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http://repository.osakafu-u.ac.jp/dspace/ Title Author(s) Editor(s
 Title
Author(s)
'The Shady Empire'から'Unbounded Thames'ヘ : Windsor Forest小論
西谷, 真稚子
Editor(s)
Citation
Issue Date
URL
言語と文化. 2010, 9, p.71-87
2010-03-31
http://hdl.handle.net/10466/12732
Rights
http://repository.osakafu-u.ac.jp/dspace/
‘ The ShadyEmpire' から‘ Unbounded Thames'ヘ
- Wi
ndsorForest
小論
西谷真稚子
1713 年 4 月 11 日、ユトレヒト条約が締結され、スペイン王位の継承問題に端を発し、そ
れぞれの思惑を抱えたヨーロッパ諸国を巻き込んで、続いたいわゆるスペイン王位継承戦争
は終結する。十数年にわたる戦争の疲弊を蒙った点ではイギリスも例外ではなく、平和の
到来を現実のものとするこの条約は、イギリスにとって有益な利権も得られる歓迎すべき
内容で、あったことも手伝って、待望されたものであった。この条約締結に先立つこと約ひ
と月、同年の 3 月 7 日にアレグザンダー・ポープの Windsor Forest が世に出た。政界での活
躍めざましく、時のアン女王のおぼえめでたい Lansdowne 卿、 George Granv i11e に捧げられ
た詩である。条約締結の前後にはこれを慶賀するべく多くの詩が書かれていて、この詩も
そのひとつであるのだが、その成立事情には少々特殊な点がある。詩の前半および末尾部
分 300 余行は、いわゆる若書きとしてすでに 1704 年あたりで一遍の詩として完成していた
ものであり、それらの部分に挟まれた 130 行余りは条約締結が現実化した時期に付け加え
られて、現在の体裁を取るという経緯を持つのである。 (1) WindsorForest の中で詩人名、作
品名ともに直接言及され、その詩行のエコーも少なからず見出されるジョン・デナムの
Cooper 量 Hill と同じく、トポグラフイカル・ポエムとまずは見なしてよいだろう。 (2) ここで
は、その形式の中で、さきに書かれた部分がそれのみではどのように完結しているのか、
また、あとから加えられた部分が詩全体とどのように関わってくるのかを確かめ、考察し
てみたい。それは、ひとつの詩が成立する間に社会情勢の変化を見たという事情のもと、
トポグラフイカノレ・ポエムの社会的意義を確認する作業となるだろう。その際、便宜上、
最初に完成された部分(11.1 ~290 , 1 1.423・434) を A 、追加された部分(I1.291~422) を B と呼ぶこ
とにする。
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詩でうたう場所をそのままタイトルにしている Windsor Forest では、詩の冒頭から頓呼法
によってすぐにウィンザーの森が言及される。
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早くも第二行でこの場所が「君主の座 j であると同時に「詩神の座 j であるという一種の
定義がアリタレーションを用いて効果的に表わされているのだが、内森のこのふたつの比
7
1
日食性は A において体系的に敷街されていると思われる。前者については、上記の箇所を含
む冒頭部分のあと、語り手の目の前に広がるこの森のすぐれて絵画的な美しさが長々と述
べられた直後に、三種類の狩猟トピックを通して展開されることとなる。
第一の狩猟トピックは次のように始められる。
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目の前の穏やかで美しい眺めから a 転、「荒涼とした不毛の地、陰欝な荒地 J (1.44) として描
かれているのは「幾時代も前の過去 J (1.43) 、ウィリアム一世の Norman Conquest から始ま
ったノルマン人による統治の時代の風景である。「捧猛な獣 j と「搾猛な法 J (1.45)が同じ形
容調でつながれ、それらに対して「国土 J (1.43) が「えじき J (1.45) となるとしサ表現は意表
を衝くが、続いて「さらに猛々しい歴代の王たち J (1.46) が言及されると、すぐにそれは、
ウィリアム一世が御料地をつくるべく自ら制定した Forest Laws をたてに人民の土地を強引
に没収し、混乱と荒廃を引き起こした事態だということがわかる。ここでの prey というこ
とばを皮切りに狩猟のイメージが連ねられてし、く。
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.73 ・78)
圧政者は「遊猟にはしゃぐ暴君 J (1. 59) と呼ばれ、聖書では人類最初の狩猟者、「血を流す狩
りを最初に始め J r そのえじきは人間」であったところの「強大な狩人 J (11.61-62) 、ニムロ
ドに重ねあわされている。一方、御料地で狩られる獣に見立てられているのは暴虐を受け
る臣民である。第 57 行の「獣、もしくは臣民を………殺すj 暴君の行為は「し、ずれ変わら
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円ノ“
ぬ罪 J (1.58) とされ、「どちらも等しく(遊猟にはしゃぐ暴君のために)血を流すさだめにあ
る J (1. 58) として臣民を獣なみに見なす君主の認識のありょうを衝いている。そのように、
第 62 行で冠詞を共有することが示すとおり獣と臣民は未分別で、あったのが、双方とも殺さ
れるにせよ「獣は肥え太らせられてからであるのに対し、匝民は飢えを強いられた挙句 J
(1. 60) という差異を加えることで臣民の困苦はさらに強調され、「人間」こそが「暴君のえじ
き J (1. 62) であり「恐怖におののく奴隷J こそが「王家の獲物 J (1.64) であることが明確にさ
れる。そこから国土が広く荒廃するさまが描かれたのちの上記二番目の引用箇所では、「迫
害者 J (1. 74) が「容赦ない鉄の鞭 J (1. 75) をふるう対象は「貧者 j と「教会 J (1. 75)であり、そ
れをほぼ言い換えた「臣下」と「神 J (1.76) という両者はさきに臣民と獣がそうで、あったよ
うに悪い意味で「同等に J (1. 76)扱われ、「圧政者の気散じの狩りの犠牲 J (1. 78) と狩猟のイ
