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Page 1 一、はじめに 『源氏物語』最後の女君である浮舟は流転を

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Page 1 一、はじめに 『源氏物語』最後の女君である浮舟は流転を
﹁春のあけぼの﹂に着目してー
浮舟詠﹁袖ふれし人﹂は誰か
一、はじめに
西美来
﹃源氏物語﹄最後の女君である一#蛙砥を繰り返した末に、手課﹂において出家を遂げる。そして、春、祢の花を見て、
過去の追憶に耽り一首の歌を詠む。
袖ふれし人こそ見えね花の香のそれかとにほふ春のあけぼの
この歌は市砥代から﹁袖ふれし人﹂靴を指しているのかについて見条分かれている。近年四袈亨は怖の花を深く
愛していたのは匂宮であったことからこの﹁袖ふれし人﹂は匂宮であったとする匂宮説が有力となっている。しかし、諒祝を
(住3)
支持する論も根強く、近年では歌二西葉の具体的な考証を通して、﹁栃の花の香に喩えられるのは圧倒的に薫が多﹂いことから﹁袖
{注ι
ふれし人﹂は薫であるとする高田祐彦氏の説が異彩を放っている。また、誓匂宮の両方を﹁袖ふれし人﹂は指しているのだ
とい、?腎ルもある。たとえぱ、三田村雅子氏は、田舎育ちの浮舟に香倫別は不可能であるとし﹁一野にとって、燕匂宮は
-19-
,」、
<注5)
一熊一体となって、都の憧れの貴公子の香を持った存在だったのであり、ここで浮舟がまざまさと思い出しているのも、その
ような共厶子に愛されていた浮舟自身の夢のような陶酔の日々の記憶だったのではないだろうか﹂としている。
このように様々な角度から、浮舟の﹁袖ふれし﹂詠は検討されているが、黙句﹁春のあけぼの﹂という曹着目し、論を
展開しているものはない。しかし、この﹁あけぼの﹂という語は^源氏物^胆が^筆された当時においては新^叩であり、歌^叩
としては定着していない語であった。
朝の早い時問帯を歌に叉込みたいのであれば、﹁あさぼらけ﹂や﹁しののめ﹂という栗選択されることが多かった。そ
こで、本論文では歌の中に﹁あけぽの﹂という牙入れたことには何らかの北傑があったのではないか、と考え、﹁春のあけ
ぼの﹂という語がこの詠歌の中で果たしている役割を考えていきたいと思う。
气﹁春はあけぼの﹂と﹁春のあけぼの﹂
さて'舟詠において﹁秀あけほの﹂という語句が果たしている役割を考えていく前にまず、﹃源氏物語﹄に見える﹁春
のあけぼの﹂という栗何の影糾で告た雫あるかを老えたい。
、
、
この﹁春のあけぼの﹂とい
し う曹ついて
し は、﹃枕草子﹄の初段﹁春はあけぼの﹂影糾を受けているのではないか、という
^^^^になされている。^^一^子^以^削に成立した物^叩や日^、^えて和歌には^^^と^あけぼの^という^叩を結びつけ
た例はない。そのため、春のあけぼのの美を発見したのは染ノ納言である可能業高く、そ霊祥を受けて﹃源氏物語﹄にお
いて﹁春のあけぼの﹂という表現が発生したのではないか、と先行研究はみているのである。
確かに、﹃枕草子﹄の初段﹁春はあけぼの﹂の印象深さを考えると、﹃源氏物語﹄における﹁春のあけぽの﹂という表現が﹁春
