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東急電鉄 VS JR 東日本

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東急電鉄 VS JR 東日本
東急電鉄
VS
JR 東日本
チーム G8
柏木健太・徳田祐大・梁美敬・福永沙樹・末永愛未
目次
1、はじめに
2、歴史から見られる企業の特徴
3、東急差別化戦略の象徴109の戦略!!
4、新しい渋谷の顔=ヒカリエ
5、新たな駅の顔!?エキュート
6、ヒカリエとエキュート実際のお客さんとは
7、まとめ
JR・東急電鉄による商業施設開発に関する考察
はじめに
私たちは鉄道業界に興味が湧き調査を始めた。しかし調べているうちに鉄道などの輸送は
少子高齢化など様々な要因が考えられるが年々減少傾向になり、鉄道業界の収益はリテー
ル部門が多く占めていることなどを知った。
花屋、床屋、ゴルフ場、など様々な分野に多角化しているが、私たちはその中でも駅中・
駅前商業施設に注目して、東急のヒカリエ、JR のエキュート
そこで発見した各社の方向性や、強み・弱みなどを考え、失敗しているところ、自分たち
なりに優れた駅前商業施設にはどんな特徴があるのか。などを考えた。
歴史から見られる企業の特徴
ここでは東急・JR 双方の歴史を視野に、企業風土の違いを追及していく。しかし、その
前に鉄道企業の特徴を話しておく必要がある。
鉄道企業は、大きく分けてその起源を「輸送目的型」と「地域開発型」からなる企業特
徴により発展を遂げてきている。
輸送を第一の目標とする「輸送目的型」から事業が始まった民鉄企業が多い中で、東京
急行電鉄は地域開発事業(不動産開発)を起源に事業がスタートした。その前身を※①目
黒浦田電鉄という。ここに東急電鉄が数ある私鉄企業の中で最強企業になりえた原因が分
かる。
※①:正確には、目黒浦田電鉄の前身に田園都市株式会社が存在。
輸送目的型として創業した企業で有名なのが、阪急電鉄である。電鉄業を支える派生事
業体として住宅事業・レジャー等様々な多角化戦略を実施することで私鉄企業の事業スタ
イルを確立したのは、阪急電鉄創始者 小林十三である。
では、かの東急電鉄はどのような歩みを辿り電鉄企業として成ったのか。1918 年に実業
家渋沢栄一らによって立ち上げられたのが田園都市株式会社、これが後の目黒浦田電鉄と
その遺伝子を受け継いでいく。1922 年に目黒区、品川区にまたがる洗足田園都市、 翌年大
田区の多摩川台地区(現在の田園調布)の分譲を開始し、地域利便性の向上のため鉄道事
業を営んだ。田園都市株式会社は分譲開発の終了をメドに、役目を全うしその全てを、1928
年、子会社であった目黒蒲田電鉄に吸収合併された。当時、以外にも田園調布の開発を依
頼されたのは、阪急電鉄の始祖である小林
一三氏であった。しかし氏は関西事業の拡大
に多忙となっており、その後経営を断念、目黒浦田電鉄となって、その経営を五島
に託したのである。もしこの時、小林
慶太
一三により経営が続行されていたら、東急電鉄の
今の強さは見る影もなかったといえるだろう。
ともあれここに現在の、東急不動産という
日本最大級の不動産業を営み、さらに電鉄
会社としても顔を持つ企業「東急」の基盤が誕生したのである。
唯一類似企業としてあげられる西武電鉄も、不動産資本を後ろ盾に事業を拡大した経緯
があるが、その圧倒的な違いは、同族的企業(財閥的企業形態)である西武は、同族によ
る資本支配(内部資金市場)を守るため過小資本体質に陥ってしまったが、東急電鉄では、
その創始者である五島慶太及び、その一族による支配は、ほぼ皆無であったがために、東
急電鉄は度重なる増資を可能とし、巨大な資本を獲得して今日に至っている点にある。こ
れは、東急電鉄の伝統的スタイルである、企業を「公器」として捉え、社会的合理化を追
及していたことが大きく寄与する。五島
慶太は、強盗
慶太と異名をとるほどの強引な
企業買収を行てきたが、買収企業の成長に合わせ、その全てを上場させ実効支配すること
はなかったのである。そうすることで、各企業は専門経営者の下に、企業成長に合わせた
資本拡大を行い事業の成功に漕ぎ着けたのである。これが東急電鉄の強みの一つとなって
いることが分かる。
ここで、各私鉄企業の資本金額を提示してみる。いかに東急電鉄が巨大企業となったか
がお分かり頂けるだろう。
企業名
東急
西武
京成
小田急
京王
相鉄
東武
京急
資本金
1,217 億
217 億
368 億
604 億
590 億
312 億
662 億
437 億
(※2010 年 3 月時点)
ではこれより、具体的な企業の歴史を見ていくことにする。
①東京急行電鉄
多角化された事業において、現在第2位の規模を有している鉄道事業。しかし全営業路
線を足したところで、その長さは 104.9 ㎞しかない。それに比べ JR は、東日本単体だけで
も 7526.8km と、東急の 70 倍以上となっており、これだけでも電鉄事業こそが JR の強み
であることは言うまでもない。
※(JR 東日本年間の売り上げは 2 兆 7000 億円近く(連結)にも上り、そのうち 1 兆 1153 億円が関東
圏の通勤・通学路線の運輸収入、4909 億円が新幹線の運輸収入である(2007 年度)
。
東急はキロあたり輸送密度を 1056 万人、年間輸送人員数では東京メトロを除く全私鉄の
中で No.1 である。路線が短いにも関わらず、これほどの輸送量を誇る由来は、人口密度が
