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地歌﹃長等の春﹄歌詞の表現世界

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地歌﹃長等の春﹄歌詞の表現世界
年
月、私は、月刊誌﹁邦楽ジャーナル﹂
―
田
口
尚
幸
もずっともやもやしたやり残し感はつづいていて、解説と訳
が一段落したにもかかわらず、そのやり残し感を拭い去るこ
とはできないままであった。
﹃箏曲地歌五十選
歌詞解説と訳﹄を刊行した。
もともと中古の﹃伊勢物語﹄を専一に研究してきた私が近
やり残し感を払拭しきれなかったのは、音楽面の目配りをし
いるような場合、なんとももの足りないことになってしまう。
学面からのアプローチに終始したのでは、詞と曲が同調して
―
地歌﹃長等の春﹄歌詞の表現世界
詞と曲の同調あるいは文学と音楽の融合
―
月∼
世 の 箏 曲 地 歌 歌 詞 を あ つ か う の は、 冒 険 以 外 の 何 物 で も な
てこなかったことに対するうしろめたさがあったからにちが
1
1
Ⅰ
序
平成 年
それは、つまり、こういうことではないかと思う。私は、
文学の研究者であって、音楽の研究者ではない。しかし、眼
かった。中古・中世の和歌や物語を踏まえた箏曲地歌歌詞が
いあるまい。実際、拙著﹃五十選﹄刊行後からはじまった、
年
多いとは言え、あるいは、﹃伊勢物語﹄の研究をとおして言
訂し、新たに十曲を加えて、
葉足らずで難解な文の解読になれていたとは言え、箏曲地歌
演奏家と組んでの歌詞解説と演奏の会では、詞と曲の同調を
]、もっと突っ込んだかたちで
感 じ ら れ る 瞬 間 が あ り[ 注
1
歌詞の解説と訳は非常に手強い仕事であった。もちろん浅学
融合した総合芸術である。それを文学研究者であるからと文
前にあるのは、曲にのせて歌われる詞であり、文学と音楽が
5
月、邦楽ジャーナルより
19
において﹁箏曲・地歌を解読しよう
歌詞解読講座﹂という
連載を担当していた。そして、その際とりあげた四十曲を補
9
ゆえの至らなさが主因ではあろうが、拙著﹃五十選﹄刊行後
21
―
15
文学と音楽の融合をめざさねばと考えるようになった。それ
長等山の山桜は昔ながらの美しさで咲き、
今も桜の盛りはどこも同じで、
だそうです。
例をあげ、文学と音楽の融合をめざせばいい。実は、既に私
花の盛りも一様に、
は、本稿に先立ち、①歌詞解説・②ゆかりの地探訪上︵お話
四方の眺めは尽きせじと、
高観音の庭桜、
まいと見受けられます。
四方のパノラマ的眺望は、美景が尽きることなどある
その①歌詞解説中で詞と曲の同調あるいは文学と音楽の融合
花見客で賑やかですねぇ。
庭からは遙かむこうに三上山が望めますし、
2
隔つる鳰の海の面、
―
両者を隔てる鳩の海=琵琶湖の水面
その浦々も見え渡る。
あるいは浦々もきれいに見渡せます。
行き交ふ船の楫音も、
また、そこを往来する船の楫の音も、
風の便りに聞こゆなり。
遊び戯れ、
風に乗って聞こえてきます。
ながらの山の山桜、
4
たが、
かつての志賀の都=大津宮︵京︶は荒れてしまいまし
志賀の都は荒れにしを、
朝立ちこめていた春霞も晴れ、景色がよく見えます。
春の朝立つ霞晴れ、
むかふ遙かに三上山、
を説いているのであるが、それを将来あらわれるであろう研
賑はふや。
クの本文の次に訳を示し、本文には行数も付している。
う︵拙著﹃五十選﹄を併読いただければ幸いである︶。ゴチッ
では、最初に、﹃長等の春﹄の本文および訳を示しておこ
として、本稿を位置づけたい。
高観音近松寺の庭の桜がみごとなのに加え、
]、
をうかがう︶・同下︵現地の風景︶・③演奏からなる﹁地歌動
とすれば、進むべき道は一つ。詞と曲が同調している具体