はあけぼの﹂号料を受けていると老えることは妥当なことに思える。加えて、紫式部は﹃紫式部日記﹄において染麺西の
-20-
ことを﹁したり顔にいみじうはべりける人﹂(二0二)などと沓き、人柄を酷評し、さらには彼女の学才を否定するようなこ
と圭国いているが、﹃源氏翻豊を読んでいると﹃枕草子﹄の表現を踏まえた表現がいくつも見られることが分かる。たとえぱ、
朝顔巻において、﹁御簾捲き上げさせたまふ﹂(四九0)と源氏が御簾をあげて雪をみるという場面があるが、これは先行研究
(住7)
において指摘されているように、﹃枕草子﹄において染ノ納言が御簾をあげて鴛往を見た、という場面を踏まえたものであ
、
(注8)
ろう。この他にも、﹃僻十子﹄の彫郭が指摘されている場面はいくつもあり、たとえば、若菜上の唐猫の記述は﹃枕草子﹄の﹁、つ
(住9)
へにさむらふ御ねこは﹂を踏まえているといしう指摘や、中宮定子の人物像が藤壺中宮の人物像に斯音を与えている、という指
摘もなされている。
このように、﹃源氏物語﹄を紐解いていくと、﹃枕草子﹄の斯告を受けている場面がタタ々出てくることが分かる。このことを
考慮すると、先行研究が指摘しているように﹁春のあけぼの﹂という表現も﹃枕草子﹄霊郭を受けて成立した雫あるとみ
てもいいのかもしれない。しかし、そ、つ老えるのには問題があるように思われる。
君嘉糸上)の春の曙に心しめたまへるもことわりにこそあれ阿雲四六五)
春の曙の饅の間より、おもしろき樺桜の咲き乱れたるを見る心地す。(野分二六五)
袖ふれし人こそ見えね花の香のそれかと匂ふ春のあけぽの(手習三五六)
7やうやう白くなりゆく山際﹂や﹁ル糸だちたる雲﹂などが登場していないこと
右は、﹃源氏物語﹄において﹁春のあけぼの﹂という栗使われている例のすべてである。これを見ると分かるように、﹃枕
草子﹄で勇れるところの春の情趣、たとえぱ
が分かる。今回、問,している﹁袖ふれし﹂詠の前の本文は次の通りである。
-21-
閨のつま近き紅楡の色も香も変わらぬを、春や昔のと、こと花よりもこれに、キせのあるは、飽かざりし匂ひのしみ
、
いとど匂ひ来れば
、
にけるにや。後夜に閼伽奉らせたまふ。下繭の尼のすこし若きがある召し出でて花折らすれば、かごとがましく散る
に
袖ふれし人こそ見えね花の香のそれかとにほふ春のあけぼの
(手習三五六)
これを見れば分かるように、そこに拙かれるのは枷の花の色や匂いばかりで、﹃枕草子﹄か良しとした春の情趣は拙かれて
いないのである。
ル弐部は清小ノ納言をライバル視していたような観があるから、あるいは、清少池西か拙かなかった﹁春のあけぽの﹂の情趣
を揣くことで﹃枕草子﹂の向こうを張ったとみることもできるかもしれないか、疑問が残る。もしも﹃枕草子﹄に対抗したい
b希ちがあったのであれぱ、そもそも﹁春のあけぼの﹂拘体を京し、﹁秀夕暮れ﹂や﹁券夜﹂の美を描くのではないか。
こういった観点から、﹃源氏物語﹂における﹁秀あけぼの﹂表程璽早子﹄の膨郭を受けて成立したとみることは困難
先に ^、^草子^以前に成立したL父芸^品には^^^と^あけぼの^を結びつけ、その^趣を礼^Hしているものはない
であると惑じる。
さて、
