで諦めてくれれば⋮⋮。
そう思った矢先、首抜き童子が息を大きく吸い込んだ。
﹁ガアアッ!﹂
遠吠えに似た、長く低く響く声。
首抜き童子の遠吠えを聞いた瞬間、全身を悪寒が突き抜ける。
威嚇するための発声方法ではない事は明らかだった。今のは間違
いなく遠くの何者かとやり取りするための声だ。
芳朝が首抜き童子を振り返る。
﹁⋮⋮もしかして、仲間を呼ばれた?﹂
芳朝の問いに答えたのは、町の各所で上がる雄叫びだった。
首抜き童子の遠吠えに呼応するかのような雄叫びは互いに木霊し
て数が分からない。
しかし、片手に収まる程度の数でない事だけは確かだった。
﹁この雄叫びが全部ギガンテスだとしたら︱︱﹂
﹁考えたくないな﹂
芳朝の言葉をさえぎって、俺は後方の首抜き童子を確認する。
雄叫びが返って来た事に満足したように、首抜き童子は鼻の穴を
膨らませた。
未だに顔を押さえて痛みを堪えているゴライアを押しのけた首抜
き童子が走り出す。
時速百キロは出てるんじゃないのか、アレ。足が長くてうらやま
しい。絶対肉食系だ。だって胴体短いし。
263
﹁首抜き童子にゴボウ食べさせてみたいね﹂
﹁虐待だって言われるぞ。現実逃避してないで急げ﹂
自分の事を棚上げにしつつ、芳朝を急かす。
実際のところ、現実逃避でもしないと頭が変になりそうだった。
明らかにギガンテスの物と思われる巨大な足音が遠くから徐々に
こちらへ向かって走ってくる音が聞こえるのだ。ご丁寧に自分の存
在を誇示するつもりか、民家を破壊するような音も伴っている。
﹁見えた。西門!﹂
芳朝の言葉に顔を向ければ、道の先に門が見えていた。
門から南へ視線をずらすと破壊された防壁が瓦礫の山を作ってい
る。デュラが陥落した日、南西から襲ってきたギガンテスたちに破
壊されたのだろう。
﹁芳朝、門を出たら北へ抜けるぞ﹂
防壁は元々大型魔物の襲撃を警戒して作られた頑丈な物だ。後ろ
からきている首抜き童子に一当てで破壊されるほど柔な造りはして
いない。
まだ防壁が形として残っている北西部分を盾にしつつ、森の中へ
身を隠してデュラから遠ざかる作戦だった。
ディアにしろパンサーにしろ、直線であれば首抜き童子に追いつ
かれることはない。
ラストスパートとばかりに芳朝が速度を上げた。
前傾姿勢で時折俺や首抜き童子との距離を測りながら、芳朝は西
門への直線をひた走る。
スパイク代わりにしているパンサーの爪が地面に食い込み、土を
巻き上げ石畳の残骸を蹴散らす。
264
西門付近で待ち伏せしていたゴブリンには目もくれない。
パンサーの跳躍でゴブリンたちの頭上を抜けて、芳朝は西門をく
ぐった。
俺はディアの頭を下げ、角を使った体当たりでゴブリンを蹴散ら
す。
横合いから攻撃を仕掛けられようと、ディアの大きな角が盾とな
って俺の身を守る。
蹴散らされたゴブリンが道端に転がったのを確認して、後方から
追いすがる首抜き童子を振り返る。
民家を問答無用で突き崩す首抜き童子はさきほど、芳朝の銃弾を
目に受けたゴライアを弾き飛ばさず減速していた。
なら、道端に転がるゴブリンを容赦なく踏みつぶしたり蹴り飛ば
したりはしないはずだ。
俺の予想通り、首抜き童子は道端に転がる配下のゴブリンたちを
踏み潰さないように減速する。
﹁芳朝、北の森へ入れ!﹂
門の外で俺を待っている芳朝を促す。
頷いた芳朝が森へ入った時、俺も西門を無事に抜けた。
即座に北の森へ入るため、ディアの頭を右に向ける。
ちらりと後ろを振り返ると、首抜き童子はゴブリンたちの前で急
停止していた。首抜き童子以外にも二体のギガンテスが迫ってくる
のが見える。
俺は北の森に入り、芳朝の後を追う。
追い付くのを待っていてくれた芳朝の後ろについて、ようやく安
堵がこみ上げた。
森の入り口や街道沿いに木の葉の間を透かし見ると、森の中に目
を凝らすギガンテスの姿があった。
もしも見つかってロックジャベリンでも投げ込まれたら、今度こ
265
そ死にかねない。
﹁まだ休憩できそうもないな﹂
﹁そうね。この森も縄張りだろうから、ゴブリンくらいはいるかも﹂
頭上を覆う鬱蒼とした枝葉に感謝しながら森を突き進む。
途中で出くわしたゴブリンは芳朝が自動拳銃で撃ち殺したり、パ
ンサーの爪で斬り殺す。
デュラが見えなくなるまで森の中を走ってから、慎重に通りへ出
る。
左右を見回して魔物の影がないことを確認して、俺は芳朝に周囲
の警戒を頼んでディアを操作した。
索敵魔術の有効範囲を最小の周囲一メートル程度まで絞ってから、
徐々に有効範囲を広げる事で一番近い動物や魔物までの距離を割り
出す。
﹁⋮⋮首抜き童子たちは撒けたみたいだな﹂
索敵魔術を最大にしても反応がないため、ようやく落ち着けた。
芳朝も息を大きく吐き出して肩の力を抜き、パンサーの上に寝そ
べった。
﹁逃げ切れたけど、ゴライアやゴブリンで足止めできなかったら危
なかったね﹂
﹁後は西門を抜ける瞬間だな。もしあの時ロックジャベリンを投げ
られたら避けようがなかった﹂
門そのものに左右の逃げ場を塞がれては、機動力がいくらあって
も無意味になる。
いずれにせよ、逃げ切れたのは運が良かった。
266
﹁というか、よりにもよって首抜き童子に見つかるとは俺たちもつ
くづく運がないよな﹂
自分で言っておいて、運がいいのか悪いのかどっちだよと心の中
で突っ込む。不幸中の幸いという事で納得しようか。
精も根も尽き果てたのか、芳朝はパンサーの上に寝そべって全身
の力を抜いたまま﹁うん⋮⋮﹂と眠そうに答える。
そういえば、昨夜は星を眺めて雑談して寝たから睡眠時間が足り
ていない。
もともと夜型人間の芳朝は昨夜の件で夜型仕様に切り替わったの
だろう。
首抜き童子とデッドヒートを繰り広げて疲れ切っているのも理由
として上がりそうだ。
﹁芳朝、まだ寝るなよ。ここで野営するよりは家のベッドで寝た方
が良いだろ﹂
かくいう俺も瞼が重い。
芳朝の背を軽く叩いて起こし、ディアを拠点にしている港町へ向
ける。
パンサーに揺られてついてくる芳朝は程よく体の力を抜いている
のか、危なっかしくみえてもパンサーから落ちる様子はない。
全力で飛ばせば昼過ぎには到着するはずだが、疲れている事もあ
ってあまり速度を出したくない。
急ぐ必要もないのだから、別に夜になっても構わないだろうとの
んびり歩を進める。
芳朝が横に並んで、空を見上げた。
﹁あ、月が出てる﹂
267
﹁どこ?﹂
﹁ほら、あそこ﹂
芳朝が眩しそうに青空の一点を指差す。
確かに、昼だというのに月が見えていた。
異世界でも太陽が出てる時間に月が見える事があるのかと、少し
感心する。
自転とか公転とかは門外漢だから理屈が分からないけど。
芳朝は知っているだろうかと訊ねてみる。
﹁いや、知らない。習ったっけ?﹂
眩しすぎたのか眼をこすった芳朝は月どころか空から視線を逸ら
し、目を瞑った。
﹁うわぁ、ショボショボする﹂
揉むように手で擦った芳朝の目は真っ赤だ。
﹁堪えろ。キリーにぬいぐるみを渡すときに目が真っ赤じゃ恰好が
つかないだろ﹂
﹁もう寝たぁい﹂
駄々をこねる芳朝を宥めながら、俺は港町へ帰路を進んだ。
日が落ちたばかり、まだ通りには酔客がおらず、店はこれから賑
い始める絶妙な時間帯に俺と芳朝は港町に帰り着いた。
通りを歩く時に邪魔になるため、ディアとパンサーを借家のガレ
ージに置く。
268
護身用の自動拳銃と魔導核、そしてぬいぐるみを持って俺たちは
キリーの家を訪ねた。
家といっても、キリーの父親の親せきが経営しているという宿だ。
ギガンテスたちに落とされてしまった貿易港デュラの代わりに旧
大陸からの商人が立ち寄るこの港町では宿屋の料金が高騰している
というのに、それでも面倒を見てくれるのだから良い親戚なのだろ
う。
キリーは宿の前で手持無沙汰にしていたが、俺と芳朝を見つける
とぱっと顔を輝かせた。
﹁とってきてくれたの!?﹂
﹁形見のぬいぐるみはこれであってるか?﹂
駆け寄ってくるキリーにぬいぐるみを渡す。
キリーはぬいぐるみを見た瞬間、満面の笑顔になり、受け取った
ぬいぐるみを抱きしめた。
﹁そう、これ! お兄ちゃんありがとう!﹂
﹁こっちのお姉ちゃんにも礼を言ってくれ﹂
俺は芳朝の背を押す。
芳朝は﹁え、ちょっと待っ⋮⋮!﹂と抗議してくるが、照れてい
るだけなのはお見通しだ。容赦なくキリーの前に立たせる。
﹁お姉ちゃんもありがとう!﹂
﹁⋮⋮ど、どういたしまして﹂
芳朝の目が泳いでいるのが面白い。
そんなことを思っていると芳朝に睨まれた。
269
﹁なによ﹂
﹁いやいや、なんでもございませんとも﹂
笑いを堪えつつ、俺が肩を竦めた直後、バタバタとうるさい足音
が横から聞こえてきた。
何の騒ぎだろう、そう思って顔を向ける。
﹁︱︱え?﹂
視界を埋め尽くしたのは水、水、水。
バシャンと音を立てて頭から覆いかぶさってきた水に咳き込む。
なんだこれ、ただの水じゃない。臭い。
﹁うちの娘に何してやがる!﹂
怒鳴り声が聞こえて前髪から滴る滴を払って顔を上げると、肩を
いからせた中年男が怒りの形相で俺を睨んでいた。
いや、微妙に視線がかち合わない。
中年男の視線を追っていくと、俺の後ろにいた芳朝にぶつかった。
水の大半は俺が浴びたようだが、芳朝にも少なくない量がかかっ
たらしく、黒い髪からぽたぽたと滴を垂らしている。
中年男は謝罪の言葉もなく一歩踏み出すと、突然の事態に怯えて
いるキリーの手を掴み、俺と芳朝を順に睨みつけてきた。
﹁二度と娘に近付くな! お前みたいな化け物と関わったなんて知
られたら何言われるか分からん。次があったら殺すぞ!﹂
一方的に怒鳴るだけ怒鳴っておいて、中年男は痛がるキリーを宿
に引っ張り込むと音を立てて扉を閉めた。
急展開に頭が追いつかない。
270
それでも、この宿の前に居続けるのはよくないだろう。
振り返って芳朝の手を取り、通りの奥へ歩く。
だんだんと頭が冷えてきた。
﹁⋮⋮あのぬいぐるみ、どうなるんだろうね﹂
芳朝が呟く。
そんな状況じゃないだろうと怒鳴りたくなるが、芳朝にとっては
〝そんな状況〟なのだろう。
苦労して、文字通り命がけで取ってきたキリーの母の形見のぬい
ぐるみ。
それが、芳朝の手から渡されたというだけで捨てられるというの
なら、今日したことは何だったのか。
今日、努力した意味は何だったのか。
俺は足を止め、無言で元来た道を引き返す。
キリーが住んでいる宿が見える場所に隠れて、俺たちは一言も口
を利かないまま物陰と一体化した。
どれくらい待っただろう。
通りを歩きはじめる酔客が目立ち始めた頃、宿からキリーと先ほ
どの中年男が出てきた。
﹁怒ってごめんな。あの化け物の事、知らなかったんだもんな﹂
中年男が眼を泣きはらしたキリーの頭を撫でながら後悔が滲む声
で謝る。
キリーの手をやさしく握って、中年男は通りを見回した。
﹁よし、今日は美味しい物を食べに行こう。何か食べたいものはあ
るか?﹂
271
キリーの機嫌を取りながら、中年男は店を探してうろうろと通り
の向こうへ去っていく。
中年男とキリーの後姿が人ごみへ消えていく時、言葉が聞こえて
きた。
﹁キリーに母さんが残したかったのは服なんだ。ちゃんと持ってき
てるから、心配しなくていいぞ﹂
キリーの手に、母の形見のぬいぐるみはなかった。
俺は背中を預けていた壁から離れる。壁から延びる影が俺の足を
重くする。
芳朝と手をつないで、宿の裏へと回る。
そこには宿の客に出したと思しき料理の残骸にまみれたぬいぐる
みが転がっていた。
﹁⋮⋮本当に大切な物は目に見えないんだね﹂
汚れたぬいぐるみを見下ろして、芳朝が呟いた。
272
第六話 諦念の芽生え
借家に帰って扉を閉め、町を流れる空気を締め出す。
静かな借家に入り、芳朝に声を掛ける。
﹁⋮⋮風呂に入って体を温めろ﹂
﹁赤田川君の方が水を被ってたでしょ﹂
﹁俺は水を被っただけだ。だから先に入っておけ﹂
リビングに入って、照明として備え付けられている魔導核に魔力
を通す。
鬱陶しいほどの明かりがリビングを照らし出して、思わず顔を顰
めた。
コーヒーを淹れる気分にもならず、俺はガレージに足を向けた。
芳朝が着替えを持って二階の自室から降りてくる。
﹁温まったら、すぐに出るから﹂
﹁ゆっくり入ってろ。俺はディアとパンサーの整備をしてる﹂
﹁⋮⋮分かった﹂
二重扉を開けた時、すれ違いざまに芳朝が呟く。
﹁ぬいぐるみ、洗っておくね﹂
﹁あぁ⋮⋮﹂
俺はガレージに入って、ディアとパンサーを見る。
デュラでの戦闘や首抜き童子からの逃走、道中での泥跳ねなどの
汚れも目立つ。
273
金属の外装甲には細かい傷がいくつも走っていた。
濡らした布で泥をふき取り、内部も丁寧に清掃する。
基礎骨格の歪みはないか、バネや各関節の摩耗状況を点検する。
やはりというべきか、度重なる全力疾走の影響が随所に見られた。
まだ交換が必要なほどではないが、予備も含めて部品の追加発注
が必要になるだろう。
発注が必要な部品を一覧表にまとめる。
魔導銃の弾薬もそろそろ購入する必要がありそうだ。昨日今日の
使用分はすべて無駄になってしまった。
屋内とガレージを隔てる二重扉が開き、芳朝が顔を覗かせる。
﹁後はやっておくから、お風呂どうぞ﹂
﹁整備ならもう終わった。確認は明日にしよう﹂
芳朝が開けてくれた二重扉をくぐり、俺は着替えを取りに二階へ
上がる。
もう外へ出る用事もないから、と寝巻を持って一階に下りた。
キッチンから包丁を振るう音が聞こえてくる。
芳朝が夕食を作ってくれているらしい。
俺は脱衣所で服を脱ぎ、洗い物を入れるために用意している網籠
へ放り込んだ。
曇りガラスのはめ込まれた窓のそばに濡れそぼったぬいぐるみが
乾かしてあった。
拾ってきたキリーの母の形見だ。
俺は目を逸らして浴室に入る。
芳朝が入った後だから多少床が濡れていた。
温水の魔術式が刻まれたこぶし大の魔導核に手を触れると、シャ
ワーヘッドからお湯が流れ出る。
キリーの父親らしき中年男に浴びせられた水のせいでごわついた
髪を洗う。さっきは服を洗濯籠に放り込んだが、もしかするとシミ
274
になってもう着られないかもしれない。
別にあの服に愛着があるわけでもないのだが、乾かしてあるぬい
ぐるみの姿を思い出すと捨てるに捨てられない気がした。
ガレージでの作業着代わりに残しておこうか。
体を洗って浴槽に張られた湯に浸かる。
﹁はぁ⋮⋮﹂
息と一緒に疲れを吐き出す。
昨日今日と、我ながら盛大に空回ったものだ。
浴槽の縁に頭を預け、天井を見上げる。冷やされた湯気が結露し
て、時折滴が落ちてきた。
いつまで浸かっていても温まらない。
諦めて、風呂を出る。
寝巻に着替えた俺は首にタオルを掛けてリビングに入った。
夕食の支度を終えた芳朝が新聞を広げている。
﹁隣、座って﹂
ポンポンとソファの空間を叩く芳朝に言われるまま、俺は腰を下
ろす。
芳朝がソファに横向きに座り、肘置きに足首を乗せる行儀の悪い
姿勢になり、俺の肩に背中を預けてくる。
静寂に沈むリビングで、芳朝が新聞をめくる音だけがたゆたう。
あっちへふらふら、こっちへふらふらと所在無げな音は断続的で
軽薄だ。まぁ、新聞紙なんてそんな物だろう。
その時、芳朝が唐突に新聞を丸めて部屋の隅へ放り投げた。いく
ら軽薄だろうと束になればそれなりに重みを増す新聞は壁にぶつか
って情けない音を立てるとどさりと落ちる。
275
﹁やっぱり、赤田川君がいればいい﹂
それだけ言って、芳朝は立ち上がった。
キッチンに向かう芳朝は肩越しに振り返って手招く。
﹁早く食べて寝よう。この無駄な疲れをいつまでも引きずるのは癪
だしさ﹂
俺はため息を吐いて立ち上がる。
芳朝の言う通りだ。
骨折り損のくたびれ儲けなら、宵越しの銭を持つのは馬鹿らしい。
翌日の早朝、俺は芳朝とガレージで精霊獣機の最終点検を行った
後、ギルドに向かった。
人でごった返しているギルド館に入り、職員が開拓者たちの対応
に追われているのを横目に掲示板へ向かう。
急募、デュラ偵察第一陣、リットン湖攻略隊ロント小隊より、と
書かれた募集広告を見上げ、今朝の新聞記事を思い出す。
以前予測した通り、首抜き童子を始めとしたギガンテスたちによ
って陥落したデュラを奪還する前段階として、偵察部隊が派遣され
ることになったという記事だ。
偵察部隊の中核は主に開拓学校の今年度卒業者で構成されたロン
ト小隊だ。小隊長であるロントという人物だけは実戦経験豊富な四
十代の軍人らしい。引率者みたいなものだろう。
今回のデュラ偵察任務は実戦経験に乏しい卒業したての新人に経
験を積ませる意味合いもあり、安全を確保するためにギルドで人手
を募集しているようだ。
﹁この報酬額は渋りすぎだろう﹂
276
﹁小隊長が動かせる程度の資金なんてこんなものなんでしょ﹂
芳朝が募集広告を見上げてから周囲に視線を走らせる。
﹁報酬が少ないと思うのは私たちだけじゃないみたいだけどね﹂
ロント小隊長の懐具合には同情するが、命がけで参加するには二
の足を踏む報酬額だと考えているのは周りの開拓者も同じだ。
難しい顔をして腕組みしている開拓者が何人もいる。どの人も開
拓団を率いていそうな貫禄のある人たちだ。
だが、デュラ解放につながるこの依頼を、諸手を挙げて歓迎して
いる開拓者もいる。
元デュラの避難民だ。
もう少しで開拓者生活ともおさらばだ、と仲間と手を取り合って
喜んでいる。
デュラが陥落してから半年、開拓者としての活動中に命を落とし
た者もいる事だろう。
できる事なら開拓者を止めたいと考えているデュラの避難民は多
い。命がけだから無理もない。
そんな彼らにとって昔の生活に戻るための第一歩である今回の依
頼は朗報以外の何物でもないし、もしかすると参加を検討する者も
いるかもしれない。
﹁もしかして、この依頼かなり不味い事になるんじゃない?﹂
芳朝も俺と同じことを考えたらしく、眉をひそめて頷いた。
経験豊富な開拓者や実力のある開拓団が参加を渋るこの偵察任務
に開拓者歴半年程度のデュラの避難民が参加したとすれば、死亡率
はかなり上がるだろう。
277
﹁ロント小隊長は経験豊富な軍人だって話だし、大丈夫だと思いた
いけどな﹂
﹁軍人がギルドや開拓者をどう思っているかなんて分からないでし
ょう。捨て駒だとおもっていたら、参加した開拓者はかなり悲惨な
ことになるよ﹂
芳朝の心配も分かるが、俺たちの参加は既に決まっているのだか
ら、ここで何を言っても始まらない。
俺たちを見つけて、係員が歩いてきた。
俺と芳朝の会話が聞こえていたのか、顔が引きつっている。
﹁こちらへ来てください﹂
引きつった顔のまま、係員がテーブルに案内してくれた。
テーブルに着くと、係員は頭を抱える。
﹁勘弁してくださいよ、ほんと。アカタタワさんたちはただでさえ
注目度高いんですから、募集広告に文句言わないでください﹂
﹁赤田川です。文句なんて言ってませんよ。相談していただけです﹂
それに、俺たちが何か言ったとしても周りの開拓者は聞く耳持た
ないだろう。
事実、デュラからの避難民と思われる安物の剣を引っさげた集団
がデュラ偵察任務の募集に応募していた。
見回した限り、開拓団を率いるような開拓者たちは様子見を決め
たようだ。
係員も俺と同じようにギルド内の開拓者の動きを見て、ほっと溜
息をつく。
﹁お二人が同業者にも嫌われているという話は本当なんですね﹂
278
﹁そういう事あまり言わない方が良いと思いますよ﹂
﹁⋮⋮失礼しました﹂
係員は取り繕うように咳払いして、テーブルの上で手を組んだ。
﹁お頼みしていたデュラの各門における被害状況は確認してくださ
いましたか?﹂
俺は頷いて芳朝を見る。
芳朝は興味なさそうにしていたが、俺からの視線を受けてポケッ
トから紙を取り出した。
デュラ各門の被害状況を記したものだ。
係員は芳朝から紙を受け取ると内容に目を通す。
﹁確かに受け取りました。申し訳ありませんが、これをお二人が調
べたというのは内密にお願いします。偵察任務の参加者に知られる
と面倒事が起きそうなので﹂
起きるだろうな、面倒事。
俺と芳朝が持ってきた情報が本物のはずがない、くらいなら可愛
い方だ。偵察部隊を危険に晒すために虚偽の情報を書いてあるに違
いない、くらいはデュラの避難民なら平気で言ってのけるだろう。
﹁ギルドが参加者をふるいに掛けるんですか?﹂
﹁そうしたいのは山々ですが、デュラ避難民の方々は当日に押しか
けてでも参加しそうな勢いなんですよね。プライドが高いせいか、
根拠のない自信を持っている方も多くて⋮⋮﹂
係員がちらりとデュラの避難民を見てため息を吐く。
279
﹁アカタタワさんたちの情報は偵察部隊の進路の策定に使われると
思います。ギルドとしては、どこかの有力な開拓団に声をかけて開
拓者の被害を減らしたいと思っているんですが、受けてくれるとこ
ろが見つかるかどうか⋮⋮﹂
ため息を零してばかりの係員は紙を片手に立ち上がった。
﹁上にこれを見せてきます。現地の話を伺いたいので、一緒に来て
ください﹂
促されるまま立ち上がり、係員に付いて行く。
通されたのはちょっとした応接室だった。ソファは安物だが、壁
紙や絨毯はそこそこに高価な物だ。
上司を呼んでくると言って出て行った係員を見送り、お茶もなし
に待たされる。
それぞれ持ってきた文庫本を読んでいると、ノックもなしに係員
と上司が入って来た。
構わず読み続ける。
﹁⋮⋮お二人とも、お話を伺いたいのですが﹂
恐る恐るといったように、係員が声をかけてくる。
俺は片手を突き出して遮った。
﹁今いいところだからちょっと待って。もう少しで犯人が分かるか
ら﹂
﹁ノックもなしに入ってくるような連中だし、ほうっておきましょ
う。私は後三十ページくらいで区切りがつくから、それまで待って
て﹂
﹁なら、俺は読み終えるかな﹂
280
ページをめくるたび、探偵役の推理が進んでいく。
犯人の名前が出る直前、俺の前に紅茶が入ったティーカップが置
かれた。
仕方なく、俺は文庫本を閉じる。
﹁ご質問をどうぞ﹂
文庫本を膝の上に置いて、俺は係員を促す。
お茶もお出しせず、すみません、と係員が頭を下げた。
正直どうでもいい。
係員が上司だと紹介したのは五十歳に手が届こうかという男性だ。
男性は係員の不始末と無作法を詫びた後、いくつかの質問を投げ
てくる。
質問の内容は主に、デュラにおける魔物の密度と分かる限りの道
路状況、ギガンテスの数だ。
精霊人機でなければ対抗できない大型魔物であるギガンテスにつ
いては繰り返し質問された。
﹁では、いまだに首抜き童子と思わしき個体がデュラに巣食ってい
ると?﹂
﹁昨日出くわしたのが首抜き童子かはわかりません。指の欠損を確
認している暇がありませんでしたから。ただ、ロックジャベリンを
繰り返し使用していたのは確かです。魔力袋持ちとみるべきでしょ
うね﹂
﹁最悪の場合、魔術を使える大型魔物が二体以上いるのか。本格的
に実力派の開拓団が必要だな﹂
男性は腕組みをして唸る。
頭の中では付近で活動している開拓団の名前が並んでいるのだろ
281
う。
話が終わったようなので、俺は係員にデュラ偵察依頼へ参加した
い旨を告げる。
意外そうな顔をした係員は手持ちの紙束をめくって一枚の書類を
取り出した。
﹁参加は可能ですが、あまりお勧めしませんよ? お二人はデュラ
の方々にも嫌われていますから﹂
﹁別にどうでもいいです。デュラの人たちに関しては諦めたので﹂
ついでに言えば、この町の人々に対しても半ばあきらめつつある。
俺や芳朝が何をしたところで、きっとこいつらは受け入れないだ
ろうから。
そう割り切ってしまうのはとても気楽で、芳朝が引き籠るのも分
かる気がした。
282
第七話 デュラ偵察部隊
簡単な依頼をこなしつつ、デュラ偵察部隊出発の日を迎えた。
二日前にこの港町にやってきたリットン湖攻略隊ロント小隊は、
精霊人機三機と整備車と運搬車が一両ずつの五十人からなる部隊だ
った。内二十名が開拓学校を卒業したばかりの新人だが、新人のう
ち十名は整備班で戦闘への参加はほとんどしないという。
ロント小隊の精霊人機は見る事が出来なかったが、今日中に戦闘
があれば見る機会もあるだろう。
問題なのは開拓者だ。
開拓者の参加人数は三十名と開拓団が一つ。
開拓団はギルドが声をかけて引っ張ってきた〝竜翼の下〟開拓団。
付近で活動中の開拓団の中では戦闘力に秀でており、守備に関して
は高評価を得ている開拓団だ。
問題はその他の個別参加した開拓者である。
三十名中二十七名がデュラ出身者で構成されており、士気が高い
反面装備も実力も貧弱という扱いに困る集団となっていた。
デュラ出身ではない三名のうち一人が俺で、もう二人は見るに見
かねて参加した凄腕らしい。
構成人員を見たギルドが慌てて部隊編成に取り掛かり、俺と芳朝
を除いた十四名の部隊を二つ用意し、凄腕二人に指揮させようとし
ている。
開拓村でデュラの避難民の態度を見た経験から言って、凄腕がい
ようと、ギルドの指示があろうと、命令をどこまで聞くかはわから
ない。
竜翼の下開拓団も同様の見解で、参加を相当渋ったらしい。
俺と芳朝が参加すると聞いて、何故か竜翼の下開拓団団長ドラン
が参加を決定したと聞いている。
283
﹁コーヒー淹れたぞ﹂
﹁のむー﹂
やる気なさそうにソファで寝そべっていた芳朝が、力の入ってい
ない声を出す。
俺は芳朝にカップを渡して、自分のカップに口をつけた。
芳朝は息を吹きかけて白いコーヒーもどきを冷ましながら、ちび
ちびと飲んでいた。
﹁食後のコーヒーは赤田川君の一杯に限るね﹂
﹁そりゃどうも﹂
コーヒーを飲み干した俺は先にガレージへ入り、ディアとパンサ
ーを起動する。
昨夜、蓄魔石に魔力を充填しておいたので、三日はフル稼働でき
るだろう。
精霊人機と違って小さいうえに攻撃用の魔術を使用しないため、
精霊獣機はかなり燃費が良いのだ。
芳朝がやってきてパンサーの頭を撫でた後、ひらりと騎乗する。
ガレージの戸をあけてパンサーとディアを出した後、戸を閉めて
施錠した。
中ではいつも通り番犬代わりのプロトンが起動している。
俺はディアに跨り、集合場所である門へ向かった。
芳朝が文庫本を取り出して読み始める。
普段通り町の住人から白い目を向けられながら、のんびりとディ
アたちを歩かせる。
門にたどり着くと、意欲旺盛なデュラの避難民たちが集まって不
満そうな顔をしていた。
凄腕の開拓者らしき男二人がどうにか収拾をつけようとしている
284
が、まともに隊列も組めていない。
先が思いやられるな、と思いながら今回の指揮官であるロント小
隊長を探す。
しかし、ロント小隊長を見つけるよりも早く竜翼の下開拓団団長
ドランさんが副団長リーゼさんを伴って声をかけてきた。
俺たちを見ない様に視線を逸らしているリーゼさんに苦笑しなが
ら、ドランさんは俺に片手をあげて挨拶してくる。
無言で頭を下げて返すと、ドランさんは苦笑を深めた。
﹁うちの副団長がこんな態度で悪いね。今回の依頼ではよろしく頼
む。お前たち二人が参加すると聞いて、お詫びがてら手を貸そうと
思ったんだ﹂
﹁お詫び?﹂
首を傾げて芳朝を見る。芳朝も心当たりがないのか、首を傾げて
いた。
ドランさんはそんな俺たちを見て、参ったなと頭を掻く。
﹁開拓村に物資を運んでくれた時、うちの副団長が余計なことを言
ったろう? 他所の連中の事に首を突っ込むなと言い聞かせてるん
だが、世話焼きでね。余計なことまで言っちまう﹂
開拓村、と聞いてリーゼさんの言葉を思い出し、納得する。
確かに余計なおせっかいではあったが、別に間違った事は言われ
ていない。この世界の価値基準では、という枕詞が付くが。
芳朝が興味なさそうにパンサーの頭に肘を置き、ドランさんに声
を掛ける。
﹁よろしくも何も、私のパンサーや赤田川君のディアを気持ち悪い
って言うんでしょ? お互い近付かない方が良いと思うよ。不快に
285
なるだけなんだから﹂
リーゼさんの口がゆがむ。
冷めた目でそれを確認した芳朝が、やっぱりね、と肩を竦めた。
﹁赤田川君、行きましょう。ロント小隊長に挨拶くらいはしておか
ないと﹂
芳朝が俺の服の袖を取って引っ張る。
この場にいても意味はないと判断して俺がディアを動かそうとし
た時、ドランさんが口を開く。
﹁今のロント小隊長には会わない方が良い。あの素人どもを見て、
精霊人機の後方に置くと判断するような奴だ。お前たち二人は使い
潰される﹂
ドランさんが素人と指差すのはデュラの避難民達だ。まだ隊列が
完成していないように見える。横の仲間と話してばかりで動きもば
らばらだ。
精霊人機の後方とは、精霊人機で撃ち漏らしがちな小型魔物や中
型魔物を押しとどめ、後方の整備車両や運搬車両に到達させないよ
うにする人間バリケードだ。精霊人機と交戦している大型魔物の動
きにも注意しながら中型魔物を優先して狩る技量が求められるため、
広い視野と巧みな連携、確かな技量が求められる。
そこに素人同然のデュラの避難民を配置するのは、よほどの馬鹿
か、さもなくば冷血漢だ。
﹁ロント小隊の随伴歩兵はどこに配置されるんですか?﹂
﹁さすがに開拓学校の教科書を読みこんだというだけはあるな﹂
286
リーゼさんから聞いたのか、ドランさんは感心したように顎を引
く。
爪先で地面に丸や線を描いたドランさんは、配置を説明してくれ
た。
最前線にロント小隊の精霊人機が三機、その後方にデュラの避難
民で構成された開拓者の歩兵部隊、その後方にロント小隊の随伴歩
兵隊、その後方には整備車両や運搬車両があり、車両の左右には開
拓団竜翼の下の精霊人機が一機ずつ、殿にはロント小隊の車両護衛
隊という配置のようだ。
実力のある竜翼の下は左右に分散配置して車両を守るための盾と
し、使い勝手の悪い素人開拓者の一団は前線で肉の壁として扱って
中型魔物の気を引いて足止めさせる。実戦経験の少ないロント小隊
の兵は内側に配置して消耗を抑えつつ経験を積ませる。そんな布陣
だ。
小隊長は決して馬鹿ではない。確実に言えるのは開拓者を消耗品
として配置する冷血漢だという事だけ。
この布陣を悪びれもせずに竜翼の下団長に明かすくらいの冷血漢
なら、生理的嫌悪感が湧くという精霊獣機を見た時の反応も想像が
つく。
俺や芳朝の場合、他の開拓者同様に前線に送られるのは非常にま
ずい。精霊獣機の長所である機動力が殺されてしまう。
芳朝も目を細めて思案しているようだ。
そこで、とドランさんが口を挟んでくる。
﹁お前たち二人を一時的に我が開拓団の指揮下に加えようと思う。
そうすれば、車両横の警護と索敵が任務となり、お前たちは比較的
安全だ。デイトロの奴も、二人の索敵能力は確かだと証言していた
から、期待している。具体的な配置は︱︱﹂
﹁いえ、信用できないのはドランさん相手でも同じなので、指揮下
に加わるつもりはありません。竜翼の下の指揮下に入ったらロント
287
小隊長の指揮下に変更できませんから、もしもの時に取り返しもつ
きません。今回だけとはいえドランさんの上官に当たるロント小隊
長に断りもなく編入の話をするのもはばかられますから、まずは挨
拶が先ですね﹂
ドランさんの言葉を遮って、編入を断ると、ドランさんは驚いた
ように目を見開いた。
リーゼさんがドランさんの隣でため息を吐く。
﹁悪化してますね﹂
赤縁眼鏡の下の瞳を鋭く光らせて、リーゼさんが俺を睨んでくる。
﹁以前はまだ、二人きりの世界に閉じこもる事に罪の意識があった
はずです。周囲に受け入れられようと言動にもある程度気を使って
いた。それなのに、今の態度は何ですか?﹂
俺がうんざりして言い返そうとすると、芳朝が先にリーゼさんを
睨んで言い返していた。
﹁受け入れる気構えもないのに大層なことを言わないでください。
気持ち悪いです﹂
リーゼさんに言われたくないと思っていたのは芳朝も同じだった
か。
怯んだリーゼさんが悔しそうに顔をそむけると、ドランさんが苦
笑した。
﹁だから他所の事に首を突っ込むなって言ってんだろう。気遣いっ
てのは言葉と態度で取り繕いながらするもんだ。そうでないと押し
288
付けがましいだけだろうが﹂
﹁しかし、団長︱︱﹂
﹁あぁ、やめやめ。お前の仕事は団の内側、俺の仕事が団の外側、
そういう分担だろうが。一回整備方法を教えたくらいでこの二人が
団の内側に入ったと思ってんなら大間違いだ。依頼だったんだろ?
報酬も貰ったろう? なら、もう終いのはずだ。いつまでも引き
ずるんじゃねえよ。だから男に逃げられるんだ﹂
﹁それは、関係ないです﹂
﹁重いんだよ、お前。自覚しろ。婚期逃すぞ﹂
﹁お、重い⋮⋮﹂
ショックを受けた様子のリーゼさんにかまわず、ドランさんが俺
をまっすぐに見てくる。
﹁断られておいて諦めが悪いと思うかもしれんが、編入はいつでも
歓迎する。ひとまずロント小隊長に会ってくるのも悪くないだろ﹂
そう言ってドランさんが指差す先には整備車両があった。開拓団
が使うようなものではなく、軍用のがっしりした整備車両は、驚い
たことに鱗状の遊離装甲で側面が覆われている。
魔力を馬鹿食いする遊離装甲をつけた車両なんて初めて見た。め
ちゃくちゃ燃費悪いぞ、アレ。
ロント小隊長はあの整備車両にいるそうだ。
ドランさんに礼を言って、俺は芳朝と一緒にロント小隊の整備車
両に近付く。
見慣れない精霊獣機に警戒したらしいロント小隊の兵が剣の柄に
手を掛けた。
﹁開拓者か? 何の用だ?﹂
﹁ロント小隊長にご挨拶をしようかと思ったんです。少々特殊な兵
289
器を乗り回しているもので﹂
ポン、とディアの頭に手を置くと、兵は眉をひそめた。
﹁得体のしれない精霊兵器を乗り回している開拓者がいると聞いた
が、お前達か。少し待っていろ﹂
兵は横柄な態度でそう言って整備車両の助手席に走って行く。
ドア窓越しに兵が助手席の人物と二言三言会話すると、助手席か
ら四十代のひげを蓄えた男が下りてきた。
赤い髪に碧の瞳、象牙から削り出した彫刻のような整った顔だが、
眉間には深いしわが刻まれている。
﹁ロントだ。この小隊を預かっている。事前に各門の状況を調べた
という開拓者はお前達だな?﹂
おい、係員、情報がだだ漏れてんぞ。
肯定も否定もせずに流そうとしたが、ロント小隊長はディアとパ
ンサーを一目見て舌打ちする。
﹁確かに不快な兵器だ。だが、たった二人で魔力袋を持ったギガン
テスを振り切ったというからにはそれなりに使えるか。何が得意だ
?﹂
感情面では否定しつつ、有用性は認めてくれるらしい。かなり割
り切った思考を持つ現実主義者のようだ。
素人開拓者を前線に配置するのも頷ける。
﹁索敵の魔術式があるのでかなり広範囲の斥候ができます。ゴライ
アも一体か二体なら無力化が可能です﹂
290
﹁⋮⋮かなり腕が立つな。索敵の魔術式というのは?﹂
マッピングの魔術式は特許を取っているが、防犯上秘匿している
索敵の魔術式は一般公開していない。
詳細は伏せて、広範囲の動物や魔物を見つけ出す魔術だと説明す
る。
ロント小隊長は顎髭を撫でて目を細める。
﹁それが本当なら、今すぐ一般公開しろ。軍人の死亡率が下がる﹂
﹁お断りします。穴を突かれて俺たちの家に盗みに入る奴が出るの
で﹂
すでに、俺と芳朝が出かけている間に盗みに入ろうとして索敵魔
術に引っかかり、番犬代わりのプロトンに取り押さえられた空き巣
が三人いる。
今は空き巣で済んでいるが、強盗や俺たちの命を狙う輩も出ない
とは限らない。キリーの父親に水を掛けられたのも記憶に新しい。
防犯と護身は徹底しなくてはいけない。
ロント小隊長は俺を見下ろして腕を組んだ。
﹁自分さえ助かれば他の者がどうなろうとかまわないか。だから開
拓者は信用ならん﹂
﹁どうとでも﹂
俺も芳朝も、死ぬわけにはいかない。互いの存在は決して代わり
が見つからないのだから。
だから、他の人間よりも相手を優先することに躊躇いはない。
交渉は無駄だと悟ったのか、ロント小隊長は忌々しそうに舌打ち
して、素人開拓者の一団を見て鼻を鳴らす。
291
﹁お前たち二人は我が隊の精霊人機に先行して索敵に当たれ。戦闘
への参加は最小限で構わない﹂
﹁了解しました﹂
少なくとも、飼い殺すよりは使い潰す道を選んだらしい。
やっぱり、ロント小隊長は現実主義者の冷血漢なのだろう。
292
第八話 デュラへの行軍
素直に使い潰されてやるいわれもない、と俺は芳朝と並んで偵察
部隊に先行し、進路上や左右の森を警戒する。
偵察部隊とはいえ総勢百を超え、精霊人機が五機もあるため非常
に目立つ。
魔物はひっきりなしにやってきた。
精霊人機が五機揃っている時点で中型魔物は歯牙にもかけないの
だが、奇襲を受けると素人開拓者が死んでしまいかねないため、俺
と芳朝は早期の敵発見に全力で当たっていた。
本日六度目の鳴き声をディアがあげ、続いてパンサーが唸った。
﹁北か。芳朝、連絡を頼む﹂
﹁了解﹂
芳朝が魔物の発見を知らせるために火の魔術ファイアボールを上
空に打ち上げる。
俺はディアを操作して北に向かった。
森の木々を掻き分けて進むと、魔物の群れを発見する。
小型魔物ゴブリンの群れだ。二十匹ほどいる。
この数のゴブリンが群れているという事は、近くに上位者である
ゴライアかギガンテスがいる可能性が高い。
ギガンテスの巨大な足音はしない事から、近くにいるのはゴライ
アだろう。
俺は一時離脱して、ディアの索敵範囲と精度を変更する。
中型以上の魔物にのみ反応するように変更した索敵魔術で周囲を
探ると、反応があった。
肩にかけていた対物狙撃銃を下ろし、スコープを覗き込む。
293
幹に小指をぶつけて呻いているゴライアを発見した。少し同情し
つつ、隙だらけのゴライアの眉間に照準を合わせて引き金に指を掛
ける。
いま楽にしてやろう。
ゴライアの眉間を打ち抜き、絶命させる。
発砲音にゴブリンたちが慌て始めた。
直後、芳朝がゴブリンの群れに銃撃を加え、三匹仕留めて離脱す
る。
芳朝の奇襲を受けたゴブリンがさらに混乱し、四方八方へ逃げ惑
う。
こうなってしまえばもうこちらのものだ。
芳朝と手分けしてゴブリンを殲滅した後、生き残りがいないかを
索敵魔術で調べ、戦闘終了の合図を送った。
偵察部隊から水の魔術、ウォーターボールが上がる。了解と索敵
続行の合図だ。
﹁今のところ戦闘を経験しているのは私たちだけね﹂
﹁第一発見者が俺たちになると、どうしてもな﹂
大型魔物であるギガンテスが出てくれば俺たちの手には負えなく
なるが、ゴライアやゴブリンだけなら偵察部隊が来る前に片付けて
しまえる場合がほとんどだ。
特に、森の中は芳朝のパンサーと相性がいいため、ゴブリンなど
は抵抗もさせずに殲滅してしまえる。
問題は射線確保が難しい俺の対物狙撃銃だが、ゴライアのような
中型魔物は森の中で動きが制限されがちで、索敵魔術で先に発見し
てから狙撃の機会を待てば何とかなってしまう。
したがって、俺と芳朝ばかりが撃破数を稼ぐ形になっていた。
今回の任務はあくまでもデュラの偵察であるため、戦力を維持し
なければならない。だから道中は俺たちで積極的に魔物を狩れとロ
294
ント小隊長から指示もでている。
﹁でも、一回くらいは組織だった戦闘を経験しないと、デュラでの
偵察任務中に前線に配置されてるデュラの人たちが死にそうなんだ
よな﹂
圧倒的な経験不足が見て取れるデュラの人たちを思い出して心配
していると、芳朝が首を横に振った。
﹁死にそうだからこそ、今は戦いを避けた方が良いの。凄腕の開拓
者がいま行軍にかこつけて隊列訓練しているから、訓練が終わるま
で戦闘は禁物よ﹂
隊列訓練で少しは様になるのだろうか。
不安が顔に出ていたのだろう、芳朝は﹁心配性ね﹂とため息を吐
いた。
﹁別に、戦う力はつけなくてもいいのよ。逃げる訓練ができてれば
それでいいの。大型魔物でない限りは私たちや精霊人機で食い止め
られるんだから﹂
﹁最初から戦闘力には期待してないのな﹂
﹁期待できるわけないでしょ。精霊獣機が無かったら、私たちも大
して変わらないか、酷いくらいよ﹂
否定できない。
俺が痛む右足をさすっていると、芳朝が身を乗り出して俺の右太
ももに手を置いた。
﹁⋮⋮また痛むの?﹂
﹁我慢できる程度だ。索敵を続けよう﹂
295
芳朝の手をどけて、俺はディアを進める。
しばらく鳴りを潜めていた右足の幻肢痛の発症頻度がこの数日間
で急激に増していた。
記憶をさかのぼると、幻肢痛の発症頻度が増えたのはキリーの一
件があってからだ。
芳朝と出会ってからは少しずつ発症頻度が下がっていたのだが、
なぜ今になって増えたのか、俺にも分からない。
芳朝も俺の幻肢痛の頻度が増えている事に気付いているらしく、
心配してくれている。
不意に、芳朝が偵察部隊のいる方角を見た。
﹁キリーの父親も参加してたね﹂
﹁⋮⋮あぁ﹂
宿の前で俺と芳朝に水を浴びせた中年男、キリーの父親が偵察部
隊の開拓者に混ざって前線に配置されているのは見た。
子供のいる身でこんな依頼に参加するなと言いたいが、どうせ聞
く耳など持たないだろう。
彼ら素人開拓者は軍と行動を共にして数日戦闘に参加するだけの
安全な依頼だと思っているのだから。
実際にはロント小隊長から単なる人間バリケード程度にしか思わ
れていない事など知る由もない。
一度街道に戻って反対側の森を調べようとした時、パンサーとデ
ィアが同時に警告音を鳴らす。
また魔物だ。
俺はディアの前足を上げて後ろ脚だけで立たせ、その場で反転す
る。角が大きいディアは幹にぶつかって音を出すため、斥候中に森
の中で即反転するにはちょっとしたコツがいるのだ。
296
﹁上手になったね﹂
﹁もっと褒めてくれてもいいぞ﹂
﹁⋮⋮まって、足音が聞こえる﹂
芳朝が瞼を閉じて耳を澄ます。
俺も芳朝に倣って耳を澄ますと、微かに足音が近付いているのが
分かった。
ディアとパンサーの索敵に引っかかった直後から足音が聞こえる
という事は︱︱
﹁大型魔物か。芳朝、戻るぞ﹂
﹁分かった﹂
大型魔物の接近を警告するため、俺は芳朝と一緒に上空へファイ
アボールを放つ。二つ並んで打ち上がった火球に、偵察部隊から了
解のウォーターボールが打ち上がった。
すぐにディアとパンサーの全速力で偵察部隊に戻る。
行軍中も魔物を警戒して起動状態だった精霊人機が、大型魔物が
来る西に向けてハンマーや盾を構えている。
大型魔物が来ると分かっている以上、その方向に向けて陣形を組
み直すのは当然だ。
しかし、素人開拓者の移動があまりにも遅すぎる。
後方の整備車両の助手席に座っているロント小隊長がイライラし
てこめかみを指先で叩いているのが見えた。
﹁ちょっと酷過ぎるね﹂
遅々として進まない陣形の組み直しを眺めていた芳朝が嘆息する。
奇襲を受けたわけでもないのに浮足立った素人開拓者たちは、誰
が誰の隣で武器を構えるかで混乱している。
297
足並みがそろっていないために隊列を維持したままの移動や方向
転換ができておらず、移動中に人の並びが入れ替わってしまったの
が原因だろう。
凄腕開拓者が走りまわって一人一人の位置を正す姿は、まるで牧
羊犬だった。
小学一年生の行進でもここまでひどい事態にはならないはずなの
だが、ただでさえ我が強いデュラの住人はこの依頼が故郷奪還の布
石になるため非常に士気が高く、さらには初の戦闘とあって手柄を
立てやすい位置に出ようと突出しかけている。
芳朝の言う通り、酷過ぎる状況だ。
整備車両でロント小隊長が俺たちを手招いているのが見えて、芳
朝と一緒に駆け寄る。
助手席の窓から苦い顔で前線の素人開拓者たちを見ていたロント
小隊長は、近くに来た俺にすぐ指示を出してきた。
﹁後方と側面の索敵をしろ。大至急だ。問題が無ければ竜翼の下を
前線に出す。同業者の死体が見たくなければすぐに動け﹂
﹁感謝します﹂
俺が即答すると、ロント小隊長は面食らったようにこちらを見る。
気にせずに、俺は芳朝に向き直った。
﹁右回りで頼む﹂
﹁赤田川君は左回りだね、分かった﹂
手分けして側面と後方の安全を確認するべく、俺は芳朝と整備車
両横で別れ、ディアの速度を上げる。
左側面に反応は無し、後方に回り込んで芳朝と合流し、左右側面
および後方に魔物がいない事を確認してすぐに報告の合図を上げる。
整備車両から了解のウォーターボールが打ち上がり、待ってまし
298
たとばかりに竜翼の下の精霊人機二機が車両側面から走り出した。
竜翼の下の精霊人機バッツェとガンディーロは重装甲かつ重武装
であるため鈍重だが、ギガンテスの襲撃には間に合った。
巨大な盾を前面に構え、半身となったバッツェが睨む先にギガン
テスが現れた。
精霊人機を発見したギガンテスが雄たけびをあげ、雑草でもむし
るように傍らの木を引き抜くと投げつける。
人など簡単に圧殺できる大木の投擲に素人開拓者が一斉に悲鳴を
上げた。
しかし、竜翼の下は防衛に定評のある開拓団だ。
精霊人機バッツェは飛来する大木を盾で受け止め、神経質なまで
に調整を施された腰部と脚部の繊細な動きであっさりと威力を殺す。
バッツェの前に大木が転がった。
﹁凄いな。なんだあの動き﹂
魔導工学の粋を集めた精霊人機といえど、大質量の飛来物をいな
せるほど微細な動きはなかなかできない。操縦者の技量以前に、精
霊人機の構造上、どうしても動きの硬さが取れないからだ。
バッツェの操縦者の腕は確かだが、それ以上に精霊人機の調整が
巧みだ。
最初から半身で飛来物を受け止めるために脚部のトー角を弄って
足の踏ん張りを利きやすくしてあり、キャンバー角の調整を行う事
で反応が多少遅れても足を開きやすくしてある。
道理で鈍重なはずだ。あの脚部の調整は走り回って攻撃するため
のものではなく、その場に陣取って長く防衛するために設定されて
いる。
続けざまにギガンテスが投げてくる大木は同じく竜翼の下の精霊
人機であるガンディーロが盾で受け止めて威力を相殺し、前に転が
した。
299
竜翼の下が前線にいるだけで、まるで竜の庇護下にいるような安
心感がある。
ギガンテスに気を取られている間に、森からゴブリンが走り込ん
できた。
竜翼の下があっさりとギガンテスの攻撃を防いだこともあり、素
人開拓者は安心してゴブリンに向けて武器を構える。
しかし、素人開拓者のさらに前にいるロント小隊の精霊人機三機
がハンマーを振り下ろしてゴブリンを片端からミンチにした。
ロント小隊の精霊人機は三機とも目立った特徴のない扱いやすい
機体だ。肩に刻まれた機種名と型番が唯一の違いで、三機とも見た
目も変わらない。軍用であるため、開拓団が使うような特異な物で
はなく、平均化されているのだろう。
だが、開拓団の操縦者とは動かし方がまるで違った。
無駄のない連携と戦闘ではなく作業をしているのではないかと思
わせる安定した動き、おそらくは幾度となく反復練習しただろう型
を用いてスムーズに精霊人機を動かし、関節の疲労を蓄積させない。
生身の人間よりもはるかに動きが硬い精霊人機に合わせて考案さ
れた武術を使い、精霊人機では対処が難しいはずのゴブリンを適度
につぶしながら、時折混ざっている中型魔物ゴライアをハンマーで
殴りつけて叩き殺す。
前線に配置されている素人開拓者の一団にたどり着けるゴブリン
は五匹に一匹程度、ゴライアは確実に精霊人機が殺している。
同士討ちを避けるため、開拓者の一団に近付いたゴブリンまでは
攻撃できないが、それでも精霊人機による攻撃は確実に魔物の勢い
を減らしていた。
辿り着いたゴブリンも素人ながら三十人の開拓者に対して一匹か
二匹で抗えるはずもなく、さりとて逃げ出せば精霊人機に殺される。
戦闘は三十分ほどしてギガンテスの逃走をもって終了した。
素人開拓者の一団に辿りつけたゴブリンの数は七匹、精霊人機に
殺された数は把握できない。
300
ゴライアも十匹ほどが精霊人機に殺されたようだ。
ロント小隊長が魔物の死骸を片付けるよう命じ、素人開拓者が文
句を言いながら死骸を一か所に集める。
死骸を燃やした後、しばらく行軍した偵察部隊は早めの野営を始
めた。
目標の三分の二程度しか進んでいないにもかかわらず、ロント小
隊長が野営を決めたのは素人開拓者たちの体力を考えたからだろう。
テントを買う金もないのか、それとも運ぶ余裕がないのか、素人
開拓者たちが寝袋を地面に直置きして寝転がる中、ロント小隊は天
幕を張っていた。
俺は芳朝と相談して開拓者の集団からやや離れたところで精霊獣
機を駐機状態にして、早めの夕食を摂る。
今回の戦闘は俺と芳朝が早期にギガンテスを発見したことが決め
手となって人的被害を素人開拓者二人の怪我だけで済ませる事が出
来た。
しかし、デュラへの威力偵察を始めた場合はどうなるか、想像に
難くない。
﹁想像以上の被害がでそうだな﹂
俺が暗鬱とした気分で呟くと、自分で作った食事をまずそうに食
べていた芳朝が頷く。
芳朝の食事は相変わらずおいしいのだが、明日の素人開拓者の末
路を考えると味が分からなくなってくる。
﹁威力偵察は私たちの索敵が機能しても戦闘しないと意味がないし、
悲惨なことになるだろうね﹂
もそもそとパンを齧って、芳朝がため息を吐いた時、後ろから声
を掛けられた。
301
﹁二人とも、ちょっと来てくれ﹂
竜翼の下開拓団団長ドランさんがそこにいた。
この期に及んでまだ勧誘してくるつもりかと警戒すると、ドラン
さんは深刻な顔で素人開拓者を一瞥し、俺たちに向けて静かにする
よう唇に立てた人差し指を当てて指示してくる。
﹁ロント小隊長が呼んでいる。明日以降の作戦を練りたいそうだ﹂
﹁⋮⋮ロント小隊長もデュラの避難民を見て危機感を持ったという
事ですか﹂
﹁壁の役にも立たないと判断したんだろうね﹂
芳朝が辛口ながら真実を口にした。
俺は芳朝と一緒に立ち上がり、精霊獣機にまたがる。盗まれるよ
うなものではないが、デュラの連中にいたずらされないとも限らな
い。
ロント小隊の天幕に着いて、精霊獣機を入り口の前に停めた俺は、
ドランさんの後に天幕へ入る。
天幕の中にはロント小隊長とその副官、さらに竜翼の下副団長リ
ーゼさん、素人開拓者を率いている二人の凄腕開拓者が待っていた。
ドランさんがリーゼさんの横に座る。
ロント小隊長が向かいの席を指差した。
﹁君たち二人はそこに座りたまえ﹂
俺は芳朝と並んで席に着く。
ロント小隊長が簡易の会議机に両肘を突き、手を組む。
芳朝が俺の耳に桜色の唇を近づけ、囁く。
302
﹁ゲンドウのポーズだよね、あれ﹂
﹁始まったな﹂
会議が、ね。
俺たちの内緒話でネタにされているとも知らず、ロント小隊長が
口を開く。
﹁アカタタワとホーアサだったな。お前たち二人の索敵能力は評価
している。特に、先ほどの戦闘ではよく働いてくれた。感謝する﹂
感謝なんてされると思わなかった。
俺の中でロント小隊長の株が上がる。
ロント小隊長が会議机を囲む面々を見回して、ため息交じりに呟
く。
﹁正直なところ、使える開拓者はここにいる者だけだ。他の連中は
足を引っ張っている﹂
素人開拓者を率いている凄腕二人が悔しそうな顔で歯噛みする。
君たちのせいではないとロント小隊長がフォローした。また俺の中
で株が上がる。これは買いだな。ショートで。
このまま作戦を継続すれば素人開拓者が全滅する恐れがあるとロ
ント小隊長は語り、反論はあるかと周囲を見回した。
あるわけがない。素人開拓者の全滅だけで済めばいい方だ。前線
が瓦解して混乱した素人開拓者が四方へ逃げ出し、それを避けよう
とした精霊人機が転倒したり、後方の車両組をかき乱して組織戦が
不可能になる事も有り得る。
そうなれば、偵察部隊そのものが全滅しかねない。
全員が同じ予測を立てている事にロント小隊長はため息を吐いた。
同業である開拓者から見ても不良物件ばかりの素人を集めたことを
303
後悔しているのだろう。
募集条件を絞ればよかった、とロント小隊長は呟いて、顔を上げ
る。
﹁︱︱明日以降の作戦についてこの場で会議がしたい。君たちの意
見も取り入れる。積極的に発言してくれ﹂
304
第九話 会議という名の押し付け合い
作戦会議と言われても、俺には百人規模の人間がどう動くかなん
て想像がつかない。
開拓団を率いているドランさんやリーゼさんならば有用な意見も
出るだろうと、自然と視線が竜翼の下開拓団の二人組に向かう。
ドランさんが頭を掻いた。
﹁とりあえず、今回の偵察任務の詳細から洗い出したらどうだ?﹂
ドランさんの意見を受け入れて、ロント小隊長が部下に指示を出
して会議机にデュラの市街地図を広げる。
﹁今回の任務は威力偵察だ。デュラに潜入し、門を退路として確保
したうえで戦闘を行う。ギガンテスが三体以上集まった時点で偵察
を終了してデュラの外へ撤退する。これを北門、西門、南門で一日
ごとに行う﹂
デュラの中にどれほどの魔物が巣食っているのかはまだわからな
い。
キリーの依頼で忍び込んだ際には首切り童子の他に二体のギガン
テスを確認している。他にも相当数が潜んでいそうだ。
デュラの町中に木霊するギガンテスの雄たけびを思い出し、ゾク
リとする。
今回の威力偵察には、精霊人機でしか対応ができない大型魔物ギ
ガンテスが集まるまでの平均時間を割り出して、奪還作戦に生かす
目的がある。
また、魔物の数が多すぎる場合は付近の村や町に避難を呼びかけ
305
たり防衛強化を行う必要が出てくる。
﹁そろそろデュラの町にあった備蓄食料も食い尽くされた頃だろう。
今日遭遇したギガンテスも食糧を見つけるべくデュラを出たと考え
られる﹂
ロント小隊長が締めくくり、凄腕開拓者二人に視線を移す。
﹁あのど素人共に三日の連戦は可能か?﹂
﹁フルメンバーでは無理でしょうな。そもそも、一日目で飛び出し、
死ぬ輩も出るでしょう﹂
だろうな、とロント小隊長が同意する。
素人開拓者の数は二十六、凄腕二人と俺、芳朝を加えて三十名が
歩兵としての開拓者だ。
まぁ、俺と芳朝は騎兵みたいなものだが、この場で言う歩兵は大
型魔物を相手に出来ないという意味だから間違いではない。
﹁素人の数は二十六。十人までなら欠けても使い道はあるが、それ
は戦う意思が残っている場合だ。何人までなら、死んでも戦闘を続
行できると考えられる?﹂
ロント小隊長がどぎつい質問をする。
凄腕開拓者は首を横に振った。
﹁三人が死亡か重傷を負った時点でかなり萎縮するでしょうな。五
人倒れれば闘志は折れる﹂
﹁隊列を一列並びにすればどうだ? 端の状況が分からなければも
う少し耐えられるだろう﹂
﹁実力がない以上、一列に並べても物の役には立ちますまいよ。分
306
断後、各個撃破でしょうな﹂
ゴブリンに列へ割り込まれて動揺し、次々と倒されていく素人開
拓者たちの光景がありありと浮かんできて、俺は思わず顔を顰める。
その時、芳朝が片手をあげて発言許可を得た。
﹁二つ質問があります。現時点で彼らはゴブリン一体を何人で倒せ
るのか、それとロント小隊に銃は配備されているか、です﹂
芳朝の質問に、凄腕開拓者は四対一で素人開拓者の勝利、三人で
は上手く近づくことができずに時間がかかるだろうと答えた。
ロント小隊長が首を振る。
﹁精霊人機用の銃ならば配備されているが、人間が扱う銃は三丁あ
るだけだ。いずれも精霊人機の操縦者が持っている﹂
聞けば、精霊人機が故障したり破壊されたりした場合に精霊人機
から降りて魔物の群れの中を切り抜けて逃走を図るために、操縦士
は銃を携帯しているらしい。操縦席に持ち込める大きさの武器が限
られるため、銃の他にはナイフがあるという。
素人開拓者への貸し出しは出来ないとの事だった。
銃があれば即席でも戦力になるのだが、芳朝の目論見は外れたら
しい。
しかし、素人開拓者とゴブリンの戦力比を出したことには効果が
あった。
ロント小隊長が凄腕開拓者に視線を向ける。
﹁あの素人どもは四人まとめて最小単位として運用するとして、問
題は配置と指揮官だ。手は足りているのか?﹂
﹁素人共はこちらの指示に聞く耳を持ちませんので、指揮官が何人
307
いても無駄でしょうな。今回の戦闘でも命の危険をさほど感じなか
ったでしょうから、魔物をなめてかかっている節もあります﹂
﹁明後日の偵察任務次第か。配置について意見のある者は?﹂
ロント小隊長が見回すと、竜翼の下開拓団の二人が視線を逸らし
た。
しかし、ロント小隊長の副官が発言する。
﹁前線に置くよりも側面に置く方がよいでしょう。威力偵察任務で
すからどうしても魔物を相手に背中を晒す撤退戦が含まれます。前
線に素人を置くと撤退しながらの反撃は出来ません﹂
撤退戦を行う際に前後を反転して動くなら、素人開拓者が殿の形
になってしまう。右、ないし左に回りながら反転すれば別だが、今
日の動きを見る限り素人開拓者は隊列を維持しての方向転換は出来
ない。
副官の言う事は理に適っていたが、側面に配置するとお守り役に
なるのが竜翼の下開拓団だ。
竜翼の下の団長ドランさんがたまらず口を挟む。
﹁まてまて、そもそもあいつらを今まで前線に配置していた理由を
思い出せ。貧弱で使い物にならないからだろ。もしも抜かれてもロ
ント小隊の歩兵隊が食い止める二段構えで安心できたからだろ。側
面に配置したら誰が討ち漏らしの処理をするんだ﹂
竜翼の下開拓団は精霊人機を二機所有する開拓団だ。小型魔物や
中型魔物に対しては開拓団の戦闘員が打ち漏らしを処理する形を取
っている。
竜翼の下の精霊人機は守備に重点を置いた仕様であり、魔物を殺
すことには向いていない。鈍重なため距離を取られると接近も難し
308
い。
そんな精霊人機の欠点を戦闘員との密な連携で補っている。
事情を知らないわがままな素人開拓者を連携に組み込めるはずが
ない。
ロント小隊長がため息を吐いた。
﹁分かっている。しかし、我が小隊に至っては兵の実戦経験さえ乏
しい。その点、竜翼の下は戦闘員に至るまで経験豊富だ。なんとか
できないか?﹂
﹁無茶言ってる自覚があるならよしてくれ。側面に配置するくらい
なら殿に置いた方が良い。今回の任務に限って言えば戦闘を極力回
避できる配置で、撤退時にも安全だ。至れり尽くせりだろうが﹂
﹁それこそ無茶だ。殿に連中を置けば撤退時の動きが大きく出遅れ
る。前線にギガンテス三体以上がいる中で撤退の遅れが何を意味す
るかなど、開拓団を率いる君が分からないはずはあるまい﹂
ロント小隊長にぴしゃりと跳ね除けられて、ドランさんが悔しそ
うな顔をする。
予想していた事だが、会議の内容が足手まといの押し付け合いに
なっている。
素人開拓者をどう使うかという議題だったはずなのだが⋮⋮。
リーゼさんが発言の許可を得る。
﹁側面に配置するとしても、場所は車両横やや後方にしてください。
我々竜翼の下は車両横前方の敵に対処しつつ、後方へ戦闘員を並べ、
車両と開拓者を守る形で陣を組みます﹂
リーゼさんの言葉にようやく配置が決まったかとロント小隊長は
肩の荷が下りたような顔になる。
ドランさんが腕を組んでため息を吐いた。
309
﹁守るとは言ったが、守り切れるとは思わない。戦闘員を薄く長く
配置する以上、討ち漏らしがかなりの数で素人共に襲い掛かるだろ
う。一回の戦闘で半数は死ぬかもな﹂
暗い予想を立てるドランさんを一瞥して、ロント小隊長は考え込
む。
不意に俺へ目を向けたロント小隊長が声をかけてきた。
﹁索敵に当たっている間、何度か魔物と交戦していたな﹂
﹁えぇ、ギガンテスが出るまではこちらで処理していました﹂
基本的には十匹程度の小規模なゴブリンの群れやせいぜいゴライ
アが一体混ざっている程度の集団だ。
ロント小隊長の目が光る。
﹁二人でゴライアとゴブリンの混成群を相手取れるんだな?﹂
あ、これはまずい流れだ。
確かに、俺と芳朝が揃っていればゴライアとゴブリンを相手に出
来ない事もない。それは森の中だけでなく、デュラのような市街戦
でも同じだ。
しかし、それは俺と芳朝の二人だけの場合に限る。
﹁精霊獣機の機動力があるからこそ、距離を開けながら混成群を相
手に出来ます。ですが、素人開拓者を守りながら戦うのは無理です
ね﹂
﹁守る必要はない。車両の左右を見張り、適度に手を貸すだけで構
わない。優先順位はゴライアの撃破、次いで十匹以上のゴブリンが
やってきた場合の援護だ。できるかね?﹂
310
できるかできないかで言えば、できる。
隣の芳朝を見ると、彼女は諦めたように頷いた。
会議机を囲む他の面々も全員で説得する構えを見せている。
﹁⋮⋮善処しましょう﹂
俺も諦めて、ロント小隊長の命令を承諾した。
ロント小隊長が会議の終わりを告げる。
﹁ご苦労だった。各人、よろしく頼む﹂
苦労するのはこれからだけどな、と言いたくなるが、俺は口を閉
じたまま一礼し、芳朝と一緒に天幕を出る。
入り口の側に駐機していた精霊獣機にまたがり、これ以上注文を
つけられないうちに天幕を離れた。
肩越しに天幕の様子を見ると、凄腕開拓者の二人がロント小隊長
と話しているのが見えた。
明日以降の行軍に関しての話をしているらしい。
俺たちの場合、明日も索敵を行うことが決まっているので話に加
わる必要はないだろう。
さっさと天幕を離れてディアの角とパンサーの尻尾に布を張る。
完成した簡易テントの中に入って、俺はごろりと横になった。
ディアの角を挟んだ向こう側で、芳朝がパンサーの背に寝転がる
音が聞こえる。
﹁キリーのお父さんが睨んでたの見た?﹂
﹁いや、気にしてないからな﹂
嘘だ。天幕を出た直後から気付いていた。
311
よくもまぁ、あれだけ鋭利な眼つきができるものだ。
もっとも、俺たちを睨みつけていたのはキリーの父親だけではな
い。
﹁明後日からはあいつらのフォローが仕事になるんだ。仲良くする
ことは無理でも、衝突は避けよう﹂
なるべく波風立てない温和な解決手段を提示したのだが、芳朝は
何がおかしいのかくすくすと笑い声をあげる。
﹁仲良くしろって言わないのね﹂
﹁無理だからな﹂
﹁キリーの依頼を受けた頃なら、何とかしようと動いていたでしょ
?﹂
芳朝に指摘されるまでもなく、自覚している。
俺は諦めたのだ。
デュラの人々と仲良くするのは到底無理だと、かつて郊外に一軒
家を立てて引き籠った芳朝と同様に、諦めたのだ。
芳朝がディアの角に掛かっている布をさらに押し上げて隙間を作
り、俺の方を覗き込んでくる。
﹁赤田川君、引き籠りの世界へようこそ。ゲームにする? 漫画に
する? それともネット?﹂
﹁どれもこの世界にないだろうが﹂
突っ込みを入れると、芳朝は嬉しそうに頬を緩める。
﹁そっちに行ってもいい?﹂
312
俺と芳朝の間仕切り代わりになっているディアの黒い角を指先で
叩いて、芳朝が首を傾げる。
﹁駄目だ。狭すぎる﹂
﹁だよねぇ﹂
ディアの背中もパンサーの背中も二人で寝転がれるほど広くない。
芳朝はさして残念に感じていないような軽い口調で納得すると、
布を元に戻して顔を引っ込めた。
﹁⋮⋮ちょっと安心したかな﹂
芳朝が呟く。
何に安心したのかは、聞かなかった。
313
第十話 第一回威力偵察
石畳をディアの金属の足が踏みしめる。
後ろへ引き倒そうとする力に全身の筋肉で抗いながら、ディアを
加速させる。
港町デュラの西門、南側の壁は瓦礫の山に成り果て、立ち並んで
いた家々も巨大な脚に踏み潰されたように崩れている。
偵察部隊に先行してデュラ西門から町に入った俺と芳朝は精霊獣
機にまたがり高速で町を駆けていた。
周囲に魔物の姿はない。
﹁この辺りで良いだろ。芳朝、合図を﹂
﹁分かった﹂
芳朝が空に向けて片手をあげ、火の魔術ファイアボールを放つ。
花火のように空へ打ち上がったファイアーボールに応えて偵察部
隊からウォーターボールが打ち上がる。
俺はディアの首をめぐらして方向を転換し、偵察部隊と合流する
べく加速する。
偵察任務の開始だ。
ロント小隊の精霊人機が三機、横並びで走ってくる。
崩れた家をさらに踏み潰し、隊列を維持したまま走ってくる七メ
ートルの鉄の巨人たちは、俺たちの姿を見つけるとわずかに速度を
落とした。
﹁赤田川君、早く持ち場につこう。そろそろ魔物が来るよ﹂
芳朝が北を睨んだ直後、パンサーが唸った。
314
やっぱり、と芳朝が呟く。
俺たちは精霊人機の横を走り抜けて前線を務めるロント小隊の歩
兵たちを横目にさらに奥、整備車両や運搬車両が並ぶ場所へ走り込
んだ。
整備車両の窓を開け、魔術の発動準備を整えて魔物の襲撃を待っ
ている整備士たちが視界に入る。
整備車両の助手席にいるロント小隊長が俺たちを手招いていた。
﹁周囲に魔物は?﹂
﹁すでにこちらへ近づいてきている魔物がいます。数や種類の確認
はできませんでした﹂
﹁分かった。至急、持ち場についてくれ﹂
﹁了解﹂
答えて、ディアを操作する。
魔物がやって来る前に西門へ頭を向けておこうと反転している車
両から少し距離を取って、魔物の襲撃に備えた。
芳朝が自動拳銃の握りを確かめる。
﹁赤田川君、帰ったら結婚しましょう﹂
﹁おい、縁起でもない事を言うのはやめろ﹂
﹁その返しをするのはこの世界で赤田川君だけよ﹂
そうだろうとも。死亡フラグなんてこの世界の人間は概念さえな
いだろうよ。というか、今のはある種の誘導尋問だな。
﹁来たね﹂
芳朝が顔を向けたのは東、つまりは隊列の正面に当たる場所だ。
十字路を走って曲がって来たゴブリンとゴライアが待ち構える三
315
機の精霊人機を見て動きを止める。
一瞬の静寂の後、ゴライアが大きく口を開いた。
﹁ガッ︱︱﹂
雄たけびを上げようとした瞬間、ロント小隊の精霊人機が走り込
んでハンマーを横に凪いでいた。
鈍い音がしてゴライアの腰から上が吹き飛ぶ。
ゴライアの肉片を浴びた周囲のゴブリンが恐慌状態に陥る中、突
出した精霊人機は隊列に戻った。恐慌状態のゴブリンは眼中にない
らしい。
隊列前方で行われている戦闘の合間に、歩兵たちは簡易のバリケ
ードを設置していた。流石は開拓学校出身の兵士だけあって淀みの
ない動きでバリケードが組み上げられていく。
鉄製のバリケードはゴブリン二体分の隙間を開けて設置されてお
り、小型魔物の浸透の勢いを弱めつつ少しずつ数を減らせるように
なっている。
﹁隊列正面はやっぱ安定感があるな﹂
﹁そうでないと困るでしょ。それより、北と南が問題だけど﹂
素人開拓者が多く配置されている車両側面の部隊には開拓団竜翼
の下の精霊人機が配置された第一防衛ラインとその内側で竜翼の下
の戦闘員が並んでいる第二防衛ライン、最後に素人開拓者で構成さ
れた第三防衛ラインがある。
保険というわけでもないが、整備車両内には魔術の発動準備を整
えた整備士たちがいる。
いま、北にはゴブリンらしき一団がうろうろしているのが見えた。
竜翼の下の重武装精霊人機バッツェの重量感ある立ち姿を見て怯
えているようだ。
316
北の側面第一防衛ラインを受け持つバッツェも持ち場を離れるわ
けにはいかず、ゴブリンへ先制攻撃を加えられないでいる。
﹁赤田川君、ゴブリンの数を減らせる?﹂
﹁べつにアレらを倒してしまっても構わんのだろう?﹂
﹁⋮⋮ノリノリの所悪いけど、まじめにお願い﹂
え、いまのって俺が悪いの?
はしごを外された気分で肩にかけていた対物狙撃銃を構える。
ディアの黒い角に銃身を乗せ、スコープを覗き込む。
うろうろしているゴブリンの一団が一塊になった瞬間を狙って、
引き金を引いた。
強烈な反動にディアの首が縮む。俺へ届く反動は一切なく、ただ
銃声だけが俺に発砲の感触を与えてくれる。
水袋がはじけ飛ぶようにゴブリンの体から血が噴き出す。仲間の
血を浴びせられたゴブリンが動きを止めた一瞬に、俺は二発目を放
った。
二発目はゴブリンの肩をかすめた。だが、ただかすめただけでそ
のゴブリンは吹き飛び、肩から先を後方に飛ばす。片腕を無くした
ゴブリンが悲鳴を上げるに至り、ようやくゴブリンたちが狙撃に気
付いて慌て始めた。
俺を指差して仲間に警告を発しているゴブリンに向けて一発、民
家の壁を盾にしようとしたゴブリンに一発ぶち込む。
仲間思いのゴブリンは片足を吹き飛ばされてその場にうずくまり、
いち早く隠れようとしたゴブリンは吹き飛んだ壁の破片を頭に受け
て気絶したようだ。
﹁この距離だと一発で仕留めるのは難しいな。どうしても少し外れ
る﹂
317
まぁ、銃の威力が威力だから、かするだけでもゴブリンには致命
傷だったりするわけだが。
近くにいた竜翼の下の戦闘員が俺を見て唖然としている。
対物狙撃銃なんてこの世界では使っている人間が限られる上に、
今回のような遠征で使用する者はまずいない。重すぎて取り回しに
向かないし、反動も大きくて使い勝手が悪いからだ。
俺の場合はディアで問題をクリアしているため、今回のように連
射までできる。
﹁俺のディア、すごいだろ?﹂
無表情な鋼鉄のシカの頭を軽く叩いて自慢する。
﹁いや、発砲音がうるさすぎる。撃つ前に一声かけてくれ。何事か
と思ったぞ﹂
﹁⋮⋮すみません﹂
対物狙撃銃を使う人間が少ないという事は発砲音を聞いたことが
ある人間も少ない。すっかり忘れていた。
騒音兵器扱いされ始めた対物狙撃銃の汚名を返上するために、民
家の屋根を越えてやってきたゴライアに最後の一発を見舞う。
距離があるため致命傷にはならなかったが、それでも足から血を
流して動きが鈍っていた。
俺は弾倉を交換しつつ、芳朝を見る。
﹁他に魔物は?﹂
﹁集結中みたい。ギガンテスは東からくるみたいね﹂
東に目を向けると、赤黒い肌に包まれた上半身が二階建ての民家
の屋根から見えていた。
318
ロント小隊の精霊人機が一斉にハンマーを構える。
七メートルの巨人が一糸乱れぬ動きでハンマーを構える姿は圧巻
の一言だ。右肩に引きつけるように構えたハンマーはどれも直径二
メートル高さ三メートルの円筒形。鋼鉄製のそれの重量は推して知
るべし。
遊離装甲が擦れて奏でる澄んだ音とは裏腹に無骨な武器を構えた
三機の精霊人機は、屋根を跨いで道に出てきたギガンテスの攻撃に
備える。
ドンと大地を揺らしてギガンテスが走り出した。決して短くはな
い道を一瞬で走り抜け、転がる瓦礫をその重量で踏み砕いて周囲に
石つぶてを無意識にばらまきながら、ギガンテスは拳で大気を切り
裂く。
ロント小隊の精霊人機が前に出てギガンテスの一撃にハンマーを
合わせようとする。
拳とハンマーが衝突するかに見えたその瞬間、ギガンテスの拳が
開かれ、ハンマーを受け止めた。
ギガンテスの太い腕が筋肉の収縮に合わせて盛り上がり赤黒い肌
に幾筋もの血管を浮き上がらせる。
怒張した腕は精霊人機のハンマーを真正面から受け止め、ギガン
テスは己の重量を上乗せして押し返した。
押し返されたハンマーに大気が押しのけられて周囲に強風が逆巻
く。土煙を上げて地面に叩きつけられたハンマーを手放した精霊人
機は左手を左太ももに伸ばした。左太ももには鞘に納められた小剣
が格納されている。
刃渡りにして一メートルと少しの〝小剣〟の柄を左手に握った精
霊人機がその機械の体で抜刀術でも再現するように勢いよく引き抜
く。
精霊人機の踏み込みによる振動がディアに乗る俺まで届く。それ
ほど力の入った踏み込みだった。
逆袈裟に振り上げられた小剣はギガンテスの体を浅く斬り裂くが、
319
致命傷には程遠い。
ギガンテスの反撃は拳ではなく蹴りだった。
精霊人機の右足を狙ったローキック。精霊人機にはない柔軟な筋
肉で繰り出される鞭のような蹴りを浴びせられた精霊人機は︱︱び
くともしなかった。
あまりの手ごたえのなさにギガンテスが硬直する。
その一瞬を逃さず、精霊人機は斬り上げたばかりの小剣を振りお
ろし、ギガンテスの肩へ刃をめり込ませる。
ギシギシと音を立てた精霊人機の左腕が魔力の過剰供給による青
い火花を散らした。
次の瞬間、精霊人機の腕力は最大の出力を発揮する。
ギガンテスの肩に食い込んでいた小剣の刃が一瞬動いたかと思う
と、肉を斬り裂く生々しい音に骨を断つ硬質な音が混ざり合い、ギ
ガンテスを両断した。
己が死に際し悲鳴すらあげられなかったギガンテスの体は二つに
分かれ、地面へと落下する。斜めの斬り口からはどくどくと大量の
血が流れ出した。
精霊人機が小剣を左太ももの鞘に格納して取り落としたハンマー
の柄を握り、二歩下がる。
なんだアレ。かっけぇ。
下がった精霊人機の脚周りに浮かぶ遊離装甲が凹んでいる。
ギガンテスのローキックを受けて微動だにしなかった理由はおそ
らくあの遊離装甲だ。精霊人機本体との接続部が存在しない独立し
た装甲である遊離装甲は魔力で維持されており、クッション性が非
常に高い。
ギガンテスのローキックはその威力のほとんどが遊離装甲のクッ
ション性の前に殺され、精霊人機の外部装甲に到達する頃にはもは
や攻撃と呼べる威力を有していなかったのだ。
からくりが分かると、今度は操縦士の胆力に感心してしまう。
威力が殺せると判断できたとしても、真正面から受けてカウンタ
320
ーを狙う勇気なんて俺には持てない。
生身で戦っているわけではないと分かっていても、相手の攻撃を
ノーガードで受け止めるなんて無理だ。
﹁俺、開拓学校に入らなくてよかったかも﹂
﹁入らなかった、じゃなくて入れなかった、でしょう?﹂
﹁うるさいぞ﹂
そりゃあ、いまだかつて前例がないほどに適正なしの伝説を打ち
立てて入学を断られたけどさ。
俺が自分を弁護しようとした時、南側の素人開拓者から悲鳴が上
がった。
何事かと思い目を向ければ、南の民家を突き崩してゴライアが三
体とゴブリンの集団が向かってきていた。
﹁ここまで乱戦じみてくると、もう索敵魔術も意味ないな﹂
﹁中型以上に反応するように変更しておきましょ。ついでに距離も、
第一防衛ラインまでに絞っておいた方が良いかもね﹂
﹁同感だ﹂
芳朝に言葉を返して、索敵魔術の変更を行う前に対物狙撃銃を構
える。
南側面を受け持つ精霊人機は竜翼の下の所有するガンディーロの
み。防衛主体のガンディーロではゴライアを倒せてもゴブリンまで
手が回らない。
ゴブリンの数からみても、竜翼の下の戦闘員が受け持つ第二防衛
ラインを抜けて素人開拓者の下へゴブリンが浸透してくるのは間違
いない。
今のうちにゴブリンの数を減らそうとスコープを覗き込んだ時、
巨大な影がちらついた。
321
﹁ちっ。ギガンテスがこっちからも来たか﹂
南側面からギガンテスが精霊人機ガンディーロに狙いを定めて投
擲での攻撃を開始していた。
ガンディーロの防御の前ではダメージが通らないものの、投擲か
ら後方の戦闘員を守るためにガンディーロは身動きできなくなって
いる。
つまり、ゴライア三体が無傷で第二防衛ラインへ抜けてくる。
俺は狙いをゴブリンからゴライアへ変更する。
体高四メートルの中型魔物であるゴライアは本来、訓練を積んだ
生身の人間が数人がかりで倒す相手だ。
戦闘経験豊富な竜翼の下の戦闘員ならば倒すことは可能だろうが、
ゴブリンまで手が回らなくなる。
﹁芳朝、ゴブリンが第三防衛ラインまでほぼ無傷で侵入してくる。
備えてくれ﹂
﹁分かった。ゴライアを近づけないようにしてね﹂
芳朝を乗せたパンサーが走り出す。
俺はゴライアに向けて狙撃を開始した。
第二防衛ラインに到達する前に手傷を負わせておけば、竜翼の下
の戦闘員の被害を抑えられるはずだ。
ゴライア二体に一発ずつ撃ち込む事は出来たものの、すぐに竜翼
の下との戦闘が始まったため、同士討ちを避けるために俺は狙撃を
止めるしかなかった。
そうしているうちに、第二防衛ラインを抜けてきたゴブリンの集
団が素人開拓者の待つ第三防衛ラインに走り込んでいく。
ゴブリンはざっと数えた限り二十近い。竜翼の下がゴライアと同
時に相手取っているのが五匹。八割も抜けてきた計算になる。
322
いまだにギガンテスからの投擲は続いており、ガンディーロは釘
づけ状態だ。手負いのゴライアを相手取っている竜翼の下も素人開
拓者たちの援護に動く余裕がない。
南側に配置された十三人の素人開拓者は自分達よりも数が多いゴ
ブリンの侵攻に指示もないのに後退を開始していた。完全におびえ
ているのだ。
ただ一人、凄腕開拓者だけがその場に残ってゴブリンを迎え撃と
うとしている。
このまま素人開拓者とゴブリンの戦闘が始まればすぐに素人開拓
者は総崩れになるだろう。
その時、走るゴブリンの集団に側面から鋼鉄の獣が奇襲を仕掛け
た。芳朝を乗せたパンサーだ。
ゴブリンが走っていた道の横に立つ民家の屋根から飛び掛かった
パンサーはその爪で集団の中央にいたゴブリンを頭から斬り裂き、
石畳に着地するや否や扇形の尻尾を一閃、後方にいたゴブリン二体
を斬り殺す。
さらにはパンサーにまたがっていた芳朝が乱入者に浮足立つゴブ
リンへ自動拳銃の引き金を引く。
セミオートの自動拳銃は引き金を引くたびに次から次へと弾丸が
装填され、芳朝の連射を助け、ゴブリンに鉛玉と死を与えていく。
ゴブリンたちが反撃に移る前に、パンサーが文字通り全身のバネ
を使って跳躍し民家の屋根に舞い戻った。
ゴブリンが悔しそうに石を投げつけても、パンサーの尻尾はハエ
でも叩くように投げつけられた石を叩き落とす。
芳朝が振り返って石を投げたゴブリンに銃口を向け、引き金を引
いた。
屋根の上からの銃撃を受けたゴブリンが肩と腹を打ち抜かれて倒
れ込む。
﹁全部で六匹撃破か﹂
323
芳朝の戦果を数えた俺は、残りのゴブリンを数え直す。全部で十
三匹いる。
まだ素人開拓者が捌き切れる数ではない。
芳朝が屋根の上で弾倉を交換する間にゴブリンたちが素人開拓者
へ走り出す。
屋根の上に乗ったままのパンサーがゴブリンたちに併走し始める
と、芳朝は眼下の道を走っているゴブリンたちに上から銃撃を加え
続ける。互いに走っているために狙いが甘く、ほとんどの弾丸が外
れていたものの、素人開拓者にたどり着いたゴブリンは十匹まで減
っていた。
同士討ちを避けるため、芳朝は俺の元へ戻ってくる。
素人開拓者たちの前でゴブリンに備えていた凄腕開拓者が声を張
り上げた。
﹁あんな小娘が魔物の群れに飛び込んだってのに、お前らは及び腰
か!? 腑抜けてんじゃねぇぞ!﹂
凄腕開拓者にその気はなかっただろうが、デュラの住人として芳
朝を化け物扱いして常に下に見ていた素人開拓者たちにとってかな
り効果のある煽りだった。
凄腕開拓者が向かってきたゴブリンを続けざまに二匹斬り殺すと、
ゴブリンの脅威を小さく見積もった素人開拓者たちが気炎を上げて
武器を振りかざす。
俺たちにもやれる、互いに言い聞かせるように叫びながら、素人
開拓者たちはゴブリンに向かって行った。
324
第十一話 身から出た錆
﹁︱︱各部隊の損耗状況は精霊人機一機が要整備、開拓者が二名軽
傷です﹂
副官の言葉にロント小隊長が会議机を囲む俺たちを見回した。
﹁聞いての通り、第一回の威力偵察は文句なしの大成功だ﹂
そう思うなら少しは笑えばいいのに。
ロント小隊長の感情を排した無愛想な顔を眺めつつ、俺は今日の
威力偵察を思い出す。
序盤こそ整備車両周辺に近付くゴブリンは少なかった。
だが、竜翼の下開拓団が所有する精霊人機ガンディーロに投擲を
行って足止めしているギガンテスを見た他のギガンテスが、それを
真似するようになってからは苦戦することになった。
ギガンテスが三体を数えた時点で緩やかに撤退を開始、戦闘の続
行を希望する素人開拓者を凄腕開拓者が宥めつつの撤退は遅々とし
て進まず、西門を抜けた時点でギガンテスは五体に増えていた。
それでも、素人開拓者の撤退を優先したために軽傷者が出るに留
まり、全体の損耗としては軽微だ。無視してもいい。
それでも、いまは凄腕開拓者の片方が素人開拓者を怒鳴りつけて
いる。結果的に死者が出なかっただけで、撤退の遅れにより精霊人
機がギガンテスの投擲にさらされて整備が必要になったためだ。
精霊人機が倒れれば、ギガンテスへの対抗手段を失った俺たちは
蹂躙されて骨も残らず食べつくされるだけに、凄腕開拓者の怒りも
分かる。
会議机を囲むもう一人の凄腕開拓者が疲れた顔をしていた。心労
325
がたまっているのだろう。
ロント小隊長が俺と芳朝に目を向ける。
﹁各隊の撃破数を見たが、君たち二人だけ歩兵としてはずば抜けた
戦果だな﹂
﹁精霊獣機があるので﹂
俺と芳朝の戦果は、中型魔物であるゴライアの単独討伐数二体、
共同討伐数十二体、小型魔物のゴブリンはおそらく二十弱。
一度の戦闘で歩兵が挙げる戦果としては異常らしい。
単純に、騎兵と歩兵を一緒にしているから異常な戦果に見えるだ
けだ。精霊獣機を使えばかなりの人が同等以上の戦果を出す。
ロント小隊長は竜翼の下団長ドランに視線を移す。
﹁竜翼の下も良く働いてくれた。おかげで損耗は軽微だ。ギガンテ
スの投擲を最も長く受けていたのは君たちの精霊人機のはずだが、
大丈夫か?﹂
﹁あぁ、慣れてるんでな﹂
竜翼の下の精霊人機は二機とも守備特化型の調整を施された機体
だ。操縦士も整備班も各部の負荷を軽減し、損耗を分散させる術に
長けている。
防衛戦は長丁場になりがちだから、今回のような短時間の戦闘で
機体を壊すような使い方もしないだろう。
ドランさんの隣で副団長のリーゼさんが眼鏡を押し上げる。赤縁
の細フレーム眼鏡が照明の光を反射した。
﹁ロント小隊の精霊人機こそ、無事でしたか? 魔力の過剰供給に
よる青い火花を見ました。無茶な動きもありましたし、操縦士の精
神状態が心配です﹂
326
リーゼさんの指摘にロント小隊長は痛い所を突かれたようにため
息を吐いた。
﹁素人なのは何も開拓者ばかりではないという事だ。開拓学校でい
くら学んでも、実戦で気がはやる者もいる。格闘戦ともなればなお
さらだ﹂
俺は今日、ギガンテスを小剣で斬り殺した精霊人機を思い出す。
強かったが、実戦を知る人々から見ると無茶な動かし方だったらし
い。
ロント小隊長が顔を上げた。
﹁機体も操縦士も問題ない。明日の第二回威力偵察にも参加させる﹂
実戦経験が少ないから気が逸るのなら、実戦を経験させるしかな
い。
理屈としては理解できるものの、不安要素が多すぎるために会議
机を囲む一同は知らず苦い顔になった。俺も同じ顔をしているだろ
う。
しかし、精霊人機が一機減るだけで戦力がガタ落ちするため、不
安を押し殺して出陣してもらうしかない。
ロント小隊長が全員を見回して、明日の作戦を説明してくれる。
﹁明日の配置も今日と同じだが、日を重ねるにつれて疲労がたまり、
ミスも多くなる。加えて今日の作戦でギガンテスが投擲の有効性を
認識している可能性が高い。遠距離からの攻撃に対応できるように
装備を整え、各人に通達を出すように﹂
﹁了解﹂
327
ロント小隊長の命令を承諾し、会議が終わる。俺は芳朝と一緒に
すぐ天幕を出ようとしたが、後ろからドランさんに呼び止められた。
無視するわけにもいかず、天幕を出たところでドランさんとリー
ゼさんに向き直る。
﹁なんですか?﹂
﹁態度に棘があるな﹂
苦笑したドランさんだったが、すぐに真顔に戻った。
﹁明日、素人開拓者が暴走する可能性が高い。助力を頼めるか?﹂
﹁暴走するという根拠は?﹂
﹁今日の被害が少なすぎた﹂
素人開拓者は二人が怪我をしただけ、撤退時に多少もたついたも
のの、遅れによる危険を感じたのは殿を務めたロント小隊と竜翼の
下の精霊人機乗りだけだろう。
つまり、素人開拓者たちは魔物の群れをなめてかかる恐れがある
らしい。
今日とは違って実際に戦闘を経験して気が大きくなっている事も
あり、暴走すると手が付けられない。
だが、素人開拓者の暴走を俺と芳朝がどうにかできると思ったら
大間違いだ。開拓者歴は俺たちだって大差がないのだから。
﹁適度にゴブリンを通して開拓者たちが前に出られない状況にすれ
ばいいですか?﹂
﹁あぁ、そうしてくれると助かる。こっちでも戦闘員に話を通して
おく﹂
そう言って、ドランさんが竜翼の下の整備車両へ歩いて行く。
328
面倒なことを押し付けられたなぁ。
芳朝が素人開拓者の一団を横目に見る。
﹁ゴブリンと素人開拓者の戦闘をコントロールするって事でしょ?
責任重大だね﹂
﹁そうだな。でも、コントロールしないと暴走するってドランさん
の見立てには納得できる﹂
貧乏くじではあるが、俺たち以外に手が空いている者もいない。
やるしかないな、と諦めてディアに騎乗した時、天幕から凄腕開
拓者が出てきた。
疲れた顔で夜空を見上げた時、俺たちに気付いたらしく軽く頭を
下げてくる。
ディアとパンサーを見て一瞬嫌な顔をした凄腕開拓者は、頭を横
に振って嫌悪感を振り払うと、俺に声をかけてくる。
﹁今日は何度も助けられましたな。明日以降もよろしく頼んます﹂
﹁こちらこそ、よろしくお願いします。それと、開拓者が前に出過
ぎないように、適度にゴブリンを通して戦闘させるべきだと竜翼の
下の団長から言われています。何か要望はありますか?﹂
﹁⋮⋮ドランさんから?﹂
険しい顔をした凄腕開拓者は頭をポリポリと掻いた。
﹁参りましたね。私から話をしようと思ったんですが。ゴブリンは
二体ほど通してくださいな。それ以上は犠牲を覚悟せにゃならんの
で﹂
﹁器用に数を調整できるほど俺たちも余裕はありませんから、今の
うちに覚悟だけは決めておいてください﹂
﹁ははっ。そりゃあそうですな﹂
329
笑い声にも覇気はなく、凄腕開拓者は俺たちに別れを告げてトボ
トボと竜翼の下の整備車両に向かう。明日の任務でゴブリンをどれ
だけ通すかの話し合いをしに行くのだろう。
﹁あと二回も偵察任務があるのに、いまからあんなに疲れてるなん
て体力持つのかな﹂
芳朝が他人事のように言って、凄腕開拓者から視線を逸らしてパ
ンサーを進める。
俺は凄腕開拓者の背中が整備車両に消えていくまで見送って、芳
朝の後を追った。
会議前に陣取っていた場所に戻ると、たき火をするために集めて
いた小枝が湿っていた。
﹁⋮⋮水を掛けられたみたいね﹂
﹁犯人は会議に出ていなかった誰かってことになるな﹂
﹁推理が必要?﹂
どうせわかってるんでしょう、と言いたげな瞳を向けられて、俺
は素人開拓者の一団に目を向ける。
こちらをちらちらと見ては笑いをかみ殺している開拓者の姿に、
ため息さえ出ない。
﹁詰まらない嫌がらせだな。もっと独創性というか、創造性という
か、個性が欲しい所だ﹂
﹁小枝に燃やすのも躊躇うくらい立派な彫刻を施すとか?﹂
﹁そういう嫌がらせなら大歓迎だ﹂
﹁そんな才能があったら嫌がらせなんてしないと思うけどね。今回
の嫌がらせの動機は劣等感だと思うよ。私たちの方が戦果は上だか
330
ら、悔しいんでしょ。私たちの方が強い事も今日の戦闘で身に染み
て分かったから面と向かって喧嘩を売れない。だからこうして陰で
こそこそ嫌がらせをして、正面対決を避けようとしているのよ﹂
芳朝の勝手な分析が耳に届いたのか、素人開拓者たちの顔が真っ
赤に染まる。羞恥で染まるのなら更生の余地もあるのだが、おそら
く馬鹿にされたと思って怒っているのだろう。
怒っていても俺たちにくってかからないところから見て、芳朝の
分析もあながち間違ってはいないらしい。
まぁ、どうでもいいか。
ディアを駐機状態にして夕食の準備に取り掛かろうとした時、呆
れたような目で俺と素人開拓者を眺めながらリーゼさんが歩いてき
た。
﹁開拓者を煽りましたね?﹂
怒りの形相で俺たちを睨みつける開拓者を見て察したらしく、リ
ーゼさんは開口一番そう言った。
﹁煽ったというか、もう二度と嫌がらせしてこないように牽制した
んですよ﹂
効果はなかったようだけど。
﹁そんな態度だから嫌がらせをされるんですよ﹂
﹁時系列も理解できていないなら口を挟まないでください﹂
根菜の酢漬けを取り出した芳朝がリーゼさんの見当違いな忠告を
一蹴する。
精霊獣機を気持ち悪いと言われて以来、芳朝のリーゼさんに対す
331
る態度は冷たい。
リーゼさんが俺を睨む。無実だ。俺は悪くない。
俺が何を言っても聞く耳を持たないのはリーゼさんも素人開拓者
も同じなので、自己弁護は諦める。
﹁それより、ご用件をどうぞ﹂
﹁それよりって︱︱いえ、そうですね。明日の件ですが、ゴブリン
を二体まで素人開拓者の防衛線まで通してください。三体目以降は
指揮を執っている開拓者が片付けるそうです。手が足りない場合に
備え、私たちも戦闘員を出せるよう準備しておきます﹂
﹁分かりました﹂
事務的に返して、俺は皿を取り出す。もちろん俺と芳朝の分だけ
だ。リーゼさんと食卓を囲むなんてぞっとする。
俺たちの態度に不快そうな顔をしたリーゼさんが口を開きかけた
時、開拓者の一団から声が上がった。
﹁︱︱納得いかないと言っているだろうが!﹂
素人開拓者が凄腕開拓者に何か抗議しているらしい。
芳朝が俺の前に薄いハムとチーズを挟んだパンを差し出してきた。
﹁スープもあるから、ちょっと待ってて﹂
﹁芳朝、マイペースなのはいいけどあの騒ぎも少しは気にしろよ﹂
開拓者たちを指差すが、芳朝は微笑んで口を開く。
﹁食事の方が大事でしょ。腹が減っては戦は出来ぬってね﹂
﹁それもそうか﹂
332
パンを口にくわえて、俺はディアの角に板を置いて簡易テーブル
を作る。
俺と芳朝のやり取りに唖然としたリーゼさんが正気を取り戻して
慌てたように口を開く。
﹁夕食よりも隊内の不和を解消する方が大事です。なに呑気に食事
なんてしようとしているんですか。周りにもっと目を向けなさい!﹂
目を向けていないのはリーゼさんの方だ。
開拓者たちを少し観察すれば、揉めている原因が俺と芳朝にある
事にすぐ気付くはずだ。
俺たちが注目したら、負けん気を燃やした開拓者たちは引っ込み
がつかなくなる。しかし、凄腕開拓者が折れて素人開拓者の要求を
呑むのはもっとまずい事態を引き起こす。
下がごねれば要求が通る武装集団なんて統率がとれなくなってお
しまいだ。
したがって、俺と芳朝は普段通りに行動し、開拓者たちを完全に
無視して不干渉を貫く方がいい。
俺は芳朝と和やかに夕食を開始しつつ、開拓者たちのもめ事を耳
から拾った情報だけで整理する。
簡単にまとめれば、隊の中央付近という一番安全な場所で遠距離
攻撃ばかりをしていた俺が天幕内の会議に呼ばれて、命がけで戦っ
た自分たちが呼ばれないのはおかしいという話だった。
天幕内の会議はこの偵察任務における作戦の決定を行っている。
つまりは指揮官クラスが集まっている。
その上位者の中に俺と芳朝が入っている事が気にくわないという
のが本音だろう。
俺たちを叱ろうとしていたリーゼさんも素人開拓者たちの言い分
に呆れてしまい、俺たちに何か言う気力も失せたようだった。
俺たちが天幕に呼ばれているのは索敵能力が高い上に機動力に優
333
れ、威力は低いながら銃を使うために攻撃範囲が広く全方向へのア
シストができるからだ。
他のメンバーにはない特徴を持っているため、自然と作戦時の役
割も個別に割り振られる。だから伝達しやすいように天幕に呼ばれ
た。
だが、素人開拓者にとっては役割なんてどうでもいいのだろう。
﹁努力はしたくないし責任も負いたくないし比べられるのも嫌だか
ら同じ土俵に立たないけど、足を引っ張る事には全力を尽くすのよ
ね。自分に出来る事をやる姿勢は好印象よ﹂
芳朝がスープを飲んでからつまらなそうに開拓者を評価した。
俺は芳朝の手作りスープを飲む。干したキノコから取ったダシが
利いている、少し上品な感じのスープだ。
﹁人の長所を見つける芳朝は良い奴だな﹂
﹁そうでしょ﹂
皮肉をあっさりと肯定された。
開拓者たちのもめ事が耳に入ったのか、天幕からロント小隊長が
顔を出した。
素人開拓者たちを見て額に青筋を立てたのはほんの一瞬の出来事
で、すぐに冷徹な顔になって開拓者たちへ歩み寄る。
ロント小隊長に気付いた開拓者たちが直談判しようとロント小隊
長に駆け寄ろうとした時、ロント小隊長のそばにいた副隊長が素早
く銃を抜いて空に向けて発砲した。
副隊長は精霊人機に乗っていないはずだから、この騒ぎを聞きつ
けて銃を借り受けてきたのだろう。
﹁︱︱動くな。その場に座って頭の後ろに手を組め﹂
334
副隊長が銃を先頭の開拓者に向けて命令する。冷静になろうと努
めているようだが、怒りが滲んでいてなおさら怖い。
さすがの開拓者たちも逆らうと鉛玉をぶち込まれると気付いたの
だろう。素直に命令に従った。
ロント小隊長が凄腕開拓者に水を向ける。
﹁何の騒ぎだ﹂
﹁そ、それが︱︱﹂
凄腕開拓者は身内の恥を晒すような顔で事情を説明する。
予想していたらしく、ロント小隊長の反応は希薄だった。
ロント小隊長は開拓者を見回し、静かに、かつ反論を一切許さな
い威圧的な声で言い聞かせる。
﹁先着三名だ。今すぐ手を上げろ﹂
ロント小隊長が命じると、素人開拓者たちは顔を見合わせた。
ロント小隊長の思惑が分からず、誰も手を上げようとしない。手
を上げる事で何かが起こることは確実で、その何かに対する責任を
誰も持とうとしない。
ロント小隊長は手を上げない開拓者をしばらく眺めると、舌打ち
して適当に三人を指差して立たせた。
立たされた三人の開拓者の中にはキリーの父親の姿がある。
ロント小隊長がキリーの父親たちに向かって有無を言わせぬ口調
で命令を下す。
﹁お前達三人は明日、精霊人機の随伴歩兵として最前線に配置する。
遺書の準備をしておけ。書き方程度は教えてやる。他の者も我こそ
はと思うなら天幕に来い。最前線に配置してやる﹂
335
開拓者たちの顔から一斉に血の気が引いた。
その夜、天幕に赴く者は誰一人いなかった。
336
第十二話 冷めた二人
朝を迎え、恐怖に染まった青い顔でがちがちと歯を鳴らしている
キリーの父親たち三人を最前線に配置してデュラの南門へ進んだ。
昨日の夜騒動を起こしたのが嘘のように、素人開拓者は静まり返
っている。もはやお通夜状態だ。
﹁口は災いの元ってやつだよな﹂
﹁笑う門には福来るって言うけど、笑い声を立てたらいけないって
ことよね﹂
﹁鼻で笑うしかないな﹂
バカな話をしていると、ロント小隊長が整備車両の助手席から手
を振っていた。
ディアの足を進ませて助手席に並ぶ。
ロント小隊長が助手席の窓に肘を乗せ、声を落とす。
﹁我が隊も君達を気味悪がっている者が大半だ。今回は少しばかり
荒療治だが、君達二人が抜けると索敵能力も防衛力も激減する。あ
の三人の犠牲で今回は許せ﹂
﹁もともと犠牲なんて望んでないんですが﹂
﹁こうでもしないと示しがつかない。あの三人を助けたければ個人
的に動け。我が隊は一切関与しない。もっとも、あの三人を命がけ
で助ける意味は見いだせないが﹂
話は終わりだ、とロント小隊長は窓を閉めた。
俺は芳朝の下に戻り、話を伝える。
337
﹁︱︱で、どうするの?﹂
自動拳銃の弾倉の予備を確認しながら、芳朝が訊ねてくる。
﹁あの三人を助けるかどうか、という意味なら助けた方が良いだろ﹂
放っておいても素人開拓者の恨みはロント小隊長に向かうが、俺
たちが助ける事で少しでも見直してもらえる可能性がある。
﹁どうせ見直してなんかくれないよ。赤田川君だって諦めてるんで
しょ。私もデュラの人たちにはもうなにも期待してない。ただ助け
ることが人として当たり前の事だからっていう道徳観に背中を押さ
れてるだけだって割り切った方が、後々気が楽よ?﹂
﹁冷めてるなぁ。まぁ、芳朝も割り切れているならいい。助けられ
るのに助けなかったら後味悪いから助けるぞ﹂
﹁りょうかい﹂
力の抜ける棒読み声で芳朝は返事をした。
俺も似たようなものだ。正直、あまり気は進まない。キリーの父
親に掛けられた汚水の臭いも未だに覚えている。
﹁面倒臭い﹂
﹁同感﹂
結局、一番割を食ってるのは俺と芳朝ではないだろうか。
誰に文句を言う事もできず、俺は遠目に見えてきたデュラの南門
に向けてディアを加速させた。
威力偵察部隊が南門を潜る前の先行偵察だ。
すでにその場にギガンテスやゴライアがいた時、数を把握してお
かなくてはならない。
338
南門をくぐると、そこは瓦礫の山だった。
それもそのはず、以前俺がデイトロさんと一緒にデュラに回収依
頼で来た際に、マッカシー山砦からと思われる回収部隊がこの南門
付近でひと暴れしているのだ。
﹁視界良好ってか。西門でやったみたいに民家の屋根伝いに前線へ
移動する方法は取れないな﹂
﹁整備車両の屋根に乗って射線を確保するのが良いかもね。私は役
に立てないかも﹂
射程が短い自動拳銃を構えたまま、芳朝が周囲を見回した。
遮蔽物がないこの南門付近での戦闘は厳しい物になるだろう。
俺はディアの頭を南門に向け、やってきた本隊と合流するべく駆
けさせる。
南門付近の惨状にデュラ出身の素人開拓者たちが悔しそうな顔を
している。
ロント小隊長はギルド経由で南門付近の状況を聞いているためか、
驚いた様子はない。
昨日と同じように各員が配置につく。
違うのはロント小隊の持つ三機の精霊人機のやや後方で剣を構え
ているキリーの父親たち三人だけだ。
キリーの父親たち三人は精霊人機の足元を攻撃する小型、中型の
魔物を排除あるいは誘導し、精霊人機の補佐を行うための随伴歩兵
の役割を担う。
精霊人機の転倒を招く足元への攻撃を妨害する随伴歩兵はかなり
重要な役目なのだが、死亡率が非常に高い役割でもある。精霊人機
を狙った大型魔物の攻撃に巻き込まれやすく、精霊人機の足運びを
妨害しないよう少数で配置されるため自然と多勢に無勢となりやす
い。
一般的には使い捨ての利く素行の悪い兵を配置して小型や中型魔
339
物の囮にする。ギルドの会費を滞納した場合に開拓団へ斡旋される
開拓者も、随伴歩兵として使い潰されたりする。
随伴歩兵はこれまでの偵察で省かれていた。人員が少なすぎるう
え、撤退を念頭に置いた戦闘をするため精霊人機のそばに随伴歩兵
を置く必要性が薄いからだ。
危険な随伴歩兵役を命じられたキリーの父親たちは遠目にも腰が
引けている。
﹁懲罰部隊みたいだな﹂
﹁みたいじゃなくてそのものでしょ﹂
芳朝がパンサーの上で身構える。戦闘が始まったらすぐにあの三
人を助けに行って下がらせるつもりなのだろう。
俺は対物狙撃銃を肩からおろしてスコープを覗き込む。
遠くにゴブリンらしき姿がちらほら見えるが、俺たちに気付いて
いるはずなのに襲ってくる気配がない。
精霊人機を警戒しているらしく、ゴライアが到着してもにらみ合
いが続く。
﹁学習してるな﹂
﹁ギガンテスも最初から投擲攻撃をしてくるかもね。赤田川君もキ
リーのお父さんたちの退避を援護して﹂
﹁そうした方がよさそうだな﹂
話している内に重たい足音が近づいてくる。
俺はディアのレバー型ハンドルを握り込んだ。
遠く、まだ無事な教会の建物の裏からギガンテスが姿を現す。
﹁︱︱なんだ、アレ﹂
340
現れたギガンテスは全身に傷があり、両腕に関節が二つあった。
一本の腕にまるで肘が二つあるように関節を曲げている。
奇形のギガンテスだ。
俺はすぐに整備車両の助手席にいるロント小隊長を見た。無表情
で感情が読み取れない。奇形のギガンテスの存在を知っていたのだ
ろうか。
奇形のギガンテスは昨日俺たちが戦ったギガンテスたちのように
仲間を呼ぶ雄たけびを上げず、出来の悪いヤジロベエのように左右
に体を大きく揺らして歩いてくる。
投擲をするつもりもないらしく、無防備にこちらへ歩いてくるだ
けだ。
ロント小隊の精霊人機の一機がハンマーを片手に動き出す。遊離
装甲が鈴に似た音を奏で、相反するように硬質で重たい足音を立て
ながら奇形ギガンテスに近付いていく。
ゆっくりと間合いを測るように近付く精霊人機に対して、奇形の
ギガンテスは無造作に距離を詰める。
﹁赤田川君、あのギガンテス、様子がおかしい﹂
﹁芳朝もそう思うか﹂
あまりにも無防備すぎるのだ。攻撃を受けても倒れない自信があ
るのだろうか。
ロント小隊長が整備車両の拡声器から精霊人機に指示を飛ばす。
﹁魔力袋持ちの可能性あり。二機で当たれ﹂
﹁了解しました﹂
進み出ていた精霊人機が僅かに後退し、後方に待機していた二機
のうちの一機が動き出す。
その時、奇形のギガンテスがその場で跳躍した。
341
垂直に三メートル近く飛び上がったギガンテスの脚を起点に魔術
が発動する。
発動された魔術はロックジャベリン。だが、使い方がおかしかっ
た。
奇形のギガンテスの脚を延長するように足首から伸びた石の槍が、
まるで上げ底靴のようになっている。
三メートル近い上げ底靴と化したロックジャベリンを両足に身に
着けたギガンテスが片足を引く。
何をするのか予想がついて、精霊人機がハンマーを地面に降ろし
た。
直後、ギガンテスの脚が地面と平行して振るわれる。精霊人機の
腰部を狙った回し蹴りだ。
事前に地面へ下ろしていたハンマーにギガンテスが脚につけてい
たロックジャベリンの上げ底靴が衝突して砕け散る。
そこまでは良い。精霊人機の被害は皆無だ。
だが、そばにいたキリーの父親たち三人には砕け散った石の破片
が降り注ぐ。
﹁︱︱ちっ!﹂
俺は即座にディアを加速させた。
魔力袋持ち、つまりは魔術を使うギガンテスとの戦闘に巻き込ま
れたら生身の人間なんてひとたまりもない。
早くキリーの父親たち三人を退避させる必要がある。
﹁頭の上、失礼します!﹂
ロント小隊の歩兵部隊が作る防衛ラインをディアの跳躍力に任せ
て飛び越える。
驚いた顔でディアを見上げるロント小隊の歩兵部隊に謝って、速
342
度を殺さず前線へ向かう。
奇形のギガンテスはムエタイじみた動きで遠距離からの蹴りを繰
り返していた。精霊人機がハンマーを振り上げて蹴りに対応するも、
奇形のギガンテスは間合いを完全に理解しているらしくハンマー部
分に石の上げ底靴を当てている。
投擲よりも威力があり、後方への石礫で二次被害をまき散らす奇
形ギガンテスの攻撃を防ごうと精霊人機が距離を詰めようとする。
しかし、ギガンテスは近付こうとする精霊人機に対してケンカキ
ックを放ち、強制的に距離を取らせる。
生身であるギガンテスと違って機械である精霊人機は柔軟性がな
いため、ケンカキックをまともに受けると仰向けに倒れかねない。
精霊人機は威力を消すために後方へ数歩後ずさる他になく、ギガ
ンテスへ近づくことも叶わない。
破片を受けて血を流しているキリーの父親たちの下へディアで駆
け寄り、ギガンテスの蹴りの副産物で降り注ぐ石の破片をディアの
黒い角で弾き飛ばす。
軽く五メートル以上の高さから勢いよく降り注いでくる石の破片
はまともに喰らうと即死しかねない。掠っただけでも危ない。
﹁意識はあるか!?﹂
頭を庇って地面の上で丸まっているキリーの父親に声を掛ける。
恐る恐る顔を上げたキリーの父親が俺の顔を見て驚いたような顔を
した。
﹁お、おまえ、なんで⋮⋮﹂
﹁そんな事を聞いてる場合か。このままここにいたら戦闘に巻き込
まれて死ぬぞ!﹂
俺は素早く周囲を見回す。
343
キリーの父親は無事らしい。石の破片が頭に掠ったのか、意識の
ない素人開拓者が一人、もう一人は肩を押さえてうめいている。
﹁芳朝、意識のない奴を拾って先に下がってくれ!﹂
﹁赤田川君は!?﹂
意識のない素人開拓者の男をパンサーに咥えさせ、芳朝が俺を見
る。
ディアは二人で乗る事も出来るが、俺を含めてこの場にいるのは
三人。さすがに定員オーバーだ。
﹁そこの二人、動けるんならここから頭を下げて防衛線まで下がれ。
瓦礫はディアの角で防ぐ!﹂
ディアの角は乗り手である俺を守るために大きく作ってある。デ
ィアの陰にいる限り石礫を防ぐことは十分可能だ。
奇形ギガンテスの攻撃に巻き込まれるのを恐れているのか、ゴブ
リンやゴライアも近付いてくる気配がない。
俺はディアを横歩きさせて石礫に対する盾になりながら、キリー
の父親たちをロント小隊の歩兵隊がいる地点まで誘導するつもりだ
った。
だが、キリーの父親と一緒にいた素人開拓者の一人が怒りの形相
で口を開いた。
﹁ふざけんな! 化け物の仲間のお前がそれから降りやがれ! そ
の背中が一番安全なんじゃねぇか!﹂
俺を引き摺り下ろすつもりか、素人開拓者が手を伸ばしてくる。
しかし、ディアが頭を振って素人開拓者の手を弾いた。芳朝の乗
るパンサーの尻尾と同じ迎撃システムに反応したのだ。
344
手を弾かれて頭に血が上ったらしい素人開拓者の腹を、俺は渾身
の力で蹴り飛ばす。
尻餅をついた素人開拓者の頭上を瓦礫がかすめ、背後の石畳に激
突した。俺が蹴り飛ばさなければ頭に直撃していただろう。
尻餅をついたまま睨みつけてくる素人開拓者を睨み返しながら、
俺は口を開く。
﹁自惚れんな。お前には俺が命がけで守るほどの価値なんかないん
だよ。自分の行い振り返って頭冷やせ。さもなきゃ見捨てるぞ!﹂
ディアに騎乗したまま恫喝する。自分でも慣れない台詞回しに舌
がもつれそうになるが、何とか言い切った。
石の破片を防ぎ続けるディアの角を見て、庇護下から外れたら死
ぬしかない事を理解したのだろう、素人開拓者は悔しそうに俯いた。
俺は視線をキリーの父親に向け、睨みつける。
﹁キリーの父親だろ、あんた。どうする? 見捨てていいか?﹂
問いかけると、青い顔をしたキリーの父親が頭を庇って腰を落と
した。
ロント小隊の防衛ラインまでキリーの父親たちを守りながら、俺
は精霊人機と奇形ギガンテスの戦いを盗み見る。
生身の脚の部分を鞭のようにしならせて、魔術で作り出した石の
上げ底靴をぶち当てる奇形ギガンテスの攻撃は単純だが、その攻撃
範囲も威力も馬鹿にできない。
攻撃を耐える事に特化した竜翼の下の精霊人機とは異なり、ロン
ト小隊の精霊人機は万能型、悪く言えば器用貧乏だ。
奇形ギガンテスの蹴りを、精霊人機はハンマーを盾にしてことご
とく防いでいるが、開拓学校を卒業したばかりという事もあってか
姿勢を制御するので精いっぱいらしく、まともに反撃もできていな
345
い。
それどころか、度重なる攻撃で精霊人機の関節に疲労が蓄積して
いるらしく、ギシギシと音を立てていた。
そうこうしている内に、遠くに新たなギガンテスが現れた。
まだ二体目、本来なら、この威力偵察はギガンテスが三体揃って
から撤退の運びとなる。
あともう一体、ギガンテスが現れないと撤退できない。
﹁︱︱シカの、スコープで奥のギガンテスの指を確認しろ!﹂
整備車両からロント小隊長の命令が聞こえてくる。
シカ、つまりはディアに乗っている俺に対しての命令だろうが、
簡単に言ってくれる。
迂闊にスコープを覗き込むと頭上への注意が疎かになって危険な
んだよ。
﹁ったく、自分で確認しろっての!﹂
無論、無理なのはわかっている。整備車両からでは奇形ギガンテ
スの攻撃の余波で降り注ぐ石礫と舞い上がる砂埃が邪魔になり、遠
くにいるギガンテスの指までは確認できないのだろう。
俺は対物狙撃銃からスコープを取り外し、降り注ぐ石礫の空隙を
縫って覗き込む。
遠く、どこぞの商会の看板をワシ掴みにして振りかぶるギガンテ
スの指には薬指がなかった。
﹁首抜き童子⋮⋮﹂
俺は慌てて整備車両にむけて、手刀で首を叩くジェスチャーをす
る。
346
奇形ギガンテスと首抜き童子、魔力袋持ちのギガンテス二体を相
手取るにはロント小隊の新米精霊人機乗りは分が悪い。
ロント小隊長も同様の判断を下したらしく、拡声器から指示を飛
ばしてくる。
﹁シカの、そこの二人は捨てていい。戻れ。竜翼の下、ガンディー
ロを〝二重肘〟に当ててくれ。首抜き童子はこちらで防ぐ﹂
奇形ギガンテスこと〝二重肘〟に向けて、竜翼の下の精霊人機ガ
ンディーロが重厚感のある足音を響かせ、分厚い遊離装甲で銅鑼に
も似た長く重い音を奏でる。長剣を肩に担ぎ、タワーシールドを正
面に押し出すようにして構えると、ガンディーロが走り出した。
二重肘がガンディーロに反応する。奏でる音だけで重量級と見抜
いたのか、ケンカキックで距離を取ることもできないとみたらしく、
初めて足を肩幅に開く迎撃態勢をとった。
俺はキリーの父親と素人開拓者を見る。
﹁二人とも、今のうちに走れ!﹂
ロント小隊長からの命令もあり、俺はこの二人をこれ以上面倒見
きれない。
それに、このままここに残るとガンディーロと二重肘による戦闘
に巻き込まれてしまう。
キリーの父親がいち早く反応し﹁うわぁあ﹂と情けない悲鳴を上
げて駆け出した。
もう一人の素人開拓者も走りだし、俺はディアを操作して二人の
後ろに続く。
ガンディーロが横を走り抜けた。
振り返ると、ガンディーロが二重肘にタワーシールドを押し当て、
突き飛ばしていた。
347
しかし、二重肘は両腕を正面に突き出して魔術で石の丸盾を作り
だし、ガンディーロのタワーシールドを受け止めたかと思うと両腕
それぞれの二つの関節で器用に威力を相殺した。
結果、三歩後ずさるだけで耐えきった二重肘が右足を思い切り振
り上げる。
バンと衝撃音を響かせ、ガンディーロの腹部を守っていた遊離装
甲が蹴り飛ばされた。
衝撃で吹き飛んだ遊離装甲が地面に落下して耳障りな音を立てる。
俺は正面に視線を戻す。
﹁︱︱おい、馬鹿、何してる!?﹂
音に驚いたのか、キリーの父親が転んでいた。
ディアの蹄で踏み潰しかけて、俺は慌ててディアを後ろ脚で立た
せ、後ずさる。
﹁早く立って走れ!﹂
もたついているキリーの父親に怒鳴る。
しかし、キリーの父親は青い顔で俺を振り仰いだ。
﹁い、石の破片で足を切ったみたいで⋮⋮﹂
キリーの父親の足を見れば、確かに脛のあたりからドクドクと血
を流していた。
﹁た、たのむ、見捨てないでくれ!﹂
キリーの父親が身勝手なことを言いながら俺に手を伸ばしてくる。
俺の後ろでガンディーロが二重肘の攻撃を受けて後ずさる音が聞
348
こえた。
﹁おい、早くそこをどけ! 全力を出せないだろうが!﹂
ガンディーロの拡声器から操縦士の怒鳴り声が聞こえてくる。
ロント小隊長からも再度、素人開拓者を見捨てて速やかに戻って
こいと命令される。
ここでキリーの父親を見捨てても誰にも非難されるいわれはない
だろう。
けれど、ここでキリーの父親を見捨てるような人間は、大事な物
を作る資格なんてない。
ガンディーロの操縦士やロント小隊長の命令を聞いて、キリーの
父親の顔は絶望に染まっていた。
﹁この前の事は謝る。悪かった。だから!﹂
﹁⋮⋮うるさいな﹂
俺はキリーの父親の襟首を掴み、渾身の力で持ち上げてディアの
角に引っかけた。
﹁掴んどけ。振り落とされるなよ!﹂
﹁︱︱え?﹂
理解できていない様子のキリーの父親にかまわず、俺はディアの
首の付け根にあるレバー型ハンドルを握り、アクセルを全開にする。
鋼鉄の蹄が石畳に打ち下ろされるカンッという甲高い音を伴って、
ディアが一歩を踏み出す。
駆けだしたと認識した瞬間、周囲の景色が吹き飛ぶように後ろへ
流れる。
349
﹁ぎゃああああ﹂
角にぶら下がった状態のキリーの父親が叫ぶ。すぐ下を高速で地
面が流れていくのだ。そりゃあ怖いだろう。
あぁ、もう、ざまぁみろだ。
あっという間に前線から遠ざかった俺は整備車両のそばでディア
を止め、キリーの父親を地面に転がした。
腰を抜かしているキリーの父親を無視して、先に戻っていた芳朝
の下に向かう。
芳朝は冷めた目で運んできた意識のない素人開拓者を見下ろして
いた。
俺に気付くと、芳朝は笑みを浮かべる。
﹁無事でよかったよ﹂
もう素人開拓者に興味のかけらもないのか、パンサーの顔を俺に
向けて歩かせてくる。パンサーが後ろ脚で意識のない素人開拓者に
砂をかけているが、気付いているのかいないのか。
芳朝は俺の顔をまじまじと見て首を傾げる。
﹁なんでそんな仏頂面なの?﹂
﹁耳を澄ませばわかるんじゃないか﹂
ディアを盾にしてここまで守った素人開拓者が仲間の素人開拓者
に俺への文句を言っている。
振り返れば、素人開拓者は気持ちの悪いシカ型の機械に手を弾か
れたと声高に語り、わざとらしく手を擦っていた。自分は命を救わ
れても芳朝の味方になったりはしないと必死にアピールしているの
だ。
芳朝の仲間になろうものならデュラに居場所がなくなるから、必
350
死なのだろう。
素人開拓者の一団の視線がキリーの父親に向く。
﹁おい、お前はどうなんだ?﹂
質問ではない。あれは脅しだ。
キリーの父親の目が泳いだのは一瞬の事で、すぐにへつらう様な
笑いを浮かべた。
﹁お、おれだってひどい目に遭わされたんだ。聞いてくれよ。あの
気持ち悪いシカの角へ乱暴に引っかけられた時︱︱﹂
やっぱりな、と俺はキリーの父親を見限って、ディアの足を進め
る。
芳朝が隣に並んだ。
﹁だから言ったでしょ。期待するだけ無駄よ﹂
芳朝に改めて言われるまでもなく、分かっている。
﹁でもさ、嫌われているからって助けちゃいけない理由にはならな
いだろ﹂
別に感謝の言葉が欲しかったわけじゃない。
俺はただ、自分に恥じる人間にはなりたくなかっただけだ。
これからも前世の記憶を持ったまま転生するのだとすれば、ふと
した瞬間に見殺しにした相手の顔が浮かんで悔やむかもしれない。
もうこれ以上、人と親しくなれない理由を作るなんてバカバカし
いから助けただけだ。
芳朝がパンサーをディアに寄せてくる。
351
﹁つまり、道徳観から助けただけって事でしょ。赤田川君も冷めた
ね﹂
﹁気に障ったんなら謝るよ﹂
芳朝は﹁違うよ﹂とゆっくり首を振り、満面の笑みを浮かべた。
﹁他の誰に対して冷めてもいいけど、私にだけは温かい人でいてね﹂
﹁⋮⋮撤退したら、コーヒーを淹れるよ﹂
﹁うん。楽しみにしてる﹂
352
第十三話 追加の依頼
ギガンテス〝首抜き童子〟と〝二重肘〟の二体は魔術を使いなが
らロント小隊の精霊人機を一機中破に追い込み、竜翼の下の精霊人
機ガンディーロに対しても一進一退の攻防を見せていた。
大型魔物が放つ強力な魔術に耐えているガンディーロの後方でロ
ント小隊の精霊人機が反撃の機会を窺うが、二体の魔力袋持ちの大
型魔物を相手に近付けずにいる。
開拓学校の卒業生とはいえ、実戦経験が不足しすぎていて上手く
隙を見つけられないでいるようだ。
そうしているうちにまた新手のギガンテスがやって来る。
﹁撤退を開始する。歩兵は整備車両に乗り込め。竜翼の下、バッツ
ェを先行させ、退路を確保しろ。シカの、ヒョウの、整備車両の護
衛をしつつ並走しろ﹂
ロント小隊長の命令が飛び、素人開拓者が我先にと整備車両に逃
げ込む。統率なんて全く取れていなかった。
もしもゴブリンたちが〝二重肘〟の攻撃に巻き込まれる事を恐れ
ずに近付いてきていたら、後ろから襲われて二、三人食われていた
だろう。
竜翼の下の戦闘員たちは速やかに移動して整備車両や運搬車両に
乗り込んだ。
同時に、竜翼の下の精霊人機バッツェがいち早く南門へ走り、退
路の安全を確認する。
重装甲のバッツェが弁慶もかくやという立ち姿で南門の前に立っ
ているのは心強い。
撤退の気配に気付いたのか、遠距離からロックジャベリンの投擲
353
攻撃を続けていた首抜き童子が距離を詰めてくる。
ロント小隊長を乗せた整備車両を真ん中にして、車両組がいち早
く南門を抜ける。
俺と芳朝も臨戦態勢のままそれぞれの精霊獣機で車両に併走し、
脱出を図る。
車両と俺、芳朝が南門をくぐって僅かに距離が開くまで待ってか
ら、残ってギガンテスたちと交戦していた精霊人機四機も撤退を開
始する。
逃がすまいと追いかけてくるギガンテスたちに対抗しながら退く
竜翼の下の精霊人機ガンディーロたち四機は、かなり苦戦している
ようだ。
魔術を使用できる首抜き童子や二重肘は遠距離からでも十分に威
力のある一撃を放ってくるため、迂闊に背中を見せて撤退すること
もできないでいるらしい。
距離を詰められて肉弾戦に持ち込まれるといよいよ撤退が難しく
なると分かっていても、慎重に下がるしかない精霊人機の操縦士た
ちに掛かる重圧は並大抵のものではないだろう。
南門のそばまで来ると、ガンディーロが後退の速度を緩めた。
度重なる攻撃で足や腰にダメージが蓄積したのかと思ったが、ど
うもそうではないらしい。
ロント小隊の精霊人機が南門をくぐって距離を取った。
南門に陣取っていたガンディーロが、ギガンテスたちの攻撃の合
間を縫って動く。
タワーシールドを持ち上げるとその縁を掴み、足を肩幅に開くと
わずかに腰をかがめ、タワーシールドを地面と水平に構えた。
﹁投げはこっちも得意なんだよ!﹂
ガンディーロの拡声器から操縦士の気合の入った声が響く。
鐘が鳴るような音を奏でながら、ガンディーロは強化されている
354
足と腰を利用してタワーシールドをフリスビーのようにギガンテス
たちへ投げつけた。
全高七メートルの精霊人機が全身を隠せるほど巨大なタワーシー
ルドが地面と平行に飛んでいく。大質量のタワーシールドを飛ばす
繊細な操縦士の技術は神業だった。
追撃をしようとしていたギガンテスたちがタワーシールドを避け
ようと右往左往する隙をついて、ガンディーロが身を翻してデュラ
の町に背を向ける。
﹁全速力で撤退しろ!﹂
整備車両の拡声器からロント小隊長の命令が響き渡った。
言われるまでもない。
整備車両のタイヤが一瞬空回りしたかと思うとフルスロットルで
走り出す。
精霊人機がその長大な脚で整備車両を追いかける。
俺もすぐさまディアを加速させた。
デュラから延びる整備された道を一気に走る。
縄張りであるデュラを離れる俺たちを見逃すことにしたのか、ギ
ガンテスたちは追いかけてこなかった。首抜き童子や二重肘も同様
だ。
それでも、デュラの近くで野営をする勇気などないため、しばら
く道を走り続けてから森に入り、ようやく偵察部隊は停止した。
ロント小隊長が俺を見て、索敵を指示してくる。もう腕を軽く振
るだけの簡単なジェスチャーで指示内容が分かってしまう。
﹁芳朝、パンサーの方でも索敵魔術を頼む。今回の二重肘の攻撃で
ディアに異常が出てるかもしれないから﹂
﹁分かった﹂
355
芳朝と一緒に索敵魔術を一度切ってから範囲を最小にし、少しず
つ拡大して周辺に魔物がいない事を確かめる。
魔物の反応がない事をロント小隊長に伝えると、ようやく休憩時
間となった。
しかし、今回の戦闘は精霊人機の消耗が著しかった。整備士たち
は休憩する暇もなく、すぐに点検作業に移っている。
操縦士たちも疲労困憊の様子で地面に座り込んでいた。
俺は芳朝と手分けしてディアとパンサーの点検作業に移る。
二重肘の蹴りの余波である石礫を受けてディアの角に幾筋もの傷
が付いていた。角の強度にさほど影響はないため後回しにして、首
回りを見る。
首のクッション性は俺の対物狙撃銃の反動を軽減する重要な機構
だけあって頑丈に作っている。だが、今回は石礫を効率よく防ぐた
めに迎撃システムをフル稼働して首をこまめに動かしていたため、
確認が必要だった。キリーの父親を運んだ時にも負荷がかかってい
る。
ひとまず問題はないか。
脚の関節はこのところの戦闘で摩耗してきているが、まだまだ余
裕はある。
﹁芳朝、そっちはどうだ?﹂
﹁もうちょっとかかるけど、たぶん大丈夫。魔力切れが少し心配か
な﹂
﹁込めとけ﹂
精霊獣機を動かす魔力は蓄魔石から供給される。蓄魔石は空気中
の魔力を少しずつ溜め込む性質があるが、人が魔力を注入すること
も可能だ。
ただし、人が魔力を注入する場合はまじりっけなしの純粋な魔力
を生成するのに時間がかかる。今のような休息時間でもないと込め
356
るのは難しい。
俺は枯枝を集めて火を起こし、水を入れた鍋を掛ける。
バタバタとあわただしく動く整備士たちをどこか遠くに感じなが
ら、お湯が沸くのを持つ。
竜翼の下はさすがに足や腰の調整に定評がある整備士たちだけあ
って仕事が早く、きびきびと動いている。大まかな分担がされてお
り、手が足りないとすぐに別の誰かが応援に駆け付ける。
対して、ロント小隊の整備士たちは連日の戦闘で少し疲れが出て
いるようだった。
もともと、ロント小隊の整備士たちは開拓学校を卒業したばかり
の新米も多く、手探りで現場の動きを学んでいる段階だ。段取りが
悪くなるのは仕方がないのだろう。
精霊獣機と違って、精霊人機は多くの整備士が必要で自然とチー
ムで行動することになる。新米が一人混ざっているだけで動きの一
つ一つに質問が挟まるから時間を多く取られ、一つのチームが遅れ
ると他のチームの動きにも遅れが出る。悪循環だ。
ロント小隊には中破した機体もあるため仕事量が多い。ストレス
がたまって空気が張りつめているのが分かった。
竜翼の下の整備士に協力してもらえばいいのにと思うが、軍の機
体である以上機密もあるのだろう。民間の開拓団に機密情報は渡せ
ない。
まぁ、精霊人機周りの人たちの事は他所に置いて、問題があると
すれば。
﹁素人開拓者の雰囲気が最高潮に達したなぁ﹂
もちろん悪い意味で。
ロント小隊長がキリーの父親たちを懲罰部隊にしたため、表だっ
て不満を言う開拓者はいない。
しかし、開拓者たちは明らかに不信感を募らせている。
357
妙なことをしなければ捨て駒にされることはないのだが、同じデ
ュラ出身者の目もあって妙なことをしないという選択肢が取れない
のだろう。
住む場所も貯えもなく身一つで生活している彼らは、同じデュラ
の出身者から見捨てられる事態を避けねばならず、芳朝につらく当
たることで自らの立場を保つしかない。それは今日助けた三人の開
拓者の様子を見れば明らかだ。
俺と芳朝に助けられたというだけで、素人開拓者の中でも一つ下
に見られ始めているらしいキリーの父親たちが俺に恨みがましい目
を向けてくる。自業自得だ。鏡でも覗きこんでろ。
俺はお湯で白いコーヒーもどきを淹れる。
﹁芳朝、コーヒーを淹れたぞ﹂
﹁のむー﹂
日本語で声を掛けると、とぼけた日本語が返って来た。
白いコーヒーもどきを淹れたカップを芳朝に渡し、隣に腰を下ろ
す。
パンサーの蓄魔石に魔力を込めていた芳朝は作業を中断してカッ
プに口をつけた。
﹁なんで日本語で話しかけたの?﹂
﹁聞かれたくなかったから﹂
﹁なるる﹂
何語だよ、それ。
白いコーヒーもどきをちびちびと飲んでいると、天幕へお呼びが
かかった。
気は進まないものの、コーヒーを飲み干して芳朝と二人、立ち上
がる。
358
天幕の中は静まり返っていた。
ロント小隊長が重苦しい空気の中心で、竜翼の下団長ドランさん
や副団長リーゼさんもあまり機嫌が良くないようだ。
﹁任務の途中だが、撤退を決めた﹂
ロント小隊長がいきなりそう宣言する。
俺は椅子に座りつつ、ロント小隊長に訊ねる。
﹁二重肘の出現と関係がありますか?﹂
﹁あぁ、魔力袋持ちのギガンテスが二体、それも戦い方がやや洗練
されている。経験の浅い新兵の手には負えない事も今日の戦いでは
っきりしている﹂
凄腕開拓者がため息交じりに口を開く。
﹁情けない話ですが、自分も撤退に賛成です。素人開拓者の面倒を
これ以上みられませんからな﹂
﹁戦力どころか足枷でしかないからな。これ以上の任務続行は無理
だ﹂
ロント小隊長が凄腕開拓者の言葉に賛同し、改めて撤退の意思を
伝えてくる。
戦力としても、ロント小隊の精霊人機が一機中破し、他の二機も
関節部の損傷が激しい。操縦士の疲労も考えるとまともな戦闘には
大きな危険を伴うという。
﹁威力偵察が任務の主旨だが、新兵の教育もこの任務の意義だ。無
駄死にさせる事は出来ん﹂
359
ロント小隊は元々、リットン湖という新大陸の要地を攻略するた
めに編成された部隊の一つであり、今回の威力偵察は行き掛けの駄
賃でしかない。
デュラの偵察程度で戦力を失うわけにはいかないという判断らし
かった。
この場で意見を述べていない重要戦力の一つである竜翼の下の団
長ドランさんに目を向ける。
ドランさんは不満そうな顔で腕を組んだ。
﹁タワーシールドの予備がない。撤退には賛成だ。赤字だけどな﹂
リーゼさんが隣で頷いて眼鏡を人差し指で押し上げる。
﹁二重肘か首抜き童子、どちらか一体でも倒して魔力袋を手に入れ
れば黒字になったのですが、今回は仕方がありませんね﹂
天幕内の意見は一致した。
デュラ偵察任務は中途半端な形ながらも今日をもって終了し、一
晩休んでから港町へ帰還することが決まった。
素人開拓者には凄腕開拓者とロント小隊長が説明するとの事で、
解散となる。
ディアに乗って野営地の端に移動し、芳朝の手料理を食べる。
バジルっぽい香りのするハーブとピーナッツを砕いて、オリーブ
オイルを混ぜたジェノベーゼソースをペンネに絡ませたものだ。
周りが干し肉と固いパンを齧っている中、俺と芳朝の食事だけは
まともだった。料理人芳朝ミツキに感謝。
普段なら車両に食材を積んでいるロント小隊や竜翼の下もそれな
りの料理を食べているのだが、今日の戦闘の疲れや精霊人機の整備
で手が離せないらしく、もそもそとパンを齧っているだけだ。
360
﹁帰ったら何が食べたい?﹂
芳朝がにこやかに聞いてくる。
持ち運べる食材に限界がある以上、どうしても保存のきく物しか
手元にない野営と違って、港町に帰れば使える食材も豊富にある。
﹁何でも作るよ。ご希望は?﹂
﹁メンチカツかな﹂
﹁わかった。それとエビカツも作ろう﹂
カツレツ三昧にしよう、と上機嫌に抱負を語る芳朝に話を合わせ
る。
﹁ポタージュもほしいな。ジャガイモとか﹂
﹁グリンピースのポタージュって言うのもあるね﹂
﹁グリンピースは青臭くって駄目だ﹂
あとはさっぱりした感じのサラダが欲しい。柑橘系のドレッシン
グをかけて、みずみずしいレタスなんかを頬張りたい。
このところ、野菜といえばピクルスばかりだったからな。
献立を考えていると、素人開拓者たちに説明を済ませたロント小
隊長が歩いてきた。
﹁ここだけ良い匂いがするな﹂
﹁優秀な料理人がいるので﹂
二人前しか作ってないからロント小隊長の分はない。
ソースだけでも貰いたかったが、とロント小隊長は無表情に呟い
た。本音かどうかいまいち分からない。
361
﹁君たち二人に追加の仕事を頼みたい﹂
﹁ギルドを通してくれませんか?﹂
﹁ギルドには文書で伝える﹂
ロント小隊長が筒を二つ差し出してくる。文書が入っているらし
い。一つがギルドに宛てた物だ。
もう一つは何だろうかと首を傾げると、ロント小隊長が整備車両
を指差した。
﹁精霊人機の修理が必要で到着が遅れる報告だ。マッカシー山砦司
令官ホッグスに直接渡してもらいたい﹂
マッカシー山砦と聞いて、芳朝がピクリと反応する。
マッカシー山砦は俺たちが調べている精霊研究者バランド・ラー
ト博士が滞在した軍事施設だ。前々から入る機会を窺っていたし、
今回の任務が終わり次第、ロント小隊長に精霊獣機を売り込んでマ
ッカシー山砦まで付いて行くつもりでもあった。
向こうから切り出してくれたのは幸いだが、なぜ俺たちに伝令役
を頼むのかが分からない。
静かに話を聞いていた芳朝が素人開拓者たちに目を向ける。
﹁不和の原因になっている私たちを遠ざけてデュラ出身者の溜飲を
下げ、統率を取りやすくしたいんですか?﹂
﹁あぁ、その通りだ。もっとも、素人開拓者などどうでもいい。問
題は我が隊にも君たちの精霊獣機を快く思わない者が多い事だ。そ
れに、我が隊の斥候に経験を積ませなくてはならない﹂
なんだ、厄介払いか。
納得して、俺は芳朝に意見を求める。
芳朝は興味を失ったように食事を再開する。
362
﹁いいんじゃない? マッカシー山砦に公然と入れるのはありがた
いし﹂
日本語で話した芳朝にロント小隊長の無表情が一瞬崩れ、不可解
そうな顔になる。日本語を理解できないからだろう。
芳朝の同意も得られたことで、俺はロント小隊長に向き直る。
﹁いいですよ。その依頼受けます﹂
363
第十四話 帰宅と出発準備
ロント小隊長に託された文書をディアの腹部にある収納スペース
に収める。拠点にしている港町を出発した時には食品が収まってい
たのだが、大部分を食べてしまったためスペースにはまだまだ余裕
があった。
野営地を出発して半日で拠点に着いた俺たちは借家に帰る。
﹁芳朝は整備を頼む。俺はこの文書をギルドに届けてくるから﹂
﹁私も行くよ﹂
﹁いや、一人で十分︱︱﹂
﹁私も行くの﹂
何、その笑顔。怖いんですけど。
理由が分からないわけでもないので、整備を後回しにして一緒に
借家を出る。
しかし、芳朝が一緒だとあの買い物ができない。
番犬代わりのプロトンが尻尾を振って俺たちを見送ってくれた。
⋮⋮尻尾を振る機能なんかついてたっけ?
記憶になかったので芳朝を見ると、彼女はプロトンを見て楽しげ
な笑みを浮かべていた。
﹁可愛いでしょ。二人で出かけるときには尻尾を振るようにしてみ
たの﹂
﹁そりゃあ可愛いけど﹂
﹁機能美もいいけど遊び心がないとロボットはつまらないのよ﹂
技術的に遊ばれているプロトンに見送られてギルドに向かって歩
364
く。
そろそろ改修してほしいなと思って久しいピンク系統のホテルに
見えるギルド館に足を踏み入れ、じろじろと不躾な視線を浴びなが
らカウンターへ。
﹁ロント小隊長から文書を託されたので、お届けに参りました﹂
俺が近付いてきたことに慌てている受付に先手を打って声を掛け
るとあきらめたように肩を落とした。
気持ち悪がられる精霊獣機に乗る俺と芳朝との関わりは薄いに越
したことがない。そう考えているのが手に取るように分かるし、俺
もこの手の人間と仲良くなろうとはすでに思っていない。
さくっと渡して、さくっと帰って、さくっと整備して、さくっと
出発、ついでにクッキーを食べたい。
ロント小隊長の名前が出るとさすがに受け取らざるを得なくなっ
たのか、受付が愛想笑いをうかべて文書が入った筒を受け取る。愛
想笑いは俺や芳朝へ向けた物ではなく、この場にいる開拓者へのア
ピールだろう。誰だって汚水をぶっかけられたくはない。
﹁確認しますので、しばらくお待ちください﹂
言うが早いか、距離を取った受付は奥へ引っ込んだ。
俺たちは壁際に寄って受付が戻るのを待つ。
﹁ところで芳朝さんや﹂
﹁なんですか、赤田川さんや﹂
﹁なにゆえに手を繋いでおるのかのぉ﹂
﹁離れたくないからに決まっていますよ。ボケたんですか?﹂
﹁何それ、あざと可愛いセリフが最後で台無しだろ﹂
365
芳朝がにっこり笑って肩が触れるほど身を寄せてくる。
﹁私と仲良くしている姿をみせていれば、赤田川君に悪い虫がつか
ないから﹂
﹁人類すべてをひっくるめて悪い虫扱いするんじゃありません﹂
日本語で言葉を交わしている俺たちを、回りの開拓者が気味悪そ
うに見ている。芳朝の企みが大成功している事に気付いて、俺は口
を閉じた。
受付が戻ってきて、俺たちを手招いた。
﹁こちら、新規の依頼書になります。内容の確認をお願いします﹂
受付が出してきたのはロント小隊長からの追加依頼だ。マッカシ
ー山砦の司令官ホッグスに文書を届け、後にホッグスからの指示に
従って行動するようにと書かれている。期限は五日間、期限の延長
はホッグスと相談しろとの事だった。
ちょっとした傭兵契約だが、その実ただの郵便配達である。場合
によってはマッカシー山砦からロント小隊の最終目的地である防衛
拠点ボルスへ手紙を届ける必要があると備考欄に記載があった。
事前にロント小隊長から聞いていた内容と齟齬がないのを確かめ
て、依頼を受けた俺たちはギルド館を後にした。
この港町からマッカシー山砦までは車両で一日、精霊人機で飛ば
せば半日ほどで到着する。森を突っ切ることができる精霊獣機なら
ば精霊人機と同じく半日程度だろう。
しかし、マッカシー山砦に着いたとしてもすぐに司令官との面会
が叶うはずもない。
﹁マッカシー山砦司令官のホッグスって黒い噂があったよな﹂
366
以前、回収屋デイトロさんたちと出向いたデュラでの依頼でもマ
ッカシー山砦のモノと思われる回収部隊に出くわしている。所属を
明かしていない事から何か後ろ暗いところがありそうだというのが
デイトロさんやギルドの見解だった。
いまのところ証拠はないが、警戒しておいた方が良いだろう。
芳朝が頷いて、口を開く。
﹁今回のデュラ偵察任務でも、マッカシー山砦主導で寄付金を募る
話があったよね。結局どうなったんだろう?﹂
﹁さっき開拓者が噂しているのを聞いたけど、寄付金は募ったらし
い。あまり集まらなかったみたいで、依頼を受けた開拓者が軍人に
怒鳴られたって愚痴を言ってた﹂
﹁そんなこと話してる人が居たんだ。赤田川君って案外、地獄耳だ
ね﹂
﹁褒め言葉を聞いた事が無いんだ。地獄耳のはずがない﹂
本当、どこで俺の良い噂が流れてるんだろうね。気味悪いって陰
口ならよく耳に入って来るんだけど。
長い依頼になりそうなので、食材を色々と買い込む。半年以上こ
の港町を拠点にしているだけあって、俺たちが相手だからと足元を
見るような店は避けていた。
俺たち相手に足元を見る店は普通の客にも避けられているのが面
白い。客次第で態度を変えるような店は信用できないのだろう。
食材を買いこんで借家に帰ると、プロトンが出迎えてくれる。出
迎え時にはしっぽを振らないようだ。
﹁芳朝は風呂に入ってこいよ。俺はコーヒーを淹れておくから﹂
﹁一緒に入る?﹂
﹁馬鹿なこと言ってないでさっさと入ってこい﹂
367
軽く背中を押して芳朝を追いやってから、俺はキッチンでコーヒ
ーを淹れる。
白いコーヒーもどきを飲みつつ物資に足りない物がないか確認し
ていると、芳朝が長い黒髪にタオルを当てながらリビングにやって
きた。
白地に青い線が袈裟掛けに入った片側オフショルダーのTシャツ
にデニムショートパンツという露出の高い恰好だ。それにしてもな
んだあのTシャツ。
﹁遠山の金さんごっこでもしたのか?﹂
声を掛けつつ白いコーヒーもどきを渡す。
﹁遠山の金さんって桜吹雪の人だっけ。でも、なんでいきなりそん
な話題を振るの?﹂
芳朝は一瞬わからないというように小首を傾げたが、ソファに座
って自分の着ている服に気付くとじろりと俺を睨んできた。
﹁白州に引っ立てるよ?﹂
﹁それには及ばない。これから流刑地に行くから﹂
というわけで汗を流しに風呂場へトンずらした。
依頼の疲れを流して娑婆に戻ると、芳朝はまだ不機嫌そうに白い
コーヒーもどきを啜っていた。それ、何杯目だ。
芳朝がジト目で睨んでくる。
﹁額に犬って書かれる覚悟はできた?﹂
いきなりリーチ掛かってるじゃねぇか。もう一回何か不用意な発
368
言したら死罪かよ。
芳朝がむすっとしてコップを両手で包み、細い足を前後に揺らす。
﹁せっかく勇気のいる格好をしたのにさ。これをこの夏の部屋着に
しようと思ってたのに、ケチがついた気分だよ。パンサーに乗る時
は怪我をしない様に布面積が多くなるし、赤田川君だけだよ? 私
のこんな恰好を見れるの。それなのにさ﹂
﹁悪かったって﹂
平謝りしながらソファに座る。
芳朝が無言でコーヒーの入ったコップを差し出してくる。それ、
さっき君が口をつけてたよね。
﹁私のコーヒーが飲めないの?﹂
聞き覚えのあるフレーズで絡んでくる芳朝の笑顔に気圧されて、
俺はコップを受け取った。
﹁飲み過ぎて気分が悪くなってきたところだから助かったよ﹂
どうしてそんなになるまで飲んだ。いや、俺のせいですね。
地球のそれと同じく、この白いコーヒーもどきもカフェインか何
かが入っているらしく、飲みすぎると気分が悪くなるのだ。
俺は気分ではなく立場が悪くなっているのだが、一杯のコーヒー
で持ち直すのなら安い物だ。
﹁これを飲み終わったらディアとパンサーの整備をして、マッカシ
ー山砦に向かうぞ﹂
砂糖でも入っているのか、微妙に甘い白いコーヒーもどきを飲み
369
ながら予定を立てると、芳朝が頷いた。
先に整備をしてくるという芳朝を見送って、俺は飲み干したコッ
プをキッチンに持って行く。
コップを洗って、棚に戻してから、俺はガレージに向かった。
部品交換を始めていた芳朝と手分けしてパンサーから整備を開始
する。
今回のデュラ偵察任務で得たデータをもとに少々の改良を加えて
いく。
﹁もう少し出力を上げたいよな﹂
﹁もっと質のいい魔導鋼線が買えれば出力を上げても焼き切れない
だろうけど、この町だとなかなか手に入らないよ﹂
魔力を伝達する魔導鋼線は一定以上の質になると価格が急上昇す
る。安定供給されているものでもないため、大きな開拓団と買い取
り競争になる。
ない物ねだりをしながらもパンサーの整備を終えた俺は、ディア
の整備を芳朝に任せた。
ディアの魔導核に刻んでおきたい魔術式があったのだ。
魔導核へ慎重に魔術式を刻み、ディアに接続した。
試運転をして問題なく発動することを確かめてから、改めて調整
を施す。
最後に物資を収納スペースに放り込めば完成だ。
準備を終えた俺たちはプロトンに留守を任せ、マッカシー山砦へ
出発する︱︱前に、
﹁芳朝、少し市場に寄るぞ﹂
﹁何か足りない物でもあった?﹂
﹁まぁな﹂
370
言葉を濁して、行商人が集まる港近くの市場に向かう。ゴザを敷
いた露店が大半だが、簡単な屋台を作っている行商人もいた。
精霊獣機は二機ともガレージに置いてきているため、俺たちの事
を良く知らない行商人たちは威勢のいい掛け声で俺たち相手にも客
引きをしてくる。
俺は芳朝の部屋着を思い出しつつ屋台を覗いて回る。
﹁︱︱もしかして、誕生日プレゼントを選んでくれてたりする?﹂
﹁察しが良いな。まぁ、部屋の中でつけられる小物になるだろうけ
ど﹂
精霊獣機のように激しく動く乗り物に乗っている俺たちがブロー
チやネックレスをつけても邪魔になる。
﹁忘れてなかったんだ。やるじゃん。ご機嫌取りを兼ねてなかった
らもっと評価高めだったんだけどね﹂
﹁それは言わない約束だろ﹂
本当は遠山の金さんネタで機嫌を損ねる前から誕生日プレゼント
を買いに行くタイミングを探っていたのだが、芳朝はあまり俺と離
れたがらないのでこんな形になったのだ。
いまさら言っても言い訳にしか聞こえないから言わないけど。
芳朝は露店をざっと眺めてから、何を思ったのかにやりと笑う。
﹁赤田川君、お耳を拝借﹂
﹁とらないだろうな﹂
﹁私は芳一じゃなくて芳朝だよ﹂
芳一は取られる側だろ。
371
﹁いいから、貸す!﹂
﹁はいはい﹂
耳を向けてみると、芳朝は口を寄せてきた。温かな吐息がこそば
ゆい。
﹁誕生日プレゼントに下着を選んで﹂
﹁却下。言いたいだけだろ、お前﹂
﹁ばれたか。下着売り場で恥も外聞もなくはしゃぐバカップル風リ
ア充ごっこしたかったのに﹂
なんだそのシチュエーション。
﹁というか、芳朝って前世でも彼氏いたことないのか?﹂
﹁それって今このタイミングで聞く事かな? ちなみにいなかった
よ。生徒会長って案外忙しいし、部活もやってたし、塾は行ってな
かったし﹂
﹁塾に行ってなければ時間があるんじゃないのか?﹂
﹁逆だよ。時間がないから塾に行けなかったの。女子テニス部だっ
たし、生徒会メンバーは私に仕事押し付けるし。せめて塾に行けば
いい人にも出会えたのかもしれないけどね﹂
いまさらどうでもいいけど、と芳朝は露店を再度見回して、腕を
組む。
﹁良い物ないね﹂
﹁日本語で呟くのは自重してるのかしていないのか、判断に困る所
だな﹂
﹁どうしようかな﹂
372
俺のツッコミはスルーされたようだ。
﹁⋮⋮よし決めた﹂
芳朝は腕組みを解く。
俺が財布を出そうとすると、芳朝に手を掴まれた。そのまま腕を
引っ張られる。
店の前まで行くのかと思えば、市場を突っ切ってしまった。
﹁どこまで行くんだ?﹂
﹁帰るのよ。良い物なかったし﹂
まさかの保留か。行商人さんたち、冷やかしてすまない。
﹁せめてどういう物が欲しいかを言ってくれれば、俺も探すけど﹂
水を向けると、芳朝は人の気配が途絶えたタイミングで俺を振り
返り、満面の笑みを浮かべた。
﹁それじゃあ、プレゼントとして赤田川君に名前で呼んでもらいた
いな﹂
なにこれ︱︱可愛いじゃねぇか。
373
第十五話 マッカシー山砦司令官ホッグス
マッカシー山砦は、新大陸でも初期に作られた砦だ。
旧大陸との交易をおこなう港町デュラと周辺の村や町を守り、新
大陸内部への開拓を助けるために設けられた。
標高七百メートルのマッカシー山の頂にあるこの砦は新大陸の内
陸部への橋頭保としての意味合いがあったために規模も大きく、マ
ッカシー山中腹をぐるりと囲む二重の分厚い防壁と山頂の三つの塔
からなっている。
だが、すでに開拓の最前線がより内陸へと移った今、このマッカ
シー山砦の重要性は一段階落ちてしまっていた。
それでも、第二防衛ラインとしての役割と最前線へ行く前の補給
基地の意味があり、多数の兵が詰めている。
一般人の立ち入りは制限されているものの、小隊長クラスの軍人
の紹介状があれば入ることができるそうだ。
ロント小隊長の紹介状を持っている俺たちも一応、入る事は出来
る。
というわけで、森を突っ切ってやってきたマッカシー山の麓にて、
俺は山頂を見上げていた。
﹁案外小さな山だけど、勾配がきつそうだな﹂
マッカシー山は木々が高さ五メートル以下で切り揃えられて、大
型魔物を山頂から発見できるように配慮されている。
麓から山頂までは、なだらかに整備された坂が蛇行していた。
整備車両の全長は九メートルあるから、山頂まで一直線に駆け上
がるような急勾配は上り切れないのだろう。整備車両が通行出来る
ように何度も折り返した坂が作られたらしい。
374
﹁ヨウ君、砦の兵士がこっち見てるよ﹂
芳朝、じゃなくてミツキに言われて、防壁の門に立っている兵士
に目を凝らす。
﹁ほんとだ。仕事熱心だな﹂
坂を上り切って、第一防壁にたどり着くと、サーベルを持った兵
士が俺たちを怪しむ様にじろじろと見つめていた。坂を上っている
間もずっと観察されていた。
﹁すみません。マッカシー山砦司令官ホッグスさんへ、リットン湖
攻略隊ロント小隊隊長ロントさんから文書を預かっています。直接
渡してくれとの事なので、取次をお願いします﹂
ロント小隊長から受け取った紹介状を差し出して兵士に頼む。
兵士はいぶかしげに俺が差し出した紹介状に目を通した後、精霊
獣機に侮蔑的な視線を向けてから眉を寄せた。
﹁少し待て﹂
兵士が門の左右にある詰所の中に声をかけ、同僚を使いに出す。
少しと言いつつ体感で一時間ほど待たされたあと、ようやく中へ
入れてもらえた。
精霊獣機を気味悪そうに見る兵士に案内されて格納庫に向かうが、
得体のしれない物を持ち込むなと言われて追い返された。
﹁⋮⋮防壁の外に出しておけ﹂
﹁野ざらしはさすがに困るんですが﹂
375
﹁そんな気色の悪い物を持ち込まれる我々の方が困る。外に出せ﹂
仕方なく、防壁の外にディアとパンサーを停める。
いたずらされては困るので、迎撃システムを起動し、効果範囲を
周囲三メートルに拡張する。二日以内なら魔力も持つだろう。
兵士さんに声をかける。
﹁俺たち以外の人には触れないように設定したので、この二機に近
付かないでください。移動させるときは俺たちに声をかけてくださ
いね。そうしないと︱︱﹂
足元の石を拾ってパンサーに向かって軽く放り投げる。
キンと鋭い音がして、俺が投げ込んだ石は真っ二つになった。パ
ンサーの尻尾に付いた刃で両断されたのだ。
目をむいている兵士にミツキがにこやかに声を掛ける。
﹁血を落とすのは面倒だから、なるべく近付かないでくださいね﹂
兵士が﹁お、おう﹂と引き気味に頷いてくれた。
二重になった防壁の中へ通してもらった俺たちだったが、司令官
のホッグスは仕事で手が離せないとの事で、砦の奥へ案内された。
二重の防壁をくぐると三つの塔と宿舎らしき建物、武器弾薬の備
蓄庫と食糧庫があった。
防壁から案内してくれた兵士から、砦内部の担当士官に案内役の
交代がなされる。
担当士官は俺とミツキが精霊獣機に乗って来た事を知らないらし
く、なかなか好意的に接してくれた。
すれ違う兵士も俺たちを珍しい来客くらいにしか認識していない
ようだ。
376
﹁人が多いですね﹂
第二防衛ラインとはいえ、常駐戦力はもっと少ないと思っていた
のだが、視線をどこへ向けても兵士が視界に入ってくる。かなりの
人口密度だ。
担当士官が苦笑する。
﹁このマッカシー山砦には三十機の精霊人機が詰めていますからね。
随伴歩兵や整備士などを含めるとこれでも手が足りないくらいです﹂
﹁三十機?﹂
過剰戦力だと思ったのは俺だけではないようで、ミツキも驚いた
顔で格納庫がある方角を振り返った。
担当士官が苦笑を深める。
﹁最盛期には五十機前後で推移していたそうですよ。周辺の町や村
へ戦力を向かわせても、この砦が落とされたら意味がありませんか
らね。後はこの砦を経由して任務地へ向かう部隊の精霊人機が常に
五機はあったようです。格納庫がまるで戦場のようだったと整備班
長から聞いています﹂
﹁いつごろの話ですか?﹂
﹁おおよそ、三十年前ですね﹂
俺とミツキが前世で子供だった頃か。
昔話の流れに乗って、俺は話を切り出した。
﹁バランド・ラート博士の事はご存知ですか?﹂
﹁バランド・ラート⋮⋮先ごろ暗殺されたという精霊研究者ですか
?﹂
﹁昔この砦に滞在していた時期があるそうなんです﹂
377
唐突に話が変わって戸惑った様子の担当士官に補足すると、合点
が入ったように頷いた。
﹁昔話の続きでしたか。でも、バランド・ラート博士の事は知らな
いですね。いつごろこの砦に滞在していたんですか?﹂
﹁二十年前からの二年間だったはずです﹂
はず、などと誤魔化してはいるが、実際はデュラのギルドで発見
した開拓者登録書類で正確に把握している。
バランド・ラート博士は二十年前にこの砦を訪れ、二年間滞在し
た後、大工場地帯ライグバレドへ移動した。
担当士官は苦笑気味に自らの胸を指差すと﹁何歳に見えますか?﹂
と訊ねてきた。
見たところ二十代の半ばに見える。
そりゃあ、二十年前にこの砦にいた人物との面識はないだろう。
﹁直接会った事はなくても、話を聞いたこととかありませんか?﹂
担当士官が首を横に振る。
﹁ないですね。二十年前からこの砦に勤めている人ならあるいは会
った事があるかもしれませんけど。でも、二十年前となると何人い
るかなぁ﹂
後半は自問するように呟いて、担当士官が指折り数える。
﹁整備班長と司令官と赤盾隊の五人くらいしか思いつかないですね﹂
どの人も簡単には会えない相手だった。
378
司令官のホッグスは言うに及ばず、整備班長はマッカシー山砦の
戦力の中枢を担う精霊人機の整備や調整を統括する役職で警護の人
間が付いている。
五人いるという赤盾隊は司令官ホッグス直属の精鋭精霊人機乗り
達で、赤塗のタワーシールドを装備した重装甲の専用機の乗り手た
ちだ。マッカシー山砦内では文句なしの最高戦力であり、やはり会
う事は出来ない。
となれば、これから手紙を渡すホッグス司令官に直接聞くしかな
いだろう。しかもチャンスはこの一回限り、失敗は許されない。
砦の奥にある待合室に通されて、お呼びがかかるまで時間を潰す。
ミツキが心配そうにディアとパンサーを停めた方角を見る。もち
ろん、ここからは建物や防壁が邪魔で二機の姿は確認できない。
﹁心配しても仕方がないだろ。早めに用事を済ませて帰るしかない﹂
声を掛けると、ミツキはため息を吐いた。
﹁そうなんだけどさ。やっぱりいたずらされないか心配になるでし
ょ﹂
迎撃システムを起動させてあるとはいえ、直接ロックジャベリン
か何かを撃ち込まれると無事では済まない。そこまでするやつがい
るかは謎だが。
ミツキの心配が伝染して俺までそわそわしてしまう。
別の事を考えようと、バランド・ラート博士について司令官のホ
ッグスへ質問する内容を考える。
面識があるかどうかの確認と人柄やここで何をしていたか、が主
な質問になるだろうか。
考えていると担当士官が戻ってきた。
379
﹁司令官の時間が空きましたので、どうぞこちらへ﹂
案内されて出向いた先は砦の中枢にある司令官室だった。部外者
である俺やミツキを通していい場所なのか、少し疑問だ。
担当士官が開けた扉の向こうに五十代も終わりに差し掛かった男
が待っていた。
﹁司令官、文書を持ってきた二人を案内しました﹂
肩幅の広い筋肉質なその男がマッカシー山砦司令官のホッグスら
しい。
赤銅色の髪を後ろに撫でつけてあり、額には頑固そうな皺が刻ま
れている。
ホッグスが無造作に片手を突き出してきた。
手のひらを上にしているからには握手を求めているわけではない
だろう。
﹁さっさと文書を寄越せ﹂
﹁どうぞ﹂
促されるまま文書が入った筒を渡すと、ホッグスはふんと鼻を鳴
らしてじろりと俺たちを見た。
﹁⋮⋮なんでこんな子供を寄越したんだ﹂
ぶつぶつ言いながら、ホッグスは筒から文書を取り出して読み始
めた。
ロント小隊長にもいろいろと事情があったんだよ。弁護する気も
ないけど。
ホッグスは眉間に皺を作って文書を読み終えた後、俺を見る。
380
﹁やはり軍人ではないようだな。最近の開拓者は新聞屋の使い走り
もするのか?﹂
﹁⋮⋮何の話ですか?﹂
ロント小隊長の文書に俺とミツキが開拓者であることが書かれて
いたとしても、新聞屋なんて単語が書かれていたとは思えない。
ミツキと揃って首を傾げると、ホッグスは腕を組んで鼻を鳴らし
た。
﹁バランド・ラートの事を聞きたがったと聞いている﹂
あぁ、それで。
バランド・ラート博士殺害事件を追っている記者か何かだと思っ
たのか。
﹁新聞記者ではないですが、バランド・ラート博士に興味があるん
です。いくつか質問をしたいのですが︱︱﹂
﹁断る。バランド・ラートについては軍も調査中だ﹂
﹁軍が?﹂
いや、あり得ない話ではないのか。バランド・ラート博士は一応
軍に籍を持っていたはずだ。少なくとも、新聞では軍人として報道
されていた。
そうなると、バランド・ラート博士は軍人と開拓者を両立してい
た時期がある事でほぼ確定か。しかし、何のために両立していたん
だろう?
﹁そもそも、新聞記者でもないお前たちがなぜバランド・ラートの
事を調べている?﹂
381
自分たちが転生した謎を調べる一環ですと答えられるはずもなく、
俺は用意していた言い訳を口にする。
﹁バランド・ラート博士の殺害現場に偶然居合わせたからです。そ
れで、気になって﹂
﹁⋮⋮なんだと?﹂
ホッグスが眉を寄せ、俺をまじまじと見つめてくる。
しばらく俺を無言で見つめていたホッグスが机の引き出しから紙
を一枚取り出し、ペンを走らせる。
﹁ともかく、バランド・ラートについてこれ以上嗅ぎまわるのはや
めろ﹂
俺はミツキと視線を交わす。
ホッグスはバランド・ラートについて隠しておきたいらしい。そ
れが軍の総意なのかはわからないが、厄介なことになってきた。
ホッグスが書き上げたばかりの手紙を筒に収め、俺に放り投げて
きた。
空中で掴みとると、ホッグスは睨むように俺を見据える。
﹁防衛拠点ボルスへのキャラバンの護衛を頼もう﹂
いきなり話が変わって困惑した時、ミツキが俺の袖を引いて、囁
いてくる。
﹁防衛拠点ボルスって前線基地の一つだよ。リットン湖攻略隊が集
結してる﹂
﹁嗅ぎまわられて確信を掴まれないうちに追い払うつもりか﹂
382
﹁余計な事を嗅ぎまわる私たちを前線に放り込んで始末するつもり
かもよ﹂
いずれにせよ、愉快な話ではない。
ホッグスが目配せすると、担当士官がすまし顔で扉を塞いだ。
﹁断ればどうなるか、分かるな?﹂
この場で断ったとして、口封じに殺される可能性はあるだろうか。
簡単に殺せるのならばキャラバンの護衛なんて面倒なことを頼ま
ないはずだ。
しかし、断って対立を明確にしてしまうと今この場は無事でも後
々どうなるかはわからない。
﹁キャラバンは民間人の物ですか?﹂
冷静に情報を得るべく訊ねると、ホッグスが警戒を深めたのが眉
間の皺の数から分かった。
﹁キャラバンは民間人だ。もちろん、この砦からも護衛の人員を出
す﹂
ホッグスの言葉が事実ならば、キャラバンの護衛をしている間に
殺される可能性は低い。
仮にキャラバンの人間まで軍の手の者だったとしても、ディアと
パンサーにさえ乗ってしまえば逃げることも可能だ。
この砦にいる軍人はだれ一人、精霊獣機の足の速さは知らないだ
ろう。十分に裏を掻ける。
ホッグスや軍に警戒されてバランド・ラートについて調べにくく
なるよりは、素直に従う姿勢を見せた方が無難だ。
383
ミツキが真剣な顔で耳打ちしてくる。
﹁ロント小隊長との契約期間が五日、ホッグスの指示に従う事も依
頼内容に入っているからここで断る大義名分がないよ﹂
﹁失敗したな﹂
俺は考えてから、ホッグスをまっすぐ見る。
﹁キャラバンの護衛は受けましょう。ただし、依頼内容を文書にし
ていただきます﹂
依頼内容と実際が異なっていれば即座に破棄してギルドに駆け込
み、庇護を求めてやる。
﹁小賢しい。まぁ、いいだろう﹂
ホッグスが新しい紙を用意して素早くペンを走らせる。
依頼内容を書くという事は、今回の依頼はあくまでもバランド・
ラート博士の謎を追う俺たちに対するけん制か。
ホッグスの書いた依頼内容に間違いがない事をミツキと一緒に確
かめて、キャラバンの護衛を承諾した。
担当士官が扉の前から退く。
﹁では、無事を祈る﹂
嘘くさいセリフを吐くホッグスに見送られて、俺はミツキと早足
で司令官室を後にした。
384
第十六話 キャラバン護衛任務
防衛拠点ボルスへ向かうキャラバンは食料品を積んだ馬車四台と
精霊人機の部品を満載した運搬車両一台で構成されていた。
マッカシー山砦から出された護衛の戦力は精霊人機が二機、顔色
の悪い随伴歩兵が十人、歩兵が二十人、運搬車両と整備車両が各一
台だ。
大所帯にみえるが、大型魔物の奇襲を受けようものなら歩兵がバ
タバタ死んでいくため、護衛は多いに越したことがないという。
防衛拠点ボルスへは丸二日かかる。湿地帯を大きく迂回しての道
のりだ。
今回のキャラバン護衛任務、不本意な形で参加させられたことだ
けでも不愉快な気分だったが、キャラバンを形作る五人の商人や護
衛の兵士の態度も悪かった。
言葉使いこそ取り繕っているものの、明らかに俺やミツキを下に
見ているのが伝わってくる。
精霊獣機を気持ち悪い兵器だと陰口を叩いている姿も見た。
マッカシー山砦を出てからというもの、ミツキがむすっとしてい
る。多分俺も似たような顔をしている事だろう。
﹁アウェー感をビシビシ感じるな﹂
ミツキが無言で頷く。ノリの悪さは機嫌の悪さという格言を思い
ついた。
﹁︱︱おい、そこの二人、周囲の警戒を怠るな! それくらいはで
きるだろう!?﹂
385
整備車両から護衛隊長の叱責が飛んでくる。同時に俺はイラっと
くる。
出発してから魔物に三回出くわしたが、いずれも俺とミツキが最
初に発見しているにもかかわらず、あの言い草だ。俺たちの索敵技
能を意地でも認めたくないらしい。
護衛部隊に対する印象が最悪なためか、彼らの精霊人機の動きも
精彩に欠いているように見える。力任せの動きが多く、足元への注
意が散漫で小型魔物の浸透を容易に許している。
いちいち小型魔物の処理に回る俺とミツキの身にもなれってんだ。
何のために魔物の早期発見を心がけてると思ってんだ。
あぁ、イライラする。
﹁ヨウ君、敵﹂
﹁左からだな﹂
ミツキの注意に頷き返して、俺は魔物の接近を知らせるべく火球
を打ち上げる。
護衛部隊が動き出すが、やはり精霊人機の動きが鈍い。随伴歩兵
の展開が先に完了して、接近してきたゴライアと先にドンパチ始め
てしまうほどだ。
ちょっと精霊人機の操縦者の腕がへぼすぎる。どうなってんだ、
これ。
﹁ヨウ君、ゴライアを仕留めて。私はゴブリンを殺す﹂
﹁ミツキちゃんや、ちょっと言葉使いに気をつけようか﹂
﹁むごたらしく殺す﹂
﹁いや、そうじゃなくてね﹂
ミツキの怒り方が危険水域に達しているのを実感しつつ、俺は対
物狙撃銃を下ろしてゴライアに狙いを定める。
386
精霊人機が歩兵を踏まない様にもたもたしている間に、ゴライア
の右肩を打ち抜き、続けざまに腹部へ一発、動きが鈍ったところに
とどめを撃ち込む。
パンサーに乗ったミツキが精霊人機をあっという間に追い抜いて
随伴歩兵の頭上を飛び越えた。
ゴブリンの群れに襲い掛かったパンサーが尻尾を振り回し、爪で
斬り裂く。パンサーに乗ったミツキが自動拳銃の引き金を引けば、
パンサーから距離を取っているゴブリンが倒れ伏す。
あれで少しはストレスを発散してくれるといいんだけど。
結局、精霊人機が戦闘に参加する前にゴブリンたちが逃げ散った。
幾分すっきりした顔でミツキが戻ってくる。
俺はディアの腹部の収納スペースから水筒を取り出して、ミツキ
に渡す。
﹁お疲れ﹂
﹁うん、少しすっきりした﹂
﹁あれだけ暴れればすっきりもするだろうよ﹂
恐慌状態でゴブリンが逃げ散った方角を見る。体勢を立て直して
再襲撃という事もなさそうだ。
随伴歩兵は助かったと言いたげな顔をしているが、歩兵たちは手
柄を取られて忌々しそうな顔でこちらを睨んでいる。
護衛隊長が俺を睨んでいるが、知った事じゃない。
再出発して体感三時間ほど進み、野営予定地に到着した。
緊張しっぱなしだった随伴歩兵たちが何故か他の歩兵の分までテ
ントを設営している。
精霊人機の操縦士や整備士、その他の歩兵は何をするでもなく体
を休めていた。
かいがいしく働く随伴歩兵たちと何もせずにごろごろしているよ
うにしか見えない歩兵たちという光景は見ていてあまり気分の良い
387
物ではない。
﹁階級ごとに決まってるんだろうけど、随伴歩兵の人たちの扱いが
悪すぎないか?﹂
﹁懲罰部隊なのかもね。かわいそうだけど、あまりかかわらない方
が良いよ。随伴歩兵だけじゃなく、護衛部隊全体にね﹂
ミツキの中で護衛部隊は半分敵のような扱いらしい。
休む間もなく食事を作り始めた随伴歩兵たちを気の毒に思いつつ、
俺は食事の準備をする。
料理人芳朝ミツキが本領を発揮している横で、俺はただディアの
角に板を渡してテーブルを作るだけの簡単なお仕事。
簡易のテーブルを作った俺は、ディアに座って手帳と鉛筆を取り
出す。
マッカシー山砦にも入った事だし、ここらでバランド・ラート博
士の情報をメモしておこうと思ったのだ。
まぁ、ほとんどないんだけど。
バランド・ラート博士は享年六十歳。年齢の割にかなり若く見え
たのを思い出す。見た目は四十代、と。
軍属ながら所属部隊は不明、新大陸にて開拓者登録を済ませてお
り、直後にマッカシー山砦に滞在し、二年間を過ごす。今から二十
年ほど前の事だ。
マッカシー山砦でバランド・ラートが過ごしていた当時を知る者
はおそらくほとんどいない。だが、口振りから考えて司令官のホッ
グスは何かを知っていそうだ。年齢を考慮すると博士との面識があ
ってもおかしくない。
バランド・ラート博士は旧大陸の港町にある宿屋で殺害された。
現場は俺も見ている。
現場から立ち去った男はのちの新聞報道によると熱心な精霊教徒
であるウィルサム。確か革のスーツケースを提げていた。
388
現在は軍がバランド・ラート博士殺害事件を捜査しているとホッ
グスは言っていた。
そして、ホッグスは俺とミツキにこの事件を嗅ぎまわるなと釘を
刺してきた。
﹁こんなものか﹂
まとめ終えた手帳を眺める。
不明な点が多すぎる。しかし、ホッグスから釘を刺された事を考
えると、バランド・ラート博士が軍の関係者であった事は間違いな
いように思う。
惜しむらくは、マッカシー山砦でバランド・ラート博士が何をし
ていたかの情報を得られなかった事だ。これが一番重要だったんだ
が。
ここから探るとすると、博士とホッグスの関係だろうか。それに、
軍がバランド・ラート博士殺害事件を捜査しているという話の裏を
取りたい。
だが、ホッグスに釘を刺されたばかりだ。すぐに探りを入れると
火の粉が降りかかるかもしれない。
ここは軍へのアプローチを諦めて、バランド・ラート博士がマッ
カシー山砦を出た後の足取りを追ってみるのもいい。
ここから一番近いのはガロンク貿易都市だろうか。
ミツキの意見を聞こうと思い振り返る。
﹁夕食ができたからテーブルの上を片付けて﹂
言われた通りにテーブルから手帳とペンを退けると、ミツキが作
った料理が並べられる。
ハンバーガーと、スモークサーモンを細かく切ってフレークにし
て潰した粉ふき芋に加え柚子胡椒で味付けしたサラダ。カップには
389
乾燥ホタテでダシを取った簡単なスープが入っている。
この間、キッチンで何かしていると思っていたらこの柚子胡椒を
作っていたのか。
﹁ちゃんとしたお肉はしばらく食べられないから、味わって食べた
方が良いよ﹂
﹁生肉を二日目まで持ち越すわけにはいかないしな﹂
﹁冷蔵庫でもあればいいんだけどね。ディアのお腹の中を冷蔵庫に
してみようか?﹂
﹁俺のディアが腹を冷やしちゃうだろ。虐待はよくない﹂
ミツキの作ってくれた夕食は相変わらずおいしい。
食べながら今後の方針を相談すると、ミツキはスープを飲みなが
ら考える。
﹁ガロンク貿易都市に行くのが良いと思うよ。まだ何もわかってい
ないようなこの状況で、軍に探りを入れるのはリスクが大きいから﹂
藪蛇になったら困るでしょ、とミツキが言うのに、俺も同意する。
方針が決まったところで食事も終わり、そろそろ寝ようかとディ
アの角に布をかけてテントにしようとした時、足音に気付いて振り
返る。
立っていたのは茶髪の青年だった。たしか、随伴歩兵の一人だ。
﹁何か用ですか?﹂
先手を打って声を掛ける。
随伴歩兵の青年の出方を窺っていると、彼は唐突に頭を下げた。
﹁今日の事でお礼を言いたいと思って、代表で僕が来ました﹂
390
﹁⋮⋮お礼?﹂
随伴歩兵にお礼を言われるようなことをしただろうか。
訝しんでいると、言葉足らずだったことに本人も気付いたらしく、
頭をあげて話してくれた。
﹁今日の戦闘で一人も死なずに済んだのはお二人のおかげです。特
に最後のゴライアと戦う時は全滅を覚悟しましたから、本当に助か
りました﹂
そう言って、また頭を下げる。
随伴歩兵たちは最も危険な場所にいるため、俺やミツキの援護に
感謝しているらしい。
精霊獣機を開発して以来、こんなにも面と向かって感謝されたの
は始めてだ。
ちょっと感動していると、ミツキが俺に後ろから抱きついてきた。
俺の肩に顎を乗せて青年随伴歩兵に話しかける。
﹁なんで随伴歩兵の地位が低いのか聞いてもいい?﹂
ミツキが単刀直入に問いかけると、青年随伴歩兵は声のトーンを
落とす。
﹁地位が低いのは随伴歩兵だけではないんですよ﹂
﹁というと?﹂
青年随伴歩兵はちらりと整備車両を見て、誰もこちらに注意を払
っていない事を確かめてから、重たそうに口を開く。
﹁マッカシー山砦では旧大陸派の兵はみんな地位が低いんです。僕
391
も旧大陸派で⋮⋮﹂
あぁ、派閥争いか。
旧大陸、それも開拓学校の卒業生を中心にした旧大陸派閥と、新
大陸で生まれたり開拓学校を落第した者を中心とした新大陸派閥が
あり、軍の内部で揉めているらしい。
組織が大きくなれば派閥が生まれるのは当然の話で、軍隊だって
例外ではない。
ミツキが﹁へぇ﹂と興味なさそうに呟く。実際ありきたりすぎて
驚きもしないのは俺も同じだ。
命がかかっている青年随伴歩兵にとっては重要な問題でも、部外
者の俺たちにはあまり関わりのない話だ。
だが、感謝されたのは素直に嬉しかったし、できる範囲で手を貸
そうとは思えた。少なくとも、ホッグスよりもずっと好印象だ。
﹁そっちが大変なのはわかったけど、俺たちはあくまでも部外者だ。
死人が出ない様に戦うし、護衛部隊の中で派閥があるならそれを念
頭に置いて援護するけど、あまり期待しないでくれ。何しろ、こっ
ちも手が足りないからな﹂
﹁十分です。いや、本当に今日は助かりましたから。明日もどうか
よろしくお願いします﹂
青年随伴歩兵がまた頭を下げる。
下げ慣れていそうな頭に同情を覚えた時、ディアが鳴いた。
﹁︱︱ちっ、夜襲かよ!﹂
ディアの鳴き声は索敵の魔術に魔物が引っかかった時に鳴らされ
る。
すぐにパンサーが唸り声をあげた。索敵範囲内に魔物が来たのだ。
392
俺はすぐにディアの角から布を取り払い、戦闘態勢を整える。
ディアの鳴き声の意味を知らない青年随伴歩兵が目を白黒させて
いた。
野営地全体を見回すが、誰もまだ魔物の接近に気付いていない。
ミツキがパンサーの索敵魔術の精度や範囲を調整して魔物の規模
や距離を割り出しにかかっている。
俺は青年随伴歩兵に声を掛ける。
﹁魔物が来る。全体に知らせてくれ﹂
﹁︱︱ヨウ君、ちょっと待った!﹂
珍しく焦りの色を浮かべた声でミツキがストップをかけてくる。
この一分一秒を争う状況で止めるからにはあまりいい予感がしな
い。
ミツキは眉を寄せて自動拳銃を太もものホルスターから抜く。
﹁目視しないと分からないけど、もしかすると中型魔物の群れかも
しれない﹂
﹁群れ?﹂
群れと言われて思いつくのはギガンテスに率いられた人型魔物の
群れだ。仮にあの規模の群れと出くわしたなら、ひとたまりもない。
青年随伴歩兵が青い顔をしている。
﹁そ、それ本当ですか?﹂
﹁まだ確証はないけど、近くに中型魔物がいるのは確実だ。撤収の
準備をするようにお仲間に言ってくれ﹂
俺はディアに跨り、索敵魔術の反応を確かめる。
間の悪い事に、街道からやってきているらしい。まだ距離はある
393
が、楽観はできない。
﹁ミツキ、確認に行こう﹂
﹁そうした方がよさそうだね﹂
頷きあって、あとの事を青年随伴歩兵に任せて街道方面にディア
を走らせる。
街道への道を走らせると、ペチャペチャと湿った物が地面にたた
きつけられる音が無数に響いてきた。
範囲を狭めた索敵魔術に反応が出た瞬間、俺はミツキと一緒に光
の魔術を発動する。
﹁⋮⋮うわ﹂
ミツキがドン引きしたように呟く。
街道への道を埋め尽くしているのは、ぬらりと光る粘膜に覆われ
たカエルの魔物だった。
﹁ヘケトか。中型魔物だな﹂
水辺や湿地に生息する中型魔物だが、大量に産卵して同時期に孵
化するために群れを作りやすい魔物の一種だ。
高さ三メートル強、強力な粘着力のある長い舌を持つ。舌の長さ
は平均四メートル、百キロ程度の物なら容易く引き寄せるだけの力
を持っている。精霊人機が足を絡め取られて転倒させられる事案が
数多く報告されている厄介な魔物だ。
しかも、道を埋め尽くしているヘケトの数は尋常ではない。五十
は下らないだろう。
﹁ヨウ君、森の中にも多分、いるよ﹂
394
﹁お行儀よく道の上だけを行進するとも思えないもんな。⋮⋮逃げ
るぞ﹂
ヘケトと距離がある今のうちに野営地にディアの頭を向け、加速
させる。
護衛部隊の精霊人機は二機、戦闘可能な人員は多く見積もっても
四十人、中型魔物のヘケトの群れを相手に出来る戦力ではない。
だが、こうして街道への道を塞がれている以上どうやって逃げる
のか、そこが問題だ。
野営地に戻ると、随伴歩兵はすでに撤収準備を終えて戦闘態勢に
入っていた。随伴歩兵は開拓学校卒業生を中心とした旧大陸派閥で
構成されているから、夜襲における対処方法も知識として学んでい
るのだろう。
問題は精霊人機と歩兵たちだ。一応戦闘態勢を取ってはいるが、
これから就寝しようとしていたところだけあって動きが鈍い。
こんな状態でヘケトの群れとぶつかれば、最悪全滅する。
俺はディアに乗ったまま整備車両の助手席に駆け寄り、護衛隊長
に報告する。
﹁ヘケトの大量発生を確認、街道からの道をこっちに向かってきて
いる。即撤退した方が良い﹂
﹁本当か?﹂
嘘ついて俺に利益があるとでも思ってるんだろうか。
﹁本当だよ。五十匹はいる。戦えと言われても断るね﹂
護衛隊長だけではなく、民間人であるキャラバンの商人たちにも
聞こえるよう声を張り上げる。
395
﹁ヘケトが五十!?﹂
﹁なんでだ。湿地を迂回したのに、これじゃ意味がないじゃないか
!﹂
商人たちが慌てふためき始めると、護衛隊長が忌々しそうに俺を
一瞥して、整備車両の拡声器を起動した。
﹁森を突っ切ってヘケトを振り切る。幸い足の遅い魔物だ。精霊人
機は車両が通れるように道を開いてくれ!﹂
護衛隊長の声で二機の精霊人機が街道とは反対方面の森へ入り、
木の枝を折る。
この辺りは森とはいっても木が密集していない地域だ。ぬかるみ
に気をつければ車両での移動も可能だろう。
だが、一度森に入れば精霊人機の動きはどうしても阻害される。
ヘケトに追いつかれた時の事はあまり想像したくなかった。
396
第十七話 責任の押し付け合い
これは追い付かれるな。
遅々として進まない整備車両を見て、俺は確信する。
周辺が湿地でも、森の中は木の根が張り巡らされているおかげか
地盤が安定している。ぬかるみはさほどない。それは月明かりを頼
りに進んでいる俺たちの唯一の救いだ。
だが、木の根が所々で隆起して整備車両の行く手を阻み、その都
度、精霊人機の長剣で簡易のスロープを作って乗り越えている。
木が邪魔で容易に方向転換できないのも影響していた。整備車両
の全長は九メートル、長すぎて木を避けて進むのさえ一苦労だ。
ディアの索敵魔術でヘケトの群れとの距離を測る。やはり、距離
は縮んでいた。
﹁おい、もっと早く動けないのかよ!﹂
﹁足手まといだろうが! 車両なんか捨てちまえ!﹂
キャラバンの商人たちが罵声を飛ばしている。小回りの利く馬車
を使っている彼らにとって、車両は足手まとい以外の何者でもない。
しかし、キャラバンの中にも運搬車両が存在することが事態を複
雑にしていた。
﹁ふざけんな! どれだけの商品を積んでると思ってやがる﹂
﹁死んじまったら元も子もないだろうが﹂
﹁置いてっちまったらどの道、首をくくるしかねぇんだよ!﹂
キャラバンの商人同士が何度目か分からない罵り合いを始める。
動きが止まるたびにこの始末だ。乗り越えると口を閉じるから、
397
危機感はあるのだろう。
ギスギスした空気を察した馬車馬が興奮状態にあるのも始末に悪
い。
後方を警戒しているのが俺たちと随伴歩兵、俺たちの前に車両が
あり、次に馬車、最前列が精霊人機という隊列なのもおかしい。
機動力のある俺と芳朝が最後方で警戒するより、先行して索敵し
つつ車両が通行可能な場所へ案内する方が効率的なはずだ。
﹁まったく、なんで軍はマッピングの魔術を導入してないんだよ﹂
ミツキが開発したマッピングの魔術があれば、周辺の地形を一瞬
で把握して最適な進路を選べる。
俺たちが発動できない事もないのだが、消費魔力が多すぎる。精
霊獣機でマッピングを発動すると索敵魔術の使用を制限して魔力消
費を抑える必要が出てしまう。
また車両が止まり、精霊人機が長剣でスロープを作り始める。
ミツキがため息を吐いて周囲を見回した。
﹁あの木が良いかな﹂
ミツキが目をつけたらしい木は周辺では一番幹が太く背の高い木
だ。
﹁気をつけろよ﹂
﹁大丈夫だよ﹂
ミツキが何をするつもりか分かって、注意を促すと、彼女は気負
った風もなくパンサーに助走をつけさせて勢いよく目当ての木に向
かう。
パンサーの四肢に内蔵された強靭な爪が伸びたかと思うと、重量
398
軽減の魔術出力を上げて跳躍した。
太い木の幹に爪を立てたパンサーがミツキを乗せたままするする
と木を登って行く。
﹁すっげぇ⋮⋮﹂
傍らにいた青年随伴歩兵リンデが、樹上のミツキとパンサーを見
上げて呟く。凄いのは当然だ。俺とミツキで協力して作った専用機
だぞ。
樹上のミツキが腰のポシェットから双眼鏡を取りだし、覗き込む。
双眼鏡で周囲を見回したミツキはパンサーを操作して木を降りは
じめた。
ちょうど車両が障害物を乗り越えて動き出す。
木を降り切って俺の横に並んだミツキが進行方向を指差した。
﹁川があるよ。それも広い川。多分幅は十メートル以上あるね﹂
﹁ヘケトの数は?﹂
﹁木に隠れちゃってて確認できなかった﹂
護衛隊長に報告するというミツキと一緒に整備車両へディアを走
らせる。
ミツキの報告を聞いた護衛隊長は、睨んでいた地図をくしゃくし
ゃに丸めた。
﹁地図も当てにならん。くそっ!﹂
もうちょっと早い段階で気付いてほしかったよ、それ。
護衛隊長が拡声器に魔力を流す。
﹁一時停止だ!﹂
399
護衛隊長の命令で全体が停止する。
主だった者が整備車両横に集められ、作戦会議という名目で責任
の押し付け合いが始まる。
﹁このままでは追い付かれる。何か対策を取りたいが、案はないか
?﹂
そう護衛隊長が切り出すとすぐさま商人が食って掛かった。
﹁それを考えるのがあんたの仕事だろうが!﹂
正論ではあるのだが、いきなり話の腰を折っている上にこの集団
で一番の責任者を糾弾している。収拾がつかなくなるとは考えてい
ないのだろうか。
護衛隊長が商人を睨みつけた。
﹁車両や馬車をすべて放棄、軽装となった上で森を走り抜けて一直
線に防衛拠点ボルスに駆け込むのが最も生還率の高い作戦となる﹂
口振りからするに、護衛隊長も本気で言っているわけではないだ
ろう。商人から意見を引き出すためにあえて極論を口にしただけだ。
しかし、護衛隊長の言葉に商人は目を剥き、わなわな震えながら
拳を固く握りしめた。
﹁貴様ら軍人はそれでも命を拾えるだろうが、我々商人は違う。借
金で首が回らなくなるんだ。馬車や車両の放棄は出来かねる!﹂
護衛隊長の提案を突っぱねて、商人は対案も出さずに口を閉ざし
た。
400
精霊人機の操縦士の一人が元来た道を振り返る。
﹁そもそも、森に入ったのがまずかったんだ。ヘケトの群れだか何
だか知らないが、中型魔物くらい精霊人機で蹴散らして逃走できた
かもしんねえのに﹂
﹁報告によれば五十匹からの大群だぞ。馬が怯えて突っ切ることな
どできるはずがない!﹂
﹁へっ、その五十匹って話も嘘臭いけどな﹂
商人の抗議を鼻で笑って、操縦士が俺を見る。
この操縦士の自信がどこから来るのか知らないが、味方の歩兵を
踏まないように精霊人機を動かすだけで手間取るような腕でヘケト
の群れを突っ切ろうとすれば、舌に足を絡め取られて引きずり倒さ
れるだろう。
こんな時、回収屋のデイトロさんがいれば鎖つき大鎌でヘケトを
蹴散らしてくれるのだろうけど、ここにデイトロさんはいないし大
鎌もない。
中型魔物に一般歩兵はあまりあてにならないし、精霊人機も操縦
士が未熟で群れを相手取れる戦力にならない。
整備士も動員し、魔術を用いて弾幕を張ればしばらく戦線の維持
ができるかもしれないが、ヘケトは舌を使った攻撃をするため間合
いが四メートルある。こちらが魔力を使い切った瞬間に戦線が崩壊
して、近接攻撃を挑む事も出来ずに殺されるだろう。
精霊人機の操縦士が言うヘケトとの戦闘を含む作戦は自殺行為で
しかない。
﹁そんなに言うなら、精霊人機単騎で後方を確認すればよい。歩兵
が居なければ引き返すこともできるだろうし、ヘケトが散らばって
いたならあなたの言うように突っ切ることもできる﹂
401
商人が意見すると、操縦士がよし来たとばかりに精霊人機へ足を
向ける。
行ってらっしゃい。十中八九、逃げ帰ることになるだろうけどな。
﹁やめてくださいよ。精霊人機でなら突っ切ることができても、歩
兵には無理です。ヘケトが散らばっていたとしても変わりません。
精霊人機だけが逃げ切っても意味はありませんし、護衛戦力が大幅
に減ってしまいます﹂
随伴歩兵隊から代表として出されているリンデが意見すると、歩
兵隊長も同意した。
操縦士が腕を組んで﹁じゃあどうすんだよ!﹂と凄む。自分の意
見が歩兵に否定された事が腹立たしいようだ。この操縦士は新大陸
派閥だというから、旧大陸派閥の随伴歩兵であるリンデが相手だと
いうのもイラつく原因だろう。
対案を求められたリンデが困ったように俺を見てくる。なんで俺
を見るんだ。
俺から意見できることなんて今はないっての。
紛糾する会議から一歩引いて、ミツキに声を掛ける。
﹁地図はどうだ?﹂
護衛隊長が丸めたせいで皺くちゃになった地図に、樹上から目視
した地形を書き込んでいたミツキがため息を吐いた。
﹁この地図、本当に役に立たないんだけど﹂
﹁大まかでもいいから相違点だけでも書き込んでくれ。このままじ
ゃ逃走経路を模索する事も出来ない﹂
マッカシー山砦から防衛拠点ボルスまでの道のり以外、当てにな
402
らないらしい地図を睨む。
ミツキが書き込んだ大まかな川の流れから、ある程度上流に向か
う事で防衛拠点ボルスに近づける事が分かった。
河原は砂利に覆われており、木々に邪魔されることはない。ぬか
るみに嵌まる可能性は無視できないし、川に住む魔物に奇襲される
可能性もあるが、森を走るよりも速度が出せるだろう。
開けた河原は護衛部隊も展開しやすいし、巨大な精霊人機も戦闘
が可能になる。
ディアとパンサーがいれば魔物の奇襲を簡単に受けることはない。
問題はどうやって提案するか、だ。
俺の口からでは効果が薄いだろうし、随伴歩兵のリンデに頼んで
も旧大陸派らしい護衛隊長が聞き入れるかはわからない。
思考を誘導するしかないな。
﹁地図ができたよ。あまり当てにできないけど﹂
ミツキが護衛隊長に地図を渡す。
考え込む様に地図を見る護衛隊長の説得を後回しにして、俺は精
霊人機の操縦士二人に視線を移す。
﹁この護衛部隊で一番の戦力は二機の精霊人機です。彼らが自由に
戦える場を用意することを念頭に置きたいんですが、どうでしょう
か?﹂
口火を切ると、ミツキが横目で俺を窺ってきた。
まぁ、任せろ、と俺は頷いておく。ミツキが小さく顎を引いて応
じた。
俺が商人に視線で意見を求めると、商人は眉を寄せつつも頷いた。
﹁戦うかどうかはともかく、精霊人機がとっさに動ける場所で戦う
403
のは悪くない﹂
これは俺や商人だけでなく、この場の全員が同じ意見のようだ。
戦うにしても、逃げるにしても、精霊人機が動けるかどうかで選択
肢の幅が大きく変わる。
共通認識を明確にしたうえで、俺はあえて深刻な顔を作った。
﹁いや、自分で言っておいてなんですけど、ダメですね﹂
俺がため息交じりに首を振ると、操縦士の二人がむっとしたのが
気配でわかった。
文句を言われる前に、俺はさっさと口を開く。
﹁精霊人機の魔力残量がどれだけ残っているか分かりませんが、も
うあまり動けないでしょう?﹂
﹁何を言ってる。満タンとは言えないが、七割がた残ってんだ。戦
闘が無ければ明日の昼までは動ける﹂
月が沈むまであと五、六時間だろうか。この世界でも一日は二十
四時間だから、十八時間は動ける計算になる。
俺はすぐに明るい顔を心がけて、操縦士二人を見る。
﹁そうなんですか! いや、よかった。それなら頼りに出来ますね﹂
胡散臭く聞こえないように短く言いきって、操縦士二人の反応を
見る。
俺があっさり手のひらを返したことに戸惑っているようだが、頼
りにされるのは嫌いではないらしい。それでいい。後はこの二人、
つまり精霊人機が活動できる広い空間を提案してもらうだけだ。
リンデが俺の考えに気付いたのか、考える振りをしながら呟く。
404
﹁二人が十分に戦える場所が必要ですけど、馬車が走って逃げられ
るだけの平坦な場所という条件も満たしたいところですよね。馬車
が巻き込まれては元も子もないですし、せっかく二人が戦えるのに
馬車を気にして全力を出せないなんて状況は避けないと﹂
精霊人機のそばで戦う随伴歩兵であるリンデが言うと説得力があ
る。わざわざ精霊人機とは言わずに二人と言葉を置き換える配慮も
素晴らしかった。
ファインプレーだ、リンデ。
地図から顔を上げた護衛隊長が、気分を良くしている精霊人機の
操縦士に気付いて苦い顔をする。
﹁街道に戻ることができればそれが一番だが、ここは川沿いに上流
へ向かう方が安全だろう。河原の状態にもよるがな﹂
もくろみ通りの結論が出て内心ガッツポーズしつつ、会議を後に
する。
全員が持ち場に付いたことを確認した護衛隊長が拡声器で出発を
指示した。
同時に、俺とミツキに河原の状態を見てくるように指示が飛んで
くる。
﹁ようやく俺たちを斥候に使う気になってくれたか﹂
﹁違うよ。地図が役に立たなくなったから、進路の情報を私たちに
頼ることで進路決定の責任を分散させるつもりなんだよ﹂
﹁そうだとしても、俺たちに自分の判断で動く大義名分をくれただ
けマシだろ﹂
すぐにディアを加速させ、整備車両や馬車、精霊人機を抜き去る。
405
月明りで視界が狭まっていても問題がない。障害物を認識する魔
術式は魔力の力場内の物を認識するため、暗闇の影響を受けない。
乗っている俺から見ると、闇の中から突然木だの枝だのが出現し
ては後方へ流れていくように見えるわけで、そこそこ怖い。
キャラバンに先行する形で森を抜けた俺はミツキと一緒に川に出
た。
ディアを一時停止させて周囲を確認する。
足元は砂利になっており、川の流れは緩やかだ。馬車には少し辛
いかもしれないが、最悪でも車両で引っ張ることができる。
所々に草が生えているのに目を瞑れば、そう悪くない道だ。
月明りを反射する暗い川も範囲に含めて、索敵魔術を使用する。
﹁魔物はなし、と戻ろう﹂
﹁うん﹂
河付近の安全だけ確認して、俺はミツキとキャラバンへ舞い戻っ
た。
406
第十八話 戦力配置の会議︵前書き︶
明日は私用で更新できないので、先に投稿しておきます。
407
第十八話 戦力配置の会議
キャラバンと合流して、河原の様子を報告する。
定期的に索敵と進路の模索をするように言われて、ミツキの予想
が正しい事を悟った。
キャラバンは相変わらず森の中を進むのに手間取っているが、朝
日が昇るまでには河原に着けるだろう。
キャラバンの最後尾に戻ると、随伴歩兵のリンデが駆け寄ってく
る。
﹁どうでしたか?﹂
﹁河原は砂利に覆われてる。草はまばらに生えてるけど、河原自体
は広い。馬車は手間取るだろうけど、森の中を進むよりは走りやす
いだろう﹂
﹁やっぱり馬車が足手まといになりますか﹂
リンデは難しい顔をするとすぐに随伴歩兵たちの下に戻り、いく
らか言葉を交わして戻ってくる。同時に、糸目の随伴歩兵が整備車
両へ走って行くのが見えた。
戻ってきたリンデが糸目の随伴歩兵を指差す。
﹁整備士に知り合いがいる奴です。防衛拠点ボルスまで駆け込める
距離まで来たら、整備車両と運搬車両が積んでいる荷物を捨てて馬
車の積み荷を乗せるよう進言してもらいます。馬車を捨てれば少し
は早くなるでしょうから﹂
﹁車両の中身は精霊人機の交換部品だろ。大丈夫なのか?﹂
﹁背に腹は代えられないですよ。逃げ優先です。ホッグス司令官に
は怒られるでしょうけど﹂
408
旧大陸派のリンデたちにとって、新大陸派の司令官に怒られるの
はかなり立場を悪くすると思うんだけど。
しかし、決断したのはリンデたちだ。部外者の俺が口を挟む事で
もないだろう。
リンデが俺に頭を下げる。
﹁もうしばらく、我慢してください。お二人の足が速いのはさっき
確認しましたから、このキャラバンに合わせて動くのはじれったい
と思いますけど、どうかよろしくお願いします﹂
俺が答える前に、ミツキがすっとパンサーを寄せてきて、俺とリ
ンデの間に割って入った。
﹁はい、そこまで。私たちが受けた依頼は防衛拠点ボルスまでのキ
ャラバン護衛であって、キャラバンのくくりに護衛部隊は入ってな
いの。だから、あなたたちは自分の身を自分で守って。私たちに頼
らないでね﹂
﹁こら、ミツキ﹂
押しとどめると、ミツキは俺を横目でにらんでくる。
リンデを一瞬気にするそぶりをして、ミツキが日本語で俺に声を
かけてくる。
﹁ヨウ君、実力以上の事を安請け合いするのはダメだよ。統率も満
足にとれていない護衛部隊の面倒なんて私たちには見れないと分か
っていたから、作戦会議でも直接提案するのを避けたんでしょう﹂
ミツキの言う通りだ。
護衛部隊内に発言力を得てしまうと最後まで面倒を見なくてはい
409
けなくなる。だから面倒な思考誘導までして直接の提案を避けた。
護衛部隊が全滅したとしても、キャラバンを防衛拠点ボルスまで
送り届ければ依頼は達成できる。
俺にとって最も重要なのはミツキと一緒に生き残る事であって、
護衛部隊は二の次で良い。
だが、それは俺にとってミツキが代えの利かない存在だからとい
う後ろ向きな理由を起点とした考え方でしかない。
﹁安請け合いしなければいいんだな?﹂
質問一つでミツキの言葉に逃げ道を穿つ。
ミツキが唇を引き結んだ。
﹁⋮⋮勝手にすれば﹂
﹁あぁ、そうする﹂
俺とミツキが交わす日本語が分からずとも雰囲気を悟ったのか、
リンデがおろおろしている。
俺はリンデに心配するなと笑顔を向けた。
﹁絶対に助けるなんて言えないけど、気にしておくよ﹂
今できる精いっぱいだ。
リンデを含む随伴歩兵たちも精霊獣機に対して嫌悪感を抱いてい
るようだが、それでも頼りにしてくれている。
だから、手を貸す。ここで一歩引いてしまったら、誰の役にも立
てない。それはミツキのためにもよくないだろうから。
﹁ありがとうございます﹂
410
リンデがまた頭を下げて、随伴歩兵組に戻って行った。
朝日が昇り、空が白み始めた頃になって、キャラバンはようやく
河原に到着した。
途中で一度だけ、後方からカエル型の中型魔物ヘケトが二匹で襲
い掛かってきたが、随伴歩兵組が魔術を使って追い払った。
索敵魔術を使って距離を測ってみたところ、一番近い中型魔物の
反応まで五百メートルほどだ。もう距離はほとんどない。
もう一度、足止めされていれば追い付かれていただろう。
とはいえ、河原に出ればこっちのものだ。
﹁歩兵は川沿いに、随伴歩兵および精霊人機は森沿いに並べ。車両
で馬車を前後にはさむ。急いで動け!﹂
護衛隊長の指示が飛び、各々が持ち場に付く。
俺とミツキは機動力を生かして援護しつつ、斥候役となった。
川の上流に向けてキャラバンと護衛部隊が加速する。
徒歩の歩兵部隊は十人ずつ交代で車両に乗って足を休めているが、
リンデ達随伴歩兵は歩きづめだった。随伴歩兵は貴重な戦力である
精霊人機を守るためには欠かせないため、休憩させていられないと
いう理屈だ。
ディアの背に揺られている俺やパンサーに乗っているミツキは体
力的に余裕があるが、ヘケトの奇襲を受けた昨日の夜から動き続け
ているリンデ達随伴歩兵には苦しい道のりだろう。
リンデ達を気にしていると、ミツキが自動拳銃を構えてパンサー
を加速させた。
俺の乗るディアが鳴き声を発する。
はるか前方にザリガニに似た中型魔物が川から上がって来たのが
見えた。
411
俺も対物狙撃銃をディアの角に乗せて加速する。
ザリガニに似た魔物は体高二メートルほど。しかし全長は四メー
トルを超えていた。
ミツキがパンサーの向きを変えて森に入る。木々の間に姿が隠れ
る直前、ミツキが頭上を指差していた。
木の上から攻撃を加える算段らしい。
固い甲殻を持つザリガニ型の魔物を相手にするには、ミツキの自
動拳銃は分が悪い。だが、木の上から飛び掛かれば、パンサーの爪
と重量で十分なダメージを与えられるはずだ。
つまり、俺の仕事は︱︱
﹁動きを鈍らせつつ、気を引けって事か﹂
ザリガニ型の中型魔物が頭上を意識しないよう、あるいは反撃が
容易には出来ない様に攻撃を加えるのが仕事だ。
俺はディアの足を止める。
対物狙撃銃で魔物の鋏の付け根を狙う。胴体との接続部であると
同時に関節でもあるそこならば、甲殻も薄いはずだ。
だが、一発や二発で当てられるほど俺の腕はよくない。
俺はディアの首の半ばにあるボタンを押して、マッカシー山砦に
向かう前に刻んでおいた新しい魔術式を起動する。
狙撃補助のために開発した魔術式、照準誘導。
索敵魔術の改造版であり、俺が使う対物狙撃銃の銃口を任意の場
所へ誘導するようディアが自動で頭を動かす魔術だ。
走行中に使用するとディアがバランスを崩してしまう使い勝手の
悪い魔術だが、こうして足を止めている間は命中率が大幅に向上す
る。
俺が角に乗せた対物狙撃銃の銃口の向きが、ディアによって魔物
の鋏の付け根に固定される。
引き金を引くと、ディアの首が反動を殺すために一瞬縮む。
412
発砲音とほぼ同時に、魔物の鋏が付け根ごと河原に落下した。
青みがかった血が流れ出すのに構わず、ザリガニ型の魔物が威嚇
のためにもう一方の鋏を振り上げる。
露わになった鋏の付け根にディアが自動で照準を誘導してくれた。
引き金を引けば、先ほどの光景をリプレイするように鋏が落下す
る。
﹁ミツキ!﹂
声を掛けると、パンサーに乗ったミツキが樹上から飛び降りた。
パンサーの前足から鋭い爪が伸びている。
ザリガニ型魔物の背に着地したパンサーがドスンと重量級の物音
を立てる。樹上から飛び降りる直前に重量軽減の魔術効果を弱めた
らしい。流石ミツキ、樹上からの攻撃には一家言有るのだろう。え
げつない。
パンサーの着地で凹んだ甲殻とそれ以外の甲殻の間に出来た隙間
に、パンサーの爪が刺し込まれた。
ザリガニ型の魔物が抵抗しようにも、すでに武器となる鋏は地面
に落ちていてなすすべがない。
ミツキが操作すると、パンサーは爪を甲殻に引っかけて力任せに
引き剥がした。
赤い甲殻が転がり、白い身が露わになると、ミツキが太もものホ
ルダーから自動拳銃を抜き放つ。
三度銃声がして、魔物の体がびくりと震えたかと思うと力を失う。
まだ頭のあたりが動いているところを見るに生きてはいるのだろう
が、甲殻を引き剥がされて撃ち込まれた三つの銃弾で神経をズタズ
タされたのか、体に力が入っていない。
ミツキがパンサーを操作して魔物の背から降りて戻ってくる。入
れ違いに精霊人機が魔物に駆け寄って、瀕死の魔物を掴むと川へ無
造作に放り込んだ。
413
﹁お疲れ﹂
﹁爪が錆びないといいんだけど﹂
心配そうに愛機の前足を覗き込んで、ミツキが呟く。哀れなザリ
ガニ型魔物の末路は眼中にないようだ。
ザリガニ型魔物に遭遇したというのに一切減速しないまま、キャ
ラバンと護衛部隊は河原を進む。
ヘケトの追撃を警戒していたが、川に入ったヘケトたちは広範囲
に散らばり始めていた。
ミツキが木の上から双眼鏡でヘケトの分散を報告すると、商人た
ちが安堵の息を漏らす。
それでも、街道から大きく外れてしまっている。地図も当てにな
らないため、遭難する前に街道へ復帰する必要があった。
ヘケトとの距離が十分に離れたと判断されたのはマッカシー山砦
を出発して二日目の昼だった。ヘケトの夜襲を受けてから十時間を
軽く超えている。
精霊人機の魔力残量が心もとなくなってきたため、小休止を挟み、
その間に会議が開かれた。
﹁そろそろ、河原から離れて森を突っ切り、街道へ復帰しようと考
えている。反対者はいるか?﹂
護衛隊長の言葉に反論する者はなく、あっさりと街道への復帰が
目標となった。
随伴歩兵の代表として出席しているリンデがちらちらと整備士長
を見ている。
一方で整備士長は完全にリンデを無視していた。
馬車の積み荷を車両へ移して馬車そのものを捨てて全体の速度を
上げる提案は随伴歩兵から整備士長にも伝わっているはずだ。
414
だが、状況が予想よりも良くなっているおかげで、危機感が薄れ
ている。実際にヘケトの追撃はないため、危機は去った。
だからこそ、ここで旧大陸派と新大陸派の派閥争いが表面化した。
整備士長が腕組みをして、いかにも腹立たしいとばかりに鼻から
息を吐き出す。
﹁実は河原に入る前に随伴歩兵から提案がありましてね﹂
さっと、リンデの顔が青ざめた。
整備士長はリンデの顔色に気付かない振りをして続ける。
﹁馬車を捨てて逃げるべきだそうで﹂
﹁なんだと!?﹂
勢い込んで食って掛かったのは商人だ。
整備士長は、本人から聞けとばかりに初めてリンデへ視線を移す。
最悪だ。肝心のところをはぐらかしやがった。
リンデの提案の骨子は馬車の荷物を車両に分散して積む事で速度
を上げる事であって、馬車を積み荷ごと捨てるという意味ではない。
だが、整備士長の口振りではまるで足手まといの馬車を積み荷ご
と捨てろと言ったように聞こえてしまう。
そもそも、河原を走りにくい馬車を捨てるという提案だ。これか
ら森に入る今の段階で捨てるべきはむしろ車両である。
もっとも、それを主張しても状況は変わらない。商人たちにも車
両を一両持っている者がいるのだから。
知らぬ存ぜぬを通そうにも立場が弱い旧大陸派の随伴歩兵たちへ
の飛び火は避けられない。
当面の危機が去ったとはいえ、街道に戻るまでは安心できない今
の状況で、一応の中立である商人からの心証も悪くなるのは随伴歩
兵にとっても困る。
415
商人がリンデを親の仇でも見るような強い視線でにらむ。
﹁どういうつもりだ。我々が運んでいるのは軍に納入する物資だぞ。
それを捨てればあんたら軍も困るはずだろ。考えて物を言え!﹂
﹁ち、違います!﹂
﹁何が違う!?﹂
商人に問い詰められ、リンデが悔しそうな顔をする。
リンデが、提案の内容を細かく説明すると、商人は眉を寄せた。
﹁今もその提案を推しているわけではないんだな?﹂
﹁もちろんです。今は魔物の襲撃もありませんし、ヘケトの追撃も
おそらくありません。危険な状況ではありますが、損をしてでも速
度を上げる緊急性はありません﹂
﹁当たり前だ! あんたら軍人にとっては足手まといの馬車でも、
我々にとっては財産だ。捨てるわけにいくものか﹂
吐き捨てるように言って、商人がイライラと足をゆする。
整備士長の思惑通り、これで随伴歩兵たちはいざという時に商人
たちの損に目をつぶってでも逃走を選択すると商人たちの意識には
刻まれただろう。
護衛隊長が商人をちらりと見て、口を開く。
﹁随伴歩兵は最後尾に付けて森を進む。それでいいか?﹂
﹁まとめて同じ場所に配置すると逃げ出すんじゃねぇの﹂
精霊人機の操縦士が口を挟むと、商人がじろりとリンデを見て、
同意するように無言で頷いた。
リンデの顔がさらに青ざめる。
しかし、リンデが反論するより先に整備士長が口を開いた。
416
﹁ヘケトに追撃の気配がないとはいえ、絶対がない以上後方の警戒
は怠れません。しかしながら、進行方向に何が潜んでいるか分から
ないのもまた事実、ここは随伴歩兵をぐるりと一回りに配置して斥
候役にしつつ、歩兵部隊を左右二手に分けて、前後の守りをそちら
の開拓者に任せてはどうでしょう。河原での一戦を見る限り子供な
がら腕は立つようですからね。それに、精霊人機を二機とも遊軍と
して使えます。何しろ全方向に随伴歩兵が最低でも一人はいるので
すから、ヘケトに遭遇しても最低限の援護ができるでしょう﹂
リンデが口を挟めない様に長広舌をふるった整備士長に、護衛隊
長や商人、精霊人機の操縦士が頷く。
どうも、この整備士長は派閥争いもさることながら随伴歩兵から
提案された、精霊人機の交換部品を捨ててキャラバンの積み荷を乗
せる案が腹に据えかねているようだ。
軍の予算など俺には知る由もないが、精霊人機の部品が高額だと
いうのは知っている。精霊獣機にも一部流用してるから、身につま
される話でもある。
だが、整備士長の提案は受け入れられない。
﹁その提案は却下します。整備士長がご存じないのも当然ですが、
俺とミツキは二人一組での運用が大前提です。前後に分けての配置
? 承服できませんね﹂
真っ向から否定すると、整備士長は眉を寄せて険しい顔になり、
何かを思い出したように目を細めた。
﹁なるほど、一人では役に立たない、という事ですか。しかし、随
伴歩兵を分散配置する事には異議を唱えないんですね。そちらの代
表者と仲良く話しているのを度々見ましたが﹂
417
整備士長の言葉を聞いて、商人が鋭い目つきで俺を見据えてくる。
お前も随伴歩兵たちの仲間か、と問いたそうな目だ。
俺は気にせず、肩を竦めて整備士長に応じる。
﹁その通り、俺もミツキも一人では役に立ちませんし、役に立とう
という気もないです。あくまでも分散配置にこだわるというのなら、
皆さんを見捨てましょう﹂
﹁⋮⋮依頼を破棄するつもりか?﹂
護衛隊長に問われて、俺は笑顔で頷く。
﹁ここで死ぬよりずっとましですからね﹂
ミツキが小さく日本語で﹁やるじゃん﹂と呟いたのが聞こえた。
そんなんじゃない。黙ってろ。
俺が譲る気がないとみて、護衛隊長は随伴歩兵たちを見回して疲
労の度合いを確認する。
﹁開拓者二人が断るのなら、分散配置は無理だな。随伴歩兵は殿と
して最後尾に配置、開拓者二人も同じ場所だ。精霊人機は左右に配
置、歩兵は交代なしの二十人で最前列だ﹂
新大陸派ながら、護衛隊長は派閥争いで馬鹿な配置をする人間で
はなかったらしい。そうでもなければ隊長職なんてできないだろう
けど、見直した。
しかし、整備士長と商人は不満そうだ。
不満を持つ者もいる中で曲がりなりにも配置が決まったその時、
精霊人機の魔力を補充し終えた整備士の一人が、いつでも出発でき
ます、と報告に来た。
418
護衛隊長は頷きを返す。
﹁すぐに持ち場につけ。出発するぞ﹂
護衛隊長の宣言で、キャラバンは再び動き出した。
419
第十九話 ゲリラ戦法
森に入って三時間ほど、そろそろ街道に合流できるという段にな
って先頭を行く精霊人機の拡声器から罵声が飛んだ。
﹁なんでまだ居やがんだよ、こいつらっ!﹂
一割くらい悲鳴が混じっているその罵声を向ける先には街道から
やってきたとみられるヘケトの群れがいた。
最悪の状況だった。
整備車両や運搬車両は森の中での方向転換ができない。進行方向
からヘケトの群れが来た以上、戦闘を余儀なくされていた。
ゆるやかにバックして元来た道を戻る整備車両から、護衛隊長の
指示が飛んでくる。
﹁随伴歩兵はヘケトに対処しろ。歩兵は車両後方へ二重の陣を敷け。
川まで後退する。開拓者、ヘケトの数を減らせ!﹂
本来、こんな時にこそ歩兵部隊の出番なのだが、何故か俺たちに
お鉢が回ってきた。
早い話が俺やミツキ、随伴歩兵を捨て駒にして河原まで逃げきろ
うという算段らしい。体力が尽きかけている随伴歩兵よりも歩兵を
優先しようというのだろう。
﹁ヨウ君、どうする?﹂
﹁遠距離で仕留めていくしかないだろ。ヘケトが相手なら拳銃でも
有効打を与えられる﹂
﹁それじゃあ、私は上から撃ってるよ。ヨウ君は随伴歩兵の援護を
420
お願い﹂
﹁わかった。はぐれるなよ﹂
ミツキがパンサーの重量軽減の魔術を操作してから樹上に飛び上
がる。
俺は対物狙撃銃をディアの角に置いて狙撃姿勢を作りつつ、随伴
歩兵の動きを見る。
十人からなる随伴歩兵たちは五人一組の二手に分かれてヘケトに
対処することを決めたようだ。
リンデが俺に声をかけてくる。
﹁森の中でも狙撃ができるんですか?﹂
﹁射線が通っていれば、当てる事は出来る﹂
射線が通ってなくても、木の一本くらいは貫通して後ろの魔物に
ダメージを与える事は出来るが、致命傷になるかは疑問だ。
リンデは随伴歩兵たちを振り返り、後退していく車両と精霊人機
を見つめた後、意を決したように俺を見る。
﹁随伴歩兵全員でロックウォールを使用して壁を作り、ヘケトの浸
透を防ぎます。壁と壁の隙間から狙撃することは可能ですか?﹂
﹁あぁ、たぶんできる﹂
﹁では、よろしくお願いします﹂
リンデが頭を下げて、随伴歩兵たちに片手で合図を送る。
次の瞬間、森の中に魔術ロックウォールで作られた壁が連なって
出現した。高さ四メートル、幅三メートルほどの岩の壁が全部で十
枚、三日月型に並べられている。
隙間は二十センチほどだろうか、壁は所々に歪な四角い穴が開い
ており、向こう側を狙い撃てるようになっている。
421
﹁開拓学校ってこんな魔術も習うのか?﹂
﹁ロックウォール自体は歩兵科の必須項目ですよ。穴を開けるのは
初めてなので、形が歪なのには目を瞑ってください﹂
リンデが答えてくれる。
確かに穴は歪だが、銃弾を通すには十分だ。
俺はディアの照準誘導の魔術式を起動し、ロックウォールに開い
た各穴をスコープ越しに覗き込む。
横に広いヘケトの図体がちらちらと見えている。ロックウォール
に阻まれてこちらに来れないものの、餌と認識している人間の匂い
は感じ取れているのだろう。
頭上から銃声が響く。
パンサーに乗ったミツキが木の上からヘケトの群れに向けて自動
拳銃を発砲していた。
﹁ミツキ、効果はありそうか?﹂
声を掛けると、ミツキは悩む様に自動拳銃を見た。
﹁弾かれたりはしてないけど、倒すなら急所を狙うか至近距離から
撃たないとダメかな。そっちは?﹂
﹁やってみる﹂
対物狙撃銃でロックウォールに開いた穴からヘケトを狙う。
無防備に胴体を晒しているヘケトを見つけて、俺は引き金を引い
た。
ディアの照準誘導の力を借りた銃弾は狙い過たずロックウォール
の穴を潜り抜けて向こう側のヘケトに命中する。
次の瞬間、ヘケトの胴体がはじけ飛び、赤い血が周囲にまき散ら
422
された。
有効どころか即死させる事ができるようだ。
俺は次弾を装填しつつ、リンデを見る。
﹁三人くらい攻撃に回してくれ。ロックジャベリンでも仕留められ
るはずだ﹂
リンデが頷いて、率先して動き出す。
随伴歩兵が壁と壁の隙間からロックジャベリンを撃ち出せば、延
長線上にいる複数のヘケトに手傷を負わせる事ができる。
﹁車両が離れたら撤退の合図があるはずです。それまでにヘケトの
死体を増やして共食いを誘発してください﹂
リンデが攻撃組全体に指示を飛ばす。
ヘケトは仲間の死体でも構わず食べるらしい。
後方の車両は緩やかにバックして距離を稼いでいる。ヘケトの群
れは随伴歩兵のロックウォールで完全に押さえているため、車両の
後退は順調に進んでいる。
せわしなく動く攻撃組に誤射しないよう、俺は慎重に狙撃を続け
る。ディアの照準誘導の効果が素晴らしく、ほぼ必中だ。
しかし、ヘケトの数が減る様子がない。
魔力にも限界がある。中型魔物を抑え込むほど巨大なロックウォ
ールなんて長時間維持できるはずもなく、随伴歩兵たちにも焦りの
色が見えていた。
俺は樹上のミツキを振り仰ぐ。
﹁群れはどこまで続いてるんだ?﹂
﹁双眼鏡で確認したけど、街道までまばらに群れが点在してて、数
までは分からない﹂
423
弾倉を入れ替える度にすぐ撃ち尽くしていたミツキが、銃身を冷
ますために銃撃を止めて木から降りてくる。
﹁近距離攻撃に切り替えられないのが厳しいね。パンサーで仕掛け
られれば、動きの鈍いヘケトくらい何とかなりそうなんだけど﹂
ミツキの言う通り、ヘケト自体は動きの鈍い魔物だが、舌の間合
いが四メートルあるため迂闊に近付くこともできない。
そのため、ヘケトとの戦闘は魔術による遠距離攻撃を余儀なくさ
れ、自らの魔力量との戦いになる。
群れを作ると非常に厄介な魔物だと実感しつつ、俺が対物狙撃銃
で本日十匹目のヘケトを仕留めた直後、鈍い衝突音が近くから聞こ
えてきた。
﹁リンデ!﹂
随伴歩兵の誰かが叫ぶ。
ロックウォールの間を抜けてきたヘケトの舌にリンデが捕えられ、
引き込まれたらしい。
ロックウォールの隙間が狭いため、舌に引き寄せられたリンデは
壁の隙間を通り抜けられずに背中から叩きつけられたようだ。
壁の向こうのヘケトまで引っ張られなかったのは幸いだが、ヘケ
トの力で壁に押し付けられているリンデの表情は辛そうだ。
助け出そうにも粘着性のある舌を引き剥がすのは容易ではなく、
二次被害の可能性もある。
俺が救出方法を考えている間に、ミツキが木の上に上っていた。
何をするつもりかと見上げれば、ミツキは自動拳銃を太もものホ
ルスターに収めてロックジャベリンを壁の向こうに放つ。
ロックジャベリンがリンデを捕まえていた舌に命中し、斬り落と
424
す。
ヘケトが痛みに悶えて転がるのを後目にミツキが俺にリンデを指
差して見せた。
ミツキの考えを理解して、俺はディアを加速させる。
壁に押し付けられたときに骨にひびでも入ったのか、つらそうに
しているリンデに駆け寄った。
﹁ちょっと我慢しろよ﹂
壁の隙間から別のヘケトがこちらを狙っているのに気付いて、俺
は乱暴にリンデをディアの角に引っかけてその場を退く。
直後、壁の隙間から延びてきた舌が俺とリンデのいた地面を叩い
た。間一髪だ。
ロックウォールから離れ、リンデをディアの角から下ろす。攻撃
組の随伴歩兵が一人、駆け寄ってきた。
﹁いま手当てする﹂
﹁自分でできる。それより、ヘケトの数を減らしてくれ﹂
手当てを断るリンデに、随伴歩兵は苦い顔で頷いた。いま攻撃の
手が減るとヘケトを抑えきれなくなると判断したのだろう。
随伴歩兵がすぐに壁の向こうへ攻撃を再開する。
リンデが俺を見上げた。
﹁助けてくれてありがとうございます。攻撃を再開してください﹂
肩を押さえているリンデをディアの背の上から見下ろして、俺は
こらえきれずにため息を吐いた。
﹁泣き言を言える状況じゃないけど、やばいと思ったら助けを求め
425
ろ﹂
先ほど、ヘケトの舌に絡め取られた時、リンデは悲鳴一つ上げな
かった。
少人数でヘケトの大群を抑えている以上、人一人減るだけで戦力
が大きく低下し、士気も下がる。悲鳴を上げなかったのも、仲間の
士気を下げないためだろう。
﹁仲間に気を使い過ぎだぞ、リンデ﹂
そんな態度だから生理的な嫌悪感を催すという精霊獣機に乗る俺
やミツキとの交渉役に選ばれるんだ。まぁ、俺の口から言う事でも
ないが。
ディアの歩を進めようとした時、リンデが呟いた。
﹁仲間から嫌われて死ぬよりはずっといいんですよ﹂
新大陸で軍人なんて、それも随伴歩兵なんてやっていれば、仲間
の死の瞬間を何度も見ただろう。
その死んだ仲間の中に嫌われ者もいただろう。
あぁはなりたくない、と思うような死を迎えた仲間もいただろう。
いつの間にかそばに来ていたミツキがリンデをじっと見つめて、
口を開く。
﹁嫌われる事に怯えるより好かれる努力をした方が良いよ。さもな
いと、嫌われるどころか誰にも関心をもたれなくなるから﹂
さりげなく前世の体験談らしきものを交えて忠告したミツキは自
動拳銃の弾倉を入れ替え、俺を見た。
426
﹁さっき木の上から見たら、街道付近にいたヘケトまで戦闘音を聞
きつけたみたいでこっちに向かってきてた﹂
﹁これ以上数が増えるってのか﹂
現状で既に処理能力を超えている。ただでさえ徹夜で行軍してき
た随伴歩兵は疲労がたまっていて動きも悪いのだ。
車両はかなり離れているが、俺たちに撤退の指示はまだ出ていな
い。出す気がないのかもしれない。
ミツキが自動拳銃の銃口を樹上に向けた。
﹁このままここにいると死ぬと思うよ?﹂
﹁それはやだなぁ﹂
だが、ここで撤退するわけにもいかない。車両組に合流したとこ
ろで、連中が役に立つとは思えない。
精霊人機は強力だが、七メートルの巨人が動けるだけのスペース
をこの森の中では確保できないし、ヘケトの舌で足を絡め取られて
転倒しようものなら俺たちや随伴歩兵を下敷きにする可能性もある。
まだここにいる十二人で戦闘を継続した方が良い。
しかし、このままではじり貧なのも事実だ。
﹁ミツキ、作戦はないか?﹂
﹁あまりやりたくなかったけど、ヨウ君が頑張るみたいだから教え
るよ﹂
ミツキはリンデを見て、随伴歩兵たちにも聞こえるように声を大
きくする。
﹁私とヨウ君でヘケトの群れを誘導するから、もう少しここで耐え
て﹂
427
﹁誘導って⋮⋮囮になるつもりですか?﹂
リンデが驚いたように目を見開く。
ミツキはにっこり笑って頷いた。
﹁私たちにここまでさせるんだから、全員そろって撤退しようね﹂
ミツキはパンサーが発動している各魔術の出力を調整し始める。
﹁ヨウ君、森の中を疾走してヘケトを街道に誘導するよ。魔術式だ
けでも調整しておいて。時速で百二十キロは出すつもりでね﹂
﹁マジか﹂
まばらとはいえ木が乱雑に生えたこの森の中を時速百二十キロで
走り抜ける。想像するだけで背筋が寒くなった。実際は木が邪魔で
八十キロも出ないだろうが、それでもそこらの絶叫マシンより怖い。
しかし、ヘケトを誘導しようと思えばそうせざるを得ないか。
俺は随伴歩兵たちに声を掛ける。
﹁調整に入るからしばらく戦線の維持を頼む!﹂
ディアから降りて対物狙撃銃をディアの側面ケースに収める。時
速百キロを超えて森の中を疾走するのに対物狙撃銃の長さは邪魔に
しかならない。
護身用に持っている自動拳銃の弾倉を確かめてから、ディアの調
整を行う。
障害物の認識範囲を拡大し、索敵魔術も範囲を拡大、重量軽減の
魔術も強くする。
腹部の格納部から出したモンキーレンチで角の角度を弄る。脚部
も調整したかったが、今は仕方がない。
428
角の角度を調整したおかげで正面から見た時の表面積が小さくな
ったディアに跨る。この角の角度なら高速走行中に木の幹と接触す
る可能性を減らせるだろう。
﹁準備できた?﹂
﹁大体な﹂
頷きあって、俺は随伴歩兵たちに声を掛ける。
﹁ロックウォールの穴を塞いで、完全に身を隠してくれ。流れ弾に
当たるなよ?﹂
随伴歩兵たちがロックウォールの穴を塞いだのを確認してから、
俺はディアを一気に加速させた。
空気でできた薄いベールを突き破るような感覚の直後、ディアは
俺を乗せたままロックウォールの端に到達する。
ディアの右足が地面に突き立てられ、それを軸にほぼ直角に旋回
する。
右折してさらに加速、風と景色が一瞬で後方に流れた。
俺は自動拳銃を右に向ける。
そこにはロックウォールから高速で飛び出してきた鋼鉄のシカに
反応もできずにいるヘケトの群れがいた。
これだけ的がデカければ、狙いをつける必要もない。
引き金を立て続けに五回、引く。
近距離からの銃撃は例え中型魔物といえども堪えたらしく、三匹
のヘケトが腹部から血を流す。一匹は目から脳へと到達したらしく、
即死したようだ。
俺に続いて出てきたミツキが自動拳銃の引き金を引き、更に二匹
のヘケトが傷を負い、二匹が死亡する。
まだ俺たちに対応できていない様子のヘケトに対して、俺はロッ
429
クジャベリンを放った。
群れの側面から撃ち込んだ甲斐もあって、ヘケトたちはロックジ
ャベリンを避ける事も出来ず串刺しになっていく。
群れの後方に回り込むと、ヘケトたちが俺たちを脅威と認識した
のか方向転換を始めた。
俺たちの動きを止めようと続けざまに舌を伸ばして絡め取ろうと
してくる。
だが、俺の後方にはミツキが乗るパンサーがいた。
刃のついたパンサーの尻尾が迎撃の魔術式に従って銀線を描けば、
伸びてきた舌は赤い血をまき散らして地面に落ちる。舌の持ち主が
前足で先っぽを切り落とされた舌を押さえた。
ヘケトたちが俺とミツキを追って動き出す。完全に気を引くこと
ができたらしい。
﹁ミツキ、一度連中から距離を取った後、側面から奇襲を仕掛ける。
異論は?﹂
﹁なし!﹂
俺はディアの背から腰を浮かして前傾姿勢となり、直進する。
ディアが避けているのか木が避けているのか分からなくなるほど
目まぐるしく周囲の景色が変わっていく。
速度に緩急をつけて木々を躱すディアの背中で、俺は自動拳銃の
弾倉を入れ替えた。
索敵魔術を使用してヘケトとの距離を測ってから、俺はディアを
操作して左回りに急角度のカーブを描き、ヘケトの側面に向かう。
木々の梢の向こうにヘケトの姿を見つけた瞬間、俺は自動拳銃の
引き金を引いた。
発砲音が木霊し、木の幹に穴が開く。ヘケトには届かなかったか。
発砲音に気付いたヘケトがこちらに方向転換しようとした時、俺
の後ろを走るミツキが立てつづけに発砲する。
430
最も手前にいたヘケトの胸から血が噴き出した。
﹁距離を取るぞ﹂
﹁なんかゲリラっぽい!﹂
﹁似たようなもんだ!﹂
完全なヒットアンドアウェイ戦法であり、森に身を隠して高速で
近寄ってからの急速離脱だ。ただでさえ動作が鈍いヘケトたちは完
全に翻弄されていた。
しかし、時折伸びてくる舌が俺たちのそばにあった木の幹にぶつ
かる所を見るに、向こうも反撃の機会を虎視眈々と狙っている。
まだまだ気は抜けない。
﹁ヨウ君、近くに別のヘケトの集団がいるよ﹂
﹁方角と数は?﹂
﹁北東方面のはず。少し速度を落として﹂
俺がディアの速度を緩めると、俺を横から抜き去ったパンサーが
ミツキを乗せたまま木の幹を駆け上がる。パンサーの爪に削り落と
された木片がぱらぱらと地面に降り注いだ。
樹上から目視で周辺を探索したミツキが地面に降り立ち、俺に併
走する。
﹁あっちの方だよ。距離は二百メートルとちょっとかな。数は十匹
以上﹂
索敵魔術で確認してみると、確かに中型魔物の反応がある。
﹁さっきの集団と合流させて、まとめて処理する。加速できるか?﹂
﹁加速性能はパンサーの方が上だよ﹂
431
﹁そうだったな﹂
タンッとパンサーとディアの足音が重なり、加速する。
北東方面へ加速している途中、パンサーが俺の後ろに回った。角
を持たないパンサーでは木の枝が邪魔で加速時に乗り手であるミツ
キを傷つけかねないのだ。
その分、ディアはその角を盾にして乗り手である俺を保護するた
め、枝を折りながら進む事ができる。
また、ミツキが俺の後ろにいる事でヘケトの舌の追撃を受けても
尻尾の刃で迎撃できる。
俺が前でミツキが後ろの布陣は理に適っていた。
前方にヘケトの集団が見えてくる。リンデたち随伴歩兵のいる方
角へ向かっているらしく、側面はがら空きだ。
容赦なく自動拳銃の引き金を引いて三匹に手傷を負わせ、ディア
を左に方向転換、群れの後方へ走り抜ける。
ミツキが銃撃で一匹仕留めたようだ。仲間の死体を乗り越えよう
としたヘケトに対し、俺はロックジャベリンを放つ。
魔力を多めに込めたロックジャベリンはヘケトを貫いて後ろの木
の幹に突き刺さった。
俺の後ろを走っていたミツキがロックジャベリンを放つと、更に
一匹のヘケトが頭を貫かれて絶命する。
ヘケトの反撃は例によってパンサーの尻尾が斬り刻み、俺たちは
その場を離脱する。
ヘケトたちが追撃のために動き出すのを肩越しに確認して、俺は
二分ほど直進した後、方向を転換する。
﹁二つの群れを街道に近付けつつ合流させる﹂
﹁待った、次の集団が東にいる﹂
﹁そっちは後回しに出来ないか?﹂
﹁距離が近くて難しいよ。多分、今の発砲音を聞きつけてると思う﹂
432
﹁ならそいつらも合流させるしかないな﹂
あまり大所帯にしてしまうと反撃を処理しきれなくなるのだが、
挟み撃ちにされるよりはマシだ。
ディアの足が地面を強く蹴る。
いくつもの幹で視界が遮られているものの、先にある開けた場所
にヘケトが固まっているのが見えた。
ヘケトはそれぞれがてんでばらばらの方向を見ているため、接近
に気付かれる可能性が非常に高いと判断した俺は、奇襲を断念して
気を引くだけにとどめる事に決める。
まだ距離はあるものの右折して、自動拳銃をヘケトに向けて発砲
する。放った三発の銃弾はどれも木の幹に穴を開けただけだったが、
ヘケトの注意は完全にこちらに向いていた。
いち早く俺に気付いたヘケトが口を開けたのが見える。
次の瞬間、俺の頭をかすめるように伸びた舌が木の幹に引っ付い
た。
俺は舌打ちしつつその場を駆け抜ける。
後ろから発砲音がして振り返ると、パンサーが木の幹を蹴って強
引に方向転換をしているのが見えた。パンサーが蹴った木にヘケト
が伸ばした舌が殺到する。
間一髪で避け切ったミツキがそれでも笑みを浮かべていた。
﹁こっわい。もうギリギリすぎて笑うしかないよ﹂
﹁笑えてるだけ凄いっての﹂
追撃を仕掛けようとするヘケトたちを誘導しつつ、俺はミツキに
声を掛ける。
﹁一度、街道まで誘導するぞ﹂
﹁分かった。その後は?﹂
433
﹁別の集団を釣って街道に集める﹂
方針を決めて、俺はディアを再度加速させた。
434
第二十話 雷槍隊
街道に引きつけたヘケトを引き離して、再び森に入る。
森に分散しているヘケトをミツキが樹上から発見し、ディアとパ
ンサーの健脚で接近、一当てして注意を引く。
リンデたち随伴歩兵のいる付近を重点的に動き回ってヘケトを引
き離しては街道まで釣り上げるの繰り返しだ。
計四回ほど、ヘケトを何匹誘導したかも分からないくらいになっ
て、ようやくリンデたちのそばに魔物はいなくなった。
休憩を兼ねてリンデたちが作るロックウォールの裏に戻る。
体のスレスレを幹や枝がかすめていく森の中での移動はかなり神
経を使うため、ロックウォールの裏に辿り着いた時にどっと疲れが
出た。
ミツキも同じなのか、パンサーの首に抱き着くように体から力を
抜いていた。
リンデが緊張した面持ちで駆け寄ってくる。
﹁状況はどうなってますか?﹂
﹁この辺りのヘケトは街道に誘導した。今頃は俺たちの事を探し回
ってるだろうけど、しばらくしたらまたこっちに来るかもしれない。
撤退準備をしてくれ﹂
﹁それが、まだ撤退の命令が出ていなくて⋮⋮﹂
リンデが眉を寄せて車両がいるはずの方角を見る。すでに木々の
奥に隠れてしまって、姿は見えない。二機あるはずの精霊人機も同
様だ。
時間を考えれば、車両はすでに河原へ到着しているはずだ。
435
﹁俺たちが全滅するまで壁にするつもりらしいな﹂
ヘケトは街道へ誘導したから当分の間この辺りは安全地帯だ。
だが、ここに留まるという選択肢はない。補給もなければ援軍だ
って期待できないのだから、ここにいても死ぬだけだ。
﹁護衛隊長からの命令はヘケトに対処しろという物だったはず。そ
れなら、対処を終えたいま、キャラバンに合流しても命令違反にな
らないと思うけど、どうだ?﹂
リンデに聞くと、ゆっくり首を振った。他の随伴歩兵たちも悔し
そうな顔をしている。
﹁命令違反ではないと判断するのは護衛隊長です﹂
﹁ここの状況を知らない事を逆手に取られて、敵前逃亡扱いされる
のか。軍人さんは大変だな﹂
さてどうしたものか、と随伴歩兵たちと顔を見合わせた時、ミツ
キが﹁あれ、なに?﹂と短く呟いて空を指差した。
ミツキの指差す先には火の玉が打ち上がっている。あのあたりは
河原のはずだ。
﹁⋮⋮救難信号?﹂
誰かが呟いた時、微かに重たい物が倒れるような音が救難信号の
打ち上がった方角から聞こえてきた。
﹁もしかして、キャラバンが河原で襲われてるんじゃないだろうな
?﹂
﹁河原で精霊人機が二機もあって、救難信号を出す状況って⋮⋮﹂
436
俺の予想にリンデが暗い顔をする。
救援に行ったら今度こそ死ぬ。
リンデがため息を吐いて仲間の随伴歩兵を見回した。
﹁自分が救援に向かいます﹂
﹁一人で行ってどうにかなるはずないだろ。それにお前は負傷して
る。戦える状態じゃない﹂
﹁しかし、全員で行ってもまた捨て駒にされるだけです。自分が向
かって事情を伝えますから、みんなは開拓者の二人と一緒に防衛拠
点ボルスまで先行して援軍を頼んでください﹂
﹁辿り着けるかどうかも分からないのに援軍なんて当てにするな。
全員でキャラバンに向かえば、精霊人機と協力してしのげるかもし
れないだろうが﹂
リンデと随伴歩兵たちが言い争う。
俺はミツキに残り少なくなった自動拳銃の予備弾丸を渡して、デ
ィアの側面ケースから対物狙撃銃を取り出し肩に掛けた。
ディアの設定も通常の物に戻そうとした時、ディアが鳴いた。
続けざまにミツキのパンサーが唸る。
リンデたち随伴歩兵が一斉に口を閉ざし、俺とミツキを見た。索
敵魔術の警報だと気付いたのだろう。
﹁もう帰って来たのか。結構引き離したつもりだったんだけど﹂
すぐに索敵魔術の設定を弄って魔物との距離を測る。
その時、巨大な何かが近づいてくる足音が聞こえた気がして、俺
は慌てて距離ではなく対象の大きさを測る設定に変更した。
﹁⋮⋮大型魔物?﹂
437
反応から想定されるのは高さ七メートル強。ギガンテスに匹敵す
る。
こうしている間にも足音は急速にこちらに接近していた。
ミツキがパンサーで近くの木に登り、枝葉に隠れて双眼鏡を覗き
込む。
すぐに地面に着地したミツキは双眼鏡をポシェットに仕舞うと、
ほっと息を吐き出した。
﹁魔物じゃなかったよ﹂
魔物以外で七メートル越えの動く物︱︱
﹁精霊人機!﹂
随伴歩兵の誰かが叫んだ直後、雨雲のような黒にカラーリングさ
れた精霊人機が三機、街道方面から走ってくるのが見えた。二の腕
にそれぞれ黄色い稲妻模様が描かれている。
森から現れた精霊人機が手に持つ槍は魔導鋼線が螺旋状に張り巡
らされた柄に見たことのない青い金属でできた刃が付いている。
三機の精霊人機は俺たちのそばで足を止めた。遊離装甲が重なり
合ってガラガラと音を立てる。
分厚い遊離装甲に覆われているため遠目には重装甲の機体に見え
たが、間近で見ると機体そのものは標準程度の装甲だ。細マッチョ
が板金鎧を付けたような外見だった。
この森の中を駆けてきたにもかかわらず隊列に一切の乱れがなく、
停止もぴたりとタイミングを合わせた操縦士の腕はかなりのものだ
ろう。
﹁こちら防衛拠点ボルス司令官ワステード直属雷槍隊である。そち
438
らはマッカシー山砦からの輸送部隊か?﹂
指揮を執っているらしい精霊人機から拡声器越しに声を掛けられ
る。
リンデが一歩踏み出した。
﹁マッカシー山砦からキャラバンの護衛をしていました。現在、中
型魔物ヘケトの群れと交戦中です。本隊は河原に向かいました﹂
﹁やはり、ヘケトに襲われていたか。君たちもついてきてくれ。群
れを相手に戦うのは我々でも随伴歩兵の力を借りないと難しい﹂
随伴歩兵たちが頷いて、リンデを見る。肩の骨にひびが入ってい
るらしいリンデに戦闘は無理だ。歩くだけでも辛いだろう。
それでも、ここにいるよりはマシだと判断したのか、リンデはつ
いて行く意思を固めたようだった。
﹁⋮⋮急ぐぞ﹂
雷槍隊の精霊人機が言葉を飲み込んでから、短く出発を宣言する。
リンデが歩き出すが、明らかに傷を庇っていて速度が遅い。
俺はリンデの横にディアを駆け寄らせた。
﹁乗れ。そのまま歩かれると全体の速度が落ちる﹂
﹁置いて行ってくれませんか?﹂
﹁周りを見てみろよ。お前一人を置いていける空気じゃないだろ?﹂
リンデが仲間たちを見回して、困ったように眉を寄せる。
ミツキが俺の横に並んだ。
﹁放っておけばいいでしょ。ヨウ君、私以外にかまい過ぎてるよ﹂
439
﹁嫉妬に見せかけて俺の行動を縛るのはやめろ﹂
指摘すると、ミツキはわざとらしく頬を膨らませた。童顔なのも
あってやたらと〝らしい〟表情になっている。
俺とミツキのやり取りにリンデがさらに困っていた。
無理やり乗せる事も出来ない空気になってしまい、俺は諦めてデ
ィアの速度を上げる。
﹁ヨウ君、怒ったの?﹂
俺に追いついてきたミツキが心配そうな顔で訊ねてくる。
﹁別に怒ってないさ。ミツキは、リンデたちが俺たちの事を利用し
ているだけかもしれないって警戒してるんだろ﹂
﹁︱︱違うよ﹂
ミツキはきっぱりと否定して、周りに聞かれないように日本語に
切り替えた。
﹁ここは新大陸で、リンデは随伴歩兵なんだよ。それも、派閥争い
真っ只中の軍の人間で、今回みたいに捨て駒にされることもある人
間なんだよ。それでもヨウ君は関わり合いになる覚悟ができてるの
?﹂
死に別れる覚悟ができているかと問われ、俺はディアのレバー型
ハンドルを強く握る。
覚悟なんてできるはずがない。
だが、覚悟ができるのを待っているだけじゃ何もできない。
俺の問題が解決しないとしても、ミツキの問題は解決できるはず
だ。そのために無理をして開拓者になったのだから。
440
誰かに頼りにされる未来をミツキが掴む手伝いをしたい。
﹁私はヨウ君だけで良いって言ってるのに﹂
ミツキが呟いた時、雷槍隊の精霊人機から注意が飛んでくる。
﹁そこの奇妙な二人組、ここは危険地域だ。無駄口を叩くな﹂
﹁了解﹂
軍人にとっては無駄口でも、俺たち二人にとっては大事な話だっ
たんだが。
文句を言うわけにもいかず、ただ注意をしてきた精霊人機を振り
返る。
その時、精霊人機のうちの一機に違和感を覚えて、俺はディアの
速度を緩めた。
何かが引っかかった。三機とも同じカラーリングで所属も同じ司
令官直属部隊というからには機体はすべて同じ調整を施されている
はずだ。
しかし、その中の一機がおかしい。
﹁もしかして、ここに来る途中で戦闘しましたか?﹂
声を掛けると、訝しむような声が返って来た。
﹁街道付近だけ妙にヘケトの密度が高かったんでね。一度戦闘して
追い散らしたんだ。それがどうかしたか?﹂
﹁ヘケトに舌に絡め取られて転倒しましたか?﹂
﹁⋮⋮良く分かったな﹂
訝しむようなそれから警戒したような声に変わる。
441
俺は随伴歩兵たちに声を掛ける。
﹁こっちの精霊人機の右足に注意しておいてくれ。多分、魔導鋼線
とバネの接触が悪くなっている。左右どちらの足を踏み出すかで歩
幅が若干違うから、距離を見誤らない様にな﹂
魔導鋼線は蓄魔石から魔力を各部に伝える働きをしている。
この魔導鋼線とバネの接触が悪いと、バネに魔力が十分に伝わら
ずバネの動作が悪くなる。バネが魔力によって伸び縮みする特殊な
金属でできているためだ。
足の上げ下げを行うバネの働きが悪い場合は最悪転倒するが、今
回の場合は魔力の伝達不足でバネの伸縮幅が小さくなってしまい、
歩幅に影響が出ている。
詳しい事は分解しないと分からないが、戦闘には支障がないだろ
う。
しかし、精霊人機の周囲で戦闘を行う随伴歩兵にとって、精霊人
機の歩幅の狂いは敵との目測にも影響が出てしまい、要らぬ混乱を
もたらしかねない。
俺の注意を聞いた随伴歩兵たちが問題の精霊人機の足を注視する。
﹁⋮⋮確かに。言われないと分からないが、右足を踏み出した時の
歩幅が左足に比べて小さいな﹂
﹁膝関節を見た方が分かりやすいぜ﹂
﹁お、ほんとだ﹂
随伴歩兵たちが口々に言い合い、歩幅の違いを認識し始める。
指揮を執っているらしい精霊人機の操縦士が、調子の悪い精霊人
機に声をかけた。
﹁だから、飛び出しても碌なことにならないと言ったろう。精霊人
442
機はデカイが精密な兵器なんだ。いたわって動かすんだよ﹂
﹁ヘイ、申し訳ありませんでしたぁ!﹂
調子の悪い精霊人機の乗り手はぶっきらぼうな声で謝って、すぐ
に真剣な声を出す。
﹁キャラバンがやばいみたいですよ﹂
精霊人機の声を聞いて河原の方角を見れば、救難信号が再び打ち
上がっていた。
二度目という事は、現場はかなり危険な状態らしい。
もっとも、そうでもなければ援軍なんて期待できない街道から外
れたこの場所で、わらにもすがる思いの救難信号など上げないだろ
う。
救難信号を真剣な目で見上げていたリンデが精霊人機を振り返る。
﹁雷槍隊の皆さんは救難信号を見てこちらに?﹂
﹁いや、ヘケトの大量発生と聞いて様子を見に来たところで救難信
号を見たんだ。拠点からこの地域までは目が届かない﹂
﹁つまり、これ以上の援軍は望めないという事ですね﹂
本音を言えば歩兵も欲しかった、とリンデは言う。
﹁とにかく急ぐぞ。まだここから近いが、少しずつ遠ざかっている
ようだからな﹂
雷槍隊の精霊人機が僅かに速度を上げる。
疲労の溜まった随伴歩兵たちが何とか付いて行ける速度だが、余
裕はない。
森を抜け、河原に出るとヘケトの死骸が転がっていた。
443
リンデがヘケトの死骸の位置を見定めて眉を寄せる。精霊人機の
長剣によるものと思われる両断された死骸が川に浸かっている。
﹁川から上がってきたヘケトに奇襲を受けたようですね﹂
視線を上流に転じれば、仲間の死骸を食べているヘケトの集団の
奥で水しぶきが上がっている。川が湾曲しているため森に阻まれて
死角になっているが、どうやら戦闘は継続しているようだ。
雷槍隊の精霊人機三機が前に出ると、共食いしていたヘケトたち
が音に気付いてこちらに注意を向ける。
雷槍隊の三機は河原を塞ぐように横一列になり、手に持つ槍を一
斉に構えた。
森を無理なく駆け抜けられるように機体近くを漂うように設定さ
れているらしい遊離装甲が機体の外部装甲と擦れあい、更には遊離
装甲同士で重なり合って音を奏でる。まるで遠雷のように響くその
音は次の瞬間、幾重にも連なって木霊した。
精霊人機が一斉に一歩を踏み出し、槍を突き出したのだ。
いかずちのように高速で突き出された槍の穂先には即死したヘケ
トの死骸がいくつも突き刺さっている。
そして、その槍は比喩ではなく雷を纏っていた。
バリバリと音を立てて槍の穂先に白い雷がまとわりつき、ヘケト
の体を焼き焦がす。
精霊人機の胴体に格納されている魔導核、それに刻まれた魔術式
に魔力が流され、魔力でできた雷を発生させて槍に通しているのだ。
槍の柄に巻かれた魔導鋼線の役割を推測していると、精霊人機が
槍を振るって川にヘケトの死骸を投げ込んだ。取り巻く雷が槍に付
着した血糊を蒸発させる。
﹁随伴歩兵、あまり我々の前に出るなよ﹂
444
槍から滴ったヘケトの血に引っ張られるように雷が地面に落ちる。
中型魔物のヘケトの血の量だからこの程度で済んでいるのだ。
もしも大型魔物に対してこの機能を発動した槍を突き刺したなら、
飛び散る血潮に従って雷が拡散し、周辺の小型魔物が一網打尽にな
るだろう。
あんなもの喰らったら人間でも容易に感電死する。
おそらく、本来は小型魔物を精霊人機の足元に近寄らせないため
の機能なのだろう。槍で突いた獲物を感電死させる事が目的ではな
く、小型魔物の浸透を防ぐための機能だ。
というか、あのバカみたいな広範囲かつ高威力の魔術を発動し続
けていると相応の魔力を消費するはずだが、大丈夫なのだろうか。
そもそも、魔導核に刻める魔術式の数は決まっているが、あの雷
の魔術式だけにかなりのリソースを取られているだろうに、よく精
霊人機が動作するものだ。
リンデが雷槍隊の精霊人機を見上げて呟く。
﹁流石は専用機⋮⋮﹂
専用機、国軍が持つ超高品質の魔導核を使用した特殊機体の事だ。
なるほど、俺の想像する魔導核よりはるかに良質のものを使って
いるおかげでリソースを取られても十分動作するわけか。
﹁ではいくぞ。キャラバンを救出する!﹂
雷槍隊の精霊人機が宣言して、河原を駆け出した。
445
第二十一話 危機を乗り切って
専用機、それは国がすべてを独占している高スペックの機体の総
称だ。
いくつかの軍事拠点に置いて最高戦力に位置付けられ、司令官直
属の部隊として活躍する。
中でも、雷槍隊は比較的新しく創設された専用機の部隊である。
防衛拠点ボルス司令官ワステードの直属部隊である彼らが新大陸
で活動を始めたのは今からおおよそ四年前。
だが、その戦果は華々しい。
去年、一昨年と大型魔物の撃破数はトップをひた走り、部隊単位
で見れば新大陸最強の呼び声も高い。
そんな雷槍隊の専用機が三機、俺の前で槍を振るっていた。
耐電仕様の黒い遊離装甲に包まれた機体は動くたびに遠雷に似た
重低音を奏で、槍にまとわりついた白雷が突き殺した中型魔物ヘケ
トを焼く。
ヘケトを切り払うたびに血糊が前方へとまきちらされ、白い雷が
網目状に広がってヘケトたちを感電させて動きを奪う。
一方的な殺戮の後を、俺はミツキや随伴歩兵と一緒に付いて行く
だけだった。
せいぜい、感電を免れて舌を伸ばそうとしたヘケトを狙撃するく
らいしか仕事がない。
ディアの上でヘケトを狙い撃ちしていると、雷槍隊の右足が不調
の機体から声を掛けられた。
﹁一発も外さないんだな。まだ子供だってのに、末恐ろしいわ﹂
﹁どーも﹂
446
安定した虐殺を繰り広げながら河原を進むと、河原の先にキャラ
バン護衛部隊の精霊人機が見えた。
右足の膝関節から先を失い、右腕を破損している。おそらく、ヘ
ケトの舌に右足を絡め取られて右側面から河原に倒れ込んだのだろ
う。
コックピットがある胸部の装甲は開かれており、操縦士は脱出し
た事が分かる。
俺はざっと河原を見回して歩兵の死体がないのを確認した。血だ
まりがあるという事は、食われたのだろう。
﹁遊離装甲がはじけ飛んでる。こりゃ、転倒時に仲間の機体と派手
に接触したな﹂
雷槍隊の隊長機が現場を分析する。
精霊人機の回収をしている時間はないため、放置したまま河原を
進む。
すぐにヘケトに囲まれ、整備士まで動員して対抗しているキャラ
バンの姿を見つけた。
ロックウォールで周囲を囲み、ロックジャベリンでヘケトの数を
減らそうとしているらしい。傍らには大破した精霊人機が横たわり、
操縦士が歩兵たちと共にヘケトに抵抗していた。
歩兵たちがこちらを見た。
﹁ら、雷槍隊!?﹂
﹁やった⋮⋮助かったぞ!﹂
キャラバンの護衛たちが雷槍隊の機体を見つけ、強力な援軍の到
来に沸き立つ。そばにお前たちが見捨てた随伴歩兵や俺たちがいる
のに、現金な奴らだ。
雷槍隊の精霊人機が同士討ちを避けるために槍に纏っていた雷の
447
魔術を消した。
﹁随伴歩兵、一仕事頼む!﹂
雷槍隊に声を掛けられて、随伴歩兵たちが目配せをしあう。
雷槍隊の三機の精霊人機はキャラバンのそばに駆け寄ってヘケト
の討伐を開始した。
雷を纏わずとも鋭い槍捌きでヘケトを次々と斬り殺していく。
体高七メートルの精霊人機がその腕で振るう槍の間合いは、ヘケ
トの血しぶき飛び交う暴風圏と化していた。
しかし、血と槍が乱舞するその間合いから外れた場所で、ヘケト
が口を開く。
槍が振り抜かれた僅かの隙をついて、ヘケトが精霊人機の足を絡
め取るべく舌を伸ばした。
﹁︱︱ロックウォール﹂
糸目の随伴歩兵の一人がヘケトと精霊人機の直線上に走り込むや
否や石魔術ロックウォールを発動し、ヘケトの舌を防ぐ。
精霊人機の足元を守る役目を見事に果たした糸目の随伴歩兵は、
己の仕事ぶりを誇る事もなく、精霊人機の攻撃の邪魔にならないよ
うに素早く槍の間合いから離脱した。
ヘケトが遠距離から舌を伸ばそうとするたびに随伴歩兵が割って
入って精霊人機の隙を埋めていく。
足元を気にする必要のない雷槍隊は強かった。
雷の魔術を発動せずともヘケトを次々と屠っていく。
﹁ヨウ君、そろそろリンデを安全圏に﹂
ミツキに言われて、俺はリンデを見た。
448
﹁リンデ、森沿いに走って整備車両に合流してくれ。俺とミツキで
援護する﹂
﹁分かりました﹂
リンデがひびの入った肩の骨を庇いながらキャラバンのそばにあ
る整備車両へ走り出す。
注意を向けたヘケトを素早く狙撃しつつ、俺はリンデに併走した。
ミツキが自動拳銃で進行方向にいるヘケトを撃ち殺していく。
雷槍隊が暴れている事もあって、苦も無く整備車両にリンデを届
ける事が出来た。
整備車両の助手席にいる護衛隊長に状況と次の作戦を説明しに行
くリンデを見送って、俺はミツキと共に森へ入る。
戦闘音を聞きつけた森の中のヘケトを処理、または誘導するため
だ。
森の中では取り回しにくい対物狙撃銃を肩からおろし、あらかじ
めディアの角の上に置く。自動拳銃を使いたいところだが、あいに
くと残弾が心もとなかった。
﹁ミツキ、誘導場所は雷槍隊のいる河原だ。街道までの障害になり
そうな群れを誘導するぞ﹂
﹁ネトゲで言うところの釣り役だね。廃狩り仕様でいく?﹂
﹁あんまり無茶はさせない方が良い。雷槍隊は無事でも、随伴歩兵
が処理しきれずに死ぬかもしれない﹂
﹁りょーかい﹂
軽い口調で応じたミツキが木の上に登って周囲を見回し、ヘケト
の群れの位置を探る。
河原の戦闘が少しずつおさまっていく。余裕が出てきたらしい。
449
﹁西にいるね。多分、七匹﹂
﹁そいつらからいくぞ﹂
ミツキと頷きあって、俺はディアを加速させる。
二百メートルほど進んだところで、梢の向こうにヘケトの姿が見
えた。
俺は一時停止して狙撃銃を構える。
ヘケトはまだこちらに気付いていない。距離は五十メートルほど。
まばらに生える木々の隙間を縫って十分に撃ち殺せる。
人差し指を少し動かせば、森の中に発砲音が木霊して、ヘケトの
胸がはじけ飛んだ。
仲間の死に驚いて跳び上がったヘケトが着地した瞬間に引き金を
引く。
ヘケトの腹が破裂し、着地した姿勢のまま倒れ伏す。
﹁まずは二匹。ミツキ、離脱するぞ﹂
﹁次は北西の十三匹﹂
いつの間にか木の上に上っていたパンサーにまたがったミツキが、
方角を教えてくれる。
パンサーが地面に降り立ち、ミツキが首に下げた双眼鏡を服の中
に入れた。直後に太もものホルスターから自動拳銃を引き抜いて、
こちらに向かってくるヘケトに五発の銃弾を見舞う。
一匹仕留めたのを確認しつつ、ヘケトを誘導するため河原の方角
へ逃げる振りをして引き離してから、北西に向かう。
ミツキの報告では十三匹いるというヘケトの集団はすぐに見つか
った。
どうやら、就寝中のようだ。
﹁ヨウ君は狙撃の準備をしておいて﹂
450
ミツキがパンサーを加速させる。
言われた通りに対物狙撃銃をディアの角に乗せながら、ミツキを
見送る。
就寝中のヘケトたちに本物のヒョウよろしく忍び寄ったミツキが、
パンサーを木の上に飛び上がらせる。
幹を蹴り飛ばしてヘケトの頭上から襲いかかったパンサーはその
爪を長くのばした。
パンサーの爪に引き裂かれたヘケトが夢から目覚めることなくあ
の世へ旅立つ。
突然の襲撃に目を覚ました周囲のヘケトの目玉に容赦なく銃弾を
撃ち込んで絶命させ、ミツキがパンサーを走らせた。
パンサーの尻尾が振り回されて、ヘケトに切り傷をつけていく。
手傷を負わせて動きを鈍らせておいて、ミツキはパンサーの背中で
体をひねると後方のヘケトたちをさらに銃撃する。
離脱しながら追い打ちをかけたミツキが射線から外れた直後、俺
は無傷のヘケトを狙撃した。
パンッと音を立ててヘケトの腹を突きぬけて背中から銃弾が飛び
出す。わずかに息があるようだが、もう動けはしないだろう。
ミツキを追おうとしているヘケトたちの先頭に狙いを定めてもう
一発。
飛び上がる直前に後ろ脚がはじけ飛んだヘケトが無様に地面を転
がり、仲間を巻き込んだ。
﹁ミツキ、離脱するぞ!﹂
声を掛けると、ミツキがパンサーの背中で頷いた。すぐに河原へ
パンサーの頭を向ける。
混乱していたヘケトが俺に気付いて動き出す。
俺はある程度引きつけてからディアを河原に向けて走らせた。
451
引き離さないように注意して、けれど決して追い付かれることの
ないように気を使いながらディアを走らせる。
河原に到着すると、ヘケトとの戦闘を終えた雷槍隊の面々が森に
向かって陣を敷いていた。
雷槍隊の隊長機が拡声器越しに声をかけてくる。
﹁来たか。数は?﹂
﹁手負いも交ざってますが、十三匹ほどこちらに来ます﹂
﹁ちょうどいい数だ﹂
雷槍隊の後方には疲労した随伴歩兵がいる。徹夜と連戦で顔色が
かなり悪い。
歩兵はどうしているのかと目を向ければ、整備車両のそばで負傷
者の看護などを行っていた。
随伴歩兵の動きを思い出すと、あの歩兵たちで代わりが務まると
も思えない。
﹁言いたいことは分かるが、今は口を噤んでいてくれ﹂
雷槍隊の隊長機に言われて、俺はため息を飲み込んだ。
﹁俺たちは狙撃での援護に移ります﹂
俺は宣言して、ミツキと共に随伴歩兵の後方にディアを走らせる。
森から這い出してきたヘケトに槍を構えながら、雷槍隊の隊長機
が声を上げた。
﹁もうひと踏ん張りだ。何としても乗り切れ!﹂
森から出てきたヘケトを即座に狙撃して一匹減らす。
452
雷槍隊が槍を突き出してヘケトを刺し殺し、いまだに生き残って
いるヘケトたちに向けて随伴歩兵が必死にロックジャベリンを撃ち
込んで反撃を防ぐ。
即席の連携だが、待ち伏せる側という事もあり、うまく機能して
いた。
ヘケトを倒しきって随伴歩兵たちが休憩している間に、俺はミツ
キと一緒に再び森に入る。
街道までに点在しているヘケトの群れをすべて誘導して雷槍隊に
処理させるためだ。
﹁ちょっと疲れてきたんだけど﹂
﹁あぁ、日差しが目に刺さる﹂
徹夜の影響もあって集中力が落ちているのは自覚している。
パンサーは近距離攻撃が主体であるため、騎乗者であるミツキの
疲労の蓄積も早い。
﹁ミツキは攻撃に参加しない方が良い。そろそろ凡ミスをやらかす
頃だ﹂
﹁だね。ヨウ君の狙撃でも気は引けるし﹂
方針をまとめて、ヘケトの誘導を始める。
これが終われば、防衛拠点ボルスまでの道が開けるだろう。
ヘケトを河原へ誘導し、雷槍隊や随伴歩兵と共に駆逐する。ひた
すらそれを繰り返して、ヘケトの死骸が土手のようになった頃、よ
うやく街道までの道が開けた。
大量発生とはいえ、よくぞここまで増えたものだとヘケトの死骸
を見回して感心してしまう。これでも群れの一部でしかないという
453
から驚きだ。川の下流、マッカシー山砦の方へ行けば他のヘケトが
散り散りになって生を謳歌しているのだから。
死骸を燃やそうにも数が多すぎるため、魔力が枯渇してしまう。
仕方なく死骸をそのままにして、キャラバンは雷槍隊に先導され
ながら森の中に入った。
整備車両で護衛隊長が面白くなさそうな顔で雷槍隊を見て、舌打
ちする。
危機がほぼ完全に去った事で、今後の事に頭が回るようになった
らしい。
随伴歩兵を捨て駒にして河原へ撤退し、ヘケトの襲撃に対処でき
ず精霊人機を二機大破させたのは隊長として大失態だろう。
河原への撤退に際し、捨て駒にするべきは歩兵だったはずだ。随
伴歩兵と違って体力が残っていたし、数も多い。
精霊人機の足元を守る随伴歩兵を失ったばかりに、河原での戦闘
時に精霊人機の足を絡め取られたのが敗因である以上、叱責は免れ
ない。
最後の最後で派閥争いにかまけて判断を誤ったツケだ。甘んじて
受けていただこう。
リンデたち随伴歩兵はあまりにも疲労が溜まっているため、護衛
隊長が整備車両に乗るよう命令していた。雷槍隊の手前、疲労がた
まっている随伴歩兵を歩かせて歩兵だけを優遇する事が出来なかっ
たのだろう。
いまさら取り繕っても遅いと思うが、リンデたちが体を休められ
るなら何も言うまい。
ミツキがパンサーの上で水筒の水を飲む。
﹁死ぬかと思った﹂
﹁本当にな。今回は本格的に危なかった﹂
多分、生き残る事にだけ集中すれば全く問題のない状況だった。
454
精霊獣機の機動力があれば、ヘケトの群れの合間を縫って森を駆
け抜け、防衛拠点ボルスに駆け込む事は十分可能だった。その証拠
に、俺たちはヘケトを挑発して街道に集めたり、河原に集めたりし
ている。
今回、危なかったのは可能な限り随伴歩兵に死者を出さないよう
命がけで動いたからだ。
﹁ミツキ、付き合わせて悪かったな﹂
﹁どうせ私の事も考えて助けるって決めたんでしょ。謝られる事じ
ゃないよ﹂
ミツキが苦笑する。
﹁それに、結果的に誰も死ななかったんだからそれでいいじゃない。
まぁ、整備車両を守っていた歩兵は何人か食べられちゃったらしい
けど﹂
﹁助けられれば良かったとは思うけど、そこまで自惚れてないさ。
仕方のない事だって割り切るしかないだろ﹂
誰一人死なないなんて幸運が許される状況じゃなかった。
全滅しなかっただけでも御の字だ。雷槍隊が来てくれなかったら
確実に全滅していた。
ミツキが俺の答えに安心したようにほっと息を吐き出した。
﹁割り切れるなら良いんだよ﹂
ミツキが整備車両に目を細める。
﹁護衛隊長が助手席にいない﹂
455
ミツキの視線の先を追ってみると、確かに助手席に護衛隊長の姿
がなかった。
﹁荷台の方に行ったのかもな。大破した精霊人機の修理にかかる時
間とかも見積もらないといけないだろうし﹂
軍の整備車両は運転席や助手席のあるスペースと荷台とが繋がっ
ていて、行き来ができるように設計されている。
大破した精霊人機は雷槍隊の力を借りて二機とも回収して荷台に
積んでいた。
だから、精霊人機の様子を整備士長に聞くために荷台に移ったと
考えるのが自然だ。
自然なはずなのに、どうにも嫌な予感がぬぐえなかった。
456
第二十二話 壁の扉は閉ざされた
防衛拠点ボルスは湿地帯のど真ん中に作られた城塞だった。
広範囲をぐるりと囲む高く分厚い防壁の中に精霊人機のガレージ
の他様々な施設が作られている。聞けば、温泉まであるとの事だっ
た。
精霊人機は雷槍隊の五機にくわえて常駐戦力として十機が存在し、
来たるべきリットン湖攻略隊が集結すればさらに二十機が加わると
いう。
広く作られたこの防衛拠点は網目状に精霊人機も通行可能な幅の
広い道が作られており、各所にガレージと宿泊設備が存在する。
また、リットン湖の攻略が成った暁にはこの防衛拠点ボルスがそ
のままリットン湖開発を行う入植者などを一時的に受け入れて町と
しての機能を果たすため、各種ギルドや製材工場などがあるという。
中途半端に町としての機能を持った軍事拠点という位置づけらし
い。
雷槍隊の三機に案内されてようやくキャラバンや護衛部隊と共に
防衛拠点ボルスに到着した俺とミツキは肩の力を抜いてため息を吐
き出した。
まったく、ひどい目にあった。
倉庫に向かうキャラバンや到着の報告をしに司令部へ向かう護衛
部隊とは入り口で別れて、俺とミツキは宿に向かう。
町の中央からやや外れたところで営業している宿屋は新築で、精
霊人機のガレージまで備えている。
﹁ごめんください。一晩泊めてもらいたいんですけど﹂
入り口から声を掛けると愛想笑いを浮かべた若いおかみさんが出
457
てくるが、精霊獣機を見るなり顰め面になった。
﹁ガレージも借りたいです﹂
先手を打って頼むと、若いおかみさんは沈黙した。
何か葛藤するように視線をさまよわせて、若いおかみさんはため
息を吐く。
﹁ガレージは別料金だよ﹂
そう前置きした若いおかみさんが提示した金額はぼったくりもい
い所だった。
精霊獣機にガレージを使用させたくないらしい。
ミツキが俺の袖を引いてパンサーにまたがる。他を当たろうとい
う意味だろう。
﹁失礼しました﹂
若いおかみさんに頭を下げて、俺はディアに跨る。
町としての機能を持っているとは言っても周辺の開拓がまだ進ん
でいないとあって、防衛拠点ボルスの人口は少ない。
精霊人機の通行が可能なように作られた幅の広い道に人影はまば
らだ。さびしい通りをディアの背に揺られながら進む。
途中で見かけた宿に片端から頼んでみたが別料金で吹っかけられ
たり、あからさまに嫌な顔で追い払われたりした。
いっそこのボルスを早く出て行って拠点にしている港町に戻りた
いところだが、精霊獣機の足でも二日はかかってしまう。野宿は免
れないだろうし、周辺はまだヘケトが闊歩していて危険だ。
どうしたものかと歩いていると、道の先に墓が見えてきた。
この防衛拠点ボルスの土地を開拓するために周辺の魔物と戦って
458
死んでいった人々の慰霊碑まで立っている。
﹁端まで来ちゃったみたいね。まだ宿を探す?﹂
ミツキが特に期待もしていないような顔で来た道を振り返る。宿
が見つかるとは俺も思えなかった。
﹁防壁のそばで野営するしかないな﹂
﹁ふかふかのベッドの上でゆっくり休みたかったけど、仕方ないね﹂
ミツキも妥協してくれたところで防壁に向かおうとした時、遠く
から走って来た見慣れない人物に声を掛けられた。
﹁そこの開拓者二人、司令部まで来てくれ!﹂
またどこかに追い払われるのかとうんざりした顔をミツキと見合
わせる。
見慣れない人物は軍服を着ていた。それも、精霊人機の操縦士が
着る軍服で、胸に付いたワッペンは雷マークを背景にした槍の意匠。
雷槍隊の操縦士だ。
﹁ヘケトの大量発生に関する報告を聞きたいとワステード司令官が
仰せだ。時間は取らせないから、一緒に来てくれ﹂
俺が跨っているディアを一瞥した雷槍隊の操縦士は職務に忠実ら
しく無駄口を叩かず呼び出しの理由を口にする。
断るわけにもいかず、司令部に足を運ぶ。
防衛拠点ボルスの全体を一望できる中央の高い建物が司令部らし
い。雷槍隊のガレージもこのそばにあるようだ。
重厚な造りの司令部の玄関で、精霊獣機と武器を置いて行くよう
459
に命じられて思わず眉を寄せてしまう。
今回のキャラバン護衛任務に同行することになったのも、マッカ
シー山砦の司令官ホッグスに出口をふさがれ、抵抗の術がなかった
からだ。
とはいえ、司令官に自動拳銃を持った民間人を近づける事が出来
ないのも道理。
﹁いたずらされないよう設定を弄るのでしばらく待ってください﹂
ディアとパンサーの設定を弄って迎撃システムを起動させる。
パンサーの尻尾へ魔術で作り出した小石を放り投げ、寄らば斬る
ぞの実演をして見せた後、司令部に足を踏み入れた。
三階にある会議室に通された俺とミツキを待っていたのは、四十
代ほどの男性とその副官らしき男、さらに護衛部隊の隊長と精霊人
機の操縦士、何故かリンデまでいた。
リンデは俺と目が合うとすっと目を伏せ、顔をそむけた。
おかしな反応に首を傾げる間もなく、会議室の奥にいた四十代ほ
どの男性が声をかけてくる。
﹁キャラバンの護衛に同行した二人組の開拓者かね?﹂
ミツキと揃って頷くと、男性は笑みを浮かべた。
﹁ようこそ、防衛拠点ボルスへ。私は司令官を務めるワステードと
いう者だ﹂
やはりこの人が司令官か、と俺はそっと観察する。
灰色の髪は整髪料で綺麗に整えられ軍服には皺ひとつない。細面
で鼻梁はすっと通っている。ナイスミドルってやつだろうか。几帳
面さが見て取れるが、右耳に黒い二重リングのピアスをしていた。
460
結構おしゃれしているらしい。
隣の人物はおそらく副司令官だろう。
ワステード司令官は俺とミツキをざっと観察し﹁なるほど﹂とひ
とりで納得した。
﹁開拓者になってどれくらいになる?﹂
﹁半年ちょっとです﹂
答えると、ワステード司令官は組んだ脚の膝を右手の人差し指で
トントンと叩く。
いつの間にか、ワステード司令官の注意が俺やミツキから会議室
の全員に均等に割り振られているのが視線から分かった。
﹁マッカシー山砦からのキャラバン護衛、ご苦労だった。途中ヘケ
トの群れに夜襲を掛けられたと聞いているが、事実かな?﹂
ワステード司令官が質問した瞬間、会議室の空気が僅かに緊張し
たのが分かった。
空気の変化を感じ取ったのは俺だけではないらしく、ミツキが俺
のそばに寄る。
俺も警戒を深めつつ、ワステード司令官の質問に答えた。
﹁事実です﹂
ワステード司令官は﹁ふむ﹂と頷くと、続けて質問してくる。
﹁その時、周囲に魔物の影はなかったと護衛部隊は証言している。
ついで、君たち二人が索敵のために飛び出したそうだが、事実かな
?﹂
﹁それも事実です。俺たちは索敵の魔術を使って魔物の接近を知り
461
ました。ただ、種類や数が正確には分からなかったため、索敵に出
ました﹂
﹁ヘケトの群れであると分かったのはその時であっているのかな?﹂
﹁あってます﹂
事実確認の連続。他に答えがあるはずもない。
しかし、部屋の空気がどんどん張りつめていくのが分かる。
ワステード司令官が次の質問を発する。
﹁君たちは索敵を済ませてキャラバンと合流後、森を抜けて河原へ
移動した。護衛隊長の発案によるものらしいが、妥当だと思ったか
な?﹂
﹁軍の決定に感想を述べる立場にはありません﹂
一開拓者の俺に護衛隊長の決定を評価する権限はないし、発言を
求められても困る。
ちなみに、護衛隊長のあの時の判断は妥当だった。ヘケトの群れ
を突っ切るのは論外、森の中を突き進んで街道に向かおうとしても
おそらくヘケトに遭遇していた。とにかく距離を取るという判断は
あの時点では正しかったはずだ。
ワステード司令官が笑みを浮かべた。
﹁うむ、確かに君たちに聞くのはおかしかったな。今の質問は忘れ
てくれ﹂
緊張している部屋の中でただ一人余裕の表情を浮かべているワス
テード司令官は軽い調子で言うと、まだ質問を続けてくる。
﹁河原に到着した君たちは魔物と戦闘して、たった二人で中型魔物
を倒したらしいが、これも事実なのかな?﹂
462
﹁ザリガニに似た魔物の事であれば、事実です﹂
﹁自分たちの力に自信はあるかな?﹂
﹁ありません﹂
﹁中型魔物をたった二人で撃破したにもかかわらず?﹂
﹁狙撃で先手を取り、ハサミを二つとも撃ち抜いてまともな攻撃手
段を奪えたから倒せただけです﹂
ワステード司令官は会議室の面々を見回して、口を開く。
﹁次の質問に移ろう。我が雷槍隊と君たち二人が合流する直前の出
来事だ﹂
ワステード司令官が改めて切り出した時、衣擦れの音がした。
反射的に向けた視線がリンデにぶつかる。
目線を伏せて平静を装うように息を殺しているリンデを見て、俺
は嫌な予感がした。
ワステード司令官が注目を集めるように身を乗り出す。
﹁彼らが言うには、河原から街道に戻る段になり、君たち二人が独
断で森の中へ索敵に出てヘケトに囲まれ、護衛隊長が随伴歩兵を向
かわせたと聞いている。事実かね?﹂
﹁︱︱は?﹂
一瞬意味が分からなかった。
わざわざ思い出すまでもなく、あの時の俺たちはキャラバンの護
衛部隊に随行していた。それも独断専行どころか殿としての位置で、
だ。
ヘケトの群れと遭遇してキャラバンと護衛部隊が撤退する際に俺
とミツキ、そしてリンデたち随伴歩兵が足止めの捨て駒としてその
場に残され、命がけで戦ったのだ。
463
俺は涼しい顔をしている護衛隊長を睨む。
護衛隊長が自分に都合よく事実を捻じ曲げて報告したのだろう。
俺はワステード司令官に事実を説明する。
﹁街道に戻るために河原を離れ、森の中を進む事を決めたのは護衛
隊長です。事前の会議で提案がなされ、反対者がいない事から決定
しました。俺もミツキも単独で森の中を索敵に出てはいません。キ
ャラバンの護衛部隊の殿を随伴歩兵と共に務めていました。森の中
でヘケトの群れに遭遇して護衛隊長が河原への撤退を決定し、俺た
ちと随伴歩兵を足止めに残して撤退しました。俺とミツキはヘケト
を待ち構えるだけでは多勢に無勢で勝ち目がないと考えて森の中に
入り、ヘケトを街道へ誘導しました﹂
﹁︱︱嘘です﹂
俺が説明した直後、部屋の中から否定する声が上がった。
俺は信じられない思いで否定した当人に目を向ける。
﹁リンデ、俺は嘘なんてついてないだろう?﹂
俺の証言を嘘と断じたリンデを問い詰める。
だが、リンデは俺から視線を逸らしてワステード司令官を見た。
﹁今の証言はでたらめです。この二人が独断で森の中へ先行し、ヘ
ケトの群れに取り囲まれてしまったため自分たち随伴歩兵が救助に
向かいました﹂
﹁おい、リンデ!﹂
一歩踏み出した俺の前に精霊人機の操縦士が割って入る。
おかしい。こいつは新大陸派で、旧大陸派であるリンデたち随伴
歩兵を庇う理由がない。
464
﹁嘘の次は暴力かよ。開拓者は野蛮だな?﹂
﹁誰が暴力なんて振るうか。俺はただ事実を言えと︱︱﹂
﹁落ち着きたまえ﹂
静かに、しかし有無を言わせぬ声でワステード司令官に注意され、
俺は口を閉じる。
ワステード司令官が俺とリンデを見比べる。
﹁証言が食い違ったようだが、これはどういう事だろうか﹂
こっちが聞きたい。
新大陸派である護衛隊長の肩を持っても、リンデたちの得にはな
らないはずだ。嘘を吐く理由が見当たらない。
ワステード司令官が腕を組んでわざとらしく唸った。
﹁嘘をついても、リンデ君に利はない。ひるがえって、開拓者二人
はどうだろうか?﹂
そんなの決まっている。
リンデのついた嘘が採用されれば俺とミツキは精霊人機の周囲か
ら随伴歩兵が離れざるを得なかった責任を負わされる。
逆に、俺が言う真実が採用されれば、随伴歩兵が精霊人機から離
れた責任は護衛隊長の采配ミスによるところとなる。
護衛隊長が俺とミツキに精霊人機二機が破損した原因を被せたの
だ。
ワステード司令官が護衛隊長を見る。
﹁君、出身はどこかな?﹂
﹁ガランク貿易都市であります﹂
465
﹁あぁ、あのにぎやかな街か。では、リンデ君は?﹂
問われたリンデが旧大陸の町の名前を挙げると、ワステード司令
官は目を細めた。
﹁そうか。では、ますますリンデ君に嘘を吐く理由がなくなってし
まったな﹂
旧大陸派と新大陸派の派閥争いはワステード司令官も知っている
らしい。軍事拠点の一つを任されているくらいなのだから当然か。
しかし、これではますますリンデの証言の説得力が増してしまう。
現場に居なかったワステード司令官から見て、より説得力がある
のは嘘をついても利益がなく、敵対派閥を庇ってさえいるリンデの
証言だ。
ワステード司令官が納得したように頷いて、俺を見た。
﹁安心してほしい。これはあくまでも軍の問題だ。君たち二人の独
断専行が原因だったとしても、精霊人機の修理費などを請求するこ
とはない。では、退出してくれたまえ。ご足労を願って悪かったね﹂
なんだそれ。
まるで、俺たちのせいみたいじゃないか。
俺もミツキも、やりたくもないキャラバンの護衛を無理やりやら
されて、捨て駒扱いされても踏みとどまって、それでも足りないか
ら命がけでヘケトを街道まで誘導したのに。
その結果がこれか。
感謝しろとまでは言わない。
だが、恩を仇で返されるのはまっぴらだ。
リンデが裏切ったのはもう間違いない。どんな理由があるのかは
知らないが、リンデは護衛隊長を庇い、俺とミツキに責任を押し付
466
ける選択をした。
結局、リンデは俺やミツキを頼りにしていたわけではなくて、随
伴歩兵という仲間を守るために利用していただけだ。
随伴歩兵を助けるために命がけで戦っても、こうして簡単に裏切
られる。
その時、ため息が聞こえた。
俺のものではない。ミツキがため息を吐いたのだ。
ただ利用されるだけだった前世やデュラで才媛と呼ばれていた頃
を思い出したのかもしれない。重い溜息だった。
何してんだ、俺は。
ミツキが頼りにされ、慕われる未来を掴みたいなんて言って、そ
の結果がこれか。
頼りにされるどころかいいように利用されて、ミツキの古傷を抉
っただけじゃないか。
これなら︱︱何もしない方がはるかにマシだろ。
どうせ誰にも頼りにされないのなら、俺がミツキを頼りにしてい
ればいい。
俺だけでいい。
気付くのが遅かった。最初から、ミツキが言う通り俺だけでよか
ったんだ。
時間を無駄にしてしまった。
﹁ミツキ、今までごめんな﹂
日本語で謝る俺に、一瞬きょとんとしたミツキだったが、すぐに
笑みを浮かべて肩を軽く叩いてきた。
﹁謝らなくていいよ。ヨウ君は私のためを思ってやってくれていた
んだから。ねぇ、それよりもヨウ君は私だけでいいの?﹂
﹁あぁ、ミツキだけでいい﹂
467
他の連中を大事に思える日なんてきっと来ないだろう。
今までは、この世界の人たちと関係を築くのが怖かった。それが
大事に思えてしまったら、死の間際のあの喪失感を思い出すことに
なってしまうから。
でも、ただ利用して切り捨てるような奴らとの関係が大事に思え
る日なんて絶対に来ないだろう。
そんなものと仲良くする道を探すより、ミツキとの関係を育んで
いく方がずっと重要だ。
俺にはミツキしかいない。ミツキには俺しかいない。歪な関係だ
としても、これが世界の真実なのだから。
自分の中で折り合いがついて、俺はミツキと一緒に会議室を出て、
後ろ手に扉を閉めた。
抗弁しない俺やミツキを意外そうに見送るワステード司令官や、
決して目を合わせようとしないリンデ、澄ました顔ながら口元にう
っすらと笑みが浮かんでいる護衛隊長の姿が扉で完全に遮られる。
俺はミツキに手を差しだした。
ミツキは笑みを浮かべて俺の手を握る。
手をつないだまま、司令部を後にする。
バカバカしいほど遠回りをして辿り着いたのは二人だけの世界だ
が、これで十分だろう。俺たちが求める物が壁の外にはないのだか
ら、壁の中で二人、支え合って生きていけばいい。
ミツキがくすくす笑って俺の手を握る力を強くする。
﹁アダムとイブになってみる?﹂
﹁もう少し胸がでかくなってから言え﹂
言い返すと、ミツキが繋いでない方の手で俺の手を抓った。
うちのイブは少々暴力的なようです。
468
第一話 同行依頼
野営をするため人のいない所を探して防衛拠点ボルスを歩き回る。
真新しい建物が立ち並ぶボルスの中、どこに行っても必ず一人は
見かける。
この防衛拠点ボルスは周辺を湿地に囲まれ、まだ魔物の掃討も済
んでいない危険地域であるため、どこでも必ず警戒の目があるのだ。
野営しようとしても追い出されてしまうため落ち着けず、徹夜の
影響もあって重たい瞼を何とか持ち上げながらディアを歩かせる。
﹁こうなったら防壁の外で休むか?﹂
﹁墓地なら人が居ないと思うよ?﹂
ミツキさん、それ本気で言ってるんですかね。
まぁ、俺もミツキも一度死んだ記憶を持っているわけで、墓地が
似合わないとは言えないけども。
そういう意味では俺やミツキはゾンビとかキョンシーの範疇なの
だろうか。それともスワンプマン?