昔を今ぞ思ふなる。
4
古歌によれば、それをよすがに都だった当時を偲ぶの
4
は、やり残し感の原因が明らかになってきたということでも
4
ある。
4
究者にむけて論文化する意義はあるものと考える。その嚆矢
画講義﹃長等の春﹄編﹂をインターネット上で公開し[注
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4
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―
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1
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4
しかし、花見に興じているうちに、
14
者にとっても、それを知ることが無益なはずはない。詞と曲
の同調とは、文学と音楽の融合を意味する。単純なアプロー
春の暮。
春のタ暮になってしまいました。
チとは言え、十分意味があると思われる。
ことを、予め断っておく。
る上で重要と考える。③および②上・下をぜひ参照されたい
の風景を撮影した同下も、﹃長等の春﹄歌詞の表現世界を知
現地の方々からお話をうかがった②ゆかりの地探訪上や現地
ては、実際に③演奏を聴いて確かめてもらうしかない。また、
なお、曲の︿ゆったり↓のってくる↓ゆったり﹀感に関し
名残りを惜しむ諸人の、
名残り惜しむ人々が
入相告ぐる三井寺の、
家に入ってゆくべき日の入を、三井寺の
鐘の声さへ吹き返す、
晩鐘が告げるけれど、その音までも吹き返してしまう
風に連れ立ち散る桜。
風に、桜は連れ立って散ってゆきます。
年 月 仙 台 で 解 説 し た﹃ 茶 音 頭 ﹄ の 回 や、 年 月 西 宮 で 解
注
説した﹃夜々の星﹄の回など。
を参
http://www.kokugo.aichi-edu.ac.jp/taguchi/jiutadouga.htm
照されたい。
行目の︿ゆったり﹀した詞が︿ゆったり﹀
本節では、
ただし、 行目﹁賑はふや﹂でいきなりつまずいてしまう。
∼
とおり、私は、右の詞が、曲の︿ゆったり↓のってくる↓ゆっ
した曲調と合うところを見る。
の単純なものであるが、詞と曲の︿ゆったり↓のってくる↓
という詞は、︿ゆったり﹀した曲調より︿のってくる﹀曲調
﹁賑はふや﹂も入れられれば理想的ではあるものの、﹁賑やか﹂
―
3
桜々に送られて、
多くの桜に送られて、
歌うて帰る桜人々。
歌いながら帰途につく花見の人々ですよ。
③演奏で協力いただいた歌・三絃の竹山順子師や尺八の谷
Ⅱ
︿ゆったり﹀はじまる詞と曲
12
は じ め に、︿ ゆ っ た り ﹀ は じ ま る と こ ろ か ら 見 て い こ う。
たり﹀感と同調していると考える。私の言う音楽面の目配り
5
ゆったり﹀感が同調しているなら、演奏者にとっても、鑑賞
とは︿ゆったり↓のってくる↓ゆったり﹀感に注目するだけ
22
4
保範師によれば、地歌の場合、大まかに、︿ゆったり﹀はじ
21
4
まり、︿のってくる﹀ようになって、︿ゆったり﹀終わる、と
1
2
4
いう曲調のパターンがあるという。既に①歌詞解説で述べた
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2
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と合う。従って、
行目の同調は言わない。
行目の訳で﹁古歌によれば﹂と補ったのは、﹃平
行目の詞からうかがわれる悠久の時の流れに注目すべ
︿ゆったり﹀した詞に︿ゆったり﹀した曲調ということなら、
∼
きであろう。
万葉集・巻一の﹁近江の荒れたる都を過ぐる時、柿本朝
臣人麿の作れる歌﹂並びに反歌を本歌とし、人麿の心に
