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(1) 一元的な危機対応体制の確立:災害対応シミュレータがめざすもの
3.2.1.9 (1) まとめ 一元的な危機対応体制の確立:災害対応シミュレータがめざすもの 災害対応シミュレータの構築には、シミュレータに盛り込むべき危機対応の整理が不可 欠である。我々の研究チームでは、一元的な危機対応システムとして事実上の世界標準で ある Incident Command System を基盤とする標準的な危機対応システムの構築が、東海・ 東南海・南海地震のような広域巨大災害の場合には有効であると考えている。これまでの 4 年に ICS の原則を踏まえつつ、わが国の社会風土に適した危機対応システムの形を明ら かにする試みを続けてきた。現時点までに明らかになったことを、以下に整理する。 (2) なぜ、一元的な危機対応システムが求められるのか (a) 阪神淡路大震災で活躍できた人に特徴的な個人属性 1995 年に発生した阪神淡路大震災は多くの面で新しい研究課題を提起した。大規模な被 害が発生した後の、災害対応をいかに効果的に行うかも、そうした課題のひとつである。 阪神淡路大震災の災害対応にあたったどの現場にも、その場を任される中心人物が必ず存 在したという。その人たちの能力が高かったか、低かったかが、そこでの対応の質を決め ていた。地震の発生を想定していなかった地域であり、しかもあれだけの大規模な被害が 発生したにもかかわらず、実際に対応に当たった人たちの能力は極めて高く、献身的な仕 事ぶりは脱帽に値する。いいかえれば、高い能力を持つ個人が一生懸命対応にあたったか ら何とか乗り切れたといえる。そうであれば、高い能力を持ち、献身的に働く人をどうや って早く見つけだすか、どうやってその人たちをネットワーク化できるかが災害対応の質 を決める上で大切だといえる。 災害対応で中心的な役割を果たした人には共通の特徴があるのだとあるのだろうか。阪 神淡路大震災から 10 周年を記念して行った兵庫県の 10 年検証事業におきて、防災を担う 人材が持つべき特徴を、阪神淡路大震災の災害対応において中心的な役割をはたした行政 官たちに対するエスノグラフィ調査から明らかにした。その結果、図1に示す 11 種類の特 徴が明らかになった。それらは「仕事に対する取り組み方」と「リーダーとしての素質」 の2側面にわけることができた。 「仕事に対する取り組み方」では、体力的・精神的に強靱 である人、個人的事情よりも仕事を優先できる人、その場で自分に何ができるかを考える 人、全体像を把握した上で仕事ができる人、自分の判断で迅速に事態に対応できる人、と いう5つの特徴が指摘された。 「リーダーとしての素質」では、声の大きい人、誰とでも対 等に渡り合える人、コミュニケーション能力が高い人、周りの人の動きがちゃんと理解で きる・読める人、調和が取れている人、いろいろなタレントを組み合わせてうまく使える 人 、という6つの特徴が明らかになった。 次に問題になるのは、こうした人材をどうやって見つけ出すかである。淡路大震災の経 験者によれば、そうした特徴を持つ人は実質上の職場のボスであるという。したがって職 場の実質的なボスを捜せばいいことになる。しかし、彼らは必ずしも職位の最上位にいる わけではないことが多い。どちらかというと、日ごろあまり仕事をしないという評価を受 けている人も多いという。上司に言われたことだけでやって偉くなった人は、平時には通 用しても、災害時には使い物にならない、というのは阪神淡路大震災の経験者が異口同音 626 で語ることである。このことは、職制だけで危機対応を考えると、危機対応に失敗する危 険性があることを示唆している。災害対応を担う中心人物を見つけるこつは、ともかく組 織全体に関係する問題を投げかけて、それに対して反応する人を探すことであるという。 反応として、賛成や支持がかえってくることはまれであり、多くは文句を言う人、問題点 を指摘する人、疑問や質問をしてくる人が、求めている人材であるという。そういう人が 使えるのだという。そういう人は自分の仕事のスタイルを確立していて、それに照らして、 問いかけに反応してくるからだという。 図1 (b) 阪神淡路大震災で明らかになった危機対応の中心人物が持つ個人属性 できるだけ多くの人を災害対応の戦力にする方法としての ICS 危機対応の現場を仕切ることができる人材が必ずその現場にも存在したことは心強い 事実であったとしても、そうした優れた人材は、職員が 10 人いれば、そのうち2人しかい ないという。あとの8人は「言われたらやる」けれども、言われなければ自分からは行動 しない人材だという。このことは危機対応場面でも、パレート原則が適応できることを示 している。つまり、組織は全体の 2 割の人材が 8 割の仕事をこなしており、 「有能な人ほど 仕事が集中しがち」になる、という傾向の存在である。 そうした背景として、誰も予想もしていない危機が発生した場合、誰もが初めての体験 で、何をしていいか分からない、何をすべきかの情報がない、だれが関与しているのかが 分からない、という見当識を失うような状況の発生を考えることができる。そういう状況 の中で、2割程度には素早く状況を定義し、効果的な対応策を考えることができることに なる。しかし、図 2 に示すように、こうした能力を持つ人が全体の8割を占めるような組 織であれば、対応はより迅速かつ効果的になると期待できる。それを実現するためには、 優れた能力を持つ個人にたよるのではなく、危機対応に関する適切な教育による個々人の 能力の底上げが必要になる。そこでは効果的な危機対応とはどのようなものか?それを実 現するためには、今どういう状況なっているか、その中で自分は何をしたらいいのか、ど 627 うすればみんなが一緒になって協働できるかを、全体の8割の人に理解させるような仕組 みが必要である。そこで着目したのが、危機対応の事実上の世界標準となっている Incident Command System(ICS)である。 図2 (c) 初動期に効果的に対応できる組織にするには 危機対応ドクトリンとしての ICS 危機対応の仕組みとしての ICS は、2001 年9月 11 日に発生した米国同時テロの際に、 まったく想定外の原因で発生した危機に対しても、その有効性が証明された。その後、世 界各国は ICS による危機対応システムのレベルアップを一生懸命図ろうとしている。わが 国でも 2004 年の国民保護法の制定によって、地方自治体は武力攻撃事態や緊急対処事態に おける国民保護のための対策と地域防災計画の応急対策を整合させる必要性に迫られてい る。こうした点を背景にして、どのような原因で発生する危機に対しても対応可能な一元 的な危機対応システムを ICS にもとづいた構築をめざすことがわが国の危機対応の仕組み にとってもきわめて重要であると考える。 わが国の危機対応システムはハザードごとに整備されており、必ずしも一元的な危機対 応システムとなっていない。そこに ICS にもとづく一元的な危機対応システムを導入する ことには、多くの心理的な抵抗が存在しており、そのまま導入できないという認識が一般 的である。この認識は尊重すべきであり、ICS にもとづく危機対応の姿についても慎重に 考える必要がある。 ICS は欧米を中心に危機対応の事実上の世界標準になっているとはいえ、実際に導入さ れている形態には地域的な差異があり、完全に画一的なしくみではないのも事実である。 大規模な森林火災を前提にして開発された米国型の ICS は、広域に展開する同時多発型の 危機場面を特異としている。一方、IRS によるテロ事件や大規模な事故を中心に発展して きた英国型の ICS は、基本的には一現場型の危機場面を想定している。米国型も英国型も 基本的な枠組みは同じであっても、観察される仕組みとしては国によって微妙に異なって いる。 628 こうした事実は、ICS を危機対応ドクトリンとして捉えることの有効性を示唆している。 つまり、危機対応を理解するための共通の枠組み、共通の概念として ICS を見なすことが できるのである。危機対応ドクトリンと命名したのは、松村劭が「勝敗をわける 4 要素」 によって軍事面での戦闘力を分析する枠組みを、危機対応全般に拡大したものである。 松村は戦闘ドクトリン、部隊の編成、部隊の訓練、指揮官の力量の、4要素をあげてい る。4 要素の中で戦闘ドクトリンは戦闘力のもっとも基底にあり、その軍が採用した戦い 方をさす。どの軍隊もひとつの戦闘ドクトリンを持つといわれ、敗れない限り長い期間に わたって軍のあり方を規定すると考える。太平洋戦争における日本海軍の戦闘ドクトリン は艦隊決戦であり、日本陸軍は野戦決戦である。日本海軍は日本海海戦の勝利、日本陸軍 は奉天決戦の勝利と、どちらも日露戦争の勝利に起因したドクトリンを採用している。ド クトリンが決まると、それによって部隊の編成が決まる。部隊編成の方針によって、どの ような質と量の装備を整備するかがきまる。部隊編成が決まると、それにもとづいて部隊 の訓練が行われる。訓練によって、軍としての規律、団結、士気が高い兵士が養成される。 能力の高い兵士がいて初めて、それを指揮する指揮官の力量が問われる。すなわち、戦略・ 戦術能力、指揮・統率能力に富んだ指揮官の下で軍はその実力を発揮できる。松村がこれ らを「勝敗を決める 4 要素」としているのは、戦闘においては、彼我の指揮官の力量の差、 彼我の兵士の訓練度、被害の装備の質と量、そして彼我の戦闘ドクトリンの優劣によって、 勝敗が決まると説明している。 図3 効果的な危機対応のための 4 層の備え 上に述べた松村の考え方を危機対応に拡大すると、危機対応能力を規定する4つの要素 が存在し、それらは図 3 に示すような 4 層構造をもつといえる。こうした危機対応のため の 4 層の備えのもっとも基底には「危機対応ドクトリン」がある。危機対応ドクトリンは 当該社会が持つ「危機対応体制」を規定する。つまり、どのような危機対応組織を編成し、 629 それらにどのような装備を持たせるかが決められる。危機対応体制が整備されると、その 実務を担う「担当者の訓練」の内容が規定される。担当者の訓練が十分になされると、規 律、団結、士気の高い危機対応従事者を確保することが可能になる。そして、そうした力 を実際の危機対応に活かすためには、危機対応を指揮する「指揮者の能力」が重要になっ てくるといえる。 このモデルを使って米国の危機対応を説明すると、ICS が危機対応ドクトリンとして、 災害対応に関わるすべての組織で標準的に利用されている。そして ICS にもとづいた危機 対 応 体 制 と し て 、 米 国 全 体 で の 危 機 対 応 の 形 を 定 め た National Incident Management System (NIMS)および危機対応における連邦政府の活動を規定した National Response Plan (NRP)が整備されている。