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ソグド人虞弘墓の浮き彫りにみる座像と饗宴の光景* 服部等作

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ソグド人虞弘墓の浮き彫りにみる座像と饗宴の光景* 服部等作
ソグド人虞弘墓の浮き彫りにみる座像と饗宴の光景*
ソグド人虞弘墓の浮き彫りにみる座像と饗宴の光景*
服部等作
服
部等作
1.はじめに
1.はじめに
めざましい開発が進む中国各地で発掘調査が相次ぐなか,西域と中原の交易をになったソグ
めざましい開発が進む中国各地で発掘調査が相次ぐなか,西域と中原の交易をになったソグ
ド人にゆかりある出土品が注目を集めている.その一つに山西省太原市晋源区王郭村で出土し
た本稿で扱う虞弘なる人物の墓の浮き彫り図像がある1.
た本稿で扱う虞弘なる人物の墓の浮き彫り図像がある
浮き彫りの図像は,上下二つに区画され,上側のおおよそ2/3を占める区画の図像内容は,
浮き彫りの図像は,上下二つに区画され,上側のおおよそ
2/3 を占める区画の図像内容は,
西域のソグド人とみられる一族が葡萄棚の下で舞楽と酒を楽しむ一見世俗的な饗宴(酒宴),主
西域のソグド人とみられる一族が葡萄棚の下で舞楽と酒を楽しむ一見世俗的な饗宴(酒宴)
,主
人公や特別な人物(神)の狩猟,騎馬,ゾロアスター教徒と関わる儀礼等の光景をあつかう2.2
人公や特別な人物(神)の狩猟,騎馬,ゾロアスター教徒と関わる儀礼等の光景をあっかう
さらに下側の区画には,瑞鳥,戟,ならびに猛獣が登場するモチーフを表現する.浮き彫りの
さらに下側の区画には,瑞鳥,獣,ならびに猛獣が登場するモチーフを表現する.浮き彫りの
図像の中に登場する人物や神神,その家と楽園,瑞獣,葡萄棚,装飾文様,動物闘争文に混じ
図像の中に登場する人物や神神,その家と楽園,瑞獣,葡萄棚,装飾文様,動物闘争文に混じ
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そんきょ
り敷物や座具の上に西域風の人物がいわゆるあぐらの胡座(交脚の床座),時曙,片立て膝で座
り敷物や座具の上に西域風の人物がいわゆるあぐらの胡座(交脚の床座),樽賠,片立て膝で座
る姿が登場する.とりわけ画面を二つに区画し,そこに生前の主人公と縁りある光恵やモチー
る姿が登場する.とりわけ画面を二つに区画し,そこに生前の主人公と縁りある光景やモチー
フを熟知した表現が東西にわたる文化交流そのものを物語っている.
フを熟知した表現が東西にわたる文化交流そのものを物語っている.
饗宴の光景では,今日でもタリム盆地のトノレファンやホータンといったオアシスで収穫や結
饗宴の光景では,今日でもタリム盆地のトルファンやホ-タンといったオアシスで収穫や結
婚式を祝う宴で主人公,長を囲む人々が敷物の上で胡座し歌舞音曲を楽しみ集う点と共通する.
婚式を祝う宴で主人公,長を囲む人々が敷物の上で胡座し歌舞音曲を楽しみ集う点と共通する.
虞弘墓の浮き彫りに登場するソグド人をはじめ西域の人々の立ち振る舞いにみられる伝統的な
虞弘墓の浮き彫りに登場するソグド人をはじめ西域の人々の立ち振る舞いにみられる伝統的な
起居と共に饗宴を楽しむ文化習俗が今なお途切れることなく連綿とつながっているのである.
起居と共に饗宴を楽しむ文化習俗が今なお途切れることなく連綿とつながっているのである.
本稿では饗宴の光景から座具とその起居の文化のもとに表現されるソグド人の東西文化交流
本稿では饗宴の光景から座具とその起居の文化のもとに表現されるソグド人の東西文化交流
の一端が見いだせると考えた.西域の座具や座法については藤田豊八の研究が広く知られるが
の一端が兄いだせると考えた.西域の座具や座法については藤田豊八の研究が広く知られるが3,
近年の考古発掘品が加わり一義的に胡林として扱われてきた西域将来の座具についても新たな
視点が必要と考える.特にパクトリア,ガンダーラ,さらには虞弘墓の石製棺榔の図像に多数
視点が必要と考える.特にパクトリア,ガンダーラ,さらには虞弘墓の石製棺榔の図像に多数
現われる座面が円形で膝材(又は柳)で中間部を束ねた構造を持つ腰鼓形座故に腰掛ける座像
現われる座面が円形で藤材(又は柳)で中間部を束ねた構造を持つ腰鼓形座敢に腰掛ける座像
に注目し,ソグド人の伝統的な起居と饗宴の習俗と漢人の文化とかかわる点について検討をす
に注目し,ソグド人の伝統的な起居と饗宴の習俗と漢人の文化とかかわる点について検討をす
すめたい.
すめたい.
キ本稿のソグド人虞弘墓の資料について日本学術振興会特別研究員・影山悦子氏の提供によるところが大
本稿のソグド人虞弘墓の資料について日本学術振興会特別研究員・影山悦子氏の提供によるところが大
きい.ここに感謝の意を表したい.
きい.ここに感謝の意を表したい.
l
山西省考古研究所:太原惰虞弘墓,文物出版社, 2005年参照.
2
0
0
5年参照.
1山西省考古研究所:太原晴虞弘墓,文物出版社,
2
森美術館他:中国美の十字路展,
2
0
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年,図版
1
3
7
(
ト1
2
)参照,虞弘墓の日本初公開である.
2森美術館他:中国美の十字路展, 2005年,図版137(ト12)参照,虞弘墓の日本初公開である.
3
藤田豊八:胡床につきて,東西交渉史の研究,巻下・西域編,萩原星文館,昭和
1
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.
1
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1
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5参照,
3藤田豊八:胡床につきて,東西交渉史の研き私巻下・西域編,萩原星文館,昭和18年 pp.143-185参照,
藤田は,イランや西域から中国に伝わった座具を胡休とする.一般的に西域将来の脚を垂らし傍座する
藤田は,イランや西域から中国に伝わった座具を胡林とする.一般的に西域将来の脚を垂らし僚座する
腰掛けで,背板や肘当てがない折畳み可能な小型の座具である.
腰掛けで,背板や肘当てがない折畳み可能な小型の座具である.
87
8
7
2.ソグド商人墓出土の図像にみられる座異類と座像
2. ソ グ ド 商 人 墓 出 土 の 図 像 に み ら れ る 座 具 類 と 座 像
1
9
9
9
本稿で取り上げる図像は,山西省太原市晋源区王郭村でソグド人とされる虞弘の墓から
本稿で取り上げる図像は,山西省太原市晋源区王郭村でソグド人とされる虞弘の墓から1999
年に出土したものである.墓道奥の墓室の中には木造殿堂建築を模し棺榔が置かれ, 21点から
21点から
年に出土したものである.墓道奥の墓室の中には木造殿堂建築を模し棺榔が置かれ,
なる白大理石の壁面材を扉風状に構成する.同時出土品に男女の侍従備をはじめ墓誌,人骨,
なる白大理石の壁面材を犀風状に構成する.同時出土品に男女の侍従桶をはじめ墓誌,人骨,
石製灯台,磁器,貨幣など随葬品 80数点が発見された.墓誌銘から墓の主,虞弘が惰の開皇 1
石製灯台,磁器,貨幣など随葬品80数点が発見された.墓誌銘から墓の主,虞弘が晴の開皇12
2
午(592年),夫人は,
年 (592年),夫人は, 6年後(598年)に虞弘夫妻が埋葬されたとする.
6年後 (
5
9
8年)に虞弘夫妻が埋葬されたとする.
そのなかで注目するのが石製棺榔の壁面を構成するパネルの浮き彫りの図像である[図月.
そのなかで注目するのが石製棺榔の壁面を構成するパネノレの浮き彫りの図像である[図 1
]
.
現在もその表面に元々彩色された痕跡をとどめるパネルの各面は,高さ約 96cmの矩形で統一さ
現在もその表面に元々彩色された痕跡をとどめるパネルの各面は,高さ約96cmの矩形で統一さ
れ,幅寸法が 52から 72cmと差がある.パネルは,周縁を大葉の忍冬唐草文で装飾し,各四隅
れ,幅寸法が52から72cmと差がある.パネルは,周縁を大乗の忍冬唐草文で装飾し,各四隅
に四つ葉文を装飾し,その内側を上下 2区画に画面を分割し 2/3を占める上の区画に埋葬者の
に四つ葉文を装飾し,その内側を上下2区画に画面を分割し2/3を占める上の区画に埋葬者の
主題となる図像として楽舞図,狩猟,騎馬行幸,閲見,家屋・庭園など,パネル毎に異なる主
主題となる図像として楽舞図,狩猟,騎馬行幸,閲見,家屋・庭園など,パネル毎に異なる主
題の図像を浮き彫りする.図像に登場する人物は,黒髪で目鼻立ちが鋭い,いわゆる地中海東
題の図像を浮き彫りする.図像に登場する人物は,黒髪で目鼻立ちが鋭い,いわゆる地中海東
岸から西域にかけて見られる容貌をもっ.他に瑞獣,瑞鳥,植物モチーフが装飾的に表現され
岸から西域にかけて見られる容貌をもつ.他に瑞獣,瑞鳥,植物モチーフが装飾的に表現され
る.また残る下の区画に瑞獣,神鹿,瑞烏を表現した一種の動物文を表現する.
る.また残る下の区画に瑞獣,神鹿,瑞鳥を表現した一種の動物文を表現する.
図
1 虞弘墓白大理石製棺榔パネル配置図
図1 虞弘墓白大理石製棺榔パネル配置図
ここで虞弘墓の図像に注目する点は,まずパネル画面を区画する点である.他のソグド人の
ここで虞弘墓の図像に注目する点は,まずパネル画面を区画する点である.他のソグド人の
4 天水出土墓石棺床囲扉 5,M
IHO美術館蔵品 6 山東省益都石室墓7 ならび
棺榔である安伽墓
棺榔である安伽墓4,天水出土墓石棺床囲犀 MIHO美術館蔵品6,山東省益都石室墓7,ならび
l図像 l区画表現を
にギメ東洋美術館展示のパネノリなどに表現された中原伝統の扉風仕立ての
にギメ東洋美術館展示のパネル8などに表現された中原伝統の犀風仕立ての1図像l区画表現を
険西省考古研究所:西安北周安伽墓,文物出版社, 2003年参照,
2
0
0
3年参照, 1区画1図像の犀風.
1区画 l図像の扉風.
4険酉省考古研究所:西安北周安伽墓,文物出版社,
4
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考古 1
9
9
2,1期参照,天水墓は,墓主および埋葬年は不明である.天水出土墓石棺床囲犀(墓主・埋葬
1期参照,天水墓は,墓主および埋葬年は不明である.天水出土墓石棺床囲扉(墓主・埋葬
5考古1992,
年不明)
年不明).•
前掲 3
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MIHO美術館蔵品,
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MIHO美術館蔵品,
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ofA純分蔵石棺床囲犀(台座正面はS.
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私
蔵 ) 参 照1区画1図像表現の犀風仕立て.
区 画 l図像表現の扉風仕立て.
私蔵)参照,
7
文物 1
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5,10期,
1
0期
, 2001年5期参照,山東省益都石室墓,
2
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1年 5期参照,山東省益都石室墓, 1区画1図像陰刻表現の犀風.
1区画 l図像陰刻表現の扉風.
7文物1985,
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2004,
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2004,
pp.
16-30参照.
6
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8
8
もつ画面構成と異なり,パネルの画面を上下の二つに区画して主題,例えば葡萄と饗宴(楽園)
もつ画面構成と異なり,パネルの画面を上下の二つに区画して主題,例えば葡萄と饗宴(楽園)
など特徴をもつ図像を浮き彫りする.
など特徴をもっ図像を浮き彫りする.