メージによってくくられているのである。
その圧政者とされてきた為政者たちの運命の暗転は、陰惨な加害と被害の関係、で貫かれ
ていたここまでの狩猟イメージを引き続き用いて語られているためにいっそう際立つもの
がある。
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.81 ・ 84)
‘ the SecondHope' 、すなわち征服王ウィリアム一世の第二子リチヤード、並びに第三子 Rufus
ことウィリアム二世はいずれも狩猟中の事故で落命する。 (5) 狩る側から狩られる側への逆
転は、前者では、「かつて狩猟者で、あった同じ身が今えじきとなって林間地に身を横たえる j
図(1l .81 ・ 82) で、後者では「命を奪う矢を受けて傷を負った鹿のように森の中で血を流すJ
(11. 83 ・84) という直輸をもって示され、歴史的現在形のかたちで述べられることも手伝って
鮮烈な印象を残しながら第一狩猟トピックは終わる。このように「君主の座 J (1.2) としての
ウィンザーの森は、幅のある時空を包括する歴史の相そのものであると言ってよい。そも
そも御料地、 forest land とはコモン・ローの適用外の土地を意味する法律用語であって必ず
しも森のみを指すものではないし、また、この第一狩猟トピックで描かれた森は、ノルマ
ン王朝が拡張した御料地である New Forest と呼ばれた場所で、厳密には Windsor Forest で
はなく作詩の便宜上の同一視であることもここでのウィンザーの森の抽象性を示唆してい
るだろう。その意味で興味深いのは、この第一狩猟トピックで描かれている情景に歴史上
の複数の時期が重ねられているかもしれないととである。ここで征服玉ウィリアム以後の
ノルマン王朝だけでなく、当代のアン女王の前の君主、ウィリアム三世の治世が暗に重ね
られていることは夙に指摘されている。その出自や名誉革命当時の即位の経緯から、ウィ
リアム三世は実際に当時から征服王ウィリアムになぞらえられ榔掃されることの多い人物
で、あったのだが、ポープが彼の治世への嫌悪を抱いていたことはよく知られている。 (6) 彼の
時代、イギリスが国を疲弊させるスペイン継承戦争に深く関わりはじめたこと、彼もまた
落馬事故が原因で落命したことなども考え合わせるとここでの時代の重ね合わせは不自然
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ではない。歴史の中に題材を求め、その中に当代(に近いもの)の題材を反映させるとい
う子法は文学一般において珍しくないけれど、ここでは「君主の座 j
としてのウィンザー
の森の比略性、融通無碍に内包できる時空の広さの証左にすることができるだろう。
続く第二の狩猟トピックは、第一のそれの延長上に置かれている。為政者の交代が述べ
られて時の推移が示されたのちのこの部分でまず気がつくのは、季節の一巡が、秋(1.97)、
冬(1.1 26)、春(1.1 35)、夏(1.1 47) と欠けることなく順次描かれていることで、その中で展開さ
れている狩猟が Nature の秩序の内での人間の健やかな営みとして捉えられていることを表
わしていると思われる。最初に描かれる秋の季節の描写、もしくはすべての季節の描写の
直前、‘ Ye
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の豊かな森を取り固め、鋭く響く角笛を吠くか、波打つ捕獲網を張れ」‘ Now r
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のは、詩人から若い農夫たちに向けての狩猟への性急な誘いであるのだし、冬の狩りの叙述
では、「疲れを知らない鳥撃ち J '
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描かれているのと同時に、角笛を携えて野へ赴いて野うさぎの跡をたどる「我々 J '
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の姿が混在していて、詩人の狩人への感情移入、狩りの喜びに対しての共感を感じさせる
のである。また、続く春の場面で描かれているのは「忍耐強く待つ釣り人 J
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Fisher'(1.1 37)であるのだが、一心に集中して水面を見つめるその姿(11.1 38-140) は、場所を野
から水辺に、獲物を獣から魚類に変え、構える「銃身J ‘ the Tube'(1. 129) を「しなう釣竿ド his
Angletrembling'(1.l 38) に持ち替えた‘ vig'rous Swains'(1. 93) のひとりと昆てよい。彼が釣り上
げるさまざまな魚の深紅、銀、金、黄、濃紅色といった目のさめるような数々の色は、秋
の場面で、撃ち落されたキジの紫拒色や緑、緋色、金色といった羽毛の多彩な色と呼応し
て、捕獲の際の感覚の喜びを伝える。さらに、秋の場面で猟犬がはやり熱中するさま
(11.99・ 102)、夏の場面で狩人の乗る馬が興奮する様子(11.1 51 ・ 154) は主人の高揚と愉悦にその
まま重なっているだろう。やはりスペイン王位継承戦争終結を契機として書かれ、カントリー・
スポーツそのものの描写に意が注がれているジョン・ゲイの Rural Sports に遜色を持たない
箇所も少なくない。しかし Winゐor Forest では比略的含意がはるかに多くこめられている。
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(11. 97・ 110)
主人の熱気に感応して血気盛んに動きまわり、風に「獲物」‘ the Game'(し 10 1)のにおいを嘆
ぎ取ると万全の体勢を取る猟犬(11.99-102) を率いる狩人は、ここで、母国イギリスが「いく
さへと送り込む、任務遂行の情熱に駆られた息子たち J (1. 106) になぞらえられている。一方、
収穫後の畑地(1.98) 、「安全だと思い込んでいたのに裏切られることとなった畑地 J (
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103) で
えさをついばんでいたウズラは、「安逸と冨を享受し、注意の足りなかったとある都市 j
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107) に見立てられ、ウズラが危難に気づいて舞い上がろうとするも「頭上に波打つ捕獲網
がさっと広が」るようす(1.1 04) は、「刻一刻と包囲網がせばめられ、だしぬけに捕らえられ
て驚くばかりでなすすべもない戦利品の身 J (11. 108・ 109) となった都市と重ねられている。