いろいろと根深そうな思考実験から意識を逸らして、俺は墓地に
向かう。
クゥと可愛らしい音が聞こえてミツキに目を向けると、お腹を撫
でながら背筋を伸ばしていた。空腹らしい。
﹁そういえばまともに食事したのは昨日の夜襲前か﹂
﹁広場か何かがあれば簡単に作って食べることもできるんだけど﹂
﹁通りがでかいせいか、広場らしい場所もないんだよな﹂
各門の近くは混雑が予想されるためか広場のようになってはいる
469
が、食事をしていると見咎められるだろう。
すでに日も落ちて通りに並ぶ家が明かりを灯し始めた。魔導核を
使用した魔術の白色光だ。
墓地に到着した時、先客を見つけた。
﹁おや、あなた方も墓参りですか?﹂
先客が俺たちを振り返って訊ねてくる。茶髪で眼鏡をかけた五十
代の痩せた男だ。痩せた体に軍服の勇ましさが不釣合いだが、着慣
れている様子が無視できない。
先客は手を合わせていた墓から隣の墓に移ると、供え物らしい酒
を墓前に置いてまた手を合わせた。
視線を巡らせると、横並びになった七つの墓に物が供えられてい
る。先ほど司令部に呼ばれる前にもこの墓地に来たが、その時には
なかったものだ。
あの痩せた男が供えたのだろうか。
﹁︱︱ベイジルさん、こんなところにいた!﹂
不意に声が聞こえて墓地の入り口を振り返る。
整備士の格好をした青年が俺たちに気付いて頭を下げようとして、
精霊獣機を見た瞬間顔をゆがめる。
青年は俺たちを無視することに決めたらしく、ベイジルと呼んだ
痩せた男に再度声をかけた。
﹁司令官が呼んでます。リットン湖周辺の調査隊として出撃してほ
しいそうです﹂
﹁あまり墓地で騒いではいけないよ。少し静かにしていなさい﹂
ベイジルが答え、しばらく墓に祈ってから立ち上がる。
470
ベイジルは俺とミツキを見て、にこやかな笑みを浮かべた。
﹁騒がしくてすまないね。こう言っては何だけれども、ゆっくりし
ていきなさい﹂
整備士の青年とは全く違う穏やかな反応に、俺は眉を寄せる。ず
いぶんと分厚い外面だな。
ベイジルが整備士の青年と墓地を去る。
俺はミツキと顔を見合わせた。
﹁どうする? 本当にここで一晩休むか?﹂
﹁人が来ないと思ってここに来たのに先客がいたし、ちょっと迷う
ね﹂
ミツキが苦笑して首を傾げた時、駆け足で迫る足音を聞いて目を
向ける。
俺たちを見つけて駆けてくるのは司令部でも見た副司令官だ。
﹁ようやく見つけましたよ﹂
結構な速さでかけてきたにもかかわらず息を乱していない副司令
官が俺とミツキを見てそう呟く。
探されるような心当たりもないので警戒していると、副司令官が
司令部の方向を指差した。
﹁一緒に来てください。少し不可解な点がありましたので、質問し
たいんです。マッカシー山砦の護衛隊には席を外してもらいました﹂
かってに司令部を出て行かれなければ探し回る必要もなかったと
嫌味をつけたして、副司令官が俺たちに背を向け、司令部に歩き出
471
す。
それより、なんで俺たちが付いて行く事を前提に行動してるんだ、
この人。
あれだけ責任を押し付けておきながら勝手なものだ。
俺は遠ざかる副司令官を見送りながら、ミツキに日本語で声を掛
ける。
﹁どうせ、他にも責任を押し付けようとしてるんだろうけど、どう
する?﹂
﹁依頼そのものは終わっているんだからついて行く義理もないでし
ょ。このまま見送ってしまいましょう﹂
俺とミツキがついてきていない事に気付いた副司令官が怪訝な顔
で振り返る。
﹁何をもたもたしてるんですか。早く来てください。司令官の時間
も無限にあるわけではないんですよ﹂
﹁俺たちの時間も無限にあるわけではないので、依頼でもないのに
顔を出す必要はないな、と相棒と意見がまとまったところです。聞
きたいことがあるのか押し付けたい責任があるのかは知りませんが、
むざむざ付いて行く気はありません。司令部の中には護身用の武器
も持ち込めませんからなおさらです﹂
話は終わりと打ち切って、俺はミツキに防壁を指差してみせる。
このままここに居てはますます面倒事が舞い込むのだから、外に行
った方がいくらかマシだ。
副司令官が初めて焦った表情を見せた。
﹁ちょっと待ってください。誤解ですよ。我々はただ、街道付近や
森の中で銃殺されていたヘケトについてお聞きしたいんです﹂
472
ミツキがすっと目を細めて副司令官を睨んだ。
﹁ヘケトが街道と森の中で死んでいるのを見つけたのは何時ですか
?﹂
﹁それは⋮⋮﹂
﹁おかしいですよね。戦闘地域に行ってから戻ってくるまでの時間
を考えると、キャラバン護衛部隊がこのボルスに到着してから調査
に出たのでは間に合わないはずです。つまり、キャラバンの援護に
現れたあの三機の雷槍隊の操縦士の誰か、あるいは全員が銃殺され
たヘケトの死骸を見たはず。それなら、キャラバンの護衛部隊の証
言の矛盾にも気付くはずです﹂
キャラバン護衛隊の証言では、俺とミツキが独断専行して森の中
に入り、ヘケトに取り囲まれた事になっている。
だが、実際には森の中や街道など、広範囲にわたっての機動戦闘
を行った証拠としてヘケトの死骸があちこちに転がっている。これ
は俺の、街道にヘケトを誘導したという証言を補強する証拠だ。
﹁索敵を独断で行ったというのならヘケトと遭遇した時点でキャラ
バンに戻って報告するはずですし、街道まで行く必要もありません
よね。気付きませんでしたか?﹂
言葉に詰まった副司令官に畳みかけて、ミツキは冷たい声で問う。
﹁さっき私たちを司令部に呼んだ時点で証言の矛盾を指摘できる情
報を持っていたにもかかわらず、私たちに責任を押し付けたと推理
できますけど、何か反論はありますか?﹂
副司令官の目が泳ぎ、助けを求めるように俺を見て息をのんだ。
473
多分、俺はミツキ以上に冷たい目をしていたと思う。
しかし、俺は一度目を閉じてからすぐに愛想笑いを浮かべて見せ
た。
﹁司令部にはいきませんけど、ここで話すのは構いませんよ。手短
に済ませてくださいね﹂
どうせ何も変わらないのならわざわざ衝突する必要もない。
その場限りで友好的な態度を装って、別れた瞬間にすべて忘れて
リセットで良い。
俺の考えなど知りもしない副司令官がほっとしたように手帳らし
きものを取り出す。
﹁では、質問を︱︱﹂
副司令官の質問は俺たちがヘケトを倒した位置に始まり、数や大
きさ、魔力袋持ちがいたか、などだった。
詳細な位置など覚えている暇はなかったし、魔力袋持ち、つまり
魔術を使用するヘケトがいたかも確かめている暇はなかった。魔術
なんて撃ち込まれる前に即離脱する戦法を取っていたのだから当然
だ。
質問に答えていくたびに副司令官の顔が険しくなっていく。
﹁⋮⋮本当にこれだけの戦果を挙げたんですか?﹂
﹁現場に行けばいくつかは死骸も残ってるんじゃないですか? 生
き残ったヘケトが食べている可能性もありますけど、周囲に残った
血からある程度の推測もできるでしょう﹂
別に信じてもらう必要はどこにもない。
半信半疑ながらも、俺の態度から嘘ではないと判断したらしく、
474
副司令官は手帳に何事か書き込んでからポケットにしまった。
﹁ありがとうございました。司令官に報告してきますので、ここで
少し待っていてください﹂
﹁ここで、ですか?﹂
俺はあえて墓地に視線を向けて、肩を竦める。
﹁宿にも泊めてもらえないので、そろそろボルスを出てしまおうか
と考えていたんですけど﹂
俺が言いたいことを察したのか、副司令官は困った顔で通りを振
り返った。
﹁宿を紹介しましょうか?﹂
﹁はい、お願いします﹂
愛想笑いで礼を言うと、良いように使われた副司令官は引きつっ
た笑みを返してきた。
ちょっとは俺たちの気持ちが分かっただろうか? 分からないだ
ろうな。
宿に案内され、精霊獣機を見て嫌な顔をしている店主へにこやか
にあいさつして一泊分の料金を前払いする。
ガレージで恒例となった寄らば斬るぞのデモンストレーションを
して精霊獣機に近寄らないよう警告し、俺は副司令官と別れて部屋
に入った。
先に部屋でくつろいでいたミツキがベッドの上で欠伸を噛み殺す。
﹁適当に食べられる物を作るから、休んでていいぞ﹂
475
俺は部屋に備え付けの簡易キッチンに向かいながら、ミツキに声
を掛ける。
しかし、ミツキは首を横に振ってベッドから降りると、俺と一緒
に簡易キッチンに立った。
﹁手分けして作った方が早く休めるからね﹂
ミツキが食材を切り、俺がパンを小さくちぎる。
食材とパンを炒めてミガスを作った俺は、簡単なスープを作った
ミツキと一緒にテーブルに料理を並べた。
﹁いただきます﹂
手を合わせた直後、部屋の扉が叩かれた。
お預けを食らった犬の心情と題して原稿用紙三枚半は埋められそ
うな気持を抱えて、俺は席を立つ。
﹁どなたですか﹂
声を掛けつつ扉を開けると、副司令官が立っていた。
副司令官が軽く頭を下げて、扉の前から一歩横にずれる。出て来
いという事かと思ったら、意外なことに副司令官には同行者がいた。
﹁食事中だったのかい? これは申し訳ないね﹂
﹁ワステード司令官?﹂
防衛拠点ボルス司令官ワステードその人が、人当たりのいい笑顔
を浮かべて立っていた。
ワステード司令官は部屋の中に目をやり、ミツキに視線を定めた。
正確には、ミツキの前に並んでいる料理に、だ。
476
﹁これはこれは、匂いだけでなく見た目も美味しそうだ。どこの地
方の料理かな?﹂
スペインだ。言っても分かるはずがないから言わないけど。
﹁料理が冷める前に用件を話してもらえませんか?﹂
せっつくと、ワステード司令官は横を見た。部屋の中にいる俺か
らは死角になっている位置だ。
ワステード司令官の目配せで死角から出てきたのは墓地でも見か
けた痩せた男。確か、ベイジルと言っただろうか。
ベイジルがにっこりと笑って軽く頭を下げる。
﹁ヘケトとの遭遇戦におけるお二人の戦果を偶然見させていただき
ました。それで、できればリットン湖の調査に同行していただけれ
ば嬉しいなと思いまして、足を運んだしだいです﹂
﹁⋮⋮はぁ?﹂
ベイジルが墓地を出て司令官の下に向かったタイミングを考えれ
ば、俺たちからの聞き取りを終えた副司令官が司令官に報告する際
にその場にいても不思議ではない。
だが、ベイジルは俺とミツキが精霊獣機に乗っている姿を墓地で
見たはずだ。それでもなお同行を頼むというのはいかにも胡散臭い。
俺が警戒しているのが伝わったのか、ベイジルが苦笑する。
﹁ワステード司令官からもぜひにと言われております。報酬は前払
いでどうでしょうか。自分の財布から出しますから、あまり大きな
額ではございませんが﹂
477
ポケットマネーを使ってまで俺たちを雇う?
ますます胡散臭さが増している。
警戒を深める俺に、ミツキが近付いてきた。
﹁ベイジルさんでしたっけ? 精霊獣機を見たはずですよね。気持
ち悪いとは感じませんでしたか?﹂
ミツキの質問にベイジルはあいまいに笑って首を傾げた。
﹁自分は何かに嫌悪感を向けることが許されるような人間ではあり
ません﹂
﹁良く分からないですね﹂
許すとか許されるとかいう問題ではない気がする。
ベイジルはあいまいに笑ったまま、墓地の方角にちらりと視線を
向けた。
﹁自分が蔑まれることはあっても、自分が蔑んでいい存在などこの
世にはありません。確かに、お二人を嫌う方はいらっしゃるようで
すが⋮⋮﹂
ベイジルはそっと副司令官に目を向け、すぐにミツキに視線を戻
す。
﹁自分が指揮を取る以上、お二人に不当な扱いはしないと誓いまし
ょう。そのためにも、自分の財布からお二人の雇用料をお出ししま
す﹂
なにか過去に色々とあったらしい雰囲気を出しているが、言葉に
嘘が含まれているようには見えない。
478
﹁⋮⋮なぜ俺たちを雇おうと思ったんですか?﹂
気になって問いかけると、ベイジルはニコリと笑う。
﹁街道や森の中であなた方が倒したというヘケトの位置から推察す
るに、たった二人で森の中を駆け回ったのでしょう? あの精霊獣
機という乗り物は足が速そうですからね﹂
﹁では、俺たちの機動力が欲しい、と﹂
﹁いえ、確かにお二人の戦闘力や機動力には期待していますが、そ
れだけではありませんよ﹂
俺の予想を肯定しつつ、決め手は違うと言ってのけるベイジルの
考えが読めない。
ベイジルは笑みを深めて続けた。
﹁お二人は人のために命を張れる人なのだな、と思ったのです。自
分に何かがあっても、お二人が調査隊にいればどうにかなるだろう
という打算あっての依頼ですよ﹂
命を張れる人か。
その命を張れる人は司令部で死んだようだ。命がけで守った相手
の裏切りでぽっくり逝って、今じゃ壁の中だ。
俺は少し考えてから、ミツキに日本語で相談する。
﹁どうする?﹂
﹁依頼を受けるメリットは正直言って全くないよね﹂
ミツキが肩を竦めて返し、ワステードをちらりと見た。
479
﹁ただ、この司令官が是非と言ってるらしいから、バランド・ラー
ト博士について質問してみてもいいんじゃないかな。防衛拠点ボル
スにバランド・ラート博士が滞在した記録はないけど、軍がバラン
ド・ラート博士の殺害事件を追っているかどうかの裏は取れるかも
しれないよ﹂
﹁一理あるな﹂
相談の結果を踏まえて、俺はベイジルに向き直る。
日本語でのやり取りを不思議そうに眺めていたベイジルは、俺た
ちの相談がまとまった気配を感じたのか愛想笑いを浮かべた。
﹁どうでしょうか。受けてくれますか?﹂
﹁命を張るのはまっぴらごめんですが、その依頼は受けてもいいで
す。こちらの質問に答えていただけるならね﹂
﹁質問、ですか?﹂
報酬として質問に答えろと言われるなんて、ふつうは考えない。
それだけに、ベイジルはとても不思議そうな顔をしていたが、答え
てもらいたい相手はベイジルではなくワステード司令官だ。
俺はワステード司令官に向き直り、質問を口にする。
﹁バランド・ラート博士について知っている事を教えてください﹂
﹁バランド・ラット?﹂
﹁バランド・ラートです。精霊研究者の﹂
訂正しても、ワステード司令官は心当たりがない様子で副司令官
やベイジルを見る。演技には見えなかった。
ミツキが俺の袖を引き、日本語で耳打ちしてくる。
﹁反応がおかしいよ?﹂
480
﹁あぁ、そうだな﹂
ワステード司令官は副司令官やベイジルも知らないとみて、俺を
見た。
﹁申し訳ないが、そのバランド・ラート博士というのは誰かな?﹂
﹁半年ほど前、旧大陸の港町で殺害された軍属の精霊研究者です﹂
﹁軍属の精霊研究者⋮⋮あぁ、思い出した。確か宿屋で精霊教徒に
暗殺されたという﹂
ワステード司令官はようやくバランド・ラート博士に思い至り少
し満足げな表情をしたが、すぐに困ったような顔になった。
﹁申し訳ないが、面識もないね。なぜ、私たちにそれを訊ねようと
思ったのかな?﹂
﹁軍がバランド・ラート博士の暗殺事件を調査しているとマッカシ
ー山砦司令官ホッグスから聞いたからです﹂
次の瞬間、俺の言葉を聞いたワステード司令官の目がきらりと光
った。
﹁︱︱詳しく聞かせてもらいたいね﹂
481
第二話 出発準備
﹁︱︱話は分かった﹂
俺とミツキでマッカシー山砦でのやり取りを説明すると、ワステ
ード司令官はそう言って腕を組んだ。
﹁ホッグスは身内びいきのきらいはあっても、それ以外に取り立て
て問題のない男だったのだけれども、君たち二人の話を聞く限り何
か裏があるようだね﹂
ワステード司令官は思案顔で副司令官を見る。
﹁バランド・ラート博士について緘口令が敷かれていた覚えはない
けれども、何か聞いているかい?﹂
﹁いえ、本国からそういった指示は届いておりません。半年前の事
件となると連絡が遅れているとも思えません﹂
﹁では、ホッグスの独断かな。一応調べておいてくれ。ただし、慎
重に頼むよ﹂
ワステード司令官は顎を一撫でしてから、俺とミツキを見る。
﹁さて、調査結果は問題がなければ君たちにも提供しよう。しかし、
今回、バランド・ラート博士を調べる君たちに対してホッグスが警
告で済ませたのは単純に侮っていたからだろう。少し脅せば諦める
だろう、とね。ホッグスが何を隠しているのか分からないが、君た
ちもこれ以上目をつけられないように迂闊な行動を控えるべきだ。
仮に私がホッグスの味方であれば、君たちは暗殺されていた可能性
482
もある。分かっているね?﹂
ワステード司令官は俺たちの行動を迂闊と断じた。
だが、俺もワステード司令官とホッグスが繋がっている可能性は
すでに考えてあった。
﹁ワステード司令官がホッグスの味方なら、護衛隊長がわざわざ嘘
を吐く必要がないでしょう。ワステード司令官とホッグスの間に協
力関係がないにもかかわらずバランド・ラート博士の事件に関して
黙秘するなら軍の総意という事になります。その時には手を引いて
いましたよ﹂
俺が考えた上で質問していたのだと知り、ワステード司令官は意
外そうに目を瞬かせた。
﹁たった二人であれほどの戦果をたたき出すだけあって、状況判断
は正確なようだ﹂
ワステード司令官は隣でにこにこしているベイジルをちらりと見
てから、俺たちに真剣なまなざしを注いでくる。
﹁なおのこと、この調査への同行をお願いしよう。護衛部隊が君た
ちを探しているからね﹂
﹁⋮⋮どういうことですか?﹂
護衛部隊が俺たちを探す理由が分からない。むしろ神経が分から
ない。
だが、ミツキは心当たりがあるようで、俺に日本語で話しかけて
くる。
483
﹁嘘を吐いたことがばれないように口封じとか﹂
﹁そこまでするか?﹂
﹁さぁね。嘘がばれたら護衛隊長の出世に響くだろうし、可能な限
り芽は摘んでおきたいと思うんじゃないかな。どちらにせよ、護衛
隊長と同じ新大陸派のホッグスに話が届くと面倒くさいことになり
そうだよ﹂
﹁ほとぼりが冷めるまでの間、リットン湖の調査に同行するのも選
択肢の一つ、か﹂
ミツキと頷きあう。
一応、バランド・ラート博士殺害事件を軍が調査しているという
ホッグスの証言は虚偽の可能性が高いとワステード司令官から情報
も貰っている。
対価をもらった以上は働かないといけない。
俺はベイジルに向き直る。
﹁分かりました。その依頼を受けましょう。ただし、使い潰される
と思ったら遠慮なく依頼を破棄して離脱します﹂
﹁先ほどのバランド・ラート博士とやらについて、自分から情報提
供もできませんでしたから構いませんよ。離脱する前に声をかけて
もらいたいですけれども﹂
﹁状況が許せば、声を掛けましょう﹂
すでに作ってあったという依頼書を差し出され、ミツキと一緒に
不備がないのを確認する。
調査日数ギリギリに依頼期間を修正してから、書類にサインした。
出発は明後日との事で、当日また会いましょうと言い残してベイ
ジルたちは帰って行った。
すっかり冷めてしまったミガスを食べ始めながら、頭の中で情報
を整理する。
484
バランド・ラート博士がマッカシー山砦にいたことは確定、また
ホッグスが殺害事件に関して何か知っている、もしくは関わってい
るのも間違いない。
どうやって調べようかと考えていると、スープを飲んでいたミツ
キが顔を上げた。
﹁ワステード司令官が代わりに軍とバランド・ラート博士の関係を
調べてくれるから、私たちはマッカシー山砦の次に博士が向かった
大工場地帯ライグバレドに行けばいいと思うよ﹂
﹁そうだな。しばらくは軍と関わらない方が良いのも確かだし﹂
リットン湖の調査依頼はほとぼりを冷ますために受けたのだ。ま
たすぐに軍を調べてホッグスに睨まれる事態に陥るのはまずい。
ミツキが右手に持ったスプーンでスープをかき回しながら欠伸を
噛み殺す。
﹁それより、明日からの食事が問題だよ。しばらくはピクルスかぁ﹂
この辺りは開拓途中でまだ畑らしい畑もないから、生の野菜類が
非常に高い。宿を探してさまよっていた時に見た市場の傾向からし
て、肉類も高めだ。
だが、魚の燻製などは近くに川があるおかげで比較的安い。干物
もあった。
﹁香辛料かハーブを買って、バリエーションを補強するとして︱︱﹂
うぬぬ、とミツキがレシピを考え始める。
﹁干物でムニエルは無理だろうし、落ち着く先はパスタ系だよね﹂
﹁凝らずに焼くだけでもおいしいと思うんだけどな﹂
485
﹁飽きるでしょう?﹂
﹁パンをこだわればいいだろ。ジャムをもってくだけでも飽きずに
楽しめる﹂
﹁それだと軍人さんから手抜きをした貧相な食事だと思われちゃう
からだめ﹂
両手の人差し指を交差させてバツ印を作るミツキさん。なにに張
り合ってらっしゃるんでしょうかね。
料理人ミツキの邪魔にならない様に食事を食べ終えて、食器を洗
いにかかった。
一晩ぐっすり寝てから、俺は部屋の中で設計図を眺め、知恵を絞
る。
﹁ディスペンサーかぁ﹂
今朝の新聞になかなか興味深い事が載っていた。
精霊兵器に魔力を供給する蓄魔石に関する新発見だ。
どうやら、蓄魔石は一定以上の温度に熱すると魔力の排出量が増
加するらしい。
ただし、蓄魔石そのものは五十度を超えると緩やかに溶解を始め
るため、排出量を上昇させても蓄魔石を使い潰すことになるという。
魔力排出量が増加するという事は出力の上昇を意味する。代わり
に稼働時間の短縮を招く。
そこで、俺は蓄魔石の魔力排出量を任意で変更するディスペンサ
ーに温度調節機能をつけて出力の上昇をコントロールできないかと
考えたのだ。無論、蓄魔石なんて高価な物を使い潰す気はない。
今頃は大陸各地で同じようなことを考えている技術者がわんさと
いるだろう。
486
一方的なシンパシーを覚えながら、俺は知恵を絞り、ある結論に
辿り着いた。
﹁ディアやパンサーの出力を上げても魔導鋼線が焼き切れるんじゃ
ね?﹂
ダメじゃん!
いまの安物の魔導鋼線だと出力を上げた瞬間青い火花が飛び散っ
てしまう。
質のいいパーツが欲しい。大工場地帯ライグバレドならいくらで
もあるだろうけど、代金の問題もあるし⋮⋮。
いっそ作るか?
作っちゃえばいいんじゃね?
脳裏で悪魔が囁いてくる。
工具も材料もない中で質のいいパーツなど作れるはずもないので、
拠点に帰ってから取り組む事にしつつ、思いつきを設計図に書き込
んでいく。
﹁︱︱ヨウ君、出かける準備できたよ﹂
ミツキがテーブルの横に立つ。
肩に小さなカバンを掛けたミツキは青のワンピース姿だ。一見、
清楚に見えるミツキだが、肩に下げたカバンの中に自動拳銃が入っ
ているのを俺は知っている。
﹁買い物に行くよ﹂
﹁あぁ、ついでにボルスのギルドにも顔を出しておかないとな﹂
防衛拠点ボルスの開拓者ギルド。国軍に舐められない様に実力者
ばかりが出入りすると聞く。
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﹁買い物前にギルドだね。パンや魚の干物を持ってギルドに行った
ら舐められちゃうし﹂
﹁レイトウマグロならきっと舐められないだろうけどな﹂
﹁無駄に切れ味いいよね。水属性ついてるし﹂
モンハン族がこんなところにもいた。
﹁引き籠りは素材に事欠かないのよ﹂
﹁自慢するなよ。かわいそうになるだろ﹂
言い合いながら部屋を出て、苦い顔の店主に挨拶して宿を後にす
る。
予定通りギルドに向かう。
ギルドの建物は石造りのがっしりしたものだった。どこぞのラブ
ホもどきとは比べるべくもない重厚さの中に機能美が見える。これ
だよこれ、こうでなくっちゃ。
精霊人機を十機置くことのできるガレージが併設され、建物その
ものも魔物の襲撃に備えた作りをしている。通りへ突き出すように
伸びたバルコニーは防衛拠点ボルスの約半分を一望できる高さだ。
中に足を踏み入れると、よく磨かれた石の床は大中小三つの石を
複雑に組み合わせて作られている。職員のスペースであるカウンタ
ーの向こう奥の壁に掛けられたタペストリーは縦一メートル、横三
メートルほど。防衛拠点ボルスが成立するまでにこの地方で行われ
た人と魔物による激戦の様子を描いた物らしい。
カウンターの端に防衛拠点ボルスの歴史と題した小冊子が売って
いる。ちゃっかりしてんな。
建物内から無数の値踏みするような視線が俺たちに向けられてい
たが、俺が小冊子を一冊取ってカウンターの職員に購入を申し出る
と視線が一斉に外された。
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見ない顔だと思ったらやっぱり新参だったか、みたいな反応だ。
俺は職員に小冊子の代金を渡しながら、今日ギルドを訪ねた理由
を説明する。
﹁ベイジルという方から指名依頼を受けていまして、手続きをお願
いしたいのですが﹂
昨日ベイジルから渡された書類を提出すると、職員さんの反応が
一気に変わった。
外されていた視線までもが一斉に俺たちへ向けられる。
﹁本当にベイジルさんだ⋮⋮﹂
職員さんが書類を見つめて呟く。
なんだ、ベイジルって有名人なのか?
反応に戸惑っていると、小冊子の見本をぺらぺらと捲っていたミ
ツキが俺の肩を叩いてきた。
目を向けると、見本誌を開いて掲げ、一文を指差す。そこにはこ
の付近一帯の湿地に巣食っていた鴨のような形状の大型魔物の群れ
を討伐した精霊人機乗り達の生き残りの証言が載っていた。
証言者の名前はベイジル。
﹁ベイジルってこの防衛拠点を作った戦いの功労者の一人みたいだ
ね﹂
ミツキの言葉で、俺は初めて会った時のベイジルの姿を思い出す。
墓に祈りをささげていた。あの墓地には慰霊碑もあったはずだ。
小冊子にも名前が載っているほどの有名人でしかも現役となれば、
注目度も高くて当然か。
俺は手が止まっている職員さんに声をかける。
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﹁早く手続きをしてほしいんですけど、何か不備がありましたか?﹂
この後食材を買いこんだり、ディアやパンサーに魔力を充てんし
たりと忙しいのだ。
何しろ出発は明日なのだから。
職員さんが慌てて仕事にかかる。
手続きを済ませるまでの時間がもったいないので、俺はメダルを
片手に精霊人機の部品を取り扱う係員に声を掛ける。
﹁在庫に魔導鋼線と潤滑油、それから洗浄液はありますか?﹂
これから行く場所はリットン湖周辺だ。湿地も多く、まず間違い
なく関節部へ泥が入り込んで動作不良を起こす。洗浄液や潤滑油は
必須だ。
こんなこともあろうかと多めに在庫を確保してくれているらしく、
少し割高ながらすぐに購入できた。
﹁たったそれだけで足りるんですか?﹂
﹁小さいので、問題ないです﹂
全高七メートルの鉄の巨人である精霊人機と二メートルから三メ
ートル程度の精霊獣機では必要になる潤滑油や洗浄液の量はおのず
と少なくなる。
わざわざ説明しても嫌悪感を抱かれるだけなので口を閉ざし、購
入した魔導鋼線などをリュックに入れる。
ちょうど手続きも済んだらしく、職員さんに二言三言確認を取ら
れてから受理された。
その後、ギルド館を出た俺たちは市場に行って食材などを買い込
んだうえで宿に戻る。
490
﹁私は一足先に部屋に戻って準備するから、ヨウ君はディアとパン
サーをお願い﹂
﹁わかった。明日以降の食事で軍に勝てるかどうかはミツキにかか
っている。健闘を祈る﹂
﹁勝つと決まっている戦いほどむなしいモノはないわ﹂
やけに自信満々な階段を上って行くミツキを見送って、俺は宿併
設のガレージに向かった。
軍の料理当番も勝手に対抗意識を燃やしてるとは思わないだろう
な。
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第三話 防衛拠点ボルスの歴史
防衛拠点ボルスは元々湿地帯だ。
鴨に似た大型魔物を始めとした鳥型の魔物が幅を利かせていたこ
の地域の攻略は難航した。
まだミツキが魔導銃の基礎概念を作り出す前でもあり、精霊人機
は遠距離攻撃の手段を魔力の消費が激しい魔術に頼っていた時代だ。
空を自由に飛び回る鳥型の魔物に精霊人機の攻撃はなかなか当た
らず、魔術の連続使用で蓄魔石の魔力が枯渇して身動きが取れなく
なることも多々あった。
また、鳥型の大型魔物には魔力袋を持つ個体も多くいたらしい。
空から一方的に魔術で攻撃され、さながら爆撃じみた魔物の攻撃
の合間を縫って撃ち返す。
攻略は遅々として進まず、対策が練りに練られた。
その結果、大型魔物の腱を利用した精霊人機用の大型弓が開発さ
れる。魔力消費を抑えつつ、遠距離への攻撃手段を確保するには妥
当な武器だった。
大型魔物の腱という入手の難しい素材を弦として使うこの大型弓
は材料の希少さ故に数も少なく、必然的に当時の精霊人機操縦士の
中から適性のある者ばかりを集めた特別部隊が編成された。
精霊人機弓兵隊と名付けられたその部隊は精霊人機二十機からな
り、随伴歩兵だけで二百を超える大規模部隊だった。
その中に、当時十代後半だったベイジルも精霊人機の操縦士とし
て抜擢された。
まだ新兵と言っていい年齢だったが、精霊人機での弓の技量は他
の操縦士とそん色ないほどだった。
精霊人機弓兵隊は一度の戦闘で大型魔物三、中型魔物十七の戦果
を挙げ、その後も順調に勝利を重ねて魔物の数を減らしていった。
492
時間はかかるだろうが、攻略の目途が立ったと旧大陸にある祖国
の上層部は安堵する。
そして、一年半が経過して七度目の攻略戦が始まった時、それは
起こった。
ヘケトの大量発生だ。
ヘケトの天敵である鳥型の魔物が精霊人機弓兵隊によって討伐さ
れて数を減らしたことが原因だった。
鳥型魔物とヘケトの群れ、そして精霊人機弓兵隊の三つ巴の戦い
は苛烈を極めた。
鳥型魔物は上空からの攻撃、ヘケトは地上からの攻撃であったた
め、必然的に精霊人機弓兵隊が二種類の魔物から攻撃を受けること
になる。
上空の鳥型魔物への注意を怠れば魔術による攻撃にさらされ、地
上のヘケトへの注意が疎かになれば長い舌に絡め取られて転倒する。
湿地帯であるために撤退時に車両がぬかるみに嵌まるなどの事故
もあり、撤退を支援するために精霊人機が踏みとどまって魔物を抑
えることになる。
撤退が完了した時、精霊人機の操縦士は五名が愛機と共に行方不
明となり、七名が死亡、さらに四名が重傷を負っていた。
精霊人機はほとんどが大破し、弓兵隊は事実上の解散を余儀なく
される。
生き残った操縦士が相次いで軍を後にする中、ベイジルだけは憑
りつかれたように湿地帯攻略のため精霊人機に乗り続けていく。
︱︱というところで防衛拠点ボルスの歴史と題された小冊子を閉
じる。
なんというか、防衛拠点ボルスの歴史はベイジルの人生と言って
いいぐらい、小冊子に彼の名前が出てくるんですけど。
﹁生ける伝説みたいな扱いになってるね﹂
493
ミツキが俺と一緒に読んでいた小冊子に書かれているベイジルの
名前を指先でなぞる。
﹁これでまだ現役だっていうんだから、そりゃあ有名にもなるよな﹂
探せばファンクラブとかあるんじゃないのか。
噂をすれば影が差す、道の先から整備車両や運搬車両が列をなし
てやって来るのが見えた。精霊人機は運搬車に乗せてあるのだろう。
三機の雷槍隊専用機に加え、ベイジルさんが操る数少ない弓兵隊仕
様の精霊人機アーチェが今回の調査に同行すると聞いている。
集合場所に到着したベイジルが全体に停止を指示して、整備車両
を降り、俺たちの下へ歩いてくる。
﹁おはようございます。今日から一週間、よろしくお願いしますね﹂
友好的に挨拶してくるベイジルの後ろには胡散臭そうに俺たちを
見る調査隊の人々。
﹁おはようございます。こちらこそよろしくお願いします。調査内
容はリットン湖周辺の生態調査と地質調査、それから地図作りで変
更はありませんか?﹂
訊ねると、ベイジルは頷いて俺が持つ小冊子に目を向けた。
﹁この防衛拠点を作る際には事前の生態調査がまだ重要視されてい
ませんでした。同じ悲劇を繰り返さないよう、ワステード司令官が
計画してくださったんです﹂
ヘケトの大量発生は鳥型魔物の数が精霊人機によって減らされた
事が原因だった。
494
リットン湖の生態系を不用意に乱してまた魔物の大量発生を招か
ないようにというのがこの調査計画の主旨らしい。
﹁地図作りは最近開発されたマッピングの魔術式で行われますから、
すぐに済みますよ。便利な世の中になりましたね﹂
そのマッピングの魔術式の開発者は俺の隣にいますけどね。
ミツキは名乗り出る気もないらしく、パンサーの設定を弄ってい
る。
﹁早く出発しましょう。調査項目の詳しい内容は道中で説明してく
れればいいから﹂
ぶっきらぼうに言うミツキにベイジルは嫌な顔一つしない。後ろ
の調査隊の連中とは大違いだ。
ベイジルも腹の中で何考えてるか分からないけど。
﹁では、出発しましょうか﹂
ベイジルが整備車両の助手席に戻り、防衛拠点ボルスを出発する。
リットン湖までは崖や川を避けて曲がりくねった道を進み、二日
ほどかかるという。
調査は実質的には三日間で行われ、最重要なのが地図の作成と生
物の食物連鎖の調査となっている。
今回は調査第一回というだけで、後々本格的な調査も行われるら
しいが、その頃には俺もミツキも拠点の港町に帰っているだろう。
成人男性の腰丈くらいありそうな雑草が生い茂る湿地帯を進んで
いると、ミツキがパンサーの足回りを気にしつつ愚痴をこぼす。
﹁泥を落とすのが大変そう﹂
495
﹁洗浄液は多めに持ってきているけど、本格的な清掃は調査が終わ
ってから念入りにすることになるな﹂
魔術で作り出した水でも洗い流せない事はないが、魔力に反応し
てバネなどが作動する可能性があるため、可能なら洗浄液を使いた
い。
道らしい道は半日ほどで途切れ、雑草に覆われた湿地にディアを
進める。
それにしても、発動させている索敵の魔術式に、一向に反応がな
い。
ミツキがポーチから双眼鏡を取り出して周囲を確認し、首を傾げ
る。
﹁魔物がいないと生態調査ができないんだけど﹂
﹁調査隊の方も怪しんでるみたいだな﹂
整備車両を振り返ると、周囲を険しい顔で見まわしていたベイジ
ルと目があった。
ベイジルが拡声器に魔力を流す。
﹁アカタワさん、ホーアサさん、少し周辺の索敵をお願いします。
戦闘は避けてくださいね﹂
俺の名前が短くなった。代わりに心の距離が長くなる。
もともと近付いてもいないけど。
﹁ヨウ君、行くよ﹂
ミツキが率先してパンサーを加速させる。
ぬかるみに足を取られてもすぐに重量軽減の魔術を強化して抜け
496
出し、調査隊の周辺を探ってみる。
﹁魔物がまるでいないな﹂
﹁隠れてる様子もないね。ヘケトの群れが追い払ったのかも﹂
俺たちが護衛していたキャラバンを襲ったヘケトの群れの数を考
えれば、大型魔物でさえも飲み込んでしまいかねない。戦いは数だ。
しかし、湿原を覆う雑草はヘケトの巨体に押し倒された様子がな
い。ここをヘケトが通ったとは少し考えにくかった。
﹁ひとまず報告に行こう﹂
ディアの頭を調査隊の方へ向けて、俺はミツキと一緒に駆け戻る。
調査隊の下に戻ると、ベイジルが片手をあげて手招いてくる。
﹁お疲れ様です。どうでしたか?﹂
﹁魔物の影はありません。雑草が倒れている場所もありませんでし
た﹂
﹁ヘケトの群れが原因ではない、と﹂
さすがに長く軍に籍を置いているだけあって話が早い。
ベイジルは腕を組んで周りに集まっている車両の運転手を見回し
た。
﹁経験上、魔物の密度が低くなった時は別の場所で群れを成してい
るものです。ここから先は慎重に進みましょう。精霊人機は二機、
起動状態、歩兵は十名ずつの交代で車両に併走してくださいね﹂
おっとりとした話し方で的確に指示を出すベイジルに、車両の運
転手たちが頷いて各々の車両に走って仲間たちに指示を伝えに行く。
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ベイジルは細めた目で運転手たちの動きを追いながら、俺たちに
声をかけてきた。
﹁魔物を発見したらファイアーボールで合図してください。この辺
りの魔物は動きの遅い種類が多いですから、早期に発見できれば一
方的に攻撃を加えることができます﹂
ベイジルの指示に了解の意を伝えて、俺はミツキと一緒に持ち場
へ戻る。
調査隊は周囲を警戒しながら進み、川に差し掛かったところで動
きを止めた。
やはり、魔物の気配はない。
ミツキが長い黒髪の毛先を指で弄りながら周囲を見回した。
﹁嫌な静けさよね。夏休みの校舎みたい﹂
﹁どんな喩だ﹂
﹁生徒会の仕事で夏休みに学校へ行ったとき、こんな感じだったの﹂
実体験だったか。
しかし、ミツキの喩も良く分かる。
いつもはもっとにぎやかなはずの場所で生き物の気配が全く感じ
られないと違和感を覚えるものだ。
俺は周囲を見回す。
相変わらず生き物のいない湿原が広がり、手前には幅が七メート
ルくらいありそうな川がある。
どうやって川を渡るのかと思って調査隊を見ると、川の水を採取
していた。
整備士らしき人たちは各車両の車高を上げたり、地図作製機と化
した精霊人機が出力した周辺地図を紙に書きだしたりしている。
ベイジルが俺たちのところへやってきた。
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﹁思った以上に川が深いので、渡れるところを探しながら上流へ向
かう事になります。ここの調査が済むまでは休んでいてくださって
結構ですよ。お昼など一緒にどうですか?﹂
﹁いえ、私たちは自分で作れるので﹂
ベイジルの誘いをミツキが断る。
ベイジルと話していると調査隊の面々から嫌な視線が注がれるの
だ。一緒に食事なんかして毒でも盛られたら堪らない。
残念ですね。と呟いて、ベイジルが整備車両に戻って行く。
お昼の準備を始めながら、調査隊の動きを見る。
水質調査の結果が出るまで手持無沙汰になった調査員が、食事を
準備するメンバーに数人加わっている。新兵はいないらしく、全員
がきっちり働いていた。
調査隊を眺めていた俺の視界が突然塞がられる。やわらかい手の
感触がした。
﹁だーれだ﹂
﹁二次元胸族﹂
﹁ヨウ君との関係に期待が持てれば胸が膨らむかもしれないよ。さ
ぁ、わたしが期待に胸ふくらませるような何かを言ってみて﹂
無茶振りされた。
﹁帰ったらデートでもするか。しばらく二人きりの時間も取れなか
ったし﹂
デュラの偵察からマッカシー山砦、更には防衛拠点ボルスへのキ
ャラバン護衛と続いたため、二人でのんびり過ごす時間がなかった。
それを思い出して提案してみると、ミツキのお気に召したらしい。
499
俺の目を覆っていたミツキの手が離れ、後ろから抱きつくように
首に回される。後頭部に厚手の服の感触。これは胸の位置なのか腹
の位置なのか。
﹁いいね、二人きりの時間。一日中、部屋の中でゴロゴロしたいよ
ね。立ったり、座ったりしている時間よりも横になっている時間の
方が長いくらい自堕落な一日を過ごしましょ﹂
﹁おい、待て。デートって言っただろうが。なんで部屋の中で過ご
すんだよ、引き籠り﹂
﹁家の中でもデートは出来るよ。本を読みましょ。ほら、そのなん
ちゃらの歴史って本を読んで、タイムトラベルとか﹂
ミツキが指差すのはもちろん防衛拠点ボルスの歴史と題された小
冊子だ。
﹁こんな血なまぐさい過去にタイムトラベルしたくねぇよ。人と魔
物の死骸が転がる散歩道なんて間違ってもデートスポットじゃねぇ
だろうが﹂
二人でわいわい騒ぎながらお昼を食べていると、視線を感じた。
顔を向けてみると、眉を寄せて険しい顔をした調査隊の面々が一
斉に視線を逸らす。
気を使って日本語でやり取りしていたのに、わざわざ聞き耳を立
てるようなまねでもしたのだろうか。どの道、理解はできなかった
ろうけど。
﹁ヨウ君、あいつらの事なんて放っておきなよ﹂
﹁そうだな﹂
ミツキに言われて、俺は調査隊を意識から外した。
500
第四話 いつもの事
上流に進んで川を渡り、この湿地を形成する原因の一つである湧
水を垂れ流している崖に差し掛かる。
数段に渡って高さ三十メートルほどの高さに達する崖から流れ落
ちる湧水は、水量次第では立派な滝になっていた事だろう。痩せた
木がまばらに生える湿地の中にあって、崖の上だけは幹の太い立派
な木が生えて森を形成していた。
精霊人機や車両でこの崖を登るのは無理だろう。もしも越えるこ
とができれば、大幅な移動時間の短縮が望めたのだが⋮⋮。
俺は霧にかすんで見えない崖の先に目を凝らす。多分、三キロく
らいはこの崖が続いている。
﹁今日はこの辺りで野営にしましょう﹂
ベイジルが整備車両の拡声器で指示を出してくる。
俺はミツキと手分けして手早く野営の準備を整える。
夕食の準備をしようとしたところで、テントの設営を終えたベイ
ジルに呼ばれて顔を上げる。
調査隊のいたって非友好的な視線を背景に俺たちに声をかけたベ
イジルだったが、今日一日の俺とミツキに対するベイジルの態度に
業を煮やしたらしい調査隊の一人が割って入った。
﹁ベイジルさん、いい加減にこんな胡散臭い連中と仲良くしようと
すんのやめてください。きっと、精霊人機に乗れないからって僻ん
でこんな気持ち悪い物を作ったんですよ。ようは落ちこぼれです。
たった二人で活動してるのもおかしいでしょう。人格に問題がある
からどこの開拓団も受け入れなかったんです。雇ったからって必要
501
以上に面倒を見る必要はないんですって!﹂
割って入った調査隊員は整備士の一人だ。くすんだ金髪を揺らし
ながらベイジルを止めている。
ベイジルたちには知る由もない事だが、整備士君の言葉はすべて、
当たらずしも遠からずと言った所だ。おおむね正しい。
開拓学校の入学試験で未だかつて前例がないほどに適正なしの偉
業を打ち立て、人とのかかわりを避けたいから二人で活動している。
もちろん、わざわざ整備士君の論を補強してやる義理もないので
口にはしない。
ベイジルが整備士君の両肩に手を置いて、優しい声音で諭す。
﹁決めつけてはいけないよ。マッカシー山砦からここまでキャラバ
ンを護衛してくれたのは彼らなんだ。貴重な物資を、ヘケトの群れ
に囲まれながらも守り抜いて届けてくれた﹂
﹁それはマッカシー山砦から派遣された護衛隊の仕事ぶりを評価す
るべきでしょう。あいつらは足を引っ張って精霊人機が二機も大破
する原因を作ったって聞いてますよ!?﹂
整備士君が聞きかじった噂で的外れな反論をしている。
護衛隊長や整備士長辺りが噂をばら撒いたのだろう。リンデも関
わっていそうだ。
整備士君は畳みかけるように俺たちを指差す。
﹁今回の調査でもこいつらに足を引っ張られるかもしれないんです
よ。それもこんな防衛拠点から離れた場所じゃ援軍だって期待でき
ない!﹂
彼らの騒ぎをまるっと無視して、ミツキがパンを切って皿に盛り、
小瓶を三つ取り出した。
502
﹁チャツネを作ってみました。結構自信作だよ。まずはパンにつけ
て食べてみて﹂
﹁あぁ、昨日、先に部屋へ帰ったと思ったらそれを作ってたのか。
でも、俺が部屋に帰った時は匂いがしなかったな﹂
﹁換気しておくと案外気付かれないものだね﹂
ほのぼのと食事を始めようとしていると、ベイジルとくすんだ金
髪整備士君がやって来る。
どうやら、ベイジルに叱られたらしく、整備士君はかなり不満顔
だ。
﹁隣で騒ぎが起こっても平然と食事を始めようとするような協調性
のなさですよ。こいつら絶対おかしいですって﹂
﹁こらこら、失礼だろう。もとはと言えば君の無神経な発言が騒ぎ
の発端なのだから、これ以上恥を重ねるのはよしなさい。さぁ、二
人に謝るんだ﹂
ベイジルは和やかな笑みを浮かべながら整備士君を促す。
整備士君はベイジルに逆らえないのか、悔しそうな顔をしながら
も頭を下げた。
﹁部下が失礼をしました﹂
そう言って、ベイジルも整備士君の隣で頭を下げる。
ベイジルが頭を下げたことに驚いたのは成り行きを窺っていた調
査隊の面々だ。
﹁︱︱ベイジルさん!?﹂
﹁ベイジルさんまでそんな奴らに頭を下げないでくださいよ!﹂
503
後ろにいた調査隊の面々が次々に口を開き、ベイジルに頭を上げ
させようとする。
ミツキが﹁うわぁ﹂と小さく呟いた。俺も同じ気持ちだ。
俺はベイジルと整備士君の頭越しに調査隊の面々に声を掛ける。
﹁あんた達まで失礼なことを言ったら、ベイジルはいつまでも頭を
上げられないだろうが。援護は味方に当たらないようにしろって上
官に教わらなかったのか?﹂
調査隊の面々が悔しそうに口を閉じて俺を睨む。それでいいんだ
よ、と笑顔で手を振っておいた。
調査隊の連中はさておき、俺はベイジルに向き直る。
﹁頭を上げてください。こっちは気にしてないので﹂
元からこうなるだろうことは目に見えていた。
いまさらこの程度で気を悪くしたりはしない。いつもの事だし、
これからも同じだろう。
﹁それより、何か用があったのでは?﹂
水を向けると、ベイジルがやっと頭を上げた。
ベイジルはディアの角に渡した木板の簡易テーブルとその上の料
理を見て、整備車両を手で示した。
﹁一緒に食事でもどうでしょうか。開拓者の話を久しぶりに聞いて
みたいと思いましてね﹂
﹁俺たちからは開拓者の話なんて聞けませんよ。そっちの整備士君
が言う通り、たった二人で活動していますし、同業からもあまり快
504
く思われてないですからね。ボルスに帰ったらギルドを訪ねてみて
はいかがですか?﹂
﹁困ったことになかなか時間が作れないからね。この機会を逃すま
いと思ったのだけれど、無理にとは言わないよ﹂
あっさりと引くような気配を見せながら、ベイジルはミツキの作
ったチャツネを指差す。
﹁ジャムとは違うようだね。いい香りだ﹂
リンゴをベースに玉ねぎのみじん切りを入れて香辛料を利かせた
リンゴチャツネをベイジルは珍しそうに見つめている。
ミツキがさっさとチャツネの小瓶に蓋をした。
驚いた顔をするベイジルの隣で整備士君がむっとした顔で口を開
く。
﹁なんだ、その態度は﹂
﹁ヨウ君に食べてもらう前に香りが飛ぶのは嫌なんです。それより、
用件が済んだのなら早く車両へ戻ってください﹂
暗にチャツネを食べさせる気はないというミツキに整備士君の顔
がさらに怒りに染まる。
しかし、ベイジルがにこやかな笑みを浮かべて整備士君の肩を叩
いて黙らせた。
﹁いいんだよ。食事の邪魔をして悪かったね﹂
ベイジルは整備士君の背中を押して車両へ戻って行く。
二人の姿を見送って、俺はディアの背に腰掛けて食事を再開した。
しかし、ミツキがチャツネの小瓶を片付け始めた。
505
俺の視線に気付いたのか、ミツキは唇を尖らせ、日本語で呟く。
﹁この流れでヨウ君にチャツネは食べさせられないでしょ﹂
﹁いや、良く分からないんだけど﹂
﹁分からないなら分からないでもいいよ。とにかく嫌なの。いま何
か作るからちょっと待ってて﹂
﹁手伝うよ﹂
ディアの背から降りて、俺もミツキと並んで料理を始める。
作業を分担しながら進めていると、また視線を感じた。
うんざりしながら目を向けると、調査隊の連中がこちらの様子を
窺っている。
ベイジルだけはにこやかに俺たちの共同作業を眺めていた。
﹁あのベイジルって人、何を考えてるのかいまいち分からないな﹂
﹁私は嫌いだな、あの人﹂
ストレートに嫌いと言ったミツキが珍しくて、俺は思わず二度見
する。
ミツキは肩を竦めた。
﹁気付かない? あの人、誰かと仲良くしようとか欠片も思ってな
いよ。誰とも衝突しないように、としか考えてない﹂
﹁ちょっと違うだろ。誰とも衝突しないように、じゃなくて、誰か
が衝突しないようにしてるんだ﹂
その誰かの中にベイジル自身も含まれているようだが、どちらに
せよ一歩引いてる点では変わらない。
﹁ヨウ君も気付いてたんだね﹂
506
﹁同じ穴のムジナだからな﹂
﹁ヨウ君もベイジルも、同じ穴に居たら我慢できずに出ていきそう
だけどね﹂
確かに、居たたまれなくなって出ていくだろうな。
﹁でも、ヨウ君はベイジルと少し違う気がするかな﹂
ミツキが燻製肉をスライスしながら俺の言葉を否定する。
どう違うのかと思って先を促すと、ミツキはスライスした燻製肉
でマッシュポテトを包みバジルに似た香りのする胡椒くらいの大き
さの実を砕き始める。その間、ずっと考えをまとめているようだっ
た。
﹁宿に来た時にベイジルが言ってた、誰かに嫌悪感を向けることが
許される人間じゃないって話。多分、あの話がベイジルの態度の根
幹にある考え方なんだと思うの。自分を卑下して他の人間をより上
位の人間として考えているから、衝突を避けている⋮⋮のかな?﹂
ミツキは後半で自信がなくなったのか、小首をかしげる。
だが、ミツキが言いたいことは分かった。
ミツキの考えを踏まえて、俺は再度考えて答えを導く。
﹁衝突を避けているんじゃなくて、誰かが誰かを蔑んだりしないよ
う注意してるのかもしれないな﹂
﹁あぁ、衝突を避けているように見えるのはただの副産物って事ね。
うん、納得﹂
俺自身はまだ何かが違うような気もしたが、その違いを見つけた
からと言って何かが変わるわけでもない。
507
こんな依頼はさっさと終わらせて、拠点の港町に戻ってミツキと
デートする方がはるかに重要だ。
俺の考えを見透かしたように、ミツキがほほ笑む。
﹁私はどこに居ても楽しいよ?﹂
あざとい。
﹁二人っきりなら家の中でも楽しいよ?﹂
自堕落あざとい。なんだこれ、新ジャンルか。
ミツキと話しているとズルズルと俺まで引きこもりの世界に埋没
していきそうだった。それでもいいかな、とか思っている自分がち
ょっと怖い。
ミツキが作った料理を皿に盛りつけ、俺は鍋を水魔術で洗う。
ディアの背に再び腰かけると、ミツキが自信なさそうな顔で上目
づかいに俺を見た。
﹁チャツネと違って少し自信ないけど、熱いうちに食べてね﹂
ミツキは自信がないなどと言っているが、実際はかなり美味しい。
燻製肉の香りが染みついたマッシュポテトは噛むたびにバジルっ
ぽい香りが追いかけてきて口いっぱいに広がる。ふわりとしたマッ
シュポテトの食感の中に細かく切ったカリカリのベーコンがアクセ
ントになっていた。燻製肉の塩気もいい具合にマッシュポテトにマ
ッチしている。
﹁やっぱりミツキの料理はおいしいな﹂
ミツキが機嫌よさそうに笑って簡易テーブルに両肘を突き、両手
508
に可愛らしい曲線を描く顎を乗せた。
﹁一日中家の中にいれば、もっと手の込んだ美味しい料理を食べさ
せてあげるよ﹂
﹁餌付けしようとすんな﹂
俺は放浪癖のある野良猫か何かか。
ミツキはわざとらしく﹁ちぇっ﹂などと舌打ちする。
舌打ちを耳ざとく聞きつけたのか、調査隊の何人かがこちらを見
た顔を顰めた。
こんなに不愉快な思いをするくらいなら、一日家の中デートもあ
りかもしれない⋮⋮待て、騙されるな。これは錯覚だ。
心を静めて、俺は夕食を再開した。
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第五話 人への忌避感
リットン湖に到着したのは防衛拠点ボルスを出発した二日後の昼
だった。
川の渡れる場所が判明しているため、帰りは多少時間の短縮がで
きる見通しだが、調査に割ける時間が短い事に変わりはない。
急ピッチでリットン湖の水質の調査や周辺の地図作成が始まった。
リットン湖は対岸が霞んで見えるほど巨大な湖で、二日間ではと
ても全体像を把握できない。今日のところは一部地域のみを調査し
て、周辺の魔物の種類などを調べた上で武装を整え、本格的な次回
以降の調査に生かすらしい。
俺は対物狙撃銃のスコープを覗き込んで対岸を眺める。
俺たちのいる防衛拠点ボルス側は湿地帯だが、対岸は崖と岩場で
構成されているようだ。湿地帯との境は俺から見て左側、しかし右
側を見ると林があった。
リットン湖は湿地と崖や岩場、林の三つで周辺の地形が構成され
ているらしい。
今回は湿地帯から林まで向かう予定だから、ディアやパンサーは
整備と同時に足回りの調整が必要になるだろう。調査隊の精霊人機
や車両も同様だ。
﹁地図の作成、終わりました。いつでも移動できます﹂
マッピングの魔術式を搭載した雷槍隊の副隊長機から操縦士が下
りてきてベイジルに報告する。
ワステード司令官直属の専用機部隊である雷槍隊よりもベイジル
の立場が上らしい。副隊長自身、ベイジルに従う事に何の躊躇もな
い様子だった。通常、専用機部隊のそれも副隊長となれば実質的に
510
その軍事拠点のナンバースリーに相当し、上には緊急時に拠点全体
の指揮を取る副司令官と直属の上司である司令官しかいない。
司令部にキャラバン護衛時のヘケト襲撃に関する報告をしに行っ
たときにも見た副司令官はベイジルとは別人だ。
﹁ベイジルは特殊な立場みたいだな﹂
﹁生ける伝説だからでしょう﹂
ミツキが興味なさそうに返事をして、パンサーの上に寝そべる。
﹁副隊長の名前ってなんだっけ? サラブレッドさんだっけ?﹂
﹁ブレッドファーとかなんか、そんな感じの名前だった気がする﹂
俺もあまり自信が持てない。
﹁それがどうかしたのか?﹂
﹁サラブレッドさんの機体、足回りに泥が入り込んでるよ。関節が
ギチギチ言ってる﹂
ミツキの指摘を受けて、俺はブレッドファーの機体を見る。足回
りは清掃してあるらしく、泥はねは微々たるものだ。おそらく、関
節内の洗浄をしていないのだろう。
﹁洗浄液も潤沢にあるわけじゃないから、浪費しない様にしてるん
じゃないか?﹂
﹁兵器の整備を怠るなんて死にたいとしか思えないけど、まぁ、軍
人さんがそう判断したならそれでいいかな﹂
﹁いいんじゃねぇの﹂
俺も投げやりに返して欠伸を噛み殺す。
511
極論を言えば、俺たちが巻き込まれない限り調査隊の面々がどれ
ほど杜撰な仕事をしたって構わない。調査結果にまで俺たちの責任
はないしな。
ベイジルさんが俺たちの下に歩いてくる。右にはブレッドファー、
左にはくすんだ金髪の整備士君を連れていた。
﹁一仕事、お頼みしてもかまわないかな?﹂
﹁なんですか?﹂
﹁周辺に小型魔物がいれば狩ってきてもらいたくてね。できるだけ
綺麗な死体が欲しい。胃の内容物なども調べないといけないから、
首筋に一撃で仕留めてくれると嬉しいね﹂
﹁中型はどうしますか?﹂
ディアの設定を弄って索敵魔術を使用、周辺の魔物を探しながら
問いかける。
ベイジルは一瞬目を瞬いた後、合点が入ったように頷いた。
﹁そう言えば、二人で中型魔物も仕留める凄腕だったね﹂
﹁⋮⋮できっこないですよ、こんな奴らに﹂
整備士君がボソッと口を挟む。煽ってる様子もないから、単なる
独り言だろう。口のねじを締め直すことをお勧めするよ、整備士君。
右ポケットのドライバーは飾りかな?
だが、整備士君の言葉に反応したのは意外にもブレッドファーの
方だった。
﹁ヘケトの群れをかき乱しながら森を走り回って二十体近く殺して
回った二人だぞ。中型相手の戦闘力なら並みの操縦士が扱う精霊人
機以上だ。俺が森の中で死骸を確認してる﹂
﹁あれ、もしかしてキャラバンを助けに来てくれた雷槍隊の人?﹂
512
﹁いまさら気付いたのか?﹂
えぇ、いまさら気付きました。
だって、あんた、ずっと精霊人機に乗ってたじゃん。
聞けば、キャラバンを助けに来てくれた三機の精霊人機のうちの
一機、指揮を取っていた操縦士がブレッドファーらしい。
﹁その節はお世話になりました﹂
﹁よく言う。お前ら二人だけならその気持ちわる⋮⋮ソレに乗って
いくらでも逃げ切れただろう﹂
直前で言い直すくらいの分別はあるらしい。ベイジルがにこやか
な笑みをブレッドファーに向けたことも思い直した理由だろうけど、
結果オーライだ。
一人で否定することになった整備士君が面白くなさそうな顔でそ
っぽを向いている。いまどんな気持ち?
整備士君をからかっても得る物はないので、俺は話を戻して質問
の答えをベイジルに促す。
ベイジルは忙しく働いている調査隊を振り返ってから、首を横に
振った。
﹁中型魔物は無視して、小型魔物を三体仕留めてきてほしい。同種
の魔物を三体だよ﹂
﹁了解です﹂
索敵魔術の反応を確かめてから、俺は自動拳銃を太もものホルス
ターから抜いた。小型魔物を相手に対物狙撃銃を使うと、最悪の場
合原形を留めないから、今回は自動拳銃を使う方が良い。
ディアの頭を湿地帯に向けて、ミツキと目配せし合ってから加速
する。
513
調査隊が豆粒大に見えるくらい離れた頃、ミツキのパンサーが唸
った。
ミツキが進行方向に目を凝らす。
﹁正面にいるね﹂
ミツキの言う通り、正面五百メートルほど先の沼でゴブリンが水
を飲んでいた。
まだこちらに気付いていないゴブリンにミツキを乗せたパンサー
が飛び掛かり、押し倒す。
驚き暴れるゴブリンは鋼鉄のヒョウの前足に押さえつけられてま
ともに抵抗もできないまま、ミツキの狙い澄ました銃弾に喉を貫か
れて絶命した。
﹁まずは一匹﹂
パンサーが口でゴブリンの死骸を咥える。
すぐに調査隊のいる場所へ取って返してゴブリンの死骸を届け、
次の獲物を探しに出た。
防衛拠点ボルスからこのリットン湖までほとんど魔物を見かけな
かったから魔物を発見できるか心配していたのだが、密度が低いだ
けで魔物自体は生息しているらしい。
索敵魔術が無ければ苦戦しただろうが、精霊獣機の機動力と魔術
の索敵範囲と精密さのおかげで見逃すこともなく獲物を狩っていく。
人型の魔物ゴブリンと、十歳くらいの子供と同じサイズのエビ型
魔物アップルシュリンプが湿地に生息している小型魔物だ。アップ
ルシュリンプを持って調査隊に戻ると何故か喜ばれた。
﹁リンゴに似た仄かな香りと酸味を有しながら上質で濃厚なエビの
旨味を持ち、身はプリプリと弾けるような弾力が茹でても一切失わ
514
れない。ジビエ料理の高級食材なんですよ﹂
とは、ベイジルの言である。
ちなみに、毒があるのできちんと処理しないと二日間は嘔吐で苦
しむそうだ。最悪の場合脱水症状を起こす。
解剖され始めているゴブリンをちらりと見たミツキが呟く。
﹁もしかして、さっきふらふらしてた顔色の悪いゴブリンって⋮⋮﹂
﹁まぁ、同じ場所に生息する魔物ならそういう事もあるだろ﹂
ミツキの予想を証明するように解剖中のゴブリンの胃からアップ
ルシュリンプの殻が出てきた。殻ごと丸かじりしたらしい。
日が暮れた頃になって水質調査その他の簡単な調査を済ませて、
野営に移る。
調査隊のテントから少し離れた場所で野営の準備をしていると、
ブレッドファーがやってきた。
﹁二人がとってきたアップルシュリンプの身だ。毒抜きも済ませて
ある﹂
そう言って、木皿に乗せた白くはじけるようなプリプリの身を差
し出してきた。
俺はミツキと顔を見合わせて、首を横に振る。
﹁いらないのでそちらで処理してください﹂
﹁魔物料理は嫌いか?﹂
どちらかと言えば好きだ。某ジビエ料理屋の影響で。
だが、万が一が怖いのはもちろん、調査隊を信用しきれないのが
大きい。毒を盛るとは考えたくないが、整備士君の態度などを思い
515
出すと用心に越したことはない。
正直に答えると、ブレッドファーは頭を掻いた。
﹁まぁ、気持ちはわかる。そういう事ならこの皿はこちらで処理し
よう﹂
ブレッドファーが諦めて調査隊の野営地に戻って行く。
俺はミツキと一緒に作った貝柱と根菜とリンゴチャツネを混ぜ合
わせたソースを絡めたペンネを食べる。
燻製肉よりはマシだろうと思って干した貝柱を水で戻して加えて
みたが、リンゴチャツネとの相性が良いんだか悪いんだかわからな
い事になっていた。
チャツネに残っているリンゴの繊維の舌触りと貝柱の相性は最悪
で、リンゴの風味も悪い方向に作用している。だが、チャツネに加
えてある各種香辛料は貝柱の旨味を引き立てていて、香辛料独特の
辛みでリンゴの甘みを強調しつつ貝柱の旨味との橋渡しをしている。
評価に困る味だった。
ミツキも困った顔でペンネをソースの上で転がしている。
﹁何も言わないで、自分でもわかってるの﹂
ミツキが若干の悔しさを滲ませた声で言う。
アップルシュリンプの料理で盛り上がっている調査隊の野営地を
盗み見たミツキは少し頬を膨らませた。
﹁次は負けない﹂
﹁何と戦ってるんだ﹂
苦笑した時、こちらに近付いてくる足音が聞こえてきて、俺は野
営地を見る。
516
性懲りもなくベイジルが俺たちに近付こうとして整備士君に止め
られていた。距離があるのでここまで会話は聞こえてこないが、ま
たもや揉めているようだ。
困ったように笑いながら、ベイジルは整備士君の肩を軽く叩いて
また歩き出す。もちろん、俺たちの下へだ。
ミツキが警戒するように身構え、立ち上がる。
﹁何かご用ですか?﹂
言葉だけは丁寧に、しかし用がないならさっさと帰れという気持
ちが滲んだ排他的な調子でミツキがベイジルに声を掛ける。
ベイジルはケンカ腰で何かを言おうとした整備士君の前に手を突
き出して止め、愛想の良い笑みを浮かべて口を開く。
﹁一緒に食事をどうでしょうか。せっかくお二人がとってきたアッ
プルシュリンプです。みんなで味わおうでありませんか。自分たち
と一緒ならば心配もないのではありませんか?﹂
確かに、調査隊と同じ皿の品を食べる分には意図的な毒の混入を
警戒する必要は低くなる。
だが、ベイジルたちと机を囲むこと自体に拒否感がある俺にとっ
て、毒を盛られているのと大して違いを感じない。
﹁お断りします。そこの整備士君みたいな人ばかりなのに、食事が
おいしいはずがありません﹂
ミツキが整備士君を見もせずに拒絶する。
ベイジルは整備士君を見た。
﹁そうですか。残念ですね⋮⋮では、こうしましょう。自分とあな
517
た方二人の三人で食事をどうでしょうか?﹂
﹁︱︱ベイジルさん! 本当にいい加減にしてくださいよ!﹂
整備士君が怒鳴る。
俺は整備士君に、思わずナイスフォローと喝采を上げたくなった。
ミツキが口の端をわずかに吊り上げながら整備士君を指差す。
﹁三人で食事、素敵なご提案ですけど、こんな人もいるのに和やか
な食事会ができますか?﹂
無理ですよね、と付け加えてミツキはディアの角を利用した簡易
テーブルを振り返る。
﹁それに、私たちはもう食べ始めてます。ベイジルさんのご提案は
今回もご遠慮します﹂
今回は、ではなく今回も、と含みを持たせて断ってから、ミツキ
は俺を見る。ダメ押しをしろという事らしい。
﹁俺はミツキと作った料理を食べていたいので、食事会はお断りし
ます﹂
じろじろと嫌悪の視線を向けられながら得体のしれない料理を食
べる事と、ミツキと作った料理を二人で楽しく食べる事、比べられ
るはずもないし選ぶまでもない。
明確な拒絶を感じ取ったか、ベイジルは肩は落としながらも当た
り障りのない笑みを浮かべる。
﹁そうですか。それは残念だ﹂
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そう言って、調査隊のテントに戻るかと思えば、ベイジルは隣の
整備士君の肩を叩いてテントを指差して見せる。
﹁先に戻っていなさい﹂
整備士君は何を言われたのか分からないとでもいうように一瞬き
ょとんとした後、慌てて口を開く。
﹁馬鹿なことを言わないでくださいよ。こんな奴らのいるところに
ベイジルさん一人残して戻れるはずないでしょう!?﹂
整備士君の反論を聞き流して、ベイジルさんはもう一度、今度は
有無を言わせぬ口調で言う。
﹁先に戻っていなさい﹂
整備士君は言葉に詰まると、俺を睨んだ。俺のせいじゃないと思
うのだが、それで気が済むなら好きにしろ。
整備士君はテントに向かって歩きながら、何度も振り返ってベイ
ジルを見る。保護動物を野生に返す映像が脳裏に浮かんでくる、哀
愁漂う姿だ。
ベイジルは整備士君が十分離れたのを確認すると、俺たちに向き
直る。
﹁この間のマッカシー山砦からの護衛で責任を押し付けた件、同じ
軍人として謝罪します。ですからどうか、仲良くしてはいただけま
せんか?﹂
﹁別に最初から怒ってませんよ。もう愛想が尽きたというだけの話
です。仲良くするのは無理ですね。お互いにその気もないんですか
ら、諦めてください﹂
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ベイジルが頭を下げる前に言い返す。
ベイジルは﹁困ったなぁ﹂とのんびりした声で呟いた。
﹁怒りを向けられるより根が深いですね。これは弱りました⋮⋮﹂
いくら弱られても、こちらは何も思わない。
ミツキは興味も失せた様子で食事を再開した。俺も同じく食事を
再開し、ベイジルがテントに戻るのを待つことにする。
食事を再開した俺たちを見てベイジルが弱弱しい笑みを浮かべる。
それがとても、とても気持ち悪かった。
﹁︱︱無理に仲良くしようとするの、やめてもらえません?﹂
つい俺は口を滑らせ、内心舌打ちする。ミツキが上目づかいで俺
を見た。
﹁ヨウ君、無視した方が良いよ﹂
分かっている。理解もしている。だが、口を滑らせてしまった以
上、言い切ってしまわないと始末に悪い。
俺はため息を飲み込んで、口を開く。
﹁困っているのはベイジルだけでしょう。あなただけを困らせない
ように、俺たちや調査隊の全員に気持ちを押し殺して交流しろとい
うのはわがままですよ。仕事はきっちりこなしますが、それ以上を
する気はありません﹂
俺はフォークを置いてベイジルを睨む。
520
﹁ほとほと愛想が尽きたんです。これ以上誰かと関わってもこちら
が傷つくだけと分かっているのだから、距離を置く方が自分たちの
ためだと理解したんです。二度と近づかないでください﹂
力こめて言い切って、俺は調査隊のテントを指差す。ベイジルが
整備士君にやったのと同じだから、すぐに意味は伝わったようだ。
ベイジルはゆっくりと俺たちに背を向けて、テントへと帰って行
った。
ミツキが俺のフォークを手に取り、自分のフォークと合わせて調
査隊の方に向ける。
﹁ヤマアラシ、なんちゃって﹂
﹁笑えねぇよ、それ﹂
521
第六話 体調不良者
朝を迎え、調査隊はリットン湖の湖岸に沿って湿地帯から森へと
動き出した。
今日は丸一日調査に当てて、明日は午後に撤収の準備を整えるこ
とになっている。
今日のメインは生態調査だ。中型魔物も含めた全体の食物連鎖な
どを確認したいとの事だった。
朝から雷槍隊の精霊人機が三機とも起動しており、今は運搬車両
の荷台で片膝をついている。いわゆるアイドリング状態だ。
俺とミツキは調査隊に先行しながら小型や中型の魔物を捜索して
いた。調査するにしても、対象が居なくてはやれることが少ない。
パンサーに乗ったミツキがポーチから双眼鏡を取り出して周囲を
見回す。索敵の魔術はあるのだが、まだ朝も早い時間でもあり、魔
物が寝ている可能性もある。範囲内の動く物を検出する索敵魔術で
は寝ている魔物を発見しにくい。
﹁だいぶ風通しが良くなったね。昨日の一件が効いたのかな?﹂
ミツキがくすくすと上機嫌に笑いながらそんなことを言う。
朝から、正確には昨日の夕食時から、俺たちと調査隊の間には一
線が引かれていた。もちろん物理的なものではなく、精神的なもの
だ。
ベイジルは俺たちと関わり合いになる事を諦めたらしく、昨日の
夕食から仕事以外の用事で話しかけてこない。
調査隊も変化に気付き、歓迎しているようだった。
不満に感じているのはベイジルただ一人だろう。それを汲み取る
つもりは全くないけれど。
522
﹁ヨウ君も引き籠りが板についてきたね﹂
ミツキがパンサーの頭に両肘を乗せて前かがみになりつつ、俺を
双眼鏡でのぞき込む。
﹁双眼鏡って正面から見ると結構間抜けな絵面になるな﹂
﹁またそうやって誤魔化す。別に悪い事じゃないでしょ。私がいる
んだから﹂
﹁言っておくけど、一日中家の中で引き籠りデートはやらないから
な﹂
﹁なら引きずり込んでデートするよ﹂
アリジゴクかよ。
突っ込みを入れようとしたその時、ディアが鳴き声を上げる。
素早く視線を巡らせて、湿地の中で不自然な形の岩を見つけた。
円錐状のソレをスコープで覗き込む。
﹁ルェシか﹂
タニシ型の中型魔物だ。動きは遅いが頑丈な殻を持つ。分泌する
粘液は強力な接着剤の役割を果たし、通りがかった獲物や殻の内側
の本体に攻撃を加えようとした者の動きを奪ってゆっくり捕食する。
飛び道具で仕留める分には何ら問題のない相手だ。
ミツキに周囲の警戒を頼んで、俺は対物狙撃銃で殻の中から出て
きたルェシの頭を狙う。
殻の下のわずかな隙間から出ているルェシの頭は湿地の雑草に隠
れて狙いを定めにくい。
俺はディアの首の半ばにあるボタンを押して照準誘導の魔術式を
起動する。
523
ディアの首が自動で動いて、対物狙撃銃の照準をルェシの頭に誘
導してくれた。
引き金を引くと、射線上にある草葉を数枚貫通してルェシの頭に
命中する。
ルェシの頭が吹き飛ぶが、生命力が強いのかまだ絶命する様子が
ない。ゆっくりと身が殻の内側へ収縮し、硬そうな蓋で入り口が閉
じられた。
しばらく観察していると、力が抜けていくように蓋と入口の間に
隙間ができ始め、中身がだらしなく伸び出てくる。
﹁死んだみたいだな﹂
俺は調査隊に合図を送り、ルェシを回収してもらう。
精霊人機がルェシの殻を横倒しにして、金属製のフックをルェシ
の身に食い込ませると一気に引き抜いた。
なかなかにグロテスクだったので目をそむけ、次の獲物を探す。
昨日のゴブリンの胃から検出された物から判断すると、カエル型
の中型魔物であるヘケトやザリガニ型の中型魔物ブレイククレイな
どもこの辺りには生息しているとされている。
今日のうちにどれも三体ずつ倒して湿地帯に住む魔物の調査を終
えたいところだ。
こんな時ばかり考えが合うらしく、調査隊の方から早く中型魔物
を探してきてくれと頼まれた。
﹁死骸の運搬はこちらで行うので、魔物を倒したら合図を送ってく
ださい。数が多すぎて手が付けられない場合も合図をお願いします﹂
信じられない事に、くすんだ金髪の整備士君が丁寧語を使ってお
願いしてきた。
ベイジルとの距離が開いたため、整備士君も俺たちを警戒する必
524
要が薄くなったのだろう。一応の仕事仲間だから仕事の領分を超え
ない限り私情を挟まないつもりらしい。
公私を混同しているベイジルとは正反対だが、やりやすいのも事
実だ。
﹁了解です。見つからなくても定期的に戻って来ます﹂
﹁そうしてください。この調査を終えたらすぐに移動しないといけ
ないので﹂
森まで遠いですからね、と付け加えて整備士君は調査隊の方へ戻
って行った。
俺はディアを進ませつつ、ミツキに声を掛ける。
﹁とりあえず、湖岸に沿って探そう。水生生物の特徴を持った魔物
ばかりだから、水辺からそう離れられないだろ﹂
﹁そうね。未だに魔物の密度は低いし、当たりをつけて調べた方が
よさそう﹂
ミツキを乗せたパンサーにディアを並走させて、湖岸に沿って走
る。
調査隊からあまり離れた場所で仕留めても、調査隊が死骸を回収
する前に腹を空かせた魔物が寄ってくる可能性があるため、ある程
度進んでから湖岸を離れる進路を取る。
しばらくして見つけた、生存競争真っ只中のルェシとヘケトを遠
距離からしとめて漁夫の利を得る。
調査隊に合図を送ると、雷槍隊の精霊人機が一機、こちらに走っ
て来た。
﹁さすがに仕事が早いな﹂
525
雷槍隊の副隊長ブレッドファーが拡声器越しに俺たちの仕事ぶり
を評価する。
ヘケトとルェシの死骸を両手で持って、ブレッドファーは精霊人
機を調査隊の方へ向けた。
﹁二人も戻ってくれ。数が多すぎて捌くのに時間がかかるから、そ
の間は休むといい﹂
﹁分かりました﹂
ブレッドファーの勧めに従って調査隊に戻る。精霊人機が持つ二
つの死骸を見た調査隊の面々は整備士まで駆り出して解剖を始めた。
精霊人機から降りて外の空気を吸おうとしたブレッドファーが、
解体中の死骸から漂う血なまぐささに辟易した顔をする。
ブレッドファーの気を紛らわせるためでもないが、俺は精霊人機
の肩に立つ彼を見上げて声をかけた。
﹁足の調子はどうですか?﹂
﹁足?﹂
不思議そうに俺へ聞き返したブレッドファーが自らの足を見下ろ
す。
だが、俺が聞きたいのは彼自身の体調の事ではなく、精霊人機の
足回りに関してだ。
﹁精霊人機の足関節がギチギチ言っているので、大丈夫なのかなと﹂
﹁⋮⋮本当か?﹂
どうやら操縦士であるブレッドファーには聞こえていなかったら
しい。
比較的近くで精霊獣機に乗っていた俺も、昨日ミツキに指摘され
526
るまで気付かなかったくらいだ。コックピットの中にいるブレッド
ファーに聞こえなくても無理はない。昨日からしている異音ではあ
るが、今日のそれは明らかに昨日よりも大きくなっていた。
﹁誰か、足回りのチェックを頼む﹂
比較的近くにいた整備士君にブレッドファーが精霊人機の肩の上
から声をかける。
整備士君が精霊人機に駆け寄るのと入れ違いに、俺はその場を離
れた。
ミツキがパンサーの背中の上でだらけながら、俺を横目に見る。
﹁放っておくんじゃなかったの?﹂
﹁死骸の運搬中に倒れたら、俺たちまで足止めを食らうだろ﹂
あのまま放っておくと俺たちが巻き込まれる。だから口を挟んだ。
案の定、精霊人機の足関節に泥が入り込んでいたらしく、洗浄が
必要と判明した。
魔物の解剖が続けられる中、精霊人機まで解剖されるわけだ。早
期に発見したため部品交換は必要ないとの事で、時間はあまりかか
らないらしい。
次の指示があるまでのんびりと待っていると、整備士君が駆け寄
ってきた。
﹁ちょっと質問したいんですが、いいですか?﹂
﹁答えられることなら﹂
整備士君は俺のディアの足を指差す。
﹁洗浄してます?﹂
527
﹁森に入ったら洗浄しようと思ってます。洗浄液もそんなに持って
きていないので﹂
車両と比べるとどうしても積載量に限界がある。一週間の野営準
備となると食料品もかなりの量に上り、どうしても予備部品などを
厳選せざるを得なくなるのだ。
整備士君は少し考えた後、整備士車両を振り返る。
﹁洗浄液を少し融通しましょう﹂
﹁いらないです﹂
整備士君が一瞬硬直して不機嫌になる。だが、いままでの言動を
振り返ったのか、すぐに落ち着いたようだ。
﹁勘違いしないでください。こちらの整備不良を発見してくれた借
りを返すだけです﹂
ツンデレっぽく聞こえない事もないセリフを口にした整備士君に、
ミツキが顔を背けて笑いをこらえた。
気持ちは分かる。
俺は整備士君の誤解を解くため、ディアの足を指差す。
﹁文字通り、洗浄液はいらないんですよ。遊離装甲の魔術式を大幅
に弄って、足周辺に薄い魔力の膜を張ってるんです。その膜で泥が
内部に入り込みにくくなってるんですよ﹂
整備士君が怪訝な顔をする。
実際に魔術式を組み立てたミツキに説明してもらおうと思ったの
だが、まだ笑いの波を堪えていた。アカタタワシさん以来の笑いの
ツボだったらしい。
528
仕方なく、俺から説明する。
﹁スケルトン種の魔物に布を被せると一定の距離を保って浮きます
よね﹂
﹁遊離装甲の元になった魔術ですね﹂
整備士だけあって精霊人機の開発史もしっかり頭に入っているら
しい。
俺は整備士君の答えに頷いて、続ける。
﹁あの魔術は単純に魔力を張るだけでなく、物理的な干渉を避ける
ためのものです。スケルトンが泥だらけにならないのも、この魔術
のおかげですよ﹂
﹁理屈は分かりますが、その精霊兵器の速度を考えると、泥もかな
りの勢いで跳んできますよね? 魔力の膜程度では防げないと思い
ますが⋮⋮﹂
防げたら遊離装甲を持つ精霊人機に泥が跳ねるはずもない。
ただ、ディアやパンサーに組み込まれているのは遊離装甲の魔術
式そのものではないのだ。
﹁遊離装甲は装甲を保持するための魔術なので、魔力の膜は流動し
ません。これはスケルトンも同じです。ですが、精霊獣機に組み込
んである魔術式は意図的に魔力の膜を外部に向けて流動させている
ので、跳ねた泥の勢いを削いで弾いてます﹂
噛み砕いた俺の説明に整備士君も合点が入ったのか、感心したよ
うに頷いた。
しかし、すぐに整備士らしい顔つきになって整備車両を振り返る。
529
﹁その魔術式、魔力の消費量はどれくらいですか?﹂
﹁精霊人機に応用するのは無理ですよ。遊離装甲の魔術式と干渉し
てしまいます。設定次第では両立もできるでしょうけど、魔力の消
費量は馬鹿にならないですね。機体全体の遊離装甲を絶えず移動さ
せているようなものだと考えてくれればわかりやすいですか?﹂
﹁あぁ、そりゃあ無理だわ﹂
砕けた口調で独り言を零し、整備士君は悔しそうな顔で整備車両
を見る。
精霊人機に比べてはるかに小型の精霊獣機だからこそ可能な荒業
だ。そんな俺たちでさえ、足回りにしか作用させていないほど、魔
力の消費量が馬鹿にならない。性質上、常時起動状態にせざるを得
ないのも痛い。
この湿地帯を抜けて森に入ったらすぐに停止させるような限定的
な状況下で使う魔術式だ。いくら専用機で書き込める魔術式の量が
多い雷槍隊機と言えども、この魔術式を組み込む余裕があるのなら
他にもっと有効な魔術式がいくらでもあるだろう。
たとえば、俺の開発した照準誘導の魔術式とかな。特許の出願が
まだだから公開されてないけど。
﹁なんかあったら言ってください。力になるので﹂
諦めた整備士君が整備車両に戻る。
整備士君を見送りながら、沸騰していた笑いを鎮めたミツキが日
本語で呟く。
﹁凄くビジネスライクな距離感になったね﹂
﹁ミツキ以外が相手ならこの距離感がちょうどいいだろ﹂
﹁かくして、縄張り争いは終息したのでした﹂
﹁棘に刺された後だけどな﹂
530
昨夜ミツキが持ち出した例え話を持ち出して言い返す。
﹁私が傷を舐めて癒してあげるよ﹂
ミツキがくすりと笑う。
﹁だから、笑えないって﹂
呆れつつ周りの作業風景に目をやった時、リットン湖の水面に浮
島を見つけた。
あんな場所に浮島なんてあっただろうか。
ゆっくりと流れていく浮島を観察していた時、整備車両から整備
士君が飛び出してきて、ベイジルの下へ走って行った。
ミツキがベイジルとやり取りする整備士君を眺めて、首を傾げる。
﹁何かあったみたいね﹂
﹁ほぼ間違いなく面倒事だな﹂
ベイジルが何事か告げると、整備士君がすぐに魔物を解剖してい
る仲間の下へ走り出す。
﹁⋮⋮お呼びみたいだ、行こう﹂
俺たちを手招いているベイジルを見て、俺はディアを進ませた。
ベイジルは俺たちに愛想笑いを向けて、口を開いた。
﹁お二人とも、体調は悪くありませんか?﹂
俺はミツキと顔を見合わせてから、首を横に振る。
531
﹁何ともありませんよ。調査隊に体調を崩した方が出たんですか?﹂
﹁えぇ、いきなり熱を出したそうです﹂
﹁⋮⋮アップルシュリンプの食中毒ですか?﹂
昨日調査隊が食べていたアップルシュリンプの毒を警戒して訊ね
ると、ベイジルは否定した。
﹁ブレッドファーはアップルシュリンプを食べていませんから、違
いますね﹂
どうやら、熱を出したのは副隊長のブレッドファーらしい。
ついさっきまで問題なさそうだったのに、本当に突然だな。
いまのところ日程に変更はないものの、体調が悪くなったらすぐ
に教えてほしいと言って、ベイジルはブレッドファーの様子を見に
整備車両へ歩き去った。
532
第七話 英雄という罪
調査そのものは滞りなく進み、森の中へと入る。
湿地帯の調査を終えて一区切りついたとはいえ、気を抜けるよう
な状況でもなかった。
特に調査隊の雰囲気がとても暗い。空気が淀んでいるというか、
もう調査隊の周りだけ光の屈折率がおかしいんじゃないのかと疑い
たくなるほどだ。
それもそのはず、今日の昼を過ぎた頃になってブレッドファーに
続いてベイジルまでもが高熱を出して倒れたのだ。
調査隊の指揮を取る二人が相次いで倒れてしまい、今は雷槍隊の
残り二名が整備士長や調査班長、歩兵隊長と対応を協議している。
調査隊そのものではなくベイジル個人に雇われた俺とミツキが会
議に呼ばれることはなく、二人でのんびりと夕食の準備を進めてい
た。
﹁多分、ボルスに帰ることになるだろうな﹂
﹁そうだろうね。指揮系統が混乱したままでも調査は続けられるだ
ろうけど、とっさの事態に対応できないだろうから﹂
すぐにボルスへ帰るとすれば、また湿地を抜けることになる。
せっかく洗浄したんだけどな、とディアを振り返る。
そろそろ魔力も補充しておきたいところだ。
﹁夕食を終えたら魔力を込めるぞ﹂
﹁はーい﹂
気の抜ける返事をして、ミツキが鍋を火にかけた時、整備士君が
533
不満顔で歩いてきた。
﹁二人とも、ベイジルさんが呼んでるから来てくれ﹂
﹁仕事ですか?﹂
﹁話せないって言われたんだ。早く行け﹂
依頼人からの呼び出しとあってはいかざるを得ない。
夕食の準備を中断して、俺はミツキと共に整備車両に向かう。
うろこ状の遊離装甲に覆われた軍用の整備車両の荷台には簡易の
休憩スペースがあった。ベイジルはここに寝かされているらしい。
仕事の話でなかったら、すぐに夕食の準備に戻ろう。そう思いつ
つ休憩スペースに入る。
従軍医が振り返り、俺を見て眉を寄せる。こちらも眉を顰めると、
視線を逸らされた。
休憩スペースには二段ベッドが二つあり、手前の下の段にブレッ
ドファー、奥の下の段にベイジルが、それぞれ寝かされていた。
俺はベイジルの枕元に置かれている椅子をミツキに勧める。
﹁ありがと﹂
﹁どういたしまして﹂
礼を言ったミツキに同じく日本語で返して、ベッドに横たわるベ
イジルに視線を移す。
﹁それで、ご用件は何でしょうか?﹂
ベイジルが上半身を起こして、周囲に人がいない事を確認する。
従軍医に少し離れるよう指示すると、ベイジルは改めて俺を見た。
﹁君に指摘されてから色々と考えましたよ。結論も出た。まったく
534
もって、君の言う通りでした﹂
ベイジルはそう切り出した。
どうやら仕事に関する事ではなさそうだと思い、退出するためミ
ツキに声をかけようとした俺の声を遮るように、ベイジルが続ける。
﹁自分も、あなた方の事を蔑んでいました。その上で、仲良くする
ことに意味があった﹂
退出しようとした俺の気配を読んだか、ベイジルが俺の服の袖を
掴んで引きとめる。
とにかく聞けと言わんばかりだ。話は大体わかったからもう興味
もないのだが。
俺の気も知らずに、ベイジルは語り出す。
﹁以前、墓でお会いしましたね。あの墓はボルス攻略戦で自分が見
捨てた仲間の墓なんです。自分は仲間を見捨てた時、一切の罪悪感
を覚えなかった﹂
過去を振り返る眼をしたベイジルが、興味なさそうに欠伸を噛み
殺すミツキを横目に見つつ、当時を語る。
ボルスを攻略するために新設された精霊人機弓兵隊は、あまりに
も急に作られた隊であったために隊内でケンカが頻発したらしい。
ライバル関係にあった隊からそれぞれ引き抜かれて来たり、新開
発された精霊人機用の弓を若年ながら上手に扱える隊員が妬まれた
り、操縦士歴が長く隊の指揮を取ろうとする者の弓の命中率が低か
ったり、火種はいくらでも転がっていた。
新設されたばかりであるにもかかわらず苦戦していた鳥型の魔物
を次々と撃破していた事もあり、隊員たちが皆得意になっていた事
も災いしていた。
535
不和は日増しに顕著となり、個人行動が目立ち、それでも毎回の
戦果は素晴らしかった。
﹁そんな状況でしたから、ヘケトの大量発生に巻き込まれた時、弓
兵隊の仲間を見捨てる事に自分は躊躇しなかった。それがどれほど
卑劣なことなのかも考えず、自分は戦場を撤退し、数少ない生き残
りとなりました﹂
後日、大量発生したヘケトの処理が一段落して再び戦場を訪れた
ベイジルは逃げ遅れた弓兵隊の精霊人機を見ることになった。
﹁横一列に並んでいました。連携を取っていたんですよ。生き残る
ために力を合わせ、力及ばずに全滅したんです。新聞でも報じられ
ましてね。死の間際まで仲間を思い、戦い抜いた悲劇の英雄だ、と﹂
ベイジルが自嘲的な笑みを浮かべる。
﹁生き残った自分たちまでも、同じ英雄として見られてしまった。
我先にと見捨てて逃げた自分たちまでもが、悲劇の英雄になってし
まった。生き残った仲間はみな罪悪感に耐えきれずに軍を退役して
いきました﹂
ベイジルが俺を見る。
﹁きっと、自分はあなた方を、嫌われているあなた方を見捨てない
自分でいたかった。死んでいった英雄の仲間なのだと胸を張れる自
分でいたかった。謝罪します。自分はあなた方を利用していた﹂
そんなことを謝られてもなぁ。
俺は肩を竦めて見せる。
536
﹁どうでもいいですよ。利用されることには慣れてます。それを受
け入れるつもりがないだけでね。話は終わりですか?﹂
すでにミツキも立ちあがっていた。俺も、ベイジルに掴まれてい
る服の袖が自由になり次第こんな場所から出て行って夕食を作りた
い。
しかし、ベイジルは首を横に振った。
﹁ひとつだけ、あなた方二人に言いたいことがあります。これは英
雄になりそこなった卑怯者の教訓です﹂
息を吸って、ベイジルが真剣な目を俺とミツキに向ける。
俺はもちろん、ミツキもまったく興味を示していない事に気付い
て、ベイジルの顔が険しくなる。
﹁あなた方はまだ私と違って負い目がない。ならば、今のうちから
人との関係を保ち、いざという時に見捨てない様に心構えを作って
おくべきです﹂
ベイジルの忠告もどきを聞いて、ミツキが﹁うへぇ﹂と不味い物
を口に含んだように舌を出す。気持ちは分かるが、さすがに自重し
ろ。
だが、ミツキは近くに誰もいない事をいいことに、ベイジルに言
葉を返す。
﹁そんな考え方だから英雄になれないのよ﹂
ベイジルが困惑したように眉を八の字に寄せる。
どういう意味か分からないのだろうが、懇切丁寧に教えてやる義
537
理もない。依頼の内容には含まれてもいない事だし。
俺は腕を軽く振ってベイジルに掴まれていた服の袖を解放する。
﹁それじゃあ、失礼します。何か仕事があれば呼んでください﹂
いまだに俺たちの事を胡散臭そうに見ている従軍医や整備士君の
横を抜けて、整備車両を出る。
﹁なんというか、教訓話のつもりなんだろうけど、結論が微妙にず
れてるんだよな﹂
﹁らしいと言えばらしいんじゃないの﹂
ミツキがつまらなそうに言って、パンサーに駆け寄る。
﹁結局、私たちには関係のない話だったし、時間を無駄にしたね﹂
﹁まったくだな﹂
人との関係を保つ意味なんて、もはや俺たちにはない。そんな苦
行に人生を浪費したくもない。
夕食作りを再開すると、雷槍隊員の一人が調査中止の決定を知ら
せてきた。
翌朝、調査隊は完全に浮き足立っていた。
ベイジルの容体が急変したためだ。
現在は意識さえあやふやな状態だという。ブレッドファーの容体
も気を抜けないが、元々の体力の差が出た形でベイジルの方が危な
いらしい。
同時に、調査隊の隊員からも発熱を訴える者がちらほらと出始め
ていた。
538
﹁おそらくは伝染病です﹂
従軍医が調査隊や俺たちを集めてそう宣言した。うすうす感じて
いただけに混乱はなかったが、問題はこれからどうするか、だ。
従軍医が言うには機材や薬品が足りず、拠点に戻らないと打つ手
がないという。
﹁ここから拠点までどれほど急いでも二日、途中で魔物との遭遇戦
があればその分遅れることが予想されます。伝染病だとすれば、日
を追うごとに動ける人員も少なくなるでしょう﹂
すでに精霊人機の操縦士であるブレッドファーやベイジルが倒れ
ており、精霊人機を操縦できる者は雷槍隊の二人しかいない。歩兵
もいるが、大型魔物に出くわせばかなりの被害が出ると予想された。
それに、動ける操縦士二人の体調が崩れた場合、戦力が激減する。
﹁救援を呼ぶべきでしょう。ベイジルさんもいつまで体力が持つか
分かりません。戦力の補充に加えてボルスに受け入れ態勢を整えて
もらわないといけません﹂
従軍医の言葉に雷槍隊の操縦士が沈痛な面持ちで周囲を見る。
﹁とにかく出発しよう。救援を呼ぶのは精霊人機でボルスに駆け込
める距離まで近付いてからになる﹂
地図さえできたばかりのこの未開拓地で援軍を呼ぶために伝令を
先行させても、遭難の恐れがある。また、密度が低いとはいえ魔物
が生息しているのだ。中型以上の魔物に出くわせば伝令はひとたま
りもない。湿地帯を車両より速く走れるわけでもない。
539
︱︱精霊獣機を除いては。
調査隊の面々がちらちらと俺とミツキの様子を窺っている。今ま
で邪険にしてきた手前、頼るのも憚られるのだろう。
もともと、俺もミツキも調査隊に雇われたのではなく、ベイジル
個人に雇われている。調査隊そのものには俺たちへの命令権がない。
意識があやふやなベイジルにも命令できるだけの意識がない。
俺とミツキの自主判断に任されている。
出発の準備を急ピッチで進めている調査隊をディアの背中から眺
めつつ、俺はミツキに問う。
﹁どうする?﹂
ミツキはパンサーの背中に寝そべっていたが、不意に片手をあげ
てこの世界の言語で問い返してくる。それも大声で、だ。
﹁ベイジルが気にくわない人!﹂
何事かと目を向ける調査隊の面々と、悔しそうに歯を食いしばる
整備士君を含む数人を横目に見つつ、俺はまっすぐに空へ手を伸ば
す。
ミツキが俺の上げた手を見て、それから俺の顔を見つめて笑みを
浮かべる。
﹁気にくわないベイジルに一泡吹かせてみたい人?﹂
﹁あぁ、吹かせてやりたいね﹂
感謝も称賛も誉も等しく無価値だと思う。
けれど、大変に意地悪なこの世界で、罪悪感は膨大な負債だ。記
憶のある限り負い続ける返す当てのない負債だ。
540
ベイジルはまだ勘違いしているのだろう。人との関係を良好に保
っていなくては、人間はいざという時に人を助けられないのだ、と。
それはある意味で真理だし、ベイジルという人間は実際にそうだ
ったのだろう。
だが、その結論を俺たちに当てはめないで貰おうか。
壁の外側の世界がどうなろうとかまわない。
でも、俺はミツキに軽蔑される人間になるつもりはない。同様に
ミツキも俺に軽蔑される人間になるつもりはないだろう。
助けたい人間がいるから助けるんじゃない。
助けられる人間を見捨てた自分たちを好きになれないと分かって
いるから、助けるんだ。
﹁さて、結論が出たことだし、行こうか﹂
指揮を取っている雷槍隊の操縦士の下へ、ディアの足を進める。
ミツキもパンサーに乗ってついてくる。
横に並んだミツキが俺の方へ身を乗り出した。
﹁仇で返されたら、これに新たな一ページを加えましょ﹂
そう言ってミツキが気持ちの良い笑みを浮かべて掲げるのは、防
衛拠点ボルスの歴史の小冊子。仇で返されるまでの経緯を書き足し
てばら撒くのだろう。
﹁ハリネズミは刺されたら刺し返すものよ﹂
﹁せいぜい、誰も嘘を吐かない事を祈るとしようか﹂
雷槍隊の操縦士が俺を見て怪訝な顔をする。ミツキの挑発的な質
問は聞こえてなかったのだろう。
541
﹁どうした?﹂
﹁先行してボルスから援軍を呼びます。俺たちの証言だけだと信用
されない可能性が高いので、救援を求む文書をください﹂
操縦士は驚いて一瞬硬直したが、俺たちの気が変わる前にと思っ
たのかすぐに動き出す。
紙に文章を連ねながら、操縦士が俺をちらりと見た。
﹁どちらが届けてくれるんだ?﹂
﹁二人で行きます。危険なので﹂
当然のことを答えると、操縦士は顔を顰めた。
﹁どちらかだけでも残ってくれないか? 中型魔物を仕留められる
戦力を失うのは痛い。それに、君たちの索敵能力もここで生かして
ほしい﹂
﹁無理です。精霊獣機はこの二機を一組で動かすのが大前提ですか
ら。どうしてもというのなら、伝令役は取りやめます﹂
優先順位ははっきりしている。ミツキを危険に晒すくらいなら、
ベイジルたちを見殺しにする。道徳心なんかよりミツキの方が上だ。
罪悪感を抱いても生きていけるが、ミツキがいないと生きていけ
ないのだから、天秤に掛けるまでもない。
俺が譲らない事を感じ取った操縦士はミツキを見る。ミツキを説
得出来ればどうにかなると思ったのだろう。
しかし、ミツキも俺と考え方が同じだった。
﹁なんであなたたちのためにヨウ君と離れなくちゃいけないの?﹂
明確な拒絶を含んだミツキの問いに出鼻をくじかれた操縦士が諦
542
めて紙を筒に入れ、差し出してくる。
﹁どれくらいで戻れる?﹂
﹁ボルスまで半日、援軍と調査隊の合流地点は河のあたりでしょう
ね﹂
﹁⋮⋮半日?﹂
半信半疑の操縦士に頷く。
半日で十分だ。
543
第八話 贖罪の英雄
重量軽減の魔術を強化、精霊獣機はもとより、騎乗者である俺の
重量も含めて軽減する。
泥が関節部へ入らない様に魔力膜流を展開。
索敵魔術を前方にのみ設定して魔力消費量の軽減を図る。
﹁さて、行きますか﹂
﹁半日でボルス、援軍に河原で合流するように地図を渡し、先行し
て調査隊へ合流、魔力はギリギリ持つかな﹂
ルートを考えていたミツキが少し心配そうにしながらもパンサー
を加速させる。
同時に俺もディアを駆けさせる。
リットン湖を背中に、最初に向かうのは崖だ。
高速で湿地を駆け抜けていく。魔物はまばらで、動きが遅い者も
多く戦闘にはならない。
ぬかるみに片足を突っ込んでも、即座に重量軽減の魔術式を利用
して重心を別の足に移すことで難を逃れる。
鋼鉄の蹄は足元の泥を蹴り飛ばすが、高速で移動しているためデ
ィアは舞い上がった泥を置き去りに突き進む。
﹁ヨウ君、前に魔物﹂
﹁アップルシュリンプか﹂
甲殻に覆われたアップルシュリンプは小型の魔物だが、威力の低
いミツキの自動拳銃では数発撃ち込まないと倒せない。
544
﹁無視の方向で﹂
ミツキが頷いたのを確認して、俺はディアの進路を左に逸らす。
ミツキが右に逸れ、左右に別れた俺たちは狙いを定められないでい
るアップルシュリンプの横を走り抜ける。
アップルシュリンプが俺たちを追うために振り返った頃には、到
底追い付けない距離が開いていた。
魔物を避けながら進むこと四時間ほど、目的の崖が目の前に見え
てきた。
精霊人機や車両では乗り越える事が出来ずに迂回を強いられ、そ
の分大幅なタイムロスになるその崖の下に到着する。
﹁ミツキはパンサーの爪を引っ掻けて登れるんだろ?﹂
﹁うん、いつも木に登っているのと同じやり方だよ。ただ、柔らか
くて落ちるかもしれないから、いつもより慎重に進むけどね﹂
そう言って、ミツキはパンサーの四肢の爪を伸ばす。
元々木や崖を登る事も機能として組み込まれているパンサーはと
もかく、ディアには爪がない。
俺は崖を見上げて、細かく観察する。
重量に関してはパンサーと同じく重量軽減の魔術がある。問題は
足を置く場所だ。
ディアから降りて、四肢のキャンバー角を調整する。左右の足の
間隔を狭めて崖のぼりを容易にするためだ。
さらに左右の角を限界まで背中側に寄せる。崖に角が引っかかっ
ては、足運びどころの話ではなくなってしまう。
調整が終わって上を見上げれば、五つの段になった急な崖の下か
ら三つ目の段にミツキを乗せたパンサーが到達したところだった。
﹁早く登っておいでよ﹂
545
ミツキが俺に手を振りながら声をかけてくる。
俺は手を振り返してディアに跨る。
崖の壁面にディアの胴体をつけるようにして、少しずつ登り始め
る。足の置き場が見つからない時は石魔術で足場を作る。
順調に上って、無事に下から三つ目の段に到着した。
﹁いい眺めだな﹂
所々に岩の見える広大な湿地帯が眼下に広がっていた。薄黄色の
穂を持つススキに似た草が群生していたり、所々に赤や白の花が咲
いているのが見える。
﹁︱︱ここからだともっといい景色だよ!﹂
五段目にいるミツキが手を振ってくる。
誘われるままに、崖を上る。
五段目についたが、どうせなら最上段である七段目からの景色が
見たいと思い、視線を崖に向けたまま登り続ける。
この湿地帯を構成することになる湧水があちこちから湧き出て流
れ落ちる崖は湿っていて、場所によっては苔も生えていた。
滑り落ちない様に神経を使うが、それでも登れない事はない。
そして、ついに天辺まで登り切った俺は、ミツキに出迎えられた。
﹁じゃあ、せーの、で振り返ろうか?﹂
ミツキが愉快な思い付きを口にする。どうやら、俺が昇り切るま
で景色は見ないでいたらしい。
﹁あぁ、じゃあ、ミツキが合図をくれ﹂
546
﹁なら⋮⋮せーの!﹂
揃って振り返り、俺はその景色を目にした。
ススキに似た穂を持つ薄黄色の植物が点々と群生する湿地帯の向
こうに青い水面を太陽の光に輝かせるリットン湖の姿。
距離のせいか、それとも角度によるものか、薄黄色の植物の穂は
ここからだと金色に輝いて見えた。
足元に視線を転じれば、苔の緑と湧水の煌めき、高所から落ちた
湧水が霧雨のように降り注ぐ湿地が見える。
遮蔽物のない湿地帯の全景は様々な色を内包しながら自然の美し
さの多様性を教えてくれる。
それは、絶景だった。
﹁︱︱っと、見惚れてる場合じゃないな。行こうか﹂
﹁もう少し見ていたいけど、仕方がないね。どうせ私たちしか来る
ことのできない秘密の場所なんだから、落ち着いたらまた観光に来
ましょう﹂
﹁いいな、それ。新大陸中を駆け巡って、名所、絶景エトセトラ、
全部極めてみようか﹂
引きこもりの解消にもなるし、という言葉は喉に留めたのだが、
ミツキは見透かしたように笑う。
﹁たまに家に帰ってのんびりしないとだめだけどね﹂
﹁観光旅行には乗り気なんだな﹂
﹁ヨウ君と廻るのならきっと楽しいだろうから﹂
﹁あぁ、飽きさせないよ﹂
﹁言うねぇ﹂
軽口を叩きながら、索敵魔術で周囲に魔物がいないのを確認する。
547
崖の上は以前にも見たとおり、森が広がっていた。
元々ここは周囲を崖で囲まれた台地のようになっており、湧水が
出ている事からも分かる通り内部には水が貯蔵されている。
詳しく調べれば、崖を登り切ったこの場所にも池くらいありそう
だが、目的とは違うので捜索は見送った。
﹁行くぞ﹂
崖に囲まれているため独自の生態系がある可能性を考慮しつつ、
ディアを森へ進める。
あまり悠長に森の中を進むつもりはない。
ディアを加速させると、後ろにミツキを乗せたパンサーがついた。
乗り手を保護するための角を持たないパンサーに乗ったミツキは、
例のごとくディアの後ろを走るのだ。
ディアの後ろを走らなければ危ないほど、崖の上の木はしっかり
と枝を伸ばしていた。
索敵魔術に反応がないまま森を駆け抜けること一時間ほど、森の
反対側に出た俺は開けた視界を確認し、眼下に広がる湿地帯の先に
河を確認した。
防衛拠点ボルスとリットン湖を隔てる河だ。この辺りはまだ川底
が深く、車両が渡れない。調査隊と一緒に渡った場所はさらに上流
にある。
崖の上から湿地帯を見回して魔物がいない事を確認し、崖を慎重
に下りる。
登る時よりも下りるときの方が怖いが、段々になっているため高
さをあまり感じないで済んだ。
順調に下から三番目の段まで下りた時、先に下りていたミツキに
呼び止められる。
﹁ヨウ君、魔物が河原の近くにいる。今のうちに倒せる?﹂
548
ミツキが指差す先を見れば、河原に赤い甲殻を持つ中型魔物の姿
があった。特徴的な鋏もある。ザリガニ型の中型魔物ブレイククレ
イだ。
いささか距離が遠すぎるため、一撃で仕留める自信がない。
﹁とりあえずやってみるか﹂
ディアの足を止め、照準誘導の魔術式を起動してブレイククレイ
の頭を狙う。
八百メートルくらいありそうだ。俺が素で狙っても絶対に当たら
ない。
だが、ディアの照準誘導の魔術式の精度をもってすれば、当たる
かもしれない距離ではある。
﹁風、それも追い風が吹いてるね﹂
長い黒髪を押さえながら、ミツキが森を振り返る。
﹁弾が流されないならありがたい﹂
風力を計算しつつ、狙いを少しだけ逸らして引き金を引く。
発砲音と共に、銃弾を撃ち出した反動を殺すためにディアの首が
縮まる。
肝心の銃弾はブレイククレイの頭ではなく、足元の石を撃ち砕い
た。
狙撃に気付いたブレイククレイがさっと河に飛び込み、そのまま
下流へと泳いで行く。
﹁倒せなかったけど、結果的にはこれでもいいだろ﹂
549
本当は仕留めたかったけど。
﹁死骸が残ると魔物が寄ってくるかもしれないもんね﹂
ミツキが同意してパンサーを崖の縁に立たせ、緩やかに下りはじ
める。
俺もミツキに続いて崖を下りる。
崖の下に無事下り立った俺たちは方角を確認してから、索敵魔術
を通常通り周囲三百六十度に設定し直した。俺はついでに、崖を上
る前に弄っていた足のキャンバー角を修正する。
ミツキがパンサーの背中に足を乗せる。
﹁それじゃあ、泳いでもらおうか、パンサーちゃん!﹂
﹁ちゃっかり自分の足が濡れないようにするのな﹂
幅も深さもある川に向かって、ミツキがパンサーを進める。重量
軽減の魔術は出力最大となっている。
俺もミツキに続いて河にディアを乗り入れる。
流れはそこまで急ではないが、すぐにディアの足が川底につかな
くなる。
犬かきの要領でディアが泳ぎ始める。ボルスに到着したら油を差
し直さないといけないだろう。
パンサーがすいすい泳いで行く。ディアと違って角がない分、抵
抗も少ないのだ。
川を渡り終えて、俺たちはまたすぐに精霊獣機を走らせた。
ここからは湿地帯を直進してボルスへ駆け込むだけ。ラストスパ
ートだ。
すでに十時間近く経っているだろう。それでも、車両とは比べ物
にならない速さで踏破している。
550
ディアの加速に合わせて体を撫でていく風も勢いが強くなる。川
を渡った時に付着した水分はすぐに機体の表面を流れ、後方に滴と
なって消えていく。
まだ、ディアは加速する。
普段と違って角を調整したために空気抵抗が減っているのだ。
進行方向にいたゴブリンがミツキの自動拳銃の前に命を散らす。
俺はゴブリンの死骸の横を走り抜けた。
湿地帯を高速で走り続けると、進路上に道が見えてくる。
調査隊と一緒にボルスから通って来た道だ。
﹁行きはボルスからここまで半日くらいかかったっけ?﹂
﹁行きは、な。俺たちだけなら事情は変わるだろ﹂
ミツキが笑みを浮かべて頷く。
﹁道は無視してボルスまで直進しよう﹂
目の前にある道は河や沼、崖を迂回しながら蛇行する道だ。車両
であればこの道を通った方がはるかに速いだろうが、俺とミツキの
乗る精霊獣機なら、河も沼も崖も乗り越えた方が圧倒的に速い。
﹁我が前に道はなく、我が後ろに道が作られるのだ﹂
﹁誰の言葉?﹂
﹁忘れた。開拓学校の教科書のコラム欄に書いてあった﹂
俺のあいまいな記憶に、ミツキが苦笑して肩を竦めた。
﹁というか、もう道があるし﹂
ミツキがすでに通り過ぎた道を背中越しに指差す。
551
﹁それに、私たちは私たちだけの道を進めばいいんだよ。後ろの事
なんか気にしないでさ﹂
﹁それもそうだな﹂
どうせ、俺たちが進んできた道をたどる物好きもいないだろう。
沼を抜けて、また川を渡ると、防衛拠点ボルスが見えてくる。
俺はミツキと共にボルスの入り口を守る兵士に手を振った。
道ではなく湿地を抜けてきた俺とミツキを見て驚いた様子の門番
だったが、精霊獣機を見てすぐに俺たちが誰か気付いたらしい。
門の前でディアの足を止めて、騎乗したまま門番に声を掛ける。
﹁調査隊で問題が起きた。隊長のベイジルと副隊長のブレッドファ
ーの二人が高熱で倒れ、他にも何人か不調を訴えている﹂
事情を説明すると、門番は目を見開いた。
﹁ベイジルさんが!?﹂
生ける伝説みたいなベイジルの名前はここでも有効に機能した。
だが、次の瞬間門番は険しい顔で俺とディアを交互に見る。
﹁⋮⋮本当なのか?﹂
﹁ほら、文書も貰ってきてる。いまは雷槍隊の操縦士が二人で指揮
を取っているけど、援軍を派遣してくれないと全滅も有り得るんだ。
早くワステード司令官に取り次いでくれ﹂
怪しむ門番の視線などいつもの事、予想していた事だ。
信じないならベイジルたちが無駄死にするだけで、さらに言えば
この門番が罪悪感に苛まれるだけだ。ベイジルみたいな立派な英雄
552
になれるといいね。
皮肉を飲み込んで門番を急かすと、半信半疑ながらも副司令官に
取り次ぐことに決めたらしい。ワステード司令官に直接取り次ぐの
ではなく、副司令官というところに保身の心が見え隠れしているが、
俺の知った事ではない。
ディアに乗ったままボルスに入る。ミツキが隣に並んだ。
﹁さて、すんなり話が通じるかな?﹂
﹁そう言えば、副司令官は精霊獣機と俺たちを嫌ってたな﹂
﹁感情や印象で判断が鈍るような人なら、ワステード司令官に直談
判だね﹂
司令部が見えてくる。
司令部前を守っていた兵士が俺たちを見て嫌そうな顔をした。
﹁その気持ち悪い物から降りろ。武装も解除してもらう﹂
﹁ならここで待ってますから、副司令官を呼んできてください﹂
言い返すと、兵士たちが一瞬何を言われたのか分からないとばか
りに顔を見合わせる。
俺はディアの背中から降りて、洗浄液と潤滑油を取り出した。
ここまで一気に駆けてきたから整備が必要なのだ。援軍を呼び終
わったら調査隊の元にとんぼ返りしないとならない。
﹁兵士さんが副司令官を呼んできてくれるそうだから、ミツキも整
備しておけ。援軍を呼んだらすぐに調査隊に戻らないと﹂
﹁そうだね。ほら、兵士さんたちも早く動いてよ。お仲間がリット
ン湖の近くで死んじゃうかもしれないよ?﹂
まったく忙しいんだから、とミツキがパンサーから降りて俺と同
553
じように整備を始める。
兵士が何か言ってくるが無視した。
援軍を呼びに来たのはあくまでも俺とミツキの善意であって、依
頼内容には含まれていない。
善意を持って行動することに否やはないけれど、武装解除して司
令部に入るなんて危険なことをするつもりはない。
兵士が呼んできた副司令官と共に、何故か苦笑を浮かべたワステ
ード司令官までもやってきた。
整備を進めている俺とミツキを見て、副司令官は顔を顰め、ワス
テード司令官は苦笑を深める。
﹁これはいったいどういう状況かね?﹂
ワステード司令官の言葉に、俺は雷槍隊の操縦士から渡された救
援要請の文書が入った筒を渡す。
俺やミツキの口から何を聞いたところでどうせ信用しないのだ。
門番の例もある。
直接文書を見せた方がずっと早く話が進むだろうと思って渡した
のだが、効果はてきめんだった。
苦笑を浮かべて筒を受け取り、中身を確認したワステード司令官
の表情が引き締まる。
﹁残っている雷槍隊に出陣の準備をさせろ。整備車両、運搬車両は
各一台、それから医者と医薬品の準備だ﹂
筒の中には救援要請だけでなく、必要と思われる薬品や医療器材
のリストも入っていたらしく、ワステード司令官は副司令官にリス
トを押し付けて医務室に走らせる。
また、司令部を守っていた兵士にも声をかけ、雷槍隊の操縦士や
部隊長への召集をかけ始めた。
554
﹁待ってくださいよ、司令官! 俺たちがここを離れたらだれが司
令官を守るんですか!?﹂
ワステード司令官を守る人間がいなくなること、すぐそばに得体
のしれない開拓者である俺とミツキがいる事で兵士は渋る。
しかし、ワステード司令官は有無を言わせぬ口調で再度同じ内容
を命じてから、続ける。
﹁こうしている間にもベイジルが死に近づいている。早く動け! 英雄を死なせるつもりか!?﹂
ベイジル本人が聞けばなおさら死にたくなるだろう、とワステー
ド司令官の喝を聞いて思ったが、口には出さない。
整備が一段落ついて蓄魔石に魔力を補充していたミツキが俺を見
て、日本語で囁く。
﹁死んだ英雄の亡霊を背負っているから生きたままでも英雄で、し
かも生かされ続ける英雄なんだね﹂
﹁それがベイジル曰く罰なんだろ。好きに贖罪の英雄を気取ってれ
ばいいさ﹂
555
第九話 調査隊との合流
指示をあらかた出し終えたワステード司令官が俺たちを見た。
﹁これで人払いは済んだ。申し訳ないね。そばに部下がいると君た
ちに感謝の言葉も満足に伝えられない立場なんだ。調査隊の危機を
知らせてくれてありがとう。やはりベイジルに君たちを連れて行か
せたのは間違いではなかったようだ﹂
ワステード司令官はそう言って笑顔を見せた。
矢継ぎ早に指示を出していたかと思えば、人払いを兼ねていたと
は。
気持ち悪い精霊獣機を乗りまわす俺とミツキに礼を言っている場
面を見られたくないという事だろう。
蓄魔石に魔力を補充しつつ、俺はワステード司令官を見る。
﹁どういたしまして。救援部隊は先ほど渡した文書にある地図に従
って動かしてください。俺たちは早く戻って調査隊の援護をしない
といけないので、準備が整い次第出発します﹂
形ばかりのお礼なんてさっさと受け流して、事務的に応じる。心
がこもったお礼ならこちらも真摯に返すつもりだが、心のこもった
お礼をするのに人払いは必要ないだろう。
見透かされている事に気付いたのか、ワステード司令官が頭を掻
いた。
﹁感謝しているのは本当なのだ。だが、公私は分けないといけない。
君たちは調査隊にいる間、あまりいい空気を吸えなかったのではな
556
いかな?﹂
﹁そうでもないですよ。ミツキもそうだろ?﹂
水を向けると、ミツキは満面の笑顔で頷いた。
﹁ヨウ君がいればそれで満足だからね。周りとか、どうでもいいこ
とだよ﹂
﹁俺ってばマジ空気洗浄機﹂
しかも多機能。会話ができるし、狙撃もできる。
﹁一家に一台と言いたいところだけど、ヨウ君は私専用なのでした﹂
ミツキが締めくくる。
夫婦漫才をかましていると、ワステード司令官が反応に困ってい
た。漫才の肝である空気洗浄機をそもそも知らないだろうから、無
理もない反応だ。
結局、ワステード司令官は俺たちの漫才に突っ込みを入れる事を
諦めて話を戻した。
﹁ともかくだ。嫌われながらも君たちが調査隊のために危険な湿地
を駆け抜けてくれたことに︱︱﹂
﹁いえ、調査隊のためではなく自分たちのためです﹂
きっぱり否定しておくと、ワステード司令官は口を閉ざした。
少しの間をおいて、ワステード司令官は空を仰ぐ。
﹁究極的には自分たちのため。例え捨て駒にされ失敗の責任を背負
わされても、そのように割り切れる者がどれだけいるのか。やはり、
君たちがベイジルの依頼を受けてくれてよかったと思うよ﹂
557
口振りから察するにワステード司令官も、ベイジルが背負った英
雄像に振り回されている事に気付いていたのだろう。
もっとも、俺たちが依頼を受けたところでベイジルが変わるかど
うかは別の問題だ。
それを指摘する義理もないので、俺は蓄魔石への充填が終わると
同時に立ち上がった。
ミツキもパンサーに魔力の充填を終えている。
﹁もう戻るのか? 今夜は新月だ。明かりもない中、湿地を抜ける
のは難しいと思うが﹂
ワステード司令官に言われて空を仰ぐ。
調査隊と別れたのは朝だったが、今はすでに日も落ちてすっかり
暗くなっていた。月の姿は見当たらない。
魔術で明かりを灯せば問題ないが、俺やミツキと違って普通の人
にとって魔力は遠距離攻撃用に温存しておくべきものだ。
俺とミツキが使う魔導銃も弾を撃ち出す際に魔力を消費するが、
通常の魔術に比べて消費量ははるかに小さい。
さらに、精霊獣機ならば魔物との戦闘を避けることもできると、
ここまでの道中で確認している。
つくづく普通の歩兵とは違うのだ。
俺はディアの背に乗り、ワステード司令官を見る。
﹁俺たちなら夜でも問題ないですよ。合流地点は河になると思いま
す。こちらが河に到着していなければ、調査隊がまともに動けなく
なっている可能性が高いと思ってください﹂
ワステード司令官に言い置いて、俺はミツキと一緒に司令部を後
にする。
558
ここから調査隊の下までとんぼ返りだ。合流は明け方頃になるだ
ろうか。
防衛拠点ボルスを駆け抜けて、門を潜り抜ける。
門番は新月の夜に出発する俺たちに何も言わずに見送った。心配
されるほど仲がいいわけでもない。
来た道を引き返すだけだが、昼と夜では受ける印象が全く違った。
ディアの速度を調節しつつ、パンサーに並ぶ。
﹁先に俺が明かりを出す﹂
﹁分かった。最初の川に差し掛かったら交代ね﹂
俺は光の魔術ライトを使用する。こぶし大の光の球が俺とミツキ
の間に浮かんだ。
魔力の量を調節して光を強くすると、進行方向に何があるか程度
は分かるようになる。
整備された道を無視して一直線に突き進む。
順調そのものだが、どうも違和感があった。
暗くて方角を誤っているのかと確認するが、問題はない。
﹁ミツキ、何かおかしくないか?﹂
﹁⋮⋮魔物がいない﹂
そう、ボルスを出てから全く魔物に遭わない。
﹁ヘケトの群れの影響だと思うか?﹂
調査隊と共に出発した時から、魔物の密度は際立って低かった。
まだヘケトの群れの影響で密度が回復していない可能性はある。
ヘケトは同種でも遠慮なく食べてしまう魔物だ。この辺りに生息
していた魔物がヘケトの群れに出くわして食べつくされたという可
559
能性もないわけではない。
それでも、あまりにも静かすぎた。
﹁早く抜けた方が良いね﹂
﹁そうだな﹂
ミツキの提案に乗って、俺は前を見る。
川を越え、沼を迂回して道が途切れた地点までたどり着く。
見上げれば満天の星空が広がっている。月がない分、星が良く見
えた。未開拓地で地上に光源がない事も理由の一つだろう。俺が発
動している光の魔術を消せばもっとよく見えるのかもしれないが、
今は星を鑑賞するより調査隊と合流する方が先だ。
湿地を駆け抜けて川に到着しても、魔物が索敵魔術に引っかかる
事はなかった。
ボルスを出てからすでに三時間近くかかっている。夜で見通しが
利かないため自然と速度を落とすしかなかったため、時間がかかっ
ていた。
俺はディアの索敵魔術を最大にして魔物の有無を調べる。
夜という事もあり、眠っている魔物もいるだろうが、周囲に魔物
はいないようだ。
念のためにしばらく索敵魔術を発動したままにして、現在位置か
ら崖までの時間を予想する。
﹁多分、崖に上って調査隊を探すよりも、崖に沿って移動した方が
早く合流できるね﹂
ミツキの言葉に頷く。
そろそろ調査隊も七段になった高い崖を迂回して移動を始めた頃
だろう。俺たちが逆回りに崖を回る事で、どこかで合流できる。
いっこうに、索敵魔術に反応はない。
560
安全を確認して、俺はミツキと共に川を渡り始めた。
ボルスを出発するときに油を差したばかりだが、これでまた差し
直しだ。
川を渡っている間に一度反応があってドキリとしたが、川上から
流れてくる木の枝に反応しただけだった。一メートルほどの長さの
木の枝は夏らしいさわやかな色の葉をたくさん付けている。
川の上流に森でもあるのだろう。
ミツキがパンサーに乗ったまま流れてきた枝を拾い上げる。葉に
付いた水が光の魔術に反応してキラキラと川面に落ちていく。
川を渡り切って一息吐いた時、ミツキが声をかけてきた。
﹁ヨウ君、この枝の付け根を見て﹂
川を渡っている間に拾った枝をミツキが差し出してくる。
枝を受け取って付け根を見る。
﹁折られてるな﹂
自然に落ちた物ではない。青々とした葉がついている事からもほ
ぼ間違いないだろう。
河の上流は未開拓地だ。この枝を折ったのは野生の動物か、魔物
という事になる。
﹁結構な太さだし、大型動物でないと折るのは難しいだろうな。意
図的に折ったのでないとすれば、なおさらだ﹂
まぁ、あまり気にすることでもないだろう。そもそも、どれくら
い上流から流されてきたのかも分からないのだから。
そう思った時、ディアとパンサーの索敵魔術がほぼ同時に発動し
た。
561
即座に対物狙撃銃に手を掛けたが、予想に反して索敵魔術に反応
したのは魔物ではなかった。
索敵魔術に引っかかったのは、河の上流から流れてくる幾つかの
木の枝だ。
小枝もあったが、今俺が持っている物と同じような立派な枝もち
らほらと見受けられた。
上流に何かがいるのは間違いないが、無数の枝を川に流す意味は
分からない。枝を流すことに意味はなく、別の行為の結果だとすれ
ば、その行為はいったいなんだろうか。
﹁木の枝を食べていて、これはその食べ残しとか?﹂
ミツキが予想を口にする。
﹁ずいぶんと食い方の汚い奴だな。ボロボロ落としてる﹂
﹁後は⋮⋮そうだね。大きな体の魔物が群れを作って森の中を移動
していて、折れた枝がこうして河を流れている、とか﹂
﹁ベイジルが言ってたな。経験上、魔物の密度が下がっている時は
別の場所で群れを作っているって﹂
もしもベイジルの予想した群れがこの河の上流を移動しているの
なら、規模や進路は気になる所だ。
だが、仮に群れの場所を突き止めても俺とミツキの二人ではどう
する事も出来ない。
﹁調査隊との合流を急ごう﹂
﹁結局それしかないよね﹂
件の魔物の群れと先に出くわしてドンパチ始めていないといいん
だけど。
562
ディアの頭を河から崖の方角に向けて、ミツキと一緒に走り出す。
俺の代わりに光の魔術を発動してくれたミツキに礼を言って、俺
は魔術の光を消した。
再び湿原を駆け抜ける。
星空を背景にした崖が見えてくる頃には、ボルスを出発して五時
間以上が経っていた。
周囲に調査隊の姿は見えない。おそらくは夜通し移動しているは
ずだから、もうじき合流できるはずだ。
光の魔術を使用していないとも思えないので、遠目からでも分か
るだろう。
崖に沿って移動していくと、ディアの索敵魔術が反応する。すぐ
にパンサーが唸った。
崖の向こうから光が漏れているのに気付き、俺はディアの速度を
落とす。
魔物と勘違いされて攻撃されたらシャレにならない。
調査隊の前に出ると、先行していた歩兵たちが一斉に攻撃態勢を
取りかけた。
しかし、前に出てきたのが俺とミツキだと気付いて、慌てた様子
で武器を降ろす。
﹁救援はどうなった!?﹂
歩兵の一人が駆け寄ってくるが、下っ端にいちいち説明していら
れない。この手の報告は最初に指揮官へ伝えるべきだ。
歩兵たちの間を抜けて整備車両に近付くと、雷槍隊の操縦士の一
人が助手席の窓から身を乗り出した。
﹁救援は?﹂
開口一番、下っ端と同じことを言っている。よほど切羽詰まって
563
いるのだろう。
﹁救援の要請は無事に済みました。もうボルスを出発したころでし
ょう。合流地点は河になると予想していましたが、この様子だと川
を渡った先の湿地帯で合流することになるかもしれませんね﹂
調査隊の進みが予想よりも幾分か早いため、合流地点がボルス寄
りにずれることが予想された。
しかし、操縦士は首を横に振る。
﹁いや、河を渡った辺りで停止することになる。すでに精霊人機の
操縦士で動けるのは俺だけなんだ。まだ無事な者達も体力の限界が
近い。朝からほとんど休みなしだからな﹂
﹁⋮⋮熱、ですか?﹂
﹁あぁ、高熱で倒れて、今は車両の中だ。幸い、まだ死者は出てな
いが、すでに倒れている者も多い﹂
言われて、俺は周囲に目を凝らす。
整備車両や運搬車両で寝ている者がいるとしても、歩兵として車
両に合わせて移動している者が少ない。よくよく見れば、整備士君
まで歩兵に混ざっていた。
俺の視線に気付いた操縦士が苦い顔をする。
﹁歩兵に脱落者が出ている。整備士を数人、歩兵に組み込んで戦力
を維持しているんだ﹂
そこまで追い詰められてるのか。
﹁ベイジルは?﹂
﹁昼を過ぎた頃から意識がない﹂
564
聞けば、雷槍隊の副官も意識が混濁して危険な状態らしい。
操縦士が苦い顔で前に目を向ける。
﹁魔物の姿がないのだけが救いだ。動けている者もあくまで動けて
いるだけに過ぎないからな。⋮⋮お前たちは何ともないのか?﹂
﹁えぇ、まったく﹂
﹁他にも全く影響が出てない者が数人いるが、違いが分からない。
心当たりはないか?﹂
﹁ないですね﹂
あるわけがない。俺は医者でもなんでもないのだから。
ミツキが隣で欠伸を噛み殺す。
﹁ヨウ君、私はそろそろ寝たいんだけど﹂
﹁そうだな。俺も疲れたし﹂
﹁悪いが、車両の中は貸せないぞ。すでに病人を寝かせていて足の
踏み場がない。それに、君たち二人にはまだ働いてもらいたい。今
はとにかく、戦力が欲しいんだ﹂
操縦士に言われて、俺たちは仕方なく徹夜を決めた。
565
第十話 伝染病
崖を迂回して湿地を突き進み、河に到着する。
上流の車両が通行できる地点に移動して、河を渡った。
雷槍隊の操縦士が助手席から降りてきて、歩兵や整備士たちを集
める。
﹁熱のある者は車両の中に移れ。動ける者は湯と流動食の準備をし
ろ。伝染病の可能性が濃厚である以上、健康な者は車両への接近を
極力控えるように。俺も熱が出ている。救援が到着するまでは精霊
人機の搭乗席にいる。指示は拡声器で行う。お前たちからの報告に
は整備車両の拡声器を使え﹂
矢継ぎ早に命令を出し、操縦士が俺とミツキを見る。
﹁ベイジルさんに雇われている君たちが俺の命令を聞く理由がない
事は知っている。それでも、力を貸してほしい。俺もいつまで戦え
るか分からないんだ﹂
﹁危なくならない限りは助けますよ﹂
魔物の姿がない広々とした湿原を見回しつつ、答える。
調査隊と崖で合流してからここまでも魔物の姿はなかった。いよ
いよ嫌な予感がする。
俺とミツキは調査隊から少し離れた場所で精霊獣機を停めた。
﹁いざという時に動けなくても困るから、一機ずつ整備に入ろう﹂
﹁どっちから始める?﹂
566
ミツキがパンサーの頭をポンポンと軽く叩きながら聞いてくる。
﹁パンサーの方から始めよう。ディアよりも激しく動くからな﹂
白み始めた空を見上げて、俺は対物狙撃銃を下ろす。
いい加減、睡魔に抗い続けるのも厳しくなっていたが、もう少し
の辛抱だと自らに言い聞かせる。
何かをしていないと寝てしまいそうなので、パンサーの整備をの
んびり始める。
﹁デュラの調査もそうだったけど、調査依頼を受けると期限より早
く切り上げることが多いね﹂
ミツキの言葉に苦笑しながら頷く。
どちらにせよ、依頼の報酬は払われるから別に問題はない。
金銭的に困っているわけでもないのだ。伊達に特許を持ってはい
ない。
日が昇り、ミツキが朝食の準備を始める。
俺はパンサーに油を差しながら、今後の事を考えていた。
﹁朝ご飯できたよ﹂
パンサーの整備を終えた時、ミツキが日本語で声をかけてきた。
仲間が病で苦しんでいる調査隊の面々はぼそぼそと言葉を交わし
ながら食事をとっていたが、場違いに明るいミツキの声に顔を上げ
た。
何か言われる前に睨みつけると、調査隊の面々は陰気な顔を俯け
た。俺たちがいないと中型魔物に襲われた時に対処法が限られるか
ら、逆らえないらしい。
ミツキが作った朝食をディアの角に渡した板の上に並べる。
567
原因が食物にあるかもしれないと考えた調査隊の面々は瓶詰など
の密閉されていた食品を念入りに加熱した味気ない食事を摂ってい
た。
俺とミツキは自前の食材を持ち込んでいるため、問題がない。そ
んなわけでミツキがここぞとばかりに腕によりをかけて作った料理
が目の前に並んでいた。
パンはレーズン入りの少し甘い物を選択し、オムレツに似た卵料
理フリッタータや柑橘系の香りがするチャツネを使用した簡単ドレ
ッシングをかけた根菜サラダ。デザートにラズベリーのゼリー。
﹁⋮⋮このゼリー、どうやって冷やした?﹂
﹁どうって、こうよ﹂
そう言って、ミツキは手のひらに水魔術を発動する。
水魔術で発生した水は気温とほぼ同じになる。火の魔術を併用す
れば温度を上げることも可能だが、下げるのは難しい。
朝の湿原という低い気温条件を利用して水魔術を発動し続けて水
の温度をゼラチンの凝固点以下に保ったらしい。
魔導銃を使う俺たちでなければ、魔力の無駄遣いと怒られそうな
所業だ。そうでなくても単純に面倒くさい。
﹁ヨウ君には美味しい物を食べてほしいからね﹂
﹁可愛いとしか言えないじゃねぇか﹂
これだけ手を尽くされた料理を出されては、あざといなんて口が
裂けても言えない。
しかも、徹夜明けの頭にパンの甘さが強烈な刺激となって、チー
ズを使っているのに重たくないフリッタータが程よく腹にたまる。
根菜サラダに使われたドレッシングの柑橘系の香りは眠気を爽やか
に遠のかせ、根菜の歯ごたえが噛むたびに頭を目覚めさせてくれた。
568
ゼリーを食べると、加熱された事で甘みを増したラズベリーがゼ
ラチンのつるりとした食感にわずかな酸味というアクセントを伴っ
て喉を滑り落ちていく。
美味い。限られた食材でよくぞここまで今の体調に合わせた朝食
を用意できたものだ。
調査隊の連中に思わず自慢してやりたくなるような朝食を食べ終
えて、ディアの整備を始めていると、パンサーが唸った。
索敵魔術に反応があったらしい。
しかし、戦闘は起こらなかった。
﹁救援部隊だ!﹂
歩哨に立っていた整備士君が指差す先に、雷槍隊の精霊人機二機
を先頭に進む数台の車両が見えた。
防衛拠点ボルスから出てきた救援部隊が夜を徹して湿地帯を抜け
てきたらしい。迅速な対応だった。
救援部隊が合流すると、すぐに医療器材が積まれた車両へ病人が
搬送される。その中にベイジルの姿もあった。
救援部隊の隊長が調査隊の指揮を臨時で取っていた雷槍隊の操縦
士と言葉を交わし、指揮権を移譲される。
病人の数は多く、治療のためにしばらくここに留まる事となった。
ようやく眠れる、とディアとパンサーに布を張って簡易のテント
を組み立てていると、整備士君がやってきた。
﹁あの、ちょっと話があるんだけ︱︱ですけど﹂
途中で言葉使いを改めて、整備士君は複雑な顔で頭を下げてきた。
﹁救援を呼んでくれてありがとうございました﹂
﹁どういたしまして﹂
569
会話とも呼べない短いやり取りをして、テントの中に入ろうとし
たその時、救援部隊の隊長がやってきた。
﹁お前たちが噂の開拓者か﹂
ミツキ曰く地獄耳の俺に届いているのは悪罵の類ですが、それも
噂ですか?
今なお、救援隊の方から素敵なお声が届いておりますけれども、
幻聴でしょうか。
否定も肯定もせずに見つめ返していると、救援隊の隊長は焦れた
ように口を開く。
﹁調査隊には体調不良を訴えている者が多いが、お前たち二人は大
丈夫なのか?﹂
﹁見ての通り、問題ありませんよ﹂
質問に答えると、隊長はむすっとした顔で俺とミツキを睨みつけ、
パンサーに目を留めた。
﹁聞いた通りに気味の悪い乗り物だな。伝染病を媒介したようにも
見えないが、病人の視界に入らないところへ移動しろ。体が衰弱す
れば気も弱る。こんな気味の悪い物を見て気が滅入ってはことだ﹂
その病人がいま治療を受けていられるのは俺とミツキが精霊獣機
でお前ら救援部隊を呼んだからだけどな。
どうせ言っても理解できないだろうから、口答えせずに簡易テン
トを撤去する。
﹁離れると索敵が難しくなるので、自分たちでどうにかしてくださ
570
いね﹂
﹁言われなくてもそのつもりだ﹂
﹁とはいえ、あんまり魔物もいないんですけどね﹂
隊長の意気込みを空回りさせて、俺はミツキと一緒にその場を後
にする。
困った顔をしていた整備士君だが、結局は何も言わずに隊長と一
緒に戻って行った。
俺たちは調査隊から三百メートルほど離れた場所で簡易テントを
張り直す。
ベイジルや雷槍隊の副隊長などの容体が安定するまで、この河原
で手を尽くす予定なので、しばらくは眠れるだろう。
ミツキは早々に簡易テントにもぐりこみ、パンサーの背中に横に
なった。
﹁おやすー﹂
﹁あぁ、おやすみ﹂
前々から思っていたが、ミツキは絶対ネットゲームで46とあい
さつ代わりに打ち込んで一部の反感を買うタイプだ。
ネットもパソコンもないこの世界だと、だからどうしたって話だ
けど。
思考も散漫になっているので、いい夢を見られますようにと思い
つつディアの背中に寝転がった。
救援部隊や調査隊の方で人が動いている気配はするが、こちらに
誰かが近付いたら索敵魔術が反応するため寝首をかかれる心配はな
い。
瞼を閉じるとすぐに眠りに落ちた。
571
夕暮れ時に目が覚めて、俺は簡易テントを出る。
すでに起きていたミツキがコーヒーもどきを淹れていた。
﹁飲む?﹂
﹁あぁ、欲しい﹂
俺の分も淹れてくれたミツキに礼を言って、髪を手櫛で整える。
すると、ミツキが立ち上がってパンサーの収納スペースから櫛を
取り出した。
﹁やってあげるからあっちを向いてて﹂
﹁ありがたいけど、遊ぶなよ?﹂
﹁大丈夫、大丈夫。ちょっとかっこよくするだけだから﹂
﹁遊ぶ気満々じゃねぇか﹂
されるがままに髪を整えてもらう。
横目で調査隊を盗み見れば、まだあわただしく人が動き回ってい
た。
まだ回復していないようだ。そもそも原因は特定できたのだろう
か?
救援部隊の隊長の態度を考えると、俺たちに原因を教えてくれる
かどうかは怪しいものだ。
仮に伝染病だとすれば俺たちも感染している可能性があるため、
動けるうちにボルスに戻って治療を受けるべきかもしれない。
精霊獣機を隠しておけば、治療は問題なく受けられるだろう。
ミツキに相談しようと声をかけようとした時、調査隊の方で歓声
が上がった。
なんだろうかと目を向けてみれば、調査隊に随行していた軍医が
歓声を上げる調査隊と救援部隊に苦笑しつつ整備車両に戻る所だっ
た。
572
人が死んで喜ぶほどぎすぎすした部隊ではなかったはずだから、
病人の誰かに回復の目途が立ったのだろう。つまり、きちんとした
治療を受ければ十分回復できるという事だ。
いよいよボルスに戻ってしまおうか。
﹁ミツキ、感染のリスクを考えると俺たちは先に戻った方が良いん
じゃないか?﹂
﹁戻っても門番に止められるかもね﹂
﹁それは考えてなかった﹂
ボルス内で伝染病が流行ったらそれこそ大変だ。俺たちを受け入
れるリスクを負うとは思えない。
ここから医療設備が整っていそうな町というと︱︱
﹁隊長が来たよ﹂
ミツキに言われて顔を上げて見れば、救援部隊の隊長がこちらに
歩いてきていた。
隊長は俺たちから五メートルほどのところで立ち止まる。すごく
遠い心の距離、満足に伝わらない声、それでも届けたいこの思い、
なんてキャッチコピーが浮かんだ。届けられるのは悪口だろうから
この距離で良いけどね。
﹁二日後の朝に出発する。用意しておけ﹂
﹁さっき歓声が上がっていたようですが、回復の目途が立ったんで
すか?﹂
﹁あぁ、原因も特定し、対応もした。明日の午後にはある程度動け
るようにはなるだろう﹂
﹁原因は?﹂
﹁伝染病だ。最近の兵士であれば事前にワクチンを接種しているの
573
だが、今回の患者は世代的にワクチン接種を受けていなかったのだ
ろう﹂
この世界、ワクチンとかあったのか。初耳だぞ。
いや、開拓学校の教科書に書いてあったか?
どちらにせよ、俺もミツキもワクチン接種など受けていない。罹
患する可能性は十分あった。
﹁俺たちが感染する可能性を考えて、先にボルスへ戻ろうと思いま
す。依頼人のベイジルに取り次いでください﹂
﹁面会謝絶だ﹂
きっぱり断られて、無理もないと思い直す。今朝方、すでにベイ
ジルは意識がなかったのだ。治療したとしても一瞬で元気になるわ
けもない。
二日後までは面会謝絶のままという事で、途方に暮れる。
﹁仮に俺たちが発症した場合は?﹂
﹁開拓者だろう。自分たちでなんとかすればいい。そもそも、お前
たちは調査隊が雇い入れたのではなく、ベイジルさん個人が雇った
のだ。我々が治療する義理はない﹂
伝えるべきことは伝えた、と隊長は俺たちに背を向けて戻って行
く。
﹁いよいよ面倒なことになったな﹂
﹁ベイジルと連絡が取れない以上、依頼を破棄して勝手に消えるわ
けにもいかないもんね。とりあえず、今日は暖かくして寝ましょう
か﹂
﹁それと、調査隊には近付かない方が良いな。ワクチンがあるって
574
ことは病原体もいるんだろうし、病人に近付くのは得策じゃない﹂
調査隊からさらに距離を取るため簡易テントを回収する。
調査隊から五百メートルほど離れて、俺たちは一息ついた。
出発までの二日間、そこまで持てば何とかなるだろう。
575
第十一話 英雄ではない
救援部隊が到着して二日目の朝、出発の日。
伝染病による犠牲者はなし、療養が必要な者が多数おり、調査の
再開は不可能。
そんなわけで、防衛拠点ボルスに帰還の運びとなったのだが、調
査隊と救援部隊で構成される合同部隊はピリピリとした緊張感に包
まれていた。
この二日間、魔物の襲撃が一切なかったのだ。
いくら密度が低いとはいえ、ここは魔物の生息地域である未開拓
地だ。
二日間魔物を一切見かけないというのは明らかな異常事態だった。
朝食の時間もそこそこに、合同部隊はボルスに向けて出発する。
﹁追い立てられてるみたいだな﹂
合同部隊の右側、少し離れた場所をディアの背に揺られて進みな
がら、合同部隊を眺める。
背後を気にする殿の歩兵たち、整備車両の中から周囲に目を凝ら
す整備士たち、先頭を進む雷槍隊機の二機も合同部隊から少し離れ
て遭遇戦に備えている。
動けない調査隊の人員に加えて救援部隊の医療班もいるため、人
数が多い割に救援部隊の戦力は多くない。
精霊人機も救援に来た雷槍隊の二機しかないため、魔物の規模次
第ではなすすべがない。
ベイジルも言っていたが、今回のように魔物が特定地域から姿を
消した場合はどこかで群れを作っていると考えられるため、戦力に
乏しい合同部隊はなおさらピリピリしていた。
576
今朝になっても念のために面会謝絶との事でベイジルに会う事が
出来なかった。もしも会えていれば、俺たちだけで先にボルスに帰
っていたところだ。
こんな危険地帯を合同部隊の速度に合わせてのんびり進むのがま
だるっこしい。
﹁ヨウ君まで焦っちゃだめだよ﹂
﹁分かってるけどさ﹂
治療を受けたりワクチンを接種した合同部隊の連中と違って、俺
もミツキもまだ感染リスクがある。のんびり散歩していられる状態
ではない。
ベイジルの面会謝絶も、俺たちに勝手な行動をさせないために救
援隊長辺りが画策したのではないかと勘繰ってしまう。
救援隊長にとっては目障りな俺とミツキが消えてくれた方が嬉し
いだろうから、的外れな読みだと理解はしているが、一度芽生えた
疑惑の芽はなかなか消えない。
俺は深呼吸して、視線を前に向ける。
途中まで整備された道が見えてきた。湿地の途中で途切れたそれ
は、人類の生存圏に入った証だ。緊張していた合同部隊の兵士が僅
かに安堵の息を吐き、上官にどやされて気を引き締め直している。
今回は合同部隊の車両も一緒にいるため、道なりに進むしかない。
俺とミツキだけなら救援を呼びに行った時のようにまっすぐ突き進
んで時間の短縮もできたのに。
道なりに進むこと四時間ほど、ふとボルスがある方角を見ると、
うっすらと煙が上がっていた。
一瞬、煮炊きの煙かと思ったが、煙の黒さに気付いてすぐに異常
事態を悟る。
﹁全体、停止しろ﹂
577
救援隊長が助手席から合図を送ると、周りの兵士がボルスに不安
そうな目を向けつつ立ち止まった。
救援隊長がボルスの方角を睨む。
双眼鏡を持った兵士が雷槍隊の精霊人機の手に乗って高さを確保
してから、ボルスの方角を調べ始めた。
だが、兵士は救援隊長に向かって首を横に振る。ここからでは距
離があってボルスの様子を調べる事は出来なかったようだ。
救援隊長は俺たちを見て、ボルスの方角を指差した。見て来い、
という事なのだろうが、救援隊長に俺たちへの指揮権は存在しない
ので無視する。
﹁ちっ、気色悪い役立たずが﹂
悪態吐く救援隊長は俺たちの態度に苛立ったようだが、軍人だけ
あって命令権がいかに重要かは理解しているらしく、すぐにあきら
めた。
何人かの歩兵をボルスへ斥候に出し、帰ってくるまで周囲の警戒
を命じている。
俺は戦闘に備えて対物狙撃銃の残弾を確認し、呼吸を整える。
ミツキがボルスの煙を眺めながら、口を開く。
﹁魔物に先回りされてたのかな?﹂
﹁ヘケトの群れが戻ってきたのかもしれないけどな。ヘケトだった
場合、中型魔物の群れ程度にあの防衛拠点が落とされるはずはない
から、魔力袋持ちが混ざっているかもしれない﹂
魔力袋は後天的に発生する体内器官らしいが、発生条件は分かっ
ていない。
キャラバン護衛の依頼に随行した時の戦闘で、ヘケトの群れを街
578
道に誘導した時には魔術を使ってくる個体はいなかったが、安心は
できない。
斥候が戻ってきたのは一時間ほど経ってからだった。
転がるように走って来た斥候の後ろにはザリガニ型の中型魔物ブ
レイククレイが三体、追いかけてきている。
すぐに歩兵隊が迎撃態勢を整え、斥候を通してからブレイククレ
イとの戦闘を開始した。
前線基地である防衛拠点ボルスに詰めている軍人だけあって腕は
確かだ。危なげなくブレイククレイの甲殻を魔術で剥ぎ取り、取り
囲んでから隙を見て致命傷を加えていた。
肩で息をしている斥候が救援隊長のいる助手席に駆け寄る。
斥候の報告を聞く救援隊長の眉間に見る見るうちに皺が寄った。
救援隊長が魔導核に魔力を流して、拡声器を起動する。
﹁ボルスが魔物の群れに襲撃を受けている。襲撃している魔物は甲
殻種アップルシュリンプ、ブレイククレイ、ルェシ、さらに大型魔
物、タラスクの全四種だ﹂
エビ型の小型魔物アップルシュリンプや先ほど歩兵部隊が始末し
たブレイククレイ、タニシのような形の中型魔物ルェシまでは俺も
見たことはあるが⋮⋮タラスクなんて見た覚えがない。
ミツキが記憶を探るような顔をしながら、口を開く。
﹁タラスクって、確かカメ型の大型魔物だよね﹂
﹁全長十メートルの甲羅を背負ったカメだ。突進か咬みつきかの二
通りの攻撃方法しかないうえに動きも鈍いから対処は難しくない。
魔力袋さえ持ってなければな﹂
魔力袋を持ったタラスクはさながら動く砦だ。
甲殻系の魔物全般に言える高い防御力をもち、無尽蔵の魔力で遠
579
距離攻撃を放ってくる。
特に、タラスクの甲羅の防御力は甲殻系の中でさえ突出しており、
物理的な攻撃はほぼ効かないとされている。頭などを引っ込める穴
をも石魔術などで防ぐ知恵を身に付けていると最悪の部類の魔物だ。
救援隊長が拡声器越しに方針を発表する。
﹁群れの規模が分からない以上、ボルスへの帰還には危険が伴う。
しかし、物資も少ない。マッカシー山砦とボルスの分かれ道で調査
隊の護衛に最低限の戦力を残し、残りでボルスの戦力と共に魔物の
群れを挟撃する﹂
足手まといに護衛をつけて純粋な戦力だけでボルスの救援という
作戦らしい。救援部隊も大変だな。
調査隊を指揮するベイジルの指揮下にある俺とミツキには関係の
ない事だ。
一時間ほど進んでマッカシー山砦との分かれ道に到着する。右に
行けば防衛拠点ボルス、左に行けばマッカシー山砦だ。
この辺りには魔物の姿がない。歩兵隊を数人置いて、救援部隊の
戦力がボルスへ向かう後姿を見送る。
﹁精霊人機を二機ともボルス救援に向かわせちゃって、いいのかな﹂
ミツキが遠ざかる雷槍隊の精霊人機二機を見送って呟く。
調査隊の操縦士のうち、曲がりなりにも動けるのは雷槍隊の隊員
一人だけ、つまりこの場には戦力としての精霊人機が一機だけしか
ない。その操縦士も熱が引いたとはいえ体調が万全とは言い難い状
況だ。
ボルスを襲撃している魔物の群れがこちらに来たら、すぐに壊滅
しそうだった。
580
﹁あの救援隊の隊長、突発的な事態には弱そうだね﹂
﹁他にいい手があるかと言われると困るけどな。とりあえず、ボル
スの戦況次第では救援隊の隊長も諦めてこっちに戻って来るだろ﹂
﹁その場合はマッカシー山砦に増援を呼びに行くんだよね。やだな
ぁ﹂
心底嫌そうに呟くミツキに賛同しつつ、ディアの索敵魔術の効果
範囲を最大にする。
今のうちから魔物の襲撃に備えようと思っての行動だったが、範
囲を拡大した途端に索敵魔術が反応した。
しかし、反応があるのはボルスではなく、マッカシー山砦方面だ。
﹁⋮⋮戻ってきたヘケトに反応してるなら、逃げ道ふさがれてアウ
トだなぁ、なんて思ってるんだけど﹂
﹁噂をすると影が差すぞ﹂
窘めながらも、考慮した方が良い可能性なのも自覚していた。
ディアの頭をマッカシー山砦方面に向ける。
﹁確認に行こう﹂
﹁りょうかい﹂
ミツキもパンサーをマッカシー山砦に向ける。
駆け出した俺たちを不思議そうに見ている合同部隊の面々の中で、
整備士君だけは事態に気付いたのかすぐに歩兵部隊に連絡しに走っ
て行く。
横目に見つつ、俺たちは道を駆け抜ける。
索敵魔術の設定をこまめに調整して対象の位置を特定していると、
道の先から聞きなれた足音がした。
俺はディアの速度を緩める。
581
﹁ちょうどいいタイミングだな⋮⋮﹂
道の先から重厚な音を立てて歩いてくるのは精霊人機が三機、更
に後方には鱗状の遊離装甲で覆われた整備車両と運搬車両の姿。統
率の取れた歩兵たちに守られた整備車両の助手席には、俺たちを見
て無表情に片手をあげて挨拶してくるロント小隊長の姿があった。
リットン湖攻略隊ロント小隊だ。
俺はディアの速度を調節しつつロント小隊に合流し、助手席のロ
ント小隊長に声を掛ける。
﹁奇遇ですね。奇遇ついでにちょっとお伝えしたいことがあるんで
すけど﹂
﹁ヘケトの群れなら道中であらかた始末してきた。ここから先は安
全だ﹂
俺たちが拠点にしている港町へ帰る途中だと思ったのか、ロント
小隊長は無感情に教えてくれた。
おおかた、修理が終わってマッカシー山砦に到着した途端に司令
官のホッグスからヘケトの討伐を命じられたのだろう。新大陸派の
ホッグスと開拓学校卒業生を多く組み込んでいるロント小隊は派閥
が違うだろうし、不快な思いをしたのは想像に難くない。
﹁︱︱おい、なんだアレ﹂
話している間にも道を進んでいたためか、ロント小隊の精霊人機
がボルスから立ち上る煙に気付いたようだ。
ロント小隊長が説明を求めるように俺を見た。
俺はボルスが魔物に襲われている事や調査隊の事などを手短に説
明する。
582
説明を聞いたロント小隊長が拡声器に手を伸ばした。
﹁速度を上げるぞ。この道の先に部隊がいる。一度合流して詳細を
確認した後、ボルスの救援に向かう。全員準備しておけ﹂
ロント小隊が速度を上げる。デュラの偵察任務の頃と比べると、
目に見えて練度が上がっていた。
﹁中型魔物の群れなんて相手にすれば、嫌でも練度は上がる﹂
誇るでもなくロント小隊長は言うが、そもそもヘケトの群れを相
手に練度の低い新兵ばかりの小隊で戦っている時点で異常な気がす
る。雷槍隊のような特殊兵装を持つ専用機でもないただの精霊人機
が三機でよく勝てたな。
ロント小隊長がボルスの煙を睨みながら声をかけてくる。
﹁アカタタワにホーアサ、指揮下に入れ。お前たち二人は遊ばせて
おくには惜しい戦力だ﹂
﹁遠慮しておきます﹂
﹁⋮⋮ベイジルさんとなら交渉する﹂
ロント小隊長でもベイジルにはさん付けなのか、と意外に思いつ
つ、首を横に振る。
﹁誰かの指揮下に入っても行動が制限されるだけで不利益ばかり被
る事が分かったので、遠慮してるんです。同じ指揮下にいる連中に
悪態吐かれながら命がけの戦いなんてばからしいですからね﹂
デュラの人々やロント小隊内の兵士の態度を知るロント小隊長は、
言葉を返せずにため息を吐き出した。
583
﹁使える者を有効に使う。それができない奴から死んでいくのが軍
人というモノだが、我が小隊には若い者が多い。目を瞑ってくれ﹂
﹁無理ですね。我慢するに足るメリットがどこにもないので﹂
正直に真正面から突っぱねると、ロント小隊長は先ほどよりも重
苦しいため息を吐いた。
﹁では、協力という形で構わない。手を貸してくれ。具体的には、
ボルス周辺にいる大型魔物の数を知りたい。索敵を頼めないか?﹂
﹁ベイジルとの交渉を終えてください﹂
﹁⋮⋮そこは雇われとしての筋を通すのか﹂
﹁契約ってそういうものですから﹂
合同部隊が道の先に見えてきて、ロント小隊が速度を緩める。
思わぬ増援の到着に合同部隊の兵士たちが胸をなでおろしていた。
ロント小隊長が助手席から下りて暫定指揮を取っていた雷槍隊の
操縦士と共にベイジルが寝ている整備車両へ入っていく。
俺はミツキと一緒に彼らから距離を取って、ロント小隊長が出て
くるのを持った。
ベイジルの性格から考えて、俺たちに出した依頼は調査隊の中断
をもって終了とし、指揮権を破棄した上でロント小隊長の指示に従
うよう頼んでくるだろう。
予想通り、整備車両から降りてくるロント小隊長の後ろに雷槍隊
の操縦士に肩を借りて下りてくるベイジルの姿が見えた。
三人が俺たちの下へ歩いてくる。ベイジルが肩を借りてまで向か
う先が俺とミツキの下だと気付いて、合同部隊の何人かが憎悪さえ
混ざった眼を俺たちに向けてきた。
ぼくらのえいゆうにむりをさせるなぁ、とか考えているんだろう
か。
584
整備士君が俺たちに向かって走ってくる。
また面倒な因縁をつけられるのかと思いつつうんざりして目を向
けると、俺たちの前で足を止めた整備士君はその場で深く頭を下げ
た。
﹁こんなこと頼める立場じゃないのは分かってる。でもベイジルさ
んはボロボロなんだ。これ以上歩かせないでほしい﹂
整備士君の言葉の途中で、俺はすでにディアを操作してベイジル
の下へ歩き出していた。
別にベイジルを苦しませる意味なんかどこにもないし、ベイジル
が依頼の終了を宣言してくれれば俺もミツキも晴れて自由の身だ。
﹁ミツキはそこで待っててくれ。ベイジルから感染するといけない
から﹂
﹁ヨウ君が感染したら白衣のナースコスプレで看病してあげるよ﹂
本気でやりそうで怖い。
手を振るミツキに見送られて、俺はベイジルの前に出る。
ベイジルは苦笑気味に、ディアの背中に座る俺を見上げていた。
﹁⋮⋮英雄と称賛されることが英雄の条件でしょうか?﹂
ベイジルの問いに、俺は肩を竦める。
﹁そう思うなら、そうなんじゃねぇの? ただ、英雄でないと人助
けしちゃいけないって法律もないけどな﹂
ベイジルの苦笑が深まる。血色の悪い者もちらほらいるが死者の
でていない調査隊を見回して、ベイジルは苦しそうに顔をゆがめた。
585
﹁では、君たちは英雄ではないのでしょう。自分が成らなければい
けないモノも英雄ではなかった。自分は蔑まれてでも真実を広め、
英雄ではない何かにならなければいけなかった。⋮⋮いや、これか
らなろう﹂
一度目を閉じたベイジルは俺に向き直る。
数瞬の後に開かれたベイジルの瞼の裏からは決意を秘めた瞳が現
れた。
﹁調査隊のために命を張ってくれてありがとう。依頼は終了です﹂
そう言って、ベイジルは手に持っていた札を差し出してくる。
ギルドに出せば依頼が無事に完了したことを証明してくれるその
札を受け取ると、ベイジルが頭を下げてくる。
﹁君たちの持っている防衛拠点ボルスの歴史の冊子を貸してくれな
いだろうか﹂
頼まれるままに、俺はディアの腹から小冊子を取り出す。ベイジ
ルが何をするつもりなのかは見当がついていた。
喜べミツキ、手間が省けたぞ。
586
第十二話 英雄への切符
﹁大型魔物の数を把握したら戻ってきます﹂
ロント小隊長に言い置いて、俺はミツキと一緒にボルスに向かっ
た。
まばらに木が生えている湿地を駆け抜け、ボルスから立ち上る煙
に目を向ける。
パンサーに乗ったミツキが俺に併走しつつ、自動拳銃を太ももの
ホルスターから抜いた。
﹁十中八九、魔物との戦闘になるけど、方針は?﹂
﹁エビとザリガニは目を撃ちぬいて視覚を奪う。カメとタニシは放
置﹂
甲殻系の魔物は単純に防御力が高いため、銃撃は効果が薄い。カ
メの大型魔物であるタラスクに至っては傷を負わせられるかもわか
らない。
だが、エビにしろザリガニにしろ、目玉を保護する物が存在しな
い。目玉であれば銃撃で破壊が可能だろう。
ミツキが頷きつつも疑問を挟んでくる。
﹁触角があるけど、どうする?﹂
﹁空気の振動を感じ取れるほど優秀な感覚はないだろうから大丈夫
だ﹂
匂いだけで動き回る兵士に狙いを定められるとも思えない。
今度はミツキも納得したようだ。
587
﹁それじゃあ、行こうか﹂
ディアの索敵魔術に反応があったため、俺は気を引き締めて速度
を上げる。
ここから先は戦闘地帯だ。
すぐにザリガニ型の魔物ブレイククレイが現れ、ハサミを振り上
げる。
ミツキが自動拳銃の引き金を引き、ブレイククレイの視力を奪っ
た。
俺も肩に担いだ対物狙撃銃はそのままに、護身用に携帯している
自動拳銃を構える。
ボルスに近付くほど戦闘音が激しさを増してくる。同時に、魔物
の数も増えてきた。
対処しきれない数の魔物は精霊獣機の機動力に物を言わせて戦闘
を回避しつつ、ボルスに向かう。
耳を撫でる風が轟々と煩くがなり立てる。木や魔物を避けるため
に急減速と急加速を繰り返す度に、体を後ろに引っ張られるような
感覚がする。
到着したボルス周辺には甲殻系の魔物が大挙して押し寄せていた。
雷槍隊の二機を主戦力に押し寄せる魔物に対処しているようだが、
それでも壁は所々破壊されており、タニシ型の中型魔物ルェシが壁
をよじ登っている。
ボルスの防衛に残っていたらしい精霊人機も三機が破壊されてお
り、壁のそばに放置されていた。
いまボルスの防衛に当たっている精霊人機は雷槍隊の二機と最新
型の精霊人機が七機。かなりの戦力に思えるが、甲殻系の中型魔物
を歩兵が仕留めるのは時間がかかるため、防衛に当たっている精霊
人機も余裕が見えない。
588
﹁ヨウ君、タラスクが近くに三体いる﹂
パンサーで木に登って周辺の確認をしていたミツキが報告をくれ
た。
カメ型の大型魔物タラスクは精霊人機でなければ駆除できない。
それでも、精霊人機がボルスの防壁から動けずにいるのは余裕がな
い証だった。
ひとまずロント小隊長へ報告しに戻ろうと、来た道を振り返った
その時、昼間だというのに周囲が明るくなった。
眩しさを感じたのは一瞬、次の瞬間にはすさまじい熱気が頭上か
ら襲いかかり、俺は思わず顔を庇いながら空を仰ぐ。
﹁︱︱マジかよ﹂
二階建ての建物なら丸々飲み込んでしまえそうな巨大な火の玉が
俺たちの頭上を過ぎ去り、ボルスの外壁を守っていた二機の精霊人
機に直撃した。
周辺に火の粉というにはあまりにも大きな火の玉がまき散らされ、
随伴歩兵を焼き払う。
あまりに凄惨な光景に、俺は顔をそむけた。
﹁ミツキ、今のはどこから飛んできた?﹂
﹁多分、北東だと思うけど、あっちに魔物の姿はなかったよ﹂
﹁遠距離攻撃か、さもなければ中型魔物が隠れて攻撃したのか。と
にかく行くしかないな﹂
あんな火の玉を連発されたら一帯が火の海になりかねない。正体
を突き止めてロント小隊に報告した方が良い。
すぐに北東に向かってディアを走らせる。
中型や小型の魔物を避けながらボルス周辺の森を抜けて行くと、
589
二十分ほどでそいつを見つけた。
﹁やっぱりタラスクか﹂
カメ型の大型魔物タラスクが崖の裏に体の大部分を隠しながらボ
ルスに向かって巨大な火の玉を撃ち出していた。
タラスクが打ち出す火の玉の行く先を見つめて、ミツキが呟く。
﹁ボルスまで八キロメートル近くあるんだけど﹂
﹁支援砲撃ってところか。こいつをどうにかしないと、いくら精霊
人機でもまともに戦えないだろうな﹂
タラスクの砲撃が直撃すれば精霊人機でもただでは済まない。歩
兵に至っては即死する。
ディアの頭をロント小隊の待機位置に向けて、砲撃タラスクを後
にする。
俺に並んだミツキが前方のアップルシュリンプを銃殺して、弾倉
を入れ替えた。
﹁ロント小隊だけで魔力袋持ちのタラスクを倒せると思う?﹂
﹁無理だろうな。それでも、時間稼ぎは出来るはずだ。ボルス周辺
の魔物を一掃すれば、あとは雷槍隊が処理するだろ﹂
雷槍隊の精霊人機が持つ特殊兵装は雷を纏っているため、甲殻の
防御を無視して内部にダメージを与えることができる。
途中で出会う魔物を避けつつ、戦場を走り抜ける。その間にも、
タラスクの砲撃はやまずにボルスに向かっていくつもの火の玉が飛
んでいく。
被害の大きさはあまり想像したくない。
湿地を駆け抜けて、合同部隊を護衛しているロント小隊を見つけ
590
た。精霊人機への魔力補充は済んでいるらしく、いつでも戦闘に移
行できる態勢を整えていた。
しかし、ロント小隊の精霊人機三機に並んで見慣れない精霊人機
が一機、起立していた。
非常にスマートなデザインのその精霊人機は、隣に並ぶロント小
隊の精霊人機よりも背が高く、腕も長い。全高八メートルほどはあ
る。
脚部、腰部、肩回りはバネが増設されて出力を高めてあった。特
に左の肩から手首に掛けては衝撃を緩和するためのサスペンション
が多く、右に比べて二割近く太くなっている。それでも、全体的に
細く、遊離装甲さえ持たない超軽装、高機動の精霊人機。
その精霊人機の正体は背負っている全長六メートル以上の巨大な
弓からも明らかだ。
﹁⋮⋮アーチェ?﹂
ベイジルの扱う、新大陸でも残存する機体の少ない弓兵仕様の精
霊人機アーチェ。
三十年ほど前の、型遅れというのもおこがましい骨董品じみた機
体でありながら、弓兵という唯一無二のコンセプトを持つがゆえに
現役で稼働する古強者の機体。
スマートな外見に高身長、各所に見える設計の古臭さが逆にこの
機体が屠ってきた魔物の数を表していた。
﹁自分も出陣しないといけません﹂
ベイジルの声がアーチェの拡声器越しに俺たちへ降ってくる。
アーチェの足元では整備士たちが敬礼していた。
﹁ボルスは、かつての戦友の人生の終着点。これからの戦友の人生
591
の出発点。自分のような老兵こそが守らなくてはなりません﹂
何を言っても、ベイジルは戦場に行くだろう。そう俺にも確信で
きるほど、ベイジルの声はしっかりしていた。
俺とミツキが索敵に出る前は肩を借りて歩いていたくらいなのに、
誰がベイジルを機体に乗せたんだか。
俺は整備士君を横目に見る。敬礼を崩さずアーチェのコックピッ
トを見上げる整備士君は苦い顔をしていた。
俺はロント小隊長のいる整備車両の助手席にディアを横付けする。
﹁タラスクはボルスの周辺に三体、更にボルスから北東のやや離れ
た場所に魔力袋持ちのタラスクが一体います。魔力袋持ちのタラス
クはボルスに向けてファイアボールで支援砲撃を行っていて、ボル
スでは随伴歩兵や精霊人機にかなりの被害が出ているようです﹂
ロント小隊長は俺の報告に頷いた。
﹁優先して砲撃タラスクを潰す必要があるな。幸い、我が小隊の存
在はまだ気づかれていない。奇襲を仕掛ける事もできる﹂
ロント小隊の方針は、砲撃タラスクへ奇襲をかけてボルスへの砲
撃を止めた上で、砲撃タラスクを撃破し、ボルス周辺の部隊と共に
魔物の群れを前後から挟み撃ちにするというモノだ。
出発を指示したロント小隊長が俺を見た。
﹁まだ何かあるのか?﹂
そりゃ、あるさ。
俺は病み上がりのベイジルが乗っているアーチェを指差す。
592
﹁アーチェを守る随伴歩兵は?﹂
アーチェは近接戦闘が苦手な機体だ。しかも、他の精霊人機とは
違って弓の特性上、小型や中型の魔物への対抗手段がほとんどない
特殊機体でもある。
随伴歩兵との運用が大前提の機体なのだ。
ロント小隊長は無言で合同部隊を指差した。
合同部隊から数人の歩兵が仲間に見送られながら出てくる。
﹁⋮⋮こう言うと侮辱と取られるでしょうけど、あの人たちは病み
上がりで役に立ちませんよ?﹂
﹁事実を口にする事を躊躇う必要はない﹂
ロント小隊長はそれきり口を閉ざしたが、時折俺に何か言いたそ
うな視線を向けてきた。
俺たちが随伴歩兵の代わりをすることを望んでいるらしい。
俺はロント小隊長の下を離れ、ミツキに並ぶ。
﹁随伴歩兵はリスクが高すぎる。俺たちは遊撃に回ろう﹂
﹁そうだね。拠点防御は苦手だもん﹂
意見がまとまって、俺は護身用の自動拳銃の弾倉を確認する。
俺たちが話している間に、ベイジルが随伴歩兵として出てきた合
同部隊の歩兵を追い返していた。
弓兵仕様で自分の身もろくに守れない機体に乗っている癖に単独
で行動するつもりらしい。病み上がりの随伴歩兵など連れて行って
もいたずらに死者を増やすだけだから当然の判断ではある。
それ以前にベイジルが大人しくしていれば良いだけなんだけどな。
しかし、ロント小隊の精霊人機三機は操縦者の実戦経験が少ない。
魔力袋持ちのタラスクを仕留める実力があるかは疑問だった。
593
ベイジルの腕がどれほどのものか知らないが、曲がりなりにも三
十年精霊人機に乗り続けたベテランだ。下手なはずはない。
ミツキが俺の袖を引っ張った。
﹁なんだ?﹂
﹁あのままだとベイジルが死ぬよ﹂
凄く嫌そうに、ミツキはアーチェを見る。
ベイジルが死ぬことが嫌なんじゃない。ベイジルに大してそこま
での感情を抱いていないのだから。
﹁狙ってやっているなら、顔面に拳を叩き込みたくなるな﹂
俺もうんざりしつつ、アーチェを振り返った。
寝てればいいのに、と思うが、ベイジルがボルスを守りたいとい
う気持ちも分かる。
ボルスはギスギスしていた弓兵隊が死ぬ間際に結束して戦い抜い
た場所だ。
守らなくては、戦友が命をかけて築いた物がガラガラと崩れ去る。
俺は死ぬ間際の喪失感を思い出す。
ボルスがなくなれば、ベイジルはあの喪失感を味わうことになる
だろう。
﹁ヨウ君、大丈夫?﹂
ミツキが心配そうにのぞきこんでくる。
あの喪失感を思い出したせいで顔色が悪くなっているのは自覚し
ていた。右足が幻の痛みを訴えてくる。
最悪な気分だ。
594
﹁ミツキ、ベイジルの援護をする。付き合ってくれ﹂
﹁ヨウ君がそんな顔するんじゃ仕方ないね﹂
﹁悪いな﹂
﹁それは言わない約束でしょう﹂
軽い調子のミツキの返事に救われながら、俺はベイジルが乗るア
ーチェにディアを近づけて声を掛ける。
﹁ベイジル、あんたに死なれると気分が悪い。そこで提案がある﹂
﹁提案ですか?﹂
ベイジルの不思議そうな声が降ってくる。
俺は深く頷いた。
﹁ベイジルに英雄になる機会をくれてやる。嫌われ者の俺とミツキ
の指揮下に入れ﹂
俺とベイジルの会話に聞き耳を立てていたロント小隊が全員そろ
って唖然としたのが気配でわかった。
ロント小隊とは対照的に、ミツキがパンサーの上で声を殺して爆
笑している。足をじたばたさせて笑いをこらえているようだ。
英雄視される古強者? 壁の外の話だろう。俺は興味ないね。
言葉を失っている様子のベイジルに、俺は続ける。
﹁指揮下に入るのか、入らないのか、どっちだ?﹂
﹁⋮⋮いいでしょう。ワステード司令官には怒られそうですが﹂
拡声器越しのベイジルの声は、少しだけ笑っていた。
笑いの滲む声で、ベイジルは続ける。
595
﹁どんな目で見られようとも、それがボルスを守ることに繋がるの
ならばそれでよいはずですから﹂
﹁交渉成立だ。それじゃ、作戦を始めよう。その前に﹂
俺は笑いの波が収まった様子のミツキがパンサーを寄せてくるの
を確認して、ベイジルに質問する。
﹁その機体、最高速度はどれくらいだ?﹂
596
第十三話 二機の猟犬と一機の猟師
この世界における魔物との戦闘は、精霊人機を核として歩兵、ま
たは車両の速度に合わせて行われる。
ボルス周辺の湿地帯では車両の通行が不可能な場所も多く、歩兵
の動きも悪くなる。生息している魔物も防御力が高いだけで動きの
遅い種類が多い。
必然的に、ボルス周辺での戦闘は機動力よりも火力が重視される
傾向にあった。
随伴歩兵の支援を受けながら大型、中型の魔物を精霊人機が仕留
めていく。陣取った場所の魔物を討伐し終えたら、次の戦場へ移動
する。その繰り返しだ。
だが、俺とミツキは精霊獣機に乗っている。速度は折り紙つきだ。
歩兵の速度に合わせて動くロント小隊を置き去りに、俺はミツキ
と共に湿地帯を走り抜ける。
俺たちの後ろにはベイジルが操るアーチェが走っていた。
正面に魔物の集団が見えてくる。
俺はすぐに対物狙撃銃をディアの角に乗せて引き金を引いた。
ザリガニ型の中型魔物ブレイククレイの頭が銃弾を受けて弾け飛
ぶ。
俺が次弾を装填している間に、ミツキが自動拳銃の引き金を立て
続けに引いて、近づいてきていたエビ型の小型魔物アップルシュリ
ンプを三体始末する。
走り続けるディアの上で装填を終えた俺は、生き残っているブレ
イククレイを撃ち殺して対物狙撃銃を背負い直す。
太ももの自動拳銃をホルスターから抜いて、後方を走っているア
ーチェに乗っているベイジルに一時停止の指示を出す。
アーチェが急停止した直後、ミツキがパンサーを操作してアーチ
597
ェの膝や胸を足場に高く跳躍させ、空中で素早く周囲を観察してか
ら地面に降り立つ。
﹁南西方向にブレイククレイの群れ﹂
アーチェを足場に跳躍する事で周囲の状況を目視したミツキが短
い報告をくれる。
俺は即座にディアの進路を南西に向けた。
フルスロットルで湿地を駆ける。
ディアが鳴いて索敵魔術に反応があったことを知らせてくれた。
即座に、俺は後方を走っているベイジルに次の指示を出す。
﹁弓で狙撃、二射﹂
アーチェが走りながら長弓を構える。大型魔物の腱で作られた太
い弦を引き絞り、弓がしなる。
次の瞬間、アーチェの魔導核に刻まれたロックジャベリンの魔術
式が作動し、長弓に矢を模したロックジャベリンが番えられた。
アーチェが一瞬立ち止まり、弦を摘まんでいた右手を開く。
次の瞬間、ドンというとても弓から発せられたとは思えない巨大
な音が響き渡り、ロックジャベリンが射出される。
回転しながら飛んでいくロックジャベリンの矢が俺たちの頭上を
飛び越え、前方の地面を盛大に弾き飛ばした。ブレイククレイの物
と思われる白っぽい肉片や赤色の甲殻片が土砂に混ざって四方へ飛
び散っているのが遠目にも確認できた。
アーチェが再び走り出して長弓を引き絞り、急停止後にロックジ
ャベリンの矢を放つ。
再度、前方で土砂と魔物の死骸がまき散らされた。
俺とミツキが群れのいた場所に辿り着いた時、ブレイククレイの
生き残りは恐慌状態に陥っていた。
598
三キロ以上先からミサイルのようなロックジャベリンを正確に撃
ち込まれたのだ。一射目で死んだブレイククレイには何が起こった
のかも分からなかっただろう。
同情はしない。死ね。
俺は容赦なく生き残っているブレイククレイを対物狙撃銃で狙撃
する。
俺とミツキに気付いたブレイククレイがようやく反撃に転じよう
とこちらに駆けだすが、ミツキが自動拳銃で端から順に目玉を撃ち
抜いていった。
ミツキが撃った弾には外れた物も多かったが、赤字覚悟で撃ち尽
くした端から弾倉を入れ替えて連射するため、ブレイククレイは次
々に視力を無くしていく。
俺も自動拳銃を抜いてミツキとは逆の端からブレイククレイの目
玉を撃ちぬいた。
無事なブレイククレイが近付いてきたのを皮切りに攻撃をやめ、
離脱する。
視力を失ったブレイククレイが右往左往しているが、止めは刺さ
ない。
どうせ無力化したのなら、放置して別の魔物を倒した方が戦略上
有利になる。
一瞬にして速度を上げるディアとパンサーを、アーチェがぎりぎ
りで追いかけてくる。
ミツキを乗せたパンサーが俺の前に出た。
﹁こっちの方角﹂
ミツキが指差す先に、俺も視線を向ける。
アップルシュリンプとタニシ型の中型魔物ルェシの混成群が見え
た。
599
﹁近付くまでもないな﹂
対物狙撃銃をディアの角に乗せ、流鏑馬のようにルェシを狙撃す
る。
距離があったために俺たちへの警戒を怠り堅固な殻に籠らず頭を
出していたルェシが銃弾を受けて即死する。
﹁アップルシュリンプは無視してこのまま先に進もう﹂
小型魔物程度であれば、後から来るロント小隊が瞬殺してくれる。
ロント小隊の精霊人機はハンマーを装備しているため、甲殻種だろ
うが小型の魔物程度は軽々と粉砕するだろう。
生き残りの魔物を無視して駆け抜ける。
ディアとパンサーは高機動の精霊人機であるアーチェでさえ追い
駆けるのがやっとという速度を平然と出していた。
ベイジルでなければとっくに音を上げて、速度を緩めるよう言っ
てきただろう。
それでもベイジルは文句も言わずに俺たちの後を追ってきていた。
進路を塞いでいるアップルシュリンプの群れを見つけて、俺は自
動拳銃を太もものホルスターから抜き放ち、引き金を引く。
ミツキと並んでの連射でアップルシュリンプに手傷を負わせたの
を確認して、自動拳銃をホルスターに収め、俺はアーチェを置いて
けぼりにする勢いでディアに加速を命じる。
﹁ミツキ、俺の後ろへ﹂
俺の意図を察したミツキが一度頷いてディアの背後にパンサーを
つける。
俺は衝撃に備えてディアのレバー型ハンドルを両手で握り込み、
重量軽減の魔術効果を一時的に切る。
600
次の瞬間、ディアが角を突き出す様に頭を下げた体勢でアップル
シュリンプの群れに突っ込んだ。
高速で走り込んできた鋼鉄製の獣にそのままの重量で体当たりさ
れ、アップルシュリンプが宙を舞う。
俺はすぐに重量軽減の魔術を最大出力で発動させ、ディアの背中
に俺自身の胸をつけるように姿勢を低くする。
いつもポケットに入れている圧空の魔術式が刻まれた魔導核へ魔
力を流し込み、発動させた。
圧縮された空気がディアの二本の角の内側に発生する。刹那に圧
縮された空気が解放され、暴風となってディアの角を、体を押し出
した。
最大出力で発動した重量軽減の魔術により極端に軽くなったディ
アが俺の発生させた追い風を受けて急加速する。
一瞬で、アップルシュリンプを弾き飛ばす直前と同等の速度に到
達したディアが群れを抜ける。
重量軽減の魔術を通常の出力に戻す俺の後ろで、ミツキが乗るパ
ンサーの尻尾が左右に振られ、無事だったアップルシュリンプを次
々に斬り殺した。
アップルシュリンプの群れを突破した俺とミツキを追おうとした
生き残りも、ベイジルが操るアーチェに踏み殺される。
あっという間に全滅したアップルシュリンプの群れは気に留めず、
俺はまっすぐ前を睨む。
﹁︱︱ベイジル、やれ!﹂
俺が命じた直後、アーチェが急停止し、長弓を引き絞り、ロック
ジャベリンを矢として番え、放った。
矢の形をしたロックジャベリンが大気を切り裂き、標的に向かっ
て突き進む。
標的は魔力袋持ちのカメ型大型魔物タラスク。
601
アーチェが放ったロックジャベリンは砲撃タラスクが今まさにボ
ルスに向けて放とうとしていた火の玉を突き破って爆散させる。
砲撃タラスクは寸前で飛来するロックジャベリンに気付いて周囲
に魔術で生み出した石の壁を張り巡らせていた。
しかし、瞬時に生み出された石の壁すらもアーチェの放ったロッ
クジャベリンは射抜き、砲撃タラスクの右前脚に浅く突き刺さる。
砲撃タラスクが口を空に向け、痛みに吼える。
砲撃タラスクの周囲にいた中型、小型の魔物たちも俺たちに気付
いて動き出した。
その間にも、アーチェが第二射を放つ。
砲撃タラスクが生み出した石の壁を貫いたロックジャベリンが砲
撃タラスクの右後ろ脚を浅く抉った。
軽傷ながら二度も傷を負わされた事で、砲撃タラスクは甲羅の中
へ頭や手足を引っ込め、防御態勢を取る。もうボルスへ攻撃する余
裕はないらしい。
﹁周囲の魔物が寄ってくる。三射目の後、砲撃タラスクの後方へ移
動する﹂
アーチェが三射目を放ち、砲撃タラスクの引っ込めた右後ろ脚に
ロックジャベリンを突き立てる。砲撃タラスクの足を覆う鱗ではア
ーチェの矢を防ぐことができない。
砲撃タラスクの後方に向かってディアを加速させながら、様子を
窺う。
砲撃タラスクは甲羅の隙間を石の壁を生み出す魔術ロックウォー
ルで塞いだ後、更に俺たちとの間にロックウォールを展開する防御
態勢に移行した。
小型や中型の魔物に任せればアーチェの動きを封じることができ
ると判断したのだろう。
だが、甘い。
602
俺はミツキと共に索敵魔術の設定をこまめに変更し、魔物がいな
い空白地帯を探し当てる。
あとは空白地帯までアーチェを誘導するだけだ。
砲撃タラスクの後方に、どれほど訓練された部隊でも不可能な速
さで駆け、進路をふさぐ邪魔な魔物を対物狙撃銃と自動拳銃で無力
化する。
あり得ない速さでの精霊人機の運用を、ディアとパンサーの索敵
魔術と俺とミツキの広い射程で可能にする。
ボルス周辺の動きの遅い魔物が対応できるはずもなく、魔物が反
撃に転じようとした時その場に俺たちはいない。
空白地帯に到着してすぐ、俺はベイジルに攻撃指示を出す。
﹁砲撃タラスクの尻尾を射抜け﹂
﹁了解です﹂
俺たちがあまりにも速く移動したためか、砲撃タラスクは後ろに
回り込まれた事にも気付いていないらしい。甲羅の隙間はロックウ
ォールで塞いでいるが、それ以外の壁はない。
アーチェが長弓をきつく引き絞ってロックジャベリンを放つ。
ロックジャベリンは狙い過たず尻尾を射抜き、衝撃で砲撃タラス
クの巨体をわずかに浮かせた。
込められた魔力がなくなって消滅したロックジャベリンの突き刺
さっていた尻尾の傷口から、砲撃タラスクの鮮血が噴き出し、近く
の木々を真っ赤に染める。
﹁ヨウ君、魔物が東から来るよ﹂
﹁それじゃあ一時離脱で﹂
砲撃タラスクがロックウォールを周囲に張り巡らせて完全に引き
籠ったのを確認した俺はすぐに離脱を決断する。
603
﹁砲撃タラスクの警戒が解けるまで周辺の魔物をリットン湖方面に
誘導しつつ、適度に始末する﹂
﹁それなら東の魔物から釣り出すね﹂
﹁そうしてくれ。ミツキ、誘導を頼む﹂
﹁頼まれた﹂
ミツキの誘導に従って東に転進する。
動きの鈍い甲殻系の魔物が追いつけるはずもないが、今回は魔物
たちを戦場から遠ざけるための誘導が主目的であるため、ディアの
速度を少し落とす。
牧羊犬のように魔物たちの周りを動き回って、少しずつひとまと
めにしてリットン湖方面へ誘導していく。
砲撃タラスクの周辺にいた魔物をひとまとめにした時、それまで
籠城を決め込んでいた砲撃タラスクがロックウォールの魔術を解い
て顔を出した。
すかさず一か所にまとめた魔物から距離を取って魔物のいない場
所へアーチェを誘導する。
危険は去ったと安心してボルスへの砲撃を再開しようとしていた
砲撃タラスクに、アーチェの放った矢が飛来する。
しかし、矢に気付いた砲撃タラスクがすかさず頭を引っ込めた。
それまで頭があった位置に矢が突き立つ。もう少し早ければ砲撃タ
ラスクを仕留めていただろう。
再び籠城を始めた砲撃タラスクを放置して魔物の誘導を再開する。
その時、ロント小隊が到着した。
﹁砲撃タラスクを仕留める。精霊人機で三方から囲み、ハンマーで
甲羅を破壊しろ﹂
ロント小隊長が整備車両の拡声器で精霊人機に指示を与えた。
604
﹁アカタタワ、この場はロント小隊が引き受ける。小型中型の魔物
をそのまま釘付けにしておいてくれ﹂
嫌なこった。
﹁ヨウ君、悪い顔してるよ﹂
﹁お互い様だろ﹂
﹁考えることは同じだよね﹂
ミツキと笑い合って、ひとまとめにした魔物から距離を取る。
アーチェを操作するベイジルが疑問を投げかけてきた。
﹁魔物を釘づけにしろとの指示はどうするつもりでしょう?﹂
﹁従う理由がない。ベイジルはいま俺とミツキの指揮下だ。なら、
魔物を殲滅した方が早い﹂
距離が開いたのを確認して、俺はアーチェを見上げて魔物の群れ
を指差す。
﹁俺とミツキが同時にファイアボールを打ち上げたら、その度に魔
物の群れの中心に矢を放て﹂
命じておいて、俺はミツキと一緒に魔物の群れに向かう。
アーチェに合わせる必要がなくなり、俺達は精霊獣機を最高速で
走らせる。
対物狙撃銃を背負って、自動拳銃を取りだし、構える。
﹁俺は右回りで行く﹂
﹁私は左回りだね﹂
605
魔物の群れの左側面に回り込んだ俺は、ブレイククレイを優先的
に狙って自動拳銃の引き金を引く。
挑発と受け取ったブレイククレイが動き始めると、周囲の魔物も
つられて動き始めた。
速度に緩急をつけて群れの周りを半周し、ミツキと合流する。
俺とミツキを追ってきた魔物たちの列がぶつかり合い、極端に密
集した。
﹁せーの﹂
ミツキと一緒にファイアボールを空高く打ち上げ、その場を離脱
する。
直後に轟音を伴って魔物が密集していた地点がはじけ飛んだ。ア
ーチェの放ったロックジャベリンの矢が魔物ごと地面を抉ったのだ。
ばらばらになった魔物の死骸が降り注ぐ。
離脱していた俺たちは再び群れに向かった。
左右二手に分かれて恐慌状態の魔物を挑発し、タイミングを合わ
せて追いかけてきた魔物たちの列をぶつけて密集地帯を作り出す。
ファイアボールを打ち上げれば、直後に矢の代わりのロックジャ
ベリンが高速で飛来して渋滞していた魔物の群れを粉砕する。
比較的動きが早いブレイククレイを始末し終えた俺とミツキはア
ーチェと合流した。
横目で見ると、ロント小隊が砲撃タラスクを精霊人機の巨大なハ
ンマーで滅多打ちにしている。
﹁浦島さんがいたら怒るだろうね﹂
﹁タラスクがかわいそうに見えてくるからやめろ﹂
ミツキに言い返しながら、俺は対物狙撃銃をディアの角に乗せる。
606
狙いは俺たちに向かってくる魔物たちの群れの中でも後方にいる
タニシ型の中型魔物ルェシだ。
スコープを覗き込んでルェシの頭を狙う。
動きを読む必要もないほど動きの遅い魔物だ。垂直な壁を平気で
登ってくるような奴だが、平地で相手をする分には的でしかない。
引き金を引いて、前から順に倒していく。
いち早くこちらにやってきたエビ型の小型魔物アップルシュリン
プはミツキが森に誘導して好き放題に蹂躙していた。
木を利用した三次元の機動に加え、パンサーの爪や尻尾の刃の攻
撃力、ミツキが使う自動拳銃の射程と連射速度の前に、動きの遅い
アップルシュリンプは対応できずにバタバタと倒れていく。
ミツキがアップルシュリンプをあらかた始末したころには、俺も
ルェシや生き残っていたブレイククレイを片付け終えていた。
撃ち過ぎて熱くなった銃身を冷ましながら、砲撃タラスクを見る。
ロント小隊の精霊人機に滅多打ちにされていた砲撃タラスクが体
の周囲に巨大な火の玉をいくつも発生させて反撃に転じようとして
いた。
近接戦闘主体のロント小隊の精霊人機相手ならばそれでいいだろ
う。だが、
﹁︱︱ベイジル!﹂
俺が名前を呼ぶと同時に、アーチェが弓を引き絞った。
ギシギシと音を立てる長弓に矢の代わりのロックジャベリンが番
えられた。
放たれたと思った刹那、砲撃タラスクが反撃に使おうとしていた
火の玉の一つを爆散させた矢が砲撃タラスクの頭を貫き、そばの崖
に突き立った。
607
第十四話 荷物を降ろした老兵
砲撃タラスクの討伐に成功してから、戦況は一気に傾いた。
ボルスの防壁を守っていた精霊人機の行動が自由になり、残りの
タラスクを仕留めると中型魔物や小型魔物がリットン湖へ引いて行
く。
追撃はほどほどで打ち切られたが、ボルス周辺には大量の魔物の
死骸が転がる事になった。
いま、開拓者はギルドを通じて参加を義務付けられた死骸の回収
と除去に専念していた。
俺もミツキと一緒に砲撃タラスクの近辺に転がる魔物の死骸を片
付けていた。
﹁この数を二人だけでって言うのはキツイな﹂
俺は周囲を見回す。数える事さえ諦めたくなるほどの死骸が広範
囲に散らばっていた。
この区域における中型、小型魔物の六割ほどを俺とミツキで倒し
ている。つまり、所有権は俺とミツキにある。残りは全部ベイジル
の分だ。
タラスク以外の魔物は今回の戦闘でかなりの数が討伐されており、
魔物の死骸には価値がほとんどない。
だが、死骸の中の魔力袋は別だ。
﹁原形を留めてるのが私たちの取り分だから、ロープで縛ってディ
アとパンサーに引っ張らせようよ﹂
ミツキの提案に賛成して、魔物の死骸にロープをくくりつける。
608
湿地帯をズルズルと引っ張り回して死骸を一か所にまとめ、魔力
袋の回収をミツキに任せた。
俺はベイジルの操る弓兵仕様の精霊人機アーチェの攻撃でお亡く
なりになった魔物の死骸を片付ける。死骸、でいいはずだ。原型と
どめてないけど。
﹁とったどー﹂
ミツキが魔力袋を見つけたらしい。
視線を向けてみると、かなり大きめの魔力袋だった。中型魔物か
らとれたとは思えないレベルだ。
ミツキが得意げに魔力袋を保存用の袋にしまい込む。
﹁精霊人機でも動かせるかもよ﹂
﹁大きいだけの粗悪品って可能性もあるけどな﹂
﹁そういうテンションが下がることは言わないの﹂
てきぱきと片付けを進めていると、ギルドの運搬車両がやってき
た。
運搬車両の助手席から降りてきたギルドの職員が大量の魔物の死
骸に口を半開きにする。
﹁⋮⋮これがお二人の取り分ですか?﹂
﹁そうです。むこうの原形を留めてない死骸はベイジルが矢で殺戮
した分なので、回収しないでください。後で軍の回収班が持って行
ってくれるそうです﹂
職員は俺が乗っているディアを見て眉を顰めた後、運搬車両に合
図を送る。
運搬車両の荷台から精霊人機が一機、降りてきた。
609
﹁それでは、お二人の討伐分の死骸を回収します。数は分かります
か?﹂
﹁小型魔物アップルシュリンプが四十七、中型魔物ブレイククレイ
が二十一、ルェシが十一です﹂
﹁⋮⋮本当に、お二人の戦果ですよね?﹂
﹁信じてもらわなくても結構です。軍の回収班にベイジルが同行し
て証言することになっているので、それまで待っていてくれてもい
いですよ﹂
その間に魔力袋を取り出す作業を進めるだけだ。
ギルドの職員はベイジルを待つことにしたらしい。まぁ、数が数
だ。信じられないのも無理はない。
俺も魔力袋の回収を始めると作業はスムーズに進み、魔力袋が十
も得られた。
﹁多くない?﹂
ミツキが魔力袋で一杯になった保存用の袋をパンサーに積んで、
首を傾げる。
﹁魔物は魔術を使ってこなかったよね?﹂
﹁使う暇がなかっただけだろう。もともと動きの遅い魔物だし、俺
たちはずっと走り回っていたんだから﹂
ボルスの防壁周辺の戦いでは中型魔物による魔術攻撃が度々あっ
たらしく、そちらでもかなりの被害が出ていたらしいとロント小隊
長から聞いている。
車が走ってくる音が聞こえてくる。
振り返ってみると、軍の運搬車両がギルドの運搬車両に並ぶとこ
610
ろだった。
助手席から降りてきたベイジルがこちらに歩いてくる。
﹁分別を任せてしまってすみません。会議が長引いてしまって﹂
﹁いえ、ひとまず確認をお願いします﹂
ベイジルが魔物の死骸の確認を終えて死骸を軍の運搬車両に積み
込むよう指示を出すと、ギルドの職員もようやく俺たちの戦果を信
じたらしく、運び出し始めた。
﹁死骸の買い取り料金ですが、今回の戦闘でかなりの量が出回るの
で値崩れを起こしています。収入としては期待しないでください﹂
そんな事だろうと思っていた。
﹁どうぞ、適当に処分してください。魔力袋も取り出しましたから、
死骸には興味ないです﹂
俺とミツキが倒した分の魔物の死骸を運んでいくギルドの運搬車
両を見送って、俺たちも宿に戻ろうと精霊獣機に乗る。
その時、ベイジルがやってきた。
﹁ワステード司令官がお二人とお話ししたいとの事なので、司令部
にいらしてくださいませんか?﹂
﹁お断りします、とお伝えください。明日の朝には出発しようと思
っているので、今日は準備に忙しいんです﹂
今回の戦闘でボルスは大損害を被った。人的被害も物的被害もか
なりのもので、ボルスの放棄こそされないもののしばらく復旧作業
に専念することになるとみられている。
611
そのため、ボルスの開拓者たちは活動場所をボルスから移す算段
を始めている。何しろほとんどが一線級の実力者で構成されている
開拓団だ。ちまちま復旧作業の手伝いをするよりも別の最前線で魔
物を狩った方が儲かるのだから。
開拓団が揃ってボルスを出るとなれば、食料品が高騰する。今日
のうちに旅の準備を整えておかないと、ボルスから出られなくなる
恐れがあった。
ワステード司令官に呼ばれようが関係ない。俺もミツキも軍人で
はなく開拓者だからな。
ベイジルは苦笑気味に頭を掻いた。
﹁では、宿へ直接お訪ねしましょう﹂
﹁どうぞ、ご勝手に﹂
明日に備えて寝てるかもしれないけど。
ミツキと一緒にその場を後にし、ボルスに戻る。
ボルスへの道中、動きの早い行商人が馬車を走らせてどこかへ向
かって行った。
﹁防壁の復旧で需要が増えると見越して、資材を買い付けに出たん
だろうね﹂
﹁ボルスの人員穴埋めで兵も派遣されるだろうし、帰りは兵に護衛
してもらうのかもな﹂
どこもかしこも戦後処理で慌ただしいが、商人たちは未来を見据
えて動き出しているらしい。商魂たくましい事で。
予定通り食料品を買い込んで宿に戻り、ディアとパンサーの整備
に入る。
帰り道はロント小隊がヘケトの群れを討伐してくれているため安
全だが、備えあれば憂いなしだ。
612
整備を終えて部屋に戻れば、ミツキが夕食を作り始めていた。
﹁まだしばらくかかるから、体を洗ってきなよ﹂
部屋に備え付けの簡易調理台を見れば、豊富な食材が乗っていた。
ベイジルがワステード司令官を連れてくることを見越して、手の
込んだ料理を作っているらしい。
だが、豊富なのは種類だけで、量はそれほどでもない。ベイジル
やワステードの分を用意する意味はないから当然か。
﹁ベイジルたちが来ても、俺の準備が整うまで部屋に入れないでく
れ﹂
﹁分かってるって。私とヨウ君の武装がちゃんと整ってないと危な
くて中に通せるわけないよ﹂
ミツキの言葉に甘えて、狭い浴室に入って体を洗う。
ディアやパンサーを整備している時に付いた油汚れを落として、
体の水気を拭いて服に着替える。
浴室から出ると、ミツキは火にかけた鍋の様子を見ながら本を読
んでいた。
髪にタオルを当てていると、部屋の扉が叩かれる。
﹁どなたですか?﹂
﹁ベイジルです。ワステード司令官もおります﹂
扉を開けると、ベイジルとワステード司令官が立っていた。今日
は副司令官を連れてこなかったらしい。
ボルスの補修その他で忙しいだろうから、司令部を空にするわけ
にはいかなかったのだろう。
俺は戸口に立ったまま、二人に訊ねる。
613
﹁ご用件をどうぞ。バランド・ラート博士について新情報が得られ
たわけではないんでしょう?﹂
防衛拠点ボルスから港まで約二日、旧大陸の本国に問い合わせる
なら海を渡る時間も必要になる。俺たちがボルスを留守にしている
間の時間では往復する事も出来ない。
案の定、ワステード司令官は﹁残念ながら、まだだ﹂と首を振っ
た。
﹁バランド・ラート博士については後一カ月ほど掛かる見込みだ。
今日は君たち二人に依頼を出したくて訪ねたのだ﹂
﹁依頼ですか﹂
明日にはボルスを出発すると言ったはずだが、ベイジルから話を
聞いていないのだろうか。
ワステード司令官は俺の表情から疑問を読み取ったのか、ベイジ
ルを横目に見た。
﹁明日発つと、ベイジルから話は聞いている。しかし、この度のボ
ルス防衛戦における二人の戦果を考えると、どうしてもリットン湖
攻略戦へ参加してもらいたくてね﹂
ワステード司令官が一枚の紙を取り出した。
受け取って中身を確かめると、ボルス防衛戦の個人戦果の上位者
をまとめた資料だった。
精霊人機の操縦者で埋め尽くされた上位陣の中に俺とミツキの名
前が載っている。備考欄に開拓者ギルド所属と記載されていた。
獲物の取り合いになる防壁付近の戦いと違って、他に狙う者のい
ない魔物を狩りまくっていた俺たちが、精霊人機の戦果に肩を並べ
614
てしまったらしい。
﹁そしてもうひとつ、誰が倒したかもわからない中型、小型の魔物
が防壁周辺に屍を晒しているのが散見された。解剖の結果、銃弾が
出てきたのだが、君たちの仕業かな?﹂
ロント小隊長に言われて索敵に出た際に倒した奴だな。完全に忘
れていた。
⋮⋮あの時、何体倒したかな?
﹁数を覚えてないので権利を放棄しますが、俺たちも倒したのは確
かです﹂
﹁やはりか。銃を使う者はボルスにいない。ロント小隊の精霊人機
操縦士かとも思ったが、精霊人機から降りてないという。もしかし
たらと思ったのだが、当たりだったな﹂
とはいえ、俺たちが権利を放棄したので、魔物の死骸は軍が処分
するという。
﹁さて、話を戻そう。リットン湖の攻略に参加してもらいたい。ベ
イジルのアーチェを最大効率で運用するには君たち二人の索敵能力
と機動力が必要だ﹂
﹁精霊獣機が欲しいのなら、作りますよ?﹂
わざと申し出て、ワステード司令官の反応を見る。
ワステード司令官は渋い顔をした。
﹁乗り手がいない﹂
﹁乗り方くらい教えましょう﹂
615
間髪を入れず答えると、ワステード司令官は根負けしたようにた
め息を吐いた。
﹁乗りたがる者がいないのだ。精霊獣機はそれほど嫌われている﹂
﹁そんな事だろうと思いました。リットン湖攻略は大規模作戦でし
ょう。それなりの数の軍人が同行する中で嫌われ者の俺たちが参加
してどんな目に遭うかは想像に難くありません。その依頼はお受け
できませんね﹂
依頼を突っぱねると、鍋の火を消したミツキがやってきた。
﹁そもそも、報酬に何を提示するつもりなの? 私たち、お金は間
に合ってるんだけど﹂
元々が特許料で儲かっている上に、今回の防衛戦で魔力袋も手に
入っている。当面、金には困らない。
ワステード司令官は難しい顔をしていた。
﹁その点は相談次第だと思っていたのだが、何か欲しい物はあるの
かな?﹂
﹁バランド・ラート博士の情報くらいですよ。ベイジルの依頼報酬
として設定されていますから、これも間に合ってますけど﹂
ワステード司令官が思案顔をしていると、それまで黙っていたベ
イジルが口を挟んだ。
﹁では、バランド・ラート博士殺害事件の容疑者、ウィルサムに関
する情報はいかがでしょう?﹂
ベイジルの提案は一考の余地があった。
616
容疑者ウィルサムに関する情報は新聞でほとんど得られていない。
熱心な精霊教徒であったという事くらいで、まともな情報は新聞で
も報じられていないのだ。
すでに事件は話題性を失っており、新たな報道も期待できないだ
けあって、ベイジルの提案はありがたい。
﹁リットン湖攻略に参加する場合、指揮権はどうなりますか?﹂
﹁もちろん、軍の雇われという形になる﹂
﹁ではやはり、遠慮しておきます﹂
軍の指揮下で戦っても碌なことはない。
ワステード司令官が腕を組んで目を閉じる。
﹁⋮⋮君たち二人だけならば自由行動を認めても構わない。一方的
に契約を破棄するのも自由、という条件ならばどうだ?﹂
﹁かなり譲歩しますね﹂
﹁攻略戦は魔物に不意を突かれることも多い。索敵能力の強化は必
須だ。だが、リットン湖までは湿地帯が広がっていて歩兵や車両で
斥候を展開するのが難しい。君たち二人がいるかどうかで動きがか
なり変わるのだ﹂
少し悩んだが、ワステード司令官の譲歩で俺たちのリスクは大き
く低下した。
報酬のウィルサムに関する情報は転生した理由を調べる上で重要
度が低いものの、あるに越したことはない。
ミツキと視線で確認し合って、意見をまとめてから、俺はワステ
ード司令官に向き直った。
﹁攻略隊の出発は何時ですか?﹂
﹁しばらくはボルスの復旧作業で掛かり切りになる。攻略隊の編成
617
と合わせ、出発まで二カ月ほどかかるだろう﹂
﹁では、それまでは自由ですね。分かりました。先ほどの条件で依
頼を受けましょう﹂
﹁参加してくれるなら、ワクチン接種の手続きをしておこう。私の
名前を出してしまえば、無下には断られないだろう﹂
﹁それは助かりますね﹂
ワステード司令にとってもいざ攻略戦という最中で俺たちが発症
すると攻略部隊そのものが危ないと考えたのだろう。
今回の調査隊は一歩間違えれば全滅していた。予防は重要である。
その場で依頼書を作り、内容を確認する。
依頼の開始は攻略戦の出発日から、出発日の前にギルドを通じて
俺たちへ連絡を入れるという。
依頼書は俺たちの方でボルスのギルドに持ち込む事にした。明日、
ボルスを発つ前にギルドによって、依頼書を出せばいい。
二か月後に再会する約束をして、ワステード司令官は俺たちに背
を向けた。
﹁そうだ。攻略隊が出発する頃なら、バランド・ラート博士に関す
る情報も手に入っているだろう。資料を作れる内容かどうかわから
ないので、司令部に連絡してほしい。こちらから君たちを訪ねよう﹂
帰り際にそう言って、ワステード司令官はベイジルの肩を叩いて
帰って行った。
残されたベイジルが笑顔で俺に防衛拠点ボルスの歴史と題された
小冊子を差し出してくる。
﹁いくらか追記しておきました。この内容でギルドでも新しく頒布
される予定です。自分の証言内容を補強するため、当時の手記を同
時に公開することも、ワステード司令官に許可をもらいました。次
618
に会う時、自分は英雄とは呼ばれていないでしょう﹂
ベイジルは言葉の内容とは裏腹に肩の荷が下りたような顔で言っ
て、帰って行った。
619
第十五話 開拓団﹃飛蝗﹄
フハハハハ、キタコレ。
ボルス防衛戦から五日が経ち、俺たちは拠点にしている港町に戻
ってきていた。
借家に帰ってすぐガレージに籠った俺は道中でつらつらと考えて
いたこの超兵器を完成させたのだ。
コレならギガンテスにもダメージ入るんじゃないか?
さすがにガレージ内でぶっ放すわけにもいかないので試射はまだ
だが、威力は十分のはずだ。
俺は圧空の魔導核を握りしめる。これが、これこそが先見の明。
﹁フフフ、フハハハ﹂
﹁︱︱ヨウ君、朝ご飯できたよ﹂
﹁おう、いま行く﹂
ミツキに呼ばれて、俺はすぐに無理やり上げていたテンションを
戻してガレージを出る。
腹ごしらえは大事だ。ミツキの料理ともなれば、食べないのは人
生の損失である。
リビングに行くと、ミツキの料理が並んでいた。
﹁いただきます﹂
席に着いて手を合わせ、さっそく食事を開始する。
海藻サラダに箸を伸ばすと、茹で卵を食べていたミツキが質問し
てきた。
620
﹁完成したの?﹂
﹁あぁ、完成した。試射をしたいけど、この辺りでぶっ放すわけに
もいかないから午後に出かけるよ﹂
﹁私も行く﹂
﹁それじゃあ、帰りに市場に寄ろうか。今日は旧大陸からの船が来
航するから、面白い物があるかもしれない﹂
今日は新超兵器の試射以上に面白い物はないと思うけど。
いやはや、楽しみだ。予定していた蓄魔石の出力上昇に耐えうる
部品の自作は遅々として進んでないのが玉にきずだが、この数日は
充実した開発生活だった。
食事を終えて食器を洗った俺は、リビングのソファでミツキが読
んでいる新聞を覗き込む。
見出しにはボルスの英雄、過去を暴露と書いてある。
﹁ベイジルが当時の手記を公表したみたいだよ﹂
ミツキが俺にも見やすいように新聞を持ち上げてくれた。
小さな記事だ。
﹁︱︱それでも慕う者は多い。それは彼が今までの人生で積み上げ
てきたモノが曲がりなりにも英雄としての条件を満たしていたから
だろう、ね。いい感じに締めてるな﹂
﹁あくまでも美談にしておきたいのかもね。ボルスが大損害を被っ
てリットン湖の攻略が先延ばしになったから、攻略隊の士気を保っ
ておきたいんだよ﹂
﹁さもありなん。とはいえ、周りが認めてるんならそれでいいか﹂
結局、俺たちにとっては他人事でしかないし。
621
﹁それより、早く試射しに行こう﹂
﹁ヨウ君、新しいおもちゃを手に入れた子供みたいだよ﹂
﹁何と言われようと、楽しみにしているこの気持ちは嘘じゃないん
だよ﹂
﹁家の中でゴロゴロするのもいいと思うんだけどなぁ﹂
﹁帰ってからなら付き合ってやるよ﹂
そんなわけで、俺はミツキと一緒に町の外へ試射しに出かけた。
︱︱結果、ディアが壊れた。
最悪な結果を出した試射を終えて、俺はふらつくディアを操作し
ながら借家へ向かう。
パンサーに乗っているミツキが苦笑する。
﹁落ち込み過ぎだよ。ディアが壊れたのは想定外だけど、威力は申
し分なかったじゃない﹂
﹁一発撃ったらディアが壊れるようじゃ、実戦で使い物にならない
だろ﹂
まさか反動に耐えきれずディアの首がいかれるとは思ってもみな
かった。
ディアの首は対物狙撃銃の反動を軽減し、乗り手の俺に一切反動
を伝えないほどのクッション性能を有する。それが一発でいかれた
のだ。
﹁魔導鋼線で遠隔操作せずにヨウ君が直接引き金を引いていたら、
肩を痛めていたかもね﹂
ミツキの予想に頷く。
622
それくらい、新兵器の反動が常軌を逸していた。
﹁ディアの首を直して、新兵器の反動軽減方法を考えて、場合によ
っては威力を抑えて⋮⋮﹂
﹁先に私とごろごろしようね﹂
﹁おう﹂
言葉を交わしている内に借家の玄関が見えてくる。
俺たちは玄関に到着する前に足を止めた。
玄関前に見慣れない集団が立っていたからだ。
黒い革ジャケットを身に着けた、明らかに武闘派の集団だ。女一
人に男が七人、男たちは刃渡り二メートル近い大剣を背負っている。
どれも大男で、身長は軒並み二メートル超え、鍛えられた身体つき
に、鋭い目つきをしている。
そんな大男七人に囲まれた女は二十代の後半、茶髪をボブカット
にしている。赤い革ジャケットの上からも分かるほど女らしい体つ
きをしていた。
ただでさえ不気味がられて人が近付かない我が家の前にそんな集
団がいるものだから、辺りに人気は全くなかった。
集団が着ているお揃いの革ジャケットには赤いバッタが描かれて
いた。おそらく、名のある開拓団の紋章だろう。
護身用の自動拳銃に手を伸ばしながら、俺は玄関前に立つ集団に
声をかける。
﹁うちに何か用ですか?﹂
正直、危なそうだから声を掛けたくなかったんだけど、玄関を塞
がれては仕方がない。
集団の中央にいる女が振り返った。
623
﹁鉄の獣の二人組ってのは、あんたたちであってるね?﹂
﹁その呼び名は知りません。あなた方は?﹂
問い返すと、女は意外そうな顔をした。隣にいる男の背中に描か
れている赤いバッタの絵を指差して、俺に首を傾げてくる。
﹁この紋章を見たことがない? 開拓者にも嫌われてるってのは本
当みたいだね。まぁ、そんな気色悪い物を乗り回してれば当然か﹂
女は俺のディアを指差してそう言って、ケラケラ笑う。
﹁開拓団〝飛蝗〟覚えておきな。あんたたちと同じ嫌われ者さ﹂
やっぱり聞いたことがない。
ミツキも同じく聞いた事が無いらしく、首を傾げていた。
俺たちの反応が薄かったせいか、女は肩を竦めた。
﹁ちなみにあたしが団長のマライアだ。あたしらは今回のデュラ奪
還作戦への参加を依頼されている。そこであんたらにデュラの様子
を聞きに来たってわけだよ﹂
デュラ奪還作戦なんか知らないんだけど。
とりあえずケンカを売りに来たわけではないようなので、話を聞
くことにする。
﹁俺たちがデュラに行ったのはロント小隊の偵察任務に同行したの
が最後です。情報としては古い部類だという事を念頭に置いてくだ
さい﹂
﹁構わないよ。あんたら以外の参加者はどうにも使えない奴ばっか
りだったらしいからね。話を聞けるだけでも御の字さ﹂
624
マライアさんが隣の大男の肩を叩く。すると、大男が石魔術ロッ
クジャベリンを使って足元に石の丸太を転がした。
マライアさんが石の丸太に腰を下ろして足を組む。
﹁デュラ出身者が足を引っ張ったと竜翼の下のメスガキから聞いて
るよ。ほれ、あんたらもお小言を頂戴した口だろ。細いメガネかけ
た口やかましいあのメスの事だよ。名前なんつったっけ?﹂
マライアさんが空を仰ぐと、大男の一人が口を開く。
﹁リーザです、姉御﹂
﹁思い出した。リーゼだよ、お馬鹿。人の名前を間違えるんじゃな
いよ﹂
マライアさんもその名前、忘れてましたよね?
マライアさんが俺たちを見て、話を続ける。
﹁足手まといだった素人共についての話も聞きたいね。奪還作戦に
もデュラの足手まといが参加するかもしれないからさ﹂
促されて、俺は偵察依頼での話を聞かせる。首抜き童子や二重肘
の事も含めて詳細に話していると昼を過ぎ、小腹がすいてきた。
話し終えると、マライアさんは腕を組む。
﹁戦い方がやや洗練された人型大型魔物の魔力袋持ちが二体。他の
ギガンテスも経験を積んでるみたいだね。バス、デル、使いっ走り
だ。竜翼の下を引っ張ってきな。それとバカ弟もだ。どこほっつき
歩いてっか知らないけど、首根っこ捕まえて引きずってきな﹂
625
マライアさんは矢継ぎ早に指示を飛ばすと石の丸太から腰を上げ、
凝りを解す様に肩を回す。
﹁よし、鉄の獣、あんたたちもおいで。ギルドに圧力かけて足手ま
といをはじき出さないと命がいくつあっても足りないみたいだから
ね﹂
﹁遠慮しておきます﹂
﹁遠慮? 聞いたことのない言葉だね﹂
私の辞書にはありませんとばかりに作り笑いを浮かべたマライア
さんが距離を詰めてくる。
﹁時間は取らせないさ。ちょこっと証言してくれるだけでいい。ど
うせギルドも足手まといがいると開拓者の参加者が少なくなること
くらい理解してるんだ。少し突けば折れる。連中はただ、苦情があ
ったから対応しただけだって言い訳の理由を探してだけなんだから
ね﹂
﹁その言い訳の理由に利用されたくないから行かないんですよ﹂
﹁強情だね﹂
まぁ尊重するさ、とマライアさんは笑って、颯爽とギルドへ去っ
て行った。後に続く七人の大男も合わさって、時代はずれのヤンキ
ーにしか見えない。
ずっと黙っていたミツキが、パンサーをガレージへ進めながら口
を開いた。
﹁デュラの奪還作戦、参加する?﹂
﹁どうしようかな。俺はデュラに思い入れはないけど、ミツキはど
うなんだ?﹂
626
ミツキは少し考えた後、首を横に振った。
﹁いい思い出がないかな。昔の思い出も全部泥まみれって感じ﹂
﹁なら、参加は見送るか?﹂
﹁デュラ自体はどうでもいいけど、郊外にある私の家が気になるん
だよね。この借家もいつ追い出されるか分からないし、家を取り戻
しておきたいかな﹂
ガレージに入ってパンサーを下りたミツキが壁を軽く叩きながら
言う。
いまのところ、俺たちの他に借り手もいないから、と継続してこ
の家を借りることができている。
だが、デュラが陥落して以降の貿易港として賑っているこの港町
は急速に整備され始めていた。比例して人口も増えてきて、新しい
宿が立ったり駐車場ができたりしている。
この借家を借りたがる者が今後出ないとも限らない。
それなら、デュラの郊外にあるミツキの家に引っ越すというのも
選択肢の一つではあるのだが︱︱
﹁奪還作戦に参加するとなると、指揮に従わないといけなくなる。
リスクが高すぎるぞ﹂
﹁そこが問題だね。いっそのこと、依頼を受けずに参加してみる?﹂
﹁邪魔だと言われるのが関の山だな。この町で様子見をしておけば
いいんじゃないか?﹂
勝手にデュラを奪還してくれるだろ、と他力本願な案を出すと、
ミツキがくすりと笑った。
﹁それ、完全に引き籠りの思考だよ﹂
﹁なんてこった。ミツキに毒されたか﹂
627
﹁皿までどうぞ﹂
ディアの首を直していると、玄関の呼び鈴が鳴った。
いつも通りに自動拳銃を片手に扉越しに来客を誰何する。
﹁どなたですか?﹂
﹁ギルドの者です﹂
聞き覚えのある声だ。精霊人機の部品の購入を代行するいつもの
係員だろう。
例によって、俺たちへの依頼交渉を回されたか。
扉を開けてみると、係員が青い顔で立っていた。何故か後ろには
革ジャケットの大男が立っている。
﹁開拓団〝飛蝗〟より要請がありまして、お二人の実力を見てみた
いと依頼が発注されています﹂
﹁お断り︱︱﹂
﹁待ってください!﹂
断ろうとしたら、係員が食い気味に口を挟んできた。
﹁飛蝗は今回のデュラ奪還の主力なんです。前回の偵察依頼のごた
ごたが他の開拓者にも知られてしまって、他に依頼を受けてくれる
相手もいないんですよ。いま飛蝗にまで依頼を受けてもらえないと
奪還作戦が実質不可能になるんです!﹂
﹁そんなこと言われても、開拓者が参加しないと分かればマッカシ
ー山砦なり、旧大陸の本国なりが増援を出すでしょ﹂
言い返すと、係員が口ごもった。
すると、革ジャケットの大男がポケットに手を突っ込んだまま、
628
肩で係員を押しのける。
﹁防衛拠点ボルスが甲殻系の魔物に襲撃されて大損害を出してる。
その関係で軍の方がごたごたしていて増援を出す余裕がない。とい
うのは建前で、デュラの奪還作戦にギルドが参加しないと開拓者ギ
ルドの発言力が低下するから、ギルドの連中はビビってんのさ。う
ちに声がかけられたのもその関係だ。ギルドはどうしても今回の奪
還作戦に参加して、前回の偵察作戦の失態の穴埋めをしつつ成果を
上げたいらしいぜ﹂
係員が言いよどんだギルドの内情をさらっと暴露して、革ジャケ
ットの大男は係員を横目に睨む。
﹁ギルドは焦ってるんだ。いまなら言い値で依頼報酬を出してくる。
鉄の獣も一枚噛んだらどうだ?﹂
やくざな商売に参加するよう勧めてくる革ジャケットさん。
そんなこと言われても、もうギルド依頼の報酬には興味がない。
﹁マライアさんでしたっけ? そちらの団長は何で俺たちの実力を
みたいだなんて言い出したんですか?﹂
﹁姉御の気紛れもあると思うが、鉄の獣が参加すれば索敵能力が大
幅に向上するって兄貴が話しててな﹂
﹁兄貴って誰です?﹂
﹁デイトロだよ。回収屋のデイトロ。一緒に仕事したって聞いたけ
ど?﹂
デイトロさんか。
︱︱ん? デイトロさん?
俺は大男の着ている革ジャケットを見つめる。ちょっと悪ぶった
629
高校生が買ったはいいものの着る勇気が無くてお蔵入りになってし
まいそうな、量産品の割にイカした革ジャケットだ。
目の前の筋肉質な大男が着ている分にはまぁ、問題ない。そこそ
こ似合っている。
だが⋮⋮。
﹁もしかして、デイトロさんもその革ジャケットを着てるんですか
?﹂
﹁多分、姉御が無理やり着せてる頃だな。回収屋を始めるって言っ
て飛び出してったけど、元は飛蝗の副団長だ。青の革ジャン、まだ
持ってるんじゃねぇかな﹂
何それ見たい。
ミツキが口元を押さえつつ肩を震わせている。
デイトロさんに革ジャケット。しかも青だと。何というミスマッ
チ感だろうか。そりゃあ逃げ出すよ。
ぜひ見たい。二日はそれをネタに笑える自信がある。
﹁依頼内容は?﹂
﹁レイグを一頭、討伐してきてもらいたい。この町の近くで目撃さ
れたらしくてな。そこそこ育った個体らしいから、魔力袋持ちの可
能性がある。期限は二日だ﹂
﹁分かりました。死骸はギルドに届けます﹂
﹁おう、楽しみにしてるぜ﹂
係員と大男を見送って、俺はディアの修理に取り掛かるべくガレ
ージに戻る。
ディアの修理に半日、レイグの発見と討伐で一日というところだ
ろう。
630
第十六話 開拓団﹃青羽根﹄
ギルドの係員と開拓団〝飛蝗〟の大男が訪ねてきてから二日目の
朝、俺はレイグの死骸を乗せた荷車をディアに引かせながらギルド
を訪れた。
隣でパンサーに乗っているミツキは文庫本を読んでいる。最近発
売された推理小説のシリーズ物だ。
﹁魔術をトリックに使うのってありだと思う?﹂
﹁この世界なら有りだろ﹂
なんだかなぁ、とミツキは文庫本のページをめくる。素直にファ
ンタジー感覚で楽しめばいいのに。
ギルド館の裏手に回って、ガレージにディアとパンサーを停める。
連絡を受けたのか、係員と開拓団〝飛蝗〟の団長、マライアさん
がやってきた。相変わらず、マライアさんは赤い革ジャケットを羽
織り、背後には強面の大男を連れている。
﹁レイグです。確認してください﹂
﹁あぁ、そうさせてもらおう﹂
マライアさんが顎でレイグを示すと、大男たちがレイグの死骸を
囲み、足を掴んで持ち上げた。
マライアさんは持ち上げられたレイグの死骸の周囲を回って観察
する。
﹁眉間に二発。綺麗なもんだね。血の流れ方を見るに、まともに抵
抗もさせずに仕留めている。弓ならともかく、銃でこれができるほ
631
ど習熟している奴が何人いるか⋮⋮﹂
死骸を検分し終えたマライアさんが右手を軽く振ると、大男たち
は死骸を荷車に戻した。
﹁解剖してきな﹂
﹁うっす﹂
マライアさんに言われて、大男が一人で荷車を押してガレージの
隅へ移動する。
レイグは小型魔物に分類される魔物の中では大柄で、特にこの個
体は普通のレイグより二回りは大きい。相応の重量があるはずだ。
初めて見た時も思ったけど、大男たちはかなり鍛えているらしい。
マライアさんがギルド館の中へ通じる扉に向かう。
俺たちもマライアさんの後についてギルド館に入ってみると、玄
関ホールは黒い革ジャケットの男たちで埋め尽くされていた。三十
人近くいる。
この港町を拠点にしている開拓者も何人かいたが、革ジャケット
の集団に囲まれて肩身が狭そうだった。デュラの住人に至っては一
人もいない。
﹁この町にいるデュラの連中は全部うちの者が監視している。今回
の奪還依頼に足運ぼうとした奴からここに連れてきてよくよく言い
聞かせてやってんのさ﹂
クックックと声を殺して笑うマライアさん。
危ない人と知り合っちゃったなぁ、と思いつつ、ホールを見回す。
見知った顔を見つけて、俺は足を運ぶ。
﹁デイトロさん﹂
632
﹁⋮⋮あぁ、アカタガワ君か。ホウアサちゃんも元気そうで何より
だよ﹂
覇気のないデイトロさんは青いジャケットを着て項垂れていた。
肩幅は狭く筋肉質とはとても言えない身体つき。愛機のレツィア
同様、デイトロさんは優男っぽい外見だ。
にもかかわらず厳つい青いジャケットを着ている。
﹁似合ってますね!﹂
﹁︱︱やめろ! やめてくれ!﹂
デイトロさんが顔を覆って首を振る。
﹁村出身だからって無理やり着せられてるんだ! こんなダサいの
もう着たくなかったのに!﹂
すっと、マライアさんがデイトロさんの背後に立つ。
﹁おいコラ、あたしのセンスがダサいとは聞き捨てなんないね﹂
﹁うわっ姉御﹂
﹁余計な枕詞つけんじゃないよ﹂
スパンとデイトロさんの頭を叩いたマライアさんは俺たちに向き
直る。
﹁うちは村ぐるみで開拓団をやってる。普段は開拓を終えたあたし
らの村で生活してるが、どうにも腕がなまっちまうからね。今回み
たいに討伐依頼を受けてるんだ﹂
﹁村ごと開拓団ですか。何人いるんです?﹂
﹁三百人さ﹂
633
想像を超えた大所帯だった。奪還作戦の主力だというだけある。
先ほどの言葉から察するに、デイトロさんも開拓団〝飛蝗〟の本
拠地である村の出身なのだろう。
マライアさんはデイトロさんの頭を乱暴に撫でまわす。
﹁こいつはあろうことか村を飛び出して独自に開拓団なんか立ち上
げやがったんだ。死んでないだけましだが、どれほど心配したと思
ってやがる﹂
うりうりと、マライアさんはデイトロさんを弄り回している。
マライアさんには逆らえないのか、デイトロさんはされるがまま
だ。
そうこうしている内にギルド館の玄関から新しく開拓者が現れた。
来たねぇ、とマライアさんが獰猛に笑って視線を向ける。
革ジャケットの集団に埋め尽くされたホールを見回して苦い顔を
したのは開拓団竜翼の下団長のドランさんと、副団長のリーゼさん
だ。
ドランさんは俺たちに気が付いて、歩いてくる。
﹁お前たちも飛蝗のマライアに呼ばれたのか﹂
俺たちの隣に立つマライアさんを横目に見て、ドランさんが訊ね
てくる。
ミツキがデイトロさんを指差した。
﹁呼ばれたというか、依頼を受けた帰りです。青いジャケットのデ
イトロさんを見に来ました﹂
﹁デイトロ? あいつも来てるのか⋮⋮っく﹂
634
言いかけたドランさんは顔を伏せているデイトロさんに気付いて
口を閉ざし、噴き出しそうになった口を慌てて押さえた。
﹁デ、デイトロ、なんて格好してやがる﹂
手で隠した口はともかく、目元が完全に笑っているドランさんに
言われて、デイトロさんは真っ赤な顔を両手で覆った。
﹁もうやだ。惨めすぎる﹂
﹁惨めなはずないだろう。あたしが刺繍した一張羅だ﹂
紋章になってるあの飛蝗の刺繍、マライアさんの手縫いなのか。
⋮⋮良い腕してる。
マライアさんは集まった面々を見回して、腕を組んだ。
﹁ひとまずこんなもんだね。ギルド依頼、デュラ奪還作戦への参加
を要請する。本作戦はマッカシー山砦からの攻略部隊と合同で行う
︱︱予定だった﹂
﹁予定?﹂
デイトロさんが口を挟むと、マライアさんが左手を軽く振る。
マライアさんの合図を見た大男の一人がさっと新聞を出して広げ
た。記事の一つが赤い線で囲われている。
﹁防衛拠点ボルス司令官ワステードが降格、マッカシー山砦司令官
ホッグスが暫定司令官として赴任が決定。マッカシー山砦から司令
官ホッグスと直属精鋭部隊の赤盾隊がボルスに移動した。他にも何
機か精霊人機が移動したようでね﹂
マライアさんが赤線で囲われた記事の内容を読み上げて、両手を
635
肩の高さに持ち上げた。
﹁デュラを攻略する戦力が出せないとさ。しばらくはギルドで人型
魔物が外に出ないよう食い止めろってお達しだよ﹂
マライアさんはそこで右手を握り、左手のひらに打ち付けた。
﹁︱︱ざけんな、腐敗組織が。やるとなったら徹底的に。殺すとな
ったら根絶やしだ。それが開拓団飛蝗のやり方。そうだろ、野郎ど
も﹂
﹁うっす!﹂
ホール中の革ジャケットたちが一斉に応じる。完璧にそろった大
声に床がびりびり震えた。
好戦的すぎる。
デイトロさんが頭を抱えた。
﹁つい体が反応しちゃったよ。やだよ。だから嫌なんだよ、この革
ジャン﹂
デイトロさんもさっきの﹁うっす!﹂に混ざってたのか。声が完
璧にそろってたから気付かなかった。
マライアさんがデイトロさんの頭を撫でまわしながら﹁調子出て
きたじゃないか﹂とほめている。
マライアさんが竜翼の下の団長ドランさんを見た。
﹁具体的には、あたしらと竜翼の下でデュラに攻撃を仕掛ける。回
収屋のデイトロが輜重隊及び孤立部隊の救援回収だ。魔力袋はギル
ドに売りつけて、代金は三等分﹂
636
どうだ、とマライアさんが口元だけで笑う。
ドランさんは頭を掻いてギルドの受付を見た。
﹁報酬次第だ。それと、この面子じゃまだ戦力が足りない﹂
﹁そんなに首抜き童子と二重肘は手ごわいのかい?﹂
﹁あれは近接型の精霊人機がいないと抑えきれない。それに、魔物
の群れがデュラから逃走を始めると厄介だ。俺たちが攻め込む門は
ともかく、別の門にも最低限の部隊を置いて逃走を防ぐ必要がある﹂
竜翼の下の精霊人機はどちらも重装甲で動きの鈍い機体だ。追撃
戦では役に立たない。
ゴブリン程度なら近隣の村でも処理できるだろうが、中型のゴラ
イアや大型のギガンテスとなると対処できないだろう。もしかする
と壊滅するかもしれない。
マライアさんが思案顔で顎を撫でた時、一人のギルド職員がおず
おずと声をかけてきた。
﹁今回の作戦に紹介したい開拓団がいるのですが⋮⋮﹂
﹁はぁ? 使えもしない素人ばっかり軍に紹介して評判を下げて、
あたしらに尻拭いさせてるあんたらギルドが紹介してくれるのかい
? 嬉しくて涙が出るね!﹂
一瞬で貶した上に追い打ちをかけていくマライアさん。
デイトロさんが必死に他人の振りをしているけれど、革ジャケッ
トのせいで無駄な抵抗だった。
言葉に詰まったギルド職員が涙目で竜翼の下の団長を見る。
ドランさんは職員を見ると肩を竦めた。
﹁もうお守りはごめんだ﹂
637
竜翼の下もデュラの威力偵察依頼に参加して素人開拓者に足を引
っ張られている。ギルドの味方なんてするはずもない。
﹁あ、そろそろ俺たちは帰ります﹂
このままここに居て戦場に引っ張り出されたくもない。
俺は我関せずの姿勢を貫くため文庫本を読みだしていたミツキの
手を引いて、外に出ようとしたのだが、行く手をギルド職員に塞が
れた。
﹁ちょっと待ってください。いまから紹介する開拓団はコト・ファ
ーグさんを探してるんです﹂
﹁だれ? ⋮⋮あ、俺か﹂
コト・ファーグは俺のこの世界での名前だ。しばらく呼ばれてな
いから失念していた。
しかし、俺を探している開拓団なんてないはずだ。
首を傾げていると、ギルド職員はマライアさんたちにも聞こえる
ように説明する。
﹁開拓学校の後期卒業者で構成された、実力は折り紙つきの新規開
拓団なんです。経験が浅く、歩兵人員も足りないので心配だったの
ですが、アカタワさん達が付いていれば十分な戦力になります。少
なくとも、追撃戦は可能でしょう﹂
それで俺たちの事を足止めしたのか。
マライアさんが興味を示す。
﹁鉄の獣の実力は確かだ。だが、その新規開拓団ってのがどれくら
い使えるのかはわからないからね。呼んできな﹂
638
﹁俺とミツキは参加しないって言いましたよね?﹂
﹁参加するしないに関わらず、向こうが捜してんなら会っておけば
いいさ。鉄の獣は棲家を訪ねられるのを嫌ってるだろう?﹂
マライアさんが冗談めかして言う。
多分、俺たちがここで帰るとマライアさんはこれから来る開拓団
に俺とミツキが住んでいる借家の住所を教えるのだろう。
ミツキが文庫本を閉じた。
﹁私のヨウ君の事を嗅ぎまわっているのなら、気になるね。釘を刺
しておかないといけないかもしれないし、今のうちに会っておきま
しょ﹂
すぐに呼んできます、とギルド職員が外へ駆け出す。
手持無沙汰になったミツキが大男に声をかけ、新聞を貸してもら
う。
俺もミツキと一緒に新聞記事を覗き込んでみると、確かにワステ
ード司令官が降格して副司令官になった事が書かれていた。
このタイミングで降格?
ミツキが日本語で俺に声をかけてくる。
﹁ワステード司令官が殺害事件を調べているのがバレたとか?﹂
﹁ホッグスが後釜に座ったのもなんだかきな臭い感じだな。事情を
確かめたいけど、まだ近付くのは危ないか﹂
﹁何かカモフラージュになるような依頼を受けてボルスに潜入、そ
れからワステード司令官かベイジルに連絡を取ればいいね﹂
相談を終えて、俺は依頼掲示板に向かう。
防壁を修理するための資材をボルスに運ぶキャラバンの護衛依頼
でもあればと思ったのだが、張り出されていなかった。
639
﹁別の街に行くしかないか﹂
貿易都市として名高いガランク貿易都市やその姉妹都市のトロン
ク貿易都市。または、精霊人機の部品を製造する工場が集まってい
るライグバレドか。
おそらく、どれかであれば資材を発注されているはずだ。
ただ、俺たちは宿に泊まろうとすると断られることが多いため、
拠点がないと活動が難しい。
少し困ったことになった。
この町で待つか、それとも別の町へ行くかをミツキに相談する。
﹁別の町に行く事にしましょう。バランド・ラート博士も立ち寄っ
た町だから、何か見つかるかもしれないし﹂
一石二鳥、とミツキに言われて、別の町へ行くことに決める。
﹁それじゃあ、前にも決めた通りライグバレドに行こう。博士につ
いて調べる時間はあまり取れないだろうけど、様子見という事であ
まりこだわらないように﹂
方針がまとまった時、ギルド職員が十代後半の青年を連れて帰っ
て来た。
どうやら、職員が連れている青年が開拓学校卒業者で構成される
新しい開拓団の団長らしい。
ギルド職員が青年団長を連れてやって来る。
マライアさんはもちろん、ドランさんやデイトロさんまで値踏み
するような視線を青年団長に向けた。
俺たちの前に来たギルド職員が青年団長を手で示す。
640
﹁こちら、開拓団〝青羽根〟の団長、ボールドウィンさんです﹂
名前長いな。聞き覚えもない。
﹁まずこちらが開拓団〝飛蝗〟の団長マライアさん、それでこちら
が︱︱﹂
俺が首を傾げている内に、ギルド職員がマライアさんたちを青年
団長に紹介する。
最後に、俺とミツキをギルド職員が手で示す。
﹁こちらの二人が鉄の獣と呼ばれているコト・ファーグさんと︱︱﹂
﹁お前か! 開拓学校の生ける伝説!﹂
ギルド職員の言葉をさえぎって、ボールドウィンが興奮気味に俺
を指差して叫んだ。
ギルドホールにいた開拓者が一斉に俺を見る。そりゃあ、生ける
伝説とか呼ばれている奴がいたらそのご尊顔くらい拝見しようと思
うよ。
ただ、皆さんが思っているようなことじゃないと思うけどね。
﹁入学試験で前代未聞の適正なしを打ち立てて姿を消したコト・フ
ァーグ! ファーグ男爵家の遅れた長男! 会いたかったよ。あの
簡単な試験に落ちる奴なんてそうはいないからさ!﹂
何、俺ってば開拓学校でそんな有名人になってんの? 入学すら
してないのに。
しかも何で社交界での俺のあだ名まで知ってるんだよ。
ドランさんとリーゼさんが俺を見て驚いた顔をしている。
641
﹁ファーグ男爵家って言えば、武闘派も武闘派。自領の端に精霊人
機の部隊を初めて常設した家柄だろ。そこの長男って⋮⋮﹂
﹁人は見かけによりませんね⋮⋮﹂
まぁ、そのファーグ男爵家の出身だけどさ。
精霊人機の部隊があるのは知ってたし、うちが武闘派なのも事実
だけど、俺はあんまり関係がない。
剣術はからきしで武術の才能がないと早くから見限られて、社交
的ともいえない性格も災いして俺は家からあまり出してもらえなか
った。
精霊人機の部隊も見たことがなかった。最初に精霊人機をみたの
が開拓学校を受験するときだったくらいだ。
ボールドウィンが俺の手を取って無理やり握手してくる。
﹁驚いたよ。この町に来て開拓団として登録しようとしたら、愛機
を獣の形に貶める奴がいるって聞いて、よくよく調べてみれば噂の
生ける伝説、しかもファーグ家の追い出された長男だっていうんだ
ぜ。見て見たくもなるだろ!﹂
興奮気味のボールドウィンにドン引きしていると、隣でカチャリ
と耳に馴染んだ物騒な音が聞こえてきた。
﹁ねぇ、満足したなら、その手を放してくれる?﹂
ミツキが自動拳銃をボールドウィンに向けながら冷たい声を発し
た。
途端に静まり返ったギルドホール内で、唐突にマライアさんが笑
い出す。
﹁あたしが得物を抜くより早かったね!﹂
642
おい、あんたもか。
マライアさんはしばらく笑い声を響かせていたが、突然真顔に戻
るとボールドウィンの胸ぐらをつかんだ。
﹁これから仕事仲間になるかもしれないって相手になめた口を利く
なよ、若造。開拓学校で行儀を良く学んできて出直しな﹂
マライアさんが大男の一人に目線で合図を送る。
すぐにギルドホールに解体途中のレイグの死骸が運ばれてきた。
俺が仕留めた奴だ。腹を捌かれているが、眉間の銃痕で分かる。
﹁このレイグは鉄の獣が一日で仕留めてきたもんだ。皮に傷もつい
てない。眉間に二発で済ませるこの手際が真似できるかい?﹂
﹁⋮⋮できないっす﹂
﹁だろうね。精霊人機乗りだろ、あんた。新品の玩具を乗り回して
浮かれてる頭の軽い野郎だ。これだけ近付けば臭いでわかる﹂
マライアさんはボールドウィンを解放して、ギルド職員に目を向
けた。
﹁こんなのばっかりか、このギルドは。人間性も実力のうちだろう
が、本部に苦情入れておく。二、三人首が飛ぶと思いな﹂
憤懣やるかたない様子でマライアさんは大男に左手で合図し、ロ
ックジャベリンで石の丸太を作らせた。
石の丸太にドカリと腰を下ろしたマライアさんは、ボールドウィ
ンを睨みあげる。
﹁幸いまだガキだ。これからいろいろ学ぶだろ。どうする、あたし
643
らに学びたいことあるか? あるよな?﹂
選択肢なさそうだな。
俺はミツキの手に自分の手を重ねる。そろそろその手に持った物
騒な物をしまいなさい。
ミツキが唇を尖らせて上目使いに口を開く。
﹁アレを撃っちゃダメ?﹂
﹁駄目に決まってるだろ﹂
﹁だよね、知ってた﹂
ミツキが太もものホルスターに自動拳銃を仕舞うと、ギルド職員
がほっと息を吐いた。
その時、マライアさんが﹁よし決まりだ﹂と手を打った。
どうやら、ボールドウィンがマライアさんの選択肢のない質問に
頷いたらしい。
﹁ボールドウィン率いる開拓団〝青羽根〟は今回の作戦に限りあた
しらの傘下に入る﹂
ついでに、とマライアさんは俺を見た。
﹁鉄の獣、このガキの精霊人機を好きなように弄っていいよ﹂
マライアさんが唐突に提案してくる。
驚きに目を見張って、ボールドウィンがかみつく。
﹁ちょっと待て︱︱待ってください!﹂
﹁やかましい。あたしの傘下にある開拓団の精霊人機を作戦に合う
ように弄るのは当然だろうが。黙ってな﹂
644
ボールドウィンの抗議を一蹴して、マライアさんはギルドのガレ
ージを顎で示す。
﹁あんたら、あんなもんを二人で組み上げるくらいなら精霊人機に
も詳しいだろ。好きなように弄り倒してやんな。もちろん、動くか
どうかはきちんとあたしらが見るけどね﹂
﹁⋮⋮本当に好きなように弄っていいんですよね?﹂
念のために問いかけると、マライアさんは笑みを浮かべて頷いた。
精霊人機なら、あれも撃てるんじゃないか。
ディアだと首が故障したが、精霊人機なら反動に耐えられるよう
に改造できる、と思う。
やばい、やりたい。テンションあがって来た。
﹁ミツキ、この話受けてもいいか?﹂
﹁そんな爛々とした目で聞かれても⋮⋮。私も弄っていいのかな?﹂
﹁もちろん。パンサー用に開発したアレも有ったろ﹂
ミツキも思い出したらしい。
﹁あぁ、後回しになってたやつだね。実戦データが取れるのは嬉し
いかも﹂
よし、ミツキも乗り気になったようだ。
ボールドウィンが﹁ほどほどにしてくれよ﹂とか言っているが、
自重はしない。
今こそ言おう。言わせてもらおう。
﹁キタコレ﹂
645
第十七話 鉄の獣の毒牙
町の港にある倉庫の一つにボールドウィンたち開拓団〝青羽根〟
は滞在していた。
立ち上げたばかりで資金も少ない青羽根は倉庫で雑魚寝している
らしい。精霊人機と整備車両がある他は物も碌に置かれていなかっ
た。
﹁︱︱それで、鉄の獣を連れてきたのかよ。何やってんだ、団長﹂
副団長兼整備士長の青年があきれ顔でボールドウィンを詰る。
開拓学校を卒業したばかりの青年だけで構成されているため、全
体の年齢が若く、開拓団の幹部でさえ経験の浅い青年で占められて
いるらしい。しかも、団長のボールドウィンを含めてたった十人の
小規模な開拓団だ。
俺とミツキが変なことをしないように監視するという名目でつい
てきたマライアさんにデイトロさん、ドランさんとリーゼさんが倉
庫を見回している。
リーゼさんが整備車両の荷台を覗き込んで顔を顰めた。
﹁最低限の物は揃えているようですが、予備は見当たりませんね。
うちの整備士を応援に呼んできます﹂
﹁よしよし、このマライア姉さんも一肌脱ごうかね。経験の浅いひ
よっ子じゃ手が付けられない事もあるだろう。おい、誰か呼んでき
な﹂
マライアさんが大男を使いに走らせる。
デイトロさんも大男に伝言を頼み、回収屋の仲間に連絡を取って
646
いるようだ。こういう時は開拓団〝飛蝗〟だった頃の繋がりを使う
らしい。
面白くなさそうな顔をしている青羽根の整備士長を無視して、俺
は弄り倒していいと言われた精霊人機を見上げる。
最新型には劣るがそこそこ新しく開発された機体だ。全体的なバ
ランスが良く、扱いやすい。開発されてから時間が経っている事も
あり、運用ノウハウがギルドにも蓄積されていて、経験の浅い青羽
根が使うにはちょうどいい機体だった。
青いカラーリングの装甲に曲線を多用したデザイン。確か、指回
りの細やかな動きが特徴だったはず。
隣にボールドウィンが立った。
﹁どうだ。俺たちの精霊人機スカイだ。弄る所なんかどこにもねぇ
だろ﹂
﹁ないなら作ればいいんだ﹂
当たり前のことを言ったのに、ボールドウィンは何言ってんだこ
いつと言いたそうな目で俺を見てくる。
さて、まずは脳みそから弄っちゃおうね。
﹁ミツキ、さっそく取り掛かろう。魔導核に圧空の魔術式を記述、
マッピング魔術式を用いた遊離装甲の最適化術式も頼む。遊離装甲
は半円柱を使用。俺は部品関係をチェックする﹂
﹁はーい。ボールドなんちゃらさんこっち来て。使用してる武器の
説明とか、基本的な動かし方を教えて﹂
ミツキに呼ばれて、ボールドウィンが眉を寄せる。
﹁待て、まさか魔導核まで弄るのか?﹂
﹁当たり前でしょ。ほら、半月で終わらせるんだから、キリキリ動
647
いて﹂
ミツキに急かされたボールドウィンがなおも抗議しようとした時、
マライアさんがわざとらしく咳払いした。
渋々と言った様子でボールドウィンがミツキに向かって歩き出す。
俺はボールドウィンの背中に声をかけた。
﹁ミツキに手を出したら、お前の愛機が人の形を留めないからな?﹂
﹁初めて聞く脅しだよ、それ!﹂
ため息を吐きつつ去っていくボールドウィンを見送って、俺は整
備士長に向き直る。
警戒心を隠そうともしていない整備士長を連れて、俺は倉庫の入
り口に留めてあるパンサーに向かう。
﹁まず、腕周りのバネを稼働させてる魔導鋼線を俺たちが開発した
魔導チェーンに総入れ替えだ﹂
﹁魔導チェーン? あんな伝導率の悪いもん使って何する気だよ。
開拓学校も出てない素人はこれだから︱︱﹂
﹁俺たちが開発した、と言っただろ。魔力伝導率は従来品に比べて
百四十パーセント増加している。流石に魔導鋼線と同じとまではい
かないけどな﹂
魔導鋼線は柔軟性に乏しい。これを解消するために様々な試みが
今までなされてきたが、成功した部類と言われる魔導チェーンでさ
え体積比では魔導鋼線の四十パーセント以下の伝導率と言われてい
る。
この魔力伝導率の差はチェーンを形作る環の一つ一つの接触が不
安定なためにおこる。また、同じ体積で見ると輪同士の接触面積が
小さいチェーン形式は一本の線である魔導鋼線より魔力伝導率が悪
648
くなる。
それでも需要がある理由はひとえに三次元的な柔軟性を得ること
ができるからだ。
﹁これが俺たちの開発した魔導チェーンだ。すでに特許は取ってあ
るし、量産も始まっている。ギルドにも在庫があるから、今取り寄
せているところだ﹂
﹁これって、この尻尾の部分か?﹂
整備士長の言葉を肯定して、俺はパンサーの尻尾を手に取る。
俺たちが魔導チェーンを自作した理由は、パンサーの尻尾の自動
迎撃機能を万全にするためだった。
パンサーの尻尾は背後からの攻撃を叩き落とし、左右側面と後方
の敵を尻尾の先にある扇形の刃で斬り殺す機能を持っている。
これらの機能を実現するためには三次元的な動きが必須で、尻尾
というデザイン上、細く強靭で柔軟性があり、何より魔力伝導率が
良くないといけなかった。
整備士長はパンサーの尻尾を睨むように見据えながら、首をひね
る。
﹁玉鎖?﹂
﹁ちょっと違うが似たようなものだ。円柱の上下をへこませて半球
状の窪みを作り、そこに玉を挟み込んで作ってある。接触面積が大
きいから魔力伝導率は従来品とはけたが違う。中身が詰まっている
から外部からの圧力にも強い。引張強度は円柱と玉とを繋いでいる
鋼線に依存する﹂
﹁引張強度は鎖っていうか、ワイヤーで担保してるんだな﹂
﹁重要なのは鋼線の部分じゃなくて魔導鋼で作ってある円柱と玉の
三次元的な自由度なんだが、まぁ、ワイヤーという認識でもいい﹂
649
さぁ、腕の筋肉を換装しちゃおうね。
精霊人機の設計図を取り出して接続する場所を確認し、換装作業
に入る。
腕周りの魔導鋼線を片端から引っぺがして魔導チェーンに入れ替
える。出力が低下する代わりに不意の衝撃に強く、多少無理な挙動
をしてもチェーンのおかげで断線の危険性を減らす処置だ。
これをしておかないと次に移れないんだよ。
﹁ヨウ君、魔導核の書き換えはいったん終わったよ。遊離装甲から
始めよう﹂
ミツキが俺に手を振ってくる。ミツキの隣では呆然とした顔で魔
導核を見つめているボールドウィンと竜翼の下の整備士がいた。
﹁無駄を削りに削ったと思ったら新たな無駄を突っ込んでいきやが
った。本格的に理解不能だ﹂
何がしたいんだ、と呟くボールドウィン達は気にする必要もない。
﹁︱︱ご注文の品をお届けに参りました﹂
倉庫の入り口から聞こえた声に振り返れば、精霊人機の部品購入
を代行するギルドの係員が立っていた。後ろには運搬車両が見える。
﹁全部運びこんでください﹂
﹁あ、はい⋮⋮﹂
次は何をやらかすのか、と胡乱な目で見てくる倉庫内の面々に係
員が困り顔をしつつ品物を搬入してくる。
次々に入ってきたのは超重量級遊離装甲セパレートポール。半円
650
の底面を持つ柱のような遊離装甲だ。
魔力を馬鹿食いするこの遊離装甲だが、防御力はそんじょそこら
の板状遊離装甲とは格が違う。
青羽根の面々が唖然としていた。
リアクションには期待していないので、俺は腕まくりをしつつセ
パレートポールの説明書に目を通す。
﹁やっぱり重すぎるよな。よし、中身をくり貫くか!﹂
﹁ちょっと待て!﹂
いち早く我に返ったボールドウィンが俺の腕を掴んで止めようと
してくる。
嫌なこった。俺は止まらない。このロマン街道をひた走ると決め
たんだ。
だが、俺を止めようとしてくるのはボールドウィンだけではなか
った。青羽根の面々が次々に俺とミツキの進路をふさぐ。
﹁中身くりぬいたらせっかくの超重量が台無しだろうが!﹂
﹁いや、そもそもこんなもの遊離装甲に採用したら、魔力いくらあ
っても足んねぇよ!﹂
﹁セパレートポールは精霊人機を二十機くらい同時運用する軍が使
うもんなの! 魔力切れによる戦闘時間の短さを精霊人機の数で補
って使う決戦武装なの!﹂
ええい、やっかましい。
﹁教科書に書いてある事がすべてじゃないんだよ! これは中身を
くりぬいて使った方が効率的だろ。何のために魔導核に魔術式を追
加したと思ってんだよ!﹂
651
青羽根と口論していると、マライアさんたち開拓団長大人三人組
が揃って石の丸太に腰掛けて茶をシバいていた。
﹁若者が集まると元気だねぇ﹂
デイトロさんが達観した顔で青い革ジャケットを撫でながら呟く。
ドランさんが腕を組んで大きく頷く。
﹁俺たちにもあんな時代があったな。セオリー無視して無茶やった
もんだ﹂
しみじみした声のドランさんの言葉をマライアさんが否定する。
﹁あたしはまだ若いよ﹂
デイトロさんがマライアさんを横目に見て、疲れたようにため息
を吐いた。
﹁本当に、姉御は昔のまんまだよね﹂
中身が、と付け足しそうなデイトロさんの言葉に大男たちが一斉
に頷く。
デイトロさんの言葉の真意に気付いているのかいないのか、マラ
イアさんは﹁ありがとよ﹂と笑い声をあげた。
あの和やかなやり取りを聞く限り、俺の援護はしてくれそうにな
いな。
﹁仕方ないな。⋮⋮圧空﹂
呟いた直後、ミツキが素早く身を伏せる。以心伝心だ。
652
すぐに俺はポケットに入れている圧空の魔導核に魔力を流し込み、
発動する。
魔術で生み出された圧縮空気が瞬時にはじけて暴風をまき散らし
た。
突風に対処できずよろめいたボールドウィンを蹴り飛ばし、俺は
セパレートポールに走る。
﹁だ、誰かあいつを止めろ!﹂
﹁くっそ、なんだよ、この風!﹂
後ろが騒がしいけれど、知った事ではない。
﹁セパレートポールは中に土が詰まってる。機体に合わせて重量を
調整するらしい﹂
﹁なら中の土を全部掻き出せばいいんだね﹂
﹁そういう事。まずは背面のボルトを外すぞ﹂
平たい背面部分を固定しているボルトを手早く外す。俺たちの手
慣れた作業風景に、竜翼の下や回収屋の整備士が感心している。
ボルトを外すと背面が扉のように開き、中の土が露わになった。
ロックジャベリンを発動して形状を調整する。スコップ上になっ
たロックジャベリンを使ってミツキと共にセパレートポールから土
を掻き出した。
俺たちの後ろで青羽根の面々が頭を抱えている。
﹁誰が掃除すると思ってんだよ!﹂
﹁これで終わりだな、次のも同じ手順で掻き出すぞ﹂
﹁︱︱聞けよ!﹂
青羽根の抗議を無視してセパレートポールの土をすべて取り出し
653
た俺は、ミツキとハイタッチを交わす。イエーイ。
次に扉状になっている背面部分を取り外しに掛かる。いくつもつ
いている蝶番を外せば完成だ。
﹁ミツキ、説明書に基本重量と寸法が記載されているから、それに
合わせて遊離装甲の魔術式を設定しておいてくれ。すぐに試運転に
入る﹂
﹁分かった。ボールドなんちゃら、準備しておいて﹂
精霊人機の操縦士であるボールドウィンにミツキが指示を飛ばす。
ぶつくさ言いながらボールドウィンが操縦席に向かった。
倉庫に来たのは朝だったが、試運転に入ったのは日も落ちた夜だ
った。
中身を抜いたセパレートポールを遊離装甲として纏った精霊人機
をボールドウィンが起動する。
倉庫の外に出て少し慣らしてみたところ、ボールドウィンの困惑
した声が拡声器から聞こえてきた。
﹁⋮⋮反応速度が上がってる﹂
﹁それは竜翼の下と回収屋の整備士が協力して調整してくれたから
だ。俺とミツキの仕事じゃない﹂
脚と腰回りの調整に定評がある竜翼の下の整備士と、巨大な鎖鎌
をその腕で自在に操るレツィアを担当する回収屋の整備士が共同で
調整したのだ。換装した事で配置に狂いが生じていた魔導チェーン
を最適化する手順は流石という他なかった。
俺は倉庫前に置いてある大槌を指差す。ボールドウィンが乗って
いる精霊人機スカイの装備品だ。
﹁武器を構えてみてくれ。魔力伝導率が若干劣る魔導チェーンに換
654
装した腕は出力が落ちてるはずだ。ボールドウィンの感想を聞きた
い﹂
﹁おう、いまやってみる﹂
少し素直になったか?
