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国内産及び北米産リンゴ果肉の酵素的褐変における

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国内産及び北米産リンゴ果肉の酵素的褐変における
ISSN 1346−0927
紀 要
第 35 号
国内産及び北米産リンゴ果肉の酵素的褐変における速度論的研究
……………………………………………………………………………宇 野 和 明( 1 )
短期大学における教養教育のあり方 ∼「学生のニーズ」に基づいた教育課程改革に向けて∼
……………………………松 井 吉 光 ・ 柴 田 昇 ・ 冨 田 福 代( 13 )
第二言語習得における開始年齢に関する研究(その 1 )
……………………………………………………………………………大 石 文 朗( 33 )
『史記』の歴史観に関する覚書
……………………………………………………………………………柴 田 昇( 47 )
介護福祉学科で学ぶ学生の高齢者意識の実態と介護福祉教育の課題
……………………………………………………………………………伊 藤 和 子( 59 )
日本語の中の英語、英語の中の日本語 −英語/他言語の境界不確定性について−
……………………………………………………………………………溝 上 由 紀( 95 )
平成18年 3 月
愛知江南短期大学
紀要,35(2006)
1 −12
国内産及び北米産リンゴ果肉の酵素的褐変における
速度論的研究
宇 野 和 明
Kinetic Study of Enzymatic Browning in Domestic and
the North American Apple Pulps
Kazuaki Uno
1.はじめに
わが国において、リンゴ(Malus pumila )はミカンなどのカンキツ類についで生産・消費され
ている主要な果物である(総務庁統計局 2005)。また、リンゴの品種育成は盛んで、現在多くの
品種が市場に出回っている。1993年(平成 5 年)にリンゴの輸入が解禁され、米国産リンゴをは
じめとする外国産リンゴも市場でみられるようになってきた。
リンゴは調理や加工時に褐変することがよく知られている。これはリンゴに含まれているポリ
フェノール類がポリフェノールオキシダーゼの作用によりキノンを形成し、これに引き続く褐色
物質への重合により生じる現象である(村田・本間 1998)。この酵素的褐変の制御は食品加工・
貯蔵において重要な課題となっている。近年、リンゴ栽培において褐変の少ない品種の育成や
栽培方法の研究が行われている(山王丸ら、1998)。これまで褐変の程度(褐変度)とポリフェ
ノールオキシダーゼ活性及びその基質となるポリフェノール含量との関係については種々報告さ
れている(Harel et al ., 1966; Coseteng and Lee, 1987; Amiot et al ., 1992; Murata et al ., 1995; 山王丸
ら、1998)。リンゴの調理加工においては褐変度とともに褐変の速度も重要な要因となる。Saper
and Douglas(1987)が米国産リンゴ、Lozano et al .(1994)がスペイン産リンゴの褐変速度につ
いて報告している。国内産リンゴに関しては、著者ら(宇野ら、2000)が主要な 6 品種(ふじ、
むつ、王林、つがる、ジョナゴールド及び紅玉)における色差の経時変化について速度論的解析
(速度論的褐変評価法)を行い、それらの褐変速度及び褐変度を求めて褐変の品種特性を評価し
た。そこで本報では、この速度論的褐変評価法をさらに国内産リンゴ 8 品種及び北米産リンゴ 6
品種の褐変評価への適用を試みた。加えて、褐変速度及び褐変度に影響を与える因子についても
若干の検討を行った。
2
国内産及び北米産リンゴ果肉の酵素的褐変における速度論的研究
2.実験方法
2−1.試 料
国内産供試リンゴとして、青森県産の国光、印度、ゴールデン・デリシャス、スターキング・
デリシャス、金星、世界一、北斗及び秋田県産の千秋を用いた。北米産供試リンゴとして、米
国ワシントン州産のゴールデン・デリシャス(Golden Delicious)
、レッド・デリシャス(Red
Delicious)
、グラニースミス(Granny Smith)及びガラ(Gala)並びにカナダブリティシュコロ
ンビア州産のマッキントッシュ(McIntosh)及びスパータン(Spartan)を用いた(図 1 )。実験
ゴールデン・デリシャス(Golden Delicious)
レッド・デリシャス(Red Delicious)
グラニースミス(Granny Smith)
ガラ(Gala)
マッキントッシュ(McIntosh)
スパータン(Spartan)
図 1 本研究に用いた北米産リンゴの品種
宇野 和明
3
には品種ごとにそれぞれ 3 個体を用いた。 8 分割したリンゴを剥皮除芯して各分析に用いた。褐
変、水分、糖度、及び pH の測定については個体別に行った。国内産リンゴについては酸度、ア
スコルビン酸含量、クロロゲン酸含量及びポリフェノールオキシダーゼ活性の分析を行った。そ
れらの測定には細断した果肉を等量ずつ混和、均一化した後、その一定量を実験に供した。
2−2.褐変の測定
リンゴを剥皮除芯後、おろし金で直ちにすりおろし、測定セルに入れ、測色色差計 ZE-2000
(日本電色工業社製)でハンター L 値、a 値及び b 値並びに色差(Δ E)の経時変化を測定した。
なお、測定温度を20℃とした。
2−3.褐変速度定数および褐変度の算出
Δ E の経時変化データを次式により表し、非線形最小二乗法による曲線あてはめを行った。解
析ソフトとして Kaleida Graph Version. 3.6(Synergy Software, USA)を用いた。
Δ E = B(1- exp(-kt))
ここで、k は褐変速度定数(min
−1
)、t は時間(min)、B は褐変度とする。
2−4.水分、糖度及び pH の測定
果肉の水分を赤外線水分計 FD-600(ケット科学研究所製)により測定した。果肉をすりおろ
して搾汁し、その果汁の糖度をデジタル糖度計 PR-100(アタゴ社製)により測定した。すりお
ろした果肉に脱イオン水を等量加えて、その pH を pH メータ HM-12P(東亜電波工業社製)によ
り測定した。
2−5.酸度の測定
果肉25 g に脱イオン水を25 mL 加えてホモジナイズし、12,000 rpm で15分間遠心分離を行って
得た上澄液を脱イオン水で50 mL に定容した。この試料溶液についてフェノールフタレイン溶液
を指示薬として0.1 M- 水酸化ナトリウムによるアルカリ滴定法により測定し、リンゴ酸量として
酸度を求めた。
2−6.L - アスコルビン酸の測定
果肉25 g に 4 %メタリン酸を30 mL 加えて、乳鉢で磨砕抽出し、12,000 rpm で15分間遠心分離
した。得られた上澄液を 2 %メタリン酸で50 mL に定容した。この試料溶液について HPLC 法
(三木 1981)で L - アスコルビン酸含量を測定した。測定条件は、カラム:YMC Pack C18 A303
(ワイエムシィ社製)、移動相: 1 %リン酸、流量:0.8 mL/min、カラム温度:室温、測定波長:
254 nm とした。
2−7.クロロゲン酸の測定
果肉25 g に冷メタノールを30 mL 加えてホモジナイズし、 4 ℃で10分間撹拌抽出した。ホモジ
ネートを12,000 rpm で15分間遠心分離した。残渣をメタノールで 2 回抽出し、得られた上澄液を
メタノールで100 mL に定容した。このメタノール溶液についてジアゾ法(中林・鵜飼 1963)に
よりクロロゲン酸含量を測定した。
4
国内産及び北米産リンゴ果肉の酵素的褐変における速度論的研究
2−8.ポリフェノールオキシダーゼ(PPO)活性の測定
大村・尊田(1970)の方法に準じ、リンゴ果肉からアセトンパウダーを調製した。このアセト
ンパウダー 0.3 g を McIlvaine 緩衝液(pH 6.0)20 mL で乳鉢において磨砕抽出後、 4 ℃で12,000
rpm、30分間遠心分離して得られた粗酵素液を PPO 活性測定試料とした。PPO 活性の測定を
Fujita and Tono(1988)の方法に準じて行った。すなわち、0.4 mM クロロゲン酸溶液0.5 mL に
McIlvaine 緩衝液(pH 4.0)1 mL、酵素液0.5 mL を加えて、30℃で 5 分間反応させた。ついで、 2
%メタリン酸 3 mL を加えて反応を停止させ、325 nm で比色し、コントロール液との吸光度差を
求めた。活性単位は酵素液 1 mL における 1 分間当たりの吸光度0.01の減少を 1 単位として表し
た。なお、タンパク質含量は牛血清アルブミンを標準として、Lowry 法(1951)により測定した。
3.実験結果
3−1.褐変の速度論的解析
国内産リンゴにおける L 値、a 値及び b
値の経時変化を図 2 に示した。明度を示
す L 値はいずれのリンゴ果肉とも時間経過
とともに減少した。それらの減少曲線は 3
つのグループに分けられた。すなわち、国
光、印度、スターキング・デリシャス及び
北斗では、L 値が最も急速に減少した。金
星、ゴールデン・デリシャス及び世界一に
おける減少はそれらに比べてやや緩やかで
あった。千秋の L 値は最も緩やかな減少を
示した。一方、赤みの度合いを示す a 値は
L 値とは逆の傾向を示した。国光、印度、
スターキング・デリシャス及び北斗ではす
りおろし直後から a 値は直線的に増加し、
約10分間で平衡状態となった。それらに比
べて金星、ゴールデン・デリシャス及び世
界一における a 値の増加は若干緩やかであ
った。千秋の a 値は最も緩やかに増加した。
黄色の程度を示す b 値はいずれの品種とも
緩やかな減少傾向を示した。北米産リンゴ
における L 値、a 値及び b 値の経時変化を
図 3 に示した。L 値の減少はレッド・デリ
図 2 国内産リンゴ果肉における L 値、
シャスが最も速く、グラニースミスが最 a 値及び b 値の経時変化
宇野 和明
5
も緩やかであった。a 値の増加はスパータ
ンが最も遅く、その他の品種には大きな差
異はなかった。b 値はスパータンで若干増
加傾向を示したが、他の品種では緩やかな
減少傾向を示した。
国内産及び北米産リンゴにおける色差
(Δ E)の経時変化を図 4 及び図 5 に示し
た。国内産リンゴでは L 値及び a 値と同様
に、Δ E の増加速度は国光、印度、スター
キング・デリシャス及び北斗の順で速く、
ついで金星、ゴールデン・デリシャス及び
世界一の順であった。千秋ではΔ E の増加
速度が他の品種に比べてかなり緩やかであ
った。北米産リンゴではゴールデン・デリ
シャス、レッド・デリシャス、ガラ、マッ
キントッシュ及びスパータンが約 5 分まで
同様な増加傾向を示したが、その後、レッ
ド・デリシャス及びスパータンは平衡状態
となった。グラニースミスにおけるΔ E は
約10分まで他の品種に比べて最も緩やかな
増加を示した。
図 3 北米産リンゴ果肉における L 値、
a 値及び b 値の経時変化
図 4 国内産リンゴ果肉における色差(Δ E)の
経時変化
図 5 北米産リンゴ果肉における色差(Δ E)の
経時変化
6
国内産及び北米産リンゴ果肉の酵素的褐変における速度論的研究
すべてのリンゴ品種においてΔ E の経時変化はべき乗型曲線を示した。そこで、前報(宇野ら、
2000)と同様に、Δ E の経時変化データをΔ E = B(1- exp(-kt)
)
(k は褐変速度定数(min −1 )
、t
は時間(min)
、B は褐変度)により表し、非線形最小二乗法による曲線あてはめを行った。いず
れの品種ともΔ E の経時変化データは上式によく適合した。算出された国内産及び北米産リンゴ
品種の褐変速度定数及び褐変度を表 1 及び表 2 に示す。国内産リンゴの褐変速度は、国光>印度
>スターキング・デリシャス>北斗>金星>ゴールデン・デリシャス>世界一>千秋の順であっ
た。北米産リンゴの褐変速度は、レッド・デリシャス>スパータン>マッキントッシュ>ゴール
デン・デリシャス>ガラ>グラニースミスの順であった。一方、褐変度については国内産リンゴ
で、ゴールデン・デリシャス>北斗>世界一>国光>スターキング・デリシャス>印度>金星>
千秋の順で高かった。北米産リンゴの褐変度はグラニースミス>ガラ>ゴールデン・デリシャス
>マッキントシュ>レッド・デリシャス>スパータンの順で高かった。
表 1 国内産リンゴ果肉の褐変速度定数及び褐変度
褐変速度定数(k)
(10 -1・min-1)
褐変度(B)
国光
3.41±0.61
30.4±0.7
印度
3.35±0.55
28.0±0.5
ゴールデン・デリシャス
0.79±0.17
34.8±0.7
スターキング・デリシャス
3.31±0.25
29.2±1.3
金星
1.26±0.34
27.6±2.4
世界一
0.77±0.54
31.8±1.7
北斗
1.77±0.39
32.4±0.7
千秋
0.39±0.09
20.9±0.3
品 種
表 2 北米産リンゴ果肉の褐変速度定数及び褐変度
褐変速度定数(k)
(10 -1・min-1)
褐変度(B)
ゴールデン・デリシャス
2.50±0.52
29.2±0.9
レッド・デリシャス
3.61±0.31
23.2±2.2
グラニースミス
0.72±0.13
31.4±2.4
ガラ
1.95±0.39
29.7±2.7
マッキントッシュ
2.88±0.68
28.8±2.9
スパータン
3.31±0.47
21.2±0.5
品 種
3−2.水分、糖度、pH 及び酸度
国内産リンゴの水分、糖度、pH 及び酸度を表 3 に示した。国光及び印度は水分が少なく、糖
度が高かった。一方、千秋及びゴールデン・デリシャスは水分が多く、酸度が高かった。印度、
金星及び世界一は pH が高く、酸度も低いという特性が認められた。北米産リンゴの水分、糖度
7
宇野 和明
及び pH を表 4 に示した。北米産リンゴの水分は86.9∼89.1%であり、国内産品種より水分を多
く含む傾向があった。一方、糖度は10.6∼13.4%の範囲で、国内産品種のものより概ね低かった。
グラニースミスの pH は3.38と実験に供したリンゴのなかで最も低かった。
表3 国内産リンゴ果肉の水分、糖度、pH 及び酸度
水分(%)
糖度(Brix %)
pH
酸度(%)
国光
品 種
84.8±1.2
14.4±1.0
3.76±0.06
0.39
印度
83.8±0.2
14.8±0.6
4.49±0.06
0.13
ゴールデン・デリシャス
87.1±0.4
12.2±0.7
3.58±0.02
0.30
スターキング・デリシャス
86.8±0.7
13.0±0.8
3.87±0.08
0.17
金星
86.2±0.3
12.6±0.6
4.22±0.23
0.15
世界一
87.6±0.5
14.4±0.8
4.10±0.11
0.19
北斗
87.2±0.2
13.2±0.2
3.80±0.10
0.23
千秋
88.3±0.3
11.8±0.3
3.64±0.06
0.32
表 4 北米産リンゴ果肉の水分、糖度及び pH
水分(%)
糖度(Brix %)
pH
ゴールデン・デリシャス
品 種
89.1±0.7
10.6±0.7
3.92±0.20
レッド・デリシャス
86.2±0.5
13.3±0.2
4.01±0.15
グラニースミス
87.1±0.5
12.7±0.7
3.38±0.07
ガラ
87.0±1.0
12.3±0.5
3.70±0.04
マッキントッシュ
88.0±0.6
12.4±0.5
3.80±0.09
スパータン
85.9±0.7
13.4±0.9
3.85±0.09
3−3.アスコルビン酸含量
国内産リンゴ果肉のアスコル
ビン酸含量を図 6 に示した。アス
国光
コルビン酸は、最も褐変速度が遅
印度
く、褐変度も低かった千秋におい
て高含量を示した。一方、褐変速
度が非常に速かった国光、印度及
びスターキング・デリシャスにお
けるアスコルビン酸含量は低値を
示した。したがって、アスコルビ
ン酸含量がリンゴ果肉の褐変速度
及び褐変度に影響を与えているの
ゴールデンデリシャス
スターキングデリシャス
金星
世界一
北斗
千秋
0.0
1.0
2.0
3.0
4.0
L-アスコルビン酸含量(mg/100g)
図 6 国内産リンゴ果肉における L - アスコルビン酸含量
8
国内産及び北米産リンゴ果肉の酵素的褐変における速度論的研究
ではないかと考えられた。品種間におけるアスコルビン酸含量と褐変速度及び褐変度との相関係
数( r )はそれぞれ - 0.55 及び - 0.75と算出され、負の相関が認められた。また、アスコルビン酸
含量は褐変速度よりも褐変度との相関が強かった。
3−4.クロロゲン酸含量
国内産リンゴ果肉のクロロゲン
酸含量を図 7 に示した。クロロゲン
国光
印度
ゴールデンデリシャス
酸は、褐変度が高い国光、ゴールデ
スターキングデリシャス
ン・デリシャス、スターキング・デ
金星
リシャス、世界一及び北斗に多く含
世界一
まれていた。クロロゲン酸含量と褐
北斗
変速度( r = 0.25)とは明瞭な相関が
千秋
品種間で認められなかったが、褐変
度( r = 0.64)とは弱い相関が認め
られた。
3−5.ポリフェノールオキシダー
ゼ(PPO)活性
国内産リンゴ果肉における PPO
活性を図 8 に示した。PPO 活性は、
0
40
50
60
70
国光
印度
ゴールデンデリシャス
スターキングデリシャス
金星
千秋及び金星で低値を示した。PPO
活性と褐変速度( r = 0.46)及び褐
北斗
4.考 察
30
図 7 国内産リンゴ果肉におけるクロロゲン酸含量
世界一
種間で認められた。
20
クロロゲン酸含量(mg/100g)
北斗及び印度で高く、褐変度の低い
変度( r = 0.63)には弱い相関が品
10
千秋
0
20
40
60
80
100
120
PPO活性(Unit/mg protein)
図 8 国内産リンゴ果肉中のポリフェノールオキダーゼ
(PPO)活性
Saper and Douglas(1987)及び Lozano et al .(1994)は果肉の切断面について L 値の減少曲線
における直線部分の傾きから褐変速度を評価している。しかし、この方法では品種により直線部
分が複数認められるなど、品種間の比較には問題があるとしている。一方本研究では、国内産リ
ンゴ 8 品種及び北米産リンゴ 6 品種の褐変現象についてΔ E = B(1- exp(-kt))、(k は褐変速度定
数(min −1 )、t は時間(min)、B は褐変度)をモデル式とする速度論的褐変評価法により褐変速
度及び褐変度を評価することができた。すでに、著者は本法を用いて主要な国内産リンゴ 6 品種
の褐変速度及び褐変度を品種間で評価している(宇野ら、2000)。したがって、本褐変評価法は
リンゴ品種における褐変を評価するツールとして非常に有用であると考えられた。
本研究に用いた国内産リンゴの品種では、褐変速度が非常に速く、褐変度も高い品種(国光、
印度、スターキング・デリシャス)、褐変速度が遅く、褐変度も低い品種(千秋)、褐変速度は
宇野 和明
9
やや遅いが、褐変度は高い品種(ゴールデン・デリシャス、世界一、金星、北斗)の 3 タイプが
認められた。一方北米産リンゴでは、褐変速度が速く、褐変度も高い品種(ゴールデン・デリ
シャス、マッキントッシュ、ガラ)、褐変速度は速いが、褐変度が低い品種(レッド・デリシャ
ス、スパータン)、褐変速度は遅いが、褐変度が高い品種(グラニースミス)の 3 タイプが認め
られた。ゴールデン・デリシャスは国内産と北米産のものでは褐変速度が大きく異なるという
興味ある結果となった。山王丸ら(1998)は同一品種でも栽培条件の違いが褐変に影響を与え
ると報告している。ゴールデン・デリシャスは国内産と北米産では果皮の色や大きさがかなり異
なっていた。すなわち、国内産のものでは果皮の色が黄色で大玉であるのに対し、北米産のもの
では、果皮の色は緑色で小玉であった。したがって、国内産と北米産のものでは栽培条件が大き
く異なると考えられ、その差異が褐変速度に影響を与えたのではないかと推察された。これまで
褐変に及ぼす要因ついては、クロロゲン酸やカテキンなどのポリフェノール含量に依存するとい
う報告がある一方で、ポリフェノールオキシダーゼ(PPO)活性が大きく関与するという報告も
ある。Coseteng and Lee(1987)は、褐変度がポリフェノール含量に依存する品種と PPO 活性に
依存する品種があり、それらの品種特性によると報告している。Murata et al .(1995)及び山王
丸ら(1998)も同様に、リンゴ果肉の褐変は品種の特性に依存すると報告している。Murata et
al .(1993)はウエスタンブロッティング分析により、リンゴでは品種の違いに関わらず、分子量
が65 kDa である同一の PPO 酵素が褐変に関与すると報告している。本研究で用いた品種のなか
で、最も褐変速度が遅く、褐変度も低い千秋では、クロロゲン酸含量は少なく、PPO 活性も低か
った。さらに、千秋は還元剤としてのアスコルビン酸を多く含み、酸度が高く、pH も低かった。
また、Murata et al .(1992)はふじから PPO を精製し、その至適 pH は 4 であり、pH 3 ではその
活性が約60%に低下すると報告している。本研究に用いた北米産のグラニースミスの褐変速度
が遅いのは果肉の低い pH によるものと考えられる。同様な結果は国内産紅玉においても報告さ
れている(宇野ら、2000)。一方、褐変速度が速く、褐変度も高い国光及びスターキング・デリ
シャスでは PPO 活性が高く、クロロゲン酸含量も多かった。しかし、褐変速度が速く、褐変度
も高い印度では PPO 活性は高いが、クロロゲン酸含量は少なかった。以上のように褐変速度及
び褐変度は品種により異なり、品種の果肉特性に大きく依存しているものと考えられた。すなわ
ち、褐変における品種特性は PPO 活性の強弱及びクロロゲン酸含量の差異に加えて、酸度、pH
の高低及びアスコルビン酸含量の差異によって定まるのではないかと推察される。
育種的観点から、本研究に用いた国内産リンゴ 8 種と既報(宇野ら、2000)で用いた 6 種につ
いて、褐変速度及び褐変度について表 5 にまとめた。我が国のリンゴ品種育成の親となっている
第一世代の品種では、褐変速度が速い品種として国光、印度及びスターキング・デリシャス、褐
変速度が遅い品種として紅玉及びゴールデン・デリシャスとに分けられた。それらの子である
第二世代の品種では、褐変速度の遅い品種同士を交雑して得られたつがる及びジョナゴールドで
はやはり褐変速度が遅く、褐変度も低い品種となっている。褐変速度が速い品種を両親とするふ
じでは褐変速度は速いが、その速度は両親のものより遅かった。むつ、王林及び金星では花粉親
10
国内産及び北米産リンゴ果肉の酵素的褐変における速度論的研究
表 5 国内産リンゴ品種における交雑組合せと褐変速度定数及び褐変度
登録・発表年
品 種
1871(明治 4 ) 国光(英名 Ralls Janet)
交雑組合せ
褐変速度定数
褐変度
(10 -1・min-1)
不明
3.41
30.4
不明
0.23
34.0
1884(明治17) 印度
不明
3.35
28.0
1923(大正12) ゴールデン・デリシャス
不明
0.79
34.8
1929(昭和 4 ) スターキング・デリシャス
デリシャスの枝変わり品種
3.31
29.2
1948(昭和23) むつ
ゴールデン・デリシャス×
印度
1.56
31.6
1952(昭和27) 王林
ゴールデン・デリシャス×
印度
1.33
31.3
1958(昭和33) ふじ
国光×デリシャス
2.58
33.4
1968(昭和43) 金星
ゴールデン・デリシャス×
国光
1.26
27.6
1970(昭和45) つがる
ゴールデン・デリシャス×
紅玉
0.52
21.1
ジョナゴールド
ゴールデン・デリシャス×
紅玉
0.27
21.5
1974(昭和49)
世界一
デリシャス×
ゴールデン・デリシャス
0.77
31.8
1978(昭和53)
千秋
東光(ゴールデン・デリシ
ャス×印度)×ふじ
0.39
20.9
1981(昭和56)
北斗
ふじ×むつ
1.77
32.4
紅玉(英名 Jonathan)
品種の影響を受けて、褐変速度は両親の中間となっていると推察される。世界一でもかなり花粉
親の性質を受け継いでいると考えられた。したがって、褐変速度は母本よりも花粉親遺伝子の影
響を受けやすいのではないかと考えられた。第一世代の孫に当たる第三世代の北斗における褐変
速度は花粉親のむつと同程度であった。一方、千秋の褐変速度は遅く、花粉親のふじの影響を受
けていないようであった。また、千秋の果肉に含まれるアスコルビン酸は他品種より高含量であ
り、それが褐変速度の遅い因子のひとつであると考えられた。リンゴ果肉におけるアスコルビン
酸含量の遺伝は両親に準ずるが、両親よりも高含量となる場合が 2 割程度あると報告されている
(今、1973)。しかし、本研究では母本である東光について調べていないため、東光からの影響か
否かを判断することができかった。今後リンゴ栽培において、千秋のようなアスコルビン酸高含
量品種の育成が可能となれば、褐変の少ない果肉をもつ新品種が期待される。
謝 辞
本稿を査読審査していただき、貴重なご示唆を賜りました査読者に謝意を表します。
宇野 和明
11
文 献
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12
国内産及び北米産リンゴ果肉の酵素的褐変における速度論的研究
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宇野和明,宇野良子,前田 巖,加田静子(2000)リンゴ果肉の酵素的褐変における速度論的研
究,日本調理科学会誌 45,28-36.
