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南山っ子通信・平成27年12月号

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南山っ子通信・平成27年12月号
長 崎 南 山 小 学 校
学 校 生 活 だ よ り
平成27年12月号
2015.12.21
NO.41
大村智博士に学ぶ
北⾥大学特別栄誉教授である大村智さん(80)
が今年度のノーベル賞(医学生理学賞)を受賞し
たニュースは授賞式が⾏われた12⽉10⽇をピ
ークに連⽇のように報道され,⽇本中で盛り上が
りをみせました。アフリカや南⽶(アマゾン川流
域)のブユに刺された感染症により失明の恐れが
ある人たちへの予防薬の発明が受賞の主な理由だ
そうです。
「その人の業績や功績に与えられるのがノーベ
ル賞だが,大村智博士の場合は,その人柄にノー
ベル賞が与えられた」と科学者仲間に言わしめた
大村智博士とはどんな人な
のでしょうか。今回の「南
山っ子通信」では,報道さ
れたニュースの中から2つ
のエピソードを紹介し,大
村智博士の人柄に学びたい
と思います。
教員をされていた大村智博士のお母さんは毎⽇
が忙しく,博士は小さい頃からおばあさんにお世
話をしてもらっていたそうです。そのおばあさん
が博士にいつも言い聞かせていたことは,「とにか
く智,お前,人のために働きなさい。人の役に立
の座右の銘だそうですが,人生の岐路に立ったと
き,研究の分かれ道に立ったとき,大村博士は,
「ど
ちらが世の中のためになるかな?人のためになる
かな?」をいつも基準にして考えてこられたそう
です。
聖書のマタイ福音書の7章に黄金律と呼ばれる
聖句があります。「だから,人にしてもらいたいと
のが世の常ですが,「自分のことよりも先に人
のことを考える」聖書の教えと,大村智博士の
考え方とは相通じるものがあるようです。
大村智博士は大学を卒業して最初の5年間は
定時制高校の夜間部で教鞭を執っておられまし
た。ある試験の⽇,慌てたように遅れて教室に
入ってきた一人の生徒との出会いが,大村先生
をやがて微生物の研究に向かわせたきっかけに
なったといわれています。
遅れて教室に入ってきた生徒は早速席に着
き,懸命になって答案用紙に鉛筆を走らせまし
た。その指は,さっきまで働いていたときに付
いたであろう油でまみれていたそうです。大村
先生は,その生徒の汚れた指を⾒ながら,裕福
な農家に生まれ育ち大学にまでいかせてもらっ
た自分を省みられたそうです。「自分はこの子
のように学んでいるのか。まだちゃんと学んで
いないのではないか。」と強く反省した大村先
生は,その後「学び直し」のために東京理科大
学の大学院に進学しました。卒業後は母校の山
梨大学に戻って,そこでワインなどの研究で微
生物に出会い,研究の道を進むことになったそ
うです。
南山小学校で働いている教職員のわたしたち
の目の前にもたくさんの子供たちがいます。一
人ひとり境遇も,個性も,才能も,能⼒も違う
子供たちです。この子供たちからわたしたちは
どれだけのことを学び取っているだろうか,こ
の子供たちのちょっとした仕草に,反応に,動
きにどれだけ目を留めているだろうか。大村智
博士のエピソードを読みながらそんなことを反
省させられました。
サンタクロースは,4世紀ごろ,小アジア(現
在のトルコ)のミュラの司教であった聖ニコラ
スだといわれています。
聖ニコラスは,困っている人や貧しい人を助
け,自分の持ち物を惜しまず与えていた心のや
さしい人でした。
あるとき,ニコラ
スの近所に3人の娘の
いる家族が住んでい
ました。たいへん貧
しくて,娘を売らな
ければならないほど,
お金に困っていまし
た。そのことを知ったニコラスは,その夜,そ
の家の煙突から金貨を投げ入れました。ちょう
どその金貨は,暖炉のそばに⼲してあった靴下
の中に入って,そのお金で娘は救われ,後に結
婚することができたのです。聖ニコラスは,同
じことを下の2人の娘のときもくり返し,その
家庭を救ったといわれています。クリスマスに