ボールドウィン操る精霊人機スカイが大槌を手に取り、持ち上げ
た。
握りを確かめるように数回ゆっくりと振った後、大振りで勢いよ
く振り抜く。
﹁確かに少し出力が落ちてる。もっと早く振れたはずだ。ただ、柔
軟性が上がったのも分かる。少し無茶な動きをしても出力自体は変
わってないな﹂
﹁よし、それだけ分かれば今日のところは終了だ。これ以上は倉庫
前でやるわけにもいかないし、ギルドに行って郊外演習の届けを出
して、俺たちは帰る﹂
帰り支度を整えていると、操縦席から降りてきたボールドウィン
がやってきた。
﹁泊まってかないのか?﹂
﹁この町に家を借りてるからな。明日に備えてゆっくり寝る﹂
﹁あれだけポンポン特許品を並べるくらいだからうすうす感じては
いたけど、やっぱり金持ちなのか﹂
﹁そこそこな﹂
ミツキのマッピングの魔術式や俺の開発した魔導チェーンなど、
特許による収入はなかなかのものだ。
ボールドウィンが﹁ちぇっ﹂と演技がかった舌打ちをした。
655
﹁開拓学校の話でも聞かせてやろうと思ったのによ﹂
﹁いらねぇよ。もともと、両親に厄介払いを兼ねて放り込まれそう
になったところだからな﹂
絶対に入りたいと思っていたわけではない。
それに、入らなくてよかったとも思っている。
﹁ヨウ君、早く帰ろう。お腹すいたでしょ?﹂
俺とボールドウィンの間に割って入るようにして、ミツキが口を
挟んでくる。
﹁あぁ、動き回ったからな。ガッツリ食べたい気分だ﹂
﹁オッケー、揚げ物でも作ろう﹂
ミツキが俺の右手首を掴んで歩き出す。俺は引っ張られるように
してついて行き、倉庫を後にした。
656
第十八話 改造は進む
朝を迎え、ミツキの作ってくれた朝食を食べ、俺が淹れたコーヒ
ーもどきを二人そろって飲みながらのんびりした後、倉庫へ向かっ
た。
﹁それでは、本格的にいじくり回そう﹂
倉庫について開口一番、大きな声で宣言する。
一瞬の静寂の後、ボールドウィンが首を横に振った。
﹁いやいや、魔導核を大幅に書き換えて遊離装甲を換えるだけで飽
きたらずに中身くり抜くような改造までして、腕のパーツを換装し
た昨日の騒動が本格的じゃないってのかよ。俺の愛機をどうする気
だよ!﹂
﹁もういっそ、新型機みたいにしちゃおうかなって﹂
﹁しちゃおうかな、じゃねぇよ! なんでそんなに軽いんだよ!﹂
ボールドウィンが喚く。
俺はディアの背中から降りて、整備士長に声をかけた。
﹁それなら、この機体の整備記録を見せてくれ。その記録を見なが
らボールドウィンに合わせて改造する﹂
﹁部外者に見せられるわけないだろ﹂
整備士長があきれ顔で肩を竦めた。
俺に協力するのが嫌というのもあるだろう。
だが、それ以上に機体の整備記録というのは組織の財産であると
657
同時に機密資料でもある。
知識や経験がある者が見れば、その機体の消耗の仕方や部品の交
換頻度から操縦者の癖を把握でき、破損記録から操縦者の弱点も見
えてくる。さらに、整備不良や動作不良などは整備班の技量が現れ、
交換された部品から機体スペック、交換されてからの期間で機体の
詳細や弱点を調べることも可能だ。
ちなみに、ボールドウィンは精霊人機でハンマーを振り回す際、
右から左に振り抜こうとすると肩の線が腰の線に対して斜めになる
癖がある。
この癖のせいで、人間でいえば大腰筋に当たるサスペンションの
交換頻度が左右で大きく違っているだろう。
昨日の試運転で見た範囲内での推測だが、そう大きく外れてない
と思う。
整備士長が首を横に振る。
﹁絶対に整備記録は見せられない﹂
﹁︱︱だと思った。だから、その整備記録が役に立たないくらい別
物の機体にしてしまおう﹂
﹁なんでそうなるんだよ!﹂
別にいいじゃないか。マライアさんから許可は貰っているし、気
に入らなければ元の状態に戻せる程度の改造にとどめるつもりなん
だから。
﹁じゃあ、今日の改造を始めよう。まずは重心を下げる。その後は
遊離装甲の魔術式を改変して、全体を調整。試運転をして問題が無
ければそのままデータを取った後、腰や肩などの体幹に反動軽減す
るための部品交換や増設﹂
この期に及んでまだ部品を交換するのかと文句を言われたが気に
658
しない。
俺は設計図と睨めっこしているミツキを応援してから、開拓団〝
青羽根〟の精霊人機スカイに歩み寄る。
整備士長が色々諦めた顔で近付いてきた。
﹁重心を下げると言ったって、どこから手を付けるんだ﹂
﹁腰回りの外部装甲を厚くすればいいだろ﹂
﹁腕に魔導チェーンを増設した分の重量を相殺するほど外部装甲を
厚くして重量を増やすのか? 精霊人機を動かすのにも魔力を使う
んだ。そんなに全体重量を上げたら魔力が足りな︱︱いや、昨日の
魔導核の設定で魔力はむしろ有り余ってるのか⋮⋮﹂
こういう事だったんだな、と整備士長がほっと溜息をついた。俺
とミツキが考えなしにいじくり回しているわけではないと分かって
安心したらしい。
遊離装甲自体の重量は増してるけど、支えるための魔術式は消費
を最小限に抑えつつ、支点を限定、更には遊離装甲が占める体積分
の魔力膜を削って魔力消費を抑えてある。
クッション機能が大幅に上昇し、外圧に対しての防御力は最低レ
ベルの設定に変更したのだ。
鬱蒼とした森を抜ける際の設定よりもクッション性を上昇させた
ことになるが、当然敵の攻撃に対する防御力は遊離装甲に使われて
いる金属の強度以上にはならない。
いまは、だけど。
整備士長が腕を組んで精霊人機スカイを見上げる。
﹁だがな、腰に錘代わりの外部装甲をつけるくらいなら全体に万遍
なく板状の遊離装甲を纏わせる方が全体的に防御力は上がるだろ﹂
﹁それだと精霊人機の動きについてこれずに、遊離装甲がボロボロ
振り落されるから駄目だ。それに、全体的な防御力はむしろ下がる。
659
良い所なしだな﹂
﹁⋮⋮は?﹂
整備士長が困惑したように聞き返してくる。
その反応だけでわかる。こいつ、スカイの魔導核にミツキが刻ん
だ魔術式を見ていない。
﹁今すぐスカイの魔導核を見て来いよ。分からないところがあれば、
質問してくれ﹂
おそらく、これから作ろうとしている機体の設計思想で理解でき
ないところがあるはずだ。魔導核を確認してからでないと話になら
ない。
しかし、俺の言葉を挑発と取ったのか、整備士長はむっとした顔
をした。
﹁開拓学校に入れもしなかった奴が良く言う﹂
﹁教えてもらう事がそんなに偉い事だとは思わなかったなぁ。理解
して、活用してこその知識だ。覚えたことを口にするだけなら聞き
かじっただけでもできる﹂
門前の小僧、習わぬ経を読むってね。誤用だけど。
﹁開拓学校に入ってないからこそ学ぶこともあるんだよ。ほら、学
び続けた人たちが来たぞ﹂
倉庫の入り口を振り返って指差すと、マライアさんを先頭にデイ
トロさん、ドランさん、リーゼさんと続く。そしてその後ろには各
開拓団が誇る整備士たちがいた。
命がけの戦闘に精霊人機を送り出し続けた人たちだ。敗れれば開
660
拓団が全滅しかねない強大な敵である大型魔物に対する唯一の対抗
手段である精霊人機を〝確実に勝つため〟に整備し続けた人たちな
のだ。
﹁あの人たちにさっきの台詞言ってみろよ。多分、鼻で笑う事さえ
しないと思うぜ﹂
整備士長は言葉に詰まり、視線を泳がせた後、活路を見出したよ
うに俺を見た。
﹁お前の言動の根拠に他人を使うなよ﹂
虎の威を借りてるのがばれてしまった。
なんて言い返そうかと思っていると、デイトロさんが歩いてくる。
﹁コト君、聞いたよ。ボルス防衛戦で中型魔物討伐数三十体超えだ
って? たった二人でまともに相手できる数じゃないよね。どうや
ったんだい?﹂
﹁どっからその情報を仕入れてきたんですか?﹂
﹁やっぱり事実なんだね。ロント小隊長にデュラの偵察結果を聞き
に行かせていた飛蝗の団員が戻って来たんだよ﹂
偵察依頼に随行して索敵に当たっていた俺とミツキがボルス防衛
戦でも活躍していたため、飛蝗の団員に聞かれたロント小隊長が話
の俎上にあげたらしい。
それにしても、マライアさんの情報収集が徹底している。ボルス
まで聞きに行かせるとは思わなかった。
﹁ベイジルっていう弓兵仕様の精霊人機乗りと一緒に、魔物との距
離を維持して遠距離から削り切ったんですよ﹂
661
﹁魔物との距離を維持して戦い続けるのは歩兵の機動力じゃ無理な
んだけどね。アレだとそういう事もできるのか﹂
デイトロさんがディアを横目に見て唸った。
﹁事実なら良いんだ。デイトロお兄さんは姉御と話があるから少し
外すね﹂
﹁デュラ奪還作戦には参加しませんよ﹂
﹁そういう事を言われるとデイトロお兄さんは寂しいなぁ﹂
軽い口調で言って、デイトロさんはマライアさんの下へ歩いて行
った。マライアさんもミツキから裏を取っていたらしく合流して二
言三言デイトロさんと会話すると倉庫を後にする。
さて、デイトロさんに話の腰を折られてしまったけれど、整備士
長に何と言い返そうか。
﹁︱︱あれ?﹂
目を向けてみると、整備士長がいない。
どこに行ったのかと倉庫内を見回すと、精霊人機スカイの魔導核
を覗いていた。
⋮⋮まぁ、ミツキの書いた魔術式をちゃんと見てくれるならそれ
でいい。
﹁手の空いている整備士はこっちに来てくれ﹂
俺は遊離装甲セパレートポールの背面部分だった鉄板のそばに整
備士たちを集める。
俺は鉄板を指差し、次にスカイの腰を指差す。
662
﹁この鉄板を全部スカイの外部装甲に流用する。ただし、外部装甲
とは言っても形状はこうなる﹂
宿を出る前に描いておいた絵を整備士たちの前で掲げると渋い顔
をされた。
﹁スカートかよ﹂
整備士の誰かが呟いたとおり、形状はフレアスカートに類似して
いる。膝より少し上までの丈で腰回りを鉄板で囲む形だ。
﹁重心を下げつつ腰と股関節の防御を兼ねている。デザインに不満
があるか?﹂
﹁まぁ、スカートっぽい装甲なら前例もあるし、あの獣型よりはは
るかにマシだけどさ﹂
﹁問題ないなら取りかかろう﹂
時間もないし、と整備士たちを働かせる。
ミツキが設計図を持ってきてくれた。
﹁やっぱり、重心の位置を考えると腰回りの装甲の配置はスカート
状が一番だよ。丈も事前の打ち合わせ通りでいいみたい﹂
﹁鉄板の重なる範囲は二十センチくらいか﹂
日本語でやり取りしている俺たちに青羽根の整備士たちが首を傾
げている。
俺は魔導核に刻む魔術式を確認して、ミツキに任せる。
これで重心を下げつつ魔導核の設定までは終わりだ。調整も必要
だが昼を少し過ぎる頃には完了するだろう。
ミツキに魔導核の前を追い払われた整備士長が戻ってきた。
663
﹁なんだよ、あの無駄の多い魔術式。わざわざ空気を作り出す風魔
術なんて魔力を無駄使いするだけだろうが﹂
不満そうに言う整備士長だが、やっぱり理解してないなという感
想しか俺は抱かない。
﹁その風魔術は圧空って名前の、俺が開発した魔術式だ。どこで発
動するように設定されていたか分かるか?﹂
﹁⋮⋮分からなかった﹂
整備士長が悔しそうに歯を食いしばる。
﹁その圧空って魔術の発動個所の指定が遊離装甲の魔術式に紐付け
されてたのはかろうじて分かったが、遊離装甲の魔術式も徹底的に
改造されていて原型がほとんど残ってない。だから⋮⋮わかんねぇ﹂
そうだろうな。
徹底的な省エネを行うために遊離装甲の魔術式を書き換えた後、
常に一定の強度で張られる魔力の膜にあえて強弱を作るためにまた
遊離装甲の魔術式に変更が加えられている。
さらにはマッピングの魔術式の効果範囲を極端に狭めつつ精度を
上げた改変マッピング魔術式を遊離装甲の魔術式と統合して魔導核
のリソースを無駄にしないようにした。
マッピング機能で得た敵の攻撃の直撃予想箇所にセパレートポー
ルを自動で移動させる防御機能も遊離装甲の魔術式に組み込まれて
いる。
そんな遊離装甲の改変魔術式に圧空の発動箇所を指定させている
のだ。
プログラマーならもっと分かりやすく美しく書け、と小一時間説
664
教されるだろう暴挙である。
﹁魔力を温存しつつ、必要な時に最大出力を出す。それが今回の設
計思想だ。圧空の発動個所はセパレートポールの背後やハンマーの
前後に自動指定されるようになっている﹂
敵の攻撃を受ける時にセパレートポールの背後で瞬時に圧縮空気
を作り出して空気圧によって攻撃に耐えるのだ。精霊人機の魔力量
で発動した圧空なら十分にセパレートポールを支える圧力を生み出
せる。
﹁ついでに、ハンマーを振る速度も上がる﹂
圧空で生み出した突風による効果だ。
人間が扱う武器の大きさではあまり恩恵を得られなくとも、精霊
人機が扱うハンマーともなれば追い風の影響も向かい風の影響も大
きくなる。
しかも、スカイの魔導核に刻んでいる圧空の魔術式は改変バージ
ョンだ。圧縮した空気を生み出すとすぐに指向性の強風となって弾
ける。
説明すると整備士長が眉を寄せる。まだ納得がいかないようだ。
﹁強い追い風が欲しいなら普通の風魔術でも可能だろう。魔力消費
量は普通の風魔術の方がはるかに小さい﹂
﹁通常の風魔術では圧空の魔術式と同等の圧縮空気を作るのに時間
がかかる。しかも、セパレートポールや精霊人機がその図体で空気
の通り道を遮断するから空気を集めにくい。さらに、圧縮した空気
を維持する魔術も別に必要で魔導核の容量を余計に食う。時間に比
例して必要な魔力量も増えるから結果的には圧空の方が効率的で魔
力消費量も少なくなる﹂
665
整備士長がついに口を閉ざした。
納得してもらった事だし、改造を続けよう。
今日と明日で改造の大部分を終えて、一週間ほど試運転などを行
い、三日前後の訓練を経てデュラ奪還作戦に送り出すのだ。
666
第十九話 新型機スカイ
半月が過ぎて、開拓団〝青羽根〟の精霊人機スカイは新型機と呼
べるほどの変化を遂げていた。
機体そのもののスペックは近年開発された中では低い方だろう。
それもそのはず、全体のあちこちの魔導鋼線が魔力伝導率の低い魔
導チェーンに交換されているため出力が落ちているのだ。
しかし、戦闘を行わない限り最新型の精霊人機よりも稼働時間が
三割強伸びている。
防御力も改造セパレートポールである程度担保されていた。
だが、この機体には今までの精霊人機にはない特徴がある。
戦闘時に発揮される各種魔術によるブースト機能だ。
ボールドウィンが操縦する精霊人機スカイがハンマーを構えた。
場所は港町の郊外にある演習場。陥落したデュラの代わりとして
の機能を求められたために最近になって整備された場所だ。
スカイの前にはカメの形をした大型魔物タラスクの甲羅が設置さ
れている。甲殻系の魔物であるため、この甲羅を破壊できるならば、
ほとんどの大型魔物に対して有効な打撃力を有している証明となる。
﹁いざ!﹂
ボールドウィンの声が拡声器から発せられる。
直後、スカイがハンマーを振り下ろした。
改変圧空の魔術式が発動し、ハンマーの背に突風が叩きつけられ
る。
強烈な追い風を受けて急加速したハンマーはスカイの機体スペッ
クどころか最新型の精霊人機でも出せないほどの速度でハンマーを
振り下ろした。
667
暴れる突風の立てる音がしたかと思うと、巨大な破砕音と共にタ
ラスクの甲羅にひびが入り、演習場の地面に埋め込まれた。
観客席に座っている俺たちの下に届いたのは音だけではない。ハ
ンマーの追い風となっていた突風の余波と、それに続くような地揺
れだ。
すでに機体の基礎スペックではありえない結果を出していたが、
スカイの真価はむしろここからだった。
重たいハンマーを魔術の力まで借りて思い切り振りおろした以上、
スカイは硬直するはずだった。
だが、わずかにハンマーを持ち上げた瞬間、タラスクの甲羅とハ
ンマーの隙間に圧空の魔術が発動する。
圧縮空気の気圧でハンマーの持ち上がる速度が僅かに上がる。
︱︱そして圧縮空気が弾けた。
巻き起こる突風がハンマーを急速に持ち上げる。スカイの本来の
力と合わさって、ハンマーは一瞬で振り上げられた。
振り上げに時間がかかるはずのハンマーを軽々と操りながら、ス
カイが次の攻撃に移る。
ただ勢いよく前に出ただけだ。
しかし、スカイが前に出た瞬間その身に纏う遊離装甲、改造セパ
レートポールがタラスクの甲羅に勢い良く叩きつけられる。直後に
スカイとセパレートポールの隙間から強風が周囲に吹き散らされ、
演習場の砂を高く、高く巻き上げた。
改造セパレートポールは半円を底面に持つ柱であり、内部が空洞
になっているため精霊人機側からの風を効率よく受けることができ
る。
スカイの体当たりに合わせてセパレートポールに改変圧空の魔術
で生み出した突風が衝突し、勢いよく前に突き出すのだ。
遊離装甲を利用したシールドバッシュである。
かなりの重量があるはずのタラスクの甲羅が僅かにずれるほどの
威力だ。この技が全方位何処から来た攻撃に対しても自動発動する。
668
敵が肉弾戦を挑んできた場合、この遊離装甲を使ったシールドバ
ッシュ機能は防御ではなく反撃としての威力があるだろう。
最後に、スカイはタラスクの甲羅から距離を取ってハンマーを腰
だめに構えた。
最新の精霊人機でも間合いに入っているとは言えない距離だ。機
体スペックに劣るスカイであればなおさらである。
しかし、戦闘時のスカイであれば、この間合いが最大の攻撃力を
発揮できる。
スカイがタラスクの甲羅に向かって駆け出す。
しかし、スカイの加速力は最新の精霊人機のそれよりもはるかに
上だった。速度重視の設定を施されているデイトロさんの愛機レツ
ィアに迫る勢いだ。
スカイの加速力の秘密は機体後部で発生した圧空の魔術式による
強烈な追い風と、機体の前面に配置されている改造セパレートポー
ルによるスリップストリームだ。
魔術によって支えられ、加速しているセパレートポールは精霊人
機から完全に切り離された遊離装甲であり、ある種独立した一個の
物体である。
つまり、セパレートポールが受けた反動は精霊人機スカイに影響
を及ぼさない。逆もまた同様だ。
ならば、セパレートポールをスカイよりも加速させて風圧を軽減
することができる。
遊離装甲で風を軽減する発想を得た時、俺はもう一歩踏み込む事
にした。
それがこの遊離装甲によるスリップストリームだ。
押しのけた進行方向上の大気がセパレートポールの後部で渦を巻
き、周りの空気と共にスカイの機体を引きずり込み、加速を助ける
仕組みである。
この加速機能によって、スカイはその機体性能を超越した絶大な
加速性能を有している。
669
あっという間に距離を詰めたスカイがタラスクの甲羅の直前で急
停止する。
本来であれば限界を超えた速度に引っ張られて停止ができないは
ずのスカイだったが、足回りの改造セパレートポールが勢いよく地
面に突き刺さって障害物となり、スカイの足を無理やり止める。
それまでの加速に引っ張られる形で腰から上が前のめりになろう
とするのを、操縦者のボールドウィンが制御し、遠心力に変える。
そして、捻った上半身の勢いがそのまま、腰だめに構えていたハ
ンマーを振り抜く力へと乗せられた。
次の瞬間、タラスクの甲羅が吹き飛んだ。
スカイのハンマーが直撃し、タラスクの甲羅が重さを感じさせな
い勢いで演習場の端まで吹き飛び、壁にぶつかって派手な音を立て
る。
観客席にいる俺たちの足元がぐらぐらと揺れた。
﹁⋮⋮マジか﹂
ちょっとやりすぎたかも。これでも例の兵器を搭載するのは自重
したのだが。 必要な時に最大の力を発揮する、をコンセプトに進
めた改造計画だったが、これほどの威力となると反動が激しそうだ。
いくら三次元的な自由度が高い魔導チェーンでも断線したり、接続
不良を起こすかもしれない。
緊急で点検作業を指示して、魔導チェーンの様子を見るが、問題
はなかった。
その後、何度か同じように走り込んでからのハンマー攻撃をやら
せてみたが、魔導チェーンが外れる様子はない。
想像以上に魔導チェーンは衝撃に強いようだ。
動作中の内部の様子でも見れればよかったのだが、映像記録装置
もないのでは仕方がない。
模型で再現してみる事にして、動作テストを終えた。
670
スカイから降りたボールドウィンが俺たちへ駆け寄ってくる。
﹁すっげえって、これ! 頭の中で描いてる無茶な動きも簡単に再
現してすぐに次の動作に移れ︱︱﹂
﹁落ち着け﹂
スカイを指差しながら興奮気味に乗り心地を語ってくるボールド
ウィンを宥める。
この二週間、何度もスカイに乗ってきたボールドウィンだが、初
めて的に対して動作確認し攻撃力を確かめたことで、興奮している
ようだった。
整備士たちがスカイを見上げて腕を組む。
﹁普段から戦闘時と同じ動きをするのは無理だが、ひとたび戦い始
めると見違えるな。とんだ怠け者だ﹂
﹁酷い言い方だな。普段は力を抜いてここぞという時に備えるのは
悪い事じゃないだろ﹂
﹁別に悪口じゃねぇよ。褒めてんだ﹂
整備士長がむっとした顔でそっぽを向く。素直さのかけらもない
奴だ。
観客席の上の方で俺たちの成果を見学していたマライアさんたち
が下りてくる。
﹁基礎スペックを下げたと聞いた時は何をするつもりかと思ったが、
魔術格闘戦仕様に仕上げるとはね。この様子なら前衛を任せても大
丈夫そうだ﹂
マライアさんが革ジャケットのポケットに両手を突っ込んで、ス
カイを眺める。
671
﹁でも、ここまでのもんにしちまうとは、少し不味い事になったか
ね⋮⋮﹂
不穏な物言いに首を傾げていると、デイトロさんが説明してくれ
た。
﹁専用機との戦闘が可能なほど優秀な機体や乗り手は軍に目をつけ
られるからね。強力な開拓団ならともかく、青羽根程度の弱小だと
軍に接収されかねない。反逆者扱いは嫌だろう?﹂
それまではしゃいでいたボールドウィン達が真っ青な顔になった。
確かに、今のスカイは強力な機体だ。普段の魔力消費量は少なく、
ひとたび戦闘に入れば魔力を消費しながらも最新型の精霊人機より
も性能が良くなる。相手が専用機でも、場合によっては戦えてしま
える機体だ。
﹁つまり、やりすぎた?﹂
ミツキがスカイを振り返りながら訊ねると、大人団長三人組が一
斉に頷いた。
ドランさんが演習場の監視官が詰めている監視塔を指差す。
﹁いまさら性能を落としても無駄だ。監視官に見られちまった。も
うギルドに連絡がいってる頃だろう﹂
﹁ギルドは軍と仲が悪いし、こっちの味方をしてくれるんじゃ?﹂
ボールドウィンの言葉にマライアさんが意地悪な笑みを浮かべた。
﹁失態の穴埋めにあたしを呼ぶような腰抜けギルドが何を守れるっ
672
ていうんだい?﹂
期待するだけ無駄だというマライアさんの言葉に、ほかの団長も
異論はないようだった。
ドランさんの横にいた、最近はめっきり大人しいリーゼさんが眼
鏡を指で押し上げながら説明してくれる。
﹁専用機に迫る性能を持った精霊人機を開拓団が開発した場合にギ
ルドがとる対処は大まかに二つです。一つは精霊人機の機体性能、
使用している部品とメーカー、開発者や整備士の氏名年齢の一般公
開と、過去から未来までのすべての整備記録、戦闘記録の公開義務
付け、半年に一度ギルド職員及び軍の立会いの下での機体検査です。
今回のように開拓団の規模が小さく実績もない時にはこちらが採用
される可能性が非常に高いですね﹂
開拓団としての情報を丸裸にされる内容だった。まともな神経な
らこんな条件を呑まないだろう。
相手が魔物であれば一切問題のない情報だが、世の中には盗賊団
などもいる。すべての情報を明かした上で人間相手に戦うなど自殺
行為だ。
﹁ちなみに、こういった機体は売却できません。購入者には先ほど
の義務が適用されますから、誰も買いたがりません。軍はわざわざ
買わなくとも機体の情報を手に入れる事ができる立場ですから購入
を渋ります﹂
なんてやくざな商売だ。これが公権力という名の魔の手か。
ボールドウィン達も情報公開には乗り気でないようだった。
そこで、リーゼさんがもう一つのギルドの対処を教えてくれた。
673
﹁参考にはならないと思いますが、極端な実績を持っていたり、規
模の大きな開拓団の場合は情報公開を求められない事があります。
代わりに、ギルドからの要請依頼を受けて仕事をすることが多くな
りますが、こちらは報酬もかなりの金額になり、要請依頼を拒否す
ることもできます﹂
﹁至れり尽くせりに聞こえますけど、どれくらいの規模が必要なん
ですか?﹂
そんなうまい話があるはずないと思い、条件を尋ねると、リーゼ
さんがマライアさんを振り返った。
マライアさんがにやりと笑う。
﹁大型魔物討伐数は十、さらに魔力袋持ちの大型魔物討伐数が七、
開拓地の攻略戦を行って自前の開拓地を持ち、規模は戦闘員で三百、
精霊人機は三機を所有。これはあたしが精霊人機グラシアを開発し
た時の実績と開拓団〝飛蝗〟の規模だ﹂
マライアさんの口振りは、まるでスカイと同等の性能の精霊人機
を開発した経験があるようだった。
デイトロさんが頭を掻く。
﹁姉御の乗ってる精霊人機グラシアは専用機と互角以上に戦える、
ギルド所属機の中でも一、二を争う超攻撃型の機体だよ。あの頃は
手続きに奔走して酷い目にあったんだ﹂
﹁デイトロはあの頃から足が速かったね﹂
ケラケラ笑うマライアさんにデイトロさんがため息を吐く。
マライアさんは愛機グラシアを作った事でギルドから依頼を要請
されることになったという。情報公開も提案されたが、突っぱねた
そうだ。
674
﹁どんな機体なんですか?﹂
興味を引かれて訊ねてみると、デイトロさんが疲れた顔で答えを
くれる。
﹁広域殲滅魔術戦仕様、バカみたいに巨大な蓄魔石を積んで、団員
百人がかりで魔力を込めてようやく稼働できる燃費を度外視した機
体だよ﹂
なるほど、マジックキチガイ精霊人機、マジキチ機か。
マライアさんの機体の話は脇に置いて、今相談すべきは青羽根の
精霊人機スカイの今後だろう。
﹁情報公開は嫌なんだろう?﹂
青羽根の団長であるボールドウィンに問うと、絶対に嫌だという
答えが返って来た。
俺だってディアの情報を公開しろと言われたら全力で抗議するだ
ろう。
リーゼさんが精霊人機スカイを見上げる。
﹁独自技術の塊ですから、特許を出願して継続収入も見込めるので
すが⋮⋮﹂
﹁特許は鉄の獣が持ってるからね。青羽根には一銭も入らないよ﹂
リーゼさんの解決案が一瞬でマライアさんに潰された。
特許料は俺とミツキに入り、青羽根は情報公開をするだけで丸損
だ。
特許を譲渡することもできるが、さてどうしたものか。
675
演習場の出入り口からギルドの職員が入ってくるのが遠目に見え
た。
﹁足止めしてやるから、足元みられねぇ様に意見をまとめとけ﹂
ドランさんがリーゼさんと一緒に職員へ歩いて行く。
時間はもう残り少ない。
その時、マライアさんが口を挟んできた。
﹁書類上、青羽根が飛蝗の傘下に入れば解決するけどね。ギルドに
文句を言わせないだけの力をあたしらは持ってる﹂
﹁いいんですか!?﹂
マライアさんの言葉に、ボールドウィン達が身を乗り出した。
専用機に迫る戦闘力を持ったスカイを手放すのは惜しいと考えて
いたのだろう。
だが、マライアさんは肩を竦めた。
﹁あたしに利益がないんだよ。困ったね﹂
ボールドウィン達が顔を見合わせる。
青羽根は立ち上げたばかりの開拓団だ。構成メンバーも開拓学校
を卒業したばかりの若者で、マライアさんを納得させるほどの報酬
を出せない。
マライアさんはわざとらしく俺とミツキを流し見た。
﹁デュラ奪還作戦に鉄の獣が参加するっていうなら、青羽根の後ろ
盾になってもいいね﹂
ボールドウィン達が一斉に俺たちへ期待の篭った目を向けてくる。
676
ミツキが俺を見て微笑んだ。
答えは決まっている。
俺は笑顔でミツキに頷きを返し、そのまま笑顔をボールドウィン
達へ向けた。
﹁決まりだな。スカイをもとの状態に戻そう﹂
結論を口にすると、ボールドウィン達は何を言われたのか分から
ないという顔をした。
仕方がないので説明する。
﹁性能を落としたところで新型機と変わらないのでは情報公開を求
められる。それなら、いっそ元の状態に戻してしまえば開発したス
カイの機体情報を渡すだけで済むだろ﹂
そうですよね、と話を振ると、デイトロさんはあいまいに頷いた。
﹁そうだね。元のスカイなら新型どころか少し古いくらいの機体だ。
情報公開を求められることはないと、デイトロお兄さんも思うよ﹂
﹁やっぱり。では決まりです。スカイをもとの状態に戻しましょう。
今回は縁がなかったという事で︱︱﹂
﹁ちょっと待てよ!﹂
ボールドウィンがストップをかけてくる。
﹁なんでそんなすぐに諦めるんだよ!﹂
﹁ずっと言ってるだろ。俺たちは奪還作戦に参加しない。二週間無
駄にしたけど、青羽根の高く伸びた鼻っ柱も折れて丸くなったんだ
から、マライアさんも満足でしょう?﹂
677
マライアさんが目を細めて青羽根の青年たちを見回し、合格だね、
とだけ呟く。
青年たちの教育が済んだ以上、副産物であるスカイの改造を無か
ったことにしても問題はない。
マライアさんが俺を見る。
﹁強情だね。そんなに誰かの指揮に従いたくないのかい?﹂
﹁そうです。指揮下には入りません﹂
マライアさんは腕を組んで空を見上げ、ふと思いついたように俺
に視線を戻す。
﹁バランド・ラートについてはまだ調べてるのかい?﹂
⋮⋮どこから情報を仕入れてきたんだ?
警戒しつつ見返すと、マライアさんはにやりと笑う。
﹁あんたたちの事を調べたら、町でバランド・ラートについて聞き
込みをしてた、と証言が上がってね。ずいぶん古い話だったからダ
メ元だったんだけど、その様子だと図星みたいだね﹂
﹁⋮⋮だったらなんだっていうんです?﹂
﹁バランド・ラートの研究所の一つを知っている。昔、あたしの愛
機グラシアを見に来たバランド・ラートに話を聞いたからね﹂
よりにもよって、マライアさんは俺たちが初めて出会うバランド・
ラートと面識のある証言者らしい。
﹁どうする?﹂
﹁⋮⋮相談させてください﹂
﹁明日までに決めな﹂
678
苦い思いを抱きつつ、俺はミツキと一緒に演習場を後にした。
精霊人機スカイに関しては俺たちの結論を聞いてから決めるとい
う事でギルドとも話がまとまったらしい。
679
第二十話 新兵器開発
ガレージにディアを止めた俺は、同じくパンサーから降りたミツ
キと一緒に家の中に入った。
厄介なことになった。
マライアさんが本当にバランド・ラート博士の情報を持っている
かはわからないが、奪還作戦への参加を要請された以上、報酬を先
払いにさせれば情報の有無を確認することは可能だろう。
できれば、デュラ奪還作戦への参加を避けたいのが本音だ。
今回の作戦にはデュラの元住人は参加しないようだが、それでも
マライアさんの指揮に従うのはリスクが大きい。
﹁⋮⋮どうしたもんかな﹂
ソファに腰掛けて、腕を組む。
バランド・ラート博士の研究所は確かに知りたい。研究内容から
俺たちが転生した理由を知ることができるかもしれない。
﹁ミツキはどう思う?﹂
﹁研究所の重要性は高いと思う。でも、デュラ奪還作戦が数日で終
わるとも思えないし、ワステード司令官から出されたリットン湖攻
略戦への参加に間に合わせないといけないよね。時間が足りるかも
考えておかないと﹂
﹁リットン湖攻略戦か。ワステード司令官が降格になって今のボル
ス司令官は暫定的にホッグスが務めてるんだろ?﹂
この二週間の新聞報道はすべてチェックしていたが、ボルスの司
令官が正式に決まったという話はなかった。
680
暫定司令官のホッグスはバランド・ラート博士の事を嗅ぎまわる
俺たちを遠ざけた張本人だ。
もしもホッグスがリットン湖攻略の指揮を取ることになると、俺
とミツキを使い潰そうとする可能性すらある。
﹁リットン湖攻略が始まる前にボルスに潜入して内情を探る必要が
ある事に変わりはないし、デュラ奪還作戦への参加期間も必然的に
短くなるな﹂
使える時間はせいぜい二週間。この港町で準備を整えて出発し、
デュラに行くだけでも四日はかかるだろう。奪還作戦そのものに使
える時間は一週間と少し、ギリギリだ。
ギリギリ、間に合う。
﹁時間的には断る理由がないな。バランド・ラート博士の研究所を
教えてもらえるなら利益もある。だけど⋮⋮﹂
﹁信用できない?﹂
ミツキの問いに深く頷く。
そう、信用できないのだ。
いつもいつも、誰かを救っても、努力の成果が認められない。
助ける事が出来たのは俺たちが開発した精霊獣機のおかげだとい
うのに、誰もそれを認めようとしない。
能力を評価する者はいる。ロント小隊長やマライアさんがそうだ
ろう。
しかし、能力を評価しただけで存在は認めようとしない。気持ち
悪いだとか言って、使えるから使っているだけ、利用しているだけ
だ。
俺たちはただの評価なんて求めていない。
開発するための努力と、それに伴う思い出の全てを否定しておい
681
て、ただ利用するなんて所業は、前世でミツキを利用した連中やデ
ュラの住人となんら変わらない。
だから、精霊獣機を精霊獣機として認めない連中は信用できない。
マライアさんもそうだ。あの人も利用することを考えている。見
返り用意するだけマシな部類だけど。
﹁開発という意味ではスカイの改造も似たようなものだけどね。私
たちをデュラ奪還作戦に引っ張り出す餌として、マライアさんに体
よく利用されちゃってる﹂
﹁だが、スカイは改造後でも受け入れられている。技術を公開すれ
ば、一部で真似する者も出てくるだろう﹂
﹁技術の話じゃなくてさ﹂
ミツキが首を横に振る。
ソファーの上で胸に膝を引きつけて体育座りをしたミツキは、言
葉を選んでから俺を見た。
﹁努力と思い出を人質に取られているっていう話だよ。青羽根の人
たちとスカイを改造したでしょ。努力と思い出を詰め込んでできた
今のスカイを手放したくはないって、少なくとも青羽根の人たちは
思ってるよ﹂
﹁そうかな?﹂
協力と言えば聞こえはいいが、実質的に俺とミツキが振り回して
いただけだ。
どこの誰とも知らない相手に改造された機体に愛着が持てるだろ
うか。命を預けられるだろうか。
違和感なく受け入れられるのなら、マライアさんも罰として俺た
ちに弄らせたりはしなかったはずだ。
682
﹁青羽根の連中は思い出だなんて思ってないだろ。忘れ去りたい過
去なんじゃないか?﹂
﹁そうだとしても、青羽根の人たちがいまのスカイを元の状態に戻
すことを渋っているのは確かだよ。それは努力の結果を受け入れて
いるからだと、否定したくないからだと、私は思うの﹂
ミツキは俺をまっすぐ見据えてくる。
俺たちと一緒にした努力の成果である今のスカイを青羽根の連中
が残しておきたいというのなら、それに協力するべきだろう。
だが、俺はミツキに言っておかなくてはならない。それが嫌なセ
リフだとしても。
﹁ミツキ、期待するだけ無駄だ。それだけは忘れるなよ﹂
﹁分かってるよ。良く分かってる﹂
﹁そうか﹂
俺はミツキの肩を引き寄せる。
ミツキが頬を膨らませた。
﹁過去を思い出させておいて、傷心に付け入る手口。これで何人の
女の子を泣かせてきたのかな?﹂
﹁酷い言われようだな。マッチポンプなのは確かだが、下心はない﹂
苦笑交じりに肩を竦めると、ミツキは﹁本当かなぁ?﹂と言いつ
つ俺の頬を指先でつついてくる。
﹁本当だ。この流れで口説くほど落ちぶれてないし、無神経でもな
い﹂
﹁無神経ならもっと器用に立ち回れたもんね﹂
683
そう、自分に対して無神経に立ち回れていれば、悩む事もなかっ
ただろう。
﹁決まりだな。デュラ奪還作戦に参加はする。ただし、条件は付け
ておこう。自主裁量は認めてもらわないと困る﹂
ミツキが俺の言葉に頷いた。
﹁私たちはもちろん、スカイが使い潰される事態を避けるためにも、
私たちが独自の判断で動く権利は確保しておかないとだよね﹂
俺はソファーから腰を上げた。
奪還作戦への参加が決まった以上、マライアさんと条件の摺合せ
や出発前の準備をしなくてはいけない。
﹁ねぇ、ヨウ君。例の兵器、完成させるの?﹂
﹁完成させる。奪還作戦で使うかはわからないけどな﹂
﹁切り札になるもんね。手伝うよ﹂
ミツキが立ちあがる。
﹁パンサーにも例の奴を加えておかないとな﹂
﹁乱戦時に使うあの兵装? 時間足りるかな﹂
間に合わない可能性はあるが、それでも取り組まない理由にはな
らない。何しろ命がかかっている。手札は多いに越したことはない。
俺たちは作戦に備えて、ガレージに向かった。
時間はあまりないが、精霊人機スカイの改造で得られたデータも
ある。流用できる部分もあった。
684
﹁さぁ、大型魔物も屠れる新兵器開発、いってみようか﹂
ガレージに続く二重扉を開け放ち、俺は宣言した。
ディアに歩み寄り、まずは二本の角を外す。
続いて、首回りの装甲版を外し、内部をあらわにした。
俺が扱う対物狙撃銃の反動を軽減するためにいくつものサスペン
ションが配置され、照準誘導を助けるための部品が組み込まれてい
る。
設計図と照らし合わせても分からない者が大半だろう、実に複雑
な造りをしていた。一部は俺とミツキが手作りした部品でもあり、
なおさら機能の理解の難易度を上げている。
﹁まずは部品を全て外して配置を考えつつ、魔導鋼線を魔導チェー
ンに入れ替える﹂
﹁反動による断線を防止するための処置だね﹂
﹁何しろ、あの威力だからなぁ﹂
二週間前に行った試射を思い出す。
爆発音が凄まじかった。大砲かと思うほどだ。
反動もかなりの物で、ディアの首による衝撃吸収でも耐え切れず、
銃架にしていた二本の角が対物狙撃銃ごと後方に吹っ飛んだ。
もしも、魔導鋼線を繋いだ遠隔操作で試射していなかったら、俺
も後ろにごろごろ転がっていただろう。
ディアの首を分解しつつ、ミツキが口を開く。
﹁発想からしてぶっ飛んでるよね﹂
﹁褒め言葉か?﹂
﹁半分くらいは﹂
残り半分の成分は聞かないでおこう。
685
﹁対物狙撃銃強化魔術式、カノン・ディア。アレの反動の原因は分
かったの?﹂
﹁威力が大きすぎるってのもあるけど、一番の原因はマズルブレー
キからの空気流入だな﹂
対物狙撃銃をそのまま使用する限りはあり得ない現象だが、カノ
ン・ディアでは避けられない問題だった。
﹁どうするの?﹂
ミツキに解決策を訊ねられ、俺は魔導核を指差す。
﹁威力を少し抑えつつ、遊離装甲の魔術式で押さえつける。幸い、
砲身部分は使い捨てだから傷んでも問題ない﹂
だが、カノン・ディアだけでもかなりの魔力を使用する上に、遊
離装甲の魔術式で砲身を固定するとなると魔力の消費量が多すぎる。
﹁切り札的な使い方しかできなくなるんだよな﹂
魔力消費量と、反動に耐えるための姿勢作り、そういったものを
考えると使える場面は限られてくる。
魔導チェーンを持ってきてくれたミツキがディアの背中に手を置
いた。
﹁使い勝手が悪くても、切り札はあった方が良いよ。今まで逃げる
以外の選択肢がなかった大型魔物に対しても攻撃手段があるってこ
とは、戦術幅も広がるんだからさ﹂
﹁過信はしないでくれよ。威力は保証するが、それにしても使い勝
686
手が悪すぎる。とっさに撃てるものでもない﹂
﹁大丈夫、撃てるようにフォローするのが私とパンサーの仕事なん
だから、そこは安心してくれていいよ﹂
かっこいい事を言ってくれるミツキに励まされつつ、ディアの首
パーツを入れ替える。
魔導チェーンのおかげで、首が意図せず大きく動いても断線の心
配はない。前回の試射では魔導鋼線が反動で切れてしまい、首から
上が動かなくなってしまったのだ。
次にディアの角だ。
ヘラジカのそれを模したディアの角は板状で、上部に銃架として
も機能する窪みがいくつもある。
俺はディアの角を持ち上げて重さを量りつつ、設計図と見比べて
許容できる重量を計算する。
﹁根元付近の厚みを増して、半ばから先は今まで通りの厚さでいい
か﹂
﹁カノン・ディアは正面に向けてしか撃てないから、それでいいと
思うよ﹂
意見がまとまって、俺はディアの角の素材である鋼板を取りにガ
レージの奥の資材置き場に向かう。
ディアの角は俺たちが自作しているパーツの一つだ。
頭が支えられる重量、敵の攻撃を受け止める強度、俺が対物狙撃
銃の銃架として使いやすい窪みの位置、すべて自分たちで計算して
製作している一点物である。二本あるけど。
俺が鋼板を資材置き場から持ち出すのと、ミツキが角の留め具を
作り始めるのは同時だった。
角の厚みが増してしまうため、留め具も作り直さなければいけな
いのをすっかり忘れていた。
687
﹁ヨウ君は角の作成をして。私は留め具だけ作って、洗濯物とか買
い出しリストを作るから﹂
﹁留め具も俺がやるよ。代わりに風呂を洗っておいてくれ﹂
これから角の切り出しなどでかなり汗をかくことになる。
俺は鋼板カット用の工具に視線を移す。
魔導核にいくつかの魔術式を刻んでおけば、前世にあった工具よ
りも高性能なものがいくらでも作れるのだから、つくづくこの世界
は魔術と魔導核を基盤に成り立っているのだと感心する。
もっとも、工具を自作しようと思えばそれなりの知識が必要にな
るから、誰でもマネできるものでもない。
ガレージを出ていくミツキの後姿を見送って、俺は作業に取り掛
かった。
688
第二十一話 それぞれの致命的なミス
翌日の朝、俺はギルドに来ていた。
待ち構えていたマライアさんが足を組んで俺に訊ねる。
﹁結論を聞こうか﹂
﹁条件付きでの参加、報酬は先払いです﹂
マライアさんが目を細めて俺を睨んでくる。
﹁待たせておいて、都合がよすぎやしないかい?﹂
﹁呑めないならそれまでです。譲歩できるのはここまでなので﹂
条件を書いた紙を渡すと、マライアさんはため息を吐いた。
足を組みかえながら、俺とミツキを見比べる。
﹁これから一緒に命をかけようって相手に出す条件がこれかい? あんたら二人の都合で勝手に離脱されちゃたまったもんじゃないん
だけどね﹂
﹁不当な扱いをされないための保険だと思ってください。身の危険
を感じなければきちんと役割を果たします﹂
﹁そうかい。まぁ、あたしらは開拓者であって、軍人じゃないから
ね。自分の命の使い道を決めるのは自由だ。いいだろう、この条件
を呑んでやる﹂
意外とあっさりと話がまとまり、俺は安堵する。
マライアさんは軍やギルドを相手取って我を通せる実力者だ。あ
まり敵対したくない。
689
参加が決まって手続きしていると、開拓団〝青羽根〟の団長ボー
ルドウィンが肩を叩いてきた。
﹁良かったよ、お前が参加してくれて。危うくスカイを元に戻さな
いといけなくなるところだった﹂
﹁そっちの方が良かったんじゃないのか?﹂
問いかけると、ボールドウィンは心底不思議そうな顔をした。
﹁なんで?﹂
﹁なんでって⋮⋮。機体に愛着くらいあるだろ?﹂
﹁愛機を獣に貶めている奴が言う台詞かってのはともかく、改造後
の機体の方が愛着がわくもんじゃねぇの?﹂
なおさら分からない、とボールドウィンが首を傾げる。
﹁ボールドウィンが自主的に改造に踏み切ったわけでも、自分で考
えた改造を施したわけでもないのに愛着がわくのか?﹂
俺の質問に、ボールドウィンは﹁そんな事か﹂と苦笑して肩を竦
めた。
ボールドウィンがギルドの外を指差す。
﹁ちょっと一緒に来いよ。本格的な遠征は初めてだから、いろいろ
教えてほしいんだ。買い出しに付き合ってくれたら、お前の質問の
答えも分かると思うぜ﹂
俺は一瞬悩んだが、隣にいたミツキに軽く背中を叩かれてボール
ドウィンの買い出しに付き合う事にした。
三人連れだってギルドを出る俺たちを、ギルドの職員やリーゼさ
690
んが珍しがる。
ギルドの前の大通りはいつにもまして騒々しく、人でごった返し
ていた。
デュラが陥落して半年以上。ここ最近はデュラを拠点に周辺の村
へゴブリンやゴライアが略奪に来ているらしく、避難してきた住民
でこの港町の人口密度が極端に増していた。
幸いというべきか、人型魔物たちはデュラをことのほか気に入っ
たらしく、デュラの外におけるギガンテスの目撃情報は少ない。
嘘かまことか、海にすむ魔物を捕って食べる姿も目撃されている。
本格的にデュラを根城にするらしい。
漁師生活する人型魔物たちの生態に興味がないと言えば嘘になる
けれど、野放しにするとこの港町が避難民で埋め尽くされてしまう。
早いうちにデュラから人型魔物を一掃する必要があるだろう。
はぐれないようにミツキと手をつないで歩いていると、ボールド
ウィンが振り返った。
﹁お前ら十五歳くらいだろ? たった二人で開拓者やってるのか?﹂
﹁十三歳だ。今年で十四になるけど。開拓者としての活動も二人で
やってる﹂
ボールドウィンが頭を掻いた。
﹁親とかはどうしたんだよ。ファーグ家の援助はないだろうけど、
何か言われないのか? 戻ってこいとかさ﹂
﹁言われないな。開拓学校を受験させられたのも、ようは厄介払い
だ﹂
﹁いろいろ複雑な家庭事情なのな。ホウアサちゃんは?﹂
﹁似たようなものよ。後、ちゃん付けはやめて﹂
ミツキに咎められて、ボールドウィンが﹁分かった、分かった﹂
691
と不誠実な調子で言い返す。
店が並ぶ大通りへ歩いて行くボールドウィンに、俺は声を掛ける。
﹁買い出しなら、この通りの店は避けた方が良い。保存がきく食品
類は数を確保してないし、医薬品の類は扱ってない店ばかりだ﹂
﹁え、そう?﹂
ボールドウィンが困ったように大通りの店を見回した。
日頃の買い出しであれば問題ないのだが、基本的にこの港町の住
人を相手に商売をしている店であるため、保存食品よりもその日の
食事に使う食材に重点を置いた品揃えになっている。そのため、生
鮮食品が安い代わりに缶詰めなどは高く、在庫もあまり確保してい
ない。
基本的に、開拓者はその町に根差している店を避けて日持ちのす
る食材を扱う店を探す。同業の開拓者に聞いて店を特定することが
ほとんどなため、開拓者がその店に集中しやすく、品揃えも自然と
開拓者相手に特化していくようになる。
大きな町であれば必ず一件は開拓者向けの店が存在するものだ。
説明すると、ボールドウィンは感心したように﹁おぉ﹂と小さく
声を漏らした。
﹁そういう話は開拓学校だと習わないな﹂
開拓者の間では常識と言ってもいいこんな話も初耳だというから
には、ボールドウィン達〝青羽根〟が本格的な遠征に出かけた事が
無いというのは事実なのだろう。
これから先、開拓団として活動していけるのか心配になる。
﹁本当に開拓学校で習わないのか?﹂
﹁ほとんどの卒業生が軍に志願するから、民間の開拓者がどうして
692
いるのかは習わないな。普通にそこらの店で物資を整えるもんだと
思ってた。でも、そういえば開拓団の規模が大きくなったら店で買
うのも迷惑になるよなぁ﹂
今まで考えたこともなかったのが、口振りからも分かる。
ちなみに、規模の大きな開拓団であれば問屋に卸してもらったり、
大手の商会と取引して魔力袋を融通する見返りに援助してもらった
りする。
十人で構成されている小規模な開拓団である青羽根なら店の方で
事足りるだろうと、俺は店を紹介するためボールドウィンを追い抜
く。
すると、ボールドウィンが歩く速度を上げて俺の横に並んだ。
﹁さっきの質問だけどさ。てっきり二人は家出したんだと思ったん
だよ。十三歳で開拓者って珍しいだろ?﹂
﹁そうでもない。開拓学校の退学者だったり、村や町を焼け出され
て開拓者になる奴の中には俺たちより年下の奴もいる﹂
﹁そういう奴はたった二人で活動しないだろ﹂
ボールドウィンの言葉に肩を竦める。
年齢と家出人かどうかは関係がない事を言ったのに、人数に言及
されても話が違うとしか言いようがない。
俺やミツキが転生にまつわる事情を抱えていなければ、どこかの
開拓団に所属する道もあっただろうが、仮定の話をしても意味はな
い。
ミツキが俺とボールドウィンの会話に割り込んできた。
﹁私たちの事情なんて、あなたたちには関係のない事でしょ﹂
﹁寂しいこと言うなよ。そりゃあ、最初に会ったときは失礼なこと
言ったけどさ﹂
693
ギルドを出る前にも言ったけどな。
自覚はないようだし、指摘しても理解できないだろう。
俺とミツキが口を閉ざすと、ボールドウィンは空気が悪くなった
のを察したか視線をさまよわせる。
﹁な、なんか悪いこと言ったか? ごめん、ごめん﹂
俺はため息をついて通りを曲がる。
こんな奴と一緒に買い出しになんて来るんじゃなかった。
隣を歩くミツキを見る。
俺とミツキに好き勝手に改造されたスカイに愛着がわくのかとい
う質問に対する答えが聞けるから、ミツキは買い出しに付き合う事
にしたはずだ。
この調子で本当に答えが聞けるのか、俺には疑問だった。ミツキ
もどうやら失敗を感じ取り始めているらしいことが表情から分かる。
店だけ教えて帰ってしまおうと俺がミツキに提案する前に、ボー
ルドウィンが口を開く。
﹁開拓学校の卒業生はほとんどが軍に志願するって言っただろ﹂
さっき聞いた。
そう言えば、ボールドウィン達は開拓学校を卒業してすぐに開拓
団を立ち上げている。
退学して仕方なく開拓者になったのではなく、卒業してからわざ
わざ開拓者になるというのは珍しい。
ちょうど到着した店に入って、必要な物を買いそろえる。遠征に
必要な物資の一覧は開拓学校でも習うらしく、ボールドウィンとの
齟齬はあまりなかった。
ボールドウィンが店の中を見回す。
694
﹁俺たちはあまり成績が良い方じゃなくてさ。卒業くらいは難なく
できるんだけど︱︱これは嫌味とかじゃないからな?﹂
卒業どころか入学すらできなかった俺に気を使ったらしいが、元
々開拓学校に思い入れもないから何とも思わない。
俺の反応が薄かったことに安心したのか、ボールドウィンは話を
続ける。
﹁俺たち十人でいろいろと教えあったりしてさ。結構仲が良かった
んだよ。それで、二つ上の先輩が卒業する時にふと思ったんだ。軍
へ入隊したら別の部隊に配属になって、こいつらとも離れ離れにな
るんだなってさ﹂
十中八九そうなっただろう。
精霊人機の操縦士と歩兵、整備士ではそれぞれ役割が違う。整備
士など、砦などで常勤になれば歩兵との接点もほとんどなくなる。
俺が開拓学校に入ったとしたら、誰とも関わらない様にしてやり
過ごしただろうな。
ボールドウィンが会計を済ませて、予想外の安さに喜びながら物
資の搬入場所を倉庫に指定する。出発まであの倉庫で雑魚寝してい
るみたいだが、ちゃんと疲れは取れているのだろうか。
店を出ると、ボールドウィンは倉庫へ歩き出す。
俺はついて行こうとして、ミツキに袖を掴まれ、足を止めた。
ボールドウィンの話を聞くためにギルドを出るように促したのは
ミツキなのに、なぜだろうかと振りかえる。
ミツキは少し俯き加減に地面を見つめて、何かを考えているよう
だった。
いつまで待っても口を開かず、かといって袖を放そうともしない
ミツキに首を傾げつつ、声を掛ける。
695
﹁ミツキ、どうかしたのか?﹂
﹁⋮⋮何か、致命的なミスをした気がする﹂
日本語で呟いたミツキの不穏な言葉に、俺は今日一日の行動を思
い起こす。
せいぜいデュラ奪還作戦への参加を決めた事くらいしか変化がな
いのだが、今になって致命的なミスと感じるような過ちは犯した覚
えがない。
気がするというからには、ミツキも具体的には説明できないのだ
ろう。
先を行っていたボールドウィンが俺たちがついてきていない事に
気付いて戻ってくる。
﹁どうかしたか? 人ごみに酔ったとか?﹂
普段人に避けられてるから慣れてないだろうし、と余計なひと言
を付け加えて心配してくるボールドウィン。
こいつ、少し抜けているというか鈍感なところがあるだけで、根
は悪い奴ではないらしい。ただ、団長には向かないと思う。
ミツキのいう致命的なミスとやらは気になったが、とりあえずは
ボールドウィンとスカイが置いてある倉庫に向かう。
もう周辺の村にも被害が出始めているため、奪還作戦はすぐにで
も始めてほしいとギルドから急かされている。
スカイの調整は終わっているが、何しろほとんど新型という事で
予備の部品がなかなか揃わなかった。いま倉庫では予備部品に不良
品が混ざっていないかの確認作業をしているはずだ。
ミツキが人ごみに酔ったと勘違いしたままのボールドウィンが歩
く速度を緩めながら話を戻す。
696
﹁卒業して離れ離れになるのも嫌だったけど、それ以上に、命令が
あったら仲間でも見捨てないといけないってのがどうにも性に合わ
なかったんだ。それで、みんなでバイトしたり、授業の合間や休日
を利用して魔物を倒したり、卒業する時に村から出てきたっていう
新入生に相場より安く教科書を売ったりして資金を稼いだ。それで、
新大陸に渡航してすぐにスカイとか整備車両を買って、開拓団とし
ての登録を済ませたんだ﹂
軍の気質が合わずに開拓者を志して、金を稼いだのか。
型遅れとは言え、精霊人機を購入できるほどの資金を集めるのは
苦労したはずだ。
﹁そんな苦労をして手に入れたスカイを弄り回されて、よく改造さ
れたままの今のスカイを受け入れたな﹂
俺の感想に、ボールドウィンが笑う。
﹁最初は、何してくれてんだ、このくそ野郎って思ったけどな﹂
やっぱり思ってたか。
けどさ、とボールドウィンが続ける。
﹁取り外したパーツは傷一つ付いてなかった。いつでも再利用可能
なように部品ごとに分類して、使えなくなってる物や使えなくなり
そうな物は教えてくれた。安いからって粗悪品を使うな、とも叱ら
れた。メーカーごとに精度が高い部品も教えてくれた。技術は確か
で、ハチャメチャなことやってるくせに壊れるような無茶はしなか
った﹂
ボールドウィンが空を仰いで、ため息を吐く。
697
﹁開拓学校を卒業した俺たちなら、そこらの開拓者よりよほど腕が
立つと思ってた。なんでもできると思ってた。でも、命がけで戦っ
て培った実践的な知識とか経験は開拓学校じゃ得られないんだよな。
緊張感が違うって肌で感じたよ。だから、学ぼうと思った﹂
言われてみると、ボールドウィン達は次第に俺たちの言う事を聞
くようになっていたように思う。質問されることも多かったし、俺
たち以外にも竜翼の下や回収屋、飛蝗の整備士たちへ質問しに行く
姿も改造が進むほど見かけるようになった。
俺もミツキもスカイの改造に夢中で特に気に留めていなかった。
ボールドウィン達が学ぶ姿勢を取りだした事も、マライアさんの
計算のうちなのかはわからない。
だが、ボールドウィン達はマライアさんに感謝しているらしい。
﹁慢心して突っ込んで死人が出る前に鼻っ柱折ってくれたことには
感謝してる。俺たちの抗議とか反論に耳を貸さずに推し進めてくれ
たコトじゃなかったアカカカワ? にも感謝してる﹂
名前を間違えなければ、様になったんだけどね。という嫌味は飲
み込んで、俺はミツキを見る。
俺たちはスカイの改造に取り組む姿勢を評価されたのだ。改造さ
れたスカイの有用性ではなく、そこに至るまでの姿勢と、そこから
学ぶことができたことに感謝されている。
それは、ミツキのいう努力する意義、自分の存在が相手の中で居
場所を作り、それが大きくなるという物ではないだろうか。
ミツキが願っていた物ではないだろうか。
なのに、ミツキ、なんでそんなに︱︱青ざめてるんだ?
倉庫が見えてくる。
ミツキが足を止め、繋いでいた手に引っ張られて俺も足を止めた。
698
﹁ミツキ?﹂
﹁ヨウ君、帰ろう﹂
小さな声だった。それでも有無を言わせぬ口調で、しかも日本語
だった。
俺たちのやり取りが聞こえなかったのか、ボールドウィンが振り
返って話を続ける。
﹁改造されたスカイに愛着が持てるのかって質問だったよな﹂
そうだ。俺はそれを聞こうとしていた。
だが、すでに答えは出ている。
努力する意義があったと分かった以上、俺はミツキのために、開
拓団〝青羽根〟が改造されたスカイを所持し続けられるように全力
で協力する。
協力を申し出ようとした時、ボールドウィンが腰に両手を当てて
胸を張った。
﹁愛着が持てないはずないだろ。お前たちと一緒にスカイの改造に
当てた二週間はいい経験になった。いい思い出になった。この機体
で奪還作戦に参加して大活躍したら、多分一生この話で盛り上がれ
るくらいにさ!﹂
ボールドウィンが力強く言い切った時、俺はミツキが言った致命
的なミスを悟った。
同時に、このミスを取り繕おうにも、すでに手遅れだという事に
も。
何のために、俺は人を遠ざけ続けた?
大切な物を作りたくなかったからだ。死んだ事であらゆる関係性
699
が失われていくのが嫌だったからだ。
でも、それだけじゃなかった。
この世界で大切な何かを、思い出と呼べる何かを作ってこの世界
との繋がりが濃くなれば、前世で築いた赤田川ヨウの人生が薄れて
いくような気がした。
この世界でのコト・ファーグとしての居場所ができるほど、自分
の立脚点をこの世界に置くほどに、赤田川ヨウとしての立脚点が揺
らいでいく気がした。すべてが夢か幻で、俺は前世の記憶を持って
いると勘違いしているただの異常者だという仮説を否定する事も出
来なかった。それが耐えられなかった。
だから、ミツキと前世の記憶を共有できることに安心したのだ。
赤田川ヨウは確かに存在した。日本という土地で生活し、思い出を
いくつも持っている一人の人間だったのだと確信を持てたから。
同時に、俺はこの世界でコト・ファーグとして生きていく事に躊
躇いがあった。
だから、俺はこの世界に思い出を作る事に意義を見いだせなくな
っていた。
そうだ。ミツキがいれば、日本の常識も価値観も記憶も共有でき
るミツキさえ隣にいれば、転生者、赤田川ヨウとしてこの世界で生
きていける。コト・ファーグである必要なんてどこにもなかった。
それが何より楽だった。
⋮⋮でも、もう何もかもが手遅れだ。
俺はここに思い出を共有する相手を作ってしまった。
また、いつか失われるモノを作ってしまったのだ。
俺はもう、喪失感から逃れられなくなった。
どうする?
﹁︱︱おい、どうかしたのか?﹂
ボールドウィンが焦ったように問いかけてくる。
700
自分でもわかる。いま俺は、酷い顔色をしているだろう。
﹁ヨウ君、この依頼、やめよう﹂
ミツキが日本語で提案してくる。
いまさら逃げたって、手遅れだと分かっているだろうに。
だから俺は答える。
日本語ではなく、この世界の言葉で。
﹁⋮⋮大丈夫だ。逃げても遅いなら、失わないようにするしかない﹂
﹁違うんだよ、ヨウ君﹂
あくまでも日本語で話を続けるミツキを不思議に思い、顔を見る。
ミツキは青い顔で俺の手を両手で握っていた。
﹁ヨウ君、この依頼を受けたら、私が大事じゃなくなるでしょ?﹂
701
第二十二話 ここより始まる
﹁ヨウ君、この依頼を受けたら、私が大事じゃなくなるでしょ?﹂
何を言っているのか、分からなかった。
ミツキが俺の手を引いて借家に向かって歩き出そうとする。
ボールドウィンが困惑の表情で俺に声をかけてくる。
﹁二人とも、どこに行くんだ?﹂
正直、今ボールドウィン達に関わっている場合じゃない。
俺は言葉を選びつつ、ボールドウィンを振り返る。
﹁帰るんだ﹂
﹁もう帰るのか? 気分が悪いなら休んでいけばいいだろ。倉庫っ
て言っても整備車両の中ならベッドもあるから、家とあんまり変わ
らないだろ﹂
﹁変わるさ﹂
俺はミツキに引っ張られるまま歩き出す。
まだ引き留めようとしているボールドウィンを肩越しに振り返っ
て、続きを口にする。
﹁お前たちがいる。だから、俺たちは帰るんだ﹂
理解できていない様子のボールドウィンを置き去りに、俺はミツ
キに並んで借家への道を歩く。
言葉は交わさなかった。
702
ただ、ミツキはずっと俯いて、俺の手を離さなかった。
途中でギルドのガレージに寄り、ディアとパンサーに乗る。
リーゼさんが何か言っていたが、無視した。
いまはくだらない諫言も的外れの忠告も聞いている暇はない。
早々にガレージを後にして、借家へ向かう。
いつの間にか空は曇り始め、帰り着く頃にはぽつぽつと雨が降り
始めていた。
借家のガレージにディアとパンサーを停めて、キッチンでコーヒ
ーもどきを淹れながら一息つく。
いつもは俺がコーヒーもどきを淹れている間リビングのソファー
の上で本か新聞を読んでいるミツキが、今日はずっと俺のそばを離
れない。いまもキッチンに立つ俺を見つめながら、壁に背中を預け
ていた。
﹁見張らなくても、消えたりしないって﹂
冗談めかして声を掛けるが、ミツキは小さく頷くだけだった。
﹁⋮⋮怒ってない?﹂
わずかな間を挟んで、そうミツキが訊ねてくる。
﹁何に?﹂
﹁私から依頼を受けたいって言い出したのに、放り出したこと⋮⋮﹂
怒っているかどうかを聞かれれば、怒っていない。
依頼を受けたいと言った時のミツキの気持ちも、放り出したくな
ったミツキの気持ちも分かる。
だが、それが良い事だとは思わなかった。
コーヒーもどきを淹れ終えて、カップに注ぎ、ミツキに渡す。
703
﹁なぁ、ミツキは努力する意味は何だろうって言ってたよな﹂
初めて会った日の事だ。ミツキは前世も含めた身の上話の中で、
努力の意味を見失ったと語った。
努力して期待に応えて、誰かの中で自分の存在が大きくなってい
く事に喜びを覚えたから、まずは努力から始め、期待に応えていく
うちに都合のいい存在としか見られなくなっていったことに、努力
する意味を見失った、と。
なら、努力してスカイを改造して、期待以上の成果を上げて、青
羽根の団員が開拓者としての意識を変えるきっかけになった今の状
況は、ミツキが望んだもののはずだ。
だが、ミツキは青羽根の団員に慕われた事を喜ぶよりも、俺の中
でミツキが、ひいては日本の存在が薄れていく事に怯えて逃げ出し
た。
﹁ミツキにとって大事なのは努力を認められることじゃないんだろ
?﹂
努力は最初から手段でしかない。
誰かに大事にしてもらいたいから、自分の有用性を示す。そのた
めの手段が努力であり、期待に応える事だった。
だから、大事にされなくなるための努力なんて本末転倒で、今回
の依頼を完遂する事で俺に大事にされなくなる未来を予見して努力
を、依頼を放棄する選択をした。
出会った時から、ミツキはずっと言っていた。
﹁⋮⋮ヨウ君さえいればいいの﹂
ミツキが呟く。
704
﹁⋮⋮でも違ったんだよ﹂
ミツキが一度も口をつけていないカップをキッチンテーブルに置
いた。
﹁ヨウ君さえいればいいんじゃない。ヨウ君じゃなきゃダメだった
んだよ﹂
ミツキは青羽根の団員に慕われるかどうかなんて、二の次だった
のだろう。それを意識していなかっただけだ。
俺と一緒にスカイの改造に取り組む事に意味があった。努力する
時間や思い出を共有する事に意義があった。
一緒に努力する限り、俺の中でのミツキの存在は大きくなってい
く。転生者である俺たちにとって、過ごした時間は死んでも失われ
ない価値を持つ。時を重ねるごとに死んでも消えない存在として俺
の中に残る。
それは俺がミツキに日本の思い出を共有する役割を求めたのと同
じように、代替の利かない役割だ。
青羽根の団員と俺とでは選択の余地などなかったのだ。
ミツキはキッチンテーブルの上のカップを見つめる振りをして、
顔を伏せている。
俺はミツキに声を掛ける。
﹁理屈とか、依存しているとか抜きにしてもさ。俺はミツキと一緒
にいて楽しいと思ってる。一緒に得体のしれないジビエ料理を食べ
たり、プロトンとかディアやパンサーを作ったり、崖を上って景色
を見たり。それは全部、この世界でミツキと一緒に作った思い出だ﹂
もちろん、良い思い出ばかりではない。
705
白い目で見られたり、汚水を頭からかけられたり、責任をなすり
つけられたり、色々あった。
でも、ミツキと会えてよかったと思う。前世の思い出話がなくと
も、この世界での思い出だけで、俺にとってミツキが大切な存在で
あることに変わりはない。
ミツキが僅かに顎を引く。
﹁私も、ヨウ君に会えてよかったと思ってるよ。手料理を食べても
らえてうれしかった。キリーのお父さんに水を掛けられたときも、
ぬいぐるみを拾って持って帰ってきてくれた。私と一緒にいるとデ
ュラの人たちに悪く言われるのに隣に居続けてくれた。私のために
怒ってくれた﹂
ミツキが長く息を吐き出す。胸に手を当てて、顔を上げた。それ
でも、俺に背中を向けている。
﹁こういうの経験ないから良く分からないけど、多分、ヨウ君の事
が好きなんだと思う﹂
﹁そこは言い切ってほしかったな﹂
﹁⋮⋮そういうヨウ君はどうなの?﹂
俺に背中を向けたままその質問をぶつけるのか。
﹁飽きるまでコーヒーを淹れ続けるよ﹂
遠回しに告白すると、ミツキはカップを手に取り、少し冷めたコ
ーヒーもどきを飲み干した。
カップをキッチンテーブルに戻して、ミツキがゆっくりと振り返
る。
706
﹁一生⋮⋮違うね。何度生まれ変わっても飽きないよ﹂
﹁あぁ、そのための努力を俺は惜しまない﹂
﹁私も飽きられないように努力しないとだね﹂
少し首を傾げるあざとい仕草をしつつ、ミツキがほほ笑んだ。
空になったミツキのカップにコーヒーもどきを注いで、俺は自分
のカップに入ったコーヒーもどきを飲み干す。
﹁それを飲み終わったら、青羽根の倉庫に行くぞ﹂
もう依頼を放棄する理由はなくなった。
同時に、この世界に足をつける覚悟もできた。
それはミツキも同じだ。
ミツキが頷いた。
﹁うん。ボールドウィンには悪いことしちゃったね﹂
﹁右往左往してたからな。お詫びにあの店にでも連れて行くか﹂
ジビエと称して魔物を食材として使った料理ばかりを出している
店を思い浮かべ、提案する。
﹁魔物料理はハードルが高いよ。遠征でもできるお手軽料理とか教
えてあげる。レシピを書くから少し待ってて﹂
﹁あぁ、お詫びとしては実用的すぎるかもしれないけど、あいつら
にとってはいいかもな﹂
ミツキが紙にペンを走らせている間にカップなどを洗う。
ミツキの用意が整って、俺たちは借家を出た。
倉庫への道を歩く。
いつの間にか本降りになった雨を凌ぐために差した傘の下に肩を
707
寄せ合って、歩き続ける。
﹁もう意味のないことかもしれないけど、バランド・ラート博士に
ついては調べるの?﹂
ミツキが首を傾げて訊ねてくる。
俺は少し考えて、頷いた。
﹁一応、調べておこう。いまのところ何もないけど、俺たちの転生
が人為的な物なら何らかの理由があるはずだ。知らないまま利用さ
れて不利になるのは嫌だからな﹂
分かった、と頷いたミツキが空を見上げる。
傘の端から見える空は雨雲に覆われていて、しばらく晴れそうに
ない。
﹁マライアさんから情報を聞き出して、研究所とやらに踏み込めれ
ばいいんだけど﹂
﹁自宅兼研究所なら良いが、軍の施設だったりするとかなり厄介だ
よな﹂
いま気にしても仕方がない、と先を急ぐ。
倉庫に到着すると、ボールドウィンが扉の横に立っていた。両手
には何故か水の入ったバケツを持っている。
ボールドウィンが俺たちに気付いて、バケツを放り出した。
﹁いきなり帰るなよ! おかげでひどい目にあったんだぞ⁉﹂
ボールドウィンが俺たちに駆けてくると同時に、倉庫の入り口か
ら青羽根のメンバーが顔を出した。
708
﹁おぉ、帰って来たのか。ボールの奴がまた無神経なこと言って怒
らせたんだろ?﹂
倉庫の入り口から出てきた整備士長が呆れた顔で言うと、ボール
ドウィンが振り返った。
﹁だから、俺は何も言ってねぇよ! 言ってないよな?﹂
﹁やっぱり自信ないんだな﹂
整備士長が肩を竦めると、ボールドウィンが口を閉ざして整備士
長を睨みつける。
俺は二人の間に割って入った。
﹁悪いな。今回はこっちの事情だ。もう済んだことだから安心して
くれていい﹂
俺に続いて二人の間に割って入ったミツキも二人を引き離す。
﹁ボールドウィンのせいじゃないから、安心していいよ。心配させ
てごめんね。これ、お詫びのレシピ﹂
青羽根の料理を仕切っている整備士長にミツキのお手製レシピが
渡される。
﹁お詫びのレシピってなんだ? 相変わらず発想が分からないな﹂
整備士長は頭を掻きつつ、ミツキのお手製レシピを眺め、ポケッ
トに突っ込んだ。
709
﹁それより、スカイの予備部品に不良品が混ざってたんだが、代わ
りを用意してもらおうにも出発まで時間がない。どうにか使えるよ
うにしたいんだ﹂
倉庫を指差しながらの整備士長の言葉に、俺はミツキと視線を交
わしてから、頷いた。
﹁分かった。協力するよ﹂
久しぶりに口にした気のする言葉は、雨の中でも綺麗に響いた。
710
第二十二話 ここより始まる︵後書き︶
次回更新日は八月一日となります。
711
第一話 デュラ奪還作戦始動
デュラ奪還作戦の開始当日、俺はミツキと共に借家を出発して港
町の入り口に足を運んだ。
他の参加者も集まっており、最終点検を行っているようだ。
﹁改めてみると、すごい戦力だな﹂
俺は集合場所を見回す。
開拓団〝飛蝗〟は精霊人機三機に運搬車、整備車両が各三両、歩
兵人員が二百近くいる。これに加えて、デュラ周辺で先行偵察して
いる者が五十名以上いるというから驚きだ。
団長のマライアさんが愛機グラシアの肩に立って、周囲を睥睨し
ている。
開拓者ギルド登録機体の中でも一、二を争う攻撃型の精霊人機グ
ラシアは全身に赤い遊離装甲を纏う小柄な機体だった。機体そのも
のの装甲は黒に近い赤で塗られており、纏っている赤い遊離装甲と
合わさって威圧的だ。広域殲滅用の魔術を扱うと聞いているが、一
応の武装として両手に半月状の刃がついたナックルを装着している。
グラシアの左右には同じく飛蝗の所有する精霊人機が二機佇んで
いた。一世代前の機体のようだが、あちこち改造されていて原型を
特定できない。
飛蝗から視線を転ずれば、開拓団〝回収屋〟が視界に入る。
相変わらず細身の速度重視の精霊人機レツィア。マライアさんの
愛機グラシアの真っ赤な姿を見た後だとずいぶん大人しく見える灰
色の機体レツィアだが、その手に持つ大鎌は凶悪そうだ。
いろいろと学んだ今だからこそわかるが、レツィアが纏う二重の
遊離装甲は単純なようでいてかなり複雑な魔術式で維持している技
712
術の塊だ。おそらくは回収屋が持つ独自技術だろう。
回収屋の戦力は精霊人機レツィアともう一機、さらに整備車両と
運搬車両が一台ずつ。戦闘員はおおよそ二十名。
レツィアの肩に座ったデイトロさんが横の一団を見下ろして声を
かけている。
﹁今のデイトロお兄さんは開拓団〝回収屋〟の団長なの! 青ジャ
ケなんか着ないってば!﹂
﹁そいつは残念だ。また見たかったんだがな﹂
涙目で言い募るデイトロさんに肩を竦めて返したのは開拓団〝竜
翼の下〟団長ドランさんだ。
竜翼の下は出発の準備を終えたらしく各員がのんびりとして、来
るべく奪還作戦に向けて英気を養っている。
防御偏重の精霊人機バッツェとガンディーロを有する竜翼の下は
実力者だけあって程よい緊張感を保っていた。
副団長のリーゼさんが今回の作戦における総指揮官であるマライ
アさんに準備完了の報告に走っている。
﹁ヨウ君、後ろ﹂
﹁⋮⋮来たか﹂
ミツキに言われて振り返ると、こちらに走ってくる整備車両が見
えた。
開拓団〝青羽根〟の所有する整備車両だ。精霊人機スカイは荷台
に乗せられているのだろう。
マライアさん率いる飛蝗に書類上組み込まれた青羽根は、新型機
スカイの情報公開を免れて今回の作戦に参加している。
そのため、ギルドは今回の作戦の戦果に注目しているらしい。今
後青羽根に回すことのできる要請依頼の難易度を選定するためだろ
713
う。
青羽根の整備車両が停止し、助手席から団長のボールドウィンが
走ってきた。
﹁遅れたか!?﹂
﹁集合時間にはまだだいぶ間がある。どこの開拓団も人数が多いか
ら点検その他の時間を多く取ってるんだよ﹂
遅刻してマライアさんにどやされるのを恐れていたらしいボール
ドウィンがあからさまにほっとする。
パンサーの上で本を読んでいたミツキが顔を上げた。
﹁到着の報告は早めに行った方が良いよ﹂
ミツキがマライアさんを振り返る。
しかし、マライアさんは報告されるまでもなく俺たちを見つけた
らしく、手招いていた。
俺はミツキと一緒にマライアさんの下へ向かう。
精霊獣機の速度に生身のボールドウィンが追いつけるはずもなく、
後ろから必死に走ってきていた。
マライアさんの周りにはいつの間にか各開拓団の団長が集まって
きていた。
俺とミツキが精霊獣機から降りるとマライアさんは走ってくるボ
ールドウィンに声を掛ける。
﹁トロいんだよ。若者なら元気よく素早く動きな!﹂
肩で息をしていているボールドウィンが到着するなり、マライア
さんはデュラ奪還作戦について説明してくれた。
714
﹁偵察に出した者の話では、ギガンテスが町に残り、配下のゴライ
アやゴブリンが度々外で餌を確保している。縄張りは拡大傾向だが、
餌を取りに出た魔物の小集団は互いに連絡を取ろうとしていない﹂
マライアさんが広げたデュラの周辺地図には赤い線で人型魔物の
縄張りが描かれている。
いくつかある周辺の村も、人型魔物に襲撃される前に避難が完了
しているらしい。
﹁あたしらの仕事は人型魔物の殲滅と、デュラの奪還だ。しかし相
手の数がかなり多い。そこで、縄張り内を徘徊しているゴライアや
ゴブリンを各個撃破、人型魔物の総数を減らした上でデュラへ攻勢
をかける。鉄の獣、回収屋、そしてうちの戦闘員がこの役割だ。他
はあたしらと一緒にデュラでギガンテスと小競り合いでもしてもら
おうかね﹂
餌を取りに出たゴライアたちが帰ってこない事を不審に思ったギ
ガンテスがデュラから出てきたところを闇討ちしていく作戦らしい。
マライアさんが愛機グラシアを振り仰ぐ。
﹁こいつでデュラごと焼き払っちまえばすぐなんだが、そうもいか
ないからね﹂
﹁当たり前だよ。姉御、そんなんだから飛蝗なんてあだ名がつくん
だ﹂
額を抑えるデイトロさんに、マライアさんが笑う。
﹁特徴を捉えた良いあだ名じゃないか。付けた奴には感謝してるん
だけど、いつまで経っても名乗り出やしない。ジャケットも用意し
てるのにね﹂
715
どんな恥ずかしがり屋だろうね、と笑うマライアさん。
多分、怯えているのとジャケットを無理やり押し付けられる予感
から名乗り出ないんだと思うけど、俺は口を開かないでおいた。
ちなみに、書類上とはいえ飛蝗に組み込まれた青羽根にもジャケ
ットが渡されているらしい。当然というべきか、ボールドウィンを
始め誰も着ていなかった。
マライアさんが俺とミツキに視線を向ける。
﹁大型魔物と遭遇したら回収屋に合流して片付けな﹂
﹁デイトロさんって大型魔物の討伐数が少ないですよね。大丈夫な
んですか?﹂
不安に思って訊ねると、デイトロさんは苦笑した。
﹁少ないだけさ。回収屋なんてやってると、大型魔物と戦闘する意
味がないからね﹂
戦おうと思えば十分戦えるらしい。
まぁ、いざとなれば完成したばかりのカノン・ディアもある。討
伐できなくても撤退くらいは十分可能だ。
﹁鉄の獣、後はデイトロと打ち合わせな﹂
役割分担に従って、デイトロさんや飛蝗の戦闘部隊の隊長と集ま
った。
遊撃組としてのメンバーは回収屋と飛蝗の戦闘部隊約三十名、そ
して俺とミツキだが、すぐに二手に分かれることが決まった。
﹁アカタガワ君たちの速度を殺すくらいなら、二手に分かれた方が
716
良いからね﹂
精霊獣機の機動力を知るデイトロさんがそう言って、地図を広げ
る。
﹁車両を持っているデイトロお兄さんや飛蝗の戦闘部隊だと森を抜
けるのが難しい。アカタガワ君とホウアサちゃんならその点、森の
中の魔物を一方的に襲撃できるだろう?﹂
﹁開けた場所で戦うよりも森の中の方が俺たちは楽ですね﹂
人型魔物は手が使えて器用な反面、二足歩行の関係上速度はそれ
ほどでもない。
木々が天然の盾となり投擲を防いでくれる森の中であれば、精霊
獣機で一方的に襲撃することも可能だ。
特に、鬱蒼とした森の中ではギガンテスやゴライアの動きがかな
り制限される。以前、森の中のゴライアを狙撃して倒したこともあ
った。
﹁ゴブリンに囲まれても私のパンサーで切り抜けられるからね。新
兵器もあるし﹂
﹁森の中でパンサーの新兵器をぶっ放す気か?﹂
﹁囲まれた時にね﹂
まぁ、乱戦時に活躍する兵装ではあるんだけど。
俺はため息を吐いて、飛蝗の戦闘部隊長に声を掛ける。
﹁味方を誤射しない様に、定期的に位置を確認し合いましょう。そ
れと、俺やミツキを見かけても近付かないようにお願いします。パ
ンサーの射程に入ると最悪、死にますから﹂
﹁うちのパンサーは物騒だからね﹂
717
乗り手のミツキが言うんだから間違いないな。
ちなみにディアの射程に入らないように注意は出来ない。カノン・
ディアの射程を考えたら、俺たちを見つけた時点で射程範囲内だ。
肉眼ではなく双眼鏡などを使っていたとしても同じこと。
うちのディアも物騒だからな。
一人頷いていると、ミツキがくすくす笑う。
﹁私たちは要注意人物って事で、しっかり逃げてくださいね﹂
ミツキが念を押すと、飛蝗の戦闘部隊長は困惑顔で頭を掻いた。
﹁おかしなやつらだとは聞いてたけど、姉御や兄貴とは毛色の違っ
たおかしさだな﹂
﹁︱︱待ってくれ。このデイトロお兄さんが姉御と同類扱いされた
ように聞こえたよ?﹂
デイトロさんが口を挟んでくるが、今は作戦会議中だ、と部隊長
は取り合わない。
﹁とりあえず、速度差を考えて二手に分かれるのはいいとして、担
当を決めよう。今日の俺たちは先行して姉御たち奪還組の野営地を
確保するのが第一目標になる。まずはこの村だな﹂
部隊長が地図上の村を指差す。
﹁すでに村人は避難した後と聞いてますけど、野営地として使う許
可は取ったんですか?﹂
﹁ギルド経由で許可を取ってある。人口二百人ほどの村だったらし
い。家の使用許可は取れなかったが、集会場や教会の使用は許され
718
ている﹂
﹁教会かぁ。精霊教会だよね、それ﹂
デイトロさんが気乗りしない様子でため息を吐く。
デュラでの回収依頼に同行した際、胸の大きなけしからんお姉さ
んが精霊教会を嫌っていた事を思い出す。
﹁何か嫌な思い出でもあるんですか?﹂
﹁村に精霊教徒が乗り込んできたことがあってね。バランド・ラー
ト博士を出せって言ってさ。もう村を出発した後だったから事なき
を得たんだけど、あの横柄な態度を思い出すと精霊教会と聞くだけ
で少し色眼鏡で見ちゃうね。温和なデイトロお兄さんも怒る時は怒
るんだよ﹂
姉御の方が先に怒るけど、と付け足してデイトロさんはため息を
吐いた。怒ったマライアさんが暴れた後の片づけをするデイトロさ
んの姿が容易に想像できて、俺はデイトロさんの肩をたたいて慰め
た。
ミツキが俺の耳に口を寄せる。
﹁バランド・ラート博士を殺した容疑者も精霊教徒だったけど、生
前からかなりしつこく追い掛け回されてたのかな?﹂
﹁そうみたいだな。しかし立ち寄った村にまで手が回るとなると、
研究資料が教会に渡ってそうだ。俺たちの転生が人為的なものなら、
研究資料に書かれている可能性もある﹂
﹁この世界に転生者がいるっていう情報が拡散しているかもってこ
と?﹂
ミツキの不安そうな疑問に頷きを返す。
いまさらながら、ディアにパンサー、果てはスカイや関連特許な
719
ど、悪目立ちしすぎたかもしれない。
﹁私はヨウ君と出会う前に銃の開発をしているから、結局は同じだ
よ。バランド・ラート博士にもそれで嗅ぎつけられていたみたいだ
し﹂
﹁それもそうか⋮⋮あ﹂
﹁どうかした?﹂
不思議そうに尋ねてくるミツキに、俺は記憶を掘り起こしながら
言葉を返す。
﹁俺が目撃した容疑者、ウィルサムは現場を立ち去る時に革のスー
ツケースを持っていた﹂
﹁⋮⋮バランド・ラート博士の研究資料が入った革のスーツケース
だったり、する?﹂
そこまでは分からない。分からないが⋮⋮。
﹁仮に研究資料が入っていたとしたら、バランド・ラート博士が転
生者であるミツキを見つけた事を資料に残している可能性もある﹂
俺が到着した当日にギガンテスたち人型魔物にデュラは陥落した
が、もしも陥落していなかったとしたらどうなっていたのだろう。
背筋にぞわぞわと嫌な予感を覚えて、俺は考えを振り払うため頭
を振った。
﹁いまはデュラ奪還作戦に集中した方が良い。いままで何もなかっ
た以上、すぐに状況が変わる事はないだろう﹂
﹁そう思いたいね﹂
720
俺たちはデイトロさんたちに向き直り、いくらか打ち合わせた後、
マライアさん達デュラ奪還組に先行する形で町を出発した。
721
第二話 魔力袋持ち
町を出発してすぐ、俺とミツキは街道を外れて森へ入った。
車両を持つ回収屋や飛蝗の戦闘部隊は道なりに進まないと木々に
阻まれて立ち往生するが、精霊獣機に乗る俺とミツキの場合は森を
突っ切る方がはるかに速い。
木の枝を避けるためにディアの後ろにミツキの乗るパンサーがつ
く。
俺は後ろのミツキを振り返った。
﹁この辺りなら、俺の後ろにつかなくても枝が邪魔にならないだろ﹂
﹁ディアの後ろを走っていた方が空気抵抗を減らせるから、魔力の
消費も抑えられるでしょ﹂
﹁それもそうか﹂
ミツキが不便を感じていないなら別にいいか。
﹁それに、ヨウ君の三歩後ろを歩いていた方が良い女っぽいでしょ
?﹂
﹁時代錯誤だろ、それ﹂
この世界で通じるかどうかも怪しいし。
言葉を交わしている内に目的の村の近くまでたどり着く。
ディアとパンサーの索敵魔術に反応はない。
﹁村の周囲を回って安全を確かめてから、村の様子を観察しよう﹂
ミツキの提案に賛同して、俺はディアの頭を左に向ける。
722
村の周囲を時計回りに一周して安全を確かめてから、森の中でデ
ィアの足を止めた。
﹁ミツキは周囲の警戒を頼む﹂
﹁分かった﹂
パンサーの重量を軽減してから木に登って行くミツキを見送って、
俺は対物狙撃銃のスコープ越しに村の様子を窺った。
こじんまりした建物がまばらに立つ村だ。総人口二百人程度だっ
たと聞いているが、人口密度はかなり低かったのだろう。
畑は荒らされた後のようだ。いくらか作物が残っているが、周り
を囲む柵は倒されている。
索敵魔術に反応していない就寝中の魔物がいるかと思ったが、確
認できない。
建物の大きさも考えると、この村に魔物がいたとしてもせいぜい
ゴブリンくらいだろう。
﹁建物の中にゴブリンが潜んでいる可能性はあるが、一応安全みた
いだ﹂
﹁デイトロさんたちへの報告に行く?﹂
﹁いや、どうせこっちに来るんだから、待っていれば︱︱﹂
ミツキに言葉を返している途中で、ディアが鳴き声を上げた。
索敵魔術に反応があったのだ。
﹁デイトロさん達⋮⋮にしては少し早すぎるな﹂
﹁魔物みたいだね﹂
反応が街道方面ではなくデュラ方面だったことから確信を深めて、
俺は対物狙撃銃を構える。
723
村全体を見通すことができるこの森の中は、絶好の狙撃ポイント
だった。移動するのは一発撃ってからで十分だ。
スコープ越しに村を観察すること二分強、デュラ方面から重たい
足音と共に人型魔物の集団が現れた。
四メートル近い体高の人型魔物ゴライアが一体、その周囲には十
体ほどのゴブリンが従っている。
唐突にゴライアがかがむと、地面から何かを拾い上げた。スコー
プ越しに確認してみると、村に巣食っていたらしいネズミを捕えた
らしい。
ゴライアはつまみ上げたネズミを躊躇なく口の中へ放り込んだ。
スナック感覚で丸呑みしている。
﹁踊り食いかよ。趣味が良いことで﹂
﹁周りのゴブリンも同じ趣味みたいだよ﹂
ミツキに言われてゴライアの周りを固めるゴブリンを見る。こち
らは虫を捕まえると大喜びで食べていた。
ここまでの道中、あの調子で捕まえる度に一口で食べてきたのだ
ろうか。
﹁ネズミの仇から取るか﹂
対物狙撃銃の照準をゴライアの眉間に合わせ、引き金に指を掛け
る。
村の畑を見つけたゴライアがゴブリンたちより早く食事にありつ
くために駆けだした。
﹁⋮⋮ミツキ、離脱の準備﹂
﹁分かってる﹂
724
木から降りてきたミツキがゴライアの後方、ゴブリンの集団を注
視する。
何度か見たことがあるからわかる。
﹁あの一団、全部魔力袋持ちだ﹂
人型魔物は走り出すときのフォームが魔力袋持ちとそうでない個
体とで違ってくる。
身体強化の魔術を使用して加速する魔力袋持ちの個体は急加速で
バランスを崩さない様に重心を落とす。
その特徴に照らし合わせれば、ゴライアに加え、後ろのゴブリン
十体も身体強化の魔術を使用していた。それは、彼らの加速力も証
明している。
魔力袋を持つ個体は持たない個体よりはるかに強い。魔術の習熟
度合いによって強さにばらつきはあるものの、小型魔物なら同種の
中型に匹敵する戦闘力を有する事もある。
それが十体。
﹁あのゴライアに一発撃ちこんで、すぐに離脱する。通常弾で効く
かどうかは正直分からないけどな﹂
身体強化の魔術には皮膚を頑健にする効果もある。あのゴライア
が身体強化の魔術を施している限り、その防御力は大型魔物ギガン
テスと同等になる可能性が高い。
﹁カノン・ディアは?﹂
﹁効果はあるだろうけど、カノン・ディアは反動が大きすぎて一発
撃つと硬直時間がどうしてもできる。ゴブリンが魔術で反撃してく
ると避けられない﹂
﹁なら、通常弾でゴライアを狙うしかないんだね﹂
725
意見をまとめて、俺は頭蓋骨に守られているゴライアの眉間から
腹部に狙いを変える。
畑に到着して気が緩んだ様子のゴライアに向けて、俺は引き金を
引いた。
ディアの首が反動を完全に相殺する。
銃弾はどうなった、そう思うより先に、俺は悪寒を感じてディア
を操作し、その場から飛びのいた。
俺がいた場所に手斧のような形をした氷の塊が飛んでくる。
﹁アイシクルの変形魔術!?﹂
氷の手斧を見て悪寒の正体を悟り、すぐにディアの重量軽減の魔
術効果を強化し、飛び上がる。
近場の木の幹を蹴り飛ばして大きく離脱し、俺は氷の手斧が突き
立った地面を見る。
手斧を中心に、半径五十センチほどの地面が凍結していた。
強度がロックジャベリンを始めとした石系魔術に劣る氷系の魔術
は直接的な威力が低い。しかし、着弾箇所の周辺を凍結させる副次
効果が厄介だった。
﹁ヨウ君! ゴライアが動くよ!﹂
ミツキの声に視線を飛ばせば、腹を押さえたゴライアが煮えたぎ
った怒りを宿した目で俺を睨んでいた。
ゴライアは腹部から血を流している。効果はあったようだが、致
命傷には程遠い。
しかし、ゴライアがこれから反撃に転じるという事は、先ほどの
氷の手斧はゴブリンが投げたのか?
726
﹁厄介すぎる。ミツキ、デイトロさんたちと合流するぞ﹂
﹁了解!﹂
脱兎のごとくその場を逃げ出す俺たちに、ゴブリンたちは身体強
化で上昇した筋力で追いかけてくる。
精霊獣機でなければすぐに追いつかれていただろう。
なかなか追いつくことができずに苛立ったゴブリンが足を止めて
氷の手斧を投げてくる。しかし、木々が遮蔽物となる森の中で、逃
げ回る俺たちに投擲武器は当たらない。
それでも、時折俺のそばの木に氷の手斧が当たる。遮蔽物さえな
ければ命中率はかなりの物なのだろう。
ボルス防衛戦で戦った甲殻系の魔物と違い、反射神経が良い人型
魔物が魔術を使ってくるとかなり厄介だ。
ある程度距離を取ったところで進行方向を変えて、デイトロさん
たちのいる街道方面に向かう。
デイトロさんたちはすぐに見つかった。
整備車両と運搬車両の左右にデイトロさんの愛機レツィアともう
一機の精霊人機、さらに三十人の飛蝗の戦闘部隊だ。索敵魔術に引
っかかるのはすぐだった。
森から飛び出した俺たちに戦闘部隊が身構えたのは一瞬、俺とミ
ツキの姿を認めるとすぐに通常の警戒態勢に戻った。
灰色の精霊人機レツィアからデイトロさんの声がする。
﹁慌ててどうしたんだい? デイトロお兄さんが恋しくなったのか
な?﹂
﹁冗談を言ってる場合じゃないかもしれませんよ﹂
ディアに騎乗したまま臨戦態勢を解かずに言葉を返すと、デイト
ロさんの声が真剣味を帯びた。
727
﹁報告を聞かせてもらおう﹂
﹁魔力袋持ちのゴライアが一体、更に魔力袋持ちのゴブリンが十匹
の集団と遭遇しました﹂
﹁全部が魔力袋持ちの人型魔物の集団? それは怖いなぁ﹂
冗談めかして言っているが、デイトロさんの声は苦々しい。
﹁使用してきた魔術は?﹂
﹁身体強化と手斧の形に変形した氷魔術アイシクルです﹂
﹁アイシクル⋮⋮報告にはなかったんだけどなぁ﹂
デイトロさんが呟くと、整備車両の上に座り込んでいた飛蝗の戦
闘部隊長が舌打ちした。
﹁どっかの間抜けな開拓者がギルドに無断で戦闘して披露しやがっ
たな。人型魔物は真似するから範囲魔術を見せないのが鉄則だって
のに﹂
不機嫌な戦闘部隊長が手近にいた戦闘員に後方のマライアさんた
ちへの伝言を頼み、レツィアに乗るデイトロさんを見上げた。
﹁どうします、兄貴?﹂
﹁まずは兄貴呼びをやめて! お兄さん、はい、復唱してみよう。
お兄さん!﹂
﹁どうでもいいんで、兄貴、早く指示をくれ﹂
﹁だぁあもう! いいよ、兄貴になるよ! 戦闘部隊は三人一組で
街道の幅限界まで広がれ。ゴブリンは見つけ次第ロックジャベリン
で殺せ。ゴライアはこのデイトロ兄貴が仕留める﹂
素早く指示を出したデイトロさんの声はいつもの飄々とした調子
728
からきりっとした凄みのある調子になっていた。いつだったか、ギ
ルドの職員を軽く脅した時の声だ。
飛蝗の戦闘部隊が﹁うっす﹂と声を揃えて返事をしたかと思うと、
流れるように三人一組となって周囲に広がった。
対魔物の前線基地だった防衛拠点ボルスに詰めていた兵と遜色の
ない練度だ。
ミツキが下手くそな口笛を吹いた。
﹁これはすごいね。心強い﹂
﹁こんなのが三百人以上か。雑賀衆もびっくりだな﹂
﹁さい⋮⋮何?﹂
ミツキが首を傾げた。歴女とかいう奴ではなかったらしい。
説明する前に、ディアとパンサーの索敵魔術に反応があった。
すぐにデイトロさんや戦闘部隊長に警告する。
﹁魔物が来ます。注意してください﹂
﹁便利だな。姉御が参加させたがるわけだ﹂
部隊長が俺のディアに横目を向けて呟き、戦闘部隊全員を戦闘に
備えさせる。
数分ほどで、俺たちを追ってきたらしいゴブリンとゴライアが街
道に飛び出してきた。
飛び出すと同時にゴブリンたちは用意していた氷の手斧を投げ込
んでくる。
﹁盾!﹂
戦闘部隊長の命令一下、一斉にロックウォールが展開され、ゴブ
リンの投擲した氷の手斧を防ぎきる。
729
ほぼ同時に、レツィアが大鎌をゴライアに向かって投げつける。
たった一投でゴライアの首を落としたレツィアは大鎌に繋がる鎖を
引き寄せて手元に大鎌を戻した。
ロックウォールが解除され、司令塔のゴライアを失って混乱状態
のゴブリンたちがさらけ出される。
﹁狩れ﹂
一言、部隊長が命じた瞬間、戦闘部隊が大剣の柄をひっつかんで
駆けだした。
身体強化を使用して走り込んだ戦闘部隊は、混乱から立ち直って
反撃に移ろうとしたゴブリンたちに斬りかかる。
ゴブリンたちは手に持った氷の手斧で大剣の一撃を受け止めよう
としたが、刃渡り二メートル近い大剣を受け止められるはずもない。
一瞬の後にゴブリンの集団は全滅していた。
﹁怖っ⋮⋮﹂
ミツキが呟いた一言に、俺は頷く。
俺は確かに見た。
大剣をひっつかんでゴブリンたちへ駆け出した戦闘部隊が全員、
楽しそうな笑みを浮かべていたのを。
部隊が一時停止し、屠ったゴライアやゴブリンを解体して魔力袋
を確認する。
どの個体からもかなり大きな魔力袋が摘出された。
回収屋のグラマラスお姉さんが血まみれの手袋を脱ぎながら眉を
顰める。
﹁長く生きた個体ほど魔力袋持ちの可能性が高いものだけど、この
集団はちょっと異常だね﹂
730
﹁魔力袋持ちだけで構成された魔物の集団ですからね﹂
魔力袋は後天的に発生する器官だ。発生メカニズムは不明で、あ
まり発生頻度も高くない。
そもそも、小型の魔物ほど発生確率が低い傾向にある。十匹のゴ
ブリンが軒並み魔力袋持ちというのは異常だ。
それもある、とグラマラスお姉さんが首を振る。胸が揺れる。俺
はミツキに太ももをつねられる。
﹁このゴブリン、多分だけど生後半年に満たないんだ。歯を見ると
大体わかる﹂
﹁デュラ陥落後に生まれた個体?﹂
ミツキがゴブリンをしげしげと見つめる。
グラマラスお姉さんの見立てが正しいなら、あまり長く生きた個
体とは言えない。それでも魔力袋持ちとなると、デュラに巣食って
いる人型魔物の危険度も跳ね上がる。
﹁こんなのがわらわらデュラに巣食ってるなら、ギルドがマライア
姐さんを呼んだのは正解だったね﹂
苦笑したグラマラスお姉さんはゴブリンの死骸を道の脇に掘られ
た穴に放り込んだ。
﹁デイトロ兄さん、ここからは、魔物全てに魔力袋持ちがいると仮
定して動いた方が良いよ﹂
﹁やっぱり兄さんとかお兄さん呼びがしっくりくるよね!﹂
デイトロさんが嬉しそうに的外れな答えを返す。
しかし、すぐに真剣な顔で俺とミツキに向き直った。
731
﹁状況が変わったけど、単独行動で大丈夫かい?﹂
﹁状況が変わったことを理解したので、二人で行動しても大丈夫で
す。いつもより遠距離から仕掛ける事にしますから。ただ、魔力袋
持ちのゴライアは対処が難しいので、処理をお願いすることが多く
なると思います﹂
ご迷惑をおかけします、とミツキと揃って頭を下げると、デイト
ロお兄さんは肩透かしを食ったような顔で頭を掻いた。
﹁いやいや、大いに頼ってくれていいよ。デイトロお兄さんはカッ
コよくて頼りになる強い団長だからね!﹂
親指を立てて白い歯を見せてくるデイトロさんから視線を逸らし
て、グラマラスお姉さんを見る。
﹁デイトロさんが調子に乗りすぎないようにするにはどうすればい
いですか?﹂
﹁適度に冷たい態度を取りなさい﹂
﹁ひどい!﹂
グラマラスお姉さんの教えに、デイトロさんは悲鳴じみた声を上
げた。
732
第三話 封鎖作戦会議
森を疾駆する。
効果範囲を最大にした索敵魔術が反応した瞬間、俺はディアの足
を止めた。
ミツキと一緒に魔物の位置を素早く特定し、狙撃ポイントへ移動
する。
あらかじめ、この辺りの地形は調査済み。獲物の位置さえ特定し
てしまえば最高の狙撃ポイントを割り出して素早く配置につける。
ディアを加速させ、森を突き進む。
辿り着いた狙撃ポイントは小川の流れる森の奥。おそらくはギガ
ンテスたちがデュラへ侵攻した際に出来た倒木の転がる地点の一つ
だ。
ギガンテスたちが通った道が倒木の群れとなって示されているこ
の場所はかなり遠くまで見通しが利く。
七百メートルほど先にゴライアが現れる。
ゴライアが森から倒木でできたこの道に入った瞬間、俺は引き金
を引いた。
音を置き去りにした弾丸が、待ち伏せされていたとも知らないゴ
ライアの側頭部を撃ちぬいた。
ゴライアは何が起きたのかも分からないままに絶命し、そばを歩
いていたゴブリンを巻き込んで倒れ伏し、二度と起き上がらない。
下敷きになったゴブリンに向けてさらに一発銃撃した俺は、狙撃
に気付いて走ってくるゴブリンを無視して森の中へディアを走り込
ませた。
魔力袋を持っていようがいまいが、完全に不意を打ってしまえば
こちらのものだ。遠距離狙撃なら反撃される前に逃げる事もできる。
733
﹁さっきのゴブリン、二匹が魔力袋持ちだったよ﹂
ディアを枝避けにして後方を走っているパンサーの上から、ミツ
キが報告してくれる。
﹁やっぱり、魔力袋持ちの数が多いな﹂
ここに来るまでも魔力袋持ちのゴブリンを何度か見かけている。
ゴライアは極力狙撃で撃ち殺しているため把握しきれていないが、
たまに身体強化を常に使用しているらしい個体を見かけている。
デュラに近付くほど魔物との遭遇回数も増えており、今後は魔力
袋持ちのゴライア複数体を相手取る事も考慮しないといけなかった。
﹁方針が変更されるかもしれないな﹂
﹁デュラの外で人型魔物の戦力を減らす期間を長めにとるとか?﹂
俺はミツキの言葉に頷く。
建物などへの被害を極力減らしておきたい人間と違って、人型魔
物にとってはデュラの被害など知った事ではない。
魔力袋持ちの魔物が多いため魔術を使用した乱戦が想定される今
回の奪還作戦では、戦場への影響は計り知れない。
可能ならば町の中ではなく外に引っ張り出して戦いたい。
﹁私たちがここで何を考えても、結局はマライアさんの判断次第だ
けどね﹂
﹁そうだな。俺たちは奪還組じゃない。遊撃部隊だし﹂
デュラの外の魔物を倒し、奪還組の退路を確保すると同時に、人
型魔物が不利を悟ってデュラから逃走を開始した際の追撃部隊でも
ある。
734
マライアさんがどんな判断を下すとしても、俺とミツキはデュラ
の外で戦闘することになるのだ。
﹁︱︱っと、反応ありだな﹂
﹁西だね、少し南寄り﹂
方角を特定して、狙撃位置に向かう。
今日一日、ゴブリンやゴライアを観察して分かった事だが、奴ら
は街道沿いに移動する傾向にあった。
街道を進めばその先に村がある事を学習したらしい。
悪知恵の働く奴らだが、おかげで移動経路が読みやすい。狙撃す
る側としては楽だった。
魔導銃を使う開拓者や軍人が少ないからか、人型魔物たちは狙撃
に対する警戒が希薄なのも助かった。
狙撃ポイントは街道を見下ろす丘の上。木々の枝葉に隠れて背の
低いゴブリンは狙えなかったが、ゴライアは確実に仕留める事の出
来る絶好の位置だった。
もうじき日も暮れる。ゴライアたちは寝床であるデュラへ帰る途
中らしい。
俺たちもこいつを仕留めたら、野営地にしている村へ帰ることに
なるか。
いや、俺たち〝は〟だな。ゴライアにはここで死んでもらう。
後頭部が弾けて倒れていくゴライアを確認して、俺は撃ったばか
りの対物狙撃銃を背負った。
﹁野営地に戻ろう﹂
﹁私はあんまり活躍できなかったよ﹂
﹁役割分担してるんだから当然だろ﹂
ディアを走らせながら、俺はミツキに笑いかけた。
735
魔力袋持ちの魔物が多い以上、反撃を受けやすい近接戦闘が主体
になるパンサーの出番はなくて当然だ。
もしも村が占拠されていれば、狙撃だけでは片付かないためパン
サーの出番になるが、それは明日以降の話だろう。
﹁人型魔物に占拠された村があっても、奪還するときには回収屋と
足並みをそろえることになるし、私の出番はやっぱりない気がする﹂
﹁じゃあ、今夜の食事で活躍してくれ﹂
今夜は青羽根の連中と食卓を囲む事になっている。
ミツキが渡したレシピが好評だったため、開拓学校で習ったとい
う青羽根の料理とミツキのオリジナルレシピでの料理対決になった
のだ。
審査員は他の開拓団の幹部格である。
ミツキはまんざらでもなさそうに笑った。
﹁言われるまでもなく、ヨウ君に勝利の味をプレゼントしてみせる
よ﹂
﹁まぁ、俺も調理補助に回るから、一緒に作ることになるんだけど
な﹂
﹁私が作ったレシピなんだからいいの!﹂
言葉を交わしながら森を駆け抜けて野営地に到着する。
村の入り口にゴブリンとゴライアの死骸があった。
﹁お二人さん、帰って来たのかい﹂
死骸の検分をしていた回収屋のグラマラスお姉さんが声をかけて
くれる。
736
﹁ゴライアを七体ほど、ゴブリンは四体くらい仕留めてきました﹂
﹁歩兵二人で出せる戦果じゃないね。魔力袋持ちは?﹂
グラマラスお姉さんの質問に一つ一つ答えていく。
ところで、ミツキさん、ずっと俺のズボンを掴むの止めてくれま
せんかね。不用意な言動をしたら脱がされそうで怖いんですけど。
にっこり笑うのもやめてほしい。
グラマラスお姉さんの立派な部位に視線が行きそうになるのを堪
えつつ、質問に答え終わってその場を後にする。
﹁部位破壊したい﹂
﹁何を!?﹂
ミツキの眼が凄く怖い。
野営地になっている村を見回す。
中央には大きなかがり火が焚かれ、村の周囲を囲む様に飛蝗の構
成員が歩哨に立っている。
かがり火のそばでは青羽根の面々が調理を始めていた。
俺たちに気付いたボールドウィンが手を振ってくる。
﹁遅かったな﹂
﹁走り回ってたからな。何か煮込んでるのか?﹂
鍋から香辛料をふんだんに使った良い匂いが漂ってくる。新大陸
は新種の香辛料が多く見つかっているため、輸入している旧大陸で
はちょっとしたブームになっていると聞く。
今回、青羽根の面々が作っているのも、旧大陸で流行の香辛料を
ふんだんに使った料理のようだ。
同じ土俵に立つ気なのか、ミツキが大鍋を回収屋から借りてきて、
香辛料の類を別に用意したフライパンで炒り始める。
737
調理補助のために食材を切り始めた時、マライアさんたち大人団
長組に、ボールドウィン共々お呼びがかかった。
ミツキに一声かけて、俺はマライアさんたちへ足を運ぶ。
﹁今のところ、人型魔物との戦闘回数も撃破数もアカタガワが最多
だ。情報共有といこうじゃないか﹂
パイプ椅子にも似た組立椅子に座ったマライアさんが俺を見てそ
う言った。
ボールドウィンとマライアさんたち大人団長組に加わる。
﹁ギガンテスは見てないね?﹂
﹁今のところは発見できてません。通り道も見当たらないですね﹂
今日一日の戦闘で、ギガンテスは姿を現さなかった。俺とミツキ
はかなり広範囲を精霊獣機に乗って移動していたため、索敵範囲は
かなりのものだが、一度も引っかかっていない。
ギガンテスはデュラの中か、もしくは防壁が見える程度の距離ま
でしか出てこないのだろう。
この辺りは事前の目撃証言とも一致している。
マライアさんは机の上に広げた地図に何かを書き込み始める。
マライアさんの作業が終わる前に、ドランさんが声をかけてきた。
﹁魔力袋持ちが多いらしいな?﹂
﹁えぇ、ゴライアもゴブリンも、高確率で魔力袋持ちです。体感で
三から四割ですね﹂
ドランさんが笑みを浮かべ、その後ろに控えていたリーゼさんが
苦い顔をする。
738
﹁今回はずいぶん稼げそうじゃねぇか﹂
﹁今回は手痛い出費がでそうですね﹂
団長ドランさんと副団長リーゼさんの意見が食い違っている。
ドランさんがリーゼさんを振り返った。
﹁前回のタワーシールドの事なら、今回デイトロが回収する手はず
だって言ってんだろ。そうすりゃ収支は黒だ﹂
﹁今回は魔力袋持ちの数が多すぎます。機体も損傷するでしょう。
コトさん、人型魔物が使用する魔術は?﹂
リーゼさんが自身の意見を補強するために、俺に質問を振ってく
る。
今日出遭ったゴブリンたちが使用した魔術はさほど多くない。
﹁ロックジャベリンとアイシクルです。ただ、アイシクルは手斧に
変形されたものしか使ってきませんでした﹂
﹁頻度は?﹂
﹁半々ですね。ロックジャベリンはゴライアの方が好んで使う傾向
にあるようですが、俺もミツキも、仕留めそこなったゴライアとの
戦闘は回避したので詳しくは分かりません﹂
反撃に飛んでくるのはロックジャベリンがほとんどだった。形状
も標準的な槍の形状だ。
俺の隣で、ボールドウィンが何かを思い出すようにこめかみを叩
く。
﹁開拓学校で習った限りだと、人型魔物が使う魔術は多くの場合、
人間が目の前で見せた魔術だけだ。ロックジャベリンはともかく、
変形したアイシクルなんて使う奴なら特定できるんじゃないのか?﹂
739
ボールドウィンの言葉にデイトロさんが笑みを浮かべる。
﹁今、後方で待機させている飛蝗の輜重隊にギルドとの連絡を取ら
せているよ。特定まで少し時間がかかるだろうけどね﹂
さすがに仕事が早かった。
いまのところは変形アイシクルしか見せてこないゴブリンたちだ
が、開拓者が一人で今のデュラに行ったとは思えない。十中八九、
仲間がいるはずだ。
そんな仲間が使用した魔術も特定しておかないと、人型魔物たち
が切り札として別の魔術を使ってきたときに対策を練り直す羽目に
なる。
相手の手の内は暴けるだけ暴いてしまう方が良い。
細々とした報告の後で、マライアさんが地図を俺たちに見えるよ
うに傍らの大男に掲げさせた。
大男が掲げた地図にはデュラの三方の門と被害状況が描かれてい
た。
デュラに北、南、西の三門と東の港がある。
北と西は門が破壊されているが、防壁そのものは形が残っている。
しかし、南門は軍の回収部隊と人型魔物による大規模な戦闘の余波
で周囲の建物ごと瓦礫の山と化していた。
マライアさんが指示棒で地図の北門を指し示す。
﹁明日、北門をあたしのグラシアの魔術で封鎖する﹂
﹁封鎖ってどうやるんですか?﹂
﹁出力八割くらいでロックウォールを使用。門を閉鎖して防壁と合
わせた完全な壁にするのさ。込めた魔力がなくなれば勝手に消える
が、八割の出力でやれば十日は持つだろ﹂
740
マジックキチガイ仕様機だけあって、魔術の効果時間も規模もお
かしい。普通の精霊人機で門を塞ぐほどのロックウォールを発動し
ても二日持つかどうかだ。
﹁その後のグラシアはどうなります?﹂
﹁自力でここまで戻って来られるし、小競り合い程度の戦闘なら問
題なくこなせる。だが、魔力を込め直すために翌日は動かせなくな
ると思いな﹂
軍の持つ専用機と同等以上の性能を持つと言われるグラシアが一
時戦線を離脱するデメリットよりも、デュラの門の一つを封鎖でき
るメリットの方が大きいか。
何しろ、人型魔物の逃走経路が一つに限定できる。それはすなわ
ち、挟み撃ちさえ可能になるという事だ。
まぁ、挟み撃ちにするにはこちらの戦力が足りないから、逃走経
路を限定する事で追撃組の分散を防止する意味合いがあるのだろう。
﹁回収屋と鉄の獣は北門周囲の魔物を削れ。封鎖作戦は午後から執
り行う。青羽根、明日は前哨戦だ。あまりはしゃぐんじゃないよ?﹂
﹁わかってますって。マライアさんに逆らうと後が怖いんだから﹂
﹁マライア姐さんだ。覚えときな﹂
あれ? デジャブ?
741
第四話 お食事会
作戦会議を終えて解散した時、料理対決はすでに実食段階に移っ
ていた。
審査のために会議机を片付けて夕食を食べ始める大人団長組から
距離を取る。
調理に参加していない俺は料理対決の行く末を見守りながら、デ
ィアの角に木の板を渡して簡易机を作った。
どうやら、料理対決は実食に移る前からミツキの優勢とみられて
いるらしい。
得意げなミツキと、悔しそうな青羽根の食事担当兼整備士の姿に、
俺は苦笑する。
一時はどうなる事かと思ったけど、案外仲良くやれそうだ。
俺と一緒に会議に参加していたため調理に加われなかったボール
ドウィンが寂しそうに対決の様子を眺めている。
﹁コトたちって、伊達に二人だけで開拓者やってないよな﹂
﹁ミツキは俺のだから﹂
﹁お、おぅ。スカイを獣型にはされたくないし、わきまえてるよ﹂
ボールドウィンが挙動不審にスカイと俺とを見比べる。
その時、ボールドウィンがふと気づいたように俺のディアを見た。
﹁そう言えば、なんでお前らって獣型の精霊兵器なんて使ってるん
だ?﹂
﹁精霊人機に適性がなかったからだ。武術の才能もないからまとも
な歩兵としても戦えないし、それなら機動力重視の兵器を作って、
精霊人機でも歩兵でも対処が面倒な中型を優先的に倒せるようにこ
742
れを作った﹂
いつの間にか中型だけでなく小型から大型まで相手に出来るほど
機能拡張していたけど。
いやはや、進化したもんだ。
精霊人機でも追い付けない速度にいくつもの補助機能、今では新
武装まで積んでいるんだから。
多分、ディアとパンサーの魔導核に刻まれている魔術式をすんな
りと読み取れる技術者は俺とミツキだけだ。そう断言できるくらい、
精霊人機の魔導核とは別物になっている。
新型機ともてはやされているスカイと違って、ディアとパンサー
は正真正銘の新兵器だ。
誰も欲しがらないし、真似しないだろうけど。
欲しければ作ってやると申し出た時のワステード司令官の顔を思
い出して、俺は笑みを浮かべる。
﹁獣型のせいで不評だけど、俺とミツキの努力の結晶だ。あんまり
に馬鹿にするな﹂
誰にも馬鹿にされる謂れはない。
ボールドウィンが頭を掻く。複雑そうな顔でディアを横目に見て、
ため息を吐いた。
﹁理由があってのことだと分かったんだ。馬鹿にはしないさ。受け
入れられないけど﹂
﹁それでいい﹂
無理に受け入れろとは言わないが、排除しようとするならこちら
も牙を向かせてもらう。それでこの話は終わりだ。
743
﹁⋮⋮あぁ、負けたか﹂
料理対決の結果が出て、ボールドウィンが苦笑する。
大人団長組は満場一致でミツキの料理に軍配を上げていた。
俺に向かってVサインをしてくるミツキに手を振る。
洗い物は料理対決に負けた青羽根に任せて、ミツキが俺と自分の
料理を持ってやってきた。
﹁勝利の味だよ﹂
にこにこと笑いながら出してくるミツキから皿を受け取る。
皿には数種類の香辛料を組み合わせたいい香りのするロールキャ
ベツが乗っていた。
デミグラスソースに似た物がかかっており、パンをつけて食べる
のにもちょうどいい。
食事を始めていると、何故かリーゼさんがやってきた。
﹁料理勝負を通しての交流なんてどんな風の吹き回しですか?﹂
リーゼさんが不可解そうに俺たちと青羽根とを見比べる。
今までを思えば当然の反応だった。
﹁まぁ、改心したのならそれでいいです﹂
﹁改心とは違う気もしますけど﹂
ただ自覚して、逃げるのを止めただけだ。
俺が笑いながら言うとリーゼさんは意外そうな顔をした。
愛想笑いではなかったことに驚いているようだ。
調子が狂いますね、とリーゼさんは微苦笑する。
744
﹁とはいえ、あとはコレをどうにかするだけですか﹂
リーゼさんがコレと言って指差したのはディアだった。
﹁どうもしませんよ。ディアもパンサーも、プロトンだって俺とミ
ツキの宝物なので﹂
﹁⋮⋮子宝﹂
ミツキさん、何を付け加えてるんですかね。まぁ、共同作業して
作ったけどね。
ひとり呟いてくすくす笑うミツキと違って、リーゼさんは眉を顰
めていた。
﹁まだ変わりませんか﹂
﹁もう変わりませんよ﹂
ディアとパンサーを否定するならすればいい。
だが、それはリーゼさんの勝手な意見でしかないし、よしんば世
界の総意だとしても俺は認めない。
割り切る所は割り切るけど、切り捨てて良いモノと悪いモノがあ
る。
精霊獣機を切り捨てる事は今後もない。
ミツキがリーゼさんを見て、口元に笑みを浮かべる。
﹁私たちを見ていればわかると思いますけど、あなたの価値観に世
界中の人が従ってくれるわけではないんです。私たちは私たちの価
値観に沿って生きていく事は変わらないですし、リーゼさんがリー
ゼさんの価値観に沿って生きていく事を否定しません﹂
また突き放されていると思ったのか、リーゼさんがため息をつこ
745
うとしたその時、ミツキが続ける。
﹁どうしても私たちに精霊獣機を否定させたいなら喧嘩しましょう﹂
理解されないからと無視するのではなく、正面から相手してやる
と言ってのけたミツキに、リーゼさんが固まった。
もとより、リーゼさんの主張には正当性もなければ根拠もない。
真っ向から論を戦わせれば、精霊獣機の実用性をいくつも挙げて
ミツキが押し切るに決まっている。
リーゼさんはまだ納得のいかない顔をしていた。しかし、何かを
言う前に、リーゼさんの後ろにドランさんが立った。
﹁リーゼ、こんなところで何をしている﹂
呆れた調子で言うからには、ドランさんもリーゼさんが何をして
いたか、おおよその見当がついているのだろう。
ドランさんがリーゼさんの襟首を掴んで竜翼の下の整備車両へ引
っ張っていく。流石は団長と副団長というべきか、遠慮がない。
﹁あれ、セクハラじゃね?﹂
﹁リーゼさんの顔を見てみなよ。きっと内心で喜んでるよ﹂
ミツキに言われてリーゼさんを見る。確かに、不快そうな表情は
していなかった。
﹁もしかして、俺たちダシにされた?﹂
﹁性格を考えると、それはないんじゃないかな。的外れなことばっ
かり言ってる人だけど、自分に嘘は吐いてないみたいだから﹂
﹁どこも複雑な恋愛事情があるんだな﹂
746
俺たちも大概だけど、という言葉は飲み込んで、食事を再開する。
すると、洗い物を終えた青羽根の面々が揃って簡易机を持ってや
ってきた。
先頭にいたボールドウィンが笑いかけてくる。
﹁一緒に食おうぜ﹂
﹁学生食堂のノリかよ﹂
高校や大学に通っていた頃、クラスメイトや部活仲間と競争する
ように食堂へ駆けていったものだ。
コース取りとか考えながら、それでも誰の迷惑にもならない様に
暗黙のルールがあった。
トレイに皿を乗せて、配給係の団員が流れ作業で料理を配って行
く。その光景は学生食堂というより給食当番だった。
ボールドウィンが俺とミツキのそばに机といすを並べつつ、首を
傾げる。
﹁なんで開拓学校に入学できなかったコトが学生食堂のノリなんて
知ってるんだ?﹂
﹁実は俺、透視能力を付加した千里眼の保持者なんだ﹂
﹁マジか。浴場を覗き放題じゃねぇか。みんな、ここに犯罪者がい
るぞ!﹂
﹁黙れ! この能力が欲しければ他言は無用だ!﹂
﹁譲渡できる、だと⋮⋮? お前はもてない男の救世主か?﹂
バカなノリを続けている内に青羽根は食事を配り終え、やかまし
くしゃべりながら食べ始めた。
俺たちの近くに陣取っているのはボールドウィンと青羽根の整備
士長の二人だ。
747
﹁やっぱり人数増やした方が良いかな?﹂
ボールドウィンが十人いる青羽根のメンバーを見回して、相談を
持ちかけてくる。
俺が知っている限り、青羽根は最小人数の開拓団だ。
十人は精霊人機を運用するに当たり最低限必要な人数だろう。青
羽根は開拓学校の卒業者で構成されているため培った技術力もあっ
て手が足りている。しかし、そこらの開拓者の集団では人手が足り
ずに過労で倒れるだろう。
﹁スカイが新型になった以上、技術を盗みに来るやつもいるはずだ。
見極めが必要だな﹂
整備士長が言いながら、俺を見る。
﹁仲間を集めるとしたら、どこが良い?﹂
﹁というか、コトたちが青羽根に入ってくれればいいんだけどな﹂
ボールドウィンが肩を叩いてくる。
﹁悪いけど、やる事があるんだ。この依頼が終わった後の予定もい
っぱいだしな﹂
﹁私たちは人気者だからね﹂
さらっと防衛拠点ボルスにいるだろうワステード司令官へ皮肉が
飛んでいく。今頃くしゃみでもしているだろう。
防衛拠点ボルスでリットン湖の攻略に参加した後はマライアさん
から提供された情報をもとにバランド・ラート博士の研究所を訪れ
るつもりだ。
行き先はガランク貿易都市。
748
﹁ガランク貿易都市か。仕事には困らないだろうな﹂
俺の話を聞いて、ボールドウィンが腕を組んでそう言った。
﹁ついてくるつもりか?﹂
﹁いや、今の俺たちがリットン湖の攻略に参加できるとは思えない
し、できたとしても実力が伴ってないから被害がでる。俺たちはガ
ランク貿易都市で商隊護衛の依頼を優先的に受けようと思う﹂
ボールドウィンが整備士長に視線で意見を訊ねる。
整備士長もボールドウィンの意見に否やはないようだ。
﹁ボールも新型スカイに慣れないといけないからな。しばらくは実
地訓練を兼ねて商隊護衛を受けるのはありだ。ガランク貿易都市な
ら大規模なキャラバンも多い﹂
﹁大規模なキャラバンが多いと何かあるのか?﹂
整備士長の補足の意味が分からなかったのか、ボールドウィンが
首をかしげる。
あきれ顔の整備士長の代わりに、ミツキがボールドウィンに質問
に答えた。
﹁他の開拓団と一緒に依頼を受けて、いろいろ教わろうって魂胆で
しょ﹂
青羽根は、俺たちと出会ったばかりの頃とはやはり意識が違う。
開拓者として生きるための知識をどん欲に学ぶ姿勢を持っていた。
もしかすると、開拓学校に通っていたために学ぶことに抵抗がな
いのかもしれない。新しい知識を得る事は現状の打破につながるが、
749
今までのやり方を崩すことに抵抗のある者も多い。
学ぶことに抵抗のない青羽根は今後さまざまな失敗と成功を重ね
ながら急成長していくだろう。
俺は整備士長の意見を後押しするため、ボールドウィンに声を掛
ける。
﹁ギルド登録された新型機って話題性で、興味を引かれた他の開拓
団も一緒に仕事をしたがるはずだ。技術流出にさえ気をつければ、
いい環境だと思うぞ﹂
学ぶ相手がより取り見取りだ。
ガランク貿易都市は姉妹都市のトロンク貿易都市と並んで商業の
中心地でもあり、キャラバンの護衛に特化した開拓団や道の安全確
保のために定期的に出される魔物の討伐依頼に特化した開拓団など
も多いと聞いている。
﹁コトもこう言ってるし、行くか。ガランク貿易都市﹂
ボールドウィンが決定して、整備士長と細かい予定をすり合わせ
る。
ついでに、とボールドウィンが俺を見た。
﹁向こうに着いたら、バランド・ラートの研究所も調べておいてや
るよ。ただ、俺たちにも仕事もあるから、あまり期待すんなよ﹂
﹁助かるよ。でも、調べないでくれ。どうも軍の方でバランド・ラ
ート博士の殺害事件がらみできな臭い動きがある﹂
﹁へぇ、軍でね。派閥争いがらみか?﹂
開拓学校でも軍内部の派閥争いって有名なのか。
ボールドウィンがため息を吐く。
750
﹁悪い。そういう事なら協力は出来ないな。俺たちの規模で軍に睨
まれると簡単に潰される﹂
﹁だろうな。大丈夫、調べるだけなら俺たちでもできるから﹂
最初からミツキと二人で調べるつもりだった。それに、転生にま
つわる事情に無関係の他人を関わらせるのは避けた方が良い。
﹁軍の派閥争いねぇ。デュラにも所属不明の回収部隊が入ったらし
いけど、そいつらは何を持ち出したんだろうな?﹂
整備士長が不思議そうに疑問を口にする。
﹁マッカシー山砦司令官ホッグスの隠し資産か何かだとギルドは考
えてるみたいだよ﹂
ミツキが答えると、整備士長はますます不思議そうな顔をした。
﹁港まで戦闘の跡があったのか?﹂
﹁俺たちがデュラに入った時は港側まで行かなかったから、何とも。
デュラを人型魔物から奪還した後、調査することになるだろうな﹂
幸いというべきか、件のホッグスはいま防衛拠点ボルスの暫定司
令官としてリットン湖攻略の指揮を取るため現地入りしている。
俺たちがデュラを奪還した時、ホッグスは不在だ。つまり、調査
し放題である。
マライアさんが俺たちに声を張り上げた。
﹁いつまで食ってるんだい! 明日は大事な作戦なんだ。さっさと
寝ちまいな!﹂
751
﹁はい、マライア姐さん!﹂
ほぼ条件反射のような速さで、ボールドウィン達青羽根が応じた。
俺はミツキと顔を見合わせる。
﹁順調に飛蝗流に染まってきてるな﹂
﹁凄い感染力だね⋮⋮﹂
俺たちもジャケットを進呈されないように注意しようと思いなが
ら、マライアさんに急かされて夕食を口の中へ詰め込む青羽根に同
情した。
752
第五話 封鎖作戦
封鎖予定の北門周辺にはゴライアとゴブリンがうろうろしていた。
派手に動くことになる精霊人機を使うとゴブリンたちに囲まれか
ねない、と判断したデイトロさんが、俺とミツキ、飛蝗の戦闘部隊
のみで北門周辺の魔物を狩る作戦を提案してきた。
﹁幸い、魔力袋持ちのゴライアが相手でも逃げ切れるアカタガワ君
やホウアサちゃんがいるからね。ギガンテスがいた場合は問題だけ
ど︱︱﹂
﹁俺とミツキでギガンテスを優先的に釣り出して、デイトロさんた
ちに仕留めてもらいます。それでいいですか?﹂
﹁そうだね。ギガンテスの排除が済み次第、戦闘部隊と鉄の獣でゴ
ライアとゴブリンを殲滅しよう。危ないと思ったらすぐにデイトロ
お兄さんのところに帰ってくるように﹂
作戦が決まり、俺はディアに跨って北門へ先行する。
北門前に陣取っている人型魔物の集団は無視して、昇り始めた太
陽に向かって森に入る。
一通り東や西に行ったり来たりしたが、ギガンテスの姿は見えな
い。デュラの中にいるのだろう。
﹁好都合だね。デイトロさんたちに教えて、作戦を開始しよう﹂
ミツキに言われて、俺たちはデイトロさんの下に取って返した。
ギガンテスがいない事を報告すると、待ちわびていたように飛蝗
の戦闘部隊が動き出し、北門を起点に森の中へ分け入っていく。彼
らはゴブリンを優先して排除してくれるはずだ。
753
デイトロさんが愛機であるレツィアに向かう。
﹁デイトロお兄さんは遠くから北門を監視するよ。ギガンテスが出
てくるとすれば、北門を必ず通る。大型魔物はこちらに被害が出る
前に素早く仕留めたいからね﹂
﹁まだ北門にはゴブリンもゴライアもいますよ?﹂
﹁もちろん、北門から幾分離れたところで狩るよ。大丈夫、仲間を
呼ばせるようなへまはしないさ﹂
デイトロさんが言うなら、実際にやってしまえるのだろう。何し
ろ、死亡率が極端に低いとギルドに太鼓判を押されている開拓団だ。
無茶をするはずもない。
﹁では、北門を任せます。俺たちは戦闘部隊の人たちを援護しつつ、
ゴライアを狩るので﹂
﹁魔力袋持ちに気を付けるんだよ。危ないと思ったらすぐに帰って
来るんだ。デイトロお兄さんが華麗かつ見事にかっこよく倒して見
せ︱︱﹂
﹁つべこべ言ってないで持ち場についてください﹂
言葉を遮ると、デイトロさんはしょんぼりしながらレツィアの操
縦席へ歩き出した。
整備車両に乗り込もうとしていたグラマラスお姉さんが俺に向か
ってサムズアップしてくる。
どうやら、デイトロさんのあしらい方はさっきので正解だったら
しい。
﹁ヨウ君、行くよ﹂
ミツキに声を掛けられて、俺はディアを操作する。
754
北門周辺の森はゴライアやギガンテスが頻繁に出入りしているせ
いか枝が折れ曲がっている木が多く、倒木もちらほら見受けられる。
射線を確保しやすいが、魔物からも発見されやすい環境だった。
不意打ちを受けないように索敵魔術の範囲を最大にして、森へ入
る。
飛蝗の戦闘部隊が暗殺者じみた動きでゴブリンを殺害している。
悲鳴も上げさせない。
﹁手馴れてるね﹂
ミツキが戦闘部隊の動きを見て微妙な顔をする。当然の反応だろ
う。
ゴブリンを暗殺しながら口元に笑みを浮かべて、血塗れた大剣を
肩に担ぎ直し、次の獲物を探している大男なんて仲間でなければ、
見た瞬間俺だって逃げ出す。
ディアとパンサーが索敵魔術の反応を告げ、俺は戦闘部隊にゴブ
リンの処理を任せてゴライアを亡き者にするべく狙撃ポイントへ移
る。
狙撃ポイントから見下ろすと、ゴライアが慎重に森の中を進んで
いた。
戦闘部隊が悲鳴を上げさせずにゴブリンを暗殺していても、森の
中で起きている異変にゴライアは気付いたのだろう。
ミツキが双眼鏡でゴライアの位置を確認し、周辺に他のゴライア
やゴブリンがいないか探す。
﹁あの一体だけで行動しているみたい﹂
﹁取り巻きのゴブリンが戻ってこないから探しに来たってところか﹂
たった一体のゴライアは時折屈んで目線を低くし、ゴブリンを探
している。
755
ミツキが双眼鏡を下ろした。
﹁悲鳴を上げさせないように一発で仕留めてね﹂
﹁身体強化を使っているみたいだから、目玉を狙うか﹂
身体強化を使用すれば目玉だろうとなんだろうと強化されるが、
元々の強度が低いため他の部位よりも銃弾が貫通しやすい。
ゴブリンを探してひっきりなしに動いているゴライアの目玉に狙
いを定め、引き金を引く。
距離にして七百メートル。狙撃に気付くことなくゴライアは銃弾
に頭の中をかき回されて倒れ伏す。
﹁またつまらぬものを撃ってしまった﹂
﹁価値あるものを撃って台無しにするよりいいんじゃない?﹂
﹁そういう意味じゃないと思うんだが﹂
微妙にずれた会話を繰り広げて、次なる狙撃ポイントへ。
それにしても、人型魔物の数は多いがどことなく違和感のある配
置だ。
ゴブリンとゴライアの比率がいつもと違う気がする。具体的には
ゴブリンが多すぎる。
ゴライアを十三体ほど屠った頃、太陽が中天に差し掛かった。
目につくゴライアはあらかた倒したし、ゴブリンの方も戦闘部隊
が順調に片付けている。もう北門周辺にいる人型魔物は北門そのも
のを守護しているらしい番兵のようなゴライアが二体とゴブリン二
十体ほど。
デイトロさんや飛蝗の戦闘部隊長と合流し、北門の状況を報告す
る。
飛蝗の戦闘部隊長が頭を掻いた。
756
﹁そいつは厄介だなぁ。一度に仕留め切るには難しい数だ﹂
デイトロさんが腰に両手を当てて北門を睨む。
﹁デイトロお兄さんが見張っている間に、番兵役の人型魔物たちが
二回、人員交代をしているのを目撃したよ。しかも連中、時計なん
かもないから交代時間はバラバラだ﹂
﹁交代直後でもない限り、次の番兵役が近くにいるかもしれねぇの
か。兄貴のレツィアなら一度に薙ぎ払えないか?﹂
戦闘部隊長に兄貴呼ばわりされて、デイトロさんは何とも言えな
い顔をする。
作戦行動中だからいちいち呼び方の訂正をするわけにはいかない
けれど納得もできない、という何とも面倒くさくてどうでもいい葛
藤が見え隠れしていた。
デイトロさんの葛藤を見抜いたのか、グラマラスお姉さんが呆れ
たようにデイトロさんのわき腹を肘でつつく。
デイトロさんがため息を吐き出した。ひとまず葛藤を脇に置くこ
とにしたらしい。
﹁交代直後を狙うとしても、ゴライア二体を瞬殺するのは難しいね。
北門付近は視界が良すぎる。精霊人機だとどうしても接近に気付か
れて声を上げられてしまうよ﹂
精霊人機は目立つ。
デイトロさんの愛機レツィアは回収屋としての仕事をこなすため
に静穏性、隠密性に重点を置かれた機体だが、精霊人機らしい巨人
のような大きな機体だけはどうしようもない。回収屋はもう一機、
精霊人機を所有しているが、こちらも大きさは変わらない。
番兵役を置いているくらいだ。北門を守護しているゴライアやゴ
757
ブリンが助けを呼べば、ギガンテスが飛んでくる。
デイトロさんの視線が俺とミツキに向く。
﹁できる?﹂
短い問いかけ。
俺はミツキと一緒に頷いた。
﹁邪魔をしないで頂ければ﹂
﹁じゃあ任せるよ。分かっているだろうけど、門を固めているゴラ
イア二体もゴブリン二十体も、魔力袋を持っていると思った方が良
い﹂
﹁問題ないです。都合よく一塊になってますし﹂
なぁ、とミツキに話を振る。
ミツキは右手を握ってからぱっと花が咲くように右手を勢いよく
開いた。
﹁三つかな﹂
﹁それでいい﹂
パンサーの新武装を使ってしまえば、魔力袋持ちのゴブリンが二
十体でも瞬殺できる。
﹁念のため、戦闘部隊も同行をお願いします。まだ森の中にゴブリ
ンが潜んでいる可能性があるので﹂
北門を固める魔物を排除しても、森の中からゴブリン達が帰って
きたら意味がない。戦闘部隊を配置してデュラの中へ帰らせないよ
うにしなくてはならない。
758
マライアさんを呼んでくるという回収部隊と別れて、俺はミツキ
と並んで北門が見える森の中へ身を潜める。
しばらくして、ディアに乗る俺の横にいた戦闘部隊長が配置完了
を教えてくれた。
ゴライアたちは森の中の異変に気付きつつも襲撃されている確信
を持てずにいるらしく、周囲を警戒しながらも仲間を呼びに行く素
振りがない。
俺は対物狙撃銃を構える。
﹁⋮⋮この距離でゴライア二体を仕留められるのか?﹂
戦闘部隊長が半信半疑と言った様子で訊ねてくる。
北門はここから距離にして六百メートル程度。
魔導銃があまり普及していないこの世界では対物狙撃銃を使用す
る開拓者や軍人も皆無で、六百メートル先から成人男性の手のひら
大のゴライアの目を正確に撃ちぬく狙撃手はいない。
しかも、狙撃対象が二体、声を上げさせずに仕留めるという厳し
い条件も付いている。
戦闘部隊長が不安に思うのも仕方のない事だ。
しかし、俺の相棒であるミツキはしくじるなどと欠片も思ってい
ないらしい。
ミツキが戦闘部隊長を見る。
﹁ヨウ君は外さないよ﹂
確信を持って言い切ったミツキは笑みを浮かべ、パンサーのレバ
ー型ハンドルを握る。俺の狙撃が成功した直後に駆け出すためだ。
﹁じゃあ、ミツキの期待に応えるとしますか﹂
759
俺は静かに引き金に指を掛ける。
気負う必要なんてどこにもない。
俺はただ、引き金を引くだけだ。
対物狙撃銃が火を噴いた。
俺は狙い撃ったゴライアの末路を見届けず、もう一体に素早く照
準を合わせる。
立て続けの狙撃にもかかわらず、ディアの照準誘導機能もあって、
銃口は正確にゴライアの目玉を捉えた。
再度の発砲と同時に、ミツキを乗せたパンサーが駆け出す。
俺に目玉を撃ちぬかれたゴライアが二体とも、何が起こったかも
理解していない顔で倒れていく。
ゴブリンはゆっくりと倒れるゴライアに何事かと不思議そうに視
線を向けた。
ゴブリンとの距離が三百メートルを切った時、ミツキがパンサー
の肩にある小さなカバーを外し、中からこぶし大の鉄の球体を三つ、
取り出した。
ゴブリンたちがゴライアの死亡に気付き騒然とすると同時に、パ
ンサーに気付く。
だが、もう遅い。
ミツキがパンサーを急停止させる。パンサーの四肢が地面を削り、
砂埃が上がった。
完全に停止しきる前に、ミツキは鉄の球体を強く握り込んで軽く
上に放り投げる。
空中に放り出された鉄の球体はミツキの頭上十センチほどで停止
し、フワフワと漂う。その動きは遊離装甲と全く同じものだ。
﹁︱︱どかん﹂
ノリノリでミツキが口にすると同時に、宙を漂っていた三つの鉄
の球体が撃ち出されるようにゴブリンたちへ殺到する。
760
球速は最大時速二百キロ。直撃するだけで即死する鉄の球体だが、
ただ投げつけるだけの武装ではない。
ゴブリンたちの中央へ吸い込まれるように撃ち出された鉄の球体
は、地面に落ちた瞬間︱︱爆発した。
爆風でゴブリンたちが吹き飛び、宙を舞う。
さらに、立てつづけに着弾した二つの鉄の球体が突然の爆発に唖
然としている他のゴブリンをまとめて爆破する。
﹁⋮⋮なんだ、あれ﹂
俺に問いかけてくる戦闘部隊長の声が震えている。
それはそうだろう。遠距離で爆発する物なんて魔法しか知らない
はずだ。
まぁ、ミツキが投げた鉄の球体も魔法で爆破させてるんだけど。
﹁魔導手榴弾ですよ。爆発の魔術式を刻んだ魔導核を内包した鉄の
塊です。パンサーの索敵範囲外に出ると、ああして衝撃を受けた瞬
間爆発します﹂
威力は炎系の魔術フレイムボムと同等、しかしパンサーの索敵魔
術と連動しているためにピンポイントに投げ込む事が出来、火薬を
使用していないため誤爆や誘爆はしない。かつ、周囲に鉄の破片を
まき散らす。
﹁いろいろあって、防衛拠点ボルスの防衛戦に参加したんですが、
自動拳銃だと威力が低い上に群れを相手にするのが難しかったんで
す。甲殻系の魔物は硬いですから、なおさらきつかった﹂
だから、多数を一度に薙ぎ払うための武装を考え、パンサーに搭
載したのだ。
761
二十体のゴブリンを魔導手榴弾で瞬殺したミツキが帰ってくる。
背後にはばらばらになったり鉄の破片が無数に刺さったゴブリンの
死骸が横たわっている。
﹁二つでよかったかも。効果の大きさが良く分からないから、もう
少し練習しないとかな﹂
﹁甲殻系の魔物用に作ったから、ゴブリン相手だとオーバーキルっ
ぽいな。おいおい、慣れていこうか﹂
何はともあれ、これで北門付近の魔物は一掃した。
遠くからレツィアとマライアさんの愛機グラシアの真っ赤な機体
が迫ってくる。
﹁派手な暴れ方したみたいだねぇ。あたしは好きだよ、こういうの﹂
でしょうね。
グラシアが北門の前まで走り込んで足を止める。
﹁離れてな。北門を封鎖するよ!﹂
グラシアの両腕の赤い外部装甲に白く縁どられた飛蝗の絵が浮か
び上がった。
直後、北門に巨大な石の壁が出現する。
見上げるような高さの石の壁は北門を埋めるようにそびえ立ち、
防壁に連結した。
グラシアが生み出した石の壁は重厚で、見るからに頑丈そうだっ
た。
﹁さぁ、用は済んだ。撤退するよ﹂
762
マライアさんの号令を受けて、森の中から飛蝗の戦闘部隊が出て
くる。
俺もミツキと一緒に森を出た。戦闘部隊長も一緒だ。
戦闘部隊長がパンサーを見る。
﹁派手好きの女は姐御だけで十分だったんだがなぁ⋮⋮﹂
﹁いや、魔導手榴弾はミツキじゃなくて俺の発案だ﹂
事実を教えると、戦闘部隊長は俺とデイトロさんが乗るレツィア
を見比べる。
﹁兄貴って呼ばれることに興味はあるか?﹂
﹁︱︱ねぇよ﹂
763
第六話 挟み撃ち
拠点にしている村に帰り着くと、作戦の成否を待ちわびている奪
還組の姿があった。
マライアさんがグラシアを操作し、片腕を高々と掲げて作戦の成
功を伝えると、歓声が上がる。
さっそく魔力を充填しなおすために整備車両に入っていくグラシ
アを見送って、俺とミツキは昼食の用意をするべくとある民家の前
に陣取った。
青羽根の団長、ボールドウィンと整備士長がやって来る。
﹁無事だったみたいだな。飛蝗の戦闘部隊も負傷者は出たが死者は
なしだとさ﹂
ボールドウィンが教えてくれた情報にほっとする。
﹁特に苦戦する事もなく作戦は成功したからな。ただ、ギガンテス
が一切出てこなかったんだ。それだけが気になる﹂
俺がボールドウィンに話すと、鍋に水を入れて火にかけていたミ
ツキが話に加わった。
﹁北門には門番としてゴライアまでいたのに、ギガンテスは周囲に
居なかったんだよね。索敵魔術に反応しなかったってことは、防壁
の裏にいたとも考えにくいし﹂
﹁魔導手榴弾の音もしたのにやってこなかったのも気になるな﹂
仮にギガンテスが来たとしても、マライアさんがグラシアの魔力
764
を使って生み出したロックウォールを破壊できるとは思えないけど。
ボールドウィンが愛機のスカイを振り返る。
﹁ギガンテスはデュラの中央辺りに陣取ってるのかもな。グラシア
の魔力充填が終わったら本格的にデュラに乗り込む事になるし、今
のうちにギガンテスの数を減らしておきたかったが⋮⋮﹂
﹁デュラの中にいるんじゃ手が出せないな﹂
ボールドウィンの言葉を引き継いだ整備士長がため息を吐く。
デュラに巣食う人型魔物の中で最も厄介なのはギガンテスだ。
今回の奪還作戦に参加している開拓団は青羽根を除いて実績を積
んだ凄腕ばかりで、歩兵人員も実力者がそろっている。
それでも、大型魔物であるギガンテスだけは精霊人機でないと対
処できず、被害を覚悟する必要もあった。
可能ならギガンテスを単独、せめてゴブリンやゴライアといった
小規模な戦力を率いた状態でデュラの外へ釣りだし、各個撃破した
い。
デュラの中に何体のギガンテスがいるかもわからないのだ。
﹁ヨウ君、このゴーヤ切って﹂
﹁おう﹂
俺とミツキの間ではゴーヤと呼ばれているナス色をした野菜を切
る。ワタを確保。後でてんぷらにでもしよう。
深刻な顔をしていたボールドウィンと整備士長が何故か俺の手元
を凝視した。
﹁なんだよ。じろじろ見て﹂
﹁お前ら、それ食うのか?﹂
765
恐る恐ると言った様子で、整備士長がゴーヤを指差す。
何を隠そう、このゴーヤはめちゃくちゃ人気のない野菜だ。苦い
上に、何故か少しのエグ味がある。山菜、それもタラの芽に近いエ
グ味だ。
俺とミツキはこのエグ味こそ気に入っているのだが、この世界で
は一部の間で罰ゲームや我慢比べに使われる食材である。イベント
の数だけ売れる定番野菜という少し独特な地位を築いている。
無論、好き好んで食べる者は俺とミツキくらいのものだ。おかげ
で安く手に入る。
﹁食うか?﹂
﹁う、うぅん﹂
何やら葛藤し始めたボールドウィンと整備士長。
二人を置いてけぼりに、俺はミツキに切り終えたばかりのゴーヤ
を渡す。
ミツキは受け取ったゴーヤをフライパンで炒めはじめた。
﹁ベーコンと卵を使ってパスタにするね。ワタはどうする?﹂
パスタになるなら、ワタを揚げると食卓が油っぽくなりすぎる。
﹁よし、マリネるわ﹂
﹁オッケー。ビネガーはパンサーの収納部の手前にあるよ。昨日の
夜に少し使ったから﹂
あのロールキャベツの隠し味に少し入っていたらしいワインビネ
ガーの小瓶を取りだし、ついでに彩りを加えるために赤い根菜を見
繕う。もちろん、砂糖と塩も用意する。
さくっと作ったゴーヤのワタのマリネを味見して、いまだ葛藤を
766
続けているボールドウィンと整備士長に小皿で出す。
ボールドウィンが困った顔で俺を見た。
﹁ホウアサさんのレシピか?﹂
﹁いや、俺のレシピ﹂
なんだ、その顔。俺の料理が食えねえってのか。
無言で威圧しながら小皿を突き出すと、ボールドウィンがしぶし
ぶフォークでマリネを食べる。
﹁⋮⋮あれ苦くない?﹂
﹁ワタだからな﹂
そんなことも知らなかったのかよ、こいつ。ちなみにエグ味もほ
とんどない。食感は独特でマリネにすると結構面白いのだ。
整備士長も一口食べて、おぉ、と感動したような声を出す。
﹁ちょっとみんなを呼んでくる﹂
﹁おい待て、そんなに数を用意してないんだよ﹂
俺とミツキの分しか持ってきていない。人気がない野菜だけあっ
て、出回る数が少ないからだ。
残念そうなボールドウィンと整備士長がミツキの作っているゴー
ヤ入りパスタソースを物欲しそうに見る。
﹁コトの料理がこれなら、ホウアサさんのパスタは⋮⋮﹂
﹁俺の料理よりミツキの料理の方が期待値高いとは︱︱わかってる
じゃないか﹂
俺よりもミツキの方が料理上手なのは事実だ。それは認めよう。
767
﹁だが、昼食のパスタは俺とミツキだけのものだ。お前たちにも渡
さん。食べたければ、俺を倒していけ!﹂
﹁よっしゃ、腹ごなしにコトを倒してやんよ!﹂
ノリノリで構えるボールドウィンと向き合った時、ミツキがパス
タを皿に盛り始めた。
﹁私はヨウ君のために作ったんだから、ボールドウィン達にはあげ
ないよ。匂いだけで我慢してね﹂
﹁ちくしょう。愛されてんな、コト!﹂
﹁ふはは、くやしかろう?﹂
﹁二人とも、バカなことやってないで早く食べちゃいなよ﹂
﹁ボール、みんなが待ってるから行くぞ。コト達もごゆっくり﹂
整備士長に襟首を掴まれて引きずられていくボールドウィンを見
送って、俺はミツキと食卓を囲む。
ゴーヤのパスタは卵で和らげられたゴーヤの苦さが良い感じの仕
上がりだった。
パスタを食べ進めていると、運搬車両が近付いてくる音が街道か
ら聞こえてきた。
ミツキと顔を見合わせる。
﹁スピード出し過ぎだよね﹂
﹁あぁ、輜重隊の車かと思ったが、どうにも様子がおかしいな﹂
まだ姿が見えないにもかかわらず、走行音が村の中まで聞こえて
くる。つまり、周囲の森にいるだろう魔物にも筒抜けという事にな
る。
そんな状態で村に入ってくれば、ここにデュラ奪還に来た人間が
768
いますと魔物たちに喧伝しているようなものだ。
開拓団の団長組が素早く視線を交差させ、マライアさんが立ち上
がる。
﹁飛蝗は戦闘準備! 他は警戒態勢に入りな﹂
マライアさんの号令を受けて、食事中だった飛蝗の団員が次々と
立ち上がって武器に手を伸ばす。
俺も残りの料理をかっ込んでから素早く荷物を片付け、ディアに
跨る。
そうこうしている内に村の入り口に運搬車両が猛スピードでやっ
てきた。
俺はディアを見る。
﹁索敵魔術が反応しない?﹂
﹁あの運搬車、魔物に追いかけられているわけでもないのにあんな
に慌ててるって事?﹂
入ってきた運搬車両は飛蝗の輜重隊の物だ。走行音で魔物を引き
寄せる可能性くらいは理解しているだろう。
あまりいい予感がしない。
運搬車両が急停止し、助手席から革ジャケットの大男が飛び降り
る。
﹁姐御、緊急伝令!﹂
﹁何の騒ぎだい?﹂
マライアさんは副団長に指揮を任せ、報告に耳を傾ける。
俺やミツキ、他の開拓団の幹部格も報告に耳を澄ませた。村に静
寂が落ちる。
769
大男が口を開く。
﹁港町が奇襲を受ける可能性あり。漁に出た船が、沖合で泳ぎなが
ら町へ向かうギガンテスたち人型魔物の集団を目撃したとの報告が
入りました﹂
﹁⋮⋮やられたね﹂
マライアさんが苦い顔をする。
デュラの北、南、西の三門は見張りが立てられており、出入りを
ある程度把握していた。
しかし、デュラの東にある港だけはどうしても監視できない。人
型魔物がわざわざ海から外に出るとは考えにくかったため、あまり
問題視もしていなかった。
﹁ギルドからは、今すぐ引き返して防衛に加わってほしいと言われ
てます。自分が見た限り、デュラ出身者の開拓者が港を固めて、指
揮を取れる開拓団もいないせいで現場が混乱しています﹂
﹁あほたれが! 現場の精霊人機は?﹂
﹁ギルド所有機が二機、町の防衛軍からも二機出ています。港への
上陸を阻止するための戦力としては十分です。普通の人型魔物の混
成群であれば、ですが﹂
デュラ周辺の人型魔物はどういうわけか魔力袋持ちの個体が多い。
いま港町に向かって泳いでいる人型魔物たちには例外的に魔力袋持
ちの個体がゼロとは考えにくい。
仮に、目撃されたギガンテスが魔力袋を持った個体ならば、海の
中からロックジャベリンやアイシクルで攻撃される可能性がある。
町を背後に庇う精霊人機は不用意に避ける事もできず、一方的な攻
撃にさらされるだろう。
防衛拠点ボルスで砲撃タラスクの攻撃にさらされていた精霊人機
770
の姿が脳裏をよぎる。
﹁魔力袋持ちが多いって報告はきちんと伝わっているみたいだね。
ギルドの馬鹿どももちったぁ成長したか。いいだろう。癪だが町へ
引き返すよ﹂
マライアさんが俺たちを見回す。
﹁聞いた通りだ。町の防衛のため、引き返す。第二のデュラを作る
わけにはいかないからね。今すぐ準備を︱︱﹂
整えな、とマライアさんが言い切る前に、デュラの門を見張って
いた飛蝗の構成員が村に次々と駆け込んできた。
何事かと見つめる先で、見張り役がマライアさんに報告する。
﹁デュラ南門より、人型魔物の群れが街道を移動開始。ギガンテス
七体、さらに二重肘を先頭にしたギガンテス六体を含むべつの群れ
が西門を出ました。ゴブリン、ゴライアも多数確認﹂
本来なら、歓迎される報告だった。
人型魔物をデュラの市街地ではなく森で相手取れるのなら、被害
を気にせず戦えるからだ。
しかし、先になされた沖合を泳いで港町に向かっている人型魔物
の群れに関する報告を合わせると、別の事実が見えてくる。
﹁あいつら、海と陸から港町を挟み撃ちにする気だ﹂
誰かが呟く。
そもそも、街道を使用しているギガンテス十三体を相手にしてま
ともに戦える戦力など港町に存在しない。海から襲う人型魔物を勘
771
定に含めると、とても防衛できるはずがなかった。挟み撃ちされれ
ばなおさら、勝ち目がない。
人型魔物を森で見ないと思ったら、あいつらデュラを捨てるつも
りだったのか。
マライアさんが難しい顔で街道を行くギガンテスの詳細な位置を
聞く。
﹁団長は全員集まりな。鉄の獣もだ﹂
呼ばれて、俺たちはマライアさんの周りに集まる。
マライアさんは地図を用意させながら、俺たちを見回した。
﹁時間がないからね。手短に済ませるよ﹂
マライアさんは用意された地図を広げ、港町とデュラを繋ぐ街道
を指差す。
﹁あたしら飛蝗と竜翼の下でデュラから行軍中の人型魔物に数回の
奇襲をかけて足を鈍らせる。その間に鉄の獣、回収屋、青羽根は町
に引き返して港を防衛しな。海側の魔物さえ倒せば、あとは街道を
移動中の人型魔物を迎え撃つだけだ。あたしらも限界を感じたら町
に戻る。戦力はほとんど減らせないと町の方にも伝えな﹂
遅滞作戦を行う事で挟み撃ちを妨害する作戦だ。異議を唱える者
はいない。
俺はマライアさんの愛機グラシアを見る。
﹁グラシアの残存魔力だと小競り合いしかできないって言ってまし
たよね?﹂
﹁あぁ、今のグラシアに全力は出せない。各団の整備士を貸してほ
772
しい。せめてまともな戦闘が可能な状態まで魔力を込めてもらう必
要がある﹂
魔力を馬鹿食いする燃費の悪い機体だが、その分この上ない戦力
だ。整備士全員で魔力を込めればどうにか戦闘が可能になるという
のなら、乗らない手はない。
竜翼の下団長ドランさんがリーゼさんに声をかけ、グラシアへ魔
力を提供するよう整備士たちへの伝言を頼む。
ボールドウィンが俺とデイトロさんを見てから、不思議そうにマ
ライアさんに質問する。
﹁なんでこの振り分けなんですか? 機動力のある鉄の獣と回収屋
の方が奇襲に向いてるはずでしょ?﹂
ボールドウィンの意見も正しいが、今回は港から襲ってくるとい
う点が問題だ。
﹁あたしのグラシアがまともに動かせない以上、遠距離攻撃で中、
大型魔物に対する攻撃力を有しているのが鉄の獣とデイトロのレツ
ィアだけだからさ﹂
﹁そうか、海の中から出てこない可能性もあるのか﹂
ボールドウィンが納得する。
俺の対物狙撃銃、レツィアの大鎌投擲は海の中にいる魔物に対し
ても十分な威力を有する攻撃だ。頭を水面に出した瞬間をモグラた
たきのように攻撃していく事ができる者は限られる。
おそらく、いま港町にいる戦力で海の中への攻撃手段を有する者
は少ない。魔術を使用するほかないだろう。
しかし、歩兵の魔術は中型や大型の魔物に効果が薄く、精霊人機
が魔術を使用すると稼働時間が大きく削られてしまう。海だけでな
773
く街道沿いを侵攻してくる人型魔物もいる以上、港の防衛戦で魔術
を連発するわけにはいかない。
﹁ちなみに、スカイには魔術戦に期待してないよ。あんたは魔力袋
を持たないギガンテスを遊離装甲シールドバッシュで海の中に叩き
落とせ。魔術が使えないギガンテスなら、海の中にいる限り攻撃手
段を持たない。つまり、海に叩き落とすだけで無力化できる。出力
の高いスカイ向きの仕事だ﹂
﹁りょ、了解です﹂
改造スカイの初陣から特殊性を生かした任務を与えられ、ボール
ドウィンが少し緊張した声で返事をした。
マライアさんは満足そうに頷いて、俺たちを見回す。
﹁攻める側から一転、守る側になっちまったけど、やる事は変わら
ないよ。殺せ。殺し尽くせ。ただそれだけだ。後はデイトロの指揮
に従いな﹂
そう言って、マライアさんはドランさんと一緒にグラシアの方へ
歩いて行った。
デイトロさんが真剣な顔で俺とミツキを見る。
﹁一番足が速いのはアカタガワ君とホウアサちゃんだ。今すぐ出発
して、ギルドに街道から人型魔物が迫っている事を報告してくれ。
避難民と人型魔物の群れが出くわしたら大惨事になる﹂
﹁分かりました。先に行きます﹂
俺とミツキはデイトロさんたちと別れて、精霊獣機にまたがる。
ミツキが港町の方角を見る。
774
﹁信用してくれなかったらどうしようか﹂
﹁マライアさんが忙しくなりますね、とでも言ってやれば言う事を
聞くだろ﹂
信用される必要はない。動かせばいいだけだ。
こうして港町へ向け、俺たちは出発した。
775
第七話 港町防衛戦
村を出発した俺たちがその集団を見つけたのは二時間ほど森を突
っ切った頃だった。
港町までの行程の半分を少し過ぎたところで出くわしたその集団
は、町からの避難民だ。手荷物は最低限に抑えているようだが、ど
こか疲れた顔が目立つ。
デュラの住人の困窮具合を間近で見てきた彼らにとって、これか
ら先の生活はきっと暗いものに思えているのだろう。
心苦しいが、俺は彼らへさらに悪い知らせを届けなくてはいけな
い。
俺は森から街道に飛び出して、身構える先導役の軍人に報告する。
﹁デュラ攻略隊の者だ。デュラから魔力袋持ちのギガンテスを含む
人型魔物の集団がこちらに向かってきている。至急進路を変更しろ。
鉢合わせするぞ﹂
報告を聞いた軍人が真っ青になって、慌てて責任者らしき者へ報
告に走る。
俺たちの報告を信じる事が出来なくとも、万が一を考えれば進路
を変更せざるを得ないだろう。
仕事は終えた、と俺は森の中へとディアの頭を向ける。避難民で
街道がふさがっているため、通行できなかったからだ。
ディアを走らせようとしたその時、カツン、と硬い物がディアの
角に当たる音がした。
足元を見れば、小石が落ちている。
俺は呆れつつ、避難民の群れを見た。
776
﹁アホか。立ち向かう気があるなら、俺じゃなくて魔物に石を投げ
たらいいだろ。腰抜けか?﹂
呆れを十分に含んだ声を投げかけると、集団の一部が僅かに怯ん
だ。
俺はこれ見よがしに肩を竦める。
﹁逃げるなら全力で逃げろよ。俺は全力で魔物を殺しに行くからさ﹂
じゃあな、と手を振って、俺はミツキが待つ森の中へとディアを
駆け込ませ、そのまま町へ向かう。
ミツキが町からの避難民を振り返った。
﹁石を投げたの、デュラの人だね﹂
﹁開拓者にならなかった奴らだな。町の救援に向かう開拓者に石な
んか投げたら周りにどう思われるか分かってないんだろ﹂
とはいえ、デュラを追い出されて半年、ようやく生活に慣れてき
たと思った所にこの騒ぎだ。ストレスが溜まっていたのだろう。
﹁あの手の馬鹿がいるのは織り込み済みだ。港の防衛戦でも似たよ
うな奴らがごまんといるだろうし、いちいち目くじら立ててられる
か﹂
﹁争いは同じレベルの者同士でしか発生しないってやつだね﹂
デュラの連中の程度の低さに合わせる意味がない以上、付き合わ
ないのが正解だ。こちらを脅かすようなら叩き潰すしかないが、港
町の防衛が先決だろう。
港町に到着して、すぐにギルドへ向かう。
すでに避難誘導が進んでいるため、港町は閑散としていた。港の
777
方を見るが、まだ戦闘は始まっていないらしい。
ディアでギルド前に乗りつける。降りるのも面倒なのでそのまま
建物の中へ入った。
慌ただしく動いていた職員たちがぎょっとした顔をして一斉に動
きを止める。
﹁デュラ攻略隊の者だ。報告がある﹂
ギルド内に響くように声を張り上げると、正気に戻ったいつもの
係員が走ってきた。
﹁こ、困りますよ、アカタタワさん。ギルド内にそんな物入れない
でください﹂
﹁外に停めて悪戯されたら戦闘に参加できなくなるんだ。ここに来
る前にも避難民に石を投げられたからな。大事を取らせてもらう﹂
有無を言わせず言い切って、俺は係員にデュラから街道を伝って
人型魔物が侵攻している事を伝える。規模を教えると、とたんに係
員の顔から血の気が引いた。
ギルドに残っていた何人かの開拓者もごくりと喉を鳴らす。
しかし、俺の報告を疑っている開拓者がいた。
﹁そんな気持ち悪い物を乗り回している奴の報告なんか当てになん
のかよ。おおかた、デュラ攻略戦が手に負えずにブルって戻ってき
たんだろ。敵前逃亡が知られると困るから偽の情報で町から人を遠
ざけて、自分は護衛してましたとか言い訳しようって腹じゃねぇの
かよ﹂
ミツキが俺の袖を引く。目を向けてみれば、小さく首を横に振っ
ていた。
778
あの開拓者はデュラ出身だから構うなって意味だろうか。
ざわついて成り行きを見守るギルド内の開拓者たち。
自分たちのいる港町が窮地に立たされているという鉄の獣の報告
を信じたくはない。信じないで済む言い訳も見つけた。これで鉄の
獣の反論がおかしければ︱︱まぁ、そんなことを考えているんだろ
う。
付き合ってる暇はないので、まるっと無視の方向で。
﹁これから開拓団、回収屋と青羽根が救援に駆けつけます。港の防
衛に成功した後、街道を進んでいる人型魔物の群れを相手に遅滞作
戦を行っている開拓団、飛蝗と竜翼の下に合流します﹂
﹁おい、こら! 無視してんじゃねぇぞ!﹂
開拓者が何かわめいているが、もちろん無視の方向で。
掴みかかろうとでもいうのか、開拓者がさして広くもないギルド
ホールを横切って俺達へ近づいてくる。
しかし、ミツキのパンサーが扇状の刃が付いた尻尾をヒュンヒュ
ンと背筋が寒くなるような音を出して振り回し始めると、開拓者は
悔しそうな顔で足を止めた。
俺は狼狽えているギルドの係員をディアの背中の上から見下ろす。
﹁こちらの戦況を教えてください﹂
時間がないためサクサク話を進める。
係員はディアやパンサーに何か言う事も忘れて、戦況を説明して
くれた。
﹁人型魔物の集団は沖合と海岸を行ったり来たりしながらこの町の
港を目指しているようです。規模はギガンテスが七、ゴライア二十
体をすでに確認していますが、それ以上の可能性も高いと思われま
779
す。ゴブリンは海岸沿いを泳いできており、もう間もなく襲撃が始
まると予想されています﹂
などと係員が説明しきる前に、ギルドホールに開拓者が走り込ん
できた。まだ少年と言っていいくらいの男の子だ。七歳くらいだろ
う。
﹁ゴライアとゴブリンの混成群が港に現れました!﹂
﹁報告ありがとうございます。車両を回すので、あなたも乗ってく
ださい﹂
どこかの開拓団の見習いらしい息を切らせている男の子の報告を
聞き、職員の一人が男の子を手招く。
しかし、男の子は心配そうに港の方角を見た。
﹁⋮⋮もう、できることないですか?﹂
少しでも何か役に立ちたいとでも思ったのだろう。男の子は用事
を探す様にギルドホールを見回した。
職員たちも男の子にかまってる暇がないのか、必要なだけの資料
を持ち出してガレージへ走り出す。ガレージに停めてあるギルドの
車両に資料を積み込んで避難するつもりだろう。
ミツキが自動拳銃の弾丸を確認する。
﹁行きましょう。まだ青羽根も回収屋も来てないけど、私たちだけ
でもそれなりに戦力にはなるんだから﹂
﹁そうだな。係員さん、あとから来る回収屋と青羽根にさっきの説
明をお願いしますね﹂
係員に念を押して、俺は男の子の頭に手を置く。
780
﹁後は任せて避難しとけ﹂
男の子とすれ違ってギルドを出る。
ミツキが男の子を振り返った。
﹁お姉さんたちが来たからもう大丈夫だよ﹂
後ろ手に手を振って、ディアを加速させる。
逃げるのが遅れた避難民が通りを走ってくる。大荷物を抱えてい
て非常に邪魔だった。
﹁ミツキ、上に行くぞ﹂
﹁わかった﹂
重量軽減の魔術を発動し、ディアを跳躍させる。
通りに沿って並ぶ民家の屋根に着地したディアが、邪魔者のいな
い屋根の上で思う存分に加速した。
最高速に達すると、屋根の上を高速で走るディアとパンサーに気
付いた町の住人が俺たちを見上げて口を開けていた。
見るからに重量級の鉄の獣が軽やかに屋根を伝って走り抜ける姿
は、さぞかし彼らの常識を覆したことだろう。
屋根の上を走っているおかげで開けた視界の先に精霊人機が四機
見える。立ち並ぶ倉庫を背にハンマーや長剣を構えた四機のうちの
一機が転倒していた。
﹁歩兵ども! 足元を守れって言ってるだろうが!﹂
精霊人機から罵声が飛ぶ。
俺はミツキと並んで港に面する倉庫の屋根の上に辿り着き、眼下
781
を見下ろす。
ゴブリンが次々と海から這い上がり、開拓者や防衛軍に襲い掛か
っていた。
視線を海へ転じれば、ゴライアが斧の形に変形させたアイシクル
を精霊人機に投げつけていた。
精霊人機は魔術で対抗しているが、足元の開拓者や防衛軍が邪魔
で思うように動けないでいる。
転倒している精霊人機は両足が凍りついて足かせでも嵌められた
ようになっていた。
﹁酷い乱戦だね﹂
﹁魔力袋持ちのゴブリンばかりみたいだな﹂
防衛側の戦力が圧倒的に足りていないのだ。小型魔物のゴブリン
と言えど、魔力袋を持つ個体ならば訓練した兵士三人ほどで囲んで
殺すのが定石とされている。
みんながみんな飛蝗の戦闘員くらいの実力者なら防衛も十分可能
だったのだろうが、ここにいるのは開拓者になって半年前後の素人
ばかり。防衛軍の歩兵は良い動きをしているが、開拓者に動きを阻
害されている。
﹁指揮官が無能だな。配置から間違ってる。ミツキ、ここの奴らの
指揮には従わないで済む方便ってあるか?﹂
﹁私たちはマライアさんの指揮下で、今はデイトロさんの指揮に従
う、って事でいいと思うよ﹂
言葉を交わしながら、積極的にアイシクルで作った斧を投げてい
るゴライアに照準を合わせる。
﹁ミツキ、一度戦線の立て直しが必要だ。海岸線のゴブリンを一掃
782
できるか?﹂
﹁のーぷろぶれむ﹂
気の抜ける返事をして、ミツキはパンサーの肩に収納された魔導
手榴弾を取り出した。
﹁それじゃ、活躍しますかね!﹂
ゴライアがアイシクルを投げようとした瞬間を見計らって、引き
金を引く。
倉庫の屋根に俺たちがいる事にも気付かず、仲間同士で罵声を飛
ばしあいながら乱戦している素人連中の目を覚ます銃声が高く鳴り
響いた。
銃弾は海の中で立ち泳ぎしていたゴライアの目玉を撃ちぬく。
沈んでいくゴライアにかまわず、俺は次の獲物に照準を合わせた。
倉庫前の開拓者や防衛軍の歩兵が、対物狙撃銃が奏でる銃声を聞
いて罵声を飲み込む。
いまだ続く剣戟と魔術が飛び交う戦場で、俺は第二射を放った。
海の中にいたゴライアがまた頭を撃ちぬかれて沈んでいく。
﹁︱︱て、鉄の獣?﹂
誰かが呟く。
たった一人の呟きが伝播し、嫌悪がない交ぜになった視線が俺た
ちに届く。
だから、俺は三度目の銃声を轟かせながら、声を張り上げた。
﹁よそ見するな!﹂
弾かれたように、開拓者や防衛軍の目が敵である人型魔物のいる
783
海に向かう。
直後、海が爆発した。
水柱が高く上がり、ゴブリンの死骸が水面に打ち付けられる。
立て続けに五回、一定の間隔をあけて海が爆発し、水柱が上がる。
﹁タイミングばっちりだね﹂
追加の魔導手榴弾を取り出しながら、ミツキが笑う。
そう、わざわざ開拓者や防衛軍の目を海に向けさせたのは、俺た
ちの戦闘力を理解してもらうためだ。
ミツキが戦場全体に響くように声を張り上げる。
﹁指揮官、生きてるなら戦線の立て直しをしてください! これか
ら開拓団回収屋と青羽根がここへ救援に駆けつけます。それまで耐
えてください!﹂
﹁突然現れて何命令してやが︱︱﹂
うるさい声を銃声でかき消す。もちろん、しっかりゴライアを一
体仕留めた。無駄弾は撃たないんだよ。
人型魔物たちも狙撃手がいる事に気付いて水面に顔を出すのをや
め、素潜りを始める。
ミツキが海に魔導手榴弾を投げ込んで人型魔物の上陸を阻んでい
るが、港の戦いは未だ乱戦状態だった。
指揮官が開拓者たちを掌握しきれていないせいで、現場が完全に
混乱しているのだ。
これ以上は俺たちが何をしても逆効果だろう。ただでさえ開拓者
と防衛軍という二つの勢力がせめぎ合っている今、どちらの陣営か
らもいい顔をされない精霊獣機に乗る俺たちが乗り込んでも第三勢
力ができて混沌とするだけだ。
784
﹁二人で戦線を維持するのは無理だし、ひとまず魔物が港を抜けて
町へ行かない様に抑えるしかないな﹂
そのためにもゴライアの数を減らそう、そう思ってスコープを覗
いた時、沖から向かってくる巨大な人型魔物に気付いた。
ギガンテスだ。
俺が開拓者や防衛軍へ注意を促すまでもなく、猛烈な勢いで泳い
でくるギガンテスに気付いた防衛軍の歩兵から声が上がる。
﹁ギガンテスが来るぞ! 精霊人機のそばを離れろ!﹂
ギガンテスに対抗できる戦力は精霊人機だけ。だから動きを阻害
しない様にある程度距離を開ける。随伴歩兵でなければ当然の判断
だ。
こればかりは罵声を飛ばしあっていた開拓者も防衛軍も関係なく、
さっと動き出す。誰も精霊人機に踏み潰されたくはない。
その時、先端が鋭利に尖った石の槍が海から飛んできて、精霊人
機の胸部を貫いた。
コックピットを正確に貫いた石の槍は込められた魔力を消費しき
って消滅する。後に残されたのは胸部にぽっかりと空いた穴から操
縦士の血を垂れ流す精霊人機の残骸。
⋮⋮戦場全体の気温が数度下がった気がした。
﹁畜生、やりやがったな、あのギガンテス!﹂
いまだ無事に立っている精霊人機二機のうちの一機が石の槍を遠
投したギガンテスを罵る。
だが、罵るだけだ。
港から一キロ近く沖で立ち泳ぎしているギガンテスへの攻撃手段
など、精霊人機も持っていない。
785
悔し紛れに精霊人機がロックジャベリンをギガンテスへ撃ち出す。
しかし、ギガンテスは海の中に潜ってあっさりとロックジャベリ
ンを避けると、再び海上に顔と腕を出した。
返礼とばかりに、ギガンテスから石の槍が投げつけられる。
対する精霊人機は、石の槍を避けられなかった。
背後に町がある。足元には味方である歩兵たちがいる。
精霊人機がその手に持つハンマーを振るい、石の槍を打ち返した。
高速で飛ぶ大質量の石の槍を撃ち返したために肩に負荷がかかり、
精霊人機の肩の挙動がおかしくなった。肩の高さ以上に腕が上がら
なくなったのか、ハンマーを構える動作もぎこちない。
港に上がってきたゴブリンやゴライアを効率よく即死させていた
ハンマー使いの精霊人機がギガンテスに対応することになり、歩兵
の負担が一度に増える。
ただでさえ連携の取れていない歩兵がゴブリンやゴライアに押し
切られるまで、そう時間はかからないだろう。
徐々に、歩兵が海から遠ざけられ、海からゴブリンやゴライアの
後続が上がってくる。
海から上がったゴブリンたちが歩兵に向かって走って行く。その
後ろではゴライアが三体、身体強化を施しながら走り出そうとして
︱︱
飛んできた大鎌に根こそぎ首を切り落とされた。
大鎌についていた鎖が伸びきった瞬間、グイっと力強く引き戻さ
れる。
﹁遅くなったね。みんなの頼りになるお兄さん、回収屋デイトロ、
到着!﹂
灰色の精霊人機レツィアが歩兵の間を器用に走り抜けながら、港
まで辿りつく。
大鎌に繋がらない方の鎖の先端を地面に垂らすと、わずかにレツ
786
ィアの手が動いた。
巨大な鎖が蛇のようにくねり、地面のゴブリンを引き潰す。
﹁アカタガワ君たちは︱︱無事のようだね。お兄さん一安心だ﹂
白い歯を見せて笑っているのだろうけど、レツィアの操縦席にい
るデイトロさんは見えない。
その間も、レツィアが地面に垂らした鎖は執念深い蛇のように次
々とゴブリンを引き潰し、弾き飛ばしていた。
レツィアの手でゴブリンが減らされた事で、歩兵が勢いを取り戻
す。
俺はレツィアに乗るデイトロさんに声をかけ、海にいるギガンテ
スを指差した。
﹁あのギガンテスが正確にロックジャベリンを投げつけてきます。
すでに一機やられました﹂
﹁胸に穴を開けられてる機体だね。よくもまぁ、あの距離から投げ
て来れるものだよ﹂
言ってる側から、ギガンテスが派手に仲間のゴブリンやゴライア
を殺戮しているレツィアに向けて石の槍を投擲する。
かつてない速さで迫るその石の槍を、レツィアは大鎌を投げつけ
て撃ち落とした。衝突の衝撃は大鎌の鎖が吸収し、レツィア本体に
は一切ダメージがないようだ。
﹁厄介だね。一投ずつなら大丈夫だけど、同時に投げられると対処
が間に合わなくなりそうだ。ボール君、頼めるかな?﹂
﹁足元を掃除してくれれば行けると思いますよ﹂
軽い調子で応じたのは歩兵の間を抜けてきたスカイに乗るボール
787
ドウィンだ。
まぁ、スカイなら問題ないだろうな、と思うのは開発者である俺
とミツキ、青羽根の面々と開発風景を見ていた者だけだろう。
歩兵たちの訝しげな視線がスカイに向かう。
しかし、問題がない事を証明するように、ギガンテスが投げた石
の槍をスカイは軽々とハンマーで叩き落とした。
同じことをして肩を痛めた精霊人機から、操縦士の息をのむ音が
聞こえてくる。
魔導チェーンを使用したスカイの腕や肩関節の柔軟性はそこらの
精霊人機の比ではない。多少無理な挙動も衝撃も、スカイにとって
は故障の原因になりえないのだ。
さらに、ハンマーを圧空の魔術で加速させるため、立て続けに投
げられた石の槍にも難なく対処する。もしも直撃したとしても、一
キロ先からの遠投ではスカイを覆う遊離装甲、セパレートポールの
防御力を抜けるとは思えない。
﹁ギガンテスの投擲は処理するので、兄貴はゴブリンの方をお願い
します﹂
﹁デイトロお兄さんだよ。お・兄・さ・ん!﹂
ボールドウィンの言葉を訂正しながら、デイトロさんは港に上が
ったゴブリンやゴライアを手際よく始末していく。
強力な精霊人機が二機加わった事で、歩兵が勢いを取り戻した。
それでも、海の中にいればまず攻撃は飛んでこないと考えたらし
いゴライアを俺は対物狙撃銃の照準に捉えた。
すでに、形勢は逆転していた。
788
第八話 カノン・ディア
港に上がった仲間が次々と討ち取られていく光景を見て、さすが
のギガンテスも不利を悟ったらしい。
満を持して、ギガンテスが沖から泳いでくる。しかし一体だけで
はなかった。
報告にあった七体のギガンテス。そのすべてが泳いでくる。
俺は素早く港に視線を走らせた。
レツィアとスカイ、防衛軍の精霊人機が一機、あとは歩兵だけの
戦力。
﹁まずいな﹂
﹁実質的に三対七だもんね﹂
ギガンテスに対抗できるのは精霊人機のみ。ミツキが言う三とは
防衛側の精霊人機の数だ。
﹁デイトロさん、策はありますか?﹂
﹁いやぁ、これは正直厳しいね。もう一機動ける精霊人機があれば
別だったんだけど﹂
﹁回収屋のもう一機の姿は見えないですけど?﹂
﹁町の入り口を守ってもらってる。ギルドも防衛軍も港からしか侵
攻はないと思って、港に精霊人機を集めちゃったからね﹂
街道沿いを進んでくる人型魔物が到着するまでまだ時間はあるは
ずだが、何しろ魔力袋持ちの個体が多い。身体強化を施されると一
気に時間を短縮される可能性があるため、町の入り口に門番として
残してきたらしい。
789
デイトロさんはスカイに乗るボールドウィンに声を掛ける。
﹁ギガンテスが上がってきたら海に突き落としてくれ。陸に上がっ
たギガンテス三体までなら勝機もある。魔術が厄介だけど︱︱﹂
﹁魔術は俺とミツキでなんとかしますよ﹂
﹁できるのかい?﹂
俺はレツィアに向かって頷いた。
この後に控えている街道での戦いを考えると魔力を無駄使いでき
ないが、ミツキの魔導手榴弾や俺の対物狙撃銃であれば消費魔力も
少ない上に破壊力がある。
ギガンテスそのものに効果があるかは疑問だが、魔術で生み出し
た石の槍などを破壊するくらいはできる。
﹁あの北門の惨状を作ったのはホウアサちゃんだったのか。それじ
ゃあ、任せるよ﹂
デイトロさんの承認を受け、ギガンテスの襲撃に備える。
一キロの遠泳も体長六から八メートルの巨体をさらに魔術で強化
したギガンテスにとっては苦労もないらしく、疲れた様子もなく埠
頭に手を掛けようとしていた。
﹁︱︱どかん﹂
ミツキが呟くと、パンサーが魔導手榴弾をギガンテスの指先にピ
ンポイントで投擲した。
爆風で生み出された波により、ギガンテスが僅かに押し戻される。
頭を上げて状況を確認しようとしたギガンテスとスコープ越しに
目があった。
790
﹁悪いね﹂
口を突いて出た言葉とは裏腹に、俺の指は無意識に躊躇なく引き
金を引いていた。
半ば反射的な発砲だったが、銃弾は狙い通りの軌道を描いてギガ
ンテスの目に吸い込まれる。
しかし、ギガンテスは突如瞼を強く閉じた。
身体強化で強度を増した強靭なギガンテスの瞼に、俺が放った対
物狙撃銃の銃弾が弾かれる。
⋮⋮ありかよ。
﹁やっぱり通常弾じゃ効果はないね﹂
ミツキが俺の銃撃の結果をオブラートにも包まず突きつけてくる。
﹁少し凹むんだけど﹂
﹁現実を見なよ﹂
いつだって現実は俺の心に突き刺さる。そう思いながら、ギガン
テスが防衛軍の精霊人機へ投げつけようとしていたアイシクルを狙
撃して粉砕する。
ちらりと視線を転じれば、港に上がってきたギガンテスにレツィ
アが大鎌を投げつけ、空中で掴みとられそうになっては引き戻すと
いった攻防を繰り広げていた。
レツィアは速度重視の機体であり、防御力のほとんどを二重の遊
離装甲に頼っている。あまり接近戦が得意ではないため、遠距離か
ら仕留める機会を窺っているようだ。
レツィアと対峙しているギガンテスは迂闊に間合いを詰める事も
出来ず、魔術による投擲をしようとするたびに俺の狙撃で妨害され
て良いようにあしらわれている。
791
倉庫の屋根の上から戦場を俯瞰すると、戦況はやや膠着している
のが分かった。
海に面した港では、海から這い上がろうとするギガンテスにミツ
キの魔導手榴弾が飛び、這い上がったギガンテスに対してはボール
ドウィン操るスカイが体当たりの要領で遊離装甲によるシールドバ
ッシュを行い海に突き落とす。
港に上がって戦闘しているのは二体のギガンテス。片方はレツィ
ア、もう片方は防衛軍の精霊人機が相手をしている。魔術を使用し
て形勢逆転を狙ってくるギガンテスだが、石の槍でも氷の斧でも、
生み出した瞬間に俺が狙撃して破壊するため攻め手を失っている。
港へ入るための道にはゴブリンやゴライアが攻め込んでいるが、
こちらは防衛軍と開拓者でどうにか抑え込んでいた。
スカイが埠頭を固めているのも、歩兵組の援護になっていた。ス
カイは衝撃に備えようとすると周囲に暴風をまき散らすため、体長
一メートルのゴブリンは軽く吹き飛ばされて海に落ちていく。何度
も海に戻された事で体力が尽き、おぼれたらしいゴブリンの死骸も
ちらほら見える。
膠着した戦況が傾き始めたのは、防衛軍の精霊人機が相手をして
いたギガンテスを斬り殺してからだった。
﹁よし、次!﹂
威勢よく声を張り上げ、精霊人機はレツィアが相手をしていたギ
ガンテスに横合いから斬りかかる。
完全に不意を打ったその一撃は、レツィアの大鎌の投擲による助
力あってこそのものだ。
二体目のギガンテスが長剣の一閃で首を落とされる。
﹁やるね、君﹂
﹁そっちもな﹂
792
デイトロさんに気安く言葉を返して、精霊人機がレツィアから距
離を取る。
精霊人機が持ち場に戻ったのを確認して、スカイが埠頭の防御を
緩め、ギガンテスを通す。
五体に減ったギガンテスのうち、港に上がる事が出来たのは三体。
他の二体はタイミングが合わずにスカイに突き落とされていた。
三体のギガンテスは仲間の死骸に憤怒の雄たけびをあげ、レツィ
アと精霊人機に襲い掛かる。
しかし、三体の足元に投げ込まれた魔導手榴弾が爆発し、ギガン
テスのバランスを崩した。
魔導手榴弾の爆風を受けても火傷一つ負わなかった頑丈なギガン
テスに、レツィアと精霊人機が躍りかかる。
体勢を崩していたギガンテスは防御姿勢すら取れないまま斬り殺
され、地面に転がった。
﹁ホウアサちゃん、お見事だ。デイトロお兄さんも惚れちゃ⋮⋮ア
カタガワ君! その冷たい目を止めて! ホウアサちゃんも真似し
ないで!﹂
﹁真面目にしないと、兄貴呼び広めますよ?﹂
﹁分かった、調子に乗ったのは謝るから。本当にその冷たい目はや
めて。心臓に悪いから﹂
後半は泣きが入っていたので、俺はレツィアから視線を外す。
ミツキがレツィアに対して舌を出していた。
冗談でも言って良い事と悪い事はあるが、デイトロさんの発言は
明らかに後者だった。
﹁私はヨウ君一筋ですよぉだ!﹂
793
追い打ちにこっぴどく振ったミツキを責める者などいるはずがな
い。いたら俺が許さない。
残りのギガンテスは二体、スカイが埠頭の防衛を止めて、ハンマ
ーを構える。
しかし、ギガンテスは攻めてこなかった。港から五百メートルほ
どのところでこちらの様子を窺っている。
仲間が五体、立て続けにやられたのだ。撤退するのは賢い判断だ
ろう。
﹁︱︱って、撤退もしないのか﹂
しばらく待ってみたが、ギガンテスは海の中で立ち泳ぎをしてこ
ちらの様子を窺うだけだ。
﹁街道を来る仲間が挟み撃ちを成功させるまで、ここで待つつもり
みたいだね﹂
ミツキが分析する。
防衛軍の精霊人機の操縦士が舌打ちした。
﹁面倒だな。この距離だと魔術攻撃は避けられるか迎撃される。開
拓者、何かいい案はないか?﹂
意見を訊かれたデイトロさんが難しそうに唸る声が拡声器を通し
て聞こえてくる。
﹁あいにくと、魔術戦が得意な機体じゃなくてね。スカイもそうだ
ろう?﹂
﹁無理ですねぇ。近接も近接。魔術格闘型なんで﹂
794
手をこまねいている間に、歩兵組が戦っていたゴブリンやゴライ
アを全滅させたらしい。
余裕が出てきたが、まだ明確な脅威である大型魔物ギガンテスが
すぐそこの海で泳いでいる。
しかし、攻撃手段がない。
﹁こうしている間にも、街道から別の群れが来てるって⋮⋮﹂
歩兵の誰かが声を上げ、ギガンテスを指差す。
﹁早くあれを倒せよ!﹂
﹁できないって言ってんだろうが。素人は黙れよ﹂
防衛軍の精霊人機から、苛立った声が降ってくる。
声を上げたのは開拓者らしい。近くにキリーの父親がいるところ
から見て、デュラ出身者だろうか。
周りの防衛軍の歩兵は嫌そうに顔を顰め、デュラ出身者から距離
を取っていた。
注目が集まったのを見て取って、素人開拓者が苛立たしげに、倉
庫の屋根に乗っている俺とミツキを指差した。
﹁お前の銃で撃ち殺せよ!﹂
なんで命令してるんだこいつ、と少しイラついたが、無視する。
しかし、素人開拓者たちは俺を指差してまた叫んだ。
﹁知ってんだぞ。お前がデュラに来た日に人型魔物が襲ってきたん
だ!﹂
﹁この疫病神が!﹂
﹁お前が餌か何か撒いてるんじゃねぇだろうな!?﹂
795
﹁それとも隣の化け物がまた何か得体のしれないもん作って呼び込
んだのか!?﹂
﹁その乗り物も気持ち悪いんだよ!﹂
﹁ボルス防衛戦で儲けた癖にデュラの互助会に寄付もしてねぇだろ
!﹂
﹁金がある癖に避難民に分け与える事もしないで独り占めしやがっ
て!﹂
﹁お前らなんか︱︱﹂
罵声を遮る様に、俺は空に向けて対物狙撃銃を発砲した。
﹁︱︱黙れ﹂
俺はディアの背を下りる。
対物狙撃銃をさりげなくキリーの父親たちに向けると、防衛軍や
まともな開拓者たちが距離を取った。
﹁そこまで言うなら、撃ち殺してやるよ﹂
ミツキがギガンテスを警戒しながら、俺を横目でちらりと見た。
﹁やっちゃうの?﹂
﹁あぁ、やってしまおう﹂
にやりと不敵に見えるように笑い返すと、ミツキはいたずらっぽ
い笑みを浮かべた。
﹁やっちゃえ﹂
ミツキの許可も頂いたことで、俺はディアの腹部に取り付けられ
796
ているレバーを引き出した。
﹁お、お前みたいなガキが、人殺しなんてできるわけねぇだろ﹂
素人開拓者の一人が向けられた銃口を凝視しながら、震え声で言
う。
俺は鼻で笑ってやった。
﹁誰がお前を殺すなんて言ったよ﹂
左右にレバーが飛び出したのを確認して、対物狙撃銃をディアの
角に乗せつつ再びまたがる。
引き出したレバーを膝の裏に当て、ディアの背に腹這いになった
俺は、一度深呼吸した。
ディアの両肩のボタンを同時に押す。
この場に居合わせた者は幸運だ。
常識を覆す新技術をその目に焼き付けて帰ることができるのだか
ら。
﹁俺たちを馬鹿にしてきた者へ捧ぐ。これは︱︱反撃の銃火!﹂
俺が声を張り上げた瞬間、この場に居合わせたすべての者が見た。
ディアの角に支えられた対物狙撃銃の銃身が伸びる、常軌を逸し
た光景を。
長さ一メートル五十センチの石の銃身が瞬時に生み出され、対物
狙撃銃の銃身を延長したのだ。
﹁鼓膜を震わせ、目に焼き付け、脳に刻みつけろ。これが︱︱﹂
笑い出しそうになる。
797
気分が高揚する。
眼下を見てみろ。
この町の人間も、デュラ出身の開拓者連中も、ほら、キリーの父
親や、開拓団、回収屋に青羽根でさえ唖然としてる。
悲鳴を上げてみろ。どうせ全部掻き消える。
良く聞け。
﹁︱︱鉄の獣の張り上げる銃声、カノン・ディア!﹂
引き金を引いた直後、暴力的な爆音が大気を震わせ、倉庫屋根を
ぐらぐらと揺らす。
ディアの首でも相殺しきれなかった反動が俺を襲う。
俺が膝の裏でとらえた左右のレバーが強力なバネで反動に抗いな
がらもなお後方へと持って行かれる。
俺の体もディアの背中の上を滑り、尻尾の近くまで来て、止まっ
た。
狙い撃ったギガンテスに目を向ける。
海の上に、頭を失い、力が抜けたギガンテスの体が浮いていた。
即死だ。
身体強化を使用中の大型魔物、ギガンテスを即死させる威力。文
句のつけようもない。
俺はすぐに膝の裏にとらえていたレバーを外し、ディアの肩の間
にあるボタンを押してレバーの位置を元に戻す。
強烈すぎる反動に耐えるため、レバーが動いた時にはディアの全
身が硬直してしまう。この硬直はレバーが元の位置に戻らない限り
は解除されない。
一発限りの石の銃身が込められた魔力を失って掻き消える。
﹁もう一体のギガンテスを始末する。スカイ、そこを退け!﹂
798
俺はスカイに乗ったボールドウィンへ怒鳴りつつ、再び膝の裏に
レバーを当てる。
対物狙撃銃の銃身をディアの角に乗せ直して、先ほどの反動で角
が壊れていない事を確認しつつ、両肩のボタンを押した。
魔術で生み出された石の銃身が俺の愛銃に接続され、銃身を延長
する。
何が起きたのかをようやく呑み込めたらしいギガンテスが俺に向
かってアイシクルを変形させた氷の斧を投げつけようとする。
﹁⋮⋮させないよ﹂
ミツキが放り投げた魔導手榴弾がパンサーの索敵魔術と連動した
正確な投擲によって氷の手斧に命中する。魔導手榴弾が爆発し、氷
の手斧は砕け散った。
﹁往生しろよ﹂
カノン・ディアの引き金を引く。
対物狙撃銃の爆発魔術で撃ち出された銃弾が鉄の銃身を潜り、そ
の先にある魔術で生み出された石の銃身に到達する。
真空の石の銃身内を通る銃弾の真後ろで、完璧に発動タイミング
を設定した圧空の魔術が炸裂する。
石の魔術ロックジャベリンと風の魔術圧空を完璧なタイミングで
発動させる、ロングバレルの真空多薬室砲、それこそがカノン・デ
ィアだ。
さらに、ディアの照準誘導の魔術が合わさり、命中率は高い。
ただでさえ音速を優に超える対物狙撃銃の銃弾が石の真空銃身の
中でさらに加速し、威力と速度を高める。
石の銃身から飛び出した銃弾は、普段の倍以上の速度を有してい
た。
799
避けられるはずもなく、最後のギガンテスは首から上を吹き飛ば
され、ゆっくりと沈んでいく。
︱︱それはこの世界で史上初の、歩兵による大型魔物の単独撃破
が成された瞬間だった。
800
第九話 飛蝗の提案
沈んでいくギガンテスの死骸に呆気にとられている開拓者や防衛
軍に、ミツキが声を張り上げる。
﹁まだ戦闘は終わってないんだから、ぼさっとしない!﹂
女の子らしい高い声ながら、ギガンテスの攻撃を相殺して見せた
実力者でもあるミツキの一喝に、防衛軍がすぐに動き出す。
﹁残りはゴライアとゴブリンだけだ。海に押し出せ!﹂
防衛軍の精霊人機が拡声器を使って仲間を鼓舞する。
スカイとレツィアがゴライアを優先的に倒し、海を赤く染めてい
く。
制圧まで、さほど時間はかからなかった。
人型魔物の血と死骸に埋め尽くされた港を見まわして生き残りが
いないのを確認し、一息つく。
レツィアを回収屋の整備車両へ格納して簡易の整備を仲間に任せ
て、デイトロさんが俺たちを手招いてきた。
俺はミツキと一緒に倉庫から降り、魔物の死骸を片付けている防
衛軍の作業を邪魔しない様に港を出て、回収屋の整備車両横にディ
アを止めた。
デイトロさんと同じように青羽根の整備車両にスカイを格納して
点検と整備を任せたボールドウィンが、水筒から水を飲みながら歩
いてくる。
﹁コト、さっきの銃撃は何だよ。カッコ良すぎんだろ﹂
801
﹁カノン・ディアだ。スカイにも搭載しようと思ったんだが、色々
あって断念した﹂
カノン・ディアは非常に強力な兵器だが、機構がかなり複雑な上
に各種魔法の発動タイミングや強度が非常にシビアで、魔導核に刻
む魔術式が膨大な量になる。
反動も非常に大きく、スカイに搭載するなら右腕か左腕のどちら
かをカノン・ディア専用に作り直す必要があった。
実質的に、精霊人機に搭載するのは不可能だったのだ。専用機ク
ラスの良質な魔導核ならギリギリ容量が足りるだろうか。
説明すると、ボールドウィンはディアを横目に見る。
﹁そんなに良質な魔導核を積んでるのか?﹂
﹁いや、精霊獣機は攻撃魔術を使わない事もあって、魔導核の容量
は余ってるんだ。スカイと同じくらいの質の魔導核を積んでるけど
な﹂
そうか、とボールドウィンが俺の対物狙撃銃を見る。
﹁いいなぁ。かっけぇなぁ﹂
おもちゃをねだる子供みたいな顔してるボールドウィンに苦笑し
て、俺はデイトロさんを見る。
﹁これから、マライアさんたちと合流ですよね?﹂
﹁そうなるね。先にデイトロお兄さんの仲間を町の入り口で回収し
てからになるけど﹂
回収屋が所有するもう一機の精霊人機は街道を来る人型魔物に備
えて町の入り口の防衛に当たっている。
802
港から来る人型魔物の対応に精いっぱいだった町の防衛軍やギル
ドは精霊人機を町の入り口に置いておけなかったのだ。
ミツキが長い黒髪を縛り直しつつ、口を開く。
﹁私たちが奪還作戦でデュラの近くに居なかったら、街道から人型
魔物が来る事にも気付けずに、挟み撃ちが成功してたね。ヨウ君、
髪を縛るの手伝って﹂
﹁後ろ向け﹂
ミツキの背中に回って後ろ髪を縛ってやる。
デイトロさんがディアを見た。
﹁さっきの、カノン・ディアだったっけ? あれは残り何回撃てる
んだい?﹂
﹁もう撃てないです。魔力をかなり消費するので。一応、これから
魔力を込め直して一発撃てるかどうかまで回復させてみますけど、
あまり期待しないでください﹂
カノン・ディアは銃身から炸薬代わりの圧空、更に姿勢制御と反
動軽減を兼ねた遊離装甲の変形魔術など、いくつもの魔術を同時使
用するため、魔力の消費が激しい。
それでも、大型魔物を遠距離狙撃できるというメリットは、精霊
獣機に乗る俺とミツキにとって何にも代えがたい。
デイトロさんは難しい顔で顎に手を当てると、グラマラスお姉さ
んを振り向く。
﹁港を襲っていたギガンテスの中に、首抜き童子がいたかい?﹂
グラマラスお姉さんは首を横に振った。
803
﹁右手薬指が欠損した個体はいなかったね。首抜き童子は街道を進
む一団にいると考えるのが自然だよ﹂
つまり、港側の一団は囮で、本体は街道、という事らしい。
確かに、人型魔物にとっては餌である人間を港側から攻めて追い
払うより、町の入り口から攻めて逃げ場をなくした方が都合が良い
だろう。
人型魔物がどこまで考えているかは謎だけど。
ミツキの髪をまとめ終えて、俺はディアの蓄魔石に魔力を込める。
ミツキも同じようにパンサーへ魔力を込め始めた。
デイトロさんがグラマラスお姉さんから渡された果物の蜂蜜漬け
を口に含み、水で流し込む。レモンの蜂蜜漬けみたいなものだろう。
精霊人機の操縦士はかなり集中力が必要になるため、疲労もたまる。
﹁全快は無理でも、奇襲を掛けるために走り回っても大丈夫なよう
に魔力を込めてくれよ﹂
デイトロさんが注意すると、回収屋と青羽根から了解と声が上が
った。
そうこうしている内に、防衛軍の操縦士と指揮官が近付いてくる。
﹁救援感謝する。ついでにあの雑魚共を締めておいてくれ﹂
指揮官が額に青筋を立てながら、道路の真ん中でへばっている素
人開拓者を指差す。
﹁ギルドに言ってね。デイトロお兄さんはデュラから急いで駆け付
けたんだから、労わってもらいたいよ﹂
片手をひらひらさせて軽薄に笑ったデイトロさんは、防衛軍の操
804
縦士に声を掛ける。
﹁お疲れ様。お悔やみを言いたいところだけど、まだ終わってない
んだ﹂
倉庫前に力なく横たわる操縦席にぽっかりと穴の開いた精霊人機
を痛ましそうに見てから、デイトロさんは続ける。
﹁街道から人型魔物の集団が向かってきてる。デイトロお兄さんた
ちは町を出て森の辺りで迎え撃つけど、かなりの数の撃ち漏らしが
出ると思う﹂
﹁この町を守るのが自分の務めなので、後ろは任せてください﹂
操縦士がデイトロさんに最敬礼する。
任せてくださいと言われても、精霊人機が一機で町の防衛が可能
かと言われると疑問符がついてしまう。
指揮官も同じ気持ちなのか、苦い顔をしていた。
﹁恥を忍んで頼みたい。町に残って防衛できないか?﹂
﹁悪いけど動き回って攻撃する方が得意でね。それに、竜翼の下と
合流できれば、こちらの防衛に回るよう頼んでくるよ﹂
﹁竜翼の下も来てるのか! それはありがたい﹂
拠点防衛に定評のある竜翼の下が来ると聞いて、指揮官が初めて
安堵したように息を吐いた。
俺は魔力を込め終えたディアに跨る。
﹁ヨウ君、一発くらいは撃てる?﹂
﹁どうかな。威力を落とした奴なら撃てるかもしれないけど、でき
れば撃たないで済ませたい﹂
805
パンサーの背にひらりと飛び乗ったミツキに聞かれてあいまいな
答えを返す。
元々、魔力をフル充填したディアで、カノン・ディアを三発撃つ
のが限度だ。戦闘で走り回ればその分、撃てる回数も減る。
﹁俺はゴライアに傷を負わせることに専念するよ。倒している余裕
はなさそうだ﹂
﹁私は魔導手榴弾でゴブリン狩りが主になるかな。ゴライアも巻き
込めたら積極的に狙うけど﹂
方針を決めている間に、レツィアとスカイの整備点検も終わった
らしい。
休憩は終わり、と各自が機体に乗る。
避難が完了して閑散とした町中を走る。
町の入り口で見張りについていた回収屋の精霊人機と合流し、そ
のまま街道をデュラに向けて移動する。
精霊人機が三機、整備車両が二台、それに俺とミツキの精霊獣機
という編成のため、速度はかなり早い。
それでも余裕のある俺とミツキを見て、デイトロさんがレツィア
の拡声器越しに指示をくれる。
﹁奇襲組とひそかに合流して、港の防衛が済んだことと、こちらが
合流を望んでいる事を伝えてきてくれ﹂
﹁分かりました﹂
ひそかに、というからにはファイアーボールを打ち上げて連絡を
取ることはせず、あくまでも奇襲にこだわるという事だろう。
俺はミツキと一緒に森の中へ入り、索敵魔術の反応を確認しなが
らマライアさんたちをさがす。
806
しかし、索敵魔術の反応より先に、マライアさんたちの方から居
場所を教えてくれた。
﹁ヨウ君、あれみて﹂
ミツキが指差す先で砂煙が上がっている。
マライアさんたちが人型魔物に対して奇襲しかけたのだろう。
ディアのレバー型ハンドルを握り込み、加速させる。
腰を浮かせ、前傾姿勢を取りながら、風を切って進む。
高速でディアがぶつかったため、硬く高い衝突音を立てて枝が弾
かれ、どこかへ折れ飛んでいく。
街道へ到着する前に、マライアさんたちを見つけることができた。
﹁鉄の獣! 町はどうなった?﹂
竜翼の下団長、ドランさんが整備車両から質問してくる。
﹁防衛には成功しました。ただ、精霊人機が三機やられて、今町の
防衛に残っているのは防衛軍所有の一機だけです。竜翼の下の救援
を求められてます﹂
﹁被害が大きいな﹂
ドランさんが頭を掻き、横のグラシアを見る。
ただでさえ真っ赤な塗装のグラシアは、夕日を浴びてなお紅く輝
いていた。
しかし、グラシアの隣に佇む飛蝗所有の精霊人機二機のうちの一
機は右ひじから先がなくなり、操縦席のある胸部が陥没していた。
どうやら、ギガンテスの投げつけた石の槍を避け切れず、右腕を
犠牲に威力を殺そうとしたものの胸部にまでダメージが伝わったら
しい。変形した操縦席から足を怪我した操縦士が飛蝗の団員に手を
807
借りて救い出されている。
グラシアから苦々しい声が聞こえる。
﹁こっちも一機、中破してるんだ。首抜き童子と二重肘、あいつら
は聞いていた以上に手強いね。しかも、他のギガンテスが十一体と
も魔力袋持ちだ。腕一本で済んだのは奇跡だよ﹂
ひとまず、回収屋と青羽根の合流を待ってから、竜翼の下を町へ
向かわせるという。
それまでは魔力の補充をしつつ、人型魔物の様子を見るとの事だ
った。
﹁もうすぐ日が暮れる。あいつらが寝てくれれば、こちらも準備を
整えられるんだけどね﹂
望み薄だろうね、とマライアさんがため息を吐く。
港側との挟み撃ちを狙っているくらいだ。足を緩めることはない
だろう。
重量級で足の遅い竜翼の下も奇襲での無理が祟って整備が必要ら
しい。
せわしなく整備士が動き回る中、デイトロさんたち回収屋とボー
ルドウィン達青羽根が合流した。
グラシアからマライアさんが下りてくる。
﹁団長と操縦士は全員集まりな!﹂
マライアさんのいるグラシアの足元に集合する。
﹁港の防衛には成功したが、街道の人型魔物がかなり手ごわい。そ
れに、ここから先は夜戦になる。経験のある者は?﹂
808
マライアさんが挙手を促す。
どうやら、経験がないのはボールドウィンだけのようだ。ただし、
ボールドウィンは開拓学校で夜戦の訓練を積んでいるため、まった
く経験がないともいえないらしい。
﹁ミツキ、今日は満月か?﹂
﹁たしか、十三夜月。満月じゃないけど、近いくらい大きいよ﹂
﹁月明かりも少しは期待できるか﹂
それでも、夜戦は危険が伴う。精霊人機ではどうしても足元が見
えずに転倒リスクが高まるし、不意打ちも受けやすい。
生身のギガンテスたちは転倒しかけても反射的に体勢を立て直せ
るが、精霊人機は熟練者でなければ即座に体勢を立て直すのが難し
い。戦闘中ならなおさらだ。
夜戦で、しかも仕掛ける側とはいえ、有利とは限らないのが魔物
相手の戦闘なのだ。
マライアさんが団長と操縦士を見回す。
﹁さて、そこで提案があるんだ﹂
そう言って、マライアさんは獰猛な笑みを浮かべる。
﹁整備車両をバラさないか?﹂
809
第十話 飛蝗の女帝
﹁よくもまぁ、あんなこと考え付くよな﹂
夜道を慎重に進む人型魔物の集団をスコープ越しに観察しつつ、
ミツキに同意を求める。
双眼鏡を覗き込んでいたミツキが深々と頷いた。
﹁最新の研究資料も読んでる証拠だよ。グラシアを開発したってい
うから操縦士兼研究者だと分かってはいたんだけど、飛蝗の団長と
しての仕事もあるのによく時間が取れるよね﹂
ミツキは片手でパンサーの肩、魔導手榴弾の収納部分を撫でた。
﹁派手好きだよねぇ﹂
﹁だなぁ﹂
しみじみと認識を共有しつつ、俺は引き金を引いた。
スコープ越しに覗く人型魔物の集団、その先頭にいたゴライアが
倒れ伏す。
怒りに燃えた目でギガンテスが周囲を見回すが、かわいそうに、
暗くて俺たちを発見できないようだ。
人間にとって、魔物との夜戦は有利ではない。だが、それは精霊
人機の話だ。
精霊獣機に乗る俺が遠距離狙撃すれば、人型魔物が俺たちの居場
所を特定して反撃に移る前に夜闇にまぎれてしまえる。
夜戦で魔物相手に対物狙撃銃、反則的な組み合わせだ。あるいは
販促的な組み合わせだ。
810
世界に広がれ狙撃手の輪。
などと思いつつ二発目、三発目、四発目、五発目とゴライアへ銃
撃を加えていく。
距離七百メートル、風はなく、月明かりに照らされた街道を歩く
ゴライアはスコープ越しでもかなり不鮮明に見える
だが、俺の放った銃弾は次々とゴライアの頭を撃ちぬいた。
ディアの照準誘導は索敵魔術の応用だ。そして、索敵魔術は遊離
装甲の魔術の応用である。
遊離装甲は周囲に魔力の膜を展開させている。おおもとの魔術で
ある遊離装甲同様、ディアの照準誘導の魔術も魔力の膜を対象物ま
で広げる事で、位置情報をディアにフィードバックしている。
早い話、月があろうがなかろうが、ディアの照準誘導の魔術から
は逃れられないのだ。
無論、明かりがあれば狙撃手である俺の目視でも狙撃対象を狙え
るため精度は高まるから、明かりはあるに越したことはない。
弾倉を交換して、狙撃を再開する。
ゴライアたちもギガンテスたちも、狙撃手を探すより銃弾を防ぐ
方が先決だと考えたのか、街道沿いに石の壁を張り始めた。
石の壁と壁の隙間を狙い撃つこともできなくはないが、今回の仕
事はここまでだ。
﹁次の狙撃ポイントへ移動しよう﹂
﹁石の壁を張れば狙撃手は諦める。ここ、テストに出るよ!﹂
ミツキが人型魔物をびしりと指差し、聞こえもしない念押しをす
る。
苦笑しながら、俺はディアを次の狙撃ポイントへ走らせる。
それは、街道を一キロほど進んだところにあった。
森の中、俺はロックウォールの魔術を発動する。
急ごしらえの狙撃台の上にディアを跳躍させ、スコープを覗き込
811
んだ。
街道までの間にある無数の木々と枝のせいで視界はかなり悪い。
だが、しばらくして現れた人型魔物が鬱蒼とした森に挟まれた道
を悠々と移動する姿は確認できた。
今まで、周囲の枝の密度が高い場所では狙撃を受けなかった。だ
から、この場所を通っている間は狙撃がない、そう考えたのだろう。
残念、不正解。減点となります。
人差し指を少し動かすだけで、ゴライアが死亡する。
こんな場所でも狙撃があるなんて。奴め、どこに居やがる。
そんな心の声が聞こえてきそうなほど狼狽えている人型魔物たち
へ、計五発、お見舞いする。
うろたえる人型魔物を右手薬指が欠損したギガンテス首抜き童子
と肘が二重になっている奇形のギガンテス二重肘が一喝し、率先し
て石の壁を街道の左右に張る。
すると、統率を取り戻した人型魔物たちが石の壁を張り始めた。
﹁よくできました、と﹂
俺は対物狙撃銃を下ろし、肩に担いで、ディアを操作する。
狙撃台を下りた俺は、ミツキと一緒に次なる狙撃地点へ移動した。
次の狙撃地点は海の側から。もとは灯台だったという塔の上だ。
視界は良好。
狙撃を警戒しながら慎重に街道を進む人型魔物たち。
﹁ミツキ、この塔に気付かれた様子は?﹂
﹁大丈夫。ただ、早めに離脱した方が良いとは思うよ。見るからに
怪しいし﹂
ひとまず、一発撃ってみよう。
そんな気軽さでゴライアの命を撃ちぬく。
812
度重なる狙撃でゴライアの数が減っていたが、それでもまだ両手
両足を使っても数えきれない数が残っていた。
ゴライアが一体倒れて、周囲のゴブリンが反応する。
その間にまた一発。
狙撃されているという事実が人型魔物の群れ全体に伝播し始める。
三発目を撃ち込む。
三体目のゴライアが立ち眩みでも起こしたようにふらりと倒れ行
くと同時に、街道沿いに石の壁が乱立した。
狙撃を中止して、俺は素早く塔を下りた。
塔の下で周囲を警戒したミツキが俺を出迎える。
﹁三発?﹂
﹁あぁ、計三発しか撃ちこめなかった﹂
順調に人型魔物は狙撃への耐性をつけている。
俺はミツキと笑い合って、次の狙撃ポイントへ移動した。
人型魔物は学習能力が高い事で知られている。
人が使った魔術を真似したり、街道沿いに村や町がある事を知っ
て行動パターンを変えたりする。
もちろん、門を石の壁で塞がれればそういう魔術がある事を理解
し、真似をする。
そう、人型魔物は知能が高い。
町で拾ったテーブルを盾代わりに手で持って構えて見たり、ロッ
クジャベリンを投擲道具としてだけでなく、自らの足を延長して武
器として使ってみたりする。
だから、石の壁を街道沿いに発動すれば狙撃を防げることを学習
し、それが効果的であることを理解できる。
幾度となく繰り返すうちに、人型魔物たちは狙撃に反応して石の
壁を生み出すようになる。
あたかも、パブロフの犬のように、思考を挟むことなく条件反射
813
で行動するようになる。
狙撃ポイントに到着し、俺は人型魔物が通りがかるのを待った。
しばらくして、通りがかった人型魔物の群れを狙撃する。
たった一発の狙撃で、ギガンテスもゴライアも一斉に街道沿いを
石の壁で防いで見せた。
﹁優秀な生徒を持った感想はどうだ?﹂
ミツキに問いかける。
ミツキは袖で目元を覆って見せた。
﹁もう教える事はないよ。彼らは卒業していくんだね﹂
﹁じゃあ、送り出そうか﹂
天国か地獄か、人型魔物の死後の世界は知らないけど、この街道
の先に待つのは地獄だ。
俺とミツキは森の中を走り抜け、最後の狙撃ポイントに到着する。
待っていたマライアさんたちに仕掛けが完了したことを教えると、
すぐに迎え撃つ準備を始めた。
精霊人機は飛蝗のグラシアともう一機、回収屋のレツィアとさら
に一機、青羽根のスカイ。
そして、港町への移動を後回しにした竜翼の下のガンディーロと
バッツェの姿もあった。
計七機の精霊人機が集結しているというのに、この場に整備車両
や運搬車両は一台も存在しない。
いや、動かすことができないだけでガワだけは存在しているか。
各開拓団が有している全部で十両の車両はすべて蓄魔石と魔導鋼
線を抜かれていた。
抜き出された蓄魔石はすべて飛蝗が所有している一両の運搬車両
の荷台に詰め込まれ、そこから延びた魔導鋼線は街道に向かって伸
814
びている。
青羽根の整備士長が自らの整備車両の助手席で男泣きしていた。
﹁みんなでバイトして買った整備車両がハリボテに⋮⋮ハリボテに
!﹂
ワンワンと泣いている整備士長を他の青羽根の団員が慰めていた。
ボールドウィンはスカイに乗っているため姿が見当たらない。
竜翼の下の整備車両ではこの世の終わりのような顔をしたドラン
さんが整備車両に背中を預けて放心していた。
﹁ギリギリ黒字⋮⋮黒字になるはず﹂
﹁流石は〝飛蝗〟と罵声を浴びせられた開拓団。どの方面にも容赦
がないですね﹂
冷静な振りしてドランさんの隣で眼鏡を押し上げ呟いているのは
リーゼさんだ。でも顔が青い。
飛蝗、それはある種のバッタが群れを成すことで起こす災いだ。
移動先の作物を喰い荒らし、時に被害は人が着る衣服にまで及ぶ。
その飛蝗の名を冠する開拓団は、該当地域のあらゆる魔物を殺戮
し、開拓村を築き上げた。
軍を用いた国の介入すらも退けたその武闘派振りは凄まじく、様
々な開拓団、ギルド、村から魔物駆除の仕事を依頼された。
しかし、この開拓団〝飛蝗〟はあらゆる魔物退治を生業とする開
拓団とは毛色が違った。
すでに自らの手で魔物を駆逐した土地に大規模な開拓村を築き上
げた彼女たちは金銭的な報酬に頓着しなかったのだ。
彼女たちが求めるのはひたすらに、腕が鈍らない事。
あらゆる手段を用いて魔物を駆逐する。そのためなら、たとえ赤
字でも構わない。
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﹁︱︱鉄の獣、獲物が通るよ﹂
獰猛に、すべてを食らいつくす飛蝗の女王が笑った。
﹁攻撃開始だ!﹂
俺が街道を通る人型魔物の群れを狙撃した直後、人型魔物たちは
街道の左右に石の壁を生み出し、壁と壁の内側に密集して身を隠す。
﹁ははは、吹っ飛べ!﹂
操縦者であるマライアさんの高笑いが聞こえたかと思うと、グラ
シアの両腕に飛蝗の絵が浮かび上がった。
直後、蓄魔石が積まれた整備車両の荷台にグラシアが魔術で生み
出した熱湯が注ぎ込まれる。
最新の研究では、蓄魔石は一定温度以上になると魔力の排出量が
上昇すると報告されている。
この蓄魔石の排出量上昇の性質は高価な蓄魔石そのものが融解す
る事からあまり役に立たない発見だと思われている。
だが、それは逆に、蓄魔石を使い捨てる覚悟があれば大量の魔力
を一度に放出させる事が可能だともいえる。
整備車両の荷台にグラシアが注いだ熱湯は中に積まれていた蓄魔
石を瞬時に熱し、融解させ︱︱膨大な魔力を吐き出させた。
蓄魔石に繋がれていた魔導鋼線が魔力の過剰供給による青い火花
をまき散らし、まるで導火線のように魔導鋼線が燃えていく。
青い火花があっという間に森の奥へ消えた。
そして、街道のど真ん中、人型魔物が石の壁を生み出して立てこ
もったその足元に仕掛けられた魔導手榴弾へ青い火花が到達する。
人型魔物の足元で魔力を過剰供給された魔導手榴弾が大爆発を引
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き起こした。
爆風は人型魔物が生み出した石の壁のせいで逃げ場を失い、密集
して立てこもっていた人型魔物の間で荒れ狂い、その熱を逃がす場
所を探しながら火柱となって夜空へ高く打ち上がる。
十両の車両から抜き出した魔導鋼線を繋ぎ合わせて距離を稼いだ
俺たちにまで、熱風が僅かに届き、焦げ臭いにおいを森へ広げてい
く。
グラシアの搭乗口を開いたマライアさんは、眩しいくらいの光に
照らされながら、それはそれはいい笑顔で満足げに頷いていた。
﹁これでゴブリンとゴライアの大部分が焼け死んだ。ギガンテスも
無事じゃあ済まないだろ﹂
マライアさんは魔力切れのグラシアの肩に飛び上がると、精霊人
機の操縦士、さらには部下の戦闘員にまで見えるように大きく右手
を掲げ、首を落とすようなジェスチャーをした。
﹁野郎ども、一匹も逃がすな!﹂
飛蝗の戦闘員たちが雄たけびをあげ、身体強化を施した体で街道
に向けて走り出す。
レツィアが、スカイが、ガンディーロにバッツェ、すべての精霊
人機が街道へ駆け出す。
それ、すべての命を食い殺す飛蝗の如く。
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第十一話 デュラ街道の戦い
爆心地には凄惨な光景が広がっていた。
手足をもがれたゴブリンやゴライアの死骸が転がり、血臭がむせ
るほど漂い、肉の焼け焦げた不快臭と混ざり合っている。
直前まで人型魔物たちが張っていた石の壁のおかげで周囲の森へ
の延焼は免れており、明かりと言えば月が頼りだ。
そんな薄暗い街道で、ほぼ無傷で生き残っているギガンテス十三
体と満身創痍のゴライアたちが理不尽な爆破攻撃に雄たけびを上げ
ている。
戦意は萎えてないようだ。
俺はディアを走らせながら、対物狙撃銃でゴライアを狙い撃った。
木々の梢を縫った銃弾がゴライアに到達し、爆破を耐え抜いた強
靭な体を突き破り、命を奪う。
俺の狙撃を合図にしたように、街道へレツィアが躍り出た。
レツィアが投げつけた大鎌はゴライアの左わきから右肩へと抜け
て、ゴライアの横にいたギガンテスの脇腹に浅く突き立つ。
﹁堅いね、やっぱ﹂
デイトロさんの呟き声がレツィアから漏れる。
鎖を引いて大鎌を手元に戻したレツィア目がけて、ギガンテスた
ちが走り出す。
しかし、走り出したギガンテスの側面を回収屋の所有するもう一
機の精霊人機が強襲した。
ギガンテスの列を割るように食い込んだ精霊人機は剣を大きく薙
いでギガンテスの列を完全に分断する。
ギガンテスが乱入者へ対応しようとした時、青い機体がギガンテ
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スの一体を体当たりで弾き飛ばし、ハンマーを振り抜いて他のギガ
ンテスをけん制した。
ボールドウィンが操る精霊人機、スカイだ。
﹁うわっ。港にいた奴らより頑丈だな﹂
体当たりで弾き飛ばしたはずのギガンテスが受け身を取ってあっ
さりと立ち上がる姿を見て、ボールドウィンが感想を口にする。
直後に開拓団飛蝗の精霊人機が槍を地面と平行に構えて突撃して
きた。
ゴライアを二体串刺しにしてギガンテスへと肉薄した槍の穂先は、
横から飛んできた別のギガンテスの拳にはじかれる。
飛蝗の精霊人機はあっさりと槍を引いて身のこなしも軽やかに森
へ戻った。
森へ戻った精霊人機の操縦者らしき声が聞こえてくる。
﹁兄貴たちお三方はもう魔力残ってないでしょ。二体ほど釣ってこ
こを離れてください﹂
﹁助かるよ。少数ずつ切り取る作戦でいこう﹂
デイトロさんが答えると、レツィアが街道をデュラ方面へ移動す
る。
レツィアを追い駆けたギガンテスは三体。回収屋の精霊人機も後
を追う。
遠ざかるデイトロさんがレツィアの拡声器越しに指示を飛ばして
きた。
﹁スカイはギガンテスをこちらに近付けないように足止め、アカタ
ガワ君たちはスカイの後ろからゴライアを始末するんだ。スカイの
周囲に並みの歩兵は近づけないからね﹂
819
さすがに特性を良く分かっているデイトロさんの指示に従って、
街道に仁王立ちするスカイの後ろに回り込む。
﹁もうゴブリンがいないから、私はあんまり役に立たないんだけど﹂
ミツキがつまらなそうに呟く。
爆破の影響でゴブリンは全滅したらしく、残っているのはギガン
テスとゴライアだけだ。
用意していた魔導手榴弾も爆破作戦でほとんど使い切ってしまっ
たため、あと三発ほどしか残っていない。
﹁ミツキは集団のゴライアに対処してくれ。狙撃だとどうしても集
団を一度に仕留め切れない﹂
言ってる側から、三体のゴライアがスカイの足に抱き着いて動き
を封じようと腕を大きく開いて走ってくる。
ゴライアの後ろからギガンテスが一体ついてきていた。ゴライア
がスカイの動きを封じた直後に攻撃するつもりらしい。
﹁ボールドウィン、ギガンテスにだけ注意しろ!﹂
﹁おぅ、コトたちはゴライアを頼んだ﹂
ハンマーを構えるスカイを視界の端に捉えつつ、先頭を走るゴラ
イアの右太ももを狙撃する。
身体強化をしていた事もあって足ごと吹き飛ぶという事はなかっ
たが、それでも明らかに速度が落ちて後続のゴライアともども渋滞
を形成する。
渋滞で密になったゴライアの足元を爆破するべく、ミツキが魔導
手榴弾を放り上げた。フワフワとパンサーの頭上に魔導手榴弾が浮
820
かぶ。
だが、一直線に投げつける事は出来ない。
スカイの周りには突風が吹いているため、風に流されることも考
慮する必要があるからだ。
﹁誤爆はやめてくれよ?﹂
スカイのカメラにも、ミツキが魔導手榴弾を準備する姿が映った
のだろう、ボールドウィンが声をかけてくる。
先ほど、人型魔物を吹き飛ばした火柱を見ただけに心配なのもわ
かる。
﹁心配するな。誤爆してもスカイには効かない﹂
誤爆するつもりもないけどな。
ミツキがパンサーの肩に手を伸ばし、ボタンを押す。
直後、パンサーの上の魔導手榴弾が回転しながら森のほうへ飛ん
で行った。
しかし、魔導手榴弾はスカイの横に到達すると方向を変えてスカ
イの向こうにいるゴライアたちへ飛んでいく。
カーブしたのだ。
急激にカーブしてスカイを迂回した魔導手榴弾はゴライアたちの
足元に着弾し、爆発、ゴライアの足を吹き飛ばした。
ただでさえマライアさんの主導による大爆発を受けた後で満身創
痍のゴライアたちはかろうじて手放していなかったその命を散らし
ていく。
三体のゴライアの屍を乗り越えながら、ギガンテスは目を殺意と
闘志で爛々と月夜に輝かせ、まずは正面の青い邪魔者を排除しよう
と拳を繰り出す。
ギガンテスが突き出すその拳の先にはアイシクルを変形させたと
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思わしきナックルが嵌められていた。
体温を持たない鋼鉄の巨人である精霊人機が受け止めればたちま
ち凍りつき、動きを阻害されるだろうその拳は、
﹁︱︱補佐が仕事だからな﹂
俺が狙撃で打ち砕いた。
アイシクルでできたナックルが砕け散り、ただの裸の拳となった
それに対して、スカイは防御もせずハンマーを構える。
それは、自らの防御力に対する絶対的な信頼から来る、反撃の構
え。
ギガンテスの拳が空を裂き、スカイの表面に浮かぶセパレートポ
ールにぶつかる。
次の瞬間、セパレートポールの内側に生み出された圧縮空気が破
裂して衝撃を完全に殺しきった。
まさか一切効果がないとは思わなかったのだろう。ギガンテスが
驚愕に目を見開く。
﹁ほら、お礼だ!﹂
ボールドウィンが勇ましく言ってハンマーを振る。
ギガンテスが慌てて距離を取ろうとした。素晴らしい反射神経だ。
並みの精霊人機が振るうハンマーなら余裕を持って避けられただろ
う。
だが、スカイのハンマーは並みの精霊人機とは比較にならない速
さで振るわれる。
圧空の魔術で生み出された指向性のある突風を受けて、ハンマー
は回避途中でバランスの崩れているギガンテスの右肩を砕く。
バキバキと音を立てながら右肩を砕かれたギガンテスが左によろ
ける。
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振り抜いた体勢のスカイを見て、次の攻撃が来るまでに余裕があ
ると考えたらしく、右肩の骨折も気にせずに左拳を固めて突き出し
た。
しかし、スカイのハンマーは振り抜いた後の硬直が極端に短い。
圧空の魔術が発動しハンマーを持ち上げ、ギガンテスの反撃の左
拳を側面から叩きあげた。
右肩を骨折し、左拳を側面から砕かれたギガンテスは苦し紛れに
蹴りを放とうとする。
しかし、スカイがショルダータックルを繰り出す方が早かった。
体当たりによって発動した遊離装甲、セパレートポールによるシ
ールドバッシュがギガンテスを正面から襲う。
吹き飛んだギガンテスは後方のゴライアを巻き込んで激しく転倒
し、血を吐いてのたうった。
シールドバッシュを正面から受けたために肋骨が折れ、肺にでも
刺さったらしい。
スカイは慈悲もなくハンマーを振り下ろし、転倒しているギガン
テスの頭を叩き潰した。
﹁︱︱まず一匹!﹂
ボールドウィンが張り上げた声の意味は分からずとも、頭を砕か
れた仲間の死骸にギガンテスたちが怒る。
その時、左右の森が揺れた。
ギガンテスたちを挟んだ向こう側に、竜翼の下の重装甲精霊人機
ガンディーロとバッツェが現れた。
全長七メートルの精霊人機が全身を隠せるほど巨大なタワーシー
ルドを前面に押し出し、街道の左右の森から飛び出した竜翼の下の
精霊人機たちはスカイに気を取られていたギガンテスを挟み撃ちに
する。
タワーシールドの裏から繰り出した長剣でギガンテスを斬り殺し
823
た竜翼の下の二機がタワーシールドを構えて街道に陣取った。
ちょうど、スカイと竜翼の下の精霊人機でギガンテスを挟み撃ち
にした形だ。
この場には残り八体のギガンテスがいる。ゴライアはまだ十体ほ
どいるが、すでに重傷を負っていて動きが鈍くなっていた。
動きの鈍いゴライアたちは、ギガンテスの目をかいくぐって森の
中から飛蝗の戦闘員が放った投げナイフの形をしたアイシクルに足
を凍りつかされ、続いて放たれたロックジャベリンで少しずつ数を
減らしている。
脅威となるのはほぼ無傷で残っているギガンテスたちだ。
ギガンテスたちもスカイと後ろのガンディーロとバッツェに対応
するべく四体ずつの二手に分かれ、背中合わせになっている。
と、そこへ森の中から槍を持った飛蝗の精霊人機が飛び出し、攻
撃を仕掛けた。
スカイたちにギガンテスの注意が分散したところを狙い澄ました
不意打ちだ。
しかし、ギガンテスのうちの一体が不意打ちを読んでいたように
素早くロックジャベリンを手元に出現させ、力任せに振った。
飛蝗の精霊人機が間一髪で気付いて槍を合わせる。
硬質かつ重量級の物体がぶつかり合う、鈍い音が大きく響く。
ロックジャベリンを握っているギガンテスの右手には薬指がなか
った。
﹁首抜き童子だ!﹂
精霊人機から声がする。
精霊人機を援護するべく、森の中から飛蝗の戦闘員が生み出した
ロックジャベリンが飛んだ。
しかし、首抜き童子は力任せに精霊人機を押し返すと身を屈めて
ロックジャベリンをやり過ごし、更には足元にロックウォールを展
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開した。
屈めていた体を起こすと同時に全身のバネを使って跳び上がった
首抜き童子は、先ほど生み出したばかりの石の壁に片足をかけて踏
切台とし、さらに高く跳躍する。
跳躍した首抜き童子の手には、巨大な氷の斧が握られていた。
精霊人機の頭越しに森の中を睨んだ首抜き童子は、巨大な氷の斧
を力任せに森へと投げ込む。
森の中へ巨大な氷の斧が落ちると、強烈な冷気が吹き抜け、森の
一部を凍りつかせた。
森の中に潜む、ギガンテスにとってはちっぽけな生身の人間を一
瞬で無力化したのだ。
確かに、精霊人機と戦いながら森の中の人間を一人ずつ倒すより
はるかに効率的だろう。
他のギガンテスとは魔術の特性に対する理解力が段違いだ。
さらに、首抜き童子ほどでなくともギガンテスは知能が高い。
首抜き童子の行動を食い入るように見ていたギガンテス一体が、
手元に巨大な氷の斧を生み出していた。
﹁頭上に壁を展開しろ!﹂
森の中から飛蝗の戦闘員の声がする。
ギガンテスが大きく振りかぶって森に氷の手斧を投擲した。
一瞬で森の一部が凍りつき、その一帯にいた飛蝗の構成員がとっ
さに生み出した石のドームをも凍らせる。
首抜き童子が魔術の使用方法を考え、それを他のギガンテスが真
似をしたのだ。
﹁首抜き童子を最初に倒した方が良いね﹂
﹁あぁ、そうしたいのは山々だけど﹂
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首抜き童子はギガンテスたちの真ん中あたりにいる。
そしていま、俺たちの前、スカイの正面にはもう一体の厄介なギ
ガンテス、二重肘が仁王立ちしていた。
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第十二話 首抜き童子
二重肘がロックジャベリンを〝履いて〟蹴りを放つ。
改造セパレートポールと圧空を用いたスカイの防御の前に、二重
肘が脚につけたロックジャベリンは衝突した直後に砕け散った。
スカイの防御力であれば、二重肘のロックジャベリンを用いた攻
撃も効果が薄い。
だが、スカイのそばにいる俺たちにとっては堪ったものじゃなか
った。
砕け散ったロックジャベリンの破片が降り注いでくる。
俺はディアの角に隠れ、ディアの胴体でパンサーとミツキを守る。
パンサーは伏せの状態で姿勢を低くし、ミツキもディアの体の陰に
完全に隠れるようにして降り注ぐ破片をやり過ごした。
﹁ヨウ君、離脱するよ!﹂
﹁言われなくても!﹂
二重肘の攻撃の合間を縫って、全力でスカイと二重肘の戦闘から
距離を取る。
スカイはハンマーを使って二重肘に反撃しているが、ことごとく
避けられていた。
二重肘の反射神経が他のギガンテスの比ではないのだ。
一対一では分が悪いが、かといってほかの精霊人機も手が空いて
いない。
ミツキと一緒に一度森の中へ避難して、戦場を見る。
ギガンテスが八体、しかも首抜き童子と二重肘がいる。どちらも
精霊人機と一対一で勝負しており、他のギガンテス六体が竜翼の下
の精霊人機二機へ殺到していた。
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竜翼の下は元々防衛戦が得意な開拓団でもあり、重装甲を頼みに
六体のギガンテスの猛攻に耐えながら少しずつ街道を移動していた。
ギガンテスの集団を引きつけて手強い首抜き童子や二重肘を飛蝗
の戦闘員の援護を受けた精霊人機で倒すつもりだろう。
人間の攻撃では例え魔術を使っても大型魔物であるギガンテスた
ちに効果がないが、それでも目くらましなどで精霊人機が戦いやす
く援護を行う事は出来る。
森に入った事で、飛蝗の戦闘員が首抜き童子たちの行動を阻害で
きるように動き始めているのが分かった。
こればかりは俺たちの手には負えない。
ひとまず戦場となっている街道から離れ、森の中に姿を隠した俺
とミツキは武装を確認する。
魔導手榴弾が二個に対物狙撃銃の弾が十発。自動拳銃はまだまだ
銃弾に余裕があるものの、中型、大型の魔物しか残っていない現状
では役に立たない。
﹁狙撃するしかない気がするな﹂
﹁ゴライアだけでも始末をつけておくの?﹂
ミツキの疑問に頷きで返して、対物狙撃銃を構える。
残っているゴライアは七体。精霊人機の動きを阻害しようと氷の
手斧を投げているゴライアに鉛玉を一発ずつプレゼントしていく。
俺の姿は見つけられずとも、潜んでいる方向には気付いたらしく、
ゴライアが石の壁を生み出した。
しかし、狙撃に気を取られたゴライアの背中に、飛蝗の戦闘部隊
が次々とロックジャベリンを撃ち込んで殺していった。
動きやすくなった精霊人機たちだが、依然としてギガンテスの数
に押し負けている。
というか、負けるんじゃないのか、これ。
スカイを操るボールドウィンの腕も、飛蝗の精霊人機操縦者の腕
828
も悪くないはずだが、首抜き童子と二重肘は魔術を織り交ぜながら
翻弄している。
俺は打開策を模索しながら、しばらく観察に徹した。
﹁目晦ましを警戒しているような気がするね﹂
ミツキに言われてみれば、首抜き童子や二重肘は定期的に火球を
生み出す魔術を使用していた。攻撃目的ではなく、牽制に放つよう
な大きさも勢いもない火球だ。
ミツキと一緒にデイトロさんたち回収屋の依頼に同行した時、デ
ュラで回収屋とはぐれる直前に首抜き童子が放っていた火球の魔術
と同種の物だろう。
月夜の中で度々放たれるその火球は、周囲を照らすことで飛蝗の
戦闘員の位置を探りつつ、不意に光の魔術などをぶつけられても明
順応しやすいよう目を慣らしているようにも見えた。
なおも観察を続けていると、ようやく打開策も見えてくる。
﹁相手を入れ替えた方が良いな﹂
﹁だね。スカイが首抜き童子の相手をした方がよさそう﹂
首抜き童子は魔術を織り交ぜた近接格闘を主体にしており、飛蝗
の精霊人機の槍の間合いに飛び込んで一方的に攻撃を繰り出してい
る。首抜き童子の攻撃を避け、あるいは槍の柄で巧みにさばいてい
る精霊人機の操縦技術は卓越したものだが、どうしても攻撃に転ず
ることができずにいる。
一方、スカイはと言えば、ハンマーを振り回しても二重の肘と石
の壁を利用した威力相殺とで攻めを無効化され、二重肘のロックジ
ャベリンを履いた足技で距離を稼がれてしまって体当たりによるシ
ールドバッシュもできずにいる。
格闘戦ができる首抜き童子の相手をスカイが、ロックジャベリン
829
を利用して中距離から攻撃する二重肘は槍を使う飛蝗の精霊人機が、
それぞれ相手をした方がよさそうだ。
直接戦っているスカイたちもそれを理解しているらしく、互いの
邪魔にならないよう距離を測りながら、相手を入れ替える機会をう
かがっている。
﹁どうやって相手を入れ替えるかが問題だね﹂
首抜き童子たちも相性の良さを理解しているらしく、隙を作らせ
ようとしない。
やはり、首抜き童子と二重肘だけはギガンテスの中でも頭のよい
個体なのだろう。
隙の作り方を考えていると、隣でミツキがごそごそとパンサーの
収納スぺ︱スから何かを取り出した。
何を取り出したのかと思えば、ミツキが持っていたのは魔導核を
書き換えるときに使用する道具一式だった。
﹁なにか思いついたのか?﹂
﹁隙を作るだけで倒さなくてもいいなら、やりようはあるかなと思
って﹂
そう言って、ミツキは残っていた魔導手榴弾を分解し始めた。
いくつかのねじを外せば魔導核が顔を出す。
﹁爆発が効果なくて、目くらましも利きそうにないなら、まぶたを
閉じたままにしてみようよ﹂
﹁あぁ、そういう作戦か﹂
ミツキの考えが分かって、俺はミツキの作業を見つめる。
書き換えるのは爆発させるためのフレイムボムの魔術式だ。
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手早く書き換えて魔導核を戻し、ふた代わりのカバーを閉じてね
じを回す。
即席だが、きちんと発動するはずだ。少なくとも、魔術式に間違
いはなかった。
﹁後は投げるタイミングなんだけど﹂
﹁俺が狙撃で二重肘の右目を狙う。銃声が聞こえたらすぐに投げつ
けろ﹂
﹁オッケー﹂
ミツキは気軽に返事をして書き換えた魔導手榴弾改を宙に放る。
魔導手榴弾をフワフワと浮かせたまま、ミツキがパンサーを走ら
せた。
俺は対物狙撃銃をディアの角に乗せる。
残弾は少ないが、この距離なら外すこともない。
ミツキが配置についたのを確認して、俺はスコープ越しに二重肘
を観察する。
銃弾を撃ち込む一瞬の隙さえあればいい。
スカイがハンマーを横に薙ぎ、それを二重肘がロックジャベリン
を履いた足でミドルキックを放って相殺した瞬間、俺は引き金を引
いた。
音速を超えた弾丸は狙い過たず二重肘の目玉をとらえた。
しかし、ただでさえ頑健な体に身体強化を強く施した二重肘は砂
でも入ったようなしぐさで目玉を軽く閉じた。
そこへ、ミツキの魔導手榴弾改が投げつけられる。
スカイの足と足の隙間を通り、俺が銃弾を撃ち込んだせいで一時
的に瞬きが多くなった右目側の死角を的確に通る、カーブする魔球
だ。
時速百キロ以上で投げつけられた魔導手榴弾改が二重肘の顔面に
直撃する。
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魔術式を書き換えていなければまったく効果のない爆発を見舞っ
て終わりだったであろうその魔導手榴弾は、次の瞬間、二重肘の右
目周辺を氷で覆った。
魔導核に刻んでいた魔術式をフレイムボムからアイシクルへ書き
換えたためだ。
突然右目の視界を閉ざされた事で、二重肘に一瞬のすきが生じる。
スカイが素早くハンマーを振り抜いて二重肘をけん制しつつ、走
り出す。
スカイは槍持ちの精霊人機と交戦中の首抜き童子へと側面から攻
撃を仕掛けた。
しかし、首抜き童子はその巨体からは想像もつかない俊敏な動き
でスカイのタックルを躱し、後ろへ飛び退く。
槍持ちの精霊人機はこの隙を逃さずスカイの後ろへと回り込み、
二重肘と相対した。
﹁ホウアサさん、お見事!﹂
ボールドウィンがミツキを褒めつつ、首抜き童子へしつこく体当
たりを仕掛けた。
街道が狭い事もあって、首抜き童子はスカイの体当たりをやり過
ごすために魔術で牽制しながら退くしかない。
首抜き童子と二重肘の距離が開き、槍を振り回すだけの空間がで
きたとみるや、飛蝗の精霊人機が猛攻を開始する。
右目の視界が利かない二重肘へしつこく死角から槍で攻撃する精
霊人機を援護するように、飛蝗の戦闘部隊がロックジャベリンなど
を放って二重肘の足を狙った。
二重肘はしつこく足元を狙われるせいで得意の足とロックジャベ
リンを使った攻撃を繰り出せず、右側からの攻撃に防戦一方となる。
精霊人機と戦闘部隊の連携は密に展開されており、俺が不用意に
狙撃で参加しても邪魔になるだけだ。
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﹁コト、こっちに手を貸してくれ! そろそろ魔力が切れる!﹂
スカイから焦ったようなボールドウィンの声がする。
無理もない。途中で何度か魔力を補充して誤魔化しながらやって
きたが、港町まで行って港の防衛戦に参加した後、マライアさんた
ちと合流、その後にこの激しい戦い。
如何にスカイの平常時の魔力消費が少なくとも、まともに魔力を
補充せずに魔力袋持ちの大型魔物を相手に転戦すればガス欠にもな
る。
それに、魔力が心もとないのは俺とミツキも同じだった。
﹁ミツキ、右から回れ!﹂
﹁分かった。足元を崩す作戦で!﹂
﹁了解!﹂
短く作戦を組み立てて、俺はミツキとは反対側、首抜き童子の左
側に回り込み、ディアの背中からアイシクルを放つ。
氷の矢の形をしたアイシクルは首抜き童子の足元の地面を瞬く間
に凍らせる。
だが、首抜き童子は着地後すぐに飛び退るなど、一所に足を落ち
着けて地面ごと凍らされないように立ち回っていた。
こちらの考えを見透かしているようだ。
﹁ヨウ君、このまま進むと竜翼の下にぶつかる!﹂
街道沿いに進んでいけば、他のギガンテス六体を引き連れて交戦
している竜翼の下の戦場に首抜き童子を連れて行ってしまう。
﹁ボールドウィン、これ以上押し込むな!﹂
833
通常の精霊人機ではありえない速さでハンマーを自在に操り、首
抜き童子を無理やり下がらせているスカイに声を掛ける。
﹁ちっ、一気に仕留めたかったんだが⋮⋮﹂
ボールドウィンが拡声器越しに悔しそうな声を零した。
何はともあれ、ここで腰を落ち着けて首抜き童子の相手をすれば、
二重肘を仕留めた飛蝗がやって来るはず。
しかし、俺たちの考えをあざ笑うように、首抜き童子は挑発的に
スカイを見つめながらじりじりと後退を始めた。
﹁こいつ、攻撃を誘ってやがる﹂
スカイが仕掛けてこないのならば、このまま身を翻して竜翼の下
の戦場へ駆けこもうという意思を首抜き童子はこれ見よがしに見せ
てくる。
俺たちを手玉に取ろうとしているのだ。
だが、悔しい事に仕掛けざるを得ない。
いま首抜き童子を行かせてしまうと竜翼の下でも耐えきれなくな
る可能性が非常に高い。
スカイがハンマーを構えると、首抜き童子が後ろに大きく飛んだ。
﹁狡猾だ、な!﹂
スカイが大きく踏み込み、ハンマーを横に振り抜く。
首抜き童子はやはり、距離を測りながら後退していく作戦らしい。
堂々巡りだ。しかも、巡り巡った先には竜翼の下がいる。そうな
れば戦況が人間側の不利となる。
戦場を俯瞰した戦術眼とも呼べるものを、首抜き童子は確かに有
834
していた。
いまのスカイの残存魔力では、首抜き童子と他のギガンテスが合
流した場合に反撃を受ければ、すぐに機能停止に追い込まれる。セ
パレートポールや圧空を用いたスカイの防御力は確かに高いが、魔
力を大きく消費する欠点がある。
首抜き童子とギガンテスたちを合流させるわけにはいかない。
俺は対物狙撃銃を構え、首抜き童子を狙った。
スカイが大上段から振り下ろしたハンマーを首抜き童子が後ろに
退いて避けた瞬間、俺は引き金を引いた。
爆発音がして、首抜き童子の額に銃弾が当たるが、傷一つ付かな
かった。
この距離から撃っても首抜き童子には全く効果がないらしい。
しかも、首抜き童子は対物狙撃銃の銃声を聞いた途端ミツキの動
きを横目で確認していた。二重肘が右目を塞がれるまでの一部始終
を見て学習し、ミツキを警戒しているらしい。
たった一度で攻撃の流れを学習する。本当に頭のまわるギガンテ
スだった。
首抜き童子に見せた戦術はもうだめだ。対処されると考えて、今
まで見せていない戦術を使っていくしかない。
俺はディアの残存魔力を測り、決断する。
﹁一か八か、カノン・ディアを劣化版で撃つ﹂
カノン・ディアは真空砲塔内で圧空を複数発動する多薬室砲だ。
つまり、真空砲塔内で発生させる圧空の数を減らせば、威力が落
ちる代わりに魔力消費量が少なくなる。
﹁おそらく、倒すのは無理だ。だが、傷くらいは負わせる。できた
隙を見逃さずにハンマーを叩き込めるか?﹂
835
スカイを見上げて問いかける。
﹁なるべく早く頼む。もう残りの魔力はいくらもない﹂
﹁俺は狙撃地点に回る。ミツキ、スカイの援護を頼む﹂
﹁頼まれたから行っておいで!﹂
ミツキたちに一時の別れを告げて、俺はディアの索敵魔術をオフ
にする。もう魔力を無駄使いできない。
森の中を疾走し、街道の先へ出る。竜翼の下が戦っているらしい
戦闘音が僅かに聞こえてくるが、まだ首抜き童子とスカイやミツキ
の姿は見えない。
俺はディアから降りて腹のレバーを引き出し、ディアの背に乗っ
てカノンディアを撃つ体勢に入る。
少しでも魔力を温存するため、ぎりぎりまで真空砲となる石の銃
身は出現させない。
街道の先に首抜き童子が現れる。その向こうにはスカイと、森と
街道のはざまを縫って首抜き童子にアイシクルを撃ち込み牽制する
ミツキとパンサーの姿。
俺は息を細く吐き出しながらカノン・ディアを発動させた。
強く身体強化を施している首抜き童子に、劣化版のカノン・ディ
アがどれほどの効果を発揮するのかは分からない。
それでも、これに賭けるしかないのだ。
﹁行くぜ、相棒﹂
鋼鉄のシカからの返事はない。
それでも、俺は何かに勇気づけられながらカノン・ディアを発動
させる。
ロックジャベリンを変形させた高度な魔術式による真空の銃身が
生み出され、対物狙撃銃に連結される。
836
激しく動き回ってスカイの魔力切れを誘う首抜き童子に、俺は今
までの経験を総動員して狙いを定める。
魔力消費を抑えるため、照準誘導の魔術は使用できない。
大丈夫だ。外れることはない。
今までだって、俺は外さなかった。
いつも通りに狙って撃てばいいだけだ。
慎重に狙いを定める時間はない。魔力がないから試射もできない。
スカイが俺へ頷き、ハンマーを上段に構える。
隙だらけのスカイに、反撃の時来たれりとばかりに踏み込んだ首
抜き童子に銃口を向けて、俺は引き金を引いた。
轟音が大地を、森を揺らす。
俺の放った銃弾は首抜き童子の背中に吸い込まれ、貫通して腹部
から飛び出した。
﹁ガアアッ﹂
首抜き童子が初めて悲鳴らしい悲鳴を上げる。銃弾が飛び出した
腹部は侵入口である背中よりもずっと大きく傷口が開き、血が噴き
出した。
﹁スカイ、やれ!﹂
俺は声を張り上げる。
腹部の貫通銃傷を片手で押さえ、首抜き童子がしまったとばかり
にスカイを見る。
しかし、スカイはハンマーを頭上に掲げたまま、微動だにしなか
った。
スカイの周囲を漂っていた遊離装甲、セパレートポールが支えを
失ったように落下する。
いや、事実、セパレートポールは支えを失っていた。
837
スカイの魔力が切れたことによって、遊離装甲を維持する魔力膜
が消失したのだ。
﹁⋮⋮嘘だろ、おい﹂
首抜き童子がゆっくりと立ち上がる。
動作の緩慢さが腹部の怪我に起因するものではない事はすぐに分
かった。
首抜き童子はスカイが動けなくなったことに気付き、勝利を確信
しているのだ。
首抜き童子がスカイの頭に手を伸ばす。いつもの獲物に対してす
るように、首を引き抜こうとしている。
首抜き童子の指が動くことのできないスカイの頭に触れた時︱︱
生肉がはじけ飛ぶ、湿って重く鈍い音がして、首抜き童子の腹が
爆発した。
﹁︱︱残り物には福があるのよ﹂
ミツキの声は首抜き童子に聞こえただろうか。
傷口へ正確に投げ込まれた正真正銘最後の魔導手榴弾に臓腑をめ
ちゃくちゃにされ体内を焼かれた首抜き童子は執念を込めた指先で
スカイの頭にくっきりと指の跡をつけ、息を引き取った。
838
第十三話 鉄の化け物
首抜き童子を倒した時点で魔力切れとなった俺たちは戦線の離脱
を余儀なくされた。
その後の討伐作戦は順調に進んだらしい。
二重肘は飛蝗の戦闘部隊が連携して放ったアイシクルによって関
節を凍りつかされ、動きを大きく阻害されたところ精霊人機の槍で
突かれて死亡。
回収屋のレツィアともう一機が相手をしていたギガンテス三体も
レツィアの大鎌に翻弄されたところを一体ずつ精霊人機が長剣で斬
り伏せたらしい。
魔力の余裕がなかった回収屋の二機はそれでも竜翼の下の救援に
向かった。
途中で飛蝗の精霊人機と合流し、六体を同時に相手取りながら戦
略的撤退を図っていた竜翼の下と合流した。
首抜き童子、二重肘と言った知能の高い二体の指導者が相次いで
討伐された事で、ギガンテスたちの戦闘方法がパターン化され、対
処は楽だったとの事だ。
最終的に、人型魔物の一団は夜の内に殲滅が完了した。
そんなわけで、いま俺たちは港町へ帰還するための作業を始めて
いた。
﹁また魔導手榴弾を作らないと﹂
ミツキがパンサーに魔力を込めつつ、消費した弾丸類の一覧を片
手で作成する。
﹁新しい使い方も思いついたし、パンサーの格納部を増やしたりも
839
したいな﹂
ミツキがパンサーの肩にある魔導手榴弾の格納部を見る。
今回のような大規模な戦闘はもうないだろうといいたかったが、
俺たちはこの後防衛拠点ボルスに赴いてリットン湖攻略戦に参加す
ることになっている。
リットン湖周辺の魔物は先のボルス防衛戦で数を減らしているは
ずだが、今はどうなっているのやら。
備えておいて損はないだろうという事で、パンサーの大型化を視
野に入れて予定を組む。
﹁それにしても、満身創痍って感じだな﹂
俺は広場を見回す。
まず、車両がすべて動かせなくなっている。マライアさん発案の
大爆発作戦で蓄魔石を溶かしてしまったため、燃料がないどころか
燃料タンクそのものがないのだ。
そして、精霊人機はほとんどすべてが魔力切れ。竜翼の下の精霊
人機二機なんて、片腕がなくなっていたり、全体に細かい傷が無数
に入っている。ギガンテスにタワーシールドを割られたとドランさ
んが嘆いていた。
戦闘員の被害もひどい。死者が多数出ており、重傷者も多い。簡
易的な治療を施した後、港町から車を回してもらって、病院へ搬送
された。
整備士たちも魔力供給その他で疲れがたまり、動かない整備車両
の中で仮眠を取っている。
いまならゴライアが二体くらいやって来るだけで壊滅しそうな雰
囲気だった。
﹁鉄の獣、魔力の充填は終わったかい?﹂
840
マライアさんがやってきて、ディアの蓄魔石を覗き込む。
﹁もうちょいかかるか。町に戻って、魔力袋の下処理ができるよう
にギルドへ声をかけてもらいたいんだけどね﹂
﹁町へ行くだけなら問題はないですよ。魔力袋の数はどれくらいな
んですか?﹂
質問すると、マライアさんの後ろに控えていた大男が紙の束を出
してくる。
﹁今回の戦果報告だ。まぁ、一次報告だから、詳しくは聞き取り調
査の後でってことになるだろうけどね。魔力袋持ちの討伐数に関し
ても書いてある。下処理の準備をさせるだけなら、この報告書の内
容で足りるはずだ。ダメなら、ギルドから人をこっちに出させな﹂
渡された紙をミツキと一緒に覗き込むと、ずらりと人の名前が並
んでいる。所属や得物、討伐数などが記載されていた。
こうしてみると、人型魔物がいかに多かったか良く分かる。
ちなみに、マライアさんの発案で大爆発を引き起こして、ゴブリ
ンとゴライアを一掃した分の戦果は備考欄にまとめてあった。吹き
飛んだ魔物に関しては現在調査中らしい。
﹁とにかく、魔力袋が多すぎるんだ。特に、首抜き童子と二重肘の
分は専用機を作れるかもしれない﹂
﹁あいつらだけ群を抜いて強かったですもんね﹂
とりあえず、魔力袋の下処理の準備を頼むため、俺はミツキと一
緒に立ち上がった。
841
﹁俺たちは町に戻ったら、ギルドに寄ってそのまま帰るので、何か
あったら家の方に連絡をください﹂
﹁あぁ、分かった。ギルドに行ったら、ついでに倉庫を予約してお
いてくれないかい?﹂
﹁了解です﹂
マライアさんたちと別れ、俺たちは精霊獣機にまたがって町へ引
き返した。
町は上を下への大騒ぎになっていた。
避難していた住民が戻り、家財道具の確認をおこなっていたり、
港での戦闘で倒した魔物の死骸の処理に追われていたり。
かとおもえば、人型魔物が駆逐された事でデュラの復興の目途が
立ったことで浮かれていて、復興資材の発注を掛けるべくあちこち
の商会から人が出たり入ったり。
デュラの住人達はようやく帰宅できると喜び合いながらも生活す
るための道具を買いそろえようとしていた。
だが、避難するためとはいえ一時的に町から住人が消えたため、
あちこちで火事場泥棒があったらしい。そして、火事場泥棒として
疑われ、白い目を向けられているのは︱︱デュラの人々だった。
町の住人が避難している間、この町に残っていた者には食い詰め
て開拓者となったデュラの住人達が多かった。つまり、動機があっ
て、アリバイがないのだ。
肩身が狭そうにしながら、デュラの住人らしき一団が通りを歩い
ている。
俺たちは彼らとすれ違ったが、嫌味や罵声が飛んでくることはな
かった。
いま、この町でデュラの住人が攻撃的な姿勢を示せばどうなるか。
当然、火事場泥棒したのではないかという疑いは強くなる。
まぁ、俺たちには関係のない事だ。
そう思っていたのだが⋮⋮。
842
﹁︱︱火事場泥棒の嫌疑? 俺たちに掛けられてるんですか?﹂
戦果報告の書類を出して魔力袋の下処理の準備を頼んだり、倉庫
を頼んだりと言った諸々の手続きを済ませていると、ギルドの係員
は声を落として俺たちに教えてくれた。
﹁えぇ、アカタタワさんたちが民家に出入りしているのを見たとい
う方がいらっしゃるそうで﹂
﹁それなら、その証言者が犯人か、さもなければ犯人を知っていて
庇っているかのどちらかだと思いますよ。そうでもなければ、偽の
証言をする意味ってあまりないですし﹂
手続き書類に名前を記入しながら言い返すと、係員は苦笑した。
﹁アカタタワさんたちの実力なら、民家に盗みに入るより大型魔物
を狙撃した方が儲かりますよね﹂
港でギガンテス二体を射殺した事はすでに伝わっているらしい。
ギルド内を見回せば、同情的な視線を俺たちに注いでくる開拓者
たちがちらほら見つかった。デュラ偵察依頼の時に素人を必死で纏
めていた二人の凄腕開拓者もいる。
デュラ出身ではない彼らは、俺とミツキが民家に盗みに入るはず
がないと理解しているらしい。
﹁それで、証言者はどうなるんですか?﹂
﹁ふつうは自分たちがどうなるかを気にしませんかね﹂
なんとなく諦めたように笑いながら、係員はギルドの天井を仰い
だ。
843
﹁やりすぎですからね。証言を突き合わせるという名目で防衛軍の
方に拘束していただきました。依頼を何度も失敗していて金銭的な
余裕がない事は我々も把握していますから、いま彼らの借り受けて
いる部屋を捜索してもらっています﹂
火事場泥棒を働いた証拠が見つかればそのまま逮捕、見つからな
ければ監視付きで外に出すとの事だった。
﹁ちなみに、お二人は昨夜どちらに?﹂
﹁街道沿いでゴライアを撃ち殺して、ゴブリンたちを爆破して、ギ
ガンテス首抜き童子を討伐しました﹂
﹁⋮⋮﹂
あれ、何この空気。
分かってるけどね。港の激戦を終えた後で転戦して歩兵の癖にあ
だ名までついている大型魔物を討伐したなんて異常な戦果だ。
静まり返ったギルドホールに新しい客がやって来る。
﹁︱︱化け物がいるじゃねぇか﹂
舌打ちと共にミツキを指差してそう言ったデュラ出身の開拓者に、
含む物は違えどギルドにいた全員の心が一致した。
ミツキが俺を横目に見て、一瞬だけ意地悪な笑みを浮かべる。
カタリ、と控えめな音を立てて椅子から立ち上がったミツキは、
満面の笑みを浮かべてデュラ出身の開拓者を振り返った。
﹁こんにちは。化け物です﹂
冗談めかして、デュラ出身者とそうでない開拓者との間にある認
844
識の差を利用した皮肉を、ミツキはこれ以上ない笑顔で言い放った。
こらえきれなくなった開拓者が数人、噴き出した。誰かと思えば、
デュラ偵察任務の時の凄腕開拓者二人だった。
デュラ出身の素人開拓者のお守りを押し付けられていたのは彼ら
二人だけではなかったらしく、一気に笑いの波が伝播していく。
最初の内こそ、ミツキが笑いものになっているのだと勘違いして
悦に入っていたデュラ出身の開拓者たちは、次第に笑われているの
は自分達だと気付いたらしく、顔を真っ赤にし始める。
この町を拠点にする開拓者の一人がデュラ出身者を指差した。
﹁役者が違い過ぎらぁ。お前らなんかじゃ相手にならねぇから、こ
れ以上バカ晒す前にお家に帰った方が良いんじゃねぇのか?﹂
﹁良かったなぁ、鉄の化け物さんがお前らのお家まで道を切り開い
てくれたってよ。怖い怖い人型魔物はもういないとさ﹂
げらげらと、口の悪い開拓者が笑い出す。
完全に、笑われているのは自分達だと認識したデュラ出身の開拓
者は、顔を怒りで真っ赤にしながらも数の不利を悟ってギルドホー
ルを出ようとする。
しかし、職員の一人が呼び止めた。
﹁ギルドまで来て、お使いも済ませずにお家へ帰ってもよろしいの
ですか?﹂
言葉だけは丁寧に、逃げ帰るのか、と問いかける皮肉めいた言葉。
散々わがままを言って派遣先の開拓村に迷惑をかけては出戻って
きたデュラ出身の素人開拓者には、ギルドの職員も鬱憤が溜まって
いるらしかった。
騒ぎを眺めながら、係員がため息を吐く。
845
﹁ギルドも、デュラを焼け出されて困窮した彼らに何度も無理に便
宜を図ろうとしたんですよ。食い詰めて盗賊に落ちてもらっても困
りますし、町の治安が低下するよりはギルドが泥を被ろうという支
部長の方針もあったんです。でも、ここまでやってしまうともう庇
い立ては出来ないですね﹂
﹁庇ってたんじゃなくて、甘やかしてただけでしょう?﹂
テーブルに頬杖を突いて、俺はちくりと言葉で刺してやる。
係員は苦笑いをした。
﹁きついですね。でも、それが事実です。私なんかが町の代表面す
るわけにはいきませんが、一市民として、お礼を申し上げたい﹂
係員は席を立ち、俺とミツキに向かって深々と頭を下げた。
﹁町を救っていただいて、ありがとうございます﹂
係員の感謝の声はデュラ出身の開拓者たちにも聞こえたのだろう。
忌々しそうな顔をして、デュラ出身の開拓者は出て行った。
職員たちが困った顔を見合わせる。
町の嫌われ者に頭を下げる行為、それに理解を示す行為、どちら
もこれからこの町で生きにくくなるだろう。
だが、この町を拠点としているだけで身一つ、どこへでも行ける
開拓者の意識は違った。
﹁聞いたぞ。精霊人機を使わずに大型魔物を単独討伐だってな!﹂
﹁もう酒場で詩人が歌いだしてるぞ﹂
﹁新聞屋が探し回ってるから、気をつけろよ﹂
わいわいと、俺たちに声がかけられる。
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慣れない空気に気恥ずかしくなったのか、ミツキが赤い顔で俺の
腕を取り、無理やり立たせようとしてくる。
﹁用事が済んだなら帰ろうよ﹂
﹁そうだな﹂
気恥ずかしいのは俺も同じだし。
係員が頭を上げ、笑みを浮かべた。
﹁またのお越しをお待ちしております﹂
847
第十四話 山分け
借家で一日のんびりしていると、マライアさんたちが帰還したと
ギルドから報告があった。
眠気覚ましの白いコーヒーもどきを喉の奥に流し込み、ギルドへ
向かう。
すでに魔力袋の下処理を始めているらしく、ギルドのガレージで
は飛蝗の団員が慌ただしく動き回っていた。
ディアとパンサーをガレージの隅に停めて、ギルド館の中へ入る。
ギルドホールの一角に、金貨や銀貨がタワー状に積まれた一角が
あった。
﹁何、アレ﹂
﹁︱︱鉄の獣、ようやく来たか﹂
マライアさんが金貨のタワーの横で俺たちに手を振っている。
﹁魔力袋を売り払うよ。こっち来て書類に記名しな﹂
渡された書類には、マライアさんの発案で足元から吹き飛ばした
ゴブリンやゴライアを共同討伐として数え、魔力袋を売却した金額
を各団で山分けする旨が書かれていた。
回収屋や竜翼の下、青羽根はすでに同意書を作成しているらしい。
俺たちが個別に倒した分は自分たちで交渉することになるとの事
だった。
﹁凄い額ですね﹂
﹁このギルドの金庫を実質的に空にしたからね﹂
848
﹁酷いことしますね﹂
﹁そのうちギルド本部から補充されるさ﹂
ケラケラ笑って、マライアさんは俺たちが署名した同意書を受け
取り、纏めてギルド職員へ渡した。
そして、後ろに山と積まれた金貨や銀貨を振り返る。
﹁さて、山分けだ﹂
﹁他の団の人が居ませんけど?﹂
﹁倉庫で寝てるよ﹂
同意書に署名だけして、さっさと休んでしまったらしい。
俺たちが一足先に町へ向かってからも、不眠不休で精霊人機への
魔力供給などを行っていたらしく、疲れがたまっていたのだろう。
むしろ、何故マライアさんは元気はつらつとしているのか。
俺たちの分の金貨や銀貨を貰い、そのままギルドに預ける。
﹁首抜き童子の分の魔力袋は下処理してある。ガレージにあるから、
あとで青羽根と相談して山分けするなりなんなりしな。まぁ、持っ
ていても軍が買いたたきに来るだろうから、ギルドに売る方が良い
だろうけどね﹂
専用機の魔導核として使える可能性が高いと思われる首抜き童子
の魔力袋は、民間が所有できるものではない。
それはギルドも同じことで、結局は国が買い取ることになるのだ
が、少なくとも開拓者を束ねるギルドであれば国に買いたたかれる
という事態は回避できる。
マライアさんがギルドの壁を横目に見て﹁それにしても﹂と話を
変える。
849
﹁鉄の獣もしっかり暴れたもんだね﹂
﹁まぁ、ちょっとした有名人になってます﹂
ギルドの壁には今回の港町の防衛戦における戦功者が張り出され
ていた。
一等戦功者の中にはマライアさんたち飛蝗の名前や回収屋、竜翼
の下、更には青羽根の他、防衛軍の精霊人機操縦者の名前が挙がっ
ている。
すべて、ギガンテスを討伐した者やその所属団体だ。
一等戦功者には大型魔物を討伐しなければなれない。それはすな
わち、精霊人機の所有者しか名前が載らない事を示していた。
︱︱そう、今までは。
一等戦功者の中に、俺とミツキの名前があった。それまで必ず併
記されていた所属団体や精霊人機の型番や名前の欄には、ディアと
パンサーの名前のみが書かれている。
ディアとパンサーは精霊人機ではないため型番などあるはずもな
く、俺たちは開拓団として登録していないフリーの開拓者であるた
め、所属団体も存在しない。
多くの空欄を持つ俺とミツキの部分は、情報の少なさが逆に異常
性を際立たせていた。
情報が少なすぎるせいで、昨日は一日中借家の呼び鈴が鳴りっぱ
なしだった。新聞屋には質問をまとめさせて、文書で回答する旨を
伝えて帰ってもらった。
﹁有名人ね。間違っちゃいないが、目立てば口さがない輩も出てく
る。新聞に載った、歴史上初の精霊人機を使用しない大型魔物討伐
者となればやっかみも多いだろう。どうだい、ここらで一つ、飛蝗
に入団してみる気はないかい?﹂
﹁ないですね﹂
﹁そうかい。残念だ﹂
850
答えは分かっていたとばかりに肩を竦めて、マライアさんは声の
トーンを落とした。
﹁マッカシー山砦の兵士があんたらの事を嗅ぎまわってる。なにが
狙いかまでは調べ切れなかったが、あんたらの戦力を把握しようと
しているようだよ﹂
﹁気をつけます。と言いたいところですが、野暮用があって防衛拠
点ボルスに行って、リットン湖攻略に参加しないといけなくなって
ます﹂
マライアさんの目が細まる。
﹁断れないのかい?﹂
﹁事情があって、難しいですね﹂
﹁ボルスは軍内の派閥争い真っ最中だ。どっちの派閥につくのか知
らないが、派手に動くのはやめた方が良い。さもなけりゃ、誰も逆
らえないくらいに大暴れしな﹂
後者を選択肢として出すのはマライアさんくらいだろうな。
しかし、精霊獣機に乗る以上どうしても目立ってしまうし、派手
に動くことになるだろう。
それなら、自重せずに派手に動くのは正解かもしれない。
依頼掲示板を見ていたミツキが俺のところに走ってきた。手には
一枚の依頼書が握られている。
﹁防衛拠点ボルスへ資材を運搬するキャラバンの護衛依頼、出てた
よ。盗賊に対処可能な者に限るって条件付きだけど﹂
﹁他に手頃な依頼もないし、それを受けるか﹂
﹁手続してくるね﹂
851
パタパタと走って行くミツキを見送る。
少し前までは俺のそばから離れることは絶対になかったのだが、
今日のミツキは一人でてきぱき動いていた。
俺も、数日前であればギルド内でミツキのそばを離れることはな
かっただろう。職員含め、どんな悪意を持って俺たちに近付くか分
かったものではなかったから。
だが、町の防衛戦に参加したことが切っ掛けで一部を除いて開拓
者も職員も俺たちを頭から否定することはなくなった。
警戒はするが、厳戒はしない。
マライアさんが椅子にドカリと腰を下ろしながら、口を開く。
﹁わざわざボルスに入るための依頼を受けるってことは、現司令官
のホッグスに睨まれるのを嫌ったのかい?﹂
﹁もう睨まれてるんですけどね﹂
﹁それでマッカシー山砦が動いているんだとすれば、あんたらもず
いぶんと怖がられたもんだ。ワステード、旧大陸派閥側に鉄の獣は
つくんだね?﹂
﹁どっちの派閥に属すという気もないですけどね。こっちはこっち
で目的があるだけなので、リットン湖攻略に参加して対価を貰った
ら後は関わり合いになる気もないです﹂
状況がそれを許すかは分からないけど、と口の中で付け足す。
マライアさんは俺の言葉を聞いて何やら考えていたが、やがて顔
を上げた。
﹁何も言わないつもりのようだから事情は聞かない。だが、あたし
らの方で鉄の獣がリットン湖の攻略に向かったという事実を広めて
おこう。少なくとも暗殺されることはなくなるだろ﹂
﹁いいんですか?﹂
852
﹁軍が怖くて開拓者なんてやれないさ﹂
堂々と言ってのけて、マライアさんは鼻で笑った。男らしすぎる。
ミツキが係員を連れてやってきたのを見て、マライアさんは立ち
上がる。
﹁青羽根を呼んできてやるから、少し待ちな﹂
そう言って、マライアさんはギルドを出て行った。
ミツキに連れられた係員は必要書類をテーブルの上に広げてため
息を吐いた。
﹁いまボルスに向かう開拓者なんてほとんどいませんよ。軍の派閥
争いに巻き込まれるのが目に見えてますからね。⋮⋮本当に行くん
ですか?﹂
﹁さっきからそればっかり﹂
係員が心配して口にする質問を、心配し過ぎですよ、とミツキは
笑って流す。
派閥争いに巻き込まれる可能性は重々承知の上で、それでも行く
のだと告げると、係員は渋い顔で必要書類を渡してくれた。
﹁お二人はボルスで防衛戦にも参加していますから、扱いが悪くな
ることはないと思います。少なくとも、表向きは﹂
﹁ずいぶん心配しますね﹂
﹁いまのボルス司令官はマッカシー山砦のホッグスですからね﹂
係員はそう言って、周りを見回す。誰も聞いていないこと、新聞
屋などがいない事を確認してから、口を開いた。
853
﹁いまはデュラに残っている人型魔物がいないか調査中ですが、も
しいないと分かれば回収屋などに依頼して軍が回収したと思しき何
かについて調べる手はずになっています。足元に火が付いたホッグ
スが何をするかは分かりません。この町で歴史的な戦果を挙げたお
二人を人質代わりに密かに交渉をしてこないとも限りません。ボル
スに味方になるような人はいますか?﹂
味方になるような人と言われて、ワステード司令官やアーチェの
操縦士であるベイジルの顔が浮かぶが、二人とも立場のある人間で
あり、表立って俺たちを擁護できる立場ではない。そもそも、味方
になってくれるほど親しいわけでもない。
俺がミツキと揃って首を横に振ると、係員は額を押さえた。
﹁お二人は精霊人機を使わずに大型魔物を単独討伐した、英雄の卵
です。ホッグスでなくとも、利用しようと近付く輩は絶対に出てき
ますから、くれぐれも身辺には注意してください﹂
﹁私たちも周囲を甘く見ているわけではないですよ。今までが今ま
でなので、警戒する事には慣れてます﹂
ミツキが嫌味にならないように口調に注意しながら言うと、配慮
が伝わったのか、係員は苦笑した。
﹁心配しているのはこちらですよ。変な気を回さないでください。
お二人が護衛するキャラバンに同行する開拓団はこちらで選定して
もよろしいですか?﹂
﹁選定って、ギルドから声を掛けるつもりですか?﹂
俺たちに便宜を図りすぎではないだろうか。
しかし、係員は問題はないと頷いた。
854
﹁包み隠さず言ってしまえば、お二人を利用したいのは何も軍だけ
ではないという事です。歩兵による、大型魔物単独討伐なんて、開
拓者志望の新人が集まるちょうど良い広告塔ですからね。本部から
便宜を図るように言われるのは間違いないので、今のうちに動いて
しまっても褒められるだけでしょう。たとえそこに、町を救ってく
れた英雄への個人的な恩返しと贖罪が含まれていても、ね﹂
忍び笑って肩を竦める係員。
﹁そんないい性格してましたっけ?﹂
つい疑問に思って聞いてみると、係員は一瞬きょとんとしてから
誰にはばかることない大きな笑い声をあげた。
﹁お二人に頭を下げてからというもの、ギルド内での立場なんてど
うでもよくなりましてね。お二人を見ていれば、最後に笑うのはや
りたい事とやるべき事を誰の目も気にせずにやれる人間だと分かり
ましたから、自分も仕事に向き合う姿勢を変えたんですよ﹂
おかげで仕事が楽しくなった、と笑う係員に、何とも言えず俺は
苦笑する。
ミツキも苦笑しながら﹁そんなにかっこいい事はしてないんだけ
どなぁ﹂と呟いた。
ミツキの言葉に半分同意しつつ、俺は係員が言う事もあながち間
違っていないような気がしていた。
必要書類に記入していると、青羽根の面々がぞろぞろとギルドホ
ールに入ってきた。
ボールドウィンが俺を見つけ、駆け寄ってくる。
﹁コト、聞いてくれよ! みんながさ、肝心な時に魔力切れを起こ
855
すなんて情けないとかいろいろ︱︱﹂
﹁いや、情けないだろ。ついでに言えば死にかけたんだからな、お
前﹂
﹁私が魔導手榴弾を投げなかったら、本当に死んでたよね、ボール
ドウィン﹂
うぐっと、ボールドウィンが胸を押さえる仕草をした。
呆れ顔でボールドウィンを見て、整備士長が肩を竦める。
﹁本当、鉄の獣がいなかったら死んでた。気を付けてくれよ、団長﹂
整備士長は愛称のボールではなく仕事上の団長呼びする事で、冗
談では済まない問題なのだと突きつける。
ボールドウィンは顔をそむけた。
﹁反省はしてるけどさ、あの状況だとほかにどうしようもなかった
というか﹂
﹁どうしようもなかったのは確かだな。全員ギリギリだった﹂
﹁でも、直前に魔力が切れた事を教えてくれれば、わたしも余裕を
持って行動できたけどね﹂
ボールドウィンの言い訳はミツキのダメ出し一つで説得力を失い、
青羽根の面々が揃ってため息を吐いた。
﹁整備士長だけじゃあ、戦場でのお目付け役がいないんだよなぁ﹂
﹁ガランク貿易都市でしっかり仲間を集めないと﹂
何やら決意している青羽根の仲間たちに、ボールドウィンが肩を
落とす。頼りない団長だから仲間を増やそうと相談されれば落ち込
むのも仕方がないだろう。
856
﹁もっと頼りになる団長に、デイトロ兄貴みたいになるしかないの
か⋮⋮﹂
﹁いや、それはどうだろう﹂
頼りないわけではないし、むしろ戦闘面でも団長としてもしっか
り働いている人だと思うけど、デイトロさんはどうにも締まらない。
﹁なりたい自分になればいいんじゃない?﹂
あまりにもあやふやな助言をして、ミツキは無責任に﹁がんばれ
ぇ﹂とやる気のない声援を送る。
ボールドウィンが自分探しを始める前に、俺は首抜き童子の魔力
袋の処分について話を切り出すのだった。
857
第十五話 開拓団
月の袖引く
人型魔物による港町への攻撃から五日が経つ頃には、デュラの被
害状況の把握や人型魔物の残党処理なども終わった。
もうここに実力のある開拓団ばかり四つも集まっている必要はな
いという事で、開拓団飛蝗や回収屋、竜翼の下、青羽根はそれぞれ
旅立つことになった。
町の入り口に見送りに出ると、青羽根の面々が手を振って来た。
﹁なんか色々あったけど、楽しかったぜ﹂
ボールドウィンが親指を立てて笑顔を浮かべる。
﹁飛蝗の傘下に入ったり、スカイを改造されたり、人型魔物の群れ
を相手に戦ったり、整備車両の蓄魔石を溶かされたり⋮⋮本当、色
々あったなぁ﹂
整備士長が遠い目をして語る。
﹁だが、開拓団としての初仕事がコトたちと一緒に出来て楽しかっ
た。また、どこかで一緒に仕事しよう﹂
ボールドウィンが拳を突き出してくる。
﹁それまで死ぬなよ?﹂
﹁ボールドウィンの方が心配だ。もう魔力切らすなよ?﹂
ボールドウィンの拳に俺は自分の拳を合わせる。
858
それはもう言うなよ、とボールドウィンに恨みがましく睨まれた。
再会したらまた言ってやろう。
﹁それじゃあ、俺たちはガランク貿易都市に行ってくる。向こうに
来ることがあったら声をかけてくれよ﹂
ボールドウィンはそう言って整備車両へ乗ると、あっさり港町を
出て行った。
整備車両の荷台から手を振ってくる青羽根のメンバーに手を振り
返していると、竜翼の下の団長ドランさんと副団長のリーゼさんが
やって来る。
﹁変われば変わるものですね﹂
青羽根の整備車両に手を振る俺たちを見てリーゼさんが言うと、
ドランさんが肩を竦めた。
﹁何度言っても外の事に首突っ込もうとする誰かさんも変えてほし
いな﹂
リーゼさんが沈黙すると、ドランさんは﹁やっと黙ったか﹂とば
かりにため息を吐き出す。
そして、俺とミツキに向き直った。
﹁俺たちももう出発する。鉄の獣はボルスの方に行くらしいが、気
をつけろよ﹂
﹁いろんな人に同じことを言われてますよ﹂
﹁それだけ心配してるやつがいるって事だ。喜べ﹂
投げやりに言って、ドランさんは俺が乗ってきたディアを見る。
859
﹁精霊獣機そのものを欲しがる奴はいないだろうが、使われている
技術は別だ。スカイの件もある。身辺にはくれぐれも気をつけろよ﹂
﹁心得てますよ﹂
﹁なら、いい。精霊人機と違って少数で運用ができる上に大型魔物
が相手でも戦える兵器なんか、盗賊垂涎の品だ。迂闊に広めるんじ
ゃねぇぞ﹂
言われてみれば、食うや食わずで生活している盗賊にとってはい
かに気味が悪くても使わざるを得ない兵器ではある。
改めて気をつけようと心に刻んだ。
リーゼさんがミツキに話しかける。
﹁二人での活動に限界を感じたら頼ってください﹂
﹁誰に頼るかはともかく、誰かに頼るとします﹂
﹁⋮⋮いまだに私に対しては棘がある言い方なんですね﹂
リーゼさんが少しばかりへこむと、ドランさんが深々と頷いた。
良い薬だと思っているらしい。
竜翼の下が出ていくと、マライアさんとデイトロさんがやってき
た。
﹁あたしらも行くよ。村の近くに来たら寄っていきな。デイトロの
家が空いてるからね﹂
﹁あれ? デイトロお兄さんの家に泊まるの? 掃除しておいてく
れると助かるなぁ﹂
﹁たまには帰ってきて自分で掃除しな、この馬鹿たれ﹂
マライアさんはデイトロさんの頭を左腕でがっちりと固めて、右
拳をぐりぐりと押し付ける。
860
痛いと連呼するデイトロさんになおも攻撃を加えながら、マライ
アさんは後ろに立っていた大男に合図する。
大男は飛蝗が拠点にしている村への地図を渡してくれた。裏には
飛蝗の紋章とマライアさん、デイトロさんの署名が連なっている。
﹁あたしらが不在でも、その地図を村の者に渡せば空き家に通され
る。あたしら二人の名前が入った地図なんて持ってるのはあんたら
だけだからね﹂
どうやら通行パスのようになるらしいその地図を丁寧に折りたた
んだミツキが腰のポシェットに仕舞う。
﹁機会があれば寄らせてもらいます﹂
﹁あぁ、そうしな。曲がりなりにも軍の派閥争いに関わるんだ。生
半可な暴れ方をするんじゃないよ。村に来たらしっかり話を聞かせ
てもらうからね﹂
土産話持参を強要して、マライアさんはあっさりと背を向けた。
﹁出発するよ!﹂
マライアさんが号令を掛けると、飛蝗の団員が一斉に応じて、そ
こらの軍隊など目ではない統率の取れた行進をして町を出て行った。
開拓団飛蝗の行進を恐々とみながら、行商人がすれ違っている。
少しばかり同情してしまった。
デイトロさんがマライアさんたちを苦笑しながら見送って、口を
開く。
﹁姉御はああ言ったけど、土産話なんてなくても気軽に寄ってくれ
ていいよ。村の人間がみんなして姉御たちみたいなわけでもないし、
861
大半はもっと気安い連中だからさ﹂
ミツキがくすりと笑う。
﹁それを聞いて少し安心したよ。村人全員あのノリだと疲れちゃう
からね﹂
﹁ホウアサちゃんと同じ年ごろの子もいるよ。少し武闘派なだけで
普通の村なんだ﹂
その少しの度合いが問題な気がする。
﹁全員がお兄さん呼びお姉さん呼びを強要してきたりしませんよね
?﹂
﹁大丈夫だよ。真にお兄さんなのはこのデイトロお兄さんの他にい
ないからね!﹂
ビシッと言い切ったデイトロさんの襟首をグラマラスお姉さんが
掴んだ。
﹁団長、次の仕事があるんですから、早くいきますよ﹂
﹁ちょ、ちょっとまって! アカタガワ君たちにまだお兄さんって
呼ばれてないんだよ。いまならいける気がするんだ。防衛戦でかっ
こいい所たくさん見せた今ならお兄さんって呼んでくれる、そんな
予感が沸々とわきあが︱︱﹂
﹁またね、アカタガワ君、ホウアサちゃん﹂
﹁はい。またお会いしましょう。お姉さん﹂
﹁今度魔物の解剖学とか教えてくださいね。お姉さん﹂
俺がグラマラスお姉さんに手を振ると、ミツキは解剖学を教えて
もらう約束をしてから手を振った。
862
デイトロさんの襟首をつかんだまま、開いた片手でグラマラスお
姉さんが俺たちに手を振り返す。回収屋の他のメンバーも笑顔で俺
たちに﹁また会おう﹂と言ってくれた。
﹁なんでデイトロお兄さんはお兄さん呼びされないのに、君はお姉
さん呼びされてるんだ! 納得がいかないっ!﹂
﹁人徳です。さぁ、行きますよ団長。みんな、車出すよ﹂
﹁あいさー﹂
デイトロさんを助手席に放り込んだグラマラスお姉さんが操縦席
に座り、整備車両を動かした。回収屋の運搬車両がそれに続き、町
を後にする。
道の先に消えるまで見送って、振っていた腕に気持ちの良い疲労
を感じながら、ディアをギルドに向ける。
俺たちも明日出発だ。依頼内容は防衛拠点ボルスまでの資材運搬
の護衛。
今朝方ギルドから連絡があり、一緒に今回の依頼を受ける開拓団
が到着したとの連絡があった。
﹁顔合わせって言ってたけど、いい人たちだといいね﹂
﹁ボルスまでだからな。結構日数があるし、仲良くできる相手じゃ
ないと困る﹂
今回のキャラバンは運搬車両を二両持つ小規模な物らしい。馬車
がないため、その分速度も出る。
港町からボルスまで三日ほど。馬車なら四、五日かかる所だ。
必然的に、キャラバンの速度に合わせることができる護衛が求め
られる。
﹁キャラバンの人たちはいい人みたいだけどね﹂
863
ミツキが二日前に顔合わせをした行商人の顔を思い出したように
言う。
港町の防衛で大型魔物を倒した歩兵という事で、俺たちは最初か
ら好意的に迎えられた。
行商人は、精霊獣機を見た時に一瞬顔を顰めていたが、特に排斥
するわけでもなかった。
今回の仕事はいままでよりも居心地がよさそうだ。
ギルドに到着する。
ここ数日ギルドホールにいた革ジャケットの集団がいなくなった
ため、少し閑散としつつも落ち着きを取り戻したギルドで、いつも
の係員が開拓者らしき少女の相手をしていた。
少女が俺とミツキに気付いて立ち上がる。
歳は十七歳くらいだろうか。生まれつきのものらしい小麦色の肌
に黒い髪、瞳は満月を思わせる金色だ。
旧大陸の南方系だろう。どこか疲れたような顔をしているのが印
象的だった。
少女の後ろには老齢の魔術師が立っている。腰に蓄魔石が嵌まっ
たベルトが二重に巻かれていた。こちらも少女と同じく小麦色の肌
をしているが、髪はロマンスグレー、瞳は碧だ。
係員も俺たちに気付いて立ち上がった。
﹁お待ちしておりました。アカタタワさん、ホーアサさん、こちら
が開拓団〝月の袖引く〟の団長タリ・カラさん、後ろの方が副団長
のレムン・ライさんです﹂
タリ・カラと呼ばれた少女が俺たちに一礼する。なんとなく、頭
を下げ慣れているように見える。
﹁開拓団〝月の袖引く〟団長、タリ・カラです﹂
864
﹁こんにちは。赤田川です。こっちは相棒の芳朝﹂
﹁彼女の芳朝です﹂
ミツキさんや、なんで訂正したのかな。
タリ・カラさんは反応に困ったように後ろの魔術師を見た。
魔術師が、団長を立てるためなのかタリ・カラさんよりも深く頭
を下げてくる。
﹁副団長をしているレムン・ライです﹂
自己紹介だけして、レムン・ライさんは一歩下がり、タリ・カラ
さんの後ろに立つ。
それにしても、月の袖引く、ね⋮⋮。
ひとよこい
﹁一夜恋、覚めるなかれと、月の袖引く。ハラ・アルミナ﹂
ミツキが呟くと、係員が首を傾げる。
レムン・ライさんが深く皺の刻まれた顔に笑みを浮かべた。
しかし、タリ・カラさんは警戒するような顔でミツキを見る。
﹁よく、ご存知ですね﹂
﹁そこそこ本を読むほうなので。ヨウ君は知ってた?﹂
﹁ハラ・アルミナ、二百年前に旧大陸南部で活躍した詩人で船乗り。
新大陸発見前の大航海時代にいくつかの島を発見して新大陸までの
中継地を作った﹂
ちなみに、ミツキが諳んじた詩は、ハラ・アルミナが一夜限りと
決めた娼婦にほれ込んで家に帰りたくないと駄々をこねながら詠ん
だ、だらしない詩だったりする。結局、身請けしたらしいけど。
865
﹁さすがヨウ君だね﹂
ミツキが褒めてくる。
あまり有名な人ではないし、詩の方も大して評価されていない人
なのでぱっと諳んじる事ができるミツキも凄いと思うのだが。
俺は係員を見る。
﹁俺たちの事はもう教えましたか?﹂
係員が頷いた。
﹁獣型の精霊兵器を使う事も、今回の防衛戦における一等戦功者の
一人であることもすでに教えましたよ﹂
﹁なら話が早いですね。それで、開拓団〝月の袖引く〟の規模は?﹂
目の前に団長さんがいるので訊ねる。
タリ・カラさんはミツキや俺に対してわずかな警戒心を抱いてい
るようだったが、それでも質問には答えてくれた。
﹁戦闘員二十です。車両は一両、運搬車を持ってます。かなり改造
してますけど。それと、精霊人機が一機﹂
いつ頃の機体か気になって訊ねると、おおよそ五年前の機体だっ
た。
特に目立つ改造もしていないらしい。操縦者はタリ・カラさんだ。
俺たちを含めても戦力としては心もとないが、ボルスの周辺はヘ
ケトの大量発生以後、定期的に魔物の駆除を行っているらしいので、
問題はないだろう。
﹁それでは、明日からよろしくお願いします﹂
866
握手を交わして、その場を後にする。
ギルドを出て、ガレージに停めていたディアに跨った。
﹁どう思う?﹂
﹁タリ・カラさんのこと?﹂
ミツキに問い返され、俺はディアを歩かせながら頷く。
パンサーの背に乗ったミツキが並んだ。
﹁何かあるなぁ、とは思うね。それが何かは分からないけど﹂
ミツキが詩を諳んじてからのタリ・カラさんの態度は明らかに何
かを警戒していた。
何を警戒していたのかは分からないし、俺たちに関係のある事だ
とも思えないが、注意しておくに越したことはないだろう。
867
第十六話 内情
﹁それでは出発しましょう﹂
体は丸で構成されていますという感じのふくよかな行商人が音頭
を取り、町を出発する。
行商人と開拓団〝月の袖引く〟の運搬車両計三台が並び、俺とミ
ツキは車両の前でディアとパンサーを走らせる。
歩兵も含めて運搬車両に搭乗しているため、速度は車両に合わせ
ている。
舗装もされていない道だが、デュラに代わる貿易港として発展し
始めている港町から延びるだけあって地面が良く固められている。
マッカシー山砦まで約一日。この間、人型魔物の残党と思われる
ゴブリンに数回出くわしたが、停止する事もなく俺とミツキで片付
けて進んだ。
マッカシー山砦の前を通ってそのまま防衛拠点ボルスへ向かう道
の途中で、野営する。
野営と言っても、テントすらない。行商人も開拓団〝月の袖引く
〟も車両の中で眠るつもりらしい。
夕食の調理などの食事はさすがに車両の外で行っているようだが、
かなり適当な物だ。
俺とミツキだけがきちんと調理したパスタを食べていると、行商
人がやってきた。
丸い。ひたすら丸い。やわらかそうなお腹だ。
﹁おぉ、これは美味しそうだ。いやぁ、品物の運搬中は魔物や盗賊
の襲撃に備えて車内で取る事にしているので、食事は味気ないんで
すよ。反動で町に着くと美味しい物をたらふく食べてしまって、ほ
868
ら、この通り﹂
ぽよん、と柔らかな腹を叩いて、行商人はからりと笑う。
気さくな人だ。
﹁よかったら、少し食べますか?﹂
ミツキが小さな皿を用意すると、行商人は目を輝かせた。
﹁よろしいので? では、遠慮なく!﹂
ミツキに差し出された皿を嬉しそうに受け取って、行商人はフォ
ークでパスタを巻き取り、口へ運ぶ。
トマトっぽい野菜とベーコンで作った簡単なパスタだが、行商人
はお気に召したらしい。
﹁う、うまい﹂
本当に驚いたような顔で、行商人はパスタを見下ろす。
﹁これはほんとうに美味しいですな。店を出せる腕だ﹂
﹁お粗末様です﹂
ミツキが軽く頭を下げる。
行商人が俺を見て、微笑んだ。顔も丸いおかげでかなりの愛嬌が
ある。
﹁この食事が毎日食べられるのは、彼氏さんが羨ましい﹂
﹁食事の度に幸せと一緒に噛み締めてますよ﹂
﹁はは、これは一本取られましたな﹂
869
朗らかに笑った行商人はすっと商売人の眼つきとなった。
﹁さて、仕事の話に移りましょうか﹂
﹁何か問題が?﹂
﹁とぼけなくともよろしいですよ。お気付きでしょう?﹂
行商人はそう言って、ちらりと開拓団〝月の袖引く〟のいる場所
を見る。
車両横で調理し、食事を始めた月の袖引くのメンバーは全体的に
浮かない顔をしていた。
まとまりがないわけでも、仕事をおろそかにしているわけでもな
い。いまも見張りに立っているくらいだ。仕事には真摯に取り組ん
でいる。
だが、明らかに覇気がないのだ。
出発前から気になっていた事ではあるのだが、月夜の下で見ると
余計に覇気のなさが浮き彫りになる。
少し離れた場所で食べている団長のタリ・カラさんは気まずそう
に焼いたパンを口の中に押し込んで席を立つと、整備車両の助手席
に向かって行く。その後ろを副団長のレムン・ライさんがついて行
った。
行商人が俺たちに視線を戻す。
﹁お二人は港町の防衛で歴史上初、精霊人機を使わずに大型魔物を
討伐した実力者と聞いております。お二人の目から見て、開拓団〝
月の袖引く〟の実力はどうでしょうか。⋮⋮いざという時、役に立
つと思いますか?﹂
キツイ内容の質問だった。
無理もない。
870
命がけで荷物を運ぶのが商売の行商人にとって、命と荷物を守る
護衛の士気が低いというのは看過できない事態だろう。
﹁統率は取れていますし、仕事に対しては真摯に見えます。後は基
本的な実力次第ですが、たぶん大丈夫だと思いますよ﹂
当たり障りのない答えを返すと、行商人は﹁そうですか﹂と短く
言って、自分を納得させるように頷いた。
﹁少々、行商人の間でも噂になっていましてね。やる気も実力もあ
るのに頼りない開拓団だ。昔はこうではなかった、と﹂
﹁︱︱昔?﹂
問い返すと、行商人は意外そうに軽く仰け反った。
﹁知りませんでしたか。開拓団〝月の袖引く〟と言えば、やり手の
開拓団だったんですよ。開拓に協力して魔物の討伐を行い、次の戦
場へ、という開拓団らしい開拓団でした。一昨年から護衛を主に請
け負って、行商人に吟遊詩人、旅の一座なんでもござれと、多少報
酬が低くても構わず受けていて、安全第一に方針を転換したのだろ
うと言われてますが、この様子では団員はあまり方針の転換を快く
思ってないのでしょうね﹂
行商人は月の袖引くの団員に聞こえないよう声を落としてべらべ
らとしゃべった後、出方を窺うように俺とミツキを見た。
同じ開拓者である俺たちに相談を持ちかける振りをして、月の袖
引くの問題点を指摘してほしいのだろう。依頼主である行商人から
声を掛けると要らぬ圧力をかけてしまい、余計に委縮させるかもし
れないと気を回したのだ。
871
﹁俺たちから言っても角が立ちますよ﹂
同じ開拓者とはいえ、付き合いはないのだ。
事情も知らないのに何言ってんのお前、とか言われるのがオチだ。
﹁やはりそうですか。では、相談を持ちかけられたという事だけ伝
えてきてください。ギルドから紹介されてこれでは、月の袖引くの
今後に関わりますのでね﹂
どうしても貧乏くじは免れないらしい。
仕方がないと諦めて、貧乏くじを引くことを了承する。
﹁ありがとうございます。食事、美味しかったですよ﹂
行商人はそう言って、腹を揺らして車両に戻って行った。
﹁悪い人ではないんだけどね﹂
﹁俺たちからするとたまったもんじゃないな﹂
ミツキと苦笑し合って、食事を食べ切り、片付けを済ませてから
月の袖引くの運搬車両の助手席に向かう。
背もたれを倒して横になっている団長のタリ・カラさんを呼び出
すと、運転席にいた副団長のレムン・ライさんもついてきた。
眠気を宿した眼を擦りながらも警戒を滲ませた目で見てくるタリ・
カラさんと、その後ろで執事然としてたたずむレムン・ライさんの
二人と、整備車両の陰で向き合う。
﹁あなた方から覇気を感じられないが、何かあったのかと依頼主か
ら相談を受けました﹂
872
単刀直入に切り出すと、タリ・カラさんが小さくため息を吐いた。
﹁⋮⋮謝ってきます﹂
慣れたようにあらゆる順序をすっ飛ばして、タリ・カラさんが歩
き出す。
俺たちには何の説明もなしか。説明する義理はないと言われれば
それまでなんだけど、置いてけぼりを食らった感がハンパない。
というか、本当に何もなしか。
そう思っていると、タリ・カラさんは不意に足を止めて振り返っ
た。
しかし、タリ・カラさんの視線が向かう先は俺やミツキではなく、
副団長であるレムン・ライさんだ。
﹁ついてこないの?﹂
疲れた目で、タリ・カラさんはレムン・ライさんに訊ねる。
﹁この開拓者二人と話したいことがございます。お嬢様は席にお戻
りください。後程、依頼人に謝りに行きましょう﹂
﹁⋮⋮そう﹂
ちらりと俺とミツキを見たタリ・カラさんはそう言って助手席に
戻った。
助手席のドアが閉まったのを見届けて、レムン・ライさんが俺た
ちに向き直る。
﹁お願いしたいことがございます。お時間、よろしいですか?﹂
﹁ここで?﹂
﹁そうですね。少し場所を変えましょう﹂
873
レムン・ライさんが森の中へ歩き出す。
俺たちもディアとパンサーに乗ってついて行った。
森に少し入ったところまで来て、レムン・ライさんが口を開く。
﹁お嬢様、タリ・カラは開拓団〝月の袖引く〟の二代目団長です。
初代団長はお嬢様の父でしたが、一昨年、戦死しました﹂
開拓団で人死にが出るのはそう珍しい事ではない。
しかし、一昨年に団長が死んだというのが気になる。行商人が言
っていた、月の袖引くの方針転換時期と被っている。
﹁タリ・カラさんが団の方針を転換したんですか?﹂
﹁はい。そして、その方針の転換こそが月の袖引くに覇気がない理
由でもあります﹂
レムン・ライさんが言うには、団の方針が変わって安全性が増し
た代わりに戦闘が激減し、開拓の手伝いという目に見えて成果が分
かる仕事でもなくなったことで、団員の士気が下がったらしい。
元々、月の袖引くはタリ・カラさんの父親が妻の元娼婦と共に後
ろ指を指されずに住める場所を作ろうと旧大陸南部からここ新大陸
に渡り、立ち上げた開拓団だ。団の名前もここに由来しているらし
い。
団員も犯罪者の子供や出自の分からない捨て子、精霊教徒から異
端認定を受けた者など様々な訳アリが集まっている。
ひとえに、開拓村を立ち上げてまっとうに暮らしたいという一心
で集まり、活動してきた開拓団だという。
だが、団長が変わった事で、今まで他の団の開拓を手伝うなどで
溜めてきたノウハウを錆びつかせて二年間を過ごした。まっとうに、
安定した暮らしを作る活動から遠のいて、今は護衛ばかりをこなし
874
ている。
いつまでも夢に手を伸ばせないでいる徒労感が団員の覇気を失わ
せているのだ。
﹁なんで、タリ・カラさんは方針を転換したんですか?﹂
ミツキが首を傾げると、レムン・ライさんは痛ましそうな顔で整
備車両の助手席の方を見た。
﹁両親が戦死するところを相次いでみてしまいましたからね。戦う
ことそのものに恐怖があるのでしょう。遺言に従って団長を引き継
ぎこそしましたが、精霊人機に乗るまで半年かかりました﹂
﹁他の団員が操縦すれば?﹂
ミツキの提案にレムン・ライさんは首を横に振る。
﹁操縦技術を持つのは先代団長に教わっていたお嬢様だけです。そ
れに、我々を受け入れてくれた先代の団長は精霊人機乗りでした。
みな、お嬢様にも同じように先頭に立って導いてくれることを望ん
でいる。一種の信仰なのですよ﹂
希望を押し付けられてるわけだ。
ミツキと一瞬だけ視線を交差させる。考えている事は同じらしい。
つまり、ベイジルと気が合いそう、である。
とまぁ、ベイジルの事は脇に置いて、俺はレムン・ライさんを見
る。
﹁それで、俺たちにお願いしたいことってのは何ですか? 話を聞
く限り、俺たちに出来る事なんてなさそうなんですけど﹂
875
どこまでいっても、開拓団〝月の袖引く〟内部の問題だ。
﹁蔑視されても戦い続け、居場所を勝ち取った鉄の獣でなければ、
これを頼む事などできません﹂
そう前置きしてから、レムン・ライさんは覚悟を秘めた顔で、俺
たちへの願いを口にした。
﹁命をかけても叶えるべき夢がある事をお嬢様に教える手伝いをし
ていただきたい。もしもお嬢様が夢の価値を理解できないのなら︱
︱﹂
一瞬の躊躇いを挟んでから、それでも決然とレムン・ライさんは
続ける。
﹁︱︱お嬢様を開拓団〝月の袖引く〟の団長の立場から下ろす手伝
いをしていただきたい﹂
876
第十七話 部外者の意見
﹁︱︱お嬢様を開拓団〝月の袖引く〟の団長の立場から下ろす手伝
いをしていただきたい﹂
俺はゆっくりと言葉を咀嚼しながら頷いて、ミツキを見る。
ミツキはミツキで言葉を飲み込む様に頷いて、俺を見た。
﹁せー﹂
﹁︱の﹂
息を合わせて、ばっとレムン・ライさんを見る。
﹁アホか﹂
命をかけても叶えるべき夢。まぁ、あるだろう。それは否定しな
い。
だがもう一つの条件、
﹁夢の価値を理解できないなら団長の立場から引きずりおろす? なんでそんな胸がむかむかするような悪役じみた真似をしないとい
けないんだよ﹂
﹁月の袖引く内部の問題でしかないでしょう。悪者を私たちに押し
付けるのははっきり言ってわがままで自分勝手だよ﹂
﹁というかさ、方針に不満があるなら団員同士で相談するなり直訴
するなりすればいいだろ。何のための組織だよ﹂
﹁中立的な意見が欲しいっていうなら、方針を決める会議に進行役
として出席するくらいはできるけど、あなたたちの組織の進退に関
877
わるような決定に巻き込まれるのはお断りだよ﹂
﹁何しろ、俺たちは開拓団〝月の袖引く〟の団員でもなければ傘下
でもない。あなたたちの今後に責任が取れないからな﹂
二人で交互に攻め立て、まくしたてると、レムン・ライさんがた
じろいだ。
十三歳ほどの少年少女、社会経験も乏しいだろうと考えて悪者役
を押し付けようとしたんだろうが、そうはいくか。
今後、俺たちのように罠に嵌められる被害者が出ないとも限らな
いので、徹底的に潰しておこう。
﹁そもそもの問題としてタリ・カラさんが何を考えて方針の転換を
したかも直接聞いていないんでしょう?﹂
レムン・ライさんはこう言った。戦うことそのものに恐怖がある
のでしょう、と。
︱︱のでしょうってなんだよ。直接聞いてないから予想でしか語
れていない。
﹁たとえば、タリ・カラさんがこう考えている可能性もありますよ
ね。それまで団員を引っ張ってきた先代団長が亡くなったから、団
員が萎縮したり、逆にかたき討ちに燃えて暴走するかもしれない。
だから冷却期間を置いている、とか﹂
指摘すると、レムン・ライさんは初めて気が付いたとばかりに目
を見開いて驚きをあらわにした。
﹁圧倒的に相談が足りてないんですよ。ちょうどいいので今からタ
リ・カラさんと相談した上で団員を集めて方針の会議でも開いたら
どうですか?﹂
878
﹁ヨウ君、わたし眠たくなってきた﹂
遠回しに付き合いきれないから放っておこうとミツキに言われて、
俺は未だ驚きに固まっているレムン・ライさんを放置して野営地に
戻った。
ディアの角に布を引っ掛けていつものように簡易テントをこさえ
ていると、タリ・カラさんとレムン・ライさんが団員を一か所に集
めるのが見えた。
とりあえず話し合う事にしたらしい。
その結果でタリ・カラさんが団長を辞することになろうが、方針
を転換しようが、俺たちにはかかわりのない事だ。とはいえ、一応
の提案者として様子を見ることにした。
﹁私は寝るよ。明日、結果を聞かせて﹂
﹁おう、お休み﹂
﹁おやすー﹂
眠そうに目をこすりながら、ミツキがテントの布をめくり、パン
サーの背に横になった。
再び、月の袖引くの会議に視線を戻す。
どうやら、会議の前にタリ・カラさんの考えを披露するらしい。
タリ・カラさんの考えは俺が例えば、と予想した通りだった。た
だ、かたき討ちのために暴走しそうになるのはタリ・カラさん本人
だったらしく、半年ほどかけて落ち着き、今は戦闘訓練と団員の動
きの把握、開拓団を維持するための諸々の知識を先代が残したノー
トなどで勉強中だという。
団員がタリ・カラさんの考えに深く感銘を受けて盛り上がってい
た。
ただし、勉強に関してはほとんど終わり、護衛依頼中の戦闘など
で団員個々の働きや得意分野なども再検証、おおよその実態はつか
879
めたという。
欠伸を噛み殺しながら月の袖引くの会議の様子を眺めていると、
依頼主である行商人が俺のそばまでやってきて、簡易椅子を広げた。
﹁こうも早く解決に動き出すとは思いませんでしたよ。防衛戦の英
雄は人心掌握も得意なんですね﹂
﹁いや、悪役押し付けられそうになったから突き返しただけです﹂
それに、解決は時間の問題だったのだとタリ・カラさんを見てい
ればわかる。
疲れの原因は勉強疲れだったというくらい、彼女に足りなかった
のはひたすらに時間だった。
まぁ、考えを団員と共有しなかったのは彼女のミスなのだけれど、
団長にカリスマ性を求める月の袖引くの性格上は迂闊に考えを話す
こともできなかったのだろう。
﹁それに、タリ・カラさんは最初からこの空気、団長の指導力を疑
う空気を作る事が目的だったんじゃないかと思うんですよね﹂
﹁と、いうと?﹂
行商人が首を傾げる。脂肪に覆われた首に段ができた。
俺は無言でタリ・カラさんを指差した。
﹁︱︱わたしはまだまだ団長として未熟だ。その証拠に、みんなの
不満が溜まっている事にも気付かなかった。だから、今後は何か不
満があったりしたらきちんと話してもらいたい﹂
団員がきちんと団長に報告、相談する空気の醸成。その前段階と
してあえて不満を溜めた。俺にはそう思えて仕方がない。
結局、悪者役を甘んじて受け入れて、先代がそのカリスマで築い
880
た団長は絶対という価値観を破壊して団内の空気を変えたのだろう。
一番の方針の転換はこれだったのだ。
もしも、タリ・カラさんに本当にミスがあったとすれば、隣で恥
じ入っている副団長ことレムン・ライさんですら団長至上主義から
脱出していなかったことくらいだ。
月の袖引くの今後の方針などを話し合う会議はその後一時間以上
続き、解散となった。
運搬車両へ入って行く団員たちを見送って、タリ・カラさんとレ
ムン・ライさんが歩いてくる。
俺と行商人の前で、タリ・カラさんは深々と頭を下げた。
﹁ご迷惑をおかけしました﹂
行商人が笑いながら片手をひらひらと振る。
﹁なに、問題が解決したようでなによりです。明日から、より一層
の働きを期待していますよ﹂
では失礼、と行商人は立ち上がり、自らの運搬車両へ歩いて行っ
た。
俺も寝るようかと腰を上げた時、レムン・ライさんが頭を下げて
きた。
﹁先ほどは失礼な頼みごとをしてしまい、申し訳ありませんでした﹂
﹁分かってくれたなら良いですよ﹂
実質的に被害もなかったから、と軽く流す。
﹁それじゃあ、俺は寝る︱︱﹂
﹁少し待ってください﹂
881
ほほぉ、俺の睡眠時間を削りたいと?