と述べた。しかし、河Π尖難梁﹄及び﹃大火傑御集﹄という﹃枕草子﹂よりその成立が先か後かをはっきりと駆口できな
い文献に﹁春のあけぼの﹂が登場する例があることが鴫冊できる。
恋しさも秋のタべにおとらぬは霞たなびく^^和泉式部続集^
中将、中務、秋の琴兌めのあはれ、こと古めかしう、改めて定むるに、中将、赤のあけほのなむ、まさると、あらがひて
-22-
のころ(大k僻御染)
右の二つの例も﹃枕草子﹄の影祥で発生したとみる意見もあるが、成立年次がはっきりしない以上、そう断言することには
問祭あるといぇよう。上野辰義氏は﹃源氏物語﹄の﹁秀あけぼの﹂表現を璽孚の縣晋を支けたとするには、源氏物語
作者の主^^が疑われかねない^としたヒ、で、^^斎院御染^における^^優劣^加の六ル述に着目し、^^一^子や源^物^叩^成立
していた頃、具体的には一久而の鉾中器院御所を中心に、赤の黎明の倩趣と、タべを核にした秋の倩趣との優小需印が盛ん
(注川︺
に行われていたという現象﹂を墾疋し、そのような雰囲気の彩無を受けて、﹃源氏物気巴において﹁春のあけぽの﹂という表
現が見られるようになっ た の で は な い か 、 と し て い る 。
0
﹃大斎院御染﹄の詞腎を見ていると、染に、その可能陛は高そうに思える。しかし、私は﹃源氏物語﹄の﹁春のあけぼの﹂
という表現は﹃和内尖鄭契﹄の﹁恋しさも﹂詠烹鞍して成立したものであると主張したい
夜、睡も寝ぬに、障子を急ぎ開けて眺むるに
恋しさも^のタ、^に^秀らぬは.^咲たなびく^のあけ^の
^に^^泉^^吐・^^^の^亦^しさも^一^の^^,^と詞^口を引いた。この^の上の句は、^ロ^マ^、^亦堂、一醗み人知ら^の^い
つとても恋しからずはあらねども秋のタべはあやしかりけり﹂という歌を踏まえ、秋のタべ以上に人恋しさが勝るのは、﹁春
のあけぼの﹂であるとしている歌である。この歌が﹃枕草子﹄よりも先に詠まれたのか、それともあとに詠まれたのかは分か
らない。﹃和泉式部集﹄には消小ノ納言との顎合歌も掲載されているから、二人の間にはある程度の奨Xがあったことは問述い
ない。ただ、そうはいっても、成立年次がはっきりしない以上、この^が^^草子^の彬一紳を受けたか否かを^^するのは不
-23-
可能である
0
この歌と﹃枕草子﹄の関わりはおいておくとして、先行研究にはこの歌と﹃源氏物語﹄の関係について論じたものはないが、
﹃源氏物語﹄の﹁春のあけぼの﹂表現はこの歌の斯琴受けているのではないか、と私は考える。
たとえば、紫上が春を愛していて、特に﹁春のあけぽの﹂を愛していたことは薄釜﹂の﹁君(※紫上)の赤の曙に心しめた
まへるもことわりにこそあれ﹂(鷲一四六五)という光源氏の豆永からも漢知ることができる。ところで、これに先立つ
場面で光源氏は秋好中宮に春と秋のどちらを特に好ましく思うかを訊いていて、それに対して、中宮は、
﹁ましていかが思ひ分きはべらむ。 じにい つとなき中に、あやしと聞きしタべこそ、はかなう消えたまひにし霞のよ
すがにも思ひたまへられぬべけれ﹂
〒嬰四六二頁)
と、和泉式部が﹁恋しさも﹂の歌の上の句で踏まえた歌﹁いつとても恋しからずはあらねども秋のタべはあやしかりけり﹂
を踏まえ、秋のタべを愛すると竺ているのである。さて'雲巻から時が過ぎ、六条院が完成した後、紫上と秋好中宮は様々