さらにこのいくさの明輸は隠輸となり、第 106 行と同じ‘ W訂'‘ eager' という語を用いて、
夏、狩猟に勇んで赴く若者たちを‘ The
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nWar'( 1. 148) と表わした
箇所につながっているのである。これらはいずれも第 105 行の「小さなことを大きなこと
に輸えるなら J
という Georgics 中の表現を踏襲したごく陳腐な断り書きの示すとおりの比
輸ではあり、圏内に平和を得て海外への軍事的雄飛を図るイギリスの今の盛んな国力を慶
賀していることにまちがいはないのだけれど、比輸の本義である「小さなこと J
と輸義で
ある「大きなこと」は詩人の意識の中でたやすく逆転する状態にあるのではないだろうか。
上記引用中の都市の包囲のたとえは 1704 年にイギリスがジブラルタルを占拠したことを踏
まえたものと一般に解釈されているのだが、たとえ特定しないとしても、他国に対する攻
略への言及は直前の第一狩猟トピックを通じて明確に叙述された Norman Conquest を連想
させずにはおかない。そこで虐げられる獲物、えじきとして描かれていた swain がここで
は現実の狩り、そして海外の都市攻略いずれにおいても狩人として描かれているわけで、
第一トピックで圧政を描く際と本義と輸義が逆で、あったことも意義深い。第二狩猟トピッ
クの中の狩猟風景はそれ自体で、秩序の保たれた平和な国のありさまを示唆すると同時に、
「小さなこと」で輸えられた「大きなこと」に対する称讃という、二重の国勢賛美になっ
ているとも言えなくもない。そう考える時、イギリスの‘ eager S
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106) の海外進攻と
NormanConquest の立場の同ーから生じることも可能な、攻略を蒙った都市の、そしてウズ
ラの悲惨なさまが述べられないことは当然であろう。ただそれは、この第二狩猟トピック
の中で撃ち落される別の鳥の描写に転化させてあるのかもしれない。「焼けつくような傷の
痛みを感じ、血まみれで羽ばたくものの端ぎつつ地に落ちる J
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れる血の色は酷いものを感じさせるし、凍てつく空に短く雷のような銃声が響き、「鉛色の
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nDeath'( 1. 132) を身に浴び、て落命するタゲリ、さえずろうと天高く舞い上がる
時に撃たれ「空中にその命のあとをまだかすかに残しつつ落ちる」‘ They
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リ落命の場面と上記引用箇所第 110 行で、「空に」‘ inAir' とし、う表現を恐らく詩人は意図し
て繰り返したと思われるが、彼の意識の中ではそこに「高々とブリタニアの軍旗がはため
く J(1.l 10) さまのほうがはるかに重きを置かれているのである。この第二狩猟トピックの直
-75-
後にはアン女王に対するあからさまな賛美が連ねられるのだが、彼女の狩猟好きをふまえ
たものではあるにせよ、彼女の治世を‘ the S
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nReign'( 1.l 63) と呼ぶことにも、この第二狩
猟トピックの比輸のありょうが継続されているように感じられる。
続く第三狩猟トピックではそれを受けて、ウィンザー‘ Windsor' (
1
.
16
1)で統べる彼女が、
アルカディア‘ Arcadia' (
1
.1
59)の‘ lmmortal Huntress'( 1.l 60)、狩りの女神でもある Diana に「劣
らず輝かしい女神であり貞節の女王ド As
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taQueen'(1. 162) である
との賛辞が導入部分となり、 Diana の従者の乙女のひとりである Lodona が狩りの最中、彼
女の姿に恋情を抱いた牧神 P加に追われて変身を遂げるという、いくつかの神話を下敷き
にしたエピソードが中心となっている。ことでは内容においてさきのふたつの狩猟トピッ
クとそれぞれ重なる要素を持つ。第二狩猟トピックでのように Lodona はまずは字義通りの
狩人として描かれているが、その際彼女は、身なりには無頓着なために「っき従うニンフ
とはほとんど見分けのつかなしリ‘ Scarce
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姿を述べられていると言ってよい。そして牧神によって彼女が追い求められるさまが追う
鷲と追われる鳩の比輸(11. 185・ 188) で表わされることによって、第一狩猟トピックと同様、
狩る者から狩られる者への立場の逆転が強調されているのである。加えて第一狩猟トピッ
クと似通うのは、その皮肉な運命が因果応報によると暗示されている点である。牧神から
逃れるべく女神に救いを求める Lodona は「シンシア!あなたの従者のっとめから追放され
たけれども・・・・・・・・・ j
‘ Ah C
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yTrain, ••• '(1.200) という暗示的な
悔いの声をあげる。また、ワッサーマンは「獲物を追うのに熱をいれるあまり、森の緑の
境界を越えて迷ってしまった J ‘…as e
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表わされていると見ているのだが、(めこのようなことを考慮するならば、彼女の運命は当然
の報いとみなすこともできるのである。 Lodona は結果、川の流れに身を変えられ、テムズ
河の支流となる。「かつて彼女がさまよつた森を j浸量し流れ j
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全体にとって重要なテムズ河の存在を森の情景から導入するのに役立ってもいることにな
る。歴史の諸相をうっす場としての「君主の座 J (1. 2) であるところのウィンザーの森を示し
た第一、第二狩猟トピックと結び、っきつつ、しかしまず第三狩猟トピックは、ウィンザー
の森を一旦神話の次元に通すことによって、次に述べられる「詩神の座J (1. 2)、隠遁の沈思
黙考の場としての側面の展開へと導く役目を担っていると考えられる。