つぎの特徴は,図1に示した石製棺榔むかって正面で反時計回り順の3,
5,
8,ならびに10
1に示した石製棺榔むかつて正面で反時計回り傾の 3,5
,8
,ならびに 1
0
つぎの特徴は,図
番目の合計
4面に登場する座面が丸く藤(または柳材,以下藤で統一)材で編んだ背もたれの
番目の合計4面に登場する座面が丸く膝(または柳材,以下膝で統一)材で編んだ背もたれの
ない円形で小型の座具(腰掛け)の登場である.この座具は,その呼称に腰鼓形座撤,寛,茎
ない円形で小型の座具(腰掛け)の登場である.この座具は,その呼称に腰鼓形座壊,翼,茎
蹄,茎台ならびに笠床がある9.概して後述するパクトリアや北西インドの美術に登場すること
蹄,~台ならびに筆床がある概して後述するパクトリアや北西インドの美術に登場すること
から西域を通じ中原にもたらされたと考えられ,背板や肘当てがなく持ち運び可能な軽量と形
から西域を通じ中原にもたらされたと考えられ,背板や肘当てがなく持ち運び可能な軽量と形
態で今日のスツールと呼ぶ腰掛けの範轄に入るものである.本稿では形態的特徴も含める呼称
態で今日のスツールと呼ぶ腰掛けの範噂に入るものである.本稿では形態的特徴も含める呼称
として腰鼓形座域を充て折畳み可能な胡林と区別する.
として腰鼓形座激を充て折畳み可能な胡林と区別する.
以下,虞弘墓の棺榔の3,
3,J,
5,O,ならびに10番目パネルの浮き彫り図像を順にとりあげる;
8,ならびに 1
0番目パネノレの浮き彫り図像を順にとりあげる.
以下,虞弘墓の棺榔の
まず3番目のパネル下面[図2-1]は,元々棺榔の入口の左側面の
3番目のパネル下面[図 2
-1]は,元々棺榔の入口の左側面の
まず
輿(東壁北側)にあたる高さ96,幅47.5cmの浮き彫りである.上下
奥(東壁北側)にあたる高さ
96,幅 47.
5cmの浮き彫りである.上下
2
段に区画された台座浮彫上側の場面で賂既に騎乗する黒い顎髭を
2段に区画された台座浮彫上側の場面で騎舵に騎乗する黒い顎髭を
たくわえた西域風の人物は,頭光背を有する頭部にたなびくデアデム
たくわえた西域風の人物は,頭光背を有する頭部にたなびくデアデム
と宝冠を持つ.右側のライオンを弓で射る狩猟場面である.酪舵は,
と宝冠を持つ.右側のライオンを弓で射る狩猟場面である.賂舵は,
足下のライオンの背中を,さらに犬が噛みつく.
足下のライオンの背中を,さらに犬が噛みつく.
上下の区画線をはさむ下段の図像は,天空に浮かぶ様子で敷物上に
上下の区画線をはさむ下段の図像は,天空に浮かぶ様子で敷物上に
ソルナー
ソルナー
交脚で箕居(投げ足)の姿で哨哨10を吹く人物(あるいは神)を示す.
交脚で箕居(投げ足)の姿で哨日向
1
0を吹く人物(あるいは神)を示す.
この手の縦笛を吹奏する図像には,大谷探険隊がスバシより将来した
この手の縦笛を吹奏する図像には,大谷探険隊がスパシより将来した
舎利容器の楽人が吹奏する表現と同じで,この表現は,中央アジアか
舎利容器の楽人が吹奏する表現と同じで,この表現は,中央アジアか
ら北西インドにその表現例がある11.
ら北西インドにその表現例がある
1
1
つぎに
5番目のパネル上面[図 2
2
J は,元々棺榔の入口の正面 図1虞弘墓棺榔パネルNo.3
2
1 虞弘墓棺榔パネル No.3
っぎに5番目のパネル上面[図2-2]は,元々棺榔の入口の正面 図2
註2参照
註
2参照
奥(南向き北東側)にあった高さ 9
6,幅 101cm,棺榔の浮き彫り中
輿(南向き北東側)にあった高さ96,幅101cm,棺榔の浮き彫り中
で最も多くの人物が登場する場面である.
で最も多くの人物が登場する場面である.
図像は,左右対象で画面中央に空をあらわす余白に葡萄の蔦をついばむ瑞鳥を表現し,その
図像は,左右対象で画面中央に空をあらわす余白に葡萄の蔦をついばむ瑞鳥を表現し,その
下に二重の天蓋に連珠文の飾りをもっ祭壇の前のせり出し
連珠文の布をかけたとみられる床
下に二重の天蓋に連珠文の飾りをもつ祭壇の前のせり出し,連珠文の布をかけたとみられる床
楊に片足を垂らした変形の胡座の主人公および夫人が正座しそれぞれ杯をもって酒を酌み交わ
楯に片足を垂らした変形の胡座の主人公および夫人が正座しそれぞれ杯をもって酒を酌み交わ
す饗宴(酒宴)の伝統的といえる光景である 12 デアデムをつけた主人公と夫人は,頭に宝冠を
す饗宴(酒宴)の伝統的といえる光景である12.デアデムをつけた主人公と夫人は,頭に宝冠を
つける.その右脇に頭光背とデアデムと宝冠をつけた男女二神,左脇に右と同様に頭光背をつ
つける.その右脇に頭光背とデアデムと宝冠をつけた男女二神,左脇に右と同様に頭光背をつ
9 李宗山:中国家具史図説,湖北美術出版社, 2001年 pp.204-218,図110(1-4)参照,解説は腰鼓形座旗
2
0
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1年
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・
2
1
8,図 1
1
0(
1・
4
)参照,解説は腰鼓形座撤
9李宗山:中国家具史図乱湖北美術出版社,
の用語に笠蹄,茎台,窒床,束腰形園翼をあげる.
の用語に峯蹄,茎台,茎床,東腰形闇買をあげる.
IO 柘植元一:シルクロ}ド楽器の旅,東京芸術大学小泉文夫記念資料室,音楽の友社, 1
9
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2年
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.
4
4参照,
10柘植元一=シルクロード楽器の旅,東京芸術大学小泉文夫記念資料室,音楽の友札1992年,P-44参照,
右手をあげて吹奏するソルナー(ベノレシャ語)である.この楽器をトルコ語でズルナ,中国語では哨嗣(チ
右手をあげて吹奏するソルナ- (ペルシャ語)である.この楽器をトルコ語でズルナ,中国語では哨哨(チ
ャルメラ)とし小型のラッパの類に含まれる.
ャルメラ)とし小型のラッパの類に含まれる.
11中国音楽文物大系総編集部:中国音楽文物大系・新彊編,大饗出版社,
1996年,図1.1.5参照,及び佐川
I
I 中国音楽文物大系総編集部:中国音楽文物大系・新誼編,大望書出版社, 1
9
9
6年,図 1
.
1
.
5参照,及び佐川│
美術館:絡調路の至宝,佐川美術館,
年,図版 14 参照,大谷探険隊がスパシから将来した 6~7 世
美術館:締調路の至宝,佐川美術館, 2002
2002年,図版14参照,大谷探険隊がスバシから将来した6-7世
紀頃の舎利容器(東京国立博物館蔵)である.本楽器の表現にはホラサン出土の帝王酒宴文様皿 L
シル
紀頃の舎利容器(東京国立博物館蔵)である.本楽器の表現にはホラサン出土の帝王酒宴文様皿(・シル
1
9
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年,図版
1
5
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,
9
世紀)
,タキシラ出土ガルーダ碍像裏面で風神が吹くホノレン(J.
クロードの遺宝展,
クロードの遺宝展, 1985年,図版156, 9世紀),タキシラ出土ガルーダ碑像裏面で風神が吹くホルン(J.
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Vol.
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208-59,
5世紀)がある.
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R. R. Curiel et als.,: Banquets D'Orient, Res Orientales
Bures-sur-Yvette,
992,
Fig.
8参照.
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8
9
ける人物二人が相対し,その顔を中央に向けて立つ.床の正面で衣をなびかせ円形の敷物上に
ける人物二人が相対し,その顔を中央に向けて立つ.床の正面で衣をなびかせ円形の敷物上に
片足立で長巾舞い 13に興じる舞手とその周囲に毛監の類と見られる敷物 14上に正座する左右 6人
片足立で長巾舞い13に興じる舞手とその周囲に毛乾の類と見られる敷物14上に正座する左右6人
ダルプカ ズイル ネイ ソルナダ
ルプカ
ズイル
ネイ
ソルナー
の楽団演奏の場面がある.左側楽員の持つ楽器は,毛員鼓,磁鈴,右手に横笛,哨日向,左手下
の楽団演奏の場面がある.左側楽員の持つ楽器は,毛員鼓,磁鈴,右手に横笛,哨晒,左手下
方の楽士が弓形(縦)笠筏,右手下方の楽士が琵琶を演奏する.右の楽員の横に大壷を置く.
方の楽士が弓形(縦)室摸,右手下方の楽士が琵琶を演奏する.右の楽員の横に大壷を置く.
上下を区画するための水平線をはさんで,下段の図像は,中央の人物二人の頭を噛むライオ
上下を区画するための水平線をはさんで,下段の図像は,中央の人物二人の頭を噛むライオ
ンが表現される.右の人物は,ライオンの胴体に刀を貫通させ,そこに家畜を守る象徴として
ンが表現される.右の人物は,ライオンの胴体に刀を貫通させ,そこに家畜を守る象徴として
犬が吠えかかる一種の英雄と動物との闘争図15を示す.すなわち豊俸多産で,時に供犠に供せら
犬が吠えかかる一種の英雄と動物との闘争図 15を示す.すなわち豊鏡多産で,時に供犠に供せら
れる象徴的で典型的な家畜動物の羊や牛に対し威力と威圧感を持つ野生獣ライオンから守る英
雄の闘争を象徴的に表現する場面である.
雄の闘争を象徴的に表現する場面である.
図
2
3 虞弘墓棺榔パネル N
O
.
8 註 2参照
図2-3 虞弘墓棺榔パネルNo. 註2参照
図2
2 虞弘墓棺榔パネル N
O
.
5 註 2参照
つぎに8番目のパネル上面[図2-3]は,元々棺郷の入口の左側面の奥(西壁南側)にあたり
つぎに
8番目のパネル上面[図 2
3
Jは,元々棺榔の入口の左側面の奥(西壁南側)にあたり
96,幅 52cmの浮き彫りである.上下 2段に区画された台座浮彫上側で左の西域風人物は,
高さ
高さ96,幅52cmの浮き彫りである.上下2段に区画された台座浮彫上側で左の西域風人物は,
黒い顎髭をたくわえ頭部にたなびくデアデムと宝冠に頭光背を有し,手には高目の広口杯をも
黒い顎髭をたくわえ頭部にたなびくデアデムと宝冠に頭光背を有し,手には高目の広口杯をも
ち,腰鼓形座敢に左足を上に交脚で座る.
ち,腰鼓形座域に左足を上に交脚で座る.
その前方の黒髪の従者とみられる人物は,敷物上に西アジア特有の片立て膝の床座姿勢をと
その前方の黒髪の従者とみられる人物は,敷物上に酉アジア特有の片立て膝の床座姿勢をと
り両手にザクロを盛った果盆をささげる.その後に黒髪で頭光背をもち琵琶を演奏する楽員立
り両手にザクロを盛った果盆をささげる.その後に黒髪で頭光背をもち琵琶を演奏する楽員立
像を表す.人物の後方に黒犬が右に首をむけ空には瑞鳥と大きな果樹を配す.下の区画には,
像を表す.人物の後方に黒犬が右に首をむけ,空には瑞鳥と大きな果樹を配す.下の区画には,
右方向にむけ駆ける大角鹿を示す.
右方向にむけ駆ける大角鹿を示す.