高いエリアへ路線網を有しているため、不採算路線を抱えない、経営上きわめて有利な環
境を整えていると考えることができる。
東急グループの起源・田園都市株式会社
再三の説明となり興趣であるが、東急(以下甲)の歴史は、大正 7(1918)年 9 月 2 日
に資本金額 50 万円で設立された、田園都市株式会社である。日本資本主義の父として有名
な、渋沢栄一氏により設立された、上記記載の通りの、住宅土地分譲開発会社である。
なぜ、田園都市株式会社(以下乙)は設立されたのか。それは、渋沢栄一氏が訪英中にみ
た田園都市に感銘を受け、それを日本でも建設するために作られた。
※(田園都市とは、ガーデンシティーとも言われ、大都会に豊かな自然を取り入れて良好な住環境を目指
すものである)
田園都市建設のため、東京の調布村・平塚村・馬込村・池上村など、合わせて約 48 万 1
千坪の土地を獲得している。
そしてついに、電鉄事業の必要性が生まれ本格的事業参入
が開始された。
(当時企業名:荏原電気鉄道)当初の鉄道計画では大井町~玉川~駒澤~新
宿であった。その後幾多の増設計画の中、いくつかの鉄道企業が生まれ、その全てを受け
継ぎ誕生したのが目黒浦田電鉄である。時は 1922 年である。この翌年、東急の住宅事業に
大きな転機が訪れた。関東大震災である。東京中が、瓦礫と炎に包まれる中、幸いにも田
園都市開発地域だけが被害から難を逃れていたのである。これにより田園都市の評判は高
まり瞬く間に乙が手掛けた住宅分譲地が売れたという。(分譲地完売後、乙は合併)そして
大きな被害を被った、東京高等工業学校(現・東京工業大学)を始め、慶應義塾大学など
多くの大学などが、東急沿線地に集積したのである。これは、さらに学校都市という治安
の良さから、周辺地価を上昇させていった。強運ともいえようこの大惨事を乗り越えたこ
とで、乙は大躍進を遂げるのである。
(現在の田園調布)
その後、名を東京横浜電鉄と改め 1942 年、小田急電鉄・京浜電気鉄道を合併させたこと
を機に、東京急行電鉄と改名した。ここに「東急」という我々が現在親しく呼ぶ、略称の
誕生を見ることができる。戦後の大東急は、経済民主化の煽りによって小田急電鉄・京浜
急行電鉄・京王帝都電鉄(現・京王電鉄)が分離・独立していった。ようやくここに現在
の東急電鉄の姿が固まったという事ができる。
五島慶太という、類まれなる大企業家の下、多摩田園都市を中心に、日本一大鉄道企業
へと成長した東急。彼らが開発した田園都市は、民間企業が手掛けたものとしては世界最
大の規模であるといわれている。
このように街づくり(デベロッパー)として開発を行うと同時に、市民生活を様々な場面
で支えてきた総合生活産業といえる民鉄会社となった。
②国鉄
今まで述べてきた東急は、ここで触れきらぬほど数多く難関に勿論のことぶつかってき
た。例を出すと、東急より離脱した西武電鉄との箱根戦争・渋谷奪還戦。東急の歴史は西
武電鉄との争いが、長らく続いてきた。しかし、それが比較に及ばないほど強烈な荒波に、
常にさらされてきたのが国鉄、現 JR グループである。
ご存知の通り、JR の起源は国鉄(日本国有鉄道)である。国鉄(以下
甲)は、戦時下
の日本における特例により、当時勃興していた多くの私鉄企業を束ね、戦争のためにその
ほとんどを捧げた経緯がある。
鉄道開業以来、国営事業として政府官庁によって経営されていた国営鉄道事業を、独立
採算制の公共事業として承継する国の事業体として国の 100%出資の下、1949 年 6 月 1 日
に発足した。JR が郊外に沿線を持つことが多いのはここにある。つまり戦争のために沿線
を張り巡らしたために、住宅地への土地買い上げ交渉などを省き、田畑に鉄道を敷いたか
らである。
第二次世界大戦後、国営鉄道は国からの指令による無茶な路線拡大や、インフレーショ
ンに加え、復員兵や海外引揚者の雇用の受け皿となったため、運輸省の 1948 年度国有鉄道
事業特別会計は 300 億円の赤字となって財政は極度に悪化した。最大の失敗は 1978 年、運
賃法定制の緩和で国会審議を経ずに運賃改定が可能になると、大蔵省の圧力で運賃を毎年
値上げせざるを得なくなり、利用客減に拍車がかかってしまったのである。第 1 次~第 3
次の五か年計画を立案・実行するもその財政は改善せず、1986 年 11 月に国鉄分割民営化
関連法案が成立し、1987 年 4 月 1 日に JR グループが発足(→国鉄分割民営化)した。JR
東日本・西日本・東海の本州 3 社、そして JR 北海道・四国・九州の三島 3 社+JR 貨物の 7
社による分割経営が開始された。当時、日本国有鉄道が負っていた借金総額は 37.3 兆円。
その内、日本鉄道建設公団(国鉄清算事業本部)が11.2 兆円を、旧国鉄が 23.1 兆円を、
分割民営化によって処理すべき債務は、最終の国鉄長期債務 25 兆 0600 億円のほか、鉄
建公団債務および本州四国連絡橋公団債務の国鉄負担分、北海道・四国・九州の各新会社
に対する※②経営安定化基金原資を合わせた 31 兆 4500 億円とされた。さらに民営化にと
もなう年金負担などの将来費用 5 兆 6600 億円を加えた 37 兆 1100 億円について、国鉄清
算事業団と新幹線鉄道保有機構、新会社 6 社(JR 東日本、JR 東海、JR 西日本、JR 貨物、
鉄道通信、鉄道情報システム)が承継した。このうち新会社が 5 兆 9300 億円、新幹線鉄道