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(11. 235 ・240)
ウィンザーの森のそのもうひとつの側面は「幸いなるひと J (
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(1.237) 、すなわちこの Windsor Forest が献じられている Lansdowne 卿、ジョージ・グランヴ
イルへの直哉な賛辞が連ねられる中で示されている。 Lodona の変身謂のあとに続くテムズ
河礼賛では岸辺のウィンザ一城での華やかな宮廷模様への言及があり、直後に置かれる上
記の引用箇所ではそれを受けてグランヴイノレが「そのきらびやかな宮廷が認め、君主のお
ぼえめでたく、くににも愛され J (11. 235-236) といった公人としての成功を収めた後にそこ
から悟淡として離れ、「この木陰に隠遁 J (1.237) して私人の幸せを求めることとなった実際
の経歴を讃えている。ホラティウスの Epode Il を踏襲した書き出しで始まることでも明ら
かなように、ここからは‘ these S
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237) 、すなわちウィンザーの森は隠遁と創造の場と
して描かれている。隠通後の rNature に魅せられ j る(1. 238) 日々、「心に払みる静寂が与え
てくれるつつましい喜びの数々 J (11. 238-239) については、グランヴイルが実際に傾倒して
いたという天文学への研究も含めて、 (9) 自然の事物の採取や研究にいそしみ森羅万象に関
する沈思黙考にひたるさまがこのあと長々と敷桁されていく(11.241 ・258)。また、「詩神に
霊感を与えられる J (1.238)境地に関しでも、グランヴ、イノレへの称揚が織り込まれつつ敷桁さ
れていく。「神聖な道」‘ consecrated Walks'(1.267) を踏み、「神業をなしとげた詩人たちによ
って神聖なものにされた木陰 J '
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ーの森を彼もまた辿りながら語り手はその偉業を仰ぎ見るデナムとカウリーに言及するの
だが、ここではウィンザーという土地の固有性がそれに関連させてある。「ここで、畏敬す
べきデナムが最初の詩文をうたった」‘ Here h
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彼がウィンザー近くの地において Cooper き Hi/l をものしたことを、「そこで、カウリーによ
る最後の詩がうたわれた J
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彼がウィンザーの森近くで早逝したという事実をそれぞれ示唆しており、ウィンザーの森
は、これらのすぐれた詩人たちゆかりの地であり、かつ彼らに霊感を与えた場所として認
識されていることがわかるのである。 (10)
それに加えて、ウィンザーの森についてここまでに述べられてきた相がここにきて結び
つけられようとしていることは詩の展開として見逃してはならない。語り手を導いていく
「木立の開に響いていた今にも絶えそうな楽の音 J
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'(1.268) とはさきの二人の偉大な詩人が亡き今途絶えかねない詩業を意味すると考え
られるが、グランヴィルが詩を噌んだことをふまえて、彼をその詩業の後継者とみなすと
いうあからさまなかたちの称揚の中にそれは導入されている。
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(11. 278・290)
「森が蘇る J (1.282) とはグランヴ、イルによる詩業の継承を意味すると考えられるが、その詩
業というものが専ら国家の盛運、現治世を賛美することであるのは、挙げられたふたりの
詩人名、とりわけ、この Wim.台or Forest の範を求めたとされる Cooper
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Hill およびその作者
の名からだけでも明らかであろう。「我らの静かな隠遁の地を賞賛し、詩神をそのかみの座
へと呼ぶこと J (11.283 ・284) とは、まずは‘ the M
use'sSeats'(1.2) としてのウィンザーの森を讃
えた直近の部分をふまえたものではあるが、それと並べてグランヴィルに求めている、「華
やかな森の情景の数々を新たに彩ること J (1.285) 、「不滅の緑に包まれる森に名誉を授ける
こと J (1.286) 、「ウィンザーの丘(にそびえる城)を格調高くうたうこと J (1.287)、「その(城
の)たくさんの尖塔が天に迫る勢いをうたうこと J (1.288) とはすべてグランヴィルが書くべ
き詩への助言のかたちを借りた、比輸による国家繁栄への記念と称揚に他ならず、 A の前
半で示されてきた‘ the Monarch's … Seats'( 1.2) としてのウィンザーの森がここで明確に重ね
られていることになる。実際にはグランヴィルには授与されることはなかったものの、き
わめて国粋的意義の強いガーター勲位についてここで言及されている(11.289-290) のもその
意味で決して不自然ではない。 A の部分はこのあと締めくくり部分の第 423 行へと飛び、
語り手自身は「牧歌的な森の調べ」‘ the S
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う卑下の姿勢が示される。上記のグランヴィルの詩作に対して求められた数々の内容が、
それと同じ叙情的な表現で述べられながらも比轍的なものであることは明らかであろう。
そして「アルピオンの栄光あふれる時代に対する名声 J
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Days'(1.424) 、「神々にも紛う君主たちのことに思いを凝らすこと J
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Gods'(1.425) がグランヴイノレの詩文にゆだねられると述べられるに至って、詩の冒頭で述べ
られた‘ the M
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で巧みに組み合わせられ、三三でひ E つになっていることがあらためて確認できるのである。