]と考え得る﹃万葉集﹄二九 三一番歌
なって詠んだものか。
とあり、本歌[注
]の二九番歌には、
を受けているため﹃千載集﹄撰者の藤原俊成が名を伏せて読
を踏まえていることが明白であるからである。平忠度が勅勘
忠度歌のみならず人麻呂歌もイメージさせようとしているか
歌のみにある﹁春﹂
﹁霞﹂
﹁立﹂を﹃長等の春﹄が有するのは、
に﹁霞﹂が﹁立﹂つところは共通する。忠度歌になく人麻呂
と あ る。 こ の 人 麻 呂 歌 に﹁ 朝 ﹂ と い う 設 定 は な い が、﹁ 春 ﹂
霞立ち春日の霧れる
人不知にした、という﹃平家物語﹄忠度都落のくだりは、現
らにほかなるまい。すると、次のとおり、﹃長等の春﹄の悠
[注
代においてなお人口に膾炙する。そして、ここで注目したい
久の時の流れのなかに、人麻呂が詠歌した時点も組み込める
さざ波や志賀の都は荒れにしを昔ながらの山桜かな
家物語﹄巻七や﹃千載集﹄六六番にある有名な古歌、
行目﹁昔を今ぞ思ふなる﹂である。壬申の乱を経
]ま
]︶
久の時の流れとなる。悠久の時の流れが︿ゆったり﹀したイ
←
その人麻呂歌を本歌として忠度が詠歌した時点
]
三時点より四時点の方が、悠久の時の流れ、つまりは︿ゆっ
7
頷いてもらえるであろう。
関連して言えば、 行目の﹁春の朝立つ霞﹂も要注目であ
る。﹃新大系﹄の﹃千載集﹄六六番歌の脚注には、
←
﹃長等の春﹄が作詞された時点[注
︵一一八三年︶
︵六八八年[注
←
そこが﹁荒れ﹂てしまったことを人麻呂が詠歌した時点
﹁志賀﹂が﹁都﹂であった時点︵六六七∼六七二年︶
ようになる。
の が、﹁ そ れ を よ す が に 都 だ っ た 当 時 を 偲 ぶ の だ そ う で す ﹂
と訳した
と号す地元出身者が﹃長等の春﹄を作詞した時点[注
ると、﹁のだそうです﹂と伝聞する主体、すなわち、雅無舎
われるが、﹁思ふ﹂に伝聞の﹁なる﹂がついている。そうな
の頃忠度が﹁思ふ﹂、というだけも久しい時の流れがうかが
て﹁荒れ﹂た﹁志賀の都﹂すなわち大津宮︵京︶を平家都落
5
メージで︿ゆったり﹀した曲調と合う、という点については、
6
―
5
で時の流れは意識されるわけで、久しい時の流れはさらに悠
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−
4
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2
注
C D 六 十 枚 組 と セ ッ ト の 平 野 健 次 監 修・ 解 説﹃ 箏 曲 地 歌 大 系 ﹄
平 ・ ビクターエンタテインメントには、
三 弦 は 菊 岡 検 校︵ 一 七 九 二 ∼ 一 八 四 七 ︶、 箏 は 八 重 崎 検 校
︵一七七六?∼一八四八︶作曲の三下り手事物。明治三年刊﹃新
う た の は や し ﹄ に 詞 章 初 出。 雅 無 舎 と 号 す る 琵 琶 湖 南︵ 大 津
あたり︶出身の人の作詞。
とある。
忠 度 歌 を 典 拠 と す る﹃ 長 等 の 春 ﹄ か ら す れ ば、 お お も と の 典 拠
という位置づけになろう。
近江荒都歌として有名。ちなみに、三○番の第一反歌は、
楽浪の志賀の唐崎幸くあれど大宮人の舟待ちかねつ
三一番の第二反歌は、
楽浪の志賀の大わだ淀むとも昔の人にまたも逢はめやも
となっており、第一・二反歌の訳に関し、たとえば、
﹃集成﹄は﹁昔
のままに﹂
﹁昔のままに﹂、中西進﹃講談社文庫﹄は﹁変わらず﹂
﹁昔
な が ら に ﹂、 稲 岡 耕 二﹃ 和 歌 大 系 ﹄ は﹁ 昔 と 変 わ ら ず に ﹂﹁ 昔 の ま
まに﹂、阿蘇瑞枝﹃全歌講義﹄は﹁昔と変わらないで﹂
﹁昔と同じく﹂、
多田一臣﹃全解﹄は﹁変わりはない﹂
﹁変わらずに﹂という言葉を使っ