こうした危機管理体制は標準的な研修プログラムとして整備され、 FEMA の研修・訓練所、あるいは各州が持つ研修機関において、人材育成がなされている。 (d) ICS の有効性の検証;ハリケーン・カトリーナ災害への対応にみる米国の危機対応 そうした仕組みを活用するには優れた能力を持つ指揮者が必要になる、逆にいえば、た とえ仕組みが整っていても、指揮者の能力によって、十分な対応がとれない危険性がある ことも示唆される。それを実証したのが、2005 年 8 月に米国を襲ったハリケーン「カトリ ーナ」の際の初動対応の失敗だったといえる。 ハリケーン「カトリーナ」は、米国を襲った 4 個目のカテゴリー5に属する最大級のハ リケーンである。メキシコ湾岸地域に強風と高潮による広域被害を与えたとともに、ニュ ーオーリンズ市を取り巻く堤防の決壊によって市域の 80%を水没させる長期湛水災害が 複合し、80 年ぶりに 1000 名を超す死者が発生し、被害総額も従来の最大であったハリケ ーン「アンドリュー」を 3 倍も上回る規模となり、米国ハリケーン史上類を見ない甚大な 被害をもたらした。とくに広域湛水したニューオーリンズにおける連邦危機管理庁(FEMA) を中心とした初動対応は決して十分とはいえず、災害発生直後の対応能力に関わる疑問が 噴出した。 こうした批判の背景には、災害対応のプロフェッショナルである James Lee Witt がク リントン政権下で長官を務めていた独立官庁としての FEMA と、ブッシュ政権下に作られた 国土安全保障省の一外局に格下げされた現在の FEMA の間には、指揮者の能力に格段の相違 があるという指摘がされている。たしかに、今回の災害対応にあたっては危機対応のため の最上層の備えである、指揮者の能力という点では、Witt 長官の時代と現在の指揮官層の 間にはプロフェッショナリズムの点では大きな差異がある。 指揮者の能力という点ではニューオーリンズの広域湛水災害の初動期において確かに問 題があったといえる。しかし、その後の応急対応や復旧・復興対策をみると、危機対応ド クトリン、組織編成や危機対応業務計画などの危機対応体制、担当者の訓練体制の充実ぶ りが目を引く。 アメリカの危機対応の場合、もっとも基底に Incident Command System が危機対応ドク トリンとして存在している。ICS は危機対応を実行するための教義や考え方を提供する。 それに基づいて、危機対応のために行政が行う実際のさまざまなプログラムが展開してい る。組織編成についてはNIMS(National Incident Management System)であり、2001 年9月 11 日の同時多発テロ以降にアメリカが開発した ICS にもとづく新しい国家レベルで 630 の 危 機 対 応 戦 略 で あ る 。 そ し て 、 実 際 の 危 機 対 応 活 動 の 内 容 を 規 定 す る の が National Response Plan である。この計画は危機対応に関係する連邦政府の 12 省庁の活動内容を規 定しており、1992 年から米国の危機対応で活用されてきた FRP(Federal Response Plan) を同時多発テロの教訓をもとに拡充した計画である。 そうした組織編成、業務計画を整備した上で、実際に現場で対応にあたる人たちを十分 な数確保できるだけの訓練システムを連邦レベル、州レベルで整備している。一例をあげ ると、ルイジアナ州の州都バトンルージュに設置されたハリケーン「カトリーナ」からの 復旧・復興対策を統括するFEMAと州政府の合同現地対策本部(Disaster Field Office) では、4000 名が働らき、粛々と対策が進められている。そのうち 3000 名は災害発生後に 地元で採用されている。そこには、彼らを短期間で訓練し、戦力化できるシステムが存在 している。 確かに指揮者の能力という点では James Lee Witt 長官当時に比べれば、今回の災害対 応にあたった FEMA 長官、ルイジアナの知事、ニューオーリンズ市長のリーダーシップには 問題があったかもしれない。しかし、それは FEMA が組織だって活動できなかった最初の1 週間であり、その後になされた組織だった対応の堅実さとは際だった対照を示している。 (e) 日本には危機対応ドクトリンが存在するのか わが国の危機対応をみると、危機対応体制は整備されている。自然災害や大規模事故に 関しては災害対策基本法、そして武力攻撃事態や緊急対処事態に関しては国民保護法もと づいた国、都道府県、市町村の役割分担が明示されており、具体的な活動を規定した地域 防災計画や国民保護計画も整備されている。しかし、危機対応ドクトリンは存在するのだ ろうか。 もちろん日本にも危機対応ドクトリンは存在するという意見もある。それが ICS ではな いことは確かである。ならば、わが国の危機対応ドクトリンとはどのような形をしている のだろうか。それを知る手がかりとして、明治以降のわが国の危機への対処の特徴をみて みる。明治維新の際に志士たちは徳川政府の対応を「事なかれ主義」 「安全第一主義」とみ ていたという。いざこざがなく、平穏無事に済むことに高い価値をおく消極的な態度や考 え方は、明治以降の日本軍も含めた日本の官僚機構の危機対応の基本のようにみてとれる。 しかし、それでは危機対応は後手に回らざるをえない。効果的な危機対応を行う上では、 危機の発生を予想し、事前からその対処法を整え、その実践に向けて訓練を行うことが必 要である。 いいかえれば、事なかれ主義や安全第一主義ではない、危機の現場で仕切ることができ るドクトリンが必要になるといえる。しかし、そうしたドクトリンを自分たちで独自に作 る必要が必ずしもあるわけではない。危機対応に関しては事実上世界標準になっている ICS が存在している。ならば、私たちが行うべき事は危機に備える 4 層の備えモデルに従 って、ICS を危機対応ドクトリンとして措定した場合に、どのような危機対応体制や、人 材育成のあり方、指揮者のあり方がわが国に適しているかを検討することである。大大特 林グループではこうした想いを持って、この4年間の研究を推進してきた。その結果とし て、現時点でわかったことを以下にまとめる。 631 (3) 危機対応とはなにか 危機対応に関する事実上の世界標準である ICS がわが国に適用できるかを考えるときに、 その前提として危機対応そのものをどのように理解するかが大切になる。そうした理解な しに、世界標準であるという理由だけで、わが国に ICS を導入しても、それは外国の事例 を鵜呑みにする「出羽守(ではのかみ)」に過ぎない。わが国の危機対応の実態を理解した 上で、ICS の導入がそれに益するならば、危機対応ドクトリンとして ICS を導入し、わが 国の危機対応の実態に合わせて修正を加えることも可能である。しかし、危機対応そのも のの理解が不十分なままでの導入には大きな不安が残る。したがって、まず私たちが行う べきことは、私たちなりに危機対応を理論化することである。いいかえれば私たちなりの 「危機対応」に関する理解を体系的に言語化することである。 (a) 問題解決過程としての危機対応 「危機対応」を定義すると、「自分たちの持っている達成目標と現実の差を極小化する ために、金を惜しまず、結果を恐れず、できることなら何でもすること」といえる。その 関係を図示したものが図4である。 産業場面では、達成目標と現実との間に見いだされる差異を「問題」という。したがっ て、危機は問題として顕在化し、危機対応は問題解決の過程とみなすことができる。図4 から明らかなように、問題が解決されるためには、その前提として問題が発見されなけれ ばならない。問題が発見されるためには、両者に共通する何らかの評価軸の存在が前提と なる。どのような評価軸かを決めるのは達成目標であり、その評価軸上で現実も表現され る。したがって、達成目標を明確化することが危機を顕在化させることになり、危機対応 の第一歩となる。 図4 問題解決過程としての危機対応 問題解決過程としての危機対応に具体的にどのような活動が含まれるかを、米国の情報 処理業務の記述方式である IDEF0 モデルにあてはめて考察してみよう。IDEF0 では活動を、 632 活動開始の前提となること(インプット)、成果物(アウトプット)、活動の際に参照する もの(コントロール)、活動のために利用するもの(モーライゼイション)の4種類のパラ メターによって規定している。危機対応を問題解決活動としてとらえると、問題解決過程 としての危機対応を規定する4つのパラメターはつぎのようになる。 まず、成果物は活動の結果創出された達成目標に近い現実である。その際、達成目標は 問題解決の方針を与える事前から規定されている参照すべき事前からの規定としてとらえ ることができる。そして問題解決の質を決めるものが、現実をどれだけ正確に把握するか である。把握するべき現実には2つの側面がある。第 1 は問題解決を必要とする活動の前 提となる「状況」である。何が起きているのか、どのような状況におかれているのかを、 正確に知る必要がある。第 2 に知るべき事は、問題解決にあたって動員すべき「資源」の 種類と量及びその配置である。こうした現実の把握にもとづいて、問題解決に必要となる 活動を決定し、必要となる資源を配分し、達成目標をクリアするまで、とことん活動を継 続することが問題解決過程である。 (b) 達成目標の設定 問題解決過程としての危機対応の第一歩は、危機そのものを顕在化させることである。 そのために必要なことは、その場面での達成目標を明確化することであった。それによっ て問題解決の方針が決定するからである。したがって、達成目標によって危機が顕在化さ れることは、達成目標そのものは、それ以前から規定されている必要がある。しかも、達 成目標は危機対応の方針を規定する以上、危機対応の過程を通じて変更されてはならない 性質をもつ。いわば達成目標は危機対応の根幹を担うものであるといえる。いいかえれば、 達成目標の設定の質が、危機対応の質を決定する重要な要素となることになる。 では、達成目標をどのように決定すればよいのだろうか。 図5 組織のビジョン・ミッションと達成目標の関係 危機対応における達成目標を明確にする際には、その組織がどのようなビジョン、ミッ 633 ションを持つかが重要になる。ビジョン・ミッションと達成目標との関係は図5に示す通 りである。組織のビジョンとは「組織がめざす普遍の利用を簡潔に述べたもの」であり、 ミッションは「組織がめざす理想を実現する王道を簡潔に述べたもの」である。ミッショ ンを実現するための数年間の活動を規定するものが目的であり、それを達成するために実 現する目標が達成目標である。