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A として完結していた Windsor Forest に時をおいて追加された第 291 行から第 422 行まで
の B は、語り手が偉大な詩業の後継者たるグランヴィルに対して、うたうべき詩の主題を
具体的に提示する体裁で始められている。
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r英雄たち J (1. 299) 、「弧を描くウィンザーの岸辺で誕生した J r 王
たち J (1 .300)、そして「悲しみを誘う墓所にウィンザーの聖地がその亡骸を抱いている昔日
の戦士たち J (11.3 01 ・302) 、すなわちウィンザ一城で生を受けたか、もしくはその内の墓所
に埋葬されている君主がその対象とされ、続く 30 行近くの部分で名の挙げられている君主
たちは、すべてこれに該当する。そこでは、エドワード三世(および息子の黒太子エドワ
ード)のもと、イギリスがフランスに対してはなぱなしい戦勝をおさめて決定的優位を得
たこと、いわゆるばら戦争におけるへンリ一六世とエドワード四世との確執、チャールズ
一世処刑とその後この国に降りかかる数々の災厄、とし、う時期の分かれた三つの事象が取
り上げられているのだ、が、ここには留意しなくてはならないことがあるように思われる。
時系列に沿って述べられているこれら三つの時期と、 Windsor Forest の A の中で叙述された
過去との関連である。この一連の時期はまとめて時系列上、 A の中、 the NormanConquest 後
の圧制のさまを描いた箇所、つまり第一狩猟トピックのあとにおくことができる。第一狩
猟トピック直後の、平穏が戻り海外雄飛も可能となった国家の状態が比験的にも示唆され
ている第二狩猟トピックがノルマン主朝の終わった直後の時期と専ら意図されているにせ
よ、ノルマン王朝にウィリアム三世の治世が秘かに重ねあわされていて第二狩猟トピック
が、再びの‘ a STUART'(1.42) 、アン女王の治世までをカバーしているにせよ、 B の中の上記
の三つの時期は、 A の第二狩猟トピックとは時系列上、その直後につくことも重なること
も可能な状態で、歴史の諸相をうっす場としてのウィンザーの森を補完したことになって
いるのである。この三つの時期を取り上げた終盤部分には、チャールズ一世処刑の報いで
ある災厄と見なされていた the G
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tFire、 1688 年の革命、そして再び、恐
らくはウィリアム三世統治下の国の疲弊が列挙されているのだが(11.3 23 ・326) 、現女主アン
の力ですべてが望ましい状態になったことを直載に述べる以下の三行はそれら直近の部分
だけでなく、 A の第二狩猟トピックをも遠く締めくくり、続く第三狩猟トピックの導入部
である、女神 Diana に比肩する. aGoddess'(1.1 62) 、現女王アンへの賛辞と連なっていると苦
える。 (11) B の部分がユトレヒト条約実現の可能性に触発されて追加されたという成立事情
を強く反映した筒所であろう。
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(11. 327・328)
それとは別に、上記の B における歴史回顧ののち B 全体においですく辛気がつくのは、 A
でとは異なり、ウィンザーの森が地理的要素としても修辞上の要素としてももはや中心に
すえられていないという点である。この後 B の中で大きな存在を占めているのはテムズ河
である。
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(11.3 29・330)
第 328行のアン女王のことばに反応して水面に姿を現したテムズ河は、アン女王が意志的に
もたらしたと表現される平和を直接法で寿ぐ擬人化されたその姿が B の最後まで 90 余行を
費やして描かれ、そのこと自体もテムズ河を十分強調していると言える。しかし実のとこ
ろ、テムズ河はウィンザーの森と強い結びつきで、つながっているように思われる。両者は
まずは地理的関連でも捉えられていて、 A の第三狩猟トピックで、狩猟者から「かつて渉猟
していた森を今や浸す J
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Lodona が、 B でもテムズ河の支流のひとつとして「同じ海神を父に持つ兄弟たち j
‘ the
Sea-bomBrothers'(1.3 37) ともどもテムズ河の「王座」の周囲に侍した姿で再び登場している
ことはこれを示している。またこれよりも強調されているのは、ウィンザーの森で産出さ
れた木材によって建造された船が、世界の海に通じるテムズ前に浮かぶという両者のいわ
ば機能上の結びつきである。この関係はA で二度、 B で一度、順に以下のように繰り返され
ている。
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(11. 385 ・ 387 , 393 ・ 396)
最初の引用箇所は詩が始まってまもなく、変化に富む美しさを見せる目の前の Windsor
Forest を讃えた部分の中にある。船は喚輸によってその材である「われらの森のオーク J
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1)と表現されていて、積E白や香料といった「貴重な荷 J (1. 31) を両インド諸島などの海外
口。
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から調達する通商の手段として国家の豊かさを示し、またそういった海外の諸国を「統べ j
る(1. 32) ための軍事的手段として国家の威信と力を体現している。チャールズ、 2 世の命を救
ったと言い伝えられるオークが帯びるスチュワート王朝にとっての特別な意義も含め、「わ
れらの森のオーク」は喚輸として間接的にイギリス国家を表わすということにもなってい
るだろう。ただ、従属する側では「その地で産出する木々 J (1.29) として示されたり「それ
らの木々が飾る国土 J (1. 32) と表現されたりしてこちらでは木のみがそれらの国土の直接的
な喚輸として用いられていることが示すとおり、ここではワインザーの森の木々から建造
する船およびそれを浮かべるテムズ河はまだそれほど際立たせられているわけで、はない。
これに比べると A の中にあるその次の引用箇所では、これが Lodona の変身諜の直後、
テムズ河が言及される部分の中にあるということもあって、テムズ河はいま少し存在感を
増している。「高い木々の茂る森J に「そびえるオークの木々 J (1. 220・221) は、いずれ「未