保有機構が 5 兆 6300 億円を引き継ぎ、25 兆 5200 億円について、国鉄清算事業団が引き継
いだ。
国鉄清算事業団承継の長期債務償還には、清算事業団に移管された不要の旧国鉄用地の
売却益(見込み額 7 兆 7000 億円)
、JR 株式の売却益など(同 1 兆 1600 億円)、新幹線鉄
道保有機構からの貸付金収入(同 2 兆 8800 億円)を充てる予定だったが、当初から 13 兆
7700 億円は財源不足として国民負担とする計画だった。
巨額の債務に対し毎年約 1 兆円の支払い利息が発生したため、政府は 1987 年から年間数
百億~2000 億円程度の利子支払い補助金を拠出したが、バブル景気崩壊後の不況に伴う株
式市場の低迷および土地価格の下落で、支払い利息分を超える土地・株式の売却収入を得
ることができずに毎年多額の損失を計上。さらに借り換え資金の調達額の増加に伴う新た
な利払いも増えたために、1996 年度には 1 日あたり 24 億円の支払い利息が新たに発生す
る状況に陥った。
このため、元本の処理すらできないまま債務総額は 28 兆 3000 億円に膨張し事実上破綻
に追い込まれ、国鉄清算事業団は 1998 年に解散した。
結局、返済不能となった債務のうち、政府保証付債務 24 兆 2000 億円は、1986 年および
1988 年の閣議決定に基づき 1998 年度の国の一般会計に繰り込まれ、たばこ特別税収、一
般会計国債費などを財源とする国民負担で処理することになった。債務処理が終了するの
は 60 年後の 2057 年とされ、民営化後の政府保証付国鉄長期債務残高は 20 兆 9964 億円で
ある。(2007 年 3 月末現在)
また年金等負担分 4 兆 1000 億円については国鉄清算事業団の土地、株式などの資産を承
継した日本鉄道建設公団が特例業務として資産売却収入と国庫補助金で負担することにな
った。のち 2003 年の鉄建公団独立行政法人化に伴い、現在は独立行政法人鉄道建設・運輸
施設整備支援機構が負担を継続している。長々語ってしまったが、つまり国鉄時代の借金
は、いまだに返済途中であるという事だ。ここで重要になることは、JR グループは借金返
済という理由から、多くの土地を失ってしまったという事にある。
歴史という観点から双方の企業を見ることによる考察。
経営のスタートを、地域開発という観点より始め、強い経営者:五島慶太による経営に
よって東急電鉄は飛躍的にその事業を伸ばしていった。その一方で、国の意向に左右され、
その身を滅ぼし、借金返済のため株式・土地と貴重な経営資源を失ってしまった JR グルー
プ。双方の企業たる健全性・将来性のみならず、駅前及びその周辺開発における優劣は、
この時点で決してしまったのかもしれない。
東急差別化戦略の象徴109の戦略!!
概要:
休日の来客数35000人
年間売上283億円
1979年にオープン
当初は紳士ものもおいてある普通のファッションビルだった。
しかしバブル崩壊と共に売上も右肩下がりに。。
。
そこで徹底した差別化を決行
17-22歳をターゲットにすえる
結果→90年代後半に大ヒットしたルーソックス、レッグウォーマー、へそ出しルック、
厚底靴、これら全てマルキューから流行
109が行なっている工夫
定員もお客さんと同世代の女の子を起用し親近感を持たせる
移動通路はフロアのセンターにして周りをぐるりとしないと店が見渡せないフロア設計
い
従業員どうしの競争をあおる。
平均の店の坪は15-20坪!
重視しているのは月坪売上(賃貸している1坪あたりの一ヶ月の売上のこと)
補足:都内の一般的なデパートのファッションフロアの月坪平均はおよそ40万円。これ
に対して109の平均は125万円。
300万を達成したところには店舗面積拡大
反対に売上が急激に落ち込んだテナントには退店要請できる契約をむすんでいる。
109は全店舗の売上を公開!
各店の定員は毎朝集計される前日売上をメモし前日良かった店には視察に行き何が良かっ
たのかを分析しに店を見に行っている。
競争意識を持たせることによって従業員のモチベーションを維持させている
一方新ブランド立ち上げにも熱心でブランドを出したいけどお金がないという経営者のた
めに最初はテナント代を相場の半額で貸している。
何故か?→109から流行を生み出したいから
具体例:COCOLULU。マルキュー発で全国区ブランドまで名をあげた。現在22店舗
ちなみに、入口前のイベントスペース。一日のレンタル料63万円
ビルの壁の広告スペースは2週間単位の契約で数百万円かかるそう。制作費別で
しかし1年以上予約がうまっていてとるのは困難。
東急グループにとって 109 は渋谷の商業再開発の拠点となった場所であり、渋谷の若者文
化を作った先駆けとなる存在である。109 のターゲット・コンセプトが渋谷という若者の街
を作り今日に至る。しかし昨年、109 の作り出してきた若者文化とは異なる形の「渋谷ヒカ
リエ」が誕生した。
ここから、東急の現在の主力事業と言える「渋谷ヒカリエ」と JR の現在の主力事業である
「エキュート」について4P 分析を行いながら各商業施設について検討していきたい。
新しい渋谷の顔=ヒカリエ
もうすぐ開業から一年を迎える渋谷「ヒカリへ」
今や渋谷「109」や「PARCO]「丸井」などと並ぶ渋谷の有名人気スポットとなった。
この渋谷「ヒカリへ」建設には大きな、そして熱い思いが込められている。ヒカリエを語
る上でまずそのことに触れておかなければならない。