な場而で春秋優劣論を戦わせていくこととなるが、﹁秋のタべはあやしかりけり﹂という歌を踏まえ、秋を良しとする中宮と
は逆に、﹁春のあけぼの﹂を良しとする紫上の姿勢はまさに和泉式部の﹁恋しさも﹂詠と拙造が同じである。加えて、野徐﹂
において、紫上は夕霧に姿を見られ、﹁春の曙綴の問より、おもしろき樺桜の咲き乱れたるを見る心地す﹂(二六五)といわ
れるが、﹃枕草子﹄においては﹁春のあけぼの﹂の戸については特筆されていないが、和泉式部の﹁恋しさも﹂詠におい
ては﹁野なびく春のあけぼの﹂とあるように﹁春のあけぽの﹂と亘が曾つけられている。紫式部と和泉式部はともに
彰子に仕え、^糸式部は^糸式部日司ル^において和泉式部の人^を問題^しつつも歌^については高く^^している。だから、
-24-
紫式深和泉式部の﹁恋しさも﹂詠を知っており、その歌烹織しつっ、﹁春のあけぼの﹂という語粂を﹃源氏物語﹄に取り
、
込んだとみてもいい
し のではないだろうか。そう老える方が、﹃枕草子﹄影準﹃源氏物語﹄中に﹁春のあけぼの﹂という語
か生じたとするよりも泉一であると考える。
また、和泉式秀﹁恋しさも﹂ 一詮 ﹃和泉式部集全釈﹄が﹁これは亘に故人を連想する当時の感じ方﹂から亡き人への
思いを詠んだ歌かもしれない、としているが、この歌が全釈において述べられているように再び戻ら安論を懐かしくも悲し
くも思っているとい、?薫味をはらむのであれぱ、この歌の鳶昂は、浮舟詠﹁袖ふれし﹂に通じるものがある。この袖ふれし人
が'、匂宮のどちらであったにせよ、二人は浮舟がもうこの世にはいないと思っており、さらに、浮舟は出家を遂げてしまっ
ている。このことから i白巻の現状においては)浮舟には、薫・匂宮の両者と豊瀬は否定されている。再び取り戻せ窪
瀬を恋い琴っという点では、﹁恋しさも﹂詠と﹁袖ふれし﹂詠の構図は重なり合う。
﹃、整物語﹄における﹁春のあけぼの﹂表ぎ﹃和泉式部続集﹄影紳を見る先行研究はない。しかし、﹁あやしと聞きしタ
べ﹂を否定し、﹁春のあけぼの﹂を高く評価するという構図や過ぎ去っ左輸を懐かしく思う歌に﹁春のあけぼの﹂が使われ
ていることを老えると、﹃源氏物語﹄の﹁春のあけぼの﹂表現は﹃枕草子﹄ナ憙識したものではなく、むしろ﹁恋しさも﹂詠
を斉誠したものと老える 方 が 妥 当 で は な い だ ろ う か 。
二气﹁あけぼの﹂のはらむ意味
さて、﹃源氏物語﹄における﹁春のあけぼの﹂が先行研究でいわれているように﹃枕草子﹄の斯音を受けているのではなく、
むしろ﹃和泉式部一梁﹄の﹁恋しさも﹂誘彬瓢を受けているのではないかと述べてきたが、以下'仔舟腎﹁袖ふれし人﹂
は匂宮なのか薫なのかについて論じていきたい。結除ら述べると、私は﹁袖ふれし人﹂は匂宮であると考えるものである。
-25 -
﹁あけぼの﹂とい、需は﹁暁﹂と﹁朝ぼらけ﹂のちょうど開の時問一1不す雫ある。夜の明ける前のまだずいぶんと暗い
時岡帯を指す﹁あかつき﹂から時闇が進み、空が内んで明るくなってきた時間梦七指すのが﹁あけぼの﹂という語なのである
、
が、﹁あ け ぼ の ﹂ と ﹁ 朝 ぼ ら け ﹂ 忠 い に つ い て