来の軍事船舶としてテムズの岸辺に姿を現す J (1.222)船となることを前提に、森で今育ちゆ
く「国家の誇り J (1.22 1)とみなされているのである。海神ネプチューンでさえも、海からテ
ムズ河を通じて運ばれてくる者修の品々のような「貢物より賀沢なものは受け取ったため
しがなしリ(11. 223 ・224) という賛辞は海外との実り多い通商を示唆しているから、この引用
箇所はその前の引用箇所をテムズ河に少し比重を移して繰り返したことになっている。
B の中に位置する最後の引用箇所でも、オークという樹種は特定されてはいないものの、
まずはさきの A の中の二例同様、「ウィンザーの美しい森が産出する木々 j は「森の半ばJ
ほどにも達する量を使って轄しい数の船に仕立てられ「私の流れ j すなわちテムズ河に「押
し寄せる j ことが予見されている(11. 385 ・386)0 I 国威とその旗 J (1. 387) を帯びるその船の行
く先が極地を含めて世界の隅々まで及ぶことが言及されたのち(11.3 88・392) 、上記の引用に
あるとおり、他国から船で運ばれてくる香料や貴石のリストが示されていて、 A にあるさ
きのふたつの引用箇所で言及された具体的な香料あるいは貢物として表現されたものと重
なるから、 B のこの部分は A のそれを再び展開して詳細に述べたということになる。そも
そも他国との比較で自国の優越を示すという表現は Georgics をはじめとするローマ古典を
踏襲した伝統的なもので、そこにデナムが Cooper き Hill において通商・植民に対する称揚
という新たな要素を加えたとされている。そのかたちはウォラーらの詩に見えるとおり
1670 年あたりにはすでに定着したと見られていて、 (12) 上記の上記三箇所の引用もそれに則
り、他国を自国の版図のうちに見る意識が他国で産出するものを自国の豊かさとして捉え
ている表現であると言えるだろう。それをふまえたうえでここで留意したいのは、 B の中
にある第三例の引用箇所において、他国からの豊かな産物がすべて‘ Formピ(1.3 93)、テムズ
のために存在し、流入してくるとする、テムズがイギリスという国を表わす喚輸表現であ
ろう。同様の、他国に対する優越への言及は B の中でもうー箇所見出せる。以下の部分で
ある。
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(1l.3 55 ・ 374)
ここには世界の大河が列挙されているが、それらはそれぞれに付記されている特性によっ
てふたつに分けることができる。 Tiber(l .357)、 Hermus(1. 358) 、 Nile(1.3 59) はそれぞれ、名だ、
たるローマの都を貫流していること、古来から讃えられている黄金(色)の流れ、そして七
つの河口を持ち豊かな収穫をもたらすことなど川としての利点そのものが示されているの
に対し、 Volga、Rhine、 Ganges はそれぞれ戦時にはその岸辺に野しい軍備を並べたとする
史実(11. 363 ・365) が言及されている。そしてテムズ河は「詩神の関与する詩歌の主題J (
1
.
36
1
)
に値する圧倒的に優位な存在として際立つことで、前者のグ、ループの河の数々は「私の名
声の中に埋没し J (1. 362)、後者のグ、ノレーフQ の河に対しては「平和をもたらす統治という恩恵」
(1.3 66) を享受しているというそれらとは逆の理想的立場をもって超越を示しているのであ
る。他国を流れる河を多数引き合いにだして自国の優越を示すのは、これもまた Eclogue
などの先例を踏襲していることになっているのだが、 Eclogue では比較によって讃えられて
いるのが直接にイタリーという国家であるのに対してここでは比較の対象にそろえる格好
を取って喚輸であるにせよテムズ河が称讃されている点に再び注目したい。擬人化された
テムズ河自身の「テムズの栄光が天空の星々のもとまで携がらんととを! J(1. 356) という祈
念において、テムズと国家は同ー化されているのである。従って、平和の世となった今、「イ
ギリスの血で J fIber の河砂も Ister の河の泡立つ流れももはや染めなしリ(1l.3 67・368) とスペ
インのエブロ河、ヨーロッパを広く流れるダニューヴ河の名によって海外での係争が暗示
される時、そこに赴くことはなくなるであろうイギリスの兵士たちはテムズ河によって「私
の息子たち J (1. 367) と呼ばれるのであるし、平和を享受して思い煩うことのない農夫たちが
仕事にいそしむのは「私の岸辺 J (1.3 69) なのである。 A の第二狩猟トピックの中の、「祖国
アルピオンが、任務遂行の情熱に駆られた彼女の息子たちを(海外の)いくさへと送り込
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ろう。
しかしここでも森がなおざりにされていないことを見落としてはならない。「木陰深い帝
国が戦と血の気配をとどめるとすれば森での狩りのみ J (1l.3 71 ・372) となり、軍事用の楽器
が狩猟用のホルンに持ち替えられ(1. 373) 、獲物は「烏と獣だけ J (1.374) という対比は明らか
にこれも A の狩猟トピック、とりわけ第二狩猟トピックで、の‘ the S
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nW.訂'(1.1 48) に照応し、
ウィンザーの森とテムズ河との作詩上でのつながりが意識されていることは確かである。
A と B の照応は上記引用箇所の直後にも見ることができる。
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)
テムズの川面に「長い影を投げかける j ほどの高さに「聾え立ついくつもの邸宅 J (11 .3 75・376) 、
当代の女王アンがロンドンの人口増加に対応するべく建築を奨励した多数の教会等をさす
「ロンドンのきらめく尖塔 J (1. 377)や「教会の数々 J (1.3 78) 、歴代の君主の館となり世紀末
に大火で大半を消失しながら今や再建されようとする「新たなホワイト・ホール J (
1
.322)
を指し示す感嘆の念からすれば、第 378 行の「平和な世が生み出す美麗な作品 J
とは、同
行にある‘ Temples' だけでなく、これらすべての建造物を含むと考えてよいだろう。
‘ ascending'( 1. 375) 、‘ increase'(I.3 77) 、‘ rise' (
1
.378) 、‘ ascend'(1.3 80) などの動調は‘ Behold'(1. 375 ,