ている。つまり、﹁昔ながら﹂を意味するわけで、そこが忠度歌や﹃長
等の春﹄に継承されているのであろう。
伊藤博﹃全注﹄の説による。
何年かは知り得ないが、注 が参考になろう。
Ⅲ
︿のってくる﹀詞と曲
8
たり﹀したイメージを理解しやすくなる。これは、すなわち、
詞の︿ゆったり﹀したイメージが補強されて︿ゆったり﹀し
た曲調に一層合う、ということを意味する。﹃長等の春﹄か
ら直ちに忠度歌・人麻呂歌を思い浮かべられる現代人は決し
て多くはないであろうが、拙著﹃五十選﹄を一読すればわか
るように、箏曲地歌歌詞の古典引用癖および当時の古典浸透
度は、我々の想像をはるかに超えている。我々は、忠度歌・
人麻呂歌を思い浮かべよ、との﹃長等の春﹄作詞者の指示を
きちんと受けとめ、悠久の時の流れを感じとり、︿ゆったり﹀
すべきなのであろう。
あと一つ、詞の︿ゆったり﹀したイメージという点で付言
行
12
行目で、ここは曲調
︿ゆったり﹀していたのが︿のってくる﹀なかほどに移ろう。
∼
―
5
―
すれば、﹁春の朝立つ霞﹂は、漠然としたイメージで︿ゆっ
たり﹀している。﹁晴れ﹂てしまうとは言え、︿ゆったり﹀歌
うところゆえ聴く時間はたっぷりあり、漠然とした︿ゆった
り ﹀ 感 を 味 わ う 時 間 は 十 分 あ る。
﹁春の朝立つ霞﹂は、悠久
の時の流れのなかに人麻呂詠歌の時点を組み込んで︿ゆった
∼
り﹀感を補強するだけでなく、それ自体が︿ゆったり﹀した
イメージをもたらすと考えられるのである。
以上、︿ゆったり﹀はじまるところを見てきた。
目 の︿ ゆ っ た り ﹀ し た 詞 は、︿ ゆ っ た り ﹀ し た 曲 調 と 合 う。
同調ということが言えるのである。
3
3
4
5
詞で︿のってくる﹀と言えるのは
13
5
7 6
も︿のってくる﹀。やはり、同調ということが言える。
8
2
∼
行目﹁高観音﹂は、﹁高
行目の詞には動きが認められる。カメラワークとい
う言葉を用い、説明していこう。
で見たはじめの方より同調しているかもしれない。
動きがあるのは、カメラワークにとどまらない。つづく
∼ 行目﹁楫音も、風の便りに聞こゆなり﹂には、また別種
ある福家俊彦氏と近松寺在住の今井一恵氏に協力いただいて
地の風景︶では、園城寺︵三井寺︶執事長で近松寺住職でも
の春﹄編﹂の②ゆかりの地探訪上︵お話をうかがう︶
・同下︵現
の感覚が加わってくることも、動きと言えよう。もちろん、
らは、﹁風﹂が肌に当たる感覚もイメージできる。視覚以外
なり﹂で聴覚世界が加わる。さらに、﹁風﹂とあるところか
ワークであらわしてきたのが、﹁楫音も、風の便りに聞こゆ
の動きが認められる。これまで様々な視覚世界を動的カメラ
]と補って訳した。﹁地歌動画講義﹃長等
紹介しており、詳しくはそちらを参照されたいが、ここは、
観音近松寺﹂[注
ビルが建ち並ぶまでは琵琶湖の眺望を楽しむ名所であり、桜
そ の︿ の っ て る ﹀ 詞 は、 当 然、︿ の っ て く る ﹀ 曲 調 と 合 う。
な お、 前 節 で 見 た は じ め の 方 の 時 間 帯 は﹁ 朝 ﹂︵
行目︶
動きひいては同調は、 行目まで含めていいと思われる。
であり、次節で見る終わりの方の時間帯は﹁暮[注
行目にあるとおり、
の名所でもあった︵近松寺となりには料理旅館が二軒あった
12
]﹂﹁入
行目︶である。とすれば、なかほどの時間帯は、
て見やすく、かつ、活動的である。そして、そのとおり、
昼と考えられる。昼は、三つの時間帯のなかで、最も明るく
・
行目﹁隔つる鳰の海の面﹂
]。また、
行
相﹂︵
行目にあるとおり、﹁むかふ遙かに三
という︶。実際に近松寺から眺めると、
上山﹂が見える[注
﹁庭桜﹂が目に入り、
行目のとおり、﹁浦々も見え渡る﹂。
とあるとおり、近松寺と三上山を琵琶湖が﹁隔﹂てるかたち