微かに聞こえてくるミツキの寝息をうらやましく思いながら、先
を促す。
すると、レムン・ライさんではなくタリ・カラさんが口を開いた。
﹁リットン湖攻略が近いうちに開始されるという話はご存知ですか
?﹂
﹁知ってますよ﹂
新聞などでも取りざたされている。
防衛拠点ボルスは甲殻系の魔物の群れによる攻撃を受けて大損害
を被った。未だにその復旧が終わっていないのは、今回運んでいる
資材からも明らかだ。
しかし、防衛拠点ボルスは復活したとばかりに、もうすぐリット
ン湖攻略を開始するという。
リットン湖攻略隊はロント小隊の他にもさまざまな小隊が各地か
ら集まる大規模な遠征であり、攻略戦だ。
ボルスが甲殻系の魔物による襲撃を受けた時には、まだリットン
湖攻略隊は集結していなかった。つまり、今のボルスには攻略隊が
損耗なしで存在することになる。
しかも、現在防衛拠点ボルスの暫定司令官になっているのは新大
陸派のホッグス。
旧大陸派であるワステード元司令官の失策により防衛拠点ボルス
が大損害を被り、その大損害を被った防衛拠点ボルスから出発した
リットン湖攻略が成功を収めれば、暫定司令官であるホッグスの株
も上がる。
つまるところ、政治的な事情でリットン湖攻略を開始しますよ、
という話だ。
882
﹁リットン湖攻略戦に参加するんですか?﹂
話の流れに身を任せて訊ねると、タリ・カラさんは頷いた。
﹁ボルスに着いてからみんなで話し合う事になるとは思いますけど、
参加したいと思ってます。軍が威信をかけている大規模な攻略戦な
ので、先代団長が亡くなってからの二年間、開拓の前線から外れて
いたわたしたちが勘を取り戻すのにちょうどいいと思います﹂
たしかに、タリ・カラさんの考え方も正しい。
派閥争いをしているという事は、ホッグスにとって今回の攻略戦
は負けられない戦いでもある。勝ち目のない勝負は挑まないだろう。
ボルスは復旧途中だが、攻略戦では防衛拠点ボルスを離れて戦闘
を行う。つまり、ボルスに求められるのは防衛拠点ではなく、補給
基地としての役割だ。
補給基地としての機能が復活しているのなら、政治的な事情で無
理をしているという事もないだろう。
﹁それで、リットン湖攻略戦に月の袖引くが参加するとして、俺た
ちに何か用ですか?﹂
﹁ボルス防衛戦に参加したと聞いてます。その時の話を聞きたいの
です﹂
﹁⋮⋮明日にしてくれません?﹂
あんな長い話をしていたら眠れなくなってしまう。
明日も護衛の仕事があるのだから、早く寝て疲れを取る必要があ
る。
タリ・カラさんはコクリと頷いて、立ち上がった。
﹁明日の朝、こちらに参ります。おやすみなさい﹂
883
﹁おやすみなさい﹂
タリ・カラさんはぺこりと頭を下げて、レムン・ライさんを連れ
て整備車両へ戻って行った。
ようやく眠れる、と俺は簡易テントの中にもぐりこむ。
﹁⋮⋮ヨウ君?﹂
﹁悪い、起こしたか﹂
ディアの角越しに、ミツキに謝る。
ミツキは﹁大丈夫﹂と返した。衣擦れの音が続く。寝返りを打っ
たらしい。
﹁どうなったの?﹂
問われて、俺は開拓団月の袖引くの会議の結果と、リットン湖攻
略戦に参加するらしいこと、ボルス防衛戦の時の話を聞かせてほし
いと頼まれた事を話す。
俺の話を静かに聞いているミツキに、また寝てしまったのかと思
っていると、返事があった。
﹁リットン湖攻略戦に参加するなら、仲間になるって事だね﹂
﹁そう、なるな﹂
俺たちはワステード元司令官に出されたリットン湖攻略戦への参
加依頼を受けている。
ボルスにおける今のワステード元司令官の立場や発言力次第では、
ホッグスがでしゃばってきてなかったことにされるだろうけど。
﹁どうなるかはボルスに着いてからだな﹂
884
﹁ふと思ったんだけど﹂
ミツキが少し真剣味を帯びた声で言う。
﹁ワステード司令官が降格して発言力が落ちたって事は、私たちに
宿を紹介できるのかな?﹂
﹁⋮⋮もしかすると、野宿だな﹂
﹁えぇ⋮⋮﹂
心底嫌そうに、ミツキが呟く。
﹁いっそ、家を借りちゃおうか﹂
それができるだけの金銭的余裕があるのが恐ろしい。
港町の防衛戦で倒しまくった魔物の魔力袋を大量に売り、ギルド
支部の金庫を空にしてもまだ借家に魔力袋があるくらいだ。全部加
工して魔導核にしてあるが、売るか自分たちで使うかを悩んでいる
ところである。
﹁ボルスに家を借りても、あまり使わないからな。デュラにあるミ
ツキの家も掃除しに行かないといけないし﹂
デュラに巣食っていた人型魔物はほとんど討伐したが、安全の確
認を行うため今はギルドが人を派遣して調査中だ。人型魔物に魔力
袋持ちが大量にいたことも、何らかの原因が見つかるかもしれない
とギルドは張り切っている。
そんなわけで、現場保存の名目の下、今は許可を得ないとデュラ
に入れなくなっている。
俺たちがボルスから港町に戻る頃には調査も終わっているはずだ。
885
﹁ミツキの家にもプロトンみたいな見張り用の精霊獣機を置いてお
かないとな﹂
﹁名前はディオゲネスとかどう?﹂
﹁哲学者から離れろよ。というか、犬型なのは確定か﹂
小屋も用意しておかないと。樽でいいか。
﹁番犬なんだから、ディオゲネスでいいでしょ﹂
﹁もういいや。ディオゲネスにしよう﹂
俺が折れると、ミツキはそうこなくちゃ、と嬉しそうに笑った。
何が嬉しいのか分からない。
886
第十八話 派閥争い
前回のようなヘケトの大量発生に巻き込まれることもなく、資材
を積んだキャラバンは無事、防衛拠点ボルスに到着した。
ヘケトの大量発生を教訓に見回りを強化したという噂は事実らし
く、月の袖引くの会議の夜以来、まったく魔物の襲撃を受けなかっ
た。
団長であるタリ・カラさんの演説で士気がめちゃくちゃに上がっ
ていた月の袖引くの団員がいじけないか心配だ。
俺は防衛拠点ボルスの防壁を見る。
ミツキもパンサーの背中に揺られながら、防壁を見つめていた。
﹁まだ復旧作業中だね﹂
ミツキの言葉通り、防壁には崩れた箇所があり、砲撃タラスクに
火球を撃ち込まれた焼跡も目立つ。
復旧作業に従事する兵とは別に、かなりの数の見張りが防壁の上
にいた。ボルス周辺の見回りも密に行っているらしい。
よほど、甲殻系魔物の群れによる襲撃が堪えたのだろう。
防衛拠点ボルスに入ると、外とは違って張りつめた空気はなかっ
た。
軍人や商人が目立つが、開拓者らしき姿もちらほらとみられる。
行商人の護衛としてついてきたらしい。
﹁それでは、皆さんの今後のご活躍をお祈りいたします﹂
行商人がわざわざ整備車両から降りて解散を告げる。
俺はミツキと一緒にギルドに精霊獣機を進めようとした。
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﹁ギルドまでなら、一緒に行きませんか?﹂
開拓団月の袖引くの団長、タリ・カラさんが声をかけてくる。
だが、ボルスでの俺たちの立場を考えるとあまり一緒に行動する
のはよくないだろう。
﹁ありがたい申し出ですけど、先に行かせてもらいます。連絡を取
らないといけない相手がいるので﹂
﹁そうですか。では、またお会いできるといいですね﹂
俺たちはタリ・カラさんたちと別れ、ギルドに精霊獣機を走らせ
る。
不審や警戒、嫌悪の視線を浴びながら、ギルドのガレージに入っ
て精霊獣機を止めた。
視線が集まっているのを感じながら、俺はミツキと一緒にギルド
館に入る。
ガレージに泊まっている車両の数から予想していたが、ギルド内
はかなり閑散としていた。
﹁前に来た時より、椅子もテーブルも増えてるね﹂
開拓者と職員がやり取りするための椅子やテーブルは、ギルドへ
の平均的な来訪者の数を表している。
だが、椅子やテーブルが増えているからといって、ボルスに滞在
中の開拓者が増えているかというと一概にそうとは言えない。
基本的に、ギルドにやって来るのは少人数で活動する開拓者か、
開拓団の団長や副団長だ。
どっかの革ジャケット集団は素人がやってこない様にギルドを半
ば占拠していたが、あれは例外である。
888
﹁大規模な開拓団がボルスを出て行って、小規模な開拓団が行商人
の護衛としていくつもやってきているってところか﹂
開拓者ギルド、ボルス支部全体の戦力としてはかなり落ちている
だろうけど、ボルスにはリットン湖攻略隊が駐留しているためボル
ス全体で見れば戦力は増えているくらいだ。
俺たちを見つけたギルド職員がひそひそと話し合っている。誰が
嫌われ者の対応をするかでもめているらしい。
いつもの事だ、と空気を読まずに受付カウンターに向かうと、引
きつった笑顔で迎えられた。
ミツキと一緒に満面の笑顔を浮かべてあげる。愛想笑いの見本と
して教材にしてもいいくらいの百点満点の笑顔だ。参考にしてもい
いんだよ。
職員さんの笑みがさらに引きつった。出来の悪い生徒である。
﹁こんにちは、お久しぶりです。何か伝言は預かってませんか?﹂
俺たちがボルスに戻ってきた時のために、ワステード元司令官か
ベイジルが何か伝言を残しているかもしれないと思い訊ねるが、職
員は首を横に振った。
﹁鉄の獣宛の伝言は現在、預かっておりません﹂
職員さんからは嘘を吐いているような気配は感じ取れなかった。
﹁そうですか。それならいいです﹂
あっさり引いて、俺はミツキと一緒にギルドを出る。
ひとまずは情報収集をするべきと考えて、目立つ精霊獣機はガレ
889
ージに置いておく。
護身用に自動拳銃や魔導手榴弾を持っているため、暗殺されるこ
ともまずないだろう。
一応狙撃を警戒しつつ、適当な大衆食堂に入った。
まだ昼前という事もあって、店内に客はまばらだ。盗み聞きがで
きそうで、かつ目立たない席を探す。
店の奥だと逆に目立ってしまうため、その手前の席に二人で向か
い合って座った。
﹁なに食べる?﹂
ミツキがメニュー表を開いて見せてくれる。川魚がメインのメニ
ューが並んでいた。
﹁香細魚の焼き魚定食かな﹂
﹁分かった。店員さん、注文したいです﹂
ミツキが片手をあげて店員を呼ぶ。
﹁はいはい、ただいまぁ﹂
パタパタと走ってきたのは、この店の看板娘らしき十代後半の娘
だ。ポニーテールが揺れている。
俺とミツキの姿を見比べると、看板娘は何やら意味ありげに目を
細め、口元を勘定書きで隠す。
﹁おやおや、デートですか。もっといいお店に行った方が雰囲気出
ると思いますよ?﹂
﹁ヨウ君を落とすためには格式ばったお店より、家庭的なお店が良
いの。結婚後の生活を想起させて少しずつ意識改革するんだよ﹂
890
﹁あらあら、策士な彼女さん。ご注文をどうぞ﹂
﹁香細魚の焼き魚定食を二つ﹂
ミツキが纏めて注文すると、看板娘はさっそく手に持った勘定書
きにペンを走らせる。
看板娘の手元を見つつ、ミツキが情報収集の口火を切った。
﹁さっき開拓者ギルドに寄ったんですけど、かなり人が少なかった
んです。何かありましたか?﹂
看板娘は勘定書きから顔を上げ、首を傾げる。
﹁ギルドですか? 復旧作業に参加したくない大規模開拓団が相次
いで拠点を移したので、その影響かも。あ、でもリットン湖攻略作
戦が近いうちに行われるから、帰ってきてもおかしくないはずです
よねぇ﹂
なんでだろ、と看板娘が首を傾げる。あまりギルドや開拓者の動
向に注意を払っていないらしかった。ボルスは軍が作った防衛拠点
という認識が先行して、ギルドよりも軍の方をはるかに頼っている
からだろう。
だからこそ、続くミツキの誘導には面白いように引っかかった。
﹁やっぱり、司令官が変わったから、開拓者は警戒してるんでしょ
うか?﹂
﹁あぁ、それそれ、それですよ! いまは軍の方でかなり激しく派
閥争いをやってるので、巻き込まれたくないんだと思います。もと
もと旧大陸派だったワステード元司令官についていた軍人さんと、
新しく来た新大陸派のホッグス暫定司令官が連れてきたマッカシー
山砦の軍人さんとで、めちゃくちゃにいがみ合っていてですね﹂
891
看板娘は書きかけの勘定書きを机に置いて、右手をワステード元
司令官派閥、左手をホッグス暫定司令官派閥に見立ててパチパチと
打ち合わせる。
﹁もう、利用するお店まで旧大陸派と新大陸派で自然と分かれちゃ
ってるくらいです。ホッグス暫定司令官はほら、自派閥優遇がひど
いって噂があったじゃないですか。あの噂も本当らしくて、ワステ
ード元司令官をお飾り状態にしようといろいろ画策してるって話で
すよ。でもでも、ワステード元司令官は結構なやり手ですし、雷槍
隊の指揮権もワステード元司令官が持っているので︱︱﹂
﹁いつまで客と喋ってる。仕事せんかい!﹂
厨房から怒鳴りつけられて、看板娘はぴんと背筋を伸ばすと、ば
つが悪そうな顔をして勘定書きを持って行った。
看板娘には可哀想なことをしたが、おかげでいろいろと情報を得
る事は出来た。
﹁これ、間違いなく派閥争いに巻き込まれるな﹂
﹁どうしよっか。私たちが欲しいのはワステード元司令官が集めて
くれた情報だけだし、派閥争いに巻き込まれるのを承知で助けたい
とまでは思わないんだけど﹂
軍にベイジルなどの知り合いはいるが、ミツキの言う通り軍内部
の問題にまで首を突っ込むのは避けたい。
依頼内容には、こちらが一方的に破棄することも可能という文言
があるため、破棄すること自体は問題がない。
報酬として設定されているバランド・ラート博士殺害事件の容疑
者、ウィルサムについての情報が得られないのは残念だが、一番大
事なのは自分たちの命だ。
892
だが、ワステード元司令官がバランド・ラート博士に関する情報
を集める過程で新大陸派の地雷を踏みぬいた事が、今回の派閥争い
が勃発した理由だとすると、俺たちにも責任が生じてしまう。
﹁受けるとしても、破棄するとしても、一度ワステード元司令官と
会う必要があるな﹂
現在は新大陸派と旧大陸派でいがみ合っている真っ最中だという。
それはつまり、ワステード元司令官はまだ影響力を残しているとい
う事だ。
依頼を理由にワステード元司令官と接触しても、ホッグスにすぐ
さま暗殺されるようなことはないだろう。
注文した料理が運ばれてきて、テーブルに並べられる。
アユに似た魚を焼いた物の他に酢の物やスープ、パンが並んでい
た。
食事を始めていると、店の戸口に新たな客が立つ。
﹁いらっしゃいませぇ﹂
看板娘が癖で口にした後、硬直した。
戸口を潜って客が入ってくる。
﹁こちらにいましたか﹂
俺たちを見て、にこやかに笑う茶髪の五十代。
﹁ベイジル、そっちから来たか﹂
﹁精霊獣機は目立ちますから、整備士の一人が見かけたと教えてく
れました。ワステード副司令官は忙しいもので、自分が呼んで来い
と言われました﹂
893
茶髪を掻きながら、俺たちが食べている定食を見たベイジルは看
板娘に適当な飲み物を頼む。
生きた伝説、弓兵機アーチェの操縦士ベイジルの電撃訪問に硬直
していた看板娘が、油の切れた機械のような動きで注文を取り、厨
房へ駆けこんだ。
﹁︱︱なんかすごいのきたぁ!﹂
厨房から興奮した声が聞こえてきて、ベイジルの苦笑を誘う。
俺たちのテーブルに椅子を持ってきて腰かけたベイジルは、苦笑
を浮かべたまま厨房を一瞬振り返った。
﹁過去の話を暴露しても、こうして慕ってくれる方がおりましてね。
軍を抜ける事もできず、墓参りも続けて、表面上は何も変わらぬ日
常を過ごしています﹂
﹁それならそれでいいんじゃないの﹂
投げやりに返すと、ベイジルの苦笑がさらに深まった。
﹁話の方に移りましょう。食事を終えたら司令部に来てください。
それと、こちらがリットン湖調査における報酬、バランド・ラート
博士と軍に関係する資料です。他言無用でお願いしますね﹂
ベイジルが服の袖や襟から折りたたんだ紙を取り出して渡してく
る。
﹁隠し持っているという事は、軍がバランド・ラート博士殺害にか
かわっていると?﹂
894
ベイジルから渡された紙をポケットに仕舞いこんで、訊ねる。
﹁それが、暗殺したかどうかは分かりません。可能性は低いとさえ
思います。どうも、バランド・ラート博士の研究資料を新大陸派が
捜しているようでして、今回のワステードさんの降格騒ぎも本国の
新大陸派が騒いだ結果だとか﹂
嗅ぎまわられたから新大陸派のホッグスをお目付け役として派遣
し、ワステード元司令官の動きを封じたという事か。
﹁詳しい内容は紙にすべて書いてあります﹂
﹁ウィルサムについての資料は?﹂
﹁それが、新大陸派が情報を握りつぶしているようで、調査が遅々
として進んでいません。本国の旧大陸派にも裏切り者がいるようで﹂
泥沼じゃん、とミツキが呟く。
軍内部の泥沼派閥争いに興味はないので、俺たちはそれ以上ベイ
ジルに質問はせず、さっさと食事を済ませる。
勘定を済ませて店を出た俺たちは、ベイジルに先導されて司令部
に足を運んだ。
司令部の中、副指令の部屋に通される。
﹁来たか。君たちへの報酬は、なかなか大変な仕事になっているよ﹂
疲れた顔のワステード元司令官がため息を吐く。
﹁いや、すまない。いまの嫌味は忘れてくれ﹂
﹁はい、忘れました﹂
﹁⋮⋮君はそんな軽口を叩くような性格をしていたかね?﹂
895
ワステード元司令官がいぶかしげに俺を見る。
いろいろあったので、と返すと、ワステード元司令官はまだ訝し
みながらも、そうか、とだけ返した。
﹁知っていると思うが、副司令官に降格した。リットン湖攻略の指
揮はホッグス暫定司令官が直接執ることになる。私も雷槍隊を連れ
て同行する予定だ。ベイジルも出撃することになるだろう﹂
﹁ボルスが空になりませんか?﹂
﹁なるな。暫定司令官殿が決めたことだ。私は逆らえんよ﹂
不満そうにため息を吐いて、ワステード元司令官は窓の外を見る。
﹁依頼を出した時の状況からかなり変化してしまった。作戦への参
加が君たちの利益にならない事も承知している。その上で、頼みた
い﹂
﹁作戦の参加ですか? ホッグスが直接指揮を執るとなると、俺た
ちは参加を見合わせざるを得ませんよ﹂
自由行動を保証されているが、今回の作戦にワステード元司令官
まで出るとなると〝必要な犠牲〟が出る可能性も高い。そんな作戦
に俺とミツキが出ると、巻き込まれる。
﹁派閥争いに巻き込まれて後ろから刺されるとか、絶対に嫌です﹂
ミツキが両腕を交差させて大きなバツ印を作る。
ワステード元司令官が再度ため息を吐く。
﹁だろうな。私としても君たちのような若者を作戦に参加させたく
はない。頼みというのは作戦への参加とは別のものだ﹂
﹁というと?﹂
896
﹁君たち二人とベイジルを派閥争いに巻き込まないよう、一芝居打
ちたい﹂
どういう事か、と首を傾げると、ワステード元司令官は窓の外を
指差した。
﹁ここにいくらかの戦力を残さなくてはならない。それも、司令官、
副司令官が不在でも十分に防衛戦を行えるだけの指揮能力を持つ者
が必要だ﹂
﹁それがベイジルですか?﹂
﹁人気もある。実力もある。問題はないだろう。だが、ベイジルは
長くこの防衛拠点ボルスで私の下についていたこともあり、旧大陸
派閥だと思われている﹂
﹁え、違うの?﹂
ベイジルに振り返って問いかけると、あいまいな顔で頷かれた。
﹁自分は派閥としては中立です。この防衛拠点を守ることが第一で
すから。もちろん、ワステード副司令官には恩もあります。いざと
いう時には助けに行きますよ﹂
﹁助けには来なくてよい。とにかく、このボルスを守ってくれれば
それでいい﹂
﹁そうは言いますが︱︱﹂
﹁くどい。君は戦友の墓を魔物に踏み荒らさせるつもりか。ここを
守るのが老兵たる君の仕事だ、ベイジル﹂
なんか、上司と部下らしいかっこいい会話が繰り広げられている
っぽいが、俺とミツキは完全に蚊帳の外だ。
仕方がないので、蚊帳の外から声をかけて引っ張り出すことにす
る。
897
﹁それで、芝居というのは?﹂
898
第十九話 しわ寄せを受ける者
﹁︱︱入れ﹂
ホッグスの声が扉越しに入室を許可した。
俺はワステード元司令官と一瞬視線を合わせてから、部屋に入る。
ホッグスは俺とミツキを見た瞬間顔を顰めたが、すぐにワステー
ド元司令官とベイジルを見た。
﹁何の用だ?﹂
﹁この二人の開拓者を次の作戦に参加させる依頼をベイジルが交わ
していたので、許可をお願いしに参りました﹂
ワステード司令官が丁寧な物腰で言うと、ホッグスは馬鹿にした
ように笑った。
﹁知っているぞ。鉄の獣だろう? 愛機を獣に貶めている開拓者の
鼻つまみ者だ。リットン湖の調査でも調査隊の和を乱したと聞いて
いる。リットン湖攻略戦を前にしたこの大事な時期に士気を落とさ
れてはかなわん。即刻退去しろ﹂
ハエでも払うように手を動かして、俺たちに退去を命じたホッグ
スはベイジルをじろりと見て、厭味ったらしく言葉を連ねる。
﹁まったく、こんな連中を参加させろとは、生きた英雄も落ちぶれ
たな﹂
そこに、ワステード元司令官が口を挟んだ。
899
﹁私もそう思います﹂
﹁︱︱なに?﹂
意外にもワステード元司令官が同意したことに、ホッグスは怪し
いモノを見るように目を細める。
しかし、ワステード元司令官はベイジルを見て、勝ち誇ったよう
な顔を浮かべた。
﹁司令官もこう言っている。参加は諦めるんだな﹂
ベイジルが鼻から息を吐き出して、天井を仰ぐ。
﹁分かりました。これも、今までのツケと思って諦めましょう﹂
ワステード元司令官とベイジルのやり取りの意味が分からないの
か、ホッグスは怪訝そうに眉を寄せている。
しかし、ホッグスはワステード元司令官やベイジルに質問する事
も出来ない。対抗派閥に何かを質問しても、正しい回答が得られる
とは限らないからだ。
ホッグスの注意が完全にワステード元司令官とベイジルに向けら
れたこの瞬間に、俺は事前にワステード元司令官に言われた通りの
空気を読めない発言役を実行する。
﹁まぁ、ベイジルにも悪い話じゃないだろ。俺たちも軍の派閥争い
になんて巻き込まれるのはまっぴらだから、依頼主のベイジルが派
閥争いに首突っ込むのは反対だったし﹂
﹁︱︱ヨウ君﹂
ミツキに肘でつつかれて、俺は誤って口を滑らせた振りをして、
900
顔をそむける。
﹁あぁ⋮⋮ともかく、現状維持が一番だってことだよ﹂
苦し紛れに締めくくる。
部屋が微妙な空気になった。
ミツキがため息を吐く。
﹁私もヨウ君に賛成。ここで言う話じゃないけど、ベイジル派閥全
部巻き込むとボルスを誰が守るのって話だし﹂
ミツキが肩を竦めて、ベイジルを見る。
﹁依頼は破棄でいいよね。司令官も副司令官も、どっちも説得でき
なかったベイジルの責任で﹂
ミツキに問われたベイジルは、ホッグス、ワステード元司令官の
順に見て、頭を掻いた。
﹁仕方がありません。依頼は破棄してかまいません﹂
﹁ならそう言う事で﹂
ミツキがベイジルに背を向け、司令官室の扉を開ける。
廊下へ出るミツキに続いて、俺も外に出た。
﹁ボルスくんだりまで来て無駄足かよ﹂
﹁派閥争いに巻き込まれるよりマシでしょ﹂
打ち合わせ通りの会話をしながら廊下を歩き、司令部を出る。
とりあえず、これでホッグスはベイジル派閥が存在するか裏を取
901
るだろう。
そもそもが生きる伝説として扱われているベイジルだ。不用意に
戦死させるとボルス全体から総顰蹙を食らう事くらいホッグスだっ
て理解している。
ベイジルがワステードと同じ旧大陸派ではなく、ボルスに根差し
ている中立派閥だと分かれば、戦死させる危険性を冒してまで出撃
はさせないだろう。
ボルスに残しておけば、間違ってもリットン湖攻略戦で戦功は立
てられないのだから、始末するつもりでない限りボルスから出撃さ
せる理由がない。
︱︱というのがワステード元司令官の話だったんだけど、
﹁ワステード元司令官、本格的に死亡フラグ立ってるよね﹂
日本語でミツキが呟いた言葉に同意する。
﹁巻き込んだの俺たちなんだよなぁ﹂
作戦に同行は出来ない。ワステード元司令官にまで断られてしま
っている。
﹁こまめにリットン湖攻略の進捗状況を調べて、何かあったらここ
に駆けつけるしかないね﹂
﹁後手後手だな。でも、それしかないか﹂
ボルスに残っているとホッグスに怪しまれる。
精霊獣機を停めてあるギルドのガレージに入ると、見覚えのある
男がディアの横の壁に背中を預けて待っていた。
﹁ロント小隊長?﹂
902
﹁⋮⋮来たか﹂
俺とミツキを横目で確認して、壁から背中を離したロント小隊長
がギルドの中へ入っていく。
ついてこい、というところだろうか。
ギルドに入ると、ロント小隊長はすでに休憩スペースの椅子に腰
かけていた。
ミツキと一緒に向かいの椅子に腰掛ける。
ロント小隊長は腕を組んで不愉快そうに眉間に皺を寄せる。
﹁腹の立つ話だが今回の作戦、派閥争いが絡んでいる﹂
﹁知ってます﹂
いま一芝居打ってきましたとも言えず、短く答えると、ロント小
隊長は溜め込んでいたモノを吐き出すように長く息を吐いた。
﹁旧大陸には開拓学校がある。開拓学校卒業者は今回のリットン湖
攻略戦が初の任務という者も多くいる。その点、デュラ偵察やヘケ
ト駆除を行った我が小隊は恵まれている方だろう﹂
﹁何が言いたいんですか?﹂
ミツキが結論を求めると、ロント小隊長はぐっと眉間に力を込め
る。ますます皺が寄った。
﹁⋮⋮使い潰される﹂
静かに一片の疑いもなく断言して、ロント小隊長は俺とミツキを
見た。
﹁身内の恥を晒すようで言いたくはないが、今回の派閥争いで最も
903
不利益を被るのは開拓学校卒業者、旧大陸派閥の末端だ。ワステー
ド副司令官ほどの高位将官ならば死線に送られることはないだろう
が、我々は違う﹂
心の底から悔しそうに歯ぎしりして、ロント小隊長は〝身内の恥
〟を暴露した後、続ける。
﹁いざという時の救援部隊が欲しい。魔物が跋扈する未開拓地の奥
へ最速で駆けつけ、孤立部隊を即時発見、安全に誘導できる者だ﹂
﹁それを俺たちにやれって言いたいんだと思いますが、すでにホッ
グス司令官に退去を命じられてます﹂
﹁ちっ、あの無能、よく働く﹂
ロント小隊長が舌打ちする。聞かれていたらどうするんだろう。
﹁それに、救援部隊を用意しても、使い潰すつもりならそもそも孤
立させる事さえしないかもしれませんよ?﹂
﹁その場合は生き残れる。後ろから魔物が来ないのならば、対応は
可能だ﹂
当然のことのように言いきったロント小隊長はさりげなくギルド
内を見回してから、声を小さくした。
﹁砲撃タラスクを覚えているな?﹂
俺とミツキはそろって頷いた。
カメ型大型魔物タラスクの中で、ボルスに対して遠距離砲撃とば
かりに火球を打ちこんでいた魔力袋持ちの個体だ。
﹁ベイジルさんに討ち取られたあの砲撃タラスクを解剖したところ、
904
後ろヒレを食いちぎられた跡が見つかった。同じカメ型魔物と思わ
れるが、かなり巨大な個体だ。そしておそらく、歯がある﹂
歯があったからなんだというのだろう。そう思っているとミツキ
が思い出す様に首をわずかに傾ける。
﹁ヨウ君、タラスクに歯はなかったよ﹂
﹁それじゃあ、新種?﹂
ロント小隊長が警戒しているのはその新種の歯を持つ大型魔物か。
確認すると、ロント小隊長は深く頷いた。
﹁雷槍隊も全機出撃する予定の今回の作戦で滅多なことは起こらな
いと思いたい。だが、正体不明の新種がいるとなると何が起こるか
は分からない。どうしても保険が欲しい﹂
﹁その新種相手の捨て駒にされた場合の救援部隊が欲しいって事で
すよね。戦力もかなり必要になるんじゃ?﹂
助けに行っても新種と交戦中でした、では俺とミツキが参加して
も焼け石に水だと思う。
﹁全力で離脱できるように準備を進めている。その点は心配いらな
い﹂
ロント小隊長は難しい顔でギルドホールを見回した。
﹁鉄の獣がボルスを退去させられるとなると、他の開拓団に頼むし
かないか。回収屋は来てるのか?﹂
﹁別のところで仕事があるとの事で、港町の防衛戦の後で別れまし
た﹂
905
﹁飛蝗は?﹂
﹁一度村に戻るそうです。防衛戦で精霊人機が一機、中破したので
修理している頃だと思います﹂
﹁鉄の獣の伝手も使えないのか﹂
ロント小隊長は腕を組み、眉間のしわを深くする。
知らない仲でもないし、協力したいのは山々だが⋮⋮。
﹁リットン湖攻略隊に何かあったら駆けつけますよ﹂
﹁そうしてくれると助かる﹂
ひとまず、可能な限り救援に駆けつける事を約束した時、ギルド
の入り口から開拓団〝月の袖引く〟団長タリ・カラさんが現れた。
後ろには執事然として丁寧な物腰の副団長レムン・ライさんもいる。
例によって疲れた顔をしていたタリ・カラさんだったが、開拓団
の空気が変わった事で心労が軽減されたらしく、少し肌艶が良くな
った気がした。
タリ・カラさんは俺たちに気付いて会釈する。
俺もミツキと揃って会釈を返すと、ロント小隊長が怪訝な顔をし
て俺の視線を追った。
﹁知り合いの開拓者か?﹂
﹁開拓団〝月の袖引く〟の団長と副団長さんです﹂
タリ・カラさんたちがちょうど俺たちのところにやって来たので、
紹介する。
ロント小隊長は何かを思い出すように目を閉じた後、はたと気づ
いたようにタリ・カラさんをじっと見つめた。
﹁名前を聞いたことがある。戦場を選ばない魔術戦主体の開拓団だ
906
ったはずだな﹂
俺に聞かれても知らない。ボルスに来るまで一緒にキャラバンの
護衛をしていたが、索敵範囲の関係上俺とミツキですべての魔物を
処理してしまったから、タリ・カラさんたちが戦う姿を見ていない
のだ。
ロント小隊長の質問に、タリ・カラさんはあいまいに頷いてミツ
キを見た。
﹁リットン湖攻略隊ロント小隊の隊長、ロントさんだよ﹂
ミツキがロント小隊長を紹介すると、タリ・カラさんは慌てて頭
を下げた。
﹁失礼しました。開拓団〝月の袖引く〟の団長タリ・カラです﹂
ロント小隊長はタリ・カラさんを見てから、後ろに立っているレ
ムン・ライさんを見た。
﹁若い団長だな﹂
﹁先代は一昨年、戦死しました﹂
レムン・ライさんが恭しく答えると、ロント小隊長はお悔やみを
言って、タリ・カラさんを見る。
﹁月の袖引くがここにいるという事は、リットン湖攻略戦への参加
希望か?﹂
﹁はい。ですが、紹介が無ければ参加させられないと言われて、困
っていたところです﹂
﹁そうか、そうだろうなぁ﹂
907
ロント小隊長が嫌悪の色を含んだ声を上げて、天井を見る。
旧大陸派の戦力を削ぐことが目的とも考えられる攻略戦だ。
ホッグスにとっては、自らに不利な証言者となり得る開拓者の参
加は阻止しようとするだろう。
開拓団〝月の袖引く〟が参加を断られた事で、ロント小隊長はホ
ッグスへの疑いを深めたのだ。
﹁ちなみに、どんな理由で断られたんですか?﹂
﹁軍の威信をかけた攻略戦だから、と言われました。おそらく、開
拓団はどこも参加を断られていると思います﹂
タリ・カラさんの証言に、ロント小隊長がため息を吐く。
そして、意を決したようにタリ・カラさんを見た。
﹁依頼をしたい﹂
ロント小隊長が月の袖引くに依頼した内容は、防衛拠点ボルスに
滞在し、リットン湖攻略が失敗した際に救援隊としてロント小隊を
発見、回収するというものだった。
魔物の群れに飛び込むような、危険な依頼である。
タリ・カラさんは眉を顰めたが、レムン・ライさんが肩に手を置
いて押しとどめ、意見を述べた。
﹁軍に、それも一派閥に恩を売ることができる依頼です。依頼の発
生条件もリットン湖攻略が失敗した場合という前提のもと成り立っ
ています。この依頼を受け、リットン湖攻略後に手付かずの周辺未
開拓地を我々が開拓する際、後ろ盾になってもらう事を報酬として
頼むのはいかがでしょうか?﹂
908
レムン・ライさんの提案にタリ・カラさんが答えるより先に、ロ
ント小隊長が口を挟んだ。
﹁一小隊長にそこまでの権限はない。ある程度の融通は出来るがな。
それに、周辺地図、魔物の生態などの情報を優先的に譲渡するのな
らば可能だ﹂
﹁では、それで結構です。団長、一度この話を持ち帰り、団内で相
談してはいかがでしょうか?﹂
レムン・ライさんに促され、タリ・カラさんは少し考えた後頷い
た。
﹁分かりました。夜には連絡します﹂
﹁頼んだ。鉄の獣も、いざという時には頼む﹂
そう言って、ロント小隊長は頭を下げてから、ギルドを出て行っ
た。
909
第二十話 テイザ山脈
ギルドを出た俺たちは宿で部屋を借りる事は出来ないだろうと早
めに見切りをつけ、ボルスの外に出た。
防衛拠点ボルスの防壁の外で野営する。
﹁明日の朝には出発しようか﹂
ミツキが俺の淹れた白いコーヒーもどきに牛乳を入れてカフェオ
レもどきにしながら、明日の予定を確認する。
俺は白いコーヒーもどきを飲み、口を開く。
﹁当初の予定通りガランク貿易都市に行こう﹂
﹁マライアさんからもらった情報にあった、研究所だね﹂
﹁本当にあるかどうかは分からないけどな﹂
ガランク貿易都市までのルートを確認するべく地図を開く。
貿易都市というだけあって道が整備されている。ボルスからだと
マッカシー山砦を経由して車両で四、五日程度の道のりだろう。途
中で野営や魔物との遭遇戦をするとさらに時間がかかる。
﹁道が整備されてるって言っても、テイザ山脈を迂回しないといけ
ないせいでかなり遠回りしてるね。これを越えていけば二日でつけ
るかな﹂
﹁かなり標高がありそうだぞ。未踏破だって聞くし﹂
テイザ山脈は峻嶮と名高い、新大陸でも有数の山脈だ。魔物も多
く、精霊人機での踏破が不可能と判断されて半ば放置されている。
910
未発見の魔物もいるのではないかと言われており、調査は少しず
つ行われている。だが、鬱蒼とした森や急勾配といった条件のせい
で人類の最終兵器である精霊人機が入り込めないせいで、調査は遅
々として進まない。
まともな神経なら越えようとはしないだろうそのテイザ山脈も、
精霊獣機という攻撃兼移動手段を持つ俺たちなら超えられる可能性
は十分にあった。
必要な物資の量や移動ルートを模索していると、ディアが索敵魔
術の反応を告げた。
対物狙撃銃を引っ掴んで立ち上がる。
だが、防壁沿いに俺たちの下へ歩いてくるのはタリ・カラさんと
レムン・ライさんだった。
﹁その物騒な物を下ろしていただけませんか?﹂
タリ・カラさんに苦笑しながら言われて、俺は対物狙撃銃を下ろ
した。
﹁悪い、防壁の外だとどうしても警戒してしまってさ﹂
﹁いえ、警戒した方が良いと思います。何しろ、こんな場所ですか
ら﹂
そう言ってタリ・カラさんはボルスへ目を向けた。
森ではなく、ボルスの中へ目を向けたタリ・カラさんに、ミツキ
が声を掛ける。
﹁ロント小隊長の依頼を受けたんですね?﹂
タリ・カラさんは困ったように苦笑して、頷いた。
911
﹁まさか泥沼の派閥争い中だとは思わなくて、話を聞かされた時に
は驚きました。まだまだ、情報収集の手段を学ばないといけないよ
うです﹂
﹁お嬢様、情報収集であればこのレムン・ライが知り合いを当たり
ましょう﹂
﹁今後はそうしてもらいます。でも、わたしも学ばないと﹂
きちんと相談をしている事に他人事ながら安堵しつつ、俺は話を
戻す。
﹁それで、俺たちに何か用ですか?﹂
﹁ロント小隊長から、いざという時に鉄の獣へ連絡ができるように
してほしい、と言われました。頼りにされているんですね﹂
﹁ロント小隊長はボルスに来て日も浅いですし、近隣の開拓者にも
顔が利かないからでしょう﹂
タリ・カラさんとレムン・ライさんは俺たちが広げている地図を
見て首を傾げる。
俺たちの広げた地図にはテイザ山脈を問答無用で突っ切る赤い線
が引かれ、すでに判明している勾配を考えに織り込んだ日数などが
記載されている。
﹁まさか、テイザ山脈を越えるつもりですか?﹂
﹁開拓者をやっている理由の一つが名所絶景巡りなもので﹂
﹁無謀、ではないのでしょうね。精霊獣機の索敵能力には護衛の間、
何度も助けられましたし⋮⋮﹂
ディアとパンサーの索敵能力を知っているタリ・カラさんは無謀
と否定することもできず、それでも常識外れだと零した。
912
﹁常識なんていつか壊れるモノですよ。今回壊すのがたまたま俺と
ミツキだっただけです﹂
﹁精霊兵器開発者兼、研究者兼、開拓者。いま新たに、登山家の称
号を得ようとしているの﹂
ミツキが拳を夜空に突き上げて宣言する。だんだんと、バランド・
ラート博士を笑えない肩書きのオンパレードになっている。
俺は広げた地図の一点、ガランク貿易都市を指差す。
﹁俺たちの次の目的地はこのガランク貿易都市です。姉妹都市のト
ロンク貿易都市にも機会があれば足を延ばそうと思ってます﹂
マライアさんに教えてもらったバランド・ラート博士の研究所は
ガランク貿易都市とトロンク貿易都市の間に存在しているらしい。
﹁俺たちは精霊獣機に乗っている関係で、宿で泊まろうとしても断
られることが多いんです。ですから、連絡はギルドにお願いします﹂
﹁分かりました﹂
タリ・カラさんは俺たち宛の連絡方法として、ギルドに軍の新大
陸派閥から圧力がかかった場合でも救援を頼めるよう、符丁を提案
してきた。
救援の必要なしと救援を求む他にも月の袖引くに何かあった時の
符丁などを教わる。
タリ・カラさんは一つ一つ符丁の意味を話した後、言い訳をする
ように続けた。
﹁ここまでするのは警戒のしすぎかもしれませんが、ギルドにも軍
のスパイがいるかもしれない、とロント小隊長からの指示です﹂
﹁それだけ、軍の内部が緊迫しているという事でしょう。タリ・カ
913
ラさん達こそ、派閥争いに首を突っ込んで大丈夫ですか?﹂
﹁団内での意見はまとまりました。今回は見返りも大きいので、満
場一致で賛成でしたよ﹂
諸手を上げて歓迎するほど、護衛依頼ばかりの生活に不満が溜ま
っていたのだろう。
タリ・カラさんも分かっているのか、暴走させないように気を付
けるつもりです、と笑った。
﹁それでは、わたしたちはこれで失礼します﹂
﹁えぇ、可能なら、再会はボルス以外のどこかにしたいですね﹂
ボルスで再会するという事は、ロント小隊長たちに何かあった時
なのだから。
タリ・カラさんは複雑そうに頷いて、レムン・ライさん共々ボル
スへ戻って行った。
明くる朝、ボルスで必要物資を買い込んだ俺たちはさっそくテイ
ザ山脈へ向けて出発した。
﹁絶好のピクニック日和だね!﹂
ミツキが笑うほど、どこまでも青い空が続いている。
気温は比較的高いが、湿度もなくて過ごしやすい。
ディアの速度を時速五十キロ程度に調整しながら、道を外れて森
の中に入る。
虫の音があちこちから聞こえてくる。
森の奥まで来ると、進行方向に山の連なりが確認できた。
今回登る予定のテイザ山脈だ。
914
テイザ山脈には多くのスケルトン種が生息するとされている。
﹁精霊人機の元になった魔物か。実際に見たことはなかったな﹂
﹁人骨型しかいないらしいね。動物の骨とかもいていいと思うのに
さ﹂
ミツキの言う通り、スケルトン種には人骨型しか存在しない。こ
れも、精霊兵器が人型以外受け入れられない理由なのかもしれない。
テイザ山脈に入ると、途端に勾配が険しくなった。
大きな岩がいくつも転がっており、足元にも石が転がり、木の根
が飛び出ている。
木々が無秩序に生育していて、木漏れ日もわずかだ。
適当に目についた巨石に近付いて、観察してみる。
﹁火山岩みたいだね﹂
ミツキが巨石を観察して、呟く。
巨石には苔がまとわりつき、窪みに積もった土からはシダ植物が
健気に生えていた。
﹁雰囲気あるな。ご神体として祭られてそうな神々しさだ﹂
太陽の角度も良かったのか、木漏れ日がスポットライトのように
当たっている。
それにしても、と俺は来た道を振り返った。
﹁これは車両が通れないのも納得だな﹂
ごろごろと大岩が転がる急な坂道。少し湿った地面には苔の生え
た石やら木の根、腐った倒木などなど。
915
車両が通れるほど広い場所はなく、精霊人機で踏破しようにも上
り切る前に魔力切れを起こすのは間違いない。
﹁徒歩で登り切ろうにも大型魔物に出くわしたら死んじゃうし、人
跡未踏も当然だよね﹂
﹁それにしても、誰も足を踏み入れていない場所に入るのはどうし
てこうもわくわくするんだろうな﹂
﹁それはね、ヨウ君が坊やだからさ﹂
したり顔でミツキが言う。こういう時に使う言葉じゃない気がす
るが、外れているわけでもない。
坊やらしい冒険心を胸に抱き、さらにテイザ山脈を登る。
何度も方位磁針を確認し、昇り降りを繰り返す。
植生が徐々に高山特有の背の低い物に変わり始めた頃、俺たちは
どちらともなく足を止めた。
無言で視線を交差させ、音を立てない様に森へ戻り、木の陰に姿
を隠す。
﹁ねぇ、あれ、何?﹂
ミツキの質問に、俺は肩を竦めた。
﹁新種だろ。というか、デカすぎる﹂
俺は木の陰から向かいの山の頂付近に佇むそれを窺う。
体高十メートル、あるいはそれ以上はあるだろうか。
それは人骨型の魔物、スケルトン種の大型魔物だった。
白亜を思わせる滑らかな人骨は俺が知るあらゆるスケルトン種の
どれにも分類されない、大型魔物だ。
916
﹁スケルトン種に大型魔物なんて確認されてたか?﹂
﹁実在の可能性は高いって言われてたけど、まだ発見はされてない
ね﹂
ミツキも木の陰から向かいの山の頂にいる大型スケルトンを観察
して呟く。
﹁どうする? 倒す?﹂
﹁いや、カノン・ディアで倒せるかもしれないけど、大型スケルト
ンなんてどれくらい堅いか分からない﹂
スケルトン種は頭骨の破壊で倒せる。しかし、ヒビやちょっとし
た穴程度では効果がない。
カノン・ディアが効かない場合も怖いが、銃弾が貫通して穴だけ
開きました、だとまだ活動する可能性があるのだ。
﹁さわらぬ神に祟りなしって事で、無視しよう﹂
﹁それが無難かもね﹂
踏破予定だった山の頂を大型スケルトンが占拠しているため、俺
たちはルートを変更することにして、地図を開く。
少し遠回りになってしまうが、大型スケルトンが占拠している山
を大きく迂回して、二つ先の山を目指すことにした。
﹁山頂からの眺めが楽しみだったのに、大型スケルトンばっかり楽
しんでずるいよね﹂
﹁俺たちはあいつの縄張り、家に不法侵入したようなもんだから、
諦めるしかないさ﹂
ミツキを慰めつつ、慎重に山を下りる。
917
それにしても、あんな大型魔物まで生息しているとなるとテイザ
山脈の踏破は精霊人機をもってしてもきつそうだ。
﹁悔しいからあの大型スケルトンに名前付けてみる﹂
﹁ガシャドクロとか?﹂
ミツキの考えを先読みするつもりで名前の例を挙げる。
﹁違うよ﹂
ミツキが人差し指を左右に振り、そのまま大型スケルトンをびし
りと指差す。
﹁命名、交通訴訟賞﹂
﹁意味が分からな⋮⋮まさか骨粗しょう症とかけてるのか?﹂
ミツキがにやりと笑う。
﹁ちょっとした呪いをかけてみました﹂
﹁ちょっとどころか致命傷だと思うけどな﹂
ミツキと笑いつつ、山頂を迂回して山を下りた俺たちは次の山を
麓を回りながら迂回して、また山登りを始める。
ディアとパンサーの索敵範囲は最大だ。間違っても大型魔物との
戦闘なんてしたくない。
相変わらずの原生林を進んで山頂を目指していると、小さな渓谷
が姿を現した。
まな板を二枚、斜めに立てたようにストンと落ちる崖の下には川
が流れている。
視線を転じて川上を見ると、滝がある。白い飛沫を上げながら落
918
ちる滝壺は青い水を湛えていて、枯葉が数枚漂っていた。
滝壺から流れる水が地面を侵食してこの渓谷を形作ったようだ。
﹁綺麗だね﹂
ミツキが滝から流れる水を追って渓谷を眺め、呟く。
こじんまりとしているが、静謐で風情のある景色だ。
交通手段が確保できればちょっとした観光名所になるだろう。
しかし、魔物がすむ険しい山々を越えてこの渓谷まで来ることが
できるのは、今のところ俺とミツキしかいない。
﹁独り占めだな﹂
﹁二人占めだよ﹂
ミツキと顔を見合わせ、笑いあった。
919
第二十一話 バランド・ラート博士の隠れ家
一日半かけてテイザ山脈を越えた俺はガランク貿易都市とトロン
ク貿易都市とをつなぐ大街道の手前の森で地図を睨んだ。
マライアさんからの情報によればこの辺りにバランド・ラート博
士の研究所があるはずだ。
森の中をしばらく探し回っても見つからず、地図を頼りに再度目
星を付けようと思ったのだが、街道から外れたこの辺りは詳細に調
査されたわけでもないため地図はあまり頼りにならなかった。
﹁ヨウ君、向こうに谷があるみたい﹂
パンサーで木に登ったミツキが報告してくれる。
﹁行ってみるか﹂
俺は谷すら書かれていない地図を折りたたみ、ポケットに突っ込
んだ。
ミツキが木から降りてきて、谷へ案内してくれる。
﹁それにしても、近くに人里もないのはおかしいよね﹂
﹁木の上から見まわしても人里はなかったのか﹂
新大陸は大型魔物が跳梁跋扈する危険な土地だ。
住居は基本的に密集させて作る。そうしないと魔物に襲われた際
に援軍を期待できないからだ。
ミツキのように町外れに家を構える場合でも、村や町を視認でき
る場所に立てるのが基本である。
920
軍人であったバランド・ラート博士なら魔物に襲われても撃退で
きる腕があるのかもしれない、と考えないでもなかったが、一個人
で大型魔物に対処するのは難しい。
つまり、バランド・ラート博士の研究所は魔物に襲われない場所
にあるか、さもなければ多数の研究所員が働く施設の可能性が高い。
森を見て回った限り複数人が住めるような施設を建てられそうな
場所は見当たらなかった。
﹁あれだよ﹂
ミツキが森の先を指差す。
森の木々が途切れ、切り立った崖に挟まれた谷が姿を現した。
対岸までの距離はおおよそ二十メートルほど。底までの高さは十
五メートルといったところか。結構深い谷だが、視線をテイザ山脈
に転じると、数キロ先に谷底へ降りられそうな傾斜を見つけた。
仮に一人で住むとしたら、この谷の底は隠れ潜むのに丁度良い場
所だ。
ミツキと共に数キロ先の傾斜まで直行する。
崖に沿って谷底へ伸びる傾斜は途中で崖の中に埋没している。ど
うやら、崖の中で通路状に伸びているようだ。
﹁見るからに怪しいね﹂
ミツキが秘密基地みたい、と呟く。
﹁索敵魔術の効果範囲は最大にして、慎重に降りてみよう﹂
俺はディアの索敵魔術の効果範囲を弄りながら、先陣を切る。
崖の半ばまで降りて、中に延びる通路を慎重に覗く。
かなり暗く、先は見通せない。しかし、壁面に焦げ跡のようなも
921
のが見えた。
ミツキと無言で頷きあって、俺は光の魔術で通路の中を照らし出
す。
中は意外と綺麗だった。壁面にところどころ戦闘の余波と思われ
る焦げ跡や穴があるものの、むき出しの土壁は滑らかだ。
﹁人工物だな﹂
﹁間違いないね﹂
こんな人里離れた崖の中に通路を作るくらいだ。奥に友好的な人
が住んでいるとは考えない方が良い。
バランド・ラート博士の個人研究所であればいいが、多数の研究
所員を有する何らかの秘密研究所という線もある。
﹁ちょっと楽しくなってきたね﹂
﹁同感だ﹂
潜入調査のようでドキドキする。
しかし、気は抜かない。
ディアを進めて、通路の奥を目指す。
緩やかに湾曲する通路を進んでいくと、奥から太陽の光が入って
きていた。
ここまで、ディアの索敵魔術に反応はない。
通路の出口から顔だけ出して外の様子を窺ってみる。
﹁崖の下についたみたいだ﹂
﹁何かある?﹂
﹁いくつかの魔物の骨と︱︱家とガレージ﹂
崖の壁面にガラスがはめ込まれた窓、木製らしき扉がある。ここ
922
まで通ってきた通路と同じく崖の中をくり抜いて作ったらしい。横
にはガレージと思われるシャッターがある。
﹁ガレージ入口の大きさからして、中には精霊人機がありそうだ﹂
仮に戦闘になった時、精霊人機なんて持ち出されたらいくら俺た
ちでも危ない。逃げ隠れできる森の中ならともかく、ここは崖下で
逃げ道が限定される。
ディアとパンサーの索敵魔術は反応していない。
﹁無人?﹂
﹁みたいだな﹂
一応、護身用の自動拳銃を確認して、俺はディアに乗ったまま家
に近付く。
ガレージのシャッターを見ると、持ち手の部分に砂埃が溜まって
いた。
玄関扉のノブにも砂埃が積もっており、この家が放置されて長い
時間が経つ事が分かった。
それにしても研究所には見えない。
﹁呼び鈴まであるな﹂
ドアの横に金属製のベルが吊り下げられている。風雨にさらされ、
さび付いているようだ。足元を見ると、呼び鈴から下がっていたら
しい鎖が落ちていた。赤さびに覆われた無残な姿だ。
﹁廃墟だね﹂
ミツキが家を眺めて断言する。
923
少なくとも、軍などの秘密研究所には見えない。なにより、索敵
魔術に反応がないという事はまず間違いなく無人だろう。
どうせ誰も出ないのだから、訪問を告げても構わない。本末転倒
な思考をしながら、礼儀というより自己満足として玄関扉をノック
する。
﹁ごめんください﹂
当然ながら、応答はない。
﹁よし、いないな﹂
﹁ヨウ君、それ言ったら台無しだよ﹂
ミツキに駄目だしされつつ、玄関扉のノブを回す。
意外にも、鍵は掛かっていなかった。
ディアの角を盾にしながら、扉を引きあける。
静まり返った家の中は玄関を入るとすぐに一段高くなっており、
砂の侵入を防いでいる。
本当に無人のようだと安心して、俺はミツキと一緒に家の中へ侵
入した。
﹁⋮⋮お邪魔します﹂
誰も聞いていないけど、一応断りを入れる。
意外にも、家の中は崖をくり抜いて作ったとは思えないほど広々
としていた。壁面には漆喰のような塗料が塗られている。ネズミや
虫の侵入を防ぐための処置だろう。いちいち壁を作るのが面倒だっ
たのか、キッチンやリビング、寝室は一体となっており、部屋数は
さほど多くない。
調理台や水瓶、ベッドなどの家具類も残されていた。壁と一体に
924
なった棚には大量の本が並べられている。多くは精霊の研究資料、
魔物や動物の図鑑や生態に関する資料だ。スケルトンや蛇に関する
書籍が多く目につく。なぜか歴史本や人口統計の資料もあった。家
主の趣味だろうか。
﹁家主を特定する証拠はないか?﹂
﹁バランド・ラート博士で確定だと思うけど、別の人の隠れ家って
可能性はまだあるもんね﹂
こんな場所まで訪ねてくる人は家主の知り合いしかいないのか、
表札の類はない。
署名の入った書類などはないかと探してみる。
﹁めっけ﹂
呟きが聞こえて目を向けると、ミツキが日記らしき小さなノート
を片手に持っていた。
﹁最初のページに名前が書いてあったよ﹂
﹁バランド・ラート博士か?﹂
俺の質問に、ミツキはページを開いて見せてくれた。しっかりと
バランド・ラートの署名がある。
以前、デュラの開拓者ギルドの資料を運びだした時に発見したバ
ランド・ラート博士の登録書類にあった署名と癖が似ている。まず
間違いはないだろう。
日記には二年分の記述があった。ガランク貿易都市とトロンク貿
易都市におけるバランド・ラート博士の滞在日数とほぼ同じだ。こ
の地域における活動拠点だったのだろう。
925
﹁中身を見るのは後回しにして、他の資料を探そう﹂
日記をパンサーへ収納するようミツキに言って、俺は部屋の中を
物色する。
﹁ピンクパンサー﹂
﹁ルパン﹂
怪盗の名前を交互に言い合いながら部屋を物色すること一時間、
部屋の中を検め終わって俺は腕を組んだ。
見つかった資料は日記の他に実験のレポートと思われるいくつか
の紙束だ。かなりの悪筆で読み解くのに時間がかかりそうだった。
﹁ガレージも見てみるか﹂
実験室のようになっているかもしれないと思い、見つけておいた
ガレージへ続く扉を開ける。
いくつかの実験器具と埃を被った精霊人機が駐機状態で放置され
ていた。
壁際の棚にはガラス張りの飼育ケースがいくつも置かれている。
﹁蛇を飼ってたみたいだね﹂
ミツキが飼育ケースの中身を見て眉を寄せる。
飼われていたと思しき蛇がミイラ化していた。この隠れ家を引き
払う際に連れて行かなかったらしい。
﹁本当に鰓がある﹂
ミツキがミイラ化した蛇を観察して感心したように呟いた。
926
ミイラ化した蛇には頭の付け根の辺りに鰓があった。
ガレージ内を調べながら歩き回っていると、靴先に何かが当たっ
た気がして、目を向ける。
﹁魔導核?﹂
小ぶりな魔導核が落ちていた。直径は六センチほど、魔導核の最
小直径だ。
なんでこんな高価な物が無造作に転がっているのか。
魔導核を拾うために屈む。
その時、視界が低くなったことで棚の下のわずかな隙間に転がる
別の魔導核を見つけた。
こちらの魔導核も最小直径の六センチだ。
棚の下を覗き込んでみると、他にも三つほど同じ大きさの魔導核
が転がっていた。
﹁ヨウ君、この蛇のミイラちょっとおかしい﹂
魔導核を拾い集めて棚の上に置いた時、ミツキに呼ばれて振り返
る。
﹁どうした?﹂
﹁この蛇のミイラだけお腹の辺りが大きく膨らんでるの﹂
ミツキが指差すガラスケースを覗き込むと、確かに蛇の腹部が大
きくなっていた。
﹁最後の晩餐を消化しきれずに亡くなったか﹂
﹁多分、別の物が入ってるよ﹂
﹁そっちの方が怖いんだが﹂
927
しかし、ミツキの顔を見る限り怪談話をしたいわけでもなさそう
だ。
ミツキの視線を辿ってみると、蛇の死骸の奥を見ていた。
﹁リボン、いや、包帯か?﹂
蛇の死骸の奥にボロボロになった包帯が見えた。
ミツキがパンサーの腹部の収納スペースから日記を取り出す。
﹁このページを見て﹂
ミツキが指示したのは日記の最初の方のページだ。
﹁魔力袋を人工的に作り出す実験?﹂
日記に書かれていた実験手順は蛇の鰓を布などで覆い、ある程度
の年月を生きたネズミを生きたまま食べさせるというものだった。
バランド・ラート博士がなぜこの手順に辿り着いたのかは分から
ないが、もしもこの実験を行っていたのだとすれば蛇の死骸の中に
あるのは魔力袋という事になる。
俺は先ほど見つけた小さな魔導核を思い出し、ディアの収納スペ
ースから魔物の解体時に使う手袋を取り出した。
﹁他にめぼしい発見もなさそうだから、ミツキは日記の内容を調べ
ていてくれ。蛇に関する物を重点的に﹂
﹁分かった﹂
役割分担して、俺は蛇のミイラを持ち上げる。
ガレージで見つけた解体用のメスを使い、鱗をざっと落としてか
928
ら死骸の腹を裂いた。
やはりというべきか、蛇の中には魔力袋があった。それも、蛇の
体格を考えると不自然に大きなものだ。
この蛇の魔力袋をバランド・ラート博士が人工的に発生させたの
だとすれば、歴史的な大発見になる。金銭的にも裕福な生活ができ
ただろう。
しかし、バランド・ラート博士はこの隠れ家を引き払ってからも
魔力袋の人工的な発生手順を公開していない。
追従実験に失敗したのか?
﹁ミツキ、日記にはなにか書いてあったか?﹂
﹁魔力袋を人工的に作り出して魔導核にした後、研究資金にしてた
みたい。でも、研究資金は最低限に抑えるようにも工夫してる。そ
れと︱︱﹂
ミツキは眉を寄せて俺が蛇の死骸から摘出した魔力袋に手を伸ば
した。
何をするのかと思えば、ミツキは魔力袋を手に持ち、集中し始め
る。
声を掛けるのもはばかられ、俺はミツキから日記を受け取って中
身をぱらぱらとめくった。
蛇に関する部分にミツキが折り目をつけてくれたおかげで一々探
す手間が省ける。
日記の最後のページに、蛇から摘出した魔力袋を処理する記述が
あった。その内容に驚いて、俺はミツキの手元を見る。
魔力袋がゆっくりと空気中へ溶けるように消えていくところだっ
た。
魔力袋が手元から完全に消え去ってから、ミツキは疲れたように
息を吐き出す。
929
﹁日記の記述に嘘はないみたいだね﹂
﹁そうみたいだな﹂
日記の最後のページ、蛇から摘出した魔力袋の処理の仕方にはこ
うあった。
魔力袋の中心にいる休眠状態の精霊に僅かずつ魔力を流し込んで
呼び起こし、魔力袋の中を魔力で満たして精霊を解放する、と。
930
第二十二話 ウィルサム
資料の類をディアとパンサーの収納部に仕舞いこみ、俺はミツキ
と一緒に隠れ家を出た。
﹁精霊研究者、バランド・ラート博士か﹂
﹁魔力袋と精霊の関係なんて考えたこともなかったけど、この魔力
袋の発生手順を考えると、精霊の正体は⋮⋮﹂
﹁生き物の魂とかだろうな﹂
魂、そう聞いて思い出すのはバランド・ラート博士の最後の言葉
だ。
﹁異世界の魂が新大陸にあると分かったのに、そう言ってバランド・
ラート博士は亡くなったんだよね?﹂
一攫千金になり得る魔力袋の人工的な発生方法。魔力袋の正体が
休眠中の精霊。そして、精霊の正体が生き物の魂であるとするなら
⋮⋮。
﹁異世界の魂で何をしようとしてたんだろうな﹂
﹁しかも、バランド・ラート博士は軍と関係があるんでしょう? それで軍は派閥争いの真っただ中。すごくきな臭いね﹂
異世界の魂で魔導核を量産して軍事利用、そんなシナリオがぱっ
と思いつくくらいきな臭い。
暗い崖の中の通路をディアの背に揺られて歩く。
何故こんなところにわざわざ隠れ家まで作ったのか不思議で仕方
931
がなかったが、研究内容の流出を警戒したと考えれば説明はつく。
万が一にでも研究資料を盗まれない様にと考えたのではないだろう
か。
しかし、それほど厳重に隠ぺいを図っているにもかかわらず、隠
れ家には資料が残っていた。
﹁バランド・ラート博士はもしかして、この隠れ家に戻ってくるつ
もりだったのかな?﹂
﹁可能性はあるな。隠れ家をなぜ出て行ったのか、日記に書いてな
いか?﹂
﹁まだ全部を読んでないから何とも言えないよ。ガランク貿易都市
に到着したら宿を取ってゆっくり読み進めたいね﹂
﹁他の研究資料もあるしな﹂
隠れ家にあった研究資料の中には蛇を使った魔力袋の発生方法の
他に、俺とミツキでも読み解けない複雑な魔術式をいくつも使った
何かの実験を行ったらしい記述があった。
異世界の魂を召喚するための魔術に関する物ではないかと俺は思
っているが、バランド・ラート博士が悪筆なせいでぱっと見では何
をしているのか説明文を読んでもまったくわからない。
﹁とにかく早めにガランク貿易都市に向かおう。もうじき日も暮れ
る﹂
崖の中を通るこの通路からでは分からないが、隠れ家を出た時点
で午後五時を回っている頃だった。
いくら通路上の坂道で崖の上に登れるとはいえ、足元も見えない
暗闇で崖を登るのは怖い。
通路の出口が見えてくる。
932
﹁ガランク貿易都市って夜でも防壁の門を通行できるのかな?﹂
﹁貿易都市っていうくらいだから人の出入りは激しいだろうし、夜
でも門は開いてるんじゃないかな。商会とかは夜でも緊急の連絡が
来たりするだろうし︱︱﹂
ミツキに答えている途中で、今まで歩いてきた通路の奥から何か
が壊れる音が響いてきた。
足元が僅かに揺れる。
すぐにミツキが通路の奥に向けて魔術で作り出した光を向けるが、
異常は見当たらない。
ディアとパンサーの索敵魔術にも反応がない事から、破壊された
のは近くに存在する物ではなさそうだ。
俺たちに向けた攻撃でないのなら、この通路に隠れていた方が無
難だろう。
俺はミツキに目配せして魔術で生み出していた光を消し、耳を澄
ませる。
幾度かの破壊音と共に、何かが爆ぜるような音がした。
同時に、通路の下の方から煙が上がってくるのが見える。
﹁焦げ臭いんだけど﹂
﹁一酸化炭素中毒って知ってるか?﹂
﹁熱膨張なら知ってるよ﹂
馬鹿なやり取りをしつつも、危機感が煙とともに足元から這い上
がってくる。
換気なんて考えてもいないだろうこの崖の中の通路で煙にまかれ
たなら、一酸化炭素中毒で死ぬのは目に見えている。
﹁隠れていたかったけど仕方がないな。一気に崖の上まで駆け上ろ
うか﹂
933
ディアのレバー型ハンドルを握り、崖の上に向かって一気に加速
する。
鉄の蹄が地面をたたく音を通路に響かせ、出口に飛び出した。
ちらりと谷底の隠れ家を見る。
﹁火事?﹂
﹁燃やされたみたいだな﹂
あのまま隠れ家にいたら巻き添えを食らっていたのか。
谷底には俺たち以外の人間はいなかった。つまり、隠れ家を燃や
した犯人は谷の上にいる。
俺は自動拳銃をホルスターから抜いて臨戦態勢をとった。
崖の壁面に沿って伸びる坂道をディアの鉄の健脚に任せて駆け上
がり、谷の上に出る。
隠れ家を燃やした犯人を捜して視線を巡らせるが、それらしき者
は見当たらない。
ディアの索敵魔術も、続いてあがってきたパンサーの索敵魔術も
反応はなかった。
﹁逃げられた?﹂
ミツキが銃口を空に向けて周囲を見回し、呟いた。
確かに、隠れ家を何らかの形で燃やされてから俺たちが崖の上に
くるまでの間にそれなりの時間がかかっている。通路の中に隠れて
いた時間も踏まえると、犯人がこの場を立ち去った可能性はある。
だが、人の住んでいない隠れ家を崖の上から燃やしたということ
はまず間違いなく魔術を使用している。ファイアーボールか何かを
打ち込んだはずだ。
獲物のいない隠れ家に向けて魔術を放つ魔物はまずいない。つま
934
り、隠れ家を燃やしたのは人間だろう。
人間が理由もなく隠れ家を燃やしたとは思えない。ただ破壊する
のが目的ならばこの場を立ち去る可能性もあるが、おそらくは焼却
したい何かがあったはずだ。
バランド・ラート博士の隠れ家にある何かを焼却する事が犯人の
目的ならば、本当に燃えたかどうかを確認するはず。
確認するためには谷底へ降りなければならず、崖沿いの坂道を利
用しようと考えるのは想像に難くない。
そんな時、坂道を駆け登ってくる俺たちを見た犯人が何を考える
か。
焼却予定の何か、バランド・ラート博士の研究資料などを俺たち
が持ち出している可能性だろう。
待ち伏せされている、と考えが到った瞬間、ディアとパンサーが
一斉に索敵魔術の反応を告げた。
同時に、ディアの首が自動で動き、森の中から飛んできた氷の矢
を角で弾き飛ばす。
角が凍りついたのを確認し、俺は森との間にロックウォールを展
開した。
﹁ミツキ、離脱の準備!﹂
﹁分かってる!﹂
殺傷能力の低いアイシクルを放ってきたとはいえ、言葉を交わす
こともなく攻撃してくる相手が友好的だとは思えない。
相手の数も分からない以上、離脱を優先して考えた方が良い。
街道方面にディアの頭を向けた時、そいつは森から飛び出した。
赤茶色の外套を羽織り、白いキャップを被り、革のスーツケース
を提げた男。
男の顔に見覚えがあった。
935
﹁︱︱ウィルサム!?﹂
バランド・ラート博士殺害事件の容疑者、俺が犯行現場の宿の階
段ですれ違った男だ。
ウィルサムの灰色の瞳と視線がぶつかる。
しかし、ウィルサムは俺から視線を外すと、ディアを見て憤怒の
形相で叫んだ。
﹁我らを侮辱するか、人でなしめ!﹂
直後、ウィルサムを中心にロックジャベリンが十本発生する。
先端が三又になったロックジャベリンの矛先はすべてディアに向
けられていた。
﹁ちっ!﹂
ロックウォールを展開して盾にしつつ、ディアを後方へ飛び退か
せる。
アイシクルからロックジャベリンに切り替えたウィルサムの判断
は正しい。
カノン・ディアの反動に耐えるために首を強化してあるディアで
も、質量の大きなロックジャベリンを十発真っ向から迎撃できるほ
ど頑丈には作っていない。
﹁ヨウ君、森へ!﹂
ウィルサムに会話を聞きとられない様に、ミツキが日本語で叫ぶ。
俺はミツキに頷いて、ディアを森へ駆けこませた。
何故ここにウィルサムがいるのか、おおよその見当はつく。
ウィルサムはバランド・ラート博士の研究資料を処分するために
936
ここへ来たのだろう。
森の中を駆け抜けながら、俺は背後を振り返る。
枝避けのためにディアの後ろを走るパンサーのさらに後ろに人影
が見えた。
﹁おいおい、冗談じゃないぞ﹂
時速六十キロは軽く出しているディアとパンサーに、ウィルサム
は離される事なくついてきていた。
身体能力を強化しているのだろうが、それにしたってあんな無茶
な強化をしていればすぐに魔力が尽きるはずだ。
というか、精霊獣機相手に競争するほどの練度で身体能力強化を
施す人間なんて初めて見た。むしろ、そんなことが可能だと初めて
知った。
普通なら、強化した体の動きについて行けずに筋肉を傷めるはず
だ。
何らかのからくりがあるのだろうか、突き止めている暇はない。
﹁ミツキ、これ使ってくれ﹂
ポケットから魔導核を取りだし、後ろのミツキに投げ渡す。
魔導手榴弾を投げる際に展開するパンサーの魔力膜で魔導核を受
け取ったミツキが、後ろに向けて魔術を起動した。
瞬時に暴風が吹き荒れ、追い風となって俺とミツキの背中を押す。
同時に、ウィルサムは向かい風を受けて大きくバランスを崩した。
一瞬にして大きく差が開き、俺は安心して前を見る。
後ろから、ウィルサムの声が追いかけてきた。
﹁逃げるな! 貴様らが貶めているモノが何かわかっているのか!
?﹂
937
逃げるなと言われて逃げない奴はまずいない。少なくとも俺の知
り合いではマライアさんくらいだ。
マライアさんなら、嬉々として迎え撃つだろうけど、俺もミツキ
も飛蝗魂は有していない。
ウィルサムを引き離すためにさらなる加速をディアに命じようと
した時、どこか遠くから重たい足音が聞こえた。
すぐにディアとパンサーが索敵魔術の反応を告げる。
反応は俺たちの進行方向、街道のようだ。
ウィルサムの仲間の可能性が脳裏をかすめる。
索敵範囲外から音を響かせたという事は、音の主は大型魔物か精
霊人機だ。
どちらが相手であっても、俺がカノン・ディアの射撃体勢に入る
前にウィルサムに攻撃を仕掛けられてしまう。
﹁ヨウ君、ウィルサムが!﹂
音の反対方向に逃げようとした時、ミツキに呼び止められた。
振り向くと、ウィルサムの姿が見えなくなっている。
﹁逃げた?﹂
﹁そうみたい。音が聞こえたらすぐに踵を返して谷の方に﹂
という事は、この音の主はウィルサムの味方ではないのか。
﹁どこかで音の主を確認しよう。敵の敵は味方、なんて考えられる
ほど単純な世の中ではない事だし﹂
﹁そうした方がよさそうだね﹂
資料の類はすでに隠れ家から持ち出したが、今後もバランド・ラ
938
ート博士について調べるならウィルサムと鉢合わせる事もあるだろ
う。
ロックジャベリンを十本瞬時に発動したり精霊獣機を追い駆けら
れるほどの技量を持つウィルサムが逃げる相手とは何か、確認して
おいた方が良い。
俺は隠れ家を見つける前に走り回った周辺の地形を思い出しなが
ら周囲を見回し、テイザ山脈に目をつける。かなり離れているが、
ディアとパンサーなら問題ないだろう。
すぐにディアをテイザ山脈に向けて、走らせる。
念のため後方への注意も怠らず、奇襲に備えて索敵魔術の設定を
変更する。
何もテイザ山脈を登り切る必要はない。中腹にも届かない辺りで
パンサーを木の上に登らせてミツキが双眼鏡をのぞき込めば状況を
把握できるだろう。
森の中を駆け抜けて、急な坂を上り始める。
隠れ家のある谷からやや外れた森の中から戦闘音が聞こえてきた。
度々光の魔術を打ち上げて連絡を取り合っている様子を見る限り、
人間同士が争っているようだ。
﹁この辺りでいいか?﹂
﹁登ってみるね﹂
ミツキがパンサーの重量軽減の魔術を強化し、するすると木を登
る。
ポシェットから愛用の双眼鏡を取り出したミツキが暗くなり始め
た森の中を覗き込む。
﹁精霊人機が二機、軍用の整備車両と運搬車両が街道に一両ずつ。
森での戦闘の様子はちょっと分からないけど、かなり派手にドンパ
チしてるみたい﹂
939
﹁ウィルサムを追っている軍ってことは新大陸派か?﹂
﹁そこまでは分からないけど、精霊人機の所属は⋮⋮駄目だね。布
をかぶせてある﹂
﹁お忍びデートで指名手配犯を見つけましたってか﹂
この状況には覚えがある。
﹁デュラでの回収依頼の時と似てるね﹂
﹁あぁ、あの時もデイトロさん曰く、所属不明の軍がやって来たら
しいからな﹂
デュラにはバランド・ラート博士も立ち寄っている。隠れ家同様、
ウィルサムが現れる可能性のある土地だ。
あの時にもデュラにウィルサムが来ていたのだろうか。
ミツキが木から降りてくる。
﹁接触してみる?﹂
﹁いや、目をつけられたくないし、ここは無視しておこう。ウィル
サムには囮になってもらうとして、俺たちは戦闘が終わるまでここ
で待機がベストだな﹂
出合い頭に俺たちへ攻撃を仕掛けた罰だと思って、ウィルサムに
はしっかり逃げ回ってもらおうか。
940
第二十三話 研究内容
ウィルサムと所属不明の軍との戦闘が終わるまでの間、暇を持て
余した俺たちは資料を読む事にした。
隠れ家で手に入れたバランド・ラート博士の研究資料に加え、ボ
ルスでベイジルから渡された軍内部におけるバランド・ラート博士
に関する資料だ。
宿でゆっくり読みたかったのだが、まぁ、仕方がない。森での戦
闘は激しさを増すばかりで終わる気配を見せないし、終わるまで暇
なのだ。
俺はディアの収納部からバランド・ラート博士についてまとめた
資料を取り出す。
﹁最初から整理しよう。バランド・ラート博士は精霊研究者で研究
内容が精霊人機にも一部流用される有能な学者だった。新大陸では
軍に所属しながら、同時に開拓者ギルドに登録している﹂
精霊研究者であり、軍人であり、開拓者でもあったバランド・ラ
ート博士についての経歴はデュラの開拓者ギルドにおける登録書類
から発覚した。
﹁そう言えばあの書類どうなったんだろうね﹂
ミツキが森での戦闘を双眼鏡で観戦しながら呟く。
デイトロさんが回収依頼を半ばで断念した後、代わりにデュラに
開拓者が向かったという話は聞かない。
﹁おそらくはギルドの一階に俺たちが運び込んだままの状態だと思
941
う﹂
﹁当時のデュラにウィルサムがいたとしたら?﹂
﹁目的が分からない以上何とも言えないが、バランド・ラート博士
の足取りをたどる手掛かりになる以上、持ち出されている可能性は
あるな﹂
デュラに関しては調査も始まっているが、資料が持ち出されてい
ませんでしたか、と職員に聞いても答えてはくれないだろう。
﹁バランド・ラート博士の新大陸での足取りに関してはいくつか裏
が取れた﹂
バランド・ラート博士は二十年前デュラで開拓者として登録した
後、マッカシー山砦に二年間滞在している。
マッカシー山砦に滞在していたかどうかについては司令官である
ホッグスの反応などから間違いないとは思っていたが、今回新しく
情報が手に入った。
俺は防衛拠点ボルスでベイジルから渡された資料を取り出す。
﹁バランド・ラート博士がマッカシー山砦に滞在した事はワステー
ド元司令官が調べてくれた。これに関してはホッグスや新大陸派も
隠してないみたいだな﹂
問題は滞在理由だ。
ミツキが資料を見て首を傾げる。
﹁国からの依頼による、出生率低下原因の究明?﹂
﹁それがマッカシー山砦におけるバランド・ラート博士の滞在理由
らしい。国からの依頼なら、軍の施設に開拓者であるバランド・ラ
ート博士が二年間も滞在できたというのも頷ける﹂
942
また、ホッグスや新大陸派がバランド・ラート博士の滞在を隠し
ていなかった理由もこれでわかる。
軍の資料ならばともかく国の資料となると迂闊には手が出せない
からだろう。
ホッグスが俺たち相手にバランド・ラート博士を知っているそぶ
りを見せていたのも、国の資料を見れば同時期にマッカシー山砦に
いたことが判明してしまうからだ。ホッグスには他人の振りを出来
ない事情があった。
他人の振りができないから、バランド・ラート博士について調査
する俺たちをけん制するにとどめた。
﹁でも、出生率低下の原因調査になんで精霊研究者が関わってるの
?﹂
﹁出生率が低下しているのは人間だけじゃないからな﹂
新聞記事でもたびたび報道されている事だ。
世界的に人間のみならず動物や魔物まで出生率が低下している。
とても緩やかではあるが、あまりにも長期にわたって下がり続け
ているため国も無視できなかったのだろう。
﹁これが人間だけならともかく世界中の生物となると、環境要因を
考えざるを得なくなる。環境の一要因として精霊があげられて、バ
ランド・ラート博士にお呼びがかかったんだ。資料の最後の方に同
じようにマッカシー山砦に呼ばれた研究者の名前が挙がってる﹂
微生物学の権威やら気象学、天文学者なんかもいる。
しかし、これらの高名な学者、研究者を一所に留めておくだけの
予算はかなりの額に上ったらしく、二年間でいくつかの分野に見切
りが付けられた。
943
﹁二年で見限られた分野の一つが精霊で、バランド・ラート博士は
マッカシー山砦をでて大工場地帯ライグバレドに向かった﹂
大工場地帯ライグバレドには五年間滞在しているようだが、この
間の生活はまだわからない。少なくとも、この時点で国の契約は打
ち切られていた。
だが、ワステード元司令官が調べてくれた話では、このライグバ
レドでの生活の間、新大陸派の軍人がライグバレドを訪ねている記
録があった。
﹁ライグバレドでの生活中、新大陸派との繋がりがあったってこと
?﹂
﹁そうなるな﹂
だが、新大陸派との関わりもこの五年間で切れてしまったのか、
バランド・ラート博士はまた活動拠点を移す。
それがここ、ガランク貿易都市とトロンク貿易都市の間にある隠
れ家だ。
開拓者ギルドにおける記録では、バランド・ラート博士のガラン
ク・トロンク姉妹貿易都市での生活は二年間。
俺は隠れ家のある谷を見る。
森での戦闘は谷から離れた場所で未だ行われていた。
﹁ウィルサムの足なら追っ手を撒くくらい簡単だと思うんだけどな﹂
﹁谷から引き離すために囮になっているようにも見えるね﹂
﹁隠れ家にはもうめぼしい資料はないんだけどな﹂
俺は隠れ家から持ち出したバランド・ラート博士の研究資料をデ
ィアから取り出す。
944
﹁そう言えば、あの隠れ家には人口統計の資料もあったな﹂
﹁マッカシー山砦での研究を継続してたのかな?﹂
﹁かもしれないな﹂
バランド・ラート博士が隠れ家で行っていた実験のひとつは蛇を
使った人工的な魔力袋発生方法の研究だ。
魔力袋が精霊と呼ばれている生物の魂からできているのだとすれ
ば、魔力袋、またはそれを加工した魔導核が増えるほど世界の魂の
総量が減るのではないだろうか。
生物の構成要素として魂が必要だとして、なおかつ魂の総量が増
えない事を前提にした推論だらけの考え方だが、これを発展させる
と全世界で生物の出生率が下がっている事に説明がつく。
俺が考えを話すと、ミツキはバランド・ラート博士の日記の最終
ページを開いた。
﹁出生率低下を抑えるために精霊を魔力袋から解放する必要があっ
たから、魔力を流して魔力袋を消失させる方法を編み出したのかな﹂
﹁だが、バランド・ラート博士は精霊を解放する方法を公表しない
まま、ガランク・トロンク姉妹貿易都市で二年間を過ごした後、港
町デュラから旧大陸へ渡った﹂
﹁それで八年後に宿で何者か、多分ウィルサムに殺害されて、ヨウ
君に最期の言葉を残したんだね﹂
バランド・ラート博士の最後の言葉は﹁異世界の魂が新大陸にあ
ると分かったのに⋮⋮こんなところで﹂だった。
﹁こんなところで、なんて言葉はやり残したことがないと出ない台
詞だよね﹂
945
ミツキの言う通りだ。
バランド・ラート博士は異世界の魂を発見した上でさらに何かを
するつもりだった。
﹁こうなると、ウィルサムが殺害現場で持っていた革のスーツケー
スの中身が気になるな﹂
﹁さっきも持ってたけどね。宿で持っていたのと同じものだった?﹂
﹁見た目は同じだと思うけど、特徴的な汚れとかもなかったから判
断付かないんだ﹂
革のスーツケースがバランド・ラート博士のものだという確証も
ない。
﹁ウィルサムを捕らえることも視野に入れた方が良いかもしれない﹂
﹁でも、精霊獣機相手に競走するような超人だよ? 番付に出れる
よ、きっと﹂
﹁いや、魔術を使ったら反則じゃないか?﹂
逸れてきた話を戻すため、俺はまだ調べていないバランド・ラー
ト博士の研究資料を取り出す。
﹁まずは手元の資料を全部読み解く事から始めた方がよさそうだな。
まだ読み終わってないのは日記と、この魔術式が羅列された資料だ
けど﹂
﹁日記は私が読むよ﹂
﹁そうしてくれ。ただ、この魔術式、難解すぎて意見を求めると思
うけど﹂
﹁その時は任せなさい﹂
ミツキが薄い胸を叩く。
946
資料を読み始める前に、森の戦闘に目を向ける。
すでに谷からはかなり離れた場所で断続的な戦闘を繰り返してい
るようだ。軍の方は人数がいるからともかく、ウィルサムは一人で
よくもあれほどの長時間戦っていられる物だと感心する。
﹁蓄魔石を使ってるんだろうけど、よく集中が切れないな﹂
﹁並みの軍人さんよりよほど動けそうだよね﹂
感心を通り越して呆れながら、俺は手元の資料を読む。
やはり複雑な魔術式だ。開拓学校で使われている魔術式大全を引
っ張り出しても訳が分からない。
まさかと思うけど、この魔術式のほとんどが既存の魔術式の大幅
改変やバランド・ラート博士が新規開発した魔術式だったりしない
だろうな。
しばらく魔術式と睨めっこしてかろうじて読み解けたのは、指定
範囲に何かがあるかを確認する魔術式だ。精霊人機の遊離装甲の魔
術式を改変したらしいこれだけは、ミツキの開発したマッピングの
魔術式と構造が似ていたため読み解くことができた。
裏を返せば、他の魔術式はすべて意味不明だ。本当に何が書いて
あるのか分からない。
知恵熱が出るほど悩んでから、俺は魔術式を読み解くのを諦めて
ミツキに声をかけた。
﹁日記はどうだ?﹂
日記の記述から何を研究していたかが分かれば魔術式を読み解く
ヒントになるかも知れない。そう思って声をかけた俺は、ミツキの
険しい顔を見て思考を切り替える。
ミツキの表情から、何か核心的なことが日記に書かれている事を
悟ったからだ。
947
﹁何が書いてあった?﹂
﹁⋮⋮最低なこと﹂
珍しく吐き捨てるような声で呟いたミツキが日記を差し出してく
る。
かなり読みにくい悪筆極まる文字列を読んでいく。
バランド・ラート博士は、魔力袋の中で休眠状態になった精霊を
そのまま魔導核に加工してしまう事が出生率の低下原因だと考え、
魔力袋から精霊を解放するために魔力を流す方法を考案した。
さらには一度魔導核にした後でも特定の処理を施すことで精霊を
休眠状態から覚ますことができるようになったらしい。
だが、この世界における魔導核は生活必需品だ。
大型魔物に対抗できる兵器、精霊人機はもちろんの事、ほとんど
の家庭に普及しているコンロなどの器具にも魔導核は使用されてい
る。
いまさら、魔導核を捨て去る事は出来ない。
そのため、バランド・ラート博士は研究成果を公表しなかった。
︱︱ここまではいい。
俺は日記のページをめくって、そこに書かれた内容に思わず舌打
ちした。
バランド・ラート博士は精霊が魔導核にされてしまって活動中の
魂の総量が減ったのなら、いまある魔導核や魔力袋から精霊を解放
しつつ、外部から魂を呼び込めばいいと考えたらしい。
この世界における文明を守るための犠牲として、外部から魂を呼
び込み、魔力袋を発生させ、魔導核に加工、流通させる。
バランド・ラート博士は、異世界の魂を魔導核の原料としか見て
いなかったのだ。
﹁⋮⋮ゲスだな﹂
948
日記を見る限り、バランド・ラート博士の研究で召喚された異世
界の魂は二つ、つまりは俺とミツキのみ。大工場地帯ライグバレド
で召喚を行ったようだ。
しかし、召喚したはいいものの、どこに召喚されたか分からずに
失敗したと考えたらしい。
あの谷底の隠れ家で行っていたのは異世界から魂を召喚する方法
ではなく、魂を召喚できたかどうか、できたとすればどこに召喚し
たかを特定できるようにする魔術式の開発。
谷底の隠れ家で行った魔術式の開発結果から、大工場地帯ライグ
バレドにおける異世界の魂の召喚は成功したと確信し、召喚した異
世界の魂を探すために隠れ家を出て行ったところで日記は終わって
いた。
﹁デュラでミツキがバランド・ラート博士に見つからなくてよかっ
た。こんなことを言いたくないが、宿でバランド・ラート博士を殺
害した犯人に感謝だな﹂
﹁見つかってたら何をされたか分からないね。蛇の生餌になりたく
はないよ﹂
ともかく、これでバランド・ラート博士が何を研究していたのか、
異世界の魂をどうしたかったのか分かった。
俺は森に目を向ける。すでに戦闘は終わったようだ。
﹁このバランド・ラート博士の研究資料、広まるとかなり不味いな﹂
﹁私たちみたいに異世界から魂が召喚されて、魔導核に加工される
可能性があるね。新大陸派だけじゃなく、この世界の全ての人に、
魔導核を生産する動機がある﹂
魔導核は生活に無くてはならない物だが、作ると自分たちが生ま
949
れ変われなくなる。
ならば、別の世界から、この世界の誰にとってもまったくの赤の
他人の魂を利用して魔導核を作れば、この世界の誰からも苦情が来
ない。そんな考えの下でバランド・ラート博士は異世界の魂を召喚
する術を研究していた。
よくもまぁ、こんなに傲慢なことを考えたものだ。精霊獣機を作
って乗り回す俺たちに言われたくないんだろうけど。
俺は静まり返った森を見ながら、立ち上がる。
﹁身の振り方を考えないとな﹂
﹁バランド・ラート博士の研究資料をかき集めるのは決定だけどね﹂
ミツキと頷き合って、俺はディアに跨る。
﹁新大陸派が異世界の魂召喚についてどれくらいの情報を得ている
のかも知りたい。もしかすると、連中で独自に魂を召喚している可
能性もある﹂
救い出さなければいけない、なんて正義の味方面する気はないけ
ど、同じ異世界の魂持ちとして何とかできるのならしておきたい。
明日は我が身という奴だ。
﹁新大陸派を探るってことはワステード元司令官の発言力復活とか
も視野に入れた方が良いね﹂
﹁そうなる。場合によってはワステード元司令官を含む旧新大陸派
閥すべてを相手取る事になるけどな﹂
魔力袋を人工的に発生させる技術は、精霊人機に高品質の魔導核
を使用する軍や開拓者にとって喉から手が出るほど欲しいだろうし。
950
﹁異世界からの魂召喚についての対策も考えないと﹂
﹁うわぁ、やること一杯だね﹂
﹁一つずつ片付けるしかないさ﹂
ミツキに答えて、俺はディアを起動する。
行き先はガランク貿易都市だ。
951
第二十四話 立ち往生
ウィルサムと所属不明の軍とが争った地域を避けて、まっすぐに
ガランク貿易都市に続く街道へ出る。
車両が四台並んで走行しても十分な幅のある街道だが、夕暮れを
過ぎて夜の闇が幅を利かせる今時分は通行量も少なかった。
光の魔術で地図を照らし、現在地を割り出す。
﹁日付が変わる前にはガランク貿易都市に到着できそうだな﹂
﹁いまからだと宿も埋まってると思うけどね﹂
﹁もともと泊めてもらえるかは分の悪い賭けだろ﹂
話しながらガランク貿易都市へとディアを進める。
街道は石畳で舗装されており、ディアとパンサーが石畳に足を下
ろす度にカツカツと固い音が鳴る。
﹁流石は貿易都市っていうだけあって、交通網も整備されてるね﹂
ミツキが足元の石畳を見て感心したように言う。
そもそも幅三十メートルはありそうな整備された街道なんて俺は
新大陸に来て初めて見た。
﹁貿易港だったデュラ周辺の街道でもここまでの幅はなかったよな﹂
﹁権利関係で揉めてたらしいよ。一度、立ち退き料が払えないから
融資してくれって言われたもん﹂
﹁十代前半の少女に金を借りようって発想が凄いな﹂
﹁デュラでも五本指に入るくらいお金をだぶつかせてたからね﹂
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引き籠りだし、とミツキが笑う。
引き籠りが金を持っていても、宝の持ち腐れということだろう。
経済を回すという意味では、融資を頼むのも悪い選択ではなかった
のかもしれない。
話しながら街道を進んでいると、道の先に運搬車両が止まってい
るのが見えた。
野宿を選択するには半端な場所という事もあって、俺たちは警戒
して足を止める。
遠目にも魔術による光がうろうろと所在無げに揺れているのが確
認できた。
﹁なんだ?﹂
﹁護衛の姿もないみたいだけど、これだけ整備されている街道なら
心配ないって事なのかな﹂
﹁すぐそこにテイザ山脈があるんだ。護衛を一切連れてないってこ
とはないだろ﹂
目視する限り、運搬車両の他には何もない。どこかの小規模な開
拓団だとしてもこんなところで停車している理由が分からない。
ディアの索敵魔術で周辺を探る。
﹁一人?﹂
﹁車両の中にいるって可能性もあるけどね﹂
相談のうえで、警戒しながら近づくことにした。
いつでも加速して逃げだせるようにレバー型ハンドルを握り、俺
を先頭に運搬車両へ近づく。
ディアの足音を聞きつけたのか、うろうろしていた魔術の光がぴ
たりと止まった。
光に照らし出されているのは若い商人風の男だ。青年と言っても
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いい年齢である。
ディアを見て、青年商人はびくりとしたが、背中に乗る俺を見て
反応に困ったような顔をした。
﹁どうかしたんですか?﹂
危険な人ではなさそうだと思いながら、俺は青年商人に声を掛け
る。
青年商人は怪しむように俺とディアを見比べて、口を開いた。
﹁故障してしまって、ここから身動きが取れないんです﹂
青年商人の言葉に拍子抜けして、俺はため息を吐く。
﹁直せないんですか?﹂
﹁機械には明るくなくて⋮⋮﹂
青年商人は途方に暮れたように整備車両を見て、肩を落とした。
危険はないと判断したミツキがパンサーを操作して俺に並ぶ。
﹁護衛が見当たりませんけど、街へ助けを呼び行ったんですか?﹂
﹁⋮⋮なんでそんなことを聞くんですか?﹂
警戒を深める青年商人に苦笑する。
どうやら、俺たちを野盗か何かだと思っているらしい。
﹁このままここに居られても通行の邪魔になりますし、護衛がいな
いのならこんな場所で野宿するわけにもいかないでしょう? 直せ
るかどうかわかりませんけど、故障個所の発見くらいは出来ますよ
?﹂
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俺が提案すると、青年商人は一瞬目を輝かせ、逡巡するように俺
とディア、ミツキとパンサーを見比べる。
信用できるのか、おかしな細工をされないだろうか、そんな心配
をしているのが手に取るようにわかる。
失礼なことだ。獣型に改造することはあっても壊すことは絶対に
ないというのに。
﹁余計なお世話なら、俺たちはこのまま立ち去ります﹂
ディアを進めようとしたその時、パンサーが唸った。
鉄の豹が唸ったために青年商人が怯えたような顔をするが、かま
っている暇はない。
直後にディアが鳴いた。
﹁右側から来るな﹂
パンサーが先に反応したことから、ミツキのいる右側から何かが
来ると判断して、俺は対物狙撃銃を下ろす。
ミツキが自動拳銃を構えた。
足音がない事を考えると、相手は小型か中型の魔物、もしくは人
だろう。
スコープ越しに覗きこむと、暗い森の中に月明かりを反射してぼ
んやりと浮かび上がる白い人型魔物の姿が見えた。
﹁スケルトンか﹂
スケルトン種の中でもオーソドックスな、体長一メートル五十セ
ンチほどの小型魔物、スケルトン。
等身大の骸骨が二体、こちらに向かってくる。
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精霊人機の遊離装甲に当たる魔術が常時展開されているためか、
スケルトンが歩くと周囲の枝葉が見えない手に押しのけられるよう
に動く。
街道に出てきたスケルトンの姿を見て、青年商人が慌てて運搬車
両の荷台に飛び込んだ。
荷台に隠れただけでスケルトンをやり過ごせるとは思えないのだ
が、抵抗する気概はないらしい。
﹁ヨウ君、ちょうど良い機会だから自動拳銃で撃っていい?﹂
﹁効くかどうか見た方が良いしな。跳弾には気をつけろよ﹂
ミツキが頷いて自動拳銃を構え、森を出てこちらに向かってくる
スケルトンに狙いを定める。
パンッと乾いた音と共に発射された自動拳銃の銃弾はスケルトン
には当たらず、背後の木の幹に穴を開けた。
ミツキが首を傾げながら、再度狙いを定めて発砲する。
しかし、またもや銃弾はスケルトンに命中せずに後ろの森の葉を
数枚落とし、環境破壊に貢献するだけだった。
ミツキが二発も外すのは珍しい。
﹁ねぇ、ちょっとヨウ君も撃ってみて﹂
﹁自動拳銃で、だよな﹂
護身用に持っている自動拳銃を構えて、スケルトンの頭を狙って
引き金を引く。
﹁︱︱あれ?﹂
銃弾はスケルトンに当たらず、ミツキが放ったものと同じように
背後の幹を穿った。
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続けざまに二発目を放つが、結果は同じだ。
まさか、と思いながら自動拳銃をホルスターに仕舞い、対物狙撃
銃をディアの角に乗せる。
引き金を引くと、スケルトンの頭がはじけ飛んだ。
途端に、スケルトンの体は支えを失ったようにばらばらと地面に
落ちる。
もう一体のスケルトンも同じように対物狙撃銃で頭を吹き飛ばし
た。
さて、これらの結果から考えられることは何だろうか。
﹁遊離装甲の魔術のせいで銃弾の軌道が逸らされてるね﹂
スケルトンの周囲を覆う魔力膜により、生半可な速度や重量の銃
弾では軌道が逸らされてしまうらしい。
荷台に隠れている青年商人に危機は去った事を告げ、俺は撃ち殺
したスケルトンの残骸を確認する。
スケルトンの頭蓋骨は完全に砕け散っている。対物狙撃銃でなく
ても、自動拳銃の弾が当たれば砕ける程度の強度だろう。
やはり、問題となるのは魔力膜の存在だ。
﹁もしも交通訴訟賞に対物狙撃銃で攻撃を仕掛けたとしたら、魔力
膜で逸らされて打つ手なしだったかも﹂
﹁ケンカ売らなくて正解だったな。ところで、名前は交通訴訟賞で
決定なのか?﹂
﹁決定です。誰がなんと言おうと!﹂
ミツキが拳を星空へ突き上げる。
﹁まぁいいや。それにしても、この魔力膜は厄介だな﹂
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おそらく、相応の重量と大きさがあるロックジャベリンなどの魔
術を使えば魔力膜の存在は誤差でしかないだろう。
しかし、攻撃手段を銃に頼っている俺とミツキにとって、常時展
開されている魔力膜は最大の防御となる。
狙撃で不意を打っても常時展開されている魔力膜に銃弾が逸らさ
れるのでは、俺たちのアドバンテージなどないに等しい。
スケルトン種は俺たちにとって相性の悪い相手という事を念頭に
置いて、活動する事にしよう。
﹁おぉっ本当に倒してる⋮⋮﹂
驚いたような声が聞こえて振り返ると、青年商人が荷台の扉を開
けて恐る恐るスケルトン種の残骸を観察していた。
﹁年の割に良い腕してますね。どこかの有名な開拓団の斥候さんで
すか?﹂
﹁いえ、二人で活動している開拓者です﹂
こちらまで鉄の獣の話は届いていないらしい。良い意味でも、悪
い意味でも。
青年商人はちらりと運搬車を見て、俺に向き直った。
﹁修理を頼んでもいいですか? 謝礼は余り出せませんけど﹂
﹁無償でいいですよ。困ったときはお互い様です﹂
ミツキに周辺の警戒を頼み、俺はディアの格納部から工具一式を
出す。
青年商人に故障した時の状況や現在の症状を聞き、故障個所の見
当をつける。
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﹁一度始動させてください。回転するかだけ確認したいので﹂
エンジンが回転するのであれば魔力の供給には問題がない事にな
る。
エンジンが回転しない事を確認して、俺は整備車両の下に潜り込
むべく、ジャッキアップする。地球のそれとは違い、石魔術で持ち
上げるだけの簡単なお仕事だ。
魔導鋼線に異常はない。切れている事もなければ接続不良を起こ
しているわけでもない。
蓄魔石にも異常はなし。
﹁︱︱と、いうことは﹂
蓄魔石から魔力を供給されて回転するエンジン部分を点検する。
ちなみにこの運搬車両はMR車だった。まぁ、FFの訳はないよな。
﹁最後のファンタジーのこと?﹂
﹁車の駆動方式のこと﹂
ミツキと定番のやり取りを繰り広げつつ、エンジンを点検する。
原因めっけ。
﹁最後に整備したのっていつですか?﹂
﹁中古で買った時なので、二年前だと思います﹂
﹁もっとこまめに整備点検してくださいね。業者に頼んでもいいで
すから。さもないと、死にますよ?﹂
エンジンの回転部に砂がこびりついている。今までも走行中にか
なりひどい雑音がしていたと思うのだが、よく放置できたな。
この青年商人、神経が図太すぎる。
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﹁何分、機械には詳しくなくて。点検もお金がかかりますし﹂
﹁いえ、あなたが整備不良車で事故って死ぬのは構わないんですけ
ど、周りを巻き込むのはやめてください。自殺ってのは一人か、さ
もなければ同志とやるもんです﹂
青年商人の反論を封殺して、俺はこびりついている砂を洗浄液で
洗い落す。潤滑油が固まってしまっていて、簡単には落ちそうもな
い。
ひとまず動くだけの応急処置だけを終えると、俺は運搬車の下か
ら這い出した。
ミツキがお湯で濡らしたタオルを渡してくれる。
﹁ありがとう﹂
﹁どういたしまして。惚れ直した?﹂
﹁気の利く良い彼女を持って幸せ者だよ、俺は﹂
少しばかりいちゃついてから、青年商人を振り返る。
微妙な顔をしている青年商人に運搬車両が動くようになったこと
を教え、街についたらすぐに点検するよう勧める。
﹁点検しないとすぐに動かなくなるので、気を付けてくださいね﹂
念を押して、俺はディアに跨った。
青年商人が頭を下げる。
﹁助かりました。野宿決定だと思って途方に暮れていたので﹂
なら最初から助けを求めればいいのに。いや、精霊獣機に乗って
いる俺たちを怪しんだのは分かるから口には出さないけど。
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ここ最近は知り合いや俺たちの活躍を知っている人とばかり関わ
っていたから忘れていたけど、本来の俺たちの扱いって怪しまれる
のが標準だ。
あんまり気分の良い物ではないけど、いちいち目くじら立ててい
ても仕方がない。
﹁護衛くらいは雇えばいいと思いますよ。今回みたいに立ち往生し
ても、誰かが助けてくれるとは限らないんですから﹂
﹁護衛を雇うにもお金が⋮⋮﹂
﹁⋮⋮ずっとお金、お金って言ってますけど、そんなに困窮してる
んですか?﹂
中古とはいえ運搬車を乗り回すくらいだからそれなりに儲かって
いると思ったんだけど。
青年商人はあいまいな笑顔で俺の質問を流し、運搬車両に乗り込
んだ。
ミツキが動き始めた運搬車両を見ながら口を開く。
﹁このまま先に行くこともできるけど、どうする?﹂
﹁あくまでも応急処置で動くようにしただけだから、また故障して
動かなくなる可能性が高い。死なれても寝覚めが悪いし、ガランク
貿易都市まで護衛しよう﹂
﹁そんなに、あの運搬車両の状態って酷いの?﹂
ミツキが眉を寄せて車両を見る。
﹁酷いなんてもんじゃない。よくこの状態で運転しようと考えるよ
って呆れるくらいだ。サスペンションアームが歪んでて、油圧サス
ペンションなんてオイル漏れしてる。ハンドル操作にも影響してる
だろうな﹂
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肩を竦めて言うと、ミツキはため息を吐いた。
﹁借金でもあるのかなぁ﹂
﹁俺たちが詮索するようなことでもないさ﹂
今晩限りの付き合いだし、と俺は街道の先、ガランク貿易都市を
見る。
運搬車両の護衛をしながらガランク貿易都市に到着する頃にはす
でに夜が明けていた。
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第二十五話 追われている商人
ガランク貿易都市は新大陸有数の巨大な都市だ。
人口二十万弱と言われ、姉妹都市トロンクと合わせると五十万に
届くとされる。
上下水道が完備され、馬車での通行に制限もかかっており、街中
は清潔に保たれている。ポイ捨てにも罰則がかかるとの話だ。
種々の貿易商品が集まり、新大陸産の珍しい野菜や香辛料、魔物
のはく製が売られている。
商品管理の一環として、都市を清潔に保っているようだ。
周囲にぐるりと張り巡らされた二重の防壁は高く、大型魔物の攻
撃にも対抗できるよう作られている。
防壁と防壁の間には防衛軍の詰所、精霊人機のガレージが存在し、
更に畑が広がっている。この畑で栽培されているのは都市の人口を
支える食料ではなく、旧大陸へ輸出される香辛料や野菜だ。しかし、
いまだ栽培方法が確立されていない品種も多く、半ば実験的な農場
であるらしい。当然、出入りは制限されている。
ガランク貿易都市に入るためには二重の防壁を潜らなければいけ
ないわけで、その防壁の間に立ち入り制限を設けられた実験農場が
ある以上、外側の門でチェックを受けるのだが⋮⋮。
︱︱門前払いですか。ですよねぇ。
怪しい物に乗っている、と言われて武器まで持ち出されて追い払
われた俺たちは、仕方なくガランク貿易都市の防壁を半周して実験
農場ではない精霊人機のガレージが乱立する区画に回り込む事にな
った。
幸い、ガレージ側では追い払われることもなかったが、あからさ
まに警戒された。
二重の防壁を潜ってガランク貿易都市内に入ると、広い道路に出
963
た。
﹁ギルドは東西の二か所だったな﹂
﹁西側の方が近いね﹂
案内板を見ながら進むと、馬鹿でかいギルド館が見えてきた。
二階建てのギルド館が三つ並び、後ろには精霊人機等を収容する
ガレージの屋根が見える。ギルド館の左右には倉庫と待合所らしき
ものがあった。
護衛の依頼が多いため、通行の邪魔にならない様に依頼人との合
流をギルドの敷地内で行えるよう配慮されているらしい。
裏手に回り込んでガレージにディアとパンサーを停める。あから
さまに顔を顰められたものの、直接文句は言われなかった。
ガレージから渡り廊下で繋がったギルド館に入ると広々としたエ
ントランスがあった。
高級ホテルのような内装に加え、職員もみな清潔な制服に身を包
み、慌ただしさを感じさせない優雅な足取りで品よく働いている。
﹁ミツキ、回れ右﹂
﹁了解、ヨウ君﹂
俺たちは足早にギルド館を後にした。
山越えをした直後で泥跳ねなども目立つ姿で入るには気後れして
しまう雰囲気だったのだ。
﹁護衛依頼が多い町だから、信用第一って事で身なりを整えて心証
を良くしてるのかな﹂
﹁町ごとにギルドも特色があるもんだな﹂
どこぞの港町にはラブホまがいのギルド館が建っているくらいだ
964
し。
ガレージに取って返してディアに跨り、道路に出る。
﹁先に宿を取って、着替えてからまた来よう﹂
﹁宿を取れるといいけどね﹂
﹁最悪、家を借りるしかないな﹂
宿を数件たらいまわしにされて、最終的に防壁側の宿と呼ぶと他
の宿屋に怒られそうなボロボロの安宿に一室借りた。
安宿でもガレージがきちんと整っており、俺たちは片隅にディア
とパンサーを停めて、借りた二階の部屋に直行した。
手早く布で体を拭いて、服を着替える。
部屋で着替えをしているミツキを廊下で待っていると、見覚えの
ある顔が階段を上がってきた。
向こうも俺に気付いたらしく、頭を下げてくる。
街道で会った、運搬車両を故障させて立ち往生していた青年商人
だ。
青年商人は俺をじろじろと見ながら、部屋の扉に目を移す。
﹁ギルドへ行かれるんですか?﹂
﹁一度行ったんですけど、あんまり小奇麗だったので出直そうかと﹂
﹁なるほど﹂
青年商人は納得したように一度頷くと、西を指差した。
﹁もしかして西側ギルドに行きました?﹂
質問の意図が分からず首を傾げながら、俺は首肯する。
青年商人は苦笑した。
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﹁西側ギルドは大手開拓団が護衛依頼を受けるギルドですよ。東側
が小規模開拓団や成り立ての開拓者さん向けの依頼を出しています。
明確に規定があるわけではないですけど、住み分けてるんです﹂
﹁あぁ、それであんなに広くて綺麗なんですか﹂
ある程度の財力と実力を持ち合わせた開拓者しか入らないから暗
黙の内にドレスコードみたいなものができていたと気付いて、俺は
納得する。
﹁教えてくれてありがとうございます﹂
﹁いえ、少しでもお役にたてたなら幸いです﹂
青年商人は謙虚に言って、彼の借りたらしい宿の一室へ入って行
った。
ちょうど、ミツキが着替えを終えて廊下に出てきた。
﹁誰と話してたの?﹂
﹁街道であった商人だよ。西側のギルドは大手開拓団専用みたいに
なってるから、東側に行った方が良いって教えてくれたんだ﹂
ミツキに説明しながら階段を下り、ガレージを横目に見る。
青年商人はきちんと運搬車を点検に出したらしく、ガレージはデ
ィアとパンサー以外停まっていなかった。
ギルドまで精霊獣機に乗って行くとまた顔を顰められるだろうか
ら、ディアとパンサーはガレージに置いたまま街を歩く。
人通りが多く、車の行き来もあるものの、道幅が広いおかげでか
なり余裕を持って歩くことができる。
幾つかの路地を曲がって到着した東側のギルドは、西側を見た後
だと見劣りしてしまうものの、それなりに立派な建物だった。
すくなくとも、ピンク色のホテルではない。これ大事。
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ギルド館に入ると、西側のギルドとは異なり雑然とした印象を受
ける。
椅子やテーブルの配置一つでこんなに印象が変わるのかとおかし
な感心をしてしまった。
カウンターで到着の手続きを取り、防衛拠点ボルスから開拓団〝
月の袖引く〟が連絡してくるかもしれない事を告げ、連絡があった
らすぐに知らせてくれるように頼む。
﹁はいはい、わかりましたぁ﹂
やる気のなさそうな態度のギルド職員に不安を覚えた。
手続きを済ませて、不安を抱えながら報告書を出したい旨を告げ
る。
﹁報告書ですか? 用紙どこやったかな。っていうか、なんでそん
なもの書きたがるんですか?﹂
書類の位置を覚えていないどころか探すことさえ面倒くさがった
職員が、理由を訊ねてくる。
﹁テイザ山脈で大型のスケルトン種を発見したので、その報告をし
たいんです﹂
﹁あぁ⋮⋮そんなものいないでしょ。はい、おわり﹂
終わりなわけあるか。
しばらく押し問答してようやく出させた報告書に大型スケルトン
種の発見場所を詳しく書き記し、発見場所までの道筋などを記載す
る。
職員に提出すると、鼻で笑われた。
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﹁見栄を張るのは良いですけど、この報告書が事実ならテイザ山脈
を越えてきたことになりますよ?﹂
報告書をひらひらと振って、馬鹿にしたような顔で見てくる職員。
もう呆れてしまって、俺はため息を吐き出した。
﹁詳しい道順も書いてある。確かめてみればわかる話だ﹂
﹁確かめる? 誰が? テイザ山脈越えなんて自殺志願者でもやり
ませんよ﹂
本格的に駄目だ、こいつ。
﹁余計な仕事を増やさないでくださいねぇ﹂
職員は馬鹿にした態度でそう言って、報告書をファイルの中へ無
造作に放り込んだ。
俺はミツキと一緒にカウンターを離れ、手近なテーブルに着く。
﹁職員の態度が悪いね﹂
﹁東側ギルドは成り立ての開拓者や小規模開拓団向け、対する西側
は大手開拓団向け。東側のギルドは軽んじられてるのかもな﹂
﹁ギルド内の確執に巻き込まれる身にもなってほしいけどね。それ
とも、東側ギルドの開拓者は早く西側のギルド館に入れるように頑
張るぞって思うのかな﹂
﹁さて、どうかな﹂
俺はギルドホールを見回す。
職員の態度に不満を持っている開拓者は多くいるように見える。
けれど、彼らの多くは仲間を集めて大規模開拓団を設立しようと
考えているようには見えなかった。同じ開拓者の間での会話は皆無
968
だ。
﹁仲間を募るより、どこか別の街に活動拠点を移しそうだな﹂
ガランク貿易都市としては東側ギルドの開拓者が何人町を出て行
っても構わないのだろう。防衛軍もいるし、街の基礎である貿易で
活躍する護衛は西側の大手開拓団がいれば事足りる。
﹁それで、どうする? ボルスから月の袖引くの連絡がくるまで暇
になるよ?﹂
﹁暇つぶしに依頼を受けてもいいと思うが⋮⋮﹂
俺はカウンターの職員や他のギルド職員を観察する。どいつもこ
いつもやる気がなく、開拓者に声を掛けられるまで仕事を始めよう
とはしない。中には書類仕事をする振りをして開拓者の呼びかけを
無視する者までいる始末だ。
このギルド、潰れた方が良いと思う。
﹁あの様子を見ると、ボルスから連絡が来ても俺たちに伝えるのを
面倒くさがりそうなんだよな﹂
﹁ないと断言できないのが怖い所だね﹂
かといって、連絡が来た時その場に居合わせる確率がそう高いと
も思えない。ここで張り込んでいればあるいは、と思わないでもな
いが、連絡が西側ギルドに行ったら万事休すだ。
﹁外堀から埋めるしかないな。面倒くさくても動かずにいられない
様にさ﹂
﹁依頼を受けて名を上げるって事だね﹂
969
二人で依頼の張ってある掲示板の前に立つ。
護衛依頼がメインだという西側と違って、東側で張り出されてい
る依頼のメインは魔物の討伐だ。それも、はく製を作るために可能
な限り大きな個体を綺麗に仕留めるよう要求されている。
他には香辛料の採取、生息地域の調査、常時張り出されているら
しい新種の香辛料を求めるもの。
報告書に信用が必要になる調査関係の依頼は避けて、香辛料の採
取依頼を見ていく。料理に使った事のある香辛料に関係する物もち
らほらと見かける。未だ栽培方法が確立されていないため、市場に
供給されているのはこうして依頼を受けた開拓者が採取してきた物
がほとんどらしい。
生息条件の特定もされておらず、発見された群生地はとある大手
商会が牛耳っている。
﹁ひとまず依頼を受けるのは明日にして、今日は宿で疲れを取ろう
よ。山越えで疲れたし﹂
﹁途中でこの辺りの詳細な地図を買って調べておくか﹂
依頼掲示板から離れて、ギルド館を出る。
昼用に串焼きを買い、地図を購入して宿に戻った。
新聞を広げている店主の老人に帰って来た事を告げて、二階の部
屋へあがる。
ほとんどの宿についている簡易調理台すらないこの部屋では外の
屋台で買ってきた串焼きだけで昼食を済ませるしかない。
テーブルの上に串焼きを広げ、俺は一本手に取って齧る。羊肉を
自家製のたれに漬け込んで焼いたものだ。数種類のスパイスが混ざ
り合った辛みと香りが羊肉の臭みを消している。
﹁ミツキの手料理と比べるとどうしても味が劣るな。なんでだろ﹂
﹁愛情が入っていないからだよ、ヨウ君。深みと奥行きのある繊細
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な愛情が料理の味を決めるの﹂
ミツキが立てた人差し指を左右に振りながら講釈を垂れる。
けれど、ミツキが語るような精神論ではなくて、もっと具体的に
何か説明が付きそうな気がするのだ。
俺は串焼きの匂いを嗅いでからゆっくりと咀嚼する。
﹁これ、要らないスパイスが一種類入ってるな。羊肉の臭み取りに
必要なんだろうけど、雑味がある﹂
﹁スパイスの選択を間違えてるんだよね﹂
精神論を語っていたミツキさんが現実的な意見にシフトしたよう
です。
しかし、考えれば考えるほどスパイスの選択肢がこれ以外になか
った事にも気付く。あの屋台のオッチャンも苦肉の策だったのでは
ないだろうか。
串焼きについて意見を出し合っていると、階下で足音が幾重にも
木霊した。
なんだろう、と思いながら耳を澄ませる。
﹁︱︱ビスティって若い商人がここに泊まってるはずだ。部屋に案
内しろ!﹂
がなり立てる男の声、老人が断ろうとする弱弱しい声が聞こえて
くる。
﹁埒が明かない。捕まえて来い!﹂
男がそうがなり立てた直後、階段を上がってくる慌ただしい音が
聞こえてきた。
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ビスティという名前に聞き覚えはないが、若い商人というと頭に
浮かぶ顔がある。
ミツキと顔を見合わせた時、部屋の扉がぶち破られた。
バタンと音を立てて扉が倒れた。
もちろん、倒したのは階下で騒いでいる男の仲間らしき男だ。見
るからに裏稼業の人間ですというこめかみに傷のある体格のいい男
である。
どこかで見た覚えがあると思ったら、東側のギルドにいた開拓者
だった。
串焼きを片手に反応に困っている俺に目を留めた開拓者は、階下
に向かって叫ぶ。
﹁若い男を見つけました。女連れです!﹂
﹁ちょっと待て、人違い︱︱﹂
﹁まとめて連れて来い!﹂
俺の声を遮る様に、階下からがなり立てる男の声。
命令に従ってか、こめかみに傷のある開拓者が部屋に乗り込んで
くる。
﹁どうせ拉致るんだ。意識なんかいらねぇだろ﹂
そう言って、開拓者が右拳を固めて振りかぶった。
﹁︱︱圧空﹂
俺が何をするかをミツキに知らせるために呟き、俺はいつもポケ
ットに入れている魔導核に魔力を流し込む。
瞬時に暴風が巻き起こり、開拓者が部屋の外へ吹き飛ばされた。
ミツキが串焼きの包み紙を開拓者に投げつける。特製のたれがべ
972
っとりと付いた包み紙が開拓者の顔に張り付いた。
騒ぎを聞きつけて階段を上がってきた別の開拓者にもう一度圧空
をお見舞いして階下におかえりいただく。ごろごろと階段を転がり
落ちて全身を打ちつけた開拓者は後続の仲間を一人巻き込んで気を
失った。
俺は部屋を出て、串焼きの包み紙を顔から引き剥がした開拓者に
護身用に持っている自動拳銃を突きつける。
﹁動くな。人違いだって言ってんのに襲ってきやがって﹂
俺の後ろではミツキが自動拳銃を階段の下に向けている。
突きつけられた銃口に固まっている開拓者に、俺は問いかける。
﹁それで、ビスティって誰だよ﹂
﹁︱︱それ、僕です﹂
声が聞こえてきて、ちらりと横目を向ける。
そこには案の定、青年商人が立っていた。
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第二十六話 癒着したギルド
標的らしいビスティの登場に開拓者たちが喚き始める。
聞き苦しい悪罵の類がほとんどだった。
ひとまず開拓者連中はアイシクルの魔術で手足を拘束し、一階の
隅にひとまとめにする。
﹁店主さん、すみません。官憲とギルドへ連絡をお願いします﹂
﹁それは構わないが、店の中で人死にはごめんだ。殺すなら他所で
やっとくれよ﹂
外でな、と何故か念押しして、店主は官憲とギルド職員を呼びに
行ってくれた。
ビスティと一緒に開拓者連中を見張りつつ、俺はミツキに声を掛
ける。
﹁どうする?﹂
﹁厄介ごとに巻き込まれた感じだね。事情を聴くのは嫌﹂
﹁そんなぁ﹂
情けない声で会話に割って入ってきたビスティを横目に見る。
何が理由で開拓者なんかに狙われているのか知らないが、俺たち
に関係があるとは思えない。
というか、昨日の夜街道に護衛も付けずにいたのは開拓者に狙わ
れているのが理由だったのだろう。
一応ビスティの事はミツキが警戒してくれている。
﹁そもそも、厄介ごとに関わっている暇が今の俺たちにはないしな﹂
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﹁いつボルスから連絡が来るか分からないもんね﹂
リットン湖攻略がうまくいけば俺たちの出番もないのだが、情勢
を考えると出番がないとも考えにくい。
﹁ボルスに伝手があるんですか?﹂
何故か食いついてきたビスティに戸惑いながら、頷く。
﹁知っている開拓団がボルスにいるんだ﹂
ロント小隊長からの依頼などは教えずに言葉を返すと、ビスティ
は何か考え込み始めた。
その時、宿の戸口に人影が立つ。
呼んでいた官憲がやって来たのかと期待を込めて視線を向ける。
﹁やっほー。コトたちいる? ︱︱ってなんじゃこりゃ﹂
﹁⋮⋮ボールドウィンか﹂
ガランク貿易都市にいるのは知っていたし、あとで会いに行こう
とも思っていたけど、まさか向こうから来るとは。
﹁え、まじでなにこれ?﹂
アイシクルで手足を拘束された開拓者を見て首を傾げているボー
ルドウィン。その後ろにはぞろぞろと青羽根のメンバーが連れ立っ
ていた。
予想外の増援に、延々と悪口を繰り返していた開拓者連中が口を
閉じる。
ビスティが説明を求めるような目を向けてきた。
975
﹁青羽根と知り合いなんですか?﹂
﹁知り合いだけど、ビスティこそなんで青羽根のこと知ってるんだ
?﹂
﹁商人や開拓者で知らない人を探す方が難しいですよ。新型機持ち
ですから﹂
﹁耳が早いんだな﹂
青羽根がこのガランク貿易都市に到着してまだ数日のはずだ。そ
れでも情報が出回るほど注目度が高いという事だろう。
注目の開拓団という話にドヤ顔をしているボールドウィンは無視
して、俺は青羽根の面々に開拓者に襲われた事を話す。
静かに話を聞いていたボールドウィン達だが、俺が話し終えると
首を傾げてアイシクルで手足を拘束されている開拓者を見る。
﹁こいつら、開拓者じゃないと思うぜ﹂
﹁え?﹂
だって開拓者ギルドで見かけたんだけど。
意味が分からずに首を傾げると、青羽根の整備士長が近くの椅子
を引っ張り出して座りながら、口を開く。
﹁こいつら、東側ギルドに配置されている、ラックルっていう大手
商会の子飼いだ。小規模開拓団が運よく新種のハーブなんかを見つ
けても、こいつらに圧力をかけられて発見報告が受理されない。そ
れで、ギルドから出たところをこいつらに拉致られて、新種のハー
ブについての情報諸々を吐き出させられて、権利ごと奪われる﹂
あんまりな話に口をぽかんと開けていると、ボールドウィンが指
差して笑ってくる。
976
﹁コトでもそんな顔するのな。めっちゃウケる。まぁ、それはそれ
として、東側のギルドの職員はラックル商会から裏金を貰ってるら
しい。ラックル商会自体が新種ハーブや香辛料に関する利権をいく
つも持っている事もあって、誰も表向き抗議できない有様だ。コト
もホウアサさんももう目をつけられたぜ?﹂
首を突っ込む気のなかった厄介ごとに、気が付いたら両足からど
っぷりと浸かってたらしい。
ミツキと一緒にため息を吐く。
﹁まずいな。ボルスからの伝令が俺たちに届かない可能性が格段に
高くなった﹂
東側ギルドと癒着しているラックル商会に目をつけられた俺たち
に、ギルド職員が何かしてくれるなんて期待しない方が良い。
こちらの状況をボルスにいる月の袖引くへ知らせようにも、ボル
スのギルドには軍のスパイがいる可能性があるため、迂闊な事は出
来ない。ただでさえ、俺とミツキはボルス暫定司令官のホッグスに
目をつけられている。
こうして振り返ってみると、我ながら敵が多い。
﹁ヨウ君、関わり合いになっちゃったんだから、ひとまず事情だけ
でも聞いてみよう。解決できる問題なら手を貸せばいいし、手に余
るものなら他の方法を考えるしかないよ﹂
﹁仕方がないか。ボールドウィン達は聞かない方が良い。お前たち
まで目をつけられたらいやだろ?﹂
﹁それが、もう遅いんだなぁ﹂
整備士長が嘆息しつつ、ラックル商会の子飼いを見る。
977
﹁到着初日にスカイの情報を渡せって脅してきたこいつらを追い返
したんだ。少し手荒な方法で﹂
﹁⋮⋮それでラックル商会と子飼いについて異様に詳しかったのか﹂
青羽根も被害者だったらしい。
ボールドウィンが壁に背中を預けてにやりと笑う。
﹁いっそ街を出て行こうかとも考えたけど、鉄の獣が歩いてたって
噂を聞いて証言を辿ってここまで来たんだ。知恵を借りたいと思っ
てさ﹂
﹁ボールドウィン達が乗り気なら別に止めないけど、話を聞いた後
で、はい、さようならってわけにもいかないからね?﹂
ミツキが注意すると、ボールドウィンだけでなく青羽根の面々は
全員頷いた。
平均年齢が十代後半の若い開拓団という事もあり、無茶をしたが
るのかもしれない。
俺は青年商人ビスティに向き直る。
﹁事情を話してくれるか?﹂
﹁助けてくれるなら願ってもないですけど、話せない事もあります
よ?﹂
﹁会ったばかりの俺たちに話せる内容だけでいい﹂
ビスティはラックル商会の子飼いたちを気にする素振りを見せな
がら、話しだす。
﹁僕は父の代から行商をしているんですが、いつかは開拓村を立ち
上げようと思ってあるものを研究していたんです﹂
978
話しながら、ビスティはポケットから赤い実を取り出した。胡椒
を一回り大きくした程度の小さな実だ。
﹁砕くと甘い香りがする香辛料の一種です。お菓子の他にお酒の香
りづけや香水の原料に使える実なんですけど、栽培方法が確立され
ていなくて、発芽条件も特定されていませんでした﹂
﹁その香辛料を研究していたってこと?﹂
ミツキの問いにビスティは頷く。研究内容や成果については話せ
ないという。
﹁僕はこの香辛料の安定的な栽培方法を確立しました。資金を得る
ために栽培して市場に卸していたんですが、ラックル商会に嗅ぎつ
けられて⋮⋮﹂
ビスティが追われることになった背景は分かった。ラックル商会
の子飼いたちも何も言わないところを見ると、ビスティが自分に都
合の良い嘘を言ってる可能性も低そうだ。
それにしても、ビスティの話を聞く限り狙ってくださいと言わん
ばかりの金蔓ぶりだ。
﹁ガランク貿易都市を出て、ラックル商会の勢力圏から出てしまえ
ばよかったんじゃないのか?﹂
﹁そうしたいのは山々だったんですけど、販路を考えるとガランク
貿易都市が資金集めに一番適していたのでしばらくここに滞在して
いたんです。そうするうちにラックル商会に嗅ぎつけられて、護衛
も雇えない状態になってしまいました﹂
ビスティがラックル商会の子飼いたちを横目に見る。
979
ラックル商会は東側ギルドに影響力がある。もしも雇った護衛が
ラックル商会と取引していたとすれば、ビスティは背後から刺され
ることになる。
﹁仕方なく、昨日の晩に一人でガランクを出ようとしたんですけど、
立ち往生してしまいまして﹂
俺たちと街道で出会った時の事だろう。
途方に暮れたビスティはガランク貿易都市に取って返してこの事
態になった、という話らしい。
﹁東側ギルドがダメなら西側ギルドで栽培方法の特許を取るのは?﹂
﹁新種のハーブや香辛料の発見や特殊な栽培方法の確立に関する特
許は審査が必要なんです。ガランクでの審査は東側でしか受けられ
ない上に審査員が、その⋮⋮﹂
﹁買収されている、と﹂
本格的に潰した方が良いんじゃないかな、東側ギルド。
俺はラックル商会の子飼いたちを見る。
人数は四人。俺とミツキの部屋の扉をぶち破った男と、階段を上
ってきた男二人、一階で店主を脅していた一人だ。精霊獣機に乗っ
ていない俺とミツキにあっさりやられるほど弱かったが、商人を一
人拉致するのならば十分だろう。
おそらく、昨夜ビスティがガランク貿易都市を一人で出ようとし
たため、焦ったラックル商会が強硬手段に走ったのだ。
﹁ひとまず、いつでもここを逃げ出せるようにするしかないね﹂
ミツキが自動拳銃を太もものホルスターに収めて、部屋に荷物を
取りに行く。
980
﹁俺はガレージから精霊獣機を出してくる﹂
ミツキに声をかけて、俺はガレージに走る。
ディアとパンサーを起動して宿の前に戻ると、ミツキが荷物を渡
してくれた。
整備車両を回してくるという青羽根と別れて、俺はディアに顔を
顰めているビスティを手招く。
﹁ギルドがラックル商会の味方になっているなら、これから来る職
員にも注意した方が良い。ラックル商会は官憲の方にも影響力を持
ってるのか?﹂
ビスティは首を横に振った。
﹁官憲は一割くらいがラックル商会と癒着していると言われてます
けど、実態は分からないです﹂
﹁敵の可能性もあるって事か。事情聴取を求められてもここから動
かない様にしよう。取調室みたいな密室だと何をされるか分かった
もんじゃないからな﹂
ディアの背に座って、宿の店主が呼んでくれた官憲とギルド職員
を待つこと数分、青羽根の整備車両が到着すると同時に道路の逆方
向から官憲らしき若い男二人とアイロンがけを欠かしていないと思
わしきピシッとした衣服に身を包んだギルド職員を連れて店主が帰
って来た。
俺とミツキに加えて青羽根の整備車両まで止まっている物々しい
宿の前を見て、店主がため息を吐く。
﹁噂の青羽根に伝手があるとはね。またでかい客が泊まったもんだ
981
よ﹂
愚痴を言う店主の後ろに立つ職員の身なりを見て、俺は驚きなが
ら店主に声を掛ける。
﹁もしかして、西側ギルドから人を呼んでくれたんですか?﹂
﹁ラックル商会の子飼いを店の中で一網打尽にされたなんざ、東側
ギルドで報告できるわけないだろ。殺して街の外にでも運んどいて
くれれば面倒もなかったんだがね﹂
物騒なことを口走りながら、店主は後を任せたと言って宿の中へ
入って行った。
西側ギルドの職員はラックル商会の子飼いを見て眉を顰める。
﹁また東の鼻つまみの仕業ですか。どうせ、捕えてもすぐに釈放す
るのでしょう?﹂
西側ギルドの職員が官憲を横目でにらみながら問いかけると、官
憲二人は額の汗をハンカチで拭いてため息を吐く。
﹁自分らに言わんでください。内部調査を進めてはいますが、連中
はなかなか尻尾を出さないんですよ。被害者もラックル商会に睨ま
れたくないから及び腰ですし。今回は現行犯なので期待しましたけ
ど関係者さんが⋮⋮ちょっとねぇ﹂
意味ありげに俺とミツキを、正確には俺たちが乗る精霊獣機を見
て、官憲はため息を吐く。
﹁苦情が来てるんですよ。町の景観を損ねるから退去させてほしい
ってね﹂
982
宿で追い返される事などはあったが街から退去しろと言われたの
は初めてで、俺は思わずミツキと視線を交わす。
﹁もう、ガランクにいても無駄な気がしない?﹂
ミツキに同意を求められて、俺は頷いた。
﹁とはいえ、伝令の件もあるからなぁ﹂
ギルド職員立会いの下で官憲から事情聴取を受けながら、俺は今
後の予定を組み立てる。
一つだけ、案が浮かんだ。
事情聴取が済み、官憲に引っ立てられるラックル商会の子飼いを
見送り、俺はギルド職員とビスティに声を掛ける。
﹁ビスティ、俺とミツキに護衛の依頼を出してくれ﹂
983
第二十七話 逃避行
依頼内容はビスティを防衛拠点ボルスまで護送する事。
ボルスであればラックル商会の影響は及ばないだろうし、何より
ラックル商会からの連絡が届くより早くビスティを連れた俺たちが
到着するだろう。
ビスティを護衛してボルスに行ってしまえば、仮にロント小隊長
から救援を求める伝令が出ていたとしても問題ない。何しろボルス
にいるのだから。
問題はビスティの意思だ。
﹁ボルス、ですか。前から行きたいなとは思ってました。軍の関係
施設なので根を張っている商会もラックル商会より大きいですし、
取引相手としては申し分ないので。でも、僕は狙われてますから、
ガランクを出ても街道で襲撃を受けるだけじゃないですか⋮⋮?﹂
﹁それについては考えがあります﹂
方法に関しては関係者だけを集めた後に話すことにして、俺は西
側ギルドの職員に向き直る。
﹁聞いての通りです。西側ギルドで依頼人ビスティを防衛拠点ボル
スに送り届ける護衛依頼を受けたいのですが、かまいませんか?﹂
﹁東に一泡吹かせられるなら、協力しましょう﹂
よし、これで第一目標はクリアだ。
俺は荷物を持ってくるようビスティに言って、ボールドウィンに
向き直る。
984
﹁青羽根にも依頼を出したい。いま暇か?﹂
ボールドウィンがにやにや笑う。
﹁俺も東の連中の態度が気に入らなかったから、手伝うぜ。ついで
にラックル商会の鼻も明かせるし﹂
そうだろ、とボールドウィンが青羽根の仲間たちに声を掛けると、
いたずらっ子みたいな顔でみんなが頷いた。
﹁この町で仕事をしたくばスカイの情報を渡せって言われた時から
ラックル商会に目に物見せたかったんだ。コトに全面協力する﹂
青羽根の整備士長が笑いながら言う。かなりストレスが溜まって
いたらしい。
青羽根の協力も得られたことで、俺は西側ギルドの職員に向き直
る。
﹁確認したいんですが、ガランク貿易都市に新種のハーブや香辛料
の発見報告が来なくなったら東側ギルドの評価は落ちますか?﹂
﹁落ちませんね。周辺に新種がないと結論付けられるだけです﹂
﹁では、周辺とはどのあたりまでを言いますか?﹂
続けての質問に、職員は考えるそぶりを見せた。
﹁明確に基準を設けているわけではありませんが、トロンク貿易都
市との中間あたりやテイザ山脈、大工場地帯ライグバレドとの境、
でしょう﹂
ガランク貿易都市の管轄を訊いた俺に、ミツキが納得した顔で頷
985
いた後、笑みを浮かべる。
俺が何をするつもりか気付いたらしい。
ミツキが笑みを浮かべたまま西側ギルドの職員に質問する。
﹁ガランク貿易都市を拠点にしていた人が亡命に近い形で防衛拠点
ボルスに行ったかと思えば、新種のハーブや香辛料を持ち込んだり、
新しい群生地の発見報告をしたら?﹂
﹁もちろん、ガランク貿易都市の利益をみすみす逃したことになり
ますから、東側ギルドの評価は下がるでしょう。亡命理由にラック
ル商会の妨害を前面に出せば、対抗する商会や我々西側ギルドの職
員、官憲にとっても格好の攻撃材料になります﹂
西側ギルドの職員は律儀に答えた後で首を横に振った。
﹁しかしながら、新種のハーブや香辛料などそう簡単には見つかり
ません。野菜なども同じです﹂
﹁もしも、の話ですよ﹂
ミツキは笑って、ガランク貿易都市の地図をパンサーの収納部か
ら引っ張り出した。
﹁植物図鑑が必要かな?﹂
﹁後は魔物と動物の図鑑だな。交通訴訟賞の奴もいる事だし、他に
新種がいてもおかしくない﹂
﹁剥製候補だね﹂
購入リストを作っている間に準備を整えたビスティがやってきた。
ビスティは背中に大荷物を背負っていたが、これから町を出て生
活の場を移すには身軽に見えた。
俺が疑問に思っている事を表情から察したらしいビスティが苦笑
986
した。
﹁昨夜ガランクを出るつもりでしたから、すでに持ち物は最小限に
抑えています。他の物は最悪の場合、破棄しても構わないので﹂
﹁他に荷物があるならそれは後から運ばせればいい﹂
俺はボールドウィンを見る。
﹁ビスティの運搬車両の点検が終わった後、他の荷物と一緒にボル
スまで持ってきてくれ。運搬車両に何か仕掛けが施されてるかもし
れないから、あらかじめ隅々まで調べておいた方が良い﹂
目指すは完全勝利だ。ラックル商会から逃げるために荷物の大部
分を捨てました、なんて痛み分けと変わらない。
護衛依頼の手続きのために西側ギルドに向かって歩き出しながら、
職員が不思議そうに俺を見た。
﹁てっきり、青羽根と一緒に行動すると思っていましたが﹂
﹁行動が制限されないようにしたいんですよ﹂
整備車両や精霊人機スカイを持つ青羽根ではテイザ山脈を越えら
れないため、連れて行く事は出来ない。
しかし、俺がテイザ山脈越えを考えているとは知る由もない職員
は首を傾げる。
﹁待ち伏せされる可能性を考えた方が良いと思いますが﹂
﹁鉄の獣相手に待ち伏せを成功させる腕があるなら、商会の子飼い
なんてやってないだろ﹂
ボールドウィンが口を挟むと、青羽根の整備士長が頷く。
987
﹁広範囲の正確な索敵能力、地形を問わない高速機動、こちらの攻
撃が届かない距離から高威力の狙撃能力。待ち伏せを仕掛けたとこ
ろで躱されるか、発見されて返り討ちだ﹂
港町防衛戦で俺たちの戦いを見た青羽根の証言に、職員は半信半
疑のようだ。
俺たちと精霊獣機に関しては新聞でも報道されているはずだが、
あまり信用されていないらしい。
西側ギルドに到着して、ビスティに依頼を出してもらう。
すぐに俺たちが依頼を受けた。青羽根も荷物を配達する依頼を受
ける。
﹁青羽根の出発は俺たちがビスティをボルスに届けて栽培方法の特
許を取ってからだ。運搬車両が点検から返ってくるまでには全部終
わってるだろうけど、気は抜くなよ﹂
青羽根に言い含めてから、俺はミツキと一緒に食糧などの買い出
しに向かうべく、足を外に向ける。
﹁俺たちが買い物をする間、ビスティはここで青羽根と一緒に待っ
ててくれ﹂
ミツキと並んでギルドを出て、開拓者が利用する店を避けてガラ
ンクの住人が利用する店に向かう。
いくつかの日持ちする食品を買い込んで、隣の書店に入り、図鑑
の類を買って店を出た。
﹁ボルスまでのルートはどうする?﹂
﹁行きと同じ道を使いたいところだけど、東側ギルドに報告書を出
988
した後だからな。ここは別のルートで山を一つ越えてから、行きと
同じ道に合流して、ボルスに向かおう﹂
いくら踏破できる道順が分かっていようと、精霊獣機の索敵能力
が無ければ安全にテイザ山脈を越える事は出来ないのだから。
テイザ山脈を越えてボルスにビスティを送り届け、道中に発見し
た新種の生物や魔物、生育条件の分かっていないハーブ等のテイザ
山脈における生息地をボルスに登録、発見報告する。それが俺の作
戦だ。
精霊人機がテイザ山脈へ入山できない以上、テイザ山脈を越えら
れるのは卓越した索敵能力を持った歩兵に限られる。
ビスティを連れているとはいえ、精霊獣機に乗る俺たちを捕捉し、
なおかつ捕えるのは難しい。テイザ山脈の中ならなおさらだ。
ボルスに先回りする事も出来ない。どんなに急いでも、テイザ山
脈を越える俺たちの方が圧倒的に早く到着する。
人違いで俺たちを襲ったのが、ラックル商会の運のつきだったと
いうわけだ。
無事に買い物を済ませて西側ギルドに戻り、ビスティと合流する。
﹁それじゃあ、出発しようか﹂
﹁よろしくお願いします﹂
ビスティの手荷物を受け取り、提げ紐をディアの角に引っかける。
わざとゆっくりとガランク貿易都市を歩き、二重の防壁を潜って
外に出た。
目の前には幅三十メートルの大街道が長く続いている。
そこで、俺は身体強化を施した腕でビスティの襟首を掴みあげ、
有無を言わせずディアの背に乗せた。
﹁しっかり掴まってた方がいいぞ﹂
989
俺は笑顔で告げる。
何が起こったか分からないという顔で自分が何に乗っているのか
を見たビスティは﹁うわぁっ﹂と情けない声を上げて転がるように
降りようとした。
しかし、身体強化した俺の腕に捕まえられているビスティが降り
られるはずもない。
そうこうするうちにディアが駆け出す。
無論、大街道を走るはずがない。
俺は大街道を横目に横の森へディアを飛び込ませ、一気に速度を
上げた。
当然、ディアの加速度に比例して周囲の景色が高速で後ろへ流れ
ていく。左右正面の木々が急速に迫り、次の瞬間には後ろへ遠ざか
る。
精霊獣機に慣れない騎乗者にとってのそれは、安全装置のない絶
叫マシンと変わらない。
﹁ぎゃあああああ﹂
ビスティが森に悲鳴を響かせる。枝にとまる小鳥を驚かせたビス
ティの悲鳴は、ドップラー効果を小鳥に及ぼしただろう。
ディアが鳴き、パンサーが唸る。
すぐに索敵魔術の設定を弄って、反応を探る。
﹁ラックル商会の連中、慌てて森の中をこっちに走ってきてるみた
いだな﹂
﹁もうとっくに後ろにいるけどね。あれ、ビスティが静かになった
?﹂
ミツキに言われてビスティを見ると、俺の腰に腕を回してがたが
990
た震えていた。
もう悲鳴を上げる勇気さえないらしく、顔を俯けて高速で過ぎ去
る景色を視界に入れない様にしていた。
﹁こ、こんなの聞いてませんよ﹂
﹁大丈夫、大丈夫、テイザ山脈に入るまでの辛抱だから﹂
﹁テイザ山脈!?﹂
驚愕をあらわにしてビスティが顔を上げかけ、すぐに視線を下げ
る。
﹁テイザ山脈に行って何をするんですか!?﹂
﹁決まってる。山越えだよ。俺たち、一回テイザ山脈を越えてきて
るから﹂
﹁なんでそんなむちゃくちゃな計画だって話してくれなかったんで
すか!?﹂
﹁反対されたくなかったから﹂
唖然としたビスティの気配に苦笑して、俺は言葉を続ける。
﹁どうしても嫌だって言うなら、街道に沿って森を突っ切る方法も
あります。時間はかかるし、追っ手も諦めずにやって来るからあま
り睡眠もとれませんけどね﹂
﹁眠れないのはテイザ山脈を越える場合でも同じでしょう?﹂
﹁いや、テイザ山脈越えの場合は追っ手を考慮する必要がないし、
移動時間も短くて済むから余裕を持って予定を組める。テイザ山脈
を越えるなら、どんなにのんびり行っても先回りされる心配がない﹂
それに魔物は人間と違って俺たちを執拗に狙ったりしないし、待
ち伏せていたりもしない。
991
﹁もちろん、テイザ山脈を使わない場合でも依頼を受けた以上きち
んとボルスまで送り届けるよ。日数がかかるし、途中で食料を買う
必要もあるけど﹂
ビスティはしばらく悩んだ後、恐る恐る周囲を見た。
﹁こんなに早く移動しているなら、追い付かれる心配はないんじゃ
⋮⋮?﹂
﹁昨日の夜、ビスティはガランクを出ようとして失敗してる。ラッ
クル商会はビスティにまた出て行かれた時に備えて、近くの街に部
下を向かわせていると思う﹂
少なくとも俺ならそうする。
ビスティは小さく﹁身から出た錆だった﹂と呟いてから、決心し
たように顔を上げる。
﹁分かりました、テイザ山脈越えでお願いします!﹂
﹁了解。二日ほどで向こうに着くから、のんびり行こう﹂
﹁のんびり行くつもりがあるなら、速度を落としてくださいよ!﹂
﹁追っ手が来てるから、引き離すまでは無理﹂
俺は背後を振り返る。追っ手の姿はないが、ディアの角に弾かれ
て折れたり曲がったりしている枝や、パンサーの尻尾がたまたま触
れてしまって切れた草の葉が続いている。
追っ手そのものはすでに撒いたとは思うけど、精霊獣機が通った
後を辿って来られると面倒だ。
テイザ山脈に入ってしばらくするまで、俺は速度を緩めないと心
に決める。
がたがた震えているビスティを励ますためか、ミツキが後ろから
992
声をかけてくる。
﹁精霊獣機にきちんと乗った人は、私とヨウ君を除くとビスティが
初めてだよ。乗り心地はどう?﹂
﹁怖いです!﹂
間髪を入れずに答えてから、ビスティはふと気付いたように呟く。
﹁きちんと、ではない乗り方なんてあるんですか?﹂
ビスティの言葉で思い出す乗り方は二通りある。
デュラの偵察依頼で素人開拓者にやったみたいにパンサーが口に
咥えるとか、俺がキリーの父親にやったように角に引っかけるとか。
ミツキが笑ってごまかす気配がした。
﹁なんですか、その意味深な笑い!﹂
ビスティの鋭い突っ込みが入る。
なかなか賑やかな旅になりそうだった。
993
第二十八話 静かなテイザ山脈
テイザ山脈を登ること半日、俺たちは昼食を準備していた。
﹁来てよかった⋮⋮﹂
小さな川のそばで感動に打ち震えている様子のビスティを横目に、
野菜を切る。
川のそばには白や赤の花がいくつも咲いている。腰丈までの高さ
があるその花は青に近い紫で縁どられた花弁を持ち、ダリアに似た
形をしていた。
﹁凄いですよ! 新種の花ですよ! 園芸種としても絶対に人気が
出ますよ!﹂
興奮しているビスティは、手帳に周辺の状況をメモしている。栽
培時の参考にするつもりなのだろう。
ビスティの言う通り、川のそばに生えているこれらの花は園芸種
として人気が出そうだった。
旧大陸では新大陸の花の栽培が流行している上に、この花は貴族
好みの外観をしている。貴族の邸宅で花瓶に活けられることもある
だろう。
﹁なぁ、ビスティ﹂
﹁ちょっと待ってください。もう少し時間をください﹂
手帳にペンを走らせているビスティに、俺はため息を吐く。隣で
ミツキが苦笑していた。
994
テイザ山脈をある程度登ってから、追っ手はこれ以上の追跡を断
念するだろうと判断して速度を緩めたのがいけなかった。
速度が落ちたことで恐怖心も和らぎ、景色に目を配る余裕ができ
始めたビスティは目ざとく新種の植物を発見しては俺に停止を命じ、
手帳を開いてメモを始めるようになった。
ただでさえ調査の進んでいないテイザ山脈で、中腹以降は俺とミ
ツキ以外に入った事もない半未踏破の領域だ。新種の植物がごろご
ろしているのも当然だった。
新種を発見するたびに足を止めて調査を始めるとまでは思わなか
ったけど。
テイザ山脈越えは時間がはるかに短縮されるとはいえ、こうも足
を止められては先回りされないとも限らない。ギルドの職員にラッ
クル商会の人間がいるのなら、ビスティが俺とミツキに防衛拠点ボ
ルスまでの護衛を頼んだ事は調べがつくはずだ。
﹁一度ボルスに到着してからまた入山するのはダメか?﹂
暗に先を急ぎたいとビスティに告げると、不満そうな顔で振り返
ってくる。
﹁僕一人じゃテイザ山脈に入れないです。連れてきてくれるんです
か?﹂
﹁ボルスを拠点にするなら、こっちとしてもありがたい話だから、
テイザ山脈との往復で足をやるのは構わないよ﹂
リットン湖攻略隊に何かあった時、ボルスに居れば素早く行動で
きる。依頼を受けてテイザ山脈を調査している、とボルスを拠点に
する大義名分を手に入れるためにもビスティの依頼は渡りに船だ。
﹁お昼ができたよ﹂
995
ミツキに声を掛けられて、俺はビスティに濡れタオルを差し出す。
﹁これで手を拭いて﹂
ビスティは水魔術を小さく発動してざっと手を洗い、泥を流した
後でタオルを受け取り、念入りに手を拭いた。新種の植物を触った
後だ。毒などを警戒しておいた方が良い。
パスタを食べながら、俺はビスティにこれから行くボルスの状況
を説明する。
﹁テイザ山脈の調査を手伝うのはいいけど、今のボルスは軍内部の
派閥争いが起きているから、巻き込まれない様に別の街へ行くのも
選択肢の一つだ。ガランクから一番近いからボルスへ直行してるけ
ど、栽培方法の特許を取った後なら別の街で活動する手もある﹂
たとえば、俺とミツキが拠点にしている港町だ。旧大陸との貿易
港でもあるあの港町はデュラの代わりとして発展しつつあり、それ
なりの規模の大手商会も支店を置いている。
ビスティがもともと持っていた栽培方法に加えて、今はテイザ山
脈を登ってくる過程で手に入れた新種の植物が数種類ある。交渉材
料としては十分だ。
軍の派閥争いと聞いてもピンと来ていない様子のビスティに、旧
大陸派や新大陸派が存在する事、ここ半年におけるボルスの動きを
説明する。
新聞などをあまり読んでいなかったのか、俺の話にビスティは相
槌を打ちながら真剣に聞いて、小さく唸った。
﹁事情は分かりましたけど、一般人が巻き込まれるんですか?﹂
﹁俺とミツキは新大陸派のホッグスに目をつけられているから、あ
996
まり長く一緒に行動すると目をつけられる可能性が高い。ボルスは
次のリットン湖攻略戦で旧大陸派の影響が激減すると思うから、新
大陸派に目をつけられるとラックル商会に狙われるよりも厄介だ﹂
ラックル商会とは規模も権力も武力も段違いだ。睨まれると最悪、
暗殺されてしまう。
ラックル商会だけでも手に負えなかったビスティに選択の余地は
ないと思う。
だが、ビスティは川に咲く新種の花を見て真剣に悩み始めた。
自分の命と新種の植物を発見することを天秤にかけているらしい。
﹁⋮⋮僕は父から引き継いだ香辛料の栽培方法を完成させただけで、
自分で一から何かをしたことってないんですよ﹂
ビスティは呟いて、ちらちらと新種の花を見る。
﹁行商だって父の後を継いだだけです。もちろん、行商の方はラッ
クル商会に睨まれるまで順調でしたし、栽培方法を完成させた事の
自負もあります。でも、このまま父の後を継いで行商で稼いだ資金
を元手に開拓村を立ち上げてそこで香辛料を栽培して村を経営して
いくだけって、なんか、こう、違う気がするんですよ﹂
頭の中で気持ちを表す言葉を探しながら、ビスティは曖昧に言う。
﹁父の計画とは別に、自分が始めて自分で終わらせるような何かが
したいんです﹂
﹁あぁ、言いたいことはなんとなくわかった﹂
誰かが準備した計画を完遂するのは、それはそれで凄い事だ。だ
が、成果は計画立案者と折半される。
997
成果も名誉も全部ひとり占めしたいと思うなら、計画段階から一
人でやるしかない。
ビスティはライフワークが欲しいのだろう。
口にしてしまうのは憚られて、俺は話を元に戻す。
﹁派閥争いに巻き込まれてもいいっていうなら、協力する。ただ、
俺たちはリットン湖攻略の状況次第で知り合いの救助のために動か
ないといけないから、こまめにボルスへ帰ることになる﹂
﹁旧大陸派の方ですね。もちろんいいですよ。救助、頑張ってくだ
さい﹂
﹁俺たちが救助に出ている間、ビスティは護衛もなしにボルスに取
り残されることになるんだが、何か対策はあるのか?﹂
﹁その時は青羽根に護衛を頼む事にします﹂
ビスティの荷物を運搬車両ごと届けてくれる青羽根の到着日時は
まだわからないが、リットン湖攻略隊の出発と前後することになる
だろう。
ビスティの護衛を引き受けてくれるかどうかは分からないが、青
羽根なら受ける気もする。
ビスティも青羽根が護衛を引き受けない可能性に気付いたのか、
少し考えてから口を開いた。
﹁青羽根が受けてくれなかった場合は、僕を港町まで送り届けてく
れますか?﹂
﹁急ぎになると思うから、ディアの背に乗ってもらうけど、それで
もいいか?﹂
ビスティはディアを見て一瞬顔を顰めたが、仕方ない、と首を振
った。
話がまとまった頃には昼食も終え、俺は立ち上がる。
998
﹁それじゃあ、早い所ボルスに行きましょう﹂
寄り道は控えめに、と続けようとした時には、ビスティはすでに
新種の花を見ながら手帳を開いていた。
﹁先が思いやられるね﹂
﹁そうだな﹂
ミツキと一緒にため息を吐き、ビスティの調査が終わるまで周辺
の地形をメモする。
今後もビスティを連れてテイザ山脈に入るのなら、簡易的にでも
地図を作っておいた方が良いと思ったのだ。
測量をしている暇はないし、ミツキの開発したマッピングの魔術
も魔力消費が多すぎて精霊獣機では迂闊に発動できないため、かな
り適当な地図である。
それでも、未踏破のテイザ山脈で川などの目印を知っているかど
うかは、遭難の危険性に大きくかかわってくる。
俺はついでに狙撃が可能な場所も探しておいた。
活動しているかどうかも分からないが、テイザ山脈は火山だ。
あちこちに巨大な火山岩が転がっているため射線が通りにくい反
面、潜む場所に事欠かない。
高所を取れない場合でも川下から川上へ開けた場所、巨石の上な
どで狙撃銃を使えるだろう。
﹁︱︱そう言えば﹂
ミツキがふと気付いたように周囲を見回す。
﹁スケルトンの生息地帯だって聞いたのに、テイザ山脈で見たスケ
999
ルトン種って交通訴訟賞だけだよね﹂
﹁街道で倒した二体はテイザ山脈から流れてきたんだと思うが、確
かに山の中では見てないな﹂
嫌な予感がする。
地域内から魔物が姿を消した時、どこかで群れを作っているとい
うのはあくまでも経験則だが、実際にボルスが襲われるのを見たこ
ともあって油断はできない。
索敵魔術に反応はないが、警戒を強めておこう。
﹁ミツキ、ボルスまでの道順に変更を加えたい。魔物、それもスケ
ルトン種の群れと遭遇する可能性がある以上、隠れながら進むと狙
撃銃の射線が通らなくなる﹂
スケルトン種相手に自動拳銃の効果は薄い。弾道を逸らされてし
まうからだ。
スケルトン種への有効な攻撃手段が狙撃銃である以上、主戦軸に
狙撃銃を据えてミツキの魔導手榴弾で接近戦に対応する方針に変え
た方が良い。
ミツキは方針の変更に異を唱えることなく、パンサーの肩にある
魔導手榴弾の格納部を一撫でする。
﹁魔導手榴弾は凍結型を使うって事でいいよね?﹂
港町の防衛戦の最中、ミツキが機転を利かせて開発したアイシク
ルの魔術式を刻んだ魔導手榴弾の凍結型は殺傷能力が低い代わりに
周辺の地形への被害が少なく、対象の動きを止めたり、進行を遅ら
せる効果がある。
頭を破壊しないと倒せないスケルトンの群れが相手だと殺傷能力
がない。しかし、下手に爆発させるよりは安全だ。
1000
ミツキと相談しながらテイザ山脈の尾根を利用したり、こまめに
周辺を双眼鏡などで調べられるように高所を選んでボルスへの道順
を定める。
群れとの遭遇時の対処、はぐれた場合の合流場所を相談し合って
から、ビスティに声をかけた。
﹁そろそろ行こう﹂
﹁も、もうちょっと﹂
ビスティの手元を覗き込んだミツキが首を横に振る。
﹁ビスティ、新種の花の名前は後で考えて﹂
﹁実物を前にして考えた方がいい案が浮かぶじゃないですか﹂
﹁⋮⋮摘んでいく?﹂
かさ張るものでもないし、一輪くらいなら大丈夫だろう。
﹁︱︱って、ちょっと待て﹂
根っこから掘り起こそうとしたビスティを慌てて止める。
なんで止めるの、と言いたげな顔で首を傾げられて、俺は頭が痛
くなった。
﹁鉢植えがあるわけでもないんだから、根っこごと持って行けない
って。茎から先だけで十分だろ﹂
﹁標本を作るのなら根っこからでないと意味がありません。主根か
ヒゲ根かだけでも調べておきたいんです﹂
﹁⋮⋮早くしてくれよ﹂
この人、植物学者になればいいと思う。それこそ、ライフワーク
1001
としてのやりがいも十分だろう。
ビスティによる新種の植物の調査が終わるのを待ってから、俺た
ちはテイザ山脈の踏破を再開した。
魔物に全く出会わない。山の頂を大型スケルトンが塞いでいる事
もなく、俺たちのテイザ山脈越えは順調だった。
あまりにも順調すぎて、一日目の終わりの夜に見た夢では山頂に
翻る大きな旗が出てきた。
旗の夢を見た翌日の夜、俺たちは一切魔物に出くわさないままテ
イザ山脈を越え、防衛拠点ボルスに到着した。
1002
第二十九話 裏切り者
防衛拠点ボルスは前回に来た時よりも人が多くなっていた。
大通りには幅広い年齢層の軍人が行きかっているが、平均値を取
ると二十代半ばになるだろう。
それもそのはず、リットン湖攻略隊には旧大陸にある開拓学校の
卒業生が多く参加するため、実戦経験の少なさからくる実力不足を、
人数を揃えることで補おうという意図があるらしい。
ボルスのそばにある湿地帯では毎日のように訓練が行われている。
﹁ワステード副司令官がホッグス司令官にねじ込んだらしいんです
よぉ﹂
前回も来た料理屋にミツキと一緒に入ると、看板娘が説明してく
れた。
もう夜も遅く、料理屋の客は俺とミツキの二人だけ。ちなみに、
ビスティはギルドで香辛料の栽培方法や新種の花を登録している。
﹁それでそれで、旧大陸派閥の小隊の連携強化とか、精鋭の選抜と
かしてるらしいです。新大陸派閥も対抗してボルスの逆側で訓練し
てるんですよ。一緒にやればいいのに﹂
﹁対立が深まってるんですね﹂
﹁そうそう。リットン湖攻略隊も完全集結して、双方ともにこれ以
上人数が増えないという事で遠慮なく睨み合っている感じです。敵
に増援の影なし、これより攻撃を開始する、みたいな﹂
斥候役のつもりなのか、片手で目の上にひさしを作って周囲を見
回すような素振りをする看板娘。
1003
炙ったシカ肉のジャーキーが乗った皿を差し出すと、看板娘は﹁
どうもどうも﹂とぺこぺこ頭を下げながら笑顔で一枚とって齧る。
﹁ベイジルはどうなりました?﹂
水を向けてみると、看板娘はジャーキーを飲み込んで水を一口飲
むと話し出す。
﹁防衛拠点ボルスが手薄になるといけないから残るように命じられ
たらしいですよ。おかげで旧、新大陸派のどちらでもないボルス居
残り組中立派がこの店に来るようになりました﹂
どうやら、ワステード元司令官の目論見通り、ボルスの防衛戦力
が残される運びになったらしい。
だが、防衛戦力として残れるのは元々ボルスにいた兵だけで、マ
ッカシー山砦からホッグスが連れてきた新大陸派や、開拓学校卒業
者で構成される旧大陸派は軒並みリットン湖攻略隊と出発するよう
だ。
ジャーキーを与える度にお喋り度が増していく看板娘が、犬のよ
うに人懐こい笑みを浮かべて続ける。
﹁今回のリットン湖攻略隊の内訳は凄い強力ですよ﹂
﹁どんなふうに強力なんですか?﹂
ミツキがパスタをフォークで絡め取りながら先を促すと、看板娘
がミツキに粉チーズの入った小瓶を渡した。パスタにかけると美味
しいらしい。
チーズを掛けたパスタを口に運んだミツキが目を丸くすると、看
板娘が楽しそうに笑う。
1004
﹁リットン湖攻略隊には、なんと、ワステード副司令官率いる雷槍
隊全六機と、ホッグス司令官率いる赤盾隊全六機、計十二機の専用
機が一斉出撃するんです!﹂
看板娘は勢いよく言って、何故か自慢げな顔で胸を張る。
しかし、専用機が十二機とは奮発したものだ。ただの精霊人機で
も十二機あればかなりの戦力だというのに。
リットン湖攻略戦ではさらに、ロント小隊のように通常の精霊人
機を有する小隊も複数参加するとの事で、軍の意気込みがうかがえ
ると看板娘は大興奮だ。
何機帰ってこれるか分からない、なんて口が裂けても言えない。
敵が魔物だけなら負けなしだろうけど、内部に敵を抱えている状
態で軍としてまともに機能すると考えるのは難しい。
ホッグスが赤盾隊を出すのは、軍にどれほど被害が出ようとも自
分だけは専用機の力で生き残れるようにという打算が働いているか
らだろう。
なおも看板娘から情報を聞き出していると、店にビスティが入っ
てきた。
﹁各種特許が仮取得できました。審査に三日ほどかかるそうです﹂
ビスティが俺たちのいるテーブルに着くと、看板娘が注文票を取
ってきて、ビスティにメニューを渡す。
ギルドで食事を摂っていなかったらしいビスティはメニューを開
いてボリュームがありそうな料理をいくつか頼んだ。
厨房へ注文を告げに行く看板娘を見送って、ビスティに声をかけ
る。
﹁審査結果が出るのが三日後なら、ラックル商会はもう間に合わな
いな﹂
1005
俺やミツキが精霊獣機を使っても、テイザ山脈を使わないルート
ではガランク貿易都市からボルスまでは四日から五日ほど掛かる。
車両では森の中を突っ切る事も出来ないためさらに日数が必要に
なるだろう。
俺たちがビスティを連れてガランク貿易都市を出て今日で二日が
経っている。後三日で審査結果が出るのなら、ラックル商会は間に
合わない。
実質、俺たちの勝ちだ。
﹁祝杯でも挙げるか?﹂
﹁遠慮します。明日にはテイザ山脈に分け入って新しい新種の生物
を発見したいので、二日酔いになるのは避けないと﹂
意気込みも新たにテイザ山脈に目を向けるビスティに苦笑する。
﹁一日くらいゆっくりしないか?﹂
﹁道中で目をつけておいた新種らしき花や実を早く確認に行きたい
んです!﹂
﹁ミツキ、どうする?﹂
ミツキはパスタを食べる手を止めて、首を横に振る。
﹁明日は月の袖引くに到着を知らせたりしないといけないから、す
ぐには動けないよ。携帯食も少ないし、買い出しにも出ないと﹂
﹁という事だ。ビスティ、明日の出発は諦めろ﹂
ビスティは俺の決定に不満があるようだったが、俺とミツキの協
力なしにテイザ山脈へは入れない事も理解しているのだろう。渋々
と言った様子で頷いた。
1006
不満を隠しきれていないビスティに苦笑を深めつつ、提案する。
﹁すぐに開拓村を立ち上げるつもりじゃないんだろう? ボルスで
村を一緒に立ち上げる仲間探しとか、村の事業計画みたいなものと
か、あとは新種の植物を管理するための研究所兼自宅みたいなもの
を借りるとかしたらいい。テイザ山脈を調べるなら拠点はこのボル
スになるし、家を借りるのもそう悪い選択じゃない﹂
前向きに明日やることを提案すると、ビスティは﹁それもそうで
すね﹂と呟いて悩み始めた。
ビスティは行商人だが、拠点をボルスに構えるならどことどこと
をつなぐ行商をするかも重要になってくる。香辛料の栽培方法の特
許が下りれば、以前見せてもらった用途が多そうな香辛料を栽培し
て農家みたいなこともできるだろう。
ビスティはしばらく考えてから、結論を出す。
﹁開拓村を一緒に立ち上げる仲間探しを始めようと思います。特許
を取った僕をラックル商会が諦めてくれたなら良いですけど、そう
ならない場合の事も考えないといけないので﹂
﹁自分の身を守ってくれるくらい強い仲間を募るのか?﹂
﹁そうなります。ちょうど、ボルスは開拓の最前線でもありますし、
開拓村を立ち上げようと考えている開拓団も探せば見つかると思い
ますから﹂
ビスティの言う通り、開拓の最前線であるボルスなら村を作ろう
と志す開拓団もたくさん見つかるだろう。
だがそれは、平時の場合に限る。
﹁いまは派閥争いの件もあって、ボルスにいる開拓団はキャラバン
の護衛を生業にしているような小規模開拓団だけど、大丈夫なのか
1007
?﹂
小規模とは言っても精霊人機を持つ開拓団も多数ある。だが、そ
ういった開拓団の多くはまだ戦闘のノウハウを溜め込んでいる途中
だったり、資金集めに奔走しているところだったりするものだ。
近いうちに開拓村を作るため活動している開拓団はまずないだろ
う。
﹁月の袖引くに声かけてみる?﹂
ミツキが食べ終わったパスタの皿にフォークを置いて、提案する。
﹁そっか、月の袖引くなら開拓村を作れるようにいま動いてるな﹂
だが、あの開拓団は団員の生い立ちが少々特殊だ。
ラックル商会に狙われているとはいえ、行商人として生きてきた
ビスティを受け入れるか分からない。
﹁俺たちが口を挟む事でもないだろう。ビスティの村の住人はビス
ティが見つけるべきだと思う﹂
﹁それもそうだね﹂
当人なのに加わる前に決着がついた俺とミツキの話に、ビスティ
がきょろきょろする。
釈然としない顔で、ビスティは運ばれてきた料理を食べ始める。
料理をすべて運び終えると、看板娘は再び俺たちのテーブルに着
いて駄弁り始めた。
他にお客もいない上、俺とミツキも嫌がっていないからだろう、
前回来た時のように厨房から叱責されることもなく、看板娘はのび
のびと話している。
1008
﹁それでこの間、店を借り切った開拓団の方がですね︱︱﹂
看板娘の話が軍の派閥争いから逸れ始めた時、店の入り口に人が
立った。
もうすぐ店も閉まるこの時間に誰だろう、と看板娘が不思議そう
な顔で椅子から立ち上がる。
﹁すいません、もうすぐ店を閉めるんですけど﹂
﹁ここに鉄の獣がいるって聞いてきました。会わせてください﹂
﹁︱︱この二人の事だよ﹂
店に入ってきた青年に、ビスティが俺とミツキを指差す。
青年はつかつかと俺たちのテーブルに歩いて来たかと思うと、深
々と頭を下げた。
﹁力を貸してください!﹂
下げられた頭を見て、俺は記憶を探る。
どこかで見覚えのある顔だけど、誰だったか。
⋮⋮喉元まで出かかってるんだけど。
﹁もしかして⋮⋮リンデ?﹂
ミツキが目を細めて、青年に問いかける。
リンデ、という名前から連鎖的にマッカシー山砦発のキャラバン
を護衛してヘケトに襲われ、精霊人機の大破の原因その他の責任を
押し付けられた一連の事件を思い出す。
髪が短くなっていて気付かなかったが、目の前で俺たちに頭を下
げている青年は確かにマッカシー山砦所属、旧大陸派の青年随伴歩
1009
兵、リンデだった。
近くでガタリと音がして目を向けると、ビスティが肩を跳ねさせ
た。
かなり冷たい目をしてしまっていたらしい。
取り繕うためにコップの水を飲んで一息ついてから、俺はリンデ
を見る。
﹁こんな店の中で頭を下げて、何のつもりだ?﹂
他に客もいないしもうじき閉店だから店に迷惑は掛からないだろ
うけど、俺とミツキの外聞は悪くなる。
とりあえず、頭を下げる理由をリンデの口から語らせようと考え
つつ、俺はリンデの出方を注意深く観察した。
リンデは開拓学校卒の旧大陸派閥とはいえ前回のキャラバン護衛
で俺とミツキを裏切っている。つまりはマッカシー山砦の新大陸派
に屈したのだ。
だから、警戒せざるを得ない。
ホッグスから俺たちの様子を探る様に言われたスパイの可能性が
ある。
腹に一物隠し持っているのなら、何らかの反応があるだろう。
ミツキも細めた目でリンデを観察している。
リンデが頭を上げた。
﹁次のリットン湖攻略戦で、マッカシー山砦の旧大陸派の兵が軒並
み前線配置になってるんです。被害がボルスの兵に偏らない様にし
つつ、マッカシー山砦内の派閥を新大陸派一色に染める狙いがある
んだと思います﹂
このままだと前線で使い潰されるという事らしい。
筋はそれなりに通っている。
1010
俺が目を細めると、リンデがまた頭を下げた。
﹁お願いします。二人の索敵能力があれば、敵わない相手を確実に
避けられるはずです。力を貸してください!﹂
頭を下げるリンデと、狼狽えながら成り行きを見守っているビス
ティと看板娘。
店の中をぐるりと見回してから、俺はため息を吐いた。
﹁お断りだ﹂
俺が短く告げると、ミツキが深々と頷いた。
﹁前回裏切ったことを謝りもしてないのに力を貸してほしいってい
うのは虫が良すぎるよね﹂
リンデが下げた頭は力を貸してほしいという懇願のためでしかな
い。裏切ったことを謝罪する言葉は聞こえてこなかった。
反省していないのなら、力を貸せるわけがない。
﹁また裏切られたくないんだよ。今度は司令部みたいな安全地帯で
裏切ってくれるとは限らないからね﹂
ミツキが冷たく言い放ち、看板娘に勘定書きを要求する。
俺は財布を取り出しつつ立ち上がった。
﹁前回の裏切りについては俺もミツキも誰かに話したりはしていな
い。他の開拓者に頼めば引き受けてくれるかもな。リンデたちが開
拓者に協力を募るのを、俺たちは邪魔しないと約束する。それがリ
ンデに対してやれる、俺とミツキの最大の力の貸し方だ﹂
1011
慌ててやってきた看板娘に代金を渡し、俺はミツキと一緒に店を
出た。
次にどんな顔してこの店に入ればいいんだか。
後ろからビスティが追いかけてくるのを待って、俺たちはギルド
に向かった。
1012
第三十話 一目惚れ
ギルド館で夜を明かすと、日も昇ったばかりだというのに月の袖
引くの団長タリ・カラさんが副団長のレムン・ライさんを連れてや
ってきた。
タリ・カラさんは俺たちを見て目を丸くする。ボルスに来ている
事を知らなかったのだろう。
しかし、すぐに団長らしい顔つきに戻ると俺たちの座るテーブル
へ歩いてきた。
﹁テイザ山脈越えには失敗したんですか?﹂
﹁成功しましたよ。往復してきたところです﹂
ミツキに目配せして地図を出してもらう。
タリ・カラさんは地図を見て首を傾げた。
﹁川や谷まで書き込まれてますね。現場に行って確認するわけにも
いかないので本当かどうかわからないですけど、嘘を吐くとも思え
ませんし﹂
疑い深い。
テイザ山脈は踏破不可能という常識が蔓延しているからなのだろ
うけど。
俺はカウンターで新種の植物に関しての質問に答えているビステ
ィを見る。
﹁踏破を証言してくれる人もいるんですけどね。テイザ山脈で見つ
けた新種の植物って証拠もあります﹂
1013
﹁失礼しました﹂
タリ・カラさんが頭を下げ、疑っていた事を謝ってくる。
レムン・ライさんがタリ・カラさんの肩に手を置く。
タリ・カラさんが振り返ると、レムン・ライさんが小さく頷いた。
﹁鉄の獣さんに、今のボルスの状況をお話しします﹂
そう口火を切ったタリ・カラさんの説明は、おおむね料理屋の看
板娘が言っていた事と同じものだった。
だが、ロント小隊長から直接聞いたというだけあって、軍の詳し
い内部事情なども話にあった。
﹁旧大陸派の精霊人機操縦士は開拓学校の卒業者というだけあって、
泥濘に足を取られて転倒する事故は少なく、整備も行き届いている
ようでした。対する新大陸派は新大陸出身者で構成されているため
か叩き上げの操縦士が多く、地形の大きな変化に戸惑いが見られま
す﹂
﹁新大陸派の精霊人機の転倒事故が多いんですか?﹂
タリ・カラさんが深刻そうに頷いて、レムン・ライさんを振り返
った。
﹁あなたから説明して﹂
﹁かしこまりました、お嬢様﹂
レムン・ライさんが丁寧に一礼して、口を開く。
﹁新大陸派の精霊人機に転倒事故が多いのは事実です。しかしなが
ら、機体を傷めないように配慮した転倒をしているように見受けら
1014
れるのです。また、この転倒事故の発生を受けて、旧大陸派の精霊
人機を前線に投入、新大陸派の精霊人機は後方支援と定まりました﹂
そういう魂胆か、とミツキがため息を吐いた。
﹁お気付きの通り、ロント小隊長は旧大陸派を前線に揃えるための
演出だと断言しておりました﹂
対抗派閥を前線に据えて、逃げ出さないように自派閥で背後を固
めて監視する。
聞けば、輜重隊も新大陸派が握っているという。
﹁旧大陸派を消耗させようとしてますね﹂
﹁はい。ロント小隊長にも備えるようにと言われています。特に、
物資は不足することを前提として用意してほしいとの話でした﹂
輜重隊を新大陸派に握られている以上、リットン湖攻略の最中は
ロント小隊他旧大陸派に最低限の物資補給しかなされないだろう。
何らかの形でリットン湖周辺で孤立した場合、すぐに物資が尽き
てしまう。
そんな状況下で物資を持たない援軍が来ても邪魔なだけだ。
﹁速度重視で最低限の荷物を持って駆け付けるという事も出来ない
わけですね﹂
﹁そうです。ですが、積載量が少ない上に弾薬を積まないといけな
いお二人はご自分の物資だけを持ってきていただければ大丈夫です。
ロント小隊への予備物資は月の袖引くが責任を持って用意します﹂
俺とミツキに求められるのはロント小隊の早期発見、更に救援部
隊である月の袖引くとロント小隊の合流の手引きとの事だった。
1015
俺はビスティが戻って来たのに合わせて立ち上がる。
﹁俺たちもこまめにボルスに戻ってきます。普段はテイザ山脈に居
ます﹂
﹁できればボルスに滞在していてほしいのですが、無理ですか?﹂
﹁ホッグスに睨まれてますからね。依頼だからボルスに滞在できて
いるだけで、依頼が無ければまた退去を命じられると思いますよ﹂
タリ・カラさんが満月を思わせるその金色の瞳を物憂げに伏せて、
残念そうにため息を吐く。
ボルスはいま軍人であふれかえっているが、月の袖引くは軍に伝
手がほとんどない。
情報が得られず、知らないうちに孤立したり後手に回ってしまう
可能性を考えると気が気ではないのだろう。
ロント小隊長の他に、ベイジルやワステード元司令官との面識が
ある俺とミツキは情報源として活用できる。
手伝いたいのは山々だけど、辛抱してもらうしかない。
﹁疲れているみたいだから、美味しい料理屋さんを紹介しましょう
か?﹂
ミツキがタリ・カラさんに笑顔で申し出る。
﹁いえ、今はそんな気分では︱︱﹂
﹁お嬢様が興味を引かれないのでしたら、このレムン・ライが謹ん
でお話を伺いましょう﹂
怪訝な顔をして断りかけたタリ・カラさんを遮って、レムン・ラ
イさんが先を促した。
ミツキは笑顔のままで頷いて、お喋りな看板娘のいる料理屋の名
1016
前を告げる。
﹁いろいろと美味しいですよ﹂
﹁それは楽しみです﹂
ミツキが伝えたかったことは伝わったようだ。
情報収集の一助になれば幸いだと思いつつ、俺は明日からのテイ
ザ山脈での調査に備えて買い出しに出るべく、ギルドの出口に足を
向けた。
その時、ビスティが固まっている事に気付く。
﹁ビスティ、どうかしたのか?﹂
声を掛けるが、ビスティは硬直したまま動かない。
ビスティの視線を辿ると、タリ・カラさんがいた。
何だろう。タリ・カラさんの反応から察するに、知り合いではな
さそうだけど。
凝視してくるビスティに気付いたのか、タリ・カラさんは不思議
そうに首を傾げる。
﹁どうかしましたか?﹂
﹁︱︱いえ、なんでもないです!﹂
ビスティが赤くなった顔をそむけ、出口へ歩き出す。
タリ・カラさんがおかしなものを見るようにビスティを見送りつ
つ、ミツキに問う。
﹁わたし、何か失礼なことしましたか?﹂
﹁大丈夫だと思いますよ﹂
1017
ミツキが口元に手を当てて笑みを隠しながら、タリ・カラさんに
言い返した。
ビスティが出口の扉直前で俺たちを振り返る。
﹁二人とも早く行きましょう!﹂
急かされるまま、俺はタリ・カラさんとレムン・ライさんに別れ
を告げてビスティに駆け寄った。
ミツキが隣で呟く。
﹁ラブコメの波動を感じるよ﹂
﹁青春の香りが漂うな﹂
互いに顔を見合わせて、頷きあう。
面白い事になりそうだけど、果たして状況がそれを許すかどうか。
﹁戦場の恋みたいな?﹂
﹁B級映画っぽいな﹂
食料品店の前を素通りしかけたビスティを引き留めて、店の中へ
入る。
﹁⋮⋮開拓団に入る方法ってご存知ですか?﹂
魚の干物を選んでいると、ビスティが質問してきた。
﹁開拓団ごとに違う。入りたい開拓団があるなら直接話を持って行
くしかないな﹂
あまり無責任なことも言えないので、月の袖引くについては何も
1018
言わないでおく。
﹁そうですか。強くないとダメだったりしませんよね?﹂
﹁それも、開拓団によるとしか﹂
﹁そうですか⋮⋮﹂
買い物の間、ビスティは終始上の空だった。
それにしても、一目ぼれとは驚きだ。本当に存在したんだな。
ラピュタ並みの都市伝説だと思ってた。うん、むしろ、存在して
当然か。
﹁ヨウ君、ヨウ君、ダブルデートとか興味ない?﹂
ミツキがご機嫌だ。両手でハートマークを作って〝ダブル〟を強
調するため分割している。そのハート、割れちゃってますよ。
﹁人の恋路の邪魔はするなよ﹂
﹁応援してるんだよ﹂
心外だなぁ、とミツキは唇を尖らせる。
恋愛なんて当人同士の問題だと思うし、周りが応援したところで
破局するときは破局する物だ。
﹁基本的に放置、助けを求められたらその時だけ協力すればいい﹂
﹁それがヨウ君のスタンスなら否定はしないけどさ﹂
つまんない、とミツキが不満そうに言う。
その時、ビスティが店の壁掛け時計を見た。
﹁お昼を食べてこようと思います﹂
1019
﹁一緒に行こうか?﹂
﹁いえ、一人で大丈夫です!﹂
ビスティが必死さの見える態度で断って、店を飛び出していく。
行き先の見当はつく。おそらく、看板娘のいるあの料理屋だろう。
﹁今日の内に情報収集を開始するとしても、レムン・ライさんが来
店するだけでタリ・カラさんはいかないと思うんだけどな﹂
﹁空回ってるね。あれが青春だよ﹂
腕組みをして、ミツキが弟を見守るお姉さん風に頷いた。
昼過ぎに帰って来たビスティは遠目にもそうとわかるほど落ち込
んでいる様子だった。
ボルスの防壁の外でキャンプしていた俺とミツキは顔を見合わせ、
どちらが声をかけるべきか相談する。
結果、同性の方が話しやすいだろうから、と俺がビスティに声を
かけることになった。
﹁何かあったか?﹂
予想はつくけど、あくまで何も知らない振りをして訊ねる。
ビスティが重苦しいため息を吐いた。
﹁月の袖引くの入団条件を副団長さんに訊ねたら、遠回しにお断り
されまして⋮⋮﹂
﹁それはその、なんというか﹂
予想した、というわけにもいかず、俺はミツキに視線で助け舟を
1020
求める。
だが、ミツキは船の出航を見合わせた。
ビスティを見れば、今にも雨が降りそうな顔をしている。
嵐の予感を前に、ミツキは船の出航を見合わせ、そ知らぬふりで
明日以降の料理の下ごしらえをし始めた。
仕方がないので、俺はビスティに向き直る。
﹁遠回しに断られたって、なんて言われたんだ?﹂
﹁いまは団の中がごたついているから、新しい団員は受け入れられ
ない、と﹂
﹁けっこうはっきり断られたな﹂
﹁うぅ⋮⋮﹂
ビスティが頭を抱える。
ビスティは副団長に断られたと言っていたから、先の発言はレム
ン・ライさんの物だろう。
いまの月の袖引くは団長至上主義から脱却して、団内で相談する
空気を醸成している真っ最中だ。
外から新しい団員を受け入れて新しい風を呼び込んでも、団内に
受け入れるだけの容量がまだないのだろう。
﹁諦めずに待てばいいんだ。ビスティは新種の植物とか香辛料の栽
培方法とか、村を運営するのに必要な商売の経験だってあるんだか
ら、有用なところを前面に押し出して売り込んでいけば向こうも考
え直すだろう﹂
あまりしつこくするとタリ・カラさんにストーカーだと思われそ
うだけど、節度はわきまえているだろう。
駄目そうなら俺も止めればいい。
ビスティは俺の意見を聞いて希望を取り戻したらしい。
1021
﹁自分を売り込む。なるほど。行商と同じですね﹂
そう呟くと、ビスティは何やらぶつぶつと真剣な顔で呟き始めた。
自分のアピールポイントを考えているらしい。
だんだんと面接対策みたいになっているけど、やってることは似
たようなものか。
自分の世界に入り込んでいるビスティを放置して、俺はミツキを
手伝う。
明日からはまたテイザ山脈に分け入って、調査することになる。
二日程度でボルスに帰還するつもりでいるが、テイザ山脈内の魔
物がどうなっているかも注意しないといけない。
ミツキも同じことを考えていたのか、テイザ山脈を横目に見た。
﹁ギルドにテイザ山脈内で魔物がいなくなったことは報告したけど、
対策を打ってくれるかな﹂
﹁動いてはくれるだろうけど、有効な手が打てるかどうかはまた別
問題だ。派閥争いが表面化している今のボルスに開拓者は近付きた
がらない。人を集めようとしても、断られるだろうな﹂
﹁軍の方に掛け合ってくれれば、居残り組の枠を増やして対応して
くれるんじゃない?﹂
﹁情報の出所が俺とミツキだってホッグスに知られたら、多分取り
合ってもらえない﹂
俺とミツキの情報の裏を取ろうにも、テイザ山脈に入れる人間が
限られる。
あまり楽観視はできないという事だ。
ギルドには弓兵機アーチェの操縦士、ベイジルに話を伝えてくれ
るように頼んであるため、ベイジルが動いてくれると期待するほか
ない。
1022
﹁前途多難だね﹂
﹁まぁ、いつもの事さ﹂
1023
第三十一話 青羽根到着
テイザ山脈の山頂で、俺は周囲を見回した。
高山だけあって周囲の草は背丈が低く、火山だけあってあちこち
に苔むした火山岩が転がっている。
吹き抜ける風は肌寒く、ミツキは俺のパーカーを借りて着込んで
いた。
﹁︱︱スケルトン種は魔術を使えませんよ?﹂
テイザ山脈の山頂で高山植物の採取をしていたビスティが、俺と
ミツキの会話に割り込んできた。
夢中で高山植物の新種を採取したりスケッチしたりと忙しく動い
ていたから、話なんて耳に入っていないと思ってたのだが、聞き耳
を立てる余裕くらいはあったらしい。
﹁常識的にはそうなんだけど、実際にはスケルトンも魔術を使って
るでしょう?﹂
遊離装甲の魔術の話を引き合いに出そうとしたミツキに、ビステ
ィは首を振った。
﹁あれは鳥が飛んだり、魚が水中で呼吸したりするのと同じような
物ですよ。魔術で再現が可能なだけで、魔術ではありません。その
証拠に、スケルトン種は魔力袋を持っていないでしょう?﹂
そういう区分になるのか、と俺は目からうろこが落ちたような気
分だった。
1024
人型兵器があったり、車があったり、コンロがあったり、ワクチ
ンがあったりするこの世界だが、変に魔術が絡んでややこしい科学
体系が完成している。
魔力なんてない世界の科学知識を学んできた俺やミツキとは根本
的に考え方が違うというのをいまさらながらに痛感した。
だが、スケルトン種が持つ魔力膜を遊離装甲として再現するため
に調べた精霊研究者もいる。
﹁スケルトン種の魔力膜が魔術かどうかって議論はないのか?﹂
﹁昔はあったらしいですよ? 精霊人機が開発されるよりも前の話
だと思いますけど﹂
議論されていたが、次第に魔術ではないという意見が大勢を占め
てしまい、決着がついたらしい。
﹁魔力袋を持つスケルトンの個体が今なお確認されてないですから
ね。魔術も使えないですから、魔力膜だけが魔術って考えるのはや
っぱり無理があるんですよ﹂
というビスティの意見が、今の研究者たちの間での通説であるら
しい。
確かに、筋は通っている。
通っているけどいまいち腑に落ちないのは、俺が科学世界の人間
だからなのか。
そもそも、この世界の鳥が航空力学の恩恵で空を飛んでいるとは
限らないし、魚だって鰓呼吸していると決まったわけではない。
﹁うーん、納得がいかない﹂
唸っていると、ビスティが不快そうに眉を寄せた。
1025
﹁生まれつき魔術を使えるのは人間だけです。精霊に愛されてる人
間だけが魔力袋なしに魔術を使えるんですよ。あんまり人と獣や魔
物を同列に語ると、精霊信者に刺されますよ?﹂
何それ怖い。
バランド・ラート博士みたいにはなりたくないな。
ミツキが﹁怖い、寒い﹂と言いながら俺の腕に抱き着いて暖を取
りつつ、ビスティに質問する。
﹁魔力袋を持つスケルトンっていないの?﹂
﹁確認されてないですね。そもそも、内臓が存在しない魔物ですか
ら、魔力袋が生成されても転がり落ちるんじゃないですかね﹂
ぽろぽろと魔力袋を零しては慌てて拾うスケルトンを想像してむ
せる俺を、ビスティが怪訝な顔で見る。
だが、ミツキは俺ともビスティとも違う反応をしていた。
﹁隙間があって魔力袋が零れるなら、魔力袋の原料だって零れるは
ずだよね﹂
不意に日本語で呟いて、ミツキが俺を見る。
未知の言語を話しだしたミツキを見て、ビスティが首を傾げる。
だが、俺はミツキの言いたいことに見当がついて、日本語で応じ
る。
﹁蛇の鰓に巻かれていた包帯の事か?﹂
バランド・ラート博士は蛇に生きたネズミを丸呑みさせる事で魔
力袋を人工的に作り出す実験をしていた。
1026
実験に際し、蛇の鰓に包帯を巻いている。
﹁鰓から魂が抜け出るのを防ぐための処置だったのか?﹂
﹁蛇みたいに細長い生き物だと、体内に魔力袋が生成されたら生存
に不利でしょ? だから、魂を逃がすための器官として鰓が発達し
たんじゃないかなって﹂
面白い仮説だった。
話に加われずにいじけたビスティが新種の植物を掘り起こし始め
る。
俺はディアの索敵魔術の範囲や感知強度を変更して、周辺に蛇が
いないか調べてみた。
それらしい大きさの生き物が次々見つかる。
﹁ミツキはここでビスティの護衛をしててくれ。俺は蛇を捕まえて
くる﹂
﹁噛まれない様にね﹂
ビスティをミツキに任せ、俺はディアを森の中へ走らせた。
対物狙撃銃は肩に掛けたまま、右手に魔力を集中する。
索敵魔術に引っかかった小動物を次々確認して、蛇を探す。
数分で蛇を発見し、俺は右手に集中させていた魔力でアイシクル
を発動し、蛇に撃ち込む。
蛇は逃げる暇もなく氷漬けとなった。
凍っている蛇を持ち上げて、ミツキの下に戻る。
﹁捕ってきたぞ﹂
捕まえた蛇を掲げると、いじけて新種の植物を調べていたビステ
ィが顔を上げ、俺が捕まえた蛇をまじまじと見つめた。
1027
﹁それ、猛毒を持ってる蛇ですよ?﹂
﹁解剖するだけだから、大丈夫だ﹂
この蛇が猛毒持ちだってことくらい、俺だって知っている。開拓
者になる前に毒を持つ生物は全部暗記した。
﹁か、解剖ですか﹂
ドン引きしているビスティは無視して、蛇を観察する。
頭の付け根にある鰓をよくよく調べてから、解体用のナイフで鰓
の付け根を切り取り、胴体部分を手で押さえる。
﹁よっと﹂
鰓をナイフの刃先で押さえ込んで胴体を引っ張ると、鰓がくっつ
いている内臓ごとズルリと出てくる。
﹁箸があればもっと楽なんだけどね﹂
﹁口から刺してぐるっと回す奴か﹂
魚のさばき方がこんな形で役に立つとは思わなかった。
引っ張り出した内臓を水魔術でざっと洗い、血を落とす。
何故かビスティが唖然とした顔で中身空っぽの蛇の死骸と俺が引
っ張り出した内臓付きの鰓を交互に見比べている。
﹁なんですか、今の裏ワザみたいなの﹂
﹁内臓は抜きたいけど魚の形も崩さず調理したい時のワタ抜きの方
法﹂
1028
調理関係の学校に行くと習ったりする。
ビスティが感心したような顔で俺を見た。
﹁二人とも料理が上手いと思ってましたけど、実家が料亭だったり
しますか?﹂
﹁いや、俺の実家は男爵だけど﹂
﹁男爵!?﹂
﹁いろいろあったんだよ﹂
﹁色々なかったらお貴族様がこんなところで開拓者やってるはずな
いですよ。人は見かけによりませんね﹂
見かけによらないか。貴族っていう顔はしてないけどさ。
さて、引っ張り出した鰓を観察してみる。
﹁肺に繋がってないな﹂
細長い肺へ血管が繋がっているが、それとは別に太い管が胃に接
続されている。
おそらく、丸呑みにした獲物を胃で溶かしつつ、太い管を通して
魂を鰓から排出する機構なのだろう。
他に獲物を丸呑みする生物としてはカエルなどが思い浮かぶ。
﹁ヘケトに鰓はあったか?﹂
﹁成体しか見たことないけど、なかったはずだよ﹂
﹁あの大きさになると魔力袋が発生しても生存に不利にはならない
からか﹂
魔力袋の最小直径は六センチ。中型魔物に分類されるヘケトの大
きさなら、体内に精製されたところで生存に不利にはならず、むし
ろ魔術を使用して狩りの成功率を上げられる。
1029
魔力袋が生成されると体内の他の臓器を圧迫するような小動物で、
なおかつ獲物を丸呑みする生態を持つモノでないといけない。
﹁魔物じゃない普通のカエルは鰓を持ってないしな﹂
﹁食性の問題もあるかもね。虫程度だとだめなのかも﹂
﹁一寸の虫にも五分の魂があるだろうに﹂
バランド・ラート博士の研究でも、蛇に与えるのはある程度の年
月を生きたネズミだった。
虫では寿命が短すぎるのかもしれない。
﹁サンショウウオとか大型魚類を捕まえればいいのか﹂
﹁そうなるね﹂
今ここで調べるのは難しいと結論を出して、俺は蛇の死骸を埋め
て手を合わせておいた。
テイザ山脈に籠って二日が経ち、そろそろビスティが申請した香
辛料の栽培方法の特許や新種の植物の登録が済んだ頃だろうと、ボ
ルスに帰還した。
ボルスのギルド館に入ると、職員が飛んできてビスティに申請書
類が受理された事を告げる。
﹁新種の植物に関してはギルドから大手商会に口利きをすることも
できますが、いかがいたしますか?﹂
大手商会は定期的にギルドへ依頼を出す代わりに、新種の植物な
どが見つかった場合に開拓者との仲立ちをしてもらう。持ちつ持た
れつの関係が根付いているらしい。
1030
これがラックル商会とガランク貿易都市のギルド支部が癒着した
原因なんだろうな、と思いつつ、俺はビスティを見た。
ビスティは特許書類を鞄の中のホルダーに収めて、職員を見る。
﹁先に、新種の植物と香辛料の発見報告をしたいので、書類を持っ
てきていただけますか?﹂
﹁︱︱え?﹂
職員が呆気にとられたように言って、すぐに我に返るとカウンタ
ーへ引っ込んだ。
たったの三日で新種の植物や香辛料を新たに見つけてくるとは思
っていなかったのだろう。
人跡未踏のテイザ山脈に入れるからこそ、こんなに早く新種を見
つけている。
﹁今日は月の袖引くの方はこちらに来てますか?﹂
職員が持ってきた書類に記入しながら、ビスティが職員に訊ねる。
職員は首を傾げて俺とミツキを横目に見た後、ビスティの質問に
答える。
﹁昨日、今日といらっしゃってませんが⋮⋮護衛を変更するのでし
ょうか?﹂
﹁いえ、入団したいな、と思っているので⋮⋮﹂
ビスティが気恥ずかしそうに言うと、職員は不思議そうに俺とミ
ツキを見る。
﹁三人組を結成したのでは?﹂
﹁俺とミツキは二人組で活動してるだけで、ビスティは依頼者です
1031
よ﹂
開拓村の立ち上げとかも興味がないから、ビスティの力にはなれ
ないのだ。
職員は納得顔で書類に目を移す。
﹁これほどの植物に関して発見や香辛料の栽培特許を持っているな
ら、もっと大きな開拓団にも引く手あまただと思いますけど﹂
﹁月の袖引くが良いんです!﹂
ビスティの勢いにびくりと震えた職員は、気圧されたようにコク
コクと頷いた。
﹁よ、呼んできます﹂
﹁あ、いえ、大丈夫です。来ていたら声をかけようと思っていただ
けなので﹂
﹁え、あ、そうですか﹂
お互いに相手の行動に予想が付けられず、困っているビスティと
職員。
その時、ギルド館に併設されているガレージに続く扉が開き、団
体客がギルドホールに入ってきた。
団体の先頭にいた青年が俺に気付いて手を振ってくる。
﹁コトたちも無事だったみたいだな﹂
﹁ボールドウィン達もな﹂
団体の先頭にいるボールドウィンに手を振り返し、そのままハイ
タッチを交わす。
ミツキが青羽根の団員が連れている縄を打たれた五人組に目を留
1032
めた。
﹁その人たちはラックル商会の?﹂
﹁あぁ、ガランクを出てすぐに精霊人機で襲撃を掛けてきたからと
っ捕まえた。二機も鹵獲してどうしようかと思ってんだ﹂
﹁二対一で勝ったのか?﹂
﹁こっちはスカイだからな。襲撃がある事も予想してたから、向こ
うが仕掛けてきてすぐに整備車両から飛び出して反撃したんだ﹂
なんでも、改造の施されていない精霊人機で操縦士の腕も未熟だ
ったため、スカイに攻撃を仕掛けてもシールドバッシュで威力を相
殺されるどころか弾き返されて転倒したらしい。
転倒した精霊人機の腕と足をスカイがハンマーで粉砕、操縦席を
守る胸部装甲を引き剥がして操縦士を無傷の内に拿捕したとの事だ
った。
﹁二重肘とか首抜き童子より断然動きが遅ぇんだよ。拍子抜けした
ぜ﹂
初の精霊人機相手の実戦で気合を入れたにもかかわらず、相手が
へぼすぎてげんなりしたという。
整備士長も苦笑しながら肩を竦めた。
﹁まぁ、被害がなかったのはよかったけどな。盗賊という事でギル
ドを通じてボルスの官憲に引き渡す。誰か、書類を貰ってきてくれ﹂
ラックル商会との繋がりはボルスの官憲が尋問して聞き出してく
れるだろう。ここはガランク貿易都市と違ってラックル商会の影響
範囲から出ている。
五人組の命運は尽きたようなものだろう。
1033
﹁ビスティの運搬車両は?﹂
﹁荷物を積んで持ってきた。あの五人組の精霊人機の部品もばらし
て積ませてもらってるけど﹂
油で汚したりしないように注意してあるため、運搬車両の中は綺
麗なままだという。
ビスティが立ち上がってボールドウィン達に頭を下げた。
﹁荷物の運搬、ありがとうございました﹂
﹁いえ、こっちも仕事なんで。依頼書にサインお願いします﹂
受け取り印代わりに署名してもらって、ボールドウィンはカウン
ターへ依頼の完了手続きを取りにいく。
ビスティや青羽根が各種手続きを済ませる間、手持無沙汰になっ
た俺とミツキが壁際で待っていると、声を掛けられた。
﹁今日は賑やかですね﹂
青羽根やビスティなど、若者ばかりのギルド館を物珍しげに見ま
わして俺たちに声をかけてきたのは、タリ・カラさんだ。
レムン・ライさんが若者たちを目で追いながら、ロマンスグレー
の髪を撫でる。
﹁溌剌としていいですな。これぞ開拓者、という感じがいたします﹂
﹁わたしは若々しさが足りないと言いたいの?﹂
タリ・カラさんが笑みを浮かべてレムン・ライさんに問いかける。
﹁滅相もございません。お嬢様は若くお綺麗でいらっしゃいます﹂
1034
﹁ありがとう﹂
タリ・カラさんとレムン・ライの気安いやり取りはとても自然だ
った。
この様子なら、団内の空気も団長至上主義から脱却している事だ
ろう。
俺はタリ・カラさんに声をかける。
﹁何か新しい情報とかありますか?﹂
﹁いまのところは何も。お二人が仰っていたテイザ山脈の魔物が見
当たらない件ですが、軍は対策を取らないようです。防衛戦力は以
前のまま、ですね﹂
﹁そうですか﹂
ベイジルがいれば大型スケルトンを相手にしても問題はないと思
う。
そもそも、スケルトン自体はあまり強い魔物ではない。魔力膜以
外の魔術を使わないため遠距離攻撃の手段がないためだ。
俺とミツキにとっては厳しい相手というだけで、精霊人機にとっ
ては倒しやすい相手だ。
これ以上は俺たちが騒いでもどうにもならないから、放置するし
かない。
タリ・カラさんはテイザ山脈の方角を指差す。
﹁この二日間、テイザ山脈で魔物は見ましたか?﹂
﹁見てないです。山頂まで登っても一体も出てきませんでしたね﹂
タリ・カラさんは深刻な顔でレムン・ライさんを見る。
﹁リットン湖周辺の沼地で甲殻系の魔物とスケルトン種、同時に襲
1035
われるのが、考えられる最悪の状況ね﹂
﹁訓練の回数を増やしますか?﹂
﹁そうしましょう。少なくとも、戦闘行動中に転倒しない様に気を
つけないと﹂
転倒リスクか。
月の袖引くの精霊人機の操縦者であるタリ・カラさんは実戦を始
めてまだ二年、湿地帯での戦闘は経験がない。
ある意味、軍の新大陸派の精霊人機操縦士と変わらない。
﹁操縦技術は俺もミツキも口出しできないですけど、そこのボール
ドウィンが開拓学校の卒業者なので相談してみたらどうですか?﹂
俺がボールドウィンを指差すと、タリ・カラさんは一瞬躊躇する
そぶりを見せた。
しかし、すぐに俺に軽く頭を下げてくる。
﹁紹介してくれませんか?﹂
﹁いいですよ。救援部隊として一蓮托生ですから、月の袖引くが強
くなってくれるのは大歓迎です﹂
それこそ、スケルトン種の群れに襲われでもしたら頼りきりにな
る。
俺は立ち上がり、ミツキとタリ・カラさんを連れてボールドウィ
ンの下へ足を運んだ。
1036
第三十二話 改造の依頼
タリ・カラさんに湿地帯での精霊人機の操作方法を教えることに、
ボールドウィンは快く応じてくれた。
﹁そうか、俺もついに人に教えられるほどの器になったか﹂
﹁変なところで調子に乗るな﹂
整備士長にくぎを刺されながら、ボールドウィンはタリ・カラさ
んに自己紹介する。
﹁開拓団青羽根、団長のボールドウィンです﹂
﹁開拓団月の袖引く、団長のタリ・カラです。よろしくお願いしま
す﹂
﹁こちらこそよろしく﹂
ボールドウィンとタリ・カラさんが互いに頭を下げ合う光景を、
レムン・ライさんがほんわかした顔で見ている。孫娘か姪っ子の恋
でも見ているつもりのようだ。
少なくとも、今のところは恋に発展する様子はないけど。
タリ・カラさんに一目ぼれしたビスティの様子を横目で窺うと、
書類に猛烈な速度で筆を走らせている。こちらに早く合流して点数
稼ぎをしようと考えているようだ。
﹁胸キュンの予感⋮⋮!﹂
﹁ミツキ、その予感は心の中にしまっておけ﹂
ボールドウィンがタリ・カラさんと精霊人機の操縦について話し
1037
ている間に、俺は整備士長に声をかける。
﹁鹵獲した精霊人機はどうなるんだ?﹂
﹁盗難品でなければ青羽根の物になる。盗難品なら返す代わりに謝
礼が俺たちの懐に入ってくる﹂
﹁ラックル商会が購入した物だろ?﹂
﹁おそらくな。俺たちが捕まえた奴らが口を割ればラックル商会も
無事じゃすまない。今頃、足がつかないように書類を燃やして無関
係を装う準備でも進めてるんじゃないか?﹂
ギルドにやってきた官憲に引き渡される襲撃者を見送りながら、
整備士長がにやりと笑う。
﹁精霊人機二機が手切れ金とは、ラックル商会も奮発してくれたも
んだ﹂
迷惑料としてもらうつもり満々でいる整備士長に苦笑する。
襲撃を掛けてきたのはラックル商会の方だから、同情はしない。
﹁全員開拓学校卒業生って事は、精霊人機の操縦もできるんだろ?﹂
﹁一通りはな。ボールの奴が一番うまいけど﹂
﹁乗るのか?﹂
﹁整備の手が追いつかない。一機は売り払って、もう一機は基本的
に予備って扱いになる。ほんと、人手が欲しい﹂
ガランク貿易都市でもラックル商会に睨まれたせいで人を集める
ことができなかったらしい。
話をしている内に、書類を書き終えたビスティが駆け寄ってきた。
よほど慌てていたのだろう、服の袖にまでインクの汚れが付いて
いる。
1038
﹁い、今どういう状況ですか?﹂
ビスティが訊ねてくる。
説明すると、ビスティが悔しそうにボールドウィンを見た。
続けざまに俺を見てくる。
﹁精霊人機の整備もできるんですよね?﹂
﹁できるけど﹂
﹁教えてください!﹂
面白いくらいまっすぐだなぁ。
だが、教えようにも俺たちは精霊人機を持っていない。
﹁現物がないと無理だし、数日で身につくようなものでもない﹂
俺たちは三日で基礎をある程度こなせるようになったけど、宿屋
で勉強したり、現物を前にしていたからだ。
ただでさえ機械関係は苦手だと言っていたビスティには難しいだ
ろう。
ビスティがしょぼくれる。
﹁機械に疎くても、知識があるだろ。新種の植物を見つけたりさ﹂
﹁開拓団の維持には必要ない物じゃないですか﹂
﹁ビスティの目標は開拓団の維持じゃなくて開拓村の設立と維持だ
ろうが。何でもかんでもできるようになろうとするな﹂
恋は盲目という奴だろうか。ビスティは当初の目的を忘れている
らしい。
ビスティの能力は開拓団の維持にはあまり貢献しないが、開拓村
1039
を立ち上げた場合には必須の能力だ。経理や商人との交渉といった
技術は、ギルドから依頼を受ける形で報酬を得ている開拓団ではあ
まり養われない。
アピールポイントをまた見失っている。
俺はビスティにだけ聞こえるように声を小さくする。
﹁そんなに焦らなくても大丈夫だ。月の袖引く内部の問題は解消し
つつあるみたいだし、ひと月くらい待ってから申し込めば、入団を
許可されるかもしれない﹂
﹁どんな問題か知ってるような口振りですね﹂
﹁知ってるけど、教えられない。気になるなら本人たちに聞いてく
れ﹂
ビスティは思案顔でタリ・カラさんを見る。
そのまま質問をぶつけるかと思いきや、諦めたように頭を振った。
﹁テイザ山脈に入るのは明日で最後にしましょう﹂
唐突なビスティの言葉の真意が分からず、俺は首を傾げる。
﹁どうして?﹂
﹁やるべき事が出来ました﹂
今までのやり取りを思い出し、ビスティが見つけたらしい〝やる
べき事〟に見当をつける。
﹁実績作りか?﹂
﹁はい。新種の花の栽培を成功させて、その花で作った花束で告白
します﹂
1040
⋮⋮あれ?
何か微妙にずれている気がするのは気のせいだろうか。
いや、実績作りをするのは間違ってないし、その実績を目に見え
る形、花束にするのも洒落が利いていて面白いとは思うけど。
あれぇ?