1. 377) ‘ 1 see , 1see'(1. 379) といった臨場感あふれる表現によって、静止状態にとどまらず今ま
さに建ち上がっていくかのような動的な印象をもたらし、 (13) B の中の歴史回顧で近年の国
土疲弊への言及があったことを考え合わせれば、リコンストラクション・ポエムと通底す
る高揚感を感じさせる。そしてこれに照応するのは A の中にある以下の箇所である。
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(11. 85 ・90)
上記の引用は、ノルマン王朝の圧制のもとで荒廃した圃土を描く第一狩猟トピックの直後、
第二狩猟トピックの初めに位置する箇所である。国の泰平の復活を示すにあたって、立ち
入りを許可されるようになった区域での牧羊(1. 87)や農地が回復された結果得られるように
なった豊かな収穫(1. 88) と並んで挙げられているのが「のどかな風情のつつましい住まいが
建つ J (1. 86) ことである。前時代に起きた土地の搾取による荒廃は都市部も含めてさまざま
83-
な場所について言及されていたのだが、回復ぶりは‘ Mountains'(1. 87)、‘ sandy Wilds'( 1. 88) 、
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eForests'(1. 89) と専ら自然の風景をもって語られていて‘ Cottage'(1. 86) もまたそのうちに
ある。この Winゐor Forest とし、う詩の展開については Georgics における緑陰から都市へと
いう作詩上の展開に則った左いうことが指摘されていて、(14) それを A に見える三の coun町
の茅屋の再建から B の中で述べられる city でのさきに引用した箇所に描かれた種々の建造
物の建築・再建への推移にも見ることができるわけだが、再び時系列を意識して考えるこ
とも必要だろう。国の平和が取り戻されたさまを描いた第二狩猟トピックは、すでに考察
したようにノルマン王朝時代直後の時代を専ら示しつつ当代アン女王の治世までもカバー
できる可能性を持つのだかち、上記の B 中での当代の都市部における建造物の建築・再建に
対する礼賛は、 A の第二狩猟トピックで描かれる、平和時となって地方につつましいなが
ら家々が建てられていくことに対する喜びの、時をおいた延長上もしくはそれと同じ時の
重なりの中にあることになる。
時系列という観点からさらに重要であるのは、 B において、 A と関連しうる現在までの
時間をさらに越え、未来が頻繁に言及されていることである。予言と祈念をこめられた shall
の多用(1.3 56,1. 361 ,1. 367 ,1.370 ,1. 371 ,1.3 83 ,1.385 ,1.393 ,1. 397 , 1. 398, 1. 401 , 1.403) はその表れで、
以下の引用にもそれが散見される。
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(11. 397・ 412)
詩も終わり近くのこの箇所では再びイギリスと他国がともに言及されているが、今度は前
者の優越を示すためだけの比較というより、これもまたイギリスの国威を称揚するひとつ
のかたちであるにせよ、両者のつながりを示すことに力点が置かれている。そのつながり
はイギリスと他国との双方向の受流をもって措かれていて、他国からの流入は、ここまで
に示されてきた、ウィンザーの森が産するオークの材で作られた船が載せて運んでくる「貢
-84-
物 J 'Tribute'(1.224) としての貴重な産物ではない。「不恰好な形状の船 J (1.403) を仕立てて多
数で押し寄せんばかりにやってくる「羽飾りで、身を飾った人々 J (1.404) 、「わが国の言葉、
肌や目や髪の色、彼らにとって物珍しい衣装に感嘆する裸体の若者たちゃ体に彩色を施し
た酋長たち J (11.404眉405)(15) という人的交流で示されているのである。一方、イギリスから
他国へ流入し「岸から岸へ J (1. 407)遍くゆきわたるものとして示されているのは「平和」
(1. 407) である。平和という状況はこれまで他国に対する優越のあかし、特性として述べられ
てきたが、ここではイギリスと植民上の覇を競うスペインの「征服が止み J (1.408) 、ベルー
やメキシコ(1.411 ,1. 412) といった国々が隷属から解放されることに都合よく限定されている
のは当然であろう。ただし、「自由の身となった Indians が生まれ育った木陰に戻って自分
たちの果実を収穫し、黒い肌の恋人に愛をささやく J (\1. 409-410)情景、「ベルーに(正統な)
王統が戻る J (1.411)状況などに、圧制を強いたノルマン王朝が終わりを告げ、ブリタニアの
女神 Liberty によって導かれる「黄金の収穫の年月 J ‘ The g
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nYears'(1. 92) のうちに「黄金
色の実り j
‘ ye l10w Harvests'(1. 88)や「森も驚嘆する J
r 尋常でない豊かな結実 j
‘ th'unusual
Grain'(1. 89) を見たかつてのイギリスのそれに重ねるならば、その時、この平和は同時代的
なものだけにとどまらない広がりを持つ。
そしてこういったイギリスと他国との双方向の交流の象徴的な要とされているのはテム
ズの流れである。たとえば他国の民が船に乗って「押し寄せる」のは「私の豊かな岸辺 j
(1.404)であり、交流という見地から見れば境界なく流れていくと言えるテムズによって「海
はそれが隔てたところの諸地域をただもう繋いだことになる J (1. 400) のであるから、結果、
テムズ河は「すべての人間のために流れる J (1.3 98) と見なされる。
十年近くのちになって詩人が B の部分を追加した際、テムズ河はウィンザーの森と並ぶ
存在に置かれ、両者が緊密に相関させられたことは以上のとおりである。これによって、
過去から現在を経て未来に及ぶ時の広がりと、イギリスから海の向こうの世界に及ぶ空間
の広がりが意図的に、より明確に示されたと考えられる。時宜にかなうものになったこと
は言うまでもない。
註
(1) この成立事情に関しては、ポープ自身、 1712年のものとされるマニュスクリプトの
メモ書きと 1736年版の注の中で言及している。ただし、最終的に詩の前半部となっ
たもとの詩の成立について、前者では、同じく若書きの Pastorals のあとと位置づけ
ているのに対して、後者で、は Pastorals と同じ 1704年としているし、追加部分につい
ても前者ではユトレヒト条約直後、後者では 1710 年出版の折(後の版で 1713 年と訂