1
3 中国石窟キジル石窟編集委員会:中国石窟キジル石窟 2
,銚士宏一キジノレ石窟壁画の楽舞形象,平凡社,
13中国石窟キジル石窟編集委員会:中国石窟キジル石窟2,挑士宏-キジル石窟壁画の楽舞形象平凡社,
平成
4年
, pp.237・257,図版 i
p参照,踊り手が長い布を手で振りまわし小さな毛艶の上で旋回する.
平成4年 pp.237-257,図版i-p参照,踊り手が長い布を手で振りまわレ」、さな毛藍の上で旋回するf
1
4 前掲 9
),敷物の呼称に艶,藍席,産毛宇需,宣毛張をあげる.
14前掲9),敷物の呼称に乾,乾席,乾橋,乾張をあげる.
1
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987,
p
p
.5
2
0
7
Collon,
D.:
The
Impression,
Cylinder
Seals
int
the
Near
East,
British
Museum
Press,
1987,
pp.
5-207
参照,動物が争う場面表現は,饗宴図と並ぶメソポタミア
2期の重要なモチーフである.メソポタミア
参照,動物が争う場面表現は,饗宴図と並ぶメソポタミア2期の重要なモチーフである.メソポタミア
で紀元前
2600年頃から玉名を刻んだ印章と共に現れる図像は,ライオンが猛獣そして人聞が英雄(守護
で紀元前2600年頃から王名を刻んだ印章と共に琴れる図像は,ライオンが猛獣そして人間が英雄(守護
神)となり,初期の表現がほとんど素手で,その後に万剣をもち猛獣と格闘する場面が伝統となる.英
神)となり,初期の表現がほとんど素手で,その後に刀剣をもち猛獣と格闘する場面が伝統となる.莱
5世紀),アルサケス朝パ
雄と怪獣の闘争図がアケメネス朝ペルシャのベルセポリスの浮き彫り(紀元前
雄と怪獣の闘争図がアケメネス朝ペルシャのベルセポリスの浮き彫り(紀元前5世紀),アルサケス朝パ
ルティア,ササン朝ベルシャの狩猟場面(前掲
1
5
),
P.
l427参照)へ継承される.こうした二段の区画画
ルティア,ササン朝ペルシャの狩猟場面(前掲15),PL427参照)
-継承される.こうした二段の区画画
面の上が饗宴,下が動物闘争図像は,西域における先行表現として考えられる.
面の上が饗宴,下が動物闘争図像は,西域における先行表現として考えられる,
90
9
0
最後の
10番目のパネノレは,棺榔の正面入口の下段前壁に置かれたものである.パネルは前述
最後の10番目のパネルは,棺榔の正面入口の下段前壁に置かれたものである.パネルは前述
した5,
8番パネルと同様に浮彫を2段に区画する.上段は,アーチ状の柱の間に2人1組ずつ
5,8
番パネルと同様に浮彫を 2段に区画する.上段は,アーチ状の柱の間に 2人 1組ずつ
した
音楽と舞踏に興じる立像
6人を示し,その下部中央に人首鳥身の祭司が拝火壇の前で、行うゾロ
音楽と舞踏に興じる立像6人を示し,その下部中央に人首鳥身の祭司が拝火壇の前で行うゾロ
16
アスター教の儀式とみられる光景に,その左右二面で饗宴を表現する
アスター教の儀式とみられる光景に,その左右二面で饗宴を表現する16.
浮彫下段の左側の図像[図
2
4
J はふた付きの酒窒を中央にはさみ右の人物(神)が腰鼓形
浮彫下段の左側の図像[図2-4]は,ふた付きの酒嚢を中央にはさみ右の人物(神)が腰鼓形
座域に座り酒杯をかかげ,もう一方が長い哨咽を使い吹奏する.さらに浮彫下段右側の座像表
座撤に座り酒杯をかかげ,もう一方が長い哨
H
内を使い吹奏する. さらに浮彫下段右側の座像表
鄭ま,前述したのと同様に右の人物(あるいは神)が敷物上で交脚の胡座を手には杯を持ち,
現は,前述したのと同様に右の人物(あるいは神)が敷物上で交脚の胡座を手には杯を持ち,
もう一方が腰鼓形座域に交脚で座りリュトンで酒を飲む.
もう一方が腰鼓形座域に交脚で座りリュトンで酒を飲む.
2
5
J では 左側の人物(神)が腰鼓形座撤に座りリュトンで酒を飲む置
浮彫下段の右側[図
浮彫下段の右側[図2-5]では,左側の人物(神)が腰鼓形座蟻に座りリュトンで酒を飲む.
もう一方の右側で頭光がない人物(神)は,たなびく衣条で敷物上に片立て膝で胡座の姿勢を
もう一方の右側で頭光がない人物(神)は
たなびく衣条で敷物上に片立て膝で胡座の姿勢を
とり手には杯を持つ.敷物は前述8番目の図像中央の人物の下と同じ毛藍の類いと見られる.
とり手には杯を持つ.敷物は前述
8番目の図像中央の人物の下と同じ毛艶の類いと見られる.
取り上げた腰鼓形座域は,明らかに膝あるいは柳といった柔かな材を中間で束ねた構造で他の
取り上げた腰鼓形座域は,明らかに藤あるいは柳といった柔かな材を中間で束ねた構造で他の
ソグド人墓図像(註8)
8
) [図3]と同様のものである.
[
図3
J と同様のものである.
ソグド人墓図像(註
図2-4 虞弘墓棺榔パネルNo.10左側Bgl像 註2参照
図
2
4 虞弘纂棺榔パネル No.10左 側 図 像 註 2参 照
密
2
5 虞弘墓棺榔パネル N
o
.1
0右 側 図 像 註 2参照
図2-5 虞弘墓棺榔パネルNo.10右側図像 註2参照
図
3 ソグド墓の腹鼓形座敬図像註 8参照
図3 ソグド墓の腰鼓形座敏図像 註8参照
以上述べた虞弘の墓のパネルが出土した山西省太原とソグド人の故郷ソグデ、ィアナとの聞に
以上述べた虞弘の墓のパネルが出土した山西省大原とソグド人の故郷ソグディアナとの間に
は相当な距離がある.さらにソグド人が中原になじみはじめて民族的,意識的に順応しつつ漢
は相当な距離がある.さらにソグド人が中原になじみはじめて民族的,意識的に順応しつつ漠
族との同化がすすんだとしても,本当に習俗の差を克服したかどうか問題が残る.実際に石製
族との同化がすすんだとしても,本当に習俗の差を克服したかどうか問題が残る.実際に石製
棺榔にソグド人の起居の文化と饗宴の伝統的習俗を通じ生前の主人公に縁りある光景及び西ア
ジアの伝統的なモチーフと光景を熟知し墓の浮き彫りに採用した彫刻について検討したい.
ジアの伝統的なモチーフと光景を熟知し墓の浮き彫りに採用した彫刻について検討したい.
1
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16
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1stAprilto
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り文の成立, B
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1
9
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3,
p
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6
4
7参照.
り文の成立 British
Museum
Press,
1993,
pp.
46-47参照.
91
9
1
3
. 虞弘墓の座像と起居・饗宴の習俗について
3.虞弘墓の座像と起居・饗宴の習俗について
虞弘墓では墓室の中に棺榔を置き,その中央に遺体を安置し遺体を大地に接することなく安
虞弘墓では墓室の中に棺榔を置き,その中央に遺体を安置し遺体を大地に接することなく安
置するゾロアスター教の教義に従う考え方に立っている.漢族の場合は,石室のなかの平合床
置するゾロアスター教の教義に従う考え方に立っている.漠族の場合は,石室のなかの平合床
(平床)上に遺体を安置する画像石の図像が山東省嘉祥武梁画像石に残されているなど葬送す
(平床)上に遺体を安置する画像石の図像が山東省嘉祥武梁画像石に残されているなど葬送す
る上で礼をもった漢代以降の中国の自然な伝統にも則るものである 17
る上で礼をもった漠代以降の中国の自然な伝統にも則るものである17.
一方で、石製棺榔の浮き彫りで大きな特徴は,画面を区画する点である.墓道からの真正面に
-方で石製棺榔の浮き彫りで大きな特徴は,画面を区画する点である.墓道からの真正面に
あたる 5番目の図像のモチーフは,主人公とかかわりで最も重要とみなされる饗宴図および動
あたる5番目の図像のモチーフは,主人公とかかわりで最も重要とみなされる饗宴図および動
物との闘争の図像を採用し,古代西アジアの図像表現の伝統が反映している.
物との闘争の図像を採用し,古代西アジアの図像表現の伝統が反映している・
すなわち浮彫りの図像から 5番目の上段のは,人物(あるいは神),酒,そして楽団員による
すなわち浮彫りの図像から5番目の上段のは,人物(あるいは神),軌そして楽団員による
奏楽の光景を葡萄棚の下で行われる饗宴の場面,下段が動物の闘争図を示している 18
奏楽の光景を葡萄棚の下で行われる饗宴の場面,下段が動物の闘争図を示している18・
こうした饗宴の光景に登場するソグド人,中央アジアの交易商人らが西アジアから中央アジ
こうした饗宴の光景に登場するソグド人,中央アジアの交易商人らが西アジアから中央アジ
そんきょ
そんきょ
アに広がる伝統的な起居の習俗である胡座,樽据,片立て膝といった床座する姿と共に普段か
アに広がる伝統的な起居の習俗である胡座,時鋸,片立て膝といった床座する姿と共に普段か
ら敷物や座具(腰鼓形座撤)を用いていた事は 今日同様の光景である.
ら敷物や座具(腰鼓形座壊)を用いていた事は,今日同様の光景である・
ここでは自大理石製棺榔でとりあげた 4 点の浮き彫りに表現される腰鼓形座域の図像にあ
ここでは白大理石製棺榔でとりあげた4点の浮き彫りに表現される腰鼓形座域の図像にあ
らわれる人物の座像を比較検討のため,座面と地(床)面との高さの距離から三分類し,まず
らわれる人物の座像を比較検討のため,座面と地(床)面との高さの距離から三分類し,まず
1.「地に直接床座する像」の低い座,
1
地に直接床座する像」の低い座 2.
2
.「敷物に床座する像」の中間的な座,ならびに3・
r
敷物に床座する像」の中間的な産,ならびに 3
.
1.
「座具上の像」の座とし床座と{奇座姿勢から検討を続けたい.
「座具上の像」の座とし床座と俸座姿勢から検討を続けたい・
3
.1
地に直接床座する像
3.
1地に直接床座する像
(
1
) 中原の床座の伝統
(1)中原の床座の伝統
古代中国における図像表現から見いだせる座像は,漢代画像石の閲見や宴会の光景のなかで
古代中国における図像表現から兄いだせる座像は,漠代画像石の閲見や宴会の光景のなかで
正座姿の表現が多い.そこには身分や儀式に応じた調度品が表現されるだけで特別な人物は,
正座姿の表現が多い.そこには身分や儀式に応じた調度品が表現されるだけで特別な人物は,
敷物(席)か後述する床揚の上の座であり,召使いや一般の人は地
(床)面に直接肌を接する
敷物(席)か後述する床拐の上の座であり,召使いや一般の人は地(床)面に直接肌を接する
正座の姿が普通である
1
9
正座の姿が普通である19.
こうした床に肌(足や尻)を地面(あるいは敷物)の上に直に接してすわる座は,
[礼記,玉
こうした床に肌(足や尻)を地面(あるいは敷物)の上に直に接してすわる座は, 〔礼記,玉
し
藻〕に「坐すること戸(かたしろ)の如し」とあり坐することが神聖な場における礼儀(坐法)
藻〕に「坐すること戸(かたしろ)の如し」とあり坐することが神聖な場における礼儀(坐法)
であった.また〔周礼,秋官,朝士〕にも嘉石・肺石の左右に座せしめてその訟えを聴く事を
であった.また〔周礼,秋官,朝士〕にも嘉石・肺石の左右に座せしめてその訟えを聴く事を
記す事から
r
座(坐)Jが礼に則った姿で,元々の由来する象形が盛り土した場に棒をたて神
記す事から, 「座(坐)」が礼に則った姿で,元々の由来する象形が盛り土した場に棒をたて神
に伺う人の姿の由来,および起座の関係からみて法(あるいは特別な階級)の前で低い正座や
に伺う人の姿の由来,および起座の関係からみて法(あるいは特別な階級)の前で低い正座や
脆座の姿勢をとるのである
20
脆座の姿勢をとるのである20.