したがって、危機対応においても組織は、組織のミッショ ンや目的の実現をめざして、その場での対処することが求められることになる。 日本の組織では、ビジョンやミッションにあたるものとして「企業理念」「社訓」とい ったものがある。しかし、わが国ではそうした「企業理念」 「社訓」は世間向けに作文され た「綺麗事」や「絵空事」であり、だれも本気でその実現を考えていないものという認識 もある。しかし、欧米の組織では、新公共経営を行う公的機関も含めて、組織のミッショ ンを重視している。建物のもっとも人目に付きやすいところにミッションステイトメント を掲げられている組織が多い。ミッションステイトメントの作成過程を見ても、ステイク ホルダーの参画をえて長い時間をかけて作成する場合が多いという。 なぜ、欧米の組織はそこまで組織のミッションにこだわる必要があるのか。その理由は、 組織のミッションはステイクホルダーが日々おこなう活動に価値をあたえる機能を持つか らである。つまり、組織のミッションにかなう活動は高い価値を持つことになり、ミッシ ョンから外れた行動は低い価値しか持たないのである。いいかえれば、誰がどのようなこ とをしようとも、その活動が組織のミッションにかなっているかどうかを見るだけで、誰 にでも価値づけることが容易にできるようになり、透明性の高い組織運営が可能になる。 組織にとって重要なミッションステイトメントの決定にステイクホルダーの参画を求め ることは、組織内で価値を共有し、それにもとづいて人々が行動する上で重要な役割を果 たしている。なぜならば、人々は決定に主体的に関わったことがらを、できるだけ守ろう とするからである。 図5では達成目標が組織のビジョンやミッションと比較すると、きわめて短期的で個別 具体的な目標である。しかし、具体的な危機対応場面では、達成目標を出発点として、そ れを危機対応の戦略や戦術へと展開することになる。ここでは戦略とは達成目標を実現す るために行う資源配分と定義し、配分された資源を使ってどのような方法で目標を達成す るかを戦術と定義する。 634 図6 資源配分としての戦略 達成目標が明確化された後の最初に決定されるべきは、設定された目標を達成するため に必要な資源を動員し、それを適切に配置することである。これが戦略の決定である。戦 略を目的達成のための資源動員と資源配分と定義すると、どのような資源が動員され配分 されるかが戦略決定に重要な意味を持つ。一般に危機対応場面で想定される資源は、 「 ヒト」、 「モノ」、 「カネ」、 「情報(ノウハウ)」に分類することができる。そのうちヒトとモノを差 配することは Logistics(ロジスティクス、資源管理)の仕事、カネに関わる差配は Finance and Administration(ファイナンス・アドミニストレーション、庶務・財政)の仕事、さ らに情報やノウハウ(専門的な知識や技能を持つヒト)に関する差配は Planning (プラン ニング、情報作戦)の仕事といえる。したがって、戦略の決定には、資源管理、庶務・財務、 作戦情報の3側面について決定が基礎にあるといえる。戦略が確定した後、次に行うべき は戦術の決定である。配置された資源を前提として、具体的な目的達成の方法を決定する ことが戦術の決定である。 達成目標の決定、戦略の決定、戦術の決定のすべてが、必ずしも同じ場所でなされる必 要はない。なぜならば、危機対応ではそれだけの時間的余裕が与えられない可能性が高い からである。また、すべてを集中的に決定することが必ずしも合理的とはいえない可能性 も高い。したがって、達成目標の決定とそれを実現するための資源配分は全組織に関連す る事柄なので、達成目標と戦略までは全組織を代表する機関での意思決定を必要とする。 しかし、達成目標に矛盾しない限り、できる限り戦術的な決定は現場に近い所でなされる ことが望ましいといえる。 これまでの議論をまとめると、危機対応の第一歩は、組織のミッションから演繹される 具体的な達成目標の明確化である。そして、それを実現するべき戦略、戦術へと展開する 過程があとに続く。こうした一連の過程をステイクホルダーの参画のもとに実行すること をステイクホルダー型の戦略計画策定過程とよぶ。新公共経営において多用されている手 法である。 635 (c) 現実の把握 現実の把握は、直面する「状況」の把握と、対応のために必要となる「資源」の把握の 2側面が必要となる。直面している「状況」と必要となる「資源」の2つをいかに迅速か つ的確に把握できるかが、実際の危機対応の質を決定する上で大きな役割を果たすことに なる。危機対応において状況把握と資源把握が重要であることは、現在世界中でもっとも 実効性の高い危機対応システムを持つカリフォルニア州危機管理局のホームページに象徴 的に示されている。カリフォルニア州が危機対応の基本におくのは情報処理であり、その ためのRIMS(Response Information Management System:RIMS)をトップページで紹 介している。トップページには RIMS の根幹として SEMS Reports(Standardized Emergency Management System Report)と MRT(Mission Request Tasking)へのリンクを設けている。 SEMS Report は状況把握のためにカリフォルニア州が永年かけて整備してきた帳票群であ り、MRT は危機対応に動員される資源管理のシステムである。カリフォルニア州危機管理 局では「状況把握」と「資源把握」の二つを的確に実行することによって、現実把握が可 能になると考えていることが示されている。 (d) 危機対応のモデル これまで議論してきたことを踏まえて、具体的な危機対応場面を想定したモデルを考え ると図7に示すような危機対応過程をモデル化できる。危機に直面して組織として適切な 行動を選択するためには、その場面での達成目標が明確になっている必要がある。達成目 標はその組織が危機に備えて事前から整備している危機管理計画に沿った形で設定される。 危機管理計画そのものは組織のミッションから演繹される。達成目標の明確化は危機の発 見を可能にするが、危機を解決するためには、危機が生まれた現実を迅速かつ的確に認識 することが必要になる。 図7 危機対応過程のモデル 現実の把握とは、さまざまな要素で構成される現実の中から、危機対応に必要な側面だ 636 けを抽象する過程といいかえることができる。危機対応において抽出されるべき現実は、 直面する状況と対応に必要な資源である。状況を把握するためには、ハザードの状況、被 害状況、それに対処する組織の対応状況についての認識が不可欠である。それに加えて、 現在発生している問題点、今後発生が予想される問題点に関する理解も必要となる。 こうした状況認識を行うと同時に、危機対応にあたってどのような資源を動員する必要 があるも知る必要がある。具体的には危機対応のためにどれくらいの「ヒト」と「モノ」 を動かせるのか、どの程度の財政的な措置が必要か、今後どのような情報が必要となるか、 専門家の支援を必要とするか、という必要となる資源の同定がなされなければならない。 ついで、必要される資源がその時点でどの程度調達されており、どのように配置されてい るかを知ることも必要である。こうした活動の結果、一つあるいは複数の行動選択肢のな かから最善と思える選択肢を選んで、とるべき行動を決することが危機対応の過程である といえる。 (e) 危機対応の3つのレベル 危機対応にあたっては目標設定を行う、戦略決定を行う、戦術決定を行う過程を必要と する。では、3つのレベルが存在すると整理している(たとえば、Emergency Film Group (2000) ICS Model Procedure Guide)。第 1 は組織全体として設ける対策本部(EOC) で 行われる Strategic Level(全体指揮レベル)、第 2 は各部局が設ける部局本部(DOC)で 行われる Tactical Level(部局(部門)指揮レベル)、第 3 は現場に設置される現地指揮 所(ICP)で行われる Task Level(現場レベル)での目標設定がある。 Strategic Level(全体指揮レベル)では、適切な戦略の採用、全体としての危機対 応 目標の設定、優先順位の設定、当面の対応計画の策定、資源の配置、各部局が達成すべき 目標の設定が IC, Command Staff, Section Chiefs の間で行われる。 Tactical Level(部局(部門)指揮レベル)では、当面の全体対応計画に沿って、各部 局 が 達 成 す べ き 目 標 を 実 現 す る た め に 行 う 活 動 の 指 揮 が 、 Branch Directors, Group & Sector Supervisors の間で行われる。最後の Task Level(現場レベル)では、各部局が 達成すべき目標を実現するために行う活動の実施が、Unit Leaders によって決定される。 (4) Incident Command System とは何か ここでは危機対応ドクトリンとしての Incident Command System(ICS)の特徴について まとめる。ICS の原点は 1970 年代初等の米国南カリフォルニアの森林火災現場にある。基 本的に砂漠地帯である南カリフォルニアを襲う森林火災は絶対数と火災規模現場の両面で 大きな脅威であり、その対応には当時多くの問題点が存在していた。 たくさんの人の報告が一人の管理者に集中して、管理者の処理能力をこえ、ブレークダ ウンを起こす。森林火災に対応する組織の組織構造がばらばらである。信頼できる情報が 入ってこない。通信手段が不十分で互換性がない。組織間の連携がうたわれているが、そ れを担保する構造にはなっていない。組織間の権限の境があいまいにされたままである。 組織間で、使っている言葉が異なる。災害対応の目標が不明確で、具体性に欠ける。こう した問題点を抱えるのは、当時の米国の森林火災現場だけでなく、わが国の危機対応現場 でも似たような問題の存在は指摘されている。 637 米国とわが国が基本的に違う点は、わが国では放置されるこうした問題点を米国では改 善する試みを実施したことである。そのために、米国連邦政府、カリフォルニア州政府、 地元自治体、米国赤十字社のような NGO 団体を始めとする、ステイクホルダーが集まり、 FIRESCOPE(Firefighting Resources of California Organized for Potential Emergencies) という組織を作り、森林火災に対するより効果的な対処方法を検討した。FIRESCOPE が至 った結論は、森林火災の対応に関わるすべての組織が同じように対応すればいい、という きわめて「あたりまえ」のことだった。つまり関係機関間の危機対応に関する危機対応ド クトリンを統一することであった。 