宇野和明
〒489−8086 愛知県江南市
高屋町大松原172番地
愛知江南短期大学
生活科学科
愛知江南短期大学
紀要,35(2006)
13−32
短期大学における教養教育のあり方
∼「学生のニーズ」に基づいた教育課程改革に向けて∼
松 井 吉 光 ・ 柴 田 昇 ・ 冨 田 福 代
The Study of Liberal Art Education in Junior College
∼ Reforming Course of Study Based on“Students’Needs”∼
Yoshimitsu MATSUI,Noboru SHIBATA,Fukuyo TOMITA
はじめに
1991年 7 月文部省令「大学設置基準」改正の結果として、日本の大学の教養部が解体されては
や十数年が過ぎている。平成19年の大学全入時代を目前にした現在、いわゆる「大学生の学力問
題」が現実化する一方で、教養教育の重要性が再認識されている。
本論文の表題「短期大学における教養教育のあり方」は、実務教育や資格教育という実学の狭
間でゆれる短期大学の教養教育のあり方を、その特質をふまえて改めて問い直そうとするもので
ある。副題の「「学生のニーズ」に基づいた教育課程改革」は、社会状況の激変と高等教育改革
の渦の中で、とかく見落とされがちな学生のニーズを根拠にした新たな教養教育課程の模索を意
味している。
本論文は、 2 年間の共同研究「学生のニーズに対応した教養教育課程に関する研究」※の初年
度研究成果を基に、内容を焦点化して分析しまとめたものである。本論全体の構成は、「はじめ
に」、「 1.研究の概要」、「 2.調査結果−現代キャリアコース」、「 3.調査結果−国際教育コー
ス」、「 4.まとめと今後の課題」からなっている。
1.研究の概要
本論文は、前述の研究内容の中で本テーマと直接関連する部分と平成16年度(初年度)行っ
た調査内容をまとめている。調査対象は、全国の短期大学がかかえる問題を共有するという観点
で、本研究メンバーが勤務する愛知江南短期大学の教養学科とその学生とした。
1 )研究目的
短期大学の教育内容と「学生のニーズ」との間にギャップがあるととらえ、学校の長所や問題
点を最も体験的に実感している在学生の意識を通して、教養教育のあり方を解明することを目的
14
短期大学における教養教育のあり方 ∼「学生のニーズ」に基づいた教育課程改革に向けて∼
とした。
2 )教養教育と学生のニーズのとらえかた
平成 3 年のふたつの大学審議会答申「大学教育の改善について」「短期大学教育の改善につい
て」によって、大学設置基準と短期大学設置基準が大綱化・簡素化・弾力化されている。これら
の答申内容の柱のひとつである一般教育と専門教育の枠組みの撤廃は、四年制大学では教養部の
廃止に帰結し、カリキュラム上の教養教育(一般教育)と専門教育の明確な線引きがなくなった
だけでなく、結果的に教養教育の軽視に繋がったとされている。平成 9 年大学審議会答申「高等
教育の一層の改善について」は、「教養教育が軽視されているのではないかとの危惧があるほか、
教養教育を行う目的が不明確なまま、単に専門教育の入門的な授業を行うことを教養教育と呼ん
でいるのではないかとの指摘もある」として、教養教育の重要性と問題点を指摘している。
このような指摘内容は、四年制大学だけでなく、同様の改革を進める短期大学においてもその
まま当てはめることができる。短期大学設置基準に示された教育内容には、「教育課程の編成に
当たっては、短期大学は、学科に係る専門の学芸を教授し、職業又は実際生活に必要な能力を育
成するとともに、幅広く深い教養及び総合的な判断力を培い、豊かな人間性を涵養するよう適切
に配慮しなければならない。」(第四章第五条 2 )とあり、短期大学の主たる教育目的に、専門教
育を通した職業教育に加え教養教育があることは異論のないところである。しかしながら、学力
問題が社会的関心を集め、大学全入時代が現実となった昨今、高等教育機関の教養教育に基礎学
力の補充的役割が期待されることはやむをえないことであろう。
本研究では、このような短期大学の現状と短期大学設置基準の趣旨からかんがみて、四年制大
学とは違う教養教育のあり方があると考えた。それは言い換えれば、社会に求められる基礎学力
を確保しつつ、実務教育と融合した教養教育のあり方の追究である。座学が中心である教養教育
に学生自身が主体的に取り組むためには、学生の学習意欲の掘り起こしは不可欠である。そこで
「学生のニーズ」を研究のキーワードとして位置づけ、初年度はその解明から出発した。
ここでいう「学生のニーズ」とは、「学生が必要だと考えるもの」と「学生にとって必要なも
の」の両方を意味している。その内容には、学生が意識していないものや、在学中にはわからな
いが社会に出て初めて必要を感じるものもあろう。したがって、学生を対象とする調査から直接
得られるデータは前者が中心となる。その結果に分析と考察を加えて総合することで後者の内容
を導き、社会で求められる力となる「学生にとって必要なもの」として、「学生のニーズ」の解
明を行う。
3 )研究内容
実績が問われる学生募集や就職関連の意識調査や動向のデータは少なくないが、教育内容に関
する調査は、授業評価や学生生活調査などの一部の局面や断片的なものが中心である。本研究で
は、愛知江南短期大学教養学科現代キャリアコースと国際教育コースの在学生および卒業生を対
15
松井 吉光・柴田 昇・冨田 福代
象に、教育課程に対する学生の意識調査を実施した。それは、入学後一定期間が過ぎた時期に 1
年生を対象として、教育内容に対する入学前の期待とそれがどの程度満されたのか、また卒業を
控えた時期の 2 年生を対象として、教育内容全体を振り返って当初の期待がどのように変化しど
の程度満されたのかを問う調査である。短期大学の入り口と出口における学生のニーズを調査し
て、その傾向をつかむとともに結果の要因を分析した。そのなかで、教養教育が学生にどのよう
に認識されどのように位置づけられているのかを、実務教育や資格教育と関わって考察した。
4 )調査方法
平成16年度に教養学科に在籍する全学生( 1 年生と 2 年生)と平成16年 3 月卒業の卒業生を対
象に、学生の意識を具体的につかむアンケートを行った。また、国際教育コースの卒業生には同
時に座談会形式のインタビューも実施した。両コースとも原則的に同じ調査方法を用いたが、学
生数やコースの特徴を踏まえて多少の違いがある。それぞれのコースの具体的な調査内容と結果
および分析は、以下の二節において示す。なお、両コース 1 ・ 2 年生と卒業生に実施した調査項
目の詳細は、末尾のアンケート用紙を参照されたい。
2.調査結果−現代キャリアコース
教養学科では、平成15年度よりそれまでのビジネススタディーコースと国際文化・観光学コー
スを統合し、現代キャリアコースを設置した。本章では、平成16年度に行った上記各コースの在
学生・卒業生に対するアンケートの結果について、アンケート対象者における関心の所在の変化
を中心に報告する。
1 )在学生アンケート
在学生に対するアンケートは平成17年 1 月末に実施し、回収率は 1 年生72%(18名中13名)、
2 年生90%(20名中18名)であった。
教育内容
設備・施設
通学の便
就職実績
資格
留学
その他
0
2
4
6
8
10
図 2 − 1 コース選択の理由
12
14
16
(人)
16
短期大学における教養教育のあり方 ∼「学生のニーズ」に基づいた教育課程改革に向けて∼
まずコース選択の理由(図 2 − 1 )を見ると、資格、留学が多く、教育内容がそれに次ぐ。留
学という回答は、コース独自のプログラムであるカナダ 4 か月留学を念頭に置いたものと考えら
れ、同プログラムが現代キャリアコース志望者の多くにとって関心の対象となっていることがわ
かる。この結果からは、入学前段階では学業面への期待が大きいことが読み取れる。
次に、入学時の関心の所在についてより具体的に見てみたい(図 2 − 2 )。特に関心が高いの
は、英語・コンピュータ・留学である。ビジネス実務はこの段階ではあまり多くない。進学前の
段階では、どのようなものか十分にイメージしにくいのかもしれない。また、この時点では、関
心の対象として教養を挙げた者は 2 名のみである。
英語
コンピュータ
ビジネス実務
観光
教養
留学
企業実習
その他
0
4
2
6
8
10
12
14
(人)
図 2 − 2 入学時の関心
上に示した結果が、入学後どのように変化するか。短大で学んだことで将来役に立つと思われ
るものは何かという問いに対する回答は、その変化の一端を示す(図 2 − 3 )。
英語
コンピュータ
ビジネス実務
観光
教養
留学
企業実習
その他
0
5
10
15
20
25
(人)
図 2 − 3 役に立つ科目
17
松井 吉光・柴田 昇・冨田 福代
英語、コンピュータに対する評価の高さは変わらない。これに対して、留学は減る。これは諸
事情により実際には留学できなかった学生の存在によるものと考えられる。また、ビジネス実務
に対する評価の高さは、入学以前との顕著な違いである。就職を意識するにしたがって、それに
直接かかわる科目への関心が高まっているとみてよいだろうか。
もう一点注目すべきは、教養科目に対する評価の高さである。これについては、入学時に比べ
て飛躍的に関心が高まっているといってよい。特に 2 年生の評価が高く、社会に出ることを意識
した時、このような科目の必要性を強く感じるということかもしれない。ただし「教養」という
言葉からイメージされるものは幅が広く、この結果が教養科目の中のどのような面を意識しての
ものなのかは今回のアンケート結果だけからでは明らかにし難いため、今後の課題として残さざ
るを得ない。
2 )卒業生アンケート
卒業生に対するアンケートは、平成14・15年度のビジネススタディーコースと国際文化・観光
学コースの卒業生を対象とし、平成16年10月中旬に発送し、11月上旬までに回収した。回収率は
平成14年度卒業生は18%(28名中 5 名)、平成15年度卒業生は47%(34名中16名)であった。
まず入学を決めた理由を見てみたい(図 2 − 4 )。これについては、観光学コースがあったこ
と、旅行業務・観光学関係の授業があったこと、観光学関係の仕事につきたかったことなど、コ
ース選択の理由として観光分野にかかわる事項を記した回答が目立った。これ以外でも、留学、
学びたい分野の存在などが多く挙げられ、授業・学業への期待は大きいようである。
留学
観光
分野・科目
交通の便
その他
0
2
4
6
8
10
(人)
図 2 − 4 入学を決めた理由(卒業生)
18
短期大学における教養教育のあり方 ∼「学生のニーズ」に基づいた教育課程改革に向けて∼
短大で学んで役に立ったこと・よかったこと(図 2 − 5 )としては、秘書学・秘書実務が特に
多い。またコンピュータ関連の回答も多く、これらが社会人生活初期段階において実践的に役立
つ科目と認識されていることがわかる。
これに対して英語の場合、自由記述を見ると、役に立っているものというよりも、もっと身に
つけておくべきだったと感じているものと意識されているようである。また観光関係は、入学時
の関心が高かったのに対し、卒業後の評価は高いとはいえない。このような期待と評価のギャッ
プは、観光関係への就職を希望して入学した学生が結果的には必ずしもそのような職についてい
ないことと関係あると考えられる。
在学生アンケートで、在学中に急増した教養科目については、今回の卒業生に対する調査から
は見えてこない。教養科目は、社会人生活の中で「役立つ」という観点から考えたとき意識にの
ぼりにくいものと考えられ、この点については教養科目という多面的科目群と卒業生のニーズと
の関係について焦点を絞った調査が必要となる。
秘書学・秘書実務
情報処理関係
旅行業務関係
語学
簿記
0
2
4
6
8
10
12
14
16
(人)
図 2 − 5 役に立った・よかったこと
3 )調査まとめ
入学前は、資格・授業への強い期待を持ち、特に英語・コンピュータまた留学への関心が高
く、観光への関心も高い。在学中の比較的早い段階からビジネス実務への関心が上昇し、逆に
観光への関心は低下傾向を見せる。また 2 年次には、教養科目への関心も上昇してゆく。卒業後
は、ビジネス実務・コンピュータの有用性・必要性の認識は変わらないが、それ以外については
ばらつきが見られ、教養科目への評価は見られなくなる。
本章で検討した二つのアンケート結果から本学学生の関心の所在を仮説的に整理すると、以
上のようになる。英語・コンピュータ・ビジネス実務という、本コースで学ぶべき基本的要素に
ついての学生の評価は、基本的には高いといってよい。特に課題として残るのは、教養科目の評
価・位置づけである。教養科目は内容が多方面にわたるため、どのような側面が有用視されてい
松井 吉光・柴田 昇・冨田 福代
19
るのか、どのような点で学生が評価しているのかつかみにくいという性格を持っている。この点
を具体的に把握し、本コースにおいてより有意味な教養教育カリキュラムを構築してゆくための
基礎的認識を得る作業が、今後の課題となる。
3.調査結果−国際教育コース
教養学科では、平成14年度に教養学科の科目に加え、幼児教育学科(現、現代幼児学科)の講
義を他学科聴講することにより幼稚園教諭免許(二種)を取得することができる、国際教育コー
スを新たに設置した。本章では平成16年度に行った国際教育コースの在学生・卒業生に対する調
査の結果について報告する。
1 )在学生アンケート
調査対象は、平成16年度に国際教育コース在学の 1 、 2 年生(各41名、37名)で、コースの 2
期生と 3 期生である。調査時期は平成16年12月で、 1 年生は入学後 9 か月経ち短大の生活に慣れ
ているがまだ教育実習の経験がない、 2 年生は卒業間近で就職がだいたい決まっている時期であ
る。アンケートはウェブページ上でフォームに直接書き込む方法と、郵送で行った。この調査は
研究 2 年目の本調査の課題や対象を絞り込むための先行調査の一つとして位置付けており、アン
ケートの回答はほとんどを自由記述によるものとした。
アンケートの結果、 1 年生は41名中28名(68%)、 2 年生は37名中26名(70%)の回答を得た。
分析は回答の記述と全体の文脈を元に、図 3 − 1 に示すように分類した。
大項目
小項目
内 容
教養科目
一般教養
大人になるための知識
社会人としての基本的な能力
コースの特色
英語
児童英語、夏季海外研修
コンピュータ
コンピュータ
実務科目
電話対応、秘書実務
教員免許
幼稚園教諭免許
実技科目
ピアノ、手遊び、手品、体操、リトミック、遊び、
レクリエーション、パネルシアター
教職科目
教育実習
教職専門
幼児教育に関する知識
障害児教育
その他
保健科目
保健、衛生、子どもの病気・怪我の手当て
植物栽培
花壇、畑
保育士資格
人間関係
図 3 − 1 回答内容の分類
20
短期大学における教養教育のあり方 ∼「学生のニーズ」に基づいた教育課程改革に向けて∼
質問1(短大に入学する前に、短大に期待していたことは何ですか)の回答
図 3 − 2 に回答の分類結果を示す。 1 年生は約40%、 2 年生は50%を超える学生が「資格・幼
児教育関連の授業」に期待していたことをあげている。回答の内容を見ると、特に幼児教育関連
の授業については、専門的な知識・技能の習得に対しての期待が非常に大きいということが分か
る。また、「資格・幼児教育関連の授業」と「その他の授業」に期待していたという回答も多く、
短大に教育を期待しているというもっともな結果となった。
1 年生については、「人間関係」、「学生生活」という回答が多く、重視していたことがわか
る。 1 年生はまだ入学後 9 か月しか経っていないので、入学時の記憶がある程度残っている状
況であることが影響しているのではないかと考えられる。
1 年生の就職に対する期待は、受験時点では本コースの就職実績がない状態であったので、本
学全体または現代幼児学科の就職状況が良好であることから判断したものと考えられる。 1 年生
と 2 年生の就職に対する期待に差があるのは、 2 年生は就職活動をほぼ終えてしまったという状
況であったことが影響している可能性がある。
資格
幼児教育関連授業
その他の授業
人間関係
就職
1年生
2年生
学生生活
その他
0
4
8
12
16(人)
図 3 − 2 質 問 1 の回答
質問2(短大で学んだことでよかったと思うことは何ですか)の回答
図 3 − 3 に質問 2 に対する回答の分類結果を示す。調査時点で 1 年生はまだ短大での学習の途
中であり、 2 年生はほぼ短大での学習が終わっている状況であるため、質問を 1 年生には「学ん
だ(学んでいる)ことでよかった」、 2 年生には「学んだことでよかった」というように変えた
が、結果は同時に示した。
どちらの学年も幼児教育関連の授業をあげている学生が多く、 1 年生では61%、 2 年生では81
%の学生が回答している。幼児教育関連授業についての回答の内訳を図 3 − 4 に示す。 1 年生は
様々な科目に対してよかったとしているのに対して、 2 年生は実技、手品、ピアノ・音楽に集中
している。これは教育実習などの幼児教育の現場での経験を通して、これらの科目の必要性を改
21
松井 吉光・柴田 昇・冨田 福代
めて認識したことが原因であると考えられる。
幼児教育関連授業
英語
コンピュータ
ビジネス実務
その他の授業
1年生
人間関係
2年生
就職
0
5
10
15
20
25(人)
図 3 − 3 質 問 2 の回答
幼児教育全般
幼児教育実技
手遊び
手品
1年生
ピアノ・音楽
2年生
児童英語
0
4
8
12(人)
図 3 − 4 質 問 2 の回答の内、幼児教育関連授業の内訳
質問3(短大で学びたい、学んでおきたかったこと)の回答
図 3 − 5 に質問 3 対する回答の分類結果を示す。この項目についても、 1 年生には「卒業まで
に短大で学びたいこと」、 2 年生には「学んでおきたかったこと」のように、異なる質問とした。
2 年生は教育実習など現場で苦労した経験と、就職後すぐに必要になるということで、幼児教
育の実技、手遊びなど具体的な事柄をあげている学生が多い。一方、 1 年生は「幼児教育全般」
という回答が多く、調査時点で教育実習を行っていない段階、すなわち現場経験がほとんどない
状況であるため、幼稚園教諭になるために必要な知識という漠然としたイメージで回答している
22
短期大学における教養教育のあり方 ∼「学生のニーズ」に基づいた教育課程改革に向けて∼
のではないかと考えられる。
保育士資格
幼児教育全般
幼児教育実技
手遊び
ピアノ・音楽
英語
1年生
ビジネス実務
2年生
その他
0
5
10
15
20(人)
図 3 − 5 質 問 3 の回答
2 )卒業生アンケートおよび座談会
卒業生に対する調査の具体的な対象者は、国際教育コースを平成16年 3 月に卒業した、本コー
ス 1 期生39名全員とした。卒業後の主な進路は、全体に72%にあたる28人が幼稚園に就職し、ま
た10%の 4 人が学童保育などの子ども関連の仕事に就いている。卒業生を対象にした調査は、ア
ンケートと座談会の二つの方法を用いて実施した。アンケートについては本調査がパイロット調
査も兼ねていることから、在学生調査と同様、ほとんど自由記述形式で行い、それぞれ回答の理
由を問うものとした。また、座談会では参加者を半数ずつ 2 つのグループに分け、自然な進行の
中でアンケート項目に沿った話題を随時提供する形で30分間、座談会、その後全体会を30分間設
けた。
アンケートの回収数は39名中22名で、回収率は56%で、座談会の参加者は39名中14名で、出席
率36%であった。アンケートの結果、座談会の結果の分析は回答の記述・話を元に、表 1 に示す
ように分類した。アンケートの回答内容と座談会の内容に矛盾する点はなく、座談会の内容が結
果的にアンケートの回答内容を補足し説明する形になっているため、以下、アンケート結果に沿
って結果を示す。
質問1(短大に入学する前に、短大に期待していたことは何ですか)の回答
図 3 − 6 に回答の分類結果を示す。在学生同様、「資格」、「幼児教育関連授業」への期待の高
さが覗える。一方、職に就いてしまった後ということもあり、「就職」に対する期待については
ほとんど触れられていなかった。また、「学生生活」、「人間関係」といった短大の生活に関する
ことも触れられていないのが特徴である。在学生の調査結果からみると、入学前はある程度期待
していただろうことではあるが、短大の生活が終わってしまっていること、時間が経過してしま
23
松井 吉光・柴田 昇・冨田 福代
っていることにより、記憶が薄れてしまっていることが考えられる。
資格
幼児教育関連授業
その他の授業
人間関係
就職
学生生活
その他
0
4
8
12
16(人)
図 3 − 6 質 問 1 の回答
質問2(短大で学んだことでよかったと思うことは何ですか)の回答
図 3 − 7 に質問 2 に対する回答の分類結果を示す。幼児教育関連授業をあげている学生が73%
と圧倒に多い。具体的な内容を見ると、実技科目が15人で最も多く、次いで教育実習の 3 人であ
る。ピアノ・手遊び・手品など、幼稚園での毎日の活動に役立つ技術であることが理由としてあ
げられている。これは座談会でも意見として多く出されている。
その他、特徴的な回答として、 4 人がビジネス実務をあげている。その理由として「(幼稚園
の)親からの電話が多くかかってくるので、その時の会話がスムーズにいく」とある。日常業
務の中で、専門の学習とともに言葉使いなど一般的な常識が必要であると考えているためであろ
う。
幼児教育関連授業
英語
コンピュータ
ビジネス実務
その他の授業
人間関係
就職
0
5
10
図 3 − 7 質 問 2 の回答
15
20(人)
24
短期大学における教養教育のあり方 ∼「学生のニーズ」に基づいた教育課程改革に向けて∼
質問3(短大で学んでおけばよかったと思うことは何ですか)の回答
図 3 − 8 に質問 3 に対する回答の分類結果を示す。幼児教育に関することをあげている学生
が圧倒的に多い。在学中全く学んでいなかった事柄はほとんどないが、幼稚園で仕事に従事する
上で、短大で学んだことだけではやはり不足していると感じている実態が分かる。回答の中で特
に注目されるのは、障害児教育( 4 人)、保健科目( 3 人)、植物栽培( 1 人)が入っていること
である。これらは広い意味で教職科目の内容に分類されるが、幼稚園教諭の免許要件となってい
ないため通常は学習されない可能性が高い。しかし、座談会で意見として出されたように、幼稚
園現場では実技科目の内容と同じく日常の教育活動で求められる知識であるため、現場に出て始
めてその必要性を感じていることがわかる。また、花壇や野菜作りをしている幼稚園が少なくな
く、植物栽培の知識や経験も実際必要とされる。
保育士資格
幼児教育全般
幼児教育実技
手遊び
ピアノ・音楽
英語
ビジネス実務
その他
0
4
8
1 2(人)
図 3 − 8 質 問 3 の回答
3 )調査まとめ
国際教育コースの在学生・卒業生に調査を行ったが、全体的に見ると、学生は漠然と「幼稚園
教諭」になりたいという希望を持って、コースの特徴である「海外留学」「児童英語」「コンピュ
ータ」を期待するとともに、在学中の友達関係を含めた有意義な学生生活に期待して入学した。
在学中の実際の授業では、実技科目を中心とした教職科目に期待し、おおむね満足し、実務科目
の有用性も認識した。卒業後の幼稚園を中心とした職場では、在学中には学ぶことがなかった教
職関連分野の内容や一般常識に関わる知識の必要性を実感している。調査の結果から、このよう
な学生の認識の流れが浮かび上がってきた。
本研究の目的である教養教育に関しては、本調査の回答の中にほとんど現れてこなかった。こ
れは調査対象が在学生・就職 1 年目の卒業生であったこと、ほとんどが幼稚園就職者または就職
希望者であったこと、アンケートが自由記述形式であったことが考えられる。
松井 吉光・柴田 昇・冨田 福代
25
4.まとめと今後の課題
両コースの調査結果から、共通するいくつかの成果や課題を確認することができた。それらを
まとめてみると次のようになる。
①
学生にとって教養教育か実務教育かという区別は意識されておらず、科目の本質や特質でな
く、具体的な授業内容でその有用性が判断されている。教育課程の編成には、単に科目名だ
けでなくシラバスを参考にして実質的な授業内容を検討し、教養科目と実務科目の特質や条
件を整理する必要があるだろう。
②
入学時と卒業を控えた段階における教養教育的科目と実務教育的科目の志向パターンが、両
コースで逆の結果となった。その要因が学生の特質によるのか、またコースの特徴によるの
かを明らかにするために、次年度追加データによる比較と分析を行う必要がある。
③
調査項目に「∼は役に立ったか」というような有用性を問うものがあり、現時点で役立つも
のだけに内容が限定され、教養教育を「役に立つかどうか」という視点でとらえることにつ
ながった。また、記述式の質問が中心であったため、結果的に強く意識されたものだけがデ
ータとしてあがってきた。今回の調査は基礎データの収集と予備調査としての意味があり、
この方法で全体的な傾向をつかむことができた。次年度調査では、本調査の結果を踏まえて
具体的な調査項目と選択肢による質問形式を中心にデザインし、より詳細なデータが得られ
る工夫を行う必要がある。
現在の短期大学において、従来の教養教育のあり方では、近年の学生に主体的な学びを期待す
ることはむつかしい現状にある。本研究が掲げる学生のニーズは、学生が学ぶ意欲と喜びをもて
るような教養教育のあり方を考える上で、重要な手がかりになると考えられる。本研究の最終的
な目的は、上記の 3 点を踏まえた継続調査の結果として明確化される、広い意味の「学生のニー
ズ」に沿った教養教育の要素を整理し、短大における教養教育の具体的な教育課程のモデルづく
りである。
末尾ながら、査読者の有意義な助言に心から感謝いたします。
※
なおこの研究は、平成16年度日本私立学校振興共済事業団 学術研究振興資金(特定の共同
研究)および平成16年度愛知江南短期大学 特別研究費の補助を受けて行われた。
26
短期大学における教養教育のあり方 ∼「学生のニーズ」に基づいた教育課程改革に向けて∼
【執筆担当】
柴田昇 「 2.調査結果−現代キャリアコース」
松井吉光 「 3.調査結果−国際教育コース」
冨田福代 「はじめに」「 1.研究の概要」「 4.まとめと今後の課題」
【参考文献】
阿部謹也『「教養」とは何か』講談社現代新書、1997年
有本章『大学のカリキュラム改革』玉川大学出版部、2003年
大谷信介他『社会調査へのアプローチ』ミネルヴァ書房、2005年
加藤博和『大学・教養部の解体的終焉』葦書房、1997年
喜多村和之『大学淘汰の時代』中公新書、1990年
杉山幸丸『崖っぷち弱小大学物語』中公新書ラクレ、2004年
寺崎昌男『大学教育の可能性』東信堂、2002年
村上陽一郎『やりなおし教養講座』NTT 出版、2004年
松井 吉光・柴田 昇・冨田 福代
[資料アンケート用紙]
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短期大学における教養教育のあり方 ∼「学生のニーズ」に基づいた教育課程改革に向けて∼
松井 吉光・柴田 昇・冨田 福代
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短期大学における教養教育のあり方 ∼「学生のニーズ」に基づいた教育課程改革に向けて∼
松井 吉光・柴田 昇・冨田 福代
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短期大学における教養教育のあり方 ∼「学生のニーズ」に基づいた教育課程改革に向けて∼
松井吉光、柴田 昇、冨田福代
〒489−8086 愛知県江南市
高屋町大松原172番地
愛知江南短期大学
教養学科
愛知江南短期大学
紀要,35(2006)
33−45
第二言語習得における開始年齢に関する研究(その 1 )
大 石 文 朗
A Study of When to Begin Second Language Acquisition(1)
Fumio Oishi
1.はじめに
平成14年度から小学 3 年生以上を対象に公立小学校において「総合的な学習の時間」という枠
組み内ではあるが、第二言語(外国語)学習の実施が可能になった。この学習開始年齢の早期化
はどのような意義があるのであろうか。また、対象年齢が異なる場合どのような学習方法や学習
内容がより効果的なのであろうか。本稿は、これらの問いに対して大脳生理学と心理言語学にお
ける言語習得理論の視点から、「発話」「語彙の拡大」「文法」に関して検討して行く。
ここで扱う言語習得理論の内、大脳生理学に関しては、初めて解剖学的な視点によって年齢
と言語習得の関係を研究し、この分野の基礎を確立したともいえる Wilder Penfield を中心とし、
近年の研究成果をも交えて考察して行く。また、心理言語学に関しては、ナチュラル・アプロ
ーチ 1)などを提唱し、我が国の児童外国語教育にも多大な影響を与えた Stephen D. Krashen、そ
して、この分野の研究を多角的に捉えて成果を残している Danny D. Steinberg を中心とし、他の
研究者の成果をも交えて議論して行く。
さらに、大脳生理学および心理言語学からのアプローチに対する限界と問題点として、大脳生
理学における脳のメカニズムの解明は未だ未知の部分が多いことがあげられよう。研究が進み、
日進月歩で新たな発見がなされているが、本稿で取りあげる研究成果は、主に執筆時において、
すでに刊行された書籍・研究論文に基づくものとし、それに最近の成果を加えて考察するもの
とする。そして、それらの研究対象が健常者の言語習得の他に、疾患による言語の再習得などが
対象になっている場合があるので、研究成果を扱う際には、研究の対象に十分配慮を行うことと
する。また、心理言語学においても同様に、本稿執筆時にすでに刊行されているこの分野の研究
成果を基に論じるものとし、それらの成果の内、各研究者が各々の仮説に対して実証テストを行
い、その結果に基づいて導き出された主張を扱うものとする。
2.言語習得理論における第二言語教育の「開始年齢」に関する議論 公立小学校における平成14年度からの総合的な学習の時間の導入により、第二言語(英語)教
34
第二言語習得における開始年齢に関する研究(その 1 )
育の開始が従来の中学校から早期化できるようになった。この総合的な学習の時間は、環境・
情報・健康/福祉・国際理解等の様々な分野から授業担当者が自らテーマを選択し、教材・指導
形態等、教師が工夫をこらして創り上げることになっている。総合的な学習の時間が即英会話の
授業というのではなく、複数の分野の中に国際理解が一選択肢としてあり、その一環として「英
会話等」を扱うことができるようになったというのが実情である。このような流動的な英語学習
の導入ではあるが、このことによって特にここ数年、言語教育に携わる実践家や研究者の間で、
「開始年齢が早くなることが、第二言語習得に対してよい結果をもたらすのだろうか」という議
論が高まっている。このような議論の高まりの一因として、この第二言語の開始年齢が早期化さ
れた理由が、言語習得理論を吟味した結果というよりは、様々な要因が複合的に作用したもので
あり 2)、実践家や研究者の中でもそれぞれの立場や視点から賛否両論意見が分かれるところであ
るからであろう。
例えば賛成側の立場として臨床的視点より、Curtain & Pesola(1999)は、成人と比較した場
合の子どもの第二言語習得に関する学習能力の高さについて、次のように述べている。
「子どもを第二言語習得の環境に連れていき、新しい状況・・・例えば外国語で授業が行われ
る小学校・・・に通うと、しばしば奇跡を経験する。 6 か月位経つと子どもは、新しい環境
にうまく適応し、両親が同じ時間をかけていくら努力してもとうてい到達し得ない語学力を
身につけているものである」3) このような子どもの言語習得能力の高さに対する認識は、多くの親が子育てを経験する中で受
け入れ易いものであろう。なぜならば、子どもは(健常者であれば)例外なく、 6 歳頃までには
母語を非母国語の成人学習者が到達できないレベルまで達することが可能である。子どもが成人
より何らかの言語学習能力の優位性を所有しているという考えが導き出されるのは必然的である
かもしれない。また、垣田他(1997)も、第二言語習得における子どもの学習能力の高さに対す
る優位性を主張しており、「子どもは発達の途中にあって精神の柔軟性とまだ固まっていない習
慣、新しい印象の世界への反応にすぐれているからである」4)と述べ、子どもに特有な柔軟性が
学習能力の高さと深く関わっているとしている。
さらに、小学校で英語を教えた実践的視点より、久埜(1995)は、子どもがもつ言語習得能力
の高さに加え、異文化に対して未だ先入観に囚われることがない早期から、人格形成の一環とし
ての第二言語教育を開始する必要性を、次のように述べている。
「人格形成の観点から、情操教育や国際教育の一環としてとらえると同時に、子どもたちの言
語習得能力の高いこと、特に音声に対する鋭い感受性に着目して、 9 歳前後までに遊びに似
た形で英語を導入しようとする。実際に小学校の現場で子どもたちの学習態度を観察してい
ると、遅くとも小学 4 年生までに、外国語とその背景となる外国の人びとの生き方に触れさ
せることが大切であることを感じないではいられない。 5 年生くらいになると、自分の育つ
環境に対する帰属意識が芽生えてくるのか、異文化に対して等距離で接する態度に変化が現
れ、母語とは違う音の流れにも差を強く感ずるようになる」5)
大石 文朗
35
他方、英語教育の早期化に反対する立場として、知識・技能的な視点より、矢次(1998)は、
「学習したことがどのように身につくのかという点を考慮すると、知識として保持し得る内容は
当然ながら中学生ほど期待できないだろう。技能についても、知識の制約がそのまま制約となる
可能性が高い」6)と述べている。
また、授業における制約という視点より、鈴木(2001)は義務教育で行われる断片的な第二言
語(外国語)教育では中途半端であり、教育効果は期待できないと、次のように述べている。
「学校の何十人ものクラスで、週に一、二度だけ外国人の先生について少しばかりの日常会話