し はいまだに判然としていない点がある。石田祺二氏は﹁あけばの﹂と﹁あさ
ぼらけ﹂の相述について、﹃源氏物超や尻早子﹄の用例を詳細に検剖され﹁時刻から言へぱ、﹁あけぼの﹂の方が﹁朝ぼら
(証R)
け﹂より早く、明るさから言へぱ、﹁あけぼの﹂の力が陪い。それは空がやうやく明るさを取り戻した頃である﹂とし﹁﹁あけ
ぼの﹂と﹁朝ぽらけ﹂の差は、飾単に言へぱ明るさが述ふ﹂ということだ、と結曾出された。しかし、当時の文学作品を見
ていると、﹁あけぼの﹂と﹁朝ぼらけ﹂が泥同して使われている例があることが分かる。たとえば、﹃夜の棄見﹄巻四には
明けぬるに、^^削の^^子一朋^かりまゐら^て、三^な^ら、ψ^にゐざり出でたまひつれば、名に辻乢れたる^の^土.小阪み
わたり、(中略)こ倫は恋しきことぞ、返るらむ波よりもしげきや。
璽見の1)朝ほらけ妾き身かすみにまがひつついくたび赤の花を見つらむ
(中略)
傘祁の十)いつとだに憂き身は思ひわかれぬに見しに変はらぬ春の鵬
9西七S三四八)
とあり、地の文では今現在の時開帯を﹁あけぼの﹂としているにも関わらず、その﹁あけぼの﹂において詠まれた{昼の上
の歌には﹁朝ほらけ﹂という語が使われ、さらにこの歌に対する宰相の上の返歌には﹁あけぼの﹂という語が選択されている
のである。この点に関して、石田氏は﹁﹁あけぼの﹂と﹁朝ぼらけ﹂に使ひ分けがあるやうには見えない﹂と判断を保留して
-26-
(註E
いる。この而氏倫を受けて、伸道隆氏も﹁﹁あさぽらけ﹂には﹁あけぼの﹂とちがう部分よりむしろ益する部分の方が
多いよ、つに思われる﹂とされている。
また、先行研究では指摘されていないのだが、﹃源氏禦巴においては﹁あかつき﹂と﹁あけぼの﹂の冏に混同があること
我もうちとけて、勲凸のあはれなりし曙もみな聞こえ出でたまひてけり
(葉云
(賢木
四五九)
三一四)
に気付く。
昔の御小ども、かの鷲凸に立ちわづらひし哩厶どを削こえ川でたまふ
源氏は、六条御息所との野宮の別れの思い出を賢木巻においては朱雀帝に、薄雲巻においては秋好中宮に語る。ここで源氏
は六条御息所と別れたのは﹁あけぽの﹂のことであったとしているが、実際に別れたのは
や、つや、つ明けゆく空のけしき、ことさらに作り出でたらむやうなり
あかつきの別れはいつも露けきをこは世に知らぬ秋の空かな
(業八九)
と、本文にあるように﹁あかつき^のことであった。だから、源^は^野{呂のあはれなりしあかつき^とでも言わなくてはな
らない。それにも関わらず、源氏は﹁あけぽの﹂とい、需を元も如鞭している。
﹁あかつき﹂﹁あけぼの﹂﹁あさぽらけ﹂という三語の時問帯は隣接していることから、このような況同が見られるのかもし
れない。しかし、﹃源氏玖豊ではこの野宮の例以外には﹁あかつき﹂と﹁あけぼの﹂の混同はなく、それぞれ倫が明確に別々
-27ー
の時問帯を示していることが分かる。だから﹁あかつき﹂と﹁あけぼの﹂がほぼ同繋叩であるからこういった現象が起きてい
ると考えることはできない。では、﹁あかつき﹂﹁あけぼの﹂﹁あさぽらけ﹂の需の差異とは何かをぢぇると、それは過去と
結びつくか否かという点にあると考える。
﹁あけほの﹂とい、嵒の使用例を見ていると、﹁あけぼの﹂は﹁見る﹂の{需になることができることが分かる。具体的な例