そのため、南カリフォルニアの森林火災現場では、危機対応を加わる組織がすべて同じ 組織編成・組織運営に従って活動するようになり、大きな成果をあげた。そのため、1980 年代には森林火災の分野では全米標準となった。1990 年代に入って、ICS はたんに森林火 災だけではなく、いろいろな種類の自然災害や人為災害の対応の現場でも使用されるよう になった。さらにオリンピックやワールドカップのような大規模なイベント運営の危機管 理体制の標準として使用されるようになった。イベントはいつどこで起こるかが分かって いるが災害はそれが分からないという点を除くと、危機対応という観点からは災害もイベ ントもほとんど変わらないためである。 ICS は森林火災でその有効性が証明され、その後に使用する分野が拡大する過程を経て、 現在、米国の事実上の危機対応標準としての地位を確立している。そして米国は、9・11 を体験し、ICS を危機対応ドクトリンとして一元的な危機対応体制の一層の拡充を試みて いる。 (a) なぜ Incident Command System なのか ICS が森林火災を出発点としているために、危機対応の実質的な世界標準となっても ICS に は い ろ い ろ な 面 で 森 林 火 災 関 係 の 言 葉 や 考 え 方 が 残 っ て い る 。 危 機 対 応 を Incident Command とよぶこともその一例である。2001 年の9.11の教訓をもとに米国が取り込ん だ ICS を危機対応ドクトリンとする危機対応体制の強化は、2004 年 National Incident Management System(NIMS)として公開された。NIMS では Command が Management に置き換え られている。しかし、NIMS でも危機を表わす言葉として、相変わらず Incident が用いら れている。なぜ米国では危機を Incident とよぶのだろうか。 英語には「危機」を表現する言葉が、図 8 に示すように、Incident、Emergency、Crisis、 Disaster、Catastrophe、の5種類ある。それらは発生頻度と、起きた場合の被害規模によ って使い分けられている。危機の中でもっとも発生確率が高く、被害が小規模なモノが Incident で あ る 。 被 害 規 模 が 大 き く な る と Emergency と な る 。 し か し 、 Incident と Emergency の間には、短期間で処理ができること、現場だけで処理が完了するという共通 点が存在する。短期間で処理ができるとは、危機の発生から処理完了までが危機対応者の 通常の勤務時間内に収まる規模のものと定義できる。具体例としては、小規模な火災や小 さな交通事故などが該当する。当然こうした事案は比較的頻繁に発生する。 638 図8 英語で危機を意味する 5 種類の言葉 発生した場合の被害規模が大規模化していくと、同時に複数の現場での対応が必要になっ たり、それぞれの現場で長い期間の活動が必要になる。そのため、現場間の調整や勤務の 交代を調整するための対策本部の設置が必要になる。こうして被害が広域化し、複雑な構 造を持つ crisis、disaster、catastrophe へと事案は拡大していく。 したがって Incident Management System とは、もっとも頻繁に発生するいちばん小さな 規模の危機で使われる対応の仕組みを、まれにしか起きない大規模な危機の場合にも同じ ように使うという考え方である。この考え方を図示したのが図 9 である。 図9 Incident Command System の発想 小規模な危機対応事案に関しては、図 9 に示すように、どの組織もどの地域も危機対応 639 を担当する専門的な部局を持っている。そこの担当者は毎日の業務として危機対応を行う、 危機対応の専門家である。繰り返し発生する業務への対応を通じて、専門家は業務に精通 して慣れているので、こうした小規模な事案はさっさと片づけられる。 しかし、大規模事案が発生すると、通常の危機対応の専門家だけでは対応するには人数 が不足する。そこで、大規模な危機対応においては、必要となる人数を確保するために組 織全体として対応する必要があり、組織のメンバーは総動員される。それでも人員が足り ないことが多く、他の機関から応援が派遣される。そのため大規模な危機対応事案の現場 は、お互いに知らない人どうしが一緒になって、慣れない仕事をする状況が一般的である といえる。そうした状況の中で、 「ぬけ・もれ・おち」なく迅速に業務をこなすように危機 対応従事者を鍛える必要があり、それを可能にするのが ICS であるといえる。 大規模事案での危機対応にはもう一つの問題がある。大規模な危機対応は組織をあげて の対応が必要となるので、通常組織の幹部が指揮調整にあたる。しかし、組織幹部が危機 対応に不慣れな場合には、全組織をあげて行う複雑な危機対応を指揮する際に、多くの失 敗の発生が予測される。実際の危機対応を経験された企業人の多くから、 「大規模な危機に 対応することは確かに大変ですが、その時いきなり社長が出てきて、あれをやれ、これを やれと矢継ぎばやに命令されるのはもっと大変だ」というコメントを聞くことになる。 大規模な危機が発生し組織幹部が指揮権を持つ事態となった場合に、日頃危機対応に不 慣れな組織の幹部が無手勝流に組織を指揮することをいかに回避できるかが問題となる。 「私は社長だから」 「私は総理だから」という組織上の権限だけで必ずしも危機対応にあた って最良の指揮者とはならない危険性の存在が指摘できる。こうした問題を回避するため には、組織内で権限を持つ人に、危機発生後に、危機対応を指揮する者として守るべき事 を短時間で修得させることが必要となる。それを可能にするのが ICS の特徴の一つである。 ICS は個人の力量の差によって危機対応の質に差が出ることを予防するシステムである といえる。日常の組織活動において高い能力を持つ者がリーダーとなる努力を継続するこ とは、危機対応の上で必須である。しかし、危機に臨んで組織を指揮する責務を与えられ た人が、リーダーとして高い能力を持つ危機対応のベテランである確率はきわめて低い。 ならば、指揮調整者がどのような個人的な属性を持つ人であれ、その人が指揮調整者の責 務を理解し、一応「ぬけ・もれ・おち」のない危機対応を実行できるように短期間で仕立 てるシステムである。 (b) ICS による組織運営の本質は何か ICS に対する誤解の一つに、ICS は Incident Command の機能を重視するため、一人の指 揮者に権限の集中がおき、結果として独裁者を生みがちな仕組みである、というものがあ る。しかし、ICS は独裁者を作るシステムではなく、むしろ、組織全体を活性化するシス テムである。 危機対応においてどの組織でも必要となる ICS の5つの機能を図 10 に示す。Command、 Operations、Planning、Logistics、Finance and Administration の 5 機能である。それ に対する日本語として、指揮調整、事案処理、情報作戦、資源管理、庶務財務という日本 語をあてることにする。 640 図 10 ICS の5つの機能の意味 これら5つの機能の中でもっとも重要な機能は「指揮調整(コマンド)」である。危機 対応において組織を仕切る人を一人決めることが危機対応の第一歩となる。小規模事案で 一人で危機対応を行う時に、その人はまさしく指揮調整者であり、同時にそれ以外の機能 も必要に応じて兼ねることになる。通常の危機対応では、指揮調整者が一人ではなく、組 織として対応する。そのため、危機対応に必要となる5つの機能を状況や必要に応じて組 織の他のメンバーに権限委譲することが一般的である。 まず第 1 に権限委譲がなされるのは事案処理(オペレーション)である。事案処理の責 任者を決定し、その人に現場の対応をまかせることである。わが国の危機対応の特徴の一 つは、危機対応にあたる全員が事案処理の機能をになうことである。阪神淡路大震災の際 の献身的な災害対応の取り組みの例として、兵庫県のある幹部職員は「私どもは大変でし た。被災地に下着がなくなってしまったので、大阪から 10 万枚の下着をどうやって被災地 に運び込むかを、知事以下徹夜で議論しました」とある講演で語った。この例で語られて いる課題の処理を ICS の枠組みに照らして考えると、 「資源管理担当」が処理すべき戦術的 な案件であって、災害対策本部会議において指揮調整にあたる知事を始めとする幹部全員 で検討する課題ではない。むしろ、すべてを災害対策本部で考える方式は、貴重な人的資 源を十分に活用していないといえる。この方式では全員を疲労させてしまうことになる。 それよりも、適切な権限委譲によって業務担当者を決め、それ以外の人を休息させること で、組織は活性化するといえる。 日本の危機対応の現場で、全員が一丸となって事案処理にあたるということは、わが国 の危機対応においてはその他の ICS で必要とする情報作戦、資源管理、庶務財務機能が軽 視されることが示唆される。組織が今後とるべき対応計画を考える情報作戦担当者がおら ず、組織としての兵站を考える資源管理担当をおかず、いわんや危機対応にともなって発 生する書類を処理する庶務財務管理については考えていないという組織は多い。この点は わが国の軍隊が兵站を軽視することとも関連している。現場が重要なことは当然である。 しかし、そうした現場の活動を支えるには、情報作戦、資源管理、庶務財務というにスタ 641 ッフ機能にも十分な数の人数を充てることを ICS は強く要求している。 ICS が提唱する情報作戦、資源管理、庶務財務はスタッフ機能としてまとめることがで きる。この 3 機能をスタッフ機能とまとめると、ICS が提唱する危機対応組織は、指揮調 整者のもとに、事案処理をおこなうライン機能と、スタッフ機能を有する、ナポレオン後 の近代軍事組織の形態を基礎としていることが明らかになる。 ナポレオンの出現を契機として近代的な軍事組織が生まれたといわれる。それまでのヨ ーロッパにおける戦争は、政治的な覇権を確立するために傭兵による数千名規模の制限戦 争であった。徴兵制の導入によって数万規模の膨大な兵力を得たナポレオンは、敵国の殲 滅を目的とする絶対戦争を行い、ほとんど全ヨーロッパを征服しかかった。戦争の規模の 拡 大 は 軍 事 組 織 の 変 革 を 生 み 、 大 規 模 化 し た 軍 隊 を 制 御 す る た め に 参 謀 組 織 ( General Staff)が発達した。ナポレオン以前にも参謀は存在したが、その目的は傭兵の食事の確保 を中心とする兵站参謀であった。軍事的な天才であるナポレオンは大規模な軍の作戦立案 をすべて一人で行ったといわれるが、その後情報作戦を担当する参謀が参謀機能の重要な 位置を占めるようになった。