俺が混乱している内に、ビスティはボールドウィンと話している
タリ・カラさんの下へ歩き出す。
何をしようとしているのか分からないけど止めた方が良い気がす
る。それも切実に。
﹁ちょっと待︱︱﹂
﹁僕があなた方の役に立つと証明するために、時間をください!﹂
ビスティが勢いよく言いきって頭を下げたことに、タリ・カラさ
ん、レムン・ライさんのみならずボールドウィンたちまで驚いて目
を向ける。
突然何を言い出したのか分からない、そんな顔だ。
事情を知らないのだから当然だろう。
ただ、さっきのビスティの言葉は少なくとも愛の告白には聞こえ
ない。その点は杞憂でよかった。
ビスティにとっては宣戦布告のようなものだからだろう。きりっ
とした顔をしてギルドホールの出口に向かって歩き始めた。
﹁⋮⋮変な人﹂
タリ・カラさんが心底不思議そうに呟く。
ビスティの宣戦布告は逆効果だったようだ。
失敗に終わったとも知らず、ビスティは満足げな顔ながら勇まし
く見えるように顔の筋肉を引き締めている。
1041
﹁アカタターさんたちも行きましょう﹂
最後に名前まで間違えるのか。
指摘せずにビスティに付いて行く。
その時、レムン・ライさんに呼び止められた。
﹁後程、私共の借りている倉庫へ来てくださいませんか?﹂
﹁構いませんけど、どうかしたんですか?﹂
﹁精霊人機に関して、少々ご相談したいことがございまして﹂
﹁分かりました。後で向かいます﹂
落ち合う約束をして、俺はミツキと一緒にビスティを追い駆ける。
すでにギルドを出ていたビスティは、小さくガッツポーズしてい
た。
﹁決まった⋮⋮!﹂
小さく聞こえてきたビスティの呟きに、ミツキが笑いそうになっ
た口元を抑えている。さすがに笑うのは失礼だ。
﹁これからどうするんだ?﹂
俺が訊ねると、ビスティは慌ててガッツポーズを解く。
﹁まずは家を借りたいと思います﹂
防衛拠点ボルスは軍事基地として作られているが、リットン湖攻
略が成功した後に入植者を一時的に受け入れる施設としての機能も
期待されている。
そのため、空き家も確保されており、宿や料理屋を始める際には
1042
補助金まで出る。
ビスティの場合、補助金は出ないだろうが家を借りるくらいは問
題なくできるだろう。
﹁家を借りるにしても、新種の植物の栽培ができるほどの広さは確
保できないと思うよ。栽培方法を盗むために覗き見られたりもする
し﹂
﹁実際に栽培する必要はないです。生息地に関するメモがあります
し、標本や土壌のサンプルまであるんですから。後は資料としてま
とめて、報告書を作り、それを月の袖引くに渡すことで、僕の有用
さを示します﹂
確かに、資料をまとめてきちんとした報告書にする能力は開拓団
の中でも上位の人間しかもっていない。
しかも、月の袖引くは元々訳アリの者達が集まって立ち上げられ
ているため、事務能力のある人間も限られる。
良い目の付け所だと思った。
﹁協力するよ。サンプルが足りない場合は俺とミツキでテイザ山脈
へひとっ走りして取ってくるし﹂
﹁お願いします。それと、護衛の件なのですが、家を借りた後でも
必要になると思いますか?﹂
ビスティが不安そうに訊いてくる。
香辛料の栽培方法などはすでに特許を取得しているが、ビスティ
はまだ後ろ盾を手に入れていない。
青羽根が襲撃者を捕縛している事もあり、ラックル商会が諦める
可能性もある。
﹁護衛はまだ必要だろ。ただ、俺とミツキが護衛を務めていると、
1043
この先後ろ盾を得る際に不利になる。別の開拓者に護衛を頼んだ方
がいいかもしれない﹂
第一印象は大事だから、と今までの経験を踏まえて話す。
ミツキが俺の服を引っ張った。
﹁護衛を引き受けてくれそうな人に心当たりがあるんだけど﹂
﹁誰?﹂
﹁デュラの偵察任務の時に同行してた凄腕の二人﹂
一瞬、誰だっけと考えて、素人開拓者をまとめていた二人の事を
思い出す。
﹁さっきギルドにいたんだよ。多分、ロント小隊長が呼んだんだと
思う﹂
﹁それなら、カモフラージュ代わりに受けてくれる可能性はあるな﹂
﹁というわけで、ビスティ、心当たりがあるから、あとで紹介しよ
うか?﹂
﹁信用できる方なら大歓迎です﹂
話がまとまり、俺たちはビスティが家を借りるまで護衛して、ギ
ルドに戻った。
すでに月の袖引くと青羽根の両開拓団は倉庫に戻ったらしく、団
員の姿はない。
ギルドホールを見回していると、依頼掲示板の前に凄腕開拓者を
見つけた。
﹁お久しぶりです﹂
声をかけると、一瞬怪訝な顔をして振り返った凄腕さんたちは俺
1044
たちの正体に気付いて目を丸くする。
﹁こんなところでお会いするとは奇遇ですな﹂
﹁護衛依頼を受けてガランク貿易都市から戻って来たばかりなんで
す﹂
俺は一歩横にずれて、ビスティを手で示す。
﹁不躾なお願いで申し訳ないんですけど、この人の護衛をしばらく
お願いできませんか? 俺とミツキだと色々と問題が出てきそうな
ので、代わりを務められる方を探しているんです﹂
凄腕開拓者二人は顔を見合わせて頷きあうと、ビスティにいくつ
かの質問して護衛を承諾した。
これで晴れてお役御免というわけだ。
﹁リットン湖攻略の状況によっては護衛を続けられない恐れもある
ので、ご了承を願いたい。いささか、義理がありましてな﹂
どこかで聞いたような申し出に、やはり、と思いつつ口は開かな
い。
連携を取る必要があるのならロント小隊長から何か言ってくるだ
ろう。
凄腕二人にビスティの護衛を任せて、俺はミツキと一緒に月の袖
引くの倉庫に向かう。
﹁ロント小隊長、なりふり構わずって感じだね﹂
﹁竜翼の下にも声をかけてそうだけど、こっちに来れるかな﹂
竜翼の下は回収屋のデイトロさんと同じく港町の防衛戦後にすぐ
1045
別の依頼を受けて出立している。依頼内容は知らないが、防衛戦に
定評のある竜翼の下の特性を考えると、一日二日で終わるような依
頼ではないだろう。
竜翼の下はおそらく、こちらに来れない。
﹁ロント小隊長のポケットマネーも心配だね﹂
﹁かなり懐が寒くなっているだろうな﹂
町外れの倉庫に到着する。
現在倉庫を借りているのは月の袖引くと青羽根だけのようだ。
﹁ギルドの戦力の少なさを痛感するな﹂
通常、町のガレージ兼倉庫は大規模開拓団が使用する。それも、
精霊人機を持つような一定以上の戦闘力を持つ開拓団だ。
ただの歩兵であれば俺たちのように宿に泊まった方が安上がりだ
から、当然ともいえる。
スカイのような特殊な機体でなくとも、開拓団は精霊人機の整備
などを人目につかない様に行う。整備状況は機密事項だから、当然
だ。
したがって、街の倉庫の使用率を見ればその町のギルドがどれく
らいの戦力になっているか分かるのだ。
﹁本来のボルスならこの状態でも危機感を覚えたりしないけど、こ
れからリットン湖攻略隊が出発するって事を考えると寒気がするね﹂
﹁ギルドの戦力はスカイと月の袖引くの精霊人機が二機、それにギ
ルド所有の機体が一機あるんだったか﹂
ロント小隊の救援依頼が始まれば、ボルスのギルド支部における
戦力は実質的に精霊人機二機。
1046
﹁何事もない事を祈るしかないな﹂
話していると、月の袖引くの倉庫に到着する。
﹁お邪魔します﹂
倉庫内に声をかけ、足を踏み入れる。
﹁⋮⋮勉強会でもしてるんですか?﹂
月の袖引くと青羽根の団員が椅子に座って、ホワイトボードを睨
んでいた。
異様な光景にドン引きしていると、レムン・ライさんに手招きさ
れる。
﹁我が開拓団の精霊人機では湿地帯での戦闘が難しいと判断し、改
造する提案が整備班から出されたのです。しかしながら、整備の経
験はあれど改造した事はございませんので、青羽根の方々から意見
を頂いておりました﹂
﹁もしかして、俺たちが呼ばれた理由は⋮⋮?﹂
レムン・ライさんがにこやかに頷く。
﹁改造の手ほどきをしていただければ、幸いです﹂
ほほう。
俺はミツキと顔を見合わせる。
﹁ミツキさんや、これはキタんじゃないですかね﹂
1047
﹁ヨウ君、コレはもう、乗るしかないと思うよ﹂
俺はミツキと笑いあい、月の袖引くと青羽根の面々に笑顔を向け
た。
青羽根が俺とミツキの笑みを見て頭を抱える。
構うものか。
俺は袖をまくりつつ宣言した。
﹁︱︱恨みっこなしですよ?﹂
1048
第三十三話 割とまともな意見
ノリノリでホワイトボードに書いてある現在の問題点を読む。
﹁つまり、湿地帯で足を滑らせて転倒するから、解消するための改
造を施したいという話ですね﹂
第一の問題点としてあげられている転倒への対策を頭の片隅で考
えつつ、俺はボールドウィンとタリ・カラさんを見る。
﹁訓練の方はこれからも続けていくんですよね?﹂
﹁もちろんです。ただ、リットン湖攻略隊の出発までもう日がない
事も考えると、打てる手を打っておいた方が良いと、うちの整備士
が言ってまして﹂
かつての月の袖引くならば整備士から意見が出てくることもなか
っただろう。
順調に団内の空気が変わっているようでなによりだ。ビスティの
ためにも。
意見を出した整備士をミツキが見つけ出す。
﹁ホワイトボードの前に立って、考えられる改善個所を挙げてくだ
さい。他の整備士の方は後ほど、挙手した上で意見をお願いします﹂
整備士の話では、現在使っている精霊人機では上半身に重心が寄
っているため、重心を下げるべきだという。
他の整備士たちの意見もおおむね同じものではあったが、単純に
錘を使用して重心を下げる案や計算の上で外部装甲を増設する案、
1049
逆に上半身、特に腕部の装甲を薄くする案などが出ていた。
会議の書記役として、レムン・ライさんがホワイトボードに意見
を書き記していく。
﹁他に意見は⋮⋮ないようですね。次に移りましょう﹂
次に挙げられている問題点は攻撃力の不足だ。
月の袖引くの精霊人機は現在シャムシールと呼ばれる湾曲した片
刃の剣を使用している。旧大陸南方で親しまれている武器であり、
南方で戦う精霊人機の操縦士も時折使う標準的な武器だ。
﹁リットン湖周辺は甲殻系魔物の縄張りです。シャムシールは熟練
者が扱えば中型の甲殻魔物でも両断が可能です。前団長はアルマル
を撃破した実績があります﹂
レムン・ライさんが部外者である俺たちと青羽根に説明してくれ
る。
アルマルはアルマジロのような形をした中型魔物だ。中型魔物の
中ではぴか一の防御力を誇り、生身の人間では狩ることができない
とされている。精霊人機で撃破する場合でも、ハンマーを使用して
叩き殺すのが基本戦術だ。
そんなアルマルをシャムシールで両断したというのだから、月の
袖引くの前団長は相当な腕前だったのだろう。
﹁あの時はカッコ良かったよなぁ﹂
月の袖引くの戦闘員が思い出話をするように呟くと、周囲の団員
が深く頷いた。
レムン・ライさんが咳払いして、会議に集中させる。
1050
﹁団長の腕ならばタラスク以外の魔物をシャムシールで倒すことは
十分可能でしょう﹂
レムン・ライさんの言葉をタリ・カラさんが肯定する。
しかし、それでも攻撃力が足りないという。
ボールドウィンが腕を組んだ。
﹁タラスクを仮想敵にしてるなら、考え直した方が良いぜ。タラス
クはハンマー使いでも並みの出力じゃ弾き返される。大型魔物の中
でも上位の堅さの持ち主だ﹂
カメ型の大型魔物、タラスクは精霊人機の出力検査でその甲羅が
使用されるほどの硬度と重量を持つ。
剣の類は刺さらず、ハンマーで滅多打ちにして倒すのがセオリー
だ。
しかし、甲羅が頑丈なだけで首や足などはそれほどでもない。剣
でもある程度の出力があれば斬ることができる。
もっとも、魔力袋を持つ個体ともなると身体強化を使用してさら
に硬くなり、並みの攻撃を寄せ付けないばかりか無尽蔵の魔力で攻
撃魔術による反撃を仕掛けてくるため単機で相手するのは危険な相
手だ。
青羽根の整備士長がボールドウィンの言葉に頷く。
﹁シャムシールで斬り殺すのは難しいだろうな。甲羅の隙間に刺し
込めば別だろうが、タラスクが身を捩ったら刃が曲がるし、最悪の
場合折れちまう。ハンマー使いに任せる方が無難だ﹂
青羽根はロント小隊長から月の袖引くが受けている依頼の内容を
知らないため、友軍がいる事を前提にして話している。
だが、事情を知っている俺とミツキは月の袖引くの攻撃力の不足
1051
という点に深刻さを感じていた。
ロント小隊の救援に赴いても、中、小型魔物しか相手に出来ない
のではあまり役に立たない。救援として駆けつけた時にロント小隊
の精霊人機が動ける状態かもわからないのだ。
最悪の場合、タラスクのみならず未知のカメ型魔物を相手取らな
いといけない可能性もある。
ロント小隊の精霊人機は三機、すべてが動けない状態になってい
るとは考えにくいが、用心に越したことはないだろう。
月の袖引くの攻撃力強化は必須だ。
ホワイトボードを見つめていたミツキが立ち上がる。
﹁現在のところはその二点を重点的に、あとはタリ・カラさんの実
力を見つつ調整を加える方向で考えようか﹂
方向性がまとまり、まずは機体を拝見しようという事でガレージ
奥で駐機姿勢を取っている精霊人機を見る。
体高七メートルの鉄の巨人。やや女性的な丸みを帯びた形状が特
徴的な機体だ。
﹁ラウルドⅢ型か。良い機体だな﹂
青羽根の整備士長が月の袖引くの精霊人機を見上げて呟く。
ラウルドⅢ型、市街戦で力を発揮した旧式の機体だ。
初代ラウルドやラウルドⅡ型の後継機であり、ずば抜けた耐久性
を誇るため現在でも使用者が多い機体である。
洗浄液と潤滑油だけで十日間の防衛戦を戦い抜いたという記録も
残るこのラウルドⅢ型は部品点数が極めて少ない事でも有名で、整
備が非常に容易という特徴がある。
ついたあだ名が口減らし。理由は、少人数で整備できるから。
あまり出力は高くないし燃費もよろしくないが、ずば抜けた耐久
1052
性と整備の簡単さから軍よりも開拓団の間で愛用される名機である。
﹁改造をしてないまっさらな状態のラウルドⅢ型なんて早々お目に
かかれないぜ。これでアルマルを両断したって、月の袖引くの前団
長はめちゃくちゃ腕が良かったんだな﹂
ボールドウィンが感心したように機体からタリ・カラさんに視線
を移す。
ラウルドⅢ型は部品点数が少ない。その特性故にさまざまな改造
に耐えることのできる機体でもあり、開拓団は独自のカスタマイズ
を施している場合がほとんどだ。
いや、本当に名機なんだけどね。
﹁︱︱この機体があの悪名高きⅡ型の後継だっていうんだから、世
の中分からないもんだよなぁ﹂
しみじみ呟く声に振り返る。
倉庫の入り口にベイジルといつか見たあの整備士君がいた。どう
やら、呟いたのは整備士君らしい。
ボールドウィンがすっと目を細めて、ベイジルと整備士君を睨む。
﹁ここは開拓団月の袖引くの借り受けた倉庫だ。なんで軍人が入っ
てきてる﹂
﹁外に見張りがいれば声をかけたんだけど、誰もいなかったから直
接声を掛けざるを得なかったんだよ。こっちも好きで来たわけじゃ
︱︱﹂
﹁よしなさい。自分たちはケンカをしに来たのではありませんよ﹂
ボールドウィンに言い返そうとした整備士君をやんわりと窘め、
ベイジルが倉庫内を見回してタリ・カラさんとレムン・ライさん、
1053
ボールドウィン、それに俺とミツキを手招いた。
﹁リットン湖攻略戦の間、この防衛拠点ボルスの指揮を執ることに
なった、ベイジルです。もしも魔物が襲ってきた際には防衛戦への
参加をお願いします﹂
﹁まさか、それを言うためだけにわざわざ?﹂
﹁ボルスは軍事基地、軍に任せておけば何とかなるだろうと考える
開拓者も多いですから、きちんと協力を取り付けておこうと思いま
してね。それと、こちらはワステード副司令官からの手紙です﹂
そう言ってベイジルがワステード元司令官のサインが入った手紙
を俺に押し付けてくる。おそらくはこの手紙を渡すのが本当の訪問
理由だろう。
開封してミツキと一緒に読んでみると、リットン湖攻略隊の予定
進路が書き込まれていた。
軍事機密だろ、これ。
﹁ワステード元司令官も救援希望かな。子供を危険地帯に送りたく
ないなんて言ってられなくなったんだね﹂
﹁そんなところだろうな。まったく、人の事を救助犬みたいに走り
回らせやがって﹂
ラム酒の入った樽でも持って行ってやろうか。
俺たちが手紙を読んでいると、ベイジルが月の袖引くの精霊人機
を眺める。
﹁懐かしいですね。アーチェに乗る前はラウルドⅡ型を操縦してい
ましたよ。信じられないでしょうが、正式な設計図に〝原因は不明
ながらこの部品を外すと腕が上がらなくなります〟なんて記述があ
ったりしてね﹂
1054
ベイジルは笑いながら語っているが、それが悪名高きラウルドⅡ
型の実態だ。
設計者でさえ意義が分からない部品が組み込まれ、外すと不調を
きたす。衝撃に弱く、部品の噛み合わせも悪く、整備に手がかかる。
ついたあだ名が整備士殺し。整備士が何人いても起動成功率が七
十パーセントを超えなかったというある意味伝説の機体である。
むろん、生産はストップしている。
まぁ、Ⅱ型に寄せられた苦情やら設計の不備の指摘をまとめて作
成されたのが後に名機となるラウルドⅢ型であるあたり、何がどう
作用するか分からないものだと思う。
ベイジルがタリ・カラさんを見る。
﹁見学させていただいても構いませんか? 数時間ここにいるよう
に、とワステード副司令官に言われていましてね﹂
タリ・カラさんは、これから改造を施す精霊人機をちらりと振り
返り、困ったような顔をする。
しかし、レムン・ライさんが何事か耳打ちすると、小さく頷いて
ため息を吐いた。
﹁ここで見たことは他言無用です。それだけは守ってください﹂
﹁もちろんです。自分もこれから防衛戦を共にするかもしれない開
拓団から恨みを買いたくはありませんので﹂
﹁︱︱ベイジルさん、なんだってこんなところで時間潰さなきゃな
らないんですか﹂
整備士君が文句を言いながら、ちらりと俺とミツキを見る。
﹁ベイジルさんと鉄の獣が一緒にいるところを見られたりしたら、
1055
士気に関わりますよ﹂
﹁開拓者たちが中立派であることを印象付けるためです。自分と同
じ場所にいれば、派閥争いに巻き込まれる心配も減りますからね﹂
ベイジルに言い返されて、整備士君は不満そうな顔をしつつ口を
閉じた。
相変わらずベイジル大好きっ子な整備士君は放置して、俺はワス
テード元司令官の手紙をポケットに仕舞いこみ、月の袖引くと青羽
根の面々を振り返った。
﹁さて、改造を施そうと思う。いまのところ、具体的な意見として
は重心を下げることによる安定性の確保が挙げられている﹂
全員が頷いたのを確認して、俺は温めていた意見を口にする。
﹁俺は重心を変更することに反対だ。転倒しにくい機体なんてまだ
るっこしいこと言ってないで、転倒しない機体を作ろう﹂
﹁︱︱だからコトたちを混ぜたら碌なことにならないって言っただ
ろうが!﹂
﹁そこ、うるさい﹂
青羽根の整備士長を指差して黙らせる。
﹁まずはスラスターによる姿勢制御を提案する﹂
﹁⋮⋮まともな意見が出た、だと?﹂
﹁まだだ、まだ安心するのは早い﹂
青羽根の整備士たちが口々に言う。
月の袖引くの整備士たちが俺の意見を聞いて首を横に振った。
1056
﹁実は、スラスターの採用に関してはすでに話し合ったんだ。スラ
スターキットも売ってるくらいだし、取り付けそのものは半日もか
からないで済む。ただ、問題が多すぎて断念した﹂
精霊人機の姿勢制御スラスターはいくつかのメーカーが改造キッ
トとして販売しているほどポピュラーな物だ。
だが、精霊人機のスラスターは空気系と燃焼系の二つがあり、ど
ちらも欠陥を抱えている。
ベイジルの横にいた整備士君がそんなことも知らないのか、と言
わんばかりの眼を俺に向けてくる。
﹁空気系スラスターは吸排気孔を確保するために遊離装甲を一部取
り払う必要が出てくる。機体内部に空気管を通す関係もあって機体
全体が肥大化する。常時吸気を行う事もあって魔力の消費量も大き
い。足場が悪すぎる岩場などでない限り、まず使用されない形式だ。
燃焼系は遊離装甲を焼かないように取り外し、随伴歩兵を焼き殺さ
ない様に単独行動が求められる。極力使用しない方向で設計し、操
縦士の腕を高めるのが常識なんだ﹂
﹁説明ありがとう。でも、一般論とかどうでもいい﹂
意見を一蹴すると、整備士君が口を半開きにして驚いた後、食っ
て掛かってくる。
﹁じゃあどうするっていうんだ。まさか、一からスラスターの新し
い理論でも考えて精霊人機に応用するっていうのか?﹂
整備士君がうるさいのでベイジルに目くばせする。
ベイジルは苦笑しながら整備士君を押しとどめた。
しかし、整備士君の疑問は青羽根や月の袖引くも抱いていたらし
く、不審そうな目で俺を見つめていた。
1057
﹁青羽根ならわかると思うけどな﹂
俺がポケットにいつも忍ばせている魔導核を取り出すと、スカイ
を持つ青羽根の整備士たちはすぐに正解に辿り着いたようだ。
青羽根の中でも直接スカイを操縦するボールドウィンは一番早く
気付いたようで、呆れたように俺の持つ魔導核を見る。
﹁圧空の魔術の汎用性高すぎだろ﹂
﹁俺もそう思う﹂
言い返して、俺は笑みを月の袖引くに向けた。
1058
第三十四話 価値観に合わせた提案
﹁スラスター買ってきました!﹂
月の袖引くの団員が運搬車両を倉庫前に乗りつけて報告する。
倉庫へ搬入される精霊人機用のスラスターを観察する。
取りつける精霊人機が旧式という事もあり、規格が合うスラスタ
ーが手に入るか不安だったが、問題はなさそうだ。
﹁流石は開拓の最前線だけあって、部品関係は豊富だな﹂
﹁部品単位で改造する気満々の奴に言われてもメーカーは嬉しくな
いと思うけどな﹂
青羽根の整備士長の突っ込みは気にせず作業に取り掛かろう。
﹁青羽根のみんなは使用しない吸気孔と一部の配管の取り外しを頼
む。月の袖引くは排気孔の設定位置を確認する前に出力検査だ。魔
導鋼線を接続するから設計図を持ってきてくれ。ミツキ、魔術式の
書き込みは?﹂
﹁もう終わってるよ﹂
ミツキが精霊人機から降りてきて、月の袖引くの整備士を捕まえ
た。
﹁魔術式を最新のものに大幅改変するから、魔導核の設定担当者を
呼んできて﹂
ミツキが設定担当者を呼び出すという事は、魔導核は購入当時の
1059
設定のままか。
俺はディアの腹部収納スペースから紙と筆記具を取り出して、ミ
ツキに渡す。
﹁ありがと。少し講義をしないといけないから、青羽根からも誰か
欲しい﹂
﹁魔導核の設定が購入時のままだったのか?﹂
﹁そう。バージョンアップも何にもなし。ラウルドⅢ型って時点で
嫌な予感はしてたけど、整備能力が低いから月の袖引くの結成当時
は他の精霊人機だと扱いきれなかったんだろうね。魔導核は不用意
に手を加えると事故の元だし、簡単に勉強できるものでもないから
仕方ないけどさ﹂
ミツキがやれやれと肩を上下させて、月の袖引くの設定師をホワ
イトボードへ案内する。俺が渡した筆記具はミツキの手から設定担
当者に渡された。
俺は青羽根の整備士長を呼んで、ミツキのもとに派遣する。
﹁ミツキは基礎部分の説明をすっ飛ばす事があるから、解説を挟ん
でくれ﹂
﹁まさかこんなに早く教える側に回る日が来るとはなぁ﹂
数か月前に開拓学校を卒業したばかりで教師役をすることに戸惑
いながら、整備士長はミツキのフォローに回ってくれた。
意外にも、ミツキの講義を一番熱心に聞いていたのはレムン・ラ
イさんだった。
魔術師ではあるが魔導核や魔術式に関しては門外漢らしい。自身
の魔術のみで戦う古いタイプの魔術師だったのだろう。
魔導核のバージョンアップはミツキの講義が終わってからにして、
俺はスラスターの出力検査に移る。
1060
通常ならば吸気孔から取り入れた空気を圧縮しつつ排気孔から勢
いよく噴出するこのスラスターだが、いまは排気孔とそれにつなが
る配管だけになっている。
﹁カタログスペックの排気量から換算すると圧空の魔術の威力は︱
︱﹂
ミツキが書き込んでくれた圧空の魔術式に威力の設定を書き込む。
整備士たちにスラスターから距離を取らせ、魔術を起動した。
﹁おぉう、この排気音、脊髄に来る良い音だ﹂
﹁コト、そんな恍惚とした顔で言うなよ﹂
近所迷惑なので適当なところで停止させる。
排気量や風力の計算などをしていると、ベイジルと一緒に見学し
ていた整備士君が近付いてきた。
﹁ボールドウィン、近づけさせるな﹂
﹁おうよ﹂
ボールドウィンが整備士君の行く手を塞ぐ。
﹁機密なんで、魔導核の設定は見せられないな﹂
﹁盗み見ようなんて思ってない。質問したいだけだ﹂
整備士君が俺を指差して言う。
﹁答えられるものなら答えるよ﹂
俺は計算の手を止めずに整備士君に質問を促した。
1061
﹁この改造スラスターを使った場合の燃費はどうなってる?﹂
﹁改造前の三倍弱じゃね﹂
﹁⋮⋮三倍?﹂
同じ出力を出した場合、改造後のスラスターは改造前に比べて魔
力消費量が三分の一程度で済んでいる。
実戦ともなればここまでいい数値は出ないだろうし、精霊人機に
組み込むと魔力のロスなども出るだろうけど、それを込みで試算し
ても燃費ははるかにいい。
﹁そもそも、既存のスラスターの魔力消費量が多いのは常識なんだ
ろ? なんで魔力消費量が多いかって考えたことあるか?﹂
俺の問いに、整備士君は眉を寄せながらも答えてくれる。
﹁風魔術で広範囲から空気を取り込むためだろう。その上で取り込
んだ空気を圧縮、指向性を持たせて放出するからいくつかの魔術式
を併用することになって、魔力の消費量がその分大きくなる﹂
﹁そう。俺はその問題を解消しただけ﹂
圧空はたった一つの魔術式からなる。
本来、空気を生み出す圧空は、周囲の空気に働きかける風魔術よ
りも魔力の消費量が多い。
だが、精霊人機で発動する風魔術は広範囲に働きかける魔術だ。
規模に比例して魔力消費量が跳ね上がる。
一定の規模以上になると、圧空の方が魔力消費量を少なく抑える
ことができるのだ。
加えて、吸気や配管が不要なため、部品の簡略化も図れる。
だが、俺は圧空の魔術そのものを公開する気がないので整備士君
1062
には教えない。
スラスターの改造は順調にできたので、そのまま取り付けられる
状態で倉庫の片隅に安置した。
﹁すぐに取りつけないんですか?﹂
タリ・カラさんが不思議そうに聞いてくる。
﹁軍関係者がいる前で精霊人機にスラスターを取り付けるなんて、
技術を盗んでくださいって言ってるようなものですよ。取り付けは
後でいいんです。今日はもう時間もないですからね﹂
ミツキの魔導核講座も終わったようなので、魔導核に記述されて
いる魔術式を実際に最新のものに変更してもらう。
ミツキは魔術式の書き込みを月の袖引くに任せて俺のところにや
ってきた。
﹁てっきり、最新の制御系の魔術式に手を加えると思ったんだけど
な﹂
﹁先に基礎から覚えてもらった方が良いと思って、月の袖引くの団
員さんに任せることにしたの。それに、スカイを改造した時みたい
に大事にしないよう、改造自体も控えめにするでしょう?﹂
スカイを改造した際には、軍が所有する専用機と同等以上のスペ
ックが認められるとの事で、情報公開を求められた経緯がある。
スカイを持つ青羽根がマライアさん率いる開拓団〝飛蝗〟の傘下
に入る事で事なきを得たが、今回は飛蝗やそれに類する強力な開拓
団は存在しない。
だから改造も控えめにしないと、月の袖引くに迷惑がかかってし
まうのだ。
1063
﹁正直、やりたいことはもっとたくさんあるんだけどな﹂
これでも自重しているのだ。
現状で進められる作業をすべて終えると、再びホワイトボードの
前に集まる。
議題は攻撃力をどうするかだ。
﹁二年間シャムシール一筋って話だから、いまさらハンマーに持ち
変えるのは難しいだろうな﹂
精霊人機の操縦に深くかかわる議題だけあって、ボールドウィン
が口火を切る。
タリ・カラさんが申し訳なさそうに頷いた。
﹁打撃武器となると使い勝手が全く変わるので、せめて一年は修練
を積みたいです﹂
﹁開拓学校での修業課程でも精霊人機の武器の扱いは一年かけてみ
っちり仕込まれる。独学で扱いの難しいシャムシールを扱えるよう
になっただけでもすごいと思うぜ。いまは役に立たないけど﹂
﹁ボール、一言多い﹂
整備士長に窘められて、ボールドウィンは慌ててタリ・カラさん
に謝った。
ミツキがタリ・カラさんに声をかける。
﹁長剣とかも駄目なんですか?﹂
﹁シャムシール自体が癖のある武器なので、他の武器はどれも取り
回しが難しく感じるんです。剣の形状ならばある程度は使えますけ
ど﹂
1064
自信はない、と。
上手く扱わないと刃こぼれしてしまうし、そもそもタラスク相手
に斬撃はあまり効果がない。
やるなら、刺突だろう。
それも、甲羅に手足を引っ込めるのさえ間に合わないくらい超高
速かつピンポイントの鋭い刺突だ。
なおかつ、普段はタリ・カラさんが扱うシャムシールの動きを阻
害しないような構造か、大きさであればよい。
あれこれと考えを巡らせていると、青羽根の整備士たちが俺をじ
ろじろと見てくる。
﹁⋮⋮おい、誰か話しかけろよ﹂
﹁やだよ。好奇心は身を滅ぼすから気をつけろってばあさんの遺言
なんだ﹂
﹁怪談話とか好きだけど、実現可能な寒気のする発想はちょっとな﹂
人の事をパンドラボックスみたいに言いやがって。
何か言い返してやろうとした時、ボールドウィンが声をかけてき
た。
﹁コトは何か思いつかないのか?﹂
﹁思いついた物はあるけど、実現可能かどうか考えさせてくれ﹂
再度、頭の中でイメージを固めていると、青羽根の整備士たちの
会話が聞こえてくる。
﹁⋮⋮ボール、マジ空気よめねぇ﹂
﹁躊躇いもなく好奇心をさらけ出す命知らずめ﹂
﹁根本的にどっか抜けてんだよな。放っておけねぇわ﹂
1065
おい、迂闊でダメな子扱いされてるぞ。
俺が横目を向けても、ボールドウィンは気付いていないのか首を
傾げるだけだ。
﹁もしかして、意見がまとまったのか?﹂
あぁ、確かに放っておけないな。
﹁意見はまとまった。だが、軍の関係者がいる場所で説明するのは
まずい﹂
この装備一つで新型機とみなされることはないだろうが、この世
界では考慮されていない武装だろう。
俺は立ち上がって、会議を続けてもらえるようみんなに言ってか
らミツキを倉庫の端に手招く。
タリ・カラさんと話していたミツキが俺のもとに駆け寄ってくる。
﹁どうしたの?﹂
﹁新武装を考えたんだが、魔導核の容量とかで色々相談したい﹂
新武装の原理その他を説明すると、ミツキはなるほどと頷いてか
ら難しそうに眉を寄せた。
﹁ディアに使ってる照準誘導の魔術で補助するのは必須だと思う。
後は圧力とか、間合いとか、考えることは多そうだね。でもなによ
り、月の袖引くの魔導核設定担当者の力量だと維持ができないと思
う﹂
﹁教えられそうか?﹂
﹁三日か四日は見た方が良いかな﹂
1066
﹁教えられるなら教えてしまおう。今後の月の袖引くの活動のため
にも、魔術式については詳しく学んだ方が良いと思う﹂
﹁分かった。ヨウ君は試作を進めて﹂
意見がまとまって、俺たちはホワイトボードの前に戻る。
その時、倉庫に軍人が一人やってきて、ベイジルに何事か耳打ち
して去って行った。
ベイジルが名残惜しそうな顔で倉庫を見回す。
﹁もう少し開発風景を見ていたかったのですが、上から呼ばれてし
まいました。自分はこれで失礼します﹂
ベイジルが一礼して、整備士君ともども倉庫を出ていく。
すぐにボールドウィンが青羽根の団員に目配せして外に見張りを
立たせた。
肩の荷が下りた気分で、俺はため息を吐く。
﹁これで技術流出を気にせずに作業ができるな﹂
﹁派閥争いに巻き込まないように、ベイジルも善意でやってくれて
るんだろうけどね﹂
ミツキが苦笑する。
俺は精霊人機の攻撃力強化のための案が書き連ねられたホワイト
ボードの前に立ち、挙がっている案を調べる。
武器を早く振るために腕部のバネを増設する案を起点にどう増設
するかを話し合っている段階のようだ。
﹁︱︱だが、どうしても今よりバランスが悪くなるだろう。転倒防
止にスラスターをつけたのに、元の木阿弥じゃないか?﹂
1067
月の袖引くの整備士が意見すると、一瞬静まり返る。
﹁わかってるんだけど、他に方法がないだろ。武器を変えない以上、
扱う機体の出力を高めるくらいしか手がなくなる﹂
苦々しい顔で青羽根の整備士長が言い返すと、誰も反論の声を上
げなかった。
俺はホワイトボードを軽く叩いて注目を集める。
﹁聞こう。いつから武器を変えてはならないと錯覚していた?﹂
議論を最初期に後退させる俺の発言に、ミツキを除く全員が眉を
寄せる。
俺はさらに続けた。
﹁そもそも、タリ・カラさんがシャムシール以外の武器を扱えない
事に先の錯覚は端を発しているわけだ。では、タリ・カラさんがシ
ャムシール以外の武器を同時に使用できるようにするのも一つの手
だとは思わないか?﹂
新しい切り口を用意すると、二つの開拓団の整備士たちはすぐに
思考を切り替えたようだ。
しかし、すぐに青羽根の整備士長が首を横に振る。
﹁シャムシールは通常武装として残して、対タラスク用の武器を別
途用意して持ち変えるって事だろ? それは現実的じゃないだろ﹂
﹁惜しい。シャムシール以外の武器を扱えない事も解消する必要が
ある﹂
﹁ますます実現から遠のいてるじゃねぇか﹂
1068
突っ込みを入れながら、整備士長は俺が具体案を口にするのを待
っている。
﹁コトならどうせ、すでに実現までの道筋は立ててあるんだろ。と
りあえず話してみてくれ﹂
俺はホワイトボードをひっくり返し、まっさらな面にペンを走ら
せる。
﹁要は、シャムシールと併用できて扱いが容易な武器であればいい。
それも、雑に扱っても壊れなければなおのこといい﹂
そう、壊れなければいい。もしくは、壊れてもいい武器だ。
﹁そんなもの、一から作るより魔術を使えば早い﹂
俺はホワイトボードにこれから説明する武器を理解するための理
論を書き込む。
ボールドウィンが首を傾げて意見を口にする。
﹁タラスク相手に並みの魔術は効果が薄いぜ。ロックジャベリンを
甲羅の隙間に撃ち込めば効果もあるだろうけど、狙うのが難しい。
魔力持ちの個体なら、ロックジャベリンの発動を見てから防御に回
って完璧に凌いだりもする﹂
﹁既存の魔術は使わない。それに、狙いに関しては俺が開発した照
準誘導の魔術で補う﹂
精霊人機を操作しながらピンポイントで魔術を放つのは難しい。
魔術そのものが魔力消費の激しい攻撃手段という事もあり、精霊人
機の稼働時間を大幅に縮めるリスクがある。
1069
どこかの飛蝗が持っているマジックキチガイ機でもない限り、精
霊人機の魔術は武器を破壊された際に、その場から離脱するために
牽制として使用するのが一般的だ。
精霊人機が相手にする大型魔物に有効打を与える攻撃力を魔術に
求めると、自然と巨大化する傾向にあるため、これは仕方ない事だ
ともいえる。
ベイジルが扱うアーチェは弓を別に用意する事でロックジャベリ
ンを撃ちだして魔力消費量を減らす工夫がなされている。
﹁だが、武器の威力は大きさや重量だけで決まるわけじゃない。速
度だって極めれば十分な攻撃力になる﹂
そんなわけで。
﹁せっかく人型なんだから、血管とか欲しくないか?﹂
俺はスラスターの未使用配管を横目に、月の袖引くに武器を提案
した。
1070
第三十五話 新兵器
月の袖引くの精霊人機を改造し始めてから三日が経った。
﹁これにて魔術式の集中講義は終了です。お疲れ様でした﹂
ミツキがホワイトボードに書いた図式を示すのに使っていた指示
棒を片付けながら告げる。わざわざ魔術式講座をする時用に買って
きた指示棒も今日でお役御免となるだろう。
生徒になっていた月の袖引くの整備士たちや、一部の青羽根の整
備士たちが拍手する。
開拓学校を卒業した青羽根にミツキの講義を聞く意味があるのか
と疑問に思った事もあったが、復習目的で聞いていたらいつの間に
か魔術式の改変講座が始まり、聞き入っていたらしい。
﹁いくつか質問しても良いですか?﹂
﹁受け付けてないのでダメです﹂
ミツキが片付けようとしていた指示棒を左右に振って質問を遮る。
﹁改変するときの考え方でいくつか分からない事があるんですよ﹂
食い下がる青羽根の整備士に、ミツキが仕方がないとため息を吐
きながら腰に両手を当てる。
﹁それじゃあ、それは宿題にします﹂
あ、逃げた。
1071
ブーイングを無視して、ミツキは今度こそ完全に質問を遮った。
ミツキが質問に答えないのにはきちんと理由がある。
ミツキや俺は魔術式を改変する際の考え方として、この世界には
ない科学知識をベースにしている。
この世界に無い以上、どうしてそんなことを知っているのかと聞
かれると答えようがないため、質問を受け付けていないのだ。
ただ、ミツキの講義にあった、幅広い分野の知識を用いて考え方
の下地を広げていく、という言葉がすべてを表しているのも、生徒
たちは分かっているらしい。
ミツキが例として出した幾つかの魔術式について、ベースとなる
考え方を相談し合っていた。
三人寄れば文殊の知恵というが、ミツキの講義を聞いた生徒は片
手の指では足りない人数がいるとはいえ、簡単には正解に辿り着け
ないだろう。
カノン・ディアの魔術式を教えたら一年くらい頭を抱えるんじゃ
ないだろうか。空気の粘度の影響とか、真空を進む物体の挙動とか、
砲身を飛び出した際のマッハコーンとか、考えることが多いし。
ちなみに、考えないで撃つとディアの首が壊れる。
講義を終えたミツキが俺に駆け寄ってきた。
﹁試作品の進捗状況は?﹂
﹁もう試射が可能だ。機体に合わせた調整はこの試射が終わった後
だな﹂
気体用の配管だと強度不足だと思うし、試作品とは別途作り直す
必要があるだろう。
俺はミツキの講義を受けていた整備士たちも連れて、試作品の置
かれている試射場代わりの倉庫へ移動する。
ボールドウィン達青羽根が借り受けている倉庫の一角に、試作品
は安置されている。
1072
青羽根の整備士長が腕を組んで待っていた。そわそわしているの
がつま先の動きでわかる。
﹁きたか。それじゃあ試射を﹂
﹁まぁ、そう急ぐな。最終点検を終えてからだ。何しろ間に合わせ
の部品で作ってるからな﹂
精霊人機用の丈夫な配管とはいえ、元は空気を通すためのものだ
し、点検は厳に行う方が良い。
月の袖引くと青羽根の整備士たちを下がらせて、試作品をミツキ
と一緒に点検する。
配管の先に円錐状にした分厚い鉄板が付いており、先には直径五
ミリほどの穴が開いている。配管には蓄魔石や魔導核が接続されて
いた。
穴が開いてない事を確認して、試射するために安全区域まで下が
る。
﹁それでは、これより試射を開始する。まずは木の板から始めよう
か﹂
小手調べに、厚さ三センチほどの木の板を試作品の前に固定する。
﹁それでは、試作品、始動!﹂
月の袖引くや青羽根の整備士たちが見守る中、試作品が始動する。
甲高い音を立てて音速の三倍の速さで水が噴出され、木の板をあ
っさりと貫通した。
噴出された水は木板を貫通したその先、倉庫の壁に穴を開けない
様に置いた鉄板を水圧で動かし始める。
1073
﹁止めろ、止めろ!﹂
あわてて試作品を停止させる。
危なかった。距離もあるから大丈夫だと思ったんだが、もう少し
続けていたら木の板に開いた穴を拡散する事もなく通過した水流が
生み出す水圧で鉄板に穴を開けていたかもしれない。
﹁と、とりあえず貫通力がある事は証明されたな﹂
俺は試作品の威力に半信半疑だった月の袖引くや青羽根の面々を
振り返る。
﹁すごい⋮⋮﹂
タリ・カラさんが木の板に開いた穴を覗き込み、感動したような
声を出した。
﹁洗練された美しい兵器ですね﹂
元は工業用機械だなんて言えない。
密閉状態の貯水槽に圧空の魔術で空気を発生させて水槽内の圧力
を爆発的に高め、配管内へ水を誘導、その水をさらに水魔術の水流
操作を改変した加速術式で高速化、噴出時の速度は音速の三倍に達
する。
十分に加速した水はその水圧だけで木の板や鉄板、ガラスなどに
も穴を開け、切断する。
水流に研磨用の粉末剤を混ぜるとさらに切れ味も上がる。
いわゆる、ウォーターカッターだ。
木の板に続いて厚みを変えた鋼板を相手に試し切りをしながら、
俺はタリ・カラさんとレムン・ライさん、食い入るように試作品ウ
1074
ォーターカッターを見つめているボールドウィンと青羽根の整備士
長に説明する。
﹁精霊人機用に大型化はするが、それでも射程は極端に短い。ほと
んどゼロ距離から撃ち込む必要がある﹂
だが、精霊人機での使用を前提に大型化したウォーターカッター
ならば、タラスクの甲羅を貫くだろう。
﹁基本戦術はタラスクの頭や手足を甲羅の中に追い込み、防御姿勢
を取らせたところで甲羅にウォーターカッターを使用し、甲羅を貫
通させて内部に水流を叩き込むものになる。タラスクは動きも鈍い
し、魔力袋持ちでさえなければ至近距離まで近寄るのはそう難しい
事じゃない﹂
しかも、攻撃に使用するのはあくまでも水だ。刃こぼれしないし
壊れもしない。腕の中に配管を通して手の平から噴出する形を想定
しているから、使用時以外は両手でシャムシールを扱える。
なにより、至近距離で叩き込む一発逆転の超攻撃力兵器ってロマ
ンだろ。
ちなみに、攻撃力を求めなければ遠距離から牽制用のウォーター
ジェットとして使用もできる。
タリ・カラさんが穴の開いた木の板を胸に抱きかかえながら、鋭
い目を俺に向けてくる。
﹁水の確保は?﹂
﹁ラウルドⅢ型は機体内部に広い空隙がある。これに配管を通して、
どこかに貯水槽を置く形を想定してる。この貯水槽に洗浄液を詰め
ておくといろいろ便利かもな﹂
﹁いくら隙間があるって言っても、たかが知れています。どれくら
1075
いこのウォーターカッターを使用できますか?﹂
﹁貯水槽の水だけならもって十秒﹂
タラスク二体の甲羅に穴を開けて殺す事は出来るだろう。三体目
は難しい。
﹁精霊人機の稼働時間を削る事にはなるが、魔術で発生させた水で
使用時間を延長することもできる﹂
﹁もう一つ、この機構をシャムシールに組み込む事は可能でしょう
か?﹂
思わずタリ・カラさんを二度見してしまった。
シャムシールにウォーターカッターの機構を組み込んだ場合、魔
物にシャムシールで斬りつけながらウォーターカッターで切れ味を
上乗せしたり、相手の体内に刀身を突き入れた上でウォーターカッ
ターを起動し、体内を切り刻む事もできる。
えぐい。だが、一考の余地がある。
﹁配管の関係上、手とシャムシールを一体化してしまうか、もしく
は完全に魔術のみで発動する独立機構のどちらかになる。それに、
どちらの場合でもシャムシールの強度が格段に落ちる﹂
﹁魔術による独立機構で試作をお願いします﹂
﹁コト、おれもスカイのハンマーでこのウォーターちゃららを使い
たい!﹂
タリ・カラさんの発案に相乗りする形で、ボールドウィンが身を
乗り出してくる。
しかし、すぐに青羽根の整備士長に止められた。
﹁スカイへの応用は無理だ。圧空のハンマー加速術式と干渉する。
1076
そうだろ、ホウアサさん﹂
先ほどまで魔術式の講座を開いていたミツキに青羽根の整備士長
が訊ねる。
ミツキは頷いた。
﹁干渉しないように作る事も出来ない事はないけど、スカイの魔導
核だと容量不足だね。ハンマーの加速術式もシールドバッシュ機能
も外せば、組み込めるけど﹂
﹁そこまでして組み込むモノじゃないな。ハンマーの強度や重量を
落としてまで切れ味を求める意味もない。ボールの腕なら最初から
剣なり槍なりを使った方が良い﹂
整備士長とミツキに諭されて、ボールドウィンが肩を落とし、物
欲しそうにウォーターカッターの試作品を見つめだした。トランペ
ットを欲しがる少年か、お前は。
話している内に試作品の威力が認められ、本格的に月の袖引くの
精霊人機へ組み込む事が決定した。
さて、ここからが本番だ。
新兵器の開発に携わる事への高揚感を抱えている月の袖引くや青
羽根の団員には悪いが、こっからが本当の地獄なんだよ。
月の袖引くの借り受けている倉庫に移動し、ラウルドⅢ型の設計
図をホワイトボードに貼ろうとする月の袖引くの団員を止める。
﹁俺からちょっとした講義がある。全員、良く聞いてくれ。この問
題がクリアできないと簡単にぶっ壊れるからな﹂
誇張でない脅しを挟んでから、俺はホワイトボードに簡単な図を
描く。
1077
﹁今回、魔力消費を抑えるために精霊人機内に貯水槽を設置し、さ
らに配管を通して高速水流を生み出しながら放出する形式を採用し
ている。ここで、流体力学から一つばかり問題定義をしたい﹂
流体力学の概念は巨大人型兵器である精霊人機を利用するこの世
界でも存在するが、現代日本ほど進んでいない。
そんなわけで、この現象も知らないだろう。
﹁水撃作用だ﹂
水撃作用は、簡単に表現すれば閉鎖管内で行き場を失った水流が
暴れる現象である。局所的に強烈な圧力が発生するため、配管を破
裂させる危険がある。
精霊人機内に通した配管の中で、異物の混入等の原因により水が
存在しない空間が一時的に生み出されると、行き場を失った高速水
流がその水が存在しない空間へと一気に押し寄せて圧力を生み出し、
配管を破裂させる可能性がある。
あらかじめこの知識を叩き込んで注意喚起しておかないと、整備
不良でウォーターカッターが機能しないばかりか機体内で水漏れし
て大変なことになる。
水撃作用の仕組みを説明し、水が配管を叩く時に鳴るノッキング
と呼ばれる音について解説、定期的な検査を義務付ける。
検査大事。ビスティの運搬車を見た後だとなおさら感じる。
水撃作用についての勉強を挟んだうえで、精霊人機内に配管をど
う設置していくか話し合う事にした。
配管を直角に曲げる、などという意見は俺が事前に行った水撃作
用の授業もあって出てこない。いかに水を滞りなく精霊人機内にめ
ぐらせるかを話し合う。
﹁手から水を出すのなら、貯水槽を下の位置に持って行くのはまず
1078
いだろ﹂
﹁配管を登る際に重力で速度が落ちると水撃が起きるからな。魔術
で配管内に水を充填して呼び水にすることもできるが、どうしたも
のか﹂
﹁イナズマ管も極力使わないようにした方が整備の上でも楽ですけ
ど、加速が付けられますかね?﹂
月の袖引くと青羽根の整備士たちが精霊人機の設計図を見ながら
ああでもないこうでもないと意見を交わしている。
水そのものがかなりの重量を有するため、貯水槽を上に持って行
くほど精霊人機の転倒リスクが高まり、かといって下げ過ぎると水
撃が起きやすくなる。
タリ・カラさんの操縦技術や整備士の腕も含めておおよそベスト
な位置や大きさを決め、取り付け作業に入った。
同時に、魔導核に魔術式を刻み始める。
一時は水圧に耐えきれずに配管が破裂する事もあった。
だが、既存の製品の中でも丈夫な物を選び、さらに補強する事で
解決する。
さらに魔術式に変更を加えることで流速を調整、圧力が高まらな
いよう水流に指向性を待たせるなど、随所に配慮を施す。
倉庫内は連日大騒ぎで、心配したギルド職員が覗きに来ることも
あった。
精霊人機そのものの改造作業を行う月の袖引くや青羽根の整備士
たちから離れて、俺はミツキと一緒にタリ・カラさんから要望のあ
ったウォーターカッター搭載のシャムシールを設計する。
魔術を使用して給水から流水の加速まですべてを行うとはいえ、
加速させるための配管の長さの設定など考えることは多い。精霊人
機に比べてシャムシールは短く、薄い事もあってかなり神経質な設
計になった。
1079
﹁早めに設計して発注しないと、リットン湖攻略に間に合わないよ﹂
ミツキが魔術式をいくつも書き直しながら呟く。
試し切りに使う時間なども考えれば、リットン湖攻略隊の出発ま
でに動かせるようにしたい。
いくら設計図を書き直しても強度の保証ができない。配管を通す
以上、どうしても刀身内に空間ができてしまうから仕方がないのだ
が、それにしても武器である以上達成すべき強度に届かない。
素材を変えれば可能かもしれないが⋮⋮。
﹁摩耗が早い。刀身を当てていないと効果がない。費用対効果がか
なり悪いな﹂
鍔迫り合いにでもなればこの改造シャムシールで敵の武器ごと斬
り裂けるが、そこまでする必要があるだろうか。
月の袖引くの精霊人機、ラウルドⅢ型は腕力の弱い機体だ。武器
の切れ味が上がればその分だけ攻撃力が上がるという理屈はあって
いる。改造シャムシールは改造前に比べると軽いし、取り回しもし
やすい。
だが、強度が⋮⋮。
﹁仕方ない。素材を変えるか﹂
魔導合金製にな。
初期費用が高くなるが、俺の財布からも出そう。
ロント小隊やワステード元司令官を救出することになれば、月の
袖引くの精霊人機に助けられる場面も出てくる。ここでケチるわけ
にもいかない。
精霊人機の改造が終わったのは、ちょうどリットン湖攻略隊の出
発日だった。
1080
第一話 リットン湖攻略隊出発
精霊人機総数三十機、整備車両十五台、運搬車両二十台、歩兵四
千人、整備士等二千人を率いて、ホッグスとその直属専用機部隊、
赤盾隊がボルスの町中を行進していく。
スカイに使用している改造されたものとは違う、素のままの超重
量級遊離装甲セパレートポールを真っ赤に染めた物を纏い、白と赤
で威圧的にまとめられたカラーリングを施された耐火性の分厚い外
部装甲に包まれた赤盾隊の存在感は凄まじく、同じ専用機部隊であ
る雷槍隊を見慣れているはずのボルスの人々も呆気にとられたよう
に見送っている。
リットン湖攻略隊は総数八千からなる常識外れの編成で防衛拠点
ボルスを出発した。
二千ほどは輜重隊で、精霊人機も三十機中五機がこの輜重隊を守
るためボルスとの間を行き来することになる。
実質的な戦闘員は歩兵四千人と精霊人機二十五機だが、二十五機
のうち十二機が専用機という異例の編成だ。
赤盾隊六機を先頭にボルスを出発したリットン湖攻略隊の最後尾
にはワステード元司令官直属専用機部隊、雷槍隊が続いている。
﹁本当に隊長機まで引っ張り出したんだな﹂
ワステード元司令官が乗っているのだろう、他より一回り大きな
雷槍隊の隊長機ライディンガルを見送りつつ、呟く。
他の精霊人機よりも高品質の魔導核を使用し隔絶した実力を持つ
専用機の中でも、隊長機はさらに頭一つ抜き出ている。
他の専用機よりさらに上位のスペックを持っている事もそうだが、
操縦者が専用機部隊を率いるに足ると認められる実力の持ち主だか
1081
らだ。
ワステード元司令官もそうだが、あのホッグスでも軍内部では最
上位の実力者という事になる。
﹁新聞記者も来てるね﹂
ミツキが大通りに面した宿を見上げる。
ミツキの視線を追って目を向ければ、仲間と情報交換しながらメ
モを取っている記者たちの姿があった。
大々的に出発して、しかもこの編成。
﹁失敗どころか、損害を被っただけで叩かれそうな雰囲気なんだけ
ど、ホッグスは何を考えてるんだ?﹂
﹁ちょっと分からなくなってきたね。旧大陸派に損害を出させて、
新大陸派は実績を作って万々歳、って単純な話じゃなくなってきた
気もする﹂
リットン湖攻略隊を見送って、俺はミツキと一緒にギルドへ足を
向ける。
今朝方、月の袖引くの倉庫で改造成功の打ち上げでもしようかと
話していたところでギルドから呼び出されたのだ。
﹁指名依頼がバッティングしてるとか言ってたけど、一人はビステ
ィだろうな﹂
﹁新種の植物採取の件だね。報告書のまとめも最終段階に入ったの
かな﹂
﹁もしそうなら、玉砕する日も近いって事か﹂
﹁砕ける前提なんだね。私もそう思うけど﹂
ギルドホールに顔を出すと、タリ・カラさんに恋しちゃってる系
1082
男子のビスティが凄腕開拓者二人に護衛されながら俺たちを待って
いた。
﹁お二人とも、報告書がほぼ完成したので、実証する資料の作成の
ため、テイザ山脈に入ってほしいんです﹂
駆け寄ってきたビスティは挨拶もすっ飛ばして依頼内容を口にす
る。
ここ数日ビスティが研究する姿を護衛として間近で見ていたから
か、凄腕開拓者たちは苦笑するだけで止めなかった。
ミツキにバッティングしているもう一つの依頼を確認しにカウン
ターへ行ってもらって、俺はビスティから依頼書を受け取る。
﹁報告書にある通りの条件で植物が生育していることを突き止めれ
ばいいのか。群生地なら地図も描いて、標本も採取する、と﹂
﹁はい。三種類の新種の植物です。開花時期が終わっている場合、
葉や茎だけでは素人目には見分けがつかないと思うので、標本の採
取もお願いしたいんです﹂
ビスティの言う通り、葉や茎だけで見分けをつけられるほど俺の
観察眼は鋭くない。
﹁種とか、球根の類は?﹂
﹁それはこちらで持ち帰った資料で手に入れました。三年か四年か
けて発芽条件の検証などもするつもりですけど、報告書の内容を実
証できればひとまず形としてまとまります。そうすれば、僕は月の
袖引くに入団を希望します﹂
ビスティは意気込みを表す様にぐっと拳を握る。
この内容なら二日程度で終わらせる事は可能だろう。魔物の群れ
1083
に遭遇しなければ、の話だけど。
﹁︱︱ヨウ君、バッティングしていた依頼だけど、ベイジルからみ
たい。いま、本人がこっち来るって﹂
﹁ベイジルから?﹂
﹁テイザ山脈の魔物の調査だって。ホッグスがいなくなったから、
鬼の居ぬ間に調査しておこうってつもりじゃないかな﹂
テイザ山脈から魔物が姿を消したという報告を俺たちが以前あげ
ていたが、ホッグスは何も行動を起こさなかった。
リットン湖攻略隊が出発した今では遅きに失した感があるが、そ
れでも調査をしておくに越したことはないとベイジルは考えたのだ
ろう。
ほどなくして、ベイジルがギルドにやってきた。
﹁遅くなりまして、申し訳ありませんね。テイザ山脈から魔物がい
なくなったという以前の報告から数日が経っておりますが、確認し
てきていただきたい﹂
ベイジルの出してきた依頼書を見せてもらう。
﹁魔物の生息密度の調査か﹂
﹁はい。もともとの生息密度は推定なのであまり役には立ちません
が、それでも比較して問題ありとみなせれば軍の武装もスケルトン
種を想定したものに切り替え可能なようにしておかねばなりません﹂
あとで武装の変更をホッグスに指摘された時の反論資料が欲しい
という事か。
俺はベイジルと一緒にやってきた整備士君を見る。
1084
﹁それで、テイザ山脈の調査中はそこの整備士君を同行させてほし
い、と。まぁ、理屈は分かるけど﹂
俺とミツキの発言は信憑性が認められない可能性が高い。ホッグ
スが相手となればなおさらだ。
そこで、同じ軍人である整備士君を同行させる事で調査資料に監
査の眼を入れ、信憑性を付加しようというのだろう。
説得の材料づくりとしては正しい判断だが、何故この人選なのか、
と俺は整備士君の態度を観察する。
﹁あからさまに嫌々ですって態度だと、俺たちも連れて行きたくは
ないな。監査役のご機嫌を取りながら護衛して、テイザ山脈内を回
るって事だろ?﹂
危険な状態になった時こちらの言う事に素直に従ってくれない護
衛対象なんて足手まとい以外の何者でもない。
テイザ山脈でもしもスケルトン種の群れに遭遇したなら、即座に
離脱を図る必要がある。そのためには、必要とあらば精霊獣機に乗
る事も躊躇わない覚悟が必要だ。
﹁精霊獣機に乗れるのなら、その依頼を受ける﹂
これだけは譲れないという意思を込めて問うと、整備士君は苦い
顔をしながらも頷いた。
﹁ベイジルさんの頼みだから乗るんだからな﹂
﹁⋮⋮ツンデレ乙﹂
ミツキ、多分整備士君はデレないと思うぞ。
ミツキの呟きの心の中で突っ込んでから、俺はギルドのガレージ
1085
を指差す。
﹁なら、試してみようか﹂
﹁⋮⋮いまからか?﹂
心底嫌そうに顔をゆがめながら、整備士君がガレージを見る。
﹁乗れるようなら、そのままテイザ山脈に向かう﹂
そろそろビスティの依頼が来る頃だろうと思って準備はしてあっ
たので、いつでも出発できるのだ。
整備士君がベイジルを一瞬見てから、ため息を吐いた。
﹁なら、すぐに出発しよう﹂
きちんと覚悟はしてきたらしい。
俺はベイジルから調査項目を聞いて、ミツキと整備士君を伴って
ガレージに赴く。
見送りに来てくれたビスティを振り返って、月の袖引くや青羽根
への伝言を頼む。
﹁打ち上げは四日後にしたいと伝えてくれ。二日後には戻るけど、
一日くらいゆっくり休みたいからな﹂
改造が一段落したとはいえ、まだ微調整は残っているのだが、一
度新型機開発を行った青羽根の団員もついているから何とかなるだ
ろう。
﹁分かりました。伝えておきます。青羽根に護衛も頼まないといけ
ないので﹂
1086
リットン湖攻略隊が出発したという事は、ロント小隊に何かあっ
た時には今ビスティの護衛をしている凄腕開拓者二人も救援に向か
う。
代わりにビスティの護衛を頼むなら、青羽根になるだろう。
﹁避難しないといけない可能性もあるから、研究資料とかもまとめ
て避難準備はしておけよ﹂
﹁分かってますよ。その時は港町まで送ってくれるんですよね?﹂
﹁ディアに乗ってもらう事になるけどな﹂
俺がディアの頭を撫でつつ笑うと、ビスティは苦笑した。
﹁そうならない様に青羽根を説得します﹂
﹁まぁ、頑張れ﹂
ディアの背にまたがり、いやそうな顔をしている整備士君を乗せ
てガレージを出発する。
周りの目を気にしていた整備士君がため息を吐いた。
﹁本当に、こんなものに乗るお前らの気がしれない﹂
﹁へぇ﹂
どうでもいいという気持ちを前面に押し出しながら生返事をして
やると、整備士君は不機嫌な空気を出しながら押し黙った。
ミツキがくすくす笑っている。
﹁ケンカしたがってるんだから、買ってあげなよ﹂
﹁安物買いの銭失いって言うだろ。あの言葉って喧嘩にも当てはま
ると思うんだ﹂
1087
﹁安い挑発に乗ると自分の価値が下がるんだね﹂
﹁︱︱お前ら好き放題に言いやがって﹂
整備士君が口を挟んでくる。
﹁いまの俺たちの会話も安い挑発の部類だぞ?﹂
﹁⋮⋮くっ﹂
悔しそうに整備士君が言葉を詰まらせる。
何こいつ、からかうと面白い。
ボルスの防壁を潜って外に出た俺たちは、森に入る。
そのままテイザ山脈に向けてディアを加速させた。
行商人のビスティとは違って、整備士君はディアの急加速に悲鳴
一つ上げなかった。
テイザ山脈に到着してすぐ、整備士君をディアから降ろす。
整備士君は周囲を見回しつつ耳を澄ませているようだ。
﹁魔物の気配が全くないな﹂
﹁索敵魔術にも反応がないくらいだしな。もう一つの依頼もあるか
らすぐに移動するぞ﹂
ミツキにパンサーで木へ登ってもらって周辺の地形を調べ、ビス
ティの報告書にある条件に合致した場所を探しつつ、テイザ山脈を
動き回る。
軍人として体を鍛えているという整備士君は、最初の内こそディ
アとパンサーの速度に合わせて早足でついてきていたが、すぐにバ
テはじめた。
精霊獣機に揺られている俺とミツキは当然ながら息一つ上がって
いない。
1088
﹁諦めてまた乗ったらどうだ?﹂
﹁誰がそんな物に乗るか﹂
﹁いや、正直な話、もっと早くテイザ山脈を見て回りたいんだ﹂
ビスティからの依頼を二日以内に終わらせるためにも、また、ベ
イジルからの依頼された調査の結果の精度をより高めるためにも、
広範囲の探索が必要だ。
整備士君の歩く速度に合わせていられない。
﹁どうしても乗りたくないみたいだし、引っかけちゃえば?﹂
ミツキがさらっと〝きちんとじゃない乗り方〟を提案する。
駄々をこねるならそれしかないな、と思いつつ、俺は自身の腕に
身体強化の魔術を掛ける。
しかし、俺が腕力に訴え出るより早く、整備士君が舌打ちしつつ
呟いた。
﹁分かったよ。乗ればいいんだろ、乗れば﹂
﹁︱︱ヨウ君、デレたよ!﹂
﹁嬉しくねぇ!﹂
﹁お前らッ!﹂
冗談を挟みながら、俺は整備士君が乗れるように座りをずらす。
俺の後ろに整備士君が乗ったのを確認してディアを加速させた。
﹁やけに素直だな。もっと嫌がるかと思ったけど﹂
水を向けると、むすっとした顔のままの整備士君から答えが返っ
て来た。
1089
﹁調査隊を助けてくれたのは事実だし、ベイジルさんもあの後無理
してる感じが無くなった。⋮⋮感謝はしてんだよ﹂
﹁ミツキ、こいつやっぱりデレたぞ!﹂
﹁ヨウ君のデレ以外は無価値です!﹂
﹁お前ら本当にいい加減にしろよ!?﹂
まぁ、なんだ。
今までの整備士君の態度を思えばさ。
﹁︱︱照れ隠しくらい目を瞑れよ﹂
﹁⋮⋮おう﹂
1090
第二話 テイザ山脈調査報告
二日間の調査の末、テイザ山脈を下りてボルスに帰還する。
リットン湖攻略隊がいなくなって閑散とした街の姿を横目に、整
備士君と別れた。
﹁ベイジルさんを呼んでくるから、ギルドにいろよ﹂
俺の事を指差してそう言ってくる整備士君に苦笑して、俺はミツ
キと一緒にギルドに向かう。
﹁本当に人が居ないね。開拓者が戻ってきたりしないのかな?﹂
﹁一番近い町からでもここまで三日はかかるんだ。今頃はどこの開
拓団もリットン湖攻略隊の出発を聞きつけた頃だろ﹂
つまり、ボルスへ来るまでにあと三日はかかるという事だ。
ボルスにやって来る意思を持つ開拓団がどれほどいるかは分から
ないけど。
ギルドのガレージにディアとパンサーを停めて、ギルド館に入る。
﹁こっちも閑散としてるな﹂
テイザ山脈の調査に向かうまでは、小隊の護衛などでやってきて
いる開拓者の姿もあったのだが、今はその姿さえない。
カウンター越しに職員へ依頼完了の報告をする。
﹁では、依頼人を呼んできますね﹂
﹁ベイジルの方は同行者が呼びに行ったので、ビスティだけをお願
1091
いします﹂
﹁了解しました﹂
職員がすぐに手近な同僚を呼びつけて、ビスティを呼んでくるよ
うに指示する。
自分で行かないのかと不思議に思っていると、職員が真剣な顔で
俺たちに向き直った。
﹁出発日は決まっていますか?﹂
﹁藪から棒ですね。出て行ってほしいんですか?﹂
ガランク貿易都市で、街の景観を損ねるから退去してほしいと言
われた事を思い出しながら訊ねると、職員は首を横に振った。
﹁逆です。できるだけ長くとどまって頂きたいんです。周囲をご覧
ください。人が少ないでしょう?﹂
﹁何かありましたか?﹂
職員がカウンター横の新聞紙を指差す。
前世でもホテルや図書館などで朝刊が見れたものだが、ボルスの
ギルド支部でもサービスを始めたのか?
新聞を手に取ってみると、小さな記事にリットン湖攻略隊本日出
発の文字があった。
﹁扱いが小さいですね﹂
本来、この手の大規模な攻略戦ともなれば一面や二面記事にでか
でかと掲載される。
それがこんなに小さな記事に落ちているのは、ボルスでは誰もが
知っている内容だからか。
1092
職員がため息を吐く。
﹁派閥争いに巻き込まれることを嫌った新聞社が今回のリットン湖
攻略戦の記事を扱いたがらないんです。直接取材している新聞社が
この対応をしている以上、新聞記事の情報をもとに動く開拓団はボ
ルスに近寄りません﹂
開拓団がボルスに近付きたがらない。
前々から派閥争いが囁かれていた場所だけあって、今回のリット
ン湖攻略隊の記事の扱いから、攻略戦中に何かが起こると推測する
のはそう難しくない。
派閥争いに巻き込まれることを嫌った開拓団はボルスへ向かう依
頼を受けたがらず、以前の砲撃タラスクによる被害で補修工事が必
要なボルスへの資材運搬の護衛に参加しない。
ボルスは元々軍の施設だ。来たるべきリットン湖周辺の開発を見
据えて作られた、宿場町としての機能もあり、経済的にも要地とな
る。
﹁開拓団がボルスに来れない以上、軍の一人勝ちです。ボルスへの
護衛はギルドから軍の新大陸派に掌握されるんですよ。この辺りは
まだ農地もありませんから、住人の食料品も運ぶのは新大陸派の護
衛です。かなりの利権ですよ﹂
そこで、と職員が忙しく書類を書き上げている同僚を見る。
﹁各職員が面識のある開拓団に書状を送って呼び込もうとしていま
す。ボルス行きには手当も出す、とね﹂
不意に大型魔物と遭遇しても対処できるように、護衛依頼を受け
られる開拓団は精霊人機を持っている必要がある。
1093
精霊人機を運用できる開拓団ならば、もっと安全な依頼を選ぶだ
ろう。職員からの懇願もどこまで効果があるか。
職員も自分たちの影響力は分かっているらしく、俺たちを見て続
けた。
﹁いくつの開拓団を呼び込めるか分かりません。ですから、いまボ
ルスにいる開拓者の皆さんは出来るだけボルスで仕事を受けてほし
いのです﹂
﹁それで、長くとどまってほしい、という事ですか。こちらにも事
情があるのでお約束できませんけど、リットン湖攻略の成否はここ
で見届けるつもりですよ﹂
﹁それを聞いて安心しました。⋮⋮ベイジルさんが来たようですね﹂
職員に言われて、入り口を振り返る。
ベイジルと整備士君が入ってくるところだった。
ミツキが開いているテーブルを指差すと、ベイジルたちは黙礼し
先にテーブルへ歩く。
俺はテーブルに向かって一歩を踏み出しつつ、職員に声をかける。
﹁しばらくボルスに滞在するつもりですが、護衛の依頼はリットン
湖攻略の成否が分かるまで受けられませんよ﹂
﹁分かりました。もともと、お二人とどこかの開拓団の合同で受け
ていただくつもりなので、護衛依頼に関してもすぐにというわけで
はありません。その点はご安心ください﹂
ミツキと一緒に職員に一礼して、テーブルに向かう。
﹁テイザ山脈の報告書はこれだ。そっちの整備士君から話は聞いて
るんだろうけど、一応渡しておく﹂
1094
報告書を渡すと、ベイジルはぱらぱらと流し読み、頷いた。
﹁これは読みやすい。こちらの簡易的な地図の分も報酬に上乗せし
ないといけませんね。何しろ人跡未踏のテイザ山脈の情報ですから﹂
﹁それはタダでいい。その代わりというのも変な話だけど⋮⋮備え
ておいてくれ﹂
テイザ山脈における調査の間、魔物には一切遭遇しなかった。
リットン湖方面に枝が折れた木がいくつか見つかっており、これ
は大型魔物が通った跡だという見方が俺とミツキ、それに整備士君
の中で一致している。
ベイジルが報告書を見ながら顎を撫でる。
﹁大型スケルトン種でしたか。実物を見たのがお二人だけ、という
点で扱いに困っておりましてね﹂
﹁報告書に大型スケルトンの事は書いてませんよ。何らかの大型魔
物が通った跡とみられる、と表現をぼかしておきました﹂
生息地域と環境から未知の大型スケルトン種とみられる、では軍
の上層部に突っ込みを入れられかねない。本当にそんな魔物がいる
のか、という証明から始めねばならず、証明するためにはテイザ山
脈に入る必要がある。
なにより、今回の調査で大型スケルトン種、通称交通訴訟賞には
出くわしていない。
それならば、何らかの大型魔物が通ったとした方が、上層部も近
隣に生息する人型大型魔物ギガンテスと考えるだろう。ちょうど、
デュラを落とした人型魔物の一体である首抜き童子がテイザ山脈の
向こう側、トロンク貿易都市の付近で生まれたと考えられているの
もちょうどいい。
1095
﹁⋮⋮若い開拓者と思えないほど、上への報告書の通し方を心得て
いるようですね﹂
苦笑交じりに言って、ベイジルは報告書を鞄に仕舞った。
﹁リットン湖攻略隊は現在、河を渡り、崖を迂回してリットン湖に
向かっているようです﹂
防衛拠点ボルスから道なりにリットン湖に向かった後、湿地帯を
進んだ先にある河と、その先にある崖を思い出す。
ミツキと一緒に登ったあの崖は、テイザ山脈と同じく精霊獣機無
しでは越えられない事から、リットン湖攻略隊は崖を迂回する道を
選択せざるを得なかったのだろう。
﹁いまあの崖にいるという事は、リットン湖への到着は明日の夜、
攻略開始は明後日の朝からになりそうですね﹂
ワステード元司令官から渡されている進軍経路や予定されている
日数などを思い出す。予定通りに進んでいるようだ。
事が起こるとすれば、明後日以降になるのだろう。
ベイジルが真剣な顔で声のトーンを落とす。
﹁何かが起こった際には駆けつけたいと自分も思っていたのですが、
不安要素が多すぎましてね。スケルトン種がリットン湖攻略隊を襲
う場合も困りますが、砦にやって来る場合も困る。そして、自分は
いまこのボルスの防衛責任者です。迂闊には動けません﹂
ワステード元司令官も、ベイジルが迂闊に動けない様に防衛責任
者になるよう画策したのだろう。
ワステード元司令官に対立している新大陸派のホッグスにとって
1096
も、生ける伝説扱いのベイジルは旧大陸派閥の救援に出てこられて
は厄介な人物である。
ワステード元司令官とホッグスの利害が一致したことで、ベイジ
ルはボルスの防衛責任者となったのだろう。
﹁スケルトン種の事をワステード元司令官には報告するんですか?﹂
﹁そのつもりですよ。リットン湖の周辺は甲殻系魔物が多く、精霊
人機がハンマーを多く装備しているのでスケルトン種との相性もい
いのですが、問題は歩兵の被害です﹂
人骨型の魔物であるスケルトン種はその頭骨を破壊しなくては倒
すことができない魔物だ。骨だけあって硬いため、倒すためにはハ
ンマーのような打撃武器やロックジャベリンのような魔術を使用す
る。
しかし、精霊人機とは違って歩兵はハンマーを使う者が少ない。
どうしても持ち運びに不便で、体力的な面で戦闘時間が短くなって
しまうからだ。
したがって、スケルトン種との戦闘ではロックジャベリンを使用
する。
だが、今はリットン湖攻略の最中であり、相手にしているのは甲
殻系の魔物だ。こちらの魔物に対してもロックジャベリンなどの魔
術を使用せざるを得ない。
軍隊ならば、魔力の枯渇を避けるため、数人でかわるがわるロッ
クジャベリンを撃つことで負担を分散するのがセオリーだが、新旧
大陸派閥で睨み合い、連携が取れていない状況でどこまでやれるの
かは不安が残る。
倒すべき魔物に甲殻系魔物だけでなく、スケルトン種まで追加さ
れると、歩兵の負担は膨れ上がるだろう。
ベイジルがため息を吐く。
1097
﹁それに、スケルトン種は痛覚もありませんので、手や足の骨を砕
かれても頭を砕かれた仲間の死骸から骨を取り出し、交換する事で
平然と活動を再開します。精霊人機の部品交換では時間がかかるも
のですが、スケルトンの場合は一瞬で済ませてしまう。群れるほど
戦闘が長引いてしまう傾向にあります。歩兵がどれほど帰ってこれ
るか分かりません﹂
あいつってそんなに丈夫な魔物だったのか。
甲殻系魔物と合流して襲ってきたりすると、苦戦しそうだ。
﹁スケルトン種が魔術を使えない事が唯一の救いです。遠距離攻撃
だけは飛んでこない。ですが、魔力袋持ちの甲殻系の魔物と合流し
たなら救いもなくなります。お二人が救援に向かわれる際はくれぐ
れもお気をつけて﹂
ベイジルは俺たちに忠告すると席を立った。
﹁あぁ、そうだ。こちらは宿への紹介状です。いまのうちに英気を
養ってもらいたいので、ご利用ください﹂
ベイジルは机の上に一枚書状を置き、笑みを残してギルド館の外
へ足を向ける。
整備士君が続いて立ち上がり、ベイジルの後に続こうとした足を
止めて肩越しに俺たちを振り返る。
﹁散々からかわれた仕返しもまだなんだから、死ぬなよな﹂
憎まれ口を叩いてから、整備士君はベイジルの後を追ってギルド
を出て行った。
入れ違いに、凄腕開拓者二人を護衛に連れたビスティがやって来
1098
る。
﹁︱︱どうでしたか!?﹂
駆け寄ってくるビスティに苦笑しつつ、テイザ山脈で取って来た
新種の植物の標本と、テイザ山脈の簡易的な地図、それに新種植物
の分布図をテーブルの上に並べる。
ビスティはまず標本を手に取り、すべての標本が目当ての新種の
植物と同じものだと確信してから地図を手に取った。
﹁生育条件は睨んだ通りみたいですね。後は実際に育てて実証する
ことになりますけど、それは数年かかりますし、やはりこの段階で
⋮⋮﹂
ぶつぶつと呟き始めるビスティの肩を、凄腕開拓者の一人が苦笑
を浮かべて叩く。
﹁依頼なんだから、完了したかどうかの手続きを先に考えるべきで
すな﹂
﹁あ、そうでした。つい⋮⋮﹂
ビスティはばつが悪そうな顔をして、依頼完了の手続きを済ませ
る。
ビスティがまとめた新種の植物に関する報告書や研究資料に信憑
性を持たせるための今回の調査は、ビスティ曰く大成功らしい。
﹁現在できる裏付け調査はすべて終了です。後は実証なので、僕自
らの手で育てていくだけです。なので、今から︱︱﹂
ぐっと拳を握り込んだビスティは立ち上がり、報告書や標本をま
1099
とめる。
﹁月の袖引くにもう一度入団できないかどうか聞いてきます!﹂
1100
第三話 業を背負う開拓団
月の袖引くへの入団を希望するというビスティに、俺はミツキと
一緒に手を振った。
﹁いってらー﹂
﹁⋮⋮あの、一緒に来てくれたりとかは?﹂
﹁ビスティと月の袖引くの間の問題だからな。それに、俺たちが顔
を出しても保護者同伴みたいに思われるぞ?﹂
自分で言うのもおかしいが、月の袖引くにはそれなりに恩を売っ
ている。
まだ精霊人機の改造成功の打ち上げも終わっていない今、俺たち
が顔を出すとビスティを入団させろという圧力みたいになりかねな
い。
ミツキが首を傾げてビスティに問う。
﹁無理に入団しても双方不幸になるだけだから、私たちは顔を出さ
ない方が良いと思うけど、ビスティはどうしてほしいの?﹂
﹁そんな言い方されたらついてきてくださいとは言えないじゃない
ですか⋮⋮﹂
ふて腐れたようなビスティに、ミツキがにっこり笑う。
﹁陰ながら応援してるよ。頑張ってね﹂
﹁お二人のおかげでここまでこぎつけたので、最後まで見守ってほ
しかったんですが⋮⋮。仕方ないですね。頑張ります!﹂
1101
ビスティが立ち上がって俺たちに頭を下げ、早足でギルド館を出
て行った。これから直接月の袖引くの倉庫に向かうつもりなのだろ
う。
凄腕開拓者二人がビスティの後を追って出ていくのを見送りなが
ら、俺も席を立つ。
﹁さて、宿に行こうか﹂
ベイジルが紹介してくれた宿はボルスの西にあるらしい。以前泊
まった事のある宿とは別のようだ。
ここ最近はまともな環境で眠っていない事もあり、ミツキがうき
うきした様子で併設のガレージに向かう。
﹁久しぶりにお風呂入りたいね。いつも水浴びだし﹂
﹁宿に風呂はないと思うけど、確かに入りたいな﹂
リットン湖攻略を巡るこの騒動がどんな形で終結しても、俺たち
はホッグスにボルスから追い出されるだろうし、一度港町に帰るべ
きだろう。
﹁デュラにあるミツキの家も気になるし﹂
﹁そろそろ調査も終わってる頃だよね﹂
ガレージでディアに跨った俺は、同じくパンサーにまたがったミ
ツキと一緒に通りへ出る。
閑散とした通りをいつもより少ない嫌悪の視線にさらされながら
歩く。
﹁デュラの調査か﹂
1102
所属不明の軍の回収部隊や魔力袋持ちの人型魔物の集団発生、調
べることはたくさんあるのだが、俺たちは半ば答えに見当がついて
いた。
﹁バランド・ラート博士の情報か、ウィルサムを追って軍の回収部
隊がデュラに入ったんだろうし、魔力袋持ちの個体に関しては人型
魔物特有の学習能力の高さからきてそうなんだよな﹂
﹁首抜き童子だね﹂
ミツキの言葉に頷く。
ギガンテス、首抜き童子は人型魔物の群れの中でもリーダー格だ
った。
そして、首抜き童子はデュラを襲う前からトロンク貿易都市の周
辺で存在がささやかれていた。
獲物の首を引き抜いて脊髄をしゃぶるのが好きなイカしたギガン
テスがいるらしい、と。
ギガンテスが首を引き抜く場合、獲物は中型か大型魔物だったら
しい。つまり、この時点で首抜き童子は大型魔物を狙って狩れるほ
どに力をつけていた。
おそらく、魔力袋を当時から持っていたのだろう。
バランド・ラート博士の研究によれば、魔力袋はある程度の年月
を生きた生き物を丸呑みするなどで魂を体内に取り込む必要がある
らしい。
思い出されるのは、飛蝗のマライアさん達とデュラを攻略するた
めに戦っていた時の事だ。
﹁村で見つけたゴライアとゴブリンの群れは捕まえたネズミや虫を
一口で食べていたんだよな﹂
﹁首抜き童子を中心にした群れだから、小型の獲物は丸呑みするの
が作法みたいになってたのかな?﹂
1103
﹁まぁ、そんなところだろう。人型魔物は海で漁もしていたらしい
し、魚なんかも丸呑みしていた可能性が高い。魔力袋持ちが発生し
やすい生活をしていたんだろうな﹂
あくまでも推論でしかないが、デュラの調査で人型魔物が食べて
いた物を調べていけば生活に辿り着けるだろう。ゴブリンが食べて
いた虫に魔力袋を発生させる効果があったかは疑問符が付くけれど、
推測は間違っていないはずだ。
デュラの調査をしている人たちが、魔力袋の発生条件が獲物を丸
呑みする事だ、と結論付ける可能性は低そうだけど。
ベイジルに紹介された宿は三階建ての立派な建物だった。宿とい
う言葉から想像するこじんまりとした建物でも素朴さのある建物で
もない。ホテルと言った方が分かりやすい機能的な建物だった。
中に入ってベイジルからの紹介状を出すと、フロントマンが無遠
慮に俺とミツキをじろじろ見てくる。従業員の教育はまだきちんと
できていないらしい。
生ける伝説の紹介状が効果を発揮し、俺たちは一室借りることが
できた。
ガレージに精霊獣機を停めて、三階の部屋に案内される。
﹁お、風呂付きだ﹂
目ざとく見つけて、俺はミツキを見る。すでに着替えやタオルを
用意し始めていた。素早い。
ベルが﹁ごゆっくり﹂と義務感溢れる口調で言って、部屋の戸を
閉める。おもてなし精神が足りていない。裏がありそうだ。ベイジ
ルの紹介状だから嫌々泊めていますという裏が。
﹁おふろん!﹂
﹁何語だ。テンション上げすぎだろ﹂
1104
ミツキを先に風呂へ入らせて、俺は部屋の防犯を確認する。
良い宿だけあって、防犯も十分だ。三階という事もあって外から
の侵入を警戒する必要もない。窓もはめ込み式だし、扉の鍵もきち
んとかかる。
しばらくすると、ミツキが風呂から上がってきて、部屋に備え付
けの椅子に座る。
タオルを長い黒髪に当てながら、ミツキが俺を見た。
﹁何が食べたい?﹂
﹁食材はあんまり残ってないだろ﹂
テイザ山脈での調査中に食べ切れなかった分の食材を今日の内に
消費してしまうつもりだが、間に合わせで何が作れるやら。
料理人ミツキが立ち上がった。
﹁足りない食材は愛で埋めます﹂
﹁愛だけだと単調にならないか?﹂
﹁恋も入れます!﹂
﹁調和がとれるのか?﹂
﹁ヨウ君ノリわるいー﹂
頬を膨らませるミツキに謝って、俺は風呂場に向かった。
借家の風呂より狭いが、宿で風呂に浸かれること自体が珍しいの
だから贅沢な悩みだろう。
ゆっくり浸かってテイザ山脈の調査でたまった疲れを流し、風呂
を出る。
襲ってくる眠気を堪えて着替えた俺は、部屋に戻る。
﹁寝てるのかよ﹂
1105
﹁ヨウ君のノリがわるいんだもん﹂
ふて寝だったか。
なら俺が作ってしまおうかと簡易調理台のあるキッチンに向かお
うとした時、ミツキの腕が伸びてきた。
そのまま後ろから抱きつかれ、体重を掛けられてベッドに引き倒
される。
﹁なんだよ﹂
﹁一緒に寝よ﹂
俺はちらりと視線を横に向ける。ベッドはきちんと二つあった。
﹁なんで?﹂
﹁ノーリーわーるーい﹂
間延びした声なのにどんどん不機嫌になって行くのが分かる。
﹁分かった、分かった﹂
ミツキも睡眠不足で若干わがままになっているらしい。
せっかくベッドが二つあるというのにもったいないと思いつつ、
俺はミツキと同じベッドへ横になった。
ほぼ丸一日寝過ごして、起きた時には朝を迎えていた。
思った以上に疲れがたまっていたらしい。
背伸びをして全身の筋肉をほぐし、ベッドを出る。
﹁朝食を作って、それから月の袖引くの借りてる倉庫に行くか﹂
1106
﹁パーティーグッズを買わないとだね。改造成功の打ち上げをする
んだし﹂
打ち上げで飲み食いするだろうから、と朝食は軽めに済ませて、
宿を出る。
相変わらず閑散とした通りを歩きつつ、住人の様子を窺う。
どうやら、防衛戦力の少なさを不安に感じている人は多そうだ。
倉庫に到着して中に入る。
﹁お邪魔します﹂
中に声をかけた時、ミツキがいきなり飛びのいて俺に抱き着いて
きた。
何事かと思って目を向ければ、倉庫の壁に背中を預けて膝を抱え
ているビスティがいた。
入り口そばに気配もなく丸まっていたビスティに驚いて、ミツキ
が猫の子よろしく飛びのいたらしい。
﹁びっくりした。なにしてるの?﹂
ミツキが胸をなでおろしつつ、ビスティに問いかける。
答えは返って来たのだが、あいにくとぼそぼそと喋っているだけ
でよく聞こえない。
まぁ、ここまで落ち込んでいるという事は月の袖引くに入団を断
られて、そのまま青羽根に護衛してもらうべくここにいるという流
れを辿ったのは容易に想像できた。
無言で肩を叩いて励ましてから、俺は倉庫の奥で俺たちを手招い
ているタリ・カラさんの下へ歩く。
タリ・カラさんとレムン・ライさんは困ったような顔をしながら
俺たちに頭を下げた。
1107
﹁不義理な真似をして、申し訳ありません﹂
﹁何のことですか?﹂
﹁その、ビスティさんの事で⋮⋮﹂
その事か、と俺は苦笑してタリ・カラさんたちに頭を上げてもら
う。
﹁気にしないでください。ビスティは依頼人というには少し深入り
しましたけど、ただそれだけです。それに、月の袖引くの中の話で
すから、俺たちは部外者ですよ。俺たちを気にしてビスティの入団
を認めるなんてされたら、俺たちの方こそ頭を下げないといけなく
なります﹂
別段、コネを使う事を否定しないけれど、俺たちをダシに人に何
かを強制されては困る。
タリ・カラさんたちはほっとしたような顔をした。
しかし、タリ・カラさんはすぐにビスティを気にするようにちら
りと見て、わずかに考えるような間を挟んで口を開く。
﹁ビスティさんは堅気の方ですよね?﹂
﹁元行商人だそうです。ガランク貿易都市の大手商会に目をつけら
れて追われてますけど﹂
﹁やっぱり、そうでしたか﹂
タリ・カラさんはため息を吐いて、倉庫の天井を仰いだ。
﹁私の母は旧大陸で父と出会った時、娼婦をしていました。新大陸
に来てからは客を取る事もありませんでしたが、業は消えません。
娘の私も、年ごろになってからはそういった目を向けられたことも
1108
あります﹂
タリ・カラさんは俺を見て少し口ごもりながらも、続ける。
﹁お二人と初めて会った際、月の袖引くの詩を知っていらっしゃっ
たので少し身構えてしまいました。お二人はまだ子供ですし、考え
過ぎとは分かっていたのですが⋮⋮﹂
タリ・カラさんたちと初めて会った港町のギルドを思い出す。
確かに、ミツキが詩を暗唱した時にタリ・カラさんが身構えてい
た。元の詩の由来からして、娼婦に贈った物だ。
タリ・カラさんは俺を警戒したのだろう。
いたいけな少年だというのに、誠に心外だ。ミツキ以外に興味は
ない。
タリ・カラさんが寂しそうに笑う。
﹁うちの開拓団はみんな業を背負っています。娘である私もやはり、
業を背負っています。堅気の方は受け入れられないんですよ。⋮⋮
私は間違っていると思いますか?﹂
問いかけられて、俺は頭を掻く。
﹁まぁ、間違ってはないと思いますよ。正解がある問題じゃないで
すから﹂
そう、正解はない。誰かの価値観で見れば正しい答えも、別の誰
かの価値観では間違っている。タリ・カラさんが口にしたのはそう
いう類の問題だ。
俺はディアの頭を軽く叩く。
1109
﹁俺たちはこれに乗ってますから、嫌味を言われたり、蔑まれたり、
追い出されたりもします。一時は別に周りの事なんかどうでもいい、
閉じ籠ろうと考えもしました﹂
別に閉じこもる事が悪い事だとは思ってない。自分や誰かを守る
ために防御に回るのは批難される事ではない。
ただ、俺たちに閉じこもり続けるだけの強さが無かっただけだ。
﹁この社会で生きようと思えば、閉じこもり続けることもできなか
ったんです。だから開き直って︱︱﹂
ミツキに目くばせすると、頷いて後を引き取ってくれた。
﹁大いに喧嘩することにしたの﹂
﹁喧嘩、ですか⋮⋮?﹂
﹁そう。価値観を押し付けるつもりはないけど、価値観を押し付け
ようとする相手とは大いに喧嘩してやろうって覚悟を持ったの。そ
れだけで受け入れられるわけではないんだけど、こちらの価値観を
尊重する人も出てくる。そういう人は、閉じこもっているだけでは
決して得られない相手だよ﹂
これが私たちの回答、とミツキはタリ・カラさんに笑いかける。
﹁開拓村を作るなら、業を背負った人だけを集めて行くより、業を
一緒に背負える人を探してみた方が良いと、私は思うよ﹂
一緒に業を背負う人は別にビスティじゃなくてもいいけどな。
さすがにビスティが可哀想だから言わないけど。
タリ・カラさんが考え込む。
1110
﹁︱︱お嬢様﹂
タリ・カラさんの後ろから、レムン・ライさんが声をかける。
﹁先代団長は我々が後ろ指を指されない村を作ろうと志しておりま
した﹂
それだけ言って、レムン・ライさんはまた口を閉ざしたが、タリ・
カラさんの背中を押すには十分だったらしい。
﹁みんなを整備車両に集めて。会議を開きます﹂
﹁かしこまりました、お嬢様﹂
レムン・ライさんが一礼し、月の袖引くの団員を整備車両の荷台
に集め始める。
タリ・カラさんが俺たちを見た。
﹁お二人は、開拓村に興味はありませんか?﹂
俺はミツキと一緒に首を横に振った。
﹁いまのところはないですね﹂
﹁そうですか﹂
タリ・カラさんが肩を落とす。
﹁それは残念です﹂
そう言いながらも、タリ・カラさんは満月のような穏やかな笑み
を浮かべて整備車両へ歩いて行った。
1111
1112
第四話 性能検査
最終的に、タリ・カラさんたち月の袖引くはビスティの入団を認
めた。
団員の出自に関する説明もあったが、恋は盲目というべきか、タ
リ・カラさんと一緒に居られることに舞い上がっているらしく思う
ところは何もないらしい。
ディアに乗ってテイザ山脈を越えた経験もあって、誰しも事情が
あると割り切る考えが芽生えたというのはビスティの談である。
とはいえ、
﹁︱︱ロント小隊の救援に関してはビスティも留守番か﹂
﹁戦力外なので⋮⋮﹂
ビスティが気落ちする。
元行商人のビスティは戦闘経験がない。いきなり未開拓地で戦闘
に巻き込まれたら死ぬ可能性は極めて高い。
ビスティがボールドウィンに頭を下げた。
﹁お世話になります﹂
﹁おう。留守番の間、ちょっと訓練してやるから、そう気を落とす
なって﹂
ボールドウィンが気を遣ってビスティの背中を叩く。
﹁こんなに体が細いとどんな武器を使っても意味ないけどさ!﹂
﹁ボールドウィン、追い打ち掛けてどうする﹂
﹁ん?﹂
1113
失言に気付いていない様子のボールドウィンに呆れつつ、俺は話
題を転換する。
﹁月の袖引くの精霊人機はどうだ?﹂
﹁転倒はほとんどなくなったぜ。スラスターの影響も大きいけど、
操縦士も呑み込みが早いからな。伊達に二年間実戦を経験してない
な﹂
ひとまず一番心配だった転倒リスクは解消されたらしい。
これでロント小隊の救援に行っても大丈夫だろう。
﹁武器は?﹂
﹁ウォーターカッターだろ。ギルドに訓練場の使用許可を願い出て
たんだけど、まだ許可が下りなくてさ。俺たちが関わってるって聞
いて、また新型機を作ったとでも思ってんじゃねぇかな﹂
﹁ギルドのお偉いさんが見学に来る、とか?﹂
俺が訊ねると、ボールドウィンは深く頷いた。
﹁後は弓兵機のベイジルさんも来るかもしれないぜ﹂
﹁ベイジルか。まぁ、性能が専用機並みってわけでもないから大丈
夫だとは思うが﹂
そう、性能自体はさほど高くないのだ。
ただ、この世界において、ウォーターカッターは未知の武器であ
り、注目される可能性がある。
﹁左手に仕込んでいるウォーターカッターはいいとして、改造シャ
ムシールはどうするかな﹂
1114
左手側は射程も短く、軍関係者の目に留まっても脅威とは取られ
ないだろう。
だが、改造シャムシールは違う。俺とミツキが金を出して完成さ
せたあのシャムシールは鍔迫り合いが不可能で、盾などで受け止め
ることも難しい。スペック上はそれくらいの切れ味を持っている。
あくまでも、スペック上の話だし、実際にどうなるかは分からな
いんだけど。
俺は打ち上げの準備のために倉庫に机を運びつつ、倉庫端に置か
れている改造シャムシール、流曲刀をみる。
月の袖引くの精霊人機が装備しない限りただの魔導合金製のシャ
ムシールでしかない流曲刀は白い刃を窓から差し込む光に煌めかせ
ている。
視線を転じれば、打ち上げのために料理を用意している月の袖引
くや青羽根の女性の姿があった。十三歳のミツキは最年少ながら、
人一倍キリキリ働いている。
⋮⋮あの割烹着、自作か?
一体いつの間にあんな物こさえたんだろうと思っていると、後ろ
から青羽根の整備士長に肩を叩かれた。
﹁彼女に見惚れてんな。さっさと準備を手伝え﹂
﹁僻むなよ﹂
﹁僻んでねぇよ!﹂
机と椅子を並べ終えた時、倉庫にギルドの職員が訪ねてきた。
即席のパーティー会場と化した倉庫内を見回して苦笑してから、
タリ・カラさんを呼び止める。
﹁訓練場の使用許可が下りました。それと、見学を希望する方がい
らっしゃるので、こちらで名簿を作って参りました。ご確認くださ
1115
い﹂
タリ・カラさんが眉を寄せて名簿に目を通し、レムン・ライさん、
ボールドウィン、俺の順番に名簿を回す。
受け取った名簿にはボルスのギルド支部長の名前やベイジル、更
にはボルスに詰めている軍の整備士の名前までいくつかあった。
この名前、整備士君か?
タリ・カラさんが職員を見る。
﹁見学をお断りする事は出来ますか?﹂
﹁見学は可能な限りお控えください、と通達した上でその人数です。
私共ではこれ以上減らす事は出来ませんでした。後は月の袖引くの
皆様方で個人的に話をつけていただくしかありません﹂
職員が名簿を指差しつつ申し訳なさそうに言う。
﹁それでも、青羽根と鉄の獣が開発に関わっているという事で、ギ
ルド支部長がどうしても確認したい、と。ベイジルさんも個人的な
興味というよりはボルスの防衛を預かっている身として士気に影響
の出るその⋮⋮﹂
口ごもった職員がディアとパンサーに視線を投げた。
士気に影響の出る形状をしていないか確認したい、という事か。
﹁ベイジルだけでなく整備士がいるのは?﹂
﹁そちらは純粋に技術的な興味のようです。特許申請のあったウォ
ーターカッターなるものに興味があるとの事でした﹂
やっぱり食いついてきたか。
俺はタリ・カラさんや青羽根の整備士長と目配せし合ってから、
1116
口を開く。
﹁質問は一切受け付けません。それから、あくまでも遠目に見学す
るだけです。また、使用した的はすべてこちらで処分します。それ
と、俺たちの訓練場の使用時間はどんな理由があろうと短縮しない
事に同意をお願いします﹂
訓練場を借りる側ではあるが、条件を守ってもらえない訓練場な
らば借りる意味などない。
俺が付けた条件を手帳に書き込んだ職員は、しばらく考えた後で
頷いた。
﹁了解しました。的の買取価格ですが、タラスクの甲羅はそれなり
の金額になります。的を他の物に変更しますか?﹂
﹁変更はしません﹂
的の買取に関しては俺のポケットマネーでやってしまえばいい。
こんななりでも金持ちなのだ。ウォータカッターの威力次第では研
究したいといってくる輩もいるだろうし、そいつらから使用料を毟
り取れば元もとれる。
細々した条件もすり合わせて、職員に帰ってもらう。
﹁打ち上げは訓練場から帰ってきてからでいいな﹂
もうほとんど準備も終わっている打ち上げ会場を見回して、ボー
ルドウィン達に確認する。
訓練場に行くのは操縦士であるタリ・カラさんやボールドウィン、
月の袖引くの整備士と青羽根の整備士長、それに俺とミツキだ。
他のメンバーは打ち上げの準備である。
月の袖引くの整備車両を回して精霊人機を乗せ、ボルスの端にあ
1117
る訓練場へ向かう。
さすがは軍事拠点というべきか、訓練場はきちんと土を運び込ん
で均した立派な物だ。
俺は観覧席に視線を向ける。
﹁お偉いさんが雁首揃えて、そんなに注目しなくてもいいだろうに﹂
ベイジルやギルド支部長が観覧席に座っている。整備士君たちは
険しい顔を向けてきた。
精霊獣機を乗り回している俺とミツキが協力して改造した精霊人
機という事で妙な物が出てくるのではないかと想像しているのだろ
う。
整備車両からタリ・カラさんが乗り込んだ精霊人機が出てくる。
観覧席からいささかがっかりしたような気配が伝わってきた。
青羽根の精霊人機スカイのように見た目が大きく変わっているわ
けではないためだろう。
軍よりも開拓団で愛用されるラウルドⅢ型というのも整備士たち
の失望の原因だ。整備が非常に容易ではあるが、出力などは低く軍
ではあまり使われていない。軍の間では技術に劣る開拓者連中に人
気の機体、という認識らしい。
体高七メートル、使用している遊離装甲も目立ったところはなく、
見た目の上では購入したばかりのラウルドⅢ型と全く変わらない。
唯一の違いは両肩に月の袖引くのシンボルマーク、服の袖を背景に
した月が描かれている点くらいだろう。
タリカラさんの乗り込んだ精霊人機が腰に提げた二本のシャムシ
ールのうちの一本を取る。俺とミツキが開発した流曲刀は鞘に収ま
ったままだ。
﹁では、始めましょう﹂
1118
レムン・ライさんが開始の合図を告げると、精霊人機がシャムシ
ールを振り抜く。
内部に増設した貯水槽や配管が動きを阻害していないか不安だっ
たが、特に問題はないようだ。
観覧席の整備士たちがさらに失望したような空気を出している。
さっさと帰りたい、と言わんばかりの空気だ。
というか、帰れ。お前らがいると流曲刀を本気で使用できないだ
ろうが。
どんな改造を施したか知らなければ、ラウルドⅢ型の低い出力で
シャムシールを振り回しているようにしか見えないだろうから、面
白みに欠けるのは分かる。
だが、俺たちは観客席を沸かすために訓練場を借り受けたわけで
はない。
しばらく素振りをしていた精霊人機は満を持して訓練場に置いて
あるタラスクの甲羅の前に立つ。
シャムシールを上段に構え、振り下ろす。
ガンッと硬い物同士がぶつかり合う音がして、シャムシールはあ
っけなく弾かれた。タラスクの甲羅にはわずかに切り傷が付いてい
る。
﹁ラウルドⅢ型の出力だと傷をつけるのが精いっぱいか﹂
結果を見て呟くと、ボールドウィンが否定するように首を振った。
﹁むしろ、ラウルドⅢ型で特殊な装備も使わずにタラスクの甲羅に
傷を付けた実力を評価するべきだ。並みの腕なら傷一つ付かねぇよ﹂
スカイの操縦士であるボールドウィンから見ると、タリ・カラさ
んの腕はかなり良いらしい。
観覧席のベイジルやギルド支部長を見てみると、ボールドウィン
1119
の評価を裏付けるように感心したような顔でタラスクの甲羅の傷を
見ていた。整備士たちはつまらなそうにしている。
現場と裏方の違い、というところだろうか。
整備士にとっては操縦士の腕に頼った結果は重視できないのだろ
う。誰でも同じ結果を出せるようにするのが彼らの仕事なのだから。
レムン・ライさんが俺たちを見てくる。
次に移るかどうか、判断を仰いでいるのだろう。
﹁タラスクの甲羅の硬度は確認できました。左手を使用してくださ
い﹂
俺が指示を出すと、レムン・ライさんが頷いて拡声器を使ってタ
リ・カラさんに伝える。
精霊人機の拡声器越しに﹁了解﹂と答えが返って来た。
精霊人機が一歩タラスクに近付き、左手を向ける。
俺の隣で左手の平とタラスクの甲羅の距離を測っていた青羽根の
整備士長が計測完了の合図を出すと、精霊人機は左手に仕込んだウ
ォーターカッターを使用した。
次の瞬間、甲高い切断音が訓練場に響く。
ウォーターカッターの使用は一瞬だったが、甲羅の手足や頭を出
すための穴から水がこぼれ出す。
精霊人機が左手を退けると、甲羅に円形の穴が開いているのが確
認できた。
﹁︱︱は?﹂
観覧席から戸惑いの声が上がり、ざわざわとどよめきが広がる。
観覧席の反応に、青羽根の整備士長と月の袖引くの整備士たちが
笑いをかみ殺していた。
俺はレムン・ライさんに指示を出す。
1120
﹁有効射程を測りたいので、段階的に左手を甲羅から離してみまし
ょう。整備士連中も笑ってないで給水の準備に入れ﹂
ウォーターカッターはとにかく水を使う。戦闘時ならば魔術で代
用するが、今は訓練場だ。魔力をいたずらに消費する必要もない。
頻繁に給水を挟んでいると、使用可能時間が極端に短い事に気付
いたらしく、観覧席は落ち着きを取り戻した。
有効射程を測り終えると、観覧席からぽつぽつと帰り始める者が
出てくる。
計測の結果、左手のウォーターカッターの有効射程は一メートル
弱。足元の敵にさえ屈まなければ使用できないと分かった。
貫通力、切断力は特筆すべきものがあるが、有効射程があまりに
も短い。使いこなすには操縦士の高い技術が必要になるだろう。ま
さにロマン武器。パイルバンカーかと。
観覧席の整備士たちは操縦者の腕次第で脅威度が大きく変わるウ
ォーターカッターの仕様に物足りない様子だったが、ベイジルの反
応は違った。
同様の反応を示しているボールドウィンが呟く。
﹁アレ、重装甲殺しじゃね?﹂
﹁タラスク相手に使える武装って事で作ったからな。精霊人機の重
装甲相手でも機能する兵器だ﹂
ちなみに、ボールドウィンが乗っているスカイにはあまり効果が
無かったりする。
スカイの遊離装甲は中身を取り除いた空洞のセパレートポールに
圧空で生み出した圧縮空気をぶつけて衝撃を殺す機能を持っている。
このため、ウォーターカッターを使用してもセパレートポールに
開いた穴から圧縮空気が吹き出し、ウォーターカッターの威力を減
1121
衰させるのだ。
ボールドウィンに説明してから、俺は腕を組む。
﹁うちの子がうちの子に負けるわけないだろ﹂
﹁くっ、親バカ発言に救われる自分が心底情けない﹂
バカをやってるうちに、タリ・カラさんが精霊人機から降りてき
た。
終わったと勘違いした観覧席の整備士たちが帰り始める。
ギルド支部長とベイジル、整備士君が訓練場に下りてきて、俺た
ちのところへやってきた。
﹁なかなかに面白い武装ですね。新開発した水魔術ですか?﹂
﹁質問は一切禁止です﹂
ギルド支部長にすげなく言い返して、俺は手を叩いてみんなの動
きを止める。
﹁お偉いさんが来たから、みんな作業を止めて整列してくれ﹂
ぞろぞろと並んだ月の袖引くの整備士たちに、ギルド支部長が苦
笑する。
﹁どうぞ、気にせず作業を続けてください﹂
誰が続けるものか。これ以降の作業は特許申請さえしていない月
の袖引くの重要機密だ。誰かの目がある所でやれるものか。
タリ・カラさんがギルド支部長に向かって首を振る。
﹁いえ、礼儀は大切です。支部長や生ける伝説がお帰り頂くまで作
1122
業は中止です﹂
団長兼操縦士であるタリ・カラさんの言葉に反論できるはずもな
く、ギルド支部長は困ったように笑った。
﹁そうですか。では、わたくしはこれで失礼します﹂
帽子を取って軽く頭を下げたギルド支部長はそのまま訓練場の外
へ出ていく。
ベイジルが精霊人機を見つめていた。正確には腰に提げた使用し
ていないもう一振りのシャムシール、流曲刀に視線を注いでいる。
整備士君がベイジルの視線を追って首を傾げた。
﹁あのシャムシールがどうかしたんですか?﹂
ベイジルはちらりと俺とミツキを見て、ニコリとほほ笑んだ。
しかし、俺たちに声をかけることなく整備士君の質問に答える。
﹁見事な剣さばきでしたからね。もう一振りの重たそうなシャムシ
ールを使うとどうなるのかと考えたまでですよ﹂
ピリリとした緊張が月の袖引くの若い整備士やタリ・カラさん、
ボールドウィン、整備士長の間を走り抜ける。
そんな緊張していたら仕掛けがあるとバラす様なものだ。レムン・
ライさんが軽く咳払いをして注意するとすぐに収まった。
それにしても、ベイジルの奴、使っていないシャムシールが市販
品でない事に気付いてやがる。鞘から抜いてさえいないのにだ。数
十年現役で活躍しているだけはある。
だが、ベイジルは質問禁止の条件を破るつもりもなければ、訓練
場に居座るつもりもないらしい。
1123
整備士君の背中を押して出口へ歩き始めた。
﹁さぁ、自分たちがこれ以上いると皆さんのお邪魔になる。帰りま
しょう﹂
タリ・カラさんや俺とミツキに意味深な視線を投げてから、ベイ
ジルは整備士君を連れて外へ出て行った。
ボールドウィンと整備士長がため息を吐く。
﹁怖えー。見ただけで気付くとかどんな観察眼してんだ﹂
﹁弓兵機に乗って活躍し続けているくらいだからな。目が良いんだ
ろうよ﹂
ミツキが鋭い視線を精霊人機に向ける。
﹁いくら目が良くても、材質も知らないのに重さなんて分かるかな
?﹂
タリ・カラさんがほっと息を吐きながら、ミツキ同様に精霊人機
に視線を移す。
﹁動きで気付いたのでしょう。私もまだまだ未熟です﹂
﹁本当にそうかな?﹂
﹁⋮⋮と、言うと?﹂
ミツキの二度目の疑義に、みんなが一斉にミツキを見た。
ミツキも確信はなかったのか、困ったように俺を見た。
俺はこの中で一番経験が豊富そうなレムン・ライさんに声をかけ
る。
1124
﹁例えば、目の前の人が鞄を持っていたとしましょう。その鞄が重
そうに見えたとしたら、判断材料は何ですか?﹂
﹁両手で持っている、などですね。他には⋮⋮あぁ、体が傾いてい
る﹂
レムン・ライさんが口にした瞬間、整備士たちがすぐさま動き始
めた。
水平器などで精霊人機のバランスを測った整備士たちが計測結果
を紙に書き込んでいく。
﹁あの意味深な視線はこれですか﹂
去り際のベイジルの視線の意味に気付いて、タリ・カラさんが苦
笑する。
精霊人機は改造シャムシール、流曲刀の重量のせいで上半身がや
や傾いていた。
操縦士はもちろん、整備士たちも気付かなかった些細な傾きだ。
放置しても問題はないが、戦闘をし続ければ左右の摩耗状況で無視
できない動きの齟齬が出てくるだろう。
﹁すぐに計算をし直して修正を始めよう。応急処置でいい。それが
終わったら改造シャムシール、流曲刀の実験に移る﹂
こうして、精霊人機の調整を終え、流曲刀の二段階目までの実験
を終えた俺たちは、夕方頃に倉庫に帰還した。
1125
第五話 リットン湖攻略失敗
﹁確か、三日前にもこんな天気でしたよね﹂
料理屋の看板娘が店の入り口から外をのぞいてため息を吐く。
特に新しい情報もないだろうと思いながらも、俺たちが精霊獣機
に乗っていると知りながら態度を変えない彼女との関係を大事にし
ようと、俺たちは定期的にこの店を訪れていた。
俺は窓から空の様子を窺う。
まだ朝の八時頃だというのに、いかにも重たそうな黒い雲が空一
面に広がっている。
三日前、月の袖引くの精霊人機の改造成功を祝して打ち上げをや
ったり命名式をやったりした翌日も、こんな天気だった。
﹁胸ごと押しつぶしてきそうな、不安になる嫌な天気ですよねー﹂
のんびりした口調で言って、看板娘は厨房からの声にそそくさと
仕事へ戻って行った。
ミツキが机に頬杖を突き、窓から外を眺める。
﹁あめあめふれふれって言える状況じゃないんだけどね﹂
﹁早く止んでほしい所だな﹂
窓の外は土砂降りと呼ぶのにふさわしい激しい雨が降っている。
リットン湖周辺は湿地帯と崖や岩場、林で構成されている。この
雨では増水の危険もあり、リットン湖攻略隊は水場からやや離れた
場所に移動している事だろう。
リットン湖に向かう途中の河の様子も気になる。増水していると
1126
迂闊に渡る事も出来ない。
ワステード司令官からもらった進軍経路には河に簡易的な橋を掛
けると書かれていたが、河の状況次第では橋も流されているかもし
れない。
俺たちだけならともかく、精霊人機を持つ部隊が増水した川を渡
れるだろうか。
﹁⋮⋮早く止まないかな﹂
空を見上げて呟く事しかできなかった。
そして、どうやら関係者の中に雨男、ないしは雨女がいたらしい。
ボルスの入り口から大通りを進んでくる車両の群れが店の前を走
り抜けていく。
リットン湖攻略隊の車両だった。軍の車両ならば標準装備ともい
える遊離装甲を身に着けていないため一瞬反応が遅れてしまったが、
車両後部に描かれた隊章に見覚えがある。
しかし、帰還するという報告は届いていないはずだ。
看板娘だけでなく、厨房の料理人たちまで店内に出てきて窓から
様子を窺い始める。
﹁ボロボロなのにあんなに急いで、何かあったんですかね?﹂
﹁そもそも、まだ帰還する日じゃないだろ。予定を前倒しするにし
ても早すぎだ﹂
看板娘と料理人が会話する中、俺はミツキと一緒に席を立つ。
﹁すみません、用事が出来たので頼んでいた料理を食べてる時間が
無くなりました。お勘定、ここにおいて行きます﹂
﹁あ、はい。⋮⋮お気をつけて﹂
1127
看板娘が何かを察したように不安そうな顔で見送ってくれた。
俺たちはまっすぐに月の袖引くの倉庫に向かう。
リットン湖攻略隊に何かが起きたのなら、月の袖引くの倉庫に連
絡があるはずだ。
ギルドで精霊獣機に乗り、倉庫まで一気に駆け抜ける。
月の袖引くの倉庫では、すでに出発の準備が完了しているようだ
った。
タリ・カラさんが俺たちに気付いて車両から降りてくる。
﹁リットン湖攻略隊が帰還したと聞きましたが、状況は分かります
か?﹂
﹁月の袖引くにも情報が届いてないんですか?﹂
﹁という事は、お二人も何も知らないんですね﹂
タリ・カラさんが眉根を寄せて大通りの方角を見る。
倉庫の屋根を叩く雨音がうるさくて、街の様子は分からない。
リットン湖攻略隊に何があったのか分からないが、帰還した今に
なっても俺たちのもとに情報がないという事は帰還の先触れなどは
なかったのだろう。
レインコートの水気を取りつつ、空を仰ぐ。この雨は当分止まな
いだろう。
その時、雨の中を駆けてくる青年の姿を見つけた。整備士君だ。
俺たちの下に辿り着いた整備士君は肩で息をしながら報告する。
﹁リットン湖攻略が失敗しました。三日前の雨の中、ボルス襲撃の
残党と思われる甲殻系魔物の群れに攻撃されて攻略隊は分断され、
直後にカメ型の超大型魔物に側面攻撃を受けた模様です﹂
﹁取り残された部隊は?﹂
倉庫の中に整備士君を入れてタオルを渡し、報告の続きを促す。
1128
﹁先陣を切っていたリットン湖攻略隊として参加した新兵の部隊全
て、マッカシー山砦の随伴歩兵部隊、整備車両部隊、運搬車両部隊
です。ワステード副司令官が直属の雷槍隊を率いて救援に出たよう
ですが、その後の消息は不明。この情報は帰還できたボルスの兵か
らもらっていますので、まず間違いないかと﹂
ロント小隊にワステード元司令官、ついでにリンデたち随伴歩兵
部隊も残されてるのか。
取り残されているのは全部で二千人ほど。三日が経っている今、
どんな状態になっているかはあまり想像したくない。
﹁︱︱お嬢様、地図をお持ちしました﹂
レムン・ライさんがリットン湖周辺の地図を広げる。以前、ベイ
ジルたちと調査に赴いた際に作った最新の地図だが、リットン湖の
湿地帯と林の一部しか記載されていない。
タリ・カラさんが整備士君に地図を見せる。
﹁魔物の群れに襲撃された地点は?﹂
﹁リットン湖直近の湿地帯です。詳しい場所までは残念ながら分か
りませんでしたが、取り残された部隊は小隊ごとに分散してしまっ
た可能性が高いそうです。いくつかの部隊については生存が絶望的
との事でした﹂
﹁どんな規模の群れだったんですか?﹂
タリ・カラさんの問いに、整備士君が苦い顔でリットン湖の方角
を見た。
﹁直に分かると思います。その群れがボルスへ帰還した部隊を追っ
1129
てきているそうですから﹂
﹁︱︱ここが戦場になるんですか?﹂
おそらくは、と整備士君が頷く。
まずい。ボルスが戦場になると俺たちが救援に出ていけなくなる。
整備士君が報告を続けた。
﹁生存が絶望的と考えられるのは魔物の群れに襲われた事よりも、
続く超大型魔物による攻撃が原因です﹂
﹁さっきも言ってましたけど、その超大型魔物ってなんですか?﹂
整備士君は、情報が足りないと言いつつ、説明してくれた。
﹁大型魔物タラスクの倍の大きさがあったと報告されています。雨
の中、視界も悪かった事、混乱していた兵の証言であることを差し
引いてもかなりの大きさがあったと思われます。その超大型魔物は
魔力袋を持っているらしく、リットン湖から出てくるなり直線上を
押し流すような大波を放ってきたとの事でした。この鉄砲水に流さ
れた部隊の生存は絶望的です﹂
超大型魔物が放つ大波による被害を減らすために部隊が分散した
のか。
広範囲に散らばっているのなら、救助の難易度がさらに跳ね上が
る。
﹁どうしてこんなに連絡が遅くなったんですか?﹂
﹁ホッグス司令官は伝令を出したと言っていますが、こちらには届
いていません。ベイジルさんは追及しませんでしたが、本当に出し
たかは疑わしいですね﹂
1130
整備士君の悔しそうな顔から視線を外し、俺はレインコートのフ
ードを被る。布に油を染み込ませた物で、防水性は前世のレインコ
ートと比べるのもおこがましいがないよりはましだ。
﹁河の増水については?﹂
﹁昨日の夜の時点では渡河に問題ない水位だったとの事ですが、今
朝からの雨を考えると早く渡らないと危険でしょうね﹂
ひとまず聞けるだけの情報は聞いたか。
俺はディアに跨ってタリ・カラさんを振り返る。
﹁河が増水している危険もありますけど、それ以上にこの雨で視界
が悪すぎます。離れると連絡を取り合うのも難しいでしょうけど、
先にロント小隊を発見するべきです。俺とミツキで先行しますから、
後からきてください。崖を合流地点にしますが、俺たちがいなかっ
たらまだロント小隊を見つけていないと判断して、リットン湖のそ
ばにある岩場へ向かってください﹂
遠距離での連絡でよく使う火魔術のファイアーボールや、光魔術
のライトボールなどは、視界が悪すぎて使えない。
こういった場合は離れすぎない様に行動するのが基本だが、月の
袖引くの歩調に合わせていると手遅れになる恐れもある。
俺たちならば視界の良し悪しに関係なく索敵ができるため、ロン
ト小隊の他、ワステード元司令官の雷槍隊などを早期に発見、合流
できる可能性が高い。
ロント小隊長の事だ。精霊人機の動きを阻害されやすい林に入る
事はないだろう。また、岩場ならば雨でも地盤がある程度安定して
いるため、ロント小隊の精霊人機のようにハンマーを主体とした装
備をした精霊人機でも十分に戦える。
もしも岩場に居なかったら、ロント小隊長がそれだけ追いつめら
1131
れた判断を下さざるを得なかったという事になる。捜索を断念する
ことも視野に入れなくてはいけない。
﹁ミツキ、出るぞ﹂
﹁うん。青羽根のみんな、ビスティの事をお願い。危なくなったら
港町で落ち合おうね﹂
﹁自分の心配だけしておけよ。ボルスには生ける伝説もいるんだか
らな﹂
﹁念のためだよ﹂
ミツキがパンサーを加速させる。
俺はタリ・カラさんやレムン・ライさんに頷いて、ミツキに続い
た。
ホッグスたち、逃げ帰ったリットン湖攻略隊を甲殻系魔物が追い
かけてくるという情報に、防衛軍やギルドが備え始めている。
俺とミツキは防衛軍やギルドの部隊をすり抜けて、ボルスの防壁
を潜り抜けた。
道の先、豪雨をものともせずに走っている二人の開拓者の姿が見
える。
森に入るのを後回しにして、俺は先行している開拓者の横に並ん
だ。
予想通り、凄腕開拓者の二人だった。
二人が俺たちを見て、頷く。
﹁ロント小隊の救援か?﹂
﹁そうです。後から月の袖引くって開拓団も来ますから、俺たちの
名前を出して乗せてもらってください。それから、この先から甲殻
系魔物の群れがボルスへ進攻中との情報があります。気を付けて﹂
﹁そっちこそ、気をつけろよ﹂
1132
短く言葉を交わして、俺は再び速度を上げ、街道を外れて森に入
り込んだ。
激しい雨で地面がかなりぬかるんでいる。ディアの足が嵌まりそ
うになるが、それでも木の根で固まっている森の中を突っ切る方が
街道を道なりに進むよりも早い。
﹁問題は湿地だね﹂
豪雨にかき消されそうになる声を張り上げて、ミツキが声をかけ
てくる。
この森を抜けた先にある湿地帯はこの雨で所々に沼を作っている
だろう。
リットン湖攻略隊が襲撃されたのが三日前、精霊人機の稼働時間
はとっくに過ぎている。魔力を込め直すことができたとしても湿地
帯に雨という悪環境でどこまで戦えるか。
﹁湿地帯を突っ切る。とにかく、時間がない﹂
﹁魔物は?﹂
﹁戦闘を回避するしかない。晴れていれば後続のために群れを誘導
してどこか遠くに置き去りにしてるところだけど、ぜいたくは言え
ないだろ﹂
話している内に森が途切れ、目の前に広大な湿地帯が広がった。
﹁おいおい、ちょっと待てよ﹂
ディアを急停止させ、直角に進路を変更する。
正面に甲殻系魔物の群れが見えたからだ。ディアの索敵範囲外で
もそうとわかるほどに大きな群れだった。
この規模の群れに襲われたんだとしたら、逃げ帰って来れただけ
1133
ホッグスの指揮能力も馬鹿に出来ない。
群れは進みやすい街道を無視して森の中へ突っ込んでいく。
﹁もう少し遅かったら森の中で鉢合わせしてたな﹂
さすがにぞっとする。動きの遅い甲殻系魔物が相手だから十分に
逃げ切れはするだろうけど、動きを阻害される森の中ではどうして
も膨大なタイムロスになっていた。
ミツキが後方を振り返り、心配そうな顔をする。
﹁タリ・カラさんたちが鉢合わせしないといいけど﹂
﹁街道を進んでいくからすれ違う形になると思うけど、群れが進路
変更すると側面を突かれて厄介なことになるかもな﹂
元は開拓の最前線で活躍していた開拓団だというし、戦闘員も含
めて戦闘経験は豊富だろうから切り抜けてくれることを祈るしかな
い。
魔物の群れを大きく迂回する形で避けて、河に向かって直進する。
雨は激しさを増して雷雨となり、視界も足場も悪化する一方だっ
た。
大粒の雨が痛いほどに顔を叩く。
河に辿り着いて、俺は橋の状況を確認する。石で作った土台に木
の板を乗せただけの簡易的な物だが、整備車両などが渡れるように
丈夫に作ってあるらしく、増水した河の水圧に抗っていた。
﹁ヨウ君、対岸のあれって﹂
ミツキに言われて、対岸に目を凝らす。
不意に落ちた雷に青白く照らし出される大破した精霊人機の姿が
あった。
1134
﹁足止めにホッグスが残した、とか?﹂
﹁それにしては数が少なすぎる。行方不明の部隊が運悪くさっきの
群れに鉢合わせしたんだろう﹂
橋を渡って対岸についた俺は、ミツキと手分けして所属部隊を探
る。
精霊人機の肩の外部装甲を見つけ、マークを確認した。
﹁リットン湖攻略のために来た新兵さんの部隊だね。車両がないけ
ど﹂
もっと言えば、死体もない。血の痕さえこの豪雨で洗い流されて、
大破した精霊人機は趣味の悪いオブジェにしか見えなかった。
ここに生きた人間がいたかどうかさえ、怪しくなる惨状だった。
もしかしたら付近に生き残りがいるかもしれないが、ディアの索敵
範囲にはいないようだ。
﹁行くぞ。酷なようだけど、死んだ奴にかまってられない﹂
甲殻系魔物の群れがボルスに向かっている以上、この先には魔物
がいない空白地帯が広がっているはずだ。
油断はできないが、索敵魔術に反応があり次第、生き残りだと思
って急行した方が良いだろう。
俺は豪雨にかすむ湿地とその奥にそびえる崖を見る。
﹁崖は迂回して、周辺を探りながら進もう。崖の上に生き残りがい
ないのはほぼ確定だからな﹂
あの崖は精霊獣機が無ければ登れない。生き残りがいたとしても、
1135
崖の周囲を回って河を目指しているはずだ。
俺たちは大破した精霊人機を放置して、河を後にした。
1136
第六話 捜索一日目
降りしきる雨の中、レインコートもすでに役に立たなくなってき
た頃、ディアが索敵魔術の反応を伝えるために鳴いた。
豪雨にかすむ視界の先に精霊人機らしき影を見つけ、ディアをま
っすぐに進める。
片膝をついた駐機状態の精霊人機のそばには車両が数台止まって
おり、見張りらしき軍人も立っていた。
見張りが俺たちに気付き、剣の柄に手を掛ける。
﹁何者だ!?﹂
﹁ボルスから来た開拓者です。ロント小隊を探しているんですが、
ご存じありませんか?﹂
﹁ボルス⋮⋮?﹂
見張りはすぐに整備車両の助手席に視線を移し、部隊の責任者ら
しき年かさの男を大声で呼んだ。
﹁小隊長、ボルスから開拓者が来ました!﹂
小隊長と呼ばれた年かさの男が整備車両から降りてくる。右腕に
包帯が巻かれていた。包帯に滲む血の量が傷の深さを物語っている。
俺は小隊長に助手席に戻るように言って、ディアを助手席に横付
けする。
窓を開けた小隊長がディアを見て顔を顰めた。
﹁よりにもよって貴様らか⋮⋮﹂
﹁ご安心ください。あなた方を助けに来たわけじゃありません。俺
1137
たちは事前に受けたロント小隊の依頼を達成するために動いてます。
あなた方はついでです﹂
﹁⋮⋮言葉を慎め。それより、他の部隊はどうなっている?﹂
俺は見張りの軍人を指差して、ミツキにボルスの状況を教えるよ
うに頼む。
情報交換をするにしても時間がない。手分けした方が良い。
﹁見張りさん、こっち来て﹂
ミツキが見張りを手招き、ボルスの状況を説明し始める。
俺は小隊長に向き直った。
﹁こちらが持っている情報は全部渡しておくので、あの見張りに聞
いておいてください。こっちの質問にも答えてもらいますよ﹂
手際が良いな、と小隊長はため息を吐いて頷いた。
﹁何が知りたい?﹂
﹁全部です。ロント小隊はどこに向かいましたか?﹂
﹁三日前に魔物の襲撃を受けた際、いち早く部隊を立て直して前線
に出た。ロント小隊は精霊人機を三機持っていたからな。おかげで
他の部隊も態勢を立て直せたのだが︱︱﹂
小隊長曰く、部隊が態勢を立て直すとほぼ同時にホッグス率いる
後方の部隊が撤退を開始、魔物を引きつけたという。
直後にホッグスから直々に前方の部隊、つまりは旧大陸派の部隊
全てに対して魔物の側面を突くよう命令が出た。
新大陸派が正面から、旧大陸派が側面から攻撃を加えることで十
字に魔物の群れを追い詰める作戦だととらえた各部隊はすぐさま連
1138
携した。
しかし、旧大陸派の部隊が魔物の側面を突いた途端にホッグス率
いる新大陸派の部隊が急速に戦場を離脱する。
側面から攻撃を仕掛けた旧大陸派の部隊は魔物の群れの注意を一
身に引き受けた。
﹁新大陸派共に嵌められた。囮にされたんだ﹂
小隊長が悔しそうに呟き、続きを話す。
急速に離脱を開始した新大陸派に置き去りにされてなるものかと、
旧大陸派の各部隊が魔物の群れから離脱を開始する。
しかし、雨の中でぬかるんだ湿地帯という事もあってなかなか撤
退ができなかった。
そんな中、精霊人機を有するロント小隊などが殿を務め、魔物の
群れの進行を遅らせることに成功する。
新大陸派との合流がもうすぐ叶う、そう希望を持った時にそいつ
が現れた。
﹁リットン湖の岸辺からカメ型の大型魔物が現れたんだ。タラスク
ではなかった。タラスクの倍の大きさはあったからな﹂
カメ型の大型魔物は、合流を優先するあまり長く伸びていた旧大
陸派の各部隊の行列に魔術で発生させた大波をぶつけた。
かろうじて被害範囲から逃れた小隊長は、一瞬にして押し流され
た友軍を見てカメ型魔物からいち早く距離を取るべきだと判断して
新大陸派との合流を放棄、その場を離脱したという。
﹁他の旧大陸派の部隊も似たようなものだろう。あのカメ型魔物が
現れた瞬間に三々五々に散って行った。現場は完全に混乱していて
どこの部隊がどこへ逃げたかもわからん﹂
1139
散らばったのか。広範囲を探し回る事になりそうだな。
﹁ヨウ君、こっちは終わったよ﹂
﹁あぁ、じゃあ行くか﹂
ディアをリットン湖の方角へ向ける。
小隊長が助手席の窓から身を乗り出してきた。
﹁他の部隊を見つけたら河の近くの崖に誘導してくれ﹂
﹁最初からそのつもりです。ボルスに先行すると碌なことになりま
せんからね﹂
﹁⋮⋮何の話だ?﹂
﹁詳しい事は見張りの人からどうぞ﹂
ボルスは現在、ホッグスたちを追ってきた甲殻系魔物による攻撃
を受けているはずだ。小隊一つが乗り込んだところで、ボルスに到
着するより先に甲殻系魔物に食われるだろう。
俺たちは後の説明を見張りに任せて、小隊から離れた。
並走するミツキに、小隊長から聞いた話を伝える。
すべてを聞き終えたミツキはリットン湖の方角を見た。
﹁ロント小隊が殿を務めたなら、魔物の群れに囲まれて逃げ遅れた
かもしれないんだね﹂
﹁それを確かめるために、一度リットン湖の戦場跡まで行かないと
な﹂
それに、小隊長の話にはワステード元司令官率いる雷槍隊につい
ての話が無かった。
雷槍隊が救援に出るより先に小隊ごと離脱してしまったのだろう。
1140
泥濘に足を取られそうになりながらも到着したリットン湖は降り
続く雨の影響で大きく波が立っていた。
戦場となった湿地には魔物の死骸が点在している。人の物らしい
骨も転がっており、打ち捨てられた車両や、精霊人機から弾き飛ば
されたらしい遊離装甲の残骸などが目につく。
やはりというべきか、生き残りはいないようだ。
死体を漁っていて群れに取り残されたらしいエビ型の小型魔物ア
ップルシュリンプやザリガニ型の中型魔物ブレイククレイを始末し
ながら、車両などを見て被害を受けた小隊を確認していく。
ロント小隊の精霊人機や車両は見当たらない。
﹁ヨウ君、そろそろここを離れて岩場に向かおう﹂
確認を終えて、ミツキがリットン湖の対岸、岩場の辺りを指差す。
すでに日も沈みかけているため、これ以上の捜索は難しいだろう。
﹁そうだな。戦場跡で寝てると魔物に襲われそうだし﹂
リットン湖の湖岸を半周する形で移動し、すっかり暗くなった頃
に岩場へ到着する。
群れからはぐれた魔物がちらほらと見つかるが、生存者は見当た
らなかった。
見上げた空は真っ暗で、未だに雨は降り続いている。
止む気配を見せない雨にうんざりしながら足場に注意しつつ岩場
を進んでいると、巨石が二つ折り重なってできた大きな洞を見つけ
た。
雨をしのぐにはちょうどいい、と二人で洞の中に入る。
﹁あぁ、もうびしょ濡れだよ﹂
1141
レインコートを脱いだミツキが体に張り付く服を鬱陶しそうに引
っ張る。
﹁生地が伸びるぞ﹂
﹁私が成長するから大丈夫﹂
俺も期待していいのだろうか。
ディアとパンサーを駐機状態にして簡易テントを設営し、俺もレ
インコートを脱ぐ。
洞の入り口に張ったロープにレインコートを引っかけて、荷物か
ら代えの服を取り出した。
﹁ヨウ君の貴重な着替えシーン﹂
﹁実況するなよ﹂
振り返ると、ミツキが下着姿で俺のすぐ後ろにいた。
ぺたぺた、と雨で冷えた手で俺の体を触り、満足そうに頷く。
﹁開拓者生活も長くなってきたからか、ちゃんと筋肉ついてきてる
ね﹂
﹁同業に比べるとまだまだだけどな。移動はディアだし、武器も狙
撃銃だからあんまり筋肉も使わないのが原因だろうけど﹂
魔導対物狙撃銃はかなりの重量があり反動も強烈だが、そういっ
た負担はほとんどディアが軽減してくれている。
対物狙撃銃よりもはるかに軽い魔導拳銃を使用しているミツキも
出会ったころとほとんど変わらない細腕だ。
﹁というか、下着姿で男の体を触るなよ﹂
﹁ヨウ君になら何されてもいいから大丈夫だよ﹂
1142
にっこり笑って、ミツキが両手を広げる。
こんな洞穴で何かできるわけでもない事はミツキも十分承知の上
でこの台詞である。あざとい。
互いに背を向けて服を着替え、ようやく一息ついた。
濡れた服もロープに引っかけると、洞の入り口が完全に塞がる。
ディアとパンサーの索敵魔術があれば、魔物やリットン湖攻略隊の
生き残りが来ても先に発見できるため、洞の入り口がふさがってい
ても気にしなくて済む。
﹁暖簾みたいになったね﹂
ミツキがロープにかかっている服を指先でつつく。
遮るべき視線も魔物の領域であるこのリットン湖周辺にはないの
だが、なんとなく入り口がふさがっていると安心感があった。
ミツキは右手で暖簾を掻き分けて外の様子を窺う。
﹁雨は止みそうにないし、明日も雨天行軍だね﹂
﹁体を冷やさない様に暖かくして寝た方が良いな。今日一日中濡れ
鼠で過ごしたし、明日もそうなる﹂
﹁髪がゴワゴワだよ。帰ったらゆっくりお風呂に入りたい﹂
ミツキがタオルを髪に当てて渋い顔をする。
ミツキが料理を始める傍らで、俺はレインコートを風魔術や火魔
術を駆使して乾かす。
痛むのを承知の上で乾かしたレインコートは皺だらけだ。
ディアやパンサーの背に皺だらけのレインコートを敷いて、重石
を乗せて皺を伸ばした後、防水用の油を塗布する。
風魔術で換気しながらレインコートに油を塗り終わったら、ロー
プに吊るして再び乾くのを待つ。
1143
﹁サンドイッチできたよ﹂
ミツキが皿の上にサンドイッチを乗せて持ってきた。
ピクルスやチーズを挟んだそのサンドイッチを片手に、俺は地図
を広げた。
﹁明日は岩場を中心に捜索する。車両の通った跡や精霊人機の足跡
が見つかればそれを辿って行こう﹂
﹁岩場にロント小隊がいなかったら?﹂
﹁一度崖まで戻る。何事もなければ月の袖引くも崖に到着している
頃だろうからな﹂
甲殻系魔物を上手くやり過ごしてくれていればいいが、場合によ
っては一時撤退を余儀なくされているかもしれない。
もしも撤退していた場合、月の袖引くはボルスが甲殻系魔物を追
い返すのを待ってから再出発するだろう。
﹁とにかく、明日どれくらい孤立した部隊を崖に誘導できるかがカ
ギになる。いつ甲殻系魔物の群れがリットン湖周辺に帰ってくるか
分からないからな﹂
リットン湖周辺に甲殻系魔物が戻れば捜索はさらに困難になるし、
見つかったとしてもうまくボルスまで撤退できるか分からなくなる。
サンドイッチを食べ終えて、俺はディアとパンサーの泥汚れを落
としにかかる。
丸一日、雷雨の中で湿地帯を駆け抜けただけあって汚れもひどい。
洗浄液を使って泥汚れを落としている俺の隣では、ミツキがレイ
ンコートに裏地を当てていた。
1144
﹁行方不明の部隊に整備車両が無かったら悲惨だよね。精霊人機を
泥だらけのまま動かし続けるわけにもいかないだろうし﹂
﹁軍の精霊人機だからある程度は丈夫に作ってあるだろうけど、こ
の雨だとな﹂
仮に整備車両ごと上手く逃げおおせたとしても、洗浄液がなくな
ると万事休すだ。
車両がなくなると雨をしのぐ場所も確保できず、体力も消耗する。
﹁川の近くに陣取っている可能性もあるな。飲み水の確保ができる
かどうかでも違うし、間に合わせでも洗浄液として使えない事はな
い﹂
﹁なら、明日は川のそばを重点的に探そうね﹂
予定を組み立てながら、捜索一日目の夜を過ごした。
1145
第七話 生き残り部隊
洞穴で夜を明かし、俺たちは朝食もそこそこに捜索を再開した。
雷は止んだが、雨は未だに降り続いている。
長雨にうんざりしながらもレインコートを頼りに雨の中を突き進
んだ。
足元を注意深く観察し、車両や精霊人機が通った跡を探す。
ほどなくして、打ち捨てられた車両群を見つけて、俺たちは速度
を落とした。
﹁索敵魔術に反応がないってことは無人か?﹂
車両の数は五台、沼に車輪を取られて立ち往生した車両に後続の
車両がぶつかったらしい。
﹁玉突き事故だね。横転車両にまでぶつかってる﹂
﹁魔物に追われて速度を出し過ぎたんだろう﹂
内訳は運搬車両三台と整備車両二台、荷物はそのまま残されてい
る。
周囲には刃こぼれした剣や逸れた魔術が当たったと思われる岩な
どがある。精霊人機での戦闘もあったのか、装甲の破片らしきもの
が落ちていた。
﹁ヨウ君、この整備車両のマークって雷槍隊じゃないかな?﹂
ミツキに呼ばれて整備車両のマークを確認する。黄色い稲妻模様
を背景にした槍の意匠、間違いなく雷槍隊の物だ。
1146
ワステード元司令官率いる雷槍隊がこの地点を通過したらしい。
旧大陸派閥の指揮官であるワステード司令官が率いているなら、
極限状態でもある程度の指揮と秩序を保っているだろう。生存の可
能性が高まった。
周囲の地面を調べるが、足跡は見つからない。長雨の影響でひど
くぬかるんだ地面は足跡さえ消してしまったのだろう。
玉突き事故を起こしていた車両の数も考えると、ワステード元司
令官はある程度まとまった部隊を率いてリットン湖を離れたはずだ
が、周辺にそれらしき影はない。
この車両群に残された物資を取り戻すために引き返してくるのを
待つこともできるが、それよりは捜索を再開した方が良いだろう。
比較的無事な車両の助手席に現在のボルスの状況などを書いた置
手紙を残して、俺たちは車両群を後にした。
一時的に小雨になった雨が、また激しさを増してくる。
捜索を続けていると、索敵魔術が度々反応するようになった。
索敵魔術の反応があるたびに確認しに行く。
﹁︱︱また魔物か﹂
俺はまだこちらに気付いてもいない中型魔物、ブレイククレイの
頭を狙撃して射殺する。
ここにきて、魔物の数が多くなっていた。
俺たちに気付いて走ってくる小型魔物アップルシュリンプを自動
拳銃で撃ち殺しながら、ミツキが口を開く。
﹁ワステード元司令官たちを見失った魔物たちがリットン湖に戻ろ
うとしてるのかもね﹂
﹁もしそうなら、救助対象はもう少し奥にいる事になるな﹂
それでも、索敵魔術に反応があったら駆けつけて確認しないとい
1147
けないし、紛らわしくて仕方がない。
時折魔物の死骸が転がっているが、腐敗の具合から見る限り殺さ
れてからしばらく経っている。
まだ奥に進まないといけないのか。
岩場を抜けて切り立った崖が近付いてきた頃、またディアの索敵
魔術に反応があった。
ディアの設定を変更して対象物の大きさを割り出す。人間か、さ
もなければ小型魔物だろう。
反応があった地点に向かってディアを加速させる。
雨粒のカーテンの向こうに人影があった。人数は七。
ディアの速度を落として、人影に近付く。
﹁リットン湖攻略隊の生き残りか?﹂
雨音でディアやパンサーの足音が消えていたからだろう、俺が声
をかけると集団は慌ててこちらを振り向いた。
見覚えがある顔だ。
ベイジル率いるリットン湖調査隊で伝染病が流行った時に救援に
駆け付けた部隊の隊長だったはず。
隊長は俺とミツキを見て、眉を寄せながら剣を抜き放った。隊長
の動きに合わせて部下らしき六人も剣を抜く。
﹁⋮⋮開拓者、盗賊の真似事でもしに来たのか?﹂
﹁ずいぶんな言い方だな。何かあったら救援に来てくれとロント小
隊長から依頼を受けていて、駆けつけたんだ。あんたらは?﹂
﹁ロント小隊⋮⋮﹂
俺の質問には答えず、隊長は胡散臭そうな目で睨んでくる。完全
に目が据わっていた。
ミツキが警戒を深めてパンサーの肩から魔導手榴弾を取り出す。
1148
正体を知らなければただの鉄の塊にしか見えないだろう。
俺は七人を見回して、装備を確認する。
剣を装備してこそいるが全身泥だらけで食料や応急手当の道具な
どが入ったリュックも背負っていない。
﹁ワステード元司令官の部隊が出した斥候ってわけでもないな。は
ぐれたのか?﹂
いくら雨音で足音が消えていたとはいえ、俺たちの接近に気付か
なかったのは斥候として致命的に注意力が足りていない。装備も遭
難を警戒していない。
斥候としての役を果たせるとは思えないし、ワステード元司令官
がたった七人で斥候部隊を組んで外に出すとも思えない。
この辺りは中型魔物も歩き回っているのだ。いくら軍人でも体力
が落ちた今の状態の七人で倒せるかどうかわからない。
隊長は俺の指摘に答えず、据わった目で剣先を向けてきた。
﹁食料を持っているなら出せ﹂
人の事を盗賊呼ばわりした口でよく言う。
﹁切羽詰まってるみたいだな!﹂
ポケットに忍ばせている圧空の魔導核をいつもの要領で起動し、
足元の泥を一気に巻き上げて目潰しにしつつディアを反転させる。
﹁ミツキ!﹂
﹁凍結!﹂
何をするかを悟られない様に日本語で返したミツキがパンサーを
1149
反転させつつ魔導手榴弾を足元に炸裂させる。
投げつけた魔導手榴弾は凍結型だ。ぬかるんだ地面が一瞬にして
凍りつき、隊長たちの足を地面に固定する。
ディアを一気に加速させ、隊長たちから距離を取った。
﹁河の近くの崖へ向かえば友軍と合流できる! リットン湖は俺た
ちが来た方角だ!﹂
隊長たちに肩越しに声をかけ、その場を離れる。
いまは靴ごと地面に凍り付いて身動きできないが、込められた魔
力がなくなれば自然に溶ける。
見捨てるみたいで気分が悪いが、自業自得だ。
﹁遭難から今日で四日目だっけ。余裕がないのも当然かな﹂
隊長たちが追ってきていないのを確認して、ミツキがため息交じ
りに呟いた。
俺は頷きつつ、速度は緩めないまま先を目指す。
﹁今後は迂闊に近寄らない様にした方が良いな﹂
﹁あの人たち、ちゃんと崖に向かうかな?﹂
﹁さぁな。ここで盗賊しても儲からないだろうし、素直に向かうと
思うけど﹂
向かわないなら、それこそ自業自得だろう。
索敵魔術の効果範囲を最大にして、岩場を駆け回る。
もうすぐ崖に辿り着くというところで、ディアが鳴き、パンサー
が唸る。直後、微かに足音を聞いた気がした。
雨音に交じって聞こえにくいが、確かに足音が響いている。
1150
﹁ヨウ君、やや右寄りにまっすぐいったところで反応があるよ﹂
いち早く索敵魔術の設定を弄ったミツキに教えられるまま、ディ
アの頭を右寄りに向けて加速する。
大型魔物という可能性もあるため、速度を調節しつつ前方に目を
凝らした。
激しい雨で白くかすむ視界に精霊人機らしきシルエットが浮かび
上がる。
速度を落としながら近付くと、大規模な集団だと分かった。
精霊人機は八機、うち六機が真っ黒にカラーリングされた機体に
特徴的な槍を持つ雷槍隊機だった。
﹁ワステード元司令官の部隊か﹂
規模を見る限り、ワステード元司令官の部隊に加えて幾つかの小
隊が集まっているようだ。
見張りに立っていた三人組の兵士が俺たちに気付き、手を振って
来た。三人組から一人が部隊の方へ走って行く。
﹁鉄の獣、ワステード副指令から通すように言われている。奥へ進
んでくれ﹂
残った二人組が仮設テントを指差す。
友好的とは言えない視線ではあったが、無理にでも言う事を聞か
せようという雰囲気でもない。
ディアに乗ったまま仮設テントへ向かうと、テントの前に立って
いた護衛の兵士が渋い顔をする。
﹁それに乗ったままテントに入るつもりか?﹂
﹁先ほど、あなた方のお仲間に襲われかけたもので、警戒させても
1151
らいます﹂
﹁我々が襲う事など︱︱﹂
﹁警戒しているだけですよ。だから話をしに来たんじゃないですか﹂
押し問答が続くかと思ったが、仮設テントの中からワステード元
司令官の声がかかった。
﹁そのままでいい、入ってくれ。いまは一刻を争う﹂
﹁失礼します﹂
テントに入ると、ワステード元司令官が小さな机の上に置かれた
紙を見て難しい顔をしていた。
﹁よく来てくれた。それにしても、早かったな﹂
﹁途中ではぐれた小隊を見つけて情報交換をしたんです。居るなら
岩場だろう、と﹂
﹁その小隊は今どこにいる?﹂
﹁リットン湖とボルスの間の河の近くにある崖です。他にはぐれた
部隊を見つけたらそこへ誘導してくれと言われました﹂
そうか、と呟いてワステード元司令官が部隊名を聞いてくる。ミ
ツキが答えると、ほっと息を吐いた。
﹁超大型の魔術で流されたかと思ったが、無事だったか﹂
ワステード元司令官は机の上の紙を畳んで、俺たちに目を向ける。
﹁ホッグスはどうなった?﹂
﹁その前に確認させてください。ここにロント小隊はいますか?﹂
﹁ロント小隊⋮⋮いや、救助した部隊にその名はない。そうだな。
1152
先にこちらの状況を話しておこう﹂
そう言って、ワステード元司令官は目頭をもむと仮設テントの天
井を仰いだ。
ワステード元司令官の話は超大型魔物の出現までは以前聞いた内
容と同じだった。
だが、俺たちに話をしてくれたはぐれ部隊とは違い、ワステード
元司令官は超大型が出てからも戦場に残っていたらしい。
﹁ホッグスが新大陸派の兵を連れて撤退する中、わたしは分断され
た旧大陸派の兵を回収するため、雷槍隊を率いて戦場に出た﹂
雷槍隊は隊長機であるワステード元司令官のライディンガルを含
めて全六機、すべてが雷を帯びた槍を振るう専用機だ。
しかし、雨が降りしきる中では仲間を感電させてしまうため帯電
機能を使用できず、実力を十分に発揮できなかった。
混乱する各部隊を回収しつつ、魔物を相手に切り結ぶが、全部隊
を回収する事は叶わなかった。
﹁超大型が本格的に動き出し、動くモノは人も魔物も区別なく食ら
い始めたのだ。奴は甲殻系魔物であっても容赦なく咀嚼しながら戦
線を移動し始め、精霊人機の攻撃さえものともしなかった﹂
帯電機能を制限されている事もあり、正面から戦う事は到底でき
ないと判断したワステード元司令官は他の部隊との合流を断念し、
回収した部隊と共にホッグスの後を追おうとした。
しかし、ワステード元司令官は首を横に振る。
﹁ホッグスはまっすぐにボルスへと帰還するだろう。すでにホッグ
スを少なくない魔物が群れを成して追い駆けている。我々が後に続
1153
いてはさらに魔物を引き連れてボルスを危機に追い込んでしまう﹂
ボルスは以前の甲殻系魔物の襲撃で受けた被害がまだ残っており、
一部の防壁が機能していない。
そんな場所へ魔物の群れを引き連れて帰還する事は出来ない。
リットン湖からボルスまでは精霊人機で駆け抜けられる距離では
ない。途中で魔物を引き離すことができたとしても、ボルスに帰り
着く頃にはまともに戦闘ができる状態ではないだろう。ただボルス
を危険に晒すだけだ。
だから、進路を変更せざるを得なかった。
ワステード元司令官が地面を指差す。
﹁そこで、足場が比較的安定している岩場へ逃げ込んだのだ。途中、
甲殻系魔物に追われて車両を失い、半ば遭難しかけているところに
君たちが来た。感謝している﹂
﹁感謝なら、俺たちに救援の依頼を事前に出していたロント小隊長
に言ってください﹂
﹁そうだな。ところで、そのロント小隊だが、精霊人機を三機持っ
ている部隊だったはずだな。ボルス、マッカシー間のヘケトを駆除
した部隊だろう?﹂
俺が頷きを返すと、ワステード元司令官はやはりか、と呟いて腕
を組む。
瞼を閉じてしばし考え込んだワステード元司令官は、おもむろに
腕組みを解いて口を開く。
﹁思い出した。魔物の群れに飲み込まれかけながら他の部隊と合流
し精霊人機六機で歩兵隊の撤退支援をしていたはずだ。おそらく、
超大型に退路を塞がれて湿地帯か林へ逃げている。順当に考えれば、
林だな﹂
1154
﹁なんで林に逃げ込むんですか? 車両も精霊人機も通りにくいで
しょう?﹂
ミツキが首を傾げると、ワステード元司令官は﹁アレは実際に見
なければわからんだろうな﹂と呟いて、説明してくれる。
﹁まず、ロント小隊は位置が悪い。周囲に物資を積んだ車両がない
のだ。せいぜい、自前の整備車両のみだろう﹂
もしも湿地帯で自前の整備車両しかなかったらどうなるか。
すぐに洗浄液などの物資不足に陥るだろう。精霊人機がまともに
動かせなくなってしまう。
大型魔物に対抗できるのは精霊人機だけという状況下で、洗浄液
をいたずらに消費する湿地帯を移動し続けるのは得策ではない。
だが、林に逃げ込んでも精霊人機の行動が制限されてしまう。車
両も思うように身動きができなくなるだろう。
しかし、どっちがマシかと言われれば、林の方がマシだ。
﹁湿地帯のような開けた場所では大型魔物の脅威に絶えずさらされ
ることになるから、行動が制限されるとしても林を選ぶ可能性が高
いんですね?﹂
ミツキが訊ねると、ワステード元司令官は深く頷いた。
﹁撤退戦をするのなら、大型魔物との戦闘を極力避けねばならない。
林であれば大型魔物も行動を制限されるため小隊は逃げやすくなる。
車両を捨てることになるだろうが、どの道時間の問題だ。あの状況
下でいち早く態勢を立て直した小隊長の決断力ならば林を目指すだ
ろう﹂
1155
ワステード元司令官の分析が正しければ、俺たちが岩場に向かっ
たのは失敗だったことになる。
しかし、ロント小隊との合流には遠回りになってしまったが、こ
こでワステード元司令官に出会えたのは大きい。
雷槍隊は強力だ。崖の近くに陣取っていてくれればボルスから追
い払われた甲殻系魔物が帰ってきても退路を確保してくれるだろう。
ワステード元司令官が身を乗り出してくる。
﹁では、君たちの持っている情報を全て聞かせてもらおう﹂
1156
第八話 合流
ホッグス率いる新大陸派がボルスに帰還したところから、俺たち
がワステード元司令官を見つけ出すまでの出来事を説明する。
ワステード元司令官は静かに耳を傾けていたが、すべてを聞き終
えるとため息を吐いた。
﹁攻略失敗の伝令さえ出していないとは、ホッグスは救出部隊を出
すつもりがないようだな﹂
伝令からの報告さえあれば、ボルスを守っていたベイジルも救出
の準備ができた。
ホッグスが伝令を出さなかった以上、ボルスの防衛にかこつけて
孤立部隊を見捨てる選択をする可能性が高い。
元々、ボルスに残っていた戦力も多くはないため、孤立部隊を救
出するために戦力を分散させるのは得策ではないと言い訳も立つ。
ワステード元司令官は部下に地図を持って来させ、俺たちに捨て
られた整備車両の位置やリットン湖の方角などを聞いてきた。
﹁自力で帰還するんですか?﹂
﹁精霊人機もいつまで稼働できるか分からない。救出部隊が出てい
るならば合流を図ろうと考えていたが、君たちの話を聞く限り、生
還するには自力で帰還するしかないようだ。それに、ホッグスは私
に責任をなすりつけるつもりのようだからな﹂
﹁どういう事ですか?﹂
﹁リットン湖攻略失敗の責任を旧大陸派になすりつけるという事だ。
私は前線の部隊を救出するため、ホッグスに何も言わずに出陣して
いる。いずれにせよ、軍法会議ものだ﹂
1157
涼しい顔して、無茶していたらしい。
罪状を一つ増やすくらい、現場指揮官だったホッグスの立場なら
造作もないのだろう。ましてや、ワステード元司令官が行方不明な
いしは死亡となれば、死人に口なしだ。
地図に俺たちが知っている限りの情報を書き込む。だが、俺たち
が分かるのは大まかな距離と方角だけだ。かなり抽象的な情報にな
る。
それでも、ワステード元司令官は十分だと言って頷いた。
﹁我々はこれよりリットン湖を迂回して崖へ向かう。途中、車両群
を回収する。君たちはロント小隊を探すのか?﹂
﹁そのつもりです﹂
元々の依頼がロント小隊の救出だ。
ワステード元司令官は部下に移動準備を整えるように言ってから、
席を立った。
﹁ロント小隊が林にいるのなら、救助部隊のために何か目印を残し
ているだろう。我々は崖の側で退路を確保しておく。二日以内に合
流するように﹂
﹁了解です。それじゃあ、俺たちは先に行きますね﹂
軍の歩調に合わせていると崖まで丸一日以上かかってしまう。
﹁鉄の獣の索敵能力は惜しいが、諦めよう。ロント小隊を救出して
くれ﹂
快く送り出してくれたワステード元司令官と別れて、俺はミツキ
と一緒に簡易テントを出た。
1158
雨は未だに止んでいない。それどころか、遠雷まで聞こえてきた。
ミツキが俺を見る。
﹁林に行くなら来た道を戻る方法と崖を越えていく方法があるけど、
どうするの?﹂
﹁この雨で崖は柔らかくなっているだろうし、越えるのは難しいだ
ろうな。遠回りになるけど、素直に来た道を戻ろう﹂
ディアのレバー型ハンドルを握って、リットン湖に向かって駆け
出させる。
ぬかるんだ地面も濡れて滑りやすい岩場もディアの足で乗り越え
ながら、斜めに降りつける雨を裂くように加速する。
中、小型の魔物が行きよりも増えていた。
索敵魔術の反応があるたびに、孤立部隊の可能性を考えて確認に
向かう。そのほとんどが魔物だったが、一度だけ孤立した小隊を見
つけた。
車両群の位置を教え、ワステード元司令官率いる部隊が向かって
いる事を教えると、死人のようだった目に見る見るうちに力が戻っ
て行く。
﹁感謝する!﹂
小隊が一斉に敬礼してくる。
俺は苦笑して、早く車両群へ向かうよう言ってその場を後にした。
岩場を抜けて湿地帯に戻ってきた頃には昼を回っていた。
俺は雨空を見上げる。
﹁まだ当分止みそうにないな﹂
﹁雲が厚いせいで周りも暗くなってきたね﹂
1159
風も少し強く吹き始め、嵐の気配が近付いている。
湿地の中で嵐に見舞われるのは避けたいところだ。
リットン湖を警戒しながら湿地を進んでいると、進行方向に月の
袖引くの一団が見えた。
無事に魔物の群れをやり過ごして川を渡り、岩場へ向かっている
ところらしい。
向こうも俺たちに気付いて手を振っていた。
﹁ロント小隊は林に向かったようです。進路を変更してください﹂
ディアを整備車両の助手席に横付けし、進路を林へ変更するよう
に指示を出す。
助手席にいたレムン・ライさんが運転手に進路を林に向けさせる。
﹁タリ・カラさんはどこに?﹂
﹁お嬢様は荷台で戦闘に備えております。いまお呼びしますね﹂
レムン・ライさんが荷台とをつなぐ扉を開け、中と二言三言やり
取りすると、タリ・カラさんが顔を出した。
﹁お二人とも、ご無事でしたか﹂
ほっとしたような笑顔を見せたタリ・カラさんはすぐに顔を引き
締める。
﹁状況をお聞かせ願いますか?﹂
最近説明してばっかりだな、と思いつつ、リットン湖攻略が失敗
した経緯やワステード元司令官の事などを話す。
すべてを聞き終えたタリ・カラさんは河の方角を振り返った。
1160
﹁河の側の崖にいた軍の小隊はお二人が湿地で発見したんですね﹂
﹁接触しなかったんですか?﹂
﹁接触はしましたが、少しの情報交換をした後すぐに別れました。
お二人と比べてどうしても移動速度が遅くなるので、あまり離され
過ぎないように、と﹂
その後、月の袖引くが通って来た道などを聞く。
俺たちがボルスを出てすぐに見つけた魔物の群れは森の中を直進
したらしく、懸念された月の袖引くとの戦闘は起こらなかったよう
だ。
街道を進んでいる途中で凄腕開拓者二人を拾ったらしく、凄腕二
人はいま整備車両の荷台で仮眠を取っているという。
﹁お二人はこれからどうしますか? 別れて探索する事もできます
が﹂
﹁いえ、一緒に行動しましょう。ロント小隊もそろそろ物資不足に
陥って一か八か自力での帰還を目指し始める頃です。湿地帯では目
印も付けられませんから、俺たちの索敵が必要になります﹂
上手く湿地帯でロント小隊を見つけても、別れて行動していると
月の袖引くとの合流に手間取ってしまう。
大型の魔物が動きを阻害される森などの探索なら迷わず別行動を
選択するのだが、リットン湖攻略隊を追い払った超大型魔物がいつ
現れるかもわからない湿地帯であまり時間を取られたくはない。
林に向けて移動を開始するとすぐに中、小型の魔物との遭遇戦が
増えた。
﹁魔物の群れはボルスに向かったはずだから、ここにいるのははぐ
れだけだよね。数多すぎない?﹂
1161
ミツキが自動拳銃でブレイククレイの目玉を撃ちぬきつつ、俺に
声をかけてくる。
﹁散らばった旧大陸派の兵を追い駆けてはぐれたから、数が揃って
るんだろう。実質、群れが二分されたようなものだ﹂
言ってるそばから、また索敵魔術が反応した。すぐさま駆けつけ
て魔物の姿を見つけ、狙撃銃をディアの角に乗せて狙撃する。
ブレイククレイの体を覆う丈夫な殻ごと頭を撃ち砕いて絶命させ、
自動拳銃に持ち替えざま取り巻きのアップルシュリンプを撃ち殺す。
魔導手榴弾を温存しているミツキも自動拳銃でアップルシュリン
プを撃ち、魔物の群れの全滅を確認して月の袖引くの元に戻った。
雨が激しく視界が非常に悪いため、光や火の魔術を空に打ち上げ
て連絡を取ることもできず、いちいち報告に戻らなくてはいけない。
タリ・カラさんが心配そうに俺達を見る。
﹁雨の影響で索敵範囲が狭まってませんか?﹂
﹁いえ、索敵自体は魔術でやっているので天候の影響は受けません
よ。ただ、視界が悪すぎて狙撃精度は落ちてますけど﹂
照準誘導の魔術を起動すれば問題ないのだが、まだロント小隊と
合流できていない現状でいたずらに魔力を消費したくないため控え
ている。いざという時は月の袖引くの下に誘導して処理してもらう
事もできるからだ。
仮眠を終えた凄腕開拓者がレインコートを着込んで待機している。
動きの遅い甲殻系魔物なら、二人で中型三体まで同時に相手取れる
と言っていた。
﹁︱︱またか﹂
1162
ディアが鳴いたのに合わせて索敵魔術の設定を弄り、対象の位置
を割り出す。
その時、月の袖引くの整備車両がぬかるみにタイヤを取られた。
空回りするタイヤを助手席の窓から確認したレムン・ライさんが
荷台に声をかける。
すぐにロックウォールで生み出した板をタイヤの下敷きにしてあ
っさりと脱出した。
十数秒の間に行われた鮮やかな手際に目を見張っていると、レム
ン・ライさんが﹁どうかしましたか?﹂と聞いてくる。
﹁いや、鮮やかな手並みだなぁ、と思って﹂
レムン・ライさんは不思議そうな顔をした後、俺の視線を辿って
ぬかるみからの脱出の仕方に言及したのだと気付いたらしい。
﹁前団長の頃は開拓の最前線を転戦して活動していましたからね。
団員は全員、この手の悪路に慣れているのです﹂
だからって鮮やかすぎる気がする。
岩場で見た軍の車両群の事を考えれば、月の袖引くの悪路走破の
技術は相当高いだろう。
団長であるタリ・カラさんは湿地帯で上手く精霊人機のバランス
を取れなかったが、前団長は平気で乗り回していたらしい。
﹁誰に教わるでもなく、全員が独力で身につけたものですから、お
嬢様はまだこれから覚えていくのでしょう。そう思うと、成長が楽
しみですね﹂
レムン・ライさんはそう言って、にこやかに笑いながらタリ・カ
1163
ラさんを見た。
ミツキが俺の服の袖を引く。
﹁早く反応を確かめに行こうよ﹂
﹁そうだな﹂
行ってきますと声をかけて、ディアを加速させる。
念のために対物狙撃銃を下ろして何時でも狙撃に移れる体勢を取
りつつ、反応に近付いた。
ブレイククレイが三体、アップルシュリンプが七体の団体を見つ
けて、俺は狙撃銃の引き金を引く。
確実にブレイククレイの頭を吹き飛ばす軌道を描いたのがスコー
プを覗いている俺には感じ取れた。
結果を見届ける前に次の獲物を狙い撃とうと銃口を別に向けると
同時、金属同士がぶつかるような甲高い音が響いた。
﹁ヨウ君、銃弾が効いてない!﹂
ミツキに言われて、すぐにその場からディアを飛びのかせる。
ディアを操作して後退しながら、撃ち殺したはずのブレイククレ
イを見る。
﹁魔力袋持ちか﹂
おそらくは身体強化を施しているのだろう。ただでさえ堅い甲殻
が狙撃銃の銃弾を弾くほどに硬度を増している。
魔力袋持ちの個体とはどこかしらで遭遇するだろうとは思ってい
たが、こんなに硬くなるのか。
﹁どうする?﹂
1164
ミツキがパンサーを後退させながら、聞いてくる。
﹁魔導手榴弾で爆殺できるか試してみてくれ。今後の参考にしたい﹂
﹁だね。魔力袋持ちがこの一体だけとは思えないし﹂
ミツキがパンサーの肩の収納部から金属球を取り出し、宙に放り
上げる。
ふわりと浮かんだ金属球、魔導手榴弾は俺とミツキがじりじりと
後退するのに合わせて距離を詰めてきたブレイククレイやアップル
シュリンプの中心目がけて投げつけられた。
風切音を伴い、降りしきる雨粒を弾きながら飛んで行った魔導手
榴弾が甲殻系魔物の中心で炸裂する。
爆風でぬかるんだ地面から泥が飛び散り、アップルシュリンプを
粉みじんにした。
中型魔物であるブレイククレイも無事では済まなかったようで、
甲殻がはじけ飛び、足を失って地面に横倒しになっている。息はま
だあるらしく、威嚇するように両手の鋏を振り回していた。
だが、魔力袋持ちのブレイククレイは爆心地に近い足を一本吹き
飛ばされただけで、残りの七本の足で地面に立っていた。巻き上げ
られた泥をかぶって混乱しているようだが、戦闘に支障があるよう
には見えない。
﹁⋮⋮硬いね﹂
﹁目玉なら撃ちぬけそうだけど、この雨だと狙いが甘くなるんだよ
な﹂
距離が縮まれば狙いをつけることもできるが、魔力袋持ちに接近
するのは避けたい。
魔力袋持ちを後回しにしてまだ息のあるブレイククレイ二体を狙
1165
撃して、魔力袋持ちのブレイククレイを引きつけつつ月の袖引くに
合流するべく移動する。
魔力袋を持つブレイククレイは身体能力を強化しているようだが、
元々足が遅い甲殻系魔物だけあって余裕をもって距離を維持するこ
とができた。
ブレイククレイもこのままでは一生追い付けない事に気付いたの
だろう。両手の鋏の間に魔術で火の玉を生み出そうとした。
しかし、ブレイククレイが生み出そうとした火の玉は降り続く豪
雨の影響でなかなか形を保てずにいる。火を生み出す度に雨で消化
されているのだから当然だ。
どうやら、このブレイククレイはあまり頭の出来が良くないらし
い。
そうこうしている内に月の袖引くの整備車両が見えてきた。
ミツキを先行させて、魔力袋持ちのブレイククレイとの戦闘に備
えるよう伝えてもらう。
俺は月の袖引くが迎撃準備を整えるまでブレイククレイの相手を
すればいい。
ブレイククレイの間合いに入らないように注意しながら、接近と
離脱を繰り返して挑発する。
ブレイククレイは完全に俺に気を取られていたが、攻撃手段を持
っていないようだ。ギガンテスのように多彩な魔術を使う事は出来
ないらしく、先ほどから火の玉を生み出そうとして失敗している。
それにしても、よく魔力切れを起こさないな。
挑発がてら、甲殻の隙間を狙撃してやろうと狙撃銃を構えた時、
隣にレインコートを着込んだレムン・ライさんが立った。
﹁お疲れ様です。あとは私が処理しますので、下がっていてくださ
い﹂
﹁⋮⋮一人で相手にするつもりですか?﹂
1166
ブレイククレイは動きが鈍いとはいえ、高さ二メートル強、頭か
ら尾までの長さは四メートルを超えている中型魔物だ。硬い甲殻も
あって、本来は訓練された兵士が三、四人がかりで相手にする類の
魔物である。
レムン・ライさんはレインコートのフードを目深にかぶり直すと、
泥を蹴立てて駆け出した。
身体強化の魔術を行使しているらしく、歳を感じさせない猛烈な
加速だ。
瞬時にブレイククレイの側面に回り込んだレムン・ライさんは先
が二本に分かれたロックジャベリンを三本生み出しながら、ロック
ウォールを展開する。
生み出したばかりのロックウォールを踏切台代わりにして跳躍し、
ブレイククレイの頭上を取った瞬間、ロックジャベリンを三本とも
眼下のブレイククレイに撃ち込んだ。
対物狙撃銃を受けても平然としていたブレイククレイが、突然降
ってきた質量の大きなロックジャベリンで地面に縫い付けられる。
ロックジャベリンの二つに分かれた切っ先が地面に突き刺さり、付
け根の部分でブレイククレイを完全に抑え込んでいた。ちょうど、
刺又のような使い方だ。
甲殻を持っているために頑丈ではあるものの、柔軟性には欠けて
いるブレイククレイはロックジャベリンの刺又から逃れようとする
が、三本ともがそれなりの重量であるために払いのけることもでき
ないでいる。
身動きが取れなくなったブレイククレイは鋏を振り回して威嚇す
るも、レムン・ライさんは間合いの外に着地していた。
ブレイククレイの側面後方に回り込んだレムン・ライさんは腰の
ベルトに取り付けられた蓄魔石から魔力を引き出すと、先ほどまで
とは比較にならない太さのロックジャベリンを生み出した。
精霊人機が使用する物には劣るものの一個人が扱うには大きいロ
ックジャベリンを魔術で投擲する。
1167
ブレイククレイの後頭部を粉砕した瞬間、ロックジャベリンは消
え去った。
﹁処理まで一人でこなしたのは久しぶりですね。では、私は助手席
に戻ります﹂
レムン・ライさんはそう言って整備車両の助手席に戻って行った。
あの人、あんなに強かったのか。年功序列で副団長をやっている
んだと思ってた。
開拓の最前線ってレムン・ライさんみたいな人がごろごろしてる
んだろうか。
タリ・カラさんが必死に勉強するのも、改造シャムシールを作っ
てほしいと依頼してきたのも分かる気がする。
とにかく強くならなければ開拓の最前線で活躍などできないのだ
ろう。
⋮⋮頑張れ、ビスティ。
1168
第九話 ロント小隊発見
大型魔物との遭遇を警戒していたが、結局は一度も出会わないま
まロント小隊が逃げ込んだと思われる林に到着した。
﹁この木の密度だと、車両は通れないだろうな﹂
大型魔物の侵入を妨げてくれる代わりに、人間側も持ち物を制限
されてしまう。
降り続く雨を受けた林は葉や枝の先から滴を落としている。それ
でも、林の中の方が濡れずに済むだろう。
森の外縁にある木が食いちぎられたように半ばからなくなってい
る。人間を追っていたタラスクの仕業だろうか。
レムン・ライさんが助手席から俺たちに声をかけてくる。
﹁林の外縁を回ってみましょう。放棄された車両があれば、そこを
起点に林の中を捜索するのが得策ですので﹂
レムン・ライさんの意見に賛同して、林に沿って移動する。
精霊人機の装甲の破片や甲殻系魔物の死骸など、戦闘を行ったら
しい跡がちらほらと見つかった。
分厚い雨雲のせいで時間の感覚がくるってしまうが、そろそろ日
も落ちて暗くなるだろうという頃、車両を見つけた。
車両は三台、一台は横から何かがぶつかって来たらしく横倒しに
なり、側面が凹んでいる。他の二台は林のすぐそばに駐車されてい
た。
二台を確認すると、中身が丸々残っている。
1169
﹁なにかがあって、荷の回収もできずに林の中へ逃げ込んだようで
すね﹂
レムン・ライさんが難しい顔で言ってから、整備士たちに声をか
けて車両が故障していないか確認させる。
整備士たちが車両の点検をしている間に、俺はミツキと一緒に車
両に描かれている隊章を確認して、持ち主を特定する。
﹁ロント小隊の整備車両が見つかりました﹂
レムン・ライさんにミツキが報告する。
ロント小隊の車両の中にはやはり荷物が残されている。しかし、
詳しく調べてみると、洗浄液と潤滑油、更に応急修理のキット、人
用の救急道具などがごっそりなくなっていた。
魔物が持ち逃げするとも思えないため、ロント小隊が車両を捨て
る時に持ち出したのだろう。
荷台に入り込んで確認していた俺たちのところへ、タリ・カラさ
んがやってきた。
﹁車両が捨てられていた理由は魔力切れのようです。魔力を込め直
している余裕はなかったのでしょう﹂
状況を整理すると、ロント小隊は他の小隊と共に車両で移動中、
車両が魔力切れを起こして停止、魔物の襲撃を受けるなどの危険か
ら必要最低限の物資だけを持って林に逃げ込んだのだろう。
車両はロント小隊の物の他にあと二台、どちらも別の小隊の物だ。
﹁車両は全て整備車両ですよね?﹂
﹁そうです。運搬車両はありませんでした。途中で放棄したのでし
ょうけど⋮⋮﹂
1170
タリ・カラさんは放棄された三台の車両を見回して、眉を顰める。
﹁ここにいた部隊の人々はおそらく、満足な食料を持っていません。
リットン湖攻略隊が分散してすでに四日が過ぎていますから、動け
る状態かどうか⋮⋮﹂
魔物に怯えながらの逃避行だ。体力の消耗も激しいだろうに、食
べ物も満足に確保できていないとなると、最悪の場合は全滅してい
る。
俺は荷台から降りて、ディアに跨る。
﹁林の中を捜索してきます。タリ・カラさんたちは放棄された車両
に魔力を込めておいてください﹂
ミツキがパンサーに乗るのを心配そうな目で見たタリ・カラさん
が空を見上げる。
﹁もうすぐ日が落ちます。この天気では月明かりも期待できません。
林の中に入って大丈夫ですか?﹂
﹁索敵魔術があるので何とかなると思います﹂
索敵魔術が反応した方向を光の魔術で照らせば魔物かどうかも分
かる。魔物なら交戦せずに逃げればいい。
﹁分かりました。明日の朝までには戻ってきてください﹂
月の袖引くと別れて、俺はミツキと共に林の中へ分け入った。
木の葉を雨粒が叩く音が木霊する林の中は乱立する木の影響で視
界も悪い。
1171
しかし、索敵魔術は悪条件をものともせずに反応を感知した。
向かってみると、ザリガニ型の中型魔物ブレイククレイと、サー
ベルタイガーに似た小型魔物レイグが睨み合っている場面に出くわ
した。
雨の影響で俺たちに気付いていないのか、それとも目の前の相手
を警戒して動けないのか、ブレイククレイとレイグは互いの距離を
測りながら相手を殺す機会を窺っているようだ。
わざわざ交戦する意味もないため、俺はミツキと共にその場を後
にする。
﹁この林、レイグの生息圏なんだね﹂
ミツキが俺の隣に並び、林の奥に目を凝らす。
﹁私たちはともかく、軍人さんは大丈夫かな﹂
﹁魔力袋さえ持っていなければ大きめの小型魔物ってだけだから大
丈夫だと思う。甲殻系魔物と連携することもなさそうだしな﹂
動きの速い魔物だが、所詮は小型魔物だ。訓練した兵士なら一対
一でも倒すことができる。
今回はむしろ甲殻系の魔物を追い払ってくれる味方くらいのつも
りで見ておこう。
林の中を走り回っていると、不自然に枝が折れている場所に出く
わした。
木々の隙間の大きさや、折れた枝の高さなどから考えると、精霊
人機が通った跡らしい。
足跡などが残されていないかと周辺を調べてみる。
﹁ヨウ君、あの枝に引っかかってるのって包帯じゃない?﹂
1172
ミツキが指差す枝には包帯が縛り付けられていた。
﹁目印だろうな。ロント小隊がこの辺りを通ったか﹂
索敵魔術の効果範囲を最大にしてみると、いくつかの反応が見つ
かった。うちの二つは距離や方角から見て、先ほどのブレイククレ
イとレイグだろう。
索敵魔術の設定を元に戻して、捜索を再開する。
ほどなくして、また新しい包帯を見つけた。
今度は幹に刃物でつけたらしい矢印がある。
矢印の方向を索敵魔術で調べてみると反応があった。
﹁反応が小さいな。精霊人機を動かしていないのか、それともただ
の小型魔物か﹂
﹁日も落ちて真っ暗だし、慎重に進もう﹂
魔物と勘違いされて攻撃されたら嫌だし、とミツキが光の魔術で
矢印の方角を照らし出す。
まだ距離があるため、照らし出された空間には誰もいない。
﹁ロント小隊の精霊人機操縦士って魔導拳銃を持ってるんだよな﹂
﹁撃たれたくないね。自分で開発した銃に撃たれるってコントじゃ
ないんだから﹂
苦笑しつつ、精霊獣機を進める。
湿った落ち葉はディアの足に踏み潰されても音を立てず、林に木
霊するのは木の葉に当たる雨粒の音ばかり。
体感で一時間ほど進んだ時、索敵魔術が反応した。
まだ互いに視認できない距離だ。
1173
﹁ミツキはディアの後ろに回ってくれ。攻撃されてもディアの角で
しのげる﹂
﹁分かった。無茶しちゃだめだよ。昨日の飢えた小隊みたいになっ
てるかもしれないからね﹂
ミツキに注意されつつ、反応へ慎重に近付く。
振り返ってみると、ミツキは凍結型の魔導手榴弾を浮かべていた。
危険と判断したらすぐに投げてくれるだろう。
進んでいくと、ボロボロの精霊人機三機に囲まれた兵の姿が見え
てきた。
兵の一人が抜身の長剣を構えかけ、俺たちを見て膝から崩れ落ち
た。
﹁た、助かった⋮⋮﹂
濡れた地面に膝をついた兵士は上半身裸で、なおかつずぶ濡れと
いう状態だった。
視線を転じれば、木々の枝に服を引っ掻けて、雨をしのいでいる
区画があった。負傷兵らしき者達が並べられている。
俺は兵士に声をかける。
﹁ロント小隊の救援に来ました。林の外に物資を積んだ開拓団も待
っています。ひとまず、ロント小隊長に会いたいんですが、案内し
てくれませんか?﹂
﹁あぁ、あの下だ﹂
兵士が指差したのは負傷兵が寝かされている区画の真向かいだっ
た。
精霊人機の遊離装甲を木に立てかけて雨をしのいでいるその場所
には洗浄液などの物資が置かれている。
1174
俺たちに気付いたのか、遊離装甲の裏からロント小隊長が姿を現
した。
﹁鉄の獣、遅かったな﹂
濡れた髪を掻き上げてオールバックにしたロント小隊長は俺たち
の後ろに誰もいない事を確認する。
﹁月の袖引くは別行動か?﹂
﹁林の外で待機してもらっています。放棄されていた車両に魔力を
充填しているはずですよ﹂
﹁そうか。助かる﹂
ロント小隊長は見張りの兵士に出発の準備をするよう指示を出し、
精霊人機を振り返った。
﹁見ての通り、手酷くやられた。ここにいるのも元は四つの部隊だ
ったが、ほとんどが逃げ遅れて食われた﹂
﹁生き残りの数は?﹂
﹁百人だ。もとは二百五十人だったのだが、魔物の群れとの交戦で
大部分の歩兵が命を落とした。逃走中に運搬車両がぬかるみに嵌ま
り、魔物の群れに飲み込まれ、この森に逃げ込んだところで先に逃
げていた随伴歩兵の部隊を吸収した﹂
﹁随伴歩兵の部隊?﹂
随伴歩兵は精霊人機の側で戦う職種のはずだ。ここにある精霊人
機は三機、いずれもロント小隊の物である。
森に逃げ込んだという随伴歩兵部隊と一緒に戦っていた精霊人機
は別のどこかで壊されたのだろうか。
首を傾げていると、ミツキが服の袖を引っ張ってきた。
1175
目を細めたミツキの視線の先に、肩身を狭そうにしている一人の
青年の姿がある。
マッカシー山砦の随伴歩兵、リンデだ。
ロント小隊長がリンデを見る。
﹁随伴歩兵はあいつらだ。マッカシー山砦所属だが、開拓学校卒業
生という事で前線に配置されていたらしい﹂
﹁⋮⋮そうですか﹂
まぁ、ここまで来て見捨てはしないけど。
﹁リンデの悪運も相当な物だね﹂
ミツキが日本語で呟くのに頷いて、俺はロント小隊長にボルスを
出発してからの事を細かく説明する。
ホッグスを追った魔物の群れがボルスを襲撃している可能性が高
いと説明すると、ロント小隊長は苦い顔をした。
しかし、俺たちが岩場でワステード元司令官たちを発見したと聞
くと、安堵の息を吐き出す。
﹁雷槍隊が全機無事とは、朗報だ﹂
専用機である雷槍隊が全機残っていれば、ただの大型魔物には負
けるはずがない。
だが、安心するのはまだ早いだろう。
﹁ここの人たち、栄養状態がかなり悪そうに見えますね﹂
﹁二日前の昼を最後に何も食べていない。栄養失調で動けない者も
出ている。新兵も多いからな﹂
1176
今回のリットン湖攻略隊には開拓学校を卒業したばかりの新兵も
多く含まれている。食べ盛りの彼らにはつらい状況だろう。
﹁百人分となると、月の袖引くが持ってきた物資じゃ足りないかな﹂
ミツキが首を傾げる。
ロント小隊は元々五十人、多少は余分に持ってきているとしても、
食べ盛りの彼らを満足させるには程遠いだろう。
ロント小隊長も分かっているのか、深刻な顔で頷いた。
﹁負傷兵を諦めることも考えている﹂
ここで冷徹に判断を下せるあたり、ロント小隊長らしいとは思う
けど。
俺は肩を回してウォーミングアップをした後、ロント小隊長に声
をかける。
﹁ブレイククレイとレイグって食べられますかね?﹂
訊ねると、ロント小隊長は怪訝な顔をした。
﹁アップルシュリンプと違って毒はないはずだ。どちらも食べられ
ない事はないが、中型魔物並みの力を持っている。いくらお前たち
でも、この森の中で狩れるのか?﹂
﹁必要とあらば、狩ってきますよ﹂
魔力袋持ちが相手だと少し時間がかかってしまうが、どうせ食べ
る分だけを狩ればいいのなら魔力袋を持たない個体を選んで狩れば
いい。
俺たちの索敵能力や機動力を知っているロント小隊長は負傷兵を
1177
寝かせている一画にちらりと視線を向けた後、頷いた。
﹁我々は先に月の袖引くと合流する。鉄の獣は獲物を狩ってきてく
れ﹂
﹁了解。調理の準備だけはしておいてくださいよ。ミツキ、出発だ﹂
﹁猟師の肩書まで身につけることになるなんて思ってなかったよ﹂
ミツキは苦笑しながらも、手はパンサーの索敵魔術を弄っていた。
﹁ロント小隊の露払いも兼ねて、月の袖引くとの直線上にいる魔物
を片っ端から林の外へ連れ出そうか﹂
負傷兵を連れているロント小隊が安全に林を抜けて月の袖引くと
合流ができるよう、ミツキが提案する。
﹁そうだな。林の中だと射線も通りにくいし、一度林から外に釣っ
た方が仕留めやすい﹂
ミツキの提案に乗りつつ、俺はディアに跨る。
ロント小隊長がディアを見て若干呆れたような声を出した。
﹁林の中で中型魔物を引きつける作戦か。普通は追い付かれて魔物
の腹に収まるものだが⋮⋮。つくづく、常識外れだな﹂
﹁おほめに与り光栄です、ロント小隊長﹂
軽口を叩いて、俺たちは食料調達のために駆け出した。
1178
第十話 不審な死体
ブレイククレイを二体、レイグを一体狩って、月の袖引くと合流
する。
すでに到着していたロント小隊たちは負傷者の救護の他、ボロボ
ロになった精霊人機の補修を行っていた。
月の袖引くの団員がすでに炊き出しの準備を始めており、俺たち
が精霊獣機で引きずってきた獲物からすぐにロープを外して調理に
移った。
食料が安定して届かない開拓の最前線で活躍していた過去を持つ
だけあって、月の袖引くの団員は魔物料理にも造詣が深いようだ。
つくづく実戦向きな開拓団だと思う。
俺たちが手伝おうとしても邪魔になるだけだろうからと、遠巻き
に調理の様子を眺める。
﹁この短時間で中型魔物を二体、小型魔物を一体難なく狩ってくる
とは、やはり素晴らしい索敵能力ですね﹂
現場指揮を一通り終えたレムン・ライさんが声をかけてくる。
レムン・ライさんの側に団長であるタリ・カラさんの姿がない事
に気付いたミツキが首を傾げる。
﹁タリ・カラさんは今どこに?﹂
﹁お嬢様は魔物の襲撃に備えています。料理の匂いに惹かれて魔物
がやって来ないとも限りませんから﹂
そう言って、レムン・ライさんは月の袖引くの精霊人機を見上げ
る。
1179
改造の音頭を取った俺とミツキが命名した月の袖引くの精霊人機、
スイリュウは一見ただのラウルドⅢ型だ。
あまり力のある機体ではない上に武器も甲殻系魔物と相性が悪い
シャムシールという事もあって、生き残りの兵士たちは不安そうな
顔をしていた。
兵士にどう思われようと、構わない。むしろ侮ってくれた方が、
新型機扱いされずに済む。
レムン・ライさんが俺たちに向き直る。
﹁明朝に出発します。明後日の朝までに河の近くの崖でワステード
副司令官と合流しましょう﹂
猶予は一日、こちらには負傷兵も多数いるが車両に乗せてしまえ
ば速度は維持できる。
﹁何とか間に合うとは思いますけど、慌ただしいですね﹂
﹁少々、嫌な予感がしますので﹂
何そのフラグ、とミツキが小声で突っ込みを入れる。
しかし、いやな予感を感じていたのはレムン・ライさんだけでは
なかったらしい。
﹁︱︱副団長も感じておりましたか﹂
声をかけてきたのは凄腕開拓者の二人だった。
油断なく湿地帯を睨みながら歩いてくる。
﹁どうにも嫌な予感がすると昼から話し合っておりましてね。鉄の
獣に聞きたいんですが、ボルスを出てからタラスクを見ましたか?﹂
﹁そう言えば、見てないですね。ボルスに向かった群れに紛れ込ん
1180
でいたんじゃないですか?﹂
﹁︱︱いや、この辺りにもいるはずだ﹂
会話に入ってきたのはロント小隊長だった。
ロント小隊長は俺たちのそばまでやって来ると、林を指差した。
﹁我々が林に逃げ込んだ理由はタラスクに追われていたからだ。逃
げ込んだのは二日前、タラスクはリットン湖周辺に戻っていてもい
い頃だが、取り巻きらしい甲殻系の中、小型魔物がこの辺りに多数
残っている。鉄の獣が仕留めてきたブレイククレイもおそらくは取
り巻きだ﹂
ロント小隊長の言葉に、凄腕開拓者がやはり、と頷く。
﹁魔物の密度がいきなり高くなったと感じていましたが、あれらは
やはりタラスクの取り巻きですな。このあたりにタラスクがいる可
能性が高い﹂
タラスクが出てくると精霊人機での戦闘を余儀なくされる。
いま稼働できる精霊人機は月の袖引くのスイリュウとロント小隊
の三機のみ。ロント小隊の三機はボロボロで、遊離装甲でさえどこ
かに吹き飛んでいる状態だ。まともに戦おうとすると操縦士が危険
である。
実質的に、タリ・カラさん操るスイリュウだけが戦力という事に
なる。
俺もカノン・ディアを撃てるように魔力を込め直しておいた方が
よさそうだ。
タラスクに効果があるかは分からない。甲羅に当てても十中八九、
弾かれてしまうだろう。だが、頭や足になら効果があるかもしれな
い。
1181
﹁明朝までに魔力を込めておきます。何かあったら知らせてくださ
い﹂
俺がディアの頭に手を乗せながら言うと、ロント小隊長が目を光
らせた。
﹁新聞に書いてあったギガンテスを殺した一撃を放つ準備か?﹂
﹁そうですよ。眉唾だと思ってますか?﹂
﹁鉄の獣の常識外れぶりは身に染みている。お前たちが事実だとい
うなら事実なんだろう。だが、超大型が現れた時には手を出すな。
月の袖引くもだ。団長に伝えておけ﹂
真剣な顔で忠告したロント小隊長は、当時を振り返るように続け
る。
﹁あれは正攻法で勝てる相手ではない。綿密な計画の下、陰湿に追
い詰め、弱らせてから叩くべき相手だ。いまの戦力では絶対に勝て
ない。出くわしたら逃げ切る事だけを考えろ﹂
ロント小隊長にここまで言わせるのか。
だが、戦力に不安が残るのも事実だ。タラスク一体にさえ手こず
る可能性がある現状、そのタラスクに傷を負わせた可能性がある超
大型魔物を相手取るのは危険だ。
それに、俺たちの仕事はロント小隊とワステード元司令官たちと
の合流、その後のボルス帰還だから、戦闘をする意味はあまりない。
ロント小隊長が続ける。
﹁幸い、奴は動く者であれば同じ甲殻系の魔物さえ捕食する獰猛さ
を持っている。鉄の獣が近くの甲殻系魔物を奴の前に生贄として釣
1182
り出せば時間は稼げるだろう﹂
﹁じゃあ、出くわしたらその手順で行きましょう﹂
出くわさないに越したことはないけれど。
ミツキと一緒に森の中へ入り、枝葉で雨をしのぎながらディアと
パンサーに魔力を込める。
﹁あの人たちくらいに強くても嫌な予感なんて曖昧な物に動かされ
るんだね﹂
﹁強いからこそ、直感を大事にしてるのかもしれないけどな﹂
培った経験から言語化できない違和感とかを感じ取っているのか
もしれない。
実際、タラスクが近くに潜んでいる可能性について探り当てたわ
けだし、バカには出来ない。
﹁私にも嫌な予感が働くのかな。ヨウ君が浮気した時とか﹂
﹁確かめようがないだろ。浮気しないんだから﹂
﹁よろしい﹂
なにがだ。
魔力を込めていると、足音が近付いてきた。
自動拳銃を抜いて雨雲に覆われた夜空に銃口を向けつつ、目を向
ける。
﹁︱︱リンデ、何の用だ﹂
青年随伴歩兵、リンデの姿を目に留めて睨みつつ訊ねる。
リンデは攻撃する意思はないと示すように両手を頭の高さに挙げ
た。
1183
﹁お礼を言いに来ました﹂
﹁必要ない。リンデたちを助けに来たわけじゃないからな。ロント
小隊と一緒に居なかったら捜索する事もなく撤収してた﹂
本音で切り返すと、リンデは言葉に詰まったようだ。
ミツキがリンデを横目でにらむ。
﹁大人しくしてなよ。口を閉じて、ロント小隊長の命令に従ってい
れば、私たちは何も言わないし何もしない。でも、足を引っ張るな
らおいて行くからね﹂
﹁正直さ、リンデたちが下手に動くと裏切りを警戒せざるを得ない
んだ。例えば、ロント小隊にこき使われてました、みたいな証言す
るつもりじゃないだろうな?﹂
ミツキに続いて牽制すると、リンデは首を横に振った。
だが、ここで否定したところで何の意味もない事はリンデも重々
承知の上だろう。一度裏切ったから二度目があるのではないか、そ
う警戒することに理屈なんてありはしないのだから。
リンデが何かを言う前に、俺は続ける。
﹁以前にも言った通り、俺たちはリンデたちの邪魔はしないが助け
もしない。関わり合いになりたくないのが本音だ。だから、近付く
な﹂
手振りで追い払うと、リンデは顔を俯けて去って行った。
新大陸派のスパイをしているようには見えないが、まだ警戒を解
かない方が良いだろう。
﹁考えられる可能性としては︱︱﹂
1184
ミツキがリンデを見送った後に口を開く。
﹁ロント小隊長が事前に救助の依頼を私たちに出していた事をリン
デがホッグスに密告して、リットン湖攻略中に何かが起こると予期
していた者が旧大陸派閥の人間にいた、という証拠にしつつ、今回
のリットン湖攻略失敗が仕組まれたものである可能性の根拠にする。
なんて筋書きはどうかな?﹂
﹁魔物の襲撃は予想できなかった物じゃなくて、仕組まれていた事
にするのか。例えば、俺たちみたいな高機動力の部隊が魔物を寄せ
集めてMPKよろしく攻略隊にぶつけた、とか﹂
﹁リンデが新大陸派閥の中で生き残る筋書きとしては、ありだと思
うの﹂
考えられない筋書きではない。
ただ、リットン湖攻略失敗の責任を逃れたいとホッグスが考えた
としても旧大陸派の陰謀だなどと唱えるだろうか。確実に調査が入
るし、調査が入れば陰謀の証明もできずにホッグスの自爆になりか
ねない。
﹁俺たちにアリバイが無ければその筋書きも成立した可能性はある
けど、リットン湖攻略隊が魔物の群れによる襲撃を受けた当時、俺
たちはボルスにいたからな。精霊獣機は良くも悪くも目立つし、濡
れ衣を着せるのは難しいだろう﹂
﹁私たちの身は安全って事だね﹂
﹁少なくとも、リットン湖攻略の失敗の責任とか派閥間の対立でス
ケープゴートに仕立て上げられるとかはないと思っていいと思うな﹂
それ以外ではどうなるか分からないけど。
1185
﹁すべてはボルスに無事帰還できてからだ﹂
﹁そうだね。でもさ、もう一つ忘れてない?﹂
﹁スケルトンの事か?﹂
﹁そう、それ﹂
テイザ山脈の調査の際、リットン湖方面に大型魔物が向かった跡
があった。
しかし、ここまでの道中でスケルトン種の姿は見なかったし、孤
立していた各部隊もスケルトン種を見た様子がなかった。
ミツキがパンサーに魔力を込め終えて、立ち上がる。
﹁名は体を表すって言うよね。交通訴訟賞って名付けたの、失敗だ
ったかも﹂
﹁怖いこと言うなよ。そんなところでフラグが立っていたなんて考
えたくないぞ﹂
いや、ほんと、大丈夫だといいんだけど。
何か不安になって来た。
翌朝、軽食で腹を満たした俺たちは月の袖引くとロント小隊に先
行し、リットン湖から距離を置きつつワステード元司令官との合流
場所へ急いだ。
超大型魔物の棲家でもあるリットン湖から距離を取れば遭遇の可
能性を減らすことができるという考えで選んだルートだったが、そ
の分遠回りにもなっている。
﹁ヨウ君、左側に反応あり。スコープで覗いて見て﹂
ミツキに言われて対物狙撃銃のスコープを覗きこむ。
1186
魔物であれば即座に発砲しているところだが、スコープで覗き込
んだ先には人影があった。
リットン湖攻略隊のはぐれ部隊である。
リットン湖から距離を置けば超大型と遭遇しないで済むという考
えはロント小隊長でなくとも考えつくらしく、索敵魔術に時折はぐ
れた部隊が引っかかった。
俺はだいぶ勢力の弱まった雨空に向かって光の魔術を撃ちだす。
小雨の今は、ある程度の距離から光魔術ライトボールを視認でき
る。
俺が使ったライトボールの威力でははぐれ部隊に気付かれるかど
うか怪しい所だが、俺たちの位置を正確に知っている月の袖引くや
ロント小隊であれば見逃すことはない。
俺はスコープ越しにはぐれ部隊の動きを観察しつつ、月の袖引く
とロント小隊を待つ。
やってきたロント小隊長にはぐれ部隊の事を説明し、救助の上で
指揮下に組み込んでもらう。
十三歳ほどの俺とミツキが二人で救助に向かってもいつかのよう
に襲われかねないため、はぐれ部隊を見つけた時はロント小隊に出
張ってもらう手はずになっていた。
はぐれ部隊を吸収すること四回、アップルシュリンプやブレイク
クレイ、タニシ型の中型魔物ルェシなどを始末しながら進むが、タ
ラスクはいつまで経っても姿を現さなかった。
もうタラスクの姿を見ることなく無事にワステード元司令官と合
流できるのではないか、そう考えていた時、前方にタラスクと思わ
れる甲羅が見えてきた。
索敵魔術には反応がない。つまり、俺たちが視認できる距離まで
あのタラスクは動いていなかったことになる。
﹁ヨウ君、魔術で連絡は取らない方が良いよ。一度戻ってみんなと
合流しよう﹂
1187
﹁賛成。索敵魔術に反応がなかったって事は寝てるんだろうし、魔
術で起こしたくないからな﹂
だが、本当に寝ているのかどうかは確かめておいた方が良い。
俺は対物狙撃銃を肩からおろしてスコープを覗きこむ。
小雨にけぶる視界の先、タラスクの頭の辺りを見て、俺は思わず
目を見張った。
﹁ヨウ君、早く戻って知らせないと﹂
﹁待て、ミツキ。アレは寝てるんじゃない。双眼鏡で見てみろ﹂
ミツキは俺の勧めに首を傾げつつ、腰のポーチから双眼鏡を取り
出してタラスクを見て、息をのんだ。
﹁⋮⋮頭がない﹂
﹁食われたみたいだな。頭から丸かじりだ﹂
大型魔物のタラスクの頭を丸々かじり取る巨大なあごの持ち主が
この辺りに潜んでいる事になる。
すぐに月の袖引くやロント小隊の下に取って返した。
あまり離れずに行動していたため、合流はすぐにできる。
俺たちが全速力で戻って来た事で何かがあったと察したのだろう、
タリ・カラさんが乗るスイリュウが迎撃態勢を取った。
俺はまず、全体に停止するように告げてから先頭を進んでいる月
の袖引くの整備車両に声をかける。
﹁前方にタラスクの死骸が見えました。頭をかじり取られて絶命し
ています﹂
﹁タラスクの頭を?﹂
1188
怪訝な顔をしてレムン・ライさんの後ろ、荷台と繋がる扉から凄
腕開拓者が口を挟む。
﹁超大型って奴にやられましたかな?﹂
﹁確証はありませんが、注意した方が良いと思います。傷口からは
まだ血が流れ出ていました﹂
つまり、殺されてから血が凝固するまでに俺たちがここに到着し
てしまったという事になる。
あのタラスクを仕留めた何かが近くにいる可能性が高い。
タラスクが頭を引っ込めるより先に食い殺すくらいには素早い相
手だと見た方が良い。
相手はまぎれもなく、リットン湖周辺における最上位の捕食者だ。
﹁俺たちは索敵に戻りますが、そちらも十分に注意して、なおかつ
備えてください﹂
1189
第十一話 超大型魔物
小雨の中をディアで駆けまわる。
甲殻系魔物をまとめていたタラスクが死んだことで、取り巻きの
甲殻系魔物が分散してしまったらしく、索敵魔術がひっきりなしに
反応していた。
タラスクを食い殺した何者かは分散した甲殻系魔物を追ってどこ
に行ったのかもしれない。
小雨は降り続いているが、勢いは収まりつつあり、視界が広がる
のも時間の問題だろう。
ディアを走らせたまま、俺は対物狙撃銃を角に乗せる。
正面方向で無防備に側面を晒しているブレイククレイの頭を、走
り続けるディアに乗ったまま正確に撃ちぬいてから、方向を転換す
る。
﹁このまままっすぐ、おおよそ四百メートル先に小型魔物!﹂
先に索敵魔術で位置や大きさを確認していたミツキから指示が飛
んでくる。
俺はすぐにスコープを覗きこみつつ、片手で照準誘導の魔術を発
動するようディアを操作する。
獲物を発見し、ディアの首が僅かに銃口を修正する。柔軟性のあ
る首はディアのわずかな揺れを完全に吸収して銃口を微動だにさせ
なかった。
風や雨の影響を勘案しつつ、俺は引き金を引く。
三百メートル強はある距離を飛び越えて、銃弾がアップルシュリ
ンプの体を粉砕した。
1190
﹁次は左に三十度、距離は五百弱、中型魔物と小型魔物が一体ずつ
!﹂
﹁数多すぎんだろ!﹂
文句を言っても仕方がないが、タラスクの死骸を迂回してから、
魔物の数が爆発的に増えていた。
あまり派手な戦闘音を立てると囲まれかねないため、俺とミツキ
で魔物の下に急行して月の袖引くやロント小隊から離れたところで
始末する。
離れすぎて索敵をおろそかにするわけにもいかないため、ずっと
高速で駆けまわっていた。
左に三十度進路をずらすためにディアが四肢を突っ張り、泥を撥
ね飛ばしながら短くドリフトする。
泥の中へ四肢がうずまるより早く、ディアが前足に力を込めて前
進し、右、左と足を泥から脱出させるや否や加速。ドリフトで落ち
た速度を一瞬にして取り戻す。
五百メートル先にいるという中型魔物はタニシ型の魔物ルェシだ
った。
まだ俺たちの接近に気付かずのほほんと殻から出している頭に致
命の銃弾を一撃浴びせ、隣にいたアップルシュリンプは腰から引き
抜いた護身用の自動拳銃で数発の銃弾を浴びせた後、ディアの角で
力任せに跳ね飛ばした。
空中に浮かび、慌てた様子でじたばたと動かしている足の付け根、
腹部へさらに自動拳銃の弾を浴びせて弱らせ、地面に落ちたところ
を重量軽減の魔術を切ったディアの前足で踏み殺す。
﹁やっぱり魔力袋持ちか﹂
ディアが足をどけた部分に見える胃の近くにある器官を横目に、
その場を走り抜ける。もったいないが、回収している暇もない。
1191
﹁ヨウ君、いったん戻ろう。ついでに五体始末して﹂
﹁オッケー、方向の指示頼む﹂
対物狙撃銃の弾倉を入れ替え、進路を百五十度ほど変更して月の
袖引くやロント小隊と合流すべく走る。
ミツキが索敵魔術をフル稼働して獲物を早期に発見しつつ撃破す
る順番を組み立ててくれるため、俺は狙撃に専念できる。
速度を出しているために雨粒が斜めを通り越してほぼ地面と水平
に後方へ流れていく。
スコープについた雨粒をふき取って、覗き込む。瞬時に狙いをつ
けて四百メートル先のブレイククレイを撃ちぬいて方向転換、続け
ざまに二発、アップルシュリンプ二体を始末する。
月の袖引くの整備車両を目視すると同時に、ブレイククレイが二
体、猛スピードで整備車両へ走って行くのが見えた。どう考えても
魔力袋持ちだ。
﹁ミツキ、凍結型を﹂
﹁投げるよ!﹂
俺が声をかける前から準備していたらしい凍結型の魔導手榴弾を
ミツキが投げつける。
照準誘導の魔術式が作動してブレイククレイ二体の中央へ正確に
落とされた凍結型魔導手榴弾が炸裂し、ブレイククレイの足を地面
ごと凍りつかせる。
混乱しているブレイククレイをスコープ越しに捉えながら、俺は
ディアの速度を維持する。
身体強化を施したブレイククレイを狙撃しても、甲殻に弾かれて
しまう。それを知りながら、俺は引き金に指を掛けた。
急速に縮まる距離をスコープ越しに感じ取りながら、集中する。
1192
凍らされ、地面に固定された足を自由にしようともがくブレイク
クレイを見据えて全神経を傾ける。
ディアの揺れに合わせて、引き金を引いた。
銃弾は小雨を切り裂き、ブレイククレイの鋏の関節を撃ちぬく。
連続で四射、ブレイククレイ二体の鋏が全部で四つ、関節を破壊
されて泥の上に落ちた。
鋏が無ければ必死の威嚇も降参の意思表示にしか見えない。無論、
それで許してやる道理もない。
﹁後は任せました!﹂
月の袖引くの整備車両から飛び出した凄腕開拓者二人に、自慢の
鋏を失ったばかりか地面に固定されているブレイククレイのとどめ
を任せ、再出発する。
すかさず、ミツキから新しい指示が飛んできた。
﹁七百メートル先に中型魔物が一体、弾倉交換も考えて﹂
﹁分かった﹂
弾倉内の弾は残り一発。俺は次の弾倉を用意しつつ、六百メート
ルの距離まで近付いていた獲物に向かって発砲する。
外すとは欠片も思わなかった。
獲物はブレイククレイ。俺が放った銃弾に顔を吹き飛ばされて絶
命する。
即座に弾倉を交換し、次のミツキの指示を聞いて進路を変更、速
度を上げる。
神経が研ぎ澄まされていく感覚がする。開拓者として生活してい
る間、高速で走るディアの上でスコープを覗き続け、鍛えられた動
体視力は湿地帯で出せる限界の速度に達したディアの上からでも周
囲の小石ひとつ見逃さない。
1193
雨が止んだ。
同時に、八百メートル先にブレイククレイの姿が見える。
この距離ではさすがに狙撃は成功しないが、スコープ越しに見え
るブレイククレイは魔力袋持ちに見えた。鋏の高さが急なダッシュ
をしても沼に引っかからないような高さに構えられている。
七百メートルまで距離を縮めて、俺は引き金を引いた。
身体強化を施していれば効果がなかっただろう狙撃も、俺たちに
気付いていない無防備なブレイククレイには致命的だった。
頭を吹き飛ばされたブレイククレイを無視して、次の獲物に移る。
﹁ミツキ、次は?﹂
﹁絶好調のところ悪いけど、次で最後だよ。右二十度、六百メート
ル先、中型一、小型三﹂
﹁弾倉がちょうどよく空になるな﹂
全部外さなければ、だけど。
右二十度に進路を変更、見えてきたルェシの頭を撃ちぬいてアッ
プルシュリンプに照準を変更、立て続けに致命傷を与えてその場を
離脱する。
月の袖引くとロント小隊はフルスロットルで湿地帯を進んでいた
らしく、俺たちは予定よりすこし河に近いところで合流した。
﹁お前たちが盗賊に身を落とさなくてよかったと心底思う﹂
ロント小隊長が呆れの混じったため息を吐いた。
ロント小隊の整備車両に併走していた月の袖引くの整備車両から
も、声を掛けられる。
﹁強いとは思っていましたが、中、小型魔物が相手なら敵なしです
ね。あの速度で正確にブレイククレイの鋏の関節を撃ちぬくとは思
1194
いませんでしたよ﹂
レムン・ライさんが感心したような声を出す。
俺は二人に対して首を振った。
﹁周辺の魔物はある程度倒しましたけど、超大型がどこから現れる
か分かりません。まだ気を抜かないでください﹂
超大型魔物が出てくれば、とにかく逃げの一手しかなくなる。
しかも、超大型魔物は目撃談から想像するに魔力袋持ちだ。遠距
離攻撃手段を持っていることになる。
﹁雨もやんで視界が確保されている今なら、超大型の遠距離攻撃も
命中率が上がります。重々気を付けてください﹂
むしろここからが正念場だと気合を入れ直して、俺とミツキは予
備弾倉の補充などを行うためにロント小隊長たちから離れる。
ディアを停めて、腹部の収納部から予備弾倉を取りだし、腰のベ
ルトに挟む。
﹁ディアの速度をそろそろ上げたいな﹂
﹁質の良い魔導鋼線がないとダメなんだよね。カノン・ディアの件
で有耶無耶になっちゃったけど﹂
﹁いや、まぁ、帰りに思い付いちゃったら試したくなるだろ?﹂
自然と視線が泳いだが、ミツキは苦笑して頷いた。
﹁いいんだけどね。おかげで大型魔物に対抗できる手段も手に入れ
たんだから。でも、速度を上げるとすると、各部の反応速度を上げ
たりとか、魔力の伝達速度の問題とかもあるよ。設計変更で速度を
1195
上げられないかな?﹂
﹁開発した時に比べると俺たちの技量も上がってるしな。一度、大
幅に改良してしまうのもありか﹂
﹁後は近いうちに大工場地帯ライグバレドに行かないといけないね。
バランド・ラート博士が滞在していた記録もある事だし﹂
一石二鳥か。
弾倉の補充を終えて、俺はディアに跨る。
同じくパンサーにまたがったミツキと共に、月の袖引くたちと合
流する。
スコープ越しに進行方向を見れば、ワステード元司令官との合流
場所である崖が確認できた。
もう一息、そう思った瞬間に遠方で水音がした。
水中から勢いよく巨大な何かが浮上したような、大きな水音だっ
た。
反射的にリットン湖へ目を向ける。
黒い山がリットン湖から陸へ上がってくるのが見えた。
﹁︱︱奴だ!﹂
ロント小隊長が声を上げた直後、黒い山の下から頭が飛び出し、
残忍に並ぶ歯で目の前の何かを噛み砕いた。
バリバリと咀嚼音を響かせる黒い山の頭はブレイククレイの物と
思われる足を周囲に零しながら、のそのそと動き出す。
見ているだけで遠近感が狂うほどの巨体。
目撃談によれば、タラスクの倍の体躯だったはずだ。
﹁⋮⋮冗談だろ。倍どころじゃない﹂
全長三十メートルはあるだろうか。リットン湖の広さならばひそ
1196
んでいてもおかしくない大きさではあるが、あの巨体を支える食べ
物があるとは思えなかった。
姿を現した超大型はスナック菓子でもつまむように進路上の魔物
を喰い散らかしながら、林の方向へ歩いて行く。
俺たちには気付いていないようだ。
必死に息を殺してやり過ごす。
巨体に遠近感を狂わされ、間合いが全くつかめない。あの大きさ
で魔力袋を持ち水を使った遠距離攻撃まで可能という化け物じみた
能力。
﹁手を出したらいけない奴だろ、あれ﹂
﹁同感だよ。あんなのが出てきたら軍人さんが混乱するのも分かる
ね﹂
気配を殺し背景に徹する俺たちに気付くことなく、超大型は林へ
遠ざかって行った。
スコープ越しでも黒い点にしか見えなくなるほど距離が開いたの
を確認して、ロント小隊長が声を上げる。
﹁全速離脱する。奴が戻って来る前にワステード副指令と合流する
ぞ﹂
﹁賢明ですね。あんなものを相手にしたくはない﹂
レムン・ライさんが応じて、出発を命じる。
整備車両に併走しながら、ミツキが声をかけてきた。
﹁完全に索敵魔術の範囲外だったよ。あの距離から魔術で攻撃され
たら、私たちでも対処できなかった﹂
﹁あの大きさは想定外だったからな。どんな魔物でも十五メートル
は超えないと思ってた﹂
1197
索敵魔術の有効範囲についても改良が必要か。
﹁あんな化け物とはもう遭遇したくないし、索敵魔術の有効範囲を
広げて確実に逃げ切れるようにしないとな﹂
﹁精霊獣機の速度を上げるなら、どの道広げないといけなかったけ
ど、緊急性が増したね﹂
ミツキの言葉に頷く。
頭の片隅で改良案を考えつつ、崖を目指した。
夜までには着けるだろう。
1198
第十二話 撤退作戦会議
空が暗くなり始めた頃、俺たちは川の近くにある崖の側に駐留す
るワステード元司令官の部隊に合流した。
﹁よく帰って来てくれた﹂
ワステード元司令官が俺たちを労って、ロント小隊長に向き直る。
﹁天幕で被害状況を聞きたい。再編成も考慮しなければな﹂
ワステード元司令官が設営済みのテントを指差すと、ロント小隊
長が一礼してテントへ歩き出す。
俺たちはどうしたものかと思っていたが、ワステード元司令官は
ロント小隊長の後には続かず、視線を向けてきた。
﹁そちらの開拓者はロント小隊長が個人的に雇った開拓団かな?﹂
﹁開拓団、月の袖引くの団長、タリ・カラです。こっちが副団長の
レムン・ライです﹂
タリ・カラさんが自己紹介すると、ワステード元司令官はそうか、
と言って頷いた。
﹁君たちの働きには感謝している。後程、ボルスまでの撤退戦につ
いて会議をする。君たちにも出席してもらいたい﹂
﹁⋮⋮軍の会議に、ですか?﹂
タリ・カラさんが怪訝な顔でワステード元司令官を見つめる。
1199
ただの開拓団を撤退戦の方針や作戦を決める会議に出席させる意
図がつかめないのだ。
ワステード元司令官は頷き一つで肯定を示す。
﹁我が軍は大きな損害を被っている。無事な部隊は一つもない有様
だ。再編成を行うとしても、連携は望むべくもない。君たちのよう
にまとまった戦力を有する者達は現状では貴重な戦力だ。会議に出
席してもらいたい﹂
貴重な戦力だからこそ、会議に出席させてできる事や出来ない事
を積極的に意思表示してもらいたいのだろう。撤退戦を行う以上、
一つの失敗が全体の計画を遅らせることになり、その分生存率が下
がってしまう。
月の袖引くの力を借りなければならない今、意見をすり合わせる
のは必須事項だ。
﹁ロント小隊の損害状況や再編成の計画で少々時間が必要になる。
君たちには今のうちに英気を養ってもらいたい。会議を始める前に
は声をかける﹂
﹁了解しました﹂
タリ・カラさんはワステード元司令官に頭を下げて、レムン・ラ
イさんを連れて月の袖引くの整備車両へ戻って行く。
軍が駐留している場所からやや河寄りに陣取って、野営の準備を
始めた。
空を見上げれば、星が瞬いている。散々雨を振らせていた雲もど
こかへ流されたようだ。
ワステード元司令官が俺たちを見る。
﹁君たちには格別の感謝を。二人のおかげでボルスの状況を知るこ
1200
とができた。精霊人機を持つ貴重な部隊の合流も手助けしてもらえ
た。感謝しきれない﹂
﹁いえ、依頼のついでだったので、お気になさらず﹂
ワステード元司令官が苦笑する。
﹁そうだとしても、結果的に我々が救助された事実は変わらない。
感謝している﹂
ワステード元司令官はそう言うと、不意に視線を河へ向けた。
連日の雨が河を増水させたらしく、濁流が轟々と音をたてて流れ
ていた。
﹁君たちは濃霧の中でも索敵は可能か?﹂
﹁索敵能力が変わらないただ二つの精霊獣機なので、可能ですよ﹂
さすがに狙撃の精度は落ちてしまうが、照準誘導の魔術を使えば
当てることくらいはできる。
ワステード元司令官はそうか、とだけ言ってテントへ足を向ける。
﹁君たちにも作戦会議へ出席してもらいたい﹂
﹁まとまった戦力ではないですよ?﹂
﹁豪雨の中で、中型、小型の区別なく魔物を撃破しながらリットン
湖を約一周した者が言う台詞ではないな。いずれにせよ、君たちに
は戦力としてではなく、斥候としての能力を期待している﹂
そんな事だろうと思った。
俺は駐留している軍の規模を見て、ため息を吐く。
この大きさの部隊が移動するとしてどれくらいの範囲を索敵すれ
ばいいのか皆目見当がつかない。
1201
進軍速度によっては、俺たちが索敵を終えた場所に魔物が後から
やってきて、軍の後背を突く可能性だってある。
あまり求められすぎても困るのだが、この手の発言は会議でする
方が良いだろう。
﹁それじゃあ、俺たちもしばらく休ませてもらいます﹂
﹁そうしてくれ。仮眠を取っておくのもいいだろう﹂
ワステード元司令官と別れて、俺たちは軍や月の袖引くから離れ
た場所にディアとパンサーを停める。
河の側にある精霊人機が眼に入った。行きにも見かけた、大破し
た精霊人機だ。
﹁修復できなかったんだな﹂
﹁あの壊れようだと、仕方がないね。魔導核と蓄魔石の回収くらい
はするだろうけど﹂
ディアの角とパンサーの尻尾に布を引っ掻け、簡易テントにする。
もうやんだとはいえ、降り続いた雨の影響で湿気が凄い。
﹁パンサーが結露してるんだけど⋮⋮﹂
ミツキがパンサーの胴体を拭きつつ不満を口にする。
﹁こればっかりはなぁ﹂
金属でできている以上は避けて通れない。
布を絞ったミツキがふと思いついたような顔をした。
﹁こんなに汗水たらして頑張ってくれたんだねぇ﹂
1202
﹁そう取るか﹂
演技がかった動作でパンサーを拭き終えたミツキが布を絞ってか
らパンサーの腹部の収納部に放り込み、パンサーの背に寝転がった。
﹁つっかれたぁー﹂
﹁まったくだ。今日だけで何体魔物を仕留めたか分からない﹂
両手では収まらない数なのは確かだけど。
俺もディアの背に寝転がる。
海で泳いだ後のような、揺れる感じが残っている。ずっとディア
の背に揺られていたからだろう。
自然と瞼が落ちてきて、意識が沈んでいく。
しかし、ディアの鳴き声が聞こえてきて飛び起きた。
何かが近付いてきたことを知らせる、ディアの鳴き声とパンサー
の唸り声。
俺はディアの角から布を外して外に顔を出す。
五百メートル先に光魔術で足元を照らしながら歩いてくる軍人の
姿が見えた。
ワステード元司令官が寄越した使いだろう。
﹁ミツキ、会議の時間だ﹂
﹁分かってる﹂
ミツキもパンサーの唸り声で目が覚めたらしく、手ぐしで寝癖を
整えていた。
やってきた軍人は会議に出るために身支度を整え始めた俺たちを
見て目を丸くした後、用件を告げる。
﹁ワステード副司令がお呼びです。天幕に来てほしいとの事です﹂
1203
﹁いま行きます﹂
ディアとパンサーを操作して、天幕へ向かう。
軍人たちが複雑そうな目を向けてくるが無視した。
到着した天幕の側にディアとパンサーを停め、中へ入る。
﹁そこへ座ってほしい﹂
ワステード元司令官が簡易机の端におかれた折り畳み式の椅子を
勧めてくる。
ミツキと並んで腰掛けながら、簡易机を囲むメンバーを流し見た。
指揮を執るワステード元司令官とその背後に立つ雷槍隊の副隊長、
ロント小隊長と、俺たちがリットン湖に向かう途上で出会った小隊
長ともう一人の見覚えのない小隊長、月の袖引くからはタリ・カラ
さんとレムン・ライさんがいた。
ワステード元司令官が口を開く。
﹁これで全員だ。中隊長の位にいた四名は皆、私が戦死を確認した。
他の小隊長に関しても十三名中七名が死亡したようだ。残りは行方
が分からない﹂
大損害だな。
ワステード元司令官がロント小隊長に目を向ける。
﹁あの戦場に最後まで残っていたのはロント小隊長の部隊だ。死亡
した七名の小隊長のうち、五名は彼が戦死を確認している。また、
行方不明の小隊の内、超大型の魔術で押し流された者については生
存が絶望的だ。我々はここにいる者だけでボルスへ帰還する。異論
があるものは?﹂
1204
誰も口を開かなかった。三人の小隊長が悔しそうに歯噛みしてい
るが、ここで捜索に出ても二次被害が出るだけだと分かっている。
いま生きているだけでも奇跡に等しいのだ。合流を果たした今で
さえ、超大型と出くわせば壊滅しかねない。
物資もほとんど底をついており、早急な帰還が望まれる。
現在見つかっていない行方不明者に関しては諦めるしかないとい
う事で意見は一致していた。
沈んだ空気を流す様に、ワステード元司令官が話を進める。
﹁現在、ここにある戦力は雷槍隊機全六機、精霊人機が六機、更に
開拓団月の袖引くの精霊人機が一機だ。随伴歩兵と通常の歩兵に関
しては負傷者も多い。基本的に車両の護衛に回すことになる。さら
に、特殊な戦力がそこの二人だ﹂
﹁はい、特殊戦力です﹂
ミツキがにこやかに手を振る。
見覚えのない小隊長が苦い顔をした。
﹁鉄の獣と共同作戦とは、自分も運が尽きたのでしょうな﹂
﹁よかったね。後は溜めるだけだよ﹂
見覚えのない小隊長の愚痴をストレートに打ち返したミツキに、
見覚えがある方の小隊長が顔をゆがめる。
﹁遺憾な事この上ないが、その二人の実力は本物だ。二人きりでボ
ルスから河を越え、最速で我々の下までやってきた。機動力は申し
分ない。斥候役としては非常に優秀な部類だろう﹂
﹁その通り、鉄の獣には斥候役として活躍してもらう事を考えてい
る。中、小型の魔物が相手であれば仕留めることも逃げることもで
きる、優秀な斥候役であり、戦闘員だ﹂
1205
ワステード元司令官が話の流れに合わせて俺とミツキに仕事を割
り振ってくる。
﹁鉄の獣は霧の中でも索敵能力が変わらない魔術式の持ち主だ。そ
れを念頭に置いておくように﹂
﹁霧、ですか。明日の朝から出るとワステード副司令はお考えです
か?﹂
ロント小隊長が水を向けると、ワステード元司令官は深く頷いた。
連日の雨で地面は水気を十分に含んでいる。加えて、明日は日が
出る可能性が高く、熱せられた地面から立ち上った水蒸気が霧を発
生させる可能性は高い。
視界が利かない中での撤退戦は非常に危険が伴う。
俺とミツキが斥候役として出れば、魔物に奇襲を受ける可能性は
低くなるだろう。
俺たちがこの場に呼ばれた理由を理解してか、小隊長たちは口を
閉ざす。
ワステード元司令官が具体的な作戦を決めよう、と口火を切った。
﹁まずは河を渡る方法が問題となる。連日の雨により川は増水し、
氾濫の兆しもある。橋も流されていて使い物にならない﹂
元々簡易的な物だった橋は増水した河の圧力に耐えられなかった
か。
本来なら、河の水量が落ち着くまで待ってから渡るべきなのだろ
うけど。
﹁物資が致命的に不足している今、悠長に河が落ち着くのを待つ事
は出来ない。超大型がいつ襲って来ないとも限らない現状では、早
期に河を渡るべきだろう。渡る方法だが、精霊人機でロックウォー
1206
ルを発動し、橋を架けるつもりだ﹂
﹁精霊人機の数はそろっていますから、可能ではあるでしょうが⋮
⋮﹂
見覚えのない小隊長が言いよどむ。
ワステード元司令官は反論を予想していたのか、続けて口を開く。
﹁軍を二回に分けて向こう岸へ渡すつもりだ。精霊人機に魔力を込
め直さねばならないため、一度目と二度目の間には十二時間の休憩
を挟む事になる﹂
﹁その間、向こう岸の戦力は魔力切れの精霊人機と歩兵のみ、です
か。危険すぎるのでは?﹂
小隊長の一人が訊ねると、ワステード元司令官は肯定しつつも俺
たちを見た。
﹁作戦の決行前に鉄の獣を向こう岸に送り込み、その索敵能力をも
って安全を確認する﹂
﹁この二人にそこまでの大役がこなせるとは到底思えません。まだ
子供ですよ?﹂
﹁︱︱いや、難なくこなすだろう﹂
小隊長の言葉に反論したのはロント小隊長だった。
呟くような小さな声だが確信を持った響きに、小隊長が口ごもる。
隙を逃さずに、ロント小隊長は続けた。
﹁鉄の獣は二人きりで運用する方が理に適っている。高機動力の広
範囲索敵、狙撃による遠距離攻撃といった特徴があるが、一度に処
理し切れる魔物数はそう多くない。甲殻系の魔物が相手ならばなお
さらだ。だが、鉄の獣は二人きりで向こう岸に送ったところで死ぬ
1207
ことはまずない。逃げ足も速いからな﹂
そうだろう、とロント小隊長が同意を求めてくる。
﹁そうですね。他に歩兵とかがいても足手まといになるだけですし、
霧が出るのなら他に索敵能力を維持できる人もいないでしょう。安
全を確認するだけなら問題はないと思います。魔物を始末して安全
を確保しろと言われると厳しいですけどね﹂
霧が出ると狙撃能力が下がるため、魔力袋持ちの中型甲殻系魔物
は仕留め難い。
俺の返答に半信半疑の目を向ける小隊長二人に対して、ロント小
隊長が決めるのはワステード元司令官だとばかりに視線を向けた。
もとより作戦立案者であるワステード元司令官が反対するはずも
なく、俺はミツキと共に早朝を待って向こう岸へ先行偵察に出るこ
とが決まる。
俺は片手をあげて発言を求める。
﹁一つ、先行偵察に出るにあたって意見を出してもいいですか﹂
﹁なんだね?﹂
俺から要望が出るとは思っていなかったのだろう、ワステード元
司令官は面白がるように目を細めた。
﹁河を渡る第一陣に月の袖引くとロント小隊を出してください。拠
点を知り合いに固めてもらった方が安心できるので﹂
﹁月の袖引くは元々第一陣として出てもらうつもりだった。まとま
った戦力だからな﹂
ワステード元司令官がタリ・カラさんに視線を向け、第一陣とし
1208
て出ることに異論はあるかと尋ねる。
タリ・カラさんは首を横に振った。
﹁異論はありません。拠点防衛という大任ですが、任せて頂けるの
であれば果たしましょう﹂
﹁それを聞いて安心した。ロント小隊長はどうかな?﹂
﹁構いませんが、精霊人機の補修を完了させたいので整備士の派遣
を求めます﹂
﹁分かった。雷槍隊の者を出そう﹂
機密情報を扱う整備士を派遣すると臆面もなく言うワステード元
司令官。
俺が思っている以上に、人手が足りないらしい。
﹁決行は明日だ。全員、今晩はゆっくり休む様に﹂
1209
第十三話 渡河作戦
﹁平均台よりは幾分か幅があるかな﹂
ロックウォールで出来た足元の橋を見ながら、俺はひとり呟いた。
狐のように一直線にディアの足を運び、河を渡る。
ワステード元司令官の読み通り朝から立ち込めている霧は、まだ
薄靄がかかった程度だ。
対岸に魔物が待ち伏せている可能性も考えて、索敵魔術の範囲は
最大にしてある。肉眼でも対岸を見る事は出来るため、今のところ
はあまり脅威を感じない。
足元の橋の下をうねる濁流は轟々と音を立てている。絶対に人の
話を聞かないであっさり流した後、自分の話を延々と喋るタイプだ
よ、この河。
空は雲が少しあるものの、日の光は地面の水を蒸発させようと頑
張っている。霧が濃くなるからやめてくれませんかね。
対岸の湿地帯に到着し、草むらに魔物が潜んでいない事を確認す
る。
俺に続いて橋から降りたミツキがワステード元司令官のいる対岸
に光魔術で合図を送り、橋を一度消してもらった。
﹁霧が濃くなる前に、調べようか﹂
昨夜魔力を満タンにしたディアで索敵魔術をフル稼働しながら駆
け出す。
湿地帯を駆け回りながら、仕留められそうな小型魔物や中型魔物
を倒していく。魔物の生息密度も低く、周辺に大型魔物がいる気配
はない。
1210
﹁ボルスのベイジルに追い返された魔物の生き残りかな?﹂
﹁どうかな。ボルスが魔物を追い返したなら早く救援に来てほしい
所だけど﹂
魔物を追い返したとしてもホッグスが救援を出そうとしない可能
性もあるため、ここにいる魔物がボルスへ向かった群れの残党なの
か、それとも元々この辺りに生息していたり群れからはぐれただけ
の個体なのかは分からない。
中型の魔力袋持ちにも会わないまま、事前にワステード元司令官
から言われていた範囲の索敵を終える。
河に戻った頃には霧が深く立ちこめていた。
﹁見える?﹂
﹁スコープ越しに人のシルエットが見えない事もないと断言できな
い事もない感じだな﹂
﹁曖昧で頼りないけど、とりあえず合図してみるね﹂
光の魔術ライトボールをただ上に打ち上げても見えないだろうと、
ミツキはワステード元司令官たちの部隊の頭上を通る様に飛ばす。
わずかな間を挟んで、向こう岸からライトボールが二つ飛んでき
た。
﹁橋を架けるみたいだから、少し離れよう﹂
ミツキを促して、その場を離れる。
﹁モールス信号の特許取って広めておけばよかったって思うよ﹂
﹁俺はあれ覚えてないんだけど﹂
﹁じゃあ却下だね﹂
1211
こうして一つの発明が葬られた。
などと述懐している間に橋が出来上がったようだ。
向こう岸から、橋が無事に掛けられているかどうかを確認するよ
うにライトボールが飛んでくる。
問題ないと向こう岸に合図を送ると、橋から落ちないように慎重
に整備車両が向かってきた。
最初にやってきたのは月の袖引くの整備車両だった。無事渡り切
った事を向こう岸に知らせるためライトボールを飛ばし、レムン・
ライさんが俺たちに向き直る。
﹁霧が濃くなってまいりました。索敵の方をお願いします。向こう
岸との連絡と橋の防衛は我々月の袖引くが責任を持ちましょう﹂
レムン・ライさんが言うや否や、整備車両からタリ・カラさんを
乗せた精霊人機、スイリュウが姿を現した。
スイリュウの拡声器から、タリ・カラさんの声がする。
﹁大型魔物や魔力袋持ちの中型魔物を発見したら私に知らせてくだ
さい。処理に向かいます﹂
﹁分かりました。では、行ってきます﹂
霧で結露したロックウォールの橋は予想以上に渡る際に神経を使
うらしく、悪路に慣れているはずの月の袖引くでさえ渡り切るのに
時間を必要としていた。
新兵ばかりのロント小隊はなおさら手こずるだろうから、今の内
に索敵の頻度を高めて魔物を寄せ付けないように注意した方が良い。
橋のたもとを出発し、河を弦に見立てて半円を描くように走り、
魔物を探す。
一度魔物を掃討したため、索敵魔術を最大範囲にしていても引っ
1212
かかる魔物はあまりいないだろうと高をくくっていたら、次々と反
応が見つかった。
﹁ヨウ君、これって﹂
﹁群れか﹂
ミツキと顔を見合わせる。
ひとまず群れの主を確認し、タラスクであればすぐに月の袖引く
に救援を頼む事にする。
小型魔物と中型魔物の壁を狙撃銃と魔導手榴弾で切り崩し、索敵
魔術で大型魔物の反応を発見する。
反応に向かって進むと霧の中にカメ型魔物のシルエットが現れた。
霧の影響もあってか、俺たちにまだ気付いていないらしい。
即座に反転して月の袖引くに知らせるべく加速する。
﹁河を渡っているくらいだから、ボルスに向かった群れの一部だと
思うんだけど﹂
ミツキが不思議そうに背後のタラスクを振り返る。
﹁もしかして、ボルスが落とされてる?﹂
﹁曲がりなりにも専用機の赤盾隊が六機に特殊機体のアーチェまで
いるんだ。そう簡単には落ちないと思う。なにより、ボルスには青
羽根とスカイが控えてる﹂
戦闘時には魔力消費の大きいスカイだが、甲殻系魔物との相性は
かなりいい。既存の精霊人機の威力を超えたハンマーを使った打撃
力でタラスクを一方的に攻撃できる上に、シールドバッシュ機能で
中、小型魔物を弾き飛ばせる。防衛戦ならば魔力の補給も安定して
いる分、赤盾隊以上の戦力になるだろう。
1213
﹁あのタラスクが傷を負っているかどうかでも判断が変わってくる。
タリ・カラさんに倒してもらってから調べることになるな﹂
橋のたもとに到着すると、ロント小隊が橋を渡り切ったところだ
った。
精霊人機三機が整備車両や運搬車両から降りて配置に着く。
神経をすり減らしながら河を渡り切ったばかりで悪いが、ロント
小隊には橋の防衛を頼むしかない。
月の袖引くの整備車両にロント小隊長が乗った整備車両が横付け
されているのを見て、まっすぐにディアを進める。
﹁大型魔物タラスクが率いる群れを確認しました。月の袖引くに出
撃をお願いします﹂
距離を説明し、ロント小隊にはここで橋を守ってもらう事がすん
なりと決まる。
しかし、橋をかけている今、魔力の余裕がなかった。
ロント小隊長が対岸のワステード元司令官に渡河作戦の一時中断
を合図する。
﹁これで橋の維持は我が小隊のみで可能だろう。問題は月の袖引く
の精霊人機だが﹂
ロント小隊長が視線を向けた先には、整備車両の助手席から降り
てくるレムン・ライさんの姿があった。凄腕開拓者の二人も荷台か
ら降りてくる。
﹁私の蓄魔石から魔力を移しましょう。短時間ならば戦闘が可能に
なります﹂
1214
魔術師として腰のベルトにいくつもの蓄魔石を身に着けているレ
ムン・ライさんの提案に反対する者はいない。
レムン・ライさんはタリ・カラさんが乗っているスイリュウに歩
み寄り、声をかけた。
﹁お嬢様、魔力を渡しますので、駐機姿勢を取ってください。整備
士、早くこちらに﹂
レムン・ライさんに声を掛けられ、月の袖引くの整備士が工具を
持って走ってくる。
素早くカバーが取り外され、スイリュウの蓄魔石が露わになると、
レムン・ライさんが蓄魔石の魔力の受け渡しを始める。
レムン・ライさんは周囲を見回し、目を細めた。
﹁霧が少々厄介ですね。私がお嬢様に随伴して小型、中型の魔物を
殲滅しますので、鉄の獣のお二人はスイリュウから離れた位置で魔
物の数を減らしてください﹂
レムン・ライさんは凄腕二人に向き直り、さらに指示を出す。
﹁そちらのお二人はタラスクの尾の位置に陣取り、ライトボールで
照らしてください﹂
ぞろぞろと整備車両から降りてきた他の団員に、タリ・カラさん
がスイリュウの拡声器越しに指示を出す。
﹁天候は霧、足場は湿地、敵は魔物が正面に多数、陣形は弧でいき
ます。退路の確保が主目的と心得てください。私が大型魔物を撃破
した後、緩やかに撤退し、群れの長を失った魔物の拡散に対処しな
1215
がら橋のたもとを防衛します。返事を﹂
﹁御意﹂
武器を掲げた月の袖引くの団員が応じ、さっと広がって弧を描く
ように陣形を作り出す。
弧の前方に出たスイリュウが進みだすと、月の袖引くの団員は一
糸乱れぬ動きで前進を開始した。
ロント小隊の新兵が呆気にとられるほどの練度を見せつけながら、
精霊人機の速度に合わせて行進する月の袖引くに遅れまいと、俺も
ディアの速度を上げる。
﹁タラスクの前から左回りに後ろを取って、魔物を引きつける。ミ
ツキ、魔導手榴弾の準備を頼む﹂
﹁とりあえずは五つ用意しておくよ﹂
ミツキの返事を聞きながら、索敵魔術の適用規模から大型魔物を
除外し、中小型の魔物の位置を割り出す。
タラスクが霧の中に浮かび上がる。スイリュウの足音を聞きつけ
たか、首をしきりに左右に振って確認しようとしている。
俺たちはタラスクの頭が届かない位置まで移動した。
﹁ミツキ、魔導手榴弾で気を引きつけた後、タラスクの魔術攻撃を
警戒しつつ離脱する﹂
﹁了解、いくよ!﹂
タラスクが魔力袋持ちかどうかを見極めるためにも、派手な一撃
は効果的だろう。
ミツキが魔導手榴弾をタラスクの頭の下へ投げつける。
魔導手榴弾が爆発を起こし、巻き上げた泥がタラスクの頭を下か
ら殴りつけた。
1216
しかし、間接的な攻撃だったこともあってタラスクはひるむ様子
さえ見せずに頭を甲羅の中に引っ込める。
警戒はしているようだが、魔術を使用する気配はない。
タラスクの出方を窺っている内に、付近の魔物が一斉に動き出し
た。
ここからが俺の仕事だ。
対物狙撃銃をディアの角に乗せながら、索敵魔術を駆使して魔物
の数が少ない進路を割り出し、ディアを加速させる。
月の袖引くが到着する前に中、小型魔物をタラスクを挟んだ向か
い側に誘導したいところだ。
進路をふさぐアップルシュリンプを対物狙撃銃で撃破すると、発
砲音を聞きつけた魔物が進路を変えて俺たちを目指してくる。
タラスクの右側面に到着した瞬間、ミツキが魔導手榴弾の一つを
タラスクがいる方向とは反対側に投げて魔物を遠ざける。
魔物が爆心地に殺到するのを後目に、タラスクの尻尾側へ回り込
んだ。
再び魔導手榴弾で魔物を集め、霧に紛れるように爆心地を離れて
タラスクの右側面に回り込む。
﹁ミツキ、いまだ!﹂
索敵魔術で魔物の位置を正確に割り出しながら、タイミングを見
計らって魔導手榴弾で魔物を集める。
この霧で俺たちを視認できないでいる魔物たちは爆発音につられ
てタラスクの右側面に集まりつつあった。
俺はミツキを後ろにして爆心地に集まろうとしていない魔物を始
末する。
霧のせいで狙撃は成功しにくいため、ディアの最高速で瞬時に距
離を詰めて至近距離から銃弾を叩き込み、急速離脱する戦法を取る。
魔力袋持ちの中型魔物や度重なる爆発音を警戒して殻の中に閉じ
1217
こもっているタニシ型の中型魔物のルェシは仕留め切れないが、そ
れでも至近距離からの対物狙撃銃の一撃は魔物を次々と戦闘不能に
追い込んだ。
孤立している魔物を片付けた俺たちはさらにタラスクから距離を
取って魔導手榴弾で中、小型の魔物を引きつける。
﹁そろそろいいかな?﹂
﹁そうだな、止めを任せた﹂
十分な距離を稼いだのを見計らって、ミツキが魔導手榴弾を群れ
の中心に放り込んだ。
照準誘導の魔術の効果もあってフォークボールのような軌跡を描
いて群れの中心に落ちた魔導手榴弾が炸裂する。
魔物の体がバラバラになって弾け飛ぶ。しかし、まだ多くの魔物
が無傷で残っていた。
数が多かったため、中心の密集地帯にいた魔物が爆発を抑え込ん
でしまい、外側まで爆発の威力が届かなかったらしい。
攻撃されたと気付いた魔物たちが分散しようとするが、ミツキが
即座に凍結型の魔導手榴弾を投げ込んで、タラスクの側へ向かおう
とした魔物の動きを鈍らせる。
凍結型の魔導手榴弾の効果範囲から逃れていた魔物は俺が片端か
ら対物狙撃銃と自動拳銃を使い分けて撃破する。
タラスクに向かって行く撃ち漏らしを見送ると、タリ・カラさん
操るスイリュウがタラスクとの戦闘を開始したところだった。
中、小型魔物との戦闘を継続しながら、スイリュウとタラスクの
戦闘の行方を見守る。場合によってはミツキを援護に向かわせ、魔
導手榴弾でタラスクの注意を逸らす必要があるからだ。
タラスクがスイリュウに気付き、体の向きを変えようとした瞬間、
スイリュウが右足を踏み込んでシャムシールを一閃した。
頭を切り落とす軌道を描いたその一閃を、タラスクは素早く頭を
1218
引っ込めてやり過ごした。
スイリュウの武器を睨んだかと思うと、タラスクは首をひっこめ
たまま体の向きを変えずにスイリュウの様子を窺う。
スイリュウの持っているシャムシールの分厚さや振りの速度から、
タラスクは本能的に自らの甲羅の防御を崩すことができないと踏ん
だらしい。
魔力袋を持たないタラスクの攻撃方法は二通り、突進と噛みつき
だ。前者の突進は助走するために手足を出した瞬間にスイリュウの
シャムシールに切り落とされる事が分かっているのだろう、タラス
クは噛みつく機会を窺っているようだ。
頭を引っ込めたまま間合いに入るのを待っているタラスクに対し
て、スイリュウが動き出す。
反撃の体勢を整えているタラスクの正面を迂回し、素早く側面に
回り込んだのだ。
甲羅の防御と四肢を覆う鱗の防御力を過信して動こうとしないタ
ラスクの甲羅へ、スイリュウが左手を当てる。
直後、甲高い水音が響いてタラスクの全身がガクンと上下し、頭
と手足が飛び出した。
何が起きたのかは分からずとも、スイリュウの攻撃を受けたこと
だけは認識したらしいタラスクが慌てて距離を取ろうと猛ダッシュ
を開始する。
進路上の甲殻系魔物がタラスクの巨体に跳ね飛ばされ轢き殺され
るが、タラスクは取り巻きの安全よりも自らの命を取ったらしく、
速度を緩めなかった。
距離を取ったタラスクがスイリュウに向き直り、怒りの咆哮を上
げた。
タラスクが反転したことにより、スイリュウがウォーターカッタ
ーで開けたと思われるタラスクの甲羅の穴を確認できた。
今まで甲羅越しにダメージを受けることはあっても穴を穿たれた
経験などなかっただろう。タラスクは甲羅の穴から血を噴出させな
1219
がらスイリュウを凝視している。怒りを感じるとともに、甲羅を無
視して攻撃してきたスイリュウに怯えているのだ。
シェルターの中に居たら突然外から刃物が貫通してきたようなも
のだから、怯えて当然だけど。
甲羅の中に閉じこもる事は出来ないと理解したタラスクが勢いよ
くスイリュウに向かって走り出す。
体長十メートルの巨体が繰り出す大質量の突進は進路上のあらゆ
るものを弾き飛ばし、なぎ倒すだろう。それは精霊人機であっても
例外ではない。
だが、進路上にいる必要などどこにもない。
スイリュウはあっさりとタラスクの進路上からズレると、背中の
スラスターを吹かしてバランスを取る。遊離装甲が重なり合って、
水琴窟に響くような清涼感のある音を幾重にも響かせる。
突進をかわされて急停止したタラスクが反転しようとする無防備
な横腹に数歩で距離を詰めたスイリュウがシャムシールを横薙ぎに
振るった。
しかし、タラスクはシャムシールによる一撃を予期していたよう
に手足を素早く甲羅の中に収める。地面から数メートル浮いていた
甲羅は手足という支柱を失って重い音を立てながら地面に落下し、
泥にうねりを作り出す。
だが、スイリュウは待っていたとばかりにスラスターを吹かせて
姿勢を保ち、横薙ぎに振るったばかりのシャムシールを流れるよう
な動きで逆手に持ち替えた。
次の瞬間、タラスクの甲羅にウォーターカッターで開けた穴へ、
シャムシールを勢いよく突き刺す。
スイリュウが腕を動かし、タラスクの甲羅の中をかき回す様にシ
ャムシールを半周させて素早く抜く。
甲羅の中を直接斬り裂き、タラスクの内臓の大部分を損傷させた
スイリュウは気を抜かずに距離を取り、真っ白な霧の中で真っ赤に
染まったシャムシールを怪しくきらめかせて正眼に構える。
1220
もはや大勢は決していた。
体内を刃物でずたずたにされたタラスクがまともに動けるはずも
なく、よたよたと四肢を泥の上に突っ張って逃げ出そうとする。首
だけは甲羅の中に縮めているが、もう長くない事は明らかだった。
それでも、生かしておくわけにはいかない。スイリュウがタラス
クとの距離を詰め、シャムシールを一閃してタラスクの後ろ脚を切
り落とし、手首をひらりと返して穴から甲羅の中へ突き刺した。
右腕で押し込めるようにシャムシールを深く突き込むと、タラス
クの頭が内側から押されて外に出る。その目にはすでに光が無かっ
た。
中、小型魔物が逃げ出し始める。
﹁総員、緩やかに橋の袂へ撤退を開始してください﹂
スイリュウの拡声器から、戦闘の終了を告げるタリ・カラさんの
声が響いた。
1221
第十四話 巨大な足音
タラスクの討伐を終えて橋のたもとに帰還し、渡河作戦を再開す
る。
戦闘の影響で魔力の余裕がなくなってしまい、渡河は三回に分け
て行われることになった。
最後の部隊が河を渡ったのは深夜、真っ暗闇の中で未だ濁流がう
ねる河を即席の濡れた橋で渡るのだから、運転手はかなりの神経を
使っただろう。
しかし、苦労の甲斐もあって事故もなくすべての部隊が河を渡り
終えた。
これ以上進むのは難しいとワステード元司令官が判断し、野営と
なる。
夜を徹して行われた渡河作戦だが、日が落ちて周囲が暗くなると
索敵能力の問題で俺とミツキがぶっ続けで周囲を走り回って魔物を
警戒する羽目になった。
おかげで野営の準備を終えた頃にはもうくたくただった。
﹁リンゴのサラダと塩味しっかりラビオリと後は何かスープを⋮⋮﹂
﹁スープは俺が作る。ラビオリの具材が揃ったら教えてくれ。包む
のを手伝うから﹂
﹁先に食材を切るから、ソースを煮詰めるのも任せていいかな?﹂
﹁おう。さっさと作って寝よう﹂
何か考えて、なおかつ手を動かしてないと寝そうだというのに、
走り回っていたせいで腹がしきりに空腹を訴えてくる。
栄養を寄越せと訴えている腹を宥めすかしながら、今日撃ち殺し
たアップルシュリンプを毒抜きした物でダシを取り、イモの皮をむ
1222
いて切って︱︱
⋮⋮一瞬、意識が飛んだ気がする。
ミツキが作ったソースを右側の鍋で煮詰めながら、イモのポター
ジュを左側の鍋で作る。アップルシュリンプのダシが利いていて、
周囲にエビとリンゴが調和したような芳香が漂い始める。
﹁アップルシュリンプの身をこっちに頂戴。ラビオリの具にするか
ら﹂
﹁ほいよ﹂
ダシを取った後、鍋からあげておいたアップルシュリンプの身を
ミツキに渡す。少し動かしただけで、茹でた後だというのに弾力を
失わないアップルシュリンプの身がプルリと揺れた。
﹁話には聞いたけど、さすがはジビエ料理の高級食材だね﹂
ミツキが感動したようにアップルシュリンプの身を揺らして楽し
げに言う。
眠気を覚えていた頭も、鼻孔を突くアップルシュリンプの香りや
弾ける身を見て覚醒してきた。食欲が睡眠欲を凌駕するとは、よほ
ど体が栄養を欲しているのか。
単純に美味そうだから眠気が飛んだだけって可能性の方が高いか。
料理が出来上がり、いつものようにディアの角に渡した木の板を
簡易的なテーブルにして夜食を食べ始める。
﹁美味いな。アップルシュリンプ﹂
﹁リンゴの酸味が凝縮されたエビの旨味に良いアクセントになって
て濃厚なのに口に残らないね。高級食材っていうのも頷けるよ﹂
ラビオリの中のアップルシュリンプは本当に美味かった。ソース
1223
をミントベースにしたのも英断だった。
ミントと言ってもそれっぽい香りなだけで、葉っぱじゃなく低木
の実だ。プチプチと弾けるような食感があってこちらも面白い。
ポタージュもエビのダシにほんのりとリンゴの香りが付き、霧の
中で冷えた体をじわじわと温めてくれる。作った本人が言うのもお
かしいが、会心の出来だろう。
ミツキがポタージュをスプーンで一口飲み、驚いたように目を丸
くし、ほっぺを押さえて笑う。
﹁美味しい﹂
﹁ミツキに褒められたなら、俺も胸を張っていいな﹂
﹁うん、許す﹂
ミツキが作ったリンゴのサラダにフォークを伸ばす。
今まではあくまでもアップルシュリンプ由来のリンゴの風味だっ
たためか、本物のリンゴを食べてみると、これが正真正銘リンゴの
味だと言わんばかりの香りと何よりも甘みが舌の上に広がった。
疲れた体に染みわたる甘さが心地よい。
﹁︱︱相変わらず、いい物を食べているな﹂
声がして、振り返る。ディアやパンサーの索敵魔術が反応してい
たので、驚きはない。
﹁ロント小隊長も食べますか? 少しなら分けますよ?﹂
﹁いいのか? では、頂こう﹂
いま、ロント小隊長が少し笑ったような⋮⋮?
気のせいで片付けられるくらいのわずかな変化だったが、ミツキ
と顔を見合わせて確信に変わる。
1224
とはいえ、指摘するようなことでもないだろう。
ロント小隊長の分を皿に取り分けていると、また新たな訪問者が
現れた。
﹁宿で見た時にも思ったが、美味しそうな料理を食べているようだ
ね﹂
そう言って、ロント小隊長の皿から行儀悪く手でラビオリを摘ま
んで口に放り込んだのはワステード元司令官だった。後ろに控えて
いた雷槍隊の副隊長が慌てる。
﹁副指令、アップルシュリンプですよ。もしも当たったらどうする
んですか!?﹂
﹁きちんと処理しているのを見届けたから大丈夫だ﹂
﹁⋮⋮副指令、なぜ処理した過程なんて見ていたんですか?﹂
﹁無論、目をつけていたからだ。一度この二人の料理を食べてみた
くてね。正解だった。これは実に美味い﹂
指先についたソースを舌でぺろりと舐めたワステード元司令官は
呆れている副隊長に肩を竦める。
ロント小隊長が恨めしげな眼で見上げている事に気付いたワステ
ード元司令官は苦笑して、背後を振り返った。
﹁君たちも早くこちらに来たまえ。作戦会議が始められないだろう﹂
呼ばれた二人の小隊長が苦い顔をしながらも歩いてくる。
﹁この二人の有用性は今日の働きで認めざるを得ませんがね。なに
もこちらが出向かなくともよいでしょう﹂
1225
ワステード元司令官は小隊長の言葉に首を振ると、俺とミツキに
測るような目を向けた。
﹁この二人はその気になれば、二人きりでボルスへ帰還できるほど
の実力者だ。いよいよ危ないとなった時に見捨てられない様に、礼
を尽くすのは至極理に適っているとは思わないかな?﹂
俺とミツキの前で言われても牽制にしか聞こえないけどな。
どの道、ロント小隊を救助するのが俺たちの受けた依頼だ。依頼
は完遂する。
それに、ここでワステード元司令官たちを見捨てる選択肢はない。
﹁ちゃんとボルスまで付き合いますよ﹂
﹁そうか。それを聞いて安心した。月の袖引くも鉄の獣と同じ意見
でいいのかな?﹂
ワステード元司令官が俺たちの背後に視線を向けて訊ねる。
歩いてきていたタリ・カラさんが深く頷いた。
﹁依頼の放棄はあり得ません。ですが、ワステード副司令官、我々
月の袖引くが撤退を支援した事、ゆめゆめお忘れなきよう﹂
タリ・カラさん、ちゃっかり恩に着せてる。
しっかり者のタリ・カラさんの発言に、ミツキがくすくす笑って、
ワステード元司令官やロント小隊長を見る。
﹁私たちの事も忘れちゃいやですよ?﹂
ミツキのダメ押しに、ワステード元司令官は降参とばかりに両手
を上げた。
1226
﹁あぁ、墓場まで持って行こう。もっとも、ここが墓場にならない
事を祈る。では、生き残るために作戦会議を始めよう﹂
﹁昨日立てた作戦ではだめなんですか?﹂
ボルスへ帰還するまでの作戦は渡河作戦と共にすでに立ててあっ
たはずだ。
不思議に思って訊ねると、ワステード元司令官はタリ・カラさん
の方を見た。
﹁予想以上に、月の袖引くが戦力になると分かったのでね。タラス
クの甲羅に穴を開けたようだが、どうやった?﹂
﹁私の精霊人機、スイリュウの武器、ウォーターカッターです。こ
ちらの二人、鉄の獣が開発し特許を取得しました﹂
やはりお前らの仕業か、という眼でロント小隊長が俺たちを見て
くる。
はい、犯人は俺たちです。
スイリュウが今回タラスクに対して使用したのは左手のウォータ
ーカッターだ。放出した水は精霊人機内の貯水槽の物だが、現在は
川の水を蒸留して補充してあるため、満タンとなっている。
魔力はまだ充填しきれていないが、二回までなら難なく放てるだ
ろう。
ワステード元司令官が口を開く。
﹁ただのラウルドⅢ型だと侮っていた。使用武器もシャムシールで
タラスクとの相性は極めて悪い。中、小型魔物を蹴散らすための戦
力と割り切っていたのだが、今回のタラスク撃破で事情が変わった。
月の袖引くを主軸としてロント小隊と鉄の獣を組み込み、前衛を組
織、索敵と露払いを行う。雷槍隊は中衛、殿は︱︱﹂
1227
ワステード元司令官は言葉を切り、小隊長二人を見た。
殿を任された二人はワステード元司令官の命令に異議を唱えるこ
ともせず、素直に承服する。寄せ集めの部隊で前衛を任されるより
は殿の方が良いという事だろう。幸い、魔物の追撃もなさそうだか
らなおさらだ。
話がまとまって、合図などを細かく決めた後、会議はお開きとな
った。
﹁二日ほどでボルスに到着するはずだが、食料に余裕はない。明朝
に出発する﹂
そういって、ワステード元司令官は小隊長三人を連れて軍の野営
地へ戻って行った。
今日の渡河作戦で疲れ切ったのか、軍は一部の見張り番が起きて
いるくらいでほとんどの者が就寝中らしく、静まり返っている。
タリ・カラさんが俺たちを見た。
﹁ウォーターカッターですが、射程はともかく威力は申し分ありま
せんでした。今回のタラスクは魔力袋持ちではありませんでしたが、
おそらく魔力袋持ちの個体にしても有効だと思います﹂
﹁当てることさえできれば、ですけどね﹂
魔力袋持ちのタラスクは脅威の度合いが跳ね上がる。
ただでさえ頑丈な甲羅の硬度を身体能力強化で補強しつつ、ロッ
クウォールでさらに防御し、魔術による遠距離攻撃もこなす。
﹁接近するのは難しいでしょうから、素直に流曲刀を使った方が無
難です。スイリュウは攻撃力の高い機体ですけど、防御に関しては
従来通りですから、慎重に一撃を叩き込んでください﹂
1228
スカイと違って防御力には手を加えていないため、ラウルドⅢ型
の素の状態だ。
元々頑丈な機体ではあるし、遊離装甲もきちんと纏ってはいるが、
タラスクの突進などを受けるとかなり危険になる。
﹁肝に銘じておきます﹂
タリ・カラさんは神妙に頷いて、レムン・ライさんと共に月の袖
引くの野営地に戻って行く。
月の袖引くも軍と同じく疲れているらしく、整備車両の中から漏
れていた光も消えていた。
明日以降はホッグスを追ってボルスに向かった魔物の群れとの遭
遇戦が懸念されるため、今日以上に慌ただしくなるだろう。
﹁ボルスからの救援はもうないと思った方が良いね﹂
﹁そうだな︱︱﹂
ミツキに同意しようとした時、重たい足音が聞こえてきて顔を上
げる。
足音の感覚が精霊人機の物に酷似していた。
だが、違和感がある。
ディアを見るが、索敵魔術の反応はない。
﹁ヨウ君、足音が大きすぎない?﹂
﹁それだけじゃない。周りが静かすぎる。生き物の気配が完全にな
くなってる﹂
鳥は寝ているとしても、夜行性の虫などはやかましいくらいに鳴
いているはずの時間だというのに、まったく音がしない。
1229
足音に気付いたのか、ロント小隊がいち早く動き出したが、明か
りをつけるのは自重しているらしい。
断続的に足音が響き渡るが、一向に索敵魔術が反応しない。
俺はディアを操作して索敵魔術の効果範囲を最大にする。
﹁反応なし?﹂
何が起こってるんだ。
ここはまだ湿地帯。これほどの大きさで足音を響かせる何かが動
いていれば嫌でも目に付くはずだというのに、周囲を見回してもあ
るのは月の明かりに照らされた沼ばかり。
だとすれば、この足音はどこから︱︱
﹁森、か?﹂
それしか考えられない。
﹁森にいるとしても、あの距離だよ? いくら精霊人機でもここま
で大きな足音は届かない﹂
ミツキが双眼鏡を片手に森を覗く。
俺も対物狙撃銃のスコープ越しに森を見るが、やはり木々が邪魔
で視認できない。
正体がつかめずにいる俺たちを笑うように、足音が遠ざかって行
く。
﹁⋮⋮追う?﹂
﹁この夜闇の中で、おそらくは大型魔物を? 取り巻きを連れてい
る可能性も高いぞ。それに、あの足音の間隔は⋮⋮人型だ﹂
﹁もしかして、フラグが回収されたかな?﹂
1230
ミツキが双眼鏡を下ろしながら、呟く。
俺はミツキの言葉に頷いた。
﹁大型スケルトンだろうな﹂
足音は次第に遠ざかり、聞こえなくなった。
1231
第十五話 存在しないはずの魔物
足音が遠ざかり、聞こえなくなるとまずはロント小隊とワステー
ド元司令官直属の雷槍隊が動き出した。
雷槍隊機が五機、起動状態に入り、立ち上がる。同時に、ロント
小隊の精霊人機三機が起動して駐機体勢となった。
月の袖引くも森に対して三人一組での魚鱗陣形を組み、魔術戦の
構えを整えつつ、スイリュウを駐機体勢にする。
続いて動き出したのは意外にもリンデたち随伴歩兵部隊だった。
雷槍隊機とロント小隊の精霊人機の間に横一列の陣形を組んだ随
伴歩兵部隊が適度に力を抜きつつ森を含めて湿地全体を警戒する。
最後に、二つの小隊長が率いる部隊が河に向かって陣形を組む。
足音を聞きつけた何らかの甲殻系魔物がやってこないとも限らない
ためだろう。増水した川に行く手を阻まれるのは人間だけで、甲殻
系魔物にとっては障害物と認識すらしない。
俺はディアに跨り、ミツキと一緒にワステード元司令官がいる簡
易テントへ急いだ。
すでにロント小隊長を含む三人の小隊長とワステード元司令官が
揃っている。
﹁きたか。足音の正体は分かるか?﹂
﹁双眼鏡やスコープで森を確認しましたが、見えませんでした﹂
﹁君たちもか。となると、正体はつかめないままだな﹂
﹁それについて、一つ心当たりが﹂
推測ですが、と前置きしてから、俺は大型スケルトンの可能性を
話す。
ワステード元司令官は納得の表情で頷き、険しい顔をした。
1232
﹁報告にあった大型スケルトンだとしても、足音が重すぎるのが気
にかかる。君たちが見た個体よりもさらに大きなモノがいるのか、
もしくはテイザ山脈を越えてギガンテスでもやって来たのか﹂
﹁ギガンテスの足音にしては大きすぎました。あれだけ大きく聞こ
えていれば、索敵魔術に引っかかっています﹂
これは俺とミツキしか得られない判断材料だったが、デュラへの
威力偵察を行ったロント小隊長も同意見らしく、首肯した。
﹁姿が見えなかった以上、敵は森にいたのでしょう。森から響いた
ギガンテスの足音だとすれば確かに大きすぎます﹂
話をしていると、タリ・カラさんとレムン・ライさんが簡易テン
トにやってきた。
﹁遅くなりました。先ほどの足音の正体については?﹂
﹁大型スケルトン種、もしくはギガンテスではないかと意見が出て
いるところだ﹂
﹁あの足音から察するに、人型は確定ですね﹂
タリ・カラさんも同意して、会議に加わる。
﹁先ほどの足音はボルス方面に遠ざかって行きました。ただちに追
いますか?﹂
﹁いや、追う事はしない﹂
ワステード元司令官は断固とした口調で言い切った。
﹁人型魔物であればまだ良い。しかし、スケルトン種であるとすれ
1233
ば、今の戦力ではすり潰される。追撃は掛けない。計画通り、朝を
待ってここを出発する。それまでは交代で密に警戒態勢を取れ﹂
﹁良いんですか? ボルスが落とされる可能性は?﹂
﹁ボルスにはホッグスと赤盾隊がいる。リットン湖攻略戦が失敗し
た今、ホッグスはこれ以上の失態を重ねるわけにはいかないはずだ。
ボルスは必ず死守するだろう﹂
苦い顔をして、ワステード元司令官が言う。ロント小隊長たちも
悔しそうな表情で頷いた。
旧大陸派の自分たちを見捨てたホッグスがボルスを守り切れると
認めるのは業腹だが、それでも認めざるを得ないという顔だった。
会議は解散となり、警戒をしつつも夜を明かす。
俺も一応はディアの背中の上で眠ったが、安眠には程遠い。
浅い眠りから目覚めた時には日が昇り、各々が朝食を静かに食べ
ていた。
ミツキと一緒にサンドイッチをかじり、出発の準備を整える。
ワステード元司令官が雷槍隊の副隊長とロント小隊長を連れてや
ってきた。
﹁昨夜の足音の正体と真っ先に遭遇するのは索敵に当たる君たちだ
ろう。無茶はするな。正体がつかめたらすぐに報告に戻り、ロント
小隊長の指示を仰げ﹂
﹁了解です。報告はしますが、指示通りに動くとは限らないと理解
しておいてください。捨て石になる気も、囮になる気も一切ありま
せん﹂
﹁それでいい。死ぬ気で何かされては救助に来てもらった者として
も申し訳が立たないからな。いまから出られるか?﹂
﹁出てきますね﹂
ディアに跨り、部隊の側面を突かれないよう周辺の索敵に出る。
1234
昨夜、俺たちを緊張させたあの足音がまるで幻だったかのように、
湿地帯はもちろん森の外縁に至るまで魔物の姿はなかった。
ついでに動物の姿もない。鳥などもいなかった。
魔物が通ったことは明白だが、通った跡が見当たらない。
タラスクが通った跡を追って行ったのだろうか。
念のため、甲殻系魔物が通った跡とみられる木々がなぎ倒された
地点にも足を運んでみるが、タラスクの甲羅の幅で木々がなぎ倒さ
れているだけで真新しい足跡などは残っていなかった。
﹁報告に戻ろう﹂
﹁仕方ないね﹂
ワステード元司令官に報告すると、慎重を期して進む事が決まっ
た。
月の袖引くを先頭に、ロント小隊が続く形で前衛が出発する。
俺たちも精霊獣機で横に並び、索敵を継続した。
空は雲が少しあるだけだ。湿度は高いが霧が出る様子もない。
最後尾の部隊が何度か湿地帯に出来た沼に整備車両を嵌まらせて
しまい、進行が遅れる。
もしも昨夜の足音の主と戦闘になっていたら同じように車両を沼
に嵌まらせ、整備士などの非戦闘員を逃がすことができずに損害を
被っていただろうことは想像に難くない。ワステード元司令官の判
断は正確だったらしい。
湿地帯を抜けて森に挟まれた街道に入る。湿地帯に向けて途切れ
たその街道は、ボルスへと通じている。
足音の主が魔物を片付けたのか、あるいは追い払ったのかは分か
らないが、森の中は静まり返っていて魔物はおろか野生動物とさえ
遭遇しない。
静寂に包まれた森の中、ロント小隊の整備車両を覆う遊離装甲が
こすれ合う金属的な音だけが響く。
1235
﹁嫌な静けさだね﹂
﹁空が晴れても気分は晴れないんだからな。本当に嫌な静けさだ﹂
だが皮肉なことに、魔物の気配一つないからこそ街道に入ってか
らの進軍は順調そのものだった。
俺とミツキの索敵能力を信頼してくれている月の袖引くとロント
小隊長が軍の先頭にいる事も大きい。
俺たちが魔物はいないと報告すれば、信頼して速度を上げるから
だ。
日程を大幅に短縮しながら、魔物のいない森を走り続ける。
魔物がどこかに潜んでいる可能性も考慮して、俺とミツキは森を
駆け回るが何も発見できない。
道を進むほどに、ボルスとの距離が縮むほどに、焦りが生まれる。
この森に魔物がいないという事は、あの足音の主がこの地点を通
り、生息する魔物を殺すか遠ざけた可能性が高い。
つまり、足音の主はこの先に、ボルスにいる可能性が高いという
事だ。
俺たちがロント小隊の救援のためにボルスを出た時、防壁の修復
はまだ不十分だった。
ギルドは開拓者を呼び込もうとしていたが、増援は望み薄だった。
道を進むほど、嫌な予感が膨らんでいく。
何かを見落としているのではないかと、周囲の景色に気を配る。
だが、安心できるような材料などどこにも見当たらない。
そうしている内に、日が暮れはじめていた。
気温が急速に冷え込み、風が吹き始める。
森の木々が風に煽られてざわざわと音をたてはじめた。
もう少し進めば、ボルスに合図を送れる距離になる。
しかし、ここまで来てもいまだに魔物はおろか動物の姿さえ見当
たらない。
1236
﹁ミツキ、いったん戻ろう﹂
﹁そうだね。夜を徹して行軍するとしても、ワステード元司令官の
判断を仰ぐことになるだろうし﹂
街道を進み、月の袖引くの下に戻る。
すでにワステード元司令官から停止の命令が出ていたらしく、周
囲を警戒しながらも団員たちは休憩に入っていた。
ロント小隊も同じく休憩に入っているが、精霊人機三機に魔力を
充填しているようだ。魔物の襲撃を警戒してずっと起動状態だった
からだろう。
俺たちを見つけて、タリ・カラさんが駆け寄ってくる。
﹁お二人とも、この辺りに落ちていたはずの遊離装甲を知りません
か?﹂
﹁遊離装甲?﹂
訊ね返すと、タリ・カラさんははっとした顔で胸に手を当て、自
らを落ち着かせる。
﹁そうでした。お二人は街道を通らず、森や湿地を抜けて河へ向か
ったんでしたね﹂
一人納得すると、タリ・カラさんは説明してくれる。
﹁街道上にはリットン湖攻略隊の車両が落とした遊離装甲が落ちて
いたはずなんです。少なくとも、私たちがこの道を通ってロント小
隊の救援に向かった時には落ちていました﹂
言われて思い出すのは、ボルスの料理屋で窓越しに見かけた新大
1237
陸派の車両群だ。確かにどれも遊離装甲を纏っていなかった。
遊離装甲を纏っていると魔力を消費するため、撤退する際に捨て
去ったのだと思っていたが森に来るまでは着けていたのか。
ボルスまでの距離が縮まった事で、遊離装甲による防御よりも途
中で魔力切れに陥るリスクを排除する方向に舵を切ったのだろう。
﹁車両の遊離装甲って事は鱗状の奴ですよね?﹂
タリ・カラさんは深く頷いた。
﹁大きさは統一されていて、大体このくらいの大きさのはずです﹂
タリカラさんが手を広げて大きさを示す。大体、一辺が一メート
ルほどの正方形をうろこ状に切ったような大きさだ。
ロント小隊の整備車両を見て記憶を呼び起こし、ここまでの道の
光景を思い出す。
﹁見てないですね。具体的にはどのあたりですか?﹂
﹁この直線に入る二つ前の曲がりくねった辺りです﹂
あの複合カーブか。
特徴的なカーブだったため索敵時の起点にしたから覚えているが、
車両の遊離装甲なんて落ちていなかったはずだ。
﹁ありませんでしたね。付近の森も索敵の時に走り回ったので、見
落としもないはずです。ミツキは見たか?﹂
﹁見てないね。ボルスから回収部隊が来たのかな?﹂
﹁もしもそうなら、ボルスは少なくとも一度、外の安全を確保した
ことになる。捜索隊が出てないのはおかしい﹂
1238
そうでなくとも、遊離装甲だけを回収していったというのは腑に
落ちない。回収部隊ならもっと高価な蓄魔石や魔導核を回収しに河
の辺りまでは来そうなものだ。
﹁周辺から魔物がいなくなったかを確かめる偵察部隊を出したもの
の、ホッグスが偵察部隊を信用できずに偵察を行った証拠に遊離装
甲の回収を命じた、とか?﹂
﹁それも少し厳しい気がするな﹂
嫌な予感がどうにも高まってくる。
ひとまずワステード元司令官に報告しに行こうと後続の部隊を待
とうとした時、ディアとパンサーの索敵魔術が同時に反応した。
半ば反射的に索敵魔術の設定を弄って対象の大きさや距離を確認
する。
﹁正面方向に小型の反応。ちょっと見てきます﹂
﹁お気をつけて﹂
タリ・カラさんに見送られて、ディアを反応に向かって加速させ
る。
後方のミツキを振り返って、声をかける。
﹁森を突っ切って進む。ディアを枝避けに﹂
﹁分かった﹂
ミツキがパンサーの速度をわずかに上げて、ディアのすぐ後ろに
着く。
一列になって森に突入し、反応との距離を急速に縮める。
枝がディアの角に当たる耳障りな音を無視して、角の間からまっ
すぐに前を見据えた。
1239
距離が縮まり、対象がもうすぐ見えてくると身構えた瞬間、正面
の木がバキバキと大きな音を立てて幹の半ばから倒れた。
﹁ミツキ、左に緊急離脱!﹂
ミツキに指示を出しながら、左にディアの進路を強引に曲げる。
一瞬、何が起こったのか分からなかったが、倒れた木の向こうに
立っていたそれを見てすぐに悟る。
それは、スケルトンだった。両腕に車両から落ちたと思われる遊
離装甲を盾のように浮かせ、頭上にロックジャベリンを準備してい
る。
存在しないはずの魔物、それは︱︱
﹁敵は魔術を使うスケルトン!﹂
1240
第十六話 交通訴訟賞
スケルトンから距離を取りつつ、街道に向かう。
狙いは甘いが、ひっきりなしにロックジャベリンが飛んでくる。
﹁ヨウ君、一度別れて街道で合流しよう﹂
﹁賛成﹂
速度に優れるパンサーで先に街道へ戻ってもらい、迎撃準備をし
てもらった方が良い。
﹁俺が奴を引きつける。魔導手榴弾の準備をしておいてくれ﹂
﹁うん!﹂
ミツキが俺の後ろから外れ、パンサーの頭を上げさせて枝避けに
しつつ、自らは身を屈める。視界を制限されてしまうが、今は緊急
時だから仕方ないと判断したらしい。
一直線に街道へ向かうミツキを見送りつつ、俺は後方のスケルト
ンを見る。
身体強化の魔術まで使用しているらしく、本来のスケルトンとは
段違いの速度で迫ってくる。魔力膜の影響で周辺の枝のみならず、
木々までもが僅かに曲がっているように見えた。
スケルトンの頭蓋骨がミツキの方を向いた瞬間、俺は腰のホルス
ターから護身用の自動拳銃を抜き放ってスケルトンに銃撃を加える。
やはりというべきか、自動拳銃の弾程度では魔力膜に逸らされて
スケルトンに届かない。
対物狙撃銃を使えばどうなるか分からないが、あいにくと背後に
向かって撃つと俺の肩が壊れてしまう。
1241
自動拳銃で挑発しつつ、街道へ誘導する。
スケルトンは自動拳銃の弾が自らの脅威にならないと理解してい
るのか、両腕に沿うように浮かせている鱗状の遊離装甲で防ぐこと
すらせずに突っ込んでくる。
ディアの足ならば難なく逃げ切れる速度だが、もしも歩兵が襲わ
れたら対応できない速さだろう。
街道に飛び出すと、先に到着していたミツキに目くばせし、街道
を挟んだ向こう側の森へ飛び込む。
俺を追ってきたスケルトンに対してさらに銃撃を加えて挑発する
と、街道へ飛び出してきた。
﹁爆発させるよ!﹂
ミツキが俺に知らせつつ魔導手榴弾を投げた瞬間、スケルトンは
信じられない速さで腕を正面に交差させ、鱗状の遊離装甲を二枚重
ねにしつつ腰を落とした。
魔導手榴弾が爆発するも、スケルトンが盾として構えていた鱗状
の遊離装甲を一枚弾き飛ばすだけに終わり、本体にダメージが入っ
た様子はない。
﹁狙撃させてもらおうか﹂
もしものために構えておいた対物狙撃銃の引き金を引く。
スケルトンの頭蓋骨にひびが入る。
﹁身体強化で硬度が増してんのか﹂
二撃目を撃ち込もうとした時、スケルトンが身を翻して森の中へ
と逃げて行った。
索敵魔術を駆使して待ち伏せがない事を確認し、俺は森から街道
1242
に出てミツキと合流する。
﹁いまのスケルトン、異常すぎるよ﹂
スケルトンが逃げて行った森の奥を睨みながら、ミツキが呟く。
﹁魔術を使うまではいいし、遊離装甲も元はスケルトンの魔力膜か
ら着想を得た装備だからわかるよ。でも、魔導手榴弾を初見で防ご
うとした。遊離装甲を盾にしないと危ないって知ってるみたいに﹂
ミツキの言う通り、先ほどのスケルトンは魔導手榴弾が飛んでき
た際、爆発する前に防御姿勢を取っていた。
俺が自動拳銃を発砲した時には防御をする素振りを見せなかった
にもかかわらずだ。
おそらくは魔力の量から威力を想像したのだろう。
とっさに正確な判断を下せる知恵を持っていることになる。
﹁ともかく、ワステード元司令官に知らせよう。脅威度が高すぎる﹂
遊離装甲を纏った通常より硬いスケルトンというだけでも厄介だ
が、魔術を使用してくる。しかも危険を悟って撤退する知能まで有
している。
あれがもしも群れていたりしたら、寄せ集めの新兵部隊なんて蹂
躙されかねない。
街道上を精霊獣機で駆け抜け、月の袖引くの下に到着する。すで
にワステード元司令官に加え殿の二つの小隊も到着しているらしい。
﹁お二人とも、先ほどの反応の正体は?﹂
タリ・カラさんが駆け寄ってきて訊ねてくる。
1243
﹁スケルトンです。ただ、ロックジャベリンや身体能力強化を使っ
てくる上に、車両に使われていたと思わしき遊離装甲を二枚、両腕
に装着していました﹂
﹁⋮⋮魔力袋を持っていた、という事でしょうか?﹂
信じられないのも無理はないだろう。
直接対峙した俺たちも、魔力袋の有無を確認していない。少なく
とも、人間やゴブリンなどの人型魔物で魔力袋が発生した場合の位
置にはなかった。いつも通りの骨だけのスケルトンに見えた。
﹁しかも、取り逃がしました。もしかすると仲間を連れてやって来
るかもしれません﹂
﹁スケルトン種にそこまでの知能はないと思いますけど⋮⋮。取り
逃がしたというのは?﹂
﹁対物狙撃銃で頭蓋骨にひびを入れたら、スケルトンの方から逃げ
出したんですよ﹂
﹁スケルトンが撤退した⋮⋮。明らかに普通の個体ではありません
ね﹂
スケルトンは知能のない魔物だ。群れることはあるが、基本的に
撤退を考えるほどの頭もない。
だが、直接対峙した俺とミツキはあのスケルトンに高い知性があ
る事を疑わなかった。
﹁あのスケルトンは見た目がスケルトンなだけの別種類だと思った
方が良いです。迎撃の準備だけはしておいてください。俺たちはワ
ステード元司令官にこの件を報告します﹂
﹁分かりました。ロント小隊長には私から伝えておきます。迎撃の
準備が整い次第、私もロント小隊長を連れてワステード副指令の下
1244
に向かいますね﹂
タリ・カラさんと別れて、部隊の中ほどにある雷槍隊の車両に向
かう。
ワステード元司令官が俺たちに気付いて車両から降りてきた。
﹁前衛が騒がしいが、何かあったのかね?﹂
﹁スケルトンが出ました﹂
俺がスケルトンの様子を細かく説明すると、ワステード元司令官
は眉をピクリと動かしてボルスの方角を見た。
﹁魔力袋持ちのスケルトンだと⋮⋮。この期に及んでそんなものま
で出てくるのか﹂
うんざりした様子だが、ワステード元司令官の眼光は鋭い。
﹁各小隊長に召集をかける。同時に、出発の準備もさせろ﹂
雷槍隊の副隊長に命じたワステード元司令官は俺とミツキを見る。
﹁異常事態ばかりでどうにも気にかかる。君たち二人ならばここか
らボルスまで駆けられるだろう。様子を見てきてほしい﹂
﹁そう言うと思ってましたよ。何か伝言とかありますか?﹂
ワステード元司令官は一つ頷くとしばらく待つように俺たちに言
って、車両の荷台に入って行った。
後ろからロント小隊長が駆けてくる。
﹁ワステード副司令は?﹂
1245
﹁俺たちにボルスへ届けさせる文書をしたためるそうです﹂
﹁やはり、お前たちを先行させる事になったか﹂
予想通りだ、とロント小隊長は頷いて、少しでも情報を得たいと
俺にスケルトンについて質問してくる。
質問に答えていると、タリ・カラさんがレムン・ライさんを連れ
てやってきた。逆方向からは二人の小隊長がやってくる。
俺からスケルトンについての情報をあらかた聞き終えたロント小
隊長は腕を組んだ。
﹁大型スケルトンまで魔力袋を持っている知性体だとすると、ボル
スが落とされる可能性もあるな﹂
ロント小隊長の言葉に、別の小隊長が首を横に振った。
﹁あの腐れホッグスが赤盾隊で食い止めるでしょうよ。気にくわな
いが、腕は一流だ。それに、赤盾隊は防衛戦最強の専用機でもある。
魔力袋持ちのスケルトンと甲殻系魔物が大挙して押し寄せても勝つ
でしょう﹂
﹁そんなに強いんですか?﹂
ミツキが訊ねると、苦々しい顔でボルスの方角を見ていた小隊長
が頷く。
﹁赤盾隊機そのものが超重装甲だが、推進スラスター付きで動きも
そう遅くはない。装備しているタワーシールドの裏は魔導鋼線で覆
われた特殊兵装だ。雷槍隊機の槍と同じだな﹂
ワステード元司令官の愛機、ライディンガルの槍を指差して、小
隊長が続ける。
1246
﹁特殊兵装の盾の効果は百度前後の熱を持ったアイアンウォールの
広範囲展開だ。お前ら、ボルスに行くなら戦闘時に赤盾隊に近付く
な。焼け死ぬぞ﹂
そう言って、小隊長が顔をそむける。俺たちの身を案じてはくれ
ているらしい。
﹁ところで、アイアンウォールってなんです?﹂
﹁赤盾隊の専用魔術式だ。魔力で出来た特殊金属の壁を発生させる。
これ以上は軍事機密で俺も知らん﹂
﹁そうですか。教えてくれてありがとうございます﹂
ミツキと一緒に頭を下げる。
元々ホッグスには近付くつもりがなかったが、もしもボルス近辺
で戦闘が起きていたら十分距離を取った方がよさそうだ。
ワステード元司令官が荷台から降りてくる。
﹁全員そろったか。日も落ちているが、ボルスに向かって移動する。
鉄の獣をボルスへ向かわせるため、索敵の精度は落ちる。全員、気
を引き締めろ。鉄の獣、この文書をベイジルに渡せ。ホッグスには
こちらの文書だ﹂
二つの筒を渡されて、俺はディアの腹部の収納スペースに放り込
んだ。
﹁もしもボルスが落ちていたなら、ファイアーボールを二発、空に
打ち上げるように﹂
﹁了解です。それじゃあ、先に行ってきますね﹂
1247
ディアに跨り、ミツキと並んでその場を後にする。
﹁街道を走った方が良いな﹂
﹁魔術を使うスケルトンの群れに森で会うとタイムロスだもんね﹂
部隊の先頭にいる月の袖引くの脇を抜けて、ディアを加速させる。
日が落ちて空に月が浮かび、森は夜闇を抱えて静まり返る。
沼や密度の高い森を避けるために蛇行する街道に合わせて走り続
けていると、索敵魔術が反応し始めた。
街道上に魔物の影がないという事は、森の中に潜んでいるのだろ
う。
ボルスに近付くほど、反応の間隔が短くなる。
﹁ヨウ君、この音、戦闘音じゃない?﹂
ミツキが声をかけてくる。
思わずボルスの方角を見るが、森が邪魔で確認できない。
耳を澄ませてみれば、何か重たい物が落ちる音や金属同士が激し
くぶつかるような音がした。
﹁精霊人機で戦ってるな﹂
姿が見えないにもかかわらずここまで大きな剣戟の音を響かせる
とすれば、精霊人機くらいの大きさがなければ無理だろう。
ボルスまでまだ少しかかるが、それは街道を道なりに進めばの話
だ。森を突っ切れば大幅に時間を短縮できる。
﹁戦闘に巻き込まれるのはまずいな。街道を道なりに進むしかない
か﹂
1248
文書を預かっているため、無茶は出来ない。
巨大な剣戟の音がだんだんと近づいてくる。静かだった森に金属
のぶつかる音が響き渡り、魔物の気配が濃くなってくる。
索敵魔術がひっきりなしに反応するため、俺は設定範囲を変更し
た。
俺たちが直線に差し掛かったその時、ひときわ大きな足音がして、
夜空を突くような巨大な骸骨が街道脇の森に現れる。
﹁大型スケルトンかよ。ほんと、行く手を遮るの好きだな、こいつ
は!﹂
﹁交通訴訟賞の面目躍如だね!﹂
俺はディアの背中から腰を浮かせて上半身を前に倒し、風の影響
を受けないように体勢を整えてディアを加速させる。最高速を出せ
る構えを取っただけあって、ディアは急加速した。
﹁ミツキ、大型スケルトンが街道に出る前に駆け抜けるぞ﹂
﹁分かった。ヨウ君は私の後ろについて﹂
速度性能に優れたパンサーがディアの前に出て、風を切る。
風をパンサーに遮ってもらった事で、ディアがスリップストリー
ムに入ってさらに加速する。
ミツキを先頭に縦列になって街道を駆け抜けた。
背後を振り返ると、大型スケルトンが森から街道に入るのが見え
た。
﹁⋮⋮ミツキ、交通訴訟が遊離装甲を纏ってる﹂
前方のミツキに報告する。
1249
﹁予想通り、魔術を使えるんだね﹂
最高速を出しているため、ミツキは前方に注意を払っていて後ろ
を振り向かない。
だから、気付いていない。
交通訴訟賞が纏っている遊離装甲が特注品だという事に。
交通訴訟賞がまるで自らの肉のように体中に纏っているのは、赤
塗りの半円柱状遊離装甲、セパレートポール。それは、ホッグス直
属の赤盾隊が使用しているものだ。
しかし、交通訴訟賞は赤塗のセパレートポールの外側にもう一種
類の特注セパレートポールを纏っていた。
それは、まぎれもなく、市販品のセパレートポールに俺とミツキ
が手を加えた物。
ミツキが後ろを振り返り、目を見開く。
﹁スカイのセパレートポール⋮⋮?﹂
1250
第十七話 ボルス防衛軍
大型スケルトンは体中に二種類の重量級遊離装甲セパレートポー
ルを纏って街道を跨ぎ、森へ入る。
俺たちのように街道を進むのではなく、森を直進してボルスに向
かっているらしい。
﹁他のスケルトンならともかく、あの歩幅で森を突っ切られると俺
たちでも間に合わないな﹂
﹁けど、森の中はスケルトンがうろついてるでしょ。それに、ボル
スの方も戦闘音が聞こえるし﹂
森を突っ切ってボルスに向かいたいところだが、スケルトンを躱
しながら行くとかえって時間がかかる。
それに、森の木々で姿が隠れている俺たちに気付かず、精霊人機
の操縦士が広範囲の魔術攻撃をする可能性もある。
急がば回れの言葉通り、街道を進む以外の方法がない。
緩やかな右カーブが見えてきて、ミツキが俺を振り返って頷く。
前に向き直ったミツキがパンサーを道の左に寄せた。
俺もパンサーの動きに合わせて道の左、森との境にディアを寄せ
る。
カーブに入ると、ミツキが徐々にカーブの内側、右へとパンサー
を寄せ始める。
パンサーの走った軌跡を忠実にディアでなぞった。
カーブの中心まで来ると、ミツキは遠心力に極力逆らわない様に
パンサーを左へ寄せていく。
アウト・イン・アウトのコース取りを忠実に守り、カーブを抜け
て直線に入った。
1251
機動力に優れたパンサーだけであればもっと小さく回ることがで
きただろうが、ディアはそうもいかない。
パンサーはディアの風よけとして走っているため、ディアが取れ
るもっとも速度の乗るコース取りでカーブを走り抜けたのだ。
ミツキは肩越しに俺を振り返り、ついてきているのを確認して前
に向き直る。
次は左右に二回ずつ曲がる複合カーブだった。
ミツキがパンサーの重量軽減の魔術効果を強め、速度を上げる。
先ほどのカーブでボルスまでに必要な魔力を計算し、魔力消費を
上げてでも、ボルスへの到着を早める作戦に出たのだ。
俺も慎重にディアの重量軽減の魔術設定を変更して速度を上げる。
普段以上の速度が出るため、遠心力が大きく働き外側に持って行
かれそうになる所を、俺自身の体の重心をカーブの内側に持って行
く事で強引に修正する。
ミツキのパンサーのスリップストリームを利用しながら魔術で重
量軽減しているため、かつてないほど速度が出ていた。
複合カーブを抜け、ミツキが俺を振り返る。
ミツキの眼は、まだ速度を上げられるかどうか訊いていた。
俺は躊躇せず頷きを返す。
それでこそ、と言わんばかりにミツキがにやりと笑い、パンサー
の爪を伸ばした。
本来は近接攻撃用のパンサーの爪がスパイクとして活用される。
パンサーの速度が急速に上がった。
月に照らされて本来より細く見える街道にパンサーが爪を突き立
て、風を切り裂き、次なるカーブへ突入する。
俺はパンサーの後ろにピタリとくっついて風を避けながら、カー
ブ直前にわずかに速度を落とし、カーブ内で少しずつ加速する。
遠心力に引き寄せられてカーブの出口で道の端によりながらも、
パンサーの真後ろに食らいつく。
神経質な速度調整と、ミツキの描くコースをなぞりつつディアが
1252
走り切れる軌道への微調整、湿った道の状況と索敵魔術の反応、ボ
ルスまでの距離、残存魔力量、あらゆることを計算しながら、それ
でも速度を上げていく。
直進の最中、森からスケルトンが飛び出してくる。振り上げた右
手に石が握られていた。
ミツキはスケルトンを完全に無視して、頭を下げながらすぐ脇を
走り抜ける。
高速で走るパンサーが巻き起こす風でスケルトンの顎がカタカタ
と鳴った。
俺は、スケルトンが投げつけてくる石がディアの角に接触する瞬
間に重量軽減の魔術を切り、同時にディアの足を全て地面から離す。
ガンと音がして石がディアの角に弾かれた。総金属製のディア本
来の重量を以て衝撃に抗い、一切速度を落とさない。
石を弾いた刹那に重量軽減の魔術を再発動し、ディアの足を地面
に降ろす。
ディアは軽々とした足取りでパンサーの後を追う。
スケルトンを置き去りに、パンサーもディアも加速していく。
獣型の魔物が身体強化を施してもこれほどの速度は絶対に出せな
いだろう。
それでもまだ、不満だった。
ミツキが振り返り、俺の眼を見て笑う。右手をハンドルから離し
たと思うと、握り拳から人差し指と親指を立て、拳銃のような形を
作って前に向けた。
ミツキが前を向き、パンサーの設定を弄る。
直後、じわじわとパンサーの速度が上がっていった。
重量軽減の設定を弄った様子はない、となると︱︱
俺はディアの首の付け根を見る。
︱︱これか。無茶するな。
ミツキの姿勢を見て、確信した俺は内心苦笑する。
精霊人機であれば遊離装甲に当たる魔術、騎手姿勢制御の一部機
1253
能を停止させる。
騎手が銃などを使用する際、両手を自由にしても振り落とされな
いように支える機能に当たる魔術だ。
この機能の停止はすなわち、戦闘の完全放棄を意味する。
しかし、騎手が振り落とされない様に精霊獣機に押さえつける方
向に働くこの魔術はある意味では精霊獣機の枷だ。
速度が上がるほどに強く働くこの魔術を切る事で、騎手は純粋に
己の筋力だけで精霊獣機にしがみ付く事になるが、枷を逃れた精霊
獣機は本来のスペック通りの速度を叩きだせる。
ディアが加速し始める。
枷を逃れたディアの四肢は先ほどよりもさらに軽く、弾丸のよう
に風を切る。
風よけになっているパンサーに乗るミツキに風圧が直撃している
はずだが、俺とは違って元々の速度に優れるパンサーならば騎手姿
勢制御の魔術を完全に切る必要はないからか、振り落とされる様子
はない。
パンサーが高速でカーブに進入する。
アウト・イン・アウトを守りながら、続くカーブを見据えた巧妙
なコース取り。
長くパンサーに乗り続けたことで、前世でさえモータースポーツ
に親しみのなかったミツキも操縦技術が上がっている。
複合カーブに切り込み、速度を微調整して駆け抜けた先に、ボル
スが見えてきた。
前回の防衛戦で崩れていた防壁が破壊されていた。ボルスの周囲
を囲む防壁のうち、リットン湖側が完全に開放されている。
精霊人機が四機、カメ型の大型魔物タラスク三体を相手取ってい
る。三体とも魔力袋持ちらしく、ロックジャベリンや巨大なファイ
アーボールが飛び交っている。
二体のタラスクが前衛代わりに突進と後退を交互に繰り返して精
霊人機を守勢に回らせつつ、三体目のタラスクが後方から魔術を撃
1254
ち込む戦術を取っているらしい。
防衛に回っている四機の精霊人機はすでに満身創痍といった風情
だった。
ギルド所有機とみられる機体と、ボルス防衛に残されていたらし
き二機、そしてもう一機は︱︱青羽根の精霊人機、スカイ。
﹁よし、生きてるな!﹂
思わず言葉が口を突いて出る。
しかし、スカイはセパレートポールを失っており、代わりに板状
の遊離装甲を纏っている。ボルスに保管されていた在庫の遊離装甲
を流用しているらしい。
しかし、改造セパレートポールとは違って後方からの圧空の魔術
を効果的に受けることができておらず、本来の性能を出し切れてい
ない。衝撃緩和の機能やシールドバッシュを使用する事は出来ない
だろう。
持前の防御力を十全に発揮できていないにもかかわらず、スカイ
は果敢にタラスクの突進に合わせてハンマーを振るう。
圧空によって後押しされたスカイのハンマーは如何なる精霊人機
よりも鋭く速い振り抜きで突進してきたタラスクを真正面から撃ち
返し、後方で助走距離を稼いでいたもう一体のタラスクにぶつけた。
他の精霊人機では突進の勢いを相殺する事は出来ても、押し返して、
ましてや後方のタラスクにぶつけることなどできなかっただろう。
スカイの拡声器からボールドウィンの声がする。
﹁いまだ、ベイジルさん!﹂
その声に応じるように、ボルスの中から石の矢が豪速で飛び出す。
ベイジルの乗る特殊な弓兵仕様の機体、アーチェが放ったらしき
ロックジャベリンの矢はまっすぐに最後方で魔術の発動準備を整え
1255
ていたタラスクの頭を射貫く。
﹁よし! 奴が帰って来る前に残りを片付けるぞ、お前ら!﹂
ボールドウィンが大声を張り上げて、スカイを駆けさせ、残り二
体のタラスクに迫る。
もう二機の精霊人機も﹁了解!﹂と声を張り上げて後に続く。
俺の前を走っていたパンサーが進路を切り替えた。
ミツキが肩越しに振り返り、ボルスの破壊された防壁を指差す。
このまま戦場に突っ込むつもりらしい。
俺が頷くと、ミツキがパンサーを操作する。戦闘が可能なように
あらゆる設定を元に戻したらしく、速度が落ちた。
俺もミツキと同じく設定を戻す。自然と速度が落ちるが、仕方が
ない。
破壊された防壁の周辺では中、小型の甲殻系魔物とボルスの防衛
戦力である歩兵たちの死闘が繰り広げられていた。
歩兵たちは先ほどの精霊人機に負けず劣らず満身創痍の姿だ。
ミツキが俺の前からパンサーをずらして射線を確保する。
俺は対物狙撃銃をディアの角に乗せ、戦場に視線を巡らせる。
狙うのは魔力袋持ちのタニシ型中型魔物、ルェシだ。
魔術を放とうとしているルェシを片端から銃撃し、魔術発動をキ
ャンセルすると同時に殺して回る。
甲殻系魔物の後方に回り込んだ俺は対物狙撃銃を肩に掛け直し、
自動拳銃を抜いて小型魔物に標的を切り替える。
俺が小型魔物に自動拳銃の弾を撃ち込んで殺して回るのと同時に、
ミツキが凍結型、爆発型の魔導手榴弾をいくつも宙に浮かせ、歩兵
たちが維持している戦線にピンポイントで凍結型を投げ込んで魔物
の動きを制限しつつ、魔物の群れの中心で魔術を発動しようとして
いるザリガニ型の中型魔物ブレイククレイに爆発型を投げつける。
ブレイククレイの胴体の真下へ照準誘導の魔術と各種変化球で投
1256
げ込まれた魔導手榴弾が爆発すると、ブレイククレイの細い足が吹
き飛ぶ。痛みで魔術発動をキャンセルしたブレイククレイが犯人を
捜そうとしても、ミツキはすでに移動していて見つけることができ
ずにいる。
魔物の群れの後方を走り抜けて反対側に回った俺たちは森の中に
入り込むと同時に方向を転換し、先ほどの再現を行うように対物狙
撃銃の狙撃や自動拳銃の銃撃、魔導手榴弾による行動阻害を魔物の
群れに加えていく。
俺とミツキの乱入で魔物の群れが大混乱に陥り、押されかけてい
た歩兵が勢いを取り戻す。
そこに、ボルスの中から弓兵機アーチェが現れた。
﹁ミツキ、ここにいるとベイジルが群れに矢を撃ち込めない。離脱
してボルスの中に入ろう﹂
﹁了解!﹂
二人そろって戦線を離脱すると同時に、アーチェが矢を放つ。
大型魔物に死を与えるほどの大質量の石の矢は地面を抉りながら
中、小型の魔物をまとめて吹き飛ばした。
アーチェの登場で甲殻系魔物の群れが一斉に逃走を始める。追撃
を掛ける場面だが、歩兵たちは精根尽き果てた様子でその場にへた
り込む者さえ出始めた。
俺たちは逃走する甲殻系魔物の群れをやり過ごし、破壊された防
壁のなれの果てである瓦礫の山に向かう。
アーチェからベイジルが降りてきて、駆け寄ってきた。
﹁ご無事でしたか!﹂
そう言うベイジルは汗だくで、前髪が額に張り付いている。汗に
血が混じって頬にうっすらと赤い滴が垂れているのは、機体に加え
1257
られた衝撃で頭をどこかにぶつけたためだろう。
ベイジルは街道の方を見るが、そこに期待した姿が無かったのか
ため息を零す。
﹁救援には失敗しましたか。月の袖引くは?﹂
﹁勝手に失敗にするな。月の袖引くは無傷、いま街道をロント小隊
やワステード元司令官たちと一緒にこちらへ向かっている。とはい
え、到着は朝方になるはずだ﹂
俺は周囲にホッグスや赤盾隊の姿がない事を不思議に思いながら
も、好都合と割り切ってディアの腹部の収納スペースからワステー
ド元司令官に渡された文書を取りだし、ベイジルに渡す。
ちょうど、タラスクを仕留め終えたスカイと精霊人機二機が戻っ
てきた。
スカイからボールドウィンが降りてくる。
﹁コト、ホウアサさんも! 遅えよ、心配したぜ!﹂
駆け寄ってくるボールドウィンは腕に包帯を巻いている。スカイ
を見上げれば、操縦席がある腹部に何かが刺さった跡があった。
俺の視線に気付いたのか、ボールドウィンは頭を掻く。
﹁コウツウなんちゃらとかお前らが名づけた大型スケルトンにやら
れた。何とか修理して今朝からずっと戦場だ。つか、なんだよ、ア
レ。魔術を使ってきやがったし、スカイからセパレートポールを引
き剥がして持って行きやがっ︱︱﹂
﹁その大型スケルトンをここに来る途中で見かけた。いまこっちに
向かってるはずだ﹂
俺とミツキが限界まで速度を上げて駆け抜けたおかげで先回りで
1258
きたようだが、交通訴訟賞の到着までもう時間はないだろう。
しかし、ボールドウィンは予想していたように驚きもしなかった。
﹁だろうな。お前らが出て行った日の夜から、スケルトンの大群が
やって来るようになったんだ。夜が明ける頃には退いて行くんだが、
朝になると甲殻系魔物が動き出す。もうずっと交互に攻められてん
だよ﹂
うんざりしたようにボールドウィンが説明してくれた時、重たい
足音が近付いてきた。
歩兵たちが悲壮感すら浮かんだ顔で気力を振り絞り、武器を杖に
して立ち上がる。
ボールドウィンが森を見る。
﹁ほら、今日もご来訪だ。通い妻なら可愛いもんなのにな﹂
軽口を叩いてスカイへ歩き出しながら、ボールドウィンは俺たち
へ後ろ手に手を振る。
﹁お前らの事だからきちんとロント小隊って奴らを救出してきたん
だろ? 早めにここに連れてきてくれ。もう、陥落寸前なんだわ﹂
スカイに乗り込むボールドウィンを見送りつつ、ベイジルに聞く。
﹁ホッグス達は?﹂
﹁一度スケルトンの群れと交戦し遊離装甲をはぎ取られた後、マッ
カシー山砦へ救援を呼びに行く、と言って新大陸派の兵を連れて初
日にボルスを発ちました。事実上、我々へのボルス死守命令ですね﹂
まさか、この状況で逃げたのか?