かつてヒカリエができる前、1956年渋谷にある施設が開業した。その施設の名は「渋
谷文化会館」当時の東京急行電鉄の会長の五島慶太が、自ら建築家の板倉準三に依頼して、
完成させた地上8階地下1階建ての渋谷総合文化施設である。4つの映画館や美容室、レ
ストラン街、書店などが入っており、屋上にはプラネタリウムが設置されていて、当時、
「天
文博物館五島プラネタリウム」は、東京の名称として修学旅行のコースに組み込まれてい
た程人気を博していた。また、当時の国鉄渋谷駅東口は都電ターミナルで利用されていた
為、交通混乱を避ける為に、渋谷文化会館の開業と同時に混雑を避ける為、歩道橋が作ら
れるほど、人気、話題を集めた。
「渋谷文化会館」は長らく多くの人々で賑わった。
1980年代当時の渋谷というのは今日程の人が集まる、流行の先端をいくような賑わ
いのある街ではなかった。当時の渋谷は単なる乗り継ぎのためのターミナル駅であり、ほ
とんどが乗り換えのために渋谷で降りるだけであり、駅から出て立ち寄る人はほとんどい
なかった。
当時流行の先端であり、人で賑わっていたのは銀座であり、当時の銀座への平均滞在時間
が45分であるのに対し、渋谷はたった5分弱でしかなかった。このことに対し、五島は
頭を抱え、嘆いていた。
「渋谷を、人で賑わう街にしたい」そんな五島慶太の思いから誕生
したのが「渋谷文化会館」である。当時(昭和30年代)としてはまさに最先端をいっていた
複合施設であった。
こうして五島の渋谷への思いは届き、渋谷は人が集まる、人で賑わう街となった。
しかし、1989年渋谷文化会館は東急百貨店本店に併設され、日本初の大型複合施設
「BUNKAMURA」となり開業され、東急グループを代表する施設ではなくなってしまっ
た。さらに時代は流れ、その流れと共に人々の趣向・好みは変わり、「渋谷文化村」の施設
を訪れる人は減り、建物も老朽化していった。そしたその流れを受け、2003年東急東
横線の地下化工事、営団地下鉄13号線(後の東京地下鉄副都心線)建設のために閉鎖され解
体。47年の長い歴史に幕を閉じた。
しかしかつての五島の渋谷文化会館にこめた「渋谷を人で賑わう街にしたい」という思
いは消えてはいない。その思いは、今、形を変え「ヒカリエ」に受け継がれている。かつ
ての渋谷文化会館への思いを引きすぐ形で、渋谷文化会館跡地にヒカリエは建設された。
渋谷文化会館の DNA を受け継ぐ渋谷ヒカリエは、
「渋谷の文化の創造と情報発信を行う元
(=情報、流行の発信源となる)」というコンセプトのもとに誕生。
約 2000 の客数のあるミュージカル劇場「東急シアターオーブ」
、クリエイティブスペース
の「8/(ハチ)」
、イベントスペース「ヒカリエホール」
、百貨店の進化系ともいえる「ShinQs]
そして、地上17階から34階までは情報の最先端を発信すべく IT 企業、コンテンツ企業
のオフィスフロアーが占めている。今、オフィスフロアーには DeNA や NHKjapan などの
著名な IT ベンチャーが続々入居し、
「新しい文化と情報発信」という気風をしっかりと「継
承している。
次にヒカリエ内にある商業施設 ShinQs について見ていく。
ShinQs
基本情報
地下3-地上5階までが「ShinQs」(商業施設)
運営会社:東急百貨店
開業日:2012 年 4 月 26 日
売場面積:16,000 ㎡
売場・ユニット数:約 200
営業時間:ShinQs 10:00~21:00
初年度売上目標:180 億円
来館者数:開業4か月で 1,000 万人突破→これは初年度の売上高目標を 180 億円としてい
たが、10 月時点計画比 20%増の勢いとなっている。そして、223 日目の 12 月 4 日に年間
目標の 1,400 万人を突破した。
コンセプト:新・渋谷、はじまる。SPARKMENT STORE
「SPARKMENT」とはさまざまなモノ・コトとの出会い・発見により、気持ちがきらめき、
輝くことを意味する。いつも新しい、いつも刺激的、いつも渋谷から文化を発信すること
を ShinQs のコンセプトとし、モノ・コト・キモチが融合した「SPARKMENT STORE」
を創造したのが ShinQs である。大人の女性に新しいショッピングを提案する商業施設とな
っている。「ShinQs」という名称には「渋谷 Shibuya」の街に、
「輝き Shine」をプラスす
る、東急百貨店の「新しいお店」
、
「Q」という文字に「東急百貨店としてお客様との約束を
果たしていく」という意味が込められている。
ターゲット層は、自分目線で高い自己編集能力を持つ 20 代後半から 40 代の働く女性“セ
ルフエディター” となっている。セルフエディターとは、自らの価値観にもとづき、「自
分目線」でモノ・コトを選択し、
「人から見られる自分」ではなく、「自分らしさ、人や世
の中との調和・絆」を大切にする、「ブランド」を重視するのではなく、自分らしいコーデ
ィネートを重視する女性のことを言う。ShinQs では、新しい渋谷をリードする大人の女性
をターゲットに、新しいショッピングの場を提供していく。
ターゲット層が女性ということで、ShinQs 独自のサービス機能として「スイッチルーム」
がある。
「スイッチルーム」は、リアルターゲットである女性スタッフが企画した「日本一
のトイレをつくる」プロジェクトで、コンセプトは、利用者の「ON・OFF」「日常・非日