とくにモルトケに率いられ普仏戦争に勝利をもたらしたプロ シャの参謀本部組織はその典型である。ICS におけるスタッフ機能は参謀機能そのもので ある。 参謀制度を持つ軍事組織モデルにおける指揮調整者、ライン機能、スタッフ機能の各機 能の役割は次のように定義される。指揮調整とはスタッフの補佐を受けて現場対応に当た る方式をライン機能に対して指示する。スタッフ機能は組織内部では指揮調整者に対して だけ責任を負い、指揮調整者に作戦案を具申する。また、指揮調整者とともに組織外に対 する責任を引き受ける。指揮調整者とスタッフ機能はどのような危機対応にも必ず存在す ることになる。一方、事案処理の内容は場所や危機の性質によって変化するが、どの場合 においても、指揮調整者の指令に基づいて現場対応を実行する点は共通している。ICS に おける組織運営もこうした原則に基づいてなされている。この規定に従うと、指揮調整者 はスタッフ機能の補佐を受け、方針を決定する役割を担う者であり、けっして独裁者とは なりえないことがわかる。 (c) ICS を危機対応ドクトリンとする自衛隊 わが国の危機対応組織では自衛隊が、ICS を危機対応ドクトリンとして採用している。 自衛隊は日米同盟の下、アメリカ軍と連携した活動を行う必要上もあり、基本的にはC4I という ICS に類した組織編成に従っている。いいかえれば、ICS が近代的な軍事組織のあ り方を基本としているために類似した構造を持っているといえる。したがって、わが国の 危機対応組織には ICS は適さないという議論は成立し得ないことになる。 自衛隊の組織編成では、指揮官一人のもとに実行部隊がつき、指揮官から部隊長に命令 が与えられる。それ以外に指揮官を補佐する幕僚部隊が用意されており、1課、2課、3 課、4課で構成されており、それぞれ、人事、情報、作戦、後方支援、を担当している。 図 11 に示すように、幕僚部隊は組織外に対しては指揮官と一緒に責任を負うが、組織内 に対しては指揮官だけを補佐しており、実行部隊に対して何ら命令権限を持っていない点 が大変重要である。戦前わが国で存在した参謀本部はこの点を侵して、失敗している。 組織運営の面での自衛隊は ICS ドクトリンとした組織運営を行っていることが明らかに 642 なった。一例として、阪神・淡路大震災のとき活動についてエスノグラフィックインタビ ューによれば、当時の指揮官は任務の遂行にあたって重視していたポイントを「指揮官と しての覚悟」として図 12 のようにまとめられる。それらが以下に ICS の原則に即している かを指摘してみる。撤収時期を考えることは情報作戦の撤収管理に対応する。窓口の一元 化は ICS でいう指揮命令系統の確立にあたる。災害対応には金がかかるという認識を持つ と、庶務財務機能の重要性が明らかになる。公務員は市民のためだけに生きる、とは政治 家は支援者の意向を無視することは難しいが、公務員はそうした制約がないため、被災者 のためだけを念頭において活動することができるといえる。これを「目標管理」と読むこ とができる。兵站の重視は資源管理機能の重要性の指摘である。日常は幕僚の知恵を借り る決定を行い、一度は指揮官として人生をかけて撤収の決断をするというのは、指揮調整 者とスタッフ機能の関係のあり方を示している。現場支援を重視することも ICS の特徴で ある。自分は今何をすべきかを常に明確にしておくことは、指揮調整者が心がけるべき点 である。 図 11 自衛隊の組織編成 643 図 12 阪神淡路大震災時の自衛隊現地指揮官としての覚悟 以上、インタビューにおいて指揮官が自発的に口にした阪神淡路大震災時の対応の要点 のほとんど全てが、結果として ICS 原則に即していた。このことは、少なくとも自衛隊に おいては、ICS 原則が外国からの借り物ではなく十分に組織に根付いているといえる。 しかし、自衛隊以外にきちんと ICS 原則に即して活動している組織はわが国にはない。 同じように危機対応の専門組織として見なされる警察や消防は、動員の体制、指揮命令の 面では ICS に準じた体制を採用しているものの、基本的には短期決戦型の組織のせいか、 長期間にわたって現場活動を継続するための措置がない。とくに、消防には人員の交代と いう考え方はなく、後方支援は貧弱だといわざるをえない。 いわんや知事部局のような文民組織では、動員体制や指揮命令系統すら確立していない。 前項で紹介したように、地方自治体は一般に既存の部局編成のままどうやって危機を乗り 切るかを望んでおり、そのための業務割振りを考えようとしている。しかし、危機対応で はそれが難しいため、彼らがいちばん悩むのは、平時の組織編成と緊急時の組織編成をど のように組み換えるかである。とくに、事前に事務所掌が確立していない業務が発生した 場合に、それをどこが分掌するかの決定はきわめて難しい。 現状としては、わが国の危機対応の実態として、ICS を危機対応ドクトリンして全面的 に採用している組織は自衛隊だけである。それ以外の組織には、ICS が活用されていると はいいがたい。その理由はなぜなのか?これらの組織は ICS について知らないだけか、あ るいは導入を阻む問題点が存在するのかについて、次に検討していく。 (d) わが国の危機対応組織に ICS は導入可能か 過去 4 年間、たくさんの災害や事件・事故が発生している。そのうち、2004 年に発生し た鳥インフルエンザ、7.13 新潟水害、9.5 紀伊半島沖・東海道沖地震、台風 23 号災害、新 潟県中越地震、2005 年 JR 尼崎脱線事故、のそれぞれの事案で直接対応に従事した職員の 対応状況、さらに関西電力、大阪ガス、自衛隊、神戸市役所、奈良県、滋賀県などの危機 対応の取り組み状況について、エスノグラフィックインタビューを積み重ねた。その際に、 644 図 13 に示すような危機対応における ICS の特徴を提示し、実際の危機対応においてこれら の点が考慮されているか、考慮されていない場合には導入可能かについて、インタビュー 回答者にとともに検討を行ってきた。 そうした機会に、まず ICS にもとづく一元的な危機対応体制を確立する必要性を説い てきた。組織を取り巻くリスクは無数にある。そのすべてに対して被害抑止をめざすこと は無理である。そこで組織にとって重要なリスクに対しては被害抑止をするものの、それ 以外のリスクに対しては危機発生後の対応を効果的に行うことで最終的な被害軽減をめざ さざるをえない。さらに、被害抑止をめざす重要なリスクに関してもハザードの強度が想 定以上になれば、被害は発生せざるをえない。いいかえれば、どのような原因で危機が起 った場合にも効果的な組織対応を行えるような備えの充実が必要である。そうした考え方 の実質上の世界標準が ICS なのであり、わが国も ICS を危機対応ドクトリンとする一元的 な危機対応体制の確立が必要である。以上がその論旨である。 次いで、わが国の危機対応の特徴を明確化するために、ICS が持つ 10 個の特徴を紹介し、 わが国の危機対応と比較を行った。それら 10 個の特徴は図 13 に示すとおりであり、組織 のあり方に関する規定と、組織運営の規定とに大別される。これまでの調査の結果では、 わが国の危機対応の現場では、ICS にもとづく危機対応を実施している組織は少ない。し かし、組織運営の面で ICS を導入については、基本的に違和感がないということが明らか になった。具体的には、「一元的な指揮命令ポイントの確立」「直接指揮する人数の制限」 「担当者の交代制の制度化」「対応計画の立案・共有」「業務日誌の引き継ぎ」という5つ のポイントについては、 「 私たちはそんなことは考えたこともなかったけれど、やれますね」 という肯定的な反応を多くのケースで得ている。逆にいえば、危機対応組織の運営方法に 関して、わが国ではこれまで組織だって検討されていないことが示唆される。これら5つ のポイントの概要を以下に紹介する。 図 13 危機対応において ICS が持つ 10 の特徴 645 1) 一元的な指揮命令系統の確立 「一元的な指揮命令系統の確立」は、通常の日本語では「窓口の一元化」とよぶことが できる。わが国の災害対応においても、組織間の支援提供の場面で、援助を要請する側が 部局単位に独自に支援要請を行ったために、支援組織が資源調整に困った事例も報告され ている。効率的な支援を実現するためには、組織対組織の関係では互いに一つずつ担当窓 口を持ち、インプットとアウトプットをコントロールする必要性が指摘されている。単一 の組織内では、部下の側からいえば、自分に指示を与える人は一人しかいない状況ならば、 混乱は起きないことになる。この説明を聞いたある大学院生は、研究指導にあたって、教 授、助教授、助手からすべて違うことをいわれると、どう考えればいいのか混乱するとい う例を紹介してくれた。これも指示を受ける側からの視点での指摘である。 2) 直接指揮人数の制限 反対に指示を与える立場の人たちにとって大切なのが「直接指揮人数の制限」である。 図 13 に示すように、自分が直接指示を出す人間を最大限7人までにすることが提唱されて いる。そこには人間の認知機能の制約が介在している。G.A.ミラーという心理学者は”The Magical Number Seven”と題する論文を書き、人間は認知的な能力として7つの「固まり (Chunk)」までは同時に識別する能力を持っていることを明らかにした。虹はなぜ7色に 見えるかも、認知能力の制約で説明できる。虹は本来、光を分光器で分解したもので、連 続的に変化している。ところが、人間には、なぜか独立した7色にみえる。どの7色かは 不思議と人によって違うものの、7色にしか見えない。 同時に識別する固まりの数が増えるにつれて、誤判断の確率が上がっていく。したがっ て、一度に多くのことを覚えようとする場合には、 「固まり」の大きさを大きくすればよい ことになる。たとえば、二進法で 10101010 と 8 桁で表現される数値は、四進法では 22222 と 5 桁で表現される。また八進法では 1252 と 4 桁、十進法では 682 と 3 桁で表現され、覚 えるべき固まりの数は減少する。これは一定の換算方式を適用して、覚えるべき桁数を減 少させる方法である。10101010 を 10・10・10・10 と4つの固まりとみることもできるが、そ の場合には空間的なパターンの単位を大きくしている。 図 14 直接指揮人数の制限 646 こうした人間の認識能力の制約を考慮し、危機対応においてリーダーにとっての「固ま り」の単位が人間であるため、直接指示人数を最大で 7 名に制限し、危機対応の質を維持 している。指示対象が7人以下ならば、リーダーは部下を確実に識別でき、誰にどのよう な指示を与えたかも確実に覚えているし、部下の反応や行動も記憶できるからである。