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「御言葉の放つ光を受けよう 」

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「御言葉の放つ光を受けよう 」
説教集
2013 年 7 月 7 日 聖日聖餐礼拝説教
鈴木 英夫師
「御言葉の放つ光を受けよう」
「御言葉の放つ光を受けよう」
詩編第 119 篇 130 節
≪中心聖句≫
御言葉が開かれると光が射し出で/
御言葉が開かれると光が射し出で/無知な者にも理解を与えます。
詩編第 119 篇 130 節
≪要約≫
日本の生んだ世界的な聖書学者であり、銀座教会の牧師をされた渡辺善太先生(188
5~1978)は、1904年にホーリネスの福音伝道館で、中田重治監督の説教を通して救
いの経験に導かれた方です。渡辺先生から聖書学を学ばれた小林和夫先生(東京聖書
学院名誉委員長)や加藤常昭先生(説教塾主宰)は、そろって、渡辺先生の思い出を語ら
御言((みことば
みことば))うちひらくれば光をはなちて、愚か
れるときにこの御言葉を口にされます。御言
御言
なるものをさとからしむ(130節、文語訳)。渡辺聖書学の土台にあるものはホーリネス教
なるものをさとからしむ
会での御言葉経験ですが、まさにこの御言葉の放つ光を受け、渡辺先生は聖書に目が
開かれるという経験をされたのです。
この第119篇は詩編中最も長いものですが、「アルファベット歌」の形式に従い、八節ず
つ同じ頭文字の単語で始まる歌がまとめられています。そのような意味で全体のまとまり
はあまりはっきりしませんが、しかし全体的な内容としては、神の御言葉を「律法」「戒め」
「掟て」「命令」等と表現し、そのような神の語りかけに聴き従う者の幸いについて歌われ
ています。
御言葉が開かれると
御言葉が開かれるとを新改訳は「みことばの戸が開くと」と訳していますが、ここで語ら
御言葉が開かれると
れているのは、御言葉の方が開き光を発するということです。ちょうど朝の光が、雨戸の
隙間から暗い寝室に差し込んで来たときのようです。私どもが真っ直ぐに神に心を向け、
心を静めて神の語りかけに耳を傾けるとき、神の方が御言葉を開いてくださり、私どもに
御言葉をもって臨んでくださり、信仰に生きる喜びと幸いを明らかにしてくださいます。
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