にもなっていて、
目﹁行き交ふ船﹂も、水運盛んなりし当時はよく見えたと考
動的カメラワークであらわしている。もちろん、つづく﹁楫
行目﹁高観音の庭桜∼行き交ふ船﹂は様々な視覚世界を
行目は、近松寺を視座とした景と
∼
]。そして、このカメラワークは、
∼
認められるのである[注
従であり、様々な視覚世界を動的カメラワークであらわすこ
界をあらわしているが、それらはなかほどにおいてあくまで
まさに動きのあるものとなっている。
の近景から、次行﹁むかふ遙かに三上山﹂の遠景に視線をと
とが主である。他方、﹁朝﹂であるはじめの方は、
行
ばし、次行﹁隔つる鳰の海の面﹂で手前に戻すと、次行﹁浦々
目の観念的な古歌の世界が主であり、﹁暮﹂﹁入相﹂である終
16
2
5
行 目 ︶ や﹁ 桜 ﹂
∼
も見え渡る﹂ではパノラマ的。動きのあるカメラワークとは、
わ り の 方 は、 視 覚 世 界 と し て﹁ 人 ﹂︵
・
詞は、︿のってくる﹀曲調と合う。同調という点では、前節
︿のってくる﹀詞ということにほかならない。︿のってくる﹀
12
21
―
13
音も、風の便りに聞こゆなり﹂は聴覚や肌に当たる感覚の世
えられる。つまり、
11 2
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8
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行目﹁高観音の庭桜﹂
10 12
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―
8
8
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︵ ・ 行目︶のさまが依然あるものの、聴覚世界は﹁鐘の声﹂
行目︶の二つに増える。一つだったものが
はじめの方をあつかった前々節では詞と曲の︿ゆったり﹀
Ⅳ
︿ゆったり﹀終わる詞と曲
感の同調、なかごろをあつかった前節では詞と曲の︿のって
・
二つに。昼よりは暗い﹁暮﹂﹁入相﹂らしく、聴覚世界の比
﹁歌うて﹂︵
重が増えるわけである。﹃長等の春﹄を、﹁朝﹂であるはじめ
び詞と曲の︿ゆったり﹀感の同調を見る。
くる﹀感の同調を見た。終わりの方をあつかう本節では、再
22
−
22
3
なかごろが際立っていることに気づくのであるが、はじめの
前 節 で 述 べ た と お り、﹃ 長 等 の 春 ﹄ を 全 体 的 に 見 渡 す と、
の方↓昼であるなかほど↓﹁暮﹂﹁入相﹂である終わりの方、
]。こ
12
と全体的に見渡すと、様々な視覚世界を動的カメラワークで
あ ら わ す ま ん な か が 際 立 っ て い る こ と に 気 づ く[ 注
の作詞者の表現力は、並々ならぬものがある。
方と終わりの方が対になっていることもわかる。 行目﹁春
行目﹁春の暮﹂が漠然と
の朝立つ霞﹂が漠然とした︿ゆったり﹀感をあらわしていた
はじめの方に対し、終わりの方は
の曲調は、﹁春の朝立つ霞﹂同様、︿ゆったり﹀している。つ
ま り、
﹃ 長 等 の 春 ﹄ は 両 端 が 共 通 す る か た ち に な っ て お り、
序で︿ゆったり↓のってくる↓ゆったり﹀と述べたとおりな
ただし、終わりの方では、はじめの方やなかほどとは異な
のである。
り、何行目から何行目までが︿∼﹀という言い方はしない。
なかで緩急︵正確には緩↓急↓緩︶があるからである。︿ゆっ
行目﹁散る桜﹂、
行目﹁歌うて帰る
たり﹀した詞が︿ゆったり﹀した曲調と合う箇所、すなわち、
今述べた﹁春の暮﹂、
を説くかたちをとる。
―
2
し た︿ ゆ っ た り ﹀ 感 を あ ら わ し て い て、 し か も、
﹁春の暮﹂
15
桜人々﹂あたりをあげて、それらの箇所限定で詞と曲の同調