を挙げると、たとえば﹃蜻蛉1﹄に﹁あけぼのをみれば'奈=かと見ゆるもの立ちわたりて﹂(一三三ごという文があるが、
この而を見ると分かるように﹁あけぼの﹂が﹁見る﹂という語の鴛叩となっている。先行研究において既に指摘されている
ように、あけぽのという語は﹁現代語でいうなら、﹁(あの時所の夜明け)のできごと・風景﹂とでもいうような具体的な内
(主玲)
、
容﹂を内包することができる牙のである。そのため、﹁見る﹂といっ
し た動作の﹁客語﹂になることができるわけである。こ
れは、﹁あさぼらけ﹂や﹁あかつき﹂にはない機能である。﹁あさぼらけ﹂や﹁あかつき﹂は時を示すだけで、戸谷語﹂になる
ことはできない。
このことを踏まえ﹃源氏玖狸と﹃夜の寝覚﹄の、﹁あさぼらけ﹂もしくは﹁あかつき﹂とあるべきであるのに﹁あけぼの﹂
とい、需が選択されている一肌を見ると、これらの﹁あけぽの﹂とい、需は時問を示しているというより、過去のある風景を
喚起する語として使われていることが分かる。源氏は﹁あけぼの﹂という時問を示したかったのではなく、過去に野宮で過ご
した美しい風,七尓す,して﹁あけぼの﹂を使っているのである。また、﹃夜の棄見﹄の蜜見の上と{希の上の例を見ると、
撫見の上鼠の視誓今この瞬冏の﹁朝ぼらけ﹂とい、'冏にあり、その情趣を詠っているのに対し、宰相の上の歌の視座は
﹁見し﹂という語が示しているように過去にある。ここでは﹁あけぼの﹂という語は早朝という時冏を示しているというより、
幸福だった過去の春翁の風条を喚起する語として使用されているといぇる。
先に引いた和泉式部の﹁恋しさも秋のタべに劣らぬは野なびく春のあけぽの﹂という鰹全祭﹁歌の表面では言ひ残さ
れたもう一っの﹁春のあけぼの﹂尋性、世人一般に反射的極想される何かがあった事が.栗される﹂としており、﹁春の
-28-
あけぼの﹂が何を喚起するのか鳶問視されているが、﹁あけぼの﹂が過去の条を喚起する機能を持っていることを考えると、
五となった故人と過ごしたありし日の春の朝の風景を﹁春のあけぼの﹂という語は暗示しているといぇるのではないだろ
うか0
過去を喚起する﹁あけぼの﹂という語尋質を考えると浮舟の﹁袖ふれし﹂誘最終句﹁春のあけぼの﹂という語も過去の
特定の春の早朝の条を明確に示しているといぇるのではないか。
浮舟の軌跡を追っていくと'舟は春の早朝を誓は過ごしていないことが分かる。彼女は秋に蕉にょって宇治の山荘に迎
え取られ、年が明けた春に匂宮と不義を犯し、入水を腎一し、宇治から姿を消す。この春の問に、董様文をタタく送ってはいる
ものの宇治に出向いたこ と は 一 度 し か な か っ た 。
しかも、その時に薫は﹁夕つかた﹂に宇治を訪れて、匝には京へと帰っていた。浮舟と薫は春の夕方の時間はともに過
ごしたが、春の早朝の時間はともに過ごしていないのである。
対して、匂宮はどうであったかというと、匂宮は﹁夜ふけ﹂の頃に宇治に来て、いつも何日か浮舟のもとに滞在していた。
一#は匂宮とは春の早朝をともに過ごしていたのである。二度目の逢瀬の際に匂宮と浮舟は対岸の隠れ家径日かを過ごすが、
その日々は浮舟にとって忘れがたいものとして心に残っていた。匂宮に抱かれて川を渡ったときはちょうど﹁有明の月澄みの