の練習などしてみても、それだけでは出てくる単語や表現の数は知れたものですし、話題も
自分に興味のあるものとはかぎりません」7) さらに、認知能力の視点より、東(2000)は言語習得において子どもの方が大人より優れてい
ることはけっしてないとして、その理由を次のように述べている。
「大人にあって子どもにない能力というものもたくさんある。たとえば、言語材料を意識的に
分析、抽象化、一般化する能力、認知的に高度なことを理解したり表現したりする能力、フ
ォーマルな場面で言語を学習する能力といったものは大人の方が優れているといえるだろ
う。・・・言語を習得するスピードにしても、大人のほうがずっと速く効率よく習得すると
いえるかもしれない。・・・大人の学習者はたった 1 時間の学習で挨拶程度の表現のいくつ
かはすぐいえるようになるだろう」8) このように第二言語教育の開始年齢を早期化することに対して、様々な関係者がそれぞれの
視点により、賛成の立場、反対の立場、を主張していることがここにあげた数例からさえもうか
がえるが、次に大脳生理学と心理言語学の視点から第二言語習得において開始年齢がどのように
言語習得に影響するのかを、「発話」「語彙の拡大」「文法」の観点より吟味して、「開始年齢の早
期化が、第二言語習得に対してよい結果をもたらすのだろうか」という問いに対して検討して行
く。
3.発話における第二言語教育の開始年齢の影響
Penfield(1959)は、発話は人間だけに認められる行為であり、それを可能にしているのは他
の動物と脳の構造が異なるからだとし、「人間だけが大脳皮質に発声を制御する生得的なメカニ
ズムをもっている」9)、「話す活動は、中心脳系の機能活動に基づくものであろう」10)と述べてお
り、発話と脳の関連性を強調している。この発話と脳の関係について、最近の大脳生理学者で
は、養老(2000)が著書の中で、「ヒトが言語を操るのは、決して喉頭の構造が特異なためでは
ない。・・・喉頭で喋るのではない」11)とし、発話の発生における脳の役割りの重要性を主張し
ている。このように大脳生理学において発話は、人の脳の特異性によるという見解が Penfield の
時代から変わっていず、ほぼ普遍的なものであり、脳の発達度合いが発話を支配すると解釈され
ている。では大脳生理学からみて、第二言語の発話を習得するのに適した脳の発達度合いとは何
歳をさすのであろうか。これに対して Penfield は、言語を習得するための潜在性のメカニズムの
36
第二言語習得における開始年齢に関する研究(その 1 )
見地から、「 4 歳から10歳の間」12)が大脳生理学的要求に適した年齢であると主張しており、加
齢につれ脳に備わっている言語習得に対する特殊な能力は減退していくと述べている。そして、
その年齢の間に第二言語教育を開始し脳にその中枢言語がいったん確立すると、何年間かブラン
クがあっても再びその言語に触れた場合、その中枢言語が再活動し、新たな学習を支援すると、
彼の子どもたちからの次のような経験を例に主張しており、 4 歳から10歳という一定の年齢の間
に第二言語教育がなされる必要性を唱えている。
「 2 人の子どもたちは、 8 歳と 9 歳のとき、ドイツの小さな町でドイツ人の子どもたちと数ヵ
月間遊んだときに、はじめてドイツ語を聞いた。当時、英語を全く話せない保母が家政に加
わっていた。子どもたちは、大学の年齢までドイツ語を一度も教わらなかったが、しかし、
とうとう完璧なアクセントでドイツ語を流暢に話せるようになった」13)
このように彼が主張している第二言語の中枢言語の確立というのは、母語を介さないで反射的
に第二言語を発するために必要不可欠なものであるとしている。また、Penfield と同様に、植村
(1998)は、近年の脳科学の研究により、脳が十分な可塑性を備えている間に特定の中枢言語が
脳内に確立される重要性を指摘し、第二言語の教育は早ければ早いほど良い結果につながるとし
て、次のように述べている。
「小学校も臨界期 14)をすぎているので、本当は遅いぐらいです。子どもたちは日本語の中枢
ができていますが、まだまだかなりの音声に対する対応力が残っていますから、小学校のと
きからきれいな英語を聞かせて、耳からたたき込んでやれば間に合うと思います。小さけれ
ば小さいほどそれぞれの言語中枢が独立をするようですから、そういう意味では日本語が妨
害されるということはないし、妨害しないために、脳は必ず離れたところに中枢をつくって
いきます」15)
このように大脳生理学における、多くの研究者が、人が言語を操ることができるのは脳に中枢
言語が確立されるためであるとし、その中枢言語が確立され易い状態である脳の可塑性を重視す
るため、第二言語の早期開始に対して肯定的な見解をとる。
他方、心理言語学者の Krashen(1983)は、言語能力の向上を「習得(acquisition)
」と「学習
・
・
・
・
・
・
(learning)」という観点より論じており、「習得」とは伝達のために言語を運用する能力を伸ば
・
・
・
・
・
・
・
すことであるとしている。他方、「学習」とは文法などの規則を知ることであり、伝達能力を養
うことにはならないとし、「言語運用能力」と「言語知識」という側面から第二言語教育を捉え
ている。そして、第二言語習得における年齢差について、「子どものほうが成人よりすぐれてい
る、と単純にいうことはできない」16)と主張しており、「短期的に見れば、成人のほうが、子ど
もより第二言語学力(知識、思考力、表現力、判断力)を身につけるのは速い」17)
(カッコ書き
−引用者)と述べており、その理由として、次の 3 つの要因を指摘している。
①
成人は「会話運び」や、自分たちに向けられたインプットを調整して理解しやすいものにし
たりする点ですぐれている。
②
第一言語とモニター 18)を使って初期の段階の発話を促進するので、それがまたインプット
大石 文朗
37
を呼ぶようになる。
③
成人は一般的な知識をたくさん持っている。
このように成人は子どもには備わっていない様々な能力の助けをかりることができ、特に、教
室という特殊な環境下においては、第二言語習得に関して、年齢差における習得の差はほとん
どないと主張している。そして、心理言語学的見地より、第二言語の習得効率を決定づける要因
は、年齢的差における身体的要因ではなく、情意的な要因であると仮定している。Krashen は学
習者が不安感、不信感、挫折感など否定的な感情を抱いて学習している場合には、あたかもフィ
ルターがかかったかのごとく、学習内容は吸収されず、表出もしないとして、そのフィルターを
「情意フィルター」と名付けて、次のように述べている。
「子どもが最終的に第二言語習得においてすぐれているわけは、情意要因によると仮定され
る。特に、情意フィルターは思春期頃に強度を増す、という我々の仮定である。・・・思春
期は、第二言語習得が最終的に成功するか否か決定づける分かれ目であろう。・・・子ども
は、第二言語で母国語話者だと思われるくらいに上達できる機会に恵まれているといえる
が、これは成人の初心者が高い学力レベルに到達できないということではない。フィルター
が強くなるので、たいていの成人は母国語話者と同レベルに到達することはないだろうとい
えるだけである。・・・とはいえ、モニターを上手に使って母国語話者と同レベルだと思え
るほどになる成人も多いのである」19)
このように、Krashen は、成人と子どもの言語習得能力には差はなく、大脳生理学者が主張す
るような、身体的メカニズムに基づく言語習得の子どもの優位性には否定的である。その根拠と
して、学習の初期の段階では、成人の方が言語習得には優位性が認められており、もし身体的メ
カニズムが子どもに有利であるならば、初期の段階から子どもの方が第二言語の習得効率が高い
はずであるとしている。そしてたいていの場合、最終的に子どもの方が第二言語習得の到達点が
すぐれているのは、成人と比較した場合の言語習得能力そのものの差によるものではなく、成人
は思春期以降に増す心理的な障害である情意フィルターにより、言語習得が妨げられるからであ
ると唱えている。
ところが、心理言語学者である Steinberg(1995)は、運動技能の視点から、「確信できること
は、第二言語における母国語話者並みの発音の習得については、子どものほうが成人よりも概し
てたけていることである」20)とし、発話における発音についての子どもの優位性を指摘している。
そして、発音は脳に制御された発話器官の運動によって成立しているものであり、加齢とともに
脳の中枢機能の変化により、「10歳から12歳のあたりで新たな運動技能を獲得する能力は、衰退
し始める」21)と、次のように主張している。
「発音は運動技能であり、声帯や舌や口などの発話器官が筋肉によって制御される。だから、
成人に見られる第二言語の発音困難は、おそらく思春期ころに現れてくる運動技能力の全体
的衰退の 1 つであろう。体操やピアノは明らかに、27歳で始めるよりも 7 歳で始めるほうが
上手になる。・・・運動技能の衰退が脳の成熟に関係している点は疑う余地がない」22)
38
第二言語習得における開始年齢に関する研究(その 1 )
このように発話に関して Steinberg は、Penfield および他の多くの大脳生理学者が主張するよ
うに、脳内の運動神経が大きく関与しているものであるとしている。
これまでの議論によると、第二言語教育において開始年齢が発話にもたらす影響の要因とし
て、一つは脳内の神経的関与、もう一つは情意的関与という二つの要因が挙げられていたが、筆
者は神経的関与による主張の方がより説得力があると思われる。なぜならば、Krashen は、成人
すべてが思春期以降に情意フィルターが強まることを前提にしているが、その前提に対する実
証は何ら提示していない。むしろ性格によっては思春期以降から積極的になり、情意フィルター
が弱くなる人もいることは否定できないであろう。また、子どもによっては、幼少期からすでに
情意フィルターが強い学習者がいるのではなかろうか。このように情意フィルターの強弱は、思
春期という年齢が主な決定要因ではなく、各人の性格がその強弱を左右するのではないかと思わ
れ、思春期が言語習得を困難にさせるという情意フィルター仮説の主張は、あまり説得力をもた
ないものと思われる。
この点に関して白畑(1997)も、情意フィルターが第二言語の習得を決定づける要因であると
する Krashen の主張に対して、次のように反論している。
「もし情意フィルターが第二言語学習者の達成度を決定的に決めるのであれば、年齢に関わら
ず情意フィルターが強い学習者と弱い学習者がいるはずであり、どの開始年齢の学習者から
も、達成度の高い学習者と達成度の低い学習者が出ることになる。また、10歳の子供が全員
30歳の成人よりも情意フィルターが弱いとは考えられない」23)
白畑が指摘するように、情意フィルターと年齢が相関関係にあるとは考えにくく、ある一定の
年齢が情意フィルターを左右すると唱えている Krashen に対して、筆者も否定的な立場である。
他方、発話は反射神経的な運動技能の要因が高いものであるという視点による Penfield と
Steinberg の主張は、より説得力があるものと思われる。なぜならば、第二言語を聞いて母語に
訳したり、発話するために母語を第二言語に訳していたのでは会話は成立しない。脳の指令によ
り発話に関する諸器官が適切に反応する運動神経の敏しょう性が必要になるが、そのような運動
技能は加齢とともに衰えていくことは自明のことである。このような反射神経的技能の育成の年
齢について、Penfield と Steinberg の両者に共通していることは、10歳頃までには第二言語教育
を開始すべきであるということである。故に、中学校からの第二外国語(英語)の学習が公立小
学校 3 年生から開始が可能になったことは、発話の習得に関する限り評価に値することといえる
のではなかろうか。
4.語彙の拡大における第二言語教育の開始年齢の影響
第二言語の語彙の拡大において、必要不可欠な要因は何であろう。それに対して Penfield は、
記憶力であるとしている。そして、その記憶力は加齢につれ衰えていくものであるとし、それを
白地の言語板にたとえて、次のように述べている。
「人間がこの世に生まれるときにもってきた白地の言語板は、間もなくいろいろな単位で満た
大石 文朗
39
され生後10年もたつとそれらはほとんど消失できなくなる。そして、年が経つにつれて、諸
単位はその言語板に多く刻まれるが、だんだんと刻まれるのが困難となってくる。・・・子
どもが青年になるまで 1 ヵ国語しか用いないなら、第二国語を学ぶときには、よく覚えた
母国語のシンボルを用いるものである。・・・新しくおぼえる国語の音を模倣する代わりに、
彼は自分自身の発語の(単位母国語の)単位を用いようとし、かくて、あるアクセントをつ
けて話したり、新しい国語の単位を一つの間違った構文に再配列させようとさえする」24)
彼はこのように限りのある言語板に十分な余白がある間、つまり記憶能力が高く可塑性とい
う脳の潜在能力が十分高い内に、語彙の拡大に役立つ第二言語の基礎を身につける必要性を主張
している。そして、植村も同様に、加齢につれて衰える脳の潜在能力が言語習得を困難にすると
し、早期から母語以外の言語に触れさせる必要性を強調して、「どの赤ちゃんでも生まれた瞬間
には、世界じゅうのありとあらゆる言語を完璧にマスターするだけの脳細胞をもっています。と
ころが日本人で日本語しか知らない親が育てると、臨界期がありますから、使わなかった脳細胞
は溶けてなくなります」25)と述べている。
このように、語彙の拡大には記憶力は不可欠なものであるが、大脳生理学において言語を記憶
するとは、どのように解釈されているのであろうか。その脳内での記憶のメカニズムについて苧
阪(2000)は、次のように述べている。
「記憶は、学習による脳の変化によって生まれるのですが、この変化には二つの可能性があり
ます。一つは、新しいシナプスができる、という考えです。もう一つは、ニューロンに可塑
性があるため、複数のニューロン間を行き来する信号の頻度が高くなるとこれらのニューロ
ン間で信号が伝わりやすくなるという考えです」26)
さらに、時実(2000)は特に記憶における脳の可塑性と融通性の重要性を強調して、「記憶や
学習は、新しい痕跡を刻むことであるから、神経系の可塑性、融通性が必要条件である」27)と述
べている。
これらのように大脳生理学では、語彙の拡大とはシナプスやニューロン等の脳の変化に他なら
ず、そのような変化に対して柔軟に対応できる脳の可塑性が高い方が、第二言語習得により適し
ているという見解であり、できる限り早期から第二言語を学習する必要性を主張している。
他方、Krashen は語彙の拡大においても年齢による差はないとしている。それは、加齢ととも
に衰えていく記憶能力が語彙の拡大を決定づけるのではなく、学習者がどのように何を学ぶのか
という学習の質こそが語彙の拡大を左右するものであるとして、「理解できるインプットこそき
わめて重要な中心をなすものである」28)と唱えている。そして、それらインプットのレベルは、
現在の学習者の能力よりも少し高いものが与えられるべきで、その適切なレベルのインプットを
理解することによって言語は習得されると主張している。また、語彙の拡大には、学習者が自ら
進んでインプットを理解しようとするコミュニケーションへの願望が不可欠であり、学習者が興
味を示す題材を教師が与えることができるかどうかが大きな要因であるとしている。さらに、第
一言語(母語)の影響による第二言語における誤りについて、Penfield とは異なる見解を次のよ
40
第二言語習得における開始年齢に関する研究(その 1 )
うに主張している。
「第一言語の影響による誤りは、学習者が第二言語の規則を十分に学んでいないとき、第一
言語に依存する結果にすぎない。干渉に対する治療は習得あるのみである。第一言語の影響
を断ち切ろうとする必要はなく、目標言語を習得できるようにさえすればよいのである」29)
故に Krashen は、第二言語における母語の干渉は、単に第二言語が未熟であるがために生じる
もので、Penfield が主張するように母語を基礎にして第二言語を学習するためではないとしてい
る。
それに対して、Steinberg は、Penfield と同様に言語習得の基本は記憶力であるとし、特に第二
言語での語彙学習には棒暗記力(単純連合学習)が不可欠であると主張している。しかし、その
棒暗記力は、「加齢とともに衰退する。・・・ 8 歳ころから衰退が始まり、12歳ころからさらにそ
れが加速されるようである」30)として、その衰退の原因は脳の変化であると、次のように述べて
いる。
「記憶の衰退は、脳の発達の変化によるものであろう。20歳と50歳で、さらに70歳で脳の発達
に著しい違いがある。たとえば、50歳までに大脳皮質の細胞が約20%減少するようである。
そして70歳までにその減少は約40%までに達する」31)
以上のことより、筆者は、第二言語の語彙の拡大においては、記憶が最大の要因であるとする
Penfield と Steinberg の主張が妥当であると思われる。なぜならば、何かを学習するためには記
憶力が不可欠であり、何らかの障害により記憶が困難になった場合、言語に限らず何かを習得す
ることは不可能であろう。Krashen の学習の質というのは、言い換えれば、いかにしたらより効
率よく記憶することができるのかの議論にすぎないと思われる。そして、記憶力は加齢とともに
脳細胞の全体量が減少し生理的に不利になることは明らかである。このような年齢の違いによる
記憶力の差異に関する研究において、垣田他は次のような報告をしている。
「小 2 ・小 4 のこどもは、就学前のこどもよりも、同じ教材を記憶するのにより長い時間がか
かる。・・・夏休み後、就学前のこどもは、就学児童よりも、学んだことをはるかに早く正
確に思い出すことができた」32)
このように彼等が教職経験から指摘しているように、年齢が低い程記憶力は高く、それだけ学
習には有利な潜在的条件が整っていると思われる。このことから、第二言語教育における語彙の
拡大は、潜在的な記憶能力が高い低年齢から行った方がより言語習得には有利であろう。
5.文法における第二言語教育の開始年齢の影響
文法の習得に関して、Penfield は十分に幼い時期から第二言語に触れていれば、文法を教わら
なくとも語の配列の規則を習得していくと主張している。そして、そもそも言語とは何か目的
を達成するための手段として用いられるべきで、言語そのものを学習すべきではないことを強調
している。第二言語においても、母語の習得が生活の活動を通して結果的に学習されているよう
に、何かの目的のための手段として第二言語が用いられれば、結果的に文法を含めた言語能力自
大石 文朗
41
体が習得されると、次のように述べている。
「学習者は、その言語によって話し、その言語によって考えるべきで、言語そのものは無視す
べきなのである。・・・言語は研究されるべき対象ではなく、また把握されるべき目的でも
ない。それは、他の目的の一手段であり、媒介物であり、生活の一方法なのである」33)
Penfield によれば、文法を含めた言語そのものの活動は、脳内に形成されるニューロンの諸パ
ターンと諸反射によって可能になるのであって、文法などの語の配列に関するパターンは、すべ
て脳内にある中枢言語に保存されている。すなわち、十分に幼い内に中枢言語が確立されないか
ぎり、知識としての文法は身についても、それを実際に言語運用に役立てることは困難であると
主張している。
同様に、大脳生理学者の澤口(2000)も、言語そのものを学習するのではなく、環境から自
然に第二言語を身に付かせ、中枢言語を確立させるようにすべきであるとして、「英語などの外
国語を習得させたい、という価値観をもっていたら、やはり適切な環境が必要である。・・・幼
少期に母国語の他に外国語の環境にさらすことが必須となる」34)と述べている。このように、十
分に幼い時期であれば、母語の文法を生活の中でのコミュニケーションから身につけていくよう
に、第二言語の文法に関しても、特別な学習をしなくても語の配列を自然に身につけていくもの
であると主張している。
それに対して Krashen は、成人の第二言語の能力を身につける方法を、先述のように「習得」
と「学習」の二つに分けて論じており、習得とは、「言語の力を伸ばす『自然な』方法であり、
無意識の過程」35)であるとしている。子どもが言語能力を身につける過程はこの「習得」であり、
言語そのものを意識せず、意思を伝え合っているのであるとしている。そして、言語能力を獲得
しているという自覚はなく、身に付いた文法は直感的なものであると、次のように述べている。
「習得した言語の規則については『意識して』はいないが、正しいとは『感ずる』のである。
つまり、誤りを耳にしたとき、破られた規則を指摘できなくても、間違っていることだけは
なぜか『わかる』のである」36)
他方、学習とは、
「言語について『知ること』、あるいは言語の『形式的知識』である」37)とし、
習得は無意識的であるが、学習は意識的であり、言語の規則について意識的に知識を身につける
ことであるとしている。第二言語の習得は、成人にとっても可能であると Krashen は考え、習得
と学習は各々異なる役割をはたすものであるが、相互作用がそこには存在し、互いを補足し合う
ものであると主張している。そして、学習された文法は直接的な言語運用能力にはならないが、
自分自身の表現が適切かどうか、意識的に確認や訂正を行う機能として役立つとして、これを
「モニター」と称している。しかし、反射的対応が求められる発話においては、このモニターが
過剰に働くと意識過剰となりすぐに言葉が出てこなくなる原因となると指摘しているが、ある程
度時間が許される書き言葉に関しては文書を自己訂正する上で、有用なものであるとしている。
これら無意識的な第二言語の文法運用能力が習得されるか、意識的な第二言語の文法知識が学習
されるかは、年齢が主たる決定要因ではなく、学習者に提示されるインプットの質が主要因であ
42
第二言語習得における開始年齢に関する研究(その 1 )
るとしている。それに加え、学習者のパーソナリティ上の特性、学習環境が重要な要因でもある
として、Penfield 等の大脳生理学者が主張する、第二言語の早期教育肯定論とは異なる見解であ
る。
さらに Steinberg は、学習環境に着目して、自然的場面と教室場面とで成人と子どもの文法の
学習効率を比較検討している。自然的場面とは社会活動を行う中での言語運用を意味し、そのよ
うな自然的場面は、
「子どもに有利に作用する。成人の場合は、効率的な言語学習につながる社
会的相互作用の質と量の低下がはっきりしている」38)とし、社会の状況によっては成人外国人に
対して、敵対的な環境の場合さえあると指摘している。そのような子どもに有利な自然的場面に
おいては、第二言語の文法学習において、子どもは成人よりも優位な立場にあると主張している。
他方、教室場面においては、成人は子どもよりも優位な立場にあるとし、その理由は教室とい
う特殊な環境下での学習に長けているからであると、次のように述べてる。
「成人は教室という学習環境を十分に心得ている。そのような環境では、注意を払い、集中す
ることや、長時間静かに座っているといったことも、学習の要素となる」39)
第二言語の文法を身につけるには、自然的場面に頼らずとも、成人に有利な学習環境である教
室場面において、書物を用いて理解するのに十分必要な時間をかけた学習が可能である。したが
って、Steinberg は、開始年齢の違いによる文法力の到達度の差異はないとして、「文法に関して
は、母国語話者と同等レベルと判定される人々がいる。・・・したがって、第二言語の文法の学
習に関しては、臨界期が存在しないと断定して間違いない」40)と主張している。
以上の議論を踏まえて、筆者は文法は単なる無意識的な語を配列するパターンではなく、
Krashen が唱えるように文の構成に対して、自己確認・自己訂正を行う高次な機能を有するもの
であると思われる。そこでは理論的な文の構造を解釈・理解する必要があり、おのずと学習者の
一定以上の知的レベルが要求されるものであろう。また、複雑な文法を理解するためには、適切
な教材・教授者の存在が不可欠であり、教室場面での学習が必要である。そのような学習環境で
は、Steinberg が唱えたように、子どもより成人に有利な環境であり、さらに成人に備わってい
る多様な見識が複雑な文法の解説を理解する助けとなるであろう。故に、文法の学習は理解力・
見識・学習への意欲などが、ある一定レベルに達してから開始されるべきであると筆者は考える
ものである。このことから、小学校で行われる第二言語の授業において、文法の学習は慎重に扱
われるべきであると思われる。
6.むすび 小学校での英語教育は入門期にあたるので、「発話」と「語彙の拡大」を中心とした具体的で
学習者にとって理解し易い伝達内容中心の学習内容にすべきであり、「文法」を単独で取りあげ
ることはせず帰納的に習得されるようにすべきであると思われる。そのために、多様な教授法
を教師の判断で採用する折衷的アプローチがとられるべきであろう。また、反復練習を伴う音
声を中心としたもので、実物や絵などを用いて抽象的な伝達内容は避け、学習者の生活と密着し
43
大石 文朗
た具体的で興味を高める教材内容とすべきであろう。さらに、伝達内容の理解を学習内容の中心
とし、英語を「聞くこと」と「体感すること」に重点を置くべきであろう。特に初期の学習者に
は、動作が伴う命令文の学習内容が適していると思われる。
また、斉藤(1996)は、平成 7 年に全国47都道府県の公立小学校及び私立小学校へ「小学校
における英語学習の実態及び英語学習に対する意識に関する調査」を実施した。その結果、公立
394校、私立106校の回答を得た。それによると、児童にあった望ましい指導として、「ゲーム・
歌・遊びなどを中心として(公立94.0%、私立86.5%)」41)という結果であったと報告している。
さらに影浦(2000)も、子どもの遊び感覚を大事にすることが大切であるとし、次のような具
体的な学習内容の例を示している42)。
・歌詞が易しく、繰り返しが多く、体を動かしながら歌える「歌」
・発音やリズムに親しむための「チャンツ」
・子どもが日常に親しんでいる「ゲーム」
・易しい身近なことをトピックにした「クイズ」
・買い物や道案内等の「ごっこ遊び」・・・等々
・
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・
これらのように「歌」、「ゲーム」、「ごっこ遊び」など楽しさが中心になるものが現在の学習内
容の動向・主流であるといえよう。
しかし、Gunterman(1980)は、コミュニケーション能力を育成する学習内容で最も重要なこ
・
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とは、楽しさよりも学習者にとっての真実性であるとして、教室内でのコミュニケーション活動
を次のようにランク付けしている43)。
1 .クラス内での意見交換
2 .クラス外で自分の生活や体験について語ること
3 .互いの興味のあることについて語ること
4 .クラス外で外国語を使用したインタビューなどの宿題
5 .ネイティブスピーカーなどのゲストによるコミュニケーション
6 .シミュレーション
7 .役割練習
8 .ゲーム
これによると役割練習やゲームのランク付けは意外にも低くなっている。これは学習者にとっ
・
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てこれらの活動は、真実性の薄い単なるコミュニケーションごっこにしかすぎないという位置づ
けである。コミュニケーション重視の授業で重要なのは、単に現実離れした仮想の情報に基づく
・
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授業ではなく、より学習者に真実性を持たせ得る授業内容ということであろう。その真実性が英
・
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語でのコミュニケーションをより身近な存在にし、「自分を表現する一つの手段」としての位置
づけを確立していくものではなかろうか44)。今後の課題としてより具体的な「学習内容」「学習
方法」に関して言及して行きたい。
最後ながら査読者のご助言に深く感謝いたします。
44
第二言語習得における開始年齢に関する研究(その 1 )
(注)
1 )ナチュラル・メソッドとは異なるもので、Terrell がカリフォルニア大学においてオランダ
語を教える実践的な方法として1977年に提唱し、Krashen が理論化した教授法である。
2 )社会的背景の要因については、津田幸男が『英語支配の構造』第三書館1991年で、国際社会
での英語の優位性について詳しく言及している。また、石黒他が『現代英語学要説』南雲堂
1993年において、英語が国際語としての言語的地位を確立した要因を詳しく検討している。
3 )Curtain, H. & C. B. Pesola, Language and Children, Longman Publishing Group, 1994.
伊藤克敏他訳『児童外国語教育ハンドブック』大修館書店、1999年、43頁。
4 )垣田直巳監修・その他編『早期英語教育』大修館書店、1997年、35頁。
5 )久埜百合「英語の“音”に親しむために」『児童英語教育の常識』日本児童英語教育学会編、
1995年、119頁。
6 )矢次和代「外国語学習者としての小学生」『英語教育』 6 月号、1998年、17頁。
7 )鈴木孝夫『日本人はなぜ英語ができないか』岩波新書、2001年、116頁。
8 )東照二『バイリンガリズム』講談社現代新書、2000年、94頁。
9 )Penfield, W. & L. Roberts, Speech and Brain-mechanisms , Princeton University Press, 1959,
p.233.
上村忠雄・前田利夫訳『言語と大脳』誠信書房、1965年、237頁。原書にあたり原文と照合
して内容を確認した後、訳文を用いた。以降の本書からの引用も同様である。
10)同上、p.238、訳書243頁。
11)養老孟司『唯脳論』ちくま学芸文庫、2000年、143頁。
12)Penfield, W. & L. Roberts, 前掲書 9 )、p.255、訳書262頁。
13)同上、p.255、訳書261頁。
14)Penfield(1966)は、脳外科手術による子供と大人の言語の回復力には差があり、その差は
脳皮質の柔軟性からきているものだと結論づけた。そして、この仮説を言語習得にもあては
め、 9 歳ごろから脳皮質の柔軟性が失われ新たな言語習得が困難になるという臨界期説を唱
えた。また、Lenneberg(1967)は、子供と大人の失語症患者の言語回復の差によって得ら
れたデータによって、生物学的に言語習得が可能なのは脳の一側化が完了する思春期前後ま
でとする臨界期説を唱えた。
15)植村研一「外国語学習は何歳まで可能か」『英語教育』 6 月号、1998年、13頁。
16)Krashen, S. D. & T. D. Terrell, The Natural Approach , Prentice Hall, 1983, p.45.
藤森和子訳『ナチュラル・アプローチのすすめ』大修館書店、1986年、55頁。原書にあたり
原文と照合して内容を確認した後、訳文を用いた。以降の本書からの引用も同様である。
17)同上、pp.45-46、訳書55-56頁。
18)Krashen のモニター理論では、学習者は第二言語を自己確認・自己訂正することによって、
大石 文朗
45
学習量を拡大・縮小していく制御機能を有しているとしている。
19)Krashen, S. D. & T. D. Terrell, 前掲書16)
、pp.46-47、訳書56-58頁。
20)Steinberg, D. D., An Introduction to Psycholinguistics , Longman, 1993, p.185.
竹中龍範、山田純訳『心理言語学への招待』大修館書店、1995年、208頁。原書にあたり原
文と照合して内容を確認した後、訳文を用いた。以降の本書からの引用も同様である。
21)同上、p.208、訳書232頁。
22)同上、pp.185-186、訳書208頁。
23)白畑知彦、樋口忠彦他編『小学校からの外国語教育』研究社出版、1997年、103頁。
24)Penfield, W. & L. Roberts, 前掲書 9 )、pp.250-251、訳書256-257頁。
25)植村研一、前掲書15)、12頁。
26)苧阪直行『心と脳の科学』岩波ジュニア新書、2000年、135-136頁。
27)時実利彦『脳の話』岩波新書、1962 1 年、2000 62 年、174頁。
28)Krashen, S. D. & T. D. Terrell, 前掲書16)
、p.56、訳書68頁。
29)同上、p.41、訳書48頁。
30)Steinberg, D. D., 前掲書20)
、p.207、訳書230-231頁。
31)同上、p.207、訳書231頁。
32)垣田直巳監修・その他編、前掲書 4 )、41頁。
33)Penfield, W. & L. Roberts, 前掲書 9 )p.257、訳書263-264頁。
34)澤口俊之『幼児教育と脳』文藝春秋、2000年、127頁。
35)Krashen, S. D. & T. D. Terrell, 前掲書16)
、p.26、訳書28頁。
36)同上、p.26、訳書28頁。
37)同上、p.26、訳書28頁。
38)Steinberg, D. D., 前掲書20)
、p.214、訳書238頁。
39)同上、p.215、訳書239頁。
40)同上、p.216、訳書240頁。
41)斉藤英行「小学校英語教育についての意識調査から」『英語教育』10月号、1996年、28頁。
42)影浦攻「小学校でできる国際理解と英語活動」『英語青年』12月号、2000年、 9 頁。
43)Gunterman, G., Factors in Targeting Proficiency Levels and an Approach to Real and Realistic
Practice , SSLA, 1980, pp.34-41.