常」などキモチを切り替えることである。スイッチルームは全6フロアにあり、各フロア
でデザインや香り、BGM が MD コンセプトに合わせて異なっている。会員制のパウダール
ームや授乳中も情報検索ができる「ネット授乳室」
、タバコのにおいを風で消す「エアシャ
ワーブース」など女性目線でのサービスが充実し、徹底したターゲット層の絞り込みがな
されている。
↑B3 に設置されたスイッチルームはフレッシュでみずみずしい「オレンジグレープフルー
ツ」のアロマが広がり、静かな街角にあるマルシェがテーマ。
↑B2 のスイッチルームは透明感のあるグレープフルーツとハーブの爽やかさが広がる「グ
レープフルーツハーブ」のアロマで、ボタニカル・ルームをテーマにしている。
↑B1 は濃厚さの中に爽やかさを感じる上品な「イランイランシトラス」のアロマで、女性
らしくキラキラした香りの中で女子力アップをテーマにしている。
↑3F は深みのあるエッセンスが折り重なった芳醇な香りの「アブソンリュートンブルー」
のアロマで、魅力的で洗練された都会のスタイルをテーマにしている。
↑4F はフローラルスパイシーさを甘く熟した果実で包み込んだ幻想的な香りの「エキゾチ
ックエレガンス」のアロマで、ドラマティカル・トリップをテーマにしている。
↑5F は贅沢でやわらかい「ベルガモットラベンダー」のアロマで、グリーンいっぱいのテ
ラスをテーマにしている。
各フロアで BGM やアロマが異なっており、トイレをトイレだと感じさせない空間が広がっ
ていた。アロマは実際に ShinQs 内の店舗で購入可能であり、3F のスイッチルームに展示
されていた靴は3F で売っている商品であった。トイレという空間を商品のプロモーション
の場として活用し、会員制のスイッチルームも TOP&ClubQ カード会員のスイッチルーム
となっていた。
ShinQs を調べていくうえで、ShinQs が開業4か月で 1,000 万人を突破し、初年度の売上
高が、10 月時点計画比 20%増の勢いとなった要因として、「開店人気」が影響しているこ
とは間違いないが、渋谷ヒカリエの徹底した PR と、ターゲット層の絞込みが大きく影響し
ていると思われる。ここからは4P 分析によって ShinQs の強みについて検討していく。
ShinQs の4P 分析
Product
MD コンセプトは「Zakka 視点」となっている。フード、ビューティー、ファッション
の全てを「雑貨」として捉え、ターゲットの「キモチ」=購買心理にまで踏み込んだ、雑
貨を軸としたテーマ型クロス MD を展開。単なるモノの分類ではなく、売場を気軽に散策
し、モノと出会い、発見する楽しみや、自分の視点で自由に組み合わせる買い方、使い方
を提案し、ShinQs ならではの独自性・新しさを追求していく。ShinQs 発信の新業態・自
主編集売場が4割以上で、それらを含む渋谷初登場が7割以上を占めている。
各フロア
ShinQs Food(食料品:地下3F~地下2F)
ターゲットは「美味しく食べることで、心身ともに美しく生きる人たち」となっており、
日常性と情報感度を融合した「洋」スタイル。伝統と新しさを融合した「和」スタイル。
食卓を豊かにする「ワインと食事のマリアージュ」がコンセプト。ジョエル・ロブジョン
の世界初パン専門店「ル パン ドゥ ジョエル・ロブション」をはじめ、
「ル
ゥ
ショコラ ド
アッシュ/ポール パセット」
「パティスリー・サダハル・アオキ・パリ」「ヨロイヅカ
ファーム」といった日本を代表する辻口・青木・鎧塚の3人のパティシエが出店している。
また、カレルチャペック紅茶店と渋谷みつばちのコラボショップもあり、健康志向、話題
性に対応した MD、個食への対応など、現代女性の嗜好性を捉えたフードフロアとなってい
る。
ShinQs Beauty(ビューティグッズ&サービス:地下1F~地上1F)
ターゲットは「心身ともに美しく、健やかに、癒されることを明日へのエナジーとして生
きる人たち」で、上質感のあるコスメティックだけでなく、セルフコスメやビューティー
雑貨、クイックかつ気軽に利用できる本格的なビューティーサービスまでを展開する、ト
ータルビューティーフロア。ナチュラル&オーガニックアイテムは都内最大級の品揃えで、
オーガニックを扱ったブランドとして「マークスアンドウェブ」
「天衣無縫」「コスメキッ
チン」
「テラクオーレ」などがある。
「よーじや」が都内初のカフェ併設店舗として出店し
ている。日本で生まれ、育てた製法・素材・美の思想を、現代の暮らしの中に活かした商
品を展開。
ShinQs Fashion(アパレル&ファッション雑貨:2F~4F)
2F:ターゲットは「お買い物を通じて、散策・発見できる楽しさを大切にする人たち」ト
レンド&シーズンをダイレクトに感じさせるバイヤーズセレクトの自主編集売場や、最も
旬な雑貨ショップをラインアップ。「マーク BY マークジェイコブス」の他、「キャス・キ
ッドソン」や「シー バイ クロエ」が渋谷初出店。
3F:ターゲットは「働く時間を前向きに捉え、知性・感性を大切にする人たち」で、キメ
のシーンやオフィスのカジュアル化に対応したスタイルや、できる自分を演出するこだわ
りのデザイン雑貨、さらに「ワークスタイル」に特化した
レディースシューズを一堂に集めフロアとなっている。「ユナイテッドアローズ」
「セオリ
ー」
「バオ バオ イッセイ ミヤケ」をはじめ、米シューズブランド「ヴィンス・カムート」
の日本 1 号店が出店。