胡文彦:中国家具,上海古籍出版社出版, 1997年 p.
1
9
9
7年
, p
.2
0参照,図 1河北省望都二号漢墓出土画像石に
17胡文彦:中国家具,上海古籍出版社出版,
20参照,図1河北省望都二号漠墓出土画像石に
2
山東省嘉祥武梁画像石に石室の平合床に女性遺体の安置例である.
石床,図
石床,図2山東省嘉祥武染画像石に石室の平合床に女性遺体の安置例である・
1
8 漢代の画像石の図像には,饗宴と動物闘争とを同一画面に組み合わせた図像を知らない.
18漠代の画像石の図像には,饗宴と動物闘争とを同一画面に組み合わせた図像を知らない・
1
9前掲 9
)
,
p
.1
6
9
,図 5
1(
1
・3
)参照.
19前掲9),p.169,図51(1-3)参照.
2
0
白川静:字通,平凡社,
1
9
9
6年
,p
p
.5
8
1・
5
8
2,
1
0/0021参照,呪的儀礼を象形として形象を文字化した座
20白川静:字通,平凡社, 1996年,pp.581-582,
10/0021参照,呪的儀礼を象形として形象を文字化した座
の本来の意味を神に伺う人の姿,すなわち法に座する形に由来するとする.
の本来の意味を神に伺う人の姿,すなわち法に座する形に由来するとする・
1
7
92
9
2
(2)西域の床座の伝統
(
2
) 西域の床座の伝統
西域から中原への通過点のーっとなったトルファンのアスターナ古墓群(高昌時代)で紙に
西域から中原-の通過点の一つとなったトルファンのアスターナ古墓群(高昌時代)で紙に
4
J 21 ここで対象とす
描かれた楽舞図に主人公が一入用の座揚上で脆座する姿が表される[図
描かれた楽舞図に主人公が一人用の座揚上で脆座する姿が表される[図4] ここで対象とす
るのは,主人公以外に画面の中央で地面に直接ひざをつけて脆座する奏楽する楽土,従僕が両
るのは,主人公以外に画面の中央で地面に直接ひざをつけて脆座する奏楽する楽士,従僕が両
膝を地につけ腰と腿を伸ばす正座からの立姿勢との中間姿勢の座をとる姿である.高昌国の漢
膝を地につけ腰と腿を伸ばす正座からの立姿勢との中間姿勢の座をとる姿である.高昌国の漢
人が正式な場で主人公,従僕が礼にかなった座り方を踏襲していることがわかる
22
人が正式な場で主人公,従僕が礼にかなった座り方を踏襲していることがわかる22.
漢人がとる床座には(1)膝を直角に折って座るいわ
漢人がとる床座には(1)膝を直角に折って座るいわ
ゆる正座, (2)日本流の正座に等しい時曙と呼ばれる足
(
2
)日本流の正座に等しい鱒躍と呼ばれる足
ゆる正座,
の甲を地につけず両のかかとで尻を支える床座(相撲の
の甲を地につけず両のかかとで尻を支える床座(相撲の
仕切り)の姿勢,最後に(3)俗にしゃがむ,うずくまる
(
3
)俗にしゃがむ,うずくまる
仕切り)の姿勢,最後に
23 鱒据は,もとの仏教用語に由来し長
酵躍の座がある
蝉曙の座がある23.時曙は,もとの仏教用語に由来し長
老に対する最敬礼の意味が含まれた受戒の時の礼法に
老に対する最敬礼の意味が含まれた受戒の時の礼法に
かなう座法で藤田も「脆」がその表現にあたるとする.
かなう座法で藤田も「脆
j がその表現にあたるとする.
あぐら
あぐら
この他に床-直接座る姿勢は,割座,胡座,結蜘扶座,
この他に床へ直接座る姿勢は,害
)
1
座,胡座,結蜘朕鹿,
片立て膝(歌膝),両立て膝,並びに下交脚,横座り,
片立て膝(歌膝)
,両立て膝,並びに下交脚,横座り,
箕居(投げ足),ならびに楽座をあげることができる.
箕居(投げ足)
,ならびに楽座をあげることができる.
図
4 アスターナ高昌墓楽舞紙廼床座像註 2
1参照
図4 アスターナ高昌墓楽舞紙画床座像 註21参照
3.
3
. 2 敷物に床座する座像
2 敷物に床座する座像
中原の床座の伝統
次に敷物(艶)に床座する姿は,いわば床座と侍座の物理的に中間的な座で,敷物の上の床
次に敷物(乾)に床座する姿は,いわば床座と俸座の物理的に中間的な座で,敷物の上の床
5上段中
座姿勢であるが肌を座面に接する.虞弘墓では,敷物の上で床座像(各ノ fネノレ 3下面, 5上段中
座姿勢であるが肌を座面に接する.虞弘墓では,敷物の上で床座像(各パネル3下面,
央
, 8 上段中央, 10下段左)が登場する.その場面には胡風 埠輝,片立て膝の床座が見られ
10 下段左)が登場する.その場面には胡座,鱒路,片立て膝の床座が見られ
丸 8上段中央,
番目のパネノレ下面右側の敷物上の床座像は,くつろいだ、姿をとる.この座像と類似する
るが, 3
るが,
3番目のパネル下面右側の敷物上の床座像は,くつろいだ姿をとる.この座像と類似する
姿で、後述する杯をかかげ酒を飲むデ、イオニソスの両立て膝の床座像[図 12-1Jがある.
姿で後述する杯をかかげ酒を飲むディオニソスの両立て膝の床座像[図12-1]がある.
5番目の図像上段では,天蓋をともなう(基壇風の)床に敷物を敷きその上で片足を垂下し片
5番目の図像上段では,天蓋をともなう(基壇風の)床に敷物を敷きその上で片足を垂下し片
方を床座する虞弘および夫人を表すと見られる正座座像があるが,連珠文をあしらう点から敷
方を床座する虞弘および夫人を表すと見られる正座座像があるが,連珠文をあしらう点から敷
物に座ることがわかる.このほか楽員が敷物上で正座する, 8番目の図像中央に従者が主人公に
8番目の図像中央に従者が主人公に
物に座ることがわかる.このほか楽員が敷物上で正座する,
果盆をさしだす姿は,右足の甲を地面につけずに左足を立てた片立て膝の床座姿勢で、ある.こ
果盆をさしだす姿は,右足の甲を地面につけずに左足を立てた片立て膝の床座姿勢である.こ
の片立て膝の床座姿勢は,今日でもイラン,アフガニスタン,パキスタンなど西アジア各地
の片立て膝の床座姿勢は,今日でもイラン,アフガニスタン,パキスタンなど西アジア各地
2
1 前掲 1
5
),図 2
.
8
.
7 参照,アスターナ高昌墓出土で現在インドニューデーリ博物館蔵,中原におけるこう
21前掲15),図2.8.7参乳アスターナ高昌墓出土で現在インドニューデーリ博物館蔵,中原におけるこう
した例に前掲 5
),
p
p
.1
9
5・1
9
6参
照, p
.1
7
1,
図 55・1河南密県打虎亭 2号墓壁画;p.
p
.1
7
1図 5
5
4,5嘉祥武
5嘉祥武
した例に前掲5),pp.
195-196参照 p.
171,図55-1河南密県打虎亭2号墓壁画;
171図55-4,
氏洞画像石の図,および南陽文物研究所:南陽漢代董像碍,文物出版社,北京, 1
9
9
0年,図版 9
3,席上の
氏弼画像石の図,および南陽文物研究所:南陽漢代童像穐文物出版社北京,
1990年,図版93,席上の
座像,図版22-23,個人用揚上の座像がある.
座像,図版 2223,個人用掲上の座像がある.
2
2 前掲 3
),p
p
.1
4
4
1
4
5参照,藤田は,床座を「鋸J と「脆」二種類とする.前者の f
眠」が地面や席の上
22前掲3),pp.
144-145参照,藤田は,床座を噸」と「軌二種類とする.前者の「蹄」が地面や席の上
に腎をつけ,両膝の立てひざ座り,あるいは両足を伸ばす投げ足がある.
に腎をつけ,両膝の立てひざ座り,あるいは両足を伸ばす投げ足がある.
2
3 入沢達吉:日本人の坐り方に就いて,史学雑誌 3
1・8,大正 9年には,日本人の正座から座法と床座の関
23入沢達吉:日本人の坐り方に就いて,史学雑誌31-8,大正9年には,日本人の正座から座法と床座の関
係のなか三つの脆座をあげている.
係のなか三つの脆座をあげている.
・
93
93
で頻繁に見られる自由度が高く動きやすい特徴がある床座姿勢である 24
で頻繁に見られる自由度が高く動きやすい特徴がある床座姿勢である24.
虞弘墓に登場する座像は,総じて敷物上の光景を表現し地面や床面の上に直接肌(尻や足の
虞弘墓に登場する座像は,総じて敷物上の光景を表現し地面や床面の上に直接肌(尻や足の
甲)を接して座る姿は登場せずにあ〈まで敷物の上で床座,あるいは後述する腰鼓形座撤に{奇
甲)を接して座る姿は登場せずにあくまで敷物の上で床座,あるいは後述する腰鼓形座域に僑
座する姿を採用する.この点から,主人公が一定以上の地位にあり身分の高い人にふさわしい
座する姿を採用する.この点から,主人公が一定以上の地位にあり身分の高い人にふさわしい
敷物上で礼儀にかなって座りベ人々が最敬礼の表現が不要な饗宴の図像といえよう.
敷物上で礼儀にかなって座り25,人々が最敬礼の表現が不要な饗宴の図像といえよう.
3.
3
. 3 腰鼓形座職上の床座像と俺座像
3 腰鼓形座撤上の床座像と惰座像
(
1
) 中国における腰鼓形座蟻上の座像
(1)中国における腰鼓形座壊上の座像
古代中国の漢代頃では,総じて独自の椅子が存在しなかったと言える.即ち古代中国の座具
古代中国の漠代頃では,総じて独自の椅子が存在しなかったと言える.即ち古代中国の座具
に戦国時代(前 4
7
5
'
"
"
'
'
2
2
1年)の出土例(河南信陽戦国墓の漆木床)以外に人物侍座像の場面は,
に戦国時代(前475-221年)の出土例(河南信陽戦国墓の漆木床)以外に人物債座像の場面は,
足を洗う時や織作業の姿勢以外,座具の類いの登場が極めて少ない 26
足を洗う時や織作業の姿勢以外,座具の類いの登場が極めて少ない26.
後漢末から三国時代にかけ中国人は,腰掛けの類いの座具をどの程度認知していたか,この
後漢末から三国時代にかけ中国人は,腰掛けの類いの座具をどの程度認知していたか,この
事はとりも宜さず西方から座具との出会いである.まず仏教が伝来したとされる後漢・明帝(紀
事はとりも直さず西方から座具との出会いである.まず仏教が伝来したとされる後漢・明帝(舵
元5
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5年頃)以降,仏教文化の流入に伴い美術のみならず荘厳にかかわる周辺の道具,座具
元57-75年頃)以降,仏教文化の流入に伴い美術のみならず荘厳にかかわる周辺の道具,座具
の類いも西方から輸入があったと言える.
の類いも西方から輸入があったと言える.
胡駄が中原に伝わったのは後漢・霊帝の代の二世紀末から三世紀初期頃,西方より伝えられ
胡妹が中原に伝わったのは後漠・霊帝の代の二世紀末から三世紀初期頃,西方より伝えられ
きざ
き
ざ
たとする 27 (説文解宇〕六上では「林は身を安んずるの凡坐なり(段注本)
J と座具を認めてい
たとする27.