44)大石文朗「大学の英語教育における ESP(English for Specific/Special Purpose)に関する考察
・・・小・中・高校での英語教育をふまえて」
『江南女子短期大学紀要第27号』1998年、1-10頁。
大石文朗
〒489−8086 愛知県江南市
高屋町大松原172番地
愛知江南短期大学
教養学科
愛知江南短期大学
紀要,35(2006)
47−57
『史記』の歴史観に関する覚書
柴 田 昇
A Note on the Idea of History in“Shiji”
Shibata Noboru
1、はじめに
本稿は、『史記』において描かれている歴史像の全体的な性格を把握するための、初歩的な視
点を提示しようとするものである。
『史記』の成立には、複雑な伝承・編集の過程が存在すると考えられるのであり、一貫した編
集意図や歴史思想の存在を自明の前提として議論を進めることには注意が必要である。しかし
同時に、『史記』という書物が、原資料をそのまま並べるのではなく、ある立場と意識に基づい
て資料の取捨選択と配列・記述を行って一つの歴史像を構築しようとしている面があることも明
らかだろう。「編集意図」にも様々なレベルがあるのであり、藤田勝久が自覚的に提起している
ように、多くの事実の中からいくつかの史実を選び取り配列する、その選択と配列の仕方に『史
記』の歴史観を見出すことは可能と思われる 1。そして個々の歴史的事象に関する事実関係を確
定することとは別に、『史記』がその内的世界の中で主張しようとした事実関係の性格を把握す
ること、換言すれば、『史記』の歴史叙述を支えている世界観の骨格を明らかにすることは、独
自の意味を持つ課題たり得るのである。
出土資料の増加により、伝世文献史料の意味を相対化して考えることが可能になった今、あ
らためて『史記』の内的世界の構造に関する若干の推論を提出するのが、本稿の基本的目的であ
る。
2、『史記』本紀の性格
『史記』は、本紀・表・書・世家・列伝の五要素によって構成されているが、これらのうちで、
『史記』の歴史像の最も基本的な筋道を示しているのは「本紀」である。
王迹の興るところ、始を原ね終を察し、盛を見、衰を観、之を行事に論じ考う。略ぼ三代
を推し、秦漢を録し、上は軒轅を記し、下は茲に至る。十二本紀を著す。
(太史公自序)
本紀とは、黄帝から司馬遷の生きる漢武帝期までの王者の業績と盛衰を記す部分であり、五
48
『史記』の歴史観に関する覚書
帝・夏・殷・周・秦・秦始皇・項羽・高祖・呂太后・孝文・孝景・孝武の順に配列されている。
そして『史記』の本紀に見られる王者の系譜は、基礎的な事実として前近代中国の知識人の思
考・歴史意識を規定し、またそれは近代の研究者にとっても基本的枠組みとして強い規定力を
持っている。たとえば近年よく話題にされる「夏王朝」の実在に関しても、考古学的発見に対し
て、それを「夏王朝」であると定義する根拠は要するに『史記』の記述なのである 2。
さてこのような本紀の構成を見たとき、まず気づくのは本紀が、前半の王朝名・家系を表題
とするものと、後半の個人名を表題とするものに分かれることだろう。五帝本紀から秦本紀まで
は、中華世界の帝王とされる人々の歴史が、王朝単位、すなわち王となった人物の家系単位で記
述される。それに対して秦始皇本紀より後は、個人名が前面に出され、王者一代の事跡を述べる
ことが記事の中心となる。そして王者の記録としての本紀という観点からこのような構成を見た
とき特に問題となるのは、表題が王朝名から個人名に切り替わる位置に置かれた秦・秦始皇・項
羽という三つの本紀の存在である 3。
まず『史記』では秦本紀と秦始皇本紀がそれぞれ独立してたてられている。秦始皇帝は中華世
界の統一者であり、本紀に列されるのは妥当と考えてよい。それに対して秦本紀は一諸侯に過ぎ
ない秦の歴史を述べた部分であり、世家に列するのが妥当との意見は古くからある。これに関し
て、本紀の記述原理についての内藤湖南の理解は示唆するところが多い。
元来司馬遷の本紀は、古へ人民に功徳のあつた人及びその子孫が帝王となつて国を享ける
意味を表はしたのである。周や秦のことを書くのに、一統以前の事にまで遡つて書くのは、
後世一統の天子の起るのは、祖先の功徳に因るものと見るからであつて、史通の如く本紀を
以て後世の単なる編年体の歴史と同一視するのは不可である 4。
また吉本道雅は、秦本紀の存在を、帝王の治世のみでなくその家系を記述対象とする『史記』
の発想からして当然存在すべきものであるとする。そしてその背景には、一個の家系が王朝・
諸侯として継続するにはその先祖に何らかの功徳があったはずという認識があったことを指摘す
る 5。漢代以前においては個人ではなく一つの家系こそが叙述の対象だったとの理解は示唆的で
ある。ただ秦本紀・秦始皇本紀が分かれて存在する意味については、吉本自身も記しているよう
に十分な説明には至っていないようであり、なぜ秦本紀と秦始皇本紀が分立しているのかは明ら
かではない。体例から言えば、あるいは周代までの例にならって始皇帝の事跡も含めた秦本紀を
立てることがより妥当との理解もありえよう。
また、項羽本紀の存在についても問題があり、確かに項羽は秦の滅亡から漢の成立までの政治
過程において重要な存在だったが、項羽自身がその期間王・皇帝として君臨したわけでは必ずし
もない。項羽は、その活躍した期間の多くに、戦国楚王の末裔である懐王、後の義帝を名目上の
君主として戴いていた。これに関して竹内康浩は項羽本紀の賛を根拠として次のように論じる。
…秦を滅ぼしその後の態勢の基礎を作ったのは(劉邦ではなく)項羽である、と司馬遷は
考えているということになる。それ故、積極的な意味での「功績」ではないにしても、庶民
から出て王朝支配をひっくりかえした古今未曾有の人物という点を評価した、というのが司
柴田 昇
49
馬遷の本意であろう。そして、司馬遷はやはりそうした項羽の業績や運命に人知を越えた何
ものかを感じていたのではあり、それ故の本紀扱いなのではないかと考えられる。そうした
意味では、司馬遷の考える本紀は、その後の歴史書の本紀に比べ、さらに広いものを含んで
いたと言えよう 6。
秦を滅ぼし後世につながる基礎的体制を作った、即ち歴史的な画期を作ったのが項羽であると
いう認識を司馬遷が持っていたとの指摘は首肯できる。竹内によれば、項羽が自身は中華世界を
支配する帝王ではなかったにもかかわらず本紀に列されているのは、項羽という人物の存在こそ
が歴史の転換点であるという、太史公の認識を何らかの形で反映しているのである。しかし問題
はその「評価」の内実、さらに言えば、太史公の認識・評価を支える論理とは何かということだ
ろう。「人知を越えた何ものか」「さらに広いもの」とはいったい何なのか。
これに関連して藤田勝久は、徳ある王が天命を受け、徳がなくなると天命は移ると位置づけ
る一種の運命観に基づいて『史記』の記述が成立しているとし、「始皇帝は先祖の天命を受けて
統一の偉業を成し遂げながら、諫言を聞かない不徳により衰退への転換をむかえ、さらに二世
皇帝・子嬰の不徳によって、滅亡は決定的になると位置づけている」とする 7。そして項羽本紀
も「著作の体例にあわない一篇ではなく、むしろ王者の紀年を重視し、天命と地上の行為の関
連を原理として示そうとする太史令の立場からすれば、本紀にすることが必然であった」とす
る 8。藤田によれば、本紀に反映されているのは「天命」の移動過程であり、「天命」のごとき人
知を超えたものと、地上における人間の行動との関連が、王者・王朝の興亡を形作ってゆくと
される。
上に見たように、近代の研究者の多くは、帝王に値しない者が本紀に列されていることをた
だ批判するのではなく、そのような現象を『史記』の編集意図や思想と関連させて理解しようと
してきた。本節でここまで見てきたのは『史記』をめぐる日本におけるごく一部の研究成果のみ
であり、取り上げるべき先学の業績はこれのみにとどまらないのであるが、それらをある程度網
羅的に検討する作業は別稿に譲らざるを得ない。ここでは、本稿で問題とするテーマに対する理
解の仕方として、筆者が継承すべきと考えている先行研究の基本的な考え方を提示したのみであ
る。『史記』本紀においては、王者が王者たることを説明する原理となっているのは、先祖の功
徳と、「天命」等人知を超えた世界とのつながりであり、それらと王者個人の行動が絡み合う中
に『史記』の歴史叙述が成立しているのではないかと推定されるのである。以下、『史記』にお
いて物語られている歴史の像を、本紀を中心に再構成してゆこう。
3、系譜的世界
秦始皇帝以前における『史記』の主要登場人物は、多くの場合血縁によって結びつけられて
いる。『史記』の内的世界は、黄帝を起点とする血縁的系譜の流れとともに展開する世界である。
その世界の中では、王たる者は膨大に枝分かれしながらも起点を一にする血縁的系譜の中に属
していなくてはならなかった。そして王に準ずる存在もその多くは同一の系譜上に位置づけられ
50
『史記』の歴史観に関する覚書
ている。しばしば指摘されるごとく、帝王が帝王たり得る原因の一つに、「先祖の功徳」があり、
帝王は優れた業績を残した帝王の系譜の中からしか生じえないものなのであった 9。本稿におい
ては、このような血縁による王侯間のつながりを基本的な枠組みとする世界のことをとりあえず
「系譜的世界」と読んでおこう。本節では、まず黄帝以来の系譜的世界の像を素描してみたい 10。
神農氏に代わって諸侯に推された黄帝は、上に述べた系譜的世界の出発点である。黄帝には
二五子があったが、黄帝を継いだのは孫に当たる
であった。
の子孫は庶人となり、黄帝
の流れをくみながらも系統を異にする帝 が後を継いだ。帝 の後を承けたのは、子の帝堯であ
ったが、さらにそれを継いだのは、
の末裔たる虞舜であった。以上のように、いわゆる五帝
は全て黄帝から始まる系譜の一部に位置付けられる者であり、王位の父子間継承は原則化されて
いなかったが、その継承は全て黄帝を起点とする血縁的系譜の中で行われた。
この系譜的世界は、五帝の時代が終わって三代に入っても、様々な形で継続する。虞舜に位を
譲られ夏王朝を開いたとされる禹は、やはり
の末裔であった。夏に代った殷の祖は契とされ
るが、その母は帝 の次妃とされる簡狄である。そしてまた殷に取って代わる周の祖とされる后
稷も、その母は帝 の元妃たる姜原であった。いわゆる夏殷周三代も、黄帝に始まる系譜的世界
の中で展開するものと、『史記』においてはとらえられていた。この点は、周を滅ぼし皇帝支配
を開始した秦においても同様である。女脩は
の末裔であり、その子である大業と、皇帝の父
である少典氏の末裔たる女華の間に生まれたのが、 氏の祖たる大費であった。
上述の系譜的関係は、いわゆる中華の世界のみにとどまるものではない。『史記』は、一般に
夷狄とされる周辺諸民族の起源も中華世界とのかかわりで説明する。たとえば呉は、春秋末期に
勃興した南方の一大勢力として『左伝』などの古典に登場するが、その政治・社会の具体像は伝
世文献資料からは明らかにし難い。しかし、『史記』においてはその来歴が中国由来であること、
具体的には、呉の祖である太伯が、また子の無かった太伯を継いだ仲雍が、いずれも周王とその
祖を一にしていることは、自明の事実として記されるのである。このほかにも匈奴を夏の末裔と
する記述もあり、『史記』の内的世界においては、中華世界の王が一つの系譜の中から生み出さ
れるものとされていたように、中国周辺世界の王にもその原則は同様に適用されていた。
上述の如く、『史記』においては黄帝を起点とする系譜的世界は夏殷周三代においても継続し、
血縁的関係も重要な機能を果たし続けるのであるが、ここで注意しておく必要があるのは、中華
世界の王の出現にかかわる男系の切断の問題、いわゆる感生帝説話の問題である。
殷の契は、母を簡狄と曰う。有戎氏の女にして、帝 の次妃たり。三人行きて浴し、玄鳥
の其の卵を堕せるを見、簡狄取りて之を呑む。因って孕みて契を生む。 (殷本紀)
周の后稷、名は弃、其の母は有 氏の女なり。姜原と曰う。姜原は帝 の元妃たり。姜原
野に出で、巨人の跡を見る。之を踐まんと欲す。之を踐みて身動き、孕める者の如し。居る
こと期にして子を生む。 (周本紀) 秦の先は、帝
の苗裔なり。孫を女脩と曰う。女脩織るとき、玄鳥、卵を隕す。女脩之
を呑み、子大業を生む。 (秦本紀)
柴田 昇
51
殷の祖である契の母は帝 の次妃簡狄であったが、父は帝 ではなかった。周の祖である后稷
の母は帝 の元妃姜原であったが、父はやはり帝 ではなかった。秦の祖である大業の母は
の末裔たる女脩であったが、父はいない。契・后稷・大業という三人の、後に中華世界の支配者
となる王朝の起源ともいうべき人物たちは、いずれも人間の父を介することなく、巨大な足跡や
鳥の卵に感じた母から生まれたとされるのである。各本紀に見えるこれらの記述からすれば、三
者いずれも、男系はいったん切断されていると言わなければならない。
黄帝以来の系譜は、夏王朝の成立までは男系の流れとしてその機能を果たしている。しかし、
ある時から、それは単純な形では機能しなくなる。その末裔が王者となる者は、異常懐妊によっ
て、それ以前の男系に基づく系譜から差異化されていたことが明らかにされるのである。ただし
その際には、黄帝以来の血縁的系譜となんらかの関係をもつ女性が媒介者として常に存在するの
であって、そのためそこで発生する断絶は完全なものとはならない。
感生帝説話の原型は『詩経』の段階ですでに見え、『呂氏春秋』『楚辞』等にも関連する記述
がある。それが『史記』の段階までにどのような過程を経て変遷してきたのかは十分明らかにで
きないが、『史記』にみえる感生帝説話が同時代のある程度一般性をもった認識に依拠した記述
であることは推測可能であるように思われる。異物に感じて帝王を孕む感生帝の説話は、従来の
帝王の系譜に新しい要素が混入し、世界の支配を更新するような力をもつ新しい王者の誕生へ向
かうプロセスを象徴的に示すものであり、武力革命の背景に、個々の「祖先の功徳」を超えた現
象が介在するという思想的立場を明らかにするものなのかもしれない。少なくとも、『史記』の
作者が世界の変動に対し感生帝という要素の強い影響を認めていたことは否定し難いだろう。い
ずれにせよ、『史記』の内的世界においては、王朝の成立や王朝間の革命の発生に関して、男系
の切断と女性による神的な世界との媒介という一般的法則が想定されていたと考えられるのであ
る。
4、秦始皇本紀の性格
始皇二十六年、秦は斉を滅ぼして天下統一を成し遂げた。秦始皇本紀によれば、その際の政策
論議の中で丞相王綰等は「諸侯初めて破れ、燕・斉・荊の地は遠し。為に王を置かざれば、以て
之を填むることなし。請う、諸子を立てんことを」として、各地に王を立てての封建的統治を主
張した。
これに対して廷尉の李斯は、周が子弟を封建したことの失敗を例に挙げ、「今海内は陛下の神
霊に頼りて一統され皆郡県と為」り、そのようにすることこそが「安寧の術」であるとする。そ
して始皇帝は李斯の議を是とし、天下を三十六郡に分けて、いわゆる郡県制の全面的施行を断行
した。秦始皇本紀は、始皇三十四年にも淳于越と李斯の間で同様のテーマに関する論争があった
ことを伝えるが、そこでも始皇帝によって支持されたのは李斯の意見だった。
以上の過程の中で、世襲的・自立的性格の強い諸侯の存在に大きな比重を置く封建制的体制が
否定され、「諸侯を以て郡県と為す」郡県制が確立し、始皇帝という一人の王によって一元的に
52
『史記』の歴史観に関する覚書
支配される世界が成立することになった。始皇帝は前節で触れたように、大費の末裔であり、ひ
いては
の流れをくむ者とされていた。
の末裔は、女脩が鳥の卵に感じることを経て、中
華世界の支配を更新する新しい王者として再生・降臨したのである。
しかし、始皇帝の帝国は世界の一元化を永遠に維持し得るものではなかった。いや、そもそも
始皇帝は本当に黄帝の流れをくむその末裔だったのだろうか?この問題について、『史記』の記
述は必ずしも明瞭ではない。関連する部分をあげておこう。
荘襄王、秦の為に趙に質子たり。呂不韋の姫を見、悦んで之を取る。始皇を生む。秦の昭
王四十八年正月を以て邯鄲に生る。生るるに及びて名けて政と為す。
(秦始皇本紀)
呂不韋、邯鄲の諸姫の絶好にして善く舞う者を取って與に居る。身める有るを知る。子
楚、不韋に従うて飲む。見て之を悦び、因って起って寿を為し、之を請う。呂不韋怒る。念
うに業に已に家を破り子楚の為にするは、以て奇を釣らんと欲すればなりと。乃ち遂に其の
姫を献ず。姫自ら身める有るを匿す。大期の時に至り、子政を生む。子楚遂に姫を立てて夫
人と為す。 (呂不韋列伝)
秦始皇本紀では、子楚と政の親子関係にことさら疑問が提示されることはない。しかし呂不韋
列伝では始皇帝の実の父親が呂不韋である可能性が強く示唆されている。すなわち、子楚が呂不
韋から譲り受けた姫は、その時点で呂不韋の子を身ごもっていたことを隠していたとされるので
あり、とすれば後にこの姫が生んだ子が、実は呂不韋の子である可能性は非常に高いことになる
だろう。
野口定男はこの問題について、伝では始皇帝の真の父が呂不韋とも読めるように記述されて
いるが、史官たる司馬遷の文章としてはいささか曖昧なものになっていることを指摘し、その
理由を、呂不韋が始皇の父と断定するには裏付ける史料が不足していたためではないかと推測す
る11。穏当な理解である。しかし本稿で論じてきた系譜的世界の構図を念頭に置けば、呂不韋と
始皇帝の関係は『史記』の内的世界においてより重要な意味を持つ事象と考えることも可能だろ
う。
筆者は、『史記』呂不韋列伝において記される始皇帝の出生に関する説話を、司馬遷によるこ
の問題への端的な疑問の表明と考える。子楚までの秦王の系譜と始皇帝とのつながりについて、
司馬遷は十分な信頼感を持つことができなかった。そして『史記』が帝王の出現に先祖の功徳
や神的世界とのつながりの存在を前提とする限り、これは基礎的な歴史観に関わる重大問題であ
り、その疑念は『史記』の中に何らかの形で表現されねばならなかった。いわば呂不韋列伝は、
本紀の構成に対する一種の謎解きとして機能しているのである。そしてそのように考えれば、
『史記』の提示する歴史像の中で、始皇帝という存在の持つ意味も明確になってくるのではない
か。始皇帝とは、黄帝の末裔を僭称する、男系的系譜の切断の結果出現した君主なのである。
ここにおいて、秦始皇本紀が秦本紀から独立している理由の一つが推測可能となる。上述し
た、王朝の成立や王朝間の革命の発生に関する男系の切断と女性による神的な世界との媒介と
柴田 昇
53
いう一般的法則は、始皇帝に当てはまるものなのかどうか、『史記』の作者はそれに対して否定
的な理解をしているのであり、始皇帝は、黄帝の末裔として六国に対峙していた歴代の秦王とは
そもそも異質な存在なのであった。史実として始皇帝は確かに巨大な仕事をし卓越した業績を有
する人物であり、それを排除した歴史叙述は成り立ち得ない。しかしその存在が成立する過程に
は、傑出した「先祖の功徳」も、感生帝説話も介在していない。始皇帝の存在は限りなく不安定
である。秦の滅亡は、中華世界における古代以来の王侯系譜、換言すれば本稿でいう「系譜的世
界」がいったん消滅したことを意味するが、実はそれは始皇帝が旧六国を滅ぼした時すでに消滅
していたのかもしれないのである。そしてそうであるとすれば、二世皇帝以後の顛末が秦始皇本
紀の一部とされていることもまた必然的だろう。秦始皇本紀とは、いわば黄帝の末裔を僭称する
一族の記録なのであった。
5、項羽と劉邦
秦が滅亡に至る過程を述べるにあたって『史記』が中心人物と位置づけたのが項羽である。項
羽本紀の中に陳嬰による次のような言葉が記されている。
項氏は、世世将家にして、楚に名有り。今、大事を挙げんと欲するに、将、其の人に非ざ
れば不可なり。我、名族に倚らば、秦を滅ぼさんこと必せり。
項羽という人物は、楚に将の家として知られた系譜に属する人物であり、周囲に集まっている
人々も、項羽個人の能力と同時に、その背後にある系譜的関係への信頼を媒介として結集してい
る。ここでも、かなり小規模ではあるが、男系的原理は引き続き強調されている。そもそも項羽
の軍団が衆望を得たのも、楚の子孫を立てて王とし楚国を復興しようとしたからであり、黄帝以
来の系譜的世界は項羽の活動の背後にあって強い規定力を持ち続けている12。
項羽本紀によれば、まず彼は、楚国復興を旗印に著しい軍事的成果を挙げ、さらに劉邦が安置
した秦の都を徹底的に略奪・破壊する。また「天下を分裂し、而して王侯を封」じ、封建制的体
制の再生に取り組む。しかしさらに後には、「義帝を放逐し、自立」することで帝の権威を失い、
その結果政権は求心力を喪失し、最終的には劉邦によって滅亡させられるにいたる。いわば項羽
は、系譜的世界の再生をもくろむことにより中華世界の中心に躍り出た。しかし政治的中心とし
ての項羽は、やがて名実ともに王として君臨することを目指すようになり、結局その試みは短期
間で挫折する。
項羽の急速な勃興を『史記』は次のように評する。
夫れ秦、其の政を失い、陳渉難を首め、豪傑 起し、相い與に並び争うもの、数うるに勝
う可からず。然れども羽尺寸を有つに非ずして、勢いに乗じ隴畝の中より起こる。三年にし
て、遂に五諸侯を率いて秦を滅ぼす。天下を分裂し、而して王侯を封ず。政は羽より出で、
号して覇王と為す。位終わらざると雖も、近古以来未だ嘗て有らざるなり。
(項羽本紀)
項羽は多くの豪傑が蜂起する中で、何ら基盤を持たずにたちまち頭角をあらわし、秦を滅ぼし
54
『史記』の歴史観に関する覚書
天下に号令して覇王となったが、このようなことは前例がないという。そしてこのような項羽の
驚異的な業績が可能になった理由を説明するのに、『史記』は次のような説明を動員する。項羽
本紀の末尾で突如として、一つの目に二つの瞳という身体的特徴によって、項羽と舜とのつなが
りが暗示されるのである。
太史公曰く、吾之を周生に聞く、曰く、舜の目は蓋し重瞳子なりと。また聞く、項羽もま
た重瞳子なりと。羽は豈に其の苗裔ならんか。何ぞ興ることの暴かなるや。
(項羽本紀)
項羽は、古帝王の一人である舜と同じように、一つの目に二つの瞳を持っていたとされる。項
羽の速やかな勃興は、彼が舜の末裔である可能性が暗示されることによって、理解可能なものと
して『史記』の中に位置づけられる。項羽を排除しては、この時期の中華世界の動向は説明し難
い。そしてそれが「項羽」本紀という形で立てられていることは、一つには権力の実質的な所在
によるものであったろうが、もう一つ、項羽が舜の末裔との伝承を持つ存在だったことも関係し
ていただろう。筆者は、項羽が本紀に列された根拠の少なくとも一つを、黄帝以来の系譜的世界
とのつながりに見たい。
しかし、史官としての司馬遷の精査によっても、項羽を黄帝に始まる系譜と結びつける材料は
ごくわずかしか発見できなかった。『史記』の内的世界においては、項羽は黄帝の末裔であるこ
とを暗示される存在にとどまっている。黄帝以来の系譜的世界は項羽の行動を規定したが、項羽
個人はその末裔という自らの位置を十全には示すことのできない、傑出した先祖の功徳や、異常
な生誕による他者との差異化があったことを確定できない存在なのであった。
始皇帝の場合と同じように、『史記』の内的世界における項羽の存在はやはり不安定である。
項羽本紀とは、いわば、五帝の末裔としか考えられないような業績を上げそれを示唆する身体的
特徴を有していながら、その系譜上の位置を確定する根拠を持ち合わせない存在に関する本紀な
のである。
始皇帝・項羽に代って新しい世界を構築する役割を負わされるのが劉邦である。高祖本紀冒頭
部の記事を見よう。
高祖は、沛の豊邑中陽里の人なり。姓は劉氏、字は季。父を太公と曰い、母を劉媼と曰
う。其の先、劉媼、嘗て大澤の陂に息い、夢に神と遇う。この時雷電して晦冥なり。太公往
きて視れば、則ち蛟龍を其の上に見る。已にして身める有り。遂に高祖を生む。
「太公」は父に対する尊称、「劉媼」は劉ばあさん程度の意味であり、正確な名前はわからな
い。劉邦は、漢帝国の開祖でありながら父母の名さえも明らかではない、古い系譜的世界から完
全に切断された存在だった。
そして高祖本紀はこの後に「仁にして人を愛し施しを喜」む劉邦のキャラクターと同時に、そ
の異能を伝える様々な伝承を記す。例えば飲み屋で眠りこける劉邦をみた店の主人は「其の上
に常に龍有るを見、之を怪」しんだという。また劉邦は独自の雲気を持つ人物と認識されていた
ようであり、始皇帝は「東南に天子の気有り」といい、妻の呂后は山中に隠れた劉邦に対して、
柴田 昇
55
「季の居る所の上に常に雲気あり。故に従い往き常に季を得たり」と言ったとされる。項羽本紀
には范増の言として「吾、人をして其の気を望ましむるに、皆、龍虎にして五采を成すと為す。
此れ天子の気なり」とある。『史記』の内的世界において劉邦を支えるものは、個人的人格的能
力と、龍の子とされ独自の雲気を有することに象徴される異能性に限定されており、そこに黄帝
の系譜とのつながりを見出すことはできない。これ以前の感生帝説話とは異なった、旧来の帝王
の系譜とは無関係な新しい感生帝説話がここに生みだされた。そして漢帝国という、劉氏によっ
て継承される新しい系譜的世界がスタートすることになる。
ただここでも、王朝の成立や王朝間の革命の発生に関する男系の切断と女性による神的な世界
との媒介という一般的法則が貫かれていることには注意が必要である。すなわち劉邦の母は蛟龍
に感じて異常懐妊したとされるのであり、漢帝国の成立においても、黄帝以来の系譜的世界のそ
れと共通する血縁的系譜関係と性役割の構図を見出すことができるのである13。
ここまで論じてきたことをまとめておこう。『史記』は中国の歴史を、男系の切断と女性によ
る神的な世界との媒介による王朝交代・革命の発生という一般的法則が貫かれる世界としてと
らえている。そしてそこで描かれている歴史像は、二つの大きな時代の交代として理解できる
だろう。前半は、五帝に始まりその筆頭である黄帝の系譜的関係の中で展開する旧世界の時代
である。後半は、劉邦に始まり司馬遷の時代においても継続中の漢の時代である。劉邦は、『史
記』において、彼自身から始まる新しい系譜的世界の祖として、黄帝とならぶ存在と位置づけ
られることになった。漢帝国は、劉氏でなくては王になれない、劉邦を起点とする血縁の帝国
である14。始皇帝と項羽は、旧世界の残滓を身にまといながら、しかも上記の一般法則の埒外に
あって、この二つの時代をつなぐまさに結節点に位置している。
このような観点から見れば、『史記』に秦始皇本紀・項羽本紀のある理由もあらためて推定可
能となるだろう。始皇帝は、黄帝の末裔たることを確定できないあいまいな存在であり、秦本紀
に秦の王たちと同列に並べることはできなかった。始皇帝の天下統一という事実は、そのような
人物から始まる家系の記録を要請し、そのため秦始皇本紀は独立して存在することになった。
項羽もまた、黄帝の系譜上にあることを証明し難い不安定な存在だった。しかし項羽は、舜の
末裔と考えられる身体的特徴をもっていた。『史記』は、項羽の軍事的成功を、舜の末裔という
背景を有する可能性を持つものとして理解したのであり、それは項羽が本紀に列される一根拠と
なった。
司馬遷は、黄帝と劉邦から始まる二つの系譜的世界と、その間をつなぐ過渡的世界を基本要素
として、『史記』の歴史像を構築した。そして過渡的世界を構成する二つの本紀、すなわち黄帝
以来の系譜に属することが十全には証明できない秦始皇・項羽に関する本紀は、それ以前のもの
と異なり、系譜の一表現たる王朝名ではなく、個人の人物名を表題に掲げられることになったの
である。
56
『史記』の歴史観に関する覚書
6、結びにかえて
本稿では、『史記』という書物が構築されるに当たりその骨格を成した最も基本的な歴史観の
あり方を、本紀の構成をたどる中で推論してきた。『史記』は黄帝と劉邦から始まる二つの系譜
的世界と、その間をつなぐ過渡的世界を基本要素として成立している書物である。いわば『史
記』における歴史は、一つの系譜の中で展開された王位の交代史がいったん崩壊し、若干の過渡
期を経て新しい系譜的世界が成立することを寿ぐ、再生の物語として構築されていると言えるだ
ろう。そういった意味から、『史記』の執筆の目的が基本的には漢王朝賛美にあるとする説は妥
当と考える。劉邦は、『史記』の内的世界においては、古い系譜的世界の祖である黄帝と並び立
つ新しい世界の起源として位置づけられている。
ここで、呂太后本紀について付言しておく必要があるだろう。呂后は漢の高祖劉邦の糟糠の妻
だが、高祖の死後帝国の実権を握り、『史記』においては名目上の皇帝をさしおいて本紀に列さ
れている。筆者は呂后を、劉邦に始まる新しい系譜的世界の攪乱者・破壊者として出現したもの
と位置づけたい。呂太后本紀には呂后がさまざまな手段で劉氏の系譜を縮小し、呂氏を高位に列
して行こうとする記事が頻見する。司馬遷は呂后を、劉氏にかわるさらに新しい系譜的世界の開
祖になろうとし、実現の可能性も手中にしながら、その構想の頓挫した人物として位置づけてい
るのであり、それ故に本紀に列されているのだと考えてみたい。
本稿は、「系譜的世界」という概念を用いて『史記』の歴史観を提示しようとしたが、『史記』
が現在見られる形で存在していることの背景には、本稿では論じ得なかったその他の多くのファ
クターがあると考えられるのであり、ここで示し得たものは『史記』という多面的構築物のごく
限られた側面にとどまるだろう。また、近年の出土史料の急増により戦国秦漢史研究は新しい段
階に入り、伝世文献資料の記述を出土史料によって相対化して理解する試みも様々な角度から行
われている。しかしそのような状況においても、前漢中期以前の中国史を構想する時『史記』が
持つ資料的価値は未だ揺らぐことはなく、われわれは中国古代史を『史記』というフィルターを
通して考えてゆかざるを得ない。本稿はそのフィルターそのものの性格を理解しようとするごく
初歩的な試みであり、多くの推測を含む現段階におけるとりあえずの覚書に過ぎない。
1
藤田勝久『史記戦国史料の研究』(東京大学出版会、1997)474頁。
2
夏王朝についての概観と研究の現状については、岡村秀典『夏王朝 王権誕生の考古学』(講
談社、2003)。
3
伊藤徳男「『史記』本紀の構成」(『東北大学教養部紀要』15、1972)では問題をはらむ篇とし
て五帝本紀・秦本紀・項羽本紀・呂后本紀が挙げられている(59∼63頁)。また伊藤徳男『史
記の構成と太史公の声』(山川出版社、2001)にも本紀の構成に関する簡明な言及があり参照
すべきである(56∼62頁)。
柴田 昇
57
4
内藤湖南『支那史学史』(『内藤湖南全集』十一巻、筑摩書房、1969、1949初出)122頁。
5
吉本道雅『史記を探る』(東方選書、1996)200∼201頁。
6
竹内康浩『「正史」はいかに書かれてきたか』(大修館書店、2002)66頁。
7
藤田勝久「始皇帝と秦王朝の興亡−『史記』秦始皇本紀の歴史観−」(『愛媛大学人文学会創立
二十周年記念論集』1996)147頁。
8
藤田勝久「『史記』項羽本紀と秦楚之際月表−秦末における楚・漢の歴史評価−」(『東洋史研
究』54−2、1995)52頁。
9
これについては前節で若干触れた。それ以外にたとえば稲葉一郎『中国の歴史思想』(創文社、
1999)第二章では、「王者はいずれも聖賢またはその苗裔に属し、その位はその祖先または当
人が善徳・善行を積み、その積み重ねの報賞として子孫または当人に与えられるものと考えら
れた」(110頁)とする。
10
本節の議論と深く関連するものとして、高木智見『先秦の社会と思想−中国文化の核心』(創
文社、2001)第一部をあげておきたい。また柴田昇「血族と歴史の原像−高木智見著『先秦の
社会と思想−中国文化の核心』を読む−」(『名古屋大学東洋史研究報告』29、2005)でも、本
稿と関連する若干の議論を行った。
11
野口定男「始皇帝の出生と呂不韋」(『史記を語る』研文出版、1980、1959初出)191∼192頁。
12
項羽本紀には范増の言として「今、君、江東に起こり、楚の 午の将、皆争いて君に附きし
は、君世世楚の将たりて、能く復た楚の後を立つと為すを以てなり」とある。
13
安居香山「感生帝説の展開と緯書思想」(『緯書の成立とその展開』後篇第三章、国書刊行会、
1979)は、高祖を殷・周・秦の始祖並みの位置に置くために感生帝説の付与が必要とされたと
する(421∼422頁)。
14
『史記』呂后本紀には、劉邦が諸侯と結んだ盟の言葉として「劉氏に非ずして王たれば、天下
共に之を撃て」とある。また同本紀中で、呂后も高祖の約の中に「劉氏に非ずして王たる者
は、天下共に之を撃て」とあったことに言及している。
〔付記〕
本稿は2003年度愛知江南短期大学特別研究費による研究成果の一部である。
柴田 昇
〒489−8086 愛知県江南市
高屋町大松原172番地
愛知江南短期大学
教養学科
愛知江南短期大学
紀要,35(2006)
59−94
介護福祉学科で学ぶ学生の高齢者意識の実態と
介護福祉教育の課題
伊 藤 和 子
Issues of Care Work Education and Realities of
Elderssense for Care Work Students
Kazuko Ito
序論
1.研究の意義と目的
介護福祉教育は福祉系四年生大学、短期大学、専門学校等で広く行われている。短期大学は四
年制大学と専門学校の中間に位置し、介護福祉教育の量と質に関わる重要な役割、機能を果たす
ことが社会的に期待されている。本稿は介護福祉教育の課題と短期大学に焦点をあてることによ
って典型的な実態と問題点を追求し、その総括をとおして今後のあり方を考察することを目的に
している。