21
7
21
注
近松寺は、園城寺の別所である。なお、近松寺が音曲・芸能とか
かわりの深い寺であることは②ゆかりの地探訪上︵お話をうかがう︶
でも触れているが、詳細な論文として、大森惠子﹁三井寺の弁財天
特に、別所の近松寺と関清水蝉
信仰の拡大と盲人芸能者の関わり ―
︵
﹁山岳修験﹂平 ・ ︶があることを注記し
丸大明神を中心に ﹂
―
ておく。また、注 にあげた解説書は﹁高観音﹂を﹁三井寺南院正
法寺﹂としており、そこは﹁観音堂﹂ではあるのであが、正しくは﹁高
観音近松寺﹂と考えられる。
現在は、大津赤十字病院のビルが遮るかたちになっている。
地元出身者による作詞であることが思い起こされる。
﹁春の暮﹂とあるが、
﹁春﹂という季節の終わりとは考えず、
﹁春﹂
の一日の終わりと考える。
ち な み に、 拙 著﹃ 万 葉 赤 人 歌 の 表 現 方 法
批判力と発想力で拓
く 国 文 学 ﹄ 平 ・ 鼎 書 房 に 収 め た﹁ 山 部 赤 人 の 辛 荷 島 歌 の 表 現
︿中央特立﹀
方法 ﹃
―万葉集﹄九四二 九四五番歌に見る︿三連転換﹀
﹂ で は、 ま ん な か が 際 立 つ︿ 中 央 特 立 ﹀ と
と そ の︿ 相 似 反 復 ﹀ ―
い う 表 現 方 法 を 論 じ て い る。 こ の 言 葉 を 借 り る な ら、
﹃長等の春﹄
も︿中央特立﹀と言えよう。
19
3
3
―
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11 10 9
12
音であり[注
]、︿ゆったり﹀した余韻と換言し得る。
︿ゆっ
たり﹀した曲調と合う詞で、ここも詞と曲の同調が言える。
﹁春の暮﹂につづいては、﹁散る桜﹂、および、
﹁歌うて帰る
桜人々﹂中の﹁桜﹂。ここは長くのばして歌う箇所で、︿ゆっ
行目﹁鐘の声さへ吹き返す﹂も遠ざかりゆく音とい
ちなみに、遠ざかりゆく音という点は、結構重要である。
実は、
う 点 は 同 じ で[ 注
行目には﹁名残り
たり﹀している。そして、詞の感じも、
︿ゆったり﹀か︿のっ
い が ︶、 二 つ の 遠 ざ か り ゆ く 音 は、 な か ほ ど の
てくる﹀かと問われれば、前者となる。
を惜しむ﹂とあり、﹁桜﹂に対する花見客の長引く﹁名残惜し﹂
行 目﹁ 風 ﹂
]︵長くのばして歌っているとは言い難
さ を 長 く の ば し て 歌 っ て い る と 考 え ら れ る の で あ る が[ 注
に運ばれてくる
行目﹁楫音﹂と好対照をなす。なかほど/
終わりの方の聴覚世界は、運ばれてくる音一つ/遠ざかりゆ
ればなるまい。
細部にまでこだわった表現に、我々はもっと注意を払わなけ
り深く聴覚世界に入り込めるかという差異を示していよう。
てくる音/遠ざかりゆく音といった質的相違は、どちらがよ
たとおりであるが、質も問題にしたいところである。運ばれ
る類のものではあるまい。﹁歌うて帰る﹂くらいであるから、
げるとすれば、
く音二つ、と比較でき、その一対二の量の問題は前節で述べ
]、ここでの﹁名残惜し﹂さは、残念で残念でキリキリす
15
﹁名残惜し﹂さをも楽しむ余裕があると思われる。類例をあ
残りなく散るぞめでたき桜花ありて世のなか果ての憂
ければ
行目︶を風流
という﹃古今集﹄七一番歌のような、﹁散るぞめでたき﹂的
21
諦観ももっていて、﹁風に連れ立ち散る桜﹂︵
19
に 楽 し ん で い る と 察 せ ら れ る。
﹁名残惜し﹂いことは﹁名残
6
惜し﹂いけれど、﹁名残惜し﹂さもまた一興。そんな︿ゆっ
たり﹀感があろうし、﹁名残惜し﹂さを︿ゆったり﹀と楽し
む詞であるからこそ、︿ゆったり﹀した曲調と合う。ひいては、
詞と曲の同調も言える。
次は、
﹁歌うて帰る桜人々﹂全体をとりあげる。﹁歌うて帰