〔説文解字〕六上では「休は身を安んずるの凡坐なり(段注本)」と座具を認めてい
る.また胡iI*は,三国から晋時代に入り頻繁に登場し「下馬眠林,一無所言」と〔音書・巻九五〕
る.また胡休は,三国から晋時代に入り頻繁に登場し「下馬曙林,
-無所言」と〔青書・巻九五〕
王嘉{専にあるなど林上で胡服を着た人物を想起できる記述が西域との交流にともない西方の座
王嘉侍にあるなど淋上で胡服を着た人物を想起できる記述が西域との交流にともない西方の座
具である胡林の使用がわかる.
具である胡休の使用がわかる.
とりわけ遊牧民出自で長江以北を統一し南北朝の到来を担った北貌では,北親書〔巻七一〕装
とりわけ遊牧民出自で長江以北を統一し南北朝の到来を担った北魂では,北魂書〔巻七一〕装
2
8
叔業{専附載の蓑祭{専に胡;休が登場し,他にも北斎,南の宋・南斎・梁・惰の史書にもある
叔業倖附載の襲棄侍に胡林が登場し,他にも北斎,南の宋・南斎・梁・晴の史書にもある28.
南北朝の時代には,前述した床,棉,胡淋以外に新たな種類の座具として腰鼓形座域が加わ
南北朝の時代には,前述した床,楊,古月中
k
以外に新たな種類の座具として腰鼓形座撤が加わ
2
9 塞台,塞床,撤と呼ばれる.もともとこの言葉を構成する室は,
る.他の呼称として茎蹄
る.他の呼称として笠蹄29,笠台,笠床,壊と呼ばれる.もともとこの言葉を構成する茎は,
塞が細い竹を編んで作った魚の捕獲用漁具に由来し魚を捕るわな(蹄)と合わせて筆蹄とす
笠が細い竹を編んで作った魚の捕獲用漁具に由来し,魚を捕るわな(蹄)と合わせて笠蹄とす
2
4 服部等作:食の光景と床座の文化ー西北インドに見られる片立て膝の床座姿勢,アジア遊学,Vol.
Vo
.
l14,
1
4,
24服部等作:食の光景と床座の文化一西北インドに見られる片立て膝の床座姿勢,アジア遊学,
勉
誠出版, 2000年.pp.
2000年
, pp.1
11-128参照.
勉誠出版,
11ト128参照.
胡文彦:中国家具,上海古籍出版社出版, 1997年,P1997年
,p
.14,図16参照,敷物上の座像は画像石に多数表現
1
4,
図 16参照,敷物上の座像は画像石に多数表現
25胡文彦:中国家具,上海古籍出版社出版,
されている.前掲
5
),
p
.1
6
9,
図 51・
l河南密県打虎亭 l号墓・収租図,図 5
1
2成都羊子山漢墓・宴楽図を
されている.前掲5),p.
169,図51-1河南密県打虎亭1号墓・収租図,図51-2成都羊子山漠墓・宴楽図を
例にあげる.
例にあげる.
2
6 前掲 9
),
p
.1
7
2,図 56
・
1
,河南密県打虎亭 2号墓壁画参照,相席が可能な幅が広い座楊や,天幕付きを含
26前掲9),p.
172,図56-1,河南密県打虎亭2号墓壁画参照,相席が可能な幅が広い座楯や,天幕付きを含
み,鶏晋南北朝時代に流行をみたようである.前掲
9
),図 1
0
4参照,彰山高家溝崖墓出土画像石に二つ
み,魂晋南北朝時代に流行をみたようである.前掲9),図104参照,彰山高家溝崖墓出土画像石に二つ
の腰鼓形座激の形態をもっ座具の上で正座する姿で六博を興じる図像が登場するが人物と比較し不相応
の腰鼓形座故の形態をもつ座具の上で正座する姿で六博を興じる図像が登場するが人物と比較し不相応
な表現のため検討の余地を残す.
な表現のため検討の余地を残す.
2
7 前掲 3
),
p
.149参照,藤田は,史記から尉他が陸買の説を聴き「顕然起坐j した,と引用する.
27前掲3),p.149参照,藤田は,史記から尉他が陸賓の説を聴き慨然起坐」した,と引用する・
2
8
前掲
3
)
,
藤
田, pp.
l58・
1
6
1,北の周書,南の陳書には見当たらないとある.
28前掲3),藤田 pp.158-161,北の周書,南の陳書には見当たらないとある1
2
9
前掲
2
3
)
,白川はll*凡をいう.日本は駄の常用字にその俗体の床を用いる.前掲
5
),
図 100-111参照、,塞
29前掲23),白川は淋凡をいう.日本は林の常用字にその俗体の床を用いる.前掲5),図100-111参照,蛋
蹄の元々の意味として,塞が細い竹を編んで、作った魚の捕獲用漁具である.魚を捕るわな(蹄)と合わせ茎
蹄の元々の意味として,笠が細い竹を編んで作った魚の捕獲用漁具である.魚を捕るわな(蹄)と合わせ茎
時とする.
蹄とする.
25
94
9
4
る
30 文章から座る椅子と推測できるが,林とは別の簡単な座具で,その材質と構造,寸法から
る30.文章から座る椅子と推測できるが,林とは別の簡単な座具で,その材質と構造,寸法から
可搬可能で軽量さから流行し,饗宴をはじめ様々な場で用いられたと考えられる.
可搬可能で軽量さから流行し,饗宴をはじめ様々な場で用いられたと考えられる
a
実際に筆蹄の表現が〔梁書・巻五六〕侯景伝の「輩上置室蹄,垂脚坐
J,及び「林上常設胡林
実際に笠蹄の表現が〔梁書・巻五六〕侯景伝の「肇上置笠蹄,垂脚坐」,及び「休上常設胡林
及室蹄,著靴垂脚坐」の記述から胡林と並び茎蹄を記述し,足を垂らし腰掛けた事,及び西方
及笠蹄,著靴垂脚坐」の記述から胡休と並び笠蹄を記述し,足を垂らし腰掛けた事,及び西方
の便利な座具として受け止められていたことがわかる.
の便利な座具として受け止められていたことがわかる.
4
60年頃より造営を開始した雲岡石窟では腰鼓形座域が 1
0洞前室西壁上層仏寵,及び 1
2~同前
460年頃より造営を開始した雲岡石窟では腰鼓形座域が10洞前室西壁上層仏轟,及び12洞前
室西壁上層仏寵の座像,とりわけ菩薩や春族など多数の彫刻表現がある[図
J3131
室西壁上層仏轟の座像,とりわけ菩薩や春族など多数の彫刻表現がある[図5]5
(
1
) 雲嵐石窟
1
0洞前室西壁上層仏寵
(
2
)
雲溺石窟
1
2洞前室西壁上層仏寵
図5 雲崩石窟の腰鼓形座職 註31参照
図
5 雲崩石窟の腰鼓形座激註3
1参照
北斉時代にあって僅かに残る墓誌断片より武平4年(573)埋葬と知れるソグド大風の人物と
北斉時代にあって僅かに残る墓誌断片より武平
4年 (
5
7
3
) 埋葬と知れるソグド人風の人物と
32 商旅舵運図と呼ばれる全 9点の石板に線刻した内の 1点である商
共に腰鼓形座撤が登場する
共に腰鼓形座故が登場する32.商旅舵運図と呼ばれる全9点の石板に線刻した内の1点である商
6
1Jには,頭に折上巾をつける墓主とされる人物が,腰鼓形座撤に座し左手に杯を持
談図[図
談図[図6-1]には,頭に折上巾をつける墓主とされる人物が,腰鼓形座轍に座し左手に杯を持
ち
前に立つソグド商人とみられる巻毛の胡人と対面し酒を飲む光景がある.奥に控える人物
ち,前に立つソグド商人とみられる巻毛の胡人と対面し酒を飲む光景がある.奥に控える人物
9
が献上品の珊瑚をもち,胡人は,派手な飾りの独特な服を着て腰をかがめ相手の漢人風人物の
が献上品の珊瑚をもち,胡人は,派手な飾りの独特な服を着て腰をかがめ相手の漢人風人物の
動向をうかがう.虞弘墓や他のソグド墓の圏像では通常胡人が主題になるのに対して,ここで
動向をうかがう.虞弘墓や他のソグド墓の図像では通常胡人が主題になるのに対して,ここで
は漢人が中心の座像と表現に変化があり,それ以外は上方に飛ぶ首に綬帯をつける鳥も 虞弘
は漢人が中心の座像と表現に変化があり,それ以外は上方に飛ぶ首に綬帯をつける鳥も,虞弘
3
墓のモチーフと同様である.この図像にある腰鼓形座域を,立体表現したものに山東省青州龍
墓のモチーフと同様である.この図像にある腰鼓形座歌を,立体表現したものに山東省青州龍
興寺から出土した半蜘思惟菩薩像の{奇座像[図 6
2
Jがあり,山東青州にも西域の座具が浸透し
興寺から出土した半蜘思惟菩薩像の俸座像[図6-2]があり,山東青州にも西域の座具が浸透し
ていたことを物語る 33
ていたことを物語る33.
0
0
0年
,p
p
.
9
0・1
2
4で「垂脚坐Jを根拠として峯蹄を円形僚座に充
30 八木春生:雲間石窟文様論,法蔵館, 2
30八木春生:雲南石窟文様論,法蔵鑑2000年,pp.90-124で「垂脚坐」を根拠として笠蹄を円形静座に充
て扱うが,本稿では前掲
9
)
,
図
l
l
O
参照の解説に従い円形の篠座に当たる用語を全て茎蹄と統ーしてよ
て扱うが,本稿では前掲9),図110参照の解説に従い円形の静座に当たる用語を全て笠蹄と統一してよ
nasi
ばない.
3
1
宿白:中国美術全集彫塑編 1
0・雲闘石窟彫刻,文物出版社, 1
9
8
8年】図 1
0
5(
1
0洞前室西壁上層仏禽),
31宿白‥中国美術全集彫塑編10・雲尚石窟彫刻,文物出版社1988年,図105
(10洞前室西壁上層仏轟),
図125
2
5(12洞前室西壁上層仏亀)参照.
(
12洞前室西壁上層仏禽)参照.
図1
32 前掲 2
),p
.
1
5
2,図版 1
3
5参照, 1971年山東省青州市債家相出土で現青州市博物館蔵の線刻像は,同時代
1
9
7
1年山東省青州市停家村出土で現青州市博物館蔵の線刻像は,同時代
32前掲2),
p.152,図版135参照,
の石棺床扉風と共通性から囲扉または石榔を構成していたとされる,商旅既運図は,胡人が一癌賂監と
の石棺床犀風と共通性から囲犀または石柳を構成していたとされる.商旅駐運図は,胡人が一癖賂髭と
鞍付きの駿罵や床をもっ象, ,~各監の背に折り畳まれた絹織物や大壷を積む様子の描画は,シルクロード
鞍付きの駿馬や床をもつ象脇舵の背に折り畳まれた絹練物や大壷を積む様子の描画は,シルクロード
交易の雰囲気を図像化したと言える.本図以外の別の図に墓主で漢人風の人物が鮮卑帽をかぶっている
交易の雰囲気を図像化したと言える.本図以外の別の図に墓主で漢人風の人物が鮮卑帽をかぶっている
点から山東青州にいたソグド商人と交易した北斉の統治階級の鮮卑人とみられる.
点から山東青州にいたソグド商人と交易した北斉の統治階級の鮮卑人とみられる.
3
3 青州博物館:青州、│輿龍寺イ弗教造像芸術,山東美術出版社, 1
9
9
9年,図版 1
6
9参照,半蜘思惟菩薩像は,
33青州博物館:青州興龍寺悌教造像芸術,山東美術出版社,
1999年,図版169参照,半蜘思惟菩薩像は,
1996 年山東省青州龍興寺より出土し北斉 (550~577) 年聞に製作された.高さ 80cm ,現在青洲博物館
1996年山東省青州龍興寺より出土し北斉(550-577)年間に製作された.高さ80cm,現在青洲博物館
所蔵,前掲 3
2
)のと同じだが布のようなもので覆われている点が異なる.