4F:ターゲットは「オフ(休日、余暇時間)」を通じた、人とのつながりや自分磨きを大切
にする人たち」活動的で遊び心あるカジュアルシーンの多様な広がりを、アパレル&雑貨
のミックス編集で提案。“旅”をテーマにしたビームスの新店「ビームス ライツ 」や「ア
ーバンリサーチ」
「スピック&スパン」などカジュアルファッションが充実する。
ShinQs Lifestyl(ライフスタイル雑貨:5F)
ターゲットは「自分のための時間・空間を大切にする人たち」スタイリッシュリビング、
クッキング&ダイニング、カルチャー&ホビー、期間限定の提案型売場までを総合編集す
る。
「イエナカ」
「趣味・嗜好」にまつわるシーン&マインドに応えるライフスタイル雑貨
を幅広く取り揃える。英国発「ザ・コンラン・ショップ」が“キッチン”にフォーカスし
た世界初のショップや、オリジナル家具・インテリア小物、服飾雑貨を集積したイデーの
コンパクトパッケージ「イデーショップ ヴァリエテ」、パリジェンヌの部屋をイメージし
た雑貨をセレクトした福岡発ショップ「オクタホテル」などが出店している。
独自性や新しさを追求する ShinQs には、渋谷初のブランドや新業態のお店が多く集まって
おり、ビームスといった有名ブランドでも“旅”をテーマにした新店として ShinQs に出店
するなど、新しさに特化している。ShinQs Food では、ShinQs 限定のPOPが目立ち、各
店舗に1つは ShinQs 限定の商品が並んでいた。ShinQs 限定という希少性のある製品展開
がなされ、徹底的に独自性・新しさを追求している。また、比較的女性を意識したような
小さ目のお弁当や総菜などが揃っていた印象を受ける。ShinQs Food のフロアでは椅子と
テーブルが用意されており、買ったものをその場で食べられるようになっていた。6~7
席ほどあった席にはお昼休みと思われる女性がお昼ご飯を食べており、ほとんどが一人で
食事をしていた。ターゲットとマッチした女性が利用しており、製品コンセプトとターゲ
ットがうまくマッチしているのではと考えられる。
Price
バッグ
マーク BY マーク
シー バイ クロエ
キャス・キッドソン
ジェイコブス
最高価格
82,950
66,150
23,100
最低価格
9,975
24,150
5,460
ユナイテッドアロ
セオリー
ビームスライツ
シャツ
ーズ
最高価格
26,250
25,200
14,700
最低価格
13,650
9,450
10,500
ユナイテッドアロ
セオリー
ビームスライツ
パンツ
ーズ
最高価格
35,700
40,950
22,050
最低価格
7,350
15,750
7,875
ShinQs に出店している店舗の商品をオンラインショップの価格を参考に最低価格と最高
価格をアイテムごとに比較してみた。ほとんどの商品が最低価格でも1万円前後となって
おり、比較的高価格となっている。ShinQs のターゲットを考えたときに、高い自己編集能
力を持つ女性であることから、自分への投資を積極的に行う女性であると考えることがで
きる。そのことから富裕層な女性が連想できるため、価格設定も妥当であるのではと考え
られる。Food 全体的にも 100g431 円といったサラダや 1 粒 200 円前後のチョコレートな
ど比較的高価格な商品が並んでいる。
Place
ここでは渋谷という駅について見ていく。東京メトロ半蔵門線が 2003 年に東武伊勢崎
線・日光線と相互直通運連を開始し、東急東横線は 2004 年にみなとみらい線と相互直通運
転を開始した。このことで、埼玉方面からのアクセスと、横浜・みなとみらい方面からの
アクセスが容易となった。そして、2008 年には東京メトロ副都心線が開通し、2013 年に
は東急東横線との相互直通運転を予定するなど、渋谷駅の利便性が高まっているといえる。
2011 年度の渋谷駅の1日平均乗降者数は JR、私鉄、地下鉄を合わせて約 215 万人となっ
ており、東急線における渋谷駅の乗降客数は第1位となっている。JR は新宿、池袋に次い
で第 3 位、東京メトロ銀座線では第 5 位、京王線では新宿に次いで第 2 位と、各線ともに
渋谷駅は人が多く集まるターミナル駅となっている。「ShinQs」は、渋谷ヒカリエのB3~
5F まで、合計 8 フロアに出店し、B3 は地下鉄副都心線の改札口と直結しており、ShinQs
にとって大きな集客力となっている。1F は明治通りに面し、2F は現在建築中の新しい跨
道橋によって JR 渋谷駅から直結する。そして今後は、銀座線ホームが宮益坂方面へ移設
されるなど、駅周辺開発が続くことによって、青山方面からのアクセスも向上する予定だ。
東横線との相互直通運行も予定されており、アクセス環境の向上が ShinQs にとって大きな
強みとなっている。今後更なる集客力を見込める好立地での出店となり、8つの路線が乗
り入れる ShinQs は集客力という点に大きな強みを持った店舗である。
Promotion
ヒカリエのプロモーション戦略はトップマネジメントからの情報発信を展開し、社長自
らが記者会見の場でPRを行っていった。従来、鉄道会社では社長が表に出て会見をする
という例はほとんどなかったが、社長自らPRをすることによってニュースバリューが上
がり、メディアを介して渋谷ヒカリエの開業を広めることが可能となった。渋谷ヒカリエ
が行った3回の記者会見、マスコミとの懇親会のすべてに社長が出席し、PRを行ったこ