危 機対応の直接指揮人数を 7 人とせず、5 人+2 人する理由は、危機対応場面はストレスに満 ちた場面であるという前提にたつからである。ストレスは人間の認識の幅を狭くするため、 5人を指揮するほうが確実であり、いわんや3人ならばより一層確実となる。ちなみに、 もっとも高いストレス下で活動すると考えられる軍隊の編成は1:3を基本としている。 最小ユニットは1人のリーダーに3人のフォロワーがつく。一つの部隊は三つの下位部隊 から構成される構造が基本とされている。 直接指揮人数の制限によって大規模な危機対応においては、図 14 に示すように組織は階 層構造を持つことになる。わが国の災害対応でよく見られる全部局長を集めた 20~30 人規 模の災害対策会議は、直接指揮人数の制限のルールからみれば、非常に効率の悪い会議方 法であることが示唆される。そこで、インタビューで、会議メンバーとして「どの7人を 選びますか」と問いかけると、回答者は急に真剣になり、無駄な人員を省くことが可能に なる。 図 15 3) 責任担当期間と危機対応業務の引継 責任担当期間 「責任担当期間(Operational Period)」の考え方は、ICS の原則の中でもわが国の危機対 応の担当者にとってもっとも魅力的な要素であった。日本の災害対策本部の大きな特徴は、 交代という概念がないことである。阪神淡路大震災の時には兵庫県知事も神戸市長も、何 日も執務室に寝泊まりする日が続いたという。交代がなかったのはトップだけでなく、ほ とんどの職員が震災発生直後から長時間連続して勤務を続けていた。いわば「うちてしや まん」の精神で対応にのぞんでいる。それに対して ICS では定められた勤務時間が超過し たら、次の要員と交代することを前提として危機対応を考えている。つまり、危機対応の 647 であっても基本的には、通常の組織活動の延長として捉えている。そこでは当然職場労働 安全管理や職員の福利厚生が問題になる。そうした危機対応にあたる人々への配慮を行い つつ、長期間にわたって継続した対応が支障なくできる体制として交代制を重視している。 責任担当期間(Operational Period)を設けているのは、わが国でも電力事業者やガス 事業者などの公益事業体、入院病棟の医師や看護師など、事業活動が 24 時間継続して遂行 される業種では日常的に採用されている体制である。いわば危機対応が日常化している部 局では、当然の措置として用いられている。しかし、通常部局では危機の発生そのものが 確率が低い事象であり、その後の運用体制まで考えられていないというのが実態であると 思われる。 責任担当期間は Operational Period という英語が示すように、ひとつの作戦を遂行す る単位でもある。いわば、ICS にもとづく危機対応の時間的な単位である。そこにはその 間の活動を統括する指揮調整者がおり、その下に対応に必要となるライン業務とスタッフ 業務を担う担当者を編成し、その間の活動計画にしたがって、活動する。 二つの対応チームが物理的に遭遇する交代時期は大変重要な意味を持っている。通常、 両チームは会合を持つ。その場で、前チームからは直前の担当時間での状況、直前担当期 間での対応方針、当該の担当期間の間に発生した顕著な展開について、報告を受け、 「状況 認識の統一」が図られる。それを受けて、その直後、新チームの間で自分たちが担当する 期間の活動方針、組織編成、資源配置を決定する「当面の対応計画」が策定される。 危機対応を最小人数で引き継ごうと思えば、2チーム制で 12 時間単位で交代するシス テムが考えられる。8時間での交代ならば、少なくとも 3 チームを編成した交代制度が必 要となる。 しかし、責任担当期間とチームの交代が必ず連動しなければならないわけではない。一 チームが複数の責任担当期間を担当する場合も存在するし、一責任単位期間に複数のチー ムが交代する場合もある。作戦単位として責任担当期間は事案の推移に伴って変化するこ とが通常である。むしろ、状況認識の統一を図るための報告書の作成、当面の対応計画の 立案、決定事項の記者発表のサイクルとして、責任担当期間をとらえることができる。事 案発生直後には、状況が時事刻々変化するため、対応自体も変化することを求められる。 そのため、作戦単位としての責任担当期間も 2 ないし 3 時間となる。その後事態の推移が 安定するとともに、責任担当期間も数時間となり、担当者の交代と連動することになる。 さらに、復旧・復興期にはいると、責任担当期間は、1 日あるいは 1 週間という単位にな る。その間にも人員は交代することは当然である。 4) 日誌の引継 わが国の危機対応の経験者にとっては、現場での人員の交代は非常に難しいことととら えられている。その背景に業務を引き継ぐ仕組みの欠如がある。責任担当期間を前提とす る ICS の仕組みでは、個人レベルと組織全体レベルで業務を引き継ぐ仕掛けが用意されて いる。個人レベルの仕掛けは日誌の引継である。ICS では危機対応に従事する者は全員自 分が担当した期間に発生した重要事項について、発生時刻とその概要をメモにした日誌を 作成し、担当期間終了後に情報作戦部門の文書管理係に提出することを義務づけている。 それを次の責任担当時間で同じ役割を担う人が対応の参考にすると同時に、後日対応を振 648 り返るときに資料として利用されることが決められている。 5) 当面の危機対応計画 ICS では当該の責任担当期間の業務を規定する「当面の危機対応計画」として文書化さ れ組織全体としての業務の引継が行われる。指揮調整者は自分の責任担当期間の始めの 30 分間ほどで、計画を立案し、担当者全員でそれを共有することが求められる。原則として 30 分間で計画を立案できるように、さまざまな工夫がされている。第 1 の工夫は、活動方 針だけを決め、詳細は実行部隊に委せることである。活動方針の決定ではなく、実行すべ き活動の詳細を決めるための議論が長引くことが多いことを踏まえて、当面の危機対応計 画の立案においては、戦術的な議論をせず、戦略的なレベルでの意思決定だけを行うよう に定められている。 第 2 の工夫は標準的な計画記入のための書式が用意されている点である。ICS FORM 201 と名付けられたこの書式には、図 16 に示すとおり、当面の対応計画において決めるべきこ とが「状況認識」「組織編成」「資源配置」「活動方針」の 4 項目であり、30 分間の会議で それを記入し、全員にコピーを渡すことで、認識の統一と活動方針の徹底を図っている。 わが国でも 2005 年に発生したJR西日本福知山線尼崎事故現場では、対応にあたって いた尼崎市消防局、兵庫県警察、JR 西日本の代表が毎朝会議し、その日の活動方針を合同 で決定、文書化し、各組織の責任者が署名捺印して共同作業にあたったことも報告されて いる。このことは合同の現地指揮所での活動が必要な状況では、統一した当面の対応計画 にしたがって活動することはわが国でも実践されていることが明らかになった。 図 16 (5) 当面の対応計画を記述するための書式(ICS FORM 201) わが国でも導入可能な ICS にもとづく危機対応の姿 わが国の危機対応では現実に ICS の原則にもとづいて、危機対応を行っている組織はき わめて少ない。しかし、これまでみてきた5つの組織運営の側面に関しては、わが国の危 機対応の実務家も、ICS の導入に肯定的であった。その点を踏まえると図 7 に示した一般 的な危機対応のモデルは、ICS の原則を踏まえると、図 17 のように書き改めることが可能 649 になる。 図 17 ICS にもとづく危機対応モデル すなわち、図 7 に示したモデルの外側にもう一つリングが付き、状況認識、資源把握、 業務計画の作成を、 「ぬけ・もれ・おち」なく迅速に実行できる支援の仕組みとして ICS FORM が整備されている。個々では FORM 201 だけを紹介したが、ICS では対応の局面に応じて用 いるべき 40 種類以上の標準化された書式群を整備している。こうした整備は今後わが国に おいても実践されるべき重要な点である。 しかし、ICS の導入に対して好意的な人でも、自分の自治体への ICS の導入を躊躇させ る側面がある。組織のあり方に関わる部分である。これまでのインタビューから、彼らが ICS にしたがった組織編成を躊躇する背景として、ICS の5つの機能が説明される事案は基 本的には Incident 規模であること。しかし、彼らが想定する危機場面は、全庁的な対応を 必要とする場面であること。このギャップをうまく説明できていないことが明らかになっ た。2004 年の新潟県中越地震、あるいは 1995 年の阪神淡路大震災のような、Disaster も しくは Catastrophe の場面では、防災関係機関は当然全庁的な対応を求められる。そうし た場面に使えなるものでなければ、ICS は意味を持たない。しかし、Incident 規模での 5 つの機能の単純な組織編成を説明されても、それからどのように全庁レベルで組織編成に 展開させていけばいいのかについては、これまで十分な説明がなされていないのである。 そこに ICS の導入を阻む大きな問題が潜んでいる。したがって、わが国に ICS にもとづく 一元的な危機対応体制を導入するためには、全庁レベルでの危機対応において ICS にもと づく危機対応がどのような姿をとるかを体系的に、わかりやすく示す必要があるのである。 つまり危機対応ドクトリンとしての ICS だけではなく、わが国の危機対応の現実に即した 危機対応のためのしかけや装備として提示することが不可欠である。以下、大規模な危機 対応事案において必要となる業務内容、権限体系、空間配置、活動手順、情報処理、訓練 方法、マニュアル、の7つの側面から ICS にもとづく危機対応の形を整理する。 650 (a) 業務内容 ICS では大規模な危機事案の際に採用される組織編成として図 18 のような組織編成を提 案する。その編成は、わが国の危機対応組織の編成とは大いに形態を異にしている。そこ で、わが国の危機対応従事者が直面するのは、ICS が提案する組織編成とわが国のこれま での組織編成の不連続である。そのため ICS の採用が従来の仕組みを捨てることを意味す る点である。システムの移行に伴う混乱を考慮すると、一応従来の仕組みでも危機対応は できている、という現状肯定の気持ちが強くなることは否めない。 図 18 ICS が規定する大規模事案における仕事の体系 しかし、大規模な危機における ICS による組織編成表は、実際には全庁的な対応を必要 とする大規模な危機の際に必要となる「仕事」の体系を示している。いいかえれば、わが 国に ICS にもとづく一元的な危機対応体制を導入する際に、図 18 のような組織編成をとる かどうかよりも、危機対応において実行すべき図 18 に示される仕事が「ぬけ・もれ・おち」 なく展開されているかが考えらてるべきである。 