ぼりて﹂(一五0)と本文にあるように有明の月が美しい頃だったのだが、その後、浮舟は﹁暮れて月いと明し。有明の空を
思ひ出づる涙のいとどとめがたきは、いとけしからぬ心かなと思ふ﹂(一六五)と、匂宮と対岸の轍れ家で過ごした日々を思
し出し一砂に丸^れていた。
浮舟は手習巻において過去のことを回想し、
やうやう身のうさをも慰さめつべききはめに、あさましうもてそこなひたる身を思ひもてゆけば、{呂を、すこしもあ
-29-
(手羽曲三三こ
はれと思ひきこえけん、^ぞいとけしからぬ、ただこの人の御ゆかりにさすら^ぬるぞと思へば、^島の色を例に契り
たまひしを、などてをかしと恩ひきこえけん、とこよなく飽きにたる、心地す。
と、{呂との関わりが自分を不幸にした、とぢぇ、匂宮のことを雛tていた。しかし、その一力で、
t白三五四)
﹁乳にぞまどふ﹂とのたまひし人(※匂宮)は、、心憂しと思ひはてにたれど、なほそのをりなどのこと^※山荘の対
岸の隠れ家で過 ご し た 日 の こ と ) は 忘 れ ず 。
とあるように、対岸の隠れ家で過ごした日々のことは甘やかな思い出とし工牙の心に残っていた。
浮舟は燕とは春の早朝を過ごしていないのに対し、匂宮とは春の早朝をともに過どしていた。そのことに加え、匂宮と進)
した吽問を#舟がなつかしく思っていゑ張か本文中に幾度も記されていることを考えると、﹁祁ふれし﹂詠の最終句﹁赤の
い
0
あけぽの﹂という句が喚起している過去の風[椴匂宮と過ごした春の早朝の鼎昂であったと老えることができるのではないだ
ろうか。この﹁袖ふれし﹂一誓おい恩起されているのは夢ぐはなく匂宮であるとみた
四、おわりに
以上、^袖ふれし人^^^ではなく、匂宮を^しているとみるべきだと意見を述、、^てきた。^四^を見て、浮州か思い起こ
-30-
したのは匂宮と対岸の隠れ家で過ごした春の早朝の^条だったのだ。
浮舟は燕とは秀夕つかたにし窪瀬を持っておらず、加えて、そのときに誓一#を前にしながら、大君を思い起こし﹁恋
しき人にょそへられたるもこよなからず﹂(一四五)と思、つぱかりで、浮舟自身を見ようとはしなかった。また、浮舟も一烝を
前にして匂宮のことを思い起こし﹁もよほさるる涙、ともすれぱ出でたつ﹂全四五)ばかりであった。燕三仔舟は同じ時闇
を共に過ごしながら、お互いに胸の内ではそれぞれ別の相手を思っていたのである。同じ空闇にいながら二人の心が交わるこ
とはなかったのだ。
対して、匂宮との逢瀬はどうであったかというと、二人は春の早朝を共に過ごし、﹁、心のどかなるままに、かたみにあはれ
とのみ﹂(一五四)思いあっていた。加えて、対岸の隠れ家で過ごした二度河の次論の際に、匂宮は雪の中を距§"のもと
へ通ってきたために衣服が濡れてしまっており、その掘丸のために衣服の香りが﹁所狭う匂﹂つていた。このことは﹁袖ふれ
し﹂詠の﹁花の香のそれかとにほふ﹂という表現と郷きあう。
また、浮舟は匂宮と対岸の隠れ家で過ごした逢瀬の事を幾度か思い出しているが、羨苫の逢瀬を思い起こすことはなかった。
浮舟が体験した印象深い﹁春のあけぼの﹂の次輸は匂宮とのそれでしかありえない。だから﹁いとどしく匂﹂う毎の花を前に