靴下を下げておくと,サンタクロースが煙突か
ら入って贈り物を入れてくれるという習慣は,
ここから生まれたようです。
聖ニコラスは,つねに子供たちや貧しい人,
弱い立場にある人と共に生きていたので,
「子ど
もの守護の聖人」とされています。
聖ニコラスが亡くなった後,ヨーロッパでは
命⽇の12⽉6⽇に聖ニコラス祭が⾏われるよう
になりました。オランダやベルギーなどでは,
この⽇に子供たちにプレゼントを贈る習慣が始
まり,やがて,幼子イエスさまに3人の占星術
の学者が贈り物を持ってベツレヘムを訪れたと
いう出来事と結びいて,「クリスマスにサンタク
ロースがプレゼントを贈る」という習慣が広が
ったといわれています。
聖 書 の 言 葉 (マ タ イ 福 音 )
「人のためになることを」という言葉は,博士
という言葉です。「まず自分ありき」と考える
⻄洋では ,「クリスマスの喜びを先取りしてはい
けない」という考えから,馬小屋作りやイルミネー
ションなどのクリスマスの飾り付けは早々とは⾏わ
ず,数⽇前になってから⾏うそうです。しかし,ク
リスマスの⽇には冬休みに入ってしまっている南山
小学校では,クリスマスの喜びを先取りしないわけ
にはいきません。
今年の全校クリスマス会は,12⽉12⽇(⼟)
に⾏われました。毎年,全校クリスマス会では4年
生が聖劇を担当しています。
イザヤの預言から始まり,大天使ガブリエルのマ
リアとヨセフへのお告げの場面,占星術の学者たち
とヘロデ王の場面,イエスの誕生の場面,羊かいと
天使軍の場面,占星術の学者たちの幼子訪問の場面
と聖劇が進んでいく中,4年生の熱演ぶりで聖堂全
体は一気に劇の中に引き込まれていきました。朗読
をする子,聖歌を歌う子,登場人物となって台詞を
言う子,どの子の声もはきはきとしていて,救い主
の誕生を祝っている様子が,⾒ている側にもひしひ
しと伝わってきました。井田神父様のご指導で聖書
に使われている言葉を大切にして脚本を作ったとこ
ろに今年度の聖劇の特⻑があったように思います。
クリスマスの豆知識
イ エ ス は 、 ヘ ロデ 王 の時
代 に ユダ ヤ の ベ ツ レ ヘム で
お 生 ま れ に な った 。 そ の と
き 、 占 星 術 の学 者 た ち が 東
の方 か ら エルサ レム に来 て、
言 った 。 「ユダ ヤ 人 の 王 と し
て お 生 ま れ に な った 方 は 、
ど こに お ら れ ま す か 。 わ た
し た ち は 東 方 で そ の方 の 星
を ⾒ た の で、 拝 み に 来 た の
です 。」 これ を 聞 い て、 ヘロ
デ 王は 不安 を抱 いた 。
・・・ 略 ・・・
ヘ ロデ は 占 星 術 の学 者 た
ち を ひ そ か に呼 び 寄 せ 、 星
の現 れ た 時 期 を 確 か め た 。
そ し て、 「⾏ っ て、 そ の子 の
こ と を 詳 し く 調 べ 、 ⾒ つか
った ら 知 ら せ て く れ 。 わ た
し も ⾏ っ て拝 も う 」 と 言 っ
てベ ツレ ヘム へ送 り出 した 。
彼 ら が 王 の 言 葉 を 聞 い て出
か け る と 、 東 方 で⾒ た 星 が
先 立 っ て進 み 、 つ い に 幼 子
の いる場所 の上 に止 ま った 。
学 者 た ち は そ の 星 を ⾒ て喜
び にあ ふれ た 。家 に入 って
み る と 、 幼 子 は 母 マリ ア と
共 に お ら れ た 。彼 ら は ひれ
伏 し て幼 子 を 拝 み 、 宝 の 箱
を 開 け て、 黄 金 、 乳 香 、 没
薬 を 贈 り 物 と し て献 げ た 。
と こ ろが 、 「ヘロデ のと ころ
へ帰 る な 」 と 夢 で お 告 げ が
あ った の で 、 別 の 道 を 通 っ
て自 分 た ち の 国 へ帰 っ て⾏
った 。
ちなさい。
」ということだったそうです。
思うことは何でも,
あなたがたも人にしなさい」
全校クリスマス会
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