介護福祉教育の現場に、今、何が起きているのか。たとえて言えば、異変が起きているとでも
いえようか。異変とは、介護福祉教育の理念・目的と学生の実像との乖離を指している。どのよ
うなことが問題かといえば、介護福祉士は福祉サービス利用者の個別的で具体的な日常生活を支
援し、その人らしく生きる力を引き出し、QOL や生活環境・社会関係まで視野に入れた当事者
主体のサービスを担う人材である。ところが、介護福祉を学ぶ学生の基本的生活習慣は確立して
おらず、自らの健康に無関心であり、食生活へのサポートは学生にこそ必要な状況にある。基本
的生活習慣の不十分さは、人間関係を円滑に結ぶことができず、客観的にみるとささいな問題が
学業継続に大きく影響を及ぼしている。このような学生に、どのようにして介護福祉教育を行っ
ていくのかが現場担当者の課題になっている。
世間的にも、今の若者に対してパラサイトシングル、フリーターの増加、引きこもり等が指摘
されている。介護福祉教育現場の問題は現代の青年問題の一端を鋭く表現しているということで
あろうか。介護福祉を学ぶ学生たちの内面に起きている問題は、今日的な社会構造、家族構造の
変化と関係している。介護福祉教育の課題は自分探しをしている学生たちへの自立を支援してい
く社会的仕組みの一つとして考えていくべきものであろう。
この仮説を介護福祉教育現場の実証分析から追求し、本論文は介護福祉学科で学ぶ学生の実像
60
介護福祉学科で学ぶ学生の高齢者意識の実態と介護福祉教育の課題
を明らかにする。なぜ、ここから出発するのか、その意義は、介護福祉教育の課題をいかなる困
難があったとしても、今日的な学生の実態から出発し、専門職業教育をとおして、学生の卒業後
の社会的自立と利用者の日常生活の自立支援を結びつけ、統一的に取り組むことに介護福祉教育
の目的と現代的課題があると考えるからである。
2.研究の動機と背景
当学科に入学してくる学生の中には、すでに今日の高等教育全般にわたり問題となる課題を
抱えている学生も少なくない。たとえば、入学して 2 ヶ月あまりで授業に出られなくなり退学
を希望する学生がいる。主な理由は、介護への疑問や将来の進路への不安等の本質的な問題で
はない。仲のよい友人とけんかをし、明日から一緒に昼食が食べられないと泣き崩れ授業に出
られなくなったり、仲間はずれにされた、好きな男子学生が同じクラスの別の女子学生とつき合
い始めそれに耐えられない、学友から挨拶や話をしてくれず寂しい、朝一人で起きられず遅刻ば
かりしている等々、基本的生活習慣や人間関係を結ぶすべを知らない等の生活者としての基本的
な生活手段を身につけていないことが問題の主な理由であることが多い。退学という結論を出し
た学生の話を聞いていると、学生は涙を流し、顔をこわばらせ、全身で辛さを訴えていることが
分かる。「どうしたら通学できるようになると思うのか」と学生に解決策を求めると、多くの学
生はクラス替えやゼミナール替えを希望してくる。できないと分かると一応に退学という結論を
出す。家族の意見を聞いて考え直させようとすると、「そんなに辛く大変なら辞めてもよい」と
の答えが多い。学生は退学後の生活をアルバイトや自動車学校に通いながら今後何をしていくの
か考えようとする自分探しをする学生もいるが、何をするのか分からないという学生も少なくな
い。多くの学生は、先の見通しのないまま目の前の苦痛をとりあえず回避したいがための退学と
いう結論を出していることが多い。
学生が介護福祉士を目指した動機はさまざまである。中学生の頃より当学科への進学を望み明
確な目標を持って入学した学生もいれば、同じクラスの好きな学生が進学したので何となく後を
追うように入学してしまったという動機をもつ学生もいる。しかし、退学の理由は、上記に記述
したような理由が主なものである。
介護福祉士をめざす学生の多くは、個性的で多様な価値観にあふれる豊かな現代に育っている
が、一方では人間関係を結ぶ経験が乏しく、人の意見と食い違うことを非常に恐れている。自分
の意見や意思よりもグループ等の多勢の意見や行動に追随することを優先させることが少なくな
い。いつも周囲を気にして行動している。教員との個人面接では自分の意見がはっきりと言えて
も学生間では、「しない・できない」学生が多いのも特徴である。しかし、学生の多くは自分自
身に自信はないが、人に感謝され、人のためや社会に役立つ仕事や生き方を求めていることも事
実である。
退学という人生の重大な決定を下す理由があまりに唐突な動機であり、他に理由があるのでは
ないかと些細な言葉の端々に注意をはらい、表情や態度に配慮をしながらの面接は緊張の連続で
伊藤 和子
61
ある。また、日々の学生の様子や変化を観ることに神経をすり減らす日々でもある。担当教員と
して当然のことではあるが、一人ひとりの学生の目線にたち、時間をかけ、相手のペースで話を
聞くと同時に、学生の日常生活や生活意識について具体的に知ることが学生の本来の姿を知るこ
とになる。また、このことが把握できていないと介護福祉教育の授業は成立しない。
しかし、介護福祉学科の学生は、将来介護福祉サービスの担い手となる学生である。介護福
祉教育・介護実習をとおし、当事者主体の理念をいかす「利用者本位」「対等な関係」をどのよ
うに学ばせるのかが重要な課題でもある。介護は利用者の生活を支え、時には癒しを必要とする
サービスである。現代の多様な価値観をもった学生一人ひとりの日常生活や生活意識を把握する
ことは非常に難しい。本研究は学生が介護福祉をとおして向き合う「高齢者」をどのように意識
し、理解していかなければならないかに迫らなければならない。そのために、学生の日常生活や
生活意識について具体的に把握し、これからの介護福祉教育の課題に取り組もうと考えたのが研
究の動機であり、狙いである。
3.介護福祉教育の現状と課題
社会福祉基礎構造改革や社会福祉法のもと、介護保険法は従来の福祉人材ではない、新しい養
成内容に即して養成された人材を求めている。1)「措置から契約」への転換は、行政処分によるサ
ービスの可否の決定から、利用者がサービス提供事業者と対等な関係に基づき契約を行い、サー
ビスを選択、自己決定していく利用制度に改まった。「選択と自己決定」において利用者が不利
な契約を結ばないための権利擁護・成年後見制度の問題等への新たな対応等を含め、介護福祉教
育の内容も変化していくことが求められている。しかし、同法が成立し10年以上の歴史の積み重
ねがありながらも、医師、看護師のような業務独占ではなく、単なる名称独占のままであり、そ
の専門性の範囲は社会の要請に応えることなく、広がりがないまま今日に至っている。
現在でも、介護福祉士は多くの無資格者とともに業務を遂行している。同法の成立時と比較し
て現状は、同法の成立時と何ら制度上の変化はない。介護保険制度のもと、社会福祉サービスの
利用方式が当事者間の権利義務関係を明確にした契約方式への転換を図ったことに伴う制度的動
向の変化により、介護福祉士が今後どのような専門的役割を果たしていくのかを明確にしていく
必要が新たに出てきている。
少子高齢化社会の中で、国民の介護ニーズは複雑化・顕在化してきている。介護福祉士が名実
ともに介護福祉の専門職として的確な介護福祉サービスの提供ができるようにしていくためには
介護福祉教育の充実が早急な課題である。しかも福祉現場では、社会福祉従事者の資格について
の政策的、実践的な改善課題が表面化していることは確かである。
私が現在の職場に就職して初めて実習施設を訪問した2000年 5 月に、A 施設では、職員の呼び
出しアナウンスは、頭に職種をつけ氏名を呼ぶようになっていた。「介護福祉士の∼さん」、「ケ
アワーカーの∼さん」、「寮母の∼さん」であった。呼び方の違いに単純に疑問をもち質問した私
に、寮母さんは、「施設長の指示により 4 月から、ホームヘルパーはケアワーカー、無資格者は
62
介護福祉学科で学ぶ学生の高齢者意識の実態と介護福祉教育の課題
いくら長い経験があっても寮母、たとえ若く新人でも介護福祉士は介護福祉士なのよね」「私た
ちは皆、同じ仕事を同じように行っているのに… 呼び出しを聞くたびに嫌な思いがしてやる気
が失せるのよ。でも私の介護を利用者は誰よりも喜んでくださるからやっていられるんですけど
…」と。私に丁寧に説明をしてくれた寮母さんは、30数年の経験をもつベテラン職員であった。
日々の経験から導き出された利用者への確かな介護技術や利用者の個々の尊厳を大事にする豊か
な人間性は、利用者のみならず職員や実習生からも信頼されていることが短時間の関わりからで
も伝わってきた。介護福祉教育に携ったばかりの私に、「介護福祉教育の専門職としてあなたは
どのような教育をしていくのか」という厳しい課題を現場から突きつけられ、これが本論文への
問題意識になっている。
介護保険制度のもと、社会福祉サービスの利用方式が当事者間の権利義務関係を明確にした契
約方式への転換を図ったことに伴う、制度的動向の変化により、介護福祉士が今後どのような専
門的役割を果たしていくかを明確にしていく必要が新たにでてきている。今後の介護福祉教育の
課題は以下の点にある。
①痴呆や障害の重い方々の個の尊厳を守るため、個別性に応じた介護ができるよう、利用者の生
活リズムやペースを主体にした食事・排泄・入浴等生活のリズムと利用者のやりたいこと・や
れることの組み合わせ等をケアマネジメントできる能力をつけていくこと。
②コミュニケーション技術を高め、尊厳と暮らしの回復の現実を果たせる介護の現場を確立して
いくこと。
③重度化・重症化と向き合う力のある介護が課題である。特に職種との連携、医療・看護を理解
し介護ができる専門職を育成していくことが、個別介護の専門性の発展につながる。
④介護福祉教育は、集団主義的・サービス提供者主体の介護から、個の尊厳の確立と回復を新た
な社会的価値として打ち出してく理念を創造していく時代にあることを自覚できる学生を育て
ていくこと。
⑤そのためには、今の介護福祉養成の短大に入学する学生の特徴から、何をどのように粘り強く
励まし、自信をつけさせ、方向を示し、この分野の人材として磨けば光る人材に育てていくこ
とができるかが課題である。
⑥そのためには、どのような教育、技術・方法、実習教育が必要か、創造的な工夫が求められて
いる。
第1章 当学科の学生の生活実態と背景
第1節 調査目的と方法
1.調査目的及び意義
本調査の目的は、当学科に入学した学生の基本属性や介護福祉士をめざした入学動機を調べ、
伊藤 和子
63
当学科の学生がどのような生活環境で過ごしてきたのか、学生の生活実態を把握することにあ
る。現代の若者は豊かな時代に育ってきており、多様な価値観をもち短大に進学してきている。
核家族化や少子化の進展により、幼少期から人との関わりや実体験の機会の少なさや親への依存
2)3)4)
が強くなっている様々な事例も指摘されている。
ここでは、学生の生活実態と今後の介護福祉教育の課題を統一的にとらえ、これからの介護福
祉教育につながる基礎資料を得るのが調査目的である。調査目的で重視した主要項目は次の 5 項
目である。
(1)学生の基本属性にどのような特徴があるか
(2)学生の祖父母との同居経験や関わりの有無
(3)入学までの高齢者や障害者等との関わりの有無
(4)進路決定に影響を与えた体験等は何か
(5)入学の動機に影響を与えた体験等は何か
本調査は、当学科の学生に対して、現代青年論の特徴を鋭く反映しているとみている。しか
し、調査の狙いはあくまで今後の介護福祉教育のあり方や教育内容の改善に向けたものであり、
学生の実態調査の焦点も、その点との関連において必要な基礎データの収集・分析に定めてい
る。
2.調査の対象と方法
調査対象は当学科で介護福祉士をめざす学生 1 、 2 年次生で、筆者が担当する教科に出席し
ていた学生である。ただし、調査日に欠席した学生は対象に入っていない。調査方法は、あらか
じめ調査の趣旨を説明し同意を得た上で実施した。本調査の対象は、 1 年次71名、 2 年次52名の
計123名である。調査日に欠席した学生は 1 年次 9 名、 2 年次が 1 名の計10名である。調査を拒
否した学生はゼロである。具体的な調査方法は、自記式質問紙法であり、用紙(資料 1 )を配布
し、無記名の調査により終了後その場で回収した。調査期間は2004年 6 月の第 2 週から第 3 週で
ある。
第2節 調査結果の概要
1.基本属性
性別では、 1 、 2 年次生とも男子学生が12名、 1 年次女子59名、 2 年次女子40名であり女子学
生の割合が高い。集計は学年別におこなったが、基本属性のデータは当学科の学生実態の把握を
目的としているため学年の区別はしていない。介護福祉学科の男女別割合は全国的に女子の割合
が多く一般的傾向を反映している。
家族構成では「 4 人家族」が41名(33%)で 1/3 を占め、「 5 人家族」が33名(27%)、「 6
人家族」が20名(16%)であった。家族構成は愛知県内の自宅通学生が多いという本学科の特
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介護福祉学科で学ぶ学生の高齢者意識の実態と介護福祉教育の課題
徴が反映している。きょうだいは「 2 人」が58名(48%)を占め、「 3 人」が51名(41%)で全
体の90%あまりを占めている。一人っ子は10名で( 8 %)であった。続柄は第 1 子が80名(65
%)、第 2 子が34名(28%)で、第 1 子が 2/3 を占めていた。父親の年齢は「50∼54歳」が46名
(37%)を占め、次いで「45∼49歳」が39名(32%)、中には「40∼44歳」という若い父親も18
名(15%)いた。母親の年齢は「45∼49歳」が53名(43%)で半数近くが父親より若い。次いで
「40∼44歳」が37名(30%)である。49歳までの母親が 2/3 あまりを占めていた。
両親の職業は、社会階層と経済的安定性をみるうえで重要である。父親は「雇用の正社員」
「公務員」が89名(72%)、「自営業」が21名(17%)を占めており、あわせると110名(89%)と
なり比較的安定した家庭が多いことが伺える。父親の職業が「分からない」「無職」「雇用でパ
ート」は合計で 6 % にとどまっている。母親も「雇用の正社員」「福祉・介護関連職」「自営業」
「保健・医療関連職」「公務員」で47名(88%)を占め、共働き家庭の姿が伺える。なかでも「福
祉・介護関連職」「保健・医療関連職」が17名(32%)あまりいたことも注目される。
住居は社会階層に繋がるもう一つの指標である。家族の住居形態をみると、「持ち家」が104名
(85%)に達しており、東海地域の持ち家比率約65%と比べ「持ち家」の割合が多い。当学科の
学生は県内の学生が多く自宅生が多いのが特徴であり、90名(74%)と多数に及ぶ。一人暮らし
が19名(15%)、寮生が14名(11%)となっている。
2.祖父母との関わり
学生の両親の多くは年齢が50歳代と若いことから、「祖父母の有無」についても117名(95%)
が健在であった。「祖父母との同居」は39名(32%)あり、「二世帯住宅」「過去にしていた」を
含めると51名(42%)に達していた。当短大の学生の半数近くの学生が祖父母と同居経験がある
点は入学動機と何らかの形で関連しているのではないかと思われる。介護福祉士をめざす学生が
祖父母と同居した経験をもっていることは、そこに何らかの関わりがあったことを推察させ、祖
父母とどのような接触をもってきたのか、どのような関心を寄せてきたのかを知ることが重要
だと考えられる。祖父母との交流については、「ほぼ毎日ある」「一週間に 3 ∼ 4 回ある」と回答
した学生が46名(37%)あり、「一週間に 1 ∼ 2 回ある」との回答を含めると53名(43%)が一
週間に 1 回くらいは何らかの関わりを持っていることになる。逆に「ほとんどない」は僅か 6 名
( 5 %)にすぎない。祖父母との関わりの多さに特徴が読み取れる。
3.入学前の介護の経験と介護経験が進学に与えた影響
入学前の介護経験の有無については、39名(32%)の学生が「ある」と回答している。介護の
経験が進学に与えた影響については「非常にある」21名(17%)、「ある程度ある」が14名(11
%)あり、35名(28%)あまりが介護の経験が介護福祉士志望の動機の一翼を占めていた。「あ
まり関係がない」「関係がない」は 3 名と少ない。「記入なし」が85名(69%)もあり、どのよう
な理由があるのかに関心がある。
伊藤 和子
65
介護の対象者は自由記述で、祖父母14名、施設等のボランティア活動での高齢者26名、障害
者 1 名、曾祖母 1 名の42名の記述があった。介護経験をつっこんで確かめるとボランティア活動
の割合が多いことに注目される。介護経験が家庭内の祖父母の関係を超えている点も興味深い傾
向であり、介護経験を社会化できることを示しておりより普遍化しやすいことを教えてくれる。
4.ボランティア活動の実態と進学との関わり
調査は学生の介護経験が進学に影響を与えていることを示している。その介護経験がボランテ
ィア活動によるところが多いというデータをさらに読み込むためにボランティア活動の内容に立
ち入ってみると入学前のボランティア活動の経験については、「入学前にボランティア活動の経
験がある」と回答した学生が96名(78%)であった。ボランティア活動への関心についても「非
常に関心がある」「ある程度関心がある」が111名(90%)あまりを占めていた。2003年の厚生労
働白書「ボランティア活動の現状」によると、個人向け調査での学生は1.4%である。5)この割合
は非常に多いとみるべきであろう。
ボランティア活動はどのようなことをしていたのであろうか。入学前に経験したボランティア
活動の内容については複数回答で確かめたところ、「高齢者支援」がもっとも多く76名、「障害者
支援」34名、「幼児・児童支援」28名となっている。その他に、「募金活動」「環境保護・リサイ
クル活動」「地域活動」「災害復興活動」「外国人支援」「スポーツ指導」等多彩な活動をしてきた
ことが分かった。何という多様さであろうか。ワンパターンの活動ではない。一方、少数だがボ
ランティア活動の経験がない学生もいたが、その理由は複数回答で、「きっかけや機会がなかっ
た」15名がもっとも多く、「一緒に活動する仲間がいなかった」「活動に必要な情報が得られなか
った」「適当な活動場所がみつからなかった」「身近に活動している人や誘ってくれる人がいなか
った」と受け身的な学生が20名、「忙しくて時間がなかった」「活動に必要な知識・技術を身につ
ける機会がなかった」と関心はもっていたが行動に結びつかなかった学生が10名、「特に理由は
ない」「関心や興味がなかった」学生が 4 名となっていた。ボランティア活動が進学に与えた影
響については、「非常にある」「ある程度ある」と回答した者が86名(70%)、「あまり関係ない」
「関係ない」が15名(12%)であった。「わからない」と回答している学生が 5 名いた。約70%の
学生がボランティア活動で介護福祉へのイメージをつくり、入学への動機としている。何が介護
福祉士になろうと思わせたのか。その背景と動機そのものについて学生の回答を次に分析してい
る。
5.介護福祉士への動機
介護福祉士への動機は、表 1 のようになっている。
66
介護福祉学科で学ぶ学生の高齢者意識の実態と介護福祉教育の課題
表 1 介護福祉士への動機(複数回答)
これを大きく 4 点に分類できる。第 1 に、介護福祉につながる活動経験や生活体験があり、身
近に自分の進路として具体的にイメージできているかどうかが重要な動機につながっている。
第 2 に、人に役立つ専門職であることを理解してのことであり、この点は注目に値する。第 3 に、
自らの将来の仕事として何とかやれるのではないか、という「自分さがし」をこの道に求めよう
とした回答がある。第 4 にあげられるのは、消去法でこれしかなかったというものであるが、こ
れは少数である。回答は複数回答で合計407となっており、各タイプの傾向は次のようである。
第 1 表 介護福祉へのイメージができている学生
「祖父母が好きだから」「人のお世話が好きだから」「家族が介護しているから」「自分も介
護の経験があるから」「身近に障害のある人がいるから」「ボランティア活動等での体験か
ら」と身近な高齢者や障害者、要介護者等に関わった経験を踏まえた動機をもつ学生が168
名であった。身近かに介護福祉業務をイメージできるかどうかが回答の主要な特徴であり、
主体性を引き出しやすい素地をもっている。
第 2 表 介護福祉を専門職と理解している学生
「人の役に立つ仕事だから」
「将来役立つ専門職だから」
「将来的に安定した職種だから」
「身
近に介護関係者がいるから」「社会的に認められた職種だから」「他職種になるために必要
だから」と職業としての専門性・将来性、現場の状況をある程度理解した上での動機をも
つ学生が185名であった。介護福祉職の社会的地位を理解し、進路選択に結びつけようと考
えた点は積極的な側面として評価できる。
伊藤 和子
67
第 3 表「自分探し」をしている学生
「家族や身近な人の勧めがあったから」「身体を動かすことが好きだから」「自分にできそう
な職種だから」「何となく」と周囲の進めや漠然とした動機の学生が47名であった。必ずし
も介護福祉職を理解してはいないが、漠然としたイメージをもっているのではないかと考
えられる。「自分さがし」を介護福祉職に向けようとしている点は、今後の介護福祉教育の
中で積極性、主体性へと結びつけていくことを可能にするのではないかと考えられる。
第 4 表 消去法で介護福祉に進んだ学生
「他職種に進めなかったから」と答えた学生が 2 名いた。正直な回答であり、挫折感を潜
在的にもっているものと思われる。しかし、第 1 、第 2 のタイプと教育交流が可能であり、
イメージを描けるようになれば、次の可能性は開けてくるもの考えられる。
6.介護福祉士への進路決定
介護福祉士への進路決定については、「ほぼ自分で決めた」と回答している学生が88名である。
2/3 の学生が自分で進路を決めていた。ここ数年のオープンキャンパスや進路相談会等において、
表面的には父母の発言が多く、受験生の消極的な傾向が目につく。また、一般入試を避け、推薦
入試で入学しようとする。一見して、受験生の主体的側面を評価しようとしてもなかなかみえに
くい。ところが、多くの学生が自ら進路を決めているというのは十分に評価されていいし、この
ような積極面を見逃してはならないように思う。一方、「相談して決めた」と回答した学生は34
名(28%)であった。相談して決めた学生の相談相手は自由記欄をみると、母親と高校教師がも
っとも多く、ともに26名 、次いで両親21名、友人12名、きょうだい 4 名、家族 3 名、福祉施設
の職員 2 名、父親、先輩、叔母、祖父母が各 1 名ずつの順であった。相談して決めたこと自体が
イコール消極的ではない。しかし、自分で決めたと回答した学生との相違点は、やや勧められた
と学生自身が受け止めているからだと判断される。
第2節 当学科の学生の特性 −アンケート調査のまとめ−
1.考察の概要
当学科の 1 、 2 年次生123名を対象に自記式質問紙調査の結果、次の特性が明らかになった。
概括的にみると三つの特徴に分類できる。
第 1 の特徴は、基本属性と祖父母との関わりを中心にした部分からみられる特性である。最大
の特徴は生活基盤の安定性を示す指標が多いことにある。その一つは住居である。住居は「持ち
家」に住む学生が多数派となっている。これは学生が愛知県内の自宅生が多いということと密接
に関連している。父親の職業も圧倒的に正社員が多く不安定雇用ではない。厳密な社会階層を示
68
介護福祉学科で学ぶ学生の高齢者意識の実態と介護福祉教育の課題
す社会的地位や所得額まで調査項目に入っていないことから断定的に論ずることは難しいが生活
基盤の安定性は確かな事実である。また、母親の多くが就職しており、福祉・保健・医療関連職
の割合が多い。学生の 1/3 が祖父母と同居しており、祖父母との交流から推察できる近居を含
めると、愛知県内の地元学生の割合の多さが浮かび上がってくる。
第 2 の特徴は、高齢者介護の経験をした者が 1/3 いることである。基本属性にみられる三世
代同居、あるいは近居という地元学生の家庭生活の実際が身近かなところで介護問題に直面する
ものをもっているからだと考えられる。しかし、それだけでなく、ボランティア活動を通した高
齢者介護の経験が進学に影響を与えている。ボランティア活動への関心の割合が高く、多様な活
動経験をもっていることが第 2 の特徴である。
第 3 の特徴は、ボランティア活動の経験や介護経験、母親が介護関連職に働いている割合の多
さから、介護福祉士へのイメージをもっている学生が多い点に特徴をみいだすことができる。こ
のことから、進路決定を自分で決める割合が多く、次いで母親等への相談を通して介護福祉専門
職をめざそうとしている点が興味深い。
以上の三つの特徴の分析から学生の高齢者に対する認識や、介護福祉教育へのイメージをもっ
と具体的に高めていく教育方法をとることができれば、一定の専門職教育が可能となる素地があ
ると評価できよう。
第1表
①学生は持ち家に住む者が大多数を占め、自宅生が 2/3 を占めている。
②父親の職業は、大多数が雇用において正社員等の職業に就いている。
③母親の職業も雇用において正職員が大多数を占め、共働き家庭が多い。
④母親の職業は、福祉・介護関連職、保健・医療関連職に 1/3 あまりが就いている。
⑤父親の年齢は、50歳前後が 2/3 弱を占め、母親も40歳代が 2/3 強を占めている。
⑥家族構成は、 4 ∼ 5 人が半数以上を占めている。
⑦きょうだいは、大多数が 2 ∼ 3 人であり、第一子が半数以上を占めている。
⑧学生の 1/3 は祖父母と同居している。また、学生の半数は祖父母と何らかの交流を一週
間に 1 回以上は持っている。
第2表
①学生は入学前に介護の経験がある者が約1/3あり、その経験が進学に影響を与ている者が
1/3 弱あまりいる。
②介護の経験が進学に影響を与えたかどうかの質問に「記入なし」の学生が半数上いた。
③学生は入学前に何らかのボランティア活動の経験を 2/3 以上がしている。
④ボランティア活動への関心がある学生がほとんどである。
⑤ボランティア活動の内容は高齢者支援がもっとも多く、多彩な活動をしている。
⑥学生の介護の対象者は祖父母やボランティア活動で訪問した施設の高齢者である。
伊藤 和子
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第3表
①学生の半数以上はボランティア活動の経験が進路決定に影響を与えている。
②介護福祉士への進路決定は 2/3 以上の学生が自分で決めている。
③相談をして決めた学生の相談者は、母親と教員がもっとも多い。
④介護福祉士への動機は、自らの経験やボランティア等の体験をとおしてや、職業の社会
的役割や将来性等である。
2.学生の生活実態
当学科で教育職についていると日々学生の言動に驚かされることが多くなってきている。調査
結果と教育現場でみられる学生の実像をつきあわせるために、学生生活からみた学生の生活実態
の分析と考察を行った。
若い学生達の言動をただ「若いから」「甘やかされて育ってきているから」と一括りに判断す
ることはできない。しかし、何かがある。そこにある何かとは、まず、気がつくことは学生達が
多様で個性的であると言う事実である。教員には摩訶不思議な言動にも学生なりの意味やそれな
りの理由が必ず存在している。学生は自らの行動や意識を、自分が必要としない限り積極的に説
明することはしない。人との関わりをもつことが苦手でコミュニケーション能力が弱く、信頼関
係が育まれ、成立していないと自ら関わろうとしないのも特徴的である。したがって、一定の信
頼関係を築かないと学生の実像が掴めなくなってきている。筆者が日常体験した当学科の典型的
な事例から学生の生活実態の特徴を明らかにした。
(1)排便が10日以上ない学生
休日に学生から携帯電話で「救急病院にいる」と連絡が入った。緊張し身構えて聞けば、「先
生、うんちが溜まっているので、管で出すのがよいか、薬を飲んで出すのがよいのか、どっちが
よいか、今すぐに返事をしなければならないからどうしょう」という問い合わせであった。学生
は一方的に「どっちにしたら良いか」との判断を求めるのみで詳しい状況や説明は一切しない。
しかし、当の学生にとっては結果が相談事であり、その過程を説明する意思はまったくない。丁
寧に前後の状況を聞き出し、一つひとつ確認しながら状況を把握していくしか方法はない。
この学生は突然激しい腹痛があり死ぬかと思ったほどで我慢ができず、一人暮らしということ
もあり救急車で緊急受診となっていることがやっと分かった。レントゲン撮影により大量の糞便
が確認され、10日以上排便がないことに本人も気づき、高圧浣腸か下剤での排便の選択が求めら
れていた訳である。学生にしてみれば、苦しさから解放はされたいが恥ずかしいことはしたくな
い、でも薬ではこの苦しさがしばらくは続くことになり、また、緊急事態も予測されると説明さ
れればどうしてよいのか判断がつかなくなってしまったという訳である。
このようなレベルの相談は日常茶飯事である。日々の関わりの中で、信頼感が育まれているか
らこそこのような相談があると理解すればよいが、授業の中で排泄について具体的な事例を含め
70
介護福祉学科で学ぶ学生の高齢者意識の実態と介護福祉教育の課題
て学んでいるはずなのにと考えると、授業をしている者としては暗澹たる思いがある。
後日、「私の救急車乗車体験」として学生に発表の機会を設定した。内容が排泄のことだけに
抵抗がなかった訳ではないが、自らの体験が今後の仲間の介護にも活かされていくための貴重な
体験になるとすんなりと引き受けてくれた。
この学生は、これまで排泄が10日∼ 2 週間ないのは当たり前という生活をしてきている。一
人暮らしでもあり、自分としては栄養もあり好きな焼き肉を二日おきくらいに食べ健康管理に努
めているつもりだった。知識として食物繊維が含まれている食材は知っていたが、野菜や海草類
等は好きではなくほとんど食べることはなかった。家族は「食事をしているか」と心配して電話
をくれるが「何を食べているか」については聞かれたことはなかった。初めての一人暮らしであ
り、自分なりに考え好きな物をしっかりと食べるように努力してきた。排便がなくても日常生活
に特に支障もなく、いつかは出るので考えることもなかった。この学生の語る食生活のあり方・
排泄状態に同調している学生が少なからずいたことは確かであった。学生は最後に、「浣腸をし
たら、便が便器の中で山のようになって出てきて驚いた。しかも、 3 回もあった。排便後は下腹
が凹んでジーンズが緩くなってびっくり。何ともいえない爽快感がした。翌日にはニキビに悩ん
でいたのが嘘のように消えた。食事がおいしいのにもびっくりした。先生が『排泄に問題がある
と食事ができない。食欲がない利用者は排泄に問題がある』と言っていたことを思い出した」と
発言していた。
人間の生活を支えながら、その人の生活の質にも目を向けていかなくてはならない介護福祉士
が、日常の自分自身の健康に目を向け意識していくことの必要性を指導していくことが求められ
る事例である。学生の生活実態と健康に対する意識に関する研究もあるが、回答しづらい内容で
あるのか排便に関しての項目は見あたらない 6)7)8)9) しかし、排便の頻度を聞くと毎日あると多く
の学生が答えるが、雑談の中では、便秘傾向の学生が多いように感じる。日々の排泄への関心の
なさは自分自身の健康管理への無関心さとも深く関わりがある。
(2)朝食を食べない・食べられない学生
大学生が朝食をきちんと摂らない、きちんと摂らせようという大学や生協が知恵を絞ってい
る。10) 当学科の学生の多くも朝食をとらない学生が多い。介護技術の演習ができず座り込む学生
もいる。自宅通学で祖父母との同居が多い当学科の特徴を考えるとどのような理由で食べない
(注 1 )
のか・食べられないのか典型的事例について聞き取り調査した。
①自宅生で三世代同居学生、
②自宅生で核家族の学生、③一人暮らし学生の 3 名である。
①自宅通学で高齢者と同居学生 U の場合
父親が朝食をとらない習慣があり、長女である学生も記憶が残っている保育園時代からまっ
たく食べる習慣がなかったという。しかし、母親や妹は自分たちの好きな菓子パンを食べている
し、祖父母はご飯を自分達で作って好きなように食べているので、食べられない訳ではないが長
年の習慣により食べることは考えられないし、食べたいとも思わない。食べなくても今まで何の
伊藤 和子
71
支障も感じたこともない。朝食は家族各人が勝手に好きな物を好きな時間に食べるのが当たり前
になっており、家族みんなが揃って朝食を食べる習慣は幼い頃よりまったくない。
②自宅通学で核家族学生 O の場合
朝食は食べている。中学生の頃より食事の内容は自分の好きな菓子パンかロールパンで副食は
食べない。飲み物は好きな炭酸系のサイダーが多いが、時々ダイエットを考えペットボトルのお
茶を飲むこともある。ご飯やみそ汁があっても食べることはない。朝食について家族から何かを
言われたことはまったくない。妹もいるが自分と同じように好きなようにしている。家族揃って
朝食を食べる習慣はない。
③一人暮らし学生 I の場合
まったく食べない。食べるよりギリギリまで寝ていたいし、むしろ食べることは面倒なことで
ある。朝からボーとしていることもあるが、朝食を食べないからという訳ではないと思う。朝食
にかけるお金は、友人と一緒に食べる夕食や外食に使いたい。「朝食と健康」についてはまった