1259
救援を呼ぶなら一部隊出せば事足りるはずだ。それを、新大陸派
の兵を全て連れて行った?
﹁軍法会議ものだろ、それ﹂
ベイジルはワステード元司令官からの文書を読みながら、俺の言
葉に同意する。
﹁そう申し上げましたが、貴様の気にすることではないの一点張り
でしたよ。言いたいことは分かります。これには明らかに裏がある。
しかし、それを調べるのはこの戦場を生き残ってからです﹂
ベイジルが文書を筒に仕舞いこみ、俺たちを見た。
﹁ワステード副指令に、了解した、とお伝えください﹂
何が書いてあったのかも話さないまま、踵を返したベイジルはア
ーチェに向かう。
﹁明朝までに、ワステード副司令の下へ戻ってください。撤退作戦
の成否はお二人にかかっている。ボルスにいるすべての人間の命も、
です﹂
それだけ言って、ベイジルは怪我人とは思えないしっかりした足
取りでアーチェに向かって行く。
俺たちに作戦内容について話す時間はないだろう。
大型スケルトン率いるスケルトンの大群と交戦を開始したスカイ
や精霊人機、歩兵たちを見れば良く分かる。
俺はディアに跨った。
1260
﹁ミツキ、行くぞ﹂
﹁ブーメランにでもなった気分だよ﹂
ひらりとパンサーに跨ったミツキと共に、俺は街道へ走り出した。
1261
第十八話 悪い知らせ
ボルスに向かっていた時とは打って変わって、街道上には魔物が
あふれていた。
戦場から引いて行く甲殻系魔物、逆に戦場へと向かうスケルトン。
甲殻系魔物もスケルトンも互いを味方とも敵とも思っていないの
か、完全に無視してすれ違っている。
スケルトンにはかなりの割合で遊離装甲を纏っている個体が混ざ
っている。中には歩兵から奪ったらしき長剣を持っている個体さえ
いた。
障害物と割り切るにはあまりにも危険すぎるが、森の中はさらに
混雑しているようだ。
速度を抑え気味にしながらミツキと並走して、街道を進む。
手に持った自動拳銃でミツキは街道の中心線から左側、俺は右側
を担当し、魔術を使用してくる魔物に銃撃を加えて魔術の発動を妨
害する。
妨害を乗り越えて発動された魔術はその都度ロックウォールで防
いだり、速度を調整して躱していく。
ボルスに向かっていた時に比べて速度は遅かったが、集中力のい
る道行きだ。
先の見えない急カーブに入る度にカーブを抜けた先から飛んでく
る魔術に備えて感覚を研ぎ澄ます。
索敵魔術が役に立たないほどの魔物の密度だったが、魔物の種類
はボルスから遠ざかるほどに甲殻系魔物に偏って行く。
ボルスに向かっているスケルトンを全てやり過ごし、逃げていく
甲殻系魔物の先頭が見えてきた頃、タリ・カラさんの乗るスイリュ
ウが見えてきた。
甲殻系魔物をシャムシールで切り払いながら進んでいたスイリュ
1262
ウの拡声器からタリ・カラさんの声が響く。
﹁鉄の獣が帰還します!﹂
タリ・カラさんが後方の部隊に報告すると、街道を塞ぐように横
列で陣形を組んでいた月の袖引くのメンバーが道を開けてくれた。
ゴールはすぐそこだ。
﹁ミツキ、加速!﹂
﹁遅れないでね、ヨウ君!﹂
ミツキを乗せたパンサーが急加速する。
俺もディアを加速させてパンサーの後に続き、月の袖引くが作っ
てくれた道を駆け抜け、安全地帯である月の袖引くの陣の裏側へ到
着する。
ディアを減速させながら、そのままロント小隊長が乗る整備車両
の横を抜け、ワステード元司令官の整備車両へ走る。
﹁ただ今戻りました!﹂
整備車両の助手席に乗っているワステード元司令官に声をかけ、
ディアを反転させて車両に併走する。
続いて、ミツキが俺の隣に並んで空を見上げる。
﹁間に合ったね﹂
ミツキの言葉に見上げた空は、夜明け前に特有の墨を流し込んだ
ような真っ黒な空だった。
俺は窓を開けたワステード元司令官にベイジルの言葉を伝える。
1263
﹁了解した、だそうです。それと、ホッグスはボルスからマッカシ
ー山砦へ新大陸派の兵を連れて撤退、救援を呼びに行ったとの事で
した﹂
﹁そうか﹂
短く答えたワステード元司令官は、俺とミツキに距離を取るよう
手振りで指示してくる。
指示に従って距離を取ると、ワステード元司令官は助手席の窓か
ら手を出して空に向けて光魔術ライトボールを打ち上げた。
先頭にいる月の袖引くからライトボールが打ち上がる。ロント小
隊がそれに続き、殿を務めている二人の小隊長が指揮している部隊
からも同じようにライトボールが上がった。
直後、全体の速度が上がる。
﹁鉄の獣、仕事を果たしてくれて感謝する。これからの事はロント
小隊長に聞いてくれ﹂
ワステード元司令官は前方のロント小隊を指差すと、助手席を立
って荷台へ向かった。
俺たちはワステード元司令官の指示に従って、ロント小隊長が乗
る整備車両に向かう。
俺たちが並走すると、ロント小隊長はすぐに窓を開けた。
﹁作戦を説明するよう、ワステード副指令から頼まれている。この
車両の荷台に乗れ。中で話そう﹂
魔力も込め直した方が良いのだろう、とロント小隊長はディアと
パンサーを見た。
魔力を込め直す必要がなくとも一休みしたいところだったので、
ロント小隊長の言葉に甘えて一時停止した整備車両にディアやパン
1264
サーごと乗り込む。
休憩していたらしいロント小隊の歩兵がぎょっとした顔をした後、
文句を言いたくても言えないでも言いたい、と葛藤が見える顔を見
合わせる。
全部無視してディアを停め、蓄魔石に魔力を込める。
ロント小隊長がやってきて、壁に取り付けられた補助席のような
ものを引っ張り出して腰かけた。
﹁ボルスは放棄する﹂
開口一番、ロント小隊長がそう言った。
ずいぶんと思い切ったものだと思いつつ、この作戦を知っている
のならベイジルは何を考えているのだろうかと思う。
かつての仲間の墓があるボルスを守るのが仕事だと、ベイジルは
言っていた。
ロント小隊長が続ける。
﹁現在、ボルスには民間人が多数いる。彼らをマッカシー山砦へ避
難させる事がこの作戦の最大の問題となる﹂
ふと脳裏をよぎるのは料理屋のお喋りな看板娘だ。
防壁は瓦礫の山となっていたが、街の中へ侵入された様子はなか
った。無事だとは思うが、心配になる。
隣のミツキも心配そうな顔をしていた。考えることは同じという
事か。
あの看板娘でなくとも、ボルスには宿屋や料理屋が多数存在して
いる。
幸いというべきか、商人はいまボルスにほとんどいない。護衛を
引き受けてくれる開拓団が少ないため、ボルスへ向かえなかったか
らだ。
1265
﹁民間人の足ではマッカシー山砦まで三日はかかる。彼らの護衛と
して、この混成部隊の整備士等を回し、車両を使って速度を上げる
予定だ。ボルスからも最低限の人員を残して整備士たちが出発して
露払いをしている頃だろう﹂
ロント小隊長が荷台の中に視線を巡らせ、怪我人もだ、と付け加
える。
整備士といえども軍人だ。きちんと戦闘訓練を受けているため、
護衛を行う事は出来る。ここにいるほとんどの軍人が旧大陸の開拓
学校を卒業している事もあり、護衛としての務めを果たす腕は持っ
ているはずだ。
﹁彼ら整備士たちにボルスとマッカシー山砦を結ぶ街道上にバリケ
ードなどで作った複数の簡易的な防衛陣地を作成してもらう。我々
は戦闘部隊としてボルスに帰還、住民の避難が終わるまでの時間を
稼ぎ、整備士たちが作成した防衛拠点を使用して魔物の足止めを行
いながらマッカシー山砦へ撤退する﹂
作戦を聞く限り、言うは易し、行うは難しの典型だ。
リットン湖から命からがら逃げだしてきたこの混成部隊は、湿地
帯を碌な整備もできずに駆け抜けてきたボロボロの状態の精霊人機
や新兵ばかり。雷槍隊機でさえ、洗浄液などが足りずに泥を洗い流
せていない有様だ。
現在ボルスに残っているベイジル等の戦力も昼夜を問わない連日
の防衛戦で満身創痍。
自分たちだけでも撤退できるか不安になるほど、どちらも酷い状
態なのだ。
ロント小隊長が無表情で続ける。
1266
﹁ボルスにおける防衛期間は二日、明後日の朝までとなる﹂
﹁⋮⋮無理だと思います﹂
正直に感想を述べると、ミツキが隣で何度も頷いた。
﹁集団自殺の計画にしか聞こえないよ﹂
ロント小隊長が無表情のまま腕を組む。
﹁言われなくとも分かっている。それともう一つ、知らせがある﹂
そんな顰め面で言われても⋮⋮。
見るからに愉快な知らせではなさそうだ、と身構えた俺たちに、
ロント小隊長は静かに口を開く。
﹁お前たちが出発した後、後方から生き残りの部隊が追いついてき
た。と言っても、二人きりだったがな。鉄の獣と岩場で会ったと言
っていた﹂
特徴を聞くと、岩場で俺たちから食料を奪おうとした七人組の二
人だと分かった。
ミツキがため息交じりに問いかける。
﹁残りの五人は?﹂
﹁河を渡る際、濁流に飲まれたそうだ。彼らは救援が来るまで崖下
で待つつもりだったそうだが︱︱﹂
ロント小隊長は首を横に振る。
﹁超大型が崖にやって来たそうだ。彼らは食われそうになって必死
1267
に逃げ出し、河を越えてきた。しかし、超大型も後を追うように河
を渡ってこちら側へ来たらしい﹂
﹁それって⋮⋮﹂
頬が引きつるのを感じる。
ロント小隊長はあくまでも無表情に、続けた。
﹁あぁ、超大型がボルスに向かってくる可能性がある。彼らの証言
では、森までやってきて木々の葉を食べていたそうだが、もしも奴
が来ればボルスは壊滅する﹂
頭が痛くなってきた。
甲殻系魔物や魔術を使うスケルトンだけでも手が余るのに、あん
な正真正銘の怪物がやって来るかもしれないなんて。
悪夢なら覚めてほしい。
ロント小隊長が俺たちをまっすぐに見つめてくる。鋭い視線だ。
﹁お前たちは開拓者だ。軍人ではない。ボルスを死守する責任はど
こにもない。民間人と共に避難するといい。月の袖引くにも伝えて
おけ﹂
ロント小隊長の言う通り、俺たちには軍事拠点であるボルスを死
守する責任などありはしない。
ホッグスと違って軍事裁判に掛けられるはずもない。
俺はミツキと顔を見合わせ、互いの眼を見てから無言で頷きあっ
た。
やはり、考えることは同じだ。
ロント小隊長が視線を和らげる。
﹁お前たちに出していた救出願いはただいまを以て終了とする。こ
1268
んな状況だ。報酬として出せる物はほとんどないが、感謝している﹂
ロント小隊長は椅子から立ち上がり、俺たちに最敬礼した。鋭い
視線を周囲にめぐらせると、兵たちが慌てて立ち上がって俺たちに
最敬礼する。
敬礼の仕方を知らない俺はミツキと一緒に見よう見まねで敬礼を
返した。
﹁報酬はいりません。正式な依頼ではありませんから。感謝を頂け
れば、十分です﹂
﹁欲がないな﹂
﹁欲ならありますよ。死なないでください﹂
それが難しい事は重々承知の上だ。
だが、死なれたら救出した意味がなくなってしまう。
知り合いに死んでほしくないから、俺たちはボルスを出て豪雨の
中を駆けずり回ったのだから。
ロント小隊長が困ったように苦笑した。
﹁前言を撤回しよう。お前たちは欲深い﹂
﹁それはもう、強欲そのものですよ。ボルスの防衛にも参加して手
柄を上げつつ、ワステード元司令官やベイジルも生かしてやろうと
思うくらいね﹂
笑って返すと、ロント小隊長は驚いたように目を見開く。
﹁お前たちは迷わず避難すると思ったがな﹂
﹁自分たちの命が危なくなったらきちんと逃げますよ﹂
もうボルスが近いのか、激しい戦闘音が車両の中にまで届いてく
1269
る。
俺はディアに魔力を込め終えて、深呼吸する。満タンにはできな
かったが、戦闘に支障はないだろう。
ミツキも蓄魔石の様子を確認して、立ち上がった。
﹁さぁ、ヨウ君、心中しましょ﹂
﹁洒落にならないけど、地獄の底まで付き合うよ﹂
﹁そこは来世まで付き合ってほしいな﹂
﹁来世とは言わず、いつまでも﹂
笑い合って、俺たち各々の愛機に乗る。
俺はロント小隊長を見た。
﹁それじゃあ、丸二日の防衛戦、頑張って行きましょう﹂
1270
第十九話 ボルス帰還
ボルスの崩れた防壁の前には一機の精霊人機が地面に叩き潰され
て機能を停止していた。
正面に引き倒された後、背中側から強大な何かを力任せに叩きつ
けられたらしく、操縦士は生きてはいないだろう。
その前にはこの惨状を作り出したと思わしき大型スケルトンが立
っていた。精霊人機用のハンマーを両手に持った大型スケルトンは
板状の遊離装甲を全身に纏い、ラメラアーマーを形作っている。
その隣には二種類のセパレートポールを身に纏った大型スケルト
ンがいた。
﹁数が増えてるな﹂
ロント小隊の整備車両から降りた俺はボルス防壁前の戦いに加わ
るべく、月の袖引くとともにスケルトンの群れの側面を突く。
ボルス防壁前で疲労がたまった兵たちを蹂躙していたスケルトン
たちが俺たち新手の登場で狙いを変更して向かってきた。
月の袖引くが斜線陣を組み、瓦礫の山を左にしてスケルトンとの
戦闘を始める。
突出している斜線陣の左端にスケルトンの攻撃が集中するが、瓦
礫の山を左にしているためスケルトンに囲まれることも回り込まれ
ることもない。
斜線陣の右端はタリ・カラさん操る精霊人機スイリュウが守り、
スケルトンを一切寄せ付けなかった。
陣が僅かに後退し、左端にいた団員が数歩下がって右隣の団員に
場所を譲って体を休める。
練度が高いとは思っていたが、そこらの軍人でさえできないよう
1271
な見事な連携で陣形を維持しながらスケルトンを押し込んでいく。
仲間の窮地を悟ったか、ハンマーを両手持ちした大型スケルトン
が月の袖引くへ右手のハンマーを振り上げ、迫ってきた。
﹁お二人とも、ここをお任せします。レムン・ライは二人の援護を﹂
タリ・カラさんがシャムシールを腰だめにしたスイリュウを走ら
せる。
大型スケルトンがスイリュウの接近にタイミングを合わせ、振り
上げたハンマーを力任せに叩きつけようとする。
しかし、ハンマーの間合いに入る寸前で急停止したスイリュウに
は当たらなかった。
ハンマーを振り下ろした直後の大型スケルトンにスイリュウが一
歩踏み込み、間合いに進入してすぐ左へ二歩ずれた。
大型スケルトンがもう片方の手に持ったハンマーを振り上げて追
撃しようとするが、スイリュウは間合いの外にいる。
両手のハンマーを振り抜いた大型スケルトンが完全に硬直したそ
の瞬間を見逃さず、スイリュウが大きく一歩を踏み込み、腰だめに
していたシャムシールを振り抜いた。
風を巻くシャムシールは轟音を立てて大型スケルトンに迫り、ラ
メラアーマーのように体を覆っていた精霊人機用の遊離装甲を三枚、
彼方へと弾き飛ばした。
しかし、出力の弱いラウルドⅢ型のスイリュウでは遊離装甲を弾
き飛ばすのが精いっぱいで大型スケルトン本体にダメージを与えら
れていない。
大型スケルトンもスイリュウの攻撃に脅威を感じなかったのだろ
う、ハンマーを構え直すと隙ができるのもお構いなしに致命傷狙い
の攻撃ばかりを繰り出し始める。
スイリュウは攻撃を避けながら、時折シャムシールを振るって大
型スケルトンの遊離装甲を弾き飛ばしていく。
1272
一見形勢が悪そうに見えるが、スイリュウの動きはしたたかだっ
た。
大型スケルトンを誘導し、スケルトン種の群れの中へおびき寄せ
たのだ。
大型スケルトンは足元にいる取り巻きのスケルトンを気にしてハ
ンマーを振り下ろすことができず、横薙ぎを余儀なくされる。
ただでさえ重たいハンマーで致命傷狙いの振りを横薙ぎに繰り出
せば、大型スケルトンの動きは一振りごとに長く硬直してしまう。
硬直した大型スケルトンに対して、スイリュウはシャムシールで
切り付け、遊離装甲を弾き落とす。
足元のスケルトンたちは勢いよく降ってきた遊離装甲に潰されて
粉みじんとなった。
そう、最初からタリ・カラさんは大型スケルトンを仕留めようと
考えていないのだ。
スケルトンがスイリュウと大型スケルトンの戦闘に巻き込まれて
数を減らしていく中、月の袖引くの団員は陣形を維持しながらスケ
ルトンを押し込み、スイリュウと大型スケルトンの戦場へ追いやっ
て行く。
俺はミツキと共に魔術を使えないらしいスケルトンを狙い撃ちし
た。前衛役をレムン・ライさんが務めてくれているため、後方から
安全かつ正確に狙撃していく。
月の袖引くに殺到しようとしたスケルトンの群れにミツキが魔導
手榴弾を投げ込んで爆破し、人員交代のために下がろうとした団員
を援護するためにスケルトンを凍結させて時間を稼ぐ。
順調にスケルトンの群れを押し込んで広場を作った月の袖引くと
俺たちはボルスの防衛に当たっていた歩兵部隊と合流した。
レムン・ライさんが俺を見て頷く。
﹁いまです﹂
﹁伝言ですね﹂
1273
腰を浮かせて、ディアを加速させる。
レムン・ライさんの頭上を飛び越えてスケルトンを押し倒し、デ
ィアの足で頭蓋骨を粉砕しつつ加速する。
ボルスの歩兵隊に合流した俺たちはスケルトンに攻撃を加えつつ
歩兵隊長に駆け寄った。
﹁瓦礫の後ろへ引いてください。雷槍隊がスケルトンの群れに突っ
込みます﹂
﹁到着したか!﹂
歩兵隊長が歩兵たちに指示を出し、緩やかに撤退する。
同時に、月の袖引くが斜線陣を維持したまま瓦礫を登り始めた。
瓦礫の裏に歩兵が全員入った事を確認し、俺はミツキと揃ってラ
イトボールを打ち上げる。
白み始めた空に煌々と輝くライトボールが溶けるように消える。
直後、地響きが聞こえてきた。
大地を揺らすその地響きが急速に近付いてくる。
白み始めた空を背景に槍を構えて横一列に突っ込んでくる黒い専
用機の姿が浮かび上がった。
全部で六機、螺旋状に魔導鋼線が巻かれた柄に付いた青い金属の
刃を突き出し、全速力で駆けてくるのはワステード元司令官の愛機
ライディンガルを始めとした雷槍隊だ。
足並みを合わせた雷槍隊が一歩を踏み出す度に瓦礫がカタカタと
鳴り出す。
大型スケルトンが迫りくる雷槍隊機に気付いて迎撃態勢を取ろう
とした時、すかさずスイリュウが切り込んだ。
深く踏み込んだスイリュウがシャムシールを一閃すると、大型ス
ケルトンの首が落ちる。
しかし、頭蓋骨の破壊には至っていない。
1274
頭を失ったスケルトンの体が遊離装甲ごとガラガラと崩れ出すが、
大型スケルトンの頭蓋骨はカタカタと顎を鳴らして健在をアピール
した。
人間と同じ大きさの小型スケルトンたちが大型スケルトンの頭蓋
骨を持ち上げて撤退を始める。
﹁ちょっとシュールでかわいいかも﹂
大型スケルトンの巨大な頭蓋骨を御輿のように担いで撤退する小
型スケルトンを見て呟いたミツキが、容赦なく凍結型の魔導手榴弾
を投げつけた。
魔導手榴弾は大型スケルトンの頭蓋骨が周囲に張っていた魔力膜
に勢いを殺されて、手前に落下する。
しかし、落下地点を中心に広がった凍結現象は頭蓋骨を担ぎ上げ
ているスケルトンの足元にまでおよび、動きを大幅に鈍らせた。
もう一体の大型スケルトンが仲間の窮地に気付いて動き出すが、
スイリュウと青羽根の精霊人機スカイが挟み撃ちにして動きを封じ
る。
雷槍隊の精霊人機六機が槍の穂先を地面すれすれに構え、スケル
トンの群れに突撃した。
巨大な槍の穂先で斬り裂かれたスケルトンの群れは雷槍隊機の足
に踏み潰されて粉々に砕け散り、骨粉を地面にばら撒いた。
二種類のセパレートポールを纏ったスケルトンが顎をカタカタと
打ち鳴らし、撤退を始める。
空には日が昇り、周囲も明るくなっていた。
スケルトンの群れに追撃を加えようと動き出す前に、森の中から
アップルシュリンプが顔を出した。
スカイが瓦礫を越えて戻ってくる。
﹁悪い、魔力切れだ。すぐ戻る!﹂
1275
﹁この場は雷槍隊が守護する。他の精霊人機は魔力を込め直し、タ
ラスクが来るまでに迎撃準備を整えよ﹂
﹁月の袖引く、戦闘を継続します﹂
精霊人機の操縦士たちが口々に拡声器でやり取りする。
雷槍隊がやってきた方角から、ロント小隊を含む混成部隊がやっ
てきた。精霊人機が六機、駆けつけて瓦礫の山を越え、駐機姿勢を
取る。
ベイジルが乗るアーチェからボルスの防衛軍歩兵部隊に声がかか
った。
﹁負傷兵を搬送、マッカシー山砦への撤退部隊に組み込みなさい。
ここは一時、リットン湖攻略隊の生き残りが防衛に当たってくれま
す。いまは体を休めなさい﹂
あわただしく歩兵たちの人員交換が始まり、甲殻系魔物の襲撃に
備えて陣が組まれていく。
満身創痍ではあるものの、車両の中で体を休めていた新兵たちは
ボルスの防衛軍に比べればまだ気力や体力が残っている。
甲殻系魔物との戦闘を行いながら、怪我人の搬送や人員の交代、
武器の補給などで人が慌ただしく動き回る。
俺は建物の上にディアで飛び乗り、まだ森の中で戦闘態勢を整え
ていない甲殻系魔物を次々に狙撃していく。
隣で観測手を務めてくれるミツキが双眼鏡で魔力袋持ちの気配が
濃厚な中型魔物をピックアップして次々に標的を指示してくれる。
﹁俺は撃つ機械。俺は撃つ機械﹂
﹁私は告げる機械。告げる機械﹂
興奮気味に戦っている歩兵たちの気迫に飲まれて狙いが甘くなら
1276
ないよう、小ネタを挟んで心に余裕を保ちながら引き金を引き続け
る。
銃身が熱を持つたびに冷やしていると、気を利かせたボルスの防
衛軍から対物狙撃銃と弾の差し入れがあった。
ついでに三人、足を怪我した兵が狙撃手として回されてくる。
男性二人、女性一人の軍人はいずれも三十代の半ばだが、狙撃銃
を扱った経験はほとんどないという。訓練として少し、という程度
だそうだ。
﹁前線で戦えませんが、狙撃なら可能ではないか、と言われてきま
した﹂
敬礼する三人を無視して引き金を引く。
弾を込めた対物狙撃銃をミツキが渡してくれた。
﹁パス﹂
渡された対物狙撃銃をディアの角に置き、森の中のブレイククレ
イに向けて引き金を引く。
﹁キラーパス﹂
ブレイククレイの頭がはじけ飛ぶのをスコープ越しに確認しつつ、
俺は三人の兵に声をかけた。
﹁ミツキが指示した獲物を狙ってください。森の中に友軍はいませ
んから、外しても大丈夫です。屋根の上に等間隔で並んでください。
もしも狙った魔物が魔術を使用したらすぐに狙撃を中止して俺かミ
ツキに知らせてください。触角と目玉、鋏を撃ちぬいて無力化しま
す﹂
1277
﹁この距離からですか?﹂
森までの距離は六百メートル以上、標的は森の中にいるため八百
メートル以上の距離での狙撃能力が求められる。
ディアの照準誘導の魔術で補助を受けられる俺でもなければ、目
玉や触角を破壊することはできないだろう。
﹁スコープでヨウ君が撃ってる獲物を見ればいいよ﹂
ミツキが森の一点を指差して三人の兵士に言う。
ご希望に応えて、身体能力強化を施して臨戦態勢に入っているブ
レイククレイの目玉を破壊する。
視力を失って木に激突した隙に触角を二本とも破壊。
周囲の状況を確認する術を失ってふらついているブレイククレイ
の鋏の付け根を撃ちぬき、攻撃手段を失わせる。
﹁⋮⋮人間業じゃない﹂
女性兵士が呆然と呟く。
それはそうだ。人間じゃないディアの力を借りて撃っているのだ
から。
銃身を冷ます必要があるため、俺は愛用の対物狙撃銃に加えて軍
から貸与された二丁の対物狙撃銃を使い回しながら狙撃を続ける。
三人の兵士に、ミツキは極力魔力袋を持っていなそうな個体を選
んで狙撃指示を出していた。
木の葉に覆われた森の中から即座に獲物を見つけるミツキに、兵
士たちが驚いている。
パンサーの索敵魔術をフル稼働しているため、森の中を移動して
いる魔物を発見するなど造作もない。
俺を含めて計四人分の標的を的確に割り振っているのはミツキの
1278
観察眼あってこそだろうけど。
発砲音で曲でも奏でられるほど景気よく撃ちまくる。弾丸は軍が
出してくれるのだ。まったく気前がいい。
弾の数だけ魔物が死ぬ。撃ち尽くしてやんよ。
何体目かもわからない魔力袋持ちの魔物を無力化した時、バキバ
キと木々をへし折りながらカメ型の大型魔物、タラスクが現れた。
距離はおおよそ三キロといった所か。狙撃の範囲外だ。
現れたタラスクは四体、どれも精霊人機を警戒しているのか三キ
ロの位置で止まった。
直後、四体のタラスクが一斉に火球を浮かび上がらせる。
﹁ロント小隊、ロックウォールを展開せよ!﹂
ワステード元司令官が乗るライディンガルから指示が飛び、ロン
ト小隊の精霊人機三機が駐機状態から立ち上がると歩兵の前に出て
ロックウォールを展開した。
タラスクたちが放った四つの火球がロックウォールに衝突し、森
に火をつける。
本格的な防衛戦の始まりを続けるの狼煙のように、森から黒い煙
が立ち上った。
1279
第十九話 ボルス帰還︵後書き︶
・戦力内訳
軍
・ワステード副司令官特別機ライディンガル︵無傷︶
・雷槍隊︵専用機︶五機︵無傷︶
・ベイジル弓兵機アーチェ︵無傷︶
・ロント小隊精霊人機三機︵小破︶
・リットン湖攻略戦生き残り機体三機︵小破、要整備︶
・ボルス防衛部隊一機︵要整備︶
・リットン湖攻略戦生き残り歩兵千人︵よく生きてたね!︶
・ボルス防衛部隊歩兵千人︵死相が浮かぶね!︶
・マッカシー山砦所属随伴歩兵部隊二十人︵リンデ含む︶
開拓者
・開拓団〝青羽根〟スカイ︵要整備︶
・開拓団〝月の袖引く〟スイリュウ︵無傷︶
・鉄の獣ディア、パンサー
1280
第二十話 新兵器、流曲刀
森を燃やす火を消し止めるため、貯水池から水を汲んでくるよう
ロント小隊長が部下に命じている。
タラスク四体は遠距離から大火球による攻撃を加え続けていた。
﹁一気にタラスクを叩く。雷槍隊はついてこい﹂
このままでは被害が増える一方だと判断して、ワステード元司令
官が愛機ライディンガルを動かすと、雷槍隊機が一斉に動き出す。
三キロほどの距離をあっという間に駆けぬけた雷槍隊機が槍を振
りかざした途端、タラスクたちは一斉に頭や尻尾、手足を甲羅の中
に収め、巨大な石の壁を周囲に展開する。
自らをぐるりと石の壁で囲み自身も甲羅に引き籠ったタラスクた
ちは、その状態を維持したまま大火球を生み出した。
雷槍隊の槍ではタラスクの石の壁を突破できない。
ワステード元司令官の判断は早かった。
﹁タラスクの火球を槍で払い、精霊を散らして霧散させろ!﹂
ワステード元司令官は率先してタラスクの大火球に槍を突き出し
て振り抜く。タラスクが放出した魔力に群がって大火球を発生させ
ていた精霊が槍で散らされ、大火球も霧散する。
大火球に突き刺した槍が無事なはずもなく、柄に巻かれた魔導鋼
線がタラスクの魔力に反応して青い火花を放っていた。
俺は森の中の魔物へ狙撃を続けながら、タラスクと雷槍隊の戦闘
の様子を窺う。
ここからカノン・ディアを放てばタラスクの頭を撃ちぬくことも
1281
できるだろうが、それをするには周りを囲んでいる石の壁が邪魔だ。
貯水池から水を運んできた運搬車両から水を受け取ったロント小
隊の精霊人機が森の消火に入る。
精霊人機が消火活動に駆り出されているために中、小型魔物の圧
力が高まり、歩兵が窮地に陥っていた。
ミツキが双眼鏡をポシェットに仕舞う。
﹁ちょっと行ってくるよ﹂
﹁爆発型は使わない方が良い。いきなりだと歩兵が混乱する﹂
﹁分かってる﹂
ミツキがパンサーに跨り、肩の収納部から凍結型の魔導手榴弾を
取り出して屋根から降りた。
パンサーがしなやかに着地する。
押され気味の歩兵組にパンサーで駆け寄り、魔導手榴弾で甲殻系
魔物の足を凍らせて進攻を鈍らせる。
ミツキが自動拳銃で銃撃を加えれば、アップルシュリンプが弾け
飛んだ。
俺はディアの索敵魔術を起動して森の中の魔物を探し出して三人
の狙撃手に指示を出しつつ、ミツキの前にいるブレイククレイの頭
や鋏を狙って無力化を図る。
森の消火が終わって、ロント小隊の精霊人機三機が中、小型魔物
の駆逐に復帰すると、歩兵組は盛り返した。
ミツキが屋根の上に戻ってきて、タラスクたちを見る。
﹁雷槍隊、攻め手に欠けてるみたいだね﹂
タラスクの大火球を散らす事しかできていない雷槍隊を見て、ミ
ツキが目を細める。
1282
﹁ロント小隊と入れ替わった方が良いと思うけど﹂
﹁ハンマーの方が槍より効果的だろうからな。ただ、操縦士の腕の
問題もある。ロント小隊の新兵だとタラスクの相手は荷が重い﹂
現在、動いている精霊人機は雷槍隊の六機とロント小隊の三機、
月の袖引くのスイリュウのみ。
他の精霊人機は整備中か、魔力の充填中だ。終わり次第、現在戦
場に出ている戦力と交代するだろう。
これはあくまでも防衛戦であり、魔物を駆逐する戦いではない。
だが、タラスクをこのまま生かしておくのは危険すぎる。
﹁︱︱弾薬の追加です!﹂
整備士らしい軍人が箱を持ってやって来て、屋根の下から声をか
けてきた。
俺は弾薬を持ってきてくれたその配達員に伝令を頼む。
﹁ロント小隊長に、月の袖引くと俺たち狙撃手が後方に引く代わり
にタラスクを仕留めるとしたら、戦況はどちらに傾くか、訊ねてき
てください﹂
配達員は首を傾げつつ、ロント小隊長の下へ走って行った。
ミツキがパンサーを下りる。
﹁ディアの魔力を込める?﹂
﹁そうしよう。多分、撃つことになる﹂
俺もディアを下りて、ミツキと二人掛かりで魔力を補充する。
俺もミツキも徹夜で戦闘を続けているため、魔力の残りは少ない。
配達員が戻ってきた。
1283
﹁もしも倒せるのなら引いて構わないとの事です﹂
﹁よし。狙撃ポイントを確保する。ミツキは月の袖引くに連絡を頼
む﹂
作戦内容をミツキと話してから、俺はディアに跨って屋根を下り
る。まずは左端のタラスクを仕留めやすい位置に陣取る必要がある。
付近で一番高く、頑丈そうな建物を探す。
見つけたのはとある宿屋だ。
屋根の上にお邪魔して、ディアの腹部にあるレバーを引き出し、
膝の裏に当てる。
ディアの背に腹ばいになりながら、対物狙撃銃をディアの角に乗
せる。
ミツキがパンサーで駆け戻ってきて、俺のいる屋根の上に飛び乗
った。
﹁月の袖引くから了解を取ったよ﹂
﹁それじゃあ、始めるか﹂
タリ・カラさん操るスイリュウが、歩兵が守る前線を離れ雷槍隊
とタラスクのいる最前線へ向かう。
右手に持っていたシャムシールを腰の鞘に収め、もう一振りのシ
ャムシール、流曲刀を抜き放った。
反りのある片刃の流曲刀は白磁のような滑らかな光沢をもつ白の
魔導合金製で、同じ大きさの既製品シャムシールよりも重量がある。
ただでさえ白い刀身の中に、白波のような流れを描いた真白の刃が
鋭く輝いている。
配達役が見惚れるほど、スイリュウが持つ流曲刀は美しく、芸術
的だった。
だが、流曲刀は美術品ではない。
1284
タラスクの下に辿り着いたスイリュウが左手を石の壁に押し当て
る。
直後、甲高い音がして、驚いたようなタラスクの吼え声が響き渡
る。
ロックウォールとタラスクの間にはある程度の距離があるはずだ。
石の壁に穴を開けた左手のウォーターカッターでも、タラスクに届
く頃には勢いを失って貫通力はないだろう。
スイリュウは追撃を加えずに素早くそこを飛びのく。
スイリュウが左手のウォーターカッターで開けた石の壁の穴の奥
に、甲羅に頭を収めたタラスクが見えた。
スコープ越しに目があって、俺は笑みを浮かべる。
ディアの肩にある二つのスイッチを押す。
対物狙撃銃の銃身が石の筒で延長された。
﹁引きこもりへ鉛玉のプレゼントだ﹂
引き金を引いた刹那、防衛拠点ボルスに爆音が轟いた。
ディアの首が縮まり、俺が受けた反動を相殺するために膝の裏に
当てたレバーが後方へ下がる。一度きりの寿命を終えた石の銃身が
魔力を失って霧散する。
放たれた弾丸は音を置き去りに歩兵の頭上を飛び越え、森を超え、
三キロ先にある石の壁に開いた直径一メートルほどの穴を潜り抜け
︱︱タラスクの頭を速度の暴力で撃ち砕いた。
タラスクの命が露と消え、木霊した銃声が長く響き渡る。
残響の中、スイリュウが流曲刀に魔力を流し、新たな屍を築くべ
く石の壁に切っ先を突き付けた。
重々しい銃声の残響を掻き消す、高圧の水撃音が流曲刀の切っ先
から奏でられる。
甲高い水音を響かせて石の壁に穴を開けた流曲刀が壁に突き込ま
れた。
1285
壁の内側に籠っていたタラスクが身じろぎするが、もう遅い。
タラスクの甲羅に流曲刀の切っ先が付きつけられ、水が破壊をも
たらす。
甲羅に穴を開けられ、内部をウォーターカッターで斬り裂かれタ
ラスクが想像を絶する苦痛に絶叫を上げ、石の壁を掻き消しながら
スイリュウの迎撃に移ろうとする。
だが、遅い。致命的なまでに遅い。
スイリュウが流曲刀を甲羅の中へ差し込み、腕を横へと振る。
次の瞬間、スイリュウが流曲刀を振り抜いていた。それ自体が水
を放出していた流曲刀は返り血を一滴たりとも寄せ付けず、純白の
刀身を太陽の光に晒す。
スイリュウの前には甲羅を半ばから斬り裂かれたタラスクが絶命
していた。
ただでさえ堅い甲羅を身体強化で補強し、更には石の壁で周囲を
覆う鉄壁の構えを見せていたタラスクを斬り伏せる、常軌を逸した
切れ味と返り血を寄せ付けない高貴なまでの白き刀身を提げて、ス
イリュウが残り二体のタラスクへ向かう。
左手で一体の石の壁に穴を開けざま、右手に持った流曲刀をもう
一体のタラスクが生み出した石の壁に突き刺す。
先ほどの一幕が奇跡でも幻想でもない事を知らしめるように、流
曲刀がもう一体のタラスクを両断する間に、俺はカノン・ディアの
二射目を放つ。
流曲刀の水撃音と、カノン・ディアの爆音と、タラスクの咆哮の
三重奏。
タラスク四体が絶命し、前線の部隊から歓声が上がった。
スイリュウがボルスに戻ってくる。
﹁魔力を補充するため、戦線を離脱します﹂
スイリュウの拡声器からタリ・カラさんの声がすると、月の袖引
1286
くが前線から下がり始めた。
タラスクが死亡した事で手が空いた雷槍隊が前線に戻り、中小型
魔物の殲滅を始める。
スイリュウと同じく魔力が切れたディアに乗る俺も、戦線を離脱
するため屋根から降りた。
﹁タラスクがいなくなったのに、甲殻系魔物が引かないな﹂
﹁中、小型の魔物が多すぎるから、群れのボスを倒したくらいじゃ
効果がないのかな﹂
魔力切れの俺たちに出来ることはないため、軍に後を任せ、月の
袖引くとともにギルドの倉庫へ引き上げる。
街中では軍人向けの炊き出しが行われており、精霊人機の整備点
検、補修などを行うために整備士が行きかっている。
ギルド倉庫に引き上げると、青羽根が出撃準備を整えるべく忙し
く働いていた。
何故か軍の整備士君が倉庫の外でボールドウィンや青羽根の整備
士長と話をしている。
整備士君に険しい顔を向けていたボールドウィンが俺たちに気付
いて笑顔になる。
﹁お前らも魔力切れか?﹂
﹁カノン・ディア二発ぶっ放してタラスクを二体仕留めたんだ。大
戦果だろ﹂
﹁つくづく、歩兵の戦果じゃないな﹂
笑い出しながら、ボールドウィンはタリ・カラさんを見る。
﹁月の袖引くも無事に帰って来たんだな。ビスティがずっと心配し
てたぜ。いまは中にいる﹂
1287
倉庫を指差したボールドウィンに頭を下げて、タリ・カラさんは
団員たちに倉庫の中へ入るよう指示を出す。
﹁スイリュウへの魔力供給、それから水の補給もしてください。も
う空になっているはずです﹂
﹁お嬢様、お食事の方は?﹂
﹁炊き出しを利用させてもらいましょう。ボルスからの撤退作戦で
保存食を使う事になるかもしれません﹂
タリ・カラさんの言葉に頷いて、レムン・ライさんが炊き出しを
利用することを団員たちに伝える。
タリ・カラさんがボールドウィン達に睨まれている整備士君を見
た。
﹁軍の方がこちらにどのようなご用件でしょうか。伝令役には見え
ませんが?﹂
﹁伝令の数が足りないので、整備士まで駆り出されてるんです。そ
れより、月の袖引くの方にもご協力をお願いしたい。鉄の獣も聞い
てください﹂
仕事中です、とばかりに丁寧な口調の整備士君に言われて、耳を
傾ける。
﹁現在、稼働している精霊人機の数に対して魔力供給者が圧倒的に
足りません。避難前の住人にも魔力を提供していただいているもの
の、このままでは二日目に稼働している精霊人機は半数に減ってい
るはずです﹂
現在、ボルスで稼働している精霊人機は軍の所有機が十四機、青
1288
羽根のスカイと月の袖引くのスイリュウを加えて全部で十六機だ。
軍の所有機の中にはワステード元司令官のライディンガル、雷槍
隊機の五機、ベイジルのアーチェの七機も含んでいる。
半数となると、残すのはライディンガルなどの特殊で戦闘能力の
高い機体を優先して残すことになるだろう。
ただ、この手の特注の機体は部品の問題が出てくる。
その証拠に、青羽根のスカイは改造セパレートポールを大型スケ
ルトンに奪われて今は板状の遊離装甲を装備しており、戦闘力がや
や落ちていた。
ボールドウィンが不満そうに腕を組んで整備士君を顎で示す。
﹁こいつ、というか軍からの要請で、スカイとスイリュウに回す魔
力を軍の精霊人機に回せ、とさ﹂
﹁︱︱は?﹂
つまり、開拓者の機体を機能停止させる代わりに軍の精霊人機を
稼働させようという考えか。
﹁お断りします﹂
タリ・カラさんがきっぱりと告げて、これ以上話すことはないと
態度で示すように倉庫へ歩き出した。
ボールドウィンも整備士長を連れて倉庫へ踵を返す。
﹁命がけで仲間を守るため、軍人にならずに開拓団を立ち上げたん
だ。魔力は回さねぇよ﹂
ボールドウィンも倉庫へ消えたのを見送って、整備士君がため息
を吐く。
前髪をかきあげた整備士君は空を見上げた。
1289
﹁そりゃあ、そうだよなぁ⋮⋮﹂
しみじみと呟くからには、整備士君も魔力を融通してもらえるだ
なんて欠片も思っていなかったのだろう。
視線を向けてきたので、俺は肩を竦める。
﹁足をもがれることに賛成はできないな﹂
﹁右に同じ﹂
俺の言葉にミツキが続く。
整備士君が苦笑した。
﹁だよな。自分もこの要請は頭おかしいと思うんだが、階級が上の
奴に言われるとどうしようもなくてさ﹂
﹁どんな奴?﹂
﹁お前らと一緒にリットン湖から帰って来た奴﹂
どうやら整備士の中ではそこそこ階級が高い者からの命令らしい。
俺は呆れつつ、整備士君に同情する。
﹁とりあえず、軍人と開拓者は別の組織の人間だ。摩擦を生みかね
ないからあまり無茶を言うなってその整備士に伝えておけ。次やっ
たら、ワステード元司令官かベイジルに直訴するから﹂
﹁そうするよ。後で他に誰か来るかもしんないけど、同じこと言っ
て追い返してくれていい。どこもかしこも忙しすぎて混乱してるん
だ﹂
﹁帰還と同時に防衛戦だからな。夜までには落ち着くといいが﹂
﹁まったく、しんどい防衛戦だ﹂
1290
互いにため息を吐く。
まだ始まったばかりだというのに、ひどく疲れていた。
1291
第二十一話 回収任務
ぐっすり眠って起きた時には日が沈みかけていた。
戦闘はまだ続いているらしく、リットン湖方面が騒がしい。
ミツキが食事を作っている間に、白いコーヒーもどきを淹れる。
寝起きの頭はぼんやりしていたが、白いコーヒーもどきを喉に流
し込むと幾分かすっきりしてきた。
寝惚け眼をこすりながら、周囲を見回す。
月の袖引くや青羽根とは別の倉庫だ。余っているから遠慮なく使
わせてもらっていたのを思い出す。おかげで出撃していく青羽根や
月の袖引くに安眠を妨害されずに済んだ。
いまの戦況はどうなっているのだろうか。
日が沈む頃になると甲殻系魔物が撤退して、スケルトン種の群れ
がやって来るという話だったけど。
﹁はい、ヨウ君の分﹂
﹁ありがとう﹂
ハムなどを挟んだパンと野菜のスープを食べていると、倉庫の入
り口に人が立ったことをディアとパンサーが教えてくれた。
﹁鍵は開いてますよー﹂
入り口の外に声をかけると、分厚いシャッター越しに﹁失礼しま
す﹂と声が聞こえてきた。
シャッターを開けて入ってきたのは雷槍隊の副隊長だった。
﹁そろそろ起きる頃だろうから戦況を知らせてきてほしい、とワス
1292
テード副指令に頼まれました。お時間、よろしいですか?﹂
﹁ちょうど誰かに聞こうと思っていたところです。お願いします﹂
副隊長の話では、住民はすべてボルスを出たようだ。
﹁ボルスの住民は現在、街道をマッカシー山砦に向けて移動中です。
我々は明後日の朝までボルスで戦闘を行い住民と距離が開くまで待
った後、撤退を開始します﹂
おおよそ、予定通りらしい。
﹁避難誘導している部隊に精霊人機は何機含まれてるんですか?﹂
﹁四機ですね。ボルス防衛に残していた機体の最後の一機、他三機
はリットン湖攻略隊の生き残り機体です。ロント小隊の三機とは違
い、所属部隊がばらばらであったため、連携が必要なボルス防衛よ
りも避難民の護衛が適任と判断したようですね﹂
﹁その四機の魔力はどうしてるんですか?﹂
﹁避難民から魔力供給を受けることで合意が取れています﹂
途中で魔力不足を起こして立往生という事態は免れるらしい。
ならば、俺たちの仕事はボルスに魔物を足止めしておくことだ。
現在ボルスで稼働しているのは雷槍隊機五機とワステード元司令
官のライディンガル、ベイジルのアーチェ、ロント小隊の三機、更
に青羽根のスカイと月の袖引くのスイリュウの十二機だ。
魔物の群れが相手でも十分な戦力のはずだが、無傷の機体はスイ
リュウだけという有様で、雷槍隊機はどれも槍の魔導鋼線が焼き切
れてしまって修理中だという。
﹁明日の昼にはロント小隊の三機の稼働を停止、魔力を他の機体に
回す計画です﹂
1293
副隊長はそう言って、倉庫を出ていく。
俺とミツキも食事を終えて精霊獣機に跨った。
戦場へ向かいながら、夜からのスケルトン種との戦いに関してミ
ツキと対策を立てることにした。
﹁魔力は回復したけど、大型スケルトンに対物狙撃銃は効かないよ
な﹂
﹁魔力膜があるからね。遊離装甲の浮いている範囲を考えると、カ
ノン・ディアでも効果があるか分からないよ﹂
﹁精霊人機に一任するしかないな。スケルトンが相手だと自動拳銃
も効果がないし⋮⋮。魔導手榴弾の残弾は?﹂
﹁節約していけば大丈夫だと思うよ。手ごろな魔導核があれば作れ
るけど、時間もないから補給は無理だね﹂
﹁防衛戦では魔導手榴弾を温存して、撤退戦に備えた方が良いか﹂
戦場に到着して、民家の屋根の上にディアで飛び乗る。
戦場全体を俯瞰して、眉を寄せた。
﹁甲殻系魔物が撤退してないな﹂
戦場の至る所で甲殻系魔物との戦闘が繰り広げられていた。
ロント小隊の精霊人機が数を減らそうと奮闘しているが、森の中
から次々に現れる甲殻系魔物の群れに手が回っていない。
﹁新しいタラスクが現れて指揮を執っている、わけでもないね﹂
ミツキが森の方を見て首を傾げる。
日が落ちて月明かりに照らされた暗い森は中、小型魔物を覆い隠
すが、タラスクほどの巨体であれば夜でも発見できるはずだ。
1294
索敵魔術にも反応はない。
俺たちが戦線を離脱してからも激しい戦闘が続いていたらしく、
タラスクの死骸は森に放置されている。歩兵たちが形作る前線にも
甲殻系魔物の死骸やスケルトンの物と思われる白骨が散らばってい
て、ひどい状況だった。
﹁とにかく、甲殻系魔物を狙って行くしかないな﹂
﹁森の中の狙撃、できる?﹂
暗い森の中とはいえ、月の明かりはある。索敵魔術で大まかな標
的の位置を探り出し、木の葉の隙間に姿を現した瞬間に狙えば当て
ることは難しくない。だが、頭などを撃って即死させるのは諦めた
方が良い。
タラスクと精霊人機の戦闘が行われた辺りは木々がなぎ倒されて
いる事もあり、狙撃は可能だろう。こちらであればヘッドショット
も十分狙える。
ミツキと一緒に狙撃を開始すると、銃声で俺たちの現場復帰に気
付いたのか、青羽根から顔を出してほしいと連絡があった。
何か問題が起きたのかと思いつつ、屋根を下りて青羽根の陣まで
急ぐ。
青羽根と月の袖引く、さらに今回の防衛戦に運悪く巻き込まれた
開拓者たちで構成されているその一角に辿り着くと、凄腕開拓者が
歩兵たちの指揮を執っていた。
デュラ出身の素人開拓者とは違って実戦経験豊富なためか、開拓
者たちは素直に凄腕開拓者の指揮に従って安定した戦いぶりを見せ
ている。
どうもあの二人、実際に戦うよりも指揮官として働く方が実力を
発揮できるタイプらしい。
﹁この戦いが終わったら一緒に開拓団を立ち上げようって話してい
1295
るのが聞こえたんだけど﹂
凄腕開拓者とその他の開拓者たちの会話を小耳にはさんでしまっ
たミツキが心配そうに言う。
﹁みなまで言うな﹂
この厳しい戦況を乗り越えたとなれば、一種の連帯感が生まれる
だろうし、開拓団を立ち上げたいと考えるのも無理からぬことだ。
青羽根の陣に到着すると、ボールドウィンと整備士長、更に月の
袖引くのタリ・カラさんとレムン・ライさんが待っていた。
﹁来たな。時間がないから手短に話すぜ﹂
ボールドウィンが話したのはギルド所有の精霊人機の回収作戦だ
った。
俺とミツキがワステード元司令官率いる混成軍を連れ帰って戦場
に入った時に、背中をハンマーで叩き潰されていた機体だ。
﹁操縦士の生存は絶望的だと思っていたんだが、さっき拡声器で救
援を要請する声が流れた。いまのいままで気絶してたらしい﹂
﹁それで、操縦士を救助しようって事か﹂
﹁それもある。だが、精霊人機そのものも回収したい﹂
﹁なんで?﹂
操縦士だけならともかく、破壊された精霊人機も回収する意味が
分からず、ミツキが首を傾げる。
精霊人機ほどの大きなものを戦場から回収するとなると同じく精
霊人機が必要になる。手間がかかりすぎるだろう。
タリ・カラさんが口を開いた。
1296
﹁機能停止してこそいますが、足回りや腕周りの部品はほぼ無傷で
す。何とかして部品を回収したいというのが一つ。それにもう一つ、
これが重要なのですが、あの精霊人機が積んでいる蓄魔石にはまだ
かなりの量の魔力が残っているはずなのです﹂
魔力不足を少しでも改善するためにあらゆるところから魔力を回
収しようという方針らしい。
﹁話は分かったけど、問題の精霊人機の場所は?﹂
﹁森に少し入ったところに倒れてる。運搬にはスカイとスイリュウ
を使うけど、足元がどうしても疎かになるから随伴歩兵役が欲しか
ったんだ﹂
ボールドウィンに言われて、森に目を向ける。
月明かりはあるが、普通の歩兵が精霊人機の足元を守りながら戦
える環境ではない。ましてや、相手は中、小型魔物の群れだ。
俺とミツキなら暗所でも索敵能力や攻撃力、機動力の関係で戦闘
が可能で、精霊人機の速度にも合わせられるとボールドウィン達は
考えたのだろう。
﹁分かった。スケルトン種が来るまでに回収を終えよう﹂
俺とミツキでもスケルトンが相手では攻撃力が足りなくなる。行
動は早い方が良い。
﹁よし、すぐに出るぜ。タリ・カラさんも用意してくれ﹂
﹁分かりました﹂
ボールドウィンとタリ・カラさんが各々の愛機へ戻って行く。
1297
ボールドウィン達の準備が整うまでにレムン・ライさんから聞い
た作戦の内容は単純明快、スカイとスイリュウで機能停止した精霊
人機の手足を持ち、開拓者たちが守る前線の横、青羽根と月の袖引
くが確保している退路へ運び込むというものだ。
他の部隊の攻撃に巻き込まれないように高速で移動することが求
められるものの、難しい仕事ではない。
スカイとスイリュウが起動し、立ち上がる。
﹁ちょっくら行ってくる!﹂
﹁退路の確保をお願いします﹂
ボールドウィンとタリ・カラさんが自身の開拓団に声をかけて、
愛機を駆けさせた。
俺もディアを前進させる。
並走するミツキと共に索敵魔術で森の中の魔物を探り、スカイと
スイリュウに遅れないよう戦闘を避けて機能停止している精霊人機
に駆け寄る。
暗い森の中、精霊人機の遊離装甲が散らばっていた。
﹁ヨウ君、一度精霊人機の上に乗って魔物を蹴散らそう﹂
ミツキが指差したのは森にうつぶせになって倒れている精霊人機
の上だ。ブレイククレイが三体、陣取っている。
﹁ちょっと失礼!﹂
ディアを加速させて跳び上がらせ、精霊人機の上に着地すると同
時にブレイククレイの頭を対物狙撃銃で破壊する。
俺に気付いたブレイククレイが迎撃のために方向を転換する合間
にさらに一射、二体目のブレイククレイを撃ち殺す。
1298
俺に向き直ったブレイククレイが鋏を振り上げて威嚇するが、そ
の頭にミツキが操るパンサーが着地した。
後ろ脚の爪でブレイククレイの甲殻を引き剥がしたパンサーがそ
の場を飛び退くと同時に、甲殻を引き剥がされて白い身を晒してい
るブレイククレイにミツキが銃撃を加える。
ブレイククレイが体を痙攣させた。
死んではいないが、筋肉をやられているからもうまともに動けな
いだろう。
ミツキと共に精霊人機の上から地面に飛び降りる。
﹁スカイ、スイリュウ、回収を始めてくれ!﹂
声をかけると、スカイが脚、スイリュウが腕を持って精霊人機を
持ち上げた。
ゆっくりと動き出すスカイとスイリュウの足元を駆け回り、魔物
の処理を始める。
﹁ミツキ、そっちのエビを頼む﹂
﹁頼まれた﹂
群れのど真ん中だけあって、四方八方から魔物がやって来る。
自然と魔物を略称で呼び合いながら、手分けして処理する。
森の中で取り回しがしにくい対物狙撃銃を構え、小刻みにディア
の角の上を動かして射撃角度を変えながら中型魔物を狙い撃つ。
スイリュウの足元に魔力袋持ちらしいブレイククレイが駆け寄っ
た。
狙撃をするには位置が悪いと判断して、ディアの速度を上げ、側
面から勢いよくぶつかって弾き飛ばす。
身体強化をしていたらしいブレイククレイは側面攻撃に足を踏ん
張って耐えて見せた。
1299
ディアがなおも前進しようとしてブレイククレイを横から押し込
む。ディアの押し出しに堪えているブレイククレイは完全に動きが
止まっていた。
﹁︱︱真っ暗闇の世界へ行ってらっしゃい﹂
対物狙撃銃でブレイククレイの目玉を至近距離から射撃し、破壊
する。
わずかに怯んだブレイククレイを、カノン・ディアの衝撃にも耐
える強靭なディアの首の力を使い、角で跳ね上げる。
体が浮いたブレイククレイが地面に横倒しになってもがくのを横
目に、その場を飛び退いて精霊人機の護衛に戻った。
森の木々にぶつかって転倒しない様に注意しながら、青羽根と月
の袖引くが確保してくれている退路へ向かう。
森を抜けた時、下から突き上げるような縦揺れが大地に広がった。
何事かと震源に目を向ける。
大型スケルトンが二体、森を進んでいた。
﹁ボール、急げ!﹂
青羽根の整備士長がスカイに向かって怒鳴る。
ロント小隊の三機が大型スケルトンを迎撃するため、相性のいい
ハンマーを持って横一列に並んだ。
俺はミツキと共に歩兵と甲殻系魔物が死闘を繰り広げる戦場にス
カイたちより早く突入した。
﹁魔物を一掃する。ミツキはスイリュウの足場を確保!﹂
﹁ヨウ君は!?﹂
﹁圧空で吹き飛ばす!﹂
1300
対物狙撃銃で厄介そうなブレイククレイの足を撃ちぬきながら、
近場のブレイククレイの足をディアの角を使った突進で叩き折って
回る。
ブレイククレイが反撃に火球を放ってくる。
俺は即座にディアの体の向きを調整し、迎撃機能を用いてディア
の角で火球を防いだ。
即座にアクセルを全開にして加速、魔力袋持ちのブレイククレイ
の左鋏の付け根を撃ちぬいて落とし、左わきを駆け抜けざまディア
を軽く跳び上がらせる。
ディアの四本の足が着地と同時にブレイククレイの足をまとめて
踏み砕く。
その場を飛び退かせたディアの背中の上で、いつもポケットに入
れている魔導核に触れ、圧空を起動する。
ブレイククレイが強風にあおられて横転し、アップルシュリンプ
がコロコロと地面を転がった。
俺が圧空で作り出した空白地帯にスカイが足を踏み入れ、ミツキ
が魔導手榴弾で作った空白地帯にはスイリュウが踏み込む。
月の袖引くと青羽根がスカイたちを受け入れるために場所を開け
る。
﹁お嬢様、早く!﹂
レムン・ライさんがスイリュウに向けて声を張り上げる。その目
はスイリュウではなく後方の森を見ていた。
俺はミツキと共に歩兵の上を精霊獣機の跳躍力に任せて飛び越え、
スカイたちを見る。
﹁回収完了!﹂
スカイから作戦完了の声が流れると開拓者たちから歓声が湧き上
1301
がった。
しかし、歓声はすぐに収まって困惑が周囲を包む。
﹁なにするつもりだ⋮⋮?﹂
誰かが森を指差して呟く。
大型スケルトンがタラスクの死骸を前に足を止めていた。スカイ
の改造セパレートポールや赤盾隊の使用する赤塗のセパレートポー
ルを纏った重装甲の大型スケルトンは、タラスクの死骸に手を伸ば
した。
カタカタと下顎骨を上下させて、タラスクの死骸に触れた大型ス
ケルトンは何かを確かめるように甲羅を一撫でする。
直後、タラスクの死骸が浮き上がった。
﹁あいつ、タラスクの死骸を盾にする気か﹂
大型スケルトンが正面にかざした右手の前にタラスクの死骸が遊
離装甲のようにふわりと浮きあがるのを見て、整備士長が確信した
ように呟いた。
だが、大型スケルトンの行動はまだ終わりではなかった。
大型スケルトンは別のタラスクの死骸に歩み寄り、同じ手順で浮
かせる。
浮いた第二のタラスクの死骸は、大型スケルトンの右手の前にあ
る第一のタラスクの甲羅の前に浮かび上がる。
二重のタラスクの甲羅の盾が完成した。
回収屋ことデイトロさんの愛機レツィアの二重遊離装甲と原理は
同じだろう。それをスケルトンがやっている事に驚愕すると同時、
脅威を感じた。
大型スケルトンが残り二つのタラスクの死骸に空洞の目を向ける。
1302
﹁奴を止めろ!﹂
ロント小隊長が柄にもなく拡声器で強く命じる声が聞こえてくる。
呆気にとられていたロント小隊の精霊人機三機がハンマーを構え
て駆け出した。
しかし、両手にハンマーを持ったもう一体の大型スケルトンが進
路をふさぐ。
ロント小隊の三機はすぐに二手に分かれ、一機を両手ハンマーの
抑えに残して、他の二機でタラスクの甲羅を回収している大型スケ
ルトンへ向かう。
大型スケルトンが三つ目の死骸回収を終え、もう一体に手を伸ば
す。
ロント小隊の一機が大型スケルトンの前に到着し、ハンマーを横
薙ぎに振るう。
だが、大型スケルトンは軽く右手を動かして三重になったタラス
クの甲羅でハンマーを受け止め、それどころか腕を伸ばす様にして
タラスクの甲羅を正面に突き出した。
ハンマーの勢いを相殺すると同時の押し出しに、ロント小隊の精
霊人機の体勢が大きく崩れる。
ただでさえ頑丈なタラスクの甲羅を三枚重ねにした強度と、魔力
膜を用いた遊離装甲に似た高いクッション性を有した盾は、精霊人
機が振るうハンマーの脅威をゼロにしていた。
まともにぶつかれば勝てない。
﹁舐めんなぁあああ!﹂
ロント小隊のもう一機が大きく踏み込んで腰をおろし、走り込ん
だ勢いと腰のひねりを乗せてハンマーを振り抜く。精霊人機の腕か
ら青い火花が飛び散った。魔力の過剰供給を受けて腕の魔導鋼線が
焼けているのだ。
1303
まさに渾身の一撃と呼ぶべきハンマーの打撃を、大型スケルトン
は三重のタラスクの甲羅で正面から受け止める。クッション性が高
くとも衝撃を完全に消し去る事は出来ず、甲羅と甲羅がぶつかりあ
う硬い音が響き渡った。
だが、それだけだった。
渾身の一撃は三枚の甲羅の隙間を埋めただけで、大型スケルトン
の右手にまで衝撃が届かなかった。
大型スケルトンが左手でタラスクの甲羅を浮き上がらせた。
精霊人機がハンマーを振り抜いた姿勢から硬直が解けると同時に、
大型スケルトンは左手に浮かせたタラスクの甲羅を横からぶつける。
精霊人機が衝撃に耐えきれずに倒れ込んだ。
大型スケルトンは左手の甲羅を右手の前に連なる三重の甲羅の前
にかざし、四重の盾を完成させる。
直後に、大型スケルトンは右手を振り上げた。
四重の甲羅が右手の動きに合わせて振り上げられる。
ただの盾ではなかったのだと、その時ようやく気付いた。
あれは繋がっていないだけで、四節の多節棍だ。
大型スケルトンが倒れ込んだ精霊人機に向けて四重のタラスクの
甲羅を振り下ろす。
大質量の甲羅が精霊人機の足、腰、胴体、頭を狙って一直線に落
ちていく。
轟音と共に森を形作っていた木々の破片と土砂が吹き上がる。
ハンマーとは比較にならない破壊力が精霊人機に襲い掛かり、原
形もとどめないほどに砕け散った。
1304
第二十二話 伽藍堂に巣食うモノ
精霊人機を砕いた大型スケルトンは四重のタラスクの甲羅をもう
一機の精霊人機に向ける。
同僚を失ったにもかかわらず、四重の甲羅を向けられた精霊人機
の操縦士は冷静にハンマーを構え直し、大型スケルトンに対峙する。
精霊人機は人類側の決戦兵器だ。その操縦士が並み居る兵の前で
醜態を晒すわけにはいかない。
一機壊されただけで、歩兵たちを包む空気が冷え込んだのだ。
﹁⋮⋮雷槍隊とアーチェはまだか?﹂
ロント小隊長が無感情に伝令に訊ねたのが、拡声器越しに聞こえ
てきた。
ロント小隊長も拡声器に触れたままだったことに気付いて魔術発
動を切ったのか、伝令の返答は聞こえなかった。
雷槍隊もアーチェも魔力充填中のはずだ。まだ戦場には出て来れ
ない。
両手ハンマーの大型スケルトンが二機に減ってしまったロント小
隊の精霊人機の一機と戦っている。両手ハンマーはともかく、四重
甲羅の大型スケルトンは精霊人機一機で相手できる相手ではない。
スカイが動いた。
スカイの拡声器から、ボールドウィンの声が流れてくる。
﹁助けてくる。死んだら、すまん﹂
そんな無責任な言葉を残して、スカイがハンマーを肩に担ぎ、大
地を蹴った。
1305
鋭く森の中を駆け抜け、両手ハンマーの大型スケルトンが胴を薙
ぐように振ったハンマーに自らのハンマーをかち合わせる。
圧空の魔術が発動し、大型スケルトンのハンマーを弾き飛ばした
スカイは同じく圧空の魔術で自らのハンマーを一瞬にして引き戻し、
大型スケルトンに当て身を食らわせつつ奥へと駆ける。
スカイの狙いは四重甲羅を掲げた大型スケルトンだ。
スカイが振ったハンマーに大型スケルトンは四重甲羅を合わせた。
銅鑼でも叩いたような音がして四重甲羅がガンガンと音を立てな
がら打ち合わさり、衝撃がついに大型スケルトンの右手に届いた。
しかし、大型スケルトンは右腕を曲げて威力を完全に受け流す。
スカイがハンマーを引くのに合わせて、大型スケルトンが右腕を
伸ばした。四重甲羅を使ってシールドバッシュを行うつもりだろう。
だが、スカイはハンマーを引きながら甲羅へ肩からぶつかった。
正面に突き出されようとしていた四重甲羅が再び大型スケルトン
側へ押し込まれる。
遊離装甲に特有の高クッション性を正面から絶えず衝撃を与える
ことで消失させたのだ。
スカイが一歩引いて、ハンマーを振り被る。
さすがの大型スケルトンもスカイのハンマーが他の精霊人機とは
一線を画す破壊力を秘めている事に気付いたか、後ろに下がる。
スカイが振り抜いたハンマーを四重甲羅で受けて、大型スケルト
ンは先ほどの再現をするように右腕を曲げて威力を流しきった。
そこに、ロント小隊の精霊人機が横合いから攻撃を仕掛けた。
四重甲羅がスカイのハンマーに封殺されている今ならば防御手段
がないと判断したのだろう。
﹁バカ、下がれ!﹂
スカイから、ボールドウィンの焦ったような声が聞こえる。
しかし、忠告むなしくロント小隊の精霊人機は腹部を石の槍に貫
1306
かれていた。
大型スケルトンの魔術だ。
衝撃で後方に吹っ飛んだ精霊人機にボールドウィンが気を取られ
た瞬間を突き、大型スケルトンが四重甲羅を思い切り突き出した。
スカイの足が宙に浮き後方に倒れ込むが、圧空の魔術により着地
の衝撃が和らげられ、我に返ったボールドウィンの操縦により横に
転がりながら体勢を立て直し、大型スケルトンから距離を取る。
大型スケルトンの瞳のないがらんどうの眼窩が転がりながら遠ざ
かるスカイから腹部を貫かれた精霊人機に向けられた。
あの精霊人機、胸の操縦席は無事なはずだ。腹部を石の槍に貫か
れて足に魔力を送る魔導鋼線が軒並み破壊されてはいるだろうが。
大型スケルトンが精霊人機に歩み寄る。四重の甲羅をギロチンの
ように高々と掲げながら︱︱
スカイが立ち上がるが、もう間に合わない。
大型スケルトンが四重甲羅を振り下ろした。
右手に近い甲羅から次々と精霊人機を砕いて行く。
発破を掛けたように、砂煙が巻き上がった。
その時︱︱タラスクの甲羅の一つが横に吹き飛ぶ。
転がるタラスクの甲羅は大型スケルトンの足元で停まった。
砂煙が晴れて、精霊人機の様子が露わになる。
精霊人機は、四重甲羅が直撃する寸前、仰向けに倒れた状態のま
まハンマーを振り上げて操縦席に直撃するはずの甲羅だけを横に弾
き飛ばしていた。
脚も腰も頭も失った精霊人機は、それでも操縦者だけは守り切っ
ていた。
だが、あの精霊人機はもう動けないだろう。
大型スケルトンが足元の甲羅を左手で持ち上げながら再び、右手
に持つ三重のタラスクの甲羅を振り上げる。
﹁させるかよ!﹂
1307
スカイが大型スケルトンに突撃した。
大型スケルトンがスカイの接近に気付いてタラスクの甲羅を再び
四重に構え直す。
スカイがハンマーを振りかぶった瞬間に、大型スケルトンは後ろ
に飛び退いた。
スカイがすぐに距離を詰めようとするが、一拍間が開いている。
そのわずかな間に、大型スケルトンが勢いよく右手を突き出した。
右手が突き出された瞬間に、四重のタラスクの甲羅が間隔を開け
て正面に飛び出す。
多節棍など存在も知らないだろうボールドウィンの反応が遅れた
のが、遠目から見ている俺たちにも分かった。
ハンマーを振る暇もなく、スカイはタラスクの甲羅の直撃を受け
て後方へ短く突き飛ばされた。
バランスを崩して転倒する事態は免れたが、スカイと大型スケル
トンの距離は開いてしまう。
スカイのハンマーの間合いから逃れた大型スケルトンは右手を左
右に振る。右手の動きに合わせて、多節棍と化した四重の甲羅が左
から右へ横薙ぎにスカイを襲う。
いくら戦闘力は軍の専用機に勝るとも劣らないスカイと言えども、
間合いの外から攻撃されては力を発揮できるはずもない。
今この戦場にいる精霊人機は他に二機、内一機はロント小隊の機
体だが、両手ハンマーの大型スケルトンの相手をしていて動けない。
もう一機のスイリュウは歩兵と共に中、小型魔物の駆除を行って
いる。いつまでも引かない甲殻系魔物に加えて、スケルトンが大挙
して押し寄せてきているため、精霊人機の攻撃力が無ければすぐに
前線が押し切られてしまう。
そもそも、魔術を使用するスケルトン種の知能が異常に高すぎる。
前線のスケルトンでさえ、いつの間にかタニシ型の中型魔物ルェ
シの貝殻で大型スケルトンの四重甲羅を再現している始末だ。魔力
1308
膜の範囲が大型スケルトンに比べて狭いためか、二重にしかなって
いないが、組み合わされる魔術攻撃も相まって厄介なことこの上な
い。
対物狙撃銃での狙撃をスケルトンに向けて何度も繰り返す。
しかし、通常のスケルトンはともかく身体強化を施しているスケ
ルトンには効果が薄い。一撃では頭蓋骨にひびを入れるのが精いっ
ぱいで、二撃目を与える前に頭部を保護するようにアップルシュリ
ンプなどの甲殻で遊離装甲を再現し、簡易兜を作る始末だ。
カノン・ディアならば問答無用で破壊できるのだが、魔術を使用
するスケルトンの数が多すぎて手が回らない。
その時、四重甲羅で破壊された精霊人機から拡声器越しに声が響
いた。
﹁頭だ! 頭の中に何か︱︱﹂
操縦士が最後まで言い切る前に、大型スケルトンが四重甲羅を操
縦席に叩きつけた。
それでも、操縦席と共に砕け散った操縦士の最後の言葉は確かに
耳に届いた。
俺はスコープ越しに魔術を使っているスケルトンの頭蓋骨を睨む。
月明かりを頼りに覗きこんだスケルトンの頭の中は真っ暗で、中
身の〝何か〟は見えない。
だが、操縦士が言う通り頭の中に〝何か〟があるのなら、破壊す
ることも可能だろう。
俺は対物狙撃銃の照準を魔術を使うスケルトンの眼窩に固定し、
引き金を引いた。
銃弾が闇を裂き、スケルトンの眼窩を潜り抜け、頭蓋骨の中に飛
び込んだ。
身体強化で硬度を増した頭蓋骨の中を跳弾した銃弾が暴れまわっ
ているのか、頭蓋骨がぐらぐらと揺れた。
1309
頭蓋骨の揺れが収まると同時に、スケルトンが構えていたルェシ
の貝殻を用いた盾もスケルトンの体を覆っていたアップルシュリン
プの甲殻も、重力に従って落下した。
スケルトンの動きがあからさまに鈍くなる。身体強化の魔術が解
けたのだ。
俺は横目でミツキを見る。
双眼鏡越しに観察していたのだろう、ミツキは俺の眼を見て頷い
た。
﹁頭蓋骨の中に何かがあるね。魔力袋かな?﹂
﹁いや、魔力袋は破壊できない。魔力を流し込んで精霊を解放する
以外には消失させる方法がないはずだ。少なくとも、対物狙撃銃の
弾丸で壊せる物じゃない﹂
﹁だとすると⋮⋮﹂
ミツキは双眼鏡を覗き込み、魔術が使用できなくなったスケルト
ンを観察する。
スケルトンはフラフラと歩いているようだが、頭蓋骨を支えてい
る首の骨に赤い血が伝っているのが見えた。
﹁もしかして、頭蓋骨の中に別の生き物が入ってる?﹂
ミツキの言葉にハッとして、他のスケルトンに狙いをつける。
頭蓋骨の中に銃弾を飛び込ませて様子を見ると、やはり魔術を使
用できなくなって首の骨に赤い血を伝わせていた。
確定とみていいか。
﹁頭の中に入っている小さな別の生き物が魔術を使用してるんだ。
知能もおそらく、こいつに由来してる﹂
1310
寄生か、共生か、とにかくスケルトンを利用する形で生きている
何らかの生き物だろう。
それも、かなり頭のいい生き物だ。
﹁ミツキ、このことをロント小隊長に伝えてくれ。俺はここからス
ケルトンの狙撃を継続する﹂
正体は分からないが、頭蓋骨の中へ直接銃弾を放り込めば倒せる
と分かった以上、狙撃の出番だ。
ミツキがパンサーに乗ってロント小隊長の下へ駆け出す。
俺は狙撃を続けようとスコープを覗きこみ、気付く。
魔術を使用できるスケルトンが一斉にこちらを見ている事に。
﹁︱︱ちっ!﹂
舌打ち一つ、すぐさま狙撃地点を変えるべくディアを飛び退かせ
る。
直後、俺がさっきまでいた場所に無数のロックジャベリンが突き
刺さった。
退避が僅かでも遅れていたら、串刺しになって死んでいただろう。
ディアの速度で離脱する俺をとらえきれていないのか、スケルト
ンたちが放つ魔術は俺に当たらない。
魔術攻撃を止めたスケルトンたちが周囲を見てアップルシュリン
プの甲殻を用いた簡易兜をかぶり始める。ご丁寧に頭部前面はスリ
ット型にして視界を確保しつつ狙撃に対応している。
俺は民家の裏に隠れてスケルトンたちから隠れ、ミツキと合流す
る。
﹁ヨウ君、怪我はない?﹂
﹁大丈夫だ。スケルトンの狙いが甘くて助かった﹂
1311
俺が両手を上げて無傷をアピールすると、ミツキはほっとしたよ
うに微笑んでから、鋭い目つきでスケルトンたちを見た。
﹁狙撃を警戒し始めてるね﹂
﹁あぁ、ただでさえ眼窩から中に銃弾を撃ちこんでやらないと倒せ
ないのに、狙撃対策までされると正直お手上げだ﹂
とはいえ、簡易兜に使われているアップルシュリンプの殻くらい
ならば対物狙撃銃で破壊が可能だ。こまめに移動しつつ狙撃してい
けば何とかなるだろう。
それに、頭の中にいる生き物を殺せば魔術が使用できなくなると
分かったのは戦術面で大きな成果だ。
ロント小隊長が各所に伝令を出し、拡声器で魔術を使用するスケ
ルトンの頭蓋骨の中に生き物がいる事、それが魔術の発生源である
ことを告げる。
弱点が分かれば戦況はこちら側に傾く、そう思っていたのだが、
事態はそううまく運ばなかった。
魔術を使用するスケルトンは軒並みアップルシュリンプの甲殻で
出来た簡易兜をかぶっているため、歩兵では頭蓋骨の中を攻撃でき
ないのだ。
スケルトンたちは甲殻系魔物や通常スケルトンに白兵戦を任せ、
後方から魔術を放っているのもたちが悪い。
タリ・カラさん操るスイリュウがシャムシールで攻撃を加えてい
るが、ルェシの貝殻を重ねた盾などで威力を殺されて致命傷を与え
ることができていない。
ここにきて、戦況は膠着状態を迎えつつあった。
しかし、日付が変わってしばらくしたころ、唐突に戦況は魔物有
利に傾く。
スカイが四重甲羅のスケルトンから大きく距離を取り、前線に下
1312
がって来た。
魔力切れを起こしたのだ。
無理もない。四重甲羅を相手にやり合おうと思えば全力の攻撃を
せざるを得ない。
だが、スカイの戦線離脱はただでさえ余裕のない戦場に魔物側最
大戦力である四重甲羅が解き放たれたことを意味していた。
1313
第二十三話 ベテラン達
スカイが歩兵の作る陣地を越えて戻って来るなり、拡声器からボ
ールドウィンが青羽根の仲間へ指示を出してくる。
﹁回収した精霊人機から魔力を移してくれ!﹂
﹁言われなくても準備できてる。さっさとこっち来い﹂
整備士長が答えると、スカイが駐機状態になった。
ロント小隊から伝令が走ってきて、ボールドウィンから四重甲羅
についての情報を聞き出してロント小隊長へ伝えに戻って行く。
スカイが抜けた穴を埋めるため、スイリュウが四重甲羅の大型ス
ケルトンに向けて駆け出した。
いくらウォーターカッターでも四重甲羅をまとめて貫く威力はな
い。改造シャムシール流曲刀であれば可能だろうが、突き刺した直
後に甲羅を動かされると流曲刀が折れてしまいかねない。
タリ・カラさんもそれを理解しているのか、足止めに専念しよう
としているのがスイリュウの動きから読み取れた。
スイリュウが抜けたために歩兵たちが繰り広げる白兵戦が凄絶さ
を増す。スイリュウが蹴散らしていた中、小型魔物が押し寄せてく
るため、歩兵たちに負傷者が急激に増加していく。
﹁何か対策を立てないといけないんだけど、有効な策もないな﹂
﹁戦力が圧倒的に足りないからね﹂
ロント小隊の精霊人機が二機も倒されたのは戦力的にかなりの痛
手だ。
この場で稼働している精霊人機は三機、魔力切れも近い。
1314
大型スケルトンも脅威だが、甲殻系魔物や通常のスケルトンの裏
に隠れて魔術を放ってくるスケルトンも地味にいい仕事している。
歩兵側からも魔術スケルトンへロックジャベリン等の反撃が飛ん
でいくが、ルェシの貝殻を二枚重ねた盾で防がれてしまう。うまく
不意を突いた一撃も、首を傾げるような仕草で躱す。ようやく当て
たと思えば、アップルシュリンプの甲殻で出来た簡易兜に防がれる。
魔術師は防御力が低いってセオリー無視しやがって。
建物の陰から魔術を使用するスケルトンの眼窩を狙って射撃し、
アップルシュリンプの殻で出来た簡易兜を破壊。スケルトンの頭蓋
骨の中で跳弾させて魔術を使用できなくする。
現状、魔術スケルトンへの対抗策は俺の狙撃くらいしかなくなっ
ている。
だが、魔術スケルトンも俺に対して脅威を感じているのか、狙撃
された直後に俺を指差して仲間に位置を知らせている。
ディアを加速させて建物の陰を離脱すると、俺がいた場所にロッ
クジャベリンが飛来してきて地面を穿った。
一発ごとに大きく狙撃地点を変更しないといけないため、タイム
ロスが大きい。狙撃手としてはこちらの方が正しい姿と認識してい
ても、いまは時間が惜しい。
姿をまた建物の陰に隠しつつ、スコープを覗きこむ。
﹁︱︱やばっ!﹂
片手でディアを操作し、その場を飛び退く。
ロックジャベリンが飛んできて、ディアの足をかすめた。
俺がどこから狙撃するかを読んでいたらしい。
狙撃さえ難しくなると、いよいよ魔術スケルトンへの有効策がな
くなる。
人間側の圧倒的な劣勢だ。前線も徐々に下がり始めている。
ミツキがボルスの地図を広げた。
1315
﹁こうなったら遠距離狙撃しかないと思うよ。ギルド館の屋根から
狙えば、スケルトンの攻撃も届かないと思う﹂
﹁そうはいっても、暗すぎてこの距離からスケルトンの頭の中に鉛
弾放り込むのも難しいくらいだ。ギルド館から前線までどれくらい
あるんだよ﹂
﹁おおよそ八百メートルかな﹂
前線まで八百なら、スケルトンまでの距離は九百メートルから一
キロか。
ディアの照準誘導を使っても難しい距離だ。頭蓋骨を吹っ飛ばす
だけならいけるけど、眼窩を狙うとなると、正直なところ自信がな
い。
地図を見ながら狙撃地点を選定していると、ロント小隊から伝令
がやってきた。
﹁鉄の獣に精霊人機の魔導核、蓄魔石の二つを回収してきてほしい﹂
﹁無茶言うな。いま魔術スケルトンに︱︱﹂
言い返しかけて、俺は慌てて伝令の首根っこを掴んでディアを向
かいの家の屋根に飛び乗らせた。
直後に、俺たちが隠れていた民家がロックジャベリンでハチの巣
にされる。
伝令が建物の陰に隠れていなかったからとっさに行動したが、案
の定か。
魔術スケルトンでなくとも、人が建物の陰の何者かと話をしてい
たら何かあると思うよな。
伝令が顔を青くするのを横目で確認しつつ、屋根を飛び下りる。
頭上をファイアーボールが三つ、飛んで行った。
地面に着地して、伝令を下ろす。
1316
﹁こんなわけだ。外に出た瞬間、捌き切れない量の攻撃が飛んでく
る。森の中に入るのは自殺行為なんだよ。諦めてくれ﹂
こちらは手一杯だと伝えると、伝令も素直に頷いてくれた。
﹁ロント小隊長に伝えておきます﹂
﹁そうしてくれ。俺たちは隠れながらちまちま魔術スケルトンを削
る﹂
伝令と別れて、俺はミツキと共にギルド館の前に立つ建物の屋根
にディアで飛び乗った。
さすがの魔術スケルトンも、距離がありすぎて俺たちが見えてい
ないらしく攻撃は飛んでこない。
スコープ越しに魔術スケルトンを狙う。皮肉なことに、魔術スケ
ルトンはアップルシュリンプの甲殻で頭を保護しているため容易に
見分けがつく。
だが、距離がある上に夜の闇の中という事もあって、スリット上
の兜の正面を見ても眼窩の位置が判別できない。
とはいえ、スケルトンの個体差なんてあってないようなものだ。
人間に照らし合わせれば大体の位置はつかめる。
﹁では、狙撃開始と行こうか﹂
引き金を引いて魔術スケルトンを仕留める。
﹁完璧だよ、ヨウ君﹂
﹁自分の才能が怖︱︱﹂
言いかけて、俺はミツキと一緒に建物の屋根から飛び降りた。
1317
直後、巨大な石の槍が建物を破壊してさらに奥のギルド館を崩壊
させる。
魔術スケルトンの代わりに四重甲羅の大型スケルトンがロックジ
ャベリンをぶち込んできやがった。
﹁なに、アレ。まじで、何アレ。全力すぎるだろ﹂
背筋に冷たいモノを感じながら、全速力で離脱する。
﹁スイリュウの足止めがあっても、魔術での遠距離攻撃は可能みた
いだね﹂
ミツキも青い顔をしながら、遠目に四重甲羅の大型スケルトンを
警戒する。
狙撃に気付いた魔術スケルトンが俺の事を指差しているのは離脱
前にスコープで確認できたが、どうして位置がばれたのか分からな
い。
姿を隠した後、もう一度スコープを覗きこんで魔術スケルトンを
観察する。
やはり、俺たちが見えている様子はない。
魔術スケルトンを何体か確認して、気付く。
﹁あいつら、何体かのグループごとに別々の方角を向いて、狙撃さ
れた仲間の向いている方向から狙撃位置を割り出してるのか﹂
眼窩を正確に撃って銃弾を頭蓋骨の中で暴れさせなければ魔術ス
ケルトンは倒せない。つまり、ただのヘッドショットとは違う。
東を向いている仲間が狙撃されて死んだなら、東側から狙撃され
ている。南側を向いていた仲間が狙撃されたなら南、西側を向いて
いたなら西。
1318
仲間の犠牲を前提に俺の位置を割り出そうとしているのだ。
﹁どうしたもんかな﹂
﹁四重甲羅の大型スケルトンをどうにかしないと、本当に負け戦だ
ね﹂
ミツキが双眼鏡を四重甲羅の大型スケルトンに向ける。
スイリュウが挑発するように四重甲羅をシャムシールで弾くが、
一枚目の甲羅を弾いた直後にその後ろの二枚が突き出される。
甲羅の一枚一枚が独立しているため、一番前の甲羅を弾いて隙が
できたスイリュウに二枚目が間髪を入れずに襲ってくるのだ。
スイリュウが二枚目の甲羅をサイドステップで躱し距離を取る合
間に、大型スケルトンは弾かれた甲羅を元に戻していた。
攻め手に欠けている。
両手ハンマーと交戦中のロント小隊の精霊人機も動きに精彩を欠
いていた。同僚を二人も失った直後だから無理もない。
魔力の補充を終えたスカイが立ち上がり、戦線に復帰する。
スイリュウと共に四重甲羅に対処し始めたスカイに内心で喝采を
送りつつ、俺は魔術スケルトンへの狙撃を再開した。
四重甲羅をスイリュウとスカイが抑えてくれている間に、魔術ス
ケルトンの数をとことん減らしてやろう。
ミツキに四重甲羅の大型スケルトンを警戒してもらいつつ、魔術
スケルトンの攻撃範囲外から一方的に銃撃を加えていく。
五体目の魔術スケルトンを撃ち殺して弾倉を入れ替えた時、スイ
リュウが魔力切れを宣言して下がった。
四重甲羅に対処しようとするとどうしても無理な動きをすること
になるため、魔力の消費が激しいらしい。
すでに狙撃位置が割れているのは間違いないため、俺たちはすぐ
に別の場所へ隠れた。
四重甲羅とスカイが激しい戦闘を繰り広げる。戦闘の余波で森の
1319
木々が倒れて広場のようになっていた。
連なる四重の甲羅が蛇のように縦や横に振り回される度、スカイ
はハンマーを小さく振って甲羅にかち合わせていく。圧空による加
速があるため速度の上でも威力の上でも四重甲羅に競り負けずに済
んでいるが、魔力消費は激しい。
夜明けが近付いてくる。
星明かりも消え失せて日の出前の暗闇が訪れた。
これでは狙撃もままならない、そう思った矢先︱︱
四重甲羅が炎を纏った。
暗闇に煌々と燃え上がった四重甲羅で、大型スケルトンはスカイ
を弾き飛ばす。
闇の中で唐突に炎を纏わせた四重甲羅は実際以上に大きく見える。
間近で命をかけた戦いをしているボールドウィンにとってはなおさ
らだろう。
スカイが大きく回避行動をとりつつ、追撃に備えてハンマーを構
えた瞬間、四重甲羅の大型スケルトンの頭蓋がボルスに向けられた。
ぞっとしたのは、俺やミツキだけではなかったはずだ。
大きく回避行動をとったボールドウィンの判断ミスをあざ笑うよ
うに、四重甲羅の大型スケルトンは大地を蹴る。
向かう先は︱︱歩兵隊。
﹁︱︱しまった!﹂
炎を纏わせた四重の甲羅を振りかぶりながらの大型スケルトンの
疾走にスカイが遅れて駆け出す。
だが、両手ハンマーの大型スケルトンがロント小隊の精霊人機か
らわずかに距離を取ってスカイをけん制した。
敵ながら見事な連携だ。
骨ばかりにもかかわらず巨大な足で重々しい疾走音を立てながら、
四重甲羅の大型スケルトンが歩兵部隊へ突貫する。
1320
甲殻系魔物を踏み潰しながらも急停止した大型スケルトンは、歩
兵部隊を端から蹂躙するように炎を揺らめかせる四重甲羅を横に振
る。
熱波を放つ四つの甲羅が端にいた歩兵部隊を轢き殺し、焼き尽く
す。
絶望に染まった叫び声が木霊する。
とどめの一撃とばかりに、大型スケルトンが四重甲羅を振り上げ
る。夜明け前の漆黒の闇に炎を噴き上げるそれは、もはや破壊の象
徴だった。
ひどくゆっくりと時間が流れていく。実際にはほんの一瞬の出来
事でしかないはずの大型スケルトンの動作が圧倒的な情報量で網膜
に焼きつけられる。
振り下ろされる四重の甲羅と、それが纏う炎の揺らめき、タラス
クの肉が焼ける猟奇的な臭気、歪な形で闇空へ上がる汚い煙。
刹那、風を切り裂く轟音と共に、地面と水平に巨大な石の矢がボ
ルスの上空を飛び越え、大型スケルトンが構えていた四重甲羅の最
奥の一枚を弾き飛ばした。
大型スケルトンが動きを止める。
飛んでいく甲羅の行方を大型スケルトンが見送る間に、さらにも
う一本の矢が高速で迫り、甲羅をまた一枚、彼方へと弾き飛ばす。
﹁︱︱ここはボルスと申しまして﹂
拡声器越しの静かな声が響いてくる。
直後、疾風を纏う石の矢が二枚に減った炎を纏う甲羅の一枚を弾
き飛ばす。
﹁英雄が眠る土地故﹂
静かな、怒りをはらんだ声はさらなる矢を伴って大型スケルトン
1321
に届く。
﹁お静かに願います﹂
大型スケルトンがとっさに炎を纏う最後の甲羅を掲げた瞬間、防
御されることを見越したようにわずかに狙いを逸らした石の矢が甲
羅の端に衝突する。
端に加えられた衝撃で、炎を纏う甲羅が疾風に煽られた風見鶏の
ように回転する。
大型スケルトンが弾き飛ばされた三枚の甲羅を回収するため開い
た左手を伸ばした瞬間、雷雲のような黒に染められた大型の機体が
森から飛び出した。黒塗りの遊離装甲が重なり合い、雷鳴にも似た
音が轟く。
﹁貴様が相手であれば、整備士たちも文句を言うまい﹂
稲妻の如く鋭く素早い突きが大型スケルトンの左手を砕き、尺骨、
上腕骨を粉砕する。
大型スケルトンは一歩下がって一枚になった甲羅を掲げ、追撃を
防ごうとした。
しかし、黒い機体は槍を半回転させ甲羅の側面に柄をぶつけて弾
き、一歩踏み込みながら石突きを大型スケルトンへ繰り出した。
﹁光栄に思え。この私が殺す気で相手をしてやる﹂
拡声器越しに宣言したのはワステード元司令官、操る黒い機体は
雷槍隊隊長機、ライディンガル。
国軍が誇る専用機の中でも特注の、ワステード専用機体。
﹁︱︱機体を壊すつもりでな﹂
1322
次の瞬間、ライディンガルが猛攻を開始した。
槍が縦横無尽に閃き、大型スケルトンが身に纏っている遊離装甲
を弾き飛ばしていく。
大型スケルトンは甲羅を盾に身を守ろうとしているが、明らかに
速度負けしていて追い付いていない。それどころか、ライディンガ
ルは甲羅にわざと攻撃を当てることで大型スケルトンの右手に圧力
を加えて動きを封じるのに利用している。
仲間の窮地に気付いたハンマー両手持ちの大型スケルトンがスカ
イとロント小隊の精霊人機をけん制しながらロックジャベリンを放
つ。
飛来するロックジャベリンは正確に操縦席を狙っていたが、ライ
ディンガルは槍を反転させる片手間にロックジャベリンの側面を正
確に叩いて軌道を逸らす。同時に蹴りを放って甲羅持ちの大型スケ
ルトンの足を覆っていた遊離装甲を弾いた。
群れのボスの窮地に、魔術スケルトンが一斉にライディンガルへ
攻撃を加えようとする。
ライディンガルが大型スケルトンが持つ甲羅から垂れ下がってい
るタラスクの足を槍の穂先で斬りつけた。
軽く槍が振るわれると魔術スケルトンに血の雨が降り注ぐ。
パリッと槍の穂先から紫電が舞った直後、魔術スケルトンに雷が
降り注いだ。
その合間にも、石突きによって甲羅持ちのスケルトンは身を守る
ための遊離装甲を弾き飛ばされている。
広範囲への隙のない攻撃。まさに、攻撃は最大の防御と言わんば
かりに相手から余裕を奪い去る壮絶なまでの猛攻。
機体の剛性も弾性も知り尽くした精密な動きに、嵐のような激し
さと雷のような鋭さが混ざる。
気付けば、甲羅持ちの大型スケルトンは歩兵の作る前線から離さ
れていた。
1323
ライディンガルの猛攻を前に後退を余儀なくされたのだ。
空が白み始める。
スケルトンたちが浮足立ち、撤退を開始した。
両手ハンマーの大型スケルトンは魔力切れが近いロント小隊の精
霊人機を弾き飛ばし、スカイに片手のハンマーを投げつけて隙を作
り、撤退する。
甲羅持ちの大型スケルトンが最後の一枚の甲羅をライディンガル
に投げつけて大きく飛び退き、逃げ出そうと背を向けた瞬間、動き
を止めた。
森の中から、雷槍隊機が次々と姿を現す。
機体の黒さで日の出前の暗闇にまぎれて森に入り、片膝をついた
駐機姿勢で隠れていたのだ。
大型スケルトンはライディンガルに追い立てられ、雷槍隊の作る
包囲網の中に飛び込んでいた。
﹁︱︱指揮官が何も考えずに特攻するとでも思ったか?﹂
大型スケルトンの背中に声をかけて、ライディンガルが槍を突き
出す。
身体強化で硬化した背骨にひびが入った。
﹁硬いな。まぁいい。囲めばじきに終わる﹂
雷槍隊の五機が一斉に槍を構え、大型スケルトンの頭蓋骨目がけ
て突きを放つ。
周りを囲まれてはなすすべもなく、大型スケルトンは急所である
頭蓋骨を砕かれた。
1324
第二十四話 超大型来襲
四重甲羅の大型スケルトンが討伐された事で、歩兵たちが歓声を
上げる。
すでにボロボロの状態で、大型スケルトンの一撃で多数の死者も
出ている。精霊人機も二機破壊され、スケルトンたちが撤退しても
人間側の劣勢は変わらない。
それでも、兵士たちは歓声を上げていた。己も、周囲も、奮い立
たせなければ魔物に蹂躙されてしまうと分かっているがゆえに。
俺がそれを見つけたのは偶然だった。
極まった空元気を見ていられなくて、大型スケルトンの末路を見
届ける振りをして顔をそむけたのだ。
砕かれた大型スケルトンの頭蓋骨から何かが落下したのが見えた。
白い、ともすれば頭蓋骨の破片に紛れてしまいかねない何か。
直感的にスコープを覗きこみ、落下していくそれを見る。
白い顔、白い矮躯、やせ細った子供のような、十センチほどの人
型の何かが破片に混ざって落ちていく。
白い人型は頭蓋骨の破片と共に森へと落ちていく寸前、重力に逆
らうように一瞬だけふわりと持ち上がった。同時に。周囲の木々が
不自然に揺れる。
あの動きには覚えがある。他でもない、俺自身が行った事のある
動きだ。
﹁風魔術での落下速度軽減⋮⋮?﹂
頭の中で歯車が噛み合う。
大型スケルトンの頭蓋骨から落ちてきた魔術を使う白い人型。そ
んなモノ、正体は決まっている。
1325
﹁あれが魔術を使うスケルトンのカラクリか﹂
だとすれば、四重甲羅を始めとした魔術もスケルトンの頭蓋骨に
入っていたあの白い人型の仕業なのか?
いや、魔力膜そのものはスケルトンの魔術だ。甲羅に纏わせた炎
が白い人型の仕業と考える方が妥当な気がする。
問題なのは、四重甲羅の大型スケルトンの行動はどちらが主導し
ていたのかだ。
もしも、白い人型の方が意思決定を行っていたのだとすれば、ボ
ールドウィンを出し抜いて歩兵を叩こうとした戦術眼の持ち主もあ
の白い人型という事になる。
可能なら狙撃するなりして倒してしまいたいが、的が小さすぎて
森に完全に隠れてしまっている。索敵魔術でも十センチなんて指定
をすればトカゲやネズミまで引っかかってしまい追跡は困難だ。
﹁ミツキは見たか?﹂
﹁何を?﹂
ミツキが首を傾げる。
﹁白い人型の何かが落ちて行った。多分、魔物だ。スケルトンが魔
術を使ったのも多分、あれの仕業だと思う﹂
大きさなどを説明すると、ミツキは頷いてロント小隊を指差した。
﹁報告しておこう﹂
﹁そうだな﹂
ディアで前線のやや後ろに止まっているロント小隊の整備車両ま
1326
で走る。
スケルトンが撤退した事で甲殻系魔物のみを相手することになっ
た歩兵隊が幾分か余裕を取り戻していた。
夜になればまたスケルトン種が現れるのかも知れないが、今は小
休止というところだろう。
ロント小隊の整備車両に横付けして、俺が見たままを伝える。
ロント小隊長は顎に手をやって考えながら、歩兵たちを見回した。
﹁鉄の獣が狙撃した魔術スケルトンの中から滴った血はその魔物の
物か。死骸でもあればいいが、この状態では探すこともできないな﹂
満身創痍の歩兵たちが四重甲羅で殺された仲間の遺体を運んでい
る。甲殻系魔物の相手をしながらという事もあって、魔物の死骸の
中から十センチほどの死骸を探す余裕などないだろう。
問題の白い人型が魔術スケルトンの頭蓋骨の中にいたとすれば、
跳弾したとはいえ対物狙撃銃の銃弾を受けたことになる。十センチ
程度の生き物なら原形を留めているかは甚だ疑問だ。
狙撃以外に無力化する方法がなかったとはいえ、一体くらい凍結
型の魔導手榴弾で生け捕りにすればよかった。
贅沢を言っても仕方がないと諦めて、森を見る。
スケルトンたちがどこかへ消えたために森は静けさを取り戻して
いる。
雷槍隊機が手分けして四重甲羅に破壊された精霊人機から蓄魔石
や魔導核、操縦士の遺体を回収している。
ベイジルの乗るアーチェがボルスの中からやってきて、俺たちの
側で駐機姿勢を取った。
ベイジルが降りてきて、歩兵たちを見回しながら歩いてくる。
﹁⋮⋮間に合いませんでしたか﹂
﹁ベイジルさんの気に病む事ではありません。ベイジルさんが弓で
1327
甲羅を狙撃してくれたから、歩兵隊は全滅せずに済んだ﹂
ベイジルに答えたロント小隊長が腕を組んで息を吐き出し、森を
睨む。
﹁だが、どうやらまだ仇は生き残っているようです﹂
ベイジルが片眉を上げ、俺を見る。
ロント小隊長にした報告をベイジルに繰り返す。
﹁それは、あまりにも小さいですね﹂
ベイジルが頭を掻いて、愛機アーチェを見上げる。
﹁狙って射抜くのは難しそうです。死骸を調べればスケルトンとの
関係など見えてくる物もあるでしょうが、この状況では諦めるべき
でしょう﹂
調査をしている暇がないというのはロント小隊長と同意見らしい。
念のため、ワステード元司令官に話をする事になり、こちらに向
かってくるライディンガルに手を振る。
ワステード元司令官は人員の交代と撤退の準備を急ぐよう指示を
出してから、俺たちの下に降り立った。
﹁︱︱気付かなかった。しまったな﹂
俺の話を聞き終えたワステード元司令官が舌打ちする。
戦術的な思考ができる魔物を逃がしてしまった事を後悔している
ようだ。
だが、すぐに思考を切り替えたようにワステード元司令官は口を
1328
開いた。
﹁住民の避難が終わってまだ半日だ。いましばらくここで魔物を足
止めする必要がある﹂
そこで、とワステード元司令官が俺を見る。
﹁狙撃手を増やしたい﹂
﹁増やすって言われても、俺は一人しかいませんよ﹂
肩を竦めて返す。
現在、狙撃手の価値は大幅に上昇している。魔術スケルトンに有
効打を与えられる唯一の歩兵だからだ。
だが、魔導銃が普及していないこの世界で狙撃手などまず見つか
らない。ほとんどの人間が重たい銃を運ぶ手間よりも魔術を選ぶ。
軍では多少の訓練を施しており、弾薬など備蓄があるが、魔術ス
ケルトンの攻撃範囲外から眼窩を撃ちぬける腕の持ち主などいない。
夜ならばなおさらだ。
ワステード元司令官がディアを見る。
﹁照準を定める魔術があるのだろう?﹂
なんで知ってるんだ。
警戒を込めた眼で睨むと、ワステード元司令官が両手を上げた。
﹁鎌を掛けただけだ。確信はあったが、証拠はない﹂
﹁まぁ、あの距離から狙撃してればバレるのも当然か﹂
それでどうするつもりだ、と視線で問うと、ワステード元司令官
は目を細めた。
1329
﹁我が軍に提供してもらえないだろうか﹂
﹁提供も貸与もできません﹂
﹁勘違いしないでくださいね。したくてもできないんです﹂
俺の言葉をミツキが補完してくれた。
照準誘導の魔術はそれ単体では役に立たない。ディアの首のよう
に稼働する銃架が付属していなければならない。
一日二日で量産できる構造ではないし、何より部品がない。
ワステード元司令官は短くため息を吐き出して、次の提案を出し
てくる。
﹁半日の訓練でどの程度使い物になる?﹂
やはり、司令官をやっていたような高級将官でも魔導銃の運用に
関しては知識がないらしい。
俺は苦笑しつつ、首を横に振った。
﹁訓練しないのと変わりませんよ﹂
ワステード元司令官が空を仰ぐ。明けたばかりの空は青く澄み渡
っていた。
﹁狙撃手を増やすのは難しいか﹂
﹁十日あれば照準誘導の魔術で底上げして使えるようにできました
けど、今回は諦めてください﹂
ワステード元司令官は戦場に視線を移した。
﹁撤退時期を早める。本日の夕刻、ボルスを出発する﹂
1330
ベイジルが驚いたようにワステード元司令官を見る。
住民が避難して一日置いてからの出発。戦闘を行いながらとはい
え、下手をすれば避難民に追いついて大混乱になる。
俺が思いつく程度の事をワステード元司令官が考えていないはず
もない。
﹁決死隊を組織するしかないだろうな﹂
そう呟いて、ワステード元司令官は小隊長を召集するように伝令
に声を掛ける。
まるで召集がかかると予想していたように、小隊長たちがすぐに
やって来る。開拓者からもボールドウィンとタリ・カラさん、凄腕
開拓者の片割れがやってきた。
戦場にほど近い商会の建物の中で、会議机を囲んで座る。
俺はミツキと一緒に机から少し離れたソファに腰掛けた。席が足
りなかったのもあるが、この会議は部隊レベルでの話をするため、
俺とミツキは同席しているだけに過ぎない。
ワステード元司令官は机を囲む面々を見回し、おもむろに口を開
く。
﹁本日の夕刻に決死隊を残し、ボルスを撤退する﹂
やはり、という顔をする小隊長二人と、凄腕開拓者とは異なり、
ボールドウィンは納得いかなそうな顔をしていた。
凄腕開拓者がボールドウィンを片手で制しつつ、口を開く。
﹁戦略上、犠牲を払ってでも足止めを残して撤退する意義は分かり
ます。ですが、われわれ開拓者は軍人ではありませんので、決死隊
には参加いたしませんぞ﹂
1331
﹁あぁ、開拓者は決死隊に入ってもらっては困る。君たちにはボル
スへの撤退を終えた後、各地のギルドへこの度のリットン湖攻略の
顛末について広めてもらいたい。癖のある新種ばかりが現れたから
な﹂
カメ型の超大型魔物に始まり、大型スケルトン、スケルトンが魔
術を使う原因らしき白い人型、どれも小規模な開拓団が出くわせば
壊滅しかねない。
タリ・カラさんがワステード元司令官を見る。
﹁ワステード副指令はこの度の顛末が公的には語られないとお考え
なのですね?﹂
﹁想像に任せる﹂
ワステード元司令官はホッグスを含む新大陸派の動きを警戒して
いるのだろう。
情報が揉み消される前に開拓者を使って事の顛末を広め、旧大陸
派こそが最後まで現場で戦った事の証人にするつもりだ。
ボールドウィンが不機嫌になっていく。
﹁納得いかねぇ﹂
ボールドウィンが呟くと、ワステード元司令官やロント小隊長、
ベイジルといった軍人たちが苦笑しながらも眩しいモノを見るよう
な目を向けた。
﹁君たち開拓者が納得する必要のない話だ。願わくば、納得しない
まま従ってほしい﹂
ワステード元司令官が真摯な目で言うと、ボールドウィンは勢い
1332
を削がれて顔をそむけた。
ワステード元司令官が苦笑を消し去り、軍人たちを見回した。
﹁決死隊の編成について話す。重傷者は三つの建物に分けて収容し、
魔力供給をしてもらう。配偶者のいない三十歳以上を中心に歩兵隊
を再編成︱︱﹂
ワステード元司令官は淡々と話を進めていく。
部隊の再編成について各小隊長と意見を交換した後、ワステード
元司令官は俺とミツキに目を向けた。
﹁酷な事をさせるが、狙撃手の配置について意見が欲しい﹂
﹁改めて言っておきますが、狙撃手三人で魔術スケルトンを一体倒
せたら御の字だと思ってください﹂
断りを入れてから、俺は壁にかかっているボルスの詳細な地図に
丸を入れていく。
見つかりにくく、見晴らしがよく、敵が狙撃手の位置を誤認しそ
うな建物が立っている場所。町を走る下水道の出口などの見晴らし
が悪いが死角に入りやすく、退路を確保できる場所。いくつかの通
りに障害物を置く事で敵の進路を限定し、その進路上の幾つかの地
点を狙撃できる場所。
﹁運用上、既存の兵種との互換性がないな。流行らないわけだ﹂
ロント小隊長が呟く。
精霊人機を中心にその他の兵種を運用している以上、待機を基本
にした狙撃手の運用はあまり実用的ではないという事だろう。育成
するのにも時間や金がかかる。
狙撃手の配置について話し終えた後、ワステード元司令官が部隊
1333
の配置について詰めていく。
狙撃の有効射程についての意見を求められたりしながら、部隊配
置の計画を固めていく。
﹁︱︱では最後に、精霊人機についての話に移ろうか﹂
ワステード元司令官はそう言って、ロント小隊長を見た。
﹁ロント小隊の精霊人機は動かせるな?﹂
﹁魔力を込め最低限の修理をすれば動かせます﹂
ロント小隊長の険しい顔には言及せず、ワステード元司令官は小
隊長たちを見回す。
﹁我が隊の操縦士をロント小隊の精霊人機に乗せ、雷槍隊機二機と
共に決死隊として残す﹂
その時、ワステード元司令官の声を遮る様に、ベイジルが声を上
げる。
﹁自分も残らせていただきます。決死隊を奮い立たせるにはわかり
やすい偶像が必要でしょう﹂
﹁⋮⋮すまんな﹂
﹁こんな自分が最後までボルスで働くことができる。謝られては自
分の立つ瀬がなくなってしまいますよ﹂
朗らかに笑って、ベイジルが会議を締めようとした時、部屋の扉
が開かれた。
扉に立つのは息を切らせた伝令だ。
1334
﹁皆さん、避難を! 超大型が︱︱﹂
伝令の言葉は最後まで続かなかった。
地揺れを感じたのはほんの一瞬、文字通り瞬く間に伝令が立って
いた場所が水に飲みこまれて視界の端へ消え去った。
何が起きたのかを理解する前に、俺はロックジャベリンで背後の
壁に大穴を穿つ。
﹁ミツキ、脱出するぞ!﹂
﹁みんな、呆けてる場合じゃないよ!﹂
俺が空けた穴を潜り抜けざま、ミツキが目の前で起きた事態を処
理しきれずにいる会議室のメンバーに活を入れる。
俺はミツキに続いて穴を潜り抜け、建物の外に出ると同時にディ
アまで走った。
ディアに騎乗し、同じくパンサーに乗ったミツキと共に手近な建
物の屋根に飛び乗る。
振り返った俺は目の前の光景に息をのんだ。
ボルスの建物が、リットン湖方面の崩れた壁から対面の壁まで一
直線に薙ぎ払われていた。
建物の瓦礫が湿っている。伝令と同じく、水で押し流されたのだ。
一直線に伸びる崩壊の爪痕を目で辿る。数キロ先に山のような巨
体を晒すカメ型の超大型魔物の姿があった。
超大型は先の一撃で混乱した甲殻系魔物をバリバリと咀嚼してい
る。
森からブレイククレイが飛び出し、木々が吹き飛んだ崩壊の爪痕
に足を踏み入れてしまう。哀れなそのブレイククレイを、超大型は
素早く首を伸ばして噛みつき、音を立てて噛み砕き、飲み込んだ。
森から魔物が飛び出す度、超大型は首を伸ばして腹の足しにする。
まるで、足元の獲物が見えにくいから森を薙ぎ払ったのだと言わ
1335
んばかりに、超大型はその場から動きもせずただ捕食を続けていた。
奴が食欲を満たすための行動の余波だけで、この崩壊がもたらさ
れたのか。
人間と戦う事すら忘れた甲殻系魔物が四方八方へ散って行く。
歩兵たちも、ロント小隊の精霊人機も、ただ茫然と超大型の捕食
行動を見守る事しかできていない。
タラスクや大型スケルトンを相手に奮い立たせてきた気力すら、
かけらも残さず吹き飛ばされたのだ。
幸いなことに、超大型は甲殻系魔物を食べることに夢中で人間に
注意を払っていない。精霊人機すら眼中にないようだ。
建物から出てきたワステード元司令官が超大型を見て、右耳の黒
い二重リングのピアスを指先で弄ぶ。
﹁よりにもよって、いま出てくるか﹂
ワステード元司令官の視線がボールドウィン、タリ・カラさん、
ミツキと流れて俺で留まる。
﹁部隊の編成が終わる昼まで、超大型のボルス侵入を食い止めてく
れ﹂
1336
第二十五話 不完全燃焼
超大型を食い止めてくれと言われたものの⋮⋮。
﹁始まらないな﹂
ディアの頭に両肘を突いて、ゲンドウのポーズをしつつ言ってみ
る。
隣にいたミツキが﹁あぁ﹂と演技がかった口調で返してくれた。
始まらないに越したことはないのだが、いつまた攻撃してくるか
分からないため、超大型への監視の目は緩めない。
逃げ惑う甲殻系魔物を次々と胃の中へご招待している超大型魔物
は、よほど偏食家なのか人間など眼中にないらしかった。
精霊人機にも注意を払うことなく一心不乱に食べまくる超大型に、
甲殻系魔物は逃げ惑うばかりだ。
おかげで作戦を立てることもできたのだが、無駄になりそうな気
配だった。
﹁昨晩、甲殻系魔物が撤退しなかった理由って、あの超大型が来て
たからかもね﹂
もはや人間との戦いも忘れて逃げ惑う甲殻系魔物を見て、ミツキ
が呟く。
超大型は甲殻系魔物をある程度食べると口直しとばかりに木の枝
をパリポリと食べる。
ロント小隊と共にワステード元司令官が待つ崖に向かっていた時
に出くわした超大型魔物は甲殻系魔物を追い駆けながら林に向かっ
ていたのを思い出す。
1337
﹁林にも食害の後があったな﹂
﹁時系列的に、リットン湖攻略隊が分散してロント小隊が林に撤退、
ロント小隊を追い駆けていた甲殻系魔物をさらに追いかける形で超
大型が林に行って、今みたいに甲殻系魔物と一緒に林を食べていた
ってところかな﹂
ミツキの推理に穴はない。それどころか、もう一つ、思い当たる
ことがあった。
﹁前回のボルス防衛戦で甲殻系魔物が襲ってきたのって、超大型に
追い立てられたからじゃないか?﹂
﹁そういえば、河の上流から木の枝が流れてきたっけ﹂
てっきり甲殻系魔物が移動した時に折れたのだと思っていたけど、
今目の前にいる超大型の食べっぷりを見ているとアイツの食べかす
だったんじゃないかと思えてくる。
超大型の足元には甲殻系魔物の殻の破片やら木の枝やらが散乱し
ている。あれが上流から流れてきたのかもしれない。
超大型を刺激しないように駐機姿勢を取っているスカイから、ボ
ールドウィンの声が聞こえてくる。
﹁スイリュウのシャムシールでも超大型の甲羅は斬れないのか?﹂
タラスクを甲羅ごと両断したスイリュウの改造シャムシール、流
曲刀は現在、駐機姿勢を取っているスイリュウの腰の鞘に収められ
ている。
魔力の消費が大きいが、タラスクが相手ならば必殺ともいえる一
撃を放つことができるため、超大型への効果も期待できる。
だが、タリ・カラさんが慎重な意見を口にした。
1338
﹁タラスクの三倍近い大きさだからといって、甲羅の厚みも単純に
三倍とは限りません。第二段階を出せば斬る事もできるでしょうけ
ど、その後の撤退戦に影響が出ますから、使用時間は極力短く、あ
くまでも切り札として使いたいですね﹂
全体の魔力が足りず、どうにかやりくりしている現状で流曲刀の
二段階目は使いたくないのが本音だ。
もっとも、これから超大型魔物に対して行う作戦を考えると、微
々たるものではある。それくらい、今回の作戦では魔力を使い込む
事になる。
ボールドウィンが言葉を返す。
﹁でも、作戦の最後には出すんだろ、第二段階。何はともあれ、こ
のまま戦闘が起きずに超大型がリットン湖に帰ってくれれば、それ
が一番なんだけどさ﹂
﹁︱︱そうもいかないみたいです﹂
タリ・カラさんがスイリュウの駐機姿勢を解いて立ち上がらせる。
超大型がまっすぐにボルスを睨みながら歩き始めていた。
﹁腹ごしらえは済んだってところか﹂
スカイが立ち上がり、ハンマーを肩に担ぐ。
﹁それじゃあ、作戦通りに行こうか﹂
真っ先にスカイが飛び出し、超大型との距離を詰める。
スカイは超大型が迎撃の体勢を取ると、方向を転換して側面へ回
り込む。背後のボルスへ超大型の攻撃の余波が届かないようにする
1339
ためだ。
﹁手の内、晒してもらおうか﹂
スカイが超大型の側面に回り込むと同時にハンマーを甲羅へぶつ
ける。スカイの並はずれた攻撃力に、タラスクの三倍を誇る超大型
の巨体が大地を滑った。
超大型が鬱陶しそうにスカイを一睨みする。
超大型の右側に回り込んだスカイはそのまま二発目を繰り出すべ
くハンマーを構えた。
だが、超大型は左後ろ脚を残して他の部位を甲羅にひっこめ、左
前脚の甲羅の隙間から勢いよく噴出した水の勢いで反転、スカイを
正面に捉えた。
全長三十メートルの巨体が一瞬で反転したことによって巻き起こ
った風が甲殻系魔物の残骸や木の枝を吹き飛ばす。
反転した超大型に、スカイがハンマーを振り降ろす。
振り降ろされたハンマーに対して超大型がとった行動は真っ向勝
負だった。
引っ込めていたはずの頭が甲羅から飛び出し、スカイのハンマー
に頭突きする。本来なら頭の骨を砕かれて絶命しているだろう無謀
な攻撃だが、よく見れば超大型の頭には魔術で生み出したらしき石
の兜があった。
スカイがハンマーを跳ね上げられて追撃を断念し、数歩後退する。
石の兜があっても衝撃はいくらか伝わったらしく、超大型も動き
を止めた。
双方痛み分けの形で距離を取った超大型とスカイが睨み合う。
﹁直線を薙ぎ払う水のブレス攻撃に、方向転換を一瞬でこなす噴水。
水魔術が主体かと思えば防御用に石の魔術も使えるのか﹂
1340
同じカメ型の魔物であるタラスクがロックウォールを使っていた
事もあり、事前に予想していた事だ。まさか頭突きに使って来ると
は思っていなかったが、作戦を変更するほどのイレギュラーではな
い。
﹁あの方向転換の方法があると、範囲攻撃があってもスカイ一機に
繰り出す必要がないね﹂
﹁そうだな。範囲攻撃の有無を調べるのが最初の達成目標だし⋮⋮。
タリ・カラさん、スカイの補佐をお願いします。流曲刀は使わない
でくださいね﹂
﹁了解しました﹂
タリ・カラさんがスイリュウを操作し、超大型に向かって走らせ
る。
スイリュウの接近に気付いた超大型が手足や頭を甲羅の中に引っ
込め、水を勢いよく口から吐き出した。
水のブレス攻撃だ。
しかし、超大型の水のブレスはスイリュウではなく地面へ向けら
れていた。
超大型が水の勢いで後方に飛び退き、手足を甲羅から出して着地
する。
﹁あんなこともできるのか﹂
﹁カメなのに機敏だね。アキレスといい勝負しそう﹂
スカイとスイリュウが超大型へ走り込む。
超大型は面倒臭そうに体をスカイに向けた。
助走距離を稼ぐこともなく、超大型が走り出す。
スカイへ突進を仕掛けるつもりらしいが、助走距離が足りず速度
が出ていない。
1341
しかし、超大型はスカイの目前まで迫ると頭を引っ込めて尻尾か
ら水を吹き出し、一気に加速する。
スカイが紙一重で回避するが、腹部を守る遊離装甲が超大型の巨
体に衝突して吹き飛んで行った。空中を飛び行く遊離装甲はくの字
型に歪んでいる。直撃を受けるのはもちろん、かするだけで精霊人
機を破壊できるだろう。
スカイに避けられた超大型がまた噴水を使って反転する。
カメらしい鈍重さはかけらもなく、今まで相応の修羅場をくぐっ
て来た事を匂わせる動きだ。
スカイとスイリュウが二手に分かれて超大型を左右から挟む様に
陣取る。
超大型は左右の精霊人機を一瞥して、また水ブレスで後方へ飛び
退いた。
ボルスから距離を取ってくれるのならこちらとしてもありがたい。
スカイとスイリュウが超大型を追い駆けて左右から挟み撃ちを狙
い続けると、超大型も挟まれる度に水ブレスで下がっていく。
このままボルスから追い払えればよし、追い払えなくとも次の攻
撃に移るだけだ。
俺はディアを街道に向けて走らせる。
﹁狙撃地点は?﹂
ミツキの質問に、俺は進行方向にある崖を指差す。
﹁あの崖の上だ。甲殻系魔物もスケルトンもあの崖は登って来れな
いから邪魔されない﹂
前回のボルス防衛戦において、砲撃タラスクが姿を隠すのに利用
していた崖だ。それなりの高さがあり、視界を確保できる。
スカイとスイリュウが超大型を足止めしている間に崖に到着し、
1342
索敵魔術で周囲に魔物がいない事を確かめてからディアの健脚に任
せて崖を登る。
以前にも河の側の崖を登った事があるため、登りやすいルートを
自然と選ぶことができ、予定よりも崖を登り切るまでに時間はかか
らなかった。
崖の上から、戦場を俯瞰する。
﹁甲殻系魔物は前線から完全に撤退、スケルトンもいない。超大型
魔物のおかげで余裕ができたな﹂
﹁後は超大型を退散させるだけだね。射程圏内に入ってる?﹂
﹁ギリギリだな﹂
カノン・ディアの射撃体勢を整えつつ、スカイとスイリュウに合
図を出す。
対象を目標地点まで追い詰めよ、の合図だ。
﹁月の袖引くは?﹂
﹁蓄魔石を持って配置完了したみたい。さすがに動きが早いよ。い
まは青羽根が準備を整えてる﹂
破壊されてしまったギルド所有の精霊人機に積まれていた蓄魔石
に魔力を込め、同じく精霊人機に使われていた魔導鋼線を接続し、
予定地点にミツキ謹製の凍結型魔導手榴弾を仕込む。
マライアさんの作戦の簡易版だ。今回使う蓄魔石は精霊人機用と
はいえたったの一個、効果は控えめ。
スイリュウとスカイが超大型を左右から攻撃し、水ブレスでの後
退を誘発する。目的地点まで誘導する事はもちろん、俺たちのいる
崖やボルス、月の袖引くや青羽根の団員がいる地点に攻撃の余波が
届いてしまわないよう、全神経を張りつめているだろう。
超大型は未だに水ブレス以外の広範囲攻撃を使わない。元から広
1343
範囲攻撃がないのか、それともスカイやスイリュウをなめてかかっ
て魔力を温存しているのか分からない。
だが、噴水を用いた方向転換などを見る限り、甲羅の隙間から周
囲に向けて水を噴出する魔術はあるはずだ。一方向にしか水を噴き
出すことができないほど不器用な魔物にも見えない。
やはり、舐めてかかっているな。
予備として控えてもらっていたロント小隊の精霊人機に待機の合
図を出し、準備完了の連絡を待ち受ける。
超大型が目的地点に追い込まれたのと同時に、青羽根から準備完
了の合図が出た。
﹁ミツキ!﹂
﹁分かってる!﹂
ミツキが作戦開始の合図としてファイアーボールを空に撃ち上げ
る。
俺はディアの肩にあるボタンを押し、カノン・ディアを起動した。
石の銃口を超大型の目玉に向ける。目標まで一キロメートルとち
ょっと。修羅場をくぐって来ただろう超大型魔物も、こんな距離か
らピンポイントで目玉を狙う敵には遭遇した事が無いだろう。
スカイとスイリュウが得物を構えながら同時に超大型から距離を
取る。
射線が通った瞬間、俺は引き金を引いた。
暴力的なまでの爆音が響く。しかし、弾丸は自らが奏でた音を置
き去りに超大型魔物の目玉へ一直線に迫る。
超大型の頭がガクンと下がり、体格に比例した巨大な右目から血
が噴き出した。
超大型が痛みに吼え、たたらを踏んだ、その瞬間︱︱
月の袖引くが蓄魔石を熱し、大量の魔力を放出させる。
魔力を過剰に通された魔導鋼線が青い火花を放って凍結型の魔導
1344
手榴弾へ魔力を供給する。
次の瞬間、超大型の足元が一瞬にして凍りついた。凍結の余波は
超大型の首にまでおよび、甲羅の中へ引っ込む事も防いでいる。
右目を撃ちぬかれた痛みに悶える超大型の頭へスカイがハンマー
を振り降ろす。
無事な左目でスカイの動きをとらえたのだろう、超大型は石の兜
を魔術で発生させる事で身を守った。
超大型がスカイに気を取られている間に、スイリュウが側面へ素
早く回り込み、鞘から流曲刀を抜き放った。
真昼の強い日差しを浴びながら、魔導合金製の流曲刀は処女雪の
ような白さを見せつけながら、超大型の甲羅へ刃を当てた。
ウォーターカッターが発動し、甲高い音が鳴り響く。
しかし、超大型の甲羅の厚みはタラスクとは比較にならないらし
い。超大型はスイリュウを左目で一瞥するだけで注意を逸らし、ス
カイのハンマー対策に集中し始めた。
﹁︱︱やはり、出し惜しみは出来ませんね﹂
タリ・カラさんが拡声器越しに呟いた次の瞬間、流曲刀の真白の
刃が黒く染めあげられる。
それは、流曲刀が第二段階へ移行したことを示す変化。
石魔術で生み出された微細な石の集合体が流曲刀の刃を黒く染め、
刃から噴出されるウォーターカッターに乗って水を黒く染めていく。
石魔術で次々に補充される微細な石はウォーターカッターの高圧
に研磨作用をもたらし、切れ味を格段に向上させた。
黒い高圧水流が残忍な裁断音を立てて甲羅を削り斬る。その切断
力は凄まじく、瞬時に超大型の甲羅に切り込んだ。
このまま両断できるかと思った瞬間、ボールドウィンの焦った声
が響いた。
1345
﹁︱︱退避しろ、早く!﹂
スカイとスイリュウが飛び退いた瞬間、超大型を中心に水が螺旋
を描いて周囲の木々を根こそぎ空へ高く打ち上げた。
超大型から上空へと螺旋状に昇って行く水流はまるで龍の飛翔の
ようで、上空数百メートルまで昇って虹を作り出した。
ばらばらと、水で吹き上げられた木々が森へ降り注ぐ。空高く打
ち上げられて地に叩きつけられる木々は、退避が遅れた精霊人機の
末路を想像させるのに十分なほど見事に砕けた。
スイリュウのウォーターカッターのような斬る水流とは違う、押
し流すための水流だ。
木々と一緒に自らの足を凍りつかせていた地面も破壊した超大型
は自由になった手足を確認するように数度足踏みをすると、ぎろり
とスイリュウを睨んだ。
今までのように、ただ鬱陶しい邪魔者を見るような眼ではない。
明確に排除すべき敵と認識した眼だ。
﹁甲羅の傷がふさがっている⋮⋮﹂
スイリュウから、タリ・カラさんの息をのむ音が聞こえてくる。
流曲刀第二段階で甲羅に深く入れたはずの切れ込みは、石魔術で
完全に塞がっていた。
仕切り直しとばかりに、超大型が口を開ける。
直後、大地が揺れた。
超大型の殺意を含んだ咆哮が空気のみならず大地をも揺らしたの
だ。
﹁⋮⋮まさかの最終プランか﹂
俺はもはやカノン・ディアを撃てないほど魔力を減らしたディア
1346
の頭を撫で、ため息を吐く。
ミツキも俺の隣でため息を吐いた。
﹁開拓団みんなで超大型の気を引きつつ、河まで戻った後、全速力
で離脱だね﹂
勝てないと分かった以上、遠くに置き去りにする以外の方法はな
い。
俺がみんなに合図を出しつつ、崖を下りるべくディアを動かそう
とした時、超大型がスカイやスイリュウから大きく距離を取った。
また広範囲攻撃を繰り出すつもりかと思い、超大型の動きを注視
する。
だが、予想に反して、超大型はその場でくるりと反転すると、一
目散にリットン湖方面へ駆け出した。
﹁撤退した⋮⋮?﹂
遠距離から攻撃を仕掛けるでもなく、リットン湖方面へ走り去っ
た超大型を見送って、俺はミツキと一緒に脱力する。
﹁散々引っ掻き回してあっさり撤退とか。拍子抜けするな⋮⋮﹂
﹁全滅覚悟で戦うことにならなかったのは良かったけどね﹂
とはいえ、ひとまずは無事を喜ぶべきだろう。
1347
第二十六話 決死隊への置き土産
超大型が撤退したことで、ボルスはひとまず安全となった。超大
型が甲殻系魔物を蹴散らして腹に収めてくれたこともあり、中型、
小型の魔物も含めてボルスの周辺には魔物のいない空白地帯が形成
されている。
俺はミツキと共に崖を下りて、月の袖引くや青羽根と合流する。
﹁撤退してくれるとは思わなかったな﹂
ボールドウィンが駐機状態のスカイの足に背中を預けて座り込み、
呟く。疲労困憊と言った様子で、青羽根の整備士長が投げ渡した濡
れタオルを顔面でキャッチしている。
同じく駐機姿勢を取ったスイリュウの足元に座ったタリ・カラさ
んもタオルで汗をぬぐっていた。
﹁仕留めそこないました。申し訳ありません﹂
タリ・カラさんが頭を下げるが、相手が悪すぎただけでタリ・カ
ラさんに落ち度はない。むしろ限られた魔力しかない中でギリギリ
の戦いをして生き残った事を称賛されるべきだろう。
ひとまず危機は去ったという事で、俺たちは倉庫へ戻る。これか
らの撤退戦を見据えて精霊人機の整備や車両への魔力補充などを行
わなければならないからだ。
ディアとパンサーもメンテナンスをしなければ危ない。
倉庫に入ると、各員が分かれて作業を始める。
俺もミツキと一緒にディアとパンサーの洗浄や摩耗した部品の交
換を始めた。
1348
﹁パンサーの魔力とディアの魔力を折半しておく?﹂
﹁そうしておこうか。どちらにせよ、カノン・ディアは撃てないだ
ろうけど﹂
ミツキの提案に乗って、パンサーとディアの魔力を均等になるよ
うに割り振る。
摩耗した部品の中には既製品を改造したものも含まれていたため、
交換には時間を要した。設備が整っている港町の貸家であれば、予
備部品もあって三十分ほどで終わる作業だが、ボルスではそうもい
かない。
まだ使える部品は労わりつつ使う事にして、今できる精いっぱい
のメンテナンスを終えた。
最終チェックをしていると、倉庫に整備士君が訊ねてきた。
﹁鉄の獣、伝令と⋮⋮頼みがある﹂
﹁伝令の方を先に聞かせてくれ﹂
頼みの方は予想がつくし。
整備士君は倉庫に入ってきて、伝令の内容を口にする。
﹁魔物を撃退したものの、スケルトン種が夜に来襲する可能性もあ
るためボルスの放棄は予定通り行うそうだ。すでに軍も撤退を開始
している。各開拓団も撤退の準備が整い次第、出発してほしいとの
事だ﹂
﹁了解。それで、頼みの方は?﹂
水を向けると、整備士君が頭を下げる。
﹁ベイジルさんを助け出してほしい﹂
1349
﹁無理だ﹂
決死隊に残ることが決まっているベイジルは、階級や人望などを
勘案して現場の指揮を執ることになっている。
つまり、ベイジルが生きて帰ってくるとすればボルスで明日の朝
まで生き残り、他に生き残った決死隊と共に緩やかに撤退して先に
撤退した友軍に追いつく他にない。
甲殻系魔物はあらかた消えたが、スケルトン種はまだ大型が残っ
ている。他にも大型スケルトンの別個体が潜んでいる可能性もあり、
今晩の戦闘は苛烈な物になるだろう。
﹁悪いが、これからボルスは激戦区になる。俺たちの実力では生き
残れない﹂
すでに魔力の余裕はなく、弾薬に関しても軍から提供されたもの
を使用している有様だ。
俺たちの体力的な問題もある。
整備士君も答えが分かっていたのだろう。肩を落とすだけで何も
言わなかった。
﹁ベイジルは何か言ってたか?﹂
俺の質問に、整備士君は首を振る。
﹁何も、言ってなかった。ただ、いつの間にかガレージから姿を消
していた。多分、墓場にいると思う﹂
﹁らしいと言えばらしいのかもな﹂
壊滅した弓兵機部隊の操縦士たちの墓にお参りするベイジルの姿
が容易に想像できる。
1350
ミツキが長い黒髪を人差し指でクルクルとまわして弄りながら、
ため息を吐く。
﹁死んでほしくないならそう言えばいいでしょ。少なくとも無理を
することはなくなると思うし﹂
﹁なんなら、呪っとくか。絶対に生きて帰らなくちゃならない様に﹂
﹁お、おい、なんだよ、その不穏な計画は﹂
整備士君が突っ込みを入れてくる。
別に、わら人形に五寸釘を用意したりはしない。
ミツキが面白そうに身を乗り出してくる。
﹁どんなふうに呪うの?﹂
﹁計画を話す前に、ちょっと人を集めるか﹂
俺は整備士君を振り返って、決死隊に友人などがいる者を集める
よう頼む。
走って行く整備士君を見送って、俺はミツキに計画を話し、準備
を頼む。
ミツキは楽しげに笑って、頷いた。
﹁ボルスを守るか、守れなければ昔の仲間みたいに死のうと思って
るだろうベイジルにはちょうどいいお灸だね﹂
準備すると言って、ミツキはパンサーにひらりと飛び乗った。
﹁ヨウ君はワステード元司令官に許可取っておいてね﹂
﹁任せろ﹂
ミツキを見送って、俺もディアに飛び乗り、ワステード元司令官
1351
がいる司令部へ向かう。
見張りの兵士はあまりいい顔をしなかったが、俺とミツキの戦果
も知っているため無碍にはできず、ワステード元司令官へ取り次い
でくれた。
俺が司令部に入ると、司令室ではなく一階の休憩室へ通された。
ワステード元司令官は雷槍隊の副隊長と共に書類の整理や破棄を
行っている。
書類を分別しながら、ワステード元司令官は俺をちらりと見る。
﹁悪いが、あまり時間が取れない。このまま話を聞かせてもらう﹂
﹁構いません。大した話でもないので﹂
﹁⋮⋮大した話でもないのに、君が一人で訪ねてきたのか?﹂
意外そうな顔をするワステード元司令官に苦笑しつつ、計画を話
す。
すべて聞き終えると、ワステード元司令官より先に副隊長が反応
した。
﹁意地の悪い事を考える奴だ。決死隊は思い残すことなく逝かせて
やるべきだろう﹂
﹁それじゃあ、困るでしょう。決死隊だからといって死なないとい
けない道理はない。だから呪ってやるんです。死にたくないと思う
くらいに。たとえ、おせっかいでもね﹂
俺が副隊長に言い返すと、ワステード元司令官が笑う。
﹁良いだろう。しっかりと呪ってやってくれ﹂
﹁では、呪いの品を作ってきます﹂
休憩室を出て、俺は司令部前に停めていたディアに跨り、兵舎へ
1352
向かう。
すでに整備士君が集めた決死隊を呪う会のメンバーにミツキが計
画の概要を説明していた。
俺を見つけた整備士君が手を振ってくる。
﹁ワステード副司令官からの許可は?﹂
﹁取れたよ。しっかりと呪ってくれとさ﹂
ミツキが服の袖をまくりあげる。
﹁それじゃあ、最後の晩餐だと思った? 残念、生きて帰ってきた
らもっとおいしい物を食べさせてやるからな計画を始めよっか﹂
﹁なんだその無駄に長い計画名。俺そんな名前付けてないぞ﹂
まぁ、いいけどさ。
計画の内容はいたってシンプル。決死隊として残る兵士と仲の良
かった者達によるお手製の弁当を残してボルスを発とうというもの
だ。
このボルスで死んでも構わない、なんて思っている英雄気取りた
ちに、戦友を思い起こさせ、生きて帰ってきてもらおうという意地
の悪い計画である。
﹁手紙の文言は湿っぽくならないように注意してね﹂
弁当に添えておく手紙は各自に書いてもらう事にして、書き終え
た者から弁当作りに入ってもらう。
献立はミツキと俺で考えたが、思い出の品がある者には追加で作
ってもらう。
冷めても美味しく頂けるように、弁当文化の伝道師ミツキと俺が
短時間に練り上げた献立は、油は控えめながら肉をメインに据えて
1353
活力が得られるようになっている。
ハンバーグに食欲をそそる辛みの利いたスパイスを練り込み、薄
味のソースに浸して味をなじませる。弁当箱を開けた時、ソースが
他のおかずに絡んでしまう悲しい事故を経験則で知っている日本人
だからこその工夫である。
ソースを別に用意する方法もあるのだが、かさ張る工夫は弁当の
神髄から外れているとしてミツキが断固拒否した。
ソースを染み込ませてしまう分、ハンバーグに味のメリハリがつ
かず食べている途中で飽きてしまう事態を防ぐため、ハンバーグの
中心付近にはチーズを仕込む念の入れようだ。
アップルシュリンプの身で作ったはんぺんと数種類の野菜でサラ
ダも作った。長イモがないため片栗粉で代用したが、アップルシュ
リンプの身の弾力のおかげで前世の知識にあるはんぺんとは違った
食感の物が出来上がったものの、美味しいので問題ないだろうと割
り切る。
その他数種類の料理を作って弁当箱代わりのお椀に蓋をして、食
堂においておく。きちんと名札をつけておけば完成だ。
整備士君がベイジル用の弁当を食堂において、手紙を添える。
﹁ベイジルさん宛ての手紙の内容はこれでいいと思うんだが﹂
不安そうな整備士君に断りを入れて、ベイジル宛の手紙を読む。
整備士君その他、何人もの名前が寄せ書きのように書き連ねられて
いて、中央に必ず帰ってきてくださいと意外なまでの達筆で大書し
てあった。
ベイジルには結構な効果があるだろうが、それでもまだパンチ力
に欠ける。
思うに、この手の手紙は如何に相手の心へ強烈な一撃を加えるか、
またその一撃の威力がどれほど長く続くかで価値が決まる。
よし、ベイジルの心を鷲掴みにしつつ捻り潰すくらいの威力が出
1354
せる文言を考え着いた俺も一筆したためておこう。
﹁ミツキ、ベイジル宛に手紙を書こうぜ﹂
﹁ヨウ君ったら素敵な笑顔をしてるね﹂
ぐっと親指を立ててくるミツキに、俺も笑顔で親指を立てて返す。
整備士君がドン引きしていた。
﹁お前、本当にベイジルさんを呪う気じゃないだろうな?﹂
﹁呪うさ。ベイジルはもちろん、決死隊も全員生かして帰ってこな
いといけないぐらい、強烈に呪う﹂
手紙の内容はかなりシンプルだけど、ベイジルには何よりもキツ
イはずだ。
俺はミツキと連名でベイジル宛の手紙をしたためる。中身は整備
士君にも見せず、ベイジルの弁当の上に置いた。
勘違いした英雄予備軍より、後悔を込めて。そう綴った手紙だ。
ヘケトの群れに襲われる弓兵機の仲間を見捨てて戦場から逃げた
事を後悔していた勘違いの英雄ベイジルに、この手紙は強烈な毒を
盛る。
さぁ、生きて帰ってこなければ、決死隊を残してボルスを出た軍
人がみんな昔のベイジルみたいになるぞ。
俺は食堂を出て、ボルスを撤退する部隊へ向かう整備士君たちを
見送り、ディアに跨る。
ミツキがパンサーに乗って俺の隣に並んだ。
﹁ベイジル、生き残るかな?﹂
﹁さぁな。スケルトン種だけが相手だとしても、激戦になる。市街
戦を想定した部隊ならともかく、ほとんどはリットン湖周辺の湿地
帯に合わせた装備だからなおさらな﹂
1355
だが、一人でも多く生き残ってほしい所だ。
俺たちは青羽根や月の袖引くと合流し、ボルスを出る。
空は雨の気配を漂わせながら、曇り始めていた。
1356
第二十七話 街道防衛陣地の戦い
決死隊を残してボルスを発った俺たちは、マッカシー山砦とボル
スを結ぶ街道を三分の一ほど進んだ場所で停止していた。
時刻は深夜を回り、遠くボルスの物と思われる戦闘音が響いてい
る。
日が落ちるとともに降り出した雨は誰かが流した涙のように地面
を濡らしている。
街道に作られた簡易的な防衛陣地へ的確に兵士を割り振ったワス
テード元司令官は、何故か俺たちのそばでボルス方面を見つめてい
た。
﹁開拓者をうらやましいと思った事は今までなかったよ﹂
ワステード元司令官が呟いて、ボルスの戦闘音に耳を澄ませる。
﹁幼少から規律ある軍に憧れていた。規則に縛られる事が億劫にな
った事もなかった。命令をこなし、巨大な軍という組織の目的達成
に貢献するのが性に合っていたのだろう。だが命令を出す側になる
と、これほど生きづらい立場だとは思わなかった。⋮⋮私は出世し
すぎた﹂
自嘲気味に笑って、ワステード元司令官は軍帽を目深にかぶり直
した。
﹁青羽根の団長、ボールドウィンといったか。開拓学校卒業後、軍
に所属せず開拓団を立ち上げたらしいね。彼は賢明だったよ﹂
1357
そう言い残して、ワステード元司令官はボルスに背を向け、整備
車両へ歩いて行った。
さんざん愚痴をこぼしてから立ち去るとは、相当参っているらし
い。
ワステード元司令官でなくとも、兵士は誰しも気落ちしている。
士気は最低だ。
それでも、この地点で夜明けを待たなくてはならない。これ以上
進んでしまうと、先に避難したボルスの住民に追いついてしまう恐
れがあった。
ボルスの戦闘音が激しさを増す。おそらくは大型スケルトンが放
ったものだろう大火球が雨空へ斜めに進んで行って掻き消えた。
兵士たちが祈る様にボルスの方角を見つめている。
﹁⋮⋮ミツキ、索敵に出よう﹂
﹁少し早いけど?﹂
﹁ここだと息が詰まる﹂
俺はディアを起動させて、索敵に出発した。
ミツキもパンサーに乗ってついてくる。
超大型魔物から逃げてきた甲殻系魔物が散発的に襲ってくるが、
索敵に引っかかっている以上闇夜でも奇襲されることはない。
ぐるりと周囲の索敵を終えて問題がない事を確認し、防衛陣地へ
戻る。
この防衛陣地付近にスケルトン種がいないという事は、ボルスに
残っている決死隊が戦い続け、食い止めている証拠ともいえる。
沈んだ雰囲気の防衛陣地を横切って持ち場に戻る。
ボルスから届く戦闘音は夜明け頃になって唐突に止んだ。
ボルスに残った決死隊は、生き残っていれば早朝を待って街道上
を撤退してくるはずだ。
もしもボルスの決死隊が防衛に成功したのであれば、最初にこの
1358
防衛陣地にやって来るのは車両だろう。
逆に、防衛に失敗したのであれば、やって来るのはスケルトン種
の可能性が非常に高い。
全体に緊張が走る中、日が昇って街道が照らしだされる。
街道上に、動くモノはない。人も、車両も、魔物の姿もない。
じりじりと焦燥感に苛まれながら、ただ待ち続ける。
不意に、足音が聞こえた。
人の物ではない、質量の大きな足音だ。
同時に、街道上にそれが姿を現す。
真っ白の頭蓋を晒し、精霊人機の遊離装甲を身に纏う、両手にハ
ンマーを持った大型スケルトン。
大型スケルトンの足元には取り巻きらしきスケルトンが歩いてい
る。
街道上に大型スケルトンが姿を現した瞬間、防衛陣地に暗鬱な空
気が漂う。
ボルスの決死隊が全滅したと判断して、ワステード元司令官が全
体に指示を出した。
﹁昼までこの防衛陣地で凌ぎきる。総員、心してかかれ﹂
スカイ、スイリュウが各々の武器を構えて森を切り開いた広場で
戦闘態勢を整えた。
後方で雷槍隊機が二機、駐機姿勢で待機している。
ワステード元司令官専用機ライディンガルを除いて雷槍隊機は全
部で五機存在したが、一機は操縦士がロント小隊の生き残り機体に
乗り、二機の雷槍隊機と共に決死隊として残っている。つまり、こ
こには雷槍隊の操縦士二名と機体が三機しかない。
今後の撤退戦を考えて全戦力を投入することができず、この防衛
陣地で主に戦闘を請け負うのは開拓団の機体だ。
両手ハンマーの大型スケルトンが顎を打ち鳴らす。カスタネット
1359
のような音が響き渡ると、取り巻きのスケルトンたちも同じように
顎を打ち鳴らして唱和した。
大型スケルトンが顎を閉じた瞬間、ボルス方面から似たような音
が響いてくる。
﹁遠方の仲間と連絡を取ったか。つくづく知恵が回るようになって
るな﹂
対物狙撃銃のスコープで大型スケルトンの眼窩を覗き見る。
これまでと違って日の光の中ならばスケルトンの頭蓋の中にいる
白い人型を確認できるかもしれないと思ったのだ。
しかし、体長十メートルを超す大型スケルトンの頭蓋は大きく、
日の光が内部まで届いていない。この距離では確認する事も出来な
かった。
﹁素直に魔術スケルトンの数を狙撃で減らしていくしかないね。私
が目標を指示するよ﹂
﹁頼んだ﹂
俺たちが安心して狙撃できるように作られた分厚い土嚢の裏から、
魔術スケルトンの頭蓋骨の中へ銃弾を飛び込ませる。
相変わらずアップルシュリンプの甲殻で頭を覆っている魔術スケ
ルトンたちだが、日の光の下では眼窩を狙うのも難しくない。
俺以外の何人かの狙撃兵もうまく頭蓋骨の中に潜んでいるだろう
白い人型を撃ち殺せている。命中精度は相変わらず低いが、変なと
ころに当たる分、魔術スケルトンたちも狙撃兵の位置を割り出せな
くなっており、ちょうどいい攪乱になっていた。
淡々と魔術スケルトンを処理していると、焦れたように両手ハン
マーの大型スケルトンが動き出す。
だが、両手ハンマーの前にスカイが立ちふさがった。
1360
スカイと向き合った両手ハンマーが唐突に上半身を右へ逸らした。
明らかに隙を生んでしまう両手ハンマーの動きの意図がつかめず、
スカイが身構えた瞬間、森から新たな大型スケルトンが立ち上がっ
た。
匍匐前進をするように森の中を進み、今まで姿を隠していたのだ
ろう。スケルトンと人間との戦闘音に紛れて移動する際の音が聞こ
えてこなかったようだ。
スカイが対応しようとした直後、新手のスケルトンが掲げた武器
を見て兵の間に動揺が走った。
大型スケルトンが掲げたのは、大型魔物の腱を弦にした長さ六メ
ートルを超える長大な弓だ。
それはベイジルが操る弓兵機アーチェの専用武器。
大型スケルトンが弦を引き、ロックジャベリンの矢を番える。や
はり、学習能力が異様に高い。
しかし、放たれた石の矢はスカイではなく全く見当違いの森の中
へ飛んでいった。
アーチェと戦い、武器を奪う事は出来てもベイジルの技量を奪う
ことまでは出来なかったのだろう。大型スケルトンが立て続けに二
本の矢を放つが、こちらの損害はない。
だが、兵士に与えた心理的な影響は計り知れなかった。
ベイジルだけが扱う特殊機体アーチェの代名詞ともいえる長弓を
大型スケルトンが持っているという事実が、否応なしにボルスに残
った決死隊の最期を想像させたからだ。
意気消沈した兵士たちにトドメを刺す様に、街道上をボルスから
やって来る別の大型スケルトンが現れた。
規格もばらばらの遊離装甲を身に纏ったその大型スケルトンは右
手にタラスクの甲羅を四重に浮かせている。
﹁なんで、アイツがまだ出てくるんだよ!﹂
1361
前線の兵士が叫ぶ。
雷槍隊の連携で打ち取られたはずの四重甲羅を扱う大型スケルト
ンの登場は、兵士たちに終わりのない戦いを予期させ、心を折って
いく。
俺は後方のワステード元司令官を見る。すでに専用機ライディン
ガルに乗っているが、出撃できずにいる。兵士たちに動揺が走って
いるこの状況で迂闊に指揮官が前に出てしまうと、恐怖に駆られた
兵士が逃げ出してしまう恐れがあるからだ。
四重甲羅の大型スケルトンの頭蓋骨の中にいた白い人型を取り逃
がしたツケが最悪の形で返って来た。
弓兵大型スケルトンの前に立った四重甲羅が防御姿勢を取る。お
そらくはボルスでベイジル率いる決死隊がとった戦術の模倣だろう。
弓兵の命中率が低くとも、万が一当たると致命的な損傷を負う以
上、スカイやスイリュウも警戒しなくてはならなくなる。
魔術を使わないスケルトンは相変わらずばらばらに突っ込んでく
るだけだが、タフな上に頭蓋骨を破壊されない限り仲間の屍から必
要な骨を自らに組み込んで平然と復活してくるため、歩兵たちが徐
々に押され始めている。
簡易的な防衛陣地では長期間の防衛戦は到底不可能だ。現在の士
気では昼まで持つかどうかも怪しい。
雷槍隊の二機が立ち上がり、戦闘へ加わった。
両手ハンマーと四重甲羅がスカイ、スイリュウ、雷槍隊機を相手
取って戦う中、後方の弓兵大型スケルトンが命中しないまでも牽制
としては抜群のタイミングで矢を放ってくる。
防衛陣地の最前線が突破され、歩兵が白兵戦を始めた時、ワステ
ード元司令官が随伴歩兵部隊を投入した。
リンデたちの部隊だ。
経験の浅い若い兵士ではあるが、随伴歩兵を務められるほどには
戦闘力のあるリンデたちが最前線に投入された事により、順調に歩
兵が撤退し、防衛陣地を一つ後方へ下げることに成功する。
1362
﹁リンデたちもやればできるのな﹂
﹁裏切りとかね﹂
﹁言ってやるなよ。いまは警戒するだけでいい﹂
リンデたちはボルスではなくマッカシー山砦の所属だ。ベイジル
との繋がりも薄く、決死隊に知り合いもいないため士気があまり下
がっていない。だからこそ、ワステード元司令官も予備戦力として
温存していたのだろう。
街道上の防衛陣地を使ってスケルトン種の侵攻を抑えながら、少
しずつ後退する。
早朝ならともかく、日も昇り切った今になってもスケルトンたち
は撤退の気配を見せない。終わりのない戦いを続けるうちに軍の士
気は下がっていく。
ギリギリの均衡を保ちながらの緩やかな撤退。予断を許さない状
況ながら、表面上は計画通りに足止めと撤退を両立させていた。
だが唐突に、大型スケルトンたちが戦術を変え、均衡を崩しにか
かった。
弓兵大型スケルトンが狙いを精霊人機から一般歩兵に切り替えた
のだ。
広がって陣を敷いている歩兵たちに対してならば、多少狙いがそ
れても別の歩兵に当たる上、長さ六メートルの長弓から放たれる石
の矢は地面を穿って周囲の歩兵をまとめて殺傷させる威力がある。
狙いに気付いた瞬間、雷槍隊の二機が弓兵大型スケルトンが放つ
矢を槍で捌くために立ち位置を変える。穴を埋めるようにスイリュ
ウとスカイが動くが、魔力の消費量の問題で派手な立ち回りができ
ず、押され始めた。
後退の速度が上がり始める。
精霊人機と大型スケルトンの攻防に合わせた撤退に大きさの違う
歩兵たちが歩調を合わせる。しかし、精霊人機たちの戦闘範囲は広
1363
く、歩兵たちの移動距離も広くなる。
自然と、疲労の蓄積が早まり、一か所で抵抗する時間も短くなり
始めた。
スケルトン種の撃破数が極端に下がると同時、交戦時間と移動時
間の差が広がり、全体の足並みが乱れる。
もはや、全体の状況を理解できているのは狙撃手として後方にい
る俺と観測手のミツキ、指揮を執っているワステード元司令官くら
いのものだろう。
しかし、ワステード元司令官は矢継ぎ早に指示を出しながら軍の
統率を維持し続けている。ロント小隊長を含めて各部隊の隊長も、
リットン湖での戦いを生き延びただけあって現場判断を正確にこな
している。
太陽が中天に差し掛かる。全面的な撤退を許される時間だ。
今頃はボルスの避難民もマッカシー山砦に到着しているはずであ
る。
俺は狙撃を続けながら、ワステード元司令官の撤退指示を待つ。
負傷兵を乗せた整備車両が走り去った時、ワステード元司令官の
乗る特別機ライディンガルが戦闘態勢を取った。
﹁後の指揮は任せる﹂
ワステード元司令官が拡声器越しに指揮権を移譲すると、整備車
両にいた雷槍隊の副隊長が頷き、敬礼した。整備車両に副隊長が乗
っているということは、いま雷槍隊機に乗って戦闘している二人の
うちのどちらかは予備の操縦士だろう。
他の雷槍隊機よりも一回り大きいライディンガルが動き出したこ
とに、大型スケルトンたちが警戒したように動きを止める。特に、
四重甲羅は慎重に後退し間合いを計っているようだ。
﹁みな、よく耐えた。後はマッカシー山砦まで逃げ切るだけだ。こ
1364
の場は私が引き受ける。雷槍隊機は私と共にここに残れ﹂
﹁了解﹂
二機の雷槍隊機の拡声器から放たれた声が重なる。
各部隊が撤退を開始する。
部隊長がライディンガルの横を通る度、ワステード元司令官は声
をかけていた。
﹁︱︱ロント、お前は部下を生かす事に長けている。出世しろ﹂
どれも短い言葉ではあったが、部隊長たちは最敬礼を返し、街道
をマッカシー山砦方面へ向かい、速度を上げていく。
前線で団長が戦っていた青羽根と月の袖引くも雷槍隊に後を任せ
て整備車両へ乗り込んだ。
﹁青羽根、月の袖引く、ここまで共に戦ってくれて感謝する。君た
ちの未来が明るいものであることを祈る﹂
二つの開拓団の整備車両を追い駆けようとしたスケルトンを槍の
一振りで薙ぎ払い、ワステード元司令官が乗るライディンガルが俺
たちを見た。
﹁依頼の報酬を渡せずじまいだったな。調査はさせていたのだが、
すまない﹂
﹁そう思うなら、生き残ってくださいよ﹂
ライディンガルに向かって言い返すと、ワステード元司令官は口
を閉ざした。
ミツキが俺の服の袖を引っ張る。
1365
﹁そろそろいかないと﹂
﹁⋮⋮そうだな﹂
俺はミツキと共にワステード元司令官や雷槍隊の二機に見よう見
まねの敬礼をして、戦場を後にする。
街道をディアに乗って走りながら、俺は併走しているミツキに声
を掛ける。
﹁俺、趙雲とか好きなんだ﹂
﹁長坂の戦いとか?﹂
﹁まさにそれ﹂
ミツキを見ると、笑って森を指差していた。
﹁行こっか﹂
俺は笑い返して、街道を逸れ、ミツキと共に森へ飛び込んだ。
1366
第二十八話 救出作戦
雷槍隊機が二機、ワステード元司令官が操るライディンガルを中
心にスケルトンを蹴散らしている。
ライディンガルは両手ハンマー、四重甲羅、弓兵を同時に相手取
っていた。
最初から倒すことを考えず、時間を稼ぐことを念頭に置いた動き
だ。
ライディンガルは槍を振って四重甲羅を横に弾き、両手ハンマー
の動きを阻害する。四重甲羅と両手ハンマーを盾にして弓兵大型ス
ケルトンの射線が通らないよう気を配りながら囲まれないように動
く。
長く戦い続けるためか、攻勢に転ずることはない。
足元にはスケルトンが群れているが、常に動き回るライディンガ
ルの足に取り付こうとして蹴り飛ばされ、あるいは踏みつけられて
いる。
街道上に群れるスケルトンの防波堤となる様に、三機は連携して
見事に食い止めていた。
だが、もともと魔力が十分ではない三機が歩兵の援護もなしに戦
い続ける事は出来ない。
弓兵大型スケルトンがすっと腰を落とし、足元から何かを拾い上
げた。
再び立ち上がった弓兵大型スケルトンは弦を引き石の矢を生成す
ると、少しだけ上達したその弓の腕を披露する。
弓兵大型スケルトンが放った石の矢はライディンガルたちの上空
を飛び、込められた魔力を使い果たして消滅する。
すると、消滅した石の矢の代わりに何かがバラバラとライディン
ガルたちに降り注いだ。
1367
ライディンガルたちの頭部や肩部に着地し、しがみ付くのは人間
と同サイズのスケルトンたち。
大型スケルトンは呼吸が必要ないのを良い事に足元の取り巻きを
石の矢の中に込めて放ったのだ。
数体のスケルトンが体に取りついたところで動きに支障はないも
のの、二度、三度と繰り返され、関節部に取りつかれると話は変わ
る。
肩関節にスケルトンが取りつき、動きを阻害された一瞬の隙を突
かれて、雷槍隊の一機が両手ハンマーに足を払われ、転倒する。待
ってましたとばかりに足元のスケルトンたちがわらわらと群がり、
小人の国に迷い込んだガリバーのように身動きを封じられてしまう。
僚機を助ける余裕のない雷槍隊機に、弓兵大型スケルトンによっ
て打ち上げられた魔術スケルトンが空から襲いかかる。
雷槍隊機の肩にしがみ付いたスケルトンは内側から遊離装甲へロ
ックジャベリンを放って引き剥がすと、今度は関節を狙ってロック
ジャベリンを放つ。
遊離装甲を失い、関節を至近距離で攻撃された雷槍隊機が両手の
自由を失い、それでも足で街道上のスケルトンを蹴散らしていく。
しかし、そんな奮闘も幾度となく至近距離から放たれる魔術スケ
ルトンの攻撃を受けて勢いを失っていく。
ついに膝をついた雷槍隊機にスケルトンたちが取りつき、地面へ
引き倒した。
残りはライディンガルただ一機。
ライディンガルは雷槍隊機二機から少しずつ距離を取り、スケル
トンたちを引きつけ始める。
大型スケルトンはもちろん人間と同じ大きさのスケルトンたちも
ライディンガルを追って行く。
ライディンガルともども、スケルトンたちが森へ入って行ったの
を見計らって、雷槍隊機の操縦席のハッチが開く。
中から出てきた雷槍隊の操縦士はライディンガルを追わずに街道
1368
に残っているスケルトンたちを見て覚悟を決めた顔をした。
いまだに、四十体以上のスケルトンが街道上に残っている。雷槍
隊機を囲む様に佇んでいたスケルトンたちが二人の操縦士を一斉に
見上げた。
倒れ伏した機体の上で大振りのナイフを抜いた操縦士たちがスケ
ルトンたちの出方を窺う。
カタカタとスケルトンたちが顎を鳴らした。
ザリッと固められた地面と骨がこすれ合う音と共にスケルトンた
ちが操縦士二人に襲い掛かった、その瞬間︱︱
﹁ミツキ、スケルトンを任せた!﹂
﹁しょっぱな本気でいくよ!﹂
五つの魔導手榴弾が宙を舞う。
俺はフルスロットルでディアを駆け出させた。
﹁吹っ飛べ!﹂
圧空の魔導核に魔力を流し込み、進路上のスケルトンを吹き飛ば
し、一直線に雷槍隊機へ突き進む。
飛び掛かって来たスケルトンを対物狙撃銃の銃床で力任せに殴り
飛ばし、倒れ伏した雷槍隊機の上へディアを飛び乗らせる。
驚いた顔をしている雷槍隊の操縦士に事情を説明する時間も惜し
い。
俺は身体強化を施した両腕で操縦士の軍服を掴み、ディアの角に
ある銃架用の窪みを利用して服を引っ掛ける。軍服ならどうせ丈夫
に作ってあるだろうし、途中で破けることもないはずだ。
ディアを再度走らせて、雷槍隊機の上を駆け出す。
自らの状況に気付いた操縦士が慌ててディアの角にしがみ付き、
足が地面に着かないように膝を曲げた。
1369
﹁て、鉄の獣? なんで?﹂
﹁趙雲だからだ!﹂
ミツキと二人で一人前だけど!
心の中で付け足して、俺は森を振り返る。
﹁ミツキ、爆破を頼む!﹂
﹁三つで行くよ!﹂
宣言通り、森から投げ込まれた三つの魔導手榴弾が俺の進路上で
炸裂し、スケルトンを吹き飛ばす。
爆発で開いた道をディアは高速で駆け抜け、もう一機の雷槍隊機
へ飛び乗った。
状況を理解して備えていたもう一人の操縦士がディアの角に飛び
つく。左右に大の男をぶら下げながら、ディアは力強く足を踏み出
した。
雷槍隊機から飛び降りた直後、魔術スケルトンからロックジャベ
リンが放たれる。
俺はディアを斜め前に飛び出させロックジャベリンを避け、お返
しに圧空を発動する。
スケルトンたちが吹っ飛ぶが、身体強化を施している魔術スケル
トンは足を踏ん張り腰を落として耐えていた。
風圧に耐えている間に距離を詰めたディアが軽く飛んで魔術スケ
ルトンを押し倒す。
殺す必要などないため、俺は魔術スケルトンを無視してそのまま
森へ駆けこんだ。
スケルトンが追いかけようと森へ分け入った瞬間、ミツキの置き
土産の魔導手榴弾が炸裂し、四体のスケルトンがバラバラになって
宙を舞った。
1370
﹁︱︱退路は!?﹂
﹁こっち!﹂
先にミツキが索敵魔術で調べておいたスケルトンの少ないルート
を選んで森の中を駆け抜ける。
スケルトンを引き離し、森の奥まで来た俺たちは精霊獣機の足を
止めた。
﹁操縦士はさっさと降りて。後で迎えに来るから!﹂
角にしがみ付いていた操縦士を力任せに引き剥がし、ディアを反
転させる。
﹁お、おい、鉄の獣! お前らはマッカシー山砦へ撤退するよう命
令されたはずだろ!﹂
﹁は? それが何? 俺たちが聞くわけないだろ、軍の命令なんか﹂
﹁ワステード元司令官に死なれたら私たちも困るのよ。マッカシー
山砦にホッグスがいる以上、ワステード元司令官がいないと旧大陸
派も開拓者も使い潰されるんだから﹂
操縦士二人を残して、ライディンガルが向かった森へディアを走
らせる。
ライディンガルは大型スケルトン三体に対して攻勢に転じていた。
一機ではスケルトンを食い止めるのは無理と判断し、少しでも数を
減らす方針に切り替えたのだろう。
暴れまわるライディンガルに対して弓兵大型スケルトンが魔術ス
ケルトンを降らせているが、操縦士であるワステード元司令官は広
い視野を持っているらしく槍を回し、数歩踏み込むなどで降り注ぐ
スケルトンを躱していた。
1371
大型スケルトンへ牽制のために槍の穂先が向いたと思えば、石突
きで地上のスケルトンを薙ぎ払っている。
今まで俺たちが見てきたどの操縦士よりもワステード元司令官の
操るライディンガルの動きは無駄がなく、攻撃的だった。
だが、大型スケルトンたちも学習の賜物か、連携が洗練されつつ
あった。
両手ハンマーが連続でハンマーを振り回し、隙ができれば四重甲
羅が前に出て盾となり、弓兵大型スケルトンの牽制の一射と共に体
勢を立て直した両手ハンマーがまた攻撃を仕掛ける。
ワステード元司令官としてはここで一体でも仕留めておきたかっ
ただろう。
しかし、奮闘むなしく、ただでさえ魔力が少なかったライディン
ガルは力尽きる。
槍を振り抜こうとした腕が勢いを無くし、慣性と重力に従って右
斜め下へと振り落とされた。魔力を失った機体は腕の勢いに抗う事
も出来ず、右へと倒れ込む。
雷槍隊機の中でも大柄なライディンガルが倒れ伏すと、地面が揺
れた。
直後に、ハッチが開き、ワステード元司令官が姿を現す。
諦めたわけではない事は、ワステード元司令官が生み出した細長
いロックジャベリンからも明らかだった。
軽い調子で踏み出したワステード元司令官がロックジャベリンを
片手に地面に降り立ち、スケルトンを相手に白兵戦を始める。
だが、取り巻きが蹴散らされていくのを大型スケルトンたちがた
だ見ているはずもない。
両手ハンマーがワステード元司令官を叩き潰すべく、左右のハン
マーを持ち上げる。振り降ろされればワステード元司令官は肉塊に
成り果てるだろう。
だが、ハンマーが振り降ろされるより先に、魔導手榴弾が両手の
ハンマーに直撃した。
1372
爆発の衝撃でハンマーが大型スケルトンの意図しない方向へ跳ね
上がる。
スケルトンたちが爆発に気を取られたその刹那、俺は潜んでいた
森からディアに乗って飛び出した。
密集しているスケルトンは両手ハンマーを見上げたままだ。しか
し、ワステード元司令官は爆発に視線を一瞬だけ向け、すぐに戦闘
を継続していたため、俺が乱入した事にも気付いたらしい。
驚きに目を見張っているワステード元司令官に向かって、ディア
を進める。進路上のスケルトンを跳ね飛ばし、圧空で吹き飛ばし、
さらにはミツキの援護を受けてひたすらに突き進む。
俺に気付いたスケルトンたちが攻撃を仕掛けてくる。
﹁邪魔だっての!﹂
飛び掛かって来たスケルトンを対物狙撃銃の銃床で殴り、反対方
向から伸ばされた手を身をひねって避ける。
その時、視界の端でファイアーボールを準備している魔術スケル
トンを見つけた。骨でできたスケルトンたちには火の効果が薄いが、
生身の人間である俺には言うまでもなく効果抜群だ。俺の周りに仲
間のスケルトンが何体いようが関係ない。敵ながら見事な選択だっ
た。
俺はディアの進行方向をわずかに曲げ、魔術スケルトンがファイ
アーボールを放ってくると同時に近くにいたスケルトンをディアの
角で撥ね上げた。
跳ね上げたスケルトンを盾にファイアーボールをやり過ごす。骨
の隙間から熱風が来るかと身構えたが、魔力膜のおかげか熱風が届
くことはなかった。
だが、ファイアーボールのような派手な魔術を防いだからだろう、
大型スケルトンたちが俺に気付いて武器を振り上げた。
両手ハンマーも、四重甲羅も、どっちを受けても死ぬのは確実だ。
1373
しかし、ワステード元司令官までの距離もあと少し。
俺は圧空の魔術を発動してスケルトンを吹き飛ばし、魔力を込め
た両手を左右に伸ばし、ロックウォールを左右に展開する。
ワステ︱ド元司令官の下まで続く、長い石の壁だ。高さ、幅、ど
れをとっても上から振り降ろされる武器を受け止められるようにな
っている。
横からの攻撃を受ければひとたまりもないだろうが、周囲にはス
ケルトンがいる。大型スケルトンが武器を横薙ぎに振るったなら、
取り巻きのスケルトンも多くが犠牲になるはずだ。
スケルトンたちにどれほどの仲間意識があるのかは分からないが、
今はこれしか方法がない。
両手ハンマーの大型スケルトンが俺に向かってハンマーを振り降
ろそうとした時、魔導手榴弾が森の中のミツキから投げ込まれた。
五つの爆発型魔導手榴弾は両手ハンマーの大型スケルトンの眼前で
爆発し、視界を奪う。
ナイス援護と心の中で喝采を送りつつ、俺はワステード元司令官
のそばにいたスケルトンをディアで撥ね飛ばした。
﹁乗ってください!﹂
ワステード元司令官が口を開く前にディアの背に乗るよう示す。
何か言いかけたワステード元司令官だったが、苦い顔でディアに
飛び乗った。
即座にディアを反転させ、一気に速度を上げる。
大型スケルトンにはミツキが魔導手榴弾を大盤振る舞いしていた。
魔術スケルトンたちが魔導手榴弾が飛んでくる場所へ一々魔術を
放っているが、ミツキは魔導手榴弾をストレートで投げているわけ
ではない。パンサーの補助を受けた投擲はあらゆるカーブを使いこ
なせる。
ミツキはおそらく、森の中を駆け回りながら様々な球種を総動員
1374
しているはずだ。
あれだけ爆発型魔導手榴弾を受けても焦げ跡一つない大型スケル
トンたちに戦慄を覚えつつ、森へひたすら駆ける。
その時、弓兵大型スケルトンが弓を引き絞った。ミツキの投げ込
む魔導手榴弾を避けながら、一か八かで俺を狙い撃つつもりらしい。
速度はもう上がらない。ワステード元司令官が乗っていて重量が
増えていることも理由の一つだが、行く手を阻むスケルトンを撥ね
飛ばす度にどうしても速度が落ちてしまう。
長弓に石の矢が番えられる。
森まではまだ距離がある。間に合わない。
どうしても矢が一発は放たれる。外れることに期待するのは甘い。
俺は背中のワステード元司令官に声を掛ける。
﹁周囲のスケルトンの攻撃を防いでください﹂
﹁君はどうする?﹂
﹁集中して、あの矢を避けます﹂
ディアのハンドルを握り、弓兵大型スケルトンの矢先を睨みつけ
る。
狙撃で鍛えた動体視力も集中力もありったけ傾けて、矢の行く末
を絶えず予測しながら放たれるその瞬間を待つ。
大型スケルトンの手が弦を離した。
こんな時ばかり、命中させてくるか。
だが、矢の軌道は読めた。
刹那の判断で、俺は圧空を起動しつつディアを左斜め前へと進ま
せる。
圧空で生み出された圧縮空気が右ではじけ、スケルトンを吹き飛
ばしながらディアの角を風圧で押す。
風を受けたディアは左へ七十度近い急転換をしながら、前足を力
強く踏み出した。
1375
俺は圧空の魔導核から離した手で後ろのワステード元司令官を掴
み、脇に抱えるように上体を倒させる。
轟ッという音と共にワステード元司令官の上半身があった場所を
巨大な矢が通り過ぎ、地面を抉り、石礫とスケルトンの破片をまき
散らせた。
背中に激痛が走る。矢が通り過ぎた瞬間に掠ったらしい。
同時に矢が巻き上げたスケルトンの破片が額にぶつかる。額から
流れた血が右目へと流れこみ、右の視界を赤く染めた。
しかし、生きてる。
まさか躱されるとは思っていなかったのだろう、弓兵スケルトン
が慌てたように新たな矢を番える。
方向転換した今、もう一射分の余裕がぎりぎりであると踏んだの
だろう。
俺はディアのレバー型ハンドルを握り、歯を食いしばって意識を
保つ。
弦が引かれ、弓がしなるのを左目の視界に捉える。森はすぐそこ
だ。
﹁︱︱とどけぇええ!﹂
ディアを跳躍させ、正面のスケルトンを飛び越えながら圧空の魔
術を発動し追い風を受けて加速する。
森に入った直後、背後で石の矢が着弾する爆発音にも似た音が追
いかけてきた。
間に合ったのだ。
﹁っしゃあ、ざまあみろ!﹂
木々の隙間から見えている弓兵大型スケルトンに中指を立てて、
俺はミツキと合流する。
1376
﹁ヨウ君、背中!?﹂
﹁意識があるから大丈夫だ。それよりさっさとずらかるぞ!﹂
寒気がしてるけど、意識はしっかりしてる。前世の学生時代の長
距離マラソンでランナーズハイになった時以来のアドレナリン全開
ぶりだ。
まだしばらくは持つ。
ミツキも今は俺の治療をしている場合ではないと分かっているの
だろう。唇を噛んで前を向いた。
森を駆け抜け、先に助けた雷槍隊と合流する。
パンサーから飛び降りたミツキが腹部の収納部から応急手当の道
具を取り出した。
﹁ヨウ君、服脱いで!﹂
言われた通りに脱いだ服は背中の部分が斜めに切れて真っ赤に染
まっていた。
﹁うわ、酷いな、コレ﹂
﹁自分で言ってないで、ほら両手挙げて!﹂
ミツキに言われて両手を挙げ、応急処置を任せる。染みるような
感覚はあるが、痛みはない。軽傷とは思えないから、俺はかなりア
ドレナリンに助けられているらしい。
自分で背中が見れない事に感謝しつつ、俺はワステード元司令官
を見た。
額を押さえたワステード元司令官が口を開く。
﹁助けられておいて言えた義理ではないが、何故、来た?﹂
1377
﹁ベイジルと違って助けられると思ったので。それに、ワステード
元司令官には報酬を払ってもらってないですから﹂
踏み倒しはダメですよ、と笑顔で言ってやる。
﹁⋮⋮敵わないな﹂
ワステード元司令官はため息を吐いて、雷槍隊の操縦士をちらり
と見てからマッカシー山砦方面を指差した。
﹁すぐにスケルトンが追ってくる。このまま森を進んでマッカシー
山砦へ向かう。索敵は鉄の獣に任せ、我々は鉄の獣の後を追う形で
駆け抜ける。魔力の余裕はあるだろうな?﹂
﹁もちろんです、副指令﹂
ちょうど、俺の応急処置が終わる。ミツキはまだ心配そうだが、
このままここに居ても本格的な治療が受けられるわけではない。
﹁さぁ、逃げるよ﹂
ミツキの言葉で、俺たちはマッカシー山砦へ駆け出した。
1378
第二十九話 指揮官不在の砦
雷槍隊の操縦士二人とワステード元司令官の三人だけとあって、
森の中を駆け抜けるのは難しくなかった。
ディアとパンサーの索敵魔術は最大範囲で起動しており、魔物と
の遭遇をせずに可能な限りまっすぐマッカシー山砦へ向かう。
沼や川を避けて進む街道を走るよりも圧倒的に速いが、車両で先
に向かっているロント小隊や青羽根、月の袖引くとの合流は望めな
いだろう。身体強化を使っているとはいえワステード元司令官たち
は生身で走っているのだから、贅沢は言えない。
それに、俺の傷もひどかった。貧血気味で思考がまとまりにくい。
それでも順調に行程を消化し、丸一日でマッカシー山砦が見えて
きた。
﹁ヨウ君、しっかり!﹂
ミツキが俺の肩に手を置いて声をかけてくる。
﹁もう、ゴールしていいよね?﹂
﹁洒落にならないからその冗談はやめて﹂
怒られた。
スケルトンたちは撤退したのか、そもそも追ってきていないのか、
姿が見えなくなっている。
ワステード元司令官がマッカシー山砦を見上げて眉を顰めた。
﹁妙だな。赤盾隊の姿がない﹂
﹁中にいるんじゃないですか?﹂
1379
﹁いや、精霊人機は砦の外で運用する物だ。赤盾隊の特殊兵装を考
えればなおのこと、外に配置する。別働隊としてどこかに隠し、奇
襲か挟撃を狙っているのか?﹂
ワステード元司令官は難しい顔で周囲を見回す。
何はともあれ、マッカシー山砦に着いた以上は俺とミツキの役割
もここまでだろう。
マッカシー山砦前に展開している部隊に青羽根と月の袖引くを見
つけて、山を登りながら向かう。
急勾配を蛇行して走っている道を無視してまっすぐ駆け登るディ
アとパンサーに、麓を道なりに登ってくるワステード元司令たちが
呆れた顔をしている。
見上げれば、俺たちに気付いて出迎えに出たボールドウィンやタ
リ・カラさんたちも苦笑していた。
しかし、山を登り切った俺の姿を見てボールドウィンたちは一斉
に青ざめた。
﹁ちょっ、コト、なんだよ、その怪我!﹂
答えようとした俺の前に手を突き出して、ミツキが遮ってくる。
俺の前に出たミツキが事情説明を後回しにして訊ねた。
﹁中で治療は受けられる?﹂
﹁受けられない事もないけど、お勧めしないな。新大陸派の兵が詰
めてる砦だから、指揮官不在ってこともあってかなり揉めてる﹂
ボールドウィンが困ったように言うと、タリ・カラさんが進み出
てきた。
﹁月の袖引くの整備車両へいらしてください。簡易的な物ですが、
1380
医療器具も備えてます﹂
﹁整備車両に?﹂
﹁父が団長をしていた頃は、近くに拠点もない開拓の最前線で活動
していましたので、よほどの傷でなければ対処できるようになって
います。外科的な物に限りますけれど﹂
タリ・カラさんに連れられて整備車両に入ると、月の袖引くの医
者がすぐに治療の準備をしてくれた。
﹁応急処置が早かったみたいですね。傷は広いですが、浅い。しば
らく安静にしていれば数日で動けるようになるでしょう﹂
ここまで丸一日ディアに乗っていた事は口にしないでおいた。
治療を受けながら、ボールドウィンに話を聞く。
﹁マッカシー山砦の状況は?﹂
﹁避難民はデュラへ送った。いまこっちに近くの町から応援が来て
る。ただ、さっきも言った通り指揮官が不在だ﹂
﹁ホッグスは?﹂
﹁それなんだけど、行方不明になってる﹂
﹁どういうことだ?﹂
ホッグスはリットン湖攻略隊のうち新大陸派の兵を連れてボルス
へ帰還した後、援軍を呼ぶという名目でマッカシー山砦へ出発した
はずだ。
﹁それが︱︱﹂
ボールドウィンの話を総合すると、ボルスを出発したホッグス率
いる新大陸派の軍はマッカシー山砦を目指して進む途中、二手に分
1381
かれたという。
いち早くマッカシー山砦から救援を呼ぶ目的でホッグス直属赤盾
隊の操縦士、整備士を含む百人ほどの部隊が他の部隊を置いて速度
を上げ、マッカシー山砦へ先に向かったらしい。
しかし、新大陸派の部隊がマッカシー山砦に到着した時にはホッ
グスと赤盾隊はまだ到着しておらず、マッカシー山砦は指揮官の行
方不明で大混乱に陥った。
暫定指揮を執れるほどの高級将官はおらず、暫定指揮官の椅子を
巡って各中隊長が喧々諤々の会議を続けることになる。
捜索隊も出されたが、ホッグス達赤盾隊の行方は知れず、会議を
続けている内に日が経ち、ボルスからの避難民が到着してしまう。
避難民を護衛してきた部隊や、ギルドの職員の話からボルスの惨
状が伝わると、暫定指揮官の座に加えて誰がボルス救援部隊という
貧乏くじを引くかで中隊長たちが睨み合いを始める。
何一つ決まらないまま、ついにロント小隊長たちが到着する。
だが、ベイジルを決死隊としてボルスに残し、ワステード元司令
官も街道上の戦いで殿に残ったため生存は絶望的、指揮を執るもの
がいなかった。
階級が最も高い雷槍隊の副隊長が暫定指揮官に収まる事になった
が、新大陸派の兵たちの猜疑心が強すぎるため組織的な戦闘は難し
い有様だという。
﹁コトたちがワステード副司令官を連れてきてくれて助かった。マ
ッカシー山砦で敗走しようもんなら、デュラ含めて周辺の村も町も
壊滅しかねないからさ﹂
﹁怪我してでも助け出した甲斐があったって事か﹂
話しているうちに、外が騒がしくなってきた。
ワステード元司令官が道を登り切ったらしい。
新大陸派が素直に従うとは思えないが、それでもワステード元司
1382
令官なら上手くやるだろう。
ミツキが俺の顔を覗き込んでくる。
﹁眠くない?﹂
﹁眠い。けど、まだ寝るわけにはいかないだろ﹂
﹁誰か来たら私が追い返すから、寝ていいよ。膝枕してあげようか
?﹂
ミツキが自らの太ももを軽く叩きつつ笑みを浮かべると、月の袖
引くの医者が口を挟んできた。
﹁背中を切ってるから、仰向けで寝るのはお勧めしない。うつ伏せ
で寝るといい﹂
膝枕でうつ伏せ寝って⋮⋮。
ミツキと見つめ合って無言のやり取りをしていると、医者がにや
りと笑って続けた。
﹁彼女の太ももに顔を埋めて寝る大義名分を得られる機会なんて、
金輪際ないだろう。楽しめよ﹂
さすがにハードルが高すぎるので遠慮した。
月の袖引くの整備車両のベッドを借りて横になる。枕元に椅子を
引き寄せて座ったミツキが俺の様子をちらちら見ながら読書を開始
した。
整備車両の外では兵士たちが行きかう物音が聞こえる。時々、月
の袖引くの団員がやってきて今の状況を教えてくれた。
ワステード元司令官は暫定指揮官としてすぐに動き出したらしい。
着々と部隊の配置が決まり、防衛体制が整い始めた。
近隣からも精霊人機を始めとする戦力が到着し、戦力も増してい
1383
る。
専用機が雷槍隊機の一機しかないのが苦しいが、スカイやスイリ
ュウの修理も完了しつつあるうえ、魔力も十分に確保してある。
ボルスでの防衛戦とは違い、今回は甲殻系魔物がいないのも大き
い。
俺たちがマッカシー山砦に到着して二日目の昼、大型スケルトン
三体が率いる群れがマッカシー山の麓に現れたと報告があった。
居ても立ってもいられず、俺もベッドから出て麓を見下ろす。
魔物の接近に気付けるように五メートルほどの高さで切り揃えら
れた木々が山の斜面に沿って森として広がっている。
マッカシー山砦へと登る街道上に、スケルトンたちの姿があった。
両手ハンマー、四重甲羅、弓兵、大型スケルトンもそろっているよ
うだ。
スケルトンたちはマッカシー山砦を見上げるだけで動く気配がな
い。
にらみ合いを続けていると、大型スケルトン三体が揃って顎をカ
タカタと慣らし始めた。
続いて魔術スケルトンたちが顎を鳴らすと、通常のスケルトンた
ちが続く。
ついに攻めてくるかと軍が身構えた矢先、大型スケルトン三体が
マッカシー山砦に背を向けて、来た道を戻り始めた。
顎を鳴らしながら戻って行く大型スケルトンに魔術スケルトン、
通常スケルトンが付き従い、マッカシー山砦から遠ざかっていく。
﹁撤退するみたいだね﹂
ミツキがスケルトンたちを見送りながら呟く。
﹁今回は敵情視察で、本格的に攻めるのは夜って事も有り得るけど
な﹂
1384
追撃したいところだが、まだスケルトンたちと正面から戦えるほ
どの戦力はそろっていないため、見送るしかない。
﹁それにしても、魔物のくせに砦を見て撤退するんだもん。やっぱ
り頭が良いよね﹂
﹁ボルスでの戦闘で、拠点は簡単には落とせないって学習したのか
もしれないな﹂
その後、俺の懸念をよそに、夜になってもスケルトンたちは現れ
なかった。
朝を迎えてスケルトンたちの動向を探るべく偵察部隊が出された
が、近隣には姿が見えないらしい。
俺たちがマッカシー山砦に逃げ込んでから六日が立つ頃、ワステ
ード元司令官から司令部へ呼び出された。
俺の傷もだいぶ癒えていたため、ディアに乗って砦の中の司令部
に顔を出す。
﹁来たか﹂
出迎えたワステード元司令官は山積みの書類に印を押しながら、
俺とミツキを一瞥した。着実に防衛戦力を整えながら、リットン湖
攻略の失敗やボルスの陥落についての報告を各所に伝達しているら
しく、大忙しらしい。
﹁俺たちを呼び出すなんて、どうしたんですか?﹂
﹁依頼の報酬の話だ。バランド・ラート博士の情報と、殺害したと
思われる容疑者ウィルサムについて。前者の資料がマッカシー山砦
内で見つかった。君たちに資料室の鍵を貸しておく﹂
1385
ワステード元司令官が目配せすると、雷槍隊の副隊長が鍵を差し
出してきた。
鍵を受け取って、俺はワステード元司令官を見る。
﹁他にも用事がありそうな空気ですね﹂
﹁⋮⋮スケルトンたちがボルスを根城にしていることが判明した﹂
ワステード元司令官の言葉に、やはり、と思いつつ訊ねる。
﹁情報元は?﹂
﹁決死隊としてボルスに残っていた兵の一部がマッカシー山砦近く
の村へ逃げ込み、知らせてくれた﹂
﹁生き残りがいたんですね﹂
﹁幸いにも、な﹂
ボルスの決死隊の生き残りは外部への避難用の地下通路に立てこ
もり、息を潜めてスケルトン種をやり過ごした後、脱出したらしい。
ギガンテスたち人型魔物に襲われたデュラから逃げ出した避難民
が通っていた地下通路を思い出す。新大陸の町にはどこでも避難経
路が用意されていると聞いていたが、ボルスも例外ではなかったら
しい。
﹁⋮⋮生き残りの中にベイジルはいますか?﹂
生死不明だからと考えないようにしていたが、ボルスから生き残
りが帰って来たのならば何らかの情報を持っているはずだ。
ワステード元司令官は初めて笑みを浮かべた。
﹁君たちの呪いとやらが効いたようだ﹂
1386
1387
第三十話 大工場地帯への招待状
部外者を資料室に入れたと知られるとワステード元司令官の立場
が悪くなると考えて、俺はミツキと共に夜を待ってから資料室の扉
を開いた。
光の魔術で生み出したライトボールを宙に浮かせながら、小さな
図書館並みの広さがある資料室を見渡す。
﹁新大陸開拓初期から存在する砦だけあって、資料もすごい量だな﹂
﹁年代ごとに分けられてるのが幸いだね﹂
俺たちの目当てはバランド・ラート博士がこの砦に滞在した十七
年前から二年間の記録だ。念のために前後の年に何が起きたかも調
べておいた方が良いだろうか。
一晩徹夜した程度じゃ終わりそうにないな。
﹁ミツキは滞在記録を当たってくれ。俺は帳簿を当たってみる﹂
バランド・ラート博士は国の要請で世界的な出生率減少の原因を
探るために集められた研究者の一人としてこのマッカシー山砦を訪
れている。
バランド・ラート博士がどのような研究方法を取っていたのかは
分からないが、帳簿を見れば研究のために何かを購入した跡が見つ
かるかもしれない。
十八年前の帳簿を見つけ出し、マッカシー山砦における購入品の
リストを暗記してから、各地の研究者が集められた十七年前の帳簿
を開く。
1388
﹁うわぁ⋮⋮﹂
各地の研究者が集められただけあって、リストは膨大な数になっ
ていた。薬品の類が主だが、ネズミなど実験動物に加えて化石やフ
ィールドワークで使うと思われる道具類などがある。変わったとこ
ろでは、旧大陸で生活する各人種から聞き取り調査を行うための渡
航費用なんてものがあった。
注文者の名前もきちんと記載されているため、バランド・ラート
博士の名前だけを拾って注文品を見ていく。
最初はネズミだった。他の研究者もたびたび注文しているため不
自然な物ではないが、ガランク貿易都市近くの隠れ家で見た研究内
容を思い出すとげんなりする。
だが、蛇を注文した様子はない。それどころか、ネズミ以外の何
かを注文した痕跡がしばらく見つからなかった。
変化が始まるのは研究開始から半年、人口動態調査の年次推移と
市場に供給された魔力袋の年次推移の結果を取り寄せてからだ。
ネズミに加えて魔力袋、スケルトンの死骸などが取り寄せられて
いる。
﹁ヨウ君、バランド・ラート博士の滞在記録を調べてたんだけど、
研究開始から半年くらいで頻繁に外出届を出してるみたい﹂
ミツキが差し出してきた外出願いのファイルにバランド・ラート
博士の悪筆でデュラに赴く旨が書かれていた。何枚かめくってみる
が、どれもデュラに足を運んだようだ。
﹁この頃に開拓者登録を済ませたみたいだね﹂
﹁フィールドワークの一環で開拓者として活動しながら魔力袋やス
ケルトンの調査をしたのかもしれないな﹂
﹁当時の研究資料を探してみようか?﹂
1389
ミツキが資料室を見回して﹁どこにあるか見当もつかないけど﹂
と苦笑した。
﹁それでも、一通り調べた方が良いな。マッカシー山砦を出る時点
のバランド・ラート博士の研究の成果次第で、俺たちの身の振り方
も変わるかもしれない﹂
ミツキが頷いて、声を小さくする。
﹁魔力袋の生贄の魂召喚、だね﹂
﹁そこまで研究が進んでいたとは思えないけど、魔力袋の正体を解
明していた可能性はある﹂
精霊人機に高品質の魔導核が必要な軍にとっては、異世界の魂を
少々犠牲にするくらいで強力な兵器が得られるなら良しとしかねな
い。
すくなくとも、バランド・ラート博士は異世界の魂を魔導核の原
料としか見ていなかったのだから。
バランド・ラート博士がマッカシー山砦で取り寄せた購入品の中
に蛇を見つけて頬をひきつらせつつ、その晩の調査は終わった。
翌朝、ボルス決死隊の生き残りがマッカシー山砦に帰還した。
三分の一に減った決死隊の中には手や足を失った者も多く、すぐ
に砦の中で治療が始まった。
十分に準備していた医薬品が足りなくなりそうだと言われて、ミ
ツキと一緒に拠点にしている港町へディアやパンサーを走らせ、購
入の目途を付けたりもした。
買い出しを終えた俺たちは砦の外で青羽根や月の袖引くが作って
1390
いるテント群の一角で白いコーヒーもどきを飲んで一息吐く。
﹁で、なんでビスティがここに居んの?﹂
ちゃっかり俺が淹れたコーヒーもどきを飲んでいるビスティを横
目に見る。
﹁いえ、ご相談したいことがありまして﹂
﹁相談?﹂
こくりと頷いたビスティは、ボルス周辺、ガランク貿易都市、さ
らにテイザ山脈の地図を取り出した。
﹁テイザ山脈を開拓したら、ボルスとガランク貿易都市の間の流通
が活発化すると思うんです。テイザ山脈に開拓村を作れたら、中継
地として賑うんじゃないかなって﹂
ビスティの言いたいことは分かる。テイザ山脈を迂回せずに済む
のならかなり物流が活発になるだろう。
だが、テイザ山脈は峻嶮と名高く、車両も精霊人機も越えられな
い。開拓するなど並大抵の苦労では済まないだろう。
﹁無茶だと思うけどな﹂
﹁でも、鉄の獣さんが調査したテイザ山脈の地図があるじゃないで
すか。かなり蛇行する事にはなりますけど、森を切り開いて道を作
るのは可能じゃないかなって﹂
ビスティがテイザ山脈の地図を指差し、作りたいという道をなぞ
る。
いくつかの急勾配があるため、やはり現実的とは言えない。
1391
﹁何とかなりませんか? 急勾配を乗り越える方法とか。お二人っ
て凄い技術者でもあるんですよね?﹂
﹁そんなこと言われてもなぁ﹂
簡単に急勾配を乗り越えられるならとっくの昔に成し遂げられて
いる。
つまり、この世界にはいまだ存在しない新技術が無ければ不可能
だ。
地球でこの手の勾配をどうやって登り切ってたっけ。
道をこまめに切り返して蛇行しながら登る方法はすでにある。と
いうか、今眼下に見えるマッカシー山砦へ至る道がそれだ。
﹁前世で、近所の資料館で見たことがあるんだけどさ﹂
ミツキが唐突に日本語で切り出した。もちろん、日本語が分から
ないビスティはきょとんとしている。
俺はビスティを放っておいて先を促した。
﹁資料館ってどっかの山の?﹂
﹁山というか、鉄道かな。ラック式鉄道って言って、歯車の噛み合
わせで急勾配を滑らずに登って行く方法があるって資料館で見たこ
とがある﹂
ミツキに言われて、俺もおぼろげながら思い出す。
﹁確かに車両が自力で登れないのなら補助する何かを作ってしまえ
ばいい。ラック式鉄道で運んでしまうのも手だな﹂
ただ、仮に移動手段ができたとしてもテイザ山脈の中に開拓村を
1392
作って魔物に襲われでもしたら大変な事態になる。ほぼ孤立無援に
なるのだから。
﹁開拓村を作るとしても、かなりの戦力が必要になる。それを維持
するだけの費用もな。経費が掛かりすぎて現実的じゃない﹂
それに、水の確保も問題になる。戦力を多く必要とするのなら、
土地の他に水や食料もある程度自前で用意しなければならない。
何しろ場所が場所だから、魔物の群れにでも襲われて籠城戦にな
ることだって十分にあり得る話だ。
﹁そんなわけで、無理だと思う﹂
はっきり断言すると、ビスティは悩む様に地図を見つめていた。
﹁⋮⋮このままだと、僕、役立たずじゃないですか﹂
﹁まだ活躍できる状況じゃないってだけだろ。テイザ山脈よりも開
拓できそうな場所が今まで見つからなかったのか、団長のタリ・カ
ラさんやレムン・ライさんに聞いたらどうだ?﹂
開拓の最前線を転戦していたというから、どこかに土地があるか
もしれない。資金面や運営面で問題があるから諦めたという土地で
も、ビスティの持っている新種の植物や香辛料の生育に適した環境
だったりするかもしれない。
俺が考えを話すと、ビスティは頷いて立ち上がった。
﹁相談に乗ってくれてありがとうございました。聞いてきます!﹂
言うが早いか、ビスティはすぐに月の袖引くの整備車両へ走って
行った。
1393
ミツキがビスティを見送りつつ、口を開く。
﹁ラック式鉄道の件はどうするの?﹂
﹁ミツキの名前で特許取っておこうか﹂
この世界にはまだ鉄道がないが、研究自体はされているらしい。
魔導核を使った車両がある以上、実用化するのも時間の問題だ。ラ
ック式の特許を取っておいても無駄にはならない。
コーヒーもどきの入ったカップを傾けた時、ボールドウィンと青
羽根の整備士長がやってきた。
﹁お前たちにもこの招待状が届いてると思うんだが﹂
整備士長が掲げたのは、大工場地帯ライグバレドで開催される技
術祭への招待状だった。
俺はミツキに視線で問いかける。
ミツキは首を横に振った。
﹁借家に届いてるのかも﹂
﹁しばらく帰ってないもんな﹂
ボルス決死隊が使う医薬品を注文しに港町へ出向いた時に寄って
おけばよかったと後悔しつつ、ボールドウィン達を見る。
﹁それにしても、なんで俺たちに招待状が届くんだ?﹂
それなんだが、と整備士長は招待状を開いて見せる。
﹁新型機スカイの展示をしてほしいとさ。可能ならいくつかの技術
を公開してほしいとも書かれてる。謝礼も出るらしい﹂
1394
﹁スカイの開発者として、俺たちが招待されてるのか?﹂
ボールドウィンが頷いた。
﹁こっちの招待状にも書かれてるんだけどさ。お前たち宛てにも招
待状は出てるはずだ﹂
﹁︱︱青羽根さんにも来たんですか?﹂
後ろから声を掛けられて、ボールドウィンが振り返る。
﹁タリ・カラさん? もしかして、月の袖引くにも?﹂
﹁ウォーターカッターの展示と実演をしてほしい、と﹂
﹁コトもホウアサさんも大人気だな﹂
ボールドウィンが苦笑しながら俺を見てくる。
この様子だと、俺とミツキが持っている他の幾つかの特許に関し
ても展示などを求められていそうだ。
ミツキがカップにコーヒーもどきを注ぎながら、口を開く。
﹁どっちにしろ、ライグバレドには行く予定だったから良い機会だ
と思うよ﹂
﹁それもそうだな﹂
大工場地帯ライグバレドはバランド・ラート博士がマッカシー山
砦を出た後に滞在した町だ。
ワステード元司令官が調べてくれた情報では、同時期に新大陸派
の軍人がライグバレドを訪れており、バランド・ラート博士と何ら
かの関係があった事を匂わせる。
俺の怪我が治るまで開拓者としての活動が出来ない事もあり、戦
闘とは無縁のライグバレドに出向くのもいいだろう。
1395
﹁それじゃあ、青羽根も月の袖引くも、一緒にライグバレドに行こ
うか﹂
﹁というか、コトたちがいないとライグバレドの技術屋連中に質問
攻めにされた時、なんて答えていいか分かんないだろ﹂
ボールドウィンが突っ込んでくる。整備士長はもちろん、タリ・
カラさんまで頷いていた。
俺たちのところに来た理由も、ライグバレドに同行して質問に答
えてほしかったかららしい。
﹁それじゃあ、日程の話とかもした方がいいな﹂
まだ、マッカシー山砦での調べ物が終わってないため、数日後に
出発する事で予定を組んでいく。
その時、整備士君に車いすを押されながらベイジルがやってきた。
﹁少し遅かったようですね﹂
ベイジルは机に置かれた青羽根や月の袖引くへの招待状を見て笑
い、俺たちに招待状を差し出してきた。
﹁先ほど、鉄の獣のお二人宛てに届けられました。ライグバレドか
らです﹂
受け取ってみると、俺とミツキの名前が書いてある。
﹁なんか分厚いね﹂
ミツキが青羽根や月の袖引くの招待状と比べて首を傾げた。
1396
中を見てみる。
内容は青羽根たちの物と変わらない。特許品の展示や実演の依頼
だ。問題はその数で、魔導チェーンを始めとしてずらりと並んでお
り、港町での証言から突き止めたのかカノン・ディアの実演を願う
ものもあった。
今まで色んなものを開発してきたが、こうして列挙されると如何
に自重しなかったかが分かる。
﹁ラック式の特許もまだなのに、手が足りるかな﹂
ミツキが困ったように首を傾げて、ボールドウィンやタリ・カラ
さんをちらりと見る。
苦笑した二人が口をそろえて俺たちの展示に協力を約束してくれ
た。
俺はベイジルに向き直る。
﹁紹介状を届けてくれてありがとう。それで、体の方は?﹂
﹁命に別状はありません。ですが、見ての通り、もう精霊人機には
乗れないでしょう﹂
笑いながら答えるベイジルには右腕が無かった。足は骨が折れて
いるものの、じきに歩けるようになるというが、精霊人機に乗るの
は難しいだろう。
記録には義手をつけて訓練し、精霊人機の操縦士に復帰した軍人
の記録もあるが、ベイジルはもう歳だ。訓練して再び戦場に立つよ
りも退役する方が自然だろう。
﹁ワステード副司令が、旧大陸の開拓学校へ講師として赴任しては
どうかと話を持ってきてくださいましてね。ボルスの地をまた踏む
事が出来ないのは悔しいですが、後進を育成する事にしました﹂
1397
ベイジルはそう言って、デュラの方角を見た。
1398
第三十一話 壁の外の輪廻
次の晩、俺たちは再び資料室に入っていた。
目的はバランド・ラート博士が滞在していた当時の研究資料だ。
残っているかどうかは分からなかったが、ミツキと一緒に資料室
を手分けして探していると、集められた科学者、研究者たちの残し
た資料が見つかった。
資料に名前が書かれていたため、バランド・ラート博士の残した
研究資料を探す。
﹁みっけたー﹂
ミツキが両手でファイルを掲げた。確かに、バランド・ラート博
士の名前が書かれた研究資料だ。
ファイルを開いて、げんなりする。
﹁提出用の公的な研究資料でも字は汚いままなのか﹂
バランド・ラート博士の筋金入りの悪筆っぷりに辟易しながらも、
研究資料をミツキに任せて他を探す。
見つけたいくつかのファイルを時系列順に並べる。中には他の研
究者との連名で書かれた論文もあった。
﹁精霊関係で意見を求められてたりしたみたいだけど、魔物学者と
しても連名で論文を残してるのか﹂
生物学全般に詳しい研究者だったようだ。
肝心のマッカシー山砦におけるバランド・ラート博士の研究資料
1399
を確認する。
﹁新大陸の開発が始まってから緩やかに出生率が落ちてるのか﹂
バランド・ラート博士が照らし合わせた人口動態調査によれば、
新大陸の開拓が開始されてしばらくした頃から出生率の低下が始ま
っている。
バランド・ラート博士はこの人口動態調査と魔導核の流通量を照
らし合わせ、魔導核や魔力袋の市場供給規模が増えると出生率の低
下が起こるという相関図を作成していた。
しかし、バランド・ラート博士自身がこの相関図の信ぴょう性に
疑問符をつけている。
﹁裏付け資料が足りないんだね。人間だけならともかく、その他の
動物、魔物に至るまで出生率が低下している以上、他の生物に関し
ての生態調査も広範囲で行う必要があるから、どうしても資料が足
りないんだと思う﹂
﹁人口動態調査、つまりは人間だけ調査してもしょうがないって事
か。この世界のすべての生物について調査するなんて無謀だし、証
明は不可能だな﹂
しかし、バランド・ラート博士は魔導核、ひいては魔力袋と出生
率低下の相関を証明するための研究を始めている。
早くもこの時点で、バランド・ラート博士は魔力袋が精霊ではな
いかと仮説を立てていた。
﹁人間が魔術を使用できるのは魔力を空気中の精霊に食べさせて、
その生理現象を利用しているから。それなら、魔力を流し込む事で
魔術を発動する魔導核は精霊と同じ何らかの作用をしているはずか。
まぁ、理屈は通るのか?﹂
1400
﹁少し発想が飛躍しているとは思うけどね。精霊と同じ現象を起こ
せるからって精霊とは限らないわけだから﹂
とはいえ、魔力袋の正体は休眠状態の精霊だったわけだが、それ
はこのころのバランド・ラート博士が知る由もない事だ。
バランド・ラート博士はスケルトンを調査し、人間と同様に魔力
を空気中の精霊に受け渡すことで魔力膜を発生させていると仮説を
立てる。
スケルトンの魔力膜が魔力袋を介さない魔術によって発動されて
いるとする論文をバランド・ラート博士は発表しているが、精霊教
会に強烈にバッシングされたようだ。
﹁当時のマッカシー山砦の訪問者に精霊教会の人が何人かいたけど、
これが原因かな?﹂
ミツキが首を傾げて滞在者記録をめくり、照らし合わせる。時期
は完璧に符合していた。
﹁これが原因っぽいな。これ以降、共同論文がなくなっているのも、
精霊教会に睨まれるのを嫌った他の研究者に煙たがられたからか﹂
バランド・ラート博士も懲りたのか、以後はスケルトンに関する
研究からは手を引いたらしく、スケルトンの名前が出てくる論文は
なかった。
代わりに、魔力袋についての研究に切り替えたようだ。
ここで、スケルトンを調査した結果が活きてくる。
スケルトンに魔力袋が発生しない理由として、スケルトン自身が
魔術を使えるから、としたバランド・ラート博士だったが、歴史上
には魔力袋を持った人間が存在したことを調べ出した。
バランド・ラート博士が引用しているのは古い歴史書の一つだ。
1401
﹁長い籠城戦で戦い抜いた戦士が魔力袋を体内に持っていた、か﹂
周囲を包囲されての兵糧攻めに遭った戦士たちが魔力袋を有して
いたという記録。それは、魔術が使えるからスケルトンには魔力袋
が発生しないという仮説を否定する物だった。なぜなら、人間は魔
力袋無しでも魔術を使用できるからだ。
つまり、魔力袋の発生には魔術が行使可能かどうかが関係ない事
になる。
バランド・ラート博士は人間とスケルトンの違いを内臓の有無と
して、研究を再開する。
兵糧攻めに遭った戦士に魔力袋が発生したという記録から、食べ
物に原因があるのではないかと考えたバランド・ラート博士は、開
拓者から魔力袋持ちの魔物に関しての情報を集め始める。
同時に、バランド・ラート博士は密閉空間でネズミを窒息死させ、
精霊が発生するかどうかの実験も行ったようだ。
目で見ることができない精霊が存在しない密閉空間を作る事に四
苦八苦し、結果的に断念したと研究資料にはあった。
様々な実験に手を出しながら、バランド・ラート博士の目的は精
霊の正体を突き止めること、魔力袋の発生過程の証明、魔力袋と精
霊の相関の三つに絞られていく。
そして、バランドラート博士は精霊が存在しない密閉空間をつい
に見つけ出す。
﹁魔術を使用できない動物体内であれば精霊が存在しないのではな
いか、ね。うん、言いたいことは分かるんだが⋮⋮﹂
これが巡り巡って蛇に行きつくのか、と俺はため息を吐く。ミツ
キも横でげんなりした顔で資料をめくった。
バランド・ラート博士は蛇にネズミを食べさせる実験を開始した
1402
ようだった。
しかし、当初は蛇の鰓に包帯を巻くことはせずにそのままネズミ
を食べさせていたため、魔力袋の人工的な発生に失敗したようだ。
失敗した原因をバランド・ラート博士がいくつか挙げている。そ
の中に、魂に蓄積された記憶が一定の量を超えていなければいけな
いのではないかという仮説があった。
ガランク貿易都市近くの隠れ家に残されていた研究資料を見た俺
たちにはこの仮説が正解である事が分かる。あの隠れ家では、蛇に
食べさせるネズミとして、ある程度の年月を生きていることが条件
としてあげられていた。
﹁記憶の保持量の問題で、生まれたばかりのネズミを食べさせるこ
とはしなかったんだね﹂
ミツキが資料を見て納得したように頷く。
﹁この実験は割とまともだよ﹂
ミツキが指差した実験内容に目を通す。
市場で購入した魔力袋で魔術が発動するかを調べるために魔力を
流す実験だった。魔力を流す際に性質変化を加えて流し込むと、様
々な魔術を発動できることをバランド・ラート博士は確認している。
研究の結果、人を除く多くの生き物は魔力を外部に放出する能力
が欠けているか、やり方を知らないため、魔力袋を得なければ魔術
の発動ができない、と結ばれていた。
これだけでも学会に発表しておいてほしかった内容だ。
﹁ミツキ、この説を見たことってあるか?﹂
﹁ないね。発表されていたら開拓学校の教科書に載っていてもおか
しくないのに﹂
1403
﹁揉み消されたのか。いや、揉み潰されたならここに資料があるは
ずないな﹂
﹁スケルトンが魔術を使えるって論文を発表したせいで学界からは
村八分だったみたいだし、発表を見送ったのかもね﹂
ミツキの推理に納得する。
﹁自業自得なんだろうけど、締まらない話だな﹂
魔術で灯した明かりしかないくらい資料室を見回して、俺はバラ
ンド・ラート博士に少し同情した。
﹁ヨウ君、これを見て﹂
ミツキが実験資料をめくって目を細め、俺に見るように記述を指
差した。
魔力袋に魔力を流し込む研究の際、バランド・ラート博士は対照
実験として性質変化をしていない素のままの魔力を流し込む実験を
していたようだ。
実験の結果、魔力袋は消失した。
これは、ガランク貿易都市の隠れ家でミツキが魔力袋を消失させ
た時の物と同じ手順だ。マッカシー山砦に滞在している間に発見し
ていたのか。
バランド・ラート博士はこの結果に驚き、いくつかの魔力袋にお
いても同様に素のままの魔力を流し込んだ。どれも消失することに
なったが、消失するまでにかかる時間は魔力袋の体積とは比例しな
かった。
バランド・ラート博士はここで疑問を抱いたようだ。
そもそも、精霊はなぜ魔力を欲しているのか、と。
バランド・ラート博士は蛇の鰓に包帯を巻き、ネズミを食べさせ
1404
る実験を開始した。これで魔力袋が発生する事を確かめると、今度
はネズミの年齢を勘案して蛇に食べさせる実験を開始する。
数年生きたネズミでなければ魔力袋が得られない事を突き止め、
得られた魔力袋に魔力を流し込んだところ、ネズミの年齢が上がる
ほど魔力袋を消失させるのに必要な魔力量が増えることが判明する。
いくつかの実験を経た後、バランド・ラート博士は結論を出した。
﹁魔力袋とは生物体内に取り込まれた魂、精霊が自らを保護するた
めの保護膜であり、保護膜につつまれた精霊は休眠状態に入る。魔
力袋を持った生き物が自然界で死亡すると、魔力袋は空気中の魔力
を徐々に取り込んで消失し、精霊が解放される、と﹂
﹁ガランク貿易都市の隠れ家に住んでいた頃にはもう出生率低下の
原因を完全に突き止めてたんだね﹂
﹁国には信用されなかったみたいだけどな﹂
バランド・ラート博士の出した結論を国は信用せず、バランド・
ラート博士は出生率低下の原因を研究する研究者チームから外され
ることが決まった。
精霊教会から睨まれた事でかなり信用を失ったらしいが、それ以
上に世界的な出生率の低下は魔力袋が魔導核に加工された事による
という事実を認めると様々な分野に影響が出てしまうから認められ
なかったのだろう。
大型魔物に対抗できる唯一の兵器、精霊人機だって魔導核で動い
ているのだ。
﹁こんなところか。ガランク貿易都市の隠れ家にあった記述を導き
出す研究過程くらいしか発見はなかったな﹂
基本的に知っている事ばかりという印象だ。
その時、資料室前の廊下を歩く足音がした。
1405
俺たちがここにいる事を知られるとまずいため、ミツキと一緒に
息を殺す。光の魔術ライトボールも当然消しておいた。
資料室の扉が開かれ、誰かが足早に入ってくる。
﹁鉄の獣、いるんだろう?﹂
そう言って、自らの顔をろうそくの明かりで照らしたのはワステ
ード元司令官だった。
俺たちは安心して顔を出す。資料棚の裏の隙間から出てきた俺と
ミツキを見て、ワステード元司令官は目を丸くした。
﹁そんな狭い場所に隠れていたのか。大人には無理だな﹂
﹁スケルトンの群れから大人三人を救出できるくらい身軽な子供な
ので﹂
﹁その節は世話になった﹂
笑い合うと、ワステード元司令官は顔を引き締める。
﹁正式にマッカシー山砦司令官の任に就くことになった。ボルス奪
還作戦の指揮も執る﹂
﹁おめでとうございます﹂
﹁あぁ、残念なことに、めでたい話だ﹂
決死隊でなくても、ボルス防衛戦では多数の死傷者が出た。ワス
テードもと︱︱司令官には苦い経験だったろう。
ワステード司令官は俺たちに手を差しだしてくる。
﹁君たちに助け出されたおかげで、仇も討てるというものだ。ボル
ス奪還作戦にはぜひ、君たちも参加してもらいたい﹂
1406
まだ先の話になるだろうが、とワステード司令官は言い添えた。
俺はワステード司令官と握手する。
﹁約束はできませんけど、協力できたら協力します﹂
﹁そうしてくれ。ギルドに依頼書を出すことになるだろうからな﹂
今回、マッカシー山砦には被害が出ていないため、増援が来れば
ボルスを奪還するために動けるという。
しかし、相手が魔術を使用するスケルトンであり、戦術眼も持つ
厄介な相手であることを踏まえて訓練期間を設ける予定が組まれて
いるらしい。
俺たちはしばらくライグバレドの技術祭に出席するため、丁度い
い。
技術祭の事を話すと、ワステード司令官は少し考えてから、口を
開く。
﹁ライグバレドの技術祭か。ライグバレドには新大陸派の軍人が度
々訪れていたな﹂
お前たちにも話しておくか、とワステード司令官は続ける。
﹁ホッグス達赤盾隊が戦闘を行ったとみられる跡が森の中で見つか
った﹂
﹁みられるって、歯切れが悪い言い方ですね﹂
赤盾隊の機体は特徴的だ。現場に残っていれば、みられる、なん
て曖昧な言い方はしない。
かといって、精霊人機、それも重武装の赤盾隊機を破壊した後現
場から持ち出すなんて面倒な真似を誰がするのか。
ワステード司令官が首を横に振る。
1407
﹁現場には激しい戦闘痕があったが、機体はおろか死体さえ見つか
らなかった。ホッグス達の行方不明は未だ変わらない﹂
﹁誰かに襲われたって事ですか?﹂
﹁そうなるが、おそらくは魔物だろう。盗賊の類が軍を襲うとは考
えにくい上、ホッグス達が負けるとも思えん﹂
ミツキが首を傾げる。
﹁でも、魔物なら機体が残ってないのはおかしいですよね﹂
﹁そうだ。ボルスからの撤退も腑に落ちないが、今回の行方不明も
おかしな点が多い。ライグバレドでは気を付けるように。君たちは
ホッグスに目をつけられているのだろう?﹂
新大陸派のホッグスに目をつけられているから、新大陸派の軍人
が度々足を運んでいたライグバレドでは気をつけろという話か。
気にしすぎだとは思うが、警戒しておいてしすぎることもないな。
﹁分かりました。新大陸派に襲われたりしたらワステード司令官に
手紙でも送ります﹂
﹁あまり無茶はするなよ﹂
そう言って、ワステード司令官は資料室を出ていった。
ミツキと一緒に再びバランド・ラート博士の研究資料を開く。残
すところあと数ページだ。一応は読んでおいた方が良いだろう。
﹁なんだか、きな臭いね﹂
﹁ホッグスの動きか。仕組まれててもおかしくないけど、意図がつ
かめないな。軍法会議が怖くて行方をくらました、くらいの可愛い
理由なら良いんだが﹂
1408
ミツキと話しながら、バランド・ラート博士の資料をめくって、
目に飛び込んできた文章に俺は思わず動きを止める。
バランド・ラート博士はマッカシー山砦を出る前に実験をしてい
たらしい。
密閉した容器の中に魔力袋を置き、魔力を流して精霊を密閉容器
の中に解放、更に素の魔力を込めるというものだ。
結果、密閉容器内から精霊が〝消失〟した。
消失にかかる魔力量は、魔力袋の形成に使ったネズミの年齢が上
がるほどに増えたという。
このことから、バランド・ラート博士は仮説を立てる。
︱︱精霊、つまりは魂が魔力を欲するのは、記憶を消去し、転生
に備えるためではないか、と。
ミツキが俺を見て首を傾げる。
﹁この仮説がどうかしたの?﹂
俺はバランド・ラート博士の研究資料を読み終えて答えがない事
を確認した後、ミツキを見る。
﹁この世界の摂理として、魔力によって魂の記憶がリセットされて
転生するのなら、この世界の魂でない俺とミツキはどうなる?﹂
答えとして、俺とミツキは前世の記憶を保持して転生していた。
1409
第三十一話 壁の外の輪廻︵後書き︶
次回更新は十月十九日となります。
1410
第一話 大工場地帯ライグバレド
大工場地帯ライグバレドは新大陸における精霊人機の需要に応え
るために開拓初期から徐々に建設、発展を遂げてきた技術者と商人
の街だ。
人口密度は極めて低いが、原因は土地面積のほとんどを工場や倉
庫群が占めているためで、人口そのものは少なくない。おおよそ、
十万人だとか。
技術祭が開かれるこの時期になるとその人口密度も爆発的に上が
り、なおかつ工場群への立ち入りは基本的に制限される事から街の
一部に人が集中する。
このライグバレドはフロンティア精神旺盛な技術者や商人が形作
る街だけあって、技術公開を求めてきた国と一悶着起こすことも多
く、防衛力を軍に頼らない仕組みが出来上がっている。
住人の志願兵で構成される自警団だ。
自警団の一部はライグバレドを拠点とする大規模開拓団で訓練を
施され、大工場地帯の枕詞に恥じない新型の精霊人機に個人用のカ
スタマイズを施した特殊機体で魔物に対抗する。
そんな反骨精神に富んだ気風なら精霊獣機も受け入れてもらえる
かと期待していたのだが︱︱
﹁視線が刺さるね﹂
ミツキがパンサーの背に寝転がりながら呟く。
ライグバレドの街中をギルドに向かって進む俺とミツキに住人の
視線は釘付けだった。俺たちの前を行く月の袖引くや青羽根は見向
きもされていない。
1411
﹁少し毛色の違う視線も混ざってるけどな﹂
どこぞの工場長だろうか、パンサーやディアを真剣な目で観察し
ている。使われている技術に興味があるのだろう。
﹁俺たちは招かれた側だし、カノン・ディアの事を知っているから
には精霊獣機を見てもいきなり追い出すことはしないだろ﹂
﹁バランド・ラート博士がここで何をしていたのかは早目に調べる
必要がありそうだけどね﹂
技術祭が終わったら用済みとばかりに追い出される可能性を憂い
てか、ミツキが言う。
俺は頷きを返して、通りの先の無骨なギルド館に目を向けた。
質実剛健な佇まいだ。壁や扉に装飾の類はなく、開拓者ギルドで
あることを示す紋章のレリーフだけが灰色の壁を彩っている。
裏手にあるガレージにディアとパンサーを停め、同じく整備車両
を停めた月の袖引くや青羽根と共にギルド館に入る。
青羽根の団長、ボールドウィンが中の大広間を見回して首を傾げ
た。
﹁想像していたより広いが、なんだあの壁のガラスケース﹂
ボールドウィンが指差したのは壁沿いに置かれたガラスケースだ
った。どうやら展示物らしく、ガラスの中には製作者の名前と共に
複雑な機構や新素材、魔術式が刻まれた金属板などが入っている。
技術史か何かの展示かと思えば、展示物の後ろに値段が書かれた
プレートが下げられていた。
青羽根の整備士長が腕を組んで展示物と値段プレートを見比べる。
﹁特許品の展示みたいだな。後ろの値段は特許使用料。向こうの新
1412
素材は購入費用か﹂
興味をそそられるが、到着の手続きを済ませるのが先決だ。
俺は整備士長を置いてミツキたちと一緒にカウンターに向かう。
到着手続を取っていると、職員から手紙を差し出された。
﹁技術祭運営委員会﹂
差出人の名前を見て納得する。
開拓者である俺たちが到着した際に必ずギルドに寄る事を見越し
て手紙を預けていたのだ。
手際が良いな、と思いつつ封を開ける。
﹁宿の手配までされてるのか。凄いな﹂
﹁VIP待遇って奴だね﹂
ミツキがしげしげと手紙を見つめて、視線を月の袖引くの団長タ
リ・カラさんに向けた。
﹁倉庫も借りられそう?﹂
﹁えぇ、精霊人機も展示物になりますから、整備しておいてほしい
と書かれています。それから、ビスティ宛てにも温室が貸し出され
るようです﹂
﹁あぁ、ビスティって植物関係の特許をかなり持ってるもんね﹂
俺やミツキと一緒にテイザ山脈で見つけた新種の花や香辛料の栽
培方法もそうだが、ガランク貿易都市にいた頃に研究していたいく
つかの香辛料に関する特許があったはずだ。
﹁工業系じゃなくても特許なら展示が認められるんだね﹂
1413
﹁特殊な栽培方法は専用の設備が必要になったりしますから﹂
肝心のビスティはガラスケース内の展示物を真剣に覗き込んで何
やらぶつくさ呟いている。そばを通りがかった開拓者がぎょっとし
た表情で距離を取っているのが面白い。
月の袖引くの副団長レムン・ライさんがビスティを連れてきて、
温室の貸し出し許可証を受け取らせる。
﹁設備に問題がないかどうか、見てきます﹂
ビスティが貸し出し許可証をポケットに突っ込み、ギルドを出よ
うとすると、レムン・ライさんが引き留めた。
﹁ビスティだけでは危険でしょう。護衛をつけますから、ここで待
っていなさい﹂
度々訓練に参加していたとはいえ、戦闘に関してはまだ素人の域
を出ないビスティの事だ。見知らぬ街で一人歩きは危険だろう。
ボールドウィンもガラスケースの前で食い入るように新素材を見
つめている整備士長の首根っこを掴んで引っ張ってくる。
﹁ひとまず、技術祭の参加申請もしておかないといけないし、設備
とか展示会場の下見は後回しだろ。ビスティも参加申請の書類に記
入する事もあるだろうから一緒に来い﹂
ボールドウィンと青羽根の技術関係を統括している整備士長、月
の袖引くからは団長のタリ・カラさんとビスティ、それに俺とミツ
キを加えた六人でギルドを出る。レムン・ライさん達には倉庫に行
ってもらった。
まだ技術祭が始まるまで数日の間があるというのに、街中にはす
1414
でに観光客らしき姿がちらほらと見受けられた。商人の他、見覚え
のある開拓団の紋章も見かける。
﹁大規模な祭りになりそうだな﹂
﹁展示品はともかく、実演は見送った方が良いかもね。安全性に問
題ありそう﹂
﹁観客が飛び込んできたりな。対処のノウハウもないから、今回は
展示と質問受け付けに絞って計画を立てよう﹂
話し合いながら運営委員会の入っている建物を訪ねる。
受付で招待状と共に名前を告げると、受付係のお姉さんがぎょっ
とした顔で分厚い招待状を見つめた。
﹁いまお調べしますのでしばらくお待ちください﹂
受付のお姉さんはそう言って、分厚いファイルをめくりだした。
どうやら招待状を送った人物と特許品のリストらしく、しばらく
して受付のお姉さんの手は俺とミツキの名前が書かれたページでと
まる。
そのまま数枚ページをめくったお姉さんは、少々お待ちください
と言って立ち上がると奥の扉から休憩中だったらしい別の受付嬢を
呼び出した。
ボールドウィンが肘で俺の脇腹を突いてくる。
﹁応援を呼ばれてんぞ。コト達はいくつの特許品で招待状を貰って
るんだよ﹂
﹁十四だったかな﹂
﹁技術祭ってくらいだから基本的に革新技術だよな。それが十四っ
て⋮⋮﹂
﹁精霊獣機のためには必要だったんだよ﹂
1415
ちなみにビスティの方はとみてみると、こちらもこちらで少々揉
めているらしかった。
﹁ラックル商会の隣なんて困ります。連れ去られそうになったこと
もあるんですよ?﹂
どうやら、ビスティに貸し出される展示場の温室の隣でラックル
商会の展示と即売会があるらしい。
ラックル商会はガランク貿易都市に根を張る大手商会で、開拓者
や商人の特許を強奪して大きくなったはずだ。
技術祭に出品する特許は持っているだろうが、運営委員もよく出
品を許したものだ。
妙な裏事情とかなければいいけど⋮⋮。
﹁大変お待たせしました。特許登録の確認が済みましたので参加申
請を受理させていただきます。こちら、技術祭の資料になります。
ところで、出品される特許品についてですが、全部、でしょうか⋮
⋮?﹂
﹁そんな怯えながら聞かれるとね、ミツキさんや﹂
﹁ヨウさんや、私たちの心は一つ﹂
﹁てなわけで、全部で﹂
二人そろってにっこりと笑いながら申請書類を貰って、ミツキと
手分けして記入する。
申請書類を確認するのが仕事の受付嬢たちが引きつった笑みを浮
かべる中で記入を終えて、俺はビスティを見た。
すでに青羽根や月の袖引くは申請を終えているが、ビスティは展
示場所の変更を願い出ている。
ビスティの持つ特許は金銭的価値もさることながら植物学者から
1416
の注目度も高いらしく、運営側としては客が多く出入りできる当初
の温室をビスティに割り当てたいものの、ラックル商会の持つ特許
も同様に学者から注目度が高い物が多いらしい。
交渉事には慣れていないタリ・カラさんが見守る中、ビスティは
見張りの増員を約束させ、損害が出た場合には運営委員会側から違
約金を貰う契約を取り付けた。
これで月の袖引くのウォーターカッターの展示に影響する事はな
いだろう。
運営委員会の建物を出て、倉庫に向かうというボールドウィンや
タリ・カラさんたちと別れる。
﹁それじゃあ、宿に向かうか﹂
﹁会場の下見は明日だね。移動で疲れたし﹂
﹁バランド・ラート博士の事も明日だな。観光や買い物もしたいけ
ど、技術祭が始まってから時間あるかな﹂
できる事なら展示会場を回って技術者から直接話を聞きたい。
俺は技術祭のパンフレットをめくりながら、面白そうな展示に丸
を付けておく。
ちなみに俺たちに割り当てられた展示会場は広く、講堂が隣接し
ているようだ。
﹁ヨウ君、会場の備品リストに大型黒板なる文字があるよ﹂
﹁説明させる気満々だな。魔術式関連は説明がないと何やってるか
分からないだろうから仕方がないか﹂
﹁ウォーターカッターとか、多薬室砲理論とか、魔力伝導高速化機
構も説明ないと無理でしょ。遊星歯車機構は実物があれば分かると
思うけど﹂
﹁遊星歯車なぁ。摩耗しやすいから精霊人機には使わないだろ。特
許回避で日の目を見たり、俺たちみたいに機構の小型化を進める過
1417
程で必要になるけど、車への利用止まりじゃないか?﹂
しかも遊星歯車は俺の自作部品だ。高い工作精度を求められる割
に使用者が少ないため、発注しようにも引き受けてくれる工場がな
い。今回の展示品も俺の持ち込み品である。
﹁車への使用を考えてくれる工場があれば、俺が作らなくても発注
できるようになるかもしれないんだよな﹂
﹁後々の事を考えて、展示品の配置とか講演内容も決めないといけ
ないんだね﹂
考えることが多すぎる、と話していると、宿に到着した。
﹁⋮⋮でけぇ﹂
﹁比喩でもなんでもなくVIP待遇だね⋮⋮﹂
品の良い装飾が施された扉の前にいた男が俺たちを見て一礼し、
扉を開けてくれる。
中に入って紹介状を見せると、最上階の部屋の鍵を二つ差し出さ
れた。
しかし、ミツキが鍵を一つ返す。
﹁こんな場所でヨウ君と分かれて泊まるなんてもったいないもん。
二人の時間を大切にしようよ﹂
単純に一人でいると落ち着かないだけだと見抜きつつも、俺も同
じ気持ちなので否やはない。
案内された客室もびっくりするほど広々として調度品も豪華だっ
た。
ミツキがベッドの柔らかさに満足そうなため息を吐き、口を開く。
1418
﹁もしかしなくてもさ、私たち特許料で儲けているからすごく贅沢
な暮らしをしてると思われてるんじゃない?﹂
﹁あぁ、それで招いた側として失礼にならないように高級宿を手配
してくれたのか。納得だ﹂
考えてみれば、俺達くらいに儲けている人間なら豪遊していたっ
ておかしくない。
わざわざこの技術祭に参加することに金銭的なメリットを感じな
いと考えた運営委員会が接待としてこの待遇を提供しているのなら
納得できる。
もう少し庶民的な宿の方が良かったのだが、運営委員会の厚意に
甘えておくとしよう。
﹁きっちり技術祭に参加してお返ししないとだね﹂
﹁そうだな﹂
ミツキに言葉を返して、俺は展示会場の間取りを見ながら講演内
容を考えることにした。
1419
第二話 展示場
翌朝早くに足を運んだ会場は観客動員数二千ほどの広々とした講
堂だった。
隣には展示場があり、展示のためのガラスケースなどが並んでい
る。展示物の配置に関しては俺とミツキに任されており、警備員と
して雇われたという開拓者三人を自由に使って構わないという。
﹁魔術式のコーナーと理論関係のコーナーは隣り合わせにして、エ
アサスペンションみたいな装置や機構類は向かい側にひとまとめに
しようか﹂
﹁技術祭開催まであと二日だっけ。今日中に準備を終わらせないと
だね﹂
ミツキが準備体操をしていると、雇われ警備員たちが近付いてく
る。値踏みするように俺とミツキをじろじろと見てくるのは、よう
やく十四歳になったばかりという俺達のような若い技術者が珍しい
からだろうか。
﹁運営委員会の方からお達しがありまして、お二人の準備を手伝わ
させていただきます﹂
﹁それは助かる。重たい物も多いので、さっそく搬入から手伝って
ください﹂
エアサスペンションくらいならば俺でも運ぶのに苦労はしないの
だが、反動軽減制御機構のような一抱えもあるような鉄の塊は俺と
ミツキには手が余る。
パンサーとディアで展示会場に乗り入れて運ぼうかと思っていた
1420
だけに頼りになりそうな協力者に胸をなでおろした。
﹁えらく展示品の数があるようですが、全部お二人で開発されたん
ですか?﹂
﹁そうですよ﹂
全部で十四個の展示物がある。しかし、多脚制御の魔術式など、
実際に発動しているところを見ないと何が凄いのか分からないよう
な展示物もある。この手の魔術式のために蓄魔石なども準備してあ
った。
この展示会場にある蓄魔石や魔導核を全部盗み出すだけで一家族
が一生つつましく暮らしていけるほどの価値がある。
﹁ヨウ君、警報装置の設置は済んだよ﹂
ミツキが会場の端に置いた魔導核と接続されたゴングを指差して
報告してくれる。
﹁あとは展示物を配置した後で場所の登録をしておけばいいだけ﹂
﹁分かった。講演の原稿を考えておいてくれ﹂
﹁映写機とか作っておけばよかったね﹂
﹁マッピングの魔術式と同じで、映像の出力に魔力を馬鹿食いする
から難しいだろ﹂
言ってるそばから雇われ警備員がマッピングの魔術式を発動する
ための装置を三人で持ち上げて入ってきた。
﹁そこのロープで囲った部分へ入れてください﹂
会場の一部を指差して指示を出す。
1421
マッピングの魔術式は注目度の高い特許品だ。ミツキの発明品だ
が、軍や開拓者に普及しており、弓兵機のベイジルたちと行ったリ
ットン湖調査でも使用された。魔力消費が激しいのが難点だが、広
域をわずかの間に地図に出来る優れものである。
ロープの中にマッピングの魔術式を収めた三人の雇われ警備員が
額の汗をぬぐいながら魔術式と装置を眺める。
﹁マッピングの魔術式の開発者とは恐れ入りました﹂
﹁どうも。使った事があるんですか?﹂
いまは雇われで警備員などしているこの三人も、両肩の紋章から
してこのライグバレドを拠点にする大規模開拓団の団員だ。使用す
る機会もあるだろう。
案の定、三人は頷いたが、いささか渋い顔をしている。
﹁魔力の消費が激しいもんで、事前に蓄魔石へ魔力を充填しておい
たんですが五回ほどで魔力切れを起こしましたよ。精霊人機より魔
力消費が激しいんですよね﹂
﹁単位時間当たりで考えるとそうでしょうね。見合うだけの成果は
出ているはずですが﹂
﹁成果の方は申し分ないと団長も言ってましたよ。ただ、運用でき
るのは大規模開拓団に限られるだろう、とも﹂
魔力を事前に準備できるだけの団員数を抱えていないと運用する
のは難しいという意見か。納得だ。
とはいえ、このマッピングの魔術式の魔力消費量を軽減するため
には装置ではなく魔術式そのものを弄る必要がある。開発者のミツ
キならともかく、この複雑な魔術式を弄れる技術者は精霊人機の新
型を作れるくらいの一流に限られるだろう。
需要のある魔術式でもあるし、改良しておこうかと考えていると、
1422
次の特許品が入ってきた。
エアサスペンションと、エアリッパーである。
エアサスペンションは前世の地球にもあった空気バネそのものだ
が、エアリッパーは少々異なる代物だ。
二つの装置をガラスケースに収めた雇われ警備員の一人が首を傾
げて俺を見てくる。
﹁この二つ、どう違うんですか?﹂
﹁魔力消費量と瞬発力ですね﹂
エアサスペンションは空気タンクが存在し、コンプレッサー代わ
りの魔術式で圧縮した空気を送り込む。通常の風魔術と大して変わ
らない少ない魔力消費量で済む反面、瞬発力に劣る。だが、普通に
使用する分には全く問題にならない。
術式を書き込むだけでコンプレッサーを製作できるのだから、魔
術はなんとも偉大である。
﹁エアリッパーは空気タンクが存在しないエアサスペンションだと
思ってください。省スペース化と高い瞬発力を兼ね備えています﹂
その秘密は圧空の魔術だ。空気を送り込むのではなく、直接内部
に空気を発生させてしまうため、爆発的な瞬発力が得られる。精霊
獣機が屋根の上に軽々と跳び上がれるのも、このエアリッパーの恩
恵あればこそだ。
ただ、通常の風魔術とは違って圧空は魔力消費量が大きい。
﹁構造が単純な分、メンテナンスも簡単で丈夫なんですけどね﹂
空気タンクの水抜きとかいらないし。
エアサスペンション、エアリッパーは俺の特許品だが、もっぱら
1423
特許料を稼いでくれているのはサスペンションの方だ。魔導車関係
で儲けさせてもらっている。エアリッパーは精霊人機に組み込まれ
ることがあるらしいが、圧空の魔術式を精霊人機の動きに同期させ
るのが難しいため、あまり人気がない。
魔導チェーンやラック式鉄道、遊星歯車機構などが運び込まれて、
展示場がにぎやかになっていく。
魔力流動膜魔術式が運び込まれると、俺はミツキと一緒に腕を組
んだ。
﹁さて、問題はこいつの展示方法だよな﹂
﹁魔力自体は目に見えないから、何が起きてるのか全く分かんない
よね﹂
スケルトンが使用する魔術、魔力膜。その発展形が現在精霊人機
の遊離装甲を支えている魔術式だ。
魔力流動膜魔術式は、遊離装甲やスケルトンの魔術式のさらに発
展形であり、魔力膜を流動させる事で機体内に泥や砂の侵入を防ぐ
魔術式である。
魔力消費量が大きいという問題点もあるが、無視できないのは精
霊人機の遊離装甲の魔術式と干渉してしまう事。そのため、特許を
取ってあるものの収入は微々たるものだ。
﹁色のついた水で魔力膜の流動状況を観察できるようにするのがい
いかな﹂
ミツキの案に、俺は首を横に振る。
﹁水を弾くとなると必要な魔力量が多すぎる。細かい砂を上から散
らすのが良いと思う﹂
﹁砂を散らす係が必要ってこと?﹂
1424
﹁隣に扇風機でもおいておくか?﹂
﹁その手があったね。買ってこよう﹂
﹁準備が終わってからでいいだろ﹂
ミツキと話している内に次の特許品が運ばれてきた。
しかし、雇われ警備員の三人は全く見当違いの場所へ特許品を運
び込もうとしている。
特許技術としてもあまりに複雑すぎてまともに研究できる人間さ
えほとんどいないだろう代物だ。運営委員会も最低限の指示も出せ
なかったのだろう。
俺は三人に声を掛ける。
﹁その二つは展示場の奥にお願いします。そのスペースは多薬室砲
の理論を書いた掲示物を置くのと、展示場全体の間取りを描いた案
内を置くスペースなので﹂
展示場の奥を指差すと、三人は首を傾げて左右に分けておいた二
つの特許品を見比べる。
﹁この二つ、並べて展示してもいい物なんですか?﹂
展示場奥にあるロープで区切られた展示スペースは二つ隣り合わ
せになっている。魔術式や理論を並べた展示列と装置や機構を並べ
た展示列の合流地点だ。
だが、二つの特許品の性質を考えれば一番ふさわしい展示箇所で
ある。
﹁その二つはどちらも、複数の魔術式における発動時間を厳密に制
御する技術なんです。実現するための方法が魔術式によるものと魔
導鋼線の特殊な配置によるものの二つなので別々に特許を出願した
1425
んですけど、目的は同じなので並べて展示します﹂
この魔術式はカノン・ディアのような多薬室砲を作る上での核と
なる技術だ。
ミリ秒以下の厳密な魔術発動タイミングが求められるカノン・デ
ィアはこの二つの特許技術がなければ暴発する。
説明しても、三人はいまいち分からないと首を傾げながら二つの
特許品を展示上の奥に運び込む。
あの二つがどれほどぶっ飛んだことをしているかを理解できると
すれば、今すぐ開拓者から技術者に鞍替えした方が良い。魔術式を
専門に研究している技術者でも半数は理解できずに匙を投げるだろ
う。
展示物の配置が終了し、俺は警報装置に貴重品の位置の登録を済
ませた。
﹁それじゃあ、扇風機を買いに行くとするか﹂
この世界、魔導核を使った扇風機が普通に売っている。安物は使
用者自らが魔力を込めながら魔導核を起動させる半自動扇風機だが、
今回買うのは蓄魔石を使うタイプの全自動の扇風機だ。無論、蓄魔
石を使う分高価な品である。
ディアやパンサーは宿においてきているため、ミツキと並んで歩
く。
混雑とまでは表現できないものの、大通りにはそれなりに人が歩
いていた。
あちこちに展示場を割り当てられなかった出品者のためのテント
が張られている。あのテントの下で展示するのだろう。
大工場地帯というだけあって、扇風機を売っている店はすぐに見
つかった。品数も豊富だが、砂を飛ばせる風量が出ればいいだけな
ので特に吟味せずに選ぶ。
1426
展示場を告げて届けてほしい旨を伝えると、引換券を貰った。
店を出て、空を見上げる。
﹁夕暮れ時か。食事の前にバランド・ラート博士に関して調べてお
こう﹂
提案すると、ミツキは頷いてギルドに向かって歩き出した。
﹁バランド・ラート博士は開拓者としての肩書も持っていたから、
この街に来たらまずは開拓者ギルドに顔を出してるはずだよ。聞き
込みなら、ギルドに行くのが一番だと思う﹂
﹁当時の職員がいるかどうかは分からないけど、研究を続けていた
なら倉庫なり、借家なりを借りてた可能性も高い。ギルドに記録が
残っていることを期待しようか﹂
開拓者ギルドに顔を出すと、特許持ちの人間を狙った誘拐事件が
起こる可能性あり、との張り紙が出ていた。特許を持っている当人
ではなく、家族などを誘拐するケースがあるそうだ。
実家を勘当されている俺とミツキには全く関係のない話である。
﹁暇そうな職員さんはっと﹂
ミツキがぐるりとギルド内を見回して、職員の一人に目をつける。
暇そう、とレッテルを張られているとも知らず、職員は愛想のい
い笑顔で答えてくれた。
﹁鉄の獣さん、いかがしましたか? 展示場に不備でも? それと
も、警備員の方でしょうか?﹂
﹁どちらも違いますよ。それに、警備員さん達にはお世話になりま
した。技術祭とは別件で、少し調べ物をしていまして、バランド・
1427
ラート博士について知っている事はありませんか?﹂
﹁バランド・ラート博士⋮⋮といいますと、精霊研究者の?﹂
どうやら知っているらしい。いきなり当たりとはミツキの勘には
恐れ入る。
職員の手前、俺にだけ分かるように胸を張って自慢げなミツキの
肩に、俺は手を置いて無言で褒める。口元を綻ばせたミツキがくす
くすと小さく笑った。
職員にバランド・ラート博士がかつて住んでいた住所を聞き出し
て、俺たちはギルドを後にした。
1428
第三話 バランド・ラート博士
ギルドの職員に聞き出したバランド・ラート博士の住所には借家
があった。
古めかしい二階建ての建物だが、大型のガレージなどが付属して
いる。半分工房みたいな家だ。
すでに人が住んでいるらしく、バランド・ラート博士が残したも
のがあったとしても処分されているだろう。借家だけに、隠し部屋
の類があるとも思えない。
大家さんの家は少し離れた場所にあるとの事で、そちらを訪ねて
みることにする。
夕日に照らされた街路樹が真っ赤に染まる。大工場地帯という無
骨な枕言葉に反して、街のあちこちに公園があったり花壇があった
りして目に優しい。
大家さんの家は借家とは違ってこじんまりとしていた。
玄関扉に下がっている呼び鈴を鳴らして待つと、中からパタパタ
と軽い足音が聞こえてくる。
﹁はいはい、いま開けますね﹂
少し歳を感じさせる女性の声が扉越しに聞こえてきたかと思うと、
扉が開かれて七十を過ぎたばかりのおばあさんが顔を出す。
﹁おや、可愛らしいお客さんですね﹂
おばあさんに対して輝かんばかりの愛想笑いを向けつつ、挨拶を
してから本題を切り出す。
1429
﹁バランド・ラートっていう精霊研究の博士を訪ねたんですけど、
引っ越したみたいで⋮⋮﹂
さも困ってますという振りをして、借家の方へ目を向ける。
おばあさんは不思議そうに俺とミツキを見た後、小さくバランド・
ラート、と口にして、思い出したように頷いた。
﹁あぁ、バランドさんか。懐かしいね。もうずいぶん前に引っ越し
て行ったよ。ガランク貿易都市の方だったかね﹂
歳の割に記憶の方はしっかりしているらしい、と考えて、失礼だ
と気付いた俺は内心首を振った。
目配せすると、ミツキが僅かに首を傾げて愛想のいい笑みを浮か
べ、おばあさんに訊ねる。
﹁仲が良かったんですか?﹂
﹁そうだね。当時は気味悪がられていたけど⋮⋮。玄関先で立ち話
もなんだから、上がって行きなさいな﹂
ほらほら、とおばあさんは嬉しそうに家の中へ俺達を手招いた。
少しためらったが、静まり返っている家の様子を考えると、おば
あさんは一人暮らしで寂しいのだろうと判断し、お言葉に甘えるこ
とにした。
リビングに通された俺とミツキの前に紅茶の入ったカップが置か
れる。湯気と共に立ち上る香りは上品だ。一口飲んで、ふわりと広
がる優しい香りに驚く俺に、おばあさんはコロコロと笑う。
﹁美味しいでしょう。息子からもらったの﹂
一人暮らしではあってもご家族はいるらしい。
1430
おばあさんは自身も紅茶を楽しんだ後、当時を懐かしむように目
を細めた。
﹁バランドさんはおかしな研究をしていてね。蛇やネズミを買って
きて何かしていたようなの﹂
マッカシー山砦の時点である程度研究を進めていたくらいだ。マ
ッカシー山砦を出てこちらに移り住んでからも蛇にネズミを丸呑み
にさせる実験を行っていたところで不思議はない。
おばあさんはバランド・ラート博士の実験内容を知ってか知らず
か、実験そのものには言葉を濁して話を続けた。
﹁子供好きな人でね。うちの息子も小さい頃はよくボール遊びに付
き合ってもらっていたのよ。ちょっと大人げない所があったけど、
そこが息子も好きだったみたいでね。歳の離れた兄弟みたいだ、と
わたしも旦那と笑っていたわ﹂
懐かしいわね、と笑うおばあさんには、バランド・ラート博士が
殺害された事については言わない方が良いだろう。
それにしても、おばあさんから語られるバランド・ラート博士の
人物像がとても意外だった。
俺もミツキもバランド・ラート博士の研究に関してはかなり調べ
たが、人となりについてはよく知らない。それでも、異世界の魂を
生贄にこの世界の生活レベルを維持しつつ人口減少を食い止めよう
としていたあの研究内容からは想像できない性格をしていたようだ。
異世界の人間に対してもその優しさを向けられなかった時点で、
殺された事に同情はしないけど。
﹁そういえば、バランドさんのところにお忍びで軍の偉い人が訪ね
てきていたらしいわ。何度か、借家の鍵を増やしたいと許可を取り
1431
に来たの﹂
﹁鍵を増やしたい? 盗みに入られるかもしれないって事ですか?﹂
﹁研究内容を盗み出されて悪用されるかもしれないからってね。と
ても真剣な顔をしていたものだから、わたしの旦那もすぐに許可を
出していたけれど﹂
軍がバランド・ラート博士の研究内容に興味を示すのは理解でき
る。マッカシー山砦における研究の時点ですでに人工的に魔力袋を
発生させる方法が半ば確立している以上、軍としては喉から手が出
るほど最新の研究資料が欲しいはずだ。
しかし、軍に研究資料を盗まれる可能性をバランド・ラート博士
が憂慮していたというのなら、バランド・ラート博士と軍の関係性
は協力的な物ではなかったことになる。
考えてみれば当然かもしれない。
バランド・ラート博士はあくまでも世界的な出生率の低下を懸念
して研究を続行していたはずだ。このライグバレドにおける研究で
俺やミツキのような異世界の魂を召喚する方法を編み出していなけ
れば、人工的に発生させる魔力袋の原料はこの世界の生き物という
事になる。
つまり、人工的な魔力袋の発生方法を軍に教えてしまった場合、
世界的な出生率低下は加速し、バランド・ラート博士が研究した意
味がなくなってしまう。
バランド・ラート博士は軍、それも新大陸派との交流があったと
俺たちは考えていたが、見直しが必要かもしれない。
﹁バランド・ラート博士はなんでライグバレドを出ていったんでし
ょうか?﹂
﹁この世界の全生命を救う画期的な実験が成功したかどうかわから
ないから、静かな場所で研究を繰り返したいと言っていたわ。他に
もいろいろと言っていたけれど、良く分からなかったの。軍の偉い
1432
人が訪ねてくるから、いやになってしまったのかもしれないわね﹂
あの頃は息子が大泣きして大変だったわ、と苦笑するおばあさん
に愛想笑いを返して、俺たちは大家宅を辞した。
日が落ちて暗くなった大通りを歩きながら、ミツキに声を掛ける。
盗み聞きされることもないとは思うが、内容が内容なので日本語だ。
﹁新大陸派とバランド・ラート博士は協力関係にはなかったと考え
た方が良いな﹂
﹁協力していたなら、ガランク貿易都市近くの隠れ家に資料が残っ
ているはずがないとは思っていたけど、今回の件で確定とみていい
かもね﹂
新大陸派の軍人が訪ねていた理由も気になる所だが、バランド・
ラート博士が大家に語ったライグバレドを出る理由も気になる。
﹁この世界の全生命を救う画期的な方法。やっぱり異世界の魂を召
喚する実験かな?﹂
ミツキが手帳に書き留めつつ、首を傾げる。
俺とミツキがこの世界に生まれた時期を考えると、まず間違いな
くライグバレドでの滞在中に異世界の魂召喚を行っているはずだか
ら、まず間違いないだろう。
﹁バランド・ラート博士は異世界の魂を召喚したものの、召喚が成
功したかどうかは分からず、ガランク貿易都市に移って新大陸派の
軍人をやり過ごしながら研究をしていたって事だろうな﹂
この辺りの事はガランク貿易都市近くの隠れ家に残された日記か
らも分かっている。これで裏どりが完了した。
1433
﹁バランド・ラート博士の動きは大体見えてきたね﹂
ミツキが手帳にまとめながら、読み上げる。
﹁国からの調査依頼を受けてマッカシー山砦にて二年もの間、出生
数低下の謎を研究。マッカシー山砦の研究チームから外されてから
は独自調査を行うために大工場地帯ライグバレドに五年間住む。こ
の間、異世界からの魂を召喚し、ガランク貿易都市の近くにある隠
れ家で二年間研究を続けて、異世界からの魂召喚が成功したとの確
信を深める。調査を始めたバランド・ラート博士は港町デュラで私
とすれ違って旧大陸に舞い戻り、八年後、ウィルサムに殺害された﹂
ミツキが綺麗にまとめてくれたおかげで、俺の頭の中の情報も整
理される。
バランド・ラート博士の研究内容の変遷も、世界的な出生率の低
下の謎を追う事から始まり、精霊が生き物の魂である事、さらには
精霊が生物体内に取り込まれて休眠状態となったのが魔力袋である
事を突き止め、精霊ひいては魂が記憶を消去して転生するためには
魔力を取り込まなければならないと結論付けている。
バランド・ラート博士は、現在の魔導核に頼って文明を維持しつ
つ出生率の低下を食い止める方策として異世界の魂を召喚して魔力
袋を生成し、魔導核を作る研究を行っていたが、魂の召喚が成功し
たという確信が持てずに旧大陸を転々とし、ミツキの噂を聞きつけ
て新大陸のデュラに戻ろうとしたところでウィルサムに殺害された。
﹁こうなってくると、協力関係になかった新大陸派がどれくらいバ
ランド・ラート博士の研究を知っていたのか気になるな。それに、
ウィルサムも﹂
﹁ウィルサムの方が優先順位が高いね。バランド・ラート博士の執
1434
念を考えると、殺される直前まで研究は続けていたと思うから、研
究資料を持ってる可能性が高いよ﹂
﹁ガランク貿易都市近くの隠れ家にファイアーボールを撃ち込んだ
のもおそらくはウィルサムだよな。研究内容を全く知らないのなら
証拠隠滅につながるようなことはしないだろうし、隠れ家を見つけ
ることもなかっただろう﹂
﹁最悪の場合、異世界の魂を召喚する方法まで知っている可能性が
あるね﹂
﹁本当に最悪のケースは、ウィルサムが異世界の魂を召喚している
場合だな。俺たちに続く三人目の転生者、四人目の転生者がこの世
界のどこかにいるかもしれない﹂
時期を考えると、確実に俺たちより肉体年齢は下になる。魔導核
に加工されないよう、保護する必要もあるだろう。
バランド・ラート博士については一通り調べたし、これからはウ
ィルサムを捕える方向で動いた方がよさそうだ。
﹁新大陸派にはちょっと手が出せないしな﹂
﹁ホッグスの動きも気になるよね。行方不明っていうけど、どこに
行ったんだろう﹂
新大陸派のきな臭い動きにはあまりいい予感がしないが、俺たち
に出来ることはたかが知れている。司令官に返り咲いたワステード
に任せるしかないだろう。
ふと目を向けた店に置かれた魔導核の値段を見て、足を止める。
何かを忘れているような気がしたのだ。
﹁どうしたの?﹂
﹁いや、何か引っかかって﹂
1435
何だろう、この違和感は。
ミツキが首を傾げて魔導核を見る。
﹁いつも通りの値段だし、品質も特に問題なさそうだけど?﹂
﹁⋮⋮そうか、値段だ﹂
値段がいつも通りのはずがないんだ。
﹁俺たちが人型魔物の群れを壊滅させて市場に供給した魔導核は十
や二十じゃ利かない。それに、以前のボルス防衛戦で砲撃タラスク
たち甲殻系魔物の群れを追い返した時の魔導核もある。相当下落し
てないとおかしい﹂
一年にも満たない間に大量の魔導核が供給されているのだ。需要
がある商品とはいえ、かなり高価な物である以上買い手は限られる。
何故、市場に飽和していないのか。
﹁そもそも、俺たちが精霊獣機を作る時に買った魔導核は例年に比
べて一割ほど値下がっていたんだ。精霊獣機で戦い始める前から値
下がっていたはずの魔導核がなぜ下落してないんだよ﹂
﹁市場を操作してる誰かがいるってこと?﹂
ミツキが訝しむように店頭の魔導核を見る。
﹁無理だよ。国軍だけじゃなくて、私たちみたいな開拓者まで魔物
を倒して魔力袋や魔導核を市場に流してるんだもん。とてもじゃな
いけど掌握できないよ﹂
﹁一年や二年なら、無理だろうな﹂
俺の言葉を聞いたミツキが目を細める。
1436
﹁魔導核の価格の年次推移、ギルドに行けば多分資料もあるよ﹂
﹁行こう﹂
足早にギルドへ向かいながら、頭の中で何が起きているのかを想
像していく。
二十四時間毎日営業しているギルドに感謝しつつ、魔導核の価格
の年次推移を資料として出してもらう。
不思議そうな顔をした職員から資料を受け取って、過去二十年分
の資料を見る。
新大陸の開拓が進むにつれて出回る魔導核の量が増え、また精霊
人機などの需要が増えることで価格の上下がある。
魔物の討伐記録などの資料を追加でいくつも出してもらいながら
調べること数時間、俺とミツキはある結論に至った。
﹁価格操作が起こっている﹂
﹁魔導核を大量に市場に供給している誰かがいるね。しかも、魔物
の討伐記録を見る限り、魔物を討伐しても申告していないか、もし
くは︱︱﹂
﹁魔物由来でない魔力袋を手に入れている﹂
こんなことができるのはかなりの組織力と資金、何より大量の魔
導核を〝安定生産〟する方法が必要になる。
﹁バランド・ラート博士の研究成果を使えば可能だね。でも、ちょ
っと大きな開拓団程度には無理﹂
﹁やれるとすれば、軍とか、設備が整っていて各地に動員可能な人
員を多数有している組織だな﹂
﹁⋮⋮新大陸派?﹂
﹁マッカシー山砦に残されていたバランド・ラート博士の研究資料
1437
だと不十分だが、ライグバレドで行われていた完成版の魔力袋精製
法を手に入れていれば、市場操作もある程度は可能だ。バランド・
ラート博士がマッカシー山砦を出てから曲がりなりにも交流があっ
たそれなりの規模の組織は新大陸派しかいない﹂
きな臭いなんてものじゃなくなってきた。
この件を、旧大陸派は、国は、どこまで知っているのか。
︱︱あるいは、知らないのか?