所蔵,前掲32)のと同じだが布のようなもので覆われている点が異なる.
95
9
5
図611商旅駐運回 註32参照
図6
1 商旅舵運図註3
2参照
図6-2 龍興寺出土半蜘思惟菩薩僑座像 註33参照
6
2 龍輿寺出土半蜘思惟菩薩{奇座像註 3
3参照
図
その後,腰鼓形座撤は,西域にあってアスターナ 224墓の備に腰鼓形座撤の座像へおよびキ
その後,腰鼓形座蟻は,西域にあってアスターナ224墓の桶に腰鼓形座域の座像34,およびキ
ジル石窟では 14洞
, 175洞,
175洞
, 38洞の座像35など中原と西域と経由する各地に残る美術表現で度々
38洞の座像 35など中原と西域と経由する各地に残る美術表現で度々
ジル石窟では14洞,
1,2].ここではその詳細をあげないが,次章でその登場をみた西方,パクトリ
2
]
. ここではその詳細をあげないが,次章でその登場をみた西方,パクトリ
登場する[図 7
登場する[図7-1,
アにかけて図像に登場する腰鼓形産土敦を以下述べてみたい.
アにかけて図像に登場する腰鼓形座蟻を以下述べてみたい.
図
7
1 アスターナ 2
2
4墓 奏 楽 漢 人 僑 座 像 註 3
4参照
図7
2 キジル石窟 1
2
3満 腹 鼓 形 座 敬 註 3
5参照
図7-1アスターナ224墓奏楽漢人僑座像 註34参照 図712 キジル石窟123洞腰鼓形座敏 註35参照
前掲 1
0
),図 2
.
9
.
9参照, 1973年出土,新羅・ウイグル自治区博物館蔵,高16.8cm.
1
9
7
3年出土,新彊・ウイグ、ル自治灰博物館蔵,高 1
6
.
8
c
m
.
34前掲10),図2.9.9参照,
中国石窟・克孜匁石窟委員会:中国石窟全集,キジル石窟
V
o
l
.
1
,
文
物
出
版
社
,
1
9
8
9年
, p.
l5
3,
1
4洞
,
35中国石窟・克孜ホ石窟委員会:中国石窟全集,キジル石窟Vol. 1,文物出版社, 1989年 pi.53,
14?帆
1
4
洞
,
1
7
5
i
,
同
3
8
桐
篠
座
像
,
p
.
1
5
3
参照.
キジル
キジル14洞, 175洞, 38洞藤座像,p.153参鳳
34
3
5
96
9
6
(2)中央アジアにおける腰鼓形座壊上の座像
(
2
) 中央アジアにおける腰鼓形座増上の座像
l千年期にはソグド語以前の何らかの言語で
ソグディアナとその周辺地域で遅くとも紀元前
ソグディアナとその周辺地域で遅くとも紀元前1千年期にはソグド語以前の何らかの言語で
書かれた記録が存在したと思われるが実際に残る文書や碑文が少なく,同時に様々な文化の混
書かれた記録が存在したと思われるが実際に残る文書や碑文が少なく,同時に様々な文化の混
交から当時の信仰や日々の生活について正確な知識が極めて限られる.この欠点を補足でき重
交から当時の信仰や日々の生活について正確な知識が極めて限られる.この欠点を補足でき重
要な図像を提供するのが当時よりの印章,銀器,象牙細工や化粧皿,ならびに王朝貨幣といっ
要な図像を提供するのが当時よりの印章,銀器,象牙細工や化粧皿,ならびに王朝貨幣といっ
た工芸品や彫刻の図像がある.
た工芸品や彫刻の図像がある.
工芸品として,まず印章がその図像の豊富さに加え使用期間と使用した地域がひろい特徴が
工芸品として,まず印章がその図像の豊富さに加え使用期間と使用した地域がひろい特徴が
ある.また日常に用いた銀器や象牙製の品は,宮廷の様々な光景を図像に採用し,化粧皿には
ある.また日常に用いた銀器や象牙製の晶は,宮廷の様々な光景を図像に採用し,化粧皿には
宗教行事的な死者の饗宴のモチーフを光景として採用する.それぞれの図像共に出自民族毎の
宗教行事的な死者の饗宴のモチーフを光景として採用する.それぞれの図像共に出自民族毎の
伝統,習俗の光景を採用する.貨幣は,ギリシャから中央アジア内陸へと広大な中央アジアで
伝統,習俗の光景を採用する.貨幣は,ギリシャから中央アジア内陸-と広大な中央アジアで
覇権を競った王朝にあってその専属工房で公式の肖像,王家や都市の守護神像を表現する.
覇権を競った王朝にあってその専属工房で公式の肖像,王家や都市の守護神像を表現する.
ここで虞弘墓の浮き彫りは,ササン朝美術やガンダーラ美術をはるかに遡る西アジアの伝統
ここで虞弘墓の浮き彫りは,ササン朝美術やガンダーラ美術をはるかに遡る西アジアの伝統
8
J が蘇っているのである.
表現である饗宴図,下に動物闘争図を組み合わせた図像[図
表現である饗宴図,下に動物闘争図を組み合わせた図像[図8]が蘇っているのである.
(
1)大英博物館蔵 W
A
1
0
3
3
1
8
(
2
) ダマスカス博蔵 S
2
4
1
1
j
M
2
.
4
4
4
0
(2)ダマスカス博蔵S2411/M2.4440
図8 饗宴と動物闘争図一区画表現 註15参照
図
8 饗宴と動物関争図一区画表現 註 1
5参照
なかでも古代メソポタミアの全期間を通じて広く使用された印章,とりわけ 2期のウノレ王墓
なかでも古代メソポタミアの全期間を通じて広く使用された印章,とりわけ2期のウル王墓
出土印章の図像では,上下に区画線を設け現世と来世を表現するかのよう楽団が取り囲む中で
出土印章の図像では,上下に区画線を設け現世と来世を表現するかのよう楽団が取り囲む中で
椅子に座し葡萄酒を酌み交わす王女 PU
・a
b
i銘と王夫妻の代表的な饗宴図の印章 36がある[図 9
]
.
椅子に座し葡萄酒を酌み交わす王女Pu-abi銘と王夫妻の代表的な饗宴図の印章36がある[図9].
(
1
)P
u
a
b
i銘饗宴函・大英博物館蔵 W
A
1
2
1
5
4
4
(
2
) 饗宴図と楽団・イラク博物館 I
M
1
1
9
0
4
(1)
Pu-abi銘饗宴図・大英博物館蔵WA-121544 (2)饗宴図と楽団・イラク博物館IM-11904
図9 西アジア伝統の饗宴図 註15参照
図 9 西アジア伝統の饗宴図 註 1
5参照
3
6 前掲 1
5
),p
p
.
2
0・3
1参照,印章は,小さな表現面積にかかわらず図像が豊富で,使用期間が紀元前 4
0
0
0
36前掲15),
pp.20-31参照,印章は,小さな表現面積にかかわらず図像が豊富で,使用期間が紀元前4000
年紀から紀元
2
0
0
年頃まで,その流通地域が古代メソポタミアを中心に西のエジブロト,ヘレコズム世界
年紀から紀元200年頃まで,その流通地域が古代メソポタミアを中心に西のエジプト,ヘレニズム世界
から東方は中央アジア,インダス河流域の都市にまで及ぶ.同時に様々なモチーフを図像化し後に銘文
から東方は中央アジア,インダス河流域の都市にまで及ぶ.同時に様々なモチーフを図像化し後に銘文
も加わることから当時の豊富な情報を提供している.
も加わることから当時の豊富な情報を提供している.
97
97
この時期にあって他にも画面を区画し,そこに饗宴や動物闘争の図像を表現する印章が多数
この時期にあって他にも画面を区画し,そこに饗宴や動物闘争の図像を表現する印章が多数
出土しているーこのことからも宗教的行事としての饗宴が古代シュメール語で「ビール注ぎ」
出土している37.このことからも宗教的行事としての饗宴が古代シュメール語で「ビール注ぎ」
の意味に由来するようビールとワインが特別階級の地位強化で重要な役割を果たした.
の意味に由来するようビールとワインが特別階級の地位強化で重要な役割を果たした.
饗宴図で同様の例は,新アッシリア帝国においてアッシュルナシノレパノレ 2 世(前 883~859)
饗宴図で同様の例は,新アッシリア帝国においてアッシュルナシルパル2世(前883-859)
王夫妻が葡萄概下での饗宴の浮彫り 38が知られる.その饗宴の記録では,ニムルド北西宮殿建立
王夫妻が葡萄棚下での饗宴の浮彫り38が知られる,その饗宴の記録では,ニムルド北西宮殿建立
タークノレトゥ
タ-クルトウ
の国家的祝祭で 7万人近い招待客に庭園で大量多彩な食物や飲物を度々供すると同時に神々の
の国家的祝祭で7万人近い招待客に庭園で大量多彩な食物や飲物を度々供すると同時に神々の
祝福を期待し供物を献げた事が碑文に残るなど重要行事であったこと及びその伝統がわかる.
祝福を期待し供物を献げた事が碑文に残るなど重要行事であったこと及びその伝統がわかる・
次に饗宴の図像のなかに腰鼓形座撤の手がかりが銀器,象牙製品 39 ならびに化粧皿40にある.
次に饗宴の図像のなかに腰鼓形座故の手がかりが銀乳象牙製品39,ならびに化粧皿40にある・
まず古代パクトリアのアフガニスタンで腰鼓形座散が多数の象牙製家具装飾板に登場する 41
まず古代パクトリアのアフガニスタンで腰鼓形座故が多数の象牙製家具装飾板に登場する41.
1世紀頃にパクトリアで栄えたベグラムの遺跡からエジプト,ローマ,中国との交易品が多数出
1世紀頃にパクトリアで栄えたベグラムの遺跡からエジプト,ローマ,中国との交易品が多数出
土し,その国際的な文化交流の足跡が知られるなかに象牙の板にインド式門柱の横にたっ女性
土し,その国際的な文化交流の足跡が知られるなかに象牙の板にインド式門柱の横にたっ女性
立像の足下に藤で組まれた腰鼓形座域が置かれている図像彫刻など,後宮の饗宴や宮殿生活の
立像の足下に藤で組まれた腰鼓形座故が置かれている図像彫刻など,後宮の饗宴や宮殿生活の
光景で盛んに使用されていた事がわかる[図 1
0
J4242.
光景で盛んに使用されていた事がわかる[図10]
(
1)立像と腹鼓形座敬 (
Fi
g
.8
6
) (
2
) 立像と渡鼓形座激 (
Fi
g
.4
3
)
(
3
) 後宮と座異 (
F
ig
.2
3
3
)
(1)立像と腰鼓形座轍(Fig.86)
(2)立像と腰鼓形座敢(Fig.43) (3)後宮と座具(Fig.233)
図
1
0 象牙製装飾板ーベグラム出土腹鼓形座敏註 4
1参照
図10 象牙製装飾板-ベグラム出土:腰鼓形座職 註41参照
,
A
r
c
h
a
巴o
l
o
g
ya
n
dA
n
t
h
r
o
p
o
l
o
g
y
,
C
.
.C.
0位OffsetPrinting,
巴t
P
r
i
n
t
i
n
g
,19981998,
P.
l17
A
・2
0
A
,
4
6
a
b参照,メソポタミア
2期の初期
Archaeology
and
Anthropology,
C.C
PI.
17A-20A,
46ab参艶メソポタミア2期の初期
王朝時代(紀元前
3000~2344
年)の円筒印章から饗宴場面で有名なのがウル王墓出土の印章(大英博物
王朝時代(紀元前3000-2344年)の円筒印章から饗宴場面で有名なのがウル王墓出土の印章(大英博物
館蔵
WA-121544) で,王女,その一族,侍従,楽土が登場するなか,宮廷の料理,酒宴そして奏楽光景
館蔵WA-121544)で,王女,その一族,侍従,楽士が登場するなか,宮廷の料理,酒宴そして奏楽光景
を表現する.メソポタミア
2期の印章表現の傾向として女性所有の円筒印章に饗宴場面が多く,男性所
を表現する.メソポタミア2期の印章表現の傾向として女性所有の円筒印章に饗宴場面が多く,男性所
有のは動物闘争文が多数を占める傾向がある.饗宴図や動物闘争文を同時に表現する例は,大英博物館
有のは動物闘争文が多数を占める傾向がある.饗宴図や動物闘争文を同時に表現する例は,大英博物館
WA
・1
03318およびダマスカス博蔵 S
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4440があげられる.