して、浮舟^思い^こしたのは匂宮と過ごした^の早朝の^景であり、^袖ふれし人^も匂宮だったのだと主張したい。
ところで、﹁袖ふれし人﹂を匂宮だとすると、手羽暑において浮舟が匂宮のことを思い起こし﹁こよなく飽きにたる心地す﹂
、
と思っている町張と矛盾するのではないか、といしう指摘が﹁袖ふれし人﹂を薫とみる先行研究においてなされているが、これ
につぃて脊ルを述べると、一#が恋しく思っているのは匂宮ではなく、あくまで彼と過ごした﹁春のあけぼの﹂という時問だっ
たのだと見れぱ矛盾はない。浮舟は手習巻において妹尼や周囲の女一房たちと分かり合うことができず孤立していく。そんな中
つ意いと同一線上にあるのがこの﹁袖ふれし﹂季あると考える。
で、一牙は自分のル尋ちを理解し、思いを共有してくれていた恐や乳母そして乳母子の右近のことぱかりを思い§す。そう
い
-31-
浮舟は対岸の隠れ家に向かう途中で匂宮と贈答歌を交わしているが、﹁年経ともかはらぬものか橘の小島の崎に契る心は﹂(一
五一)という匂宮の歌に対して、浮舟は﹁橘の小島の色はかはらじをこのうき舟ぞゆくへ知られぬ﹂(一五一)と橘の小島に契っ
た匂宮の心を変わらないものとして肯定する歌を詠んでいた。このとき、二人はお互いに相手の思いを信じ、相手を﹁あはれ﹂
と田三丸持ちを共有することができていたのだ。浮舟がなつかしんでいるのは匂筥その人ではなく、彼と過ごした﹁春のあけ
ぼの﹂の愽京である。相手の百うことを心から信じることができ、﹁かたみにあはれとのみ﹂(一五四)思い合い、﹁人目も絶
えて、心やすく語らひ暮ら﹂(一五三)すことのできた﹁春のあけぼの﹂の満ち足りた時問を、孤独を深めていく中で一人淋
しく思い起こしているのがこの﹁袖ふれし﹂詠なのだといぇよう。
.ニ
1
噛に、近年ではこの歌の先四論においてあえて﹁紅梅﹂と書かれていることに着目して﹁色と香を具した紅怖との緊密な関係か認めら
薫説として﹁湖村抄﹂、匂{晶としては﹁弄花抄﹂。両岩説として、珂乢抄二孟津抄﹂﹁野入楚﹂などがある。
"U
2
れるのは﹂匂{呂であることから、この袖ふれし人は匂邑あったと論じる金秀姫﹁浮舟物曹おける嘆一製現1 ﹁袖ふれし人﹂をめぐつ
3
池田和臣黒凶巻物叢1浮舟物牙、恵と構造1﹂(﹃源氏紹の人物とN﹄論集中古文学5、倫*咲一九八二)
闇田誓﹁浮舟と和歌﹂(﹃国,倒斈﹄一九八六年四月)
一年一打)器が注Uされている。
4
三田村靴子﹁方法としての<香>
て﹂(﹃国,国文学﹄二00
5
たとえぱ、岡田潔﹁﹁春晧﹂考、枕草子の前と後﹂系ル支芸﹄一九八九年三月)、吉海画人﹁一源氏物語﹄の一枕草子﹄引用﹂(﹁而文
学の本質と変容﹂散文編、和泉者院、二09
年)など。
川島免﹁器巻と消少納易■﹂(﹃研究と牙﹄一 九八九年
一一月)
1移り香の宇治十帖ヘ1﹂令琵物語感覚の仏処有精堂、一九九さ
6
7
-32-
的●又二曾竺三
之_、三写こト」「「貫ミE《ゞ、武三 U ト'く→、侭?;三ミ'、^士ざニニー将「厶J g 'ヨ"全く゛」'、K 二. Y_1 (『.1'メラ0立ヨ』 R一〒ミニご1・:<"プ、1'「「)
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