ミツキは資料を片付けながら、口を開く。
﹁魔導核の安定供給と価格維持をしているって事は、魔導核の生成
にかかるコストを考えてもかなりの利益を出しているよね﹂
﹁大規模なへそくり、とはちょっと思えないよな﹂
ワステード司令官に連絡を取りたい。
俺は手紙をしたためて厳重に封をした後、ギルドの職員を呼んで
手紙配達の依頼手続きを済ませた。
1438
第四話 スライム新素材
宿で遅めの夕食を摂り、俺はミツキを連れて青羽根の展示場へ足
を運んだ。
青羽根の展示場は新型精霊人機が並ぶ一画にあり、すぐ隣に月の
袖引くの展示スペースも存在していた。巨大な建物の中に各機体ご
とのスペースが大きく取られている。
スカイに使われている技術は極秘であるため、展示はスカイ本体
を飾るだけで済ませるらしい。
しかし、起動状態で展示してほしいと言われているらしく、スカ
イがまき散らす風が周囲の迷惑にならないように設定を調整したり、
防風柵を作ったりと大忙しで働いている。
俺とミツキが顔を出すと、ボールドウィンが手を振って来た。
﹁こっちは明日の昼まで掛かりそうだ。悪いけど、コトたちの展示
場の準備は手伝えそうにない。月の袖引くの準備もまだ終わってな
い﹂
﹁俺たちの方は準備が大体終わってるから大丈夫だ。後は講演に使
う原稿を書くだけだな﹂
﹁早いな。羨ましい﹂
防風柵を支える木枠を担いで運んでいくボールドウィンと入れ替
わって、整備士長がやって来る。
﹁手伝いをしてくれるのか?﹂
﹁原稿が早めにできたら手伝うよ。それより、耳に入れておきたい
ことがあるんだ。タリ・カラさんとレムン・ライさんも呼んで話し
たい﹂
1439
﹁⋮⋮また厄介ごとか?﹂
呆れた顔をされても、今回ばかりは俺たちのせいではない。むし
ろ被害者だ。
﹁まだ確証はないが、軍の関係でちょっとな﹂
軍、という単語だけで表情を引き締めた整備士長はすぐさまボー
ルドウィンを呼んだ。
ボールドウィン達も連れて隣にある月の袖引くの展示スペースに
足を運ぶ。
特許品であるウォーターカッターの展示に加えて、精霊人機への
応用例としてタリ・カラさんの愛機スイリュウが展示される予定の
スペースだ。
スカイと違って周囲に影響を及ぼさない機体だから、スイリュウ
そのものは展示に際し準備する物はない。
だが、ウォーターカッターは新しく作る必要があった。スイリュ
ウはまだできたばかりの機体で予備部品としてのウォーターカッタ
ーが存在していなかったからだ。
部品の類は技術祭運営委員会から優先的に回してもらえるものの、
丸二日徹夜して完成するかどうか怪しい所だ。
考案者として少し反省しながらも、団長であるタリ・カラさんと
副団長のレムン・ライさんを呼ぶ。
メンバーを会場の端の誰もいない場所に集めてから、俺は魔導核
の流通量が調整されている可能性がある事などを説明する。バラン
ド・ラート博士の研究内容にも触れる必要があったが、マッカシー
山砦に存在した研究資料に書かれていた人工的に魔力袋を発生させ
る不完全な方法を掻い摘んで説明するにとどめた。
俺とミツキが異世界からの転生者で、転生に際してバランド・ラ
ート博士の介入があった事は誰にも言わない。
1440
俺の話を聞き終えたボールドウィンやタリ・カラさんたちは半信
半疑な様子だった。
魔導核の原料となる魔力袋、それが生物の魂であるという前提か
らしてあやふやでにわかには信じられない話だ。俺とミツキは転生
を経験している分、肉体に依らない記憶を保持する何らかの存在と
して魂を肯定できるが、ボールドウィン達にはそんなバックボーン
が存在しない。
だが、俺たちが提示した魔導核の流通量などの資料を見せて、市
場操作している何者かがいるという仮定には納得してもらえた。
レムン・ライさんが資料の数字を目で追いながら、口を開く。
﹁この市場操作をしている何者かが新大陸派であるとすると、莫大
な資金を稼ぎ出していますね。十年前からとなると、魔力袋の生産
施設もどこかに存在する可能性があります﹂
そう言って、レムン・ライさんはタリ・カラさんを見た。
﹁お嬢様、この件に関わるのはかなり危険かと存じますが﹂
﹁そうでしょうね﹂
タリ・カラさんはレムン・ライさんの言葉に頷いて、俺とミツキ
を見た。
﹁私たちの協力を求めますか?﹂
タリ・カラさんの質問に、ミツキが首を横に振る。
﹁いえ、協力の必要はないです。あくまでも耳に入れておきたかっ
ただけ。ボルス防衛戦で旧大陸派のワステード司令官やロント小隊
の救援に動いた以上、ホッグス達新大陸派に目をつけられているか
1441
もしれないので﹂
ミツキの言葉を引き継ぐ形で、俺はボールドウィンと青羽根の整
備士長を見る。
﹁青羽根もだ。ボルス防衛戦でかなり活躍してるし、港町での対人
型魔物の戦いで俺やミツキと連携している。新大陸派が警戒してい
てもおかしくない﹂
あまり巻き込みたくはなかったが、今回新大陸派に浮上した疑い
はかなりきな臭い。情報不足で対策を打てなくなるようでは、それ
こそ青羽根や月の袖引くに不義理だと判断した。
ボールドウィンが資料を俺に返しながら、口を開く。
﹁確かに、協力はちょっと約束できないな。これ下手したら新大陸
派が革命を企てていてもおかしくないって事だろ?﹂
﹁ボール、せっかく言葉を濁して会話をしているんだ。直接表現は
避けろ。どこに耳があるかもわからねぇんだぞ﹂
整備士長が窘めると、ボールドウィンはばつが悪そうに頭を掻い
た。
しかし、ボールドウィンが言う通り、新大陸派は資金を集め旧大
陸派の戦力をリットン湖攻略戦やボルス防衛戦で大幅に減らしてい
る。
超大型魔物や大型スケルトン、白い人型といった新種の魔物の存
在を事前に知っていたとまでは思えないため、疑いは強くとも確証
はない。
ワステード司令官も新大陸派に革命の兆しアリとして調査を始め
るだろう。
1442
﹁ひとまず、注意はしておいてくれ。不用意に軍に近付きさえしな
ければこの件に巻き込まれることもないだろう﹂
注意を促して、ひとまず解散となる。
夕食がまだだというボールドウィンやタリ・カラさんに一緒に食
べないか、と誘われたが俺たちは宿で食べた後だ。丁重に断った。
﹁そういえば、ビスティはどこに?﹂
月の袖引くの展示場にビスティの姿はない。仮にこの場にいたと
しても、機械工学には疎いビスティはあまり役に立たないだろうけ
ど。
タリ・カラさんはウォーターカッターを組み上げている団員を見
ながら、教えてくれた。
﹁ビスティは自分の展示場の準備に追われています。護衛に二人つ
けていますけど、そろそろ様子を見に行った方が良いかもしれませ
んね﹂
タリ・カラさんは頬に手を当てて考えると、レムン・ライさんを
呼びつけた。
﹁ビスティの様子を見てきます。こちらの指揮をお願いしますね﹂
﹁お任せください、お嬢様﹂
恭しく一礼するレムン・ライさんを置いてタリ・カラさんが歩き
出す。護衛に一人、団員が付いてきた。
ミツキが俺の腕を取る。
﹁私たちも行こうよ。ちょっと面白そうだし﹂
1443
﹁そうだな﹂
植物学には詳しくないから、準備中の特許品を見るだけでも新鮮
で面白そうだ。
ビスティの会場はライグバレドの端の方にあるらしい。
小さな耕作地に隣接する形で整えられたその場所には、開催前に
もかかわらず食べ物屋台が設営されていた。
技術祭と銘打ってはいるものの植物関係の技術はあまり注目され
ないのが常らしく、見学目的の人が少ないこの場所に屋台を設営す
る事で人を分散させたいのだろう。
ビスティに貸し出されている展示会場はなかなかの広さがあった。
学校の教室を三つ並べたくらいの縦長の会場だ。
左右に新種の植物が植えられた植木鉢が並び、植木鉢の隣には栽
培方法が記述された紙が張り出されている。
塩水を与える植物や特殊な肥料を必要とする植物、厳密な温度管
理が求められる植物などもあるらしい。
﹁流石はファンタジー植物﹂
ミツキがポツリと呟いた言葉に内心で同意しつつ、ビスティを探
す。
ビスティは展示会場の奥にいた。
﹁団長! 向こうの準備は終わったんですか?﹂
尻尾があれば猛烈に振ってそうな勢いでビスティが嬉しそうに駆
け寄ってくる。
タリ・カラさんは苦笑を浮かべながら首を横に振った。
﹁明日一杯かかる予定です。ビスティの進捗状況はどうですか?﹂
1444
何気なく見回してみると、展示物の配置はほぼ決まっているよう
だった。
会場の入り口は植物ばかりだが、奥まったこの場所には厳密な温
度管理を実現するために必要な設備などが置かれている。
﹁ねぇビスティ、なにこれ?﹂
ミツキが指差したのは透明な膜だった。ガラスのように透き通っ
ている。
ビスティは指差された透明な膜を持ち上げて、俺に渡してくる。
﹁思い切り横に引っ張ってみてください﹂
﹁いいのか?﹂
絹のような柔らかい手触りの膜の端を両手で持つ。厚さは体感で
一ミリほど。少々分厚く感じる。
ビスティが頷いたのを確認して、俺は膜を左右に引っ張った。
すると、透明な膜はゴムのように左右へ急激に伸びる。透明度は
変わらず、手触りに変化もない。腕一杯に伸ばしてもまだ余裕があ
りそうだった。
﹁なんだコレ、すげぇ﹂
ちょっとテンションあがってきた。
ビスティが腰に両手を当てて自慢げに説明してくれる。
﹁これこそ、僕がラックル商会に狙われる原因となった特許品です﹂
何でも、淡水生のスライムの皮を十パーセントの重曹水に浸した
1445
後、硫化水素の蒸気に晒して作る新素材らしい。
﹁これを何層かに重ねて一層ずつ間に肥料を寒天で固めた物を挟む
んです。それで、一番上に土を被せて、例の香辛料の種を蒔くと栽
培できるんですよ﹂
﹁手間がかかるんだな﹂
﹁ヨウ君、私にもそれ触らせて﹂
ミツキがねだって来るので、感触が楽しいスライム新素材を渡す。
左右に伸ばして楽しんでいるミツキを眺めつつ、会場に並べられて
いる新種植物の栽培方法を思い出す。
﹁温室で育てるって書いてある植物はこの新素材で作った温室で育
てるのか?﹂
﹁そうですよ。今までの温室って木枠に紙を張り付けて作った小さ
な箱で日光の通りも悪いし、大型化は出来ないし、雨の度に室内へ
入れないといけないし、大変だったんです。でも、この新素材は見
ての通り伸縮性が抜群で耐久力もあって水を弾くので、大型の温室
の作成もできます。開拓地での栽培には欠かせない素材になるはず
です﹂
開拓地でなくてもかなり有用な新素材だ。
なにしろ、この新素材は伸縮性抜群の透明ビニールみたいなもの
だ。あるいは、透明なゴムか。
こんな新素材を持っていたなら、誘拐してでもモノにしようとし
たラックル商会の行動も頷ける。
それに、この新素材は色々な物に応用できそうだ。特許使用料で
儲けられる反面、ラックル商会のようにビスティの身柄を狙ってく
る者が他にいないとも限らない。
入団時にビスティからこの新素材を含めて説明を受けていたタリ・
1446
カラさんがビスティの護衛を二人も付けたのも理解できる。運営委
員会が派遣した警備員だけでは確かに心配だ。
タリ・カラさんは会場を見回しながら、ビスティに声を掛ける。
﹁何かおかしなことはありませんでしたか?﹂
﹁いまのところは何も。隣のラックル商会側からも何か仕掛けてく
る様子はありません。ただ、ラックル商会の展示場の前に貴族が乗
るような馬車が止まってました﹂
﹁貴族の馬車?﹂
タリ・カラさんが不思議そうな顔をして俺を見てくる。
﹁貴族は車に乗るのではないのですか?﹂
タリ・カラさんの質問で、実家が男爵家の俺に視線が集まった。
﹁貴族もいろいろいるけど、ほとんどは馬車を使ってる。魔導車は
あまり乗りたがらないな﹂
デザイン性や伝統の問題で、魔導車より馬車の方が人気が高いの
だ。
﹁それにしても、貴族の馬車ね﹂
裏であくどい事を散々やってるラックル商会と大っぴらに付き合
うなんて、いったいどこの馬鹿貴族だか。
1447
第五話 襲撃者
丸一日、宿で講演の原稿を書き上げるのに使って、技術祭の開催
日を迎えた。
すぐに人が来るはずはないだろうと高をくくって割り当てられて
いる展示会場にのんびりと足を運ぶと、会場前に行列ができていた。
﹁⋮⋮すでに会場の許容人数を超えてそうだな﹂
﹁忙しくなりそうだね⋮⋮﹂
青羽根や月の袖引くの応援に行く時間はなさそうだ。
一応、スカイやウォーターカッターで質問されそうな事は事前に
紙に書き出してあるのだが、突っ込んだ質問をされると青羽根や月
の袖引くには答えられないかもしれない。
青羽根は整備士長がいるから何とかなるかもしれないが、月の袖
引くはまだ知識と技術が結び付いていないところがある。
﹁タリ・カラさんたちも分からない質問をされたら私たちのところ
にお使いを出すだろうから、大丈夫だよ﹂
﹁だといいけどな﹂
俺たちの展示会場でこの状態なら、新型の機体や兵器を置いてい
る青羽根たちの会場も人だかりができていそうだ。魔物の脅威を日
々感じている新大陸の人々にとって、精霊人機や兵器は強く興味を
引かれる対象である。
ともかく自分たちの事を片付けるのが先決だと意識を切り替えて、
俺たちは会場入りした。
魔力流動膜魔術式などを起動して準備を終え、展示場の入り口を
1448
開ける。
運営委員会から派遣されてきた三人の雇われ警備員が人の流れを
誘導してくれているので、俺とミツキは会場の端でただ質問に答え
ればいい。
だが、質問してくる連中が難敵ばかりだった。
﹁この遊星歯車ですが、歯がすぐに削れますよね。素材はどれくら
いの種類を試したんですか?﹂
可愛い質問だと思いながら答えると、質問者の瞳がギラリと光る。
﹁すると、摩耗の対策は未だ改良の余地がある、と。ご相談ですが、
わたくし共の研究しております新鋼材は摩耗に強く︱︱﹂
またか、と内心辟易しながら質問者の話を聞く。
自らの研究品や特許品の売り込み、研究開発費の融資のお願いな
どなど、この手の輩がひっきりなしに訪れていた。
いくつも特許品を有している事もあり、俺とミツキが多額の金銭
を得ているのは会場を訪れる誰もが知っている。
新素材や機械工学に関する物は俺に、魔術式や魔導核、蓄魔石の
研究などはミツキに話が持ち込まれる。
面白い研究もあるのだが、数が多すぎた。
﹁興味深い話ですが、他にもいくつか話を持ち込まれているんです。
後程、資料をまとめて送ってください。精査したうえで判断を下し
ます﹂
﹁ぜひ、ご検討ください﹂
握手を求められ、俺は右手を差し出した。あっさり引いてくれて
助かった。
1449
手を振って別れると、待ち構えていたように中年の男が俺の前に
出てくる。黒々としたひげを蓄え、血管の浮いた太い二の腕を晒し
ている。見るからにどこかの工房の親父と言った風情だ。
﹁鉄の獣ってのはお前か?﹂
﹁えぇ、そう呼ばれてます﹂
﹁歯、食いしばれ﹂
言うや否や拳を振りかぶった中年の男の股間を即座に蹴り上げて
無力化し、雇われ警備員に引き渡す。
精霊獣機の開発者という事で昔気質の職人や精霊人機開発者が殴
りこんでくるのだ。あの中年男もその手合いだろう。
雇われ警備員が苦笑して中年男を引きずって行く。
﹁五人目か。大工場地帯だけあって多いな﹂
まだ開催して半日も経っていないのに。
パタパタと駆け寄ってくる音に振り向くと、ミツキがそばにやっ
てきていた。
﹁講演の時間だよ﹂
﹁質問者がまだ大量にいるんだけど﹂
﹁待ってもらうしかないよ。講演時間はずらせないんだから﹂
俺は質問者の列に一礼して、講演中という立て看板をその場に設
置し、講堂へ歩いた。
舞台袖から覗く観覧席は空席が二、三あるだけだ。そろそろ昼食
の時間だからもう少し空いているかと思ったんだが。
﹁台本は?﹂
1450
﹁暗記済みだよ。私が忘れてるところがあったらフォローお願い﹂
﹁承知の助﹂
﹁古っ!﹂
冗談を挟んで緊張を和らげてから、ミツキを舞台上に送り出す。
俺はスポットライトの光量などを調節してから、舞台に上がった。
まばらな拍手を受けてミツキと共に一礼し、講演を開始する。
内容は﹁複数の魔術式における発動時間を厳密に制御する技術の
Ⅰ型とⅡ型﹂および﹁魔力伝導高速化機構と魔術式﹂だ。
前者のⅠ型は魔導鋼線の形状を変えることにより意図的にラグを
発生させる技術だ。例えば、ツイスター型と俺たちが呼んでいる魔
導鋼線は本来は平らな魔導鋼線を捻って螺旋状にし、魔導鋼線の魔
力伝達速度を遅くしている。
歴史上でも魔導鋼線の形状を変化させた際の影響を調べた研究者
はいたようだが、数十種類の形状を調べ、まとめた研究は少ない。
講演を聞きに来た客たちに入り口で配った資料にはいくつかの代表
的な形状について、魔力伝達速度や魔力のロスを調べた結果をグラ
フにした物を載せておいた。
講演はさらにⅡ型の説明へ移る。
Ⅱ型は魔術式を用いて発動時間を制御する技術だ。
魔導鋼線に一度魔力を通し、その結果の伝達速度を数値化、数値
を魔導核に刻まれた魔術式に返すことで、湿度や温度といった環境
要因に左右される事なく魔術の発動時間を厳密に制御する。
何の役に立つんだ、という顔をしている客はどうでもいい。だが、
客の中には講演を聞いて目を輝かせながら配られた資料に何かを書
き込んでいるどこかの整備士や職人の姿がある。
複数の魔法を併用して効果を増幅する、いわゆる複合魔法を魔導
核に処理させるのは難しい。俺たちの開発した魔術の発動時間を制
御する技術は、精霊人機の使用する魔術の効果を高めることができ
る。
1451
さらに、魔力伝達高速化機構および魔術式は魔力流動膜術式に改
変を加えて、魔力の流れを加速させる術式と、加速された魔力が生
み出す圧力に耐えられるように魔導鋼線を分厚くし、更に魔力をあ
えて空気中に逃がすことで圧力を下げる安全弁を取り付ける。この
圧力弁周りの機構が俺の特許である。
台本通りに話し終えて、質問時間を取り、一つ一つ答えていく。
十四歳ほどの俺たちの研究に対して懐疑的な目を向けていた客も、
資料にあるグラフなどの資料を見てある程度は納得したらしい。ま
ぁ、帰って追従実験するんだろうけど。
質問に答え終わるとまた展示会場へ取って返す。昼食など取って
いる暇もない。ずっと客の応対をして時間が過ぎていく。
俺たちが一息つけたのは、太陽も沈んで少しした頃だった。
手製の扇で自らを仰ぎながら、俺は椅子に座る。講演したり度重
なる質問に答えたりで頭がパンクしそうだった。
﹁これが後四日続くのか⋮⋮﹂
技術祭の開催期間は五日間。後夜祭代わりに六日目もあるが、こ
ちらは自らの展示で時間が無かった出品者たちのためのものだ。絶
対数が少ないから今日ほど忙しくはならないだろう。
﹁そう言えば、青羽根と月の袖引くはどうしてるんだろうね﹂
﹁連絡はこなかったから、答えられる範囲の質問しかされなかった
んだと思うけど﹂
便りがないのは元気の証拠というが、なければないで心配になる
ものだ。
訪ねてみようか、と腰を上げかけた時、雇われ警備員の三人が外
の片づけを終えてやってきた。
1452
﹁自分たちはこれでお暇させてもらいます﹂
﹁お疲れ様でした。明日もよろしくお願いします﹂
互いに礼をするが、三人組はまだ帰ろうとしない。
不思議に思っていると、向こうから口を開いた。
﹁実は、夕暮れ前から外に見張りが立っているようで﹂
﹁見張り?﹂
気になるが、入り口の方は見ない。仮に見ようとしても、三人組
がその大きな体で遮っているため見えないだろう。逆に、外にいる
という見張りからも俺たちは見えないという事だ。
﹁見張りはどんな奴です?﹂
﹁本職の兵士かと思われます。隠す気もなさそうですが、あの雰囲
気は尋常ではないですね﹂
﹁ここにいる五人がかりでも勝てないんですか?﹂
﹁向こうが仕掛けてこない限りこちらから手を出せません。後手に
回ることが前提となる以上、鉄の獣のお二方は展示場を出ない方が
よろしいかと﹂
真剣な目をしてそう言われては、俺たちも頷くしかない。
﹁心配しないでください。自分が残って、他の二人に応援を呼びに
行かせます。お手数ですが、時間稼ぎのために意気投合した風を装
っていただけませんか?﹂
﹁分かりました。よろしくお願いします﹂
応援を呼びに行く雇われ警備員の二人を見送って、俺はポケット
の中に忍ばせてある圧空の魔導核に指先で触れる。展示物もあるた
1453
め、この場であまり使いたくはないが、いざとなったら仕方がない
だろう。
ひとまずコーヒーでも淹れようかと、展示会場の奥に飾っておい
たディアへ歩き、腹部の収納スペースを開こうとした瞬間、展示会
場の入り口に人が立つ気配がした。
反射的に顔を向けるが、展示会場の入り口は閉ざされたままだ。
俺はディアを操作し、索敵魔術を起動する。
﹁︱︱囲まれてる﹂
ミツキと雇われ警備員にだけ聞こえるように声を落とした刹那、
入り口の扉が乱暴に開かれた。
あまりにも動きが早すぎる。かなり訓練された連中だ。
﹁ミツキ!﹂
俺が声を掛けると同時にミツキがパンサーに飛び乗った。俺も同
時にディアに乗り、角を入り口に向ける。
どうせ囲まれているのだから、裏口を目指しても意味がない。正
面から吹っ飛ばした方が手っ取り早いだろう。
レバー型ハンドルを握り込みながら入り口に立つ男を睨む。雇わ
れ警備員が言っていた通り、鍛え抜かれた体をしているのが一目で
わかった。抜身の長剣を右手にぶら下げているからには客というわ
けではないだろう。
俺はディアを加速させ、展示会場を一瞬で駆け抜け、入り口の男
に突っ込む。
まさか正面切って突っ込んでくるとは予想していなかったのだろ
う、入り口の男は慌てた様子で会場の外へ逃げ出した。
このまま入り口を飛び出し、向かいの会場の屋根に飛び移ってし
まえば追って来れないだろう。
1454
俺はすれ違いざまに雇われ警備員を左手で引っ掴んでディアの背
に乗せる。わずかに抵抗されたが、ディアの速度に気付いたのかす
ぐに抵抗は弱まった。
狭い入り口を抜けて外の暗い道へ飛び出した瞬間、左に三十代後
半の男が立っているのを視界の端に捉えた。会場の中からは死角に
なる、扉のすぐ横に潜んでいたらしい。
キンッと金属を切断するような音が短く聞こえた気がした。
刹那、背筋が寒くなるような浮遊感に襲われる。
﹁なっ!?﹂
ディアが前のめりに倒れ込み、俺は雇われ警備員と共に道へ投げ
出された。
ごろごろと転がって向かいの会場の壁に激突する。一瞬目の前で
火花が散ったかと思うと、俺がぶつかった壁のすぐ横にディアが衝
突した。
何が起きたか分からず、咄嗟にディアを見る。
ディアの両前足が切断されていた。視線を巡らせれば、切断され
た両前足は大通りに転がっている。
誰がやったか、そんなことは決まっている。
俺は扉の横から動いていない三十代後半の男を睨んで立ち上がっ
た。
﹁なんでお前がここにいる、アンヘル﹂
三十代後半の男は、俺に名前を呼ばれると一瞬眉を顰めた。
﹁なんで、と言われましてもね。坊ちゃんも分かってるんじゃない
ですか?﹂
1455
俺に言い返したアンヘルは、獣じみた動きで入り口横から大きく
左に跳ぶ。直後にミツキが会場の中から投げつけた凍結型魔導手榴
弾が爆発し、アンヘルがいた場所を凍りつかせた。
﹁ちっ、外した﹂
魔導手榴弾に遅れて会場から飛び出したミツキがパンサーを俺の
横につけて、アンヘルを睨む。
﹁ヨウ君、あれ誰? 知り合いみたいだけど﹂
﹁あいつはアンヘル。ファーグ男爵家の剣術指南役、ついでにファ
ーグ男爵家の精霊人機部隊長だ﹂
﹁ファーグって⋮⋮あの?﹂
眉を寄せながら愛用の自動拳銃をアンヘルに向けるミツキに頷き
を返す。
﹁そう、俺の実家だ﹂
﹁︱︱勘当したはずだ。もうお前の実家ではない﹂
会場の裏へ回る路地から、身なりのいい服を着た四十がらみの男
が姿を現した。
アンヘルがいるくらいだ。ここに居てしかるべきだろう。
﹁お久しぶりですね。ファーグ男爵殿。お会いしたくなかったです﹂
殊更に他人行儀に、俺はファーグ男爵に挨拶して、護身用の自動
拳銃を抜き、銃口を向けた。
1456
第六話 決闘の申し込み
俺がファーグ男爵に銃口を向けた途端、周囲に緊張が走る。
ファーグ男爵を守る様に護衛が前に出て自らの体を盾にする。
しかし、ファーグ男爵は俺に向けられた銃口を気にした様子もな
く、視線を路上に転がるディアに向けた。
﹁それが大型魔物を単独撃破したという兵器か。実物を見るまでは
何も言うまいと考えていたが、これは確かに気味の悪い物だな﹂
﹁赤の他人の努力の結晶を部下に破壊させた上、いちゃもんまでつ
けるとは、いいご身分ですね。弁償費用はファーグ男爵家に送りつ
ければいいんですよね?﹂
﹁バカを言うな。スクラップを処分するにも金がかかるのだ。さぁ、
処分費用を寄越せ﹂
ああ言えばこう言いやがる。
俺は雇われ警備員に声を掛けた。
﹁巻き込んでしまってすみません。ファーグ男爵も俺とミツキ以外
に危害を加えることはないと思うので、今のうちに逃げてください﹂
﹁いや、しかし⋮⋮﹂
﹁警備員であって護衛ではないでしょう。それに、俺たち二人だけ
なら逃げきれるので﹂
足手まといだと言外に含めて言うと、警備員は一礼して立ち去っ
た。
俺はパンサーに乗るミツキの側にすり足で近付く。隙を見て、パ
ンサーにミツキと相乗りして逃げだすつもりだった。
1457
﹁それで、わざわざ訪ねてきた理由をお伺いしても?﹂
俺が問いかけると、ファーグ男爵は不愉快そうに眉を寄せた。
﹁そんなことも言わなくては分からんのか。つくづく役に立たんな﹂
﹁ファーグ男爵家の役には、でしょう?﹂
指摘してやるとファーグ男爵は俺を睨みつけてくる。
﹁旧大陸側の新聞で報道されている。ずいぶんと派手に暴れている
らしいな﹂
﹁開拓者として役に立ってるだけですよ﹂
ファーグ男爵がイラついた様子で腕を組む。
﹁ファーグ男爵家の遅れた長男などと家の名に泥を塗り続けていた
お前をせっかく勘当したというのに、とんだ騒ぎだ。社交界でもお
前の噂が立っている﹂
社交界ね。俺自身はまともに顔を出したこともないのだが、噂は
本人がいない方が盛り上がるという事か。
しかし、俺がミツキと一緒に新大陸で打ち立てた実績は、大型魔
物ギガンテスの単独討伐に始まり、ギガンテスの群れを率いていた
首抜き童子の撃破、リットン湖攻略隊旧大陸派の救出、大型魔物タ
ラスクの共同撃破、変わり種に人跡未踏のテイザ山脈越え成功やい
くつかの特許などがある。
別に噂されてもファーグ男爵家の名に泥を塗るようなことではな
いはずだが。
1458
﹁どんな噂ですか?﹂
﹁家を追い出されたファーグ男爵家の遅れた長男が開拓学校に落第
し、獣のような優雅さのかけらもない気味の悪い兵器を乗り回して
いる、とな。見事に事実だったようだ﹂
あ、精霊獣機そのものを噂してたのか。
悪い噂ほど人は口にしたがるものだ。閉鎖的な社交界ならなおさ
ら、外の人間を馬鹿にすることで連帯感を保とうとする。
﹁デュラみたい﹂
﹁似たようなもんだな﹂
ミツキの呟きに同意して、ファーグ男爵を見る。
﹁風評被害にお悩みなのはわかりました。それで、俺にどうしろと
?﹂
わざわざ海を越えてまで文句を言いに来たわけではないだろう。
ファーグ男爵は顎に手をやって何かを考えているようだった。
﹁本来、お前の事はついでだったのだがな﹂
﹁ついで?﹂
﹁当然だろう。お前如きに関わっていられるほど暇な身分ではない﹂
なら放っておいてくれればいいのに、という言葉は飲み込んでお
く。
だが、言われてみればアンヘルを連れ回している時点で息子を叱
りつけに来たというわけではなさそうだ。
男爵家の剣術指南役というとそこそこの強さという印象になりが
ちだが、ファーグ男爵家は王国初の精霊人機部隊を作った超が付く
1459
ほど武闘派の家である。アンヘルは精霊人機部隊の隊長として領内
の魔物退治も仕事に入っていた。
護衛として連れ歩くには明らかな過剰戦力である。
ライグバレドでファーグ男爵家が出張ってくるような何かがある
のか?
役立たずだからと半分軟禁状態だったせいで、ファーグ男爵が外
とどう関わっているか知らないのが悔やまれる。
ファーグ男爵も、今回のライグバレドへの訪問理由を俺に話すつ
もりはないらしく、会話は途切れた。
俺は逃げ出すタイミングを計っていたのだが、アンヘルが抜身の
長剣をぶら下げているせいで隙が見つからない。
﹁よし、こうしようか。コト、アンヘルと決闘しろ﹂
﹁︱︱は?﹂
いや、死ぬだろ。どう考えても死ぬだろ。
俺は剣術の才能からっきしだぞ。
しかし、ファーグ男爵の言いたいことは分かった。
早い話が俺に死ねと言ってるのだ。それも、決闘の形を取る事で
あくまでもファーグ男爵家の名を汚さない名誉の死を与えようとい
う腹だろう。
心の底からお断りだ。
だが、ここで決闘を受けないとファーグ男爵家の刺客が襲ってく
る事態も有り得る。
いや、もしも決闘を受けても勝ってしまったら、やはり刺客が送
られてくるのか。
方法があるとすれば、大衆の面前で圧勝することくらいだろうか。
名誉大好きファーグ男爵が決闘に負けた腹いせに相手を暗殺したな
んて知れたら、それこそいいスキャンダルになる。迂闊には手を出
せなくなるだろう。
1460
問題はどうやって完勝するか、だな。
﹁決闘、ですか。精霊人機は持ってきてるんですか?﹂
﹁なに?﹂
質問の意図が分からなかったのか、ファーグ男爵のみならずアン
ヘルまで眉を寄せている。
二人の反応からして、俺が開拓学校の入学試験に落ちた理由、精
霊人機の操縦士適性が皆無だという事も知っているらしい。
ファーグ男爵は訝しみながらも俺の質問に答えた。
﹁アンヘルの機体は運ばせてある。新大陸は何が起こるからわから
んのでな。しかし、決闘とどう関係がある?﹂
﹁純粋に剣と剣の勝負なんて〝卑怯な事〟を考えていたわけではな
いでしょう?﹂
剣術指南役と武術全般に才能がない俺との決闘なんて、弱い者い
じめと変わらない。
しかし、この程度の挑発に応じるほどファーグ男爵は間抜けでは
ない。ファーグ男爵が言う決闘は形ばかりのもので、俺を殺せさえ
すれば実力差なんて関係ないのだから。
﹁真剣勝負を卑怯とは、まったく度し難い奴だな﹂
﹁まぁ、話は最後まで聞いてください。先日のリットン湖攻略戦の
失敗はご存知ですか?﹂
﹁当然だ。我が国の軍の威信をかけた作戦だったというのに、ホッ
グスの間抜けがしくじったらしいな﹂
それがどうした、とファーグ男爵は眉を顰めて聞いてくる。俺が
その場にいたことは知らないらしい。
1461
﹁リットン湖攻略隊の生き残りをリットン湖周辺で纏めたの、俺と
ミツキなんですよ。その後の撤退戦でも戦ってます。その際に背中
を怪我しましてね。怪我人相手に、真剣勝負で決闘なんてしたらフ
ァーグ男爵家の剣術指南役も落ちたモノだと馬鹿にされるのではな
いですか?﹂
ファーグ男爵が目を細めた。
﹁⋮⋮その怪我はどれくらいの者が知っている?﹂
﹁雷槍隊の隊員二人と雷槍隊の隊長であるワステード司令官を救出
した際の傷、と言えば分かりますか?﹂
鉄の獣が怪我をしたところで気にする者はほとんどいないが、司
令官を救出した際の傷だとなれば話は変わってくる。当然噂になる
し、当時マッカシー山砦にいた新旧大陸派の兵士はみんな知ってい
るだろう。
ファーグ男爵も理解したらしく、忌々しそうな顔をした。このま
ま強引に決闘すれば、俺が言った通り悪い噂が立つ。
しかし、傷が治るまで決闘を先延ばしにする事は出来ない。
ファーグ男爵だって仕事があるのだ。いつまでも旧大陸の所領を
留守にするわけにはいかない。
状況を理解してもらったところで、俺は畳みかける。
﹁アンヘルには精霊人機に乗ってもらいます。その上で、俺は精霊
獣機に乗って戦う。ファーグ男爵が言う気持ち悪い兵器に魅入られ
た息子に引導を渡す忠義の騎士という脚本でどうです?﹂
﹁何を考えている?﹂
あえて精霊人機に乗るよう勧める俺が何かを企んでいると考える
1462
のは当然だ。俺も精霊人機に乗れるというのならともかく、あくま
でも精霊獣機に乗って戦うというのだから、勝ち目のなさは変わら
ないように見えるだろう。
アンヘルも警戒するようにディアとパンサーを見つめている。
これだから素直さのない大人は困る。
俺は企んでなどいない。
︱︱ムカついてるだけだ。
﹁俺のロボぶっ壊しておいて、自分のロボは無傷で済ませようなん
て虫のいいこと考えてんじゃねぇだろうな?﹂
口調を変えて、腹に抱えた怒りをぶつけるが、ファーグ男爵もア
ンヘルも困惑するだけだった。
﹁なにかと思えば、子供の癇癪か。まぁ、よい。兵器に乗っての決
闘ならば怪我に目を向けられることも少ないだろう。念のために聞
いておくが、大型魔物を単独討伐したという兵器はそこに転がって
いるガラクタであっているのだな?﹂
ここにきて神経逆なでしてきやがりますか。
﹁このディアであってますよ﹂
﹁ならよい。修理にどれくらいかかる?﹂
﹁技術祭の開催期間中は時間が取れないので、技術祭の最終日から
さらに一週間です﹂
﹁ギリギリだな。準備ができ次第、声を掛けろ﹂
連絡先としてファーグ男爵が口にしたのはライグバレドの高級宿
だった。いま俺とミツキが泊まっている宿よりワンランク落ちてい
る。
1463
技術祭の運営委員会の本気を垣間見た気分だ。技術祭の期間中に
決闘することにならなくてよかった。半ばで死んだりしたらここま
で便宜を図ってくれた技術祭の運営に顔向けできない。
ファーグ男爵が立ち去ろうとした時、道の向こうから整備車両が
走り込んできた。
俺たちの側で急停止した整備車両から、青羽根の戦闘員が出てく
る。
さらに、整備車両の荷台から精霊人機、スカイが姿を現した。
﹁コト達が襲われてるって聞いて駆け付けたんだけど、どういう状
況だ、これ﹂
スカイの拡声器越しにボールドウィンが声をかけてくる。
俺は軽く手を振って答えた。
﹁詳しい事は後で話すけど、もう心配いらない。それより、ディア
の回収を手伝ってくれ﹂
去っていくファーグ男爵やアンヘルを見送って、俺たちはディア
を回収する。
﹁ミツキ、ディアを改造する。手伝ってくれ﹂
﹁逃げるのはなしなんだね。怪我もまだ治り切ってないくせに﹂
不機嫌に言いながら、俺の背中を心配そうに見てくるミツキに苦
笑する。
﹁完封勝利でもしないとファーグ男爵家は手を引かないからな﹂
それに、準備期間を得られたのはありがたい。
1464
この準備期間内に、技術祭に集まっている客たちに向けて今回の
決闘について喧伝し、人目に晒してしまえばいいのだ。
そうすれば、最悪の場合、俺が死んでも他に類が及ぶことはない
のだから。
﹁まぁ、死ぬ気はないけど﹂
1465
第七話 勉強会
青羽根の整備車両に乗って精霊人機の展示会場へ向かう。
﹁︱︱決闘?﹂
俺の言葉を信じられなかったのか、ボールドウィンはミツキへ視
線を移す。
ミツキがため息交じりに頷くと、ボールドウィンは頭を掻いた。
﹁精霊人機を相手に決闘って正気かよ。いくら精霊獣機があるって
言っても、有効打を与えられるのはカノン・ディアだけなんだろ?﹂
﹁いまのところはな﹂
ないなら作ればいいじゃない、の精神だ。
精霊人機の展示会場に到着し、中に入る。
すでに技術祭の一日目は終了しているため、客はいない。展示品
を警護しているどこかの開拓団員が何人かいる程度だ。
﹁月の袖引くは?﹂
﹁ビスティを迎えに行ってる。コト達が襲撃された理由が分からな
いから、念のためにビスティを保護しておかないとってな﹂
ファーグ男爵が俺とミツキ以外に手を出す意味はないからおそら
く無事だろう。
整備士長が身を乗り出してくる。
﹁それより決闘の事だ。勝算はあるのか?﹂
1466
﹁いまの状況だとないな﹂
カノン・ディアは精霊人機相手にも効果があると思うが、遊離装
甲を貫けるかどうかは未知数だ。今回は決闘という事で、ファーグ
男爵が金を掛けてアンヘルの機体を重装甲仕様にしてこないとも限
らない。
俺はスカイの遊離装甲、改造セパレートポートを見る。
﹁改造されていない素のままのセパレートポールなんかを持ち出さ
れると、カノン・ディアでも貫けなくなる﹂
﹁一対一だもんな。魔力を惜しげもなく注ぎ込めるってわけか﹂
整備士長が苦い顔をする。
フルスペックの精霊人機はかなり強力だ。鋼の身体に刃渡り五メ
ートル以上の剣を振り回し、高威力の魔術を使用できる。
加えて、今回はディア単独での戦闘になる。ディアはパンサーと
併用するのが基本の機体だけあって、戦力としては単純に半減では
利かない。
ミツキが前足を失ったディアを切なそうに見て、口を開く。
﹁魔導手榴弾をディアでも投げられるように変更する?﹂
﹁魔導核の容量が足りなくなるから無理だ﹂
﹁新しく買って来るとか﹂
﹁現状より大きな魔導核を乗せるとなるとスペースが足りなくなる。
内部構造の大幅変更が必要になるな﹂
やってやれない事はないが、魔力消費量の問題もある。切り札で
あるカノン・ディアを撃つためにも、魔力消費は抑えたい。魔導手
榴弾では貴重な魔力を注ぎ込むに足る威力を見込めないだろう。
1467
﹁対策を立てながら、修理と開発を進めていこう。手を貸してくれ﹂
頭を下げて頼むと、ボールドウィン達は快く頷いてくれた。
﹁お貴族様相手にケンカ売るなんて開拓団らしくなってきたな﹂
﹁ボール、その認識は間違ってる。ケンカしないに越したことはな
い﹂
整備士長はボールドウィンに突っ込みを入れてから、にやりと笑
う。
﹁だが、やるからには全力で叩き潰す。舐められたら商売あがった
りなのが開拓団だ﹂
整備士長が啖呵を切った時、展示場に新しい一団が入ってきた。
月の袖引くの一団だ。
﹁お二人とも、ご無事で何よりです﹂
タリ・カラさんが俺たちを見てほっとしたような顔をした。
月の袖引くにも事情を話すと、タリ・カラさんたちは二つ返事で
協力を約束してくれる。
﹁まずはギルドで倉庫を借りてこないと。それから魔導鋼線と魔導
核、蓄魔石はいまのうちに確保しておこう﹂
﹁ヨウ君の命がかかってるんだからね、お金に糸目はつけないよ﹂
俺とミツキはファーグ男爵家を凌ぐ資金力を持っている。
物量万歳だ。
1468
﹁戦いは数だよな﹂
俺は肩を回しながら、名言を口にする。
﹁一人で戦うのではないのですか?﹂
タリ・カラさんが首を傾げて俺とミツキを見比べる。
ミツキが俺の方を見た。
﹁もしかして、何か思いついてる?﹂
﹁自動化﹂
単語で返すと、ミツキは笑みを浮かべた。
﹁なるる﹂
﹁徹夜で図面を引く事になる。かなり忙しいぞ﹂
ミツキは頷いてから、青羽根と月の袖引くを見回した。
﹁みんなにお願い。ギルドとか酒場とか、とにかく人の集まる所で
今回の決闘の事を触れ回って。見物人をできるだけたくさんほしい﹂
ファーグ男爵はわざわざ見張りを立ててまで、俺たちの会場から
人がいなくなるのを待っていた。つまり、むやみやたらに騒ぎにし
たくはないのだ。
さらに、大勢の見物人の前でアンヘルを倒すことで、後々俺が暗
殺された時には真っ先にファーグ男爵家へ疑いの眼が向くようにす
る、とミツキは目的を話す。
頷いたボールドウィンとタリカラさんが団員を各所に割り振り、
向かわせた。
1469
整備士長が俺を見てくる。
﹁それで、何をすればいいんだ?﹂
﹁まずは勉強してくれ﹂
﹁は?﹂
首を傾げる整備士長に笑いかけて、ミツキを指差す。
ミツキは笑顔で整備士長を始めとした両団の整備士を手招いてい
た。
手招かれた整備士長たちは、ミツキの笑みにうすら寒いモノを感
じたらしく、一歩引いている。
﹁時間がないの。ヨウ君の命がかかってるんだから一切の遠慮はな
し。みんなにも精霊獣機を作ってもらうよ﹂
﹁えっ!?﹂
﹁矜持は捨てなさい。ヨウ君のために!﹂
ビシッと腕を振るったミツキの気迫に押されて、整備士長たちが
肩を落として従って行く。
整備士長たちは気が進まないようだが、この経験はかなり貴重な
物になると思う。
なにしろ、これからミツキが教えるのは俺たちが特許申請を自粛
する次元の技術だ。
俺は図面を引くための紙を取り出しつつ、ビスティに声を掛ける。
﹁ビスティが特許を取ってるスライム新素材についていくつか質問
していいか?﹂
﹁良いですけど、何かに使うんですか?﹂
﹁使えるかどうかを知りたいから質問するんだ﹂
1470
そうしてビスティから聞き出すのは、スライム新素材の強度、伸
縮性、耐熱性、粘着性などの性質だ。
整備士たちに作ってもらう精霊獣機の図面を引きながら、ビステ
ィから得られたスライム新素材についての情報を頭の中で整理し、
新しい武器を考え出す。
﹁かなり伸縮性に幅を持たせられるんだな﹂
ビスティの話を聞く限り、一センチ角のキューブ状にしたスライ
ム新素材を限界まで引き延ばせば十センチになるという。およそ十
倍に伸びるというのは驚異的な数値だ。
ビスティは自らの研究資料をめくりながら解説してくれる。
﹁元々、スライムは雨が降ると膨張する事で有名で、高い保水性を
有しているんです。父はこの保水性を活かして農作物の栽培におけ
る水遣りの手間を減らす研究もしてました﹂
スライムが農作物を食べてしまうため研究はとん挫したものの、
研究を引き継いだビスティは考え方を変えて素材として使う事にし
た。その結果が新素材だという。
ふと思いついて、俺はビスティに質問を重ねる。
﹁スライムって、雨が降らないとどうなるんだ?﹂
﹁体内の水分が抜けて仮死状態になります。その後に雨が降ると反
動で大きく膨張するので、たまに開拓者が大型スライムを見た、と
騒ぎますね﹂
ほほぉ⋮⋮。
﹁ボールドウィン、ちょっと頼まれてほしいんだが、いいか?﹂
1471
整備士ではないため手持無沙汰にしていたボールドウィンが嬉し
そうに駆け寄ってくる。
﹁なんだ、何でも頼めよ﹂
﹁スライムを二、三匹、生け捕りにしてきてほしい﹂
﹁生け捕りか。手間がかかりそうだな﹂
﹁僕でよければお手伝いします。素材集めのために何度か生け捕り
にしたことがあるので﹂
名乗り出たビスティを意外そうに見たボールドウィンが、タリ・
カラさんを見る。
﹁ちょっと借りてもいいか?﹂
﹁どうぞ。レムン・ライ、ビスティの護衛と手伝いをお願い﹂
﹁かしこまりました、お嬢様﹂
レムン・ライさんが恭しく一礼する。
ボールドウィンが俺を見た。
﹁それにしても、スライムなんか生け捕りにしてどうするんだ。ビ
スティの新素材なら在庫があるんだろ?﹂
﹁別件だ。ちょっとした実験だよ。成功すれば愉快にエグイ技が完
成する﹂
設計図の端に魔導核に刻むための魔術式を書き込む。少々分量が
多すぎるから、後でミツキに改変統合してもらおう。
アンヘルの澄ました面にコレをぶつける瞬間を想像するとぞくぞ
くしてくる。ふへへ。
俺のディアを壊した罪は重い。死よりも重い刑罰が必要だ。
1472
アンヘルのロボをぶっ壊してやんよ。
青羽根と月の袖引くに製作を依頼する精霊獣機の設計図を描き終
えて、整備士たちを相手に講義中のミツキに渡す。
受講者の反応はどうだろうと思い見てみると、知恵熱を発する頭
を抱えながらも講義内容を必死に書き留めていた。中でも、整備士
長の没頭振りが凄まじい。
整備士長が俺に気付いて顔を上げた。
﹁お前ら、本格的にどうかしてるぞ。索敵魔術は知ってたが、なん
だこの自動追尾術式ってのは﹂
﹁いまも借家で起動している番犬用精霊獣機、プロトンに組み込ま
れてる魔術式だ﹂
﹁もう運用段階なのかよ﹂
これを特許登録するだけで精霊人機が何機買えるんだ、とぼやく
整備士長に苦笑する。
俺とミツキの虎の子だ。金銭的価値もさることながら、兵器とし
て運用するととてつもない利益になる。
しかし、自動追尾術式はそれ単体で魔導核の容量をかなり圧迫す
る大型の魔術式だ。運用するうえではコストの問題で制約が大きい。
他にも、自動追尾する対象は索敵魔術の反応を頼りにしているため、
乱戦時には味方を敵と誤認してしまう恐れもある。
今回は一対一の決闘で、開発資金も俺とミツキが惜しげもなく注
ぎ込むため大量製造も可能だが、普通の開拓団では運用が難しいだ
ろう。
﹁ヨ、ヨウ君、これって⋮⋮﹂
ミツキが設計図を見て笑いを堪えながら、俺を呼ぶ。
1473
﹁どうだよ、素敵だろ?﹂
﹁うん、最低に素敵﹂
﹁おほめに預かり光栄だ﹂
俺とミツキのやり取りを聞いた整備士長たちが不安そうな顔をし
ている。残念だったな。君たちに逃げ道はない。
﹁その設計図を頼む。俺はディアの改造案に着手するから﹂
そう、ここまではあくまでもおまけだ。
本命はディアだ。
精霊人機にトドメを刺すほどの攻撃力となるとさすがにカノン・
ディアしかない。
つまり、どうやってカノン・ディアの射撃姿勢に持って行くかが
勝敗を分けることになる。
決闘に使用する場所の広さ次第ではアウトレンジから撃ち込める
が、ファーグ男爵の口振りを思い出す限り、俺とディアについての
情報はある程度仕入れているはずだ。
決闘場は俺を確実に殺せるような場所を選ぶだろう。なおかつ、
俺の死体を確認できるように遮蔽物のない場所になる可能性が高い。
カノン・ディアの射撃姿勢を取る時間を稼ぐのは難しいな。
俺は前足を失ったディアを見て頭を悩ませるのだった。
1474
第八話 契約書
技術祭の二日目を終えてディアの設計図を描き、三日目には大工
場地帯ライグバレドの技術の粋を集めた部品を買いあさった。
技術祭を終えてすぐに開発の毎日で寝る時間はほとんどない。い
まもミツキは俺の肩にもたれかかって眠っている。
タイヤが小石でも踏みつけたのか、ごとりと整備車両全体が揺れ
る。俺は咄嗟にミツキを支えた。
現在、技術祭四日目を終えた俺たちはボールドウィン達が捕まえ
てくれたスライムを受け取ってちょっとした実験をするためにライ
グバレドの郊外へ向かっていた。
﹁技術祭の客がコト達の決闘を噂してるぜ﹂
ボールドウィンが言う通り、俺とファーグ男爵家剣術指南役アン
ヘルとの決闘の噂は広く広がっていた。
青羽根や月の袖引くに噂を流してもらったおかげだが、俺もここ
まで反響があるとは思っていなかった。
俺たちのところにも噂の真偽を確かめに来る者がいるくらいだ。
おかげで、ただでさえ多かった客がさらに増えている。
仮眠を取っていると、整備車両が停止した。目的地に着いたらし
い。
﹁ミツキ、起きろ﹂
﹁⋮⋮もう少し﹂
眠いのは俺も同じだから、無理はさせない方が良いか。
俺はミツキをそっと寝かせて、布団代わりにコートを掛けてやる。
1475
﹁良い匂い⋮⋮﹂
夢現の中でミツキがコートを手繰り寄せる。
﹁︱︱起きてるだろ?﹂
﹁バレた?﹂
あざとすぎるんだよ。
夫婦漫才というには投げやりなやり取りをして、俺とミツキは整
備車両をでた。
ライグバレド郊外の森の奥にあるこの場所は周囲に人気のない旧
採石場である。
採石場としてはすでに閉鎖されているが、精霊人機などの新兵器
を試す場所として開放されている。
﹁小腹がすいたな﹂
﹁誰か、お湯を沸かしておいて﹂
ミツキに声を掛けられた青羽根の戦闘員がお湯を沸かしてくれて
いる間に、実験に移るとしよう。
ボールドウィンとビスティが生け捕りにしたスライムを檻に入れ
て運んでくる。数は五匹だ。
俺とミツキの前に並べられたスライムはどれも半透明の青い半球
形の物体である。目に相当する器官はなく、体全体で魔力を感知し、
獲物と認識して攻撃するらしい。口は体の下に存在するが、獲物を
体内に取り込んだ後は魔力を吸い出して吐き出すため、消化器官は
存在しない。
体内の魔力濃度と水分が一定量を超えると分裂する。このため、
学者の間でも生物として分類すべきかで論争が起きたという。
1476
現在は魔物と認定されている。
﹁半径三十センチくらいだね﹂
ミツキが定規を取り出してスライムの大きさを測定し、パンサー
の背中に乗せてある紙に書き込む。
測定結果を書き終えたミツキはパンサーの索敵魔術を起動し、周
囲に潜んでいる者がいないかを調べる。
﹁オッケー、目撃者なしだよ﹂
﹁それじゃあ、始めるとするか。念のために言っておくけど、みん
な、ここで見たことは他言無用だ﹂
念を押してから、俺はスライムが入った檻の上に魔導核を置き、
魔力を込めて術式を起動した。
アイシクルの魔術で瞬間凍結されたスライムが次の瞬間にはロッ
クジャベリンの中に閉じ込められる。
安全のため離れて見守っていた俺は、ロックジャベリンの魔術が
解けるのを待ち受ける。
﹁あのロックジャベリンの中身はどうなってるんだ?﹂
﹁カノン・ディアの砲身と同じだ﹂
つまりは真空状態である。
ロックジャベリンの魔術が解けると、スライムは十センチほどに
縮んでいた。
﹁ピクリともしないな﹂
﹁休眠状態になったのなら実験は成功だけどね﹂
1477
まぁ、試してみればいいか。
俺はボールドウィンに声をかけて、スカイを起動状態にしてもら
う。状況次第ではスカイがハンマーでスライムを叩き殺す必要が出
てくるためだ。
スカイがハンマーを構えるまで待ってから、俺は十センチほどの
スライムを檻から出す。鉄格子の間からコロコロと転がり出たスラ
イムの手触りは硬い。流石に釘は打てないだろうけど。
ミツキが定規でスライムの大きさを計り、紙に記入する。
測定を終えて、俺はスカイから少し離れた場所に縮んだスライム
を転がし、距離を取った。
﹁タリ・カラさん、スイリュウを起動して、手筈通りにお願いしま
す﹂
ここまで順調だったから、俺は安心しきっていた。寝不足で思考
が散漫だったのも理由の一つだろう。
この実験は最終的に、死傷者なし、トラウマ持ち三人を生み出し
ながらも成功裏に終わった。
ちなみに、スカイの遊離装甲が三枚弾き飛ばされてスクラップに
なったが、精霊獣機の材料として俺が責任を以て買い上げた。
お椀に沸かしたばかりの熱湯を注ぎ、三分ほど蓋をして、中のお
湯を地面に捨てれば夜食の完成だ。
お椀の中にはパスタが入っている。ベーコンやいくらかの野菜は
一塊になっていたため、フォークで軽くほぐしてやる。
試しに一口食べてみる。
﹁駄目だな⋮⋮﹂
﹁もちゃもちゃしてる﹂
1478
ミツキが妙な擬態語を口にする。でも、もちゃもちゃという表現
はぴったりだった。麺が水分を吸い過ぎているのだ。単純に伸びた
のとも違う不快な食感。
試しにカップ麺もどきを作ってみたのだが、まだまだ改良の余地
がありそうだ。
だが、野菜などは上手く復元できているし、改良次第ではこれも
特許が取れるだろう。
トラウマを作った三人は食欲もわかずに整備車両の中で寝込んで
いる。夢に見ると思うが、当人たちの好きにさせるとしよう。
俺は旧採石場を見回す。
﹁片付けしないとな﹂
﹁酷い有様だからね。決闘で使ったら管理者から非難轟々だよ、こ
れ﹂
スライムの残骸が飛び散った旧採石場は雨も降っていないのに地
面が湿っている。
ボールドウィンがげんなりした顔でカップ麺もどきを啜りながら、
俺を見た。
﹁本当に、お前らが自重しないと大変なことになるな﹂
ボールドウィンの隣で、タリ・カラさんももちゃもちゃのパスタ
をフォークに絡めて頷いた。
﹁スイリュウの時は自重したと聞いてましたが、本当だったんです
ね﹂
﹁いくら俺たちでも精霊人機にあんな生物兵器を組み込んだりはし
ないさ﹂
1479
今回の決闘には使うけど、あくまでも苦肉の策だ。アンヘルの澄
まし顔をゆがめてやりたいなんてこれっぽっちも思ってない。
なにはともあれ、今回の実験は成功だ。
整備士長が欠伸を噛み殺しながら団員を集めて採石場の片づけを
始める。
﹁技術祭は明日で終わりだし、後夜祭を含めてもあと二日。体力は
何とかもちそうだ﹂
俺は空になったお椀を水魔術で軽くすすいでから、簡易テーブル
の上に置く。宿に帰ったらまとめて洗おう。
立ち上がってスライムの残骸を回収しに行く。こんなものでも、
ファーグ男爵陣営に持って行かれて分析されると面倒だ。俺が何を
企んでいるかは分からずとも、警戒される要因にはなり得る。
﹁って、ビスティ、それどうするつもりだ?﹂
スライムの残骸の中でも比較的大きなものを選んで回収し、土を
払っているビスティに声を掛ける。
ビスティはスライムの残骸を月の明かりにすかして状態を検分し
つつ答えた。
﹁新素材に活用できるかもしれないと思って、実験材料に集めてま
す。もしかすると、液体肥料を染み込ませる事もできるんじゃない
かって思って﹂
トラウマになった奴もいるのに、平然と有効活用を考えるのか。
﹁テイザ山脈越えの時も思ったけど、ビスティってマイペースだな﹂
1480
﹁そうですかね? コトさんたちも相当なものだと思いますけど﹂
﹁否定はしない﹂
スライムの残骸を回収し終えて、再び整備車両に乗り込む。
ライグバレドの宿に帰ると、ギルドから呼び出しがかかっていた。
決闘の事で何か言われるのだろうかと半ば期待してギルドに向か
う。ギルドが表立って今回の決闘に異議を唱えてくれれば、俺も安
泰だ。
眠い目を擦りながらギルドへ足を運ぶと、ギルド職員が緊張した
顔で待っていた。
﹁お客様がお待ちです﹂
﹁客?﹂
どうやら決闘の仲裁をしてくれるわけではないらしい。
内心落胆していると、ギルド職員が建物の奥へ案内してくれた。
ミツキと一緒に付いて行くと、応接室にはファーグ男爵とアンヘ
ルが待っていた。
思わず、ギルド職員を睨みつける。
﹁紅茶を運ばせますので、失礼します﹂
逃げるようにギルド職員は応接室を出ていった。
仲裁をするどころか引き合わせて放置とは、ギルドは当てにしな
い方がよさそうだ。
﹁座ったらどうだ﹂
ファーグ男爵が俺を見もせずに席を勧める。
1481
﹁座った瞬間に斬り殺されそうなので、俺たちはここでいいです﹂
﹁斬るつもりならとうに斬っている。そこはすでにアンヘルの間合
いだ﹂
マジか。五メートルはあるぞ。一歩がどんだけ広いんだ。
アンヘルが俺を見てため息を吐いた。
﹁剣術の才能がない坊ちゃんには分からないでしょう﹂
﹁教わってないからな﹂
﹁基礎の段階で見切りをつけられるほど才能がありませんでしたか
ら。大型魔物を討伐したという噂も眉唾物でしたが、兵器頼みなら
ば可能なのでしょうね﹂
﹁俺とミツキが作ったんだから当然だろ﹂
﹁兵器の性能が素晴らしいだけで、坊ちゃん自体はそこらの開拓者
にも劣るのでしょう?﹂
﹁その通りだな﹂
何を当たり前のこと言ってんだ。
しかし、俺があっさり認めたのが気に入らないのか、アンヘルと
ファーグ男爵はそろって顔を顰めた。
﹁自尊心のなさも相変わらずか。出来損ないめが﹂
﹁その出来損ない如きに泥塗られて傷つく家名はさぞ軽いでしょう
ね﹂
軽口を返すとファーグ男爵が怒りもあらわに立ち上がった。
しかし、既のところで怒りを飲み込んだファーグ男爵は再び椅子
に腰を下ろす。
﹁もう良い。お前と話していても不愉快なだけだ﹂
1482
そう言って、ファーグ男爵は机の上にばさりと紙束を置いた。
﹁この紙に記入しろ﹂
﹁なんですか、それ﹂
﹁読めばわかる。そんなことも言われねばわからんのか﹂
早く宿に帰って寝たいと思いながら、紙束を手に取る。
﹁これは⋮⋮譲渡契約?﹂
俺とミツキが持つ特許に関して、ファーグ男爵家やアンヘルに譲
渡する契約書だった。
こんな契約が成り立つのか不思議だが、一応は男爵家だ。しかも
相手が勘当したとはいえ息子である俺ともなれば、こんな横紙破り
も通用するのだろう。
さほど有用でない技術に関してはファーグ男爵でもアンヘルでも
ない見ず知らずの誰かに譲渡することになっているようだ。おそら
く、横槍を入れてきそうな貴族への袖の下だろう。
﹁決闘でお前が死んだ後、特許を世間に開放するわけにはいかんの
だ。早く記入しろ﹂
屑だな、とファーグ男爵とアンヘルを見るが、俺は同時に違和感
も覚えていた。
ファーグ男爵の人となりを知らないミツキは無言ながらもかなり
怒っている様子だが、俺はこれでもファーグ男爵と家族として過ご
していた期間がある。
俺が知る限り、ファーグ男爵はこんな阿漕な手段を使ってまで金
を集めようとはしなかったはずだ。王国初の精霊人機部隊を常設で
1483
きるくらい、ファーグ男爵家は豊かなのだから。
そもそも、ファーグ男爵はライグバレドへ何をしに来たんだ。俺
の始末をつけるのはあくまでもついでだったと言っていた。つまり、
別の目的があってライグバレドにきているはずだ。
後で調べておこうと考えつつ、俺は契約書を破いた。
﹁記入するはずない︱︱﹂
﹁その娘を捕えろ﹂
俺が断ろうとした瞬間、ファーグ男爵がアンヘルに命じる。
即座に動いたアンヘルが剣を抜き放った瞬間、俺は圧空の魔術を
発動し、契約書の紙束ごと机を吹き飛ばした。
剣術の達人であるアンヘルに効果があるはずもないが、ファーグ
男爵は別だ。
護衛としての役割があるアンヘルがファーグ男爵へ飛んでいく机
を無視できるはずもなく、横から蹴りを入れて机の進行方向を捻じ
曲げる。
その間に、俺はミツキを背中に庇い、ミツキは自動拳銃を抜いて
ファーグ男爵に狙いを合わせた。
アンヘルがファーグ男爵を背中に庇って長剣を左手に提げる。
﹁この距離からなら、斬れますよ?﹂
﹁早撃ちには自信があるの﹂
アンヘルの言葉にミツキは平然と返す。
睨み合いながら、俺はファーグ男爵を見る。
﹁妙に焦ってますね? 一体何のために金が必要なんですか?﹂
﹁ファーグ男爵家を愚弄するな。お前の遺産を有効活用するだけの
話だ。ただでさえ、お前の持つ技術は新型精霊人機に利用されてい
1484
る。国に列する貴族の一員として、危険な技術を開放するわけには
いかんのだ﹂
本当のことを言うはずもないか。それとも俺の考え過ぎか。
何か揺さぶりを掛けられれば⋮⋮。
だめだ。揺さぶりを掛けようにも情報があまりに少ない。
互いに一歩も動けず、睨み合いが続く。紅茶が運ばれてくる気配
はない。あの職員、この場から逃げ出すために嘘を吐いたのだろう
か。
じりじりと時間が過ぎていく。
いい加減、窓をぶち破って外に逃げ出してしまおうかと思ってい
ると、応接室の扉がノックもなしに開かれた。
﹁アカタガワ君はここかな?﹂
のんびりした口調で入ってきて、俺達とファーグ男爵たちの睨み
合いにも顔色一つ変えず、その男性はぐっと親指を立てて自らを指
差した。
﹁︱︱回収屋、デイトロお兄さん、参上!﹂
⋮⋮なんでここにいるし。
1485
第九話 ラックル商会︱︱デュラ︱︱新大陸派
事態を引っ掻き回すように現れたデイトロさんにファーグ男爵と
アンヘルは顔を顰めた。主従だけあって反応が似通っている。
﹁なんだ貴様は﹂
ファーグ男爵が誰何すると、デイトロさんはわざとらしく肩を上
下させる。
﹁名乗ったじゃないか。デイトロお兄さんだよ﹂
妙に様になるウインクをして、デイトロさんは俺とミツキのとこ
ろへつかつかと歩み寄る。後ろからはグラマラスなお姉さんが応接
室へ入ってきていた。足運びから見て、二人とも身体強化を使って
いるらしい。
アンヘルが警戒するようにファーグ男爵を後ろに下がらせつつ距
離を取った。
﹁アカタガワ君、色々と話は聞いているよ。ボルス撤退戦の話もね﹂
無茶をしたね、とデイトロさんは苦笑して、俺とミツキの背中を
押して扉へ導こうとする。
もちろん、ファーグ男爵が見過ごすはずもない。
﹁待て。まだ話は終わってない﹂
﹁お話してる雰囲気じゃなかったよ?﹂
1486
間髪を入れずにデイトロさんが鼻で笑う。
グラマラスお姉さんに背中を守らせながらも、デイトロさんも臨
戦態勢を取っている。アンヘルが踏み込んでこないという事は、デ
イトロさん達からファーグ男爵を守りきる自信がないのだろう。
ファーグ男爵も形勢が不利と気付いたのか、舌打ちする。
﹁開拓者風情が﹂
﹁ここは開拓者ギルドだよ。発言には気を付けた方が良い﹂
最後まで飄々と受け流して、デイトロさんは俺とミツキを廊下に
押し出すと、自らもグラマラスお姉さんと一緒に廊下へ出て扉を閉
めた。
﹁おぉ、怖い、怖い。男爵家の剣術指南役っていうけど、あれは実
質戦場での副官だろうね。機剣術の構えなんか初めて見たよ﹂
﹁機剣術って?﹂
ミツキに問われて、デイトロさんが答える。
﹁精霊人機で再現できるように編み出された剣術だよ。常在戦場の
考え方から、精霊人機の操縦士が機体を使わずとも訓練できるよう
に考え出されたかなり新しい剣術だね﹂
掻い摘んだ説明にミツキは﹁へぇ﹂と感心したように呟く。俺が
説明すればよかった。ちょっと悔しい。
グラマラスお姉さんに護衛されながら、デイトロさんの後に付い
て廊下を進む。
﹁なんでデイトロさんがここに?﹂
﹁デイトロお兄さんだよ。強情だな、アカタガワ君﹂
1487
チッチッと人差し指を左右に振りながら答えをはぐらかし、デイ
トロさんはギルド併設のガレージへ歩いて行く。
ガレージにはデイトロさんが団長を務める開拓団〝回収屋〟の整
備車両が止まっていた。
﹁二人とも乗ってくれ。送るよ。倉庫を借りてるんだろう?﹂
どこまで知ってるんだろう、と思いながら、俺はミツキと共に整
備車両に乗り込んだ。
デュラの回収依頼に同行した時にも乗ったが、内装は変わってい
ない。
﹁出してくれ。ライグバレド市内をぐるりと回る形でね﹂
﹁心得てますよ﹂
運転手がそう言ってアクセルを踏み込むと、整備車両はガレージ
を出て大通りを緩やかに走り始めた。
デイトロさんは満足そうに頷くと、俺たちの正面に腰を下ろす。
整備車両内にはグラマラスお姉さんを始めとした回収屋のメンバー
が勢ぞろいしていた。
﹁二人が無事でよかったよ﹂
デイトロさんは笑顔で言うと、表情を引き締めた。
﹁順を追って話そう。デュラ回収任務で現れた所属不明の回収部隊
については覚えてるかな?﹂
﹁はい﹂
1488
首抜き童子率いる人型魔物の群れに占拠されたデュラへギルドの
資料を回収に赴いた当時、俺たちは大規模な戦闘音を耳にしている。
デイトロさんの話によればそれは軍の回収部隊によるものだった
らしいが、所属は不明。
俺とミツキはその後、バランド・ラート博士の足取りを追う過程
で所属不明の軍を目撃している。
テイザ山脈越えの直後、ガランク貿易都市付近のバランド・ラー
ト博士の隠れ家でウィルサムが逃げていたあの部隊だ。
デュラはバランド・ラート博士が最後に立ち寄った場所であり、
ミツキの事を聞きつけたであろう博士が向かっていた可能性のある
町だ。ウィルサムがデュラを訪れていても不思議ではないし、それ
を追っていた所属不明の軍隊がいてもやはり不思議ではない。
だが、デイトロさんはバランド・ラート博士の研究の事もウィル
サムの足取りも知らないはずだ。
﹁あの時の部隊がどうしたんですか?﹂
デイトロさんがどれくらいの情報を持っているのか分からず、俺
は先を促すことにした。
幾らデイトロさんが相手でも、バランド・ラート博士が異世界の
魂を召喚していた事を知られるのはまずい。
デイトロさんは俺たちの隠し事には気付かず話を続けた。
﹁マッカシー山砦の所属だろうと当たりをつけて足取りを追ってい
たんだけど、その方面からは尻尾を掴めなかった。ただ、人型魔物
の駆逐に成功してデュラが解放されるのと同時にあの港町のギルド
が調査に入ってね。面白い事が分かった﹂
﹁面白い事?﹂
﹁とある倉庫がもぬけの殻になっていたんだ。記録でも目撃証言で
も、倉庫に大量の箱が運び込まれたのは間違いないというのに、塵
1489
一つ落ちていなかった﹂
倉庫と聞いて、俺はデュラに住んでいた事のあるミツキに視線を
向ける。
ミツキはデュラの地理を思い浮かべて、首を傾げた。
﹁倉庫は海沿いにあったはずです。でも、あの所属不明の部隊はギ
ルドに向かっていたんですよね?﹂
﹁それについては囮としての意味合いがあったのだろうね。だが、
もう一つデュラからなくなっていた物がある﹂
﹁まだあるんですか﹂
﹁ギルド資料だよ﹂
デイトロさんは真剣な眼差しでそう言って、俺とミツキを見つめ
た。
﹁君たち二人がギルドに逃げ込んで、資料を一階に運び出したこと
は聞いている。その時の話を聞かせてほしい﹂
俺たちが持ち出したのではないかと疑っているわけではなさそう
だった。仮に俺たちを疑っている者がいるとしたら、それはデイト
ロさん達ではなくデュラのギルドだろう。
俺はミツキと一緒にギルドへ逃げ込んでからの事を詳しく説明す
る。一年近く前の事なので記憶があやふやなところもあったが、ミ
ツキと記憶を照らし合わせていけば大体の事は語る事が出来た。
もちろん、バランド・ラート博士の書類を見つけた事も、それを
書き写したことも伏せておく。
デイトロさんは俺たちの話を聞き終えて、腕を組む。
﹁まぁ、君たちがギルド資料を盗み出したところで何の利益もない
1490
し、そもそもが突発的な参加だったから、君たち二人が盗んだとは
もともと考えにくかった。二階から一階へ運びだした時の話にも矛
盾点はない﹂
そう言えば、デュラへの回収依頼への参加はギルドがいきなり話
を持ってきたんだった。受動的に依頼を受けた俺たちへの疑いは最
初から薄い物だったらしい。
グラマラスお姉さんが話に入ってくる。相変わらず立派な物をお
持ちだと思っていると、ミツキに太ももを叩かれた。
﹁ギルド資料には通し番号が付いていて、紛失したことは分かって
いるの。ただ、古い資料だから当時の事を覚えている職員もいなく
て、誰の登録資料だったのかまでは分かってない﹂
そう言ってグラマラスお姉さんが番号を読み上げる。
俺はミツキと顔を見合わせ、たがいに首を傾げた。
﹁資料を運んだりはしたけど、通し番号まではさすがに⋮⋮﹂
﹁そうよね﹂
俺たちの反応にも予想はついていたのだろう、グラマラスお姉さ
んは苦笑した。
話を戻そう、とデイトロさんが再び口を開く。
﹁空になった倉庫の借り主はラックル商会だった﹂
﹁うわ。またあいつらか⋮⋮﹂
俺の反応が意外だったのか、デイトロさんが不思議そうな顔をし
た。
隠す事でもないので、俺はビスティにまつわる話をする。
1491
話を聞き終わると、デイトロさんは頭を掻いた。
﹁特許関係の被害者だったんだね。それを知っているなら話は早い﹂
そう言って、デイトロさんが話を戻す。
﹁デュラの調査の結果、倉庫は空になっていたけど、そこから運び
出す途中に人型魔物に襲われたらしくてね。町の中に魔導核が入っ
た木箱が転がっていた。この木箱が倉庫にあった物だという確証は
得られなかったし、そもそも木箱を運び出そうとしたのが所属不明
の軍だったのかも分からないけど、デイトロお兄さんたちはちょっ
と調べてみたんだ﹂
デイトロさんの横から回収屋の団員が進み出て、紙束を差し出し
てきた。
中身はデイトロさんたちが調べたというラックル商会についての
物だ。
ぺらぺらとめくってみる。
﹁魔導核の販売、ですか﹂
﹁その通り。ラックル商会は悪質な特許の収奪の陰で魔導核を売買
し、かなり資金を蓄えている。そもそも、いくら大手商会とはいえ
ガランク貿易都市をほぼ掌握するほどの資金力なんて普通は持てな
い。特許を収奪するためにガランク貿易都市の東側ギルドの職員を
買収しているのは知っているだろうけど、他にも文句を言われない
ようにあちこちへ賄賂を贈っている。では、その賄賂の元手はどこ
から来るのか﹂
それが魔導核の売買、という事か。
納得がいかなかったのか、ミツキが小さな声で唸る。
1492
﹁おかしいよね、これ。ラックル商会ってかなり評判が悪いから、
開拓者は避ける傾向にあるはず。魔導核にしろ、魔力袋にしろ、ラ
ックル商会に持ち込むとはちょっと考えにくいよ﹂
ミツキの言う通りだ。ガランク貿易都市における東側ギルドの開
拓者の雰囲気を考えれば、ラックル商会に魔導核を持ち込むとは考
えにくい。買いたたかれる可能性が極めて高いからだ。
では、ラックル商会はどこから魔導核を仕入れているのか。
﹁そこで所属不明の軍、とやらが出てくるわけですか﹂
﹁君たち二人は本当に察しが良いね﹂
嬉しそうにデイトロさんは笑って、俺の予想を肯定した。
﹁軍が魔力袋を手に入れた場合、国の資産となる。国営の販売所で
一括販売されるんだ。裏を返せば、現場の軍人には銅貨一枚の儲け
にもならない﹂
﹁ラックル商会に横流ししている軍人がいるんですか?﹂
﹁あぁ。それも大規模に横流しができる立場の人間だ。例えば、ど
っかの山砦の司令官とかね﹂
ホッグスの名前がここで浮上する。
からくりとしては単純だ。
ホッグス率いるマッカシー山砦の部隊が手に入れた魔力袋や魔導
核をラックル商会に横流す。ラックル商会はこれらを魔導核にして
販売して資金を得て、儲けの一部をホッグスに賄賂として贈る。
横流しされる魔導核の集積所かつ引き渡し場所がデュラの倉庫だ
ったというわけだ。
話の筋は通っている。
1493
そして、デイトロさんたちが知らない情報を持っている俺とミツ
キはこのからくりに一つ付け加えることができる。
魔力袋は人工的に発生させる事ができる、という事実だ。
ホッグス、あるいは新大陸派が魔力袋を人工的に発生させ、それ
をデュラの倉庫を通じてラックル商会に供給しているのだとすれば、
信ぴょう性が増す。
さらに言えば、魔導核の市場を操作しているのが新大陸派ではな
いかという可能性にも信憑性が増す。魔導核の横流しを受けている
のがラックル商会だけとは限らないからだ。
と、なればギルドから消えた資料にもおおよその見当がつく。
新大陸派が最も隠したいのは魔導核の市場操作を行っているのが
自分達だという事。さらに、市場操作が可能な技術を持っている事。
ついで、市場操作が可能な技術そのもの。最後に、技術の発明者に
関する情報すべて。
﹁ミツキ、手帳は持ってるか?﹂
﹁いま出すよ﹂
ミツキがポケットから取り出した手帳の最初のページ。そこには
デュラで見つけたバランド・ラート博士の登録資料を書き写してあ
る。
何が重要になるか分からないという判断から、登録資料に書かれ
ていた全ての情報が記載されたそのページには当然、通し番号も記
載されている。
﹁やっぱりか﹂
通し番号は先ほどグラマラスお姉さんが口にした物と全く同じだ
った。
1494
第十話 鳥型精霊獣機テール
手帳に書かれた通し番号を見て固まる俺たちに、デイトロさんが
首を傾げる。
﹁その手帳に何か書かれているのかい?﹂
﹁調べ物をしているのはデイトロさんだけじゃないって事ですよ。
それより、さっきまでの説明だとデイトロさんがライグバレドに来
た理由はラックル商会の調査の一環って事ですよね。なんで応接室
に乱入したんですか?﹂
魔導核や所属不明の軍の動きからラックル商会まで割り出した手
腕は見事の一言だ。
いまライグバレドで開かれている技術祭にラックル商会が出品し
ているから、デイトロさんたちも足を運んだのだと納得はできる。
しかし、ギルドの応接室に乱入した理由にはなっていなかった。
応接室には俺とミツキ、ファーグ男爵とアンヘルしかいなかった
のだ。ラックル商会はもちろん、所属不明の軍さえいないあの応接
室に、貴族であるファーグ男爵に睨まれる危険を冒してまで乱入し
た理由が気になる。
そのことか、とデイトロさんは呟いて、目を細めた。
﹁ラックル商会を追ってこの技術祭に来たのはアカタガワ君の想像
通りだよ。ラックル商会は例年、この技術祭に出品して、新種の香
辛料や植物の即売会を開いている﹂
毎年参加してたのか。
1495
﹁魔導核は販売してないんですね?﹂
﹁植物や香辛料だけだ。毎年飛ぶように売れている。何しろ、この
技術祭での儲けには税金がかからないんだ﹂
税金がかからない事に何か問題があるのだろうか。
別に徴税官でもない俺たちにとってはあまり関係がないように思
える。
税金がかからなければ資金洗浄にもってこいだが、横流しされた
魔導核の販売はすでに帳簿に記載されているはずだ。ラックル商会
に洗浄すべき資金はない。
となれば、資金を洗浄したいのは所属不明の軍の方になるだろう
か。だが、洗浄するからにはその資金を使うはずだ。
﹁即売会の儲けは何に使ってるんですか?﹂
﹁そこまでは分からない。ただ、ラックル商会が窓口になって購入
し、所属不明の軍に横流ししている何かがあるとデイトロお兄さん
は睨んだわけだ﹂
﹁それで?﹂
話が見えない。俺が聞きたいのはなぜ応接室に乱入したかなんだ
けど。
慌てない、慌てない、とデイトロさんは両手で俺を押しとどめる。
﹁技術祭の準備期間からずっと、密かにラックル商会を監視してい
たんだけどね。技術祭が開催される前々日にラックル商会の展示場
前に馬車が停まったんだよ﹂
﹁馬車︱︱あっ﹂
デイトロさんの言葉に、俺は記憶をよみがえらせる。
ビスティの目撃証言を思い出したのだ。
1496
曰く、ラックル商会の展示場前に貴族が乗るような馬車が停まっ
ていた、と。
﹁気付いたようだね。そう、その馬車に乗っていたのがファーグ男
爵だった、というわけだよ﹂
なんでここでその名前が出てくるんだ、と思うと同時に、妙に納
得してしまう。
特許の譲渡契約書が脳裏をよぎる。
ファーグ男爵は、あくまでも俺の始末はついでだと言っていた。
本来のライグバレドへの訪問理由はラックル商会にあったのだろう。
デイトロさんは俺に同情的な視線を向けながらも、話を続けた。
﹁ファーグ男爵の目的は分からない。けれど、ラックル商会にはす
でにきな臭さが漂っている。そんなラックル商会と接触したファー
グ男爵と弟分、妹分が密室で面会だなんてデイトロお兄さんは見過
ごせないよ﹂
﹁助かりました。ありがとうございます﹂
礼を言うと、デイトロさんはうんうん、と頷いてから間を置いて
首を傾げた。
﹁デイトロお兄さんとは呼んでくれないのかい?﹂
質問を受けて、ミツキがにっこり笑う。
﹁助かりました、兄貴﹂
﹁それやめて!﹂
デイトロさんをからかってから、俺は今後の対策を考える。
1497
これから技術祭の五日目が始まり、六日目の後夜祭を終えた後は
片付け、その後一週間でディアを組み上げて決闘となる。
決闘の前にファーグ男爵が俺とミツキの特許を狙ってくるのはま
ず間違いないだろう。
問題は俺とミツキだけでは襲撃に対処しきれない可能性がある事
だ。
かといって、下手な護衛を雇う事も出来ない。ラックル商会や所
属不明の軍まで関わっている可能性を無視できないため、どこに敵
の手が伸びているか判断できない。
﹁決闘を取りやめるのはどうだい?﹂
デイトロさんが提案してくれるが、俺は首を横に振る。
﹁決闘に勝ちさえすれば、家のメンツを気にするファーグ男爵自身
がラックル商会などを抑えてくれるので、結果的に安全になるんで
す。ここで逃げ出すのは得策じゃないですね﹂
﹁勝つことを前提に話しているけど、相手は精霊人機だよ?﹂
デイトロさんが心配してくれる。視線を巡らせれば、回収屋の他
のメンバーも俺のことを心配そうに見ていた。
安心させるために微笑んでから、俺は口を開く。
﹁遭遇戦とか、軍隊規模の戦いなら絶対に勝ち目はないですけど、
今回は一対一です。勝てますよ﹂
すでに準備も着々と進んでいるのだから。
説得は無意味と悟ったのか、デイトロさんはため息を吐いた。
﹁分かった。護衛はこのデイトロお兄さんたちが引き受けよう。守
1498
りも逃げも自由自在だ﹂
デイトロさんがそう言って引き受けてくれた時、ちょうど俺たち
が借りている倉庫に到着した。
整備車両から周囲の安全を確認してから、外に出る。
﹁宿に帰るわけにはいかないよね﹂
ふかふかのベッドが恋しいのか、ミツキが残念そうに言う。家の
事情に巻き込んでしまって申し訳ないが、我慢してもらうしかない。
﹁決闘が終わったら一度借家に帰ってのんびりするか﹂
﹁結局、デュラの方の私の家も見に行ってないんだよね﹂
思い出したように言って、ミツキはデイトロさんを見た。
﹁デュラへの立ち入り制限ってもう解除されたんですか?﹂
﹁残っていた人型魔物の駆逐は済んでいるよ。紛失物の調査とかも
あって、後一週間ほどは立ち入り制限が継続されるだろうね﹂
ギルドの資料がなくなっていた事もあり、念を入れて紛失物の調
査が行われているらしい。
世間話をしながら倉庫へ入ると、デイトロさんたちは意外そうに
中を見回した。
﹁ずいぶん殺風景だね。精霊獣機の改造でもして散らかっていると
思ったけど﹂
﹁ディアに関しては設計の段階ですから。それに、いまは製作を青
羽根と月の袖引くに依頼しているので、ここはまだ何も置いてない
んですよ﹂
1499
そろそろ注文した部品が届く頃ではあるが、全部青羽根が受け取
れるように名義を変更してある。俺やミツキの名前で注文するとフ
ァーグ男爵からの妨害があり得るからだ。
宿においてある荷物はどうしようかと考えていると、倉庫の前に
一台の整備車両がやってきた。
整備車両から降りてきたのは青羽根の団長ボールドウィンと整備
士長だ。
ボールドウィンはデイトロさんを見て意外そうな顔をする。
﹁あれ、なんでデイトロ兄貴がここに?﹂
﹁兄貴じゃないよ! あぁ、兄貴呼びが浸透していく!﹂
頭を抱えて苦しんでいるデイトロさんをにやにやしながら見てい
たボールドウィンは俺たちに気付いて片手をあげて挨拶してきた。
﹁宿に戻ってると思ってたけど、なんで二人がこっちにいるんだ?﹂
﹁ファーグ男爵にギルドへ呼び出されて特許を譲れって脅されてい
るところで、デイトロさんに助けられたんだよ﹂
﹁おぉ、さすがは兄貴だ﹂
﹁︱︱だから、兄貴じゃないんだってば!﹂
﹁ボールドウィン達こそ、どうしたんだ?﹂
﹁ねぇ、話聞いてくれないかな。デイトロお兄さんって無視される
と死んじゃう生き物だよ?﹂
デイトロさんが口を挟んでくるが、グラマラスお姉さんに黙らさ
れた。
静かになった倉庫でボールドウィン達が乗ってきた整備車両の荷
台が開き、青羽根の団員たちが布に包まれた兵器を降ろした。
1500
﹁試作品が完成したから、持ってきた。確認は明日でもいいぜ﹂
﹁いや、今から確認しよう﹂
倉庫の中に運び込まれた兵器から布を取り払う。
現れたのは翼開長一メートルほどの機械の鳥だ。
小型精霊獣機テール、俺が設計した鳥型の精霊兵器だ。
片翼四十センチ強、くちばしから尻尾の付け根までは六十センチ
ほど。目を引くのはやはり、尻尾だろう。
長さ一メートルの尻尾は、先に棘だらけの鉄球が付いたスライム
新素材でできている。透明なスライム新素材の尻尾には鋭い鋼鉄の
刃が数枚仕込まれていた。
この鳥型精霊獣機テールは完全自動追尾型の飛行兵器だ。
圧空の魔術で内部に発生させた圧縮空気を後方へ噴き出して飛び、
伸縮性抜群の尻尾を三メートル以上に伸ばしながら標的の直前で急
上昇、速力と遠心力を上乗せして棘だらけの鉄球を叩きつける。さ
らには尻尾そのものにも刃が仕込まれているため、鉄球を無くして
も切断力のある尻尾で標的を刻む。
相手は精霊人機であり、遊離装甲を纏っている。この遊離装甲を
避けて関節部などを正確に狙えるようにかなり精度の高い照準誘導
の魔術式と自動追尾魔術式が組み込まれており、さらには燃料であ
る魔力を確保するためかなり大きな蓄魔石を積んでいる。
薄気味悪そうにテールを見ていたデイトロさんが口を開く。
﹁もしかして、人を乗せて飛ぶこともできるのかい?﹂
﹁さすがにそれは無理です。大型化すれば可能かもしれませんけど、
精霊人機用の魔導核が必要ですし、何より必要となる蓄魔石の大き
さを考えると現実的じゃないです﹂
一度計算してみたことがあるが、人が乗れる大きさのテールを作
ろうと思えば精霊人機用の蓄魔石で三十分飛べるかどうかだ。
1501
そもそも、このテールは軽量化を追求しているため機体強度は低
く、大型化には適さない。自重で潰れる飛行機に誰が乗りたがるの
か。
ボールドウィンが苦笑しながらテールを指差す。
﹁そもそも、この大きさのテールを作るのにいくらかかってると思
う? ヒントは総魔導合金製﹂
﹁魔導合金? この大きさで、全部?﹂
デイトロさんが目を見張ってテールを指差す。
俺だって魔導合金なんて値の張る物を使いたくなかったが、飛ば
すからには軽くないと困るのだ。圧縮されているとはいえ空気ジェ
ットで空を飛ぶのだから。
ちなみに、三機で家が建つ。
金額に愕然としたデイトロさんたち回収屋に青羽根の団員たちが
同感だとあらわすように何度も頷いている。
デイトロさんは半ばあきれた様子でテールと俺を見比べる。
﹁それで、これをどうするんだい?﹂
ミツキがくすくす笑いながら答える。
﹁三十機作って、アンヘルの精霊人機に特攻させます﹂
﹁︱︱ちょっと待とうか﹂
﹁家十軒分の大金特攻。金貨袋で頭を殴りつける気分ですね﹂
金ならある。
なぜなら、先日のリットン湖攻略戦の失敗とマッカシー山砦への
撤退作戦の教訓もあり、魔導対物狙撃銃を軍が大量発注したのだ。
現状、魔術スケルトンに対抗する唯一と言っていい手段が魔導対
1502
物狙撃銃であるため、ワステード司令官がボルス奪還を見据えて購
入に踏み切ったのである。
同時に、俺が特許申請しておいた照準誘導の魔術式や機構に関し
ても特許認定された途端、研究開発のために大量の使用許可申請が
舞い込んだ。
それらの利益を丸々使って今回の決闘に臨む。
俺は投入される金額に驚いてる回収屋に笑いかけた。
﹁全力ってのは戦う前から発揮するものです﹂
1503
第十一話 青空学会
五日間の技術祭をのり越えて迎えた後夜祭の日。
一般客の居ない後夜祭ならば暇になるのではないかという希望的
観測は昨日の時点で吹き飛んでいた。
原因は出品者たちの中における後夜祭の位置づけにある。
後夜祭は正午を境に街の南側と北側の出品者が交互に休みを入れ、
技術祭の期間中回れなかった街の反対側の展示を見に行く事になっ
ている。
俺たちは午前中に休みをもらっていたわけだが、昨日、つまりは
技術祭最終日の段階で反対側の展示への招待がいくつも寄せられて
いた。
断ればいいのだろうが、決闘騒ぎで街を騒がしくした上で招待を
断ればライグバレド住人からの心証は最悪だろう。
決闘に勝った後で不要な陰口を叩かれたりすると困る。
そんなわけで、午前中は招待してくれた展示会場へ出向くことに
なったのだが、
﹁何この柔軟性!﹂
布とまではいかないまでも、かなりの柔軟性を見せる厚さ二ミリ
ほどの合金板を折り曲げながら、俺は特許者の話を聞く。
﹁素材そのものは何の変哲もないメッキした金属なんですが、特殊
な製法を用いて細かい網目状の構造体にしてありましてね。針金で
作った網を想像していただければ分かりやすいかと思います。復元
率を担保しているのは針金内部に芯として入っているこちらの金属
でして﹂
1504
﹁復元率の調整もその芯の金属を変えれば自在って事ですか?﹂
﹁︱︱えぇ、まったくその通り。話が早い!﹂
勢い込んで頷いた特許者に俺も相槌を打つ。
﹁研究費用もばかにならないでしょうね﹂
﹁そうなんですよ。うちの工房の出資者がかなりのしまり屋で⋮⋮
あぁ、今のは他言無用で﹂
ぽろっと本音を零してしまった特許者が慌てる。別にチクるつも
りはない。
﹁金属は含有率でも性質が変わったりしますもんね。全部確かめよ
うとすればお金なんかいくらあっても足りない。出資者が二の足踏
むのも頷けるってもんです﹂
俺は同情しつつ、出資者を悪く言わない様に気を付ける。金がな
いのがいけないのだ、と刷り込む。
特許者は悩みを理解してもらった気安さから何度も頷いていた。
﹁一応、うちの工房では需要の大きい鉄や銅の合金から研究を始め
てるんですが、精霊人機への転用を考えるとどうしても魔導合金を
芯にした場合の研究も必要で﹂
﹁魔導合金は高いですもんね﹂
特に今のライグバレドでは、という言葉は飲み込む。湯水のよう
に金を使って買いあさっている当事者が俺とミツキだ。たった二人
が買い込んだ程度で品切れを起こすことはもちろんないが、魔導合
金の在庫を抱えてる俺が言っても嫌みにしかならない。
俺は視線を転じてミツキを見る。ミツキは特許登録されたこの構
1505
造体の製造過程の説明を読み込んでいた。頭の中で魔術式をいくつ
も羅列しながら製造に必要な魔術式をピックアップしている事だろ
う。
﹁ミツキ、この工房にいくらか融資してもいいか?﹂
﹁良いと思うよ。魔導合金を使った研究を進めれば必ず利益も上が
るし、個人的にも興味あるから﹂
ミツキの言葉に、特許者が顔を輝かせる。
﹁良いんですか!? うちはお世辞にも大きな工房とは言えません
が⋮⋮﹂
﹁特殊技術を開発するような職人さんがいるんだから胸を張ってく
ださいよ。契約を結びたいので、ギルドの方へ書類を送ってくださ
い。とはいえ、俺は決闘で死ぬかもしれないので、ミツキ宛てにお
願いします﹂
﹁決闘、ですか⋮⋮﹂
残念そうに呟いた特許者はぽつりと小さな声を床に落とす。
﹁お貴族様は本当に碌な事しねぇな⋮⋮﹂
憎悪の篭った舌打ちでも聞こえてきそうだったが、特許者は笑顔
で俺に右手を差し出してくる。
俺も先ほどの発言は聞かなかった事にして、右手を出し、固い握
手を結んだ。
味方一人、ゲットだぜ。
場所を変えてとある研究所の展示会場。
魔導核に刻む魔術式を新規開発したというのだが、研究所そのも
のの名称は新大陸天候観察所らしい。
1506
なんでそんな長ったらしい名前の研究所が魔術式の新規開発なん
てしているのかと興味を引かれてふらりと立ち寄った。
小さな展示会場にはほとんど人が居ない。数少ない人でさえ、研
究所の人間、つまりは特許者だ。
俺たちの後から入って来た客が展示会場をぐるりと見回してから
踵を返した。お気に召さなかったらしい。
研究所の人間も半ばあきらめモードで俺とミツキを見ていたのだ
が、展示物を眺めながら会場を歩き出すと、本物の客と認識したら
しい。
﹁︱︱あ!﹂
いつでも質問を受け付けますとばかりの期待に満ちた顔で俺とミ
ツキを眺めていた研究所の一人が、何かに気付いてガタリと椅子を
蹴立てて立ち上がる。
﹁マッピングの魔術式の特許持ち!﹂
ミツキを指差して声を上げた研究所の人間はすぐに失礼だと気付
いて慌てて頭を下げた。
ミツキはまるで頓着せずに展示品を見つめている。
ミツキの前にはこの研究所の特許品、気候観測魔術式があった。
ひどく限定的な使い道しかないその魔術式は、説明文を読む限り
ミツキの開発したマッピングの魔術式に着想を得て開発した物らし
い。
俺の眼から見てもあまり綺麗な魔術式ではない。この分だと魔力
のロスも多いだろうし、何より魔導核の容量を圧迫しすぎている。
だが、この世界の天気予報がいかに当てにならないかを知ってい
る開拓者にとって、この発明は有用だ。
俺は改めて会場を見回す。一般客がいないのは後夜祭だから当然
1507
として、他に研究者や職人の姿はない。俺やミツキのように特許を
展示している旅ガラスなどそうはいないだろうから、この展示会場
に人気がないのも仕方がないのだろう。
﹁技術祭の期間中は来客も多かったでしょう?﹂
俺が研究所の人間に話しかけると、あいまいな笑みを浮かべて否
定された。
﹁それが、まったくと言っていいほど人が来なくて。日に二十人ほ
どでした﹂
﹁二十人ですか? この魔術式を書き込んだ魔導核を新大陸各地に
設置して観測し続ければ気象予報の精度がかなり上がりますよ。開
拓者や行商人はもちろん、農家にとっても非常に助かるでしょうに﹂
﹁そうなんですよ!﹂
なんでもっと注目されないんだろうと首をひねった時、研究所の
人間が食い気味に口を挟んできた。
﹁これを各地に設置すれば湿度、気温、気圧、空気の流れも観測で
きるんです。新大陸の気象資料は未だに乏しく、予報は全くあてに
なりませんが、この魔術式を使えば精度の高い資料の収集が非常に
はかどるんです﹂
力説する研究所の職員に少し引いていると、展示物を見終えたミ
ツキが口を挟んできた。
﹁各地に設置するとなると大金が必要になるね。国の補助は受けた
の?﹂
1508
気象観測装置ならば国の補助を受けるのもたやすいだろう。
しかし、研究所の人間は首を横に振った。
﹁開発と量産、設置と保守にかかる費用を試算すると補助金制度の
金額上限を大幅に超えてしまうと断られてしまいました。いまは国
の上層部で新しく気象庁を設置するべきかどうかを話し合うため掛
け合ってもらっていますが、何分小さな研究所では伝手もなく⋮⋮﹂
言葉を続けるうちに落ち込んでいく研究所の面々。
俺はミツキと顔を見合わせた。
﹁融資したいところだけど、国に掛け合ってるなら俺たちが首を突
っ込むのはやめた方が良いな﹂
﹁男爵とはいえ、ファーグ家と決闘するんだもんね。勝っても負け
ても、研究所に迷惑かけちゃう﹂
貴族と決闘なんて、遠回しに国へ喧嘩を売ってるようなものだ。
今回はファーグ男爵から言い出したことだから大事にはならないが、
心証は確実に悪くなる。
研究所の人間も分かっているのか、苦笑した。
﹁ですよね。いえ、お気持ちだけありがたく頂戴いたします﹂
﹁融資は出来ないけど、助言ならできるよ﹂
﹁助言、ですか?﹂
ミツキの言葉に研究所の面々が首を傾げる。
ミツキは展示されている気象観測魔術式を指差して、問題を指摘
していく。俺が改良できるくらい荒削りな魔術式はミツキによって
統合、改変されて容量が圧縮されていく。
誰が見ても理解できるように、という条件を付けて改変している
1509
ため、あまり魔術式に詳しくなさそうな研究所の人間でもなんとか
話に付いて行っているようだ。揃ってメモ帳を取り出して改良点を
書き込んでいる。
元がマッピングの魔術式だけあって、ミツキにとっては簡単な仕
事だろう。
﹁︱︱だから、魔力膜に触れた湿気を観測するにしても、魔導核を
中心にした球形の魔力膜を張る必要はないの。針状に細くした魔力
棒とでも呼べるものを魔導核から伸ばすだけで十分。これだけでも
かなり魔力消費を減らせるし、魔導核の容量も減らせる。魔力棒に
するための設定は︱︱﹂
基本的なところから噛み砕いて教えていくと、研究所の人間は次
第に無言になり、メモを取る機械に成り果てた。
ミツキの説明が終わると、魔術式の改良を検討し始める研究所の
仲間を背景に、一人の研究者が頭を下げる。
﹁ありがとうございました﹂
﹁いえ、どういたしまして﹂
ミツキが軽く流すと、研究者は俺たちを見比べる。
﹁決闘なんてなければ、ぜひともわが研究所へ遊びに来てほしい所
なんですけどね﹂
﹁運が悪かったんですよ﹂
﹁悪いのは運だけでしょうか。いえ、誰様とは言いませんけども﹂
ため息混じりに研究者は続ける。
﹁くだらない見栄なんかで優秀な研究者を潰さないで貰いたいもの
1510
ですよね﹂
味方一人、またもゲットだぜ。
一事が万事この調子で、午前中いっぱい使ってあちこちの展示会
場を回って融資をしたりアドバイスをしたり、職人と意気投合した
りして過ごす。
そうして午後を迎えると、後夜祭にもかかわらず俺とミツキの展
示会場には人だかりができていた。
午前中の俺たちの行動が噂となり、融資希望者や意見交換をした
い職人、研究者が集まったのだ。
みんながみんな特許を持っているような向上心溢れる者だけあっ
て、俺とミツキだけでなく集まった職人や研究者同士でも意見効果
が活発に行われる。
連絡を受けた技術祭の運営委員会がわざわざ黒板を運んできてく
れて、青空学会とでも銘打てそうな様相を呈し始める。
﹁お金と技術と知識を配るとこんな事になるんだねぇ﹂
﹁ばら撒いたの俺たちだけどなぁ﹂
展示会場でお茶を啜りつつ、俺たちは大量の潜在的な味方を作り
出して技術祭を終えた。
1511
第十二話 マナー違反
無事に技術祭が終了し、展示会場の片づけを済ませた俺とミツキ
は借りている倉庫へ移動した。
青羽根と月の袖引くから届けられた鳥型精霊獣機テールが現在十
機、さらにディアに使用する部品が予備も含めて揃っているため、
倉庫内はかなりごちゃごちゃしている。
護衛のためについてきていたデイトロさんが回収屋の団員に号令
をかける。
﹁アカタガワ君の命がかかってるんだ。みんな、気合を入れて手伝
うよ﹂
張り切って工具を出してきた回収屋の団員が俺を見る。
﹁それで、何から手伝えばいい?﹂
﹁申し訳ないですけど、手伝ってもらう事ないんです⋮⋮﹂
張り切っているデイトロさん達に悪いと思いつつ、俺は答えるし
かなかった。
部品はすでに届いているし、俺自作の部品に関しても技術祭の合
間に加工を終えている。
全長七メートルの巨人である精霊人機とは違い、ディアは体高一
メートル半、体長は二メートル半と比較的小柄な機体だ。何人もの
整備士で囲んでも互いが邪魔になるだけである。
加えて、ディアは俺とミツキが協力して幾度となく改良を重ねた
ため、各部の調整がきわめて複雑なのだ。どうせ俺かミツキ以外に
触るものなどいないのだから、と調子に乗った結果、専門性が求め
1512
られる事態になっている。
今回は設計図も一新して大幅な改造を施すことになっているが、
この設計図も時間がなかったためにあちこち省略している。俺とミ
ツキなら読み取れる範囲だが、門外漢の回収屋には理解できないだ
ろう。
そんなわけで、回収屋には護衛だけを頼んで、俺はミツキと共に
ディアを一度分解する。
前足を破壊された痛々しい姿のディアは四肢を分解され、頭を取
り外されたりとなかなかに猟奇的な有様になった。まぁ、機械だか
ら血の一滴も流れないのだが。
﹁蓄魔石と魔導核周りから組み立てよう。今回の改造の肝だしな﹂
﹁今までの蓄魔石はどうする?﹂
ミツキがディアから取り出した蓄魔石を抱えて訊いてくる。
今回の改造では蓄魔石を大型のものへ変更している。魔力消費量
が今まで以上に上がってしまうため、継戦能力を維持するには必要
な処置だった。
﹁デュラにあるミツキの家に設置する精霊獣機用に取っておこう。
テールに乗せるには大きすぎる﹂
﹁分かった﹂
ミツキに運ばれていく蓄魔石を見送って、俺は新しい蓄魔石を用
意する。精霊人機に使われる物と同等の大きさの蓄魔石だ。
大きさを細かく測って事前に行った計測結果と照らし合わせ、狂
いがない事を確認する。
確認を終えた蓄魔石と魔導核を魔導鋼線で接続する。もちろん魔
力伝導高速化を施してある。
魔導核と蓄魔石をディアの胴体に組み込み、衝撃を吸収するため
1513
のクッションを設置する。
﹁猿の手も借りたい?﹂
ミツキがモンキーレンチを片手に訊ねてくる。ちょうど欲しかっ
た事もあって受け取った。
モンキーレンチを使い終わる頃にはディアの胴体を覆う魔導合金
製の鋼板を持ってきてくれる。
俺が声を掛けずとも必要な物を持ってきてくれるミツキに感謝し
つつ、ディアの胴体を完成させ、狂いがないかを改めて測る。
胴体が完成したら、今度は脚に移る。
﹁案外軽いな﹂
脚に使用するために買ってきた魔導合金製の装甲板の重量を測る。
以前まで使っていた鋼と比べると二十パーセントほど軽い。しかも、
断熱効果があるという。
ミツキが設計図を眺めながら魔導鋼線を手に取る。
﹁これ、注文したやつより薄いよ。粗悪品ってわけじゃないけど、
このまま使うとすぐに焼き切れちゃう﹂
﹁注文し直しだな。予備部品の方は?﹂
﹁今もってくる﹂
ミツキが持ってきた魔導鋼線を足回りに配置して、胴体と接続す
る。今までの倍に増えた魔導鋼線のおかげで、ディアの足はすこし
太くなった。
﹁うむ、美しい﹂
1514
ディアの前で両手を広げて悦に入っていると、デイトロさんが不
可解そうに首を傾げていた。
﹁いまの足、魔導鋼線を半分にしても良かったんじゃないのかい?﹂
﹁通常の戦闘行動なら半分で十分ですよ。実際、今まではそうでし
たから﹂
今回、魔導鋼線の数を倍にしたのには理由がある。そして、その
理由こそが蓄魔石の大型化を招いたのだ。
まだ試験運用さえしていないが、確実にディアのスペックが上昇
する仕組みである。乗りこなせるのは俺かミツキくらいになるだろ
うが、他に騎乗者もいないのだから別にかまわない。
﹁ミツキ、魔導鋼線の発注書を書いておいてくれ﹂
﹁あいさー﹂
パンサーの背中に発注書を乗せてペンを走らせるミツキを横目に、
俺は首回りの組み立てに移る。
カノン・ディアや照準誘導の魔術、自動迎撃術式を使用するため
の首は多機能ながら作りはシンプルに済ませている。
首回りに精密部品を使ってしまうとカノン・ディアの反動で容易
に壊れてしまうため、基本的に大きな部品ばかりを使う事になる。
脚にも組み込んだエアリッパーも首に設置する。エアサスペンシ
ョンよりも作りはシンプルで高い効果が見込める上に体積の小さな
エアリッパーは、カノン・ディアの反動軽減に用いられる。魔力消
費量が多いのが玉にきずだが、こればかりは仕方がない。
頭、角、と組み上げて、胴体に接続すれば完成だ。
時刻は十九時を回ったところだろうか。昼食も摂らずに没頭して
いたとはいえ、一日で組み上がるとは思わなかった。
屈んでの作業が多かったため、軽く屈伸運動をして脚の筋肉をほ
1515
ぐす。
一息つくと途端に空腹を覚える。
ミツキが倉庫の中を見回して困ったように首を傾げた。
﹁何か作りたいけど、倉庫の中じゃ調理は出来ないよね﹂
まして、回収屋もいるとなると食材がそもそも足りない。
﹁どこかの店で食べようか?﹂
﹁そうだね。甘い物食べたいし﹂
ミツキが乗り気で応えた直後、パンサーが索敵魔術の反応を知ら
せた。
パンサーの唸り声にデイトロさんたち回収屋が即座に動きだし、
倉庫の出入り口を睨む。団員を二手に分け、魔術での十字砲火が可
能な位置取りだ。
俺は組み上がったばかりのディアに跨り、パンサーに乗ったミツ
キと肩を並べる。
全員が戦闘態勢を整えた時、倉庫の扉がノックされた。
﹁ギルドから来ました。鉄の獣さんにお手紙です﹂
一瞬、気を抜きかけたが、ギルドでファーグ男爵とアンヘルの居
る応接室へ案内された時の事を思い出して気を引き締め直す。
﹁差出人は?﹂
﹁マッカシー山砦司令官ワステード様から、です﹂
扉越しに訊ねると、戸惑ったような声で訪問者が答えた。
デイトロさんが俺に目配せしてくる。回収屋に扉の開閉を任せろ
1516
という事らしい。
﹁お願いします﹂
外に聞こえないよう、小さな声でデイトロさんに頼む。
一つ頷いたデイトロさんが扉に歩み寄り、外の気配を探ってから
扉を開いた。
扉の前にいたのはギルドの職員が一人だけだ。
倉庫の中に俺とミツキだけでなく回収屋もいる事に驚いた様子の
職員は、一瞬だけ不安そうに背後を振り返った。
﹁⋮⋮あの、手紙を届けた自分までファーグ男爵に襲われたりしま
せんよね?﹂
職員が不安そうにデイトロさんに問いかける。
デイトロさんは職員の質問には答えず、外を一瞥して敵がいない
のを確認してから職員を倉庫へ招き入れた。
俺はディアから降りて職員が持ってきた手紙を受け取る。
﹁︱︱封を切られているようですが?﹂
手紙の封蝋が潰れていたため、職員に鎌を掛ける。
視線が泳いだ一瞬を見逃さず、グラマラスお姉さんが職員を床に
組み伏せた。
﹁誰が封を開けた?﹂
デイトロさんが職員の前に屈み、凄みを利かせて問いかける。こ
の手の脅しは童顔の俺やミツキには出来ない。
職員はデイトロさんと俺の間で視線を行き来させて、観念したよ
1517
うに口を開いた。
﹁ファーグ男爵です。ギルドにファーグ男爵家の方が常駐していて、
鉄の獣に関するあらゆることを調べておいでなので﹂
﹁それで、鉄の獣宛の手紙を勝手に引き渡し、あまつさえ開封させ
た、と? ライグバレドのギルドが?﹂
﹁そ、そうです﹂
﹁デイトロお兄さんは嘘が嫌いなんだけどなぁ﹂
口元だけで笑ったデイトロさんが職員の首を正面から掴んだ。
﹁ライグバレドがどういう街かはデイトロお兄さんも良く知ってる
んだ。軍だとか、国だとか、貴族だとかに屈しないこの街の気質を
よく、それはもう、よく知っているんだよ。飛蝗のグラシアを技術
祭で展示するときに国と揉めたからね。あの時はここのギルドにも
世話になったんだ﹂
﹁︱︱飛蝗!?﹂
職員が眼を見開く。目ん玉が零れるんじゃないかと心配になる驚
き振りだった。
開拓団〝飛蝗〟の団長マライアさんの愛機、グラシアは国軍の専
用機を相手に戦える新型機だ。
新型機認定されていない月の袖引くの精霊人機スイリュウでさえ
お呼びがかかったこの技術祭に、開発直後のグラシアを展示してほ
しいと依頼された事があったのだろう。
開拓団〝飛蝗〟の悪名を知っているのか、職員は青い顔をしてい
る。当時に何があったのかはあまり聞かない方が良さそうだ。
デイトロさんは職員の驚愕と畏怖に付け込む様に声音をやさしく
する。
1518
﹁大丈夫、デイトロお兄さんは今回、飛蝗の副団長としてではなく
回収屋の団長としてきているんだ。ギルド内に、開拓者に仇なす貴
族様を応援する裏切り者が何人いるか、それを教えてもらいさえす
れば酷い事にはならないよ﹂
どうかな、とデイトロさんが首を傾げて問いかけると、職員はや
や逡巡した後で口を開いた。
﹁自分はただファーグ男爵の使いから手紙を預かっただけで⋮⋮﹂
﹁アカタガワ君、その手紙をこの職員に開けさせると良い。毒が仕
込んであるかもしれない﹂
おっかないなぁ。
指先で摘まむようにして、職員に手紙を渡す。
デイトロさんは職員の靴紐を結んで逃げられないようにした後、
目を瞑って手紙を開けるように指示した。
指示通り、恐る恐る封筒を開けた職員が封筒の中から手紙を取り
出し、広げる。毒や針が仕込まれている様子はない。
念のため床の上に置かせてから、内容を読む。
﹁えっと、了解した。対物狙撃銃の準備はまだできていないため、
準備ができ次第連絡する。運用方法をまとめておいてほしい、か﹂
ワステード司令官の筆跡は分からないが、まず間違いなく本人が
書いた物だろう。現状で対物狙撃銃の重要性やその運用方法を俺に
訊ねる姿勢は撤退戦を生き残った人間でなければとらない。
俺はミツキと顔を見合わせる。
俺がワステード司令官に送った手紙は、新大陸派の人間が魔導核
の市場操作を行っている可能性がある事を示唆する物だった。今回
の返事では一切触れられていないし、明らかに会話が噛み合ってい
1519
ない。
だが、手紙が紛失している様子はない。手紙には拝啓と敬具が書
き添えられており、二枚綴りの片方だけがない、という状況は考え
にくい。
ワステード司令官に届いた手紙にも何かあったのか、それともこ
ちらに配慮したのか、どちらかだろう。
﹁ちょっと迂闊だったかな。前の手紙も遠回しにするとか、暗号文
にするとかすればよかった﹂
﹁いまさらだけどね﹂
ミツキの言う通り、いまさら気にしても仕方がない。
今考えるべきは何故、ファーグ男爵がこの手紙を開けて中身を確
認したのか、だ。むろん、封筒を開ける前に内容が分かるはずはな
いから、俺とワステード司令官の間で交わされている手紙に何らか
の興味があったことになるのだが。
﹁順当に考えて、新大陸派とラックル商会の魔導核がらみだよね﹂
﹁ワステード司令官の手紙から、旧大陸派の動きを探ろうとしたっ
て事か。ファーグ男爵はラックル商会に出入りしているようだし、
新大陸派に肩入れしているんだろうな﹂
﹁私たちの特許を狙っていたのもファーグ男爵家の懐事情の問題じ
ゃなくて新大陸派とラックル商会がらみなんだろうね﹂
もしミツキの読み通りファーグ男爵が新大陸派とラックル商会に
よる魔導核の市場操作に一枚噛んでいるのなら、俺とワステード司
令官の間の手紙は新大陸派に筒抜けという事になる。
﹁今後の連絡は慎重に、できれば直接会って話をするべきだろうな﹂
1520
1521
第十三話 自走空気砲
技術祭が終わって二日目、舞い込んでいた大量の資料に目を通し
て、約束通り特許者たちに融資する。
見覚えのない特許者の名前と資料がちゃっかり混ざっていたが、
融資する相手の名前くらい控えているため、照らし合わせて弾きだ
した。
お金が一気に飛んでいくが、出ていくお金より入るお金の方が多
いためあまり気にすることもないだろう。かなり低いが利息もきち
んと取っている。
どうも、後夜祭で俺たちの展示会場を中心に行われた意見交換会
のおかげで連帯感が出て技術者や研究者が相互で活発に意見を交わ
すようになったらしく、技術祭の運営委員会から感謝状が届いてい
た。
融資相手の資料をまとめて、不足している情報についての質問状
をしたためながら、俺は隣の机で書類を作ってくれているビスティ
を見る。
﹁悪いな、ビスティ﹂
﹁いえ、この手の仕事は慣れているので﹂
ビスティには特許者へ融資するための借用書の製作を頼んでいた。
元が商人だけに、この手の書類仕事に強いのだ。
改竄を防ぐための独特の言い回しなどは商人でないと難しい。俺
やミツキも時間を掛ければ出来ない事はないのだが、辞書とのにら
み合いになること請け合いだ。
青羽根から何人か応援が来ているが、どちらかと言えばこの書類
仕事で借用書などのテンプレートを覚える目的があるらしい。青羽
1522
根は団員全員が開拓学校を卒業したばかりで、実力の割に借用書等
の書類仕事にめっぽう弱い。
とはいえ、応援にかこつけてスキルアップを図る姿勢は嫌いじゃ
ない。
﹁こっちの書類を清書してくれ。それと、この質問状を封筒に入れ
て、宛名の記入を頼んだ﹂
ここぞとばかりに青羽根の面々を使いっ走りにする。
さぁ、学べ。スキルアップを図るのだ。
書類を片付けていると、倉庫の入り口に青羽根の整備車両が停ま
った。
ぞろぞろと降りてきた青羽根の団員が鳥型精霊獣機テールを運び
込んでくる。
﹁予定通り、テール三十機きっちり仕上げたぜ﹂
青羽根の整備士長が欠伸を噛み殺しながらテールの群れを指差す。
どれも飛ぶ事は確認してあるとの事で、後は仕上げを行うだけだ
という。
倉庫の端においてあるテールを格納するための木箱、ミツキ命名
〝烏合の集合住宅〟に三十機のテールを格納する。レバーを下げる
だけで一斉にハッチが開き、テールが飛び出す仕組みの木箱だ。
﹁速度は設計通りに出るのか?﹂
﹁もちろんだ。急な方向転換ができるように羽根の重量と長さを調
節するのが大変だった。おかげで、直進方向から四十度までなら方
向転換時に速度が落ちることもない﹂
自慢そうに腰に両手を当ててテールを見る整備士長と青羽根の整
1523
備士たち。
しかし、彼らはすぐにため息を吐いた。
﹁⋮⋮これが精霊獣機じゃなかったらなぁ﹂
﹁いやいや、お前らの腕は誇っていいだろ。精霊獣機だろうがなん
だろうが、この世界初の空飛ぶ兵器なんだからな﹂
﹁我ながら気味の悪いもん作っちまったなぁ、と思うと素直に喜べ
ねぇんだよ。おい、鉄の獣、ここまでさせといて負けたら承知しね
ぇからな﹂
﹁負けたらこの場にいないっての﹂
向こうは殺す気で来るんだから。
俺はテールを見る。
設計通りなら、時速百七十キロ以上で飛べるはずだ。ツバメの最
高飛行速度が二百キロ前後だったはずだから、視界が限定されてい
る精霊人機で反応するのは至難の業だろう。
テール全機を通称〝烏合の集合住宅〟に格納した時、新たな整備
車両が倉庫の前に停車した。
月の袖引くの整備車両だ。
﹁頼まれていたスライム新素材とスライムを確保しましたので、届
けに参りました﹂
副団長のレムン・ライさんが恭しく一礼し、倉庫の中へスライム
新素材と檻に入ったスライムを運び込んでくる。
﹁活きの良いスライムだね﹂
ミツキが檻の中のスライムに微笑みかける。スライムの表面が波
打った。
1524
事情を知らないデイトロさんが檻の中のスライムに首を傾げた。
﹁こんな物どうするんだい?﹂
﹁決闘相手のアンヘルの機体にぶち込むんですよ﹂
書類仕事が一段落していた俺は、とある設計図をデイトロさんの
前に掲げた。
特殊な構造の砲弾と空気砲の設計図だ。
スライム新素材で覆った格子状の金属砲弾の中に粘着性の半固体
を充填するこの砲弾は、一発で自動拳銃その物が買える位の値が付
く。無論、商品化の見込みは皆無だ。
空気砲は圧空の魔術を使用する事で火を使わずに砲弾を撃ちだす
仕組みである。こちらは自作するつもりだ。
二枚の設計図を見て、デイトロさんはさらに疑問符を浮かべる。
﹁ますますわからないなぁ﹂
﹁金属砲弾内の粘着性半固体にスライムを入れるんです。それを空
気銃で撃ちだせば、スライムに熱でダメージを与えることなく相手
へ届くって寸法ですよ﹂
デイトロさんがスライムを振り返る。
﹁スライムが入るほどの大きさの砲弾を作るのかい? それを撃ち
だせる魔術規模となるとかなりの魔力消費量だと思うけど﹂
スライムは半径三十センチの半球形をした魔物だ。これを封入す
るほどの砲弾となれば確かに、撃ちだすだけでもかなりの魔力を消
費するだろう。また、撃ちだされた砲弾をアンヘルが素直に受ける
はずもなく、避けるなり叩き落とすなりしてくると予想される。
1525
﹁安心してください。スライムは縮めてから撃ち出しますから﹂
そのための魔術は開発してあるし、採石場での実験結果から縮め
た後に蘇生が可能なことは実証済みだ。
俺たちの話を聞いた青羽根の団員が三名、ぶるりと身震いした。
トラウマを刺激されたらしい。
俺は掲げていた設計図を机に置いて、檻の中のスライムを指先で
つついて遊んでいるミツキに声を掛ける。
﹁空気砲を作るから、手伝ってくれ﹂
﹁魔導核の担当だね。すぐに済ませるよ﹂
すでに空気砲に必要な魔術式は組み上げていたのだろう。
ミツキはスライムにデコピンを一つかましてから立ち上がった。
多少の打撃攻撃は無効化されるらしいスライムはプルプル震えてい
る。
俺は倉庫端においてある鋼板を型に当てて曲げ、筒状にして接続
部分をハンダで仮付けする。砲身に掛かる圧力を考えるとハンダ付
けした程度では二、三発で壊れてしまうだろうが、今はこれで十分
だ。
魔導核と蓄魔石を設置する場所を開けて、台座を作る。照準誘導
の魔術を使えるように砲身は可動式だ。
台座につけるべくタイヤ付きの足を六本取り出すと、各開拓団の
団員から呆れの篭った視線を注がれた。
﹁今度は虫か﹂
﹁どういう神経してんだよ、マジで﹂
この機能美が理解できないとは、かわいそうな奴らめ。
俺は立ち上がり、タイヤ付きの足を掲げて見せる。
1526
﹁お前ら、この紋所が眼に入らぬか。控えおろう!﹂
脚の裏、つまりはタイヤを指差し、各団の整備士に見えるように
ぐるりとまわす。
﹁いいか。この足についているタイヤは逆回転を防ぐためブレーキ
が付いている。このブレーキには衝撃を吸収するためのスプリング
も付属しているんだ。このブレーキのおかげで砲撃を行ってもタイ
ヤの逆回転が起こらない﹂
﹁なんか語りだしたぞ、あいつ﹂
﹁言わせておけ。どうせ常人には理解できねぇから﹂
﹁いや、言ってることは割とまともだ﹂
青羽根の整備士長だけがフォローしてくれた。
俺は脚のふくらはぎや太ももに当たる部分に組み込まれたエアサ
スペンションを指差す。
﹁さらに、このエアサスペンションにより砲撃時の反動を大幅に吸
収し、滑らかな加減速と連射性能を保持する。そのうえ、関節部は
回転式だ。タイヤの逆回転を防いだがために後退できないとでも思
っていたんだろうが、答えは否! この回転式の関節によりタイヤ
の方向を三百六十度どの方向にも任意に変更することができるのだ。
脚の上げ下げも可能なために踏破性も高く、何より︱︱跳躍ができ
る!﹂
さぁ、称えろ。この一本の優美に細い脚に込められた数々の機能
に打ち震えろ!
素晴らしかろう? カッコ良かろう?
1527
﹁ふははは﹂
﹁ヨウ君、魔導核できたよ﹂
﹁おう、いま行く﹂
俺がテンションを戻してミツキに答えを返すと、整備士たちが毒
気を抜かれたような顔をした。
整備士長がため息を吐く。
﹁いきなり真顔になるなよ、怖えよ﹂
﹁勢いで押し切ろうと思ったんだけど、お前らドン引きするからさ﹂
﹁演技だったのか、アレ﹂
気を取り直して空気砲を完成させる。自走空気砲とでも呼ぶべき
それは、高さ二メートル、幅二メートル、砲身は全長二メートルほ
どとなった。
すでに日も暮れているため試射はまた明日と決めて、俺は自走空
気砲を遠目に見る。
﹁どう思う?﹂
隣にいたボールドウィンとタリ・カラさん、デイトロさんの三人
に、精霊人機操縦士としての意見を聞く。
ボールドウィンは自走空気砲の大きさや形を見て、ハンマーを横
薙ぎにするような仕草をした。
﹁動いてるところを見てないから何とも言えないが、オレなら動く
前に潰しにかかるな。見るからに遠距離攻撃してきそうだし﹂
タリ・カラさんが頷いた。
1528
﹁一歩で詰められる距離なら開始と同時に側面に回り込んで叩こう
と考えますね。距離が開いているのなら、魔術を使用してでも優先
的に破壊します﹂
﹁やっぱりか。デイトロさんも同じ意見ですか?﹂
﹁そうだね。決闘の場にある以上兵器なのはほぼ間違いないと判断
するし、アカタガワ君がディアに乗っている以上は細かい動きは出
来ないとも考える。それなら、アカタガワ君側の戦力を減らす目的
で即破壊を狙うね。重装甲になっている可能性も踏まえて、魔術を
使用するならロックジャベリンを撃ち込むかな﹂
解説付きで回答してくれたデイトロさんに礼を言って、対策を考
える。
その時、ミツキが俺の服の袖を引いた。
﹁こんなのどう?﹂
ミツキが手の平の上に乗せて差し出してきたのは、手帳の切れ端
を使った折鶴だった。
折り紙の存在を知らないボールドウィン達が驚く中、俺はミツキ
の言わんとするところを大まかに察する。
﹁折り紙式遊離装甲ってところか。自動展開できるのか?﹂
﹁ばっちり可能。いまなら迎撃機能も付けるよ﹂
﹁お得だな。それでいこう﹂
また特許が増えることになるが、別にかまわないだろう。
1529
第十四話 特許品パレード
決闘場にはライグバレドの自警団が訓練に使う訓練場が当てられ
た。
精霊人機によって踏み固められたむき出しの地面には雑草がまば
らに生えているばかりで障害物、遮蔽物の類は一切ない。狙撃手の
俺には明らかに不利なステージである。
救いがあるとすれば、精霊人機が複数でも訓練できるようにと広
く作られている事だろうか。東京ドーム何個分だ、これ。
北側には観客席がある。普段の訓練であれば教官に当たる人物や
ライグバレドの有力商人、技術者や整備士たちが座る場所だ。
俺たちが決闘の噂を大々的に流したため、観客が多数詰めかけて
おり、観客席には立ち見客さえ出ている。
観客のほとんどが技術者や研究者であり、決闘の行方もさること
ながら俺が持ち出す兵器を見物に来た者も多い。
しかしながら、観客の中にはこの理不尽な決闘に憤りを感じてい
る者も多数いる事を俺は知っている。他ならぬ俺がミツキと共に味
方を増やしてきたのだから。
﹁危なくなったら決闘を台無しにしてでも助けに行くからね﹂
ミツキがパンサーの周囲に魔導手榴弾を浮かべながら宣言した。
﹁まぁ、ミツキの出番はないだろ。そのために準備してきたんだし﹂
アンヘルが精霊人機の操縦士として高い技能を有している事は知
っている。
調べたところでは、アンヘルは機剣流の免許皆伝を持つ精霊人機
1530
乗りであり、国軍に居れば精霊人機部隊を率いるに足る能力を持っ
ているという。今回は決闘であるため、指揮能力は考慮されないが、
それでも操縦士としての腕は確かだろう。
だが、専用機でもない精霊人機が対応できる程度の戦力でこの決
闘に臨むほど、俺は命知らずではない。
﹁とりあえず、ボコボコにしてくる﹂
俺はディアを起動し、自走空気砲と鳥型精霊獣機が格納されてい
る〝烏合の集合住宅〟を走らせる。
決闘場に現れた自走空気砲と烏合の集合住宅を見た観客席が早く
もどよめいた。
今まで存在しなかった自走する兵器を初めて見たのだから当然だ
ろう。研究者や技術者が眼を皿のようにして自走空気砲を見つめて
いる。
自走空気砲は高さ二メートル、幅二メートル、砲身は全長二メー
トルと試作品と変わらない大きさだ。しかし、試作品とは違い、防
御力を上げるために遊離装甲を使用している。
しかも、自走空気砲の遊離装甲はミツキ発案の特許品である。空
気砲、自走魔術、遊離装甲と三つの新たな特許で構成されているた
め、耳目を集めるのも当然だろう。
俺は烏合の集合住宅のレバーを引き、鳥型精霊獣機テールが飛び
出せるようにしておく。
着々と準備を整えていると、決闘場の反対側から黒味がかった緑
の精霊人機が現れた。肩にファーグ男爵家所有機体であることを示
す紋章が銀色に輝いている。
アンヘルの精霊人機、ガエンディだ。
市販されている精霊人機の中でも特に大柄な機体に大幅なカスタ
マイズを施している。
ファーグ男爵家の精霊人機部隊、その隊長が乗る機体だけあって、
1531
かなり金を掛けてパーツを高性能な物へ交換している様子がうかが
えた。
遊離装甲は維持するだけでも魔力を大きく消費する重量級であり、
ガエンディが積んでいる蓄魔石の品質の高さを窺わせる。機体を覆
う外装も魔導合金製だろう。石でも投げて反射音を聞けば判別もつ
くだろうが、決闘が開始されていない今の段階で投げるわけにもい
かない。
腕や脚は精霊人機の体格に比べてやや細い。全体重量を軽減する
ため部品を交換したのだろう。何を使ったのかも大体想像がつく。
左手に提げた魔導合金製の長剣を扱うため、瞬発力を上げ、代わ
りに不便のない程度で筋力に当たる出力を犠牲にしたのだと分かる。
全体から金と努力の匂いを感じ取れる機体だ。
だが、
﹁あんまり技術力は高くないんだな﹂
俺としては、ファーグ男爵家が威信をかけてこの程度か、という
失望が大きい。それは俺だけでなく観客としてきている技術者や研
究者も同じらしく、どこか残念そうな顔をしていた。
技術祭で十四の特許品を展示し、日を置かずに新たな特許品の塊
を決闘場に持ち込んだ俺の実家と聞けば、どんな奇々怪々な代物が
飛び出すのかと期待するのも当然だ。そして、期待を裏切ったファ
ーグ男爵家の心証は確実に悪化した。
このライグバレドで最も重視されるのは操縦士の腕ではない。ど
んなへぼ操縦士が乗っても力を発揮できる技術の塊こそが尊ばれる
のだ。
ガエンディに乗っていても観客から歓迎されていない事を感じ取
ったらしく、アンヘルが声をかけてくる。
﹁始めてもいいですか、坊ちゃん﹂
1532
﹁見届け人くらい待とうよ。血に飢えた獣じゃあるまいし﹂
﹁獣は坊ちゃんの方でしょう﹂
﹁俺のディアが血肉を啜るように見えるのか? 眼科に行った方が
良いぞ﹂
鉄の獣は肉を食わないのだ。
俺の減らず口に呆れのため息を吐いたアンヘルが背後のファーグ
男爵に声を掛ける。
﹁決闘である以上、殺すことになると思います。よろしいんですね
?﹂
﹁構わん。ファーグ男爵家の恥さらしだ。速やかに殺せ﹂
人の親とは思えない発言である。互いに親とも子とも思っていな
いのだから、ある意味正しい姿かもしれない。
観客席の人々にどう思われたかは、推して知るべしだ。
俺が兵器の準備を終えると同時に今回の決闘で見届け人を務める
ギルド支部長と技術祭運営委員長の商会長がやってきた。
二人は俺たちの準備が整っていると知ると、安全な場所に立って
開始の銅鑼を鳴らす準備をする。
俺は対物狙撃銃の引き金に手を掛け、ディアの背中からアンヘル
の機体を見つめた。
﹁それでは、相手の戦闘不能か、降参の意思を以て決闘の終了とす
る。双方、準備はいいか?﹂
﹁どうぞ﹂
商会長の言葉にアンヘルが返す。
俺の方も見た商会長とギルド支部長を見返して、俺は口を開いた。
1533
﹁戦闘不能ってのはどういう状態を定義してるんですか?﹂
まさかこのタイミングで質問されるとは思っていなかったのか、
商会長とギルド支部長は一瞬硬直した。
俺はアンヘルの機体、ガエンディを指差す。
﹁精霊人機同士の戦いなら、相手の機体を破壊した時点で終わるん
だと思います。生身で精霊人機を倒すのは無理でしょうから。でも、
俺は精霊獣機に乗ってるので、生身でも騎乗者の俺を直接狙って攻
撃できる。俺がアンヘルの機体を破壊しても、戦闘は続行とみてい
いですか?﹂
俺の説明を聞いて、ようやく理解に及んだのだろう。商会長はギ
ルド支部長を見た。
﹁どうしますか。生身でも倒せない事はないと本人が言ってますが﹂
﹁戦闘続行でよろしいのでは?﹂
﹁では、そういたしましょうか。アンヘル殿も構いませんね?﹂
商会長の言葉に、アンヘルは拡声器越しにため息を零した。
﹁あぁ、それでいいですよ。無意味な想定だとは思いますがね﹂
﹁では、今度こそ、よろしいですね?﹂
商会長の言葉に頷きを返す。
商会長が片手を挙げ一気に降ろすと、ギルド支部長が鳴らした銅
鑼の音が大きく響き渡った。
直後、ガエンディの真上に全長三メートルほどのロックジャベリ
ンが生み出され、射出された。
射出されたロックジャベリンは猛然と空中を突き進み、自走空気
1534
砲を貫かんとする。
精霊人機が放つ魔術は大型魔物に対しても有効打を与えられる強
力な物だ。二メートルほどの高さしかない自走空気砲が破壊される
のは自明の理︱︱なわけがない。
﹁︱︱なっ!?﹂
観客席がどよめく。
ガエンディのロックジャベリンに対して、自走空気砲は遊離装甲
を展開し、防ぎきったのだ。
通常の遊離装甲であれば難なく貫通していただろうロックジャベ
リンは自走空気砲の纏う折り紙式遊離装甲をわずかにへこませただ
けだった。
ミツキ発案の折り紙式遊離装甲は、普段は小さく折り畳まれて周
囲に浮かんでいる。
しかし、迎撃魔術で敵の攻撃を検知するや否や即座に〝展開〟し
て広がり、つづら折りになった別の折り紙式遊離装甲を挟んで驚異
的な防御力を発揮する。
タラスクの甲羅を破壊できるレベルの威力で攻撃しなければ本体
である自走空気砲へは届かない。
﹁さぁ、アンヘル!﹂
俺は対物狙撃銃を〝烏合の集合住宅〟についたスイッチへ向け、
声を張り上げる。
﹁︱︱技術格差に見下される覚悟はできたか?﹂
対物狙撃銃から発射された弾丸が烏合の集合住宅のスイッチを押
し、内部に格納されていた鳥型精霊獣機テールを起動させる。
1535
鳥型精霊獣機、テールが一斉にはばたいた。
翼の端から端までの長さが一メートルになるテールが三十機、一
斉に飛び立ち、空を埋め尽くす。
唖然とした顔で見上げる観客には目もくれず、テールは自動追尾
術式に従ってアンヘルの機体、ガエンディに殺到した。
﹁ちっ、邪魔くさい﹂
アンヘルの声が聞こえたかと思うと、ガエンディが勢いよく長剣
を振り抜いた。
だが、時速百七十キロで飛行するテールを斬り落とすことなどで
きはしない。ダメ押しに索敵魔術での常時回避が発動しているのだ。
ガエンディの遊離装甲をかいくぐったテールが尻尾の先についた
鉄球でガエンディ本体の装甲に打撃を加える。
ガエンディが即座に一歩下がってテールを遊離装甲に巻き込んで
墜落させようとするが、テールはすでに上昇してガエンディから距
離を取っている。
﹁小細工ばかり!﹂
大したダメージを受けないからこそ、飛び回って視界の邪魔をす
るテールには相当イラつくだろう。だが、動きに慣れてきたのかテ
ールを一機斬り落として見せた。
俺は対物狙撃銃を自走空気砲へ向ける。
﹁次は、大細工なんてどうだよ?﹂
俺が引き金を引いた直後、自走空気砲が砲弾を射出する。
音で気付いたのだろう、ガエンディは驚異的な反応速度で長剣を
正面に構えて盾にした。
1536
長剣に砲弾がぶち当たると同時に砲弾内部に充填されていた粘着
物が長剣の腹にべったりと付着する。
次の瞬間、テールが三機、急激な方向転換をして長剣の腹に付着
した粘着物へ向かう。
俺は片手を空に掲げ、高らかに声を張り上げた。
﹁︱︱復活せよ、スライム!﹂
テールが長剣に激突する直前で急上昇し、腹部のハッチを開く。
腹部のハッチからテールに搭載されていた貯水タンクが投下され、
粘着物に直撃して破裂する。粘着物がボコリと盛り上がり、波打っ
た。
直後、粘着物の中に封じ込められていた仮死状態のスライムが復
活し、渇水の反動から急速に水を吸い込んで膨張、己の魔力を消費
してまで降ってもいない雨を受け止めようと大型化する。
﹁紹介しよう。フリーズドライ経験者のスライムちゃんだ﹂
フリーズドライ、食品の保存技術の一つで急速冷凍後に真空条件
下で急速脱水を行うインスタント食品等で日本人になじみの深い技
術だ。
凍結魔術、アイシクルとカノン・ディアにも用いた真空砲技術の
応用で活きの良いスライムをフリーズドライし、自走空気砲の砲弾
内に仕込んでおいた。
スライムは水を失うと仮死状態となるが、仮死状態で水を受ける
と急速に膨張して水を補給しようとする性質があるとビスティに聞
いて試した結果がこれである。
俺の前には突如現れた体長五メートルほどのスライムに長剣を奪
われたガエンディがいた。
見上げんばかりの巨大なスライムは弾力のある体をブルブルウネ
1537
ウネと気味悪く動かしながら、目につく障害物ガエンディにのしか
かろうとする。きめぇ。
観客席は突発的な大型スライムの出現に騒然としている。
だが、俺が用意したスライムが一匹だけだと思ったら大間違いだ。
俺は自走空気砲のスイッチを対物狙撃銃で撃ち、次弾を砲撃させ
る。
アンヘルも、自走空気砲の砲弾を受けるのはまずいと分かったの
だろう、即座にガエンディを右に走らせて回避を図る。
だが、アンヘルにとっては残念なことに自走空気砲には照準誘導
の魔術が搭載されているのだ。
足を止めた一瞬の隙に砲弾が炸裂し、テールが貯水タンクを投下、
大型スライムを復活させる。
自走空気砲が砲弾を撃ち尽くした時、ガエンディは三体の大型ス
ライムに囲まれていた。
フリーズドライの影響で仮死状態どころか絶命したスライムもい
るため、本来十体いるはずの大型スライムの内七体は全長七十セン
チほどになって屍を晒している。
ガエンディは遊離装甲をスライムの体内に取り込まれ、外部装甲
だけの姿となっていた。それでもみすぼらしく見えないのは肩に施
された銀の紋章のおかげだろう。
あとは放っておくだけで大型化したスライムに押しつぶされて戦
闘不能になる。
﹁ふっ、他愛もない﹂
圧倒的ではないか、我が軍は。特にスライムちゃんズが今日のM
VPだ。
ガエンディがスライムに取り囲まれ、テールが一斉に攻撃に移る。
ガエンディにはもはや逃げ場はない。
俺が勝利を確信した時、それは起こった。
1538
突如、体長五メートルの大型スライム三体の身体が体内の水を噴
き出して破裂する。
時を同じくして、ガエンディに近付いたテールが回避行動もとれ
ないまま胴体から真っ二つに破断し、墜落する。
﹁⋮⋮は?﹂
大型スライム三体とテール三十機が一瞬で撃破された眼前の状況
が理解できず、俺は間抜けにも声を漏らす。
ガエンディがスライムの粘液が付いた長剣を拾い上げ、一振りし
て粘液を吹き飛ばす。
﹁︱︱神聖な決闘の場に玩具を持ち込み過ぎではございませんか?﹂
ガエンディの拡声器越しに、アンヘルの声が聞こえた。
余裕ぶった声だ。戦況が逆転したことを確信した者の声だ。何が
起きたのかも分からないだろうと馬鹿にする声だ。
︱︱だが、そんなことはどうでもいい。
俺はスライムの死骸とテールの残骸を見る。
破裂する間際にスライムの身体に走った無数の切れ込み、胴体を
破断されたテールの歪な断面。
カマイタチのような鋭い斬撃によるものではないのは一目でわか
る。テールの破断面の歪さは左右に力いっぱい引き千切った時にで
きる物だ。
だが、鳥を模して造られたテールを左右から引っ張れば先に破断
するのは翼のはず。胴体を真っ二つにされたのなら、力はテールの
機体全体を包み込むようにして加えられたことになる。
スライムやテールを撃破する直前にガエンディが武装を使った形
跡はない。攻撃が物体を用いた物であれば、索敵魔術で回避行動を
とるテールが反応しなかったはずがない。
1539
つまり、先の攻撃は魔術によるもので間違いない。
俺は対物狙撃銃のグリップを強く握りしめた。
ガエンディが一歩踏み出し、俺との距離を詰める。
俺はディアのレバー型ハンドルを片手で握り、ガエンディの後ろ、
ファーグ男爵を睨みつける。
﹁魔力流動膜術式で魔力膜内に入った対象物を魔力で包み込み、左
右に魔力膜を流動させる事で対象物を破壊する﹂
俺が声を張り上げてテールとスライムを撃破したガエンディの絡
繰りを暴露すると、ファーグ男爵が僅かに眉を上げ、鼻で笑った。
ガエンディからアンヘルの声が聞こえてくる。
﹁一度見ただけで理解するとは、開発者だけありますね﹂
﹁︱︱下種野郎が﹂
今回ばかりは本気で頭に来た。
﹁お前らに特許の使用許可は出してないはずだ。特許侵害とは良い
度胸してんじゃねぇか﹂
ファーグ男爵の考えが読めない。
ここは技術と特許で成り立つと言っても過言ではないライグバレ
ドだ。
ファーグ男爵もアンヘルも貴族社会に染まりすぎたのか?
家父長制が絶対の貴族社会でなら、勘当したとはいえ息子である
俺の特許を侵害したところで特に気にするようなことではないのだ
ろう。どの道この決闘で死ぬのだから、とも思っていそうだ。
だが、いくらなんでもファーグ男爵が特許侵害を理由もなくする
とは思えない。明らかにファーグ男爵家の名誉を貶める行為だから
1540
だ。
ライグバレドにおけるファーグ男爵の行動はただ強引というだけ
では済まされない。どう考えても支離滅裂で理解ができない。
何か別の目的があるような気がする。特許も、俺の命も、ファー
グ男爵家の名誉さえ考慮していられないような、何かが。
いずれにせよ、この決闘に勝利してから考えるべきか。
﹁俺たちの技術を悪用してんだ。覚悟はできてんだろうな!?﹂
糾弾する俺にかまわず、ガエンディが左手の長剣を振り被った。
1541
第十五話 ディア・ヒート
観客席から盛大なブーイングが響き渡る。
それもそのはず、このライグバレドは商人と職人の街だ。契約や
特許の侵害を見過ごせば自身の生活に跳ね返ってくる職業の彼らに
とって、目の前で堂々と特許侵害を認めた輩は敵以外の何者でもな
い。
だが、断言しよう。
この場で一番頭にきているのは俺である。
ディアを急加速させ、アンヘルの愛機ガエンディの側面へ回り込
みながら対物狙撃銃の引き金を引く。
加速していくディアの背中から流鏑馬のように狙撃して、四百メ
ートル先のガエンディの正面メインカメラのレンズを破壊する。光
魔術を利用してレンズから取り込んだ景色を機体内部で反射し操縦
者の正面に投影するメインカメラは、人間であれば眼に当たる部分
にある。
俺が流鏑馬で半径十センチのガラスレンズを寸分過たず破壊して
くるとは考えてもいなかったのか、ガエンディの動きが一瞬止まる。
動きの停まったガエンディをさらに狙撃し、もう片方の目玉に当
たるメインカメラを破壊、側面に回り込む。
﹁っく、ちょこまかと﹂
アンヘルの声が聞こえてくると同時、ガエンディが身を低くして
左手に持った長剣を地面すれすれに振るう。
砂埃を巻き上げながら周辺を薙ぎ払って行く長剣の間合いを見定
め、長剣を握る左手首の関節を狙撃する。
ただでさえ音速を超える弾丸に正面からぶつかりに行ったガエン
1542
ディの左手首は相対速度の影響で威力の上がった弾丸により内部の
魔導鋼線を破壊された。
精霊人機はこの程度で影響が出るほど軟な造りはしていないが、
戦闘を継続していけばすぐにガタが来るだろう。
俺はガエンディの背後に回り込み、後部メインカメラである首の
付け根のガラスレンズを狙撃、破壊する。
俺の動きについてこれずにいたアンヘルは、後部メインカメラの
異常を受けて俺が背後にいる事に気付いたらしく、長剣を背中に回
す。肩甲骨付近にある左右の後部補助カメラを守ろうとしているの
だろう。
無理もない事だが、アンヘルは明らかに魔導銃相手の戦闘に慣れ
ていない。
銃を使う物好きは少なく、対物狙撃銃のような大型の魔導銃の扱
いに習熟している者など皆無。俺相手の対策を立てたくても練習相
手もいないだろう。
俺は長剣で守られた後部カメラは無視して、ディアの速度を上げ、
ガエンディの正面に戻る。
いつしか観客席からのブーイングは止んでいた。
観客がかたずをのんで見守る中、俺はガエンディの右肩にある正
面補助カメラに狙いを定め、引き金を引いた。
カンッと音がして、カメラの横の外部装甲に弾丸が弾かれる。
﹁ちっ、魔力流動膜で受け流したか﹂
俺の狙いは完璧だったはずだ。おそらく、カメラを立て続けに破
壊された事で危機感を覚えたアンヘルが魔力流動膜で銃弾を逸らす
ことを思いついたのだ。
両肩の正面補助カメラで俺の姿を見つけたのだろう、ガエンディ
がロックジャベリンを準備し、撃ち込みながら距離を詰めてくる。
ロックジャベリンの狙いは甘く、俺は回避行動をとる必要もなか
1543
った。弓兵大型スケルトンの方が狙いが正確だったくらいだ。
アンヘルの腕が悪いわけではない。魔力流動膜の影響がロックジ
ャベリンにも出たために軌道がそれたのだ。
しいて腕が悪い者がいるとすれば、ファーグ男爵家の整備士たち
だろう。
ガエンディが長剣を振り被って距離を詰めてくる。魔力流動膜が
ある限り俺の銃弾は届かないと踏んだのだろう。カノン・ディアを
封じるためにも接近戦に持ち込むのは正しい判断だ。
だが、それ以上にガエンディの魔力消費量の問題もある。
魔力流動膜は魔力消費量が大きな魔術だ。
遊離装甲の魔術とも干渉するため、できれば使いたくなかったの
だろう。
大型化したスライムに遊離装甲を全て引き剥がされて仕方なく発
動した最初の一回はほぼ全方位に向けて魔力流動膜を発動していた。
そしていま、カメラ周辺だけでいいはずの魔力流動膜を頭上のロ
ックジャベリンにまで影響が出るほど広範囲に使用している。ファ
ーグ男爵家の整備士の技術が追いつかず、範囲の縮小ができなかっ
たのだろう。
いくら質の良い蓄魔石を積んでいようが、魔力切れを起こすまで
そう時間はかからない。俺が時間一杯逃げ切ればそれで勝ちが決ま
る。
決まるのだが、
﹁腹の虫がおさまらないんだよ!﹂
技術をパクるなら俺が感心するくらい上手に活用しやがれ、ヘボ
整備士が!
ディアの前足が地面を踏みしめ、急加速する。
最高速に達したディアは一直線にガエンディに突撃する。
アンヘルが反応して左手の長剣を振るうが、先に俺が狙撃した影
1544
響で手首のスナップが利かず、速度が落ちている。
ディアの前足を折りたたませ、正面に倒れ込む様に体を落とす。
ディアの背中に伏せた俺の頭上をガエンディの長剣が行き過ぎ、
側面から突風が襲ってくる。
地面にディアが倒れ込む直前、俺は圧空の魔術を発動してディア
の身体を風の力で押し戻し、体勢を瞬時に立てなおした。
真正面に、長剣を振り抜いた体勢のガエンディが見える。俺へ攻
撃を当てるために腰を大きく落としているため、肩ががら空きだ。
だが、俺はあえて銃撃を加えずディアを後ろに飛び退かせる。
直後、風が巻き起こった。
魔力流動膜術式でディアを真っ二つにしようとしたのだろう。空
気だけを巻き込んだために風が起こったのだ。
俺は容赦なく対物狙撃銃の引き金を引く。
対象を魔力膜の流れに乗せて真っ二つに引き裂くという仕組みな
ら、中間地点は左右どちらにも魔力膜で流されない。
つまり、弾丸が通る。
狙い過たず、対物狙撃銃が吐き出した銃弾はガエンディの左肩に
ある正面補助カメラを破壊した。
すでに何度もカメラを破壊されているため、アンヘルも動揺せず、
ガエンディが即座に左手の長剣を振り抜く。
飛び退いた直後で空中にいる俺に避ける術はないとでも思ったの
だろう。
俺は圧空を真上に発動する。圧縮空気が弾け、突風が頭上から俺
とディアを地面に叩きつける。
ディアの脚部に仕込まれたエアリッパーが起動し、爆発的な瞬発
力を以て地面を蹴りつけた。
迫っていた長剣がディアをとらえきれずに空を斬る。
これが、精霊獣機の動きを知るボールドウィン達なら違う結果に
なっただろう。だが、初見でディアの動きについて来れる奴はまず
いない。
1545
俺はディアを操作してガエンディから距離を取る。
遊離装甲を失い、カメラの大部分をやられて視界が利かず、魔力
消費量に目を瞑ってでも魔力流動膜を展開せざるを得ない今のガエ
ンディはもはや死に体だ。
視界が利かないために得意の長剣も狙いが不正確で、魔力流動膜
の影響で剣先がぶれてさえいる。
﹁ヘボ整備士に任せて他人様の技術をパクるからそうなるんだ﹂
俺は対物狙撃銃の弾倉を入れ替えながら、アンヘルに声を掛ける。
実際のところ、魔力流動膜が無ければ大型化したスライムに押し
つぶされて勝負が決していた。
ガエンディが長剣を無事な右手に持ち替え、構えた。拡声器越し
に、アンヘルの悔しそうな声が聞こえる。
﹁もしも、スライムや気色悪い鳥型兵器を持ち出されてなければ、
十分に戦えていましたよ。遊離装甲があれば、カメラを狙撃から守
ることもできたはずなのですから﹂
﹁︱︱そんな負け惜しみが通じるとでも思ってんのか?﹂
舐めてもらっちゃ困る。
決闘開始直後にガエンディが放ったロックジャベリンを遊離装甲
で防ぎきれずに自走空気砲が破壊された場合、スライムを撃ちだす
こともできなかった。
デイトロさんから事前に聞いた予想で、開始と同時に自走空気砲
の破壊を狙ってくると分かっていたのだから、対策を取らないわけ
がないだろう。
﹁アンヘル、お前の自力じゃあ〝通常状態〟のディアにさえ対処で
きないって理解できたんだよな?﹂
1546
対物狙撃銃をディアの角に置き、俺はボタンを押しながらレバー
型ハンドルを押し込んだ。
カシャン、と軽い音がする。
この一動作で、ディアのスペックは今までの比ではなくなる。同
時に、俺以外の誰にも乗りこなすことのできないピーキーな挙動を
取るようになる。
﹁これを最初から使わなかったのは、実力差をきちんと理解しても
らうためだ。俺がこの決闘に勝った後も特許侵害をするつもりなら﹂
俺はディアの腹部についている左右のレバーを自らの膝の裏に固
定し、レバー型ハンドルを強く握り込む。
﹁︱︱これで駆けつけてやるよ﹂
加速を命じた二拍後、五百メートル近くあったガエンディとの距
離がゼロになる。
アンヘルには、何が起こったのか理解できないだろう。
だが、観客席にいる人々ならば何が起きているかは理解できてい
るはずだ。
機能名、ディア・ヒート。
蓄魔石から大量の魔力を強制的に魔導鋼線に流し込み、各魔導部
品のスペックを限界まで引き出す機能だ。
魔力伝導高速化と発動時間厳密制御の技術に加え、魔力流動膜を
用いた複雑な機構と術式からなる複合技術。
流し込まれた許容量超えの魔力により魔導鋼線が焼け、青い火花
がディアの四肢から絶えず吹き上がる。
ディアの各部の魔導鋼線を二つ設けている理由は、ディア・ヒー
トを使用するだけで魔導鋼線が使い物にならなくなるからだ。魔力
1547
消費量も跳ね上がる。
︱︱だが、それらのリスクを飲み込むだけの効果がこれだ。
鉄板に穴でもあけるような派手な金属音を立てて、ディアが左の
前脚を地面に突き立てる。
時速にして二百キロの急加速と急停止、さらに方向転換を行って、
俺はガエンディの真後ろを取る。
ガエンディに乗るアンヘルからしてみれば、ディアが掻き消えた
ようにさえ見えただろう。
ディアが通った場所にはただ青い火花が残るのみ。
﹁とろくてでかくて、的としてもつまらない﹂
ディアの両方にあるボタンを押し込み、カノン・ディアの射撃体
勢を作る。
ガエンディが後ろに回り込まれた事に気付いて振り返る︱︱だが、
俺はもうそこにはいない。
青い火花だけを置き去りに、ディアはカノン・ディアの発射体勢
を維持したままガエンディの左側面、俺がカメラを破壊した事でで
きた死角に回り込んでいる。
﹁技術とは常に進歩する物だ﹂
お前らが人の努力の成果をパクって劣化させている間にもな。
﹁そっくりそのまま返してやるよ﹂
俺はカノン・ディアの引き金を引く直前、決闘場に響き渡る声で
叫ぶ。
﹁︱︱神聖な決闘の場にガラクタを持ち込むんじゃねぇ!﹂
1548
直後、カノン・ディアの暴力的な爆音が轟き渡り、ガエンディの
腰部に大穴を開ける。
カノン・ディアの強烈な反動を受け、ディアの脚が魔力の過剰供
給による青い火花を盛大に散らす。
しかし、限界まで引き出されたディアの能力はカノン・ディアの
反動を首や胴体、脚部のクッション性能だけで殺し切り、騎乗者で
ある俺に一切の負担を与えなかった。
腰に大穴を開けられたガエンディが倒れ込む。
苦し紛れにガエンディが投げつけてきた長剣は、ディアが横に軽
く飛ぶだけであっさり躱すことができた。
ガエンディが地面に突いた手を側面からカノン・ディアで二本ま
とめて吹き飛ばす。
腕の支えさえも失って、ガエンディは無様に地面に倒れ込み、う
つ伏せとなった。
誰の眼にもガエンディが再起不能に陥ったのは明らかだ。
ガエンディのハッチが開き、操縦者であるアンヘルが出てくる。
汗で額に張り付いた前髪を掻き上げて、アンヘルは俺をにらむ。
﹁坊ちゃん、あんたは剣術はもちろん、あらゆる武術の才能がから
っきしだったはずですよね。演技だったんですか?﹂
﹁いや、武術の才能は本当にない。射撃の腕もディアで底上げして
るしな﹂
﹁そうですか。なら、その気色悪い鉄のガラクタを斬り伏せればま
だ勝ちの芽はあるって事ですね﹂
言うや否や、アンヘルが左手に石魔術で長剣を形作る。
まだ戦うつもりがあるというのなら、容赦をするつもりはない。
俺が取り回しに優れた腰の自動拳銃に持ち替えようとした時、待
ったの声がかかった。
1549
アンヘルが意外そうに振り返る。
﹁⋮⋮旦那様、よろしいので?﹂
俺たちの決闘に待ったをかけたのは意外にもファーグ男爵だった。
決闘場に歩いてきたファーグ男爵は俺を一睨みした後、見届け人
を見る。
﹁こちらの負けだ﹂
あまりにも潔すぎる。
俺が警戒を解かないでいると、ファーグ男爵はアンヘルに声を掛
けた。
﹁いまお前を死なせるわけにはいかん。新大陸に来た理由を忘れる
な﹂
﹁死ぬって⋮⋮まぁ、否定できないのが悔しいところですが﹂
アンヘルは後頭部を掻き毟り、ため息を吐いた。
﹁負けを認めましょう﹂
アンヘルはそう言って、魔術で作った長剣を掻き消し、降参を宣
言した。
1550
第十六話 祝勝会
﹁それでは、決闘の勝利を祝して!﹂
﹁︱︱乾杯!﹂
決闘の翌日夜、俺とミツキは青羽根や月の袖引く、回収屋たちと
一緒に料理屋を貸し切って祝勝会を挙げていた。
決闘の直後は自走空気砲その他の特許品に関して、観客としてき
ていた職人や研究者たちから質問攻めに遭った。結局、ギルドのガ
ラスケースの中に二週間ほど展示する事で手を打ってもらっている。
ファーグ男爵からは今朝方、特許侵害の賠償金がギルドを通して
振り込まれた。まるであらかじめ用意していたかのような早さに疑
念が募る。
決闘に勝ちはしたものの、アンヘルはまだ戦闘可能な状態だった。
あのまま戦っても遠距離から一方的に銃撃して終わっていたから、
ファーグ男爵の判断は正しい。
だが、俺にとってみればファーグ男爵はまだアンヘルという最大
戦力を無傷のまま保持していることになる。
戦いに負けても操縦者は死なないで済むのは、ロボ戦のメリット
でありデメリットだと思う。
シージェリースライムと根菜をアップルビネガーで和えて辛みの
きつい香辛料でアクセントをつけたサラダを摘まみつつ、ミツキが
不安そうに呟く。
﹁ファーグ男爵、闇討ちを仕掛けてくるかな?﹂
﹁どうだろうな。少なくともすぐに仕掛けてくることはないと思う。
いま俺たちを闇討ちすれば誰がやったか一目瞭然だしな﹂
1551
加えて、ライグバレドの技術者や研究者は俺たちの味方になって
いる。精霊獣機には嫌悪感もあるようだが、精霊人機を真正面から
倒せる技術の保持者という事で一目置かれているのだ。
自走空気砲は外観が動物の形をしていない事もあって好評で、研
究したい旨の申し込みが相次いでいる。商品化を検討したいと声を
かけてきた商会もある。
いま俺とミツキを襲撃すれば、最悪の場合ライグバレド全体を敵
に回すことにもなりかねない。工場が林立するこのライグバレドを
敵に回すことはすなわち、精霊人機の部品購入がままならなくなる
ことを意味している。少なくとも、高品質の部品は一切手に入らな
くなると思っていい。
アンヘルの愛機ガエンディがカノン・ディアを受けて大破してい
る以上、ライグバレドを敵に回すのは戦力の大幅減に直結する。負
けを認めてまでアンヘルを無傷の内に引かせたファーグ男爵なら、
ライグバレドを敵に回すことはないだろう。
﹁それって、私たちがライグバレドを出た後は分からないってこと
?﹂
﹁その場合でもしばらくは安心だろう。ほとぼりが冷めるまではフ
ァーグ男爵も迂闊には動けない。それに、決闘日を決めた時にファ
ーグ男爵はギリギリだと言っていた。もう一つの用事とやらの期限
があるんだろう﹂
﹁その用事がなんなのかは気になるよね﹂
ラックル商会がらみだろうけど、とミツキが呟くと、デイトロさ
んが乗り出してきた。
﹁ラックル商会の監視は続けていたんだけどね。決闘の後でファー
グ男爵がラックル商会のライグバレド支店に立ち寄ったのを確認し
たよ﹂
1552
デイトロさんの話では、ラックル商会で二時間ほど過ごしたファ
ーグ男爵はその足でライグバレドを出立したという。人員の関係で
後を追うことまでは出来なかったそうだが、方角から見てガランク
貿易都市に向かったようだ。
そして、ガランク貿易都市にはラックル商会の本店がある。
﹁ラックル商会とかかわりがあるのは確かだけど、何をしているの
かまでは分からない。デイトロお兄さんたちは明日にはライグバレ
ドを出てラックル商会に出入りする人間を逐一監視するつもりでい
るよ﹂
﹁危険じゃありませんか?﹂
一開拓団である回収屋にそこまでする意味があるのだろうか。
俺が首を傾げていると、デイトロさんはフッとシニカルに笑った。
﹁この手の情報は開拓団にも高く売れるんだよ。避けるにしろ、飛
び込むにしろ、危険な情報は手に入れておくに越したことがないか
らね﹂
仕事だったらしい。
﹁それに、ワステード司令官にでもたれ込めば、それだけで儲けは
出るだろう﹂
﹁あ、ワステード司令官には俺たちがもう連絡しちゃいました。ラ
ックル商会までは辿り着いてませんでしたけど﹂
﹁え、抜け駆けはひどいなぁ﹂
﹁デイトロさんとの合流前ですよ。魔導核の市場操作をしている者
がいそうだってことを連絡してあります。多分、ワステード司令官
も独自に調査を始めてるはずです﹂
1553
俺が説明すると、デイトロさんは参ったな、と苦笑した。
﹁ラックル商会とホッグスの繋がりを垂れこんでワステード司令官
に近付き、ボルスでの回収依頼を受注するつもりだったんだけど、
当てが外れたか﹂
そんなこと企んでたのか。
だが確かに、軍の司令官との面識を作るには、ホッグスの件はち
ょうどいい材料ではある。
話を聞いていたボールドウィンが渋い顔をした。
﹁デイトロ兄貴、回収屋だけでボルスに行くのは自殺行為だぜ?﹂
﹁兄貴呼びはやめようか。それにしても、話だけは聞いたけどそん
なに危ないのかい?﹂
デイトロさんは不思議そうな顔をする。
ボルスでの件は新聞でも報道がなされている。撤退戦に参加した
開拓者が噂を流してもいる。
だが、あのスケルトンたちの異常さは実際に戦わないとピンと来
ないだろう。
元々、ある程度の実力を持っている開拓者ならスケルトンは倒す
に容易い相手という認識が強い。新聞での報道も、事前のリットン
湖攻略における超大型魔物による被害が強調されていて、スケルト
ンの脅威度はいまいち分かりにくい。
新聞記者としては、スケルトン如きにやられたと書くよりも未知
の超大型魔物にやられたと書く方が世間の耳目を集めやすいと判断
したのだろう。未知の超大型魔物なんて字面はロマン満載だしな。
ボールドウィンが口を開く。
1554
﹁魔術を使ってくる上に学習能力が高いし戦術まで身に付けてる。
下手な戦力でぶつかったらスケルトンの連携とか戦術を鍛えるだけ
に終わりそうなんだ﹂
﹁人型魔物を相手にするつもりでいた方が良いって事かな?﹂
﹁いや、人型魔物より質が悪い。何しろ、戦術を組み立ててるのは
おそらく頭蓋骨の中に潜んでいる白い小型人型魔物なんだ。スケル
トンを倒しても、白い人型が生きてさえいれば、学習して戦術を練
り上げてくる﹂
﹁精霊人機部隊の方が性質としては近いわけだ﹂
デイトロさんが納得したように頷いた。
ガエンディを壊されてもアンヘルが無事だったように、精霊人機
部隊は機体を壊されても操縦士が無事ならすぐに戦力を立て直すこ
とができる。生身と違って敗北してもそれを経験として昇華し、す
ぐに戦いに出られるというのは強みだ。
こうすれば勝てる、という経験も大事だが、生身ではこうしたら
負ける、という経験が得られにくい。双方の経験を実戦で培える精
霊人機部隊がいかに恵まれているか分かるというものだ。
そんな精霊人機部隊の特権を、白い人型はスケルトン部隊で享受
している。
ミツキの隣で炭酸飲料を飲んでいたタリ・カラさんが口を挟む。
﹁戦うなら殲滅するつもりでいないと足を掬われます﹂
戦うほどに強くなるのなら一度の戦闘で全滅させなければ後々取
り返しのつかない事になるというのは、あの撤退戦を経験した者の
総意だろう。
だからこそ、ワステード司令官も魔導狙撃銃を配備して訓練を施
そうとしているのだから。
1555
﹁頭蓋骨の中の魔物か。大型スケルトンにはアカタガワ君の狙撃の
効果が薄いんだったね。自走空気砲でもダメなのかい?﹂
﹁無理でしょうね。砲弾を重くすれば可能かもしれませんが、砲弾
の重量を上げるとその分砲身を長くしないといけません﹂
砲身内で砲弾を十分に加速させてから撃ちださないと、射程が短
くなりすぎる。
それに、取り回しのしにくい自走空気砲を持ち出すのは防衛戦の
時だろう。ボルスを奪還するのならば精霊人機に魔導銃を持たせた
方が手っ取り早い。カノン・ディアほどの威力が出なくとも、扱う
銃そのものが大きければ銃弾も大きく、重くできる。幸いなことに
魔力消費量が変わるだけで火薬の調達を考えなくていい。
精霊人機が狙撃銃を使えるようになればそれだけでスケルトンの
群れに対して優位に立てるのだろうが、そこまでの腕を持つ操縦士
がいるかどうか。
タリ・カラさんがミツキに勧められたサラダにフォークを伸ばし
ながら、予想を語る。
﹁現実的な作戦としては歩兵に対物狙撃銃を配備して小型スケルト
ンを適宜攻撃しつつ、大型スケルトンに対しては精霊人機部隊で囲
んで叩く形になるでしょう。魔術が使えるとはいえ、小型スケルト
ンは精霊人機の敵ではありませんから﹂
いくらかの情報交換の後、デイトロさんがテーブルに着いている
ボールドウィンやタリ・カラさん、俺とミツキを見回す。
﹁この後、君たちはどうするんだい? ボルス奪還戦に参加するの
かな?﹂
タリ・カラさんは少し迷うそぶりを見せたが、頷きを返した。
1556
﹁ボルスの奪還に協力すれば、周辺に開拓村を作る際に援助を貰え
る可能性がありますから、参加するつもりです﹂
﹁月の袖引くはボルス周辺に開拓村をつくるつもりなんですか?﹂
リットン湖攻略戦に出るロント小隊長の救援依頼で、月の袖引く
が出した条件はリットン湖周辺に村を作る際の後ろ盾になる事だっ
たはずだ。
リットン湖に開拓村をつくる計画は諦めたのかと意外に思ってい
ると、タリ・カラさんは苦笑した。
﹁ボルスに周辺の魔物が集まっている以上、殲滅してしまえば周辺
はしばらく安全になります。幸い、今回の技術祭でビスティのスラ
イム新素材やウォーターカッターに注目が集まり、資金の目途が付
きました。ボルス周辺であれば、ビスティの持つ植物の栽培も十分
可能との話ですから、この機会を逃す手はないでしょう﹂
開拓村は準備が整っていない初期の頃が最も魔物の脅威にさらさ
れる。
ボルス奪還作戦の過程で周辺の魔物が駆逐されれば、最も危険な
初期の開拓村の防衛に回す人手を資材運搬などに回すことができ、
防衛網の構築を早く済ませて恒久的に安全を確保できるという考え
らしい。
マッカシー山砦からボルスまでは少々距離があり、途中に宿を提
供できる村を作れば収入も見込めるという。香辛料などの栽培と合
わせて二足のわらじというわけだ。
加えて、ワステード司令官との面識があるのも大きい。周辺地域
の防衛を行う軍の司令官との繋がりは強力なカードになるだろう。
ラックル商会も迂闊には手が出せなくなる。
1557
﹁レムン・ライも歳です。団員の中にはそろそろ前線を引退するべ
き年齢の者も多い。そろそろ、落ち着く場所が欲しいんですよ﹂
タリ・カラさんの言葉を真剣に聞いていたボールドウィンが鼻の
頭を掻いた。
﹁ウチは団員がみんな十代だからな。遊びたいってわけじゃないけ
ど、もっと名を売りたいのが本音だ。それに、大型スケルトンには
借りがある﹂
青羽根も参戦予定と。
回収屋はラックル商会の調査を継続するつもりだというし、開拓
団の戦力は撤退戦の時とさほど変わらない状況になりそうだ。
﹁それじゃあ、一度ここで解散だな。俺とミツキはデュラに向かう
から﹂
﹁デュラに?﹂
心配そうな顔をするボールドウィンとデイトロさんに、ミツキと
揃って苦笑を返す。
デュラの住人と俺たちの関係を知らないタリ・カラさんだけがき
ょとんとしていた。
﹁ミツキの家の掃除に行くんだ。ついでに、荒らされないように色
々と仕掛けておく﹂
納得したように、ボールドウィン達は頷いた。
1558
第十七話 ミツキの家への訪ね人
ライグバレドを出発して、俺はミツキと共に一路デュラを目指し
た。
青羽根や月の袖引くとは別行動だ。途中までは道も同じなのだが、
デュラ郊外にあるミツキの家に番犬用の精霊獣機を仕掛けるために
は早く現地に向かわなくてはならない。
﹁家の掃除をしてから精霊獣機を組み立てて⋮⋮。四日くらいはか
かるかな?﹂
ミツキが予定を組み立てながら指折り数える。
俺はミツキの見立てに同意した。
﹁四日か、五日くらいかかるだろうな。デュラの連中でなくとも、
人型魔物に荒らされている可能性もあるし﹂
﹁そっちは考えてなかったなぁ﹂
ミツキの中では魔物以上にデュラの人間の方が危険らしい。
街道を無視して森を突っ切っていると時折索敵魔術の反応がある。
街道からは離れており周囲に村もないため、駆除せずに反応を迂
回して進む。
車両で走れば二日は掛かるライグバレドとデュラの間を半日で駆
け抜け、昼もいくらか過ぎた頃には遠くにデュラが見えてきた。
街道に出て速度を緩めながら、ミツキを見る。
﹁中に入るか?﹂
1559
ミツキの家はデュラの郊外にあり、わざわざ町の中に入る必要は
ない。
ミツキは少し考えるそぶりをして、首を縦に振った。
﹁入っておこう。様子も見ておきたい。それに、私たちが帰って来
たって知っていれば家にちょっかい出す人もいなくなるでしょ﹂
港町の借家を守る番犬型精霊獣機プロトンの事はデュラの連中も
知っている。盗みに入ったりすればどんな目に合うかも、何人かは
実体験として知っているはずだ。
俺たちが到着したことを知れば、留守を狙ってくる者は少ないだ
ろうと考えられる。
﹁分かった。町中をぐるりと回ってから、ミツキの家に向かおう﹂
﹁ギルドは寄らなくていいね。因縁つけられるのが眼に見えてるし﹂
一応、開拓者は最寄りのギルドへ到着を知らせる義務がある。
魔物の脅威が身近な新大陸において、魔物に対抗する戦力として
開拓者を動員することがあるためだ。
﹁港町に届け出を出しておこう。あっちのギルドなら俺たちの事情
も知ってるから、便宜を図ってくれるだろ﹂
﹁それが良いね。プロトンの魔力供給も必要だし、一度借家に戻る
ことも考えないと。それとも、本格的にデュラに引っ越しちゃおっ
か?﹂
﹁デュラに引っ越すといろいろ面倒そうなんだよな﹂
主にご近所付き合いとか。
乗り気でない俺を見て、実際に住んでいた事のあるミツキは否定
するように首を横に振る。
1560
﹁デュラからは程よく離れてるし、基本的に誰も来ないから大丈夫
だよ。なにより、二人っきりになれる﹂
﹁それは少し心惹かれるな﹂
﹁そうでしょう﹂
にこにこ笑いながら、ミツキはパンサーの頭に両肘を突く。
﹁美少女と二人きりだよ。役得だよ?﹂
﹁自分で美少女っていうなよ。確かに可愛いけどさ﹂
言葉を交わしている内にデュラに到着する。
人型魔物との戦闘の影響もあって、町を囲む防壁はボロボロだ。
立ち入り規制は解かれたようだが、まだあまり人は戻ってきてい
ない。
それもそのはず、デュラの町中に無事な建物はほとんどなかった。
人型魔物との戦闘で壊れた物もあるが、大型魔物であるギガンテス
が邪魔な建物を積極的に破壊したためでもあるらしい。
家を再建するまでは他所で暮らしている住人が多いのだろう。通
りを歩くのは大工や開拓者ばかりだった。瓦礫の撤去をしている精
霊人機は正直見たくなかった。
﹁全く手付かずの地域もあるな。逃げ遅れたってわけでもなさそう
だけど﹂
町の端の方から集中的に直していこうという雰囲気でもない。
﹁多分、蓄えがないんだと思うよ。デュラが陥落してもう一年経つ
から、他所で生活していた人の中にはお金をほとんど持ってない人
もいると思う。後はデュラに愛想を尽かせて別の場所に定住したと
1561
か﹂
いつまで続くか分からない避難生活の中で定住を決めてしまう人
もいるという事か。
旧大陸に渡った人もいるだろうし、かつての活気が戻るのはだい
ぶ先になるのだろう。
デュラの住人に睨まれながら町を見て回り、再び外に出る。
ミツキの家に向かう道を進んでいくと、数台の馬車や運搬車両と
すれ違った。復興資材を乗せているようだ。
分かれ道が見えてくる。
この先化け物屋敷と書かれた看板を華麗にスルーして道を曲がり、
道なりに進んだ先にミツキの家はあった。
﹁無事みたいだな﹂
原形を留めないほど壊れている可能性も考えていただけにほっと
する。
﹁庭は荒れ放題だけどね。家庭菜園まで悲しい事に⋮⋮﹂
ミツキの視線の先には雑草だらけの庭と倒れた支柱があった。獣
が入り込んだのか、食い荒らされたきゅうりらしきものの残骸が転
がっている。
玄関扉に鍵を差し込んでドアノブを引くと、軋む音を立てながら
扉が開いた。鍵が無事という事は、内部にはこの一年間誰も入らな
かったとみていいだろう。外から見る限り窓も破られてはいなかっ
たし。
﹁うわぁ、埃だらけ﹂
﹁⋮⋮食品庫もそのままだったよな?﹂
1562
デュラで上がる火の手を見てすぐに逃げ出したのだ。子供の体格
の俺たちが二人で運べる最低限の物しか持ちだせなかった。
当時は二人とも体を鍛えてさえいなかったからな。
ミツキはげんなりした顔でキッチンの方を見る。
﹁一人暮らしだったから腐りやすい物は買ってなかったけど、それ
でも野菜はあったんだよね﹂
﹁換気しながら取り掛かるか﹂
魔術も覚えたし。
キッチンの床下にある食品庫への扉を開ける前に、俺たちは覚悟
を決める。
真面目な顔で向き合ったのだが、ミツキが唐突にくすりと笑う。
﹁ゾンビ映画みたい﹂
﹁腐敗臭と戦うところだけはそっくりだな﹂
扉を開けるとムワっと鼻を突く臭いが漂ってきた。
﹁圧空!﹂
気合を込めて技名を叫んでみる。ゴウと噴き出す風が腐敗臭を吹
き飛ばし、家の中に充満する前に外へ吹き散らした。
開発してよかった、と心底思う。
ミツキがいつの間にか取り出した黒板を指すときに使う指示棒を
食品庫の中へ向ける。
﹁突入!﹂
﹁おう!﹂
1563
どたどたと音を立てながら食品庫の中へ踏み込み、息を止めなが
ら腐った野菜類を二重にした皮袋の中へ放り込む。
あらかた片付けた後、圧空を発動して食品庫の中から臭いを追い
出した。
﹁ミツキ大佐、制圧完了しました!﹂
﹁ご苦労。では次なる任務、ごみ出しを命ずる!﹂
﹁イエス、マム﹂
﹁マイフェアレディと呼びなさい﹂
﹁カッコつかないだろ、それ﹂
ここは高級住宅街でもなんでもない、ミツキの家以外には無人の
郊外だ。
ミツキはロンドン橋落ちたを歌いながら掃除を進めていく。そっ
ちかよ。
ゴミ出しを終えた俺も床掃除を手伝い、不用品を運び出した。
ざっと掃除を終えて、夕食をミツキに任せた俺はディアやパンサ
ーを置いてある庭に出た。
﹁草刈りもしないとな﹂
雑草が伸び放題になっており、周囲が森で囲まれている事もあっ
て虫が飛んだり跳ねたりしている。野菜の王国が野生の王国になっ
ていた。人間に飼いならされた野菜たちは駆逐されたらしい。これ
が自然淘汰か。
草刈り機でも作ろうかと思いつつ、ディアに引かせてきた番犬用
精霊獣機の部品を家の中へ運び込む。
﹁予定より少し小型にした方が良いか﹂
1564
ミツキが魔導銃の特許料で建てたこの家は一人暮らしに過不足な
い程度の広さである。拠点にしている港町の借家においているプロ
トンと同じ大きさにしてしまうと、自由に動けなくなる恐れがあっ
た。
家主に相談しようと思ってキッチンを覗いてみると、ミツキの姿
がない。
どこに行ったのだろうか。
ここでミツキの部屋に行ったらきっとラッキースケベ的な展開に
︱︱なぜだろう、ミツキが待ち構えている気がするのは。
この手のお約束展開であざといことしないはずがないよな、ミツ
キの性格だと。
俺は窓を開いて立てつけを確かめる。カラカラと音がするという
事は、二階にあるミツキの私室にもおそらく聞こえているだろう。
庭と私室の位置関係も考え合わせると、私室の窓からこっそり俺
の動きを観察している可能性もある。
俺は素知らぬふりで庭に出て、勢いよくミツキの私室を振り仰ぐ。
さっとカーテンが閉じられた。
確定である。
どうせ俺がミツキの私室を訪ねない限り出てこないつもりだろう
し、向かうとしよう。
二階に続く階段を登る。
二階の廊下には小さな窓が隅に一つだけあり、この家の裏手にあ
る森を見ることができる。
部屋は二つ、片方はミツキの私室でもう一つは風呂場だ。
ミツキの部屋の前に立ち、ノックする。突然開けるなんてお約束
はしない。ミツキの思惑に乗ってやる気はないのだ。
﹁ミツキ、ディオゲネスの大きさで相談があるんだが、入ってもい
いか?﹂
1565
そういえば、番犬用精霊獣機の名前、本当にディオゲネスにする
つもりなのだろうか。
部屋の中から返事はない。
お約束を再現するならばあくまでも気付いていない振りをしなく
てはならないからだろう。
なんでこんな下らない事で読み合いなんかしてるんだ、俺たちは。
﹁ミツキ、いないのか?﹂
って聞いていないって答えるわけはないな。
﹁いないな。代わりに料理作っておくぞ﹂
﹁︱︱ちょっと待ったぁ!﹂
バタンと扉が開かれる。
﹁なんでお約束展開を忠実になぞらないかな? 実は着替えてまし
た。期待したの? ねぇ、期待したの? って、煽るつもりだった
のに台無しじゃん!﹂
﹁質の悪い計画立てんな﹂
あからさますぎたから警戒してたんだけど、結果的によかった。
着替えが終わっているというミツキの言葉は事実だったらしく、
動きやすい旅装から室内着に着替えていた。珍しくスカートである。
それもミニ。
薄い青のシャツに紺のカーディガンを羽織っている。カーディガ
ンの袖が長く、あざとくも萌そでにしていた。自然と目線が行くよ
うに白い線が袖口をぐるりと一周している。
1566
﹁どう? 萌える?﹂
﹁うん、かわいい、かわいい。とってもかわいい﹂
﹁うっわ、適当だなぁ﹂
ミツキが不満そうに唇を尖らせた直後、一階の玄関で呼び鈴が鳴
った。
反射的に自動拳銃を抜こうとしたミツキが寸前で動きを止め、首
を傾げた。
﹁デュラの人なら呼び鈴は鳴らさないね﹂
﹁どうだろうな。復興資金を出せ、とか平然と言ってきそうな気が
するんだが﹂
﹁あぁ、それなら最低限の礼儀として呼び鈴を鳴らす事は有り得る
ね。どうしよっか。居留守使う?﹂
平然と居留守が選択肢に入っているあたり、ミツキが引きこもり
に逆戻りしかけている気がする。
﹁庭にディアとパンサーを停めてるから居留守にも気付かれるだろ﹂
﹁それもそっか。じゃあ、出るしかないね﹂
嫌々です、と言わんばかりにため息を吐くミツキを連れて階段を
下り、護身用の自動拳銃を背中で隠しながら扉の前に立つ。
﹁ドアスコープとかないんだな、ここ﹂
﹁訪ねてくるのは敵だけだったからね﹂
どんな鎖国制度だよ。
いつでも戦闘に入れるように身構えながら、扉を押し開ける。
1567
﹁あ、わたくしは︱︱﹂
扉を開けきる前から、訪問者が自己紹介を始めた。
﹁ウィルサムというものですが﹂
﹁︱︱は?﹂
間抜けな声を出しつつ扉を開けきって、訪問者の顔を見る。
バランド・ラート殺害事件の容疑者、ガランク貿易都市近くの隠
れ家でも戦ったウィルサム本人がそこにいた。
﹁⋮⋮え?﹂
俺とミツキ、ついでにウィルサムの三人の声が重なった。
1568
第十八話 遅きに失した情報提供者
ウィルサムの姿を認識した俺はすぐさま玄関を飛び出す。
ウィルサムはすでに後ろに飛び退いて構えを取り始めている。
ミツキが玄関で自動拳銃の射撃体勢を確保しており、ウィルサム
に狙いを定めていた。
俺もウィルサムに対して自動拳銃を向け、出方を窺う。
ウィルサムは俺とミツキを見て混乱しているようだった。
﹁なんで貴様らがここに⋮⋮?﹂
ウィルサムに問われて、俺は内心首を傾げた。
明らかに俺たちがいる事を知らなかった者の反応だ。
ここは周りを森で囲まれており、ミツキの家以外に民家はない。
街の防壁の外に家を建てる物好きはまずいないから、訪ねる家を間
違えたという事もないだろう。
つまり、ウィルサムは誰が住んでいるか分からずにこの家を訪ね
てきたことになる。
バランド・ラート博士の研究資料を持ち逃げした可能性のあるウ
ィルサムが、転生者であるミツキの家を偶然訪ねたとは思えない。
︱︱もしかするとこいつ、転生者を探してるんじゃないのか?
仮にそうだとしても、何故探してるのかも分からないせいでこち
らから暴露する事も出来ない。
ウィルサムは警戒するようにミツキの後ろ、家の中を睨んでいた
が、誰も出てこないと分かると周囲の森に視線を走らせてから両手
を頭の高さに挙げた。
﹁戦う前にいくつか訊ねたいことがある﹂
1569
ウィルサムはそう言って、俺達を見た。
両手を挙げているのは交戦の意思はないという意思表示なのだろ
うが、ウィルサムが凄腕の魔術師だというのはガランク貿易都市近
くの隠れ家での戦闘で知っている。その気になればあの体勢からで
も攻撃魔術を放ってくるだろうから、俺もミツキも気を抜かずに銃
口を向けていた。
しかし、俺たちが引き金を引かない事で話をする余裕はあると判
断したのか、ウィルサムは続けた。
﹁きさ︱︱あなたたちはバランド・ラート博士の事を調べているの
か?﹂
ウィルサムの質問に対し、ミツキが俺に目線でどうするか聞いて
くる。
俺たちがバランド・ラート博士について調べている事は新大陸派
に知られるとまずい情報だと思うが、ウィルサムが新大陸派と繋が
りがある可能性は低い気がする。
少なくとも、現在手元にある情報を総合する限りでは、新大陸派
はウィルサムがバランド・ラート博士殺害事件の現場から持ち去っ
た可能性のある研究資料を手に入れるため、ウィルサムを追い駆け
ている可能性が高い。
俺はウィルサムを警戒しつつ、口を開く。
﹁バランド・ラート博士の殺害現場の宿、その階段でお前とすれ違
ったのが俺だ。覚えてるか?﹂
質問に質問で返すなと言われそうだが、俺はあえてウィルサムの
質問を無視して問いかけた。
ウィルサムは顔を顰め、俺をじっと見つめる。
1570
﹁⋮⋮宿の店主の後ろにいた、大荷物を担いだ子供か?﹂
﹁そうだ。バランド・ラート博士を看取ったのも俺だ﹂
﹁そうか。何か言っていたか?﹂
﹁言っていた。こんなところで死ねないってな﹂
重要な部分を伏せすぎて凄まじい要約になったが、嘘は言ってな
い。
ウィルサムはじっと俺を見た後、ミツキをちらりと横目に見る。
﹁二人、か﹂
﹁そうだ﹂
ウィルサムはしばらく考え込んでいたが、やがて諦めたようにた
め息を吐き出した。
﹁ここに二人で住んでいるのか?﹂
﹁以前はミツキの一人暮らしだ﹂
デュラで調べればわかる事でしかないが、もしもウィルサムがバ
ランド・ラート博士の研究資料を持ち逃げしていて、なおかつ異世
界の魂が召喚された事を知っているのなら、ここで襲いかかってく
る可能性が高い。
いつでも動けるように身体強化の魔術の強度を高めた俺だったが、
ウィルサムは空を仰いで深々と疲れたようなため息を吐いた。
﹁君たちが異世界の魂であっているようだな。まったく、バランド・
ラートはなんてことをするんだ﹂
やっぱり、俺たちが異世界の魂持ちだと知ってたか。
1571
ウィルサムが俺たちに向き直る。
﹁君たちと戦うつもりはない。以前、ガランク貿易都市の近くの森
で攻撃したことを謝りたい。新大陸派の人間と誤解したんだ。本当
にすまない事をした﹂
そう言って、ウィルサムが俺たちに向かって深々と頭を下げてき
た。
﹁︱︱なんていうとでも思ったか、とか不意打ちしてくるつもり?﹂
ミツキが警戒もあらわに訊ねると、ウィルサムが目を白黒させて、
首を横に振った。
﹁しない。ともかく、最初から話した方がよさそうだ。少し長い話
になるが、ここで話しても構わないだろうか?﹂
ウィルサムも自分が疑われている事は自覚しているらしく、家の
中へ上げろとは言わなかった。
銃を構えていてもいいのなら、と条件を付けると、ウィルサムは
頷いて話し出した。
﹁私はバランド・ラート博士の知り合いであり、護衛だった。博士
からは、研究成果を狙っている者がいるから護衛してほしいと依頼
されていたのだ﹂
﹁護衛?﹂
つまり、宿でバランド・ラート博士を殺害したのは⋮⋮。
﹁博士は新大陸派に殺された。殺されたのだと思う。博士の研究資
1572
料はケースに入れて私が持っていた。当時は内容など全く知らなか
ったのだが、刺客の凶刃に倒れた博士は私にケースを持って逃亡す
るようにと言い残した。研究資料の中身を読み、後を引き継いでほ
しい、とも﹂
俺とミツキが一瞬殺気立つと、ウィルサムは首を横に振って﹁最
後まで聞いてくれ﹂とため息交じりに呟いた。あまりにも疲れ切っ
た声に、俺もミツキも殺気を静めて話を聞く。
﹁博士が向かっていた新大陸行きの船に乗ってデュラに向かった。
船の中で初めて資料を読み、驚いたよ。新大陸派の軍が狙っていた
理由も分かった。しかし、何よりその研究は理不尽で、君たちのよ
うな存在をこの世界に産んでしまった﹂
そう言って、ウィルサムはまた頭を下げた。
﹁この世界の人間として謝罪する。申し訳なかった﹂
﹁⋮⋮その研究資料を見せてくれ﹂
ウィルサムの謝罪には取り合わず、研究資料の提出を求める。ウ
ィルサムがどれくらいの情報を持っているのか分からない以上、謝
罪も何についてのものか漠然としすぎていて許す事も怒る事も出来
ない。
ウィルサムは片手を挙げたままもう片方の手でスーツケースを地
面の上に置いて、開いて見せる。中には確かに資料らしき紙の束が
入っていた。
ミツキに警戒を頼み、俺はスーツケースに近付く。罠が仕掛けら
れている様子もない。
スーツケースの中身は確かに研究資料だった。とはいえ、内容は
俺たちがすでに得ているものと大差がない。旧大陸にいた頃に書か
1573
れたらしい手記も入っていたため、ざっと流し読む。
﹁旧大陸にいる間も異世界の魂を探して旅をしていたのか。俺たち
以外には異世界の魂を召喚してないみたいだな﹂
後ろのミツキにも聞こえるように報告する。
ウィルサムがここにある研究資料をすべて読んだのであれば、知
っている情報も俺たちと大差がないだろう。護衛という事はバラン
ド・ラート博士本人から直接何か話を聞いている可能性もあるか。
後程詳しく調べることに決めて、俺はスーツケースを閉じて持ち
上げる。
﹁この研究資料はもらっても構わないな?﹂
﹁君たちが何も知らなかった場合に説明するための資料としてここ
まで守り抜いてきたものだ。好きにしてくれ。ただし、異世界の魂
を召喚する方法については処分してほしい﹂
﹁当然だ。俺たちも自分の仲間を増やそうとは思ってないよ﹂
ウィルサムの了解も取れたことで、俺はスーツケースを持って下
がった。
﹁さっきの謝罪だけど、ウィルサムは謝る必要がない。何も知らな
かったんだろう?﹂
﹁だが、この世界の人間の事情に君たちを巻き込んだのだ。謝罪す
べきだろう﹂
﹁責任感が強いのは良い事だと思うけど、全人類の代表を一人で務
めるのはさすがに荷が勝ち過ぎてると思うよ﹂
ミツキにも言われて、ウィルサムは初めて笑った。疲れ切った顔
だったが、幾分か救われたような顔だ。
1574
ウィルサムもどちらかと言えば被害者だろう。本人の言葉を信じ
れば、バランド・ラート博士殺害の濡れ衣まで着せられている。
俺はひとまず銃を下ろした。
﹁ここに訪ねてきたのはバランド・ラート博士が訪ねる予定だった
からか?﹂
﹁デュラまではそうだ。だが、この家を訪ねたのは博士の手記に魔
導銃を発明したという幼き才媛の業績や年齢から異世界の魂を持っ
ている可能性が高いと書かれていたためだ。本当ならば去年訪ねた
かったのだが、家を発見するためにデュラで聞き込みをしている途
中にギガンテス率いる人型魔物の襲撃があってね。巻き込まれてし
まった﹂
あの時デュラにいたのか。
なんというか、この人相当な巻き込まれ体質ではないだろうか。
所属不明の軍に追いかけ回されたり、下手しなくても俺より過酷な
新大陸生活してるぞ。
少し同情してしまう。
﹁今日ここを訪ねたのはどうして? 私たちが帰って来た事をどう
やって知ったの?﹂
ミツキの質問に、ウィルサムは庭に停めてあるディアとパンサー
を指差した。
﹁人型魔物の討伐が済んでデュラが解放されたと聞き、君が帰って
きているのではないかと足を運んだのだ。この家の主が戻ってきた
とデュラでも噂になっていた。その兵器は人目を引くからな。思え
ば、その二機も異世界の記憶や価値観に基づいて作りだしたものな
のか。頭ごなしに否定して、本当に申し訳なかった﹂
1575
そんなぺこぺこ頭を下げなくても。
ガランク貿易都市の近くで戦った時は化け物みたいな強さだった
のに、こんな謝り癖が付いている人だったのか。
ミツキも毒気を抜かれたように自動拳銃を下げた。俺と同じで身
体強化は発動し続けているから、完全に警戒を解いたわけではない
だろう。
﹁おおよその事情は分かったよ。もう少し聞きたいこともあるけど、
指名手配犯だから町には泊まれないよね。野宿するの?﹂
﹁そのつもりだ﹂
ウィルサムの返事を聞いて、ミツキが困ったように俺を見る。
味方とは断定できないため家の中に入れるのは論外だが、バラン
ド・ラート博士に関する重要な情報源でもあるから無碍にはできな
い。
﹁テントを貸そうか?﹂
﹁いいのか?﹂
ウィルサムに聞かれて頷きを返す。妥協できるのはここまでだ。
﹁まだ聞きたいこともあるから、近くにいてほしいんだ。新大陸派
の事とか、どこまで知ってる?﹂
﹁新大陸派の事か。これも話せば長くなってしまうな﹂
ウィルサム曰く、ある程度の事は博士の手記からも読み取れると
の事で、ひとまず解散する。
道からは見えない森の中に入って行ってテントを組み立て始める
ウィルサムを横目に見て、ミツキと共に家の中に入る。万が一に備
1576
えてディアとパンサーも一緒だ。⋮⋮狭い。
玄関の扉を閉めてミツキが前髪を弄りながらため息を吐く。
﹁妙なことになったね﹂
﹁あぁ、変なのが転がり込んできたな﹂
ミツキがふと思い出したように手を叩く。
﹁この家にしては珍しく敵じゃない訪問者のヨウ君が来たときはデ
ュラが陥落したんだよね。なら今回も︱︱﹂
﹁どんなジンクスだよ。物騒すぎるわ﹂
1577
第十九話 旧大陸での歩み
ウィルサムの持ってきた研究資料をリビングに持って行き、テー
ブルの上に広げる。
﹁この悪筆っぷりはバランド・ラート博士の物で間違いなさそうだ
な﹂
ウィルサムが用意した偽物という可能性も考えていたが、手元に
ある資料と照らし合わせる限りバランド・ラート博士の筆跡と一致
する。この悪筆を真似るのは難しいだろう。
新大陸での研究成果をまとめた物と、旧大陸に渡った後の研究資
料に大別できるため、俺は新大陸での資料に目を通す。旧大陸側の
資料はミツキの分担だ。
新大陸での研究資料は俺とミツキで事前に調査した物と違いはな
い。綺麗にまとめてはあるのだが、何分悪筆な物で読みにくい事に
変わりはない。
バランド・ラート博士もこの研究資料を公開するつもりはなかっ
たようだから、清書する必要性を感じなかったのだろう。
ミツキが俺を見た。
﹁旧大陸に渡った後も異世界の魂を探しながら旅をしていたみたい
だけど、研究そのものは滞ってるよ。異世界の魂を見つけるのが先
決だと思ってたみたいだね﹂
新たな発見もない事はないけど、とミツキが一枚の資料を差し出
してくる。
ミツキの表情から察するに愉快な情報は書かれてないだろうな、
1578
と覚悟を決めながら資料を受け取った。
資料に書かれていたのはバランド・ラート博士の考察だった。
﹁召喚魔法を分析した結果、異世界の魂は魔力を吸収する能力を持
たない可能性がある?﹂
どういう事だ。
資料を読み進めると、召喚魔法で魂を召喚する場合、召喚対象の
魂が魔力を吸収するため魔力ロスが出るはずだとバランド・ラート
博士は気付いたらしい。
しかし、俺やミツキの魂を召喚した際には、召喚魔術そのものの
魔力しか消費しなかった。つまり、召喚対象に指定されていた俺や
ミツキの魂は魔力を食らわなかったことになる。
当然ながら、魔力を食らわなかった以上、前世の記憶の消去は行
われない。
結果、バランド・ラート博士は異世界の魂が前世の記憶を有した
まま転生したと仮定して調査に当たったという。
各地の神童や天才児の噂を収集し、ついにデュラに住む幼き才媛
ミツキに辿り着く。
魔導銃という既存の技術体系から明らかに外れている特許技術を
理論から組み立てた才覚を、バランド・ラート博士は前世の記憶に
よるものと推測した。
﹁決め手は魔導銃だったのか﹂
﹁予想はしてたけどね。でも、問題なのはそこじゃなくて前の文だ
よ﹂
﹁俺たちの魂に魔力を吸収する能力がないって奴か﹂
魂そのものに魔力を吸収する能力がない以上、俺たちはこれから
先記憶を保持し続けたまま転生を繰り返すことになる。
1579
覚悟は決めていたのだが、改めて研究資料として書き残されると
ため息が出てくる。
﹁魔力の精製、放出は肉体の役割、魔術の発生は精霊が魔力を食べ
ることによる生理現象。私たちの魂が魔力を取り込めなくても、肉
体さえあれば魔術は使用できるから、バランド・ラート博士の考察
を否定する材料はないね﹂
俺たちはどちらともなく向き直り、丁寧に頭を下げた。
﹁不束者ですが末永くよろしくお願いします﹂
一字一句違えずに声を揃えて、二人で笑いあう。
いまさら、前世の記憶が消えない事で長々と凹む事はない。
研究資料をあらかた読み終わり、バランド・ラート博士の手記を
開く。
手記には旧大陸に渡る前、ガランク貿易都市からの出来事が書い
てあった。
﹁ホッグスの使いからの接触あり、か﹂
デュラに到着した直後にホッグスからの使いが宿に訪ねてきたと
いう記述があった。
どうやら、ホッグスもガランク貿易都市近くにバランド・ラート
博士が潜んでいることまでは突き止めていたようだが、隠れ家その
ものは発見できていなかったらしい。バランド・ラート博士も隠れ
家については話さなかったようだ。
ホッグスが接触を図った理由は、やはりバランド・ラート博士の
研究である魔力袋の人工的な発生方法を知るためだったらしい。
バランド・ラート博士は手記に、魔力袋の発生方法を教えるとす
1580
れば、異世界の魂を使った製造方法を確立してからだと書いている。
異世界の魂の召喚については、この時点でも秘密にしていたようだ。
﹁異世界の魂の召喚なんて遠回りをせずとも、魔力袋さえ得られれ
ばホッグスは満足するだろうし、バランド・ラート博士の選択も妥
当かな﹂
﹁魔力袋の発生方法を教えても、用済みだからと殺されそうだしな﹂
実際、旧大陸の宿で殺されているし。
デュラに到着した途端ホッグスに居場所を掴まれた事で身の危険
を覚えたバランド・ラート博士は、護衛としてウィルサムを雇った
ようだ。
ウィルサムは当時、開拓者としてではなく精霊教会の雇われだっ
たらしい。新大陸での布教を行う司教たちの護衛を務めていたよう
だ。
新聞報道の熱心な精霊教徒というフレーズも、司教の護衛を務め
ていたからなのだろう。
精霊教会に嫌われていたバランド・ラート博士の護衛に鞍替えし
た時点で、熱心な精霊教徒ではないだろうけど。
旧大陸に戻ったバランド・ラート博士は各地を回りながら情報を
収集していた。
しかし、バランド・ラート博士に新大陸派からの接触が相次ぐよ
うになる。
ホッグスの使いではなく、軍の中枢にいるような人間の名前さえ
出されていたようだ。
﹁ミツキ、ここに出ている名前を名簿にしてくれ。俺が読み上げる﹂
﹁ブラックリストだね﹂
﹁まだグレーだな﹂
1581
しかし、バランド・ラート博士はグレーどころか明らかな黒だと
認識していたようだ。
新大陸派は革命か、独立を企てている、とバランド・ラート博士
は考えていたらしい。
新大陸にはライグバレドやガランク・トロンク貿易都市などの経
済基盤が整っており、珍しい香辛料などの特産品もあるため、独立
しても国としての維持は可能だろう。政治体制の確立などの問題点
は多いが、海を隔てた旧大陸の本国が独立を阻止するのは難しい。
革命にせよ、独立にせよ、戦争を経ることは間違いないため、バ
ランド・ラート博士は警戒を深めた。
魔力袋を人工的に発生させる事ができれば、俺がアンヘルを相手
にやったように数の暴力で戦闘を有利に進めることができる。バラ
ンド・ラート博士の研究を悪用し新大陸派が魔力袋を量産すれば、
さらに出生率が落ちてしまう。
異世界から魂を呼び込んで魔力袋に加工し魔導核として使用する
事で、出生率の低下を食い止めようとしたバランド・ラート博士に
とっては見過ごせない事態だ。
しかし、未だに異世界の魂を狙った場所に召喚する事が出来ない
バランド・ラート博士には今までの研究資料を秘匿し続ける以外の
方法が取れなかった。
﹁つまり、新大陸派は異世界の魂が召喚された事を知らない?﹂
﹁そういう事になるな。これで、異世界の魂が召喚された事を知っ
ているのは俺たちとウィルサムの三人だけだ﹂
ウィルサムに関しては口封じするつもりはないけど、誰にも話す
なと念を押した方が良いだろう。
最大の懸念事項だった異世界の魂召喚については俺たち以外に知
らないという事で、今後は無視してもいいだろう。
1582
﹁でも、活動中の魂の減少と出生率低下に関しては放っておけない
んだよな﹂
﹁なんで?﹂
ミツキが首を傾げて訊ねてくる。
﹁俺たちの場合、死んでも記憶を保持したまま生まれ変わるわけだ
ろ。という事は、今のまま魔導核を生産し続けて出生率を低下させ
続けると、最終的には俺たち二人だけになるぞ﹂
﹁人類滅亡フラグが立ってるわけだね﹂
﹁アダムとイブになっても魂が他にないから子供も生まれないしな﹂
そんな事態を招かないために、魔導核をこれ以上増やさないよう
に数量調整すべきだ。
ミツキはこめかみに人差し指を当てて、ムムム、と考える。
﹁地球で言うところの二酸化炭素排出量の制限みたいな?﹂
﹁そんな感じだ。理想としては各国が魔導核の生産量を決めて、生
産した魔導核は何年かしたら魔力を流し込んで消失させる仕組みを
作れればいいんだが⋮⋮﹂
﹁律儀に守ってくれるわけがない、と。それこそ、戦争なんて始め
たら戦略物資になる魔導核を密造したりもするだろうね﹂
魔導核には容量があり、同時に発動できる魔術の数や種類、規模
に制限がかかる。魔術式の改良で容量を節約したりもできるが、こ
の世界の文明の根幹をなす物であるため今後も依存度は高まってい
く事が予想される。
国の存在意義が国民の生活を守り、文明文化を発達させていく事
と定義すれば、国際条約等で制限を掛けても守る国は少ないだろう。
1583
﹁まぁ、それは今後考えていくとして、新大陸派の動きも問題だな﹂
﹁ウィルサムとここで別れても、ウィルサムが新大陸派に捕まった
り殺されたりして持ち物を調べられたら、バランド・ラート博士の
研究資料を持っていない事がばれちゃうもんね﹂
ミツキが窓の外を見る。
ミツキの言う通り、ウィルサムと別れるのは悪手だが、かといっ
て行動を共にするわけにもいかない。本人は濡れ衣だと言っている
が、ウィルサムはバランド・ラート博士殺害事件の容疑者であり、
指名手配犯だ。
﹁ホッグスは俺たちがバランド・ラート博士を調べている事を知っ
ている。仮に撤退戦で死んでいたとしても、他の新大陸派に俺たち
の事を話していないとも限らない。ウィルサムの次は、俺たちにな
るかもな﹂
﹁新大陸派を一網打尽にするしかないね﹂
﹁そうなるな。ワステード司令官に情報提供するのは確定として、
ウィルサムをかくまう事も考えないと﹂
手記を見る限り旧大陸にも新大陸派の人間はいるようだし、ウィ
ルサムに逃げ場はない。
ワステード司令官に相談するか、偽名を使わせてどこかの開拓団
に放り込むか。
ウィルサムは新大陸にきてから一年間逃げ切っているし実力も相
当な物だから、簡単にはやられないと思うけど。
﹁この家に置いておくのは?﹂
﹁万が一、ウィルサムが新大陸派に捕捉された時、ミツキの家に潜
んでいたなんてばれたら、即刻俺たちへも追手がかかるぞ﹂
1584
俺とミツキがウィルサムの関係者ですって言ってるようなもんだ
からな。
﹁ワステード司令官と連絡が取れるまではここでかくまうとしても、
その後はどこかに行ってもらう方がいいかもしれない﹂
﹁命がけで研究資料を守り抜いてくれた相手だけに気が引けるけど、
仕方ないね﹂
ミツキが苦い顔をした。
俺もミツキと同じ気持ちだが、意識を切り替える。
﹁今後の方針としては、新大陸派の革命、または独立戦争の阻止、
そのためのワステード司令官との接触という事になる﹂
﹁それじゃあ、できるだけ早く私の家に番犬を置いておかないとだ
ね﹂
方針を決めて、俺たちはすぐに動き出した。
1585
第二十話 ウィルサムの見解
ウィルサムの来訪で出鼻をくじかれた感はあったものの、翌日か
ら早速番犬用精霊獣機ディオゲネスの作製に取り掛かる。
ミツキの家は港町の借家よりも狭いため、同じ番犬型のプロトン
よりも小さめに作る事となった。
また、今回は町中の借家と違って周囲に民家がない事から、侵入
者が目撃者を気にせず集団でやって来ることも考えられる。
そのため、対集団捕縛用の兵装を新しく考案する。
庭に出て、雑草を抜きまくって開発スペースを作っていると、ウ
ィルサムが顔を出した。
﹁手伝おうか?﹂
﹁いや、悪いよ。気にしなくていいから﹂
﹁そうか? しかしな、何もしないというのも暇なのだ﹂
暇を持て余しているらしいウィルサムは手近な雑草から抜き始め
た。
﹁ありがとう。後で一緒に昼でもどうだ?﹂
﹁いいのか?﹂
﹁草むしりのお礼と彼女の手料理自慢だ。遠慮せずに食ってけよ。
ミツキの料理はめちゃくちゃうまいぞ﹂
﹁では、ご相伴にあずからせてもらおう﹂
ウィルサムと草むしりをしつつ、バランド・ラート博士との旅の
話を聞く。
話を聞く限り、バランド・ラート博士との仲は悪くなかったらし
1586
い。旅先でちょっとした食道楽のようなことをしたり、揃って娼館
に行ったりしていたようだ。
﹁それじゃあ、ファーグ男爵領も通ったのか﹂
﹁通った。数日滞在したはずだ。⋮⋮あぁ、思い出した﹂
懐かしむ様にウィルサムは目を細める。
﹁温泉に入ったり、上等なワインを飲んだり。そういえば、ファー
グ男爵家の精霊人機部隊の訓練も遠目に見学したよ﹂
領民に対して訓練風景を公開する日があり、ちょうど通りがかっ
たのだという。ファーグ男爵家にしてみれば、精霊人機部隊の精強
さをアピールする事で領民が魔物に怯えないで済む様にという配慮
もあるのだろう。
ちなみに、俺は訓練が公開されているなんて初めて知った。家の
中では半ばいない者扱いだったし、使用人さえ必要が無ければ近付
かない部屋に軟禁されていたため、外の情報などろくに知らない。
ウィルサムは抜いた草をまとめて庭の隅に持って行く。
﹁特に隊長機が凄かった。精霊人機でもあれほど速く剣を振るえる
ものなのかと感心したものだ。剣捌きも見事の一言だった﹂
隊長機というと、アンヘルだろう。
俺は決闘で向かい合ったアンヘルの精霊人機ガエンディを思い出
す。
﹁そんなに速かったか?﹂
遅いわけではなかったが、十分に反応できる速度だった。
1587
高速機動を行うディアに乗っている俺の動体視力や反射神経が鍛
えられているから、という理由ではないだろう。以前に見たタリ・
カラさんの愛機スイリュウがシャムシールを振るった時と速度に違
いはないように思えた。
スイリュウはさほどスペックの高い機体ではない。そのスイリュ
ウがシャムシールを振るう速度と大差がないという事は、決闘時の
ガエンディの剣捌きは機体性能を活かしきれていなかったことにな
る。
ウィルサムは俺がアンヘルの乗るガエンディと決闘したことに驚
いている様子だった。
﹁よ、良く生きていたものだ﹂
﹁対策を練りに練ったから当然の結果、と思っていたんだが⋮⋮。
ウィルサムの話を聞くと違う気がしてきた﹂
そもそも、決闘の時にも思ったが、あの時のファーグ男爵の行動
は支離滅裂だった。
決闘を仕掛けた理由が俺による風評被害で家名に傷が付くからと
いうものだったのに、決闘中に特許侵害を堂々と認めるなど矛盾し
ている。百歩譲って特許侵害をするにしても、決闘の場で認める必
要はなかったはずだ。独自開発した全く別の魔術だと嘘を吐いても
良かったのだから。
﹁手加減されていたのではないか?﹂
ウィルサムの意見に、俺は唸るしかない。
﹁アンヘルが手加減する意味があるのか疑問なんだよ﹂
決闘を仕掛けたのだから勝たないと意味がない。俺を殺すことが
1588
勝利の絶対条件ではないとしても、殺したところでデメリットはな
いはずなのだ。
それとも、決闘を仕掛けて俺を生かしておくことにメリットが生
じるのだろうか。
ウィルサムがやたらと根っこが成長した雑草を周りの土ごと掘り
起こしながら、口を開く。
﹁決闘を仕掛けることが目的だったのかもしれん﹂
﹁なんのために?﹂
﹁それは何とも。情報が少なすぎる﹂
根っこから土を払い落としたウィルサムは、他に何かファーグ男
爵の行動に不審な点はなかったかと聞いてくる。
ファーグ男爵がライグバレドで取った不審な行動と言えば、ラッ
クル商会に出入りしていた件やギルドの職員に内通者を作っていた
事などだろうか。俺宛てのワステード司令官の手紙を勝手に開けて
中身を見たりもしていた。
﹁それはつまり、君たちを監視して、決闘で身動きを封じたのでは
?﹂
ウィルサムの予想に頷けるところはあるが、ファーグ男爵は別件
でライグバレドに足を運んだと言っていた。
﹁だめだ。さっぱりわからない﹂
情報が足りなすぎるんだ。
ワステード司令官なら独自に何か情報網を持っていそうだし、訊
いてみるとしよう。
草むしりがあらかた終わった事もあって、俺は立ち上がって腰を
1589
伸ばす。屈んで作業し続けて強張った筋肉をほぐしてから、水魔術
で手を洗った。
﹁これから何を?﹂
よほど暇なのか、ウィルサムは引き続き手伝いをしてくれるつも
りらしい。
俺はディアで運んできた資材を指差す。
﹁俺達の留守を任せる番犬を作るんだ﹂
﹁⋮⋮精霊獣機か﹂
ウィルサムの頬が引きつる。
頭ごなしに否定してすまなかったと詫びていたが、受け入れるか
というと別らしい。
資材を並べて、一つ一つ組み立てていく。
基本構造は港町の借家においてあるプロトンと変わらないが、小
型化を図るために少しだけ設計を変えてある。
脚を組み上げながら、俺はウィルサムに声を掛ける。
﹁ウィルサムはこれからどうするんだ?﹂
こちらの事情もあって、居場所が把握できないのは少し困る。知
らない間に新大陸派に捕まって拷問に掛けられていました、なんて
ことになると目も当てられない。
ウィルサムは塀にもたれかかって空を見上げた。突き抜けるよう
な青い空は雲一つない。
﹁まっとうに生活するのはもう無理だろう﹂
﹁なんか、ごめん﹂
1590
バランド・ラート博士が異世界の魂を召喚した事を知ってしまい、
ウィルサムは律儀にも研究資料を守り通して俺たちに届けてくれた
のだ。
﹁いいえ、君たちは被害者だ。謝らないでほしい﹂
苦笑したウィルサムは腕を組んで考えてから、話し出した。
﹁ひとまずどこかに身を隠すことにしよう。ほとぼりが冷めたら、
開拓者にでもなってどこかに村を作り、のんびり余生を過ごすとす
る﹂
ディアやパンサーと追いかけっこできるほどの魔術師だ。開拓者
になれば引く手あまただろう。
だが、ほとぼりがいつ冷めるのかが問題である。もしも新大陸派
が革命を成功させたりしたら、永遠に狙われかねない。
﹁俺から、ワステード司令官にウィルサムの事を話してもいいか?﹂
﹁ワステード司令官? また凄い伝手だな﹂
ウィルサムは感心したように言って、悩む素振りを見せた。
﹁話すことは構わないが、信用してくれるかどうか。それに、私は
直接会う気もない﹂
これでも指名手配犯なのでな、とウィルサムが困ったように笑う。
俺も、ワステード司令官と直接引き合わせるつもりはない。指名
手配犯を連れて軍事拠点であるマッカシー山砦を訪ねたりしたら、
俺まで捕まる。ワステード司令官もさすがに見過ごせないだろう。
1591
﹁ワステード司令官は旧大陸派だから、新大陸派の企みを知れば積
極的に潰しにかかってくれると思う。というか、すでに動き出して
いるはずだ﹂
リットン湖攻略戦からのホッグスの動きはあまりにも怪しすぎる
ため、ワステード司令官も各所を調べているだろう。
ウィルサムが腕を組んで首を傾げる。
﹁動き出しているって、新大陸派と旧大陸派の間に何かあったのか
? 逃亡生活で新聞もあまり読めず、時事には疎いのだが﹂
﹁あぁ、リットン湖攻略の失敗とボルス陥落、撤退戦は知らないの
か?﹂
俺の質問にウィルサムは頷いた。
やはり知らないのか。とはいえ、この件に関しては新聞報道もあ
まり当てにならなかったりする。
超大型魔物に大型スケルトン、新種の白い人型魔物などの新発見
は記事にもあったりなかったりで、ホッグス達新大陸派がどのよう
に動いたかについては、政治的な問題でも絡んだのか記事になって
いない。
俺は実際にその場で見たことをウィルサムに話す。
ウィルサムは静かに聞き入っていたが、新大陸派がボルスから逃
げ出した辺りでイラつきだしたのが分かった。
指名手配犯になってでも俺たちへ研究資料を届けに来たくらいだ。
正義感はかなり強いらしい。
すべて聞き終えたウィルサムは怒りを吐き出すように重々しいた
め息を吐いた。
﹁そんなことがあったのか。腹立たしい話だがそれは置いておいて
1592
︱︱時間がないようだな﹂
﹁時間ってなんの?﹂
俺の質問に、ウィルサムは意外そうな顔をした。
﹁分からないか?﹂
目を細め、ウィルサムは説明してくれる。
﹁ホッグスの動きは疑ってくれと言わんばかりだ。裏を返せば、疑
われても支障が出ないほど計画が進んでいる事に他ならない﹂
﹁おい、それってつまり⋮⋮﹂
﹁あぁ﹂
ウィルサムは頷いて、深刻な顔で告げる。
﹁︱︱革命の日は近い﹂
1593
第二十一話 再出発
製作を開始してから三日目、とうとうディオゲネスが完成した。
シックな黒で統一されたディオゲネスは当初の予定通りプロトン
よりも小型で、体高が一メートル四十センチ、体長は一メートル五
十センチとなっている。搭載された蓄魔石の品質が良く、体も小さ
いためプロトンより魔力消費量は少ない。
満足してディオゲネスを眺める俺とミツキの隣で、ウィルサムが
眉を寄せている。
﹁犬を模しているのは分かるのだが、何故尻尾が四本も⋮⋮?﹂
﹁九尾の狐とか、ロマンだから﹂
理解できない、とウィルサムが首を横に振る。理解できない事が
理解できない俺も首を振る。
ディオゲネス最大の特徴は四本の尻尾だ。
尻尾の先端には捕縛用の網がそれぞれセットされており、射出す
ると侵入者に網が覆いかぶさる。
網の射出にはパンサーにも組み込まれている魔導手榴弾の投擲魔
術が使われているため、狙いはかなり正確だ。ただでさえ狭い室内
ではまず避けられない。
網そのものは小さく一辺七十センチほど。しかし、四本の尻尾は
それぞれ侵入者の頭、手、足、胴体に対して網を投擲するため、ま
ず逃げ出せない。
また、狭い室内を駆け抜けるに当たり、四本の尻尾が器用にバラ
ンスを取る様になっている。
﹁後は魔力を込めて起動するだけだな﹂
1594
﹁動作実験もしないといけないけどね﹂
組み立てながら各部の動作チェックはしていたためまず問題ない
とは思うが、ミツキの言う通り動作実験もしておいた方が良いか。
ミツキの家にきて今日は四日目だし、一日動作実験に当てても明
日には出発できる。予定より一日早いくらいだ。
ミツキと一緒にディオゲネスに魔力を供給する。
﹁ワステード司令官から手紙は来てるかな?﹂
﹁どうだろうな。デュラのギルドに届いてないのは間違いないだろ
うけど﹂
﹁来ているとしても港町の方だね﹂
ワステード司令官は魔導対物狙撃銃の訓練を兵に施しているはず
だ。
俺とミツキの特許である照準誘導の魔術や機構の使用許可申請も
軍の名義で届いていた。ライグバレドにいる間に許可を出したから、
今頃は何台かの照準誘導機能付きの銃架が製作されているだろう。
﹁ボルス奪還作戦は着実に進んでるね﹂
﹁問題は大型スケルトンだな﹂
対物狙撃銃では大型スケルトンに効果はない。基本的に、大型の
魔物に対して対物狙撃銃は無意味だ。
俺はカノン・ディアという大型魔物に対する攻撃力を有している
が、いくら軍でもカノン・ディアを再現するのは技術的に難しいだ
ろう。真空多薬室砲なんて概念から説明してもついて来れる奴少な
いし。暴発させたら酷い事になる。
ミツキは大型スケルトンの強さを思い出したのか、暗い顔をする。
1595
﹁精霊人機でも手こずる相手だし、真っ向勝負じゃなくて絡め手を
使わないと危険だよね﹂
﹁ワステード司令官の采配にかかっていると言っても過言じゃない
な﹂
ミツキと頷きあった時、ウィルサムが口を挟んできた。
﹁ボルス奪還作戦か。新大陸派が仕掛けるには絶好の機会だな﹂
﹁お前、そういうこと言うなよ。フラグ立っちゃったじゃないか﹂
﹁え? あぁ、すまない﹂
フラグなんて言葉も知らないウィルサムだったが、雰囲気に流さ
れて謝って来た。冗談だったんだけど。
だが、ウィルサムの言う通り、旧大陸派を集めて行うだろうボル
ス奪還作戦は新大陸派が決起するのに絶好の機会だと思う。
例えば、ボルスにいるスケルトンの群れと対峙する旧大陸派の部
隊の後ろ、今回の補給拠点になるだろうマッカシー山砦を新大陸派
が落としたりしたら、ボルス奪還部隊は補給線を絶たれた状態で、
正面のスケルトンの群れと後方の新大陸派に挟み撃ちにされる。
部外者で情報が圧倒的に足りないウィルサムが想像できるくらい
だから、ワステード司令官や旧大陸の本国の軍上層部が予想してい
ないはずもない。
﹁ボルス奪還が先延ばしになる可能性も考えた方が良いな﹂
﹁もしかすると、あえてボルス奪還作戦を決行して新大陸派を釣り
出すことになるかもしれないよ﹂
﹁その可能性もあるか。ワステード司令官に聞くしかないな﹂
もしも挟み撃ちにされる可能性があるのなら、青羽根や月の袖引
くにも相談しないといけない。
1596
ディオゲネスに魔力を込め終えて、起動してみる。
すっと立ち上がったディオゲネスはこの家の中央に当たるリビン
グの端に歩き、お座りの体勢を取った。
ひとまず問題はなさそうだ。
俺はウィルサムを見る。
﹁これからはこの家に入る際に俺かミツキの許可が必要になる。塀
の内側に入る前に俺たちを呼んでくれ﹂
﹁庭も駄目なのか?﹂
﹁例外的に玄関までなら入れるが、庭に回り込もうとしたらディオ
ゲネスが飛んでくる﹂
ディオゲネスには窓を開け閉めする機能までついているため、家
の中に入らなければ大丈夫とは言えない。
ウィルサムは了解した、と言って頷いた。
まぁ、ウィルサムの実力を考えるとディオゲネスが攻撃してきて
もあっさり撃退しそうな気もするが。
﹁それじゃあ、すこし早いけど夕食を作るね。リクエストは?﹂
ミツキが立ち上がり、キッチンへ歩き出す。
﹁餃子作ろうぜ﹂
﹁いまから? 包むのって結構時間かかるんだけど﹂
苦笑するミツキに、俺も手伝うから、とゴリ押ししてキッチンに
向かう。
俺たちのやり取りをウィルサムが眩しそうに見ていた。
﹁突然見知らぬ世界に召喚されてさぞ心細い思いをしているのでは
1597
と思っていたが、大丈夫なようだな。少し安心した﹂
﹁これでも色々あったんだ。悩んだり、落ち込んだり、塞ぎ込んだ
りさ﹂
リビングのソファに座るウィルサムに言い返す。
﹁とはいえ、自業自得の面も大きいから、あんまり大きな声で言え
ないけどな﹂
もう大丈夫、と言える位には割り切ったと思う。
この世界で転生を繰り返す覚悟はもう固めてあるのだ。
一緒に転生を繰り返せるミツキがいるからこそではあるけど。
ウィルサムがほっと溜息をつく。
﹁元の世界に送り返す魔術があればよかったのだが、博士は遺して
逝かなかったからな﹂
﹁最初から期待はしてなかったよ﹂
異世界の魂を魔導核に加工して利用する事しか考えていなかった
バランド・ラート博士が大事な材料である異世界の魂を送還するは
ずがない。
ミツキが小麦粉を軽く練ってから俺に渡してくる。
﹁それに、必要になったら私たちが自分で作るからね﹂
﹁それができるくらいには魔術にも詳しくなったしな﹂
笑いあう俺とミツキを、ウィルサムはいつまでも安心したように
眺めていた。
1598
翌朝、俺たちはミツキの家を出発した。
﹁ウィルサムはどうするんだ?﹂
﹁ワステード司令官から質問があるかもしれないのだろう? 一カ
月ほどこの辺りに潜んでいることにする。毎日深夜にこの家の前を
確認するから、御用があればその時にでも﹂
﹁分かった。テントはあげるから、体を壊さないようにな﹂
ウィルサムとミツキの家で別れ、俺はディアに乗って拠点にして
いる港町へ続く街道を歩き出す。
パンサーに乗ったミツキが街道を見回しながら笑う。
﹁前回この道を通った時は、不安しかなかったよ﹂
﹁人型魔物にデュラが落とされた時だもんな﹂
デュラが陥落してからも、デイトロさんたちの依頼に同行したり
ロント小隊の調査に参加したり奪還作戦に向かったりしたが、ミツ
キの家から続くこの道は通らなかった。
前回はおおよそ一年前、デュラの避難民と一緒に歩いた。
戦うための力もなく、ミツキの魔導銃の特許と開拓学校の入学費
用等の俺の全財産でこの新大陸にただ二人放り出されたのだ。
﹁しばらくは嫌われ者街道を驀進してたな﹂
﹁精霊獣機が嫌われるなんて夢にも思わず開発してたよね﹂
思い出話をしながら港町に向かっていると、街道の先からデュラ
へ向かうと思われる一団がやってきた。
﹁行商人、って感じじゃないな﹂
﹁避難民が帰って来たのかな?﹂
1599
デュラの住人なら面倒事を避けるために街道を外れた方が良いの
だが、おそらく向こうも俺たちを発見しているだろう。
索敵魔術の範囲を狭めていたのがまずかったか。
街道を進んでくるのはデュラの住人で間違いないようだ。しかも、
知った顔があった。
この世界のミツキの両親だ。
向こうも俺たちに気付いたのか、少し戸惑うような顔をしていた。
俺はデュラの住人とミツキの間に入る様に位置を調節する。
すれ違う間に視線が交差したが、どちらから話しかけることもな
かった。
﹁服がボロボロだったな﹂
﹁⋮⋮うん﹂
ミツキは小さく頷くと、腰のポーチから手帳を取り出してページ
を一枚破り、手早くペンを走らせる。
そして、自らの財布を取り出すと何かを書いた紙を入れ、魔導手
榴弾を投げる要領でこの世界の父親に向けて投げつけた。
照準誘導の効果もあってまっすぐにとんだ財布はミツキの父親の
背中に当たって地面に落ちた。
﹁行こう、ヨウ君﹂
ミツキがパンサーの速度を上げるのに合わせて、俺もディアを加
速させる。
あっという間にミツキの両親の姿が小さくなり、道を曲がった瞬
間見えなくなった。
ミツキが速度を緩める。
1600
﹁なんて書いたんだ、あの紙﹂
﹁手切れ金﹂
すでに縁は切られているだろうに、ミツキなりのけじめだろうか。
突っ込むのも野暮だから、俺はミツキの背中を撫でるにとどめた。
街道を道なりに進むこと数時間、途中で魔物に出くわすこともな
く無事に港町に到着した。
デュラとは違って活気のある町だ。デュラの復興資材を一時保管
する場所としても活躍しているらしく、商人が多く見受けられた。
相も変わらずラブホチックなギルド館に入り、受付で到着の手続
きを取る。
﹁到着をお待ちしていました﹂
聞きなれた声に振り返れば精霊人機の部品の購入を代行する係員
が歩いてくるところだった。この町での俺たちの専属みたいになっ
ている。
﹁青羽根と月の袖引くはすでに到着されてますよ。てっきり一緒に
帰って来るのではないかと思っていましたが、今までどちらに?﹂
﹁デュラにミツキの家の掃除などをしに行ってました﹂
﹁⋮⋮大丈夫でしたか?﹂
デュラの住人との確執を知る係員は心配そうに俺たちを見て、怪
我がないと分かると安心したように微笑んだ。
﹁ご無事のようですね。そうそう、お二人にマッカシー山砦司令官
ワステード様より手紙が届いています﹂
そう言って、係員が差し出してきた手紙を受け取り、封を切る。
1601
中にはマッカシー山砦に顔を出してもらいたいと書かれていた。
手紙を覗き込んだミツキが苦笑する。
﹁のんびりする暇もないみたいだね﹂
﹁今回ばかりは仕方がないさ﹂
久しぶりにあのジビエ料理屋に行きたかったのだが、またの機会
になりそうだ。
1602
第二十二話 本国からの救援
ボルスが陥落した現在、マッカシー山砦の戦略的な重要度はかな
り増している。
ボルスを落としたスケルトン種に対する防波堤であるマッカシー
山砦には最盛期には及ばないものの、精霊人機三十機が所属してい
た。
周辺の村に散らばっているため、マッカシー山砦に常駐している
のは二十機ほどだが、中には雷槍隊機も含まれている。
﹁厳戒態勢って感じだね﹂
ミツキがマッカシー山砦を見て呟く。
マッカシー山砦の二重の防壁の外側に精霊人機が三機、駐機状態
で警戒に当たっている。歩兵も小隊単位で多数配置されており、防
壁の上には狙撃兵が数人見張りと共に立っていた。
﹁あんな目立つところに狙撃兵を配置したら、スケルトンに真っ先
に狙われるだろうな﹂
﹁ボルスで魔術スケルトンが真っ先にヨウ君を狙ってきたもんね﹂
﹁あれには参った﹂
おそらく、ワステード司令官や現場指揮官もまだ狙撃兵の運用に
慣れていないのだろう。
狙撃兵の運用方法とスケルトン戦での所見について、ワステード
司令官に話した方がよさそうだ。
ボルス奪還に向けて旧大陸派の兵が集結しつつあるらしく、兵全
体に纏まりがみられる。リットン湖攻略隊のようなぎすぎすした空
1603
気がないのは、訪問する部外者の身としてもありがたい。
門に到着した俺たちは、門番に中へ通された。事前に俺たちの話
を聞いていたのだろう。精霊獣機に嫌な顔をしながらも門番は指令
室への案内役に俺たちを紹介してくれた。
二重の防壁に挟まれた空間には精霊人機が三機駐機状態を取って
おり、随伴歩兵の訓練が行われていた。随伴歩兵の向こう側では狙
撃兵の訓練が行われている。
﹁照準誘導機能付きの銃架はああなったのか﹂
狙撃兵が訓練に使用している照準誘導装置は一辺一メートルほど
の四角い箱の上に対物狙撃銃の銃身を乗せるための銃架が付いた物
だ。カブトムシっぽい。
﹁あの装置、重たそうだね﹂
﹁蓄魔石と魔導核を使うとなるとあの大きさになるんだろうな﹂
代わりに精密さと使用可能時間はディアよりも上かもしれない。
おそらくは重すぎてまともに移動もできないのではないかと思う
が、運搬車両なり整備車両なりに乗せて運用すればさほど問題には
ならないだろう。ディアほどの機動力は見込めないだろうが、その
分組織力という名の数の暴力がある。
俺とミツキなら慣れもあってもう少し小型化できると思うが、軍
の兵器だから触らせてはもらえないだろうな。
二つ目の防壁を潜り、見張り塔などを横目に司令部へ足を運ぶ。
司令部の中は綺麗に掃除が行き届いていた。床も含めてピカピカ
だ。とても開拓初期からある建物とは思えない。
指令室もきれいに掃除が行き届き、書類も含めて整理が行き届い
ていた。
1604
﹁鉄の獣か。よく来てくれた﹂
ワステード司令官が席を立って俺たちにソファを勧めてくれる。
案内役の兵士が意外そうな顔をしていた。
ワステード司令官は案内役を見て苦笑する。
﹁ボルス撤退戦で命を救われたのだ。これくらいの歓迎はするさ。
それより、飲み物を用意するよう言ってくれ﹂
﹁かしこまりました﹂
案内役は俺たちを不思議な物でも見るような目で一瞥してから司
令室を出ていった。
ワステード司令官が椅子に腰を落とす。隣には雷槍隊の副隊長が
立っていた。
﹁改めて、よく来てくれた。ライグバレドの技術祭に参加してきた
らしいな﹂
﹁なかなかの賑わいでしたよ﹂
お土産はない。買っている時間的余裕がなかったのもあるが、決
闘に勝った影響で街を歩けば声を掛けられる事態になっていて、土
産をゆっくり選んでいられなかったのだ。
ほどなくして、秘書官が紅茶を運んできてくれた。秘書官が一礼
して出ていくのに合わせて、ワステード司令官が本題に入る。
﹁手紙を読んだ﹂
ライグバレドで俺たちが出した手紙には魔導核の市場操作をして
いる組織がありそうな事、それが新大陸派の疑いがあることを書い
てある。
1605
ワステード司令官は副官に命じて資料を出す。
﹁君たちが読んだという資料はこれか?﹂
俺たちの前におかれた資料は魔導核の価格の年次推移や人口調査、
マッカシー山砦に残っていたバランド・ラート博士の研究資料だっ
た。
魔力袋の生産方法についてはワステード司令官も調べ終えたらし
い。
﹁俺たちの手紙は無事に届いたんですね﹂
﹁あぁ、開封もされていなかった。今後は気を付けてくれ。どこに
新大陸派の眼があるか分からない﹂
﹁それについて、話があります﹂
俺はライグバレドで実家のファーグ男爵家に決闘を仕掛けられた
こと、ファーグ男爵家の使いを名乗る者がワステード司令官からの
手紙を開封した可能性について説明する。
ワステード司令官は眉を寄せる。
﹁⋮⋮ファーグ男爵家か。それについては今は気にする必要がない﹂
﹁どういう意味です?﹂
ファーグ男爵家とは今後接触するつもりはないが、新大陸派の勢
力が貴族社会にまで伸びているとなれば大問題のはずだ。
首を傾げる俺とミツキに取り合わず、ワステード司令官は続きを
促してくる。
﹁回収屋に助けられたそうだが、何故彼らはそこにいたのだ?﹂
﹁デュラの回収任務の際に出くわした所属不明の部隊が気になって
1606
調べていたようです﹂
前置きしてから、俺はデイトロさんたちが調べたことについても
ワステード司令官に話す。
デュラにあるラックル商会の倉庫に保管されていたと思しき魔導
核が新大陸派から供給されていた可能性と、所属不明の部隊が持ち
去った可能性のある倉庫の中身の魔導核入り木箱、ギルドから紛失
したバランド・ラート博士の登録資料についてだ。
﹁大分繋がってきましたね﹂
副隊長が呟くと、ワステード司令官が頷く。
﹁他にはあるかね?﹂
﹁ウィルサムと会って話をしました﹂
﹁何?﹂
ワステード司令官が驚きをあらわにした。
指名手配犯と会って話をしたなどと聞かされたなら、驚くのも当
然だ。
俺は異世界の魂に関しての情報を伏せて、バランド・ラート博士
が新大陸派から自らの身を守るためにウィルサムを護衛として雇っ
た事を説明する。
話を聞き終えたワステード司令官は目を閉じて黙考する。
﹁情報はあらかた出揃ったか。こちらからもいくつかの情報を提供
しよう﹂
﹁良いんですか?﹂
あんまり軍の内情を部外者である俺とミツキに話していいのかと
1607
心配になるが、ワステード司令官は問題ない範囲で話すという。
﹁新大陸派の動きについては旧大陸派の上層部も気付いたようだ。
しかし、軍の中にどれほどの新大陸派がいるかは分からず、疑心暗
鬼になっている。それと、一部の新聞でも報道されているが、近々
新大陸の各軍事拠点に新大陸派の将官が訪れ、士気の高揚を狙う計
画がある﹂
﹁新大陸派の将官が旧大陸からやって来るって事ですよね。胡散臭
すぎません?﹂
決起のために集まるんじゃないのか、それ。
ワステード司令官が頷く。
﹁上層部もそう考えているが、この計画が陽動の可能性もあるため、
旧大陸の本国を守るために動けないそうだ﹂
そう言う見方もあるのかと納得すると同時に、本国の旧大陸派か
らの増援が望めないという話にぞっとする。
﹁いま、旧大陸派の兵はこのマッカシー山砦に集結してるんですよ
ね? もしも新大陸派が決起したら、ここの戦力だけで食い止める
ことになるんですか?﹂
﹁いや、違う﹂
ワステード司令官は首を横に振り、続けた。
﹁ここの戦力だけで新大陸派の決起を阻止するのだ﹂
﹁無理じゃないですか?﹂
新大陸派は魔導核の生産と販売で資金を蓄え、準備万端整えてる
1608
はずだ。それをマッカシー山砦の戦力のみでどうにかしろというの
は無理ゲーすぎる。
ワステード司令官は俺の言葉を肯定も否定もせず、話を戻した。
﹁軍の中にどれほどの敵がいるか分からないため、軍人以外の救援
があるそうだ。すでに新大陸入りしてるとの情報もあるが、私も詳
しくは知らされていない。君たちの話で見当はついたがね﹂
ワステード司令官の周りに新大陸派の監視がある事を想定して、
詳細については本国も伏せているのだろう。
﹁俺たちの話に救援部隊の話なんか含まれてましたか?﹂
﹁気付いていないのならそれでもかまわない。気付いても、口にし
ないようにしてくれ﹂
ワステード司令官の口振りからすると、俺たちが気付いてもおか
しくないらしい。
ミツキを見るが、首を傾げていた。
ワステード司令官が話を戻す。
﹁だが、救援の規模が分からない以上、あまり当てにはできない。
本国は、マッカシー山砦の現有戦力のみで事に当たらせるつもりだ
と考えた方が良い﹂
﹁軍人って大変ですね﹂
ミツキが他人事のように言ってのける。実際、俺たちにとっては
他人事のはずなのだが、すごく嫌な予感がする。
ワステード司令官がにやりと笑みを浮かべる。地獄に引きずり込
もうとする悪魔の笑みだ。
1609
﹁あぁ、大変だ。そこで、君たち開拓者に力を借りたい﹂
﹁聞くだけ聞きますけど、受けるかどうかは分かりませんよ?﹂
あらかじめ逃げ道を用意すると、ワステード司令官は﹁聞いてく
れるだけありがたい﹂と笑って続ける。
﹁新大陸派としても、このマッカシー山砦に集結している旧大陸派
の軍は無視できないだろう。可能な限り排除したいと考えているは
ずだ﹂
そりゃあそうだろう。
新大陸で決起するのであれば、マッカシー山砦の旧大陸派を一掃
するだけでほぼ勝ちは決まったようなものだ。後は村や町を一つず
つ武力を背景に説得していけばいい。
前提に俺とミツキが納得すると、ワステード司令官は作戦の説明
を始めた。
﹁まず、このマッカシー山砦の兵力と開拓者の合同軍でボルスに巣
食うスケルトン種の群れを駆逐しに向かう。新大陸派は我々の背後
を突き、補給の要であり防衛施設でもあるマッカシー山砦を落とし
にかかるだろう﹂
ボルスでスケルトンを相手に戦っている隙にマッカシー山砦を落
とされた場合、ボルス奪還軍は補給線を絶たれた状態での挟み撃ち
になる。
この辺りはウィルサムも想像していた話だ。
﹁あえてマッカシー山砦を新大陸派に襲わせるんですか?﹂
﹁そうだ。新大陸派がマッカシー山砦を襲った時点で、反乱軍とし
て討伐の大義名分が立つと同時に敵の主戦力をおびき出すことがで
1610
きる。新大陸派も、戦略上の観点からこの誘いに乗らざるを得ない﹂
戦略的な観点は俺では判断できないが、ワステード司令官が言う
ならそうなのだろう。
しかし、一つ疑問がある。
﹁新大陸派が早急に決起するなら、という前提が必要ですよね。決
起する時期をずらされたらどうするんですか?﹂
﹁そのままボルスを奪還し、マッカシー山砦との連携を構築する。
ボルスとマッカシー山砦の間に強力な防御網を構築できれば、新大
陸派が決起しても現有戦力で十分な防衛戦が可能になるだろう。新
大陸派が決起するつもりなら、これを見過ごす事は出来ない。それ
に、新大陸派の資金源である魔導核の生産施設に関してはこちらで
捜索が始まっている。魔導核を失えば、収奪した特許の利益が資金
源になるのだろうが、こちらも利用が難しい状況だ﹂
ワステード司令官は机の上に両肘を突き、ゲンド○のポーズをと
った。
﹁ファーグ男爵が特許侵害をしたという話が広まり、新大陸各地で
特許に対する監視が強化された。市民の眼もあり、迂闊に特許の収
奪ができなくなっている。さて、特許の収奪で有名なラックル商会
は今後どうなると思う?﹂
﹁あぁ、そう言う事だったんですか﹂
﹁そういう事だ﹂
本国から派遣されたという救援部隊はおそらくファーグ男爵家だ。
国軍に所属しておらず、新大陸派の手が伸びていない。新大陸派
閥だとすれば、旧大陸派の軍人の出身校である開拓学校に俺を入学
させようとするはずがそもそもなかったのだ。
1611
だが、ちょうど良い事に長男である俺が開拓学校に落第し、新大
陸で名を挙げた。
新大陸派の眼にファーグ男爵家は長男の入学を断られて旧大陸派
閥に多少の恨みがある様に見えただろう。
それを逆手に取り、国はファーグ男爵を新大陸に内々に派遣した。
ファーグ男爵が新大陸に渡った表向きの理由は、社交界で家の名
に泥を塗っている長男の始末をつけるため。
ライグバレドでラックル商会にファーグ男爵が出入りしていたの
は内偵のためだったのだろう。
しかし、どうやって新大陸派とラックル商会の繋がりを暴いたん
だろう。情報収集をしていれば、デイトロさんと同じ道筋を辿って
到達できない事もないのか。
ライグバレドに到着したファーグ男爵はラックル商会を調べる傍
ら、特許侵害の騒ぎを起こす。この騒ぎにより、ラックル商会はガ
ランク貿易都市で特許の収奪がやりにくくなった。
俺はワステード司令官に質問する。
﹁魔力袋の人工的な生産方法については、本国に送ったんですか?﹂
﹁君たちから手紙を貰ってすぐにな﹂
つまり、本国経由でファーグ男爵も魔力袋の生産方法を知っただ
ろう。
おそらく、今もラックル商会の周辺を調べて新大陸派の魔力袋生
産施設のありかを探っている。
道理で、ライグバレドのギルドが協力するはずだ。
もしかすると、ファーグ男爵が特許の名義変更を俺たちに迫って
いた時にデイトロさんが応接室に行くのを黙認したのも、わざと騒
ぎにしたかったからかもしれない。
踊らされていたと思えば腹も立つが、決闘場でアンヘルの愛機ガ
エンディを大破させた事で相殺︱︱できないな。あれはディアを壊
1612
された仕返しだし。
今度会ったら張り手の一発でも見舞ってやろうか。いや、バレる
とまずいな。
フリーズドライスライムでも放り込んでやろう。
﹁というか、言ってくれればよかったのに﹂
勘当した手前、素直に協力を求めることができなかったのか、そ
れとも俺たちが新大陸派側かもしれないと警戒していたのか。
いずれにせよ、俺が謝る必要はないな。
俺の中で折り合いがついたのを察したのか、ワステード司令官が
口を開く。
﹁作戦の話に戻そう。ボルス奪還軍として旧大陸派と開拓者の合同
軍はマッカシー山砦を出発、ボルス近郊でスケルトン種と戦闘を行
う。この隙をついてマッカシー山砦を新大陸派が襲撃した場合、我
々旧大陸派はマッカシー山砦へすぐさまとって返し、新大陸派をマ
ッカシー山砦に封じ込めて兵糧攻めを仕掛ける﹂
﹁スケルトン種が追ってくるのでは?﹂
﹁そこが君たちに頼みたいところだ﹂
ワステード司令官は俺たちに期待するような目を向けてくる。
俺の背中を嫌な予感が駆け上って行く。
﹁一応聞きますけど、頼みとは?﹂
﹁開拓者だけでスケルトンの足止め、可能ならば撃退をして我々旧
大陸派の背後を守ってほしい﹂
ワステード司令官の真剣な眼に、なんの冗談だ、と笑い飛ばすこ
とは出来なかった。
1613
1614
第二十三話 戦力分析
マッカシー山砦から拠点にしている借家に戻った俺は、プロトン
に魔力を込めていた。
俺とミツキの資産をデュラの復興資金にしようと盗み入った不届
き者を何人か返り討ちにしたらしく、プロトンの武勇伝と反比例し
て魔力は大きく減っていた。
﹁ワステード司令官の話、どうするの?﹂
隣に座ったミツキに問われ、唸る。
ワステード司令官が俺たち開拓者に要求したのは、ボルスから出
てくるスケルトン種の足止め、撃退だ。
しかも、新大陸派を誘い出すためマッカシー山砦から出発するの
は俺とミツキ、青羽根と月の袖引くくらいのもの。他の開拓団は現
地に潜み、新大陸派が決起したのを見届けてから作戦に参加させる
ようにという注文だった。
﹁信用できる開拓団に頼まないといけないってのが難しいんだよな﹂
開拓団経由で作戦内容が新大陸派に漏れてしまう事態を防がなけ
ればいけないのだ。
ミツキも俺と同じ意見らしい。
﹁信用できる開拓団っていうのもそうだけど、ボルスの近くに潜む
って言葉を変えれば孤立するって事なんだよね。あの危険地帯で孤
立状態になっても作戦開始まで無事に過ごせる戦闘力が必要となる
と⋮⋮﹂
1615
﹁飛蝗クラスの大規模開拓団になるよな﹂
﹁私が新大陸派なら、飛蝗の動きは監視するかな。マライアさんの
乗ってるグラシアって軍の専用機と面と向かって戦える機体だって
聞くし﹂
﹁そうでなくても、飛蝗ほどの規模で動くと隠密行動も何もあった
もんじゃないよな﹂
マライアさんの統率力なら分散した後の現地集合くらい平気でや
ってのけるかもしれないけど。
新大陸派にマークされない規模の小さな、加えて実力がある開拓
団などそうはない。
俺もミツキも顔が広いわけではないし、信用できる開拓団だって
回収屋、竜翼の下、飛蝗くらいだ。
青羽根は開拓者になってまだ半年、俺達と同じで知り合いはいな
い。
﹁月の袖引くに頼るしかないね。先代の団長の頃は開拓の最前線に
いたらしいし、少数精鋭の信頼できる開拓団も知ってるかも﹂
﹁それに期待するしかないな﹂
雇用料に関しては気にしなくていいのが救いだ。ワステード司令
官がポケットマネーで出してくれる。
この作戦に勝てたら経費で落とし、負けたら戦死か処刑が待って
いるため金を持っていても仕方がない、とはワステード司令官の言
葉である。潔すぎてかっこいい。
一時期降格していたとはいえ司令官を務めている男のポケットマ
ネーである。大概の開拓団は雇えるだろう。ロント小隊長でも竜翼
の下や俺たちを雇えたくらいだ。
プロトンに魔力を込め終わった丁度その時、玄関の呼び鈴が鳴ら
された。
1616
﹁はーい﹂
ミツキが玄関へパタパタと駆けていく。
俺もミツキの後を追って玄関に来客を迎えに行く。
やってきたのは青羽根の団長ボールドウィンだ。
﹁やっぱり帰ってきてたんだな﹂
連絡くらい寄越せよ、と言うボールドウィンに謝って、少し外で
待ってもらう。
プロトンを再起動してから、俺はミツキと一緒に外に出た。
﹁月の袖引くは倉庫か?﹂
﹁あぁ、ライグバレドを発った翌日に魔物が出てさ。近くの村で一
度防衛戦をやったんだ。いまは整備中﹂
﹁けが人は?﹂
﹁出なかった。整備の方もただの点検だ﹂
なんでも、立ち寄った村の近くに体高二メートルほどの小型魔物
レイグが小規模な群れをつくっていたという。
サーベルタイガーに似た形状のレイグは小型魔物の中では比較的
大きな体格を持つが、青羽根も月の袖引くも精霊人機持ちで歩兵組
の実力もあり、危なげなく討伐を完了したそうだ。
﹁無事だったのならそれでいいけど﹂
話している内に倉庫が並ぶ港に到着する。
少し前に人型魔物との大規模な戦場になったこの場所もすでに掃
除が行き届いていて血の跡一つ残っていない。
1617
倉庫の中に入ると整備を受けているスカイの姿が眼に入った、
色々と特殊な機体だが、整備士たちも大分扱いに慣れたようで作
業は順調に進んでいる。
﹁そういえば、ワステード司令官から正式にボルス奪還作戦に加わ
ってほしいって依頼が来てたぜ。月の袖引くにも声がかかってたか
ら、コト達にも来てるんじゃないか?﹂
まだマッカシー山砦でワステード司令官と直接話したわけではな
いらしいボールドウィンが暢気に報告してくる。作戦内容を聞いた
らその余裕も吹き飛ぶぞ。
ワステード司令官からは俺の口から説明するようにと言われてい
るため、俺は隣にある月の袖引くの倉庫を指差した。
﹁そのボルス奪還作戦について、タリ・カラさんも交えて話をした
い﹂
ボールドウィンが頷いて、整備士長を呼ぶ。
四人で隣の倉庫を訊ねると、月の袖引くの整備士たちが車座にな
って何事かを相談し合っていた。輪の中にタリ・カラさん、レムン・
ライさんに加えてビスティの姿もある。
何故精霊人機に疎いビスティまで加わっているのかと不思議に思
いながら声を掛ける。
﹁タリ・カラさん、ボルス奪還作戦に関して話があるんですけど、
今いいですか?﹂
俺たちに気付いたタリ・カラさんが立ち上がる。
﹁すみません、気付かなくて。いま行きます。レムン・ライ、資金
1618
と相談しながら会議の舵を取って。採決は私がします。ビスティ、
資金の事はひとまず考えずに積極的に意見を出して。みんなはビス
ティの発想が実現可能かを相談して﹂
個々に出した指示が矛盾しているのはわざとだろう。個々の視点
を分散させる事で長所を引き出し、活発な議論を誘発するつもりだ。
この辺りの会議の進め方も団長になるために勉強したのだろうか。
タリ・カラさんと一緒に倉庫の端へ移動する。
﹁それで、話というのは?﹂
タリ・カラさんが水を向けてくる。
ミツキがワステード司令官の作戦内容と開拓者に求める役割につ
いて話す。
話を聞き終えたボールドウィンが頭を抱えた。
﹁無理じゃね?﹂
﹁難しいですね﹂
タリ・カラさんも同意して、一度席を立った。
整備車両に入って行ったタリ・カラさんが戻ってきた時、手には
古びた日記を持っていた。
﹁先代の団長、私の父が遺したものです﹂
月の袖引くが開拓の最前線で活躍していた頃のものらしい。
﹁これを読めば、実力のある開拓団がいくつか見つかりますが、引
退しているところや私たちのように代替わりしているところもあり
ます。紹介できるのは四つだけですね﹂
1619
ぺらぺらと日記をめくったタリ・カラさんが開拓団の名前を読み
上げる。
﹁最初の二つはガランク貿易都市で活動しているのを見た。新大陸
派と通じていなかったとしても、ボルスに向けて出発したらラック
ル商会経由で情報が漏れる恐れがあるぜ﹂
ボールドウィンが注意してくる。
俺でも名前を聞いたことがある残り二つの開拓団も問題だった。
古くから活動していて、月の袖引くの先代団長の頃から開拓の最
前線にいたような開拓団だ。名前も売れていて、規模も大きい。近
くにいるならともかく、遠方にいるなら確実に動きが噂になる。
﹁ひとまず、現在地を割り出して私から予定を聞いてみます。空い
ているようなら、ワステード司令官と相談した後、参加を要請しま
しょう﹂
﹁それでも戦力は心もとないな。飛蝗にも話を通して、新大陸派が
動き出した直後にボルスへ救援に来てもらえるようお願いしてみよ
う﹂
リットン湖攻略隊に対する俺たちの役割と同じだ。新大陸派が決
起してから動くのであれば情報漏れの恐れも減る。
同様のお願いを竜翼の下と回収屋にもすることを決める。
それでも、飛蝗たちが救援に駆け付けるまでは俺たちで戦線を維
持する必要がある。
﹁不利なんてものじゃないな。大型スケルトンも確認されているだ
けで三体、こっちはスカイとスイリュウのみか﹂
1620
タリ・カラさんの伝手に期待だな。ここのメンツだけじゃ死にに
いくようなものだ。
他に声を掛けられそうな開拓団はないかと知っている限りの開拓
団の名前を挙げていく。精霊人機持ちでなければボルスの近くに潜
む事も出来ないため、選択肢は自然と限られてしまう。
﹁やっぱり無理だな。条件が厳しすぎる﹂
かといって参加条件の緩和もできない以上、スケルトン種に対抗
するための作戦を立てる必要がある。
そう思ったのだが、ボールドウィンが片手を挙げて発言を求めた。
﹁あのさ、今の戦力で何ができるかを考えるのも重要だとは思うん
だが、ここにはコトとホウアサさんがいるわけだろ﹂
俺とミツキを指差して、ボールドウィンは続ける。
﹁いまの戦力を強化することもできるんじゃねぇの?﹂
﹁おい、ボール! 滅多な事を︱︱﹂
﹁︱︱それだ!﹂
整備士長が何か言いかけていたが、俺には全く分からない。あぁ、
想像もつかないな。
﹁幸い、人型魔物の群れを撃破した時の魔導核が借家にまだ残って
る。自走空気砲くらいならいくらか作れる﹂
﹁スケルトンの群れを誘い込んだ後、自走空気砲で囲んで叩くとか
いいね﹂
﹁ボルスの近くには河があったな。ほら、ヘケトの群れに襲われた
時に川原を通っただろ。あの対岸に自走空気砲を置いておけば援護
1621
射撃がいくらでもできる﹂
ミツキと話しながら、魔導核の使用方法を決める。
自走空気砲と聞いて、精霊人機には手を出されないと思ったのか、
整備士長が安堵したように息を吐き出した直後、俺はにこやかに話
しかける。
﹁スカイも強化しようか。スイリュウも本格的に新型機を目指して
みます?﹂
整備士長がボールドウィンを恨めしげに見た後、頭を抱えて呟く。
﹁もう好きにしてくれ⋮⋮﹂
﹁え、いいの?﹂
マジで好きにしちゃうよ?