正)といずれも事実とは明らかに園自首する記憶の混乱を呈しているのだが、いずれ
にしても一編の詩に追加等を施して現在の詩になっているという事情はゆるがない。
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. Audra & Aubrey W
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y and An EssのJ on Criticism ,
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:TheBroadwaterP
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sLtd. , 1961), p
p
.125 幽 126.
(2)ボーフ。は手持ちの Cooper き Hillの 1709年版に書き込みをしていて、その中で、同詩の
1643 年の初版と比べると数多くの削除と訂正が行われ、追加はごく限られているこ
「D
QU
とを評価しているのは興味深い。 Ibid. , p
p
.134・ 135.
(3) 以後、本論中でのこの詩の引用は上記註(1)中の出典による。
(4)この部分は同時代の Charles Hopkins による The H
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yofLove(1 695) の官頭の2行、
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のエコーを指摘されている。 John Chalker は Hopkins のこの箇所と比べることによっ
て、ポープの意図するこの詩の性質が一層理解できると述べている。 John Chalker,
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e& KeganPaul , 1969), p
.
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2
.
(5)ウィリアム一世もまた狩りの最中の落馬がもとで、死に至った。
(6) ポープは 1711 年に Ess砂 on Criticismで、彼の治世 ~'a Foreign 陀ign' と呼んで糾弾し、 1712
年の Windsor Forestのマニュスクリプトではこの第一狩猟トピックの部分で、後に抹
消したものの 'a f
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sRage' としづ表現を用いている。 Earl R
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ウィリアム三世がスペイン王位継承戦争にイギリスを巻き込んだとする見解を唱rst
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yChacebeg叩'(1.61) に見るなど、この部分でのポープの意図的な歴史の重ね
合わせを詳細に指摘している。 Earl. R
.Wasserman , T
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rLαnguage, (
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TheJ
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sHopkinsPress, 1964), pp .l l3 ・ 123.
(7)この部分での道徳的価値観の混乱を認めつつ、 Wasserman は捕える側と捕えられる側
の視点が途中入れ替わっているとして、これらキジ、タゲリ、ヒバリの描かれてい
る 11.111-134 はbad hunt、ウズラも含めてその他の部分 1 1.93・ 110, 11.135・ 158 を good h
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と呼ぶ。 Wasserman, ibid. , p
p
.
1
31
1
3
2
. 一方、 E. Audra と Aubrey Wi\liams は人聞の性情
の普遍性に着目し、第一狩猟トピックでの狩りの情景とこの第二狩猟トピックのそ
れとの相似の重要性を指摘しつつ、‘ Sylvan War可1.1 48) の制限性に違いを帰着させて
いる。 E.
Audra&AubreyWi
¥
liams(ed.) , op.cit. , 1
3
9
.
(8) Wasserman, op.cit. , pp.133・ 138.
(9) Be吋 amine Boyce, T
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e Character欄sketches i
nPope 主 poems,(Durham: Duke U
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47
.
Press , 1962), p.
(10) この引用箇所の前の部分で、場所の名でありデナムの詩の名である Cooper 左 Hillが双
方の意味で繰り返し言及されていること(1.264, 1.265) も同様に理解できる。そして当
然カウリーもここでは特に王政復古後の治世を称讃するたぐいの詩作をもって名を
挙げられているのである。
(
1
I
) 1712年のマニュスクリプトでは、アン女王の言葉は‘ Let t
h
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ebePeace' となっていた
が、彼女はearthly God であるという理由から、存在の命令をさせることを変更した
と解釈されている。
(
12
) Chalker, op.cit. , pp.68・72.
(
1
3
) 1698年の火災で大焼したWhite-Hall はその再建の計画はたてられたものの、この時点
で
そしてついにその後もであるが一現実には建てられていなかったことは象徴
的な表現と言ってよい。
06
P0
(
1
4
)E
.Audra& AubreyW
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s(edよ op.cit. , p
.
1
3
2
.
(
15
) 1710年に Iroquois Indian の酋長たちがイギリスを訪れてアン女王に拝謁した史実を示
唆している。
円t
口。
Fly UP