指揮調整機能を見ると、大規模な危機対応においても指揮調整者は依然として一人であ る。しかし指揮調整者を支援するために、広報担当、安全担当、連絡調整担当という 3 つ の機能が追加されている。いいかえれば小規模事案においては、これら3つの機能も一人 の指揮調整者が担うべき機能とされる。しかし、事案が大規模化し、指揮調整の業務が複 雑化するため、指揮調整者は全体の統括責任者となり、広報、安全、連絡調整はそれぞれ 別の人格によって行われるべき独立の業務として分離されている。広報担当は、組織の危 機対応のあり方を社会に周知する役割を担う、現実的にはマスコミとの対応が主な任務と なる。安全担当は、危機対応にあたる人々の「職場労働安全管理」を担当する。現場での 安全性の確保、対応者の交代などを監督する。指揮調整者の指示に対して、安全の観点か ら撤回を迫ることも考慮して、組織の No.2 にこの任務を依頼することが多いという。連絡 調整担当は、危機対応にあたって複数の機関が連携する場合に必要となる機能である。当 然、大規模事案ほど対応にあたって複数の対応機関が連携する必要がでてくる。こうした 651 事態で、各組織から派遣される連絡担当者とコンタクトを保ち、各組織の要請を聞き、自 組織からの要望を伝える役割を担う。 スタッフ機能をみると、情報作戦、資源管理、庶務財務のどの機能もその下にさまざま な下位機能を分離させ、独立した担当者を配置するよう求めている。情報作戦機能では、 資源管理、状況分析、文書管理、撤収管理、技術専門家の5つの機能が分離されている。 資源管理は、危機対応の現場に展開する各種資源の配置状況をモニターすることを役割と している。状況分析は危機そのものの現在の状況と今後の見通しについて整理することを 任務としている。文書管理は危機対応の際に発生する文書を収集・管理し、後日の反省あ るいは訴訟に対する証拠を用意する任務である。撤収管理は、いつ、どの段階で現在の危 機対応を終了させるかを検討し、撤収を実施する計画を立案することを役割としている。 最後の技術専門家は、情報作戦機能の遂行にあたって担当者が持たない専門的な知識が必 要となる状況で、担当者を支援することが任務である。近代軍事組織では専門参謀にあた る人々である。 資源管理の機能は役務供給と業務支援の 2 つの機能に大別される。役務供給は危機対応 業務全体の遂行を支える基本的なサービスの提供であり、通信、食事、救護の 3 種類のサ ービスが特定されている。一方、業務支援は特定の業務を遂行する際に必要となる資源の 提供であり、空間、車両、装備の調達・提供が特定されている。 庶務財務の機能は基本的に必要書類の作成であり、4 つの下位機能が分離されている。 危機対応従事者の勤務状況を記録する勤務管理、モノの調達に関する契約を行う調達契約、 危機対応の過程で発生する損害に対する補償に関する事務を行う補償対応、活動にともな う支出を管理する経費管理、の4つの任務が明らかになっている。 以上、指揮調整機能とスタッフ機能に関しては、危機の種類を問わず、どのような危機 においても必要となる。しかし、実行部隊に関しては、どのような種類の実行部隊が動員 されるかは、危機の性質によって大幅に異なる。危機の種類に関係なく実行部隊のあり方 を規定しているものとして、以下の点があげられるに止まっている。まず、実行部隊の編 成の仕方は基本的に2つある。機能別の編成と、空間的な編成の2つが可能である。機能 別編成は、わが国の危機対応の実務者が念頭に置く「部局」ごとの業務分担である。空間 的な編成は、複数の地方自治体にまたがって展開する危機に対する対応の基本であり、自 治体単位に対応を行うことに相当する。また、作戦の実行に必要な各種資源を現場付近に 待機させる「待機場所」の設営とその維持管理が重要な役割を果たすので、待機所を管理 する長を置き、実行部隊全体として一元的に管理される必要があることが示されている。 新潟県は 2004 年に続発した災害対策のあり方に関する委員会を設け、新潟県として整備 すべき災害対策本部のあり方について検討している。その中で、大規模災害時の ICS にお ける上に述べたような業務体系を紹介すると、そこに同定されている業務は新潟県の災害 対策本部でも必要となる業務ばかりであること、最終的にはそれらの業務を分掌する人を 用意したという回答であった。しかし、そうした事務分掌が当初から想定されていたかと 問うと、想定されていなかったという。この回答は、大規模な事案における ICS が危機対 応に必要となる仕事をベースにして組織編成を行っていることを示唆しており、同時にわ が国の危機対応においても同様な仕事の体系を必要としていることも明らかになった。 652 (b) 権限体系 新潟県では続発した危機対応業務において最終的には ICS 的な業務内容の体系を採用し たものの、事前の計画段階から ICS に即した組織編成をとることには抵抗がある。その背 景として、危機対応計画の立案に際して、平常時から存在する既存の部局に、危機対応時 にどのような業務を付与すべきかを考える部局中心の発想法を彼らがとることがある。一 方、大規模な事案の ICS では、危機対応の遂行必要となる業務の全体像を明示し、そこで あげられた任務をどの部局に担わせるかを考える業務中心の考え方をしていることが大き な相違点である。しかし、わが国の危機対応が既存部局への役割付与を中心に発想する以 上、その慣習を無視して、危機対応業務を中心に業務分担を考えることを主張しても、そ の実効性は疑わしい。むしろ、わが国の防災担当機関が持つ組織編成の癖を踏まえた、業 務分担を行える方法を考えることが重要となる。 そこで着目すべきは組織内の権限のあり方である。ICS にもとづく全庁的な組織体制を 考える上で、滋賀県と新潟県が貴重なヒントを与えてくれた。両県とも、次長級の危機管 理監職をおき、危機管理全般を所掌している。そのスタッフ機能を果たす部局として、危 機管理部局が設けられている。小規模事案においては、危機管理監以下の危機管理部局で 対応が可能である。しかし、全庁的な協力を必要とする大規模事案になると、県の各部局 の協力が必要となる。そこで具体的な問題として発生するのが、次長が部長を指揮できる かという「職務権限」の問題である。次長が部長を指揮することは危機的な状況における 例外的な事項としてならば認めることもできる。しかし、防災力の向上をめざした平素か らの協力体制づくりの枠組の中では、それは通用しない。つまり、危機対応に関する職務 権限と職務との間に整合的な関係が作れなければ、全庁的な体制の確立は難しくなる。こ れが権限のあり方に関する問題の所在である。 図 19 権限体系から見た日本型危機対応組織の基本形 この問題が期せずして、新潟県と滋賀県からほぼ同時に提出されたことは、ICS がわが 国の社会風土に適した危機対応システムとして採用されるためには、この問題はかならず 653 解決されなければならない課題であることを示唆している。図 19 は職務権限と職務分担の 矛盾を解消した全庁的な体制を示している。 県庁組織を例にとって、図 19 に示す組織編成を解説する。全庁的な対応を求められる 事案であるため、指揮調整者には知事が就任する。実行部隊の長である事案処理部門の長 は県庁出身の副知事が担当する。その理由はもっとも先輩の県職員であり、かつ最上位者 であり、権限的に最も高い地位にいるからである。渉外を担当し、国等の関係団体との連 絡調整、あるいは広報にあたるのは国から派遣された副知事の任務である。防災監は県と しての危機対策本部会議の事務局として、知事あるは両副知事を補佐する。各部局の部長 は実行部隊長として県出身の副知事の指示に従い、各部局ことに設けられる部局の対策本 部の指揮調整者となる。部局の対策本部から県の危機対策本部へは両者の橋渡しをする連 絡担当者を派遣する。こうした組織編成を採用することで、わが国における大規模な危機 対応に ICS にもとづく危機対応を導入することが可能になると期待できる。この図を滋賀 県に提示したところ、 「これならできます」という返事をもらっており、国民保護計画の策 定に活かされている。 図 19 を ICS 原則に則して解読すると、 「本部会議」が「指揮調整機能」に相当する。 「幕 僚長」の下にある「対策本部」が「幕僚機能」をはたす。 「部門本部」は各部局で設けられ る実行部隊の前線本部である。 この組織編成の重要なポイントは、連絡調整にあたる「リ エゾン」を各所に配置しているところである。リエゾンの派遣が危機対応上重要であるこ とがこれまでのエスノグラフィックインタビューで明らかになった。リエゾンには2つの 機能が期待されている。第 1 の機能は派遣元の組織を代表して、派遣元の組織の意向や状 況を本部に伝達する機能である。そして、第 2 の機能は、本部の意向や状況を派遣元の組 織に伝達する機能である。リエゾンがこの2つの機能を果たすことで、災害対策本部と部 門対策本部との関係が緊密化することが可能になる。 (C) 空間配置 図 19 では、マスメディア対応、あるいは広報機能は ICS では指揮調整機能に置かれる。 しかし、滋賀県の危機管理監は広報部隊を対策本部の中に置きたいという強い希望を持っ ていた。これは権限として見た場合と、空間配置として見た場合には、ICS はその姿を変 えることを示唆している。いいかえれば、空間配置として ICS を捉えることが可能である ことを示唆している。 空間配置として ICS を考えることの有効性は、2005 年9月 14 日に富士常葉大学で行っ た ICS に関する短期集中講義で明らかになった。この集中講義は3日にわたって講義と演 習が行われ、3 日目の午後に総合演習が組まれていた。その段階までに 30 名ほどの受講者 全員に ICS の役割が割振られており、総合演習では災害対策本部での活動を総合的に再現 することが目的だった。この場面で、受講生たちが無意識にとった行動は、全員が集まり、 円卓会議を始めた。いわば全員参加の災害対策本部会議が開始されたのである。指揮調整 者に任命された学生が司会者になり、会議を仕切りはじめた。その内容は不活発・低調と しかいえない状況だった。 654 図 20 ICS 原則に則った空間配置の導入による活動の活性化 20 分ほどして、受講者たちに「ICS は 5 つの機能の組み合わせ」であることを示唆する と、図 21 に示すように彼らは ICS の機能ごとに島を作るようにテーブルを再配置し始めた。 すると、受講生たちの活発さに目に見える変化が現れた。事案処理、情報作戦、資源管理、 庶務財務の各部門はそれぞれに自分たちがやるべき仕事を考えるようになった。指揮調整 者は各部門長を集めて、頻繁に調整会議を行うようになった。そうした場合には、各部門 で自発的に部門長の職務代理者が任命されるようになった。