く意識したことがない。自宅にいた時も食べたり食べなかったりで特に問題もなかったし家族か
ら何か言われることもなかった。
前記の新聞記事によれば、朝食を抜くことが生活の乱れにつながるとの考えから「保護者に代
わって食生活の改善を促そう」と朝食への取り組みをしている大学の紹介であった。「そこまで
しなくても」という声もあるが、「食育の最後のチャンス」の場と捉えられている。当学科の学
生も「食べている」と答えている学生でも、食の内容を詳しく聞けばきちんと食べているとは言
いがたい内容である。食に関する自己管理能力がないと判断せざるを得ない事例である。
(3)寝間着を持っていない・寝るときも寝間着に着がえない学生 介護技術の授業で、衣類の着脱介助の演習のために自分の寝間着を持参するように指示をし
た。ところが学生の多くは寝間着を持っていないという。40人のクラスの 2/3 強の学生が寝間
着を持っていなかった。何を着ているかといえば、多くの学生はジャージや短パンとティシャ
ツの組み合わせであり、入浴後に着るというよりも部屋着も兼ねたものであり、着ていて楽で
コンビニ程度の外出も簡単にでき便利だという学生が多かった。聞き取り調査した一人暮らし
の学生 I の場合はその典型事例である。中には数人だが、翌日に着ていくティシャツを着て寝る
ようにしていると答えた学生がいた。睡眠時間の確保ができ朝の準備の時間短縮にもなり、洗
濯物も少なくてよいという。むしろ寝るときにしか着られない寝間着よりも便利であると発言
する学生が多いことが印象的であった。
たかが寝間着といえども、身体の清潔の保持はもとより、生活に適した衣類を着ることは生活
のリズムを作り、個人の役割や自己を表現する役割をもつものでもある。また、衣類はその人の
生き方や個性、生活の内容に関わる自己表現の一部である。たとえ寝間着であっても、現代の学
生の衣生活の一端を知ると、一人ひとりの個別性を考え、生活を支えていくことを教えていく難
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介護福祉学科で学ぶ学生の高齢者意識の実態と介護福祉教育の課題
しさを実感する事例である。
(4)「もったいない」は理解できるという学生
実習巡回指導時、学生が涙目でしょげている。困っていることがあるのかと聞くと、食事の介
助中に利用者が「種を取った梅干し」を床に落としてしまったので、学生はグシャとして床を汚
して汚かったので急いで拾い捨てようとしたところ利用者から激しく怒られてしまったという。
学生は「食べようと思っていた物を落として残念なことは分かるが、床に落ちた汚れ物は早く片
づけた方がよいと考えて捨てたのに、どうしてあんなに怒られたのか分からない」と不満気であ
った。利用者がどのように怒ったのか具体的に聞くと「もったいない」と強く言われたという。
学生は「(たかが)梅干しだよ」「ほしければもらえばよいのに…」と言う。
80歳代の利用者のいう「もったいない」の意味が理解できず、学生の生活経験範囲内の意識で
精一杯受け止めようとしているが、利用者の言動がまったく理解できていないことが伝わってき
た。学生にしてみれば、梅干しはスーパーで売っている総菜の一部であり、おにぎりの具の一つ
でしかない。利用者が生きてきた歴史の中で「梅干し一つ」にどのような意味があったのかは理
解しがたいことであろう。80歳代の利用者にとって、現在の梅干しは副食の漬け物の一品であっ
ても、この世代の日本人にとっての梅干しは、家庭では「食べる」だけでなく「病を治す・予防
する」身近で貴重な食材の一つであり、手間暇かけた大切な食べ物であったはずである。利用者
と現代の学生の間に、梅干しへの関わりや思いに大きな隔たりがあることは当然なことである。
学生にとって「もったいない」は何かと聞けば、「もったいない」という感覚は理解でき生活の
中でもある。しかし、それは「直接自分が支払うお金」に直結した内容である。利用者の生きて
きた生活・文化に関わる中での「もったいない」を想像できるよう具体的に理解させていくこと
が改めて求められている事例である。
第2章 学生の高齢者に対する意識
第1節 調査の目的と方法
1.本調査の目的と対象者の背景
将来介護福祉サービスの担い手となる介護福祉士をめざす学生に、「利用者本位」「対等な関
係」をどのように学ばせるのかは、介護福祉教育の重要な課題である。特に介護の対象者である
高齢者は、複数の疾病をもち、慢性的に経過しやすいなどの特徴から、医療中心から日常生活の
支援や助言を中心とした生活の自立や生活の質の向上をめざす介護の実践が求められている。介
護は支援を必要とする人々を人生の先輩として尊重し、その人がその人らしくその人にあった日
常生活が維持できるように、また、時には安らかな死を迎えられるように支援していかなくては
ならない。
当学科の介護福祉士養成課程に入学してくる学生は、必ずしも介護福祉士になることを固定的
伊藤 和子
73
に考えていない学生も少なくない。また、心に問題を抱え介護福祉士をめざす学生の中だから一
緒にやっていけるのではないかと期待し、入学してくる学生も少なからずいるのも現実である。
自らの健康管理や日常生活の自立もままならない学生に、利用者の日常生活を豊かに想像するこ
とは困難である。利用者の生活を具体的に支援することなど期待はできない。まして、高齢者が
生きてきた時代や生活背景を理解することはもっと困難で非常に難しい課題である。
しかし、高齢者や障害者の生活を支援する介護福祉士にとり、利用者が生き生きと生活してき
た時代の様子を共有することは、利用者を理解する上で欠かせない課題でもある。
当学科の学生の多くは、ボランティア活動の経験も豊富にあり、進路決定も自らの意思で決め
ていることが分かった。作山、松井らの調査によっても進学の意思決定は、男女差は多少あるも
11)
ののほとんどの者が「自分の意思」で決定している。
また、介護福祉士を希望した動機も「人
や社会のために役立つ仕事がしたい」「やりがいがある仕事がしたい」がもっとも多かった。当
学科との結果に大差は認められなかった。
将来、年老いた両親を養うことについての問いに、「将来どんなことをしても親を養う」「自分
の能力に応じて親を養う」という学生が男女とも 3 割前後いた。当学科ではこの質問項目を設け
ていないので比較はできないが、将来の現実的問題への対応をも視野に入れた入学時の意識を問
うてみる必要もあった。そうすれば、自分が家族の一員として果たすべき責任感等についても把
握することができたものと考えられる。
当学科の学生は進路決定は自らの意志により入学した学生が多いが、人間関係や社会関係の取
り結び方が弱く、うまくいかなくなると困難から逃げようとし、そこから立ち向かって改善する
意思を示せない学生が多い。学友と話し合えれば分かりあえる程度の些細ないき違いが退学にま
で結びついてしまう学生もいる。教員の助言を受け、家族に相談すると、学生の悩みをいとも簡
単に解決する手段として学生の望みに安易に従う現状もある。介護福祉士をめざす学生が、現在
までの成長過程で基本的な生活経験や生活習慣、人との信頼関係や生活感覚をどのように育み、
身につけてきたかは介護を実践するうえでの介護観に関わる重要な視点である。ものごとが順風
満帆の時はいいが些細なトラブルに弱きの虫と消極的対応が目につく学生の実像を掴み、それを
介護福祉教育に繋げていく視点と方法が今求められている。
そこで、学生達が比較的関わりが多くあり、一定のイメージをもっている高齢者に対し、どの
ような意識をもっているのかを明らかにし、学生の高齢者観を豊かに育む教育をしていくことで
方向づけをしていけるのではないか。学生の高齢者に対する意識は、今後の介護実践に影響を与
えることを考えると重要な課題だといえるからである。
2.本調査の対象者と内容
対象者は、当学科に2004年 4 月に入学した学生のうち、筆者が担当しているゼミナールの学生
16名(女子13名、男子 3 名、内社会人入学生女子 2 名)である。調査期間は、調査目的と方法を
学生に理解してもらう上で教員と学生、学生相互の人間関係が成立しはじめる時期に設定した。
74
介護福祉学科で学ぶ学生の高齢者意識の実態と介護福祉教育の課題
そのことから、入学後の様々な学校行事がすべて終わりゼミナールの仲間にも慣れ、授業もス
ムーズに進められるようになった時期が学生の入学時の意識も残っており、意識変化を追求して
いくうえで最も適切であると考えた。2004年 5 月20日∼同年 6 月24日で、週 1 回あるゼミナール
(90分)の時間内に実施した。ゼミナールの学習計画の中に、調査項目を入れゼミナール全体の
学習に影響が及ばないように配慮し、学生には調査の意図を説明し同意を得た上で実施した。ゼ
ミナールの進め方や学習方法については、学生と協議し相互理解を基本としている。学生の欠席
は、第 1 回目に 5 名の欠席があったがそれ以降は全員出席している。調査内容は次の 2 項目であ
る。
(1)学生の高齢者に対するイメージ
(2)高齢者に対する意識変化のプロセス
3.調査方法
学生の高齢者に対するイメージが記述できるように、文章完成法テストに準じて質問紙を作成
し、学生が考える高齢者像を自分の言葉で記述し文章を完成させるようにした。ゼミナールの学
生達は、三世代同居学生が 7 名、核家族学生が 8 名、一人暮らしの学生が 1 名であり、高齢者と
同居している学生が半数近くいることから、高齢者イメージも自らの体験から個別性のある表現
がしやすいのではないか。また、同居していない学生との差が明らかになりやすいことも考えら
れることから文章完成法に準ずる質問紙法を選択した。質問用紙は、「高齢者は…です。」(A 4
紙 1 枚)に最大15項目の枠を作った。無記名でその場で回収した。高齢者意識調査は先行研究で
12)13)14)
さまざまな方法で実施されているが文章完成法での調査は少ない。
調査の回数は、次のとおりである。
①入学直後の第 1 回目
②高齢者疑似体験(以後疑似体験)演習後の第 2 回目
③元気な高齢者へのインタビュー後(以後インタビュー後)の第 3 回目
以上の 3 回は同じ方法で実施した。
(注 2 )
④インタビュー後に、高齢者インタビューの感想をまとめさせた。
第2節 調査の実際
1.入学直後の第1回目
質問用紙を配布後、ほとんどの学生は調査の目的、趣旨を理解することができた。しかし、な
かなか記入することができず自宅に持ち帰りたいと申し出た学生が 1 名いた。この 1 名の学生を
どうするのかを考えここでとった方法は、なぜ自宅に持ち帰り時間をかけてやってくるのかへの
引っかかりである。そこで何がこのような発想に結びつくのか、他の学生とも共通するものがあ
るのではないかと考えた。再度の説明を行い、学生の反応をみた。身近な高齢者や通学途中で見
伊藤 和子
75
かける高齢者、入学後に学んだこと等を思い出し書けるところまででよいと説明を繰り返したと
ころ、学生は評価を気にしており「全部書けないと点数が悪くなる」と答えた。調査の目的が十
分に理解されていないことがここではっきりと分かった。再度ゼミナールの学生全体に調査目的
の説明を行った。学生は安心した表情をみせ、「何を書いてもいいんだね」「思ったことを書けば
いいんだよね」と再確認する学生もあり、再度の説明が評価に結びつくものではないことの再確
認となり、より安心したという雰囲気が学生間に流れた。学生にしてみれば、教員からの配布物
への記入・回収は評価と結びつくものであり他者との比較や競争心、不安等がつきまとうことは
当然のことである。目的を丁寧に説明し、理解できているかどうかを学生の個別性にあわせ確認
しながら進めていく必要性が再確認でき、全員が納得し、安心して記入したものを回収できた。
調査がテストではない点を明確に説明し、理解してもらうことが第 1 回目の焦点であった。11名
の学生が156個記述している。
2.疑似体験演習後の第2回目
第 1 回目は入学直後の学生の高齢者イメージ、高齢者観を確かめることが目的であった。高齢
者を外からみていた学生に内在的に理解を促す方法は踏み込んだ体験学習が適切な方法となる。
そこで、先行研究や先行事例に学ぶと、高齢者体験は老年期をいかに生きるかを考え、老年期の
生活を実感するとともに、いかに老年期のその人に寄り添ったケアをしたらよいかに関心をもつ
効果があることを示している。また、体験後は、具体的で自らを高齢者の立場においた記述がな
されているとある。15)16)
(注 3 )
高齢者疑似体験セット“おいたろう”
の装着体験(注 4 )を計画し、高齢者疑似体験を90分
演習した。中川は体験学習について「人間を動かす、あるいは自分を変えるためには客観的知
識だけでは不十分で、大事なのはイメージで、このイメージを変えるのが体験学習である」と
いう。17)今回の第 2 回目の調査はまさにこの学生のもつ外部からみた高齢者イメージをいかに変
えることができるかが焦点であった。16名の学生が237個記述している。
介護経験やボランティア活動をとおした学生の高齢者イメージを単なる進学への動機づけか
ら、介護福祉教育への舞台に立たせるには、具体的な高齢者像を理解できる利用者体験の学習が
必要である。疑似体験は医学教育から始まったものであるが福祉教育への初期的導入の先行事例
18)19)
もあるので今回調査に組み入れた。
疑似体験の目的を簡潔に表現すると次のようである。
①学生が考える想像の世界の高齢者を疑似体験をすることで高齢者を生活者として具体的に
イメージし理解することで、従来の高齢者イメージを転換させる。
②高齢者を外見的な変化や一般的な高齢者像の理解にとどまらず、高齢者の内面的な思いに
も気づけるようにし、介護福祉教育への舞台に立たせる導入とする。
③高齢者体験をとおし、高齢者理解を知識だけにとどまらず、介護者としての援助への気づ
76
介護福祉学科で学ぶ学生の高齢者意識の実態と介護福祉教育の課題
きに結びつけられるようにし、専門職者としての心構えができるようにする。
④高齢者の生活環境がいかに危険性に満ちているかを体得し、具体的な改善や方策・工夫に
ついて目を向けられるようにし、利用者の視点、立場から介護のできる力を養う。
⑤適切な福祉用具を使用したり、物理的バリアー除去の設備を積極的に活用し、その効果と
限界を体験し、福祉機器・補助具等への関心を引き出す。
体験学習の目的は体験と知識の統合を図ることにある。教員が準備した学習プログラムに沿っ
て、学生自らが主体的に学習し、自らの身体や心、能力や感覚など自分のすべてを駆使し学習す
ることに意味がある。そこで以下のような疑似体験の必須プログラムを設定した。
①階段の昇降を杖と手すりのそれぞれを使用し、いずれも 3 階まで昇降する。
社会福祉学科の建物は 2 階建てのバリアフリー構造で、学生の授業がこの建物内で行われ
ることが多いことから、他学科の旧式の建物環境で体験せざるを得ない設定とした。若者に
とり 2 階までの昇降はさほど苦痛な動作ではないが 3 階までとなると多少の負担感もあるの
ではないか。また、日頃あまり体験していない 3 階までの昇降は新たな体験となりうる。
②和式・洋式の各トイレで排泄(ポーズ)行動を取ってみる。
短大の建物は必要により増築されており、各建物によりトイレの位置や構造・広さにバラ
ツキがある。装具を着けての体験はトイレ環境により動作に大きな変化を及ぼす。動作が安
全にスムーズに行なわれるためには環境がいかに重要か、また、その反対の場合も具体的に
体験できるよう設定した。
③コンクリート舗装道とジャリ道(駐車場)を歩いてみる。
足元の不安定さが及ぼす影響や履き物の種類により、普段何気なく歩いている所でも変化
があることを身もって体験できるようにした。
④スロープを歩いてみる。
学生は普段は階段を使うことが多くスロープを歩く姿を見ることは少ない。しかし、装具
を着けスロープを歩くときの安定感や安心感は、普段の生活がいかに高齢者や障害者にとり
危険が多く、事故と隣り合わせの環境であるかを理解させることになる。
⑤立っている自分の位置から手の届く範囲での高低差のある物を取ってみる。
学生がどのような動作を想定し行うのか、期待と不安が交差したテーマである。しかし巡
回していると学生達は自動販売機でジュースを買ったり、図書館で様々な位置にある本を取
ったり、談話室でリモコンを使わずテレビをつけたり、低い位置にあるボックス内の新聞を
取ってみたりと、各グループで様々な動作を工夫していた。重心を低くすることで身体が安
定する体験と、膝を曲げることが困難でそれができないことがいかに不安定で無理な姿勢で
あるかを共に体験できるようにした。
⑥短大内にある様々な肘掛け椅子や丸椅子、ベンチ等複数の椅子に座り、座り心地や立ち上
伊藤 和子
77
がり行為の変化を体験してみる。
短大内にある椅子の多くは、安定感や見栄えは良いがどっしりと重く固い物が多いように
感じる。座り心地がよいとはいえない物もある。学生が比較的好んで座っているのは簡単な
丸椅子であることもうなずける。学生達は様々な椅子に座り、立ち上がり動作をして何を感
じるのだろうか。椅子の機能は座ることだけではない。座りやすさ、立ち上がりやすさも含
め座りやすい椅子であることを体験できるよう設定した。
⑦その他、高齢者の日常生活を想像し、グループで相談しながら様々な体験をするよう指導
した。
学生達にとり課題を果たすだけでも時間の制約との闘いである。その中でも学生達の豊かな感
性は様々な体験を工夫し実践していた。特に目についたことは、現代の若者の生活に欠かせない
携帯電話やダイヤルでの電話等、自分たちの生活に欠かせない生活行動を実践していたことであ
る。また、装具を装着しての姿勢の変化が及ぼす身体的不安定さは時には学生の悲鳴となった。
悲鳴を上げた学生は、介護者役をしているとき筆者に、「自分の祖父母の部屋が散らかっていた
のは、『年寄りだからしかたがない』と思っていたがそうではなく、暮らしやすい工夫なのだと
分かった」と話した。まさに体験により、高齢者へのイメージが大きく変化した瞬間であった。
高齢者疑似体験は、これまでの自分の体験や持ち合わせていたイメージと異なる体験である。
「自分が考えていたことと違う」という気づきがあるかどうかが、高齢者を具体的に意識し、高
齢者一人ひとりに個別性があることを気づかせることになる。
3.疑似体験のまとめ
第 2 回目の調査は、疑似体験演習後のゼミナールの開始直後に調査を実施した。全員がスムー
ズに短時間で記述をすませている。学生達は疑似体験の課題をグループ内で相互に協力しあい効
率よく取り組んでいった。各グループの個性が発揮され様々な工夫もあった。
ある男子学生は、携帯電話が上手く使えない体験は、駅の自動販売の切符を買う高齢者がいつ
もモタモタし「かったるい」とイライラして待っていたことを思い出したという。高齢者は財布
から小銭を出すことも大変で、自動券売機の細い穴に小銭を差し入れることはもっと大変で困難
なことに気づき、動作が鈍いのは実は致し方ない状況にあると気づいたという。
いずれにしても、疑似体験は、面倒でできれば避けたい存在でしかなかった高齢者を、新た
な視点で見つめることを学ばせた。高齢者の日々の生活は、心身の機能低下による不自由さがあ
り、不便や不安を抱え、危険と隣り合わせの生活をしていることを身をもって気づかせた。
また、ある学生は、自分の祖父の口癖である「疲れた」を連発している自分に自分でびっくり
し、これは「じいちゃんの口癖だった」と改めて気がついたと語っていた。
①高齢者の行動や動作の意味は、決して目には見えないが、それには一つ一つに意味があり、そ
の意味を知ることが高齢者の気持ちや思いを知ることになる。
78
介護福祉学科で学ぶ学生の高齢者意識の実態と介護福祉教育の課題
②身体的な特徴の変化の一部である感覚機能の衰えや持久力の低下等を知ることは高齢者のマイ
ナスイメージを変え、相手の思いや心身の苦痛を推しはかりながら支援していく一つの尺度と
なることを学ばせた。
疑似体験は高齢者の日常の何気ない生活動作の一つ一つが予想以上に大変で、すべてに時間が
かかること、不自由であることは辛いだけでなく、不安や孤独感がつきまとい、常に危険にさら
されていることを気づかせ、そうせざるを得ない高齢者の現実の姿に愕然とし大きな驚きとショ
ックを伴う形で学生に理解されていた。
4.インタビュー後の第3回目
インタビューの目的は、高齢者との同居学生が比較的多いという当学科の特徴があるものの、
若い学生が元気な高齢者と真正面から関わる機会はそれほど多くはない。まして直接、話を聞く
機会はほとんどないといえる。したがって、高齢者へのイメージや高齢者観はどうしても加齢に
伴うネガティブな印象を中心に、「年齢の割には努力している」というような漠然としたものに
なりやすい。このような傾向や学生相互の中にあるブレを共通の体験によって介護福祉教育への
導入に繋がる方向にもっていく必要がある。そのようなことから、住み慣れた地域で暮らす高齢
者の生活史を聞くことは、高齢者や高齢者を支え・支えられている家族や地域の人々のことを知
り、高齢者の生きざまを理解する体験学習となる。知識や先入観だけではなく、同じ時代をとも
に生きている存在であることを理解し、自らの高齢者観についても考える機会として設定した。
インタビューの対象者は、当短大所在地の社会福祉協議会の協力を得て、短大所在地の老人会
会長を紹介していただいた。筆者が老人会会長宅を訪問し、直接インタビューの趣旨を説明し、
会員の中から協力が得られそうな 4 人を選出していただくように依頼をした。インタビューは、
高齢者の生活をとおして、個々の高齢者の個性と特徴に気づきがいく方法をとった。それは今
後の高齢者介護がまさに個の尊厳にいかに対応できるかが基本的テーマになると考えたからであ
る。高齢者インタビューについては学生の感想文を中心に、同一の老人会会員に、同じ条件でイ
ンタビューをした 4 人の学生が何に注目し、どう感じ、考えたかを分析、考察したものであり、
それぞれの相違点に注目させられるものがみられた。しかし、本論では紙幅の都合から調査結果
の概要や分析を割愛している。結論部分だけを「結びにかえて」で取り入れているが別の発表に
詳細の報告を譲ることにしている点をお断りしておきたい。インタビュー後の記述数は16名の学
生で237個である。
第3章 調査結果の質的分析
1.修正版グラウンデッド・セオリー・アプローチ法による分析
学生の高齢者に対する意識変化のプロセスを修正版グラウンデッド・セオリー・アプローチ法
を用い分析した。量的調査も併せて行っているが紙幅の都合で他に譲りたい。質的分析を重視し
伊藤 和子
79
たのは学生の意識変化のプロセスがより重要な意味を分析的にもっていると考えたからである。
グラウンデッド・セオリー・アプローチ法は、1960年代にアメリカの社会学者グレーザーと
ストラウスによって提唱され、データーに密着した分析から独自の理論を生成する研究方法であ
る。人間をめぐる現象の理解を重視する質的研究であり、理解のために何かを測定したり検証し
たりするのではなく、解釈による意味の探索を重視している。最初は看護領域で関心をもたれ、
徐々に対人援助にかかわる専門職である社会福祉学、教育学などの領域に導入されてきた。しか
し、グラウンデッド・セオリーの理解をめぐり、データーの分析方法の違いにより様々な受け止
め方の対立が課題として残されている。
木下は修正版グラウンデッド・セオリー・アプローチ法(以下、M − GTA とする)では、デ
ーターの範囲を「この範囲に関する限り」と限定することで分析結果をまとめやすくしている。
分析方法は、データを切断せずに概念を創りだし、この概念を最小単位として、概念と概念のま
とまりとしてカテゴリー生成を行い、そのプロセスを明らかにしていくことで実践的に活用でき
る理論生成を行う方法である。20)
(1)M − GTA の研究対象
M − GTA に適している研究として、次の 4 点が指摘されている。①実践的な領域が最適であ
る、②社会的相互作用に関わるレベルにあるもの、③現実に問題になっている現象で、研究結果
がその解決や改善に向けて実践的に活用されることが期待される場合、④研究対象自体がプロセ
ス的特性をもっていることである。
(2)M − GTA に適した研究か
学生の高齢者に対する意識と意識変化のプロセスを、①入学直後、②疑似体験後、③インタビ
ュー後の 3 回にわたり実施した。入学直後では、高齢者と同居している学生にとっては高齢者は
家族の一員であり、当たり前の存在で特別な存在として意識はしていない。しかし、高齢者と同
居していない学生にとっての高齢者は、身体機能の低下により衰え、弱いものとして意識され、
テレビなどからつくり上げられたイメージ等も加わり未知な存在であり、理解しがたい存在とも
いえる。しかし、疑似体験では、老化や障害体験という質的な生活変化の体験をとおし、具体的
に高齢者の心身の機能変化を身をもって体験したことや、高齢者へのインタビューをとおし身体
機能の衰えは否めない事実であっても、高齢者一人ひとりの生き方や生活には活力があり、困難
を乗り越えてきた自信や誇りをもち、尊敬に値する存在として受け止められ学生の高齢者意識は
大きく変化していった。その意識の変化のプロセスは、介護を学ぶ学生にとり具体的な支援をし
ていく上で、支援の方法に決定的な影響を与えることになる。このプロセスの変化を明らかにす
ることはこれからの介護福祉教育に役立つものと考えられる。
80
介護福祉学科で学ぶ学生の高齢者意識の実態と介護福祉教育の課題
2.概念の生成
M − GTA の手法に従い、一人分のデータ全体に目をとおし、関連のありそうな内容をひとつ
のまとまりとして捉え、分析ワークシートのヴァリエーションの欄に記入し、全員のデータから
同類のデータがあれば、分析ワークシートのヴァリエーションの欄に追加記入し、一概念一分析
ワークシートとして14枚作成した。一定のヴァリエーションの確認ができたところで内容の意味
を解釈し、それを定義とし、その結果を概念として作成した。
(1)概念からみた学生の意識変化のプロセス
概念からみた介護福祉学生の意識変化のプロセスを以下の図 1 にまとめた。M − GTA による
学生の意識変化の概要は、意識変化のプロセスとして図示すれば図 1 のとおりである。
きんさん・ぎんさんの世界
知識や体験をとおして
知っている高齢者
良きにつけ悪しきにつけ
時々気になる存在
高齢者の一般的な特徴
私の祖父母
80歳になった未来の私の現実生活
渡る世間は危険がいっぱい
普段の生活とまったく異なる
体験の連続パンチ
昔話の絵本に出てくるおじいさん・おばあさん
不便と変化を強いられる日々の生活
安全な生活環境の必要性
身近な高齢者の日常生活
知らない世界を体験している人たち
驚きと感動に満ちた高齢者像
四角の囲みの種類
:概念
:入学時の学生の高齢者意識
:学生が体験により変化した高齢者意識
:学生が新たに獲得した高齢意識
図 1 概念からみた介護福祉学生の意識変化のプロセス
伊藤 和子
81
①学生の意識の出発点は「入学直後の高齢者に対するイメージ」である。いわゆる「きんさ
ん・ぎんさんの世界」は加齢による身体変化の特徴が「顔のたるみ」、「白髪」、「肌にシワ・シ
ミ」や「無表情」、「入れ歯」等という形で表現される外見上の高齢者イメージである。さらに、
そのような高齢者が外見上で表現するものは「腰が曲がる」、「足腰が弱い」、「身体が不自由」等
のイメージに連動し、衰えていく高齢者像が形成される。学生の意識は外見上得られた身体的
変化の特徴「知識や体験をとおして知っている高齢者」は次第に「身体機能が衰える」、「身体が
弱くなっていく」ものとして映る。高齢者は身体症状として「目が不自由」で「難聴」になり、
「食べ物が飲み込みにくい」、「運動機能が低下」等する。精神的には「認知症(痴呆症状)が
多い」、「物忘れが多くなる」。健康面では「感染症になりやすい」、「多くの病気をもっている」、
「慢性化して治りにくい」。そして、「独特な体臭がする」等という表現で「高齢者の一般的な特
徴」として高齢者像が認識され始める。高齢者の「身体機能の低下」と「精神的な物忘れ」は
次第に高齢者像を「年齢的に固定」し、社会的な「年金」、「敬老パス」、歴史的な「戦争体験者」
という空間で理解する。「人生の大先輩」や「生き字引」、「知恵のある人たち」というのは、こ
の文脈から発生する。機能低下や衰えを感じているので「寝たきり者が多い」や「オムツをつけ
ている」というイメージや家族、地域社会から「孤立しやすい」し、「友達が少なくなる」とい
う「弱者のイメージ」が前面にでる。
学生の高齢者像は身近かな「私の祖父母」の日常生活をとおして、現実世界によび戻される。
確かに身体機能の低下は日常生活の風景によくみられる。しかし、祖父母の生活世界はひとり
の人間として文化的に様々な側面をもっているものとして学生に映っている。単なる高齢者の一
般的なイメージとは違って「早寝・早起き」で「雨降り以外はゲートボールに行く」し、生活の
楽しみ「歌が好き」や「散歩好き」、「テレビ好き」や「世間話が好き」、そして「バス旅行が好
き」や「団体で行く温泉が好き」等にみいだしていると捉えられている。日常生活にみる祖父母
は「周囲の人や様子に気を遣う」し、「小さな子どもやペットが好き」で「孫に弱く」、「優しい」
が「嫁の家事に文句をつける」し「若者の服装にも文句をつける」なかなかの存在であることも
実感している。こうなると、ひとりの人間として対等な関係で評価するので「頑固者」、「わがま
ま」とも映る。「良きにつけ悪しきにつけ時々気になる存在」である。しかし、より個別的で個
性的な人間像が浮かび上がってきているのが興味深い。
②介護福祉学科で学ぶ学生は高齢者介護サービスを直接的に担う専門職として現場に出て行
く立場にある。高齢者像の転換には高齢者介護サービスの対象になる高齢者の心身機能の低下を
理解してもらうことが介護福祉教育の前提であり基礎になる。疑似体験後の高齢者に対するイメ
ージは学生の心身機能との相違を実感させることになり、意識転換をはかる一つの方法である。
「80歳になった未来の私の現実生活」は一気に学生を「80歳の日常生活」にタイムスリップさせ
ている。学生は自らが高齢の身体機能低下の世界に入り「難聴で音や人の声が聞き取りにくい」、
「視界がぼやける」、「視野が狭い」、「遠くの物が見えずらい」、「自分の身体全体がいつも重い」
と疑似体験したことにより「坂がわからない」、「段差の始まりと終わりが分かりにくい」、「転び
82
介護福祉学科で学ぶ学生の高齢者意識の実態と介護福祉教育の課題
やすい」、「周囲の障害物に気がつかない」、「後ろの人に気がつかない」こと等を「身近な高齢者
の日常生活」として驚きをもって受け止めている。まるで「昔話の絵本に出てくるおじいさん・
おばあさん」であり、疑似体験は身体機能の低下が進むと単に「足腰が弱くなる」のではなく、
「身体のバランスが取れない」し、「段差につまずきやすい」状態が生じ、「物や障害物に気がつ
いてもすぐに避けられない」事態に繋がるものであることを理解させている。
学生は「普段の生活とまったく異なる体験の連続パンチ」により、高齢者の日常生活につい
て変化した認識を形成する。第 1 に、日常生活がいかに不便で困難なものであるかという認識で
ある。「新聞が読めない」、「人の声が聞きづらく、まともな会話ができない」に始まって「和式
トイレで膝が曲がらない」、「しゃがむのに苦労する」、「立ったり座ったりが大変に辛い」、「布団
を敷くのは大変だ」、「お風呂で背中を洗うのは大変」、「座っているのが大変」、「椅子から立ち上
がるのはもっと大変」という表現で、日常生活が大変という捉え方に新たな意識転換を読み取れ
る。第 2 に、自らの日常生活と比較して「スキップができない」、「財布から小銭が出しにくい」、
「自販機が使いにくい」、「携帯電話のボタンが押せない」、「メールを打つのに時間がかかりすぎ
る」、「ファックスがしにくい」と実感し、この側面から大変なことだとも認識する。第 3 に、大
変さがどのようなものかという認識である。「一つのことをするにも気合いが必要」、「動作が辛
い」から始まって、「一人で歩くのが怖い」、「 2 階に行きたくない」、「階段が怖い」という。こ
の怖いという表現は学生の日常生活と最も対極にある実感であり、「怖さ」が「大変さ」の中味
を「不便と変化を強いられる日々の生活」と言い当てている。
学生は疑似体験をとおして「身体が辛いと気持ちが孤独になってくる」、「一人でいるのが不
安」という表現で障害や不自由さ、痛さや身体の重さが精神的重圧と連動することを認識し、自
らの日常生活から得られた高齢者イメージを転換させている。
学生は疑似体験をとおし、高齢者の日常生活が「渡る世間は危険がいっぱい」であり、「安
心・安全の確保」へと関心が移り、高齢者イメージが変化をみせている。学生はどのような工夫
や支援があれば障害や不自由を改善、緩和できるのかを考え始めている。第 1 に、「人が傍にい
てくれると安心」というように、いつも傍に人がいること、人材こそが最大の安心であることを
いい当てている。第 2 に、住宅改修へのイメージを膨らませ「和式トイレより洋式トイレの方が
楽に座れる」、「段差のある所に手すりがあると安心で楽である」、「横に引くタイプのドアが使い
やすい」、「スロープは歩くのに楽だ」等のようにユニバーサル・デザインに繋がる発想を次第に
だしている。学生の意識変化は「安全な生活環境の必要性」に気づき、介護サービスの条件と実
施体制へと発展をみせようとしていることが読み取れる。
③学生の意識変化を促す試みは「きんさん・ぎんさんの世界」とそれまでの「知識や体験をと
おして知っている高齢者」のイメージを転換させる方法を実施することにある。ここでは「高齢