る桜人々﹂は、﹁桜﹂を長くのばして歌うだけでなく、全体
も長くのばして歌っている。ここでの詞の︿ゆったり﹀感は、
8
―
14
12
4
8
18
注
こ こ で 看 過 で き な い の は、 ∼ 行 目 に お け る﹁ 桜 ﹂ の 集 中 で
あ る。﹁ 桜 ﹂ は ・ 行 目、﹁ 花 ﹂ = 桜 は 行 目 に も あ っ た が、 末
尾 三 行 に 特 に 集 中 す る。
﹁ 散 る 桜 ﹂ 直 後 は﹁ 桜 々﹂︵ 行 目 ︶ と つ
づ き、 次 行 に も﹁ 桜 ﹂ が あ る。 長 く の ば し て 歌 う﹁ 散 る 桜 ﹂﹁ 桜 ﹂
に加え、
﹁桜﹂を繰り返す﹁桜々﹂もあるわけで、その直前の﹁桜﹂
も 含 め る と﹁ 桜 ﹂ 三 連 続 に な る。 こ の 三 連 続 は、 長 く の ば す の と
同様に、﹁名残惜し﹂さの強さをあらわしていると考えられる。
遠 ざ か り ゆ く 音 に 限 ら ず、 終 わ り の 方 は、 と に か く 終 わ ら せ よ
うとする詞になっている。一日の終わりを﹁暮﹂や 行目﹁入相﹂
があらわし、花見の終わりを﹁名残りを惜しむ﹂
﹁帰る﹂および
行 目﹁ 送 ら れ て ﹂ が あ ら わ す。 そ し て、 さ ら に 入 念 な こ と に、
20
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―
13
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﹁帰﹂りゆく﹁人々﹂の﹁歌﹂声、すなわち、遠ざかりゆく
19 20
13
行 目 で は、 ち ゃ ん と﹁ 桜 ﹂ を﹁ 散 ﹂ ら せ て い る。 な ん と も 几 帳 面
な詞と言えよう。
行 目﹁ 風 ﹂ に﹁ 鐘 の 音 ﹂ が﹁ 吹 き 返 ﹂ さ れ る と い う の は、 実
際 的 で は な く、 文 学 的 表 現 と 思 わ れ る。 ま た、 な か ご ろ の ∼
行 目﹁ 楫 音 も、 風 の 便 り に 聞 こ ゆ な り ﹂ も、 琵 琶 湖 と 近 松 寺 の 距
離を考えると、実際的なものではないかもしれない。
Ⅴ
結び
13
計 画 し て お り[ 注
]、同時に、本稿同様の論文化も行なう
②ゆかりの地探訪上・同下・③演奏からなる﹃新浮舟﹄編を
ちなみに、私は、今後、
﹃長等の春﹄編同様の、①歌詞解説・
十分意味があると考える。
および、それを論文化した本稿は、演奏者・鑑賞者にとって
思 え な い。﹁ 地 歌 動 画 講 義﹃ 長 等 の 春 ﹄ 編 ﹂ の ① 歌 詞 解 説、
合、文学と音楽の融合をめざす試みが無益なものになるとは
曲と同調している﹃長等の春﹄歌詞の表現世界を考える場
12
の︿ゆったり↓のってくる↓ゆったり﹀感が同調するという
ことであって、単純なアプローチでしかないと言われればそ
のとおりなのであるが、それでも意味はあると思う。演奏を
丹念に聴き、ゆかりの地である宇治や小野にも赴いて、本稿
なお、最後に、竹山・谷両師、および、福家・今井両氏に
の試みを次へとつなげていきたい。
厚く御礼申しあげる。また、竹山・谷両師以外にも、尺八の
宮澤寒山師と箏・三絃の新井智恵師に助言を仰いでおり、併
さ ら に、 両 編 を 振 り 返 っ て の 解 説 者 × 演 奏 者 の 鼎 談 も 予 定 し て
いる。
せて感謝する次第である。
注
︵たぐち・ひさゆき
本学教授︶
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つもりである。もっとも、そこで説くのも、やはり、詞と曲
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