この例は、ICS の導入には概 念レベルでの整理と同時に、図 21 に示すように ICS の機能に即した災害対策本部の標準的 な空間配置レベルでも考えていくことの有効性を示唆するといえる。 図 21 標準的な災害対策本部のレイアウト 655 (d) 活動手順 ここまで、危機対応にあたってどのような業務内容があるのか、それをどのような職務 権限のもとで実現するか、災害対策本部の空間配置をどうするか、までが明らかになった。 しかし、それでも依然として具体的に危機対応をどのようにすすめるべきかについては、 不安が残る。そこで、当該の責任担当期間の間に、組織としてどのような活動をするべき かの活動手順も明確化することが必要となる。 そこで、これまで危機対応のモデルの記述に利用してきた IDEF0 書式を利用して、責任 担当期間の間にどのような活動が行われるべきかをまとめたものが図 22 である。まず、危 機対応活動のインプットにあたるのが、前の責任担当期間での成果と現在の状況である。 それに関する情報が前提となって、危機対応活動が遂行される。活動遂行において参照す べきもの原則やルールとして、指揮調整者の責務に関する規定、各機能がはたすべき責務 に関する規定がある。それを具現化したものが、業務内容や権限体系である。そして、危 機対応活動をした成果として、COP、IAP、LOG の 3 種類が生成され、次の責任担当期間へ と引き継がれることになる。IAP(Incident Action Plan)は(4)(d)5)で紹介した責任担当 期間において何をするべきかを規定する当面の対応計画であり、LOG は(4)(d)4)で紹介し た各担当者がつける業務日誌である。 図 22 責任担当時間内での活動手順 ここで改めて注目したいのが COP(Common Operational Picture)とよばれる、状況認 識の統一である。災害対策本部では責任担当期間内の活動のほとんどが情報関連の活動に なり、その中心は状況認識の統一を目的としている。図 23 は 2004 年新潟県中越地震の際 の小千谷市の災害対策本部の内部を写した写真である。この例からも明らかなように、危 機が発生すると、さまざまな種類の膨大な情報を関係者で共有され、同じような状況認識 を持つ必要がある。これこそが Common Operational Picture の意味である。状況認識を統 一することの必要性は明らかにもかかわらず、問題はそれを効果的に作成する良い方法が 656 ないことである。小千谷市のように紙に書いたものを壁に貼る方法しかないのか、コピー 機能付きのホワイトボードはどうか、GIS システムを導入できるのではないかといった、 技術的な改良が検討されるべきである。 危機対応の活動手順としてみると、情報の処理に関する活動には情報の収集、集約、分 析といった活動が必要となり、災害対策本部での責任担当期間内の活動のほとんどは情報 関連の活動が占めている。そうした活動を支援する資源として、ICS FORMS や標準的な空 間配置が存在する。こうした標準的なツールを利用することで、情報活動において「ぬけ・ もれ・おち」のない活動が実行されやすくなる。このようにみると、災害対策本部でどの ように情報を処理し、当面の対応計画にまとめるための手順を確立することが危機対応の 質を考える上で重要であることが明らかになった。 図 23 (e) 新潟県中越地震の際の小千谷市災害対策本部 情報処理 災害対策本部の業務の中心は情報作戦と資源管理の2つの機能である。資源管理にあた っても、管理対象になるものの処理と、それに関する情報の処理の2側面がある。実際の 事案処理の状況も現場からの報告という形で、事案処理部門から災害対策本部に連絡担当 として派遣される人から情報としてもたらされる。いわば、災害対策本部では ICS に関す るすべての機能が情報を介して連携する場としてとらえることができる。 657 図 24 情報処理過程としての ICS の姿 その様子をまとめたものが図 24 であり、情報処理の過程として顕在化した ICS の姿で あ る 。 情 報 処 理 の 過 程 の と し て ICS を み る と 、 わ が 国 の 危 機 対 応 に な い 責 任 担 当 期 間 (Operational Period:OP)が重要になる。情報収集から計画実行までの情報処理過程が 1まわりする期間が基本的にはひとつの OP を構成する。したがって、災害発生直後では OP は通常2ないし3時間と短い。その後12時間、あるいは24時間単位、最終的には1 週間単位で OP が設定されることが多い。 各 OP 内での情報処理過程では情報作戦部門の状況分析班と資源配置班の役割が大きい。 状況分析班の役割は、災害情報システム、危機対応に関係する機関が派遣する連絡担当、 マスメディアによる報道、相談窓口業務を行う庁内の情報センターなどのさまざまな情報 源からの収集された情報を処理し、「組織をとりまく外的な状況」を把握することである。 資源配置班の役割は、各部局が設けた部局ごとの対策本部から派遣された連絡担当、資源 管理部門、庶務財務部門などを情報源とする「被害や組織内各部局の対応に関する状況」 を把握することである。両者の分析結果が合体され、現在の状況としてまとめられたもの が Common Operational Picture (COP)とよばれる。それによって関係者全員が状況認識 を統一するための資料である。COP による状況認識の統一に加えて、対応にあたる組織編 成、資源配置状況、活動方針ととるべき対策をまとめ当該の責任担当期間の活動を規定す るものが Incident Action Plan (IAP)である。 COP と IAP は情報作戦部門のチーフの責任でとりまとめられ、指揮調整担当者に原案と して提示される。指揮調整者は安全担当責任者と安全面について協議し、その OP の対応計 画として承認する。承認された計画は、事案処理部門のチーフから各担当者に伝えられる。 関連する機関に対しては渉外担当から説明がなされ、COP に関しては広報担当者を通して、 マスコミ発表される。 (f) 訓練 以上の 5 つの側面は危機対応ドクトリンとしての ICS をわが国の社会風土に適した形で 具現化するために踏まえるべき内容的な制約である。それらはみないわば危機対応の「ソ 658 フト」である。ソフトの普及には、必ず研修が必要であるといわれる。したがって、ICS にもとづく一元的な奇異対応体制の導入に関しても、導入すべき内容だけを規定するので は不十分であり、導入の方法についても検討する必要があることになる。 危機対応能力を向上させるための研修には、図 25 に示す「学ぶ」こと、「習う」こと、 「試す」ことの三つの要素が必要である。 図 25 危機対応能力向上のための研修において必要となる 3 要素 「学ぶ」「習う」「試す」の 3 要素の関係を、習字を例に説明する。習字塾に行くと、最 初に先生から朱書きの手本を渡される。あれが「学ぶ」に相当する。つまり、学ぶべきも のは何か、何が正しいかを例示するのが手本である。手本を持たないことは、何を学ぶべ きかを理解しないまま、結局は我流に陥ることを示唆している。まず、手本をみて、どう するのが正しいのかを知る過程が「学ぶ」である。次に、手本を見ながら、何回も書く、 「習う」段階がくる。ある程度練習を積み、一応手本通りに書けたと思える段階になると、 先生の所で添削を受けることになる。これが「試す」である。「試す」は先生の朱が入り、 さらに練習することもあれば、別の手本を渡される場合もあれば、展覧会に出品する場合 もあるように、自分の作品に対する評価の過程である。 今、わが国の防災では訓練が大人気である。各地で図上訓練や実働訓練が行われている。 しかし、その有効性について懐疑的にならざるをえない。なぜならば、現在の図上訓練や 実働訓練は「試す」ばかりで、その前提となる「学ぶ」が省略されているからである。学 ぶべき「型」を知り、それを反復練習した上で、その習熟度を試すのでない限り、訓練参 加者には達成感は残るかも知れないが、それぞれが危機対応に対して我流のイメージを強 化するだけに過ぎない危険性が高い。一元的な危機対応システムの導入という目的に即し て考えると、かえって危険なことが行われているともいえる。危機対応能力の向上のため の研修において、まず重視するべきは「学ぶ」べき事項を体系化したカリキュラムの作成 であり、次いで「習う」ためのプログラムの整備である。 659 図 26 教育プログラムの3つの形 防災教育の充実を目標とする「内閣府防災教育チャレンジプラン」では、防災教育のプ ログラムの充実には図 26 に示す3つの側面が存在することを明らかにした。第 1 は教育す べき新しい教材の開発である。現実の教育場面を考慮すると、教材は 45 分間を単位とする と有用性が高くなる。それを図 27 に示すような標準的な記述様式を用いて記述すると、資 源の相互利用が促進されることになる。 図 27 教育活動を記述する標準書式 新しい教育素材の開発では「これまでにない内容を 45 分間にまとめ、標準記述フォー ムに書く」ことが必要になる。一方、個々の素材は既知のものでも、そうした教材の組み 合わせ方を工夫することで、新しい教育プログラムを作ることができる。教材の組み合わ せ方は、基本的に短期研修型と長期研修型の 2 つに大別される。短期研修型は素材をいく 660 つか組み合わせて、1 日あるいは 2 日のプログラムを編成する。一般的な活用場面は、地 域の人々を巻き込むイベント型の研修や、合宿型の OJT プログラムとして活用できる。ま た、教材を数週間にわたって組み合わせる長期研修型は、学校における学習プログラムを 想定している。 以上のような標準的な表現形式を採用して、わが国の社会風土に適した ICS の具体形を 整理することから、ICS 研修の整備が出発するといえる。 (g) マニュアル ICS を危機対応ドクトリンとし、わが国の社会風土に適した一元的な危機対応体制を実 現するためには、マニュアルの整備が実務者にとっては大きな支えになる。逆にいえば、 マニュアルの整備にあたって、危機対応を業務内容、権限体系、空間配置、活動手順、情 報処理、訓練法の6つの側面から記述することが必要となる。それによって、標準的なマ ニュアルの整備が出発するといえる。 (6) 終わりに ここまで危機対応ドクトリンとしての ICS をわが国の社会風土に適した一元的な危機対 応体制として具現化するために留意するべき点について整理してきた。まだ、危機のレベ ル設定、業務の標準化のための業務分析手法、危機対応業務体系の整備など、最終年度に 検討するべき課題は残っている。しかし、4 年度までに災害対応シミュレータに盛り込む べき内容の骨格については整備を終えたといえる。以上が本年度の研究成果の概要である。 661