者へのインタビュー」をとおして高齢者像を転換させる方法をとった。この結果、加齢により、
身体の変化と衰えが相当なものであることを認識した学生が高齢者の普通の生活をとおして「知
らない世界を体験している人たち」に出会い、もう一つのカルチャーショックを受け、
「驚きと
伊藤 和子
83
感動に満ちた高齢者像」を描いていくことが分かる。学生は高齢者インタビューをとおし、高齢
者の日常生活から今まで気がつかなかったり、知らなかったりした高齢者の生き方や普段の生活
の様子を理解する。高齢者が「社会的弱者」であり、「同じような弱さ」と「特徴をもっている」
とみていた高齢者像が変化する。何が学生の意識変化を促したかを簡潔に述べると次のような方
法をとったからだと考える。
第 1 に、高齢者インタビューで高齢者一人ひとりの生活史を語ってもらったことが高齢者イメ
ージの転換に繋がっている。学生は高齢者の生活史の中に歴史と社会と、そこをひたむきに生き
てきた個別的で具体的な、きわめて個性的なひとりのかけがえのない人生と生き方を学んだので
ある。つまり、高齢者は画一的で平均的なものではなく、個別的で一人ひとりであり、決して高
齢者一般でくくれるものでないことを理解した。
第 2 に、高齢者インタビューは歴史のなかで、当時の青少年がきわめて早い時期に労働につ
き、限られた教材と資料の中で技術を学び、戦争に翻弄され、その中で結婚し、子どもを育て、
人とのふれ合いや関係を大事にし、物を大切にして頑張り抜いてきたかを学んでいる。
第 3 に、生活に目標をもち、いろんなことに興味を抱き、かって身につけた技術や知識を今の
生活や趣味に活かし、「自分の生き方に自信と誇りをもっている」、「プライドをもって生活して
いる」、「気持ちが若い」、「おしゃれ」で「表情が豊か」で「人との交流を楽しんでいる」、「昔の
話をすると止まらなくなる」、「誰かに必要とされたいと思っている」、「お礼の手紙などをきちん
と書く」し、「同じ高齢者でも一人ひとりの考え方が違う」とみている。このように高齢者観が
大きく転換していることが分かる。
第 4 に、したがって「身近な高齢者の日常生活」はマイナスイメージではなく、肯定的な側面
に切り替えて評価している。高齢者は社会的交流が大好きで「いつも誰かと一緒にいたい」、「旅
行が大好き」と映ってくる。日常生活も「喫茶店で世間話をするのが好き」で「花作り」や「土
いじり」が好きで「小さな動物が好き」である。身なりは「きれい好き」で「若い男が好き」そ
して「笑顔が可愛い」というように全体的にプラス思考の好意的な表現でみている。
第 5 に、高齢者の生活実態を理解した上で老化に伴う変化を考え、この文脈からもう一度、安
心・安全の生活環境の整備や工夫、支援へと発展を循環させ始め、新たな気づきが生まれてい
る。
④学生の意識変化のプロセスは図 1 のとおりであるが、入学時の学生の高齢者意識は「きん
さん・ぎんさんの世界」であったものが「疑似体験」により「普通の生活とまったく異なる体験
の連続パンチ」に繋がり、不便、不自由さを超えた「怖さ」の実感が学生の意識変化を促してい
る。しかし、「高齢者インタビュー」は個性的でたくましく生きている高齢者に接して「驚きと
感動に満ちた高齢者像」のイメージが学生に形成された。これらの新たに獲得した学生の高齢者
意識の変化のプロセスをみると、「きんさん・ぎんさんの世界」に出発したイメージが「疑似体
験」により「弱さ」の質が「怖さ」に繋がることを知り、「高齢者インタビュー」でもう一つの
高齢者イメージとして、明るさとたくましさの世界を理解している。この「弱さ」、「怖さ」から
84
介護福祉学科で学ぶ学生の高齢者意識の実態と介護福祉教育の課題
「明るさ」、「たくましさ」への移行の中で、改めて「安全な生活環境の必要性」が再構築されて
いくプロセスが図 1 の意図した全体の相互関連がうかび上がってくる。
(2)学生の意識の変化の概念から生成したカテゴリー
学生の高齢者に対する意識から導き出した概念と概念の関係を検討し、一つの概念から二つ以
上の概念に徐々に関係づけながら、新たに生成した概念をカテゴリーとして以下の図 2 のように
作成した。図 2 から「学生の意識の変化の概念から生成したカテゴリー」を述べると次のように
分類、整理できる。
1 )学生の高齢者に対する意識は、身近な場面での接触や交流経験、マスコミ等の情報、知識
から得たもの等をとおし、様々な状況の高齢者を外見的な特徴・身体機能の低下等により生じた
問題とし理解している。また、社会的な高齢者の定義の一端も理解し、将来的に社会が果たすべ
き役割にも気づいていることから、「老化に伴って起こる行動の不自由さと苦痛の理解」とした。
2 )高齢者と同居している学生は、一週間のうちに何らかの関わりを最低でも 1 ∼ 2 回以上は
もっていると回答した学生が 1/3 以上を占めている。その生活経験をふまえ、高齢者の日常生
活習慣が自分たちといかに異なっているのか、また、理解しがたい思いや嫌悪感、逆に優しく支
えられていることへの感謝の気持ち等も体験的に理解している。高齢者は自分たちの生活スタイ
ルと同じではなく、高齢者なりの生活スタイルを持ち工夫や配慮をしながら生活していることに
気づいている。高齢者が生活している今の生活環境は決して高齢者にとり、安全で安心できる環
境ではないことから、「健康・若さ・経済性が優先される生活環境」とした。
3 )疑似体験は、今までの学生生活を一変させ、好奇心や驚き、共感や刺激を受けている。今
までは緩慢で動作が鈍く時間がかかる面倒な存在だった高齢者の日常生活の姿は、誰でもがい
つかは同じようになることを理解し、介護者として支援の必要性に気づきが向いている。「(利用
者)自身のペースで生活することの大切さと側面から支援する重要性」とした。
4 )疑似体験から、高齢者との距離感は縮まり、自らの老後の姿を思い描き考えられるように
なっている。介護者として危険性の回避の必要性にも気づいているので、
「老化に伴って起こる
危険・不安・孤独などを理解した上で、安全な社会システム構築の必要性」とした。
5 )高齢者は加齢により心身の機能が低下し、日常生活もスムーズに行うことができなくなっ
ても、その人らしく、精一杯、一生懸命に生きていることに学生は感動している。自分たちと同
じように青春時代があり、同じよう飛び跳ねて遊んでいたことに共感し、将来の自分の姿と重ね
合わせ、自分もかくありたいと親しみをもち受け入れている。高齢者の消極的・積極的側面を正
しく認識することは、今後の高齢者観を形成する上で重要であると考えられることから、
「高齢
者観の形成」とした。
85
伊藤 和子
・きんさん・ぎんさんの世界
・昔話の絵本に出てくるおじいさん、おばあさん
・知識や体験をとおして知っている高齢者
・高齢者の一般的な特徴
・知らない世界を体験している人たち
老化に伴って起こる行動の
不自由さと苦痛の理解
・私の祖父母
・身近な高齢者の日常生活
・良きにつけ悪しきにつけ時々気になる存在
健康・若さ・経済性が優先
される生活環境
・80歳になった未来の私の現実生活
・不便と変化を強いられる日々の生活
・普段の生活とはまったく異なる体験の連続パンチ
自分のペースで生活するこ
との大切さと側面から支援
する援助への気ずき
・渡る世間は危険がいっぱい
・安全な生活環境整備の必要性
老化に伴って起こる危険や不安、孤独
などを理解した上で、安全な社会シス
テム構築の必要性
・驚きと感動に満ちた高齢者像
高齢者観の形成
:概念名
:カテゴリー
図 2 学生の意識の変化の概念から生成したカテゴリー
3.調査の結果の概括
学生が教員の準備した学習プログラムに沿って、学生自身が主体的に学習してきた結果、高齢
者を見て知っている・接して分かっているレベルから、実感できる・実際に感じて理解できるレ
ベルに到達したプロセスを以下の図 3 にまとめた。
図 3 から学生の高齢者観の意識変化を概括的に述べると、それぞれの到達した一定の段階を読
み取ることができる。
第 1 に、「老化に伴って起こる行動の不自由さと苦痛の理解」は入学直後の「きんさん・ぎん
さんの世界」それまでの「知識や体験をとおして知っている高齢者」のイメージ、つまり、「高
齢者の一般的な特徴」が何によって意識変化を起こすのかということである。学生の高齢者イメ
ージは「私の祖父母」、「身近な高齢者の日常生活」によって形成されたものである。この体験か
らイメージした主観的な捉え方を学生の「知らない世界」へ旅立たせ、客観化させる体験をとお
して新たな高齢者イメージを問題提起していく作業が介護福祉教で必要だということである。介
護福祉教育の現場ではカリキュラムにそって講義、演習を組み合わせ、現場実習への準備をする
が「老化に伴って起こる行動の不自由さと苦痛の理解」は何らかの衝撃や感動を伴う体験を経過
しないと難しい。学生の意識変化は、まず入学直後の高齢者イメージがどういうものであるかを
86
介護福祉学科で学ぶ学生の高齢者意識の実態と介護福祉教育の課題
・昔話の絵本に出てくるおじいさん・おばあさん ・きんさん・ぎんさんの世界
・体験や知識の中の高齢者 ・ 高齢者の一般的な特徴
知らない世界を体験している人たち
老化に伴って起こる行動の不自由さと苦痛の理解
・私の祖父母 ・身近な高齢者の日常生活
・良きにつけ悪しきにつけ時々気になる存在
健康・若さ・経済性が優先される生活環境
・80歳になった未来の私の現実生活 ・不便と変化を強いられる日々の生活
・ 普段の生活とはまったく異なる体験の連続パンチ
自分のペースで生活することの大切さと側面から支援する援助への気づき
・渡る世間は危険がいっぱい
・安全な生活環境の必要性
・驚きと感動に満ちた高者像
老化に伴って起こる危険や不安、孤独を理解した上で、
安全な社会システム構築の必要性
高齢者観の形成
図 3 結果図
表現させ、各自がもっている生活世界での主観的な高齢者観を自覚させることが重要になる。こ
の体験学習の試みが「疑似体験」と「高齢者インタビュー」であることはすでに述べたとおりで
ある。
第 2 に、第 1 の到達段階へ高齢者イメージを変化、転換させるうえで実践的な課題として浮か
び上がってくるのは「健康・若さ・経済性が優先される生活環境」という、学生を取りまく日常
生活の価値観である。「ピンピン・コロリ」や「ポックリ寺信仰」まであり、八事興正寺、遠く
は巣鴨の地蔵さんに至る、極楽往生の思想が「身近な高齢者の日常生活」から生活文化として学
生の意識に入り込んでくる。高齢者を身体機能が低下していく存在として理解しながら「年金」
伊藤 和子
87
と「敬老パス」を持ち「花柄の服装が好き」という生活環境の狭間に揺れている。この「体験と
知識の中の高齢者」イメージをどう転換、変化させていくかという実践的課題は丁寧に学生と向
き合いながら、学生自らが、学生の言葉と表現で語る場と機会をつくっていく共同(協同)作業
を必要とする。
第 3 に、
「自分のペースで生活することの大切さと側面から支援する援助への気ずき」は、第 2
の実践的課題へ取り組み、第 1 の課題へ迫っていくその二つの課題の影響力を行使していく発信
源の位置にある。第 3 の位置は、学生の意識変化を促す起爆剤的役割をもっている。それは疑似
体験をとおして、今までの「体験や知識の中の高齢者」イメージが大きく変化しており、調査結
果で実証されたと分析できる。学生は「80歳になった未来の私の現実世界」を自ら体験したので
ある。これは今までの学生の生活世界で形成された高齢者イメージを根底から転換させるほどの
衝撃をもって受け止められている。学生の体験は当初に予想した「不便と変化を強いられる日々
の生活」というイメージよりも「渡る世間は危険がいっぱい」を実感し、初めて身体機能の低下
による「怖さ」を理解できた。これは今までの学生の価値観を変えるカルチャーショックそのも
のである。この疑似体験をとおして、学生は「身近な高齢者の日常生活」が「健康・若さ・経済
性が優先される生活環境」になっており、「安全な生活環境の必要性」を認識している。つまり、
ここで価値観の転換が図られていることに注目しておきたい。
今一つ、学生の価値観を変化させ、転換させる役割を果たしたのは「高齢者インタビュー」で
ある。地元社会福祉協議会のご紹介による町内の老人会会員は「私の祖父母」のイメージを超
え、「体験や知識の中の高齢者」とも違って、社会的役割を引き受け、社会関係を大切にし、若
い時からの労働と生活で獲得した知識と技術を活かして、誇りと目標をもって人生を生き抜いて
きた。一人ひとりが個性的で、一人ひとりが自分の人生を切り拓いて、今日なお輝いていた。学
生は「自分のペースで生活することの大切さ」を敏感に学びとっている。私の「祖父母」を超え
た、もう一つの高齢者像を「驚きと感動」をもって理解している。地元町内会の老人会員はマス
コミに登場するサクセスストーリーの主人公でも億万長者でもなければ有名人でもない。恥ずか
しがり屋で控えめだが、労働と人生に誇りをもち 、 話好きで、周囲の人たちや社会関係を大切に
している姿に「驚きと感動」を抱いている。学生のもつこの感性があれば、庶民のひたむきに生
きてきた生活史に感動する心があれば、当事者本位のサービスの出発点に立てる。もう、その第
一歩を踏み出したといえるのかもしれない。
第 4 に、「老化に伴って起こる危険や不安、孤独を理解したうえで安全な社会システム構築の
必要性」は、主として「疑似体験」から得られた高齢者イメージの転換によって形成されたカ
テゴリーである。学生が「小さな坂や段差も気づかない」、「周囲の障害物に気づくのが遅くな
る」、「視界がぼやけ視野が狭い」、「遠くの物が見えずらい」、「難聴で音や人の声が聞きとりにく
い」、「手足の自由がきかない」、「動くのが辛い」と実感したときの想像を超える「危険や不安」
が「安全な社会システム構築の必要性」へと繋がっている。
最後に、
「高齢者観の形成」は「きんさん・ぎんさんの世界」、「私の祖父母」から得られてい
88
介護福祉学科で学ぶ学生の高齢者意識の実態と介護福祉教育の課題
る高齢者イメージの転換をさしている。学生は「疑似体験」、「高齢者インタビュー」をとおし
て、「衝撃」、「驚きと感動」を伴う形で意識変化がもたらされ、イメージ転換したことによって
新たに獲得し、形成した価値観である。介護福祉サービスの当事者本位の理念と思想はこの新た
に形成された「高齢者観」によって、介護福祉教育の理念と実際を学ぶカリキュラムに活かされ
ていくことになる。学生のそれまでの生活世界で得られた主観的な高齢者イメージを介護福祉教
育の理念と目標に沿うフィールドへ転換させる場と機会の一つの方法として、この調査が一定の
有効性をもっているものと結論づけられる。
結びにかえて −調査結果からみた介護福祉教育の課題についての考察−
介護福祉教育は入学直後の学生実態から横断的にみれば現代青年論で議論されるニートやフリ
ーター問題に繋がるものをもっている点は否定できない。しかし、学生は介護福祉教育への何ら
かの関心をもって、たとえ消去法で積極的でないにしても、この分野で介護福祉士をめざそうと
している。このことを高く評価し、介護福祉教育への導入に向けた筋道をつけていく必要が筆者
達に課せられている。
本論文を構成していくうえで、研究方法として意図したことは、まず、学生の実態と特徴を理
解することから出発するという、あたり前の調査方法から取り組んでいる。
学生は基本属性からみると持ち家に住む者が多数で、父親も正社員が多く、母親の職業も 1/3
が福祉・介護・保健・医療関連職というように比較的安定している。家族構成も 4 ∼ 5 人が半数
以上を占め、約半数は祖父母と週 1 回以上の交流をもっている。入学動機もボランティア活動の
経験を多くがもっており、学生の 2/3 は進路を自らが決めている。
しかし、学生の生活実態は基本的生活習慣と健康管理において多くの問題をもっている。「朝
食を食べない・食べられない」に始まり、就寝に際して「寝間着を持っていない・寝間着を着な
い」学生が多数派である。健康管理は「排便が10日以上ない学生」もいる。このような生活態度
で介護福祉教育を講義し、演習を行っても実習にはだせない。学生の生活意識にいくら問題があ
ってもつき離すわけにはいかない。よくみると「もったいない」を理解できる学生が多い。だが
高齢者の「もったいない」と学生の「もったいない」にはジェネレーションギャップがある。た
とえば、高齢者は梅干しに「土用干し」のイメージが重なり、梅干しに込められた思いと手間暇
を考えるか、それともスーパーで「お金」でいつでも買える手間のかからない物としてみるかに
生活文化の違いがある。この世代間の生活文化の違いをどう理解しあい、共感できるものにして
いくかが課題になっている。
現代の青年が高齢者と生活文化のジェネレーションギャップをもつことは当然のことで、学生
の意識変化をはかり、高齢者理解へ結びつけていくのが介護福祉教育の入門期に必要となる。介
護福祉教育は、通常 2 年間の教育プログラムで有資格を授与することから時間猶予はない。つま
り、入学直後が介護福祉教育への動機づけとして重要な時期になる。
本研究は本論で展開したように、研究方法として入学直後の調査から入っている。まず、学生
伊藤 和子
89
の高齢者イメージがどういうものであるかを把握し、知識として意識変化を教えるのではなく、
学生の気づきによる意識転換が方法論的に必要だと考えた。その理由は、現代青年論のニートで
いう引きこもり等は「上から与える」方式で青年の意識変化ができないことを示している。教員
と学生の相互信頼を基礎として、学生の参加と協働により自ら気づき「何とかしなければ」とい
う発想に繋がる感性に働きかける方法が仮説的に浮かびあがる。調査の企画は、学生が今までつ
くりあげてきた高齢者イメージに疑問を与え、一度壊して新たなものに再編していくシナリオか
ら発想する以外ない。
「疑似体験」は自らを超高齢者の世界へ誘う方法である。学生は初めて自らの身体を自己コン
トロールするのが難しく「怖さ」まで伴う生活世界を体験する。「疑似体験」は衝撃的な形で介
護福祉教育の対象者理解を促している。学生は自らの心身の状態を基準に「多少困難な人たち」
と想像し、理解していたイメージがここで壊され、新たな認識を獲得している。一方の「高齢者
インタビュー」は老人会会員調査であり、調査対象が一般高齢者である。学生の世代間ギャップ
をみすえ、高齢者の生活文化を理解できる方法として実施した。この調査方法は調査目的を学生
と老人会会員に理解してもらう企画と実施までのサポートを必要とするが、この点をクリアーで
(注 6 )
きると興味深い結果がでてくる。
「高齢者インタビュー」の教訓は、老人会会員と学生の相
互関係、協働をどう引きだすかということにあった。老人会会員は依頼を受け、インタビューに
備えて何日も前から自らの生活史を振り返り、整理し、メモまで作っていた。会員が学生だとい
うことで一定の緊張感をもち、孫に語りかけるような優しさで自らの人生を誇りをもって伝えて
いる。
インタビューの対象者は老人会会員として、今でも忙しく社会的役割をもち、生き生きとし若
さを維持しながら、継続は力なりと目標をもったスローライフはやがて実を結ぶことを「驚きと
感動」を与える形で学生に伝えている。介護福祉教育は地域の力、高齢者の参加を得ることによ
って学生の意識変化を促すことができる点に注目しなければならないことを教えてくれる。この
企画は老人会会員にとっても新たな社会的役割と活動に繋がり、次の世代を地域において教育し
ていく相互交流の一つになるのではないかと考えられる。
本研究は介護福祉学科で学ぶ学生の高齢者意識の実態を把握し、その高齢者イメージを転換さ
せることによって介護福祉専門職の課題に迫るものとして取り組んだ。研究成果としては、現代
青年論の課題に対して介護福祉教育をとおしてどのように取り組んだらいいのかについて、一定
の教訓を引き出したことが上げられる。しかし、今後の研究課題として、「疑似体験」にも幾つ
かのレベルや方法がある。学生の教育のどの時期にどのような方法が適切かについて、さらに先
行研究を検討し改善を加えていかなければならない。
また、「高齢者インタビュー」は、高齢者の生活史の聞き取りが世代間のジェネレーションギ
ャップをうめ、高齢者一人ひとりの個別性と尊厳に気づきがいく点で一定の成果を得た。しか
し、生活史調査の方法として労働(職業歴)を基軸としながら、介護福祉教育の側面から何を主
要項目にしたらいいのか等については残された研究課題である。
90
介護福祉学科で学ぶ学生の高齢者意識の実態と介護福祉教育の課題
今後、介護福祉教育の現場から何を研究すべきかを明らかにしたところでこの研究は終わって
いる。不十分な分析や考察に止まっているところもさらなる研究が必要なものと認識している。
本論文は2004年度日本福祉大学院社会福祉研究科福祉マネジメント専攻における修士論文を素
材にして論旨の再構成をはかったうえで作成したものであることをお断りしておきたい。
本論文は介護福祉学科で学ぶ学生の実態と意識、そこでの教育課題に論点を絞っている。この
ため修士論文の介護福祉教育の発展過程の考察、つまり、政策・理論動向を削除している。さら
に、論点を多義的にしないために高齢者意識調査の量的分析、地元老人会への高齢者インタビュ
ーのまとめ等も取り入れていない。学生の介護意識の変容過程をみるうえで高齢者インタビュー
も興味深いものがあった。しかし、これらのデータは今後の研究課題と結びつけてさらに次の研
究に活かしていきたいと考えている。
最後に本論文は実習等で追いまくられている教育現場から書いたもので、当学科の教員のご理
解・協力があった。また、支えてくれた学生達、調査に応じてくださった老人会会員の皆さま達
のご援助の賜である。
また、査読者からは示唆に富む貴重な査読コメントをいただきました。深謝いたします。
注
(1)聞き取り調査内容の詳細は省略するが、学生の生活実態は想像を絶する例が数多くあった。
家庭生活の実態も筆者の経験からは考えられない現実もあり、現代の学生の実像を知るため
には家庭生活を含め、生活実態を詳しく把握し分析していく必要性を改めて実感している。
(2)学生によるインタビューの内容は、事前準備、インタビューの実際、インタビュー内容をレ
ポートとして一人1200字程度にまとめたものを、①学生は高齢者の言動の何に関心をもった
のか、②その言動を学生はどのように感じ、どのように反応したか、③高齢者の言動につい
て学生は何を考えたのかの 3 点について整理し分析した。結果のまとめは別の機会に報告し
たい。
(3)KT-27高齢者体験装具“おいたろう ”(京都科学)は、手足に重りやサポーターを装着する
ことで運動能力を80歳前後に低下させるための高齢者疑似体験用装具類である。高齢者体
験装具で利き手、利き足の関節にサポーターの装着と重りをつけ、上下肢の半身の動きを
制限し、足・手首の招きの抑制も加え、肩チョッキの着用と重りで上半身の重心を不安定に
させ、耳栓、耳当てとメガネで聴覚・視覚の機能制限、手袋の着用で触覚機能の低下をはか
り、 杖を使用し歩行したり等のさまざまな高齢者体験を試みる装具である。
(4)学生を二人∼三人を 1 組とし順次装着し疑似体験を実施した。また、疑似高齢者以外の学生
は介護者役として疑似高齢者の身近で支援する役割を体験させ、高齢者の日常生活の疑似体
伊藤 和子
91
験と介護者の役割をグループで相互に体験できるようにした。
引用・参考文献一覧
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会福祉教育の課題」『戦後社会福祉の総括と21世紀への展望Ⅲ政策と制度』236. 2 )日本学生相談会 2004.3「第41回全国学生相談研修報告書」
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4 )松峰修他「大学生の生活の質に関する『大学生活調査カタログ』の開発」
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6 )山下恵子,尾台安子 2003.7「介護学生の生活実態と健康に関する意識」『介護福祉教育』
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平成14年度入学生の比較」地域環境保健福祉研究第 6 巻第 2 号.31-37.
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20)木下健仁 2003.8『グラウンデッド・セオリー・アプローチの実践』弘文堂
92
介護福祉学科で学ぶ学生の高齢者意識の実態と介護福祉教育の課題
添付資料 1
介護福祉学科学生アンケート調査のお願い
愛知江南短期大学社会福祉学科に進学した皆さんの実態を把握し、今後の介護福祉教育に活か
していくための調査です。この調査は無記名で、この回答は、調査目的以外には使用しません。
ありのままを答えてください。ご協力をお願いいたします。
アンケートの回答は、それぞれの事項ごとに、当てはまる番号を○印で囲んでください。記述
が必要な場合は( )内に記入してください。
1 .学年 ① 1 年 ② 2 年
2 .性別
①男子 ②女子
3 .家族構成 何人( )人
4 .きょうだいは何人ですか ( )人
5 .あなたの続柄 ( )
6 .あなたの祖父母は健在ですか ①健在 ②全員亡くなっている
1 )祖父母がある方のみにお聞きします。祖父母との同居について
①同居している ②同居していない ③過去にしていた ④同居の予定がある
⑤二世帯住宅 ⑥その他( )
2 )同居の有無に関わらず、祖父母との交流(挨拶、会話、一緒に食事をする等)について
お聞きします
①ほぼ毎日ある ②一週間に 3 ∼ 4 回位はある ③一週間に 1 ∼ 2 回位はある
④一ヶ月に 1 ∼ 2 回位はある ⑤半年に 1 回位はある ⑥一年に 1 回位はある
⑦数年に 1 回位はある ⑧ほとんどない ⑨その他( )
7 .あなたの両親の年齢をお聞きします
1 )父親 ①39歳以下 ②40∼44歳 ③45∼49歳 ④50∼54歳 ⑤55∼59歳
⑥60∼64歳 ⑦65∼69歳 ⑧わからない ⑨死亡 ⑩その他( )歳
2 )母親 ①39歳以下 ②40∼44歳 ③45∼49歳 ④50∼54歳 ⑤55∼59歳
⑥60∼64歳 ⑦65∼69歳 ⑧わからない ⑨死亡 ⑩その他( )歳
伊藤 和子
93
8 .家族の主な職業をお聞きします
1 )父親 ①雇用の正社員 ②雇用でパート ③自営業 ④農業 ⑤公務員 ⑥自由業
⑦無職 ⑧福祉・介護関連職 ⑨保健・医療関連職 ⑩わからない
⑪その他( )
2 )母親 ①雇用の正社員 ②雇用でパート ③自営業 ④農業 ⑤公務員 ⑥自由業
⑦無職(専業主婦)⑧福祉・介護関連職 ⑨保健・医療関連職 ⑩わからない
⑪その他( )
9 .家族の住居の形態をお聞きします
①持ち家(分譲マンション含)②民間賃貸住宅 ③賃貸公営住宅 ④社宅・公務員住宅
⑤間借り ⑥その他( )
10.現在のあなたの住まいをお聞きします
①自宅通学 ②一人暮らし ③学生寮 ④親類・知人宅 ⑤その他( )
11.ボランティア活動についてについてお聞きします(内容、期間は問いません)
1 )入学までのボランティア活動の有無 ①活動経験がある ②活動経験はない
2 )ボランティア活動への関心について
①非常に関心がある ②ある程度関心がある ③あまり関心がない ④ほとんど関心がない ⑤わからない ⑥その他( )
3 )入学までにボランティア活動をした方にお聞きします。それはどのような活動でした
か。(複数回答可)
①高齢者支援 ②障害者支援 ③幼児・児童支援 ④環境保護・リサイクル活動
⑤子ども会や地域の方々との地域活動 ⑥災害復興支援 ⑦スポーツ指導 ⑧外国人支援 ⑨募金活動・チャリティバザー ⑩ボーイ・ガールスカウト活動
⑪その他( 4 )ボランティア活動が進学に与えた影響についてお聞きします
①非常にある ②ある程度ある ③あまり関係ない ④関係ない ⑤わからない
5 )入学までにボランティア活動をしたことがない方にお聞きします。それはどのような理
由からですか。(複数回答可)
①忙しくて時間がなかった ②きっかけや機会がなかった ③関心や興味がなかった
④適当な活動の場が見つからなかった ⑤活動に必要な情報が得られなかった
⑥一緒に活動する仲間がいなかった ⑦身近に活動している人や誘ってくれる人がいなかった
⑧活動に必要な知識・技能を身につける機会がなかった ⑨わからない
⑩家族や周囲の理解が得られなかった ⑪特に理由はない ⑫その他( )
94
介護福祉学科で学ぶ学生の高齢者意識の実態と介護福祉教育の課題
12.介護の経験の有無についてお聞きします(お手伝い含)
1 )入学までの介護の経験有無 ①ある ②ない
*入学までに介護の経験がある方にお聞きします。どなたの介護をしていましたか
( )
13.あなたの介護の体験は、あなたの進学に与えた影響についてお聞きします
①非常にある ②ある程度ある ③あまり関係ない ④関係ない ⑤わからない
14.介護福祉士への進路決定についてお聞きします
①相談して決めた ②ほぼ自分で決めた
*相談して決めた方にお聞きします。どなたに相談しましたか
( )
15.介護福祉士になろうとした動機はどのようなことですか。
(複数回答可)
①将来に役立つ専門職(資格)だから ②人に役立つ仕事だから
③人のお世話が好きだから ④自分も介護の経験があるから
⑤家族が介護をしている(必要とする人がいる)から(いたから)
⑥将来的に安定した職種だから ⑦身体を動かすことが好きだから
⑧ボランティア活動等での体験 ⑨祖父母(高齢者)が好きだから
⑩身近に介護関係者がいるから(いたから) ⑪自分にできそうな職種だから
⑫身近に障害のある人がいるから(いたから) ⑬他職種になるために必要だから
⑭家族や身近な人の勧めがあったから ⑮他職種に進めなかったから
⑯何となく ⑰社会的に認められた職種だから ⑱その他( )
ありがとうございました。
伊藤和子
〒489−8086 愛知県江南市
高屋町大松原172番地
愛知江南短期大学
社会福祉学科
愛知江南短期大学
紀要,35(2006)
95−106
日本語の中の英語、英語の中の日本語
−英語/他言語の境界不確定性について−
溝 上 由 紀
English in Japanese, Japanese in English:
Boundary Ambiguity Between English and Other Languages
Mizokami Yuki
Introduction
In my earlier work (Mizokami, 2002), I attempted to formulate a theory of my own on the
workings and politics of language. Reviewing the theories on language by Foucault, Gee, Hall
and others, I established my hypothesis on the mechanism of Discourses in society with critical
appropriation of their theories. My hypothesis on the mechanism of Discourses that works to
maintain the domination/dominated relationships is as follows. First of all, there are 'Dominant
Discourses', which are usually referred to as 'truth' or 'common sense' in society. By gaining
the consent of both dominant and non-dominant people, these Discourses will acquire 'taken-forgranted' status and become rooted as unchallegeable facts. Dominant Discourses work to direct
non-dominant people to consciously and unconsciously consent to the conditions of their own
subordination by accepting the dominant value judgments; and thus do dominant people maintain
their hegemony, or legitimise existing social relations and power differences. Dominant Discourses
thus function to fix and justify existing dominant/dominated relationships and discriminating/
discriminated relationships in society. These Dominant Discourses are the surface structure: by
'surface structure', I mean Dominant Discourses are explicitly and repeatedly articulated by people
so that everyone in society may acquire them.