とで、メディアのヒカリエへの注目度は一気に高まったといえる。東急電鉄が大々的に社
長自らプロモーション活動を行った背景として、同じ鉄道会社である「東武電鉄」の存在
が大きく関わっている。東武電鉄の取り組みである「スカイツリー」を強く意識してのプ
ロモーションであったのだ。ヒカリエをスカイツリーと対等にメディアに取り上げてもら
えるように、メディアへのメッセージの出し方にこだわり、「渋谷を日本一訪れる街にしま
す」というわかりやすいフレーズで、人々にPRを行った。社長によるPRと巧みなメッ
セージ戦略により、ゴールデンウィーク、夏休み、クリスマスなどに多くの来場者を集め
ることに成功し、渋谷ヒカリエは東京観光の一大ホットスッポトとして確立した。
また、ネット社会にも対応するため、フェイスブックやツイッター、SNS を活用した情
報発信を行っている。ShinQs では「アフター6フェスタ」というイベントを月に一回実施
し、メルマガ会員に向けて「夜6時以降お得ですよ」というメッセージを発信している。
メルマガの会員には特典とし、お得なクーポンや、イベント・セール情報などが提供され、
現在メルマガ会員数は1万3000人以上となり、有効に活用されている。さらに8階の
クリエイティブスペース「8/」で行われるイベントが SNS やツイッター・フェイスブック
を通じ、一般の人へも情報が発信される。これにより渋谷ヒカリエ自体の広告になると同
時に様々な人とのコミュニケーションも可能にしている。
次に店舗内でのプロモーション活動について見ていく。ShinQs ではどこにどのテナント
を配置するかという意思決定を外部の専門家に任せることなく、すべて自前で行っている。
例えば、3階、4階は基本的にはアパレル売り場だが、見え方に重視し、エスカレーター
サイドにはアパレル品を置かず雑貨を陳列するというこだわりがある。これはエスカレー
ターサイドにいきなりアパレル品をおいてしまうと、消費者が圧迫感を抱いてしまうので、
エスカレーターサイドにあえて雑貨を置くことで、エスカレーターから上がってきた顧客
に広い視野を与え、不快な閉塞感を除去するという工夫がなされている。
まとめ
4Pの観点から ShinQs について見てきたが、コンセプトとターゲット層に向けた徹底した
製品展開(Product)や、価格設定(Price)、渋谷駅直結という最大の強みを持った立地による
集客力(Place)、また ShinQs の工夫をこらした店舗内(Promotion)など、4P の観点から
ShinQs の戦略はかなり高いものであると考えることが出来る。しかし、現在は開店したば
かりで、独自性や新しさに新鮮味があるが、今後独自性や新しさをどこまで追求できるか
が ShinQs の課題となるのではないか。
JR 駅前商業施設例売上
アトレ15店舗で、258億円→17,2
ルミネ14店舗で、295億円→21,07
エキュート4店舗で、240億円(2009年3月)→60
エキュートの売上1年目→2年目
大宮87億円→93億円
大宮乗降客数2000人増加
品川34億円→66億円
品川乗降客数6000人増加
両駅1年目入場券発行数前年同期比で約2倍に
新 た な 駅 の 顔 ! ? エ キ ュ ー ト
ecute は eki(駅) center(真ん中) universal(総合) together(一緒に) enjoy(楽しむ) の造語である。
JR グループ発足後、社員の足並み揃わぬ中で、当時 JR 東日本社長 住田正二は「駅」の改善
を一大テーマに掲げる。旧国鉄時代の駅は、乗降するただの場所でしかなかった。駅は通過する
場所。当時の乗客及び国鉄職員でさえこう考えていただろう。しかし、民営化することで利益優
先の経営を求められる中で、駅を通過する場所からとどまる場所へと生まれ変わらせるのであ
る。借金返済のため多くの土地を失った JR は、駅という最高の立地条件を持った資源へ、徹底
的に付加価値を加えていく。トイレの改革・エキコン等様々ある中で、今回は利益を得るための
戦略であるエキュートを取り上げて説明する。
駅の立地は①駅ほど大勢の人間が集まる場所はない ②駅ほど立地条件のいい場所はない
③駅ほど交通の便がいい場所はない しかし、だれもが立ち止まることなく過ぎ去っていく駅、
これほどの潜在能力をもった資源を、最大限強化していくことに発足当時苦心したのである。
平成 12 年「ニューフロンティア21」始動→ステーションルネッサンス提唱
※ステーションルネッサンスとは?
「一日 1600 万人が利用する駅空間を、最大の経営資源と捉え、そのあり方を見直す」考え。
駅構内開発の 3 パターン
①駅改札内開発
②駅改札外開発
③駅ビル開発
この 3 つが挙げられる。
エキューとは①駅構内開発をさしており、駅全体を一つのショップとして捉えた、駅と商業施設
を一体化した新しい商業空間事業「駅構内開発小売業」と謳っている。これは、外部運営会社に
よる既存店依存を排除することで、JR が駅構内施設の主導権を握ることを意味する。別々であ
った商業と鉄道を一体化させるため、照明・トイレ・広告などのルールを変え、運営権も既存の
駅ビル会社や駅構内で小売り経験のある会社ではなく JR 東日本ステーションリテイリングを
運営主体とした。
ターゲットは!?
毎日駅を利用する流動客のなかで、ボリュームが大きい層は20代~30代という理由から、2
0代~30代の通勤通学客・新幹線を利用するビジネスマンとなっている。
エキュート発足の社会的原因は!?