慌てて顔を上げる整備士長からさっと視線を外して、俺はタリ・
カラさんに声を掛ける。
﹁スイリュウの方もいいですか? 大丈夫です。人型に留めますの
で﹂
﹁整備士たちと相談してからでも構いませんか?﹂
﹁大丈夫ですよ﹂
ボールドウィンや整備士長と違ってうっかり発言しなかったしっ
かり者のタリ・カラさんが立ち上がって、車座になって会議してい
る整備士たちの下へ向かう。
それにしても、あれは何の話してるんだろう。
最終的に、戻ってきたタリ・カラさんはスイリュウのさらなる改
造に同意し、対スケルトン戦に向けての精霊人機改造計画が始動し
1622
た。
1623
第二十四話 スイリュウの改造案
﹁スイリュウに足りないのは防御力だと思うんだ﹂
俺の問題提議にタリ・カラさん達月の袖引くの面々が一斉に頷く。
ちなみに青羽根は資材の買い出しに出ているため倉庫にはいない。
﹁スイリュウの特徴はウォーターカッターを使った対単体向けの攻
撃力だ。攻撃範囲が狭く、相手が複数の場合は被弾を避けるために
回避に気を取られ、攻撃力を生かせない。そこで、多少の被弾を覚
悟の上で攻撃に転じることができるように防御力を上げようと考え
ている﹂
黒板をコツコツと叩いて説明し、月の袖引くの了解を得る。
月の袖引くの前団長は精霊人機乗りで、戦死したと聞いている。
精霊人機が攻撃を受けることに恐怖心があるかもしれないと思った
が、タリ・カラさんはあっさりと防御力の強化に同意した。
﹁極力被弾を避けるのは当然ですが、精霊人機が避けてばかりでは
戦線が安定しません。踏みとどまって戦う事ができる防御力は必要
になりますから。私は今回の改造目的に賛成です﹂
タリ・カラさんを皮切りに、副団長のレムン・ライさん、月の袖
引くの整備担当者が同意する。
﹁それじゃあ、具体的な改造計画に移るね﹂
ミツキが黒板にスイリュウの設計図を張り付けた。
1624
﹁まずはスラスターが邪魔だと思うんだよね。これが魔力を浪費し
てるから、無くなるだけで各所に魔力を配分できるの﹂
スラスターは泥濘に足を取られて転倒する可能性を考慮してつけ
られたもので、圧空の魔術を使用して姿勢を制御している。
タリ・カラさんが湿地帯での戦闘に慣れていなかったために付け
た代物だが、ボルス周辺は森に囲まれていて地面も比較的安定して
いる。
タリ・カラさんは少し考えた後、口を開いた。
﹁湿地での動かし方にも慣れましたし、もうスラスターの補助は必
要ないと思います。取り外しはどれくらいかかりますか?﹂
﹁整備士諸君、どれくらいかかるかな?﹂
ミツキが演技がかった口調で訊ねると、整備士たちは二言、三言
相談して、二時間で済むと答えた。
スイリュウに取り付けられたスラスターは市販のものとは違って
空気の取り入れ口も存在せず、部品が大幅に簡略化されている。慣
れていなくても二時間あれば十分取り外せるだろう。
﹁では次の質問だよ。スラスターを外すことで浮く魔力量はどれく
らいでしょう。遊離装甲を一時間維持する魔力を一として考えてみ
てね﹂
ミツキが次々に質問し、整備士たちが相談しながら答えていく。
質問を終えたミツキは満足そうに頷く。
﹁復習はこれくらいでいいかな。みんなきちんと覚えているみたい
だからこれからの話にもついて来れるでしょ﹂
1625
ミツキのお墨付きも出たからには、魔力や魔術に関しては整備士
たちも合格ラインに達しているらしい。
俺はミツキが整備士たちに質問している間に黒板に描いておいた
図を指差す。六角形を並べて平面を埋めた図形だ。現代人なら蜂の
巣を思い浮かべるそれは、ハニカム構造と呼ばれる。
﹁ハチの巣が頑丈なのはこのように密に図形を並べているからだ。
重量を軽減しながら強度を保てるこの構造を遊離装甲に応用する﹂
もちろん、穴が無い方が強度は高いのだが、重量が増すと遊離装
甲の魔術で使用する魔力が増えてしまうため、ハニカム構造の方が
今回は合理的だ。後々に続く仕掛けのためにも、空隙がある方が良
い。
﹁重量や密度の分だけ防御力は減るが、強度的には問題がない。で
は、この構造体をどのように作り出すか﹂
俺はビスティを見る。
﹁月の袖引くにはビスティがいる。つまり、とある特許品の利用に
関しては使用料を払う必要がない﹂
﹁スライム新素材ですか?﹂
ビスティがポケットから取り出したスライム新素材を両手で左右
に引っ張りながら掲げる。
自慢の品なのはわかるけど、いつもポケットに忍ばせてるのか、
それ。
俺も圧空の魔術式を刻んだ魔導核をポケットに入れてるから、何
も言わないけどさ。
1626
俺は気を取り直して黒板に図を描き込む。
﹁鋼板を二枚、その間にスライム新素材を正六角形に並べその弾性
を利用する﹂
いわゆるハニカムサンドイッチだ。航空機等に使用され、軽量化
を成し遂げた構造体である。
今回は間にスライム新素材を挟み、外部からの圧力に弾力で対抗
する。スライム新素材自体が比較的安価で軽量、弾力に富んでいる
ため、中に挟む物としては適していると判断した。
この世界の人間が、生物由来の部品を精霊人機に使う事に抵抗が
ない事はすでに知っている。ボルスで英雄視されていたベイジルの
弓兵機アーチェの弓が弦に大型魔物の腱を使用しているくらいだ。
タリ・カラさんがビスティを見る。
﹁スライム新素材の弾力は任意で変更可能でしたね?﹂
﹁はい。処理の過程で少し濃度を変更したりするだけである程度は
弾力に幅を持たせられます﹂
﹁では、遊離装甲に必要な弾力についても計算しないといけません﹂
タリ・カラさんが整備士たちを見回した後、俺を見た。
﹁計算方法や測定方法を教えていただけますか?﹂
﹁もちろん。ビスティ、スライム新素材を大量製造するから頑張れ
よ﹂
実験も必要だし。
問題はそんなに大量にスライムを捕まえられるかどうかだ。内陸
に行けばうじゃうじゃいるけど、この辺りだと海が近いせいかあま
り見かけない。シージェリースライムとかいう海生スライムが浜に
1627
打ち上がって息絶えているくらいだ。
思い出したら、シージェリースライムの胡麻和えを食べたくなっ
た。あのジビエ料理屋、今日はやってるだろうか。
原料であるスライムの確保に疑問を持ったのは俺だけではなかっ
たのか、レムン・ライさんが腕を組む。
﹁この辺りでスライムを捕まえるのなら、森に入る必要があります
ね。マッカシー山砦周辺は駆逐が済んでいるでしょうから、デュラ
の周辺の森でしょうか﹂
﹁あ、原料の確保であれば僕にいい案が﹂
口を挟んできたビスティに全員の目が向けられる。
ビスティは集まった視線に若干気圧されながらも、いい案とやら
を口にした。
﹁ライグバレドでアカタガワさんたちがやったスライムの大型化を
今回もやれば、素材は大量に入手できます﹂
﹁仮死状態にした後で復活させるあれか﹂
トラウマ持ちを作った狂気の生物兵器である。
数人がげんなりした顔をするが、原料の確保ははかどるだろう。
﹁大型化させたスライムからでも新素材は作れたのか? なんか性
質変わってそうだけど﹂
具体的には弾力性が失われていたり。
ビスティは曖昧に首を振った。
﹁弾力性や耐摩耗性などは変わりません。ただ、吸水率がかなり増
加します。膨張もしますが、その状態でも弾力性などは変わらない
1628
ですね。吸水率を抑えることもできるので原料としては問題な︱︱﹂
﹁待て、吸水率が増加する?﹂
ちょっとデータを見せてごらん。
ビスティが持ってきた大型化スライムを原料としたスライム新素
材のデータを見る。吸水率や処理の過程などが細かく記載されてい
て、なかなか見やすい。ビスティがこの手の書類作成に強くて助か
った。
大型化したスライムを素材にすると水を吸い込んで膨張する。こ
れは自然の水でも魔術で生み出した水でも変わらない。魔術で生み
出した水を含ませた場合、魔術の効果時間が切れて水が消滅すると
膨張した分が元に戻る。
複数回膨張させた際の実験試料では、三十回以上でも復元率に変
化はない。つまり、水を三十回含ませて膨張と収縮を繰り返させて
も劣化しないという事だ。
魔物としてのスライムであっても、仮死状態で水を受けると大型
化して表面積を増やし、水を得ようとする。だが、雨がやむと次第
に収縮し、本来のサイズに戻るという。
大型化したスライム新素材ではこの性質を受け継いでいるのだろ
う。
しかしながら、まだ経過時間での劣化についてはデータが存在し
ない。俺がフリーズドライで仮死状態にした後に復元したスライム
を素材にしているから、まだ研究中なのだろう。
俺と一緒にデータを見ていたミツキが遊離装甲を見る。
﹁これなら、水魔術を使って任意に水を含ませて遊離装甲の重量を
増したり、膨張させて強度を上げたりできるって事だよね﹂
雨が降ると防御力が格段に増す機体、か。
防御力が天候に左右されるのは問題だし、魔力消費量も変動して
1629
しまうのはまずいから、水を吸収しない遊離装甲も個別に作ってお
いたほうがいいな。
﹁吸水型スライム新素材と通常のスライム新素材、二つの種類で遊
離装甲を製作しよう。レムン・ライさん、ビスティと一緒にスライ
ムを生け捕りにしてきてくれ。俺は整備士たちにスライムを仮死状
態にさせるフリーズドライについて原理から説明する﹂
フリーズドライに関しては特許を取っているが、この場は直接解
説して質問を受け付けた方が整備士たちの理解が進むだろう。
タリ・カラさんがレムン・ライさんとビスティに数人の戦闘員を
つけて送り出す。
スイリュウの防御力に関しては、このスライム新素材を使ったハ
ニカムサンドイッチ遊離装甲で強化できるだろう。
これを機にスライム新素材を緩衝材とした遊離装甲を商品化すれ
ば、スイリュウが話題になるほどスライム新素材が売れ、月の袖引
くの収入になる。
﹁︱︱タリ・カラさん、どうかしたの?﹂
ミツキの声が聞こえて振り返れば、タリ・カラさんが難しそうな
顔でスイリュウを見つめていた。
﹁スイリュウは面制圧に向かない機体ですから、今回の作戦でどこ
まで活躍できるかと少し不安で⋮⋮﹂
そう言う事か、と納得する。
今回、新大陸派が決起した場合は俺とミツキ、青羽根、月の袖引
くで対スケルトン戦線を維持することになる。
圧倒的にこちらの人数が足りない状況下では、精霊人機による広
1630
範囲攻撃で小型スケルトンを一掃する場面が必ず出てくる。
しかし、スイリュウはシャムシールを扱う機体であり、特殊兵装
のウォーターカッターも面制圧には向かない。
だから、月の袖引くだけならばタリ・カラさんの不安も当然なの
だが︱︱今回は青羽根の精霊人機スカイもいる。
﹁スカイの主兵装はハンマーで、面制圧向きだから大丈夫ですよ﹂
これからハンマーの改造もするし。
俺はスイリュウの武器、流曲刀を見る。ウォーターカッターで切
断力を飛躍的に高める強力なシャムシールだ。
スカイの持つハンマーもこれと同等の改造を施すことになる。主
に面制圧向きに、だ。
青羽根の整備士にはどう説明しようかと考えていると、青羽根が
資材の購入を終えて帰って来た。
どんな改造案を出されるのか戦々恐々としている彼らを笑顔で迎
え入れる。
俺とミツキの改造に一度付き合い、さらにスイリュウの改造を手
伝って、ついには精霊獣機テールの製作もこなした彼らだ。
多少の無茶は平気でこなしてくれるだろう。
﹁さぁ、覚悟はいいかな、諸君﹂
1631
第二十五話 大人しい改造
青羽根のメンバーを集めて、再び黒板に向かう。
﹁スカイの改造計画について、話そうと思う﹂
青羽根の精霊人機スカイは圧空の魔術を随所に使用した新型機で
ある。
圧縮空気を生み出すため魔力消費量が大きく、継戦能力が少々低
いのが難点だ。戦闘に入らない限りは魔力消費量が少ないのだが、
今回の相手はスケルトン種の群れであるため、長い戦いが想定され
る。
﹁魔力消費量を抑えるため、まずは圧空の魔術を改造する﹂
圧空の魔術は俺が魔術式について学んだその日に発明した物であ
る。いまとは知識量などで雲泥の差があり、改善の余地が残されて
いた。
とはいえ、圧空の魔術を改善したところで消費を抑えられる魔力
は微々たるものだ。
それほど無茶は言っていないからだろう。整備士たちは素直に聞
いている。
俺は一つ段階を上げてみることにした。
﹁次にハンマーを専用装備に変更する﹂
﹁︱︱おぉ!﹂
反応したのはボールドウィンだ。ちらちらとスイリュウの専用装
1632
備である流曲刀に視線をやっている。
ボールドウィンの反応に苦笑した整備士たちが、俺に先を促した。
﹁それで、どんな風に改造するんだ?﹂
﹁まずは改造の目的から説明したい﹂
俺の目配せを受けて、ミツキが黒板に紙を張り付け、口を開く。
﹁スカイに求めるのは面制圧能力だよ。今回の敵になるスケルトン
種は頭蓋骨を破壊しない限り何度でも再生してくる厄介な魔物だか
ら、小型スケルトンが相手でも同数の歩兵では分が悪いのは知って
の通り﹂
ボルス防衛戦やその後の撤退戦における歩兵の被害は甚大だった。
大型スケルトンの攻撃も強烈だったが、戦線を維持するために引
く事の出来ない人間側の歩兵に対し、スケルトンは痛みを感じない
その体で物量作戦を展開したためだ。
頭蓋骨を破壊されない限り活動し続け、さらには味方の屍から必
要な骨を補充して即時復活してくるスケルトンはそれだけで脅威だ
が、後方から魔術を放ってくる白い人型付きのスケルトンも厄介だ
った。
これらの小型スケルトンに対して有効な攻撃が、スカイの扱って
いるようなハンマーだ。上から振り降ろせばスケルトンの骨を粉み
じんにすることができ、ただ頭蓋骨だけを破壊するのと違って骨の
再利用まで封じることができる。
スケルトンの群れの物量攻撃、不死身のゾンビアタックを防ぐ効
果があるのだ。
意義を説明すると、整備士の一人が手を挙げた。
﹁ハンマーをより大きなものにするって事か?﹂
1633
﹁いや、ちょっと違う。単純にハンマーを大きくしてしまうと空気
抵抗も大きくなって振り回すのに余計魔力を使うからな﹂
そこでこの商品ですよ、奥さん。
俺は黒板に張られた紙を軽く叩く。
﹁空気抵抗を減らせば取り回しもたやすくなる。しかし、面制圧能
力を上げるのならどうしても打撃面積を広げるしかない﹂
﹁二律背反だね﹂
ミツキが入れてくれた合いの手に﹁その通りだ﹂と返し、続ける。
﹁だから、振り降ろす直前にだけ打撃面積が広がる様にすればいい。
つまり、変形式のハンマーだ﹂
現在のハンマーの側面に展開式の鋼板を張り付け、自走空気砲に
も使用した折り紙式遊離装甲の要領でインパクト直前に展開、打撃
面積を大幅に増やす算段である。
これを用いれば空気抵抗は振り降ろした直前にしか影響しないた
め、今までとほぼ同じ感覚で振り回すことができる。展開式の鋼板
はハンマー本体よりも強度に乏しく壊れやすいが、鋼板が壊れては
じけ飛んでも大本のハンマーに影響しないのもいい。
﹁それくらいならすぐにでも取りかかれるな﹂
整備士長が腕を組んで、ボールドウィンを見る。
﹁ボール、ハンマーの展開時の形で何か意見はあるか?﹂
﹁そうだなぁ。正面に振り降ろすなら扇形に押しつぶせる形が良い
な﹂
1634
ボールからの注文も出たところで、ハンマーの形に関しては決ま
り、作業に取り掛かってもらう。
俺は圧空の魔術式の改良版を整備士長に渡した。
魔術式を流し見て、整備士長がため息を吐く。
﹁基本の圧空の魔術式を知らないと何が何だかわからないな。容量
は確実に節約できるし、魔力消費量も軽減してるが、一般人には理
解不能だろ、これ﹂
﹁良いんだよ。どうせ公開するようなものでもないんだからな﹂
スカイの根幹をなす技術だけあって、ブラックボックス化できる
ならそれに越したことはないのだ。
それもそうだが、と整備士長は頭を掻いた。
﹁まぁ、いい。それにしても、今回はずいぶんと大人しい改造にな
ったな。正直、どんな突飛な発想が飛び出すのかと身構えていたん
だが、安心したぞ﹂
﹁え?﹂
﹁え?﹂
何言ってんのこいつ、と思いながら、俺は整備士長の顔から視線
を外し、他の青羽根の団員を流し見る。
どいつもこいつもほっとしたような顔して和気あいあいと改良に
取り組んでいる。
どうしようか。真実を言うべきだろうか。
俺が悩んで沈黙していると、整備士長が頬をひきつらせる。
﹁ちょっと待てよ。なんだその沈黙は。スカイはコト達が全力で改
造した機体だし、弄る所が少ないんだろう? なぁ、そうなんだろ
1635
う?﹂
﹁うーん。とりあえず、今は安心して準備に取り掛かってくれ﹂
﹁おい、準備ってなんだ。これから何をするつもりだ、お前は﹂
﹁ギルドに行ってくる。ミツキ、一緒に行こうぜ﹂
ミツキを誘って倉庫を出る俺を、整備士長だけが頭を抱えて見送
ってくれた。ボールドウィンは専用装備と聞いてわくわくした顔で
ハンマーを眺めている。
ディアをギルド館のガレージに乗りつける。
しかし、このラブホ感はいつまで経っても払拭されないな。周り
の人は全く気にしてないし、これが先入観という奴なのだろうか。
精霊獣機とは逆に、俺たちが受け入れられない代物である。文句
を口に出すつもりはないけれど、ついつい中に入る時には顔を伏せ
てしまう。
掃除の行き届いたギルド館の中には何人かの開拓者の姿がある。
見知った顔もいくつかあった。
その中の二人、凄腕開拓者が俺たちを見て片手を挙げ、挨拶して
くる。
﹁鉄の獣もワステード司令官に呼ばれてボルス奪還作戦に参加です
かな?﹂
﹁そんなところです。お二人も?﹂
﹁えぇ、開拓団として初めての大きな依頼ですからな。とはいって
も、団員は皆あの戦場を戦い抜いた者ばかりですが﹂
そう言えば、スケルトンや甲殻系魔物たちからボルスを防衛して
いる時、生き残ったら開拓団を立ち上げるって話してたな。
無事に開拓団を設立できたのか。何というフラグブレイカー。
凄腕開拓者が立ち上げたフラグブレイカーな開拓団は全員が歩兵
で構成されているとの事で、スケルトン戦では小型スケルトンへの
1636
対処を担当することになりそうだという。
これからマッカシー山砦へワステード司令官を訪ねるという凄腕
開拓者二人を見送って、俺は精霊人機の部品購入代行の係員を探す。
奥の部屋に続く廊下から出てきた係員が俺たちに気付いて歩いて
きた。
﹁どうされましたか?﹂
﹁いくつか部品を購入したり、ライグバレド宛てに手紙を出したり
したいんです。発注書と依頼書の準備をお願いします﹂
係員はすぐに受付カウンターへ出向き、必要な書類を持って俺た
ちを近くのテーブルに案内してくれた。
﹁部品の購入との事ですが、本日は何を?﹂
﹁精霊人機用のエアリッパーを取り寄せてほしいんです。それから、
内部装甲用のパーツの一覧を見せてください﹂
﹁内部装甲用のパーツですか? もしかして、また新型機を作ろう
としてませんよね?﹂
﹁作ろうと思って作れるものではないですよ﹂
﹁お二人なら作ってしまえるから訊ねているんです。飛蝗のマライ
アさんへも手紙を出した方が良いのでは?﹂
﹁それについては青羽根と相談してからにします﹂
俺の答えに係員は頷いて、書類と一覧をテーブルに乗せた。
﹁ひとまずは内々に処理しますが、改造を始める前には相談の結果
を教えてください﹂
﹁ありがとうございます﹂
内部装甲用のパーツ一覧を眺めつつ、俺はライグバレド宛ての手
1637
紙を出す依頼書をミツキに任せる。
﹁えっと、金属関係の工房は、と﹂
ミツキが手帳を開いて宛先の住所を確認し、手紙に認める。
係員が不思議そうな顔をして口を開いた。
﹁技術祭で知り合った方への手紙ですか?﹂
﹁そうです。いくつかの部品の作成をお願いしたいので、向こうに
手紙を出そうかな、と﹂
﹁順調に人脈を広げているようで、何よりです﹂
係員はそう言ってほほ笑むと、依頼書を受理した。
ミツキが続けて部品発注の書類を取りだし、スカイやスイリュウ
の改造とは別件で用意する兵器の部品を発注しにかかる。
俺もまた、いくつかの部品を発注する。
係員の笑顔がだんだんと引きつって来た。
﹁︱︱何が、作ろうと思って作れるものではない、ですか。こんな
の新型作る気満々ではありませんか!﹂
内容が内容だけに声を張り上げるわけにもいかず、しかし、こら
えきれないとばかりに係員が言いだす。
﹁誰が作らないと言いました?﹂
﹁まったく、これだから⋮⋮﹂
係員はため息を吐いて、いつでもマライアさんに連絡が取れるよ
うにしておくと言って発注書を受理した。
依頼や注文を出し終えて、ギルドを出る。
1638
倉庫へ向かう道すがら、俺はスカイが新型機へ変貌を遂げた経緯
を思い出す。
﹁あの時ってさ。デュラ奪還作戦の直前で、改造に失敗した時には
いつでも元に戻せるようにって条件で改造したんだよな﹂
﹁そうだね。だから、改造の余地はまだたくさんあるよね﹂
ミツキが楽しそうに声を弾ませる。
そう、スカイは可逆的な改造を経て新型機になったのだ。
俺たちとしても初めて触る精霊人機だったし、失敗しないように、
失敗しても大丈夫なようにと考えていた。
青羽根の団員たちだって俺たちへの信用はなかったし、何より俺
達の発想や技術に付いて行けるだけのノウハウも心構えもなかった。
では、今回はどうだろう。
﹁元に戻らなくなったって、別にいいよな?﹂
﹁スカイが強くなれば、なんでもいいんじゃないかな。青羽根のみ
んなもきっと賛成してくれるよ﹂
﹁そうだな﹂
ミツキの輝かんばかりの笑顔に自信を取り戻した俺は、倉庫への
帰路を進んだ。
1639
第二十六話 専用新型機
精霊人機は外側から遊離装甲、外部装甲、内部装甲で構成されて
いる。
一般的に、精霊人機を改造する際に手を付けるのは遊離装甲と外
部装甲だ。
人間で言えば筋肉に当たるバネなどの換装を行ったりもするが、
ここまで手を付けるにはかなりの知識量と技術力が必要になる。と
はいえ、精霊人機の整備担当者であれば経験と知識が十分に追いつ
くレベルなので、少し大きな開拓団であれば用途に合わせて改造し
ている事も多い。
だが、ここに新技術を織り込むような開拓団はまず存在しない。
精霊人機は開拓団全体の命を預かる最終兵器であり、動作不良を
起こしやすく実戦データもない新技術を迂闊に使用するなど自殺行
為だからだ。
そう言う意味で、圧空の魔術を多用し、魔導鋼線の代わりに魔導
チェーンを使用しているスカイはまさしく新型機だし、ウォーター
カッターを組み込まれたスイリュウもこの世界では玄人仕様の機体
である。
﹁作ったのがコトとホウアサさんでなければ、死にたいのか、と素
で聞かれるくらいだ﹂
﹁ふむふむ、それで?﹂
さて、ここまでの説明でも一切手を加えられない部分が存在する。
人間で言えば骨格に相当する、内部装甲だ。
スケルトンを模して造られたこの内部装甲は、精霊人機のボディ
ーバランスを大まかに決定し、関節の自由度の上限、耐衝撃性能や
1640
許容荷重量などのあらゆる性能の上限を決めることになる。
部品一つとっても一切の妥協は許されず、迂闊に部品を変更しよ
うものなら最悪、精霊人機が自重に耐えきれず潰れることもあり得
る。
部品一つ一つの特性を理解し、使用されている材料、製作した工
房とその技術力、部品個々の相性、総合的な性能にいたるまで複合
的に考えられるほどの知識量と頭脳が必要になる。
これができるのは国営の研究開発所で丸一日精霊人機の事だけ考
えているような正真正銘の開発最前線にいる技術者か、さもなけれ
ば設備の整った大規模な工房に勤める精霊人機開発専門の天才のみ。
﹁だから、コト達がやろうとしてるのは無謀というのも申し訳ない
くらいの︱︱って、きいてるか?﹂
﹁ふむふむ、それで?﹂
俺は整備士長の長ったらしい話に相槌を打ちながら、倉庫に届い
た内部装甲のパーツを確認する。
それにしてもすごいな。注文してまだ五日しか経っていないのに
俺が考えた通りの物が送られてくるとは思わなかった。ライグバレ
ドの技術力は新大陸一だな。ついでにフットワークの軽さも。
強度不足の物もあるが、これは単純に俺の理論が間違っていたか
らだろう。この辺りは没にして、別の物を考え直そう。複合素材っ
て組合せだけでいくつもあって心が躍る。
しかし、ライグバレドの連中もお茶目だな。ここぞとばかりにデ
ータ取ってやがる。俺のところに結果を送って来るんだから別にい
いか。
﹁コト、おいこら、話を聞け﹂
﹁おう、それで?﹂
﹁スカイの素体になった機体は最新鋭機ってわけじゃないが、それ
1641
でも内部骨格まで大幅に弄った記録はほとんどない。この五日間ギ
ルドでも調べたが記録がないんだ。そもそも、内部骨格っていうの
は不用意に素人がいじくり回すもんじゃ﹂
﹁よし、まずは脚部から行くぞ﹂
﹁話を聞けえぇえ!﹂
整備士長がうるさい。
﹁百歩譲って内部骨格を弄るのも、新素材を使った部品を発注する
のも、この際いいとしよう。よくはないが無理やり納得もしよう。
だが、部品を削るってどういうことだ!﹂
﹁どういうってこう︱︱ガリっとだな﹂
﹁ああああ!﹂
整備士長が頭を抱える。
寸法や強度を計算して造られた内部装甲の部品を設計通りに削っ
た事に驚くとはどんな頭してるんだろうか。
俺はスカイの内部骨格として発注した部品の一つ、脚部の膝関節
の接合部を削りつつ説明する。
﹁スカイは新型機で、外部に情報が洩れちゃ困るんだよ。だから部
品もあえて寸法強度を狂わせて発注してる。ライグバレドに依頼し
たのもこのためだ。あそこの連中なら俺からの注文と聞けば寸法の
おかしさも発注ミスとは思わないからな﹂
ミツキから渡されたやすりで接合部を研磨し、整える。
この程度の細かな修正なら手作業でも身体強化魔術を併用すれば
難しくないが、大きな修正は月の袖引くにウォーターカッターを借
りることになるかな。
青羽根の整備士たちが青い顔をしながら慎重に部品を削り始める。
1642
精霊人機の部品はどれも高価だが、その中でも内部骨格は寸法など
を発注通りに寸分違わず作るため値が張る。
どの工房でも職人芸で仕上げられるその内部骨格の部品にさらに
手を加えるため、青羽根たちの整備士たちは失敗しないように決死
の覚悟だ。見ていてじれったい。
﹁ボールはあっち行ってろ!﹂
﹁バカ野郎、こっちにボールを寄越すんじゃねぇ!﹂
﹁こっちにもいらねぇよ。ボールは大ざっぱなんだから絶対に手ぇ
出すな!﹂
団長のはずなのに追い払われたボールがふらふらと俺たちのとこ
ろにやって来る。
﹁コトー、ここにいてもいいか? 見てるだけにするからさ⋮⋮﹂
﹁好きにすればいい。青羽根のみんなも慣れない作業で気が立って
るだけだ﹂
﹁︱︱コトのせいだろうが!﹂
青羽根の整備士たちが声を重ねて俺を糾弾してくる。
別にいいじゃないか。何事も経験だ。
ボールが俺の作業を見ながら口を開く。
﹁けどさ、内部骨格を弄ってどうするんだ?﹂
﹁最適化するんだ。もともと、精霊人機は複数の武器を扱えるよう
に設計されてるし、操縦士を選ばない。だから、スカイを正真正銘
ボールドウィン専用機に改造する。他の奴は乗れなくなると思え。
ボールドウィン以外の操縦士を青羽根が迎え入れた場合には、ラッ
クル商会の子飼いから分捕った機体を使えばいい﹂
1643
ガランク貿易都市から防衛拠点ボルスまでビスティの私物や運搬
車両を運んだ際、ラックル商会の子飼いによる襲撃を受けた青羽根
はこれを撃退し、精霊人機を鹵獲している。いまも一機は整備車両
に放り込んであるはずだ。
ボールドウィンがディアとパンサーに目を向けた。
﹁あの二機もコト達に合わせて最適化されてるんだよな﹂
﹁そうだ。身長体重はもちろん、左右の標的への反射速度、体重移
動の癖も計測して盛り込んである。ディア・ヒートもパンサー・ヒ
ートも乗り手が俺たちでなければ事故必至だ﹂
魔導鋼線に限界以上の魔力を強制的に流し込んで焼きつかせなが
ら、各部の魔導部品のスペックを限界まで引き上げるヒート状態。
決闘後にパンサーにも組み込んだヒート機能は各部の反応速度も
飛躍的に高める。
﹁例えば、通常状態なら右に曲がって左に曲がると考えるだけの余
地があるが、ヒート状態なら右左って考えてないと事故る﹂
﹁良くわかんねぇけど、危ないって事だけは分かった﹂
﹁スカイにもヒート機能組み込んどくか?﹂
﹁やめろ﹂
﹁冗談だよ﹂
精霊人機はもともと魔力消費量が激しいからヒート機能を組み込
んでもあっという間に魔力切れを起こす。
ヒートは精霊獣機だからこその機能だ。
﹁今回のスカイの改造はボールドウィンの癖を織り込んで操縦時の
違和感を無くしたりするんだ。他にもハンマーを使う時により威力
を出せるようにしたりな﹂
1644
まだ良く分かっていない様子のボールドウィンに苦笑したミツキ
が口を挟む。
﹁精霊人機から降りた時、縁ギリギリまでコーヒーを注いだカップ
を差し出されたら、ボールドウィンは受け取れる?﹂
﹁いや、怖いな。降りた直後はまだ感覚が戻ってないし、体の柔軟
性になれてから⋮⋮あぁ、そう言う事か﹂
﹁そう。精霊人機はどうしても肉体との齟齬があるからね。機械だ
から仕方がない面もあるけど、それでも世界中の操縦士の体格の平
均値にあわせて設定された今の状態より、ボールドウィンに合わせ
た設定、設計にした方が扱いやすくなるし、疲労も少なくなる﹂
ミツキは説明を省いたが、武器に関しても同じことが言える。
剣や槍、斧といった武器も扱える精霊人機は悪く言えば器用貧乏
だ。どの武器でもきちんと扱えるが、どれも十全に扱えるとは言い
難い。
専用装備ともなればなおさらだ。
ボールドウィンへの説明が一段落終わった時、整備士長が声をか
けてきた。
﹁コト、ギルドから新しい部品が届いたみたいなんだが、使い道が
分からん。なんだあの布みたいな金属は﹂
﹁届いたか﹂
俺は作業を切り上げて商品を確認しに向かう。
﹁ミツキ﹂
﹁はいさ﹂
﹁サンクス﹂
1645
短いやり取りの合間に差し出された蓄魔石と魔導核を受け取る。
商品の金属布に接続して魔術を発動し、魔力の伝導率を見る。
﹁よし、完璧﹂
﹁それで、これは何だ?﹂
﹁ライグバレドのとある小さな工房の特許品だ。細かな網目構造に
なっていて、かなりの柔軟性を誇るって代物で、現在のところ発明
した工房でしか製作できない正真正銘の職人技で出来た製品だ﹂
研究資金のねん出に苦慮しているようだったので、融資する傍ら、
ちょっとばかり注文して作ってもらった。
﹁聞いて驚け。従来の魔導鋼線と同等の伝導率を誇りながら、体積
は何と三分の一に減少。さらに布とまでいかないまでも極端な柔軟
性を誇るのだ﹂
﹁魔導鋼線の代わりって事か。欠点はないのか?﹂
﹁もちろんある。だが、ここで解決する﹂
この魔導金属布は空気中に魔力を逃がしてしまう性質がある。網
目構造が原因ではないかと工房からの手紙には書いてあるが、別に
大した問題ではない。
﹁この魔導金属布をこう丸めて﹂
クルクルと金属布を筒状に丸めて、俺は魔導チェーンを持ち上げ
る。
﹁それで魔導チェーンの引張強度を担保しているこのワイヤーの代
わりに魔導金属布をねじり込む。よし、できた﹂
1646
これで、魔導金属布が空気中に逃がしてしまった魔力を魔導チェ
ーンが捕まえて順調に供給してくれるはず。
﹁ヨウ君﹂
﹁へいよ﹂
﹁サンクス﹂
魔導チェーンをミツキに引き渡すと、すぐさま魔力の伝導率を調
べる実験が開始される。
結果、見事に魔力の伝導率は魔導鋼線の二割増しという結果を叩
きだした。魔導チェーンの体積分やや魔導鋼線よりも太くなってし
まうが、スカイに使用する上で魔力伝導率二割増しの影響はかなり
でかい。
俺は整備士長に魔導金属布を詰めた魔導チェーンを見せびらかす。
﹁どうだよ、これ。三次元的な自由度は今までの魔導チェーンと変
わらず、体積も変わらず、しかも伝導率二割増しだぜ? これだけ
でスカイのスペックは二割以上に強化される﹂
スカイはただ腕だけで武器を振るうわけではない。込めた魔力の
量で威力が大きく変わる圧空の魔術を使用した動作の加速機能があ
る。
今までの二割増しの魔力伝導率をもってすれば、ハンマーを振る
う速度だけは従来の三割以上は見込めるだろう。武器にかかる空気
抵抗は今までと変わらないのだから。
だが、武器を速く振るうという事は的に直撃させた時の反動も必
然的に大きくなる。
﹁さぁ、骨格の強化を始めよう﹂
1647
すでに削り出しなどの調整も終わった為、スカイを仰向けにして
換装を始める。
遊離装甲、外部装甲はもちろんの事、各種バネやクランク、歯車
なども外す大がかりな準備を経て、内部装甲を組み合わせて換装し
ていく。
﹁おい、コト、本当にこの部品で大丈夫なんだろうな﹂
﹁大丈夫かどうかはさっき調べただろ。剛性とか、全部設計通りだ
った﹂
﹁その設計もコトが担当してんだ。自重で潰れるなんて初歩的なミ
スはしないだろうが、腕を振った瞬間千切れ飛ぶようなことはない
だろうな﹂
﹁大丈夫だって。大分余裕を持たせて設計してるし、千切れ飛んだ
りしないよう計算してお前らにも見せただろ﹂
心配性な整備士長をよそに、内部装甲が順調に組み上がって行く。
今回使用する内部装甲は鋼と魔導合金の複合素材でできている。
市販品にも同じ材料を使った物があるのだが、寸法を変更して発注
したため共振現象が起きても責任は取らないと工房からの手紙に書
いてあった。
手紙に固有振動数なども書かれており、俺とミツキも現物でデー
タを取っているため問題ない。
腕、肩、手首、股関節、膝、足首関節を接続する際に、担当して
いた整備士が俺を見た。
﹁ここの空間ってなんだ? 何か詰めておくのか?﹂
﹁エアリッパーを組み込む場所だ。いまは無視して、一度全体を組
み上げてくれ。おかしな削り方をしている場所もあるかもしれない﹂
1648
内部装甲を削るなんて初めての経験だからな。
組み上がった内部装甲を見て、ボールドウィンが腕を組む。
﹁これだけでも見た目が変わったのが分かるな。肩幅と腕が長くな
って、足も膝関節が上に上がってる﹂
﹁重心は今までよりもやや下になってるけどな。脚に使う内部装甲
は他と違って太い上にクルップ鋼を使ってる。敵に蹴りを入れても
内部装甲に傷は付かないから遠慮なく蹴り技を使え﹂
﹁マジか。開拓学校時代は蹴り技使いまくってたけど、青羽根を立
ち上げてからは封印してたんだよな。整備班から怒られるからさ﹂
ボールドウィンが嬉しそうに言うのに、整備士長が呆れたような
顔をする。
﹁当たり前だ。蹴り技なんか多用したら戦闘の度に内部装甲の状態
を見なきゃならなくなるんだからな。まぁ、今回のクルップ鋼はひ
たすら硬いのが売りだから、多少の蹴り技では傷一つ付かねぇよ﹂
整備士長のお墨付きをもらったボールドウィンが﹁よっしゃ﹂と
拳を天井に突き出す。
整備士長が苦笑しながらボールドウィンを指差して俺に声をかけ
てきた。
﹁ボールの奴、開拓学校時代はハンマーを振り抜いた直後に反動を
使って蹴り技を使ってたんだ。内部装甲の点検が必要になるから、
こいつの訓練時間だけ朝に設定されてたんだぜ﹂
﹁筋金入りだな﹂
﹁蹴り技を使っていた事は想像がついてたのか?﹂
整備士長の言葉に頷く。
1649
﹁ボールドウィンがスカイを動かすときの癖なんだが、ハンマーを
振る時に肩の線を腰の線に対して斜めにするだろ。あの癖は振り抜
いた勢いのままに体を反転させる前段階の動作だ。右足での蹴りが
多いんだろ?﹂
﹁よく見てるな⋮⋮﹂
﹁何回同じ死線を潜ってると思ってる。精霊人機なんて目立つ物の
動き把握してて当然だ﹂
足元をうろちょろする機動兵器、精霊獣機乗りなら当然である。
でなければ踏み潰されてご臨終だ。
﹁そんなわけで、今後は遠慮なく蹴り技を使うと良い。圧空での補
助もあるから、強烈で鋭い一撃になる。エアリッパーで衝撃をある
程度は吸収するから、内部装甲以外への損傷も抑えられる。これか
ら金属布を使ったりもするしな﹂
﹁本気でボールドウィン仕様のスカイになるんだな﹂
整備士長が何とも言えない顔でボールドウィンとスカイを見比べ
た。
1650
第二十七話 専用ハンマー
港町の訓練場には以前新型機への変貌を遂げたスカイの動作実験
をした時と同様、タラスクの甲羅が設置されていた。
訓練場にいる精霊人機は二機、スカイとスイリュウだ。
﹁まずはスイリュウの動作テストから始めよう﹂
俺はこの数日で組み立てた自走空気砲を起動する。ボルス奪還作
戦でも使用する予定だが、砲弾は鉄製となり、砲口の大きさはスラ
イムを撃ちだしたものより小さくなっている。
狙いをスイリュウの腕に合わせて、砲弾を撃ち出す。
月の袖引くの団員たちがかたずをのんで見守る中、スライム新素
材を用いたハニカムサンドイッチ構造の遊離装甲〝蜂盾〟は見事に
砲弾の衝撃を受け止めた。
﹁装甲に凹みがないか調べてくれ﹂
俺の指示を受けて月の袖引くの整備士が一斉にスイリュウに向か
い、蜂盾の様子を確かめる。
凹みは見られないとの事だった。
俺の隣で簡易組み立て椅子に座っていたミツキが調査記録を用紙
に書き込む。
﹁これなら大型魔物の攻撃でも少しは耐えられそうだね﹂
﹁四重甲羅みたいな大質量攻撃だと防げないけどな﹂
整備員がスイリュウから離れたのを見届けてから、俺は次の指示
1651
を出す。
﹁水蜂盾へ変更して﹂
スイリュウが魔術を使用して蜂盾へ水を含ませる。外からでは確
認できないが、盾の中のハニカム構造で出来た空隙の中に魔術で水
を発生させている。
蜂盾が厚みを増す。
﹁スライム新素材がはみ出たりはしてないみたいだな﹂
﹁膨張率は計算してあるけど分量が分量だし、誤差が大きくなるか
もって心配してんだけどね﹂
ミツキと一緒に杞憂に終わったことを喜びつつ、膨張した盾の厚
みを計らせる。
計測結果は理論値と異なっていた。
﹁誤差か?﹂
﹁なのかな?﹂
理論値よりも薄い水蜂盾を見て少し不安を覚え、自動空気砲の威
力を落として実験を開始する。狙う場所は先ほどと同じく腕だ。
照準誘導の魔術の効果もあって狙い通りに腕へと命中した砲弾が
訓練場の地面に転がる。
﹁バウンドしたな﹂
﹁凄い弾力だね。プニプニしてる﹂
サンドイッチ構造になっているため外側は分厚くて硬い金属板な
のだが、砲弾は水蜂盾に当たった瞬間弾き返されていた。
1652
押し付けるような攻撃でない限り、弾力に任せて弾き返すのも戦
術としてありかもしれない。
﹁魔術の使用時間は?﹂
﹁もうちょっと大丈夫﹂
少し自走空気砲の威力を上げつつ、跳ね返された砲弾に当たらな
いようみんなに離れるよう念を押しておく。
﹁それでは、いってみよう﹂
自走空気砲が三度砲弾を撃ち出す。
風切音を伴って飛んで行った砲弾は水蜂盾をやや押し込みはした
ものの、すぐに弾き飛ばされた。
この様子なら弓兵大型スケルトンの矢も弾き飛ばせるかもしれな
い。向こうの方が威力は大きいが、連射が利かないため二、三発凌
げば接近して斬り殺せるはずだ。
﹁時間だよ。タリ・カラさん、魔力の消費量はどう?﹂
ミツキが拡声器を使ってスイリュウに乗っているタリ・カラさん
に訊ねる。
﹁二時間程度であれば問題ありません。でも、可能なら現地で水を
調達して使いたい機能ですね﹂
水蜂盾は魔術で水を生み出す関係上、どうしても魔力を消費して
しまう機能だ。現地で水を調達できるならそれに越したことがない
というのは同意見である。
タリ・カラさんの意見に頷いている整備士たちに、ビスティが意
1653
見する。
﹁ボルスの近くであれば河もありますから、水の調達自体はそこま
で難しくないです。ただ、霧などが出ても若干スライム新素材が膨
張するので取り扱いには注意してください﹂
﹁その辺の管理責任者はビスティになるだろうな。物が大きいから
他に整備士を二人つけるけど﹂
月の袖引くの整備員のまとめ役がそう言うと、ビスティはよろし
くお願いしますと頭を下げた。
管理については俺たちが口にすることでもないので、実験を再開
する。
﹁タリ・カラさん、スイリュウを動かしてくれ。遊離装甲の魔術の
関係で少し動きにくくなっているかもしれないから﹂
重量や体積が変化する蜂盾は既存の遊離装甲の魔術式では維持で
きない。そのため、魔術式に手を加えており、それが精霊人機の動
きを阻害する可能性があった。
﹁では、参ります﹂
タリ・カラさんが静かにスイリュウを動かす。ゆっくりと各部の
具合を確認したタリ・カラさんは実戦を想定した動きに切り替えて
専用装備流曲刀を抜き放つ。
白雪を思わせるシャムシールが空気を斬り裂き、流れるように次
の動きへと移って行く。
﹁問題ありません。以前よりも動かしやすいくらいです﹂
﹁サスペンションの固さを変更したりして、タリ・カラさんの動き
1654
に合わせたんだ。月の袖引くの団員に設定値とやり方を教えておく﹂
﹁お願いします﹂
今回、スイリュウは新しい武器を作ったりもしていないため、タ
ラスクの甲羅を使った実験はしない。
﹁必要なデータは揃ってるか? 揃ってるなら、スカイの実験に移
りたい﹂
待ちきれない様子のボールドウィンを横目に見つつ、月の袖引く
の整備士たちに訊ねる。
短い相談の後、月の袖引くの整備士たちは実験の終了に同意した。
タリ・カラさんがスイリュウを駐機状態にして降りてくる。
﹁先ほど、ギルドの人らしい影が慌てて外へ出ていくのがメインカ
メラに映りました﹂
﹁ギルド長でも呼びに行ったんでしょう。スイリュウも新型機の仲
間入りをしましたから﹂
タラスクの甲羅を貫通する左腕のウォーターカッター、同じくタ
ラスクの甲羅を両断する流曲刀を持ち、対単体への攻撃力は軍の専
用機を凌駕する。
そして今日、スイリュウは蜂盾と水蜂盾によりリアルタイムに変
更可能な防御力を有するようになった。その防御力も精霊人機が用
いる魔術を防ぎきれるほどの硬さだ。
そん所そこらの精霊人機ではスイリュウと対峙しても攻撃をこと
ごとく跳ね返され、守勢に回っても流曲刀で防御姿勢のまま斬り伏
せられるのがオチである。
﹁それより、本当に技術公開していいんですか?﹂
1655
俺が訊ねると、タリ・カラさんはしっかりと頷いた。
まず間違いなく新型機として扱われることになるスイリュウだが、
今回は月の袖引くの希望で国の技術公開に応じることになっていた。
無論、特許関連技術は全て月の袖引くが所有することになる。
それでも、最高戦力であるスイリュウの情報を丸裸にするのは抵
抗があるのではないか、と思ったのだが、タリ・カラさんは微笑ん
で説明する。
﹁スイリュウが新型機として広まればスライム新素材の需要も増え
るはずです。それはビスティの、ひいては開拓団月の袖引くの貴重
な収入源になります﹂
月の袖引くが考えた上でのことならそれでいい。少し心配ではあ
るが。
それに、仮に設計図を渡されても俺やミツキが解説しない限りウ
ォーターカッターの設定が上手くいかないだろう。必然的に、スイ
リュウをパクろうと思えば俺やミツキ、後は実際に運用している月
の袖引くに指導を頼むしかなくなる。
タリ・カラさんと話している内にボールドウィンの愛機、スカイ
の準備が整ったようだ。
﹁コト、動かしていいか?﹂
拡声器越しにボールドウィンの弾んだ声が聞こえてくる。俺の隣
に来た整備士長が苦笑した。
﹁朝からあの調子なんだ﹂
﹁遠足前の子供かよ﹂
1656
気持ちは分からないでもないけど。
﹁まずはきちんと動かせるかどうか確かめてくれ。内部装甲の大部
分を変えたから各部の重量が今までとは全く違う。最初は慣らし運
転だ﹂
﹁分かってるって﹂
ボールドウィンが応じて、右手の指先から動かし始める。
手首、肘、肩ときて歩行練習、下段回し蹴りまでを行うと、拡声
器からボールドウィンの声が響いた。
﹁すっげぇ。反応速度が今までの比じゃないぞ。違和感もまったく
ない。機体全体が軽く感じられる﹂
実際は重くなっているんだが、操縦している側からすると操作し
やすくて動きも機敏だから軽く感じるのだろう。
それにしても見事な下段回し蹴りだったな。
﹁動作に関しては全く問題ないみたいだな﹂
﹁次の実験に移っちまえ﹂
一人で盛り上がっているボールドウィンを無視して、俺は整備士
長と意見を交換して次の実験の開始を宣言する。
スカイがハンマーを持ち上げた。
調査用紙に記入を終えたミツキが新しい紙を青羽根の団員から受
け取りながら、実験項目を宣言する。
﹁素振りから﹂
いまスカイが持っているハンマーは市販のハンマーではない。
1657
スカイの腕力でなければ振る事の出来ない専用のハンマーである。
魔導合金製の青いハンマーは飾り気のない訓練場に良く映える。
側面には可動式の魔導合金板が付いており、ミツキが開発した折り
紙式遊離装甲の改変版を用いて任意に展開する。
ひとまず展開せずに振ってみて、問題がない事を確かめる。
﹁ではいよいよ、実験してみようか﹂
﹁待ってました!﹂
ボールドウィンの威勢のいい声が聞こえてきたかと思うと、ハン
マー側面の魔導合金版が一瞬で横に倒れ、ハンマーの打撃面を大き
く広げた。
﹁展開速度に問題はないようだな﹂
﹁この速さなら振り降ろす直前に展開しても大丈夫だね﹂
ボールドウィンに指示して、何度か展開と収納を繰り返させる。
扇形に展開しているこの魔導合金版は全部で三枚あり、それぞれ
が独立して動く。そのため、展開した際の打撃面の形も七パターン
存在していた。
展開と収納の耐久テストはまたの機会にして、タラスクの甲羅を
使った威力測定に入る。
﹁展開範囲は最大で思い切り振り降ろしてみてくれ。みんなは訓練
場の端へ一時退避﹂
安全を確保したボールドウィンがスカイを操作し、ハンマーを振
り被った。
スカイは軽々と扱っているが、金属布を仕込んだ魔導チェーンの
魔力伝導率の高さや圧空の魔術による補助が無ければ扱う事の出来
1658
ない重量だ。内部装甲も荷重に耐えられるように素材から考え抜か
れているため、あのハンマーを鹵獲したところで扱える精霊人機は
現状では存在しないだろう。
超重量級のハンマーを振り被ったスカイが右足を踏み出し、タラ
スクの甲羅へ一直線に振り降ろす。
タラスクの甲羅に到達する寸前、側面の魔導合金版が展開。
青く巨大なハンマーが振り降ろされる様は、あたかも青空が落ち
るようだった。
タラスクにハンマーが激突し直後、地震でも起きたように地面が
縦に揺れる。
慌ててバランスを取った時、バタバタと駆けてくる足音がした。
目を向けてみれば、ギルド長と数人の職員が訓練場に入ってきて、
スカイの方を見て口を半開きにした。
﹁そうだ。スカイは?﹂
慌てて確認すると、タラスクの甲羅に振り降ろしたハンマーをひ
ょいと軽々持ち上げるスカイの姿があった。強烈な反動があったは
ずだが、まるで意に介していない。関節に仕込んでいるエアリッパ
ーなどがうまく機能したのだろう。
肝心のタラスクの甲羅は上部が砕けて陥没し、地面に半ばまで埋
まっていた。
範囲攻撃であの威力、反則じみている。
﹁こ、これは何の騒ぎだ。というか、また君たちがやったのか?﹂
信じられない物でも見るような目でタラスクの甲羅を見ながら、
ふらふらとギルド長が歩いてきてそう訊ねてくる。
﹁またやらかしちゃいました﹂
1659
ミツキが小首を傾げてあっさりと言ってのける。拝むように両手
を胸前で合わせて、許して、のポーズをとっている。
﹁⋮⋮なんだアレは?﹂
疑っても仕方がないと悟ったのか、疲れたようにギルド長がスカ
イの持つ青いハンマーを指差す。
﹁あれですか。スカイの専用装備、その名も﹂
俺はにやりと笑って名を明かす。
﹁︱︱天墜です﹂
1660
第二十八話 ボルス奪還作戦の準備
スカイの専用武器〝天墜〟の試験も済んで、俺はミツキと共にデ
ュラ郊外のミツキの家に戻ってきていた。
スカイやスイリュウの耐久試験などは青羽根と月の袖引くで行え
る。その後は間近に迫るボルス奪還作戦に向けて機体の動きに慣れ
るまで訓練してもらう事になっていた。
では、なぜ俺たちがミツキの家に戻って来たかといえば、理由は
三つある。
そのうちの一つ、ウィルサムを家の中に招き入れて、俺は白いコ
ーヒーもどきを淹れながら話を始めた。
﹁ワステード司令官にウィルサムの事を話した。ウィルサムの主張
が丸々受け入れられるわけではないだろうけど、旧大陸派は再捜査
を行う事も考えるそうだ﹂
﹁考える、という事はまだ動いてはいないのだな。やはり、新大陸
派の件が片付いてから、という事か?﹂
すぐに再捜査をしてもらって自らの身の潔白を証明したいだろう
に、ウィルサムは冷静に状況を分析する。それがどことなく不幸に
巻き込まれ慣れているように見える、と本人には言うまい。
﹁ウィルサムの想像通りみたいだ。ただ、新大陸派をどうするのか
についてまでは俺たちも教えてもらってない。軍が内々に処理する
んだろうな﹂
嘘である。
新大陸派が決起するのに合わせてワステード司令官が旧大陸派の
1661
兵を動員して討伐を図るというのがボルス奪還作戦の隠れた目的で
あり、俺とミツキはもちろん青羽根や月の袖引くといったメンバー
もこのことを知っている。
だが、ウィルサムはこの件についてどこまでからんでいるのか、
本当に新大陸派との繋がりがないのか、まだ裏が取れていない。
作戦内容を部外者に教えるわけにもいかないため、あえて嘘を吐
かせてもらった。
ウィルサムは何かを察したように微かに笑うと、白いコーヒーも
どきを口に含んで目を丸くした。
﹁香ばしい。これほどの物を淹れるとは、いい腕だ﹂
﹁ヨウ君のコーヒーは格別でしょ﹂
ミツキが自分の事のように誇らしげに笑う。
俺は自分の分の白いコーヒーもどきを淹れ終わって、テーブルに
着く。
﹁新大陸派を捕まえるなりしたら、再捜査が始まる。そうなったら、
ウィルサムにも証人として出頭してもらいたいそうだ。バランド・
ラート博士暗殺事件もそうだが、新大陸派がバランド・ラート博士
の研究資料を付け狙っていた件についても証言をお願いしたいって
さ﹂
﹁それは構わないが、肝心の研究資料は⋮⋮﹂
ウィルサムは俺とミツキを見て、言葉を濁す。
異世界の魂を召喚するというバランド・ラート博士の研究資料は
ほとんど現存していない。ガランク貿易都市近くの崖下にあった隠
し研究所もウィルサムが破壊している。
異世界の魂を召喚する術については俺とミツキがガランク貿易都
市の隠し研究所を家探しした際の資料と、ウィルサムから受け取っ
1662
た研究資料しかない。
どちらも公開する気はないし、異世界の魂召喚についてはここに
いる三人しか知らない。
俺はウィルサムを真正面から見つめた。
﹁その件で話に来たんだ。ようは、口裏を合わせてほしい﹂
﹁異世界の魂については黙秘する、と?﹂
﹁その通りだ。幸か不幸か、精霊が魂である事と魔力袋が人工的に
発生させられる物である事さえ証明できれば、新大陸派がバランド・
ラート博士を暗殺する動機については十分補完できる﹂
新大陸派がバランド・ラート博士を殺害した理由は、魔力袋の生
産方法が明るみに出るのを防ぐためだったと思われる。さらに、最
新の研究資料も狙いの一つだったのか、バランド・ラート博士を殺
害した後はウィルサムを追い掛けていた。
﹁これだけでも、ウィルサムの無実は証明できるはずだ。どうだ?﹂
﹁協力しよう。この世界の事情に巻き込んだのはこちらなのだから、
これ以上の迷惑をかけたくはない﹂
本当に責任感が強い奴だ。
﹁そこまで気負う必要はないんだけどな。それじゃあ、ウィルサム
は今後もこの家の周囲に潜んでいてくれ﹂
﹁分かった。新大陸派に嗅ぎつけられた場合はガランク貿易都市の
側にあるバランド・ラート博士の隠れ家に潜む事にするが、いいな
?﹂
﹁そうしてくれ﹂
ウィルサムとの話を終えて、俺は夕食の準備をしにキッチンへ行
1663
くミツキを見送り、もう一つの用事を片付けるべく動く。
手持無沙汰のウィルサムが俺と一緒に庭へ出た。
﹁気になっていたのだが、この歯車なんかは何に使うのだ?﹂
俺たちが運び込んだ機械部品の山を見て、ウィルサムが訊ねてく
る。
﹁ボルス奪還作戦の時に使う予定の兵器を作るのに使うんだ。ここ
で組み立てた後、俺とミツキで先行して設置する﹂
これは青羽根や月の袖引くと立てた作戦の準備に当たる。
ボルス奪還作戦において、新大陸派が決起しワステード司令官が
兵を率いてマッカシー山砦に戻った場合、俺たちは青羽根と月の袖
引くと力を合わせてあのスケルトンの群れに対峙しなくてはならな
い。
スカイ、スイリュウ共に強力な機体となった今でも、スケルトン
の群れと真正面からぶつかりあうのは自殺行為だ。
そこで、俺たちはワステード司令官達が戦線を離脱した後の作戦
を組み立てた。
まずはマッカシー山砦に向かうワステード司令官たちをスケルト
ンが追わないように、街道から外れた河原へ引きつける。
そこにあらかじめ防御陣地を構築しておき、戦闘をしながら緩や
かに河原を渡り切り、対岸から自走空気砲による砲撃を行う。
折り紙式遊離装甲を持つ自走空気砲であれば、対岸から放たれる
魔術も防ぐことが可能だ。
問題は新大陸派に警戒されないよう、マッカシー山砦を出発する
戦力は少なくしないといけないため、自走空気砲を持って行軍する
事が出来ないという事。
仕方がないので、完成した自走空気砲は俺とミツキで先行して現
1664
地に置いておくことになる。流石の新大陸派もボルスから離れた森
の中に兵器が隠してあるとは考えないだろう。
万が一新大陸派に見つかった時の事を考えて盗難対策はしておく
としよう。
青羽根と月の袖引くの訓練期間を利用して行うこれらの準備はワ
ステード司令官にさえ教えていない。どこに新大陸派の眼があるか
分からないため、この作戦を知るのは俺たちと青羽根、月の袖引く
だけだ。
だんだんと組み上がる自走空気砲。六本脚のそれを見て、ウィル
サムが眉を顰めた。
俺はウィルサムの反応に首を傾げる。
﹁なんだ。これでも気味悪いとかいうのか?﹂
ライグバレドでは好評だったんだが。
俺の質問に、ウィルサムは首を横に振った。
﹁動物型ではないからか、嫌悪感はないのだ。ただ、設計思想と言
うべきか、何を考えてこれを作るに至ったのかと疑問でな﹂
﹁走破性の問題で足をつけてるんだ。街道沿いを進むだけならいら
ない機能なんだが、これを使うのは森の中だからな。車輪だとどう
しても動かしにくい﹂
すでに大まかに組み立てが終わっていたため、ミツキが夕食の準
備を終えるまでに一機仕上がった。
﹁今日のメニューはブイヤベースだよ﹂
ミツキがテーブルに置いた鍋の中にはエビや貝、カニ等が入って
いた。
1665
硬めのパンを浸して食べても美味しい逸品である。
﹁手が込んでるな﹂
﹁自走空気砲を一機仕上げるくらいの時間がかかるから丁度いいか
なって﹂
俺に合わせてたのか。できた彼女である。
ウィルサムが泣くほど感動するブイヤベースは魚介の旨味が口の
中いっぱいに広がるスープと、出涸らしになっていないプリプリの
エビの食感も嬉しい。
﹁生きててよかった⋮⋮﹂
ウィルサムがポツリとつぶやく。一年以上の逃亡生活を続けただ
けあって、ミツキの料理を食べる度に言ってる台詞だ。
パンにスープを吸わせて頬張れば、仄かなパンの甘みに魚介の旨
味が合わさって至高の味となる。旨味ばかりで舌が鈍感になる前に、
シャキシャキの野菜サラダを食べて舌の感覚を戻す。
﹁明後日までに自走空気砲を作って、出発しよう。今日のところは
もう寝るけど、明日からは手伝いをお願いしていいか?﹂
﹁大丈夫だよ。買い出しも終わってるし、デュラに行っても仕方が
ないからね﹂
ミツキがウィルサムを見る。
何を言われるのか察したのか、ウィルサムが首を横に振った。
﹁あんな複雑な物を作る手伝いは無理だ﹂
﹁だよね。一般の人だと訳分からないと思う。ただ、ウィルサムに
は魔力の提供してもらいたいんだ﹂
1666
﹁魔力の提供⋮⋮というと蓄魔石に?﹂
ウィルサムの確認に、俺はミツキと揃って頷いてから、自走空気
砲を指差した。
﹁あんななりでも遊離装甲を使ったりしてそこそこ魔力消費がでか
いんだ。全部で四機作るつもりでいるけど、魔力を準備している時
間まではなくてさ。ウィルサムに提供してもらえるとありがたい﹂
駄目なら数を減らして運用することになる。魔導手榴弾を参考に
開発した特製の砲弾も使えなくなるだろう。
ウィルサムは﹁その程度でよければ﹂と気安く応じてくれた。
﹁いいのか? 指名手配犯としては逃亡のためにも魔力をあまり無
駄使いしたくないはずだろ﹂
﹁いまさら君たちが私を売るとは思えないからな﹂
そりゃあ、異世界の魂について知っている数少ない人間だ。新大
陸派にたれ込むはずがない。
夕食を食べ終わり、テントに戻るウィルサムを見送った俺たちは
最後の目的に取り掛かる。
﹁バランド・ラート博士の研究資料はこれだよ﹂
﹁よし。漏れがないように何度か見直して、異世界の魂召喚に関係
するところは全部省くぞ﹂
新大陸派が鎮圧された時、証拠として提出されることになるだろ
うバランド・ラート博士の研究資料。その内容を精査して俺とミツ
キ、つまりは異世界の魂に関連する記述を発見して抜き取るのだ。
これをしておかないと、トチ狂った輩がまた異世界の魂を召喚し
1667
ようとするかもしれない。
﹁しっかりきっちり抹消しちゃおうね﹂
研究資料を読み進めながらミツキが言う。
バランド・ラート博士が生涯をかけて研究し、見つけ出したこの
世界の出生率低下を食い止める方法を闇に葬る事に、罪悪感は一切
ない。
もう被害者を増やす気はないんでね。消えてもらうぜ。
﹁新大陸派を一網打尽にしたら、魔力袋が人工的に発生可能な代物
だって事も精霊が元は魂だって事も明るみに出て、出生率の低下原
因としても注目される。そんな未来を想像するのは甘いよな、やっ
ぱり﹂
﹁旧大陸派が新大陸派と同じことを考えない保証はないからね。魔
力袋の秘密は旧大陸派が頂いたってなる可能性もあるよ﹂
ワステード司令官がそんなことするとは考えたくないけど、とミ
ツキが苦笑する。
﹁手を打っておく?﹂
﹁そうだな。もしも旧大陸派が魔力袋の生産方法を秘匿するつもり
なら、俺たちも口封じの対象になりかねないし﹂
﹁問題はどうするか、だよね﹂
旧大陸派がバランド・ラート博士の研究内容を公表せざるを得な
い形に持って行く、その方法。
ボルス奪還作戦までの時間も考えると打てる手は限られるが⋮⋮。
﹁打てる手がないわけでもないんだよな﹂
1668
俺はバランド・ラート博士の研究資料を持ち上げ、思いつきを口
にした。
1669
第一話 各魔物の仮名称
マッカシー山砦の前にワステード司令官率いるボルス奪還軍が集
結していた。
精霊人機は雷槍隊機の五機、ワステード司令官専用機ライディン
ガルの他、軍の汎用機が五機、開拓者からは青羽根のスカイと月の
袖引くのスイリュウが出ている。
﹁やっぱりこうなったか﹂
ボールドウィンがボルス奪還軍を見回して呟く。正確には開拓者
の部隊だ。
ボルス奪還軍に参加している開拓者は青羽根、月の袖引く、凄腕
開拓者が立ち上げた歩兵だけの開拓団〝朱の大地〟と何人かの飛び
入り参加の開拓者。それと鉄の獣こと俺とミツキ。
戦力的には心もとないが、新大陸派の間者がいない事はまず間違
いない。
﹁声を掛けた開拓団は現場を動けないか、新大陸派の決起に合わせ
て動くことが決まった時点で嫌な予感はしてたけどさ。この辺りで
活動中の開拓団が参加してくれないかと少し期待してたのに﹂
当てが外れた、とボールドウィンが愚痴る。
タリ・カラさんとレムン・ライさんも難しそうな顔をしている。
﹁この戦力でスケルトン部隊を引きつけるのは難しいですね。例の
防御陣地はこの人数でも機能しますか?﹂
1670
タリ・カラさんの言葉が指しているのは俺とミツキが先行してボ
ルス近くの河に仕掛けておいた自走空気砲などで作られる陣地の事
だろう。
ミツキが自信満々に胸を張る。
﹁もともと、私とヨウ君、青羽根と月の袖引くだけで機能するよう
に設計してるからね。レムン・ライさんも大丈夫って言ってたし﹂
そうですよね、とミツキが水を向けると、レムン・ライさんは静
かに頷く。
﹁遠距離に対しても自走空気砲の備えがあるだけでも大きいですね。
これから、魔導手榴弾を埋めた地雷原と呼ばれる地域も作りますか
ら、人数の関係で苦戦は必至でしょうが、蹂躙されることはないか
と思います。後は采配次第でしょう﹂
タリ・カラさんはレムン・ライさんの言葉に安心したのか、ほっ
と息を吐いて俺たちを見る。
﹁采配に関しては合議の形を取ることになりますが、最終決定権や
現場における指揮は鉄の獣のお二人にお任せします﹂
﹁俺たちでいいんですか? レムン・ライさんの方が適任では?﹂
﹁レムン・ライは我が団の戦闘員を率いてもらいます。私やボール
ドウィンさんは精霊人機で前線に立つ以上、全体に目を配っている
余裕がありません。他の方では実績が足りませんから、鉄の獣のお
二人が適任です﹂
タリ・カラさんがボールドウィンの意見を問うように視線を向け
る。
ボールドウィンは頭を掻いた。
1671
﹁というか、地雷原だっけ。アレの威力を知ってるのは人型魔物の
群れと戦った俺達くらいのもんだ。自走空気砲に至っては射程から
して他の連中の手に余る。防御陣地を活用するならコトたちに任せ
るのが正しいだろ﹂
﹁それでいいなら、そうしよう。ただ、意見はくれよ。精霊人機の
戦い方なんて俺たちは実際に経験してないからな﹂
﹁その辺は任せろ﹂
後で凄腕開拓者の二人が率いる開拓団〝朱の大地〟にも話を通し
ておいた方がよさそうだ。
話をしている間に、ワステード司令官が全軍の正面へ愛機ライデ
ィンガルに乗って現れた。
出発前に演説の一つでもして士気を高揚させるのだろう。
ライディンガルの拡声器越しにワステード司令官の声が聞こえる
が、興味がないので無視する。狙撃手が高揚して冷静さを欠くわけ
にはいかない。
ワステード司令官がこの作戦のために用意した狙撃手はどうだろ
うかと、軍の様子を窺う。
軍の狙撃手は大体五十人ほどだろうか。もっとたくさん訓練して
いたし、俺も何度か意見を求められたのだが、ものになったのは五
十人だけらしい。
照準誘導の銃架が荷台に取り付けられた整備車両、運搬車両が全
部で十台。二人一組で休憩しながら狙撃に専念するのならば、あの
車両に二十人が配置されるだろう。
残りの三十人十五組は予備人員とゲリラ的に森の中から狙撃する
はずだ。照準誘導の銃架は重たい上にかさ張るため森の中では持ち
運べない。つまり、森の中から狙撃する者達の命中率は低く、牽制
の意味合いが強いと考えた方が良い。
それでも、展開した軍とは違う場所から狙撃されればスケルトン
1672
たちも混乱するだろう。あいつら、狙撃手の位置を特定してから魔
術で集中砲火してくるし。
狙撃手が潜んでいそうな辺りをまとめて吹き飛ばすのは理に適っ
ているけど、やられる方はたまったもんじゃない。そういう意味で、
スケルトンの狙撃手潰しが分散するゲリラ的な狙撃手部隊の存在は
ありがたい。
同じように軍を見つめていたミツキがため息を吐いた。
﹁やっぱり、軍は自走空気砲の開発まで手が伸びなかったみたいだ
ね﹂
﹁あれは結構金がかかるし、魔導核の設定に技術力が必要だからな。
でも、軍が使うとスケルトンが対処方法を覚えて防御陣地での効果
が減るから、これはこれでよかったのかもしれない﹂
そう割り切って考えるしかないだろう。
﹁コトから見て、軍の狙撃手の腕はどんな感じだ?﹂
ボールドウィンに話を振られて、俺は訓練風景を思い出す。
﹁あれだけの人数がいれば、頼りになると思う﹂
照準誘導の銃架を使えば、大体六百メートルくらい先の小型魔物
を八割くらいの確率で即死させられるくらいか。
八百メートルを超えると照準誘導の銃架を使ってもまず当たらな
い。
ちなみに俺は八百メートル先までなら百発百中を狙える。ディア
の照準誘導は量産品とは違うのだよ。
話していると、俺たちのところへ駆けてくる青年の姿があった。
ベイジル大好きっ子ツンデレ野郎、いわゆる整備士君である。
1673
﹁ワステード司令官からの伝言だ。開拓者は新大陸派が動き出すま
で温存する。英気を養っておけ、との事だ﹂
﹁了解。というか、整備士君も新大陸派の事は知ってるんだな﹂
情報漏えいの危険を考えて、末端には知らされていないと思って
たんだけど。
整備士君は不本意そうに眉を寄せた。
﹁なんだよ、整備士君って⋮⋮。自分はお前たちとの面識があるか
ら、連絡役に選ばれたんだ。⋮⋮ベイジルさんも退役しちまったし﹂
﹁あぁ、退役したベイジルを偲んで一人称が〝自分〟なのか﹂
﹁う、うっせぇ!﹂
顔を赤くした整備士君がそっぽを向く。
﹁ツンデレ乙﹂
ミツキがグッジョブとばかりに親指を立てて整備士君を煽る。
話が進まなくなりそうなので、俺は話題の軌道修正を図った。
﹁新大陸派関連は全部知ってるのか?﹂
﹁もしかするとこの作戦行動中に決起して、マッカシー山砦を奪い
に来るかもしれないってことまでは聞いてる﹂
整備士君は状況をあらかた知っているらしい。
とはいえ、他の旧大陸派の兵士たちだって、前回の撤退戦におけ
るホッグスの動きから何かおかしなことが起こっていることくらい
は察しているだろう。
1674
﹁新大陸派の決起後にワステード司令官たち旧大陸派の軍はスケル
トンを放置してマッカシー山砦に向かう事になるけど、順調に進み
そうか?﹂
敵は本能寺にあり、じゃないけれど、そう簡単に後ろに向かって
進撃できるほど軍というのは身軽じゃない。
そう思って、旧大陸派軍のまとまり具合を訊ねたのだが、整備士
君は少し考えて首を縦に振った。
﹁自分に話があったくらいだから、中隊長くらいまでは意思がまと
まってるはずだ。前回の撤退戦を生き残った小隊長たちが格上げさ
れて中隊長になってるから、信頼も厚い﹂
そういえば、旧大陸派軍はリットン湖における超大型魔物の襲撃
を受けた時点で中隊長格が軒並み戦死しているんだった。
﹁小隊長からの繰り上げという事はロント小隊長も中隊長になった
のか?﹂
﹁なってる。でもなんというか、中隊長になった人たちみんな苦い
顔してたのが印象的だった﹂
まぁ、あの撤退戦を生き残ったぐらいだ。昇進する事が良い事ば
かりじゃないと分かってるんだろう。
それでも辞退しなかったのだから、責任感のある人たちだと思っ
てよさそうだ。
﹁そうだ。撤退戦で確認された新種の魔物について、名称が仮決定
した。いまのうちに教えておく﹂
整備士君が紙を取り出して、読み上げる。
1675
カメ型の超大型魔物はクーラマ、大型スケルトンはガシャ、未だ
俺しか目撃していない白い人型魔物についてはパペッターの名が当
てられるという。
ミツキが不満そうに頬を膨らませた。
﹁なんで大型スケルトンの名前が交通訴訟賞じゃないの?﹂
﹁言いにくいからだ。戦場で一々コウツーソショーショなんて言っ
てられるか﹂
なるほど、すごい説得力だ。練習していたらしい整備士君でさえ
噛みっ噛みである。
ミツキは整備士君の無様さに機嫌を直したのか、にやにやし始め
る。
﹁そうだねぇ。交通訴訟賞、なんて言えないよねぇ。交通訴訟賞な
んてさ﹂
あ、違うな。自分が付けた名前をないがしろにされて根に持って
るだけだ、コレ。
証拠に、ミツキの眼が笑っていない。
よせばいいのに、整備士君も負けず嫌いらしい。
﹁そうだよ。コウツ⋮⋮ッ痛え﹂
﹁ざまぁ!﹂
舌を噛んだ整備士君を指をさして笑うミツキが、お手本とばかり
に口を開く。
﹁舌が不器用だね。交通ソショ⋮⋮っ﹂
1676
ミツキが突然口を押さえて、羞恥に真っ赤になった。
涙目になって、ミツキは俺の後ろに隠れる。
俺の背中に顔を埋めてくるミツキを肩越しに振り返り、声を掛け
る。
﹁なに可愛い事してんの?﹂
﹁うぐぐ⋮⋮﹂
﹁抱き着いてきても誤魔化されないから。しばらくこのネタでから
かうつもりでいるから﹂
﹁ぐぬぬ⋮⋮﹂
ボールドウィンとタリ・カラさんが呆れの視線で見てくるのがさ
らに羞恥心を煽ったらしく、後ろから俺の腹に回したミツキの腕に
力が入る。
整備士君が何とも言えない顔した。
﹁引き分けのはずなのに、目の前でいちゃつかれると負けた気分に
なるのはなんでだ⋮⋮﹂
1677
第二話 ボルス奪還軍、進軍
マッカシー山砦から防衛拠点ボルスへと続く街道を逸れて森に入
り、木々を避けながら高速で走り抜ける。
ディアが鳴き、魔物の存在を知らせてきた。隣でミツキが操るパ
ンサーが唸り、ディアの反応と合わせて魔物の位置を特定する。
﹁左にいるな。少し遠いが、軍の進行速度を考えるとギリギリぶつ
かる可能性がある﹂
﹁小型魔物だね。いまのうちに仕留めておいてもいいと思うよ﹂
ミツキの意見に賛成して、ディアの進行方向を左に向ける。
木の幹を危なげなく避けながら、索敵魔術に引っかかった哀れな
獲物の姿を探す。
五百メートルほど先の木陰にサーベルタイガーに似た小型魔物、
レイグの姿を見つけた。
のんびり昼寝を始めたところに対物狙撃銃の銃弾を撃ち込み、帰
って来れない夢の旅へとご招待する。
﹁こっち側の森はこれで安全だろう。街道を挟んだ向かいの森へ戻
る﹂
﹁了解。それにしても、軍は張り切ってるね﹂
﹁予定の五割増しの進軍速度だな﹂
俺たちの索敵能力が高いため、魔物の襲撃への警戒を最低限にし
て進軍できるのが大きいのだろう。
森を一直線に走り抜けて街道に出た俺たちは、軍の位置を再確認
して向かいの森の中へ入る。
1678
以前、マッカシー山砦から随伴歩兵のリンデたちとキャラバンの
護衛をした時に、カエル型の中型魔物ヘケトに襲われた辺りだ。
﹁ヘケトを見たら即撃ち殺す方向で﹂
﹁精霊人機にとっては厄介な敵だもんね﹂
ヘケトは長く素早い舌で精霊人機の足を絡め取って転倒させてく
るため、倒せるのなら歩兵が処理すべき魔物である。
ヘケトを警戒しつつも河原まで索敵する。
懸念されたヘケトどころか他の魔物の姿もない。
﹁やっぱり、ボルスに巣食ってるスケルトン種の群れが影響してる
みたいだな。魔物が全然いない﹂
先ほど狙撃したレイグでさえ、マッカシー山砦を出て三匹目の魔
物である。通常ならすでに二桁の魔物と遭遇しているはずだ。
河原から上流と下流を見回して、魔物がいない事を確認してから
俺たちは街道に戻った。
軍の先頭部隊を指揮しているロント中隊長の下へディアで駆け寄
り、索敵の結果を報告する。
ロント中隊長は相変わらずの顰め面で整備車両の助手席に座って
いたが、俺たちの報告を聞いて一つ頷くと後方を指差した。
﹁そろそろ野営予定地に到着する。鉄の獣はもう下がっていい。ワ
ステード司令官に報告しておいてくれ﹂
﹁分かりました。それじゃあ、後はよろしくお願いします﹂
ロント中隊長に後を任せて、俺たちは軍の中央にいるワステード
司令官を訪ねる。
雷槍隊機で固められた本隊には整備士たちも同行しており、あま
1679
り物々しい印象は受けない。
雷槍隊の整備車両に向かい、助手席のワステード司令官に報告を
済ませる。
﹁という感じで、索敵はロント中隊長に任せてきました﹂
﹁了解した。二人は休んでいてくれ。野営地の準備が整い次第、開
拓団の団長も交えて軍議を行う﹂
﹁伝えておきます﹂
軍議ね。
整備車両を離れて最後尾の開拓者部隊へ向かいながら、ミツキが
欠伸する。
﹁軍議って言われても、明日のボルス奪還作戦って茶番でしょ?﹂
﹁新大陸派に隙を見せるためのものだからな。ワステード司令官も
スケルトン相手に戦力を減らすわけにはいかないし、消極的な戦闘
になるはずだ﹂
しかし、消極的な戦闘だからこそ、素早くかつ統率の取れた撤退
を行うために作戦を見直すのだろう。
撤退中に追いすがられて敗走しました、なんてことになったら新
大陸派を打倒するどころの話じゃなくなる。
開拓者の軍と合流し、軍議の話を各開拓団の団長に伝達する。
開拓団は三つだけ、団長に関しては朱の大地に凄腕開拓者二人の
団長がいるため、総数四人となっている。
朱の大地の団長二人に歩み寄ると、向こうも気付いて片手を挙げ、
挨拶してきた。
﹁鉄の獣さん、索敵は済んだのですかな?﹂
﹁えぇ、後は前線部隊のロント中隊長が引き継いでくれたので、俺
1680
たちは休憩です。それと、野営地に着いたら軍議を行いたいとワス
テード司令官が仰ってますから、朱の大地の団長二人も出席してく
ださい﹂
﹁えぇ、了解しました﹂
俺は朱の大地の団長ABの横にディアを並べる。この団長さんた
ちの名前なんて言ったかな。
あれ、もしかして自己紹介してないんじゃ⋮⋮。
いや、デュラ調査隊の時に挨拶したかな。
いいか、べつに。
俺は朱の大地の団長二人にだけ聞こえるように声を掛ける。
﹁ワステード司令官から、今回の作戦の主旨は聞いてますか?﹂
﹁⋮⋮新大陸派のあぶり出し、と﹂
最低限の話は通っているらしい。
俺は続けて話す。
﹁新大陸派の対処のためにワステード司令官がボルス奪還軍をその
まま率いて向かった後、俺たち開拓者はボルスから出てくるスケル
トンの群れを足止め、場合によっては追い返すことになります﹂
﹁聞いております。その点についての軍議も、後程行った方がよろ
しいでしょうな﹂
あの撤退戦を生き残っただけあって、朱の大地の団長二人は話が
早い。
俺は団長の言葉に頷いて、先を話す。
﹁実は、最低限の防御陣地をすでに河原に作ってあります﹂
﹁用意が良いですな。国軍が抜けた後は河原へスケルトン共を引き
1681
込んで戦闘を開始、という算段ですかな?﹂
﹁そうです。ただ、防御陣地ですから動かす事は出来ません。朱の
大地さんが独自に動くなら、防御陣地の裏に回り込まれないような
位置取りをお願いしたいんです﹂
﹁水臭いですな。我々も防御陣地の戦力として協力いたしますよ。
それとも、すでに定員ですかな?﹂
ちらりと、団長二人が青羽根と月の袖引くを振り返った。
青羽根と月の袖引くも防御陣地の戦力として参加してもらう事が
すでに決まっているが、開拓者の飛び入り参加の可能性を考えて防
御陣地の定員は調整できるようになっている。
﹁調整、というと?﹂
怪訝な顔をした朱の大地の団長に、俺は笑いかける。
﹁そのものずばり、調整ですよ﹂
野営地が見えてきたため詳しい事は軍議で話すと言い置いて、俺
はその場を後にした。
﹁計画を聞いたら、あの二人もきっと驚くよ﹂
﹁だろうな﹂
また突拍子もない事を考えついたな、とボールドウィン達には呆
れられたけど、普通は驚くはずだ。
俺とミツキは精霊獣機を二機並べて布を掛けるだけでテントが作
れるため、野営の準備はすぐに終了する。
旧大陸から補充された新兵がディアとパンサーを見て気味の悪そ
うな顔をするが、絡んできたりはしない。因縁をつけようとした新
1682
兵はあの撤退戦を生き延びた先輩達に〝およばれ〟しているとの噂
である。
河で汲んできた水を沸かして、白いコーヒーもどきを淹れる。
整備士君がやってきて、いち早くくつろいでいる俺たちを見て何
とも言えず頭を掻いた。
﹁認めたくないけど、その精霊獣機って奴は便利だな﹂
﹁まぁな。それより、軍議か?﹂
﹁あぁ、準備ができたから早めに始めようとさ。ロント中隊長が、
開拓者には国軍が抜けた後の事も話し合う必要があるだろうから、
時間を作ってやりたいと意見したらしい﹂
ロント中隊長の意見か。よく気が付く人だ。
﹁だから出世しちゃうんだよ﹂
﹁そういうなって﹂
ミツキに言い返して、俺は席を立つ。
白いコーヒーもどきを飲み干して、整備士君に案内されながら天
幕へ向かった。
﹁お邪魔します﹂
﹁鉄の獣か。入れ﹂
ワステード司令官に許可されて、俺はミツキと共に天幕の中へ入
る。
整備士君が緊張の面持ちでついてきた。いざという時の連絡係で
あるため、作戦会議にも出席しなくてはならないのだろう。
空いた席にミツキと二人そろって腰かけた時、ボールドウィンと
タリ・カラさんが入ってきた。後ろには朱の大地の団長二人の姿も
1683
見える。
席が埋まったのを確認して、ワステード司令官が口を開く。
﹁ここでの話は他言無用だ﹂
いまさらといえば今更な念押しに誰も口を開かず続きを待つ。
﹁旧大陸の本国にいた新大陸派の将官がデュラの港に到着した﹂
﹁では、新大陸派が決起するとしても明日になりますか?﹂
中隊長の一人が訊ねると、ワステード司令官が頷く。
﹁着いた初日ではまだ新大陸派も情報不足で動けないだろう。なに
より、我々旧大陸派がまだスケルトンと戦闘を開始していない以上
は連中も警戒している﹂
﹁我々がスケルトンとの戦闘を開始したことはどこから新大陸派に
伝わるとお考えですか?﹂
朱の大地の団長が訊ねると、ワステード司令官が俺たちを見た。
﹁我々を監視している者がいるのではないかと考えていたが、鉄の
獣の索敵をかいくぐれるとは思えない。鉄の獣は不審な部隊を見た
かね?﹂
﹁いませんでしたね。索敵魔術の範囲は最大にしていたので、ボル
ス奪還軍を監視している部隊があったとしたら俺たちが見つけてい
ます。ボルス周辺に潜んでいる可能性もあるのでまだ何とも言えま
せんけど、監視部隊はないと考えていいです﹂
俺の答えに会議机を囲む面々は納得した様子だった。俺とミツキ
の索敵能力を疑う者はこの場にはいない。
1684
ワステード司令官がマッカシー山砦の方角を見る。
﹁では、マッカシー山砦の内部にいる内通者を経由するのだろう﹂
﹁追い出してなかったんですか?﹂
リンデとか、リンデとか、後はリンデとか。
ワステード司令官はにやりと笑う。
﹁マッカシー山砦は元々新大陸派に明け渡すつもりだったのだ。内
通者を追い出す必要などどこにもない。むしろ、積極的に新大陸派
と連絡を取ってくれれば、我々の手間が省ける﹂
大胆な事だ。
だが、新大陸派も罠には気付いているだろう。罠と分かっていて
もなお、正面から打ち破るだけの戦略的価値がいまのマッカシー山
砦にはある。マッカシー山砦を押さえてしまえばワステード司令官
率いる旧大陸派は補給線を失って孤立するのだから。
﹁ボルス奪還作戦の話に戻そう。我が軍は明日の昼より作戦行動を
開始する﹂
ワステード司令官が会議机の上の地図を指差す。
ボルスと周辺の地理を描いた地図だ。
﹁ボルスは防衛戦でスケルトン種、甲殻系魔物の波状攻撃を受け、
リットン湖側の防壁が崩れている。今回の作戦では、これを逆に利
用する﹂
ワステード司令官の立てた作戦は、数や耐久力に勝り魔術を用い
た援護射撃も可能な魔術スケルトンをボルスの中から出さないよう
1685
にするためのものだった。
﹁ボルスの崩れた防壁を我々国軍が塞ぎ、スケルトンたちの攻撃範
囲を限定する。これで狙撃兵が狙い撃ちにされる可能性も減るはず
だ﹂
ボルスの他の防壁が邪魔になって、中にいるスケルトンたちはこ
ちらを攻撃できない。無論、防壁の上から攻撃してくる個体もいる
だろうが、防壁上からの攻撃手段は魔術に限られる。
そして、防壁上のスケルトンは森の中に身を隠している狙撃兵に
とって最優先目標であり、格好の獲物になるという事だ。
また、耐久力に優れるスケルトン種の物量作戦にも、国軍は正面
に火力を集中させて対処することができる。
﹁大型スケルトンへの対策は雷槍隊が行う。弓兵大型スケルトンが
少々厄介だが、ロント中隊の精霊人機で凌いでもらいたい﹂
﹁そのために盾持ちを用意しました。防ぐだけならば問題ありませ
ん﹂
ロント中隊長の頼もしい一言にワステード司令官は笑みを浮かべ
る。
﹁作戦の概要は以上だ。何か質問は?﹂
﹁後方のリットン湖から魔物が来た場合の対策は?﹂
﹁規模にもよるが、後方部隊の精霊人機二機で対処する。対応しき
れなければ、ロント中隊の三機から向かわせる。その間、雷槍隊機
がロント中隊の穴を埋める﹂
挟み撃ちされた場合は後方のリットン湖側から殲滅する、という
事か。あくまでも開拓者部隊は温存するつもりでいるらしい。
1686
その後は作戦の詳細を詰める。
﹁︱︱こんなものだろう。軍議はこれにて解散。各自準備を行え。
開拓者は残ってくれ﹂
ワステード司令官の指示に、ロント中隊長たちが立ち上がり、一
礼して天幕を出ていく。
中隊長たちが出ていったのを見届けて、ワステード司令官は居残
りを命じた俺たち開拓者を見回す。
﹁さて、開拓者の作戦を聞いておきたい。我々旧大陸派がマッカシ
ー山砦に向かった後の話だ﹂
責任者は誰だね、と訊かれて、四人の開拓団長の眼が俺とミツキ
に向けられる。
明らかにこの中で最年少の俺たちが責任者を任されている事を、
ワステード司令官は当然のように受け入れた。
﹁やはり君達か。それで、どんな作戦だね?﹂
﹁そんな楽しみにされても困るんですけどね﹂
何故か楽しげなワステード司令官に苦笑しつつ、俺は作戦内容を
説明した。
話を聞き終えたワステード司令官がため息を吐いて首を横に振る。
﹁軍なら絶対に許可が下りないだろうな﹂
﹁奇をてらってますからね﹂
一夜城。それが俺たちの防衛陣地の構築と、それを利用した防御
遅滞作戦の名前だった。
1687
1688
第三話 一夜城
﹁始まったな﹂
﹁あぁ﹂
ミツキと小芝居を挟みながら、遠方にあるボルスから響く戦闘音
に耳を澄ませる。
時刻は昼過ぎ。ワステード司令官は計画した時間通りにボルスの
スケルトンたちへ攻撃を開始したようだ。
俺とミツキを含む開拓者は全員、本日の作戦には参加しない。戦
力の温存という意味もあるが、俺が昨夜の軍議でワステード司令官
に願ったからだ。
戦力として参加してくれる人数が不明だったため今まで後回しに
していた防御陣地の作成を本日中に行いたい、と。
ワステード司令官はたった一日で城を作るという俺の話を疑う事
もなく、さっさと手順だけ聞きだして許可をくれた。
手順は簡単だ。
﹁鉄の獣さん、森側の最終防壁が完成しました﹂
朱の大地の戦闘員が俺たちに報告をくれる。
視線を向ければ、太い川の向こう岸に高さ三メートル、厚み一メ
ートルの半透明の壁が森に沿って二十メートルほど広がっている。
所々に人や精霊人機が抜けるための穴が存在するが、防御陣地とし
てみればそれなりの強度だろう。
ミツキと一緒に地図に描いた防御陣地の設計図通りに壁が配置さ
れているかを確認して、朱の大地に休憩を取らせる。
仲間に休憩の指示を伝えに行く朱の大地の戦闘員と入れ替わりに、
1689
青羽根の整備士長がやってきた。
﹁第一防壁が完成した。材料もまだまだ余裕がある﹂
﹁かなり余分に持ってきてたもんな﹂
河のこちら側の森に沿って青羽根が作った第一防壁を確認する。
設計図と寸分の狂いもない。
第一防壁は防壁と呼ぶには隙間だらけだ。スケルトンの群れを引
き込むため、進行を妨げる事よりも俺たちが駆け込めるように余裕
を持たせてある。
﹁それにしても、よくもこんな奇策を考えついたもんだな﹂
﹁本当にできるかどうかは賭けだったんだけどな。材料が揃わない
可能性が高かった﹂
俺が立てたこの一夜城計画には、スライム新素材が大量に使用さ
れている。
原料であるスライムそのものが確保できないと大量生産などでき
ないわけで、色々と手を尽くすことになった。
最終的に、シージェリースライムを代用品に使っている。
一度フリーズドライしたスライムに水を与えると巨大化する。こ
の巨大化したスライムを原料にしたスライム新素材は水を含むと膨
張する。
故に、俺はこの膨張するスライム新素材を河原で水に浸してから
壁材として利用することを考え付いたのだ。
水を含んでいないスライム新素材は軽く体積も小さい。運搬には
もってこいだ。
青羽根と月の袖引くの整備車両にスライム新素材を満載した台車
を牽引させてこうして現場に持ってきたのである。
河に放り込んだそばから膨張するスライム新素材をスカイとスイ
1690
リュウで河岸に引き揚げ、防壁として並べていく。
急ピッチで構築される防御陣地は作成にかかった時間からは想像
もつかない巨大さと頑丈さを兼ね備えていた。
﹁早くて良いね﹂
﹁金は掛かるけどな﹂
今回は特許持ちのビスティが月の袖引くにいる事で使用料は免除
されているが、他の開拓団や軍がこんなことをしたら金貨が次々飛
んでいくだろう。
﹁スライム、絶滅しないかな?﹂
﹁養殖した方が良いかもしれないな﹂
﹁お前ら、一応言っておくがスライムは魔物だからな?﹂
整備士長にツッコまれて、そうだったと思いだす。
﹁もう素材か食材としてしか見てなかった﹂
﹁またシージェリースライムの胡麻和え食べたいね﹂
﹁あれは美味かったよな﹂
港町の魔物料理屋で食べたシージェリースライムの胡麻和えは本
当に美味かった。あの旨味は他の食材では味わえない。
ミツキと話していると、整備士長が額を押さえていた。
﹁スライムに同情する日が来るとは思わなかった﹂
﹁いい経験になったか?﹂
﹁やかましいわ﹂
漫才をしている内に防御陣地が完成した。
1691
ボルス側の森に沿って作られた第一防壁を抜けると、河の中に作
られている迷路状の第一陣地に出る。
第一陣地に所々ある広い空間は自走空気砲の砲撃地点として設定
している。通路を上手く配置してこの広場に誘い込んだスケルトン
を砲撃で粉みじんの肥料に変えてやるのだ。
大型スケルトン、ガシャに体格が近いスカイとスイリュウが各所
を通り抜けられるか調べてくれている。
﹁こんなもんか。問題はガシャの攻撃にどれくらい耐えられるかだ
な﹂
弓兵、四重甲羅、両手ハンマーの三体のガシャはその巨体にふさ
わしい攻撃力を持っている。
スライム新素材はそれなりに頑丈だが、ガシャの攻撃で破壊され
る可能性は高い。
それでも、通常のスケルトンの侵攻を大幅に遅らせるだけでも戦
術的な効果は大きい。
﹁ガシャに関しては第二陣地へすぐに誘い込んでも構わない。そこ
でスカイ、スイリュウの二機を主戦力にディア、パンサーの補助で
足止めする﹂
そのために、第二陣地は広く、スライム新素材の壁は精霊人機の
身体が隠れるほどに大きく作ってある。
青羽根の整備士、戦闘員たちが第二陣地から出てきて、ぞろぞろ
とこちらにやってきた。
﹁魔導手榴弾の埋設完了したぞー﹂
﹁穴を掘って森まで魔導鋼線を通すの苦労したぜ﹂
﹁配線技士になれるな﹂
1692
第二陣地の下には魔導手榴弾を埋め込み、スケルトンが一定数第
二陣地へ進入してきた場合に作動させ、ガシャと一緒に吹き飛ばす
ことになっている。
﹁蓄魔石は?﹂
﹁準備だけはしてある。だが、いいのか? あの蓄魔石で魔導手榴
弾を起動させると地形が変わるだろ﹂
心配そうな整備士長にミツキが人差し指を左右に振った。
﹁あの魔導手榴弾はギガンテスたちに使った物とはわけが違うんだ
よ。爆発の方向を指定して、上方向だけ吹き飛ばす様になってるの﹂
スカイに使用されている改変圧空の魔術式と似たようなものだ、
と教えると青羽根のみんなは納得してスカイを見た。
﹁指向性の爆発型か。方向を限定する分威力は上がるんだろ?﹂
﹁拡散型よりははるかに威力がでかくなる。魔導手榴弾は投げ込む
物だから指向性爆発の魔術式は使い道がなかったんだが、マライア
さんの考えたこの地雷方式なら有効だ﹂
アンヘルとの決闘が決闘場で行われていなかったら、この地雷型
を埋めまくって吹き飛ばしていたのに。
威力は折り紙つきの地雷型だが、ガシャに効果があるかといえば
期待は出来ない。
骨だけとはいえガシャは大型魔物であり、ボルスに保管されてい
る精霊人機用の遊離装甲を纏っている可能性が非常に高い。
魔力膜だけでも爆発の威力が減衰するのは魔導核を使った実験で
分かっている。
1693
﹁ガシャの遊離装甲を弾き飛ばせれば上出来だと思ってくれ。本命
はあくまでもスケルトンを一掃する事にある﹂
﹁ボールの奴にも伝えておく。こっちが巻き込まれたら意味がない
からな﹂
スケルトンとは違って、地雷型の攻撃を受けたら精霊人機はかな
りのダメージを受ける。中破しない程度だろうが、乗っている人間
が焼け死ぬ可能性だってある。
﹁水が完全に引いたね﹂
河の様子を見ていたミツキが露わになった川底を指差す。
砂利だらけの川底を眺めてから、俺は上流を見る。
レムン・ライさんを先頭に、月の袖引くの面々がこちらへ歩いて
きていた。
﹁上流の堤防構築が終了いたしました﹂
レムン・ライさんが報告してくれる。
ここからでは距離があるため堤防を確認できないが、河の水が引
いたからには万事滞りなく済んだのだろう。
﹁細工は流々、だね﹂
﹁使わないに越したことはないけどな﹂
レムン・ライさんたちが上流に設置した堤防は水をせき止めて防
御陣地での戦闘を容易にする他に、スケルトンが第二陣地を突破す
る可能性が高い場合に決壊させ、スケルトンを下流に洗い流す水攻
めの保険としての意味がある。
1694
ガシャには効果がないだろうが、第二陣地が突破されかけている
状況ではスケルトンのほとんどが第一、第二陣地に集まっているた
め、水攻めで戦場から洗い出してしまえば、俺達人間側はガシャに
攻撃を集中できる。
水攻めで俺たちまで流されては意味がないため、最終防壁は水か
ら身を守れるように作ってあった。
﹁準備も出来たし、そろそろワステード司令官たちと合流するか﹂
開拓者たちを集合させて、俺はディアに飛び乗った。
夜、昨晩と同じ野営地で国軍と合流した俺たちは軍議に呼ばれ、
天幕に顔を出した。
すでに他のメンバーはそろっていたため、俺とミツキが席に着く
と同時に前置きもなくワステード司令官が本日の戦闘の戦果を報告
する。
﹁ガシャは討ち取れなかったが、スケルトンを四十ほど撃破した。
この内、ボルスの防壁上に出てきた魔術スケルトンが十三体だ。頭
蓋骨の破壊を確認したのは二十四体﹂
資料を見ながら、ワステード司令官は報告し、俺たち開拓者を見
て戦闘の推移を話してくれる。
﹁我々は計画通り昼にボルスへの攻撃を開始、崩れた防壁を塞いで
の戦闘を行った。スケルトン側の反応は鈍かったが、ガシャ三体は
すぐに戦闘へ参加、雷槍隊が出撃してこれに当たった﹂
この戦闘で雷槍隊機が一機中破したものの、操縦士に怪我はなく
1695
機体も現在修理中。明日には出撃可能だという。
戦闘は夕方まで続いたが、どちらも戦線を維持して攻め込む事は
なかった。
整備車両や運搬車両の荷台から照準誘導の銃架を用いて狙撃して
いた狙撃手たちの存在に気付いたスケルトン側が防壁の上から魔術
攻撃を仕掛けようとするも、事前に森の中に分散配置されていた別
働隊の狙撃手たちが始末したという。
戦闘の後半ではスケルトン側も警戒したのか、防壁上には出てこ
なかったようだ。
﹁今回は昼に攻撃を仕掛けたため夜行性のスケルトンの動きは鈍か
ったが、明日以降はスケルトン側も襲撃に備えていると予想される。
今夜は夜襲を警戒しつつ体を休めるように﹂
ワステード司令官からは以上らしい。
﹁一つ質問をよろしいですか?﹂
タリ・カラさんが片手を挙げて発言の許可を求めた。
ワステード司令官に視線で先を促され、タリ・カラさんは続ける。
﹁新大陸派の動きはどうなっていますか?﹂
﹁本日戦闘を行った事をマッカシー山砦に伝えてある。動くとすれ
ば明日になるだろうな﹂
ワステード司令官は俺たち開拓者を見回して、続ける。
﹁二日以内に新大陸派が動くと考えて、備えておいてくれ。防御陣
地の構築は済んだのだな?﹂
﹁えぇ。終わってます﹂
1696
終わっているのだが、二日もかかるとすれば堤防の拡張をしてお
く必要があるかもしれない。念のため、定期的に確認はしておくつ
もりだったが。
軍議を終えて天幕を出ると、空は雲に覆われて星ひとつ見えなか
った。
嵐の前の静けさ。そんな言葉が脳裏を過ぎったが、口には出さな
い。
準備は整えた。過信するつもりはないが、多少の異常事態には対
処できるだろう。
1697
第四話 奇襲攻撃
ボルス奪還戦二日目も特に目立ったところはなく戦闘が終了し、
ワステード司令官率いる奪還軍は野営地に帰って来た。
そう、目立ったところはなかった。
だからこそ、あの撤退戦を生き延びた兵士たちがピリピリしてい
る。
﹁これで終わるはずがない。そう思うのは私だけではないようだな﹂
ワステード司令官が会議机を囲む俺たちを見回して、腕を組む。
前回の撤退戦ではワステード司令官もあやうく死にかけた。だか
らこそ、スケルトンの実力を正確に評価してる。
ロント中隊長が口を開いた。
﹁昨日もそうでしたが、スケルトンの群れはまだ防衛戦そのものに
慣れていない様子。しかしながら、連中の戦術眼は前回の防衛、撤
退戦でも発揮されており、今後も無策で突っ込んでくるとは考えら
れません﹂
ロント中隊長の意見に同意を示した別の中隊長が報告する。
﹁森に潜んでいた狙撃手たちの話です。本日は戦闘開始から一貫し
て防壁の上にスケルトンは姿を現さなかった、と。⋮⋮学習してい
ることは間違いないようです﹂
学習能力の高さは警戒すべき案件だ。人型魔物ギガンテスたちと
同じく、こちらの戦術を模倣することもある。
1698
だが、スケルトンたちは初めての防衛戦に戸惑っている。それで
も崩れていないのだから末恐ろしい話だ。
﹁そろそろ何かを仕掛けてくる。順当に行けば夜襲か、明日の攻撃
時に我が軍の側面ないしは後方を突いてくるだろう。各自、警戒す
るように﹂
ワステード司令官はそう言って、伝令を密にするように指示する。
続いて、ワステード司令官は俺たちを見た。
﹁索敵能力は鉄の獣に勝る者がいない。期待している﹂
俺たちが敵の接近に気付いた時はワステード司令官か遊撃部隊を
指揮する中隊長のどちらかに報告すればいいらしい。
﹁いまのところ、新大陸派に動きは見られない﹂
最後にワステード司令官はそう報告して、軍議を解散した。
俺たちは野営場所へディアとパンサーの足を向ける。
ミツキがパンサーの背中の上で両足をぶらつかせた。
﹁警戒は怠れないけど、作戦は順調って感じかな﹂
﹁いまのところはな﹂
ワステード司令官も来たるべき新大陸派との戦闘に備えて軍に疲
労がたまらないように、被害が出ないように、慎重に動かしている。
おかげで死者も少ないし、精霊人機に至っては現在のところ全て
稼働している。
もっとも、スケルトン側の被害も少ないようだ。
大型スケルトンことガシャは三体とも健在。
1699
弓兵ガシャが使用しているアーチェの弓はそろそろ弦が切れる頃
ではないかとみられているが、予備がボルスの基地倉庫にあるため
戦力が減じることはないだろう。
四重甲羅や両手ハンマーの装備も壊れていない。四重甲羅に至っ
ては、予備らしきタラスクの甲羅がボルスの中に転がっているのを
見たと雷槍隊から報告が上がっている。
意図したものとはいえ、戦況は完全に膠着状態だ。
翌日の戦闘も昼から行われた。
三日目だけあって、スケルトン側もボルスの崩れた防壁の内側に
陣取っている。建物の裏から魔術スケルトンが軍の歩兵に狙いを定
めているようだ。
﹁ヨウ君の真似かな?﹂
﹁二日目は屋根の上にいたらしいし、俺の動きを参考にしてるのは
確かかもな﹂
二日目の昨日は屋根の上にいる魔術スケルトンを狙撃手たちがす
ぐに仕留めたらしいから、学習したのだろう。
軍の後方で戦闘の様子を見守る俺は、対物狙撃銃のスコープでス
ケルトンたちを見る。
魔術スケルトンは相変わらず遊離装甲を身に纏っており、頭には
甲殻系魔物の殻で出来た簡易の兜を装着している。遊離装甲はボル
スの中に保管されていた車両用の物を流用しているようだ。
さながら、骸骨武者のようなスケルトンたちは歩兵部隊と切り結
んでいる。
ロント中隊の精霊人機が三機で前線のスケルトンを叩き潰してい
た。だが、大型スケルトンや魔術スケルトンの脅威から歩兵部隊を
守るために大型の盾を装備しているロント中隊の精霊人機は動きが
1700
鈍く、効率的にスケルトンの数を減らす事は出来ていないようだ。
前線を任されているロント中隊の後方には雷槍隊機が駐機状態で
控え、大型スケルトンの襲来に備えている。大型スケルトンがボル
スの中に控えているとは限らないため、どの方角からきても対処で
きるこの位置にいるのだ。
俺は対物狙撃銃を肩に掛け、軽く腕周りの柔軟体操をする。
﹁戦力温存のために待機ってのは分かるけど、暇だな﹂
ミツキが頷いた。戦闘に備えて三つ編みにした長い黒髪がぴょこ
んと跳ねる。
﹁目の前で戦闘中だからいまいち気が抜けないんだよね。気を張っ
てる必要はあるから余計に暇を感じちゃう﹂
﹁時間が過ぎるのが遅いんだよな﹂
緊張しているわけではないが警戒は怠っていない。だからこそ、
体感時間が引き伸ばされている。
﹁歌でも歌おうかな。アニソンとか﹂
﹁周りの迷惑になるからやめとけ﹂
﹁もう一度戦場の様子でも見て、スケルトンたちにアテレコして暇
つぶししよう﹂
監視を兼ねた暇つぶしか。よくも次々と思いつくものだ。
ミツキが双眼鏡を取り出してボルスを見て、首を傾げた。
﹁防壁の上に白いのが見えたんだけど﹂
﹁スケルトンか?﹂
1701
ほとぼりが冷めたと思った魔術スケルトンが再び防壁の上から攻
撃してくるのだろうか。
だが、遊離装甲を纏っていたら白いはずはない。甲殻系魔物の殻
は赤だし。
俺も対物狙撃銃のスコープで防壁の上を見る。
ミツキの言う通り、防壁の上に白い物が見える。
それが遊離装甲も纏わずに防壁の上に伏せているスケルトンだと
気付いた直後、ディアが鳴いた。
この約一年の経験から反射的に臨戦態勢を取った時、ミツキが乗
るパンサーが唸る。
﹁右から来るよ﹂
﹁側面攻撃か。ワステード司令官の言う通りになったな﹂
索敵魔術の設定を確認する。野営地を出発した時のまま、範囲は
最大になっている。
おそらく、まだ俺たち以外の誰も気付いてないだろう。
﹁ミツキは各開拓団に伝令、俺は軍に直接報告してくる﹂
﹁分かった。ここで合流ね﹂
言うや否やミツキがパンサーを駆けさせ、月の袖引くの下へ向か
った。
俺もディアを発進させ、軍の車両に向かう。
ロント中隊長やワステード司令官はもう少し前線に近い場所にい
る。遊撃部隊を任されている中隊長の方がここからだと近い。
ディアで駆けこんだ俺に軍人が敬礼する。
構わずに脇を走り抜け、車両の助手席から俺を見つけて顔を出し
た中隊長に声を掛けた。
1702
﹁右から敵の接近反応あり。姿は確認してませんが、とり急ぎ報告
まで﹂
﹁了解した。伝令、鉄の獣の言葉を聞いたな? ワステード司令官
へ伝えろ﹂
車両の側に控えていた伝令が敬礼して俺の言葉を復唱し、ワステ
ード司令官の下へ走り出した。
その間にも、中隊長は遊撃部隊を指揮して軍の右翼側を指揮する
べく運転手に車両を動かすよう命じている。
接近反応を報告した以上、俺の伝令としての役割は終わりだ。
ミツキと合流しようとディアを反転させた時、防壁の上のスケル
トンを思い出した。
あのスケルトン、防壁の上に伏せて何をしていたんだ?
狙われやすい防壁の上に遊離装甲さえ纏わずに伏せていたのは何
故だ?
俺は対物狙撃銃のスコープを防壁の上に向ける。
スケルトンは相変わらずそこに身を潜めていた。
魔術を使うわけでもなく、空洞の眼で軍を静かに見下ろしている。
いや、違う。
空洞の眼から顔だけ出す様に、白い人型がはっきりと俺を見つめ
ていた。
一瞬にして鳥肌が立つ。
何か知らないが、あれはヤバい。
俺が対物狙撃銃の引き金に指を掛けたのと、スケルトンが空高く
火球を打ち上げたのはほぼ同時。
俺の放った弾丸はスケルトンの頭蓋骨の天辺を削って彼方へ飛ん
でいき、一命を取り留めたらしいスケルトンは防壁の上を這って完
全に姿を隠した。
﹁︱︱ちっ、逃げられた!﹂
1703
なんだ、アレ。さっきの火球は何の合図だ。
状況から考えて、遊撃部隊が動いたことを味方のスケルトンに知
らせる合図か?
だとしたら、右側の接近反応は陽動?
とにかく、ミツキと合流を︱︱
ディアのレバー型ハンドルに指を掛けた刹那、視界の端に白い物
が迫って来るのに気付いてとっさに頭を下げる。
風切音を伴って俺の耳の横スレスレを抜けたそれは、すれ違う刹
那にカチンと歯を打ち鳴らした。
スケルトンの頭蓋骨だ。
頭を下げてなかったら噛み千切られていた。
だが、頭だけなら何の問題もない。あの速度なら地面にぶつかっ
た瞬間に衝撃で砕け散る。
そう思って飛んできたスケルトンの頭蓋骨に目を向けた時、風が
吹き抜けた。
この風はよく知っている。自然のものではない、独特の風。何度
も浴びて、何もかも吹き飛ばして、幾度となく利用した。
︱︱圧空だ。
頭の片隅でひどく冷静に俺の声が響く。
同時に脳裏を駆け巡るのは、殿として残ったワステード司令官や
雷槍隊士をスケルトンの群れの中から救出した時の事。
俺はあの救出時にスケルトンたちへ圧空を放っていた。
学習していたのだ。あの瞬間にも。
圧空を使用したスケルトンの頭蓋骨は着地点の土を豪快に吹き飛
ばし、そこに埋められていた頭蓋骨を欠いたスケルトンの身体と合
体する。
まさかと思って、俺はボルスを振り返った。
﹁おいおい、冗談だろ⋮⋮﹂
1704
ボルスから、晴れた空を飛んでくるのは白いスケルトンの頭蓋骨。
宙を飛ぶ頭蓋骨の群れはあまりにも悪趣味でおぞましく、何より
それがもたらす残酷な未来が容易に想像できた。
﹁連中、こちらの陣の真っただ中に兵を湧かす気か﹂
着地した頭蓋骨があらかじめ埋めてあった体を掘り起こして次々
に立ち上がる。
どれもが圧空を用いた軟着陸をしているという事は、頭蓋骨の中
にはもれなく白い人型通称パペッターが入っている魔術スケルトン
なのだろう。
どうせ、頭蓋骨一つに付き体は一つしか埋まってない、なんてこ
とはない。予備の身体がそこいらじゅうに埋まっているはずだ。
頭蓋骨を破壊しない限り何度でも復活してくるのだろう。
しかも、場所が悪い。
俺は素早く周囲に視線を走らせる。
ここは本陣の中央やや後方、つまりは補給と整備を行う部隊が詰
めている場所だ。遊撃隊も出払っているため、ここには整備士や怪
我人しかいない。
スケルトンも狙ってやったんだろう。防壁の上から観察していた
のもこのためか。
本陣への奇襲成功を喜ぶように、スケルトンたちが一斉に歯を打
ち鳴らす。
何体かが地面にロックジャベリンを撃ち込んで土を抉り、タニシ
型の中型魔物ルェシの貝殻を取り出す。
中型魔物だけあって大きなルェシの貝殻を右手に盾のように構え、
スケルトンたちは一斉に俺を見た。
四方八方から向けられる空洞の眼の奥から、仇敵に出会ったよう
な怒りと殺意が溢れ出している。
1705
﹁前回の戦いで散々お前らの仲間を撃ち殺した凄腕スナイパー様だ。
そりゃあ、覚えてるよな﹂
俺はディアのレバー型ハンドルを押し込んだ。
﹁ほら、刮目しようにも目がないだろうが、よく見とけよ﹂
どうせ、追いきれないだろうから。
脚から青い火花が散った瞬間、俺はディアを発進させ、スケルト
ンを三体纏めて撥ね飛ばした。
1706
第五話 夜襲の兆候
整備士や従軍医が車両の中へ避難していく中、俺はその場にいた
歩兵たちと連携してスケルトンに抵抗する。
ディア・ヒートを使用しているためスケルトンは俺の事を捉えき
れていない。
ディアが角でスケルトンを撥ね飛ばし、地面に落ちると同時に頭
蓋骨を踏み砕く。
その間にも、俺は対物狙撃銃の銃口をそばにいたスケルトンの眼
窩に突き刺して引き金を引いた。
スケルトンの頭蓋骨が吹き飛び、後ろにいた別のスケルトンの頭
が砕け散る。骨の破片と共に頭蓋骨の中に潜んでいる白い人型魔物
パペッターの赤い血が四散した。
こんな味方陣地のど真ん中で対物狙撃銃をぶっ放すのは誤射が怖
いが、四の五の言っていられるほど余裕のある状況でもない。
ヒート状態の急加速と急な方向転換を繰り返しながらちらりとス
ケルトンの足元を見れば、従軍医や歩兵の死体が散見される。
スケルトンの奇襲は大成功していた。
文字通りに降って湧いたスケルトンたちにより軍の後方は乱戦状
態となっており、精霊人機は味方を潰してしまう恐れがあって迂闊
に攻撃できない。
前線のボルス側に戦力を集中しており、遊撃部隊も右から来た敵
と交戦中。
今この場にいる戦力は護衛として残っていた歩兵や狙撃手くらい
のものだ。スケルトンたちの最大の狙いはどうやら俺のようだが、
軍の狙撃手も優先的に殺して回っている。
魔術スケルトンというのも被害拡大の原因だった。
陣中で幾度も魔術を炸裂させられれば人間側はひとたまりもない。
1707
訓練された軍の歩兵だからこそロックウォールなどの魔術で防御で
きているが、防御で精いっぱいだ。
この場で最もスケルトンを討伐しているのが狙撃手である俺とい
う時点で、組織的な抵抗ができていない事を如実に物語っている。
ディアを軽く跳躍させ、整備車両の側面を蹴りつけて高く跳び上
がる。
眼下のスケルトンを銃撃で一体仕留めながら、圧空の魔術をスケ
ルトンたちの中心に炸裂させる。
着地の際にスケルトンをディアの身体の下敷きにして頭蓋骨を砕
き、正面のスケルトンを角で弾き飛ばす。ついでに右にいたスケル
トンの頭蓋骨を対物狙撃銃の銃床で思い切り殴りつける。
ヒビも入らないのか、石頭め。
内心で悪態吐きながら、レバー型ハンドルを握り直す。
四方八方から飛んでくる魔術を置き去りにディアが急加速した。
視界の端で、軍の歩兵がスケルトンの胴体をロックジャベリンで
砕いていたが、あまり意味はない。
砕かれた胴体から落っこちた頭蓋骨は次の瞬間、何事もなかった
ように地面の下に埋められていた予備の骨を得て活動を再開した。
まったく、呆れた不死身ぶりだ。転生者の俺が言うんだから間違
いない。
頭数だけが物量ではないと言わんばかりにスケルトン側は歩兵を
襲って行く。
気付けば狙撃手は避難を完了したらしく、車両の上には使い手を
失った照準誘導の銃架があるだけだ。きっちり壊してあるあたり、
スケルトンの執念のようなものが見て取れる。
悲鳴が聞こえて、俺は咄嗟に視線を向けた。
ロックウォールを乗り越えてきたスケルトンに歩兵が襲われよう
としている。
だが、歩兵を襲っているスケルトンをあえて無視した俺は別のス
ケルトンをディアの突進で撥ね飛ばしておいた。
1708
俺のそばで歩兵の腕を噛み切ろうとしたスケルトンの頭蓋骨が唐
突に斬り裂かれる。
ミツキを乗せて駆けつけたパンサーがすれ違いざまに尻尾に付い
た扇形の刃を振るったのだ。
﹁ごめん、遅くなった﹂
足元に転がったスケルトンの頭蓋骨をディアの足で踏み砕く俺に、
ミツキが開口一番に謝る。
﹁いや、むしろ早いくらいだ﹂
ミツキが急いで駆け付けてくれたことは、パンサーの四肢から吹
き上がる青い火花を見ればわかる。
パンサー・ヒート。ディアのそれと同じ原理ではあるが、元々の
機動性がディアよりも優れているパンサーがヒート状態で駆けつけ
たのなら、誰もミツキ以上の速度で救援には来れないだろう。
ミツキはスケルトンが猛威を振るう陣中を見回して、自動拳銃を
抜く。
﹁朱の大地が総出で駆けつけるって言ってたから、それまで頑張る
しかないよ﹂
﹁ここからスケルトンが溢れ出すと前線部隊が挟み撃ちを食らうか
らな﹂
乱戦になっているこの場所で精霊人機は使えない。スカイやスイ
リュウも当然使えない以上、歩兵だけで団員が構成されている朱の
大地は救援として適切だろう。
﹁可能な限りスケルトンの頭蓋骨を砕いて復活できないようにして
1709
くれ。まだ予備の胴体が地面に埋まっている可能性が高い﹂
﹁分かった。でも、魔導手榴弾は使えないよ﹂
﹁乱戦だからな。ヒート状態で駆け抜けるだけでもだいぶ違うから、
そこん所は割り切ってくれ﹂
﹁じゃあ、せーの!﹂
ミツキと息を合わせ、ヒート状態の精霊獣機二機による特攻を敢
行する。
時速二百キロで突っ込む鋼鉄の獣は進路上のスケルトンを残らず
なぎ倒す。
パンサーの尻尾が縦横無尽に振り回され、スケルトンの頭蓋骨を
中のパペッターごと次々と両断していく。背に乗るミツキは自動拳
銃を連射して、スケルトンの眼窩に銃弾を飛び込ませていく。銃弾
の多くはスケルトンの魔力膜で逸らされているが、逸らされた先で
別のスケルトンに命中している。
乱戦だからこそ、自動拳銃も威力を発揮していた。
だが、味方の歩兵がそばにいる場所ではミツキも銃撃を控えるし
かない。
ミツキが銃撃を控えると同時に、俺は対物狙撃銃の引き金を引く。
魔力膜で逸らされることのない音速超えの弾丸が遠方のスケルトン
の頭を撃ち砕く。
パンサーが急停止すると同時に右前脚を軸にその場で一回転し、
尻尾の刃で周囲のスケルトンを全て両断する。
白兵戦ではディアよりもパンサーの方がはるかに強力だ。ヒート
状態のパンサーともなればなおさらで、強化された機動力と合わせ
て攻撃範囲や攻撃速度が格段に向上する。
軸にしていた右前脚の力だけでその場を跳び退いたパンサーは地
面に後ろ脚が付いた瞬間に右へ跳び、伸ばした爪に青い火花を纏わ
せながらスケルトンを粉砕する。
あまりに攻撃のテンポが速すぎてスケルトンは防御姿勢さえ取れ
1710
ていない。
とにかくパンサーとミツキの猛攻を止めるのが先決と考えたのか、
スケルトンが魔術を放とうとした瞬間に俺は対物狙撃銃の銃弾をお
見舞いする。
白兵戦主体のパンサーとミツキに遠距離攻撃を妨害する手段はな
い。だからこそ、俺がいるのだ。
﹁ヨウ君、いつもすまないねぇ﹂
﹁それは言わない約束でしょう﹂
軽口を叩く余裕さえ出てくる。
ヒート状態のディアで駆けずりまわっている時でさえなかった安
定感で、俺とミツキは戦場を駆け回りながらスケルトンを狩って行
く。
﹁︱︱野郎ども、横列組んでスケルトンを押しつぶすぞ!﹂
戦場の端で威勢のいい声が上がる。
横目で確認すると、開拓団朱の大地が戦場に到着していた。
横二列になった朱の大地が戦場の端からスケルトンを確実に屠っ
ていく。
形勢逆転の文字が脳裏をよぎった時、スケルトンたちが自らの頭
蓋骨を持ち上げてボルスに向かって思い切り投げ飛ばした。
身体強化の魔術を利用した遠投に加え、おそらくは風魔術を使用
しているのだろう。スケルトンの頭は不自然な軌道を描いてボルス
の防壁を飛び越えていった。
﹁そんなのアリかよ⋮⋮﹂
ばらばらと頭を失ったスケルトンの身体が地面に崩れ落ちる中、
1711
俺達人間側はあまりにも見事で奇抜な撤退方法に唖然とするしかな
かった。
﹁ぼさっとするな。再利用されないうちに骨を全部砕け!﹂
朱の大地の団長二人が俺たちを一喝し、率先してスケルトンの骨
を砕き始める。
早期撤退が始まったのはそれから約一時間後の事だった。
野営地の天幕の中ではワステード司令官や中隊長が苦い顔で腕を
組んでいた。
﹁してやられましたね﹂
﹁人間であれば地下道作戦でしょうか﹂
﹁地下道であれば、精霊人機で踏み抜いて気付けた。それに、地下
に動くものがあれば鉄の獣の索敵にも引っかかっていただろう。撤
退方法も含めて、鮮やかというしかない﹂
頭蓋骨さえ無事なら活動可能、胴体の骨は何度でも流用可能とい
うスケルトンの特性を最大限に生かした奇襲攻撃だった。
ワステード司令官が眉間を揉む。
﹁敵ながら見事の一言だ。あの奇襲方法は全く考えが及ばなかった﹂
﹁被害状況は?﹂
朱の大地の団長が訊ねると、ワステード司令官は深刻な顔で首を
横に振る。
﹁二十人ほど死者が出た。従軍医や狙撃手も含まれている。人数以
1712
上に被害は深刻だ﹂
医者も狙撃手も人数が少ない割に戦場での貢献度が高い。軍全体
でみると人的被害は大きかった。
﹁奇襲された場所が悪かった。戦闘員が少なかったからな﹂
﹁鉄の獣がその場に居合わせたから、この程度の被害で済んだ。も
しも鉄の獣がいなければ、後方部隊の全滅の可能性もあった﹂
俺とミツキが倒したスケルトンの数はおおよそ三十。すべてが魔
術スケルトンであり、戦果は大きい。
だが、痛み分けとするにはこちらの被害が大きすぎた。
遊撃部隊を指揮していた中隊長が悔しそうな顔をしているのに気
付いて、ワステード司令官が声を掛ける。
﹁君は仕事を果たした。右翼を襲ったスケルトンの奇襲部隊に即時
対応していなければ、軍全体は密集陣形を取らざるを得ず、魔術ス
ケルトンの奇襲攻撃の被害もさらに大きくなっていただろう﹂
﹁⋮⋮お気遣い、感謝します﹂
中隊長はそう言いながらも、やはり悔しそうな顔をしていた。
気を取り直す様に、ワステード司令官が会議机を囲むメンバーを
ぐるりと見回す。
﹁こんな状況だが、マッカシー山砦から連絡が入った﹂
中隊長たちが即座に反応し、ピリリとした緊張感が漂う。
ワステード司令官は中隊長たちが頭を切り替えたのを察して一つ
頷き、続ける。
1713
﹁新大陸派が決起し、マッカシー山砦内の間者と連動してマッカシ
ー山砦を奪取したとの事だ。我々はこれより転進しマッカシー山砦
の奪還に向かう﹂
﹁スケルトンに一杯喰わされた後というのが気になりますね﹂
中隊長の一人が呟く。
スケルトンの奇襲が成功したため、スケルトンよりも狡猾であろ
う人間と対峙すると兵たちの士気が上がらない可能性が高い。常に
奇襲を警戒するのはいいが、警戒しすぎて目の前で起きている戦闘
に集中できなくなるからだ。
ワステード司令官が俺たちを見る。
﹁本来は一度スケルトンたちをボルスの外におびき出してから開拓
者諸君に後を任せる予定だったが、状況が変わった。可能な限り、
兵たちにスケルトンの事を意識させたくない。ここに君たちを残し、
我々は君たち開拓者に見送られる形で出発したい﹂
後方は開拓者が守っていると兵たちに意識させるためだろう。ス
ケルトンの奇襲に対応したのが開拓者である俺たちというのも信用
を後押しする。
俺はボールドウィンやタリ・カラさん、朱の大地の団長二人に承
諾を取り、ワステード司令官の提案を受け入れる。
﹁軍の出発は明日になりますか?﹂
﹁いや、今から向かう。付近の村を制圧される前にマッカシー山砦
を取り囲みたい﹂
﹁了解で︱︱﹂
俺の言葉を遮る様に、天幕の外からパンサーの唸り声が聞こえて
きた。
1714
続くディアの鳴き声に、俺は半ば反射的に腰を浮かせる。
ディアとパンサーの索敵魔術を知る会議のメンバーも俺とミツキ
に続いて天幕の外に出た。
周囲の森へ視線を走らせるが、不審な影は見当たらない。歩哨に
立っている兵たちも何かを発見した様子はなかった。
﹁ミツキ、パンサーの索敵魔術の設定は?﹂
﹁最大範囲になってる。焼けた魔導鋼線の交換をした後に設定した
から間違いないよ﹂
﹁だとすると、かなり遠方からの接近か﹂
しかし、大型魔物の足音もしないのは少しおかしい。
俺はディアに跨って索敵魔術の設定を弄り、反応を探る。
﹁方角はボルスの反対、街道の辺り。大型魔物の他に小型もいるね﹂
同じようにパンサーの索敵魔術を弄っていたミツキの報告に、ワ
ステード司令官が中隊長たちを見る。
﹁戦闘態勢を取らせろ。スケルトンが我らを挟撃するつもりかもし
れん。先んじて叩きに行くぞ﹂
1715
第六話 夜襲潰し
暗い森に挟まれた街道にぼんやりと浮かび上がるのは、白い骸骨
たちの姿。
﹁⋮⋮道路工事かな?﹂
街道上のスケルトンたちを双眼鏡で確認していたミツキが首を傾
げる。
俺たちはスケルトンたちから離れた場所で先行偵察に来ていた。
俺も対物狙撃銃のスコープで確認していたが、ミツキの言う通り
道路工事のように見える。
月明かりに照らされたスケルトンたちは街道を掘り起こして何か
を埋めていた。
﹁骨を埋めてるんじゃないかな。ほら、ボルスでやられたあの奇襲
攻撃の準備をしてるんだよ、きっと﹂
﹁あれを放っておくと、今度はこの街道上で挟み撃ちを食らった後
に陣の真っただ中にスケルトンの集団が出現するのか﹂
そんな奇襲を食らったら、軍もまともに動けないだろうな。
だが、街道のこの地点はボルスから離れすぎている。軍の野営地
を越えてさらにマッカシー山砦側に行った地点だ。
スケルトンたちの視点で見れば、ワステード司令官たちがここを
通るのはボルスから敗走した時くらいのもの。
﹁妙だね。スケルトンたちは明日、ワステード司令官たちを追い返
す作戦を別に用意しているのかも﹂
1716
﹁もしくは、これから野営地を奇襲してここまでワステード司令官
たちを追い立てる作戦かもな﹂
街道上で作業をしているスケルトンたちの中に、大型スケルトン、
ガシャの姿はない。奇襲部隊があるのなら、そこにガシャが組み込
まれているのだろう。
﹁何はともあれ、スケルトンたちが準備を整える前に潰してしまえ
ばこちらのものだ。ワステード司令官に合流しよう﹂
ディアを操作して、俺はミツキと共に街道沿いの森を一直線に抜
ける。
索敵魔術にいくつかの反応があるが、全て無視する。
ワステード司令官率いる旧大陸軍は野営地から動いていなかった。
しかし、天幕の類はすべて片付けられており、部隊も整列してい
る。いつでも出陣可能な状態だった。
俺はワステード司令官や各中隊長、開拓団長の四人が集まってい
る場所へディアで乗り付ける。
﹁帰ったか。索敵の結果はどうだった?﹂
簡易椅子に座っていたワステード司令官が開口一番に訊ねてきた。
﹁小型スケルトンたちが街道を掘り起こして何かを埋めていました。
ガシャが付近に居ません﹂
街道のどの地点かと訊かれて、俺は地図上の一点を指し示す。
﹁そうか。スケルトンは奇襲をかけるつもりかもしれないな。だが、
これは好都合だ﹂
1717
﹁好都合ですか?﹂
マッカシー山砦を奪取した新大陸派を叩くために、今すぐ街道上
を遡って急行しなくてはならないワステード司令官たち旧大陸派軍
にとって、進路上で工作活動を行っているスケルトンなど邪魔以外
の何者でもないと思うのだが。
首を傾げていると、ロント中隊長が説明してくれる。
﹁ボルスにおけるスケルトンの奇襲を受けて、兵たちが不安がって
いる。事実上の負け戦だったからな。だが、この街道上のスケルト
ンを行き掛けの駄賃に潰しておけば、不安も払拭され、士気が持ち
直す﹂
﹁そういう事ですか。では、スケルトンの処理は軍が?﹂
ワステード司令官に視線を向けると、肯定の言葉が返って来た。
﹁街道上のスケルトンを罠ごと叩き潰し、我々旧大陸派軍はマッカ
シー山砦へ向かう。開拓者諸君は殿を務め、スケルトンの工作地点
を我々が抜け次第その場に残ってスケルトンを引きつけてもらいた
い﹂
﹁了解です﹂
そうと決まれば善は急げだ。
ワステード司令官が立ち上がり、ボルスでは遊撃部隊だった中隊
長を先鋒に定めて出撃を命じた。
俺はミツキやボールドウィン、タリ・カラさん、朱の大地の団長
二人と共に開拓団の下へ移動する。
﹁いよいよ、開拓者対スケルトン戦の幕開けだな﹂
﹁腕が鳴るね﹂
1718
ミツキがぐっと拳を作って夜空に突き上げる。
﹁一体残らずぶっつぶすぞー﹂
﹁おぉー﹂
ミツキと一緒になって気炎を上げるが、声の調子のせいでどうに
も締まらない。夜中という事もあって大声を出すことになんとなく
躊躇いがある。
先鋒が出発し、ワステード司令官率いる本隊が続く。最後に、ロ
ント中隊長の部隊が出て、俺たち開拓者の番となった。
朱の大地が出発し、月の袖引くと青羽根が続く。俺たちは月の袖
引くと青羽根の車両の横だ。
﹁スカイとスイリュウはまだ出すなよ。ギリギリまで魔力を温存し
たい﹂
俺は整備車両の助手席にいる整備士長やレムン・ライさんを通し
て二人の操縦士に伝える。
街道上で骨を埋めているスケルトンとは確実に戦闘になるだろう
が、全部軍が片付けるだろう。
ボルスから追撃のスケルトン部隊がやってきても、俺とミツキの
索敵魔術が反応してから精霊人機を起動しても十分戦闘開始に間に
合うはずだ。
しばらく街道上を進むと、先頭の精霊人機がロックジャベリンを
進行方向に放った。
ロックジャベリンは街道に着弾したのか、土砂が巻き上がる。
それを合図に、スケルトンと先鋒との戦闘が始まったらしく、魔
術の光や剣戟の音が響いた。
整備車両の助手席から一部始終を見ていた整備士長が窓枠に肘を
1719
乗せる。
﹁ロックジャベリンを撃ち込んで埋まっている骨をまとめて壊した
のか。軍は魔力に余裕があってなによりだな﹂
﹁僻むなよ。こっちも蓄魔石はいくつも準備してるんだからさ﹂
そう、河岸の防御陣地には蓄魔石の他、魔導鋼線などの部品、食
料品も置いてある。二十四時間戦えますと言わんばかりの準備だ。
﹁軍の方はこれからマッカシー山砦で人間、それもかつての同僚相
手に戦うんだ。ここは花を持たせてやろうぜ﹂
﹁それもそうだな︱︱っと、終わったか﹂
整備士長が静かになった軍の先頭を見て呟く。
ロント中隊の方から伝令役の整備士君が走ってきた。
﹁街道上のスケルトンは殲滅。街道に埋められていたのはやはり、
スケルトンの胴体だった。我々はこのままマッカシー山砦に向かう﹂
敬礼をした整備士君がそう報告し、続ける。
﹁ワステード司令官より伝言、この戦が終われば開拓者も本国から
表彰される可能性が高い。表彰台を寒々しくしないよう、生きて帰
ってこい、との事だ﹂
﹁とびきりでっかい表彰台を準備しておくように言っておいてね﹂
ミツキが軽口を返し、にやりと笑って続ける。
﹁整備士君からは何かないの?﹂
﹁べ、別に何もねぇよ﹂
1720
﹁すごくツンデレっぽい﹂
ミツキが楽しげに手を叩く。
多分、この状況だと整備士君が何を言ってもツンかデレで片付け
られるだろうな。
一瞬悔しそうな顔をした整備士君だったが、ため息を吐いて続け
た。
﹁まぁ、なんだ。ベイジルさん達決死隊の時とは違って今回は呪っ
てないから、生きて帰ってきたら代わりにお前らに食事でもおごっ
てやるよ﹂
﹁聞いたか、みんな! 整備士君が大枚はたいてみんなにうまい食
事を奢ってくれるってよ!﹂
ここぞとばかりに俺は青羽根や月の袖引く、朱の大地に聞こえる
ように声を張り上げる。
﹁そこまで言ってねえよ!﹂
即座に整備士君のツッコミが入る。
﹁大丈夫だ、どうせみんな分かっている。単純に、緊張を和らげる
ために利用させてもらっただけだ﹂
俺は整備士君にだけ聞こえるように言って、ディアの頭を軽く叩
く。
﹁後ろは俺たちが守ってやるから安心しろ。ほら、そろそろいかな
いと軍に置いてかれるぞ﹂
﹁ったく、こんな時でもお前らは﹂
1721
ブツブツ言いながら、整備士君は軍の方へ走って行く。
整備士君の後姿を見送って、俺は開拓者たちに指示を飛ばす。
﹁方向を転換、ボルス側を朱の大地で固めてくれ。青羽根、月の袖
引くは側面からの攻撃に備え、非戦闘員は車両と共に下がれ。陣形
ができたら少しばかり移動する﹂
スケルトンたちと先鋒部隊が戦闘したせいでデコボコになった街
道を乗り越える。月の袖引くも青羽根も悪路走破の技術が高いため、
難なく車両ごと移動できた。
ちょうどいいデコボコなのでスケルトン相手の落とし穴として活
用しようと、落とし穴を前にして陣を張る。
﹁スケルトンの追撃はこないな﹂
﹁やっぱりボルスに何か仕掛けてたのかな﹂
俺たち以外は何もいない街道を見回していると、ボールドウィン
やタリ・カラさん、朱の大地の団長二人が俺たちのところへやって
きた。
朱の大地の団長の一人が腕を組んで整備車両にもたれかかる。
﹁ここで朝を待つとして、その後はどうしますかな?﹂
﹁待機でいいんじゃね?﹂
ボールドウィンが欠伸を噛み殺してボルスの方角を見る。
﹁俺たちが依頼されてんのはスケルトンの駆逐じゃなくて、旧大陸
派の殿だ。スケルトンが追撃してこないんなら、無理に戦う必要は
ないって﹂
1722
﹁同感です﹂
タリ・カラさんがボールドウィンの言葉に同意する。
朱の大地の団長も分かっていて質問したのだろう。特に抗弁する
ことなく頷いた。
﹁やはり、それが妥当でしょうな。スケルトンが襲ってきた場合は
手筈通り、この街道を少しずつ下がって引きつけた後、月の袖引く
を先頭に車両、我々朱の大地、青羽根と鉄の獣の順に河原へ向かう、
と?﹂
﹁基本戦術はその通りです。ただ、河原へ向かう順番はその時の状
況次第で変わります﹂
防御陣地に先回りされている可能性も一応は考えておかないとい
けないため、戦力をどう移動させるかは状況次第だ。
朱の大地の団長は采配を俺たちに任せると言ってくれた。
そうこうしている内に月も星も空から消えて、光源といえば開拓
者たちの光魔術だけとなった。
夜明け前の最も暗い時間。
人間同士の戦争であれば、奇襲を仕掛けるには絶好のタイミング。
早く太陽が昇らないかと空を見上げた瞬間、遠くから爆音が轟い
た。
﹁なんだ?﹂
音がした方角に視線を向ける。
炎による赤い光が森を焼き、真黒の空へ灰色の煙を上げていた。
﹁あそこは確か、野営地ですね﹂
1723
タリ・カラさんの呟きに、誰かがごくりと唾を飲んだ。
もしも俺たちが街道上のスケルトンに気付かず野営地に残ってい
たら、あの爆炎に呑まれていたかもしれない。
﹁スケルトン共の奇襲か。あれで野営地から軍を追い立てて、この
場所で挟み撃ちにするつもりだったんだろうな﹂
ボールドウィンが眉を寄せて、街道に開いた穴を見る。スケルト
ンの身体が埋まっていたこの場所は、もしかしたら俺たちや軍の墓
場になっていたかもしれない。
ミツキが双眼鏡を取り出して野営地の方角を見る。
﹁ここにいたスケルトンは全滅しているから、作戦が失敗した事に
も気付いてないんだね。あ、交通訴訟賞だ﹂
﹁ガシャ、な。こだわりがあるんだろうけど諦めろ﹂
ミツキの言葉を一部訂正しつつ、俺は対物狙撃銃のスコープを覗
く。
森を焼く炎に照らされて、一体のガシャが野営地に踏み込み、き
ょろきょろと無人の野営地を見回している。
﹁両手ハンマーか。奇襲の失敗に気付いたみたいだな﹂
炎に照らされた両手ハンマーはカタカタと歯を打ち合わせる。
さて、どう動くか。そのままボルスに帰ってほしいんだけど。
﹁やっぱりこうなるか。全体、戦闘態勢! スケルトンたちが押し
寄せてくるぞ!﹂
両手ハンマーが目指したのはボルスではなく、街道。
1724
俺たちに逃げられたことに気付き、追撃に移るつもりだ。
俺は空を見上げる。まだ暗いが、両手ハンマー率いるスケルトン
部隊が来ることには陽が昇り始めるだろう。
真っ暗闇での戦いはどうにか避けられるか。
﹁︱︱ヨウ君、前見て!﹂
ミツキが声を上げ、街道の先、ボルスの方角を指差す。
まだ索敵魔術の範囲からも外れているというのに、この暗闇でも
ソレを目視できた。
超重量級遊離装甲セパレートポールを身に纏い、右手には四つ重
なったタラスクの甲羅を構えている、大型スケルトン。
四重甲羅だ。
﹁先行してきやがったか。ボールドウィン、スカイを出せ!﹂
四重甲羅は歩兵で作った前線をボルスで蹂躙した事がある。歩兵
集団を優先的に潰そうとする戦術眼の持ち主だ。早めに対処しない
と朱の大地に被害が出る。
青羽根の整備車両の荷台からスカイが姿を現す。
ディアとパンサーが四重甲羅の接近を知らせる中、スカイは朱の
大地の前に立つ。
﹁こいつを試す相手としては申し分ねぇな﹂
スカイから拡声器を通じてボールドウィンの声が聞こえてくる。
舌なめずりでもしてそうな、獰猛さを含んだ声だ。
専用ハンマー〝天墜〟を肩に担いだスカイが腰を落とす。
﹁借りを返させてもらうぜ!﹂
1725
ボールドウィンが啖呵を切ると同時にスカイが地面を蹴り、四重
甲羅との戦闘を開始した。
1726
第七話 パペッターの死骸
右手に構えた四重甲羅を突き出すガシャに対し、スカイが右下か
ら逆袈裟にハンマーを振り上げる。
衝突したスカイのハンマー天墜は、圧倒的な質量を誇る四重甲羅
をたった一撃で押しのけた。
ガシャが押し返された四重甲羅の勢いを受けて大きく仰け反り、
後ろへ三歩ふらついた。
ふらついたガシャはこの攻防でスカイへの警戒を深めたのか、四
重甲羅を前へ盾のように構えながら距離を取ろうとする。
﹁させるかよ!﹂
ボールドウィンがスカイを操作し、距離を詰めにかかった。
金属布入り魔導チェーンにより出力が大幅に増したスカイは、各
関節に仕込まれたエアリッパーの瞬発力も加わって一瞬でガシャの
目の前に走り込む。その速度は、市販されているどんな高機動の精
霊人機にも勝っている。
盾として突き出されている四重甲羅に対し、スカイが改造セパレ
ートポールを利用したシールドバッシュを放つ。
ただでさえ出力の増しているスカイだが、圧空にも改良が加えら
れている。
圧空がスカイのセパレートポールに背後から突風を叩きつける。
以前とは比べ物にならない威力のシールドバッシュは四重になった
甲羅の隙間を詰めた。
ふわふわと浮かんですべての攻撃を吸収する大質量の遊離装甲と
も言えた四重の甲羅でさえ、今のスカイの重たい一撃を防ぎきれて
いない。
1727
ボルスでワステード司令官操るライディンガルが猛攻の末に仕留
めた時とは違い、スカイの前にいる四重甲羅は万全な状態だ。にも
かかわらず、誰の眼にもスカイの優勢は明らかだった。
圧空で生み出された突風を受けたスカイの天墜が高速で四重甲羅
にぶち当たり、ガシャをのけぞらせる。
スカイは振り抜いた天墜を地面に叩きおろし、それを支柱に右足
を振り上げて四重甲羅の側面を蹴り飛ばした。
﹁よっしゃ、一枚!﹂
ボールドウィンの声が拡声器越しに響くと同時に、蹴り飛ばされ
た甲羅の一枚が放物線を描いて森の中に落下した。
タラスクの甲羅の質量を考えれば、精霊人機の蹴り一つで吹き飛
ぶはずがない。
しかし、スカイの蹴りは圧空の加速に加えてセパレートポールに
よるシールドバッシュ機能で威力が大幅に底上げされている。支え
もなく空中に浮かんでいる甲羅を蹴り飛ばすには十分な威力を秘め
ているのだ。
スカイは蹴りの勢いを利用して一回転しつつ天墜を持ち上げ、遠
心力を加えながら横に振り抜く。
まともに受けては危険と判断したのか、ガシャは後ろに飛び退き
ながらスカイにロックジャベリンを放った。
正確に操縦席のある胸部を狙ったロックジャベリンだったが、ス
カイは天墜の打撃面拡大機能を使用してロックジャベリンを側面か
ら殴りつけ、森の中へ弾き飛ばした。
並みの機体でこんなことをすれば腕や肩の関節が壊れ、骨格に当
たる内部装甲にひびが入るだろう。しかし、スカイの内部装甲は対
衝撃性能に優れ、関節部に組み込まれたエアリッパーでほとんどの
反動を打ち消してしまう。
問答無用の力攻め。それができてしまう機体は世界広しといえど
1728
スカイの他にないだろう。
一度弾き飛ばされたロックジャベリンでも、ガシャは次々に空中
に生み出してスカイの操縦席へ打ち込もうとする。
接近戦に持ち込まれ、力で勝負されてはたまらないと考えたのだ
ろう。
だが、スカイは天墜の打撃面を正面に向けて盾代わりにすると、
脚部のエアリッパーに圧縮空気を生み出して大地を蹴った。
スカイの脚や体に触れた森の木々がバキンと音を立てて弾け飛ぶ。
三重になった甲羅を慌てて正面に掲げたガシャだが、ロックジャ
ベリンを放ちながら距離を取っていた事がここで災いした。
﹁助走距離は十分ってな!﹂
ガシャに全速力で駆けこんだスカイが肩、肘、手首のエアリッパ
ーを起動し、正面に向けて構えた天墜を勢いよく突き出した。
三重になった甲羅と天墜が正面衝突し、ガシャが初めて両手で甲
羅を支えた。
大地を削りながらガシャが後ろへと滑ってスカイの突進を受け止
める。
ガシャが何とか突進を受け切っても、スカイの攻撃はまだ続く。
スカイが上半身を捻りながら天墜を地面に降ろし、左足を振り上
げる。
三重の甲羅の一枚目を左足の甲で下から上へ蹴り上げた。
スカイがすかさず、左足を正面に蹴りだす。フロントハイキック
だ。
二つに減った甲羅がスカイのフロントハイキックで押しのけられ、
ガシャの両手に押し付けられる。
ガシャが両足を肩幅に開いて耐えた。
スカイが左足を地面に降ろした瞬間、今度は天墜が振るわれる。
だが、天墜の向かう先は二つに減った甲羅ではなく︱︱先ほど真
1729
上に蹴り飛ばした三枚目の甲羅。
﹁返却だ﹂
スカイが両手持ちした天墜が落下してきた甲羅を叩き、ガシャの
頭蓋骨へ打ち出される。
ガシャが焦ったように二つの甲羅を持ち上げて三枚目の甲羅を受
けようとしたが、スカイが全力で殴りつけたために加速した三枚目
の甲羅は到底受け切れない。
二つの甲羅が吹き飛び、ガシャの両手が砕け散った。
﹁よし、止めを︱︱っと、危な!﹂
甲羅を失ったガシャに止めを刺そうとしたスカイの横から、両手
ハンマーのガシャが迫ってきていた。スカイをけん制するためかロ
ックジャベリンを放ったが、ボールドウィンが反応してスカイを後
退させ、避け切っている。
しかし、スカイが後退した隙に甲羅を失ったガシャは吹き飛ばさ
れた甲羅を拾い上げ、左右に一枚ずつ甲羅を構えた。残り二つは遠
くに吹き飛ばされたため拾えなかったようだ。
﹁流石に仕留め切れなかったか﹂
ボールドウィンが悔しそうに呟く声を拡声器が拾った。
﹁︱︱ボールドウィン、そのままガシャ二体を足止めしていてくれ。
小型スケルトンの数を減らした後、スイリュウを救援に向かわせる﹂
一連の攻防から、スカイ一機でもガシャの足止めは可能と判断し
た俺は青羽根の整備車両に積んでいる拡声器を使って指示を出し、
1730
街道上に視線を戻す。
両手ハンマーと共に無人の野営地を襲撃したスケルトンの群れが
街道に出て、俺たちに向かって駆け出していた。
﹁何体いるんだろうな﹂
﹁想像もつかないね﹂
ミツキが困ったように笑い、魔導手榴弾の爆発型を取り出す。
俺は対物狙撃銃を構え、スケルトンの群れの先頭を狙い撃った。
五発撃って全弾命中。しかし、スケルトンがあれだけ密集してい
れば適当に撃ってもどれかには当たるだろう。狙撃している感じが
全然しない。
ミツキが朱の大地の団長に指示を飛ばす。
﹁スケルトンの群れが来ます。魔術スケルトンは無視して、寄り付
かせないようにしてください﹂
魔術スケルトンは俺が処理すればいいのか。
しかし、遊離装甲代わりの甲殻を纏っているはずの魔術スケルト
ンが見当たらない。野営地に奇襲を仕掛けるため、擦れあって音が
鳴ってしまう遊離装甲代わりの甲殻を身に着けてこなかったのだろ
うか。
俺は狙いを身体強化しているらしいスケルトンに変更する。普通
のスケルトンを盾にしているつもりか、さもなくば紛れ込んでいる
つもりなのだろうが、腕の振り方と歩幅が普通のスケルトンと違う
ので丸わかりだ。
一体仕留めてから弾倉を交換し、近い順に頭蓋骨の中へ弾丸を送
り込む。
俺を相手にごまかしは無理と悟ったのか、二十体ほど仕留めた辺
りで魔術スケルトンが姿を消した。
1731
﹁魔術スケルトンが一時撤退した。おそらく、次は遊離装甲を纏っ
てくる。魔術スケルトンが戻って来る前に通常スケルトンの数を減
らすぞ﹂
朱の大地の団長が団員に指示を出し、もう一人の団長と視線を交
差させて頷きあう。
﹁前後二列横隊、前列、ロックジャベリン準備!﹂
街道を封鎖するように横に広がった朱の大地の歩兵前列が、指揮
を執る団長の命に従い一斉にロックジャベリンを頭上に準備する。
団長が正面に向けて光の魔術ワイドライトを放つ。横に広い光の
線がスケルトンの頭蓋骨を照らし出した。
﹁前列、放て!﹂
団長の号令一下、ワイドライトで照らし出されたスケルトンの頭
蓋骨へ向けてロックジャベリンが一斉に飛んで行った。
魔術スケルトンとは違って知能の低い通常スケルトンたちは迫り
くるロックジャベリンを避けようとわずかに体を傾けるが、周囲に
いた仲間が邪魔になって回避できず、頭蓋骨を粉砕されて崩れ落ち
る。目の前の仲間をやられたスケルトンの最前列が混乱したように
足並みを乱した。
﹁後列、放て!﹂
前列が放つ合間に準備していた朱の大地の後列が、指揮を執るも
う一人の団長が空に向けて斜めに放ったファイアーカッターに向け
てロックジャベリンを放つ。
1732
前列のそれとは異なり放物線を描いて飛んだ後列のロックジャベ
リンは正確にファイアーカッターを貫いて落下し、スケルトンの群
れの中央辺りに着弾した。
﹁前列、放て!﹂
後列が放っている間に準備を終えていた前列が、混乱から立ち直
ったスケルトンの最前列に向けてロックジャベリンを放つ。
その後も朱の大地は見事な連携で前後列に分かれて通常スケルト
ンへ攻撃を加えていく。
﹁魔導手榴弾は必要ないみたいだね﹂
ミツキが準備していた魔導手榴弾をパンサーの収納スペースに戻
し、索敵魔術を操作する。
﹁弓兵ガシャが出てきてないのが気になるんだけど﹂
﹁俺もさっきから探ってるが、索敵範囲内にはいないみたいだ﹂
ワステード司令官たちを追い駆けていたりしないと良いけど。
森の中へ索敵に出るべきかと考えていると、索敵魔術が別の反応
を探り当てた。
﹁おいでなすったな、別働隊﹂
側面から奇襲をかけてくるつもりらしい小型魔物の反応を見て、
俺は月の袖引くの整備車両を見る。
助手席にいたレムン・ライと目が合った。
﹁右側面から朱の大地に向かってくる小型魔物の群れの反応があり
1733
ます。月の袖引くの戦闘員を率いてレムン・ライさんが向かってく
ださい。魔術スケルトンの可能性も高いので、注意してくださいね﹂
﹁側面奇襲を陣中に居ながら見抜くとは、つくづく敵に回したくな
いですね﹂
レムン・ライさんが整備車両の荷台に声をかけると、月の袖引く
の戦闘員が素早く外に出て整列した。
﹁救援要請はファイアーボールでお願いします。救援が必要な場合
は青羽根を向かわせますが、それでも手に余る場合はウォーターボ
ールで知らせてください。スイリュウを向かわせます﹂
﹁かしこまりました。では、行ってまいります﹂
恭しく一礼したレムン・ライさんが森を睨み、地面を蹴る。軽い
音にも関わらず、次の瞬間には木々の梢に隠れて見えなくなってい
た。他の月の袖引くの戦闘員も同じだ。
兵は拙速を尊ぶを地で行っている。
﹁敵に回したくないのはお互い様だな﹂
﹁思ったんだけど、ここにいる開拓者って精鋭ばかりじゃないかな
?﹂
ミツキがぐるりと陣を見回して呟く。
﹁ボルスからの撤退戦を生き残った奴ばかりだからな。そりゃあ強
いさ﹂
あの絶望的な戦場を知っていてなお、今回の作戦に参加するぐら
いの腕がある。個々の実力は折り紙つきだし、スケルトンを相手に
舐めてかかるようなこともない。むしろ、ガチで殺しに行ってる。
1734
話している内にレムン・ライさんたちが戻ってきた。
﹁五十体ほどのスケルトンです。魔術スケルトンが五体混ざってい
ましたが、全滅させました﹂
レムン・ライさんが俺たちに報告してくれた。ついでに、と月の
袖引くの戦闘員が白い人型魔物の死骸を運んできた。
﹁生け捕りは無理と判断して殺してしまいましたが、状態が良いの
で資料代わりに持ってきました。噂のパペッターです﹂
﹁これが⋮⋮﹂
スケルトンの頭蓋骨の内部に潜み、魔術を使用する小型魔物パペ
ッター。
小さい人型のそれは肘や膝に当たる関節が無く、毛も存在しない
つるりとした白い肌で覆われていた。顔には鼻らしき二つの穴と二
本の牙が上から下に生えた口があり、目玉は大きなものが一つだけ。
﹁魔力袋は胴体に?﹂
問いかけると、レムン・ライさんは首を横に振った。
﹁他の四体の胴体や頭を捌きましたが、該当する器官は存在しませ
んでした。我々人間と同じく、魔力袋無しで精霊に魔力を受け渡す
ことができるようです﹂
精霊教会が聞いたら根絶を目論みかねない魔物だ、とレムン・ラ
イさんは眉を寄せる。
﹁肘や膝がないためか自力での歩行は困難らしく、スケルトンの頭
1735
から追い出してしまえば仕留めるのはさほど難しくありません。寄
生か共生か、いずれにせよスケルトンなしではまともに生き残るの
も難しい動きの鈍さです﹂
そうレムン・ライさんが報告を締めくくった直後、ディアとパン
サーが新たな接近反応を教えてくれた。
反応の位置を確かめた俺は、対物狙撃銃のスコープを覗いて街道
上をひしめく通常スケルトンの群れの先を見る。
アップルシュリンプの甲殻を遊離装甲代わりにしてその身を包み、
手にはタニシ型の中型魔物ルェシの甲殻を二枚重ねにした二重棍を
引っさげた魔術スケルトンの群れが、ぞろぞろと戦闘区域を目指し
て歩いてきていた。
﹁今までのは前哨戦って事か﹂
﹁派手に魔術を撃ってきそうだね﹂
ミツキがレムン・ライさんを見る。
﹁スイリュウを起動、魔術スケルトンを蹴散らしてください﹂
夜が明け、これから流れる血を予言するように空が紅く染まる中、
スケルトンの本格攻勢が始まろうとしていた。
1736
第八話 戦略的撤退
月の袖引くの整備車両から立ち上がったスイリュウが、朱の大地
の作る前線を迂回して森の中から魔術スケルトンに対し側面攻撃を
仕掛ける。
横合いからの攻撃に対し、魔術スケルトンは魔術で石の壁を生み
出してスイリュウの足を止める。
石の壁の裏から凍結魔術アイシクルを放ってくる魔術スケルトン
たちに、スイリュウは一時森の中に後退した。
﹁魔術スケルトンの練度が高いな﹂
﹁スカイとスイリュウの役割を交代させたいけど、少し厳しいね﹂
ミツキがスカイと二体の大型スケルトン、ガシャの戦いを見て首
を横に振る。
﹁ここは割り切った方が良いね。最大目標は遠距離攻撃が可能な弓
兵ガシャをここで仕留めることなんだし﹂
ミツキの意見に頷いて、俺は拡声器越しにスイリュウを操るタリ・
カラさんに指示を出す。
﹁スイリュウはそのまま、森の中から魔術スケルトンを牽制してく
ださい。朱の大地は前線の維持に念頭を置いて戦闘を継続﹂
というわけで、魔術スケルトンを仕留めるのは俺のお仕事だ。
俺は対物狙撃銃のスコープを覗きこみ、通常スケルトンの後方に
いる魔術スケルトンたちに狙いを定める。
1737
ちょうどいい距離だ。魔術スケルトンの攻撃は例え魔術であって
も届かず、こちらからは狙撃し放題。
甲殻系小型魔物アップルシュリンプの甲殻で作られた兜をかぶっ
ている魔術スケルトンは容易に判別がつく。
引き金に指を掛け、致命の弾丸が魔術スケルトンの眼窩に飛び込
んで中身をぐちゃぐちゃに掻き回した。
魔術スケルトンも俺の存在に気付き、正面に石の壁を生み出す。
スイリュウ対策に生み出してある側面の壁とあわせて、魔術スケル
トンたちの行動範囲を狭めていた。
魔術スケルトンの足を鈍らせたことになるが、数はまだ一体しか
減っていない。ここで出来るだけ削っておくのが戦略的にも正しい
だろう。
というわけで、石の壁を過信している様子の魔術スケルトンを石
壁ごと撃ちぬく。
わずかにスケルトンたちが浮足立った。
石壁を貫通して正確に眼窩を狙ってくるとは思わなかったのだろ
う。
﹁ボルス奪還軍の素人狙撃手とは年季が違うんだっての﹂
ちらりと石の壁の隙間から姿が見えれば、弾丸が届くまでの間に
どこまで移動してどこを向いているのか、大体の予測がつく。
流石に石壁の裏に完全に隠れられてしまうとこちらも対処できな
いが、まだ魔術スケルトンたちは予測射撃の絡繰りに気付いていな
い。
浮足立っている魔術スケルトンの眼窩に石壁を貫通させて弾丸を
次々と送り込む。
五体ほど仕留めたところで、魔術スケルトンは石壁を分厚くして
弾丸が貫通しないように対策を打ってきた。
石壁を分厚くした分さらに行動が鈍っている。
1738
コレならもう狙撃の心配はないだろうと安心しきっているスケル
トンたちへ、石壁の隙間を正確に縫って弾丸をお届け。
九百メートル先の一メートルの隙間なんて、目の前に的が置いて
あるのと変わらない。
慌てたようにスケルトンが隙間に新たな石壁を生み出す。追加さ
れた石壁と既存の石壁の間にある二十センチ弱の隙間に弾丸を通し
て撃ち殺す。
三体ほど仕留めた時、隙間に気付いた魔術スケルトンがまた新し
い石壁を生み出した。
これで、魔術スケルトンたちは石壁で街道を封鎖してしまった事
になる。
﹁朱の大地、貫通力の高い魔術で通常スケルトンを攻撃、今なら魔
術スケルトンは石壁に隠れて射線を通せない。一斉射で蹴散らして
!﹂
今か、今かと待ち続けていたミツキは、魔術スケルトンが自ら射
線を塞いだのを見て取るとすぐに朱の大地へ指示を出す。
朱の大地の団長が指示を受けてすぐさまロックジャベリンを細く、
硬く尖らせた魔術を準備させる。
ロックピアスとでも呼べるその魔術を朱の大地の団員が前後列一
斉に準備して撃ち出した。
通常スケルトンが最前列から四体ほど奥までロックピアスに貫か
れて崩れ落ちる。頭蓋骨が無事な個体も多いが、スケルトンの侵攻
を遅らせるという点では多大な戦果を挙げている。
次から次へとロックピアスが撃ち出され、通常スケルトンを破壊
していく。頭蓋骨が無事なスケルトンは仲間の死骸を利用して立ち
上がるが、その度にロックピアスを受けて崩れ落ちたり絶命したり
している。
形勢はまだこちらの方が有利だが、魔術スケルトンがここにきて
1739
石壁の魔術を解除した。
犠牲を払ってでも前に進まなければならないと判断したのだろう。
﹁冷静だね﹂
ミツキが眉を寄せる。
あのまま石壁の裏に魔術スケルトンが引き籠っていてくれれば、
朱の大地は魔術攻撃を気にせず通常スケルトンを殲滅できただろう。
狙撃手が俺一人である以上、犠牲が出ることはあっても全滅する
ことは絶対にないというのが魔術スケルトンの考え方なのだろうし、
実際のところその考えは正しい。
魔術スケルトンが前進してくる。俺の銃口を意識しているのは明
らかで、ランダムに石壁を生み出しては消すといった行動を繰り返
していた。
俺は狙撃で魔術スケルトンを削っていくが、どうしても手が足り
ない。
ミツキが双眼鏡を降ろした。
﹁次の段階に移ろうよ。弓兵ガシャは発見できずじまいだけど﹂
﹁仕方がないだろうな。このままだとスケルトンに飲み込まれる﹂
狙撃を続ける俺の代わりに、ミツキが月の袖引くの副団長である
レムン・ライさんに指示を飛ばす。
﹁月の袖引くは一足先に防御陣地に移動、現場指揮はレムン・ライ
さんが執ってください。まだ弓兵ガシャがどこかに隠れている可能
性が高いです。もしも出くわしたらファイアーボールで連絡をお願
いします﹂
﹁かしこまりました。お嬢様をよろしくお願いいたします﹂
﹁心得てます。撤退の順序は月の袖引くの後、青羽根、朱の大地、
1740
スイリュウとスカイと私達鉄の獣です。防御陣地での戦闘員の割り
振りもお願いします﹂
レムン・ライさんが月の袖引くを率いて出発すると、朱の大地か
ら伝令がやってきた。
まだ若い、二十歳になったばかりの団員だ。
﹁朱の大地より伝令。後退を進言したいとの事です﹂
﹁分かりました。緩やかに後退を開始してください。それとこちら
から一点報告です。月の袖引くを防御陣地に向かわせた、と﹂
ミツキの言葉を復唱した団員が朱の大地の団長のところへ走って
行く。
俺が狙撃で魔術スケルトンを二体倒した頃、朱の大地から再び伝
令がやって来る。
﹁青羽根が防御陣地に向かったら教えてほしい、との事です﹂
青羽根の出発まで俺たちのところに待機するように命じられてい
るらしい朱の大地の伝令がそわそわと前線を見る。
前線では魔術スケルトンたちが朱の大地を魔術の射程に収め始め、
魔術の応酬が始まっていた。
朱の大地は魔術スケルトンの攻撃を防ぐためにロックウォールを
展開し、通常スケルトンにアイシクルの魔術をぶつけることで凍り
つかせ、障害物の代わりにしている。
朱の大地の攻撃速度が眼に見えて遅くなった。
スイリュウが側面から魔術スケルトンたちへロックジャベリンを
撃ち込むが、石壁で威力を減衰させられて大した損害を与えられな
い。
1741
﹁魔術スケルトンが本当に厄介だね﹂
﹁ここはあくまで前哨戦だ。本命は防御陣地、そう割り切るしかな
いな﹂
狙撃を続けながらミツキに言葉を返す。
ミツキが青羽根の整備士長に声を掛けた。
﹁青羽根も防御陣地への移動を開始して。くれぐれも弓兵ガシャに
注意してね﹂
﹁分かってるって﹂
整備士長が指揮を執って青羽根が整備車両ごと移動を始める。
朱の大地の伝令を送り出して、俺は対物狙撃銃の銃身を冷ますた
めに狙撃を中止した。
弓兵ガシャは未だに姿を見せていない。以前のボルス撤退戦では
匍匐前進で森の中を進んできたほど隠密行動の意義を理解している
個体だ。
﹁多分どこかに潜んでいると思うんだけど﹂
﹁索敵魔術に反応がないのが不気味だな﹂
これがボルスの英雄ことベイジルが操るアーチェであれば、ディ
アやパンサーの索敵範囲外から弓で攻撃してくることも可能だ。し
かし、弓兵ガシャはそこまで弓の扱いに習熟していないはず。
それとも、練習のすえ、索敵範囲外から狙撃ができるようになっ
ているのだろうか。
ボールドウィンがスカイの拡声器越しに声をかけてくる。
﹁まだ弓兵ガシャは出てこないのか?﹂
1742
ボールドウィンやタリ・カラさんにとっても、遠距離攻撃をして
くる弓兵ガシャの存在は脅威だ。早く位置を把握しておかないと戦
闘に集中できないのだろう。
俺は拡声器越しにまだ発見できていない事を告げる。
同時に、朱の大地から伝令が帰って来た。
﹁全体を後退させてほしいとの事です。そろそろ下がらないと、防
御陣地への移動までに追い付かれる恐れがある、と﹂
まずいな。
俺は街道を振り返る。
青羽根の整備車両が遠くに見えた。まだ全体を下げるには早い。
﹁ヨウ君、私が出るよ﹂
﹁⋮⋮スイリュウの反対側から魔導手榴弾で攻撃を加えて、魔術ス
ケルトンと通常スケルトンを混乱させてくれ﹂
﹁任せて﹂
ミツキがパンサーの周囲に魔導手榴弾を浮かせ、大地を蹴った。
ミツキが森の中へ飛び込んだ直後、スケルトンたちの群れの中ほ
どで何度も爆発が起きる。恐ろしいまでの正確さで街道上のスケル
トンの群れの真ん中を爆破したため、スケルトンたちの間に道がで
きるほどだった。
朱の大地の伝令が口をぽかんと開けている。朱の大地が団員総出
で攻撃を仕掛けてギリギリ前線を維持していたのに、ミツキは単独
でスケルトンの群れに大打撃を与えているのだ。
﹁本当、尋常じゃない戦闘能力ですね﹂
﹁今は手元にあまり魔導手榴弾の在庫はないから、そう何度もやれ
ることじゃないけどな﹂
1743
魔術スケルトンたちがミツキの投げ込む魔導手榴弾に気付き、石
の壁を立てて塞ごうとする。
だが、ミツキが乗るパンサーには照準誘導の魔術式が組み込まれ
ており、投げ方の変更もできる。石の壁を乗り越えるように飛んだ
フォークボールが魔術スケルトンの群れの中心を爆破した。
対物狙撃銃のスコープ越しに確認すると、魔術スケルトンたちの
被害は軽微のようだ。魔力膜に加えて身体能力強化まで施されてお
り、爆発の威力を軽減しているためだろう。それでも、衝撃で一度
骨がバラバラになっているため組み直すまでの時間がかかっている。
俺は街道を振り返って青羽根の整備車両が完全に見えなくなった
のを確認し、朱の大地に撤退指示を出す。
直後にミツキが帰って来た。
﹁森の中から奇襲をかけたのもあって、魔術スケルトンたちから攻
撃が飛んでこなかったよ﹂
﹁二度目は対応してくる可能性が高いけどな﹂
﹁学習能力の高さは本当に厄介だよね﹂
しかし、ミツキの奇襲の効果は絶大で、スケルトンたちは隊列の
組み直しに時間がかかっている様子だった。
スケルトンたちが態勢を立て直す隙を突き、朱の大地が素早く移
動を開始する。
﹁野郎ども、スケルトンとの追いかけっこだ。慣れてんだろう!?﹂
﹁嫌になるほど慣れてますよ!﹂
朱の大地の団長が冗談めかして問いかけ、団員たちが笑いながら
答えを返す。
身体能力強化を使った流れるような撤退をしながらあんな冗談を
1744
言い合えるのだから、朱の大地もこの作戦に備えて過酷な訓練をし
ていたのだろう。
俺たちの横を走り抜けていく朱の大地の団員たちに続き、団長が
俺とすれ違う。
﹁⋮⋮御武運を﹂
﹁お互いに⋮⋮﹂
団員に向けた冗談交じりのそれとは違う、覚悟と信念の入った言
葉に答え、俺は対物狙撃銃の弾倉を入れ替えて正面を見据えた。
今ここに残っているのは移動速度や攻撃力に優れた精霊人機スカ
イ、スイリュウと精霊獣機ディアとパンサーのみ。
この四機で、朱の大地が撤退を完了するまで遅滞作戦を行う。
﹁ミツキ、行くぜ﹂
﹁ヨウ君、行くよ﹂
図らずも声が重なって、俺たちは口元だけで笑い合った。
1745
第九話 対応策
ディアが地面を蹴り、パンサーと並んで森の中に入る。
ミツキの魔導手榴弾による混乱から立ち直ったスケルトンたちが
戦略的撤退を行う朱の大地を追い駆け始めるが、魔術スケルトンと
通常スケルトンの足並みがそろっていない。
魔術スケルトンは身体強化の魔術を使用できるが、通常のスケル
トンにはそれがない。元々足の遅い魔物だけあって、身体強化の有
無は大きな差になっている。
つまり、魔術スケルトンが突出する結果を招く。
﹁ミツキ、凍結型!﹂
﹁フリーズ!﹂
銃を構えて言ってみたい台詞ランキング三位以内を狙える言葉と
共に、ミツキが魔導手榴弾を投げ込む。
炸裂した凍結型魔導手榴弾が魔術スケルトンの足を凍りつかせ、
転倒させた。
無防備な魔術スケルトンの眼窩に対物狙撃銃の弾丸を撃ち込み、
俺はミツキと共に森の奥へディアを走らせる。
直後、背後で木々が倒れる音がした。魔術スケルトンがロックジ
ャベリンか何かで俺を狙い、流れ弾が木をへし折ったのだろう。
﹁血気盛んだな﹂
﹁血肉もないのにね﹂
森の中で反転し、木々の隙間を縫うように魔術スケルトンをもう
一体屠る。
1746
俺たちの正確な位置は分からずとも、どこから銃弾が飛んでくる
かは分かったらしく、魔術スケルトンたちが一斉に顔をそむけた。
アップルシュリンプの甲殻で作った兜と身体強化の魔術で硬度を
増した頭蓋骨があれば、対物狙撃銃の弾丸を受けても頭蓋骨にひび
が入る程度で済む。中の白い人型魔物パペッターはもちろん、スケ
ルトンの活動にも影響がないレベルの〝軽傷〟だ。
だが、顔をそむけられたなら回り込めばいいだけの事。
﹁精霊獣機の機動力をなめるなよ﹂
ディアを加速させ、脚部のクッション性を生かして森の中を音も
なく疾駆する。
髪を煽る風を心地よく感じながら、ディアの角の上部にある銃架
代わりの窪みに対物狙撃銃を置き直し、銃口を進行方向に対して右
に向ける。
森から街道に飛び出した直後、俺は魔術スケルトンの眼窩を正確
に狙い撃った。
カンッと良い音がして魔術スケルトンの頭蓋骨の中に弾丸が飛び
込む。
街道に姿を現した俺に対して攻撃を加えようとした魔術スケルト
ンたちは俺の後から出てきたミツキの魔導手榴弾でバラバラに吹き
飛ばされる。
魔導手榴弾の衝撃で空中に放り出された頭蓋骨をちらりと見るが、
ひび一つ入っていないようだ。
﹁ミツキ、魔導手榴弾を地面じゃなくスケルトンの頭に命中させら
れるか?﹂
森の中に入って駆け抜けながら、俺はミツキに問う。
1747
﹁できるけど、効果は薄いよ?﹂
﹁至近距離で爆発させれば仕留められるんだろ?﹂
﹁二体か三体なら仕留められるけど、他のスケルトンは普通に耐え
きって反撃してくると思った方が良いね﹂
俺は森を透かして街道のスケルトンたちを見る。連中が俺たちの
攻撃による被害を割り切って朱の大地を追いかけ始めると面倒だ。
今までは地面に向けて投げ込み、爆発の余波で魔術スケルトンを
吹き飛ばして足を止めるのに使用していたが、これからは俺たちを
無視できないよう確実に致命の一撃を加えた方が良い。
﹁ディアが盾になるから、街道に出るときは併走してくれ﹂
﹁分かった﹂
森の中から変則的に攻撃を加え、度々森を飛び出して魔導手榴弾
を放り込む。
俺たちの攻撃目的が足止めだと気付いたらしい魔術スケルトンが
駆け出そうとすると、横合いからスイリュウが攻撃を仕掛けた。
通常兵装のシャムシールを提げて、森の中から飛び出したスイリ
ュウが街道を横切り、足元のスケルトンを踏み潰しながらシャムシ
ールを薙ぐ。シャムシールの間合いに沿ってスケルトンの群れが半
月状に吹き飛んだ。
しかし、打撃武器であるハンマーと違って正確に頭蓋骨を破壊で
きないため、仲間の死骸を再利用して体を組み直すスケルトンが続
出する。
それで構わない。スイリュウの攻撃はあくまでも足止めだ。
俺とミツキのヒットアンドアウェイ戦法に業を煮やしたスケルト
ンたちが街道を外れ、森の中の捜索を始める。
こっちの思う壺だ。
1748
﹁分散してくれるならありがたい。孤立した魔術スケルトンを暗殺
する﹂
﹁辻斬りだあ!﹂
ミツキがパンサーを加速させて重量軽減の魔術を強化、木の幹を
駆け上って近くの木の幹へ飛び移らせる。
森の中をきょろきょろと見回しながら歩いてくるスケルトンに頭
上から襲いかかったパンサーはそのままの勢いで頭蓋骨を粉砕し、
近くにいた護衛らしき通常スケルトンの頭蓋骨を尻尾の先に付いた
扇型の刃で真っ二つにする。
仲間がミツキに奇襲を受けるのを目撃した魔術スケルトンが場所
を知らせるために魔術で火の玉を生み出し、空に上げようとする。
﹁目撃者には死んでもらう﹂
対物狙撃銃が火を噴き、目撃者である魔術スケルトンの頭蓋骨の
中にいたパペッターが絶命する。
ミツキがパンサーを加速させてパペッターを失った元魔術スケル
トンの頭蓋を粉砕、その他護衛の通常スケルトンを斬り殺した。
﹁よし、次いこ、次!﹂
ノリノリのミツキと共に魔術スケルトンを奇襲する。
突出した白兵戦闘能力に加えて高機動力を持つパンサーの奇襲と
ディアによる援護射撃の組み合わせは、森の中での戦闘をかなり楽
な物にしてくれる。
スケルトンを各個撃破していく合間に、俺はライトボールの魔術
を二つ空に放ってスイリュウに指示を出す。
指示内容は、大型スケルトンとの戦闘開始、だ。
スイリュウがすぐにスカイの援護に向かう。
1749
いつの間にか甲羅を拾い集めた四重甲羅と両手ハンマーを相手に
奮闘していたスカイに、スイリュウが助勢した。
ボールドウィンが拡声器越しにタリ・カラさんと言葉を交わす。
どうやら、スカイが二体のガシャを引きつけ、隙を見てスイリュウ
が流曲刀第二段階で致命傷を加える作戦のようだ。
四重甲羅と両手ハンマーの攻勢に陰りが見え始める。スイリュウ
に牽制されて攻撃に集中できないのだろう。
﹁ビビッてんじゃねぇぞ!﹂
スカイが巨体に見合わない加速力で四重甲羅との距離を詰め、天
墜を肩に担ぐように振り上げる。
まともに受ければ押しのけられることを知っている四重甲羅が数
歩下がった瞬間、スカイがスライディングを仕掛けた。
不意打ち気味に姿勢を低くしたスカイは構えられた四重の甲羅で
出来た死角をかいくぐり、ガシャの脚を蹴り払いながら天墜の側面
板を展開、足で急制動を掛けながら上半身のバネを使い、圧空の魔
術で加速した天墜で四重甲羅を側面からまとめて吹き飛ばした。
一撃で大質量のタラスクの甲羅が四枚まとめて吹き飛ぶ光景は圧
巻の一言だ。
刹那、スイリュウが流曲刀の刀身を黒く染め、第二段階に移行さ
せながら甲羅を弾き飛ばされたガシャに迫る。
両手ハンマーが横合いから振り被った攻撃を、機械とは思えない
流麗な動作でひらりと躱したスイリュウがさらにガシャに迫る。
スカイに足を蹴り払われた影響で地面に手を突き、頭を差し出す
様にしていたガシャが面を上げる寸前、スイリュウが黒く染まった
流曲刀を閃かせる。
ガシャの頭蓋が真っ二つに斬り裂かれた。
﹁︱︱ヨウ君!﹂
1750
ミツキに声を掛けられるまでもなく、俺は対物狙撃銃の銃口を斬
り裂かれたガシャの頭蓋骨から転げ落ちた白い人型魔物パペッター
に向け、引き金を引く。
パペッターがたった一つしかない眼で俺を見て、風魔術による回
避を試みる。
だが、甘い。
パペッターの脚が弾丸を受けて吹き飛び、空中でバランスを崩し
て落ちてくる。
風魔術を利用して自由落下ではなく不規則に落下しようとするの
はいいが、滞空時間を延ばすのは愚の骨頂だ。
俺は素早く次弾を装填し、空中のパペッターの胴体を狙う。頭で
なくても、胴体に当たれば弾け飛んで絶命するだろう。
二発目はパペッターの胴体を見事に撃ち砕いた。
ばらばらになったパペッターの身体が落下していくのを横目に、
俺はウォーターボールを空に向けて二発撃ち出す。ガシャの中身の
パペッターを始末した合図だ。
﹁コト、でかした!﹂
スカイからボールドウィンの声が聞こえてきた時、被せるように
ディアとパンサーが索敵魔術の反応を伝えてきた。
瞬時にミツキと視線を交差させる。
﹁弓兵ガシャ!﹂
﹁ちっ、このタイミングで!﹂
ディアのレバー型ハンドルを押し込みながら、俺は反応があった
方角へ顔を向ける。弓兵ガシャが静かに立ち上がる所だった。
森の中を匍匐前進で移動し、スカイとスイリュウの背後に回り込
1751
んでいたらしい。
弓兵ガシャがアーチェの大弓にロックジャベリンを矢として番え、
引き絞る。
スカイが弓兵ガシャに気付いて振り返ろうとするがもう遅い。
︱︱だが、俺の準備は間に合った。
﹁させるかよ!﹂
弓兵ガシャが弦を放す直前、カノン・ディアが爆音を轟かせる。
俺が放った銃弾はまっすぐに弓兵ガシャが持つ大弓の弦を撃ち抜
き、断裂させる。
大型魔物の腱から作られたという大弓の弦はバチンと耳が痛くな
るような音を立てて上下に分かれ、放たれる直前だったロックジャ
ベリンの矢は行き場を失う。
弦を手前に力の限り弾いていた弓兵ガシャは突然弦が切れたため
に後方にたたらを踏んだ。
﹁⋮⋮もう一発﹂
弓兵ガシャの頭蓋骨にぽっかりと空いた眼窩に狙いを定め、素早
くカノン・ディアの第二射を放つ。
カノン・ディアの二連射には流石にヒート状態のディアでも威力
を殺しきれず、俺の肩にも反動がやって来る。
肩関節が外れるんじゃないかというほどの激痛に耐えて放った二
発目の銃弾が弓兵ガシャの頭蓋骨に飛び込み︱︱吹き飛ばした。
ガシャの巨大な頭蓋骨が〝その形を保ったまま〟後方へ吹き飛ん
でいく。
って、おい、冗談だろ。
﹁あの野郎、銃弾の威力にあえて逆らわずに受け流しやがった!﹂
1752
カノン・ディアが命中する直前に頭蓋骨を保持する魔力膜の効果
を切り、頭蓋骨ごと後ろに吹き飛ぶ事で頭蓋骨の破損を防ぐ。同時
に、威力を受け流すことで頭蓋骨内部で銃弾が跳躍する回数を減ら
すこともできる。
後者についてまで考えていたかどうかは定かではないが、どちら
にしても目を見張るような判断と決断力だ。
弓兵ガシャの頭蓋骨の周囲にロックジャベリンが三つ発生する。
ロックジャベリンの矛先が俺たちの居る地点を向いていた。
﹁ミツキ、右に全力離脱!﹂
声を張り上げ、俺はディアの頭を右に向ける。
ヒート状態で四肢から青い火花をまき散らしているディアとパン
サーが一気に加速する。あまりに急激な加速に体が浮き上がる感覚
に襲われた。まるで羽根でも生えたようだ。
しかし、ここは空とは違って森の中、気を抜いた瞬間に木へ激突
してお陀仏という悪環境だ。
体をディアの背に密着させ、正面を注視する。背後で木がへし折
れ、地面が爆発したように爆ぜる音が聞こえ、土砂が無事な木の葉
をばらばらと叩く。
全力で離脱した俺は、すぐ横に無事なミツキの姿を確認してほっ
とする。
恐ろしい事に、弓兵ガシャが撃ち込んだロックジャベリンは正確
に俺たちが潜んでいた地点にクレーターを作り出していた。あらか
じめヒート状態でいなかったら逃げ切れなかっただろう。
﹁鉄の獣、無事か⁉﹂
ボールドウィンの焦った声が聞こえてくる。
1753
俺は無事を知らせるためにライトボールを空に打ち上げ、すぐさ
まその場を離れる。
直後、弓兵ガシャから俺たちの居た地点にロックジャベリンが飛
んでいった。
やはり、俺とミツキを狙っているらしい。
﹁ヨウ君、魔力残量は?﹂
﹁もう余裕がない。時間ぎりぎりだが、一時撤退するしかないな﹂
ヒート状態からのカノン・ディア二発だ。無理をすればもう一発
撃てない事もないが、弓兵ガシャがカノン・ディア対策をしてきた
以上は無理してぶっ放すのは得策じゃない。
すでに四重甲羅を撃破し、弓兵ガシャも吹き飛んだ頭蓋骨を元の
身体へ運ぶため時間がかかるだろう。
﹁ミツキ、スカイとスイリュウに合図だ。撤退するぞ﹂
﹁分かった。さっさと逃げよう﹂
ミツキがライトボールとウォーターボールを交互に空へ打ち出し、
スカイとスイリュウに合図を出す。
すぐにスカイが天墜を横薙ぎに振るって両手ハンマーを牽制し、
スイリュウと共に街道を南下し始める。
俺もミツキと共に街道沿いの森の中を進み、防御陣地を目指す。
背後を振り返れば、両手ハンマーは弓兵ガシャが体勢を立て直す
まで待つつもりらしくその場に佇んでいる。
代わりを務めるように、通常スケルトンや魔術スケルトンが追い
駆けてきていた。
1754
第十話 防御陣地
街道上をスケルトンたちを引きつけながら進むスカイやスイリュ
ウに先行して、俺たちは森の中を突っ切る。
河原の防御陣地に辿り着き、スライム新素材で作った防壁や迷路
を潜り抜ける。朱の大地の団員が武器を構えてスケルトンの来襲に
備えており、何度かすれ違った。
対岸に到着し、蓄魔石や魔導鋼線などを置いてある補給地点に向
かう。
﹁魔力切れの精霊人機が来るぞ。魔力の充填用意は終わってんだろ
うな⁉﹂
俺たちの姿を見るなり、青羽根の整備士長が整備士たちに怒声を
飛ばした。
俺はミツキと手分けして魔導鋼線と蓄魔石を準備し、ディアとパ
ンサーの部品交換と魔力充填を開始する。
ディアの魔導鋼線を総取り替えしている俺のところへ、レムン・
ライさんと青羽根の整備士長、朱の大地の団長二人が戦況を聞きに
やってきた。
﹁それで、戦況は?﹂
﹁四重甲羅をスカイとスイリュウが共同で撃破、頭蓋骨をスイリュ
ウが両断した。中身のパペッターは俺が狙撃で仕留めた。それから、
弓兵ガシャの持つ弓の弦をカノン・ディアで破壊、弓兵ガシャの頭
蓋骨にもカノン・ディアで撃ち込んだが受け流された﹂
スケルトン種が頭蓋骨を分離できなければ確実に仕留められたの
1755
が悔やまれる。
ボルスでやられた頭蓋骨だけの奇襲と撤退といい、頭蓋骨分離能
力には翻弄されてばかりだ。
﹁今後はカノン・ディアがガシャ本体を倒せるとは考えない方が良
い﹂
﹁遠距離でガシャを仕留める唯一の攻撃方法だったんだがな﹂
﹁不意打ちじみた狙撃なら撃破も可能だとは思うんだが、ガシャ達
も俺やミツキの動きには警戒しているみたいだ﹂
俺は狙撃で完全なアウトレンジから攻撃を加えられるし、ミツキ
はパンサーの白兵戦闘能力を生かして小型スケルトンを蹂躙できる。
スケルトン側からしたら的が小さい分、見失いやすくて厄介だろう。
﹁とにかく、四重甲羅を撃破できたのは大きい。弓兵ガシャも大弓
の予備をボルスに取りに行くなら時間がかかるだろう。いまのうち
にスケルトンを始末したいな﹂
俺は防御陣地を見渡す。すでに歩兵部隊は展開を完了しているよ
うだ。
整備士長も同じように防御陣地を見渡し、森に視線を移す。
﹁来たみたいだな﹂
街道からこの防御陣地まで切り開いておいた小道を二機の精霊人
機が駆けてくる。スカイとスイリュウだ。
レムン・ライさんが拡声器を使って防御陣地の一部、精霊人機を
通すための大きな通路を固める月の袖引くの戦闘員に向かって指示
を飛ばす。
1756
﹁精霊人機が通ります。道を開けなさい﹂
良く訓練された動きで右にずれた月の袖引くの戦闘員たちの横を
駆け抜けたスカイとスイリュウが補給地点にやって来る。
﹁魔力充填を頼む﹂
駐機状態になったスカイからボールドウィンの声がする。
すでに準備していた青羽根の整備士たちがスカイへの魔力供給を
しはじめ、その横ではスイリュウの魔力供給が開始されていた。
スカイたちからやや遅れて、スケルトンの群れが小道を走ってく
る。
﹁精霊人機用の道を塞ぎなさい﹂
レムン・ライさんが指示を飛ばすと、月の袖引くの戦闘員たちが
スライム新素材に水を掛けて膨らませ、道を塞ぐ。スケルトンたち
は突然作られた行き止まりに殺到し、後方の仲間に押し込まれるよ
うにしてスライム新素材の壁に押し付けられていた。
行き止まりで過密状態のスケルトンたちに、横の壁の上から朱の
大地の団員たちがロックジャベリンを叩き込む。
過密状態で身動きが取れないところに頭上からの攻撃を受け、ス
ケルトンたちはまとめて頭蓋骨を破壊された。
﹁作戦は機能しているみたいですね﹂
レムン・ライさんは髪を後ろに撫でつけると腰のベルトに付けて
いる小さな蓄魔石を撫でる。
﹁現場の指揮を執って参ります。朱の大地のお二人も、参りましょ
1757
う﹂
﹁ですな。即席の防御陣地というのもあって、団員が迷路の中で迷
ってしまいかねない。現場指揮官は重要でしょうからな﹂
レムン・ライさんと朱の大地の団長二人がタンッと軽く地面を蹴
る。身体強化を使っているとしても、その身のこなしは驚くほど軽
い。
歩兵としての実力は確実に開拓者の中でも上位に位置するだろう。
﹁開拓者側の優勢だね﹂
ミツキが眼の上に右手でひさしを作り、背伸びをして防御陣地を
観察する。
河のこちら側はやや高くなっているため、背伸びなどしなくても
全体は見えるはずだ。
俺もディアの魔力充填や魔導鋼線の交換を終え、防御陣地で行わ
れている戦闘の様子を観察する。
街道側に設置された第一防壁は隙間が多いためスケルトンたちも
無視しているようだ。
第一防壁を潜り抜けた先に待つのは迷路状の第一陣地。
高い壁に挟まれた通路を律儀に行進するスケルトンには朱の大地
が待ち伏せを行って攻撃を加え、壁をよじ登ろうとするスケルトン
は月の袖引くの戦闘員が風のように疾駆して駆けつけては叩き落と
している。
壁の破壊を試みるスケルトンも散見されるが、通常スケルトンの
攻撃ではスライム新素材の分厚い壁は破れない。振り上げた剣がス
ライム新素材の弾力の前に跳ね返されている。
だが、魔術スケルトンは違う。ロックジャベリンなどを撃ち込ん
で破壊を試みていた。
壁は分厚いためロックジャベリンを受けても簡単には壊れないが、
1758
二発三発と重ねれば穴が開いてしまう。
ロックジャベリンで通路同士をつなげてショートカットを試みる
魔術スケルトンには俺が対処すべきだろう。
俺は整備を終えたばかりのディアに跨り、対物狙撃銃を構える。
ロックジャベリンを撃ち込もうとしていた魔術スケルトンを狙撃
し、壁の破壊を阻止する。
だが、俺の狙撃による妨害があった事で壁の破壊が有効だと逆説
的に気付いたのか、魔術スケルトンたちが壁への攻撃を始める。
よじ登れない様に高くしたスライム新素材の壁にロックジャベリ
ンが何度も突き刺さり、崩されていく。
壁を挟んだ隣の通路を行進していたスケルトンが崩れた壁に押し
つぶされたりしたものの、スケルトンたちは通路の合流に成功して
いた。
﹁︱︱自走空気砲、撃て!﹂
ミツキの号令一下、自走空気砲が砲弾を撃ち出した。
第一陣地となっている迷路の内、数少ない広場以外は砲弾の軌道
の問題で攻撃できなかった自走空気砲だが、障害物となる壁をスケ
ルトン自らが壊してくれた今こそその真価を発揮する。
自走空気砲が撃ちだした砲弾は照準誘導の魔術で高い命中率を誇
る。
狙い過たずスケルトンの作った通路の合流地点に着弾した砲弾が
内包された魔導手榴弾の効果で爆発し、仕込んであった小さな鉄杭
を周辺にばら撒いた。
鉄杭が頭蓋骨を突き破り、スケルトンを多数撃破する。鉄杭の中
にはスケルトンのあばら骨の隙間を通ってしまったものなどもあり、
エグイ攻撃の割に無事なスケルトンも多い。
しかし、狙撃されながらも壁を破壊できるほど魔術スケルトンが
密集していた地点だけあって、スケルトン側の戦力を大きく削れた
1759
ことだろう。
俺は街道に続く小道へ視線を向ける。
まだ両手ハンマーや弓兵ガシャは来ていないようだが、永遠に続
くのではないかと思えるスケルトンの行列が防御陣地に向かってき
ている。
第一陣地である迷路の中ではスケルトンがひしめき合い、数の暴
力で人間側を押し始めていた。
﹁スカイとスイリュウはまだ出せないのか?﹂
青羽根の整備士長に訊ねる。
﹁もう少しかかる。スカイは魔力残量が心もとない﹂
聞けば、この防御陣地に到着した時点で残量が三割ほどだったら
しい。
﹁四重甲羅と両手ハンマーの二体を相手にしてたんだから、仕方が
ないか﹂
多少燃費が良くなってはいるのだが、魔術と武器を使用する大型
魔物二体の相手は苦しかったのだろう。
見れば、スカイから降りたボールドウィンが頭から水を被って体
を冷やしている。
スイリュウを操るタリ・カラさんはまだ余裕があるようで、月の
袖引くの整備士が入れてくれた白いコーヒーもどきを飲んでいた。
俺の視線に気付いたタリ・カラさんが歩いてくる。
﹁申し訳ありません。まだスイリュウも魔力を充填中です。九割ほ
どまで込めてあるので戦闘は可能ですが﹂
1760
タリ・カラさんが心配そうに第一陣地を見る。
まだ両手ハンマーと弓兵ガシャの二体が残っているため万全の状
態で精霊人機二機を残しておきたいのが俺としても本音だ。
だが、戦況がスケルトン側有利に傾いてきているのもまた事実。
ミツキがパンサーの腹部にある収納スペースからクッキーを取り
出した。
﹁とりあえず甘い物を食べてリラックスして。ヨウ君も﹂
﹁おう、ありがとう﹂
疲れているのもあって、サクサクした甘いクッキーは嬉しい。レ
モンに似た爽快感のある香りがするハーブを刻んで練り込んである
らしく、甘さが後を引かないのも良い。
戦闘中という事も忘れて、タリ・カラさんも幸せそうにクッキー
を齧っていた。
﹁ボールドウィンにも渡しておいて﹂
ミツキが手作りクッキーを入れた小袋を整備士長に渡す。ちゃっ
かり整備士長も一枚齧っていた。
俺は自走空気砲の照準を第一防壁の向こう、小道に向ける。
﹁とりあえず、自走空気砲に無理させてでもスケルトンの圧力を減
らした方が良い。第一陣地に入ってくるスケルトンに集中砲火を浴
びせてしばらく進入させないでおくから、いま第一陣地にいるスケ
ルトンを殲滅するよう朱の大地とレムン・ライさんに指示を出して
くれ﹂
ミツキに指示を頼んで、俺は自走空気砲の砲弾を凍結型に変え、
1761
砲撃を開始する。
スケルトン相手には殺傷能力の低い凍結型の砲弾は、着弾地点に
水をばら撒いた直後に凍結させる。着弾地点にいたスケルトンたち
が立ったまま凍りついて即席の障害物となり、スケルトン全体の進
軍を遅らせる。
しかし、スケルトンの頭蓋骨の中にいるパペッターが凍りついた
スケルトンの身体を火の魔術で炙り、動き出すまでの短い間しか効
果がない。
タイミングを見極めて、凍結したスケルトンに後続のスケルトン
たちが渋滞を起こした頃を見計らって爆発型の砲弾を三発撃ち込む。
渋滞を起こしていたスケルトンが多数爆発に巻き込まれ、鉄杭に
頭蓋骨を粉砕されて動かなくなる。
三回ほど繰り返すと、スケルトンたちが小道をそれて森の中に入
り込み始めた。
開けた場所でなければ砲撃を受けない事に勘付いたのだ。
﹁呆れるほど学習能力が高いな﹂
分かっていた事だが、こうも簡単に対処されるとは思わなかった。
それでも、森から出て河原に姿を現した瞬間を狙って俺が対物狙
撃銃の引き金を引き、確実に数を減らしていく。
スケルトンたちも俺の存在には気付いている様子だが、魔術の射
程範囲外にいる俺に反撃できずにいる。
スケルトンに被害を出すよりも第一陣地への進入妨害を念頭に置
いていた事もあって、朱の大地の伝令が迷路内のスケルトンを駆逐
したと報告してくれた。
﹁よし、そのまま第一陣地内でスケルトンを待ち構えてくれ。もう
すぐスカイとスイリュウも出せる。そうなれば、第二陣地へスケル
トンを誘引して︱︱﹂
1762
伝令に必要事項を伝えていた時、俺は河に一筋の水が流れ始めて
いるのを視界にとらえ、慌ててスコープ越しに上流を見る。
河の水をせき止めていたスライム新素材の堤防の上から水が零れ
落ちていた。
あり得ない。水量を計算してかなり余裕を持たせていたはずだ。
溢れるにはまだ早すぎる。
いや、そんなこと考えている場合じゃない。
﹁緊急伝令! 堤防に決壊の兆し有り。今すぐ歩兵を河原へ引き上
げろ!﹂
声を張り上げると、青羽根の整備士長が整備車両に駆け寄り、拡
声器を使って第一陣地の迷路内にいる朱の大地やレムン・ライさん
に引き上げ命令を出す。
ミツキが双眼鏡で堤防を覗き、首を傾げる。
﹁溢れ出てた水が止まったみたい﹂
﹁なに?﹂
対物狙撃銃のスコープを覗き込むと、確かに堤防の上部から溢れ
出ていた水が止まっていた。
﹁⋮⋮上流で高波でも起きたのかな?﹂
河なのに?
どちらにしても危険なことに変わりはないため、歩兵には第二陣
地まで引き上げてもらうしかないのだが。
ミツキと揃って原因を話し合っていると、街道の方から足音が聞
こえた。
1763
視線を移せば、森の中を突き進む両手ハンマーと弓兵ガシャの姿
が見える。
歩兵が撤退したこのタイミングでやって来るのか。
﹁スカイ、スイリュウは起動状態で待機、歩兵部隊はスケルトンが
第一陣地を突破した段階で河岸から魔術攻撃で足を鈍らせろ﹂
上流で何が起きてるのか気になるが、今は目の前のスケルトンに
集中しよう。
そう決めて、俺は第一防壁を抜けてくるスケルトンの群れを睨ん
だ。
1764
第十一話 乱入する巨体
虚ろな眼窩を対岸の俺たちに向けながら、スケルトンたちが迷路
状になった第一陣地を抜けてやって来る。
狙撃で魔術スケルトンを削っていた俺は両手ハンマーと弓兵ガシ
ャに視線を移した。
何かを企んでいる様子はない。弓兵ガシャの射程なら対岸にいる
俺たちも攻撃できるはずだが、大弓を背中に隠したままだ。
最終防壁の裏にいる俺を警戒しているのだろう。
﹁アーチェの弓ってあの予備が最後だったよな?﹂
最終防壁に開けてある穴を通して魔術スケルトンを始末しつつ、
俺はミツキに訊ねる。
﹁軍からの情報だとそうだね。スケルトンが独自に作っていないと
も限らないけど﹂
﹁それはあんまり考えたくないな﹂
ただ、大型魔物の腱がこの辺りでは確保できない。ボルス周辺に
生息する大型魔物はガシャを除くとカメ型のタラスクや超大型魔物
ことクーラマだけだ。
スケルトンが弓を制作している可能性は除外してもいいだろう。
﹁弓兵ガシャも歯がゆいと思うよ。私たちの姿は透明なスライム新
素材の壁を通して見つけているのに、迂闊に攻撃できないんだから﹂
弓兵ガシャが弓を構えた瞬間、こちらは即座にディアをヒート状
1765
態にしてカノン・ディアを撃ち込むつもりでいる。
弓兵ガシャも俺たちの思惑が分かっているから、防御陣地を挟ん
だ対岸から動こうとしていない。
足並みを揃えるためか、両手ハンマーも弓兵ガシャの隣を動かず
にいる。
第一陣地を突破してきたスケルトンたちに、最終防壁の裏に隠れ
ている朱の大地、月の袖引く、青羽根の戦闘員たちが魔術攻撃を開
始した。
第一陣地を超えると第二陣地の広場に出る。本来はガシャと精霊
人機による戦闘が展開される予定だった地点だ。
障害物がないためスケルトンたちの進行速度が上がるものの、開
拓者の歩兵たちによる魔術の弾幕は激しく、スケルトンが次々に倒
れていく。
魔術でいくら仲間がなぎ倒されようと、スケルトンたちは進行を
止めない。
﹁自走空気砲で蹴散らす方が良いな﹂
第一陣地の迷路の中に点在している広場を砲撃していた自走空気
砲の砲撃地点を第二陣地に変更する。
より激しくなった俺たち開拓者側の攻撃により、スケルトンたち
を押し返すことに成功していた。
ミツキが月の袖引くの整備員たちに声を掛ける。
﹁前線のみんなに蓄魔石を配布して﹂
﹁了解﹂
このために準備しておいた小さな蓄魔石を前線に配布し、魔力切
れを予防する。
スケルトンの物量攻撃を盛大な弾幕で迎え撃つ作戦だ。
1766
俺たちの財布を空にしただけあって、蓄魔石の配布による魔力切
れ予防の効果は絶大だった。
多少スケルトンに押し込まれても魔力切れを気にせずに高威力の
魔術を使用できる安心感は大きい。
衰えを見せない開拓者側の魔術攻撃に業を煮やしたのか、両手ハ
ンマーが動き出した。
﹁スカイはまだ出すなよ﹂
念のために青羽根に指示を出し、小型スケルトンの状況を見る。
第二陣地の入り口付近で足止めできているようだ。
﹁朱の大地に伝令。魔術攻撃の頻度を減らして第二陣地にスケルト
ンの集団を誘引、埋設した魔導手榴弾での爆破を行う﹂
俺の指示がすぐに朱の大地に伝わり、魔術攻撃の頻度が段階的に
減らされる。
第一陣地を越えようとしていた両手ハンマーが動きを止め、顎を
打ち鳴らした。
第二陣地の半ばまで達しようとしていたスケルトンたちが足を止
める。
﹁仕掛けに気付いたか?﹂
まだ第二陣地の半ばまでしかスケルトンたちが進入していない今
の段階で起爆すべきか、それとも進攻が再開されるまで待つべきか。
ミツキが自走空気砲を振り返った。
﹁朱の大地に伝令、両手ハンマーに攻撃を集中して。早く!﹂
1767
ミツキは伝令を出すなり自走空気砲に駆け寄り、設定を変更、照
準を両手ハンマーに移した。
四機の自走空気砲が一斉に両手ハンマーへの攻撃を開始する。
爆発型であっても大型魔物である両手ハンマーには効果がないが、
ミツキはしっかり凍結型に砲弾を変更していた。
不意打ちを受けた両手ハンマーに凍結型の砲弾が炸裂し、骨盤を
中心に凍りつかせて動きを阻害する。
直後、ミツキの指示の意図を悟った朱の大地がロックピアスでの
集中攻撃を行う。
両手ハンマーはロックピアスを右手のハンマーで払い、左手のハ
ンマーを盾にして防いでいた。
﹁スイリュウにウォーターカッターで両手ハンマーに水を掛けるよ
うに伝えてくれ!﹂
俺の指示を受けて起動状態だったスイリュウが立ち上がり、最終
防壁の裏からウォーターカッターを上空に向けて放ち、両手ハンマ
ーに水を降らせた。
自走空気砲が二射目を放ち、スイリュウが放った水ごと両手ハン
マーを頭から凍結させていく。
両手ハンマーの頭蓋骨と首の付け根が凍結したのを見て取り、俺
はディアの両肩ボタンを押してカノン・ディアの発射体勢に移行す
る。
﹁凍ってすぐなら頭蓋骨を切り離して受け流すことも無理だろ﹂
照準を両手ハンマーの頭蓋骨に向けた瞬間、両手ハンマーに巨大
な炎の塊が炸裂した。
両手ハンマーの後ろにいた弓兵ガシャが俺たちの意図に気付いて
両手ハンマーの動きを阻害していた氷を溶かしたのだ。
1768
﹁ちっ、知恵の回る奴だな﹂
もう少しで両手ハンマーを仕留め切れたのに。
俺たちに余裕を持たせてはまずいと判断したのか、両手ハンマー
が顎を打ち鳴らして仲間のスケルトンたちの進軍を開始させた。
両手ハンマーに集中していた朱の大地の攻撃がスケルトン側へ移
動する。
月の袖引くの整備員たちがスイリュウへまた魔力供給を開始した
と報告が来た。先ほどの放水で使用した分の魔力を補給するとの事
で、すぐに満タンに出来るという。
両手ハンマーはスイリュウの動きに警戒した様子で第二陣地の入
り口に陣取った。
取り巻きのスケルトンたちが進行してくる。狙いは最終防壁の破
壊らしく、ときおりロックジャベリンが飛んできた。
﹁青羽根に連絡。埋設した魔導手榴弾の起爆準備に入ってもらえ。
起爆は任せる﹂
俺が青羽根の伝令役に指示を出す傍ら、ミツキが月の袖引くへの
伝令役に別の指示を伝える。
﹁堤防の破壊準備を始めて。爆破の合図は取り決め通り﹂
上流へ向かって行くレムン・ライさんたちの部隊を見送り、俺は
戦場に視線を戻す。
無尽蔵に思われたスケルトンの兵力もついに打ち止めらしく、街
道に続く小道にスケルトンはいなくなった。森から出てくるスケル
トンがちらほらいるものの、無視できる範囲だ。
迷路状の第一陣地にいるスケルトンたちも対岸の俺たち開拓者へ
1769
攻撃できずに待機状態だ。もっとも、迷路が満員になった事で第一
陣地を迂回してくるスケルトンが増えている。
﹁迂回してくるスケルトンに自走空気砲の照準を移した方が良いな﹂
無視するには少しばかり数が多すぎる。
二機の自走空気砲で左右の迂回組に対応し、残る二機で迷路内の
スケルトンへ砲撃を加える。
スケルトンの数は確実に減ってきているが、まだ開拓者の三倍は
いるだろう。
だが、終わりが見えてきた。
開拓者たちの士気が上がっているのが、掛け声の調子などから感
じ取れる。
第二陣地の広場の三分の二までがスケルトンに埋め尽くされた時、
青羽根の整備士長が拡声器越しに声を上げた。
﹁︱︱埋設魔導手榴弾、起爆!﹂
直後、耳をつんざくような爆音が響き渡り、曇り空を焦がすよう
な火柱が第二陣地全体から吹き上がった。
文字通り粉々になったスケルトンの残骸が戦場全体に降り注ぎ、
第二陣地からあらゆる生命の気配が消えうせる。
いや、火柱の中にまだ生き残りがいた。
両手ハンマーだ。
何が起こったのか分からないのか、両手ハンマーは完全に動きを
止めていた。
スケルトンの破片がその巨大な頭蓋骨に降り落ちて硬質で軽い音
をむなしく奏でる。
わずかな沈黙の後、両手ハンマーが怒り戦慄くように全身を震わ
せ、関節という関節から幾重にも音を響かせた。
1770
空洞の眼窩に憤怒の炎が燈った気がした。
ドンッと両手のハンマーを地面に振り降ろし、怒りを表現した両
手ハンマーが最終防壁を睨み据える。
﹁スカイ、スイリュウ、両手ハンマーを止めろ!﹂
伝令を待つのももどかしく、拡声器を握った俺が振り返って叫ぶ
と同時に両手ハンマーが駆け出した。
両手ハンマーが巨大な顎で打ち鳴らす無機質な音の中に明確な殺
意を感じる。
いち早く踏み込んだスカイが両手ハンマーに向かって駆け出す。
両者ともに減速せずに距離を詰め、ハンマーを振り被った。
渾身の一撃を同時に繰り出し、相手の繰り出した一撃を避けるべ
く体を捻る。
遠目には接触したようにしか見えない紙一重の回避で互いのハン
マーを避けながら、息を吐く間もなく次の攻撃を繰り出し、互いに
引く気はないとばかりに一歩相手へ踏み込んだ。
互いに大質量の武器を振り回し相手を一撃の下に粉砕しようとす
る。一撃で死にかねない一振りが掠めようと動きを止めることなく
連続で攻撃を繰り出す。
攻撃を避けられない様にじりじりと距離を詰めていき、ついに互
いがハンマーを振り回せない距離まで近づいた時、スカイがすかさ
ず腰を落として左回し蹴りを放った。
両手ハンマーが左右のハンマーを振り切った抜群のタイミング。
反撃を許さない最速の蹴り。
しかし、両手ハンマーは予測していたようにロックウォールでス
カイの蹴りを受け止め、右手のハンマーを振り上げた。
蹴りを止められて硬直状態のスカイに右手のハンマーが振り降ろ
される。
スカイがハンマーの軌道からわずかに体を逸らすのが見えた。だ
1771
が、完全に避け切れてはいない。
大破確実かと思われた直後、スカイのシールドバッシュ機能が発
動する。
体を逸らしたことでハンマーの斜め下に位置していたスカイの体
を覆う遊離装甲セパレートポールが圧空の魔術でハンマーにぶつか
り、受け流す。
スカイの側面スレスレを通ったハンマーが地面を陥没させた時、
スカイは体勢を整えてハンマーを横に薙いでいた。
両手ハンマーが後方に飛び退き、スカイの一撃を避ける。
距離が開き、仕切り直しとばかりに両者は得物を構えた。
その時、一瞬だけ生じたスカイの隙を突くように弓兵ガシャがロ
ックジャベリンを放つ。
﹁︱︱無粋ですね﹂
タリ・カラさんが冷たく吐き捨て、スイリュウが流曲刀を抜き放
ちざまロックジャベリンを斬り落とす。
両手ハンマーとスカイ、弓兵ガシャとスイリュウの睨み合いが始
まった直後、堤防から緊急事態を告げるライトボールが打ち上がっ
た。
﹁⋮⋮なんだ?﹂
開拓者だけではなく、スケルトン側も次なるトラップを警戒して
か上流に視線を移す。
最初に、破裂音がした。
次に地鳴りが轟き。
足元から来る地面の震えを感じ取った俺の眼に莫大な量の水が迫
ってくるのが見えた。
1772
﹁︱︱全員、近くの壁に掴まれ!﹂
俺が、整備士長が、朱の大地の団長が、同時に叫ぶ。
俺たちの声は轟々と唸りを上げる水音にかき消されたが、誰もが
本能的に近くの固定物に掴まった。
衝撃音と共に最終防壁が揺れ、第二陣地へ攻撃するための穴や通
路から水が流れ込む。
﹁どうなってる? まだ、決壊命令は出してないぞ⁉﹂
青羽根の整備士長が誰も答えを返せない疑問を叫ぶ。
しかし、答えは上流から悠然と現れた。
せき止められていた鬱憤を晴らす様な河の濁流に足を取られるこ
ともなく、ただこちらを目指してくる。
現在知られているあらゆる魔物の中で最大の体躯を誇る、カメ型
の超大型魔物。
﹁⋮⋮クーラマ﹂
開拓者、スケルトン、クーラマによる三つ巴の戦いが幕を開けた。
1773
第十二話 名誉の戦死
堤防を決壊させたクーラマは俺たち開拓者とスケルトンとの戦い
の場を目指して突き進んでくる。
急いでるわけでもないのに体が巨大な分一歩の幅は大きく、ほど
なくして戦場に乱入してくると思われた。
﹁来る可能性を考えてなかったわけじゃないけど、このタイミング
で来るのかよ﹂
思わず舌打ちして、戦場を見る。
迷路状の第一陣地にスケルトンが大量に残っていた。本来は第二
陣地まで奴らが来た頃を見計らって堤防を決壊させ、洗い流す算段
だったのに不発に終わってしまった形だ。
用意していた策の一つを潰されただけでも痛いってのに、ここに
クーラマが突っ込んでくるなんて、冗談じゃない。
﹁ヨウ君、クーラマを最優先で止めないと、最終防壁ごと水ブレス
で薙ぎ払われて戦うどころじゃなくなるよ﹂
﹁止めるって言ったって、クーラマを止められる戦力なんて⋮⋮﹂
ガシャを仕留め切れていればスイリュウとスカイの二機でクーラ
マを潰せただろう。だが、いまは二機とも両手ハンマーと弓兵ガシ
ャに対応していて動けない。
⋮⋮仕方がないな。
﹁朱の大地に伝令、最終防壁を死守。青羽根に伝令、自走空気砲を
二機任せるから、ガシャ討伐まで凌いでくれ。蓄魔石はいくら使っ
1774
ても構わない﹂
伝令を飛ばし、俺はすぐに自走空気砲に駆け寄って設定を変更し
た。全部で四機ある自走空気砲のうち、二機でクーラマの気を引き
つつ戦場から引き離す作戦だ。
﹁ミツキ、俺たちもクーラマに当たるぞ﹂
﹁他に手はないもんね﹂
それぞれの精霊獣機に乗る俺たちに、伝令を聞いたらしい青羽根
の整備士長が慌てた様子で駆けてきた。
﹁おい、お前ら、まさかクーラマの討伐に行くつもりじゃないだろ
うな?﹂
﹁俺たち以外にアイツを仕留められる戦力が残ってないだろ﹂
時間を稼げるかどうかも分からない。
クーラマは専用機クラスが複数いてようやく戦えるような化け物
だ。ディアやパンサーはいくら強化してあるといっても、クーラマ
の相手は荷が重い。
︱︱それでも、やるしかない。
﹁ヨウ君、蓄魔石の予備を持っておいて﹂
ミツキに投げ渡された蓄魔石を空中で受け取り、ポケットに忍ば
せる。カノン・ディア一発分くらいにはなるだろうが、魔力を移し
替える時間が取れるかは未知数だ。
ミツキも同じく蓄魔石の予備を持ち、整備士長を見る。
﹁最優先でガシャを討伐した後、クーラマの迎撃に移って。指示は
1775
レムン・ライさんに任せるつもりだけど、レムン・ライさんが到着
するまではここであなたが指揮を執って﹂
開拓学校卒業生という事で多少は指揮も執れるだろうとミツキが
言うと、整備士長は首を横に振った。
﹁俺は整備士科だ。指揮までは執れない。月の袖引くの副団長が到
着するまでは鉄の獣の指示を守らせるのが精いっぱいだ﹂
﹁なら、それでいい。とにかく、最終防壁を守り抜いて﹂
万が一、最終防壁が破られた際の大まかな指示を出しているミツ
キに代わり、クーラマの様子を見る。
俺がボルスで撃ち抜いた右目は潰れたままだ。甲羅にはスイリュ
ウが流曲刀の第二段階でつけた一文字の切り傷があるが、石の魔術
で塞がっている。
やはり、撤退戦の時にボルスを襲った超大型と同じ個体らしい。
あんなデカブツがそう何体もいないとは思っていたが、こちらの手
の内をどこまで学習しているのか分からないのが厄介だ。
指示を出し終えたミツキがパンサーの索敵魔術の設定を変更する
のを待って、俺たちは最終防壁を後にした。
スケルトンたちに見咎められないよう、森の中に一度身を隠して
から上流のクーラマを目指す。
ディアとパンサーがほぼ同時に索敵魔術の反応を教えてくれた。
反応は魔物ではなく、堤防を決壊させるために向かったレムン・
ライさん達だ。
﹁少し森の奥に入ったところか﹂
﹁動いてないね。何かあったかも﹂
ミツキがパンサーを操作して森の奥へ向かう。俺はクーラマの位
1776
置を確認してから後を追った。
邪魔な木を避けながら進み、レムン・ライさんたち堤防決壊組を
発見する。
﹁無事ですか?﹂
駆けつけた俺たちに対し、レムン・ライさんが驚いたような顔を
した。
﹁お二人とも、最終防壁はどうされました? まさか、破られたの
ですか?﹂
﹁最終防壁は無事です。青羽根に任せてあります﹂
事情を説明すると、レムン・ライさんはほっとしたような顔をし
て月の袖引くのメンバーを見回した。
﹁怪我人は出ていません。クーラマの接近に気付いてすぐに異常事
態を知らせました。追い払おうにも相手があれでは⋮⋮﹂
﹁仕方がないですよ。クーラマの対処は俺とミツキでやります。レ
ムン・ライさんは最終防壁での指揮をお願いします﹂
﹁クーラマの対処をお二人で?﹂
心配そうな顔のレムン・ライさんに頷きを返す。
﹁右目を撃ち抜いたのは俺たちですよ? 少しは期待してください。
とはいえ、早めにガシャの始末をつけて、スカイとスイリュウを応
援に寄越してくださいね﹂
時間もないので話を切り上げ、俺たちは河原へ取って返した。
後ろから追ってきている自走空気砲二機を見る。
1777
二機には森の中からクーラマの甲羅に付けられた切り傷へ砲撃す
るように設定してある。
下流にある防御陣地へクーラマの攻撃の余波が届かないよう、可
能な限り街道側の森に注意を引くためだ。
二機の自走空気砲が河を渡り、対岸へ向かう。
クーラマの射程圏内だが、自走空気砲は岩跳びの要領で六本の足
を器用に動かし、水に一度も浸かることなく対岸へ移った。
森の中に入った自走空気砲はスムーズな動きで木立の中に消える。
ほどなくして、自走空気砲による砲撃が開始された。
スケルトン種と違って魔力膜を持たないカメ型魔物であるクーラ
マに、砲撃を逸らす術はない。
着弾した爆発型の砲弾が爆発の衝撃でクーラマの巨体をわずかに
沈みこませた。
だが、それだけだ。
煙が晴れて見えてきたクーラマの甲羅には傷一つなく、スイリュ
ウが付けた傷口を覆う魔術で出来た石は健在だった。
﹁自走空気砲の砲撃じゃクーラマにダメージは入らないか﹂
クーラマは何が起きたのか分からない様子で頭を持ち上げ、周囲
をきょろきょろと見回す。
気を引く事には成功したらしい。
良いぞもっとやれ、と俺は対岸の森で頑張ってくれている自走空
気砲にエールを送った。
ミツキがパンサーの足を止め、木の裏に隠れてクーラマの様子を
窺う。
﹁ヨウ君、これからどうする?﹂
﹁自走空気砲がクーラマの気を引いている内に、奴の脚にダメージ
を入れたいな﹂
1778
﹁左目を潰すのは?﹂
﹁すでに右目が潰れてるんだ。両目の視力を失ったクーラマが怒り
狂ってでたらめに水ブレスを乱射しかねない﹂
視力を完全に奪うのは悪手だ。やるとしても、周辺に俺たちしか
いない状況でないと味方に被害が出る可能性が高い。
ここから最終防壁までの距離を考えると、クーラマの水ブレスが
届いてもおかしくない。以前、ボルスで見たクーラマの水ブレスが
最大範囲だとしてもギリギリ届くだろう。
﹁至近距離で撃てれば、左目を潰すだけじゃなく脳まで届くかもし
れない。ただ、そうなると近付く必要がある﹂
﹁なら、足を止めるのが安全で確実だね﹂
ミツキはクーラマの動きを観察しながら、パンサーの肩にある収
納スペースから魔導手榴弾を取り出した。
﹁ヨウ君の気を引くなら全力を尽くせるけど、狂暴なカメじゃテン
ション上がんないよね?﹂
﹁本人に同意を求めるな﹂
俺たちが話している内に自走空気砲が二射目を放ち、曲線を描い
てクーラマの甲羅に着弾させる。
身体強化の恩恵でダメージはないものの衝撃で一瞬沈むのは鬱陶
しかったらしく、クーラマは片方しかない眼で森の奥を覗き込んで
自走空気砲を探し始めた。
まだ遠距離兵器の存在までは学習していないらしい。俺が右目を
撃ち抜いた時も崖の上からの遠距離狙撃だったし、その後すぐにス
カイとスイリュウで追撃を加えていた。俺の存在に気付いていなか
ったとしてもおかしくない。
1779
﹁いまのうちに背後に回り込んで︱︱﹂
言いかけた瞬間、クーラマがその巨大な口を大きく開き、森に向
けて水のブレスを放った。
木々が薙ぎ払われ、枝が空高く舞い上がる。
クーラマが口を閉じた時、森には一直線に街道へと延びる幅十メ
ートルほどの道が出来上がっていた。
相変わらずのふざけた攻撃範囲だ。
しかし、薙ぎ払われた直線上に自走空気砲はいなかったらしく、
再び砲弾が飛んでくる。
甲羅に砲弾が命中して爆発すると、クーラマは甲羅の傷を気にす
るように首を伸ばして確認した後、スカイやスイリュウと戦闘を繰
り広げているガシャに目を向けた。
獲物を見るようなクーラマの眼とガシャを見比べて、まさかと思
う。
﹁⋮⋮クーラマの狙いってもしかして、スケルトンか?﹂
﹁⋮⋮甲羅の傷を治すためにカルシウムが必要ってこと?﹂
どこまで考えているのかいまいち分からないクーラマだが、本能
的にカルシウムを求めているという可能性はある。
とはいえ、クーラマにスケルトンをぶつけるのは難しい。
結局、クーラマの狙いに関係なくここで足止めするしかないのだ
ろう。
その時、クーラマが水ブレスで薙ぎ払った森の道なき道へと方向
を転換した。
クーラマが河から上がったため、甲羅でせき止められていた水が
流れ始めて少しの間水かさが増す。下流に目を向ければ、第二陣地
に入り込んでいたスケルトンたちが水の流れに脚を取られて転んで
1780
いるのが見えた。
最終防壁はしばらく心配いらないだろう。
自走空気砲の砲撃を受けながらクーラマが森の中へと入り込む。
自走空気砲とは反対側の森の中にいる俺たちに尻尾を向けている
今なら、確実にカノン・ディアをぶつけられるのだろう。
だが、俺は対物狙撃銃を構えたままレバー型ハンドルの先に付い
たボタンに指を掛けた。
クーラマの次の手が読めたからだ。
﹁ミツキ、タイミングを合わせて飛び出すぞ。俺はクーラマの右後
ろ足を狙う﹂
﹁分かった。私は左だね﹂
ミツキもクーラマの次の手が読めているからだろう。疑問を挟ま
ずに俺の提案を受け入れた。
ミツキと並んでいつでも飛び込めるように体勢を作り、その時を
待つ。
自走空気砲がクーラマに何度目かもわからない砲撃をした瞬間、
クーラマは魔術を発動した。
ボルスでも見せた、自身を中心に水の渦を発生させる広範囲魔術
だ。
空高く螺旋を描いて水が上がって行く。周囲を無差別に巻き込む
水の螺旋が樹木を根から打ち上げ、河原の石も森の土砂も区別なく
空中へ放り上げた。
クーラマは水の螺旋を維持したまま、砲弾が飛んできた地点へ走
り出す。
狙撃してくる砲台の位置が分からないのならば地形を変えてしま
えばいいのだと、クーラマは自走空気砲を視認すらせず森に破壊を
ばら撒いた。
クーラマの発生させた水の螺旋に巻き込まれた自走空気砲が一機、
1781
螺旋の渦の中でも果敢にクーラマへ砲撃を継続する。
クーラマは顔を上げると、そこにいたのかと拍子抜けしたように
右瞼を何度か閉じ、大口を開けて自走空気砲を噛み砕いた。
知らぬ間に打ち上げられていた二機目の自走空気砲が高空から森
だった荒地に叩きつけられてばらばらになったのを見届けると、ク
ーラマは砲撃がない事を確認して水の螺旋を解除した。
それこそが致命的な隙とも知らずに︱︱
﹁ディア・ヒート﹂
﹁パンサー・ヒート﹂
掛け声の代わりに互いに攻撃開始の合図を出し、俺たちはアクセ
ルを全開にする。
青い火花を置き去りに、俺たちは電光石火の勢いでクーラマが〝
均してくれた道〟を駆け抜ける。
﹁さぁ、大物狩りと行こうか﹂
俺の呟きは瞬く間に青い火花と共に後方へ流れて行った。
1782
第十二話 名誉の戦死︵後書き︶
自走空気砲A、Bは犠牲になったのだ⋮⋮。
1783
第十三話 至近距離の狙撃
青の軌跡を描き、俺たちはクーラマに迫る。
目配せし合った俺たちは左右に分かれ、攻撃姿勢を取った。
ミツキを乗せたパンサーが加速する。
尻尾に付いた扇形の刃が試し斬りでもするように空を斬り裂いた
直後、パンサーは最高速に達した。
青の火花を散らせる四肢が地面を抉り、スパイク代わりの爪で深
い痕を地面に残す。
クーラマの水の螺旋攻撃で空に打ち上げられた樹木や土砂が降り
注ぐも、パンサーの障害物認識の魔術が働き、かすりもしていない。
砲撃が止んで油断しきっているクーラマの左後ろ脚に急接近した
パンサーは時速二百五十キロを超えたその速度を維持したまま軽く
跳躍し、尻尾を叩きつけるように回転する。
身体強化で守られた強靭なクーラマの左足がパンサーの尻尾の刃
で斬り裂かれた。
音もなく左足を斬り裂いたパンサーは地面に着地すると同時にミ
ツキが用意していた魔導手榴弾を投擲する。
魔導手榴弾を投擲しながら、パンサーはさらに地面を蹴ってクー
ラマの左足に再接近した。
投げ込まれた魔導手榴弾は最大速度二百キロ、パンサー・ヒート
であれば着弾前に追いつけてしまう速度だ。
魔導手榴弾が照準誘導の魔術式により寸分の狂いもなく左足の斬
り傷に命中する。
刹那、魔導手榴弾が爆発するより早く、パンサーが蹴りを入れ、
クーラマの左足の傷深くに魔導手榴弾を埋め込んだ。
蹴りを入れた反動で跳躍したパンサーは地面に着地すると同時に
その場を飛び退く。
1784
くぐもった爆発音が空気を震わせる。
効果は劇的だった。
内側から爆破された左足は骨が露出し、赤い血を吹き零して地面
を染める。
おそらく、ミツキは蓄魔石から魔力を引き出して魔導手榴弾に込
めたのだろう。普段とは段違いの威力だった。
皮膚はもちろん筋肉まで吹き飛ばされたために、巨大な自重を支
える事さえままならずクーラマの身体が傾く。
クーラマが苦悶の叫び声を上げながら足を甲羅の内側に引っ込め
る寸前︱︱俺はカノン・ディアの引き金を引いた。
爆音轟き、空気の壁を音速超えの弾丸が突き破る。
弾丸は魔術で生み出した石の銃身を突き付けたクーラマの右後ろ
脚に大穴を穿ち、その先にある右前脚さえも食い破り、肉と骨をぶ
ちまけた。
カノン・ディア発射直後の硬直をヒート状態で向上させた各種魔
導部品の性能で振り解き、ディアは俺を乗せてクーラマから飛び退
く。
左右後ろ脚と右前脚が使い物にならなくなったクーラマはバラン
スを崩して地面に倒れ込む。筋肉をズタズタにされた状態では甲羅
の内側へ引っ込めることもできないのか、傷ついた手足は外に出た
ままだ。
ヒート状態の脚力を生かして、すぐに森の中へ避難する。
甲羅の中へ避難できないと知ったクーラマの次の一手は予想がつ
く。
案の定、クーラマは水の螺旋による広範囲攻撃で周囲一帯を薙ぎ
払いつつ態勢の立て直しを図った。
ヒート状態で全力離脱した俺はギリギリで攻撃範囲から逃れられ
た。まともな生物なら確実に今の水の螺旋に巻き込まれて死んだだ
ろう。
高機動のヒットアンドアウェイが真骨頂の精霊獣機だからこそ生
1785
き残れた。
すでに避難していたミツキに合流し、水の螺旋を振り返る。
﹁首尾はどう?﹂
﹁右後ろと前脚は吹き飛ばした。歩行は出来ないはずだ﹂
﹁歩行は、ね﹂
ミツキが苦い顔でクーラマを見つめる。
そう、歩行での移動は出来ない。
水の螺旋を終えたクーラマが水のブレスを地面にぶつけ、反動で
自らの身体を飛び退かせた。
あの移動方法がある以上、足止めはまだ終わっていない。
クーラマは石魔術で側面と後方に壁を作り、頭を甲羅に引っ込め
て周囲を警戒し始めた。
自走空気砲の砲撃とカノン・ディアは威力も射角もまるで違うた
め、俺たちの存在に気付いたのだろう。
動きを止めているのなら好都合だと、俺は手早くヒート状態を解
いてポケットの蓄魔石からディアへ魔力を移し替える。
ミツキもパンサーのヒート状態を解き、開拓者とスケルトンの戦
場までの距離や街道との距離を測り始めた。
﹁クーラマの水ブレスが最終防壁に届くかどうかってところかな﹂
﹁もう少し押し込む必要があるって事か﹂
﹁かなり深手を負わせたから機動力をある程度削いだと思うし、こ
のままボルスの時みたいに撤退してくれるかも︱︱﹂
ミツキが希望的観測を口にした瞬間、戦場から巨大なロックジャ
ベリンが飛来してクーラマの身体を囲う石の壁を貫いた。
﹁︱︱なに!?﹂
1786
ミツキが慌てて戦場を見る。
戦場からここまで精霊人機の魔術攻撃は届かないはずだ。ガシャ
でもそれは同じはず、そう思いながら向けた視線の先に弓兵ガシャ
がいた。
アーチェの大弓を構えた状態で二射目のロックジャベリンを番え
ている。押さえに回っていたはずのスイリュウは両手ハンマーの捨
て身の猛攻を躱すのに手一杯なようだ。
﹁なんで? ヨウ君に弦を切られないように警戒してたはずなのに
!﹂
﹁クーラマの足を撃ち抜いたカノン・ディアの銃撃音で、大弓を破
壊できる俺がクーラマとの戦闘中だと勘付いたんだ﹂
だが、俺が潜んでいる森の中ではなくクーラマを攻撃した意図が
分からない。
両手ハンマーは身に纏う重量級遊離装甲セパレートポールをスカ
イの天墜で弾き飛ばされながらも執拗にスイリュウへ攻撃を仕掛け
ている。その動きには明らかにスイリュウの牽制の意味が込められ
ている。
両手ハンマーを危険に晒してまで、何故クーラマを挑発したのか。
その疑問は、二射目を放った弓兵ガシャが走り込んだ方角から答
えが導き出された。
﹁あいつ、クーラマの水ブレスを利用して最終防壁を開拓者ごと薙
ぎ払う気だ!﹂
この戦場で最も威力があるクーラマの水ブレスであれば、いくら
頑強な最終防壁でも貫かれる。そればかりか、最終防壁を盾にして
いる開拓者たちまでまとめて殺されかねない。
1787
弓兵ガシャや両手ハンマーでは最終防壁を壊すだけでも少し時間
が必要だろうが、水ブレスなら一撃で済む。
﹁何でもかんでも利用しやがって!﹂
俺は魔力充填を中断してディアに飛び乗る。
すでに弓兵ガシャの挑発を受けて苛立った様子のクーラマが方向
を転換していた。弓兵ガシャはご丁寧に最終防壁前で足を止め、大
弓にロックジャベリンを番えている。
﹁⋮⋮ヨウ君、多分誘われてるよ﹂
俺たちがクーラマに攻撃を仕掛けるために飛びだした瞬間を横か
ら弓矢で攻撃するつもりか。
クーラマを止められるのが俺たちだけだという事も、俺たちがク
ーラマを止めるしかない事も織り込み済みってわけだ。
だが、素直に撃たれてやると思うなよ。
﹁ミツキ、弓兵ガシャを任せた﹂
﹁無茶言うね。まぁ、ヨウ君も無茶やるからお互い様か﹂
ニコリと笑ったミツキが俺の背中を叩いた。
﹁行ってらっしゃい﹂
﹁おう﹂
レバー型ハンドルを押し込み、再度ヒート状態にしたディアが森
を抜け出す。
俺は対物狙撃銃の銃身をディアの角に乗せ、弓兵ガシャを思考か
ら排除し、ただクーラマの動きに集中する。
1788
クーラマが弓兵ガシャを目視し口を開けた瞬間、俺はクーラマの
左目に回り込んだ。
すかさず、カノン・ディアの発射体勢に移る。
各種魔術がコンマ秒以下の精度で発動し、石の銃身を作り出す。
クーラマの眼が俺の姿を捉え、見開かれた。
﹁︱︱カノン・ディアの銃口を覗いたのはお前が初めてだ﹂
クーラマの瞳にカノン・ディアの銃口が移り込んだ瞬間、俺は引
き金に掛けた指に力を込めた。
大気を震わす銃撃音と共に至近距離からカノン・ディアを受けた
クーラマの頭が横から殴りつけられたように折れ曲がり、左目から
血が噴き出す。
発動途中だった水ブレスの残骸がクーラマの口から零れだし、魔
力を失って蒸発する。
クーラマの返り血が降り注ぐと同時、弓兵ガシャが放ったロック
ジャベリンが猛烈な勢いで飛んできた。
﹁︱︱的が大きいんだよね﹂
クーラマの巨大な甲羅を駆け上っていたパンサーの上から呟いた
直後、ミツキは周囲に浮かせていた十を超える魔導手榴弾を投擲す
る。
すべてが別々の軌道を描く魔導手榴弾は飛来してくるロックジャ
ベリンの側面へと正確に吸い込まれ、順次爆発していく。
一つの音にしか聞こえないほど絶え間なく爆発音が響き渡り、ロ
ックジャベリンの軌道を大きく逸らした。
狙ってやったわけではないだろうが、逸らされたロックジャベリ
ンはクーラマの唯一無事だった左前脚に命中し、地面に深く縫い付
ける。
1789
しかし、クーラマに反応はなかった。
至近距離から眼球にカノン・ディアを受けたのだ。いかに超大型
魔物といえど銃弾に脳天をかき回されて絶命したのだろう。
さすがに放ったロックジャベリンの軌道をずらされるとまでは想
定していなかったのか、弓兵ガシャはすぐに大弓を背中に隠そうと
する。
だが、甘い。
ディアを反転させながら残る魔力を全て注ぎ込んだカノン・ディ
アの発射体勢に移る。
目測距離千八百メートル、目標はおおよそ十センチ。
この程度は、
﹁︱︱至近距離だ!﹂
クーラマの血の雨が降る中、大気も大地も大きく揺らす轟音を奏
で、この世界で最長距離の攻撃を放つ。
魔力を失ったディアがバランスを崩し、俺と一緒に地面に転がる。
クーラマの血で染まった地面に投げ出される直前に見た光景。
そこでは、音速をはるかに超える弾丸を避けられるはずもない弓
兵ガシャが、持っていた大弓の弦をカノン・ディアの銃弾に貫かれ
ていた。
頼りの大弓を失った弓兵ガシャの脚に最終防壁に残してきた二機
の自走空気砲が砲弾を命中させる。
爆発型ではなく、凍結型だ。
ガシャは凍りついた脚を溶かすため咄嗟に炎の魔術を使用するが、
その隙が致命的だった。
スカイが両手ハンマーをスイリュウに任せ、天墜を振り上げてい
たのだ。
﹁手こずらせやがって﹂
1790
スカイが振り降ろす天墜を見上げたガシャは終わりを直感したの
か硬直し、頭から叩き潰された。
砕けた弓兵ガシャの頭蓋骨の破片が宙を舞う。
さらに、二つ舞い飛ぶ物があった。
﹁残り一体なら、魔力消費はもう気にしなくていいので﹂
タリ・カラさんがスイリュウの専用武器、流曲刀を黒く染め、対
峙していたガシャが振るっていた両手のハンマーを斬り飛ばしたの
だ。
﹁︱︱お覚悟を﹂
タリ・カラさんが勝負を決めるつもりだと気付いたのか、両手ハ
ンマーは苦し紛れに手に残ったハンマーの柄を叩きつけようとする。
だが、魔力消費を気にしなければ、スイリュウの防御力はスカイ
に匹敵する。
魔術で発生した水を吸収したスイリュウの遊離装甲水蜂盾が膨張
し、叩きつけられたハンマーの柄を強力な弾性力で弾き飛ばす。
スイリュウにダメージが入らないどころか、柄を弾き飛ばされた
事で両手ハンマーはバランスを崩し、たたらを踏んだ。
宙を黒い刃が閃く。
両手ハンマーの頭蓋骨が斜めにずれ、重力に従ってゆっくりと落
ちた。
俺たちの下まで届いていた怒号が途端に止み、静寂が周囲を包み
込む。
余韻に浸る前に、朱の大地の団長が拡声器越しのくぐもった声で
命じる。
1791
﹁スケルトンの掃討に移る。︱︱勝ち戦だ。一匹も逃がすんじゃね
ぇぞ!﹂
突如として、カノン・ディアよりも巨大な音が戦場に響き渡る。
それが開拓者たちの鬨の声だと気付くまで、わずかの時間を要し
た。
1792
第十四話 休息
ポケットに入れておいた蓄魔石と俺自身の魔力でディアを動かせ
るようにしてから、開拓者たちの待つ最終防壁へ向かった。
ヒート用の魔導鋼線はすでに使い物にならないが、戦闘も終わっ
た今となっては些細な事だ。
スケルトンの残骸が散らばる防御陣地に入る頃には、スケルトン
に追撃を掛けていた朱の大地も帰ってくるところだった。
そろって最終防壁の裏に入る。
﹁お、英雄さんのお帰りだ﹂
﹁クーラマ退治、お疲れ様でした﹂
ボールドウィンとタリ・カラさんが口々に俺たちへ声をかけてく
る。片手には水の入ったコップ、もう片手にはミツキ手製のクッキ
ーが入った袋が握られている。
﹁何が英雄だよ。そっちこそ、ガシャを退治してただろ。結局、雷
槍隊でも仕留め切れなかった連中を全滅させたお前らの方がよっぽ
ど英雄だっての﹂
﹁それは雷槍隊が手加減してたからだろ。新大陸派の件が後に控え
てなければ、雷槍隊が仕留めてたと思うね﹂
ボールドウィンが謙遜する。
青羽根の整備士長が俺たちを見つけて、ビスティと一緒に魔導鋼
線や蓄魔石を運んできてくれた。
﹁スケルトン退治は終わったが、クーラマが出た以上は甲殻系魔物
1793
が襲ってくる可能性もある。いまのうちに整備しとけ﹂
﹁そういえば、過去の事例だとクーラマが動いたことで甲殻系魔物
が追い立てられて群れを成してたな﹂
ヒートも使えない今の状態で甲殻系魔物とやり合いたくはない。
運んできてくれた魔導鋼線を手に取り、ディアの整備を始める。
作業をしていると、朱の大地の団長二人とレムン・ライさんがや
ってきた。
﹁団長と副団長が勢ぞろいしてるようですな﹂
朱の大地の団長が俺たちを見回して言うと、ドカリと地面の腰を
下ろす。
﹁いやはや、しんどかったですな。クーラマが出た時はもうどうし
ようかと﹂
﹁全くですね﹂
レムン・ライさんが頷きつつ、タリ・カラさんの斜め後ろに立つ。
少し疲れが見える。
タリ・カラさんはレムン・ライさんを振り返って少し言葉を交わ
した後、俺たちに向き直った。
﹁今後はどうしましょうか。これだけの規模の戦いでしたが、スケ
ルトンとパペッターの性質上、魔力袋は手に入りませんし、腐るよ
うなものでもないので事後処理は後回しでしょうか?﹂
スケルトンの食性は定かではないが、骨だけの身体である以上原
料である魂が外へ漏れ出るため魔力袋が生成されない魔物だ。
パペッターも生態が定かではないが、魔力袋がなくとも魔法を使
1794
える。探せば魔力袋が手に入るかもしれないが、あまり多くはない
だろう。
俺は朱の大地に目を向ける。
﹁取り逃がしたスケルトンはどれくらいの数です?﹂
﹁おおよそ五十、というところでしょうな。魔術スケルトンを優先
して潰しておきましたので、生き残ったパペッターは片手で数えら
れる程度かと﹂
朱の大地の団長の言葉に、ミツキが周りを見回す。
﹁夜襲を掛けられると少し面倒な数だけど、私たちなら索敵魔術で
接近に気付けるし問題ないかな。ワステード司令官たちの背後を襲
うとしても、五十前後ならすぐに討伐されるだろうから放置でいい
ね﹂
﹁そうだな﹂
数が多ければ開拓者全員で森を捜索する必要もあったが、ミツキ
の言う通り放置でいいだろう。
﹁ひとまず、各開拓団は甲殻系魔物の襲来に備えてくれ﹂
一晩野営することに決まり、俺たちは一時解散した。
テント設営に奔走する朱の大地や、精霊人機の整備を始めている
青羽根、月の袖引くを眺めながらディアの魔導鋼線の交換を終える。
隣で同じようにパンサーの魔導鋼線を交換したミツキが立ち上が
った。
﹁魔力の充填を終えたらクーラマの解体をして、魔力袋を取り出さ
ないといけないね﹂
1795
﹁クーラマの魔力袋か﹂
俺は二キロ近く離れたところにあるクーラマの死骸を見る。巨大
すぎて遠近感が狂いそうだ。
﹁あいつ、動く物は何でも食ってたから、馬鹿でかい魔力袋を持っ
てそうだな﹂
﹁使っていた魔術の規模からしても間違いないだろうね。精霊がぎ
ゅうぎゅう詰めになった魔力袋を持ってると思うよ﹂
まず間違いなく国の買い取りだな。
﹁クーラマ自体の体が大きいから、解体するのも一苦労だよね。精
霊人機でないと動かせないだろうし﹂
﹁スイリュウに頼むしかないな。あの分厚い甲羅を斬れるのはスイ
リュウのウォーターカッターくらいのものだ﹂
﹁⋮⋮飛び散るよね。肉とか、血とか﹂
まぁ、ウォーターカッターの原理は水に乗せて研磨剤を叩きつけ
るものだから、飛び散るだろうな。
俺は魔力供給しながら空いた手でディアの装甲を布で拭う。俺自
身、クーラマの返り血でドロドロだ。それはミツキも同じである。
﹁いまさらだろ﹂
﹁そうなんだけど、シャワー浴びたい。切実に﹂
ミツキは血が付いた服の裾を引っ張って、気持ち悪そうに見下ろ
す。
﹁へそ見えてるぞ﹂
1796
﹁見せてるの﹂
﹁クーラマの返り血の影響でヤンデレものにしか見えないけどな﹂
﹁ほら、シャワー浴びた方が良いでしょ?﹂
可愛いミツキちゃんを見たいでしょ、と自分で言って、ミツキは
人差し指を自身のほっぺに付けて小首を傾げ、笑顔を見せる。ぶり
っ子あざとい。
﹁月の袖引くに相談してみたらどうだ。あの開拓団、女性が多いか
ら協力してくれるだろ﹂
﹁そうしてみる。あぁ、ヨウ君と二人きりなら一緒に河で水浴びし
たのになぁ﹂
﹁やめといた方が良いと思うぞ﹂
俺はちらりと川を見る。上流のクーラマの死体から流れ出た血が
混ざりあっていた。
ミツキも気付いたのか、げんなりした顔をしてクーラマの死骸を
振り返る。
﹁ほんと、碌なことしないなぁ﹂
ミツキが月の袖引くの整備車両へ歩いて行くと、しばらくしてレ
ムン・ライさんやビスティなど月の袖引くの男性陣がぞろぞろと俺
のところへやってきた。
別の方向からはボールドウィンや整備士長たち青羽根の男性陣が
釈然としない顔でやって来る。
﹁なんだよ、男ばっかり。むっさいなぁ﹂
﹁酷い出迎えの言葉だな。というか、コト、お前のせいでもあるん
だぞ﹂
1797
﹁え? 俺?﹂
何かしたっけ?
両開拓団の男性陣が河原に座り込むと、今度は朱の大地の団員が
ぞろぞろやって来る。少ないながらも混ざっていたはずの女性団員
の姿がない。
何の騒ぎだと首を傾げているとビスティが苦笑気味に説明してく
れた。
﹁開拓者の女性を集めて水浴びするとホウアサさんが言いだしたそ
うです。それで、覗かれないよう男性は河原に集合、との事でした﹂
﹁なるほどな﹂
それでいま女性開拓者が整備車両を動かして衝立を作ってるわけ
ね。
俺は立ち上がり、男性メンバーに声を掛ける。
﹁覗いてやろうなんて考えない方が良いぞ。絶対にばれる。なぜな
ら、ミツキはパンサーを持ち出している﹂
﹁︱︱卑怯な!﹂
どこからか声が上がった。
俺とミツキの索敵能力の高さは知っての通りだ。覗こうだなんて
考えて近付いたが最後、パンサーに発見されて女性開拓者全員から
袋叩きに遭うだろう。
﹁てかおい、いま卑怯とか言った奴でて来い。まさかと思うが、ミ
ツキの裸を見ようとしたんじゃねぇだろうな。もしそうなら、特注
の義手義足を作り出して、てめぇを精霊獣機に改造するからな?﹂
﹁⋮⋮やべぇ、あの眼本気だ﹂
1798
戦慄している開拓団の男性諸氏を見回して、俺は河を振り返る。
﹁だが、このままだと釈然としない、そんな君たちの気持ちも理解
できる。というわけで、ここをバスルームとする﹂
﹁いや、意味わかんない﹂
露天風呂作ろうぜって話だ。
俺は朱の大地と月の袖引くを見回して、防御陣地の最前線である
第一陣地の迷路を指差す。
﹁どうせもう使い物にならないから、片付けのついでにあのスライ
ム新素材で露天風呂作ろうぜ﹂
﹁お、良いな、それ﹂
初めに食いついたのはボールドウィンだ。
﹁立派な露天風呂を作り、シャワーだけで済ませた女性陣を悔しが
らせようというわけですな。乗った!﹂
朱の大地の団長が顎を撫でながら愉快そうに膝を叩く。
どうせ片づけなければならないのだから、とみんな乗り気な様子
で立ち上がった。
人数が多い上に連携も取れているため、すぐにスライム新素材の
運搬班と組み立て班、お湯を準備する係などの分担が終わり、作業
を開始する。
人数と負けん気と、何より秘密基地作りにも似た少年心をくすぐ
る計画だけあって巧みな連係と高い士気のもと、露天風呂は三十分
ほどで完成してしまった。
だが、完成してようやく気付く。
1799
﹁この景色を見ながらお風呂に入るんでしょうか?﹂
ビスティが頬を掻きながら戦場を見回した。
スケルトンの残骸が転がり、撤去途中のスライム新素材の壁が聳
え立ち、上流には巨大なカメ型魔物クーラマの死骸。古戦場もかく
やといったこの景色では、風情も何もあった物ではない。
﹁せっかく作ったのですから、はいりましょう。なに、戦場で一風
呂浴びるなどそうできる経験ではございません﹂
やけに男らしく、レムン・ライさんが全裸で仁王立ちしている。
副団長ながら前線に歩兵として立つこともある凄腕の開拓者だけあ
って、筋骨隆々で歳を感じさせない。
同様に朱の大地の団長二人も全裸にタオル一枚を肩に引っかけ、
体を洗ってから湯船に入って行く。
俺もさっさと服を脱いで風呂に入った。
男性陣が全員浸かれる巨大な湯船に肩までつかり、空を見上げる。
周りを見てもリラックスできないし。
戦っている内に日も傾いてきており、どこかへ帰って行く鳥の群
れが頭上を飛んで行った。
﹁終わったなぁ⋮⋮﹂
呟くと、近くで風呂の縁に肘をついていた整備士長が言葉を返し
てくる。
﹁生き残れるもんだな﹂
﹁つか、飛蝗とか回収屋とかに声かけてたわけだけど、そろそろこ
っちに到着する頃だよな﹂
1800
ボールドウィンが濡れた前髪を掻きあげてマッカシー山砦の方角
を見る。
﹁全部終わったって知ったら、姉御、暴れ足りずに新大陸派に殴り
込んだりしないよな﹂
姉御ことマライアさんの性格だとやりかねない。
その時は回収屋のデイトロさんに任せればいいか。
風呂から上がって服を着る。
スライム新素材は透明なため仕切りの役に立たず、木陰で服を着
た。
クーラマの返り血で汚れた服は捨てることになるだろうと思いつ
つ、野営地に戻る。
すでに女性陣もシャワーを終えたらしく、ミツキがパンサーの上
に寝転がって本を読んでいた。
ミツキは俺を見ると頬を膨らませる。
﹁お風呂ずるい﹂
﹁なら入るか? 浴槽透明だぞ?﹂
﹁うぐっ﹂
もう知らない、とミツキはそっぽを向く。
俺は苦笑して野営地を見回した。
﹁もうみんな体を洗って持ち場についたみたいだな﹂
汗を流して晴れ晴れとした様子の開拓者たちを見回す。一日中骨
の群れと戦っていたため、相当ストレスをため込んでいただろうが、
シャワーや風呂のリラックス効果で気持ちも上向いただろう。
1801
俺はディアをパンサーの横に付けて、背中に寝転がる。
ミツキが読んでいる本を横目に、声を掛けた。
﹁これからが問題だな﹂
﹁魔力袋と魂の話?﹂
ミツキが寝返りを打って俺に向き直る。
﹁今回の件でもし開拓者も表彰されるなら、これ以上の舞台はない
と思うよ﹂
﹁やっぱそうだよな。世間の耳目が集まるのは間違いないし、暴露
するには絶好の機会だ﹂
だとすれば、忙しくなりそうだな。
﹁むしろこれからが本番かもな﹂
俺はディアの背中から降りて白いコーヒーもどきを淹れる準備を
しながら、マッカシー山砦の方角を見る。
マッカシー山砦を占拠した新大陸派が即日敗北したとの知らせが
来たのは、翌日の昼の事だった。
1802
第十五話 来たるべき未来への布石
﹁三日天下ですらないとか、新大陸派が弱すぎるのか、ワステード
司令官が強すぎるのか﹂
俺の言葉に、リビングで朝刊を読んでいたミツキが苦笑気味に新
聞を持ち上げる。
﹁この状況じゃ新大陸派もどうしようもないと思うけどね﹂
キッチンで白いコーヒーもどきを淹れていた俺からは見えないが、
どうやら顛末が書いてあるらしい。
ミツキが読みあげてくれる。
﹁マッカシー山砦をほぼ無血で落とした新大陸派軍、通称革命軍は
精霊人機二十機を有し、さらには行方を眩ませていたホッグス元司
令官率いる赤盾隊機全六機もこれに参加していた模様﹂
﹁二十機って⋮⋮。本当に準備万端だったんだな﹂
精霊人機二十機をただ用意して終わりというわけではないだろう。
予備の部品や運用に伴う魔力を確保した蓄魔石、それを整備する整
備士など、費用はかなりの規模になっていたはずだ。
というか、ホッグスもやっぱり生きてたんだな。
ミツキが続きを読み上げる。
﹁マッカシー山砦を落としたその日の内にワステード司令官率いる
討伐軍が到着、マッカシー山砦を包囲。あまりに早い到着に革命軍
は浮足立ったとの事。ここから、スケルトンの群れとワステード司
1803
令官軍が交戦したのを確認してから動いた革命軍の予定が狂った﹂
﹁ほうほう﹂
興味深く聞きながら、俺は白いコーヒーもどきが入ったカップを
三つお盆に乗せ、作り置きしてあるクッキーを小皿に入れた。
作業をしつつ、記事を読み上げるミツキの心地よい声を聞く。
﹁籠城作戦を取ろうとした革命軍だったが、内偵に入っていたファ
ーグ男爵家が精霊人機格納庫にて戦闘を開始、精霊人機八機をその
場で破壊し格納庫を占拠、狼煙を上げる﹂
ファーグ男爵が本性を現したわけね。革命軍からすれば最悪のタ
イミングだったろう。
﹁狼煙に気付いた討伐軍が攻撃を開始、そこに〝たまたま通りがか
った〟開拓団飛蝗、回収屋、竜翼の下が参戦、マッカシー山砦の防
壁二つを飛蝗の団長機が瞬く間に破壊し、砦内に乗り込んだ討伐軍
がファーグ男爵と合流、マッカシー山砦を即日奪い返した﹂
﹁︱︱おい、マライアさん何してんだ﹂
しかし、内部から呼応された上に新大陸で活動中のそれの中でも
上位に入る強力な開拓団、飛蝗が参戦したなら、準備を整えていた
とはいえ新大陸派が負けるのも仕方ないのか。
﹁デイトロさんが革命軍の討伐終了の知らせを持ってきたのも現場
に居たからか﹂
道理で疲れた顔して革ジャン着ていたわけだよ。
﹁スケルトン討伐が終わってるって聞いてほっとしてたもんね﹂
1804
俺がテーブルに置いたお盆の上からカップを持ち上げて、ミツキ
は白いコーヒーもどきを一口飲み、記事を睨んだ。
﹁それで、本題なんだけどさ﹂
﹁魔力袋の正体は書いてなかったのか?﹂
﹁何らかの資金源があったと思われるため調査中だってさ﹂
﹁国は誤魔化す気満々ってことか﹂
予想していた事ではあるけど、失望を禁じ得ないな。
俺は淹れたての白いコーヒーもどきを飲み、クッキーに手を伸ば
す。
﹁さて、ここで問題だ。魔力袋の秘密は革命を企てることもできる
くらいの利益と戦力を生み出せる。それを今旧大陸派が握っていて、
他に知っている民間人三人がここに揃っている﹂
俺は言葉を切り、リビングでくつろいでいるウィルサムを見る。
ウィルサムはクッキーを摘まみながら、まじめな顔で口を開いた。
﹁襲われるだろうな。口封じを目論む者は必ず出る。君たち二人か
ら伝え聞く限りワステ︱ド司令官は食い止めようとするだろうが﹂
﹁そのワステード司令官は革命軍討伐の件で報告を求められて、本
国に渡ったみたいだよ﹂
ミツキが別の記事を開いて掲げる。
ウィルサムは横目で記事を見ると、ため息を吐いた。
﹁露骨だな。襲われるとみて間違いない。そもそも、二人はそう考
えてここに帰って来たのだろう?﹂
1805
ウィルサムの言葉に、俺はミツキと揃って頷いた。
ここは港町の借家ではなく、デュラ近郊のミツキの家だ。
周りに民家はなく、仮に目撃者が出たとしてもそれは俺たちを嫌
うデュラの住人、襲撃にはもってこいの環境だ。
ウィルサムが腑に落ちないという顔で俺たちを見た。
﹁なぜ、襲われると分かっていてここに帰って来たのだ?﹂
﹁万が一、借家で襲われたりしたら色々な人に迷惑がかかっちゃう
でしょ﹂
﹁それに、魔力袋が魂からできるって事実が公表されない以上、ウ
ィルサムの汚名返上の機会もなくなる。それはあんまりだと思って
さ﹂
俺はカップをテーブルに置き、ディアの腹部から紙束を取り出し
た。
﹁俺たちは目をつけられてて動けない。だから代わりにこれをばら
撒いてくれ。それで全部片が付く﹂
﹁これは⋮⋮﹂
俺から受け取った紙束に目を通したウィルサムは感心したように
頷く。
内容は魔力袋に関するバランド・ラート博士の研究内容を暴露す
る物だ。異世界の魂に関してはもちろん伏せてある。
ウィルサムは俺とミツキを見た。
﹁国が公表しないのなら自分たちで、という事か﹂
﹁あぁ。それと、こっちの紙を見てくれ。後を託す﹂
﹁託すって⋮⋮﹂
1806
ウィルサムは新たに俺が渡した紙を読み、ため息を吐いた。
﹁なるほど、君たち自身が抑止力になるのか﹂
﹁まぁ、そんなところだ。俺たちの力が必要にならないならそれに
越したことはないけどな﹂
無理だと思うけど。
最後に俺はウィルサムにいくらかの金を渡す。
﹁じゃあ、後は任せた。すぐに出発してくれ。最後まで巻き込んで
悪いな﹂
﹁身から出た錆だ。これくらい引き受ける﹂
ウィルサムは金を受け取り、白いコーヒーもどきを飲みほして立
ち上がった。
玄関まで見送りに出た俺たちを振り返ったウィルサムが口を開く。
﹁身勝手な物言いになってしまうが、召喚された魂が君たち二人で
よかったと心から思っている。⋮⋮ありがとう﹂
ウィルサムを見送って二日目の朝、俺はミツキが作ってくれた朝
食を食べ終えてリビングのソファに座ってくつろいでいた。
俺の方にミツキが体を預けている。
﹁ウィルサムがやったみたいだね﹂
ミツキが掲げた記事には、魔力袋の正体が生き物の魂であること
を暴露する文が書かれていた。
1807
俺がウィルサムに渡した紙束の内容が要訳されている。
同時に、ウィルサムは新大陸派に付け狙われていた事や身の潔白
を主張していた。
さすがの国も俺たちではなくウィルサムが突然出てきて暴露する
とは想像していなかったのだろう。
きっと俺たちがタレこんだりしない様に色々と手を打っていたん
だろうが、こちらの方が一枚上手だったと諦めてもらおうか。
今頃は国も大慌てだろうけど、まだ続きがあるとは思ってもみな
いだろうな。
ウィルサムには別の紙を渡してある。
それは、魔力袋の正体が浸透し、出生率減少との関連が問題視さ
れるようになったら行動に起こすように言ってある。
﹁︱︱さて、それで今更何の用ですか?﹂
俺は対面に座る訪問者に笑顔を向ける。
この世界での俺の父親であり、革命軍を崩壊させた戦功者の一人
ファーグ男爵とその腹心、アンヘルが渋い顔をしていた。
﹁今回の功績で子爵になる事が決まったのだが、さっそくお前の邪
魔が入ったので文句を言いに来たのだ﹂
﹁邪魔、どれの事ですか?﹂
身に覚えがありすぎてわからないな。
ミツキがくすくす笑ってこれ見よがしにウィルサムが暴露した内
容を読み上げる。
ファーグ男爵の眉間に皺が寄った。
﹁その記事の事だ。お前たちがウィルサムに話したのだろう﹂
﹁魔力袋の秘密を隠し立てしようなんて考える方が悪いのよ。現実
1808
に出生率減少という弊害が出ている以上、きちんと対策してくださ
い。お貴族様のお仕事でしょう?﹂
ミツキが楽しそうに言い返す。決闘の件をまだ根に持っているら
しい。
ファーグ男爵は頭痛を堪えるように額を押さえた。
﹁その記事が出た以上、お前たちに口止めしたところでもう意味が
ない﹂
﹁一足遅かったですね﹂
﹁そのようだ。気の早い者が襲撃する前にと急いだのだがな﹂
﹁あれ? 心配してくれてました?﹂
ちょっと意外に思っていると、アンヘルが眉間をもんだ。
﹁旦那は襲撃者の心配をしたんですよ、坊ちゃん。迎撃態勢を整え
ている坊ちゃんを相手に襲撃なんて仕掛けても返り討ちでしょうが﹂
﹁良く分かってるな﹂
﹁そりゃあもうね。クーラマの死骸も見ましたんで﹂
俺はアンヘルからファーグ男爵に目を向ける。
﹁それで、間に合わなかったと分かっていてなんで訪ねてきたんで
すか?﹂
﹁もう安全だと知らせるためだ。ワステードもすぐに戻ってくるだ
ろう﹂
﹁それはよかった﹂
ファーグ男爵たちを見送って、俺はようやく一息つけた気がした。
1809
﹁⋮⋮魔力袋に関する件もこれで一段落か﹂
俺たちの転生にまつわる諸問題もこれで晴れて全部解消したわけ
だ。
リビングに戻ると、ミツキが白いコーヒーもどきを飲みながらテ
ーブルに地図を広げていた。
﹁ねぇ、ヨウ君、ハネムーンとかどうする?﹂
﹁いくつ段階飛ばしてんだよ﹂
﹁︱︱とぅ﹂
ソファに座り直した俺に、掛け声とともにミツキが抱き着いてく
る。
﹁ファーグ男爵に仕返しできて満足した?﹂
﹁満足した。後はバランド・ラート博士への仕返しだけど、ウィル
サム待ちだな﹂
﹁時間かかるね﹂
﹁良いんじゃないか。時間だけは持て余すくらいあるだろうし﹂
俺たちは記憶を引き継いで転生するのだから。
ミツキに抱き着かれたまま、俺は壁掛け時計を見た。
新大陸にきてからの一年間が嘘のようにゆっくりと時間が流れて
いく。
ゆっくりと、ゆっくりと。
この世界を駆け巡る事になるその日まで、ゆっくりと。
1810
エピローグ
七十年振りに訪れた港町は活気に満ち溢れていた。
旧大陸からの大型貨客船から降りた俺は懐かしいというには様変
わりしすぎた港町を見回して苦笑する。
ずいぶんと発展したもんだ。
貨客船に乗っている時に素通りしたデュラの寂れた様子とはえら
い違いだと思いつつ、俺はコートのポケットに手を突っ込んで歩き
出す。
潮風に背中を押されるように町の中心へ。
代わり映えのしないラブホチックな開拓者ギルドの建物を横目に
素通りして、さらに奥へ。
あった、あった。
これがこの世界の汽車か。ちょっと俺が描いた設計図のデザイン
と変わってるな。
丸っこいフォルムだが、これはこれでアリだ。
﹁チケット一枚くださいな﹂
﹁はいよ! って、坊主一人か?﹂
﹁十三年も生きてるといろいろあるんだって。おっさんも経験ある
だろ?﹂
﹁十三歳で一人旅の経験はねぇよ。まして、俺がガキの頃は汽車な
んてなかったからな﹂
﹁だろうね﹂
おっさんの年齢は見たところ三十五歳くらいだし、この辺りでは
まだ開発段階だったろう。
おっさんに訝しい目で見られながらも汽車のチケットを購入し、
1811
中に乗り込む。
向かって右側、ホームに近い方に廊下があり、個室の扉が並んで
いる。
チケットに書かれた部屋番号を確認し、中に入った。
﹁あ、失礼。先客がいましたか﹂
俺は個室にいた先客の若い男に非礼をわびる。ノックしなかった
のはまずかった。
若い男は特に気にした様子もなく愛想のいい笑顔を見せて、読ん
でいた本を膝の上に置いた。
﹁いえいえ、どうぞお気になさらずに。少年はどちらまで?﹂
﹁マッカシー山砦を経由して中継の町ボルスで乗り換え、テイザ山
脈鉄道に乗ってリットン湖岸の町ウェインドリまで﹂
﹁それはまた、ずいぶん長旅ですね﹂
若い男が驚いたように目を丸くする。
俺は若い男の対面の椅子に腰を下ろした。綿が詰まった上等な椅
子だ。めっちゃ体が沈む。
ふと、若い男の膝に置いてある本の題名が眼に入った。
﹁鉄の獣の物語⋮⋮﹂
思わずつぶやくと、若い男は楽しそうに本を持ち上げた。
﹁面白いですよ。いまからおおよそ百五十年前、新大陸開拓中期に
活躍した実在の開拓者です。歳も君と同じくらいですね﹂
あぁ、図らずもどんぴしゃだ。
1812
というかなんだよその本、こっぱずかしいだろうが。書いたやつ
誰だ。肖像権の侵害で訴えてやろうか。
若い男は本の表紙を指先で撫でる。
﹁新大陸の学校教科書には必ず名前が載っている二人の人物です。
旧大陸でも名前くらいは聞いたことがあると思いますよ﹂
﹁あぁ、習いましたよ﹂
教科書に自分の名前を見つけた時の何とも言えないもやもや感と
きたら半端じゃなかった。テストで名前欄以外に自分の名前を記入
する羽目になるとはさすがに思わなかったぜ。
開拓者名が覚えにくいと同級生たちが愚痴っていた時は申し訳な
い気分になったもんだ。
苦い顔をしている俺を見て、鉄の獣に良い感情がないと思ったの
か、若い男は本を突き出して身を乗り出してくる。
﹁誤解も多いですが、今の魔導核十年廃棄の原則を提案したのが彼
らだと、廃棄原則を起案したウィルサム本人が後に語っています。
伝説扱いされていますがね﹂
あ、それ事実です。
若い男は体を椅子に戻すと本を開く。
﹁十代前半にして開拓者に登録、一年もしないうちに頭角を現し、
精霊獣機と呼ばれる精霊兵器を開発、乗り回していたことから鉄の
獣と蔑視されました。しかし、戦果は華々しく、記録にあるだけで
もデュラを占拠した人型魔物の討伐戦で大型人型魔物ギガンテスを
単独撃破、超大型魔物クーラマを単独撃破など、当時の戦場で戦局
を左右しかねない戦果をあげています。なかでも、歩兵初の単独で
の大型魔物撃破を成し遂げたこの町の戦いは︱︱﹂
1813
熱く語る若い男。
ついこっちまで熱くなってくる。主に顔が。
他人からこんなに熱く語られたら羞恥で死ねるわ。
﹁他にも、開発者としての顔も知られていて、特許技術をいくつも
持っていたとか。新世代機スカイの開発者、水刃のスイリュウの開
発にも関わっていたようです﹂
﹁あ、動き出しましたね!﹂
若い男の語りを遮るため、俺は窓の外を指差す。
汽車がゆっくりと動き出していた。
まだ喋り足りなそうにしていた若い男だったが、俺が窓に張り付
いて外の景色を見ていると、子供の楽しみの邪魔をするのはよくな
いと考えたのか口を閉じてくれた。
金属布入り魔導チェーンの高出力でようやく動かせる汽車はゆっ
くりと動き出したかと思うと駅のホームを滑り出て港町を後にする。
森を抜けた先に見えてくるのはマッカシー山砦。
﹁かつて革命軍が占拠したのがあの砦ですよ﹂
知ってる。
結局、マライアさんが破壊した防壁もきっちり修復され、大規模
開拓団とはいえ民間団体にあっさり破壊されるようでは困ると本国
が重い腰を上げて増築したのだ。
四重の防壁に囲まれ、マッカシー山は山頂から麓までを砦として
改造された。
汽車はマッカシー山砦の外周を回る様に進む。
マッカシー山砦を抜けて少し進むと見えてくるのは、河原の横に
安置された巨大な魔物の死骸だ。
1814
若い男が俺を押しのけて窓に張り付いた。
﹁おぉ! あれが鉄の獣が倒したという世界最大の魔物クーラマ!﹂
何この人、ファンなの?
正直、ちょっと怖いんですけど。
訊きもしないのに、若い男が語りだす。
﹁あれは革命軍が決起した際にワステード司令官率いる討伐軍がマ
ッカシー山砦に引き返すため、鉄の獣がスケルトンの群れを食い止
めてほしいと依頼され︱︱﹂
聞き流しながら、俺は窓からクーラマの骨を見る。
あまりにも大きすぎ、重量があるため放置されたクーラマの死骸
が朽ちた物だ。百五十年前の代物とは思えないほど保存状態が良い。
それというのも、観測されている全魔物の中で最大の大きさを持
つこのクーラマの死骸を見ようと観光客が集まるため、資料的な価
値もあって保存団体が立ち上がったためだ。
港町のギルドで精霊人機の部品の購入代行をしていた係員が何を
思ってこんなものの保存に乗り出したのかは分からないが、彼の死
後もこうして保存団体は活動を継続している。
本の受け売りらしいスケルトンの群れ対開拓者の戦いを語る若い
男に相槌を打っていると、ボルスが見えてくる。
﹁あれが開拓者たちによってスケルトンやパペッターの群れから解
放された防衛拠点ボルスです。リットン湖攻略以後は開拓者たちの
中継の町ボルスと呼ばれてますね﹂
二重の防壁に守られた大きな町だ。
一度は魔物の手に落ちたとは思えないほどに多数の人が出入りす
1815
る新大陸の中でも大きな部類の町である。
クーラマの骨やリットン湖、テイザ山脈といった観光名所へ向か
うには必ず立ち寄る町であり、かつて英雄と呼ばれた弓兵機アーチ
ェの操縦士、ベイジルが学校を作った事から学術の町としての側面
も持つ。
汽車が滑り込んだ町並みには本屋や塾らしきものの看板が至る所
に見受けられた。
ホームに汽車が滑り込む。
﹁では、私はこれで。あ、こちらの本を差し上げましょう﹂
いらんわ、こんなもん。
若い男に押し付けられた本を見下ろす。まぁ、再会の記念品とし
て笑いを取れるとポジティブに考えるとしよう。
汽車が出るのは昼過ぎとの事で、俺は一度客車を下りた。
駅舎から出て、様変わりしたボルスを流し歩く。
足は自然と一軒の料理屋に向かっていた。
途中で開拓者ギルドに立ち寄り、中継の町ボルスの歴史と題され
た冊子を購入する。
﹁結局、英雄のままでやんの﹂
英雄として戦歴を書かれているベイジルをひとしきり笑いながら
ページをめくっていくと、スケルトンの群れからボルスを開放した
英雄として鉄の獣の名前が載っていてずっこける。
とんだところに伏兵が潜んでやがった。
青羽根のボールドウィンや月の袖引くのタリ・カラさんの名前も
ある。懐かしい名前を見れた事でプラマイゼロという事にしよう。
かつて口の軽い看板娘がいた料理屋はいまも営業を続けていた。
当たり前だが代替わりしているようだ。
1816
﹁いらっしゃいませ﹂
今代の看板娘らしき二十手前の女性が元気よく出迎えてくれる。
案内されるまま席に着くと、今代の看板娘は俺が持っている中継
の町ボルスの歴史の冊子を目ざとく見つけて、いたずらっぽく笑っ
た。
﹁最後の方のページに、私のひいおばあちゃんとひいおじいちゃん
の事が載ってるんですよ﹂
言われて最後の方からめくってみると、この店がベイジルの行き
つけだったことが紹介されていた。後半の文章にベイジルが設立し
た学校の整備士科の教員とこの店の看板娘が結婚したことが少し書
かれている。
整備士君、ここの看板娘とくっついたのかよ。
あれ、それじゃあさっきの娘は整備士君のひ孫?
昼時の書き入れ時だからと張り切っている看板娘を見る。言われ
てみれば、髪の色とかそっくりだな。
変わらない味を楽しんで、料理屋を出る。
もうすぐ汽車が出る頃だ。
駅舎に戻って汽車に乗る。
席に着くとすぐ、汽車が動き出した。同乗者はいないようだ。
暇を持て余して、若い男から渡された鉄の獣の物語という本を開
く。
しかしまぁ、よくぞここまでまとめた物だと感心してしまう。
読み進めていくと、ウィルサムがファーグ男爵家を通して魔導核
十年廃棄の原則を提言した後のことまで書かれていた。
犯罪組織を筆頭に原則を破った組織を鉄の獣らしき二人組が壊滅
させていったというものだ。
1817
二度十五年のブランクを挟みながらも二人組は百年以上に渡って
原則を破っている組織を襲撃し、魔導核や魔力袋を収奪したという。
﹁良く調べたな﹂
思わず笑みがこぼれる。
魔導核十年廃棄の原則とは、魔導核をナンバリングして製造から
十年を以て精霊を開放するという原則である。
当然、これは精霊こと魂の減少、すなわち出生率の減少を防止す
るための政策だ。
非合法に作られた魔導核も当然存在するが、そういった魔導核に
はこの原則が適用されず、発見次第すぐ精霊を開放することになる。
本には鉄の獣がこの原則に従って非合法に作られた魔導核から精
霊を解放しているのではないかと書かれている。
活動期間が明らかに人の寿命を超える百年以上に渡っているのは、
鉄の獣が組織化したためだろうとしている。
ちょっと間違いだ。
﹁まぁ、普通は想像がつかないよな﹂
俺たちが転生して活動を継続しているなんてさ。
テイザ山脈の麓に到着した汽車が町のホームに入る。
終着駅であるこの町はテイザ山脈鉄道の始発駅を持つ町であり、
テイザ山脈を経由した物流の要でもある。
いまから百五十年前に月の袖引くが興した町だ。
汽車を下りると、駅舎の奥に駐機状態で鎮座した精霊人機の姿が
あった。
﹁スイリュウ⋮⋮﹂
1818
寄る年波には勝てないとでも言おうか、百五十年前は新型機だっ
たスイリュウも今や時代遅れの機体としてここに飾られている。専
用装備流曲刀もスイリュウの手に握られていた。
町の創始者が乗っていた機体だけあって、丁寧に扱われているよ
うだ。
感傷に浸っていると、ホームに新しい汽車が入ってきた。
テイザ山脈鉄道である。
﹁こっちは俺のデザインそのままか。ビスティも分かってるな﹂
晩年のビスティが資金提供して開設したというテイザ山脈鉄道は
ラック式レールを採用している。
チケットを購入して乗り込んだ車両は先ほどまでの汽車より乗り
心地がわるそうだった。
基本的に貨物運搬が主だから、客車にまで金を掛けていないよう
だ。
テイザ山脈の向こう、ガランク貿易都市やトロンク貿易都市とを
繋ぐために開設されたこのテイザ山脈鉄道だが、リットン湖攻略が
終わると創始者同士の繋がりがあったために線路が伸ばされたらし
い。
峻険なテイザ山脈をラック式の歯車を噛み合わせてゆっくりと登
って行く。景色は森ばかりで味気なかったが、山頂付近まで来ると
一気に見晴らしが良くなった。
いつか見た小さな渓谷も観光地化されているらしい。時間があっ
たら足を運んだのだが、今回は見送るしかないな。
テイザ山脈鉄道は日が落ちても平気で進んでいく。
俺は天井にぶら下がった魔導核の製造年月日を確認してから、魔
力を通して明かりをつけた。
定期的に魔物を追い払っているとの事で、静かな夜を過ごしてい
る内に目的地に着いたようだ。
1819
夜明けの静けさを壊さないように、汽車がホームに入る。
汽車を降りた俺を出迎えたのは、スイリュウと同じように駅舎に
飾られたスカイの姿だった。
専用装備天墜を肩に担いだ雄々しい姿。
このリットン湖岸の町ウェインドリの守護神とまで呼ばれた、百
五十年前の機体。
ウェインドリはボルスの復興に注力していた軍を後目に青羽根が
動き、興した町だ。
リットン湖周辺に生息していた甲殻系魔物はスカイの天墜と相性
が良く、攻略は順調に進んだ。
スライム新素材を用いた簡易拠点を作りながら徐々に制圧し、青
羽根単独で制圧してしまったという。
利権を狙って襲ってきた盗賊まがいの開拓団さえ撃退し、青羽根
はこのリットン湖にウェインドリを築くと、さらにリットン湖の北
へ開拓の手を伸ばした。
百五十年を経た今でも子孫が青羽根の名を受け継いで開拓の最前
線で戦っているはずだ。
俺はスカイに背を向けて駅舎を出る。
テイザ山脈鉄道に乗っている間に日が昇ったため、外は明るかっ
た。
初めて訪れた町だが、観光する前に行くところがある。
俺は町案内の看板を見て、目的地に目星を付ける。
﹁こっちかな﹂
大通りを一本ずれて、細い道をまっすぐ歩く。
飲食店が並ぶその通りも終わりに差し掛かった頃、その喫茶店は
あった。
店頭に出された看板に赤いチョークで書かれた注意書きがある。
1820
﹁当店はバリスタ不在につきコーヒーを提供できません⋮⋮って、
おい﹂
喫茶店じゃないのかよ。
看板に書かれたメニューにはこれでもかとばかりに軽食やデザー
トが並んでいる。この世界の料理ではない。
俺は準備中と書かれた入り口の前に立つ。
ちょうど、入り口の扉を開けた少女が俺を見て目を丸くした。
歳は十三、明るく朝日を反射するストレートの金髪を背中に流し
た色素の薄い少女だ。
少女は俺を見て、にっこりと笑う。
﹁いらっしゃいとお帰りなさい、どっちが正しいと思う?﹂
﹁久しぶり、じゃないのか?﹂
日本語で言葉を交わし、笑みを浮かべる。
俺はバリスタ不在と書かれた看板を指差す。
﹁ミツキ、コーヒーは俺が淹れればいいのか?﹂
﹁ヨウ君がとびきり美味しいコーヒーを淹れて、私はケーキを作る。
ほら、完璧な喫茶店でしょ?﹂
﹁そう言う役割分担か﹂
コーヒーの香りがしない喫茶店に足を踏み入れる。
﹁一息入れたらディアの組み立てから始めよう。前世は旧大陸でし
か活動しなかったし、こっちでの魔導核も溜まってるだろ﹂
﹁また世界を駆け巡る事になるんだね﹂
ミツキの言う通り、転生したからには世界を駆け巡って違法に生
1821
み出された魔導核を処理しないといけない。
だが、いまはこの喫茶店をどうにかすべきだろう。
裏で鉄の獣として魔導核の処理をするとしても、表の仕事がバリ
スタ不在の喫茶店ではあまりに格好がつかなすぎる。
俺は白いコーヒーもどきを淹れながら、苦笑した。
1822
エピローグ︵後書き︶
本作はこれにて完結となります。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
1823
PDF小説ネット発足にあたって
http://ncode.syosetu.com/n8622cr/
転生したから新世界を駆け巡ることにした
2017年2月26日05時21分発行
ット発の縦書き小説を思う存分、堪能してください。
たんのう
公開できるようにしたのがこのPDF小説ネットです。インターネ
うとしています。そんな中、誰もが簡単にPDF形式の小説を作成、
など一部を除きインターネット関連=横書きという考えが定着しよ
行し、最近では横書きの書籍も誕生しており、既存書籍の電子出版
小説家になろうの子サイトとして誕生しました。ケータイ小説が流
ビ対応の縦書き小説をインターネット上で配布するという目的の基、
PDF小説ネット︵現、タテ書き小説ネット︶は2007年、ル
この小説の詳細については以下のURLをご覧ください。
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