Behind the surface structure, or Dominant Discourses, there is the 'deep structure'. I named
the deep structure 'Institutionalised Discourses' in the sense that they have rooted in society
as institutions in current society. Institutionalised Discourses are the particularly influential
and ideological 'binary oppositions' that people seem to take for granted such as 'man/other (=
woman)', 'West/other (= East)', 'English language/other languages', 'white people/other people
(= non-white people)'. In the Institutionalised Discourses, one term is given superiority over the
96
English in Japanese, Japanese in English: Boundary Ambiguity Between English and Other Languages
other. Institutionalised Discourses are always implicit and hidden, and they work to maintain
social discrimination by manipulating the Dominant Discourses. In other words, the Dominant
Discourses are generated out of the even more fundamental Institutionalised Discourses.
If so, we cannot undermine the dominant/oppressed relationships by presenting the counter
Discourses opposing to the Dominant Discourses, as theoretically these counter Discourses are
also generated out of the Institutionalised Discourses. Therefore, what we should do to overcome
social discrimination is to weaken the very Institutionalised Discourses. My strategy to weaken the
Institutionalised Discourses is to show 'boundary ambiguity' between the binary oppositions. If we
can prove the boundary between the categories is in fact ambiguous and constantly re-marked, and
that each category is not pure but actually mixed and hybrid, the division between the categories
that maintains and reinforces the social inequality might become less significant.
Certainly, this strategy would have a possibility of causing some undesirable results: even
though the boundaries between the categories become ambiguous, binary oppositions themselves
might not be totally dissolved. Rather there would be a danger that even greater status might be
attached to the superior term and the inferior term might be further suppressed. Even so, if we can
continue to re-mark the boundaries, and to widen the ambiguity between binary oppositions, there
is still a hope that the dominant/oppressed relationships may be at least weaken, if not disappear.
In this discussion, I shall focus on a Dominant Discourse which is extensively articulated
currently in this modern world. That is, the 'English as the World Language' Discourse which
essentially plays a crucial role in reproducing and maintaining certain forms of social discrimination
such as linguistic, racial and ethnic discrimination. The 'English as the World Language'
Discourse seems to have become cemented as unchallengeable knowledge and gained the status
as 'that which is obvious' or 'that which everyone takes for granted' in today's world in which those
whose primary Discourse is that of 'native English speaker' seem to be enjoying the dominant
status.
Here it should be emphasised again that at the deeper level of the Dominant Discourses,
there exist certain Institutionalised Discourses. In the case of the Dominant 'English as the World
Language' Discourse today, which is the surface structure, such Institutionalised Discourses as
the English language/other languages division, white people/other people division and AngloSaxon/other races division are embedded as the deep structure. Obviously these Institutionalised
Discourses contain ideologies such as English-centrism or Anglocentrism.
In order to ponder over a possibility of weakening these Institutionalised Discourses, I would
like to consider the notion of boundary ambiguity. For the convenience of discussion, in this
particular paper I shall mainly focus on the English language/Japanese language binary opposition,
Mizokami Yuki
97
which is one version of the English/other languages Institutionalised Discourse.
It can certainly be said that both English and Japanese are hybrid products which are full of
loan words from other languages. As for Japanese, it is said that loan words of Western origin,
which are usually described in a distinct syllabary 'katakana ', compose about 10 percent of its
vocabulary (Ishiwata, 2001, 27). Of these loan words of Western origin, about 80 percent came
from English (Stanlow, 1992). In its early history, the Japanese language was massively influenced
by Chinese vocabulary: however this Chinese vocabulary (kango ) is not usually regarded as loan
words ( gairaigo ) (Ui, 1985). Then in the course of time, the Japanese language became rich in
vocabulary by borrowing words and phrases from many languages such as Portuguese, Dutch and
English. Today, Japanese continues to become hybrid and mixed by adopting a great number of
foreign words into it. There are even various kinds of loan words dictionaries called gairaigo jiten
or katakanago jiten, which on average contain 20,000 entries.
Let us turn to the situation of English. Likewise, originally:
The Germanic tribes of the Angles, Saxons and Jutes, early Christians with knowledge of
Latin and Greek, the Danes and the French-speaking Normans all contributed freely to what,
with a smattering of Celtic influence, became known as English. (Holborow, 1999, 69)
Thus English was a hybrid language from the beginning, and it continues to become more hybrid
and mixed by borrowing foreign words into the English vocabulary today. Ui (1985, 20-22) argues
that 86% of English words are in fact of foreign origin: 36% is borrowed from Latin, 12% from old
French, 9% from modern French, 4.5% from Greek, 2% from Scandinavian languages, 2% from
Spanish, 1% from Italian, 13.5% from other languages such as Hindi, Chinese and Japanese and 6%
from unknown. In such a situation, it might be said that languages are re-marking the boundaries
between them at all times.
Japanese words in English dictionaries
Now let us look at how many Japanese words have been taken into the English vocabulary
in order to show that English, or the so-called World Language has been in fact made of other
languages. Haraguchi and Haraguchi (1998) counted how many Japanese words have been adopted
in The Shorter Oxford English Dictionary (SOD). The first edition of the dictionary was issued
in 1933, and then revised editions were published in 1936, 1944, 1973 and 1993. The 1993 edition,
which is the fourth edition, was called The New Shorter Oxford English Dictionary . Haraguchi
and Haraguchi (1998) call the words of Japanese origin which were taken into English 'kokusai-
98
English in Japanese, Japanese in English: Boundary Ambiguity Between English and Other Languages
nihongo (internationalized Japanese)'. According to them, the 1933 edition and the 1936 edition
contained only 30 kokusai-nihongo . Then the 1944 and 1973 editions contained 32 kokusai-nihongo ,
which stands for an increase of only 2 words in 40 years. Thus the number of kokusai-nihongo
in the SOD was only 32 up until 1973. However, the situation changed in the 1993 edition. In the
fourth edition of the SOD, there are 396 kokusai-nihongo contained. This means that in 20 years,
from 1973 to 1993, the number of kokusai-nihongo became 12 times as many as that of the former
edition (Haraguchi and Haraguchi, 1998, 339-356). I compared the total number of pages of the
1973 edition with that of the 1993 edition: the 1973 edition consists of 2,672 pages whereas the 1993
edition consists of 3,767 pages. This may mean that the total number of words included in the 1993
edition increased about 1.4 times. It can then be said that the increase of the number of kokusai-
nihongo is quite remarkable, as this might tentatively suggest that English is becoming more and
more hybrid by borrowing words from other languages.
In the meantime, I checked out how many and what kind of words of Japanese origin are
contained in The Oxford English Dictionary (OED). I used the OED CD-ROM (2nd edition, version
2.0) issued in 1992. According to an etymology search using the key word 'Japanese', there are
343 Japanese words in the OED beginning with 'adzuki ' and ending with 'zori '. Most of the words
adopted are nouns. The fields from which the words come vary. For example:
( 1 ) foods such as 'teriyaki', 'sukiyaki', 'tofu', 'yakitori', 'sashimi'
( 2 ) fashions such as 'yukata', 'monpe', 'hakama', 'haori', 'kimono'
( 3 ) plants such as 'ginkgo', 'keyaki', 'matsu', 'sakura', 'sugi'
( 4 ) arts such as 'bonsai', 'ikebana', 'kabuki', 'kyogen', 'sumie'
( 5 ) sports such as 'aikido', 'karate', 'judo', 'sumo', 'kendo'
( 6 ) writing systems such as 'katakana', 'kanji', 'romaji', 'hiragana'
( 7 ) religions such as 'Soka Gakkai', 'Zen', 'zendo', 'Shingon', 'Tendai'
( 8 ) furnishings such as 'fusuma', 'futon', 'tatami', 'tokonoma', 'kotatsu'
( 9 ) music instruments such as 'gagaku', 'koto', 'samisen', 'shakuhachi', 'sho'
(10) Others such as 'hara-kiri', 'yakuza', 'kamikaze', 'mama-san', 'pachinko'
It should also be noted that many judo-related words ( kesa-gatame, ukemi etc.) and Zen-related
words (mondo, zazen etc.) are included in the dictionary reflecting their worldwide popularity (for
the whole list of Japanese words, see appendix ).
As can be seen, most of the words above come from traditional culture unique to Japan,
which must have been included in the English vocabulary as they are since there were no oneword English equivalents. Of about 500,000 words that the OED includes altogether, 343 words
Mizokami Yuki
99
of Japanese origin may sound as merely a very small part. However as Haraguchi and Haraguchi
(1998) show, it could be said that Japanese words are increasingly being taken into English.
Moreover, it may be pointed out that the OED does not yet include some Japanese words which
seem to be used quite frequently in some English newspapers and magazines today such as
'karaoke', 'gaijin', 'ninja', 'ramen', 'Shinkansen', 'anime', 'manga', 'walkman', 'yoga', 'koban',
'keiretsu', 'habatsu', 'karoshi' . These words may be included in the English dictionary in the future
edition. The recent increase of the Japanese words in English dictionaries could point towards the
situation in which the boundary between English and Japanese is gradually being re-marked. As
the world becomes more global, all languages would become more and more hybrid. A language
may no longer function independent of the influence of other languages. English, which is seen
as the world dominant language, is certainly mixed with other languages, little by little making the
boundaries between languages more ambiguous.
Given that the English language is likely to be influential now and in the foreseeable future,
what can non-English speakers do to undermine the strong Institutionalised Discourse of
English/other languages which tries to confine non-English speakers to a subordinated social
position? Perhaps it would be better for non-English speakers to try to change their viewpoint
(1) to consider that it is in fact their languages that are in part making English a hybrid product
of today, and (2) thus to make some efforts to lend their unique vocabularies to English, rather
than lamenting that they are passive victims who are dominated by English. It may be difficult
and it would take time, but by trying to make English more mixed with their languages, and more
dependent on their languages, perhaps non-English-speakers might possibly undermine, even
slightly, the English/other languages Institutionalised Discourse.
The use of loan words in the current newspapers
In the Japanese language, it can be said that there are at least three types of loan words. First
is gairaigo (= loan words) which were originally borrowed from foreign languages especially from
Western languages, and were then acculturated into the Japanese vocabulary. Second is gaikokugo
(= foreign words) which are words of foreign origin, which have not yet been acculturated, or are
used only for special and temporary purposes. Third is wasei-eigo (= Japanese-made English)
which are usually (1) English words that native English speakers would not use for the same
meaning as the Japanese do such as rejya (= leisure, meaning leisure activities), curemu (= claim,
meaning complaint) and meka (= maker, meaning manufacturer), (2) compound English words
that the Japanese uniquely created such as preigaido (= play guide, meaning ticket agency) and
gasorinsutando (= gasoline stand, meaning gas station), (3) compound words blending English
and Japanese such as amerikateki (= America-teki, meaning American-like) and aponashi (=
100
English in Japanese, Japanese in English: Boundary Ambiguity Between English and Other Languages
appointment-nashi , meaning no appointment), or (4) shortened forms of English words such as
apato (= apartment) and depato (= department store) (Ui, 1985, Stanlaw, 1992, Ishiwata, 2001).
There has been a controversy in Japan regarding the use of loan words in Japanese writing
and speech. The use of loan words actually has no official support (Stanlaw, 1992, 194). However,
regarding the general public's reception, Ishiwata (2001) argues that a survey suggests that about
60 percent of the Japanese people positively or negatively affirm the use of loan words. It is said that
older people are generally more critical of the use of loan words, whereas younger people generally
are more accepting of them. As English education has become compulsory among younger people,
perhaps younger people feel more familiar with English or other foreign languages more than the
older generation does (Ishiwata, 2001, 121-124).
In contrast, let me briefly mention the situation in France, another non-English-speaking country.
In France, loan words which are of English or American origin but which have not been fully
assimilated into French, are critically called 'Franglais', which is a compounded word of Français (=
French) and Anglais (= English). Words which came into French from English centuries ago are not
usually regarded as problematic 'Franglais' (Thody, 1995, 16). It is often said that French people have
been and now are very worried about "the invasion of French by words of foreign origin, especially
when those words come from English, and even more when they are American" (Thody, 1995, 11).
As recent evidence for that, the following two things can be referred to: (1) in 1994 the Loi Toubon
(= Toubon law) was approved by the French Parliament which forbad the use of Franglais in order to
protect the purity of French, and (2) the 1994 governmental publication of Dictionnaire des termes
officiels de la langue français (= Dictionary of French official terms) which intends to recommend
the use of French words such as 'traitement de texte' rather than English loan words such as 'word
processing' (Thody, 1995, Takenaka, 1995). These events may illustrate that the increase of English
loan words in French is a source of worry for the French government. However, recently the general
public does not seem to oppose the use of Franglais so much. Takenaka (1995, 31) reports that 52
percent of French citizens affirm the use of English loan words, and that the use of Franglais is often
regarded as 'modern', 'useful' and 'fun' rather than 'offensive' and 'perplexing'. Meanwhile, a French
novelist Michel Tournier claimed in 1994 that the use of Franglais is no problem since all languages
have enriched themselves by loan words, and "English itself is to a large extent nothing but a French
creole, since it comes from Anglo-Norman, a dialect of eleventh-century French (Tournier, 1994,
quoted in Thody, 1995, 13). Even in Britain, Thody (1995) argues, there was an event in 1994 in
which an MP proposed introduction of a law banning all words of French origin currently in use in
English such as 'fiancee', 'avenue' and 'cigarette', which was rejected in Parliament by 149 votes to 49
(Thody, 278-279). Thus languages, including the dominant English, may not be totally independent
of the influence of other languages in today's global world in which people, things and information are
101
Mizokami Yuki
moving across borders all the time.
Having found some evidence of the boundary ambiguity between languages, the next step is to
consider the possibility of re-marking the boundary between the English language and the Japanese
language. I did this by counting how many English loan words are used in Japanese writings and
how many Japanese loan words are used in English writings. In an earlier study, Iwasaki (1994)
found that Japanese newspaper editorials usually use only established English borrowings unlike
other writings such as print advertising. Therefore, I chose editorials (shasetsu ) of the Asahi
Shimbun newspaper as examples of Japanese writing. For comparison, I chose editorials of the
International Herald Tribune (IHT), an English language newspaper circulated widely within Japan
as examples of English writing. The IHT editorial column usually contains two articles, which are
the English translation of the two editorial articles of the Asahi Shimbun of the previous day. For
my study I randomly selected editorials of the Asahi Shimbun from April 17, 2002 to April 29, 2002.
I then prepared the IHT editorials from April 18, 2002 to April 30, 2002 which corresponded to the
Asahi editorials. The IHT is not issued on Sundays, so there are 22 English editorial articles and 22
corresponding Japanese editorial articles during the 13 day period.
The topic of 22 Japanese editorials can be classified into the following categories: domestic
politics 9, international politics 6, and social matters 7. I counted how many loan words, foreign
words and Japanese-made English words were used in the Japanese newspaper editorials first;
then I counted how many words of Japanese origin remained intact in the English translation of the
newspaper editorials. In counting loan words in English and Japanese newspaper editorials, I left
out the names of countries, cities, people, currencies, weights and measures, acronyms (UNESCO,
IT) and initialisms (CM, DM). Also in considering Japanese loan words in English newspapers, I
excluded the words 'Japan' and 'Japanese', which are more likely to be considered as English words,
although according to the OED they are words of Japanese origin.
First, the total number of loan words of Western origin, foreign words with added glosses and
Japanese-made English words used in the Japanese editorials was 112. Of the 112, the number of
distinct words were 77. I classified these words into the following four categories: loan words from
English, loan words from other languages, foreign words with glosses and Japanese-made English
words.
distinct number
total number
Loan words from English
60
81
Loan words from other languages
4
4
Foreign words with glosses
2
4
Japanese-made English words
11
23
Table: Loan words used in the Japanese newspaper editorials
102
English in Japanese, Japanese in English: Boundary Ambiguity Between English and Other Languages
The following is the list of the words with their frequency of use. If no frequency is mentioned, that
means the word appeared only once.
Loan words from English
akushon (action), asesumento (assessment), baio (bio), beru (veil), bideo (video), bijinesu
(business), boikotto (boycott), borantia (volunteer; 6 times), bumu (boom; 2 times), bureiki
(brake), burijji (bridge; 2 times), chansu (chance), chimu (team; 2 times), chubu (tube; 2
times), dairekutomeru (direct mail), deta (data), detabesu (database), dorama (drama; 3
times), eizu (AIDS), fan (fan), gurobaru (global), gurupu (group; 2 times), homu (home),
homupeji (homepage), imeji (image), intanetto (internet), kappuru (couple; 2 times), kaunto
(count), kea (care), kesu (case; 2 times), kohi (coffee), kopi (copy), mainasu (minus), makuro
(macro), media (media), misairu (missile), misu (miss), nashonarizumu (nationalism),
nettowaku (network), onbuzuman (ombudsman), pasupoto (passport), patona (partner), pointo
(point), pesu (pace), posuto (post), puran (plan), raion (lion), sabisu (service; 7 times), sain
(sign), sakka (soccer), sapoto (support), seremoni (ceremony), shokku (shock), singurumaza
(single mother), siru (seal), sisutemu (system), sukato (skirt), sutaffu (staff), sutoppu (stop),
warudokappu (worldcup)
Loan words from other languages
don (don, from Spanish), gerira (guerrilla, from Spanish), mesu (mes, from Dutch), noiroze
(Neurose, from German)
Foreign words
nanotekunoroji (nanotechnology), sukurin (screen; 3 times)
Japanese-made English words
asesu (= shortened form of assessment), defure (= shortened form of deflation; 2 times),
furiraita (freewriter, meaning freelance writer), gorudenuiku ('Golden Week', a series of
national holidays from April to May, a Japanese creation), konbini (= shortened form of
convenience store), maika (my car, a Japanese creation), manshon (mansion, meaning
apartment or flat; 3 times), sinekon (= shortened form of cinema complex, a Japanese creation;
6 times), terebi (= shortened form of television), tero (= shortened form of terrorism; 5 times),
yangu-borantia-pasupoto (young volunteer passport, a Japanese creation)
In contrast, the total number of Japanese words in the English editorials was 24. The distinct
Mizokami Yuki
103
number was 10, and 3 words out of ten were described with glosses which means that these words
are not acculturated into English. Those Japanese words are shown in the following with their
frequency in the articles. If no frequency is referred to, that means the word was used only once.
Japanese words
nori (7 times), zoku-giin (5 times), yakuza (3 times), yokozuna, obon, Shinto, Shinkansen
Japanese words with added glosses
omoshiroi (3 times), ryoshiki-no-fu , mutsugoro
Thus the total number and the number of distinct words of established English loan words,
or English loan words that can be used in Japanese without glosses, in the Japanese newspaper
editorials were 81 and 60 respectively. On the other hand, the total and distinct numbers of
established Japanese loan words in the English newspaper editorials were 19 and 7 respectively.
Moreover, of 22 Japanese editorial articles I checked, there was only 1 article that did not contain
any established English loan words. In contrast, of 22 English editorial articles I checked, 14
articles did not contain any words of Japanese origin. It should be noted that the number of
Japanese words in other English writings may be even fewer: the IHT editorial articles probably
contain more Japanese words than average English writings since they are translations of the
Japanese newspaper editorials and thus some of them deal with Japanese issues. Thus although
the sample may have been small, the research result suggests that the boundary between English
and Japanese is being re-marked by the English language's one-way colonisation of Japanese much
more than vice versa. Even so, there is still a possibility that the users of the Japanese language
will be able to re-mark the boundary between English and Japanese little by little: of 7 distinct
established Japanese loan words in my English sample, 3 words ( zoku-giin, obon, Shinkansen )
are not yet included in the OED. These and other Japanese words may be included in English
dictionaries in the future, which would contribute slightly to making English more hybrid.
Iwasaki (1994), comparing a Japanese-English dictionary published in 1974 and one published
in 1990, finds that the newer dictionary tends to define words for things peculiar to Japan in
romanised Japanese whereas the older one tends to define them in English. For example, the 1974
dictionary defines the Japanese word 'engawa' as "a veranda(h); a porch, a stoop; an open corridor;
a balcony" (Iwasaki, 1994, 266), whereas the 1990 dictionary defines it as "an engawa ; Engawa
is the narrow board-floor space adjoining a Japanese-style tatami room; it is a kind of veranda"
(Iwasaki, 1994, 266). In this way, if Japanese words could be exported into English as they are,
rather than as English paraphrasing, and moreover if other languages can lend more and more of
104
English in Japanese, Japanese in English: Boundary Ambiguity Between English and Other Languages
their unique vocabularies to English along with the increase of the international and crosscultural
communication in this global world, perhaps the strong Institutionalised Discourse of English/other
languages might possibly be weakened, however partially it may be.
Conclusion
In this paper, as a possible strategy to weaken the Institutionalised Discourse of English/other
languages, I considered a way to re-mark the boundary between English and other languages such
as Japanese. By examining English dictionaries and English and Japanese newspapers, I argued
that it may be possible that more Japanese vocabulary can be adopted in English in future in order
to re-mark the boundary between English and Japanese. What people who are in a supposedly
subordinate position in the world, where English is dominant, could do in order to undermine the
English/other languages Institutionalised Discourse might be (1) to try to make English more
hybrid and mixed with their unique languages, and (2) to re-mark the boundary between English
and other languages by the positive diffusion of their cultures. In this way, if they are able to turn
their viewpoint to consider that it is in fact their languages that partly make the dominant English
language, perhaps the influence of the strong Institutionalised Discourse on them might be slightly
undermined.
Bibliography
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I would like to express gratitude to the reviewers for their comments regarding this paper.
106
English in Japanese, Japanese in English: Boundary Ambiguity Between English and Other Languages
Appendix:
A list of Japanese words in the OED
343 Japanese words in the OED (alphabetical order)
adzuki, aikido, ama, amado, aucuba, awabi, bai-u, banzai, baren, bekko, bonsai, bonze, bunraku,
bushido, daimio, dairi, daisho, dan, dashi, dojo, Eta, fusuma, futon, gagaku, geisha, Genro, geta,
ginkgo, go, Goanese, gobang, habu, habutai, haiku, hakama, hanami, hanashika, haniwa, haori,
happi-coat, haraigoshi, hara-kiri, hatamoto, hechima, Heian, heimin, hibachi, hinin, hinoki,
hiragana, honcho, hoochie, Huk, ikebana, inkyo, inro, ishikawaite, itai-itai, itzebu, janken,
Japan, Japaneseness, Japanesery, Japanesey (Japanesy), jigotai, jinricksha (jinrikisha), jito, jodo,
johachidolite, Jomon, joro, joruri, joruri, judo, ju-jitsu, junshi, kabane, kabuki, kago, kagura,
kakemono, kaki, Kakiemon, kakke, kami, kamikaze, kana, kanji, karate, kata, katakana, katana,
katsuo, katsura, katsuramono, kaya, kempeitai, ken, ken, ken, kendo, kesa-gatame, ketchup, keyaki,
Kikuchi, kikyo, ki-mon, kimono, kiri, kirin, koan, kobang, kobeite, kogai, koi, koi-cha, koji, kokeshi,
koku, kombu, koniak (koniaku), koro, kotatsu, koto, kudzu, kuge, kura, kuroshio, kuruma, kuzushi,
kyogen, kyu, maiko, makimono, mama-san, manyo-gana, matsu, matsuri, mebos, Meiji, metake,
metasequoia, miai, Mikado, mikan, mingei, miso, mitomycin, mitsumata, mochi, mokum, mompei
(mompe), mon, mondo, moose, mousmee, moxa, muraji, nakodo, Nanga, narikin, Nashiji, netsuke,
Nippon, nisei, nogaku, Noh (No), nori, norimon, noshi, nunchaku, obang, obi, o-goshi (ogoshi),
oiran, ojime, okimono, Okinawan, omi, on, onnagata, onsen, origami, orihon, osaekomiwaza,
oshibori, O-soto-gari, oyama, pachinko, parametron, phyto-, plum, protoanemonin, raku, ramanas,
randori, renga, ri, rikka, rin, Ritsu, Roju, romaji, ronin, Roshi, rotenone, rumaki, ryo, ryokan, sabi,
sake, sakura, samisen, samurai, san, sanpaku, sansei, sasanqua, sashimi, satori, sayonara, sen,
sennin, sensei, sentoku, seppuku, shabu-shabu, shaku, shakudo, shakuhachi, shiatsu, shibui,
shibuichi, shiitake, shikimi, shikimic, shime-waza, shimose, shin, shingon, Shinshu, Shinto, shishi,
sho, sho, shochu, shogi, shogun, shoji, shokku, shosagoto, shoyu, shubunkin, shugo, shunga, sika,
skimmia, soba, sodoku, Soka Gakkai, soroban, soshi, soto, soy, sudoite, sugi, suiboku, suiseki,
sukiyaki, sumi, sumi-e, sumo, sumotori, sun, surimono, sushi, suzuribako, tabi, tai, tai-otoshi,
Takayasu, tamari, tan, tan, tanka, tansu, tatami, temmoku, tempura, Tendai, tenko, teppan-yaki,
terakoya, teriyaki, Terra Japonica, to, tofu, togidashi, tokonoma, tonarigumi, torii, tryptophan, tsuba,
tsubo, tsukemono, tsukuri, tsunami, tsutsugamushi, tsutsumu, tycoon, uchiwa, udon, uguisu, uji,
ujigami, uke, ukemi, ukiyo-e, urushi, urushio, uta, wabi, wacadash, waka, wasabi, yakitori, yakuza,
Yamato, yashiki, yen, yokozuna, yugen, yukata, yusho, zabuton, zaibatsu, zaikai, zazen, Zen, zendo,
Zengakuren, zori
Mizokami Yuki
Early Childhood Education Department
Aichi Konan College
172 Ohmatsubara, Takaya
Konan 483−8086, Japan
紀要投稿要領
1 .紀要規程第 9 条に基づき、本投稿要領を定める。
2 .投稿原稿は、未発表の学術論文及び顕彰文に限る。なお、顕彰文の取扱いは別記によるものとする。
3 .学術論文掲載の条件は、原則として、当該分野の適切な専門家による審査を経たものであること
とする。
4 .投稿に際しては、本誌による紙媒体の発表以外に、CD-ROM や本学の公式ホームページ等の各種
電子メディアの公表も行われることを、前もって了解されているものとする。
5 .原稿の提出期限は、毎年度 9 月初旬の指定日までとし、その後に提出されたものは、受理しない。
6 .投稿は、原則として 1 人 1 篇とする。
7 .原稿用紙は、和文・英文とも当編集委員会規定の横書きまたは縦書きのものを用い、ペンまたは
ボールペンを使用する。
フロッピーディスクによる投稿の場合、和文は横書き42字×18行、縦書きは31字×23行とし、英
文については、A 4 判タイプ用紙を用い、2 行送り(ダブルスペース)でタイプする。投稿に際しては、
原稿とフロッピーディスクを提出し、フロッピーディスクには著者名、用いた機種、ソフトウエア
およびフォーマット形式などの必要事項を明記する。
8 .提出後の原稿の訂正は、原則として認めない。
9 .和文論文にも、
英文表題とローマ字による著者名を付けることとし、
記載順序は和文表題、
著者名
(日
本語)
、英文表題、著者名(ローマ字)とする。
10.本文は、現代かなづかいを使用し、特別な場合をのぞいては、常用漢字を用いること。略字で記
入しないこと。下記の場合は欄外に大きく朱書きし、朱書きの文字の一覧表を添付すること。
(1)常用漢字以外の文字 (2)英字以外の外国文字 (3)特別な符号
11.活字の指定
(1)活字の書体を指定する場合は、欄外に朱書きで次のように指示する。
ゴシック書体は(ゴ)、イタリック書体は(イタ)、ギリシャ文字は(ギリ)等
(2)大文字と小文字の区別が困難な C・O・P・S・W・X などの文字は、必要に応じて大または
小と朱書きすること。
12.図・表・写真等について
(1)図・表・写真は、必要不可欠なものに限る。
(2)図・表・写真については、本文中に貼付することはせず、表 1 、表 2 、図 1 、図 2 − 1 など
のように通し番号を付け、まとめる。また、図表のタイトルは一覧にし、図表とともに提出する。
(3)図・表・写真の挿入希望箇所は、本文中に〈表 1 〉〈図 1 〉などのように明記する。
(4)特別なレイアウトを必要とする場合は、著者自身が図表およびタイトルを作成する。
(5)図および表は、トレーシングベーバーまたはタイプ用紙に刷り上がりの 1 ∼ 3 倍の大きさに
作成し、墨または黒のインクで鮮明に書くこと。
(6)楽譜の場合は、典拠した印刷物を添えて提出すること。
(7)写真または図表の転用は、著者または出版社(者)等の承諾を得る。
13.引用文献について
論文中の引用のしかたは、各研究分野の慣例に従うが、以下の事柄を明記すること。
(1)雑誌の場合…著者名・表題名・雑誌名・巻号・頁数・年次
(2)単行本の場合…著者名・書名・頁数・出版社(者)・発行地(英文の場合)・年次
14.校正は、第 3 校までとし、執筆者が責任を負うものとする。各校とも指定日までに原稿と一緒に
返却すること。校正は、必ず朱書きとし、各校とも原稿の字句の修正・挿入・削除を行ってはならない。
15.別刷は、50部まで無償とする。
愛 知 江 南 短 期 大 学
紀 要
第 3 5 号
平成18年 3 月 1 日 印刷
平成18年 3 月 1 日 発行
編集
発行
愛 知 江 南 短 期 大 学
愛知県江南市高屋町大松原172
郵便番号 483−8086
電話〈0587〉55−6165(代)
印刷
株式会社 コームラ
岐阜県岐阜市三輪プリントピア 3
郵便番号 501−2517
電話〈058〉229−5858
BULLETIN OF AICHI KONAN COLLEGE
CONTENTS
Kinetic Study of Enzymatic Browning in Domestic and the North American Apple Pulps
……………………………………………………………………………………… Kazuaki Uno( 1 )
The Study of Liberal Art Education in Junior College
∼Reforming Course of Study Based on“Students’Needs”∼
……………………………………… Yoshimitsu Matsui,Noboru Shibata,Fukuyo Tomita( 13 )
A Study of When to Begin Second Language Acquisition(1)
……………………………………………………………………………………… Fumio Oishi( 33 )
A Note on the Idea of History in“Shiji”
…………………………………………………………………………………… Shibata Noboru( 47 )
Issues of Care Work Education and Realities of Elderssense for Care Work Students
………………………………………………………………………………………… Kazuko Ito( 59 )
English in Japanese, Japanese in English:
Boundary Ambiguity Between English and Other Languages……………… Mizokami Yuki( 95 )
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No.35
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