①少子高齢化による通学客の低下 ②団塊世代の退職による通勤客の低下 が挙げられ、
他の私
鉄企業に後れを取ったが、ついに脱車輪の一歩を踏み出したといえる。しかし、駅の利用者が
減ると分かっているにも関わらず、駅構内の開発事業に着手したことは、前述したように、土地
の多くを失ったが故の、苦肉の策であったのではないかと我々は考えた。
エキュートに対する4P 分析
Product
ecute の Product は、デリ・スイーツ・雑貨・飲食店・サービス等の店舗、立川の店舗には保育
園・複合クリニックで、大宮69店舗、品川 46 店舗、立川 85 店舗で展開されている。これら
は、社員が自らの足で探してきたオススメ店ばかりというのが特徴。また、初出店のショップ・
新ブランド店や、ecute 限定商品もある。
ecute では、足早に流れていくお客様に足を止めてもらうには、常に変化のある売り場作りが必
要と考え、季節限定の小規模店舗なども出店している。
(Toffy THE SHOP)
Place
調査対象とした ecute 大宮・品川・立川駅は、日常的に人の往来が激しい駅としての潜在的なポ
テンシャルを十分に生かしているといえる。
Price
駅の改札内の店舗としては、やや高価格だ。600~800 円のケーキや、一万円以上のバックとい
った、駅構内と考えれば高価格なものでも売れている。駅ナカに求められる日用品とスピーディ
ーだけでなく、高品質と高感度も融合している。
これを踏まえたうえで、下の表を参照してもらいたい。
駅構内~駅周辺店舗等での買い物データである。
買い物件数は 2.5%と低く、また駅構内で求められている金額・商品に驚きを隠しえない。駅構
内における消費者のニーズは、缶コーヒーなどの飲料から、菓子や立ち食いソバなど 1 コイン
で済ませられるものがほとんどである。駅構内の買い物金額平均がしっかりと裏付けている。
Promotion
Promotion は、CM や、駅構内・電車内ポスターを利用しているが、駅は宣伝しなくても人が集
まるという最大の利点がある。
まとめ
これらのデータより、promotion・place・product における戦略はかなり高いレベルであるとい
える。商品における、今までにはない商品で消費者を飽きさせない頻度で限定ショップを開くな
ど、東急ヒカリエにおいても、類似した製品・出店店舗誘致に対するこだわりを感じることがで
きる。 しかし、Price は完全に的外れになっているのではないだろうか。駅構内における消費
者心理として、高額商品を買うことはナンセンスであり、求められていないのである。ニッチを
卓越しすぎており、これでは電鉄事業を支えるほどの事業へと成長することのできない、負け犬
もしくは問題児止まりの事業体になってします。駅からこだわりの商品を世に打ち出す。この姿
勢は、差別化戦略上重要であるが、ニーズを無視した商品価格設定は、ただの暴走である。
Promotion・place・product の機能を邪魔しない Price 設定の、言わば高級コンビニ店と進化で
きれば、すべてのニーズを捉えた事業展開が可能となるのではないだろうか。
ヒカリエとエキュート実際のお客さんとは
250
250
200
200
150
150
女性
100
女性
100
男性
男性
50
50
0
0
ヒカリエ1時間の客数
エキュート1時間の客数
上記はヒカリエとエキュートの1時間における客数である。2つを比較するとヒカリエ
はターゲットと実際に訪れる各層にギャップはなく、20 代 30 代が中心となっていることが
わかる。エキュートのグラフを見ると 30 代 40 代女性の数が多く、ターゲットとするビジ
ネスマンという存在よりも OL や主婦層の存在が目立ち、また、全体的に広い層の顧客が利
用している。これはターゲットの絞り込みがエキュートの場合うまく行えていないのでは
ないかと考えることができる。ヒカリエは徹底したターゲットの絞り込みを行っているが、
エキュートの場合、20代~30代の通勤通学客・新幹線を利用するビジネスマンとざっ
くりしたターゲットの選定となっている。そして実際には女性が多く利用しており、ター
ゲットと実際の利用者にギャップが生じている。ターゲットという点で、ヒカリエはうま
く絞り込み実際の集客にも成功し、エキュートは絞り込みと実際の集客がうまくマッチし
ていないことがわかる。
まとめ
我々が着目した歴史という視点。これが大きな成果をもたらしてくれた。それは、国鉄
ストーリーは誰しもが知るところであるが、東急電鉄の強みを歴史によって発見すること
ができた。①もともと電鉄企業でなく、不動産会社であり、巨大な不動産資本と、ノウハ
ウも持つ企業。②五島慶太の存在
③関東大震災という最大の苦難をバネに大躍進。
また効率的な路線設営と、多くの利点を垣間見ることができた。それをもとに、109の
独特かつ斬新な戦略展開、ヒカリエという渋谷戦略における最大の転換期という現代スト
ーリーを混ぜ合わせる事で東急電鉄の強さを明確にできたと考えている。
国鉄→JR は、国に左右され続け、借金返済のため多くの土地を喪失してしまった。「まず
は、できる事から」このテーマこそ JR が早期的躍進を可能にしたといえる。通過するだけ
で、汚く暗い駅のイメージ改革、その筆頭がトイレ改革だった。トイレの改善に180億
を費やす企業がほかにあるだろうか。しかし、地道且つ、顧客目線に立った改革を積み重
ねたことで、駅の魅力を向上させてきた。
現在の JR・東急電鉄に共通する事。それは「こだわり」である。今までにないもの、そ
こでしか手に入らない物を、苦労を惜しまず探究している。流行の発信源となり続ける覚
悟の東急、駅から魅力的な感動を生み出したい JR。胸にする思いは異なるも、顧客第一の
姿勢で今後も「こだわり」を忘れず活動をしていくであろう。しかし、圧倒的な違いは、
開発力と立地である。本来開発業者であった東急、渋谷など魅力的地域に大きな土地を保
有するため、好きなように街を彩ってきた。対する JR は、借金という重しをなくすため土
地を売り、残った「駅」に集中投資をしている。駅ほど人の集うところはなく、駅ほど便
利な場所はない。しかし、求められるニーズが双方で全く異なっている。渋谷で買い物を
するとき、駅で買い物するとき、当然購買可能額というものが異なるのである。このニー
ズにそぐわぬ「こだわり」を爆発させているのが JR であり、こだわる一方で、立地的環境
を考えなくては、彼らに鉄道事業を支える新たな事業は、問題児ないし負け犬のまま、認
知されることなくこの世から消えていくと考えられる。
また、少子高齢化に歯止めがかからない日本。鉄道利用者が確実に減少している中、町の
魅力を上げる東急と、駅の魅力を上げる JR。どうしても後者は、不利的環境に立たされて
いることは言うまでもない。しかし、上記グラフから見るようにヒカリエ以上に来店客数
が多いのはエキュートなのである。販売促進活動を行わず、認知度も今一つのエキュート
は駅という利点を大いに活用できている。駅のポテンシャルを最大限生かす戦略が今後の
成長を左右するといっていいと考えられる。
歴史の大きな違いと、駅への捉え方、また、戦略の違いが大きく関わっていることが、今
回の研究で検討することができた。
最後に、優れた駅前商業施設というのは、立地条件に求められるニーズ・消費者心理を的
確に把握し、そのうえで必要とされた施設を作り、また流行の発信源になるような、こだ
わりのテナント誘致によって、日々変化するニーズに、自らも変化適応させていくことで
あると、我々は定義づけて今回の研究を締めくくることとする。
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