蔵
蔵WA-103318およびダマスカス博蔵S2411/M2.
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161に青銅製-アピンの饗宴図像
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(大英博物館蔵
(大英博物館蔵WA-141529)参照.
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11参照,化粧皿の役割と名称は,化粧の目的に用する以外
に儀礼用をとる説など未確定である.
に儀礼用をとる説など未確定である.
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Tome
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Ancienne,
Publications
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次にパクトリアからガンダーラ地方にかけて多数出土する化粧皿の図像に登場する饗宴ある
次にパクトリアからガンダーラ地方にかけて多数出土する化粧皿の図像に登場する饗宴ある
いは死者の饗宴と呼ぶ主題のもと上半身を露にした女性が明らかに柔らかい材料を中央で束ね
いは死者の饗宴と呼ぶ主題のもと上半身を露にした女性が明らかに柔らかい材料を中央で束ね
43 化粧血は,石を円盤形に薄く成形加工し,皿の内側に水
た腰鼓形敢に腰掛ける姿で登場する
た腰鼓形故に腰掛ける姿で登場する43 ヒ粧皿は,石を円盤形に薄く成形加工し,皿の内側に水
平線で分割区画した上側に図像を,下側に化粧油や粉を混ぜる形式が大部分である.
平線で分割区画した上側に図像を,下側に化粧油や粉を混ぜる形式が大部分である.
この化粧血の形式と区画を設ける手法で共通するものにギリシャ東方クリミヤ半島からドン
この化粧皿の形式と区画を設ける手法で共通するものにギリシャ東方クリミヤ半島からドン
川にかけて出土した銀製の古式フィアレ(大杯
)44,およびシリアのハトラのパンテシオン神殿
川にかけて出土した銀製の古式フイアレ(大杯i44 ぉよびシリアのハトラのパンテシオン神殿
社出土のオリンポスの神々の集いと言われる象牙製皿の酷似例がある[函
1
1
]45 化粧皿の区
4
5
. 化粧皿の区
吐出土のオリンボスの神々の集いと言われる象牙製皿の酷似例がある[図11]
画とその図像表現で前者がギリシャ神話に登場するエロスやプシュケ,後者が神々の集いの図
画とその図像表現で前者がギリシャ神話に登場するエロスやプシュケ,後者が神々の集いの図
像をもち共に宗教目的の祭器(葬送儀礼)用とされる.この点から前
3 世紀頃以降からパクト
像をもち共に宗教目的の祭器(葬送儀礼)用とされる.この点から前3世紀頃以降からパクト
リアとカーブル河流域出土化粧皿の大部分と共にガンダーラの化粧皿がへレニズ、ム製かセレウ
リアとカーブル河流域出土化粧皿の大部分と共にガンダーラの化粧皿が-レニズム製かセレウ
コス時代の西方へレニズ、ム世界からの移入品にしても,画面を区画し神々をモチーフに主題を
コス時代の西方-レニズム世界からの移入品にしても,画面を区画し神々をモチーフに主題を
図像化する手法から虞弘墓の浮き彫り表現に影響を与えた伝統の一つにあげることが出来る.
図像化する手法から虞弘墓の浮き彫り表郷こ影響を与えた伝統の一つにあげることが出来る.
(1)饗宴図 註40,
PL10参照
(1)饗宴図註 4
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1
0参照
(
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)饗 宴 図 註 4
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(
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)饗宴図註4
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.
7参照
(2)饗宴図 註40,
PI.日参照 (3)饗宴図 註40,
図1
1 化粧血.饗宴図と腰鼓形庭激
図11化粧皿:饗宴図と腰鼓形座壊
さらに西アジア世界を通じガラスをはじめブロンズなどパクトリアやガンダーラに伝播した
さらに酉アジア性界を通じガラスをはじめブロンズなどパクトリアやガンダーラに伝播した
エジプトの影響をみれば,第 9'"1
1 王朝(第 l中間期・紀元前 2134"'2040年)で一般庶民の葬
エジプトの影響をみれば,第9-11王朝(第1中間期蘭元前2134-2040年)で一般庶民の葬
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前 30年)の化粧皿風の皿をとりあげ
送に用いた供物盆46 およびグレコローマン期(前 331'
送に用いた供物盆46,およびグレコローマン期(前331-前30年)の化粧皿風の皿をとりあげ
る事も可能だろう.
る事も可能だろう.
前者のエジプト供物盆では,円のなかに T型で区画線を設け,その一本の線が外部に通じる
前者のエジプト供物盆では,円のなかにT型で区画線を設け,その一本の線が外部に通じる
とい現世と来世観の表現意識があるに違いない.後者がその伝統を受け継ぐ何らかの儀式に
とし,現世と来世観の表現意識があるに違いない・後者がその伝統を受け継ぐ何らかの儀式に
用いたグレコローマン期プトレマイオス朝の化粧血風の皿である 47
用いたグレコローマン期プトレマイオス朝の化粧皿風の皿である47.
4
3 田辺勝美:ガンダーラのいわゆる饗宴図像について一新資料の紹介を中心に,仏教芸術 1
3
7号,毎日新
43田辺勝美:ガンダーラのいわゆる饗宴図像について一新資料の紹介を中心に,仏教芸術137号,毎日新
聞社,
聞社, 1981色 pp.35-56参照.
1
9
8
1年
, pp.35-56参照.
4
4 京都文化博物館:ユーラシアの輝きーロシアの秘宝展,京都文化博物館, 1
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1・
9
5参照,ギリシャ東
44京都文化博物館:ユーラシアの輝き-ロシアの秘宝展,京都文化博物館,
1993も図版9ト95参照,ギリシャ東
方様式の一つにサルマート王墓出士銀製大杯(ドン
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ノボチェノレカスク市出土,帝政ローマ時代初期)である.
方様式の一つにサルマート王墓出土銀製大杯(ドン川ノポチェルカスク市出土帝政ロ-マ時代初期)である.
4
5 前掲 4
0
),イラク国立博物館蔵 1M・
59033,パルティア(前 l世紀から 240年頃)とされる
45前掲40),イラク国立博物館蔵IM-59033,パルティア(前1世紀から240年頃)とされる.
4
6 京都文化博物館:古代エジプト文明 3
000年の世界, 2005 年,図版 50・ 1~4 参照
46京都文化博物館‥古代エジプト文明3000年の世凧2005年,図版50-1-4参照
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pp.
85-89参照.
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以上の化粧皿の造形,様式,および制作意図が西方からもたらされたことは疑問の余地が無
い.ガンダーラの化粧皿の目的にディオニソス信仰,バッカス祭儀といった何らかの儀礼用と
い.ガンダーラの化粧皿の目的にデ、ィオニソス信仰,バッカス祭儀といった何らかの儀礼用と
する見解も含めタキシラ都市遺構で出土した化粧皿は寺院地区からの出土品が多い.画面を区
する見解も含めタキシラ都市遺構で出土した化粧皿は寺院地区からの出土品が多い.画面を区
画し,そのなかで楽園の意識を図像表現した点が虞弘墓の図像に通じるものがある.
画し,そのなかで楽菌の意識を図像表現した点が虞弘墓の図像に通じるものがある.
しかし化粧血が仏教美術に神神の世界を図像化するといった先駆的な役割を果たしたが仏教
しかし化粧皿が仏教美術に神神の世界を図像化するといった先駆的な役割を果たしたが仏教
美術が盛行をみた2世紀以降のクシャン期で急速に消滅する.化粧皿を利用する信仰の急速な
美術が盛行をみた
2世紀以降のクシャン期で急速に消滅する.化粧皿を利用する信仰の急速な
衰退に対し汎世界宗教となりはじめた仏教に役目が移りその宗教的な需要が無くなったとみら
衰退に対し汎世界宗教となりはじめた仏教に役目が移りその宗教的な需要が無くなったとみら
れる.一方で饗宴の図像が依然重要なモチーフとして現世の楽園,天国-の旅出,あるいは死
れる.一方で饗宴の図像が依然重要なモチーフとして現世の楽園,天国への旅出,あるいは死
後の世界の表象により楽園と生命の再生と豊偉観の象徴としての図像が伝統として残りつづけ
後の世界の表象により楽園と生命の再生と豊鏡観の象徴としての図像が伝統として残りつづけ
今日まで連綿と続く基層文化となっているのである.
今日まで連綿と続く基層文化となっているのである.
つぎに貨幣の座像と座具をとりあげ,虞弘墓のパネルNo.10右側で杯をかかげる床座像をは
No.
10右側で杯をかかげる床産像をは
つぎ、に貨幣の産像と座具をとりあげ,虞弘墓のパネノレ
じめ腰鼓形座撤が登場する光景と比較したい.
じめ腰鼓形座域が登場する光景と比較したい.
まず饗宴に登場する人物の座像に類似するギリシャ植民地ナクソス
まず饗宴に登場する人物の座像に類似するギリシャ植民地ナクソス
の
4 ドラクマ銀貨に杯をかかげるディオニソスの座像がある[図
の4ドラクマ銀貨に杯をかかげるディオニソスの座像がある[図
1
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-1
]48. ギリシャの諸神のなかでディオニソスが有するイメージは,
12-1]48 ギリシャの諸神のなかでディオニソスが有するイメージは,
両立て膝の座で杯をもって的あて遊びをするインド帰りの比較的若い
神として酒癖と行儀の悪い姿で扱われる.この酒杯をかかげ床座姿は,
神として酒癖と行儀の悪い姿で扱われる.この酒杯をかかげ床座姿は,
図1
2
1 ディオニソス床座像
蓋然性として東方世界からの座像として表現する.一方で玉座に整然 図12-1ディオニソス床座像
蓋然性として東方世界からの座像として表現する.一方で玉座に整然
註48参照
註
48参照
と借座するゼウス神俸座像が定着した.
と情座するゼウス神イ奇座像が定着した.
つぎに貨幣図像から座像をとりあげると,敷物上の王座像,騎馬座像,背もたれが高く肘あ
つぎ、に貨幣図像から座像をとりあげると,敷物上の王座像,騎馬座像,背もたれが高く肘あ
てを備えた本格的な玉座債座像の象徴的表現49が多いなかでギリシャ系の王朝貨幣に度々登場
49が多いなかでギリシャ系の王朝貨幣に度々登場
てを備えた本格的な玉座{奇座像の象徴的表現
する腰鼓形座故と類似するオンフォロス上の債座像がある[図12-2].
する腰鼓形座撤と類似するオンフォロス上の侍座像がある[図
1
2
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]
.
これは大地の中心となる瞬を象徴するデノレファイの神殿内で網状に
これは大地の中心となる肺を象徴するデルフアイの神殿内で網状に
ロープをかけ紀られる岩座とよべるもので,その一例にオンフォロス
ロープをかけ杷られる岩座とよべるもので,その一例にオンフオロス
の上によりかかりるデメテルの情座像がある.アレクサンダ一大王の
の上によりかかりるデメテルの債座像がある.アレクサンダー大王の
東漸にともないギリシャ人のマケド、ニア朝につづくセレウコス朝,イ
東漸にともないギリシャ人のマケドニア朝につづくセレウコス朝,イ
ンド・グリーク朝,インド・パクトリア朝,ヘレニズム噌好の強いパ
ンド・グリーク朝,インド・パクトリア朝,
-レニズム噂好の強いパ
ノレティア貨幣に登場後もグプタ朝にも継承される 50
ルティア貨幣に登場後もグブタ朝にも継承される50.
図12-2 デメテルのオンフォロ
図
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49参照
ス僑座像註
ス債座像 註49参照
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及び朝日新聞社:ベルリンの至宝展,よみがえる美の聖域, 200
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5参照,デノレファイ隣保同盟銀貨
49朝日新聞社:ベルリンの至宝展,よみがえる美の聖域,
2005年,図95参照,デルフアイ隣保同盟銀貨
(紀元前 336~334 年) .オンフォロスの座は玉座でもある.デ、ルファイ美術館やアテネ考古博物館で当
(紀元前336-334年).オンフォロスの座は玉座でもある.デルフアイ美術館やアテネ考古博物館で当
時の物をみるとロープ上に結び自を表現する.ギリシャ王朝以外のセレウコス,インド・グリーク/ノ〈ク
時の物をみるとロープ上に結び目を表現する.ギリシャ王朝以外のセレウコス,インド・グリーク/パク
トリア朝,アルサケス朝ペルシャにその座像が採用され,後のグブタ朝サンドラグブタ貨幣(335-376
トリア朝,アルサケス朝ベルシャにその座像が採用され,後のグプタ朝サンドラグプタ貨幣 (335~376
年)にも座像が復活する.
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52-8 参照.
100
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腰鼓形座職は, -レニズムの文化のなかでそれらしい図像がパルテ
腰鼓形座撤は,ヘレニズムの文化のなかでそれらしい図像がパノレテ
ィアで登場する.概してパルティア朝の貨幣に現れる座具は,ギリ
ィアで登場する.概してパルティア朝の貨幣に現れる座具は,ギリ
シャ系の本格的な韓軽引き製の脚部を有する玉座やオンフォロスが
シャ系の本格的な轄瞳引き製の脚部を有する玉産やオンフォロスが
中心であるが[図12-3],ミトラダテス2世(在位紀元前127-87
中心であるが[図
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年)の貨幣に腰鼓形座撤風が登場する[図
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ティアの先祖神やシルクロードの交易商人の利用した座具が運搬可
ティアの先祖神やシルクロードの交易商人の利用した座具が運搬可
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能で小型,軽量かつその便利さ故に座具を図像化したと思われる.
能で、小型,軽量かっその便利さ故に座具を図像化したと思われる.
腰鼓形座故の表現がクシャン朝以降の王朝の貨幣には登場しない
腰鼓形座蟻の表現がクシャン朝以降の王朝の貨幣には登場しない
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が,インドのグブタ朝サンドラグブタ2世(376-414年)貨幣にヤ
ナギの枝製の腰鼓形座域が登場する52.
ナギの枝製の腰鼓形座域が登場する
52
最後に腰掛けの類例を西域に探ると,ニヤやダンダンウイリク遺跡
最後に腰掛けの類例を西域に探ると,ニヤやダンダンウイリク遺跡
から乾燥地帯であるがゆえにミイラをはじめ繊維製品,他の木製品に
から乾燥地帯であるがゆえにミイラをはじめ繊維製晶,他の木製品に
混じり椅子の断片出土が知られるものの腰鼓形座域がない.家具と 図12-4 ミトラダテス2世腰鼓形
混じり椅子の断片出土が知られるものの腰鼓形座域がない.家具と図
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2
4 ミトラダテス 2控腰鼓形
してニヤの
NIV遺跡住居跡出土の 1
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4世紀頃とされ古代の木製椅
してニヤのNIV遺跡住居跡出土の1-4世紀頃とされ古代の木製椅
座敬{奇座像註
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座増俸座像註51参照
シムハナサ
シ
ムハナサ
子の一部,脚部や肘当て,ホゾ穴など工作技術も確かな獅子の玉座の部品がある.この造形が
子の一部,脚部や肘当て,ホゾ穴など工作技術も確かな獅子の玉座の部品がある.この造形が
西方の神獣ケンタウロス,およびインドのキンナラをモチーフに採用する点から極めて西方的
西方の神獣ケンタウロス,およびインドのキンナラをモチーフに採用する点から極めて西方的
な原形が伝播し地方的な造形-と変化をみせている53.
53
な原形が伝播し地方的な造形へと変化をみせている
最後に腰鼓形座撤の上の座像以外には登場しない折畳み可能な胡休の表現が虞弘墓の図像で
最後に腰鼓形座域の上の座像以外には登場しない折畳み可能な胡林の表現が虞弘墓の図像で
は登場しない.虞弘墓では,前述してきたようにあくまで藤製の腰鼓形座撤上の交脚座像,お
は登場しない・虞弘墓では,前述してきたようにあくまで藤製の腰鼓形座域上の交脚座像,お
よび天蓋をともなう(基壇風の)床に敷物を敷きその上で夫婦とみられる床座する人物の座像
よび天蓋をともなう(基壇風の)床に敷物を敷きその上で夫婦とみられる床座する人物の座像
が登場するだけである.それが意味する事として特別階級向け椅子よりも,蓋然性として運搬
が登場するだけである・それが意味する事として特別階級向け椅子よりも,蓋然性として運搬
が可能で、軽量で利便性の高い腰鼓形座撤が身の回りに自然にあったのを自然に選んでいたと考
が可能で軽量で利便性の高い腰鼓形座旗が身の回りに自然にあったのを自然に選んでいたと考
えられる.
えられる.
4.考察
4. 考察
本稿にあげた虞弘墓石製棺榔は,近年発掘された他のソグド人の墓と異なり,パネノレ図像表
本稿にあげた虞弘墓石製棺榔は,近年発掘された他のソグド人の墓と異なり,パネル図像表
現を画面上下 2段に区画しそのなかに主題の表現をとる.さらに浮き彫り図像にあらわされる
現を画面上下2段に区画しそのなかに主題の表現をとる.さらに浮き彫り図像にあらわされる
のが腰鼓形座域と座像が多く登場する饗宴の光景に特徴がある.
のが腰鼓形座蟻と座像が多く登場する饗宴の光景に特徴がある.
区画表現をとる形式には,メソポタミアにあってシュメール文明に遡る円筒印章の饗宴の図
区画表現をとる形式には,メソポタミアにあってシュメール文明に遡る円筒印章の饗宴の図
像,およびパクトリアにあってはインド・パルティア朝,インド・サカ朝に盛行した化粧皿に表
像,およびパクトリアにあってはインド・パルティア軌インド・サカ朝に盛行した化粧皿に表
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参照,ヤナギの小枝製
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参照,遺跡住居跡から出土した木製品を
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LXVIII,
椅子とするが,祭壇とする見解もある.
椅子とするが,祭壇とする見解もある.
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現される死者の饗宴左呼ぶ図像で,左もに現世左死後の世界観の伝統表現を継承する点である.
現される死者の饗宴と呼ぶ図像で,ともに現世と死後の世界観の伝統表現を継承する点である.
こうした饗宴,動物闘争,さらにはそのなかの座像の組み合わせする造形表現があくまで生一
こうした饗宴,動物闘争,さらにはそのなかの座像の組み合わせする造形表現があくまで生-
死,聖一俗,現世一来世とを区画で分かち,モチーフの主題を図像化し表現したものとしてこ
死,聖一俗,現世一来世とを区画で分かち,モチーフの主題を図像化し表現したものとしてこ
こで重視できるのである.
こで重視できるのである.
一方で饗宴の表現で考慮しなければならないのが地域差と時代差である.印章をはじめ装飾
一方で饗宴の表現で考慮しなければならないのが地域差と時代差である.印章をはじめ装飾
品の材料として多数用いられた貴石ラピスラズリは,中央アジア・バダクシャンからの輸入品で
品の材料として多数用いられた貴石ラピスラズリは,中央アジア・パダクシャンからの輸入品で
エジプト西アジアヰ央アジアが古代より交易で強く結ばれていた点からソグディアナ-の西
エジフ。ト.西アジア・中央アジアが古代より交易で強く結ぼれていた点からソグディアナへの西
アジアの基層文化の伝播で見逃せない.そのため印章が地中海世界にとどまらずインダス流域
アジアの基層文化の伝播で見逃せない.そのため印章が地中海世界にとどまらずインダス流域
の都市までひろく行き渡って国際的な交流があった点も考慮できる.
の都市までひろく行き渡って国際的な交流があった点も考慮できる.
さらに時代差であるが,その表現は,上下二段に画面を区画し楽士たちが侍るなかで王と王
さらに時代差であるが,その表現は,上下二段に画面を区画し楽士たちが侍るなかで王と王
妃が神々に扮し,饗宴の行われる場所-旅出する何らかの宗教的儀式の光景,及び英雄たる人
妃が神々に扮し,饗宴の行われる場所へ旅出する何らかの宗教的儀式の光景,及び英雄たる人
物と動物との闘争を表現する.また化粧皿の場合,区画表現した中で饗宴の図像表現をする.
物と動物との闘争を表現する.また化粧皿の場合,区画表現した中で饗宴の図像表現をする.
虞弘夫妻の生前の姿と死後の世界について饗宴の様子を図像化しそのなかに現れる人物,守
虞弘夫妻の生前の姿と死後の世界について饗宴の様子を図像化しそのなかに現れる人物,守
護神あるいは一族の座像が語るものは正座,脆座,時曙といった礼に従う座の姿である.それ
護神あるいは一族の座像が語るものは正座,脆座,陣聞といった礼に従う座の姿である.それ
以外の歌舞音曲をもって饗宴する様子では胡座といった動きやすい姿勢が好まれている.その
以外の歌舞音曲をもって饗宴する様子では胡座といった動きやすい姿勢が好まれている.その
中で特別な人物(主人公あるいは守護神)が特定の座具・腰鼓形座敢に倍座する姿である.古代
中で特別な人物(主人公あるいは守護神)が特定の座具・腰鼓形座職に借座する姿である. 、__古代
の中国にあっての座像は,時に敷物としての席のように平らなものに限らず,パネル 5の主人
の中国にあっての座像は,時に敷物としての席のように平らなものに限らず,パネル5の主人
公夫妻のように床のうえに床座する姿,あるいは他の人物(あるいは神)が腰鼓形座墳の姿に
公夫妻のように床のうえに床座する姿,あるいは他の人物(あるいは神)が腰鼓形座職の姿に
特別席としての意識が兄いだせる.
特別席としての意識が見いだせる.
いずれも中央アジアで古くからの伝統化した饗宴の図像がソグディアナ,さらには虞弘墓の
いずれも中央アジアで古くからの伝統化した饗宴の図像がソグディアナ,さらには虞弘墓の
図像の光景のみならず今もなおカシュガルやトルファンといったオアシス都市で見られる宴会
図像の光景のみならず今もなおカシュガルやトノレファンといったオアシス都市で見られる宴会
からもその伝統文化の継続性がわかる.
からもその伝統文化の継続性がわかる.
5. まとめ
5.まとめ
本稿では,現在知られるソグド人の墓の図像表現が l区画 l画面が大多数を占めるなか,惰
本稿では,現在知られるソグド人の墓の図像表現が1区画1画面が大多数を占めるなか,防
代・虞弘の石製棺榔の製作を依頼された彫刻家は,パネルを上下に区画し,そこに主なモチーフ
代・虞弘の石製棺榔の製作を依頼された彫刻家は,パネルを上下に区画し,そこに主なモチーフ
をそれぞれ細部,例えば饗宴の光景で西域の起居の習俗に根ざした様々な敷物の上の床座像と
をそれぞれ細部,例えば饗宴の光景で西域の起居の習俗に根ざした様々な敷物の上の床座像と
円形の腰鼓形座職に俸座する登場人物が饗宴の場で繰り広げる光景を表現した点である.
円形の腰鼓形座敢に倍座する登場人物が饗宴の場で繰り広げる光景を表現した点である.
こうした図像表現が可能なのは,蓋然性として習俗光景を自にやきつけている彫刻家(それ
こうした図像表現が可能なのは,蓋然性として習俗光景を目にやきつけている彫刻家(それ
が何世代を経た移民の子孫であるにせよ)の存在にあると考えられる.
が何世代を経た移民の子孫であるにせよ)の存在にあると考えられる.
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